【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】3
1 :
宝珠愚者 :
2008/12/20(土) 20:06:14 ID:5LoFzwjn
2 :
宝珠愚者 :2008/12/20(土) 20:08:36 ID:5LoFzwjn
スレ2が要領オーバーで投稿不可となりました。
再び、皆さんからの活発なご意見と情報を宜しくお願い致します!
>>684 >>先ず己の信じるところがあって文献を恣意的な解釈によってそれに近づけることは学術的なことなのか?
>学術的ではないでしょうねw しかし、「恣意性」を100%取り除くことは可能なんでしょうかね・・?w
>というよりも、
私はいいと思います。
主観に拠らず客観的な事実を見出すのが学問でしょうが、しかし、一つの仮説(自分の考え)がを立てて、
それを実証できる事柄を見出そうとすることは、ごく普通になされることだと思います。
要するに、その結果として自分の仮説の間違いが確認されたならば、それもまた一つの事実となります。
>>695 確かにこれは、あなたのご指摘の通りだと思います。
これは次の課題というか、もう一つ別の課題というわけです。
尚、私は仏典(仏教思想)以外にもこれを説明する術を持っています。
私が理想とする社会は、人間の生まれ変わりを当たり前の事実として
人々が認識して生活するという社会の創造にあります。
それは家庭では両親が、そして学校では道徳の時間などでこれを学ぶようになる。
その時代においては、
「宗教が説く思想の一つに過ぎない」といったレッテルが外れるのです。
3 :
神も仏も名無しさん :2008/12/20(土) 20:08:54 ID:wWGG4dtQ
仏教に、「輪廻転生」や「霊魂」などという観念を持ち込んだら、仏教は、 単なる「オカルト」「カルト」に堕し、無価値なものになる。 仏教の最大の意義は、「関係性(空)の原理の発見」であるはず。 キリスト教を根底から批判したニーチェは、仏教は「唯一の実証的宗教」「心 の衛生法」としてきわめて高く評価し、またキリスト教神学者さえも、「キリ スト教が今後向うべき方向は、仏教の空」とさえ言ってるのだが。 「輪廻転生」の概念は、人間の精神にとって極めて有害であるので、仏教から 早急に除去することが必要。「脅し」によっては、「悟り」は絶対に生じ得ない。
4 :
神も仏も名無しさん :2008/12/20(土) 20:16:02 ID:RHiQGTDM
>>前スレ703 来世がミジンコでもいいから、今世で机と同列に扱うのは、よしとくれ。
5 :
宝珠愚者 :2008/12/20(土) 20:16:36 ID:5LoFzwjn
>>3 そこが問題なのでしょうね。
「空」なのは、この現象世界のことですよ。
この現象世界は不変であり、これが輪廻していると説いているのです。
姿が変わっていくのを実在とはいわない。常に流転していく・・。
これが「空」の性質だと。
「輪廻転生」の概念が有害という見方しかできないのであれば、
その人は仏教を信奉しなければ良いだけではありませんか?これは仏教による世界支配ではないのです。
その有害?な輪廻の世界から脱することを説いてるのが仏教ですよ!
6 :
神も仏も名無しさん :2008/12/20(土) 20:24:46 ID:RHiQGTDM
ほろほろと 鳴く山鳥の声聞けば 父かとぞおもふ 母かとぞおもふ 世の中に あだにはかなき 身を知れと おしえて帰る子は 知識かな
7 :
宝珠愚者 :2008/12/20(土) 20:28:51 ID:5LoFzwjn
失敗しました--前スレ番号には>>アンカー は、つけないようにお願いします(当スレの投稿番号と誤ってリンクするので)! また、スレ1-2のリンクアドレスが逆でした(失礼)。 唯物論者も、または仏教思想のその部分だけがネックとみている方も・・ つまり、「転生」現象や生命(意識)の「不死性」が確認されればいいわけですよね? そうなれば議論の余地なしと!! 私はもう近い将来にそれが起こるものと信じています。 ですから、その点においては割りと楽観的です。 たぶんね・・。
>>3 >単なる「オカルト」「カルト」に堕し、無価値なものになる。
価値がなくても別にいいんじゃないでしょうか。
それと知らずに自陣に組み入れようとするよりはましでしょう。
そんなことするまでもなく、仏教から都合のいいところ、気に入ったところを
自分なりにアンチョコするだけで十分だと思いますけどね。
>仏教から 早急に除去することが必要。
ここで問題になっているのは、「これまでの仏教では」どういう扱いだったかですね。
除去したり追加するのは他所でやることではないでしょうか。
9 :
神も仏も名無しさん :2008/12/20(土) 20:40:58 ID:OHXDgNWY
スレ2#689 >ということは、「実在」という言葉(或いは概念)は、中論が初出でしたか。 >勉強になりました。ありがとうございます。 違います。原語は svabhaava です。自性と訳されますね。 アビダルマで中心概念になったと思われます。 スレ2#691 >「実在する」ということと「ある(存在する」ということとの違いはどこにあるのでしょう? 「実在する」という場合、素朴実在論に立つ一般の信念のように 見えるものがそのまま自立して、独立して存在するという意味で使ってます。 「ある」「存在する」という場合は、仮設された流通する言語習慣として使ってます。 もちろん、一般の言語習慣では、この二つは区別しないでしょう。 ですが、仏教を説く場合、このように説くのは釈尊からの伝統だと思います。 中観では、明示的に説かれますが、釈尊は暗示的に説かれます。 釈尊のこの語法を初めて指摘したのは、石飛道子先生です。 この方は、天才じゃないかと思ってます。
10 :
宝珠愚者 :2008/12/20(土) 21:28:58 ID:5LoFzwjn
追記:
>>2 「確かにこれは、あなたのご指摘の通りだと思います。
これは次の課題というか、もう一つ別の課題というわけです。」
は、スレ#2/695に対するレスです。(スレ落ち前に書いときます)
> 何だか「輪廻転生」が仏教の中心問題のようなスレだね。釈迦が言ったから、仏典に書いてあるからとい
>うことだけで、無批判に信じることを、単なる「盲信」「狂信」と呼び、無意味な営み。あくまで、現代人の立
>場からの、意義を考えるべき。釈迦が輪廻転生など言ったとしても、現代人の立場からは、そんなものは
>何ら証明できないのだから、単に「釈迦の誤り」として訂正するだけでよい。仏教者が、「輪廻転生に対す
>る恐怖」から、一生懸命修行しているとしたら、これほど浅ましく、滑稽な姿はない。 大多数の生活者たち
>は、もっと悟っている。悟れないのは、仏教者だけと言うことになるではないか。
11 :
宝珠愚者 :2008/12/20(土) 21:29:54 ID:5LoFzwjn
削除していいの?? 輪廻転生の思想の何が有害だと主張するのか?については、今回の議論においては初代スレ5さんや、 その他の皆さんのご意見で、なるほど大体のところが見えてきました。なるほど・・いいたいことの意味は 概ね理解できるつもりでいます。 しかし、仏典においてそれが説かれている。しっかりと記述されているという事実は誰しも認める以外に はない。これが現実です。「空」についての勝手な解釈、嗚呼・・から否定しようという方もいますが、この場 合は世俗諦として有効で必要な記述と見なしているのか?できれば不要ではなく、無いに越したことはな いと見ているのか? 何れにせよ、では仏典の輪廻転生について述べた記述は、何故、今日まで削除されずに伝えられてきた のだと思いますか?経典として初めてこれが文章化されてから、一体、もう何年の年月が経過したのでしょ うか?これは本当に気の遠くなるほど膨大な時間の中で、大切に大切に護り続けてきたことになる教典の 記述ですよ!2600年間、ま〜文章化してはそうじゃないけれど、その間の仏教信徒たちが今日まで大切に 継承し続けてきた教えですよ、これは間違いなく。その重さを理解していますか? 私は、ただの無信仰な唯物論者がいうのならば分ります。 しかし、仏教徒がこれを削除しろ!というのは、皆さんは如何ですか? ---本当にその考え方には誤りはありませんか?
12 :
神も仏も名無しさん :2008/12/20(土) 21:41:43 ID:UbzoDIzL
前スレ552 >教祖は自分の子にラーフラ(障碍・しょうがい) と名付けたらしいけど、頭がやはりおかしいピカ? 確かに悪魔と名づけたとも聞いたりするし、苦ばかり言うし・・・うつ病か、それとも、ご苦労無しだった?(笑 実在か物語の主人公か知らないけど王子さまで何の不自由もなく周りから持ち上げられ毎日据え膳の環境 で育てばそれが当たり前で何の喜びも感謝も出ないし退屈になるのでは? だから、苦をものすごく大きいものに感じたのかもしれません。 一般人は、3日もライフラインが断たれれば不便になり困ります。水道・ガス・電気・・が通ればホントに助かるし、 入浴で心身がリラックスできれば幸せだし、食事にも感謝出来るし、寝ることも休めることも有難いし、どこも痛く なければ有難い。それもいろんな苦労があったから分かることとも言えなくもない。だから、苦労の多い人は、 死んだ後は極楽行きに決まってる〜(笑 皆、死ぬ前は苦しむから後は、安らぎと休息が待っているょン(笑 前スレ695 >釈迦が輪廻転生など言ったとしても、現代人の立場からは、そんなものは何ら証明できないのだから、 単に「釈迦の誤り」として訂正するだけでよい。 同意。釈迦も只の人間。お腹壊し苦しんでこの世を去ったのだから当然ミスもある筈。 大昔の娯楽も少ない社会で宗教団体の営業理由で持ち上げられ神格化されすぎた感あるし、経典も多すぎでは? イエスも同様なことが言えるのでは?
13 :
神も仏も名無しさん :2008/12/20(土) 21:46:24 ID:UbzoDIzL
>>4 >来世がミジンコでもいいから、今世で机と同列に扱うのは、よしとくれ。
あはは・・・(笑
全々、煩悩・執着が滅していませんね。残〜念!!ヽ(^。^)ノ
お先に、オヤスミ〜ン☆♪〜(。・_・。)ノ
>>1 宝珠愚者さまの(西洋コンプレックス仏教者にとっては)危うい提議は、現代仏教学においてもトレンドなのであります。
ゆえに最終決着は[3]にまでもつれこみ、スレたて乙であります。
ふと思ったんだが、輪廻転生を釈尊が説いたとする人は、梵天勧請の話や、 夜叉や神々が釈尊と話したりしていることも、 おとぎ話としてではなく、経典に書いてあるのだから仏教である、 と捉えているんでしょうか。 まさか、そんなことはないですよね。
私は純粋な「仏教徒」ですが、「オーラの泉」ファンですよ。何か?
17 :
神も仏も名無しさん :2008/12/20(土) 22:39:32 ID:9RHyVMGi
>>16 そういうのは純粋
な仏教徒とは言わない。
オカルト仏教徒と言う。
オカルト(occult)とは元来は「隠されたもの」という意味のラテン語に由来する表現であり、 目で見たり、触れて感じたりすることのできないことである。 そのような知識の探求とそれによって得られた知識体系は「オカルティズム」と呼ばれている。 ただし何をもって「オカルト」とするのかについては時代や論者の立場等により見解が異なる。 この語はヨーロッパにおいては、論敵にレッテルを貼るために使われてきた歴史を持つ。 特に正統派を自認している側から、そうではない側をこの名称で呼ぶことが行われた。 ただし、その正統派が誰なのかという点は時とともに変遷する。 例えば、アイザック・ニュートンが「万有引力」を提唱した時には、 同時代の学者たちから"オカルト・フォース"を導入しているとの非難が浴びせられた。 だが、その後はニュートンの説のほうが次第に正当との扱いになり、 "オカルト"ではなくなり、レッテルを貼っていた側のほうが非正統派となってしまったわけである。
またこの事例は自らの理論体系・知識体系がその一部に(万有引力のようにまさしく)、 「目で見たり触れて感じたりすることのできないこと」を含んでいても、 論者自身は通常それを"オカルト"とは呼ばないものであるということも示している。 そもそもこの語がこのような使われ方をする別の理由としては、立場が異なる知識体系の内容はそれがどんなものであれ、 大抵はとりあえず慣れないうちはひどく意味不明であり、まるで得体の知れないものを扱っているように感じられることから、 "隠されたもの"という語があればその語を用いて非難してしまいたくなるという人間の心理上の事情もある。 宗教や信仰の分野においてもそのような原理は働いており、自らの信仰体系とは異なるものは即「オカルト」と呼ぶことにもつながる。 実際、キリスト教が正統派とされていた(あるいは自身でそう自認できた)19世紀のヨーロッパにおいて、 いわゆる"正統派キリスト教会"の信仰体系とは異なる信仰体系(異教)が復興してきた時には、それが「オカルト」と呼ばれることになった。 この歴史の影響から「19世紀以降の、正統キリスト教以外の平常の生活から隠された人間の知識を超えた神秘の研究と、 その結果である神秘主義体系がオカルティズムと呼ばれる」と解されることもある。 今日では伝統宗教からはずれた"異端"宗教、民間宗教、宗教的俗説のようなものに限らず、 単に「一般的でない知識」まで「オカルト」と呼ばれることが多い。
20 :
初代スレ7 :2008/12/20(土) 23:25:55 ID:8i/irQ3z
いつの間にwwwww >> 前スレ642 とりあえずヒント的な事だけ書き込んでおきます。 警察官が万引きや強姦をしたらどう思われるか、ということです。 明らかに法に触れる行為でなくとも、警察官が(制服を着た状態で)、 街中(まちなか)の喧嘩を(楽しげに)傍観していたらどう思われるかということです。 消防士が(制服を着た状態で)煙草のポイ捨てをしたらどう思われるかということです。 医者が、必要な治療行為をせず、治療を長引かせていたらどう思われるかということです。 「果報」は、上記の逆の事象の時に生じ得るものですね。 サンガへの「信」は上記と関係しますが、 「教え」に対しての「信」は、【語られたことが、聞者の“腑に落ちる”かどうか】に懸っているということです。 【頷き】という言い方をしている点を重視してください。
21 :
神も仏も名無しさん :2008/12/20(土) 23:27:52 ID:9RHyVMGi
必死だなwww
22 :
初代スレ7 :2008/12/20(土) 23:32:57 ID:8i/irQ3z
>>9 やはり、
「『仏教で言う(→“中論”で言う)実在』は、縁起しない」 という、ただそれだけですねw
『仏教外での実在』は「縁起するもの」でも構いませんよね?
如何ですか?w
(´ー`)y━~~
23 :
宝珠愚者 :2008/12/20(土) 23:36:49 ID:5LoFzwjn
>>15 >梵天勧請の話や、夜叉や神々が釈尊と話したりしていることも、
私は原理主義者(一句たり逃さず書かれてある通りの意味として受け取る)ではありません。書かれ
て在ることの背景であったり、その前後の文脈であったり、いろいろな要素からみて判断します。原始
経典については、私は概ね記述通りでいいという部分が圧倒的だと見なしています。
ただ、梵天勧請での「梵天」(ブラフマン/プラフマー)というのは、ゴータマ自身の心の中での葛藤にお
ける「良い思考」(これは我々にとってのかな?)を象徴的に示しています。
ゴータマが苦行に精進している最中に出現した悪魔ナムチの例は、苦行を辞めるよう誘惑してきます。
これも辞めてもっと世間的な善行で十分に良いのではないか?ここまでする必要が一体どこにあるの
か?といった心の中に自然と湧いてくる想い「悪い思考」をそのまま表した象徴です。
つまり、心理描写の文学形式の表れなのです。
24 :
宝珠愚者 :2008/12/20(土) 23:37:20 ID:5LoFzwjn
「(悪魔)ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいてきて、言った、あなたは痩せてして、顔色も悪い。 あなたの死が近づいた。あなたが死なないで生きられる見込みは、千に一つの割合だ。きみよ、生きよ。 生きたほうがよい。命があってこそ諸々の善行をもなすこともできるのだ。あなたがヴェーダ学生としての 清らかな行いをなし、聖火にに供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる。(苦行に)つとめはげ んだところで、何になろうか。つとめはげむ道は、行きがたく、行いがたく、達しがたい」この詩を唱えて、 悪魔は目ざめた人(ブッダ)の側に立っていた。かの悪魔がこのように語ったときに、尊師(ブッダ)は次の ように告げた。──「怠け者の親族よ、悪しき者よ。汝は(世間の)善業を求めてここに来たのだが、わた しはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい。 わたしには信念があり、努力があり、また知慧がある。このように専心しているわたしくしに、汝はどうして 生命をたもつことを尋ねるのか? (はげみから起る)この風は、河水の流れも涸らすであろう。ひたすら 専心しているわが身の血がどうして涸渇しないであろうか。(身体の)血が涸れたならば、胆汁も痰も涸れ るであろう。肉が落ちると、心はますます澄んでくる。わが念いと智慧と統一した心とはますます安立する に至る。わたしはこのように安住し、最大の苦痛をうけているのであるから、わが心は諸々の欲望にひか れることがない。見よ、心身の清らかなことを。」(スッタニパータ426-435)
25 :
宝珠愚者 :2008/12/20(土) 23:37:56 ID:5LoFzwjn
また、ゴータマは悪魔(マーラー)の正体については明確に解説してもいます。 『「大徳よ、悪魔、悪魔と仰せられますが、大徳よ、いったい、なにを悪魔と仰せられるのでございますか」 「ラーダよ、色(肉体)は悪魔である。受(感覚)は悪魔である。想(表象)は悪魔である。行(意志)は悪魔 である。識(意識)は悪魔である。 ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、 想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪を離れることができる。貧を 離れることによって、解脱する。」』(相応部経典23-11/羅陀相応魔) 私は「夜叉」やその他の「神々」の登場についても同様、質問者の代表として、ちょうど相応しいようなバラ モンの神々を用いて象徴的に文学作品として用いているものと見なします。バラモンの神々が仏陀に降伏し て賛美するような使い方など・・。 ただし、私個人は神(唯一神)の属性としての力の象徴(個々の神々)を否定している人間ではありません が、ゴータマは説かなかったとみています。
26 :
宝珠愚者 :2008/12/20(土) 23:44:14 ID:5LoFzwjn
訂正:
>>5 × この現象世界は不変であり、これが輪廻していると説いているのです。
○ この現象世界は「無常」であり、これが輪廻していると説いているのです。
>>11 × できれば不要ではなく、無いに越したことはないと見ているのか?
○ できれば「必要」ではなく、無いに越したことはないと見ているのか?
27 :
神も仏も名無しさん :2008/12/20(土) 23:50:21 ID:lPF+zdeV
28 :
初代スレ7 :2008/12/20(土) 23:50:56 ID:8i/irQ3z
>>23 >書かれて在ることの背景であったり、その前後の文脈であったり、いろいろな要素からみて判断します
貴方は、前スレ656のどのコースなんでしょうね・・w
或る記述は
>書かれて在ることの背景であったり、その前後の文脈であったり、いろいろな要素からみて
字句通りではない誇張・譬喩・文学的表現と読み、
或る記述は
>書かれて在ることの背景であったり、その前後の文脈であったり、いろいろな要素からみて
真実と読む。
貴方は、自身の中のこの区分に一貫性があるという自負がありますか?
あるとすれば、それはどのような裏付けによるのでしょう?
自身の体験(仏陀・阿羅漢の体験の追体験)?
29 :
初代スレ7 :2008/12/21(日) 00:09:44 ID:7pNx+QKj
さて・・寝るか・・・ ノシ
30 :
初代スレの5 :2008/12/21(日) 00:20:43 ID:ygF8KWQN
前スレの671さんと703さんが、同一人物であるとの認識の上、レスのお礼を 申し上げます。 了解しました。
31 :
宝珠愚者 :2008/12/21(日) 00:21:59 ID:xV9rxDjk
>>28 その返答は難しいです。その前後と及び全体としてみて整合性が取れているかどうか?といった観点は
やはり、とても重視します。あくまでも「そこに書かれてある事柄について」それぞれに!です。
整合性ある全てを説明し得る見解を最も正しい解釈の可能性が高いものとして判断します。これは主観
による判断であり、正しい可能性のことです。100%絶対ということは有得ない。読む人によっては当然、異
なる人も出るでしょう。もしも、ゴータマがここにいれば回答してもらえるか、何かしらの反応を期待すること
ができ、それによって解釈の是非を追加確認することが可能になります。しかし、それは不可能なわけです
から、これは止む得ないことです。つまり、自分の見解が正解に当たった人が得することになるのですw
何故、それが正しいといえるのか?などと、そういう反応しか感じられない方は、どうぞ自分で好きに解釈
すればいいだけのことですよ。誰にもそれを制止することはできないのだから。違いますか?
この私が如何なる論証をして、「コレコレが絶対に100%唯一にして正しい!」として主張しようとも、否違う
な!と感じる人は、それはそれでいいのではありませんか?
私の見解にもしも正当性があるならば、同意する人はきっと増大するであろうし、それでも否違うぞ!とい
う人も当然でるでしょう。
32 :
宝珠愚者 :2008/12/21(日) 00:44:33 ID:xV9rxDjk
>>23 >貴方は、前スレ656のどのコースなんでしょうね・・w
素晴らしい分析シートでしたが、残念ながら私はあのような分析は殆ど無価値と見なします。単純な内容
ならは効果は期待できるでしょうが、宗教の内容は無理です。何故なら、あのような分析では「限定」が生じ
るからです。初代スレ7さんは限定したいがために用いようとしているのかもしれませんが・・。
仏典のある部分については「E1:語られた通り」またある部分は「E2:誇張して(譬喩表現として)」、そして
またある部分については、「詩的・文学的表現として」であろうし・・。全部もしくは全体をコレとして決め付け
ることができない、というのが残念ながら仏典の中身なのです。どこがどっちになるのか?それは自分で読
み解いていくです。自分で読み解けない人は他人の解釈の評価によって選択する手段に出たりするのだろ
うと思います。
私個人は、他人様ご本人それぞれの判断のあり方について、といった分析、等々には興味ないです。
33 :
初代スレの5 :2008/12/21(日) 04:43:41 ID:ygF8KWQN
少し、調べてみましたが、「主体設定を否定する輪廻思想」というのは どうやら、『サンユッタ・ニカーヤ』の釈迦とアチェーラ・カッサパとの 問答、および、龍樹の『因縁心論』あたりが論拠みたいですね。 簡略化すると、「主体を否定する代わりに、その『行為』そのものに スポットライトをあて『因』として、次の生という『果』の形成力とする。 つまりは、現象の連鎖ですね。」 しかし、やはり、ひとつの『死』という因が、なぜ次の『生』という果の形成力 になるのか? その必然性の説明、メカニズムの記述は、ありませんね。 やはり、そこはブラックボックスのままです。 (比喩として、おもしろいものは二三見かけましたが) そのあたりが、仏説における輪廻思想の限界なのでしょうか? 後は自分で悟って理解するしかないと。
34 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 07:21:25 ID:roKmYc3v
>>33 今使っているパソコンのことを、あらゆる部品やそれについての構造、素材や成り立ち、原子や分子、素粒子レベルに至まで全て理解して使っていますか?
35 :
初代スレ7 :2008/12/21(日) 08:40:06 ID:7pNx+QKj
>>32 > ある部分については「E1:語られた通り」またある部分は「E2:誇張して(譬喩表現として)」、そして
>またある部分については、「詩的・文学的表現として」であろうし・・。全部もしくは全体をコレとして決め付け
>ることができない、というのが
仰る通りです。あの図表に於けるEは、『仏典全てがそのようである』ということを必ずしも意味しません。
(勿論、そのように考えることをもまた妨げるものではないですが・・。)
ああした図表を用いる弊害は、画一的思考・画一的分類を誘引してしまうことでしょうね・・w
前スレ658や686、或いは今回の貴方レスのような反応を・・・。
私が(あの作業で)示したかった重要なポイントは2点あります。
1点は、意見の相違を単純に『否定・肯定・無記』の3種に分けられない性質を持つということ。
2点目は次に再掲する点です。
(私は貴方の誠実さを感じていますよ。前スレ343に対しての返レス369・370や今回の答え方等に。)
>重要なことは、(逆ツリーを考えて辿ってみるとよく判りますが)、
>【Eのどこからスタートしても】【A1・A2・A3全てに辿りつける】ということです。
>それが何を意味するかと言うと、【AとEを繋ぐ“途中経過の部分”をどう見るか】に懸っているということです。
>仏典にどう書かれているかは勿論重要ですが、それだけでは(このスレ的)答えは出ない、ということです
36 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/21(日) 08:56:57 ID:6WJyF2Au
>>33 >しかし、やはり、ひとつの『死』という因が、なぜ次の『生』という果の形成力
>になるのか? その必然性の説明、メカニズムの記述は、ありませんね。
因果関係といふのは必然性といふよりも偶然性ですよね。
ですから「現象の連鎖」といふのは有り得ない。
「形成力」とか「メカニズム」とか、法則的なものはない。
株式市場を例にすると、
市場が開く前、ファンダメンタルズの情報がいきわたっても、
引け(結果)はどうなるか全く分らない。
経験的に「ある程度は予想ができる」。ってだけですね。
競馬場を例にすると、
本命と対抗が、必ずしも連勝式連番で大当たりするとは限らない
経験的には、本命とか対抗を外して大穴を狙うとか?
こういう人もいる。
結婚を例にすると、
結婚相手が、必ずしも幸福を約束してくれるとは限らない。
(この場合、えてして外れる場合が多い)
37 :
初代スレの5 :2008/12/21(日) 09:53:00 ID:ygF8KWQN
>>34 話を極端化しすぎてます。
例えば、私たちはTVの詳細な構造を理解していなくても、その
大まかな情報伝達システム、すなわち、TV局の発した情報が電波により
受信機に伝わり、そこでその情報をもとに音声、映像を再生するということは
理解しています。 私の言いたいことは、「その核心部分である、情報伝達
システムの『概要』の説明がない。」 ということであって微細構造の説明
を求めてるわけではありません。
>>36 仰ることは、よくわかります。しかし、
>因果関係といふのは必然性といふよりも偶然性ですよね。
ですから「現象の連鎖」といふのは有り得ない。
と、このようにしてしまいますと「業報思想」が、崩壊してしまいます。
この思想においては、『果』があれば、必ずその『因』を求めます。
結果を単なる確率の収束とは、見做さず、あくまでも「隠れた変数」を主張する
のが、この思想のスタンスです。
38 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/21(日) 10:47:26 ID:6WJyF2Au
>>37 拙者は「空」を「第一義」としたところに先人の智慧が隠されているのかと思ひますね。
どういうことかと言いますと、
例えばですが、
嫁さんを貰って(因)、そして苦楽を共にし(縁)・・・
結果として晩年(果)にはどういふ嫁さんになってるか(業)?
ってのを考えたら宜しいかと思ひまふ。
重要なのは縁ですね。
因果というのは、それに付帯するもの。
ということは・・・
>あくまでも「隠れた変数」を主張するのが、この思想のスタンスです。
「隠れた変数」といふよりも、
「因果」とか「業報」とかは、「そう名づく形態」ですよね。
人間が社会生活を営むうえで、コミュニケーションとしての論理構成上における
コンセンサスとして「そう名づく形態」というのはありますよね。
つまり、便宜上において必要なもの(言語とか)。
これを仏教では世俗諦としている。
もちろん、この世俗諦も重要ですけど、
勝義諦になりますと、こういった世俗概念の殆どが意味抹消になってしまいます。
ですから、
世俗諦のまんまで論考しましても、
それは世俗の範疇でしかない。って、結果になってしまう。
(つづく)
39 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/21(日) 10:48:28 ID:jVTnJ5KS
(つづき) 自灯明・法灯明といふのは、こういった「そう名づく形態」を拠りどころとして 法(ダルマ)まで到る(彼岸まで到る)ということでして、 彼岸まで逝きますと、 それまでの方便(方法)は必要なくなる。 乗ってきた筏(いかだ)はいらない。ってことになりまふね。
>>前スレ462 > しかし、仏教には「無自性」 「空」 「一如」 などの「個」を否定する思想 > もあります。 果たしてこれらの思想と業報思想は両立し得るのでしょうか? 「一如」はともかく、「無自性」「空」或いは「無我(非我)」は、「個」を否定するものではありません。 このスレでもよく見られる言い方として「仮設されたもの」というのがあります。 また、「仮和合」という言い方がされることもあります。(「個」は「仮設されて“ある”」と言えるでしょう。) ≪(因により縁により)「個」【として】現れているが、それは「無常」「無我」なるものであり「縁起」するものである≫ と見れば解決できる話です。(「個」を完全否定してしまっては自灯明(自洲)の譬えが霞んでしまいます。) 「世俗で見れば、唯一最後の拠り所として「個」にすがる」こともできますが、 「勝義に於いては、そのようにすがれるものではない」と言うこともできます。 仏教で「真実(諦)(sacca)」とか「如実に(あるがままに)(yatha^ bhu^taM)」とか “正しい見解”“正しい行い”“梵行”などの際の「正しい(samma^)」や「梵(brahma)(すぐれた・清浄な)」とか 「聖なる(ariya)」などと言われる時、それは 「仏教という枠(視線)の中で」ということです。「仏教では」ということです。 「“涅槃に資するかどうか”という基準に立っている」とも言えます。
勝義と世俗の二諦を設けることに異を唱える人もいますが、私は重要だと思っていますし、 寧ろ、この二方向の視線なくしては仏教はありえないと考えています。 この時、私自身注意したいと思っているのは、 「この勝義と世俗の間を断絶させてはならない」ということと、 「両者を繋ぐ言葉が用意されるべき」だということです。 特に2chやネット上では、勝義至上主義或いは勝義一辺倒なレスが多いわけですが、 それが通用するのは限られた状況に於いてです。柔らかい言い方では 「仏の立場から見れば」とか「悟りの世界では」といった言辞の場合もあります。 それはそれで構わないのですが、(必要な、重要な語り口だと思いますが)、 それを(≒勝義の言葉を)変換することなくそのまま世俗に当てはめようとする者のなんと多いことか・・・。 逆のパターン(世俗の言葉や事象を勝義に当てはめる行為)を激しく糾弾しておきながら、 勝義を世俗に当てはめることには何の躊躇もない。寧ろ見下すが如く「勝義ではこうだ!」と勝ち誇る。 (勝ち誇ったり見下したりはしていないが、勝義色の強いレスが多いのが机氏だったりするわけですが・・・w) (この行為(勝義を問答無用に世俗へ当てはめる行為(或いは世俗を勝義で塗り潰す行為)は、カルト系宗教に より顕著に見られます。だから、たとえ正論であっても、筋が通っていても、慎重でなければならないし、 具体的状況・情況への視線を外してはならないと思うのです。)
>>前スレ462 少し脱線してしまいました。話を戻すと、 (因により縁により)「個」【として】現れているのであるから、「無自性」「空」或いは「無我(非我)」に抵触しないでしょう。 また、今生に限って言えば、そのような「個」も今現在(因により縁により)存続しているのですから、 業報思想と抵触もしません。行為の報いを受ける余地は残っていますw (やはり問題は“輪廻”が絡んだ場合ですね・・w) (※哲学的な“(継続する)(自己)同一性”に関しては措いておきますw)
43 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 12:33:24 ID:wt3eG5Q/
>>20 なるほど、律の細かな規定に関わってきますね。
解脱にには殆ど関係ないけど、品行方正であるべきだと。
サンガについては水野弘元先生が『要語』旧版107-112で本質的かつ感動的に述べておられます。
それに繋がりますね。
【頷き】という言い方は、西洋哲学的な響きがありますね。
しかしながら、まだ前述のことは分かりません。
>>22 >「『仏教で言う(→“中論”で言う)実在』は、縁起しない」 という、ただそれだけですねw
そうですね。
>『仏教外での実在』は「縁起するもの」でも構いませんよね?
ここは微妙ですね。仏教以外の言語習慣で「実在」というのは大抵、存在論の枠内で使われませんか?
つまり、現象面での名指し以上に現象上に観念的、人口的な本質・実体を設定する場合ということです。
古くは、アートマン、原子、アルケー、最近では原子とか量子とか。
それが間違っているというのが仏教ですから、『仏教外での実在』は「縁起するもの」とは言わないでしょう。
縁起するものは、知覚可能なものですから本質・実体は、伝統的に増益されたもの、妄想付託されたものと言うでしょう。
原始仏教では確認していませんが、中観でそういうことは確かです。
もちろん、実在の意味が別ならまた話は別ですが。
言葉の意味も、無常なのでw
44 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 12:36:12 ID:wt3eG5Q/
>>42 概ね仰るとおりだと思いますが、
>(やはり問題は“輪廻”が絡んだ場合ですね・・w)
>(※哲学的な“(継続する)(自己)同一性”に関しては措いておきますw)
なんでですか? 同一性は仮設されたもの、輪廻とは絶え間ない現象の縁起であって、生死はただの仮設でしょう?
45 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 12:56:39 ID:roKmYc3v
川を泳ぐ者にとってみれば、 川(の中の水)が流れることは容易く理解できる。 しかし、川(そのもの)が(中の水ごと)流れるのを理解するのは果てしなく難しい。
46 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/21(日) 13:39:03 ID:6WJyF2Au
>>41 >勝義色の強いレスが多いのが机氏だったりするわけですが・・・w)
おそれいります。
>(因により縁により)「個」【として】現れているのであるから、
>「無自性」「空」或いは「無我(非我)」に抵触しないでしょう。
>また、今生に限って言えば、そのような「個」も今現在(因により縁により)存続しているのですから、
「因により縁に依り存続する」のであれば、
それはアビダルマが提唱している「我=自性」ですね。
(これだと実有論です)
「無自性・空」といふのは、この説一切有部を徹底的に批判した龍樹の論法です。
これはあくまでも中道(中観)としての見解を明確にするもんでした。
つまり、実有論はそれ自体が中道ではない。
中道ってのは、実有でもなければ実無でもない。
「無自性」というのは、ただ単に「自性ではない」という意味です。
中道というのは、あまり講釈は付けられない。
何故かと言いますと、講釈を付け過ぎますと中道でなくなるから。
そこのとこは非常に機微ですね。
47 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 14:09:53 ID:sQRGo9NO
観念論は、百人百様で、その正誤・正邪を判断する基準はない。従って、どこ まで行っても、客観的真理には到達し得ない。 「人間とは、生存本能(生物的生命)を中核とする生物の一種」という、唯一の 普遍の事実に立ち返ることが必要。 宗教、勝義諦、世俗諦、そのた人間のすべての営みは、この生物的生命の機能に 過ぎない。 意識も、生命の機能だから、「死後の意識」などという言葉は言語矛盾。 創唱宗教は、この生命という究極の根源に思い至っていない。 むしろ、一般の生活者のほうが、この生命という究極の存在を、意識的・無意識 的に自覚して、生を営んでいる。つまり、究極の悟りを得ている。 生命は、現実界(自然)に100%依存しない限り維持できないのだから、 生命と自然とは一体である。
48 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 14:35:13 ID:roKmYc3v
>>47 意識が生命の機能で、生命と自然が一体ならば、自然の一体的発露が生命で、自然の機能の一部として意識があるともいえる。
自然に意識が無いとどうして言える?
勝義と世俗の繋ぎ・橋渡しを考えるに際し、一枚の紙の裏表を喩えとして用いてみましょう。
『表』が『世俗』、『裏』が『勝義』としましょう。
>>40 の《「個」と「無常」「無我」「縁起》」で言えば、
紙の『表側』が「個であり(似顔絵が描いてありw)」、『裏側』が「無地である」ようなものです。
『裏』が「無地」であるからといって『表』の「似顔絵」が消えるわけではありません。
また、『表』に「似顔絵」があるからといって『裏』にも「似顔絵」があるわけではありません。
(“透けて見える”くらいの受け止め方はあってもいいかもしれませんが・・・w)
この時、「勝義しかない」「表側は虚妄である」などと『裏』のみを主張してしまうと、
(仏教外の人間からの)「では、切り裂いても燃やしてしまっても構わないよねw」
「殺人とか暴行とか、人格・尊厳の軽視は問題にならないよねw」「だって“無地”なんだからwww」
という発言に返答できなくなります。 《『裏』のみを見るならばまさにその通り》 なのですから!
(※勿論、仏教の究極の視線・態度としてそのベクトルが存在することを否定はしません。
しかし、(伝家の宝刀ではありませんがw)援用する場合は、よくよく状況を吟味すべきだろうと思います。)
≪『表』に「個」があること、似顔絵があること≫を忘れてはなりません。
(『裏』しか見ない姿勢は、禅的に言えば“百尺竿頭に留まるようなもの”です。
“安悟りに腰を据えるな”と叱咤されるようなものです。)
仏教が(一般に対して)何事かを語る時、その時には、
「『表』だけを見たら確かにその通りだけれども、そこには『裏』があるんだよ。
その『裏』こそが、見据えられるべき真の姿なんだよ。だから、『表』に固執してはいけないよ」
とでも語るべきなのです。そして、こう付け加えられるべきだと思うのです。
「けどね、『表』を蔑ろにしてはいけないよ。『表』の在り様もまた、かけがえのない、
一度きりの、貴方の生なのだから。他者の『表』もまた同じだよ」と・・・。
そして、(
>>49 の)この裏表の喩えを「ある」「存在」「実在」の場合で考えてみた時に、
『表』 .: 『裏』
『ある』 : 『ない』
『存在する』:『存在しない』
『実在する』:『実在しない』
という構図を立てることができます。
>>40 に於いて「仮」というキーワードに触れました。
『表側』で「ある」と言われる時、それは「仮に」“ある”ということなのだ、と。
しかし、49でも触れたように、それを「完全な“ない”」にしてしまっては駄目だと思うのです。
「他者を害してはならない」とか「(五感に於いて)自己を護る(防護する)」といった言辞を有効なものとする為には、
《『表』の“ある”》を完全否定してはならないのです。
「他者、自己、衣や鉢、食事、木陰、水etc.etc.様々な“ある”とされるもの」を
“ある”と見做さなければ仏教は成立しないのです。
少なくとも、【(比丘或いは僧伽が)社会の中に在ろうと思ったなら】『裏』のみでは不可能なのです。
(ここを理解して貰える人は意外に少ない・・・ orz )
某所(某板某スレ)で、
私の「(原始)仏教は素朴実在論【的】だよw」という発言から一悶着ありました。
(スレ違いでもあったので、自然消滅的に立ち消えてしまいましたが・・・。
当該スレの性格から「主観(認識)から独立して」という条件の解釈も要点でしたが、今はそれには触れません。)
その時の御相手が当スレにいらっしゃるかは判りませんが、
「実在」という語の定義の仕方にも触れながら、
最終的には、「上記のようなことである」という所まで持っていきたかったです。
自身の説明能力の拙さを痛感するばかりです。
51 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 15:00:15 ID:xPzDxtqH
47さんは生命教の方ですよね。 生命こそが神様なんですよね? ロボットが生命を持つことは可能でしょうか? バクテリオファージは生物でしょうか?
※
>>9 で述べられるように、仏教内では初めから、
「“実在”とは」「固定的恒常的に存するもの」であり、
「因によらず縁によらず存するもの」であるという定義となっています。
これに対して『仮』ということが言われるのでしょう。『実』と対置される『仮』なのでしょう。
だから、『実』には「固定的恒常的に存するもの」「因によらず縁によらず存するもの」という意が含まれるのでしょう。
ですから、私の発言はそこを無視した勇み足である、という批判は甘んじて受けねばなりません。
しかし、それは“実在”という語をそのように定義した場合であり、
西洋的“実在”或いは現代日本の一般的語義としての“実在”には、
上記のような意味合いは直接的にはないのでは?(“自性”となれば尚更です。)(
>>43 )
作文中にレスが付きましたので返答も兼ねて続けます。
>>43 > ここは微妙ですね。仏教以外の言語習慣で「実在」というのは大抵、存在論の枠内で使われませんか?
> つまり、現象面での名指し以上に現象上に観念的、人口的な本質・実体を設定する場合ということです。
ですから、そうした「仏教が見る“実在”」と「素朴実在論等で言われる“実在”」とが
「同じ性質を持つ“実在”(同じ意味の“実在”)」としていいのだろうか?という疑問を私は持っています。
素朴実在論が、その本質として「観念的なもの・概念的なもの・錯覚等幻的なもの」をも
(知覚される以上は)(個物的に・実体的に“ある”)とするものであることは理解できますが、
(→まさしく中観の批判する「“法”“有”」ですかね・・・?w おそらくは、本来は素朴な“ある”だったのでしょうが・・。)、
たとえば目の前にリンゴがあり、それを食する時、「リンゴは“ある”」とするのもまた素朴実在論ではないのでしょうか。
この時、「リンゴは“ない”」とするのが仏教であるなら、比丘にとっての托鉢とは一体何なのか。
「“ない”ものを食する」という禅問答的な答えで満足すべきなのか。
心経の無色声香味触法〜無苦集滅道のように、「食するということもない」とだけ言えばよいのか・・・。
某所でのやりとりに於いて、「素朴実在論」という名称がもたらす「“ある”ということ(意味)の幅」について、
間を採る言い方は無いだろうか・・と記しました。(だから(丁寧な記述の場合)【的】を添えてみたりもしています。)
「素朴存在論」とか「素朴“ある”論」とか「素朴仮在論」とか?w
少なくとも、上記(
>>49 )での危惧のように、
「空」とか「虚妄」とか「ない」とかいう『裏』のみの言辞で虚無主義としての批判を受けることへの抵抗として、
『表』を表現する・大切にする言い回し、フレーズ、謳い文句が欲しいなと思っているのです。
> それが間違っているというのが仏教ですから、『仏教外での実在』は「縁起するもの」とは言わないでしょう。
はい。ですから、上で弁明したように(某所で弁明したように)、
“実在”という語義解釈に於いて反則技を使った勇み足であることを認めます。
何か素敵なフレーズがあれば御教示願いたいです・・。
> 原始仏教では確認していませんが、中観でそういうことは確かです。
ですから、現在「実在」という訳を付しているパーリやSktの語が、
本当に「実在」という訳がふさわしいかどうかも気になるところです。
> もちろん、実在の意味が別ならまた話は別ですが。
> 言葉の意味も、無常なのでw
ですねw
補:
「何かを(“固定的実体として”“恒常的に”)“ある”」と見ることが顛倒であるのは言わずもがなですが、
「無」や「ない」という言い方がレトリックとしての性質を含んでいる点は留意されてよいと思っています。
「○○である」と言われる時、それは「“勝義に於いて”○○である」という意味なのだということを、
「“仏教では”このように見るのです」ということを忘れたくはない・・・。
54 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 15:03:43 ID:roKmYc3v
裏を見せ 表を見せて 散るもみぢ
55 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 15:03:53 ID:sQRGo9NO
>>48 それは、人間が自然を勝手に「擬人化」しているだけ。自然の一部としての
人間に、自然の意識など知るよしもなかろう。自然現象に従って生存している
だけに過ぎない。
56 :
初代スレ7 :2008/12/21(日) 15:07:40 ID:7pNx+QKj
57 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 15:13:46 ID:roKmYc3v
>>55 兎にも角にも、気がついたら意識があった。
そこまでは、とりあえず解るでしょ?
気がつく前は?
死んだ後は?
「解らない」ならまだしも「無い」とするところに真をおく危うさアヤフヤさ。
58 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 15:21:01 ID:sQRGo9NO
>>49 表だ、裏だ、などと言わなくても、要するに、「個は他との関係においてのみ
存在している」という自覚(縁起、空)さえあればよい。
生活者は、みな、意識的・無意識的に悟っていること。
59 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 15:28:17 ID:sQRGo9NO
>>57 意識は、意識器官によって発生するものですよ。意識器官の形成前又は
その消滅後の意識を論じることは、まさに言語矛盾。
60 :
初代スレの5 :2008/12/21(日) 15:32:52 ID:ygF8KWQN
いろいろ、ありましょうが、「良寛はいい」 これは真実。うん。
61 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 15:52:29 ID:roKmYc3v
>>59 唯物論と空観と本覚思想の親和性を今更ながら痛感w
>>60 いろいろありますが、良寛はいいですね。
うんうんw
62 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/21(日) 16:10:31 ID:jVTnJ5KS
>>49 書込みを読んでみました。
拙者がイメージしたのは、
例えば10人の男性の前を美人が通り過ぎたとする。
ある人は全く無視したり、
ある人はさりげなく見送ったり、
ある人は心臓をバクバクさせたり、
10人が認識する度合いといふのは、それぞれで違う。
拙者が書こうとしたら、既に
>>58 に書いてある。
>「個は他との関係においてのみ 存在している」。
で宜しいかと思いまふ。
自他は不二であり、たとえ美人であろうと存在してないこともある。
63 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 16:13:19 ID:h6oHWjAe
>>61 本覚思想は、原始仏教の誤り是正したのだから、当然でしょう。
「意識器官なしの意識」という矛盾に対する反論は?
64 :
初代スレの5 :2008/12/21(日) 16:16:23 ID:ygF8KWQN
>>59 まあ、私、個人の感想ですが、あなたの視点には同意です。
過度に観念化して、不毛な空論で終わらせないためにも
あなたのような視点は重要であると考えます。(ここでは反発する
人も多いかもしれませんが)
初代スレ7さん これも全く個人的感想ですが、本日の書き込み
が今までで、一番良かったように思いました。
それでは私もひとつ
ぬすびとに 盗り残されし 窓の月
(スレ違いであると怒られそうなので、ここまでにしておきます)
65 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 16:20:38 ID:wt3eG5Q/
>>49-50 >>52 巧いですね。机さんの二諦がバラバラといったのはその意味です。
勝義は、勝義。世俗は、世俗と言った説き方で、勝義が世俗と関係ないイデアのような夢の世界のような。
そして世俗を説く場合にも、論理に詰まると勝義を出して結局空だからといった論調。
それではなにもならないどころかただのニヒリズムです。世俗には縁起として因果が確固としてある。
それは、如来いずるも〜の有名句に明らかなように法性と呼ばれ性質、本質と呼ばれています。
いわゆる法則です。集諦苦諦として説かれるものです。
仏教の目的は苦を除くことですから。苦の因になる悪業を為さず、善業を為すようにする。
>「殺人とか暴行とか、人格・尊厳の軽視は問題にならないよねw」「だって“無地”なんだからwww」
もちろん、そういうことをすると無我・空ですが悪業の結果、苦が縁起しますから、苦を除くために
>「他者を害してはならない」とか「(五感に於いて)自己を護る(防護する)」
と説かれます。これは倫理ではなく苦しみたくない、苦しませたくないからです。
>私の「(原始)仏教は素朴実在論【的】だよw」
というのはやっぱり反対ですね。無常・無我・空・縁起・仮設といった法は、
凡夫の実在論的思考を壊すためにあると思うからです。
仏教は日常言語論の方、いわゆる後期ウィドゲンシュタイン系の方が近いと思います。
やっぱり縁起論や仮設存在論と言った方が間違いないと思います。
表を大切にする言葉としては業論、因果論でしょう。
これが近代以降、人気のない言葉ですね。
66 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 16:23:27 ID:wt3eG5Q/
>>54 きれいですね。
>>61 >唯物論と空観と本覚思想の親和性を今更ながら痛感w
本覚思想は日本で最高の見解だと思ってます。
とても説明できませんけど。
67 :
初代スレ7 :2008/12/21(日) 16:29:00 ID:7pNx+QKj
>>43 > 解脱にには殆ど関係ないけど
そうでもないでしょう?w 形から入るのも大事ですよ。
日常生活でも、居住まいを正せば気持ちもそれについてきてシャンとなったりしませんか?
(ま、私は自分のことを棚上げして書き込んでますが・・・w)
> サンガについては・・・・・・それに繋がりますね。
はい。そのようなサンガであるからこそ、
《「釈尊の教えを正しく伝えている」「涅槃を体現する」「正しく涅槃を求めている」「供養を受けるに値する」集団である》
と人々が認め「彼らが語る言葉は正しく、我々に益するものである」と受け止める理由となるのです。
サンガへの信頼の基盤となるのです。
そしてそれは、サンガであろうと一比丘(沙門)であろうと変わりません。
> 【頷き】という言い方は、西洋哲学的な響きがありますね。
そうですか?w
私は、実に日本的な受け止め方だと感じますが・・・。
> しかしながら、まだ前述のことは分かりません。
どのような点でしょうか。もう少し具体的にして頂けると助かります。 m(_ _)m
68 :
初代スレ7 :2008/12/21(日) 16:30:26 ID:7pNx+QKj
>>44 > なんでですか? 同一性は仮設されたもの、輪廻とは絶え間ない現象の縁起であって、生死はただの仮設でしょう?
・「輪廻と絡んだ場合」というのは「業果の相続」の問題。
・「同一性」に関しては、「(たとえ仮設であっても)同一と見做す際の基準の取り方」についてです。
「何を以てして同一であると見做すのか」「同一性を担保しているのは何か」ということです。
哲学徒と対話する時はここを避けて通れません。「前後際断せり」で納得していただけるかどうか疑問です。
(てか、実は正法眼蔵にはまだ手を出してないんですけどね・・・wすいません・・。)
・「輪廻と同一性」に関しては、上記と同じく、
「業果の相続」が「脅しw(→倫理道徳の理由付け)」として機能するには(悪行を避ける理由として受け入れられるには)、
「今生の自分と、次の生の自分との連続性」が想定されねばなりません。
「“輪廻して業果を受けることを恐れる人”は、そこに、一体どのような同一性を見ているのか」ということです。
※ ・「生死の仮設」は、医療分野及び法律や行政処理と関わってくるのでしょう。
69 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 16:33:11 ID:h6oHWjAe
>>66 >本覚思想は日本で最高の見解だと思ってます。
>とても説明できませんけど。
簡単に説明してください。仏教スレなのに、本覚思想や悉有仏性につい
ての議論が全くなされないのは、極めて異常。
仏教の持つ「普遍性」は、それ以外にはないはずだが。
原始仏教は、オウムを生み出した、単なるカルト宗教に過ぎません。
70 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 16:58:05 ID:wt3eG5Q/
>>67 >そうでもないでしょう?w 形から入るのも大事ですよ。
う〜ん、道が違いますw
>どのような点でしょうか。もう少し具体的にして頂けると助かります。
深読みだったかもしれません。私も言葉にならない何か新しい深い見解がそこに込められていたように読みました。
>68
>・「輪廻と絡んだ場合」というのは「業果の相続」の問題。
縁起相続する以上の何かを設定すると釈尊の素晴らしい道が崩壊すると思います。
>・「同一性」に関しては、「(たとえ仮設であっても)同一と見做す際の基準の取り方」についてです。
お〜、プラマーナ・シッディですね。それは長年悩んだのですが、
きっちりした基準はありえないというのが結論です。
それぞれの習慣や条件によって習慣的基準が適当に設定されるだけです。
それが仮設であり、縁起であり、因果である。
しかし、その因果は尊重しないといけない。
基準を立てようとすると必ず実在が要請されます。
これまた縁起が崩壊します。
71 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 17:04:56 ID:wt3eG5Q/
>>69 いや、難しくて無理です。
ただ言えるのは、本覚論は現実の肯定なんて単純なものではありません。
相当戒定に精進し、優れた慧が出た聖者の微細な知覚の中で始めて了解できるものと推察しているのみです。
平安末期の天台は黄金期で素晴らしい聖者が沢山でたと思います。
72 :
初代スレ7 :2008/12/21(日) 17:15:31 ID:7pNx+QKj
>>65 特に異論はございません。丁寧なレス痛み入ります。
> 勝義は、勝義。世俗は、世俗と言った説き方で、勝義が世俗と関係ないイデアのような夢の世界のような。
> そして世俗を説く場合にも、論理に詰まると勝義を出して結局空だからといった論調。
はい。私が(2chだけでなく、様々な所で目にする言辞として)イラっとくるのが、まさにその所なのです。
だから、ついつい批判覚悟で強引な言い方をしてしまう・・・w
>世俗と関係ないイデアのような夢の世界のような
的確な表現ですねw 脱帽です。
> というのはやっぱり反対ですね。無常・無我・空・縁起・仮設といった法は、
> 凡夫の実在論的思考を壊すためにあると思うからです。
やっぱり強引ですかね・・・w
いや、自分でも危うさは感じているんだが、哲学素人なんで上手いキャッチフレーズを思いつかなくて・・・。
> 仏教は日常言語論の方、いわゆる後期ウィドゲンシュタイン系の方が近いと思います。
> やっぱり縁起論や仮設存在論と言った方が間違いないと思います。
> 表を大切にする言葉としては業論、因果論でしょう。
けど、それだけだと(今まで通りの無難なフレーズなので)
上記のような「勝義厨」や「空教信者」「心経かぶれ」の防波堤としては弱いんですよねぇ・・・。
後期ウィトですか・・・。今更(今から)哲学はしんどいなぁ・・・w
> これが近代以降、人気のない言葉ですね。
そうなんですか? やっぱりカルト系に利用され易い“因果応報”と繋がるからですかね・・。
>仮設存在論 は一応頂いておきます。(哲学界での通用度としてはどうなんでしょう?)
73 :
初代スレ7 :2008/12/21(日) 17:17:23 ID:7pNx+QKj
>>64 > 今までで、一番良かったように思いました。
恐縮です・・。当スレでは初のマジレスですから・・・w
;´ー`)y━~~
以降はまた冷やかしに戻るつもりでいますw
>>70 >深読みだったかもしれません。
おそらく深読みでしょうw
相手に対する「信」を生ぜしめ、或いは増長し、或いは補強するのは、その相手の身口意に他なりません。
(当然、自身が「信」を受けようと思えば、自身の身口意が問われることとなりますw)
また「おしえ」を「信ずる」には、そこに「理解、納得」が必要です。
(サンガについて記したように、「あの人が言っているのだから・・」というのもアリと言えばアリですが・・・。)
そして、その「納得」とは、自身の経験等と合致することでもあります。
【頷き】とは、まさしくそのように「ああ、確かにその通りだ」という実感を言いたいが為です。
「腑に落ちる」という言い方をしたのも、そこを表現したかったからです。
「冷暖自知」という言葉は侮れないと思っています。
だから、宝珠氏に前スレ343を投げかけたのです。
そして、宝珠氏のみならず他の人も(そして私自身も)「輪廻に関してはどうなのか?」ということです。
74 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 17:39:05 ID:wt3eG5Q/
>>72 >後期ウィトですか・・・。今更(今から)哲学はしんどいなぁ・・・w
え〜、それより覚ればいいだけじゃないですか?
完全な悟りは無理にしても、空とかだったらがんばれば可能だと思います。
>そうなんですか? やっぱりカルト系に利用され易い“因果応報”と繋がるからですかね・・。
カルト系に限らず脅しや商売で使ったら終わりなんですが。
それよりも平等思想に反するという嫌悪感が強いと思います。
本来、無我・空よりも因果・業果を始めに説くのが伝統ですね。
四諦の教えも正にそれに他なりませんし。
>>仮設存在論 は一応頂いておきます。(哲学界での通用度としてはどうなんでしょう?)
私の知る限り西洋哲学は、縁起説のような高度な見解に立っているものはないと思います。
ですから、西洋哲学の用語は人に理解させるための譬喩としてにた概念を適当に素人っぽく大胆に用いていいんじゃないでしょうか?
論争するわけじゃありませんから。言語習慣上適当にコンセンサスを持った言葉を適当に使うだけですから。
偉そうなのは、修行が足りない証拠ですw
75 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 17:52:53 ID:wt3eG5Q/
>>73 >【頷き】とは、まさしくそのように「ああ、確かにその通りだ」という実感を言いたいが為です。
釈尊がキサーゴータミーに対してとった教えですね。
実感させる。
それを意識して拙くも輪廻と無我は両立しない説に対して、
じゃ、現在の自意識と無我は両立しますか? と伺ったつもりです。
未熟なので成功しなかったのですがw
信というのは微妙ですね。誰でも何かを無根拠に信じているのに、
現代人は、科学的に検証した結果合理的だから主体的に承認したと思ってる。
どんな優秀な科学者でも全て検証することなんてできないし、
あらゆる説明体系は仮説なのにw
76 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 18:06:33 ID:xPzDxtqH
自意識(ahamkaara)と我(aatman)は別物です。 自我意識を我であると誤認するのは、aj~naa、avidyaaのなせる技です。
77 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 18:12:55 ID:h6oHWjAe
>>75 あなたが義務教育の修了者なら、宗教と科学の違いくらいは、理論的に
理解してくださいね。それと「現実」と「空想」との区別も。
78 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 18:31:20 ID:h6oHWjAe
>>71 >いや、難しくて無理です。
>ただ言えるのは、本覚論は現実の肯定なんて単純なものではありません。
原始仏教よりは「現実的」であることは確かでしょう。
原始仏教は説明できても、本覚思想は説明できないのですかw。「論じたく
ない」だけなのでは?
79 :
初代スレ7 :2008/12/21(日) 18:43:12 ID:7pNx+QKj
>>77 貴方がスーパーで購入する牛肉が産地偽装されていないこと、
或いは賞味期限が改竄されていないことは、何によって担保されているんでしょうね・・・?w
貴方の乗る電車が走るシステムを、貴方は
「自らの五感と思考で“(試験し)、確認し、理解し”」その上で乗っているんでしょうかね・・?w
貴方が運転する車が、ブレーキをかけたら止まる理屈を、
「自らの五感と思考で“(試験し)、確認し、理解し”」その上でブレーキをかけているんでしょうかね・・?w
貴方が病院で処方された薬が、“どのように作用して”どのような効果を生じるのか、
「自らの五感と思考で“(試験し)、確認し、理解し”」その上で服用しているんでしょうかね・・?w
(´ー`)y━~~
今日は、一日作文に費やしてしまった・・・馬鹿だな・・俺は・・・w
80 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 18:53:45 ID:h6oHWjAe
>>79 すべては、多くの担当者や科学者が、その「五感」で確認しているから、信用
するのです。そして、電車が走るのも、止まるのも、五感で確認できます。
薬の場合は、その効果に心理的要素が介入するのを防ぐために、「二重盲検試
験」をやることはご存知ですね。
あなたのご質問を、すべて宗教に対してやったら、どんな結果が出ますかw。
ついでに、宗教の効果についても、二重盲検試験をやったらいかがでしょうw。
81 :
初代スレ7 :2008/12/21(日) 19:15:11 ID:7pNx+QKj
>>80 やっぱり馬鹿でしたか・・・w
>多くの担当者や科学者が、その「五感」で確認しているから、信用するのです。
だからw
そうした担当者や科学者を(彼らの五感及び彼らの言を)信用できる理由は何ですか?
