【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】4

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952神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 23:19:31 ID:tV2qCCde
おいおい、釈迦がああ言った釈迦がこう定義したと体系化された知識を列挙してるが、釈迦の説法は
全部方便だったことを思い出せよ。釈迦はある人には輪廻はあると言い、別の人には輪廻は無いと言った、
ある人には魂はあると言い、別の人には魂は無いと言った。
953神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 23:26:44 ID:oEy2H55J
>>950
>生命は五薀で定義される。

その五蘊は、生命以外の一体どこから発生するのかね。

宗教者が、生命という根源に思い至れないのは、頭のてっぺんだけで考える
「観念の病」に犯されているからである。

生存本能(生命)のみが、すべての人間のみでなく、すべての生物に共通する
唯一の普遍の事実。人生とは、「生存本能の応用問題」に他ならない。

古代人や現代の圧倒的多数の生活者のほうが、はるかに人間の本質を把握して
いる。
954神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 23:34:36 ID:yFMg+C9d
もしお釈迦様ならば、
インターネット、パソコン、携帯電話が
生存している環境に存在した場合
それらを利用するでしょうか?

しばらく洞察して、、、、
棄てるでしょうね

使わない事を呼びかけるでしょうね。

しかし、あまりにも人類にそれらが当たり前のように
生活の中へ組み込まれて行くのならば、
逆に率先してその中に入って行き
説法の嵐を最も効果的なやり方で説くような気がします。
955神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 23:36:43 ID:oEy2H55J
「生命」という根源に思い至れない宗教って、実はとんでもない食わせ物、
単なる「観念の病」という精神の病理現象に過ぎないのではないだろうか。
956神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 23:45:21 ID:uBiio6BG
>>953
五薀は五薀から生まれるんだろ

アートマン論者が、五薀という根源に思い至れないのは、頭のてっぺんだけで考える
「観念の病」に犯されているからである。
957神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 23:48:17 ID:uBiio6BG
>>954
別につかうときはつかうだろ常考
真実へ導く助けになるものはなんでもつかうはず

そして釈尊は無関心な人には無理に教えようとはしなかった
958神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 23:53:50 ID:oEy2H55J
>>956
>五薀という根源

あれ、釈迦は五蘊は根源ではないと否定しているのではないのかな。
959神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 23:54:30 ID:uBiio6BG
>>958
分類の一つだな。
960神も仏も名無しさん:2009/06/15(月) 23:56:54 ID:oEy2H55J
>>959
何の分類?
961神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 00:02:13 ID:uBiio6BG
一切
962神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 00:32:09 ID:4BmH/aUx
>>961
五蘊の発生源には、思い至れなかったということだな。
963神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 00:34:16 ID:4BmH/aUx
>>961
「一切」なら、仏教とは、五蘊にまみれた宗教ということだな。
964神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 00:46:59 ID:Ho4Uc4na
そうだよ
965神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 00:50:48 ID:4BmH/aUx
>>964
>そうだよ

いい答えだw。人間はみなそうだからな。さすが仏教。


966一在家:2009/06/16(火) 06:39:09 ID:iDsex/6p
肉体の命。
魂の命。

輪廻の主体のアートマンは魂の命。

脳神経は肉体の命と一緒に生死する。
967神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 07:03:23 ID:ixYpk1Pf
>>936
>生命を超えるものはありえず、究極は生命に帰着する。
これは生命教と言う新宗教だよね。仏教ではない。
968神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 07:16:11 ID:ixYpk1Pf
仏教は人間教育だろ。霊魂については何も言わない。
969神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 08:02:50 ID:mFtKzsIv
一人一人が思いやりの心を温かく育てていくならば
世界は遥かに平和になるでしょう

ダライラマ14世
970神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 08:16:14 ID:ixYpk1Pf
不殺生戒があり一切の犠牲を許さないのは、仏教とジャイナ教だよね。
971神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 09:53:02 ID:z+gXKvZN
>>969
チベット仏教では、争いが多い。仏教徒が政治運動やったり、デモ行進やったり、
暴行を働くのは誠に異常。チベット問題で、ヒステリックな反応を示さず、
法句経の「己が身に引き比べて」の章句を引用するに止めた日本の仏教界は、
仏教としてのあるべき姿を示したといえよう。

