1 :
神も仏も名無しさん:
相争う哲学的見解を越え、
さとりに至る決定に達し、
道を得ている人は、
「われは智慧が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、
犀の角のようにただ独り歩め。
『スッタニパータ』55
菩薩たちは、「智慧の完成」に依拠しているがゆえに
心にこだわりが無い
こだわりが無いゆえに、恐怖も無い
間違った認識によって世界を見ることから遠く離れている。
三世の仏たちも「智慧の完成」に依拠したがゆえに
完全なる悟りを得たのだ。
般若心経
無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭い奉ること難し
我今見聞し、受持することを得たり、願わくは如来の第一義を解せん
至極の大乗、思議すべからず
見聞触知、皆菩提に近づく
能詮は報身、所詮は法身、色相の文字は、即ち是れ応身なり
無量の功徳、皆この経に集まれリ
是故に自在に冥に薫じ密に益す
有智無智罪を滅し善を生ず
若しは信、若しは謗、共に仏道を成ず
三世の諸仏、甚深の妙典なり
生々世々、値遇し頂戴せん
開経偈
赤肉団上に一無位の真人有り。
常に汝等諸人の面門より出入す。
未だ証拠せざる者は、看よ看よ
時に、僧有り出でて問う。
如何なるか是れ無位の真人。
師、禅床を下って把住して云く、
道え道え。
其の僧擬議す。
師托開して云く、
無位の真人是れなんの乾屎橛ぞ。
便ち方丈に帰る。
臨済録
光と命きわみなき
阿弥陀仏を仰がなん
法蔵比丘のいにしえに
世自在王のみもとにて
諸仏浄土の因たずね
人天の善し悪しみそなわし
すぐれし願を建てたまい
まれなる誓いおこします
長き思惟の時へてぞ
この願選び取りませり
かさねてさらに誓うらく
わが名よひろく聞えかし
十二の光放ちては
数多の国を照らします
生きとしいくるものすべて
このみ光のうちにあり
本願成就のそのみ名を
信ずるこころひとつにて
仏の悟りひらくこと
願い成りたるしるしなり
正信偈
6 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 15:02:27 ID:c5NnsSv9
我、超世の願を立つ!(法蔵菩薩・阿弥陀経)
世尊よ、それでは、この無明を破るには、
繰り返しを越えるには、何を求めるのですか。
何を求めれば、苦楽を越えられるのでしょうか。
帝王よ、楽が生まれると、苦が埋まれる。
欲を求めると、苦楽が分かれ、総じて苦しみ、
欲を越えるとき、苦楽が消えて、総じて楽しむ。
大念処経
また、シャーリプトラよ。
かの佛国土は、天の音楽をかなで、黄金が地をなしている。
昼夜六時(一日を昼夜に二分、それぞれをまた三分して、六時となる)に、曼陀羅華を雨降らす。
その国の民衆は、常に清々しい朝に、おのおの花を盛る器をつかって、もろもろの妙華を盛り、
他方の十万億の仏を供養し、昼の休息をもって、本国に還到し、ご飯をたべ、
座禅の眠気を覚ますためゆきつもどりつする。
シャーリプトラよ。極楽国土には、このようにすぐれた性質の荘厳を成就する。
仏説阿弥陀経
何がおかしい。何を喜んでいるのだ。世は燃えているのに。
おまえたちは暗闇に覆われているのに、ともしびを求めようとしない。
作りあげられた幻をよく見ろ。寄せ集めでつくられた、傷だらけの身体だ。
病いと妄想に満ちている。その中に永遠に留まるものなど存在しない。
老いてボロボロになった、この体は、病の巣となり、崩れるものとしてここにある。
腐りゆく体は、朽ち果てる。生命の行き着くところは死である。
法句経
10 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 15:21:52 ID:c5NnsSv9
海中に妙音という名の神がいる。彼は海の生物の若干種の言語を理解し、それらの生物を楽しませる。まして大功徳の菩薩が衆生を利益しないわけがない。「華厳経・記憶をたよりに私訳」
比丘たちよ、このように知るべきである。
”正知”をもって、感覚、想念、思考、識別作用のある所を、ただしく観察せよ。
過去、未来、現在においても、さきの如くに、”正知”をもって観察せよ。
もしも、わが声聞、聖弟子たちよ、 この五つの構成要素(五蘊)を観察すれば
自己が所有するところも、自己をもってするところも無い、ということを知る。
かくのごとく観察しおわれば、世界を知る。 感受作用も、感受する対象も無くなり、変転することもない。
ただ、みずからこのように識知する、 涅槃に達した。
わが生はすでに尽きた。 清浄なる行は、すでに完成した。
造作する働きはすでに見られ、 後の生存を受けることはない、と
五蘊皆空経
12 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 15:26:46 ID:c5NnsSv9
辞めよう、辞めよう、舎利弗よ。もし、この如来にしか理解出来ない法を説いたら、増上慢の比丘は怪しみ驚き、地獄へ墜ちてしまうであろう「法華経・方便品」
わたしは、世界全体の父であり、衆生の諸の苦しみや悩みを救う者であります。
しかし、凡夫は心が逆さになっているので、それを救う適切な手段として、
実際には生きているのに死んだことにしているわけなのです。
なぜならば、いつでも仏に遇えるとなれば往々にして、わがままな心が生じて、
気持ちがたるんで五官の欲望に執着してしまい、ついに悪業の道に堕ちてしまうからです。
わたしはいつも、衆生がどれぐらい仏の道を行じているのか、あるいは怠けているのかを知り尽くしていますから、
相手に応じた適切な方法によって、さまざまに法を説き分けるのです。
しかし、わたしが常に念じていることは変わりません。それは、どうやって衆生を仏の道に導き入れて、
一刻も早く仏の悟りを成し遂げさせるのか、ということだけなのです。
妙法蓮華経
< 俺は良スレ >
< 発見したぞ!! >
< ジョジョー!!!!!>
∨∨∨∨∨∨∨∨
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〈`∀´/〉
 ̄T`⊂)
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ギラン*|ヽ<∨ゝ`ヽ
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⊂ニ⊃ / /
|(⌒| ̄" J|
"T ̄ ̄ ̄"|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<韓国面を >
< 持っている! >
<やめれー!! >
∨∨∨∨∨∨∨∨
どどどどど〜〜〜〜!!
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
=)二ニ警]_ニ警]_ニ警]_=
=(;・∀・);・∀・);・∀・)
○<y>○<y>○<y>○
=ノ ̄ヽ、ノ ̄ヽ、ノ ̄ヽ、=
し≡(_)≡(_)≡(_)
もろもろの世間において何ものか最も富み、
何ものか最も貧しき。
悲母堂にあるこれを名づけて富とし、
悲母あらざるを名けて貧しとす。
悲母あるとき名けて日中とし、
悲母死する時を名けて日没とす。
悲母あるときを名けて月明とし、
悲母亡き時を名けて闇夜とす。
このゆえに汝らつとめて父母に孝養せよ。
かくのごときの人は、
仏を供養する福と等しうして異ることなき福を得べし。
心地観経
怨むことなき教を仏教となし、
争うことなき教を仏教となし、
誹ことなき教えを仏教とする。
宝蔵経
人は世間愛欲の中にありて、
独り生じ、独り死し、独り去り、独り来る。
まさに行きて苦楽の地にいたりおもむくべし、
身みづからこれに当たり、
代わるものあることなし。
無量寿経
さらに、一切の有情は、その本質において、妙なる法を内に蔵する。
なぜならば、すべてのものは、この正しき理を覚える時、自己と他者のために、
誰でもが理解できる言語を活用して、その真理を再現して伝達できる。
これは観自在菩薩のごとくである。
理趣経
仏典を検索できるサイトは、ないのでしょうか?
見つからん。○| ̄|_
修業するぞ 修業するぞ 修業するぞ 出来るだけハードな修業するぞ
救済するぞ 救済するぞ 救済するぞ 救済するぞ
麻原彰晃
21 :
神も仏も名無しさん:2009/07/27(月) 08:44:33 ID:KyWLQpP8
「フン!無駄!無駄!無駄!無駄!無駄!無駄!無駄!」ディオ語録
22 :
神も仏も名無しさん:2009/07/27(月) 10:11:39 ID:cQ7Tpuo0
それ故に、
この世で自らを島とし、
自らを頼りとして、
他人を頼りとせず、
法を島とし、
法をよりどころとして、
他のものをよりどころとせずにあれ。
大パリニッバーナ経
般若心経
しきふいくう
色不異空
/⌒ヽ ∩ ∧ ∧
( ^ω^)ノ ̄7 ( ゚Д゚)ノ
/ 7V7Z′/ / 7V7Z'
Lノト-イヘ ̄ ⊂Lノト-イヘ ̄
/、_」ツ^i ∧ノ∧|ノ∩
.<、_[ニニ] ∩*゚ー゚)ノヾ
∠ノ( ´∀)/Y(y ハノ
/ 7└┘フ ノノ)エニ( ̄
⊂L_ノー-{ ̄ / y )
ノハ__」 ∠_/L_1
`(_ノL_ノ∠ノ (__)
∠ノ L_)
ものがあっても、感じる心がなければ、ないことと同じであり、
24 :
神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 07:56:00 ID:f1jULprb
内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、
このようによく気をつけて行なっている人、
の識別作用が止滅するのである。
【経集・彼岸に至る道の章】
般若心経
くうふいしき
空不異色
魚イルノカ? /ヽ
∧ ∧ /' ヽ
(´・ω・)/' ヽ
( つ@o ヽ
 ̄ ̄υυ~|
〜〜 〜 ~~~゚ ~~ ~~~~
〜 〜 〜
ないということも、感じる心があれば、そのものは
あるのと同じである。
26 :
神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 08:18:41 ID:ZRbxHwnW
まるで…沼
………ざわざわ………
大いなる哉、心や。
天の高きは極むべからず、しかるに心は天の上に出づ。
地の厚きは測るべからず、しかるに心は地の下に出づ。
日月の光はこゆべからず、しかるに心は、日月光明の表に出づ。
大千沙界は窮むべからず、しかるに心は大千沙界の外に出づ。
それ太虚か、それ元気か、心はすなはち太虚を包んで、元気を孕むものなり。
天地は我れを待って覆載し、日月は我れを待って運行し、
四時は我れを待って変化し、万物は我れを待って発生す。
大なる哉、心や。
『興禅護国論』
「一方で、瞑想を妨げる、五つの条件がある。
大王よ、禅定を妨げる、五つの蓋は何のことか。」
「第一に、貪りに囚われる、貪欲蓋である。
喩えるなら、金を返すために、金を借りると、
返しても、返しても、苦しくなるようなものだ。」
「第二に、瞋りに囚われる、瞋恚蓋である。
喩えるなら、嫌いなものでも、食べなければ、
病になり、好きなものも、食べられないようだ。」
「第三に、眠りに囚われる、昏眠蓋である。
喩えるなら、金を盗んで、牢に捕われた者が、
金が有っても、金を使えないようなものである。」
「第四に、焦りに囚われる、掉悔蓋である。
喩えるなら、奴隷が、自由を求めるあまりに、
ますます、不自由を感じてしまうようなものだ。」
「第五に、疑いに囚われる、愚痴蓋である。
喩えるなら、酔って、不安を忘れようとして、
ますます、覚めて、不安を覚えるようなものだ。」
『沙門果経』
「私の死んだ後、比丘は、このようにせよ。
他を帰依処とせず、自己を帰依処としなさい。
自我を帰依処とせず、法則を帰依処としなさい。」
「周りを灯明とせずに、自らを灯明とせよ。
自我を灯明とせずに、真理の法を灯明とせよ。
アーナンダよ、そのためには、如何にすべきか。」
「このように、正念して、正智すべきである。
身に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
受に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
心に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。
法に対して、正しく念じて、渇望を断じなさい。」
「こうすれば、現在にも、わたしの死後にも、
周りを灯明とせず、自らを灯明に出来るだろう。」
『大般涅槃経』
法(真理)の施しは、一切の施しに勝つ。
法(真理)の味わいは、一切の味わいに勝つ。
法(真理)の喜びは、一切の喜びに勝つ。
渇愛の滅尽は、一切の苦しみに勝つ。
『法句経』
菩薩 − そのようにここに自己が寂静に住する者 −
彼は、昔の仏により〔正覚へ〕授記されたものである。
「私は等至〔に入定〕した」とか「〔等至から〕立った」という
〔諦執による〕慢心が無い。なぜかというと、
〔蘊など一切〕法の〔、勝義として空たる〕自性を遍知し〔、心一境に専注し〕ているからである。
そのように行ずるなら、諸々の善逝の〔説かれた〕智恵を行ずる。
彼は〔諦執による〕行無きことが行であるとよく知っているから、
およそ行ずる法 − それをもまた、〔勝義として〕認得することにならない。
これが、最上の般若波羅蜜を行ずることである。
『宝徳蔵般若経』
比丘よ、
常に意識を傾注している者として、歩くように。
常に意識を傾注している者として、立つように。
常に意識を傾注している者として、坐すように。
常に意識を傾注している者として、臥すように。
常に意識を傾注している者として、この身体を曲げるように。
常に意識を傾注している者として、この身体を伸ばすように。
上に、横に、後に、地上における赴く所のかぎりにおいて、
諸々の法(もの・こと)と心身を構成する五つの集塊(蘊)の生滅の道理を、
まさしく、 あるがままに観察する者――
このように住する熱情ある者を、寂静の生活者を、心が高ぶらない者を、
心の寂止において適正なる者を、常に気づきある者として学んでいる者を、
そのような類の者である比丘を、賢者たちは「常に自己を精励する者」と言う。
『自説経(ウダーナ)』
阿難よ、知るがよい。如来のさとりは、はかり知れない尊い智慧をそなえ、
人々を限りなく導くのである。その智慧は実は自在であり、何ものにもさまたげられない。
わずか一度の食事によって限りない寿命をおたもちになり、しかも喜びに満ちあふれ、
お姿も清らかで、輝かしいお顔も気高く、少しもお変わりにならない。
なぜなら如来は禅定と智慧をどこまでもきわめ尽し、すべてを思いのままにする力を
得ておいでになるからである。
阿難よ、わたしはこれから
そなたのために詳しく説くから、よく聞くがよい。
『無量寿経』
口奄訶訶訶尾娑摩曳娑婆訶
オン カカカ ビサンマエイソワカ
真言
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならん
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
『夜叉説半偈』
心が動くと、真我は、心の作用と同化して、
心が止まると、真我は、心の作用と分離する。
分離をした、本来の真我は、純粋観照者である。
『瑜伽経』
貪れば貪るほど、自らの欲は適わなくなり、
怒れば怒るほどに、自らの心は怯えてしまう。
酔えば酔うほど、自らの頭は悪くなってしまう。
『宝行王正論』
「入出息を整えられると、四念処を修める。
四念処を修められると、七覚支を修められる。
七覚支を修められるとき、離解脱を修められる。」
「では、入出息を整えるには、如何するか。
長く吸っていれば、長く吸っていると考えて、
短く吐いているなら、短く吐いていると考える。」
「心が動いているなら、心が動いていると、
喜びを感じていれば、喜びを感じると考えて、
憂いを感じているなら、憂いを感じると考える。」
「心を止めているなら、心を止めていると、
無常を観じていれば、無常を観じると考えて、
離欲を観じているなら、離欲を観じると考える。」
「では、四念処を修めるには、如何するか。
身体を認めるときは、不浄を観じると考えて、
感覚を見とめるときは、皆苦を感じると考える。」
「何を行うときも、何を為しているときも、
意識を認めるときは、無常を観じると考えて、
法則を見とめるときは、非我を感じると考える。」
『入出息念経』
39 :
神も仏も名無しさん:2009/07/29(水) 15:53:40 ID:an8jOMpK
H
40 :
神も仏も名無しさん:2009/07/29(水) 16:18:15 ID:DFFrjMxt
「 」
41 :
神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 11:57:56 ID:Alq71TpI
汝の第一の軍隊は欲望であり、
第二の軍隊は嫌悪であり、
第三の軍隊は飢餓であり、
第四の軍隊は妄執といわれる。
汝の第五の軍隊はものうさ、睡眠であり、
第六の軍隊は恐怖といわれる。
汝の第七の軍隊は疑惑であり、
汝の第八の軍隊はみせかけと強情と、
誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉と、
また自己をほめたたえて他人を軽蔑することである。
ナムチよ、これは汝の軍勢である。
黒き魔(Kanha)の攻撃軍である。
勇者でなければ、かれにうち勝つことができない。
勇者はうち勝って楽しみを得る。
『スッタニパータ』
42 :
神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 12:59:43 ID:Alq71TpI
知慧なき者に、瞑想は存在しない。
瞑想なき者に、知慧は存在しない。
彼において、瞑想と知慧とがあるなら、
まさに、彼は、涅槃の現前にある。
「ダンマパダ」
43 :
神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 13:05:18 ID:Alq71TpI
