親鸞会の法論の歴史に新たな1ページ

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18渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
【後生より】カルト親鸞会【新インフルが一大事】
>>http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1242934736/159
 元のスレッドでは、事実上この議論は終わっている。しかも、議論が外の方に流れているので、
こちらに書き込みます。

 親鸞会の教学聖典は持ってないので正確なことはいえないけど、「(問) 五逆罪を列記せよ。 
(答) 父殺し 母殺し 羅漢殺し 和合僧を破る 仏身より血を出す」となっていれば、真宗学的
には、簡略的な表現では一応、正解だろう。この問題に模範解答などは存在しないというのも事
実だ。
 教学本の場合、通説を書くのが原則だ。異説を書く場合には、通説を先に出し、通説を叩いて
独自の異説を述べる。
 通説で満足なら、通説だけ出せばいい。五逆罪は、殺父・殺母・殺羅漢・破和合僧・出仏身血
であるというのは、簡略的な表現では通説だろう。僕もこの見解を採用している。敢えて異説を立
てるつもりもない。
 例えば、手元のコンパクト型真宗辞典(法蔵館 出版)では、小乗の五逆罪として、殺父・殺母・
殺阿羅漢・破和合僧・出仏身血と書いてある。大乗の五逆罪はこのほかにも寺塔の破壊などが
入っている。普通は、簡単に、小乗の五逆罪をもって代表させることが多いと思う。その場合、
「ことさらに思いて」という言葉は省略するのが普通だろう。

 僕は、簡略的な表現では、異説を立てる必要性を感じない。この考えは、親鸞の考えに反して
いるか。僕は反してないと思う。理由は六要抄が解説してくれている。六要抄は存覚上人に書い
ており、真宗通説の源流であり、教行信証の最初期の注釈書である。ただ、通説に問題がないわ
けではない。六要抄は議論の余地を残していると思う。

 「シ州」というは、これ居所の名、名を智周という。法相の祖師なり。今の釈は『最勝王経の疏』の
文なり。
 教行信証では、五逆罪を「シ州」によって書いている。シ州は地名である。これは智周という人が
書いている。法相の祖師である。ただし、教行信証の引用元は、『最勝王経の疏』という書物に出
てくる。(智周が書いた書物を引用して『最勝王経の疏』が書かれ、親鸞はその『最勝王経の疏』か
ら孫引きしているようだ。)
19渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2009/05/25(月) 11:18:29 ID:hAnJ2ODA
 問う。今の引文は『十因』の第三の章の中に載るが如し。如何ぞ「十因に云わく」といわざるや。
 『最勝王経の疏』では、『十因』の第三の章の中に搭載してある。それではどうして「最勝王経の
疏、十因に云わく」という書き出しにしなかったのか。

 答う。禅林の先徳はシ州の釈を引く。今この『文類』またシ州を引く。彼此の引用はおのおの彼
の師に依る。シ州に依るというは既に本拠あり。直にその名を載するにその科なきや。
 先人はシ州の釈を引用している。教行信証もシ州の釈を引用しているのだ。どれを引用するか
は師による。シ州に依るというのは、最初の源流に基づくということであり、一番の源流の名を記
載しているので、特に問題はないだろう。

 もし小乗の五逆に依らば、人皆おもえらく、輙くこれを犯さずと。
 もしも小乗の五逆によれば、「自分はこのような罪を犯さないよ」と思うだろう。故意に親を殺そう
と思う人は少ないからだ。

 もし大乗五逆の説に依らば、人人一一にこの罪を遁れ難し。
 しかし、大乗五逆の説によれば、一人一人がこの罪を免れることは難しい。過失で親を殺すこと
はあるだろう。

 常に十悪を行ずる、即ちこの摂なるが故に、仍て且は慚愧悔過の心を生しがたきため、且は済
度の大悲・深重の仏恩を念報せしめんが為に、これを引かるるか。
 人は頻繁に十悪を犯す。大乗五逆の説を立てるのは、このような人々を救済しようとしてのため
とも考えられる。人は、慚愧悔過の心をなかなか起こせない。そこで、救済の大悲・深重の仏恩を
起こさせようとして、大乗の五逆罪を引用しているとも考えられる。

 『薩遮尼乾子経』というは、訳者は流支、この経は十巻、或いは八巻あり、また七巻あり。
 大乗の五逆罪については、薩遮尼乾子経から引用している。十巻書、八巻書、七巻書がある。
20渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2009/05/25(月) 11:19:43 ID:hAnJ2ODA
 「彼の経に云わく」とは、『十因』の如きは、次上の文に云わく「もし十輪経に依らば、この四重の
中に於いて、近無間業を説くが故に」已上。
 教行信証で、「彼の経に云わく」とある。これは『薩遮尼乾子経』を指しているように読めるがそう
ではない。引用元の『十因』を読むと分かる。「もし十輪経に依らば、この四重の中に於いて、近無
間業を説くが故に」という文章が書かれている。