ダライラマが海外において、キリスト教やヒンドゥー教の影響を受けたこと
も考えられる。
972神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 10:45:59 ID:+AUZYZOG
あれは中国政府の虐殺が問題なんだから当然のデモだろ
二次大戦後に他国侵略した国って中国ぐらいだろ
973神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 11:54:18 ID:zBSehMCQ
唯物主義者と縁起主義者の生命観は、
物質から生命が自然に発生し、生物そして人間が生まれたという話につきる。
 
かれらがかれら自身の生命観をあまり語らないのは、
かれらの生命観があまりにも貧相であり、いかにバカバカしいものであるかを、
かれら自身が気づいているからである。
974神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 12:10:34 ID:zBSehMCQ
物質から生命が自然に発生する?
あるいは物質から生命が作れる?
  
そんなことは永遠にありえない。生命は物質ではないし、
物質でない生命を物質的に解明することは永遠にできないから。
 
生命は肉体(物質)の機能ではないか?
これは少し言い方を変えただけで、肉体(物質)から生命が自然発生する、
という主張と同じである。かれらの主張に基づけば、
土や石にも、横たわっている死体にも生命が宿らなければならない。
 
この現実は空あるいは幻なのだろう?
かれらの主張は妄想であり、虚しい主張をしている。
975旧7:2009/06/16(火) 12:19:41 ID:i24dMNjH
>>974
>土や石にも、横たわっている死体にも生命が宿らなければならない。

ここにも短絡馬鹿がいるwwwww
976神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 12:27:11 ID:+FlX0EKN
>>974 いったい、どういう思考回路をしてるんだ?
お前はもしかして、あれか?
人間と言うのは、神さまが現在の人間のような状態で創造したとか言う
進化論否定の創造論信者か?
977神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 12:37:39 ID:zBSehMCQ
唯物主義者と縁起主義者のひどく貧相な生命観は、
かれらが生命についてあまり考えていないことを証明する。
 
かれらは表面的であり、死の外見的な状態から死を理解する。
そしてここから、<命が死ぬ>という奇妙な妄想に落ち込んでいく。
肉体には寿命がある・・・これはいいだろう。
しかしだからといって、生命にも寿命がある、ということにはならない。
 
かれらも<肉体イコール生命でない>ことを知っているはずである。
だれも切った爪や抜けた髪の毛などに生命があると思いはしない。
切断された手足に生命があるなどと、だれも思わない。
そしてそんな風に思いながらも、
かれらは肉体イコール生命でないことに気づかない。奇妙なことである。 
死とは切った爪や抜けた髪の毛のようなものである。
978承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/16(火) 12:45:25 ID:cU13KvaY
大概のオカルティストやカルト信者は>973みたいに魂とか霊が、この世の真理であり、
「それが理解出来ない」良識的人々を一段下に見ています。(笑)

(^。^)そして連中は永遠にマトモに世界を見る事は出来ません♪(笑)
979神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 12:56:43 ID:zBSehMCQ
唯物主義者や縁起主義者は、かれらの生命観自体は貧弱なのに、
肉体とは別の生命(アートマン)が存在するという話には、
それを否定しようとやっきになる。
  
知れるものなら知りたいのかもしれないが、
これは知識ではなく、聞いただけで納得できるものではない。
納得するには、自分で体験する以外にない。
980:2009/06/16(火) 13:27:08 ID:D+3H/4CN
>>979
>肉体とは別の生命(アートマン)が存在するという話には、
それを否定しようとやっきになる。

躍起さでいうとあんたの方が相当だよ。
981一在家:2009/06/16(火) 13:58:42 ID:J4AIt5wK
唯物主義者や縁起主義者にも仏性(神性)が宿り、仏にも獣にも
なり得ると私は信じております。

まあ、現代科学では実証できませんので、信仰の上のことです。

信仰の論拠には、原始仏典と法華経と死海文書(最古のユダヤ教聖典)
に記載があります。
982神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 14:19:52 ID:CGMrS7yE
>>981
仏性は、生命に宿る。生命がなくなれば、仏性も消滅するのが当然。

