【日常】気付き・観察のスレ【仏教】
観察、自然観察、実況、瞑想、禅語、仏教経典・・・
忙しない日常に生きている我々ですが
素直な自分に戻ったときの気付きを語り合いましょう。
レスに相談事がありますときは、
お釈迦さんの言葉をそのまま押しつける説教ではなく、
一度相手の身になり、同じ立場に自分を置き換えてから
励みになる仏語や経験、その苦が気付きに導ける仏語や経験などを御紹介下さい。
また気付きに役立つ言葉や瞑想、禅などの情報がありましたら、御紹介下さい。
目指すのは、世俗を超越した特別な存在ではなく、
日々是好日の平常心ということで、御指導をよろしくお願いします。
なお、広告などは一切お断りします。
貼られたリンク先に行かれる方は自己責任にてお願い致します。
…
前スレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1220769323/
第2弾突入おめでとうございます。
4 :
前スレ984:2008/12/16(火) 01:07:07 ID:LhJa5Hzf
>>前スレ984(鬼和尚)
なるほど余計なことは考えずひたすら集中を深め、観察すれば良いわけですか、
基本は常に集中と観察と言う訳ですね。ありがとうございます。
自己非難や自己正当化はしてはならないと聞いた。
非難する自己、される自己。
正当化する自己、される自己。
このような自己分割が起きるからだと聞いた。
例えば「自分に打ち克とう」と思った場合、勝利すべき自己と敗北すべき自己に分割される。
そして更に「勝利すべき自己」さえも、「勝利を応援する自己」と「勝利を応援される自己」といった具合に分割される。
この自己分割はあらゆる葛藤を生み出し、疲労させ、結局は何も変わらぬ自己を作り出す。
何故か?
おそらく私とは60兆の細胞といくらかの腸内細菌でできたストラクチュアであり、その一つ一つの命にとって価値とは生存でしかなく、
生存の最大公約数は不変化であり、「ホメオスタシスとしての葛藤」というものがあるのではなかろうか。
どんなに不幸で駄目な自分でも、「その自分」で生きてきた以上、生体はその環境を守りたがるのだ。
自己観察も「観察する自己」「観察される自己」に分割されるのではあるが、一番マシな自己分割であるのだろう。
しかし基準なき観察、定点なき観察というのはなんなんだろうか。
わからぬままに観察を続けよう。
「わからない」とは「理解するもの」「理解されるもの」の分離がない事ではなかろうか。
「分からない」とも書くわけだし。
以前から「?」の感覚が気になっていたが、「?」あるいは「!?」の感覚を想起する事によって、観察の定点をつくる事ができるかもしれない。
…などと考えているふりをしている。
今、思った事。
あらゆる種類の「自己分割」を観察しよう。
「物語を作る私」「物語を聞かされる私」…。
私のよき理解者で、常に最善のアドバイスをしてくれる
レス友にめぐりあえたしあわせ。
(彼女のアドバイスに従って、悪かったことはありません)
9 :
はっとり内臓:2008/12/16(火) 20:16:14 ID:x2UUxnIZ
「色」を「受」しないための瞑想、と言うか瞑想状態。
昨日は恐怖心から3秒で終了。
それすらない時は止まる。動く、という事が分からなくなる。
信号待ちとかでゾーンに入ったら面白そうでござる。
そうなると、感情とは? 付属物っぽいな。
脳科学の本を読み直すのでござる。
>>1 ご苦労さんじゃ。お駄賃I縁、わしとご縁がありますように。
>>4 どういたしまして、止観を極めるのじゃ、又おいでなさい。
知識に囚われた者は、本に書かれている事を本当だと想っていると観察した。
仏教よりむしろ本教じゃな。
鬼和尚さんは、理屈っぽい話が苦手であると観察した。
一昨日は、鬼和尚さんが、人から非難されれば喜ぶというマゾ体質なのを観察した。
昨日は、鬼和尚が読んだのは、小学校の教科書とブッダの本だけだと観察した。
14 :
はっとり内臓:2008/12/17(水) 19:09:47 ID:WnQAvoBO
少し寒さに強くなった。
朝起きると窓全開で「ヤッホー」でござる。
体の歪みの根は深いので、こちらは改善中。
人はエネルギーが不足すると他人から奪うのでござる。
そんな奴は心置きなく瞑想の練習台にさせていただく。
集中力と観察力がつくと、心のほんの僅かな素早い動きも観察出来ると改めて観察した。
思考は素早く、認識はさらに早く動く。
集中力と観察力を磨いて、良く観るのじゃ。
16 :
神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 22:28:06 ID:kCfex2/P
今日もいろんものと戦っている人がいるんだなと気付いた。
単なる臆病を自己正当化し、それが自己正当化であることに気付かない人
がいるのを気付いた。
17 :
神も仏も名無しさん:2008/12/17(水) 22:32:42 ID:kCfex2/P
常に自己は更新されており、1つの固定した自己などないと、
観察した。
状況を変えると頭の中で繰り返されていた雑念や感情がピタリと止むのを観察した。
ただありのままに受け入れるのは難しくても、
鍵で扉を開けるため捻りを加えることで、
受け入れやすくなるというテクニックもあるのかもしれない。
鬼和尚さんが、俺が誰だか察知したのを観察しますた。
でも、俺の鬼和尚観察は続くのであった。
変わる時がくれば、いっぺんに変わることを観察しますた。
21 :
鬼和尚は仏教でなく新興宗教教祖であると観察した:2008/12/18(木) 11:33:04 ID:lWqH0akL
うーーん。
22 :
はっとり内臓:2008/12/18(木) 14:43:31 ID:YaD3nVdL
残尿感が無くなった。おそらく骨盤底筋のゆるみ。
ゆるんだ分、しっかり押し出せるようになった。
一般的には骨盤底の筋力低下と言われているが、拙者としてはにんともかんとも。
歩いていて腹部がゆるんだ。腹横筋か内蔵。
今までこんな所まで固めて生きていた。
23 :
はっとり内臓:2008/12/18(木) 14:53:45 ID:YaD3nVdL
「そのまま」というのは情報に触れただけの状態でござるな。
字の読めない子供ではないので、先に進ませない技術が要る。
目の前を通る人を見て「外人だ」と瞬時 思った。
通り過ぎた一瞬で、身長、髪の色、目の色、肌感、骨格まで認識。そして答えをはじき出す。
まったく...
おぬし、やるな。
>>19 おぬしはわしじゃな。
煩悩が一つ消える毎に、夢から覚めたように、鎖から解き放たれたように心が出離するのを観察した。
心が自由になれば、別れも近くなる。
鬼和尚さんの言葉は含蓄が多すぎて、意味がわからないことを観察しますた。
>>24 悟りといっても特に特別なことじゃなく、自分の中にあるこだわり執着の中で、自分がそれに
気付けた分だけ悟る、その気付く執着の大きさで悟りの大きさ、スッキリさもかわる、と経験上
思うのですがそれでいいのですか?
またそれなりに悟っているように見える人たちでも、ところどころ完全には悟りきれてないよう
に思えるのですが、それも彼らの心の奥深いところにまだ執着が残っているからなのでしょうか?
他人の自分にはわからないことですが、悟ってるにしては少々疑問な人間も多いです
それは相手が悟りきれてないだけなのか、自分の悟り観がズレているのかたまに考えます
>>24 >心が自由になれば、別れも近くなる。
別れって、死ぬことでありまするか?
28 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 11:02:12 ID:Rd8Ga3i6
悟りは薬。病でもないのに薬飲み続けるのは異状です。
悟り=気付きと勘違いしてはだめでしょう
それだったらあなたがたより、生まれつき内容のいい
つまり生まれつき徳をそなえてきた小学生の方が上ですよ。
馬鹿にふけって中年に差し掛かり、少し馬鹿さがわかった位で
これでもまだまだ小学生の方が上でしょう。
気付きはようやっと心を整える気になったかもしれないという段階でしょ。
悟りはそうやって身を整えたずっと後に・・おこるかおこらないか。
おきたとしても、どの段階か。
太陽から蟻の様子はよく見えるけど
蟻から今日の太陽は雲っていて見えないよ
おかしいよあれ、太陽は悟ってないねという感じかな。
他人にそれは悟りじゃないって言う人は自分の体験から言ってるのかな
もし悟りを知らない人が悟りについて語ってるとしたらなんなんだろうね
悟りなんて仏陀かキリストくらいで後はもういるはずがないと思っていた。
しかしいてもいいのかもと期待し始めました。(これも気付き)
人類がある限り。
じゃなきゃ人の動きの元が解らないでしょ
最低限、体のある部分の停止からはじまるかな
人の体験あさりして一年をすごしたね。
33 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 16:39:47 ID:Rd8Ga3i6
大悟とか小悟なんてほんとは無いんだよ。
悟りは一つ。
あとは単なる気付き。次元が違いすぎて比較すらできない。
>>32 体のある部分の停止ってどこですか?心臓の停止?
>>33 そう言えるってことはあなたは大悟したってことですか?
35 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 16:50:33 ID:Rd8Ga3i6
大悟したとかいう表現すら違っている。
悟りは諸々の行により隠されてしまうものだから。
>悟りは諸々の行により隠されてしまうものだから。
どういうことですか?
37 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 17:08:24 ID:Rd8Ga3i6
つまり、悟りを覆い隠していない行をおこなってるものが、
悟っている状態ということでしょう。それは各自の工夫によるものです。
他人にどうすることもできません。
38 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 17:20:21 ID:Rd8Ga3i6
別に悟りというものがあって、それがさも実体があるものかのように、
獲得すればそれだけで、自分に良い影響が出る(功徳がある)などとおもっていたら、
その人は仏教というものをわかっていない。
ああ、人は悟るのではなく悟りの状態に戻るってことですよね
悟りは今ココにあるとか、皆元々悟ってるとか
そういうことですか?
40 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 17:30:18 ID:Rd8Ga3i6
皆悟っていたが、皆が皆悟っている状態ではない。そういうことです。
それはわかります
まあ、悟るとか大悟ってのも単なる言葉のあや(性質)だと思って気にしませんが
しかし気付きを深くすることによって徐々に悟りの状態に戻ると言ってもいいと思いますが
ダメですか?
たしかに日常の気付きと悟りは全く違うほどに思われがちですが、作った自己に気付き、
その分自己を脱落し、本来の状態に戻るという構造自体は同じだと思うのですが
42 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 17:47:13 ID:Rd8Ga3i6
理論的にいえば、「生じる」メカニズムを知り尽くしてこそ、
「生じない」という状態を持続できる。
あらゆる修行は仮に間違っていたとしても無駄ではありません。
43 :
神も仏も名無しさん:2008/12/19(金) 17:48:09 ID:Rd8Ga3i6
出かけるので、これで。
はい、どうもでしたー
観察力が増し雑念やそこから発生する感情を観察することによって、
ある程度ありのままにみることが出来るようになり、
連想をストップ出来るようになっても、
心の中で何度も繰り返される声があり消えない場合、
その心の中の声を実行したら不思議とその声が静まった事があるのですが、
これは雑念ではなく心の奥底からの声であった可能性があるのでしょうか?
>>25 おぬしにもいずれ判るじゃろう。
>>26 自我が無くなり、認識さえも転換するのが悟りじゃ。
煩悩が全て無くなるとこの世との縁も消えてしまう故に、人に教える者は幾らかは遺しておくのじゃ。
煩悩が無くなる毎に、心は自由に成るのじゃ。
あまりに煩悩が多すぎると、修行すら出来ない故に、修行中でも少しずつ減らす必要もあるのじゃ。
>>27 そうかもしれん。違うかもしれん。
修行する者には却ってわしに会うのが近くなるじゃろう。
2ちゃんねるはえんたーてぃめんとの面もあると観察した。
知らなかったのはわしだけかのう。
>>45 それはあるのう。
瞑想によって心の中に抑圧していたものが出てくる事もある。
日頃から自分を抑圧し過ぎていると、自分でも自分の心が判らなくなってしまうものじゃ。
瞑想によって出てきたのだとしたら、煩悩の解消に繋がる事もある。
それが自分の本心からのものなのか、ただの雑念か見極めが肝心じゃ。
長生きをするためには、あまり熱心に修行しない方がよいと観察しますた。
49 :
45:2008/12/19(金) 21:34:17 ID:HBrqAK0v
>>47 中々見極めるのが難しい問題なのですね。
ありがとうございました。
>>47 長生きするのがいつも最高!ということもなかろう。
ある程度は必要かな。
51 :
50:2008/12/20(土) 11:36:49 ID:WB592K7l
早く死にたいです
>>48 生きているうちに悟るが良かろう。
>>49 どういたしまして、良く観るのじゃ、又おいでなさい。
>>52 悟りを得てから、みんなに教えて死ぬが良かろう。
そうすれば永遠の安らぎが待っておる。
生きているのはほんの一瞬じゃ。
自分に気付く者は少ないと観察した。
みんな自分は例外だと想っておる。
「類は友を呼ぶ」という格言が本当であったことを観察しますた。
>>52 早く死んで、地獄に落ちろ!
あ、ごめん。
どんなことで悩んでいるの? 俺は大抵のことは経験してきたから、
相談に乗るよ。
56 :
はっとり内臓:2008/12/21(日) 16:14:24 ID:HhOKJOGa
今日は二つ。
拙者の心のエサが分かった。それは教育や経験で強固に結びついている。
なるほど、アファメーションごときで書き換えられるものではない。
書き換え方は分からないが、瞑想が出来れば消す事は出来そうだ。
出来れば、だ。難しい。
ふと去来したものは、自分発信だけではないような気がしてならない。
これも瞑想が出来れば解決でござるな。
>>56 そうじゃ。みんな消していくのじゃ。
消える毎に自由になるのじゃ。
観察によって本心に気付くのを観察した。
自分の本心が判らぬ故に、何年も迷う事すらあるものじゃ。
今日は、鬼和尚さんが真理を教えていることを観察しますた。
とともに、抱えている悩みが大きいほど悟りの可能性は高くなることを
観察しますた。
>>58 そうじゃ。真理を得られる者は真に少ないのう。
大きな障害を乗り越えれば、それだけ力もつくのう。
力がつけば、心の振幅も大きくなると観察した。
悪い感情はより大きく、良い思いもより大きく感じるものじゃ。
それ故に日ごろからますます心を磨いていかねばならんのじゃ。
いかなる生命もが平等であり、その全てが喜びたがっていることを観察しますた。
また、NHKもたまには良い番組をすることを観察しますた。
61 :
チラシの裏:2008/12/23(火) 18:28:13 ID:vd0a9i09
@感情とは何らかの物語によって形成される
A物語は未来時間であれ過去時間であれ、なんらかの記憶因子によって合成される
B感情とは本来は名状しがたいエネルギーである
Cその名状しがたいエネルギーに我々は「うれしい」とか「かなしい」とか「イライラする」とか名状している
Dある外的刺激によって、ある名状が想起され、ある感情を触発することもある
E感情は名状する事によって、さらに物語とからまり、長期化する
F感情を物語から遮断し、名状からも遮断し、改めて味わい直すと消えることもある(消えないこともある)
G感情に対する対処として…@カタルシスA乖離(観察)B味わい尽くすC一体化するD共に在る…があるが、表現が難しい
H『抵抗感』と名状される感情と、『抵抗』という方向性は全く違うものである(すなわち抵抗感を受容する)
I「私」とは内側(自我)と外側(世界)の間であると仮定する
Jこの「私」が内側と外側の全てを受け容れる(一元的受容、受容者なき受容)
K例えば外側(世界)からの刺激によって、内側(自我)の抵抗が活性化した時に、その全てに気づき、受け容れる
L人は覚醒せぬかぎり、外的刺激によって一定の反応をするロボットにすぎないが、その事を知っているだけでも慰めにはなる
M言葉には限界がある
…私は何故、このような役に立たない事を僅かな躊躇を覚えつつも書き込んだのか?
それはロボットだからである。
赦されよ。
>>60 そうじゃ、なかなかいい番組じゃのう。
>>62 いい事じゃ。ここはそんなスレじゃ。躊躇わずに書き込むが良いのじゃ。
人間は自我を認識の主体と思ってる事を観察した。
そうではないかと思っていたが、やはりそうじゃったか。
2ちゃんねるは勉強になるのう。
視野の狭い人間ほど、偏見を持ちやすいことを観察しますた。
物事に愛情を持てない時は偏見をもつね。
66 :
はっとり内臓:2008/12/24(水) 19:40:53 ID:wNaSx+BK
>>57 上手くいったりいかなかったりしてますが、コツコツやっております。
ここ数日、自分のコントロールが出来なかったが、
「いつも静かに笑ってゐる」
この言葉で少し落ち着いたでござる。
それは、デクノボーですな。
宮沢賢治の「雨にも負けず・・」、いいっすね。
68 :
はっとり内臓:2008/12/24(水) 20:48:15 ID:wdsHp0hb
>>67 そうですね。
苦しむ人にも、揶揄する人にも、そしておそらく好意を寄せる人にも、彼は同じでありたいと思ったんでしょうね。
良い悪い があったら出来ませんね。
>>66 いい事じゃ。こつこつ続けるのが最大のこつじゃ。
駄洒落ではないのじゃ。わっはっはっは。
人の行動の裏には孤独感があると観察した。
さみしさを紛らわす為に、人はさまざまな事をしたり、しなかったりするものじゃ。
心が変われば世界が変わると観察した。
ほんの少しの心の変化も、観られる世界の全てを変えてしまうものじゃ。
哀しみの世界と、楽しみの世界はほんの紙一重の心にあるものじゃ。
PC組みながらなんとなく・・・仏教ってオープンソースぽい。
そのせいで、色んディストリ(宗派)も出てくるんだろうけど、
各々がそのツールを使って、自分を構築していくような感じ。
OSだとlinuxの地味で確実な広がり方とか、凄く被る。
Windowsはさしずめバラモン教か。
ソース非公開だから
不具合あっても更新(転生)を待ちましょうねーみたいなw
>>71そう言えばこんなのあった
595 :自在 :2007/02/23(金) 22:12:21 (p)ID:H0EpV0Bs(2)
>>594 なかなか良い例えだ。
例えは事実の一端を示していればそれで良い。
PCのシステムは人をモデルとして作られたために、参考になるところがある。
OSを自我と例えると、禅やヨーガのような集中系の行は、強い集中力によって自我を観照するのであるから、OSを力技で排除しクリーンインストールするようなものと言えよう。
観察はOSの仕組みそのものを理解してOSを排除するようなものと言えよう。
どちらにせよ、最後には自我を観照するのであるから、正式な方法として私は観察を薦めている。
(「自在」=「鬼和尚」の昔のコテハン)
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1150895240/
73 :
はっとり内臓:2008/12/26(金) 19:31:09 ID:ABpLQLjD
色々と疑問が湧くが、自分で試して潰していくしかないようでござるな。
行うのは自分しかいないのだから。
最近やけに夢を見る。
>>72 鬼まにあじゃな。いずれわしの遺稿集を出すとみた。わっはっはっは。
>>73 そうじゃ、何でも試すのじゃ。
他人の方法は、どんな事でもうまくいかんものじゃ。
道は自分で作るしかないのじゃ。
昔のわしは未だ青いと観察した。
人は何故か胡散臭い者に引かれる。
>>74 昔のあなたの方がまっとうで、今のあなたが胡散臭い。
そのように観察されました。
76 :
だって鬼和尚は新興宗教教祖様ですもの:2008/12/27(土) 12:30:02 ID:CYlJivua
75氏、いえっサー。
>>75 わしもそう観察した。
しかし、まっとうな者の話は誰も聞かないのじゃった。
語られた事よりも、人はむしろ語る者の性情を観ると観察した。
有名人がこまーしゃるをすれば、物が売れるようなものじゃ。
>>77 そうですか。そのお言葉を聞いて安心しました。
ずいぶんとご苦労されたのですね。
実際のところ仏教を説くのは困難ですもんね。悟りを得るには悟りを得るしかないわけで。
他のスレで少々批判がましいことを書きましたがお許しください。
でも「わしじゃよ、わっはっは」は今のご時世ではやっぱり胡散臭すぎると思いますよ。
>>77 そんなの、まっとうな者の、まっとうな言葉を必要とする者だけが、耳を傾ければいいだけの話だ。
おもしろキャラを演出すれば、必ずそこにだけ反応する暇人が現れる。
ブッダがピエロや客寄せパンダになってどうする気だ。
真に悟りを必要とする求道者とは、己の在り方や、存在そのものに疑念を抱く人間の事だ。
そして仏道とは己の人生に決着をつける為のものであり、言わば全てを終わらせる手段の一つだ。
それ故に、仏道は「何だか面白そうだから、俺もやってみようかな」とか、そんな軽い気持ちで足を踏み入れる道じゃない。
ってか、こんな軽薄な態度は、本物の求道者にはありえない話だ。
どのみち悟りというものは、それを真剣に必要とする者の身にしか顕現される事は無い。
それを必要としていない者に冥想を勧めた所で、無の深淵を垣間見ただけで逃げ出すのが関の山だ。
実際、アンタの弟子がそうだった様にな。
現代でブッダを自称しようものなら、その無限の愛を期待して群がるガラクタで足元は埋め尽くされてしまう。
バグワン和尚の弟子達「ネオ・サニヤシン」を見たまえ。
まともな者は極僅かで、後はフリーセックスとドラッグが目的のガラクタばかりだったじゃないか。
この事実は、現代ではそれだけ心を病んだ人が多いって事を意味している。
ここでかき集めたアンタの弟子にしたって、似たようなもんだ。
彼らには大悟と言う「殺自我剤」よりも、愛情飢餓や劣等感を中和する「空」の一服を処方するのが先なんだ。
従って、俺は誰彼かまわず大悟の境地に憧れさせ、それを勧めるようなアンタのやり方だけは、絶対に認めない。
アンタのやり方は、最低だ。
前スレを建て逃げしたけど続いていたかw
もうすぐ除夜の鐘ですね、個人的に楽しみにしているイベントなんです。
ゴ〜ンという音になりきり、
音が消えていくのを観察しながら坐るのは楽しいですよ。
82 :
はっとり内臓:2008/12/28(日) 08:12:10 ID:SilTxAcP
夜中のうつろな時は厄介な事が起きる。
こんなのは早く通り過ぎるのが吉でござるな。
昨晩は左右からしがみつかれたのでござる。
にんともかんとも。
>>80 賛否は別として、興味深いレスだと思います。
>愛情飢餓や劣等感を中和する「空」の一服を処方するのが先
…もうちょっと詳しい説明を希望します。
たぶん、条件に縛り付けられて不自由になった
自分という価値観を解放することでしょう。ゴ〜ン・・・
2.6.2の法則って言ったかな。人の組織はまともな者は2割。6割は中途半端。残り2割はろくでなし。
上澄みの2割だけ集めてもやはり2.6.2なんだそうだ。自分の過去の実体験としてもそのように見える。
ガラクタが寄り集まってくるのは覚悟の上で教えていくしかないんじゃないのかな。
法則で縛った空とは、これ如何にw
この苦を解消「しなければならない」という苦に対するこだわりから離れることが肝要だと思う。
だから「無」だの「空」だのと無意味極まった概念をあえて持ってくるんじゃないかな。
苦にこだわらないようにさ。そこで苦を観察することの重要性を説くわけだ。
という書き方をしておいて最後に「わっはっは」とやるから胡散臭さで帳消しになるんだ。
鬼和尚さんはそろそろピエロの化粧を落としたらいいと思うよ。
もう十分に凄みのある素顔に成長したんじゃないか?
一理あるとは思うが、俺は鬼和尚は今のままでいいと思うな。
>>80はまじめな求道者のようだが、何故そこまで感情的に罵倒する必要があるのか。
真理を軽く扱うな、準備のない人間にはむしろ危険だ、聖者ならまじめな顔をしろ。
という事だろうか?気持ちは判らなくもないが。
ラジニーシの話はむしろ普遍的な課題で、ここで問われている問題とは関係がない。
個人的には、
慇懃な顔のニセモノが蔓延る世で、道化の仮面で真実を語る方が、有る意味魅力的に感じる。
それは計算だが、一人でも多くの人に真実を伝えるという真剣さの現れととれる。
虚無の淵に怯え今は逃げ出すとしても、知っていればいずれそこを目指すという選択枝を
与える事が出来る。まず知る事がなによりの優先課題だろう。
「愛情飢餓や劣等感を中和する「空」の一服」はむしろ今の世の中に商品として
あふれているのではないかな?
そのレベルをもってして「さとり」を語るインチキが横行しているのが問題だ。
その様なもので道を濁さず、単純に真っ直ぐ目的地を指し示す教えは貴重だろう。
ユーモアというのは心の緊張と概念をほぐし解放する、最高の処方箋だろう。
「みんな笑うのじゃ」という鬼の態度は、俺は好きだな。
俺は今の鬼和尚のキャラの方が接しやすくて良いと思うけどね。
まじめな態度の奴は腐るほどいるし、返って相談しにくいものだよ。
現実世界ではまじめな態度じゃないとまずいだろうが、ここはネットだからな。
むしろまじめな態度よりは、鬼和尚のような態度のほうが正しいのかも知れんぞ。
みんな、よ〜く考えてみるんだな。
どんな人格を装うとしても結局は虚飾だ
それがわからないから拘る
一休宗純が今の世にいたとしたら、果たして寺に収まって檀家を前に語っていただろうか?
”2ちゃんねる”という「通俗の極み」の様な場所に降りて、面白キャラを演じながら真理を語る、
俺はむしろリアリティを感じるが、ひねくれ者なだけかなw
93 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:46:38 ID:pnwKsa1/
同意です。質問し易い雰囲気というのは非常に大事な事だと思います。一見下らなく
思える質問や、聞いていいのかどうか迷うレベルの問いがあったとして、回答者や
その場の空気みたいなものがもの凄く堅かった場合、質問者が質問自体を取り下げて
しまう事もあるでしょう。やはり
>>89にもある様に、一人でも多くの人に触れて貰う
というのが大事ではないでしょうか。初学者でも修行が進んでる人でも誰でも気軽に
情報交換出来る様な。実際修行が進んでいるのなら、「わっはっはっは」に思わず反応
して、胡散臭いとか軽いとか思ったという妄想に気付きを入れて、鬼和尚の言っている
瑣末ではなくて本質の部分へ目を向ければいいと思います。
94 :
神も仏も名無しさん:2008/12/28(日) 15:49:39 ID:pnwKsa1/
あははは、空と無を認識することを否定して悟りとは、これ如何にw
概念なんか無視して、空を直接見る為に坐っているのではないの?
二元の終わった無に直接突入するのに、坐っているのではないの?
お主ら、死のうが生きようが、涅槃に逝こうが一歩足りとも動いておらんよ。
目のまえの苦界は、正しく見れば宝石の世界だ。 ゴ〜ン・・・・世界平和だな
96 :
88:2008/12/28(日) 19:56:16 ID:2dkU+3RE
とうとう妄想扱いされてしまったのう。。。。
お主らの言っていることが鬼和尚殿の悩みの種なのではあるまいかのう。。。。。
言葉は届かなんだがペルソナは届くのかのう。。。。本末顛倒。寂しいのう。。。。。
一円相はぐるぐる勢いよく回っている。
円の向こうにある未知にジャンプだ、あははは、ゴ〜ン・・・・
自分を喜ばせるだけの行為はむなしくなると思った。
冥想は自慰行為ではないと思った。
99 :
88:2008/12/28(日) 20:25:09 ID:2dkU+3RE
これから借りてきたDVDを観るのじゃ。「ダークナイト」じゃぞ。
もう今日は書き込みできんのじゃ。
ではさらばじゃ。
100 :
88:2008/12/28(日) 20:26:19 ID:2dkU+3RE
すまぬ。「だーくないと」と書くべきであったわい。
わしとしたことが。。。。
>>78 まだ勉強中じゃ。
真実を求める行程は終わりが無いのじゃ。
>>79 何だか知らんが許す。
更に胡散臭くなる予定じゃ。
わっはっはっは。
>>80 おぬしも外見に囚われて人を観ているのう。
仏像のように頭にこぶがあって、重々しく語るのが悟った者と想っておるようじゃ。
それはおぬしの抱えているイメージじゃ。
お釈迦様は出家してから家を持たず、最後まで自ら家々に食事を乞うて周る、乞食僧じゃった。
今で言うホームレスじゃな。
乞食僧を模範とする仏教徒に、どんな立派なイメージがあるというのじゃ。
年中裸で暮らしていた聖者や禅僧などもおる。
そこにはどんな立派な存在のイメージも無い。
おぬしには基本的に自分という者に対する疑いや、どのように在りたいかというイメージへの囚われがあるようじゃ。
それを癒す為に空を使うなら、癒された時点で修行は止まってしまう。
それでは空はノイローゼを癒す為の応急処置に過ぎない。
現実に老病死の苦を体験したなら、誰もが悟りに向かわなければならないと、判る筈じゃ。
死を観るのじゃ。
他人でも、親族でも死に行く姿を観たならば、その時本当におぬしは修行する者に成れるじゃろう。
>>88 まだまだじゃ。
更にしましまの帽子を被る予定じゃ。わっはっはっは。
>>92 一休さんならやったじゃろう。一休み一休みじゃ。わっはっはっは。
考えすぎると混乱と分裂が起きると観察した。
考えすぎも健康に悪いものじゃ。
かっこよく言えばこだわり悪くいえば執着
なぜ、あらゆる自己改革が失敗するのか?
それは「改革する自己」「改革される自己」というように、自己分割が発生するからです。
あらゆる自己分割は葛藤を生み出します。
葛藤は本来の宇宙の流れである変容のエネルギーを消耗せしめ、「変われぬ自己」をつくりだします。
よくスピリチュアル・パラドックスといって「変わらなくてもいいと理解した瞬間に変わりだす」とされますが、それはこういうトリックがあったのです。
観察という行為が自己分割を停止させるようです。
しかし「自己観察」も結局は「観察する自己」「観察される自己」という自己分割をもたらしますので、「目的なき理想なき非難なき正当化なき方向性なき集中なき観察」が求められるでしょう。
それによって自己分割を最小限にとどめるのです。
その時、変容は起こり始めるでしょう。
ただ観る…。
それを観る…。
クリシュナムルティが「観るものは観られるものである」といったのは、こういう事でしょう。
わははは、難しくてわがんね〜
星みてれば星がみていて
山みていれば山がみている
だって意識は一つだもの。ゴ〜ン・・・沈黙
「観るものは観られるものである」ってのは、
比喩とか方便じゃなくて単なる事実なんだけどね。
109 :
88:2008/12/29(月) 08:48:55 ID:6Te9NtXt
>>80の言っていることは無視しない方がいいと思うよ。
書き方に問題があるが、言っていることは次のとおりだ。
「君たちはピエロを欲しがった。それに応えてピエロになった者がいる。
それでいいのか、君たちは?」
110 :
88:2008/12/29(月) 09:08:25 ID:6Te9NtXt
ついでに補足ね。
>>90「まじめな態度の奴は腐るほどいる」だろうが、
本物を知っている人は極めて稀じゃないの?
しかも「奴」扱いってどうよ?