そこで、
(1)数、(2)追随、(3)接触(4)、据置“すえおき”、(5)省察、(6)還滅、
(7)完全なる清浄、しかして、(8)それら(還滅することと完全なる清浄)を観ること、という、
これが、意を為すことの手順となる。そこで、
(1)「数」とは、まさしく、〔入息と出息を〕数えることである。
(2)「追随」とは、〔入息と出息に気づきが〕随伴することである。
(3)「接触」とは、〔入息と出息が身体と〕接触した場である。
(4)「据置」とは、〔瞑想の境地に〕専注して止まる〔心の統一〕である。
(5)「省察」とは、〔あるがままの〕観察(毘鉢舎那・観)である。
(6)「還滅」とは、〔煩悩を還滅させる、聖者の〕道である。
(7)「完全なる清浄」とは、〔聖者の〕果である。
(8)「しかして、それらを観ること」とは、注視である。
『清浄道論』
菩提に本から樹など無い 明鏡にもまた台など無い
仏性は常に清浄だ 何処に塵埃が有るのか
心が菩提樹であり 身を明鏡台というのだ
明鏡は本から清浄だ 何処が塵埃に染まるというのか
『六祖壇経』
「比丘達よ、もし、独り静かな森に赴いて、
心が挫けてしまむならば、私の心を仰ぎ見よ。
仏の心を仰ぎ見るなら、恐怖が消え去るだろう。」
「比丘達よ、もし、仏を仰ぎ見れないなら、
法を仰ぎ見よ、もし、法を仰ぎ見れないなら、
僧伽を仰ぎ見よ、すぐ、恐怖が消え去るだろう。」
「仏と法と僧を念じるなら、恐れは消える。
汝らが抱くべきは、恐れでなく、畏れである。
三宝は、最高の福田であり、至福の源泉である。」
『帝釈相応』
我々は、存在として、外に見とめるものを、
認識して、概念として、内に認めるのである。
我々は、存在そのものを、見とめる訳ではない。
そう考えると、世界の実在など考えられなくなる。
世界は、分かれたものが、集められている。
現実というものが、実在している訳ではない。
現実とは、過去による、現在の解釈に過ぎない。
それゆえに、現実が実在するとは、考えられない。
この世界は、現実的である具体的なものが、
確かな法則に従い、連続しているだけである。
たとえ、確かな法則と無関係な状況を作っても、
その結果が、現実に連続することは、絶対にない。
現実は、過去による現在の解釈に過ぎない。
ところが、現実を、実在と錯覚した場合には、
確かな法則に従ってないように、見えてしまう。
しかし、それすら、そう解釈しているだけである。
現実とは、明瞭な真理を覆すものではなく、
更に言えば、曖昧な真理を覆すものでもない。
もし、現実というものが、存在すると考えると、
明瞭と曖昧が融け合さった、現実が消えてしまう。
『中論』
さらに、このように、考えないとならない。これ以下、
汝とは、主体たる心のことであり、私は真我のことであり、彼は自我のことである。
「汝らは、彼の為に、輪廻に苦しめられた。よって、汝らの苦悩を、全て彼に背負わせて、
彼の安楽を奪い取り、地獄に落とすべきである。」
「ああ、汝らが、利己を追求している間に、無数の劫、無量の時が、過ぎ去ってしまった。
その間、汝らは、膨大な苦悩を得ただけである。」
「故に、私の要請に従い、汝は利他を為せ。仏の法が、決して、汝らを裏切らないように、
私の教えは、決して、汝らを裏切ることはない。」
「彼は楽しいばかりで、他は苦しいばかり、彼は尊く他は卑しい、彼は動かない他が働く。
このように見抜いたら、汝らは彼らに嫉妬せよ。」
「彼を楽から離して、彼に苦しみを与えよ。彼が、いつ何をするか、その欺瞞を観察せよ。
彼らは、自らの楽の為に、汝らの苦を厭わない。」
「他の罪は彼に着せ、彼の罪は仏に報せよ。他の者の名声を称えて、彼の名声を曇らせよ。
卑しい奴隷のように、彼を衆生の為に酷使せよ。」
「彼の為に、他を害した、全ての汝の罪を、他の為に、彼を害して、全て償わせるべきだ。
彼を汝の支配に置け、命に背くなら罰を与えよ。」
「ああ、心よ、私が、このように言っても、汝は、彼を許そうとするだろう、覚えておけ。
汝が彼を罰しない時は、私が汝を罰するだろう。」
「入菩提行論」
更に、ヴェーダを学ぶ者には、このように説く。
「アドワイタ哲学では、一つの実在を説く。それは、アートマンであり、無自性ではない。」
「実体なき空をして、実在と考えても構わない。」
「真我が実在している、無我などではない。」
「自我が消えて、真我が現われると考えるか、我が無くなると考えるか、その違いに過ぎない。」
「サーンキャ哲学では、二つの実在を説く。プルシャとプラクリティ、一元などではない。」
「実体のない空を、主体と客体に分けても良い。」
「完全に客体を離れると、主体は独存する。」
「客体が消えるときに、主体も消えてしまう。その独存を、主体と呼ばず、空と呼ぶのである。」
「入菩提行論」
「尊師よ、アートマン、即ち、真実の自我、
つまり、真我なるものは、存在するのですか。
それとも、真我なるものは、存在しないですか。」
「行者よ、有るとも言え、無いとも言える。
無我を観じられないと、真我を感じられない。
これは、確めるべきであり、語るべきではない。」
「布藻k樓経」
この世界は、我が意識による、幻想であり、この世は、我が物ではない、非我に過ぎない。
このように、仏陀は、非情な真実を説き明かす。
我は存在するとか、我が物が存在するとか、これらの見解は、真理から見れば誤りである。
智慧をして見れば、両者は共に存在していない。
五蘊とは、我意識から生まれたものであり、自我の意識とは、真実から見れば幻想である。
種が幻想なら、どうして、芽が真実になろうか。
五蘊というものは、真実のものではないと、このように考えると、我意識が絶たれていく。
自我意識が絶たれると、五蘊は存在しなくなる。
例えば、鏡の中の者が、実在しないように、自我が映した五蘊も、実際は存在していない。
我に捕らわれなければ、蘊も捉えられなくなる。
例えば、鏡を見ないと、己が見えないよう、五蘊に映さなければ、自我を観ることもない。
蘊に捕らわれなければ、我も捉えられなくなる。
仏陀から、このような、教えの極意を聞き、長老アーナンダは、智慧の眼を得たのである。
そして、自らもまた、他の比丘衆に説いている。
五蘊に囚われるから、我意識に捕らわれる。自我に捕らわれるから、カルマが生じてくる。
そのカルマによって、苦しみの生存が生まれる。
あたかも、火の車輪が、次々に巡るように、業の輪には、始りもなければ、終わりもなく、
交互に因果を為して、我と業と生を巡り続ける。
自他に於ても、過去や現在や未来に於ても、自我が生じないため、自我が滅ぼされていく。
それから、業が滅して、それゆえ、苦が滅する。
「宝行王正論」
51 :
神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 20:07:57 ID:szAcG4pK
修行するぞと100万遍唱えながら
地獄をのたうち廻ったオウム信者達
邪教にとらわれた魂は、まことに哀れ・・・
52 :
神も仏も名無しさん:2009/07/31(金) 07:48:22 ID:QKnzhlCI
「争闘と争論と悲しみと憂いとものおしみと慢心と傲慢と悪口とは、どこから現れ出てきたのですか?
これらはどこから起こったのですか?どうかそれを教えてください。」
「争闘と争論と悲しみと憂いとものおしみと慢心と傲慢と悪口とは愛し好むものにもとづいて起こる。
争闘と争論とはものおしみに伴い、争論が生じたときに、悪口が起こる。」
経集(スッタニパータ)
53 :
一:2009/07/31(金) 11:54:32 ID:/VTrlg8/
対話者が尋ねた。
「世の学者達は、互いにめいめいの見解に固執して、互いに異なった自らの見解を固持して争い、
自らが真理の熟達者であると称し、様々に論争している。
『このように知るならば真理を知っているのだ』『これを非難する人はまだ不完全な人なのだ』と。
また、自ら智者だと自称している彼らは、このように異なった執見に固執して論争している。
そして『論敵は愚者である。真理に達していない人だ』と言う。
これらの人々は全員が『自分こそ真理に達した智者である』と語っている。
いったい、これらの人たちのどの説が真理なのでしょうか?」
世尊は答えた。
「もし、他者の見解を承認しない人が愚者で低級な者であり、智慧の劣った者であるなら、
これらの人々全員が各自の見解に固執しているのだから、彼らすべてが智慧の劣った愚者である
ということになる。
なぜなら、彼らの見解は、自分以外をすべて愚者としているからである。
また、もしも、自らの見解によって、清らかとなり、真理に達した人となり、
智者となり、聡明な人となるならば、彼らの中に智慧の劣る愚者は誰もいないことになる。
なぜなら、彼らの見解は、自分自身にとってだけは完全であるということになるからである。
諸々の愚者たちは、互いに他人と敵対して、『これこそ真実である』と言うのだが、
私は、断定的で限定された言い方で『これこそ真実である』とは説かない。
彼らは互いに自分の見解だけを真実であるとみなしているのである。
それ故に、彼らは敵対する他人を愚者だと決めつけるのである。」
54 :
二:2009/07/31(金) 11:55:14 ID:/VTrlg8/
対話者が尋ねた。
「ある人々が、『これは真理である。真実である。』という見解を、
他の人々は『虚妄である。虚偽である』と言っています。
このように、迷える彼らは自分の見解を固持して他人と論争している。
なぜ、彼らは同一の見解を語らないのでしょうか?」
世尊は答えた。
「それについては、知覚する者が知覚しつつ論争するならば、
まさに、真理は一つであり、第二のものは存在しない。真理を知った人は、争うことがない。
しかし、知覚していない、迷える彼らは、諸々の真理を自ら自分勝手に
『これこそ真理である』として騒ぎたてているのである。
それ故に、迷える彼らは同一の見解を語らないのである。」
55 :
三:2009/07/31(金) 11:56:03 ID:/VTrlg8/
対話者が尋ねた。
「『自分こそ真理に達した智者である』と自称している論争者たちは、
いったい何故に種々の異なった真理を説くのでしょうか?
いったいそれらの真理とは、種々に多くあるものなのでしょうか?
あるいは、彼らが自分の考えを自分勝手に『これこそ真理である』と
思い込んでいるだけなのでしょうか?」
世尊は答えた。
「世の中に多くの異なった真理が永久に存在しているのではない。
ただ、それらが『永久のものである』という虚妄、つまり妄信された想い以外の
何ものでもなく、思い込みの産物でしかない。
そして、彼らは諸々の偏見に基づいて、自己の考えを自分勝手に想い描いて、
『自分の説こそ真理である。他の説は虚偽である』と、二つの見解を説いているのである。
つまり、自説を真理であるとすることで、他説との対立を引き起こし、
他説を虚偽とすることで、自ら真理を分断しているのである。
他者を軽蔑して見る者は、諸々の見たことや、聞いたことや、思ったことなどの
偏見や思想や学問に依存し、あるいは、諸々の戒律や掟などの宗教的行為に依存して、
他者を軽蔑し、自己顕示するための自らの断定的結論に立脚して
『他者は無能で愚者である。智者ではない』と言うのである。
彼は他者を『愚者である』と決めつけることによって、『自己が真理に達した智者である』と言う。
自己によって自らを『真理に達した智者である』と独善的に説いている彼は、一方的に他者を軽蔑する。
彼は誤った見解によって、高慢で驕慢して狂い、自らを『完全である』とみなす。
まさしく、彼は自らの手で、自らを、心の中で王位に就けて賢者と自認している。
なぜなら、彼の見解は、彼にとってだけは完全なものだからである。
56 :
四:2009/07/31(金) 13:27:33 ID:/VTrlg8/
もし、他人の独善的見解による言葉で『愚者だ』だと呼ばれ、劣る者となるならば、
そう呼んだ他人自信も、呼ばれた人の独善的見解によって愚者となり、共に智慧の劣る愚者となる。
また、もし、自分勝手に自らを真理に達した智者とし、賢者を自称しているのであれば、
彼らのすべてが智者となり、彼らのうちには愚者は一人も存在しないことになる。
『自説以外の他の見解を説いている人々は、清浄さに背いており、真理に達した
完全な者ではない』と、このように、異教の人々は、それぞれ個々の自説を説く。
まさに、彼らは、自らの見解に耽溺して、貪りという汚れの思いに染まっている者たちである。
彼らは、『自説だけが清らかである』と説く。他の諸々の見解には清浄がないと言う。
また、このように、それぞれ個々の思いに固着した異教の人々は、
自らの道に執著して、断固として自らの正しさを説くのである。
また、断固として自らの正しさを説いている者が、どうして他者を『愚者である』
と決めつけることができようか。どうせ自分の中だけで正しいのである。
彼は自ら、他者との間に確執をもたらすであろう。
他人や他人の説を『愚者である』『不浄の見解である』と、説きながら。
一方的な断定的結論に立って、自ら独善的に思い量り、さらに彼は、
世の中で無益な論争を為すに至る。しかし、一切の断定的結論を捨てたならば、
人は世の中で、一切に対して確執を起こすことがない。」
スッタニパータ-小篇より編訳
57 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 09:58:52 ID:I07YGkTd
あるとき、懐奘が道元禅師に問いかけた。
「禅林における修行生活の特色とは何ですか」と。
道元禅師が答えて言うには
「ひたすら座禅を組むことである。どんな場所でもひたすら座禅をする。
人と交わって話もせず、耳の聞こえない者や
ものを言うことのできない者のようにして、
常に独りで座ることを好むのだ」と。
正法眼蔵随聞記
58 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 11:15:30 ID:rkeFvQ4h
他人の過失を見るなかれ ただ自分のしたことしなかったことだけを見よ
(ダンマパダ50)
59 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 11:23:00 ID:rkeFvQ4h
他人が自分をののしったとうらむのはやめよう。(ダンマパダ3)
私たちはみんな死します(ダンマパダ6)
善を急げ。善を成すのにのろくさしてっと悪事ばかりだ (ダンマパダ118)
賢い人は勤勉努力で怠惰を退けます(ダンマパダ28)
馬鹿は悪事を働いて苦しむ(ダンマパダ66)
後悔しないようなことはすべて善事です(ダンマパダ68)
バカは不幸になるようなことばかり考える(ダンマパダ73)
60 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 11:30:23 ID:rkeFvQ4h
誰もいないってサイコーだよね(ダンマパダ99)
慎んでいる人は無敵(ダンマパダ104)
年寄りを敬えば美しく賢く楽しく長生きできる(ダンマパダ109)
楽しく生きたいなら悪いことすんな(ダンマパダ123)
死にたくない(ダンマパダ129)
馬鹿には悪いことが何かわからない(ダンマパダ136)
繰り返し作って壊れるのは面倒だからやめた(ダンマパダ153,154)
61 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 11:37:55 ID:rkeFvQ4h
バカは救いようがない (ダンマパダ162)
だいたいやるのが難しいことは善行です だからバカは悪事しかできない(ダンマパダ163)
求道者いがい全員犯罪者だ (ダンマパダ176)
掃除大好き(ダンマパダ187)
浮浪者は楽しいぜ?(ダンマパダ200)
チンコを慎め(ダンマパダ231)
恥を知って慎め(ダンマパダ245)
自分のあらを探せ(ダンマパダ252)
62 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 11:49:36 ID:8G0UGqEA
年食ったただの老いぼれになるのは嫌だよねぇ(ダンマパダ260)
よく考えよう(ダンマパダ269)
俺が一番偉い(ダンマパダ273)
結局ただの現象よ200年もたちゃ今あるものも全部ねーよ(ダンマパダ277-279)
でっかく楽しもうぜ?(ダンマパダ290)
やるべきことをやらないのはつまらん(ダンマパダ292)
慎まないということは悪事を働いているということだよ(ダンマパダ307)
若いときむなしかった人はどうしようもないね(ダンマパダ315)
63 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 12:00:35 ID:8G0UGqEA
世のなか バカばっかり (ダンマパダ320)
食べ過ぎる奴はバカ。デブになる(ダンマパダ325)
がんばってる俺ってチョーかっこよくね?(ダンマパダ327)
バカは嫌いだ(ダンマパダ330)
なんでMのやつばっかなんだろ?(ダンマパダ344)
目閉じて耳栓して口にガムテープ張っとけ(ダンマパダ360)
自分で自分をほめたい(ダンマパダ379)
がりがり君じゃなきゃ求道者じゃないね(ダンマパダ395)
64 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 12:19:25 ID:8G0UGqEA
かしこい立派な人はえらくなる (ダンマパダ24)
バカは遊んでばっかり(ダンマパダ26)
賢い人は勤勉だから憂いがなくて馬鹿が下らんことで悩んでるのを見下す(ダンマパダ28)
だらしないのっていけないことなんだyo (ダンマパダ30)
賢い人だけが東大行くよね馬鹿には無理だね(ダンマパダ31)
だらしないのを嫌うようになったら賢者の仲間入りだ(ダンマパダ32)
自分自身こそが敵だよ(ダンマパダ42)
でも自分自身こそが最高の味方でもあるさ(ダンマパダ43)
65 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 12:22:47 ID:dBwqwW1R