82 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 19:31:40 ID:h6oHWjAe
>>81 それは、同時代人としての人間に対する信頼からです。あなたは、現実界で、
他者によって生かされていながら、その信頼もないのですか。
あなたが、2500年も前の釈迦や仏典を信じて止まないのはなぜですか。
時代も異なる2500年も前で、確実な証拠は皆無であり、あなたは釈迦が五
感で知覚したかどうかも確認していませんねw。
83 :
初代スレ7 :2008/12/21(日) 19:36:50 ID:7pNx+QKj
>>82 笑わしよるw
>同時代人としての人間に対する信頼から
>あなたは釈迦が五感で知覚したかどうかも確認していませんねw
貴方は、同時代人としての彼らが五感で知覚したかどうかを確認した、ということですね。
いや、素晴らしいwww ひょっとして超能力者ですか?w
84 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 19:41:22 ID:bI8sMwQm
>>79 >今日は、一日作文に費やしてしまった・・・馬鹿だな・・俺は・・・w
まぁ何と言いましょうか。
今日は上のセリフにMVPを贈りたいです。
それぞれ言いたい事は違っていても、仏法興隆の灯火は現代にも燦然と輝いているのでありますよw
85 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 19:44:36 ID:h6oHWjAe
>>81 人間は、現実界(実在界)に100%依存しない限り、生存は不可能で
す。生存できなかれば、宗教を初め、人間のいかなる営みも不可能です。
釈迦もイエスも生存できません。
五感は、実在・非実在を判断するための不可欠な器官です。従って、生
命そのものとも言えます。
生まれたばかりの赤ん坊でも、母親のオッパイの実在を判断して、しゃぶり
つき、生命を維持しようとします。
どんなに偉い宗教者でも、飯を食うとき、「この飯は果たして実在するか」
などと考えて食う者はいませんね。
86 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 19:50:11 ID:h6oHWjAe
>>83 五感の知覚は記憶が可能であり、その記憶は、言語によって他者に伝達
することが出来ます。それによって、社会が成立し、維持されます。
五感で知覚できないものが存在すると信じることを、「妄想」と呼び、
治療の対象になります。
仏典は、五感の知覚の記憶の伝達ですか。それとも「妄想」ですか。
87 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 19:51:58 ID:vAw0wGEA
>>82 >あなたが、2500年も前の釈迦や仏典を信じて止まないのはなぜですか。
横レスで申し訳ないのですが、それぞれに熱い思いを持ってお釈迦さんを仰ぐ人たちは2500年の時を越えたメッセージを受け取ったのですよ。
ふと手に取った仏典の些細な一節に心を安らかにしてもらった経験があるのですよ。
計り知れない深遠の入り口は、実に些細な安らぎと、ほんの少しの憧れなのです。
88 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 19:57:20 ID:6AhV52ST
>>86 >五感で知覚できないものが存在すると信じることを、「妄想」と呼び、治療の対象になります。
>仏典は、五感の知覚の記憶の伝達ですか。それとも「妄想」ですか。
私の「妄想」を治療しないでくださいw コワイヨー
89 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 19:57:41 ID:h6oHWjAe
>>87 その安らぎは、根拠も不明な大昔の開祖や経典からではなく、現実の
他者との係わり合いの中で、人間である他者から得るべきもの。それに
よって、人間社会が成立し、存続しているのです。
90 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 20:02:10 ID:h6oHWjAe
>>88 病人を治療しないで放置することは、人道に反しますよ。
酔生夢死の一生を送らせることになるのですから。
病気を治療するために、多くの病院があり、医者がいるのではありませんか。
91 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 20:12:36 ID:h6oHWjAe
お釈迦さんは、信者たちが「妄想」の中で生きることを教えたのでしょうか。 若しそうなら、「色即是空」だけでよく、「空即是色」は不要だったはず。 何故わざわざ、「空即是色」を加えたのだと思いますか。「無もまた 無である」と、わざわざ言っていますね。
>>90 >>酔生夢死の一生を送らせることになるのですから。
↑このような考え方をゴーマンチキと呼ぶのでありましょ。もしくは
余計なお世話と。自宅に押しかけて布教する人達の心象となんら変わりない。
93 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 20:20:31 ID:h6oHWjAe
>>92 精神病者を治療するのは、傲慢とは言いませんw。
94 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 20:31:38 ID:h6oHWjAe
色(1)=空(0) 空(0)=色(1) この両等式を加えると、色(1)=色(1)になりますね。空(0)と はなりません。
先生、それ以前に1=0が有り得ません。
96 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 20:39:33 ID:h6oHWjAe
>>95 だから、御釈迦さんは、わざわざ二つの等式を掲げたのです。
御釈迦さんは、実は物凄い真理を説いている。御釈迦さんは、低脳では
なかった。
97 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 20:43:15 ID:h6oHWjAe
御釈迦さんの真理は、非信者のほうがよく理解できる。信者の方々は、 もっとがんばってくださいw。
98 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 20:47:37 ID:ndUfjsJS
う〜む。 空無を語るターミネーターみたいなのが出てきたな。 眼から必殺の衆生本来成仏光線がでるぞ。 最早、人類が生き残る余地など全くないw
99 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 20:52:24 ID:Uvu+gpQf
M1終わったし誰かターミネーターやっつけておくれ人類のために。
100 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 20:56:38 ID:h6oHWjAe
>>98 御釈迦さんの知恵は、「人類が生き残る(即ち、ゼロにしない)」ため
の知恵なのですよ。
非信者さえ納得させる知恵が、普遍の真理なのです。「宗教内部」だけ
にしか通用しない真理は、真理ではありません。
こんなことを考えついた西洋の思想家は、唯の一人もいないはず。
101 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 21:08:15 ID:86ROZL0O
ちょーーーーーーーーーーーー仏教は 人類が生き残るための人類教ですかあああ? 間逆でしょおおおおお? 非社会性が仏教の面目でっしゃろ? 結論「人類は存続してもしなくてもいい。どちらでもいい。気にするな。」
103 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 21:16:36 ID:h6oHWjAe
>>102 仏教者は、よってたかって御釈迦さんを「低脳扱い」すべきではない。
見るに見かねた、非信者からの一言です。
もう一度、書いておく。 「人類の存続」にこだわらない唯一の宗教が仏教である。 仏教の特徴は非社会性と言っても、反社会的行為を容認するもの ではないことはデフォである。以上。 机さん、どう思います?
>>85-86 答えになっておりませぬ・・・w というか、“はぐらかし”に近いですね・・。
ま、いいです。
(前スレか前前スレかで、全く同じやりとりをしてますよね?
前スレ446(
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1228627644/446 )には返答がありませんでしたねw)
私は、実際は(この点に関しては)貴方の意見に9割方同意するのですよw(特に
>>85 などw)
ただ、今の貴方の答え方では、
独我論や懐疑論・不可知論(及びそれらの亜流)からの指摘に答えきれないのです。
映画マトリックスのように、「水槽の中で夢想している」可能性を誰も否定できないからです。
もし貴方が、感覚器官と脳による感受・入力・統合を想定しているなら、
その感覚器官が正常に機能していることを信頼する理由も述べてほしかった。
※ちなみに答えておくと
>仏典は、五感の知覚の記憶の伝達ですか。それとも「妄想」ですか
「五感の知覚の記憶の伝達」に決まっておろうが・・・w(脚色が入っている可能性を否定はせんが・・w)
現代の科学的知見を信じるのも、古の文献を信じるのも、そこに大きな違いはない。 勿論、大前提は「自らの五感と思考」を信じることだが、 それ以降も、所詮伝聞を信頼してゆくしかない。この構図に違いはない、ということだ。 禅宗が、なぜ前時代的な修行方法を護持しているかわかるか?彼らは「追体験」を重視するからだよ。 上で述べた「冷暖自知」を重視するからだよ。 お釈迦さんは(出家受戒を望む者に)「来たれ、比丘よ」と言った。(涅槃は「来て、見よ」と言われる。) それは、貴方が再三再四主張している 〔“自身の五感を信じる”こと、“同時代人の言動を信じる”こと、“それら言動が自らの五感で確認できる”こと〕と、 何ら構造を異としない。お釈迦さんは、「自分で確かめろ」と言っているのだ。 2500年?古い文献?笑わせんなw 同時代人のペテン師よりは信頼性は高いかもしれんぞw 政府発表にしろ、研究発表にしろ、嘘や誤認、見通しの甘さ、実験条件の不備等はつき物だ。 (「月面着陸がスタジオ撮影である」という説が、まことしやかに流れる理由が判るか? 子供たちがサンタクロースや節分の鬼を信じる理由、“信じなくなる理由”を考えたことはあるか?)
・(自身の)五感については、 ≪(成長に従う)経験の積み重ねによって精度が上がり信頼性も上がる。 また、現在まで生きながらえているそのことにより、五感が正常に機能していることが担保される≫ ・他者の言葉(≒伝聞)については、(上でサンガについて述べたように)、 ≪種々の周縁の要素が信頼性を担保する≫ ・そうした伝聞内容の信頼性は、 ≪自身が追体験(或いは疑似体験・相似する体験、或いはスケールダウンした簡易体験)をすることにより担保される≫ ・≪そうした蓄積をもとに、類似した事例に関してはそのままの比較検討により、 そうでない場合でも、手にした情報を総動員して類推する≫ 畢竟、『経験・情報の蓄積、情報の整理統合、類推』が信頼の基礎なんだよ。 このように答えてくれるものと思っていたのだが、買い被り過ぎだったようだ・・・。
レベルの低い合理主義者は、近代仏教学(ニヒリズムに歪められた東洋哲学)を好むのですね。
109 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 23:11:12 ID:h6oHWjAe
>>105 >その感覚器官が正常に機能していることを信頼する理由も述べてほしかった。
人間は、徹頭徹尾、共同体的存在。従って、共同体(広くは、人類共同体)の
不特定多数の成員の平均的知覚との対比によって、正常・異常を判断する。
「異常」「病気」とは、不特定多数人の平均値からの有意な偏移をいう。人間
が独りで生きているとすれば、どのような「異常な」知覚であっても、当人に
とっては、「正常」である。「異常」の判断基準が存在しないからである。
>>107 > 畢竟、『経験・情報の蓄積、情報の整理統合、類推』が信頼の基礎なんだよ。
>このように答えてくれるものと思っていたのだが、買い被り過ぎだったようだ
五感の知覚による判断は、物の実在・非実在だけに係るもの。従って、
「経験・情報の蓄積、情報の整理統合、類推』は、必ずしも問題にはならない。
見たことも、聞いたこともない物の実在の判断の場合を考えて欲しい。
物の実在・非実在の判断においては、経験も情報も思考も要しない。
しかし、現実界(実在界)においては、すべての情報及び類推も、究極的には、
自己又は他者の五感の知覚(の伝達)を基盤とする。さもなければ「妄想」で
ある。
110 :
神も仏も名無しさん :2008/12/21(日) 23:24:43 ID:wt3eG5Q/
初代スレ7さん、今日は色々ありがとうございました。 エゴなのか、心が喜んでます。 おやすみなさい
前663>釈迦は、己の肉体に依存する生命で考えた →次の「この一尋の身体に即して」でしょうか。 友よ。わたしは、世界の終極に達しないで苦しみを消滅する、と説くのではない。そうではなく て、意識もそなえ心もあるこの一尋(ひろ)の身体に即して、世界そのものと、世界の生起と、 世界の止滅と、世界の止滅にみちびく道とを説示するのである。… 世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となるであろう。 かれは、悪を静めて、世界の終極を知り、この世をもかの世をも望まない」と。(相応部 2.3.6) 註 世界の終極ということを、一般世人は空間的物理的な意味に解していたが、 初期の仏教はニルヴァーナの意味に解していたことが解る。 前679>仏教では、聖者と凡夫では知覚領域が違います →宿命通は五蘊の記憶である、とあります。 もろもろの沙門・婆羅門のなかには、いろいろと過去世のことを記憶しているものがあるが、 それらもすべて、人間を構成する五つの要素(五蘊)、もしくは、そのいずれかを記憶して いるのである。(相応部 22.79) また次のように、通常いうところの神通力は、いやしく、下劣で、聖者の修めるものではなく、 愛すべき欲望の対象を、捨て、離れることこそが、聖者にとっての神通力である、とされます。 この神足は卑賎・下劣にして凡夫の行なうところなり。これ賢聖の修習するところにあらず。 もし比丘、諸々の世間において、愛色に染せられず、これを捨離しおわり、行ずべきところの如くなり。 これを名づけて賢聖の神足となす。(長阿含・自歓喜経 大正蔵1巻76ページ下段)
112 :
初代スレ7 :2008/12/22(月) 00:14:54 ID:vqHGvWUK
>>109 言わんとする所は解る。
他者の経験(知覚)(の表明)との比較や、経験(知覚)が反復されることによる
「自身の経験(知覚)の検証」が重要であり、その為には、他者が居て、外界が無ければならない。
が、今の対話の流れに於いては、
「生存を脅かすような(判断ミスを誘う)知覚」が「異常」であり、「生存を脅かさない範囲の知覚」は「正常」である、
という見做しで十分じゃないか?(熱さを“正常に”感じられなければ火傷を負うことになる。水風呂に入って風邪をひくかもしれない。)
その上で、自身の五感(による知覚)が信頼に足る理由を問うてきたのだ。(正常異常の線引きにそれほどの重要性はない。)
後段に関して。 貴方は、
>>86 に於いて
>五感の知覚は記憶が可能であり、その記憶は、言語によって他者に伝達することが出来ます と述べた。
>>109 に於いては
>すべての情報及び類推も、究極的には、自己又は他者の五感の知覚(の伝達)を基盤とする と述べた。
“(自身の)知覚” は “経験” ではないのか?
“記憶される” ということは “情報が(経験が)蓄積される” ということではないのか?
“言語によって他者に伝達されたもの” は “情報” ではないのか?
“伝達された他者の知覚” は “情報” ではないのか?
“類推が、自己又は他者の五感の知覚(の伝達)を基盤とする” ということは、
“経験・情報の蓄積をもとに類推する” ということとどこが違うのか?
そして、非実在とされる「愛」や「友情」、「喜び」「悲しみ」、或いは「思想」「概念」etc.etc.
これらは“情報”として扱えないのか? 知覚不能なのか?
法境が立てられ、意根が立てられ、意識が立てられる・・。五蘊十二処十八界は伊達じゃねーぞw (前スレ442・446参照w)
(私も人のことは言えないがw)貴方もなかなか詰めが甘いw
てか、甚だしくスレチだな・・・w この件はこれで終わりにします。申し訳ない・・・ m(_ _)m >>ALL
>>110 どういたしまして。 おやすみなさい。 ノシ
113 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/22(月) 07:21:10 ID:u90jy9UM
>>102 >非社会性が仏教の面目でっしゃろ?
まったくその通りですね。
釈尊が菩提樹の下で瞑想に耽ったのは、
これは社会的規範とか、倫理とか、そういった諸々の想念を断絶したお姿なのでありまふ。
つまり悟りというのは、社会性というベクトルの一瞬の断絶した、その瞬間の直覚でありまふ。
こういった釈尊の手法をそっくり真似た(模放した)のが菩提達磨でした。
禅定というのは、静中禅でも道中禅でも非社会的空間を体験することに他なりません。
直覚といふのは突然にやってくるのです。
道元ですと、禅定中のドサクサ紛れに身心脱落を起こしたよぉに。
ある僧は、石が竹に当たった瞬間とか、
あるいは、裏山のセセラギを聞いている最中とか、
また、秋虫の声で突然に目が開く、といふこともありまして、
まったくもって無為・無心において開眼するのであります。
(つづく)
114 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/22(月) 07:22:59 ID:x6CtKM6L
(つづき) ここにいらっしゃる輪廻肯定派の御仁にしても、いろいろと「あの世」について想念を巡らせ、 もう疲れ果ててヨロヨロと川辺に立ち、 あの世へ逝くなど決心し、いざ川に飛び込まんとするその刹那、 目が開く、といふこともありますね。 目が開くとどうなるか?と言いますと、 オウムのように「民衆救済」とかは一切考えなくなりますね。 何故かと言いますと、救済せんでも世界は既に悟っている。 ってことを明確に達観してくるのです。 (これを空観とか言いますね) この空観だけでは世俗で生き抜くのは至難だありまふ。 ですから、世俗とどうのか馴れ合って生きましょうよ。 ってことで、 色即是空の次に→<空即是色>が書かれておるわけですね。 この空即是色は、善行とか悪行とか、この二項から解脱しました 人間の自由の境地でであります。 どうか「輪廻」の呪縛から離れて、自由な人生を楽しんで頂きたいと願っておりまふ。 (これはロムってる一部の方へのメッセージです)
115 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 07:40:56 ID:/S4iGNy6
なんだかなぁ・・・。 先の大戦で仏教学は帝国主義の道具に使われたこともあったけど、使いようによっては共産主義的全体主義の道具にもなるんだなあ。 といういい見本をみせてもらったよ。 世の中が進んでID:h6oHWjAeのような人たちがふえると私も「異端者」として粛清されたり「治療」と称して洗脳されたりロボトミー手術されたりするようになるのだろうか。
116 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 08:24:11 ID:FWfOzL9d
>>113 こっちはこっちでアナーキストか。
仏教を学ぶものは奇人変人か。
普通の人で、お釈迦さまの愛好家を求む!(大至急)
117 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 08:36:15 ID:8FLq5fX4
>>79 我という脚下(立脚点)の危うさに気がついた人こそ虚空を軽やかに飛翔する翼を求めるのだと思います。
>>101 ID制だから、インチキしてもばれちゃうよね(苦笑
118 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/22(月) 09:29:55 ID:u90jy9UM
>>116 >普通の人で、お釈迦さまの愛好家を求む!(大至急)
「普通の人」といいますのは、常識的な人ということですか?
だったら、
そういう人は仏教にはそもそも向かないかと思います。
社会通念とか、常識に囚われておったら釈尊の本義に到るには至難です。
釈尊の出家の経緯は既にお分かりかと思いますが、
禅の六祖・慧能も変人でありました。
(母を捨てて出家した)
一休宗純も変人ですよね。
(狂気の悟り。ともいわれた)
かくいう拙者も奇人・変人の部類に入るかと思われ。
どうか宜しうに御教示くだされまし。
<机龍之介・花押>
119 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 10:47:52 ID:GtDJyn3+
>>114 >救済せんでも世界は既に悟っている
これが大事なことですね。世間は、生活の中において既に悟っている。
社会性の基礎ですw。悟っていないのは、生活を離れて悟りに執着し、それを
求める宗教者だけということになる。
机先生は、奇人・変人どころか、彼らに真の悟りとは何かを教える、偉大な
常識人ですw。
120 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 10:55:34 ID:x3KLBppL
こうして偉大なる現実肯定、安易な本覚思想に流れていく・・・・ 「憂き世」から「浮き世」に変化していったように・・・・w 日本特有の現象ですなw
121 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 11:03:25 ID:GtDJyn3+
>>120 日本人の「賢明さ」だと思うよ。
だから、鎖国までして、キリスト教の進入を防いだ。当時の為政者は
偉かった。
122 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/22(月) 11:09:32 ID:x6CtKM6L
>>119 そおなんですよね。
これを眼横鼻直といいまふ。
0(ゼロ)の発見のように、
あまりにも簡単過ぎるのが、
これが一番難しいのです。
123 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 11:11:38 ID:x3KLBppL
「五感で認識し得るもののみが現実である」と信じるよう大脳は設定されております。 しかし、時として幻肢のようなことも大脳はやってしまう。 まあ大脳に100パー信頼を置いて依存しないと、ご飯も食べれない・・・ でも、なんでご飯を食うんだ? 大脳が食えと命令するから 大脳は死にたくないんだね 大脳は快楽を求める性だからね。 でも本当に腹が減ってるのか?
124 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 11:26:48 ID:GtDJyn3+
>>123 幻肢も、幻覚も、食欲異常も、共同体の不特定多数人の平均値から有意に
偏移していれば、「病的」として、精神医学による治療の対象になります。
125 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 12:18:49 ID:agk7kXSW
>>117 >ID制だから、インチキしてもばれちゃうよね(苦笑
↑ 意味不明。どういう意味ですか? (・・?)
ID制だから、勿論、はっきりご隠居氏とは別人って分かるでしょw
何、寝ぼけてるの?イヤガラセまでして・・・(苦笑
126 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 14:05:30 ID:ehGXX7oi
>>125 >↑ 意味不明。どういう意味ですか? (・・?)
私の勘違いですよ。ごめんあそばせ。
127 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 14:25:02 ID:ehGXX7oi
出来の悪い養老孟司のコピーみたいなのが、寄って集ってえらい勢いだな。 唯物論が唯脳論になって中途半端な仏教理解をつっかい棒にして、いつのまにやら勘違いなナショナリズム高揚の道具にしているんだよなぁ。 世間じゃウケているんだろうけど、あんなの本気にする輩はお里が知れてるわな。
128 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 17:21:17 ID:cMOwpCE/
129 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 17:35:47 ID:eVIcW9P+
>>128 あなたも勘違いですよ。ごめんあそばせ(笑
130 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 17:38:55 ID:gIGi3zRi
>>114 >>119 >>救済せんでも世界は既に悟っている
>これが大事なことですね。世間は、生活の中において既に悟っている。
俺の嫁や知り合いなどいわゆる世間が悟っているとはとうてい思えない。
あんたの嫁やガキやいじわる上司は何を悟っているのさ。
だからこそ無明が逆命題たりうる。
わがまま、ヒステリー、居直り、自己中、エゴイスト、エエカッコしい、イケズ、腹グロ・・・・
先祖供養に強欲自己中現世利益至上主義 が悟りかよw
無常=無我=縁起=空=中道を自得し、出世間のまなざしで世間の只中で生き直すこと、
これがブッダの四聖諦の趣旨だろう。
世間が悟っているのなら、全仏教はトンチンカンで愚昧な思想史の1ページに叙述されて、
あとはかいさ〜〜〜〜ん!!だな。
ご苦労
131 :
初代スレ7 :2008/12/22(月) 17:52:01 ID:vqHGvWUK
>>130 言葉遣いや言い回しは下品で乱暴だがw、
「煩悩即菩提」や「本覚」、或いは「悉有仏性」の“濫用”に対する警告としては秀逸だ。
>無常=無我=縁起=空=中道を自得し、出世間のまなざしで世間の只中で生き直すこと
「出世間のまなざしで世間の只中で生き直す」
2chで感動したのは久しぶりだよ・・w (同時に耳も痛いがな・・w)
;´ー`)y━~~
132 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 18:02:11 ID:gIGi3zRi
ブッダは看話禅や老荘思想等の因果撥無の自然外道主義者ではない。
133 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 18:05:43 ID:fQuTzH9B
>>130 あるがままの現実を受け入れ、そのなかに価値を見出して、安心立命を
得るのが、「悟り」なのだよ。人間が生きている限り、どう足掻いても
現実から逃避することは出来ないのだから。
他者が気になれば、「一切衆生悉有仏性」を思い起こすべし。
釈迦はそのために「色即是空」を説いたのではないのかな。
134 :
初代スレ7 :2008/12/22(月) 18:08:04 ID:vqHGvWUK
>>133 「出世間のまなざしで世間の只中で生き直す」
135 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 18:16:31 ID:x3KLBppL
良いおもちゃを手に入れたねw
136 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 18:24:46 ID:gIGi3zRi
>>133 たとえば、株式市場や国会に安心立命の悟りとやらがあるのかい?
137 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/22(月) 18:32:02 ID:x6CtKM6L
>>130 一休の「死にとうない」も、
道元の「眼横鼻直」も、
良寛の「裏を見せ 表を見せて 散るもみぢ 」も、
人それぞれに自分の心で受止めたなら、
そりゃ〜十人十色、いろんな考えがあって当然ですね。
言葉は言霊(ことだま)と言いまして、不思議と内心がアカラサマに出ます。
貴殿の書込みも当然支持します。
いろいろな論客の書込みを拝見しまして、
大変参考になりますね。
このスレは、宗教板の名スレになる悪寒はします。
必死こいて書込みしておる御仁もおりますし、
実は必死になるのは重要なんです。
人生とは、「成りきり」なのでふ。
飯食うときも、糞するときも成りきって生きて逝く。
<世の中は、食うて糞して寝て起きて、さて其の後は死ぬるばかりよ>by一休
138 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 19:16:45 ID:fQuTzH9B
>>136 一生懸命やってることの中に、安心立命を見出していると思うよ。
人間にとって、幸せな人も、不幸な人も、「いまここに精一杯生きている」
ことが、実は最大の幸せなのです。自殺志望者でも、他人から殺されようと
すると、必死に抵抗しますね。
139 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 20:21:35 ID:COMJn817
さて。 いい余韻に浸っておりますが、このスレも一先ずは出尽くした感じでしょうか?
140 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 20:39:14 ID:9iFYH2+Z
******************************************************************************************
☆★ 輪廻転生を信じたいのは何故ですか?
■ 輪廻転生を一言でいうなら、古代インドの特権階級のアーリア人のバラモンたちが、
末代までも体制維持するために考え出された「カースト制度」の為の方便です! ★☆
_
/〜ヽ プルルン♪ ★ そんなものを認めたら宗教などの支配階級に
(((。・-・))) プルルン♪ <脅しと甘言>で良いように利用されてしまいます。☆
゚し-J゚ プルルン ルン♪
★ キリスト教のパクリはここを参照 ↓
■
http://video.google.com/videoplay?docid=1431037135738418803 ■
******************************************************************************************
141 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 22:06:54 ID:x3KLBppL
そんなものを認めたら宗教などの支配階級に <脅しと甘言>で良いように利用されてしまいます。☆ またか・・やれやれ あんたもう少し宗教史勉強したら? 宗教はいつの時代も世俗の権力に対抗しうる唯一の勢力だって知らなかった?
142 :
神も仏も名無しさん :2008/12/22(月) 23:57:42 ID:WSfIIzdL
>>141 >宗教はいつの時代も世俗の権力に対抗しうる唯一の勢力だって知らなかった?
冗談じゃない。キリスト教は、ローマ帝国にべったりと癒着したから、今日が
ある。布教のためには、手段を選ばない。殉教、強制改宗、異教徒の大虐殺、
もはや狂気である。
それに、「世俗の権力に対抗する」とは、世俗を支える圧倒的多数の民衆にも対
抗することにもなる。一向一揆、法華の乱を見よ。
なんだ机。最近見ないなと思ったら、こんなとこで遊んでたんだな。 あいも変わらず邪険をばら撒いているようだな。 最近みなかったので、てっきり死んだものだと思っていたぞ。残念だ・・もとい、 元気そうでなによりだ。 てか、お前の仏教は釈迦の仏教とは違う。いいかげんそのことに気付や。 せめて今生の終わるまでの間に、それくらいは気づこうや、机。釈迦の仏教は、君の能書き のような、ただの詭弁ではないのだよ。
ここの生命教のご隠居とかいう引きこもりの屑の能書き聞くと、まるで 原始経典にある、悪魔ナムチと、釈尊の会話を思い出し、こいつの能書きは まんま、悪魔ナムチの能書きそのままだってことに笑える。 あのさ、釈迦の仏教は、完全に唯物論じゃないんだよ。唯物論どころか、オカルトに近い。 どう読んでも、輪廻思想があるしな。それを無いことにしてしまう君らのエゴには、 恐れ入るしかないな。 隠居のような、唯物論を得意げに語る人のことを釈迦は、凡夫とよび、お前のような がちがちの唯物論者のことを無明に囚われた者だといったんだよ。
>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。 >もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、 >生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。 >生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、 >生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるのである。 >『ウダーナ』8章3節<不生不滅> 原始経典には、このように現象世界以外の、生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。 と、はっきりと書いてある。またそのような境地があるからこそ、苦しみでしかない、この現象世界(物質世界)から脱することが できると、はっきりと書いてある。おまえらがいくら小難しい御託を並べようと、仏教はこれが全てだ。それ以上でも、それ以下でもない。 釈迦の仏教を簡単に、誰でもわかるようにかいつまんで簡単に説明するとこうだ。 生き物は輪廻する。それは真理を知らない無明により起こる、この物質世界であるこの世に対する愛執がおもな原因である。つまり、真理を知らず その無知からこの世に執着し、この世を思う者は、それが縁となって、又この世に生まれてくる。だがこの世の生存。どんなに金持ちになろうとも なにひとつ永遠のものは無く、いずれ生老病死で幕を閉じる、この肉の生存は苦しみでしかない。苦しみの終焉は、再びこの世へと 生まれてこないことだ。それは輪廻の輪を断ち切ることに他ならない。ならばどうやって、その輪廻の鎖の輪を断ち切るか?それは八正道を 今生において納めることである。八正道とは、この世の生存、この肉の生存とは苦しみでしかないという真理を悟り、その苦しみを終焉するには どうすればいいかという真理を悟り、瞑想により、煩悩を拭い去り、また、その境地を知り、 また、真理にいたる道への実践の為に、道徳に即した、正しい生活を送り、今生を生きる。八正道とは、輪廻の鎖を絶ち、真理にいたる道への実践である。 その重いからの物質世界である、肉の生存は
八正道を否定する者は、もはや釈迦の仏教ではなく、外道である。 道徳を否定する者は、これもまた、釈迦の仏教とは違う道を行く、外道である。 道徳の完成こそが、真理に至る道なのだ。イエスはそれを身を挺して示した。 禅や、創価などの日本の末法仏教徒達は、八正道も知らない御仁がたくさんいる のには、呆れるばかりだ。 彼らは法華経や、般若心経は読むが、肝心の原始経典は、ほとんど読まないらしい。
ゴータマは、この物質世界はなにひとつ永遠不滅のものは無く、いずれは消えてなくなる 幻だと説いた。それは、この物質世界を認識する、五感による知覚。その知覚も永久にあるわけではなく、 五感によって得られるどんな快楽も、永久にとどまるものではなく、すぐに消えてなくなる幻、 そしてそれを認識するこの意識、そして思考も、それらに付随する、この肉の自我も死んでこの肉が滅びれば 共に滅びる幻だと説いた。そしてそれらのものは苦しみでしかないものだから、そんなものに執着するなと説いたのだ。 そんなことも知らずに、この五感に感じるものこそが現実だと、タダの唯物論を得意げに語る隠居とかいう引きこもりの 屑が、何も知らずに、仏教マンセーしてる様は、真に笑える。
誤謬に満ちた末法仏教の走り、竜樹の誤りは、釈迦は
>>145 にあげたウダーナの一節に
あるように、明確に、幻で、苦しみでしかないこの物質世界以外の境地があるといっているのに、
その境地は無いものにしてしまい、無自性な空でしかないこの物質世界を説明することだけで、
釈迦の仏教を完結してしまったことにある。彼以後、多くの仏教徒は邪険に次ぐ邪険で多いに迷い、
真理から大きく離れることになる。一切皆苦。ゴータマは、一切、つまりこの世の肉の生存は
苦しみでしかないと説いた。なのに今の末法仏教徒達は、この物質世界。つまりこの一切の中に
涅槃を探している。
あ、俺は別に今のキリスト教徒達が考えているあの世の生存などあるなんて 言ってないし、考えてもいないよ。あるのはこの世と、涅槃静寂。涅槃静寂とは、安息の日。 苦しみとは、見るものが、見られるものを自我と認識することにある。 ヨーガとは、今の思考を止滅させることにある。そうすれば、見るものは、本来の姿に安住するだろう。 そこに苦しみの終焉がある。
150 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/23(火) 07:12:46 ID:HdWnrrN9
カラスの唄どの、お久しぶりです。
>あいも変わらず邪険をばら撒いているようだな。
おそれいります。
>ここの生命教のご隠居とかいう引きこもりの屑の能書き聞くと、
しばらく宗教板はご無沙汰しておりますので、ご隠居どのとは絡んだことがありません。
しかるに、隠居どのの教説など縁がありましたら教示願えれば有難い。
>>145 >原始経典には、このように現象世界以外の、
>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
そんなことは書いてありませんですね。
特別に解説します。
この文意とは二項対立の矛盾を書いてあるのです。
この文意を理解するには、非常に高度のスキルが必要です。
>>148 >誤謬に満ちた末法仏教の走り、竜樹の誤りは、釈迦は
>>145 にあげたウダーナの一節に
>あるように、明確に、幻で、苦しみでしかないこの物質世界以外の境地があるといっているのに
いやいや、竜樹の言説にピタリ一致しておりまふ。
よぉく文意を確かめなされまし。
151 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 08:34:33 ID:1b9PDIUg
>>69 >原始仏教は、オウムを生み出した、単なるカルト宗教に過ぎません。
後世の経典を増広だとか仏教文学だとか捏造だとか言って自説に不都合な部分を排斥するのは、人情としてわからんでもないが、釈迦の過ちを後世が正したとして初期経典自体を排斥して仏教を信じるという姿勢は病気としか思えん。
152 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 09:49:01 ID:xdRgcnCV
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪ 既に申し上げたように、仏陀は、時代も全く異なる2500年前の社会 において、当時の人々に対して教えを説いたのです。 「真理」とは、社会の変化にも適応できるものでなくてはなりません。☆ 仏陀の教えも、彼が現在生きていたら、何をどう教えるか、の点から 解釈しなければなりません。 ■ 時代も異なる大昔の経典の「言葉」だけにしがみつくことは、単なる 狂信であり、カルトです。 ☆★ 釈迦が、そんなことを望んだでしょうか。彼はそんな愚か者ではないと 信じます。 彼の偉大さは、その「無の思想(関係性の原理)」の発見により、その 後の巨大な大乗仏教の体系の確立を可能にしたことにあると思います。 さもなければ、後代の仏教者の膨大な努力の意味は、一体何だったので しょうか。 (*^。^*) □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
153 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 10:49:17 ID:ZGKxT0RM
>仏陀の教えも、彼が現在生きていたら、何をどう教えるか、の点から解釈しなければなりません。 お釈迦さんの金口に一番近い初期経典の説を勝手に取捨選択しておいて、お釈迦さんの代理人を気取るのはやめてくれ。 >後代の仏教者の膨大な努力の意味は、一体何だったのでしょうか。 お釈迦さんの言葉ですら、まともに受け取れない人が後代の祖師の言葉をまともに受け止められるはずもなし。 なにも仏教を引き合いに出して苦しい経典解釈しなくっても、自分教だけでいいんじゃないの?(*^。^*)
154 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/23(火) 11:11:53 ID:HdWnrrN9
>>150 の続き
>生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
>もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、
>生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
>生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
>生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるのである。
>『ウダーナ』8章3節<不生不滅>
________________________________________________________________________________
この経典は、カラスどのが貼り付けして下さった優れた内容です。
もちろん、あの世があるのか?あの世がないのか?に即対応します。
>この文意とは二項対立の矛盾を書いてあるのです。
>>150 改めて思うには、やはり仏教は不二の法門であることを根拠にせねば、回答は得られず。
かように思いまふ。
155 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 12:22:56 ID:GSEYbS8U
>>150 ウダーナのその節は要するに「中道」をなんとか伝えようとする苦心の表現だな。
金剛般若経と同じように、感じてはいるんだがどう表現していいか四苦八苦しているように思える。
愛している彼女にどう告白すべきか迷う若者のようだw
このことを中道やでっと、ズバッと表現して見せたのがナーガールジュナさ。
稀代の魔術的レトリックでナンパ口説きの名人だだな。
「生じないもの」VS「生じたもの」の二項概念対立を
中道というメタコードにて解すれば足りること。
我々はナーガールジュナを通っているのだから、簡単なことだ。
それにしても、またオバカラスの空騒ぎかよw
おまえ、アパートの家賃ちゃんと払えよ。
156 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 12:53:16 ID:O8TxZ+t/
色即是空空即是色を安易な現状肯定、無事禅と勘違いするひとに 「如来は如来ならざるが故に如来と呼ばれる」は理解できまい。 直訳すれば、色は空性を包摂し、空は色性を包摂する。 これが、ぐるぐる行ったり来たり、回っているようにしか見えないようなら ただの板担ぎ野郎だ。 空と空性の違いくらい理解しないとな。
157 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 13:02:36 ID:GSEYbS8U
それにしても >(そのような状況から)脱し、離れること←ウダーナ という表現はいかにも稚拙(な訳)だよな。未熟な表現だ。 ウダーナ書いた奴、大丈夫なんかいな。 これではいかにも西欧的弁証法論理を予定しているように読める。 もっともあの時代に予定していたら実はスゴイのだが・・ 良い子の皆さんはあくまで勝義中道で感じるようにいたしませうw
158 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 13:10:12 ID:GSEYbS8U
>>156 おまえなんでそんな興奮してんねんw
>中道というメタコードにて解すれば足りること、ってかいてるやないか。
159 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 13:38:19 ID:LwJ3UdTs
初代スレ7氏が渾身の名レスを
>>49-50 >>52 したのにもかかわらず蛙の面にションベンな人達。
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1 ID:GSEYbS8U
160 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 13:53:09 ID:PqMz6OD3
>>155 >「生じないもの」VS「生じたもの」の二項概念対立を
>中道というメタコードにて解すれば足りること。
中道もコードには違いないが、メタコードととって得々としてちゃ、
なんもかわらんで、虚しい慢心だけが残る
机さんとほとんど同じ。
161 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/23(火) 15:00:45 ID:HdWnrrN9
>>169 >初代スレ7氏が渾身の名レスを
>>49-50 >>52 したのにもかかわらず蛙の面にションベンな人達。
初代スレ7氏の書込みは、拙者は良く書かれてあるかと思いまふ。
ただ、
> 『表』 .: 『裏』
> 『ある』 : 『ない』
>『存在する』:『存在しない』
>『実在する』:『実在しない』
ここのところで、「ッア!」と思ったのですが、
拙者が余計な書込みをしますと、スレが荒れるかと思い
ここは華麗にスルーしてしまったのです。
(本当に申し訳ありませんでした)
>>155 氏には同意です。
>稀代の魔術的レトリックでナンパ口説きの名人だな。
龍樹菩薩はプレイボーイだったらしいね。
162 :
156 :2008/12/23(火) 15:04:41 ID:O8TxZ+t/
ほー 俺の糞駄文なんぞに反応するやつがいるんだw てっきり無視されると思ったんだが・・ 釣る気がないのに、空の針に雑魚が掛かった・・・みたいな、ちょっとした驚き
163 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 15:06:21 ID:JE3PZ/P2
/ ̄| . 人 | |. (__) イェ〜ィ! 色即是空の次に→<空即是色>が書かれておるわけですね | |. (__) ,― \( ・∀・) ■ <空即是色> が書かれていることが凄いこと!!■ | ___) | ノ | ___) |)_) | ___) | ヽ__)_/
あいも変わらず、机を代表する唯物末法仏教徒達は、馬鹿ばっかりだな。 ま暇が出来れば、また遊んでやるよ、机。
165 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 15:37:40 ID:PqMz6OD3
>>164 言ってることは机さんと変わんない。
ただ、カラスさんは、二諦バラバラでもサマタが必要なことは分かっている。
これは外道やオウムレヴェル。
仏教は、その定中にヴィパサナで無我・空を悟ることが重要なのです。
なんど、言っても分からないでしょうが。
166 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 16:21:02 ID:3hqkGvPD
>>159 >初代スレ7氏が渾身の名レスを
>>49-50 >>52 したのにもかかわらず蛙の面に
>ションベンな人達。
「色即是空・空即是色」は、「表裏」「有無」などを言ってるのではない。
それらを超越・統合した概念。例えが悪かった。
それに、人間は、素朴実在論以外では、そもそも生存できない。素朴実在論的
という言葉はおかしい。「本当は、一体どっちなんですか」という疑問が生じる。
選択的・両義的な「実在」などありえない。
167 :
156 :2008/12/23(火) 18:40:49 ID:O8TxZ+t/
で、だれか शून्य とशून्यता の違いを頭の悪い連中に教えてやってくれ。
168 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 18:48:30 ID:v6XkXBRA
考えてみればわかるのですが「仏陀は再誕しない」という概念を、一体、いつの時代の仏陀がいい始めたのでしょうか? 誰がその概念を提示したのでしょうか? はっきり言って間違いです!(笑)
169 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 18:53:07 ID:v6XkXBRA
ただ、仏陀は転生を説きました! 輪廻転生は真理です。(笑)
170 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 19:41:44 ID:f0iirWP8
>ただ、仏陀は転生を説きました! >輪廻転生は真理です。(笑) 「輪廻転生が真理」かどうかと「仏陀は転生を説いた」かどうかは別の問題だよね? まあ、お釈迦さんが輪廻を前提に教えを説いたのは、覆しようのないとこだよね。 「無我と輪廻は両立しない!」とかいう人は、「矛盾した教えを説きやがった!」と言って、お釈迦さんを責めるといいよ。
171 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 20:07:44 ID:BuONqiHv
>お釈迦さんが輪廻を前提に教えを説いたのは、覆しようのないとこだよね。 テラワダの視点ではそうだろうね けど弟子の創作が実際は含まれてるしね
172 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 20:24:17 ID:GSEYbS8U
カルト生き残りのための議論の蒸し返しは止めな。 非生産的だ。
173 :
170 :2008/12/23(火) 21:12:49 ID:f0iirWP8
>テラワダの視点ではそうだろうね 大乗でも金剛乗でもそうだろう? 仏教は(現代人の目から見たら)非科学的で奇怪な教えなんだから、無理に合理的に解釈しなくてもいいじゃん。 (「仏教は心の科学」なんて言い草は、某部派仏教の宣伝マンにでもまかせておけばいい) 古い仏典でも、新しい仏典でも「輪廻」を前提に語っているんだからどうしょうもない。 それが嫌なら「お釈迦さんはカルト教祖だ!」ときちんと言えばいいのに。 (それを考えると、前スレの某ピカさんの発言は潔かったね)
174 :
宝珠愚者 :2008/12/23(火) 21:19:55 ID:Xn9iKqYZ
とにかく、取り合えず原始仏典を読むようにはすべきでしょうね。 これは問答無用です。大乗経典の成立の経緯からみても、まずは原始経典を読まなければ仏教は見え てはきません。 「要するに、アーガマもなし出家修行もなしでは到底、仏陀の説く境地の達成は諦めざる得ない状況と 判断したのです。」(スレ#2/610) 原始経典はゴータマ直説といわれている経であり、大乗諸経典とは全く異なる。では大乗経典の何がど うダメなのか? つまり、ゴータマ直説というのは何を意味するのかというと、これはニルヴァーナに到達した仏陀ご自身、 自らがそのご自身の体験に基づいてニルヴァーナに到達するための方法とその教えをそのまま説かれ ているもの。であるから、これは事実に基づく、ゴータマの実際の体験に裏打ちされたものなのです。それ に対する大乗諸経典の教えというのは、アーガマを持たない異端派(アーガマは小乗グループが所持す る)であり、アンチ出家修行としてのグループによるオリジナルの内容なのです。従って、仏陀が説いたも のではないので、ニルヴァーナに到達できるという裏付けが一切ない。また仏陀の境地を半ば諦めたグル ープでした。悲劇はアーガマを所持するグループが山林に篭ってしまったことにあった・・。大衆の支持と 信仰を集めた大乗と、一部を除いて小乗経としての不遇な扱いが続いたアーガマ伝承の原始経典との対 比が今日に見る大きな溝になっているのです。 「これに反して文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来するものであり、 弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けようとし、了解 しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。 かくの如くにして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応している諸 経典は消滅してしまうであろう。」(スレ#2/700) しかしながら、仏教学の発達によってゴータマ直説経と大乗経(非仏説)という大別が判明した今日、私た ちは大乗経からの条件付けを解いて、今一度、素直な心で原始経典の説くゴータマの声に耳を傾けるべき なのです。
175 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/23(火) 21:23:35 ID:AJnq9ndc
>>164 >ま暇が出来れば、また遊んでやるよ、机。
また遊んでください・・・。
つうか、
経典を提示したら、安直に解しないで、
当時、書かれた時代を偲んだり、
また書いた修行者の心象を想像するのもイイかもしれんね。
ウダーナは苦心の作とも言えるが、
一方では謎めいた、故意に解りにくい表現になっている。
こういう類の経典および論書といふのは、
いかにもアカデミックであることを装うもんだよ。
どしてか?と言いますと、
経典の解釈を求められたら講釈するため。
まあ、講釈垂れたがるので禅では多くの論書が残されておるんです。
では、おやすみ。
176 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 22:01:39 ID:BuONqiHv
>>174 >原始経典はゴータマ直説といわれている経であり
妄想
177 :
宝珠愚者 :2008/12/23(火) 22:38:20 ID:Xn9iKqYZ
文献学的考証に対する扱い 「近世以降の「大乗非仏説」説では、文献学的考証を土台とし、仏教が時代とともにさまざまな思想と の格闘と交流を経て思索を深化し、発展してきたことを、「実際存在する/伝わった経典を証拠に、事 実として示す」のが特徴である。 文献学研究の結果では、時代区分として、初期仏教(原始仏教)の中 の仏典『阿含経典』、特に相応部などに最初期の教え(釈迦に一番近い教え)が含まれていることがほ ぼ定説になっており、少なくとも「大乗仏典を、歴史上の釈尊が説法した」という文献学者はいない。」 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) 少なくとも原始経典を読まなかったり非下し、原始経典の中のゴータマの姿をバラモン外道、呼ばわり などはもっての外---論外なのです。
178 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 22:58:29 ID:UyZ233wk
直接仏陀やイエスに会ったことも話したこともないのに、
>>170 や宝珠愚者氏の
ようなしつこい輩(=宗教が人生の目的のようになってしまう=宗教にのめり込む人=
宗教者・指導者=布教が仕事の人=24時間2ch・・)が沢山出るから宗教は有害w
こんなに解釈が分かれるということは、もう宗教団体を解体した方が良いのでは?
大切なことは、今=ここ=現実社会で自爆テロや宗教紛争、オウムのような事件・
犯罪・・・を起こさないように努力して宗教の弊害を改善すること。
美しい教義を掲げる宗教は、冠婚葬祭等の社会に貢献する仕事以外は、ボランティア
ですることこそ、それにふさわしいのではないか?
信者の美しいボランティアの心を見て全知全能の神仏は感心してお金位は、簡単に
出し恵んでくれるでしょうよw きっと・・
179 :
宝珠愚者 :2008/12/23(火) 23:34:57 ID:Xn9iKqYZ
>>178 では、無神論者や唯物論者は犯罪を犯さないと?
180 :
神も仏も名無しさん :2008/12/23(火) 23:38:52 ID:BuONqiHv
>>117 「含まれていること」と改変や挿入が無いのは別の話。
181 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 03:00:21 ID:EHNxw3Fy
182 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/24(水) 07:13:10 ID:I2Cca0uK
>>177 釈尊は人間でありますから、何から何まで全て悟った訳ではない。
法(ダルマ)はひとつだけ。
これは全て初転法輪に集約されている。
(人間は、重要なことは最初に語ちる)
この法において、全てが解明されておるんですよ。
こういうのを演繹法という。
(法はひとつだけ)→これは重要です。
色即是空 空即是色というのは、つまり演繹法なんです。
原始経典にしても、脚色されたり粉飾されたりすることもある訳で、
これは人間の業というもんだよ。
(貴殿でも脚色は得意だろ?)
「唯物論」とか「大乗非仏説」とか、カテゴリーに拘らんでも、
法は脈々と延々と現代に流れておりまふ。
この大事な法を見逃すと、全てが戯論になってしまう。
183 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 08:18:12 ID:BcDCCDoe
>>179 >では、無神論者や唯物論者は犯罪を犯さないと?
すぐそうやってすり替え論にして自論=宗教布教に?・・・をしないこと
(=考えないこと・・)が短絡的でマイコン・洗脳されていて問題
少なくとも会ったことも話したこともない架空の神・イエス・仏陀・・等の大昔の
信憑性が疑われる教義を盲信・狂信し犯罪を犯す愚はしないでしょうw
■ <仏教は、今=ここ=現実世界・・>が重要と聞いてます。その通りでしょw ■
徒に大昔に拘り、実在したかも定かではない仏陀やイエスを神格化して教義で
妄想を膨らませ、宗教団体の収益につなげることは見苦しいし、大エゴでしょw
☆やはり、ボランティアが美辞麗句の宗教の教義にはピッタリで美しいことでしょう。☆
184 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 08:35:28 ID:GOhPIy/d
>>177 初期経典と大乗経典が別物に見えるのなら、程度の低い理解でしかない。
たしか貴殿は仏教と梵教の究極的な一致を語る人物のはずだが、大乗経典への無理解には呆れてしまう。
大乗テクストに対する斜視が根底にあるのではないですか?
本邦の生臭坊主に不満があるのかもしれないが、南伝にも酷いのはごろごろますよ。
>大乗諸経典の教えというのは、アーガマを持たない異端派
↑さすがに、こりゃどうかと思うよ。夫々のバージョンで違うところは、まぁあるだろうが、漢訳経典は糞扱いですか?
185 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 08:36:31 ID:nAwemVlf
<仏教は、今=ここ=現実世界・・>が重要と聞いてます。 それは大間違いだな。 仏教は現実の世界に対しては無関心だ。 無記って知ってる? 仏教は社会に働きかけることはない。 仏陀はカーストを否定したんであって、 制度をなくそうと社会に働きかけたわけではない。 ボランティア? 大概の宗教団体はやってるぞw
>>165 俺の話のどこが二諦バラバラなのか説明してもらおうか。
てか、俺もヴィパサナはやってるわけだが。
俺の話は究極の一元論だ。
あのさ、この世に善悪は無いと解説してる奴は邪見なんだよ。
善悪があるからこの世なんだよ。だがそれら二つに見えるものは見せかけに過ぎない。
全ての人や、全ての植物、全ての動物は創造と一体である。全てが創造と分離
しているように見えるが、そうではない。全ては一体なのである。
人は一つのものを二つにしたのである。人の霊は創造と一体であり、別のものではない。
肉は、物質形態をとる霊の一部分であり、したがって、個々人は、霊と一体であり二つのものではない。
この教えは一元であり、二元にされるものではない。真理真実は二元であると考える人は正しくない。
人間の思考にみが間違いを犯すのであり、創造の掟は間違いを犯すことは無い。
全てのものは一つから発生し、二つと見えるものは、見せかけでしかない。不純な考えからでは、
それを理解出来ない。 人は二つのものを一つにし、創造の掟に従い、考え、行動しなければならない。
人間は無理解により、一つのものを二つに分け、それを真実だと思い行動し、罪を犯す。
しかし、全てのものを一元に正し、この創造物が一つだと知り行動すれば、誤ることは無い。
この真理を理解すれば、この二つに分けられた世界で、なにが善であり、なにが悪であるかを理解するだろう。
あなた方が傷つけている相手は、自分自身なのだ。だから他人を他人として分けるのではなく、自分自身だと思い
愛してやれ。だが人々はこの真理を知らず、自分と他人を分け、利己的に生きる。
全て他人にしたことしなかったことは、自分自身にしたこと、しなかったこと。他人にしたことの報いは、必ず自分自身が
受け取ることになる。だから善を成せ。悪を成してはならない。因果応報とはこういうことなのだ。
賢者は常に、ものが二つあり、二つが一緒になって、一つになっていると思っている。
一つのものが一緒になって、二つになっていると思うのは、見せかけに過ぎない。
この物質世界では見せかけ上、二つの部分があることになるが、それ自体としては一つであり、
又、引き裂かれないままでも、一つである。
一元のものが二つにされたのであるが、その二つに見えるものは、見せかけに過ぎない。 人間は、二つに分けられた、一元である。霊は二つに分けられた、一元である。お互い別々に見えるが、一元である。 肉体は霊なしでは生きられない。また霊も肉無しでは生きられない。この二つは二元に見えても、一元なのだ。 人はそれ自身一元であり、一元のものは根本的には、分割されないのが、掟である。 ま、いっても君らには理解できない、理解しようともしないだろうがな。 君らには聞かせるのがもったいない話だ。聞く耳のある人だけが、聞けばいいだろう。
大体末法仏教徒の君らは、無我の思想もわかっちゃいない。 釈迦はあくまで、自分の肉の自我も含め、縁起で成り立つこの世界の何一つ、 主体性のあるアートマンなどはありませんよと説いたのに過ぎない。 釈迦は別に真我を否定したわけではない。ただそれを、在るといえば常見となり、 無いといえば断見となる。それを「一」だと表現すると、常見となり、「0」と表現すると断見と なる。それは言葉では正確には表現できない。なぜなら「言」は、識別智であるから。 それは、識別されえないものだから。だからそれは、中道をいくものだと表現される。 いいかい?釈迦はあくまで、この物質世界に縁起するものは無我ですよと説いたのであって 決して真我を否定したものではないんだよ。仏教用語にもあるだろう。 「天上天下唯我独尊」ってな。俺はこの意味を痛いほどよく理解しているぜ。
ゴータマは、原始仏典を読む限り、輪廻を説いたのはあきらかだ。 これを無理やり説いていないことにするのは、その人達のエゴに過ぎないトンデモ説に 過ぎない。こんなことを言ってるのは末法仏教の最も発展した、日本の仏教界の人達だけ。 仏教の本場、ミャンマーや、インドなどの仏教では、輪廻は当り前のこととして説かれている。 たく、どこをどう読めば、ゴータマは輪廻を説いていなかったとなるのか、理解に苦しむ。 ここに、無明に囚われたこいつらの、汚いエゴが垣間見える。こいつらは、ゴータマは無我を 説いたのだから、輪廻を認めると、輪廻の主体となるアートマンを認めないといけないので 佛説に反すると、輪廻を否定する根拠としてもっともらしい御託を並べるが、こいつらは なにが輪廻しているのかも理解できないほどのおつむの弱さだ。呆れるしかない。 では、なにが輪廻しているか?それは、行いと結果という、業だよ。原始仏典にも、はっきりと そう書いてあるだろう。君らはメクラだ。エゴというでっかい梁が眼の中にあるので、はっきり書かれて いることも、見えず、無かったことになっている。もちろん、行いと結果による業も、二項からなる、 縁起でしか成り立たない無自性な、空だ。もちろんこの業も永遠ではない。なぜなら、その行いと結果による 業も、この世があればこそ存在するのであり、この世と縁起して始めて存在できるものだからだ。 もちろん今のこの世も、いずれは滅びる。そうなれば、今の世に縁起してなる、この業も共に滅びるだろう。 人は今の世が終わるまでに、真理真実を取り戻さないと、今の世が終わると共に完全な無へと滅び去るだろう。 そうなっては全ては手遅れなのだ。
190 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 09:33:27 ID:vC5vL4EI
>>186-
>>188 はいはい、そうですそうです、ご苦労様です。
自己中演説は終わりましたか?
ではお引取りくださいませ。
とにかく君ら末法仏教徒達は、空という単語の意味も、 縁起=無自性=空。と、自性の意味する、一相=無相=空。と、ごっちゃになってる むちゃくちゃなものだ。
>>190 君には豚に真珠だったようだね(苦笑)
ある意味君らは気の毒だ。君らは真理を悟ることが許されていない。
きっと名前の無い人達なんだろう。
>>154 おまえのいいたい能書きは大体わかるよ。
だがそこのウダーナの経文はそのままでいいんだよ。
おまえらのようになんでもかんでも深読みしすぎると邪見が生まれる。
ちゅうか、おまえらの深読みは、自説に合うように、書かれてることをありのまま
みとめないで、屁理屈こねくり回して、曲解してるだけだけどな。
で、その曲解から生まれる結論は、あってもなくてもどうでもいい、ただの屁理屈、
詭弁でしかならない、糞の役にも立たないものだ。そうだろ?机。
ゴータマは輪廻を説いた。これは原始仏典を読めば動かしがたい事実だ。 ではなにが輪廻しているか?それは前にも言ったが、行いと結果という、業だ。 良い行いをした人は良い結果を。悪い行いをした人は、悪い結果を。 そして真理を悟り、肉の自我を再び起こす業を滅ぼした者は、輪廻の鎖を断ち切り、 永遠を手にするだろう。今の自我が輪廻しているのではない。今の自我は 今の肉が滅びれば、共に滅びる定め。廻っているのは、あくまでおまえの起こした行いと、 それによる結果である、業なのだ。 真理を悟らず、無明に囚われた者は、肉の自我を再生する業を滅ぼすことを知らず、 繰り返し肉の自我を再生させ続けるだろう。だがそれらは全て縁起でしか成り立たない 主体性のない、無自性な空である。形あるものはいずれは滅びる定め。 真を手にせず、無自性な空をさまよう彼らは、今の世が終わるとき、共に滅びるだろう。 彼らは実体の無い、幻のまま終わるのだから。滅び行く魂に哀れみを。
195 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 10:37:36 ID:Xy+lJD60
>>191 >縁起=無自性=空。と、自性の意味する、一相=無相=空。と、ごっちゃになってる>むちゃくちゃなものだ。
自性を一相=無相=空。とする仏教経典などないよ。
まあ、これは言葉の問題だから、大した意味はない訂正すればいいだけ。
カラスくんは、佐倉さんだっけ、あの人のサイトを誤読した上で、
現象界は縁起=無自性=空で、実在界は自性の意味する、一相=無相=空と単純に捉え、戒定を修行することで現象界から実在界へ行くことが仏教と捉えているんだろうけど、それは仏教の主流ではない。
ヴィパサナを実践してるそうですが、ヴィパサナというのは定、三昧、サマタ、
つまり、心を集中する訓練ができて、その集中状態、三昧の中で縁起等を観じることを言います。
これによって、縁起=無自性=空を悟る。それが戒定慧の慧なんですね。
この慧が出て、縁起=無自性=空を理解していたら、「自性の意味する、一相=無相=空」とは言いません。
三昧の状態を悟りと勘違いするのはよくあることで、古くはウドラカ・ラーマプッタなど、最近ではオウムがそうだった。
しかし、これは仏教ではないことは、多くの仏典が強調すること。
上に引用した『勝義空性経』や『縁経』を見て。
その『ウダーナ』も誤読ですな。
196 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 10:37:50 ID:j9PmV+XM
■==================================□■□■□■□■===============================■ このように解釈が分かれるということは、直接仏陀やイエスに会ったことも話したこともないからw 大昔のことを事実のように語る →<今=ここ=現実社会>が一番大切 ■ ./)/) (・ー・)ノ ★【宗教は阿片】・・なので止められません、止まりません〜 ☆ヽ(▽⌒*) ゚L-J ☆★ 『このように宗教は有害でつ』 ☆★ ■==================================□■□■□■□■===============================■
197 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 10:42:00 ID:Xy+lJD60
>>194 >ゴータマは輪廻を説いた。これは原始仏典を読めば動かしがたい事実だ。
>ではなにが輪廻しているか?それは前にも言ったが、行いと結果という、業だ。
>良い行いをした人は良い結果を。悪い行いをした人は、悪い結果を。
>そして真理を悟り、肉の自我を再び起こす業を滅ぼした者は、輪廻の鎖を断ち切り、
>永遠を手にするだろう。今の自我が輪廻しているのではない。今の自我は
>今の肉が滅びれば、共に滅びる定め。廻っているのは、あくまでおまえの起こした行いと、
>それによる結果である、業なのだ。
>
>真理を悟らず、無明に囚われた者は、肉の自我を再生する業を滅ぼすことを知らず、
>繰り返し肉の自我を再生させ続けるだろう。だがそれらは全て縁起でしか成り立たない
>主体性のない、無自性な空である。形あるものはいずれは滅びる定め。
ここまではおおよそ仏説といっていいよ。ただ、以下はないね。
>真を手にせず、無自性な空をさまよう彼らは、今の世が終わるとき、共に滅びるだろう。
>彼らは実体の無い、幻のまま終わるのだから。滅び行く魂に哀れみを。
輪廻は無始無終ですよ。ただし、解脱すれば終わるんですが。
198 :
初代スレの5 :2008/12/24(水) 10:55:09 ID:i8G1V8R1
まさに百論百出という感じですね。
199 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 10:59:21 ID:FwMJAfME
>>188 『末法、無我、縁起、主体性、真我、常見、断見、識別智、天上天下唯我独尊』
言葉遊び楽しいかい?