生命の存在は、生命現象のみから判断する。死体にいかなる生命現象が
現われるか、科学者の目で冷静に観察されたし。

釈迦は、煩悩・執着を去ることを説いた。「死後の生命」などに執着する
ことこそ、最大の煩悩であり、醜悪そのものである。

仏典における「死」の定義:
「寿命(ayu)と体温(usma)と意識(vinnana)という三つがこの身体を離
れるとき、この身体は捨てられ、心のない木片のように横たわる。」
(中部第43経)

「死とは、受けたところの身を捨するなり。」(大般涅槃経)

悟りは、「死後の生命」などへの執着を去ることから始まる。
983神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 16:11:36 ID:mFtKzsIv
釈尊が法華経を説いた時期はやはり三障四魔が働いて、
釈尊を【カルト教団】だと民衆をたぶらかした僧侶が居て、
お弟子さん数人が殺害されたのよね
釈尊は「過去世で殺人を犯した人が殺害されたら
罪障消滅になる」と説いたから、逃げても構わないが
完全に成仏するのならと、逃げなかったお弟子さんも居たのよ
984神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 16:13:28 ID:mFtKzsIv
ウソばっかこくなよw
釈尊が法華を説いた史実事実は存在しないw説いたのスッパニパーダだw
法華はナーガの教団のプロパガンダと「創作」
シャクブクじゃなくても
四国じゃ地区長が不倫のはてに殺人したり、藤沢じゃ酒席でシャクブクして逆縁だからと殴ったり
横浜じゃ公道衆人の目前で退転希望者の首絞めて現行犯タイホと犯罪者ばっかだろがw
985神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 17:13:15 ID:tvwa6BKW
日本では聖徳太子の頃から法華経信仰が盛んである。
 
しかし法華経が偽経であり、作者不明の作り話であったことが暴露されている。
 
法華経が見捨てられるのも時間の問題でしょう。
986神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 17:20:30 ID:tvwa6BKW
法華経の気味悪さは、釈尊の臨終の場面からスタートすることにある。
 
これでこの経の匂いが読み取れる。それは死臭である。
 
方便というものがあり、相手次第ではウソをついてもいいのだという姿勢、
 
こんなことを説くようではそれで終わり。釈尊の教えではない。
 
八正道の正反対であり、八正道を頭から否定している。 
987神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 17:30:17 ID:tvwa6BKW
法華経がなぜ平然とウソを認めるかといえば、
 
この経が竜樹の<空>の系統につながる作り話だからだろう。
 
釈迦は待機説法をしていたなどはウソのカムフラージュでしかない。
 
相手がだれであろうが、時に「ある」時に「ない」などと、
 
正反対のウソをついてはいけない。
 
釈迦が真に悟っていたら、そんなことをするはずがないのだ。
988神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 17:36:20 ID:tvwa6BKW
自分の知らないこと、判断がつかないことに<無記>と言う釈尊が、
 
待機説法と称して、どうしてウソをつかなければならないのだ。
 
そんなことをするはずがないだろう。
989旧7:2009/06/16(火) 17:47:00 ID:i24dMNjH
>>988
いやw
その『「無記」としたこと、その行為自体』が、方便だったってことでしょ?w
いきなり真実を告げたらみんなビックリしちゃうから、
最初は、みんなが親しみ易い、理解し易い内容に修飾して話していた、とwww
990神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 17:52:05 ID:tvwa6BKW
法華経の中にある呪いの言葉は、この経がニセモノであることを証明する。
 