うちのおとうちゃん…暗いうちから遅うまで、毎日靴をトントーン叩いてはる。あんな一生懸命、働いてはるのに、なんでうちの家、いつも〜お金がないんやろ…みんな貧乏のせいや!お母ちゃんちっとも悪うない
66 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 12:25:31 ID:dBwqwW1R
チューリップのアップリケ、ついたスカート持ってきて…おとうちゃんもとーきどき、買うてくれはるけど…うち、やーっぱりお母ちゃんに買うて欲しい…うち、やーっぱりお母ちゃんに買うて欲しい「岡林信康・チューリップのアップリケ」
ダンマパダ 290
少量の安楽を喜捨することで
広大な安楽を見るならば
広大な安楽を求める賢者は
少量の安楽を献上しよう
やはり仏教もおもろい
68 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 12:44:53 ID:dBwqwW1R
八月になるたびに広島の名の下に平和を、唱えるこの国、アジアに何を償ってき〜た!俺たちが組み立てた車がアジアの、どこかの街角で焼かれるニュースを観た〜満されぬ思い〜この空回りの怒り〜八月の明は〜ひどく悲し〜すぎる
69 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 12:48:06 ID:dBwqwW1R
ノーウィナ〜…ノールーザー、ゴール無き戦いに〜疲れて、あきらめて、やがて痛みも麻痺して〜マッドラーブ、デザイアー、狂気が発火する、暑さのせいさ〜あつさの〜せいさ「浜田省吾・八月の歌」
70 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 12:49:39 ID:8G0UGqEA
考えるな感じろ やりとげるってすばらしい (ダンマパダ423)
好きだといってくれる女じゃなきゃ抱かないよ (ダンマパダ409)
ま、なんもいらんけどね(ダンマパダ410)
自分の給料を安月給というな(ダンマパダ365)
欲出していいことなんかない(ダンマパダ359)
できるだけ禁止されて生きたほうがいい (ダンマパダ334)
わがままやめてストイックになりました(ダンマパダ326)
油断良くない (ダンマパダ271)
なんかもうどーでもいいや(ダンマパダ255)
71 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 13:01:25 ID:dBwqwW1R
ぼーくには(ウーウー)もう、よくわからないよ(ふ〜かす・ぎ・て)悲しみ深す〜ぎて…でも、どーして〜、いいのかわからない僕さ〜「浜田・悲しみ深すぎて」
72 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 13:05:20 ID:dBwqwW1R
これは愛なの?と俺に…たずねるのはやめてくれ〜身体と心を〜重ね合うわけは、ただ〜ウォ〜。ロンリー、夜が明けたら〜ふたりは別々の〜ロンリー!独りはひとり、出会った頃も、そしてー今でも〜「浜田・ロンリー愛という名の約束事」
73 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 13:17:54 ID:8G0UGqEA
女なんてろくでなしだ淫バイだ (ダンマパダ242)
この上なく立派な俺様でさえ何かしら文句言われるんだぜ (ダンマパダ228)
バカと一緒にいるとつらい (ダンマパダ207)
説教してると楽しいわ (ダンマパダ194)
生きてるだけで丸儲け (ダンマパダ182)
俺最強 (ダンマパダ179)
世の中理屈どおりにしかならない (ダンマパダ169)
他人なんかどうでもいい (ダンマパダ169)
74 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 13:26:11 ID:dBwqwW1R
思い〜出す、病室で〜痩せてゆく〜父のすがたを〜(チャッチャッチャチャ!)痛みから〜解かれて〜去っていった〜ひとりきり〜車の窓に写ってる〜俺の顔彼に、に・て・る、ファーザズソン、答を探さないで、なにも意味〜など無い〜「浜田・ファーザズ・サン」
75 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 13:30:34 ID:dBwqwW1R
子供の頃、素直で〜すべてのルール守ってきた〜社会にでて真面目に!不平も言わず働いてきた〜みんなこう言ってた〜「いい人」だと〜会社も「君は優秀だ」と〜だけど心も〜身体も〜病んだときには〜切り捨てられた〜
76 :
神も仏も名無しさん:2009/08/01(土) 13:32:09 ID:dBwqwW1R
ひーとり、一人きり、誰だって、死ぬ時はひとり〜ひーとり、一人きり!大丈夫、やってゆけるさ〜イェー、
77 :
俺の罪(カラオケで歌っちまった):2009/08/01(土) 18:34:56 ID:dBwqwW1R
いーじーかーむ、いーじーごー、ボントゥヴィmonkeyゴリラでもウータンでも駄目ならチンパン〜彼女を棄てた〜俺の罪〜お猿なら知らねえ、これこそレット・イット・ビ〜。お猿なら悲しくても涙はいらねえ〜
78 :
俺の罪(カラオケで歌っちまった):2009/08/01(土) 18:36:48 ID:dBwqwW1R
おいら〜の自慢のエレキ〜猿山に響け、トレモロ〜アーム「筋少・俺の罪」
79 :
神も仏も名無しさん:2009/08/02(日) 06:03:35 ID:zxIg8nnD
「諸々の法もの・ことは、全てが自己ならざるものである(諸法無我)」と、
知慧によって見るとき、しかして、苦しみについて厭離する
これは、清浄への道である。
ダンマパダ279
80 :
神も仏も名無しさん:2009/08/02(日) 06:20:38 ID:zxIg8nnD
180
正しいさとりを開き、念いに耽り、瞑想に専中している心ある人々は
世間から離れた静けさを楽しむ。
神々でさえもかれを羨む。
ダンマパダ 293
常に身体の動きに
気づくことに努力して
為すべからざることは為さず
為すべきことは為し
寂静であり正しく知る人々には
諸々の煩悩がなくなる
82 :
神も仏も名無しさん:2009/08/03(月) 05:53:26 ID:iAAW/35r
比丘たちよ、わたしはまだ正覚を成じなかった時、かように考えた。まことに、この世は
苦の中にある。生まれ、老い、衰え、死し、また生まれ、しかも、この苦を出離すること
を知らず、この老死を出離することを知らない…。
比丘たちよ、その時、わたしは、かように考えた。何があるがゆえに、老死があるのであ
ろうか、何に縁って老死があるのであろうか。
比丘たちよ、その時、わたしは正しい思惟と知恵とをもって、かような悟りを得た。
生があるが故に、老死がある。
生に縁りて、老死がある。
比丘たちよ、その時、わたしはまた、かように考えた。
何があるが故に、生があるのであろうか。
何に縁って生があるのであろうか。
比丘たちよ、その時わたしは、正しい思惟と知恵をもって、かような解釈をなした。
有があるが故に、生がある。
有に縁って、生がある。
比丘たちよ、かようにして、無明に縁って行があり、行に縁って識があり、識に縁って名
色があり、名色に縁って六処があり、六処に縁って触があり、触に縁って受があり、受に
縁って愛があり、愛に縁って取があり、取に縁って有があり、有に縁って生があり、生に
縁って老死があり、愁・悲・苦・憂・悩が生ずるのである。
これが、すべての苦しい人間存在の縁ってなるところである。
比丘たちよ、これが、縁ってなるところである、と未だ聞いたこともない真理において、
わたしは、眼生じ、さとりを得ることができた。
比丘たちよ、その時、わたしは、またかように考えた。
何がなければ、老死がないであろうか、何を滅すれば老死を滅することができるであろうか。
比丘たちよ、その時、わたしは正しい思惟と知恵とをもって、かような解釈をした。
生がなければ、老死はない。
生を滅することによって、老死を滅することを得る。
サンユッタ・ニカーヤ
83 :
神も仏も名無しさん:2009/08/03(月) 05:55:55 ID:iAAW/35r
「一切衆生に、ことごとく仏性あり」
(大般涅槃経)
秋のハスを手で切る取るように
自分の愛着を切り取れ
寂静への道のみを育成せよ
涅槃は仏陀の説かれたものだ(ダンマパダ285)
85 :
神も仏も名無しさん:2009/08/03(月) 17:33:12 ID:c64YHgwm
仏の衆生を見る眼は、あたかもラーフラのごとし(極愛一子)「大般涅槃経より」
86 :
神も仏も名無しさん:2009/08/03(月) 17:37:51 ID:c64YHgwm
アジャセ(ダイバダッタにそそのかされ、父王を殺した五逆の王)を救うまで、わたしは涅槃に入らないであろう…アジャセとは無明の衆生一般を意味する。したがって涅槃しないにもかかわらず、あえて「涅槃する」と仮に言うのだ
87 :
神も仏も名無しさん:2009/08/03(月) 17:40:24 ID:c64YHgwm
わたしが涅槃した後、わたしは何処にいると思う人々が現われるであろう。しかし、わたしは常住であり、あなたがたのすぐそばにいる。
森を切り倒せ、木ではない
森(欲)から恐怖が生まれる
森も みも切り倒し
比丘たちよ、欲のない(涅槃)者であれ(ダンマパダ 283)
89 :
神も仏も名無しさん:2009/08/04(火) 10:01:27 ID:M0R1V4gs
我願わくは佛となり 徳この法王にひとしくて
迷える生死の海を渡しては 悟りの岸に著かしめん
施しおきてつつしみや 忍び精進に定と智慧
菩薩の行を三昧に 世にすぐれたる佛たらん
我誓うらく悟り得て ひろくこの願はたしなば
一切の恐れ悩める諸人の 憩いの家とならんかな
『大無量壽經』
90 :
神も仏も名無しさん:2009/08/04(火) 11:43:02 ID:NnoobuVr
「心とは大乗の教えで、最高の深い意味を持つ語である。
心の動きの特徴は、完全無欠な佛の秘密の中で最高のものであり、
世俗の思考では、とうてい知りえられない。
そのすべてを、余は汝に語って聴かせよう。一心不乱に耳を傾けて聴くがよい。
百六十をこえる世俗的な心を超越するとき、求める心が生ずるであろう。
その心は虚空のように無量であり、汚染されず、永遠に不変であり、
いかなるものによっても動かされず、本来煩悩を離れており、なんの限定も受けない。
限りない智慧によって完成され、完全に「さとり」に到達した師(佛)に供養し、
修行によって完成されるのであるから、「さとり」のために、
まず第一に、その心を起こそうとせよ。
「大日経」
他人の罪を見て
常に不満の思いある人は
その煩悩は増大し
彼は涅槃から離れて行く(ダンマバダ253)
92 :
神も仏も名無しさん:2009/08/05(水) 07:14:25 ID:iNyCacrD
南無阿弥陀仏と一度正直に帰命せし一念の後は、
我も我にあらず。
故に心も阿弥陀仏の御心、身の振舞も阿弥陀仏の御振舞、
言葉も阿弥陀仏の御言なれば、
生たる命も阿弥陀仏の御命なり。
『一遍上人語録』
93 :
神も仏も名無しさん:2009/08/05(水) 07:45:42 ID:0EdvF8B6
善男子、我この閻浮提において或いは戒律を犯すを示現し、一闡提となる事を示現し、和合僧破壊を示現し、魔王となる事を示現し、地獄、餓鬼、畜生、修羅の四趣に生まれる事を示現し、淫女の舎に入る事を示現し、諸々の酒舎、博奕の処に入るを示現し
94 :
神も仏も名無しさん:2009/08/05(水) 07:53:11 ID:0EdvF8B6
大長者となる事を示現し、諸王、大臣、王子、宰相となる事を示現する。これ皆如来の善巧方便なり。疫病の劫来たれば、まず医薬を施し、饑餓の劫至れば、その用いるところに随うて飲食を施し、そうして後に微妙の正法を説きて衆生をして無上菩提に安住せしむる(大般涅槃経)
賢い人は次々に
少しずつ刹那刹那に
銀の細工師が錆びを取るように
自分の心の垢を取り除く(ダンマパダ 239)
96 :
神も仏も名無しさん:2009/08/06(木) 07:36:32 ID:2xU/izqM
三界は虚妄にしてただ一心の作るところ
『華厳経』
97 :
神も仏も名無しさん:2009/08/06(木) 07:46:35 ID:2xU/izqM
回光返照
外の諸法を照らす自己の光明を、
廻らし返して、内の自己を照らすを云うなり。
蘭渓道隆大覚禅師
雑念は、心が外に流されている状態である。
専念とは、心が内に止まっている状態である。
三昧転変は、雑念から専念に変わることである。
「ヨーガ・スートラ」
99 :
神も仏も名無しさん:2009/08/07(金) 06:33:06 ID:dbQ6iOyf
経行(歩行瞑想)している覚者ブッダの後に付き従って経行した。
法(教え)が示されているとき、わたしに、知恵が生起した。
テーラガーター
アトゥラよ、これは昔からである
これは今始まってことではない
黙して座っても非難され
多く語っても非難され
適量語っても非難される
この世に非難されない人はいない(ダンマパダ 227)
そう、もういるだけで非難されるんでありまつ。
いなければいないで非難されまつ。はぁ
無理な方法で行う人は
その故に道理に従う人ではない
道理と非道理の
両方を賢者は見極める〔ダンマパダ256〕
102 :
神も仏も名無しさん:2009/08/08(土) 07:11:23 ID:1fxDX4nF
心は、巧みな画家がさまざまの五蘊を描き上げるように、一切の世界においてあらゆるものを造り出す。
心のように、仏もそうであり、仏のように、衆生もそうである。心と仏と衆生との三者には、区別はない。
仏たちは、みな、一切のものは心から起こるということをはっきりと知っている。
もしもこのように理解することができれば、その人は真の仏を見るだろう。
『華厳経』
103 :
神も仏も名無しさん:2009/08/08(土) 07:49:36 ID:bJUefmno
みことのままにあらわれし
龍樹大士はおしえます
陸路のあゆみ難けれど
船路の旅の易きかな
「教行信證」
悪をするよりしない方がよい。
後で苦しむから。
するならば善いことをする方がよい。
したら悩むことがないから。卍ダンマパダ314
105 :
神も仏も名無しさん:2009/08/09(日) 09:41:13 ID:sGOtg/8o
応に(まさに)住する所無くして其の心を生ずべし
『金剛般若経』
霊覚性は言語を以て取るべからず
『伝心法要』
一所に心を止めねを至極とする事にて候
『不動智神妙録』
気付きのない行ないをする人は
葛のつるのように渇愛が増える。
彼は森の猿が果実を求めるように
あちらこちらの世界を輪廻する。( ダンマパダ 334)
「こうして、集中しながら、三昧になると、
その比丘には、第六の、定覚支が湧き上がる。
そして、定覚支を修めて、諦念して観察をする。」
「こうして、諦念しながら、観察するとき、
その比丘には、第七の、捨覚支が湧き上がる。
そして、捨覚支を修めて、解脱の果報が生じる。」
これを聞いた、諸々の比丘は、歓喜し実践した。
『入出息念経(アーナーパーナサティ・スッタ)』
「それでは、ヴァッチャよ、止観を修めよ。止は、心を静めて、雑念を止めることであり、
観とは、正しく観て、智慧が生じることである。」
「こうして、止と観を、実践し続けた者が、自ずと、具えることになる、六つの力がある。
それでは、この六つの力とは、如何なるものか。」
「一身が多身となれば、多身が一身となる。消えた姿が現れたり、水上を歩き空中を飛ぶ。
全ての世界に出現する、これが、神足通である。」
「近くの音を聴こえて、遠くの音が聞える。人の声が聞えて来て、神の声が聴こえて来る。
聞えない音が聴こえる、これが、天耳通である。」
「貪りを貪りと知れば、怒りを怒りと知る。疑いを疑いと知れば、善き心を善き心と知る。
他の人の心を理解する、これが、他心通である。」
「あの時の姓はこうで、あの生の名はこう。あの生の糧はこうで、あの時の世の中はこう。
前の時の世を理解する、これが、宿命通である。」
「近くの物を見とめて、遠くの者を認める。この世が見えて来て、あの世が現われて来る。
見えない物を観とめる、これが、天眼通である。」
「この人は漏れていて、あの人は漏れない。あの煩悩から漏れて、この煩悩から漏れない。
煩悩の漏れを滅尽する、これが、漏尽通である。」
こうして、彼は、三明を得て、阿羅漢に至った。
『ヴァッチャ大経(マハーヴァッチャ・スッタ)』
109 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 06:16:16 ID:lsuiWTL9
『この世で自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、
法を島とし、法を拠り所として、他のものを拠り所とせずにあれ
それはどうやって出来るのか
それは身体について身体を観察しつつ、熱心に、正しく念じて、よく気をつけ て、この世における貪欲と憂いを除くことで
それは感受について感受を観察しつつ、熱心に、正しく念じて、よく気をつけて、この世における貪欲と憂いを除くことで
それは心について心を観察しつつ、熱心に、正しく念じて、よく気をつけて、この世における貪欲と憂いを除くことで
それは智慧について智慧を観察しつつ、熱心に、正しく念じて、よく気をつけて、この世における貪欲と憂いを除くことで』
『大般涅槃経(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)』
110 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 07:30:13 ID:H+1ulf79
五十六億七千萬 弥勒菩薩は年をへん
まことの信心得る人は このたび悟りをひらくべし
念仏往生の願により 等正覚に至る人
すなはち弥勒に同じくて 大般涅槃を悟るべし