鬼和尚はいい線いってると思う。少なくとも皆さんよりもずうっと
強い仏縁がある。
それをオモチャにしたがるようじゃ自我の解体なんて何百回生まれ
変わっても無理だぞ。
以上は俺の妄想ね。
いろんな人の人物評価がされている書き込みだね。
解体もなにも最初からそんなものないよ。
人間は現在の自分の知るうる範囲内で他人や物事を、こうだと決め付けるのを観察した。
理解の範疇外のものをそのまま分らないものとしておいておく人は少ないとも観察した。
115 :
88:2008/12/29(月) 14:34:07 ID:6Te9NtXt
>>112 「ある・ない」と不用意に言うと「常見・断見」の議論に引きずり
こまれたときに手も足も出なくなるから要注意ね。
>>113 悟りを目標にして行う観察はそれを見るのではないだろう。これも要注意ね。
すでに俺の書き込みは余計なお世話なのだろうが、
>>80を100回読み直して
その意味をよく考えた方がいいと思うよ。
ではごめん。
最低は最高。世の中すべて反対。真実は妄想。妄想は真実。
自我を持っている者は、どうしても自我を中心とする発想から逃れられないと観察した。
地動説のようなものじゃな。
118 :
113:2008/12/29(月) 21:16:43 ID:C2WC3fUZ
>>115 返信ありがとうございます。
でも、あなたの言わんとしている意味がわかりません。
もう少しわかりやすい言葉で説明をお願いします。
119 :
88:2008/12/30(火) 10:54:58 ID:UCWQuuba
おはようございます。
>>118 そこは本来は鬼和尚さんが指導すべき部分ですが、
>>117を見る限りでは鬼和尚さんでも
無理っぽいですね。
「そのように観察している」「自分」を「観察する」とよろしいです。
「花は紅、柳は緑」と「自分は観察している」のを観察する。
観察を一歩離れて、その観察をさらに観察するようにするとよろしいです。
言葉は受け取り方が人によっていろいろになりますから、ご自分の感覚をよく観察して
各人それぞれ自分なりの工夫を重ねてください。
それでは、書き込みはこれで最後にいたします。
鬼和尚様、皆様を正しく導いてくださるようお祈り申し上げます。
皆様もくれぐれもご自分の工夫を忘れないように精進してください。
>>119 おまえは、師のもとに行ってやりなおせ。
>>119 師も、いなそうですね。
本だけ読んで、何もしたことがないのに
気分だけで間違いだらけの指導をするのは如何なものか
折角の機会なのですから、真面目に打ち込んでください。
122 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 14:33:47 ID:MbtBhBe8
とことん仏教は邪教であり退廃文化だな
このスレを見ていると
ゲームの話をしてる中学生とレベルが一緒
いわゆるお宅
それが社会や歴史を突っつくのでなおさら厄介だな
>>122 折角の機会なのですから、真面目に打ち込んでください。
124 :
神も仏も名無しさん:2008/12/30(火) 18:39:36 ID:DrVtMwbr
私は、学生時分から、自分自身に欠けている何か大事なものがあると感じていた。
そしてそれを見い出せるのは外側の何かではなく、自身の内面を探求する事が必要だとも直感的に感じていて、それを探求する為のシンプルなコツの様な事をいつか知る事があるのでは? という予感も漠然とながら感じていた。
そして出会ったのがTMという訳でした。
受講したTMを日々、実習し始めて感じた事は「これと同じ様な事は幼少の頃から無意識にやっていた」という思いでした。
というのは、幼児期より授乳の癖が取れず、それは、無意識に舌を丸める様に上顎側へ付け、舌先をチュウチュウと吸うという行為でした。
外からその様子を見ると、口元を小さくピクピクと動かすカワイイ癖と見られていて、
「あんた、いくつになっても御乳(オチチ)吸う時の癖が取れへんなぁ」と母からよく笑われておりました。
その癖というのは、空腹時やリラックスして落ち着いた時や寝てる最中等に無意識にやっていた事でしたが、それが組織から伝授されたマントラとピッタリ一致するというか、(言葉そのものではなく)、出処が全く同じであり、マントラ=癖とも言えるものでありました。
ですから私にとってのマントラ(癖)とは唱えるものではなく無意識のうちに『100%自発的に内奥より湧いてくるもの』であり、私にとってマントラ=TMテクニックとは、単に無意識にしていたその行為(癖)こそ、内面探求の鍵となる事を理解する為のキッカケに過ぎなかったとも言えます。
因みに今は、マントラ(癖)が出て来なくても、座って目を閉じただけで、至福体験と共に内面に確固たる不動の核を認識出来るものであり、日常生活と瞑想時の隔たりがなくなり、その核と言えるものは、常の私の意識そのものとも言えます。
煩悩の消えるにしたがって、欲が消えていくのを観察した。
消しすぎるとやっぱり早く行くようじゃ。
126 :
113:2008/12/30(火) 21:41:43 ID:Gi8ZPaEL
>>119 返信ありがとうございます。
今回もあなたの言い回しが独特すぎてよく分りませんでした。
次に気が向いた時があったらで良いので、
普通の人と同じような話し方でお願いします。
128 :
はっとり内蔵:2008/12/31(水) 12:40:44 ID:izkIcZJo
落ち着いている。
昨日は、あせり 怒り 悲しみ、多くの感情が湧いてきた。
しかしじっと見てると、それは収まった。
わざわざ自ら薪をくべる必要は無いのでござる。
>>128 いい観察じゃ。
感情も体の反応であると観察した。
体の意識が薄くなると、感情も薄くなる。
130 :
はっとり内蔵:2008/12/31(水) 21:46:33 ID:izkIcZJo
>>129 ありがとうございます。続けてまいります。
来年も宜しくお願い致します。
うほ、除夜の鐘〜もうすぐ!!
無我になる消える音〜♪
除夜の鐘は煩悩を消す音か、それとも煩悩そのものなのか。
煩悩のように生滅を繰り返すではないか。
おととい、クリシュナムルティの『既知からの自由』を買った。
今日、マハーシ長老の『ミャンマーの瞑想』を買った。
紅白はどっちが勝ったのかな。
どっちでもいいけどね。
凍え死ぬ・・・・
音になりきり、消えていくを見つめる。
ついでに消えていく。
根源に帰る皆様おめでとうさん
さて、未知へ、新年坐り。
>煩悩の消えるにしたがって、欲が消えていくのを観察した。
消しすぎるとやっぱり早く行くようじゃ。
鬼和尚さん、「消しすぎるとやっぱり早く行くようじゃ」というのは、
どういうことでしょうか?
>>130 どういたしまして、今年もよろしく。
>>134 おめでとう。今年もよろしく。
>>135 体を保たせようとする意欲が薄れるようじゃ。
喜びさえ必要としなくなると観察した。
無為じゃ。
>>136 >体を保たせようとする意欲が薄れるようじゃ。
鬼和尚さん、それは逝くということですか?
また、それは自分で調節できるのですか?
なんかひとつ欲望を残しておくらしいね
食欲とか家電とかロールスロイス集めとか
観察するって言うけど、本当に観察してるときは観察「する」んじゃなくて自分が「観」そのもの
になってるんだよな
もっと言うと「観」より「 」
正月そうそう久しぶりに体験してビビったわ
去年までは祭りの雰囲気にある程度、感化されたりしたが、普段と同じ精神の状態を保っていた。
お正月だろうが祭りだろうが関係なく、まったく変わらない一日であることを観察した。
それと縁日には3つのお店があることに気付いた。
ひとつは食べ物屋、ひとつは玩具屋、ひとつはご利益アイテムやらおみくじとかよく分らない物だ。
食べ物屋は食欲が刺激されたり腹が減っていれば買って食べる。
玩具屋は面白そうだと思えば買う。
最後のひとつは買えば何かあるのでは? と思って期待して買う。
刺激されなければ買う必要の無い物ばかりだと観察した。
>>137 体が止まるという事じゃ。
調節しているのう。
ある程度、放っておいても観察は進んでしまうものじゃが。
正月は静かになると観察した。
瞑想に向いているのう。
80
>おぬしも外見に囚われて人を観ているのう。
>仏像のように頭にこぶがあって、重々しく語るのが悟った者と想っておるようじゃ。
>それはおぬしの抱えているイメージじゃ。
これは単なる「決め付け」に過ぎないものだとは思えなかったのかね?
なあ、鬼和尚よ。
あんたは誰もが悟りに向かわなきゃならないと、そう思い込んでいるんじゃないかね?
必ずしも人の生は、悟りと言う目標の為にある訳ではないというのに、だ。
「無」や「空」と言う言葉には、束縛のない自由と言う意味もある。
確かに行法や理法としての側面もあるが、決してそれだけではない。
物事の意味を限定してしまうのは、あんたの悪いクセだ。
己の在り方のみならず、全ての物事に「こうあるべき」姿は無いと悟るのは、ある種の人にとっては「救い」なんだ。
憂悲悩苦から人を救うのが己の使命と思うなら、これは避けては通れない話ではないかね?
先ず目の前の問題を片付けなければ、「存在」や「意識」などの根本疑問に取り組む事は出来ないものだ。
だから一切皆空と悟る事で、つかえが取れて修行が進む人だっているんだよ。
まさか「四向四果」を知らない訳でもあるまいに。
今後も導師として振舞うつもりなら、もっと人心の多様性を観察する事だ。
必ずしもこの世の中は、あんたが認識した通りに在るのではないのだから。
>>141 >体が止まるという事じゃ。
鬼和尚さん、それはどういうことですか?
体が止まること=死、を意味するの?
>>142 例えば燃えている家に住んでいる人が大勢いて、中の一人だけが火事だと知っているなら、この家は燃えている、みんなに゛げよと言うじゃろう。
そして、自ら逃れた者は安楽に住む。
或いは苦しい旅路を行く隊商の中で、一人だけが先に行き、前途に宿があり、そこまで行けば休める判れば、みんなにそう言うじゃろう。
そして、自ら行った者が安楽に住む。
おぬしも世の苦から眼を背けず、安楽の境地を知れば、全ての人が悟りを得るべきだと想うじゃろう。
知識を幾ら溜めても真の発菩提心は湧かないものじゃ。
世を観て周れば、苦と言う者がどれほど人を痛めつけているか判るじゃろう。
お釈迦様が観たように、自らの眼で、死に行く人、病や老いに苦しむ者を観るが良い。
>>143 体が止まって、腐っていく事じゃ。
人はそれを死と呼んだりするようじゃ。
変化の一つに過ぎないのじゃがのう。
欲は限定された世界の中でのみ、発動されると観察した。
他人に自慢したいから服を欲しがるとか、そんなことじゃな。
145 :
はっとり内臓:2009/01/04(日) 10:32:17 ID:E1mELvCW
股関節について2つ。
位置が整ってきたので、坐の姿勢が少し良くなりました。
拙者も含め、すぐカリカリして プライドが高く そのくせ自信が無い 奴は、大抵股関節がガチガチだった。
ましになるといいのだが。
呼吸が下の方に降りてくるので、精神に与える影響もあると思う。
孤独によって他人への執着が起こると観察した。
執着が無くなれば、世を捨てるも自由じゃ。
147 :
すもも:2009/01/05(月) 15:21:47 ID:CJA8YIJ0
エックハルト・トールの「ニュー・アース」を読んでよかった。
今、目の前にあるやらねばならないこと(歯を磨く、髪をとかす、階段を下りる、電車に乗る、請求書に目を通す等々)を、
人生の目的ととらえ、それに全身全霊であたれば「今ここ」がわかるとあったので実行してみたことで、
いつも抱えていた苦痛は、意識が「今ここ」にないことから“のみ”、来ていたことに気づいた。
そしてそれを続けていると、過去や未来を不安や不満なく眺められるようになれる気がするのは、今この地点に苦痛がないからだと気づいた。
日々の行ないの中で瞑想してるみたいで気持ちがいい。
まだまだ気持ちが揺れるけど、これはずっと続けてみようと思う。
>>147 そだね、何故か解らないけど思考を停止させるといいみたい。
前に言った「ムー」もその一つかな。
>>147 いい事じゃ。
行いが瞑想になればいつか苦を観る事も出来るじゃろう。
人にはもっと判り易く書かなければならないと観察した。
もしかすると殆ど判っていないかもしれん。
鬼さん、よく気づいたな。はっはっは。
日常の手元に全てが集約されている。それになりきることは立派な瞑想。
152 :
すもも:2009/01/06(火) 10:34:39 ID:0evaSEkA
>>148 うん、そうなんだね。
思考は、記憶に基づいて作り上げた物差しをベースにした自我のおしゃべり。
それを完全に止めて「今ここ」に生きられれば悟りなんだろうけど・・・むりぽ。(>_<)
ていうか、あたしは悟り方面に首だけ向いてれば満足。(~o~)
今年もよろしく。m(__)m
>>149 >>151 ありがとうございます。
方角は間違っていなさそうですね。。
報告書を作る。キーボードに打ちこむ。そのこと自体を「人生の目的」にする、
という言葉が、私には効きました。
>>152 なるほどね!思考をやめれば、その時々に応じた対応が自在に出来るんだね。
だから、坐禅して思考を止める訓練をしてたら普段に活かせるんだね。
「今ここ」その時々が目的かぁ〜。柳は緑、花は紅みたいなもんだね。
今年もよろしく〜(=゚ω゚)ノ
154 :
新興宗教鬼和尚教のナルシズムのファィヤー:2009/01/06(火) 11:37:53 ID:F/BuYyCB
今年もナルシズムショウ、ノンストップてか。
オーニーナルシズム協力隊も健在なり。
思考を止めるなんて無理があるよ、
連想を止めるだけでいいと思うな。
>>150 やっぱりそうじゃったか。
説法をやり直す方が良いのう。
>>152 どういたしまして、又おいでなさい。
集中力があれば、様様な事も起せると観察した。
主観的な世界では、奇跡のような事も日常になるのじゃ。
昔の人はいろいろと不思議なものをみれたようじゃと観察した。
異世界が普通に見えたようじゃ。
>>157 普通に集中力と観察力が高かった事と、
決め付けのような思い込みが無かったと言うことでしょうか?
昔、近所にいた高橋さんは湖の上を歩いていた。
アームストロングさんは月面を歩いたらしい。
あの映像は「ワシが撮った」と高橋さんが言っていた。
こんにちは。お久しぶりです。
最近、記憶との対峙だけになってきた。
それと、毎日飼い犬や母親に相対する度に発露する愛着から、「いいじゃないかそんくらい」という情の抵抗、
そしてその抵抗が、流れ行く観念として溶解する過程の観察。
そして、以前よりもまどろんでいる時間が増え、そこで自身の記憶力に対する懸念があったんだが、その判断基準もろとも、今日くずれ去った。
今日、TBSで、若年性アルツハイマーのドキュメント番組テレビを見て、それが僕に起きている事態と全くの別物だということを観察したから。
アルツハイマーに関しては、脳の神経に対する物理的な現象に起因する、記憶・判断力の障害。
その後に憂い、焦りなどの精神的な痛みが生じる。(アルツハイマーは、喜怒哀楽はありありと残るらしい)
僕の場合、認識に置ける一切の判断基準が一旦(一旦なのかよう分からんけど)剥がれる事。
そしてそれに付随して、単純で根源的な恐怖みたいなものがあると観察した。
目の前のものの名前、概念、印象が無くなって来て、なんかキラキラしてきている。
今まで煩悩にまみれながら見ていたどんな絶景よりも、目の前の物(自分の腕やベッド、机、室内)が美しい。
なんか最近、そんな感覚がよく来る。
余談ですが、今日の番組に出ていたおじさんとおばあさんは、少年少女のような目をしてました。
必要な物と同時に余計なものも排除され、目の前の物事に否応なしに集中していく事によって、ある意味で純朴になっていく、そんな変化なんじゃないだろうかと観察しました。
いつも長文、失礼しました( ^^)>
163 :
すもも:2009/01/08(木) 11:39:58 ID:oxxbYJtk
うん、「花は紅」がどれだけ深い言葉か私にはわからないけど、
例えば、茶碗を洗う。
茶碗を洗うことが今まで生きてきた目的であるかのように洗う。
そしてその目的が今果たされている、という気持ちになるまで全身全霊で洗う。
よく目的が果たされたら死んでもいいと思うじゃない?
その気持ちになるくらいやる。
そうすると、ちょっとカッコつけて言うと、ガンジーの
『明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるかのように学べ。』
みたいな心境がちょびっとだけ見えたりする。
あーこのことかも・・って。ほ〜んの一瞬だけどね。(^^ゞ
あと、この頃なんとなくじわ〜っとほの甘い感謝の気持ちがわいてくる瞬間があるので思った。
人間には二重のデフォルト状態がある。
最初の層は競争心や虚栄心、妬み嫉みとかのネガティブな層。ほおっておけばこの状態。
で、その下に隠れているのが二つ目の感謝とか愛とかがある層で、
だから一生懸命努力したわけじゃないのに、なんとなく沸いてきたということは、
つまり元々デフォであったんだ、と。
おーーっ!って思った。
これもほんの一瞬だけど。(>_<)
すももさん成長したね〜。
って生意気みたいでごめんなさい。
自分も少しずつ感覚がわかるようになって来てて
似たフィーリングがあったものでチョト書き込ませていただきました。
お掃除はかどってる ^^?
遠隔意識で人間みな かなり繋がってるかも・・・。
自分に欲があるんじゃなくて欲が自分なんじゃないかと思った。
>>163 なるほど、今、自分の置かれている立場に大満足して目の前の事に一生懸命取り組むって事かな。
役に徹するっていうね、茶碗を洗う時は茶碗を洗う、草むしりするときは草むしりをする。
坐禅の時は坐禅が目的。
167 :
はっとり内臓:2009/01/08(木) 15:51:21 ID:BDop8PhW
生きるのは、大変でござるな。
>>168 人間の本質とかじゃなくて今の自分のことなんだけど
170 :
すもも:2009/01/08(木) 19:04:40 ID:P6V5jV+h
>>164 >お掃除はかどってる ^^?
うん、けど、威張れない。
もともと私だらしないから・・(^^ゞ
でもはぁ〜。龍賢さんが恋しいな。
>>166 うーん、なんていうのかな。
「今ここ」を突破するために、茶碗洗いで今を埋め尽くす、って感じで、
満足は副次的なものって感じ・・かな。
つーか、なにわっこちゃん。
すももの言う事なんかマジ聞きするなっての。あほか。
>>158 そうかもしれんのう。
今と昔の人では心も違うようじゃ。
>>162 ずいぶん上達したようじゃ。
これからは悟りを得るかどうかという決意が試される事になるじゃろう。
自我の生起が観えた時、躊躇わずに進むと観照が起こるじゃろう。
>>163 いい事じゃ。
日常に気付きが多く見られるようになったのう。
一歩一歩進むのじゃ。
日常の一つの動作に集中できるなら、それは悟りだよ。生きた禅だと思うよ。
見性して実在世界をみても、観照して智慧を垣間見ても、それはそれに過ぎない。
体験に執着すると世間で生きるには却って邪魔にさえなる。
手元に集中して、それが自分から過ぎ去るとき、
花は紅だろうが、赤がなに色だろうが、全て無色透明。
>>171 解りました。頑張ります( ^^)>
真理を求める人は、鬼和尚(に限らず、現代の覚者や賢者、過去の先人達)になんとなく引き寄せられてゆくのだと思った。
そして、修行が進むにつれ、和尚から離れてゆくのだとも思った。
もう、お別れみたいです。
短い間ですが、お世話になりました。
僕はこのままもうすぐ悟るかもしれんし、ビビってこのまま一生悟らんかもしれん。
もしかしたら、不意の事故で死ぬかもしれんw
二十歳になって、お酒の味を覚えたばかりなのに、最近は毎日死を待つ老人の気分です。
死を越えることは、生きながらにして、死をありのままに観きること。焦らず怠けず、また、さいのように頑張ります。
みなさん、どうもありがとうございました。
( ^^)っ[王観#3khuB,0c]
>>169 正確に言えばあなたの意識に欲や色々な想念が取り付いて、
その様に思わせているだけです。
よく霊の憑依現象で突然行動が変わったとかありますけど、
あれの軽い版です。普段から憑依されてるので気付かないだけです。
人間、みんながみんな憑依されてるのでそれが自分だと思ってるのです。
>>171 ヤッパリ今と昔では違いますかね。
昔の歴史や物語を見ていると、それだけではなく物理法則までも、
違ってるんじゃないかと思うようなこともあります。
176 :
すもも:2009/01/09(金) 12:04:41 ID:5+4DexUs
>>172 『生きた禅』
これが自分の探し物だったのかな。。
ていうか、私には、悟りとか禅とかいう言葉自体にすごく硬直したイメージがあるなーと気づきます。
実際、それらは手元にあるのかも。
>手元に集中して、それが自分から過ぎ去るとき、
>花は紅だろうが、赤がなに色だろうが、全て無色透明。
意味はよくわからなかった。
けれど、詩のように感覚的にとらえて勝手に清々しい気分になりました。
>>171 和尚様
はい、一歩一歩、普通の気持ちで行きますです。
有難うございました。
177 :
すもも:2009/01/09(金) 12:07:32 ID:5+4DexUs
>>164さん
素直にうれしかったことお伝えするの忘れました。
どうもありがとう。m(__)m
「似たフィーリング」にもwktk。
>>175 あは。どーりで気が合うと・・(ry)
数息感を行い集中していれば寒風が吹いてもそれほど気にならずに、
そのまま数息感を行うことが出来た。
しかし数息感が終わり体を動かすと、体が冷えて皮膚がパリパリとして、
やはり寒かったのだなぁと観察してました。
ふとこれが人間関係だとしたら、
相手から怒られ罵倒されても、心を平静に保つすべを身に付けていても、
(ちゃらんぽらんに聞くのではなく真面目に聞いた上で)
肉体的にも一部精神的にも痛いものは痛いんだなぁと気づきました。
考えても見れば、火に触れば熱い。氷に触れば冷たい。
怪我をすれば痛い。体を動かせば疲れる。
それと同じ事だったんですね。
>>173 そうじゃ、さいのように進むのじゃ。
既におぬしは悟りへと行く道を知った。
進み続ければいつか向こうで会うじゃろう。
>>174 認識が違えば、観るものも違ってくるものじゃ。
実際には客観的な事実などは無いのじゃ。
昔の人の認識は既にわしらとは違い、世界も違うのじゃろう。
>>176 どういたしまして、又おいでなさい。
風邪は喉の裏側からやってくると観察した。
体を真っ直ぐにしていれば風邪も防げるのじゃ。
華厳の景色
このところ静かだね。
とってもいい感じ。
みんなサイの角になったんだよ
>>181 そうかもしれん。
>>182 さいかもしれん。
世界の真の在り様は混沌であると観察した。
人の認識は混沌の内に、仮説による秩序を見出しているだけなのじゃ。
これかな?
40 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、
つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、
犀の角のようにただ独り歩め。
脳が沈黙して現れる混沌の先があると思う?
>>184 そうじゃ、もっとあるじゃろう。
さいの角のように歩むのじゃ。
>>185 混沌の外には無がある。
それは人間の心の限界でもある。
世界とは心と離れたものでは無い故に。
心と世界は一つであると観察した。
心が即ち世界そのものなのじゃ。
>>186 >心と世界は一つであると観察した。
>心が即ち世界そのものなのじゃ。
心が即ち世界なら、心と世界が一つだと観察してるのは何なのですか?
それも無なのですか?
無ではなく観察しているものがいまだあると思えるのですが、そこがいまいちわかりません
観察だけあって観察するものが無い
>>188 それはわかりますが、そこで終局ですか?
自分が世界であるとき観察もないように思いますが、なぜ観察が残るのですか?
自我がなくても知覚する部位があるからですか?
その運動に終わりはないのですか?
自我が無くても五感はある
死ねば終わる
いや終っても見るだけはあって、
そのまま起きて、再構築が起きる。
>>189 頭で考え理解しようとしても実践を積まないとわかりませんよ。
>>192 自分なりに実践はしてますが視点だけは残るもので、これで終わりなのかと
別にこだわりはないので終わりなら終わりでいいんですが
正確に言うと対象と自分の区別がつかなくなりかけた(自分がどっちかわからなくなった)とき
があって、観察も消えるのかなと思ったんですよね
195 :
はっとり内蔵:2009/01/12(月) 14:29:16 ID:YQTTo+Ic
くいぶち探しに奔走していたでござる。
何とか生きていけそう。
追い込まれて深い部分が顔を出してきた。
それは利己的で生々しく弱いものだった。
怒って泣いて笑ったのでござる。
無表情に生きるよりは数段マシですよね。それでも心とはやっかいなものでござる。
まったくでござる
198 :
すもも:2009/01/12(月) 18:09:53 ID:vhvyvEWc
今日、ある執着を少し手放せたような気がする。
嫉妬、独占欲、愛されたい欲、認められたい欲。
それらがないまぜになって襲ってきたので、「今ここ茶碗洗い」の要領でその感情にどっぷりと浸ってみた。
「今」という瞬間を苦しい気持ちで埋め尽くしてみた。
は〜苦しすぎ。
でもしばらくすると、まるで台風の目の中に首を突っ込んだような、
?という、気持ちの抵抗がなくなる瞬間があったと思ったら胸がすーっとした。
これが手放したということかな、と。
これが和尚の言う「苦を観る」ということかな・・と。
あと、一休さんの、「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候」ってこのこと?・・じゃないですね。(^^ゞ
>>187 それは言葉による表現によって心があり、世界があり、両者が一体であると書くのじゃ。
本来は言葉には出来ないものであり、そこに観る者と観られる者は無いのじゃ。
このように言葉で書き表す事によって、おぬしの認識はそこに分別を以って両者の違いを分け、そこに更に観る者の存在を投射するのじゃ。
そこには二段階の不知があるのじゃ。
言葉によらないものを無理に言葉にした為の不知と、未だ悟りを得ていない者の認識による不知の二つが真実への理解を拒んでおるのじゃ。
真実は自ら行って掴むよりないものじゃ。
>>195 いい事じゃ。
弱さを知れば受け入れる事が出来る強さが現れるじゃろう。
>>198 そうじゃ、今ここにある苦を観たのじゃ。
それは今ここにおいて観られる時、消えていくものじゃ。
苦しい時には逃げずに苦を観てしまえば良いのじゃ。
言葉の限界を観察した。
やはり限界はあるものじゃ。
202 :
神も仏も名無しさん:2009/01/12(月) 22:04:35 ID:XJnAs9tM
言語にしたとたん、真実から離れるというのはわかります。
でも、釈尊の言葉は、真実でしょう
言葉も、うまく使えば真実を表すことができるのではないですか?
203 :
はっとり内蔵:2009/01/12(月) 22:18:45 ID:YQTTo+Ic
>>196 あらら。淡々とした生は拙者の目指す所なんですけどね。
しかし今回 現実のパンチを食らって「装い」は全く歯が立たないのがわかりました。
>>200 観たくないものが観えて、それを受け入れるしかない。
修行の道は、入り口は様々なれど一本道のようでござる。
現実に今やるべきことがあって、それをやる。立派だ。
205 :
すもも:2009/01/12(月) 22:58:15 ID:vhvyvEWc
>>201 ありがとう。いつの間にかずっと一休さんだと思ってた。
恥ずかしい。
>>200 和尚様、有難う。少しずつわかってきたよ。
あれから別のことで少し心が折れて、それでも何も手を貸さない自分が見えて、
私は誰だ? 自分を見殺しにして無表情に遠くを見つめている・・
と思ったら、あー違う。
あれは今ここにいない私だ、心がどこか遠くをさまよっている私だ、と気がついた。
心を今ここに置いておく、今ここに生きるってこんなに難しいんだね。。
有難うございました。またよろしくお願いします。
何か物事がおき、心の中で悪いと思うと罪悪感が発生するのを観察しました。
自分の場合、必要以上に悪かったなぁと思い込む部分があったため、
それが自分に苦を発生させている要因の一つなのだなと、観察しました。
実際のところ自分は大して悪くないのに、必要以上に罪悪感を持ってしまうため、
他人からの批判が(特に一理あるが殆どは無茶苦茶ないちゃもん)苦となってしまう。
良い人であろうとする想いがあったためなのでしょう。
しかし、観察が出来るようになって不動心が身についてきても中々気付かないものですね。
観察して冷静に見ることだけにかまけて、自分の心の奥からの声に、
耳を傾けなかったのが中々、理解にたどり着けなかったようです。
>>203 淡々はいいですね。オレも自分の心の動きの癖みたいのを観つくした上で、
そういう境地になれないかなあと。自我の在りようを少しずつ変えていくのが
心の修行だと思ってます。
生きてる内には自我は無くならない、なら自分が納得できる自我でありたい。
>>202 多くの者が勘違いしておるが、毒矢の喩えと言う教えがある。
毒矢に射された者が、その毒矢を放った者がどんな者だとか、そんな事にかまけていられず、直ぐにでも毒を解く方法を行うように、お釈迦様の教えも悟りに至る実践的な修行法を説くものであるという教えじゃ。
その通りにお釈迦様の説いたのは、悟りを得るための修行法なのじゃ。
それがそのまま言葉による真実を表すという訳ではないのじゃ。
彼岸へ行くいかだであり、彼岸そのものではない。
道を示す道しるべであり、道の果てにある目的地ではない。
そのように理解するのじゃ。
>>203 そうじゃ、弱さも醜さもみんな受け入れて否定も肯定もしないのじゃ。
それが真に己を知るという事なのじゃ。
>>205 心は捉えがたく、さまざまに移ろい行くものじゃ。
その心を制すれば苦も消せるじゃろう。
又おいでなさい。
>>206 良い気付きじゃ。
正しい定によってこそ正しいサティ(気付き)が起こるのじゃ。
人間はいろいろな交渉方法をとると観察した。
人の数だけ交流手段はあるようじゃ。
あっちのスレとこっちのスレはえらい違いですね。
あっちは荒い紙やすりでお互いをジャリジャリと削りあってる。
こっちは磨きあってる、といったところかな。
211 :
神も仏も名無しさん:2009/01/13(火) 23:35:13 ID:VdLEpGTE
対治ということについて疑問があります。
怒りの心がムラムラとわき起こってってきたことに気づいたとき
この怒りが無くなるまで観察したほうがいいのでしょうか。
それとも、不瞋の心という善心をおこして、怒りを対治したほうがいいのでしょうか。
小乗の本には前者、大乗の本には後者の対応法が書いてあります。
>>210 プッ・・・と不謹慎にも吹き出してしまった。
「紙やすり」の譬えが、あまりにも的を得ていたのでね。
あれじゃ、和尚も大変だわ!