 次に今の文あり。然る間、彼とは『十輪経』を指す。而るに今の如きは『薩遮尼乾子経』を混ずべ
し。この故に彼の字、意を得て見つべし。
 教行信証では、「彼の経に云わく」とあってその次に、四つの大罪を並べている。この場合の経
は『十輪経』である。しかし、教行信証の上では、「彼の経」の「彼」に『薩遮尼乾子経』を含むと考え
るべきである。大乗の五逆罪は、『十輪経』の大罪の考えを加えて考えてほしいと言うことである。
言葉の真意を汲んでほしい。

 以上が存覚上人、六要抄の考えであると解する。(続く)。
21神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 13:51:34 ID:K41MQYzW
>18
シ州とは?
22神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 14:19:11 ID:hAnJ2ODA
>>21
 ?州をキーワードにネットで見てください。
 「?」が、ブラウザに現れることを知らなかったのでカタカナで「シ」と書きました。
中国の地理は、ネットで調べるのが一番いいと思います。
23神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 14:32:12 ID:hAnJ2ODA
やはりシ州の「シ」は2チャンネルで使えません。
 「シ」の文字情報は以下の通り
JIS  該当なし
unicode U+6DC4
UTF-8 E6 B7 84
偏はさんずい。 旁は、上が川、下が田。

 シ州は中国の地理は、ネットで調べるのが一番いいと思います。


 
24神も仏も名無しさん:2009/05/25(月) 22:59:19 ID:w5d9wvHT
渡海難のように何度言っても日本語が理解できないアホがいるのでもう一度。

このスレは重複スレにつき、削除依頼が出されてます。
下記へ移動してください。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1242934736/l50

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25神も仏も名無しさん:2009/05/27(水) 15:02:52 ID:OzZHjh9v
ぶろぐ親鸞仏教 更新しました。

 浄土について議論しています。

 親鸞仏教の最も難しいところを議論しています。

 難しい議論でも食いついて行ってみたいと思う方は読んでみてください。

 難しい議論はだめ、という方には勧めません。

   しんらん.jp
26神も仏も名無しさん:2009/05/27(水) 22:48:43 ID:WdmnGM5Q
衰退をたどる寺

伏木 勝興寺御満座法要(浄土の真宗:2008)の様子

http://www.youtube.com/watch?v=65s3dJHrleU&feature=related


27渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2009/05/28(木) 09:54:55 ID:5XpdLct0
五逆について考える。

 宗祖はなぜ教行信証に大乗の五逆の罪を書いたのか。存覚は考える。小乗の五逆で
は、親殺しでも故意以外は問題にならない。故意以外も含めるべきと考え、五逆の説を
書いた。多分そうだろう。存覚はそう考えた。

〔通説〕 存覚がそう考えるなら、自分たちもそれにならおう。
〔疑問論〕この考えに落とし穴はないのか。もしそうであれば、宗祖は、なぜわざわざ、予
め小乗の五逆を書いたのか。はじめから大乗の五逆だけを書けばよかったではないか。
〔通説〕 大乗の五逆は、殺父・殺母・出仏身血・破和合僧・殺阿羅漢の外に、破塔・焚経
などが含まれている。五逆は、殺父・殺母・出仏身血・破和合僧・殺阿羅漢に限定しようと
いう趣旨ではないか。
〔疑問論〕なるほど。もし殺父・殺母・出仏身血・破和合僧・殺阿羅漢に限定する趣旨であ
れば、小乗の五逆を記載する意味も分からないではない。しかし、本当にそうなら、大乗
の五逆罪の四番目だけを掲げれば良かったのではないか。「四つには、父を殺し、母を害
し、仏身より血を出だし、和合僧を破し、阿羅漢を殺すなり」と、これだけを書けば良かった
だろう。
〔通説〕そうではない。五逆罪は一逆罪ではない。四番目だけでは五逆罪の説明にならな
い。
〔疑問論〕それでは、宗祖は何故、倶舎論の五無間を記載しているのか。母及び無学尼を
汚す、住定菩薩を殺す、有学・無学を殺す、僧の和合縁を奪う、卒都波を破壊する、これ
らはどういうことか。
〔通説〕倶舎論は殺父・殺母・出仏身血・破和合僧・殺阿羅漢の解釈である。殺父と言って
も、純粋な父殺しに限定しない。住定菩薩を殺すことも父殺しに相当するという意味である。
〔疑問論〕なるほど。ここまでは、一応、話としては筋が通る。それでは十輪経について聞
く。十輪経の五逆罪を引用しているが、これは大乗の五逆罪の解釈と考えてよろしいな。
〔通説〕その通り。
28渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2009/05/28(木) 09:55:42 ID:5XpdLct0
〔疑問論〕十輪経の五逆罪は言う。「不善心を起こして独覚を殺害する」とある。これは、殺
阿羅漢について、大乗の五逆罪は故意犯に限定するという趣旨という意味か。小乗の五
逆罪は故意犯に限定する。これでは狭すぎると言うことで、故意に限定しない大乗の五逆
罪を引用した。しかし、結局は故意犯に限定して解釈すべきであるという、そういう趣旨と解
するべきではないのか。
〔通説〕 ・・・・