真実信心得るゆえに すなはち定聚に入りぬれば
補處の弥勒に同じくて 無上覚を悟るなり
像法のときの智人も 自力の諸教をさしおきて
時機相応の法なれば 念仏門にぞいりたまふ
彌陀の尊號となえつつ 信楽まことに得る人は
憶念の心つねにして 仏恩報ずるおもひあり
五濁惡世の有情の 選擇本願信ずれば
不可稱不可説不可思議の 功徳は行者の身に満てり
『五十六億和讃』
111 :
神も仏も名無しさん:2009/08/11(火) 06:31:08 ID:dK+Jyoer
「比丘達よ、この身は、食によって止まり、不食によって、この身は、止まることがない。同様に、五蓋は、食べないと、滅びるのである。」
「貪りを楽しむと、貪りが強くなっていき、貪りを楽しまないと、貪りが弱くなっていく。即ち、貪欲蓋は、食べないと、滅びるのである。」
「瞋りを楽しむと、瞋りが強くなっていき、瞋りを楽しまないと、瞋りが弱くなっていく。即ち、瞋恚蓋は、食べないと、滅びるのである。」
「眠りを楽しむと、眠りが強くなっていき、眠りを楽しまないと、眠りが弱くなっていく。即ち、昏眠蓋は、食べないと、滅びるのである。」
「焦りを楽しむと、焦りが強くなっていき、焦りを楽しまないと、焦りが弱くなっていく。即ち、掉悔蓋は、食べないと、滅びるのである。」
「疑いを楽しむと、疑いが強くなっていき、疑いを楽しまないと、疑いが弱くなっていく。即ち、愚痴蓋は、食べないと、滅びるのである。」
『覚支相応(ボッジャンガ・サンユッタ)』
112 :
神も仏も名無しさん:2009/08/11(火) 10:06:39 ID:8omYIDnQ
すべてはつくられたもの、
つくられつつあるものであり、
壊れる性質のものである。
今の瞬間に気づくことを怠らずに
サティを切らさずに完成しなさい。
『パーリ経典・釈迦の遺言』
113 :
神も仏も名無しさん:2009/08/12(水) 05:44:09 ID:uWGG9/UO
学びある者や凡夫たちが、入定(禅定の境地)から出起して、
「わたしたちは定められた心によって、あるがままの観察をするのだ」と修めているなら、
あるがままの観察(毘鉢舎那・観)にとっての境処の拠点(直接原因)たることから、
瞑想の境地に専注して止まる心の統一の修行もまた、あるがままの観察という福利あるものと成り、
煩雑なる世俗のなかで阿羅漢の資質を得るための機会への到達となる方法によって、
瞑想の境地に近接して行く心の統一の修行もまた、あるがままの観察という福利あるものと成る。
それで、世尊は言った。「比丘たちよ、心の統一を修めなさい。
比丘たちよ、心が定められた比丘は、事実のとおりに覚知します」と。
【清浄道論】
114 :
神も仏も名無しさん:2009/08/12(水) 18:16:02 ID:n8X/YEPU
善知識にあうことも 教うることもまた難し
よく聞くことも難ければ 信ずることもなお難し。
『浄土和讃』
永遠に無明を尽きさせるべきである。仏である私(お釈迦様)の言葉は真実であって、
決して偽りはない。たとえば優れた智慧をもった医師が、自分の子供が毒にあてられて気が狂い、
父の与えた薬を飲もうとしないとき、それを治すために、
方便をもってしばらく遠くへ旅行し、実際は生きているのだけれども、お前の父は死んだと言って、
子供に親を慕う心持ちを起させて薬を飲む気にさせ、その薬が効いて子供の病気が治ればまた帰ってきて
親子の対面をしたとする。この場合は、誰も父なる医者を嘘つきとは言わないであろう。
そのように仏は世の父であり、色々な方便を用いて教えを説くのであるが、
それは一切衆生を救おうという心から出ているのである。
「法華経」
過去を追うことなかれ。未来を追うことなかれ。過去はすでに過ぎ去れり。未来はいまだ来ざりき。
ゆえに、ただ今なすべきことを、そのところにおいてよく観察し、揺らぐことなく、
動ずることなく、よく見極めて実践せよ。
ただ今日なすべきことを、よくなせ。
誰か明日の死あることを知らん。
『賢愚経』
世間の人はたいてい、もともと、人から立派だと言われよう、思われようと思っている。
その心があるから、立派になることができないのである。
『正法眼蔵随聞記』
118 :
神も仏も名無しさん:2009/08/13(木) 05:58:22 ID:oSCgfZiM
あるとき、わたしは、このように聞いた。
ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、アナータピンディカ園に、止まっておられた。そこには、アングリマーラという、盗賊が居た。
仏陀が、サーヴァッティに、托鉢に入ると、アングリマーラは、仏陀を遠くから見とめた。
彼は、仏陀の姿を見つけて、このように思った。
「今日の獲物が、向こうの方から現われた。奴の命を奪い取り、持ち物を剥ぎ取ってやる。奴の指を切り取って、首の飾りに付けてやろう。」
早速、アングリマーラは、仏陀を追ったが、仏陀は、神通を使って、いくら追い掛けても、彼が、決して仏陀に、追い着けないようにした。
「おい、沙門よ、止まれ、沙門よ、止まれ。」
「私は止まっているが、汝は動かされている。汝の方こそ止まるが良い、私に追い着くだろう。」
「沙門よ、一体、それは、どういう意味だ。」
「私は、怒りを捨てて、心が止まっているが、汝は、怒りに捕らわれて、心が動かされている。」
アングリマーラは、はたと、刀を落とした。そして、仏陀の足元に跪いて、地に平伏した。
それから、出家することを、懇願したのである。
『央掘摩経(アングリマーラ・スッタ)』
アーナンダよ、
ヴェーサーリーは楽しい。
ウデーナ霊樹の地は楽しい。
ゴータマカ霊樹の地は楽しい。
七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい。
バフプッタの霊樹の地は楽しい。
サーランダダ霊樹の地は楽しい。
チャーパーラ霊樹の地は楽しい。
世界は美しいもので、人間の生命は甘美なものだ。
『大パリニッバーナ経』
120 :
神も仏も名無しさん:2009/08/14(金) 05:56:45 ID:jWtyw8Kg
そこで釈尊は韋提希に仰せになった。
「 そなたや未来の人々は、ただひたすら西方に思いをかけて、
その世界を想い描くがよい。では、どのようにして西方を思い描くの
だろうか。それにはまず、生れながら目が見えないのでない限り、
目が見えるものはみな日没の光景を見るがよい。その観を始めるに
あたってはまず姿勢を正して西に向かって座り、はっきりと夕日
を思い描くがよい。そして心を乱さず、思いを一点に集中して他
のことに気をとられずにいられたなら、次に、夕日がまさに沈もう
として、西の空に太鼓が浮んでいるようになっているのを見るがよ
い。それを見おわった後、目を閉じても開いても、その夕日のすが
たがはっきりと見えるようにするのである。このように想い描くの
を日想といい、第一の観と名づける。
『観無量寿経』
121 :
神も仏も名無しさん:2009/08/14(金) 06:36:18 ID:mKuZ9+Ms
>>120 日没を見るか。
日の出ではなく。
日観したら、そのまま眠りそうだお
122 :
神も仏も名無しさん:2009/08/14(金) 12:45:54 ID:HmhKOgw6
未来経典研究スレッド に是非お越しください
僧侶/赤星 博峰
123 :
神も仏も名無しさん:2009/08/15(土) 10:14:33 ID:6gewMxlU
是非愛憎すべてなげうてば、
汝に許す生身の観自在たることを
白隠禅師『毒語心経』
124 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 05:36:34 ID:sLGr1Y/V
世尊「スブーティよ、どう考えるか。
阿羅漢に『自分は阿羅漢であることに達した』という考えが生じるであろうか。」
スブーティ「世尊よ、もし阿羅漢に『自分は阿羅漢であることに達した』という考えが生じるなら、
彼には、かの自我への執着が起こり、衆生への執着、命あるものへの執着、個我への執着が起こるでしょう。
それは何故かと云いますと、かつて正しい悟りを得た如来は、
『私は煩悩無く、無諍してある者のうちの最上の者である』と、仰せられました。
世尊よ、私は欲望を離れた阿羅漢であります。
しかしながら、私には『自分は欲望を離れた阿羅漢である』という考えは生じません。
世尊よ、もし私に『自分は阿羅漢であることに達した』という考えが生じるなら、
如来は私について、『良家の子であるスブーティは、煩悩無くしてある者のうちの最上の者である。
彼は、いずこにも在るのではない。
だから、煩悩無くしてある者と云われる』などと宣言されることはなかったでありましょう。」
「金剛般若経」
125 :
神も仏も名無しさん:2009/08/17(月) 05:45:43 ID:/y0qYDfI
世間には種々なる苦しみがあるが、それらは生存の素因にもとずいて生起する。
実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、くり返し苦しみを受ける。
それ故に、知り明らめて、苦しみの生ずる原因を観察し、再生の素因をつくるな。
「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく観察することがでまるのか?』と、
もしもだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?
『どんな苦しみが生ずるのでも、すべて無明に縁って起るのである』というのが、一つの観察である。
『しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察である。
このように二種の観察を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、
二つの果報のうちいずれか一つの果報が期待され得る。
すなわち現世における<悟り>か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存にもどらないことである。」
『スッタニパータ』
有でもなく無でもなく、一如でもなく異なるのでもなく、
生ずることもなく滅することもなく、
減ることもなく増すこともなく、
清浄となるのでもなく不浄となるのでもない、
これが第一義の相である。
『大乗荘厳経論』
これ(ブラフマンである我)は真のバラモンの永久の偉大である。
業によって増大せず、また縮小せず。
人はよろしくその足跡を追求すべきである。
これを知れば、悪業によって汚されることはない。
『ブリハド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』
苦中に苦を離れ楽中に楽を離る、かくの如く障碍なければ苦集滅道もなきにあらずや。
苦は苦でよし、楽は楽でよし。苦楽空相なれば苦ある時は苦に遇うてよし、
楽あるときは楽に遇うてよし、何の妨ぐることやこれあらん。
『心経決談抄』
129 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 10:27:29 ID:bjQxFEYH
あるとき、わたしは、このように聞いた。ある日のこと、比丘は、コーサラ国にある、
静かな森の中で、蓮華の香りを楽しんでいた。そこに、一人の天人が現れ、このように言った。
「池に咲いている、蓮華の香りを嗅ぐとは、生きている花の、香りを盗み取る事に等しい。
比丘よ、汝は、蓮華の香りを盗む、盗人である。」
「私は、取ってもいない、折ってもいない。どうして、わたしのことを、盗人と言えよう。
人の体面を盗もうとする、汝こそが盗人である。」
「人が囚われた物を、盗む者が盗人である。友よ、汝は、そんな物に、囚われているのか。
囚われている、憐れな者から、盗むことはない。」
この天人の警告によって、比丘は正気に戻った。
『ヴァナ・サンユッタ』
忍耐は最高の修行である【釈尊】
132 :
神も仏も名無しさん:2009/08/19(水) 17:29:23 ID:NWjsiVtI
気づきを怠らないこと(不放逸)は、不死の境地である。怠ること(放逸)は、死魔の境地である。
気づきを怠らない者たちは、死ぬことがない。気づきを怠る者たち、彼らは死んだままである。
このことを「覚者の教えの一番の特質である」と知って、常に怠らないことのうちにある賢者たちは、
聖者たちの境涯に喜びある者たちであり、気づきを怠らないことに歓喜する。
彼らは、常恒の瞑想者たちであり、常に断固たる努力の者たちである。
常に気づきを怠らない慧者たちは、涅槃の境地を、束縛からの心の平安という無上の境地を、体得する。
奮起あり、気づき(念)あり、清らかな行為(業)あり、物事を真剣に為し、
また、常に自制し、法(教え)によって生き、気づきを怠らない者の福徳は、自ずと増え行く。
心の奮起と気づきを怠らないことで、あるいは、自制と調御によって、
思慮ある者は、激流が押し流さない洲を作るもの。
愚者たちは、思慮浅き人たちは、怠ることに専念する。しかしながら、思慮ある者は、
最勝の財を守るように、怠らないことに専念する。
怠ることに専念してはならない。欲望の喜悦や親愛の情に耽溺してはならない。
なぜなら、気づきを怠らない瞑想者は、最高の安楽を得るからである。
法句経
133 :
神も仏も名無しさん:2009/08/19(水) 19:36:31 ID:6YZnpyBP
>>130 比丘は蓮華の花の香りに囚われている、と指摘したんでしょ。
勝れた修行者は、花の香りを楽しむこともなければ、
ウンコの臭いに顔をしかめることもない。
134 :
神も仏も名無しさん:2009/08/20(木) 18:25:03 ID:nxSxKM4z
水の清く澄みきったようすをはっきりと心に想い描き、心を乱さないようにするのである。
水を想い描きおわったなら、次にその水が氷となったようすを想うがよい。
そして氷の透きとおったようすを想い描き、それが瑠璃であるという想いを起すがよい。
この想いを成しおえたなら、極楽世界の瑠璃の大地が内にも外にも透きとおり映りあうようすを
見るであろう。
その下には清らかな七つの宝で飾られた金の柱があって、瑠璃の大地をささえている。
それは八角形の柱であり、その八つの面はそれぞれ百もの宝玉で飾られている。
それぞれの宝玉は千の光にきらめき、それぞれの光にはまた八万四千の色があって、
それが瑠璃の大地に映え輝いているありさまはまるで千億もの太陽を集めたようであり、
とてもまばゆくて見ることはできない。またその極楽世界の瑠璃の大地には、
黄金の道が縦横に通じていて、しかもそれぞれの区域が七つの宝で整然と仕切られている。
その一つ一つの宝には五百の色の光があり、その光は花のようであり、また星や月のように輝き、
大空にのぼって光明の台となる。その台の上には百の宝でできた千万の楼閣がそびえている。
また台の両側には、それぞれ百億の花で飾られた幡と数限りないさまざまな楽器があり、その台を飾っている。
そしてその光の中から清らかな風がおこり、いたるところから吹き寄せてこれらの楽器を鳴らすと、
苦・空・無常・無我の教えが響きわたるのである。このように想いを描くのを水想といい、
第二の観と名づける。
『観無量寿経』
135 :
神も仏も名無しさん:2009/08/20(木) 18:46:03 ID:nxSxKM4z
一切の生きとし生けるものは、
ことごとく仏性を有している。(一切衆生悉有仏性)
『大般涅槃経』
あなたがたは、自分が神の神殿であり、
神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
『コリントの信徒への手紙3:16』
136 :
注釈:2009/08/20(木) 19:39:22 ID:85l0IIg9
>>133 現世では、分別も必要。
だから自然の法則(本神仏)より与えられている感覚。
感性と理性の中道が、最重要。
博峰
137 :
神も仏も名無しさん:2009/08/21(金) 15:50:09 ID:lDWAjsLx
もし、他者に教示するように、そのとおり、自ら実践するなら、自己が善く調御された者は、
まさに、他者を調御するであろう。なぜなら、真に調御し難きものは、まさに、自己なのだから。
まさに、自己は、自己の主。まさに、他者の誰が、主として存するというのだろう。
まさに、善く調御された自己によって、得難き主を得る。
ダンマパダ
138 :
神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 05:47:26 ID:566s4TC4
善知識よ、外に相を離るる即ち禅、内に乱れざる即ち定なり。
外に禅、内に定なり。是れ禅定と為す。
六祖壇経
だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、
わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。
コリントの信徒への手紙二4章16節
139 :
神も仏も名無しさん:2009/08/24(月) 09:48:21 ID:QtHXVYRS
サティの実践者は、常につとめ励む。
彼らに依り所(home)はない。
白鳥が池を立ち去るように、
彼らはあの家、この家(依り所)を捨てる。
法句経
「アーナンダよ、昔にしても、今にしても、確かに、わたしは、空の境地に止まっている。アーナンダよ、汝に、空について、私は説こう。」
「たとえば、己の心を、天空に広げて行く。そのとき、山が消え、川が消え、森が消えて、次第に、心が空っぽになり、観念が消えていく。」
「そして、いよいよ、心が天と合一すると、そのときは、心の中に、天の観念だけがあり、それ以外について、あらゆる観念が、空になる。」
「たとえば、己の心を、大地に広げて行く。そのとき、山が消え、川が消え、森が消えて、次第に、心が空っぽになり、観念が消えていく。」
「そして、いよいよ、心が地と合一すると、そのときは、心の中に、地の観念だけがあり、それ以外について、あらゆる観念が、空になる。」