鬼和尚様、毎日ご苦労さまでござります(合掌)
213 :
206:2009/01/14(水) 20:50:25 ID:HZr6NCli
この前の書き込みの時の経験で、
湧き上がってくる想念を無視して封じる事も出来るが、
わざと想念を何もせずそのまま走らせて、
それを観察することも出来ると気付いた。
不条理に相手を攻撃したり怒りをぶつける上司と、
2年ほどの間に5人、仕事をした。
この人達のことを思い出すと良い感情は持てないので、
彼等に対する想念は基本的に無視して、
想念とそこから発生する感情を出さないようにしていました。
ですが上の事を実行してあえてその湧き上がってくる物を観察しました。
彼等から怒られている状況が浮かび上がると、
逆に自分の中に封じられ抑圧されていた怒りの感情が、
彼等に対して言い返します。イメージの中の相手も言い返します。
しかし、こちらも今まで相手と関わってきて、相手がどういう正確か、
そう言う行動をする人間が回りからどんな目で見られているのか、
知っているので、とことん言い返しました。
イメージの中の相手ですら、言い返せなくなり真っ白になってしまうほどです。
更に言います。
あんたはこの職場でそれなりの地位で部下たちも言うことを聞いてくれるが、
本当は迷惑しているし、みんなあんたの事は嫌っているとか言い、
相手には職場の人間が皆、敵であるかのように思い込ませます。
そこまで言ってしまったら相手は職場で針のムシロで、
実は家族からもそう思われてるんじゃないかとかまで言い、
どこにも気が休まる所は無くなるほど言ってやります。
まるでこういう相手は絶対に許さない。と言う位に。
そして暴走する想念と感情が、相手が自殺するかもという所で、
自分と相手は同じだったと気付きました。
214 :
206:2009/01/14(水) 20:51:46 ID:HZr6NCli
外に出すか内にしまうかの相違はあるが、
絶対に敵意を持った相手を許さない攻撃心、
どこまでも相手を追い詰める部分は共通している。
違うのは攻撃の対象ぐらいで、内に秘めた物は同じでした。
彼等は私自身だった。だから彼等を引き寄せたのでしょう。
苦の発生原因は自分自身だったみたいです。
正直、自分の中にこんな物が眠っていたのは全然気付きませんでした。
(そう言う風に想起してしまうのは知ってはいましたが)
止観の行がある程度、進まないと知っていても気付きにはいたらないのでしょうか?
>>208 ありがとうございます。
やはり集中と観察が大事なんですね。
215 :
206:2009/01/14(水) 20:53:44 ID:HZr6NCli
それと今回このような物を見つけるまで観察を行いましたが、
ここまでドス黒い物が自分の内側に溜まるような原因となる経験は、
今までの人生ではしていないはずです。
輪廻転生はあり前世とやらも本当にあるのかも知れませんね。
>>211 観察するのじゃ。
怒りは縁によって生じ、縁が無くなれば消えていく。
そのありさまを観察するのじゃ。
>>212 おぬしもご苦労さんじゃ。
>>214 そうじゃ、知識と気付きは違うものじゃ。
気付きは定などによる平静な対象を離れた心から起こる。
知識は記憶から起こるものじゃ。
又おいでなさい。
人間は言葉とは裏腹な感情を持っていると観察した。
なかなか複雑じゃな。
217 :
すもも:2009/01/15(木) 03:38:32 ID:D7H+GDBX
徹夜仕事でちょと覗きに来ました。
ラジオからクラシックが聞こえてる。
好きだけど、時々の気分が増幅される感じが怖い気も。
ふーむ。。なにわっこちゃんの修行は進んでいるようだな。
私は悟りはいいな。でもその道すがらは気持ちがいい。
だから人生ラクチンになったな、楽しいな、と思えるところまでいければいい。
仕事とか世間とお付き合いしている時は、脳に血がいっていて脳の中の声が高い感じがする。
でも、世間から離れて自分に正直になろうとすると脳から血がひき、自分の声はお腹から聞こえてくる感じになる。しかも低い。
大発見だ。
すももさんおはよ♪
捨てて行く感じがわかったよ。
色々と沸き起こる想いを捨てていく。
すると段々自由になり楽チンになるんだよ。
捨てていっても必要な時は心が自然と反応してくれるよ。
219 :
すもも:2009/01/15(木) 10:00:50 ID:+JRnmVn2
なにわっこちゃん、おは〜♪
捨てていく・・。
気に留めないとか、流していくって感じかな・・。
捨てていっても必要なときは心が自然に反応してくれる、というのがいい言葉だな。
今朝は、ストレスがたまるのは、お腹の中の声を出して生きていないからだと気がついた。
大嘘つきの人生は疲れるんだなーと今頃気がついたけど、
お腹の声は、心が今に集中しているときにしか聞こえてこないこともわかった。(>_<)
それでふと思ったけど、その捨てていく感じは、今の私の感覚で言うと、
脳でなくてお腹で考えるっていう感じに近いのか?
脳で発生するやつなんか「捨ててしまう」。。みたいな。。?
あーやだ、無理しないことにしとこ!(~o~)
坐禅の時どうしても雑念、妄想が離れない時は、お腹に意識をおくっいってたよ。
だから、すももさんの方法であってる。
修行を積んだお坊さんは、常に腹に意識があるらしい。
222 :
すもも:2009/01/15(木) 14:20:59 ID:rq5tBcc8
>>221 えーそう?!
有難う、いつも励みになる。(*^_^*)
223 :
とほほ:2009/01/15(木) 16:27:50 ID:f+w8bvgH
>>217 昨夜の丑三つ時でござった・・・
地をはうような低い
マントラでも唱えているかのような声
スワ・・・
なんとすももが、クラシックにあわせてハモっていたのか・・・
なにが「大発見だ」・・・命が縮んだでおじゃる。
224 :
すもも:2009/01/15(木) 18:23:26 ID:dYlZfowD
仲良くするのはいい事じゃと観察した。
人の和が一番大事と聖徳太子も書いておった。
前の観察で自分の中の強い攻撃心は観察できたが、
他人の言動にあれこれと反論したりする心が消えたかというと、
首を横に振るしかありません。
今日も上司に反論する想念が浮かび上がってきたが、
前のように徹底的に追い詰めるようなことはせず、
此処の所はおかしいそうじゃないと論理的に言い返して、
二言三言、言い返し相手が反論出来なくなった所で終ってしまいました。
満足したとか、そう言う感じです。
一度観察すると前ほど自分の中で幅を利かせていた良くない物は、
力が弱まるのを観察しました。
>>222 普段でも、呼吸に集中して腹式呼吸でムーってやると、お腹に意識があるような気がする(`・ω・´)
228 :
すもも:2009/01/16(金) 11:27:39 ID:RS2bk6Yz
>>227 ↑なにわっこちゃん?(違ってたらごめんなさい)
ムーて何?呼吸法?
229 :
すもも:2009/01/16(金) 12:07:24 ID:XyGroiAr
あー疲れる、自分に。不動心なんか夢のまた夢。。
と思ったら、自分は「不動」を一本のまっすぐな強い木になることだと勘違いしてたことに気づいた。
形のない流れる水になればいいのか・・と。
少し楽になった。
>>228 ムーは禅寺で、最初に取り組む修行の一つで「犬にも仏性がありますか?」「無い」
さて、本来みな仏であるはずなのに何故無いのか?無いを探して来なさい。って公案と呼ばれるもの。「無門漢」で検索すると出て来る。
実際には坐禅するときも、普段からもひたすらムー!ってやって行く。
仏教を知らない人でも、ムーの答が解れば、目が開くと言われてます。
>>226 相手がエゴでものを言ってても呑みこんで忍耐堪忍。
ってなかなかできないよね。w
でもそこからしか始まらない気もするが。
232 :
鬼愛好デタラメ仏教研究会:2009/01/16(金) 14:29:52 ID:FepoVgWT
相変わらず、ますます酷くなるねえ。
233 :
鬼ウンコ老廃物概念崇拝スレ?:2009/01/16(金) 14:42:59 ID:FepoVgWT
オーニーウンコ製造マシーンと自演で喜び組てか。
無門漢×
無門関○
すません〜
>>226 そうじゃ、観察が行われれば、煩悩の弱まり、いずれ消えていくものじゃ。
それが気付きというものじゃ。
>>229 そうじゃ、水がどんな器の形にもなれるように、どのような状況にも応じられるのが不動心じゃ。
おぬしも夜寝る前に五分でも数息観を行えば、身に付ける事が出来るじゃろう。
心が荒んだ者は何を見ても悪く見えると観察した。
すでに客観性を無くしている故に、自らの心が荒んでいると気付かないようじゃ。
236 :
神も仏も名無しさん:2009/01/16(金) 22:12:54 ID:coFEUWHL
心の中に他人がいて、なかなかひとりになれない、と観察しました。
依存心なのかな
237 :
すもも:2009/01/17(土) 12:10:45 ID:Hez3b9fe
和尚様
数息観、はじめて
>>2からちゃんと読んでみてw、そして初めて頭に入りました。(^^ゞ
やってみます。
茶碗洗いの行の方が大事なんじゃ・・?なんて思っていたけど、やっぱり日常の中にとりまぎれて忘れてしまうのも確か。
>>230 「 カウンセリングと禅」山本喜義さんのページ
http://www3.tokai.or.jp/counseling-zen/link2.htm 私のような禅の初心者にわかりやすく書かれてた。
「吐く息も「ムー」、吸う息も「ムー」と、自分を空じていくというか、自分を「無」にしていくということです。
それが「虚無」の「無」ではなく「有無」の「無」でもないという、そういう意味を越えた「ム」というのです。」
「息を吐くということは自分が天地宇宙の事々物々の中に融け込んでゆくことであり、息を吸うということは、天地宇宙を自己の腹中に収めるとも考えられる。
それは天地宇宙の真理の中に自己が融け込み、また天地宇宙の真理を自己の内に摂取することにもなる。
けっきょく一息の中に天地宇宙の真理と交流することになる。」
238 :
はっとり内臓:2009/01/17(土) 20:29:54 ID:DkH5aWlD
波が凪いでいようが津波であろうが、地殻表面のむなしい抵抗のようでござる。
何も出来ないのか。
>>236 それも記憶じゃ。
独りになれば消えてくものじゃ。
>>237 頑張るのじゃ、わしがついとるぞ。
>>238 何もしなくて良いのじゃ。
為すべき事が無いと知るのが無為自然というものじゃ。
悟りを得るのを恐れている者が多いと観察した。
恐怖が無ければ多くの者が既に悟りを得ているじゃろう。
240 :
はっとり内臓:2009/01/17(土) 21:34:13 ID:DkH5aWlD
>>239 レスありがとうございます。
今は「受け取ることしか出来ないな」という状態です。
作務ってこういうことか、神を信じる人は入り口が既にここなのか、
というのが、頭ではなく実感を伴った理解になってきました。
241 :
幻想してみた:2009/01/18(日) 02:09:29 ID:E8Z4WAco
>悟りを得るのを恐れている者が多いと観察した。
>恐怖が無ければ多くの者が既に悟りを得ているじゃろう。
それは恐れますよねw
肉体的死を超えることが悟りの必要条件だからです。
この肉体にとらわれている多くの魂をいかに解き放つのか
そのための甘い言葉であり 誘惑であり
方便であるわけです。
しかし 僕が思うに
そうした方便を使っても
結局 自死を観た者は その多くは懐疑的になり
修行を止める もしくは 遠くから見る 様子を見る
そうした態度をとるのではないでしょうか。
僕も含めそれは避けることができないと思います・
よほど才能がなければ
多くは懐疑的になります
>>237 いつか、宇宙と一つになりたいですね。
今、お寺にいますよ〜
243 :
すもも:2009/01/18(日) 11:34:09 ID:5Bl0bHU1
>>242 わっこちゃん、おはよー!
寺かあ。えらいのう。
私はこの土日仕事してるのだけど、気分転換に散歩でもいって来るかな。
そういえば庭の梅のつぼみが小さく顔出してた。
こんな顔→(>_<)で
244 :
226:2009/01/18(日) 13:18:57 ID:MPEjXLV+
人間、様々な事柄をフィルター越しに見ているのを観察しました。
一昨日の仕事は六時から二十二時と半端無く長く、
次の日は仕事したくないなぁと思って嫌な気持がでました。
この嫌な気持を観察してみると、薄暗い闇のフィルターのようなイメージで、
このフィルター越しに物事をみると、嫌な気持が発生するのを観察しました。
(この辺はイメージなので、人によってイメージは違ってそう)
>>231 ヤッパリ中々、出来ないですね。
いくら忍耐で耐えても、結局は目の前の出来事を無視していることになるので、
根本的な解決にはならないようです。
ヤッパリ観察して原因を見つけないことには解決しないんでしょう。
>>235 なるほど、ありがとうございます。
これからも集中と観察行を行いコツコツ行こうと思います。
>>240 いい事じゃ。初心が大事じゃ。
>>241 そうかもしれん。
平然と心身を捨てられる者は少ないものじゃ。
それが修行しなくとも、いずれは無くなると理解すべきじゃな。
>>244 続けていればいずれ行き着くじゃろう。
人間は意識を感じていないと観察した。
そこに齟齬が生じるのじゃな。
上司は礼儀がないと怒る
同僚は自分をうわまわると怒ると観察した
247 :
神も仏も名無しさん:2009/01/19(月) 00:14:39 ID:e+3n/V2u
世捨て人になり
頭を丸めて山にでもこもれば
怒りも ねたみも 愚痴もなくなるよ
できればだけれど
できません。欲が捨てられません。
捨てた気になっても職場行ったり街に出ると戻ってきます。
>>243 すももさんおはよ☆彡
仕事お疲れ様でした。
もうすぐ梅かぁ、早く春が来ないかな、冬は苦手だ。
お寺のいい所は、みんな集まって坐禅するから、ネットの情報とかから湧く妄想が無くなる感じかな。
いざ、いってみると悟った人も修行してる人も案外普通の人なんだよ。
当たり前の事やけど。
250 :
すもも:2009/01/19(月) 16:10:29 ID:fz6coAAg
わっこちゃん、こんちわ。
寺に行くとその場に没頭できるから確かに効用ありそうだねー。
宇宙と渾然一体の呼吸をしてきた?
251 :
すもも:2009/01/19(月) 16:12:16 ID:fz6coAAg
和尚様
数息観、挑戦。二日目です。
意識が頭にあると思考が活発で雑念が多く、お腹の方にもっていくほど意識が集中されてくる感じがします。
今までも思い出せばやってたのですが、いろいろ理解してやり始めると、今までのはただ目をつぶっていただけだったなとわかります。(~o~)
何かに執着して苦しんでたりすると、そこに意識が集中していると思いがちだけど、あれは逆にバラバラで、無数の雑念にしがみついているだけ。
雑念をとり、意識を集中させていけばなるほど自動的に執着が消えて苦も軽くなっていくのかな・・と感じました。
>>246 なかなか鋭いのう。皮肉が効いておる。
>>251 いい事じゃ。
続けていれば一日一日と上達していくものじゃ。
人間は記憶から離れられないと観察した。
記憶が自分であると多くの者は認識しておる。
すももさんおはよ。
宇宙は感じなかったけど、坐ってる時間が短く感じるよ。
254 :
新興宗教鬼和尚教ナメナメクラブ:2009/01/20(火) 12:27:38 ID:oMJh/NMN
イメクラよりも、今やオニクラだ。
オーニープレイ。
行動原理として、やれば得するからやる、やらなきゃヤバくなるのでやる。
人間も動物も一緒な気がする。
ついでに痛い目見ないと学習しないw
>>253 坐るのを楽しんでおるのう。
いい事じゃ。
>>255>>256 鋭いのう。それが人間じゃ。
自分が確実に死ぬという事を、確かに認識している者は少ないと観察した。
逃避し続けているうちに、本当に死を忘れるようじゃ。
258 :
すもも:2009/01/20(火) 21:43:02 ID:uFPhv9fm
感謝が大事。良くなろうと思ったら感謝しなさいと、あの人もこの人も言うからやってみた。
けど自我の抵抗でうまくいかない。
そこで思い切って、自分はただ感謝をする人になる。
とだけ決めて、それ以上は考えないことにしようと大真面目な決心をしてみた。
途端、世の中を見る視点が変わり、行動が変わり、それで起こる現象がまだ小さなことだけど変わり始めてる。
瞑想は自我のこだわりをひとつひとつ解き放っていく作業だから、○○の人になる、という新しい「こだわり」を作る作業は方向性が逆に見える。
でも、苦しくて、瞑想もポジティブシンキングも効かない時は、
心を無にしていく作業より、善いこだわりで心と行動の形を変えてみるという方面からのアプローチもアリだなあと思った。
259 :
すもも:2009/01/20(火) 23:18:43 ID:9alGVgNn
なんだかちょっと違うな。
というか、じっとお腹に意識をおいてるとなんとなくこみ上げてくる感謝の気持ちと、
「感謝の人」として感じる感謝の質がちょっと違う感じがするのは何だろう、
と思っている・・というのが正直なところかな。
今のところどちらも嬉しい。
それに、すべてに感謝など全然できてないし。(>_<)
・・スレ汚しですね。。すみません。
260 :
鬼和尚が教祖陶酔しているのを観察した:2009/01/21(水) 12:36:47 ID:WBKB+QtC
鬼和尚自身が観察できないらしい。
ちっとも自分はえらそうなことを言えたもんじゃないのに他人に偉そうな事を言いたがると気付いた。
>>259 ここはそのような観察した事を書くスレじゃ。
どんどん書けばいいのじゃ。
>>260 おぬしも哀れじゃのう。ただ一言聞けば良いのに、何日も迷っておる。
カウンセリングはなにも精神病患者がかかるものではない。
普通の人でもかかるものじゃ。
利害関係の無い第三者と話すことで、客観的な視点がもてる。
それで観念の迷路から抜け出す事が出来るのじゃ。
カウンセリングの訓練を受けた者でなければ、相手の妄想に振り回される。
それ故にカウンセラーが必要なのじゃ。
勇気を持って行って見るが良い。
ただ一つの言葉が出ない故に、何年も迷い続ける人間も居ると観察した。
心こそ心迷わせる心、と誰かが言っておった。
263 :
はっとり内臓:2009/01/21(水) 22:10:26 ID:wsTkqHgs
新しい環境で働き始めた。目をつけられた。
何かにつけて裏へ呼ばれて「おい、あのなぁ」。
以前なら何とかしようとテンパってたが、もうこれ以上は無理なのでござる。
すでに全力なのだから。
相手に合わせようと無理をして苦しみ、
自分に合わさせようと無理をして苦しむ。
そこまで分かっていて、相手の顔が真っ赤になっているのも分かっていて、
これ以上何も出来ない自分に、拙者は苦しむ。
もう、明日の事さえ見えませぬ。
にんともかんとも。
264 :
すもも:2009/01/22(木) 01:04:35 ID:jeC6w7k+
>>263 >>263 あなたは私の知っているひとによく似ている、という気がするだけでレスしてしまいます。
気を悪くさせたらすみません。
といって何も言えず。
ただ一言
頑張って!
265 :
神も仏も名無しさん:2009/01/22(木) 02:19:14 ID:a30KWmz5
>>263 どうせ相手の言うことを、うんうんと聞いていても、
相手も自分も納得いかないでしょう。言い返すべきですね。
黙って耐えて忍耐を押し付ける風習が、あらゆるところにありますが、
それはロクに耐えることの出来ない子供にとっての教えであり、
忍耐が備わり自分で物事を考えられる大人に取っては、
社会が個人を縛るために編み出した、聞こえの良い偽善的な概念にしか過ぎません。
もはや相手に合わしても何も得るものが無いのならば、
自分の思っていることを全て相手にぶつけた方が良いでしょう。
もしくはそんな人とは仕事は出来ませんと、仕事を辞めるべきですね。
十分な気付きを得られてれば次はもっと良い職場を見つけられるでしょう。
いやいや、自分が思ってること感じてることが「正当」だとする所に自我と執着が宿るのですよ。
常に自分を省みる勇気がなければいけません。飄々と生きるには開かれた心が無くてはね。
相手の言ってる事が間違いであるにしても、相手にとっての「正当」性が必ずあると思うのです。
そういうふうに見る習慣をつければ、自分の「正当」もどのへんで曲がっているかが見れるのです。
でも飄々と生きるだけが美しいわけではない。別の道と組み合わせたってかまわないと思う。
>>266 私も
>>263も正当だとは一言も言ってませんよ。
例え相手の言い分が物事を100倍誇張して言う人間で、
しゃべり始めれば仕事のことより相手を攻撃することに支配されるだけの、
攻撃心の固まりのような人間でも何かしら一理はあります。
耐えて相手の言葉から、自分の良くない部分だけ探していても、
忍耐と心の沈黙の修行にはなるが、それでは相手の主張を無言の肯定として、
100%結果として認めていることになり、攻撃はより激しくなるでしょう。
相手の間違いを見つけ言うべきことを言うのも大切ですよ。
それと表面に出てくる物だけ観察するのではなく、
あえて心の中の抑圧されている感情を爆発させて観察するのもひとつの手です。
逆に根っ子が深い場合は、そうしないと中々気付かない時もあります。
>>263 新人はどこでも始めは何度も注意をされるものじゃ。
それというのも、未だ立ち回りや仕事のさばき方に、至らぬ所があるからじゃ。
注意して一人前になりそうな者には眼をつけて、注意する。
ダメな者は放っておいて、即リストラじゃ。
仕事のコツを速く覚えて、ここを乗り越えれば、一人前になれるじゃろう。
先輩達の動きを良く観察して真似をして、少しでも早く一人前になるがいいのじゃ。
弱音や愚痴が吐きたくなったらここに書くと良いのじゃ。
人間は相手が悪意でものを言ってると思い込むと、全てが悪意に感じると観察した。
それこそが阿頼耶識による認識の悪作用なのじゃ。
やはり、人間の悩むところは同じなんですね。
私も経験のない職場に配属されて、毎日、慣れない作業に従事しています。
毎日、怒られてばかり、同期は、先輩に可愛がられて、他方で、私は・・・・・・。
なんて、毎日です。
そして、今日も、職場に入るときから、緊張して、混乱していたのですが、
ふと、「どんなことがあっても落ち着いていよう」と素直に思えたのです。
すると、今日は、どんなに厳しい罵声がとんできても、とても落ち着いて作業に
従事できたのです。
明日以降、どうなるかわかりませんが、何か掴めたような不思議な体験でした。
みなさんが、幸せでありますように
腐らないで良い波動出してれば多分大丈夫だと思うんだけど。
自分もがんばります。
271 :
神も仏も名無しさん:2009/01/22(木) 21:29:34 ID:FPQm019p
静かに座ってると、突然昔のトラウマが生々しく蘇ってきます
記憶(阿頼耶識?)ってすごい
どうしたら、この潜在記憶を解消できるんでしょうか
こころは穏やかなときもあれば、そうじゃないときもあるよね。
嵐の海のいかだのうえ。天候を変えようとがんばる。みたいな。
273 :
すもも:2009/01/23(金) 15:46:28 ID:WT7JsqF3
>>262 和尚様 有難う。
今少しずつ変わってきている自分の気持ちを観察して、ひたすら正直な言葉にすること自体がとても気持ちいい。
多分、感謝の人としての感謝と、瞑想時の自然発生的なそれの質が違うのは、
例えば深い井戸の底にある清水を、
井戸の外から甕を垂らして汲みに行って口にするのが感謝の人のもので、
清水は深い井戸の底にあると思っていただけで、実はすでに口に含まれていたことがわかるのが、瞑想時の方のもの。
という違いかな。。と。
で、瞑想時のものは悟らない限りあまり身につかず、
その場限りになってしまうこと多し、とみた。私だけか。(^^ゞ
274 :
はっとり内臓:2009/01/23(金) 17:53:27 ID:hpeuwqRU
みなさまレスありがとうございます。 結果から言いますと、辞めました。
水面下で進めていた前の職場への復帰が決まったためです。
会社の現状と個人の現状を話し合い、着地点が見つかりました。
修行も現実の生活も、色々なものに翻弄されながらスタート地点に戻った感じです。
振り返ってみると、動けば動くほど状況は悪くなりました。
逆パーフェクトです。
また観察・発見があったら、みなさんとシェアしたいと思います。
ここ半年、変化が激し過ぎて少々疲れました。
今日は早めに寝ます。
>>269 いい事じゃ。
心が動かなければどんな状況でも大丈夫じゃ。
頑張るのじゃ。わしがついとるぞ。
>>270 そうじゃ、頑張るのじゃ。わしがついとるぞ。
>>271 その記憶に対して自分の心や体が今、どのような反応を起すか、観察するのじゃ。
それが出来るようになったら、原因も観察してみるのじゃ。
そうすれば記憶は消えたりしないが、囚われる事は無くなるじゃろう。
>>273 いい事じゃ。
感じる事をそのまま言葉にするのは難しいものじゃ。
心が見えてきたようじゃのう。
>>274 良かったのう。
新しいような古いような職場で頑張るのじゃ。
思考も苦を作り出すと観察した。
考えすぎも病の元じゃ。
276 :
神も仏も名無しさん:2009/01/24(土) 17:00:46 ID:Bv7uWdm1
私は普段アジア某国在住で、たまに帰国する。以前は帰国の度に日本、特に東京は
息が詰まると思っていた。元々東京は大好きで10年以上住んでいたが、滞在先が
かなり適当な感じの国だったので、次第にそう思うようになった。でも瞑想を始めて
初めての帰国となる今回、それは自分の心が東京をストレスの街と見せているのだ
と思った。実際、日本の社会、とりわけ都市部はストレスが、現在滞在中の国よりは
多いかもしれない。しかし、問題が生じるまでストレスを増幅しているのは、他ならぬ
自分の心だと思った。
自分の上記の体験から思ったことなんですが、環境のような外因的な要素は実は
そんなに重要じゃないのかもしれません。それよりも自分の外界、対象への反応や、
それを実際以上に大きく増幅する回路の方が対処すべき問題だと思った。
鬼和尚さんは、どう思われますか?
277 :
はっとり内蔵:2009/01/24(土) 18:44:32 ID:yFIXBhsL
食いつなぐため、今日は派遣の単発バイト。
外で一日中座っている仕事でござった。
昼から雪が降り、ガタガタ震えながら座っていました。
すると男性が近付いてきて「あなた寒そうだから」と軍手、雨合羽、帽子を差し入れてくれました。
嬉しい。優しい人はいるものでござる。
雨合羽を着込む拙者を尻目に、その人は去っていきました。
すぐに拙者はその背中に叫んだ。
「あの、膝掛けとかは? あの、ひざ...ひざ...」
278 :
すもも:2009/01/24(土) 20:38:58 ID:PaMbMBb2
人違いだったみたい。
でもお元気でよかった。
>>276 そうじゃのう。
面白くない世の中を面白くするのも心じゃと、句をよんだ者が居った。
全ては心が決めるのじゃ。
勇気をもって己の心を観れば囚われはなくなると観察した。
わしも観察の毎日じゃ。
>>275 ありがとうございます。
ぼくはアパートに住んでますが隣の一戸建ての一家はこっちがしてもあいさつもろくに返さず
こそこそして腐った屁のようなやつらですがそこの犬はいつも元気に尻尾をふって寄ってきてくれます。
あの家で一番人間ができてると思いますた。w
281 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 00:18:32 ID:yz7LY57x
282 :
はっとり内臓:2009/01/25(日) 08:23:14 ID:I3FkA9b9
ふふふ。生にエンターテインメントは必須でござるよ。
では今日も行って参ります。
283 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 14:24:15 ID:yz7LY57x
284 :
神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 17:30:46 ID:bQJaDphe
>>279 ありがとうございました。
自分も勇気を持って観察していこうと思います。そうすれば日本も外国もなくなる
と思います。
>>280 どういたしまして、犬が一番人間らしいとは哀れな事じゃ。又おいでなさい。
>>282 いってらっしゃい。もう帰っているかもしれんがのう。
>>284 どういたしまして、全ては一つと観えるまで観察するのじゃ。又おいでなさい。
体は心でかなり制御できると観察した。
小さな病気も心を正せば治せるじゃろう。
知識に囚われた者は、知識が増えるのを良い事と想っていると観察した。
知識も又仮設された現象の上に存在する、と気付けないようじゃ。
287 :
神も仏も名無しさん:2009/01/26(月) 20:55:44 ID:5RBbpx8q
その仮設された現象の上に存在する人達(現象)に、
必死になって、語りかけようとする鬼和尚の姿に気付いた。
必死も現象だしな
腹が減ると美味いものを食べたいと思い、取り合えず美味しいと思うものを食べた後に、
美味しいものではなくても腹がふくれれば別にそれほど美味しくなくても良いなと最近良く思う。
不思議だ。
290 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 09:38:10 ID:751AUPnd
鬼和尚も現象だと気付いた
291 :
鬼和尚は知識に寄るナルシズムと観察した:2009/01/27(火) 10:36:46 ID:e83w/kXV
いつも、そうおもう。
292 :
神も仏も名無しさん:2009/01/27(火) 10:52:48 ID:8rjQ33xl
293 :
はっとり内臓:2009/01/27(火) 19:28:06 ID:qhr4lcLL
ちょっとおかしい。
瞑想でぶっ飛んだ体験して、虚ろな目を漂わせながら「繋がってるね」とか
「感謝だね」とか言う予定だったのでござる。
ところが実際はどうしようもない自分を露呈し、どうにもならない現実に翻弄されている。
こんなはずではなかったのでござる。
>瞑想でぶっ飛んだ体験して、虚ろな目を漂わせながら「繋がってるね」とか
>「感謝だね」とか言う予定だったのでござる。
そんなヤツ目の前にいたら頬を張り飛ばすけどな。
295 :
はっとり内臓:2009/01/27(火) 20:13:26 ID:qhr4lcLL
294どのは優しい人でござるな。
拙者は危うくそっちへ行きかけた時「お前きもいよ」と言われて我に返ったのでござる。
拙者はそんな奴を見かけても放っておきます。
優しくないのでござる。
魔境や気功偏差偏みたいなもんで昔悲しい思い出があるからな。(カルトじゃないよ)
他人事と思えないのよ。
>>287 仮設された存在が、わしに語るのに気付いた。
不思議な事じゃ。
>>289 不思議な事じゃ。
>>290 不気味な事じゃ。
>>291 一人で想うより、他人に語るが良いと気付いた。
>>292 なんだか知らんが経を読めば良かろう。
>>293 それで良いのじゃ。
ちゃんと現実を観ておる。それが正しい観察じゃ。
知識に囚われた者は、悟ると全ての知識が得られると想っていると観察した。
知識が全てだと想うのは、それに自我を投射しているからじゃろう。
299 :
神も仏も名無しさん:2009/01/28(水) 05:48:47 ID:yODZHKl5
>>299 どういたしまして、又おいでなさい。
知識に囚われると、囚われている事にも気付かないと観察した。
知識に限らず、なにものか囚われがある限り、完全な悟りは得られないものじゃ。
人間、リラックスして寛ぎだすと何かしら動く目的が無い限り、動きたくないと言うのを観察した。
それと仕事や他人との約束のように自分以外が関わることに対しては動くが、
自分個人の目的のためには余程の事でもない限り、動きたくないらしい。
だからみんな暇つぶしが大好きなのだ。
ただし欲深い人間ほど暇つぶしより自分の目的に動くのも事実で、
欲があまり無い人間ほど動きたくないらしい。
もっとも必要なものであれば動くだろうが、訓練されて無いと、欲深い人間より動きは怠惰。
302 :
すもも:2009/01/28(水) 23:36:22 ID:E5yt375l
この頃感覚が深くなった、というのか、直感がするどく・・というのか、
感覚が冴えてる瞬間がちょっとある、という感じ。
そして、それは自分の仕事に必要な感覚だから、なんだかとても自信が出てきたのを、
とても嬉しい副次的な効果として受け止めている。
仕事がうまくいったりお金を得るより先に自信がついたことを嬉しい、
と思える自分にも驚いている。
あと、胸のあたりがいつもぽっかりした感じで、心が丸くなった感じもする。
いかに私が今まで自信がなく、刺々しい人間だったかとわかった。
>>301 そうじゃのう。
瞑想の前にはめんどうだと思い、やっているとやめたくなくなるものじゃ。
>>302 良い観察じゃ。
省察しておる。
知識を欲している者も又、恐怖から逃れようとしていると観察した。
知識を求めるのも、やはり逃避の一つなのじゃ。
>>303 幾度も生れ変って天竺へ経典を求めた三蔵法師玄奘のような法師もいます。
暗闇の中では小さな明かりが、何よりもありがたく感じます。
知識に囚われることなく、しかも正しく過たずありたいと願っています。
どのような心がけが必要でしょうか。
305 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 22:28:06 ID:KNDjRHHx
>>303 知識を捨てて悟ろうとするのも、逃避の一つだけどね。
306 :
神も仏も名無しさん:2009/01/29(木) 22:45:03 ID:KNDjRHHx
>>305 そうじゃ。それも逃避じゃ。
しかし、人が為さなければならない最大の逃避ゆえに、価値のある逃避なのじゃ。
ってところか・・・。
スッタニパータを読んでいると、死んでから「よい所に赴く」とか、「悪い所
に赴く」とか書いてありますが、それは本当なのでしょうか?
