Scientology-Freezoneについて 3
自由領域菜園人には芸術家を高く、実業家を低く評価する傾向があるが、俺はそれに異議を唱え続けている。以下は俺の意見を
要約したもの。
実業家として成功するのは1000人に1人ほどで、少なくとも、経済面で不確実性を引き受けることにおいて、実業家は芸術家に
劣らない能力を有している。
菜園人は一般に芸術方面に優れているが、実業家や政治家としてはあまり成功していない。
当然、芸術家的な能力と実業家的な能力の両方を必要とする分野は、OT能力の試金石となりえる。
大きく異なる波長域の複数の波を扱うには、極めて高いケースレベルを必要とする。指揮者や映画監督には、芸術と
実業の両方の波動を扱う能力が必要だ。あるいは、実業の領域にどっぷりつかっているような産物、例えば、WindowsやMacOSの
ようなものにはデザイン面のみならず、プログラミングそのものにも芸術的な才能を要する。ポルシェやBMWのような名車を
作るのにも、芸術性は無視できない。
おそらく、OTとしての能力の大きさは次のようにも定義できる。
OTとしての能力の大きさ = 芸術性の高さ * 動かしている人の数
この生涯で作曲の勉強をしたことがなく、前世の記憶から和声学や対位法の知識と経験を引っ張り出し、作品を世に出している
菜園人は特に自由領域でそう珍しくない。彼らは菜園で分類されるところのいわゆる「ピアノラケース」で、前世の記憶を鮮明に再生し、
技能を再現する能力には恵まれているが、未知の何かに果敢に挑み、多くの人に参加機会を提供するゲームを創造する能力は
著しく低い。
自由領域菜園人にとって、芸術は比較的簡単なことで、経営は比較的難しい。
教会と比べて、自由領域にはピアノラケースが多い。過去のいくつもの宇宙の記憶を再生できて、絵画や音楽で才能を発揮する人も
少なくないが、大きな事業を成功に導いたり、選挙を戦って政治家になる人はいない。
自由領域菜園人の多くにとって、OTとしての気負いを確信に変える道は、芸術よりむしろ経営や政治のような粗野な波動が目立つ
領域にある、と俺は思う。
菜園理論的に考察してみると、魂としては、一般に、実業家よりも芸術家のほうが老いている、と思う。理屈はそのうち投稿する。
再確認だが、魂は非物質的な存在なので、それそのものに波動はない。
魂は人生というゲームに参加するときに、さまざまな波動を扱う。そして、ゲームの進行を記録する心には、ゲームの中の活動の
特質を表わす波動が並行して記録される。
粗野な活動の記録には長い波長の波動が、繊細な活動の記録には短い波長の波動が伴い、前者のほうが大きなエネルギーを
もつため、ゲームの中での失敗の影響として心の中にたまる有害なチャージのエネルギーも大きくなる。
粗野な波動の扱いにおいて、間違いがあればそれは時に犠牲を強います。政治家が大きく間違えば、貧困や戦争で人が死ぬ。
粗野な波動には大きなエネルギーがあるので、そこでの間違いは罪に直結する。
一方、オルガンやピアノの演奏でのミスタッチは人を殺さない。
人生というゲームで様々な役割を演じているうちに、魂は粗野な波動の扱いでの失敗を重ね、徐々に繊細な波動の扱いに傾倒しく。
そして、粗野な波動の扱いを苦手とするようになる。
ケースが重くなるにつれて、人は粗野な波動の領域から追い出され、繊細な波動の領域に追い込まれる。
自己クリアリングを行う人々が、社会的に高い地位を得ることに対して時に懐疑的であるのは、自分たちが魂として若かったころに、
粗野な波動の領域で失敗を重ねたからだ。
しかし、繊細な波動の領域でしばらくの間活動した魂は、再び、粗野な波動の領域へ再進出する。これは宇宙史の必然だ。
我々が住んでいる物質宇宙は繊細かつ粗野である。これは、我々よりもさらに老いた魂が、芸術性と大量のエネルギーを軽々と操る
能力の両方を獲得し、我々の宇宙の大本の設計を担ったことを意味する。その設計を操縦士は『Super Scio』の中で
「知識の宝石」と呼んでいる。
6 :
神も仏も名無しさん:2009/06/10(水) 20:08:32 ID:39VkaXsY
上げないと消えちゃうので、くだらない感想でも書きます。
知らない人が知らない国で何万人も死んでも涙は流れないのに、音楽聴いたり
絵を見て泣いちゃう時があるじゃないですか。
前者の方がエネルギーの総量が大きくても伝わりにくくて、短い波長の波動の
方がエネルギーが心に伝わる効率が高いんだと思いますよ。
でもまあ、リアルなものからの逃避ってのはあるよなぁ。
7 :
1991:2009/06/11(木) 14:40:44 ID:/RNiC8gI
はじめまして、old timerさんのお話には、とても共感します。
「Scientology-Freezoneについて」は、昨日、見つけました。
自由領域、驢馬船長、・・・。自分が、1994にLevel'sを修了して
東京組織と絶縁した際の推理は、正しかったと確信しました。
8 :
1991:2009/06/12(金) 01:44:10 ID:LyUST/ND
ブラックパンサーメカニズムについてですが、シンプルに
問題には、コンフロントする。という対処法で理解してい
ますが、正確には、4or5パターンの対処法があったかと思
います。正しくは、どういうパターンでしたでしょうか。
9 :
1991:2009/06/12(金) 02:02:18 ID:LyUST/ND
自分の身に降りかかる様々な出来事は、
逃げ出すことなく常にコンフロントし
解決し続ければ、いつかは、全てのチャージ
は、ブローし結果的に自分のケースを
克服することになるという理解で、合って
いますか?
10 :
1991:2009/06/12(金) 18:56:51 ID:Iob6WQgB
>9
697で、既にold timerさん、回答されてましたね。
なるほど理解しました。ありがとうございます。
11 :
1991 ◆ccqXAQxUxI :2009/06/12(金) 18:59:09 ID:Iob6WQgB
sage
12 :
1991:2009/06/12(金) 19:03:00 ID:Iob6WQgB
sage
14 :
1991:2009/06/13(土) 08:04:41 ID:lJEeYxDI
>13
前スレ、過去ログ全て、拝見しました。
技術の確かさを理解しながら、教会を去った人たちに
ここを見つけて欲しいと思います。
一緒にLevel'sを学んでいた沢山の人達が、目に浮かび
ます。
>>8 劣化活動中の魂は、脅威に対して、
1) 闘争
2) 出し抜き
3) 逃亡
4) 懐柔
5) 屈服
のいずれかを選択することが多い。これが黒豹メカニズムと呼ばれるもので、出来事の分析などに用いられていたことがある。
もちろん、状態のよい魂は、脅威に大して単にコンフロントするだけで済むので、黒豹メカニズムによる有害チャージを
ため込んだりしない。
>>9 菜園での問題についての考え方は、ある問題のための解決策が次の問題を生むということ。例えば、職場の人間関係で悩んだ
労働者が「もう出勤などしない」という解決策を取った場合、人間関係での悩みは解決されるが、当然、その解決策は別の問題を
生んでしまう。
問題→解決策→問題→ …
問題を解決するのではなく、まずは問題にコンフロントする ― いいかえれば、問題を冷静に観察する ― のが菜園的に正しい
やり方ということになる。
ちなみに、問題とは次のいずれかの状況のことだ:
1) 意図vs意図
2) 決断vs決断
3) 力vs力
4) 問題vs問題
5) 解決策を必要としている状況
6) 解決策が見つからない状況
もちろん、劣化活動中の魂である俺たちは、往々にして、単にコンフロントするだけで済ますことはできない。実際には、問題を
解決する必要がある。
過去に解決した問題を時には振り返り、その時に採用した解決策を再検討することで、現在において抱え込んでいる問題を理解し、
軽減または消去できる。プロセスとしては、
1) 過去にどのような問題を抱えたことがあるか?
2) 問題に対してどのような解決策を取ったことがあるか?
となる。
18 :
1991:2009/06/14(日) 19:58:30 ID:BpsXxwLV
>>16 なるほど、ありがとうございます。
黒豹を持ち出したのは、自由領域日本(仮称)は、
今後、どのスタンスで、東京組織や菜園に対して
行くべきかという点で、良い指針とならないかなと
考えたからです。どう応用できるでしょうか。
>>18 黒豹メカニズムそのものは逸脱なので、処世術的な使い方はできない。
黒豹メカニズムで有害チャージができるたびに、オーディティングで取り除くしかない。
20 :
1991:2009/06/16(火) 10:53:57 ID:vunjjRLZ
>>19 なるほど、問題のない状態が本来あるべき姿だから、ということに
なりますか?
ところで、今更聞くのもなんですが、睡眠不足や肉体的に疲れている
状況でのオーディティングは、どのような危険性がありますか?
普通に考えるとケースを見ているうちにコンフロントできずに
眠くなって寝てしまうくらいかなと思うのですが、もっと深刻な
ことが、ありますか?
PTPやARCXは、注意がそちらに固着するからダメというのは、解るの
ですが・・・。
これから、自由領域のプロセスを実践していきたいのですが、
一日の平均睡眠時間が3〜4時間なのです。眠くならない自信は、ある
のですが、それ以外に問題があれば、生活改善から、始めないとなり
ません。ちなみにケースレベルは、NEDの手前で、パーストライフ
レメディーを完了し、L'sを受けるためのセットアップ(確かグレードの
リハブだったと思います。)を終えたところで、10年近くオーディティ
ングからは、遠ざかっています。
>>20 オーディティングでは、ケースの中の何かをまずは再刺激し、それから有害チャージを軽減したり、消去したりする。
オーディティングの途中で眠り込んでしまい、そのままプロセスをFPにもEPにももっていかなかったら、有害チャージが再刺激された
ままになる。
オーディティングの種類によっては、有害チャージが再刺激されたままになることは危険なこともある。内在化、リスト、ゴールと
ターミナルがからんでくるオーディティングは特に慎重に行う必要がある。
有害チャージの扱いは肉体にも影響を与えるので、肉体の状態はできるだけ良好に保っておいたほうがいい。常時外在化を達成して
いないのならば、睡眠はかなり重要になると思う。
教会と違って、自由領域の橋は1本だけではない。
全部ソロでゆっくりやるもよし、熟練オーディターから有料でオーディティングを受けるのもよし、誰かと組んで互いを
オーディティングするのもよし。
22 :
1991:2009/06/16(火) 16:55:52 ID:vunjjRLZ
ありがとうございます。
よく解りました。
生活パターンを改善して、常時外在化の目標に
もう一度チャレンジします。
念のため、EP(end phenomena)、FP(flat point)の正確な定義を
いただけませんでしょうか。
>>22 EP ― メーターを使っていれば、FNが見られる。PCの表情は明るい。ほとんどのプロセスではコグニションがあり、有害チャージが
低減されるかまたは消去される。
FP ― 同じ指示を3回繰り返して変化が見られなかった。プロセスはまだEPに達していないが、その時点まででプロセスによって
再刺激され、表面に出てきた有害チャージは不活性化している。複数のセッションにまたがって行われるプロセスは、FPにて
中断される。メーター上ではFNが見られることもあるが、これは必須ではない。
FPは現在の教会のエグザミナーシステムとは実は相性が悪い。エグザミナーのところでPCがFNしていなければ、赤札処理が
始まるが、 FPでセッションを中断した場合、エグザミナーのところでFNしなくても本来は何の問題もないのだ。
24 :
1991:2009/06/17(水) 11:14:45 ID:4rAoOGOQ
>>23 ありがとうございます。
FPでFNが必須でないとすれば、エグザミナーのところで、FN
していなくても良いということで、理解しました。
ちなみにFNは、有害チャージが刺激されブローしている状態を
一定間隔で繰り返していることを表しているという理解で、
合っていましたでしょうか。また、その振れ幅が、取り除かれる
チャージの物理量と考えて、問題ないでしょうか。
>>24 菜園プロセスでは、基本的に、FNは有害チャージが低減された直後に発生する。ゆえに、FNにコグニションが伴えば、
菜園プロセスはEPに達していると考えられる。FNの振れ幅と、既に低減されているチャージの量はある程度比例的な関係がある。
大姉プロセスのEPでももちろんFNが現われる。が、大姉プロセスのEPは過去のポスチュレートの吐露が含まれなければならない。
26 :
1991:2009/06/17(水) 23:29:54 ID:8t9GBVZA
>>25 ありがとうございます。
FNは、有害チャージが低減された直後に発生するわけですね。
まったく、別の話になりますが、ロックスラムのニードルの
動きとチャージの関係は、どう理解すればいいですか?
>>26 ロックスラムは本質的に邪悪な意図の存在を示している。
28 :
1991:2009/06/18(木) 10:04:18 ID:smpDWb0+
>>27 それは、理解しているのですが、あの複雑なニードルの動きと
チャージ、邪悪な意図の間にどのような関係があるのか、つまり、
なんで、邪悪な意図があるとあのようなニードルの動きになるのか
というデータを知りたいのです。そもそも、邪悪な意図の具体例は、
どんなケースとしてあるのでしょうか。どのような出来事に関わった
可能性があるかなど興味があります。
>>28 邪悪な意図の例としては、「美少女をレイプする」やら「人類を滅亡させる」やら、規模も内容も実に様々なものがある。
邪悪な意図の根っこにあるのはゴール、ターミナル、オプタームに関する有害チャージが大量に集まった塊だ。菜園ではこれを
GPMと呼ぶ。
RSの発生原理については、物理学的な理解は確立していない。
俺が個人的に思うに、魂がGPMの表面で跳ねまわり、再刺激されたチャージがメーター本体の回路に直接干渉すると、RSが
観察されるのだろう。
30 :
1991:2009/06/19(金) 01:36:33 ID:AL2+lXj3
>>29 ありがとうございます。
>俺が個人的に思うに、魂がGPMの表面で跳ねまわり、再刺激されたチャージがメーター本体の回路に直接干渉すると、RSが
観察されるのだろう。
なるほど、赤ブルテンなどには明確な記載がなかったのですが、自分の見解も同様です。
ちなみにold timerさんは、スレ1〜3を拝見する限り、1989〜1994まで、
東京組織の中心的なオーディターをされていたということですか?
31 :
1991:2009/06/19(金) 01:48:06 ID:AL2+lXj3
>>29続き
GPM、Goals Problem massですね。
old timerさんは、実際にRSに出会ったことは、ありますか?
ゴール、ターミナル、オプタームに関する有害チャージが大量に
集まることになる出来事としては、どういう状況が、考えられ
ますか?
>>30 オーディターに対する技術指導のほうに回ったので、この生涯でのオーディター現役期間は長くない。
それでも、RSを3回見たことがある。
GPMは極めて長い期間に渡って夥しい数の出来事が集まってできるもの。あまりに出来事の数が多いので、出来事として個別に
扱うのが難しく、ゴール → Loop{ターミナル → オプターム} →ゴール … という手順で処理する。
34 :
1991:2009/06/20(土) 06:54:25 ID:DpQALSXw
>>32 ありがとうございます。
RSが、現れた際のPCの様子は、どのような感じ
でしょうか。表情、態度など。
GPM処理の具体例は、どんな感じになりますか?
特にLoop{ターミナル → オプターム} の部分と
ゴール→・・・ゴール→・・・ゴール
をどの時点で、EPとするかが知りたいです。
人に施す場合とソロの場合、それぞれで、
RSに出会ったときの対処の仕方についてもご教授ください。
>>34 ほとんどのPCにとって、RSは自覚できるものではないので、特に決まった表情や態度を伴うことはない。
GPM処理の手順については極めて膨大なデータがあるが、基本的には、
1) L&Nでゴールを見つける
2) ゴールからL&Nでターミナルを見つける
3) ターミナルからチャージを取り除く
4) ゴールまたはターミナルからL&Nでオプタームを見つける
5) オプタームからチャージを取り除く
6) (2)〜(5)を繰り返す。一般的に、この最中にPCはGPMを時間軸上で遡っていく。ターミナルは徐々に強大なものに、オプタームは
徐々に脆弱なものになっていく。しばしば、最初に見つかったターミナルと最後に見つかったオプターム、最初に見つかった
オプタームと最後に見つかったターミナルは良く似ている。
ゴール = 金儲けする
ターミナル = 乞食 vs オプターム = 大資本家
|
中略
↓
ターミナル = 大富豪 vs オプターム = 浮浪者
7) ゴールからL&Nで反対のゴールを見つける
反対のゴールに対して、(1)〜(6)を行う。
L&Nは高度な技能を要する。成功すれば、同じ時間で、通常のオーディティングの数十倍から数百倍の効果をもたらしえる。が、
失敗すると非常に厄介な事態を生じさせる。L&Nで見つかったものをもとにL&Nを続けていくのは実に至難の業だ。
それゆえ、1960年代後期ごろには、多くの人に共通するゴールをあらかじめ用意されたリストにまとめておくというやり方が模索され、
一定の成果を上げている。
RSはほとんどのオーディターにとって手に余るものなので、セッション中はメーターの故障がないかどうかを確認した後に、
ワークシートに発生状況を記すだけだ。
37 :
1991:2009/06/22(月) 11:40:17 ID:lHYpsbSL
>>35 >>36 ありがとうございます。
36につきましては、そう習ったことを思い出しました。
35の「しばしば、最初に見つかったターミナルと最後に見つかった
オプターム、最初に見つかったオプタームと最後に見つかったター
ミナルは良く似ている。 」というのは、例えば、「戦争に勝つ」と
いうゴールを設定して、「侵略軍人」というターミナルになった場合、
オプタームである「侵略される国、軍人、国民」というターミナルに
なっていくというのが、GPM理論ということになりますか?
>>37 ゴール設定直後には、そのゴールの実現を阻むチャージがないため、魂はたやすくゴールを実現する。
数多くの生涯で徐々に有害チャージを抱え込むことで、ゴールの実現はどんどん難しくなり、やがて魂はゴールの実現に向かって
活動する側から、それを阻む側に鞍替えする。ゴール実現に失敗することは、逆のゴールの発生につながる。
「戦争に勝つ」はかなり微妙なゴールで、おそらくは自分自身で設定したゴールではなく、インプラントされたゴールだろう。
39 :
1991:2009/06/22(月) 17:03:21 ID:lHYpsbSL
>>38 ありがとうございます。
>ゴール設定直後には、そのゴールの実現を阻むチャージがないため、魂はたやすくゴールを実現する。
これは、「ゴールの実現を阻むチャージ」に起因する状況というのは、自分自身が、不快に感じて、物事の状況に影響するだけでないという理解で、よろしいですか。
自分が意識するに関わらず、関係者の反応や引き起こされる出来事などにまで、「ゴールの実現を阻むチャージ」は、影響をおよぼしていると思うのです。
なので、チャージのないゴール設定については、周囲の協力や発生してくる出来事なども含め魂は、ゴールをたやすく実現すると理解しているのですが。
>数多くの生涯で徐々に有害チャージを抱え込むことで、ゴールの実現はどんどん難しくなり、やがて魂はゴールの実現に向かって活動する側から、それを阻む側に鞍替えする。ゴール実現に失敗することは、逆のゴールの発生につながる。
この点ですが、有害チャージが、引き起こす諸事情に対して、より強烈な意図をもって、事に臨み最終的にもともとのゴールを達成した場合についてです。
この場合、それまで、なんども失敗してきたことで、蓄積されたチャージが、まとめて、ブローするといことは、ありませんか。
とても困難な目標を諦めることなく達成したときの達成感というのは、もの凄く爽快ですが、それは、GPMのチャージが吹き飛ぶということとは、また別のことでしょうか。
>「戦争に勝つ」はかなり微妙なゴールで、おそらくは自分自身で設定したゴールではなく、インプラントされたゴールだろう。
なるほど、そういうことですと、とても腑に落ちるところが、あります。
本来、人々が、楽しく生存していくに当たり、他者を侵すという行為は、矛盾しています。そもそも、なんで、そのようなゴールを楽しく生存して行こうという意図をもった魂が、設定したのかが、謎でした。
>>39 魂は阻むチャージのないゴールを全く時間をかけずに達成する。達成に時間がかかる場合には、それを阻むチャージが
存在している。
努力の末にゴールを達成すると、ゴールの達成に失敗したいくつかの出来事に起因するチャージを解決するだろうが、ゴールの
達成を阻むすべてのチャージを解決するには至らない。
--
「戦争に勝つ」がインプラントされたゴールのように思えるのは、それよりもさらに根源的なゴールを容易の想像できるからだ。例えば、
「人々を支配する」は明らかに「戦争に勝つ」より根源的だ。
「人々を支配する」を達成できれば、「戦争に勝つ」を達成する必要はなくなるが、逆は真にならない。
また、あまり根源的でないゴールにおいては、ターミナルとオプタームが似たものになることも多くなる。「戦争に勝つ」ことを
ゴールとする軍人は、同じゴールを持つ敵国の軍人と争う。このようなターミナルを複合ターミナルと呼ぶ。
--
極めて根源的なゴールはほぼ万人に共通している。「食べる」「性交する」などは懲罰宇宙のゴールであり、あまりに根源的で
あるため、菜園でもまだうまく解決できていない。
懲罰宇宙のこれら2つのゴールは、魂を閉じ込める牢獄としての肉体の保持と生産を継続させている。
基本的に宗教は懲罰宇宙のゴールを超越しようとする行為であるため、多くの宗教に断食と禁欲の慣習がある。
懲罰宇宙のゴールが設定されてから長い時間がたっているので、それらのゴールと我々の道徳律の関係はいささか複雑だ。
懲罰宇宙のゴールの実現を過剰に希求する「美少女をレイプする」も、懲罰宇宙のゴールを強制終了させようとする「人類を
滅亡させる」も、我々の道徳律を基準にすれば罪深いゴールとみなされる。
41 :
1991:2009/06/23(火) 10:23:04 ID:CJASCyPd
>>40 ありがとうございます。
>魂は阻むチャージのないゴールを全く時間をかけずに達成する。
そうすると魂の状態が、良ければ、資本主義社会では、単純労働者→スペシャリスト→管理職→経営者→投資家→資本家、と分けてみた場合、前記、左側より右側の方が、有利と考えられますがいかがでしょうか。
>努力の末にゴールを達成すると、・・・
日々の生活環境に当てはめるととても納得できました。
>「食べる」「性交する」などは懲罰宇宙のゴール
そうするとゴールというのは、達成すれば、達成したで、満足してなくなるものではなく、より良いゴールを希求し続けるということになりますか?
懲罰宇宙について、もっと詳しいことを教えてください。ちなみに万人に共通という意味で、「睡眠を採る」というのも、その手のものですか。
>懲罰宇宙のこれら2つのゴールは、・・・肉体の保持と生産を継続させている。
そうするとゴールとは、それを達成させる、あるいは、達成しようとさせることによって、得られる結果を欲する存在が仕掛けた一種の罠ということになりませんか?
そして、そのゴールを超越するというのは、その仕掛けられた罠を乗り越えて自由になるということでは、ないでしょうか?
基本的に宗教は懲罰宇宙のゴールを超越しようとする行為であるため、多くの宗教に断食と禁欲の慣習がある。
>・・・我々の道徳律を基準にすれば罪深いゴールとみなされる。
同種のゴールをより高いレベルで希求する結果は、ゴールを仕掛けた存在を利することになり、その設定環境から抜け出せずのめり込むことになると考えて良いですか?
つまり、複合ターミナルとは、そういう状態に陥った一つの結果と思われるのですが。
>>41 「お金を稼ぐ」というゴールがあったとする。
プロセスで最初に見つかるターミナルは、通常、GPMの中では最も新しく、最も劣化したターミナルだ。仮に、「単純労働者→
スペシャリスト→管理職→経営者→投資家→資本家」という順序でターミナルが発見された場合、PCは遠い昔に資本家だったことに
なる。
--
基本的に、ゴールの達成はゲームの終了を意味する。ところが、大抵の魂は劣化しているので、過去にゴールを達成したことを
覚えていない。それゆえ、既に達成されたゴールを再び達成しようとする。しかし、ゴールの達成は過程において生じたチャージの
全面的解決を伴わないので、ゴールの達成は徐々に難しくなる。
菜園の世界観では、魂は成長しない。劣化して、徐々に力を弱めていく。アダムの材料はちりだけだったが、キリストの創造には
マリアの肉体が使われたことを語る聖書にも、あるいは、大自然の力そのものであった神々がやがて人間のように傷ついていく
日本神話にも共通している。長期のトレンドはダウントレンドだ。物質宇宙の肉体はある時期には成長するので、我々はしばしば
魂も自然に成長するものだと錯覚してしまうが、現実は違う。
--
「睡眠を採る」は懲罰宇宙のゴールであると確認されてはいないようだ。
--
自家宇宙時代には、競技宇宙でのゲームの勝者に対し、共有空間に塑像を配置する権利が与えられた。競技宇宙でのゲームの
ルールを破ったり、共有空間に配置されている塑像を盗んだ者には、懲罰宇宙で罰ゲームとして塑像の製造を課せられた。
いくつかの基本的な設計通りに作ってもよかったし、塑像同士を組み合わせて新しい種類の塑像を作ってもよかった。
「食べる」「性交する」がこの罰ゲームに密接に関係していることはいうまでもないだろう。
しかし、全てのゴールが罰ゲームのゴールということはない。
43 :
1991:2009/06/23(火) 20:13:11 ID:CJASCyPd
>42
いつも、ありがとうございます。
塑像というのは、具体的には、どういうものでしたでしょうか。
「食べる」「性交する」と密接な関係とすると物質宇宙の肉体に
相当するのでしょうか。
old timerさんのことを考えるといつも一人のオーディターが、
思い浮かびます。
>>43 自家宇宙時代の共有空間の中の塑像こそが、その後の宇宙におけるさまざまな種類の肉体の原型だ。
しかし、塑像はもともとはゲームでの勝利を記念するものであって、ゲームに参加するための装置ではなかった。自家宇宙時代の
魂は塑像には宿っていなかった。
45 :
1991:2009/06/24(水) 14:03:53 ID:YMVvvdTR
>>44 なるほど、そして塑像は、様々なバージョンに分かれて、ゲームに参加するための装置となったわけですね。
そうなるとこの惑星の人種というのも塑像として考えるともともとの出身母星があると思いますが、その辺りは、自由領域で解明されていますか?
ちょうどUSAが出身地域の異なる地域から、それぞれ異なる理由で、異なる時代にやって来た人たちで構成されているため人種の坩堝となっているのと同じで、この惑星の人種も異なる時代(有史前)に異なる理由で他の惑星からやって来たと考えると自然かなと思うのです。
>>45 自由領域の操縦士の著書で、宇宙史は次のようになっている。
・虚無: 無限の可能性を秘めた虚無から全てが始まった。
・合意戦争: 次元数についての合意、資本主義。
・合意宇宙: 概念についてのさまざまな合意。
・自家宇宙, 競技宇宙, 懲罰宇宙: 心の原型、公私の区別、職業、罰ゲームとしての
食事と性行為、宗教。
・拡張された競技宇宙: 感情的な苦痛の始まり。
・情動宇宙: 自己矛盾、快感、不快感。
・記号宇宙: 言語、政府。
・思考宇宙: 霊体とか幽体とか。
・対立宇宙: 肉体、転生。
・魔法宇宙: おとぎ話の世界、「楽しむべし」という共通目的。
・物質宇宙: この宇宙、「生存すべし」という共通目的。
・泥宇宙: さらに下の宇宙、「存続すべし」という共通目的。
例えば、記号宇宙すら、60,000,000,000,000,000年(6京年)ほど前に作られた。
教会で語られている、75,000,000年(7500万年)前の「火の壁」や86,000,000,000,000年(86兆年)前のヘラトロバス連邦創立の話と
比べても、記号宇宙は桁違いに古い。
懲罰宇宙時代となると、宇宙の仕組みそのものが大きく異なる。懲罰宇宙に物質宇宙内の惑星に相当するものはなかった。
47 :
1991:2009/06/25(木) 01:00:18 ID:6CVloaif
>>46 こうして見ると人類の起源はたかだか2つ前の宇宙ということですね。
スターウォーズの冒頭で、「はるか昔、銀河のかなたで」という響きが、
とてもリアルに感じられます。あれだけ多くの人に受け入れられるストー
リーなわけですから、あのような時代も確かにあったのでしょう。
ちなみに幅度は、この銀河のセントラルからやってきたのでしょうか。
現在、この銀河のセントラルには、どのような文明が栄えているのでしょう。
セクター9の辺境にあるこの惑星からは、想像できないほどの文明なので
しょうか。Ron's Orgのサイトには、それらしい記述が散見されていたと
思うのですが。
old timerさんは、トレーニングをスタートして約1年でグラッドXを修了
されたんですよね。どういうインテンションが、そこにあったのですか?
使命感ですか?木星を傾けるだけの目的で、そこまでできないと思うの
です。それに膨大な量のオーディティングをこなしていたのも利己的な
理由からとは、思えません。自分は、短い期間でしたが、ClassWのイン
ターンまでにPCをオーディティングしてみて目の前で素晴らしいゲインを
得るPCがいることが、当時、頑張れた理由でした。頑張れなくなった理由
は、このスレにあると通り、教会が、乗っ取られたと推測したことと、
実は、OT\以降のデータは、教会には、ないと思ったからです。(当時は、
幅度が、どこかに隠したと思っていましたが・・・。)
>>47 対立宇宙にはジレッド魔法王国があって、そこでは光り輝く武器を手にしたジレッドの騎士たちが法と秩序の番人として活躍した。
物質宇宙にはヘラトロバス文明があり、その文明の系譜に銀河連邦が連なる。ジレッドの騎士たちの記憶と銀河連邦の記憶が
混ざって、『スターウォーズ』のような映画ができたのだと思う。
この銀河の中心、セクター0には、おそらく、魔法宇宙由来の技術に支えられた政体があると思われる。どの宇宙でも、真の支配者は
それ以前の宇宙の技術を駆使していた。
--
ところで、東京組織での具体的な話はここでは控えたい。
49 :
1991:2009/06/25(木) 10:03:35 ID:IE3kkQzW
>>48 >対立宇宙、ジレッド魔法王国、ジレッドの騎士、法と秩序の番人、銀河の中心、セクター0、魔法宇宙由来の技術に支えられた政体
ありがとうございます。
自分の中で、いろいろなことが、整理できました。
ちなみにジレッドの騎士は、勝者だったのでしょうか、あるいは、敗者で、物質宇宙に閉じ込められたとかあったのでしょうか。
あるいは、何からの理由で、物質宇宙に自らやってきたとか・・・ジレッドの騎士について、他にデータは、ありませんか?
東京組織の件、了解しました。
今後は、一切、触れません。
50 :
1991:2009/06/25(木) 17:51:13 ID:IE3kkQzW
Old timerさん
FreeZoneに関することなので、スレ違いには、ならないと思います。
教えてください。
Sector0とFreeZoneの前身?にあたるRon's Orgについて調べていましたら、
http://freezone.najbjerg.info/documents/cbr_lectures_uk.html を見つけました。
ここに書かれていることは、真実ですか?
・Galactic Patrol
・telepathic people by the Marcabians themselves
・Elron Elray is now the president or the chairman of the Grand Council of this Galaxy, in Sector 0.
上記のキーワードから
・世界統一政府を画策しているのは、Marcabians
・菜園教会もMarcabiansに乗っ取られた
・Galactic Patrolなる組織が存在する。
・幅度は死後、Elron ElrayとしてSector0の政治的な責任者となっている。
と読み取れます。
上記のURLに書かれていることは、驢馬船長の創作ですか?
>>49 ジレッド魔法王国は特に強大な敵に滅ぼされたのではなく、じわじわと衰退した。ジレッドの騎士たちは騎士として敗北したとは
いえないと思う。
対立宇宙の住人たちのほとんどは、その後、魔法宇宙に移住した。
>>50 マーキャブはもはや大した存在ではない。いや、最初から大したことがなかったというべきかもしれない。
1992年に地球人類の歴史はそう変わらなかった ― インターネットとWWWの普及を除けば。
極めて強大な魂の存在を想定しているという点で、操縦士や俺は例外的なんだが、この宇宙の時間はしばしば巻き戻されている。
神々といっていい強大な彼らに比べれば、マーキャブも我々も取るに足らない。仮に俺が木星を傾けられるようになっても、なお、
時間を自在に巻き戻す彼らの掌の上で踊らされているにすぎないだろう。
52 :
1991:2009/06/26(金) 01:57:53 ID:mai1d9X2
>>51 ありがとうございます。
ところで、プロセスの話ですが、インターンのころPCにもの凄い効果があって、
驚いたことがあったのですが、「誰にだったら、なんでも話せますか。」
という内容の一連のプロセスは、なんというプロセスだったのでしょう。
もし、正確なコマンド群が、解りましたらご教授ください。
54 :
1991:2009/06/26(金) 13:15:55 ID:sNh9JvHK
>>53 ありがとうございます。
ソロで、メーターなしで、セッション開始直後にARCX,PTP,missed withholdを
ハンドルする場合の判断としては、セッションに集中できる感じがすれば、
OKとして良いですか。
>>54 それでいいと思われる。ただし、Pre-OTともなれば、まず、それが自分自身のアウトルードなのか、それとも、BTのアウトルードなのか
判断する必要がある。
デュアル用のコマンドをソロで実行する場合には、「you」を「I」と入れ替えなければならないことが多い。
例えば、
「What have you done to another?」「What have you withheld from another?」
→「What have I done to another?」「What have I withheld from another?」
ついでにいうと、コマンドをなるべく言語を意識せずに実行することが、ソロの効率を上げる秘訣だ。
56 :
1991:2009/06/27(土) 15:07:35 ID:z6CUsmk+
>>55 ありがとうございます。
BTのアウトルードもハンドルするというのは、とても新鮮なお話ですが、なるほどという感じがします。
ちなみにBTと自分自身についてですが、自分自身は、とても冷静に状況を認識しているときに慌ててバタバタしている別の自分がいる感覚などは、BTに起因していると考えるといった感じでしょうか。
BTに起因するアウトルードの代表的な例をいくつかご教示いただけませんでしょうか。もしかすると普段、自分自身の考えや衝動と思っていることが、BTに起因しているのでは、という気もします。
それというのも、自分自身は、いかなる状況でも冷静なのですが、それとは、別に勝手に心を乱している自分がいることが、あるからです。
BTに起因するものと単なる自分自身のケースに起因するものの違いとは、どう理解すれば、良いのでしょうか。
>>56 個人のある時点の感覚とケース要因の間の関係を、別の個人が推定するのは必ずしも容易ではないことだ。
アウトルードが自分のものかBTのものか判らなければ、BTに質問し、回答を得るとよい。
PCがBTと意思疎通できるレベルに到達していなければ、BTのアウトルードはアウトルードとしてはPCに伝播しない。
58 :
1991:2009/06/29(月) 13:07:14 ID:C3iiktIl
>>57 ありがとうございます。
自分とBTの関係は、そのように考えます。
59 :
1991:2009/06/30(火) 18:22:05 ID:lbs2fGGo
old timerさん
ご存知でしたら、教えてください。確かHCOBだったと思うのですが、「偉大さとは」という題名のものに書かれている内容、ご存知ありませんか?
>>59 人に裏切られ続けてなお、人を信じつづけることができること、だったと思われる。
61 :
1991:2009/07/01(水) 01:07:20 ID:gJ41Uc8M
>>60 ありがとうございます。
なるほど、自分の理解と同じようでしたので、安心しました。
自分は、その対象を憎めというどのような仕打ちに遭っても、その対象を心から愛し続けられることが、真の偉大さと受け取っていました。
お聞きしたのは、正確な文章が、何だったか知りたかったのですが、そもそも、ここにその文章を掲載するのは、問題でしたね。
「偉大さとは」と「名誉の規律」それにold timerさんが、紹介されている「慈悲の瞑想」は、どれも和睦を促す重要な要素と思います。
他に何か、日常の心がけの基準のようなものは、ないですか。
>>61 心がけとしては、他の人が容易かつ気楽に経験できることを引き起こすことです。
63 :
1991:2009/07/01(水) 14:55:11 ID:gJ41Uc8M
>>62 ありがとうございます。
「幸福への方法論」ですね。
(1)何でも進んで経験しようとすること
(2)他の人々が気楽に経験できることのみを引き起こすこと
※(1)と(2)を同時に守らなければならない。
これも、とても大切なことですね。
了解しました。
>>63 (1)の原語版は「Be able to experience anything」だったと思う。これは、「Experience anything ably」でもなければ、「Try
to experience anything ably」でもない。
これで誤解の可能性は低くなったが、さらに、俺は処世術の基本から(1)を削除することにした。というのも、(1)は必ずしも賢い
選択肢や幸福につながる選択肢を優先させる助けにならないからだ。
(2)の原語版は「Cause only those things which others are able to experience easily」だが、菜園には、「An absolute is
unattainable」という教えもあるので、「only」は無視されるべきだろう。
すると、「Cause those things which others are able to experience easily」だけになる。
海組織に勧誘される菜園人を想定してみよう。
菜園の海組織はほとんどすべての人にとって、「those things which others are able to experience easily」の1つにはなりえない。
(1)を削除してあることで、幸福ルール改良版は人が無理な背伸びすることにつながりにくくなる。
コミュニケーションの失敗が問題を生み、問題への対処の失敗がオバートにつながり、オバートがARCブレークにつながり、
ARCブレークがサービスファクシミリにつながる。いいかえれば、out-Grade 0 → out-Grade I → out-Grade II → out-Grade III →
out-Grade IV。
幸福ルールの限界は、それが主にGrade Iの領域での改善にとどまっていることだ。
名誉の規律は主にGrade IIを重視しているが、幸福ルールと相容れない部分がある。
菜園の緑巻などからも方法論を拾いつつ、いろいろと試行錯誤した結果、Grade Iで扱うコミュニケーション、Grade IIで扱うOW、
Grade IIIで扱う変化とARCブレークをまとめたものを作ってみた。
1) Decide quickly if urgent.
2) Do not decide if not yet necessary.
3) Do not decidde, unless urgent, while talking with others.
4) Do not decide before obtaining all the information available.
5) Remember that members of an organization are not always honest about the organization.
日本語版だと、
1) 緊急の場合には素早く決断すること。
2) まだ必要のない決断はしないこと。
3) 緊急の場合を除いて、人と会話中に決断をしないこと。
4) 入手可能なあらゆる情報を入手する前には決断をしないこと。
5) 組織の構成員は組織について必ずしも正直ではないことを覚えておくこと。
これは幸福ルールと併用できるし、名誉の規律とも併用できる。そして、特に教会の菜園人に不足しがちなしたたかさを養わせる
効果もあると思う。自由領域スレを読む菜園人のほとんどは教会を去った菜園人だが、教会にとどまっている菜園人にとっても、
決断と情報についてのルールは役に立つと思う。
>>65への訂正
「Grade Iで扱うコミュニケーション」 → 「Grade 0で扱うコミュニケーション」
67 :
1991:2009/07/02(木) 07:59:01 ID:mNhUknUX
>>64 >>65 >>66 ありがとうございます。
素晴らしい行動指針・規律だと思います。
「何でも進んで経験してみる。」というのは、確かに賢い選択、幸福に直接的には、繋がらないものの結果的にそこから、悟りを得るということを忘れなければ、経験の厚みを持つのも良いとは、思うのですが…。
この点は、自分の個人的な好みの問題かもしれません。ただ、old timerさんのまとめた行動指針・規律は、ゲームを勝ち抜く意味でも申し分ないと思いました。
out-Grade 0 → out-Grade I → out-Grade II → out-Grade III →
out-Grade IV
は、目から鱗でした。というか、自分の学びが浅かったと反省します。
この流れを理解することが、Level'sを学ぶ意義という気もします。
そういう意味で、特に上記のオパート(というよりO/Wの関係)とサーファックについて、このスレが、菜園技術には、興味があってもLevel'sを学ぶ機会を得る前に組織の理不尽さに去った人たちが多いことを考慮して、詳しく説明してもらえませんか。
>>67 「何でも進んで経験しようとすること」は誤訳だ。もともとの「Be able to experience anything」は「何でも経験できるようになること」だ。
幅度は経験の蓄積を説いているのではなく、経験をする能力を説いている。焦点は行動ではなく能力にある。
例えば、コカインの吸引を経験する必要は全くない。コカインの吸引を経験する能力はコカインの経験には依存しない。何かを
経験する能力は、経験に依存しない。もしも経験する能力が経験に依存していたとしたら、我々は何も経験できなかったはずだ。
全ての始まりの時点において、我々は何も経験していなかったのだから。
「Be able to experience anything」は不要。いわれるまでもないことだ。
--
グレードIIにはコンフェッショナルがある。PCがオーディターに対して過去のオバート(罪)を吐露するもので、手順の中に、PCがそれを
どのように正当化したのか、オーディターがPCから聞き出すところがある。この正当化の聞き出しは菜園に長い伝統を持ち、
DEX-DEDEXとか、overt-motivator sequenceとか、時折用語を変えつつ説明されてきた。罪の後にそれを正当化する理由が
作られる。
罪を正当化する理由こそがARCブレークに直結する原因であり、罪を正当化する理由が固定的な考えとなったものが
サービスファクシミリだ。
心には、「より以前の似たような」という時間差と類似性でつながる出来事の鎖があるが、同時に、原因と結果でつながる因果律的な
出来事の鎖もある。因果律の鎖の鎖のうち、グレード0は短くてチャージも軽いものを扱うが、グレードIVではかなり重いものを扱う。
69 :
1991:2009/07/02(木) 13:56:49 ID:mNhUknUX
>>68 確かに「何でも経験できるようになること」は、必要ないですね。
経験すべきことを尻込みして、行動に移せないということとは、別の
話しですね。
--
サービスファクシミリ自体は、実際に経験した映像でなく、
罪を正当化するために自ら作り出した心象画像という理解で、
よろしかったでしょうか。
--
DEX-DEDEXとか、overt-motivator sequenceは、どういったものでした
でしょうか。
>>69 サービスファクシミリは心象映像ではなく、考えだ。
--
オバートの後にそのオバートを正当化するモティベーターが作られる。一般に、モティベーターは他人からPCに対して行われた
オバートという形を取る。誰かに対してオバートをやらかしてしまったPCは、自らがその誰かのオバートの対象となるような状況を
自ら作りあげてしまいがちになる。
社会的にはやや問題のある思想になるかもしれないが、オバートとモティベーターの組み合わせは転生を跨ぐことがある。前世の
オバートのモティベーターがこの生涯で作られるということも全くないとはいえない。
ただし、この理論は限定的なものだ。俺の記憶が正しければ、『OVERT-MOTIVATOR SEQUENCE, A LIMITED THEORY』とか
題されたHCOBに書いてあることだが、オバートが再刺激されていなければ、モティベーターも作られない。
また、オバートをPCがまったく正当化しなければ、やはりモティベーターは作られない。
このケース要因そのものを一般超越することは困難だが、不可能ではない。
71 :
1991:2009/07/03(金) 16:04:09 ID:SFVRBnQN
>>70 ありがとうございます。
ハンムラビ法典にある「目には目を、歯には歯を」、つまり、
「自分の目を潰されたら相手の目を潰しなさい。自分の歯を折られたら相手の歯を折りなさい。」
は、自分が被害を受けたら、相手に自分が受けた被害と同等の仕返しをしなさいということですが、これは、オパート、モチベータの無限連鎖につながると考えてよろしいですか。
>社会的にはやや問題のある思想になるかもしれないが、・・・
問題のある思想と承知で、お聞きしますが、これは、同情に余りあるようなオパートを受けた善良な市民であっても、そのオパートに相当するモチベータであったと考えるのが妥当ということでしょうか。
>>71 ハムラビ法典はO-M sequenceとは関係がない。出来事の真の並び順は
出来事#1 PC―[オバート]→誰か
出来事#2 PC←[モティベーター]―誰か
だが、PCは誰かによって仕返しをされているのではなく、誰かに仕返しをさせている。モティベーターはその誰かの主体的な意志に
よって引き起こされるのではなく、PCの半ばあるいはまったく無自覚なケースの働きによって引き起こされる。
そして、PCの認識では、しばしば、出来事#1と出来事#2の前後関係が真実と逆になっている。
--
地球はもともと流刑地で、ここにいるからには、我々はいずれも惑星の1つや2つくらいは破壊したことがあると考えて、おおむね
妥当だ。ケースが再刺激されれば、ひどいモティベーターを被ることもある。
菜園で知られている最悪のオバートは、誰かに肉体を欲しがらせるように仕向けることだ。今肉体に宿っている人は、もちろん、その
オバートのモティベーターを被っていることになる。
>>71が考える「同情に余りあるようなオパートを受けた善良な市民」というのは、
全員、肉体に宿った状態でオバートを受けたのではないかな?
73 :
1991:2009/07/05(日) 08:30:39 ID:9KSbmNS/
>>72 ありがとうございます。
O-M sequenceは、特定のAとBの間で繰り返されるものですか?
あるいは、同様のケースを持ったAとB'あるいは、B''ともAは、
繰り返すことになるのでしょうか?
また、AやBは、個人だけでなく組織、国家という集団の単位でも
O-M sequenceは、起きるのでしょうか?
>>73 まずは特定のAとBの間で繰り返されるが、ケースは似たものによって再刺激されるので、AとB'の間でも起こる。組織間でも
起こりえるし、性質も個人間のものと似ている。
例えば、日本と北朝鮮はいくつものO-M Sequenceがある。官制徴用だけでも日本が朝鮮半島から拉致した人数は日本政府による
調査でも2005年時点で1万を超えているらしい。日本はちゃんとのそのモティベーターを被っていて、拉致問題が発生している。
(もちろん、北朝鮮は他の国々からも拉致しているのだが、レバノンはそもそも北朝鮮に対するオバートがほとんどあるいはまったく
なかったので、拉致されたレバノン人は速やかにレバノンに送還された。)
比べると、ドイツは東欧に対し、率直に罪を認め、謝罪を続けた。ブラント首相は文字通り、ワルシャワ蜂起記念碑の前で地面に
跪いて謝罪した。ドイツの歴代首相は東欧諸国に対して毎年謝罪を続けたため、共産圏の政体と人民の間に亀裂が入り、やがて、
かつてドイツのオバートにより成立の機を得て存続していた東欧共産圏は根こそぎ消滅した。
ポーランドにはブラントの謝罪をたたえるブラント広場が作られているし、最近では、かつてドイツ人の手によるものとされた
イェドバブネでのユダヤ人虐殺事件は、ポーランド政府による再調査の結果、ポーランド人の罪であることまでわかってきた。
2004年にも、ドイツの首相は「ナチスの蛮行とそれがもたらしたポーランド国民の苦しみを思うと、恥ずかしさで身がすくむ」と謝罪の
辞を述べた。国を実質代表する首相が「恥ずかしさで身がすくむ」のだから、ヨーロッパではドイツは国家として謝罪していると
認識されている。
ドイツの謝罪が極めて効果的であり、ドイツを外交でヨーロッパ統合の主導国の地位に押し上げたため、1990年代のヨーロッパでは
謝罪外交ブームが起こった。とくにイギリスの謝罪外交は際立っている。
例えば、1845年のジャガイモ飢饉について、イギリスは1992年に謝罪した。これで、北アイルランドのテロ組織は弱体化した。
ドイツ型政治システムをニュージーランドが導入することを防ぐことはできなかったが、イギリスは不平等条約であった
1840年のワイタンギ条約について、同じく1992年に、ニュージーランドのマオリ族に対して謝罪した。このような努力を続け、イギリスは
イギリス連邦解体の危機を乗り越え、国威を維持している。
76 :
1991:2009/07/06(月) 17:41:04 ID:fvly8/Jl
>>74 >>75 ありがとうございます。
「同情に余りあるようなオパートを受けた善良な市民」というのは、
実は、北朝鮮に家族を拉致された方々を指していました。
この件の場合は、個人、家族、国家とそれぞれにO-M Sequenceが、ありそうな
気がしていました。
O-M Sequenceには、謝罪というのが、特効薬ということになりますか?
これは、相手に直接コミュニケートしなくとも心からの謝罪の気持ちを
持つことでも良いのでしょうか?自分がオパートを受けた時、逆に自分が
そのオパートをかつて、相手に犯したと考え謝罪の心を持つということ
が必要ということになりますか?
>>76 謝罪は方法の1つだ。謝罪しなくても、自分の側でO-M sequenceから逃れる方法、あるいは、心構えがある。
重要なことは、過去の行動について、自分自身が起因にあったことを受け入れられることだ。
どこか別の国が起因で日本への侵略を企てたので、日本が「自衛のための戦争」を行った ― のであれば、日本は起因になかったと
いうことになる。何かについて自らの起因能力を否定するならば、その否定の程度に応じて、人であれ組織であれ、そのことについて
起因能力を失う。
ナチス政権下のドイツはヨーロッパ統合を目指した。第2次世界大戦に敗れた後も、ドイツは自らが起因にあったことを謝罪の形で認め
続け、戦後もずっとかつての目指したものの大部分について起因であり続けた。
アメリカは謝罪しない。しかし、アメリカには機密文書もEYES ONLY, COPY ONE OF ONEを含めて、案件終了から50年の時間を
経れば一般公開される制度がある。この制度で、アメリカは自らの過去の野心、欲、意図を直視し、軍事と外交で起因にあり続ける。
自らのオバートの起因、つまり、野心、欲、意図といったものを直視するときに、オバートを正当化する必要がなくなり、
モティベーターを作りつづけることもなくなる。そうして人も組織も国家も再び強くなる。
一般に強い人は「〜しなければならない」という動機ではなく、「〜したい」「〜したくない」という動機で行動する。強い人は ― 少なくとも
自身の対しては ― 自らの野心、欲、意図を否定しない。
例えば、菜園教会で新規に誰かを勧誘する立場にあると仮定してみよう。「お金がないからコースは始められない」「まだ学生だから
菜園の勉強をする余裕がない」なんていっている奴はちょろい。菜園を始めない理由としてそいつが次々に提示するものを次々に
ハンドルすれば、やがてそいつの姿をコースルームで見ることになるだろう。一方、単に「菜園の勉強なんてしたくない」という拒絶は
強大だ。取りつく隙がない。
78 :
1991:2009/07/07(火) 15:20:53 ID:AhGvHfqr
>>77 ありがとうございます。
良く、解りました。
>一般に強い人は「〜しなければならない」という動機ではなく、
「〜したい」「〜したくない」という動機で行動する。
強い人は ― 少なくとも 自身の対しては ― 自らの野心、欲、
意図を否定しない。
そうすると「名誉の規律」に従うならば、「〜したい」「〜したくない」
という常に起因に立つ考えで、自らの野心、欲、意図を追求しつつも
オパートにつながらないと考えて良いということになりますか?
このスレで、Freezoneの技術を学びながらも、これからの生き方に根本的な
誤り(例えば、「〜しなければならない」という考えを持つために知らず
知らずにエフェクトになっているなど)が、あるとアクセルを踏みながら
ブレーキを掛けているようなものなので、よりサバイバルな生き方を整理して
おきたいのです。
>>78 起因にあったことを受け入れることができるほど、オバートをしでかしても、モティベーターを被りにくくなる。
80 :
1991:2009/07/07(火) 17:33:39 ID:AhGvHfqr
>>79 ありがとうございます。
>自らのオバートの起因、つまり、野心、欲、意図といったものを直視するときに、オバートを正当化する必要がなくなり、
モティベーターを作りつづけることもなくなる。そうして人も組織も国家も再び強くなる。
これが、79につながるわけですね。
過去の自分のオパートをオパートの起因という視点で、整理してみます。
それにしても、「〜しなければならない」という動機ではなく、全て
「〜したい」「〜したくない」という動機で行動するというのは、
凄いことだと思います。解っていても状況によっては、「〜しなけれ
ばならない」、「〜してしまう」自分がいるという人が、ほとんどです。
ケースがないか、ケースを乗り越えるかしなければ、全て「〜したい」
「〜したくない」という動機で行動するというのは、困難なのでは、
ないでしょうか。
>>80 そりゃそうだ。しなければならないことも、してはならないこともなくなれば、その人は真の意味でOT ― cause over life ―
なのだから。
82 :
1991:2009/07/08(水) 09:55:38 ID:lV5ckT++
>>81 ありがとうございます。
cause over lifeですね。
全く違う話しですが、「一夫多妻」というのは、オパートなのでしょうか?
それとも生存的なのでしょうか?
>>82 オバートは倫理についての当座の合意である道徳律に反する行為なので、ある行為がオバートかどうかは、行為者が属する文明の
道徳律によって異なる。レベルIIのテープにアシュタルテの巫女の話が出てくるが、そこでは彼女らがアメリカ社会とは異なる
道徳律に沿って生きているので、アメリカ人の常識ではオバートであっても、アシュタルテの巫女たちにとってはオバートでは
ないこともあるということが語られる。
一夫多妻がオバートとなる文明もあるし、そうでない文明もある。一夫多妻がオバートかどうか、絶対的な基準はない。
仮に種としての地球人類の存続を重視するのであれば、一夫多妻はオバートになりえる。
X染色体と異なり、Y染色体は対にならない。それゆえ、Y染色体の遺伝子は修復されない。X染色体に1000を超える遺伝子が
含まれているのに、Y染色体に含まれる遺伝子は79しかない。哺乳類のオスは劣化の一途をたどっている。500万年後には、ほぼ
すべての哺乳類が絶滅するだろう。
一夫多妻制では、男の精子の質が悪ければ、複数の女が妊娠の機会を失うか、あるいは、質の悪い精子で子孫を残さなければなら
ない。もちろん、逆に、質の良い精子が多くばらまかれることもある。
しかし、妊娠の成否のように、ある種の賭博性がある営みについては、1回の賭けの大きさがある水準を超えると破綻する。
特殊な経済状況が生じない限り、一夫多妻よりも一夫一妻のほうが合理的だ。
さらに合理的なのは、多夫多妻、つまり、群婚だ。類人猿の群れでは、おおっぴらにメスと交尾ができるのはボスに限られるが、他の
オスもこそこそとだがメスと交わる。ゆえに、複数のオスの精子の間で競争が起こり、元気のいい精子が残る。人と比べると、
類人猿の精液に含まれる精子は数も運動量も軽く5倍にはなるだろう。
ヒトの社会では不妊治療まで行っているので、質の悪い精子が残る確率はさらに上がっている。それに、顕微授精といって、もはや
1人の男の精子の間での競争機会さえ奪う手法まで使われている。
菜園人の一般的な考えとは全然違うんだが……
群婚を実践しても、人間特有の恋愛という活動を全て放棄する必要はない。primary-secondary-tertiaryという群婚モデルでは、
男女間の親密さに段階がある。
tertiary{
secondary{
primary{♂ a; ♀ b;}
primary{♂ c; ♀ d;}
}
secondary{
primary{♂ e; ♀ f;}
primary{♂ g; ♀ h;}
}
}
aとbは同じprimaryグループに入っていて、基本的に一緒に暮らしている。
aとdは同じsecondaryグループに入っているので、頻繁に行為機会を持つ。
aとfの関係はtertiaryなので、時折試してみる程度になるだろう。
群婚推進派の主張によれば、家庭内暴力の発生頻度は大きく下がり、子らの精神状態もより安定するらしい。
群婚が普及すれば、少なくとも、貧困にあえぐ母子家庭という問題はなくなる。
85 :
1991:2009/07/08(水) 13:42:52 ID:lV5ckT++
>>83 >>84 ありがとうございます。
遺伝子的には、
一夫多妻<一夫一妻<多夫多妻
ということですね。
多夫多妻というのは、斬新なアイデアですが、遠い過去も含めそれに
成功した文明は、あったのでしょうか。
遺伝子の優劣の話しが出たので、もし、お解りでしたら、教えてください。
何か特定のインプラントが解決されたら、遺伝子の性質が一変し、例えば、
対ウィルス感染や視力聴力など肉体的な機能が、極端に向上するということ
は、ありますか?