「すなわち、己の心を、Aに広げて行くと、そのとき、Bが消え、Cが消え、Dが消えて、次第に、心が空っぽになり、非Aが消えていく。」
「そして、いよいよ、心がAと合一すると、そのときは、心の中に、Aの観念だけがあり、非Aが消えて、Aも消えて、すべてが空になる。」
空小経
141 :
神も仏も名無しさん:2009/08/27(木) 06:21:17 ID:hez6TFI3
あるとき、わたしは、このように聞いた。
ある日のこと、仏陀は、サーヴァッティの、ジェータ林にある、アナータピンディカ園で、ウパヴァーナに向かって、このように説かれた。
「ウパヴァーナよ、現生なる法とは、何か。眼を以って色を感じ、我が中に貪りを観じる。
これこそ、涅槃に導く、良く知るべき法である。」
「ウパヴァーナよ、現生なる法とは、何か。耳を以って声を感じ、我が中に貪りを観じる。
これこそ、涅槃に導く、良く知るべき法である。」
「ウパヴァーナよ、現生なる法とは、何か。鼻を以って香を感じ、我が中に貪りを観じる。
これこそ、涅槃に導く、良く知るべき法である。」
「ウパヴァーナよ、現生なる法とは、何か。舌を以って味を感じ、我が中に貪りを観じる。
これこそ、涅槃に導く、良く知るべき法である。」
「ウパヴァーナよ、現生なる法とは、何か。
身を以って触を感じ、我が中に貪りを観じる。
これこそ、涅槃に導く、良く知るべき法である。」
「ウパヴァーナよ、現生なる法とは、何か。意を以って法を感じ、我が中に貪りを観じる。
これこそ、涅槃に導く、良く知るべき法である。」
『六処相応』
光顔巍巍 威神無極 如是焔明 無与等者
人は自分の存在を認めて欲しいものである。
自分がいないとダメだと思えるから頑張れる。
日々忙しく充実する人は誰しも顔が光り輝いている
143 :
神も仏も名無しさん:2009/08/28(金) 05:40:25 ID:0c6SQvMD
鞭を入れた賢馬のように、熱情ある者たちとして、
無常の現実を畏怖する者たちとして、世に有るように。
信と戒と精進によって、心の統一(定:三昧の境地)と法(真理)の判別によって、
あなたたちは明知と行ないを成就した気づきの者たちとして、
この、少なからざる苦しみを捨て去るであろう。
『法句経(ダンマパダ)』
144 :
神も仏も名無しさん:2009/08/29(土) 10:41:27 ID:EclSJntL
さてこの観が成就したなら、さらにその様子を一つ一つ想い描き、
それが極めてはっきりと見えるようにして、目を閉じても開いても
目の前から消え失せないようにしなければならない。
そしてただ眠っているときを除いて、常にこのことを想い続けるがよい。
このように想い描くことができれば、ほぼ極楽世界の大地を見たということができる。
さらにすすんで三昧の境地に入ったなら、その国の大地を一層はっきりと
見ることができるのであるが、その有様を一々詳しく説くことはできない。
このように想い描くのを地想といい、第三の観と名づける。
【観無量寿経】
師衆に示して云く、
「善知識よ、何をか名づけて坐禅とするや。
此の法門中は、無障無礙なり。外に一切の善悪の境界に於て、心念が起こらざるを名づけて坐と為し、内に自性を見て動ぜざるを名づけて禅と為す。
善知識よ、何をか名づけて禅定とするや。
外に相を離るるを禅と為し、内に乱れざるを定と為す。外に若し相著れれば、内に心即ち乱れ、外に若し相を離れれば、心即ち乱れず、本性は自浄・自定なり。
只だ境を見、境を思えば即ち乱るると為す。若し諸境を見て心乱れざれば、是れ真の定なり。
善知識よ、外に相を離るる即ち禅、内に乱れざる即ち定なり。外に禅、内に定なり。是れ禅定と為す。
菩薩戒経に云く『我れ本元自性清浄なり』
善知識よ、念ずるとき念中に、自ら本性清浄なるを見、自ら修し、自ら行じ、自ら成ずるが仏道なり。
『六祖壇経』坐禅第五
146 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 05:36:18 ID:/n1LCxYE
比丘らよ、ここに唯一の道がある。
それは、生きとし生けるものが清らかになるため、
悲しみと嘆きを乗り越え、
心と体の苦しみがなくなり、
もののあり方を正しく知り、
涅槃を体験するための道である。
その道とは四念処、
四つの気づきの実践である。
『中部経典・四念処経』
全ての魂を悪趣から解放せよ。そのためにはポアしかない。
麻原彰晃
148 :
神も仏も名無しさん:2009/09/03(木) 06:15:54 ID:zE1iXBkk
釈迦牟尼仏は、世にもまれな難しく尊い行いを成しとげられた。
娑婆世界はさまざまな濁りに満ちていて、汚れきった時代の中、
思想は乱れ、煩悩は激しくさかんであり、人々は悪事を犯すばかりで、
その寿命はしだいに短くなる。そのような中にありながら、この上ないさとりを開いて、
人々のためにすべての世に超えすぐれた信じがたいほどの尊い教えをお説きになったことである。
『阿弥陀経』
ぎゃーてぃぎゃーてぃはらぎゃーてぃ
このお経なんだか知ってる方いませんか
気になっています
150 :
神も仏も名無しさん:2009/09/05(土) 11:13:33 ID:vtB5ZIp2
過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ、
未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ
『大乗本生心地観経』
151 :
神も仏も名無しさん:2009/09/05(土) 12:10:40 ID:g4tig6NK
152 :
神も仏も名無しさん:2009/09/08(火) 08:06:20 ID:PpQGG/QP
釈尊が阿難と韋提希に仰せになった。
「 地想観が成就したなら、次には極楽世界の宝の樹を想い描くがよい。
宝の樹を想い描くには、まず一つ一つの樹を思い描き、それらが七重の並木に
なったようすを想うがよい。それぞれの樹の高さは八千由旬であり、これらの宝の
樹は等しくみな七つの宝ででき花や葉をつけていて、その花や葉の一つ一つが
また異なった宝の色を持っている。瑠璃色の中からは金色の光を出し、
玻璃色の中からは紅色の光を出し、瑪瑙色の中からは蝦蛄の光を出し、
蝦蛄色の中からは緑真珠の光を出し、その他、珊瑚、琥珀などすべての宝の光
でさまざまに輝いている。また樹々の上には美しい真珠でできた網が一面におおっていて、
それぞれの樹に七重に重なっている。その網と網の間には五百億の美しい花で飾られた
宮殿があって、それはまるで梵天の宮殿のようである。
その宮殿の中には多くの天の童子がいて、それぞれ五百億の宝玉でできた胸飾りを身につけている。
それらの宝玉の光は遠く百由旬を照らし、まるで百億の太陽や月を一つにあわせたようで、
そのみごとさは言葉に表しようがない。さまざまな宝の輝きが互いに入りまじり、
その色どりは実に美しい。
『観無量寿経』
153 :
神も仏も名無しさん:2009/09/10(木) 10:35:59 ID:DOA6YfoD
動中の工夫、静中に勝ること百千億倍
白隠禅師
154 :
神も仏も名無しさん:2009/09/11(金) 09:17:52 ID:FEIrbDKw
夏日題悟空上人院 (夏日悟空上人の院に題す)
杜荀鶴(と じゅんかく、846年 - 904年)
三伏閉門披一衲 (三伏門を閉ざして一衲を披る)
兼無松竹蔭房廊 (兼ねて松竹の房廊を蔭う無し)
安禅不必須山水 (安禅は必ずしも山水を須いず)
滅却心頭火自涼 (心頭を滅却すれば火も自ずから涼し)
155 :
神も仏も名無しさん:2009/09/13(日) 06:34:56 ID:8iQDImhQ
無明とは即ち是貪の因、瞋の因、癡の因。
若し実想を観ぜば、是の人能く一切諸有を断ず。
常、楽、我、浄 。
『涅槃経』
156 :
神も仏も名無しさん:2009/09/15(火) 18:10:50 ID:J/gt1Olh
師は答えた「死ぬよりも前に、妄執を離れ、過去にこだわることなく、現在においてもくよくよと
思いめぐらすことがないならば、かれは未来に関しても特に思いわずらうことがない。
かの聖者は、怒らず、おののかず、誇らず、あとで後悔するような悪い行いをなさず、よく思慮して語り、
そわそわすることなく、ことばを慎しむ。
未来を願い求めることなく、過去を思い出して憂えることもない。現在感官で触れる諸々の対象について
遠ざかり離れることを観じ、諸々の偏見に誘われることがない。
貪欲などから遠ざかり、偽ることなく、貪り求めることなく、慳みせず、傲慢にならず、嫌われず、両舌を事としない。
快いものに耽溺せず、また高慢にならず、柔和で、弁舌さわやかに、信ずることなく、なにかを嫌うこともない。
利益を欲して学ぶのではない。利益がなかったとしても、怒ることがない。妄執のために他人に逆らうことなく、美味に耽溺することもない。
平静であって、常によく気をつけていて、世間において他人を自分と等しいとも思わない。また自分が勝れているとも思わないし、
また劣っているとも思わない。かれは煩悩の燃え盛ることがない。
依りかかることのない人は、理法を知ってこだわることがないのである。かれには、生存の断滅のための妄執も存在しない。
諸々の欲望を顧慮することのない人、──かれこそ<平安なる者>である、とわたしは説く。かれには締めの結び目は存在しない。
かれはすでに執著を渡り了えた。
『スッタニパータ』
157 :
神も仏も名無しさん:2009/09/18(金) 15:21:52 ID:eZQ54H7r
まぁーめぁーいりぃー そぉーろぉー いぃーせぇーやぁーの どんぎりぃー たぁーまぁー !!
158 :
神も仏も名無しさん:2009/09/19(土) 15:09:43 ID:dfamQwIB
往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、悟りよ、幸あれ。
大本『般若心経』
159 :
神も仏も名無しさん:2009/09/20(日) 06:05:51 ID:XWxk2kw+
比丘は、要素の原因を、洞察すべきである。
比丘は、感触の原因を、洞察すべきである。
比丘は、感受の原因を、洞察すべきである。
比丘は、表象の原因を、洞察すべきである。
比丘は、思考の原因を、洞察すべきである。
比丘は、意欲の原因を、洞察すべきである。
比丘は、苦悩の原因を、洞察すべきである。
比丘は、希求の原因を、洞察すべきである。
比丘は、獲得の原因を、洞察すべきである。
「十上経」
勉強しないと あふぉになる
恋愛しないと 不感症になる
母ーちゃん使えば 安上がり
(あっふぉ陀羅経)
161 :
神も仏も名無しさん:2009/09/21(月) 05:56:52 ID:7niWJaOe
戦場において百万人の敵に勝つとも、
唯一つの自己に克つ者こそ、
実に不敗の勝利者である。
自己にうち克つことは、
他の人々に勝つことよりもすぐれている。
常に行いをつつしみ、自己をととのえている人、
このように明らかな智慧ある修行僧の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、
神々も、なし得ない。
ガンダルヴァ(天の音楽神)たちも、
悪魔も、梵天もなし得ない。
『無問自説経』
162 :
神も仏も名無しさん:2009/09/22(火) 05:58:49 ID:IrILEISr
愛する人と会うな。
愛しない人とも会うな。
愛する人に会わないのは苦しい。
また愛しない人に会うのも苦しい。
それ故に愛する人をつくるな。
愛する人を失うのはわざわいである。
愛する人も憎む人もいない人々には、
わずらいの絆が存在しない。
愛するものから憂いが生じ、
愛するものから恐れが生ずる、
愛するものを離れたならば、
憂いは存在しない。
どうして恐れることがあろうか?
「法句経」
163 :
神も仏も名無しさん:2009/09/25(金) 16:20:53 ID:G1Thilmc
404 在家者・出家者のいずれとも交らず、住家がなくて遍歴し、欲の少ない人、
──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。(ダンマパダ)
164 :
神も仏も名無しさん:2009/09/26(土) 11:04:54 ID:vYahGC6z
さて、師は、この折に、次のような詩を歌われた。
かたちによって、私を見、
声によって、私を求めるものは、
間違った努力にふけるもの、
かの人たちは、私を見ないのだ。
目覚めた人々は、法によって見られるべきだ。
もろもろの師たちは、法を身とするものだから。
そして法の本質は、知られない。
知ろうとしても、知られない。
『金剛般若経』
165 :
神も仏も名無しさん:2009/10/05(月) 08:54:10 ID:9UmJkkom
「比丘たちよ、私は一日一度、食事を摂る。
一日に一度食事を摂っているので、
病少なく、体も軽快で、力があり、安穏である。
比丘たちよ、汝らも、一日に一度だけ、食事を摂るようにせよ。
そうすれば、病少なく、体も軽快で、力があり、安穏である。」
「跋陀和利経」
166 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 09:35:41 ID:+dPLxDT2
全大地の唯一の支配者になるより、
全世界の主権者になるより、
聖者たる第一階梯(預流果)の方がすぐれてる。 ダンマパダ
167 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 10:25:08 ID:hMgdtcOI
莫妄想(妄想することなかれ) 無業禅師
「律は、自己の統御を義(目的)としています。
自己の統御は、後悔の思いなきことを義(目的)としています。
後悔の思いなきことは、歓喜を義(目的)としています。
歓喜は、喜悦を義(目的)としています。
喜悦は、安息を義(目的)としています。
安息は、安楽を義(目的)としています。
安楽は、心の統一(三昧・定)を義(目的)としています。
心の統一は、有るがままの知見(如実知見)を義(目的)としています。
有るがままの知見は、厭離を義(目的)としています。
厭離は、離貪を義(目的)としています。
離貪は、解脱を義(目的)としています。
解脱は、解脱の知見を義(目的)としています。
解脱の知見は、執取の思いなき、完全なる涅槃(般涅槃)を義(目的)としています。
これを義(目的)とするのが、言説です。
これを義(目的)とするのが、思量です。
これを義(目的)とするのが、比喩です。
これを義(目的)とするのが、傾聴です。
これがすなわち、執取の思いなき、心の解脱です」(ヴィナヤ5p.164)
169 :
神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 08:56:52 ID:dhRopQ0Z
常に仏陀の弟子はよく覚醒していて
昼も夜も身体を念じている ダンマパダ
171 :
神も仏も名無しさん:2009/10/14(水) 12:17:25 ID:/tLTrY8c
それ故に、自己の洲(依り所)を作りなさい。
速やかに努めなさい。賢者と成りなさい。
世俗の垢を取り払ったあなたは、穢れなき者となり、
天の聖なる境地に至るであろう。
「ダンマパダ 236」
世尊は答えた。「カッパさん、大いなる恐怖を生む激流のまさにその流れの中で
立ちすくんでいる者たちのために、老と死に打ち負かされた者たちのために、
依り所となる洲を、カッパさん、あなたに説きましょう。
無一物にして無執取であること。これが、他のものが存在すべくもない、洲です。
それを、老と死の完全なる滅尽を、『涅槃である』とわたしは説きます。」
「スッタニパータ 1093・1094」
自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、
尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。
あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。
「ルカによる福音書12:33-34」
172 :
神も仏も名無しさん:2009/10/14(水) 12:38:35 ID:/tLTrY8c
まず自らを正しくととのえることを学び、その次に他人を正せ。
自己すら正せない者が、どうして他人を正せようか。
「ダンマパダ」
自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、
『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。
偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、
兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。
「ルカによる福音書6:42」
173 :
神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 05:35:23 ID:sg2J5cu0
174 :
神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 10:07:51 ID:5UtD+E8g
かたちにとらわれた心をおこしてはならぬ。
声や香りや触れられるものや、心の対象にとらわれた心をおこしてはならぬ。
法にとらわれた心をおこしてはならぬ。
法でないものにとらわれた心をおこしてはならぬ。
どんなものにもとらわれた心をおこしてはならぬ。 <金剛般若経>
175 :
神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 12:09:19 ID:ueyWs82E
人は死んで、その体はなくなる。知識も思慮もなにもかもなくなる。
苦悩の要因の自己は消え去り、残るのは、ニルヴァーナだけなのだ。
無量の喜びと慈悲だけが残る。
しかしながら、自己にとらわれ、この世のものにとらわれている者は、
妄執に破れ、生まれるか、地獄に堕ちるか......