嫌な事などを思い返すと胸の辺りに集中すると、そう言う感覚が発生するが、
丹田付近に意識を集中させると思い返そうとしても、
そう言う嫌な感覚は発生しにくい、もしくは思い返すことすら難しいのを観察した。
向こうのスレでも多少、話が出てましたけどどういうことなんでしょうか?
自分は常に丹田付近に意識を集中する癖は身についてないので(どちらかと言うと胸の辺りの方が多い感じ)、
集中を解くと直に嫌な感覚に囚われます。
>>304 人に対しては慈悲をもって接し、自らの心を常に観察していれば、知識に囚われず、正しく生きられるじゃろう。
そうすれば自らを灯明として進む事がでるじやろう。
>>305 そうじゃ、わしの所まで逃げてくるがよかろう。
>>306 ちがうようじゃ。
>>307 生きている時も、悪いことをすれば悪い所に行くじゃろう。
人が死ねば自我の判断は無くなり、平等性智があらわれ、ふさわしい所へ導くのじゃ。
平等性智は他人と自分を一体として扱う故に、他人を苦しめた者は悪しき所へ、喜ばせた者は良い所へ導かれるのじゃ。
自らの心を自ら裁く故に、どのようなごまかしもきかないのじゃ。
>>308 感情は体の感覚としてあるからじゃ。
しかし、一旦観察して厭離しまえばもはや影響は無くなる。
記憶が生じて、胸に嫌な感覚が起きて、体が反応する過程を、全て観察してしまえば良い。
肯定も否定もせずにただそれが生じて、消えるままに観察する。
そのようにすれば他の記憶から生じる嫌な感じも、影響しなくなるじゃろう。
>>308 下丹田(下腹)・・・命の場所
中丹田(胸)・・・感情の場所
上丹田(頭)・・・理性の場所
なので、その通りなのです。よく気づいたね。
普段から下丹田に意識を向ける必要があるんだな。俺もそう。
知識に自我を投射する者は、知識によって歯牙を守り、それに気付かないと観察した。
知識を守れば自分が守られると思っておるようじゃ。
312 :
308:2009/01/31(土) 02:46:29 ID:g+lkVkiG
呼吸について、息を鼻から吸って口から吐くと、
空気を吐き出すときに胸に結構な刺激を与えているのを観察した。
試しに今度は、向こうのスレで鼻から吸って鼻から吐くと言う話が出ていたので、
これを実行してみたら、口から吐くのに比べかなり胸に刺激を与えないのを観察した。
今まで通常の呼吸は、鼻から吸って口から吐くものだったので、
今度は吐くのも鼻からのものを行おうと思う。数日たてば効果のほどが分るでしょう。
>>309 今まで数息感は行ってましたが、どちらかと言うと心の中の観察に重点を置いてました。
かなり楽にはなっていますが、完全に消え去ると言う気配はありません。
全てを観察するには今の状態では手が届かない部分があるようです。
思うに体についての操作が悪い部分があるため、それで足を引っ張っているようです。
>>310 もしかしたら下丹田へ集中するのは呼吸を鼻から吸って鼻から吐くのが、
関わっているのかも知れません。
ここに見性にかんする知識を書き込むことはお控えに
なったほうがよろしいかと。
レベルが上がるほど魔境のレベルもあがります。
時には、命にかかわることも・・・・
師がいない人は、自分のレベルを超えたものを習得してはならんのです。
一歩一歩自分の足で確実に技術をつけてください。
これらのことは、縁覚乗の範疇にはいります。
体験したことは誰にも口外なされぬよう。
見性って何ですか?
>>312 姿勢が悪いようじゃ。
肩の力を抜いて、背骨を真っ直ぐにするのじゃ。
上中下の三つの丹田を、正中線で真っ直ぐになるようにすれば、自然に深い瞑想に入っていくじゃろう。
姿勢の研究はいくらしても、し過ぎるという事はない。
更に実験を繰り返すのじゃ。
>>314 ただの言葉じゃ。
見ると性で出来ていると観察した。
自分が悟ったと勘違いする者は後を絶たないと観察した。
自我が肥大してしまう故に、自分では気付けないのじゃろう。
316 :
はっとり内臓:2009/01/31(土) 21:05:08 ID:t3jeKRs7
生きている。思いっきり生きている。
こんな生の実感など誰も欲していないのでござる。
しかし逆らえないのは分かっているので受け取っておく。
拙者はラオウの前の虎でござる。
ケンシロウの前の虎になっておかないと、また一撃喰いそうでござる。
応援してますよ。これらは、魔境と戦う力をつける為にある。
命懸けでね。命を懸けることだから他人の命を救うことができる。
気について妄想で終わらす人もいるようですが、実際に漢方、針の世界では
気は当然のように認められていて、高度な針師は針に気を通すことで治療しておるようです。
魔境って何ですか?
人体に関することなので、西洋医学はきっちり理解しておく必要があるかもしれません。
漢方の世界では、プロは皆、西洋医学の修得を義務づけられています。
医師の資格さえ必要とされる国もあるようです。
魔境とは知らなくても良いことです。
自分の命を掛ける覚悟が無い人には。
きちんと資格を持った師から教わることをお勧めします。
想像でよければ
魔境とは、心の修練を積んでない人が深い瞑想の中で見る、増幅された自我のかけらです。
そういう意味では修練を積んでいる人も見るのですが、そこに神秘的な価値観を持たないで
済ませられます。まだ未熟な人が「不思議なものを見た」となって、やがて自我崩壊を招きます。
魔境で現れるモノの巧妙さは、もうひとりの自分であるので、ある意味で最高の脅威かもしれません。
これは知性では撃退できません。自我の中の少し醜いモノが現れるので、まったくの聖人君子
じゃなければ誰にでも起こることです。逆にそこを通過して初めて、聖人の域に達する事が可能
なのだと思います。
325 :
はっとり内臓:2009/01/31(土) 22:59:18 ID:t3jeKRs7
>>317-
>>322 日常に翻弄されているようでは、何かに出会ったとき大変な事になりそうですね。
医学ですか。壮大でござるな。体にはかなり興味がありますけどね。
余談ですが、拙者の周りには精神を病んだ人が勝手に集まってきます。
お陰で「初めまして」で大体分かります。
慈悲の心が芽生えたら手を差し伸べる(救う?)こともあるかもしれません。
>>323 拙者が瞑想で見るものはせいぜい、そら、木々、ビル群、くらいでござる。
夢のほうがいっぱい見せてくれます。
解決したと思ったトラウマを連日夢に見て「やっぱりまだ残ってたか」ってな具合に。
最近は早めに寝て、夢をたくさん見るようにしてます。
では皆様おやすみなさい。
魔境が出る人はある意味魔境を望んでるんだよ
魔境に限らずみんなそう
自分が望んだようになったいるだけ
本来魔境も苦境も何も無い
だいぶ遅れてますねえ。
オウムなんぞに高学歴の人までがコロっといっちゃうわけだ。
魔境は条件を揃えれば誰にでも起こせるのですよ。
下等なオウム程度でもできる技です。
集中と観察だけではなく、瞑想しないとヤッパリ限界がありますかね。
最近、そう感じているのですが……
>>318 言葉じゃ。魔と境で出来ていると観察した。
>>329 生まれつき集中力が優れている者以外は、瞑想が必要じゃろう。
数息観などをやるが良かろう。
知識も必要な者には必要と観察した。
知識がまるでない者は話もおかしいのう。
>>330 先ず、求道者がひたむきで疑うことが少なく素直であること。
正しい師との出会いがあること。
その上で、理論と実践の両輪のバランスが取れている事。
理不尽にふりかかる身上の不幸を、苦薬と思って戴くこと。
たとえ努力の果ての成功や幸せが巡ってきても、これはやがて過ぎ去るものだと実相を離れぬこと。
求めるところ無く少欲であること。
縁に随って、性に従って、ただ誠を持って為すべき事を成すこと。
自分が何か、自分の中に何があるか、自分がどんな自分をどうして作っていまっているかに
気付ければなんでもいいんだよ
瞑想でも集中でもなんでもそのための下準備、あるいは道具
師も理論も実践もどうでもいい
そういうのが必要と思っちゃったら、必要と不必要を分ける価値観、分別がわくし
いまここにない何かが必要だと思う欲、執着も生じる
一番大切なのはただ気付くこと
ただそれだけ
333 :
神も仏も名無しさん:2009/02/02(月) 18:29:12 ID:JUqtVm0M
ダメだ・・・怒りのコントロールができなかった
悪い連想が次々でてきた
でも、怒りには気づけたのが、せめてもの救いか
お薦め>>>慈悲の瞑想
>>333 怒りに気付けて良かったのう。
進歩は常に少しずつ、少しずつじゃ。
焦らずに行くのじゃ。
他人に教えたがる者は、自らの修行が足りないと観察した。
お釈迦様が他人に教える通りに行え、と言ったのも正しいのう。
>他人に教えたがる者は、自らの修行が足りないと観察した。
自己を見つめての自分への分析ならいいのだが・・・・・・。
何の観察してるのか?観察どころが不思議だし、
もっとも、そんな観察、いい加減にやめちゃったらどうよ?
教える人がいなかったら、他人の教える通りに行えんでしょ。
道路交通法違反の濡れ衣を着せられて、警官に抗議している。
焦燥感を味わいながらも、出来るだけ心を落ち着かせるよう勤めた。
証拠を提示して論理的に抗弁した。
目が覚めた。
夢だった。
夢の中とはいえ、心の観察が全く出来ていなかったことに気がついた。
残念。
そこで、疑問が生じた。
鬼和尚なら夢の中でも観察が出来るのだろうか。
夢の中の観察は、「今、夢を見ている。夢の中で〜〜」のように、先ず夢の中にいるという観察がはいるのか。
それとも、夢と現実の区別無く唯観察するのか。
何時何処で夢が始まって、何時何処で夢が終わって、現実に戻るのを観察できるのか。
愚問ながらも興味が尽きません。
鬼和尚の所見を伺いたいです。
340 :
神も仏も名無しさん:2009/02/03(火) 18:41:27 ID:sC61fBt0
観察を行っていると、冷えた血行の悪かった体が温かくなってくることがあるのですが、
鬼和尚さんもそんなことありますか?
>>336 わしの言葉を信じてはいかん。
すでにわしの手の中にはまっておる。
わしの言葉をそのまま受け取るなら、それを教えたがるおぬしはどうなることかのう。
気付けるといいのう。
わっはっはっはっは。
>>339 夢の中で覚めている夢は普通の者でも見られる。
夢に入る所を良く観察していれば、誰でも出来るようになる。
眠ろうとする時に映像が浮かび、それに通常の意識は巻き込まれる。
それに巻き込まれないように覚めていれば、夢の中で夢と自覚でき、観察ができる。
夢もまた、仮設されたものであると観るのじゃ。
その点では現実と変わりは無い。
深い眠りの中でも意識が覚めていると夢も見ないものじゃ。
>>340 集中によって気が集まったんじゃな。
良くある事じゃ。
体の重心が丹田と一致すれば、真冬でも暑くなるほどに体が温まる。
それが又集中力を高めてくれるのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。
言葉に囚われた者は、言葉に釣られると観察した。
突っ込みをまつのじゃ。
343 :
はっとり内臓:2009/02/04(水) 18:52:36 ID:hr142SC/
少し観察が変わってきたでござる。
絵日記から自我の発見・確認へ。
おそらく意識を置くベースが変わったからと思われます。
これが日常になったら自動操縦に切り替わるような気がしているのでござる。
こんな予想どうせ無意味でしょうが。
>>343 進んでいるのう。
実践する者だけが進んでいくのじゃ。
現実はいつも予想を超えるのじゃ。
言葉に囚われた者は、言葉で言及されると引きこもると観察した。
言葉によって傷つけられると思っているようじゃ。
言葉は言葉に過ぎんのにのう。
346 :
はっとり内臓:2009/02/04(水) 21:24:53 ID:IRROdk8D
>>344 ありがとうございます。
意識の持ちようを今までとは変える必要があるので少々戸惑っています。
流されればいいだけの話でしょうが。
亀レスだけど、
>>324さんへ
知ってて書いてるんじゃなくて、想像して書いてます。個人的な根拠は夢で見たから。^^
でも現れるのが自我のかけらというのは、ちょっと確信にちかいものがあります。
イエスも釈迦も悪魔の誘惑に会ってるけど、あれは最終的な自我の抵抗だったのだろうと。
>>325 オレもまだまだ夢で気づく事の方が多い。瞑想を気を入れてやってみるかなと思った。
ちゃらんぽらんでいるよりは、少し真面目な部分を持った方が気持ちがいいし。
348 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 20:12:41 ID:+/o34uTo
鬼和尚さんに質問です。
観察を続けてけば、名誉や地位は必要としなくなりますか?
悟ってもトイレは必要としなくなることはないだろう
悟った人だって女子高生に囲まれるほうがおばさんにかこまれるより嬉しいだろう
たぶん
>>348 今でも必要は無いじゃろう。
ただ執着する者にとって必要と思えるだけじゃ。
それらは死に対して無力であり、ただ人間の社会で決められた仕組みによつてなりたつものじゃ。
仕組みが変化すればいつでも消えたり、変化したりする。
不安定で頼りにならないものじゃ。
観察によって執着を離れれば、修行によって磨かれた心こそ、不安なく安全な拠り所になるものと知れるじゃろう。
首が凝ると眼が疲れると観察した。
血流とかリンパ液の流れが悪くなるようじゃ。
トイレが必要な人間はトイレに執着してるのでしょうか?
必要と執着は別
用が済んだら必要はない
家にもトイレを設置しておく必要はないでしょうか?そうではないですね
地位も金も名誉も、家にトイレを備え付けることと同じでは?
鬼もたまには有酸素運動をすれば良いと観察した。
肉体労働と事務は肩こり解消には繋がらないことを観察した。
356 :
神も仏も名無しさん:2009/02/06(金) 22:34:04 ID:4w2YD0lq
自分の体を観察していると、胸の奥の方、感覚的には心臓の下あたりに、エネルギーの固まりのようなものがあります。
悪い感情の固まりのような感じです。
そこからいろいろな感覚が体に広がります。
これは一体なんでしょうか?
毒かも
>>342 言葉に囚われた者かつ言葉に釣られないヤロ!
バシッ!
シ〜ン
と観察した(イイスギカ!?)
(釣られるかな?^^)
>>356 俺も最近それを感じるようになった。胸から感情が生まれる。
それを観察してみな。しばらくすると無くなるよ。
そして、意識を臍下(丹田)に集中してみな。
臍下(丹田)から命のエネルギーが生まれる。それに気づいてくるよ。
いつも臍下(丹田)に意識を向けているといいよ。
363 :
はっとり内臓:2009/02/07(土) 20:30:30 ID:i4j7kMXl
今日は二つ。
飾りや狙いの無い優しい言葉に体が震えるほど感動する。
別に良い話ではないのでござる。ここまでくるとキツイのでござる。
結局のところ世間で言う「苦」の反対方向の力。
それだけの事でござろう。
建設的な考えと自我は別物のようでござる。
なんというか、負荷が違う。
>>354 トイレか゜家に必要なのは、無ければう○こで家が汚れるからじゃ。
地位が無ければう○こで家が汚れるかな?
地位の無い者の家はう○こで汚れているじゃろうか。
そうではあるまい。
多くの者は地位も金も名誉も欲しがるが、大多数の者は金をわずかばかり得て死ぬ。
それでも人が絶える事も無い。
地位も名誉も無くても生きられる。
本来、必要が無いものだからじゃ。
わしは答えた。
次はおぬしが答える番じゃ。
何故、トイレと地位や金や名誉が同じだと書くのか?
それによって何を守ろうとしているのか?
何から逃げようとしているのか?
自らの心を観察して答えるのじゃ。
>>356 感覚や感情の中心がそこにあるのじゃ。
ただそれだけじゃ。
腕が肩から生え、足が腰から伸びるのと同じように、そのようになっているだけなのじゃ。
>>359 釣れたようじゃ。
知識に囚われた者が傲慢になるのは、むしろ傲慢でありたいが為に知識を集めると観察した。
知識で自我を守るために、知識を手放せないのじゃ。
366 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 20:56:15 ID:nKT77YT1
地位と金と名誉がなければ人には相手にされない
コミュニティに入れない はずされる
人はパンのみにて生きるにあらず これでは生きていけない
人は社会の動物。 ただの動物生存ではない
動物的生存に必要ないといえば トイレも必要はない
クソまみれが困るのは 人間が文化的社会的生活をおくるからだ
トイレも地位金名誉もまったく同じ理由で必要だ
知ったか乙。
動物だって糞まみれで生活してるわけじゃない。
あなたは人に相手されたりコミュニティに入れないと生きていけない人なのだ。
動物はケツを拭かない ケツ拭かなくても死なない。
それは人間も同じ しかし拭かないとくさくて相手にされない。
汚れまくるから 地位金名誉のない人間は浮浪者である
人間社会に立ち入りを赦されない
人は人として生きねばならないから 必要なのだし
命を失ってでもなくせないのが 地位金名誉だ
命よりも本質的に大事なものだ。
尻滅裂になってるぞ
といっても、生来俺には地位金名誉に関する執着はない
ないからこそ、ないことに困り、問題意識が強い。
普通の人並みに執着があれば ちゃんとそういったものを備えていたはず。
生来下賎の性質 とでもいうか、 上流階級に抜け切らない。
入ってもそこの人に追い出されそうだ。
かといって必要性に気づかぬほど魯鈍でもないから下流にもいられない。どこにも居場所がない。
執着がないのにどんな風に困るの。
>>366 私から観ると死ぬまで地位と金と名誉にしがみついて他人に無視されるのを怖がって生きるのは大変だなっておもう。
逆にゆうとあなたは地位と金と名誉を剥ぎ取られたら、誰にも認めてもらえない人間って決めてるんじゃない?
それは誰にも関心をもってもらえなかったと思い込んでいる過去があったからとか?
トイレなくても庭か川でウンコすりゃいいやん
そういう国いっぱいあるんだし
でも動物もクソまみれではないかな
ちょっとクソがついてる程度でしょ
なんだって、必要と思う人には必要だし、必要と思わない人には必要じゃないよ
375 :
神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 21:50:37 ID:6Y7sUrv6
>>365 知識は区別
区別がなければ言葉ができないと反応した
俺は金も名誉も大好きだよ。
なんであれ得たり失ったりするものに執着するのは不幸の元だね
378 :
福和尚:2009/02/08(日) 01:24:46 ID:nZWzJVQU
男や女を超越し、金持ちや貧乏を超越し、一切のものを超越してみたら、
そこに何があるか― みなこれ芝居じゃ。仏までが夢じゃ。
何もない世界から人生をのぞいてみれば、みなこれ夢裏の万鏡で、
取りとめのあるものは何もありはしないのじゃ。
わっはっはっは。
たぶん、日本人が仏教学者も含めて間違っているのは
無が何もないと思い込んでいることだよね。
実相を捉える人が増えると、
この世は夢だとかボケたこと言わなくなると思うけど。
まあまあ。
あなたの世界観やものごとの捉え方はあなただけのもの。
押し付けると息苦しくなりますぜ。
ま、
>>378の「何もない世界から人生をのぞいてみれば」はちょっとみて変だけど。
のぞいてる意識があるじゃん!みたいなね。
この世が夢であるとは、六根より入る知覚作用が、絶対のものでは
ないということを言いたいのでしょう。
猫の世界はほとんど色が無いし、こうもりは我々の聞こえない音を聞く。
犬からみれば人間の美人とそうでないものは区別がつかない。
そういう立場に立てば、この世が映像のようなものであると言った
竜樹の意見にも賛成できるのではないでしょうか?
そこに止まるなら瞑想も禅も、悟りも必要なく
ただの空観で終わりでは?
そういう見方から、煩悩を脱することが、むしろオーソドックスな悟りの
方法だとおもわれますが?
信用するなを無いと短絡させることは良くないことですよ。
>>375 言葉も超えるのじゃ。
執着する者は執着はしていないと書くと観察した。
まず嘘や誤魔化しを捨てるのが先じゃ。
386 :
鬼和尚は誤魔化し大好きと観察した:2009/02/08(日) 22:41:15 ID:j72ptZCp
相変わらずのナルシズムじゃなあ、わはははっ。
昨日、田舎のコンビニに入ったときに犬がいた。
首輪がついているが良く見るとやせこけていて、
捨てられたか偶々首輪に紐がくくり付けるのを忘れていて、
うっかり買主とはぐれて迷子になった野良犬だった。
寂しそうでモノ欲しそうな目でこっちを見ていた。
私はかわいそうに思いコンビニに入ってパンを買って出てきたら、
犬はいなくなっていた。探したが見つからず、
外にいた友人も車を見ていて少し目を離した隙にいなくなっていたと言っていた。
あのままだったら犬は餓死して死んでしまうのだろうか?
良心が痛み後々まで尾を引いた。
夕飯を食べているときに自分はのうのうと飯を食ってるのに、
あの犬は飯にもありつけず腹をすかせているのか?
少しでも分けて上げれれば助けられたのに、と色々と感情が出てきた。
後から色々と思い返してみた。例えその場でパンをあげられたとしても、
買主を見つけられるわけでもなく、家でも飼えない。
一時的に多少、腹を満たしてあげられたかも知れないが、
よほど運が良くない限りは、結局はあの犬に訪れるものは同じなのだろう。
はじめからそれは分っていたのに、それを行おうとしたのは、
良心を満足させるためでしかなかった。恐らくあの場でパンを与えていたら、
自分のやれることは全てやったと思って、ろくに思い返しもしなかっただろう。
観察している内にその妄執のような良心は消え去った。
かといって哀れみや、かわいそうと言う気持がなくなった訳ではなく、
まったく質の違うモノに変わってしまった感じがする。気のせいかもしれないが。
しばらく試してみないと実感は出来ないだろう。
俺も15年ほど前、通勤途上の田舎道でで捨て犬が倉庫に捨てられていたのを見つけた。
車にはねられたのだろう、後ろ足の付け根付近に大きな傷があった。
次の日も同じ場所にいた。
それで、その次の日から、パンを買ってきて犬にやっていた。
しばらくすると(2週間)その犬の姿は見えなくなっていた。
たぶん死んだのだろうと思う。
でも、俺は間違っていなかったと思うが、どうだろう?
389 :
神も仏も名無しさん:2009/02/09(月) 13:37:55 ID:7MW/F/UE
鬼和尚さん。
観察を続けていると、眼に映るもの生き生きとして感じられますが、
次第にその感覚は消えてしまいます。悟りと関係するのでしょうか?
昔、野犬の群れに襲われて喰われそうになったことがある。
>>386 ナルシシズムに囚われた者は、他人にナルシシズムを投射すると観察した。
>>388 慈悲には間違いも、正解も無い。
ただ出来る事をやるのみじゃ。
わしが飢えた犬なら、一切れのパンを貰っても、ありがたいと思うじゃろう。
くれようと思った事でもありがたいと思うじゃろう。
次に飢えた犬を見た時も、一切れのパンでもやると良かろう。
>>389 観察に集中している時は、阿頼耶識の作用が弱まり、記憶による投射が一時的に止まり、世界の真の姿が垣間見えるのじゃ。
集中力が無くなって来ると、阿頼耶識の作用が強くなり、記憶の世界に戻るのじゃ。
悟りを得れば真の世界に居られるようになる。
真の世界はいつも美しく、愉快で、味わい深いものじゃ。
自我という病にかかった者は、自ら治そうとは思わないと観察した。
いつまでも病気でいたいようじゃ。
議論に勝利することに執着するものがいるのを観察した。
議論に勝ったからといってその人の印象が良くならないのを観察した。
負けた方を応援したくなる心理を観察した。
観察がわき道にそれない限りは、思考も感情も出しても良くて、
観察している内にそれらは消えるのだと観察した。
>>1乙
これは乙じゃなくてポニーテールと観察した。
>>391 あきらめず観察を続けて訓練していけば、常に世界の真の姿が見えるようになるのでしょうか。
また、一時的ではなく常に世界の真の姿が見えるようになったら
悟ったと考えていいのでしょうか。
>>398 悟りを得なければ、常に世界の真の姿は見えないものじゃ。
観察を続けていれば、いつか自我を観る観照が起きるじゃろう。
そして、自我が落ちた後に認識をも観察し、厭離したならそれが悟りというものじゃ。
その時には大きな変化が起きる。
知恵が生じ、他人に聞かなくとも悟ったと判るものじゃ。
体は機械であり、道具であると観察した。
この世界で話したりするために在る。
この世界で話をすることは大事なことなのでしょうか
401 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 17:54:17 ID:WyJOmpE7
401
402 :
はっとり内蔵:2009/02/11(水) 18:30:15 ID:kNS6cm5B
寒い 雨の中、今日も元気に日雇い労働。
精神力が無ければ無いほどなぜだか出来る。
こうして発見し喜んでいる今はベースが自我でござる。
違和感やこれまでの習慣はやっかいなものでござる。
慣れが近道でござろう。
観察で虚無主義になるのは、概念の刷り込みだと思うよ。
真の世界、嘘の世界と分けても仕方ない、
悩みも苦も実際に生きていればあるのであって、
それをじっくり観て、苦や悩みに
同一化しなければいいのではないのかな。
404 :
はっとり内蔵:2009/02/11(水) 19:15:22 ID:kNS6cm5B
>>403 拙者宛てでござるかな。
虚無の推奨ではござらぬ。
主体の変化を言っているのでござる。
>>400 そのように聞く事ができるのは、この世界で話ができるからじゃ。
それが大事かどうかはおぬしが判断するのじゃ。
厳寒の時より、、むしろ暖かくなって来た時が風邪を引き易いと観察した。
いんふるえんざも多くなるようじゃ。
みんな気をつけるんじゃ。
406 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 21:02:16 ID:9usupF+x
もう少し頑張れば良くなるな。ここをこうすれば良くなりますよ。頑張れ。
などなど、そう言う言葉、全てが他人に対しても自分に対しても、
努力をするように促しているのを観察した。
場合によってはそれらの言葉は励みになり人間を成長を促進させる物になるのも確かだ。
しかし人間は自分から物事を変えようとしない限りは、動こうとしない動物なんですよね。
現実世界において言われなくても努力する奴は努力するし、しない奴はしない。
話の流れで相槌は打つが、どちら側の人間に対しても、
99.99%は聞き入れて貰えずに余計なお世話である。
むしろ現代社会で大変な想いをして疲れきっている人達には、
更なる努力を強要するのは悪魔の囁きに近いものがあり。
本来なら努力を促すのは正しいはずだが、負の側面もあるのを観察した。
ついでに、人間、怠け者でもない限りは、他人にも自分にも努力させるのが大好きなのだと観察した。
408 :
神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 23:45:43 ID:EWyDVpIh
409 :
鬼和尚がいい加減な阿頼耶識の作用を説明するのを観察した:2009/02/12(木) 00:01:21 ID:kOsGQPFG
> 観察に集中している時は、阿頼耶識の作用が弱まり、記憶による投射が一時的に止まり、世界の真の姿が垣間見えるのじゃ。
鬼和尚の自我による病による「阿頼耶識の作用」と言う偽者仏教表現ナルシズムを観察した。
集中によって見える光を真の世界がみえると言っても仕方なく、
それが見えたからって何だというものでしかない。
やはり、観察をし続けることで余計なことに飲み込まれない方が
有益ではないだろうか?
良薬は口に苦し。
忠言耳に逆らう。
親の意見と茄子の花は千に一つも仇はなし。
414 :
神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 18:41:20 ID:ZpSc19KW
>>410 >集中によって見える光
集中すると光が見えるようになるの?なんか怖いね。
日本には努力・忠告大好き教が度が過ぎるほど蔓延しているのを観察した。
>>408 そうじゃ、気をつけるんじゃ。
>>409 ナルシシズムに強く囚われているのを観察した。
おぬしの苦の原因がそこにあると、心の奥ではわかっておる。
人は苦にも囚われると観察した。
苦の原因に自我を投射して、自ら地獄を作りだ゛しているのじゃ。
418 :
神も仏も名無しさん:2009/02/13(金) 11:45:17 ID:1XQaOFhK
政治は国民のことを見失うと失敗すると観察しました。
>厳寒の時より、、むしろ暖かくなって来た時が風邪を引き易いと観察した。
こいつは〜きづかんかった!
ありがたくいただきましょー(イタダキマス!)
ゴッツアンデス!m(_ _)m
>>419 どういたしまして、又おいでなさい。
風が暖かくなってきたのを観察した。
今年は春が来るのが早いようじゃ。
今年は干魃(かんばつ)になる気がするよ。と観察してみる。
明日は新しい仕事内容を教えてもらう。
正直不安だが余計なことは考えずに全力を尽くしたいと思う。
ここ数ヶ月あまり進歩してないと思っていたが、
よく思い返してみると結構な変化があり進歩しているのだなと観察した。
昨日はアブらしいのがが飛んでたな。
あわてて油断してると寒くなったりするからみんな気をつけるのじゃ。
花粉も飛んでると観察した。2月にしてはあったか過ぎる。
425 :
はっとり内蔵:2009/02/14(土) 13:46:33 ID:WLl19TRz
股関節が硬い人は無理に前屈をするより、椅子に座って股関節周りを色んな方向に動かす方がいいのでござる。
最近、座骨が均等に接地するようになってきた。
昼に座って、夜に坐るのでござる。
426 :
神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 16:59:13 ID:iYZHBFfx
>>597 あまりに幼稚で笑ったw
なるほど。確かにお前は人前に出られないよ。
家にヒキって幼児番組子供と見ているのがお似合いだwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
予言者現る
ファファッファファ、日本中のチョコレートよ溶けてしまえ! と観察した。
大量のチョコを処分するにはフォンデュがいいと観察した。
今日はいきなり暑くなったと観察した。
まるで初夏のようじゃった。
やはり地球は温暖化しておるのかのう。
431 :
神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 22:44:52 ID:xFRFvfiC
>やはり地球は温暖化しておるのかのう。
いやあんたのあたまも温暖化^^
432 :
神も仏も名無しさん:2009/02/14(土) 23:43:24 ID:6ZOHTMVh
あ〜ぁ、また、チョコレートの整理に追われるな!