あと、アシュタルテの巫女の道徳律は、どんなものだったのでしょうか。
>>85 類人猿は基本的に多夫多妻で子孫を残す。人類もかなり早い時期にはそうだった。今の地球人類文明は、過去の多夫多妻の成功の
結果ともいえる。
ケースが肉体にダメージを与えることはあるので、ケースレベルが上がると、肉体の状態も基本的に良くなる。しかし、もともとその
肉体が持っていた性能が発揮されやすくなるだけで、それを超えるということはない。
アシュタルテの巫女は性については開放的だったそうだ。
87 :
1991:2009/07/09(木) 11:52:05 ID:BzzFpY9I
>>86 ありがとうございます。
一夫多妻について、お聞きしたのは、最近の少子化問題の解決策の選択肢と
して考えられるかと思ったためです。
多夫多妻は、遺伝子的に問題ないですか。同じ親を持つ子同士の子孫が、
発生する可能性もありますけど。
オーディティングで、遺伝子的な突然変異が、起きたりする可能性は、
ないですかね。もともとは、持っていた遺伝子情報が、本来の状態に
戻ると実は、もとに戻るだけだけど、今の人類から見れば、突然変異種が、
発生したようにも取れる気がするのですが。遺伝子に起因する早老病なども
人類から見れば、病気ですが、本来の正常な遺伝子の状態からすると
今の人類自体が、遺伝子に起因する問題を沢山抱えているような気もします。
>>87 基本的に群婚tertiary内で生まれた子供たちは兄弟姉妹であるので、結婚しない。もしも子供たちの間で結婚を希望することがあった
ならば、遺伝子を調べればいい。
--
オーディティングで遺伝子に変化が生じたという例には遭遇したことがない。
89 :
1991:2009/07/10(金) 13:10:03 ID:nRimrJOL
>>88 ありがとうございます。
なるほど、家族と同義なわけですね。
--
遺伝子については、個人的にいろいろ興味があるので、独自に調べて
みます。
90 :
1991:2009/07/15(水) 16:15:11 ID:1ehyRnLi
old timerさん
milazzoというのが、OT3ので使用されるオーディティングテクニックらしいのですが、
ご存知ですか?
92 :
1991:2009/07/18(土) 07:42:05 ID:e2R6PXx9
>>91 ありがとうございます。
「civil religionの原則」
教えてください。
---
トーンの話ですが、相手のトーン合わせるのに0.5上のトーンが、最も良いという理由は、何でしょうか。
0.5上だとコミュニケーションする中で、段階的に引き上げてあげられるからでしょうか?
>>92 宗教をめぐって、国家、教会、市民の関係は国によって違う。
日本では宗教は基本的に教会(いいかえれば、宗教団体)のものだ。
アメリカでは、宗教は国家のものでも教会のものでもなく、市民のものだ。教会は宗教を支配していないので、宗教について一般に
非公開な部分があることが許されていない。
また、アメリカの「政教分離」は政府と教会の分離を意味しているので、アメリカの政治と宗教は日本ほど分離していない。就任式で
大統領が聖書を使用しても、もともと聖書の中身が市民のものなので、政教分離には反しない。
アメリカで教会が非課税の地位にあるのは、宗教を市民に渡したことと引き換えなのだ。
菜園もアメリカでは菜園教会のものではなく、市民のものだ。だから、アメリカの慣習法上、菜園教会のどのレベルでも一般に
公開されていなければならない。菜園教会はOTレベルを自主的には公開しなかったが、教会を去った菜園人が代わりに菜園の
全貌を公開してきたので、現在、菜園はcivil religionになりえていると思う。
--
日常生活におけるトーンレベルの扱いは経験的な知恵だ。割り振られている数字にも、工学的な背景は存在しない。
よくそんなデタラメを言えるもんだw
95 :
神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 19:55:56 ID:XRNgcLLQ
菜園組織の方に動きがあったので、菜園人のみなさんに周知する。
ダイアネティックスの本の内容が全てdvdで映像化された。
基本的な理論と手順の部分を見れば、2時間程度で高いリアリティを持って相互オーディティングを始められる。
付属の補足フィルムには繰り返しのテクニックや黒豹のメカニズムなど、詳細な理論と技術が網羅されており、今までにない速度でプロのブックワンオーディターを育成可能となる。
dvdは2000円。
それは、日本語版がって事でしょうか?
97 :
神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 22:52:02 ID:XRNgcLLQ
>>96 日本語とその他十数言語でも18日に一斉リリースされた。
映像化されたことで、初心者には多少難解な専門用語も一目で理解できるようになった。
映像・音響共に非常に美麗で、驚くほどクオリティが高い。それを見て、自分も10年以上無視していたブックワンオーディターコースに乗ることに決めた。
最近の菜園は(少し前に完成したビデオチャンネルのHPを見ても思うが)生産物の質・量ともに水準が格段に上がった。
このところ、日本でもクリアーが毎月のように出てるし(以前は1年に1人出ない、みたいな時期もあった)、日本人初のOT8達成者もついこの間出た。
教会とはもう関わる気が無い人達もここにはいると思うが、自分が今いる場所ですぐにオーディティングが始められる上記のdvdだけでも手に入れ、友達や家族と実践してみてはどうだろうか?
10年以上菜園を見てきた自分だが、これほど「以前、菜園でうまくいかなかった人達」に勧めたい教材は他に無い。
そのOT8は知人かな?
>>98 自分の直接の知り合いではないが、20年位前から菜園をやってる古株。男性でイニシャルはM.M。(別に実名出しても問題無いかも知れないが、念の為)
余談だが、彼によると、自分と同時期にOT8を達成したある人物は、菜園を始めて5年足らずでOT8になったそうだ。
それは凄い金を使ったって事だよね。
>>95 相互オーディティングを短期間に始められるようになるのはいいことだ。菜園の実践は基本的にそうあるべきで、金があって暇がない
人々が例外的に職業オーディターからオーディティングを受ければいい。
しかし、
>>97 その教材の出来がいいのならば、コースに参加する必要はないのではないか?
>>100 さぁ。
順調に橋を上る人とそうでない人では、かかるお金の額に大きな違いがある。
オーディターとしての訓練をあらかじめ積んでいる人なら、結局は職業オーディターからオーディティングを受けることになっても、
半分以下の時間とお金で橋を駆け上がるだろう。
また、前にもいったことがあるが、修復オーディティングで内在化の処理を受けるか、または、CS 53 → GF + 40という手順に乗ると、
グレード0以前にNEDを受けることもある。当然、クリアーになる可能性もある程度はある。ちょっと前までは、そういう人をすぐに
OTレベルに送ってよかったので、安上がりになる人もいた。
今、ヘミシンクっていう技術が流行ってますが、
菜園でいうブリッジを上る事と、
ヘミシンクで高いレベルに意識が合う事と、
両者に多少なり共通点があるように思えますが、
どう思われますか?
(両者ともに最終的に、肉体の束縛から解き放たれ、そして物質宇宙から解き放たれ、
そして別の銀河系へと意識が広がる 等。)
103 :
神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 18:13:03 ID:PRJIPsy1
>>101 自分がやるコースはHDAで、プロの(教会公認の)ブックワンオーディター資格を得るのが目的。
資格無しで開業、もアリだとは思うが、まだ教会を通して勉強したいことが山ほどあるので、それはやらない。
自分は規律に従い組織と共に歩むことに抵抗が無く、「ハードセル」や「無理な要求」も毅然と断ることが出来るので、教会組織をかなり有効に活用させて貰っている。
ここを含めて菜園スレ全体を見渡してみて「技術は良いが組織がダメ」という意見を持った方々が多数いたが、彼らの言わんとすることはよく理解できる。
今さら東京組織に戻るように、とは言わないが、もしソロのクリアリングや技術の学習で行き詰まっているならば、是非上記のdvdだけでもどうにかして入手して欲しい。
そして、自分たちのいる場所で、自分自身や友人達のクリアリングに取りかかって欲しい。
>>102 基本的に、オーディティングコムサイクルの中、しらふでやるのが菜園だ。
ヘミシンクのようにフローが一方的なのは、菜園では良しとされない。
>>103 >>103が教会に満足しているのであれば、そことどまるのは大いに結構なことだ。
教会と比較して、自由領域での実践は遥かに安価だが、面倒見は良くない。自由領域よりも教会のほうが性に合う人もいるだろう。
105 :
1991:2009/07/22(水) 00:50:45 ID:7cVMUSVa
>>103 おっしゃることに非常に共感します。1992の頃の自分がそうでした。
それだけの気概があるなら、是非、Level'sは、自費で、コンプしてみて
ください。
>>104の
>>103 自由領域は、ある意味、最低限Level'sを終えた人(いい意味でも悪い意味でも
菜園組織を実体験した人)には、最高な正に領域だと思います。
お金を巻き上げられることに神経質になるのもケース、結果として、家族と
上手くいかなくなるのもケース、それらを正しい知識で、コントロールする
のがテック、お金がなければ、稼げばいいわけです。自分は、平日の仕事を
しながら土曜の朝から月曜の朝までバイトしてましたが、それだけで、年間
140万円には、なります。要は、自分が望んでやりたいのか、誰かからやらされ
ているのかの違いでしょう。あまり、この手の議論には、参加したくないの
ですが、お金に対して神経質になりすぎて、物事の本質が見えない人が多すぎ
ます。お金も時間も自分が起因になれば、どうにでもコントロールできます。
何かのコースで、読んだことがあります。船の影に怯えて、狩られる魚の話。
お金も時間も自分に迫ってくるように見えるそんな影と同じです。自分で、
コントロールできずにいるだけのことです。上記の140万円/年ですが、その
気になれば、最も効率の悪い単純労働でもその程度は、稼げるということです。
old timerさんのように投資術に秀でれば、もっと効果的に稼ぐこともできる
でしょう。自分がIT系の企業をしていたときは、平日に会社勤めしながら、
平日夜の数時間だけで、月に100万円の粗利を得ていた頃もありました。
その頃も基本は、Level'sで学んだ知識を活用してです。
菜園がカルトに分類されることは、間違いないわけですし、そんなこと
どうでもよいことです。人生でより良い結果を得るために何を活用するかと
いうことだけだと思います。
>>104 ヘミシンクも実践してみたことがありますが、何より面白かったのは、
10分の睡眠で、8時間ぶんの睡眠と同等の効果が得られたことです。
理由は、解りませんが、そのときの数分は、数時間に体感されます。
その睡眠方法は、今も活用しています。
ヘミシンクでいう、フォーカス15以上の状態では、肉体の影響を受けず、
時間からも開放される状態になっているという事で、過去や前世、また
肉体もたない時代の記憶にアクセスしやすいので、オーディテングに最適
な状態でもありるように思いますが、どう思われますか?
>>105 自由領域の意義は安価な橋を提供することだけではないのだ。
教会は新OT 8までしか提供していないのだから、既にそのレベルに達した人にとって、教会にとどまればその先の進歩がない。
自由領域ではその上のレベルの技術も提供している。
さらに長い目で見ても、教会は幅度を超えられない。一方、自由領域では各人が自由に技術を開発できるので、今後も発展の
余地が大きい。
人生における難事への対処においても、自由領域には優れた手法がある。ある難事の原因はグレード0ケースにあるかもしれないし、
新OT Vケースにあるかもしれない。もしも原因が新OT Vケースにあるのならば、教会では、新OT Vに達するまで、その難事は
ほとんど軽減されない。一方、自由領域では橋の各レベルを少しずつやって、全体を繰り返すというやり方もできるので、難事の
原因がどのレベルのケースにあっても、その難事を速やかに軽減または解消できる。
全体を繰り返すことは、不完全なレベルが放置されることも防げる。実は、グレード1〜3までが完全には終えられない
グレードであることは、原理的にも経験的にも明らかだ。ルードメントで処理されるのARCブレークはグレード3ケース、PTPは
グレード1ケース、MWHはグレード2ケースで、新OT 8だってルードメントを行う。各レベルに1つずつじっくり取り組むよりも、橋全体を
繰り返すほうが合理的だ。
>>106 自由領域ではヘミシンクなどを各自が試すのは自由だ。
しかし、俺はやらない。菜園の基本原理について、俺はかなり保守的だ。俺は幅度由来の技術に数多くの変更を加えて実践して
いるが、基本原理に反する変更はしない。
108 :
1991:2009/07/24(金) 01:24:14 ID:Yyqolw4G
>>108 菜園の重要な基本原則は、主に、1950年代と1960年代前半の講演の中にあるが、かなりの部分は『思考の原理』にうまく
まとめられている。新OT VIIIを終えたりすればはっきりするが、実は、『思考の原理』は新OT VIIIさえ超えている。菜園に入門した
人は、実のところ、最初の段階ですでに極めて高いレベルのデータに触れているのだ。
教会の橋でも、しばしば、高レベルの下方流用がある。例えば、次のようなプロセスはより低いレベルにあるPCに対しても適用される。
ルードメント(グレード3, グレード1, グレード2の派生)
抑圧された人のランダウン(グレード1の派生)
内在化ランダウン(NEDの派生)
GF + 50(NEDの派生を含む)
「規範的な技術」の功は、オーディターやCSにとって扱いやすい橋を実現したことだ。
「規範的な技術」の罪は、オーディターやCSの裁量の余地を狭め、彼らが技術についてあまり考えなくなるようにしたことだ。
「規範的な技術」という文言で思考停止しなければ、技術はもっと自由自在に使いこなせるものになる。例えば、最初にNEDをやって、
その後にグレード0をやってもいい。(教会でも、昔はその順序だった。)
111 :
1991:2009/07/29(水) 20:36:24 ID:McoAtxMp
>>109 なるほど、「思考の原理」ですか。
手元には、何一つデータが残ってないのですが、また、
入手して読み返してみます。
>>110 完全な型はめることは、一定の結果を保証するためのもとと思って
いました。抽象的なことを表す固有名詞が、永い間、使われると簡略化
した表現になることを見越して、技術用語を創作した。ということも
どこかに書いてありました。
長期間一定の結果を生み出し続けるのも、それは、それで重要なことだと
思いますが、それが、絶対で、他は、スクイレルというのも偏狭だと思い
ます。old timerさんの言うように技術は、もっと自由自在に適用すべき
ものですね。
>>111 もしもグレード1ケースをキーアウトではなく消去できたら、どんな問題でも解決できるようになり、いかなる問題をも解決する
必要がなくなる。
もしもグレード0ケースをキーアウトではなく消去できたとしたら、どんなものでも伝えることができ、どんなものでも受け取ることが
できるようになる。例えば、ブラックホールでキャッチボールができるようになる。
橋の下のレベルのケースほどキーアウトさせやすいが、消去させにくい。
入門者や初心者向けのものこそ、消去を目的として扱えば究極となる。
--
『菜園人の規律』には
` 15. To stress the freedom to use Scientology as a philosophy in all its applications and variations in the humanities.
` 16. To insist upon standard and unvaried Scientology as an applied activity in ethics, processing and administration in
` Scientology organizations.
という文言がある。教会組織の外では「variations」が認められるのみならずむしろ推奨され、教会組織の中では「standard and
unvaried Scientology」を主張するように説いている。
教会の外での実践が規範的なものではなくても、『菜園人の規律』では問題とされていない。
教会の経営陣は昔から存在していた伝統を軽視し、誰が書いたかはっきりしない最近のHCOBやHCOPLを重視する傾向が
あるようだ。
>>111 『菜園人の規律』から引用する
` 15. To stress the freedom to use Scientology as a philosophy in all its applications and variations in the humanities.
` 16. To insist upon standard and unvaried Scientology as an applied activity in ethics, processing and administration in
` Scientology organizations.
菜園組織外では「variations」が認められるのみならずむしろ推奨されている。
一方、菜園組織内では「standard and unvaried Scientology」とするように説かれている。
最近の教会の経営陣は、古くからの伝統を軽視し、最近の誰が書いたかはっきりしないHCOBやHCOPLを重視する傾向がある。
115 :
1991:2009/07/30(木) 11:06:47 ID:K4J/9Tdo
グレード0〜4の凄さを聞くほどにクリアーって結局なんなんだろうと
思ってしまいます。
熱度(熱風の熱に温度の度で)とグレード0〜4のキーアウトについて教えて
ください。
結局、グレード0〜4のケースを消去することが、とてつもないこととすれば、
グレード0〜4をキーアウトしていれば、十分、クリアーだと思うのですが、
何で、クリアーになるためにグレード0〜4のケースを消去できるわけでも
ない熱度をやらないとならないのでしょうか。グレード0〜4でキーアウト
していれば、熱度であつかうケースなど無視して、というか踏みつぶして
暮らせば良いと思うのですが。
--
15,16の規律は、一般社会では、技術のエッセンスを変幻自在に上手く活用して
臨機応変に対処すれば良くて、組織の中では、正確な技術を未来永劫、正しく
継承することに力点を置いているために一見、不器用な型にはまった使い方に
見えてしまうということになりますか?
>>115 これは俺個人の見解の域を出ないが、n次元チャージのキーアウトは、(n - 1)次元の消去であるはずだ。ある出来事のチャージが
3次元であるならば、それを一瞥することは、チャージの表面を消去し、他のチャージとの接触を一時的に断つ効果がある。これが
いわゆるキーアウトであろう。
消去と比較すれば、キーアウトで解消されるチャージの量は極めて小さい。チャージのほぼすべては残留しているので、遅かれ
早かれ、再びキーインする。だから、新OT VIIIでも「低い」グレードのチャージがキーインし、ルードメントが必要になる。
エングラムなどはグレード1チャージなどより実は軽いので、消去するのは難しくない。消去できるものなら、消去したほうがいい。
--
『菜園人の規律』は長い伝統があり、幅度が書いたことは確実だ。
教会が自由領域に一般に対して攻撃的になるようなことがあれば、それは『菜園人の規律』に反することになる。
また、教会が第16条およびKSW#1などをどれくらいきっちり実行しているのかどうかについても、大きな疑問は残っている。
1980年代まで、規範的な技術の要訣はHCOB、HCOPL、BTB、BPLにまとめられていた。HCOBとHCOPLは幅度本人によって書かれ、
BTBとBPLはそのほかの菜園人によって書かれたものとされていた。1990年代初頭に、BTBとBPLはそれぞれほぼ同内容のHCOBと
HCOPLに置き換えられた。しかし、その時点で幅度はすでに肉体を去っていたため、新たにHCOBとHCOPLが新しく作られるはずは
なかった。
今現在、規範的な技術のうち、幅度由来のものとそうでない部分の区別は難しくなっている。もしも教会菜園人が規範的な技術に
ついて真に忠実であろうとするのならば、全てのHCOBやHCOPLについて、幅度の手書き原稿を入手し、由来を検証すべきだろう。
教会運営についても、教会職員の幅度軽視は目立つ。『菜園への誘い』では、幅度が勧誘方針について語った動画が収録されて
いて、入門者は最初の数年間は書籍を読んで過ごすことになっている。『菜園への誘い』は最も信頼性の高い資料であり、これに
反するHCOBやHCOPLその他の運営関連資料については、幅度の手書き原稿が確認され、なおかつ、『菜園への誘い』収録時より
後に書かれたことが確認されるまで、信頼すべきではない。
117 :
1991:2009/07/31(金) 11:25:33 ID:QobQqmRt
>>116 グレード0〜4のチャージとは、
ある意味、水漏れの元に蓋をしただけということですね。
チャージの源には、大量のチャージが残っていて原因もそこにあると
言うわけですね。
援グラムも消去できるものなら、した方が良いという程度で、
理解しました。
--
教会が、幅度の規律を守っているかについては、仏教で、
釈迦の教えが、歪曲していったことに通じますし、結局、
教会という組織の生存を優先し最終的には、技術の適用も
歪んで行くのでしょうか?
そういう意味で、原始菜園を見直し、キープして行く試みは、
大切だと思います。
--
まだ、漠然とした考えですが、
自分の場合、今は、無理ですが、Freezoneで、人にオーディティングを
与えられるように成ってみたいと思ったりします。
Freezoneで、ソロをやって行くにしてもそれにオーディティングの基礎を
しっかりさせておきたいという気もしています。
組織に取り込まれるタイプではないので、時間とお金に余裕ができたら、
ClassWまでのリトレッドとグラッドXまでのトレーニングを受けて
みようかと考えているのですが、どう思われますか?
ブローを前提で、組織に再度、コンフロントするのは、問題でしょうか?
>>117 俺は教会を離れて以来、戻りたいと思ったことがないから、質問には答えにくい。
>>117がいう「オーディティングの基礎」がなにを
指しているのかもよくわからない。
教会での技術修正担当者の経験から考えると、NEDや内在化RDを身につけたいならば、日本語で訓練と実習ができる
教会組織は無意味ではないかもしれない。
一方、もしもこれまでの訓練において、例えばアセスメントで確実にリードを取れる自信に辿りつけなかったといったことがあった
ならば、おそらく、教会組織では対処が難しい。メーターにリードが出ない原因のほとんどは、未熟なTR-1でない。(だって、ケースを
再刺激するのに極優れたTR-1が必要ならば、日常生活でケースがキーインすることはありえないだろう。)
本当に基礎をいったん身に付けたオーディターなら、20年ぶりとか、1回転生した後にオーディティングをやったとしても、
正確に読み取れるかどうかは別にして、メーターは楽々と反応するに違いない。技術の基礎が身に着いているというのは
そういうことだ。
119 :
究極の自由:2009/08/04(火) 16:13:20 ID:X6+HYXnT
オバート&ウイズホールドの処理手順を教えていただけますか?
ソロで行いたいと思っています。
>>119 教会の手法とはかなり違うが、
1) 出来事を突きとめる。
2) それを自分の視点と被害者の視点から交互に捉える。
3) 出来事(1)が発覚しそうになった瞬間を突きとめ、それが発覚しそうになったと自分に思わせたものが何だったのかを思い出す。
(1) → Loop{(2)} to FP → (3)
一応いっておくが、ケース面だけを考えると、ソロでは奇数グレードは易で、偶数グレードはやや難しい。奇数グレードはeffect側重視、
偶数グレードはcause側重視だからだ。
121 :
究極の自由:2009/08/05(水) 16:08:26 ID:Td7tu3eJ
old timerさま、回答ありがとうございます。
「自分の視点」からだけでなく「被害者の視点」からも
その出来事を捉えるという観点がこれまでの私には欠けていたしました。
オバート行為を想起すると、自分の感情ではない相手の感情も
浮かび上がってきていましたので、Aを繰り返すことで
それも共に解放できることがわかりました。
これからじっくり取り組んで行きます。
old timer氏に、スレ違いかも知れませんが質問があります。
菜園教会で「対立を解決する」といった内容の冊子を購入しました。
内容は人間の対立には必ずサードパーティなる、対立を煽る人物が存在する
との事ですが、私個人としては「そんな単純なものか?」との疑問を持ちました。
極端な例えですが、無人島で二人っきりで過ごす場合は対立を起こさないとの
結論になります。サードパーティは存在し得ないのですから。
あくまでサードパーティの理論は数ある対立原因の一つに過ぎないと思われますが
教会はこれを「法則」であると言い切っています。
質問に明確な回答をするスタッフもいませんでした。
それ以来、教会に対し「似非科学」「擬似科学」との印象を拭えません。
そして実際に教会と疎遠になりました
(他にも多々原因はありますが、それこそスレ違いも甚だしいため割愛)
長い前フリで失礼しました。
Freezoneにおいてもこれらの教会の理論を採用しているのでしょうか?
世の中なのすべての事象を、
菜園の技術が解き明かしていると考える、
唯我独尊的な発想自体が、
根本的に間違っている。
>>122 まず、第三者法則を正確に理解することが必要だ。
『菜園手引書』には、
` It is very easy to see that two in conflict are fighting. They are very visible. What is harder to see or suspect is that a third
` party existed and actively promoted the quarrel.
とある。第三者の行為と現在の二者間対立の間には時差がある場合も想定されている。
無人島に流れ着いた二者の間に対立が生じた場合、そもそも、無人島に流れ着くような状況に二者を追いこんだ誰かがいるのかも
しれない。
この場合の第三者を特定するのは容易ではないだろうが、時間の尺度を大きくすれば、対立には必ず第三者の介入がある、
あるいは、あった。
例えば、俺たちが肉体に宿ったりしているのも、誰かの介入によるものだ。
無人島に流れ着いた二者が対立するのは、そもそも、肉体に宿っているからではないかな?
>>123 菜園の技術が世の中の全てを解き明かすなんて主張は、菜園には含まれない。
だが、
>>122 のような対応をするスタップが殆どなんだよね。
なんかもう、洗脳されてるみたいだよ。スタッフの皆さんは。
>>125 スタッフメンバーの態度に問題があるのはわかるが、それをもって技術のほうを責めるのは見当違いだろう。
現時点の教会の運営が幅度の指示に著しく反している部分はいろいろあるが、例えば、1956年のPAB79には
` I don't expect auditors or Scientologists to instantly agree with or seize upon whatever I say. I would be offended if they did
` and would feel they weren't a Free People. Since they are intelligent I expect them to think over what's said, try it, and if it's
` good for them, use it.
とある。とりあえず訳すと、「私がいうことが何であれ、私はオーディターや菜園人が即座にそれに合意したりそれを採用したりする
ことを期待していない。もしも彼らがそうしてしまったら、私は気分を害されるだろうし、彼らは自由な人々ではないと感じて
しまうだろう。彼らは知的であるので、いわれたことについて彼らが考え、それを試し、そしてそれが彼らにとって有用であれば、
それを使うことを期待する」となる。
ある意味、自由領域は教会と重なって1950年代から存在しているともいえる。
>>124 菜園の技術を非難しているのではなくて、
私は、ID:4r4zY/5Z さんじゃないですが、
実際
>>122 のようなケースが非常に多いです。
そのとき、
>>122 は間違いでは無いのか? とスタッフに解らしめる、
協会にも通じる文献・出典はなにか無いのでしょうか?
1952のPDC#20でも、幅度は
` Scientology will decline, and become useless to man, on the day when it becomes the master of thinking.
と述べて、菜園が思考を支配するものになれば、菜園は劣化し、人類にとって無用なものになるだろうと警告している。
菜園人は菜園を使うべきであり、菜園に使われてはいけない。
しかし、実際はスタッフは菜園たる協会に支配されてるようにしか見えません。
すくなくとも、自由に判断する事を阻害されているのか、
ためらって、あるいは避けているように思えます。
それに、スタッフの多くは、フリーゾーンの存在を知りません。
>>129 教会の現状はその通りだ。
いずれは改革がおこなわれると俺は思うが、まだまだ時間はかかる。
old timer氏、迅速な回答ありがとうございます。
>>122の質問をした者です。
確かに時差を拡大することで説明がつきますね。納得できました。
さらに踏み込んだ質問ですが、人間の対立に介入する第三者が存在して、
その第三者である条件はどこまで拡大されるのでしょうか?
仮にある人物が自分なりの価値観、道徳心、ルール等で別の人間に反感を持ち
争いに発展した場合は、「介入する第三者」とはその人物に上記の価値観等を
形成させるに影響を及ぼした人物(親、友人ete.)が該当するのでしょうか?
むしろ実社会においては、このケースでの争いが多いように見受けられます。
「介入する第三者」の範囲がそこまで拡大されるのならば、もはや「第三者」を
突き止めたところで争いの解決にはならないかと思われます。
当事者同士が見解の相違として納得する以外ないのでしょう。
逆に「介入する第三者」にならないとするならば、今度はサードパーティの法則が
破綻してしまいます。
どちらにしても菜園教会が
>>122の冊子での謳い文句である
「対立を解決する」には至らないのでは…とかなり懐疑的な心境になっております。
>>131 価値観が違えば対立しなければならないのかね?
無論、価値観の違う人間同士が対立しやすいのは事実だが、価値観の違いだけで対立しているのではない。大抵は、双方が
肉体に宿っていることが原因だ。
133 :
1991:2009/08/06(木) 12:47:20 ID:jNxFyn+t
>>118 ありがとうございます。
オーディティングの技術面(コムサイクル、TR、メーターなど)には、何の
不安も無いのですが、個々の乱断を体系的に理解できていない(例えば、
グレード0のコマンド軍の順番が持つ意味など)気がしています。そもそも
どんなコマンドあったか、今は、技術辞書以外、何も手元にありません。
グラッドXは、まったくやってないので修正リストなどの使い方も、解り
ません。基礎といったのは、そういったことを指していました。
135 :
究極の自由:2009/08/06(木) 18:57:20 ID:g7frEM3n
ああ、またしても英語が読めないことがネックになっている。
すでに英文で素晴らしい方法論が網羅されているというのに。。。
悔しい限りですが、ここは一つ本腰を入れて英語に取り組みます。
しかしながら、オールド・タイマー様は、日本において日本語で「自由領域」を展開なさらないのでしょうか?
もし可能であるなら、僅かずつでも翻訳紹介してほしいと心からそう思いました。
見苦しい依存心の発露、お許しください。
>>135 翻訳したいのはやまやまなのだが、いくつかの点で躓いている。例えば、「From where could you communicate to a catfish?」を
「あなたはどこからあるナマズに意思疎通できそうですか?」なんて訳しても、英語のコマンドの意味がなかなか日本語では伝わら
ない。
「where」は「どこ」よりも広い意味を持っている。そのため、「From where 〜?」への答えとして、英語ならば、「From my mind」あたりも
出てくるのだが、日本語ではほとんど物質宇宙内の場所しか出てこない。
--
一般論として、意味の粒が大きい言語から小さい言語への翻訳は容易だ。例えば、ンギヤンバー語は伝達の粒が大きく、例えば
「雨が降った」ということを伝える場合にも、自分がそれを見たのか、見てはいないがそう聞いたのか、それ自体は見なかったが
証拠を見たのか、そう考えるほうが合理的であるのか、観点を用言活用で示さなければならない。ンギヤンバー語から英語への
翻訳では、観点を「I saw」などの節を用いて表せば問題ないが、英語からンギヤンバー語への翻訳には状況についての深い
理解が求められるので難しい。
日本語は若い言語なので粒が大きく、英語は老いた言語なので粒が小さい。英→日の翻訳は分野によってはすこぶる難しく、
特に菜園では至難だ。
英語の「you」すら、日本語に訳す場合には、立場を含んで粒が大きくなっている代名詞「君」「あなた」「おまえ」などから選ばねばなら
ない。伝達の粒が大きい単語ほど、意味を強く限定してしまう。英語の「you」はそれ自体高確率でメーターを反応させるが、「あなた」は
そうではない。
しかし、それを言ったら、協会の翻訳バイブルも全滅になるでしょ。
ネットの利点を生かして、随時解説を整備していけば良いのでは?
>>137 教会の技術修正担当者の日常は、翻訳の不備への対処に忙殺されていた。英語の意味が日本語でうまく伝えられない場合がとかく
多いのだ。
教会でも自由領域でも、菜園における言葉の壁の高さを痛感させられる。菜園がうまくいっているのは、主に、英語圏とそれに近い
言語圏に限られる。教会でも自由領域でも、優秀なオーディターは、全員、英語で菜園経典を読むことができるオーディターだ。
今も昔も、「翻訳バイブルも全滅」という状態なのだよ。
菜園経典の翻訳は、最初に用意周到な計画がなければ、成功しないと思う。
自由領域には教会中央組織の翻訳課に在籍していた日本人もいる。一般の翻訳も手広く扱っている人だが、その人も菜園経典の
翻訳を推し進めようとはしない。
実は3年くらい前に、操縦士による経典の一部を 翻訳 : 解説 = 1 : 3 くらいでスレに投稿した。その部分の実践だけで、4年から5年を
要すると思われる。1年後の8月の下旬までには、翻訳計画をまとめる必要があるとは感じている。そうしなければ、実践者を
待たせてしまう。
翻訳が出来なければ、自由領域は、
日本人にとっては敷居が高すぎて、事実上ないも同然ですよ。
宜しくお願い致します。
140 :
究極の自由:2009/08/07(金) 16:53:19 ID:8+kZjx/G
どうか日本の実践者のために、(実践を待ってる者のために)もう一度これまで行われた解説付きの翻訳を
(あるいはオールド・タイマーさまがとりあえず最低限これだけはと思われるものだけでも)
これから随時(時間がお在りの時)投稿して下さいませんか?
一からソロで実践を行いたいのです。ああ、そうできればどんなにいいでしょう!
よろしくお願いします。
>>140 サイエントロジーの亜流、アバターコースでも受ければ?
と言ってもアバターコースも30数万円かかるけどね。
142 :
究極の自由:2009/08/08(土) 01:31:38 ID:V25Lbup0
アバターコースは7年ほど前でしたか、第3部まで受講したことがあります。
フィール・イッツを十分に行う限りにおいてCHPは非常にパワフルな手法だと
自分自身体験してそう思いました。しかし、菜園のテクノロジーには直感的にさらに何かがある気がしています。
再掲要望に応えて
------
Scientology−Freezoneについて
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1156682393/61 61 名前:old timer ◆64ZQ9HnmXA [sage] 投稿日:2006/09/07(木) 20:08:14 ID:ZnUB1Jvp
ソロでもできる簡単なプロセス
1) 何か厄介事を思い浮かべる。
2) その厄介事について、嘘をつく。
(1)を1回やったら、気分が少しでもマシになるまで、(2)を何回も繰り返す。
笑えたらそれでプロセスの最終現象だが、1回のセッションでそこまでやる必要はない。
--
厄介事について、人は無意識に嘘をつき、厄介事をさらに厄介にする傾向がある。この
プロセスの狙いは、無意識にやっていることを意識的に行い、それを
コントロールできるようになること。
144 :
神も仏も名無しさん:2009/08/10(月) 20:21:22 ID:SD+ISRoq
読者の方で過去ログ倉庫に格納されている
『Scientology−Freezoneについて2』をクリック一つで見れるように
保存されてる方はいませんか?
(また『Scientology−Freezoneについて』の中に出てくる
『セルフクリアリング』の翻訳部分も。)
自分のとこのPCからではどうしても見れないのです。
お手数掛けますがよろしくです。
146 :
神も仏も名無しさん:2009/08/12(水) 00:31:32 ID:YXNhRAMe
145さん、datありがとう。DAT落ちスレミラー変換機に入れたら閲覧可能になりました。
後は『セルフクリアリング』の翻訳部分が見れるといいんですが。
>>146 それは、このスレッドにちょっとづつ公開されてるプロセスとは別のものなの?
ちょっと検索してみたが、見つからなかったよ。
もう少しヒントがあればよろしく。
148 :
神も仏も名無しさん:2009/08/12(水) 14:32:51 ID:YXNhRAMe
149 :
究極の自由:2009/08/13(木) 02:25:49 ID:q8db7Zzk
菜園(そして自由領域)ではNOTsは具体的にどういう手順(コマンド)で行われているのでしょう?
<極単純なNOTs>ということで『2007/11/26(月) 21:27:54 』に書かれてありますが、この方法で十分なのでしょうか?
また「裏NOTs」というのは何ですか?
その処理方法も含めて実践可能なように教えていただけると助かります。
>>148 アップローダーがメンテナンスにかかってるうちに消えちゃったので、
ダウンロードできませんでした。ご本人か入手できた方、再アップロード
お願いします。
あと、
>>145と同じ場所に置いていいですか?
>>149 極簡単なNOTsで十分かどうかは、難しい問いだ。
NOTsは様々な形で菜園以前から存在し、菜園におけるNOTsの存在も実は1952年に遡る。
極簡単なNOTsはとりあえず始めるには容易なNOTsであるが、NOTs入門者のみを対象にしたものではなく、最終的にBTに同じ
プロセスを実践させるという段階に到達する。おそらく、極簡単なNOTsは最も高度な段階まで使えるNOTsでもある。そういう
意味では、極簡単なNOTsは十分なNOTsだ。
一方、NOTs実践過程で何らかの手詰まり状態に陥ると、極簡単なNOTsだけで切り抜けるのは容易ではないかもしれない。この
意味において、極簡単なNOTsは不十分であるかもしれない。
NOTsは自分のものではない断片を除去するものであるのに対し、裏NOTsは自分の断片と和解し、回収するものだ。原始仏教の
慈悲の瞑想は、菜園側の理解においては、裏NOTs実践形態の1つだ。
BTとは何ですか?
153 :
究極の自由:2009/08/13(木) 20:47:01 ID:q8db7Zzk
1) 自分の肉体の内部や表面で、圧力や痛みを感じる点を探す。
2) その点に注意を向ける
3) その点のところに存在するものを感じる
圧力や痛みが消えるまで、(2)と(3)を繰り返す。
必ずしも1つのセッションで1つの点を
完全処理する必要はない。
圧力や痛みの点を数多く処理した後で、
その他別の感覚を伴う点が感じられるようになる。
そうなったら、それらの点も処理する。
「何もない」という感覚もありえるし、
実際のところ「何もない」は結構大きなチャージ。 に追加ステップを考えてみた。
4) その点の向こう側に注意を向ける
5) その点の向こう側に存在するものを感じる
154 :
究極の自由:2009/08/13(木) 20:48:01 ID:q8db7Zzk
質問1:上記の手順は1)〜5)までを連続して行うのですか?
それとも2)と3)を繰り返し、痛みや圧迫感が消え去った後に
4)及び5)へと進むのでしょうか?
質問2:3)の「その点のところに存在するもの…」という表現の
「存在するもの」とは何を指しているのでしょうか?
痛みや圧迫感ですか?それとも?
質問3:注意を向け、そこに存在するものを感じることで、
そうして「自分のものではない断片を除去する」ことが可能になるのでしょう?
その原理とは?
質問4:おおよそどれくらいの数(痛みなどの点)を処理する必要があるのですか?
質問5:その効果はどのようなものでしょうか?
あるいはそれを処理しないでいることがいかなる障害をもたらしていますか?
質問6:最終的にBTに実践させるとありますが、
BTとはなんでしょう?
また具体的にそれはどのように行っていくのでしょうか?
質問7:オールドタイマーさまが実践しておられる「裏NOTs」の具体的なやり方は?
質問8:菜園におけるNOTsや裏NOTsの発見の経緯など、
この主題に関する話題があればぜひ教えてください。
>>95 そのDVDの日本語版ってもう販売しているんですか?
教えて君で申し訳ないんですが、
菜園協会から直接本やdvd購入しても、
そのあと勧誘のメールとか来ないですよね??
156 :
155:2009/08/13(木) 23:56:28 ID:75kubIOz
dvd調べたらすぐわかりました。すみません。
158 :
155:2009/08/14(金) 00:51:08 ID:7c6/g+Xg
>>152 自分の肉体の内部、表面、周囲にある他者やその断片のことだ。
>>154 (2)と(3)を十分に繰り返した後に、(4)に進む。
「存在するもの」は、当然、BTやそれらしきもののこと。それらしきものはGEやLTであるかもしれない。
あらゆるチャージは知覚されると部分的にあるいは完全に解消される。他者の断片がはまり込んでいるという状況もチャージの
一種なので、知覚される程度に応じて解消される。
処理を必要とする断片の数には個人差がある。ケースレベルが低く、基本的な能力が高いほど、処理を必要とする断片の数は
増える。(ケースレベルが同じでも、能力には個人差がある。つまり、魂としての能力はもともと平等ではない。)
NOTsと裏NOTsを合わせた最終現象は、人生に対して起因になることだ。何でもできるということではないが、完全な手詰まりには
陥らなくなる。
自分がやっている裏NOTsは、基本的に、自分の断片を探し、その断片の注意をテレパシーでこちら側に引きつけることだ。これで
大抵はうまくいくが、うまくいかないときには、自分と断片が分離した出来事について、断片に大姉オーディティングを施す。
160 :
究極の自由:2009/08/14(金) 16:51:11 ID:j4YLSepB
オールドタイマーさま、回答に感謝します。
裏NOTsに関してですが、「自分の断片を探し」とありますが、これはどのように見つけるのでしょう?
また「断片の注意をテレパシーでこちら側に引きつける」ことだけで通常は分離している自分の断片は統合されるのですね?
それとLTとは?
いろんなスレにいろんなマスターが現れたのを見てきたけど、
その中でもオールドタイマーさんの文体が一番かっこいいですw
ところで、オールドタイマーさんは、サイエントロジー(ダイアネティックス?)
に現世的な利益は期待すべきではないとおっしゃってましたが、
記憶力やイメージ能力は、すごいアップしたのではないですか?
自分は学生なんでここら辺に興味があるんですが。
スレの1では、想起訓練の方法を提示してましたが、それをやれば、
記憶力やイメージ能力が上がるってことはないですか?
質問ばっかで申し訳ないんですが、鼻詰まりがなおったとのレスもされていましたが、
自分もアレルギー体質で年中鼻詰まりに苦しんでます。
よかったら、そこらへんについて方法論とかあったら教えてくれませんか。
162 :
神も仏も名無しさん:2009/08/15(土) 20:02:59 ID:i79WPUS7
161さん、『自己分析』という書籍が日本語化されてるよ。
これを幅度の指示通りに行えば、記憶力や反応スピードが向上する。
この本は想起訓練の決定版だ。
それからこの本を一通りやって(好きなだけやったら)その後に
指示されてる数百の問いかけに対して「想起」ではなく「イリュージョン」(モックアップ)で応えていく。
これを徹底して行えばイメージ力などは瞬く間に向上すると思うな。
試してみたら?
>>160 NOTsや裏NOTsは準OTレベルなので、探そうと思うことがそのまま探すことになる。そして、その時点のケースレベルで
統合可能な断片があれば、それがそこにあることが分かる。何も見つからなければ、その時点で個別断片を対象とした裏NOTsを
やる時期ではないということになる。
LTとはlambda thetanのこと。LTは物質を維持し、GEは物質を生物の形に組み立てる手順を支援し、我々は生物の肉体に宿って
人生を生きている。我々が役者ならば、BTは代役であり、LTとGEは道具係にたとえられるだろう。
人生を生きているだけで、魂たちの中ではスーパースターなのだ。
>>161 アレルギーはつらいね……ある程度克服するのに、俺も20年くらいかかってしまった。
基本的には体質改善などの医学的処置を受けるべきだが、菜園の側でできることといえば、アレルギー反応が生じている場所に
注意を向けたり、そこから注意をそらしたりする訓練を積むことだ。
寝転んだ状態だと鼻が詰まるので、座った状態、もしくは、立った状態で、鼻とそこから30センチの距離の物体に交互に注意を
向ける。
ケースレベルがオブジェクティブより低ければ、使用する物体は壁のような大きなものがいい。鼻と壁の間に30cmの距離を空け、
それぞれを交互にゆっくりと手で触れる。慣れるに従って、距離を大きくしていく。
ケースレベルがオブジェクティブより高く、クリアーより低いならば、鼻のほうはその存在を意識し、物体のほうは肉体の視覚で
捉えるといい。物体は鼻よりやや大きいほうがいいだろう。慣れれば距離を広げていく。
クリアーにはクリアー未達成者用の方法でもいいし、準OT用の方法でもいい。
準OTならば、目を閉じ、魂そのものの知覚力で鼻と空間上の一点を交互に見る、あるいは、見ようとする。大抵は実際には何も
見えないが、ケースレベルが高ければ、鼻腔や大空が見える。他に、一般的な外在化訓練を積むといい。
ところで、もともとのパワーが同じならば、ケースレベルが高いほど大きなパワーを発揮できる。
実際には、もともとのパワーは魂ごとに違うので、ケースレベルが高い魂のほうが必ずしも低い魂より有能だということにはならず、
特に行動力はもともとのパワーがものをいう。
国にたとえるとわかりやすい。
パワーは大きいがケースレベルが低いのは中国で、パワーは小さいがケースレベルが高いのはフィンランドだ。
プロセシングがなかなかうまくいかなくても、大抵は悲観すべきことではなく、むしろ喜ぶべきことだ。パワーが大きな魂は、背負って
いるチャージも大量であることが多い。
俺を国にたとえれば、アイスランドのようなものだと思う。俺総体が小さく散らばりすぎているため、俺はケースレベルがかなり高くても、
小さく弱々しい。
>>164 パワーは、発揮しているものだけではなく、潜在的なものも含む概念なので、
例えばプロセシングに労力がかかる、などの徴候でパワーの大きさを推測する
ことができる、ということですかね?
あとは潜在・顕在しているパワーの総量を推し測る術は他にありますでしょうか?
167 :
究極の自由:2009/08/16(日) 01:44:01 ID:e0Zc/JzQ
オールド・タイマーさま、回答ありがとうございました。
「探そうと思うことがそのまま探すことになる」との記述にハッとさせられました!
また、それぞれの魂が持つパワーの違いや背負っているチャージ量の違いについても関心があります。
それにしてもオールド・タイマーさまが自身を「アイスランド」に喩えておられ「小さく弱々しい」とおっしゃる。
その視野にあり自己自身と比べておられるのはいったいどれほど「強大な魂」なのでしょう。
もしかしてあなたは地上の人間に影響を及ぼす強大なパワーの何かを感じておられるのですか?(深読みしすぎでしたか?)
168 :
神も仏も名無しさん:2009/08/16(日) 03:55:13 ID:e0Zc/JzQ
『パワー』ということで思い出したが、どこかのサイトでかつて「パワープロセシング」というのがかつて菜園にあり、80年代に使用されなくなったとあった。
その真相をめぐって「それはあまりにも効力が大きすぎて、他のプロセスの必要性が減少することへの協会側の懸念からではなか?」と噂されていたのだと言う。
その真偽のほどは知らないが、そのプロセスは如何なるものなのでしょうか?
ご存知であればご教授願へますか。
そのプロセスを自分で試し自分にとっての効果を見てみたいのです。
>>166 パワーの大きな魂は、行動力に優れている。
ケースレベルの高い魂は、判断力に優れている。
堀江貴文はパワーの大きな魂で、姜尚中はケースレベルの高い魂だ。
>>169 ケースレベルについては納得できたのですが、
パワーは表層に現れない部分もあるんじゃないですか?
現れてない部分ばっかりは、ケースレベルを昇ることで
表出させていくしか、パワーの総量を知る術は無いんで
しょうか?
>>168 NEDでクリアーにならなかったPCに対して、パワープロセスは今でも適用されている。
>>170 個別の魂のパワーの総量を具体的に測る方法はない。ケースレベルが同じ2つの魂を比較して、行動力の大きいほうがパワーも
大きいことが一般的だとしかいえない。
172 :
究極の自由:2009/08/16(日) 17:02:09 ID:e0Zc/JzQ
オールド・タイマーさま。
アバターの入門コース(第一部)の練習課題に「拡張練習」(瞑想)と言うのがあります。
@あなたが占めている空間の印象を持ってください。
Aそれはどれくらい遠くまで拡がりますか?
Bできるかぎり力を抜いて、あなたの空間を全方向に拡張させてください。
Cすべての人と物を含んでください。
Dでは、今創り出した空間が、あなたの中にあるという印象を持ってください。
Eあなたがどこから来ているのか感じてください。
(@〜Eまでを3回繰り返す。)
菜園及び自由領域の技術とは違うものですが、私が受ける印象として、驚くほどの効力とでも言うのか、洞察を促すというのか、
うまく言葉にできないのですが、深遠な哲理が込められているように感じています。
テキストによればこの練習の目的は「和解」だとあります。
そこでオールド・タイマーさま。
これに関して、幅度の公理との関連やあなたのご意見等、聞かせていただけませんか?
>>169 姜尚中の判断力が優れている、とは噴飯ものですね。
>>173 そうか?あの人の話を聞いたけど、彼は本質的な理解によって物を言ってると思うけど。
>>174 ネチネチネチ、因縁をつけてとにかく反日侮日の方向に持っていこうとしているだけにしか見えませんが。
失礼ながらあなたの「本質的な理解」という言葉に笑ってしまいました。
>>175 彼の政治観に「政治とは、他者を受け入れ、そして自身を受け入れてもらう試み」という概念がある。これは理想的な政治の在り方に対する本質的な解釈で、方程式を解く鍵となりうる定義であると自分は考える。
>>176 様々な政治討論番組での彼の態度を見ている限り、その逆をやっていますね。
要するに在日朝鮮人特有の、反日・侮日を是とする稚拙なルサンチマンが根底にあって
彼を突き動かしていることは明らかです。
とにかく最後は日本が悪い、というところにいつも結論を持っていこうとしている。
オールド・タイマー氏が歴史とか現実的なこと書くとこういう展開になるなあ。
自分としては、その人物の判断力とその人物の見解や思想は別物という気がするが。
俗なことでスレ違いなんですが、流れで聞かせてください。
オールド・タイマー氏は、投機に興味があるとのこと書かれてますが、
ジェイコム男ことbnf氏については、どのような印象持たれてますか??
あと、一連の金融危機について。
時間があったらでいいんで、よかったらレスください。
179 :
神も仏も名無しさん:2009/08/17(月) 04:03:18 ID:7/M0+64J
オールド・タイマー氏の言う「姜尚中はケースレベルの高い魂だ」という判断の根拠を聞かないと、
議論にはならないね。ただパワーとケースレベルの区別を感覚として捕らえることができた。
>>179 オールド・タイマー氏が単にそう感じてる・思ってるでいいじゃん。
あいつはナイスガイだレベルの軽い書き込みでしょ。
このスレの趣旨と関係ないところで議論しても意味ない。
このスレで意義のある書き込みがほぼオールド・タイマー氏の書き込みって
状況で、変なとこで争っても意味ない。
前に突っかかった人は、釈迦についてだったけど、せめてそのレベルでの
争いが生産的だと思う。
>>173 視点が違う。俺は思想の中身で姜尚中を判断しているのではない。
姜尚中は在日でありながら、日本の学術界で、しかも在日であることがかなり不利になる分野で、のし上がっていった。そのような
ことを成し遂げるには、人間関係や発言などで、注目を集めつつも潰されはしないような、ぎりぎりの判断が常に必要だったに
違いないと思う。判断力が優れていなかったとしたら、途中でつぶされていたに違いない。
>>176 うむ。そして、彼自身もちゃんと、東大に受け入れられている。発言と結果に矛盾はない。
>>178 bnf氏は天才だ。彼の戦術のかなりの部分が、移動平均からの下方乖離を狙う逆張りだ。
市場の効率性は市場参加者の見解が多様性によるものだから、見解の多様性が失われているときには、市場は無秩序ではなく
混沌であり、非効率になることがある。カオス的な市場を高速で読み解く才能がbnf氏にはある。
無秩序の海に浮かぶ混沌の島の大きさを測定する手順に基づいたシステムで、銘柄によってはPF > 20を超える期間が
4〜5年あったりするのだが、その後に大きなドローダウンを食らう。機械的な手法でbnf氏の才能の代わりになるものは、まだ
見つかっていない。
>>181 >姜尚中は在日でありながら、日本の学術界で、
>しかも在日であることがかなり不利になる分野で
何もわかっていないんだな、君はw
日本において腫れものを触るように特別扱いされている在日だからこそ、
優遇されているという現実をわかっていないよ、君はw
在日を普通の日本人と同じように扱ってさえ差別だと非難される。
在日だ、というだけで優遇されてしまうのが今の日本社会。
>>182 在日が優遇されているのはせいぜい大学入試あたりまでの話で、教授選考レベルになれば関係がないことばかりだ。
こと国公立の大学教授選考の場では在日であるほうがずっと不利だ。
東京外国語大学ですら、教授はほとんど日本人なのだよ。本学所属でも在日は准教授止まりだし、客員でも欧米人は客員教授が
多いのに、アジア系はほとんど客員准教授だ。
>>184 まったく違う。
あなたは大学の実情をまるで知らないようだね。
今の大学、特に国立大学の教授職にあるような連中は、
学生運動世代、団塊の世代やその少し後の世代が大部分であり、
反体制であることが是であるという姿勢に未だに固執し続けている連中が山ほどいる。
在日を優遇すること、虐げられた者としての女性を過度に優遇すること、
そういう理不尽な「逆差別」が、大学の人事においてまかり通っている、
という現実をあなたは知っておくべきだな。
あなたはサイエントロジーに関しては我々より知識はあるかもしれないが、
自分の知らない分野に関してまで訳しり顔でコメントするべきではない。
そのような言動は、あなたのフリーゾーンに関する書き込みに対する信用度をも低下させてしまうだけだろう。
たとえば、西部萬氏が東大教授職にあった時代、彼が中沢新一氏を哲学科教授として招聘しようと
教授会において提案し働きかけた際、どういう反動があったか調べてみるといい。
ガチガチの左翼、あるいは左翼シンパの巣窟と化しているんだよ。
>>185-186 書き込みから若さが伝わってくるなあw
こんなとこでこんな議論してもしょうがない。
そもそもの始まりは、姜尚中の判断力が優れてるという書き込みだったけど、
逆に君のいうようなアファーマティブアクションがあると知って、
東大教授になり、ここまで有名になったのなら、判断力が優れているといえるw
姜尚中の判断力が優れてるか否かという議論に出口がないのは分かるべきだし、
「自分の知らない分野に関してまで訳しり顔でコメントするべきではない」
とかのコメントは2ちゃんねるでするには、ちょっと幼稚すぎるよ。
俺も「スレの趣旨に関係ない書き込みで挙げ足をとるべきではない。」
とか言ってみようか。
大切なことは、オールド・タイマー氏の菜園に関するレスを楽しみにしてる
ものが多いということ。
神のように崇めよとは言わないし、食ってかかってもいいと思うけど、
それなりの話題にしてほしい。
オールド・タイマー氏には気にしないで書き込んで欲しいな。
>>185 教授選考で在日優遇人事なんて存在しない。現実に、在日外国人であることが職業上極めて有利であるはずの東京外大でも、
在日は教授にほとんどなれないんだよ。
仮に左派的な気質が大学にあっても、それは左派優遇につながるだけで、在日優遇にはならん。
(在日との親密ぶりでは、やはり、右派が左派を上回る。国際勝共連合って組織もある。安倍晋三が統一教会結婚式に祝電を
送ったのは、その父親が勝共推進議員だったことと関係が深い。)
西部が教授だったんだから、東大はそれほど左翼的ではなかった。西部が外大から抜擢しようとした中沢についても、教授会は当初
賛成派が多数だった。
件の駒場騒動で、教授会は中沢ではなく山脇を選んだが、対抗馬も日本人だった。
中沢は、その後、オウム事件で、学者と弁護士の批判の的になった。結果として、教授会の判断はまずくなかった。
中沢を巡る人事騒動についていえば、そもそも、東京外大に野外派 ― 外国に出かけ、文化にどっぷりつかって帰ってきた人 ― を
優遇する傾向が強かったのに対し、東大には書斎派 ― 数多くの論文を読み、書き、対象からはある程度距離を置いて分析する
人 ― を好む傾向がある、と当時外大一般教養で言語学を教えていた杉田先生の話を思い出す。
ネパールで僧侶の修行を積んだことがある、つまり、書斎から出て野外に長く身を置きすぎたことも、中沢が東大の教授会に好ましく
思われなっていった経緯に関係があるかもしれない。
>>188 あはは、じゃあそういう君の書き込みは何なんだよw
ここはフリーゾーンについて語るスレなんだろ?
もともとは俺が最初に立ち上げたんだがね。
>>189-190 西部−中沢の一件は硬直化した大学組織の一例として挙げたまで。
とにかく、大学の人事が訳の分からない左翼的政治思想、政治的思惑によって動かされていることは事実なのだ。
大学に籍を置いている人間が言ってるんだから間違いない。
あんたはフリーゾーンについて語っていればそれでいいんだよ。
余計なことに言及せんでいい。
192 :
1991:2009/08/18(火) 01:09:22 ID:JiWaGdmT
A:「鳥は、飛びますか?」(質問1回目)
B:「あなたは、鳥が、好きなのですか?」(コメント)
A:「・・・」(黙って、観察)
A:「鳥は、飛びますか?」(質問2回目)
B:「その質問、辛いです。」(オリジネーション)
A:「どうかしましたか?」(ハンドル1)
B:「昔、飼っていた鳥を思い出しました。」
A:「はい、解りました。大丈夫ですか?」(ハンドル2)
B:「ええ」
A:「質問を繰り返します。鳥は、飛びますか?」(質問3回目)
B:「はい、飛びます。」
A:「ありがとう。」
ここで、言えば、菜園技術の質問と
その答え以外は、コメント扱いで、
お願いしたいです。
それとも、old timerさんとしては、
オリジネーションのハンドリングに
当たるのでしょうか。
「鳥は、飛びますか?」=みなさんからの菜園技術に関する質問
「飛びます。」=old timerさんの回答
コメント=「・・・」(old timerさんは、聞き流す)
で、いかがでしょうか。
質問です。
>>159 の「自分の肉体の内部、表面、周囲にある他者やその断片のことだ。」についてですが、ある時代に切腹したときの痛みとそのあとに介錯された
際に首に打ち込まれた刀の痛みが、たまに再刺激される場合、その痛みのもとは、過去の自分ではありますが、その自分もBTということになりますか?
上記の説明にある「他者」とは、今の自分以外、つまり過去世の自分も含めBTということなのか、それとも過去世の自分は、今の自分とは、分離
して、ここには、いない断片ということでしょうか?
193 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 01:15:22 ID:6ATFzRii
「大学に籍を置いている人間」の<判断力>のなさが如実に露呈されたコメントをもって、
このフリーゾーンについてのこのレスも終了か。。。
嘆かわしいことだよ。
ところで話は変わるのですが、最近2012年12月がヤバいと時々聞くのですが(マヤ歴とかインドとか)、自由領域や菜園界でそれについて何か話題になってますか?もし見解などありましたら是非お聞かせ下さい。
195 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 02:01:08 ID:6ATFzRii
数多くのプロセスを行い大量チャージを解消し、幾多の洞察も得、情緒的には安定し、思考力も改善した。
意図することで他者の問題を消し去ったり不快感を瞬時に消尽させ、他者の身体に埋め込まれてるかのように感じられるBTを解放することで
ある程度のヒーリングもできるようになった。しかしそのような能力は幾分向上したものの、木星はおろか目の前のティッシュペーパーすら
意のままにコントロールできない。
外在化し地理的に他の場所を知覚することも時には可能だが、こういった能力向上の延長線上に「自由」があるのか、
よく分からなくなってしまう。
いったい菜園の技術や公理から導き出される百種のプロセシングはぼくらをどこに導くのだろう?