200 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/24(水) 11:01:51 ID:WxJ7oZZW
>>193 >糞の役にも立たないものだ。そうだろ?机。
まあ、たしかにそうかもしれんね。
貴殿の一連の書込みを拝読いたしました。
印象としますと、なかなか口上が達者ですなw
まあ、キリストも釈尊も口が達者なのは想像がつく。
新興宗教とか、全て含んで宗教家たるもんは口だけは上手い。
そう思いました。
(最低限、これだけのスキルはないと宗教家にはなれない)
イソップの童話で、人の一番大事なのは言語能力らしい。
またこの言語能力こそ人の禍の元凶たると・・・
その二面性を指摘しておった。
貴殿の、そのコミュニケーション能力を生かして
もしも立宗したら成功するかもしれんよ?
昔、宗教板で立宗宣言して、拙者のコテハンを変えた人物がおった。
彼はその後、武道板で大暴れして警察に逮捕されちまったが、
(コテ名は「キックの鬼」、大阪府某所の米屋の二階からpc発信。逮捕時36歳)
やはり自己陶酔型の典型だったよ。
宗教家というのは、どこか類似性を持ってる。
といふのが、拙者の印象だったね。
>>197 わからない人だね。今の宇宙が滅びれば、今の輪廻も共に滅びるんだよ。
それまでに真理を手にしない者の受け取る報酬は、永遠の滅びだ。そうなってからは
全ては手遅れになる。
おまえ、今の宇宙は永遠だと思っているのか?(苦笑)
いいことを教えてあげよう、。この世は、七つの周期で廻っている。
第七の日は全ての完成を示す。このとき創造は全てを休み、まどろむ。涅槃静寂だ。
安息のとき、一つの時は終り、今の宇宙は滅びる。
ま、お前らが信じようが信じまいが、形あるものはいずれは滅びるのが定め。
そのとき、今の宇宙と共にある、輪廻の鎖は、今の宇宙と共に滅びる。これらは全て
永遠のものは無く無自性な空だからな。
しかし輪廻は永遠などと、君らの無理解は、呆れるしかない。
今の輪廻の鎖は、解脱すれば終わるというのは正しいけどね。これは、無明のままこの世を
輪廻し、今の宇宙が滅びるのと共に滅びるのとはわけが違う。
202 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 11:05:34 ID:lx/Pz/tL
仏陀に誤りや時代錯誤や不合理があれば、時代の進歩・変化に合わせて それを正すのが、弟子たちの義務である。 優れた教師である釈迦にとって最大の喜びは、弟子たちが教師を超えて くれることではないのかな。さもなければ、単なる盲信で、何の進歩も ない。釈迦は、弟子たちの盲信を喜んだであろうか。
203 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 11:10:02 ID:FwMJAfME
言葉遊びしてるから、こんな妄想夢想にとりつかれるんだよ。
>>201 それまでに真理を手にしない者の受け取る報酬は、永遠の滅びだ。そうなってからは
全ては手遅れになる。
おまえ、今の宇宙は永遠だと思っているのか?(苦笑)
いいことを教えてあげよう、。この世は、七つの周期で廻っている。
>>195 俺は、自性を一相=無相=空。とする仏教経典があるなんていっていないんだよ。
君ら末法仏教徒達のなかには、空という言葉を、縁起=無自性=空と言う意味と、
一相=無相=空というまったく正反対の意味なのに、「空」とい言葉でひとくくりにして
はなしている馬鹿がいるといっているんだよ。
そりゃ、自性を一相=無相=空。とする仏教経典などないだろうな。空とは本来、
縁起=無自性=空という、自性とは正反対の意味で使われる単語だからな。
なにをちんぷんかんぷんなこといってんだか、この人は(苦笑)
>>203 だからおまえらが信じようが信じまいが、形あるものはいずれは滅びる定めだと
言ってるんだよ。
ちゅうか宗教とは、おまえら唯物論者からすれば、元々がオカルトみたいなものだ。
釈迦の仏教もしかり。それを違うというのは、それこそおまえらの妄想だ。
おまえらが受け入れられなければ、むりやり自分たちの価値観にあわせて曲解しなくとも
おまえらがあっさり、仏教を捨てればいいこと。それをなに仏教という看板に執着しているのやら。
本物の宗教家は、誰も自分の価値観をお前らのように他人に押し付けたりしないものだ。
別にお前らが受け入れなければ、それはそれで仕方が無いと思ってるよ。自分を救うのは
他人ではなく、あくまで自分自身しかいないのだからね。
206 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 11:18:44 ID:Xy+lJD60
>>201 >わからない人だね。今の宇宙が滅びれば、今の輪廻も共に滅びるんだよ。
>それまでに真理を手にしない者の受け取る報酬は、永遠の滅びだ。そうなってからは
>全ては手遅れになる。
確かに宇宙は無常、だが輪廻は続く。手遅れというのは、この生で行しない人に言ってね。
自灯明の本当の意味はそれ。
>おまえ、今の宇宙は永遠だと思っているのか?(苦笑)
>いいことを教えてあげよう、。この世は、七つの周期で廻っている。
>第七の日は全ての完成を示す。このとき創造は全てを休み、まどろむ。涅槃静寂だ。
>安息のとき、一つの時は終り、今の宇宙は滅びる。
思ってないよ。宇宙が滅びようが、地球が滅びようが、輪廻する。
これが仏教。カラスくんのは、キリスト教とか色々な要素が入っているようなので
仏教ではありません。たしかにオウムに近いは。
>しかし輪廻は永遠などと、君らの無理解は、呆れるしかない。
>今の輪廻の鎖は、解脱すれば終わるというのは正しいけどね。これは、無明のままこの世を
>輪廻し、今の宇宙が滅びるのと共に滅びるのとはわけが違う。
それとヴィパサナやってると言ってたけど、カラスくんの理解は、
テーラワーダ協会的ですね。彼らの説は伝統説と違う。
サマタなしにヴィパサナなんてできないからね。上に説いたように。
まあ、これ以上は無駄だから、もう言わないよ。
207 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 11:20:54 ID:vC5vL4EI
一番いいのは、はやいことタイムマシーンをつくって
ブッダに直接インタビューすることだな。
嘘八百の歴史と教説はくつがえされるw
もっとも音楽と同じで、作品は作曲家の手を離れ、それぞれの解釈に任されるから、
事態はたいして変わらんかw
ここにいる連中なんて迷いの井の中の蛙だから、
見たこともない井戸の外を妄想してもナンセンスなんだけどね。
>>197 >ここまではおおよそ仏説といっていいよ
井の中の蛙が井戸の外の勝手な妄想で「仏説」とお墨付きを与えても
マンガでしかない。
>>206 君の話だと、輪廻は永遠だとなる。
だが俺は言っておく。輪廻は、行いと結果という二項からしかなりえない主体性の無い
空であり、この世と縁起してはじめて成り立つ無自性な空であり、この世と同じく
無常なもので、永遠ではない。君らはわからない人達だね。
>まあ、これ以上は無駄だから、もう言わないよ。
そうしてくれ。君には残念ながら智慧がない。智慧の無い者に法を語っても無駄な努力に
終わる。
>>206 よ、輪廻は決して不生不滅の、自性ではないんだよ。
むしろ、輪廻の鎖の輪を絶った先に、それはあるんだよ。わかるかい?
210 :
初代スレの5 :2008/12/24(水) 11:49:38 ID:i8G1V8R1
なるほど。主体を設定しない輪廻論ですね。数日前、私が話した人とよく 似た説ですね。 あの人は、宇宙が消滅してもどこかに輪廻すると言って おりましたが、輪廻思想といっても実に様々ですね。
211 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 11:49:55 ID:Xy+lJD60
>>207 残念ながら仏教は、体験によって再現可能で検証可能なんです。
長い間、多くの聖者によって体験され検証されてきたんです。
その聖者による伝承と、文献を言語学的に検証した一致して、
私が理解できる内容しか述べてませんよ。
ついでながら、ここで主張されているのは、断見、常見、縁起中道の三つしかありません。
断見とは、死んだら終わり輪廻などないという現代人の信念、常識、亜科学信仰で、仏教や宗教を否定するか適当に解釈して常識に適合させようとするタイプ
常見とは、現象は幻、実在があるとするタイプで、仏教以外の宗教はほとんどここに入ります。
縁起中道とは、現象と空が同じである色即是空空即是色で、現世の因果関係も尊重しながら、それが幻のようなものと実感し苦しまないようなこ
決して、適当にバランスとって常識に合わせて平凡に生きるみたいなことではありません。
>>209 少し訂正。こう言い換えたほうが君ら末法仏教徒達には理解しやすいかもしれない。
×輪廻は決して不生不滅の、自性ではないんだよ。(別に間違いではないが)
○輪廻(縁起)は、決して不生不滅の、自性ではないんだよ。
輪廻とはつまり、君らの好きな、縁起そのものの他ならないんだよ。
さて、最近2chの屑共に法を語る空しさを痛感してきてね。法を語るにはふさわしい相手に
ふさわしい場所で。ま、ちょっとわけあって書いたが、この辺でおいとまする。スレ主の邪魔になっても
悪いんでな。ま、せいぜい頑張れよ、邪見に囚われた無明の人達。
213 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 12:11:56 ID:lx/Pz/tL
>>211 >適当にバランスとって常識に合わせて平凡に生きるみたいなこと
最終的には、その自覚に到達するのが、「悟り」というものだよ。
人間は、泣いても笑っても、共同体としてしか生存できないのだから、
それ以外には「悟り」などなかろう。
親鸞は、数十年宗教やったのち、晩年になってやっと「自然法爾」を悟
ったそうだが、圧倒的多数の生活者たちは、生活のなかでとっくに悟っ
ていたこと。親鸞は、あまりにも遅すぎw。
214 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/24(水) 12:46:28 ID:I2Cca0uK
>>212 >法を語るにはふさわしい相手に ふさわしい場所で。
そうですか。
貴殿ならそのスキルはある。
もしHPを立ち上げて立宗宣言するなら、拙者がコメントを書いてもいいよ。
同意は難しいとしても、
質問形式で、貴殿の教義を上手く引き出すことはできる。
(これはあくまでも実験的に)→アンチの立場はとらない。
>この辺でおいとまする。
そうですか。
一期一会、お元気で。
215 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 13:26:59 ID:3dwaotO/
>>185 >無記って知ってる?仏教は現実の世界に対しては無関心だ。・・
来世など、考えても仕方のないことを考えるなと戒めたのでしょw
現実社会に生きて命がなければ君もそのレスが書き込めません。
<現実世界=今=ここ> が誰にも一番重要、ここしか生きられない
無関心なら、仏陀もイエスも献金・お布施も宗教の勉強も必要なく無駄!
>ボランティア? 大概の宗教団体はやってるぞw
いいえ、献金・お布施廃止のことです。つまり宗教指導者も働いて宗教は、ボランティアでするということw
以前読んだヨギ(名前は忘れた)は本の中で、「出家や托鉢は社会に負担をかけるからしない」 と言い、
それを現実に実行していたようです。クリ達聖職者達や、
>>170 や宝珠愚者氏にも↑ 言えるでしょw
■ やはり、ボランティアが美辞麗句の宗教の教義にはピッタリで美しくお似合いでしょう。 ■
216 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 15:08:10 ID:awRaYe37
輪廻肯定派の文献学大家の名無氏が、とりあえず引っ込んで、叩きやすい手頃なバカが現れた。 こいつはいいやと、このバカを代わりに叩いて先ほどの鬱憤を晴らすべく、またゾロゾロ集まるハイエナ連中。(笑
217 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 15:54:46 ID:bbCIEJhs
釈迦は、「この世は、何と美しいことか」と言ったそうだよw。 これは、どのお経にあるのでしょうか。「文献学の大家」にお願いします。
218 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 17:36:50 ID:Xy+lJD60
以下のように梵本『ネハン経』です。
http://www2.big.or.jp/~yba/asia/nehan03.html > 次に日中の休息をとるため、ヴェーサーリー郊外のチャーパーラ霊樹のもとに赴きます。
> ここで釈尊は、ヴェーサーリーについて、また世界についての感嘆の言葉を述べられたと記されています。
>
> 「アーナンダよ、ヴェーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹は楽しい。ゴータマカ霊樹は楽しい。
> サッタンバカ霊樹は楽しい。バフプッタ霊樹は楽しい。サーランダダ霊樹は楽しい。
> チャーパーラ霊樹は楽しい」(パーリ本、失譯本、梵本、チベット本)
> 「この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ」(梵本)
>
> 続いて釈尊は、アーナンダに遠回しの暗示をかけます。
>
> アーナンダよ。いかなる人であろうとも、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、
> (軛を結びつけられた)車のように修し、家の礎のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、
> みごとになしとげた人は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、
> あるいはそれよりも長いあいだでも留まることができるであろう。
「この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ」
の部分を梵本で見てみると、
http://www.sub.uni-goettingen.de/ebene_1/fiindolo/gretil/1_sanskr/4_rellit/buddh/mpsu_w_u.htm citro jaMbudvIpo madhuraM jIvitaM manuSyANAm ||
ですね。この部分は上の引用を見れば分かるように釈尊がアーナンダに長くこの世に留まってくださいと
勧請することを促すために世間で生活するのも私はそんなに苦しくないよ、と方便で仰られていらっしゃるので、
決して一切皆苦と矛盾するものではありません。
釈尊は現世肯定などしてませんよ。
ついでながら、空即是色も天台本覚論も密教も現世肯定などしてませんよ。
それに文献学は囓っているだけです。分かってると思いますが念のためw
219 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/24(水) 17:59:29 ID:WxJ7oZZW
>>218 参考資料ありがとうございます。
拙者は未達ゆえ、いろいろ教示願えればありがたい。
>ついでながら、空即是色も天台本覚論も密教も現世肯定などしてませんよ。
で、拙者が一番難解のは、
もしも釈尊が輪廻転生を肯定していたするならば、
なにも仏教を立宗することはなかったんじゃないか?
と、かように思っておるんです。
貴殿は、バラモン教の何処が駄目で、
何処が仏教の優れているとこかと思いますか?
後学のため教示願えないだろうか?
220 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 18:28:29 ID:EHNxw3Fy
縁起・因果律の法則を正しく認識していたならば輪廻はもう超越してるじゃん 諸法無我なんだからそもそも輪廻する我というもの自体が縁起の集大成でしかない 縁起により個々人の関連性はあっても個が輪廻するような思想は仏教に本来ないよ 輪廻転生があるかのような後世の書き換えを無理やり真実とするために スマのようなテラワダの原理主義者が輪廻はあるある言ってるだけ。 その師の言うことを無理やり真実とするために2chで信者があるある言ってるだけ。
222 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 20:25:26 ID:tqwwNHC+
ニーチェが、その思想の集大成・到達点ともいうべき「反キリスト者(アンチ クリスト)」において、キリスト教を徹底的に非難する一方、仏教を「唯一の 実証的宗教」「優れた精神衛生法」として絶賛した。 仏教が、実証不能な「輪廻転生」により信者を「脅迫」するのなら、精神衛生 どころか、精神を破壊し、無価値で、有害極まりない宗教に堕してしまう。
223 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 20:27:43 ID:nAwemVlf
>現実社会に生きて命がなければ君もそのレスが書き込めません。 やはり理解できないようだねw 何度言ったらわかるんだ? 仏教は外の世界には無関心。 誰に食べさせてもらってる・・・そんなことはどうでもいい。 「いま生きている」なんてくだらないことを考えるから、 「どう生きたらいいか」とか下らぬ考えが沸き起こる。 ズダ行に励むも信者から多額の布施を受けるのも同じだ。 あんた、毎日瞬間瞬間「生きている」実感があるのか? そういう実感がなければだめなタイプ?
224 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 20:32:45 ID:Xy+lJD60
>>219 >で、拙者が一番難解のは、
>もしも釈尊が輪廻転生を肯定していたするならば、
>なにも仏教を立宗することはなかったんじゃないか?
なんでですか? 我々は輪廻している。それは苦である。
原因は無明である。涅槃は楽である。涅槃への道がブッダの教えである。
これが四諦で、仏教の基本じゃないですか?
>貴殿は、バラモン教の何処が駄目で、
>何処が仏教の優れているとこかと思いますか?
どこをとっても素晴らしいのが釈尊の教えだと思ってますが、
一番の違いは、何度も言っているようにヴィパシャナを取り入れたことでしょう。
つまり、三昧によって心を集中することで現象が消え楽は体験できる。
ここまではウパニシャッドの行者たち、およびヴェーダーンタなどの行者も実践していることです。
ところが、釈尊はそこで解脱と勘違いしなかった、縁起によってヴィパシャナすることで解脱したというのは、各経典が記すところです。
現代の学者で縁起では解脱できないとしている方が何人かおられますが、
それは三昧状態で縁起を観ずるという状況を見逃して、
凡夫の気が散った状態で論理的に無明によって行が生じと考えても
たいして効果ないからです。
225 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 20:36:08 ID:nAwemVlf
>仏教が、実証不能な「輪廻転生」により信者を「脅迫」するのなら どこの国の話でしょうか? 日本人のほとんどが輪廻を信じてないのに「脅迫」の手段になると思う? で、具体的にどのような脅迫でしょうか? 「神を信じなければ地獄に落ちる」みたいな?
226 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 20:37:20 ID:tqwwNHC+
>>223 >誰に食べさせてもらってる・・・そんなことはどうでもいい。
君が、他者の勤労によって「生かされて」貰わない限り、君が、「妄想」
にふけることも不可能になるのだよw。
仏教者は、何故一生懸命托鉢して、「その生命の維持に不可欠な食物」
を求めて歩き回ったのかね。
227 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 21:15:47 ID:py7SQ21Z
ID:nAwemVlf氏は、アンカーレス記入して下さい 傲慢さと独善性・不親切・・が如実に表れています。 前にも似た人いたわなw 自分が分かっていれば他人も当然分かってると判断する非常識がw
228 :
170 :2008/12/24(水) 21:53:29 ID:KSnrP8N4
219(机龍之介)さんへ >で、拙者が一番難解のは、 >もしも釈尊が輪廻転生を肯定していたするならば、 >なにも仏教を立宗することはなかったんじゃないか? >と、かように思っておるんです。 むう、面白い考えをする人だ。普通、逆に考えるんじゃないか? 「一切皆苦」で「輪廻否定」なら、とっとと自殺すればいい。無駄に苦を長引かせる理由はないからね。 もちろん「一切皆苦」を否定するなら、自殺しないのは当然だけれども。 ところで皆さん… ここって「仏陀は輪廻を説いたか説かなかったのか?」を議論するスレだよね。 「輪廻があるかないか?」は、どうでもいいことのように思うのだけれど。
>>222 教義に輪廻転生があると承知していた上でのその発言なら、
「キリスト教よりは」マシという意味なんでしょう。
そうでなく、本人がとりあえず超自然的要素を気分で抜いていたとしたら
それはニーチェが間違っているというだけですね。
別にいいじゃないですか。あなたが困ることは一切ない。それとも
「有害になっちゃうから」仏教が輪廻を説かなかった事にするんですか?
230 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 22:25:03 ID:XUplR7BI
>>224 貴方は、僅かここ数年の間に随分様変わりされて円やかになられましたね。
以前は(ココではない何処かで)皮肉屋で挑発的な文章を好んで書かれていたように思います。
老師の薫陶でも折れなかった貴方の鼻柱は何処でどの様にして柔軟になったのですか?
231 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 23:03:35 ID:vC5vL4EI
それにつけてもカルト寺和田が必死だなw ほんと陳腐でカルトなスマ論理を繰り返す、 ウンザリだ。 スマナサーラ爺よ! 出て恋! ストリップ小屋でないのは申し訳ないが・・・
232 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 23:19:50 ID:vC5vL4EI
>>228 >「一切皆苦」で「輪廻否定」なら、とっとと自殺すればいい。
おまえって、とことん井の中の蛙馬鹿そのものだな。
なんにも判っちゃいない。
いまだにこんなかきこをやっているようでは仏教スレに出入りする意味がない。
233 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 23:21:41 ID:CIAUDjq+
>>229 「輪廻転生」は、全く実証的ではないから、承知していれば「仏教は唯一の
実証的宗教」などと言う訳が無い。
「有害な教え」は、批判して、除去するのが、弟子の義務ではないのか。
さもなければ、単なる「盲信」。カルトである。
>>233 じゃあ、単にニーチェさんの間違いですね。仏教を
キリスト教の対抗馬っぽいものに仕立て上げたかったのでしょう。
>「有害な教え」は、批判して、除去するのが、弟子の義務ではないのか。
ここは、仏陀が輪廻は説いてたのかどうかを議論するスレですからねえ。
アレンジしたいなら他所でやればいい。
>単なる「盲信」。
ええ、仏教もあくまで宗教ですから。科学とは違います。
引用された文章ですら「実証的『宗教』」と言ってるでしょう。
236 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 23:47:25 ID:CIAUDjq+
>>234 君が仏教信者なら、仏教がキリスト教より優れている点は、どこだと思う
のかね、
宗教であるからこそ、盲信は有害で危険。
>>235 心理学会では、相手にされない妄想。心理学は自然科学だから、客観性が要件。
237 :
宝珠愚者 :2008/12/24(水) 23:48:29 ID:C+j7Xu/z
>>181 第一結集に始まるゴータマ説法の編纂作業、その主催者がマハーカッサパであったことはよく知られ
ているところ。しかしながら、原始経典には特に問題となるほどの教えの歪曲があるという見方はないと
思います。遙か後代の別グループによる大乗経典その中身は何でもあり。
>>182 >「唯物論」とか「大乗非仏説」とか、カテゴリーに拘らんでも、 法は脈々と延々と現代に流れておりまふ。
>この大事な法を見逃すと、全てが戯論になってしまう。
>>184 初期経典と大乗経典が別物に見えるのなら、程度の低い理解でしかない。
世界中どこを探しても、歴史上のゴータマの教えを知る上で大乗諸経典が対象とされることは一切あり
ません。たしかに信仰はご自由です。何宗何経でもお好きなだけどうぞ!
しかしながら、仏教史上、唯一にして解脱した仏陀であるとして認められるゴータマ・シッダッタ、その人
について知れるものは、この原始経典群をおいて他には一つも存在しないのです。大乗諸経典は仏陀直
説とはいえず、仏陀の教えと仏陀に成るための方法論としては全く信頼には値しない。
よって、ゴータマの教えではないものは「仏教」とは呼べない。私は大乗諸経典群に価値がないとはいっ
ていませんが、これらは「仏説ではない」。大乗諸経典を重視したい方はご自由にどうぞ!
238 :
宝珠愚者 :2008/12/24(水) 23:49:22 ID:C+j7Xu/z
原始経典群 A パーリ五部(Pan~ca-nika^ya)パンカ・ニカーヤ a 長部経典(Di^gha-nika^ya)ディーガ・ニカーヤ b 中部経典(Majjhima-nika^ya)マッジマ・ニカーヤ c 相応部経典(Samyutta-nika^ya)サンユッタ・ニカーヤ d 増支部経典(Anguttara-nika^ya)アングッタラ・ニカーヤ e 小部経典(Khuddaka-nika^ya)クッダカ・ニカーヤ ・法句経(Dhammapada)ダンマ・パダ ・自説経(Uda^na)ウダーナ・ヴァルガ ・如是語経(Itivuttaka)イティブッタカ ・経集(Sutta-nipa^ta)スッタニパータ ・長老偈経(Thera-ga^tha^)テーラ・ガーター ・長老尼偈経(Theri^-ga^tha^)テーリー・ガーター ・本生経(Ja^taka)ジャータカ 等々. ・律蔵(vinaya-piTaka)ヴィナーヤ・ピッタカ B 漢訳四阿含 a 長阿含経 b 中阿含経 c 雑阿含経 c' 別訳雑阿含経 c'' 雑阿含経 d 増一阿含経
239 :
宝珠愚者 :2008/12/24(水) 23:50:28 ID:C+j7Xu/z
この中でも特に「スッタニパータ」「ダンマパダ」「テーラガータ」「テーリーガータ」「サンユッタ・ニカーヤ」 やパーリ長部中の「マハー・パリニッバーナ・スッタンタ」などはゴータマの姿(当時の教え)を知る上では 重要といわれています。 私は特に漢訳経典よりもパーリ経典の方を重視します。漢訳四阿含は古代マガダ語→サンスクリット語 経典→漢訳経典と翻訳を繰り返されてきており、特に漢訳された際に微妙にシナ(古代中国)的変色を受 けた可能性があります。現在のところまだパーリ五部の原典となる古代マガタ語経典の発見がないといわ れていますが、わたしの直感ではそれは多分、元々からして「無い」のではないか?と思います。ゴータマ の説法は古代マガタ語でしたが、パーリ語で口誦され続けて、恐らくそのままパーリ語で書き記されたので しょう。
240 :
宝珠愚者 :2008/12/24(水) 23:51:07 ID:C+j7Xu/z
>>183 >少なくとも会ったことも話したこともない架空の神・イエス・仏陀・・等の大昔の
>信憑性が疑われる教義を盲信・狂信し犯罪を犯す愚はしないでしょうw
たしかに出遭った事はありませんが、しかし、記載されている内容を知り、それ(経典の教え)を理解す
ることは可能です。
>>202 >仏陀に誤りや時代錯誤や不合理があれば、時代の進歩・変化に合わせて
>それを正すのが、弟子たちの義務である。
時代に適合させることと、教えを捻じ曲げてしまうこととは異なります。仏陀は我々のような人間のレベル
を卒業し、それを超越された存在であり、その大いなる超常的意識は物質世界の制約すらも受けることが
ない。その仏陀に対して、師の間違いを教えてあげるのが弟子の役目だと?
仏陀をただの普通の人間に成り下げてしまっては、仏教は成立しない。到底、在り得ないわw
241 :
神も仏も名無しさん :2008/12/24(水) 23:55:57 ID:iz2ppjzK
∧,,,∧ ゚ , , 。 /\(`・j・´)/\ ハッハッハー ゚ , ⌒⌒ wωw'"⌒⌒ ` .゚ .゚. ゚。 . . ゚ . , . . . 。 ゚ . ゚ , , . .。 . .。 o .. , ゚。, ☆ ゚. + 。 ゚ , ■ 【献金・布施制度廃止】 ■ 。o ☆ + ,゚ ゚ , , 。 美辞麗句の観念の<甘言と脅し><偽善>で人を釣る金の亡者!☆ 人の懐あてにするな!社会の寄生虫!★ ゚。, ☆ ゚. + 。 ゚ , 宗教は、ボランティアでやりましょうねw (笑 。 . . . . . 。 ゚。, ☆ ゚. + 。 ゚ ,。 . 。 , .。 . .。. . . . ゚ 。 ゚. . +。 ゚ * 。. , 。゚ +. 。*。 ゚. . . . . ゚ . ゚ , 。 . . 。 。゚. 。* 。, ´。. ☆。。. ゚。+ 。 .。 . 。 . . . . 。 ゚ ゚。 。, .。o ☆ + ,゚。 *。. 。 。 . 。 . 。 .. . . . ゚ .゚ ゚ 。゚ + 。. +。 * 。゚。゚., ,+ 。゚. 。 . . , 。 . . . ゚。゚+゚`, o。。.゚*。゚ 。.゚ 。 ☆+。。゚. ° 。 . , ゚ ゚. . . . ゚ 。, .゚。 + ☆。,゚. o。 。+ 。゚., . ゚ , 。 ゚ , , 。 . . . . ゚. o * 。゚。゚.。゚。+゚ 。 。 ゚。 ゚ 。 ゚ 。 . . ゚` .゚ .゚. ゚。 . . ゚ . , . . . 。 ゚ . ゚ , , . .。 . .。 o .. ,
242 :
初代スレ7 :2008/12/25(木) 00:01:24 ID:Q0LlfLmu
>>228 >どうでもいいことのように思うのだけれど。
そのように言うこともできますし、議論をスムーズにするには(≒学際的な議論にするには)捨象すべきことかと思います。
前スレ656のC・D(及びB)を問うスレ、というのがこのスレの本来あるべき姿であるのは貴方の御指摘通りです。
しかしながら、実際は(議論を進める上では)、どうしても絡んできてしまうのです。
なぜか?
(基本的に)我々が知り得るのは実は『E』のみです。
また、『E』から遡ってD・C(・B)がどうであったかを類推するしか手立てはありません。
『E』が脚色かどうかを判断することでさえ、
多くを比較検討する文献学的研究・教義の探究によるしかありません。
しかも、それすら決定的に確定することはできません。
もし、この時、『A』の側からもアプローチできたなら、選択範囲(考究範囲)は少しだけ狭めることができます。
ジグソーパズルを組み直す時、複数の基準・基点があると作業はずっと楽になります。
ですから、(無意識理にでも)『A』の部分に於いて或る仮説を立て、それを参考にしてしまうのです。
たとえ無意識にでもです。
客観的批判に耐えるには、比較検討という手段が妥当なわけですが、
上で“『A』の側からのアプローチ”と書きましたが、ここに追体験があったとしたら話は変わってきます。
体験のある彼は、『A』からD・C(・B)へとアプローチできるのです。
そして実は、追体験可能な(或いは“現代科学の知見により、仏典との関わりなく考察し得る”)という点で、
『E』以外の、我々の考察基準足り得るのです。(これは、輪廻以外の様々な記述・教義にも当てはまる構図です。)
ジグソーパズルの譬えではないですが、我々が基準とできる部分が希少である以上、
そして、『A』を仮設することが、どれほど考察を先へ進ませるかを考えれば、致し方の無いことのように感じます。
また、「ブッダは真実しか語らない」「ブッダに誤りは無い」という前提をとるかとらないかも関わってくるでしょう・・・。
243 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 00:10:56 ID:MWKG0PGt
>>226 >君が、他者の勤労によって「生かされて」貰わない限り、君が、「妄想」にふけることも不可能になるのだよw。
ホントにそう。宗教者は、妄想を言ってるだけなのに威張ってるw ┐(´ー`)┌
信徒や献金・お布施に対する感謝が全々感じられません。故に『宗教は有害』!!
言語ゲームして遊んでるだけで現実面では何も還元してません!
>仏教者は、何故一生懸命托鉢して、「その生命の維持に不可欠な食物」を求めて歩き回ったのかね。
見えない世界に住んでるのだから、宗教者は、見えない食物で体を維持して下さいなw
お金も、見えないお金で充分〜(笑
(・∀・)ノ!!
244 :
初代スレ7 :2008/12/25(木) 00:35:46 ID:wzjHZDF4
>>239 歴史的位相はこんな感じじゃね? 知らんけどw
直・初期
在世 仏 弟子 古M語 P Skt Tib 漢
| ○
| ○
| ○
| ○ ..○
| ○ ..○ ○
| .○ .○ ○
| .○ .○─○ ○
| .○ .○─○ ○
| .○ .○─○ ○
| .○ .○─○ ○
↓ .○ .○─○ ○
現代
245 :
宝珠愚者 :2008/12/25(木) 01:09:18 ID:2CddHNLY
>>235-236 いや、こういう研究は絶対に必要。
それにはまず、馬鹿にして放置し無視するような姿勢を正すことから始まるのです。
まっ、ここに集ってる転生否定論者たちの多くは、
世界の最高科学機関からの「新事実を発見しました!」という
公式見解が下りるまでは断固として認めない輩ばかりです。
調べてみようという研究者そのものまでも馬鹿にしてしまう!
246 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 01:32:42 ID:kNKp7b6n
宗教者の最大の誤りと錯覚は、「開祖・教祖が言った」から、「教典に書かれ ている」から、「真理」だと思い込むこと。古代人の言葉が「時代が全く異な る現代においても」通用しない限り、それは、現代においては、もはや真理と はいえないのである。 従って、現代において通用しない開祖・教祖の言葉は、すべて、誤りとして 無視するだけでよい。「言った、言わない」「書いてある、書いてない」を 詮索するのは、労力と時間の無駄に過ぎない。 仏教の教えのうち、「関係性」は現代でも100%通用する永遠の真理だが、 輪廻転生など問題にならない。論じるに値しない。 仏陀もバラモン教の社会に生きていたのであり、その「悪影響」を完全に払拭 できなかった事情を、充分に考慮する必要がある。 後代における宗教者の任務は、古代人である開祖の教えから、「現代に通用する 真理」を見出すことでなければならない。 時代の制約下にあった開祖の誤りや妄想を大真面目に議論することは、むしろ 開祖に対しても礼を失することになる。 人間であるイエスを、こともあろうに「神格化」し、あらゆる荒唐無稽を付け 加えたキリスト教が、その典型である。キリスト教の愚を繰り返してはならない。
247 :
初代スレの5 :2008/12/25(木) 01:46:21 ID:5/yRxjzq
>>246 確かに、あなたの仰るとおりだと思いますが
どうしても「釈迦を超人的な神」にしたいと思ってる人達
にとっては、到底、受け入れられない言葉でしょうね。
248 :
宝珠愚者 :2008/12/25(木) 01:55:50 ID:2CddHNLY
>>246 >仏陀もバラモン教の社会に生きていたのであり、その「悪影響」を完全に払拭
>できなかった事情を、充分に考慮する必要がある。
バラモンの悪影響ではなく、ゴータマ自らずそのことを体験によって確認したのであり、如来の出現の
いかんに関わらず定まっている。
仏陀をただの普通の俗人にしては仏教は成立しない。神格化したいのではなく、これが正統な経典に
基づく理解です。
「前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖
者、完成すべきことをすべて完成した人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。」(ダンマパダ423)
「あらゆる宇宙時期と輪廻と(生ある者の)生と死とを二つながら思惟弁別して、塵を離れ、汚れ
なく、清らかで、生を滅ぼしつくすに至った人、──彼を(目ざめた人)(ブッダ)という」(スッタニパータ517)
「すなわち、わたしは清浄で超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。
すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれ
の行為に従っているのを見た。
『じつにこれらの人々は身体で悪い行為をし、ことばで悪い行為をし、心で悪い行為をし、多くの聖者
を非難し、よこしまな見解をもち、よこしまな見解にもとづいて行為をする。かれらは身体が壊れ死んだ後、
悪い所、苦しい所、地獄に生まれる。また、他のこれらの人々は身体で善い行為をし、ことばで善い行為
をし、心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、正しい見解をもち、正しい見解にもとづいて行為をする。
かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に生まれる』と。
わたしは、このように清浄で超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。
すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行
為に従っているのを見た。
バーラドゥヴァージャよ、これが夜の中間の部分において得られた第二の明知である。」(スレ#2/667)
249 :
宝珠愚者 :2008/12/25(木) 01:56:43 ID:2CddHNLY
『また、心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は過去の生存の境涯を想起する 知(宿住通)に、心を傾け、心を向けます。彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すな わち、ひとつの生涯、二つ、三つ、四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯 を想起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の 生成・壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。「あのときの生存において、自分の名まえはこう であった。家系はこう、階級はこうで、こんな食物を食べ、こんな幸福や不幸を体験し、これこれの 年齢まで生きた。そして、その世から消え去り、別の世に生まれ変わり、そこでも同じように、自分 はこれこれの名まえ・家系・階級の者で、こんな食物を食べ、これこれの幸福や不幸を体験し、こ れこれの年齢まで生きた。そしてその世から今のこの世に生まれ変わってきたのだ」というように、 具体的な映像や、具体的な説明を伴って過去の生存の境涯を想起します。』 (ディーガ・ニカーヤ2:93/出家の功徳) どこに転生肯定者の勝手な解釈が入っているのか?
250 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 02:43:50 ID:kNKp7b6n
>>248 >>249 少なくとも義務教育を終了した現代人から見れば、単なる古代人の妄想。
現実上の根拠は皆無。
現代人なら、現実上の根拠のない妄想を語るべきではない。
>>250 「転生肯定者の勝手な解釈」じたいは原文に入ってないということでよろしいですね。
解釈を用いるまでもなく、そのまま書いてあるので当然ですが。
「釈迦は輪廻を説いてない」論の根拠というのは 仏教のほかの部分で説かれている論理で言えば 輪廻転生は成り立たない、というものなんでしょうか。
253 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 09:18:52 ID:NTMZuZP8
>>248 おまえみたいな態度を字句概念仏教妄信というのだよw
サマタ中の妄想を書きなぐったものを、そのまま狂信する。
どろどろした潜在意識がふた(理性)が取れてナマで噴出してきたものを
そのまま真実とうけとることがどうかしている。
法華経なんかもっとおもろいぞ
釈迦がトンデモ・スパーマンになる。
こっちのほうが宝珠愚者殿にはお似合いだと思うぞ。
254 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 09:30:19 ID:8aNm8k2C
>>230 >老師の薫陶でも折れなかった貴方の鼻柱は何処でどの様にして柔軟になったのですか?
一応、行してますよ。でも、自分ではそんなに変わったとは思ってません。
縁起・空の理解が進んだことは、画期的です。
ところで老師ってどなたのこと?
我が師の教戒・加持が一番大きいかもしれません。
255 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 09:40:15 ID:LJ7wdlGb
>>248-249 宝珠愚者氏も誰も実証出来ないのなら只の『絵に描いた餅』
幼児が天国の絵本を読んで、得意げに並べているのと同じことw
実証してください!!
生まれ変わりも覚えていない人の方が圧倒的に多いのが現状
誰も言葉で言えても証明出来ませんw
同じことを乗せてだらだらだらだらループしてる=悪く取ればロム人をマイコン・洗脳してるw
宝珠愚者氏はクリと一緒、何言われても自説を押してくる宗教マイコンロボ!
気持ち悪いよ〜〜(−_−#) ココモ氏に同感!!(笑
256 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 09:43:23 ID:LJ7wdlGb
前スレ2#693 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/12/20(土) 18:28:39 ID:DTh6CNcT >また、他のこれらの人々は身体で善い行為をし、ことばで善い行為をし、心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、 正しい見解をもち、正しい見解にもとづいて行為をする。 かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に生まれる』と。・・・・・・・『天眼通』 ↑ ような宗教団体の美辞麗句の教義を信じた真面目で純粋で品行正しい人達がオウムの信徒になり聖者の 名前をつけた大師を尊敬しお布施した結果、悲惨な事件が起こり社会に大きな災害・ショックを与え、死亡された 方・被害者も沢山出て、今もその傷は癒されてはいない「大不幸を」起こしたのです。 宗教者は、事実をつかれ返答に窮すると「信仰だから事実とは区別するもの」と言いながら、又、すぐ自分達の都合 の良い経典のコピペを貼りつけ、まるで事実のように錯覚させマイコン・洗脳に巧みに引き込んでいくのです。 <言葉の魔力>を駆使し、質が悪いので、真面目で純粋で知的好奇心が高い人がコントロールされやすいのです。 くれぐれも美しすぎる言葉を多用してくるのは、詐欺も使いますから気をつけましょう!!
257 :
初代スレの5 :2008/12/25(木) 10:11:38 ID:5/yRxjzq
輪廻肯定論者の方たちにお聞きしたいのですが、やはり、みなさんは 「天眼通」とか「空を飛んだ」 とかいう話を事実であると信じて おられるのでしょうか?
258 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/25(木) 10:25:16 ID:V34fndlw
>>224 >なんでですか? 我々は輪廻している。それは苦である。
>原因は無明である。涅槃は楽である。涅槃への道がブッダの教えである。
>これが四諦で、仏教の基本じゃないですか?
バラモン教はウパニシャット哲学を根本義としておりますから、
この時点で輪廻転生思想はあった。
その思想を進化させたのが釈尊ということですね。
>現代の学者で縁起では解脱できないとしている方が何人かおられますが、
>それは三昧状態で縁起を観ずるという状況を見逃して、
>凡夫の気が散った状態で論理的に無明によって行が生じと考えても
>たいして効果ないからです。
なるほど、非常に参考になります。
「縁起を観ずる」というのは、よく解りませんけど。
(禅は観行はしないですから)
「縁起で解脱」もよく解りません。
しかしながら大変参考になったのは間違いないです。
ありがとうございました。
259 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/25(木) 10:26:48 ID:V34fndlw
>>228 >「一切皆苦」で「輪廻否定」なら、とっとと自殺すればいい。
これもどうも拙者には理解不可ですね。
拙者が「世界は悟ってる」って言ったのは、
森羅万象「今を生きてる」じゃ〜ないですか?
こういう意味で言ったのです。
人類の歴史は、知能の発達の歴史でありました。
この発達の段階において、いろいろと妄想に耽るようになった。
(無明とは、この発達【言語獲得含む】と密接に繋がりがある)
猿が死んだ先のことを心配しますか?
せんでしょ?
猿はもともと悟ってるからなんです。
>「輪廻があるかないか?」は、どうでもいいことのように思うのだけれど。
いんや、そんなことはないですね。
皆さんは輪廻転生で夜も眠れんくらいに心配しとるんですよ。
このスレが賑わってるのがその証左でつ。
260 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 10:44:38 ID:eRLQmIeV
>君が、他者の勤労によって「生かされて」貰わない限り、君が、「妄想」 にふけることも不可能になるのだよw。 仏教者は、何故一生懸命托鉢して、「その生命の維持に不可欠な食物」 を求めて歩き回ったのかね。 えー、三輪空寂をご存じない? 「お陰様」「生かされて」なら別に仏教でなくて道徳のレベルでしょw あのね、そうゆういかにも日本的な日常や平凡が大事なら、 仏陀は非日常、反社会的な出家なんてしない。 王子のままで王位につき善政をほどこし民に感謝すれば済むことだ。 君には、インド的な仏教は似合わない。 お天道様に手を合わせるだけで充分だろw ところで、そういうあなた、この私によっても「生かされている」ことを なぜ感謝しないw 傲慢な人だねw 自分だけは特別だとでも?
261 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 10:45:09 ID:8aNm8k2C
>>258 >バラモン教はウパニシャット哲学を根本義としておりますから、
>この時点で輪廻転生思想はあった。
>その思想を進化させたのが釈尊ということですね。
正確に言うとヴェーダです。ウパニシャッドは補助聖典。
意味は変わりませんが、念のためw
>「縁起を観ずる」というのは、よく解りませんけど。
>(禅は観行はしないですから)
>「縁起で解脱」もよく解りません。
ここは、理解しにくいところ、誤解しやすいところで、
私自身も長年誤解してました。誤解が解けたのは師の教えによってです。
私の理解では禅は、先ず座禅してサマタ、精神集中行に集中する。
ヴィパシャナは、縁起の代わりに公案など別の手法を用いるのだと思います。
ヴィパシャナは縁起観だけではないのです、色々な手法があります。
とりあえず、縁起にしても公案にしても三昧に入らないで論理的に思索しても
ほとんど意味がないということは、お分かりいただけますか?
262 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 10:48:02 ID:edkW4bCG
>>257 >「天眼通」とか「空を飛んだ」 とかいう話を事実であると信じて
>おられるのでしょうか?
空を飛んだとは思ってませんね。馬に乗った方が楽なんじゃないですか。
輪廻転生が本当にあるとしても、転生を特に希望しない心理状態で死にたいですね。
263 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 10:56:41 ID:8aNm8k2C
>>259 >259 名前: 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. Mail: 投稿日: 2008/12/25(木) 10:26:48 ID: V34fndlw
>
>>228 >>「一切皆苦」で「輪廻否定」なら、とっとと自殺すればいい。
>
>これもどうも拙者には理解不可ですね。
それは「一切皆苦」を実感しないで、
ただ知的にそういう思想だと捉えているからではないでしょうか?
実際、「一切皆苦」を本当に理解できるのは聖者のみと諸聖典は口を揃えます。
確かに、うまい!とか美しい!とか気持ちいい! といった快感が楽なのか
どうかよく考える必要があります。
私はそういった快感は、無明だと思ってます。と言って実感してませんがw
なぜなら、快感を求めて這いずり回る虫や犬と変わらないからです、
本能という無明に突き動かされて、苦を楽と錯覚して業を作りまた苦しむ。
糞壷の糞虫もスッキン(快楽者)である、という言葉が頭に響きます。
264 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/25(木) 11:07:26 ID:V34fndlw
>>261 >私の理解では禅は、先ず座禅してサマタ、精神集中行に集中する。
精神集中はしないですね。
本来無一物(精神は無い)ですので、集中しようがないのです。
これが南宗禅の特徴です。
(もしかしたら北宗禅なら、そういう行法があるかもしれません)
>とりあえず、縁起にしても公案にしても三昧に入らないで論理的に思索しても
>ほとんど意味がないということは、お分かりいただけますか?
三昧に入る以前に捨置するのが禅ですね。
この段階において禅病とか神経衰弱とかになる可能性がある。
白隠は、これで弟子二名を自死させてます。
魔境というやつですね。
非常にやばい場合もある。
(これを取り去る行法が軟蘇の法)→自己暗示的なもの
つまり、非常に精神的に不安定であることは間違いないです。
>ここは、理解しにくいところ、誤解しやすいところで、
>私自身も長年誤解してました。誤解が解けたのは師の教えによってです。
そうでしたか^m^
265 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 11:13:12 ID:JW0hNU6a
釈迦が自分で書いた経典など一つもない。すべて後代の人々が、それぞれの 解釈で書いたもの。経典が、釈迦の「真意」であることの保証は「皆無」で ある。 従って、釈迦や原始仏典の「言葉」に拘るのはナンセンス。それぞれの時代に 生かすべく、それぞれに解釈すればよいだけのこと。
266 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/25(木) 11:17:37 ID:V34fndlw
>>263 >それは「一切皆苦」を実感しないで、
一切皆苦というのは、これは諦観ですよね。
つまり例示しますと、
不細工な嫁さんを貰ったとする。
この嫁さんが美人になることを望むより、
不細工は不細工なりに全てを受け入れる。
そうしますと、
だんだん慣れてきまして、いつかは不細工と美人の二項から離れる。
諦観の基盤となるのが、一切皆苦になるやに理解しております。
267 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 11:19:08 ID:8aNm8k2C
>>264 >精神集中はしないですね。
>本来無一物(精神は無い)ですので、集中しようがないのです。
>これが南宗禅の特徴です。
>(もしかしたら北宗禅なら、そういう行法があるかもしれません)
>
>>とりあえず、縁起にしても公案にしても三昧に入らないで論理的に思索しても
>>ほとんど意味がないということは、お分かりいただけますか?
>
>三昧に入る以前に捨置するのが禅ですね。
>この段階において禅病とか神経衰弱とかになる可能性がある。
ほんとですか? 三昧のない仏教は考えにくいですね。
白隠さんは、臨済宗ですよね。たしか公案も使用していたし、
仮名法語とかでは、因果も説かれていたと思いますが、
以前読んだ印象では。
まあ、知らないことはこれ以上口を挟んでもしょうがないですね。
268 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/25(木) 11:30:07 ID:V34fndlw
>>267 >ほんとですか? 三昧のない仏教は考えにくいですね。
弟子が禅定に入るのに、
「座らんでいい」。って言う師家もおりましたし。→盤珪
作為的にやるもんじゃ〜ないですね。
「瓦は磨いても仏にはなれない」。
(修行しても仏にはなれない)
というのが南宗禅ですね。
六祖慧能以降あたりが最も禅の開花期です。
269 :
初代スレ7 :2008/12/25(木) 11:34:40 ID:wzjHZDF4
>>228 ねw
>>245 のように、宝珠氏もまた、
《『A』の側から(も)アプローチしたい》という意図が明らかです。
※また、現代人の一般的知識から(様々な知識・経験則から)却下し易い、というのもあります。
これを、「ただ知らないだけ」「凡夫の視線でしか見ていない」と言うのは容易いですが、
検証困難(不能?)・追体験困難(不能?)であることに変わりはありません。
もしかしたら、箱の中身を知らないだけ、壁の向こうを知らないだけかもしれません。
が、様々な情報の集積から予測・推測されるに、「どうやら中身は空っぽだ」「壁の向こうは荒野だ」
と、仮説を立てるのです。否定論者の殆どはこの点に拠っています。
現代の常識を古代の思想にそのまま援用することが不当であるとは言いながらも、
「同じ人間であった」という姿勢をとる限りは、どうしても生じてしまう事態なのです。
たとえそれが阿羅漢達の実体験であったとしても、
思索の上での「心理的体験」である可能性も又完全却下できないのです。
もし、仏教内部だけでなく外部の者との対話が想定されるなら、
『A』についての議論も又避けては通れないのでしょう・・・。
他の教義のように、通常の思考・体験により「頷ける」の可能性の高いものとは違うでしょうが、
(
>>242 で述べたように)その「考察の構図」或いは「考察の方法論」の上で、
「輪廻」に関してもまた、『A』の側からのアプローチが重要な位置を占めるのです。
様々な教祖(始祖)たちが、『実体験・自身の体験』として何事かを語る時、
それの検証は追随する者の追体験に委ねられます。
現代に於いては、それらに対する科学的アプローチも手法としては存在しますが、
完全な検証・分析は今の所不可能でしょう。
さて・・・、果たして「涅槃」は“正しく”追体験されてきたであろうか・・・。
270 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 11:41:15 ID:gGCntIzx
>>267 机さんの唱える禅は、机禅ですからw
坐ることが大嫌いで、如何にかして坐らないで悟ったことにしたくて今の論法を編み出したのですよ。
日曜坐禅会でちょこっと坐った気分を味わった人に多いタイプです。
271 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 11:42:18 ID:8aNm8k2C
>>266 諦めるというのは、机さん解釈のように近代で誤解されたと考えています。
そういった世俗のなかでわたりをつけるとか、妥協すると言った意味では
ありません。
机さんの説は最終的にただの妥協になるので、
それだったら別に仏教の必要はないでしょう。
教えを聞く必要もないし、戒律も護る必要もない、
禅定も..........
ここ20年近く、いろんな人と仏教の話をしてきましたが、
私が疑問だったのは常識や亜科学信仰者で仏教を否定せずに常識化しようとする人たちでした。
それなら、常識や亜科学のフレームで生きていけばいいじゃないか? と思うからです。
しかし、最近やっと分かった気がします。科学というのは現象を記述して説明体系を提示するだけ、
つまり、こうなってますよとは言うけど、どうすべきか、どう生きるべきかについては全く何も提示しません。
それどころか、いままでの常識が、なんの根拠もないただの習慣であると社会学や言語学などは明かしてきました。
そこでニヒリズムが生じて規範を模索する、そのなかで合理的で歴史的に権威のある規範として仏教などを選択する人がいるということだと思います。
それならデレク・パーフェットとか読めばいいのにと思いますが、もう一つ重要な要素は、お手軽ということでしょう。
合理的かつ権威的で、お手軽ということで仏教。
仏教は、そんなお手軽なプチ修行で分かるものでもないが、
方便がよければお手軽なプチ修行で効果があるものでもあると思ってます。
ただ、自己正当化の為に常識におもねった仏教を主張してもなんにもならず、
虚しい慢心が残るだけなのは確かだと思います。
272 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 11:47:04 ID:JW0hNU6a
>>269 そもそも、釈迦がそのような体験を本当にしたのかどうかの保証も「皆無」
ですね。
開祖に拘らずに、現代人は、現代におけるその生において、自分自身の「涅槃」
を見出せばよいだけのこと。開祖や経典に拘るのは、本末転倒といえよう。
273 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 11:49:19 ID:betrjJ1O
>三昧のない仏教は考えにくいですね。 三学の内、定・慧に重きを置いたのが本邦の仏教ともとれる。 現代に至って「定」すら捨てるというのか。 仮にも「禅」を題目にする輩が・・・。 机なら机の言うことだからと、笑っていられるが、駒沢や花園にも似たような学者がいるからしゃれにならん。
274 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 11:55:21 ID:JW0hNU6a
>>271 >どうすべきか、どう生きるべきかについては全く何も提示しません。
どう生きるかを「考える」ことは、「生きる」ことではない。それは、むしろ、
「死んでいる」状態である。
生きることの意味は、生きること自体にあることを悟って欲しい。
275 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 11:57:45 ID:betrjJ1O
すみません。「デレク・パーフェット」について紹介してください。お願いします。
276 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 12:01:33 ID:betrjJ1O
>どう生きるかを「考える」ことは、「生きる」ことではない。それは、むしろ、 >「死んでいる」状態である。 >生きることの意味は、生きること自体にあることを悟って欲しい。 言いたい事は解らんでもないが、運転に集中するときは集中することが大切だが、行き先を調べるときには、地図を広げて行き先について考えることも大切。 それを正しく弁別することが大切。
277 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/25(木) 12:10:45 ID:V34fndlw
>>269 >『A』についての議論も又避けては通れないのでしょう・・・
帰納法的推論するならば、
何ゆえ輪廻転生なるシステム化されたものが必要なのか?
という大局的観点に立たねばならんでしょうね。
そのテーゼとは何か?
例えば「至上善」的なものを追求しようとする学問もある。
(これも今現在においては殆ど崩壊しておりますけど)
非常にファジーな概念でもって、
自己基準でカルマの清算をするわけですが、
これが普遍性を有しない限りは、システム化そのものも崩壊する。
システム化されなければならない必然性とかは、
全くレスポンされていないのが、
その証左やに思いますね。
278 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 12:12:23 ID:JW0hNU6a
>>276 >行き先を調べるときには、地図を広げて行き先について考えることも
>大切。それを正しく弁別することが大切。
それも「現実の目的地」に到達するための「生の行為」。地図が「空想上
の地図」だったら、無意味。
人間の心身は、専ら、現実界のみで生存できるようにプログラムされて
いる。現実と空想とを混同したら、そのプログラムが狂い、生そのもの
が破壊される。
人間は、現実と非現実との区別を、専らその五感の知覚によってのみ
行う。
279 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/25(木) 12:29:48 ID:V34fndlw
>>271 >机さんの説は最終的にただの妥協になるので、
妥協というのは、ひとつの段階でして・・・
それを通り越して全てを捨て去る(修行もなにもかもです)まで逝かねばならんのです。
諦観というのは、そういう道しるべであるのです。
修行して何かを得るのではないですね。
得ることはなにもなくて、
ただ捨て去るだけなのです。
(捨て去ることのために修行をする、と言ってもいい)
そういう段階を経ませんと、本来の南宗禅にはならない。
(拙者はは我流で書いてるのではありゃ〜せんのですよw)
>教えを聞く必要もないし、戒律も護る必要もない、
>禅定も..........
戒律はどうなんでしょうか?
あまり固執はしないですね。
一休は、肉も食べましたし、女も好んで食べたようです。
280 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 12:31:48 ID:JW0hNU6a
釈迦もイエスも、その「生物的生命(生存本能)」がなければ、仏教も キリスト教も存在しなかった。人間は、生物の一種に過ぎない。 宗教者は、この「生物的生命」という、人間のすべての営みの根源を 失念してしまっているように見受けられる。 すべての「宗教的観念」も、この生物的生命の機能に過ぎない。 生命は、すべての人間に共通する唯一の普遍の事実。これに反し、 「観念」は百人百様。何らの普遍でもない。だから、争いが生じる。 その正誤・正邪を判断する基準は皆無だからである。 今後の宗教、いやすべての人間の営みは、「生命」という根源に立ち返 らない限り、無意味なばかりでなく、争いの原因をもたらす、極めて 有害な営みであり続ける。 すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、 「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だから である。
281 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 12:32:02 ID:ueru0cDq
>人間は、現実と非現実との区別を、専らその五感の知覚によってのみ行う。 だれでも出発点はそこだよ。貴方は貴方の現実界という幻影の中で生きているだけ。
282 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 12:34:42 ID:ueru0cDq
283 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 12:46:15 ID:JW0hNU6a
>>281 「現実(実在)」と「非現実(非実在・幻影)」との区別のテストは、
それが人間の生物的生存に直接の関係があるか否かである。
人間は、神仏を煮て食うこともできないし、衣服にして寒気を防ぐこと
も出来ず、幻の女を抱いても、子供は生まれない。一方、石ころでも、
道路を作り、家屋を作ることにより、人間の生物的生命の維持に役立つ。
そして、人間界は徹頭徹尾共同体だから、現実・非現実の判断は、専ら
共同体の不特定多数の成員の、「ほぼ共通の五感の知覚」によって行う。
従って、「現実界という幻影」という言葉は、言語矛盾である。
284 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 12:48:55 ID:1r1Y6phq
>すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、 >「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だからである。 これをこの論調で突き詰めると、戦争も殺人も認めるようになるよ。全体主義の究極形態だろう。
285 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 12:54:23 ID:k2WT6WmN
>>283 トンデモスーパーマン・シャカムニ絶対主義が生命絶対主義に成り代わっただけだ、ということに全く気がついていないところが、愚か過ぎる。
健康のためなら命もいらない、と言った芸人の笑い話の何処が面白いのか、アンタわかんないでしょ?
286 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 12:57:08 ID:JW0hNU6a
>>284 人間は、独りでは絶対に生存できないのだから、生存とは、他者の生存
も含むのだよ。従って、この生存本能から、共同体形成・維持本能、自他
の死への恐れ、他者への思いやりという、本能や自然の感情が派生する。
純粋に生存のための戦争であれば、この生存本能による自動制御が働き、
適当なところで和解が可能である。宗教は、その「観念」によって、生存
本能を制限、変容、破壊するから、生存に関係ない宗教紛争においては、
この自動制御が働かず、相手を皆殺しにするまで止めることができない。
287 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 13:02:47 ID:JW0hNU6a
>>285 人間が生きている限り、いくら足掻いても、生命の絶対性からだけは
逃れることはできない。
「健康のためなら、生命はいらない」という言葉は、まさに宗教の矛盾
に当てはまる。
288 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 13:37:52 ID:8aNm8k2C
>>273 >三学の内、定・慧に重きを置いたのが本邦の仏教ともとれる。
なるほど。特に天台宗および、その分派はそうですね。
南都系と真言宗は、近代以前は少なくとも題目上は違った。
>現代に至って「定」すら捨てるというのか。
>仮にも「禅」を題目にする輩が・・・。
>机なら机の言うことだからと、笑っていられるが、駒沢や花園にも似たような学者がいるからしゃれにならん。
ですね。
>>275 デレク・パーフィットでした。失礼しました。
http://www.lifestudies.org/jp/perfit.htm 論理的倫理学者で、仏教に深い共感を示しています。
私は、彼とダライラマ猊下とマチウ・リカール、石飛道子で
幸せになるための論理といった内容の論理と倫理に関する議論を
日本で実現したらいいなと思ってます。
289 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 14:59:31 ID:JW0hNU6a
>>288 「幸せになるための論理」という言葉だけで、すでに胡散臭い。
「幸福の科学」という新興宗教があるねw。
「幸せとは何か」を考えることが、先決だろう。
「自分の幸せ」と意図的に求めれば、それは遠ざかるものであることだけは、
間違いない。
290 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 15:23:54 ID:8aNm8k2C
>>289 >「幸福の科学」という新興宗教があるねw。
「幸福の科学」は
>>271 で言った「合理的かつ権威的で、お手軽な」伝統宗教+憑依系霊能を広告代理店が演出した感じですね。
正しく、私にはなんでこんなもの信仰できるか不思議でならなかった宗教です。
テキストがマンガレヴェルで、出来が悪すぎる。なぜ、日本の概説書に書かれている人物しか登場しないのか?