段ボール箱何箱になるかのう。とほほ・・毎年疲れるぜよ。
433 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 00:03:59 ID:mDIDsSep
ウソつくな!
>>432 わかる。おれもチョコレートの箱が崩れて生き埋めになるとこだった。
もてない男が多くなって、在庫の処分に大変なお菓子屋であった。と因果を観察した。
仏教がはやるとお菓子屋が倒産することを観察した。
437 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 12:02:44 ID:r2dTOAw8
生まれて45年、家族以外の女性から義理チョコすらもらったことない
438 :
たろう:2009/02/15(日) 12:08:54 ID:eHn6GNjP
ただ ただ
ぶつ
歎異抄
439 :
鬼司祭 ◆O/jEgiuLMQ :2009/02/15(日) 12:33:22 ID:K6urqzfq
440 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 17:57:12 ID:KmbkHta3
鬼和尚さま。
日々観察をつづけていますが、
不思議と前のように思い悩むということも減ってきています。
これは気のせいでしょうか?
441 :
神も仏も名無しさん:2009/02/15(日) 18:16:23 ID:70I/lnHz
気のせいです
いつの間にか部屋が散らかっている自分を観察したが
部屋が散らかったままなので気分が落ち着かない
いつまでたっても。
>>440 いい事じゃ。
観察をしていれば、今、ここに居る時が多くなるものじゃ。
本来は思い悩む必要も無い事に、悩まなくなる。
そして、悩みのもとになる苦も消えていくじゃろう。
実践するだけ者が進んでいくと観察した。
何回も観察するのじゃ。
鬼和尚さんは今年もチョコレートを貰わなかったと観察した。
観察することを、
わざわざ御大層な修行や宗教に押し上げる必要はないよ。
日常で出来ることだから、
宗教や信仰に関係なく誰でも参加できて、
理屈抜きで、
今=無我=空を日常で感じようとしているだけだから。
ご飯を食べると、
味がないところから、味が出て、この味は何味と概念が判断し、味が消えて行く。
445 :
神も仏も名無しさん:2009/02/16(月) 01:03:13 ID:ZYvFKgR8
>>441 部屋が散らかっていると気づいたら
片付けなさい。そうすれば気分は落ち着くじゃろう。あふぉふぉふぉー
メフィラス星人か
447 :
神も仏も名無しさん:2009/02/16(月) 13:05:25 ID:24+nAghZ
「今ここ」に集中しようとしても、すぐ昔の記憶が蘇る
何か未消化な感じの昔の出来事が、潜在意識にたくさん貯まっている感じ
こういうのは、ただの雑念なんでしょうか
448 :
神も仏も名無しさん:2009/02/16(月) 17:25:01 ID:ZYvFKgR8
>>447 ただの雑念じゃ、雑念を相手にせず「今ここ」に集中するのじゃ。
そうすれば、雑念は消えていくであろう。あふぉふぉふぉふぉふぉ〜ぉ
いや実際は詳細な出来事まで記録しているのだろうけど、
普段の顕在意識は極一部しかみてないからね、
追認識しているんじゃないのかな。
>>447 そうじゃ、自然に浮かんでくる雑念は記憶なのじゃ。
それに囚われて連想したり、考えてしまってはいかんのじゃ。
流れるままにしておけば、消化されていくじゃろう。
人が自我を認識や感情のもとであると思っているのを観察した。
間違いないようじゃ。
ここは無風なんだな。他と何が違うんだろう?
そりゃあ鬼和尚のスレじゃないからだろ
え?
454 :
茶店の隠居:2009/02/17(火) 19:47:26 ID:OEvH9V5a
スレタイに派手さがないので、「オレこそは〜」という人の顕示欲を刺激しないと読んだ。
人によっては「悟り」が入ってるだけで、目の色変えてしまうんじゃないかな?
>>454 そうかもしれん。
悟りについて何か言いたい者が多いと観察した。
しかし、本当に読む価値の在るものは少ないと見た。
思考は見つめれば止まる。
感情は味わえば消える。
止まらないのは見つめていないから。
消えないのは味わっていないから。
どこにも「方法」はない。
おお 鬼和尚以外にも仏教ぽいひとがいる
というか、観察と入っている時点で、
レスの文字に反応しているのは、自分自身だから
無→書き込み見た→自我が反応した→それを観察した→消滅→無
マッタリ〜♪
人は心に想う通りの者になると観察した。
お釈迦様の言葉は真に正しいのう。
460 :
神も仏も名無しさん:2009/02/18(水) 21:37:07 ID:eyfod/OP
くやしいのうwwくやしいのうww
>>459 わたしもそう思います。すでにみんな成っていると。
成りたい自分に。
こんなに素晴らしいことはないですよね。
みんなに伝えたいんですけどね
自分は自分の思い通りになるよって。
みんな唯一の目覚めた人だよって。
でも、自分で気づいていくしかないのかもしれないですね。
いやん
464 :
はっとり内臓:2009/02/19(木) 16:29:36 ID:RC4SuJzu
何かを一瞬、ほんの一瞬感じただけで、思考が働く。
まだまだそこに常駐する段階では無いようでござる。
体もほぐれてきたしマイペースで行くでござる。
毎日ゴンゴン、ゴリゴリやってます。
たまにシャリシャリいって慌ててやめます。
>>461 否定的ななイメージをもつ者が多いのは残念な事じゃ。
気付きが大事だと観察した。
サティこそ仏教の眼目といえよう。
466 :
素人A:2009/02/20(金) 12:27:50 ID:qOlAHESt
坐禅しても無念無想になかなかならない、自動的に色んなものでるそれ眺める。
きばらなきゃ坐禅が観察になる。出来の悪い坐禅は一挙両得何だと思います。
念はほうつとけ、ほうつとけの様です。
海で金魚を釣ったときは、観察する間もなく驚いたな。
468 :
素人A:2009/02/20(金) 18:42:26 ID:qOlAHESt
観察とは勘でさっと来て、さっと去る。また駄洒落ですが。
469 :
すもも:2009/02/20(金) 19:01:51 ID:gc7WDw0v
死ぬことは怖くない。
多分、守るものがないから。
今すぐ死ぬよといわれても、あーそーか。両親が悲しむな・・くらい。な気がする。
でも、リアル、ネット関わりなく、好きな人達を失なうことがとても怖い。
それで、自分の死が怖くないのは、喪失感を味わうのは自分ではないからで、
だから自分がいかに外の世界に依存して生きてるかがわかった・・。
これからは、自分の死より怖い喪失感の克服がテーマになりそう。。orz
と思ったけれど、どんな時も笑って風のようにやり過ごせる自分になればいいだけだ、
と結論できた自分はエライ!と気づいた。
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えてすずしかりけり
471 :
神も仏も名無しさん:2009/02/20(金) 19:25:33 ID:cFMYmtb3
死ぬことは怖くないと言うが、死に方にもよるのでは?
堪え切れないと思える痛みなどで苦しみぬいて死ぬとなると話はべつじゃないの?
コロッと逝ければいいけどね。
472 :
すもも:2009/02/20(金) 19:43:50 ID:yawplJpB
痛みなどの肉体的な苦痛は怖い。できるだけ避けたい。
でも、子どものとき死ぬのがものすごく怖かったのは、
肉体的苦痛を恐れたからじゃなくて(そんな知識はなかった)
ただ自分がこの世から消滅してしまうことへの恐れだったと思う。。
では、なぜ大人になった今の自分はそれが怖くなくなったのかは不思議だけど。。
473 :
神も仏も名無しさん:2009/02/20(金) 19:56:51 ID:cFMYmtb3
なるほど。
死へ至る過程(痛み)というより、死そのものの怖さですね。
生への執着がなくなってきたといえるのかも。
しょせん悟るまでは記憶とともに生きてかなきゃいけないのだから
善い事をしたほうがいいなと気付いた。
475 :
茶店の隠居:2009/02/20(金) 20:09:02 ID:vUvXbXie
順風な人生を離れ、「諦める」という道を覚えたからではないですか。
苦しみも悲しみも経験して、うなだれた頭を上げてみたら道が見えた。
にぎやかな道ではないけれど、田舎の素朴さがあって好ましい。
鳥が鳴き木が茂り草花が処々に咲いている。清水の音も聞こえる。
↑こういう心境になると自分の死は怖くなくなったりする。
喧騒の街から外れたところ、喜びも悲しみも薄く染み渡るところ。
諦めには過去の残滓しか残ってないです。
生に没入することは、執着とは違います。
そこには結果を求めない情熱があります。
成功と失敗という結果に恐怖があります。
477 :
茶店の隠居:2009/02/20(金) 20:48:31 ID:vUvXbXie
>>476 うん、同じことを思っています。
しかしそこから展開する道もあるのではないかな、と期待もしています。オチ
道というのは過去のものになったら、道ではないです、
未知であるから、探究するという新鮮さに溢れているのです。
>>467 珍しい事もあるのう。
>>469 えらいのう。
>>474 そうじゃ、善い事をたくさんするのじゃ。
背骨を真っ直ぐにしないと、体にさまざまな不具合が出ると観察した。
真っ直ぐにすれば治る病も多いかもしれん。
恐怖するものの正体はなんだろう?
それこそ死で消滅する思考ではないだろうか?
思考の最大の恐怖は死ではなく、
本来の自己を観ることだと思う。
481 :
すもも:2009/02/21(土) 08:40:12 ID:rM25b4gM
>>475 諦めた、のではなく。。
いや、確かにこの間気づくまでは、欲が罪悪みたいに思い込んでたフシがあり、
欲も希薄になるけど、元気もなくなりかけてました。
それで、あー違う。欲は欲のまま自由に欲張ればいい。諦めなくていい。
ただ執着しなければいいのではないか、と気がついたら心が軽くなり、それでいいのかなと思ってるのですけど。。
私は、「諦め」という言葉に間違った反応しているのかな。。
でもそれでも死ぬのはどうか、というと、今は怖くない。
多分このままひとりで生きてくことになりそうな現実のせいだと思うけど、
何かがわかってきてるせいかも、という感覚も確かにあります。
>>480 それより、絆が自分から去ってくことを恐れる、という感覚は、思考によって過去に引きずられてるせいだったのか。。と。
生に没入する=「今ここ」を生きる=本来の自分を観る=思考の否定、でいいですか?
つまり、私に「今ここ」に生きられると、思考の出る幕はなくなる=思考に死がもたらされることになる
ので、その存続を図るべく、思考自体が過去に生きることへ執着させようとしてるから・・でいいですか?
っても実感ないし。子供の時だってそんなこと直感してたとは思えない。
摩訶不思議なり。思考。。
482 :
素人A:2009/02/21(土) 08:57:42 ID:ozBoh+7f
今さっき跳び出した詩です。題名は?いまだ無い。
みんなみんな方便? 私たち方便で学んでいく
全てが全てが ホーホケキョ 泣いちゃって 笑っちゃう
>>481 本来の自分は無から発生した「観る」であって、
思考も心も主人ではなく、「観る」によって管理されるただの記憶。
だから人は、洋服を脱いだり着たりするように、思考や心を観てやるだけ。自由自在。
自殺する人が年間に4万人いるとして、
思考や心、意識という「記憶の領域」からみれば、本体を殺してでも
本来の主が「記憶の領域」であるとしたいのだが、
主は観察する者。
あの世もこの世もない、1ミリだって動いたことないもの。
>>483にほぼ同意
もしも差し支えなければ、中道を説いていただけませんか。
>>481 欲ではなく、
生命というものがあって、
自分のしたいことを情熱を持って追求し続ける。
ただ、思考や心は記憶であるため結果を求めるので、成功と失敗という結果に命を縛る。
結果を気にしないで、情熱を持ってこれがしたいということは生きているなら挑戦していい。
そのときは命が味方だ。
命がなんか運んで来る、
野犬の群れかもしれないし、野良象かもしれないし、裸の女の群れかもしれないし
鉄砲やミサイルが飛んでくるかもしれない、
海で釣りして金魚しか釣れないかもしれないけれど
情熱があれば大丈夫。
>>485 ごめん、宗教を知らない。
>>486 485です。仏教用語を使わずに仏教を説けるお方とお見受けしました。
どうもありがとうございました。
>>486 これから勉強します。
子供のときに、山のなかで禅僧だと思うのですが、
得体の知れない正体不明の御菓子を食べさせられて、
その菓子は「一体なんだ?」と言われたことがあります。
それが僕の習った仏教だと思います。
>>452の意味が分からなかったのだが、ようやく納得した。
ここにはまともな人がいるんだ。
自演てそんなに楽しいのかね さっぱりわからん
491 :
すもも:2009/02/21(土) 11:16:39 ID:rM25b4gM
>>486 やっぱりあなたは野良の象のひとだった。w
もしかしたら
>>172さんでもある?
いつもとてもぴんと来てる。ありがとう。
思考は記憶であるため、結果を求めるというのがよくわからない。
記憶は時間の集積だから、時間の制約内での論理的帰結を求めずにいられない、ということ?
それからこうありたい!という意欲が「生命」からくるものと「欲」からくるものとの違いは?
結果にしばられないでも喜んでやれるかどうか?とかかな。。
それでも私はその人間性も含めて鬼和尚も信頼する。
仏教、教義を習ってるわけではないから。
>>490 自演じゃないぞ、とか書くと「やっぱり自演か」と書かれるんだろうな。
>>491 命から来るものは、情熱でありつづけるので、結果を気にしません。自由です。
行為することに、疲れなく、なりきっているとおもいます。
欲望からくるものは、自分のものだけにしたいという結果を伴い、孤立化します。
快楽だった行為が、義務や執着になり、いずれ苦になるでしょう。
音楽でもスポーツでも労働でも一緒だと思います。
私は無欲だったことは一度もありません。
呼吸していたいので、吸ったり、吐いたりしています。
必要以上にすると、結構苦しくて、死にそうになります。
だから、余計にあって、持っていることが苦しいものは要りません。
あ、172書いた気がするけど忘れた。
で、私の書き込みに一切正解はありません。
書き込みを含めて、あなたが味わったなかに、あるのでしょう。
やっぱり自演か
このスレ、本当は俺とおまえさんしか居ないんだぜw
>>491 >それでも私はその人間性も含めて鬼和尚も信頼する。
鬼和尚は幸せ者だな。
くれぐれもこういう人を裏切るようなことはしないでくれよ。
498 :
はっとり内蔵:2009/02/21(土) 13:42:13 ID:lQ7oj4IF
今日は二つ。
苦の分類に意味は無い。
紙の裏側だけを燃やすことは出来ない。
根を断て とは、まさしく真理の言葉でござる。
日中に調整した体は睡眠中にまとめ作業が行われるようでござる。
脚関節が成長期のように痛む。
499 :
すもも:2009/02/21(土) 13:47:05 ID:rM25b4gM
>>493 さっきから自分で書き込みしながら気がついてるとこもあり、
結果を求める思考の生態wも、うーん、もうちょっとでわかりそう・・っていう感じです。
あ!っていうあの感じは、誰の答えにもなく、私だけの正解、というのも少しずつ理解しつつ、
多分私はそのヒントを求めてあれこれ聞いてます。すいません。
私も自由に野良の象にも会いに行き、贅沢な君島のドレスも着て、それでも縛られない、そんな人生送りたい!
ってこれが「結果」を求めてるってこと、ですね?w
刹那的でもなく、結果に執着するでなく、自由に今、あるがまま生きてなおかつ、
飢えもせず、両親を安心させられる社会人として生きる・・。
難しい〜〜という思考に縛られる、というまだまだ無限ループ状態。w
>>500 したいことをするのに、何も問題はないと思います。
むしろ全身全霊を傾けてやれるなら、それこそ生きていると思います。
欲しい物は縁があるときに得て、縁が切れたら手放せばいいだけです。
情熱をとる人は行為のみに集中され、成功をとる人は結果に集中します。
言い換えると、今に集中する人(無私)と、過去に生きる人(自我)です。
社会的に適応するのは人間には不可能です。歴代の総理大臣、聖者も無理でした。
適応しようとして、あまりにかけ離れているので、狂って死ぬ人もいます。
適応していると思い込んでいる人は居ますが、これは社会に死んでいる人です。
自分が生きるために社会を作るのであって、社会を作るために自分を作るのではありません。
両親は、成功のために摩耗する子供を望むのでしょうか?
それとも、自分の老後のために犠牲になれと言うでしょうか?
あなたが、生き生きと暮らすのを望まないでしょうか。
人はしたいことに、全力になれるなら、飢えや苦労は耐えられます。
したくないことは、すぐに耐えられなくなります。それは両親の介護も同様です。
今に集中する人(無私)が行為をしているのです
無私とは誰でしょう? それで結果に満足出来ないことがあるでしょうか。
このスレは、ほんの数人で回してる。間違いない。
502 :
すもも:2009/02/21(土) 20:38:36 ID:rM25b4gM
>>500 とても心が動いた。
バラバラになってた頭や手足が、合体ロボみたいにかしゃーんと音を立ててつながったような気分。
でもまだ、こんな私にそんな生き方ができるのか、と自分を疑ってるのでよく見たら、
今現在も、今のこの現状を「結果」だと思ってて、
だから今まで好きに生きたつもりのお前は今、失敗という結果を手にしてるじゃないか
と、思ってることに気がついた。
それに、好きなことと言っても、生命に従ったのではなく、「好きな結果」を追い求めただけで、
だから「失敗」したのだということも、わかった気がする。
「今」は過去の結果じゃないってこと。
「結果」なんてものは、今も、これから先もない!ってこと。
やっとわかってきそうな気分です。
>>497 裏切りは信の裏にがあるる。
わしはわしを信じるな、疑えといつもいっておる。
自らを灯明にするのじゃ。
人の将来は行動で変えられると観察した。
決まった道などはないものじゃ。
ある人から「止観一如」であると教えてもらった。
(意識が)対象を観ずれば(思考は)止まる。
そして、(思考が)止まらなければ(対象は)観えない。
だから、現実として思考が止まっていないという事は「観てない」という事だけが確かである。
瞑想の対象はサマタ瞑想の時は基本的には呼吸となる。
呼吸を中心対象として、対象が移った時にはそれに「ただ気づき」、また中心対象(呼吸)に戻る。
対象が移る時には、その前後に必ず思考が発生しており、その時すでに「呼吸を観じていない」という事だ。
だから、また、呼吸を観る。
このプロセスに非難は不要だ。
非難もまた思考だからである。
しかし非難を抑えこむのも思考である。
非難が起こった時には、その非難に気づいている事。
ただ認識するものは「主体=意識」である。
…そしてまた、呼吸に帰る。
これを「帰命」と言う。
何度でも観る…観得るまで観ずる。
ヴィパサナ瞑想の対象は、「今」である。
「今」を観る。
やがて思考が今を遮る。
その思考に気づく。
非難なしに気づく。
反省なしに気づく。
模索なしに気づく。
分析なしに気づく。
気づけば、また「今」に帰る…そう「帰命」するのだ。
なんだかもう、現実味がなさすぎ。
俺らは、現にこの俗世でヒイヒイ言いながら生きているんだ。
生きている死体かよ。
今夜の晩飯は何を食ったか言ってみろ。
ちなみにおれは、キャベツとベーコンを炒めて食った。
うまかったぞ。
「どうしたら思考を止める事が出来るだろうか?」←これは「思考」である。
「思考を排除すべきか否か?」←これは「思考」である。
「観察は排除的であるべきか否か?」←これは「思考」である。
「ラベリングすべきか否か?」←これは「思考」である。
「どんなラベリングが適切だろう?」←これは「思考」である。
「呼吸のどこを見るべきだろう?」←これは「思考」である。
「もっと細かく観察するべきか否か?」←これは「思考」である。
「観察は分析的であるべきか否か?」←これは「思考」である。
「観察は1次的であるべきか否か?」←これは「思考」である。
…たった一つ確かな事は、「思考が現れるとき、あなたは既に観ていない」という事なのだ。
そして「本当に観る事」だけが、思考を止めるのだ。
何度でも観よう。
何億回でも観直そう。
私が「観直そう」とする前に、そこには思考に対する純粋な認識がある。
認識するものは主体である。
それが「帰命」なのだ。
何億回でも観直し、何億回でも帰命しよう。
自戒を込めて。
なんか大変だね。
スレタイとこれまでの空気を読まないでレスを繰り返し、
関係ない話題でスレを消費する者達が、2chにはごまんと居るのを観察した。
>>507 全部一つでよくないか?
「これは」だと、どんどん引っ付くから
【それ】
なにもかも無し から観たら、出てきたものは全部【それ】
山下さん
>>505 現実と思うものは、外になく、あなたのなかにあるものです。
外の世界に善悪はなく、優劣はありません。
それは、あなたが持っていて、あなたが世界を作っている。
あなたが嫌いな人は、だれかから好かれており、立派です。という人です。
あなたが好きな人は、だれかから嫌われており、悪人です。という人です。
何を食べたか? それを言えた人は居ません。
食っているときは、口に食物が入っています。
>>513 505だ。おれはおまえさんの意見に同意する部分が多々ある。だから反論もしないし
敵対する気もない。むしろナカーマ(AA略)かもしれない。
しかし言わせてくれ。おまえさんは生きている感じがしない。
口に飯を入れたまましゃべって米粒を吹き出しているような生々しさがない。
その点で鬼和尚は愚かなことも言うが、生きている。その差が実に大きい。
それが言いたかった。長文失礼。
というふうに書いておいてだが、おまえさんは鬼和尚の自演じゃないだろうな。
どうも最近は疑い深くなってな。油断も隙もありゃしないぞ。
>>515 確認出来ないことは、疑いなく信用できないから、
私が誰であろうと、名無しです。
もっと正確に言うと、液晶のシミです。
ああ、あっちのスレのシミの人か。
おれも確かにシミでしかないや。
PCをシャットダウンしてしまえば跡形もなく消えちまうシミだよな。
まあアレだ。鬼和尚はそろそろ別のキャラを用意しているんじゃないかと思ってさ。
鬼和尚キャラをかなぐり捨てるとすれば、おまえさんみたいな感じでまずテストかなと。
くだらん
自演だろうと何だろうと関係ないやん 問題はそのレスがなにをいってるかだ
自演でエゴを補強するようなやつは論外
シミから、自分の持っているもの(自我)が世界を作る。
でも、シミも三人集まれば、文殊の知恵です。
実は人の反対のことを探して書き込んでいるだけだったりします。
だから、鬼さんが無から話せば、私は有から話します。
ここは、鬼とかあまのじゃくがいるのかもしれません。
522 :
鬼和尚の邪教判定基準:2009/02/22(日) 12:43:46 ID:LKyEmuuL
真言宗泉涌寺派大本山 紫金山小松院 法楽寺 -田辺不動尊-
慈雲尊者ゆかりの寺院
ここを見れば鬼和尚は邪教だと理解できる
523 :
鬼和尚の邪教判定基準:2009/02/22(日) 12:46:04 ID:LKyEmuuL
まあ、法楽寺の仏教解説用いて、鬼和尚の邪教ブリをコピペして、やってみるのもおもしろい。
結構真面目にまとめているからなあ。
524 :
神も仏も名無しさん:2009/02/22(日) 13:38:18 ID:1HxEx0Or
気付き・観察のスレとは関係ないことを平気で語る輩が多いのは
マナーなんか関係ねえ自分がよければそれでいい
という今の時世を表していると観察した。
ここは2ちゃんねる。
526 :
はっとり内蔵:2009/02/22(日) 14:19:38 ID:O3PSC81O
やはり大腰筋の上部と内蔵が癒着していた。
にんともかんとも。
瞑想をしてると数字が出てくるので数息にしてみるでござる。
527 :
すもも:2009/02/22(日) 15:27:36 ID:E0kAB5/D
>現実と思うものは、外になく、あなたのなかにあるものです。
実はこれがよくわからなかった。
では、あなたのなかにある引力と私のなかにある引力と違うのですか。
あなたのなかにあるアンドロメダ星雲とわたしのなかにある・・(ry という風に。
でも、そういうインフラは仏?が与えたもので、考えなくていいもの。
考えるべきは、インフラを含めて外を見ている自分の心。それを言ってるのだなあ、とわかりました。
それで、そこからどう連関したか覚えてないけれど、そうなると自分はそういうインフラを与えてくれた仏に
ただ生かされているだけ、ということになり、
それなら、ただ仰向けに川の流れに身を任せて流れてみるみたいな生き方が、
一番、仏に抵抗しない無私な(最も生き生きした)生き方、ということになるのかなあ。
と、昨日からあわせて考えて、そう思えてきたのだけれど、あってますか?
自分では、泳げない〜とじたばたしてたのが、ふっと水に浮かべるようになったみたいな気分。
だけど、その気分をすぐ忘れる。すぐもとの木阿弥になる。orz
>>527 外を見れた人間は、いません。
世間で言われている「ありのまま」と、ブッタ達のいう「ありのまま」は違うと思います。
「ありのまま」とは脳に情報がインプットされる前の状態であり、
世界創造前の状態、混沌であり、ここが本当の「今」です。というか今のみです。
思考(心、意志)から見ると、形象も名称もない世界です。脳から見ると絶対無です。
つまり、無限です。神でも愛でも無我でもいいかも知れません。宗教により違うのでしょう。
人間とはそれぞれの脳が作る世界を生きています。
だから現実とは67兆の脳を持つ人間が、それぞれ勝手に作っている世界です。
だから、人に生き方を問うても仕方なく、
人と比較して劣っている優れているもないのです。
あなたが無私で居られるときは、どんな状態ですか?
ぼうーと、忘我している状態ではありません、
情熱を持って活動している時ではないでしょうか?
ただ、休むときは休むというのも、必要です。
思考(心、意識)は大変に働き者ですが、
休息も求めてもいますので、休ませましょう。
宇宙を創ってしまった神さんは、
「週に一回は休ませないと狂っちゃうよ、人間ども。瞑想でも禅でもしとけ」
と言ったかも言わないかも。
530 :
すもも:2009/02/22(日) 19:23:34 ID:E0kAB5/D
私にも数少ない経験として、損得抜きで時間を忘れて没頭したこと、
追い詰められてどうやったかわからないけど不思議に乗り切ってしまったこと等があり、
そのときに感じた感覚が無私とか情熱だったのだろうと推測してます。
雑念がない、とか抵抗感がない状態。でもその状態は稀にしかなく。
しかもこういう気づきがなければ見逃してたものです。
それを、いつも、そうなっている状態にするのが、本来、というわけですよね?
脳ってほんとに面白い。
なので私は、本当は悟りっていうのも、脳が見せる飛び切り上等の妄想とか幻覚の可能性ってないのかな、
と思ったりしてました。
が、それ以前の世界を見る、ということなのか、悟りって・・
と、ちょっと勉強に・・というか、わかったフリ。w
今は、人が成功したか失敗したかを追求している、結果という過去世界だけど。
釈迦や仏教徒が目指している世界は、人が情熱を持って追求する、今世界。
だから、生きることは未知への追求であり、ひたすらの観察であり、悟りなんか知りません。
>>519 おぬしがわしじゃよ。わっはっはっは。
>>522 その寺で邪教を教えておるのか。
良く判った。
みんな気をつけるのじゃ。
>>526 大変じゃのう。
しかし、今、ここに居れば病も苦ではないのじゃ。
心が顛倒した者は何を行っても無意味と観察した。
心は主である故に、全ては心に拠ってある。
533 :
すもも:2009/02/22(日) 20:55:08 ID:E0kAB5/D
>>531 わかった。。というか、
答えなんか見つけなくていい、ってことですか?
最終的なゴール(結果)をわかりもしないのに、わかろうとするのではなく、
ただ、今、を観つづけること。
生きる目的は、今に生きること、以上。ということですか?
それが、情熱、無私で生きる、ということ、と理解していいですか?
質問ばかりですみません。
私のレス、スレチのマナー違反だったら申し訳ありません。
534 :
はっとり内蔵:2009/02/22(日) 21:01:15 ID:O3PSC81O
>>532 お気遣いいただきありがとうございます。
深刻な状態ではないので、地道にアーサナしながら緩めていけば大丈夫そうです。
緩めれば新しいものがまた奥から...。
心と体の共通点でござる。
>>533 答えは、初めからあなたのなかに、すべてあるので、
「わかった」「気付き」があるのです。
すでに答えは、あなたに疑問が発生したときに、あなたのなかにある。
他者にはありません。
心は無色透明です。思考で色を着けてみるから、色が着いているように見えるだけ。
あなたが、【成否を求めずに】、情熱を持ってやりきることは生きていることだと思いますし、
生が助ける。命自体がずうーーと何億年も前からやってきたことです。
個で生きていません。あなたを生かすもの生きるもの、それ全体が命です。
だから、情熱を持ってやれることを見付けるのが、今に生きることです。
悟ってもいないのに良くつべこべ言うわw
わがこころ
吾は心で悟りなら、他者の思考ごときに何を求めますか?
538 :
すもも:2009/02/22(日) 21:58:18 ID:E0kAB5/D
>>535 言われてることが何であるかが、少しわかる自分になれた(多分)ことが嬉しかったです。
本当の意味で、情熱を傾けるものを見つけたいと思います。
どうも有難うございました。
野良象や野犬の話を聞かせてください。
>>538 私は、実をいうと悟りという固定観念が大嫌いです。
閉じた一円相だったら、未知でいいと思っています。
ぐるんぐるん回り続ける一円相の向こうに生きたいです。
野性の象に会いに行けばアリのように踏み潰そうとするし、
野外で座禅すれば、野犬は私を食おうとしますし
鳥や蜂は避けてくれず、ぶつかってきます。
私が、目指すのは、世俗を超越した特別な存在ではなく、
日々是好日の平常心ということで、御指導をよろしくお願いします。
>>1
540 :
すもも:2009/02/23(月) 11:21:03 ID:zahDkjuT
>>539 おはようございます。
朝、目が開いて真っ先に「今ここに生きる」という言葉が浮かびました。
まるで、眠ってる間中、心の中にその言葉があった感じで。
それから座禅も瞑想もしませんでした。
なのに、いつもは意識して思い起こしてた感謝の気持ちも、
ごく自然にそこにあるという感じがしました。
今ここ。を生きること。
>世俗を超越した特別な存在ではなく、日々是好日の平常心で生きること。
それを忘れないでいること。
ありがとう。
>>540 私は公案とかしないのですが、
鞭を打つのは牛か牛車か? 瓦を磨いて鏡にするつもりか? てな言葉があります。
座禅と瞑想だけをしている最中に「悟った」と言った僧侶がいるのでしょうか?
立派な牛車だけを作って、動かないで困っているのが殆どではないでしょうか?
立派な社だけ作って、心に神仏を入れないでどうするのでしょう?