オーストラリアにまったく食べずに生きてる女性がいる。
そういうことすらぼくらにはまだ可能ではない。
菜園はこの物質宇宙に対し、何を目的としているのか?
菜園の隆盛が目的では?
197 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 02:48:17 ID:6ATFzRii
現在自由領域で開発されているOT技術を誰か日本語化してここに公開してくれませんか?
翻訳がさほど厳密でなくても、質疑等を行うことでその意図するところが把握できるだろうからです。
(そもそも言語を用いてのプロセスですからネイティブと言えどもある程度の誤読は当然です)
それらを実践しケースレベルを上げ理解を向上させていくかなくては「日本における自由領域」は「向こう任せ」で発展することは決してないでしょう。
技術の日本語による公開が行われ、それとともに新たな技術を開発し成果をあげていくこと。
ここに集まる方々がそういうことに興味をもってくれるといいのですが、どうでしょう。
つまり、このレスをそういう目的を追求するスペースとして捉えて行くわけです。
オールド・タイマー氏は格別に言語に秀でていますし、菜園のこともよくご存知です。
氏の才はその領域において、われわれにもっとも有益なる貢献を果たすでしょう。(ちなみに氏は苦笑いするでしょうがね!)
198 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 02:52:12 ID:6ATFzRii
196さん、「菜園の隆盛が目的では?」との明答、イケてます。合点がいきました。
では自由領域の目的は?
199 :
超初心者:2009/08/18(火) 03:11:44 ID:k93BmKQN
最近、サイエントロジーとかダイアネティックスに興味を持ったものです。
かなりロムったつもりなんですが、ちょっと分からないことがあったので、
誰でもいいので教えてください。
オールド・タイマー氏のルーティーンで、
「これはセッションです!」
内在化がないことを確認→あればUCPだけになる。
L&Nエラーがないことを確認→あればL&N修復
気分を害したことの処理(超簡易グレード3)
・・・とありますが、
内在化とは何ですか?外在化についてはいろいろ書かれているのですが、
内在化のないことの意味が分かりませんでした。
UCPのやり方については、氏が書かれていたのでわかります。
あと、「L&Nエラーがないことを確認→あればL&N修復」
この部分も分からないです。
専門用語に加え、略語も多いので、何度も読んだんですが、ちょっと分からなかったです。
早くソロでやりたいので、質問させてもらいました。
よろしくお願いします。
>>198 「自由領域の目的」の回答は控えるが、
菜園の技術に反する、より効果的な技術が認められた場合、
今の菜園の関係者はどういう態度をとるかな?
こういう場合は、まだ自由領域の方が見込みがある。
>>194 ない。ノストラダムスの予言のときにも、特に騒ぎはなかった。
>>195 菜園は、実践面で目的からの一時的な(?)逸脱が見られることはあっても、各人の自由、つまり、選択の幅を拡大することを目的と
している。それは教会でも自由領域でも変わらない。
>>197 来年の8月の終わりまでには、翻訳の方針を決めて、いくつかの文献の翻訳を出すつもりでいる。今のところ、次のように考えている:
・政治色の強い内容を含む文献を避ける。
・「菜園」などの隠語を使用する。
・菜園用語などについては、なるべく訳語を考案する。
・仮定法過去は日本語にも存在するので、仮定法過去を用いて訳す。
・英語の文と日本語の文で口語上に意味合いが異なるものについては、翻訳の工夫で対処する。例えば英語での受動態表現では、
隠された主体は自己を含むが、日本語ではそうではない。こういう場合には、受動態表現を能動態表現に変更する。
英語 ― 「Has money been stolen?」
日本語 ― 「あなた自身または他の誰かや何かが、お金を盗んだことがありますか?」
・英語の文と日本語の文で大きく意味範疇が異なり、翻訳の工夫でその差異を解消できない場合には、R要因の前置きで対処する。
英語 ― 「From where could you communicate to a catfish?」
日本語 ― R要因「このプロセスにおいて、あなたの回答は現実的なものに限定されていません。また、回答の内容は場所で
あっても、あなた自身や何かのある部分であってもかまいません。」 + 「あなたはどこからナマズに何かを伝えることが
できそうですか?」
>>199 外在化した後に肉体に戻ってくると、内在化したことになる。肉体が死ぬと人は必ず外在化する。そのため、肉体の死によるもので
なくても、外在化は過去の肉体の死の出来事を再刺激する傾向があり、そのような状態で現在の肉体に戻ると、頭痛をはじめとする
特徴的な症状が発生する。
L&Nエラーは、L&N型の質問に対する唯一正しい項目が見つからないまま放置されていること。「L&N」は「listing and nulling」の略だ。
以下は簡単な説明であり、L&Nの全容を網羅しているのではない。
「LFBD」とは「long fall blow down」のことで、メーター上で大きな反応があり、TAが下がることだ。
例えば、「誰または何がナマズを捕獲することに反対するでしょうか?」(←説明のためにチャージに関係なさそうなダミーとした)は
L&N型の質問で、PCは答えを列挙し、LFBDする項目を口にすればそれをオーディターが「あなたの項目は〜です」のような形で
PCに告げる。これがL&NのLの部分だ。
LFBDする項目がなく、PCの答えが尽きてしまったら、オーディターは列挙された項目のリストを読み上げる。もとの質問が適切な
L&N型であり、チャージの存在の有無などの確認などを含んでセッションが適切に行われていれば、読み上げの繰り返しでリスト上で
反応している項目の数は減っていき、最終的に1つだけになる。この最後に残った項目をPCに告げれば、メーター上ではLFBDが
見られるはずだ。これがN。
プロセスによっては、LFBDではなく別の種類の反応が優先されることもある。
L&Nエラーの修復は少々面倒なので、L&N修正リストというあらかじめ用意されたリストに沿って行われる。このリストは教会でも
入手可能だが、自由領域版もそのうち翻訳するつもりだ。
>>192 切腹と解釈の痛みはエングラムに分類される出来事の一部として記録されているので、BTではない。
断片の分離は、目的に対する強い異議によって発生する。
204 :
1991:2009/08/18(火) 11:49:49 ID:LXb/W19O
>L&N型の質問に対する唯一正しい項目が見つからないまま放置されていること。
日常の会話などで、L&Nエラーと同等なことを
起こさないために気をつけることは、ありますか?
L&Nエラーを起こしている人の具体的な兆候をいくつか教えてください。
---
>以下は簡単な説明であり、L&Nの全容を網羅しているのではない。
LevelVを学んだときのチェックリストに1〜2ページで、10項目ほどの
注意事項?的なものを丸暗記する課題があったのですが、あれが、何だったのか、
ここに具体的に書いていただくことは、可能ですか?
---
>「LFBD」とは「long fall blow down」のことで、メーター上で大きな反応があり、TAが下がることだ。
たぶん、この質問をされた
>>199 の方は、LFBDが、起きると何が、どうなって、その人は、どう
変化するかについてリアリティーがないと思うのですが、
説明いただけませんか?
205 :
1991:2009/08/18(火) 11:51:25 ID:LXb/W19O
>>202 >例えば、「誰または何がナマズを捕獲することに反対するでしょうか?」(←説明のためにチャージに関係なさそうなダミーとした)
逆に多くの人にL&Nエラーを起こす可能性のある危険な
質問もありますか?
---
>この最後に残った項目をPCに告げれば、メーター上ではLFBDが
見られるはずだ。これがN。
nullingは、訳すとどうなりますか?
---
>プロセスによっては、LFBDではなく別の種類の反応が優先されることもある。
このことについては、LevelVのコース中に言及されて
おりましたでしょうか?
---
L10,L11,L12は、結局のところL&Nを行うのでしょうか?
>>193 判断力が欠如していたのはどうやら君のほうだったようだなw
207 :
1991:2009/08/18(火) 12:01:17 ID:LXb/W19O
>>203 ありがとうございました。
>断片の分離は、目的に対する強い異議によって発生する。
これは、どうしても受け入れられない過去世の自分(その能力を
含め)という理解で、合っていますか?
208 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 12:29:23 ID:6ATFzRii
オールドタイマー様、BTはどのように知覚されますか?「鼻の中から2〜3のBTを出した」時、そのBTは鼻よりも小さく感じられましたか?
>>204 L&Nエラーの症状は通常のARCブレークと似ている。
日常生活で、答えるのが困難であれば、「誰が〜?」といった形の質問をみだりにやらないほうがいいとは思う。
『L&Nの法則』として教会で丸暗記させられているアレは自由領域では誤りであるとみなされている。特に、PCがある項目を唯一正しい
項目だと主張しても、それだけでは、その項目が正しいことにはならない、と自由領域では考えられている。PCが唯一正しい項目を
容易に見つけられるのであれば、L&Nをやる必要はない。
いわゆる「規範的な技術」で通常リードとみなされるのは、small fall, fall, long fall, long fall blow downだ。LFBDが起これば、リードが
発生しているだけではなく、チャージそのものが解決されている可能性もあり、L&Nでは最終現象を示唆することが多い。
>>205 抑圧者についての質問をすれば、かなり多くの人にL&Nエラーが発生するかもしれない。セッション外でやらないように。「何が
起こったんですか?」は安全だ。
「nulling」は「絞り込み」と訳してはどうか?
教会の現行レベルIIIでは直接扱われてはいないが、LFBDではなくロケットリードが必要とされるプロセスもある。
L'sではM6という技法がつかわれる。かつては旧レベルIVで教えられた技法だ。旧アカデミーレベルは極めて高度だった。
>>207 裏NOTsの練習として、自分の一部に別の目的を与え、それに強い異議を唱えることで断片を分離し、断片の注意を再び
自分のほうに引き寄せることで再統合させるというのがある。
分離は日常の生活の中でも起こる。断片がいつ分離したのかは、断片ごとに異なる。1兆年前に分離した断片もあれば、昨日分離した
断片もあるかもしれない。
>>208 自分の場合は、痛みより圧力としてBTを知覚することが多い。
BTの見かけ上の大きさについての質問は斬新だ。そんなことは考えたことがなかった。考えてみると、BTを中心として、
半径数cm〜10cmくらいに圧力が感じられるような気がする。
211 :
神も仏も名無しさん:2009/08/18(火) 18:19:24 ID:6ATFzRii
206さん、「判断力が欠如していたのはどうやら君のほうだったようだなw」とのコメント、うん、正にあなたのおっしゃる通りでした。すみません。
それにしても、フリーゾーンについてのこのレスが終わらなくて安心しました。
久しぶりの1991さんをはじめ、みなさんありがとうございます。
そしてオールドタイマーさんに感謝!ぼくだったらきっと拗ねて止めてしまったことでしょう。(←一緒にして申し訳ない。)
さ、もっと精進しよっと。
212 :
1991:2009/08/19(水) 01:00:28 ID:neXKv2Pf
>>209 ありがとうございます。
>「nulling」は「絞り込み」
L&N=抽出と絞込み
という感じですか?
L&Nについて、書いていただいたことを読んでいて、
LevelV最後のL&Nの実習で、PCが、突然、過去世に入り込み
結果LFBDしたことを思い出しました。
自分の断片分離は、今生の自分で、嫌気が差した際にも
起きるものという印象ですが、合っていますか?
抑圧者についての質問と「誰が〜?」は、気をつけます。
213 :
1991:2009/08/19(水) 01:07:04 ID:neXKv2Pf
>>211 ここに集う人たちは、基本的に罪を憎んで人を憎まずというスタンスで、
教会を見ながらも、菜園技術を確信し、自分の環境では、自分こそが菜園
戸呂辞素徒という自覚を持ち、より良く現在の環境に適用している人たち
であることを願っています。
214 :
1991:2009/08/19(水) 01:57:11 ID:neXKv2Pf
コミュニティを作ってみようと思います。
このスレッドを知り、old timerさんに再会し、このまま、
2ch発というだけでは、日本でのFreezoneとして少々悲しいものが
あります。(教会に目を付けられ、可能性として操縦士事件のような
未だグレーな問題も危険性として孕んでいることも承知です。)
old timerさんの掲載内容をカテゴライズしてまとめたり、
このスレッドから、本気な人を募って、オフ会を開催して
交流したり、Freezoneのプロセスをツインを組んで行うなど
なんとか教会を刺激しないように進めてみたいと思うのです。
old timerさんの可能な範囲で、Freezone翻訳記事掲載、技術解説
など協力いただけませんか?(もともと教会で、名の知れたオー
ディターであることは、承知しておりますので、オフ会の参加
などは、無理と理解しています。)
日本でのFreezoneの展開を理想的に行いたいと言うのが、願いです。
いろいろ方法は、あると思いますが、一先ず、コミュニティからの
展開を試行してみようと思います。
ご意見をいただけませんか?
菜園教会って、フリーゾンと敵対した事がある?
216 :
神も仏も名無しさん:2009/08/19(水) 05:45:05 ID:1RJ8W3uV
1991さん、すごい。あなたのように実際に動いてみようとする人を人々は求めてた。
必要性は自覚しつつもぼくは動けなかった。誰かがやるだろうと待ち続けてただけだった。
日本でのFreezoneの始動。まず「コミュニティからの展開を試行」してみること。そのゲームはすばらしい。
>>212 断片の分離は、新たに設定された目的とそれに対する強い異議によって発生する。単に自分に嫌気がさしただけでは起こるとは
限らないが、そういうときに起こることもあるだろう。
分離の瞬間、能力と公平性がほんの少し失われる。
--
「誰が〜?」でも、簡単に答えられるものなら問題ない。例えば、MWHの処理で、「誰がそれにもう少しで気がつきそうに
なりましたか?」のような質問があるが、それはもともとMWHを突き止めているので問題は生じない。
あまり神経質になる必要はないのだ。
>>214 翻訳方針の決定には来年の8月終わりまでの時間をもらいたい。現在、方針修正と試訳の繰り返しを行っている最中だ。
文献は膨大な量に上るが、今のところ翻訳をやる人員は俺1人なので、どうしても最初に方針をきっちり決めておかなければ、
教会と同じように、オーディター指導の現場で語訳の対処に忙殺されるという事態を避けられない。
それまでの間、過去のスレから時々簡単なプロセスを選んで再投稿し、新しくスレを読み始めた人の実践にもある程度の利便性を
確保したい。
Scientology−Freezoneについて
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1156682393/71 71 名前:old timer ◆64ZQ9HnmXA [sage] 投稿日:2006/09/08(金) 17:09:36 ID:pUnoxCG5
ソロでもできる簡単なプロセス
1) 話かけづらい人物を思い浮かべる。
2) その人物を一般化する。
2) 自分に意味をなし、興味の湧くフローだけをやること。
フロー1: その人物がどこから自分に意思を伝えることができるかもしれないのかを
考える。気分が少しでもマシになるまで、これを何回も繰り返す。以下同様。
フロー2: 自分がどこからその人物に意思を伝えることができるかもしれないのかを
考える。
フロー3: その人物がどこから誰かに意思を伝えることができるかもしれないのかを
考える。
フロー0: その人物について自分が自分自身にどこから意思を
伝えることができるかもしれないのかを考える。
一般化するとは、例えば、「佐藤くん」→「あるひきこもり」のように、固有名詞をそれが
属するクラスに変換することだ。「ある」を先頭につけるのがいい。一般化する理由は、
プロセスが現在の生活の存在する人物だけではなく、過去の人物についても効果を
発揮できるようにするため。
このプロセスはもともとフロー2しかなかった。「From where could you communicate
to …?」がオリジナル。ソロ用は当然、「From where could I communicate to …?」となる。
「could」は仮定法の助動詞で、このプロセスでは想像力を逞しくすることが
期待されている。現代文明の常識に囚われてばかりではいけない。
念のためにいっておくと、このプロセスだけでグレード0が達成されるのではない。
>>217 翻訳されるのは、OT段階のみでしょうか?
未経験者は対象外?
>>219 最初に『Self Clearing』の翻訳を予定している。これは教会の橋の主要プロセスの全てに相当するものが含まれている。
ありがとう御座います。
協会にかかわらず、ブリッジ?が提供されるのは有難いです。
222 :
1991:2009/08/19(水) 14:21:51 ID:AHPS3Wjm
>>216 ありがとうございます。
日本でのFreezoneについては、old timerさんのこれまでの
様々な発言や自分自身の想いからも、こんな風に考えています。
・教会との関係で、自分が被害に遭ったと当初、思っていた。しかし、
今は、それを拒絶できずに受け入れてしまった段階で、自らの責任
であると認識している。そして、教会に対して関係を断っているい
るにしても感情的には、リリースしている。あるいは、そんなことは、
どうでも良いことと割り切れている。
・菜園技術に立脚しながらも菜園技術を狭義的にとらえることなく
短期的には、能力向上や過去世を見てみたいなどの動機であっても
長期的には、原始仏教を始め広く精神世界の知識、技術も理解を深め
洗練されバランスの取れた存在を目指してみたいと考えている。
>>217 ありがとうございます。
old timerさんのご協力が、得られることは、生命線でも
ありましたから、感謝いたします。
こちらは、まず、コミュニティをセッティングするとこから
始めます。
---
もし、直接、ご連絡いただけて、自己紹介可能で、
かつ、上記の展開に参同いただける方が、いらっ
しゃいましたら、今回は、sage→メアドとしまし
たので、メールをください。
223 :
究極の自由:2009/08/20(木) 06:40:37 ID:afXt9Pe+
2006/09/26のレスにあるUCPについてですが、1)の問いで私の場合「いたことのある」場所で起こった「出来事」が想起されてしまうのですが、
この問いの趣旨は「出来事」の想起ではなく、あくまでも「いたことがあるところ」の想起なんですよね?
また、このプロセスは「菜園の公理に反していない」と書いておられますが、その公理とは?
1) 自分がいたことがあるところを思い浮かべる。
2) (1)で思い浮かんだところと今いるところに交互に注意を向け、それを3回繰り返しても
精神的な変化が現れなくなるまで続ける。
3) 自分がいることになるかも知れないと少しでも思えるようなところを思い浮かべる。
4) (2)で思い浮かんだところと今いるところに交互に注意を向け、それを3回繰り返しても
精神的な変化が現れなくなるまで続ける。
>>223 「いたことがあるところ」は空間なので、その中に何かが含まれていてもいい。
公理は菜園公理のことで、全部で58ある。
225 :
1991:2009/08/20(木) 07:50:05 ID:t+Lv+1CM
>>222 思った以上(良い意味で)の反響で、驚いております。
ありがとうございます。
226 :
究極の自由:2009/08/21(金) 02:35:44 ID:Uwt7BcRg
オールドタイマーさま、UCPについての回答ありがとうございました。
ところで58の菜園公理はどれかの書籍に記載されていますか?
わたしが特に関心を持つのは、その公理をどのように用いて<ある特定のプロセス>をどう評価するのかと言う点です。
それが分かれば自分でプロセスを開発できますし、菜園や自由領域以外の様々なテクニックやプロセスを評価できます。
もちろん、その公理の真偽についてはあらためて考えてみる必要もあるでしょうが。。。
227 :
神も仏も名無しさん:2009/08/21(金) 12:05:59 ID:Uwt7BcRg
菜園公理は物質宇宙内の事象には適用可能だが、そこからの完全な自由には適合しないと思う。
公理はある宇宙を創造する体系のようだ。その真偽は目的しだいではないか。
公理はWhat is 菜園と、菜園基本の書0-8に載ってたよ。
>>226 公理の1つ1つにプロセスが反していないかどうか、確認する以外にないと思われるが……公理に反しないプロセスは、
チャージの直視すること、または、チャージを直視する能力の向上につながるはずだ。
ちなみに、位置属性を持つあらゆるものはチャージだ。
>>オールド・タイマー様
オールド・タイマー様の書き込みを参考にソロでやってるものです。
ソロしかもメータ無しの辛さで、自分でやってることが正しいのか
どうかの迷いがあります。
たとえば、UCPにおいて、思い浮かべるとは具体的には、どのようにそしてどれくらいの
精度、長さを持って思い浮かべるのでしょうか。
オーディティングにおけるリターニングのような感覚でしょうか。
厄介事とそれについての嘘とかでも、どのように想起すればよいのか
分からないです。
オールド・タイマー様の感覚を教えてもらえればうれしいです。
231 :
神も仏も名無しさん:2009/08/24(月) 02:55:39 ID:z3+QfU2L
チャージに関してですが、思考・感情・努力は「感じつくす」ことで消去できますし、
「完全なデュプリケーション」の練習をすると、自分の眼からはその対象(物体)がしばらくの間、見えなくなります。
しかし、それは自分から見てということであって依然としてその物体はそこに存在します。
『位置属性を持つものすべてがチャージである』のは分かりますが、物体のように多数の合意によって存続しているものも
個人が単独で消し去ることは可能ですか?
また「感じつくすこと」と「完全なデュプリケーション」と「あるがままに見ること」との間には、
何か波長といいますか、帯域等の違い、あるいは原理の相違があるのでしょうか?どれもが個人的な事柄が対象である場合には、同じようにチャージの消去が可能なので、
どうしてなのかと思ってしまいます。
>>230 ソロUCPはテキパキと実行するのが良い。もともと精度は問われない。思い浮かんだ瞬間に、思い浮かべるという
オーディティング指示は完了している。
思い浮かべるのに所要時間は、あくまで俺個人の場合だが、ソロで約1秒だ。さらに短い時間で注意を切り替えている。
オーディティングのスタイルには、レベル0の聞くスタイル、レベル1の口枷をしたスタイル、レベル2の導くスタイル、レベル3の
省略されたスタイル、レベル4の直接的スタイルがある。(ただし、これらのレベルは旧レベルのことだ。)
UCPをオーディターから施してもらう場合には、聞くスタイルだ。俺がUCPをソロでやってみようと自由領域で提案し、数人の
試行錯誤の結果、口枷をしたスタイルのほうがよさそうだという結論に至った。「3回」ルールはもともとUCPの一部ではなく、口枷をした
スタイルで行われるオブジェクティブプロセスのルールを持ちこんだものだ。
口枷をしたスタイルのオーディティングは、TR3とTR4に近い形になる。
ただし、ソロでは実際に声を出してオーディティングを行うことはほとんどないので、口枷をしたスタイルならば、慣れるに従って
オーディティングコムサイクル1回の所要時間はどんどん短くなる。
ところで、経験したことのないプロセスを扱う際には、メーターを使ったほうがいい。
>>231 多数の合意により存続しているものを消去するには、やはり、多数の合意が必要だ。
電信柱は多数の合意によって存続している。肉体を構成する物質も電信柱と同じように多数の合意により存続している。だから、
電信柱に肉体をぶつけると、たんこぶができたりする。
「感じつくす」「完全なデュプリケーション」「あるがままに見る」のうち、最初の1つははっきりしないが、残りの2つは同じことを
意味している。
233 :
230:2009/08/26(水) 10:16:59 ID:L2jYJyS4
オールドタイマー様、レスありがとうございます。
いろいろ勘違いしていたことがありました。本当に感謝です。
またまた、質問申し訳ないんですが、
CCHとかSCSのオブジェクティブプロセスは、例えばSCSのみで、
ワンセッションどれくらいの時間がかかるものなのですか?
フラットポイントまでだとしたら、個人によって大分差があると思うのですが、
参考までに通常どれくらいの時間がかかるものか教えてほしいのですが。
オールドタイマー様が過去にSCS等により、繰り返しに耐えることになる
と書かれていたので、大分時間をかけるものなのかなと思ったので質問しました。
教会無し・メーター無しでクリアーを作るという、少し無茶な計画を立てています。
@心的映像を見やすくするために、岩盤浴+「アライブ!」などの植物由来のビタミンミネラル剤+オイル+ナイアシンで疑似プュアリフをさせる。
A思考の原理に載っているハビングネスやその他のオブジェクティブ系プロセスで外在化させる。
B自己分析オーディティングで、想起力をさらに回復させる。
C思考の原理の問題のプロセスを最終現象までランする。
DO/Wの書き上げで、心の映像をより鮮明にする。
Eダイアネティックスオーディティングで主にセカンダリーを処理し、リリースにする。
Fダイアネティックスオーディティングで全エングラムを根絶する。
上記の手順に何かアドバイスなどあればご教示願います!
>>234 @ … 橋の一部というより、生活の一部にするのがいい。
A … 良い考えだ。しかし、まずは散歩から始めたほうがいい。そして、当面は外在化にこだわらないことだ。
B … これは良い。
C … 問題を扱うあのプロセスは、チャージからの一時的な解放が得られた時点でいったんは終了されるべきだ。
D … やるのは構わないのだが、問題を扱うプロセスと交互にやるのがいい。
E〜F … 後回し推奨。
全部自前ならば、それぞれを少しずつやるのが楽だ。
Loop{A → B → C → D} → Loop{A → B → C → D → E → F}
まあ、険しい道だが、それでクリアーになった前例がないということもない。
俺自身は自分の体験としてソロでクリアーになったことがないので、EやFをソロでやるのにどのような困難があるのかよくわから
ない。
236 :
神も仏も名無しさん:2009/08/26(水) 23:18:57 ID:oMGZvOob
>>235 有難う御座います。
ソロではなく、オーディティングを人に与える計画です。
教会がコース提供しているメソッドや本にあるプロセスを駆使し、メーターを使わず高確率でクリアーを作れるメニューを作成して、開業するのが当面の自身の目標です。
他に追加すると良さそうなプロセスは有りますか?
>>235 有難う御座います。
ソロではなく、オーディティングを人に与える計画です。
教会がコース提供しているメソッドや本にあるプロセスを駆使し、メーターを使わず高確率でクリアーを作れるメニューを作成して、開業するのが当面の自身の目標です。
他に追加すると良さそうなプロセスは有りますか?
>>236 人にオーディティングを施すのならば、メーター無しは極めて難しいと思われる。自分自身のケースの反応は慣れてくればわかるが、
他人のそれの反応を発生の瞬間に察知するのは常人には無理だと思う。
既成品でも自由領域のメーターは高いもので7万円くらいだ。開業目的ならば、メーターには入手するだけの価値はある。
相互オーディティングについてお聞きしたいです。
オーディティングによって、チャージを軽くしたり、エングラムを消したりするのは可能だと思いますが、失恋の痛手を消すことは可能でしょうか?
前スレ辺りで、オールドタイマーさんはOTでも失恋の痛手を引きずると言うような書き込みがあったと思いますが、その後はチャージを消すようなプロセスを行なって少しでも傷は軽くなったのでしょうか?
恋愛の場合、チャージやエングラムが消えても相手に対する執着心が残ってしまう気がします。
それとも、執着心もチャージだと言えるでしょうか?
240 :
239:2009/08/28(金) 12:13:39 ID:9w+l9tAl
訂正
OTでも失恋の痛手を引きずるは、クリアーでも失恋の痛手を引きずるの間違いです。
>>239 恋愛や結婚は我々を閉じ込める檻である肉体の生産につながる。究極的には、恋愛そのものも逸脱に他ならない。真のOTに
なろうとする人は、いつの日か ― 例えば、10億年後、でもいいのだが ― 恋愛そのものから卒業しなければならなくなるだろう。
とはいえ、それに向かって今すぐ頑張るべきではない。
恋愛については、ある程度チャージを軽減したら、当面は出来事を放置するしかないのだ。
>>238 ありがとうございます。
他人のそれの反応を発生の瞬間に察知するのは常人には無理だと思う、との
ことですが、特に察知するのが難しいケースの種類など分かれば教えて頂け
ればと思います。
>>243 そうですか。
さらに質問なんですが、Eメーターを使ったオーディティングを行う際、
イグザムやらアテストやらは個人でやる場合、どのように行うのでしょう?
あと、教会以外の場所でグレードを提供したりする行為は、教会側としては
禁止しているのでしょうか?教会関係者が、教会以外の場所でグレードを提供
している話を聞いたことがないので、気になってました。
何であんなに沢山の技術があるのに、教会に通っているパブリックは積極的
にテックを使って商売をしないんでしょうか?
>>244 組織を持たず、完全に個人でオーディティングを行う場合、オーディターがCSとイグザミナーを兼ねる。
セッションがFNで終わっているかどうかは、オーディターが自分で知っていることなので、個人でオーディティングを提供する場合、
セッションごとのイグザムは行われない。
アテストについては、アテストを行わせるのが流儀であれば、オーディターがイグザミナーの代わりにそれを行うことができる。
教会以外の場所でオーディティングを施す行為については、教会は禁止していない。家族や友人を無料でオーディティングし、
アテストを教会で行わせることは許されている。職業オーディターとして開業する場合には、開業場所と料金について規定があるので、
教会の担当者と相談する必要がある。
俺が知っている例では、日本で妻が夫をクリアーまでオーディティングした例がある。その妻は元海組織員で元クラスIXだったから、
東京組織の誰よりオーディティング技術が高かったが……
個人開業なら、実際問題として、クラスVグラッドまでの技術が必要だ。そこに達しているパブリックは極少ない。
操縦士の『自己クリアリング』の方法では、橋を何度も繰り返すので、それぞれのレベルについてのアテストはない。自由領域
アメリカ系では、このようなやり方が好まれる傾向がある。
>>245 有難う御座います!
メーターを使ったオーディティングをメニューにした開業だと、クラスVまで修了する必要があるんですね?
例えば、HDA取得後、ブックワン以外に、O/Wの書き上げの監督行為や、本に載っているプロセスなどを、料金を取って行うのはどうでしょう?これは可でしょうか?
ちなみに自己分析オーディティングに関しては、リストをブックワンのセッション内で利用するのはOKだと聞き及んでいます。
あと、大姉でクリアーになったのでは!?という場合は、OTレベルの前にCCRDから橋を始めることになるんですか?
それとも菜園の橋ははじめからしか登れないのですか?
>>247 メーターを使っても使わなくても、PCには内在化RDやEoE内在化RDが必要になることがある。内在化RDはクラスVより1つ上の
クラスVグラッドの技術だ。つまり、現実問題としてクラスVグラッドまでの訓練が必要だ。
教会組織が有料としているオーディティングと同じものを、教会と協力関係のある個人開業のオーディターが行う場合、場所と料金に
関する規定があるので、教会に問い合わせる必要があるだろう。
自由領域のオーディターはもちろん、そのような規定には縛られない。
>>248 ややこしいが、Book1大姉における「クリアー」の定義と、新時代大姉における「クリアー」の定義は一致していない。そもそも、
エングラムの鎖の消去についても、要件が違う。そのため、Book1大姉の「クリアー」がそのままCCRDを受けるとは考えにくい。
しかし、Book1大姉でもクリアーコグが発生する可能性はなくもない。
現在の教会のオーディティングでも、PCがグレード0〜4をやる前にクリアーになってしまうことがある。修正オーディティングで
新時代大姉が使われることがあるからだ。この場合、機会を見てPCにCCRDを受けさせることになるだろう。
PCがクリアーになった後に、グレード0〜4が行われる。
250 :
神も仏も名無しさん:2009/08/31(月) 17:18:28 ID:nHwahRS+
Book1大姉で用いられる技術とと新時代大姉のそれとはどういう違いや発展があるのですか?
またその効力の違いなどを教えてもらえるでしょうか。
>>250 最大の違いは、新時代大姉ではエングラム鎖消去の要件として、PCの過去のポスチュレートの吐露を求めているところ。
手法でも目立つ違いはある。例えば、新時代大姉ではリピーターテクニックなどは使われず、より直接的な時間軌跡操作で出来事の
視覚情報と聴覚情報を取り出す。
Book1大姉では前世の出来事を扱うのが難しい。
252 :
神も仏も名無しさん:2009/08/31(月) 22:14:29 ID:nHwahRS+
オールドタイマー様、回答ありがとうございます。
で「新時代大姉」における「より直接的な時間軌跡操作」とは具体的にはどのような手法なのでしょうか?
それから話は替わるのですが、オールドタイマー様は力を用いず意図によって物体を動かすことができますか?
そのようなことが可能であるとすれば、どのようなプロセスが必要だと思われますか?
また成瀬雅春(ヨーガ行者)が数年前、空中浮揚を行ったそうですが、その原理は何なのでしょう?
菜園や自由領域の技術によってもそれは可能なのでしょうか?
初心者です。
菜園に関する書籍を読んでる最中です。
幅度本がたくさんありすぎてどれを読んだらよいか分かりません。
読むべき重要書籍を教えてください。
「思考の原理」は読みました。
ずっとこのスレをロムってたんで、内容的に一番興味深かったです。
「自己分析」はいろいろやってる最中です。
「ダイアネティックス」は流し読みって感じですが、
最近出された2000円のダイアネティックスのDVDは見ました。
「仕事が楽しくなる本」や子供向けの勉強本も読みました。
「ダイアネ55」も持ってますが、内容が頭に入って来ず、翻訳もよくないので、
挫折中です。
あれもこれもだとキツいので、これはという書籍を教えてくれたら嬉しいです。
今までで菜園の理解が進んだと感じたのは、「思考の原理」でした。
「思考の原理」の次に読むべき本を教えてください。
>>252 新時代大姉の詳しいことについては、R3RA関連のHCOPLを読むべきだと思う。Book1大姉の手順にすぐに取り入れることが
できるようなものではない。
この生涯では、意図により生物の肉体を動かすことに成功したことは何度かある。例えば、銃を突きつけてきた人を昏倒させることが
できたこともある。しかし、このようなことは、外在化の最中以外に起こったことはない。おそらく、外在化していなければ、自分の
肉体が耐えられないのだと思う。
件のヨーガの行者が何をやったのか知らないが、菜園人が同じように見えることをやるとしたら、外在化し、肉体を上から引っ張り
上げるだろう。必要なプロセスは、もちろん、外在化関連だ。
>>253 俺は原文で読んだので、翻訳の質は知らないが、『菜園8-80』と『菜園8-8008』あたりがいいと思う。
>>253 人生への新しい視点、幸せへの道をお勧めします。これらは初心者も理解しやすい内容です。
深く理解したければ年代順に、付随する会議講演と一緒に勉強するのが良いです。
257 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 14:43:30 ID:dlPUc5EA
オールドタイマー様、254のコメントありがとうございます。
『R3RA関連のHCOPL』を読みたいのですが、その資料の日本語訳は菜園で勉強しなくては読めませんか?
また、『自己クリアリング』の中にあるプロセスの中で、オールドタイマー様にとって個人的に効果的だったと感じたプロセスを一つあげるならそれはどれでしょうか?
(その翻訳紹介は可能ですか?)
>>257 R3RAの前身であるR3Rをソロ用に改造したものなら、操縦士の『自己クリアリング』に含まれている。
『自己クリアリング』を最初に読んだ時にはすでにクリアーだったため、俺自身は実践していないのだが、『自己クリアリング』の
中では、多くの人にとって印象深くなるのは、やはり、ソロ用R3Rだと思う。いずれは日本語に訳すことを予定している。
『自己クリアリング』から俺が受けた最大の影響は、むしろ、橋全体の実践指針だ。それぞれのレベルを少しずつやって、橋全体を
繰り返すという方法論は、教会の橋に慣れていた俺には衝撃的だった。
259 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 00:09:17 ID:80J/PEFe
オールドタイマー様、「ソロ用R3R」翻訳楽しみにしています。
で1991さま、日本自由領域始動のときには、Eメーター輸入代行やその使用マニュアルの完備があると嬉しいですね。
ぼくのように英語まるでダメ夫も結構いますし、菜園技術を自信を持って使いこなす為にはやはりEメーターは不可欠なツールだと思うからです。
1991さま、ぜひご検討ください。(甘えてばっかしなんですが、多くの人たちがそう思いつつ投稿できてないと思い、お願いしたしだいです)
260 :
1991:2009/09/02(水) 01:41:21 ID:bqrv+AmF
>>259 Eメーターにつきましては、物理的なEメーターを輸入するというもの手ですが、ネットに回路図が公開されていることからUSBのI/Fで、構築しメーターについては、CメーターのようにPCのディスプレイ上にFlashのActionScriptでリアルに再現させるなどのことを検討中です。
old timerさんの翻訳やここで紹介された内容については、整理して、サイトで紹介できるようサーバを調達しました。
言い訳は、したくないのですが、私も基本、金曜の夜から月曜の朝までバイトして平日は、通常に仕事をしている身でもあるためちょっと進行速度に難は、あると思いますが、ご容赦ください。
261 :
1991:2009/09/02(水) 01:52:39 ID:bqrv+AmF
262 :
1991:2009/09/02(水) 02:10:10 ID:bqrv+AmF
>>261の続き
「Scientology-Freezoneについて」も現在は、3ですが、
1,2は、それぞれ
http://freezonejpn.co-site.jp/2ch/2ch001.html http://freezonejpn.co-site.jp/2ch/2ch002.html にアップしました。
旨く整理できるまでは、上記をご覧ください。
freezonejpn.co-site.jp
につきましては、今後、
・Eメーター作成コミュ
・コオーディットツイン募集コミュ
・・・etc.
といった感じで、自由に菜園技術を実践する人々が
集えるような環境に整備したいと思います。
構想は、発散してしまいそうなくらいにいろいろあるのですが、
マイペースになってしまうことは、ご容赦ください。
それから、念のために申し上げますが、freezone.co-site.jpは、
ボランティアであり、どういう形であれ、金銭的な対価をもとめる
ことは、全く考えていません。皆さん個としての精神的な改善は、
総和として、結局、全ての個に回帰することを意図しています。
どの人にとっても、「あなたの改善は、私の改善!!」と考えれば、
ご理解いただけると思います。
263 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 05:07:11 ID:80J/PEFe
1991さま、スゴイ!ありがとうございます。感謝いたします。
邪魔されないようにsage進行で行きましょう。
1991さま、多謝です。忙しい中ありがとうございます!!
2007/09/17(月) 17:13:31 投稿の『思考などなどを操るプロセス』について質問します。
(原案はMark Ruediによるもの。ステップ(10)とステップ(11)は俺が改変した。)
1) 何かを考える
2) それを自分の上に置く
3) それを自分の下に置く
4) それを自分の右に置く
5) それを自分の左に置く
6) それを自分の前に置く
7) それを自分の後に置く
8) それを自分ともっと大きい自分の間に置く
9) それを自分ともっと小さい自分の間に置く
10) それを自分と未来の自分の間に置く
11) それを自分と過去の自分の間に置く
12) それを自分の空間の中に置く
13) それを自分の空間の外に置く
質問1:8)9)の「もっと大きい自分」と「もっと小さい自分」の「大きい自分・小さい自分」はどういう意味でしょうか?
質問2:12)13)の「自分の空間」とは?
>>265 それはNOTsのレベルの認識が必要なプロセスだ。
(NOTsは基本的にリアリティー層の用語用法で説明され、実践される。)
NOTsでは自分の体の内部や表面にある他者の断片を取り除く。
その背景にある理屈から考えると、自分の断片、つまり、「もっと小さい自分:も、他者の肉体やその他の場所に散らばっている。
そしてまた、その「自分」もまた「もっと大きい自分」の断片だ。
「自分の空間」は今その時点で魂としての自分が支配している空間だ。その大きさには個人差がある。大抵の人にとって、その空間は
肉体に中に収まる。その空間の大きさが肉体の大きさを超えると、意図のみで空間内の任意の物体の位置や運動に影響を与える
ことができるようになる。
外在化すると、その空間の大きさは一時的に拡大することがある。
「自分の空間」とその「外の空間」とにはどのような違いがありますか?
それから「自分の空間」を制限しているものは何なのですか?
というのは「自分の空間」を意図的にしばらくの間拡張させることができると思いますが、そうしていると外部に壁にのような抵抗感を感じてしまい、
どこまでもその空間を広げることができなくなります。この制限(抵抗)は何ですか?これを取り除くにはどうすればいいでしょう?
また自分で広げた「自分の空間」内に不快いな問題を入れしばらくそのまま保持していると、じきにその不快さが軽減ないし消えていきます。
これはその空間内で何が起こっているためにそうなるのでしょう?(気のせい?)
もし「自分の空間」を宇宙大まで意図して拡大させることがでそれをある程度の時間意識的に保持できるなら、かなりのチャージが消去できるのではないかと夢想しています。
オールドタイマーさま、どのうなのでしょう?
>>267 「不快な問題」とは具体的に何のことだろうか?
自分の空間は大抵は肉体の中に収まっている。肉体の中や表面にはBT類 ― BT、GE、LT、targ ― がいる。自分の空間を
広げようとして何かにぶつかるとしたら、その何かはBT類だろう。
267で云う「不快な問題」とは日常生活の中で生じた対人関係の葛藤(の映像や印象、および怒りや落ち込みなどの感情、その他、自然発生的に沸き起こってくる思い)や
心配事(例えば、今月の収益がいつもどおり稼げるだろうか等)や嫌いな人(のイメージ)のことです。思い出したときに不快さを感じる一切と言った方がいいでしょうか。
ところで「空間」はどのように構成されて(創られて)いるのでしょう?
自分の空間とその外に広がって見える空間は何が違っているのでしょうか?
外と内側(自分)の空間の敷居を解除したいと思うのです。
償い はトーンいくつでしたか分かる方教えて下さい!
>>269 空間そのものもチャージだ。つまり、他のチャージと同様、空間は空間を思うことで作られ、空間について嘘をつくことで維持される。
自分の空間とその他の空間を分けているのは、
>>268でいったように、主にBT類だ。だから、NOTsと裏NOTsを気長にやるしかない。
オールド・タイマーさんの書き込みを参考にしながら、
なるべく操縦士さんの原文も見つつ、ソロでやってますが、難しいですね。。。
何かに気付いたらとか、何に気付けばいいのだろうとか思ってしまうのです。
あと、このやり方で正しいのだろうかとか。
ソロの辛さですよね。でも、がんばります。
>>272 だから、メーターを使用するのがいい。
TAがいったん上がり、その後に下がると、TAアクションが生じたことになる。例えば、TAが2.0 → 3.5 → 2.0という動きを見せた場合、
TAアクションは1.5だ。
大姉以外のプロセスでは、TAアクションの量はプロセスの効果に比例する。
オプタームとは何ですか?
>>274 GPM処理においては、ゴールの実現に向けて努力してきたPCがかつてなったことがあるものがターミナルで、そのターミナルと
対立したものがオプタームだ。
>>275 有難う御座います。
ところで、自分のゴールがぐらついていたりぼやけていて(どうやって向かったらいいのか分からない、どこに向かったらいいのか分からない等)困っている時、メーター等を使わず適用できるデータや技術は何かありますか?
>>276 なにか誤解しているのいではないか?
GPM処理におけるゴールは消去すべき過去のゴールのことだ。
--
物事について、
>>276に「もうどうでもいいや」みたいな気持ちを引き起こさせた人々が、今現在、まさに目の前にいるような
状態を、目を開けたまま想像してみる、というのはあるが … 劇薬的なプロセスではある。
オールドタイマーさまの場合、クリアーになられる前とその後では
日常生活での体験や意識状態にどのような違いがありますか?
一般人につきものの不安や心配などはどうでしょう?
またOTレベルになられた状態は以前と比較し如何なる違いがあるのでしょう?
>>278 率直にいって、クリアーではそんなに変わらない。俺はピアノラケースなので、過去の生涯で習得した技能を結構使えるが、
ゲーム全体の再構築には至らなかった。せいぜい、自作曲でコンサートができたくらいだ。作曲で食っていくのは無理だった。
OTレベルはOTになるためのレベルなので、現時点で俺はOTではない。しかし、NOTs系が進んでいくと、自分の今の状態への経緯が
わかってくる。これは長期的には大きな違いになると思う。この今の俺は、0歳で肉体に宿った俺Aと3歳で肉体に宿った俺Bが
再統合したものだ。さらに、別の肉体に宿り、別の人間として生きている俺Cがいるのもわかっている。俺は時々俺Cの肉体に
宿ることがあるくらいだから、俺と俺Cは近いうちに再統合することになると思う。俺Cの肉体はずっと若いので、新たな再統合後の俺は
俺Cの肉体に宿ることだろう。
・俺A: 論理的で判断力に優れる
・俺B: 神秘主義的で、孤独を好む
・俺C: 社交性に優れ、享楽的だ
この3つの再統合後の俺はケースレベルの高さとパワーの大きさを兼ね揃えた魂になるだろう。
オールドタイマーさま、回答ありがとうございました。
とてもやる気が湧いてきました!
☆名誉の規律
1)困っている、危険にさらされてる、あるいは困難にある仲間を決して見捨ててはならない。
2)いったん与えた忠誠を決して引き下げてはならない。
3)あなたが世話になっているグループを決して見捨ててはならない。
4)決して、自分自身を軽んじたり、自分の強さや力を過小評価してはならない。
5)賞賛、承認、または同情を決して求めてはならない。
6)あなた自身が持っている現実性を決して譲歩してはならない。
7)あなたの親愛の情が損なわれてしまうことを決して許してはならない。
8)あなた自身が欲していない限り、コミュニケーションを与えたり受け取ってはならない。
9)あなたの自己決定力と名誉はあなたの目前の人生より重要である。
10)自分自身に対するあなたの高潔さはあなたの身体より重要である。
11)決して昨日を後悔しないこと。人生は今日あなたの内にあり、そしてあなたがあなたの明日をつくる。
12)正当な理由のために他人を傷つけることを、決して恐れてはならない。
13)好かれたり、賞賛されることを欲してはならない。
14)あなた自身の助言者でいなさい。そしてあなた自身の忠告を守り、あなた自身の決断を選択しなさい。
15)あなた自身の目標に忠実でありなさい。
質問:EとFのステートメントついて解説していただけますか?どういうことなのか、イメージが湧かずよく分からないのです
>>281 これは俺の考えに過ぎないが(この前置きは、コース監督の規律に従っている)、Eの原文「Never compromise with your own
reality」は、動詞の用法の誤用を含んでいると思う。「with」を省くとわかりやすくなる。日本語訳は、「汝の現実について引きさがること
なかれ」あたりでいいだろう。
「木曜に来たデートの誘いを全部断るのが賢い女なのだ」というのがある女にとっての現実 ― つまり、世界と彼女の間の合意 ―
だとしたら、相手がどれほどいい男であってお、彼女は木曜日の午前0時0分1秒に来たデートの誘いを断るべきなのだ。
Fの原文は、「Never permit your affinity to be alloyed」となっている。受動態についての日本語と英語の違いに注意をして訳すと、
「汝の親愛の情に汝自身または他の誰かによって不純物が混ぜられることを許すべからず」となる。
人生への適用ということになると、女はお金目当ての結婚に踏み切ってはいけない、とか、裕福であるほど、男は女を慎重に
選ぶべきだ、とかが挙げられる。
身近な事例を観察して思うことだが、夫が医師、妻が専業主婦という家庭は何かと問題を抱えていることが多い。たいてい、妻は
美しく、夫はどうも男として魅力が乏しい。妻は夫を冷たく遇し、何かにつけて不満をぶちまける。収入が多い「勝ち組」のはずなのに、
その夫の日常に俺は同情を覚えてしまう。
一方、40代で生活保護を受けている男が女子高生を恋人にしている、なんて話もあった。この男には金がなかったが、愛を確実に
手に入れていたに違いない。貧乏であるからこそ、恋愛が始まれば、それは必ず本物なのだ。
男として、Fを実践するとしたら … 軽自動車に乗ってデートに出かけよう。お金があって、愛車がポルシェ911であっても、
デートには軽自動車がいい。女が幻滅して離れていっても、結婚後に妻がお金目当ての女だったと発覚するよりもずっといい。
名誉の規律のEF:な〜るほど!合点が行きました。オールドタイマーさま、感謝します。
適用例が身近でとても分かりやすかったです。
ところで279のコメントについてですが、オールドタイマーさまが「俺C」に再統合した場合、
「俺ABの統合体」である現在の氏の意識や記憶はそのまま保持されるのですか?
また「俺C」は「俺AB」再吸収した時点で突然意識状態が変化し、現在のオールドタイマーさまの持つ能力も即、受け継ぐのでしょうか?
現時点で「俺C」は「俺AB」の存在に気づいていますか?
「俺C」に何かが起きると、(例えばショックなことなど)「俺AB」にもその影響が及ぶのでしょうか?
俺ABCにそれぞれ過去世があるなら、統合体であるABCには3つの過去世があるのですね?
このあたりのことを教えていただけるでしょうか。
>>283 俺Aと俺Bのそれぞれは独立した人格としては残っていない。同じように、今の俺もまた、俺Cとの統合によって、
消えてしまうことになる。
俺Cの周りの人間にとって、この統合は俺Cの性格の変化として捉えられるようになると思う。
技能や知識については、資質以外の部分はどう引き継がれるのか、正直にいってよくわからない。
俺Aと俺Bが再統合したのはこの肉体が3歳のときにで、統合の瞬間、心が裏返るような感覚があった。再統合直後に俺が最初に
やったことは、人間の平均的な寿命を調べ、次の肉体の死に備える時間がどれくらいあるのか見積もることだった。典型的な
転生菜園人の行動だ。
少なくとも目的は継承されるようだ。
しかし、今の俺と俺Cの再統合では、いくつか条件が異なるので、正直にいって何が起こるかよくわからない。パワーを比較すれば、
俺Cは巨大だ。
俺A < 俺B
俺C > 俺 = 俺A + 俺B
しかし、今の俺はクリアーであり、加えて、転生時の記憶保持力がかなり強い。また、俺も俺Cも英語を理解できる。俺Cが巨大で、
再統合により今の俺の個性が相対的に薄められても、菜園の技術を継承できる可能性は低くないと思う。
俺Cは俺の存在には気が付いているかどうかはわからない。
再統合後には、前世の生涯の系列は3つに増える。つまり、時間の軌跡上の任意の時点の人間としての記憶の数は最大で
3つになる。
これは昔、旗で新OT IV修了者と話して聞いたことと矛盾しない。その男がいうには、OTレベルに入ったら、自分が過去に誰だったか
断定するのが難しくなっていったそうだ。気がつかない間に再統合が起こり、前世の記憶の系列が増えたのだろう。
284の話題はぼくにとって興味が尽きません!回答ありがとうございました。
質問ばかりで申し訳ないのですが、(というよりそれ以外、情報交換できるようなものを持ってないからなのですが)
1950年代頃、幅度とその一味が「物質消滅実験」を成功させた、と聞いたのですが、
これが本当であるなら、物質は多数の合意によって構成されているはずなのに、どうしてそれを一個人が、あるいは数人の意志で
それを消滅させられるのかがよくわからなくなっています。
この件についてオールドタイマーさまはどうお考えでしょうか?
>>285 物質消滅実験の成功が事実であるとすれば、消滅した物質の存在について合意していた魂たちから物質の消滅についての合意 ―
つまり、それぞれの魂が物質をありのままに見るという合意 ― を取りつけたということになる。
オールドタイマーさま、286の回答ありがとうございます。
コメントや回答を見るにつけ、目が開かれる思いです。
ところで、ある「物質の存在について合意していた魂」の数はどれくらいのものなんでしょうね?
以前、実験的に他者の記憶を私が替わって「ありのまま?に見る」という試みを繰り返したことがありますが、
その時、多くの反応として、その記憶にまつわる不快な気持ちが瞬時に無くなったというのがよくありました。
もしこれがプラシーボでないとするなら、「物質の存在に合意している魂たち」に替わって、
誰かがそれを「ありのままに見る」ことによっても物質消滅は可能になるのではと思いました。
また、「賞賛の粒子」のモックアップによっても同様の効果があるようにも思えました。
今はオールドタイマーさまの示唆してくださった「物質消滅」の作用機序をもとに、他のやり方を工夫して実験してみたいと思います。
>>288 「その記憶にまつわる不快な気持ちが瞬時に無くなった」というのは、
>>288にとってのことなのか?
「その記憶にまつわる不快な気持ちが瞬時に無くなった」というのは、私(288)にとってではなく、
その記憶をもっている相手の反応です。文章があいまいで申し訳ありません。
>>290 仮に1つの魂が2つに分かれた場合、魂#1と魂#2は近い関係にあるため、互いのチャージをNOTs的に処理できる可能性はあると思う。
オールドタイマーさま、291のコメントありがとうございます。
他者の持つチャージを別の身体を持つ者が消去する可能性はあるということなのですね。
しかしそれはもともとは「1つの魂が2つに分かれた場合」であると。
私の主観的な印象では、類縁(そういうものがあればの話ですが)関係の魂であるのなら、
あるいは、私が関心を寄せる他者であるなら、効力の多少はあっても、他者によるチャージの処理は可能な気がしています。
ところで、遠隔治療の作用機序についてはどのようようにお考えでしょうか?
>>292 リアリティー層の用語で説明すれば、全ての魂はもともと個別に分かれていたものではなく、無限の可能性を秘めた虚無として、
空間によって区切られることなく存在していた。だから、遠隔チャージ処理は、もちろん、潜在的にはどのような魂に対しても
可能なはずだ。
しかし、魂#1が魂#2のチャージを代わりに「ありのままに見る」ことはできない。そこにはチャージの起因について嘘が含まれている
からだ。
魂#1がテレパシーで魂#2に何らかの働きかけをして、魂#2のトーンレベルが上がったり、魂#2がチャージとしっかり向き合うように
なれば、広範なチャージに対して軽減効果はあると思う。
オールドタイマーさま、ありがとうございます。
「魂#1がテレパシーで魂#2に何らかの働きかけをして、魂#2のトーンレベルが上がったり、魂#2がチャージとしっかり向き合うように・・・」
との視点、経験的にも納得がいきました。 基本的に当人のチャージを消去できるのは、あくまでも起因たるその当人自身であり、
他者が関与しうるのは、その当人が自身の問題(チャージ)を自分で「ありのままに見る」ことへのサポートだということなのですね。
回答を快く寄せてくださることに感謝しています。
諸外国の自由領域の動向や現在盛んに議論されてることなど教えてくださると嬉しいです。
よろしくお願いします。
それと、突然ですがオールドタイマーさまは45歳?
プライバシーに係る質問は、やめたほうがよいと思う。
>>295 Aspectikaとイファ教の話は自由領域アメリカの日常に定着している。あいにく、俺はいずれにもかかわっていない。ゴールや断片を
細かく分類するのは性に合わないからだ。最近新しく話題になったのは、roy vinner氏の話で、内容はこのスレの
>>284のようなもの
だった。
ヨーロッパではほとんど新しい技術は生まれていない。論'sからさらなる発展はないが、彼らはそれで満足しているらしい。
295のプライバシーに関わる質問を不躾にしまして大変失礼致しました。
以後、このようなことのないように慎みます。
質問の訳は、それはそうとう空想的な話なのですが、今から47年ほど前、つまり私が現在の肉体を持たない頃、
オールドタイマー氏のような存在とおぼしき(θ)とあるコミュニケーションをとったような気がしてましたもので、つい。。。
ごめんなさい。
>>298 1962年は俺が1つ前の肉体を捨てた年だ。当時の俺は菜園歴10年で、ケースレベルはクリアー目前だった。イギリスの
労働階級出身で、主にマンチェスターの小さなグループで活動し、時々セイントヒル荘に出かけることもあった。
質問させてください。
オールド・タイマー氏は菜園における散歩の重要性を強調していましたが、
散歩をする際、何に意識を置けばよいのですか?
何をどのように見て、何を感じればよいのでしょうか。
今を感じたりする必要はあるでしょうか。
仕事が楽しくなる本では、建物を見て、その質量を感じ、
現実性を取り戻すために散歩をするとありますが、
オールド・タイマー氏のいう散歩はそれとは違うような気がしたので。
フリーゾーンのポラリティー・プロセスの中で、代表的なものをいくつか実践可能なように教えていただけますか?
>>300 いや、その散歩でいい。
>>301 あいにくポーラー・ダイナミックス関連に興味がなく、不勉強だ。
「ポーラー・ダイナミックス?」これもはじめて聞いた言葉だ。
ポラリティー・プロセスとポーラー・ダイナミックス、どなたかご存知の方、ありますか?
あればぜひ、教えてください。
オールドタイマーさまに質問なのですが、通常ぼくらは身体の目(の視点)を通して外界を知覚していることが多いですが、
身体の外にもいくつか視点が確認でき、それら2つ以上の視点で同時に知覚しているとき、θはどこに存在してるのですか?
以前はリアリティー層においては視点の位置に自分は「いる」と思っていたのですが、多視点でも知覚することが可能なので
少々混乱しています。
それから、現在オールドタイマーさまは、この2ちゃんねるでのやり取りを、どのような目的で行っておられるのですか?