とか、内的な論理体系と実践的修行体系の欠如、つまり、どうゆう理由でどうすべきかが曖昧で、さっぱり理解できない。
>「幸せとは何か」を考えることが、先決だろう。
仏教的には、単純ですよ。苦の軽減、消滅した状態のことです。
>「自分の幸せ」と意図的に求めれば、それは遠ざかるものであることだけは、
>間違いない。
その場合、より正確に言えば「自分の欲望」ですね。
単純に言うと西洋論理学は、自己正当化、あるいは自己弁護の論理学だった。
その論理に基づく現代社会では個々が自分の欲望の正当性を主張して譲らない
苦しみを生み出すしかない社会、あるいは思想、論理である。
それに代わる新しい論理と倫理の模索を、その四人の方に話し合っていただきたいということです。
291 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 15:55:35 ID:eRLQmIeV
生命教は生長の家と内山の臭いがするw
292 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 15:58:29 ID:JW0hNU6a
>>290 >仏教的には、単純ですよ。苦の軽減、消滅した状態のことです。
仏教的な「苦」の本質とは、何ですか?「人生皆苦」では、人生の否定に
繋がるから、話にならない。
苦があるからこそ楽が存在し得る。「人生皆楽」は、「人生皆苦」と何らの
相違もない。
苦を滅すれば、他者の苦を理解し、共感する能力(これを、人間の成長という)
が育たない。
肉体的・物質的な原因から生じる苦は、科学が対応する。
純粋に精神的な苦は、自己中心主義から生じ、自我を離れて身近な他者へ心を
移すことにより、軽減し、消滅する。人間の本質が、共同体性である所以である。
293 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/25(木) 15:59:35 ID:T8Imcs1b
>>273 >現代に至って「定」すら捨てるというのか。
>仮にも「禅」を題目にする輩が・・・。
>机なら机の言うことだからと、笑っていられるが、駒沢や花園にも似たような学者がいるからしゃれにならん。
しゃれにならんかったら捨置すればよきこと。
捨てきれんとこに貴殿の迷いあり。
294 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 16:11:37 ID:8aNm8k2C
>>292 あなたですか、そうやって信念体系の異なるものを非難することが苦の原因でしょう。
そんな無駄なことは止めませんか。
295 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 16:16:53 ID:JW0hNU6a
>>291 「内山」って誰?聞いたこともない。
生長の家は、キリスト教の影響を受けた大本の系列で、「生命の絶対性」
など考えない。
296 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 16:24:45 ID:JW0hNU6a
>>294 ならば、仏教という「信念体系」そのものが苦の原因になるね。
あなたなりに、
>>292 に反論してみてください。
297 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 16:35:59 ID:8aNm8k2C
>>296 >あなたなりに、
>>292 に反論してみてください。
もう十分、話したでしょう。平行線で同じ内容を繰り返すのは無駄ですよ。
あなたは常識を確信している。私は仏教を確信している。
しかも、対象領域が全く異なる。無駄でしょう。
298 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 16:55:49 ID:IWNDj8Eo
また常識か?お前はどう も常識という語を相手を 蔑視する際に使う癖があ るようだが、非常識な妄 相に取り付かれている自 分をよくみてみる必要が あるな
299 :
初代スレ7 :2008/12/25(木) 17:08:25 ID:wzjHZDF4
>>298 なぜ仏教にこだわっているのかな?
あなたのやりたいこと(非常識の排除)は
キリスト教に対してはやらないのか?
仏教のほうが常識に近いと思い込んで、
自分の思い通りに常識化して理解したって、
それは仏教ではないし、なにも得るものはないよ。
仏教を勘違いしているのではないか?
自分をよくみてみる必要があるな。
301 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 17:29:52 ID:IWNDj8Eo
>>300 誰が仏教にこだわ
っていると書いたか?
勝手に思い込んで妄想に
より書いているのはお前
の方だろ。
302 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/25(木) 17:45:03 ID:T8Imcs1b
>>252 >「釈迦は輪廻を説いてない」論の根拠というのは
>仏教のほかの部分で説かれている論理で言えば
>輪廻転生は成り立たない、というものなんでしょうか。
時制、つまり三時(時間のこと)については、そもそも現代論理学では無理なんですよ。
ですから「論理」というなら、古典インド言語哲学から学んだ方が早いですね。
でも、まあ、そこまですることもないですが・・・
ようするに、西洋哲学的な発想の「時間の実存性」において論考するのは、
ちょうど油と水を混ぜるようなもんです。
西洋とインドでは噛み合いません。
石飛道子が「ブッダ論理学五つの難問」の書籍を出しましたけど、
やはり無理がありますね。
石飛自身が「無理」ってのを言ってるわけですから。
あの本を買った方は大損しましたね。
303 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 19:22:15 ID:eRLQmIeV
「生命の絶対性」を信じるのなら 私の生命の前にひれ伏しなさい。
304 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 19:24:20 ID:oDYfYDK0
俺の生命の前にもひれ伏してもらおうか。
305 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 19:33:08 ID:NTMZuZP8
なんだかんだ言っても、 よーするに「死ぬ」のが怖いのだろ? こういう発想自体が無明なんだけどね。 「生命の絶対性」だの「死の恐怖」だのって迷いと矛盾そのものなんだけどね。 『中道』という言葉は知っていても、なんにも解かっちゃいないということかw
306 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 20:04:47 ID:JqL4YIjk
生命の絶対性を主張するバカと絶対的無関心を標榜するバカ。
対極のように見えるが、愚鈍という根っこで繋がっている。
>>286 生命の「絶対」を主張するもの同士が衝突すれば、どちらかが根絶やしになるまで止まらないだろう事は自明。
仏教という「宗教」は「ともに、是凡夫なるべし」という姿勢で致命的な衝突を回避してきた歴史がある。
虎のごとき好戦的民族である蒙古の民ですら、仏の教えで猫のごとく爪を隠すことを学んだ。
あんたの主張は、「妄想」「世迷言」でしかない。
307 :
宝珠愚者 :2008/12/25(木) 20:11:50 ID:2CddHNLY
仏教徒ならば、経典を拠りどころとするのは当たり前であり、尚且つ、そのことが最重要の姿勢とい
えるでしょう。そんなにあなた方が経典の内容とゴータマの説法が気に入らないのであれば、何も無理
して仏教を信奉する必要はどこにもない。これは理解できる心の開かれた者が自ら望んで摂取すべ
きなのであり、強制や仏教支配などではないのだから---どうぞ好きにして下さいな!
証明ねぇ・・・私は偶然にも昔、たまたま心霊存在による物理現象を目撃体験したことがある。重さ5
キロ程度もあろうかという物体がパッ!と勢いよく瞬間移動したんだな、本当にコレが!!(笑)
こんな俗人ですからもただ肉体が無いというだけでこのような物理現象を作用できるのであるから、
現象世界から解脱さけた仏陀が、その大いなる神通力を働かせていたとしても何ら不思議ではなく、
寧ろ何もないというほうが不自然で可笑しい。
何も神通力はゴータマだけの話ではなく、ゴータマ十大弟子のモッガラーナ「神通第一」、阿那律「天
眼第一」といった存在のことも知らないのか?
で、話は変わって、私からの質問状に対する返答が並川 孝儀氏より届いたところです。
佛教大学文学部人文学科教授/並川 孝儀氏
---インド仏教学専攻(原始仏教,部派仏教)
http://www.bukkyo-u.ac.jp/bu/guide/teachers/lit_jinbun/namikawa.html 私からの質問内容とは----
308 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 20:19:58 ID:Akl4uHQZ
>>307 すごい・・・。
やりましたね。
いや。
やりすぎましたね!
いや、いや。
どっちでもいいからw
309 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 20:20:17 ID:/GKwWKQH
>>306 「生命の絶対性」とは、宗教を含め、人間のすべての営みが、生命の
機能であるという、自明の事実を言っているだけ。
その意味で、宗教も、神仏概念も、生命の奴婢に過ぎない。
生命の絶対性を信じる者が、他者の生命を奪う訳がなかろう。
310 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 20:35:58 ID:XyGXZhCo
>>303-306 >「生命の絶対性」を信じるのなら私の生命の前にひれ伏しなさい。
>俺の生命の前にもひれ伏してもらおうか。
人
(__)
(__)
(,,/)(ヽ,,) イナイイナイ・・・ ★ 感情的な汚い罵りと歪曲した傲慢な態度は
( )
'u ̄u'
人
(__)
(__)
(ヽ(,,・∀・,,)/) バァー・・・ 宗教にマイコン・嵌ってる証拠!!★☆
( )
'u ̄u'
生命=エゴ
312 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 20:40:55 ID:dVxLBZx3
>>309 「絶対性」が数値化出来るところに争いの種があることもわからんのか。
生命に絶対性をもたせたとて、現状は「全く」変わらないこともわからんか?
>>310 ごくろうさん。
313 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 20:44:05 ID:XyGXZhCo
>>265 >>272 >>280 <ご隠居氏の論>は、パーフェクト!!スバラシイ!!ヽ(^。^)ノ
■すべての「宗教的観念」も、この生物的生命の機能に過ぎない。
■今後の宗教、いやすべての人間の営みは、「生命」という根源に立ち返らない限り、
無意味なばかりでなく、争いの原因をもたらす、極めて有害な営みであり続ける。
■すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、
「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だからである。
↑ は、万人に理解できる優れもの〜、宗教を超えていま〜す!!☆★
(・∀・)ノ オチ☆♪〜☆★
すばらしい帰依ぶりですね。
315 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 20:55:55 ID:/GKwWKQH
>>311 >生命=エゴ
当たり前でしょう。エゴがなければ、生命の維持はできない。
しかし、生命は、独りでは決して維持することはできません。だから、
人間は、常に共同体を作って生存しているのです(共同体形成維持本能)。
そして、このことから、自他の死への恐れや他者の生存への思いやりが
生じます。他者が生存してくれなければ、自分の生存も危なくなる訳です
から。「情けは人のためならず」です。
仏教でも、「自利・利他」を教えているはずだが。
316 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 21:14:53 ID:NTMZuZP8
>>313 >生物的生命
ってあんた、非生物的生命があるみたいな言い方だなw
カルトの一歩手前〜〜〜〜〜!
生命とはよーするにDNAなんだから、無明の奥にはDNAが鎮座ましましているわけだ。
>「生命」という根源に立ち返らない限り
無明を常に逆命題とする仏教は常に根源からの発想をしているのはとーぜんだ。
なにマトはずれをしゅちょうしてるんだあ?
>すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、
>「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だからである。
馬鹿すぎてお話にならんw
それは無明絶対肯定論であって、仏教ではない!!!
真相はDNAによって生命現象が「無明」という状態でコントロールされている(一切皆苦)から、
それをいかに克服するかがブッダの本懐であり四聖諦の本質だ。
クソ馬鹿隠居の主張はDNAによる無明絶対主義主義であって、無明外道そのものだ。
自演(爆笑 ご苦労!
& アディオス!!
317 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 21:15:17 ID:SvLIBcAK
>>314 隠居とやらのマイコンの虜☆
隠居はいい儲に囲まれて幸せだなw
318 :
宝珠愚者 :2008/12/25(木) 21:21:26 ID:2CddHNLY
「生きものを(みずから)殺してはならぬ。また(他人をして)殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害す るのを容認してはならぬ。世の中の強剛な者どもでも、また怯えている者どもでも、すべての生きものに 対する暴力を抑えて──。」(スッタニパータ394) 「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。已が身をひきくらぺて、殺してはならぬ。殺 させてはならぬ。すべての者は暴力におびえ、すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。已が身にひき くらべて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。生きとし生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によっ て生きものを害するならば、その人は自分の幸せをもとめていても、死後には幸せが得られない。生きと し生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害しないならば、その人は自分の幸せ をもとめているが、死後には幸せが得られる。」(ダンマパダ10:129-132) 味噌も糞も一緒に論じて、オウムや西欧の一神教徒らと一緒にされては困る。教えを勝手に守らず欲 望と破壊とに走る者を聖者にせいにするな!
319 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 21:22:13 ID:NTMZuZP8
>>315 あんた、それはアジタ的古い唯物論やって何回もゆーてるやないか。
もーええかげんにブッダの中道に踏み込んでこいや。
もっとも、ゴータマとアジタは近しいことを認めるにやぶさかではないw
320 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 21:24:28 ID:hIpZ3YvZ
>>318 そんなことはいいから、さっきの続きを首長くして待っているんですけど。
321 :
宝珠愚者 :2008/12/25(木) 21:36:59 ID:2CddHNLY
-----質問 一般的には「無我」といって、 輪廻する主体、アートマン存在が否定されたことになっているが、 しかし釈尊が述べたのは、正確には「それら(五蘊)はアートマンではない」 (いい換えるならば、「五蘊ではない存在がアートマンである」)という意味でしかなく、 よって、「非我」と表現されるほうがより正しいのではないかということ。 つまり、「アートマン存在を(無いものとして)否定した」言葉は 実際、一つもなかったということが、まず第一点。 輪廻転生を否定した場合には、 唯物的な外道思想の「断見」(死んだらそれで継続的生命が無くなるという断滅論) ということになる、というのが第二点。 「毒矢のたとえ」として知られる「無記」とは、 形而上学的な問題について判断を示さず沈黙を守る姿勢のことですが、 つまり、直接に修行に必要ではない形而上学的な内容については説かれなかっただけで、 ここでも「アートマンは無い」などとは述べてはいない。 また、転生(再生)を現実的な現象として説いたとしても、 何ら沈黙すべき無記としての形状学的問題としては抵触しない。 これが第三点。
322 :
宝珠愚者 :2008/12/25(木) 21:38:02 ID:2CddHNLY
また、 因果律の延長上においても輪廻転生は必然的な見解であり、 これを認めなければ善行善果/悪業悪果としての業報思想に矛盾する。 因果としての輪廻転生は、縁起からみた場合、 時系列的な因果関係を示す限定の意味はなくても、 時系列的な因果関係として現れることはない、という証明にはなっていない。 これが第四点。 実際、輪廻転生を説く内容の経で溢れているのが現実であって、 輪廻転生をないものとして否定した経などは一つも存在していない。 これが第五点。 以上の理由からみても、 私は、史実としての釈尊が実際に輪廻転生を説いていた可能性は かなり高いものと考えています。にも関わらず、 仏典で記述された膨大なその部分を意図的に排除する 最近の方向性というものは如何なものでしょうか? それとも文献学上、釈尊がそれを説かなかったという、 つまり後世の経典制作上の附加増大に依るものとの 学術的な確信と方向性が高まったということなのでしょうか? ----------------------------------------------------------- 届けられた氏からの返答とは・・・
323 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 21:59:24 ID:eRLQmIeV
>315 ただ「神」を「生命」と読み替えただけか・・・つまらん。 で、生命教ではその生命はだれが作ったんだ?
324 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 22:04:57 ID:/GKwWKQH
>>323 >生命教ではその生命はだれが作ったんだ?
それを思考するのも、生命の機能w。
それじゃ答えになってないことが分からないのは、 科学バカだからなのかな。
326 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 23:09:48 ID:NTMZuZP8
>>321 >一般的には「無我」といって、
>輪廻する主体、アートマン存在が否定されたことになっているが、
>しかし釈尊が述べたのは、正確には「それら(五蘊)はアートマンではない」
>(いい換えるならば、「五蘊ではない存在がアートマンである」)という意味でしかなく、
>よって、「非我」と表現されるほうがより正しいのではないかということ。
しかし前スレで 宝珠愚者はこう引用しているではないか、
612 :宝珠愚者:2008/12/20(土) 00:58:43 ID:5LoFzwjn
『「大徳よ、無我、無我と仰せられますが、大徳よ、いったい、いかなることを無我というのでありましょうか」
「ラーダよ、色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我である。行(意志)は無我である。識(意識)は無我である。
おそらく定評のある増谷文雄氏の訳だが、明確に「無我である」と主張し、「我ではない」「我に非ず」などとこじつけ訳はやっていない。
これに対し
615 :神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 02:42:16 ID:hoPT5oc1
ブッダの所説は一切内においては「無我」であって非我ではない。
一切外においては“無記”であって非我ではない。
非我説は完全な誤り。
宝珠愚者は
>>615 に対しなんらの反論もできていない。
中村元説のこじ付け的ご都合主義的援用にしかすぎない。
いや、「我ではない」と「無我である」は同じことなのでは? 無我説というのは全称的に「我はない」という理解していたんだけど、違うの?
328 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 23:40:05 ID:NTMZuZP8
>>321 >輪廻転生を否定した場合には、
>唯物的な外道思想の「断見」(死んだらそれで継続的生命が無くなるという断滅論)
>ということになる
宝珠愚者は、ブッダがメタコードの空=中道を説かれている意義がいまだに!解かっていない。
「無記」については前スレ
>>615 の通りであり、経験主義者として当然の態度だ。
戯論を吐きまくる君たちと違って、大人なんだよw。
縁起はほとんど偶然性のカオス的因果関係の集合であり、善因善果論のような
超単純素朴な価値論で判断できるものではない。世俗においての善悪価値判断などというものは
実情無視の単純素朴な共同幻想を想定してのみ成立しうることであり、
普遍的価値としての善悪などというものは幻想にしかすぎない。
宝珠愚者の論は具体的歴史現実を無視した抽象論にしか過ぎないのだ。
>史実としての釈尊が実際に輪廻転生を説いていた可能性
仏典に記されていることを否定するものは誰もいない。
しかし、それは勝義中道=涅槃へ目覚めさせるための方便であり、フィクションだと言っている。
現にジャータカが子供向けのおとぎ話=フィクションだと認めているなら、
ほとんどがマトモな教育など受けたことのない大人向けのおとぎ話=フィクションを方便として語られても
なんら不思議ではないのだ。
もういいかげんにしたら?
329 :
宝珠愚者 :2008/12/25(木) 23:48:48 ID:2CddHNLY
>>326 しかし・・あまりの読解力の無さに悲しくなります。
「色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我である。行(意志)は無我で
ある。識(意識)は無我である。」とはつまり、「色受想行識の五蘊はアートマンではない。」と述べて
いるのです。読めば分るでしょ!要するに、アートマンとは五蘊ではないものだといってるのですよ。
わかりますか?従って、アートマンではないものをアートマンと同一視することなかれ、とゴータマは
教えているのです。
anattan[アナッタン]そのものの意味は、「我ならざること」「我を有せざると」の二義で、漢訳の「無
我」の直意は、「在るものが我(アートマン)を有しないこと」「或るものに我が無いこと」をいう。
>非我説は完全な誤り。
だから私は、
「アートマンは存在しない」などと述べた経はどれなんだ?とズーと聞いてるのです。
早くそれをここに提示して下さいよ!
330 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 23:51:54 ID:NTMZuZP8
>>327 「我に非ず」(非我)は、抽象的に有我(アートマン)であることを前提としてのこじつけ立論であることは当然だ。
ヒンドゥ=バラモンに下半身が犯されたロマンチストの見解であることはいうまでもない。
あとは大日如来などの別名ブラフマンを設定すればヒンドゥの仏教侵略は完成するわけだ。
331 :
宝珠愚者 :2008/12/25(木) 23:52:09 ID:2CddHNLY
届けられた氏からの返答とは・・・
「ゴータマ・ブッダ考」並川孝儀著
http://daizoshuppan.bunkensystem.co.jp/daizo/Shop/ThisBook.asp?KanriNo=9-000-00050-0-005 なんと---ちょうどこのスレでも話題の上った並川氏からの返答が届くものとは、私も全く予想だにして
ませんでした。氏が佛教大所属だったことも知らずに質問を佛教大に送付していたのです。教学部教務
課からはご親切なことに、専門の先生に回しましたとのこと(感謝 !!)。
で、とても氏からの返答は、そのままここには掲載するわけにはいかないので、要点だけを箇条書きで
記します(文体は変えます)。年末で忙しく返答が遅くなったことを謝罪頂きまして、とても丁寧かつ親切な
文面でした。ゴータマは説いたとも説かなかったとも確定はしてないということであり、また、私からの質問
内容に対しては「論外でナンセンスである!」といったことはなかったw
・質問者からの指摘は適切でそれ自体は正しい。
・従って、輪廻を初期仏教の段階で認めていたと考えるのも妥当。
・しかし、本当に釈尊自身が輪廻を考えていたかは研究者たちの見解に相違がある。
・原始経典の内容全てが釈尊の教えとするのと、
或いは弟子の見解も入っているという二つの見方がある。
(詳しくは、並川孝儀著『スッタニパータ―仏教最古の仏教―』岩波書店/2008年12月の購読を推奨)
・自分は原始経典の成立を新古層に区別して理解すべきとの立場に立っている。
・しかし、それとは異なった立場でも、
資料に対して批判的に処理し論理的な見解であれば十分に尊重される。
また、全く同一の質問状を国内最大学会とされる「日本印度学仏教学会」にも送付しましたが、しかし残念
なことに事務局で跳ね除けられてしまいました。「ここはただの事務局なので返答できない」といった悲しい
返信でした。解答可能な研究者へと回したり、紹介を頂けるといった親切はなかった。
まっ、担当者が悪かった・・。
332 :
宝珠愚者 :2008/12/25(木) 23:56:25 ID:2CddHNLY
また、日本の全宗派から「宗派としての見解」を集めている最中です。まとまり次第、スレ上で大公開しま す!質問内容は以下の通りです ------------------------------------------------------------------ 明確に「人間の来世の生まれ変わり」ということについて、 宗派としての見解(個人的意見ではなく)を教えて下さい! 我々、大衆は死後に生まれ変わりをしているのかどうか? 「はい」「いいえ」「その他」(わからない、興味なし、など)として明確にご回答下さい。 どこに出しても問題のない宗派の教義としての見解で宜しくお願い致します。 ------------------------------------------------------------------
333 :
神も仏も名無しさん :2008/12/25(木) 23:59:35 ID:NTMZuZP8
それにしてもロマンチスト連中は「梵我一如」がお好きなようでw
>>331 やっぱり並川はんの返答はなんのインパクトもない(2チャンネルでのほうがもっと
突っ込んで議論している)、アカン。
2ちゃんねる仏教学もけっこうイイセンいってるの鴨。
334 :
宝珠愚者 :2008/12/26(金) 00:02:58 ID:2CddHNLY
>>330 「無我」だからアートマン否定だ。「アートマンはない」んだ!
アートマンがないなら輪廻の主体もない。ということは輪廻そのものもないんだ。
という論拠・・
ですから、その根拠となる経を提示して下さいよ!
それから言ってくださいな。。。
335 :
初代スレの5 :2008/12/26(金) 00:03:51 ID:CRvUCEUf
>>333 それは、そうでしょう。 どこの誰ともわからない人からの
問い合わせには、当たり障りのない返答をするのが通常かと思われます。
336 :
初代スレ7 :2008/12/26(金) 00:14:24 ID:rP9xTeJf
>>無我と非我 機械的日本語訳としてはどちらも可能な読みだが、 “意味合いとして”非我を支持する人は多いと思うよ。 少なくとも、奈良さんや田上さんは、授業中そのような主旨の発言をしていたし、 田上さんに至っては、(今はどうか知らないけどw)若い頃の論文を次のように締め括っているw 面倒だが・・・、以下、少々長いが引用してみよう。 田上太秀「ブッダの自我と無我について」―『駒沢大学仏教学部論集』3(1972)所収(p.31〜50) > 六 まとめ >ブッダはアートマンを否定はされなかったと考えられる。ウパニシャッドで“哲学的に”アートマンを追求し、知ることが解脱とされ、 >それはそのままブラフマンを知ることであり、ブラフマンとなることであったが、ブッダは実践的倫理的に追及され、 >アートマンになり、ブラフマンとなられた。自らがアートマンであり、ブラフマンである。といってそのアートマンが >いずれにあるかということについては自己撞着に陥入るために、言語をもって表現することのできないものであるから >説明をされなかった。定義することさえされなかった。ブッダそのままを直指するよりほかはない。 > アートマンは五蘊にないのであって、五蘊に構成される個体にないといっているのではない。しかし、 >その“ある”という観念さえも消滅しない限り解脱はえられない。 > 「仏伝」において疑問に附してあった自己の問題は右の結論によって解答をえたと思われる。 >ブッダは無我を説かれる場合、根本的には「自分のもの」という所有欲をなくすことを説かれているのであり、 >具体的には五蘊に対する所有観念の破棄をいっている。これが裏付けとなって >一切の自己―自他の差別としての自己、涅槃を求めて行く実存的な自己、あるいはアートマンとしての自己など――が >五蘊にはないと述べている。 > 『法句経』では結論として、アートマンを求め至向する実存的自己――人称的私の自己を含めた――のあり方を >強調しているもので、『スッタニパータ』は、ブッダそのものがアートマンであることを説いていると思われる。
337 :
初代スレの5 :2008/12/26(金) 00:22:41 ID:CRvUCEUf
アートマンねえ。 このへんで、主体設定をしない輪廻思想を主張していた かの御仁の説明をお聞きしたいとこですね。 かの御仁は、おそらく 無我、空 との関連からアートマンを含め、主体の設定を否定されて、おられ たと思われますが、そのあたりを仏典に根拠を求めるとすれば、どうなるので しょうか? やはり、「因縁心論」 「サンユッタ・二カーヤ」 あたりになるのでしょうか?
338 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 00:55:27 ID:AQhpEWo1
並川氏の著書に対する、宮崎氏の書評(上掲のリンクより) 「では,ブッダは輪廻をどう捉えていたか。古層の経典では,確かに輪廻は業報 と結びつけられ,積極的に説かれる。だが著者は文献を精査し,最古層の経典に は輪廻(サムサーラ)という語は見出せず,「来世」や「再生」などの表現はみ えるものの,いずれも否定的な文脈に限られている事実を突き止める。ブッダ自 身の輪廻観は飽くまで否定的であったと推すことができるのだ。「無我なのに どうして輪廻という生死を超えた我の存続を認めるのか」との疑問が氷解する とともに,当時から流布していた輪廻という観念の因襲を,無我の思想を立てて 解体しようとしたブッダの姿を,本書は見せてくれる。」
339 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 01:40:13 ID:74K2Qd0P
>>334 >>334 宝珠愚者殿は基本的な教科書をしっかり読んでいるのかねえw
いくらでもあるが、基本を押さえるために教科書的経典を示しましょう。
(1)『いま、われ、甘露の門をひらく。
耳ある者は聞け、古き信を去れ。』(相応部経典六、一:増一阿含経十九 勧請)
(2)『われというものはない。またわがものというものもない。
すでにわれなしと知らば、何によってかわがものがあろうか。
もしこのように解することを得れば、よく煩悩を断つことを得るであろう』
(相応部経典二二,八九:雑阿含経九、一〇三など)
同趣旨経典はいたるところにある。
340 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 01:41:33 ID:74K2Qd0P
>>334 <続き>
ブッダが捨て去れ!と言われた『ふるき信』とはブラフマン=アートマンを中核とする
リグ・ヴェーダ以来の特にウパニシャッド的梵我一如論への信仰を指しているのは当然だ。
(1)(2)から以下の趣旨を導き出し得る。
第一)我所(mana)の否定。存在が無常である限り「わがもの」はありえない。経文通り。
第二)我(attan)の否定。ブッダの成道が縁起の法の悟りを中核とするものである以上、
ウパニシャッド的梵我一如的自我観の完全否定を意味する。
つまり宝珠愚者が執着する「これは我にあらず」とはバラモン的絶対的自我主張を真正面から全面否定したものである。
第三)我体(me atta)の否定。つまり自我の恒久不変なる本体の否定。肉体を離れてもなお永続する我の本体=霊魂だが、
手を変え品を変え文言を変え名称を変え登場する。無明人間のサガともいうべき情念だろう(死ぬのが怖い)。
縁起の立場からブッダは自己の本体に関する固定的観念をも否定し去ったのだ。
大切なことは、ブッダの姿勢は常に帰納的かつ分析的だということだ。
五蘊、六処の個々にわたり無常・無我を細かく検証してゆく手法だ。
それによって具体的に無常=無我=縁起の法を体得させる見事な教育法だろう。
だから、個々の文言を取り上げて「我に非ず」などと非我と曲解するのは
揚げ足取り的歪曲との非難を免れない。
341 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 02:05:18 ID:74K2Qd0P
>>336 田上は「仏陀のいいたかったこと」のなかではそーゆー梵我一如論丸出しということはない(159頁〜)。
だいぶ腰が引けている印象だw。
とにかく因果撥無の戯論は叩くべきだろう。
342 :
初代スレの5 :2008/12/26(金) 02:22:48 ID:CRvUCEUf
さて、宝珠愚者氏を代表とする「アートマン支持派」の反論が楽しみですね。
343 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 02:54:23 ID:QfORdN1l
偏執的ともいえる輪廻・アートマン肯定派は、最初にもいったように、要する に、浅薄にもキリスト教の影響を受けていることは確かだと思う。少なくとも、 キリスト教を本質的に批判することはできないはず。 一方、クリスチャンは、全面的肯定派だろう。両者間の親和性は、極めて高い。 否定したら、「俺が俺が」のイエスのエゴや、その「「復活」「再臨」「永遠 の生命」「最後の審判」も正当化できないからだ。 輪廻転生は、キリスト教の宣教「手段」としての、罪の意識の植え付けという 「脅迫」にも通じる。また、聖書の文言から一歩も踏み出せない狂信性も同様 である。
344 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 06:20:02 ID:Fu5ETnCd
佛法を修せざれども、自然に覺海に歸すれば、さらに生死の輪轉なし。 このゆゑに後世なしといふ。これ斷見の外道なり。 かたちたとひ比丘にあひにたりとも、かくのごとくの邪解あらんともがら、さらに佛弟子にあらず。 まさしくこれ外道なり。 おほよそ因果を撥無するより、今世後世なしとはあやまるなり。 by道元
345 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 06:37:19 ID:VdvlfdRo
346 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2008/12/26(金) 07:16:55 ID:ATXrBQd0
>345 君はバカだな?(笑)
347 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 08:31:43 ID:G8WAzMuV
>346 まぁ、あまり賢いほうじゃないと思うが、君よりは幾分マシだよ。(微笑)
348 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 08:34:29 ID:G8WAzMuV
>>342 同じことのくり返しさ。
平行線は交わることは無いという結論が出ている。
君は物分りが悪いな。
349 :
初代スレの5 :2008/12/26(金) 08:38:10 ID:CRvUCEUf
>>348 別に交わることを期待しているわけでは、ありませんが。
350 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 08:39:51 ID:G8WAzMuV
自説の論拠が推測にしか過ぎず、学説と呼ぶには曖昧に過ぎることを並川氏自身が認めたとしても、釈迦の言説すら貶める連中が自説を省みることはありえない。
351 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 08:52:54 ID:EmgWArW4
>・質問者からの指摘は適切でそれ自体は正しい。 >・従って、輪廻を初期仏教の段階で認めていたと考えるのも妥当。 ↑↓この間の転換がわけわからん。 >・しかし、本当に釈尊自身が輪廻を考えていたかは研究者たちの見解に相違がある。 >・原始経典の内容全てが釈尊の教えとするのと、 > 或いは弟子の見解も入っているという二つの見方がある。 二者択一しかないわけは無かろう。弟子の見解は入っていても釈尊の金口の論旨を妨げるものではなかろう。 弟子は釈迦の弟子であれば、遺志を継ぐのは当然のことである。しかも「サンガ」という共同体にあれば釈尊の意志を曲げることのほうが難しい。 よしんば若干の表現等の変革はあったとしても、「輪廻」に纏わる大きな問題を操作することのほうが困難である。 「輪廻」が方便であるとする説も同じ。
352 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 09:34:20 ID:rbjSMtWi
353 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 09:47:52 ID:rbjSMtWi
>>314 >すばらしい帰依ぶりですね。
↑ このレスも宗教に嵌り、宗教カテゴリー内だけの言葉ですねw
賛同出来ない点は、ちゃんと主張しますょン〜、勿論ね(笑
ご隠居氏の無神論は、当たり前の万人が納得出来る現実の自明の事実を言われてるだけ。
納得して賛同してるだけで『生命教』という宗教ではないから「帰依」という言葉は不要w
信憑性の不確かな聖書・経典・・等の教義の一部分に陶酔している信徒とは全く異なりま〜す!★☆
>>316 >自演(爆笑 ご苦労!
↑ って、クリ達みたい、ちゃんと、ID確認してごらんなさ〜い
「天眼通」他の神通力も修行成果全く無しの証明(笑
>>317 >隠居とやらのマイコンの虜☆
ご隠居氏の論は現実面に立脚した確かなものだから、信じることも盲信することも不要、
儲にもならないし、却って足手まといっしょw☆(笑
354 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 10:01:45 ID:KUNSDBSk
>ご隠居氏の論は現実面に立脚した確かなものだから、信じることも盲信することも不要、
>儲にもならないし、却って足手まといっしょw☆(笑
>>353 自ら遜って無私の帰依をしている。
そして言っていることが、オウムなどに見られるマイコン信者たちの自我防衛と全く同じ所が恐ろしい。
355 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 10:06:57 ID:rbjSMtWi
お馬鹿につける薬な〜し!! 忙しい!
356 :
初代スレ7 :2008/12/26(金) 10:30:24 ID:rP9xTeJf
>>341 そうなんだ。
ま、36年前の発表だもんな・・。
あの論文は、血気盛んな若い頃ならではってことか。
歳とると、やっぱり丸くなるもんなんだな・・・w
(それとも、あれが修士論文かなんかだったのかな? ほやもんで“敢えて奇をてらった”とか?w
年齢的にそれは無いか・・・)
それでも、ワシが学生の頃は、「現代日本仏教は言ってみればバラモン教(祭祀宗教)だ」と明言してたが・・・。
(尤も、これはある意味正解なんでw、改めて訂正する必要もないか・・・w)
他にも色々言ってたがw、田上の授業も面白かったなぁ・・・。
357 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 10:39:01 ID:PgXFahqo
>>356 仏教を扱下ろすことが「新しい学問」のステータスだった。
当時の教授陣もそういう人を評価していた。
トリビアルな枝節を誇張して「批判的教学」を論じれば学問らしく見えた。
そういう時代だったのですよ。
358 :
初代スレ7 :2008/12/26(金) 10:46:08 ID:rP9xTeJf
>>357 >そういう時代だったのですよ。
かもなぁ・・・。
学生時代、袴谷・松本シンパのなんと多かったことか・・・w
359 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 10:49:13 ID:NW1cZGtt
>>357 というよりも、仏教を時代に合わせて解釈するという努力だったのでは
ないか。
前レスの宮崎氏の書評から、釈迦もその努力をしたことが窺われる。
360 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 11:11:15 ID:lJAxX148
>>357 批判仏教、輪廻批判とかしてる学者は、今でもそうですね。
とても優れた学者とは思えません。
>358
駒沢といえば、水野弘元先生と片山一良先生がなんといってもいいな。
学問も堅実で仏教に対する信があって。
ただ二人ともパーリや曹洞宗的な視点があるところが、私的には玉にきず。
361 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 11:13:54 ID:lJAxX148
>>359 え〜、宮崎さんとか並川さんとか問題外だと思いますが。
362 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 11:15:04 ID:lJAxX148
以下で「輪廻 仏教」で検索した結果で、原始仏教関係と思われるものを抽出してみました。
http://ci.nii.ac.jp/search/servlet/Kensaku *が付いているものは、上からダウンロード可能。
それ以外にネット上で閲覧可能なものは URL を貼っておきました。
松尾,宣昭/仏教と「輪廻」の概念--並川孝儀氏の所論をめぐって
竜谷哲学論集 (22),51〜77,2008(ISSN 09176284)
松尾,宣昭/「輪廻転生」は「諸法無我」と矛盾するか
竜谷教学 (42),112〜125,2007/3(ISSN 02885298)
石飛,道子/仏教と輪廻(下)ブッダは輪廻を説かなかったか
春秋 (475),24〜27,2006/1(ISSN 13436198)
http://homepage1.nifty.com/manikana/study.html 優れた正論、ただし比喩は誤解を招きかねないと思われる。
石飛,道子/仏教と輪廻(上)ブッダは輪廻を説かなかったか
春秋 (474),5〜8,2005/12(ISSN 13436198)
望月,海慧/仏教と輪廻転生--ブッダは輪廻のことをどう考えたのか
春秋 (467),5〜8,2005/4(ISSN 13436198)
未見だが、上の石飛論文で論破されたと聞く
森,章司/死語・輪廻はあるか--「無記」「十二縁起」「無我」の再考
東洋学論叢 (通号 30),180〜158,2005/3(ISSN 03859487)
村石,恵照/仏教の霊魂観--縁起・輪廻の主体・往生の主体をめぐって
日本仏教学会年報 (71),1〜14,2005年度(ISSN 09103287)
並川,孝儀/原始仏教にみられる輪廻思想--ゴータマ・ブッダの輪廻観
印度哲学仏教学 (19),35〜56,2004/10(ISSN 09128816)
363 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 11:18:02 ID:lJAxX148
*楠本,信道/『倶舎論』における世親の縁起観 : 有部と経量部の十二支縁起解釈
印度學佛教學研究 51(1),373-376,20021220(ISSN 00194344)
原始仏教でも輪廻は認めていたと述べる。
小谷,信千代/和辻博士の縁起説理解を問う--釈尊の輪廻説と縁起説
佛教学セミナー (76),1〜19,2002/10(ISSN 02871556)
伊藤,正見/命根と中有--輪廻転生の主体として
東海仏教 47,53〜38,2002/3(ISSN 04957407)
前田,專學/講演会 インドにおける業論--業報輪廻
真宗教学研究 (21),97〜112,2001/6(ISSN 13462156)
茨田,通俊/対外道における初期仏教の思想的見地--業・輪廻思想と無記説
真宗教学研究 (20),55〜66,2001/03(ISSN 13462156)
櫻部,建/輪廻について
佛教学セミナー (72),15〜20,2000/10(ISSN 02871556)
望月,海慧/ブッダは輪廻思想を認めたのか (佛教をいかに學ぶか--佛教研究の方法論的反省)
日本仏教学会年報 (66),49〜63,2000年度(ISSN 09103287)
著者の常識が文献検証することによって打ち砕かれ、輪廻を比喩として説いたと苦しい説を提唱している。
梶山,雄一/アーラヤ識と業報・輪廻
創価大学国際仏教学高等研究所年報 (2),3〜19,1998年度(ISSN 13438980
http://iriab.soka.ac.jp/orc/Publications/ARIRIAB/index_ARIRIAB.html 有部、経量部、唯識、中観は輪廻を認めているとしながらも、
輪廻と無我が相容れないということを暗示しているのは理解できない。
364 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 11:19:01 ID:lJAxX148
浪花,宣明/パ-リ上座部の業論(2)--輪廻
仏教研究 (通号 25),7〜27,1996/03(ISSN 02850605)
*外薗,幸一/業報輪廻の倫理観 : 六道輪廻説を中心として
鹿兒島経大論集 36(1),87-139,19950420(ISSN 02880741)
好論文、穏健な説と思われる。
二瓶,孝次/釈尊の悟りと道徳的発達(中) : 行為の因果律と最善観的輪廻転生論
北海道教育大学紀要. 第一部. A, 人文科学編 45(2),29-44,19950300(ISSN 03864472)
細田,典明/輪廻の主体についての蛭の譬喩
印度哲学仏教学 (通号 9),p68〜89,1994/10(ISSN 09128816)
舟橋,尚哉/輪廻思想と仏教
佛教学セミナー (通号 59),p1〜16,1994/05(ISSN 02871556)
梶山,雄一/輪廻と超越--「城邑経」の縁起説とその解釈
哲学研究 47(8),p1324〜1359,1984/10(ISSN 03869563)
松濤,誠達/仏教が排除したもう一つの「輪廻説」--父と息子の一致をめぐって
東洋学術研究 22(1),p60〜70,1983/05(ISSN 02876086)
http://www.totetu.org/h/h_01_2.html 玉井,威/ミリンダパンハ-における輪廻説について
印度学仏教学研究 26(2),p872〜874,1978/03(ISSN 00194344)
*岡崎,公良/『ミリンダ王問経』における「輪廻転生」思想について
金城学院大学論集. 人文科学編 10,47-61,19761230(ISSN 04538862)
多分、哲学系の学者による論考で誤認が多い。
365 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 11:20:01 ID:lJAxX148
山本,啓量/原始仏教における輪廻並びに無始無明と触に関する考察 印度学仏教学研究 25(1),p184〜187,1976/12(ISSN 00194344) 服部,正明/輪廻と業 (仏教思想の核心(特集)) 中央公論 89(5),334〜342,1974/05/00(ISSN 05296838) *修山,脩一/佛教中に輪廻転生説の存在する理由 佐賀龍谷學會紀要 11,30-44,19641225(ISSN 02863758) 輪廻を有我思想、禅定体験の結果と捉えている。 *海恵,宏樹/ビルマ仏教の輪廻説 東南アジア研究 1(3),11-23,19640000(ISSN 05638682) 上座系の輪廻説が分かりやすくまとまっている。 上野,順瑛/原始仏教に於ける無我輪廻説の論理的意義 印度学仏教学研究 7(1) (通号 13),190〜193,1958/12(ISSN 00194344) 雲井,昭善/阿含における輪廻の問題 大倉山学院紀要 (通号 1),27〜41,1954/12(ISSN 04715144) 雲井,昭善/輪廻の思想的根拠 大谷学報 34(2),1〜12,1954/09(ISSN 02876027) 雲井,昭善/輪廻と無我について 印度学仏教学研究 2(2),633〜635,1954/03(ISSN 00194344) 舟橋,一哉/釈尊の輪廻説 大法輪 20(11),19〜23,1953/11 春日井,真也/仏教に於ける輪廻の主体の問題 宗教研究 (通号 133),293〜295,1952/12(ISSN 03873293)
366 :
354 :2008/12/26(金) 11:35:36 ID:yc/GRHcD
>>355 「オウム」「マイコン」この御札は、何処にでも誰にでも、貼り付けることが出来る上に、嫌がらせの効果は絶大であるなw
367 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 11:48:50 ID:J4SuHc6H
マルクス主義の敗北とともに仏教学においても唯物論勢力が衰退しているのだ。
368 :
初代スレ7 :2008/12/26(金) 11:58:12 ID:rP9xTeJf
>>359 >仏教を時代に合わせて解釈するという努力
それは今でも変わらないんじゃないかな・・。(その頃が、その大きなうねりの始まりだったとしても。)
教義のみでなく、文化的視座をもって仏教を捉えていく、とか。
仏典に真摯に向き合う者、触れた者にとっては、
「今でも使える仏教」というのが、やっぱり主軸になるんじゃないかな・・。
>>360 >私的には玉にきず
それは仕方ないんじゃね?w
片山さんはおそらく、
「現存パーリから原始(初期)仏教へアプローチする」という立ち位置を自認してるだろうし、
また現在翻訳中なれば、パーリ仏教の枠外へ出ることは控えられるだろうし・・。
(通仏教的発言は、無難なものが多いw)
律や注釈等(全てに)一区切りついた時、それらを踏まえた上でどのような発言となっていくのか、
今、一番楽しみな所ではあるw
369 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 12:19:47 ID:lJAxX148
>>368 >
>>360 >>私的には玉にきず
>それは仕方ないんじゃね?w
まったくのないものねだりです、ハイ
お二人とも実に立派な仕事なのは、ちょっと勉強すれば分かることですから。
370 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 12:54:53 ID:lx4ioda4
ブッダのことば パーリ仏典入門 片山 一良 (著) ●あとがきより抜粋 これ(本書の元となる『大法輪』の連載執筆)をお引き受けするにあたり、 私は次のようなことをお許し頂いた。その時もそうであったし、 今もそうであるが、私はいわゆる研究というものをしていない。 時間は訳経や坐禅に費やされることが多く、いつも仏教は一つであり、 原始仏教であれ、上座部仏教、あるいは大乗仏教であれ、それは名のみのもの、 教えの根幹はまったく同じである、と学んでいる。 従って執筆はそのような把握によるまとめとなり、学術的なものにならない。 いわゆる仏法の立場から「ブッダのことば」を紹介したい、ということである。
371 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 12:57:00 ID:lx4ioda4
同じ大学の同じ学者とは言いながら、えらい違いやで。 ほんま。
372 :
初代スレ7 :2008/12/26(金) 13:07:22 ID:rP9xTeJf
>>370 単行本になってたのか。
いいあとがきだ・・。買おう。
ちょっと注文してくる!
(д゚ )
( ) =
く \ =3
373 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/26(金) 13:10:22 ID:wA2ei/HQ
>>332 >明確に「人間の来世の生まれ変わり」ということについて、
>宗派としての見解(個人的意見ではなく)を教えて下さい!
>我々、大衆は死後に生まれ変わりをしているのかどうか?
>「はい」「いいえ」「その他」(わからない、興味なし、など)として明確にご回答下さい。
>どこに出しても問題のない宗派の教義としての見解で宜しくお願い致します。
------------------------------------------------------------------
面白い質問だね。
おそらくは伝統宗派は明言は避けるかとおもうが。
まあ、それとは別に、
昔、朝日新聞だったか?僧侶に無記名でアンケートをしたことがある。
質問項目は、
「霊魂は存在するとおもいますか?」
この質問に関しては、宗派間にはそれほど開きはなかった。
「ある」と「ない」が半々くらい。
つまり宗派にはあまり関係なくて、最終的には僧侶自身に依るところが多い。
禅宗系でも、すべての僧侶が見性しているわけではない。
(現在は、見性率はかなり落ちてる)
それよりも説法の上手い僧侶が重宝がられる。
ようするに宗派というのは、
世間と馴れ合って上手く運営するのが仕事であって、
教理は二の次になる。
374 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 13:21:58 ID:pbKgz190
>>372 アマゾンに2冊あった在庫がパッと無くなった(笑
375 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 13:24:47 ID:W8UgZBIa
玉に瑕だって・・・ ここに水野先生を超える碩学が隠れていたのか・・・w
376 :
初代スレ7 :2008/12/26(金) 13:36:52 ID:rP9xTeJf
>>374 自分、大抵1-Click注文なんで・・・。サーセンw
377 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 13:53:32 ID:lJAxX148
>>375 水野先生は、大変尊敬していて日本一の仏教学者だと思ってますが、
多少、パーリ、曹洞宗的香りがするということですよ。
例えば『要語』旧版20で顕密の区別を主として日本としてますが、
これはインド・チベット・モンゴルでも重要です。
また134で法身、仏性、如来蔵に批判的ですが、これがパーリ、曹洞宗的香りですね。
もちろん『要語』は名著中の名著で、存在・本体論、ヴィヤヴァハーラからラクシャナへ、
ニッサッタニッジーヴァター解釈、サンガの意味、十二縁起を自内証の法門とすること、
四諦の三転十二行相解釈、信戒定慧解釈、四証浄などの高い見解が
明解な基本用語の解説とともに簡潔に説かれていて圧巻です。
何度読んでも発見があります。そして利他意識で書いておられるところも素晴らしい。
378 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 14:01:14 ID:lERFp53V
>>377 水野氏の一般向けの文庫版を立ち読みしたことがあるが、あまり感心
しなかったことを覚えている。何だか、のめりこんでいる感じ。
379 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 14:49:44 ID:DRU0q5WW
>>378 読み物として娯楽性が無いからな。
並川氏とかその手の人たちは「売れる」本や、新しい「学説」を唱えて話題性を出すのが目的としか思えん。
時代の要請に応えていると言えば、聞こえがいいが、その行為に学者としての面目は無い。
380 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 15:22:03 ID:lJAxX148
381 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 15:54:43 ID:sSQvRqja
>>373 >つまり宗派にはあまり関係なくて、最終的には僧侶自身に依るところが多い。
>禅宗系でも、すべての僧侶が見性しているわけではない。
>(現在は、見性率はかなり落ちてる)
禅宗の宗祖、達磨は「二入四行論」の中で確かに因果と輪廻を語っている。
道元も然り。白隠も然り。祖師方は皆、輪廻を前提に道を示している。
あんたは輪廻を認めない禅者は「未達・未見性の人」という意味で語っているのか?
382 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 16:21:25 ID:J4SuHc6H
輪廻がタブーなのは人権団体からの糾弾を恐れているからではないか。
383 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 16:24:58 ID:zUHdtS/V
>>382 しぃーーーーっ!
町田発言とか蒸し返して、寝てる子を起こすんじゃない。
384 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 16:54:39 ID:W8UgZBIa
>法身、仏性、如来蔵に批判的ですが、これがパーリ、曹洞宗的香りですね。 パーリは分かりませんが、 曹洞宗的ではなく袴や松本的ですね。
385 :
初代スレ7 :2008/12/26(金) 17:31:30 ID:rP9xTeJf
>>382-383 ま、超宗派で「同宗連」ってのがあるくらいだからなw
そりゃ、発言に慎重さも出ようて・・・www
また、おそらく各宗派、経費の中に同和問題に絡んだものが必ず計上されている筈。
今現在は殆ど形だけの経費・集まりかもしれんけど・・。
けど、地域によっては、今でも東奔西走してるお寺さんは多いと思う。
まさしく「負の遺産」と化している・・・。
日本仏教のこうした歴史的推移と事実を無視して、綺麗な仏教だけを語ろうとするのは
少々厚顔に過ぎると思うわけで・・・。
仮に「輪廻」や「過去世」「過去世の業」を認め・語るにしても、その時には、
たとえあちらサイドの過敏な反応が無かったとしても、
差別の助長や生産に対してブレーキとなる言葉や語り口が必須であろう。
若者或いは子供たちの間に、昔日のような(部落的な)差別意識が存在しない(或いは薄まっている)としたら、
尚のこと“語り口には「工夫」が必要”だろう。
輪廻存在派は、この点を肝に銘ずべきかと思う。
人間が社会的動物である以上(共同体として生きる以上)、その心に差別感情が生じるのは必然であり、
生じてしまうことそれ自体を責めることはできない。
が、そこへ言葉を投げ入れ、視線の転換を提示するのは大人たちの義務だと思うし、
それこそが本来の宗教の義務であろう。本来の仏教の義務であろう。
個人的感想を言わせてもらえば、(21世紀にもなったことだし)、
あちらさん達の現状や運動の仕方に疑問を感じえないし、
両者共に有する過敏な反応はどうかと思ったりもするわけだが・・・。
これは、私自身が、縁遠い地域・環境で育ってきた故の、楽観的夢想かもしれないが・・・。
386 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 17:54:46 ID:jP2uVUJO
>>385 輪廻肯定者だが、貴方の仰る事には深く、激しく同意いたします。
387 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 18:02:51 ID:jP2uVUJO
>>384 曹洞宗門の人は、みんなマゾで袴タソや松チャソの事大好きなのかと思ってた。
388 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/26(金) 18:26:22 ID:Ud6CDBh4
>>381 >禅宗の宗祖、達磨は「二入四行論」の中で確かに因果と輪廻を語っている。
実際のところは、菩提達磨の論書というのは後世に誰かが書き残した。
というのが一般的な見解ですね。
六祖・慧能の書といわれる「六祖壇経」も、最近になってバーミヤン遺跡から資料が発掘され、
弟子の神会が書いた、とされるのが一般的です。
中国禅といいますのは、粗野で荒削り的な印象で、日本的繊細な禅とは多少違います。
達磨も慧能も優秀なスポークスマンがおったわけで、
そういった人物の宣伝(論書などが)に使われた可能性がある。
(中国人は、こういうのは得意)
>道元も然り。白隠も然り。祖師方は皆、輪廻を前提に道を示している。
道元は、三時(いわゆる過去・現在・未来)については悟っておりますから、
輪廻からは既に解脱は達成してますね。
白隠は、「水に浮く氷(自分)という表現で書いてる。
つまり、氷(自分)が溶け(死)ますと水に帰す。という言い方です。
>あんたは輪廻を認めない禅者は「未達・未見性の人」という意味で語っているのか?
禅者で、輪廻に迷うておるのは未見性ですね。
見性の次に、コペルニクス的大転換を迎えるのです。
これで解脱達成ですね。
(いわゆる大悟というやつですね)
389 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 19:03:28 ID:Uk1EfedL
>>388 流石、宗教板の牢名主だ。
全く迷いが無い。
そして成長も無い。
390 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 19:13:14 ID:KJpa90di
しかし、まぁなんというか。 持説に不都合な記述に出くわすと、師匠に黙って弟子が書きました〜とか、増広だ〜とか、陰謀だ〜とか。 あっさりバッサリ切ってしまえる、迷いの無さが恐ろしい。自己を省みるという姿勢が全く無い。仏教以前の問題である。 学者でもこれだから、その辺のおっさんなら尚更か。
391 :
初代スレ7 :2008/12/26(金) 20:10:58 ID:rP9xTeJf
>>390 2500年の伝言ゲームが、一字一句違わず成功したという楽観視もどうかと思うけどなw
(´ー`)y━~~
392 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 20:13:05 ID:lJAxX148
>>384 いえいえ、道元禅師に本覚批判を臭わせる言動があって、松本さんや袴谷さんは護教論のつもりで書いたのでしょう。
少なくとも最初は。
>>390 松本さんに至と釈尊でさえ仏教を知らないと言ってます。
393 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 20:17:04 ID:Rj8fd9JT
■今の日本の現状を見ても明らかなように、 宗教を利用したがっている人間は沢山いますよ。 釈尊入滅後100年を経て経典は編纂されましたけど、この約2400年の間にはそういう輩 もいたわけで、書かれていても鵜呑みにはできませんですね。(釈尊が空中を飛ぶ話もある) // |ヽ\ / / | ヽ 人 ^Y⌒Y⌒(__) ||,∧(____) ||;;;;::::・∀・:;ヽ <■ もちろん、全ての宗教は本質的には【マイコン】【洗脳】 から切り離せない。■ ,Jl;;;::::;;;:::::::;;;:;;;:ヽ ちなみに極楽浄土などの「浄土」という概念は、本来はあらゆるとらわれから解き放たれた状態 /;;⊂::::▲ ▲ ▲ヽ を指すのであって、輪廻ではありません。 i;;;::::::;;" .▲ ▲ ▲.i |;;;;;:::::i l .ヽ;;;;;;; / .\;;;;;;;;;;;:::::::/ ■ 確かに経典の中には輪廻を説くものもあるのです。 どういうことかというと、輪廻を自明の理と考えているインド人にいきなり「無我」を説いても受け入れてくれません。 したがって一旦、輪廻を肯定した上で、徐々に「無我」へと導くように説いたためのことです。★☆
394 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/26(金) 20:17:42 ID:wA2ei/HQ
>>390 >師匠に黙って弟子が書きました〜とか、
「師匠に黙って」というよりも、
新進気鋭の慧能をバックアップしたのが神会で、
神会の影響がなかったら、
慧能自身が禅の歴史に残ることさえなかったわけです。
五祖・弘忍あって慧能あり。
神会あって慧能あり。
(慧能というのは、よくよく運が良かった)
貧乏クジを引いたのが神秀。
395 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 20:20:45 ID:7EVHeFnb
>>391 たしかに、よくよく安心して手放しではいけないことも確かではあります。
温かい血の通った「仏法」を望むなら尚更。
>>392 スッタニパータは反仏教w
ギャグなのか?w
396 :
170 :2008/12/26(金) 20:35:18 ID:8mkwDlQe
392さんへ
>
>>390 >松本さんに至と釈尊でさえ仏教を知らないと言ってます。
こういうネジレタことを言うくらいなら、
「お釈迦さんは間違っている、俺は仏教をやめる!(そして新しい哲学学派を建てる)」
と素直に言えばいいものを。
「仏教」という看板がないと、人が集まらないし金も集まらないからなんだろうね。やっぱ。
393さん
>■ 確かに経典の中には輪廻を説くものもあるのです。
なんだ、やっぱり輪廻を説いているじゃん。
>どういうことかというと、輪廻を自明の理と考えているインド人にいきなり「無我」を説いても受け入れてくれません。
>したがって一旦、輪廻を肯定した上で、徐々に「無我」へと導くように説いたためのことです。★☆
うむ、結局「お釈迦さんは輪廻を説かなかった」と主張する人は、「お釈迦さんは嘘つきだ」という結論にいたるわけね。
お釈迦さんは2500年前の古代人なんだからさ、別に奇天烈な事を言っていたっていいじゃない。
お釈迦さんの言う事が正しいと決め付ける義理もないんだからさ。
397 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 21:30:52 ID:J4SuHc6H
コピペ 白隠禅師の仮名法語をつらつら読んでいる。 「禅宗は輪廻説を捨てた、否定してきた」とまことしやかに言う論者が多いが(玄侑宗久師もそうだ)、白隠師は口をすっぱくして輪廻と因果応報を説く。 道元禅師はもとより、日本臨済宗中興の祖(事実上の祖師)たる白隠禅師も、輪廻を否定し、修行を否定する似非仏教者を外道とののしり排撃したのだ。 まともな仏教者は輪廻を説くってこった。
398 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 21:50:53 ID:IY/ZT5V0
>397 机曰く、白隠は見性しておらん。 又は 仮名法語は弟子が書いた。
399 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 22:03:43 ID:R1i5/yzb
輪廻はヒンズー教の概念。仏教はそれを否定することから始まっている。 仏教は現世での悟りを説くものである。
400 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 22:08:44 ID:GyR0m75w
401 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 22:18:28 ID:wXqqzkiu
>>343 >輪廻転生は、キリスト教の宣教「手段」としての、罪の意識の植え付けという「脅迫」にも通じる。
また、聖書の文言から一歩も踏み出せない狂信性も同様である。
確かに、輪廻転生・カルマ論は <脅しと甘言>で悪用しようと思えば幾らでも出来そうなところが問題w
お布施だって仏教国では悪僧侶が、持ち逃げしてしまうことがあるらしくて、庶民はわずかな蓄えも
お布施してしまうので貧しい生活から中々、抜け出せない・・・とNHKの放送を見た記憶がある
キリスト教の拡大が日本では期待できないから、輪廻転生・カルマを説き、イエスも又、罪を
同様に説いているとか言って2大宗教・聖典が目指すところは一緒とでも使いたいのかも?(笑
402 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 22:45:55 ID:74K2Qd0P
ブッダ成道時、「古き信を去れ」(相応部六,一 など)宣言は ウパニシャッドの業報輪廻論と梵我一如論という両輪に対する信仰の全面否定宣言に他ならない。 ブッダもその当時の自由思想家の一人であったのであり、 そうでなければ敢えて「宗」を起てなければならない必然性はない。 「わたしがいま証得したこの法は、はなはだ深くして観がたく悟りがたく、 微妙にして思念の領域を超え、深妙にして賢者のみよく知るべきものである。」 このスレの輪廻肯定論者をみていればブッダの憂いは痛切に感じ取ることが出来る。 この馬鹿どもには「縁起の理は見がたく、この涅槃の理は悟りがたいであろう。 もしわたしが法を説いたとしても、人々はわたしの言うことを了解せず、 わたしはただ疲労困憊するのみであろう。」
403 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 22:55:08 ID:KqJW06GI
白隠は、禅病にかかった。精神的な問題があったものと思われる。 カルト宗教は、白隠は引用するが、道元は引用しない。これは何故だろうか。 カルト宗教が好んで引用する他の人物は、ソクラテス、プラトン、イエス、 デカルト、パスカル、カント、ヘーゲル、ユング、老子、荘子、空海、親鸞、 平田篤胤、などである。 孔子、孟子、本居宣長、ヒューム、ニーチェなどは、間違っても引用しない。 、 カルトに共通する一定の思想的傾向が、窺われるのではあるまいか。
404 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 22:56:28 ID:74K2Qd0P
>微妙にして思念の領域を超え、深妙にして賢者のみよく知るべきもの スレ主こだわりの単なる筏である経典をはじめとする言語論理ではなく、 「思念の領域を超え」る、すなわち『無分別智=縁起の現観』を意味することはいうまでもない。 それを感じ掴み得る者を『賢者』という。 もちろんバラモン的輪廻転生ごときに迷っている者が『賢者』であるわけがない。
405 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 22:56:32 ID:wXqqzkiu
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪ 人間には、百人百様の論理が可能であるが、それが「生存」の方向に向って いる場合にのみ、それを「正しい」という。☆★ いなかる論理を弄してみても、それが「人間の生命の否定」に向っている場合 には、「正しい」とは言わない。論理が、人間の生命の機能である以上、当然 のこと。さもなければ、論理の発生源そのものを否定するという矛盾に陥る からだ。 これは古今のどの「本」にも書かれていない「ありがたいお言葉」だよw。☆★ (*^。^*) □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□☆☆☆☆☆♪
406 :
初代スレ7 :2008/12/26(金) 22:58:18 ID:rP9xTeJf
407 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 23:01:44 ID:74K2Qd0P
>>405 馬鹿&白痴のもう一回
316 :神も仏も名無しさん:2008/12/25(木) 21:14:53 ID:NTMZuZP8
>>313 >生物的生命
ってあんた、非生物的生命があるみたいな言い方だなw
カルトの一歩手前〜〜〜〜〜!
