>>405 旧7氏
>後半は、アナータピンディカ僧院で、彼と友人チッタに対して、三種の「我の獲得」(蘊の生起)があることを示され、
>それらも所詮、世間の慣用語に過ぎず、如来はそれに執着することなく法を説くのである、と明かされる。
釈尊は牛乳、ヨーグルト、バターに共通する乳製品の「本質」を
解説されておりますが、この譬えからアートマンについての理解が
釈尊の弟子であれば悟れると説かれているように読めますが。
他の方々のご理解は如何でしょうか?
真言氏(この呼び名は嫌いだそうですが)は何回も読まれていたかと
推察します。