過去レスには2つの目的が書いてありましたが、現在はどうなのでしょう。
コメントに対しそれなりの時間も割く必要があるでしょうし、オールドタイマーさまにとってはほとんど益がないように思え、
感謝するとともに申し訳なくも感じています。
オールドタイマーさま、重ねて質問いたします。
この20年ほど、サイコセラピー分野ではEMDR(高速眼球運動による脱感作)や各種タッピング(EFTやTFTなど)などの手法が
開発され、トラウマ処理(こころの中のチャージ処理)にかなりの成果を上げています。
上記の技法ように、身体の一部を動かしたり刺激を与えたり呼吸を使ったりする方法を自由領域で用いている(あるいは開発している)グループはいますか?
ただ、これらは身体あっての手法ですから、この世においてのみ使用可能なものなので、菜園的ではないようにも思えますが。
>>304 リアリティー層の表現を用いるのであれば、答えは、θは複数の位置に存在している、となる。もちろん、アクチュアリティー層では、
θに位置属性はなく、複数の位置に存在しているふりをしているだけだ、ということになる。
--
そういえば、2009年2月ごろの目的と最近のやり取りは関係がなくなっている。
そのほかに動機としては、菜園教会が専制的になっているので、1960年代半ばまでのおおらかな ― だが、その代わり面倒見は
やや悪く、お手引きしない ― 菜園の姿を紹介しておきたい、とか、現在の菜園界の限界を突破できる才能を発掘したい、とか、だろう。
>>305 菜園には大姉があるので、EMDRを必要としていない。俺が知る限り、自由領域でEMDRを取り入れている組織はない。
個人的には、EMDRはサイコセラピーの大きな進歩だと思う。EMDRは催眠術ではなく、クライアントはしらふの状態でセラピストの指を
目で追いながら、過去の出来事を想起する。
「現在の菜園界の限界を突破できる才能」ってどのようなものだとお考えでしょうか?
そしてその「才能を発掘」したとしたら、それを(あるいはそれと)どうしたいのですか?
>>307 「現在の菜園界の限界を突破できる才能」がどういう才能なのか、それはよくわからない。
では、オールドタイマーさまは「現在の菜園界の限界」は何だとお考えなのでしょう?
プリクリアーのためのハンドブックを読んでいて疑問に思ったのですが、OTや外在化したセイタンは、セックスの快楽や食べ物の美味しさを感じることが出来ますか?
あと、クリアーやOTはマスターベーションをしますか?もしすると、トーンが落ちたり不快な気分になったりしませんか?
菜園の技術の発展によって、クリアーからOTレベル、そしてOTへと、
より高い能力(ケースレベル)が見出されてきましたが、
それはそもそもどのように見出されたものなのですか?
思いつきや直感、あるいは公理から新しい技術が生み出され、実験的なプロセスの比較研究によって
次々に能力の制限が取り払われていったのだとは思うのですが、
一方でどこかにモデルとなるような人(超能力者のような)がいて、
その人の持つ能力を自前のプロセシングで開発しようと試行錯誤したのではないかとも思うのです。
>>309 木星くらい難なく傾けることができた時代の記憶はあるが、現時点で木星を傾けることができないこと。
>>310 外在化した魂は肉体の感覚を情報として受け取る。
クリアーも性から自由ではない。OTは性から自由だが、そもそも、菜園の歴史にOTの定義に当てはまる人は出現していない。
いわゆる「OTレベル」は、実のところ、「OTになるためのレベル」だ。
>>311 菜園の公理などは仏教その他の他の宗教や哲学から得られた知識を集約したものだ。一方、オーディティングという実践形態は、
フロイトの精神分析あたりを出発点にしている。他に、幅度はアレイスター・クロウリーやトーマス・アクィナスについても研究したとか。
が、OTのモデルは各菜園人の遠い昔の姿だ。
>>312 性から自由とは、性というゲームに関して自由に参加したり退場したり出来るという意味ですか?
外在化に関しても、完全なOTであれば自由に出入り出来ると解釈していますが、間違いないでしょうか?
>>313 真のOTであれば、肉体を使うあらゆるゲームに参加するのも退出するのも自由だ。
俺たちは肉体の中にも外にも視点を持っていて、肉体の中の視点が活動中で外の視点が休止中である場合に、肉体の中に
いるような感覚を得る。外在化の最中には、肉体の外の視点のほうが活動中になっている。
リアリティー層における魂 ― セイタン ― はこれらの視点のことを意味していて、アクチュアリティー層での魂は視点を操る主体を
意味している。最近の自由領域アメリカでは、「thetan-located」と「thetan-unlocated」という言葉を使って、これらを区別することが
ある。
304を投稿した者ですが、リアリティー層では視点の位置が、またアクチュアリティー層では視点を操る主体がセイタン(自分自身=魂)である、
との解説、合点がいきました!ありがとうございます。
ソロ初心者でも可能な、起因のレベルを上げるプロセスや、関連情報があれば教えて下さい。
目標に向かう推進力をアップさせるような何かが必要だと感じているので、どうか助けて下さい!
もう少し詳しく説明すると、
>>317の起因レベルが低い原因が、菜園のどのレベルのどのプロセスで処理できるのか、あらかじめ
判断するのはほとんど不可能だ。
目先の現世利益ためにあるプロセスを用いようとすると、そのプロセスが本来もたらすはずの効果を妨げてしまうことがある。
>>319 プロセスは気長に続けて、世俗的な成功はとりあえず努力と根性でどうにかしろ、ということですかね?
オールドタイマーさまに質問です。
この宇宙の外に存在する「魂の総体」について詳しく教えていただきたいのです。
「魂の総体」は、この投稿をしている私や他の分断された魂を宇宙の内外に接触点として持っていると言われますが、
総体は意志を持っているのでしょうか?
もしそれが意志を持っているのであるなら、総体は各接触点にみずからのそれを押し付けるのでしょうか?
そもそも総体は何故、宇宙の内外に接触点を持つ必要があるのでしょう?
我々は自分の総体とコミュニケーションが取れますか?
この宇宙の外に我々が出る(視点移動する)ための決定は、総体だけが下せるのでしょうか?
魔法宇宙においても総体は接触点を保有しているのですか?
>>320 その通り。
>>321 虚無 = 全総体
リアリティー層で語れば、この全総体から個別の魂総体が生まれ、魂総体が数々の接触点を様々な宇宙の内外に置いている。
魂総体にも意志はあるが、極めて公平性が高いため、人類滅亡の危機でも迫らなければ、地球上の活動には介入しないと思われる。
魂総体が複数の接触点を持つのは、嘘をもたらすことを主目的としている。
物をあるがままに見ると、その物は消滅してしまう。空間内に物を存在させ続けるためには、その物を嘘で覆っておく必要がある。
接触点Aを介して物を創造し、接触点Bからそれを観察すれば、物をあるがままに見ることを避けられる。
魂総体と接触点の間に、通常、意志疎通のようなものはない。接触点側が魂総体の存在を感じることもあり、その際には強い恐怖を
伴うことが多い。接触点からみると魂総体は果てしなく大きいため、魂総体と再び合流することは、接触点の個性が限りなく
薄められることを意味する。それはほぼ純粋な死に他ならない。
各接触点もたいていはさらに接触点を複数持っていて、宇宙内部で肉体に宿っている我々は宇宙の外にある接触点の出張所のような
ものだ。宇宙の外にある接触点のほうが活性化すれば、我々には宇宙の外に出たという感覚が生じる。しかし、実際には、ずっと
宇宙の外にもいたのだ。
魔法宇宙にも俺総体は接触点を持っていると思われるが、俺自身に確信はない。
「宇宙の外にある接触点を活性化すれば・・・」のところに関しての質問ですが、
宇宙の中の自分が宇宙の外にある接触点(魂総体ではなく)を活性化させる方法は菜園や自由領域においてすでに開発されているのですか?
コメントを寄せてくださってるオールドタイマーさまは、宇宙の外の接触点を自己決定で活性化できますか?
>>323 R.D.氏の拡張大姉は、宇宙外部接触点を考慮したものになっている。しかし、その接触点の活性化の方法は含まれない。
G.F.氏も何らかのドリルを考案したらしいが、詳しい話を聞いてはいない。このドリルは普及しなかった。
俺が考案した4次元ドリルというのもあるが、誰にでも効果があるものではないし、俺自身もまだまだ他のチャージの処理を
優先させるべきだと思っているので、最近はセッションのメニューから外している。
いろいろ試した効果なのか、物質宇宙の外にある接触点を活性化できたことがある。しかし、物質宇宙の外側から内側に
干渉しようとしたら、何かに弾かれた。(このとき、雷の音を聴くに似た感覚が、俺の家の周囲数十メートルの範囲にいた人に生じた
ようだが、もちろん、公式には観測されなかった雷が発生していた可能性も残る。)
外側に出ることが問題なのではなく、内側に入れないことが本当の問題なのだ。
宇宙の外側にある接触点は4次元の行為が可能だ。外側から接触点を内側に入れることができれば、多くの奇跡的なことが
できるようになるはずだ、と思う。
>>325 コミュニケーションはもちろん可能だろう。そうでなければ、俺が外側の接触点を活性化させることもできなかったはずだ。
残る課題は、その外側の接触点から内側への干渉を可能にするようなプロセスやドリルの開発、および、それらに耐えられるように
するための事前準備だ。
オールドタイマーさま、324&326の回答に感謝いたします。
OTレベルからOTへの架け橋は、外から内への侵入、あるいは干渉を隔てている何か(干渉遮断膜)
によって<断絶>しているのでしょうね。しかし今回、オールドタイマーさまとのやり取りで、
まだ表現できませんが、ある種の直感的なヒントが得られました。ありがとうございます。
お陰様で「プロセスやドリルの開発」への意欲が復活してきました。
また何か、関連情報や思うところがありましたら、ぜひお報せ願いたいと思います。
夢もない深い眠りのなかで、肉体内の一視点であるセイタンも眠るのですか?
デルター波支配の睡眠において、通常は断絶してしまう意識(視点)ですが、意識の位相が日中と違いすぎ、
そのときの記憶が再生されてないだけとも言えますか?
このとき、もしかしたなら宇宙外のへの視点の移行が頻繁に起きている可能性があるのではないかとふと思い、
もしそういう可能性があるのなら寝る前に「コミュニケーションと想起の意図を設定する」ことで、
外部の視点からの情報を翌朝想起できないだろうかと夢想しました。(目的は外部の接触点が持つ能力の地上への転送です)
可能なら明晰夢を経験しているときのように、深い眠りのさなかににも意識を保持できればいいのですが、
これはなかなか難しいですね。
ところで自由領域において、明晰夢などの意識状態を使用する人たちはいるのでしょうか?
>>328 接触点 ― 視点 ― も眠るようだ。
明晰夢の利用は自由領域一般に広がってはいない。
菜園人は夢、催眠、薬物使用などを嫌い、しらふの状態でプロセスを行うことにこだわりがあるようだ。
木村藤子という、過去・未来・万物を神の力で見通すと言われる霊能者が居ますが、橋を昇ると人の心の映像や軌跡を見たり、遠くの人の思考を読んだり、テレパシーを使ったり、未来を見たりする事が出来るようになりますか?見えるならそれはどの程度ですか?
木村藤子さんによれば、見えない方が不思議、納得出来ないとのことですが、彼女は多くの人が抱えている共通のケースの影響を、彼女は受けていない、ということなんでしょうか?
>>330 菜園白銀期の橋を登れば、他人の思考を読めるだけではなく、それを操ることすらできるようになるらしい。
テレパシーを遮るのは主にBTだ。人類の平均的な人の間には、BT群で作られた2つの壁があり、肉体を持った他の人にテレパシーは
ほとんど通らない。
人―[BT群] [BT群]―人
しかし、BTに対して話しかけることは可能なので、NOTsも可能だ。
肉体を持った他人に対してテレパシーが使える人は、自分自身にBT群がほとんどあるいはまったくない。
人 [BT群]―人
BT群の壁が1つだけならば、テレパシーは通る。
また、外在化している状態であれば、日頃はBT群を抱えている人も他の人に対してテレパシーを使える。
>>331 ありがとうございます!
白銀期
BT
これらの定義を教えて頂いてもよろしいですか?
>>332 菜園黄金期は1950年代前半、白銀期は1950年代後半から1960年代前半だ。
BTの定義については、このスレの
>>159を読むといい。
>>333 ありがとうございます!
BTはちなみに何の略ですか?←引き続きの質問、ご容赦下さい。
>>335 ベイランスとBTの間に違いはありますか?
>>336 ベイランスは他者の人格の借用だが、BTは他者そのものの断片だ。
337さん、UCPのサイト紹介ありがとうございました!
オールドタイマーさま、いつもわたくしめの愚問にお答えいただきまして、ありがとうございます。
今回の質問は、他者からの能力転写についてです。
日本では(株)パーフェクトハーモニー(PH)やレイキなどが有名ですが、海外でもエリック・パール氏などが
独自のヒーリングエネルギー(気功のようなもの)を伝達し、伝授を受けた者は修行なしで、すぐその場からある程度、
その能力を使うことができるようになるといいます。
PHなどは、頭脳の回転を数倍に高める、といった能力開発的な伝授も行っていました。
これらが暗示によるもの(つまり本人の信念によるプラシーボ効果)ではないとすると、
どのような原理によっているのか興味がわきます。
こういった現象が事実で、他者が別の他者の能力を実際に、暗示効果意外で向上させれるとするなら、
これを説明するような理論を知りたいと思いますし、可能性を探究したいとも思います。
菜園及び自由領域にはこのようなことを説明する理論や考え方はあるでしょうか?
また、オールドタイマーさまは個人的にどのようにお考えでしょうか。
オールドタイマーさま、続けて質問させていただきます。(うんざりしないでくださいね<(_ _)>)
チベット密教やボン教において伝授されているゾクチェンについてなのですが、
ナムカイ・ノブル氏によると、根本ラマより「導き入れ」と呼ばれる指導(手法の具体的伝授)を個人的に行ってもらい、
リクパ(明知)の境地、あるいは「心の本性」を体験できるようになった者は、その意識状態を日中維持することで、
外界内界に現れる顕現(所謂チャージ)を次々に消去できるといいます。(熟練すると、顕現は消去しようと思わなくてもそれが現われた瞬間、ひとりでに消え去ると言われています)
このような意識状態(現れてくるチャージの自己解脱が可能になるような意識状態)を本当に生み出すことができるのなら、
クリアーあるいはOTレベルへのプロセスが非常に単純化されます。
あれこれと多くのプロセスを行う必要がなくなるからです。
オールドタイマーさま、私は上記のようなゾクチェンの境地は知るよしもないのですが、
ある種の意識状態を維持することで、その意識空間に現れるチャージを「あるがままに見る」、
あるいは「それみずからが自己解脱していく」ような意識のあり方はありうると思っています。(これは明らかに洞察瞑想とは違います)
これに関してどう思われますか?何かその境地を拓くヒントがないでしょうか?
”さま”、”様” ってつける人って、old timer氏を信仰してるかね?
普通だと ”さん” づけだよね?
スレ進行がリベラルで良い感じだったんだが、
ちょっと肝くなってきてんな。
>>341 質問の答えにはならないかもしれないが …
例えば、16歳の少年を2年間外国に留学させると、外国語をかなり習得して帰ってくる。16歳の少年には言語を習得する資質があり、
それが母語以外の別の言語を操るある程度の能力につながる。おそらく、その少年はその後の人生において、しばしば、
「〜語が上手ですね」などと褒められるだろう。
しかし、10歳の少年を2年間外国に留学させると、16歳の少年よりも遥かに高いレベルまで外国語を習得するだろう。年齢の
差は大きい。その少年はその後の人生において、おそらく、「〜語が上手ですね」と褒められることはほとんどないだろう。その
外国語の母語話者とほとんど区別がつかないからだ。
菜園がやろうとしていることは、学習による個別の能力や技能の習得ではなくて、広範な資質の向上だ。言語の習得に喩えるならば、
菜園は資質を16歳のそれから10歳のそれに若返らせようとする。
それが言語であれヒーリングであれ、菜園により資質を向上させることで、習得は容易になるはずだ。
>>342 菜園では、例えばクリアーが近くなると、エングラムの鎖の存在に気がついた瞬間に、その鎖に属するエングラムがすべて
消えるようになる。これは「視察による消去」と呼ばれる。
クリアーは新しく生じる第1ダイナミックエングラムについても視察による消去の能力を持っているため、クリアーになる前の状態に
戻ることはほとんどない。
チベット密教やボン教のように視察による消去の能力を先に高めておくという主知主義的方法論もあれば、エングラムを消去していく
中でそれが自然に高まることを期待する反主知主義的方法論もある。菜園教会では、例えば、1950年ごろには
反主知主義的方法論から出発し、1955年には逆に主知主義的方法論 ― 一発クリアーと大旅行 ― に傾倒したが、その後に
反主知主義的方法論に回帰した。
この理由にはいろいろ考えられるが、その中には、アメリカやイギリスの文化が反主知主義的であることも含まれると思う。基本的に、
頭の良い人よりも、経験豊富な人が強く選好される。(そんな文化の中だからこそ、主知主義的なマイクロソフトが頭の良い人を
大量にかき集めることができるのだが。)
>>343 どうかなぁ?
「様」づけの人って、意外に強い批判者だったりもするからねぇ。
344&345の回答ありがとうございます。
>>345 創価の池田先生と信者のような感じがするんですよ。
フローが一方的で、思い込みが激しい人たち。
新興宗教の信者に多いが、危険だと思う。
まあ、どうでも良いけど。
このスレの現状みてたら分かるでしょう。
オールドタイマー氏に聞きたいことがある人が質問書いて、
オールドタイマー氏が答えてるだけだ。
下手に出るのは当たり前。
現実社会なら、こういう場合、贈り物する、ゴチる等いろいろやり方があるが、
2ちゃんの場合、丁寧に聞く、敬称をつけるぐらいしかやりようがない。
一回一回褒めたりするのもあれだし。
自嘲気味にこちらから提供できる情報はない…って書いてる人もいる。
それを新興宗教がどうのこうのいうのは2ちゃん歴は深くとも社会経験が浅い。
俺は礼節をわきまえた大人が多い証左だと考える。
349 :
1991:2009/09/25(金) 01:02:17 ID:9ylnRyap
ご無沙汰してます。
最近は、皆さんが、簡単に入手できてE-meterの代替となるものを
調査しています。
E-meterが、ホイートストンブリッジと検流計を使用していて、
TA PC(皮膚電気抵抗値)
1 227
2 5k
3 12.5k
4 26k
5 57.5k
6 215k
6.5 infinity
として換算していることは、解りましたので、
簡単に手に入る代替装置(皮膚電位測定器)で、代替的な使用方法を
模索中です。
1991さん待ってました〜
昔は教会での体験談とか書き込んでくれる人とかいたのになあ。すごく参考になってた。
今はオールドタイマーさんに聞く一方になっちゃってるなあ。俺も実践してるだけで何も情報ない。すまん。
1991さん、お忙しい中、尽力して下さってるんですね、本当にありがとう!
また是非、書き込んでくださいね。待ってます。
>>349 TAを見るだけでいいならば、アナログマルチメーターあたりでも十分かもしれない。リードによるアセスメントには使えないが、TAによる
アセスメントには使えるし、プロセス終了時にFTAがなければTAはおおむね2〜3、抵抗値で表わせば5〜12.5kあたりに収まると思う。
ソロならば、8〜18k。
みなさま、こんにちは。
個人的な見解ですが、このサイトほど啓発的な質疑が行われているものは、この分野においてほとんど見かけることがありません。
そこでお願いなのですが、この仮想的コミュニティーに集っておられる方々の、日々の実践をぜひお報せ願えないでしょうか?
私自身は菜園及び自由領域に属するテクノロジー以外の実践にも関心があります。
あまり知られることもない優れた精神テクノロジーや技術の体系は沢山存在しているように思えるのです。
もしあなたが日頃行っておられる事が、チャージの処理やファンダメンタルな能力の開発に役立っていると感じておられるのなら
どうか、その手法や体験などをシェアしていただけると嬉しく思います。
私自身はUCP及びアバターコースで習い覚えたフィール・イッツ(それと一つになって感じる)を行っております。
まだまだこれといった成果は報告できませんが、とにかく日中湧き起こる不快な感情は現れ次第F・Iし、感じ尽くすことによって
ただちに消去するようにしています。
お時間のある方、ぜひ投稿をお願いします。
自分もいろいろ実践してるけど、本当に期間が短いし結果出てるとはいいづらい
から、あんまり書き込みにくいんだよね。。。菜園知ったのも最近だし。
あと、オールドタイマー氏がいうように、菜園のプロセスの効果は、人それぞれ
だから、結果求めるってのも違うみたいだし。
個人的にやってて即効で何かあるって感じるのは、椅子にすわって物体を
見続けるやつ。とにかく視点移動するやつもいい。あと、壁ドリル。
壁ドリルについては、オブジェクティブスについての質問に答える形で、
オールド・タイマー氏が説明してるけど、
最初のスレでは、オールドタイマー氏は紹介する技法から抜いているんだよね。
操縦士さんのページには、チャプター2あたりで出てるのに。なぜなんだろう。
重要性はないのかな。
個人的に壁ドリル気に入ってます。何も考えずにできるし(笑)
俺は体動かすの好きだから壁ドリルばっかやってる。
あと散歩ね。
俺はちょっと前まであるメソッドというか考え方に傾倒してたんだけど、
それになかったのが散歩だった。おかげでえらい目にあったよ。
もっと早くこのことに気付いてればと思ったよ。
散歩の重要性については
>>300さんが書いてるけど、
内と外のバランスは本当に大切だよ。
UCPや他のもいろいろやってるけど、効果あるんだかないんだかって感じです。
早くメーターの代替になるもの手に入れたいです。
あくまでメーターを買わないせこいやつ(笑)
345さん、『壁ドリル』ってどんなのだっけ?
↑ごめん、「345さん」ではなく354さんです。
>>354 「壁ドリル」はCCHと呼ばれる4つのプロセスの#2だが、このうちで、#1, #3, #4がソロでは無意味になる。#2を単独で試した経験は
なかったので、あまり積極的には紹介しなかった。
理論的には、SOP by Dup(本と瓶)に効果があるならば、壁ドリルにも同じ効果があるはずで、単独でやれないはずはない。
ぼくが時々やってるのは「慈悲の瞑想」のオブジェクティブっぽいバージョンだ。
以下の言葉を自分が唱えるのではなく、自分がいる環境にいっせいに唱えさせる(想像をする)。
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
音声に関するイリュージョンになれていない初期段階では、
前方の壁にまず唱えさせ、だんだん四方の壁、床、天井、物に同時に声明させる。
次に屋外に出て、視覚的に知覚している一切が声を出して荘厳なる慈悲の瞑想を行ってると想像する。
街路樹も家々も道路も蒼穹もすべてが慈悲の瞑想によって歓喜に充ちているのを
臨場感をもって聞く。
最後には言葉ではなく、その想いが波動としてあたりのもの全部から絶え間なく放射されているのを体感し、
そのバイブレーションのシャワーのなかを感謝をもって歩く。
イリュージョンに長けてくるとけっこう気持ちがいい。
ちょっとした恍惚を味あわせてくれるときもある。
効果のほどは不明。
ぼくの場合、オーソドックスなやり方で行った場合とは違った体感があり、それなりに熟練すると面白いと思う。
オールドタイマーさん、レスありがとうです。
>>355さん
操縦士さんのチャプター2にありますよ。下の訳はエキサイトです(笑)
Begin by picking two walls with a clear path to walk between them.
明確な経路がある2個の壁を選ぶことによって、それらの間を歩き始めてください。
The commands are:
コマンドは以下の通りです。
2.4a)
You look at that wall.
あなたはその壁を見ます。
2.4b)
You walk over to that wall.
あなたはその壁に歩きます。
2.4c)
You touch that wall.
あなたはその壁に触れます。
2.4d)
You turn around.
あなたは振り向きます。
This is repeated over and over again, going back and forth between the two walls.
前後に2個の壁を取り持って、これは幾重にも繰り返されます。
The actions should be very precise, cleanly doing each one and recognizing that you have done it.
清潔にそれぞれをして、あなたがそれをしたのを見分けて、動作は非常に正確であるべきです。
Each time you do it, you act like it was the first time rather than simply repeating the action on automatic.
それをする各回、あなたは単に自動への動作を繰り返すよりむしろ1回目であったように行動します。
359さん、「壁ドリル」の紹介ありがとう。
ごつごつしたエキサイト訳が結構新鮮で味があるね。(笑)
以前この前のスレで紹介された無明庵EOのサイトを読んだ所、
とてつもなく巨大な惑星のような何かに飲み込まれる死の恐怖を味わったと
レスをした者だけれども、
oldtimer氏の”それは分化した自分だろう”という意見を思い出し
その巨大な何かが自分と一体となり、その中に問題を放り込むという考えをしてみた所
問題の処理能力、向かい合う力が増大した。
またそれに関係があるのか分からないけれど、人生が楽しいものであり
他者は他者の自由があり彼らの行動が嬉しいという感覚になってきた。
以前の自分は、自分を相当に矮小に見ていたという感覚も生まれてきている。
これはどういうことなのだろうか。oldtimer氏の意見をお尋ねしたい。
横やりだけど、EOが行なおうとしたことは、「無への許容性」を極限付近まで高めようとした試みであり、
あのサイトから放射されるように思える波動は、「無」のブラックホールへとEOと同質の魂を引っ張り込む。
EOは「無」を自ら創造し、そのなかへと消えさろうと意図していたと思う。
「とてつもなく巨大な惑星のような何か」とは「EO的なる無」であり、
361さんはそれへの抵抗を除去されたのだと、スレを読んでいてそう思った。
(ここでいう「無」は菜園でいうところの無とは違うのかもしれない。)
その「EO的なる無」と一体になり、それに「問題を放り込む」なら当の問題は消去されてしまうだろう。
その類稀な能力を拓いたことで、実人生すらありのままに許容し、他者をも含め、愛しめるようになられたのだとぼくは推測した。
言うまでもなく「EO的なる無」は自分で創造もできるし、見つけ出すことも可能なようだ。
その無があまりにも巨大であるとき、それとの距離が近ずくにつれ、死の恐怖は耐え難くなる。
しかし、抵抗を手放したとき、なぜか平安になる。
361さんは意図的な「無」の使い手になられたのではないのか?
言いたい放題いって、すみませんでした。
お気を悪くなさらないでください。
PS,上記の投稿で一番言いたかったことは、「無を許容すれば有をも楽に許容できるようになる」
ということでした。
ですから、oldtimer氏の解釈である「分化した自分(あるいは魂の総体)」との観点を否定するものではありません。
あくまでも361さんの経験なさったことの解釈の多観点化の一つとして受け止めてくださると嬉しいです。
>>361 Scientology-Freezoneについて 2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1191209593/269 > 具体的な論(主張、論理、事例のセット)として提示できるものは今のところ何もないけれど、
> 途方もない大きさのそれは、おそらく、自分自身のまだ眠っている部分の総体。何らかの
> 理由で、裏NOTsが急激に途中まで進んだのだろう。
「分化した自分」ではなく、「まだ眠っている部分の総体」が俺の解釈だった。
その巨大な何かは大きな能力を有しているので、その巨大な何かに気がつくだけでも、問題の処理能力が高まることもあるだろう。
しかし、その巨大な何かの能力を真に引きだしたならば、もはや問題を処理する必要さえなくなる。
「問題」も「ゲーム」も実は同じものだ。あるゲームが俺たちを悩ませていれば、俺たちはそれを問題と認識する。俺たちの能力が
高まると、かつて問題であったものが気にならなくなり、むしろ楽しめるゲームになる。俺たちの能力がさらに高まれば、その
ゲームから卒業する。
昼間は物静かなサンゴは、夜間に近隣のサンゴと壮絶な戦いを繰り広げる。それはサンゴにとっては問題なのかもしれないが、
俺たちにとってはゲームにすらならない。
もしも俺が木星を容易に傾けられるくらいになれば、人類が核戦争を起こしても気にならないかもしれない。
オールドタイマーさま、「自分自身のまだ眠っている部分の総体」と「魂の総体」そして「断片化された自分(の諸部分)」
等の違いを今一度解説していただけますか?特に「眠っている部分」というを理解したいと思っています。
>>365 俺 + 他の俺 + 眠っている部分の総体 = 魂の総体、俺総体
眠っている部分には、現時点ですぐには発動できない能力が含まれている。
俺たちはこの宇宙で人間ゲームに参加している。ゲームに参加するときに、俺たちは人間を超えた能力を使わないことに
合意した。その合意によって、魂の総体の大部分は眠ってしまった。
>>362 とても参考になった。ありがとう。
以前の死の恐怖を味わった時の方が距離としては近かったと
思うけれど、今は当時の圧迫感(それでも何兆分の一のように小さい)を
多少思い起こせる程度だが、そのくらいで目の前に問題があった場合
「この程度の問題ならありのまま受け入れて大丈夫だな」
という感覚が生まれた。
大概の問題なら思考を巡らせずにありのまま迎え入れる事で
解決出来ると思う。
無の使い手と言うのがあるなら、ほんのほんの少しのそれなのかもしれないけれど、
今後もこの感覚は使ってみたい。
ご意見ありがとうございます。
>>364-366 一連のレスを参考にさせて頂いた。
確かに仰る通り問題が解決出来るなら、それは問題では無く
ただの通り道のようなものになり、核戦争の例えのように
気にならないというのも分かる。
以前は飲み込まれれば限りなく死に近く、また神に近いという事で
手に負えないような感覚だった。
今ではこの感覚を使いこなしたいと思う。
自分の魂はとても小さいと思う。けれど普段想像していたのは
もっと大きな魂だからこその問題の取り扱いだった。
小さい頃からそのギャップに悩まされてきた。
それで本当につい最近この大変大きなものに委ねるという感覚で、
そのギャップが埋められるような気がしてきている。
>>364 総体というものが当時捉えられず自分と同等の
分裂した魂と誤解していた。
今では魂とは大小と眠っている、起きている等の不等式があるというように理解している。
ゲームや合意という言葉を見ると、自分は同意したくない、
外れたいという気持ちが多少わき起こる。
この自分が感じた総体パワーというのを引き出す簡単に数日で出来るテクニックが
あればいいが、巨大さや影響を考えると時間がかかるのもうなづける。
oldtimer氏からご意見を頂戴したい。
気に懸けるべき事柄、やるべき行は何だろうか。
oldtimer氏の見識からお尋ねしたい。きっと数年、菜園思想で言うなら何百何千年という
先を進んでいるだろう氏に意見を頂くのは価値ある事だと考えている。
>>362 追記
他者を愛し愛おしめるという感覚は出来た。
この感覚が得られる少し前に失恋をし、この感覚が得られた後
いくつかのやりとりをする事があった。
そのやりとりで悲しさ、寂しさを覚える事があるが
それは大概体を冷やすとかそういう部分が原因となるものの気がする。
人間関係は大なり小なりタイミングも重要で大きな目で見れば時代という単位で
出会うか出会わないかという点が関わってくる。
それにもう一つは例えるならタロットカードの様にラヴァーズやタワーがもう
カードの中に潜在しているという事から、
どのような結果になろうとそれは既に有る事柄だという感覚が生まれた。
彼女が自由であればいい、幸せであればいいという感覚。
もちろん性欲に起因する苦しみはあるがそれはまあ仕方が無いw
362氏は多分に知識があられるからとても参考になる。あなたのレスを見て
私も知りたいという気持ちになった。レスに感謝しています。
>>353さん
スレの趣旨と離れますが、アバターのフィールイッツってどうやるんですか?それと効果のほどは?
効果あるのなら菜園のプロセスやる前にやったらいいんじゃないのかななんて思ってます。
368さん、362です。
あなたの、oldtimer氏に向けられた真摯な問いかけに対して、ぼくのお茶を濁すような一方的な「横やり」にさえも、
丁寧に応答してくださりありがとうございます。
そしてあなたの自己開示にもこころから感謝致します。
371 :
神も仏も名無しさん:2009/09/28(月) 20:27:06 ID:IfGGfhaG
>>368 総体を意識しているならば、
>>368は既に俺と同じ所またはその先に立っている。そこからさらに先は、白銀期以降の菜園教会や
自由領域にとって未踏の領域になる。
28年の菜園歴からの経験則からいうと、高みを目指す前にケースからなるべくチャージを減らしておくことは常に有益だ。これは
俺個人のことなんだが、今のところは、慈悲の瞑想とUCPを併用しつつ、BTを解放し、GPMを消去することに注力している。
日常生活においては、とにかく、サイクルを未完了のまま投げ出さないこと、そして完了したサイクルにしがみつかないことが大事だと
思う。菜園は人生のど真ん中を通る道なのだから。
--
ところで、俺はフランス系アメリカ人だった彼女に先立たれてしまった。
この彼女は俺以上のピアノラケースで、転生後に連絡が取れたが、タイ人と日本人の混血になっていた。小柄だが誰もが振り
返るほど美しかったコーカソイド少女が、浅黒いふつーのモンゴロイド少女に変わり果てていた。
俺のほうは、顔だけは悪くなかった日本人青年から、ちょっと腹の出た中年になっていた。俺が彼女に幻滅した以上に、彼女は俺に
幻滅したに違いない。
恋は肉体にするものであり、肉体でするものなのだ。
その後、互いに連絡を取ったことはない。彼女とのサイクルは終わったのだ。
弥勒(369)さん、ご参考まで。
1:興味を感じる物体・場所・空間を選ぶ。
2:それの縁や境界線を意識して対象を限定する。
3:それと一つになってそれを感じる。
*家や駐車中の車、石ころ、ビルディング、池、電信柱などの止まってる物体から練習し、
慣れてきたなら、対象を動物、人間、草花、昆虫などの生物にまで拡大する。
その後に、感情や印象、思考、信念など心で統覚できるあらゆるものにも適用する。
ava受講生はこの練習をコース期間中1日5時間程度、数日間集中して行う。
これにより、「創造されているもの」に視点を入れ込み、それに行き渡り、
自分がそれそのものになっているかのような体感が得られるようになる。
通常はここまでで、次のステップへと進むのだが、これをさらに推し進めて、
観察されている対象に投げ入れた視点に重点を移し、観察している側の自分の視点を消すことをおぼえると
不思議な意識状態に入ることになる。世界の中で見ている自分という意識がほとんど希薄になり、
観察だけが存在しているような、それでいて見られているものはすべて私であるというようなモードである。
私的な見解だが、WIZまで参加した人の約1割強がこのモードに意図的に入れるようだ。
しかし、本来各参加者が自由にこの状態に入れるまで練習しておかなければ、コースの約束はまず成就しないと思う。
その点、菜園や自由領域には最終現象をメーターを用いて確認するので橋の各段階が約束していることを成就しやすいと思う。
思い込みと実際回復された能力との混同がavaではひんぱんに起こっている。この点は非常に残念なことだ。
もしavaのテクノロジーが自由領域で展開され発展していたのであれば、もっと多くの人たちを利することが出来たと思う。
374 :
369:2009/09/29(火) 01:39:55 ID:iG6t+bVP
>>369さん
詳しい説明ありがとうございます。
意識状態についてまで書かれていて本当に参考になりました。
いろんなスレでアバターを体験した人がフィールイッツとかフィリッツとか
頻繁に書くのでとっても気になってたんです。
でも、簡単そうでいて難しそうですね。
観察者のいない観察なんてクリシュナムルティ思い出します。
時間はかかりそうですがやってみようと思ってます!
375 :
369:2009/09/29(火) 01:40:55 ID:iG6t+bVP
ucpとは何のことですか?
>>376 >>337に基本的なことは紹介されている。
ソロでの比較ステップにフラットポイントルールを適用するのは俺の工夫だ。
(菜園では時間を次元に数えない。)
>>116からの流れだが ―
3次元チャージを一瞥すると、その表面が2次元的に消去され、そのチャージと他のチャージのつながりが一時的に切断される。これが
いわゆるキーアウトだろう。
3次元チャージを大姉などで徹底的に処理すると、そのチャージは3次元的に消去される。
しかし、あるチャージの次元数が4以上であったとしたら、それを大姉で処理しても、4次元的にはキーアウトしかしないことになる。
最近の自由領域では、いろいろとコグの報告がなされているのだが、こと上級者についていえば、コグの発生頻度と能力の向上に
相関関係がほとんど見られない。
遠い昔のチャージの次元数が4以上であることが原因だと思われる。
「昔のチャージの次元数が4以上」との仮説、面白いですねぇ。ありそうなことだと思います。
素人の勝手なたわ言なのですが、幾何などを専門でやってらっしゃる方で、高次元図形を意識空間の中にありありと描いてるかのように
手振り身振りを交え語ってた方がおられました。こういう方々は4次元以上の図形を自分の意識空間において描き出そうと
何年も努力されてきたと推測しますし、その過程で、それを包含する変性意識へのシフトを偶然学んだのではないか、
などと思っていました。そのような意識を使う人ならば、大姉と同等のプロセスで4次元チャージもアズイズできますかねぇ?
つまり、上記の「たわ言」で私が言いたかったことは、次元数4以上のチャージを
消去するためには、通常われわれが安易に使用している意識空間では不可であり、
何らかのプロセスを持って意識空間そのものに変更をせまるか、そのような意識へシフトしてから
チャージ処理を行う必要があるのではということでした。
しかし、これって単なる妄想の域をでない話かなぁ。。。
関係ないかも知れないけど、フト思い出したので書いておきます。
山田鷹夫って人が「断眠」というのをやってて、あるときそれによって経験した意識状態を
本に書いてました。詳しい内容は忘れましたが、何やら「音」が立体に聞えるって言うんです。
はは、関係ないか。。。。すみません。
>>379 4次元の知覚があれば、4次元のチャージを消去できるはずだ。十分な量の4次元チャージを消去すれば、3次元の構造を迂回する
能力が解放されると思う。例えば、施錠された箱の中から、解錠せずに中身を取り出す、とか。
--
菜園の伝統では、時間を次元に数えない。
1次元世界にある同じ長さの線分を4つ、それぞれの形を変えず、2次元世界にはみ出させて折りたたむと、正方形ができる。
2次元世界にある同じ面積の正方形を6つ、それぞれの形を変えず、3次元世界にはみ出させて折りたたむと、立方体ができる。
3次元世界にある同じ体積の立方体を8つ、それぞれの形を変えず、4次元世界にはみ出させて折りたたむと、超立方体が
できることになる。
8つの立方体を折りたたむ ― というか、折りたたもうとする ― ドリルをやると、ある程度の確率で物質宇宙から外在化する。
3次元接触点にとって、4次元の折りたたみは不可能だから、実際には物質宇宙の外のいずれかの接触点が活性化されるのだと思う。
その際の記憶は、3次元接触点にとってやはり把握不可能なもののようで、どのように折りたたみを行ったのか、うまくは思い出せ
ない。
今日、このドリルをやってみたら、隣の部屋にあったCDプレイヤーの電源がオンになった。
こういうことはごくごくまれにしか起こらない。物理現象を伴ったのは実に6年ぶりだ。
前回には物理現象の直後に激しい頭痛を経験した。今回も頭痛が生じたが、かなり軽い。日々のチャージ処理の効果だと思う。
(しかし、運悪く肉体の内部をかき回したりすると、肉体は突然死することになるかもしれない。)
俺たちは心の中では1次元、2次元、3次元の心象映像を操作できるのに、心の外では3次元の物体しか操作できない。
俺たちの1次元能力と2次元能力を封印するには、俺たちが操作できない4次元以上の手段が必要なはずだ。つまり、俺たちが
3次元だと捉えているこの物質宇宙は、実はさらに多くの次元を織り込んでいる可能性が高い。
遠くから眺める薄い紙は、一見、2次元物体のように見えるが、細かい部分を観察すれば、3次元物体であることがはっきりする。
3次元物体のようにみえるものも、極めて極めて細かい部分を観察すれば、実は4次元物体であることが分かるかもしれない。そして、
この3次元宇宙のように見える物質宇宙も、実は、極めて薄っぺらい4次元宇宙なのかもしれない。
仙道をかなりやっている人から聞いたことだが、陽神をどんどん小さくしていくと、物質の極微が見えるようになるらしい。さらにさらに
陽神を小さくしていくと、記憶に空白ができるそうだ。これは、4次元以上の能力を行使した記憶が3次元接触点側にうまく残らないことと
似ている。
そういえばチベット密教の数あるプロセスの一つに、本尊のモックアップに視点移動し、
それを宇宙大から極微まで、拡大縮小を繰り返していく、というのがある。
そしてゴマ粒(原子とも言われる)よりなお自分を小さくしても、身体の中央管は中空のままにしておく等、
どこまでも鮮明な意識を保つことが必要とされる。
こういったプロセスももしかしたなら次元間の位相の違う記憶を保持する基礎練習になっているのかも知れない。
>>337さんが紹介してくれたUCPのサイトVirtualWitnessなんですが、
いつの間にか質問事項が変わってませんか??
前までは、オールドタイマーさんが紹介してくれたように、場所に関する
問いかけだったはずなのに。。。自分で設定変えちゃったのかな。
下のは、今のやつです。
How is it for you now?
Alright. How might it be for you?
Thank you. How do you choose to relate to that now?
OK. How has it been for you?
Thank you. How do you choose to relate to that now?
僕の方のUCPのサイトVirtualWitnessはこんなだよ。
Where are you now?
Alright. Where might you be?
Thank you. Compare that to now.
OK. Where have you been?
Thank you. Compare that to now.
OK. How are you feeling?
Alright. Have you ever felt like that before?
Thank you. Compare that to now.
このサイト、誰か翻訳権とって日本語化して欲しいな!
頼む〜〜〜。(依存心丸出しです。<(_ _)>)
>>385さん
ありがとうございます。自分で何かやっちゃみたいです。
スレ汚しすみません。
やっぱオールドタイマーさんの投稿やコメントがないと淋しい〜っす。
みなさん、何でもかんでもどんどん質問して、氏からの情報を引き出しましょうよ。
(とは言っても基本的なことは前レス前々レスにすでに質問されているように思えることから、
あらためて新たに今、何を問いかけていいものやら、僕自身、ケースレベルの低さからか、
あるいはまたオールドタイマーさんとのこの分野における認識レベルの格差ゆえからか、
実は質問すら思い浮かばないというありさまです。だから誰かの投稿を期待しながら待っているのです。)
と言うことで、オールドタイマーさん、質問の投稿がなくても、今後の日本での自由領域発展に期待を寄せる僕らのために、
書き込んでくださるととっても嬉しいです。
またe-book等で基礎資料をこれでもか!というくらい書いてくださるなら個人的にはもっといいのですが。(忙しすぎて無理ですかね?)
1日2時間のUCPで、ようやく頭痛が抜けた。
4次元接触点へのアクセスで生じる4次元外在化が引き金となった頭痛についても、3次元接触点からのUCPで軽減できるようだ。
これは、まぁ、単なるキーアウトなんだろうけど。
今回の4次元ドリルの成果はまぁまぁだった。今後しばらくはNOTs関連チャージをできるだけ軽くして、また5年後くらいに再度
4次元ドリルをやろうと思う。
クリシュナムルティーは若い時分から晩年に到るまで、頻繁に激しい頭痛を感じていたといいますね。
彼はそれを<頭脳の浄化>と見なしていましたし、彼の神智学における保護者や側近たちは
神智学的イニシエーション・プロセスにおける(少々長引いてる)浄化作用と考えていました。
それは頭脳がより高次の認識や高エネルギー状態に耐え得るようになるための自浄作用だと。。。
オールドタイマーさんの体験された「4次元外在化が引き金となった頭痛」も3次元的頭脳--神経系にとって
4次元接触点での体験を受けとめる際の負荷が極めて大きいことから引き起こされているのでしょうか?
このような頭痛と未処理のチャージとの関連をオールドタイマーさん御自身はどのように解釈されていますか?
特に「NOTs関連チャージできるだけ軽くして」とお書きになっていますが、頭痛とそれとの間に何らかの関連性を考えておられるのでしょうか?
>>389 おそらく、3次元宇宙からの外在化によって、過去の雑多な外在化が再刺激されるのだと思う。
クリアー以上は自分自身のケースで頭痛を経験することはあまりない。多くはやはりBT側のケースに原因があるので、NOTsに
注力すべきだということになる。
菜園的NOTsに関する質問です。
ava-Wizでもエンティティー(BT)処理を行うのですが、エンティティーと受講生が概念レベル(質問と答え)でコムを取り、
当確のエンティティーに自己解放手順を通り抜けさせていくというプロセスを受講生が数多くこなしていくと、はじめは効果的に進んでいても、
処理するエンティティーの数が増えるに従い、いつしか説明困難な『未知の影響力』が蓄積され、
受講生に「感情的不健全さや気づきのレベルの低下」が見られるようになったといいます。
そこで1997年以降、受講生はエンティティーと概念レベルでのコムは行わず、且つ、単独での処理もストップされ、
サポート役がエンティティーに指示を出し、受講生はそのプロセスを中立の注意の状態を維持しながら観察し、
サポート役に対し、エンティティーが手順通りのことを行っているのかどうかだけを伝達するという分業のやり方が
エンティティー処理手順の標準になりました。
質問は単独で行った場合、上記の『未知の影響力の蓄積』による「感情的不健全さや気づきのレベルの低下」というような弊害が
菜園的NOTsでも観察されるのか、ということです。
また、そのような現象を説明する見解が菜園や自由領域にはあるのかどうかを知りたいのです。
>>391 菜園では逆になる。
NOTs: オーディター ― 準OT ― BT
↓
Solo NOTs: 準OT ― BT
準OTが影響を与える空間が拡大すると、Solo NOTsで除去したはずのBTに再び遭遇することになる。同じBTを何度も処理することに
うんざりさせられる準OTも少なくない。多分、アバターのほうではそれを「感情的不健全さや気づきのレベルの低下」と考えたのだろう。
実際に「気づきのレベルの低下」が起こるとは菜園では考えないが、ケース面での向上への期待が現実に反映されないと、それなりに
落胆もある。
自由領域のある一派が思いついたのは、Solo NOTsの効率化だ。BTのうちで状態の良いものがあれば、そのBTに大幅に単純化した
Solo NOTsを教え、他のBTを処理させる。
準OT ― 優良BT ― 劣悪BT
自由領域の「Solo NOTsの効率化!」、これはすばらしいアイディアですね、目からうろこです。
そしてオールドタイマーさんの上記のコメントを読み、
ソロでBT処理を行うと「感情的不健全さや気づきのレベルの低下」が生じる、というアバターの見解からかなり解放されました。
ありがとうございます。ある事象に対する解釈や観点の相違によって随分、自由度が変わって来るものですね。
ぼくにはこのような多観点化がとても役立つようです。感謝いたします。
準OT ― 優良BT ― 劣悪BT :さっそく試してみます。
優良BTに劣悪BTを処理させるというアイディアで思い出したのは、
NLPが今ほど日本で知られていなかった当時、創始者であるリチャード・バンドラーとグリンダー等が
自分たちを実験台にやっていたことです。
それは、学習能力を持つ無意識の部分(それが何であるのかは別として)に、あらかじめ教育をし、
NLPの技術(しつこい葛藤のリフレイミン)を寝ている間中、あるいは24時間ずっと行うように指示をしておき、
すべての内部葛藤が処理されたなら、そのプログラムが自然解除されるように設定して非常に優れた効果を出していたといいます。
睡眠中であれ何であれ、自動プロセスは菜園的ではありませんし、幅度も何かの講演で、睡眠中にセカンダリー等の自動消去を催眠的暗示で指示して
意識的自覚なしに行うのは、結局のとこ、それを再刺激するだけで終わると言っていました。
(オールドタイマーさんも「菜園人は夢、催眠、薬物使用などを嫌い、
しらふの状態でプロセスを行うことにこだわりがあるようだ」と書いておられましたね。)
で前置きはこれくらいにしてお聞きしたいのは、優良BT に劣悪BTを処理させるとき、
「私」の意識は介在していなくてもいいのですか?
つまり、24時間、優良BTにフル稼働させるというように理解してもいいのでしょうか?
巷で守護霊などと呼ばれているものがBTと考えてよろしいでしょうか?
>>394 NOTsケースは自己のケースではない。BTは自己の潜在意識ではなく、それぞれが独立した魂だ。
準OT ― BTという関係性のあるセッションでは、準OTがオーディターになり、BTがPCになる。
準OT ― 優良BT ― 劣悪BTという関係性のあるセッションでは、準OTがケース監督、優良BTがオーディター、劣悪BTがPCになる。
優良BTに劣悪BTを処理させるのは、魂間の関係性においてはオーディターを育てるのと同じだ。俺があるオーディターを育て、俺が
眠っている間にそのオーディターが誰かをクリアーにしたとして、俺にとって不都合なことはない。俺は眠っている間に俺自身の
ケースを処理しようとしているのではないからだ。
>>395 BTは守護しないのだから、守護霊ではない。
菜園は守護霊について否定的で、その正体を借用された他人の人格と考えている。
ある魂が別の魂を守ろうとすることが局所的な例外として起こりえることは認めるが、一般的な現象として、人に独立した魂が
守護霊としてつくことはない。人類の人口の増加を考えると、各人に前世の記憶があることと、各人に守護霊がつくことは
両立できない。
人類最初の夫婦に4人の子供がいて、夫婦が死後に子供たちの守護霊になった場合、4人のうち2人は守護霊がない状態になる。
もしもこの守護霊なしの2人が何らかの守護霊を獲得したら、その守護霊には人類の個体としての記憶はないはずだ。
オールドタイマーさん、396の回答ありがとうございました。
「NOTsケースは自己のケースではない」ということ、良くわかりました。
>>397 守護霊の件、
この守護霊の解釈はどうでもよいが、
>>4人のうち2人は守護霊がない状態になる。
これは時間に囚われた考えでは?
自分は、未来の人格が、過去の人格を指導しても良いかと思ってるが。
あと、
>>人類の人口の増加を考えると、
人類がすべてでは無いかと思うが。
魂そのものではなく、死者の残留思念(思念形態)がしばし生き残り、良くも悪くもある種の人格的な関与をすることもありますか?
あと、セイタンが同時に2箇所にいるフリをしているとか。。。
モンロー研究所の人たちが云うガイドやヘルパー、インスペックスというのは、
オールドタイマーさんの見解では何だとお考えでしょうか?
またACIMの云う聖霊は?
AVAでは、より高次の自己(世界の外から寛大に見つめている自己の視点)が、
世界の中で奮闘している自分からの依頼があれば直感として何らかの助けを与える、と言っています。
BT処理に関しては、それがたとえ守護霊であっても解放するようにしているように思えます。
というのも、BTのある者は、自己をこの人間の守護霊であるとかハイヤーセルフであると自己定義しているものもあるからです。
関係ないかもしれませんが、幅度はオバート行為の償いとして、その対象に対する守護者になることを選ぶ魂のことを語っていましたよね?
続けての質問ですが、
ベイランス(借用された他者の人格)は菜園基本用語辞典によると「自信の喪失という事実の後に身につけられる自分のかわり」
というようになっていますが、これは素の自分である「我あり」のまわりに、ぼくらが無数に身につけている「アイデンティティー」と同じものなのですか?
>>399 そして、すべての魂が人間という存在様式を選択してるわけではない、
ということも考慮しなければなりませんね。
俺は守護霊という存在の可能性を全面否定しているのではない。守護霊と前世の記憶が、一般的な現象として両立しえないと
いっているにすぎない。誰かが「自分には守護霊がいる」という時、その人には本当に守護霊がいるのかもしれない。
>>399 「未来の人格」という発想そのものが、絶対時間のある世界観にとらわれた考え方だろう。
菜園は相対性理論と同じく、絶対時間を否定する。アクチュアルにあるのは変化する現在だけだ。変化を観察する個別の者の
思考に、時間という錯覚が生じるにすぎない。菜園リアリティー層での「過去」「現在」「未来」は方便だ。
また、試みに相対時間を否定し、絶対時間を肯定したとしても、人類の各個体に人類の個体としての記憶を持つ守護霊が
ついているという仮説が持ちこたえるには、さらに数多くの想定を追加せねばならない。
>>401 あらゆるチャージは残留思念の塊だ。「守護霊」のようにふるまうチャージが存在するのかもしれない。
>>402 モンロー研究所については、あいにく、俺は詳しくない。ACIMについても同様だ。
ただ、一般に、「我々を導く存在」を信じ込むことは危険だ。それらは往々にしてインプラントに関係があり、それらから提示される
さまざまな解決策や処方箋は、我々の前世記憶再生力を封じることが多い。
より高次の自己を菜園教会は否定せず、菜園自由領域は肯定する。より高次の自己はこの宇宙の外の接触点であるため、BTでは
ありえない。
償いとして他の魂を守るということは、一般的ではない。魂は自らが被害者役を演じることで償う、と菜園では、考える。仏教の伝統を
踏襲しているからだ。
>>403 ややこしい話なので、ちょっと遠回りする。
アイデンティフィケーションは自己についての思い込みだ。「私は日本人である」はアイデンティフィケーションだ。しかし、「日本人」は、
本当のところは、属性だ。
アイデンティティは何かがその何かであることそのものだ。この文書を書いている俺は、「俺」という言葉がこの文脈で指している俺に
他ならない。「日本人」のように誰かと共有できる属性ではない。こういうことは人間に限らずいえる。ある壺のアイデンティティは
その壺がその壺であることそのものだ。
ベイランスは他者の人格の借用だ。借用している当人はベイランスを意識していない。意識された瞬間に、ベイランスは消える。
>>404 「守護霊の多くに人類の個体としての記憶はない」と主張する守護霊肯定派が台頭するようなことがあれば、もちろん、彼らの
主張には耳を傾けるだけの価値があることになる。
オールドタイマーさん、406の回答に感謝します。
「アイデンティフィケーション」と「アイデンティティ」との区別、分かりました。
ではベイランスを自覚するために、自由領域ではどういうアプローチを使っているのですか?
シモーヌ・ヴェイユの持病の頭痛も外在化によるものであったのでしょうか?
「守護霊」に関する見解、熟考してみます。
特に興味がありますのは、「我々を導く存在」とインプラントとの関係です。
このあたりのことを詳しく解説していただけるとありがたいです。
もう一つの質問は、優良BTによる劣悪BTの処理手順についてです。
392のコメントに「BTのうちで状態の良いものがあれば、そのBTに大幅に単純化した
Solo NOTsを教え、他のBTを処理させる」とありますが、自由領域の一派が云う「大幅に単純化したSolo NOTs」をご教示願えますか?
>>409 通常のキリスト教徒の肉体が死ぬと、それに宿っていた魂は柄杓をもったイエス・キリストらしき人影を見たりする。そこでイエスらしき
人影が勧めるままに柄杓の水を飲むという選択をすると、記憶は封じられる。
ケースレベルが極めて高い人は、そういう人影を見ない。1つ前の生涯の俺は残念ながらそのレベルに達していなかったため、記憶の
回復にこの生涯で21年もかかってしまった。
人影が差しだす何らかの形の解決策を拒みさえすれば、ケースのチャージの処理をやったことがない人でも、記憶を封じられないで
すむ。接触点としての自分が肉体を離れ、インプラントが再刺激されている最中であることに気がつけば、差し出される解決策を
拒むことができるだろう。
記憶の封印という形での死を超越するためだけなら、実のところ、日々のちょっとした心掛けで十分なのかもしれない。例えば、肉体に
宿っている間、人から何か、特に食べ物や飲み物をもらう時に、自分の掌を意識して見る習慣をつければいい。掌がぼんやりして
いたり、形が安定しなかったりしたら、それは肉体の形をした心象映像の一部であり、自分が肉体から離れていることが分かる。
410の回答、非常に示唆深いです。
森田健さんが、中国の「生まれ変わりの村」(そこには前世の記憶保持者が沢山いるという)を調査し、
その村に住む前世の記憶保持者らにインタビューしたことを纏めた書籍によると、
死後、スープを配給され、それを飲むと生前の記憶が封印されるとあります。
古代ギリシャの伝説にある忘却の河レーテの話といい、今回オールドタイマーさんが教えてくださった「柄杓の水」の話しといい、
文化差はあっても共通項(飲み物?)があるのですね。
ところでオールドタイマーさんはこのところ何に興味を持っておられますか?
ちなみに僕は「ケースレベルの向上」と「お金」です。この二つを意のままにハンドルできれば
この世もある程度楽しめますからね。
シモーヌ・ヴェイユのことをお聞きになられた408さん。
彼女の持病である頭痛は「外在化によるもの」を疑わせますよね。(超勝手な推測だけど)
そして類稀なほどの美しい魂だと僕は思ってます。(外見も!)