死んだ者のように生きよ、欲望もなく、自己にこだわることなく、この世
一切にこだわることなく、ただ慈悲心を喜びとして生きるならば、生存者
としてこの世に生まれることはないだろう。 「経集」
176 :
神も仏も名無しさん:2009/11/02(月) 11:12:14 ID:uk0Nojz3
修行する比丘たちに、恐怖感が起こったら、
たちまち仏陀を念ぜよ。
また、法を念ぜよ。
また、僧を念ぜよ。
恐怖感は確実に消え失せる。
なぜなら、仏陀は不貪不瞋不癡であり、
怯えることは全くないからである。 「サンユッタ・ニカーヤ」
177 :
神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 17:31:38 ID:J7yqQX82
観音薩埵の 冠に
やどれる相いとたえに
悪魔・外道もくじきます
阿弥陀ほとけをおがまなん
『十二礼』
178 :
神も仏も名無しさん:2009/11/23(月) 06:26:41 ID:JYE7LZ+q
善を為すのを急げ。
悪から心を退けよ。
善を為すのにノロノロしたら、
心は悪事を楽しむ。
《ダンマパダ》
般若
180 :
神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 05:38:49 ID:LI/+3M4M
罪がないのに罵られ、
なぐられ、
拘禁されるのを堪え忍び、
忍耐の力あり、
心の猛き人、
かれをわたくしは
<バラモン>と呼ぶ。
『スッタニパータ』
181 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 05:08:40 ID:RxPf0v3p
止まる所から執着の心がおこり
輪廻もここからおこる。
花紅葉を見れば花紅葉を
見る心は生じるけれど
そこに心が止まらないことが
大切である。
『不動智神妙録』
182 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 05:29:22 ID:545oAp+f
たとえばたったひとりで大海の水を升で汲み取ろうとして、果て
しない時をかけてそれを続けるなら、ついには底まで汲み干して、
海底の珍しい宝を手に入れることができるように、人がまごころを
こめて努め励み、さとりを求め続けるなら、必ずその目的を成しと
げ、どのような願でも満たされないことはないであろう
『大無量寿経』
183 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 05:37:18 ID:545oAp+f
世尊、わたしはこの上ないさとりを求める心を起しました。
どうぞ、わたしのためにひろく教えをお説きください。
わたしはそれにしたがって修行し、仏がたの国のすぐれたところを
選び取り、この上なくうるわしい国土を清らかにととのえたいので
す。どうぞわたしに、この世で速やかにさとりを開かせ、人々の迷
いと苦しみのもとを除かせてください
『大無量寿経』
184 :
神も仏も名無しさん:2009/12/21(月) 12:42:48 ID:IuqCeJRt
この世における人々の命は、定まった相なく、どれだけ生きられるかも解らない。
惨ましく、短くて、苦悩をともなっている。
生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。
実に生ある者どもの定めは、この通りである。
『スッタニパータ』
185 :
神も仏も名無しさん:2010/01/11(月) 01:38:31 ID:mmgCJPdD
カッパ師が清らかな行いを行って達成しようとした目的は、かれにとって空しかったのでしょうか?
かれは、消え滅びたのでしょうか? それとも生存の根源を残して安らぎに帰したのでしょうか?
かれはどのように解脱したのでしょうか、──わたくしたちはそれを聞きたいのです。」
師は答えた、「かれはこの世において、名称と形態とに関する妄執を断ち切ったのである。
長いあいだ陥っていた黒魔の流れを断ち切ったのである」五人の修行者の最上者であった尊き師は
そのように語られた。
『スッタニパータ』
186 :
神も仏も名無しさん:2010/01/12(火) 18:51:06 ID:Hw3fh3sM
戦場の像が、弓から射られた矢にあたっても堪え忍ぶように、
我は人のそしりを忍ぼう。
多くの人は実に性質が悪いからである。
「法句経」
187 :
神も仏も名無しさん:2010/01/12(火) 22:08:55 ID:CTrcr522
おっす!オラゴクウ
「ドラゴンボール」
「我が命我が物と思わず
武門の儀、あくまで陰にて 己の器量伏し、
ご下命いかにても果すべし
尚、 死して屍拾う者なし 死して屍拾う者なし」
『隠密同心 心得の条』
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
190 :
神も仏も名無しさん:2010/02/01(月) 17:32:10 ID:HPYOOZz6
Lil' Rin, on December 17th, 2006 at 10:27 pm Said:
I used to be a gangstalker and I am so ashamed to admit that.
It was terrible, and I am so sorry for those I hurt.
173 、 以前には悪い行ないをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、
その人はこの世の中を照らす。___雲を離れた月のように。
Dammapaddha
191 :
神も仏も名無しさん:2010/02/02(火) 11:47:40 ID:USHNLz6j
世間には五種の欲望の対象があり、意(の対象)が第六であると説き示されている。
それらに対する貪欲を離れたならば、すなわち苦しみから解き放たれる。
SuttaNipāta
192 :
神も仏も名無しさん:2010/02/02(火) 17:02:14 ID:Cd8ASujS
世の中には法令に定められた牢獄があるのに、少しも恐れないで
悪い行いをし、罪を犯しその刑罰を受ける。それをどれほど逃れ
たいと思っても、逃れることはできない。この世にも現にこのよう
な苦痛がある。さらに命を終えて後の世には、ひときわ深く激しい
苦痛を受けなければならない。苦しみの世界に生れ変ることは、こ
の世界でもっともきびしい刑罰を受けるのと同じほどの苦痛である。
無量寿経
193 :
神も仏も名無しさん:2010/02/02(火) 17:03:57 ID:Cd8ASujS
>>190 このようにして、悪を犯したものは、おのずから地獄や餓鬼や畜
生の世界で、はかり知れない苦しみを受ける。次々とその身を変え
姿を変えて苦しみの世界をめぐり、長短の寿命を受けるのであって
そのこころはおのずから行くべきところに行くのである。そしてた
とえひとりで行っても、前世に憎みあったもの同士は同じところに
生れあわせ、かわるがわる報復しあって尽きることがなく、犯した
罪が消えない限り、互いに離れることができない。
無量寿経
194 :
神も仏も名無しさん:2010/02/02(火) 17:05:37 ID:Cd8ASujS
>>190 こうして地獄や
餓鬼や畜生の世界を転々とめぐって、浮かび出るときがなく、その苦
しみを逃れることは難しい。その痛ましさはとてもいい表すことが
できない。世の中にはこのような因果の道理がある。たとえ善悪の
行いによって、すぐにその結果が現れなくても、いつかは必ずその
報いを受けなければならない。これを第一の大悪、第一の痛、第一
の焼という。その苦しいことはちょうど燃えさかる火に身を焼かれ
るようである。
無量寿経
195 :
神も仏も名無しさん:2010/02/02(火) 17:17:44 ID:USHNLz6j
シャーリプトラよ、そなたはどう思うか。なぜその仏を阿弥陀と申しあげるのだろうか。
シャーリプトラよ、その仏の光明には限りがなく、すべての国々を照らし、
何ものにもさまたげられることがない。それで阿弥陀と申しあげるのである。
またシャーリプトラよ、その仏の寿命とその国の人々の寿命もともに限りがなく、
実にはかり知れないほど長い。それで阿弥陀と申しあげるのである。
シャーリプトラよ、この阿弥陀仏が仏になられてから、
今日まですでに十劫という長い時が過ぎている。
またシャーリプトラよ、その仏のもとには数限りない声聞の弟子たちがいて、
みな阿羅漢のさとりを得ている。その数の多いことは、とても数え尽すことができない。
また菩薩たちの数もそれと同じく、数え尽すことができない。
シャーリプトラよ、阿弥陀仏の国はこのようなうるわしいすがたをそなえているのである。
『佛説阿彌陀經』
196 :
神も仏も名無しさん:2010/02/04(木) 15:24:35 ID:q91Ar/6e
>>190 116 怒りやすく恨みをいだき、邪悪にして、見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、
たくらみのある人、──かれを賤しい人であると知れ。
117 一度生まれたものを(胎生)でも、二度生まれるもの(卵生)でも、この世で生きものを害し、
生きものに対するあわれみのない人、──かれを賤しい人であると知れ。
119 村にあっても、林にあっても、他人の所有物( & 個人情報)をば、与えられないのに
盗み心をもって取る人、──かれを賤しい人であると知れ。
122 証人として尋ねられたとき、自分のために、他人のため、また財のために、偽りを語る人、
──かれを賤しい人であると知れ。
126 相手の利益となることを問われたのに不利益を教え、隠し事をして語る人、
──かれを賤しい人であると知れ。
127 悪事を行なっておきながら、『誰もわたしのしたことを知らないように』と望み、
隠し事をする人、──かれを賤しい人であると知れ。
131 この世に迷妄に覆われ、わずかの物が欲しくて、事実でないことを語る人
──かれを賤しい人と知れ。
132 自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人、
──かれを賤しい人であると知れ。
133 人を悩まし、欲深く、悪いことを欲し、ものおしみをし、あざむいて(徳がないのに敬われようと欲し)、恥じ入る心のない人、
──かれを賤しい人であると知れ。
「スッタニパータ」
197 :
神も仏も名無しさん:2010/02/06(土) 06:50:50 ID:RZWcPSy5
>>194 661 嘘を言う人は地獄に堕ちる。また実際にしておきながら
「わたしはしませんでした」という人も同じ。両者とも行為の卑劣な人であり、
死後にはあの世で同じような運命を受ける(地獄に堕ちる)。
666 けだし何者の業も滅びることはない。それは必ず戻ってきて、(業をつくった)
主がそれを受ける。愚者は罪を犯して来世にあっては、その身に苦しみを受ける。
スッタニパータ
198 :
神も仏も名無しさん:2010/02/10(水) 17:13:45 ID:PiPTNqgL
怒りを捨てよ。
慢心を除き去れ。
いかなる束縛をも超越せよ。
名称と形態とにこだわらず、
無一物となった者は、
苦悩に追われることがない。
「法句経」
199 :
神も仏も名無しさん:2010/02/10(水) 18:40:17 ID:JfaAETgU
(色川たけひろ,浅田哲也)の小説だったか随筆に在った文章の一節。
<助けて給べや 御僧 たすけてたべや おんそう云々>という 箇所が
恐ろしかったですね。
どなたか詳細をご指摘できる方は居られませんか?歌舞伎か謡曲かなと思いますが。
200 :
神も仏も名無しさん:2010/02/16(火) 11:40:04 ID:t1QgPcn/
このように、わたしによって聞かれた。
あるとき、世尊はヴァーラーナスィーの鹿野苑におられた。
そのとき、世尊は五人の比丘たちに告げて、このようにいわれた。
「比丘たちよ、このように知るべきである。 肉体は自己[のもの]ではない。
もし[肉体が]自己[のもの]であるならば、 肉体は、病むことなく、苦痛を受けることもない。
私がこのようになってほしいと思おうと わたしがこのようになってほしくないと思おうと
そのようにならず[病み、苦痛を受け]、その欲するところに従うことはない。
それゆえ、このように知るべきである。 肉体は自己[のもの]ではない。
感覚、想念、志向、識別作用(心のはたらき)も同様である。
仏説五蘊皆空経
船に乗り、陸の見えない海原へ辿り着き、四方を見廻したとき。
海はただ、果てしなく丸く円いものとしか見られない。
しかし、大海はただ丸いものにはあらず、ただ四角いものにもあらず、
海の姿象様相は無限に尽くしきれぬものであり、それは私たちの眼力を超えている。
それらは宮殿や瓔珞のように見事にあり続ける。
しかし我々の目には、ただ丸いとしか映っていない。
全ての存在・非存在のありさまはこのように言える。一塵のなかに万象があり、形なきものにも千変がある。
修証に修証を重ね、眼力の及ぶ限り見なくてはならない、及ぶ限り会得しなくてはならない。
知ろうとする人に言おう。ものが方円と見える時にも、そのものの姿形と作用は思量の及ばぬ無限の働きを有する。
四方や十方の世界はそのようにして成り立っている。
君から遠い世界はそのようにある、君の近くの世界はそのようにある、君自身はそのようにある。
正法眼蔵 第一、現成公案。
202 :
神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 12:32:25 ID:SwVgADZt
依りかかることのない人は、
理法を知ってこだわることがないのである。
彼には、生存の断滅のための妄執も存在しない。
『スッタニパータ856』
203 :
神も仏も名無しさん:2010/03/05(金) 18:16:34 ID:Bs7qXPo7
この容色は衰えはてた。
病いの巣であり、脆くも滅びる。
腐敗のかたまりで、やぶれてしまう。
生命は死に帰着する。
『法句経』
204 :
神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 10:47:02 ID:mU1b5QxW
「婆羅門よ、己自身で確かめたことか?善なる徳を積まんと、五柱を立てるべしと」
「否、確かめず。書かれている通りなり。」
「婆羅門よ、汝の師が、確かめたことか?善なる徳を積まんと、五柱を立てるべしと。」
「否、確かめず。書かれている通りなり。」
「婆羅門よ、汝の師の師が、確かめたことか?善なる徳を積まんと、五柱を立てるべしと。」
「否、確かめず。書かれている通りなり。」
「即、汝は確かめず。誰も確かめない。汝は信じ込み、思い込みのみ。
汝ら、法を修せず。法に治められるのみ。」
「前の人は見えているだろうと思い込み、盲人が列に並ぶようなもの。」
いずれ前の人も見えていないと思い知る。」
「スヴァ・スッタ」
205 :
神も仏も名無しさん:2010/03/17(水) 13:28:17 ID:+yIm7efB
gate gate paragate parasamgate bodhi svaha
ガーテー ガーテー パーラガーテー パーラサンガーテー ボーディー スヴァハー
般若心経真言
1070
「ウパシーヴァよ。よく気をつけて、無所有をめざしつつ、
『何も存在しない』と思うことによって、煩悩の激流を渡れ。
諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、
妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」
スッタニパータ
207 :
神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 15:38:20 ID:wPuyOwNs
さらに釈尊が言葉をお続けになる。
「 第四の悪とは次のようである。世間の人々は善い行いをしよう
とせず、互いに次々と人をそそのかして、さまざまな悪を犯してい
る。二枚舌を使い、人の悪口をいい、嘘をつき、言葉を飾りへつ
らって、人を傷つけ争いを起すのである。
あるいは善人をねたみ賢いものをおとしめて、自分は陰にまわっ
て喜んでいる。また両親に孝行をせず、恩師や先輩を軽んじ、友人
に信用なく、何ごとにも誠実さを欠いている。しかも自分自身は尊
大に構えて、自分ひとりが正しいと思い、むやみに威張って人を侮
り、自分の誤りを知らずに、悪を犯して恥じることがない。また自
分の力を誇って、人が敬い恐れることを望むというありさまである。
このような人々は天地の神々や太陽や月に知られることを恐れず、
教え導いても善い行いをせず、まったく手の施しようがない。自身
は横着を決めこんで、いつまでもそうしていられると思い、将来を
憂えることなどなく、いつも傲慢な心をいだいているのである・・・
無量寿経 第三十八
208 :
神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 15:40:07 ID:wPuyOwNs
このようなさまざまな悪は天の神によって残らず記録される。だ
から、その人が前世で少しばかり功徳を積んでいたことにより、し
ばらくの間はそのおかげで都合よくいくとしても、この世で悪を犯
して功徳が尽きてしまえば、多くの善鬼神に見放され、ひとりきり
となり、もはや何一つ頼るものがなくなってしまう。そうして寿命
が尽きると、これまでに犯したさまざまな悪がおのずからその身に
集まってきて、その人とともに次の世に至る。また天の神がその行
いをすべて記録しているから、その罪に引かれて行くべきところへ
行くのである。罪の報いは必然の道理で、決して逃れることができ
ない。やがては必ず地獄の釜に入って、身も心も粉々に砕かれて痛
み苦しむことになる。そのときになってどのように後悔しても、も
はや取り返しはつかない。まことに因果の道理は必然であって、少
しのくい違いもないのである。
無量寿経 第三十八
209 :
神も仏も名無しさん:2010/03/31(水) 17:37:52 ID:tYAq/SC/
往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。
シャーリプトラよ、深遠な智慧の完成を実践するときには、求道者はこのように学ぶべきである」と。
そのとき、世尊は、かの瞑想より起きて、求道者・聖アヴァローキテーシュヴァラに賛意を表された。
「その通りだ、その通りだ、立派な若者よ、まさにその通りだ、立派な若者よ。
深い智慧の完成を実践するときには、そのように行われなければならないのだ。
あなたによって説かれたその通りに目覚めた人々・尊敬さるべき人々は喜び受け入れるであろう。」と。
世尊はよろこびに満ちた心でこのように言われた。
長老シャーリプトラ、求道者・聖アヴァローキテーシュヴァラ、一切の会衆、
および神々や人間やアスラやガンダルヴァたちを含む世界のものたちは、
世尊の言葉に歓喜したのであった。
ここに、智慧の完成の心という経典を終る。
『大本般若心経』
210 :
神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 12:06:52 ID:W5YfKARJ
道に適した至人しいじんは常に心気を下半身に充実せしめる。
心気が下半身に充実している時は、
喜・怒・憂・思・悲・驚・恐の
七情による病が内に動くことなく、
風・寒・暑・湿の四つがもたらす邪気も外より窺うことを得ない。
体の備えは充分となり、心神すこやかである。
口は薬の甘いも酸いも知らず、
身はついに鍼や灸の痛痒を受けない。
「夜船閑話」
211 :
神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 17:22:26 ID:XRpetG2E
天下は平和になり
月日は明るく輝き
風や雨はほどよく
災害厄病はおこらず
国豊かに人安らかに
軍隊兵器無用となり
徳をあがめ仁を尊び
礼節を大切にする
無量寿経
212 :
神も仏も名無しさん:2010/05/14(金) 17:58:53 ID:pwk9WctC
無相ののおもいを修せよ。
心にひそむ傲慢をすてよ。
そうすれば汝は傲慢をほろぼして、
心静まったものとして日を送るであろう。
経集
213 :
神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 12:45:43 ID:dOvvi6an
無念無相一念不生と云は、
念をやめ、
妄想をのぞいて、
木石の如くなるを、
無念無想と云うには非ず
『瑩山禅師法語』
214 :
神も仏も名無しさん:2010/06/14(月) 05:27:28 ID:GwQQL+Bv
ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に仏を念じている。
ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に法を念じている。
ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常にサンガ(修行者のつどい)を念じている。
ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に身体(の真相)を念じている。
ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、その心は昼も夜も不傷害を楽しんでいる。
ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、その心は昼も夜も瞑想を楽しんでいる。
「ダンマパダ」
215 :
神も仏も名無しさん:2010/06/19(土) 11:26:43 ID:1+xvazqf
世で言われるのは、仏道は修して悟るものだということだが、勘違いするな!
