【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】8

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116神も仏も名無しさん
>>114の続き
結論から言えば、まさにその通り。
観るという行為があるから、Aさんは存在し、観るという行為がなければAさんは存在しない。

んな、ばかな!別に「観て」いなくてもAさんはいるだろ?
当然このような反論がおこるが、それは、行為と行為主体以外の全ての要素を排除した、特殊な限定条件による純粋化を
忘れたことにより起こる誤謬なんだ。
行為と行為主体の二つしか要素が存在しなければ、片方がなければ当然他方も存在し得ない。

しかし、現実においては「観る」という行為をなさなくてもAさんは存在する。
当たり前である。Aさんを存在させているのはある一つの相依性だけではなく、無限の相関関係であり、
その総体がAさんなのである。

以上、行為と行為主体における縁起を考察してみたが
なにぶん、ろくに仏典も読んだことのない凡夫の見解だ。誤っていたら指摘してくれ