【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】3

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65神も仏も名無しさん
>>49-50 >>52
巧いですね。机さんの二諦がバラバラといったのはその意味です。
勝義は、勝義。世俗は、世俗と言った説き方で、勝義が世俗と関係ないイデアのような夢の世界のような。
そして世俗を説く場合にも、論理に詰まると勝義を出して結局空だからといった論調。
それではなにもならないどころかただのニヒリズムです。世俗には縁起として因果が確固としてある。
それは、如来いずるも〜の有名句に明らかなように法性と呼ばれ性質、本質と呼ばれています。
いわゆる法則です。集諦苦諦として説かれるものです。

仏教の目的は苦を除くことですから。苦の因になる悪業を為さず、善業を為すようにする。

>「殺人とか暴行とか、人格・尊厳の軽視は問題にならないよねw」「だって“無地”なんだからwww」

もちろん、そういうことをすると無我・空ですが悪業の結果、苦が縁起しますから、苦を除くために

>「他者を害してはならない」とか「(五感に於いて)自己を護る(防護する)」

と説かれます。これは倫理ではなく苦しみたくない、苦しませたくないからです。

>私の「(原始)仏教は素朴実在論【的】だよw」

というのはやっぱり反対ですね。無常・無我・空・縁起・仮設といった法は、
凡夫の実在論的思考を壊すためにあると思うからです。
仏教は日常言語論の方、いわゆる後期ウィドゲンシュタイン系の方が近いと思います。
やっぱり縁起論や仮設存在論と言った方が間違いないと思います。
表を大切にする言葉としては業論、因果論でしょう。
これが近代以降、人気のない言葉ですね。