もし修して得るものがあるなら、そりゃすべて生死流転の業じゃ!
六度万行すべて修するなどとキミたちは言うが、わしから見りゃそんなもんすべて業づくりじゃ!
仏を求め、法を求めるのも、すなわち地獄へ落ちる業づくりじゃ!
菩薩を求めるのも業づくり。経典を読むのも業づくり。仏と祖師は無事の人だ。
だから煩悩の迷いと、煩悩を絶って得た悟りも清浄の業づくりに他ならん。
世には盲人僧侶どもがおって、飽きるまで飯を食ってから、さて坐禅観行にとりかかって、
雑念妄想の漏れを押さえ込んで起こらないようにし、喧騒を嫌い、静けさを求めるが、
こんなんは外道のやり方じゃぞ!祖師は言った『もし心住して静けさを求めたり、
心を奮って外を照らしたり、心を収めて内面を澄ませたり、心を凝らして禅定に入ったりするなら、
これらの類はすべて無用な造作だ。』と。
『臨済録』
わたしから哲学を学ぶな、哲学する事を学べ
イマヌエル・カント
217 :
宮:2010/09/24(金) 04:25:21 ID:Nu5og1G4
舎利弗よ、そなたはどう思うか。なぜその仏を阿弥陀と申し上げるのだろうか。
舎利弗よ、その仏の光明には限りがなく、すべての国々を照らして何ものにも妨げられることはない。
それで阿弥陀と申し上げているのである。
また舎利弗よ、その仏の寿命とその国の人々の寿命もともに限りがなく、
実に計り知れないほど長い。それで阿弥陀と申し上げるのである。
舎利弗よ、この阿弥陀が仏になられてから、今日まですでに十劫という長い時が過ぎている。
また」舎利弗よ、その仏のもとには数限りない声聞の弟子たちがいて、みな阿羅漢の悟りを得ている。
その数の多いことは、とても数え尽くすことができない。また菩薩たちの数もそれと同じく、
数え尽くすことができない。
舎利弗よ、阿弥陀仏の国はこのようなうるわしい姿を備えているのである。
仏説阿弥陀経
218 :
真言・念仏・禅は謗法邪宗:2010/10/17(日) 21:05:56 ID:bhE5zqpR
(よく誤解されるのでことわっておきますが、私はどの宗教団体とも関係ないです)
「真言・念仏・禅」の邪宗が多い理由。まず、邪義「真言」が、なぜ広まったのか。
それは、像法の末に伝教(最澄)が「法華経最第一」を確立した「後」に、
空海(弘法)によって伝来したからである。
つまり、天台・伝教の破折を「まぬかれている」のだ。
伝教(最澄)が南都六宗の邪義を破った後に、空海(弘法)によって伝来した真言が、
後に天台宗の人々が真言に「籠絡されていく落とし穴」となってしまった。
真言は、天台の一念三千の法を「盗み入れて」自宗の極理となし、「真言宗は天台宗と
法理の次元では同じだが、天台宗にない印と真言という事相があるから勝れている」
との邪義を立てた。その策略にかかり、天台宗を真言へとおとしめてしまったのが
比叡山第3代座主の「慈覚(円仁)」である。
伝教が一生の闘争で確立した「法華経最第一」の原則を崩し、「理同事勝」の邪義を唱え、
天台宗の真言密教化に踏み切ってしまった慈覚が、謗法の端緒を開く元凶となった。
さらに、慈覚の弟子「安然」は、禅宗を促し、「恵心」は、念仏を広める役割をした。
高徳・碩学と仰がれた慈覚が、後世の安然や恵心の邪義を引き出す呼び水になったのだ。
法をより深くむしばむ害虫は、他宗ではなく正法を護るべき天台宗の中にいた。
(よって現在の天台宗は、慈覚・安然・恵心の謗法を引継ぐ邪宗・謗法宗である)
そして、謗法に毒された人々を救うため、末法悪世の変革のために、次々と起こる
大難・迫害に命がけで戦い勝ち越えてきた、末法における妙法流布の法華経の行者が
日蓮である。謗法の人々も今は法華経を誹謗しているが、亡国・亡身の危機に直面した
とき、一切の仏寺・一切の神寺を捨てて、「南無妙法蓮華経」と唱えるようになるだろう。
この世の中に、悟りの道を始めるに当たって為し難いことが二十ある。
1.貧しくて施すことは難く、
2.慢心して道を学ぶことは難く、
3.命を捨てて道を求めることは難く、
4.仏の在世に生を受けることは難く、
5.仏の教えを聞くことは難く、
6.色欲を耐え忍び諸欲を離れることは難く、
7.よいものを見て求めないことは難く、
8.権勢を持ちながら勢いを持って人に臨まないことは難く,
9.辱められて怒らないことは難く、
10.事が起きても無心であることは難く、
11.広く学び深く究めることは難く、
12.初心の人を軽んじないことは難く、
13.慢心を除くことは難く、
14.良い友を得ることは難く、
15.道を学んで悟りの入ることは難く、
16.外界の環境に影響されないことは難く、
17.相手の能力を知って教えを説くことは難く、
18.心をいつも平らかに保つことは難く
19.是非をあげつらわないことは難く、
20良い手段を学び知ることは難い。
私は何も隠さず、老師のところへ行った。
老師は「わしは十二指腸潰瘍を取っとるんで、起きれん」と。
で、「あんたが敬宗君か。臨済の修行はほとんど済んどるそうなけど、じゃ聞くが、仏教は滅か不滅か」と。
「老師、仏教というものはどこにあるんですか」
「ほう、あんたそれを知っとるか」
「いや、知りません」
「知らんのに、なぜ仏教と言うた」
「ここへ寝ておるあなた何ですか」
「わしは玄魯だ」
「わたし敬宗です。(良久)老師、私聞きますけど、臨済のやっておることは、こことここと、言葉で言うことと動くことと、この四つ以外には何もないじゃないか」とこう言うた。
「ほう、どうしてそこが分かった!」
「四料揀、五位、十重禁戒を全部やってみて分かった。老師、これで修行が出来たなんて大嘘や。聞きますが、老師、どこをどう得たら、人間として自分自身を、今、生きることを知っているんでしょうか」と言うた。そしたら
「そこまで追い詰めとるか」と。
「それだからこそ、どこかに誰かおらんかと探しよったら、あなたがおった。だから、あなたに習うこともない」と言うたら、
「待て! おれもおまえに教えることは何もないんだ! だが、教えることはないが、お前を出せ」とこう来た。「偽りのないお前を出して来い」と。
私がそこで偽りを言うことをして、自分を自分でごまかすんだったら、ごまかしたかも知れない。が、
「ここが、胸先三寸(パンッパンッパンッ)が、どうにもならんから、これだけで困っとるから、来たんです」と。
「よくごまかさずに、嘘を言わずに来た。よし、これをやるのには、ここから聞いたら、こっちに出しなさい。こう持って行って、
こう持って来たら、だめだよ。ここで『おいっ』と言ったことを『何のために』と、ここへ持って来て『ああ、敬宗が呼ばれておるんだな』と。
それは作った世界だ。だから、ここから聞いたら、すっと逃がしなさい。目に触れても、そのままにしなさい。業識はそのまんまで、知と意で扱いさえしなければ、
いつでもゼロのはずである。そのこと、それを教えておる」とこう来た。
その時はちょうど竜巣院が開単だったからね。広島のおばあさんが来たり、大学の先生や偉い人が沢山おった。
「ああ、これが臨済禅の、あの東福の管長さんについた敬宗さんじゃ」
「ああ、そうですか」
水野先生なんかも笑うたよ、わしを―「ああ臨済坊主は大したことはないな」
笑われてもかまわん、おれは自分のことをしに来たんだから。坊主になって、お師家さんになろうとか何とかじゃない。
自分が自分の、ここをどうするかで来とるんだから。この人らは話を聴いて楽しんでおるけども、話を聴いても、
老師と同じようにならなければ、どうにもならない。だから私は話を聴かない。
それから一カ月くらいやったね。八月十五日の晩に、下に大学の農学部の先生がおって、そこへ行って点心をよばれた。
そして玄関を出た途端に、お月さんが、「ハアッ」。
もう何にも見えない。もうそれだけ。
「思い詰めたんかもわからん。ちょっとなんかなるんとちがうんかいな」と思うた。それからつめってみたけど間違いない。
「ほほお。応に住する処無うして−すぐそういう言葉が出るのね、臨済におったから−応に住する処無うして而もその心を生ず。
ははあっ、なるほど、ものと私というものが一つになるんじゃない。初めから一つであったんだ」と。
で、飛んで行った。知っとる者がおるかな、と思って。
ほいから、その晩から、坐ったら、もう薮がずずずっとこうなるのね。もう笹がずずっとこうなるの。
それから一週間、飯食わずにやったね。ホオッ、いまだ曾て経験のない世界ね。もうこの肉体というものが全然離れちゃって。
食べたいとかどうありたいとかいうことは一つも浮かんで来ない。つめってみると出る。
ノイローゼじゃないか、だけどここでは東司に行くところがない(この辺り聞き取りにくく正確ではないかも知れない)。
で、今の大学のある下の方にね、実性寺という寺があった。(それまでは実性寺で坐っていたが)そこから上へ(龍泉寺へ)上がって、
老師や奥さんに頼んで、本堂(西の室中)の床間の前へね、一週間坐った。ちょうど八月だから、
毎晩毎晩、盆踊りの稽古をやってるのね、後で聞いたら。その太鼓の音が鳴る度に、飛び上がるんよね。
それほど概念の意識が、キレーイに落ちてしもうて。概念の意識が落ちたということは、
もうそれを分別するものがキレーイにのいてしもうた。だから、いつでも空気のような状態やから、
「ボンッ」と来たら、「アッ」となるということやね。ものといつでも同化するだけの小さな芽ができつつあったんやね。
ほいで初めて、奥さんが何かで通ったら、オワーッとくさがでる(ここ意味不明)。ホオーッとそれから、
「ヨシッ!」と言って一生懸命眼(まなこ)をおっ開いて坐っとって、明け方の太鼓の音で、
「ナアーンッジャーッ!」と、うれしゅうなって、涙ボロボロ出た。それから松木の駅から可睡斎へ飛んで行って、顔を見て、
「老師!」。
「やったな!(良久)出してみい」。
「ははっ、つまらんこと言うんじゃないよ」。もう顔色が違うから。それでいろいろ「地獄極楽はどこにある」、「死んだらどうなる」。
性急な質問。何でもない。どんどん答えて行くしね。
「よくやってくれた」
「呼吸を見る。私たちはいま、自分の呼吸を意識しておりません。吐く息、吸う息、吐く息、吸う息を意識して生活をして、
あるいは坐っておられる人は、いらっしゃらないと思います。そこで、禅を修行する---
修行するということは、やむを得ずですね、本当は呼吸を意識するなんていう不自由なことをしなくてもよろしいのですけれども、
修行をするということで、呼吸を意識していただきます。すなわち、吐く息、吸う息、吐く息、吸う息をよく見る、
そういう状態になっていただきたいと思います。油断なく、ひと呼吸、ひと呼吸を親切に、そして丁寧に、
真心をこめて、吐く・吸う、吐く・吸うの動作を繰り返していただきたいと思います。
そういう「呼吸を見る」、つまり意識を集中することによって、だんだんと呼吸三昧、意識三昧に
入ることができると思います。しかし、三昧ということを、まだ自分で意識している間は、
意識している自分だけが三昧の外にいるということになります。本当の三昧になれば、
三昧に入っている状態を自分で意識、あるいは認識することは、不可能なはずです。
呼吸を意識する、あるいは三昧に入っている、三昧に入ろうとする自分の意識というものは、
当然わかる。そのわかっていることが悪いのではありません。
わかっているその意識を、意識によって擦(す)りつぶすような状態になっていただきたいわけです。
三昧に入る、あるいは意識によって意識を擦りつぶすということは、多少の時間が必要かもわかりませんけれども、
根気よく自分の呼吸を意識することによって、必ず三昧に入ることが可能になると思います。
一所懸命に自分の呼吸を見ていくうちに、三昧に入っていくということは、自分の呼吸を意識していることも
忘れてくるということです。忘れてくるということは、元の、呼吸を意識していない状態に戻ってくるということです。
初めての方は、非常に面倒な、複雑なことのように受け取られるかもしれませんけれども、一度ものを知って、
そして知ったその意識によって擦りつぶしていく、また一回転して元に戻る、そういうことが、禅の修行ということであります。
客観的に見れば、その人が呼吸を意識しているか、していないかなどということはわかりません。
しかし、同じ状態で、同じ生活をしておりながら、一人の人は呼吸を意識することによって道を歩み、
必ず「脱落」という境地が得られる。一方、何もしないでただ坐っている人は、そういう脱落ということがありません。
そこに天と地の相違ができてまいります。」
坐禅の修行でも、あるいはその他の修行でも、修行といいますと、何か自分のなかに、悪いものが、
捨ててしまわなければならないものがあるような気がしがちです。けれども、仏教ではすべてが仏性
ですから、捨てるものは何もありません
私たちはどうしても堅い壁にぶつかると、何か手段を用いてそれを打ち砕こうとします。ハンマーや
ノミで厚い壁を壊そうとする、そういう手段や策を弄している間は、この山、この壁は決して打ち砕
くことができません。では、どうしたらよいか。「銀山鉄壁そのものになりきりなさい。そのものに
なりきるには、自分を忘れきって、功夫に徹しなさい。そのこと以外に、銀山鉄壁を打ち砕くことは
できない」ということです。
227 :
神も仏も名無しさん:2011/01/04(火) 12:58:40 ID:0Z40YUUc
228 :
神も仏も名無しさん:2011/01/07(金) 22:38:42 ID:64BmkT1Z
>>227 原始仏教(小乗仏教、上座部仏教、釈迦仏教)は、開祖と仏典盲信のカルト。
229 :
神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 12:27:30 ID:UwUq5oTy
花は形を持ち、個としての存在を持つ。香りには形がなく、個としての存在はない。それはそこに
あり、存在してはいるが、定まった形としてあるのではなく、形なしに存在する。そして、それが
神とは何か、神性とは何かということだ。この香りを経験することは、瞑想を通して起こる。それ
以外の方法は存在しない。今まで決して存在しなかったし、これからも決して存在しないだろう。
本当に宗教的な人には、たったひとつのやるべきことがある。それは瞑想的になることだ。しかし
、まさにその『メディテーション―瞑想』という言葉を使うことで、間違った方向に動いて行く可
能性がある。なぜなら、英語には正確に「dhyana」(サンスクリット語で‘瞑想’を意味する言葉)に
あたる言葉がない。「meditation」は、ただ近い意味を持つというだけだ。
英語には、concentration(集中)、contemplation(沈思)、meditation(瞑想)という三つの
言葉がある。 Concentrationは、マインドについての言葉だ。あなたは、マインドを何かの対象に
集中させる。それ以外のすべてを除外し、自分の視野を狭め続ける。その結果、集中においてはあ
らゆることが妨害になり得る。もし犬が吠え始めたら、あなたは邪魔されるだろう。なぜなら、あ
なたはすべてを除外していたのに、今、犬の吠え声が侵入して来たからだ。だから集中する人は、
いつも怒っている。なぜなら一匹の蚊でさえも、彼の集中を邪魔することができるからだ。あなた
は不自然なことをしているから、すべてのことがあなたを邪魔できる。
集中は不自然だ。それは押し付けられること、型にはめられることだ。それは何か軍隊に似ている
。正確にひとつの事を狙ったままでいるよう、マインドに暴力的な強制をすることだ。そしてマイ
ンドの本質とは、常に流れ、動いていることだ。マインドが動くことは自然で、それはダイナミッ
クなプロセスだ。なのに、あなたはこのダイナミックなプロセスを、淀ませようとしている。
230 :
神も仏も名無しさん:2011/02/17(木) 13:20:21 ID:lkIF/x8g
創価はヤクザ後藤組を行使した。しかも本山を攻撃するのに右翼まで使った
これのどこが平和的かつ正義なのでしょうか。最近では創価公明のポスターに
「人にやさしく環境に優しく」などという標語を使っていたが、こういうのを偽善という
のです。
決してやってはならない宗教は
@ 創価学会
A エホバ
B 日本キリスト教団 です。これはしかるべき伝統スジから手に入れた
情報です
これらの宗教をやると人生のどこかがオカシクなり始めます。なんなら
みなさんも見学しにゆきますか?面白い光景をお目にかけます
創価との関係を元後藤組組長が暴路、後藤忠政「憚りながら」
創価学会に雇われ、殺人事件も起こしている。
墓苑事業では、反対住民の自宅にブルドーザーで突っ込み、
日本刀で片腕を切り落とした。
又、創価にはヤクザ右翼学会員が多いのをご存知ですか?聖教を読んでるせいか
素行の悪い学会員が多いのは偶然ですか?それと創価を誹謗中傷して破門になった会員もいる。学会批判をさせないために恫喝してきた。手法は
「創価はオウムより怖いのだよ」という恫喝でニセ本尊等々の批判
をさせてこなかったという話を会員から聞いた。また病人と貧乏人の集合体となり果ててしまったのは偶然ですか?