『重力と恩寵』にある言葉、
「苦痛や極度の疲労がこうじて、たましいの中にこれは果てしなく続くのではないかとの感じが
生じるまでになったとき、その果てしなさを素直に受け入れ、愛しつつ、それをじっと見つめ
つづけるならば、人は、この世からもぎ離されて、永遠にいたる。」
…などを読むと、
彼女は誰に教わることもなく自然なチャージ処理を日々実践していたのだと思われます。
彼女がSolo NOTsを知ってたら良かったのにね。
http://www.aritearu.com/Influence/Weil/Weil.htm
414 :
408:2009/10/12(月) 19:55:39 ID:6LbUJ8Zs
ヴェイユのファンは大半が左巻きの人で、彼女の神秘家としての側面を評価しないどころか、理解さえしていないように思います
>>411 俺の記憶が正しければ、幅度は、記憶が封印される過程に、当人が罪のないまっさらな経歴(クリーンスレート)を望んでいることと、
そこに付け込むインプラントの働きがある、と認識していたと思う。
解決策を示す人影は世界のあちこちで見られる。インプラントの直前の生涯の信仰が協調動作して、そのような人影を
見せるのだろう。
>>412 ・空間4次元能力
・投資(これは幅度が菜園人に出した宿題でもある)
>>414 マルクスがやや異端なだけで、実際には、ヨーロッパやアメリカにおける社会主義はキリスト教に根差している部分が大きい。
新約聖書のテサロニケ後書の3.10に、「働かざる者食うべからず」という有名な一節がある。植民地時代のアメリカのヴァージニアに
ジェームズダウンを築いたジョン・スミス船長は「働かざる者食うべからず」を植民地運営の基本理念とし、レーニンは同じ言葉を
社会主義の第1原則とした。
哲学者だったヴェイユが社会主義を実践と考察の両面から理解した結果、西洋社会主義の源流の1つであるキリスト教に回帰した、
と考えてもあまり無理はない。
『投資』が「幅度が菜園人に出した宿題でもある」とはどういう意味でしょうか?
>>416 「お金を作るのではない。ただ、お金を持つのだ。君たちはいつの日かことを学ぶだろう」という幅度の言葉がある。菜園で、「持つ」とは
「コントロールできる」を意味するのだから、幅度は投資を勧めていたと考えて間違いないだろう。
大姉公理によれば、生存するにあたってθの基本的な行動は、物質宇宙の混沌に秩序をもたらすことだ。幅度は「無秩序」と「混沌」を
使い分けているし、魂が半ば秩序、半ば無秩序という状態を好むことを指摘しているため、「混沌」は世にいう混沌理論における
「混沌」と同じものを指しているのだろう。
この宿題は半ば解けている。
仮に株価の変動がファンダメンタルな材料を瞬時にかつ完全に反映し、材料の出現が無秩序であったならば、株価の
変動も無秩序になり、トレンドは発生しない。これが正規分布的な世界観に基づく金融工学の大前提だ。この前提が正しければ、
株価変動のハースト係数は0.5あたりになり、フラクタル次元は2.0あたりになるはずだ。
しかし、実際には、月足で測定したハースト係数は0.75あたり、フラクタル次元は1.3あたりをうろうろすることが多い。いいかえると、
材料の出現が無秩序であるにもかかわらず、株価の変動にはある程度の秩序があり、時々トレンドが発生する。秩序は株価を
材料から乖離させる。
いやぁ〜〜、オールドタイマーさんはやはりスゴ過ぎです。投資分野に詳しくない僕には残念ながらおっしゃってることが今一よく理解できていないのですが、
(そもそも用語を知らなかった!)それゆえ、もうちょっとしっかり勉強しなくては、と改めて思わせてくれました。ありがとうございます。
それにしても投資や投機、奥が深いですね。そんな中で素人丸出しの僕が実践していることの一つを蛇足ながら書いておきます。
(もしかするとこれが誰かの思考を刺激して、「お金を持つこと」に関して何らかの実践的アイディアを引き出すかもしれませんから。。。)
<FXの一手法>取引通貨:ドル/円
*前日のBID安値を確認し、そのレートを<今日のショート・ポジション>にする。
【新規】(逆指値ストップ、有効期限:当日)
*利益確定値は35pipus
【OCO決済@利益確定決済】(指値リミット、無期限)
*損切り値は45pipus
【OCO決済Aロスカット決済】
IFO注文で毎朝注文を出しておけば
あとはホーっておくだけです。
ここ数年では最大連続負け回数は10回程度。だからレバレッジを5〜10倍くらいにしておく。
暇な方は過去数年分のデータを取れば、上記とは別の利益確定値、損切り値の組み合わせをいくつも見出せます。
例えば10pipus/10pipusでも多少の利益が出せていることが分かります。
これらをいくつか組み合わせることで、収益を安定させれるかも知れません。
ただし、投資は自己責任ですよ。(まあ、誰もすぐには飛びつかないでしょうが念のため)
毎朝10分で済むのがいいですね。
>>418 大雑把な説明だが …
直線の次元数は1だ。
線が途中で折れ曲がると、1次元の世界から2次元の世界にはみ出すことになるが、2次元の領域を満たす面積を持たないので、
折れ曲がった線の次元数は2ではない。次元数は1と2の間になる。
折れ曲がる数が増えるほど、その線の次元数は2に近づく。
株価やドル/円レートのチャートを図形と考えると、その図形の次元数の測定で、有効な戦術をある程度想像できる。
「フラクタル次元」、もうねぇ、ネットで検索しまくりましたよ。でも、正直な話し、ワシにはむりじゃ〜〜〜!ってな感じです。
「その図形の次元数の測定で、有効な戦術をある程度想像できる。」・・・え?どうやって???というような状態なんです。
これまで過去のデータの統計と、単なる勘にのみ頼って投資してた僕にとって、オールドタイマーさんの「頭脳」が欲しいです!
はぁ〜〜、ないものねだりですね。かくなるうえはケースレベルを上げるしかなさそうです。頑張りまっす。
ちなみに418の手法(前日のBID安値を今日のショートエントリー価格にする)の過去2年間での最高パフォーマンス上げる組み合わせは
ドル/円ショートでは、利益確定値50pipus ×損切り値50pipusでした。(最大ドローダウン400pipus)
それから山勘では、今年10月26日〜11月9日までに、ドル(米国)を中心とした新たな下降スパイラルがはじまる気がします。(ドル売り)
オールドタイマーさんはそのような兆しを何か読み取っていらっしゃいますか?
この世での自由にはやはり金があった方がいいですよね。それには人間が生み出す「秩序」の予測方法を確立しなくてはと思います。
僕の望みは、金の問題からいち早く脱却して、物質消滅と物体のテレポーテーション能力の開発に多くの時間を費やしいそしみたいと思っています。
自由領域でそのような力を発揮できるようになった人はいるのでしょうか?
>>420 ヘッジや分散で安全性を確保し、低めのレバレジ率で大きな値幅を狙うのが俺の信条なので、単一時系列についていえることは
ほとんどないが …
多くの為替市場のハースト係数が0.5よりもずっと大きいことが分かれば、リミット注文は危険で、ストップ注文のほうが安全だと
予想できる。つまり、
>>418が方向性として間違っていないことがわかる。また、
>>418を使用するにあたって、ハースト係数が例外的に
0.5に近いドル/リンギは避けるべき通貨ペアだということもわかる。
--
幅度の宿題は実のところ人生全般に関係がある。
線形的な方法論である倫理公式と、混沌理論的な発想の大姉公理は矛盾している。この宇宙についての認識として、
大姉公理が正しいとすれば、倫理公式はゲームのライフサイクルの一部に限定的な形でしか有効性を発揮しないことになる。
例えば、投機におけるドローダウンは倫理状態として「緊急」ということになるが、ドローダウンごとに戦術をコロコロと変えれば儲から
ない。むしろ、「緊急」に際して「通常」公式を、「通常」に際して「緊急」公式を適用するほうがいい。
一方、倫理公式と違い、状態変化の観察に直接依存しない『幸福な生活のための2つのルール』は大姉公理と矛盾しないので、
今後も破綻の懸念はない。
「幅度の宿題は実のところ人生全般に関係がある。」
このところを今一度、噛み砕いた形で、事例的な喩えをまじえ書いていただけるでしょうか?
>>422 秩序と無秩序の間に混沌がある。
菜園における倫理は、いうなれば、生存のための行動の最適化に他ならない。菜園の倫理や経営法の資料には、倫理状態と
倫理公式があり、倫理状態に対応した倫理公式を用いることで、個人や組織の生存が有利になる、と特に教会では信じられている。
倫理状態のリストの一部を抜き出すと、こんな感じ。
劣悪 ← 「危険」「緊急」「通常」「富裕」 → 優良
特に、倫理の「通常」公式では、過去の成功につながった行動を踏襲することを強調している。
しかし、人生や経営についてのこのような態度は、本当に生存を有利にするのだろうか?
あるいは、官僚主導で経済大国になった日本が、今後も官僚主導でやっていけるのだろうか?
人生も、経営も、政治も、確かに、倫理公式を無視できるほど無秩序ではないので、いわゆる保守勢力にもそれなりに存在意義は
ある。しかし、過去の成功体験がお手本としていつまでも有効であるほどには、この世界の秩序は強くない。
日本についていえば、小泉純一郎が首相になるのが遅すぎた。脱官僚は小泉政権から鳩山政権までずっと政治の重要課題だが、
倫理状態がここまで悪化した日本の復調は容易なことではない。
オールドタイマーさん、解説ありがとうございます。
依頼に応じて抽象度を下げて書いてくださったので、データが組織化されてない僕には
理解しやすかったです。感謝します。
ふと思ったのですが、オールドタイマーさんは菜園理論を絶対視せず、ある点では相対化されていらっしゃるところが
ありますよね。で、確か以前、プロセシングやその理論に関しては自分は保守派だ、とおっしゃっていたと思いますが、
その分野に関しては、いまだ矛盾点や問題点は見当たらない、とお考えなのでしょうか?
>>424 「保守」という言葉は現実に際して多義的になる。
菜園の『菜園公理』『大姉公理』『要因』を拠り所とし、1960年代前半、つまり、KSW#1以前の実践を重視しているという意味で、俺は
菜園について保守中の保守だ。だから、幅度を絶対視するような菜園教会とは立場を異にしているし、チャージの存在の特定で
アセスメント以外の手段に大きく依存しているR6系プロセスや新OT IIIを実践から排除する。操縦士もこの一派に属している。
一方、1978年ごろの菜園の実践を重視している新しい保守というのも、自由領域にはある。典型的なのは、
http://www.fzaoint.net/ で、「Our organisation's CO is Class 8 OT 8 Ralph Hilton」という表記がある。fzaoint.netでは菜園教会的な倫理面の規範もかなり
重視されている。
古菜園と新菜園の境界には、R6系プロセスがある。現在でも、R6EWという形で、教会や自由領域のいくつかの組織にR6系は残って
いる。
古菜園では、GPMのゴールをL&Nで発見していたが、R6では数多くのPCで見つかったゴールを万人にあるものとして処理する。
一般に、R6は以前のGPM処理よりも効率が良かったし、多くの場合に安全性が高かったため、おおむね歓迎された。
このR6の成功が、少なくとも教会側で菜園を原則から脱線する大きな理由になったと思う。
新OT IIIでは、ジヌー挿話を人類共通の出来事として処理しようとする。しかし、実際には、新OT IIIケースがない人もいる。
ジヌーが権力の座にあったころ、天の川銀河系にいなかった人々は、ジヌー挿話にはかかわっていないのだ。
古菜園への回帰は、菜園の汎用性の回復につながる。扱うべきものを発見し、それを扱うという態度を取る限り、PCの過去が
どのようなものであっても、同じように扱える。
なるほど!そういうことなのですね。(氏がR6系プロセスや新OT IIIを実践から排除する、とおっしゃってる意味。)
あと『KSW#1』という用語の意味を知らないのですが、解説いただけるでしょうか?
>>427 「KSW」は「KEEPING SCIENTOLOGY WORKING」のこと。ほとんどのコースで最初に読まされるHCOPLがいわゆるKSW#1で、
ほぼ今の形になったのは1965年のことだ。
菜園における1952〜1956・7年頃の実践はどのようなものだったのですか?
1952〜3年頃に行われた幅度のデモ(フィラデルフィア・コースの創造のプロセシング等)を聞くと、
現在のプロセシングに比べ、オーディターの裁量がかなり問われる内容であったと思います。
と共に、根拠はまったくないのですが、当時のプロセスは荒削りではあるものの、効果の点でも(現在と比して)そうとう秀でていたのではと
思えて仕方がないのです。(これは勝手な思い込みなのでしょうか?)
オールドタイマーさんにお尋ねしたいのは、現在のスタイル(決まった質問と答え)は何時頃から取り入れられてきたのですか?
現在の菜園実践をほとんど知らないものですから、見当違いの質問であったならごめんなさい。
上記の投稿の中で『効果』と言ったのは、チャージの消去量や消去すべきチャージのアスペクトの見出し方という点ではなく、
『能力の向上』という意味です。これは単なる思い付きの意見なのですが、1953年以降も10年以上に渡って発展し洗練されてきたプロセシングは、
長年の整理の過程で、チャージ消去のみに重点が移ってしまい、削除されてしまったものの中にこそ、能力の向上を促すものが多々含まれていたのではと思ったりもしています。
チャージの消去量と能力向上には確かに初めの内、相関関係があるでしょうが、やはり能力向上はそれ以外の技術の中に存在しているように思えているのです。
オールドタイマーさんは、多年のみずからの経験において、どのようにお考えになっているのでしょうか?
>>429 俺が直接見聞した範囲では、試行錯誤と技術文献の頻繁な改定、メーター使用の開始、中断、再開などがあった。噂に聞いた
範囲では、物質の生成と消滅の実験など、極めて危険なことをやっていたとか……
>>430 昔のオーディティングでは、確かに、オーディターの裁量範囲が大きかった。
現在のスタイルというのが、まあ、具体的に何を指しているのか、俺の想像で補完して答えることにする。tickを有効なリードと見なさ
ないのが現在のスタイルの大きな特徴で、これが確定したのは1968年のことだと思う。
>>431 菜園技術は、ある時期に、能力が平均より高い人をさらなる高みに引き上げるという方向に進みすぎた。能力の安定にはチャージの
軽減が不可欠であり、能力の向上とか悟りとかばかり志向すると、再刺激でケースが「膨れ上がる」(beef up)ことがあったり、PCが
「頭から転落する」(fall on his head)ことがある。
原始仏教には出家という環境面からの安全確保策があった。
菜園では求道のための出家はないので、再刺激に満ちた日常生活のなかで実践することになる。だから、チャージ処理は外せない。
現在の菜園技術は、能力の低い人を平均的な能力の水準にまで引き上げるということに関して、かなり完成度が高い。
前にも別の形でいったことなんだが、菜園は仏教よりも高度なことをやっているのではなく、仏教よりも低いところを仏教よりも確実に
こなすことを当面の課題としている。この課題に限定すれば、菜園人たちはかなりいい仕事をしてきた。
(そういう認識を含めて、俺は、菜園からの信者の卒業ということを、技術や運営の体系に予定するべきだと思っている。)
「菜園からの信者の卒業」興味深い観点ですね。それで思い出したのが、精神分析が全盛を極めていた頃の話題の一つです。
一般に被分析者は5年なり10年ほど分析を受けると、その分析家や精神分析自体から離れます。いわゆる分析の終了です。
一方、分析家自体は教育分析のプロセスを資格を取った後も継続する傾向があり、その過程は分析家として臨床活動をしている限り、
(途上で数回の中断はあっても)終了することはありません。で議論になったことは、分析家は自分の分析家から離れないがゆえに、
分析者に対する『依存心』を実は解決していないのでは、というものでした。(まあ、これは氏の観点とは違う議論ですが)
で『卒業後』のことについて、オールドタイマーさんはどうお考えですか?つまりどこへ向うのでしょう?(これこそ依存心、「自分で決めろ」って?)
>>433 もともと幅度が書いたBook Oneにも、オーディターとなることを志願する者を除けば、クリアー一般が大姉に無関心になることが
自然なことだという見解が述べられていた。自らを灯明とせよ、という晩年の釈迦の教えは、その頃の幅度の態度に反映されていた。
答えはやはり、自分で決めろ、だろう。
『菜園は仏教よりも高度なことをやっているのではなく、仏教よりも低いところを仏教よりも確実に
こなすことを当面の課題としている。』との見解についてですが、本来仏教が目指してるところは
何だったのでしょう?悟り、という言葉があまりにも多義的に思え、意味をなさなくなっているように感じています。
仏陀は如何なる意味でその言葉を語ったとお思いですか?またオールドタイマーさんにとってのそれは何だったのでしょう?
そして仏教が行っている、とおっしゃる『高度なこと』とは何なのですか?
重ねて投稿します。
チャージ処理が非常に重要であることは分かります。そこでありえないこととは思いますが、読者一般のために、次のような企画はいかがでしょう。
題して『☆old timerの、みんなのチャージ処理入門!』(ドンドンドン。。。。)<(_ _)>失礼いたしました。・・・ありえないですよね?
過去レスにおいてオールドタイマーさんが紹介してくださった沢山のプロセスをざっと見てみますと、UCPを除き、読者がソロで、
日々コツコツ、チャージ処理が出来るものが意外にないように思えたからです。
何か推奨されるチャージ処理プロセスがあるでしょうか?
>>435 仏教の目的は、繰り返し唱えられているように、解脱だろう。菜園は、すくなくともこれまでの歴史では、その一歩手前で
とどまるのだから、仏教より下の部分をやっていることになる。
>>436 チャージ処理企画は面白いかもしれない。
チャージ処理シリーズ#1 ― UCP
ケースの状態をあまり気にしないで実行できるのがUCPの最大の美徳だ。効率は大したころがないが、UCPは幅広い種類の
チャージを扱えるし、内在化の処理のためにも使える。
UCPコマンド:
1) 「あなたはどこにいたことがありますか?」
2) 「それを今いるところと比べてください。」
3) 「あなたはどこにいることになりえるでしょうか?」
4) 「それを今いるところと比べてください。」
(現実的ではない答えや、抽象的な答えも歓迎される。何かに気がついてチャージが低減したら、それがその時点のとりあえずの
終現象だ。)
//
チャージ処理シリーズ#2 ― ソロUCP
ソロでは、
1) 自分がいたことがあるところを思い浮かべる。
2) (1)で思い浮かんだところと今いるところに交互に注意を向け、それを3回繰り返しても
精神的な変化が現れなくなるまで続ける。
3) 自分がいることになるかも知れないと少しでも思えるようなところを思い浮かべる。
4) (2)で思い浮かんだところと今いるところに交互に注意を向け、それを3回繰り返しても
精神的な変化が現れなくなるまで続ける。
という手順を繰り返すことを推奨する。
比較を行うステップをさらに具体的な行為と入れ替えたもので、それぞれのステップを手短に行うのがいい。
内在化が発生している場合、ARCブレーク処理のようなルードメントの手順を行うことなく、大姉を用いた内在化処理、想起により
内在化処理(いわゆる、終わらない内在化処理の終わり)、または、このUCPのみを行うべきだ。
初歩的な質問で申し訳ありませんが、『内在化』というのは如何なる現象なのですか?
そしてそれは、そのまま放置しておいては、何か不都合な事でもあるのでしょうか?
>>439 魂が何かから ― 普通は、肉体から ― 外に出るのが外在化だ。外在化した状態から外在化前の状態に戻ることを内在化という。
外在化はオーディティング中にも起こることがあるが、もちろんのこと、肉体が死んだときには必ず起こる。つまり、外在化は過去の
膨大な数の肉体の死のエングラムを再刺激する。
エングラムを再刺激したまま肉体に戻ってくると、肉体に痛みが生じる。
仏教の話でふと思ったんだが・・・。
サイエンはエングラムだとか反応心を消去しようとするのに対し、
仏教は自我とか自己のほうを消そうとするところに違いがあると思う。
仏教の場合、いくら反応心が存在していても、自己が存在しなければ全く影響を受けることがない。
それはエンティティだろうと同じっていうかね。
木村藤子さんの話が出たけど、ああいった能力を得る一番手っとり早い方法は、自我を捨てることなんじゃないかな。
解脱や悟りというものに、自我や自己の消滅が不可欠であるならば、
やはりサイエンは仏教でやろうとしていることの前段階プロセスって印象を受けるね。
もし悟りや解脱を目指すのであれば、どこかで自我の欲求からくるテックやプロセスを捨てる必要が出てくると思う。
ただ、段階的に精神を解放していくという手順に関しては、今の時点でサイエンの右に出るものはないと思っている。
ある意味、仏教のほうがワンショットクリアー的なところがある気がする。
欲を捨てて、はい、終わり、みたいなね。
八正道実践もそうだし、阿弥陀仏に全託とか、ただひたすら座禅なんかもそう。
ゴールから入っていくというか。
>>441 8-8008に「涅槃というものはどうやら存在しないようだ。状態が良くなるほど、より自分自身になる。自我の消失が起こるのは、非常に状態が悪化した時で、人は物質宇宙の一部になる」という趣旨の記述があったような。(今外出中なので、家で確認しますが)
というわけで、向上し過ぎると自我が消失する、という恐れは、インプラントされたものじゃないか?と俺は考えてます。実際に失うのは自分ではなく“機械仕掛け”で、その機械仕掛けが「消失しちゃうぜ」と言って向上に歯止めを掛けているのではないか、と。
>>441 仏教にもプロセスがある。ヴィパッサナー(直観の瞑想)やメッタ・バーヴァナー(慈悲の瞑想)あたりもそうだし、八正道だってそうだ。
悟りや解脱を目指す仏教にプロセスがあるのだから、菜園人が悟りや解脱を目指すのにプロセスを捨てる必要はない。
プロセスを必要としなくなるのだ。
>>442 状態の悪化が続くと、魂は人生において、他者から被る影響が大きくなっていき、他者の決定力に支配される。
状態の悪化がさら続くと、魂は生命体を維持するGEや物質を維持するラムダになる。ラムダ状態では、魂は自我を持たない。
状態の向上が続くと、魂は人生に対して起因になる。つまり、自己決定力が強まる。
状態の向上がさらに続くと、魂は人生に対して全決定力を持つようになる。人生というゲームはそこで終わりになり、そのゲームで
使用していた自我もなくなる。生前の幅度はこの状態の手前で意図的に踏みとどまったため、その先に何があるのかを
直接経験としては知らなかった。
自我といい自己といい、それが何を指し示してるかによって、真逆の言語表現がなりたつのかな。
自我と自己との区別をたてるユング派のセラピストは、自我とは心的複合体の一つで、
他の無数にあるコンプレックス(この一つひとつが人格を持つ)と力関係において通常上位にあるものと考える。
だから自我のことを自我コンプレックスと呼んでいる。
この観点から考えるとエンティティーも心的複合体の一つと捉えられる。
一方、自己はユングにおいては仮説的な概念だが、晩年のユングの思想は、(ユングの弟子であるフォン・フランツ女史によると)
物質とは集合無意識のアスペクトの一つであると考えていたところをみると
自己とは彼にとって究極的に物質宇宙を創始した神そのものであった。
つまり彼にとって物質と人間意識とは源を同じにする。
幅度の言うセータと仏教者の語る自我(エゴ)は違うものかも知れない。
自我を、欲求(執着)を自動的に生み出すメカニズムと考えるのか、
それとも「この私」(世界の中の自分)と捉えるのか、難しい。
自我とは視点(接触点)の一つなのだろうか?
「世界の外で公平に見ている自分」を活性化させ、「世界の中で今現に奮闘する自分」を消し去っていくプロセスが
悟りなのだろうか?
ああ、よく分からない。。。。
解脱と悟りの違いはわからんけども、たいてい大悟したと言われている人の著作を読むと、
共通項があるのよね。禅の坊さんにしろ、クリシュナムルティにしろ、ダンテスにしろ、
バーナーテッドにしろ、EOにしろ。
皆、口を揃えて、目の前にしか真実はない、みたいなことを言ってて、
過去や未来のことに関心を示さない。
転生なんて話は一切ないし、当然、過去の宇宙の出来事に現在の原因を求めたりとか、
肉体の死後どうなるとか、未来生の存在についても無関心で、一切言及なし。
これって、自我がないことと関係してるんじゃないかって思って。
自我の定義とかってのが自分には曖昧なんだけれども。
そもそも、魂が生まれ変わって、次の肉体を持つといったこと自体、
自我というか、自己、自意識がないと成り立たない概念なんじゃないかって。
自我というか、自己の感覚を失った人は、おそらく前世とか未来なんて概念が全て
吹き飛んじゃうんじゃないかって思うわけ。
要するに、個別性がなくなるわけだから。
例えどんなにものすごいパワーを身につけて、何でもできる存在になったとしても、
自我がある以上は、輪廻から抜けられないというかね。
それは東京オーグのOT4とか8とかの人と話してて思ったんだ。
こういった人達は、普通の人に比べると、超絶パワーを身につけてて、
何でもできる存在になってるのかもしれないけど、
結局、何億年前の前世とかナントカ連邦にこだわってて、
いつまで転生するつもりなんだろうって思ったもんだ。
「OTは生まれ変わっても記憶が消えないんだよ」みたいなことばかりにこだわってて。
クリシュナムルティみたいな話をする人は誰もいなかった。
>>444 菜園では、「beingness」と「being」の区別があり、それらが、ユング派にとっての「自我」と「自己」に相当すると思う。
自由領域ではさらに拡張され、人によって多少の違いはあるが、おおむね、
nothingness:
nirvana of creation:
higher being:
being:
beingness
という階層構造として捉えられている。
>>445 「問題は現在にある」「エングラムは現在にある」と幅度はたびたび教えてきた。
コンピューターの記憶装置に喩えてみよう。記憶装置の中のファイルには「2009年10月23日 14:57:08」のように日付が付けられている。
これを便宜上「過去のファイル」と呼ぶことはできるが、記憶装置とその中のファイルが現在に存在することは明白だ。
ユーザーが記憶装置の中のファイルをファイルを日付で検索できるように、心もまた出来事の記録を日付などで検索できるように
なっているから、「過去の出来事」としてチャージのある記憶を扱っているにすぎない。
禅では、真理ではないが役に立つ話を、総じて、「方便」と呼ぶ。「過去のチャージ」を処理するのも、「マーケイブ連邦」のことも、
菜園における「方便」だ。
教会はこの「方便」に凝る傾向がある。もしも
>>445がプロセシングなどの実践ではなく、菜園の根本的な教義そのものに関心を持って
いるならば、『思考の原理』『菜園公理』『要因』あたりを学ぶといいと思う。
nothingness:
nirvana of creation:
higher being:
being:
beingness
上記の階層構造、大変興味があります。nothingnessに関してはオールドタイマーさんより、折に触れ解説があり
だんだん分かってきましたが、nirvana of creation以下に関しては、今回はじめてお聞きしました。
よければもう少し詳しく教えていただけたら嬉しく思います。
>>448 nothingnessとnirvana of creationは操縦士の著書に出てくる。無限のポテンシャルを持つnothingnessはそれと釣り合う
somethingnessの創造を促すが、何もnothingnessとは釣り合わず、創造は無限かつ永遠に続く。
nirvana of creationは、無数の宇宙を創造し、それぞれの宇宙の中に無数の人格を投影する超越的存在たちのこと。もちろん、俺も
>>448も、超越的存在が投影した人格が投影した人格が投影した …… 人格ということになる。
higher being ― または、higher self ― というのが、いわゆる個別総体のこと。俺総体もその1つだ。人格神というのもhigher
selfだろう。祈ることでhigher selfから力を引き出した人々なら、人類の歴史にも登場する。
beingが俺ということになる。菜園人の大部分が認識する「自己」はbeingだ。
beingnessとはbeingの今現在の「自我」ということになる。
--
惑星を傾ける力があるのは多分higher beingだが、俺が思うに、幅度はbeingとしてそういう力を回復させようとした。
アレスター・クロウリーあたりも似たようなものだろう。神ならざる人でありながら、強大な力を行使できる存在 ― 超人 ― こそが、
人類が憧れる人間の姿だ。
幅度は、生前、higher being にbeingが解消される「手前で意図的に踏みとどまった」ということを
オールドタイマーさんは時々書いておられますが、それを示す(裏付ける)資料がどこかにあるのですか?
また菜園や自由領域的プロセスが必要なくなるのは、どの時点なのでしょう。
つまり、有機体をもった存在として地上に生存しつつ、プロセスの必要性から解放されることは現実的に可能なのですか?
続けて質問いたします。
身体を持った状態で、higher being (総体)との融合を果たすことは、ありえるのでしょうか?
もしそれが可能だとして、その存在は地上での生存に興味を持ち続けるのでしょうか?
この世界では一般に、仕事があり、家庭があったり、セックスに惹かれたり、身体を気づかったりして生きています。
higher being はそのような人間的な活動一般をどう捉えるでしょう?
もしや、ただ今にいて、すべてを見つめ、自身の身体が朽ちていくのも、家賃の催促が来ても見つめて見つめて、さらに見つめて、さようなら。。。
何てこともありますか?それとも地上にいる間は、叡智がおのずと働き、その生存にふさわしい言動がひとりでに現れるのでしょうか。
総体のパワーがあれば、何でも物質化できるでしょうし、身体を維持することにおいても、外部からのエネルギーに依存する必要はないでしょうが。
それと、仏教で言うところの解脱とは、higher being との融合と考えていいのでしょうか?
たまに、半分夢の中にいて半分意識があるような状態で、聴いたことのない音楽やメロディが流れることがあります。
それは抽象的なものではなく、部屋やどこかで聴いているようなくらいリアルに聞こえてきます。
これは、おそらく過去生の記憶ではなく、音楽が近代的であることと、自分が意識してメロディや曲調を変えれることから自分が夢の中で作曲してるように思えます。
ただし、自分は過去に音大に行きたいと思って勉強していた時期もありましたが、実際は音感がない事から途中で諦めてしまいました。
起きると、ほとんど音楽は忘れてしまっているのですが自分に才能があれば、夢の中で聴いたあの音楽を楽譜に残したいと思います。
このような現象は、自分が過去生で音楽家だった時期があるからなのでしょうか?
それから、続けて質問します。
外在化についてですが、半分意識があって夢の中にいる状態で自分が肉体から離れようとして実際に20〜30センチくらい浮いたような状態を体験しました。
そこから、自由に肉体から離れることもできる気もしたのですが、もう二度と戻ってこれない怖さがあってやめました。
このような状態の時に肉体から離れて自由に飛び回るのは危険でしょうか? このような経験は過去に何度かしました。
>>450 資料がどれだったか失念したが、ポスターなどによく引用されていた幅度の言葉があった。神よりちょっと下のところでゲームを
するのがOTだとされていた、と記憶している。
自由領域的な考えでは、プロセスが必要かどうかは、基本的に、自分で決めることだ。もちろん、プロセスについての知識が前提には
なる。
>>451 あらゆるチャージは見せかけであり、空間もまた見せかけだ。beingとhigher beingの「分離」もまた見せかけのことで、
アクチュアルには分離していないのだから、再融合の必要性はない。beingがbeingごっこをやめればそれでよいのだ。
higher beingはbeingに比べれば遥かに公平なので、beingの活動に干渉することはまずないだろう。
>>452 俺たちはそれぞれ物質宇宙の歴史より長い時間を生きてきたため、ある曲が実はこの地球の誕生より古い時代の音楽書法を
反映しているなんてこともありえる。音楽家であった生涯は、ほぼ誰にでもある。
音楽家としてのGPMの始端近くにあるのであれば、音大に行っても行かなくても、音楽家になってしまうと思う。
武満徹は音大には通わなかったが、「日本人としては稀に見るほどに高度の書法」を身につけた作曲家として
評価されている。(個人的には、武満徹は日本人作曲家として空前絶後の高みにたどりついたと思うが、もちろん、異論は認める。)
ムソルグスキーは「強力な五人組」の中で音楽の知識と技能において最も劣っていて、自分で曲を完成させることもほとんど
なかったが、ロシアオペラの父とたたえられ、その作品は管弦楽の魔術師ともたたえられたラヴェルをも魅了している。
外在化してそのまま肉体に戻ってこなければ、肉体は死ぬか、または、別の魂によって使用される。その確率を決定する要素の
特定は今のところ自由領域でも研究されている最中だ。
>>453 初歩的な質問で申し訳ないのですが、音楽家としてのGPMの始端が近くにあると言うのは、どういう状態のことでしょうか?
GPMとはなんですか?
今ふと思った
二次元の世界って音の世界みたいだね
10年ほど昔、体外離脱した経験があるが、肉体から自分が上昇し、しばらくして宙ぶらりんのまま止まった。
その時、見えない存在たちが私を取り囲むようにしてしゃべってる声が聞えた。
声曰く「・・・この実体はまだやることがある。」それから私は肉体へとひとりでに戻った。
その有り様を私は別の視点からも見ていた。(あるいは聴覚情報をリアルタイムに映像化していたのかも知れないが)
その際、肉体から離れていた私は、肉体とは別の身体(幽体?)を確かに持っていた。(そのように見えていた)
菜園的プロセスにおける外在化も経験した。
それは視点のみの移動だった。
幽体とおぼしきものはなにもなかった。しかし、その視点として考えることはできた。
また移動した場所にも私の場合、違いがある。
幽体を纏っているときには、顕在意識の垂直方向(?)にある多種多様の別次元の空間へと入っていく。
菜園的外在化は決まってこの世界の中だ。(視界は状態によって非常に不明瞭なときも、空想が侵入するときもある)
あと、外在化と呼べるのかどうか自分でも良く分からない現象がある。
視点だけで世界を見ているが、どうも心というものがない。思考がないと言うのではなく、
思考のある場所に思考されてる当の物が存在していて、内界と外界との区別がまるで立たない。
視界は異常なほど明るくクリアーであり、肉眼より広範囲だ。(視界360°であることもある)
外在化の現象は今もって魅惑的だ。
(文体を変えて)オールドタイマーさんにお聞きしたいのは、菜園や自由領域において、いわゆるアストラル界などの
位相の違う多種の異次元世界について、どのような探究が行われているかということをお聞きしたいです。
また外在化にも各種、区別があることを、どう考えておられるか、を聞かせていただけるとありがたいです。
よろしくお願いします。
外在化ついでに覚え書きを一つ。。。
目の前の空間全体にに自分を溶け込ませるようにすると、自分がどこにいるのか分からなくなる。
身体感覚が希薄になり、自分という身体存在を忘れる。(空間と意図的に一体化することで身体との同一視が一時中断される)
大概の人は、数時間ほど練習するといつでもそれが可能になるし、練習なしですぐ経験できる人もたまにいた。
だからって何だ、って言えばそれだけの話しだが、これを習得すると面白い実験がいろいろできる。
例えば誰かの中に入っていって、その人の思考に、こちらの意図をある程度注入したりすることが可能だということなどが分かる。
これなどは、意図を強めれば上記の方法(はじめに空間に溶け込む手法)を用いなくてもできることだが、
自分が生きたまま(つまり自分の肉体を持ったままで)他者の肉体に憑依する模擬練習としては興味深いと思う。
avaの練習の中にスパー・フィール・イッツというのがある。(視点を完全なまでに対象物の中に入れ込み、それと一体になって感じる練習)
これを徹底的に修練することでもほとんど同じことが可能になるようだ。(avaのWizたちも、やっていながらこの可能性にほとんど誰も気づいていない)
憑依は思考支配を明らかに超えている。何故なら憑依した他者の身体感覚をも選択的に体験可能だからだ。
しかも、それは僕らが生きたまま実践可能だ。まだ僕はやったことはないが、自分と、別の身体を持つ誰かを同時にコントロールできる人も世の中には相当いると思う。
しかし、この能力に関しては、自分の身体が滅んでしまった後にまで適用可能かどうかは定かではない。
その意味で、真の憑依とは区別されるのかも知れない。
上記投稿の補足。。。
他者憑依はターゲットを完全にコントロールできるわけではない。
ときに強引なまでの力が必要とされる。ターゲットの精神を半ば眠らせる。(気絶?)
しかしながら、どうもコントロールにはコツのようなものがあるようだ。
ときには混乱する人もあるが、気づきもしないであやつれる人もいる。倫理的な問題はこの際、問わないようにしよう。
またターゲットによってはびくともしないこともある。(身体の中?には侵入できるのだが中枢を制御できない)何事も訓練が大事である。
>>454 GPMについては、このスレの最初あたりに説明しておいた。
>>456 これはあくまで菜園側の解釈だが、菜園外の一般的な体外離脱では、さまざまな心象映像と一緒に体外に出てしまうため、それら
心象映像を見ることになる。菜園側の解釈においては、見えているものは「アストラル界」などではなく、自分の心の一部だ。
外在化では、たいていの場合、肉体からのそれよりはるかに優れた視界を経験することになる。俺の肉体の視力は0.1くらいだが、
外在化状態のときには、50メートル離れたところにある文庫本のタイトルも楽に読める。
>>457 それをやっている人が自由領域にもいる。
俺自身はむしろ能力の4次元化のほうに関心が強く、
>>456の「その有り様を私は別の視点からも見ていた」みたいなところを
研究中だ。
>>457 その他者のコントロールの究極の形が、自我を捨てることって気がする。
脱洗脳で有名な苫米地英人さんも言ってたけど。
自我が失くなると、憑依なんてしなくても、周りの人は全てその人のコントロール下に入る。
相手(というか宇宙、神と言ってもよい)の意図と自分の意図が完璧に一致した状態というか・・・。
まさしくhigher beingと一体って境地なんじゃないかな。
神人合一。
自分と他者の二人を同時コントロールどころか、
全ての人間(というか宇宙すべて)を同時にコントロールしている状態になるわけだから。
>>446 サイエントロジー8-8008、という本のこと。フィラデルフィア博士号講演の時、教科書として使われた本だよ。
他愛もないような質問ですが、お答え頂けると嬉しいです。
OTは寝ている間、夢を見ますか?それはどんな夢ですか?
猫は地球以前から存在していたように思うのですが、起源をご存知ですか?
>>462 菜園の歴史上、まだ「OT」の定義を満たすレベルに到達したと確認された人はいない。
>>462の「OT」を「準OT」と解釈すると、準OTも眠っている間に夢を見る。前世の膨大な記憶の影響で、夢の内容は極めて多様になる。
「準OTも眠っている間に夢を見る。。。」ならば、この際、一般人の夢を一つ。
その夢を見たのは2〜3ヶ月前になる。
僕はオールドタイマー氏の住まいを訪ねた。(夢の中の)氏は、小柄な男に見えた。
氏はおもむろに話し始める。「この宇宙はね、3つの宇宙が重合して出来てるんだよ。」
僕は心の中でこう思う「ああ、それはミクまり構造なのことを言ってるのかな。
それとも個人的な宇宙、他者の宇宙、そして物質宇宙という例の理論?」
いや、どうもそうではないらしい。
ここで言う3つ宇宙とは、幅度が探究したような、一つの根源的認知システムから構築された宇宙A以外にも、
それぞれが一切の妥協を許さない整合不能の別体系として、宇宙B,宇宙Cが存在し、それらが重なり合い、
同時に存在しているらしい。そして、探究者がどの根源システムに注意を向け探究するかで、障害も戦略も出口も結果もまったく異なるのだという。
以上。
…失礼いたしました。
466 :
RITO ON THE GRILL:2009/10/27(火) 21:09:45 ID:M6SEtQoJ
完全なOTの定義に達した人はいないとのことですがビルロバートソンがそうではありませんか。
オールドタイマーさんは同じ軌跡を共有する魂の兄弟がいるそうですね。
それは教会のOT9の大きさの等級のことだと思います。
最大等級のセイタンならばそれはその人自身で一体ですがそれ以下だと等級によって吸収する側になるか吸収される側になるかどちらかになると。
同じクリアーやOTでも人によって印象や能力が違うのは大きさの等級が違うからですよね。
生存の科学では大きさの等級のことをセータの量と呼んでいました。
>>466 ビル・ロバートソンはOTかもしれないが、確認されてはいない。真のOTは、肉体を使ってやれることを、肉体を使わないでもやれる。
1950年代に、キーアウトしたOT(keyed-out OT)という状態になった人は何人かいるらしいが、その状態は長続きしなかったそうだ。
個人的な意見だが、OTとなるには、やはり、自分の他の断片との再統合が必要不可欠だと思う。幅度はこの方向に積極的では
なかったが、自由領域の先達の何人かはこの方向に大きく歩みを進めた。
ねえねえ、ビル・ロバートソンって誰?(すいません、素人なもので)
>>468 1980年代に、幅度の指示により、海組織を去って、教会とは別の菜園組織を作った人物。この菜園組織が自由領域ヨーロッパの
前身となり、後に自由領域アメリカが生まれる契機ともなった。
<RITO ON THE GRILL>さんも菜園や自由領域についてお詳しいんですね。
ぜひ、日本語で、僕らにあなたがご存知の情報を共有してくださると、嬉しいです!
「1950年代に、キーアウトしたOT(keyed-out OT)という状態になった人は何人かいるらしい」とのことですが、
その後、菜園や自由領域はさらなるチャージ処理の技術を積み重ねていながら、(そして実践者も増えているのに)
何故それ以後、キーアウトOTは表に出てこないのでしょう?
現代であれば、それが一時的な現象であっても、携帯の映像としてでも、誰でも残せそうですし、
ことさら隠す必要もないように思えるのにな。
もう一つ、「自分の他の断片との再統合」のことについてなのですが、
「自由領域の先達の何人かはこの方向に大きく歩みを進めた」とのこと、具体的に彼らは何をしているのでしょう?
実質的に、日本語で自由領域についての情報を得られるのはここだけです。
おそらく世界でこのスレが本当に唯一でしょう。
英語が堪能な方は、これまでオールドタイマーさんが紹介してくださった各種のサイトを
それぞれの興味にあわせ閲覧なさってるでしょう。
そういう方々の中で、もしお時間が取れる方は、よろしければ情報の共有掲載を
このスレに、日本語にて、お願いできないでしょうか?
情報の質は、オールドタイマーさんが尽力され、日々コメントしてくださっているので、到って申し分ないのですが、
全体として情報が断片的ですし、まだまだ少なすぎます。
1991さんも頑張っていらっしゃると思います。どうぞ英語に自信のある方、手助けしてください。
お願い致します。
>>471 キーアウトしたOTが表に出てこないというより、むしろ、キーアウトしたOTになる人がいない。関連プロセスも封印され、実践されて
いない。例えば、大姉55のプロセスの大部分は現在のオブジェクティブに組み込まれているが、省かれているプロセスもある。
省かれているプロセスは、多分、キーアウトしたOTに関連している。
伝え聞くところによれば、1950年代のキーアウトしたOTの能力の頂点は、肉体の複製というころにまで到達したとか。それほどの
強大な能力の行使は、膨大な量のケースチャージの再刺激につながる。まずはチャージ処理を徹底的にやらなければ、
キーアウトしたOTの人生は破滅してしまう。菜園全体は、強大な能力の解放を後回しにして、当面の間、チャージ処理に
専念することとなった。
--
断片との再統合を目指すプロセスには、例えば、自由領域の拡張大姉 ― 教会の拡張大姉とは別物 ― がある。この自由領域の
拡張大姉は、すでにクリアーになっている人に対しても使うことができる。
「自由領域の拡張大姉」興味深いですね。
どなたか日本語化して紹介してくださいませんか?
464さんの、夢の中にオールドタイマーさんが出てきたと言う話はともかくとして、その夢の中の宇宙感は正しいのでしょうか?
よくオブジェクティブはとても重要だと聞きますが、具体的にはどのような点が重要なんでしょうか?
また、オブジェクティブで処理されるチャージはどの程度ですか?
散歩でもオブジェクティブをやったのと同程度の効果が得られるのですか?
まだ規制中か?
>>478 オブジェクティブの件、リンク先にお礼書き込めませんでした。有難う御座います!
規制は終わったみたいだ。やれやれ。
チャージ処理シリーズ#3 ― 厄介事
1) PCが抱えている厄介事を突き止める。メーター上で有効な反応が見られることが望ましい。
2) 見つかった厄介事について、チャージが解放されるまで嘘をつく。はっきりとしたコグニションはないかもしれないが、メーターを使用していれば、
FNが現われるだろう。
これは菜園教会でも知られているプロセスだ。
人は厄介事を抱えると、それに直面できず、それについて自分自身や他者に対して嘘をつくことがある。このような嘘は厄介事をさらに
しつこいものにしてしまう。
厄介事が長く存在すると、人はそれについて嘘をつき続けていることに無自覚になってしまう。
厄介事を何とかするための第1歩は、嘘をつき続けていることを再自覚することだ。
つまり、自覚して嘘をついてみればいい。
>>481への訂正
「チャージが解放されるまで嘘をつく」→「チャージが解放されるまで嘘をつかせる」
『思考の原理』第2章;「アクションのサイクル」の終わりのほうに、
「嘘をつくことは、最も低いレベルの創造です。」と書いてありますが、
これはどういう意味ですか?
>>483 菜園公理#11に関係していると思う。
as-isness、alter-isness、isness、not-isnessの中で、not-isnessが最も低いレベルにある。
as-isness:持続することなく、即座に創造する状態。
アズ・イズネスとは創造の瞬間と破壊の瞬間に存在する存在の状態である。
alter-isness:持続させるために、アズ・イズネスに変化をもたらし、その結果、
時間と持続性をもたらすコンシダレーションのこと。
(アルター・イズネスの基本的な顕われのひとつは、嘘、偽りである。
人が嘘をつくとき、彼はその存在を維持するために真実を虚偽へと変えている。)
isness:アズ・イズネスを絶えず変えることによって、もたらされる存在の見せ掛け。
これはそれが同意されるとき、現実性と呼ばれる。
not-isness:力の使用を通じてイズネスの状態を下げることによって、
それを処理しようとする試み。それは見せかけであり、イズネスを完全に打ち負かすことはできない。
as-is:何の歪曲も、あるいは嘘もなく、物事をあるがままに正確に見ること。
その瞬間にそれは消失し、その存在をやめる。
・・・上記の、幅度の定義からすると、「嘘を意識的につくこと」は、無自覚なアルター・イズネスを
自覚へともたらし、「厄介事」をアズイズ可能な状態へと導こうとしているのでしょうか?
つまり、嘘を嘘と見抜くことで嘘を消し去り、最初の創造をあるがままに見る視点に戻っていくプロセスであると?
(そういえばフランクルは、ロゴセラピーのセオリーにおいて、不随意のものを意識的に行うことで、不随意を随意に変換する、
というパラドキシカル・アプローチを提唱していました。これと同等の原理なのかな?)
>>485 不随意なものの随意化は菜園実践の多くの部分に組み込まれている。昔のワンショットにも似たような変形があった。
ワンショット「Be three feet back of your head」(あなたの頭の3フィート後方に存在しなさい)がうまくいかなかった場合に、「Try not to be three
feet back of your head」(あなたの頭の3フィート後方に存在しないように努めなさい)が使われることもあった。
厄介事や問題に対して「それと同等かそれ以上の問題を創ってください。」とか、
「それに匹敵するような問題を創ってください」あるいは「(そのような問題を数多く)創ってください。」
という『思考の原理』に含まれるプロセスは、何故効果があるのですか?
また上記の本の日本語版(2007)P165に『オーディティング:避けなければならないこと』1.<シグニフィカンス>とあり、
「セイタンにさまざまな考えを消去するように言うのは誤った考えです。それは間違いです。」と書いてあります。
これは消去(as-is)を、避けるように言ってると思えるのですが、問題を消去することを何故避けなくてはならないのでしょうか?
このあたりに、自分は混乱をきたしています。解説のほど、よろしくお願い致します。
また規制されたようだ。
>>487 ある問題に匹敵する問題を想像することは、問題を持つ能力を改善するので、問題を抱えている個人のケース面の改善に役立つ。
--
「考えを消去するように言うのは誤った考え」であっても、考えを消すことそのものは誤っていないこともある。しかし、考えをどうするのかは基本的に
個人の自由だ。菜園以前のほとんどの宗教と比べて、菜園の教義そのものは自由主義的だといえる。
PCが天皇と山桜を熱愛する民族国家主義者であっても、国境を人類の歴史の傷跡にすぎないと考える世界市民主義者であっても、
オーディターにとってはどうでもいいことだ。
チャージ処理シリーズ#4 ― 厄介事のメタなプロセス(ソロ専用)
1) FPまたはコグニションが生じるまで、自分自身について嘘をつく。
「自分自身について嘘をつく」プロセスがある良好な効果をもたらすなら、自分が現在問題を抱えている特定の領域や人、そして物や身体等、何にでも適用できますね。
例えば、経済的困窮に対して手を打とうと思案している人であるなら、それを対象に「嘘をつく」プロセスを行うことで、少しは役立つかも知れない。
恋人との関係に行き詰っている人であるなら、それをターゲットにプロセスをしてみる。(これらはメタ・プロセスではないけれども。)
「自分自身に嘘をつく」ことが「厄介事のメタなプロセス」になるのなら、「自分の人生」そのものに嘘をつくのもいいかもね。さっそく試してみようっと。
>>491 注意点だが、範囲を広げるほど、コグの発生には時間がかかるようになり、1つのセッション内でコグを目指すのは現実的ではなくなる。
「人生」も範囲が広いので、毎回のセッションではFPまでにしておいたほうがいいだろう。
FPとは?
Filbert派の「universe-above」「universe-2-above」についてもう少し教えていただけますか?
『Filbert派とOgger派の間では、基礎的な共通認識の範囲を超えると話が全くかみ合わない』とのことですが、
それは<在る>と認識されている宇宙が互いに別物であることを示唆しているのですよね?
どうしてこのようなことになるのでしょう?この理由をオールドタイマーさんはどのように考えておられますか?
それから『コグニションを論拠にする論者』という表現の意味が分からないでいます。
この点も解説していただけると嬉しく思います。
>>493 つ
>>23 >>494 心には魂からの要求に応えて心象映像を示す仕組みがある。
肉体を通さないで何かを見たとき、それが心によって提示される心象映像なのか、それとも、心の外にある何かなのか、見分けるのは難しい。
まったく異なる見解を持った複数の宗派が現われることになるのはそれゆえだと思う。
コグを論拠にするのは危険だ。
幅度の個人的なコグはジヌー挿話と新OT IIIにつながったが、ジヌー挿話はこの銀河系内に限定された話で、物質宇宙には他の
銀河系もある。ジヌー挿話に語られる出来事を経験していない人もいる。新OT IIIを全ての人にやらせようとするのは明らかに間違いだ。まずは、
新OT IIIが数多くの人々に著しいケースゲインをもたらしたとしても、なお、オーディティングにおいては各人に新OT IIIケースがあるかどうかを
確認すべきだろう。
あるいは、ソフトウェア開発に喩えてもいい。
コグニションはバグの発生個所の発見に相当する。あるソフトウェア製品からバグを取り除いたからといって、同じバグが他のソフトウェア製品にも
必ず存在するとは限らない。あるソフトウェア製品のソースコードのある部分を変更して処理時間を短縮できたからといって、別のソフトウェアの
似たような部分を同じように変更することが常に望ましいとは限らない。
ソフトウェア開発全般に改善をもたらしたいのならば、数多くの事例の共通する問題点を探したりすべきだし、理想をいえば、原理原則的な
ところに踏み込んだほうがいい。非同期処理の結果を受け取るのに呼び出し元で確保した領域を上書きさせるのは是か非か?といったことを
考えなければ、ロックの習得、解放、再取得などでバグや場合によってはボトルネックの発生が起こりやすいという現実は変わらない。
494の質問に対し、丁寧に解説していただき、ありがとうございました。
Filbert派とOgger派の認識の相違の理由を、心像及び、心の外の宇宙との識別の困難さによるものと解釈されておられるのですね。
これは、<異次元空間>を心像映像として捉える菜園的考え方と同様の見解という訳ですね。
異次元空間やいわゆる心像映像を<内宇宙>と云うように、ひとくくりに考えた場合、その<内宇宙>がある集団内で共通しているということも、
ありえますよね?ある集団においては共通の内宇宙がすでに存在し(もしくは形成され)、別の異なる人々においてはそれとは違う<内宇宙>があるというように。
時代文化の相違や信念システムによる後天的な違いでなく、(つまりそれ自体は認識不能な理念としての元型は同一であるけれども、
その表現型である元型的イメージに個人差や文化差がある、というのでなく、そもそも共約不可能な違う心の構造を持ってる人たちがいて、
人類はいくつかの範疇に区別されるという意味です。)
この空想がある範囲で妥当である場合、外宇宙と内宇宙との識別法が必要になることでしょうね。
私は、Filbert派とOgger派の宇宙論の相違を、客観的な宇宙か、それとも主観的な心像が示す宇宙かということより、アンリ・コルバンのいうところのイマジナルな世界(主観的とも客観的とも言えない領域:想在的)
における探究の一報告として捉えています。魔法宇宙というものもアボリジニの夢時間あるいはドリーム・ランド(これも想在的宇宙)を彷彿とさせます。これにある種の陰謀論を加味すれば、
ある支配者等が、われわれを物質宇宙と呼ばれる客観的宇宙へと押し込んだ、と言えるからです。
(ちなみに物質的宇宙の見せ掛けを、人間にに気づかれないよう守る防波堤として、支配者等が採用した策略が、主観と客観、外界と心像といった二元論ではないか。。。なーんてね)
オールド・タイマーさんが言うように、「心には魂からの要求に応えて心象映像を示す仕組みがある」からそれを峻別することはたやすくはないですね。
イマジナル(想在的)な領域が、ときに物質世界へと侵入(漏れ出す)してくることがある。
現代においてはUFO現象や異星人がその典型であり、太古においては神々である。
両者ともに心像的幻想として退けることも可能だが、UFOはレーダーにも映ることから、
外宇宙からやってきていると考えることもできる。
しかし、その動きは我々の理解する物質的な法則を無視しているように思える。
その点からの解釈は、彼らは人類が知る以上の高度な科学テクノロジーを持っているのだと単純に考える向きと、
異次元から物質化して顕われていると見なす向きとの二つの対立する見解があるだろう。
後者の考えは、想在領域からの流出としてUFO現象や神々を捉える視点だ。
それはいわゆる幻想や幻覚のたぐいではない。心像映像の投影が一切含まれていないと言えないが、物質的痕跡すら残し得るところが違う。
その昔、神々が人間と交わり子を作ったというのもその現われだ。(神々も異星人もその時代の合意に合わせた擬態で姿を見せるが同じものだろう)
つまらないことを長々書いたが、OT現象を、我々がお馴染みの客観主観世界観から脱却し、イマジナルな領域へと垂直方向に降り立って、そこから機能している人間(魂)だと見なすことで、
私の場合、探究の行き詰まりやプロセス開発に活路が見出せたことがある。シャーマニズム研究やボン教のゾクチェン技法を見直すことができたからだ。
>>496-498 「物質的痕跡」が重要だと思う。俺がOgger派である理由の一部は、Ogger派がプロセシングの指針において個別のコグを論拠にせず、
最終的には物質的痕跡として観察されうる現象 ― 外在化による遠隔透視や物体の空中浮遊など ― を予定しているからだ。Ogger派が
正しいのか間違っているのか、いずれは検証できるようになる。Filbert派の実践体系は極めて緻密だが、結果について検証可能なものが乏しい。
菜園人はどうも不熱心なのだが、前世の記憶については、限定的ではあるが、物質的痕跡を探すことができる。
俺には[didʒoŋ]の東にある[lu:r]という名前の村に住んでいる少女であった記憶がある。その生涯では読み書きを知らなかったようで、[didʒoŋ]も
[lu:r]も綴りはわからない。
フランスのDijonの東にはドイツのRuhrがあるが、発音が違う。フランス人ならば[l]と[r]を混同したりはしない。
さらに調べていくと、Dijonのもっと近くにはLureがあった。後は、このLureの一番古い教会に[******(*)] ― 個人名を語るのは良くないので ―
という女性の記録があれば……その生涯の客観的な証明にはかなり近づくことになる。
前世の記憶というのは、いわゆる宇宙意識、アカシックレコードのようなものにアクセスしてしまった状態であって、
個人の魂自体が輪廻しているわけではないという意見もありますが、
その辺はどう思われますか?
>>500 仮に前世の記憶がアカシックレコードへのアクセスだとしたら、そのアクセスの個別性や偏向をどう説明するのだろうか?
・前世の記憶の個別性: 2人の人物の前世の記憶が一致することはかなり稀である
・前世の記憶の偏向: 例えば、ガス室で殺されたユダヤ人であった記憶を持っている人は、現世で金髪碧眼の肉体を持っていることが多い
前世の記憶の偏向が確かなものであるのなら、今生に対して、一つ前の生の影響が他の生より比較的大きいということになるのですね?