生命とはよーするにDNAなんだから、無明の奥にはDNAが鎮座ましましているわけだ。
>「生命」という根源に立ち返らない限り
無明を常に逆命題とする仏教は常に根源からの発想をしているのはとーぜんだ。
なにマトはずれをしゅちょうしてるんだあ?
>すべての思想・論理は、それが生存の方向に向っている場合にのみ、
>「正しい」のである。さもなければ、生命の機能として自己矛盾だからである。
馬鹿すぎてお話にならんw
それは無明絶対肯定論であって、仏教ではない!!!
真相はDNAによって生命現象が「無明」という状態でコントロールされている(一切皆苦)から、
それをいかに克服するかがブッダの本懐であり四聖諦の本質だ。
クソ馬鹿隠居の主張はDNAによる無明絶対主義主義であって、無明外道そのものだ。
自演(爆笑 ご苦労!
& アディオス!!
408 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 23:10:40 ID:KqJW06GI
現代の裁判において、裁判官があらゆる証拠を調べても、真相は「闇の 中」であることが、殆どである。裁判の両当事者が、判決の事実認定に 満足することなど、稀である。 ましてや、1000年、2000年前の事実を完全に知ることは、絶対に 不可能。学者がいくら文献を調べても、釈迦はイエスは、「俺はそんな こと言った覚えは無い」「そんな意味ではなかった」という恐れがある。 従って、大昔の歴史は、あくまで「参考程度」に留めることが必要。 絶対的に真実だ、などと信じ込んだら、とんでもない誤りを犯している 恐れがある。 「歴史」とは、「現在の視点」からの、過去の事実の「解釈」に過ぎない のである。
409 :
神も仏も名無しさん :2008/12/26(金) 23:37:21 ID:J4SuHc6H
>>403 孔子、孟子はオカルト。本居宣長は「みなことごとくに神の御所為なり」とおっしゃった。
ヒュームは懐疑論者。ニーチェは無神論に耐えられず狂気にいたる。
410 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 01:25:25 ID:ErdqLabv
>>409 孔子:「子は怪力・乱神を論ぜず」「いまだよく人に仕えん。いずくんぞ鬼神
に仕えん」
本居宣長の「かみの定義」は読んだのか。
ヒュームと道元は、世界最大の思想家・哲学者であると評価する哲学者もいる。
ニーチェの精神病は、商売女から移された梅毒が原因。誠に人間的である。釈迦
やイエスは、女は買えたのかね。買わなかったとしたら、性的不能者である疑い
が大きい。
411 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 06:59:28 ID:GvLDH93L
>>409 道元も女は買わなかったろw
女買いが正常人間の基準みたいだな(笑
イエスは知らんが、子供までこさえた釈迦をインポ呼ばわりとは恐れ入った。
わけわからんw
412 :
170 :2008/12/27(土) 08:10:37 ID:F7BTcLNZ
道元を自説(合理主義or輪廻否定)の箔付けに利用できると考える人はおかしい。 著作を読んでみればわかるが、奴は筋金入りの大乗狂信者(※誉め言葉)だぜ? 合理的な意味で読めなくもないようなところのみを引用するのは恣意的だね。
413 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/27(土) 08:38:27 ID:pP6ub8/r
>>397 >白隠師は口をすっぱくして輪廻と因果応報を説く。
因果応報なら、輪廻という果を必然性とするとこに論理矛盾があるだろ?
つまり分りやすく書くと、
果が最初から決定されている。ということになる。
おかしいだろ?
まあ、悟ればこのくらいの倫理矛盾は気がつくのだが、
拙者はあまりこういうのは書かない。
何故かというと、
こういう矛盾は拙者が指摘する前に、
貴殿が気づいてくれるのを待ってるからだよ。
自灯明というし、
借りもんの明智では、貴殿のためにはならい。
414 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/27(土) 08:44:03 ID:pP6ub8/r
× 倫理矛盾 ○ 論理矛盾
415 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 08:46:52 ID:8i5s4PF+
>>413 わかっとらんのは、貴殿じゃよ。
頭悪い上に我執が強いから、何時までたっても無眼子。
416 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 08:48:39 ID:JMk7oblu
>>413 >因果応報なら、輪廻という果を必然性とするとこに論理矛盾があるだろ?
>つまり分りやすく書くと、
>果が最初から決定されている。ということになる。
>おかしいだろ?
それは机さんが縁起を理解してないと告白してるだけ。
仏教で果のことを異熟という意味を考えれば分かる。
業報は決定論ではありません。行為をする。業が蓄積される。
それが諸縁によって異なって熟する。
しかも、行為は連続してなされるから次々に変化する。
机さんは、水野先生の『要語』を三回ぐらい熟読した方がいいよ。
417 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 08:50:05 ID:8i5s4PF+
>>414 訂正しなくとも、貴殿の頭悪いのは、みんなしっとるよ。
ぷっw
418 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/27(土) 09:24:33 ID:pP6ub8/r
>>416 >仏教で果のことを異熟という意味を考えれば分かる。
なんでそんなに古い時代の言説を信じ込んでるんだろ?
殆ど化石みたいなもんだろ?
それでいいになら話は別だけど。
実有論の自性の話だろ?
そういうのを信じているんですか?
小一時間問いたい。
例の「原始佛教」のスレってのは、つまり懐古趣味みたいなもんだろ?
あれをそのまま信じこんでしまうのは、少々痛い気がするんだがw
419 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 09:32:53 ID:JMk7oblu
>>418 信じてますよ。なぜ、信じるか。私の場合は主に二点。
伝承してきた聖者たちの人格が素晴らしい。これは実際に合った結果です。
私の場合は、チベット人とビルマ人でしか聖者にあってませんけど。
日本人では一人もいなかったな。多少、神通ある人は結構いるけど。
経典と論書の体系と整合性、検証可能性がたしかであるということ。
言い換えると論理の筋道に矛盾がなく、やればそのとおり結果がでるということ。
それに信じないなら、机さんは仏教を絡めないで机哲学とか机思想で、
どっかで語ってればいいじゃないですか。
420 :
悪寛 :2008/12/27(土) 09:37:46 ID:aIxVQ4KW
外は、雪。 淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち) またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る
421 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/27(土) 09:46:51 ID:pP6ub8/r
>>419 >信じてますよ。なぜ、信じるか。私の場合は主に二点。
それは失礼しました。
>それに信じないなら、机さんは仏教を絡めないで机哲学とか机思想で、
>どっかで語ってればいいじゃないですか。
インドではそもそも宗教とか、哲学とか、思想とかのジャンル別の分類はないらしい。
ある意味、寛大な風土なんだろうけど、
それゆえに世界的な哲学・思想を生み出した。
とも言える。
422 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 09:56:54 ID:JMk7oblu
423 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 10:05:46 ID:hdi800gm
>410 宣長みたいな神道カルトを孔孟や世界宗教と同列に扱い ほめたたえる感性が理解できないw 神道系カルトの臭いプンプンw
424 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 10:21:13 ID:PomvwMU7
>>413 >>418 >>421 机が素になってら。よっぽど腹立ったんだな。
自分の胸に「チクリ」とでも痛いところがあったら、素直に真摯に透明になって入三昧。
そのくり返しが「仏道」
がんばれ。只管歩め。
でも、無理だろうなw
425 :
初代スレ7 :2008/12/27(土) 10:22:59 ID:/0y3IKKW
以前、A〜Eという区分をしたが、もう少し簡潔にすれば以下のようなものとなる。 そして、このスレでは『1』(と『3』)が主要テーマとなる。 が、『2』を通過或いは援用せずに考察することもできまい。 『1』と『2』は常にセットであり、『2』(と当時の思想状況)によって『3』を類推することになる。 (『5』によって検証する方向性もあるが、万人向けとは言い難い) 別の場所で、電波氏が“思想的区分例”を提示していたが、それは『2』の解釈(のみ)に関連することであり、 『1』(及び『3』)と『5』の問題を捨象している。 上で述べたように、畢竟、『2』が最重要であることに異論はないが、 仏典を小脇に抱えて歩むならば、『1』との関連は各自がそれぞれにケリを付けておかねばならない。 でなければ、彼の語る言葉の誠実性(→小脇に抱えている理由)はぼやけてくる。 仏典をその場へ置いて歩んでいけばいい。(筏を置いて歩き出すように・・・w) そういう歩き方もあっていい。(寧ろお釈迦さんは褒めてくれるだろうw) 1:記述の問題 仏典の記述は具体的にどのようになっているか 2:教義上の問題 仏教の教義は輪廻を欠いたら成立しないのか 3:釈尊の完全性の問題 ブッダ自身は、どう見ていたか ※その他 4:仏教外での問題 現代の種々の科学的知見は、輪廻の存在可能性を低下させている 5:★経験・体験上の問題★ 宿命通は体験できるのか できるとしたらそれはどのようなものか
426 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 10:45:13 ID:JMk7oblu
>>425 2. に関しては、一切皆苦で輪廻しないなら自殺すればいいと論理的に帰結されると思うんですが。
これを受け入れない理由はなんでしょう?
427 :
初代スレの5 :2008/12/27(土) 10:56:54 ID:MkASH/en
「この世のあらゆることは苦である。」 「輪廻はない。」 この二つを前提として考えるなら、「死」も選択肢のひとつでしょう。 しかし、それ以外の選択肢、すなわち「認識の転換により、苦を滅する。」 これこそが、仏教の本旨なのでは?
428 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 11:13:39 ID:JMk7oblu
>>427 >「この世のあらゆることは苦である。」 「輪廻はない。」
>この二つを前提として考えるなら、「死」も選択肢のひとつでしょう。
その二つの前提が眞なら、自殺しないのは不明、あるいは自己欺瞞でしょう。
選択肢のひとつではなく、当然、より必然的帰結。
>しかし、それ以外の選択肢、すなわち「認識の転換により、苦を滅する。」
>これこそが、仏教の本旨なのでは?
私が思うにこのように考えるのは、現状肯定したいからだと思います。
このように思う人が仏教に関わるのは、釈尊も自分の考えと同じだと納得したいだけ。
だから、一切皆苦も輪廻も適当に自分の思想に合わせて、
「やっぱり釈尊も同じこと思ってる、やっぱこれでいいんだ」と。
そういうことは意味ないでしょ。だからデレク・パーフィットとか読んでくださいよ。
429 :
初代スレの5 :2008/12/27(土) 11:46:29 ID:MkASH/en
>その二つの前提が眞なら、自殺しないのは不明、あるいは自己欺瞞でしょう。 選択肢のひとつではなく、当然、より必然的帰結。 「苦」というのは、あくまでも主体的認識によるもの。 ある個人にとっては、耐え難い「苦」が、別の「個人」にとっては なんでもないことが普通にありますね。よって、「一切皆苦」が 真であっても、それが必然的に「死」に結びつくと言うのは論理の 飛躍ですね。 >私が思うにこのように考えるのは、現状肯定したいからだと思います。 このように思う人が仏教に関わるのは、釈尊も自分の考えと同じだと納得したいだけ。 だから、一切皆苦も輪廻も適当に自分の思想に合わせて、 「やっぱり釈尊も同じこと思ってる、やっぱこれでいいんだ」と。 あなたの思い込みでしょう。
430 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 11:55:15 ID:JMk7oblu
>>429 >「苦」というのは、あくまでも主体的認識によるもの。
>ある個人にとっては、耐え難い「苦」が、別の「個人」にとっては
>なんでもないことが普通にありますね。よって、「一切皆苦」が
>真であっても、それが必然的に「死」に結びつくと言うのは論理の
>飛躍ですね。
ほら「一切皆苦」をさっそく「適当に自分の思想に合わせて」ますね。
苦という言葉の意味をテキスト・あるいは仏教から離れて、
現代の意味で解釈している。それでは「一切皆苦」の意味なんて分からない。
431 :
初代スレ7 :2008/12/27(土) 11:56:32 ID:/0y3IKKW
>>426 今生で苦を滅することが不可能なら、その選択がベストでしょう。
だが、釈尊は苦の滅を説いた。
苦の因を知り、滅する方法を説いた。苦の滅を“我が身を持って”示した。
「来たれ、比丘よ」の意味を噛み締めねばならない。
これは、死を薦める言葉ではない。
アッサジが舎利弗に語った縁生偈は、
「今生に於いて苦の滅がある」と読まなければならない。「(今)行じれば必ず苦の滅がある」と読まなければならない。
入滅前の最後の言葉も、「(今)行じれば必ず苦の滅がある」と読まなければならない。
“仏教の枠で言えば”、
>輪廻しないなら自殺すればいい
などという論理展開こそ、真っ先に却下されるべき思考だと私は思う。
432 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 11:59:53 ID:ECzLbh7+
>>430 時代錯誤により、2500年前の釈迦の「言葉」だけにしがみついて
いるのは、教師の言葉をひたすらノートし、暗記している三流学生と
同じであることを自覚して欲しい。
それは、優れた教師としての釈迦が望んだこととでも思うのかね。
433 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 12:09:17 ID:aIxVQ4KW
無明のままだと、即ちDNAによるコントロールを受けたままだと 〜それが「生命」の存在形式だから〜 一切皆苦であることは当然。 そのような事態をいかに超克するかが、ブッダの本懐だったはず。 で、無常=無我=縁起=空=中道の自得による新生がその結論。 >現状肯定 云々は??? 不思議なトンチンカンぶりですなあ。 そもそも輪廻などという概念自体が、ブッダの問題意識に関係ない異様な異質ブツだ。
434 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 12:09:19 ID:j8hW9sMM
>>432 「言葉」の意味とつないでゆくと文章になる。
文章を繋いでゆくと、哲学になる。
「言葉」の体・用・相を疎かにしてはならない。
釈尊が在世に伝えたかったことは、仏教徒にとって「真理」であり「そのように在らしめる力」である。
在世の「言葉」の体・用・相を「なるべく」過たず踏まえ吟味し自家薬籠中のものとした上で、そこで初めて「現代の佛子の生きる道」を論じて欲しい。
435 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 12:17:36 ID:ECzLbh7+
>>434 言葉は、極めて不完全、かつ制限的なもので、森羅万象を表現すること
など、到底不可能であることを、まず自覚すべき。
重要なのは、発語者がその「不完全な言葉で表現しようとする思想内容」
であることを、忘れてはならない。さもなければ、本末転倒となる。
436 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/27(土) 12:18:21 ID:pP6ub8/r
>>426 >これを受け入れない理由はなんでしょう?
まあ、貴殿達はそういう極論めいた書込みをするんで、
いかにも・・・って感じなんですが、
ある意味、仏教というのは極論なんですよ。
全くイイもんはない。
ニヒリズムの極とでも言いましょうか。
これが「一切皆空」なんですね。
しかしながら、これで終わらんとこが仏教の仏教たる所以でありまふ。
ここまでの絶対否定というのは・・・絶対肯定でもあるんです。
(これがいわゆる中道の中道たる所以ですね)
ニーチェの虚無主義というのも、これは仏教に通じる虚無でもあるわけです。
(たぶんニーチェは仏教に影響されたと思うが)
で、この世でイイことがないと、死ぬきゃないですか?
そんなことはないですね。
イイこともなければ、ワルイこともない。
安心して暮らせる、良い子の世界じゃ〜ないですか?
437 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 12:18:46 ID:JMk7oblu
>>431 >“仏教の枠で言えば”、
> >輪廻しないなら自殺すればいい
>などという論理展開こそ、真っ先に却下されるべき思考だと私は思う。
なぜでしょうか? 輪廻という前提があるからこそ自殺は苦しかもたらさない。
と考えるのが仏教でしょう。律で自殺を禁じているのは、その意味。
しかし、ヴァッカリやゴーティカというアルハットの自殺を釈尊は讃えています。
これは自殺しても輪廻しないアルハットの境地に達していたからに他ならないでしょう。
もちろん、「行じれば必ず苦の滅がある」のですが、それは輪廻を前提にした話です。
そして、必ずしも今生に限定してません。それは四双八輩や昇天が説かれていることから原始経典でも明らかでしょう。
大乗は普賢行がありますから言うまでもありません。
つまり、仏教で苦の滅は、戒定慧の三学によって無明を断つ以外、輪廻するしかないということですが。
438 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/27(土) 12:21:58 ID:pP6ub8/r
× 「一切皆空」なんですね。 ○ 「一切皆苦」なんですね。
439 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 12:31:30 ID:JMk7oblu
>>432 日本には聖者と分かる人がいないからしかたないですが、
言葉の問題は二次的なもので、多くの聖者に合ってるんでこの体験は個人的に動かしがたいですね。
>402
>「わたしがいま証得したこの法は、はなはだ深くして観がたく悟りがたく、
>微妙にして思念の領域を超え、深妙にして賢者のみよく知るべきものである。」
これを引用された方は、この意味を全く誤解してますね。
「微妙にして思念の領域を超え」というのは、凡人の思考対象にはならないという意味ですよ。
少なくとも素朴実在論的な見たままの世界が、そのまま実在していると思ってる人では絶対分からないという意味です。
この例は輪廻の主体によく現れているでしょう。
釈尊は輪廻の主体どころか、現在、現れている全ての生物に主体がないと説かれた。
でも、素朴な「思念の領域」で捉えようとする人は、何かを想定しないと考えられない。
だから、輪廻の主体は何かと考えてしまう。その思考法自体が無明であると気づく事ができない。
440 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 12:35:58 ID:JMk7oblu
>>436 >まあ、貴殿達はそういう極論めいた書込みをするんで、
>いかにも・・・って感じなんですが、
>ある意味、仏教というのは極論なんですよ。
極論ではなく。あたりまえのことです。
この辺にしときますがw
441 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 12:36:02 ID:ECzLbh7+
>>437 >輪廻という前提があるからこそ自殺は苦しかもたらさない。
「天国で生まれ変わる」という「輪廻」を「信じ込まされて」、自他の
生命を奪い続けているのが、自爆テロリストなのだよ。
「輪廻転生」の観念の弊害極まれりだね。
442 :
初代スレ7 :2008/12/27(土) 12:37:33 ID:/0y3IKKW
(とりあえず、聞かれたら書き込もう、と思って準備していたものを投下しておきます)
────────────────────────
いつかは言われるだろうと思っていました・・w
御指摘に応えて私の(個人的)スタンスを
>>425 に当てはめれば以下のようになる。
以前のA〜Eの時にどのコースになるかを一応考えてはみたが、
ややこしくて(&複数コースになって)面倒臭いのでやめたw
1:
仏典の記述は、その多くが輪廻(のあること)を前提としている
仏典の記述は、その一部は輪廻のあるなしを脇へ置いたものとなっている
2:
仏教の教義は、輪廻を前提とせずとも成立し得る(→今生に重点を置くのみでも成立し得る)
輪廻があろうがなかろうが、「為すべきことに変わりはない」
3:
我々には知りえない(おそらくはあると見ていた)
4:
我々には知りえない(おそらく輪廻はない)
5:
未体験故、他の方に委ねる
────────────────────────
443 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 12:40:16 ID:yoRa6vsL
>>435 >重要なのは、発語者がその「不完全な言葉で表現しようとする思想内容」
>であることを、忘れてはならない。さもなければ、本末転倒となる。
思想内容を「ただでさえ不完全な言葉で表現しようとしている」のだからこそ、思想内容をなるべく明確にするために
「言葉」を疎かにしてはならない。と言っているのですよ。
感情的にならないで、自分の錯乱した文章と歪んだロジックをよく見てみなさい。
444 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 12:54:29 ID:ECzLbh7+
>>443 「不完全な」言葉に固執すると、却って思想内容が見えなくなるという
本末転倒に陥る、と言っているのですよ。
常に、言葉より高い次元、即ち常識を用いるべきことを、忘れてはならない。
外国語を日本語に直訳すると、意味不明な言葉になりますよ。それは
もはや日本語でさえもない。
このことは、大学入試の英文和訳や長文解釈の場合の鉄則であるはずw。
445 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/27(土) 12:56:25 ID:pP6ub8/r
>>442 人間というのは、理性で納得いかないもんは、どうにか論理的に追求したがるもんだよ。
そういったベクトルの真逆を逝くのが、いわゆる仏教ですね。
446 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 13:04:37 ID:WtikHgrV
>>407 あははは・・・(笑
相も変わらず分からんおひとです。
君が、論を考えてレス出来るのは<生命>があるからじゃん!
命が無ければ2chもレスも修行も教学も仏陀もイエスも仏教も宗教も無いでしょw
(一切皆苦)だからと自分の「生命の否定」をしてどうするの?(笑
■ 生命の有難さが分からん人は、今から食べ物を一切食べるな!
■ TVでも街頭にでも立って「この世は(一切皆苦)だから子供は産まないようにしましょう!!」
と大声で叫んで、みんなの反応を見てきて報告してくださ〜い!!
■カルト思考は、
>>408 >>432 氏のレスを参考に「自灯明」で少しは考えてみんしゃ〜い!
仏陀はうつ傾向かご苦労無しかもしれないし、イエスも又、問題あり・・とかく教祖は問題あり〜(笑
>>426 >一切皆苦で輪廻しないなら自殺すればいいと論理的に帰結されると思うんですが。
論理的なのは、頭の中だけ、生きているということは肉体があって誰にも生命維持本能・
防御本能があるから結局、死にたくないわけw
だから、頭の中だけで論で「生命の否定」をしても苦しむだけ〜
忙しくて時間の無駄!オチ
447 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 13:06:44 ID:JYs3F72g
>>444 おりこうさんですね。
釈尊は釈尊の時代の「常識」で語った。
釈尊の「言葉」の背後にあるものを踏まえよと言っているのです。
「言葉」の背景もわからない人が「思想」の背景がわかりますか?
およそ常識的な現代人なら時代背景を考慮に入れます。。
あなた自分でも、おかしいこと言ってるの解ってて意固地になってるでしょ。
448 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 13:11:03 ID:31NgOFCg
>>444 >「不完全な」言葉
ちなみに、この件の場合「苦」にかんして「言葉が不完全」なのは貴方と5氏
449 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 13:24:16 ID:ECzLbh7+
>>447 >釈尊は釈尊の時代の「常識」で語った。
だから、時代の変化に応じて、解釈時の時代の「常識」で改変しなければ
ならないのです。
当時の常識で語った釈尊の言葉を、機械的に現代に当てはめることは、
むしろ、「教え」そのものの否定です。
輪廻転生が、その典型例。それは現代の常識ですか。
450 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 13:31:59 ID:hdi800gm
みなさんに素晴らしい言葉を差し上げましょう。 अतो भावाभावान्तद्वयरहितत्वात् सर्वस्वभावानुत्पत्तिलक्षणा शून्यता मध्यमा प्रतिपन्मध्यमो मार्ग इत्युच्यतो 一刻も早く二辺から離脱し、ध्यममार्ग を 歩みましょう。
451 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 13:59:06 ID:aIxVQ4KW
輪廻転生はバラモン=ヒンドゥによって仏教に対し謀略的に埋め込まれた異質物です。 カッコウが他の鳥の巣に卵を産み、その鳥に育てさせ、その鳥も小鳥も追い出すのと同じことです。 実質的にヒンドゥ化(輪廻転生+梵我一如)している日本仏教は、仏教の名に値しません。 もはや、自灯明、法灯明のひとり仏教で歩むしかないとおもいます。
452 :
宝珠愚者 :2008/12/27(土) 14:00:18 ID:JfEKiA1z
>>330 >ヒンドゥ=バラモンに下半身が犯されたロマンチスト
>あとは大日如来などの別名ブラフマンを設定すれば
それは何でもありの大乗の所産(末路)でしょう。金剛大乗はバラモン回帰だったのであり、シヴァ派の
シャクティー派よろしく、下半身を犯されたのは無上瑜伽タントラ派の左道密教化の流れでした。
この日本にも立川流が出現しています。僧侶が比丘尼や女性信徒らと修行と称して交わる世界・・。
>>391 インドにおける宗教思想での口誦は驚異的なものであり、
我々のような日本人の一般常識ではとても推し量れない。
「教授がすらすら暗唱するリグヴェーダの賛歌、これは紀元前1000年頃のテクストです。現代まで伝承
されていますから3000年の古さです。口承で正確に伝承されています。また多くの写本も残っています。」
http://www.k4.dion.ne.jp/~sanskrit/intetsu.html
453 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 14:01:21 ID:bPN8EC0b
>>449 カッカせずに落着きなさい。
「言葉」の扱いについて貴方が不可思議なことを言い出したのでしょう。
「言葉」の解釈と時代的考察とをごちゃ混ぜにしているから、短絡的になる。
「言葉」の解釈を、お座成りにして全体の論旨が捉えることが出来ると考えるのは間違いだと気がつきなさい。
たとえば英語を学ぶときに貴方は文章の全体の意味から学びますか?
単語の意味を明確にするところから始めるでしょう。
そこが貴方に出来ていないから、仏教の話が極論になり自説意外について考察する幅が無くなる。
初歩に入るための準備をしなさい、といっているのです。
以上。
454 :
宝珠愚者 :2008/12/27(土) 14:09:40 ID:JfEKiA1z
>>339-340 (1)でいう「古き信を去れ」とは、バラモン思想(リグ・ヴェーダ以来の特にウパニシャッド的梵我一如
論)についての誤った大衆認識を意図するものと解することができます。つまり、世間では「アートマン」
が誤解されているからに他ならない。
あまりにも全然、分ってないようなので現代語で説明します。その誤解の様とは今日における日本の
一般大衆でも古代インドでも全く同様なのであって、つまり「魂」という概念についての理解は、今ある自
覚できる意識(表層意識)がそれであり、これが永久に生存し続けるか、または転生していくものと見なし
ているからなのです。
語句としてはこれもアートマン(自己)なのですが、実体は表層意識/低我であって、肉体の消滅後には
一定期間の間を中有界に留まることがあります。盂蘭盆のモッガラーナと母親の話などであり、これがい
わゆる心霊存在です。これは次の世では別のパーソナリティーへと転生するので、転生毎に消滅する存
在でしかない。
人々はこれが永遠に存続することを願っているのであり、これが永久不滅のアートマンと同一視されて
しまっているわけです。
ゴータマはそのような客観的実体的、或いはそんな機能的なアートマン観に対して反対したのです。低
我は転生毎のパーソナリティーに過ぎず、またバラモン聖典の説くアートマン(高我/真我)とて、厳密には
これは転生が終了するまでの媒体であって、そういう意味においては永久不滅ではない。
ゴータマはアートマン解説をしなかっただけであって、この私からのこの説明を読めば分る通り、これら
はただ誤解を生む元になりかねない事柄であるからとして危険なので避けたのです。
私は愚者だからアレコレと解説するのです。
455 :
宝珠愚者 :2008/12/27(土) 14:11:36 ID:JfEKiA1z
(2)でいう「われというものはない。またわがものというものもない。」とは、「(五蘊は)自己(真実の)では
ない」し、「五蘊は自己のものではない」から、自己ではないものを自己と同一視することなかれ!というこ
とを述べているのですよ。他経も読み進めればこれはより明確になります。全部、同じことしか述べてない。
恐らく、もともと「非我」であったものが、後の時代に他宗教との差別化を図るために弟子たちが「無我」
(アートマン否定)として説いていったのでしょう。そのほうがバラモンとの相違で明確化できるからです。結
果的には完全に誤解されてしまった・・。
>>402 >「わたしがいま証得したこの法は、はなはだ深くして観がたく悟りがたく、
>この馬鹿どもには「縁起の理は見がたく、この涅槃の理は悟りがたいであろう。
>もしわたしが法を説いたとしても、人々はわたしの言うことを了解せず、
死んだら終わり、などいう「断滅」がそんなに不思議で理解し難い深遠な見解だと??
「縁起の理は見がたく」というのは、縁起に拠る輪廻の現象をいうのです。
その驚異の体験に基づき把握した神秘なる大自然の摂理のことです。
「彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すなわち、ひとつの生涯、二つ、三つ、四つ、五つ、
十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯を想起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期
(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の生成・壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。」
>>248-249 といった体験と能力によりこれを語っているのです。
>>439-ID:JMk7obluさんによる説明はとても素晴らしい!
456 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 14:36:52 ID:aIxVQ4KW
>>452 >>454 >>455 「われというものはない」
「われというものはない」
「われというものはない」
「われというものはない」
「われというものはない」
言語明瞭、意味明瞭
まともな日本語能力があるなら。
一切法無我とは、我(attan),我所(mana) , 我体(me atta)の否定(無)を意味する。
これは仏教的常識だ。
無常=無我=縁起=空=中道
*このメタコード的立場からは断滅論などと誤解されようがない。
宝珠愚者はいつもながらの自己中ご都合主義的曲解に必死だな
似非仏教にとどまらず、遠慮はいらん、ヒンドゥに逝けよ。
誰も止めたりはせんぞw
457 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 14:48:50 ID:aIxVQ4KW
458 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 14:49:36 ID:aIxVQ4KW
>>455 だいたい「非我」などという甘っちょろい言い換え、すり替えはバラモン=ヒンドゥそのものであって、
ブッダ成道の深さと鋭さを無視し、事実上揶揄するものだ。
ブッダ立宗の意義根本的毀損を目論んだ外道の見解だといわざるを得ない。
459 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 15:08:51 ID:aIxVQ4KW
>>455 相応部経典二二,八九は文言どおり
「すでにわれなしと知らば」←我(attan)そのものの否定
「何によってかわがものがあろうか」←我所(mana)の否定を意味する。
「すでに“われなし”と知らば」を非我などと読みようがない。
もし、そう読めば相応部経典二二,八九は意味を成さなくなる。
一切外の我(attan)の我所(mana)を認めることになり、ナンセンス極まる戯論だからだ。
完全な無明執着であり外道というほかない。
460 :
初代スレの5 :2008/12/27(土) 15:32:36 ID:MkASH/en
>>454 >これが永久不滅のアートマンと同一視されて
しまっているわけです。
この「永遠不滅のアートマン」 なるものが、いったい、どのようなもので
あるのかについての説明が全くありませんね。
461 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 15:44:12 ID:HdrfxgPf
462 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 15:58:24 ID:aIxVQ4KW
中村元博士の撒き散らす害毒の影響は大きい。 一切法無我を非我と言い換えることもそうだが、 仏教には教義がないというが、縁起の法はどうなのだ。 ウダーナ(自説経)冒頭の「縁起の法を知るがゆえであった」はウソか? スッタニパータを「ブッダのことば」として出版することも矛盾する。 金口の説法は確定できないといいながら、 一般にそうと受け止められてもいいのか? 教義はあるではないか。 エライさんのやることは、ワケワカメw ボケてても誰も文句をいわんのか?
463 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 16:00:30 ID:muCqcEPQ
>>419 「多少、神通ある人は結構いるけど。」
なんだこりゃ? 多少は経典読んるでみたいだが根っこは宝珠愚者と同じオカルトマニアかい。
がっかりだね。
凡夫の妄想は、百花繚乱だな。 全ては現在の己の実相が物語る人間妙なる物語。 さあ、続けたまえ。
465 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 16:20:18 ID:VYDtdyFW
466 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 16:32:08 ID:aIxVQ4KW
だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw バラモン=ヒンドゥからすればブッダは「外道」だろう。 だから矮小化されて片隅に追いやられている。
467 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 16:40:34 ID:RtnKoVps
>>466 >だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw
まさに松本史郎のミニチュアだな。
古今東西の仏教経典読んで見ろよ、ブッダは反仏教・反中道・反縁起・反空思想だとか言い出すぞ。
468 :
170 :2008/12/27(土) 16:57:28 ID:F7BTcLNZ
467さんへ >まさに松本史郎のミニチュアだな。 >古今東西の仏教経典読んで見ろよ、ブッダは反仏教・反中道・反縁起・反空思想だとか言い出すぞ。 いや、ホントに言い出しかねないですよね。彼らの考えは理解しがたい。 「仏教は邪教!釈迦は輪廻を説いたカルト教祖!!」というのであれば、まだわかるのですが。
469 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/27(土) 17:11:39 ID:pP6ub8/r
>>466 >だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw
そういう誤解があるようですので、拙者は少々書込みします。
中道というのは生死を越えたのが中道でありますから、
断ずることもないし、ましてや滅することもない。
(不生不滅)であり(生死一如)。
まあ、つまり、法においては人間が死ぬことにはそんなに意義はない。
考えてみればそうかもしれんね。
あらゆるものが流転を繰り返してるわけで、
一個の人の命などは、まことに儚い(はかない)もんです。
儚さゆえの一切皆苦。
故に、摩訶不思議たる人の命の営みを、
感謝、感謝で生きれば、それが一番理に適ってる。
(即今即所)
これを禅では「日々是好日」とか言うんですね。
470 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 17:28:24 ID:JMk7oblu
>>463 >なんだこりゃ? 多少は経典読んるでみたいだが根っこは宝珠愚者と同じオカルトマニアかい。
>がっかりだね。
ごめんね。オカルトマニアだとは思ってませんけど。
オカルトの意味が反常識という意味なら宝珠愚者さんより上ですよ。
なにしろ、大乗経典もテルマも仏説だと思ってるし、神通も当然ありですから。
ですが、常識ももちろん尊重しますよ。因果ですからw
471 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 17:34:53 ID:pymbHZcK
>>469 今更、口当たりの良いことを言っても「断滅は断滅」
アンタが散々言ってきたことじゃないか。
死ぬときは、思いや観念ごと消えてなくなると。
中道とか生死を超えるといっているが、結局は「断滅」
472 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 17:43:07 ID:pymbHZcK
>>470 奇跡的出来事を受け入れても、倫理と論理を失わない人格こそ得難い奇蹟である。
473 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 17:47:53 ID:JMk7oblu
>>466 >だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw
無我・空・縁起と輪廻は矛盾しませんよ。
>>468 >「仏教は邪教!釈迦は輪廻を説いたカルト教祖!!」というのであれば、まだわかるのですが。
そうです。論理的にはその通り。
松本さんは、道元禅師の本覚批判らしき伝承を本覚批判と読んで研究を始めたんでしょう。
それでチベット仏教で如来蔵批判を発見して喜んだ。
道元禅師の本覚批判と同じに見えたからです。
それらを適当に読み替えて自分の常識にあった仏教を妄想した。
それを基準にして全て批判して仏教・非仏教の裁断を行ったので、
同じような常識的に仏教を解釈したい人に受けた。
でも、最近は破綻してボロボロで、自分の説は信仰だと言ったそうです。
たしかに常識信仰なんですがw
474 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 17:49:01 ID:muCqcEPQ
>>470 するとなにかい?お前さんもお釈迦様は
空を飛び回ってたって言うくちかい?
475 :
宝珠愚者 :2008/12/27(土) 17:51:21 ID:JfEKiA1z
>>456 >>466 >*このメタコード的立場からは断滅論などと誤解されようがない。
>だったらゴータマ・ブッダの中道は「断滅」論だw
断滅論などとは誤解であるといいながら、
今度はついに断滅でも大いに結構だと開き直りましたか?。
この経文は、ゴータマは言葉巧みに断滅を説く人々(外道)のことを
明確に指摘されていたことが瞭然ですね。
「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにか
れらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地があ
る)と、巧みに語っている。」(スッタニパータ876)
476 :
宝珠愚者 :2008/12/27(土) 17:52:27 ID:JfEKiA1z
>>456 >>459 >>462 『「われというものはない」「すでにわれなしと知らば」---その語句の部分だけを抽出して誤解すること
なく、他の経及び全体の文脈から語句の意味を理解する必要があります。そうすれば、「われというもの
はない」とは、「五蘊のいずれも我ではない」、という意味でしか述べていないものとして理解されるのです。
「(何ものについてでも)《これがわがものである》といわない人々、及びそれらのうちのいずれもわれ
(aham)であると語らない人々」(サンユッタ・ニカーヤT,p.116)---これが初期仏教の理想であった。
初期の仏教においては、このように「これ」として具体的に、或いは対照的客観的に、示して見せること
のできるいかなるものも、アートマン(自己)ではない。それはアートマンとは異なった他のものである。ま
たそれはアートマンに属するものでもない、と説いているのである。「修行完成者は自ら自己を見ることが
ない。」(スッタニパータ477) アートマンを客体的なものとして認めることができない、というのである。』
(「原始仏教-その思想と生活」中村 元著/NHKブックス)
「見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、<名称と形態>(個体)に執著している。「これ
こそ真実である」と考えている。或ものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものは異なったものと
なる。何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。」
(スッタニパータ756-757)
『人々は「わがものである」と執著した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないか
らである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまってはならない。人が「これはわ
がものである」と考える物、──それは(その人の)死によって失われる。われに従う人は、賢明にこの理
を知って、わがものという観念に屈してはならない。』(スッタニパータ805-806)
477 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/27(土) 17:53:50 ID:nepCc8Yp
>>471 貴殿は、本当は「死ぬのが怖い」ということですね。
ですから死後の世界がないと安心して眠れない。
こういうことなんですね。
そいうことで、不安・恐怖観念がある方は大勢います。
もしも「死後の世界観念」で安心できるなら、
それが一番イイのですが、
絶対的な確信が持てないから、
また、不安・恐怖観念が表出してしまう。
この無限ループに陥りまふ。
結果的には精神的に不安定になり、
これが宗教ドグマですね。
(白隠は、これにやられてしまったわけですが)
>>437 > 輪廻という前提があるからこそ自殺は苦しかもたらさない。
> と考えるのが仏教でしょう。律で自殺を禁じているのは、その意味。
はい。自殺しても、輪廻し、次の生での苦が待っている。(仏典上は)貴方の仰る通りでしょう。
では、苦の滅の後はどうなのか?
貴方が
> しかし、ヴァッカリやゴーティカというアルハットの自殺を釈尊は讃えています。
> これは自殺しても輪廻しないアルハットの境地に達していたからに他ならないでしょう。
と言うように、釈尊はそのように考えて、自殺を許されたのでしょう。
ここで大切なのは、「苦の滅」や「涅槃」は、世俗の煩わしさを消去し切ったわけではないということです。
(ここが、以前の“存在・実在云々”という話とリンクしてきますw)
“独我論的に”という言い方がまずければ、『【当人の主観に於いて】苦は滅せられている』ということです。
しかしそれは、「当人にとって苦ではない」ということでしかありません。
出家受戒を各自で行ってよいとされたこと、托鉢で十分な食を得られないこともあったこと、
晩年の釈尊が疲労を口にすること、チュンダの供養で食中毒となること、
サンガの監督に於いて煩わしさがあると述べていること、
何よりも、ブッダ自身が老衰し死を迎えたということ、挙げていけばキリがありません。
上記二人の姿勢は、“こうした世俗の煩わしさとも離れよう”というものと見ることができます。
そして、林住比丘の在り様が称賛される価値観なれば、
阿羅漢の自殺自体を咎める理由は釈尊にはなかったでしょう。
しかしそれは、『“自殺の”称賛』『自殺の推奨』では断じてない。
限られた、或る条件を満たした上で認められる特例であると見るべきではないか。
ましてや、道の途上にある者にとって、その選択肢は許されるものではないだろう。
「固執しない、とらわれない」ということは、
決して「粗末にしていい」「蔑にしていい」「無視していい」ということではない。
自己の命も又、(天寿という言い方はむず痒いがw)続く限りは大切にされるべきだろう。
この意味で、 >真っ先に却下されるべき だと私は考えるのです。
こうした視点に於いては輪廻は不要だと言っているのです。
>>437 > それは輪廻を前提にした話です。
> そして、必ずしも今生に限定してません。
今生に於いて苦の滅はあるんですか?ないんですか?
もし、今生に於いて苦の滅があるなら、
前世来世を考えることなく、今目の前にある苦を問題にすることができる。
輪廻があろうとなかろうと、苦の滅という涅槃に違いはない。
「輪廻があったとしても、彼は輪廻しない。彼は涅槃に安住する」
「輪廻が無かったとしても、今生(現世)に於いて、彼は涅槃に安住する」
私は、この意味で、「輪廻を排除しても仏教の教義は成立しうる」と言っているのです。
(勿論ここには、“現存する仏典の記述との整合性”という問題が立ちはだかるわけですが・・。)
> つまり、仏教で苦の滅は、戒定慧の三学によって無明を断つ以外、輪廻するしかないということですが。
「涅槃に至らない限り、輪廻するしかない」というのは、仏典を普通に読むなら当然のことです。
が、『涅槃に至った後では、輪廻のあるなしは問題とならない』のです。
(このスタンス(或いは構図)を積極的にとっているのが禅だと言うこともできます。)
だとするならば、21世紀の今、
《「今生(現世)に於いて涅槃は見られる」》という点(説き方)こそが強調されるべきではないのか。
《その方向性》こそが、現代社会における“救い”足り得るのではないか。
2500年前のインドとは違う。
21世紀の今を生きる人々にとって、より解り易く、より頷き易い方向性が《それ》ではないか。
我々は、いつもいつもいつもいつも、「今、釈尊ならば何と言われるか」を自問し続けねばならないのではないか。
余談。
>>437 > なぜでしょうか? について、少し蛇足を加えておく。
前に「一枚の紙の裏表」を喩えに引いた。ここでもう一度使用してみよう。
今度は、『表』を『今ある命』として、『裏』を『無地』としよう。
さて、
A:『裏』の『無地』を『涅槃』と見た時(→涅槃故に無地と見た時)、
『無地』だからと言って紙を破り捨ててよいのか?
上の二人の阿羅漢の事例はこれに当たる。釈尊は咎めなかった。
(異論はあるが、まあ、とりあえず良しとしておこうw)
B:『裏』の『無地』を『輪廻が無いことによる無地』(→一回きりの『表』であるという意味での無地と見た時)、
『表』を破り捨ててよいのか? 《“苦”の脱出(“滅”)》を《『表』の消去》で代用していいのか?
それが仏教と言えるのか?
お釈迦さんは、『裏』が『無地』であることを高らかに宣言した。
だが、《『表』がない》などとは言っていない筈だ。《『表』を無視せよ》などとは言っていない筈だ。
《『表』の大切さ》をもまた説いていたのではないか。
「今ある命」を粗末にして、何が仏性か。何が悟りか。何が涅槃か。
そんな仏教なら、こっちから願い下げだ。
更に余談。 私は、このように「命の大切さ」を考える時、綾瀬コンクリート事件が脳裏をよぎる。 被害者の彼女は「死なせて(殺して)」と訴えたらしい。 彼女の受けた「恐れ」「苦しみ」「絶望」は如何ばかりだったろう・・・。 (加害者達が命の大切さを見ていなかったことは論外として)、 “彼女の「死にたい」「死んで終わらせたい」という想い”を誰が責めることができよう・・。 巷には「生きてさえいれば・・・」という言葉がある。 素晴らしい言葉だと思う。その通りだと思う。 無常なる世に於ける好転可能性を示す、素晴らしい言葉だと思う。 しかし、しかしだ・・・・・・。 仏教的価値観を持っていれば、彼女の苦は軽減したかもしれない。 彼女が悟っていれば、「そこに“苦”はなかった」だろう。 しかし、しかしだ・・・・・・。 特殊なケース過ぎて、個別に語るしかない事例ではあると思う。 だが、「生きよ」という言葉がもつ残酷性も、仏教者は把握しておくべきかと思う・・。 “残酷な言葉を敢えて吐く”、この覚悟を持たねばなるまい・・・。 延命治療や尊厳死、安楽死、脳死、臓器移植、中絶、等等、 仏教が答えねばならない宿題は山のようにある。 もしかしたら、それらは「仏教が」答えるものでなく 「個人が」「一人一人が」答えるべきことなのかもしれない・・・。 “ vaya dhamma^ saNkha^ra^ , appama^dena sampa^detha ” 私は、「輪廻に振り回される暇があるのか?」と問いたくなるのだ・・・。
482 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 18:32:15 ID:aIxVQ4KW
>>475 >断滅論などとは誤解であるといいながら、
>今度はついに断滅でも大いに結構だと開き直りましたか?。
曲解は宝珠愚者の得意技だが、誰が大いに結構だと言ってるのかね?
真逆だろw
中道をマトモに理解し得ない
>>465 のような実質バラモン=ヒンドゥ教からすれば
ブッダは「外道」だろうと言っているのだよ。
ユーモアのひとつも通用せんらしい。
とにかくブッダ成道の革命的意義は縁起の法の悟りを中核として、
ウパニシャッド的業報輪廻転生&梵我一如の両論への信仰の全面否定 にある。
カースト制度に支えられたアーリア=バラモン支配階級にとって自らの支配への
反抗勢力であり、謀略の対象となるのは当然だ。
いまだに業報輪廻転生を信じ、梵我一如的傾向の連中は、謀略にやられている末裔だということだ。
483 :
宝珠愚者 :2008/12/27(土) 18:46:19 ID:JfEKiA1z
>>482 >いまだに業報輪廻転生を信じ、梵我一如的傾向の連中は、謀略にやられている末裔だということだ。
「賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報
いとを熟知している。世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者
は業(行為)に束縛されている。---進み行く車が轄(くさび)に結ばれているように。」
(スッタニパータ805-806)
「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(スッタニパータ666)
「罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生の
あるうちになすべきことをなして、忽(ゆるが)せにしてはならない。」(スッタニパータ676)
484 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 18:51:53 ID:F9ADIMQP
./)/) (・ー・)ノ ■ 知りえないことについて知っているかのように語られる ゚L-J あらゆることは物語である(池田晶子)。
485 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 18:53:28 ID:fcbCI6lW
>初代スレ7氏 迷いの只中に「修」衆生とともにある苦しみの中に「証」を明らめるのが貴殿の宗旨ではないのか? 迷苦がそのまま答えならば、貴殿が歩むべき道はそんなに広くないはず。 既に、迷うこと恐るるにたらず。悟ること求むるにたらず。
486 :
初代スレ7 :2008/12/27(土) 19:00:42 ID:/0y3IKKW
487 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 19:06:04 ID:9Gp1MmZ7
>>486 誠に仏を求める熱い思いに不覚にも2chで感動してしまった。
こちらこそ、かたじけない。(-人-)
488 :
宝珠愚者 :2008/12/27(土) 19:09:09 ID:JfEKiA1z
>>481 >延命治療や尊厳死、安楽死、脳死、臓器移植、中絶、等等、
>仏教が答えねばならない宿題は山のようにある。
>もしかしたら、それらは「仏教が」答えるものでなく
>「個人が」「一人一人が」答えるべきことなのかもしれない・・・。
>私は、「輪廻に振り回される暇があるのか?」と問いたくなるのだ・・・。
これらは大切な問題であり、真剣に考えなければならない命題だと思っています。ただし仏教者は、
仏教の教え(輪廻)に基いて理解し、難題について向き合って回答すべきです。
すでに直る見込みの全く無い難病の末期患者であったり、すでに植物人間状態に在る者というのは、
単純見解としては、早く次の転生に入るほうが有利であると見なすことができます。
しかしながら、本当にその個人が直らないのか否か?といったことについては、それを我々は、仏陀
のようにとても見通すことができないといったジレンマがあります。
尊厳死に対する心ももちろん理解できます。しかし、奇跡は常に絶望の中で起こるのであり、現在の
常識の多くは太古の時代にとっては不可能な奇跡でした。従って、基本的な推奨されるべき態度とは、
あくまでも生存の存続(回復)と及び苦痛からの解放とにあるでしょう。あくまでも相手を思う慈悲心が根
底には必要です。
>綾瀬コンクリート事件が脳裏をよぎる。被害者の彼女は「死なせて(殺して)」と訴えたらしい。
はい、私も読んだことがあります。自殺もそう。基本的には推奨はされないが、場合によってはそれを
望む者にはその選択地を持たせることも在りです。
延命治療や尊厳死、安楽死、脳死、臓器移植、中絶・・これら全てに対する私の態度はすでに決まって
いますが、敢えてここでは述べないことにします。(それは別スレや自分のウェブで主張します)
正直に語ることができない参加者ばかり多いのが実に残念なことです。
489 :
170 :2008/12/27(土) 19:21:08 ID:F7BTcLNZ
473さんへ >松本さんは、道元禅師の本覚批判らしき伝承を本覚批判と読んで研究を始めたんでしょう。 >それでチベット仏教で如来蔵批判を発見して喜んだ。 >道元禅師の本覚批判と同じに見えたからです。 >それらを適当に読み替えて自分の常識にあった仏教を妄想した。 チベット仏教こそ、松本史朗さんに都合の悪いものてんこ盛りだったはずなのですが… 山口瑞鳳さん同様、自説に都合の悪いところは目の前にあっても見えない(あるいは故意に無視して読者に伝えない)のでしょうね。
490 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 20:23:03 ID:muCqcEPQ
>>470 経典自慢のオカルト反常識者のレスまだあ?
491 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 22:43:37 ID:F9ADIMQP
*****************************************************************************************☆ _ /〜ヽ プルルン♪ ■ 語りえないことについては人は沈黙せねばならない(ウィトゲンシュタイン) (((。・-・))) プルルン♪ ■ ブッダの教え(仏教)は、「いま ここ・おのれ・のみ」。★☆ ゚し-J゚ プルルン ルン♪ *****************************************************************************************☆
492 :
宝珠愚者 :2008/12/27(土) 23:11:39 ID:JfEKiA1z
私はハッキリという。 仏教(ゴータマの教え)は非真理であり、現実社会の人間の苦悩とは別問題である。 仏教をただの物語に過ぎないとする人は、 別に仏教に信を置く必要などは全くないので、どうぞご自由にして下さい、と。 いや、輪廻転生の教えだけが間違いなんだ。 これはゴータマが説いたものではなく、後代の経典制作での仮定で意図的に挿入されてしまったのだ。 と主張する者については、その根拠と証拠を提示して、 史実のゴータマの教えと姿が浮かび上がるよう努めるべきです。
493 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 23:14:09 ID:aIxVQ4KW
>>488 >すでに植物人間状態に在る者というのは、
>単純見解としては、早く次の転生に入るほうが有利であると見なすことができます
宝珠愚者を名乗る奴が根源的に愚かで馬鹿だということを示してあまりある言葉だ。
道元の「自受用三昧」ということばを噛み締めるがいい!!
悟りの何たるかがまったく判ってはいない。
こいつの判断の根源にあるのは常識的かつ世俗的な損得勝負有利不利だけだ。
言葉でどう取り繕うと、すべては等価=無価である空たることがまったく掴めていない。
下半身がヒンドゥにやられた愚かな者は当然だとはいえ、あまりの言葉に脱力する。
外道!!! 失せろ!!!
494 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 23:20:19 ID:aIxVQ4KW
495 :
神も仏も名無しさん :2008/12/27(土) 23:50:33 ID:aIxVQ4KW
諸仏如来、ともに妙法を単伝(たんでん)して、阿耨菩提(あのくぼだい)を証するに、最上無為(むい)の妙術あり。 これただ、ほとけ仏(ほとけ)にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。 この三昧に遊戯(ゆけ)するに、端坐(たんざ)参禅を正門(しょうもん)とせり この言葉の根源を宝珠愚者が掴めるのは一生かかっても無理だろう。 勝手に輪廻転生で踊りをおどっていてくんなましw 寝るぞ
496 :
初代スレ7 :2008/12/28(日) 00:44:30 ID:XZ97f21W
(長文書く気力もないので一言だけ)。
>>488 > 仏教の教え(輪廻)に基いて
>>492 > いや、輪廻転生の教えだけが
「輪廻」を仏教の中心に据えている点に於いて、貴方と私は決して相容れない。
深い関連はあっても、仏教の中心は輪廻ではない。「縁起」だ。「四諦八正道」だ。
輪廻があろうとなかろうと、「縁起」も「四諦」も揺るぎはしない。
「解脱」や「四双八輩」が輪廻前提の言葉であったとしても、私は「輪廻」という言葉を捨てることに躊躇はない。
それが、誤解や暴走を助長するようなら(言葉・解説によるフォローが困難なら)、容赦なく切って捨てる。
「四波羅夷以外を廃してもよい」と言った釈尊の姿勢(意図)に倣うならば、私は輪廻を廃す。
世界にどれだけの聖者がいるかは知らないが、
「輪廻を知ること・見ること」が、いったいどれほど涅槃に資すると言うのか?
《輪廻を恐れること無しに》「信」も「行」も「涅槃」もないとしたら、そんな仏教は要らない。
《現世における苦の滅》こそが、仏教の真髄であるべきではないか?
ここに気付いた時、もはや輪廻は不要だ。
「四門出遊」の逸話、(これが、そっくりそのまま史実だとは私も思わないが)、
その意味する所、重要性は、重く深く受け止められるべきと思う。
「きっかけとしての“輪廻への怖れ”」はあってもいい。
が、シッダッタの出家の動機は、
『今まさに目の前にある“苦”、今後続いて襲いかかってくるであろう“苦”の滅であった』ということ、
『わがまま、自己保身、自我欲望の理由・根源の探索にあった』ということは忘れられてはならない。
(パーリ)大般涅槃経に於いて、最後の弟子スバッダの逸話が述べられている。
彼は、六師外道の一人一人について「彼らは悟っているのでしょうか」と問うた。
釈尊は言う、「それは捨て置きなさい」と。 そして、「八正道のあるところに阿羅漢はいるであろう」と。
種々の記述はあるにせよ、私は、パーリ仏典ほど“現実に立脚した”経典は無いと思っている。
片山さんの本が届いた。明日はゆっくり浸ってみたいと思う・・・。
おやすみなさい ノシ
497 :
初代スレの5 :2008/12/28(日) 00:59:33 ID:fIvrDls+
498 :
宝珠愚者 :2008/12/28(日) 01:21:29 ID:odrxEpIf
>>493 「すでに植物人間状態に在る者というのは、
単純見解としては、早く次の転生に入るほうが有利であると見なすことができます。」
>宝珠愚者を名乗る奴が根源的に愚かで馬鹿だということを示してあまりある言葉だ。
冗談じゃない!これは絶望的な状況に置かれている特殊ケースについて述べてるのですよ。必要以上
の苦悩からの解放を慈悲的に考えた場合の止む無き見解です。肉体生命が絶対視されるわけではない。
次の生涯にかけて前向きに来世に向かうということ。
ただし、助からないのかどうか?は、我々のレベルでは容易に判断が着かないから、病気と症状からの
回復を願い最大限の努力に当たることが基本となると述べたのです。通常は周囲の行為の如何に関わら
ず、最終的には本人の寿命が尽きれば、多くの場合にはそれでちゃんと死を迎えるものです。
>>437 >輪廻という前提があるからこそ自殺は苦しかもたらさない。
>と考えるのが仏教でしょう。律で自殺を禁じているのは、その意味。
>しかし、ヴァッカリやゴーティカというアルハットの自殺を釈尊は讃えています。
>これは自殺しても輪廻しないアルハットの境地に達していたからに他ならないでしょう。
このような見解は正しいものです。理解できないのならお話になりません。ゴータマはその気であれば、
肉体生命の延命や不死さえも可能であったということを付け加えておきます。仏陀をただの俗人レベルに
見下さないよう注意すべきです。
仏教は自殺を本当に禁じているのか?
