【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】3

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4803/4 初代スレ7
余談。
>>437 > なぜでしょうか? について、少し蛇足を加えておく。
前に「一枚の紙の裏表」を喩えに引いた。ここでもう一度使用してみよう。
今度は、『表』を『今ある命』として、『裏』を『無地』としよう。
さて、
A:『裏』の『無地』を『涅槃』と見た時(→涅槃故に無地と見た時)、
  『無地』だからと言って紙を破り捨ててよいのか?
  上の二人の阿羅漢の事例はこれに当たる。釈尊は咎めなかった。
  (異論はあるが、まあ、とりあえず良しとしておこうw)
B:『裏』の『無地』を『輪廻が無いことによる無地』(→一回きりの『表』であるという意味での無地と見た時)、
  『表』を破り捨ててよいのか? 《“苦”の脱出(“滅”)》を《『表』の消去》で代用していいのか?
  それが仏教と言えるのか?

お釈迦さんは、『裏』が『無地』であることを高らかに宣言した。
だが、《『表』がない》などとは言っていない筈だ。《『表』を無視せよ》などとは言っていない筈だ。
《『表』の大切さ》をもまた説いていたのではないか。

「今ある命」を粗末にして、何が仏性か。何が悟りか。何が涅槃か。
そんな仏教なら、こっちから願い下げだ。