数限りない前世の中で、時間的に近いものが身体の選択に強く影響を及ぼすというのは興味深いです。
「ガス室で殺されたユダヤ人」→「現世で金髪碧眼の肉体」への移行を当人が如何に解釈するのか、という点も知りたいですね。
オバート・モティベーターのサイクルとか、現世において自分を防御するためだとか、仕返しのためとか。。。
まあ、こんな可能性は少ないでしょうが、もし、未来から時間が流れてると見なした場合、自分が現在「金髪碧眼」であることの理由として、
ホロコーストの犠牲者の記憶を拝借するという<魂の遊び>の一つとも言いうるか。。。
オールドタイマーさんにお聞きしたいのは、「未来世の記憶」を持つと称する人間がいることなのです。
このことに関してどう思われるでしょうか?
未来世、それはその人が次に生まれ変わるまでは実証も反証も出来ないという弱点がありますが、
過去世であれ未来世であれ、アカシックであれ、幻想であれ、パラレルライフであれ、
オークインであれ、憑依であれ、記憶の借用であれ、そこに現在能力の転移が起こっているか否か、
という基準で真偽をとりあえず判断するというのもありかも、なんて考えています。
真実より今は実用主義。これって邪道ですかね。
<続けての投稿>
おう、そうそう、その昔ぼくが自分の前世を想い出したときに、年代が重なり合うということが沢山あったことから、
こんな解釈をしていた時期がありました。
自分は、現在の自分の精神形象(波動)がたまたま共鳴する、過去の人間たちの記憶に接触しているのではなかろうか?
ああ、もう一つ思い出した。
スタニフラフ・ブロフというチェコから米国に亡命した分析家がいて、その人はトランスパーソナル心理学をやってる人なんですが、
彼のセミナーでは、過呼吸を使ったセラピーをメインにやってるんです。すると参加者の幾人かはクジラになったり、アメーバーになったりして、
その経験が尋常じゃなく、生物学の専門家でないと知らないようなことを普通にシェアで話したりすることが結構あるんです。
細胞の記憶と解釈することも可能ですが、ぼくの感じでは、何かしら違うような気もします。
とにかく人間の精神の能力(感応力)には驚かされますね。
<さらに投稿失礼します>
「人間の精神の能力」と自分で書きながら思い出してたことです。
活元運動の有名な野口晴哉がその昔、催眠を使って様々な実験をしていた、というのです。
深い催眠に入ることができるある女性に対し、ふすまを隔てたとこに置いてある人形に乗り移るように言ったそうです。
晴哉は、ただ精神を物体に移動させたら感覚はどうなるのかを知りたかっただけなのでした。
で、彼はトランス下の女性には見えないとこにあるその人形に、針を突き刺したのです。
すると何とまあ、その瞬間、彼女はうめき声をあげたのです。
ここまでのとこなら、よくある話ですが、問題はそこからなんです。
針をその人形からスーッと抜いたとき、それは起こりました。
人形が血を流したのです。
血の物質化。
晴哉は自身のその経験から自分なりの教訓を得、魂を実験してもてあそぶようなことはやめようと、誓ったと言います。
…催眠実験にて可能なことは何でも、精神にとって可能なことですから、潜在的に僕等もそのような力をもっているのでしょう。
覚醒意識のもとで、意図的にそれを行いうる能力を獲得したなら、幅度等の肉体複製もあながち荒唐無稽な話ではないですね。
>>502 ガス室のユダヤ人の記憶と現世での肉体の特徴の関係は、GPM理論で十分に説明がつく。あるゲームで決定的な敗北を経験した魂は、
対立側に回る。
未来世の記憶は、時々時間が巻き戻っているとするOggerの仮説で説明がつく。今のところ、この仮説がもっとも単純で、最も例外少なく
未来世を説明できるので、最も有力な仮説だ、と俺は見なしている。
>>503 過去の生物の記憶はGEの記憶だ。菜園では二枚貝の記憶の抽出あたりが有名だ。菜園本『A History of Man』あたりに出てくる。
>>503 >自分は、現在の自分の精神形象(波動)がたまたま共鳴する、過去の人間たちの記憶に接触しているのではなかろうか?
そう、それです!
輪廻転生否定者は、たいていそのような主張をしていますね。
それが所謂アカシックレコードへの接触なんだと。
私もずっとそれが前世の記憶の真相だと思っていたんですが、
実際はどうなんでしょう。
意識の深い部分では全ての存在が繋がっているという集合的無意識の概念を採用すると、
過去や未来の誰かの記憶が浮上しても不思議じゃないと思うんですよね。
アクセスの個別性や偏向に関しては、それこそ正にシンクロニシティ現象ではないかと。
もちろん物質的な痕跡も。
結局、前世が存在する、しないという現実自体、現時点の人類の意識が決定する(創造する)のではなかろうか。
もし誰も輪廻転生を信じていなければ、そういったものは存在せず(創造されず)、
逆に人類の多くが前世の存在を疑い始めたら、その実在を決定付ける有力な証拠が
この宇宙上に数多く出現し始める・・・。
UFOが人類の集合意識の反映だとみなすのと似たような考え方です。
宇宙人なども、人類が存在に同意し始めた途端、パッ、と姿を現すみたいな。
>>506 シンクロニシティ仮説では、意味またはイメージにおいて、類似性あるいは近接性をともなう複数の事象が互いを随伴して起こりやすい、と
している、と俺は理解している。シンクロニシティ仮説における類似性と近接性は因果律を含まない。
前世の記憶の個別性はシンクロニシティとは逆方向にある。現世の生涯に多くの類似性や近接性をもつ2人の人物の前世の記憶が、互いに
まったく異なるということがあれば、少なくとも前世の記憶はシンクロニシティによるものではない、という意見のほうに説得性が出てくる。
前世の記憶の偏向はさらに強い反シンクロニシティ性を示す。金髪碧眼の肉体とガス室で殺されたユダヤ人の間には ― 念のために再度いうが、
因果律を含めなければ ― 類似性と近接性が極めて乏しい。ドイツ人がユダヤ人を殺したことで金髪碧眼とユダヤ人の間に生じた関係は、
因果律によるものだ。
>>506がいう「シンクノニシティ」は、従来の意味で使われる「シンクロニシティ」とは違うのかもしれないが、もしそうならば、従来の
シンクロニシティ仮説は前世の記憶という例外に遭遇し、既に破綻しかかっており、仮説には修正や拡大が必要になる。
仮に因果律をも含めて「類似性」と「近接性」を再定義すれば、シンクロニシティ仮説はまさに菜園の教義に大きく近づくことになる。つまり、
俺たちはリアルには個別だが、アクチュアルには個別ではない、という菜園的な考えが、シンクロニシティ仮説の1つの、あるいは最終的な、
到達点になる。そして、「アカシックレコード」は時空を超越し、全てを内包する虚無そのものになる。
ハピネスランダウンは、具体的にはどのような内容のプロセスですか?もしソロで同等の効果を期待するなら、幸せへの道の本を使って(?)、どのようなアクションを行えば良いですか?
前世の記憶を数多く書き出してみると、時代が重複し、一時期に数人の自分が生きているという
単一時系列では説明困難な事態になる。
これはパラレル・ライフの存在と、それらの魂の再融合という菜園裏ノッツ的な技術の成果で説明可能になる。
しかし、ぼく個人の経験的意見では、「過去の生物の記憶はGEの記憶」「前世の記憶の偏向(身体の特徴)はGPM理論」
「未来世はOggerの時間巻き戻しの仮説」というように分けて考えていくことが果たしてどういう結果になっていくのか、
少々疑問に思う。つまり経験される事象が増えていくたびに、それを説明する仮説の数も増えていくだろうし、
何よりも、菜園的理論とその実践である、段階を追って向上していくシステムをどれほど辿ろうとも、
『究極の自由』(それが何であるかは今は問わない)へは到達し得ないように感じる。
ある事象は、ある特定のプロセスの結果として現れてくることが多いので、別の体系によるプロセスで顔を出す事象とは相容れないことがある。
一例をあげれば、avaの上級創造処理手順を統覚される一切に対し徹底的に用いると、一時的だが宇宙の外の視点になっている自分を発見することになる。
そこから意図的に「時間は存在しない」と宣言すると、通常の時間認識が根本からシフトし、
神秘家等が、「すべてはいまここに同時に存在している」と表現しているひとつの観点をリアルに見通すことができる。
この視点からは、GPM理論は役立たないように感じる。そこには時間の流れがなく、そのような時系列的な事象は存在しないからだ。
また上記の視点から「すべてはひとつである」と言うと、自分の個性がほとんど消えうせてしまう。これは所謂、自我の無いあり方なのだろう。
ava波利意の<創造主義>からの観点を採用した場合、すべては相対化されることになる。
しかしながら菜園公理と技術は、地上に住む自分のケースレベル向上には、確かに、かなり効果的だ。
509投稿した者だが、507にオールドタイマーさんが見事なコメントを投稿されていていることに今気づいた。
やはり、氏はただものではない。このような論理性と博識は菜園プロセスの成果なのだろうか?
もしそうなら、これだけで彼は自由領域の広告塔としても素晴らしい存在だと心から思う。
現代人は因果律と整合する特有の意識を構築し、それ以外の認識可能性や物事のあり方を周辺化してきた。
ここ数十年で顕われてきた、非因果的な連関原理とは、その実、それに整合する別の意識構造を意味する。
時代は今、所謂共時性原理を許容する新たな意識構造を構築し始めている。
時間軸から物事を認識すれば因果関係は避けられない。そこには前世もあり個別性もある。
時間系列からわずかに離れた意識のあり方から事象を観察すれば、これまで認識しえなかった、個人的な意味を伴う形象が知覚され得る。
天空の星々が、それぞれ距離においても時間においても無関係にあるにもかかわらず、一つの形態として見られるように、
因果律から少しだけ隔たりつつあるニュー意識のもとでは、因果的関連のない二つかそれ以上の事象が一つの形をなして顕われる。
これは過渡的現象だと思う。それが進行し、行き着く先、それがおそらくワンネスと呼ばれる一踊り場であろう。
そこから精神はさらなる旅路へと繰り出していく。
因果律ではすべてを説明できない。因果律による森羅万象についての一般的な説明を補完する形で、共時性という考え方が発展してきた。
共時性で前世の記憶を説明できるかどうか、再考してみたところ、1つの仮定を設定すれば因果律による説明と同等の単純かつ例外少ない
説明が可能であるように思えてきた。(今の俺の気分はちょっと鬱だorz)
仮定: 時間は絶対的であり、次元である
時間が次元であれば、現在というのはまさに時間軸上の位置ということになる。多くの人がその現在を共有しているのは、まさに、共時性ゆえだと
考えて実に単純に説明できる。
時間が次元であるので、類似性や近接性は時間についても適用されることになる。ある人が死んだ時点と、ある人が生まれた時点が
近接していれば、二者の記憶が共時性でつながり、生まれた人の側の意識に「前世の記憶」をもたらすことになる。また、生まれた人が死ぬ
時点が未来にあっても、時間が絶対的でなおかつ次元であれば、未来世とも時間軸上の近接性でつながることになる。
類似性と近接性を時間軸に限定する必要もなく、記憶維持能力を保持していると考えている過去の人と現在の人の記憶が、類似性によって
つながり、有名な例では、ダライ・ラマ13世とダライ・ラマ14世が同一人物であるという考え ― 悪くいえば、錯覚 ― を生むと考えられる。
もちろん、この共時性による前世の説明の最大の障害物は、菜園理論に最大の影響を与えた相対性理論ということになる。前述の
「1つの仮定」が成り立つには、相対性理論で説明されている光速不変の原理が論破されなければならない。
ううむ、難しいっすね・・・。
ヌース理論を提唱している半田広宣さんなんかは、『シリウス革命』で、
輪廻しているのは宇宙そのものであって、決して個人ではないと言っていますね。
思い出したとされる記憶が自分の前世であるという感覚は、要するに錯覚であり、
物質的痕跡は正にシンクロ現象というか、宇宙との共鳴によって起こったものだと言っていました。
あと、半田さん、魂が時空を超えた高次元の存在だと考えられているにも関わらず、
時間と共に肉体を乗り換えていくというのが理解できないとも言っていましたね。
「自分=他者」、「自分=宇宙」の思考様式の中では、魂の輪廻などあり得ないと。
>>513 菜園理論では、リアルには個人があって、アクチュアルには個人なんてない。菜園アクチュアリティ層では、
>>513と俺が別々の個人なのは、
そういうふりをしているだけのことだ、ということになる。アクチュアリティ層では、当然だが、輪廻転生もまたそういうふりをしているものということに
なる。
菜園における前世についての考察は、つまるところ、本当は互いを区別するものなどない俺たちが個人のふりをして、協力してつきつづけている嘘の
一部についての考察に他ならない。
全ての嘘を取っ払ったアクチュアリティ層には、個人という主体でも宇宙全体という主体でも、輪廻転生はない。
>>514 そのあたりは、菜園における哲学的な思索の最大の謎への回帰ということにもなる。幅度は魂が退屈するから肉体に宿りたがる、ということが
しばしばあったが、今の俺にはどうも違うような気がしている。
俺たちは結構退屈に耐えられる。過去10年間が退屈だったという理由で冒険の旅に出る人は少ない。幅度が個人的に退屈に対する耐性が
低かっただけで、退屈が一般的な転生の理由とは考えにくい。
中世ヨーロッパの行商人は旅が好きだったのではない。多くの行商人はできるだけ早く店を構える街商人になりたがった。結局は冒険に
なってしまうこともある旅は、退屈しのぎのためではなく、もっと切羽詰まった経済的事情を動機としていた。
俺たちが肉体に宿るのは、やはり、何か切羽詰まった事情があるに違いない。有力候補は過去スレでUCJcT+wI氏が投稿してくれたあれだ。
Scientology-Freezoneについて 2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1191209593/268 ` 宇宙かよく分からない無限の空間の中に自分の魂か精神が浮かび、
` 下の方からとてつもない大きさの黒い何かの物体に押しつぶされそうになった。
` これは発狂すると思い必死で自分の気をしっかり持つように努めた。
肉体に宿らないと、俺たちは個人であるという嘘をつき続けるのが難しくなる ― リアルな個人としては死んでしまいそうになる ― んじゃないだろうか?
>>本当は互いを区別するものなどない俺たちが個人のふりをして、協力してつきつづけている嘘の
一部についての考察に他ならない。
ということは、そのようにして『個人』を維持することに、利点があるということなのですね。
この世界(物質宇宙とこの3次元)とその中に住む個としての自分は、収容所でありつつ、避難所でもある宇宙を
みんなで共同幻想し、自己を自己たらしめているということか。。。。
ダイアモンドの原石のような堅個な精神、という比喩から、
水のようにしなやかな流動的精神への質的移行を経て、
精神はいつしか「リアルな個人としては死んでしまいそうになる」恐怖を次第に乗り越えていくのかな。
虚無あるいは魂の総体に飲み込まれるという、個人としての死のリアルさとそれに対する抵抗感は、
一旦それへと埋没すれば絶対的に個人には戻れなくなる、という憶見に由来しているのか、
それともそれは本当に不可逆な片道切符で、真に確かなことなのか、それが分からないので躊躇が起きる。
前世の記憶も、精神が個を維持するために好んで用いるひとつの方法なのだろうか。
「ある人々には共時性が頻繁に生じ、別の人々にはそれは稀な現象である」
との考えをどう思われますか?
人間の注意はプログラム可能であることから、共時性を認識しようと意識的に心がけている一群の人たちは、
そうでない人たちに比べてそれを認識する頻度は当然増えていきますよね。
ちょうど街を歩いていて、赤色のものを探そうと意図すればそれらが四方から意識へと飛び込んでくるように。
しかし、違いはそれだけでしょうか。
<注意のプログラム>とは違う要因が共時性現象を創造しているのでは?
原理は意識の構造から生み出されるように思うのですが、もしそのような観点から見たなら、
時間という現象もそれが見せかけであるか、次元であるのか、さらにそれが2次元であったりする可能性が
個人の意識の現われとして、(あるいは部分的な集合意識の表現として)相対的に考察できないものでしょうか。
要するに意識の中に宇宙が丸ごと入っている、との見解です。
個人的な探究においては、意識の構造が違えばその中にある構築物も別種の存在になる。
コンテクストがコンテントを色付けるだけでなく、創造し決定することになる。
多様なパラダイムに意図的に意識を整合させ、そこからプロセスを開発し事物事象を探究していく。
行き詰った時点で、別の枠組みを採用し、それをもとに新たなプロセスを創りだし、経験的に探っていく。
こういう多観点化の探究が、しなやかな精神養う方法にもなってくるように思えています。
>「ある人々には共時性が頻繁に生じ、別の人々にはそれは稀な現象である」
私が思うに、共時性が頻繁に生じるのは、いわゆる宇宙の意志と一致した行動をしている時ではないかと。
ヨガの成瀬雅春さんは、「解脱を目指す人というのは、例えるなら落とし穴にハマってしまったようなもので、
その道に乗った以上は、途中でやめるのは宇宙にとって都合が悪い」といったようなことを言っています。
自分の運命、宿命に沿った行動をしている時は、宇宙そのものが味方してくれているというか、
そんな感覚の時、共時性も増加しているように思えます。
あくまで自分の経験上ですが。
>>516 前世のものも現世のものも来世のものも、記憶は反共時性 ― つまり、個別性 ― を示すので、個人という嘘に貢献する要素になる。
虚無 ― 全総体 ― は全てを知っているので、何も記憶しない。
>>517 そのあたりのことは、
>>517やその他の人々の任せることにするよ。
俺は保守的な菜園人なので、ケースゲインを直接的に志向しないプロセスやドリルを実践したいとは思わない。菜園諸原理外の可能性に
ついては、通常の思索の範囲で扱いたい。
『ケースゲインを直接的に志向しないプロセスやドリル』というのは具体的にどのようなものですか?
またケースゲインを直接的に志向するプロセスやドリルにはどのようなものがありますか?
>>520 >>517には「多様なパラダイムに意図的に意識を整合させ、そこからプロセスを開発し事物事象を探究していく」と書いてあった。
プロセスは事物事情の探究のためではなく、ケースゲインのために開発され、実践されるべきだ、と考えるのは、保守的な菜園人として当然だ。
これは、コグニションを論拠としないということにも関係してくる。
PCが何かをいい、オーディターがあらかじめ用意された指針から逸脱すると、オーディティングは必ず失敗する。PCがオーディティングを受けて
いるのは、自力でケースを解決できないからだ。PCの発言でオーディターが指針から逸脱すれば、オーディティングという活動はオーディターの
管理を離れ、自力でケースを解決できないPCに管理されてしまうことになる。
まずい例:
オーディター「気分はどうですか?」
PC「最悪ですね」
オーディター「どうしてですか?」
PC「昨日、飼い犬が死んだからです」
オーディター「いつから飼っていたのですか?」
PC「6年くらい前です」
オーディター「その頃何がありましたか?」
PC「末の息子が大学に行きました」
//
「どうしてですか?」「いつから飼っていたのですか?」「その頃に何がありましたか?」はPCの回答によってオーディターが誘導されてしまったために
生じたものだ。「どうしてですか?」の時点ですでにオーディティングは破綻している。
ソロでも同様のことは起こりえる。オーディティングの途中で何かを「発見」したことで指針から逸脱すれば、それ以降はほぼ確実に時間の
無駄になる。
自由領域では2012年アセンション説にはあまり関心がないという話でしたが、
自由領域がこうやって表に出てきたこと自体、アセンションの兆候と考えてもよいのでは?
私が菜園教会にいた頃は、ここまでのデータをネットで無料で読めるなんて想像もできませんでした。
全然関係無い。
どちらかというと、
ヒトラーの時代の方が霊的革新は遥かに凄い。
>ヒトラーの時代の方が霊的革新は遥かに凄い。
kwsk
>>522 いつかはアセンションなるものが起こる ― 個人的には、物質宇宙から魔法宇宙への帰還が始まる ― とは思うのだが、2012年アセンション説は
あまりに荒唐無稽だろう。
そもそも、フォトンベルトなるものは実在しない。光子(フォトン)は物質宇宙が許容する最高速度で移動するのだから、ベルトを形成しない。
教会の人が言っていたとおり、MEST宇宙は同意でできているというのなら、
全ての人が現実に疑問を持った時点でMESTは消えてしまうんじゃないですか?
結局はアセンションが起こるか起こらないかは人類の気づき次第なんでしょうね。
でも、全ての人がアセンションに同意してしまうとそこでゲームは終わってしまう気もしますね。
まあ魔法宇宙で新たなゲームが始まるのかもしれませんが・・・。
>>526 その通りだが、もちろん、「全ての人」は地球人類に限定されない。
Filbertの発言らしい
` the PC is buttered all over the universe, and as the engram erases he comes out of the old Matter, Energy, Space, and Time
` Location. You are not just running engrams off a case in R3R. There is more of him there after each engram chain is erased,
` for you are picking up parts of him out of condominiums, spaceships, caves, and tepees all over this universe. R3R is not just
` running pictures, it is the PC collecting himself up from other locations.
最後の文にまとめられているが、R3Rにはやはりそれ自体に裏NOTs的な効果があるようだ。
>>525 ”いつかはアセンションなるものが起こる”という根拠はどこだろうか?
少なくとも、今度1000年ぐらいの間は起こるとは思えないのだが。
『このスレは、このフリーゾーンにおけるサイエントロジーの話題を中心として、
専らサイエントロジー並びにダイアネティックスの「技術面についての情報交換」
を目的に立てられました。 』
・・・できれば上記の趣旨にそった話題も、もう少しあるといいなぁ。
オールドタイマーさん、ときには少ーしだけリードしてくれませんか?
もちろん、話題・テーマは自然発生的な部分もあり、総意の展開だから
そのプロセスに任せるのもいいけど、僕個人としては「技術面についての情報交換」が
もっと行われると嬉しいです。
でも・・・それに関して投稿し得るのは、やはりオールドタイマーさんだけになるかなぁ。
ま、その際には氏の投稿に対していろいろ質問すればいーっか。
>>529 今後1000年では起こらないと思う。多くの菜園人はそんな短い時間で宇宙が変化するような旨の予測はしない。
ホモ・サピエンスの滅亡前 ― あと500万年以内 ― にアセンションが起こる可能性だって、極めて低いと思う。
>>530 俺の過去20回の投稿で9回はオーディティングの技術に直接関係し、1回は補足説明的な資料の引用となっている。
スレの趣旨から考えて、確かに、技術情報の比率はもう少し大きいほうがいい。
チャージ処理シリーズ#5 ― 無駄と所有
1) PCの生活で不足しているものを探す。メーターがあれば、次の質問に反応がある場合に限り、プロセスを実行する。
「あなたの生活で不足している物は何ですか?」
2) (1)の答えが具体的な物でない場合、PCと話し合いながら、具体的な物に変換する。
・「車」 → 「車」のままで大丈夫。
・「お金」 → そのままでもたいていうまく行くが、経済学をかじった人なら、「紙幣」や
「通貨」の方がいいかもしれない。
・「美貌」 → 「肉体」あたりでどうか? 転生時にちょっと有利になるだろう。
・「才能」 → その「才能」で扱う物に変換すべし。例えば、「ピアノ」とか「絵筆」。
・「恋人」 → 「男」や「女」にすべし。
・「友人」 → 「男」や「女」にすべし。
・「名声」 → 難しいが、「テレビカメラ」でやってみると何らかの効果があるかも。
・「念力」 → 「物質」かな? ただし、これで真の最終現象に到達するのはとても難しい。
まず不可能。到達できたら神と呼んでも差しつかえない存在になれるかもしれない。
3) 非現実的な答えでもかまわないことをPCに告げ、
「あなたは<(2)のアイテム>をどのように無駄遣いできそうですか?」
を口枷をしたスタイルでFPまで実行する。
(ソロで質問を使う場合には、「あなた」の代わりに「私」を使うのだが、具体的な質問よりも概念そのものを用いてプロセシングを行うほうがいい。)
そうだな。
人類規模の魂の浄化など、ありえんと思える。
おそらく、人類のずっと後の世代(別の人種)か、別の種だろうね。
>>531 >多くの菜園人はそんな短い時間で宇宙が変化するような旨の予測はしない。
テレンス・マッケナのタイムウェーブ・ゼロ理論をどう思う?
アセンションというのが宇宙の変化ではなくて、意識の進化だとしたらどうだろう。
一度オーディティングを体験してみたいのですが…日本語で、という事なら
やはり教会に行く以外にないのでしょうか?
↑流れぶった切ってすみません…。
>>536 いえ・・・。私のほうこそちょっとスレの趣旨から逸れた質問でしたね。
最近、シンクロ現象や思考の現象化があまりに頻繁に起こるんで、
アセンション(魔法宇宙への回帰?)は、もうすでに始まってるんじゃないかって思ったんです。
宇宙からエネルギーが降り注ぐってのはどうかとしても。
メンヘルですね。
そいう人、協会の信者にもいますよ。
>>535 同じ希望を持っている人と組んで、大姉本あたりを勉強し、互いにオーディティングを施す、という手もある。
>>539 ありがとうございます。
相互オーディティングですか。ともあれ同志は欲しいですね。
ただ、思い切って、何人かの知人に菜園について話してみたのですが
ドン引きされたり、怪しげな宗教にハマってるのかと妙に心配されたり。
怪しくないよと力説すればするほど、ふーん(¬_¬)という感じでorz
>>541 菜園に限ったことじゃないけど、金か手間か、どちらか一方は、そしてたいていは両方がかかるものだ。
手間がかかるが、英語を習得すれば、菜園を勉強するにもオーディティングを受けるにも、いろいろと便利だ。アメリカやヨーロッパには
自由領域オーディターもたくさんいる。料金も教会よりずっと安い人が多い。
アメリカやヨーロッパでオーディティングを受けるという選択肢は取らないとなると、東京にあるおそらくは世界で一番しつこいクラスV組織との腐れ
縁を覚悟するか、あるいは、まず自分自身がオーディティングを施すオーディターになるしかない。
教会がいわゆる規範的技術に凝り固まる前には、オーディティングは結構自由に行われていた。オーディティングコムサイクルがあれば、それは
オーディティングなのだ。
まずは人の話を聞くってことを、実地で練習すればいい。誰かが何かを相談してきたら、いつもとちょっと違った応対をすればいい。
・相手の話を聞くつもりであることをはっきりと伝える。(重要だ。)
・話を聞く時間の長さを設定し、「じゃあ、5時半まで話を聞こう」などと告げておく。
・相手に話をさせ、時折賢そうにうなづく。
・相手が話をやめそうにならない限り、相槌などはしない。
・相手が面白いことをいったら笑っていい。
・相手がいったことを理解できない場合にのみ、質問をする。
・解決策などは提示しない。(オーディターは解決策を示したりはしない。日常の生活の中でも、相談してきた人に解決策を示さなければ
いけないことは、そなたが弁護士や医師でもない限り、実に稀なことなのだ。人が相談を持ちかけるとき、その動機は単に話を聞いて欲しい
というだけのことが多い。菜園的にいえば、多くの人はオーディティングを受けたいと思っている。)
・相手が話を終えたら、あるいは、設定した長さの時間が経過したら、「また相談に乗る」など言葉を適当に工夫して、オーディティングを終了する。
余談だが、これだけできれば、若い男はかなり女にもてるようになる。オーディティング中に告白されたり、セックスをせがまれることも実は珍しくない。
道を踏み外すなかれ。オーディティングを通じで彼女がもっと誇り高き状態に達した時、道を踏み外したオーディターは軽蔑の対象になる。
肉体のコピー技術はなぜ失われたのですか?
実際に自分の肉体を複製した人物に関する記録は残っていないのですか?
ちょっとした覚え書き。。。
<チャージ処理シリーズ#3 ― 厄介事>にせよ<チャージ処理シリーズ#5 ― 無駄と所有>にしても、
そのアイテムを認識している意識は、それら(厄介事や不足)のありのままに対し<抵抗>を持っている。
厄介事が厄介事として受け止められているのは、その状態を当人が嫌っている(抵抗している)からだし、
不足している物にしても、それが無い状態に抵抗しているからこそ、欲求が生じるわけだ。
このように捉えると、両プロセスが行っていることの共通項が見えてくる。
それはあるがままに対する<抵抗>を(想像で)中和する試みだ。
厄介事に対し意識的に嘘をつくことで、当初の<抵抗>とは逆の事柄を自然に想像することになることが多いし、
不足しているものを「浪費すること」を考えることは、当然それが「有り余っている」という本人の現実認識とは
逆の状態を想像しながらプロセスを行うことになるだろう。
<抵抗>は価値判断から生み出される二次的な創造であることから、
嘘も浪費も、抵抗されているその対象に対する価値判断を手放す試みとも言い得る。(中立的に見れるようにすること)
とすれば、他のプロセスを持ってしても同様の結果が得られるはずだ。
幅度のプロセスに関するセオリーは、もっとシンプルで、理解と活用が容易な考え方に統一可能だと思う。
>>542 ご助言頂き、ありがとうございます。
お金を掛けられないなら尚更、手間がてんこ盛りなのは当然なんですね orz
普段の女性同士の会話では、同調を過剰気味に表現する事で盛り上がる傾向に
あるので、極力相槌を打たない、というのは難しそうですが、機会があれば
挙げて頂いた点を心掛け、オーディター的な訓練に挑戦してみます。
せがまれるって凄いですね。もてるというのは陽性転移のようなものでしょうか。
>>544 これ本当なんですかね?
本当だとするとこういう風に原理が分かるといろいろ応用も聞きますね〜
菜園には訳分かんないプロセスが多くて。。。
ucpとかも何でそれでチャージが処理されるのか分からない。。。
チャージ処理の要の一つは<as-is>だと思う。それは幅度の定義にあるように、
「何の歪曲も、あるいは嘘もなく、物事をあるがままに正確に見ることだ。」
それが起きればその瞬間にそれは消失し、その存在をやめる。
では、如何にすれば効率よく<as-is>出来るのか?
それは意識の諸様態のどれを使っても可能だ。
思考モードを使用する方法もあれば想像モードを使うこともできる。
さらに「それを感じてください」という指示に代表される感覚モードを使うのもいい。
菜園では意識と対象と言った、二元的な意識のあり方を使用していると思うが、
それとは別の視点である超観察的で一元的な見方をあらかじめ訓練しておくこともできる。
UCPは「かつていたことのある場所」や「いることになるかもしれないと思える場所」に固定している注意を、
現時点の環境と比較すること(意識的に交互に注意を転換すること、および識別すること)で、その注意を解放している。
その結果、まずリリースが生じるだろう。リリースとは対象物に対する<執着と嫌悪>、あるいは<欲求と抵抗>からその瞬間自由であると言うことだ。
この価値判断を含まない認識が<as-is>を可能にする要件だ。
このメカニズムは他の対象にも使用可能だ。
例えば、不快な感情に囚われているという現象は、それから注意を解放できないということと同義だ。
ならばUCPのやり方で、その感情と環境とに交互に注意を向け替えていくことで注意は解放される。
それはすなわち、不快な感情からの解放につながる。
その原理は「身体的な痛み」などにももちろん活用できる。
僕自身は菜園プロセスや理論をほとんど知らないのだが、原理を別の枠組みで再記述することで、
自分で用途に合ったプロセスを意のままに創り出す機会が増える気がしてる。
もっとも、各種プロセスが段階を追って完備されたブリッジを使用できる菜園人にとっては、その必要性はないだろうが。
オールドタイマーさんに質問なのですが、オーバー・ランのメカニズムについて菜園ではどのように説明しているのでしょう?
菜園;基本の本0-8に次のような記述があります。
「過度のオーディティング、つまり達成されたリリースのグレードを越えてオーディティングすることは、
人にひどい動揺をもたらします。」(P433)
基本用語辞典によれば、「最適な時点を通り過ぎて、またはその行為が変化をもたらさなくなった時点を通り過ぎて
ひとつのプロセス、あるいは一連のプロセスを続けること。」とあります。
オーバー・ランは何故「動揺をもたらす」のですか?どうして過度のオーディティングが、一旦良くなった人の状態を悪くするのでしょう?
>>543 それについて再考してみた。
菜園における技術(テック、テクノロジー)とは、異なる個別のケースの間の違いをある程度吸収できなければならない。たまたま数人が何かに
成功しただけでは、その成功をもたらしたものは技術とはいえないだろう。
1950年代に肉体の複製を成し遂げた菜園人が数人いた、というこは、かなりの数の古参菜園人から聞いた話だが、それを一般的に可能にする
技術が開発されたかどうかは定かではない。
しかし、1950年代には既にNOTsを含む現在の菜園の技術の原型がほぼ出そろっているため、菜園黄金期と考えて差し支えはないだろう。
>>544 個人的な見解は自由だが、菜園側の理論も説明しておこう。厄介事についてのプロセスは厄介事について不随意につき続けている嘘の
随意化を目的としているが、無駄と所有についてのプロセスは、所有能力のより直接的な回復を狙っている。俺たちは無駄遣いできないものを
所有できない。何かを所有するには、それを無駄遣いできなければならないが、あいにくと所有前に無駄遣いを練習できない。しかし、俺たちは
物質宇宙に住み着いてからだけでも数十兆年を過ごしてきたため、今の時点で不足している物をふんだんに所有していた時もある。その時には、
当然、無駄遣いする能力もあった。お金を湯水のごとく浪費した日々もあっただろうし、異性遍歴を重ねた日々もあっただろう。無駄と所有の
プロセスは一種のリハブプロセスなのだ。
>>546 UCPについては、
>>547の説明で正しいと思う。
>>548 キーアウトを目的としたプロセスはデリケートだ。チャージに注意を向けると、ある時点でチャージがマインドの「現時点」から離れていく。この状態が
キーアウトで、グレード0〜4はそれを目的としている。しかし、いったん離れたチャージにさらに注意を向けると、離れていたチャージが再び
「現時点」に戻ってくる。これがオーバーランだ。
オーバーランが起こったら、それへの対処法は、基本的に、キーアウトした時点を再確認することだ。これはリハブ(rehab)と呼ばれている。
>>545 相槌は特に日本人の日常会話ではとても多い。オーディティング中の相槌の是非について、東京組織でCSとオーディターの間で議論が
あったことがある。
オーディティング中に相槌を減らしてみたところ、プロセス実行中のメーターの反応が格段に良くなった。相槌はオーディティングを阻害するらしい。
こういう文化的な要素は菜園の実践でしばしば起こる。例えば、フィンランド語では疑問文の文末の抑揚を上げない。これは菜園にある文末の
抑揚を上げる訓練を無意味化する。実際のフィンランド語のオーディティングでは、文末の抑揚はフィンランド語らしく下げっぱなしのほうが
良かった。
--
一般に、ケースレベルの低いPCは理性的ではない。オーディターのほうといえば、おおむね女性のほうが理性的だ。不適切な関係が生じるのは、
たいてい、男性オーディターと女性PCの組み合わせらしく、幅度の話でもPCと一夜を過ごしたクラスXIIの話が出てくる。
Book1では同性同士の組み合わせを推奨しているが、現実には、男性オーディター&男性PCはほとんど問題がないが、
女性オーディター&女性PCなら相性の問題が無視できない。熟練したDofPなら、もうほぼ無意識に、女女の組み合わせを避けようとするだろう。
が、女女で極めてうまくいく場合もまたある。
日常生活で口数がやや少ない人にナチュラルオーディター ― あまり苦労せずに優れたオーディターになる人 ― が多い。寡黙過ぎては
いけないが、賑やかな人が優れたオーディターになるのには越えなければならない壁があると思う。セッション中のオーディターは他人の興味を
持つべき人であり、他人の興味を引く人であってはならない。
>>551 色々と教えて下さって、ありがとうございます。
日本人は相槌が多い、とは。文化的要素は菜園実践に影響するんですね。
女性間では相性が必要との事ですが、菜園的には、女性のどういった点が
同性間オーディティングの弊害になると考えられているのでしょうか。
>>552 そのあたりはDofPが経験的に判断していることで、技術的な合意はない。
オーディターとPCの間に相性の良し悪しがあるということは、菜園の技術が不完全であり、オーディターとPCのそれぞれに異なる個別の組み
合わせの間の違いを吸収できていないことを意味している。そして、オーディター指名制度があることで、教会は技術の不完全性を実は
認めている。
「相性の良し悪し」が「技術の不完全性」を意味し得るというのもあるでしょうが、
私が連想したのは、楽器の素材の違いによる音響効果の相違という風にも受け取れました。
同じ奏者が同じ楽曲を演奏しても、聴衆が受ける印象には違いがある。
オーディターの素材(ケース要因と意図)がPCのセンスや好みと干渉し合う。
あるいはESP実験や物理学的な微細な研究において、観察者のあり方が、計器や対象物に影響を与え、
その結果測定値に相違が顕われてしまうのとも似てる気がした。
相性による結果の違いは、医薬開発における二重盲試験の必要性などと同様の変数なのだろうか。
>>554 「特別なPCはいない」というのが菜園の技術における信条の1つなので、技術が完全であれば、相性の問題は発生しないことになる。しかし、
現実には、オーディターとPCの組み合わせによっては、オーディティングを継続できないこともある。
楽器の制作と楽器の演奏は、菜園の技術に比べれば、ずっと完全なものに近い。ストラディヴァリウスはどの弦でも華やかで華やかで、
グァルネリは特に低音である意味ヴァイオリン離れした野太い音がする。しかし、どちらを使っても、標準的なヴァイオリンのために創作された
曲を演奏するのに支障が出るということはない。日頃ストラディヴァリウスを使う演奏家が、「グァルネリはクソ」なんていうこともない。
菜園の技術は、例えば、ヴァイオリン演奏家育成メソッドの1つようなものだ。演奏のメカニズムを重視するセヴィチックメソッドと心理的な
動機付けを重要視するスズキメソッドには、それぞれ、相性の良い生徒とそうでない生徒がいる。GPMやエングラムをコツコツと処理する菜園を
セヴィチックメソッドに喩えるならば、「煩悩を捨てよ」「心を頑なにしてはならない」などという精神修養の体系はスズキメソッドに喩えられるだろう。
菜園の技術を演奏家育成メソッドに喩えるあたり、面目躍如たるものがありますね。
オールドタイマーさんにとって、音楽はきっと掛け替えの無い存在なんだろうなぁ〜、と云う気持ちになりました。
ところで、「特別なPCはいない」という菜園技術における信条が、『相性』という、ありきたりで、すでにみんなが周知の、
それでいてその実、訳の分からん変数によって時々無残にも無効にさせられるという現実には興味を喚起させられます。
そもそも大概のオーディターは「特別なPCはいない!…でもまあ、組み合わせというのはままあるよねぇ。」等と思ってるのでしょうね。
まずは『…でもまあ』以下を彼等のマインドから消去して「特別なPCはいない。」というステーブルデータを断固としてインしなくてはいかんのでしょう。
次に対策としてすぐに思い浮かぶのがコレ↓
@PCにオーディターを実際に見させて、その視覚的印象から主観的不安度数を計ってもらう。
「あの人にオーディティングを受けることに対して、あなたはどれくらい不安を持っていますか?
0〜5までのスケールで直感的に答えてください。」PC:4です。インタビュアーの呟き:あかん、3以上は無理。
(知覚的印象から受ける、不要な再刺激要因を排除するのが目的)
APCに惑星間戦争の勝敗について問う。
「銀河暦でここ最近、あなたはあの人がいた惑星の種族と戦争しましたか?」
PC;ハイ。「では勝敗は?」PC;私たちの種族が勝ちました!
インタビュアーの呟き:これもあかん、自分が負かした種族から援助を受けるほど精神は落ちぶれてはいないはずだ。
それに、オーディターは無意識の内にこのPCに仕返しするかもしんないしな。
BPCにマインドの元型構造の型を聞き、オーディターの型と照合する。
「マインドには基本的にグー・チョキ・パー、といった具合に3種類の類型があります。
あなたはグーですか、チョキですか、それともパーですか?」PC:チョキです。
インタビュアーの呟き:あかんがね、あのオーディターはパーだから、このPCにけちょんけちょんにやられるぞ。
C易を立てる。
「行く末を占うために、易でもたててみましょう。」
結果:「離為火」インタビュアーの呟き:びみょ〜〜。この二人、もしや、燃え上がって行ってまうかも分からんな〜。
あるいは、火花を散らしてけんけんがくがくの結果になるか、はたまたオーディターは燃え尽き、PCは次々とオーディター・ショップをはじめるか。
とまあ、こんなのでどうでしょう。
そもそもこころの全体は閉鎖系でないようで、外部からの影響に開かれてる。
菜園技術はこれを吸収できるのか?おそらくアルゲリッチくらいの感性的情熱と技巧的修練が必要だろう。
>>557 心が閉鎖系でないことはあまり大きな問題にはならない、と俺は思っている。むしろ、心が閉鎖系でないほうが、オーディティングには
有利かもしれない。
心が完全には個別でないのならば、互いに影響を与えあい、心の性質は似通ったものになってくる。
これは、市場全体の暴落で何もかもが連鎖反応的に売り込まれている時のほうが、割安に思える株を安全に買えるのと同じだ。一方、
市場全体が上げている時に、例外的に割安になっている銘柄には、特有の大きな悪材料があったりする。
ろくでもないオーディターはPCにろくでもない影響を与え、尚且つPCの逸脱から多大な影響を受けつつそれをハンドルできない。
優れたオーディターは訓練に裏付けられた見事なTRと、データに基づき、自分が行っていることに対する確信とでもって、
PCを菜園ルートに沿って手助けできる。
二人のオーディターが同等の技術を持つ者であるなら、ケースレベルが高いほど、
PCとの関係において派生するプロセシング外の諸要素にも引きづられることは少なくなる。
よって問題の処理が容易になる。
PCがオーディターと同様の菜園理論と技術の保持者であるなら、PCのオーディターを判断する目は一般に厳しくなる。
(特にオーディター側の逸脱にPCが気づき、オーディターがそれを正当化したら、PCの批判は容赦がなくなることだろう)
上記したことは菜園素人の単なる一般意見ですが、実際の現場でPCとオーディターに問題が発生し、
あの野朗はクソだとかタワケだとか言われるような事態にまでオオゴトになる場合、その引き金は一般に何なのですか?
(多分、日本人のPCの多くは、セッションのことでオーディターと罵り合うようなことはせず、
表面状は一旦引き下がり、クレームを付けたり、ごねたりせず、オーディターを替えるだけで済ますでしょうが。)
それから、オールドタイマーさんのかつてのオーディティング実践の現場で、不可解で、超常的とも云える現象に遭遇したことがありますか?
>>559 全体的にだが、特に最初の6行は「菜園素人」が書いたものとは思えないほど的を得ている。指摘のことは現実に問題となる。
教会でも自由領域でも、オーディターが自分と同等あるいはそれ以上の訓練を受けたPCを担当することはまずないので、第7行目は杞憂だ。
オーディティングが頓挫した時に、具体的な原因がはっきりしていることもある。オーディターが内在化やL&Nエラーを見過ごして他のプロセスを
続けたとか、セッションARCブレークやPCの隠し事を見逃したとか。
発見はやや難しいが、オーディターがPCの注意を的確にコントロールしていないことが、メーター上にリードが出ない原因になることもある。この
場合、再刺激されたものの処理されずに放置されたチャージが増えていく。
しかし、それらのありがちな問題点を解決してもなお、オーディターとPCの間には相性の良し悪しが残っている。
これは個人開業が難しい理由の1つだ。
--
他人にオーディティングを施している最中に、肉眼で直接観察可能な顕著な超常現象に遭遇したことはない。
まぁ、強いていえば、メーターのTAの位置の変化は超常現象だ。オーディティングでチャージが再刺激されると、PCの肉体の電気抵抗は
15倍くらいにはなることがあり、チャージが解放された瞬間から3秒もかからずに元に戻ってくる。肉体にそこまで大きくかつ急激に電気抵抗を
変化させる仕組みはない。
チャージ処理シリーズ#6_1 ― 単一出来事の処理
ソロでの大姉はやや難しいが、処理対象が軽い出来事ならばなんとかなるかもしれない。あいにくと俺はソロで大姉を試す前にクリアーに
なってしまったため、ソロでの大姉を実践したことがない。個人的経験として語れるものが、このプロセスについては何もない。
このプロセスは大姉を意図的に軽く実行しているので、このプロセスでクリアーになる可能性は極めて低い。
1) 処理すべき出来事を探す。出来事を処理することへの興味は重要な条件だ。メーターを使用していれば、有効なリードがあることを
確認する。
2) 出来事がいつ起こったのかを突き止める。
3) 出来事がどこで起こったのかを突き止める。
4) まぶたが閉じられていなければ、瞼を閉じる。
5) 出来事に移動する。
6) 出来事の継続時間を突き止める。(このステップは出来事から当時の感覚を得るために重要だ。)
7_1) 出来事の始まりに戻る。
8_1) 出来事を<(6)で突き止めた継続時間>後の時点まで通り抜ける。
9_1) 出来事で何が起こったのか確認する。 → (10_a)
7_2) 出来事の始まりに戻る。
8_2) 出来事を最後まで通り抜ける。
9_2) 出来事で何が起こったのか確認する。
10_a) メーターを使用していて、TAが上昇していたら、出来事のもっと早い時点の始まりを突き止める。
10_b) 出来事が消去されていく感じがしなければ、出来事のもっと早い時点の始まりを突き止める。
10_c) 出来事が消去されていく感じがせず、なおかつ、出来事にもっと早い時点の始まりがなければ、以前の似たような出来事を突き止め、
その出来事に対して → (2)
i) TAが下がって大きなFNが起こり、出来事の消去が達成された可能性がある場合には、出来事が消去されたかどうか確認する。
ii) 出来事が消去されたと思われる場合、出来事の間に生じたポスチュレート(決意や決断)が何であったのか確認する。これが単一の
出来事あるいは出来事の鎖についての最終現象だ。
(つづく)
チャージ処理シリーズ#6_2
うまくいかなかったら、
・アウトルードメント
・以前の似たような出来事がある
・出来事にはもっと早い始まりがある
・出来事の他の鎖が再刺激された
・出来事にはそもそもチャージがなかった
などの理由が考えられる。
プロセスを中断し、数日の休みを取った後に、うまくいかなかった理由を突き止め、出来事にチャージがあれば、再び出来事に取り組む … これが
操縦士的なやり方だと思われる。
教会の1960年代後半以降の技術と比べると、操縦士のやり方は無謀で粗雑に感じられるかもしれない。いったん休みを取ることは、確かに、
プロセスの効率を著しく下げてしまう。しかし、プロセスはさらに多くのPCに対して有効になる傾向がある、と俺は考えている。
チャージ処理シリーズ#6_1 ― 単一出来事の処理、訂正
1) 処理すべき出来事を探す。出来事を処理することへの興味は重要な条件だ。メーターを使用していれば、有効なリードがあることを
確認する。
2) 出来事がいつ起こったのかを突き止める。
3) 出来事がどこで起こったのかを突き止める。
4) まぶたが閉じられていなければ、瞼を閉じる。
5) 出来事に移動する。
6) 出来事の継続時間を突き止める。(このステップは出来事から当時の感覚を得るために重要だ。)
7_1) 出来事の始まりに戻る。
8_1) 出来事を<(6)で突き止めた継続時間>後の時点まで通り抜ける。
9_1) 出来事で何が起こったのか確認する。 → (10_a)
7_2) 出来事の始まりに戻る。
8_2) 出来事を最後まで通り抜ける。
9_2) 出来事で何が起こったのか確認する。
10_a) メーターを使用していて、TAが上昇していたら、出来事のもっと早い時点の始まりを突き止める。 → (7_2)
10_b) 出来事が消去されていく感じがしなければ、出来事のもっと早い時点の始まりを突き止める。 → (7_2)
10_c) 出来事が消去されていく感じがせず、なおかつ、出来事にもっと早い時点の始まりがなければ、以前の似たような出来事を突き止め、
その出来事に対して → (2)
10_d) (10_a)〜(10_c)に該当しないか、あるいは、もっと早い時点の始まりも以前の似たような出来事も見つからなければ → (7_2)
i) TAが下がって大きなFNが起こり、出来事の消去が達成された可能性がある場合には、出来事が消去されたかどうか確認する。
ii) 出来事が消去されたと思われる場合、出来事の間に生じたポスチュレート(決意や決断)が何であったのか確認する。これが単一の
出来事あるいは出来事の鎖についての最終現象だ。
オールドタイマーさん、<チャージ処理シリーズ>の配信ありがとうございます!
これからコツコツはじめて行きたいと思います。
ぼくの場合、想起力に対する自信がいまひとつ足りないようなので、
幅度著『自己分析』などを活用しながら取り組んでいくつもりでいます。
想起力は、オブジェクティブ・プロセスのような、注意の制御を向上させる各種訓練によっても
かなりその能力が高まる傾向があるようなので、それも合わせてやっていくことで効果を高めてまいります。
いつも貴重な情報配信と、ウイットに富んだコメントに驚かされると共に、感謝しています。
>>564 俺自身もこのスレへの投稿から得るものが大きい。菜園を説明することで、菜園のついての俺の理解は深まっている。教会にいたころには、
菜園の前世についての考え方が、アインシュタインの相対性理論あるいはそれに類似する世界観に大きく依存しているなんてことは、思いも
よらないことだった。
歴史を振り返れば、アジア人やアフリカ人に対する欧米人のある部分における限定的優位性は、議論や討論のような文化的要素に
裏打ちされていた。幅度が教会に設定した諸規則は、もともと持っていた欧米人的な優位性を支える要素を棄却させる結果につながった。
オーディティングや経営において優れた定型技能をもつ教会菜園人は少なくないが、菜園教義そのものについての理解は一般に浅い。
一方、菜園でオーディターとして訓練を受けていないと思われる投稿者が多いこのスレで、投稿の半分以上に菜園についてのかなり深い理解が
感じられる。
『幅度が教会に設定した諸規則』には、どういうものがあるのですか?
一つ二つ代表的なものをお話していただけますか。
>>566 主にKSW#1だ。KSW#1以上に頻繁に読まれる方針所はない。KSW#1は集団による技術の進歩を否定している。教会菜園人が教義や
技術についての議論を好まないのは、KSW#1の影響が大きい。
KSW#4も注目に値するだろう。KSW#4は菜園に競合する体系がないとしている。KSW#4は菜園と他の体系を技術面などで比較することを
結果的には禁じている。
菜園教義の一つである『因子』の30番の中ほどに次のような言葉があります。これはとても美しい思想です。
「・・・これらのこと(『因子』として記述されたもの)を教えたいと思う者もいるかもしれない。
これらを苦悩しているもの手助けするのに使いたい思う者もいるかもしれない。
これらを個人と組織をより有能にするために用いることを望む者もいるかもしれない。
そのようにして、地球が誇ることができる文化を地球にもたらすことが可能となるだろう。」
〜〜〜〜人類への贈り物として謹んで捧ぐ〜〜〜 幅度 1953・4月23日
しかし!
如何せん、実のところ僕自身、『因子』の内容をリアリティーをもって理解することがさっぱりできないのです。
菜園プロセシングを受けたことが無い、というのが理解困難の大きな要因の一つなのでしょうが、残念です。
この文意を幅度が認識していたように認識できるのなら、新たなプロセスも比較的容易に創りだせるでしょう。
そして自分が行っていることに自信を持ち得るでしょう。
このことについての知的体験的な学びができるといいなぁ。
幅度がその記述にいたったデータの開示と、それに基づく徹底的な討論や検証、そしてなにより体験的に知ること。
そうすれば、僕も因子を応用することが出来、幅度の上記の言葉が意味を持ちうるのに。。。。
こんなことを考えていました。
オールド・タイマーさんに質問したいことは、菜園人は『因子』をどのように使っているのですか?
そしてオールド・タイマーさん御自身は『因子』の可能性をどのように受け止めておられるのでしょう?
>>568 直接的な使い道はないのだが、『因子』(あるいは『要因』)は菜園教義の中核文書で、いくつかのプロセスの理論的な源でもある。例えば、
NOTsと裏NOTsは#20に基づいている。
一応誤解のないようにいっておくが、NOTsの伝統的な源はキリスト教に、裏NOTsの伝統的な源は仏教にある。
伝統と理論の両方に基づいて、NOTsと裏NOTsがある。
スレ汚し申し訳ないです。
失恋してしまったんですが、何かストレスを軽減できるような
処理の方法はありませんか。
体に力が入らず、ものすごい欠落感で自然と涙が出てくる状態です。
オールドタイマー氏はクリアも失恋の傷引きずると言ってましたが、
何かアドバイスあったらお願いします。
>>571 ケースレベルとトレーニングレベル次第だが、可能ならば、
>>563がある。
多くに人に使えるものとしては、
>>532がある。
恋愛ゲームを卒業するつもりがないのであれば、失恋の薬は新しい恋愛らしい。
生物学的に考えると、失恋したということは、さらに良い恋愛が可能だということでもある。
お節介ながら。
失恋の痛手はどうしてこんなにも僕らを動揺させるのだろう。。。
571さん向けて、オールドタイマーさんがすでに素晴らしいプロセスの紹介なさっていますが、
別の観点からも、単純なプロセスを書き留めておきましょう。
辛いときの選択肢の一つともなればいいのですが。。。。
プロセス@
「その人(失恋の相手)を思い出させないものを今あなたがいる場所で見つけてください。」
…何を見ても何を聞いても、私はあの人のことを想い出してしまいます。
「そうでしょうね。わかりますよ。でも、思い切って見つけてみましょう。ね?あたりを見回して。」
…いや、だめです。とても無理です。
「OK。無理にとは言いません。でも少しだけでも試みてみませんか。」
…わかりました。あの〜、あの壁はあの人のことを思い出させはしませんね。」
「すばらしい。そうです、そうです。…他にあなたにあの人のことを思い出させないものは何ですか?」
…え〜っと、あれもそうです。
「わかりました。他には?」
上記のプロセスを刺激が和らぐまで、あるいは何かを洞察するまでひたすら繰り返す。
プロセスA
「あなたがその人を愛してると感じたときのことを想い出してください。」
…ええ、今私はその人を愛しています。
「もちろんそうでしょう。で、あなたに想い出していただきたいのは、あなたがその人と出会い、
付き合ってる中で<愛してる>と感じた特定の時点の記憶です。いいですか?」
…はい。でもいろいろありすぎて。。。
「では、その内のいくつかを話してください。」
…あれは、あの人とはじめて食事にいったときのことでした。その人が笑ったんですよ、私の冗談に対してね。」
「なるほど。ではその他に、あなたがその人を愛してると感じたときのことを想い出してください。」
愛を失ったと感じる状態を癒すためには、「失った愛」ではなく、
むしろ自分が「与えた愛」(愛してると感じたとき)を想起する方がいい。
これもある意味、532同様、不足を補うプロセスと解釈することもできる。
@は注意のコントロールであり、Aはリハビリを目的とする。
>>「NOTsの伝統的な源はキリスト教に」ということに関して質問があります。
NOTsは、キリスト教の何に由来しているとおっしゃっているのですか?
