【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】4

このエントリーをはてなブックマークに追加
925宝珠愚者
>>904
疲れるな〜
「ゴータマの説法によれば、もしアートマンが存在するのならば、
それは五蘊ではないことになる」という意味ですよ。>>913の説明には同意します。
私は何も、ゴータマがアートマンが在ると述べた、とは(まだ)いってない。

>>910
私はあなたのことを
“頭がイイ”と褒めていたけれども-取り消すわw

>同時に、我々の日常日本語での「自己」としての語義も含むんだよ。
>君らの引用する数々の用例も、 我々の日常日本語での「自己」に置き換えたとしても、
>
>立派に意味が通じてしまうんだよ。

ふーむ。
日常での普通の自己ね!つまり、唯物論でいう自己だと??

では、スッキリ答えてもらいましょうか?
「五蘊は我ではない。我にあらず、わが本体でもない」というときの、「我」とは何んなのか?
五蘊は“日常の普通の自己”ではない、というこの説法のどこが日常の自己の話なのか?
さ〜解説を願いますか。
926宝珠愚者:2009/06/15(月) 20:50:53 ID:qgflhpBU
皆さん、どうかご静粛に!
これから旧7さんが、五蘊ではない普通の自己とは何か?について説明してくれます。

では、解説を宜しくお願いします。是非、アートマンではなく普通の自己として宜しく。

もし、この訳文が気に入らなければ、旧7さんお得意の原語から解説でも構いません。

あっ、解説は普通の日本語で宜しくw

次のスレでタップリ解説してもらっても構いません。
カウンターばかりでなく、自論の展開のほうも宜しく。

 『比丘たちよ、色(肉体)は無常である。無常であるから苦である。苦であるから無我である。無我
であるから、これはわが所有 (もの)にあらず、我にあらず、また、わが本体でもない。そのように
正し智慧をもって如実に観察するがよいのである。比丘たちよ、受(感覚)は無常である。・・・比丘
たちよ、想(表象)は無常である。・・・比丘たちよ、行(意志)は無常である。・・・比丘たちよ、識(意
識)は無常である。無常であるから苦である。苦であるから無我である。無我であるから、これはわ
が所有にあらず、我にあらず、また、わが本体でもない。そのように、正しき智慧をもって如実に観
察するのがよいのである。』(サンユッタニカーヤ22-46)