 どうも、五逆罪には宗祖は、通説論よりもう一つ奥のことを考えてるように感じられてなら
ない。(続く)
29神も仏も名無しさん:2009/05/28(木) 10:49:11 ID:SwLIVtiI
渡海難のように何度言っても日本語が理解できないアホがいるのでもう一度。

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30 ◆K3PkkhVAkA :2009/06/01(月) 22:02:47 ID:ICGS3iOJ
30げt(^-^)
31神も仏も名無しさん:2009/06/02(火) 00:17:15 ID:RgH1lCqd
顔文字バカこと◆K3PkkhVAkAのように何度言っても日本語が理解できないアホがいるのでもう一度。

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32渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2009/06/02(火) 10:24:56 ID:iwzoiXKk
 教行信証を読む場合、非常に重要なことがある。それは形式だ。議論の並べかた、
議論の位置で、文字情報以上の情報を伝えようとしている。教行信証は行間に重大
なメッセージを込めている書なのである。

 教・行・証・真仏土・化身土には共通しているが、信の巻だけが変わっている。そうい
う違いがあれば、そこには何らかのメッセージがある。そう考えるべきだろう。

 信の巻以外は全て最後に親鸞の自釈がある。信の巻きだけはそれがない。これは
どういうことか。しかも信の巻は「略出」という言葉で終わっている。略出とは、以下を
省略するということだ。しかも、五逆を説明しながら四つで終わっている。これは中途
半端でおかしくないか。

 信の巻の最後は五逆の問題を議論している。ここでは解釈が分かれるような議論
をしている。故意を含むのか含まないのか。小乗の五逆に限らず、大乗の五逆まで
含めるのか含めないのか。親鸞は問題提起をしながら、自分の意見を出していない。
つまり、自分は意見を出しませんよというのが、意見なのだろう。「不提出という意味
を込めた意思」を出していると考えるべきだろう。「不提出という意味を込めた意思」と
は何か。教行信証の行の巻きを読む場合、これは考えてみなければならない。

 五逆・誹謗正法とは何か。十八願の唯除の範囲は自分がが決める内容ではない。親
鸞にはそういう意思があるんだろうと思う。唯除の範囲は仏が決めるのであり、極楽浄
土を求める往生人が決める問題ではない。偉大な先人達がいろいろ説明してくれてい
る。親鸞は主観を入れずそれをひたすら聞く。親鸞はそういう姿勢を取っている。だか
らこそ、親鸞は自分の解釈を入れていない。

 最後を略出という言葉で終わらせている。省略した内容は、確か飲酒を禁止する項
目だったと思う。これを略出という形で省いたとなると、飲酒は唯除の範囲に含めない
という趣旨か。そうかもしれない。もしそうであれば、唯除の範囲を往生人(親鸞)が勝
手に判断しているということになる。
33渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2009/06/02(火) 10:26:01 ID:iwzoiXKk
 唯除の範囲は仏が決めるのだ。我々が決める内容ではない。仏が、これをしてはい
けないといえば、しなければいい。仏が「人を殺してはいけない」といえば、「そうか人を
殺してはいけないんだな」と思えばいい。「過失ならいいのか。正当防衛ならいいのか」
そんな細かいことは仏が決めてくださる。我々は、「人を殺してはいけない」「人殺しは
やめよう」と認識すればいいだけである。
 五逆罪とはなにか。そう聞かれれば、殺父・殺母・殺阿羅漢・破和合僧・出仏身血を代
表とするという答えでいいだろう。あくまでこれは代表例である。代表例以外にあるか、
無いか。人殺しは故意に限るかどうか。それは、仏が決めてくださる。
 代表例以外の行為をして唯除となることもあれば、ならないこともある。殺父をすれば
唯除となることもあればならないこともある。仏が判断してくださる。我々として大事なこ
とは、一人一人が他人を殺さないこと、殺さなければならないような環境を作らないこと、
命を大事にしようと努めること。そうすることが大事なことだろう。五逆罪・誹謗正法は、
他人を罵り、ひっぱたくための棍棒ではない。おもちゃではない。唯除は仏が決める。

 親鸞が、教行信証で、五つを挙げずに四つまで挙げて最後を省略したことは、五逆か
ら飲酒を除いたという解釈もできなくはない。しかし、列挙されている事柄の内容の重大
性に思わず戦慄し、言葉を失った。親鸞はそういう感情を演出していると考えるべきだろ
う。ぼくにはそのように伝わってくるのである。

 教行信証は文字面を追うだけではいけない。行間、特に乃至とか略出に込められた箇
所に親鸞の呼吸を読んでいくことが真意を理解する重要なかぎになる。

                                                    以上