聖書の黙示録にも最後のほうに同じような記述がある。
 
そうやって暗示にかけ、脅すような経典はことごとくニセモノである。
 
ニセモノだから安心していい。そんな経典は捨ててしまおう。
991神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 17:54:26 ID:tvwa6BKW
>>989
旧7は素直になれよ。斜に構えるな。
992神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 18:01:41 ID:ZOaOHXwi
だから釈迦が唯物論かそれとも霊や輪廻を認め、永遠の生命を信じるか、
ということであり、大乗運動にしろ、密教にしろ、唯物論の波を押し返すように、
いったりきたりする、振り子のようにゆれているようなものだろう。
唯物論であれば無我からは何もでてこない。ゆえに空という霊的なもの、
目に見えないものを見た人がいて、浄土教や法華経として、小乗仏教に
くっつけることが可能となる。そうしてまた空仏教が唯物論的解釈される
わけであります。
科学的啓蒙は大事であり、もしかしたら宗教を根絶やしにできるかもしれない。
しかしながら宗教のほうが歴史は古いわけであります。
993神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 18:31:14 ID:tvwa6BKW
>>992
釈尊は何を説いたのだろうか? という原点に戻って検証することも必要だろうと思う。
  
苦集滅道あるいは一切皆苦は果たして中道なのだろうか?
こういった考え方は、イエスの<貧しい人々は幸いである>と共通するのではないか?
かりに同じなら、豊かな人々、世を楽しんでいる人々は、
悟れないという論理的結論になるが、果たしてそうなのだろうか?
 
一切皆苦、四諦八正道を認めるなら、釈尊はイエスの説いていることと酷似するのだ。
994神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 18:48:56 ID:tvwa6BKW
承狂氏と暁氏には、あなたがたの生命観を語れ、と言いたい。
文句ばかりでは始まりませんよ。あなたがたの生命観を10行以内で語れ。
 
旧7も語れ。物質から生命が湧いた、ではダメだぞ。
生命について気の利いたことを語れ。
 
ご隠居の「関係の束」などはもう賞味期限が切れてるぞ。
995神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 18:56:47 ID:gYFcE4/i
>>992
物を大切にすれば、心故に、物としての肉体を傷つけることはない。

心は、常に揺らぐ。物は揺らがない。

>>994
生命とは、語るものではない。十全に生きるものである。
996旧7:2009/06/16(火) 19:37:57 ID:i24dMNjH
>>994

私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」と、ついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記はあの日で終わっていた。
「今日はOOの好きな海老を入れた。相変わらず体が思うように動かなくてぐちゃぐちゃになったけど・・・喜んでくれるといいな」
後悔で涙がこぼれた。
997承狂 ◆nR84EH8w52 :2009/06/16(火) 19:43:32 ID:cU13KvaY
>994
10行じゃあ足らんし、面倒臭いから、まぁ省略して書いとくとだな。


自身の制御もロクに出来ない鼻垂れが、生命云々なんぞオコガマシイわ、このボケナスが!
という批判を覚悟して、敢えて生命について論ずるならば、
(この一文の意味すら判らねぇ猿ばかりだから嫌になるな♪)


先ず、機械論的唯物論では、生命は説明不可能である。
然りながら、魂や霊界などは客観的一次資料は皆無である。
従って生命とは、仮に成立している幻影の様なものであり、
霊的事象から、残留思念もまた現実としてある。
無論、文化として言語や非言語で継承される思念とは別にだ。
(中略♪)
従って、個体の維持と繁殖するという生命の指向性に止まらず、物質レベルでもまた、何らかの形で存在するという指向性が有ると推測される。


(^。^)簡単に言うと一切は縁起する仮設であり、無自性であり、大日の説法な訳だな。(笑)
998神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 20:08:02 ID:tvwa6BKW
>>996
旧7よ、作り話じゃないだろうな。この親不孝者があっ、喝!
でもほんとの話なら、みんなこんな思い出を持っているよね。
ごめんねって言いながら一生背負うんだよね。
>>997 
霊 → 肉体 → 外界 という流れがあり、
説明は困難だけど → があるということを言っているのだろうか。
それだったら、おおよそ同意する。
999神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 20:10:42 ID:5eqjSeaL
>>952
ゴータマはある人には輪廻を説き、ある人には否定したというのは間違いな。
正確には、ゴータマは、ある人には輪廻を説き、ある人には無記を通した。だ。
君はここで議論するレベルじゃないね。ちゅうか2Chで長らく主流派
だった断滅仏教徒のレベルはほどがこの程度。
1000神も仏も名無しさん:2009/06/16(火) 20:16:25 ID:tvwa6BKW
みんな、早く悟ろう。
悟りとはアートマンを見ることである。
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