失恋という状況にまつわる痛手を少々緩和することに役立つプロセス、の続き。
プロセスB
A:「この状況を<変えたい>ですか?」
…はい。
B;「では、その<変えたい気持ち>を手放せますか?」
…はい。
上記したABの二つの問いを交互に繰り返し自問自答し、<変えたい気持ち>がなくなるまで続ける。
はじめは何をやってるのか分からないかもしれないが、質問に対し、「はい」と答え続けてるうちに
変化は自然にゆるやかに生じてくる。
失恋という今の状況を統合するためには、まずそれを受け入れられる心境に立つ必要がある。
現在の状況を少しでも受け入れられる度合いに応じて、意識は自然な統合をひとりでに行っていく。
受け入れることを阻むものを、ここでは<変えたい気持ち>と表現した。
自分の気持ちは制御可能だ。変えたい気持ちも意識的に解放し得る。
たとえそれが一時的な効力しかもたなかったとしても、自我の妨げがない間に自然な治癒力(統合力)が働きはじめる。
統合が未完了である場合、往々にして未来へ向う潜在能力が低下してしまうものだ。
相手を思い出し、苦しみに悶えそうになったとき、「この悲しみを手放せますか?」
と自らに問おう。そして何度も「はい」と答える。
もちろん、その答えが「いいえ」であっても、それはそれでかまわない。
自らに問い、それに「はい」か「いいえ」で答えていく。
次第に気持ちのコントロール権を取り戻すことだろう。
プロセスD
「この状況は私が選んだのではない」----「この状況は私が選んだ」
上記2つのステートメントをゆっくりと、実感するように、交互に声に出して表明する。
しばらく交互に繰り返しているうちに、対照的な二つの声明が共に消滅するか、
ポジティブな声明に自分の気持ちが一致してくる。
対消滅した場合、この状況に対する思考が中立の状態になり囚われがなくなる。
これは、どちらの声明に対しても実感がなくなるというように体験されるだろう。
一方、プロセスの結果、「この状況は私が選んだ」という声明の方に自分の気持ちが一致した場合、
「責任」の自然な回復が生じていると考えることが出来る。
「責任」を取れるものだけを僕等は制御下に置けるのである以上、いつかはそれを担わなくてはならないのだろう。
失恋(ターミナルの喪失)とその影響(痛み)という構造物全体を見てみると、いくつかのアスペクトに分解できる。
その諸要素のそれぞれにふさわしいプロセスがあり、経過がある。
563のソロ・大姉はチャージを緩和してくれるし、532の「無駄と所有のプロセス」は所有能力を回復させ、
未来の恋愛へと向う勇気を思い出させてくれる。(望むなら新しいパートナーを自分は持てる、ということの認識)
ソロ・大姉がうまく行かない場合はプロセスC(「この悲しみを手放せますか?」)が多少なりとも役立ってくれるだろう。
その他、現時点での注意を管理する能力@、この状況を受け入れることB、 責任をとることD、など観点は様々だ。
どうか、あなたがその人に向けて、こころから<慈悲の瞑想>ができる状態にまで回復されますように。
579 :
571:2009/11/28(土) 11:51:21 ID:txloOu7m
オールドタイマー氏、
>>573-574さん、
>>576-577さん、
>>578さん
たくさんの書き込みありがとうございます。
人の温かさに触れて少し気が楽になりました。
これからいろいろ試して、回復したいと思います。
失恋してあまりのショックでついいつものぞいてるfreezoneのスレに
書き込んでしまいました。
ホントにありがとうございました。
トンレンと呼ばれるチベット版慈悲の瞑想がある。
息を吸いながら、他者の苦しみを自分が吸い込んでると想像し、ゆっくりと息を吐きながら、その人たちに慈しみの光を降り注ぐと想像する、
というシンプルなワークである。もし君が「失恋」による欠落感やどうしようもない不安で苦しみ、涙しているのなら、
自分と同じように、喪失の苦悩にいま身をよじってる世界中の人々を眼前に想定し、このトンレンの行法を行ってみるのもいいかもしれん。
愛するものを失った人々の悲痛な思いを全身で吸い込み、吐く息とともにあらん限りの慈悲の光を贈り届ける。
全身で生とし生ける者の悲しみを吸い込み、次にゆっくりと息を吐きながら深い思いを込めて、
彼らがこの苦しみから解放されて大いなる静けさのなかで暮らせますように、と祈るのだ。
他者の苦痛を自分の身に引き受ける、という意図と共に息を吸い込むことは、
自分の苦痛を自然にディプリケートしているのと同じである。これによって君は自分の苦痛を消し去れる。
生理的には、長く息を吐くことで、副交感神経を活性化させることになり、リラックスする作用もあるだろう。
そしてそのとき君が祈っている他者への慈しみは、君を平安な気持ちへと導いていく。
トンレンは心理的な苦痛だけではなく、身体の病にも効果がある。
基本原理も同様に説明できるだろう。
>>581 菜園保守派としての懸念を口にせねばならないような気がする。
「他者の苦痛を自分の身に引き受ける、という意図と共に息を吸い込むことは、自分の苦痛を自然にディプリケートしているのと同じである」は
菜園理論に適合しない。「他者の苦痛を自分の身に引き受ける」という発想が菜園にはない。
オーディターはPCのケースを引き受けるのではないし、PCの代わりにそのケースをアズイズするのでもない。
チベットのものではなく、原始仏教のオリジナルの慈悲の瞑想のほうを俺は推奨する。
--
チベット仏教についての俺の評価は基本的に低い。『Tibet: Past and Present』という題で出版されたチャールズ・ベルの手記をはじめとして、
ヨーロッパやアメリカには、チベットのダライや農奴制について厳しく批判している文献が少なくない。ヘレン・フォスター・スノウの報告では、赤軍 ―
後の人民解放軍 ― に若いチベット僧侶たちが入隊する様子が描かれている。最近では、イタリアのメガチップス社のサヴィーナ・モランディーは、
CIAによるチベット独立工作は、ダライに対する民衆の憎しみが強かったために失敗した、という旨の記事を書いていた。
欧米社会のパブリック層 ― 個と公が重なる部分 ― ではダライ支持の声が強いが、オフィシャル層 ― つまり、政体 ― のほうはといえば、
チベット問題については、「対話を促す」の一点張りに近い。中国の経済力がまだ小さかった1950年代でも、国際社会はチベットの独立を
支持しなかったし、チベットに独立国としての歴史があったとする主張すら退けている。
欧米メディアの記録映像には、刑罰として手足を切断された人々や、首輪と紐で拘束された状態で働くチベット農奴の姿がある。チベット仏教の
理想とチベットの現実の間には大きな乖離があった。
この場で罪人探しをするつもりはないが、チベット仏教が唱える理想がチベットの現実に反映されていなかったという点を考慮すれば、
チベット仏教はうまくいかなかった、と考えられる。
菜園教会であれ、チベット仏教であれ、結果がまずい体系にはどこか欠陥があると思う。両者に共通するのは個人崇拝だ。
確立された技術はその開発者の存在に依存しない。
幅度が何らかの技術を世に残したとしたら、その技術の使用者は幅度を崇拝する必要はない。「幅度」を「釈迦」や「ダライ」に置き換えても、
この理屈は成り立つはずだ。
チベット仏教に有用な技術があるならば、それを使用することは合理的だ。しかし、その技術で良好な結果が得られたとしても、チベット仏教の
僧侶たちの言動が全般的に正しいと断定するには足りない。
一応念のためだ。
俺はダライを支持していないので、ダライの支持者のように見られることを避けたい。もちろん、中国政府の支持者でもない。
菜園が考える理想的な政府は、『The Way to Happiness』にある「A GOVERNMENT DESIGNED AND RUN FOR ALL THE PEOPLE」だ。
中国政府は理想的な政府に該当しないし、チベット亡命政府も、元農奴の現行身分と現行財産の両方を保障しない限り、理想的な
政府ではない蓋然性が高い。
喩えて言うと、心は真性粘菌類のようなものだ。
「他者の苦痛を自分の身に引き受ける、という意図と共に息を吸い込むことは、自分の苦痛を自然にディプリケートしているのと同じである」という見解が
幅度の菜園理論に適合しないというのはまさに、そのとおりだ。しかしながら、他者と自己の「こころ」の境界線は、現実界においてもその意識の状態によって変化する。
だから「他者の苦痛を自分の身に引き受ける」という発想が菜園にはなくとも、なんらかの作用によって効果を持ちうる。(この作用の説明は今は割愛する)
581の投稿は、トンレンの手法が効果をもたらす理由として、あえてその行法を実践している当人のこころの内部現象に限定して語ったつもりだが、
僕自身の思考の整理のなさが災いし、表現が適切ではなかった。あえて当人内部の「個別のこころ」に限定して言うなら、
他者の苦痛を自分の身に引き受ける、といのは、そもそもその本人がイリュージョンとして自分が生み出している<想像のなかの他者の苦痛>だと云える。
<想像の中の他者の苦痛>を吸い込む、というひとつの方便が、言うなれば自分の苦痛を受容する状態へ意識を移行させるわけだ。
その結果、本人は苦痛を避けなくなる。苦痛から逃げ出すことを止め、そこにとどまり直面し、いずれ苦痛そのものに成る。
自らの苦痛とひとつになり、苦痛は彼を攻撃できなくなる。そのとき彼はすでに苦痛を消去しているだろう。
この過程は息を吐くときの慈しみの喚起によって、さらに促進される。
個人的な願望を意識しているときの心身の状態と、生とし生ける者に対する慈しみの情を喚起したときの状態とを
意識的に比較してみると分かるが、前者はストレスの度合いかなり高く、後者は物事を受け入れる度合いが非常に高くなる。
後者の状態はあきらかにケースをアズイズする能力に長けている。
チベット仏教のグルイズムには僕もほとほと参っている。
個人崇拝とは、グルと弟子という二つの視点として現れているが、それは一つの創造物である。
それは崇拝ゲームだ。この一つの創造物を消し去ろうとしない者が多いことから、
釈尊は「自らを灯明とせよ」等とあえて言わなければならなかったのだろう、と思う。
>>584 心象映像その他のチャージは心の境界を飛び越えることがあって、想像の中の他者の苦痛を吸い込むことを想像していたら、現実の他者の
苦痛や、他者そのものまで吸い込んでしまうかもしれない。これはNOTsに逆行してしまう。
吸い込むタイプのプロセスには注意が必要だ。
吸い込むプロセスの代表格は仙道だが、そこでは「気」として捉えられるものを何でも吸い込む。他者のチャージや他者そのものも吸い込むかも
しれないが、最も吸い込みやすいのは自己の断片であるため、長期間にわたって実践しても破綻しない。
原始仏教の慈悲の瞑想では、そもそも吸い込まないし、
私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように
のように、「私」を最初にプロセスの対象とすることで、実践面でバランスのとれたプロセスとして仕上がっている。
>>581のプロセスにも、できればもう一工夫望みたいところだ。
>他者そのものまで吸い込んでしまうかもしれない。
詳しく教えて頂けませんか?
私にとっては581さんが紹介してくれたトンレンのほうが自分に合ってる感じもするのですが・・・。
原始仏教の慈悲の瞑想は裏NOTsのメタ・プロセスということでしたが、菜園理論で説明すると、それは何に、そして何故効果をもたらすのですか?
ケース・レベルによってその効果が違うとすれば、それはどうしてなのですか?
効果の違いが同じ能力の高い低いによるものであるのか、それともケース・レベルによってこのプロセスが働きかけている領域そのものが違うということなのか、どうなのでしょう。
能力の高低による差であるなら、作業量を増やすことでその差は埋められますが、プロセスが働きかけている領域の違いということであるなら、その違いは何故生じるのでしょう。
>>587 通常、俺たちのケースは他者の断片を含んでいる。これらはNOTs系のプロセスで処理され、菜園教会では主に新OT V〜VIIで扱われる。
他者の断片を含んでいる状態は、もちろん、少なくとも個人としてゲームに参加している魂にとっては、望ましいものではない。
さて、他者の断片を含んでいるということは、もともと、俺たちには他者の断片をケースの中に吸い込む能力があることを意味する。このことは、
『The Factors』 ― 因子、要因 ― でも次元点の交換という形で言及されている。
他者の断片を吸い込むことは、NOTsに逆行するので、少なくとも地球人の水準における個人の全般的な能力を弱める。
俺は3年前から逆NOTs的な技術に一貫して反対している。そういう技術がしかるべき管理のもとに大きな効果を生むことあることも
承知しているが、菜園にはなじまない。
このスレが菜園についてのスレである以上、何が菜園的で何がそうでないのかを明示することはスレの趣旨に沿っていると思う。
>>588 自己とその部分の間に強い反目が生じると、部分が断片として自己から離脱し、他者にとってのBTになったり、別の肉体を操ったりする。
原始仏教の慈悲の瞑想は、ARCのAを高め、断片と和解しやすい状態に導く。しかし、それぞれ断片に直接働きかけるのではないので、
メタなプロセスであるといえる。
それぞれの断片との和解そのものは、主に日常生活おいて、そして時には何らかのプロセスによって実現されることになるので、ケースレベルや魂の
力の大きさに影響を受ける。
慈悲の瞑想は美しいメタプロセスだ。ケースレベルをほとんど気にせずに使え、菜園でいうところの4つのフローを全部含んでいて、逆NOTs的な
危険性も伴わず、しかも、難しい理論を持ちこまずにリアリティー層とアクチュアリティー層の間の橋渡しまでやっている。慈悲の瞑想はそれだけで
1つの完全な橋なのだ。
トンレンを投稿した本人ですが、オールドタイマーさんが586で指摘された通り、
この行法では<想像上の他者の苦痛>のみならず、「現実の他者の苦痛や、他者(BT)そのものまで吸い込んでしまう」
というのは実のところ本当です。ですから584の説明はあえて個人的宇宙内部のこととして、作用機序を捉えた場合の解説ということになります。
一方「他者の断片を吸い込むことは、NOTsに逆行するので、少なくとも地球人の水準における個人の全般的な能力を弱める。」という見解は、
トンレンの実践によって「吸い込まれた他者の断片」の場合には、経験的に肯定できない点が残ります。
トンレンを行っているときの状態においては、吸い込まれたBTは速やかに解放されていくように感じられるからです。
息を吐くときに行っている慈しみの思いが、自然なBT処理(NOTs)を促してるようです。
これは自分のケース内の既存のBTとは様相を異にする点だと僕は思っています。
他者のケース内のBTは、その他者の内部に存在しているが故に囚われ、解放されずに留まっているように感じられます。
そこから一旦引き離され、ケース内に留められる理由のない環境(吸い込んだ方の中)に置かれた断片(BT)は、
すでに当初とは違った意識を持ち、且つ、トンレンを行じる者の慈しみの波動の中で、自ずから解脱していくのではないでしょうか。
また「個人の全般的な能力を弱める」というのも、トンレンにおいてはあたらない気がしています。
ただ僕自身、オールドタイマーさんが、菜園の理論の立場に立って、このスレのコメントを出しておられることに対しては
非常にありがたく感じています。
菜園外の伝統や理論から生み出された技術を菜園教義で説明することは、むずかしい。
前提が違えば議論は噛み合わないからだ。
その点から言えば、人間の精神現象に関しては特にそうだと思うが、データはゆるぎない確信には及ばないのである。
僕は菜園に関してはほとんど何も知らない。かなり前に「TR&オブジェクティブ・コース」というのと
「アップダウン・コース」そして「サクセス・スルー・コミュニケーション」という小さな入門コースを取っただけだ。
その他は、そのほとんどが幾つかの書籍とオールドタイマーさんのコメントによっている。
しかし、そんな門外漢であるがゆえに、菜園人にはない有利なポイントも幾つかあるように思える。
そのポイントのひとつはそれのみを「確信」していないことだ。教義に対する確信と迷いは、それぞれその体系から導かれる技術の成果すら左右することもあるだろう。
そして「確信」は往々にして、自らにそぐわない諸現象の価値を見抜くことを妨げもする。
もし菜園教義に何らかの欠陥があるとすれば、教義そのものの中になかにあるのではなく、
例外として、あるいは切り捨てられ省みられなかった精神現象の残余の部分にこそ、欠陥や欠落を埋める諸要素があるのかも知れない。
幅度が真実として探究し、遺産として残した諸々の菜園技術(プロセシング)は、人間精神の1スペクトルのクリアリングのみを行っているのだと
みずからを限定して捉えている限り問題はない。しかしながら自分の探究が精神の1スペクトルの探究ではなく、ほぼすべてであると見なした場合、
切り捨てられた領域、それが弱小部分であったとしても、テロのような破壊的影響を教義を「確信しきった者たち」に、もたらしてしまうだろう。
>>590 プロセスの一般的な有効性について考える際には、個人的な経験を重要視すべきではないし、コグニションを論拠にすべきではない。
トンレンで吸い込まれたBTが、一般的なPCにおいて、必ず解放されるかどうかはわからない。トンレンではフローバランスも考慮されていない。
トンレンを生んで800年にもなるチベット仏教は、権力の座にありながら、農奴を解放できなかった。チベットの数多くの僧侶と貴族に、慈悲深い
精神性は育たなかった。Stuart GelderとRoma Gelderが書き、1964年に出版された『The Timely Rain: Travels in New Tibet』によれば、
チベットの僧侶は、羊を2頭盗んだ農奴の目をくりぬき、手をつぶしたのだとか。中華人民共和国成立より前の1929年に出版された、
Anna Louise Strongの『Tibetan Interviews』でも、チベット僧侶の残酷さを伝える証言が多数掲載されている。
トンレンやチベット仏教の長期に渡る実践の結果については、疑念の余地が十分にある。
菜園にはトンレンの潜在的な問題を解決できそうな術がある。トンレンの後に必ずNOTsを行うようにすれば、吸い込まれた後に残留するBTが
あっても、それらを解放できる。NOTsと組み合わせることで、トンレンの安全性は高まるだろう。
とはいえ、この投稿はトンレンの実践を推奨するものではない。原始仏教にはトンレンより歴史の長い慈悲の瞑想があり、フローバランスも
組み込まれている。完成度の高い技術が既に存在するのであれば、失恋に苦しむ人はまずそういう技術を試すべきではないだろうか?
>>591 その意見は正しいと思われるが、自由領域を含めて、菜園はまだその意見を検証する必要がある段階に到達していない。
菜園の教義の範疇は幅広く、現存する実践はまだ教義の範疇を網羅していない。意図的に先送りにしていることや、まだ試していないことが
数多くある。
…話は変わるのですが、菜園では「ワンネス」と呼ばれることの多い意識体験をどのように捉えていますか?
禅の僧肇が語る「天地と我とは同根。万物は我と一体」とか「心(しん)、若し異ならざれば、万法一如なり」。
また華厳思想の法蔵の言う「唯だ妄念に依って差別あり。もし妄念を離るれば唯だ一真如なり」などと表現される人間的経験のことです。
これは万物の差別想のみならず、認識主体であるところの、個として前提される「自己の本質」すら妄念の所産であるとの言明でもあります。
菜園のアクチュアリティー層の概念と類似しているようでもありますが、どうもそうではないような気がします。
何故なら、これまでのオールドタイマーさんの発言からすると、誤解かもしれませんが、一旦アクチュアリティー層へと回帰したならば、
その主体である個人は、もう、我々の存在次元であるリアリティー層へは戻らないというということのようであるからです。
誤読とのそしりを覚悟して言えば、リアリティー層において本来人間は、菜園で言うところの8つのダイナミックの総体であったのでしょう。
ここで言う総体とは、各ダイナミックを維持し生存させる衝動を持つ、ということではなく、それそのものであった、という意味です。
それが今や第一のダイナミックのさらに縮小した「個別化した個人」にまで自己限定している。
もしやセイタンというのは、上記の「個別化した個人」のことであるのではないのか、そういう思いがしています。
この意味でワンネス体験というのは、意識の根底において「すべては一つである」との真相の、模擬的、ないしは啓示的予感を開示する
一経験なのではないかと思うしだいです。
そこでこのあたりのことについて、菜園の考え方、そしてオールドタイマーさんの見解を聞かせていただけたらと思っているのです。
>>594 アクチュアリティー層は教義における区分であり、人や世界の状態の区分ではない。
菜園ではしばしば同じ言葉が異なる意味で使われる。例えば、「セイタン」が位置属性を持つものであったり、そうではなかったりする。「過去の
エングラム」について語ったものがある一方、「時間は見せかけである」「全ては現時点にある」という旨の言葉もある。かなりの数の菜園用語に
アクチュアルな定義とリアルな定義がある。
「層」というのは幅度の言葉ではなく、俺が付加したものだ。自由領域では、例えば、「thetan-located」「thetan-unlocated」のように、用語の
数を増やして定義に数に合わせている人もいるのだが、アクチュアルな部分とリアルな部分の2つに分けたほうが便利だと俺は考えた。なぜならば、
リアルな技術の中にアクチュアルな理解へと自然につながるものがあっても、アクチュアルな技術というものはないからだ。
「ワンネス」というのは、大まかには、菜園自由領域の「虚無」(nothingness)に近いと思う。ただし、僧肇のその説明はわかりにくい。
プロティノスは、「一者は有を超越し、無を超越し、有無を超越する超越をも超越する。しかし、このように描写することも
また一者を局所的に限定するから、まったく正しいわけではない。かくして一者は実体にあらず、量にあらす、叡智にあ
らず、霊魂にあらず、動きつつあるものでもなく、さりとて静止しつつあるものでもなく、場所の中になく、時間の中になく、
ただ独絶自全の単相者というもまだ足らず、むしろ全ての形相に先立つ無相者で、動に先立ち、静に先立つ」と語っている。
「ワンネス体験」というのは、この「一者」に気がついてしまうことなのだろうと思う。
プロティノスの言う『一者』(to hen)との合一体験の件を読んでみる。
「…肉体から外へ出て自分そのものにまで 高揚され、他のすべての事物の外部にたって自己に集中し、驚くべき美しいものを眺めたのである。
そのような時は、かつてないほどまでに最高の秩序と合一している確信が起こり、神的なものとの同一性を獲得して・・・」
「…真実の生の導き手が身近にいるのを識るのだということ、そしてこの経験よりほかにもうなにも必要としないようになるのだということを。
いや、むしろ他のいっさいのものを脱ぎすてて、この一者なるもののなかにのみ佇み、また、この身を包むいっさいを脱ぎ去ってそれにならなければならない。」
このような記述を読むと、彼の経験したエクスタシスは、オールドタイマーさんが教えてくださった、菜園自由領域の「虚無」(nothingness)とは趣を異にするように感じられます。
むしろハイヤー・ビーイング?(上位の自己の視点)の一時的活性化、と言う方が的を射ているのではないでしょうか?
上位の自己の視点は、世界の外に立つ自己自身の源といった経験をしばしの間、与えてくれますし、プロティノスの記述はその視点の経験と、ほぼ同様であると思いました。
そこでオールドタイマーさんにお聞きしたいのですが、595で紹介してくださった、「一者は有を超越し、無を超越し、有無を超越する超越をも超越する。云々」というのは
nothingnessの定義としては非常に分かりやすい表現になっているのですが、さて彼の実体験であるエクスタシスの記述の方に目を向けると、とてもそれがnothingness体験とは思えません。
それは言語を超越した存在者との合一体験を、あえて言葉にしようとしたので、こうなったのでしょうか。。。
それとも彼は何か錯覚したのでしょうか?もしくは自身の体験をもとに、そこからさらなる思惟を重ね、『一者』の概念を形成したのでしょうか。
もしかすれば僕自身の「虚無」(nothingness)という概念の捉え方が間違ってるのかも知れません。
僕自身にとって、菜園自由領域の「虚無」というのは途轍もないものである、という印象を受けていますから。
>>596 higher beingやnothingnessとしての自らを認識できるようになったときには、大量のチャージが解決されるだろう。それが「エクスタシス」に
違いないと思う。
しばらくの間、一般的な修正の手順を紹介しようと思う。
チャージ処理シリーズ#7_1
「内在化に関するトラブル?」
メーターがあれば反応を確認する。
十分な訓練を積んだオーディターは内在化ランダウンや終わらない内在化の修正の終わりのランダウンを行うことができる。
自由領域で使われる有力な手段はUCPもある。
内在化に関するトラブルは最優先で処理の対象になる。
(内在化とは、いったん肉体から魂が外在化し、過去の肉体の死の再刺激した後、肉体に戻ってくることだ。多くの場合、頭痛を伴う。ただし、
頭痛の原因は内在化に限らない。頭痛に際しては、まず、肉体の側に原因がないかどうか、医療機関などで確認すべきだろう。)
ところで、菜園の「テック」は、リアリティー層に限定しても多義的だ。
狭義の「技術」「テック」は「オーディティング関連技術」のことで、菜園の実践における三本柱「エシックス」(倫理)、「アドミン」(経営)、「テック」の
一角をなす。
広義の「テック」は菜園の実践における全ての方法や方法論を含むので、「エシックステック」や「アドミンテック」という形で使われることもある。
このスレで俺は「技術」を広義の「テック」を意味する単語として使用している。
さて、俺は菜園教会の倫理技術や経営技術を重要視していない。少なくとも絶対視していない。
オーディティング技術と異なり、倫理技術や経営技術は菜園公理などに根ざしていない。教会で使われる緑色のアドミン辞書の巻末の
組織図は、時代とともにコロコロ変わっている。
倫理技術は人生全般を対象としているのだが、株の売買で倫理技術を応用すると破綻する。倫理技術は経営技術と密接に結びついて
いるので、倫理技術が破綻することがある以上、経営技術も破綻することがあるということになる。
幅度は投資技術を完成させることなく肉体を離れた。教会が熱心に取り組む様子はないが、投資技術の完成は、菜園人にとって宿題として
残された。投資技術についての研究を進めようとすれば、倫理技術と経営技術の上書きを避けることはできない。
参加者の目的が拡大であるゲームには、少なくとも2つの段階が存在する。ゲーム全体が急成長中であり、競争相手がいない大洋のようである
段階と、ゲーム全体の成長が鈍化あるいは停滞し、競争相手がひしめく湖沼のような段階だ。
1950年代と1960年代前半の菜園教会の拡大は極めて急速だった。「カウンターカルチャー」や「ニューエイジ」などと呼ばれる
20世紀版諸子百家が乱立する前であったため、菜園に競争相手がいなかった。菜園教会の倫理技術や経営技術はこのような時代を
背景としていて、基本的に、うまくいっている間は方針を変えない。
1960年代のカウンターカルチャー(反近代、脱西欧)、1970年代から始まったニューエイジ(ワンネス、シンクロニシティー)で、菜園に対して強大な
競争相手が出現した。ニューエイジジュニアが成人した1990年代ごろには、菜園に対する風当たりは弱まったにもかかわらず、菜園教会の成長は
鈍化した。例外的に菜園教会は著しく成長を続けた地域は、イスラエル、イラン、ドイツ北部のように、菜園に対する政治環境は悪かったが、
ニューエイジも浸透していなかった地域だ。
菜園教会に長らくかかわった人にとって、投資や投機は菜園の倫理技術に対する過信から脱却する好機を与えてくれる。そして、投資や投機に
限らず、うまくいっている間に方針を変える必要性のあるゲームは人生の中で意外にも多い。会社組織においては、変えること、変わることは生き
残りに必要不可欠な条件だ。
湖沼ゲームのための倫理状態公式
・富裕状態では富裕公式を使う
・通常状態では緊急公式を使う
・緊急状態では通常公式を使う
・危険状態では無存在公式を使う
・無存在状態では危険公式を使う
富裕公式には破綻例がない。資金が余っている時には債務を返済すべきである。それでもなお資金が余れば、自社株買いをすべきである。
通常状態の時にすでに緊急公式を使ったのであれば、緊急状態では通常公式を使うべきだということになる。
危険状態では新たに事業を始めるか、あるいは、新たに投資を始めるべきである。
危険公式の要訣は日常の慣習を迂回することだ。ゲームへの新規参入者の倫理状態は必ず無存在状態なのだが、湖沼ゲームにおいて、
既存参加者は無存在状態にはないため、新規参入者は参入後間もなく危険状態に直面することになる。
チャージ処理シリーズ#7_2
「リスティングエラー?」
メーターがあれば反応を確認する。
オーディティングでリスティングに使われた質問や、生活の中でリスティングを誘発した質問を確認する。
その質問がリスト可能である場合には、リスティングの手順を実行する。
リスティングエラーの原因のほとんどはチャージに関係していない質問をリスティングしてしまったか、または、リストが短すぎたことだ。
質問に反応がなく、「抑圧」(suppress)や「有効性の否定」(invalidate)を使用しても反応がなければ、質問にはチャージが
見当たらないことをPCに告げる。
質問に反応があれば、LFBDアイテムまでリスティングを続ける。リスティングが止まってしまったら、ナリングを行う。ナリングにボタンは必要ない。
PCは正しいアイテムを抑圧したりなどできないからだ。ナリングでLFBDを見せるアイテムが見つからなければ、リスティングを続け、リストを延長する。
HCOB『L&Nの法則』は自由領域では正しくないとされている。リストの長さは60ページになることもある。
リスティング可能な質問ではない場合には、それについて2WCを行う。感情や感覚などを問う質問はたいていリスティングできない。また、「何が
起きましたか」もリスティングできない。ここにはある程度オーディターの判断の余地がある。2WCで問題が解決されなければ、質問が
誤ってリスティングを誘発した時のことについてプレプチェックやDL処理などを行うこともできる。
もちろん、リスティング修正リストL4B
http://www.freezoneearth.org/excal/excal07b.html#L4B を使うこともできるが、修正リストに頼りっぱなしになるのはいただけない。PCを観察し、可能な限り最短距離で解決に向かうのが理想なのだ。
「リスティング」とか「リスティングエラー」って、かいつまんで云うと何なのですか?
それはPCにどういう影響をもたらすのでしょう。
>>603 「リスティング」は「L&N」とも呼ばれる。ある程度の説明を
>>202あたりから読むといいだろう。
ほとんど全ての会社には競争相手がいるので、株式市場はほぼ全面的に湖沼ゲームであるはずだ。
危険状態では無存在公式を使うのが湖沼ゲームの有効戦略であるならば、株式市場では急落を買うのが良いということになる。
株式市場の危険状態を ― 実は ― 安全性が高い順に並べると、世界全面急落、国内全面急落、国内業種全面急落となる。
個別銘柄の単体急落を狙ってはいけない。退場する銘柄もある。優良銘柄も劣悪銘柄も急落している全面急落時でなければ、
劣悪銘柄ばかり掴んでしまう危険性があるからだ。
世界全面急落を狙うのは簡単だ。
欧州連合、アメリカ合衆国、日本、中国、イギリス、イタリア、ロシアで株価の急落が起こり、金融緩和を協調して行うために、公の国際会議が
予定されればいい。実際には、国際会議前に各国が対策を講じるので、国際会議が始まったら少しずつ売り抜けていけばいい。
>>606への訂正
「アメリカ合衆国、日本、中国、イギリス、イタリア、ロシア」
→「アメリカ合衆国、日本、中国、イギリス、ロシア」
「世界全面急落を狙う」というのは、世界同時株安(急落時)のときに『トピックス』や『日経225』などを<買う>ということですか?
>>608 買うということで、対象となる株や株価指数は基本的に何でも良い。もちろん、心に決めたお目当ての優良銘柄があるのならば、それを買うのは
さらに良い。
世界同時急落が起これば、先進諸国の政府と中央銀行が株価を支えるために行動するのだから、世界同時急落狙いの戦略は
大雑把でいい。この狙いは簡単なことなので、菜園オーディター訓練のレベル0のようなものだ。
昔のレベル0にはメーターの使い方は含まれなかった。あまり細かい手順がなくて、
>>542のようなオーディティングを教えていた。
オーディターはセッション中に比較的暇だったので、PCをじっくりと観察できた。このようなレベル0から訓練を積んだ古参のオーディターの観察力は
極めて高水準にあった。その水準に「規範的な技術」登場以降のオーディターはまるで及ばないと思う。
世界同時急落狙いでテクニカルな細かい条件がないのは、レベル0にメーターがなかったことと同じだ。トレーダーはテクニカルな指標の研究に
のめり込む前に、まずは株価急落時の社会を観察するべきだ。
「世界全面急落を狙う」という手法はとてもシンプルですね。
ただ、はじめて市場に参戦する人にとっては、急落のどの時点で買い、そして売り抜けるのか、
過去世界急落時のチャートを幾つかじっくり見てシュミレーションしないと怖いでしょう。
そして、もしものときの損切り値の決定もあらかじめしておかないといけない。
金を稼ぐというだけなら、為替でも株でも何だっていい。
投資であれ投機であれ、かまわない。稼ぐこと、それだけが目的だ。
例えば初心者でFXをはじめようと思ってるなら、期待利回りがプラスのシステムを3〜7つくらい
同時にランすると安全性は高まる。
前にも投稿したけど、過去の日足データ(高値と安値のみ)から現在と未来を予測する方法は、
(数ヶ月に一度はデータの見直しが必要だが)これから投資をはじめようと思ってる多くの人にとっては
とっつきやすく、テクニカルを組み合わせて使いう裁量トレードよりも幾分ストレスが少ないかも知れない。
システムトレードは、ドローダウンが大きくなってもそのまま通常通り行わなくてはならない。
正にオールドタイマーさんがおっしゃる「緊急状態では通常公式を使う」である。
☆使用可能なシステムの参考例
<ドル/円短期システム1>(逆張り)
前日の日足を確認。
前日BID高値でショートの指値を入れておく(注文日時は当日のみ)
利益確定190ピプス(無期限) 損切り150ピプス(無期限)
<ドル/円短期システム2>(順張り)
前日の日足を確認。
前日のBID安値でショート指値を入れておく(注文日時は当日のみ)
利益確定50ピプス(無期限) 損切り50ピプス(無期限)
上記2つのシステムを同時に走らせれば、今のとこ1年で2〜3倍強の収益が得られる。(この3年)
*スプレッドの狭い証券会社の口座を使用する。
*IFOやイフダンOCO注文などの自動売買機能を使い、チャートに張り付かないでいられるようにすること。
*レバレッジは10倍以下が望ましい。(現在であれば10万につきドル/円1万通貨単位)
*3ヶ月に1度はエクセルでデータ(利益確定値と損切り値の組み合わせの検討)を確認するのがよい。
いかなるシステムにも寿命というものがあるからだ。
稼ぐだけなら、社会人として働くよりもずっとたやすいということを知ってもいいと思う。
菜園公理の範疇はかなり幅広く、その中で技術の多様な試験的プロセスを開発できる。無論、有効なプロセスとして残るのはそれらの一部だ。
菜園における技術論では、「特別なPCはいない」を技術の理想の姿の側面の1つと考えているとみてほぼ間違いがない。幅度自身が「特別な
PCはいない」という言葉を何度も繰り返し使っている。
幅度の宿題である投資技術の確立でも、「特別な銘柄はない」といえるようになるのが理想ではあるが、実現は困難だ。なにしろ、まだ誰も
実現していない。銘柄間の違いを常に十分に吸収できる技術は存在しない。
もちろん、その違いをうまく吸収できるトレーダーが存在するのは事実だ。しかし、それはそのトレーダー個人の技能によるものであり、技術として
確立されたものではない。
一般的にトレーダーが銘柄間の差異を吸収できないのであれば、技術的アプローチにおいては、市場がその差異を吸収する時を待つより他は
ない。湖沼ゲームにおける倫理状態と倫理公式の関係に加えて、市場による銘柄間差異の吸収も、全面急落を狙う理由の1つだ。
さて、1950年代の天才オーディター達が技能でやっていたことを、今の凡才オーディター達はある程度技術で実現している。
技術は基本的に天才のためではなく、俺を含めて凡才のために開発されるべきだ。
国内全面急落狙いは個別国への買い入れであるため、やや精度を要する。凡人が成果を上げるためには、裁量の余地をある
程度限定するテクニカルな条件付けが必要だ。そして同時に、あらかじめ決めておいた計画から凡人が不安ゆえに逸脱してしまうことも織り
込まなければならない。
>>そして同時に、あらかじめ決めておいた計画から凡人が不安ゆえに逸脱してしまうことも織り込まなければならない。
とはどういう意味ですか?
市場に参入した本人が、不安にやられて当初の計画から逸脱し、退場せざるを得なくなる可能性(負ける可能性)をも受け入れておくということ?
それとも暴落時のパニック売りが大規模に発生する可能性をあらかじめ考慮しておくべきだ、ということなのですか?
数人の天才セラピストの言語分析やビデオによる非言語的やり取りの研究から
何が治療的に働いているのかというモデルパターンを抽出し、それを整理し、凡人でも学べるようにしたのが
創設当時のNLPでした。研究された天才セラピストたちは、それぞれ理論的背景も使う手法もまったくと言っていいほど違いましたが、
そこにある種の共通項を見出せたわけです。
菜園公理からあらたな技術を生み出す方向と、それ以外の方向とがありますね。
幅度の聴衆の前でのデモではなく、1950年代の天才オーディター達の実践の録音が多数残っているといいのですがね。
その中には、現代のように標準化されたコマンド以外の何かも含まれていたことでしょう。
そしてその中に、天才の天才たる所以も幾分かあったかも知れません。
また現在準OTと呼ばれる人たちの物事の認識方法や内部戦略を様々な方法で調べてみるのも役立つでしょう。
クリアーが反応心を持たない存在と定義されていても、実際はそうではないのなら、反応心というのも比喩以外の何者でもないのでしょう。
幅度の考えた心の構造モデルと、クリアーや準OTの実際を研究してみたいものです。
現代菜園では推定、どれくらいのクリアー及び準OTがいるのですか?
>>613 俺が株を買い入れるときには、あらかじめ計画した通りに、少しずつ買い入れ始める。しかし、俺は時々不安になって、途中で計画通りに
買い入れないこともある。しかし、それで特に困ったことになるということはなく、単に買い入れが少なくなった分、利益が少なくなるにすぎない。
多くのトレーディングシステムは使用者の人間的弱さを考慮していない。
>>614 菜園公理も過去の思想家たちの見解に頻出する共通項を抽出したものだ。だから、菜園はある部分で仏教に似ていたり、別の部分で
キリスト教に似ていたりする。現在のNLPにいくつかの基本原則があるように、菜園にも菜園公理があり、自由領域ではおおむね公理からあまり
逸脱しない。
ある程度の束縛があるからこそ、技術が確立され、凡人でもオーディターになれる。
クリアーに反応心があるかどうかは実のところはっきりとはわからない。ただ、クリアーはエングラムの鎖を一瞥するだけで消去する能力があるため、
新たにエングラムを抱え込んでも、あるいは、既存のエングラムが再刺激されても、自分で消去できる。そういう意味では、クリアーは反応心が
ない状態に相当する。
ところが、反応心はケースの一部に過ぎない。BTで形作られているNOTsケースもあるし、低いグレードでとりあえずある程度キーアウトしただけの
コミュニケーション、問題、罪と隠し事、ARCブレーク、GPMなどのケースを、クリアーは依然として抱えている。
菜園教会の準OTではNOTsケースの一部を解決しているが、まだまだ不十分だ。
菜園教会の現在の訓練体系では曖昧なものになってしまっているが、昔のオーディター訓練の低いレベルのそれぞれは、オーディティングの
スタイルを学ばせることをことさら重視していた。
レベル0のスタイルは「聞く」スタイルだったので、TRやメーターの操作もなかった。
まったりとしたレベル0を終えたオーディターは、レベル1で厳格なTRとそれにより強く拘束されたスタイルのオーディティングを学んだ。レベル1の
スタイルは「口枷をした」スタイルと呼ばれた。
世界全面急落狙いを国際協調による対策の予定を「待つ」スタイルのトレーディングとすると、国内全面急落狙いは「縛る」スタイルの
トレーディングになる。
・レバレジをかけない ― 毎回の狙いにおいて危険性と不確実性による影響を完全に限定する。
・空売りをしない ― 株の空売りには得が少ない。多くの場合、本当に空売りしたい銘柄は貸借銘柄ではないし、一般信用でも規制がある。
一般のトレーダーにとって、空売りは不利であるし、そもそも、空売りでは危険性と不確実性による影響を完全に限定することはできない。
・損切り基準を設定しない ― 買い入れた額が潜在的な最大の損失だ。例えば、資金の25%を買い入れに投じた場合、最大の損失は資金の
25%を超えない。ある状況で買い入れ、ある状況で売り抜くだけで、結果が利益になるのか損失になるのかは、大部分は技術の効果と時の
運次第だ。
・売り抜きのルールには厳格に従う ― 毎回の最大損失が完全に限定されていても、もたもたしていてはいけない。
市場全体へのテクニカルの使用は急騰銘柄と急落銘柄の数を数えることから始まる。トレーダーにとって真に安全な危険状態 ―
というのは面白い言葉の組み合わせだが ― を特定しようとする試みにおいて、全体の平均は多くを語らない。
急騰、急落の基準にあまりこだわる必要はない。、トレーダーの好みで工夫していい。重要なのは基準に該当する銘柄の数とその変化なのだ。
とりあえず、説明のために
急騰銘柄:
終値 >= 25日間移動平均 * 1.15
終値 >= 5日間移動平均 * 1.10
急落銘柄:
終値 <= 25日間移動平均 * 0.85
終値 <= 5日間移動平均 * 0.90
あたりを使うことにする。東京証券取引所上場に限定して、これらの条件に該当する銘柄の数を日々数え、それぞれについて、次のように
平滑平均を求める。「[0]」は最初の、「[-1]」は「1日前の」を意味する。
銘柄数平滑平均[0] = 銘柄数[0]
銘柄数平滑平均 = 銘柄数 * 1/64 + 銘柄数平滑平均[-1] * 63/64
これをある程度の期間に渡ってあらかじめ計算しておく。
長期上昇後の下げは深くなるので、急落銘柄数をその平滑平均と比較するだけではなく、急騰銘柄平滑平均とも比較しなければならない。
国内全面急落の判定条件:
急落銘柄数 > 急落銘柄数平滑平均 * 4 and
急落銘柄数 > 急騰銘柄数平滑平均 * 3
最近では、7月13日、11月17〜19日に東証がこの条件を満たした。
7月13日の判定は完全的中だが、11月の判定は多少ずれている。が、これはレベルI相当なので、ある程度は仕方のないことだ。
この部分を使えるかどうかは、環境次第だが……国内全面急落の質を判定する方法がある。
国内全面急落判定を満たしたら、次はSlow%D(ストーストキャスティクス)に注目する。Slow%Dでなくても、要は0〜100%にノーマライズされた
オシレーターなら何でもいいのだが、ここではSlow%Dを使うことにする。パラメーターは12, 3, 3だ。
入手する必要があるのは、市場で売買可能な全銘柄のSlow%Dの平均値、そして、Slow%Dが75%を超えている ― つまり、全面急落の影響を
免れている ― 銘柄の数だ。狙いが全面急落であるのだから、免れ銘柄は少ないほどよい。
許容免れ比率 = Slow%D ^ 2 - Slow%D / 10
全銘柄平均Slow%Dが30%であれば、
許容免れ比率 = 0.3 ^ 2 - 0.3 / 10 = 0.06
となり、
Slow%Dが75%を超えている銘柄の数 / 全銘柄数 <= 0.06
で市場は高品位な危険状態にあるといえる。
最近では、11月24日〜12月2日に日本の株式市場は高品位な危険状態にあった。
これまでの投資に関する解説は、マーケットのコンディション状態を、菜園倫理区分を用いて確定し、
それに対し、どの公式を(菜園とは別の仕方で)用いることが有効な戦略であるのか、ということなのですね?
トレーダーにとっての<安全な危険状態>を識別し判定する試論とその事例の紹介。
>>619 お金のコントロールのための技術の開発は、幅度が菜園人に出した宿題だ。直接的には倫理技術の補正に、間接的には経営技術の進歩に
つながると思われるが、俺はさらにそれから先の何かに期待している。
菜園の理論によれば、リアリティーは全て合意だ。しかし、「合意」については、『因子』や『菜園公理』で語られていないことがある。
2人の人物が「ナタリー・ポートマンは美しい」と合意した時の合意は同調による合意だ。
一方、1人が「この株を1000円で売る」と主張し、もう1人が「この株を1000円で買う」と主張した場合、合意された価格である1000円で売買が
成立する。しかし、売ったほうは値が下がると考え、買ったほうは値が上がると考えていたとしたら、合意が成立したにもかかわらず、2人の
考えていたことは逆だったのだ。
合意には同調による合意と、対照による合意がある。
宇宙を形作っている合意の中で、それぞれの比率は考察の対象として実に興味をそそる。
物質が結構存在するようにみえるこの物質宇宙も、実はほとんど真空でできている。無重力の空間はもちろんそうなのだが、実は俺たちの肉体も
ほとんど真空だ。
水素の原子核の直径は、原子それの1/10,000,000,000,000程度だ。原子核とその周囲を公転する電子の間には、真空がある。しかし、この
真空は生成と消滅を繰り返す素粒子で沸騰している。
それが買い注文と売り注文で決定される株価のように俺には思える。
精神が何かを消滅させる方法として、2つの対照的な方法がある。
例えば正弦波に正反対の波動を加える方法と、その創造が存在する同じ時空間でまったく同じ物を創造する方法だ。
前者はマックスウェルの(通俗的)公式で説明される。
V1=ai+bj+ck
V2=-ai-bj-ck
V1+V2=0 ただしi,j,kは空間における3方向。a,b,cは係数。つまり、まったくの0になる。
だが上のこの公式は彼の死後、改竄されたものだという。
実際は、Q1+w+ai+bj+ck wは重力分子係数。
Q1=+w+ai+bj+ck
Q1=-w-ai-bj-ck
Q1+Q2=2w つまり正反対の波動が打ち消しあうと重力が2倍になる。
そして前者は菜園公理で言うところの所謂アズイズである。
訂正>>「そして前者は菜園公理で言うところの所謂アズイズである。」
正解→「後者」は菜園公理で言うところの所謂アズイズである。
「後者」とは、完全なディプリケーションのこと。
すまない、もう一箇所訂正がある。
訂正>>Q1=+w+ai+bj+ck
Q1=-w-ai-bj-ck
Q1+Q2=2w
正解→Q1=w+ai+bj+ck
Q2=w-ai-bj-ck
Q1+Q2=2w
数式に不案内の分際で、出すぎた投稿の結果である。<(_ _)>
(〃_ _)σ‖
国内全面急落、あるいは、できればその後に生じた高品位な危険状態を確認し、毎日だいたい同じ額を買い入れる。意中の銘柄が
あればそれをタイミング分散買いしてもいいが、日々違った銘柄を買い入れれば、銘柄でも分散できる。
失えない資金ならば、1日あたり資金の1/28程度を買い入れる。何日か低迷が続けば、すぐに資金の1/4くらいが株に変わっている。
資金満額を投入するつもりでも、1日あたりの買い入れは資金の1/7以下にしたほうが賢明だと思う。
不安になったら、買い入れをやめてしまえばいい。買い入れをやめたら、その後は売り抜くまで買い入れない。
売り抜きのルールは買い入れた順に売り抜くことだけだ。1日で全部売り抜いてもいいし、数日に分けてもいい。
売り抜き時の目安についてははあまり厳格に考える必要はない。湖沼ゲームで通常状態になれば、緊急公式を使うべきであり、売り抜き時で
あろう。
売り抜きの目安の例、1:
急騰銘柄数 > 急騰銘柄数平滑平均 and
急落銘柄数 < 急落銘柄数平滑平均
売り抜きの目安の例、2:
全銘柄平均Slow%D > 50% and
免れ比率 > 許容免れ比率
チャージ処理シリーズ#7_3
「ARCブレーク?」
このルードメントの質問では、メーターの反応が質問の末尾の瞬間よりも早いことがある。
FNがあり、PCの表情などが改善されたら、そこでこのルードメントの処理は終わりだ。
ARCブレークについては、そのブレークが、それがアフィニティー、リアリティー、コミュニケーションのどこで起こったのかを突き止める。
1) 「ARCブレークが起こったのは、アフィニティ? リアリティー? コミュニケーション? 理解?」
反応があった項目が正しいかどうか、PCに訊ねて確認する。PCが正しいと感じる項目が反応した項目とは違う場合、PCの選択を優先する。
これで特定された項目を次の質問の「〜」のところに入れる。
2) 「それは、興味深い〜? 望まれた〜? 押しつけられた〜? 抑制された〜? 欠けていた〜? 拒絶された〜?」
(1)と同様に項目を特定する。
3) より以前の似たようなARCブレークがあるかどうかをPCに訊ね、そのARCブレークについて(1)からの手順を繰り返す。
--
BTの処理に既に入っている準OTに対しては、(1)を行う前に、ARCブレークが準OT本人のものかBTのものか確認する必要がある。
Les Daneが1971年に書いた『Big League Sales Closing Techniques』は菜園の営業担当が勉強する教材の1つだ。幅度自身が営業を
苦手としていたのではないが、菜園は独自の営業技術を確立しなかった。宣伝活動における、attention, interest, messageの順序も
菜園由来ではなさそうだ。
オーディターとして訓練を積めばほぼ誰でもオーディターとして勤まるようになるが、営業担当はそうではない。そのためか、営業担当は組織の中で
特殊な職であり、菜園があれほどマルクス嫌いであるにもかかわらず、営業担当の給与はマルクス主義的に計算される。つまり、時間払いでは
なく、成果払いだ。
上記のことを、菜園を基盤とした投資技術の確立にあたって無視すべきではない。いや、そもそも、仮に菜園が存在していなかったとしても、
財貨やサービスを自分で直接売る代わりに、投資でお金儲けをやろうとするのが投資家だ。株を売る際にも、市場で売りに出すだけで、一般的な
営業におけるクロージングなる部分はない。
投資家がある会社の銘柄を買う場合、その会社は投資家が自らは手を出さない営業というゲームが得意である必要がある。
投資家が銘柄を売る場合、売り注文を市場に出すため、市場では常日頃豊かな買い注文が入っていなければならない。
また、会社が通常状態の時に既に緊急公式を適用済みであり、市場全体の危険状態への備えができていることが望ましい。
ファーストレテイリングの「成功は一日で捨て去れ」は正しく、トヨタ自動車の「グローバルマスタープラン」 ― 後に破棄された ― は間違いだった。
古参の菜園人ほど、菜園と似た匂いがする「グローバルマスタープラン」のほうに魅かれる傾向があると思う。用心せねばならない。
買い入れ候補フィルター例:
PSR = 時価総額 / 年間売り上げ < 1.0 and
上の条件を満たす銘柄の中で、売買代金上位100銘柄に入っている
上の条件を満たす全銘柄の52週間%Kより、その銘柄の52週間%Kのほうが高い
where 52週間%K = (終値 - 52週間最安値) / (52週間最高値 - 52週間最安値)
投資素人野朗がオールドタイマー・ロジックを実行するには、やはりスクリーニングが簡単にできるアプリケーションがいりますね。
…チャートギャラリーでも買うかな。
>>629 一応いっておくが、例示した式や設定は例に過ぎない。
俺が考えている投資技術レベルIというのは、急落銘柄数、急騰銘柄数の両方を数えることで全面急落を確認し、タイミングと銘柄で分散して
買い入れ、しばらくしてから適当に売り抜く流れであり、実際の売買では、時代、国、そして何よりもトレーダーの性格に合わせるために、調整や
改善をする余地が多分にある。
加えて、内容の繰り返しになるが、トレーダーが不安を抱え、計画からある程度逸脱しても、おおむねうまくいくように工夫する必要がある。
例えば、トレーダーの計画遂行率が80%でも、そこそこ利益が上がるようでなければ、現実の売買を続けていくことは難しい。
俺や多くのトレーダは中途半端だ。板やチャートを読みながらその場で裁量の余地が極めて大きい手法を駆使することができるほど器用では
ないし、逆に、裁量の余地を排したシステムを運用し続けることができるほど愚直でもない。不器用で小賢しいトレーダーがずっと使える技術を
開発することを考え続けなければならない。
チャージ処理シリーズ#7_4
「現時点の問題?」
このルードメントの質問では、メーターの反応が質問の末尾の瞬間よりも早いことがある。
FNがあり、PCの表情などが改善されたら ― これをGIsという ― 、そこでこのルードメントの処理は終わりだ。
問題についてPCが話でも、FNとGIsを得られなければ、さらに以前の似たような問題を探す。
--
現時点の問題については、時に柔軟な対応が必要になる。例えば、「トイレに行きたくなった」であれば、PCをトイレに行かせる必要があることは
いうまでもない。この際、セッションコントロールを維持するために、途中までPCに付きそうか、あるいは、いったんセッションを終えるべきであり、
PCだけをトイレに行かせたまま、自分だけがオーディティング部屋で待っているようなことがあってはならない。
見透かされそうになった隠し事(missed withhold)について
見透かされそうになった隠し事の中身は、罪(overt)とは限らない。
見透かされそうになった隠し事を処理する場合、そもそも隠し事の中身はそれほど重要な
ことではない。
見透かされそうになった隠し事には2つ以上の出来事がかかわっている。1つは隠し事が発
生した時であり、残りは隠し事が他の人々によって見透かされそうになった時だ。
ルードメントでオーディターが扱うのは、主に、隠し事が見透かされそうになった時のほ
うだ。
チャージ処理シリーズ#7_4
「見透かされそうになった隠し事?」
1) 隠し事は何でしたか?
2) それが見透かされそうになったのはいつのことでしたか?
3) 誰がそれを見透かしそうになりましたか?
4) 隠し事に気づかれそうになった、とあなたが思ったのは、その人が何をしたからです
か?
3_2) 他に誰がそれを見透かしそうになりましたか?
5) より以前に似たようなことがありましたか?
(1), (2), (3), (4), Loop{(3_2), (4)}, (5) → FN + GIs
>>633への訂正
「チャージ処理シリーズ#7_4」 → 「チャージ処理シリーズ#7_5」
>>633の改定
チャージ処理シリーズ#7_5
「見透かされそうになった隠し事?」
1) 隠し事は何でしたか?
2) それが見透かされそうになったのはいつのことでしたか?
3) 誰がそれを見透かしそうになりましたか?
4) 隠し事に気づかれそうになった、とあなたが思ったのは、その人が何をしたからです
か?
3_2) 他に誰がそれを見透かしそうになりましたか?
5) より以前に似たようなことがありましたか?
Loop{(1), (2), (3), (4), Loop{(3_2), (4)}, (5)} → FN + GIs
オーバーランについて
プロセスの実行がその目的に達したにもかかわらず、プロセスを続けてしまうと、オーバー
ランという現象が起こる。
TAが上昇し、PCがプロセスへの興味を失う。PCによっては、プロセスの継続に抗議するこ
ともあるだろう。
プロセスの実行中は、普通、TAが上がるものだ。グレード0の軽いプロセスでも、TAが5.0
に達するようなことはしばしば起こる。TAが上がっていても、PCが集中しているようなら
ば、オーバーランではない。
オーバーランはメーター上の反応で確認する。
オーバーランへの対処は、キーアウトが生じたのがいつなのかを確認し、必要に応じてキー
アウトが何回生じたのかを確認することだ。
チャージ処理シリーズ#7_6
「オーバーラン?」
オーバーランはセッション中だけではなく、日常生活の中で、菜園とは直接の関係がない
活動においても起こりえる。例えば、スポーツ選手ならば、トレーニング中にオーバーラ
ンが生じることもあるだろう。
FN + GIsが生じれば、オーバーランの処理はそこで終わりになる。
「オーバーラン?」に反応があれば、キーアウトが生じた時点を確認する。それでFN +
GIsが現われなければ、キーアウトが生じた回数を確認する。
必要に応じて、より以前に似たようなオーバーランを処理する。
オーバーランの処理は穏やかに行わなければならない。
うまくいかなければ、内在化に関するトラブルの確認に戻り、修正リストを最初からやり
直す。
それでもうまくいかなければ、オーディターの技量に問題があることが多い。セッション
を中断し、さらに技術レベルの高い先達に指示を受けるべきであろう。
『菜園倫理入門』で幅度は、「菜園における躍進は、我々が倫理の基礎技術を実際に持っ
ていることである」と語っている。つまり、菜園において、倫理は技術的な観点から捉え
られるものとされている。また、ここで「基礎技術」という言葉が使われていることに着
目して欲しい。幅度は倫理技術を完成させたと主張しているのではない。
幅度は「倫理は理性である」ともいう。思うに、ある倫理状態に対して経験則から適切だ
と思われる倫理公式を適用したにもかかわらず、結果が良好ではない場合、その倫理公式
を適用し続けるのは理性的ではなく、倫理的ではない。
経験から導き出された規則などを「道徳」あるいは「道徳律」とすることで、幅度は倫理
と道徳を区別している。そして、道徳が時代遅れになる可能性を示唆している。
また、倫理公式についても、「基礎的な道具」であり、「主に組織のために書かれた」と
しており、「相互に関連付けることによって個人にも適用可能である」という記述はある
ものの、個人の生活において倫理公式を守ることは義務とはされていない。
以上を考慮すると、倫理状態と倫理公式の対応は、実際のところは道徳律であり、やはり
状況に合わなくなることがある。
菜園倫理が菜園にどんな躍進を齎したのでしょうかね?
ところで、ARCブレークの処理などで、PCの認識とメーターによる反応が異なるのはどういうわけなのでしょうか?