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/suicide_buddhism.html
499 :
宝珠愚者 :2008/12/28(日) 01:23:15 ID:odrxEpIf
>>496 >釈尊は言う、「それは捨て置きなさい」と。そして、「八正道のあるところに阿羅漢はいるであろう」と。
私はあなたのこの見解と姿勢については、それはそれで尊重したいと思います。仏教は「道」であり、
実際の歩みに応じてその結果が得られます。その意味では輪廻について知ろうが知るまいが、正しい
実践には同じ結果がついてくるでしょう。それがゴータマの無記(形而上学的問題については沈黙する)
という姿勢の主旨だったのでしょう。
またどうせなら、八正道というよりは「三十七菩提文法」というべきなのでは。。。
原始経典を小乗扱いしてきた人たちはこれを修行してない。つまり、「これを修行せずしていくらこの
私(ゴータマ)に成仏を願おうとも、それは絶対にできない。何故ならこれを修しないからである」と。
「比丘たちよ、だが、もし、比丘にして修習するに精進することがなかったならば、<わが心取著する
ところなくして、もろもろの煩悩より解脱してあれ>と望むといえども、その心は、取著するところなく、も
ろもろの煩悩より解脱してあることはできないであろう。
それは何故であろうか。それは修習しないからであるといわねばならない。では、なにを修習しないの
であるか。四つの熱心なる観想(四念処)を修習せず、四つの正しき精進(四正勤)を修習せず、四つの
意志力の修練(四如意足)を修習せず、五つの能力の修練(五根)を修習せず、五つの能力の実現(五
力)を修習せず、七つの観察(七覚支)を修習せず、また、八つの正しい実践(八正道)を修習しないか
らである。」 (雑阿含経10.8応説/相応部経典22.101手斧の柄)
500 :
宝珠愚者 :2008/12/28(日) 01:24:37 ID:odrxEpIf
「アーナンダよ。いかなる人であろうとも、四つの不思議な霊力(四神足)を修し、大いに修し、(軛を結
びつけられた)車のように修し、家の礎のようにしっかりと堅固にし、実行し、完全に積み重ね、みごとに
なしとげた人は、もしも望むならば、寿命のある限りこの世に留まるであろうし、あるいはそれよりも長い
あいだでも留まることができるであろう。」 (マハー・パリニッバーナ・スッタンタ/命を捨てる決意)
「その『法』とは何であるか? それはすなわち、四つの念ずることがら(四念処)と四つの努力(四正勤)
と四つの不思議な霊力(四神足)と五つの勢力(五根)と五つの力(五力)と七つのさとりのことがら(七覚
支)と八種よりなるすぐれた道(八正道)とである。修行僧達よ。これらの法を、わたしは知って説いたが、
お前たちは、それを良くたもって、実践し、実修し、盛んにしなさい。それは清浄な行いが長くつづき、久
しく存続するように、ということをめざすのであって、そのことは、多くの人々の利益のために、多くの人々
の幸福のために、世間の人々を憐れむために、神々と人々との利益・幸福になるためである。」
(同/死別の運命)
三十七道品(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%83%E9%81%93%E5%93%81
501 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 07:09:03 ID:R0Q8vBK0
>>494 >>495 流れからみて貴方の解釈の立場は興道あたりが基礎ですね。
師の良いところは真似しないで、悪いところだけ立派に継承されましたね。
耕山から「とうとう最後まで悟らんかったな」「書物を捨てることが叶わんかった」
と言われてましたね。
>>496 この身、今生に度せずんば、更に何れの生に於いてか、この身を度せん。
上の如き気概は仏法者における誓願の最も大切なものだと思いますし、貴方の仰る事は心情としてよく解ります。
然しながら、此処は「仏陀は転生を説いた!?」スレなわけで、論戦の中心は「輪廻」なのは当たり前かと存じます。
貴方以外の否定者がしばしば用いる論法に、肯定者が「輪廻」を求める為に仏法を学んでいるかのごとき本末転倒のすり替えを見ます。
まさに戯論です。
502 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/28(日) 08:43:15 ID:rMJ81715
>>498 >「すでに植物人間状態に在る者というのは、
>単純見解としては、早く次の転生に入るほうが有利であると見なすことができます。」
「植物人間状態に在る者」を、他人(親族も含む)が干渉してくるのが怖いですね。
「早く次ぎの転生に入ったほうが有利」ということで、
殺害でもしかねない。
殺害しても善行であって、カルマ落としとして他者が利用される。
そこは全く罪悪感というものはなく、ただただハッピー・ハッピーで終わる。
人(他者)の死生観というのは、それは人生の集大成である。
何人もそれを犯してはならんですね。
なかには、あえて地獄逝きを願う御仁もいる訳ですから、
それを阻止してはならぬ。
自己満足のために、他人を利用するのは最大の罪悪ですよw
503 :
170 :2008/12/28(日) 08:48:30 ID:Un1RLmZm
宝珠愚者さんのオカルトかぶれはどうでもいいじゃん。 彼の考えが外道かどうかもどうでもいい。 ここは「仏陀は転生を説いた!?」かどうかを議論するスレでしょ。 宝珠愚者さんの492さんの書き込み >いや、輪廻転生の教えだけが間違いなんだ。 >これはゴータマが説いたものではなく、後代の経典制作での仮定で意図的に挿入されてしまったのだ。 >と主張する者については、その根拠と証拠を提示して、 >史実のゴータマの教えと姿が浮かび上がるよう努めるべきです。 これに対して、納得のいく論拠を示す人を見たことがない。 491さんへ >■ ブッダの教え(仏教)は、「いま ここ・おのれ・のみ」。★☆ 「仏教がこうあって欲しい」という希望でしかないよね。 実際の仏教(部派・大乗・金剛乗)をしっかり見なよ。 既成仏教教団は全て腐敗していると考えたとしても、経典を素直に読むとそんなこと言えないから。
504 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 09:06:49 ID:XxotQKEP
505 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 09:08:28 ID:VWszxPiV
>>478-481 方便としてならあなたの見解もありかと思います。
ですが、釈尊を始めとする諸聖者が一番始めに輪廻と因果、その苦について説いた意味をよく考えれば、あなたの見解は邪見としかいいようがありません。
これ以上、話し合っても平行線だと思いますので、私はこれで失礼いたします。
みなさんの心に安らぎがあることを祈っております。
506 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 09:23:02 ID:VWszxPiV
>>489 ですね。山口瑞鳳さんの止まらない妄想、暴走はもはやギャクの域に達してますね。
>>495 >495
その引用が最終見解なら道元禅師はサマタのみで悟ってないことになりますが?
>>496 私はパーリ仏教は見解が低いと見てます。その一つの根拠は、『勝義空性経』の伝承がないこと。
『清浄道論』に似た伝承が引用されますが、それだけです。
この伝承が北伝系部派や大乗で重視されるのは、それが縁起・空の重要な見解を示しているからだと思ってます。
たぶん、あなたがパーリに共感するのは曹洞宗だからでしょうw
>>498 そのリンク先は誤解してますね。聖者の自殺と凡夫の自殺を区別してない。
それを区別しない根拠は、輪廻を前提にしてないからです。
このように輪廻を前提にしなければ仏教体系はボロボロですよ。
>>501 >501
そうそう、輪廻肯定派と言われると輪廻を望むもののようにとられかねませんが、
仏教で輪廻を厭わないものはいませんよね。
507 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 09:29:32 ID:VWszxPiV
>>503 >宝珠愚者さんの492さんの書き込み
>>いや、輪廻転生の教えだけが間違いなんだ。
>>これはゴータマが説いたものではなく、後代の経典制作での仮定で意図的に挿入されてしまったのだ。
>>と主張する者については、その根拠と証拠を提示して、
>>史実のゴータマの教えと姿が浮かび上がるよう努めるべきです。
>これに対して、納得のいく論拠を示す人を見たことがない。
一応、これを主張してるのが並川さんですね。
その論旨は無茶としかいいようがありません。
理由は以下のように
508 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 09:31:41 ID:VWszxPiV
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20060402/p2 >和辻哲郎は、文献学・原典批判という手法を用いて輪廻を仏教から排除しようとしました。
>それは彼が馴染んだ常識的世界観を擁護したかったからで、仏教の真実を描きだしたかったからとは思えません。
>この和辻の手法に荒巻典俊説を加えたのが並川『ゴータマ・ブッダ考』ですが、まったく受け入れられません。
>なぜなら、経典を最古層と古層に分け、最古層より古層が輪廻に対して積極的だということから、
>釈尊が最古層より輪廻に対して消極的で「あくまで現世に力点を置くという態度を強く示していた
>のではないかと推定できる」としています。ですが、その根拠である最古層が輪廻に対して否定的表現をとる
>から消極的というのは、他生や再生が望まれないことを指しているからです。
>他生や再生、つまり輪廻を厭う、否定的であるというのは通仏教的であり、
>特殊な表現でないことはお二人には自明のことでしょう。
>それに対して古層が輪廻に対して積極的というのは、輪廻の中で良い生まれを望むことを指してます。
>これまた通仏教的で、生天と言われ解脱に向かわない人への方便的教え、本来否定されますが、
>悪趣に行くよりはマシといった内容であることも、お二人には自明のことでしょう。
>つまり「資料に対して一貫した姿勢で臨み、それに基づく研究が徹底され」ているのではなく、
>釈尊は「現世に力点を置く」としたいために意図的に最古層が輪廻に対して消極的だと解釈しているのです。
>この現世というのは、彼が馴染んでいる常識的世界観であることは明らかでしょう。
>このような研究はまったく支持できません。
>凡人が馴染んでいる常識的世界観、つまり普通の認識が無明に覆われて倒錯した見方をしていて、
>それを行によって打ち壊さなければならないのに、かえって凡夫の常識的世界観を
>擁護する仏教学者が多いのには、困りものです。輪廻解釈はその試金石になると思いませんか?
>(ちなみにこの常識的世界観から逸脱した思想がカルトと呼ばれるようです)
>しかし世の中はこの常識的世界観を擁護する仏教学を好むものです。理由はもう言うまでもないでしょう。
509 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 09:44:37 ID:2WGEWJxr
人間に生まれ、仏法のある国に生まれ、仏法とご縁ができたこの喜びを かみしめましょう。
510 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 10:00:29 ID:j7kfh9+C
あーぁ。 初スレ7さん。 とうとう見限られましたね。 我慢比べの曹洞禅で何時まで頑張れますかね。 己の至らなさに無力を感じる度に、是でいいんだと自分を慰めるくり返しを、一生続けますか?
私信 170 ID:Un1RLmZm さん ID:VWszxPiV さん めへる下さい。
512 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/28(日) 11:37:39 ID:k9Udo4ZW
>宝珠愚者さんの492さんの書き込み >>いや、輪廻転生の教えだけが間違いなんだ。 >>これはゴータマが説いたものではなく、後代の経典制作での仮定で意図的に挿入されてしまったのだ。 >>と主張する者については、その根拠と証拠を提示して、 >>史実のゴータマの教えと姿が浮かび上がるよう努めるべきです。 >これに対して、納得のいく論拠を示す人を見たことがない。 【根拠と証拠】 仏教における勝義諦においては平等相であります。 輪廻転生とかの差別は全くなきの、円相の位相。 これはまさしくバラモン(カースト・差別)におけるアンチテーゼであることは 拙者が言うほでもなく明白です。 罪障というのはなく(本来無一物)、人は平等にして ある者が浄土に逝く。とか ある者が地獄に逝く。とか それらは全くなく一切皆空である。
513 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 12:03:42 ID:kJ64yZfw
輪廻思想でこりかたまったバラモン社会の真っ只中において、「心ならずも」 輪廻を肯定するが如き言辞を弄せざるを得なかった釈迦の心労くらいは、想像し、 同情してあげる必要がある。 現世に生きているからこそ、このような議論が可能になる。現世で現世外を議 論することの矛盾を自覚すべきである。 「この世は、なんと美しいものか。人の命は、何と甘美なものか」という釈迦の 言葉をかみ締めるべきであろう。
514 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 12:16:24 ID:kJ64yZfw
輪廻を説いて、「カースト制度」という悪業を犯した、バラモン聖者の来世は、 一体どうなるのかな。 輪廻を信じて「解脱」のための修行に励み、修行の一環として多くの人命を奪 ったオウムの来世はどうなるのか。
515 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 12:22:16 ID:A636mm4I
あら?卵?お前たしかもう来ねえよとか 口汚なく捨てセリフ吐いて消えたはずだが、まだウロウロしてたの?執着しまくり。そんなこっちゃ輪廻断ち切れんぞwwww
516 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 12:24:35 ID:FjQc9NF3
探し物は何ですか。 ・・輪廻転生です 見つけにくいものですか。 ・・だれも体験学習できないので見つけられないのです 鞄の中も、机の中も探したけれど見つからないのに。 まだまだ探す気ですか。 ・・お釈迦様は、たとえ方便物語であってもお説きになっているので・・ ・・実を言うと後生がないとすると、死ぬのが怖いんです、私がいなくなるなんて信じたくない! それより僕と踊りませんか。 ・・それより、私を安心させる言葉をください、わたしは永遠に幸福だと言って! 夢の中へ、夢の中へ行ってみたいと思いませんか。 ・・夢か現(うつつ)か判らなくなっているのです。
517 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 12:33:46 ID:kJ64yZfw
>>515 輪廻を信じるが故に悪行を犯した、バラモン聖者とオウムの来世について
答えてくれw。
あと、信者を輪廻で脅して全財産を巻き上げている、宗教の教祖の来世に
ついてはどうか。
518 :
宝珠愚者 :2008/12/28(日) 12:36:34 ID:odrxEpIf
>>506 >そのリンク先は誤解してますね。聖者の自殺と凡夫の自殺を区別してない。
>それを区別しない根拠は、輪廻を前提にしてないからです。
>このように輪廻を前提にしなければ仏教体系はボロボロですよ。
リンク先も輪廻と聖者と凡夫との区別を分っていて解説してるのではないでしょうか?私は凡夫の自殺で
あれ、特殊ケースにおいては例外です。それは初代スレ7さんの上げたコンクリート事件での少女のような
ケースであり、もしも彼女に自殺できる手段があり、彼女が仮にそれを敢行していたものとします。私はその
ことを彼女に責めることはできない。
それは「望まれない行為の中での止む無く最善」として、彼女のとった行動を認めます。これが凡夫の容
認例です。
殺人についても然り。私は狂信者に殺害されるギリギリの状況においては、正当防衛としての狂信者に対
する殺人も容認します。あなたは「殺されても良い」などとは私は説くことがない。
ただし聖者の場合においては、恐らく殺すくらいならば殺される側を彼らは望むことでしょう。ここが凡夫と
聖者の違いなのです。
「輪廻を前提にしなければ仏教体系はボロボロ」は、まさにその通りだと思います!
519 :
宝珠愚者 :2008/12/28(日) 12:37:33 ID:odrxEpIf
>>502 >>488 >奇跡は常に絶望の中で起こるのであり、現在の常識の多くは太古の時代にとっては不可能な奇跡でした。
>従って、基本的な推奨されるべき態度とは、あくまでも生存の存続(回復)と及び苦痛からの解放とにある
>でしょう。あくまでも相手を思う慈悲心が根底には必要です。
>>498 >病気と症状からの回復を願い最大限の努力に当たることが基本となると述べたのです。
私はこう述べてるのです。机さんは決めつけが多く読解力がない・・。
あなたはどうせ
>>518 を見て、私が殺人も肯定したなどというでしょうね。あなたのような断滅論支持者では、と
ても理解できないのでしょう。
ま〜とにかく、断滅を支持するのはあなたのご自由ですよ。唯物主義者も沢山います。ですから誰も止め
てません--仏教に信を置くのはもう辞められることを推奨します。「断滅」は外道中における最悪見解です。
>>512 これ以上、自分勝手な解釈は辞めるべきです。
仏典では
>>483 のように明確に述べていますよ。
「行為(業)とその報いとを熟知している」(スッタニパータ653)
「生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている」 (スッタニパータ654)
「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。
愚者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(スッタニパータ666)
>>483 訂正
×(スッタニパータ805-806)
〇(スッタニパータ653-654)
520 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 12:38:37 ID:kJ64yZfw
>>515 >執着しまくり。そんなこっちゃ輪廻断ち切れんぞ
輪廻で脅され、輪廻に執着して修行に励む人々は、輪廻断ち切れるのか。
521 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 12:44:02 ID:A636mm4I
今まで影に隠れてコソコソ宝珠の援護射撃してた奴がいたが、あれお前か? みっともねえ。オームくずれは早く消えろ。 >卵
522 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 12:45:53 ID:kJ64yZfw
>>515 同じ人間を、「聖者と凡夫」に差別すること自体が、既に「人間差別」
という悪行。
君の来世はどうなるの?
523 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 12:48:38 ID:FjQc9NF3
>>498 >すでに植物人間状態に在る者というのは、
>単純見解としては、早く次の転生に入るほうが有利であると見なすことができます。」
全世界に数十万人はいるといわれる(痴保をふくめ)植物人間状態に在る人々に対する
死亡推奨促進宣言として『宝珠愚者』を名乗る奴の名を記憶しておこう。
もちろん宝珠愚者によれば、植物状態人間はそのようなかたちで、
前世以前のみずからの業報をうけていることを主張するわけだ。
ベッドに横たわる人に言って来い、「すべてはおまえの前世の業が悪いから当然だ」とな。
ご立派な業報輪廻転生論であることよ!
524 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 12:52:01 ID:kJ64yZfw
輪廻を信じ込ませて信者に恐怖感を抱かせるという「業」を犯し続ける、 すべての輪廻肯定論者の来世はどうなるのか?
525 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 12:54:39 ID:kJ64yZfw
輪廻を信じた麻原の来世は?
526 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 12:58:58 ID:A636mm4I
>>522 おいおい、何か勘違いしてねえか?俺は輪廻なんか認めてねえぜ。あれは狂信者の妄想。
527 :
植物人間死亡促進宣言 :2008/12/28(日) 12:59:34 ID:FjQc9NF3
宝珠愚者 曰く 植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!! 植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!! 植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!! 植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!! 植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!! 植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!! 植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!! 植物人間は、早く転生させろ!!殺せ!!
528 :
宝珠愚者 :2008/12/28(日) 13:04:02 ID:odrxEpIf
>>507-508 「その根拠と証拠を提示して、史実のゴータマの教えと姿が浮かび上がるよう努めるべきです。」
>>これに対して、納得のいく論拠を示す人を見たことがない。
>一応、これを主張してるのが並川さんですね。
>その論旨は無茶としかいいようがありません。理由は以下のように
以前、並川氏に対するこの批評については、本をしっかり読んでない人のものだと(並川氏の支持者
からは)一蹴りにされてしまいましたね・・。
並川氏は真面目な研究者で立派であるとは敬意を払いますが、しかし、自分の学説に信念と確信を抱
のくなら、何故、私からの質問状に対して明確に、「それは違うと思いますよ!」と自己の見解を説かない
のでしょうか!
>>307 >>321-322 >>331 それらはナンセンスな質問ですよと、どうして明確に私に否定しなかったのか!ゴータマは無我といって
輪廻の主体を認めなかったから輪廻がある筈がないと。これは後代の弟子が勝手に経典に挿入したもの
ですよと・・。
どうも自己の心情から仮説を立てたはいいが、その確たる証拠もやはり見つかってはいない、というべ
きではないでしょうか。
この前、「東方学院」に電話した際に担当した中観派の研究学者も、輪廻転生を否定してきましたが、私
から「非我」とかを説明したら、正直いってあんまり判ってなかった様子でしたね。最終的には「待機説法の
方でしたからね、釈尊も説いていた可能性はある」などといってきました。あんれ、なーんだ?否定派じゃな
かったのか?って思いましたね。
つまりは、ゴータマの待機説法で説いた輪廻転生の話は自分は信じてないと・・。
まっ、無理でしょうね---輪廻転生は経典の教えとして全く矛盾がない。
勝手に否定派たちがあれこれと誤解を起こしているだけに過ぎないのだから。
529 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 13:07:02 ID:kJ64yZfw
>>526 失礼。
>>522 は、「釈迦の立場と心情を理解し得ず、輪廻に執着しまくり、
聖者と凡夫を人間差別する」宝珠愚者氏に対するレスでした。
530 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 13:21:11 ID:kJ64yZfw
>>528 並川氏の回答は、彼の著書における詳細な展開を君が充分に読み、理解
してくれている、との前提だと思うよ。彼の回答の趣旨は、著書で充分
に明らかにされている。
それほどまでに、輪廻転生や原始仏典の「言葉」だけに執着し続ける、
君の来世は一体どうなるの?
531 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/28(日) 13:27:47 ID:rMJ81715
>>519 >これ以上、自分勝手な解釈は辞めるべきです。
おそれいります。
>仏典では
>>483 のように明確に述べていますよ。
スッタニパータは基本的に詩句でありますから、
詩的には美文でありますが、内容としますと主語と述語があいまいであります。
覚者の心象を書いてあるのか?
覚者が無明の分析してるのか?
どうにでも解釈できる内容になっております。
経典というのは、基本的には解釈はどうにでも取れる。
(作為的な一面もあります)→いつでも意味付加できるように。
例えば、釈尊が空を飛んだりするんですよ。
これなんかは好例ですね。
殆どの人は信じないかと思いますが、
なかには信じる人もいるかもしれません。
しかし学者の人も大変だね。 わけのわからない人を相手に、何らかの回答するというのは、 それなりに誠実だと思う。 普通なら、いきなり電話して質問してくるような奴は 何を言ってきたとしても、完全無視だよ。 係わって言質をとられたりすると、ロクなことがない。
533 :
宝珠愚者 :2008/12/28(日) 13:39:22 ID:odrxEpIf
>>529 まずは聖者と凡夫の違いを理解しましょうか。ていうよりは、
根本部分として、【「差別」と「差異」の違いと意味】について履き違えないようにしましょう。
>>514 フーム。カースト制度がバラモン聖者が造ったと?
これは本来、人の生涯における理想的な流れ(人生の時期)としてその基本が象徴的に説かれたものです。
これが後に権力者によって支配に利用されたのです。
>>530 >君が充分に読み、理解してくれている、との前提だと思うよ。
そうですか-わかりました。
では、親切に対応して頂いた氏に敬意をはらい、
氏の著作は購読することにします。
534 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 13:54:01 ID:I0GVCBNJ
☆******************************************************************☆ ./)/) ■ 何がそんなに大問題なのですか。■ (・ー・)ノ 「輪廻転生」も、人間の生命の機能としての概念作用。 ゚L-J 【生命】がなくなれば、その概念も当然消滅する、でよいのでは。 ☆******************************************************************☆
535 :
宝珠愚者 :2008/12/28(日) 13:55:23 ID:odrxEpIf
>>525 >輪廻を信じた麻原の来世は?
輪廻を信じることが特に「善」ではない。否定することも「悪」ではない。
ただし、聖者に対する罵声だけは辞めたほうが懸命ですよ。
私は再度、これを繰り返しいっておきますね。
信じる信じないではなく、人は行為によってその果報を受ける。
来世においても行為者は決して逃れられない。
これは自己責任であり、誰のせいでもない。
536 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 13:55:43 ID:kJ64yZfw
>>533 人間に関しては、差別と差異は、本質的には同義。一方を他方に優越させるこ
とを差別と呼ぶが、「聖」と「凡」の観念で、すでに「差別」している。
政治的に容易に利用され得る教義を作った者に、第一の責任がある。
537 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 14:23:50 ID:kJ64yZfw
>>535 良いことも、悪いこともした人間は、どうなるのかねw。すべての人間は、そ
うなのだが。
538 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 14:51:01 ID:A636mm4I
宝珠よ。お前は仏教など語らんでいいから、大人しく瞬間移動の訓練でもしとけ。そうすれば今度は5Kgじゃなくて10Kgの瞬間移動に成功するかもしれんぞ。
539 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/28(日) 15:32:30 ID:rMJ81715
>>519 >私はこう述べてるのです。机さんは決めつけが多く読解力がない・・。
それは申し訳ありません。
>私が殺人も肯定したなどというでしょうね。
貴殿は勿論、殺人など肯定はしておりませんが、
マイコンのプログラムを挿入されますと、自分の意思に関係なく
プログラムが作動するようになってるんですよ。
だから簡単に殺人でもなんでも出来るようになる。
勿論そこに良心の呵責があったとしてもです。
オウムの林郁夫の記録を見ますと、
完全にマイコンされているわけではなく、
多少の社会的規範の分別はあったようです。
それでもなお、マイコンのプログラムの方が優先されちまいますね。
郁夫がマイコンから開放される切っ掛けとなりましたのは、
逮捕において警察で事情聴取され、
さりげなく窓の外を眺めて、そこで戯れる母子の姿においてです。
540 :
宝珠愚者 :2008/12/28(日) 15:57:03 ID:odrxEpIf
>>536 >「聖」と「凡」の観念で、すでに「差別」している。
凡とは「俗」のこと。「俗」から「聖」に至ることを説くのが宗教。
「俗のままであれ!」などという教えは宗教にはない。
論理の破状というか・・論理にもなれない。
>政治的に容易に利用され得る教義を作った者に、第一の責任がある。
これは何歳からは本格的な修行に入るのがベストといった程度の素朴なもの。
あなたの話はまるで、「喉をつかえたらコンニャク畑が悪いから」という理論と同じで余りにも愚かです。
交通事故で死者が出るから車の発案者が悪い。製造/販売者が悪いといってるのとも同じ。
子供の駄々っ子と一緒でお話になりません。
541 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 16:00:04 ID:qsdZOGlL
>>539 そうなんですね。宗教に嵌ると宗教団体内が社会となって部外者との
交流が余り無くなるようです。つまり、井の中の蛙ですw
542 :
宝珠愚者 :2008/12/28(日) 16:09:20 ID:odrxEpIf
>>538 神秘力は目的ではない。
その段階における過程と到達点において自然と獲得されるものに過ぎない。
これを目的にしたり、僅かに身について神秘力に自惚れ過信する者は道を踏み外す。
私は、数十年を掛けてやっと水上歩行の奇跡ができるようになった行者を見たとある大覚者が、
「あなたは随分と無駄なことに時間を費やしましたな」と笑って語ったという話を知っている。
ゴータマがハタヨーガを非難し、弟子にもこれを推奨しなかったわけもそうだね。
手段が目的と化して---時間的な無駄が多い---のでね。
543 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 16:35:52 ID:aBVaKH4J
>>540 >凡とは「俗」のこと。「俗」から「聖」に至ることを説くのが宗教。
「聖」と「俗」との区別は、具体的に何?
他者との係わり合いの中で、一度きりの人生をひたむきに生きる人々こそ、
「聖」なのではありませんか。
「非凡なる凡人」という言葉もありますよ。
同じ人間を、聖・俗に差別することこそ、「人間差別」という悪行に他なり
ません。
544 :
宝珠愚者 :2008/12/28(日) 16:46:07 ID:odrxEpIf
>>543 わたしは宗教学者や評論家ではありません。
『「俗」から「聖」に至ることを説くのが宗教。「俗のままであれ!」などという教えは宗教にはない。』
で理解できないなら、自分で調べて自分でよくよく考えることです。
>他者との係わり合いの中で、一度きりの人生をひたむきに生きる人々こそ、
>「聖」なのではありませんか。
「1度きりの人生」という言葉は余計です。
来世があるから勝手デタラメな生き方ができないのです--逆ね。
前向きに生きて害悪から遠ざかり、他者を想い慈悲的な行動がとれるならば、
その生き方は聖者が推奨するものです。
その完成の域に到達した存在を覚者という。
それが「聖」なる領域。
545 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 16:53:01 ID:A636mm4I
いいねえ。今度は水上歩行かい。お前の話は本当に笑えるわ。反常識度ではお前には負けないとか、ほざいてた経典自慢の中途半端なオカルトかぶれがいたが、お前の勝ち。俺が保障する。また何か奇跡起こしたら報告ヨロ 期待してるぜ。
546 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 16:56:16 ID:aBVaKH4J
>>544 >「1度きりの人生」という言葉は余計です。
>来世があるから勝手デタラメな生き方ができないのです--逆ね。
完全に死んで、来世を確認してきた人間は、史上、唯の一人もいない。
宗教者なら、嘘や出鱈目を言ってはならない。
来世があるから、宗教の教えに従って、この世ではどんな出鱈目をやって
もよい、という理屈も、同様に成り立つよ。自爆テロリストや宗教戦争が
その好例。
一度きりの人生だから大切にするという考えのほうが、はるかに好ましい。
この世界に1個しかないものは、すべて貴重である。貴金属は、乏しいが
故に貴重なのである。
しばらく書かないと思ったが、宝珠氏が孤軍奮闘してるのに忍びなく、 援護射撃。ま、今日暇だしね。 あのさ。あんたらが信じる信じないの話ではなく、 ここのテーマは、釈尊は輪廻をといたかどうかということなんだろう。 それを絞っていえば、初期仏典を見る限り、明らかに釈尊の仏教の教義には 輪廻思想が中心としてあり、釈迦は輪廻を語っているのは明白だ。 相も変わらず、回っているのは、行いと結果である 業だと教えてあげても、原始経典にもそう書いてありますよと、また、行いと結果である業は それ自体は無常であり、無我であるものであるから、釈迦の、一切法無我、一切行無常 の教えにも矛盾しませんよと、教えてあげても、君らにはまるで馬の耳に念仏。 そんな話もなかったことにしている。そして相も変わらず、釈尊は無我を説いたのだから、 死後も回る主体性のようなものはないと、壊れたレコードのように論破されている自説を繰り返している。 行いと結果という業も、主体性とも呼べる、アートマンという性質のものではない。これもまた、 無常であり、無我なるものだ。ここに何の矛盾がある?ドメクラ共が。 この輪廻思想は、釈迦が、おそらくどこかの王族であろう 人々のことを、神々とたとえ、神々と話したとか、あきらかにここにいる生命教の、がちがちの 唯物論者の能書きを語る者を、悪魔とたとえ、悪魔と話したとか、そのまま形而上の存在が 釈尊の前に現れ話したとみるのは妥当ではなく、上に上げた人々の比喩として描かれたものだという レベルではなく、輪廻思想は、どうよんでも、釈尊の仏教の教義の中心的思想だというのは 明らかで、そうみるのが、自分の思い込みというフィルターなしで、あるがままをあるがまま見る人の、 正常な判断だろう。どうみても。輪廻思想を、「おまうは書かれてる文言をそのまま事実だとみるアホだ!!」 という批判は適当ではない。輪廻思想は、明らかに教義的な話であり、釈尊は、自分の残した仏教の教義の 根幹に、この輪廻思想を入れていたのは明らかだろう。それを違うと読むのは、 おまえら唯物末法仏教者くらいなものだ。
善業善果、悪業悪果の輪廻思想があるからこそ、人は利己的に生きるのをやめる ことができるとも言え、一度きりの人生であるからこそ、刑罰などの 自分の不利益にならないのであれば、利己的に生きればよい。犯罪も見つからなければ 自分の不利益にならないので、自分の欲を満たすことのできるのであれば、したものの勝ち。 という考えも成り立つ。輪廻があるから、自爆テロなどを起こすなどという論法の持って生き方は フェアではない。むしろ死ねば終わりの唯物論のほうが、利己主義が蔓延し、この世に悪がはびこり 住みにくい世の中になる。麻原などは自分の利己心を満足させるために宗教を利用したのであり 正しく真理を理解していたのなら、あのような事件、殺人を起こしたりはしなかっただろう。 盲人達には、そんなこともわからないんだな。 彼は悪を成した。その報いは必ず受ける。すでに受けている。これが因果応報だ。
机よ、おまえの中道を使った詭弁で、 一切皆苦を説いた釈尊の教えもなかったことにしているが、 おまえの中道を使った詭弁で、おまえが何が言いたいのかは俺はよく理解している。 はっきりいう。それは間違いだ。おまえは釈尊の仏教を何も理解していない。 おまえのような、中道という言葉を利用した詭弁は、結論をはっきり言わない、不可知論と いってな。釈迦ははっきりと、おまえのような詭弁家のことを、私の教えの外を行く 外道だと、言っているんだよ。だいいちお前の主張する仏教は、ただの詭弁でしかなく、 ただの言葉遊びでしかない。それにお前のただの詭弁でしかない仏教は、言葉遊びとしては 面白いかもしれんが、現実にはただの気休めにもならない、糞の役にも立たないものだ。 釈尊の仏教は、お前のようなただの言葉遊びで税に入る、思考上だけの遊びじゃない。 おまえの、というより、おまえらの唯物末法仏教は、ただの気持ちの持ちようでこの世はハッピー という結論にしかならず、その程度のものなら、いまさら仏教など必要もなく、現代の心理カウンセラー のほうが、現実の生活の悩みを取り除いてくれるだろう。机よ。釈迦はあくまでこの世の生存 、(正確には、肉の自我による生存だが、ここでは多くは語らない)、つまり一切は、皆苦だと説いたんだよ。 おまえのように、でも勝義では中道であるから、そうともいえるが、そうともいえないものである。 なんて明言を避ける、詭弁でしかない、不可知論を真理だと話しちゃいないんだよ。
550 :
宝珠愚者 :2008/12/28(日) 18:09:13 ID:odrxEpIf
>>546 >完全に死んで、来世を確認してきた人間は、史上、唯の一人もいない。
>宗教者なら、嘘や出鱈目を言ってはならない。
その全てを見通される方がゴータマ仏陀なのでした。
>来世があるから、宗教の教えに従って、この世ではどんな出鱈目をやってもよい、
>という理屈も、同様に成り立つよ。自爆テロリストや宗教戦争がその好例。
論理の摩り替えは辞めるべきです。それは狂信状態に陥っている彼らが勝手にしていることであって、
無差別殺人を容認する宗教などは存在しない。その果報による地獄を説かない宗教も存在しない。イスラ
ムの過激派(異教徒殺人=善)などが顕著な例ですが、彼らはイスラムの中でも少数の異端派であり、他
の善良な一般信仰者は皆んな彼らに迷惑してるのです。迫害(及び殉教)に対する信仰者への励ましを誤
解して、ジハード(聖戦)の名の下に無差別テロを敢行している。基本的にコーランでは正当性のない殺戮
は大義のない犯罪であるとして禁止しています。
---仏典---
「罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。」(スッタニパータ676)
「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(スッタニパータ666)
「悪口または悪意を起して聖者をそしる者は、十万と三十六のニラップダ地獄と五つのアッブダ地獄と
に赴く。嘘を言う人は地獄に墜ちる。また実際にしておきながら、《わたしはしませんでした》と言う人もま
た同じ。両者ともに行為の卑劣な人々であり、死後には同じような来世をたどる(地獄に墜ちる)。」
(スッタニパータ660-661)
551 :
宝珠愚者 :2008/12/28(日) 18:09:50 ID:odrxEpIf
---新約聖書--- 「自分が裁かれないために、人を裁くのを止めなさい。」(マタイ伝7章1節) 「他の人を裁くその事柄において、あなたは自らを罪に定めているからです。」(ローマ人への手紙2章1節) 「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また 刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を 刈り取ります。たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになるのです」 (ガラテア人への手紙6章7-9節) >一度きりの人生だから大切にするという考えのほうが、はるかに好ましい。 >この世界に1個しかないものは、すべて貴重である。貴金属は、乏しいが故に貴重なのである。 残念ながらそこには、 「1度きりの人生だからは、わたしはわたしのやりたいことを好き勝手にする。 他者の苦悩などわたしには関係がない」と考える人を制する理論/理屈が存在しない。
ちなみに六師外道とは
道徳否定論を説いた当時の思想家。
これ、おおくの今の日本の仏教者、代表格が禅宗。机もこのカテゴリー
宿命論的自然論説いた、当時の思想家。
唯物論、快楽論当時の思想家
ここの隠居とかいうがちがちの唯物論者がこれ。ここで釈尊ははっきりと
死んで終わりの断滅論は、自分の教えるものとは違う、外道だといっている。
無因論的感覚論、七要素説説いた当時の思想家
これも五感で感じられるこの世界こそが現実だとする、ここの隠居を代表する唯物論者の
能書きと同じ。
懐疑論、不可知論を説いた当時の思想家
これはただの言葉遊びでしかない詭弁。机の説法、机の仏教は、これ。
ジャイナ教についてはめどくさいので割愛。詳しくはここでも見てくれ
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/99_03_14a.html このHPを貼るのも何度目だろう?でもこいつらにとっては馬の耳に念仏だ。
ここの唯物末法仏教者は、はっきり言って釈尊の仏教とは違う外道なんだよ。
そのことを認めたらどうだ?外道。
553 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 18:27:43 ID:aBVaKH4J
>>551 >「自分が裁かれないために、人を裁くのを止めなさい。」
何故、聖書など持ち出す?最も人を裁いたのが、他ならぬイエスである。
狂信者とは、「最も熱心に宗教を信じる者」。宗教は、熱心に信じれば
信じるほど「狂信」となる、という特徴を有する。
「地獄に堕ちる」と「脅迫」するのは、最大の悪行。人間は、脅迫によって
しか、善をなし得ないとでも言うのかね。それも「人間不信」「人間軽視」
という悪行である。
554 :
初代スレ7 :2008/12/28(日) 18:28:56 ID:XZ97f21W
>>505 >> あなたの見解は邪見としかいいようがありません。
でしょうねw
先の一連の書き込みは、貴方の(?)「輪廻に拠らずに仏教があり得る根拠は?」に対する私なりの返答ですから。
「今生の涅槃」は仏法として記しましたが、「輪廻の排除」は私の個人的見解として記したつもりです。
曖昧な表現で混ざり合ってたかもしれませんが・・・。
(もし、仏教絵本的な、或いはそうした入口的な語りを要する時は、ちゃんと使用しますw
観音経も、それを含む法華経も素晴らしいと思ってますよw)
私は学者ではないので、私が受けとめた、私に必要なブッダの言葉を尊重してゆくだけです。
また、“『経典』の伝承者”でもないので、一字一句コピーして伝えるつもりもありません。
邪見の称号、甘んじて受け入れましょう。
ちなみに、本来のこのスレ的回答ならば、
私は、「仏典には輪廻の記述がある」「輪廻を前提として説かれている」と考えていますよ。
> これ以上、話し合っても平行線だと思いますので
ですね。駄弁にお付き合い下さり有難うございました。
555 :
初代スレ7 :2008/12/28(日) 18:30:11 ID:XZ97f21W
>>506 > 私はパーリ仏教は見解が低いと見・・・・・・・・・からだと思ってます。
さきほど読み終えた片山さんの著書から、「p23.l12〜p24.l4」と「終章」を返答とします。(引用はしませんw)
> たぶん、あなたがパーリに共感するのは曹洞宗だからでしょうw
ごめんなさい! 臨済宗です・・・。 サーセンw (/>_<)
>>510 > とうとう見限られましたね。
いや、十分有意義でしたよ。
宗教系の話で、単なる罵倒でない応答が2chで出来るのは珍しいのでは?
私は感謝してます。
> 我慢比べの曹洞禅で何時まで頑張れますかね。
ごめんなさい! 臨済宗です・・・。 サーセンw (/>_<)
> 己の至らなさに無力を感じる度に、是でいいんだと自分を慰めるくり返しを、一生続けますか?
私は凡夫ですからねw
2chの書き込みは棚上げの連続ですよ。読んで頂けるならそのつもりで読んでくださいなw
何度もいうが、初期仏典を読めば、釈尊は輪廻を語っていたのは明らかだ。 それを自分達が信じられないからと、語っていないことにするのは、おまえらのエゴだ。 書いてあるものを、書いていないことにしてしまうおまえらの我執はどうしようもなく 強いものだ。どこかのアホ宗教学者が仏教を研究しながら、自分が輪廻などの形而上の ことは信じられないからと、釈迦は仏教を理解していなかったという様は、もはや基地外レベル だろう。ここの唯物末法仏教者のおまえらも同じ穴の狢だ。おまえらの強烈なエゴは みていて反吐がでる。釈尊は明らかに輪廻を説き、自分の教義の中心にそれを据えている。 君らがどうしてもそれを認められなかったr羽、あっさり仏教の看板を捨てろよ。そうすれば おまえらの主張もわからんでもない。だが、釈迦は明らかに輪廻を説いているのに、 自分達がそんなものはあるはずがないからと、無理やり屁理屈こねくり回して説いていなかった ことにするから、話はおかしくなる。釈迦の言説を、自分たちの好むように捻じ曲げて 伝えるのは、これは真理への冒涜だ。自分たちの言説に合わない文言は、後世の付け足し などというのは、詭弁の最たるものだ。そう思うのなら、その根拠と、証拠を示さなければならない。 それを示せないのであれば、単なる君らの願望でしかない。自分たちの願望でしかないものを 真実だとするのは、それは君らのエゴだ。邪見はすべてこの醜いエゴから生まれる。 仏典にもそう書いてあるだろう。邪見は、その人のエゴが起こすってな。 おまえらさ、もう結論は出てるだろう。初期仏典を読む限り、釈迦はどうみても、輪廻を説いている。 それを受け入れなければ、おまえらは仏教を捨てればいいだけのこと。それなのになぜ、仏教に執着して、 迷っているんだ?外道の人達。
557 :
初代スレ7 :2008/12/28(日) 18:44:44 ID:XZ97f21W
>>556 相変わらず熱いお人ですな・・・w
原佛スレが閑古鳥なんで賑やかさに引かれましたか?
_, ,_
( *゚∀゚)つ酒 < ま、一杯飲んでいきなさいw
//\ ̄ ̄酒\
// ※.\___ \
\\※ ※ ※ ※ ※ ヽ
\`ー────── ヽ
>>554 今生というより、無常でしかない肉の自我による生存には
涅槃はねぇんだよ、タコ。なにが涅槃とは、今生の中にあるだ。
釈迦は一切皆苦だと説いたんだよ、タコ。おまえの願望を仏教にするなよ。
だいたい我の強いものほど、唯物論に傾倒するものだ。
2chの唯物末法仏教徒達を観察すれば、彼らが恐ろしく頑固で、我の強い人達だと
気がつく。彼らがなぜ釈迦は一切は皆苦だと説いたのに、この一切の中に涅槃を
探すのかというと、それは彼らの根底には、自分の我を愛してやまないものがあるからだろう。
我執の強いものほど、この世を愛し、この世こそ現実だと釈尊とは正反対のことを言う。
そして彼らはなぜか、イエスを憎む(苦笑)なぜ彼らがイエスを憎むのかは俺は知っている。
肉の自我を愛してやまない彼らは、自分たちは悪い存在だと示したイエスを、
本能的に憎むのだろう。
いっとくが、我の強い奴は助からないよ。気の毒だけどね。
559 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 19:00:22 ID:7FmFTrIN
チューリングテストにパスしてしまうようなロボットにも 輪廻転生はあるのでしょうか?
561 :
宝珠愚者 :2008/12/28(日) 19:27:35 ID:odrxEpIf
>>545 まっ、水上歩行で驚くなら、
ボールように大地を大きくバウンドしながら弧を描いて空を飛行していったラマ僧の話なんかはどうよ?
私は奇跡現象の話にも詳しいし、本当はもっと面白い話もたくさんあるけど、
気絶者が出たらいけないからソコソコで辞めておきますよ^^
うちの義兄ですから方位磁石くらいならばPK(念動)で少し動かせる。
この程度なら宗教修行とも特には関係ない。
562 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 19:48:59 ID:2WGEWJxr
唯物論で考えても ここで輪廻を否定する人は無から有が生じると思っているのか? 人は死んだら無になると思っているのか? そもそも輪廻を「霊魂みたいなのが死後も存続し、それが新たな肉体の中に入る。 虫が隣の葉に移るように」と思っているのか?
563 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 20:14:39 ID:Ss3Q3O/m
阿含宗桐山教祖の逮捕歴 昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕 警視庁西新井署 十二月手形詐欺容疑で逮捕 千葉県松戸署 二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕 警視庁防犯課 二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決 五月入所 十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
カラス氏GJ!!熱いぜ。 これからは宗教者(似非唯物論仏教者は除く)がかっこいい時代だな。
566 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 22:11:34 ID:KdK62JxB
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪ ■ 何人も否定できない輪廻転生とは、次のことである。 ■ 「人間が死ねば、肉体は火葬されるか、または腐敗するが、肉体を構成する元素の原子は 消滅することはないから、その原子は、地球上のさまざまな生物や無生物に循環し、永遠に残る。 しかし、人間としての記憶器官、感覚器官、思考器官の機能は消滅するのだから、死者にとっては、 死後の世界は、知覚・認識できず、無関係である。 また、先祖の業とは、後天的な「行為」であるから、子孫に遺伝するこ とはない。即ち、『獲得形質は 遺伝しない』というのが、生物学の大原則。 「胎内記憶」などと言っても、胎児は、記憶器官や知覚器官がまだ十分 に形成されてはいないのだから、 無意味である。 「臨死体験」とは、死亡直前の身体の生理的変化によって生じる、「幻 覚」のこと。医学では、delirium (譫妄状態、精神錯乱状態)と呼ぶ。 「臨死」だから、「まだ死んではいない生体の、生理現象」である。 死者が涙を流すのは、よくあることだが、これも生理学的に説明できる。 「死後硬直」と同じく、身体の 生理現象である。別に死者が悲しいから、涙を流しているのではない。」 人間にとって、前世は全く無関係で、死ねば「無」になり、自然に帰る、というのは、こういうことである。 だからこそ、「一度きりの貴重な現世をよりよく生きる」という意欲が生じる。 いずれにせよ、科学の 発達前の「古代人の妄想」を、現代に持ち込むべきではない。 ☆★ □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
567 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 22:13:05 ID:KdK62JxB
>>566 の補足
DNAが伝えるのは、親の容貌や性格などという「先天的形質」だけである。
親の「行為(業)」は「後天的形質(獲得形質)だから、絶対に遺伝しない。
また「集合無意識」などというのも、単に「特定文化圏内の『情報』の伝達」
に過ぎない。生後まもなく、異なった文化圏内で育てられれば、その文化圏の
意識を受け継ぐ。キリスト教徒の子を、仏教圏内で育てれば、仏教徒になる。
>>553 お前の反論はいつも餓鬼の屁理屈レベルで話にならんな。
お前の難癖は、ただのクレーマーレベルのものでしかないんだよ。
このひねくれた性格。ああいえば屁理屈こねたこういう。
口をとんがらせて、屁理屈だけで口答えしている様が目に浮かぶ。
ま、引きこもりしている、人間として壊れている人と接するとこういうもんだろう。
>>566 だからさ、ここのテーマは輪廻はあるのかないのかではなく、
釈迦は、輪廻を説いたか、説いていなかっただろ。お前も相当な池沼だな。
だれもお前の、ただの唯物論に過ぎない能書きなどき聞きたいと思ってないんだよ。
単なる唯物論を宗教板で得意げに語るおまえは、ただの裸の王様だってことに
気づけよ、屑。
だいたい引きこもりしてる奴は、相当腐った我を持っているものだ。
どれも他人の指図を極端に嫌い、その強い我執から、社会にでても他人とうまくいかず、
引きこもっている。彼らは何の生産性もないくせに、ねたみ根性だけは人一倍で、
このような掲示板でねたみの対象となるものをテーマとするスレを見つけては
もちまえの妬み根性で、スレを荒らしまわる。また、決して満足のいく生活を送っている
といえない彼らは、その日ごろの鬱憤を、このような掲示板で、目立つコテハンなどを
たたいては、憂さを晴らしている。とにかく彼らは不愉快な存在だ。
人一倍我も強く、執拗に自分たちの価値観を押し付けるのは、ここのまるで価値観の
違う人たちの集う宗教板で、ただの唯物論を押し付ける隠居とか言う屑をみればよくわかるだろう。
とにかく彼らは我が強い。これはリアルで引きこもりと呼ばれる人達と接したことのある人なら、
よくわかるだろう。なぜこのようなものたちはこのような性格になったのか?それはその人の業なんだろう。
そしてその業は、彼らが悔い改め生き方を変えない限りそのまま引き継がれ、最後には
悲惨な結末を迎える。ま、死ねば無になり終わりが真理のおまえらにゃそれでいいだろう。
心配しないでもおまえらは望みどおりの無を手にするよ。文字通りの無だ。これは永遠の滅びだ。
我々は肉の死よりも、このキリスト教のいう第二の死を恐れなきゃいけないのだが、
こいつらはそれが望みなんだろう。無知とは恐ろしいものだ。
570 :
初代スレ7 :2008/12/28(日) 22:58:36 ID:XZ97f21W
>>569 しかしまあ、そういう貴方も
仏教を語る際、【必ず(と言っていいほど)キリスト教と結びつけて】語りますよね?
そこまでキリスト教に固執する理由は何です?
唯物系仏教徒について詳細な分析のできる貴方なら、御自身のそうした傾向についてもお気付きでしょう。
仏教について語る場なら(場面なら)仏教の枠で語ればよい。
(少なくとも貴方の批判(仏法護持・仏典護持の重要性の指摘)はそうした方向で為されている筈。)
(原佛スレでもそうでしたが)、そこへ必ずキリスト教を(イエスを)持ちだす理由は何でしょう?
プライベートに属すると言うのであれば、詮索はしませんが・・・。
_, ,_
( *゚∀゚)
//\ ̄ ̄酒\
// ※.\___ \
\\※ ※ ※ ※ ※ ヽ
\`ー────── ヽ
571 :
神も仏も名無しさん :2008/12/28(日) 23:03:52 ID:FjQc9NF3
観念論と観念論が合い争うとき、 常に唯物論が勝利する。 それが両者を超克したという中道名目の観念論であってもだ。 いわんや、絶対神を起てる超観念論キリスト教においておや。
>>570 だからなんで同じようなことを語っている二人の言説を、
無理栗違うものとしなきゃいけないわけ?それはお前らのエゴだろ。
俺は釈尊の説いた不死の境地も、イエスの説いた永遠の命も同じものだと知った。
二人の教えは何も矛盾することなく一致する。二人の行き着く先の真理は同じものだ。
だからわかりやすく説明するのに、キリスト教の話も交えて話す。
それのどこが悪い?それのどこが間違っている?
>>571 何が唯物論が勝利するだ。
唯物論の根拠となる科学も、なにも実験の結果だけが真理ではなく、
今の技術では確かめられないものでも、思考実験などの理論で仮説を
たて、それを今の技術では確かめられないから、ないものとすることはできないだろう。
ここで思考実験だ。縁起はまごうことなき真理だろう。この物質世界を司るものは、
すべて縁起で成り立つ。逆に言うと、この物質世界のものは、なにひとつ、それ一本で
成り立つものはなく、主体性のあるものは、なにもない。アートマンともいえる主体性のあるものが
なにもないこの物質世界のものを、仏教的に表現すると、一切法無我と説く。
これは、我々の輪廻の招待ともいえる業も同じだ。業も所詮は、行いと結果という縁起でしか
成り立たない、主体性のない、無我なるものだ。ではその縁起自体はどこからはじまった?
まさか、無から生まれたというなよ。はっきりいう。無からは何も生まれない、なぜなら無だからだ。
縁起を説明するにも、始まりがないと因果律の法則が崩壊する。元から縁起はあったなんていうなよ。
それをいうと、縁起は自称(主体性)ということになり、論理矛盾に陥る。お得意の中道を使った
詭弁で、縁起は自性などと、屁理屈いってたやるがいたが、あんなのはただの詭弁だ。
縁起も生起したものであり、もとからあったものではない。縁起をさかのぼって行くと、全ての始まりに、
主体性のある、自性を置かないと、因果律の法則からいっても、うまく説明できないんだよ。
わかるか?池沼共。おまえら唯物末法仏教徒達は、得意げに縁起は語るが、因果律の法則は理解
できないらしい。その自性こそ中道を行く性質のものであり、識別智である「言」では決して性格に
言い表せないものだ。ただ便宜上、言葉で自性と表現する。おまえらは中道を激しく誤謬している。
俺はその自性について語っているんだよ。
574 :
初代スレ7 :2008/12/28(日) 23:31:32 ID:XZ97f21W
>>572 了解。
貴方はそのように見た(体験した)。その上で同じものとして語る。尊重しましょう。
>無理栗違うものとしなきゃいけないわけ?それはお前らのエゴだろ。
エゴと来ましたか・・・w (^^;
私は、貴方と机氏に同じ姿勢を見ています。
それは、「勝義についてのみ語る」という点です。そして「勝義と世俗の間に断絶を設けている」点です。
(少なくとも私が)、「仏教とキリスト教は違う」と言う時、
それは『世俗をも含めた(→“語り”“説き方”“歩み方”等を含めた)上でのこと』です。
そうした要素を捨象して「幾つかの主要な幹」のみを見るならば、共通要素を見ることもできます。
(一般向けの著作をしている人の多くが、そうした共通要素の引用をしています。
貴方の謂いもまたそのような形であったこともあるでしょう。それを非難するつもりは毛頭ありません。)
しかし、勝義に於いても共通しない部分もあるでしょう?求道の動機にも違いはあるでしょう?
それらもまた“同じ”だとお考えですか?
ここの知恵遅れの唯物末法仏教徒達は、なにかにつけ得意げに 縁起、縁起とのたまうが、縁起なんていうのはなにも特別なものではなく、 単に因果律のことであり、そんなにたいした話でもないんだよ。 その縁起を得意げに語る唯物末法仏教徒達が、 因果律を理解しないから、まじめに笑えるんだよ。まるでブラックジョークだ。
>>574 勝義に於いても共通しない部分もあるでしょう?とはどこの部分だよ。
ま、おまえらの勝義とは、ただの詭弁でしかないが、暇だから聞いてやるよ。
さぁいってみな。
しかし仏教というのは、詭弁家にとっては非常に便利な教義上の言葉があるから 始末に悪い。その代表的なものが、勝義。そして、中道、待機説法、方便、空、等々。 これらの単語は詭弁家の格好のツールとなる。日本の僧侶など、これらの単語を駆使して 結論のない詭弁で煙に巻き、在家から金を巻き上げてるようなもんだ。
無神論的唯物論のバイブル 『自然の体系、あるいは道徳的および物理的世界の諸法則』 著者: ポール=アンリ・ティリ ドルバック この商品の説明 「人間が不幸なのは自然を誤解していたからにすぎない」と説き起こす本書は、 人間精神を冒す偏見・迷信・幻影をいかに克服すべきかについて諄々と述べる。 すなわち、知的能力は感覚に由来すること、死と来世への恐怖心を払拭すべきこと、徳が幸福の源泉であること、 自然に基づく観念こそが人間の諸悪の療薬であること、等々。 18世紀フランス啓蒙思想の雄、ドルバックは、人類の迷蒙の二大源泉たる無知と恐怖を取り除き、同胞の幸福に貢献すべく、 自然という大いなる全体の起源と運動を探求し、理性的人間のありようを大胆に追究した。 目次 自然;運動とその起源;物質、その異なる配分と様々な運動、あるいは自然の歩み;自然のあらゆる存在に共通の運動法則、 引力と析力、惰力、必然性;秩序と無秩序、知性、偶然;人間、物理的人間と精神的人間の区別、 その起源;魂と精神性の体系;知的能力、 あらゆる知的能力は感覚機能に由来する;知的能力の多様性、それらは道徳的性質と同様に物理的原因に依存する。 社会性、道徳、政治の自然的原理;私たちの魂はそれ自体から観念を引き出さない、本有観念は存在しない〔ほか〕 「自然に取って替わるようなものは存在しない。 それは、不断に相互から流れ出る原因と結果の膨大な連鎖に他ならない。」
>>578 その五感で感じられ感覚、それを認識するこの思考こそが現実だとみる
ことを、釈迦は無明だといったんだよ屑。
感覚も所詮は縁起出始めて生起するものであり、縁起で生起したものはいずれは
消えてなくなる幻だとな。この世は実体(主体性)のない幻であり、
賢者はそんな幻には執着せず、真理真実を求めなさいというのが、唯物論はなく、宗教的な
考えだ。おまえ、無知な唯物論を振りかざし宗教を批判するなら。せめて宗教的な
考えとはこうだと理解してからものをいおうや。おまえは宗教的な思想をまったく
理解していないのに、執拗に自分の価値観を他人に押し付けている。それはおまえの
エゴだっていってるんだよ。そういやおまえ、イエスの教えとは何かを蚤のちんぽほども
理解してないのに、必死でイエスを批判しているよな。愚者とはこういうものだ。
賢い人なら、せめて叩く前に、叩く相手の思想とは何かを理解してから、その上でその考えは
間違っていると叩くものだ。
580 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 00:01:32 ID:aBVaKH4J
>からすの唄氏へ 君は、自らも人間でありながら、人間を軽視・否定するという大いなる矛盾 を犯している。こともあろうに、人間を「罪人視」するキリスト教に影響された 結果であることは明らか。 君は、脅かされなければ善をなしえない幼稚園児なのか。 圧倒的大多数の人間は、君と同じではない。だからこそ、人類が今日まで存続し、 ますます発展を続けているのである。 仏陀とイエスとの本質的相違さえ分らないのか。君の書き込みから、イエス の「愛の思想」の正体が、いみじくも証明されている。
581 :
初代スレ7 :2008/12/29(月) 00:06:43 ID:qRtCR4rB
>>576 (聖書(や第2バチカン公会議公文書)は一応読みしましたが)、
たとえば「無我」。
キリスト教に於いては「神」を立てずに(→神の前に於いて無我であるという方向性で)、
「我無し」「我がものということ無し」と言い得るのでしょうか。
たとえば「一切行苦」。
確かに、貴方の言うように「苦のあるところに涅槃は無い」。
キリスト教に於いては「神の国」は【涅槃と同じく】一切の外にあるということですか?
(補:また、パウロ2世はその著の中で、仏教の「一切行苦」を「虚無主義」と断じていたような気がしますが・・。)
たとえば「(涅槃)寂静」。
キリスト教では、そのような静止した(?)在り様を、(苦悩する)人が求めるべきゴールとしているのでしょうか。
(補:パウロ2世はその著の中で、そのような仏教の目指す所を「逃避・無関心」と非難していたような気がしますが・・。
また、「被造界に救いを見ない思想」と非難していたような気がしますが・・。)
他のも探せば出てきそうですが、とりあえず。 貴方の見解も聞きたいので・・・w
(貴方はキリスト教に精通している。私はしていない。この差も大きいかもしれませんが・・・w)
(てか、貴方の「希望の扉を開く」についての書評も聞いてみたいところです。)
>>580 馬鹿が、善も悪も表裏一体だといってるんだよ。
我々は悪い存在ではあるが、至高の存在ともなりえる。
全ては表裏一体。天地創造のはじめに、光と同時に闇が現れたようにね。
おまえが、善を成さなければいけない。善行善果。悪行悪果の輪廻思想を頑なに
拒否したいのは、要は、自分は好き勝手生きたいからだろう。
釈迦にしろ、イエスにしろ、正しい教えを説いた宗教家は全て、エゴの否定をしている。
それをおまえのような、名前の書かれていない人は、この世を愛し、自分のエゴをなにより
愛しているので、とても受け入れられないのだろう。
勘違いするなよ、彼らは単に真理を伝え、客観的な事実を述べただけで、誰も
おまえのように、自分の考えに従えとばかり、執拗に自分達の教えを、求めない人に
押し付けたりはしていない。自分のエゴを押し付けるのは滅びへの道だとよく知っているからだ。
お前と違ってな。
>>581 パウロもこのよのもの一切に執着してはならないといっている。
グノーシス文書にははっきりとこの世は流転するものだと書いてあるし
この世のものは実体のないものであり御国こそ幻のようなものではなく、
実体のある現実という記述がある。グノーシスも、新約聖書も、内容は矛盾するものではない。
それに釈迦が生まれるはるか前に書かれたと思われる、旧約聖書の伝道の書では、
はっきりと、この世は空であると書いてある。
>パウロ2世はその著の中で、仏教の「一切行苦」を「虚無主義」と断じていたような気がしますが・・
二世とは新約のパウロではないのだな?ならばそんな男の能書きは意味がない。
>キリスト教では、そのような静止した(?)在り様を、(苦悩する)人が求めるべきゴールとしているのでしょうか。
おまえ、キリスト教には天地創造の終わりに、全てを休んだとある安息の日があるのもしらんのか?
しかしこういうレベルの低いものがよく、もっともらしく仏教を語れるものだ。ま、唯物末法仏教者のレベルなど
こんなもんだろう。なにせ仏典にははっきりと輪廻思想が書かれているのにそれも読めない池沼共だからな。
ちなみに安息とは第七の日に行われる。七という数字は、キリスト教では、ひとつの完成を意味する。
〜トマス
イエスは言われた。
彼らがあなたがたに[あなたがたの中にあるあなたがたの父の徴は何か]と
尋ねるならば、[それは運動と休息である]と彼らに言いなさい。
>>580 誰も脅迫などしていない。
おまえは別に信じたくなければ信じなくてもいいんだよ。
お前の魂の責任は、イエスにもないし、釈迦にもない。もちろん俺にもない。
お前の魂の責任は、おまえ自身のものだからな。何を選択するのもお前の自由だ。
だからおまえも、お前の価値観を他人に押し付けるなよ、屑。
585 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 00:55:36 ID:EJY/C660
当初、「キリスト教が諸悪の根源」「キリスト教に影響された仏教者は、みな 胡散臭い」という趣旨を述べたが、やはり当たっているようだな。 イエスの「教え」を信じた者たちは、数千万人、数億人、それ以上の人命を 理由なく奪い、釈迦の「教え」を信じた者は、2500年間、殆ど人を殺して いないことの理由が、如実に証明されている。
586 :
初代スレ7 :2008/12/29(月) 01:01:53 ID:qRtCR4rB
一つ茶々入れしときましょう。
>>582 >善も悪も表裏一体だといってるんだよ
>全ては表裏一体
ここでいう『表裏一体』は、どれくらいの重みのある喩えとして用いてますか?