とんでもなく理不尽な目に会いながらも、
人生とは何だと諦めずに、観察した、考え抜いた人に悟りが訪れるのではないでしょうか?
だから、如来が来て真如の光が過去の一切を、一瞬で焼いてしまうのではないでしょうか?
他人の言葉で分かるのは「思考」です。本を読んで「わかる」のは「思考」です。
「生きる」というテーマを持ったら、【とことん、それは何だろうと自問自答する】から
悟りがあるのではないでしょうか?
エンジンもなく動かない車でどこに、行きたいのか疑問です。
生命力や悟りが暴れて、どこかとんでもない経験をさせるために、
どこかに連れて行ったりしないのでしょうか?
未知への追求にあるとき、あなたの心は最も新鮮ではないでしょうか?
我々は有頂天になろうが野垂れ死にしようが、
あの世もこの世も涅槃も越えて、求道者ではないのでしょうか?
あなたの疑問が、我々に智慧を与えてくれるのはなぜでしょうか?
すももさん、天地万物、我々、ありがとうございます。
若いもんはうらやましいのう・・・・ゲホゲホ
臭い!
↑541宛て
>>542-544 大丈夫です、あなた方も、如来がきて一斉に漂白クリーニングですw
ここにあるのは、液晶のシミに反応する自分ですから。
キモイ!
547 :
神も仏も名無しさん:2009/02/23(月) 21:09:34 ID:x0wM8Ijr
まぁ…そうやきなさんなw
ここはひとつ生暖かい目で。
>>534 お大事に。
人々は苦を抱えて生きていると観察した。
一時の代用でも苦を軽くした方がいいのかのう。
釈迦がキノコの食あたりで死んでくれて良かった。妙な奇跡起こさなくてw
釈迦という いたずら者が世に出でて 多くの者を迷わせるかな
なにが涅槃だ、アホいうな。
どこで見てきた、どこにある、無にいるのに、なぜ無にならずに生きている?
無を思考で作り出して、そこに居るから生きているんだよ。
生きているときは、生ききるんだよ。
死んだら、死にきるんだ。
釈迦を超えたのか。 おめでとう!
犬に喰われたり、象に踏まれたり、鳥がブツかってくるのは変わらない。
だれが、だれを、越えると無我になる?
誰が、誰を下に見ると、無我になるのだ?
お前は犬以下だ。
犬は我があるなどと思ったことも無い。
ついでにいうなら犬に喰われるなんとかは無我であろうとなかろうと関係ない。
いい加減気付け、67兆も人間が居て、
日本の極わずかな人間だけ悟りを得て
いいところに行けるとか、おかしいだろう?
そこまで依存してどうするの
犬にしかいえない意見乙
生きるものが
生きていくための仏教だろ
涅槃でじっとしてて、識別作用が止滅したから、苦がない。
出家して社会に死んでもいないのに嘘になるだろう?
仏道を志したものは皆、自分を犬以下のクズ野郎と心得よ。
悟ってはじめてまともな人間となる。
ワン! ワン! ワン! ワウーンン!
悩みがないものに悟りは必要ない。
仏の乱用禁止。
561 :
凡:2009/02/24(火) 00:53:33 ID:PmWgK8vl
>>558 > 仏道を志したものは皆、自分を犬以下のクズ野郎と心得よ。
犬がかわいそうだ
> 悟ってはじめてまともな人間となる。
ていうか踊らされてたのが
自らのリズムで踊るようになる
>>541 > とんでもなく理不尽な目に会いながらも、
> 人生とは何だと諦めずに、観察した、考え抜いた人に悟りが訪れるのではないでしょうか?
> だから、如来が来て真如の光が過去の一切を、一瞬で焼いてしまうのではないでしょうか?
大袈裟に考えているが「人生」でなくてもいいよ
> 他人の言葉で分かるのは「思考」です。本を読んで「わかる」のは「思考」です。
そういうことだよ
> 「生きる」というテーマを持ったら、【とことん、それは何だろうと自問自答する】から
> 悟りがあるのではないでしょうか?
とことんでなくても
本当はただの1度だけでも充分なんだよ
意志を遮れるものは何もないのだから
>>539 そのとおり
悟りは概念ではなく未知のものだよ
562 :
凡:2009/02/24(火) 01:10:05 ID:PmWgK8vl
>>535 > すでに答えは、あなたに疑問が発生したときに、あなたのなかにある。
へーよく知ってるね
> 心は無色透明です。思考で色を着けてみるから、色が着いているように見えるだけ。
そ
>>531 そ
知ってたらインチキなんだよ
>>528 新しいキャラだね
このスレでは見かけなかったな
>>497 信頼と裏切りは表裏一体だからな
ていうか
コテに敬称を付けてる時点で自己中丸出し
563 :
凡:2009/02/24(火) 01:34:33 ID:PmWgK8vl
>>474 善い事とは何か?
>>437 まだ、人生半分残っておる
>>404 >>399宛だろう
観察に百害あって一利なし
良い概念と悪い概念を分けて
良い概念だけを刷り込んで何をしたいのか
>>395 成り切ったら消えてゆく
>>333 コントロールできるようになりたいのか
自我の一部は肯定して一部は否定しているようじゃ全体像は見えんよ
>>323 それドッペルゲンガーじゃなかったっけ
>>318 悟りのごくごく一部を感じて
自我を悟りだと思い込むこと
>>241 > それは恐れますよねw
> 肉体的死を超えることが悟りの必要条件だからです。
そんなことないよ
必要以上に神経質に死が怖くて仕方なかったら必要だろうな
564 :
凡:2009/02/24(火) 01:44:21 ID:PmWgK8vl
>>236 自我が弱くなっているためだろう
魔境じゃないが
坊さんになって住職になって、その団体が自我そのものになるってのが良くある
十牛図の解説なんかやってるのは、ホント、自我丸出し
>>563 > 善い事とは何か?
自分自身の悩み苦しみをなくす努力だと思います。
一人のよそ者が来ると、それに付随して同じ匂いを持つ者達がやってきて、
その土地にある物をどんどん乗っ取って自分のものにしていくと観察した。
そう。ナワバリ争いに負けた弱きものは新天地を目指すのみ
それがはるかアフリカから東のちっぽけな島国まで逃げ続けたオレたちの処世術
さあ、この島を争って戦え
さもなくば、太平洋へ飛び出せ
次から次へと自分とは違った考え方や生き方をする者はやってくる
他者とどう立ち向かうかは自由だ
争うか逃げるかの二択に縛られるのか
他の道があることに気づくかは自分次第
568 :
すもも:2009/02/24(火) 20:04:28 ID:hjhuquz9
和尚に、信頼の裏には裏切りがある、といわれてあまり面白くなかったので考えました。
「裏切る」というのは【仲間との約束・信義を破る】とかの意味で、
1人で勝手に相手を信じ、以後信じなくなってもそれは「不信」になるだけで、
信じ続けると「約束」してない限り、裏切りじゃない。
それより、信の裏が裏切りだと反応する心は、
「信じます」という相手の言葉が、自分に「約束」されたものだと
「信じる」ことから生じてるのでは?
と、観察してたら、自分も多くのことに無意識に約束させていたことがわかりました。
別に言うと「当たり前」というものになって。
そして、それらこそが依存の正体ではないか?と気づくことができました。
和尚にもんくを書こうとしたのに残念です。
>>552 血を吐くような言葉だのう。
おぬしがおぬしを超えれば無我になる。
おぬしがおぬしを見なければ無我になる。
おぬしという小さな島が、観照の波に呑まれれば、無我の大海が広がっておる。
>>563 おぬしの観察は良い概念と悪い概念を分けて良い概念だけを刷り込むものか。
それは観察ではない。
もっとお勉強するのじゃ。
>>568 いい気付きじゃ。
守れない約束なんて嫌いじゃ、という歌があった気がする。
初期の経にも後世のものがあるようだと観察した。
読むだけでも大変じゃ。
観照の体験なんかにとらわれないほうがいいぞ。
いつまでも篭目篭目してても、仕方ないだろうに。
572 :
神も仏も名無しさん:2009/02/24(火) 23:16:41 ID:1Q7Qaozu
悟ってもいないのに良くつべこべ言うわw
鬼和尚の馬鹿はww
独り言です。
よく「気づいていなさい」と言いますね。
「純粋に認識せよ」と…。
ただ認識するものは主体(意識)であると。
思考や感情と同一化するのではなく、観察する側に立ちなさいと…。
まあ、なんとなく分かるんです。
でも禅なんかだと、むしろ一体化しちゃいなさい…みたいな事を言ってるような気がします。
つまり、思考や感情から身を守ろうとするなと。
その「守ろうとしている自己」こそが嘘なんだと。
そんなものはありはしないと。
悩む時は徹底悩めと。
まあ、これもなんとなく分かるんです。
片方で「同一化するな」といい、片方で「一体化せよ」といい、どっちもなんとなく分かる。
うまく説明できないけど、本当は同じ事を言ってるような…。
…なんというか、意識の世界というのは一元的な世界なんですかね。
例えば「意識で観る」という事は、能動的でもあり、受動的でもあるような。
まあ、「観ずる」という言葉がありますが、ニュアンス的にはそれが一番近いのかな〜。
依存が起こる原因とはなんだろう?
これは自己への快楽、安らぎの場所への執着であり、
それら外部にある【不安定なものに、自己同一化】してしまったことで起こる
【恐怖】の解消が原因ではないだろうか?
これは自らが、
完全に独立していながら完全に満たされた状態にならない限り解消されない。
恐怖、不安が起こる原因とは何であろうか?
これは本能では自我がないと知っているのに、思考では自我こそが主であると認識させるために起きた。
滅んでしまう思考、実在ではない思考の死への虚しい抵抗である。
恐怖とは、本能の危機感ではなく、
思考が、もともと無いものを有ると実感しているために起こる【空虚感】の産物である。
さて人の本能とはなんであろうか?
そんなことを知っている人はいないから
赤ちゃんを観察する。
彼らは、泣くときは泣き、笑うときは笑い、全く迷いがないのである。
自我のない赤ん坊は全身を使って泣けや笑え、叫ぶのである。
未知を求めて生命力を爆発させるのであるが、誰も不快ではないのである。
座ったきり動かないで、今いない世界にいるとか屁理屈こねない。
577 :
凡:2009/02/25(水) 03:14:58 ID:ZN5HnMBH
>>576 あそう、君も赤ん坊の時の事を覚えているのか
でも覚えているのは結構少ないみたいだぞ
> 未知を求めて生命力を爆発させるのであるが、誰も不快ではないのである。
あのさ、快不快があるにきまってるじゃんか
覚えてないの?
熱いの嫌だし、冷たいのも嫌だし
ミルクは楽しみにしているし
妄想はないがね
一時期は閑古鳥が鳴いていたこのスレ。
人が集まってきて結構なことだが、他のスレと同じになっちゃったね。
正直、凡には来て欲しくなかったよ。
にぎやかで楽しいところには人が集まってくるもの
集まり過ぎると今度は息苦しいから距離をとる
疎から密へ 密から疎へ
これ自然のなりゆき
>>577 たいていの2〜3歳位の子供に過去のことを話させると、
子宮のなかで聞いた会話を覚えていたりしますよ。
社会構造を刷り込まれるまでは、利他も出来ている。
快不快、
赤ん坊が赤ん坊をしているのは誰も不快ではなく
大人が赤ん坊をしているのは、周囲も困るだろうなという意味で。
求道している人は、求道し続ければいい。
ただ
呼吸を究めても、呼吸という行為の結果
姿勢を究めても、姿勢という行為の結果
自我の崩壊を目指すなら、自我の構造を見破ることの結果
わかったを目指すなら、未知の追求の結果
観照だけを目指すなら、【生きるとは何か】の問いが極まった瞬間に見る。
ただ大歓喜に騙されすぎ、歓喜に歓喜しきっているから一切の疑念がない安楽に見えるだけ。
>>568 君嶋もユニクロも、一旦平常心に戻して、すべて横一線
何を組み合わそうと自由自在。空飛ぶ鳥が着飾るように思うがまま。
覚え書きです。
「意識的に生きる」というのはなんとまあ難しい事か。
意識的とは何か?と考えているのは思考なわけでして…。
ヴィパサナ瞑想におけるラベリングは、「意識的に生きる為の補助輪」なんだと思うんですが、
その補助輪さえも思考のエサになり、メチャクチャに引っ掻き回されるってのが現代人だと思うんです。
補助輪があっても意識という自転車に乗れてないわけです。
これはもう、ある意味スゴイ状況だと思う(笑)
かといって、補助輪があっても自転車の乗れないものが、補助輪なしで自転車に乗ろうとするのもムボーなわけで。
で、「言葉以外の補助輪」を探していたのですが、自分なりにある程度の効果を感じているのが「喉」です。
何か(思考、感情、五感、行為など)を感じた時に、喉を「ン…」と鳴らします。
それだけです。
あるいは、状況に合わせて「ン〜…ン〜…」みたいな感じで唸るのも、なんとなくいい感じがします。
とにかく「言葉を使わず喉を使って今を捕まえる」みたいな感覚です。
ほんのちょっとだけ役に立つような気がするので、一応書いときます。
追記。
あと、イライラや不安や葛藤ある時に強めに唸っていると、エネルギーの解消を感じますね。
だから、なにも念や受が無い時でも、習慣的に唸っていてもいいと思います。
後からついてきますから(笑)
身体関係の本を呼んでも、喉の振動は良き効果を心身に与えると書いてありました。
>>573 禅は集中を教えておる。
それは観察とは違うものじゃ。
無理に共通点を見つけようとしなくて良いのじゃ。
>>582 いい事じゃ。自分のやり方で続けるのじゃ。
進んでいく者はどこまでも進んでいくと観察した。
人を測るのやめればいいのにw
586 :
はっとり内臓:2009/02/25(水) 23:54:23 ID:QddAn1sR
ちらつくんだがバシッと来ない。
禅はサマタなのになんで悟る人がでてくるんだろ?
ヴィパを禅僧の如く懸命にやったらもっと悟る人が
出るのかな?
>>585 人を測るのを止めたらいいという測りで、人を測るのは止めたらよかろう。
そういうとおぬしは人を測るのを止めたらいいという測りで、人を測るのは止めたらいいという測りで人を測るのは止めたらいいというじゃろう。
そこでわしは人を測るのを止めたらいいという測りで、人を測るのは止めたらいいという測りで人を測るのは止めたらいいという測りで、人を測るのは止めたらいいというじゃろう。
いつまでたっても終わらん。
この堂々巡りを終わらすには観察によって気付くしかないのじゃ。
>>587 極めれば止だけでも良いのじゃ。
しかし、そこまで行くのは難しいから、観もやるのじゃ。
どちらにしても自我を捨て去り、本当に悟る気が無ければ何年やっても無駄になるのじゃ。
人を癒そうとする者の心は天人に等しいと観察した。
人には確かに善に向かおうとする心がある。
人にとって善とはなんでしょうかね。
悟りを開くチャンスを与えること
591 :
はっとり内蔵:2009/02/26(木) 22:49:00 ID:coYDsDNM
町に賑わいを取り戻そうと尽力する589どののさりげなさ、でござる。
善悪の意識を持たないまま、活き活きとしていること。
善とは禅の事だよ
善とは、よく見るとオッサンのような顔だ。
>>588 >極めれば止だけでも良いのじゃ。
馬鹿ですか?
昨日、家で自分なりの座禅していた。
座禅中、目の前は相変らず真っ暗なんだが、
だんだん清清しい気持ちよさが溢れていって
大きい小さいといった概念が希薄になった。
背中や足が少し痺れているのが分かるんだけど
それが自分から離れて、不快ではなかった。
そうして、恐れるものを克服せよって感じで、自分の最も恐れるイメージがありふれてきた。
んで、これ以上いくと、自分を見失う。常識が無くなる。発狂するって心境になった。
そんなことを昨日の座禅中に気づいた。
その先にいかなくちゃ
百尺の竿頭に更に一歩を進むべし
使い古された公案は役立たず。
崔郎中 、趙州に問う、大善知識、還って地獄に入るや、也た無しや?
州云く、老僧 末上 (まっさきに)に入る。
崔云く、既に是れ大善知識、什んとしてか地獄に入る?
州云く、老僧若し入らずんば、争でか郎中に見ゆることを得んや。(阿誰か汝を教化せん)
汝ら、行く先は地獄ぢゃ。違(たが)えぬようにな。
601 :
はっとり内臓:2009/02/27(金) 20:07:44 ID:XTZzvAHj
女性がキレて キーッ、となってる現場に今週だけで四度遭遇した。
「はあ? もう、いい」 ・・・何度聞いたか。
今週もドラマチックな一週間でござった。
ただ誉められたいと想っている人間が多いと観察した。
真に悟りを得ようと想っている者は少ないものじゃ。
悟りなんか棄ててしまえ。
誰も人を救わないなら、仏など尊くもなんともない。
焼いてしまえ。
得ないんだって、得たら外部にあるものだから、依存対象になる。
>>589 善とは人を人にしてくれるものかもしれん。
善を為そうという心が無ければ、人は獣と同じじゃ。
善悪とは、外部にある価値観であり、場所や人によって異なるもの。
どこでも通じるのは、浄心のみ。相手の心を鏡のように返す無垢のみ。
>597 >598
なかなか難しいもんだよ〜。
座禅組むには決死の覚悟が必要だというけど、本当だと感じたよ。
「ん?ちょっくら、俺死んでくるわ。」なんて心境になればお茶の子さいさいだろうけど。
自分をよくすることは世界をよくすること。
自分がスレに書き込むと他人のレスが止まってしまうことに気づいた。
スレッドストッパーだったんだな。俺。
610 :
馬フライ定食:2009/02/27(金) 21:09:25 ID:+8PRn8P8
>>605 何か?アイスコーヒーの分量が、コーヒー3、ミルク3、ガムシュロ4って感じww
生き物としては自己の生存と次の代に命をつなぐのが、間違いなく善。
でも、それだけで突っ走っちゃうと悪、なのかな。
善と悪の境目ってあるのかな。
もしも、その境目が明らかに見えたら悟れそうな気がするんだ。おれは。
あなたが善を持った途端に悪ができ、あなたが悪を持った途端に善ができる。
シミの人か?
あなたは気の利いたことが言える人だな。
意味がないがね。
善悪を越える善が、無私であること。
ボランティアも、被災地で爺婆に言うこときけと、怒鳴ればすでに善ではない。
命にかかわることなら怒鳴るだろ
乗客に避難を指示するフライトアテンダントは「走るな!急げ!」みたいな命令口調になるそうだ
そう、だからその「怒鳴る」という行為は重要。
【行為】が相手の身に立ち、相手の利益に優先している。
自分の行為そのものが相手の身になりきる。
619 :
神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 00:33:54 ID:8nAfTMWu
別にタヒんでもかまわないので 怒鳴るのは悪だ
タヒんで、ソrがどうした というぐらいのものよ。
怒鳴るのは悪行よ 善になったりあくになったりしない
どうしてなにゆえそんなこともわからないんだぜ?
620 :
凡:2009/02/28(土) 01:46:24 ID:cZR75Oi2
>>580 > 観照だけを目指すなら、【生きるとは何か】の問いが極まった瞬間に見る。
そんな場合もあるかもしれん
ただきっかけはそのような限定されたものでもない
> ただ大歓喜に騙されすぎ、歓喜に歓喜しきっているから一切の疑念がない安楽に見えるだけ。
暗いところから明るいところに出たときに、最初は眩しいがだんだん慣れてくるだろう
似たようなものだ
子どもが熱湯に手を突っ込もうとしたら、おれは怒鳴る。
それが死に直結するようなものなら、怒鳴るくらい屁でもない。
622 :
神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 11:42:29 ID:xazMWFd/
怒鳴るのが悪だと決めている人は、
自分が固定観念にとらわれていることに気づいていない。
怒鳴ると社会的に制裁を受ける事が多いのは事実だな。
624 :
はっとり内蔵:2009/02/28(土) 13:29:15 ID:XsKaTVTR
教育によって作られた習慣・価値観。これをフラットにするのに骨が折れる。
教育に関わる親や教師の役割は大きいでござる。
小学生の頃の写生の時間。
左右から描き始めたため、真ん中がつながらなくなった。
「先生、真ん中が変になっちゃった」
「おお。それが絵のいい所だ。写真を撮ったらそうはいかない」
こういう教師は少ない。
二元に分かれてしまった価値観を、
入れ替えてみたり、一度意味を壊したりしてほぐしていかないと
習慣で、すぐに固定観念化するから、けっこう厄介だね。
教育も社会も成果だけ求めて、行為することを考えない
癖があるからだろうけど。
626 :
神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 14:58:37 ID:yqaSedhT
>>624 いいことゆうねえ
写真には写真のよさがあり
絵には絵のよさがあるってことか
誰かは誰かのよさがあって
また誰かは誰かの知らないよさをもってるんだろうね
627 :
はっとり内蔵:2009/02/28(土) 18:11:26 ID:XsKaTVTR
>>625 自分という習慣が一番厄介でござる。
>>626 後にも先にもいないでござる。
小学生と本気で言い争いをする人でござった。
>>608 そうじゃ、それが真実じゃ。
>>609 それはおぬしの心が作り上げた世界じゃ。
>>624 いいせんせいじゃ。
世界は輝いていると観察した。
小さな花でさえ輝いている。
説教と指導をしているとアドレナリン出まくりで快を得て
止められなくなると観察したのじゃ。
自我を消そうとするのも、自我であります。
観察とは、思考や無意識の構造を見破り、
自らの腑に落として、思考自体を自由に使おうというものであります。
方便で描かれた言葉が届かない世界にありません、
日常にあり、自由自在に使いこなすものです。
観自在のみなさん、また来たら宜しく。んじゃあね。
>>628 >
>>608 そうじゃ、それが真実じゃ。
>
>
>>609 それはおぬしの心が作り上げた世界じゃ。
>
>
>>624 いいせんせいじゃ。
>
> 世界は輝いていると観察した。
> 小さな花でさえ輝いている。
>
陸上の植物は水中の植物よりも抗重力的生物であり、そんな風に合目的的にできている。美しい。
因みに人間(エレクトス以降)も抗重力的生物の特殊な発展形で生殖口が地面方向に向いていて、
着衣習慣の変更によって残存した性毛によるフェロモン分散効果を覆い隠してしまったのでオスは
メスの排卵期を察知できなくなって年がら年中勘違いアタックを繰りひろげることになった。
勘違いもまた美しい場面を提供する場合があるので迷いが悪いとはいえない。
これが悟っていてごらんなさい。瞬時にメスの排卵期を見抜いてしまっているのでピタリとしか求愛
行動をとらないオスばかりならなんとも世の中合理的過ぎて面白くないものか。
勘違いし迷うからこそ馬鹿馬鹿しく美しいということがある。
抗重力的生物である小さな花は養分摂取口である根を地中に埋めており、生殖口を太陽の方向
に向けて開放している。美しい。
重力の方向に対する生殖口⇔養分摂取口のあり方がヒトと正反対になっているわけだが、これが
美しいと感じる原因のひとつでもある。ヒトが頭を地面にめり込ませ、生殖口を太陽に向けていたら
慣れれば美しいと感じるかもしれないがそうつくられてはいないのだからグロテスクな想像である。
いずれにせよ輝いて見えるということすら一種の勘違いであるからそれは美しい。
632 :
はっとり内蔵:2009/03/01(日) 13:59:20 ID:U5BxXIHk
自分がどうして生まれたかわかった!!
なんて表現があるが、ありゃWHYでなくHOWでござるな。
神格化したまぎらわしい表現はやめていただきたいものでござる。
>>630 思考は使わないでも良いものじゃ。
全て捨てて捨てきるのじゃ。
>>631 輝いて見えるということすら一種の勘違いであるというのも勘違いじゃ。
ただ一人の人間にであっても、世界がそのように認識される時、それは現実でしかない。
分別によって美醜があり、美醜を離れて全ては輝く。
無知の故に無理解があり、無理解の故に勘違いがあるのじゃ。
考える者は観ていないと観察した。
観察を考えているだけじゃ。
635 :
すもも:2009/03/01(日) 21:12:36 ID:+BLMq4V3
なんのために?生きるために悟るのではないの?という問いに、和尚は死ぬためでもあると言った。
私はこの前、自分が死ぬのは子供の頃は怖かったけれど、今はなぜかあまり怖くないと言った。
その意味がわかった。
私は死ぬのが怖くなるほど、ちゃんと生きていなかったからだ。
信頼の裏には裏切りがあり、愛の裏には憎しみがあり、出会いの裏には別れがあり・・
そして、生の裏には死がある。
愛をよく見つめればその裏にある憎しみに気がつく。
同じように、もしちゃんと生きてれば、死ぬのが怖いと思えたのかもしれない。
例え妄想まみれであったとしても、死ぬのが怖くなるほど懸命に生きる生きかたすら
自分はできてなかったのだと気がついた、ちょっとネガな気づきの日曜日。。すみません。
>>633 もう、気付かないほど重傷だと思うので、とうに諦めているが、
そうやって覚醒者のフリをしながら、評価をすることで、
全ての探求者が固定観念の枠に入ってしまうのだよ。
だから悟りは常に落とすもので、抱えるものではないの。
抱えれば、ただの概念になる。
例えば、ここに居るのは自我の正体を見破る為に探求にきている。
だから日常であり、気付き、観察なんだよ。
脳内麻薬にどっぷり浸かる世界には用がない。
それに覚醒者もどきが、評価を与えると相互依存の関係になるから、
初心者や素直な人間ほど、依存が深まり、評価や進み具合を気にするようになる。
そして、そこに取り残されるという不安から依存が増していくので、
迷いがさらに深まり、悟りたいという欲望がねじ曲がった形で生まれ、
依存が深まるだけで、永遠に悟れない。
ワシこそがという、分厚い自我がどれだけ迷惑か思考を使って考察したほうがいい。
落とすとか抱えるとか単に言い方の問題なんだよ。
Nobody loves you は「だれもいないひとがあなたを愛してる」=「誰もあなたを愛さない」
悟りを得るといおうが抱えるといおうが落とすといおうが同じなんだからどうでもいい。
依存どうのこうのは依存してるひとにいえばいいね。鬼和尚に巨大なエゴを見てる人は
自分のエゴを投影してるだけ。
638 :
凡:2009/03/01(日) 21:47:55 ID:3dmNew+y
>>636 > それに覚醒者もどきが、評価を与えると相互依存の関係になるから、
> 初心者や素直な人間ほど、依存が深まり、評価や進み具合を気にするようになる。
信頼という名の依存心だろうね
> そして、そこに取り残されるという不安から依存が増していくので、
> 迷いがさらに深まり、悟りたいという欲望がねじ曲がった形で生まれ、
> 依存が深まるだけで、永遠に悟れない。
そうなるだろうね
しかし、それは当人の望む形だからいいだろう
自由意志を曲げることはできない
依存したい、評価されたい、認められたい、悟りという偉大なものを伝授してほしい満たされたい
欲しい者と与えそうな者の駆け引きだからね
639 :
凡:2009/03/01(日) 21:53:55 ID:3dmNew+y
> 依存が深まるだけで、永遠に悟れない。
それに、依存すること自体、本当は悟りなど求めていないのだよ
もちろん菩提心などない
違うものを求めている
だから、そうなるだろう
しかし、悟りを知らぬからといって何も問題ないだろう
640 :
凡:2009/03/01(日) 21:59:13 ID:3dmNew+y
もしも菩提心があれば
本当はそんなに時間はかからないんだよ
すぐに悟りに気がつく
時間がかかっているとしたら
本当は悟りとは違うものを求めているのだよ
641 :
凡:2009/03/01(日) 22:00:35 ID:3dmNew+y
菩提心があるとしたら
依存などしない
自ら切り開く
そういうものだよ
なぜならそうするしかないのだから
>>632 > 自分がどうして生まれたかわかった!!
> なんて表現があるが、ありゃWHYでなくHOWでござるな。
> 神格化したまぎらわしい表現はやめていただきたいものでござる。
ああこの手の表現はローマ風つまりロマンチックというヤツですね!
大袈裟で劇的であることをもって潔しとする。誤解を恐れず神格化こそすべてだという。
古典的技巧の一種です。
まだやる人が後をたたないとはよほど人気のある表現形式なんでしょう。
案外廃れないものですな。
ローマ教会得意の技巧でさんざんある傾向の文明国では流行ったものですが。
パックスアメリカーナの終焉とともに忘れ去られる運命ですよ。
過去の遺物です。
>>633 美しさが衣を通して輝くという「かぐや姫」は月の都へ帰っていった。
みんな知ってる物語です。
さて。どうして意味のわからぬ物語のほうが廃れず、意味の通る
その時代にとって現実味のある物語は廃れるのであるか?
とても重要。
644 :
神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 02:42:29 ID:v5OexGyC
元々言葉を越えているものを、言葉によって万人に分るように説明するのは難しい。
また相手によって理解の幅も異なる。相手に少しでも理解してもらうため、鬼和尚
は彼の絶対的な見地を多少稀釈された形で示すこともある。そうした場合、必然的に
発言の中に異なるレベルが認められることになる。そうするとある者は、それを以て
彼は矛盾していると言い、またある者は彼と同じことを言おうとして、別の表現、方便
を用い、俺は正しくて、彼は間違っていると言ったり、或いは揚げ足を取ったりして、
まるで鬼の首を取ったかのように振舞ったりする。
彼の言う仏教は信仰でやるものじゃないと思う。自分で理解、納得して実践していくものだろう。
鬼和尚を信じてたのに騙されたとか、彼に依存するとか、端からおかしいと思う。そういう
ことなら他の宗教をあたった方がいい。現に彼自身も常に、わしを疑えと言って、そういう態度を
戒めている。
釈尊を始めとする多くの祖師方、また仏教以外でも、マハルシ、クリシュナムルティ、
バーナデット・ロバーツ…と枚挙に遑がないが、彼等も言葉でその境地を示すことの
難しさを感じていたのではないだろうか。もしかしたら、悟ることよりも人に教える
ことの方が難しいのかもしれない、と色んなレスを見て思った。長くて申し訳ないが、
要するに、鬼和尚とその他の人々との遣り取りを観察して得ることは多い。感謝。
鬼和尚を否定するものも、否定したい自己を持ってるんだろう
どうでもいいじゃないか
鬼和尚も鬼和尚を否定するものもその他のものもみんなオレだオレ自身だ
この世界は全てオレだ、オレしかない、という意味でオレなんていないがまあ細かいことは
どうでもいいい、言葉だってオレだ
みなさんオレらしくたのしんでください!
それだけだろ!
自演乙!
オレか?
んま、世界はオレの自演!世界は世界の自演だわな!オレ乙!
>>647 > オレか?
> んま、世界はオレの自演!世界は世界の自演だわな!オレ乙!
650 :
すもも:2009/03/02(月) 06:50:54 ID:XqrdlQNT
>>649 すみません!失敗(>_<)!
カコイイ!乙!
