>>27 これまで何度か紹介してきましたが・・
《これが一体、何(書や教え)について》のゴータマの言及(予言/警告)なのか?
誰一人として、感想レスすらつけてきた人も皆無でした。
よほど・・この経文については考えるのが嫌だというのが目に見えるというものです。
では、再び掲載します!総ての自称/仏教者はこれを心して読むべきです。
今回の図書館巡りの成果は、
実は、この経文の出典がやっと確認できたことでもあったのです。
特にあなたはメンタマをこじ開けて、しっかり繰り返し読むがいいです。
『比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。
如来の説かれたこれらの諸経典は深遠であって意義が深く、出世間のものであり、空と
相応しているものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとしないし、耳を
傾けようとしないし、了解しようという心を起こさないであろう。それらの教えを受持すべくよ
く熟達すべきものであるとは考えないであろう。
これに反して文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来
するものであり、弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく
聞こうとし、耳を傾けようとし、了解しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持
すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。
かくの如くにして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と
相応している諸経典は消滅してしまうであろう。
比丘らよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。―――[如来の説かれた、深遠に
して意義が深く、出世間のものであり、空と相応している諸経典が説かれる時に、我らはよ
く聞くことにしよう。耳を傾け、了解しようという心を起こそう。それらの教えを、受持すべくよ
く熟達すべきものであると考えることにしよう]と。』(サンユッタ・ニカーヤ20.74-5)