231 :
神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 18:13:11.80 ID:rwCexSAn
羯諦(ぎゃてい)羯諦(ぎゃてい)波羅羯諦(はらぎゃてい)波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)菩提薩婆華訶(ぼじそわか)
ガーテー ガーテー パーラガーテー パラサンガーテー ボォーディースーヴァーハー
往くものよ 往くものよ 河岸に往くものよ 彼岸に全く往ける者よ 悟りよ めでたし
往くときよ 往くときよ 河岸に往くときよ 完全に往ける時よ 悟りあり めでたし
232 :
神も仏も名無しさん:2011/03/01(火) 18:17:23.38 ID:jY0xUNDb
創価はヤクザ後藤組を行使した。しかも本山を攻撃するのに右翼まで使った
これのどこが平和的かつ正義なのでしょうか。最近では創価公明のポスターに
「人にやさしく環境に優しく」などという標語を使っていたが、こういうのを偽善という
のです。
決してやってはならない宗教は
@ 創価学会
A エホバ
B 日本キリスト教団 です。これはしかるべき伝統スジから手に入れた
貴重な情報です
これらの宗教をやると人生のどこかがオカシクなり始めます。なんなら
みなさんも見学しにゆきますか?面白い光景をお目にかけます
創価との関係を元後藤組組長が暴路、後藤忠政「憚りながら」
創価学会に雇われ、殺人事件も起こしている。
墓苑事業では、反対住民の自宅にブルドーザーで突っ込み、
日本刀で片腕を切り落とした。
又、創価にはヤクザ右翼学会員が多いのをご存知ですか?聖教を読んでるせいか
素行の悪い学会員が多いのは偶然ですか?それと創価を誹謗中傷して破門になった会員もいる。学会批判をさせないために恫喝してきた。手法は
「創価はオウムより怖いのだよ」という恫喝でニセ本尊等々の批判
をさせてこなかったという話を会員から聞いた。また病人と貧乏人の集合体となり果ててしまったのは偶然ですか?
仏教はスタイルでなく、アティテュードだ
234 :
谷口雅宣:2011/03/26(土) 18:35:55.62 ID:skNHzI07
『原因はすべて自分の心にある』
人間は、心によって自分の運命をつくり出す。
周囲が悪いからこんなになったと、人はよく考え勝ちであるが、
それでは自分自身の自主性など何処(どこ)にもないであろう。
不足の心は不足の環境を生み出す。この不平不満の心を、
感謝の心に変え、“与える心”になると一切がよくなる。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
天皇陛下有難うございます
235 :
五井昌宏:2011/04/10(日) 17:16:38.62 ID:1XnyBm63
『親の虚栄心(きょえいしん)で神の子たる子供を縛るな』
親は自分の「好みの型」に子供をはめ込もうとしないで、
子供の天分をのばしてやることが大切です。
子供がいかなる職業に向くか、どの学校に行くのが適しているか
という事は神様のみが御存知(ごぞんじ)なのであって、親が子供を心で縛るならば、
子供の才能を窒息せしめてしまうのであります。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
天皇陛下有難うございます
ー五井先生の家ー
236 :
神も仏も名無しさん:2011/05/13(金) 22:50:13.39 ID:1ypZjcYh
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
237 :
神も仏も名無しさん:2011/05/13(金) 23:41:02.52 ID:GxXAjwQc
盗を殺すは殺にあらず
238 :
神も仏も名無しさん:2011/06/10(金) 10:16:22.95 ID:mzC2nZsI
色即是空と見て、
大智を生じて生死に住せず。
空即是色と見て、
大悲を成じて涅槃に住せず。
「心経略疏」
239 :
神も仏も名無しさん:2011/06/10(金) 10:28:54.22 ID:mzC2nZsI
如是の法、仏祖密に付す
汝今これを得たり、宜しく能く保護すべし
銀椀に雪を盛り、明月に鷺を蔵す。
類して等しからず、混ずる時んば処を知る。
如是の法を仏祖は密かに与えられた。
汝は今これを得たのだ。しかと守らねばならない。
その法は銀椀に雪を盛るように、また、月の明かりが白鷺をぼかすように微妙だ。
類似しているだけで同一ではない。混淆していても、それはわかるものだ。
『宝鏡三昧』
意言に在ざれば、来機亦赴く
動ずればカ臼を成し、差えば顧佇に落つ
背触共に非なり、大火聚の如し
但文彩に形せば、即ち染汚に属す、
心が言葉に囚われなければ、来るいかなる機にも対応できる。
心動揺すれば真っ暗になり、少しでも違えば穴に落ちる。
背いても近づいても駄目で、それは大火の如く捉えどころない。
言葉で言い表そうとすれば、たちまちそれは汚されてしまう。
『宝鏡三昧』
夜半正明、天暁不露
物の為に則となる、用いて諸苦を抜く
有為に非ずといえども、是れ語なきにあらず
宝鏡に臨んで、形影相い覩るが如し
夜の闇に正明あり、昼の暁には出でず
物のために則となり、それを用いれば諸苦は除かれる
有為ではないといえど、それは語りなしともいえない
宝鏡の前に立てば、お互い見合っているようなものだ
『宝鏡三昧』
汝是れ渠に非ず、渠正に是れ汝、
世の嬰児の五相完具するが如し、
不去不来、不起不住、
婆婆和和、有句無句、
ついに物を得ず、語未だ正しからざるが故に
汝はそれではないが、それは正に汝である。
赤ん坊は五相を完璧に具えているようなものだ。
去ることも来ることもなく、起きることも住することもない。
バーブ−バーブ−と言っても言葉か言葉でないか
ついによくわからないし、正しく表現する語は未だ見つからず。
『宝鏡三昧』
243 :
神も仏も名無しさん:2011/08/02(火) 17:33:05.28 ID:9FhN+I7i
わたしはその世間の善業を求める必要は微塵もない。
悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい。
わたしには信念があり、努力があり、また知慧がある。このように専心しているわたしくしに、
汝はどうして生命をたもつことを尋ねるのか?
はげみから起るこの風は、河水の流れも涸らすであろう。
ひたすら専心しているわが身の血がどうして涸渇しないであろうか。
身体の血が涸れたならば、胆汁も痰も涸れるであろう。肉が落ちると、心はますます澄んでくる。
わが念いと智慧と統一した心とはますます安立するに至る。
わたしはこのように安住し、最大の苦痛をうけているのであるから、
わが心は諸々の欲望にひかれることがない。見よ、心身の清らかなことを。
スッタニパータ
244 :
神も仏も名無しさん:2011/08/21(日) 01:16:19.25 ID:X4pMKQHp
古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引する者(妄執)にとらわれてはならない
132 自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人、
─かれを賤しい人であると知れ。
133 人を悩まし、欲深く、悪いことを欲し、ものおしみをし、あざむいて(徳がないのに敬われようと欲し)、恥じ入る心のない人、
─かれを賤しい人であると知れ。
スッタニパータ
246 :
神も仏も名無しさん:2011/11/05(土) 01:03:07.26 ID:CAGTDafl
修行する比丘たちに、恐怖感が起こったら、
たちまち仏陀を念ぜよ。
また、法を念ぜよ。
また、僧を念ぜよ。
恐怖感は確実に消え失せる。
なぜなら、仏陀は不貪不瞋不癡であり、
怯えることは全くないからである。
「サンユッタ・ニカーヤ」
247 :
神も仏も名無しさん:2012/01/15(日) 15:45:28.00 ID:5hIGzysB
このスレは為になるage
>>234-235 偽善宗教ありがとう教信者は氏ね。生長の家だけは絶対に許さん。
感謝を冒涜する邪教は消え失せろ。
249 :
神も仏も名無しさん:2012/02/10(金) 00:22:32.76 ID:hJ5uiNct
かんぜーおん なーむーぶつ よーぶつうーいん よーぶつうーえん ぶっぽうそうえん じょうらくがーじょう ちょうねんかんぜーおん ぼーねんかんぜーおん ねんねんじゅーしんきー ねんねんふーりーしん
250 :
Andrew:2012/03/17(土) 03:57:51.37 ID:w9iVlPGb
すばらしいスレだ。
心が沈んでしまってはいけない。またやたらに多くのことを考えてはいけない。
腥い臭気なく、こだわることなく、清らかな行いを究極の理想とせよ。
独り坐することと<道の人>に奉仕することを学べ。
聖者の道は独り居ることであると説かれている。
独り居てこそ楽しめるであろう。
そうすればかれは十方に光輝くであろう。
欲望をすてて瞑想している諸々の賢者の名声を聞いたならば、
わが教えを聞く者はますます恥を知り、信仰を起すべきである。
私は強調しよう。
覚えておきなさい、あなたの瞑想が正しければ、
人生のあらゆることがより良い形をとっていくということを。
これが唯一の判断基準だ。
他の誰かに尋ねる必要はない。自分自身で知ることができる。
瞑想によって、あなたの人生のすべてがより良いものとなっていく。
瞑想がその最高点に達したとき、あなたの努力のすべては、
想像できないほどの美しさ、優雅さ、そして創造性を帯びてくるだろう。
だから私は、精神生活と普通の生活を分け隔てしないようにと言うのだ。
どんな分裂も絶対に作り出してはならない。
この人生をひとつのまとまったもののままにしておく。
OSHO
釈「何もないのだよ。
というのも私が達成したものはすべてすでに私の中にあったのだ。
それは何か私が新しく手に入れたというようなものではない。
それは永劫の昔からつねにそこにあり続けていたのだ。
それはまさに私の本性そのものだったのだ。
しかし私はそれに気づいていなかった。
私はそれに目覚めていなかった。
その宝はつねにそこにあったのに、ただ私がそれを忘れていたのだ。」
真我をこよなく愛し奉る者に、真我は仏性を用いるヨーガを伝授する
ブッディにより、その者たちは真我の起源にに立ち返る。
かような者は輝く慈悲を施さんがため、
真我である我が彼らの胸中にし続け、智慧の燈明によって
無智から生じた闇を滅ぼすであろう。
地面にささったくいをひっぱるようにして
立ち上がる、これが一つ目
鳥をつかまえるときのように腰をまげて
歩く、これが二つ目
地面に石を落としたようにどしんと
坐り込む、これが三つ目
この三つが出てきたら
おばあさん、悲しいことだが
あなたのはかない肉体が
消えていく徴しだよ
外から見ると、肌がしわしわになる
これが一つ目
内側から血や肉がくさってこぶになる
これが二つ目
間では、目も耳も口もきかなくなる
これが三つ目
この三つがでてきたら
おばあさん、悲しいことだが
よぼよぼのみにくい肉体に
なってく定めだよ
着物が重くなってくるが一つ目
食べても飲んでも冷えたままなのが二つ目
四つもまくらをしないと眠れないのが三つ目
この三つがでてきたら
おばあさん、悲しいことだが、
人や犬が地面の下のあなたの上を
歩いていくのを
覚悟しなくちゃいけないよ
〜
はじめ、富は得た者を幸福にし、得られなかった者を嫉妬深くする
しかし、富への欲望にはきりがなく、もっともっとほしくなる
そうなれば、人は貪欲の奴隷となり
徳を増すおこないなどにかまけていられない
泥棒や悪鬼を手招きしているようなもので
もうけた分だけ他人がよろこぶという仕掛け
そしてついには、富は人の心を破壊する魔となり
他人の得た富に戦々恐々するしまつ
私は、人をあざむくこの世の石を拾うまい
私は、魔の誘惑にはだまされない
幼い男の子は神の子のように可愛らしく
たくまず、すなおに親の愛に応えてくれる
だが、それもつかの間、すぐにあれこれ欲しがって
何をやっても心みちることを知らない
人の娘を家に連れ込んで
かわりに父母を追い出すしまつ
父が叫べどほったらかし
母が叫べど知らん顔
果ては生まれ故郷も忘れはて
一儲けをたくらんだのはいいが、すっからかん
身からでた錆に心をおおわれたまま
世間の芥に別れを告げる
私はそんな世俗の男の子など欲しくない
幼い女の子は神の子のように微笑んで
小紅さし、宝をいだく大自在母
だが、それもつかの間、災いもたらす鬼女と化す
父の財産をせびりとり
母のへそくりを盗みだし
父母の慈愛の風を浴びながら
ありがたいとも思わない
はては醜面の羅刹女となりはてて
自分が幸せなら他人の喜びを奪い
不幸なら不幸で害毒のかたまりとなる
不毛の羅刹女に心おおわれ
目覚めることもないままに苦しみの世に別れを告げる
私はそんな世俗の女の子など欲しくない
久しぶりの親類の輝く顔は幸福を運び込み
「ようこそ、いらっしゃい」と、あたりもはずむ
だが、それもつかの間、肉や酒の交換がはじまり
ひとつ与えれば、ひとつお返し
ついにはあさましい贈与合戦の戦場と化す
不幸な友やきたない口論は
あなたの心を傷つける
幸福な日々のわけ前にあずかろうとする
私はそんな世俗の肉親など欲しくない
259 :
エリヤ:2012/07/08(日) 19:53:31.40 ID:lLpklUqU
人々を祝福する者は神によって祝福される。
人々を憎み呪(のろ)う者は、神の波長に合わないから、
神の祝福の波から外(そ)れる。神は罰を当て給(たま)わないが、
憎む者、呪う者には、それに類する者が集って来てみずからを傷つけることになるのである。
類は類を招(よ)ぶのである。
世界人類が平和でありますように
May Peace Prevail on Earth
260 :
ブッコク堂:2012/07/08(日) 19:57:49.16 ID:4ptg4lJ1
皆是成仏道・・。by法華経
この仏典により人間主義・生命の尊厳が事実上可能になる。
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
創価死ね
262 :
神も仏も名無しさん:2012/12/11(火) 12:07:59.86 ID:kacm9WmI
世に出興する所以は
道教を光闡し群萌を拯い恵むに
真実の利を以ってせんと欲してなり
ええ言葉やね。
263 :
神も仏も名無しさん:2013/03/28(木) 16:15:20.04 ID:EVa4GfeY
右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい。
ありがたいおことばだ
264 :
も仏も名無しさん:2013/03/31(日) 12:58:52.99 ID:wULlBr6s
右の乳をもまれたら左の乳も揉んでもらいなさい。
266 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/04/01(月) 01:34:27.65 ID:oBsjT3jz
(^。^)いらぁーー!きんこおふこおしんじぃ〜っ!さんまぁやあけいじょ〜おっおっおー!しーいーがーあーぶーんーんーんーんーんーんーんー!
267 :
神も仏も名無しさん:2013/04/01(月) 02:22:57.67 ID:0l6VJnTd
即心是仏
268 :
神も仏も名無しさん:2013/04/22(月) 04:34:54.84 ID:6elly6X+
めでたし
269 :
神も仏も名無しさん:2013/04/29(月) 11:16:49.65 ID:+AX4Xp77
目出度し
270 :
神も仏も名無しさん:2013/05/01(水) 12:17:21.04 ID:OPbfO+Gg
めでたし 聖寵充ち満てるマリア、
主 御身とともにまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
ご胎内の御子イエズスも
祝せられたもう。
天主の御母聖マリア、
罪人なるわれらのために、
今も臨終のときも祈り給え。
アーメン。
271 :
神も仏も名無しさん:2013/05/06(月) 12:38:04.70 ID:vRMegPlp
アーメン
ソーメン
273 :
神も仏も名無しさん:2013/09/20(金) 20:01:54.30 ID:X17bPdNj
274 :
神も仏も名無しさん:2013/11/15(金) 10:31:18.59 ID:gKy6KXXL
【署名のお願い】
カリフォルニアで韓国人が慰安婦を教科書に載せようと運動をしており、疑問に思った現地の方々が署名運動をして下さっています。
皆さまもご協力をお願いします。
慰安婦の多くは個人的な契約でした。頻繁に変わる女性の証言はプロパガンダの為に作られたものです。文書から国や軍が強制したと
示すものはなく、米軍のレポートからも判る通り性奴隷は事実無根です。米国の歴史教科書に嘘の情報を載せるべきではありません。
【氏名・メアドを記入、国名を選択して"Sign the petition!"をクリックすれば完了】
//petitions.moveon.org/sign/comfort-women-fabrication.fb28?source=s.icn.fb&r_by=8546588
(↑リンク先が切れている場合は"MoveOn Petitions - Comfort Women Fabrication"でググって下さい。すぐに見つかります)
現在21000人突破!
275 :
神も仏も名無しさん:
羯諦(ぎゃてい)羯諦(ぎゃてい)波羅羯諦(はらぎゃてい)波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)菩提薩婆華訶(ぼじそわか)
ガーテー ガーテー パーラガーテー パラサンガーテー ボォーディースーヴァーハー
往くものよ 往くものよ 河岸に往くものよ 彼岸に全く往ける者よ 悟りよ めでたし
往くときよ 往くときよ 河岸に往くときよ 完全に往ける時よ 悟りあり めでたし