とやろうとしたのに。
鬼の自演がいつも分かりやすいのは
仏教スレなのに何故か真我思想だから
まあオレは鬼じゃないけど
でも無我も真我も大我も視点が違うだけで同じだと思ってるよ
むしろそこに線を引くほうが分別だと気付いた
あくまで自分の体験上ね
あははははは、笑ったw 腹イテーw
654 :
神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 17:19:20 ID:vpBoVnfB
>>653 そんなにおかしいのか?俺も笑いたいから
無我と真我と大我の説明をお願いします。
655 :
神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 17:34:38 ID:XWhQMT7e
十字架にかかったイエス様だけが
あなたを自我から解放してくださいます
まあ無我とか真我とか大我とかおもしろいとか笑いたいとか思ってる自分がいるだけさね
なんでもおもしろいしそれでいんじゃね!
>>634 ぼけなくともそれはいずれ消えていくものじゃ。
消えていくものに依存してはいかんのう。
>>635 いい気付きじゃ。
ネガティブな事は気づきにくいものじゃ。
>>636 また信者がきたのう。
そんなにわしを信じてどうするんじゃ?
布教ごくろうさんじゃ。
>>638 おぬしもわしに依存し過ぎじゃな。
わしをパパンと間違えてはいかん。
己を灯明とするのじゃ。
>>643 輝くものは輝くが、見る者がいなければ美しいとは言われないものじゃ。
美醜は常に人の頭の中にのみあるものじゃ。
見る者が居ない時、全ては輝くが美であるとする分別が無い。
>>651 わしは一度も思想を語った事が無い。
思想を見る物は思想に囚われているからじゃ。
愚者はチャンスをとり逃してからチャンスに気付くと観察した。
賢者と心正しき者だけが気付くのじゃ。
659 :
神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 21:15:28 ID:ZDUuvu7x
>>658 愚者はチャンス自体に気が付かないだろ。
後からあれがチャンスだったなんて振り返る脳がないんだから
哀れ。中途半端な頭の良さがますます悟りを遠ざける。
661 :
はっとり内蔵:2009/03/02(月) 22:35:18 ID:tbBWyDrg
夢で小学校時代のクラスメイトのフルネームを頻繁に思い出す。
臭い一つで幼少の記憶がよみがえる。
早朝に自転車で家を飛び出した同じ空気を感じる。
傲慢な態度で振舞う人間は、その様に振舞うことにより他人の言葉に耳を貸さずに、
都合の悪い事を言う相手を、汚い言葉により馬鹿にする事で、相手を低い位置に置いて安心する。
こういう態度で振舞う事によって自己防衛己をしている事を観察した。
守るべきものが無いと分かるまで責めてやるよw
>>659 そうかもしれん。
おぬしもチャンスに気付いたらそれを生かすのじゃ。
>>663 自分を責めてはいかんのう。
おぬしには未だ命がある。
無くならないうちに修行じゃ。
世の人は苦しんでいると観察した。
生活がいつまでも続くという願望が更なる苦を作り出すのじゃ。
665 :
馬フライ定食:2009/03/03(火) 21:05:02 ID:wMshQVRw
>>658 >賢者と心正しき者だけが気付くのじゃ。
まじめにそんな事言ってるの?
感心出来ない考えだねぇ〜ww
俺には、その話が悟った者の答えだとしたら、( 間違い )なんだよなぁ〜・・・。
その言の重みを多少は解かって頂くとゆえに、
いい加減、2ちゃんでその様な事柄を書き込んだ場合の反対意見が書き込みされる事と、
おもい知るべし。
しかし、まぁ〜、一体何を観察してるのやら・・・・。
他人を見て、思いついたとする観察という思いの現れを、
他人に指摘されれば、また他人を見ての観察という名目の思いの現れを書き残す・・・。
ふざけて書き込んでるのかぁ〜??勘弁してくれww
耳を塞いで自分の主張のみ喚く人間が多いが、
自分の主張は絶対と思っているが、反対意見を言われるのは、
嫌でしょうがないため、そのようにしているのだなと観察した。
>>633 何たる教条主義。何かのマニュアル(グルの著作)をコピペしてるみたいだぞ。
使えないものなど有りはしない。
手があれば手を使い足があれば足を使うのは当たり前の事。
思考があれば夢であっても思考を使いバカを見るのだ。
それとも、賢くありたいのかね?
>>658 後から気付く者エピメーテウスと予め気付く者プロメーテウスとは表裏一体
の同一の存在であること多し。
難しいこと言って悪いが、これはギリシャではなくサンスクリット語辞典に出
ているプラマントラが語源だ。
669 :
はっとり内臓:2009/03/03(火) 22:56:02 ID:NN/lO3Cr
肋間筋は腸骨筋からでも肩からでもアプローチ出来る。
>>664 >
>>659 そうかもしれん。
> おぬしもチャンスに気付いたらそれを生かすのじゃ。
>
>
>>663 自分を責めてはいかんのう。
> おぬしには未だ命がある。
> 無くならないうちに修行じゃ。
>
>
> 世の人は苦しんでいると観察した。
> 生活がいつまでも続くという願望が更なる苦を作り出すのじゃ。
>
これは全く同感。
というか、この文明(氷河期、間氷期変動期対応型過剰生存財蓄
積という本能克服臨時対応措置生殖法)の基調がまともだという
催眠術が1万6000年以上続くわけではないということを知らないと
幸せ過ぎるということです。
文明や生殖方法の大前提自体が固定的なものではないというこ
とや臨時措置的なものであるということ、中枢神経等の仕組み自
体が皆さんの言うところの「思考」を規定している一時的な条件下
に置かれているものであって、「思考」とは「感情」とはなどとおお
みえ切って固定的に扱える状況ではないということです。
なのに「哲学」しちゃうのは「哲学」っぽいのが好きだからだという
単なる嗜好品の域を出ておらずこの状況を脱け出す力は残念な
がらありません。中止することはできたとしても。
まず中止することが大きな一歩であるというのは、うーん。まあそ
う思える時期もあるので賛成。というところでしょうか。
>>669 > 肋間筋は腸骨筋からでも肩からでもアプローチ出来る。
やるな。
672 :
はっとり内臓:2009/03/04(水) 20:18:08 ID:KHCwVm73
>>671 まあ体は1つのユニットでござるからなぁ。
毎日メキメキ体が変わっているのでござる。
意識のポイントが色々変化してめんどいのでござる。まだいっぱい残っているからでござろう。
細かく砕かれ磨耗し消えていく。それが引力・習慣からの解放でござろう。
入り口の門には目の細かい網があるのでござる。
>>665 考えではなく事実じゃ。
おぬしの考えと事実は違うものじゃ。
それが事実だと知れば、何故おぬしは気付けないのか、わかるじゃろう。 わっはっはっはっは。
>>667 使えないとは書いていない事を観察するのじゃ。
そして、自分の間違いを知る事が気付きじゃ。
まだわしの言葉を理解していない者が多いと観察した。
さらに易しくしなければならないようじゃ。
公文式みたいに一日20分やればだれでも悟れる自習教材つくって!
ちょっとした暇な時間を使って数息感と、
普段から観察を行っていれば多分そのうち悟れるだろう。
676 :
馬フライ定食:2009/03/04(水) 22:47:50 ID:4zMufYBp
>>673 そうだろなwwでも、お前の考えも事実とは違うはずだ。
それを事実と、受け入れる事が、かなり困難そうな奴だなww
所詮、片側の考えに過ぎない事を、事実と・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
まぁ、それも構わんがな・・・。
鬼、凄ーーーな。天狗病って噂では聞くけど、ホント自己愛の塊なんだな。
ここまでの重傷者は、ネットでもなかなかお目にかかれないw
678 :
馬フライ定食:2009/03/05(木) 17:04:56 ID:ZeNn7RAv
自己愛か・・・まぁ、それが必要で求めるのも悪くないだろうが、
>賢者と心正しき者だけが気付くのじゃ。
気付くなんてのは、道端で10円拾う程度の話で、
そんな所を事実とされても困るわなぁ〜ww
縁起が無ければ、賢者も心正しかろうも、気付く訳が無い訳で・・・・。
事実なんてぇ〜のを、そんな所で押し付けられても困るなぁ〜。
事実なんてぇ〜のは、実に曖昧で、当人以外解かり難いモノだろ?
そりゃ〜、あんたにとっては事実だと思いたい事柄かもしれないが、
鼻糞の様な下らない話を大切そうに言われても、ワシャ〜敵わんよ〜ww
まぁ、事実なんて認識は、あっという間に変わる可能性があるってぇ〜のが、事実だろ?
ったく、悟ったと公言する人が、自分の思い込みを事実と吐かれても、困りますなぁ〜。
679 :
馬フライ定食:2009/03/05(木) 17:14:35 ID:ZeNn7RAv
なぁ、鬼さんよぉ〜、
悟りを開いた人のスレってぇ〜のが、
誰かの提案で、悟りを拓きたい人のスレって、変わった時があったけどさぁ、
俺もスレタイ変える事をお勧めしちゃうわww
だって、馬鹿丸出しだろ?そんなにスレタイに拘りがあるのかい??
>>674 マニュアル化するとどうしてもそれを覚えたり、一通りやっただけで悟ったと思う者が出てくるものじや。
なかなか難しい問題じゃのう。
検証する方法も必要じゃな。
>>675 そうじゃ、実践が大事じゃ。
>>676ー
>>679 わしは何も考えてはおらん。
観察の結果を書いただけじゃ。
それを受け入れられないならそれまでじゃ。
事実は各自にとっての事実でよい。
もとより万人にとっての事実は無い。
それを論じたり、証明し、公式化するために使用するのではなく、成長のために使うのじゃ。
スレタイもわしが書いているわけではない。
ちゃんと読んでいればわかるじゃろう。
賢者や心正しき者ならばのう。
言葉と知識を集めて愚者は愚かさを増し、賢者は実践によって進歩していくと観察した。
実践が全てじゃ。
ワシに依存しない者は、馬鹿と悪しき者なのじゃ。
683 :
馬の散歩:2009/03/05(木) 21:41:28 ID:ZeNn7RAv
>>680 まったく・・・・ww
各自にとっての事実なのは、構わんのだが、
それなら、お前も全ての人に意見する事も無かろうがwww
各自にとっての事実が正しいなら、戦争も正しい訳だな?
鬼は、文科省の大臣になれよww
> わしは何も考えてはおらん。
> 観察の結果を書いただけじゃ。
> それを受け入れられないならそれまでじゃ。
何も考えてない事を、さぞかし賢者の様に書き込んでるのは知ってるよww
何も考えて無い観察の結果の書き込みを見せて、「鬼和尚様!」なんて言わせるなww
>賢者や心正しき者ならばのう。
一回豆腐の角で頭ぶつけろって!!そんな発言2ちゃんだけにしとけよww
恥ずかしくならないのかい??
>>681 >言葉と知識を集めて愚者は愚かさを増し、賢者は実践によって進歩していくと観察した。
>実践が全てじゃ。
アホなの??実践とは何だい?カタログショッピングかい?
実践とは、生きる事だろ?
実践していない人間が何処にいるんだ??
馬の散歩様!あんましべらべらしゃべると馬鹿なのがばれますよ!
生きてない人間がどうやってカキコできる?
686 :
馬フライ定食:2009/03/05(木) 23:02:08 ID:ZeNn7RAv
>>684 馬鹿ww
俺は馬鹿なのは、周知の事実だろがww
687 :
馬フライ定食:2009/03/05(木) 23:13:02 ID:ZeNn7RAv
馬鹿に色々言われるなんて鬼さん最悪だなww
>>685 生きてない人間が書き込みする事が出来るのか??
おもしろい事言うねぇ〜ww
688 :
馬フライ定食:2009/03/05(木) 23:16:40 ID:ZeNn7RAv
>>684 君が俗に言う<鬼擁護派>って奴なのかい?
俺が大王じゃなくって良かったなww
擁護派なんていない自演だよ。
690 :
馬フライ定食:2009/03/05(木) 23:34:23 ID:ZeNn7RAv
691 :
神も仏も名無しさん:2009/03/05(木) 23:37:00 ID:RzTdjDXf
やい、馬フライ!
観念に邪魔されず、正しく観察できる人は、すごいんだよ!!!
鬼和尚がんばれ!
どのスレもそうなんだが、鬼和尚が来ると使い捨てIDばかりになる。
693 :
馬フライ定食:2009/03/05(木) 23:43:02 ID:ZeNn7RAv
>>691 ごくろうさん!
鬼もこんな擁護派の世話になるんだから、
もう書き込み辞めちゃう位悟っちゃえばいいのにねww
( >賢者と心正しき者だけが気付くのじゃ。 )
と、
( 言葉と知識を集めて愚者は愚かさを増し、賢者は実践によって進歩していくと観察した)
これが観念だからな。解かるかい??
694 :
馬フライ定食:2009/03/05(木) 23:49:25 ID:ZeNn7RAv
>>692 単発IDか・・・・チーム世耕みたいだなww
自分の内を見ることを習慣にして、
やりたくないこととや不安に思うことをはっきりと認識することはできるけど、
「よしっやろう!!」と実際に行動を奮起させるのは難しいと気づいた。
696 :
馬フライ定食:2009/03/06(金) 00:47:35 ID:m2RiyKIz
>>691 君は、鬼より随分マシだと思うけどさ、
>観念に邪魔されず、正しく観察できる人は、すごいんだよ!!!
これ、全て観念だからな。
>>観念に邪魔されず、
観念に邪魔されないなんて良いじゃん!!
観念に邪魔されない状態って、どんな状態?想像してみてちょ。
>正しく観察できる人は
正しい観察?鬼は何も考えて無いらしいぞww
観察なんて、自己を振り返るだけにしておくべきだと思うぞ。
人間観察して、愚かさを観察したとし、それを発表する事なんぞ実に下らない。
愚かさなんぞは、何処にある?各自の中に見つけられるものだろ?
それがすごいのかい?
こんなとこにも論破クンがいる
698 :
馬フライ定食:2009/03/06(金) 01:16:50 ID:m2RiyKIz
>>697 馬鹿に論破されるようでは、おしまいだろ?ww
>>693 そうねえ。
正しいこと。
賢いこと。
そんなものクソくらえ。という、かつてそれらに邁進してきた、しかもその結果充実
し、手ごたえあるなにかをつかんでしまった面白くも投げやりな心境のヒトを再び
賢さや正しさへバックさせるように導くにはどうしますかね?
そんなことが必要とは思えないが。
愛すべき賢者たち。愛しき愚者たち。混乱した男。整然とした男。皆似たようなも
のなんだがなあ。ただ、群れの中にいる生き物。
人口密集型文明の特徴は「群れ」の特徴と同じ。
病的な群れの中にいるとどういう風になるかというと、わずかな違いをあげつらって違う
と騒ぐようになる。タンパク質も自己と非自己を極めて厳しく査定し防衛的に働く。
しかもお互いの共通点を無視するようなこともする。
簡単にいうと、違いに敏感になり、同じであることに鈍感であろうとするようになるんだ
なあ。それが「群れ」の中で生きていくための悲しい習性なんだ。
これを看破して正すのがひとつの手だろうな。
700 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/06(金) 07:41:58 ID:m2RiyKIz
>>699 俺は2、3年前だったかな?
とあるスレで10代の終り頃に思い知った事柄を書き込んだ事がある。
内容は、
ツレが、俺ん家に遊びに来る。目の前に座る相手が、過去か?未来の?自分の様に思えた。と。
人間にそんな大差はありゃしないと、常に言ってる訳なんだがな・・・。
(それ人間だけでもないよw)
>賢さや正しさへバックさせるように導くにはどうしますかね?
>そんなことが必要とは思えないが。
確かにそんな必要性の有無も解からんし、
そもそも導けるなんて考えは、非常におこがましい。
導くなんて頭外して、言いたい事を言えば良くないかな??
後は、賢者だ!愚者だ!その辺りの差を取り外す作業を、
日々繰り返し、やってみれば良いんじゃないかな?
>これを看破して正すのがひとつの手だろうな。
正そう、正せる、それも煩悩。俺は只、思った事を書き込むだけだよww
でも、似た様な考えを持ち合わせる奴に出会えてちと安心したよww
ドイツ人かい?ww 欧州かっ!
追伸、>賢さや正しさへバックさせるように導くにはどうしますかね?
方法はある。だが、天文物理学的数字の様に困難。共通認識を増やすってのでどう?
反対派も擁護派も鬼和尚という大樹の根元に生えるキノコみたいなもんだよ
馬鹿もいればそうでないひともいる
みんななかよくけんかしようなw
ここは鬼和尚のスレではないのに、
いきなり信者を連れて来て教祖を始めてしまった為に
嫌気がさして皆出っていった。
まともな人が多かった良スレだったのに残念だ。
703 :
神も仏も名無しさん:2009/03/06(金) 20:23:05 ID:5tma1Ju3
観察を始めると、どんなに落ち込んでいても
そのとらわれから解放されることに気づいた。
>>683 わしが意見を言っているというのもおぬしだけの事実じゃ。
受け入れる必要も無い。
事実だから正しいというのもおぬしだけの事実じゃ。
つまらん言葉遊びじゃ。
思考は記憶したものを操作して、正解を探すシステムに過ぎないのじゃ。
間違いもあり、概念に囚われる事もある。。
思考によらない知恵を賢者は観察によって知るのじや。
実践とは生きる事と言うのもおぬしだけの事実じゃ。
そのような概念による囚われから自由にしてくれるのが観察というものじゃ。
>>701 みんなで盛り上げるのじゃ。
>>702 わしは最初から書き込んでおるがのう。
夢を見ているようじゃな。
書かれた文字が変わる訳ではないが、読んだ人間によって受ける意味が違うと観察した。
公平な眼を持っている者は真に少ないものじゃ。
707 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/06(金) 21:59:51 ID:m2RiyKIz
>>704 君は事実って言葉を、言葉遊びで適当に使ってる訳なんだね。
まず
>>673で自分の考えを事実と言った事を思い出せよww
考えは、俺と君の考えが違う様に、噛み合わない事もある。
しかし、君の書き込んだ内容が事実だと言い出したのは、君の方からだわな。
そして<それが事実だと知れば何故愚者の俺が気付けないかわかる>とのたもうた。
<考えではなく事実><おぬしの考えと事実は違うものだ>とも言っている。
しかし一転、
>>680では
<事実は各自にとっての事実でいい> <万人にとっての事実は無い>と言っている。
各自にとっての事実でいいなら、<考えではなく事実>とか、言わなくてもよかろうもW
俺の付き付けたい事実は、君が文字にして表す事実って言葉は、
所詮、君の考えに過ぎないんだってのが、俺には事実だからね。
さて?事実って言葉の使う意味は何なんだろうね??
言葉遊びに付き合わされてるのは俺だろ?ww
事実って言葉の意味が、えらく軽いな。
それなら検察は、何でも引っ張る訳かww
明日から、事実って言葉をミミズに変えたらどうよ?
708 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/06(金) 22:04:56 ID:m2RiyKIz
>>705 毎回、毎回、おかしな観察してなんか気が付いておられる様だが、
それ、教えられてる立場な。
それなら相手に対して、失礼無い様感謝を持ちえても不思議じゃないが・・・・。
709 :
神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 01:31:25 ID:X6RHPmiS
やい、馬煮込み!
お前、すべて観念でしか物をみることができないようだな。
だから、鬼和尚の言うことが理解できないんだ。
>>700 「攻殻機動隊」だったかな。遠方から事態をワッチングしているお仲間に危険を知らせるためにワザと転んでみせる
という男の行為によって、狙いどおり仲間というか知り合いは「ヤツがあんなところでコケる筈がない」ということを察
知し見事に危機を脱するというやりとりがあったと思う。
こういうのもコミュニケーションのひとつのスタイルなんだ。これができるようになってオトナになるんだよ。
導くとかいうのは危険を知らせるためにわざと転んだりする「行為」のことで言葉で諭すのではない。
そのとき賢い者はやはり賢い者の「わざと間違う」という情報伝達方法を察知できるので情報を得ることができる。
そういう緊張感のあるやりとりができる者同士という関係がある。そういうところで生きているか生きたことのある経
験があればコミュニケーションレベルが一段と高まるということ。
さて、これは到底隠し通せないことなんだが、愚かな者がリスクテイカーなのか臆病なのでリスクテイカーたり得な
いのかということを考えてみるということ。
その人物の行動を見ればわかることで物事を察知できておらず事態を把握できていないがためにリスクテイカーに
なれないということもあるし、間違った把握を自信たっぷりにしているために結果的にリスクテイカーになってしまうと
いう場合もある。
往々にしてよく事態を把握しているために自分は保身に走るのだということで慎重で賢いと思いたいがためにリスク
を回避するのだという対応を是とする態度。
おそろしく事態を把握していながら高いレベルでリスクテイクしてくる酔狂なヤツらもいる。これを賢いと言えるか?
というと賢さを持て余しているので一見バカみたいな行動をとるのである。
そのひとの言動を観れば一発でどういう態度のヒトかわかろうというものだ。態度がわかればどういうレベルでそう
なっちゃっているのかもわかる。
それがそのときのその人の限界を示すものなのかもしれないしそうではないのかもしれない。
いずれにせよこれは体感的に了解できる事柄である。
711 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/07(土) 09:35:35 ID:kvu8GtWW
>>709 俺は文章読んでるだけだぞww
その文章おかしく思わないのか?
だからな、観念言ってる奴は誰なんだと、何度言わせるよ〜ww
鬼を理解してないって??
いいや、俺には小学生の先生にはなれないからねww
奴は、小学生のまま、小学生の先生やってるだけだわなww
ん?俺かい??俺は中ニよぉ〜weew
712 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/07(土) 09:40:55 ID:kvu8GtWW
>>710 「攻殻機動隊」??さっぱり解からんねぇ〜。
蟹の様な機動隊か??甲殻じゃないし・・・・・・・。
くだらん漫画の様な機動隊だなww
713 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/07(土) 10:07:54 ID:kvu8GtWW
>そのとき賢い者はやはり賢い者の「わざと間違う」という情報伝達方法を察知できるので情報を得ることができる。
アホが最強みたいだなww
アホなふりして世を忍ぶってスタイルは嫌いじゃないぞww
>コミュニケーションレベルが一段と高まるということ
コミニケーションがしたいのか??へぇ〜。
ルンペルは、分析能力は高そうだなww
全体的にチラ裏な話だが、
>それがそのときのその人の限界を示すものなのかもしれないしそうではないのかもしれない
人の限界っていうテーマーに、かもしれないし、かもしれないって所は、
下手な決め打ちマージャンより幾分マシには思うよ。
714 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/07(土) 10:32:26 ID:kvu8GtWW
>>709 >やい、馬煮込み!
俺は、やい馬煮込みとかから文章入るパターン斬新で好きだぞww
非常にかわいく感じるねぇ〜。
でもな、俺が全て観念でしかモノを見れないって思う、お前の想いこそが観念だと・・。
理解ねぇ〜、それは誰がするんだい?
お前は、俺を理解出来るのかい??
715 :
はっとり内蔵:2009/03/07(土) 13:16:59 ID:F5WUeYfy
思考を観察してみた。
最初に原因というかエネルギーというか が来て、それに色をつけて言語化する。
原因が来て、うん。原因が来て、うん。
それだけでいいようでござる。
716 :
神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 14:39:22 ID:X6RHPmiS
やい、馬野郎!お前は理解能力ジェロだ!
馬煮込みか馬フライ知らんがなあ。
お前は観念にとらわれていることにすら気づいていないんだよ。
鬼和尚の言葉が通じないってのは、お前が馬だからだよ。
馬の耳に念仏なんだよ!!!
717 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/07(土) 15:03:58 ID:kvu8GtWW
>>716 待ってたよww
おまえら、バランス考えた事あるかい?
なかなか面白い事に、気付いた奴が多いようだが、
どこまで行っても精神論だろ??
まぁ、それも悪くないと思うがな・・・・・・・・・ww
観念で生きてる人間に、観念にとらわれてるって言われる始末・・・。
>馬の耳に念仏なんだよ!!!
笑わせるなよw そんなセリフさぁ〜ww
ここは2ちゃんなんだぞ?
お前の考えだけが事実なのか?
馬の耳に念仏って、・・・俺に何を言って聞かそうと思ってるんだい?
誰もが観念でしか、モノを見てないでしょ??あなたもそうでしょ??
718 :
神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 16:19:36 ID:X6RHPmiS
>>717 おうおう、お馬さんよ!
>お前の考えだけが事実なのか?
考えじゃなく、事実を観ろといってんだろが!お馬さんよ。
事実を観るのに、お前の考えもお馬さんの考えもないだろ!
もしかしたら、馬でも和尚の言葉を理解できるかもしれないから
がんばりな。
まあ、まずは、はやく人間に昇格することだな。悟りはそれからだ。
719 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/07(土) 17:19:06 ID:kvu8GtWW
>>718 お前は鬼かぁ〜?ん?ww
>考えじゃなく、事実を観ろといってんだろが!お馬さんよ。
お前等の事実なんて、お前等の主観に過ぎんだろ?なぁ?
だから、事実って何なんだよ?えぇ〜??
事実は万人とっての事実は無いって言ったり、
各自にとっての事実でいいって言ったり、
受け入れる必要も無いって言ったり、
そんなものの何処に事実があるって言うんだい??
そして、それを事実を観ろって抜かしやがるww
言葉の使い道を間違えてるだろ??
言葉遊びも大概にせえよ〜ww
もう幼稚園児としゃべってる中ニって構図だぞwww
>もしかしたら、馬でも和尚の言葉を理解できるかもしれないから
>がんばりな。
>まあ、まずは、はやく人間に昇格することだな。悟りはそれからだ。
お前、ひょっとして?・・俺の事本物の馬だと思って話ししてるんじゃないよなぁ〜?WW
>悟りはそれからだ。
寒いわww
720 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/07(土) 17:41:13 ID:kvu8GtWW
お前等の言う事実って何かね?
それを教えてくれんかね?
太陽出て来て暖かいとか、そんな小学生の作文はもう見飽きたぞww
君達が一体どれだけの事実を知っているんだい?
事実を知るのも見るのも、君達に必要な事なんでは無かろうか??ん?ww
721 :
神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 17:46:19 ID:X6RHPmiS
P.S. 馬太郎へ
>まあ、まずは、はやく人間に昇格することだな。悟りはそれからだ。
最後の行は冗談だよ。ごめんね。
>>715 > 思考を観察してみた。
> 最初に原因というかエネルギーというか が来て、それに色をつけて言語化する。
言語を司る大脳の機能はヒトの機能の中でも特筆すべき面白さを持っている。
これを自分の意思によって「使う」という立場が稀にある。
滅多にない立場だが。
彼はどちらかというと話すというより「歌っている」つもりなのである。
クジラや象やヒトに共通しているのは水中適応して毛皮を一度捨て去り、皮下脂肪
層を厚くした哺乳類だということ。
これらの哺乳類が言語脳の発達を遂げた。
日本人の中でも伝統的というか遺伝的にこの言語脳を発達させてきた面白い一族
がいる。
彼らは筋金入りの言語脳使いで、クジラや象のようにではなく、まるで鳥が鳴くよう
に歌うのである。もちろん皆さんの遺伝子にも大抵組み込まれているので一度試し
てみるとよい。
うまくすれば真言を発することができるやもしれん。相当不純物を取り除き訓練を
重ねなければ無理だが。わたしにできるかって?到底無理。
723 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/07(土) 18:05:21 ID:kvu8GtWW
>>721 別にどう言われても、構わんよぉ〜〜。
それよりも、君が俺の事を本当の馬だと思ってるんじゃないだろうか?
って、一瞬、本気で思ってしまったよww楽しいトリップ出来たわww
・・・・・・・・・・・・・・以下メモ書き・・・・・・・・・・・・・・・
馬天麩羅愚鈍だと暴走族風だな。
馬月見愚鈍・・・・いまいちだし・・・・。
馬皿愚鈍・・・・問題外。
馬たぬき愚鈍・・・・動物かぶりじゃぁ〜・・・。
馬きつね愚鈍・・・同じだし。
馬釜揚げ愚鈍・・・・文字バランス悪し
馬ぶっかけ愚鈍・・・・論外。
馬煮込み愚鈍が一番良いなww
>>722 失礼。何も日本人に限った話ではなく、トルコ族とモンゴロイドの混血種等に見られる。
北米インディアンの一部やアイヌ人の伝承の中にもその痕跡が見出されることがある。
「はっとり」という語の語源にも見出される。
725 :
はっとり内臓:2009/03/07(土) 20:26:57 ID:B0GH/L5F
>>722 う〜ん、何か能力的なものを求めるつもりは無いでござるな。
道中、何か出てきたら存分に楽しませていただくでござる。
>>707 長々と言葉遊びご苦労さんじゃ。
>>673 は釣りじゃよ、わっはっはっは。
わしの言葉はおぬしの囚われに対応して説かれるのじゃ。
一つ一つの言葉に意味は無い。
言葉そのものが嘘でしかないのじゃから。
例えば縁起を観るものには縁起の故に物事は空と説かれる。
しかし、空を観る者には縁起さえも空と説かれる。
どちらが間違っているという事ではなく、教えを受ける者の資質によって別に説かれるものじゃ。
言葉は教えのための媒介としての役割しか無い。
おぬしが事実に拘るなら、事実は無いと説かれる。
事実がミミズと想うなら、ミミズは縁起じゃと言う。
わしは何を書いておるのかのう。
わしの方がヴぁかじゃろ?わっはっはっはっは。
>>720 事実とはミミズじゃ。わっはっはっは。
おぬしの囚われに合わせればそうなるがのう。
今を観なければ厭離は完全には起こらないと観察した。
解説しなければ人には難しいかもしれんのう。
>>725 済まない。やたら具体的に書くのは自分の境遇がそうだからということで
有縁の皆さんが常に具体的な事象に関わって現在いるわけではないと
いうことを考慮していなかった。
時系列で事象を組み立てるというのは面倒ですね。なんてのは最も怠
慢なヤツのセリフと自覚せり。(自爆)
>>726 この程度の言葉遊びは「楽」=「あそび」とはいえないですね。
ただの混乱。
「あそび」とはもっとコンセントレーションが高いものです。
エビスさまが海辺で行ったという「鳥の楽」=とりのあそび
こそ「あそび」であって余人に真似のできるものではない。
真似はできなくとも地ではいけるといえばその通り。
731 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/07(土) 22:09:52 ID:kvu8GtWW
>>726 >>707 長々と言葉遊びご苦労さんじゃ。
>>673 は釣りじゃよ、わっはっはっは。
そう言って逃げるのが得意なのは解かった。
>一つ一つの言葉に意味は無い。
> 言葉そのものが嘘でしかないのじゃから。
君の言葉が大した考えも無く、嘘にまみれてるってぇ〜のも、
君の自白以前に感付いていたが、しかし、まぁ〜、呆れるなぁ〜ww
>例えば縁起を観るものには縁起の故に物事は空と説かれる。
目茶苦茶だなww何でも空でかたずけるなよww強引な話だな。
この前何処かのスレで、縁起を概念と言った奴がおったが・・・・・。
縁起を空と??それらはまず別々で考えてみたらどうだね?
>おぬしが事実に拘るなら、事実は無いと説かれる。
君が散々事実と言う言葉を多用してたではないかね?