その喩えを用いた貴方の、
>>49 及び
>>480 についての“忌憚無き酷評”wを希望します。 m(_ _)m
と・・・レスが・・・w
>>583 >二世とは新約のパウロではないのだな?ならばそんな男の能書きは意味がない。
そう来ると思いましたよw
貴方が、ここに於いて為した線引きの基準は何か?
それは、貴方(や他の方)が為す、仏典の線引き(→何を信じ、何を捨象するのか)と呼応する。
何時代の人の言葉なら許容されるのか?どの経典は参考になり、どの経典は参考にならないのか?
どの訳経者のものは参考になり、どれはならないのか?
(現代に於いても、日本・中国・東南アジア等々、解説している者は大勢いる。その取捨選択の基準は何か?)
或いは、内容によって取捨選択しているのか?
ならば、仏典を内容によって取捨選択することが悪である理由は何か?
貴方自身の“体験・頷き”が基準なのか?
貴方自身が、(たとえ自身の体験や思索に基づくといえども)“線引きを為す以上”、
同様に線引きを為す人を非難する理由は何か?
> 旧約聖書の伝道の書では、
>はっきりと、この世は空であると書いてある。
その旧約聖書の「空」と、仏教の「空(空性)」とが同である根拠は何か?
日本語訳の「空」から導いているのか? 原語(の意味)から導いているのか?
【語義に拠らず】貴方の体験から導かれているのか? 如何?
587 :
初代スレ7 :2008/12/29(月) 01:12:55 ID:qRtCR4rB
夜更かしが過ぎたな・・・。 おやすみ ノシ
588 :
初代スレ7 :2008/12/29(月) 01:20:14 ID:qRtCR4rB
あ、補足しておきます。
>>586 に於いて 『表裏一体』を「喩え」と記しましたが、
おそらく喩えではなく「真理(勝義)」として記していらっしゃるんですよね。
先走った書き込み失礼しました。 m(_ _)m
(が、問いの主旨・意味に変更はありません。)
本当におやすみなさい。。。
589 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 01:26:18 ID:EJY/C660
>>586 >その旧約聖書の「空」と、仏教の「空(空性)」とが同である根拠は何か?
「コヘレトの言葉」全体を読めば、異質であることは、自ずから明らか。しかし、
かなり接近している部分がある。それが、クリスチャンが、コヘレトに殆ど興味を
示さないことの理由だと思う。クリスレでは、コヘレトは絶対に引用されない。
コヘレトを持ち出せば、キリスト教は根底から崩壊するからだ。旧約だけでも、
キリスト教の存在は危ない。旧約と新約とでは、思想的・哲学的に格段の差が
ある。旧約は、生存のための「骨太の行為規範」。新約のような「甘ったれた
精神規範」ではない。「十戒」は、「人間にとって必要なこと」を殆どすべて
網羅している。
聖書の中で、コヘレトだけが好きだ、と言う聖書学者もあるのだが。
590 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 01:33:18 ID:MqyJy9C9
>>585 >イエスの「教え」を信じた者たちは、数千万人、数億人、それ以上の人命を理由なく奪い、
>釈迦の「教え」を信じた者は、2500年間、殆ど人を殺していないことの理由が、如実に証明されている。
とにかく、こぢゃ混ぜ理解は辞めましょう!それはイエスの教えを信じた者たちではなく、イエスの教え
を理解できなかった教会(聖職者)と国教として利用してきた国家権力とによる、それに追従せざる得な
かった人々による悲劇でした。魔女狩りや十字軍の殺戮をイエスのせいにする考察は恥ずかしいから終
わりにしましょう。
>>553 >最も人を裁いたのが、他ならぬイエスである。
これも同じだな!イエスの教えから最も離れてしまったのがキリスト教(教会)です。これらの言葉を噛
み締めるならば、キリスト教による大量殺戮というのも在り得なかったでしょう。
まずは、あなた自身の無知から正すことです。あなたのためのサービス掲載です。
「たとえわたしが、人々の言葉や御使いたちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やか
ましい鐘やシンパルと同じである。たとえ山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わ
たしは無に等しい。」(コリント人への手紙13章1〜2節)
「あなたがたに新しい戒めを与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あ
なたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ伝13章34節)
「わたしの父の家には、住まいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろ
う。」(ヨハネ伝14章2節)
「もはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・
イエスにあって一つだからである。」(ガラテア人への手紙3章28節)
591 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 01:34:13 ID:MqyJy9C9
「『目には目,歯には歯』と言われたのをあなた方は聞いた。だが,あなた方に告げるが,悪い者に手 向かうな。むしろ,あなたの右の頬を打つ者には,反対側をも向けなさい。だれかがあなたを訴えて上着 を取ろうとするなら,外衣をも取らせなさい。あなたに強要して一マイル行かせようとする者とは,一緒に 二マイル行きなさい。求める者には与えなさい。そして,借りたいと望む者には背を向けてはいけない。 『あなたは隣人を愛し,敵を憎まなければならない』と言われたのをあなた方は聞いた。だが,あなた方 に告げるが,敵を愛し,のろう者を祝福し,虐待し迫害する者たちのために祈りなさい。あなた方が,天 におられるあなた方の父の子供となるためだ。その方は,悪い者の上にも善い者の上にもご自分の太 陽を昇らせ,正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせてくださるからだ。自分を愛してくれる者 たちを愛したからといって,あなた方に何の報いがあるだろうか。徴税人たちも同じことをしているではな いか。自分の友人たちだけにあいさつしたからといって,あなた方は何の優れたことをしているのか。徴 税人たちも同じことをしているではないか。だから,あなた方の天の父が完全であられるように,あなた方 も完全でありなさい。」(マタイ5:38-48)
>>586 光も闇も表裏一体。
どちらも二つで一つなのだ。
それがこの世だ。この地があればこそ、天もある。
また、偽りの命といえる肉の生存があればこそ、真の命もある。
どちらも切っても切れない二つで一つなのだ。
別に今の肉の自我による生存が無駄なものとは言っていない。
むしろ肉の生存の間に何を成すかが問われる。
人は三つの状態がある。偽りに命の状態である、肉の自我による生存か、
真の命である、真我ともいえる生存であるか。そして、
無の状態である死の状態であるかだ。人はこの無である状態の時には
なにもできない。真の命を取り戻すには、生きているときにしかできないのだ。
だから、今生を無駄に生きてはいけない。
何か新しい教えを残した教祖がいた。彼の教えを知る最も信頼できる資料は
彼が直接書いたテキストだと思うが、それがない場合、彼に弟子がいた場合、彼の教えを
直接聞いた弟子の書いたテキストが最も信頼のできる資料となる。その後、新しい教えを伝えた
教祖の教えを直接聞いた者の書いたテキストは、教祖の教えを直接聞いた直弟子達の書いた
資料と矛盾がないかと見る。矛盾なく整合するものなら、その説をとるが、矛盾するものなら、
恒星の弟子の主観が入ったもので、教祖の教えとは違うと理解し、教祖の教えを信頼するなら、
きっぱり投げ捨てる。たしか原始経典にもそんな記述があったはず。あんたの書いた
パウロ二世の話は、典型的な後者のパターンだ。
しかしあんた、馬鹿だな。あまりあんたとの話では実のある話はできないと思う。悪いけど。
酒が回ってもう眠い。もう寝るよ。あんたにも悟りの光がありますよう。お休みだ、アホ共。早く悟れよ。
伝道の書(口語訳、文語訳)の「空」は単に「空しい」という意味だろう。 新共同訳ではそう訳されている。
594 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 01:49:07 ID:EJY/C660
>>590 >イエスの教えから最も離れてしまったのがキリスト教(教会)です。
そうやって、イエスは絶対に批判できず、すべての責任を「他の人間」
に押し付けるのが、クリスチャンの最大の特徴。それがまさに、クリス
チャンによる大虐殺の原因なのである。
宝珠愚者氏が、カラスの唄氏と同様、仏教徒などではなく、クリスチャ
ンに過ぎないことが、確定的に証明されたな。予言したとおりだw。
595 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 01:51:09 ID:MqyJy9C9
あなた方の輪廻否定は仏典からの根拠がない。仏典においては輪廻は繰り返し説かれ、これがなけ れば仏教の教えは成り立たず、その解説はこの経のように具体的に及ぶこともある。 しかしながら、否定説では般若心経やら龍樹を持ち出して「空」だからないとか(本当は空だから無常 なる現象世界は輪廻してるのだが・・それも理解できない)、世俗諦として勝手に方便扱いするだけ。 なんら「輪廻はない」といった明確な記述は仏典には皆無であり、後代の弟子が勝手に挿入改編した ものとする証拠もまた皆無。 ただ断滅論を支持する個人的心情があるだけに過ぎない。根拠がない--お話にならない。 「アーナンダよ。修行僧サールハは諸々の汚れが消滅したが故に、すでに現世において汚れの無い 『心の解脱』『智慧による解脱』をみずから知り、体得し、具現していた。したがって、この比丘は今さとり の世界におり、再び迷いの生存を受けることはない。 アーナンダよ。尼僧ナンダーは、ひとを下界(=欲界)に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、 おのずから善き世界に化生した。この比丘尼はその天界から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻 ることはない。 アーナンダよ。在俗信者のスダッタは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、欲情と怒りと迷い(貪り・怒り・ 愚かさ)という三つの心の毒がしだいに弱くなっているので、『一度だけ戻ってくる者(=一来)』となった。 この信者はもう一度だけこの世に生を受け、苦を残りなく滅ぼし尽くしてさとりの世界に入るであろう。 アーナンダよ。在俗信女のスジャータは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、『聖者の流れに踏み入った 人(=預流)』となった。この女信者は、もはや悪しき世界に堕ちることはなく、必ず正しいさとりを得ること が確定している。
596 :
初代スレ7 :2008/12/29(月) 01:53:05 ID:qRtCR4rB
>>592 前段、9割同意。
>真の命である、真我ともいえる生存であるか
仏典に於ける(仏教における)ここに相当するものは何か?
(これが1割の部分w)
中段、まったく同意。
が、キリスト教の文献(資料)に於いてそれを為す貴方が、
仏典に於いて為さない理由はどこに?
後段、
>あまりあんたとの話では実のある話はできないと思う。悪いけど
そりゃそうでしょうw
あなたは(神秘)体験を重視し、私は、言葉と“その内容”及び“語られた状況”も併せて重視する。噛み合う筈が無いw
(体験を無視するわけではないよ。(´∀`)b )
>酒が回ってもう眠い。
飲んでくれたんですねw ありがとうwww
>もう寝るよ。あんたにも悟りの光がありますよう。
貴方にも涅槃の楽がありますようにw
>お休みだ
おやすみなさい
(起きてて良かったw)
597 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 01:53:06 ID:MqyJy9C9
アーナンダよ。在俗信者のカクダは、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、おのず から善き世界に化生した。この在俗信者はその天界から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ること はない。同じように、アーナンダよ。カーリンガ、ニカタ、カティッサバ、トゥッタ、サントゥッタ、バッダ、スバッ ダなどの在俗信者も、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に 化生した。これらの在俗信者たちはその天界から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。 アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ五十人以上の在俗信者たちは、ひとを下界に結びつける五つ の束縛を滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に化生した。これらの在俗信者たちはその天界から直 接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。 アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ九十人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼしつくしたか ら、欲情と怒りと迷い(貪り・怒り・愚かさ)という三つの心の毒がしだいに弱くなっているので、『一度だけ戻 ってくる者』となった。これらの信者はもう一度だけこの世に生を受け、苦を残りなく滅ぼし尽くしてさとりの 世界に入るであろう。 アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ五百人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼしつくした から、『聖者の流れに踏み入った人(=預流)』となった。これらの信者たちは、もはや悪しき世界に堕ちる ことはなく、必ず正しいさとりを得ることが確定している。」 (マハー・パリニッバーナ・スッタンタ/ナーディカ村にて)
598 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 02:13:28 ID:MqyJy9C9
>>594 私はキリスト教の批判論者です。しかし、問題(殺戮)の責任を(イエスに)擦り付けるなといってるのです。
では、僧侶が尼僧やら女性信徒らと修行と称して交わる行為(無上瑜伽タントラ派の左道密教)も、ゴータ
マが悪いからだとあなたはいうのか--正気ですか??
599 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 02:23:10 ID:MqyJy9C9
追記:
>>594 当時のクリスチャンが
>>590-591 の教えを理解して守ってさえいれば、そんな大量殺戮が執行されようが
ないではないか!違うか??これに明確に答えて頂きたい。
600 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 03:18:31 ID:cctkcZV3
輪廻が書かれている物は偽典である
601 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 04:12:34 ID:TB1cVxq/
キリスト教は仏教などと違って、善悪二元の思想なのですよ。 イエスがその発案者なので、善悪二元思考がどうして悪魔的な戦いをさせる思想なのかについて よく考えられたし。
602 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 06:54:25 ID:uBxM8jVm
>>569 >だからさ、ここのテーマは輪廻はあるのかないのかではなく、釈迦は、輪廻を説いたか、説いていなかっただろ。
↑ 何で宝珠愚者が「輪廻はあるかないか」ではなくて「釈迦は、輪廻を説いたか、説いていなかったか」
とテーマに持ってきたかがこれではっきりした。つまり、これからの自分達の宗教に悪用したかったからなのだw
カラスも言葉では美辞麗句を書くが、根底には、<宗教者・宗教団体の布教の野望=巨大なエゴ>が露出したわけだ!
このスレは、結局、キリスト教の狂った巨大な征服・支配社会の実現の為の宣教スレ!力が入るわけだ(笑
全くお笑いだよ 只の<言葉の遊戯>!!自分達のエゴばっかりで世の中がどうなろうと知ったことないわけだ!
呪われた一神教の<宗教者・宗教団体の布教の野望=巨大なエゴ>・狂った支配・征服力は紛争の拡大を意味する。☆★
■カラスも宝珠愚者も<宗教者・宗教団体の狂ったエゴ・野望>をよくよく自覚・自省しろ!!■
↓
>>565 >これからは宗教者(似非唯物論仏教者は除く)がかっこいい時代だな。
↑ エゴ丸出しレスw どこに救済・愛・利他心・・・・等がある?
根本から、宗教者失格!! 自ら大カルトの正体暴露!!情けない奴等!!(笑
603 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 07:04:12 ID:Sh2pAmws
↑凄いな・・・。 まるで童話の人たちの糾弾か、共産党の集会みたいなレスだな。
604 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 07:06:07 ID:uBxM8jVm
∧@∧ (,, ・∀・)ヾ〜o 聖書を経典に置き換えたら如何?↓ ■現実の世界や、今の世界情勢を全く考えないで、聖書の記述をただ、情緒的、 感情的なサイドからしか考えないことを、【宗教的幻想、宗教的恍惚に浸る】という。 ■また、現代の科学的知識が増した時代なのに、中世と変わらない天動説時代からの 教義をいまだに引きずって、あれこれ議論し、全く進歩のない机上の空論の妄想に ふけっているのを、【 時代遅れ 】 という。 ■譬え、象徴を全く理解しようとしないで、【ただ、聖書の記述を鵜呑みし、丸暗記する者】 を 【原理主義者】という。
605 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 07:08:22 ID:uBxM8jVm
>>603 ははは・・・(笑
カラスの方が上手!真似しただけょン〜
何故カラスを批判できない?
606 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 07:13:22 ID:Sh2pAmws
↑いや、比べてみたけど、やっぱり貴方のほうが凄いよ。 カラスは言っている内容は無茶苦茶。 貴方が言わんとしてることは分かるんだけどねぇ。。
607 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 09:43:41 ID:xzU/dhT9
キリスト教は、自己満足を追求する宗教。 → 愛欲の押し付け 仏教は、自己満足を戒めて我に返る宗教。 → 慈悲の共有 双方が相容れることは無い。 仏教では輪廻はあると説く。謙虚に我に返り前世の禍福を知る 努力をもって人として足るのであると思う。 簡素が一番だな。学者栄えて国滅ぶ。妄想はご勘弁下さい。
608 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 10:06:05 ID:Fqmpc3ak
609 :
初代スレ7 :2008/12/29(月) 10:49:35 ID:qRtCR4rB
>>583 なるほど。七日目の安息の日をそのように読みますか。
なるほど。興味深い・・・。
七日目の安息は
「世界の(創造の)完成であり、これ以上為すことのない、完全無欠な世界」を意味する、と。
「(神による)生成が終わり、(完成した)安定した、静止した(寂静の)世界(状態)」である、と。
「世界の完成のみならず、(創造という行為を為した神の?)境地としての完成」である、と。
そして、
「輪廻し、諸縁により業果の生じ続ける“苦なる”“生存”を脱した“涅槃”に比している」と。
「為すべきことを為し終え、この状態の他にはない(次の生存はない)と言われる境地に比している」と。
(※ここに於いては、前六日間は何に比されているのですか?
「“生まれは尽きた”と言われる時の“生まれ”」?
「“為すべきことは為された”と言われる時の梵行」?
「生存(因と縁による業の連続)」(現世)?
「輪廻(そのもの)」或いは「輪廻としてある“生存”」(現世過去世含)?)
また、
・この時、インドで言われる生成と破壊の繰り返しのような「生成」は意味されていない、と見て宜しいか?
・(イエスの登場が、その復興・再完成だったとしても)、(完成である)七日目の安息が崩れた(?)理由は何か?
(※ →いや・・崩れてはいないのか・・・?
世界が今あること、そのことが既に完成を示している、と。
完成されてある世界が、人のエゴ(視野狭窄)等によって(その人に)見えていないだけである、と・・・。
それを明らかにする為にイエスはやって来た、と・・・。
で、貴方は、この構図を涅槃に比している、と・・。釈尊の成道・説法に比している、と・・・。)
610 :
初代スレ7 :2008/12/29(月) 11:03:55 ID:qRtCR4rB
自レス
>>609 >七日目の安息の日をそのように読みますか
いや、キリスト者なれば、そのように読まねばならないのだろう。
そのように読まねばキリスト者たりえないのだろう。
少々失礼な文章だったかもしれない・・。謝っておく。 すまん m(_ _)m
611 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 11:46:43 ID:MqyJy9C9
>>600 そんな短レスで書き逃げしないで、しっかりと解説してみなさい。
どの経が輪廻を説かずそれは何故なのか?輪廻を説く経との違いはどこか??
>>601 >>602-604 >結局、キリスト教の狂った巨大な征服・支配社会の実現の為の宣教スレ!
どこが??私は常にキリスト教は崩壊するといってきた。
善悪二元、一神教・・・まっ、単純批判だな。
>中世と変わらない天動説時代からの教義をいまだに引きずって、
>譬え、象徴を全く理解しようとしないで
はいはぃ奇遇ですね!この私と同意見でしたねぇ^^
そんなキリスト教批判ならば他でやって下さいな!(沢山スレが立ってるので)
612 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 11:54:37 ID:weh56+Kv
ここしばらく覗かせてもらっておりますが、 「輪廻問題」は実は神学論争ではなく、近世以来のいかにも日本的な 常識主義(日常主義)と宗教の論争であることがわかりました。 近世儒者によって行われた仏教批判とまったく瓜二つ。 いわく、日常をはなれて仏教はありえない 地獄極楽は子供のおとぎ話か愚民への脅しの道具云々 そして、「宗教を日常、常識のうちに留め置いて、そこから逸脱させない」 という考えが、実は国家の宗教支配と全く一致迎合しております。 常識を逸脱しない宗教は存在を許すが、そこから逸脱する宗教はカルトと決めつけ 存在を許さない。 また、宗教家も常識主義と迎合して、それを微塵も疑わない、という点が いかにも日本的です。 鈴木正三などがその典型でしょう。 近代仏教学が科学的知識により仏教の非日常的部分を排斥したの事実ですが、 それ以前に日本人の日常主義的な宗教観も影響しているように思われます。 事実、日本以外で輪廻が問題になることはありませんから。
613 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 11:57:25 ID:MqyJy9C9
>>608 そんなクダラン漫画なんぞ描いてないで、
何をいいたのか自分自身の言葉でしっかりと主張してみなさい。
コソコソ投稿するでない。----できないなら黙って見てなさい!
子供の来るところではない。
614 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 12:00:35 ID:MqyJy9C9
>>612 うーむ、あなたのその分析は正しいように思います。
ではあなたの意見では、どのようにすることが望ましいと?
615 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 12:07:08 ID:MqyJy9C9
私の姿勢は一貫しています。 輪廻転生を真理だとみなすならば、「それを堂々と説け!」と。 批判やカルト呼ばわりに決して負けるな、批判を恐れるなと。 宗教は時代の常識や反対勢力の中で弾圧に耐えつつ説かれるもの。 私は日常でも同じように話す。 空を飛ぶ聖者の話でもそう。コソコソしない。 唯物論者の嘲りや嘲笑には屈しない。
616 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 12:16:54 ID:h8BWjnGu
>>590-591 >魔女狩りや十字軍の殺戮をイエスのせいにする考察は恥ずかしいから終わりにしましょう。
何をネボケタことを言ってるのですかw 弁解ばかり〜、恥を知りなさい!
宝珠愚者氏のカルマ論、↓
■ 『悪い教え(因)は、悪い果を招く』 そのものでしょうw。 ■
そんな風に、偉そうな宗教者によって勝手に感情的に恣意的に解釈されてしまうから輪廻転生は危険なのです。
■大体2500年もの間、誰も立証出来なかったということが既に、何おか言わんやでしょうw ☆★
イエス・仏陀を頭に置くと、人はこのように傲慢に変容してしまう典型です!
もう、君の宗教家の言葉の羅列は沢山!実証を求めるしかありません!!
それが出来なければ、勿論、NOなので〜す!!(笑
◆ 『言葉』は、誰でも簡単に作り言えるもの。 ◆ (*^。^*)
☆★ <言葉は魔物>・・・詐欺はその常習犯ですw ☆★
617 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 12:19:41 ID:5EmAHN82
>>612 「(社会)常識」とは、人間が長い長い年月をかけて築き上げた「共生」の
ための知恵。人間の一挙手一投足は、「常識」によって支配されている。
さもなければ、社会は崩壊する。人は、独りでは、絶対に生存できないから
である。
共同体においては、常識から著しく変移した成員は、「病気」として、治療の
対象となる。
人間は、オギャーと生まれただけでは、人間にはなれない。根源としての生命
に、共生のための常識が加わって、はじめて人間となる。狼少女は、常識を身に
つける機会を奪われたため、結局、人間にはなれなかった。人間が人間でありうる
必須の構成要素は、「生命+常識」である。
ある人は、「常識」を「力としての歴史」と呼んでいる。常識は、人間の共生
史の所産だからだ。
本質的に共同体である人間界において、「生きる」とは、「日常生活」を生きる
ことである。
人間にとって、「常識」と「日常生活」の持つ巨大な意味を理解する必要がある。
618 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 12:22:39 ID:h8BWjnGu
■ ガザ空爆続く 民間人含む270人以上が死亡 ■
イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの攻撃によって、27日だけで229人が死亡しました。
第一次中東戦争以来、一日の死者の数としては過去最悪です。空爆は今も続いていて、犠牲者は
さらに増えています。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann/20081228/20081228-00000023-ann-int.html イスラエル軍によるガザ地区への空爆は夜に入ってからも断続的に行われ、ハマスのメンバーが立てこもっているとして、
イスラム教の教会にあたるモスクも爆撃を受けました。また、爆風で病院などの民間施設も被害を受けています。空爆は現在
も続いていて、27日の攻撃開始以来、2日間での死者数は、女性や子供も含む少なくとも271人に上っています。またイスラ
エル軍は、ガザ地区の周辺に戦車や装甲車、歩兵などの地上部隊を集結させていて、地上戦の開始に向けた準備を進めています。
こうした動きに対し、ハマスも報復の動きを強めています。・・・・
↑
■ < 神に呪われた聖地 > ■ ・・・一神教w (-.-;)
619 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 12:30:42 ID:5EmAHN82
一神教の「聖地」であるはずのパレスチナが、世界で最も「血塗られた」 「呪われた」地であるという事実は、一神教が根本から間違っている という事実を、如実に証明している。 人間の営みでありながら、「人間とその生存を支える自然」以外の 「空想上の神」に、最大の価値を認めるという、倒錯と狂気に陥った からだ。
620 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 12:35:27 ID:h8BWjnGu
>>611 >そんなキリスト教批判ならば他でやって下さいな!(沢山スレが立ってるので)
君が何言って仏教者を装うとも、クリであることは最初から匂っていたし、
君がキリスト教を持ち出したのだから、カルマ論から言えば「自業自得」!
偉そうに人を責める資格はないw
>はいはぃ奇遇ですね!・・
等質クリコテ○○○とそっくり〜(笑
宗教狂信者は、お暇ですことw
2chはいつまでやるの?・・迷惑な点もあるなぁ〜w
忙しいのでオチ
621 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/29(月) 14:59:21 ID:DPhXjJJY
>>572 >俺は釈尊の説いた不死の境地も、イエスの説いた永遠の命も同じものだと知った。
>二人の教えは何も矛盾することなく一致する。
仏教と一神教とは根本的に違いますね。
仏教とキリスト教は最終的には同じ。
ということで、その統一なる原理。ということで
「統一原理」というのが世に知れ渡ったのが約40年以上も前で、
これが統一教会の前身である統一協会です。
拙者の持論というのは、哲学的にもインドと西洋は全く違う。
「不死の境地」と「永遠の命」が同義だとは誰も思わんだろうし、
これを同義だと思うところが・・・・
既にカルトに嵌りつつある段階ですね。
仏教の語意というのは即非も含んでおりますから、
普遍論争的な概念ともまた違う、非常にインド的であります。
皆さんは学者が好きなようですけど、
かつては京都に優れた学者はおりました。
622 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 16:21:04 ID:weh56+Kv
>614 私は「宗教とは常識を逸脱するもの」と考えております。 常識を逸脱した部分に、人々は「聖なるもの」を感じていたんだと思います。 エリアーデが述べたとおりです。 誰もが逸脱できないからこそ、逸脱したした人に対する「尊敬」あるいは「侮蔑」が 生じます。 かつて日本映画でヤクザ物がはやったのもその理由でしょう。 逸脱に対する「憧れ」と「恐れ」は同時に生じます。 輪廻批判などその典型でしょう。 >617 このかたの意見こそ、まことに日本的な「尋常志向」ですね。 柳田国男がすでに指摘している点ですが、日本の村社会は常に調和を求めます。 悪の方向であれ、また善の方向であれ逸脱は許されません。 そもそも善悪の基準は「社会の調和」をもってなされます。 聖徳太子の「和を以て貴しとなす」は仏教思想ではなく日本古来の思想であると 指摘されておりますが、まさにむべなるかな。 たしかに柳田は名もない民衆の歴史を掘り起こし、「平凡」を非常に評価しています。 617さんの意見も分かります。 しかし、常識の範疇で宗教を見る姿勢は日本的であれ必ずしも正しい見方ではありません。 もっとも個人の信仰でしょうから、文句はありませんが。
623 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 16:22:50 ID:0rEfRUmf
本スレの命題は、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダが転生(再生誕)を実際に『説いたのか?』だろ? ・自分が輪廻転生論をどう思うか、とは全く別問題。 →転生論に完全反対でも、ブッダが説いたことは認める立場もありうる。 ・ブッダ没後100年以上経ってから、当然ブッダとは全く別人が書いた「経典」なるものが、 正確に客観的事実を書いているかは、〜伝聞証拠であって、反対尋問による検証ができないから〜 確認のしようがなく、真実性の担保はない。ウソである可能性も高い。 ・仮にブッダが「説いた」という立場をとっても、「説いた」の意義をめぐって、 1)涅槃へ導くための、教育的方便としてのおとぎ話や物語(フィクション)である可能性もある。 この立場からは、教義の中核から転生論は排除される。 2)ブッダがバラモン=ヒンドゥ的輪廻転生論者だった(梵我一如論と表裏一体)と主張するなら、 ブッダ成道の意義〜わざわざ宗を起てる意義〜を問い直して、説明しなければならない。
624 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 16:35:13 ID:weh56+Kv
ついでに申しますと 仏教が反バラモンであるシュラマナ集団から始まったこと。 本来出家主義であったこと。 を考えれば、仏教がその最初より出世間、反世俗であったことは明白です。 また、古代インド社会が社会からの逸脱を認める社会であったからこそ 仏教は発展しえたのだと思います。 大乗仏教はある意味仏教の世俗化です。 それは当時の社会情勢に応じたものだったとは思います。 「出家しなくても仏になれる」という思想は普通一般の人々に つまり「平凡」にも救済の道があることを示した点で評価できますが、 いぽうそれは「無批判で安易な世俗の肯定」というリスクも生じます。 「聖と俗を区別するのは差別」という意見も決して「勝義」からの見解 ではなく「世俗の肯定」から来ることを注意しなくてはなりません。
625 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 17:01:40 ID:it3O8BFL
>>624 >大乗仏教はある意味仏教の世俗化です。
>それは当時の社会情勢に応じたものだったとは思います。
>「出家しなくても仏になれる」という思想は普通一般の人々に
>つまり「平凡」にも救済の道があることを示した点で評価できますが、
>いぽうそれは「無批判で安易な世俗の肯定」というリスクも生じます。
>「聖と俗を区別するのは差別」という意見も決して「勝義」からの見解
>ではなく「世俗の肯定」から来ることを注意しなくてはなりません。
この大乗観はありえません。これが日本の視点を反映したもので、
その学問的主張であった平川彰先生の仏塔崇拝在家から大乗が起きたというのは
もはや誰も取り上げない説ですよ。
626 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/29(月) 17:16:50 ID:/YcSwPvi
>>624 >仏教がその最初より出世間、反世俗であったことは明白です。
そうですね。
拙者がイメージしているのは、
現代ならヒッピー文化(1960年代後半)と類似性があるんじゃないかとオモ。
(これも反社会がテーゼ)
ヒッピーは時代とともに消滅しましたけど、
当時の世相に影響受けたのは、世界中に大勢いるんで、
当時の、彼ら(彼女ら)の世界観などは潜在的に内包している部分がある。
例えばですがジョンレノンの「イマジン」は、強く影響されているのが分る。
(こういった流れが経典結集)
ヒッピーと仏教は、レベルとも全く違いますが、
釈尊在世当時と、その社会においては釈尊成道のレベルが違い過ぎるほどに
革新的なものであったことは経典などで類推することができる。
つまり、アンチ・バラモンの決定的な成道であった。と・・・
627 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 17:17:41 ID:MqyJy9C9
一神教だからというよりは、 同一なる神の存在についてが、それぞれが異なる神として誤認してるわけであり、 もっというと、自分の宗教のみが唯一絶対であるとして、 他の思想を全て邪教として決め付け排除しようとするからでしょう。 仏教世界にもそういう団体はある。 そこでは他は邪説邪教だと言い放っているわけです。 ただ仏教にはアヒンサーと因果律の教えがあるから、 パレスチナで起こっているような暴挙は起きませんが、 彼らの暴挙をイコールでイエスの責任にしたりなどというのはお門違いであって、 それは自ら、批判者による無知の露呈に他ならない。 ID:h8BWjnGuさんは、とにかく、 あなたは無神論/無宗教でただの宗教批判がしたいようなので、 それは他スレにちゃんとありますから、どうぞそちらで存分に活躍して下さい! ただの宗教批判や唯物論の主張などは今更、 言われなくても十分に承知済みなので、お腹いっぱいですわ。
628 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 17:22:31 ID:MqyJy9C9
>>612 >事実、日本以外で輪廻が問題になることはありませんから。
でしょうね。私も仏教が輪廻転生を説いてるからとして、特に社会問題化したなどという話は知らない。
どこでも仏教とはそういうものだと見なされているし、みんなそれが当たり前なんだと思っているのです。
これはきっと、この日本におけるここ近年での顕著(異例)な状況なんだろうと思います。日本人の無宗
教感という常識から逸脱したものと映ったものがカルトと見なされ、それがカルト団体/オウム事件によっ
て、更にその意識に拍車が掛けられたのです。
しかしながら、この私が非常に驚かされたのは、2CH掲示板を利用して輪廻否定/生まれ変わり思想
の否定を熱心に説いていたのが、なーんと自称仏教徒だったことでした。これには本当に驚かされたわ
けです。断滅思想は仏教ではないのに、自称仏教徒がそれを平気が語る姿にマジで面食らったわけで
す。これでは「断滅論が仏教」などというトンデモない誤解が起きてしまう。こままではイケナイぞ!と、私
は思ったわけです。
629 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 17:27:00 ID:MqyJy9C9
これは問答無用なのです。断滅支持は仏教ではなく、明らかな外道(仏教の他の思想家として紹介され た六師外道の範疇)なのです。 それを支持するのは自由です。生まれ変わりの証明を見せろ!と喚くのも自由です(みっともないが・・)。 そういう人はアジタ教の信仰者になればいいことですよ。何も仏教徒の仮面を無理に被ることはない。迷 惑だから「辞めなさい!」といってるのです。意味が分ります? アジタ・ケーサカンバリン(六師外道/唯物論者) 「アジタによると、人間が死ぬと、人間を構成していた地は外界の地の集合に帰り、水は水の集合に、 風は風の集合に帰り、もろもろの機官の能力は虚空に帰入する。人間そのものは死とともに無とな るのであって、身体のほかに死後にも独立に存在する霊魂なるものはあり得ない。愚者も賢者も身体 が破壊されると消滅し、死後には何も残らない。したがって現世も来世も存せず、善業あるいは悪業を なしたからとて、その果報を受けることもない(仏教ではこのような見解を『断見』すなわち断滅論とよん でいる)。」(「原始仏教-その思想と生活」中村 元著/NHKブックス) ただ私は落胆はしてない。ここに集っているこれら断滅論仏教者(仏教とはいえないのだが・・)なるもの は、かなり極端な事例であって、これが日本人の何割なのか?というと、恐らくはそんなにいないだろうと。
630 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 17:32:37 ID:G6q0DWGk
>>624 また必死のイエス擁護ですな。
イエスの「我のみ良しの思い上がった独善性」「論理矛盾」「人間そのもの
に対する洞察と愛の欠如及び人間差別」「創造(自然界)に対する畏敬の
欠如」「自分の気に入らない者に対するあくなき憎悪・非難・排斥」は、聖書
を「初めから有難がらずに」、現代人としてのいささかの知性と批判力を以って
読めば自明のこと。
これに反し、仏陀は「関係性」という永遠の真理を見出した点で、現代人にも
充分通用する、優れた宗教。
「輪廻転生」に反対するのは、そのが「現代人の常識から観て、荒唐無稽」だか
らです。
仏陀も、その当時の社会常識に基づき、その当時の人々に対して教えたのです。
社会の変化・進歩に応じて、釈迦の教えを常にアップデートし、進化させる
ことが、弟子たちの最大の義務であるはず。
優れた教師にとっては、弟子たちが自分(教師)を超えてくれることが、最大の
喜びなのです。釈迦も、そのことの大切さを教えているはず。
631 :
初代スレの5 :2008/12/29(月) 17:34:05 ID:kEqLEPun
>何も仏教徒の仮面を無理に被ることはない。迷 惑だから「辞めなさい!」といってるのです。意味が分ります? これは、イエスとオカルト信者である、あなたにそのまま あてはまる気がするのですが。
632 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 17:34:36 ID:MqyJy9C9
>>625 >この大乗観はありえません。
私は強く支持します。
>仏塔崇拝在家から大乗が起きたというのはもはや誰も取り上げない説ですよ。
そうですか?
しかし、ストゥーパ信仰がそのまま大乗発祥ではないとしても、
大乗の勢力拡大の中にこれらの在家信仰者たちが取り込まれ吸収されていった、
とすることは、ごく自然な流れとしての必然的な見解でしょう。
後に大乗と称されるグループが
アーガマを所持したまま山林に篭る上座部(小乗)に反旗をひるがえして、
一般大衆の信徒取り込みを図ったことはまず間違いが無い。
「すべての宗教はオカルトである」by渡部昇一
634 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 17:42:48 ID:MqyJy9C9
>>612 >常識主義(日常主義)と宗教の論争であることがわかりました。
この分析は恐らく正しいと思う。 日本人が無宗教/無信仰の民族などといわれてもう久しいが、しかし、
現実には宗教法人数は今も18万以上であり、人口比率からみるとこれは世界一だそうだ。文化庁の集
計調査による公称信者数の総計は昭和58年当時(古い話で申し訳ない)で、総人口を更に1億人も上回っ
ていた。人口を上回っているのは信者登録に一人が複数掛け持ちをしているからです。
「読売新聞が2005年8月6日、7日に行った宗教に関する世論調査では、宗教を信じないと答えた人が
75%に上り、信じていると答えた人は23%と、1979年の調査と比べて11%減っている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99 といった調査から分ることは何かというと、つまり、日本人は特定の何かの宗教を心から信仰している人
というのは少なくて、宗教儀礼/行事は特別な信仰とは関係なしに習慣的な日常生活の一つとして行ってい
るだけに過ぎないということ。また宗教を信じる人の減少は、宗教組織/団体への不信感の増大が原因して
いるからでしょう。
また特定の宗教には拠らず、自身の率直な想いとしては99年のNHK放送文化研究所の調査で、死後の
世界は「絶対にある」「たぶんある」で36.9%もあることから、その意識が特別どこかの特定の宗教や組織と
は結びついていない、といったことが伺えるのです。
私が楽観視するのは「決してない」といった唯物主義/断滅論の支持者は僅かに11.8%しかいないからで
す。この11.8%中の何割かが、ここに仮面仏教徒として投稿してきてるというわけです。
635 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 17:44:00 ID:MqyJy9C9
636 :
初代スレの5 :2008/12/29(月) 17:50:40 ID:kEqLEPun
いえ、少し意味が違いますね。 真剣に仏教と向き合い信心している仏教徒からすれば あなたのようなイエスやオカルトを信奉している人に 間違った仏教解説をされることは望まないのでは? という意味で書いたのですが。
637 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/29(月) 17:57:14 ID:DPhXjJJY
>>634 >日本人が無宗教/無信仰の民族などといわれてもう久しいが
そもそも釈尊は「我見と信仰を捨てろ」と言ってますね。
形而上学的なものを認めるのが宗教というわけではない。
キリスト教圏においては、ブッディズムというのは儒教と同レベルの概念です。
ですから無宗教と思われがちですが・・・
仏教も宗教ですね。
(もともとの教え、という意味ですから)
輪廻転生を信じなくても、信仰はしなくても
広義においては仏教徒になる。
638 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 18:04:14 ID:weh56+Kv
>625 「ありえません」 そう信じたいならどうぞご自由に。 大乗仏教成立に関しては諸説ありますが、仏塔崇拝とは無縁ではありません。 無論、在家が大乗仏教を作ったとか、大衆部大乗起源説を言うつもりはありません。 >626 ヒッピーも反社会、反常識と言う点で一致していますね。 私は、最初期の仏陀のサンガの平均年齢はきっと若かったのではないかと推測します。 確かめようがありませんが。 >「すべての宗教はオカルトである」 まさにそのとおりです。 宗教の宗教たるゆえんは、その常識からの「逸脱性」にこそあります。 常識の範疇でしかない宗教はただの道徳です。 私は「宗教とは人間の幸福のためにある」という「常識」こそ そもそも誤りであり、疑うべきものだと思っております。 「幸福」を求めるのなら宗教に頼らなくても、いくらでも方法はあります。 宗教が近代になり、科学的知識が流布しても、未だなくならないのはなぜでしょう? 無学文盲の愚者がいまだ多く存在するからでしょうか? 宗教者がますます狡猾になったからでしょうか?
639 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 18:37:15 ID:tMHo3gGa
>>638 それでは聞こう。
宗教の目的が幸福でないのならば、いったい何かね?
640 :
170 :2008/12/29(月) 18:49:12 ID:YQzJxsDL
512における机さんの書き込みって、宝珠愚者さんの492の書き込みに対しての反論に全然なってないよな…
641 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 18:50:59 ID:0rEfRUmf
>>634 >唯物主義/断滅論
ブッダの中道=無分別智による縁起の現観、は断滅論と理解しているのかね?
>>639 「幸福」の定義が必要だろう。
年末ジャンボに当たって、3億円で幸福感に満たされる奴はこのスレでも大部分だと思うが・・w
642 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 18:56:53 ID:0rEfRUmf
とにかく、自分の立場に固執してしまえば、 あとは突っ張り会うだけだ。
643 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/29(月) 19:02:53 ID:DPhXjJJY
>>640 あのですね、帰納法的に推論・類推する手法と、
演繹的に分析する手法と二種類あるわけですが、
拙者の
>>512 の書込みは後者であります。
>宝珠愚者さんの492の書き込みに対しての反論に全然なってないよな…
拙者は明確に実証しておりますよ。
よくよく読んでください。
644 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 19:20:00 ID:MqyJy9C9
そして
>>634-635 、この唯物主義/断滅論の支持者11.8%というのは、他の宗教信者では在り得ない
ことなので、ここを構成している人たちというのは、ただの無神論/唯物主義者と、あとは何割かの断滅
論仏教者(擬似仏教徒)だけでしょう。この人たちには彼らの自由があるのですから、それはいいのです。
日常生活にも特に支障はないでしょうし、食と水を口に運んでいれば生存も続くだろうし問題ない。
「絶対にある」「たぶんある」で36.9%ありますが、私は更に「たぶんないと思う」23.2%と「わからない,
無回答」27.9%の合計51.1%の人々については、しっかりと分るように話せば理解が得られる可能性
はかなりあるのではないか、として見ています。
これらの人々はここの集う断滅論仏教者とは違い、特定の教義などでは縛られてはいない。ただ社
会的な諸宗教(諸教団)についての不信感や宗教についての正しい情報に触れる機会の無さから無関
心に陥っているだけであり、基本的には素直で心が開かれていると思っています。対する断滅論仏教
者たちは非常に難しい。何故なら、自己の信念を守るべく「仏教用語」という武装を身に着け、その鎧
でガチガチに固めているからです。教義(仏教用語)で凝り固まってて間違って理解をしてるので柔軟な
思考ができない。
>>633 まずこれは、「オカルト」という言葉の意味と使い方からして間違ってる。
解説はすでに
>>18-19 でされており、全く付け加える必要もないほど正しい名解説でした。
全ての宗教には反社会性があるのですよ。
社会が唯物主義によって組み立てられているのなら、
宗教はそこからは逸脱したことを説いており、それに基く社会の形成を主張します。
そんなの当たり前のことだね!
ID:weh56+Kvさんの
>>638 の意見は素晴らしく、私は完全に同意します。
645 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 19:23:47 ID:weh56+Kv
>宗教の目的が幸福でないのならば すり替えてはいけません。 「宗教の目的」などとは書いておりません 「宗教の目的、目指すもの」は各宗教によって異なります。
646 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 20:15:50 ID:0fAiQeEP
647 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 20:33:58 ID:0fAiQeEP
☆********************************************************************************☆ ./)/) ■ ブッダは合目的的方便にせよ輪廻転生を物語ったということになっている。 (・ー・)ノ しかし、ブッダ自体があるいは<壮大な物語>かもしれぬのだ。■ ゚L-J ☆*********************************************************************************☆
648 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 21:05:37 ID:tMHo3gGa
どうやら言葉遊びが好きなやつみたいだな。 「宗教が人間の幸福を目指すもの」でないならば何のためにある? こう言えばいいわけか?
649 :
初代スレ7 :2008/12/29(月) 21:13:50 ID:qRtCR4rB
>>648 貴方は「何のために」「いる(生きている)」のですか?
という問いの答えと同じかもしれないよ?w
(´ー`)y━~~
650 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 21:43:13 ID:MqyJy9C9
>>641 >ブッダの中道=無分別智による縁起の現観、は断滅論と理解しているのかね?
では、ショウガナイので、この私がどんな仏教辞典を開いても決して書かれてないような解説でもしま
しょうか!
一般的にいって、これは常/断の偏った両極端な見解を否定することを意味しているものとされるので
すが、ハッキリいって、どの仏教解説書も曖昧な説明しかされていないのが実情であって、だから誤解
するのですよ。
まず常見の否定とはどういう意味か?これには実は、普段この我々が自覚できる表層意識という低我
が永久不滅ではないということも含めて指摘してるのです。人々は家族の死に際し、亡くなったその家族
のパーソナリティーが永遠に存続することを願っているのです。しかしこれは、死後に一定期間を経て消
滅し解体するものでしか過ぎない。また人が亡くなる際に、異常な精神状態に置かれていた低我の場合
には、この中有期間が延びてしまうのです。肉体無き後のパーソナリティーの低我が心霊存在と呼ばれ、
モッガラーナの母親の話などはこの事例となるです(盂蘭盆会)。この場合には次の転生に対する余計な
阻害となる。また人々は、これがバラモン教の説くアートマンであるとして信じているわけですよ。しかし、
これはそうではないのです。ここまではわかりますか?
そして、バラモン聖者が説くアートマン存在とて厳密な意味では永久不滅ではないのですよ、本当は。
まっ、あまりに微妙な僅かな違いでしかなのです(この私は分るからいいのですが・・)。たとえアートマンと
て転生が終了するまでの媒体にしか過ぎないのであるから、そういう厳密な意味ではこれも永久不滅では
ないのです。これら永久不滅ではないものを永久不滅だと見なす誤った見解が常見なのです。
断見には説明は特に不要でしょう。死んだらそれで終わりということであり、各元素が自然界に還元され
るだけのこと。当然、遺伝はここでいう転生とは別物です。
この両者の間違った見解に立たないことを「中道」であるといい、最終的には輪廻が止みニルヴァーナ
に到達する際にはアートマンすらも消滅し、そこに真我が立ち現れるのですよ---これがニルヴァーナ意識。
651 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 21:44:46 ID:MqyJy9C9
ということで、なるべく分るように詳しく話しましたが、やっぱり混乱するだけでしょう !? だからゴータマは
「無記」といってその解説を辞めたのですよ。そしてただ「来世に転生すること」だけを述べたのです。そし
て修行の進みに応じて、その転生回数が減るということを
>>595 >>597 の経において解説しているのです。
あなた方のような人のために何が転生の主体か、などいう解説は辞めたのです。実際の修行の成果と転
生回数でそれを教えたということ。これを「四向四果」という。
縁起の現観は断滅論か?ってね。現象界における一切の森羅万象は縁起に拠る無常な世界なのです。
無常とは常と変成変滅する性質であり、輪廻している姿をいうのですよ。これが「空」の真義です。だから
「空」だから輪廻がないなどというのは勘違いの大間違い。輪廻現象は永遠ではないが、縁起が続く限りの
間は止まることがない。この輪廻する姿を古代インド思想では「非実在」という。
仏教はこの輪廻の状態を知り、更にそこから脱することを説くのです。知るだけではない。現象世界「色」
でもなんでもいいが、その流転輪廻の状態から脱出するのですよ。でなければ、再び苦の境涯に生まれた
りを繰り返すからです。今は良い状態に見えてもまたいつ地獄の人生へと転落しかねないのが流転輪廻
の人生です。この輪廻の鎖から解放され脱出すると、もう二度と再び苦の生存には入ることはなくなり、そ
の状態は永遠に続くのです。この永遠に継続する至福の意識状態が本当の「実在」であり、真我であり、ニ
ルヴァーナ境地であり、その意識状態にある人間が「仏陀」と呼ばれるのです。
以上
652 :
初代スレ7 :2008/12/29(月) 21:52:21 ID:qRtCR4rB
・・・・・・ ;´ー`)y━~~
653 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 22:05:26 ID:tMHo3gGa
先生質問で〜す。 先生は以前「魂は600億ある」と言ってましたが、この魂がアートマンのことなのですね?
近代仏教は戦後の左翼知識人によって創られた。よってそのシンパも左翼。 唯物論者が宗教をのっとろうとしているの図なのである。
太陽以外の恒星系の惑星ですら観測できるご時世に、 娑婆世界の中にある筈の、地獄や天界の一部も全く発見できていないという 厳然たる事実も忘れないように。 仏教が輪廻転生説に固執するなら、たぶん時代の流れについていけずに、消滅するでしょう。 ここの「自称仏教徒で実は唯物教徒な人」が輪廻転生を信じないのは正しい。 たとえ経文に輪廻が説かれていたとしてもです。 今まで形而上と思われていることが、観測手段の発達によって、 科学の届く範囲まで上ってきているのは確かなので。 宇宙論なんていうのは、その最たるもの。
656 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 23:31:31 ID:0rEfRUmf
>>651 まったく説得力ゼロw
>最終的には輪廻が止みニルヴァーナ に到達する際にはアートマンすらも消滅し、そこに真我が立ち現れるのですよ
梵我一如そのままですなw 笑いすぎて、腹いてー、こんなに笑ったの久しぶりだ。
ヒンドゥそのまま(おしっこちびりそうなぐらい激笑・・
2)ブッダがバラモン=ヒンドゥ的輪廻転生論者だった(梵我一如論と表裏一体)と主張するなら、
ブッダ成道の意義〜わざわざ宗を起てる意義〜を問い直して、説明しなければならない。(
>>623 )
あんたの論は戯論そのままなのでうんざりするし、指摘するのも馬鹿馬鹿しいが、上記を解説してくらはいw
『真我』だってさ、かつての(一応そう言っておきましょう)オウム丸出しじゃんw
ほんと、笑わせる、お笑いスレかよ!!
657 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 23:32:57 ID:MqyJy9C9
>>653 しかし、よくもそんな前の話を覚えてるなぁ。
エライよなぁ〜あなたは(笑) でも、あまりそこを振帰すとマズイのだよ^^
そう、その600億がそうです(汗)。
アートマンは時間と空間の制約の中で、その生成面から見た場合には「ジーヴァ」などと呼ばれる。
その600億は厳密にはアートマンそのものではなくて、アートマンを反映する真我であり、
神智学では「モナッド」と呼ばれる。
ヒンドゥーではこれを「パラムブラッフマ」(唯一なる実体サット)などといっている。
仏典や仏教辞典を開いても無駄。ゴータマは解説をしなかったのです。
まっ、従来の仏教辞典(学者による執筆)をいくら読んでも分るわけがない。
私自身、非難と中傷は慣れっこだが・・。
見なさい!---上の652で初代スレ7さんも汗吹いてるじゃないかw
658 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 23:44:28 ID:0rEfRUmf
>>657 >上の652で初代スレ7さんも汗吹いてるじゃないかw
あまりにも馬鹿馬鹿しいから、呆れているんだよ、アホか!
どーするん? クソヒンドゥの正体がマルバレになっちまったYO!
それにしても、STAX SR-007(ΩU)で聴くモーツアルトは素晴らしい!
サリナ・ジョーンズもいい!
ああ最高! いい一年でした。
みなさん、STAXでいい音楽を聴きましょう! 人生ってこんなに素晴らしいんだ。
659 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 23:55:20 ID:MqyJy9C9
>>656 今はお笑いブーム。誰も笑いを止めはしないw
しかし、いつか大笑われるのはあなたの方になりますよ。
「ブッダ成道の意義〜わざわざ宗を起てる意義」については 〜だから、これまで何度も述べたじゃな
いか! 世間にはヴェーダの説く真理の体現者は出現せず、ついに不義が蔓延り、迷信が氾濫していた
のだと。そこにゴータマはヴェーダの説く真理を実際に体現してみせた。そして、数々のバラモン伝統の
中の間違いと民衆の迷信を指摘したのです。(バラモンとの違いについては
>>650-651 でも一部を述べて
る)。であるから、ゴータマはヴェーダの達人と呼ばれるのです。わかる?
まっ、異常に過敏に反応する変なのが数名、見てるからあまり書きたくないが、これはユダヤ教社会の
中に出現したイエスが、後にキリスト教の始祖として見なされたことと似てるのです。
「ブッダは反ヴェーダ的自由思想家の一人であり、正統バラモン思想の否定者と見なされるが、 必ず
しも単なる否定者ではなかった。ブッダはヴェーダやウパニシャッドの宗教・哲学の陥った過誤を正して、
アーリア人の本来あるべき真面目を回復するとともに、これを新時代に適応すべく自らの見解を開陳した。
つまり、ブッダはアーリア文化の回復者であったといえよう。」
(インド思想史/早島鏡正・高嶋直道・原実・前田専学著-東京大学出版会刊)
660 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 23:56:18 ID:MqyJy9C9
「それと同じく、ヴェーダ(真理の知識)に通じ、自己を修養し、多く学び、動揺しない(師)は、実に(みずか ら)知っているので、傾聴し侍坐しようという気持をお越した他の人々の心を動かす。」(スッタニパータ322) 「三つのヴェーダ(明知)を具え、心安らかに、再び世に生まれることがない人は、諸々の識者にとっては、 梵天・帝釈天なのである。ヴァーセッタよ、このとおりであると知れ。」 (スッタニパータ656) 「かれは智者であり、ヴェーダの達人である。かれは理法を知りおわって、依りかかることがない。かれ は世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨むことがない。」(スッタニパータ947) 「メッタグーさんがたずねた、《先生! あなたにおたずねします。このことをわたしに説いてください。あな たはヴェーダの達人、心を修養された方だとわたくしは考えます。世の中にある種々様々な、これらの苦 しみは、そもそもどこから現われ出たのですか。》」(スッタニパータ1049)
661 :
神も仏も名無しさん :2008/12/29(月) 23:56:43 ID:0rEfRUmf
やっぱり、このスレは糞ヒンドゥの謀略スレだったのかw ヒンドゥではブッダは辱められているよなあ。 宝珠愚者が仏教徒ではないというのは当然だ。 謀略そのままだよな。 エセ・キリストからはオバカラスが飛んでくるし、 ホント、『神々の黄昏』(ワグナー)そのままだなw 神は死んだ!(ニーチェ)
662 :
宝珠愚者 :2008/12/29(月) 23:59:30 ID:MqyJy9C9
で、
>>639 >>648 「幸福」の話ね。
これはやはり、ID:weh56+Kvさんのこの投稿は正解ですよ。
>>638 >私は「宗教とは人間の幸福のためにある」という「常識」こそ
>そもそも誤りであり、疑うべきものだと思っております。
>「幸福」を求めるのなら宗教に頼らなくても、いくらでも方法はあります。
「幸福」という定義は「凡」「俗」の世界からくる定義なのです。一見すると「聖」が説く境地と重なって見
える部分も多いが、しかし、必ずしもイコールであるとは限らないのです。世俗のいう「幸せ」などはその
ときだけのものであって、決して続くものではない。またそのときには喜びだったものが、その後ではそ
れが大変な苦しみに変化するものであるかもしれない。世俗が求める幸せとは全てそのように不確かな
ものであって、だから無常の世界の出来事に過ぎないというのです。
簡単な話ですよ。幾つもある中で最も分りやすいのが、肉体生命の維持を最重要とするか否かでそれ
は判明するのです。宗教は状況により肉体生命よりも重視するものを説く。それをあなたは認められる
か否かでしょう?それだけ。
>>637 >そもそも釈尊は「我見と信仰を捨てろ」と言ってますね。
>形而上学的なものを認めるのが宗教というわけではない。
>輪廻転生を信じなくても、信仰はしなくても広義においては仏教徒になる。
少し歪曲してるように思います。ゴータマは信仰を捨てろとも、またあるときには信仰を持てともいいました。
これは仏教は実践哲学であるから信仰がなくても効果が確認されるからであり、しかし、他の思想との対比
の中では、仏教に「信」を持つことを推奨していました。
ゴータマは形而上学上の詳細解説をしなかっただけです。説かなかったことが断滅の支持とはならないの
で、その点だけは誤解しないようにしましょう。断滅は外道です。それ以外になし。--以上
663 :
宝珠愚者 :2008/12/30(火) 00:00:28 ID:COuFWjdu
>>630 >
>>624 >また必死のイエス擁護ですな。
あなたのキリスト教攻撃は尋常ではないですね。
ID:weh56+Kvさんによる投稿の一体どこにイエスの話があるのか?
あまりにも奇妙です---キリスト教とプライベートで何かあったのかな??
>仏陀も、その当時の社会常識に基づき、その当時の人々に対して教えたのです。
>社会の変化・進歩に応じて、釈迦の教えを常にアップデートし、進化させる
>ことが、弟子たちの最大の義務であるはず。
>優れた教師にとっては、弟子たちが自分(教師)を超えてくれることが、最大の
>喜びなのです。釈迦も、そのことの大切さを教えているはず。
ゴータマは「巧み」に断滅(輪廻転生否定)を説く人と厳しく批判しています。また未来には、自分の教え
(原始経典)は無視されて、弟子たちによる自分勝手な都合で説かれた経典が信奉されることになる、と
いっています。それは外道だよと。
「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにか
れらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地があ
る)と、巧みに語っている。」(スッタニパータ876)
664 :
宝珠愚者 :2008/12/30(火) 00:01:32 ID:MqyJy9C9
「比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。如来の説かれたこれらの諸経典は深遠であっ て意義が深く、出世間のものであり、空と相応しているものであるが、それらが説かれる時には、彼らは よく聞こうとしないし、耳を傾けようとしないし、了解しようという心を起こさないであろう。それらの教えを受 持すべくよく熟達すべきものであるとは考えないであろう。 これに反して文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来するものであり、 弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けようとし、了解 しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。 かくの如くにして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応している諸 経典は消滅してしまうであろう。 比丘らよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。―[如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世 間のものであり、空と相応している諸経典が説かれる時に、我らはよく聞くことにしよう。耳を傾け、了解し ようという心を起こそう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えることにしよう]と。」 (中村 元著『原始仏教の思想・下)
665 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 00:01:43 ID:GU870O/w
>>659 その連中の馬鹿所論については批判済み、過去ログ読んでちょうだいね。
666 :
初代スレ7 :2008/12/30(火) 00:02:05 ID:qRtCR4rB
>>657 さて・・・w
また一つ問うておこうか・・・。
貴方は、「如来が(釈尊が(ゴータマが))偽りを述べることはない」というテーゼを肯いますか?