それでも修正はうまくいくのでしょ?どうしてかなぁ。。。
ルードメントや「修正」の諸手順は、菜園でオーディターとしての訓練を受けた人や、プロセシングを受けた人以外にとって、
何だかな手順が細かくてとっつきにくいという印象があります。
体験してみると、ほぼ同等の効果を持つ単純な手法が現在盛んに普及してもいます。
例えば、アメリカの一部の監獄で、囚人等にも指導が為され効果を上げていると言われているバイロン・ケイティの『ワーク』というのもその一つでしょう。
バイロンの著書は日本語でも二冊出版されていますし、ご存知の方も多いと思います。彼女の手法ですべての菜園プロセスをカバーできないことは
いうまでもないのですが、これほど単純に一人で行える方法が、ある一定の効果を上げうるのを体験、もしくは観察してみると、
菜園プロセスで現在得られるゲインを、もっと短時間で、さしたる修正も必要なく行えるプロセスはかなりの数にのぼると思います。
問題は、菜園プロセスや他の出所の諸ワークが、それを行うことで精神に何をもたらしているのかを説明する、理論や体系の食い違いです。
『記述』を『動かしがたい事実』と見なしてしまう弊害だと単純にそう思います。特に菜園は幅度公理や幅度理論を絶対視していますから対話の余地が無く、
「〜〜のように記述しうる現象が観察される」というように、自らの観点の一面性を認める謙虚さをもたず、「それはこうだ」と対話不能な教義にしてしまっている。
それをまたオーディター等は疑うこともなく信じきっている。(まあ、それが自らを宗教と自認する所以でもあるか。でも一方で心の科学だとも言ってたか。。。)
誰か頭のいい人が、菜園プロセスの効力と成果を認めつつも、そのドグマ的な原理を『再記述』してくれるといいな。
そうすれば、プロセスの精神に及ぼす作用機序の理解を新たに出来、幅度が記述したものから脱却し得るのに。その結果プロセスに躍進がもたらされると思うね。
ちなみに、バイロン・ケイティの手法は単に翻訳本が出てるから例としてあげただけであって、大した意味はありません。
菜園的なゲインを得られる方法はavaなどをはじめ、ずいぶんとあるものです。
>>640 教会流倫理技術は教会組織への適用ではかなりうまくいった。他にも、トレンドが長続きする
分野で、菜園人はうまくやっている。
例えば、医療や整体術は菜園人の得意分野だ。人体の進化のトレンドは急変しない。
芸術や芸能でも菜園人はかなりの適性を見せている。ハリウッドは極めて菜園人密度が高い。
会社の従業員も菜園人に向いている。たとえ会社全体が数十年のトレンドの先を読んでいても、
各従業員の仕事は数日から数年の単位で与えられるため、安定したトレンドのように見えるのだ。
--
公理によれば、ARCUは不可分だ。つまり、ブレークがAに起こると、他の個所にもチャージが生じる。
そのため、Cに反応がある時、PCがそれを否定し、ブレークはAに生じたと主張しても、PCは
間違っていない。
メーターは浅いところにあるチャージに優先的に反応するため、不可分な複数の要素を持つ
チャージについては、最初に反応を示した要素が質問の瞬間に軽減された場合、PCはもう少し
深いところにあるチャージに関心を向けることがある。
>>640 うーん、俺の記憶が正しければ、他の実践体系由来の手法で俺が拒絶したものは、3年ほど
前から続く一連のFreezoneスレにおいて、たった2つだ。1つは神道の鎮魂帰神であり、もう1つは
チベット仏教のトンレンだ。いずれも逆NOTsであるため、菜園のNOTsと併用できない。また、
神道はともかくとして、チベット仏教の実践の結果については、中立的な欧米人による
批判もあるため、試験的な実践にも大きな不安が付きまとう。
一方、
>>573-577あたりで紹介されているプロセスを俺は拒絶していない。菜園の公理などの
基礎理論は範疇が極めて大きく、菜園外の数多くの実践体系のそれぞれの大部分は
菜園理論の範疇に収まる。いいかえると、菜園教会の伝統的な実践への執着がなければ、
理論的に菜園人が受け入れられるものは実に多い。
>>641への訂正
「深いところにあるチャージ」 → 「深いところにある要素」
>>640 >問題は、菜園プロセスや他の出所の諸ワークが、それを行うことで精神に何をもたらしているのかを説明する、理論や体系の食い違いです。
>『記述』を『動かしがたい事実』と見なしてしまう弊害だと単純にそう思います。特に菜園は幅度公理や幅度理論を絶対視していますから対話の余地が無く、
>「〜〜のように記述しうる現象が観察される」というように、自らの観点の一面性を認める謙虚さをもたず、「それはこうだ」と対話不能な教義にしてしまっている。
>それをまたオーディター等は疑うこともなく信じきっている。(まあ、それが自らを宗教と自認する所以でもあるか。でも一方で心の科学だとも言ってたか。。。)
>誰か頭のいい人が、菜園プロセスの効力と成果を認めつつも、そのドグマ的な原理を『再記述』してくれるといいな。
>そうすれば、プロセスの精神に及ぼす作用機序の理解を新たに出来、幅度が記述したものから脱却し得るのに。その結果プロセスに躍進がもたらされると思うね。
激しく同意です!
『ARCブレーク』の処理についての細目を教えていただけますか。
ARCUのどれにブレークが起きたのかを突き止めた後に、その項目に対し下記の質問がなされます。
「それは、興味深い〜? 望まれた〜? 押しつけられた〜? 抑制された〜? 欠けていた〜? 拒絶された〜?」
上記の「興味深い」「望まれた」「押し付けられた」「抑制された」「欠けていた」「拒絶された」という六つの概念区分は
どのようなデータからもたらされたものなのですか?
>>645 それは拡張されたCDEIスケールの一部だ。このスケールは因果律スケールの一種で、
それそのものは、俺が知る限り、公理などに根差してはいないようだ。
Not know
Know
Unknown
使われているのはここから
Curious
Desired
Enforced
Inhibited
No
Refused
ここまで
False
Denied
Absurd
Rationalised
Abusive
Horrible
Compressed
Conjured
Recriminatory
>>641の前半の続き
一方、菜園の教会流の倫理技術があまりうまくいっていない分野もある。特に投資や経営で、
倫理技術は一般的に効果的であるとはいえない。
無論、投資家や経営者として成功している菜園人はいる。目立つ例では、Windows標準
デフラグソフトは菜園人が経営する会社の製品だ。
しかし、実のところ、菜園人になった投資家や経営者は少なくないものの、投資家や経営者になった
菜園人はあまり多くなく、その中で成功している人は極少ない。
これは、
>>600でも触れているように、菜園がカウンターカルチャーやニューエイジを先取りし、
極初期の段階では競争相手がいない環境で組織運営が行われたことと無関係ではない、と
俺は考えている。
上述したデフラグソフトの会社も、やはり、1990年代初頭では、競争相手がほとんどいなかった。
その会社の日本進出の際には、俺がマニュアルの翻訳作業にかかわったが、定着した翻訳例が
なかったため、「defrag」を「断片化の解消」とするか「断片化の解決」とするのかなど、翻訳の
方針を決めねばならなかった。
このような観察から、急成長分野に限定すれば、菜園の既存倫理技術は有効だが、一般的な
有効性については、肯定的に断定できるのではない。もちろん、倫理技術の適用結果に対して
さらに倫理技術を適用すること ― つまり、倫理技術のメタな適用 ― というのも考えられるが、
これは必ず時差を広げるため、やはり有効性には疑問の余地が残る。
オールドタイマーさんは、釈迦は菜園人ほど遠い前世を思い出してはいないとの見解を示されていましたが、
原始仏典を読んでみると、釈迦は91個前の宇宙期に生まれて、当時の寿命は8万歳だったと書かれていました。
現在の宇宙の1つ前の宇宙が魔法宇宙だとすると、釈迦のほうが遥かに遠い過去の記憶を思い出しているようにも感じられるのですが・・・。
>>648 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1191209593/422 ` 昔の釈迦は裏NOTsの深度において菜園教会を凌駕しているが、前世記憶再生では
` 比較的凡庸な転生菜園人にも及ばないと思う。今現在の釈迦は非常に高レベルに
` 達しているかもしれないが、それは検証しようもない。
のことかな?
まず、菜園では、生命vs物質の力関係などふくめて諸法則が変わらなければ、同じ宇宙と
見なすのだから、菜園外の考え方とは単位が違う。
例えば、菜園での「物質宇宙」は誕生してから87兆年近く経過しているが、菜園外で
「物質宇宙」あるいは「この宇宙」というのは、誕生してから140〜160億年くらいとされている。
仮に菜園外の意味における物質宇宙の平均存続期間が280億年であるとするならば、
菜園での「物質宇宙」は、菜園外での「物質宇宙」の約31万期分ということになる。
菜園自由領域の宇宙史は
・合意戦争: 次元数についての合意、資本主義。
・合意宇宙: 概念についてのさまざまな合意。
・自家宇宙, 競技宇宙, 懲罰宇宙: 心の原型、公私の区別、職業、罰ゲームとしての
食事と性行為、宗教。
・拡張された競技宇宙: 感情的な苦痛の始まり。
・情動宇宙: 自己矛盾、快感、不快感。
・記号宇宙: 言語、政府。
・思考宇宙: 霊体とか幽体とか。
・対立宇宙: 肉体、転生。
・魔法宇宙: おとぎ話の世界、「楽しむべし」という共通目的。
・物質宇宙: この宇宙、「生存すべし」という共通目的。
・泥宇宙: さらに下の宇宙、「存続すべし」という共通目的。
となっている。このうち、合意戦争の期間が宇宙史全体の期間の半分を占めている。昔の
宇宙ほど、俺たちが住んでいた期間が長かった。
今現在の釈迦については何も検証できないが、少なくとも、前世の探究において、今の
菜園人は昔の釈迦を凌駕している、といっていいと思う。
昔の釈迦が能力的に劣るということではない。ただ、釈迦は前世の探究について菜園人ほど
熱心ではなかった。
>>649 >>650 早速の解説、ありがとうございます。
仏典を読むと、釈迦は欲を離れることで前世を見通す能力が得られると言ってますし、
前世想起はあくまで、悟りを目指す過程での副次的なものであるとみなしていたようですね。
ですから当然、前世の探究自体には無関心だったんでしょうね。
>>651 全くその通りだ。
一方、悟りに至るまでのいくつかの段階の実践おいて、菜園は前世探求を重要な方法として
位置付けた。
仏教諸派は独特の方法論を持っている。日本では、禅系、浄土系、日蓮系のいずれも、釈迦の
教えとは異なる部分を含んでいる。
が、それはそれでよい。
実践者が自らの道を選ぶことができれば、それでよい。
…お尋ねします。
4次元知覚を有する存在が、われわれの3次元宇宙内の地球に降り立ったとした場合、
その存在の物質に関する知覚は、僕ら3次元知覚に限定されている者たちと、どのように違うものになるとお考えでしょうか?
…もう一つお聞きいたします。
オールドタイマーさんは、菜園自由領域の宇宙史を、過去・現在・未来という時系列の中で実際にあった事実だと思っておられますか?
>>653 4次元知覚を持つ者にとって、3次元宇宙の中に物陰や内側はない。人体を見れば、脳や内臓まで
全てが見える。
>>654 俺自身が自分自身の記憶で確認したのは魔法宇宙までだ。そこまでしか確信はない。
前世探求によるチャージ処理を行わずして、同等の速度で悟りへの階梯を進み行く方法がある、と考えておられますか?
そして今生における過去の出来事はいかがでしょう?
これらを迂回出来ると思われますか、もしそうならその方法に関して何かご存知ですか?
記憶と構成された心的映像との識別はどのように可能ですか?
数百年程度の過去の前世であるなら、物的証拠を見つけ出すことも可能ですが、
銀河文明や、ましてや他の宇宙ということになれば、そうはいかなくなるでしょう。
とすれば、統覚される映像の形や振舞い方等を通してしか、両者を区別し得るものはないように思えるのですが、
菜園や自由領域においては、「真正の記憶と構成された心的映像」とをどのように見分けているのでしょうか?
ARCブレークの処理に関してですが、「不愉快さ」を治めるための方法として幅度がとったやり方は、思うに現時点での意識に統合組織化されていない未分化なエネルギー(チャージ)をまずARCUに分類し、
それをさらに細分化したカテゴリーにあてはめることによって、情報の統合組織化を行っている、と見なすことができるでしょうか?
言わんとするところはこうです。
まず未分類の情報を組織化するための準拠枠を予め学習させ、次に現時点で意識上に浮遊している未分化なエネルギー(ここでは不快さ)を
その準拠枠(ARCや下位の6つの項目)に当てはめて治めていくプロセス。
もしそうであるなら、有効性や即効性は別にしても、他の準拠枠をまず教え込んでおいて、
その後に、その枠組みの概念区分に「この不快さは、これが原因だ」と本人が思ってる経験を意識的に分類させることで処理が可能になる、ということになります。
これを今思いついたことを例にあげて説明すれば、下記のようになります。
まずPCに『調査されたデータ』として、『人が不愉快になる真実の原因』は下記の理由によるものであると学ばせる。
不愉快さの<隠れた要因>として次のものが2009年に発見された、と書いてあるテキストを学ばせる。
あなたが望んだ。逆に相手を不愉快にしたかった。操作されたかった。操作したかった。さらに隠された理由。
そして次に「不愉快さ」が生じたときに次の標準的質問をしチェックする。
@本当はあなたは不愉快に成りたかった?
A本当はあなたは相手を不愉快にしたかった?
Bその人に操作されたかった?
Cその人を操作したかった?
D不愉快なのはあなたが思っているような理由ではない?
ま、こんな感じで需要力のあるマインドはすぐさま新しい準拠枠を受け入れるので、
それにしたがい制御可能になる。
*上記の<なんちゃってブレーク処理>はさっき作ったものですが、『学べば』効果をある程度もたらすと思います。
<なんちゃってブレーク処理>は、『居間に散らかった洗濯物はどんなタンスにでも収納できる原理』にもとずく。
それでも、あんまり無茶な項目では過去に受け入れた準拠枠との整合性がなく、うまくいかないだろうが。
しかし、こころの機能を観察すれば、真実は必要ないと言えそうだ。むしろ当人が信じてることが有効な戦術である。
だからこそ、まず何を信じさせるかを徹底して学ばせるのだろう。
>>656 前世の探究を行わなくても、同等の速度で悟りに向かって進み続ける方法はあると思う。
いいかえると、前世の探究は、ケースレベルを上げる方法の1つに過ぎない。
菜園公理で前世の探究は出てこない。また、大姉公理でも、時間軸上で過去にある似たような
出来事がある場合には、出来事の処理が困難になる、との旨が記述されているだけだ。
現生涯における過去の出来事は、ケースレベルが上がれば、重要ではないと思う。
>>657 構成された心象映像にはあまり大きなチャージが含まれないことが多い。また、メーター上では
インスタントリードを発生させない。
ヘラトロバス文明などについては、出身文化圏を問わず、数多くのPCにそれについての記憶が
あったため、存在していたと考えられている。
>>658 ARCUの部分では分類しているのではない。ARCは不可分であるため、チャージはARCの
それぞれにおけるブレーク、合計で3つの要素で構成されている。PCの反応心がそれら3つをまとめて
捉えている場合には、Uの質問に反応が出ることもあるが、チャージを構成する要素は3つだ。
一方、CDEINRの部分では、チャージが分類されている。ゆえに、
>>658のいうように、「情報の
統合組織化」で説明することもできるだろう。実際、このスケールは最初はCDEIであった。NRは
後に追加された。
>>ARCは不可分である。。。
このあたりのところが理解できていないのですが、ARCが不可分であるという理由をもう少し詳しく説明していただけますか?
それは全体の3つのアスペクトであい、それぞれが互いに切り離すことができず、ある部分を向上させると他の部分も向上していくから『不可分』ということなのですか?
>>662 定理と違い、公理は体系に先立つ前提なので、それを完全に説明することはできない。
ARCを可分であるとする考えがあれば、それは菜園とは別の体系に含まれることになる。
もちろん、実践者の立場から見れば、異なる体系に由来する複数のプロセスを実践において
併用したり、ある体系に由来するプロセスを別の体系から理由付けすることができることもある。
なんちゃってブレーク処理をARCブレーク処理と併用しても何ら差し障りはないだろう。
また、菜園ではARCを不可分だと考えているが、それらを可分だと考えても、ARCブレーク処理の
有効性の程度に変わりはない。
この3年間、「Freezoneについて」スレで提案されたプロセスは少なくないが、それらの大部分を
俺は菜園自由領域の既存のプロセスと併用可能だと考えている。
>>656 仏教なんてモロそうじゃん。
禅とか。
いちいち過去のチャージ処理なんてせずに、一気に最終レベルまで持っていく方法論を取っている。
というか、菜園以外の伝統的手法は全て前世探究なんてやらないんじゃない?
そもそも、悟りの視点からすれば、過去の出来事なんて幻想にすぎないわけだから。
ARCブレーク処理などの諸方法によって、そのときに体験している『不愉快さ』を制御することはできますが、
それでもまたそれは手を変え品を変え現れてきます。
確かにケースレベルが上昇するにつれ、不愉快さの強度や頻度、そして持続時間は減ってはきますが、
準OTであってもARCブレーク処理をルードメントで行っている以上、菜園技術においても解除し難い人類共通の元型的反応パターンの一つなのでしょう。
これは「生存せよ」との至上命令を推し進めていくために効果的であったと思われる、敵/味方の識別方法なのでしょうか。。。
菜園ではどう考えているのですか?
生存は、地上においては身体に関わるものである以上、これは魂の採用した方法ではないと考えます。
つまり不愉快さは身体の生存にのみ本来関わるもであり、魂は単に身体の戦略に引きずられているだけではないのか、
菜園理論を知らない僕にはそう思えたわけです。
ならば、魂と身体的生存戦略を切り離すプロセスを行えば、ARCブレークと呼ばれる現象を人生から根絶やしに出来る可能性が出てきます。
もしやそれを狙った方法が、仏陀が実践した瞑想ではないだろうか、と想像を逞しくしています。
解脱を計る尺度の一つは明らかに、ARCブレークが生じない、ということのように思えるからです。
で、この推測が妥当であるなら、慈悲の瞑想及び洞察瞑想は、意識内での二元性を維持したままの実践方法であることから、
おそらく根本的瞑想に入る前の前行のようなものであっただろうと思えます。
何故なら、敵/味方を識別する、という身体生存戦略は、自分と他者などの二元性意識を前提にして成り立つものであるからです。
同様に、菜園プロセスは、大姉を除くば大方意識の思考モードをフル稼働させ、より高次の認識をもたらし効果を上げている方法のように思えるところから、
このやり方では、ARCブレークを根本的には消去し得ないだろうと、思いました。
>>665 ARCの度合いは宇宙の生成と消滅にも関係しているため、ARCのあるインスタンスの破綻、つまり、
ARCブレークは今後ともルードメント処理対象の1つであり続けるだろう。
ARCブレークがあまりにも頻発する場合には、推奨されるのは前世探求よりもNOTsや裏NOTsだ。
原始仏教の慈悲の瞑想は裏NOTsのメタプロセスであるため、ARCブレークの発生頻度を下げる
効果がある。
>>665 >同様に、菜園プロセスは、大姉を除くば大方意識の思考モードをフル稼働させ、より高次の認識をもたらし効果を上げている方法のように思えるところから、
>このやり方では、ARCブレークを根本的には消去し得ないだろうと、思いました。
結局は、自己を脱落させる方法論じゃないと、ARCブレークの根本消去は不可能なのかもね。
それこそ只管打坐とか。
あるいは、神との合一体験をして、自己が消え去った場合。
とにかく、自己の消滅がキーになっていると思う。
自分がないのにARCブレークなんて起こりえるはずがない。
クリアーだろうとOT(準OT?)だろうと、自己感覚が存在する以上は、
ARCブレークは完全にはなくならないと思う。
そういった意味では、日本仏教といえども、禅とか念仏はかなり直接的でレベルが高いことをやってると思う。
ARCブレーク根本消去(自己、そして他者の滅却)という観点だけで見るなら、菜園プロセスより遥かに高度かと。
>>ARCの度合いは宇宙の生成と消滅にも関係しているため、ARCのあるインスタンスの破綻。。。
このあたりを詳しく解説してくださいませんか?
A: 単一宇宙内の空間内に限定せず、魂たちの間の距離の総和の逆数。
R: 魂たちの間の合意。
C: 魂たちの間の伝達。
完全なARCは魂と魂の間の距離の総和をゼロにし、合意をアズイズして消去させ、完全無欠の
意志伝達を実現する。つまり、全てのゲームを終了させ、魂を虚無に還す。
ARCブレークがなければ宇宙は存在しないし、ゲームも存在しない。
ARCブレークがなければ、個人と別の個人の区別もない。
>ARCブレークがなければ宇宙は存在しないし、ゲームも存在しない。
>ARCブレークがなければ、個人と別の個人の区別もない。
おお、禅の世界観のまんまじゃないですか!
つまり、禅はゲームの終了を目指すものだったのか!
世界の神を信仰する類の宗教の最終境地もこんな感じだね。
エックハルトとかスーフィズムも・・・。
浄土門も、最終的には「南無阿弥陀仏」の名号の前で、自己と他者、そして宇宙が消え去る境地が
例として挙げられているし、結局はこれら皆、ゲームの終了の状態だったのか・・・。
>>670 ついでにいうと、仏教もまたARCブレークに起因するゲームの1つという点では、菜園と同じだ。
釈迦と俺を区別することができるならば、釈迦と俺の間にはARCブレークが存在する。俺が完全な
悟りの境地に達していないのであれば、釈迦もまた然り。
仮に釈迦が完全な悟りに達したならば、その悟りは時間を超越し、俺たちの視点からは、釈迦が
最初から存在しなかったことになる。
完全な悟りに達した人物を俺たちは個人として知ることができないため、完全な悟りに達する道の
最後の数歩を誰かから教えてもらうことはできない。俺たちがその道の終わり近くに来たときに、
最後の数歩を照らすのは俺たち自身になるはずだ。
釈迦も「自灯明」と教えた。
あらゆる宇宙の創造と消滅の間にある(とされる)一切の個別性はARCブレークである、との見解をお聞きし、
いま思うことは、仏陀の悟り、および仏教が志向する解脱ゲームのゴールは地球輪廻系を超脱することをもって終わる、
と領域を限定して考えた方がいいように思えます。
すべての見せ掛けが終わり、自己も宇宙もありとしあらゆるものが消えさったあとの静寂の境地の記述は、
あの「虚無」へと到る無限階の音階の無限オクターブ下の倍音共鳴として、ある修行者に一時体感された状態の記述なのでしょう。
神人と称される合気道の開祖、植芝盛平が生前無敵だったのも、
神人合一してARCブレークが(殆ど)存在しなくなったことと関係あるような気もしますね・・・。
「合気とは愛である」と言ってますし。
自己が消え去り、自己と他者の区別がなくなったのに、この宇宙に存在している人はどうなるんでしょうか。
大悟した人は皆、自己も他己も脱落しているにも関わらず、歴史に名前が残っていますが・・・。
バーナーデット・ロバーツなども、自己喪失の体験で有名ですが、
虚無に還ってなどいませんよね?
つまり、個人と別の個人との区別がなくなったくらいでは、虚無には還れないということ?
オールドタイマーさんのおっしゃる「完全な悟り」は菜園公理から導き出されたものだから、
地上の人間レベルでは、ゲームの規模が違いすぎて現実味はないのではないかな?
現時点では、ちょうど地方の農協のおやじが、合衆国大統領や陰の政府等と同じ領域で対等なゲームをすることを夢想するようなものだ。
実際、虚無への帰還は、既存の菜園プロセスでは到達できない領域のものだろう。
だからまず、「人間レベルで可能な」自己と他者との「擬似境界線」を一時的にであれ消す体験をしよう。
しかし、菜園では確かセイタンとは「個」ではなかったかな?
ならば区別がなくなることは、この相対世界においてはない、ということになる。
存在するすべては「チャージ」であり、その固有性は「ARCブレーク」にもとづく、
という点まで概念の抽象度をあげて思考すると、「ARC」とはそもそも何だと言い得るのですか?
すべての「ARC」が一点に集束したとき、全存在はアズイズされ虚無へと消滅するのでしょう?
しかしセイタンはアズイズされ得る存在なのですか?
>>675 歴史に名前が残っている人は、まだ虚無に還ってはいない。
>>676 時間は見せかけだ。
個人は虚無に還ることで個人であることをやめる。それは時間を超越するので、その個人は最初から
いなかったことになる。その個人が開発したプロセスもまた、ゲームにいまだ参加している別の
個人にとっては失われる。
(この点を指摘すると、気分をひどく害する人がいる。ある程度ケースレベルが高い人がそういう
傾向を示しやすい。わかっちゃうからだろう。)
>>677 セイタン間でARCが最高レベルに達すると、セイタン間の区別がなくなる。アズイズされるのは
セイタンではなく、区別だ。
むしろ私は虚無の話を聞くのは心地いいですけどねえ・・・。
これもわかっちゃうからでしょうか?
いずれ自分も虚無に至ってしまう運命にあることに。
>>時間は見せかけだ。
とすれば、この世界もこの世界の中で営まれている人生そのものも、見せかけということになるのですよね?
では未来はどうなってるのでしょう?
可能性としての諸未来はすでの決定済みということになりますか?
つまり「見せ掛けとしての時間」が終わる時点までの存在世界の一切はすでに、変幻自在の驚異的なヴァーチャル本に書かれている。
そういうことになりませんか?
>>680 ニュートン的世界観では、絶対時間が流れることで、事象は駆動され、変化を見せる。
菜園に深い影響を与えたアインシュタイン的世界観では、事象の変化を観察する者が、時間という
考えを抱く。つまり、時間は絶対的ではなく相対的だ。
--
未来のあらゆる可能性はすでに用意されている。しかし、俺たちはそのどれかを開く。また、時間は
絶対ではないため、しばしば巻き戻される。そして、未来は再選択される。
>>個人は虚無に還ることで個人であることをやめる。それは時間を超越するので、その個人は最初から
いなかったことになる。その個人が開発したプロセスもまた、ゲームにいまだ参加している別の
個人にとっては失われる。
これは「虚無へ還る可能性を含んだプロセス」を開発した個人が、虚無へ還る手前で踏みとどまっていれば、
他の個人にとっても、そのプロセスは知られ得るし、残されるということですね。
真に菩薩のような存在も、どこかにはいることでしょう。。。
虚無に還るということは、私達は虚無から来たということですか?
我々の本当の故郷は、○○星などではなく、虚無だったということですか?
>>683 俺たちの視点からは、俺たちが虚無から来たように見える。
しかし、アクチュアルには、時間はまやかしだ。
「永遠-それがあなたの未来です。」(1985年5月9日論ジャーナル)と語る幅度にとって、僕らは宇宙と共に、
ほぼ永遠にまやかしの時を生き抜かねばならない、と見なしていた。
数十兆年にわたる時間的生の中で、ケースレベルは低下し能力は徹底的に封印された。
そしてこの傾向性は今後も続くだろう、と幅度は考えていた。
それでも僕らはこの宇宙で、ゲームをやり続ける(または強制される)。
虚無へと逃れるすべはほとんどない。だからこそ、このつかの間の今、プロセスが必要なのだ。
魂等の中には、この宇宙自体を消滅させようとする勢力があり、一方でそれは念頭に置かず、
「降りることの不可避な永遠のゲーム」を行う能力を向上させようとする者等がいる。
幅度にとってはおそらく、宇宙が消え去るその日まで、魂の虚無への帰還はありそうもない話だったと、僕は思う。
幅度のいう「完全な自由」とは如何なるものだったのか、今更ながら気になる。
彼であれば、個人的に虚無へと帰還することが可能であることを悟ったとき、
その一歩手前で自分の一部を切り離し、それをまやかしの時間が支配するこの宇宙に残しながら、
自らの形跡を留めつつ虚無へ溶け込む道を探すことだろう。そしてアクチュアリティーとリアリティーに双方向の橋を架けることを意図するかも知れない。
『神の使者』(原題:宇宙の消滅)は、ゲームを終わらせることを志向する、
ACIM(A Course In Miracles 奇跡のコース)の解説本。
「この世界は神がお創りになられたのではないから、本物ではない。本当に在るのは、神がお創りになられたものだけである。」とA Course In Miraclesは断ずる。
このような宣言において、実在と現象世界との区別をマインドに導入し峻別させ、その後その区別を当人の「体験に対する抵抗感」をもとに識別させようとする。
現象世界に対する如何なる「抵抗感」も、現象世界を真実のものであるとの「錯覚」を助長するものと見なす。
「この世界は錯覚である」というのがCourse根本前提だからだ。
そうしてCourseを学ぶ者が、定義し直された「錯覚:夢」に陥ってる自分を認識したとき、「赦し」という戦略をワークとして採用させることを促す。
現象世界をリアルにしてしまった自分を赦し、他者という幻想を捏造し、配役まで与えてしまった自分を私は赦すと。(そしてもちろん、幻想の中の相手をも赦す、と。)
@「実在と現象界の区別」を建て、A「新たに定義しなおされた錯覚」というエゴによる策略を「抵抗感」をもとに見抜かせ、
B嘘を真実と見なしてしまった自分を「赦す」という3ステップがMiraclesの主な手法である。(実はもう一つMiraclesには戦略があるのだが今回は割愛する)
この3ステップは、現象界における否定的な出来事を「これは実在ではない」と一見否定するのだが、
体験的には、ものごとをありのままに認める(抵抗しない)心理状態を生み出しているようだ。
現象界は「錯覚」である、というフィルターを通し、常識的認識を一旦逆転させることで「受容レベル」を引き上げているのである。
こうしてCourseはゲームをアズイズさせる。
>>685 >幅度のいう「完全な自由」とは如何なるものだったのか、今更ながら気になる。
>彼であれば、個人的に虚無へと帰還することが可能であることを悟ったとき、
>その一歩手前で自分の一部を切り離し、それをまやかしの時間が支配するこの宇宙に残しながら、
>自らの形跡を留めつつ虚無へ溶け込む道を探すことだろう。そしてアクチュアリティーとリアリティーに双方向の橋を架けることを意図するかも知れない。
幅度は虚無への一歩手前まで行ったどころか、釈迦や過去の高僧などのように悟ることはできなかったんだと思う。
それは彼が前世やら宇宙史やらに執着してたってことで明らか。
もちろん人それぞれに役割はあるだろうし、幅度の残したものは、それはそれで偉大だということは認めるけどね。
幅度の考えはその時代によって変遷してきたし、幾筋かの方向が認められる。
しかし、おしなべてその中心はと言えば、「勝つこと」ではなかったか。
彼は物質宇宙とその時間の軌跡の中で僕らに起こった(とされる)様々な暴虐を目にした。
そしてそれは将来もまた起き得る、と看做した。
生存を賭けた支配ゲームから降りることはできない。ならば本来の有能さを回復し負け犬にならぬよう勝ち抜くより道はない。
幅度はそう信じていただろう。勝つための方程式。勝つためのプロセシング。勝つためのデータ。。。
その信念は地球のみならず、銀河までその射程に収められている。
それに、つかの間の平和は彼にとっては退屈なものでもあっただろう。
地球は彼のゲーム場としてなくてはならなかった。勝って繁栄を享受する。有能なものが成功するまっとうな社会の構築。
それが秩序だ。だからこそこの地球が破壊されることを善しとしなかった。
それが彼の地球をクリアーにする意義であったと僕は看做す。
結論として、幅度は悟りなどを求めてはいなかった。
彼が前世や宇宙史にこだわりを見せるのは、だから当然のことだったと僕は思う。
喩え遠い未来に、彼が虚無への道を見出したとしても幅度は戦いから降りないだろう。
彼はタフガイだ。
>>688 釈迦自身は前世を重要視していた。十二縁起の最初は「無明」であり、これは前世の始まりが
見えない煩悩のことだ。
また、俺も最近気がついたが、十二縁起と宇宙史には附合する部分があり、その部分では順序も
宇宙史と同じになっている。
・無明: 前世の始まりが見えない煩悩
・行: 志向 → ポスチュレート
・識: 識別 → ARCブレーク
・名色: 肉体と精神 → 対立宇宙
・六処: 感覚器官 → 魔法宇宙、ここから
・触: 感覚対象との接触
・受: 感受
・愛: 渇愛 → 物質宇宙、ここから
・取: 追い求めること → GPM
・有: 存在すること
・生: 生まれること
・老死: 老いと死
釈迦の修道の過程には、十二縁起の順観と逆観が含まれている。
ただし、仏教において一般向けのテクノロジーは各派の慣習の蓄積により作られていった。例えば、
十二縁起の「識」に対して効果を発揮する『慈悲の瞑想』は、釈迦が作ったものではないだろう。
菜園自由領域の方法論では、「行」から「老死」を「無明」の子要素として扱っている。
>>689 「勝つ」ことと「抜ける」ことの間で幅度は揺れ動いていたように俺には感じられる。
大姉公理は生命と物質宇宙の関係を中心に書かれていて、物質宇宙の混沌に秩序を
もたらすことで征服してやる!という前向きすぎる態度が感じられる一方、菜園公理では、全てを
完全に理解するとゲームが終わっちゃうんですけど……、みたいなことをいっている。
生徒の帽子コースの教材では女性を口説く方法の話が出てくるが、晩年の技術書では、セックスを
卒業しなきゃいけないよ、いつの日か、みたいなことが書かれていたりする。
論ジャーナルで自由をつかめるのはほんの一瞬だ、という口ぶりで菜園人を急かす様子が
あったのに、技術書『OT格言』では、じわじわとことを推し進めることを推奨している。
菜園教義の厄介なところは、細部まで含めて考えようとすると、夥しく矛盾点があることだ。それらの
矛盾点は幅度の迷いの軌跡みたいに見える。
>釈迦自身は前世を重要視していた。十二縁起の最初は「無明」であり、これは前世の始まりが
>見えない煩悩のことだ。
そうかね?あくまで釈迦は欲を離れることの重要性を説いたわけで、
前世そのものを重視していたとは思えないんだが・・・。
宇宙の始まりも知っていたのに、あえて語ろうとはしなかった。
俺は悟るためには、前世や宇宙の始まりを知りたいという欲求も捨てなければいけないんじゃないかって
思うんだよね。
まあ
>>689の言うように、幅度は初めから悟りなど求めていなかったというならそれまでなんだけどね。
>>692 日本の禅宗などとは異なり、釈迦は求道についてメタな考えを提示していない。悟りを
求めることそのものを煩悩だとは見なしていなかった。順観と逆観は煩悩に分類されない。
釈迦が前世を重視していなかったと仮定すると、釈迦の修道に十二縁起の順観と逆観が
含まれていたことと矛盾してしまう。
菜園には前世を探究して前世のチャージを処理するテクノロジーと、前世を探究しないで前世の
チャージを処理するテクノロジーがある。いいかえると、出来事から入るやり方と、ゴールから
入るやり方がある。順観である前者は効率が良いが難しく、逆観である後者は効率が悪いが
易しい。
釈迦が前世を探究する具体的なテクノロジーを構築しなかったという事実だけでは、前世を
重要視していなかったと断定するには足りない。
釈迦は「欲を離れることの重要性を説いた」のだから、ゴールから入るテクノロジーの原形を
構築している。ゴールから入るテクノロジーでは、チャージが処理された後で、前世の記憶が
副産物的に得られる。
釈迦は求道に出家を前提としていたため、仏教には効率の良い順観方法論が残ったのだろう。
菜園は出家を前提としないため、順観だけではやっていけない。そのため、大姉のように、出来事の
鎖を時間軌跡上で遡って処理する逆観の手法を発達させた。
>>693への訂正
「順観である前者は効率が良いが難しく、逆観である後者は効率が悪いが易しい」
→「逆観である前者は効率が良いが難しく、順観である後者は効率が悪いが易しい」
>>694もまた間違っていたので、
>>693全体を書き直した
>>692 日本の禅宗などとは異なり、釈迦は求道についてメタな考えを提示していない。悟りを
求めることそのものを煩悩だとは見なしていなかった。順観と逆観は煩悩に分類されない。
釈迦が前世を重視していなかったと仮定すると、釈迦の修道に十二縁起の順観と逆観が
含まれていたことと矛盾してしまう。
菜園には前世を探究して前世のチャージを処理するテクノロジーと、前世を探究しないで前世の
チャージを処理するテクノロジーがある。いいかえると、出来事から入るやり方と、ゴールから
入るやり方がある。逆観である前者は効率が悪いが易しく、順観である後者は効率が良いが
難しい。
釈迦が前世を探究する具体的なテクノロジーを構築しなかったという事実だけでは、前世を
重要視していなかったと断定するには足りない。
釈迦は「欲を離れることの重要性を説いた」のだから、ゴールから入るテクノロジーの原形を
構築している。ゴールから入るテクノロジーでは、チャージが処理された後で、前世の記憶が
副産物的に得られる。
釈迦は求道に出家を前提としていたため、仏教には効率の良い順観方法論が残ったのだろう。
菜園は出家を前提としないため、順観だけではやっていけない。そのため、大姉のように、出来事の
鎖を時間軌跡上で遡って処理する逆観の手法を発達させた。
オールドタイマーさん、「GPM」を実践したいのですが、過去レスを読んだだけでは具体的にどうやってよいやら分からないでいます。
お時間があるとき、いずれ機会を持って、実践的なやり方を書き込んでいただけないでしょうか?
ちなみにメーターは持っていません。どうかよろしくお願いします。
>>696 うーん・・・・。
逆に前世を重要視しているような記述も見当たらないんよね。
原始仏典を通して読んでみても、「欲を離れ・・・」みたいなことをただひたすら強調しているだけというか。
俺は悟りを目指すことそのものは煩悩ではないと思うんだけど、前世探究はある意味煩悩って気がしてしまう(前世を知りたいという欲、好奇心)。
それにやはり釈迦は悟りを目指す過程で前世が見通せるようになるとは言っていたが、前世探究そのものを奨励する考えを持っていたとは考えにくくないだろうか。
また、釈迦は宇宙の起源を聞かれても答えず、ただ欲から離れ、戒律を守ることだけを説いたっていうような記述も確かあった。
そして何より、もし悟りに前世が重要であるなら、あらゆる覚者が前世の重要性について語っていると思うんだけど、そういった人を見たことがない。
俺はそれは、前世探究では悟りには至れないからだと思うんだが、どうだろうか・・・?
ただ、俺は前世探究自体を否定しているわけじゃないよ。
前世や宇宙史を語るチャネリング本も好きだし、興味がないわけじゃない。
ただ、悟りという観点から見ると、ほとんどの覚者が重視してないし、
中には自己がなくなったとか、「永遠の今」しかないなどと語るものもいる。
たいていの悟った人が重視していないのに、その最高峰とも言える釈迦が重視していたってのに疑問を感じてね。
「欲を離れ・・・」ってどうしたらできるのだろう。。。
戒律を守る以外に、釈迦やその弟子たちはどういうやり方で「欲」を消したのだと思う?
何か効果的なメソッドがあったのかな。どう思う?
慈悲の瞑想やヴィパッサナーで「欲」を根源的に消去できる人は少ないと思うんだよ。
朝から晩まで300年くらいやれば目鼻も立つだろうけど、実際現代においては効率的ではないように思うんだ。
向き不向きや好みやケースレベルにもよるのは分かってる。でもやっぱりこれじゃあ無理だ。
タイだったかビルマだったか忘れたけど、ヴィパッサナーと慈悲の瞑想やってる出家した修行僧等(南伝仏教のお坊さんたち)がね、
ava受けてたんだよ。何人も何人もね。トホホ。。。だろ。こういうのを見ると、原始仏教のメソッドとして現在知られているものの効力の無さを、
正直に考えなくてはならなくなる。
理論も見解も大事だけど、やっぱ効果のある実践的手法がなくちゃ、どうにもならんでしょ。
ねえ、みんなどう思う?
くだらない観念論、文字通りの神学論争が続いているね。
>>698 欲を離れるのに、メソッドなんてないよ。
文字通り、意識的に欲から離れるしかない。
欲の原因を見つけて・・・なんてやるから、行き詰まるし、それこそ「何億年前の前世に原因が・・・」
なんてやらなくちゃいけなくなる。
そうなってくると、本当に前世を思い出せなくちゃ救われない、前世を思い出すまでは苦悩から解放されないってなっちゃうよ。
菜園教会スタッフの典型的な考え方だね。
欲を捨てるには、やはり意図的に誘惑から離れる、あらゆるものを捨て去る、というふうにしていかなくちゃならないんじゃない?
まあだから昔の人はてっとり早く出家したんだろうけどね。
行動あるのみというか。
ただ、坊さんがavaで悟りを開いた云々って話、よく聞かされたものだけど、
その坊さん、あまりに未熟で仏教なんて何もわかってなかったんだと思うよ。
たかが神秘体験で、悟りを開いたって・・・・。
「こんな簡単に悟れるなんて、なんてアバターは素晴らしいんだ!」なんて感動してたってマスター言ってたっけ。
それに、avaなんて、欲から離れるどころか、むしろ助長してないか?
「信じていることを経験します」なんて言って・・・。
avaで悟りなんて、あまりに伝統宗教をバカにしてるって感じたよ。
マスターにも悟ったような人なんて誰もいなかった。
なんつーかavaの自慢ばかりというか・・・。
>>696 GPM処理は数ある菜園プロセスの中でも最高難度に近いものであり、同時に、十分に
成熟していないという問題を抱えている。例えば、GPM処理修正リストなんてものもない。
L&Nの経験がGPM処理のために必要になる技能レベルの最低水準だが、もちろん、それだけでは
前途多難になる。
L&Nの代替となる技術を開発できれば、菜園はその歴史上空前の躍進を果たすに違いないが、
今のところうまくいっていない。
>>697 前世を重要視することと、前世の探究を重要視することは同じではない。
時間は見せかけなので、全てのチャージは今そこにある。欲 ― 菜園的にいえば、ゴール ― を
離れることもまた、前世のチャージを効果的に処理することになる。
あるいは、ただ漫然と生きているだけでも、人は前世のチャージをこねくり回したり、時々処理したり
している。
>>698 ビルマのことは知らないが、タイの僧侶で若い人々は、たいてい、なんちゃって出家中だ。一時的な
出家でも家族にとっては名誉なことなので、結婚前などに、還俗を予定して一時的に出家する
人が少なくない。妻帯者である国王が仏教の頂点にいるというのも、国を捨てた釈迦の生き
方とは相容れない。タイの仏教寺院内の宗教環境は決して最良ではないのだ。
タイの仏教の現実を見ただけでは、仏教に幻滅するのはまだ早すぎる。
人柱版低レベルGPM処理#1
ゴールを特定する。「〜になる」「〜する」とか、いろいろな形があるだろう。とりあえず、
俺個人の実例をさらしておく。
例
ゴール: 音楽家になる
「誰または何が音楽家になりたいのか?」という問いに応える。L&Nは行わず、見つかったタームと
オプタームを1組ずつ処理する、つまり、フラットポイントまで、タームを声に出して読み上げる、次に
オプタームも同じように処理する。最初に見つかったペアを始端ペアと呼ぶことにする。
例
始端ペア: 学生vs教師
タームとオプタームのペアの処理を続け、チャージが大量に処理されるペアが見つかったら、そのペアの
処理が終わったところでそのゴールの単体としての処理は終わる。
例
終端ペア: ひきこもりvs親
このペアを終端ペアと呼ぶことにする。終端ペアは始端ペアより劣化している。
人柱版低レベルGPM処理#2
終端ペアのターミナルとオプタームが自分に関係の薄いものである場合、さらに上位のゴールを探す。
上位ゴールは下位ゴールよりも高雅であったり、壮大であったり、あるいは一般的であったりする。
上位ゴールも同じように処理する
例
ゴール: 美を理解する
始端ペア: 宮廷音楽家vs宮廷商人
↓
数々のペアの処理
↓
終端ペア: 相場師vs会社従業員
終端ペアが自分に深く関係している物であった場合、それが一連のゴール処理の最終現象で
あることが多い。
最終現象の終端ペアと始端ペアの間には次のような関係がある。
・終端ペアの両者は始端ペアのオプタームのゴールを追及している。宮廷商人のゴールは
「金を稼ぐ」であり、相場師と従業員はどちらも金を稼ぐ。
・終端ペアのオプタームは、始端ペアのターミナルがはなはだしく劣化したものである。
・終端ペアのターミナルは、始端ペアのオプタームがはなはだしく劣化したものである。
・終端ペアのオプタームはターミナルを直接的なゴール追及者とは見なしていない。
人柱版低レベルGPM処理#3
ゴールの連なりによっては、最終現象に達しないこともある。その際には、その連なりの処理で最後に
見つかったゴールにプレプチェックを行って終わりにする。
「<ゴール>について、あなたまたは他の誰かが<プレプチェックボタン>のか?」
プレプチェックボタン: 抑圧した、妥当性を否定した、気をつけていた、存在を否定した、明らかに
しなかった、抗議した、価値を判定した、提案した、間違えた
チャージのあるプレプチェックボタンのそれぞれを繰り返し形式のプロセスとして ― TR4みたいに ―
実行する。笑えるなどのチャージが抜けた様子が見られたら、それでそのプレプチェックボタンの処理を
終える。メーターを使っている場合には、FNが見られるはずだ。
菜園って本当に幅度一人で考え出したものなのだろうか・・・?
これら全てを一人で開発したなんてとても思えないな。
>>705 もちろん、幅度が独りで考え出したものではない。数多くの先達の成果を踏襲している。
幅度の1960年代前半までの業績は、先達の成果を整理整頓し、ある程度まとまった
テクノロジーに組みあげる仕事を主導したことだ。
1960年代後半に、幅度はそれまでの業績から逸脱し始めた。直観的かつ歴史的に妥当性が
認められてきた考えを外れ、幅度個人を含む人口の一部の人々にとってのケース要素に過ぎない
銀河連邦時代のジヌー挿話を、一般的なものだと勘違いしてしまった。
幅度の奇妙なこの行動から推測するに、幅度は自らが主導する整理整頓の対象である先達の
成果を十分に理解していなかったのだろう。
GPM処理についての余談だが、最終現象を超えて、さらに上位ゴールを探し出し、
処理しようとした。
「美を理解する」の上位ゴールは、俺の場合、「虚無に還る」となった。(ロジックを説明すれば、
「美を理解する」より一般的なのは「全てを理解する」であり、その達成は完全なARCの
回復であり、全てのゲームを終わらせる、となるのだが、もちろん、このようなロジックはプロセスの
実行中に思い当ったものではない。)
「虚無に還る」そのものは達成不可能なゴールだ。他のゴールの全てが消えた時に、俺たちは、
― リアリティー層の言葉で語ると ― 虚無に還るのであって、それそのものをゴールとして
達成することはできない。
面白いことに、このゴールも他のゴールとまったく同じように扱えるが、ゴールそのものがゴールとして
達成不可能であるためか、終端ペアは最終現象の典型的な特徴を、あからさまには、備えて
いない。が、終端ペアの両者が本来の領分から逸脱すると、始端ペアのオプタームのゴールを
追及してしまいがちがちだ。
ゴール: 虚無に還る
始端ペア: 求道者vs支配者
│
中略
↓
終端ペア: 菜園人vs精神科医
菜園人と精神科医は、本分を踏み外すと、支配者的になる。菜園人は支配者がはなはだしく
劣化したものなのか、精神科医は求道者がはなはだしく劣化したものか、議論の余地はあるだろう。
精神科医は菜園人を虚無に還ろうとする求道者だとは見なしていない。
これはあくまで余談だ。俺はコグを論拠とするつもりはない。
『GPM人柱版』の配信、感謝いたします。それにしても「人柱版」ってねぇ〜、笑わせてくれました。
で707の投稿の仮説、これには驚きました。「個人的なコグを論拠にするつもりはない」とのことですが、
『菜園人は支配者がはなはだしく劣化したものなのか、精神科医は求道者がはなはだしく劣化したものか、議論の余地はあるだろう。
精神科医は菜園人を虚無に還ろうとする求道者だとは見なしていない。』との認識には息を呑み、唸りました。
GPMは美しいプロセスですね。
背後の理論的な事柄もおいおい話していただけると嬉しいです。
それから706の『幅度の1960年代前半までの業績は、先達の成果を整理整頓し、ある程度まとまった
テクノロジーに組みあげる仕事を主導したことだ。』との見解の根拠は何なのでしょ?
幅度の残したプロセシングに関しては、大姉を除き、独自なもののように思っていたものですから。
…と言っても僕は菜園プロセスをほとんど知らないも同然なのですが。。。
>>708 菜園公理がそもそも先達の成果のまとめみたいなもので、菜園の科学的な部分や哲学的な
部分に幅度の独自色は極めて希薄である、と俺は感じている。
技術的な部分については、確かに、幅度由来の部分もあるが、幅度以外の菜園人が考案した
プロセスもかなりあり、しかも、NOTsのように重要なものが少なくない。(NOTsの考案者と幅度の
間には訴訟が発生し、幅度側が多額の金を支払って権利を買い取ることで決着がついたらしい。)
--
大姉的な前世探求型プロセスには限界がある。俺たちはあまりにも長い時間を生きてきたため、
前世の記憶はあまりにも膨大だ。例えば、物質宇宙に限定しても、87兆年の間にたまった
有害チャージを処理するのに、一体どれくらいの時間が必要なのか、見当もつかない。最初から
これを理解できた釈迦と、経験的にそれを理解するようになった幅度の間には、やはり、理解力に
大きな差があったと認めざるを得ない。
GPM処理では、特にプロセスの妨げとなる出来事が浮上しない限り、前世を探究しない。
有害チャージそのものを全て処理しようとする代わりに、有害チャージが発生し、固着する際の型を
処理する。そこで重要になるのがゴールであり、この「ゴール」という言葉は仏教でいうところの「欲」と
同じことを意味している。
これはは俺の推測だが、ゴール + ターミナル集 + オプターム集で構成された型を処理しておけば、
その型によってつなぎとめられていた有害チャージの全てを消去しなくても、そのチャージは
再刺激された瞬間に一瞥で消去されるようになるはずだ。また、もしも全ての型を処理したならば、
最終的な悟りを予約したことになる。釈迦が生前に到達したのはおそらくはこの状態だろう。
「欲を捨てよ」という教えに付随して、仏教では欲にまつわる人間の物語を多数用意している。
あらゆる人間はターミナルまたはオプタームなので、GPM処理の基本形は既に仏教で用意されていた
ことになる。
>日本の禅宗などとは異なり、釈迦は求道についてメタな考えを提示していない。悟りを
>求めることそのものを煩悩だとは見なしていなかった。
禅宗も、悟りを求めることそのものを煩悩とはみなしてないっす。
悟りを求めて坐っても悟れないとは言ってるけど。
>>710 禅宗では、悟りに至る過程の中に「観察相義禅」という段階を想定していて、仏法や涅槃を
求めることも欲と見なしている、らしい。このスレでの議論においても、禅宗の支持者から、そういう
考えが禅宗的なものだ、という印象を俺は受けた。
それが俺の誤解ならば、それでいい。禅宗と菜園の方法論が異なるだけということになる。
たぶん座禅はゴールから入るやり方で、効率はいいが難しいってやつではないかな。
座禅そのものが仏法で、悟りというものを目指す手段ではないって教えだったような。
座禅即大悟というか、プロセスってものがなかった。
ある意味ワンショットっぽいというか。
菜園との違いは、菜園は反応心やエンティティのほうを消去しようとするのに対し、
禅は自己を消そうとするってとこかな。
自己が消えれば反応心などあっても何の影響も及ぼさないと。
ゴールから入るためか、ただ坐るだけというのが、素人にとっては簡単なようでとっつきにくいのだが、
やはり大悟した者にしかわからん気づきなのかもしれんな・・・。
容量超過で近いうちにこのスレ落ちるよ
早めに次スレが必要です
『菜園自由領域の宇宙史』について、もう少し詳しく説明していただけますか?
〜〜・拡張された競技宇宙・情動宇宙・記号宇宙・思考宇宙・対立宇宙・魔法宇宙:物質宇宙〜〜 等の名称だけを読むと、
時系列で示された宇宙史と受け止める通常の捉え方以外に、深層意識の階層構造(のメタファー)としても解釈可能に思えました。
有機体が、母体内において系統発生を辿りつつ、前段階の痕跡を残し、個体として成熟していくように、
通時的宇宙の各特徴が現在の意識の共時的特徴として、階層構造をなして今も現に重なり合っているでしょうから。
>>714 このスレが容量限界で近いうちに落ちるようなので、次スレで。
>>691 OT格言というのは、どの本を見れば載ってますか?
>>716 技術全集の最後の巻だったはず。目次か索引で、「maxim」という文字列を探すといい。
早く次スレを作って、続きを拝ませてください!!!
まだこのスレ保つって
スレの進行は前スレよりも早いようですし、今のペースなら1000まで行けるのではないでしょうか?
現在このスレの容量が494KBでスレの限界容量の512KBに近づいており、
スレの容量が512KBを超えると以降は書き込めなくなるというだけのこと。
それまでは今までどおり書き込める。タイムリミットがあるわけではない。
1000まで行くのは容量的に無理。750〜800くらいまでは大丈夫ではないかと思う。
>>722 そういうことならば、もう少しこのスレを使うことにしよう。
>>714 宇宙史の最重要部分は合意戦争だ。合意戦争は空間次元数をめぐる戦争で、俺たちは3次元に
落ち着いた。
2次元の図形に管を通すと、2つに切れてしまう。つまり、穴を1つしか開けられない。もしも俺たちの
宇宙が2次元であったとしたら、口から食物を体に入れ、その同じ口から発汗、排尿、脱糞を
行わねばならなかっただろう。3次元でよかった。
しかし、空間次元数を3次元とし、4次元以上の使用に制限を設けたことで、俺たちは物質を
自由に増やせなくなった。4次元能力を使えれば、4次元の金貨を3次元空間にこすりつけ、3次元の
金貨を無限に作り出せる。4次元能力が規制されたことで、俺たちは経済というゲームの囚われ人に
なり、4次元金貨1枚を手にすることができないので、3次元金貨を際限なく積み上げようとする
衝動に突き動かされることになった。
4次元能力が使えれば、過去にも未来にも自由に行き来できますか?
ベンジャミン・クレーム氏が言う覚者方という存在は、自由に肉体を造って出現できるって話ですが、
それも4次元能力を獲得しているからということでしょうか。
空間次元数をめぐる「合意戦争」では、何を持って戦ったのか。。。。
そして、何故「3次元」が勝ち残ったのだろう。
(それともわれわれは3次元に押し込まれたのか、あるいは避難したのか。)
3次元を超える存在たちは今もまだいるのか、つまりわれわれの3次元宇宙に意図的に介入しているのだろうか?
経済にまつわるゲーム(マネーと生存衝動)と3次元宇宙の間には、想像以上の関連があるに違いない。
いにしえの探究者等が、それらへの渇愛から放れ、その衝動を解除しようとみずからに働きかけたことの意味、
そこに神通力(4次元使用能力の回復)の顕われ出る秘密が公然と開示されてる。
それを後の自然人等は、いわゆる欲を離れるという人格者的、ないしは道徳的解脱思想と安易に結びつけた。
しかし、「知る者」はそういった経典の記述の中に、道徳心を放れたリペア思想とその秘術を読み取った。
その探究の終局点において、人は選択肢を手中にする。
解脱か、神の一歩手前でゲームを行うか。
自灯明。
福音書の中で、イエスが語ったとされる言葉も、再解釈が必要だ。
「シーザーの物はシーザーに返せ。そして神のものは神に返せ。」という一説も、次のように読める。
「金貨も神からの恵みも私にはいらない。」つまり、そのような「欲」から私は自由な存在だ、という
イエスならではの高らかな宣言だ。
彼は物質化も物質変性も意のままに制御した。
彼は語る。
「こころの貧しい人は幸いである。彼らは地を受け継ぐ」
「こころの貧しい」者とは、「欲」を消去し得た超人だ。
超人が「地を受け継ぐ」のは当然である。それは国の支配者より力を持つ存在であるから。
「〜〜が欲しい」という欲求、「〜〜が不足している」という欠乏感、などを徹底的に消去する技術こそ、
3次元に制約された能力を打破する鍵である。
そして「この制約を解除したい」というメタな「意欲」は、完全肯定されるということ。
「互いに愛し合いなさい」というイエスの弟子たちに対する指示も、
アラム語における「愛」という言葉の意味するものと、それを向けられた精神に対する効力から説明されなくてはならない。
アラム語でいう愛は大方、二種類の意味合いがある。「あるがままを認める」という意味と
相手の秘めたる「潜在的な能力や可能性を見抜き認める」と言うものだ。両者ともに、素晴らしい効力にみちている。
今も昔も人はあまりにも愛や解脱(欲を離れる)を甘っちょろく感傷的なもののように考える傾向がある。
実践的であるより、気分的なものになりさがっているように見える。
釈迦やイエスは達人であることを忘れてはならない。
>>724 時間は次元ではないので、4次元能力が使えても過去には戻れない。
4次元能力が使えて、なおかつ、4次元の肉体を所有していれば、3次元空間に3次元の肉体を
新たに作ることができる。
>>725 宇宙の性質を決定するには多数の合意が必要だ。つまり、合意戦争はまさに多数の合意を取り
つける戦争だったに違いない、と個人的には思う。数十次元の能力を駆使した選挙戦のような
ものだったのだろう。
>4次元能力が使えて、なおかつ、4次元の肉体を所有していれば、3次元空間に3次元の肉体を
>新たに作ることができる。
どうやったらその能力や肉体が得られるのですか?
なぜ覚者と呼ばれる人達はそのような能力があり、我々にはないのですか?
>>728 それこそまさに俺の探究課題だ。
答えはまだ見えないが、最近、答えはすぐそばにあるような気がしてならない。
「生存衝動」を埋め込まれ、それに駆り立てられてる自然的状態こそ、
能力封印の最たる理由ではないでしょうか?
それの発動状態を逐次認識し、消去ないし解放する量が特定の臨界点を越えたとき、
ある個人的コグが生じ、現時点ではいまだ潜在的な「別の法則」が、使用可能なものとして眼前に顕われ出る。
重力によって地上に縛り付けられてる物体ですら、ある条件を満たすことで、別の法則の支配下に入り
突如として上空へと舞い上がるように。
>>730 順序が逆ではないか?
4次元能力が封じられたことで、生存衝動が生じたのだと思われる。