667 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 00:09:40 ID:GU870O/w
イロに乾いた眼でもっかい張っとくわ 623 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 16:22:50 ID:0rEfRUmf 本スレの命題は、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダが転生(再生誕)を実際に『説いたのか?』だろ? ・自分が輪廻転生論をどう思うか、とは全く別問題。 →転生論に完全反対でも、ブッダが説いたことは認める立場もありうる。 ・ブッダ没後100年以上経ってから、当然ブッダとは全く別人が書いた「経典」なるものが、 正確に客観的事実を書いているかは、〜伝聞証拠であって、反対尋問による検証ができないから〜 確認のしようがなく、真実性の担保はない。ウソである可能性も高い。 ・仮にブッダが「説いた」という立場をとっても、「説いた」の意義をめぐって、 1)涅槃へ導くための、教育的方便としてのおとぎ話や物語(フィクション)である可能性もある。 この立場からは、教義の中核から転生論は排除される。 2)ブッダがバラモン=ヒンドゥ的輪廻転生論者だった(梵我一如論と表裏一体)と主張するなら、 ブッダ成道の意義〜わざわざ宗を起てる意義〜を問い直して、説明しなければならない。
668 :
宝珠愚者 :2008/12/30(火) 00:16:49 ID:COuFWjdu
>>643 >宝珠愚者さんの492の書き込みに対しての反論に全然なってないよな…
>拙者は明確に実証しておりますよ。 よくよく読んでください。
あのね〜静かにジーと見てた人はやっぱり段々と分るのですよ。
必死に反論を試みて投稿を頻発してくるのは否定論者の側であるというのは最初から自明の理。
>ある者が浄土に逝く。とか ある者が地獄に逝く。とかそれらは全くなく一切皆空である。
そんなことをどの経典が説いてるの?是非、原始経典から提示して下さい。
でも、どうか般若心経とかの大乗諸経(初期でも後期でも)からは辞めて下さいね。
あのですね・・ゴータマがカーストを否定して人間の平等を説いたことと、
現実の生まれによる差異と境涯による苦悩の現実を見ることとは別ね。
味噌と糞の違いはわかりますか?
669 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 00:30:49 ID:GU870O/w
>>659 >ヴェーダの達人 だからこそヴェーダを完全否定できたがゆえに
成道が成立したなんてことは、中学生でも判ることだよ。
宝珠愚者よ 己の「ふるき信を捨てよ!」
ヒンドゥマイコンは強力だから無理だけどね。
だけど戯論=思いつき妄想を撒き散らすのは「悪」だよ。
宝珠愚者はけっこう小心者のようだから、死ぬのが怖い、自分が消えるのが信じられないという気持ちはわかるw
だからこその業報脅しのないまっとうなブッダの教えを素直に聴くべきだよ。
仏教はお前の前に開かれている。
おやすみ
670 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 00:46:29 ID:GQkDAz/i
>>668 そうやって、時代も異なる大昔の、根拠も定かでない開祖や教典の「言
葉」から一歩も踏み出すことが出来ず、「時代の変化・進歩」に応じた
合理的な解釈が出来ない宗教者を、「狂信者」「原理主義」「カルト」
と呼ぶのだよ。それでは、宗教は、社会にとって、排除されるべき害毒
以外の何物でもないことになる。
君がイエスを擁護するのなら、イエスこそ、当時のユダヤ教を、時代の
変化・進歩に応じて抜本的に解釈し直した先駆者ではなかったのかね。
ちなみに、オウムは、輪廻転生についてどう解釈しているのかね。解説
してくれ。
671 :
宝珠愚者 :2008/12/30(火) 01:33:55 ID:COuFWjdu
>>665 残念ながら、そのときは嘲りがあっただけで具体的な反証はありませんでしたね。
>>669 >宝珠愚者はけっこう小心者のようだから、死ぬのが怖い、
>自分が消えるのが信じられないという気持ちはわかるw
はいはぃ。否定しませんw
私は、何度も繰り返し「死」は体験済みなんですけど、
つい、それをウッカリ忘れちゃてそれを思い出せないのでねぇ(笑)
>だからこその業報脅しのないまっとうなブッダの教えを素直に聴くべきだよ。
フ〜ム意味不明ですね
---これらの経はあなた方からみれば、業報脅しに該当しないのですか?
「けだし何者の業も滅びることはない。それは必ずもどってきて、(業をつくった)主がそれを受ける。愚
者は罪を犯して、来世にあってはその身に苦しみを受ける。」(スッタニパータ666)
「罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人は、この世において余生の
あるうちになすべきことをなして、忽(ゆるが)せにしてはならない。」(スッタニパータ676)
おやすみなさい!
672 :
宝珠愚者 :2008/12/30(火) 02:02:59 ID:COuFWjdu
>>666 それは意図的な偽りですか?それとも意図しない間違いについてでしょうか?
私からの返答は、幾つかの事柄については意図的な方便として説いた(動物と人間の生まれ変わりなど)
であり、他には意図的な嘘というものは皆無というもの。
ゴータマご自身は、「私は100%」であるといういい方はしないかもしれませんが、
我々のレベルから見た範疇中という意味においてでの「間違いはない」。
そんなレベルは超えた存在が仏陀なのです。
我々の俗な感覚の世界で起きる程度の間違いといった感覚とは次元が異なる。
>>670 >君がイエスを擁護するのなら、イエスこそ、当時のユダヤ教を、時代の
>変化・進歩に応じて抜本的に解釈し直した先駆者ではなかったのかね。
はい、イエスは当時のユダヤ伝統を批判し正しい理解を示したのです。
>ちなみに、オウムは、輪廻転生についてどう解釈しているのかね。解説してくれ。
それは無理というものです。
私は別にオウムの教義内容を全て把握してるわけではないからです。
倉庫には昔の出家者からもらった、麻原の肉声の説法カセットテープ数巻があるが・・。
(オウムの出版物は付加価値がついているので一応、お宝?になるとはみてる)
673 :
宝珠愚者 :2008/12/30(火) 02:03:31 ID:COuFWjdu
>>655 >娑婆世界の中にある筈の、地獄や天界の一部も全く発見できていないという
>厳然たる事実も忘れないように。
人間の苦悩の境涯が地獄なのです。剣山地獄が物理的に発見されるわけではない。
>今まで形而上と思われていることが、観測手段の発達によって、
>科学の届く範囲まで上ってきているのは確かなので。宇宙論なんていうのは、その最たるもの。
ある程度までは同意します。
恐らくいずれ近い将来には、ついにエーテル質料の発見があるでしょう。
そこからこれまでは宗教の妄想と見られていた事柄に対する理解へと繋がる。
Ether:
http://www.style-45.com/chemistry/ether/ >仏教が輪廻転生説に固執するなら、たぶん時代の流れについていけずに、消滅するでしょう。
いえ、全く同意しません。
逆であって、これが真実であったことが確認されるでしょう。
いずれは人々の認識の常識になります。
では、予言しておきますね。
その出来事は確実に起こると!
>>654 どうなんでしょ?あまり右側左翼といった対極の分け方はどうかと思うのですが・・・
しかし、唯物論者が仏教を乗っ取ろうとしてる図式は起こってるのかもしれません。
674 :
宝珠愚者 :2008/12/30(火) 04:14:14 ID:COuFWjdu
ザッと頭に浮かんだ違いを提示します
(取り合えずこれだけ)
バラモン教(バラモン社会) ゴータマ(原始仏教)
・ヴェーダを権威とし記述を絶対視する。・ヴェーダを権威としては認めず全面肯定はしない。
・カースト制度を絶対視する。 ・カーストを否定し人間の権利の平等を説いた
・梵我一如 ・説かず
・アートマンの絶対性 ・アートマンについての迷信排除を説きつつも、アートマン性質
については解説を控えた
・祭式/呪法を重視した ・祭式/呪法は重視せず弟子には禁じた。
・祭式での生き物の生贄など ・無益な殺生として厳しく批判、弟子に不殺生戒を指導した
・苦行が常識修行 ・バラモン伝統のような苦行は指導せず
・ハタヨーガといった伝統修行も頻繁 ・重視せず弟子には禁じた。
----------------------------------
>>622 ありがとうございました。
その意見に完全に同意します。
私は全く同じ見解です。
訂正
>>673 ×右側左翼
○右翼左翼
675 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/30(火) 08:01:05 ID:4SW7vFkV
>>662 >これは仏教は実践哲学であるから
これは大間違いですね。
仏教は、史上稀にみる実践哲学(行動哲学)にはなり得ない思想であることを断言します。
仏教の核の部分は四諦ですが、これはあくまでも世俗諦です。
勝義諦になりますと無苦集滅道(般若心経参照)になりまして、
世俗で生きるのは自己責任です。
(人間開放が宗旨なんですから、これはアタリマエの話ですね)
慈悲であっても「慈悲喜捨」です。
なんら個人的行動にまでは干渉はしない。
(禅者が個性豊かなのは、そういったことに起因するものです)
民衆を救うこともなければ、民衆に救われることもない。
平等一枚にして円相の位相であります。
実践しないで頂きたいですね。
世間では大迷惑です。
676 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 08:21:40 ID:E4EqnsLc
>>654 簡単明快単純!!
宝珠愚者初めとするクリ達がオウムの脱退者から入手した情報の中から、キリスト教に合うところ
だけを抜き出して合致させ、仏教をのっとり日本を合体宗教で支配・征服するモクロミなのである。
677 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 08:41:37 ID:E4EqnsLc
☆***************************************☆**********************************************☆ ■今の日本の現状を見ても明らかなように、 宗教を利用したがっている人間は沢山いますよ。★☆ このスレにもいるでしょうw 言葉が上手で達者な人が・・・目的は?・・・ ./)/) (・ー・)ノ ■ 釈尊入滅後100年を経て経典は編纂されましたけど、この約2400年の間には ゚L-J そういう輩もいたわけで、書かれていても鵜呑みにはできませんですね。 (釈尊が空中を飛ぶ話もある) ☆***************************************☆**********************************************☆
>>673 >人間の苦悩の境涯が地獄なのです。剣山地獄が物理的に発見されるわけではない。
つまり、人間が悪いことをしたときには、地獄にいくわけではなく、
あくまでも人間として転生するのだと。
その人間の生において地獄の苦悩を受けるという訳ですね。
しかし仏典にはそのようには述べられていません。
「修行僧コーカーリヤは、サーリプッタとモッガラーナとに対して敵意を
いだいていたので、死んでから紅蓮地獄に生まれた。」(スッタニパータ第三の一〇)
「(地獄に堕ちた者は)、鉄の串を突き刺されるところに至り、鋭い刃のある鉄の槍
に近づく。さてまた灼熱した鉄丸のような食物を食わされるが・・・」(同667)
「またそこでは(地獄の獄卒どもは)鉄の網をもって(地獄に堕ちた者どもを)からめとり、
鉄槌をもって打つ。・・・」(同669)
「・・・また蛆虫の棲む水釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。出ようにも、
つかむべき縁がない。その釜の上部は内側に彎曲していて、まわりが全部一様だからである。」(同672)
「紅蓮地獄に運び去られた者(の寿命の年数)は、・・・五千兆年とさらに一千万の千二百倍の
年である」(同677)
・・・その他多数、
なぜ釈尊はこのように具体的に、いかにも地獄をそこに「ある」かのように
説かれたのでしょうかね?
これのどこが人間の地獄の境涯なのでしょう。
いくら悲惨な境涯の人間であっても、地獄に比べれば遥かにマシだといえるでしょう。
しかし、「神通力がある」などと自称する人による、 このような卑怯極まりない脅迫に、屈してはいけません。
680 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 10:32:15 ID:+WpZWYXV
>>678 古代人の妄想を、現代人が事実だと信じる必要はなく、また信じてはならないもの。
何のために義務教育を受けたのかね。
仏教の中心思想が、「輪廻による脅迫」なら、仏教は単なる超カルト宗教で、
取締りと撲滅の対象となるだけ。
仏教が、現代世界で高く評価されているのは、何故かを考えてみて欲しい。
「輪廻転生による脅迫」などではないはず。
>>680 いや、信じているわけではないので。あしからず。
682 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/30(火) 11:05:21 ID:oUN+lZlt
>>668 >そんなことをどの経典が説いてるの?是非、原始経典から提示して下さい。
前スレで「第一義空経」で既に提示済みになっております。
釈尊の究極の悟りというのは「第一義諦」であります。
ですからこの究極にまで辿り着かんと、もはや仏教を語ちることにはならんですね。
貴殿はいろいろと仏教らしきものを語ちてるようですが、
やはり釈尊の本懐にまで辿らんと、どうにもならんかと思います。
では、第一義諦とはなんでせうか?
これは、あらゆるものが説き明かされるのです。
もはや迷いなどはありゃ〜せんのです。
つまり不死の境地でありますね。
これ以上の境地がありましょうや?
>味噌と糞の違いはわかりますか?
識別するも一切止滅し、
>現実の生まれによる差異と境涯による苦悩の現実を見ることとは別ね。
この極を止揚し、一切皆空(中道)であるのなら、
これ以上の実証がありましょうや?
<机龍之介・花押>
683 :
宝珠愚者 :2008/12/30(火) 11:19:39 ID:COuFWjdu
>>678 紅蓮地獄、鉄の串を突き刺される、蛆虫の棲む水釜・・・
はい、これらは現象世界のことではない。
電子顕微鏡や電波望遠鏡では決して発見されません(地獄が発見されないという人もいるので・・)。
肉体無き転生に入らない期間における中有の状態です。
完全に文字通りには私は受けていませんが、悲惨な期間を過ごすことは間違いがなく、
次の転生(来世)においては地獄の境涯へと生まれます。
以上、いちいち説明しないと分らないようなので、
誤解がないよう親切に回答しておきます!
>>682 はい、あなたの解釈ですね。
書かれてもいない。。。
684 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/30(火) 11:23:47 ID:oUN+lZlt
>>683 釈尊の「成道」というのは、簡単に言うと「悟った」ということですよ。
じゃや貴殿は、釈尊が何を悟ったかと思いますか?
よもや「観念論」を悟ったと言うんじゃあるまいな(笑
>>683 中有の状態とは、地獄のことではありません。
中有の期間が過ぎて後、地獄に転生するというのが仏教の立場です。
もちろん中有も地獄も、未だに電子顕微鏡や電波望遠鏡では発見されていませんし、
理論的裏づけすらされていませんので、そのようなものが、ある可能性は限りなく低いです。
>完全に文字通りには私は受けていませんが、悲惨な期間を過ごすことは間違いがなく、
あなたは、このように自分の思想に都合のいいように勝手に仏教を解釈しています。
どうして「自称仏教徒であり実は唯物教徒」である人を非難することができるのでしょうか。
686 :
宝珠愚者 :2008/12/30(火) 11:57:57 ID:COuFWjdu
>>684 はい、これも何度も答えました。
>>248-249 「ひとつの生涯、二つ、三つ、四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯
を想起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の
生成・壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。」
これが菩提樹の下での「体験」であり、これこそが“仏陀の悟り”なのです。仏教辞典を開いてもあまりそ
うは書かれてないでしょう!そんな辞典の暗記のようなものが悟りではない。この究極の神秘体験こそが
悟りなのです。
これらは妄想ではなく、だから誰でも阿羅漢に到達したらみんな体験すると述べているでしょう。三法印、
四正諦といった基本的教えの全ては、ここから語られたものです。体験が必要なのです。禅家の僧侶の悟
りなどとは一緒にしないように。
観念論??そんな仏教辞典の丸暗記で済むなら、あなたもすでに仏陀といえるでしょう。
687 :
宝珠愚者 :2008/12/30(火) 12:01:16 ID:COuFWjdu
>>685 ですから、モッガラーナの母親の話などの事例を含めていってるですよ。
そう、人の来世の境涯を示すものが地獄です。しかし転生に入るまでの機関も地獄。
>>687 >モッガラーナの母親
これが何か関係があるのでしょうか。
目連の母親がいたのは六道でいえば餓鬼界であり、中有ではありませんし、
人間界でもありません。
しかもその根拠となる盂蘭盆経は偽経であり、事例にも何にもなりません。
>そう、人の来世の境涯を示すものが地獄です。しかし転生に入るまでの機関も地獄。
こういうのを自分勝手な解釈といいます。
あなたが言う仏典の解釈は、あなたが批判する「自称仏教徒」と大して
変わりないように思えます。
689 :
初代スレ7 :2008/12/30(火) 12:35:34 ID:aK/ZfhVb
他のレスについて思案中だったが、あまりにもあまりなので一言挟んでおく。
>>686 律蔵大品の記述が、菩提樹下における「縁起の順観逆観」から始まっていることを疎かにしてはならない。
たとえ、その編纂が“恣意的に”“整理され”“並べ替えられ”たものであったとしても、この事実を疎かにしてはならない。
【仏典を編んだ(後代の)弟子達は、『「縁起」を成道の(悟りの)根幹と見た』ということ】だからだ。
以降、舎利弗目連の帰依までの間も、
「輪廻及び過去世の想起」はその中心としては述べられていない。
(僅かに施論・戒論・生天論・他として一括されているにすぎない。)
「過去世の想起」が成道の根幹だと? 笑わせんな!
盂蘭盆経のモデルは、パーリ小部「餓鬼事経」にあるよ。 死者たちの物語―『餓鬼事経』和訳と解説 藤本 晃 (著) 商品の説明 内容(「BOOK」データベースより) 餓鬼(幽霊)が語る善悪の果報、全51話。 前世で悪業をなして餓鬼界に生まれた者すなわち幽霊が、人間の前に姿を現わして、 前世の悪業と今受けている苦しみの果報を述べ、悪因苦果の因果応報を自ら証明する。 善事と功徳廻向の大切さを明かす経典。 重要な年中行事“施餓鬼会”の源流『餓鬼事経』の本邦初の全訳。
691 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 13:45:07 ID:GU870O/w
スレ主は仏教徒の面をかぶった実質ヒンドゥ教徒なんだから、 いくら論争したってラチがあかんのは当然。 なにしろバラモン=ヒンドゥが2500年間も謀略やってるんだもんな。 宝珠愚者はエセ仏教徒であってヒンドゥである、その前提で話したほうがイイ。 仏教徒なら中道一本
692 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 14:05:40 ID:S2pGBGGt
批判するのは結構だが・・・ >なにしろバラモン=ヒンドゥが2500年間も謀略やってるんだもんな。 謀略?本気でそう思ってるとしたら、病院に直行したほうがいいw
693 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/30(火) 16:26:40 ID:4SW7vFkV
>>686 >これが菩提樹の下での「体験」であり、これこそが“仏陀の悟り”なのです。
そのくらいのレベルでしてたら、拙者は一日で悟りますね。
筆記用具と紙があればスラスラ書けばいいんですからね。
そういう観念論を悟ったわけではないですね。
もっと破壊的なものを悟ったのですよ。
なにかを構築するんじゃ〜ないですよ。
その真逆ですね。
そりゃ〜もう、西洋哲学などはチンケに思うくらいの最高レベルですよ。
拙者はそのレベルで語ちておるんですが、
貴殿も脳を少し破壊すれば、少々はアカデミックステージに到達できるやもしれません。
(拙者の脳は、いくぶんは破壊されてます)
694 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 16:37:22 ID:UznoqasO
>>659 >「ブッダは反ヴェーダ的自由思想家の一人であり、正統バラモン思想の否
>定者と見なされるが、 必ずしも単なる否定者ではなかった。ブッダはヴェー
>ダやウパニシャッドの宗教・哲学の陥った過誤を正して、アーリア人の本来
>あるべき真面目を回復するとともに、これを新時代に適応すべく自らの見解
>を開陳した。
仏陀は、バラモン社会のど真ん中で布教したのだから、当たり前の話。さもなければ
布教そのものが不可能だろう。
従って、仏教の中心思想とは、その「新時代に適応すべき見解」のことである。
バラモン教の「輪廻転生」がそれに該当しないことは、あまりにも明らか。
仏陀の布教における苦労くらいは、理解してあげるべきである。
695 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 17:01:14 ID:BQcXmo1c
☆*******************************************☆*******************************************************☆ _ /〜ヽ プルルン♪ ■ この絶対的現在=空においては前後などありえない。 (((。・-・))) プルルン♪ 『前後ありといえども、前後際断せり』(道元)。 ゚し-J゚ プルルン ルン♪ ゆえにこの絶対的現在=空においては輪廻転生:過去世や来世は物語でしかありえない。■ ☆********************************************☆******************************************************☆
696 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 17:10:07 ID:BQcXmo1c
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪ 既に申し上げたように、仏陀は、時代も全く異なる2500年前の社会 において、当時の人々に対して教えを説いたのです。 「真理」とは、社会の変化にも適応できるものでなくてはなりません。☆ 仏陀の教えも、彼が現在生きていたら、何をどう教えるか、の点から 解釈しなければなりません。 ■ 時代も異なる大昔の経典の「言葉」だけにしがみつくことは、単なる 狂信であり、カルトです。 ☆★ 釈迦が、そんなことを望んだでしょうか。彼はそんな愚か者ではないと 信じます。 彼の偉大さは、その「無の思想(関係性の原理)」の発見により、その 後の巨大な大乗仏教の体系の確立を可能にしたことにあると思います。 さもなければ、後代の仏教者の膨大な努力の意味は、一体何だったので しょうか。 (*^。^*) □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
697 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/30(火) 17:21:37 ID:4SW7vFkV
頓悟(悟り)のキーワード @ 竹に小石が当たった瞬間 A 裏山のセセラギの音を聞いていて B 秋虫の声を聞いていて C 自殺しようとして崖から飛び降りる刹那 開眼するのは音とかに関係するような気がします。 つまり無心なる状況。 拙者は「除夜の鐘」を聴いていて、一瞬目が開きましたね。 明日は「除夜の鐘」が鳴ります。 一年に一回きりですから、静かに聴いてみるのもイイかもしれません。
698 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 17:37:51 ID:UznoqasO
>>697 既に悟っている人間は、どうしたらよいのでしょうかw。
699 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/30(火) 17:43:09 ID:4SW7vFkV
>>698 目が開きますと
「既に悟っている」といふ過去への執着は寂滅しますから、
貴殿は未達のようですね。
700 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 18:20:06 ID:Fsqm6hOb
>>699 有難うございました。悟りがさらに深まりました。合掌
701 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 19:20:59 ID:GU870O/w
>>699 有難うございました。迷いがさらに深まりました。合掌
702 :
宝珠愚者 :2008/12/30(火) 22:30:15 ID:COuFWjdu
再開します!!
TV番組、「ビートたけしの禁断のスクープ大暴露!!超常現象秘X ファイル!! 」
に夢中になってました。どうもどうもw
>>685 >>688 >もちろん中有も地獄も、未だに電子顕微鏡や電波望遠鏡では発見されていませんし、
>理論的裏づけすらされていませんので、そのようなものが、ある可能性は限りなく低いです。
そんなの当たり前ですよ。これらは現象界の様子をそのまま語ったものではなく、罪人を戒めるため
の方便であり、中有の期間においてはそういう世界も在り得ると理解すればそれで事足りる。主眼は、
悪業をなした者は来世で悲惨な生まれになることについて示しているのであり、また中有の期間におい
ても酷いことになるぞ!といってるのです。
>目連の母親がいたのは六道でいえば餓鬼界であり、中有ではありませんし
>しかもその根拠となる盂蘭盆経は偽経であり、事例にも何にもなりません。
私は転生に入る以前の期間として話してるのです。盂蘭盆経そのものはシナ発祥の偽典であったに
せよ、その元となった原型はあります。
バーリ小部経典には餓鬼に関する50経をほど集めた『餓鬼事経』というのがあり、弟子たちが餓鬼を
救った出来事として加えられているとのこと。そう!
>>690 の情報の通りであって、つまりこれは幽霊なの
であって、来世人生(来世地獄)のことではありません。(情報提供に感謝!!)
肝心なことは、現在でも心霊現象があるなら古代インドにもそんなできごとは普通にあったろうというこ
とです。でも心配は無用です。これら心霊存在はアートマンではありませんから。
703 :
宝珠愚者 :2008/12/30(火) 22:30:52 ID:COuFWjdu
>>691 私は貶されるのは平気なのです。それは、あなたが己れの無知を露呈してるだけに過ぎない。では、
もう少しサービスです。以前の投稿時では、これらの学者たちを馬鹿にする意見がありましたが、ここに
名を連ねた方々は仏教学の大物ばかりですよ。知らない人は自分で確認されたし。
『ブッダは反ヴェーダ的自由思想家の一人であり、正統バラモン思想の否定者と見なされるが、 必ず
しも単なる否定者ではなかった。ブッダはヴェーダやウパニシャッドの宗教・哲学の陥った過誤を正して、
アーリア人の本来あるべき真面目を回復するとともに、これを新時代に適応すべく自らの見解を開陳した。
つまり、ブッダはアーリア文化の回復者であったといえよう。
例えばブッダの根本教説のひとつとされる「無我」の教えについていえば、それは無主体とか無霊魂とい
うことではなかった。無我の「我」とはウパニシャッドの哲学に説く絶対原理であるアートマンのことである。
ブッダはアートマンの絶対性を自己自身のものと誤認してはならないとして、執われの自我を捨て、我執な
き本来の自己を表現すべきであると説いた。無我とは真の主体性の確立ということであった。決して自我
の否定とか主体性の放棄を意味するものではなかった。
しかしながら、ブッダはアーリア文化の主流たるバラモン教の儀礼化、四姓制度の定着による人間平等
の軽視などの現実を見すえることによって、すすんでバラモン教に説く絶対神(世界創造神)を否定し、だ
れでも真理に目覚めればゴータマと同じブッダ(覚者)に成ることができるとした。あくまでも人間の自覚に
もとずく実践を基本に、万人成仏の道を明らかにした。このことは仏教がアーリア文化の中に生まれなが
らアーリア文化と本質を異にする一面でもある。』
(インド思想史/早島鏡正・高嶋直道・原実・前田専学著-東京大学出版会刊)
704 :
宝珠愚者 :2008/12/30(火) 22:32:02 ID:COuFWjdu
>>689 >律蔵大品の記述が、菩提樹下における「縁起の順観逆観」から始まっていることを疎かにしてはならない。
教えの説法というのは、必ず「体験」に裏付けられて発せられるのですよ。そうでないものは全て空想妄
想でしょう! だからあなた方に「仏陀の悟りとは何?」って聞くと、すぐに「釈迦の悟りが我々にわかるわけ
ない」といって逃げるでしょ?机さんもそうだったね。普段は、これが仏教の真理だと豪語する筈が急に口を
閉ざすのです。まっ、無理もないですよ、これら通常の人間を超越した神秘体験が仏陀の悟りの境地なの
だから。この宿命智通によって万物の縁起の実体(様子)を見たのです。そんなことも分らないの?まっ、仏
教辞典じゃ〜そうはあまり書かれてないわな。どうぞ勝手に笑ってなさい!
>>693 >そのくらいのレベルでしてたら、拙者は一日で悟りますね。
>筆記用具と紙があればスラスラ書けばいいんですからね。
>そういう観念論を悟ったわけではないですね。
もっと真面目に自分で宿命智通について調べなさい!
これはあらゆる人間の過去世についても見通す能力です。もしもデタラメ発言の場合には、その時代の
その場所で本当にそんな人生を終えた人間が実在したかどうかが検証でバレることになるのです。デタラメ
は通用しないのです。故人の生前のことを熟知してる人間に、故人の生前について問われても見事に見通
す能力です。あなたにはそれができるのですか?
705 :
宝珠愚者 :2008/12/30(火) 22:36:05 ID:COuFWjdu
>>696 >彼の偉大さは、その「無の思想(関係性の原理)」の発見により、その
>後の巨大な大乗仏教の体系の確立を可能にしたことにあると思います。
>さもなければ、後代の仏教者の膨大な努力の意味は、一体何だったのでしょうか。
大乗を褒めることにはあまり同意できません。
歴史的な止む無き事情もあったことは認めつつも・・、
ゴータマ思想の歪曲とデタラメ、そして小乗に含めてゴータマまでも非下してしまいました。
ここのように「師の間違いを正すのが弟子」などといった暴論が飛び出す宗教などは、
世界中を探しても仏教界しかない。全く恥知らずもいいところ。
706 :
初代スレ7 :2008/12/30(火) 23:01:47 ID:aK/ZfhVb
誰か賢い人、
>>704 の、どの辺が
>>689 へのレスになるのか解説してくれw
お馬鹿な私にはサッパリだwww
;´ー`)y━~~
てか
>>704 、お前、別人・偽者じゃねーか?
最初の頃とは人が変わってるぞ・・・ (゚д゚;)
(発言内容・主張内容も過激になってきてるし・・・)
大乗を貶めているのは汎神論嫌いの唯物論者だと思うよ。
そろそろ容量イッパイの悪寒・・・w
709 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 23:47:51 ID:GU870O/w
だから宝珠愚者はヒンドゥなんだから、その視点から仏教を事実上解体して
ヒンドゥに取り込もうとしてんだから、仏教前提に論じても無意味なんだってw
>>703 引用の四馬鹿カルテットの「ブッダはアートマンの絶対性を自己自身のものと誤認してはならないとして、
執われの自我を捨て、我執なき本来の自己を表現すべきであると説いた。無我とは真の主体性の確立ということであった。
決して自我の否定とか主体性の放棄を意味するものではなかった。」という何の証明もない言説について説明してもらおうか。
全く根拠がない。
710 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 23:53:40 ID:GU870O/w
>>703 仏教は縁起説である。
その時仏世尊はウルヴェーラーに住してネーランジャラー川の岸辺菩提樹の根本のおいて、初めて現等覚した。
そして世尊は菩提樹の根本において七日間結かふ座して座り、解脱の楽を感受していた。
そのとき世尊は初夜にこの縁起なるものを順逆に思惟した。
無明という縁から諸行が生じる。/諸行という縁から識が生じる。/識という縁から名色が生じる、。
/名色という縁から六処が生じる。/六処という縁から蝕が生じる。/蝕という縁から受が生じる。
/受という縁から愛が生じる。/愛という縁から取が生じる。/取という縁から有が生じる。/有という縁から生が生じる。
/生という縁から老死と愁・悲・苦・憂・悩が一諸に生じる。
このようににしてこの純粋な苦オンの集起がある。
しかし他ならぬこの無明の残りなき離貪の滅から行の滅がある/行の滅から識の滅がある。/・・・・・・・・・・・・・・・・
/生の滅から老死と愁・悲・苦・憂・悩が滅する。
このようにして純粋な苦オンの滅がある。
711 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 23:55:26 ID:GU870O/w
>>703 縁起を思惟することが現等覚つまり悟りとされるのであるから、仏教とは縁起であり、その縁起を思惟することが悟りである。
仏教とは縁起であり、その縁起を思惟すること、縁起を考え続ける事以外に悟りはない。
無常=無我=縁起=空=中道を無分別智によって現観⇒自得することにより彼岸に達すること。
とすれば四馬鹿カルテットの「アートマンの絶対説」が縁起撥無の非仏教的なものであることは自ずからあきらかである。
もっともヒンドゥに縁起を注入すれば、ヒンドゥ教義は戯論(実証性なき形而上言説)ゆえに全面崩壊するから危機意識を持つのは当然だ。
とくにインドが人々の命を大切にする近代国家として発展するには、
ヒンドゥ的階級思想が巨大な桎梏となって来る事は明白な事実と指摘しておこう。
アンベードカルの革命がそれを証明するだろう。
今日もカシミールでは多くの命が失われた。
712 :
神も仏も名無しさん :2008/12/30(火) 23:56:41 ID:0I1Tsrxe
仏陀・イエスが悪いのか、乗っかって利用する宗教団体・宗教者が悪いのか・・ 教えを説くなら紛争・論争しないような立派で万人に分かる教えを垂れな
713 :
宝珠愚者 :2008/12/31(水) 00:08:27 ID:j94YWP7c
>>706 >てか
>>704 、お前、別人・偽者じゃねーか?
>最初の頃とは人が変わってるぞ・・・ (゚д゚;)
>(発言内容・主張内容も過激になってきてるし・・・)
それは失礼しました。
>>711 >仏教とは縁起であり
それは同意します。しかし、
>縁起を考え続ける事以外に悟りはない。
>無常=無我=縁起=空=中道を無分別智によって現観
の部分については同意しません。そんな仏教辞典を読めば理解されるようなことではない。縁起の真理
は神秘体験から悟ったのですよ。頭で考えて閃いたような次元ではない。宗教から神秘体験を取ったら、
それはもう宗教ではない。ただの思いつきの俗説に成り下がるのです。
はい、縁起については分りましたから、もういいですよ。これらは思考によって到達したものではありません。
「死ねばわかる」ではすまされないから、宝珠愚者先生は言ってるんだよ。 その動機は愛。唯物論者が死後苦しむ確率は100%。 「宗教者」はいつの時代にも憎まれております。(いえすもしゃくそんも)
715 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 00:15:05 ID:ZPDwu+9x
>>713 逃げるなよ!
何の説明にもなっていない!
縁起撥無の外道である証明にしかなっていない。
716 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 00:18:40 ID:ZPDwu+9x
永遠且つ絶対ののアートマンなる言説と縁起との関係について解説せよ。 ブラフマンと縁起の関係について説明せよ!
717 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 00:22:52 ID:ZPDwu+9x
>>713 返答不能事態に陥れば、すぐに神秘体験というごまかしに出るのはアサハラ以来の
オウム=アーレフの伝統だな。
答えろ、オウム!!
718 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 00:30:22 ID:ZPDwu+9x
お前のいう「真我」とやらはどなたがお造りになったのでシュか? 実証的に説明してください。 もちろん縁起関係として。 当然、そこまで自称お悟りになっておられるらしいのですから、 無分別智によって縁起として説き起こしてくださりませ!
720 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 00:38:15 ID:ZPDwu+9x
>>713 > >縁起を考え続ける事以外に悟りはない。
>>無常=無我=縁起=空=中道を無分別智によって現観
>の部分については同意しません
お前がニセモノ仏教徒=ヒンドゥ的謀略の徒であることの告白だ。
上記「縁起の現観」はマトモな仏教徒なら当然のことだ。
それをお前は否定した、これ以上の証明はない。
失せろ! 外道!!
721 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 00:47:03 ID:ZPDwu+9x
もう、寝る。 後のことは、宿題にしておく。 ごまかすなよ。
722 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 01:03:29 ID:/HjGmoOv
>「宗教者」はいつの時代にも憎まれております。(いえすもしゃくそんも) それでは、現在までこんなに大きくなっとらん、馬鹿も休み休み言え! どこが愛だ!自己愛・エゴだろ!詭弁を使うな(笑
723 :
宝珠愚者 :2008/12/31(水) 01:06:48 ID:j94YWP7c
>ID:ZPDwu+9xさんへ そんな短レス頻発しないで、もう少し纏めてから投稿して欲しい(酔ってます?)。 あのですね、ですから「アートマンはない」などとは仏典では述べられてないのですよ。「真我」の成因? ブラフマンとの関係?それらは仏典では述べてませんが・・。 私はオウムなどとは関係がない。暴言の連発で少しは気が晴れましたか? 『もし、自己や世界をあるがままに観察し、「これはわれに属するものではない、これはわれではない、 これはわれのアートマンではない」と知るならば、自己や世界に関する誤った見方を捨てることができる であろう。』(マッジマ・ニカーヤ8:3) 「見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、<名称と形態>(個体)に執著している。「これ こそ真実である」と考えている。或ものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものは異なったものと なる。何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。」 (スッタニパータ756-757) 『人々は「わがものである」と執著した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないか らである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまってはならない。人が「これはわ がものである」と考える物、──それは(その人の)死によって失われる。われに従う人は、賢明にこの理 を知って、わがものという観念に屈してはならない。』(スッタニパータ805-806)
724 :
宝珠愚者 :2008/12/31(水) 01:08:16 ID:j94YWP7c
知覚できる存在や五蘊のどこにもアートマンはない。それらは自己ではない。アートマンではないものと自 己を同一視することなかれ!はい、これが「無我」の教えの全てです。 「無我」をアートマン否定、アートマンといったものは無いとして勘違いし、これが明確なバラモンとの相違 だと思い込んでしまった・・。しかし、そうではなかったのです。 「これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没することなき解 脱の境地である。」(ウダーナヴァルガ26-29) はい、ニルヴァーナとは永久不滅の領域のことです。これは、あなたがたの嫌いな概念ですね(無常無我 に反すると)。仏教は再び苦の境涯に舞い戻るような教えではなく、永久不滅の領域に到達することを目指 すのです。
725 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 01:18:36 ID:/HjGmoOv
( ・∀・)ヾ〜o ☆ドーン!!! ■ 宗教は【詐欺、麻薬(アヘン)】、そして現実逃避 ( ・∀・)ヾ〜o ☆ドーン!!! ■ 信じた途端に現実離れし、【酔生夢死】の人生が始まる
726 :
宝珠愚者 :2008/12/31(水) 01:24:58 ID:j94YWP7c
>>717 >すぐに神秘体験というごまかしに出るのは
それはあなたが唯物主義者だからでしょう?神秘体験に始まらない宗教というものはどこにもありません
よ。始祖の神秘体験から全ては始まるのであり、そこから語られた言葉でないのなら、ただの空想や予測
に過ぎない、ということになります。神秘体験から語られる言葉はそれが真実であることを確認してるから述
べている言葉なのです。これが偉大な覚者による神秘体験なのです。
縁起の原理もそう、ただ思考で思いついたといったものではありません。森羅万象の全ての事象の遙かな
過去までを見通したことで、変滅流転する性質を確認したのです。それは考えたなどといったものではなく、
遙かな太古の時代まで自分が再び行って体験してくるような再現体験をいいます。そこから無常、非我、縁
起、輪廻・・といった教えとして語られてくる。
>>248-249 では、あなたはこの経を偽経だとするのですか?文献学的な或いは考古学的な根拠はありま
すか? 根拠があれば提示して下さい!
727 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 01:38:04 ID:/HjGmoOv
宝珠愚者氏の神秘体験を詳細にドゾー
728 :
宝珠愚者 :2008/12/31(水) 01:48:38 ID:j94YWP7c
>>709 >という何の証明もない言説について説明してもらおうか。全く根拠がない。
はい、繰り返し述べてる通りです。
無我の意味とは、「それら五蘊はアートマンではない。アートマンではないものと自己を同一視するな」です。
あなたのほうこそ、「無我」とは「アートマンはない」という主張なら、その根拠を提示して下さいよ。
>>710 >そして世尊は菩提樹の根本において七日間結かふ座して座り、解脱の楽を感受していた。
>そのとき世尊は初夜にこの縁起なるものを順逆に思惟した。
7日間の内の初夜での思惟ですね。
「七日間結かふ座して座り、解脱の楽を感受していた」で分る通り、すでに解脱されているのです。
解脱とは宿命智通による超常体験です(宿命智通の体験が阿羅漢/解脱の特徴であり、その証拠となる)。
>>727 >宝珠愚者氏の神秘体験を詳細にドゾー
語るほどのものは何もありません。
聞いてどうする?
729 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 02:12:40 ID:VnL9xwrs
>>705 >ここのように「師の間違いを正すのが弟子」などといった暴論が飛び出す宗
>教などは、世界中を探しても仏教界しかない。全く恥知らずもいいところ。
恥知らずどころか、それが仏陀の類い稀な偉大さなのだよ。
眞に優れた教師にとっては、弟子が教師を超えてくれることが、最大の喜びな
のである。仏陀が、弟子が師を超えることの大切さをはっきりと教えている
お経があったはず。
師の教えをひたすら暗記・暗誦し、それから一歩も踏み出せない弟子は、軽蔑
に値する「三流弟子」。
「自灯明」「法灯明」。死に際して、こんな言葉を弟子に言える宗教の開祖は、
他にはいない。
常に「俺が、俺が」のイエスには、逆立ちしても言えない言葉。
ものごとの進歩とは、「従来の見解を、現実に立脚して批判し、それを一段階
向上させること」である。
730 :
宝珠愚者 :2008/12/31(水) 02:35:40 ID:j94YWP7c
>>729 また、あなたですか?いいたい意味は理解しますが、
自分勝手なデタラメでは話にならないでしょう?
「自灯明」「法灯明」というのはゴータマの死に際の説法であり、
これまで私(ゴータマ)が残した教え「法(ダルマ)」を拠り所として、
私がいなくても自分自身で歩みなさい、というものです。
時代に適合させて良い部分と変えてはならない部分の分別が必要です。
ゴータマは自分の死後には、細かな戒律部分などは変えても良い(任せる)ともいいました。
しかし、輪廻は自然摂理であり、森羅万章の真相を意味しますから、時代の流れとは無関係です。
これはゴータマの出現如何に関わらず常に定まったもので。
この部分の教えを変えることはダルマに背く行為です。
「自灯明」は「法灯明」があって初めて機能する言葉です。
一人歩きしない。
もし、あなたのような見解を歴史の弟子たちがしていたのなら、
とっくに輪廻転生は経典から削除され、改編された経となってることでしょう。
>常に「俺が、俺が」のイエスには、逆立ちしても言えない言葉。
誤解も酷い。。。
731 :
宝珠愚者 :2008/12/31(水) 02:49:58 ID:j94YWP7c
ゴータマが述べた「自灯明」「法灯明」とは、こういうことです。 「アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、『教えを説かれた師はましまさぬ、 もはやわれらの師はおられないのだ』と。しかしそのように見なしてはならない。お前たちのためにわたし が説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるである 。」 (マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
732 :
初代スレの5 :2008/12/31(水) 03:24:48 ID:Hr07DD8D
時間があったので、改めて最古層仏典(スッタニパータ第4、第5)を 読み返してみましたが、やはり「輪廻業報思想」を説いてると観られる 箇所はありませんね。繰り返し説かれていることは、「論争の無意味さ」 「全ての執着をなくし、妄執を滅すべきこと」 これが本旨ですね。 それどころか >1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか? 聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。 あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」 1076 師は答えた、 「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。 かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。 あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、 あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」 この部分は「無記」へと繋がる部分だと思いますが、いったい どう読んだら「業報思想」や「宿命通智」などに繋がるんですかね? 釈迦の教説の本旨はやはり >1119 (ブッダが答えた)、 「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。 このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」 そうすれば死を乗り越えることができるであろう。 これでしょう。
733 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 04:48:07 ID:VnL9xwrs
>>730 >「自灯明」は「法灯明」があって初めて機能する言葉です。
あなたのような解釈では、「自灯明」「法灯明」と、両者間に優劣を付けづに
並列に並べた意味が、全くなくなる。「法灯明」だけでよいはず。
「法」には種々の意味がある。「釈迦の教え」だけという偏狭なものではない。
「法」に「事物」(自然の摂理)が含まれるのが、仏教独自の法観である。
「輪廻転生」は、仏陀がバラモン社会での布教のために「心ならずも」使った
言葉であり、それは「法」ではない。並川氏も、「すべて否定的な文脈で使われ
ている」と言っているではないか。
>一人歩きしない。
犀の角の如く、一人で歩め。
> 誤解も酷い
イエスが、「自灯明」に該当する言葉を、唯の一度でも言ったことがあるかね。
いずれにせよ、あなたが、釈迦の「言葉」から一歩も踏み出せない「軽蔑すべき
三流弟子」であることは、明らか。
734 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/31(水) 08:14:17 ID:cbRO4RaZ
>>728 >「無我」とは「アートマンはない」という主張なら、その根拠を提示して下さいよ。
横レスですけど、このようなお題は目が開けば簡単に解せるもんなんですよ。
無明だとアートマンの存在に迷ってしまいますね。
つうか、なんか分らんもんを妄信してしまうとか。
先ず大事なのが貴殿の思考システムが問題なんですね。
どこが問題なのかと言いますと、アートマンを観察対象にしちまうとこです。
そしてその存在を妄信してしまう。
こういうことなんでしょ?
釈尊の成道とは、そもそもかような思考システムは廃棄されてしまいますね。
いわゆるポンコツで使いもんにならないのです。
まあ、最新式のシステムを後ほど紹介しますよ。
2500年も前に、釈尊はこういうことを悟っていたのですね。
非常に感慨深いものがあります。
735 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 08:49:04 ID:nO4dUgLG
>>728 >語るほどのものは何もありません。
ならば、分かったようなことは語らないで頂きたい。
言葉だけでだらだらだらだら言ってても何にもならぬ、迷惑で無責任w
神秘体験の実証あるのみ、言葉だけなら誰でも何でも言えるし書けるでしょうw
君は、桃太郎の話もかぐや姫の話も信じいているの?(笑
736 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 09:08:23 ID:nO4dUgLG
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪ ■「有名だから、偉い」と勘違いしてはならない。 人間社会は、釈迦やイエスなどの「有名人」ではなく、 <無数の無名の生活者の絶え間ない努力によって支えられている> ことを、忘れてはならない。 ☆★ (*^。^*) □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■☆☆☆☆☆♪
737 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 10:03:15 ID:gyfuw/Jk
>>732 >やはり「輪廻業報思想」を説いてると観られる箇所はありませんね。
あたなは自分に読解力がないことをはっきりと自覚すべきですよ。
まず、中村訳の以下の箇所は「輪廻業報思想」を説いてるでしょ。
779 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜き去って、勤め励んで行い、この世もかの世も望まない。
801 かれはここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世についても、来世についても、願うことがない。諸々の事物に関して断定を下して得た固執の住居は、かれには何も存在しない。
836 (マーガンディヤがいった)、「もしもあなたが、多くの王者がもとめた女、このような宝、が欲しくないならば、あなたはどのような見解を、どのような戒律・道徳・生活法を、またどのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」
864 「世間において、愛し好むものは何にもとづいて起るのですか。また世間にははびこる貪りは何にもとづいて起るのですか? また人が来世に関していだく希望とその成就とは、何にもとづいて起るのですか?」
865 「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづいて起る。また人が来世に関していだく希望と成就とは、それにもとづいて起る。」
1009 かれらはすべて、それぞれ衆徒を率い、全世界に命名があり、瞑想を行い、瞑想を楽しむ者で、しっかりと落ち着いていて、前世に宿善を植えた人々であった。
特に1009 は、前世の善業によって現在、優れた福徳があるとしか読めないでしょう。
738 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 10:03:47 ID:gyfuw/Jk
確認のために以下で原文を見ると。
http://www.tipitaka.org/romn/ 1015.
Paccekagaṇino sabbe, sabbalokassa vissutā;
Jhāyī jhānaratā dhīrā, pubbavāsanavāsitā.
となっていて、pubbavāsanavāsitā が「前世に宿善を植えた人々であった」の原文です。
直訳すると「前世に習気に香りづけらた」という意味です。
この部分の注釈(アッタカター)を見ると
Pubbavāsanavāsitāti pubbe kassapassa bhagavato sāsane pabbajitvā. Gatapaccāgatavattapuññavāsanāya vāsitacittā.
「前世に宿善を植えた人々であった」とは、前世にカッサパ世尊の教えにおいて、出家して、行き来した福徳の習気に香りづけらた心である。
となっていて「輪廻業報思想」を説いてる以外のなにものでもありません。
739 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 10:15:56 ID:gyfuw/Jk
>>732 >この部分は「無記」へと繋がる部分だと思いますが、いったい
>どう読んだら「業報思想」や「宿命通智」などに繋がるんですかね?
明らかに「無記」と同じ考えですが、はっきりと「業報思想」や
「宿命通智」などに繋がるどころか、前提として説かれているでしょう。
前後の文脈から明らかです。以下、中村訳。
1072 師は答えた、「ウバシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の<想いからの解脱>において解脱した人、──かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」
1073 「あまねく見る方よ。もしもかれがそこから退きあともどりしないで多年そこにとどまるならば、かれはそこで解脱して、清涼となるのでしょうか? またそのような人の識別作用(あとまで)存在するのでしょうか?」
1074 師が答えた、「ウバシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(生存するものとしては)数えられないのである。」
1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか? 聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」
1076 師は答えた、
「ウバシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」
「聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、
(生存するものとしては)数えられない」ということから、
これは解脱した聖者について説かれていることが明らかです。
輪廻から解脱した人に輪廻がないのは当たり前の話。
その前提として1009のような「輪廻業報思想」があるのは、
少なくとも編集時には意識されていたわけですね。
私はもちろん、釈尊も前提とされていたとしか思えませんが。
740 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 10:18:22 ID:gyfuw/Jk
おまけ 想を遍知して暴流を度るべし. 牟尼は諸遍取に染取するなく、 箭を抜き不放逸にして行じつつ. 此世と他[世]とを願求するなし.(suttanipata779) 南傳大蔵経、第42巻、79頁 (その古い註ニッデーサ) 此世と他[世]とを願求するなしとは、此世たる自己の身体を願求せず、 他世たる他人の身体を願求せず.此世たる自己の色・受・想・行・識 を願求せず、他世たる他人の色・受・想・行・識を願求せず.此世たる 自己の六内処を願求せず、他世たる他人の六内処を願求せず.此世たる 人世間を願求せず、他世たる天世間を願求せず.此世たる欲界を願求 せず、他世たる色界・無色界を願求せず.此世たる欲界・色界を願求 せず、他世たる無色界を願求せず.更に趣・生起・結生・有・輪廻又は 輪転を願求せず.欲求せず、楽はず、冀求せず、希望せず、熱望 せざるなり.これ「此世と他[世]とを願求するなし」[の義]なり. 南傳大蔵経、第42巻、85-86頁
741 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 10:22:57 ID:gyfuw/Jk
>>733 >「輪廻転生」は、仏陀がバラモン社会での布教のために「心ならずも」使った
>言葉であり、それは「法」ではない。並川氏も、「すべて否定的な文脈で使われ
>ている」と言っているではないか。
あの〜、仏教は輪廻を厭うという意味で一貫して「否定的」なんです。
昇天というのは、あくまで方便。
並川さんみたいな学者に依ってもしょうがないでしょう。
742 :
宝珠愚者 :2008/12/31(水) 11:42:49 ID:j94YWP7c
>>733 >あなたのような解釈では、「自灯明」「法灯明」と、両者間に優劣を付けづに
>並列に並べた意味が、全くなくなる。「法灯明」だけでよいはず。
デタラメはやめましょうか?《「法」(私の残した教え)を拠りどころとして自ら歩め。他に頼れるものはな
し。》ということ。「お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前
たちの師となるである 」
>>731 >「法」には種々の意味がある。「釈迦の教え」だけという偏狭なものではない。
そう!照らし合わせて教えに沿っていればだね。あくまでもゴータマの教えと「照らし合わせて」。
>イエスが、「自灯明」に該当する言葉を、唯の一度でも言ったことがあるかね。
「自灯明」「法灯明」ね。「自灯明」といって一人歩きさせない。近いものとはこれでしょう。わたしが全て
救うからわたしにすがれ!だの、わたしを信じない者は滅ぶだの、といったのは愚かな教会ね。「わたし
に向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の王国に入るのではなく、天におられるわたしの父のご意志
を行なう者が入るのです。」(マタイ7:21) 「だから,あなた方の天の父が完全であられるように,あなた
方も完全でありなさい。」(マタイ5:48)
>あなたが、釈迦の「言葉」から一歩も踏み出せない「軽蔑すべき三流弟子」であることは、明らか。
はいはぃ、「軽蔑すべき三流弟子」で結構です。
743 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 12:00:02 ID:gyfuw/Jk
>>742 宝珠愚者さん、あなたももうこんな無駄なこと止めたら。
みんなどんな証拠あろうと自説を曲げないんだから。
744 :
宝珠愚者 :2008/12/31(水) 12:35:54 ID:j94YWP7c
>>743 ID:gyfuw/Jkさん、
素晴らしいを解説ありがとうございました。
初代スレの5さんは恐らく、「来世」と書かれてあればそれは「業とは書かれてない」と見てるのでしょう?
(輪廻否定派ならば、「来世」と書かれてあるだけでも根拠が崩壊してるのですが・・・。)
それで、1009の1節だけをスレ2で提示したんです。
そしたら、この私をオカルトマニアだからとして、
「もう仏典の検証、仏教的視野にたった議論など、何の意味も、もちません。」といい返答を放棄したのです。
この私には仏典以外に及ぶ事柄までも回答させようとしておきながら、
私が仏典から彼のいう4-5章からの根拠を提示したというのに。。。
>あなたももうこんな無駄なこと止めたら。
私はこれらの人々の意思も尊重します。
だから勝手に断滅論仏教徒であればいいのですよ。改心する必要も無い。
残念なことですが、彼らがどうなろうともいいのです。
私はただ閲覧者のために投稿しています。
しかし、どこの宗門も回答を届けてこない。
>>332 ビビッて回答したくないようですね---無視/放置の姿勢のようです・・。
電話をかければ、「今は担当者がいない、電話ではなく文章で希望します。」
などといいながら音信なし。
自分の宗門の見解すらも、自信を以って回答できないのか!!
745 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 12:36:53 ID:t9tYoZPz
>>742 時代も異なる大昔の始祖の表面上の言葉だけに必死にしがみつき、その現代的
意味は少しも理解できない「軽蔑すべき三流弟子」の君が、何を喚いても無駄。
君のような解釈なら、釈迦は、イエスと同様、「俺が、俺が」の自分だけを
押し付けるエゴイストで、現代人が信じるに値しない俗物、現代の多数のカルト
教祖と全く同じになってしまう。釈迦を侮辱してはならない。
イエスは、そのユダヤ教の狂信と、統合失調症の症状としての誇大妄想から
「自分が創造主になりたい、なった積り」の野望を抱いただけ。現代の進歩
した精神医学の知識を背景としてイエスの言動を観察すれば、あまりにも明らか。
彼には、創造(自然界、現実界)に対する畏敬は皆無であった。イエスは、
「私は、神の子、神の座の右に座る。アブラハムようり前からいた」「私を信
じない者は裁かれる」「創造は不完全」「私は、平和ではなく剣を、家族間の
敵対をもたらすために来た」などという暴言を吐きまくっている。なれなれしく
も、神に対して「父よ」などと呼びかけている。彼のほとんとすべての「教え」
は、「自分の気に入らない者に対するあくなき憎悪・非難・排斥」とセットに
なっていることを看破すべきである。「善きサマリア人」の話も、彼の真意は、
自分が特別の個人的関係と行為を有するサマリア人にかこつけて、自分の気に
入らない祭司とレビ人とを名指しで挙げて、非難することであった。さもなけ
れば、単に「他の通行人たちは」とだけすればよかったはず。彼は、父なる神
と自己とを同一視して、自己のために、神を「利用」したに過ぎないのである。
この「父なる神の冒涜罪」という己の大罪故に、十字架で処刑されたのである。
彼は、人間の罪を贖うなどという意図は、毛頭なかった。「罪概念」や「贖罪
概念」は、パウロが、その宣教のための「脅迫手段」としてでっち上げたもの
に過ぎない。そもそも、創造主を冒涜して処刑された犯罪者イエスの「汚れた
血」で、他者の罪を贖える訳がない。
多くのカルトを分析してきたが、他の宗教でも、キリスト教の影響があれば
必ずカル化している。君もその一例に過ぎない。
746 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 12:49:39 ID:t9tYoZPz
>>745 の訂正
×アブラハムようり
○アブラハムより
×個人的関係と行為
○個人的関係と好意
747 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 12:58:32 ID:ZPDwu+9x
>>742-
>>743 真に明知に達したものは、「この世」「かの世」「現世」「来世」などの無明による迷いの妄想から脱皮する。
業報輪廻という迷妄の既成概念から脱皮する、捨て去る。
スッタニパータ 1 「蛇」に結論が書いてある。
『〜は、この世とかの世とをともに捨て去る。−蛇が脱皮して古い皮を捨て去るようなものである。』
古い皮とは無明によって積み重ねてきた輪廻などの既成概念をさすことは当然だ。
ブッダ成道時の「ふる信を捨てよ、去れ」に対応していることはいうまでもない。
もういいかげんに仏教徒として眼を開けろよ。
748 :
747 :2008/12/31(水) 13:03:17 ID:ZPDwu+9x
× 明知 〇 明智
749 :
宝珠愚者 :2008/12/31(水) 13:04:07 ID:j94YWP7c
>>735 神秘体験に関心がないといえば嘘になります。
しかし、オウムに見られるような、
そのようなものの開発を意図した技法の取り組みについては覚者方は禁じられます。
物事には全て段階というものがあります。
神秘体験に見せられた取り組みは破滅の道です。
私の体験とは、
UFOの目撃、心霊存在による物理現象(物体の瞬間移動)、私の幽体離脱(目撃確認者あり)
シンクロニシティ(共時性)の多発、といった一般人々が普通に体験する程度のものです。
私は開発技法(この世界には詳しいが・・)には着手しないので。
750 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 13:11:03 ID:5fkj3UMS
並川氏などの論理を借りれば、「釈尊は「心ならずも」輪廻を前提とした教義を説いた。」 を真とするならば、輪廻という迷信を真理への入り口と成すということになる。 輪廻が観念的なもので、あらゆる観念的なものをを打ち破るのが釈尊の悟りの当体=空=中道ならば、40年を超える布教活動の中に、 輪廻を実在とする観念こそ迷いに他ならないとする真説がなければ、釈尊はとうとう真実を説かなかったということになる。 真説を説かなかったばかりか、弟子たちを真理に導かなかったことになる。 なぜならば、輪廻を否定する仏教徒(自称)は本邦のごく一部にしか存在しないからである。 よって、並川説は論理として成り立たない。 並川氏説は氏の願望に過ぎないことは自明である。
751 :
747 :2008/12/31(水) 13:16:12 ID:ZPDwu+9x
752 :
747 :2008/12/31(水) 13:29:14 ID:ZPDwu+9x
再掲載 623 :神も仏も名無しさん:2008/12/29(月) 16:22:50 ID:0rEfRUmf 本スレの命題は、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダが転生(再生誕)を実際に『説いたのか?』だろ? ・自分が輪廻転生論をどう思うか、とは全く別問題。 →転生論に完全反対でも、ブッダが説いたことは認める立場もありうる。 ・ブッダ没後100年以上経ってから、当然ブッダとは全く別人が書いた「経典」なるものが、 正確に客観的事実を書いているかは、〜伝聞証拠であって、反対尋問による検証ができないから〜 確認のしようがなく、真実性の担保はない。ウソである可能性も高い。 ・仮にブッダが「説いた」という立場をとっても、「説いた」の意義をめぐって、 1)涅槃へ導くための、教育的方便としてのおとぎ話や物語(フィクション)である可能性もある。 この立場からは、教義の中核から転生論は排除される。 2)ブッダがバラモン=ヒンドゥ的輪廻転生論者だった(梵我一如論と表裏一体)と主張するなら、 ブッダ成道の意義〜わざわざ宗を起てる意義〜を問い直して、説明しなければならない。
753 :
747 :2008/12/31(水) 13:35:54 ID:ZPDwu+9x
754 :
神も仏も名無しさん :2008/12/31(水) 13:49:39 ID:gyfuw/Jk
>>751 陳腐な解釈ですね。以下は、どう読むの?
>>737 >1009 かれらはすべて、それぞれ衆徒を率い、全世界に命名があり、瞑想を行い、瞑想を楽しむ者で、しっかりと落ち着いていて、前世に宿善を植えた人々であった。
755 :
747 :2008/12/31(水) 14:33:34 ID:ZPDwu+9x
756 :
747 :2008/12/31(水) 14:42:50 ID:ZPDwu+9x
>>754 ・ブッダ没後100年以上経ってから、当然ブッダとは全く別人が書いた「経典」なるものが、
正確に客観的事実を書いているかは、〜伝聞証拠であって、反対尋問による検証ができないから〜
確認のしようがなく、真実性の担保はない。ウソである可能性も高い。(
>>752 )
757 :
神も仏も名無しさん :
2008/12/31(水) 14:43:35 ID:gyfuw/Jk >>755 つまり、スッタニパータ1009は輪廻業報を認めてるということ?
すると先ず
>>747 は誤った解釈だと認めないといけませんね。
それが認められないのなら話は終わり。
認めるなら
>>752 1)に答えましょう。