君は賢者と心正しき者だけが気付くと言った訳で、
それは事実だと言ったんだよな。
そして、その事実は無いと、今書き込んだ訳だ。
と、言う事は、賢者と心正しき者だけが気付くと言ったその事実は、無いって訳だ。
要約すると、賢者云々は、君の無責任な間違いを認める事になる。
いつものパターンだと自演らしいヤツがキチガイじみた鬼援護を始める。
それをキモがって鬼攻撃を止めるヤツが大半。
とにかくキモイ。
北にいるものには南に行けというし。
南にいるものには北に行けという。
そんだけのことだろうに。ごくろうさんなことだなw
734 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/07(土) 22:15:51 ID:kvu8GtWW
>>727 またおかしな観察をww
良いかい?君はあくまでもその観察対象から、教えられる立場なんだからね。
毎回、毎回、教えられる立場なんだよ。
その観察対象は、君に教える側なんだよ。
君に教える立場なんだよ。
ここはキモさを楽しむところだと観察した。
百鬼夜行。或いは伏魔殿。
次はどんなオモロイヤツ出てくんねん。
そんな俺はドMでちょっとだけS。
736 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/07(土) 23:32:12 ID:kvu8GtWW
>>727 >今を観なければ厭離は完全には起こらないと観察した。
それこそが無。それどころか、意味の無い思い込みの観念。
マジで観察って奴を辞めてみる事をお勧めする。
>解説しなければ人には難しいかもしれんのう。
それが出来るなら、やってみて欲しいね。まぁ、期待はしてないが・・・・。
解説じゃなくて解脱だったりしてな
>>731 なんのなんの。
鬼さんは説法師として自らの職務をまっとうしている。実に誠実なお方であると
観察した。
たくさんの牧師や神父やお坊さんに接する機会を設けてごらんなさい。
皆いい人たちです。
(カルトやスピリチュアリズム系のチャネラーやらヒーラー等は除く)
みんなそれぞれのカテゴリ内で健闘しています。涙ぐましいくらい。
おひねり飛び交うのは当然です。
伝統を守るひとたちというのはわたしは好感を持つなあ。
窓際族のおじさんというかおじいさん達は愛すべき存在であって、仲良くしと
いたほうがいいよ。実に味がある。
神父さんやお坊さんとも仲良くしといた方がいいよ。いろんな経験を積んでい
るからね。多少のことには目をつぶってだな。
739 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/08(日) 08:01:40 ID:dSJpvwO8
ん?エシュロン??って奴か?
>>738 >なんのなんの
俺からは何なんだい?と言わせて頂くよ。
君からアンカー付けてレス向けられるのは、3回目だが、
俺が鬼に向けるレスと、君が俺に向けたレスに何処か違いがあるのかい?
>鬼さんは説法師として自らの職務をまっとうしている。実に誠実なお方であると
>観察した。
何が観察なんだよ?誠実な御方と思うって、君の主観だよな。
小学生以下の作文になってる。
観察したなどと、自らが見出したみたいに語ってるけど、言葉の装飾になってるぞ。
>神父さんやお坊さんとも仲良くしといた方がいいよ。いろんな経験を積んでい
>るからね。多少のことには目をつぶってだな。
御指導してくれちゃってるけどさぁ〜ww
>鬼さんは説法師として自らの職務をまっとうしている。実に誠実なお方であると
鬼は説法師なのか?職務なのか?
なら、俺は何なんだい?俺のは職務をまっとうしてないかい??
俺から誠実さは、・・・・その辺どうなんだい??
740 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/08(日) 08:24:12 ID:dSJpvwO8
>>732 俺がこのスレ眺めてて、
アゴが外れそうになったのは、
鬼はちょっと突つかれると、<お主はわしに依存している>なんだよなww
それは、おれからすると、非常にキモイww
そりゃぁ〜、避けたくなる罠〜ww
依存度、依存箇所なんぞ、人間2人以上いれば、どこにでも見つけれる。
書き込みが、第三者に閲覧出来るだけでも、書き込み主が閲覧者に依存する部分なんぞ
簡単に見つけられる。
全く、基本的に的外れな、もっともらしく見える逃げ口上だ。
王は奴隷がいなければ王ではないし
奴隷は王がいなければ奴隷ではない
関係は相対的なものだから。
しかし、馬鹿は鬼和尚がいなければ批判者にはなれないが
鬼和尚は馬鹿がいなくても鬼和尚
>>741 鬼和尚、わざわざ自己紹介しなくていいからw
>>739 > 俺からは何なんだい?と言わせて頂くよ。
感じるままに感じてみればいいのさ。
> 俺が鬼に向けるレスと、君が俺に向けたレスに何処か違いがあるのかい?
違うだろうね。
> 何が観察なんだよ?誠実な御方と思うって、君の主観だよな。
そのとおり。
> 小学生以下の作文になってる。
そうかもな。
> 観察したなどと、自らが見出したみたいに語ってるけど、言葉の装飾になってるぞ。
そのとおり。言葉は修飾されるものである。
> 御指導してくれちゃってるけどさぁ〜ww
厭ならよせばいいだけのこと。
> 鬼は説法師なのか?職務なのか?
そういうヒトが多いということ。揶揄してるんじゃないか。わかりずらかったかな。
> なら、俺は何なんだい?俺のは職務をまっとうしてないかい??
> 俺から誠実さは、・・・・その辺どうなんだい??
従ってこれはおかしな反応。
以上
744 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/08(日) 11:00:30 ID:dSJpvwO8
>> 俺が鬼に向けるレスと、君が俺に向けたレスに何処か違いがあるのかい?
>違うだろうね。
だから言ってるだろ?おこがましいと。
>> 御指導してくれちゃってるけどさぁ〜ww
>厭ならよせばいいだけのこと。
嫌ならならよせよww
>> 鬼は説法師なのか?職務なのか?
>そういうヒトが多いということ。揶揄してるんじゃないか。わかりずらかったかな。
>> なら、俺は何なんだい?俺のは職務をまっとうしてないかい??
>> 俺から誠実さは、・・・・その辺どうなんだい??
>従ってこれはおかしな反応。
>以上
いや、しかし揶揄だと言われると・・・・・。
揶揄だとすると、俺が
>>738を見て思っていた事が、180度変わる訳だが・・・・。
それなら俺が君の真意を解からなかった事になる。
まったく俺には揶揄で書かれた文章には思えなかったのでね。
そりゃ〜すまんかったww
揶揄なら、確かにおかしな反応と思われるだろうな。
揶揄、揶揄な。揶揄、揶揄。
745 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/08(日) 13:24:52 ID:dSJpvwO8
>>741 >王は奴隷がいなければ王ではないし
>奴隷は王がいなければ奴隷ではない
>関係は相対的なものだから。
これからは、そういったのを無くして行こうって思わない??
まず、ご自身の意識から、そんな意識外す訓練してみるってどうよ??
>しかし、馬鹿は鬼和尚がいなければ批判者にはなれないが
>鬼和尚は馬鹿がいなくても鬼和尚
その通りなんだよなww
もっと色々察してくれよぉ〜ww
でも、それ誰にでも当て嵌まるんじゃないかい??
746 :
はっとり内臓:2009/03/08(日) 16:12:36 ID:wB1nt4xL
○○ちゃん、いけません。
永源寺の修行僧が後輩倒し死なす、酒飲み口論…滋賀
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_dead__20090308_3/story/20090308_yol_oyt1t00107/ 後輩の修行僧に暴行し死亡させたとして、滋賀県警東近江署は7日、同県東近江市の臨済宗永源寺派
総本山「永源寺」の修行僧、内山忠昭容疑者(52)を傷害致死容疑で逮捕した。
発表では、内山容疑者は6日午後11時30分頃、同寺境内にある寮の自室で、後輩の木畠 ( きはた )均さん(47)と
酒を飲んで口論となり、木畠さんの腕をつかんで、縁側から約50センチ下のコンクリート地面に背中から
落とし死なせた疑い。木畠さんは頭を強く打ち、病院に運ばれたが、7日午後に脳挫傷で死亡した。
内山容疑者は7日昼、同寺関係者に付き添われ、同署に出頭した。内山容疑者は、同寺で約20年間修行
していたという。調べに対し、内山容疑者は「修行態度をなじられ、部屋から追い出そうとしたら頭から落ちた」
と供述しているという。
禅宗の修行僧は雲水と呼ばれ、厳しい規律の下、共同生活を営むのが習わしという。永源寺は南北朝時代、
臨済宗の僧・寂室元光(じゃくしつげんこう)が開山したのが始まりとされ、関西有数の紅葉の名所として知られる。
>>730 そのように書きたがる己を観察するのじゃ。
ここはその為のスレじゃ。
勘違いしてはいかん。
>>731 まだわかっておらんのう。
事実とはミミズじゃよ。
おぬしがそのように書いたのだから、それに合わせておるのに、なぜ話をそらすのじゃ?
空もミミズ、縁起もミミズ、なにもかもミミズではないかな?
どちらにせよ空も縁起もわしの言葉も理解していないのじゃから、ミミズでも変わりは無い。
ミミズ無いとか何を言っておるのかな?
地面を掘れば一杯おるではないか。
これがおぬしに向けた教えになる。
言葉遊びを続けるなら、どこまでもミミズまみれじゃ。
真摯に道を求める者なら、普遍的な事実を教える、それだけの事じゃ。
ミミズの話を続けるのじゃ。
それがおぬしの選んだ言葉なのじゃから。
>>734 それもおぬしのミミズじゃよ。
ミミズはいつもは地面に潜っているが、時々顔を出す。
しかし、出しているばかりではお日様に当たり過ぎて死んでしまう。
ミミズとはそういうものじゃ。
うまく決まったのう。
家訓にして子孫に伝えると良かろう。わっはっはっはっは。
>>736 判らない時は素直に判らないと書けば良いのじゃ。
ミミズに囚われていては真のミミズが見えないものじゃ。
又いい事を書いたのう。
これも家訓にすると良い。わっはっはっは。
>>747 愚かな事じゃ。
酒を飲んでけんかをする者はもはや出家とは言えぬ。
孤独から逃避する故に言葉を連ねる者も居ると観察した。
自分は孤独から逃避する弱い者ではないとしている故に気付けないのじゃ。
751 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/09(月) 03:51:22 ID:KtVaxu4e
>>748 まだ解かっておらんようじゃなww
>>>730 そのように書きたがる己を観察するのじゃ。
君自身は、己の観察が出来て無かったようじゃなww
己の観察を、他人に向けるのは愚かな事だ。
> 事実とはミミズじゃよ。
> おぬしがそのように書いたのだから、それに合わせておるのに、なぜ話をそらすのじゃ?
あのな・・・論点を摩り替えるなww
君が、君だけの、ある種学び覚えたばかりの子供が発表したいがの如く述べる
事実と言うモノに対する個人的な思い込みに対して、俺は言ってるんだろが。
752 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/09(月) 03:52:48 ID:KtVaxu4e
君は賢者と心正しき者だけが気付くと言う君の考えを
君は君だけの主観を事実と言った。
君は、君の主観を考えでは無く、事実と言った。
君は、他人の考えと、事実は違うと言った。
君は、事実は各自にとっての事実でよいと言った。
君は、事実は無いと言った。
君は、事実はミミズだと言った。
賢者と心正しき者だけが気付くと言う君の主観は、どうなるね??
君の言う事実という名目と事実は同じかね??
各自にとっての事実で良いなら、何故、俺の考えは事実じゃ無いのかね???
事実が無いなら、何故君の考えが事実なのかね????
君が言う、一つ一つの言葉に意味は無く、それが嘘でしかないのなら、
掲示板上での言葉遊びも、成り立つ訳も無く、
君の嘘に巻き込まれている文字に一喜一憂している君の擁護派は何故必死なのかね?
言葉に意味が無いのは構わんが、それに共通認識と意味を持たせて
文章伝達と言う行為は何ってくだらない事をしてるのかね?
君もそれをしているのだよ。
753 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/09(月) 03:54:00 ID:KtVaxu4e
ミミズがお気に入りになられた模様だが、
そんなに嬉しいなら、君の家宝にして家族で奉れば良い。
君の場合、ミミズと云う名詞は、動詞であったり形容詞であったりしてるんだね。
それなら、通じない。話が通じないんだよ。
>>726では、君自身が混乱し、>わしの方がヴぁかじゃ、と気付いた筈が、
それを( 向けた教え )などと押し付ける。・・・君は相当愚かしいね。
君はこれからもミミズを追いかけたまえww
>空も縁起もわしの言葉も理解してないのじゃから・・・・(ry
君は、自分の言葉に意味は無いと言ったのに、
どうして理解出来様か??
そして何故?理解を求めるのか??
君は教える立場に居たい様だが、何故?君はいつまでも生徒でありつづけるのかね??
俺から君だけにそっと内緒で言っておく。
空なんぞは、掴めたら何処かに放かっておけば良い話。
縁起は、観念でも概念でも無く、現象。おしっこと同じよぉ〜ww
ミミズは、生命体の名前だからな。
754 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/09(月) 04:20:11 ID:KtVaxu4e
なぁ、鬼君。
君の文章内容は、小学生が教師のマネをしてるんだと思わないかい?
それにうんざりする人達は、黙ってそりゃ〜離れて行く。
俺は中ニ病だから、黙ってないで君に物申した。
だがな、この構図、イジメにも見える。
だから、俺もそのうち、このまま消えたい。
中ニの俺から、幕引きをさせて頂く。
でも、まだ中ニ病のお兄ちゃんと遊びたいって言うなら、
考えてやらんでも無い。
なんせ俺、中ニ病だからねぇ〜〜〜www
755 :
神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 05:14:16 ID:OB/i4hig
やいやい、お馬さんよ。思春期にありがちな反抗期か?
まあだらだらと、よう書くわ。
頭でばかり考えても、事実は見えてこないよ。
ミミズしか見えないよ。
お馬さんよ、中二なら中二らしく、
先生の教えを素直に聞いてみるのもいいんじゃないの?
まあ思春期が終わらんと無理か?
756 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/09(月) 07:53:12 ID:KtVaxu4e
>>755 まぁ〜、君は毎回、毎回、鬼批判に対して必死に何か言ってるようだが、
君は鬼からそんな仕事を請け負いしてるのかい??
まさか?噂の自演って奴だなんて俺は思わないけど、
わざわざ横から口挟む行為って、傑作だなww
自我を守るために己の気付きが鈍くなる者も居ると観察した。
気付かなければ間違いを指摘されても自分は正しいと思っているから、
平気で周りに恥をさらしていられるのだ。
758 :
神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 11:44:13 ID:4ZEFTDYY
頭のおかしい人とは、自分の頭がおかしい可能性があるとはまったく考えない人。
正常な自省能力があれば「もしかしたら自分が間違ってるかも」と少しは疑うものだが。
760 :
神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 12:46:45 ID:4ZEFTDYY
愚痴かよ。
言えない事をその場で相手に言えないで、いつまでも
引きずってこんな所でぶつぶつ独り言しか言えないなんてカッコ悪いぞ。
761 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/09(月) 16:57:57 ID:KtVaxu4e
>>757 だから何回その鬼なんとかが言い出すような観察を止めろって言わせるんだよww
あのなぁ〜、自我に関する分析的表記なら未だしも、
それは他人を愚とした中傷的指摘に過ぎん。
もしくは、自分の愚かしさの吐露でしかない。
後者なら、自分を指し示す表記が無い。
前者なら・・・・・・。
あのなぁ〜、2ちゃんに書き込む、書き込まれる物全てが自我の表れなんだと
そこを理解する理解力すらないのか??
お前のその書き込みも、自我まるけだろうが!!
なんでそんな事捉われる?たわけだなぁ〜ww
それとも何かい?何処かの政党みたいに、
お前の自我は良い自我で、他人の自我は、許されんのかね??
他人の自我にそんな反応する様では、小学生か、俺並みの中ニ病だろがww
己の自我に気付かぬ者は、他人にそれを見つけ、その憶えたての言葉を使って、
指摘したくなるのは解かる。
自分は正しいって思ってるんだろ?だから指摘した。
名無しだから、恥晒してもきにするなwwな。
馬鹿に足りないのは想像力だな。
けなされるとムカつき、ほめられると舞い上がる、仮構された主体が自我。
そんなものがなくとも思考はできるしカキコもできると思わないか。
おれは悟ってないがそれくらいの想像はできるぞ。
ツマンネ。WBCでも見よ。
764 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/09(月) 19:58:15 ID:KtVaxu4e
>>762 >馬鹿に足りないのは想像力だな。
>けなされるとムカつき、ほめられると舞い上がる、仮構された主体が自我。
アホだなww想像力だと?その後に仮想された主体が自我だと?
仮想と想像の違いは?
>そんなものがなくとも思考はできるしカキコもできると思わないか。
お前を書き込みに向かわせた動機、想い、行為が自我だろ??
想像だけかい??妄想だけかい??
俺も悟ってないが、それ位解かれよww
相手してくれるひとがいるとうれしくてすぐ食いつく。
それが自我だよ。
自我は孤独に耐えられない。刺激がないと死ぬ。覚えておくといいよ。
特段大袈裟な気付きでもsatoriでもないが、単純な見通しをば。
コミュニケーションの原点は赤子が「自分ではどうにもできないから」
おっぱいちょうだい。うんち出ちゃった。と訴えるところからきている。
たぶん。
それで一介の生き物として「自分ではどうにかできる」と思っているこ
とについては訴えかけないし、他者の見解など不要であるから取り込
むことはできないのである。
一定期間まで成長の証が依存しなくなることであるとの評価に慣らさ
れた若者は背伸びをしがちだがそれは若者の特権で、ディスコミュニ
ケーションもさまになるし、イザとなったら泣きつけば赦されるくらいの
包容力がまだ世間にはある。
オヤジは更に惨めで断じて自力でどうにかできないとは認めないので
やはりディスコミュニケーションなのだが逃げ場がない。
いずれにせよコミュニケーションできないのである。
コミュニケーションが成立するのは雪山で遭難した者同士なんかがそ
うだ。お互い困っているからね。
困っていないヒト同士が見解をやりとりできるというのは、かなりの手
練れで高等技術の持ち主同士である。
ゆめゆめ常人に可能だなどとは思わないように。
かなりの訓練を要する超能力なのだ。
767 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/09(月) 20:14:44 ID:KtVaxu4e
>>765 >相手してくれるひとがいるとうれしくてすぐ食いつく。
お前の事な。
>相手してくれるひとがいるとうれしくてすぐ食いつく。
>それが自我だよ。
自己分析が出来てるじゃねえかww
>自我は孤独に耐えられない。刺激がないと死ぬ。覚えておくといいよ。
それは、お前の中だけにしまっておく方が良いと思うぞ。
じゃないと馬鹿って思われるぜ!
>>751 他人へのレスにも横入りするとはおぬしもかなりの寂しがりやじゃのう。
論点とは何じゃ?
何か論じておったのか。
わしは前から言葉遊びと言っておるがのう。
わしの軽い言葉遊びも、おぬしにとっては必死の論議になるようじゃな。
わしの個人的な思い込みと想う事がすでにおぬしのミミズじゃ。
おぬしが撤回しないかぎりミミズ遊びが続くのじゃ。
>>752 おや、wwが無いのう。
必死じゃな。
わしは以前から言葉遊びと・・以下同文。
>>753 縁起が現象と言うのがおぬしの限界じゃな。
空について知らないなら知らないと言えばよかろう。
人の認識する全てが仮設された言葉とイメージの上に存在するものでしかない以上、縁起も又客観的にあるものではなく、修行のために作り出されたものでしかない。
そこが判らなければおぬしのミミズは不完全に終わる。
空も縁起も悟りを得るために編み出された手段であり、それ自体が別の目的に論じられるものでもない。
お釈迦様が毒矢の喩えで示された通り、全ての教えは実践的な法であり、悟る為の手段なのじゃ。
>>754 いや、わしの負けじゃ。
さすがのわしも一本とられたのう。
寂しくなったらまた来るのじゃ。
と言わなくとも直ぐに来るとみた。
本当の死を迎える前に、多くの人は死に負けてしまうと観察した。
病や老い、死の苦が人を倒すのじゃ。
770 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/09(月) 20:47:12 ID:KtVaxu4e
ルンペる
思い込みが激しいなww
かなり大した分析力だと思うよ。
でも、そんな前置きいるか??
771 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/09(月) 20:57:37 ID:KtVaxu4e
>>768 >論点とは何じゃ?
>何か論じておったのか。
いや、もういいww見切れた。
もう十分じゃよww
772 :
神も仏も名無しさん:2009/03/09(月) 21:24:32 ID:OB/i4hig
やい、馬公!もう終わりかい!
ミミズ研究ばかりしてたのに
ミミズ論争に負けちゃあな、どうしようもないよ、馬公!
まあ、ミミズ研究にあきたら、和尚の言葉を読み返してみな。
773 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/09(月) 21:37:20 ID:KtVaxu4e
>>772 お前と離れるのは、名残り惜しいけど、
もう十分。
>和尚の言葉を読み返してみな。
それは勘弁してくれww
後は何とでも言ってくれ。
やい!って言われると、俺はなんだか楽しかったよ〜。
>>771 さらばじゃ、独り歩むのじゃ。
人はただ独り歩み、ただ独りで死に行くと観察した。
寂しさのゆえに他人を見るのじゃ。
>>770 > ルンペる
> 思い込みが激しいなww
> かなり大した分析力だと思うよ。
> でも、そんな前置きいるか??
ルンペルシュティルツヒェンというのは日本でいう「大工と鬼六」の童話。
グリム童話だよ。
物語は激しい思い込みによって紡ぎ出され、ながーい前置きで始まる。
最後は自分で自分を引き裂いて消えてしまうのさ。
ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」を読んだことは?
ヘタな禅問答よりぶっ飛んでるから一読をお勧めする。
あれを真剣に読んだら血を吐いて倒れるかもしれないというくらいハード
な臨在録だ。
柔軟な女こどもしか読んではいけない。のかもしれない。
776 :
はっとり内臓:2009/03/10(火) 21:21:17 ID:hqRgu/+q
いったい、何度何度スタート地点に戻るんだ。
螺旋階段でなくトラック一周だったらシャレにならんでござる。
祈れども
降ってくるのは
ガラクタばかり
777 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/10(火) 21:46:32 ID:87otT6Ll
>>776 ルンペル、レスサンクスな!
その本、面白そうだな。
俺は、不思議な国のアリスもジェファーソンエアプレーンのホワイトラビットで
イメージ付けてるだけだからねぇ〜。
でも俺、活字苦手なのよ〜ww
2ちゃんもそれぐらい面白いよな。
何よりリアルに展開されてるしなww
おもしれえ奴に会えたりもするww
778 :
神も仏も名無しさん:2009/03/11(水) 18:24:18 ID:OIkjfBFQ
毎日の修行が大切だと気づいた。
怠れば後退するようだ。
>>778 そうじゃ、一日休めば一日分後退する。
五分でもいいから毎日続けるのが良いのじゃ。
孤独の故に人は人を観る事もあると観察した。
それが全ての表現の源かもしれん。
この前のスレを建てた>>1ですが、
日常の縁起をみる主旨からだいぶ外れて
一部の方々の修行日誌になってしまったので
今回で、このスレは中止して下さい。
もうテンプレとスレタイは使わないで下さい。
新たに【瞑想修行日報】のようなものに改名するか、
鬼和尚さんのスレに合流してもらえれば、
争いもないと思います。
781 :
神も仏も名無しさん:2009/03/12(木) 08:54:39 ID:/NTDVKh2
気づき・観察は「修行」じゃないのかい?
もっと軽い随筆のようなものならいいのかね?
前から感じていたが、このスレは人の好き嫌いを言ってみたり
出て行けとかばかりを言う香具師が多いな。
スレ立て人にはそういうことを言う権利はあるってことなのか。
それなら引越しもやむをないな。
スレタイの意味が分る人なら、スレタイの通りに気付きと観察をレスしている。
テンプレは変えても良いとは思うけど、スレタイ通り。
KY出来ない奴が居てスレタイ無視してるのも居るけどね。
単純な話です。
他人を観察して評価を加えるのは仏教徒からすれば我見、法我見になりますから、
このまま続けても争いのもとです。
いっそのこと【瞑想修行日報】と業務日誌みたいにすれば、
教師と生徒の仕組みでも進行できるでしょう。
日常の掃除や歩行などの雑多な行為、自然や生活等の日常現象への思索から
離れた観察にスレが向かっているので、
このままテンプレ、スレタイと違うまま続けるより
より合ったものに変えて頂ければと思います。
784 :
はっとり内臓:2009/03/12(木) 19:13:59 ID:38rZFYj2
概ね781どのに同意でござる。
とはいえ、最近は「いかに流れに身を任せるか」という所でやっているので、離れるにはいい頃合いでござる。
秘密基地のようなスレでござったな。残りわずか皆さんよろしく。
言葉の前にいるのは、しんどいでござる。
名付けて安心し、歌を歌って逃避する。
体も心も深く深く。
>>780 なんだかしらんがご苦労さんじゃ。
特に何も考えていないと観察した。
放下じゃ。
どんなスレになろうが全て良い気づきの機会になりうる。
787 :
神も仏も名無しさん:2009/03/12(木) 22:43:10 ID:km1E590D
意外とこのスレおもしろかったけど、さよなら。旅立ちまする。
知識や教養も所有して執着してしまうと気付いた
789 :
はっとり内臓:2009/03/13(金) 19:46:10 ID:zNtEI7ZB
趣味が減っている。TVもほとんど見なくなった。
楽しめるものは今のうちに楽しんでおくのでござる。
人を昔のわしとして推測していると気付いた。
わしに反発を覚えるのも無理はないのう。
791 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/13(金) 21:55:08 ID:zMqvTXCs
>>786 いい事言うねぇ〜〜!
俺も、ホントそう思うよ。
俺はこのスレ参加して、アホ晒した訳だけど、
これも、あって不思議じゃ無い進行の為の表れだし、
悪い事なんて、無いのだろうと思ったりするww
俺、このスレ参加して良かったと思ってる。面白かったし。
でも、>787なんかには、面白く無い思いをさせたなら、・・・って、
ちと反省はするんだけど・・・・ww
>>790 鬼さん、そう落胆するなww
790は、とっても凄い事に気付いたって感じですなぁ〜。
実に噛合った論議をしたと思ってるしww
>>788 つまらない知識なんか
みんなにバラしちまいな。
自分だけがしってることは平等に反する。
それできっちり捨てられる。
ここはゴミ箱だ。
いや、たいした教養も知識も無いんですけどね。
ここで書いてもああああ、その程度かってくらいの。
それでも執着してる自分がいたって話です。
執着しようがしまいが、腹は減る。
執着すると腹を満たすだけじゃ満足できなくなりません?
知らない事は、言う術が無いな。
>>791 やい、馬野郎!意外といいやつになってねえか?
おまえも成長したじゃねえかよ。
これも俺様のおかげだな?
まあいいか。
馬野郎は馬野郎なりに人生を歩んで行きな。
つらいときは、鬼和尚の言葉に真実があるかもな。
修行すればもっと成長するよ。
ケンカできないのは家畜の証。
800 :
はっとり内蔵:2009/03/14(土) 13:47:21 ID:wUiv+24G
先人の言葉が少し分かるようになったでござる。
だが確信用にしないと「つもり」という罠にはまる。
103 戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、
じつに最上の勝利者である。
思えば自らを誤魔化すという能力は大変有用で、人を夢の世界にとどめ、そこでつつがなく暮ら
していく上で不可欠な能力だ。そして、それを「現実」だと思っていればよく、平穏な暮らしと日常
は安泰に守られるというシステムだ。機械的に反射的に生きていくには是非ともそうした方がい
いに決まっている。「安泰に暮らせる=真実」という図式が一般化している。
それでよく、そうでなけりゃ世の中大変なことになる。
これは一見satoriだとかkidukiだとかの逆をいく方向に見えるかもしれない。
一度検討されるがよい。なぜこうなっているか。
803 :
はっとり内臓:2009/03/17(火) 20:17:51 ID:Tz2/q5w0
帰宅。月明かりに部屋が照らされる。
足元に白いものが点々と...。何だ?
バサバサッ。暗い部屋の中を何かが飛び交う。
うわああああ。部屋を飛び出す。怖ええええ。
電気をつけ、また部屋から逃げる。
ああ、鳥だ。窓を開け、また部屋から逃げる。
え? 鳥くらいで?
突然のものは何だって恐怖でござる。
しばらくして出て行った。換気用に開けておいた5cmほどの隙間からか。
804 :
はっとり内臓:2009/03/17(火) 20:29:31 ID:Tz2/q5w0
えっと、あの白いものは...。糞だ...。
わっ、部屋中。
潔癖の拙者は夜の大掃除でござる。
あの野郎、他にはしてねえな。
わっ、フライパンの上に小さい目玉焼き。勘弁してくれ。
まあいい。このネタを2chに。
わっ。F1とF2の間に。わーい、一緒にキーが動く。ってコラ。
自我は薄くなっているのにこのビビリ具合は何でござろう。
不垢不浄
山の中にいる蚊は気にならないが
部屋にいる蚊はやたら気になる。
浄穢不二の修行じゃ修行じゃ
807 :
はっとり内臓:2009/03/17(火) 22:11:50 ID:Tz2/q5w0
今日食べたご飯は、うんこになり、下水を流れて、下水処理場で水と肥料になり
うんこから出来た肥料で、ご飯や野菜が出来て、それを食べると、うんこになるんだ。
うんこがないと、ご飯が食べられないという因縁果。
世の中は体より心を病んだ人の方が多いと気付いた。
考え直すべきか?
心が病むことはない、そもそも病む主体がない。
心と思考の不一致を
ある特定の観点を持つものからみれば病んでいると見える。
>>810 さよう。病むのは一種の適応。
耐えられるのは修行のためか?
いいや。パンチドランカーなだけ。
耐えられないのは初めて強烈パンチを食らったから。
812 :
はっとり内臓:2009/03/18(水) 23:04:15 ID:km7KqA81
人生の半分以上にわたって歪みを作り続けた片側の股関節がはまった。ついに、はまった。
同時に対角の肩の位置が大きく変わっていた。この二つでバランスを取っていたようでござる。
肩を回してみる。ゴリゴリという音がしない。
張りの感じからして、これから内蔵と肋骨に更なる変化がありそうでござる。
さあ、健康な体を手にして...。手にして...。
はは...。何も無い。
欲に由来した目標はことごとく落ちてしまっている。
皮肉だ。修行とはあまりに皮肉でござる。
何かが胸にこみ上げる。
喜びとも悲しみとも名付けられない、名付ける必要の無い何かが。
しばらく、泣きました。
鳩和尚に餌をやってくる。
>>792 知識についての反応を見るとその人がわかる。
知識をつまらないというヒト。
知識を「単なる」知識でしかないと断定するヒト。
いずれも知識という語に不完全さを付与して見下したいということでしかない。
知識は無く、ただヒトという生き物だけがある。
文字や記号はあるだろう。それを知識と呼びたければ呼べばいいし、文字や
記号を憶えこまされた恨みをそれをこきおろすことによって溜飲を下したとし
てそれが何になる?
世間によくありがちな反応でしかない。簡単に言うとコンプレックスというヤツ
だ。「俺はバカだから」「言葉なんか要らない」そういう月並みな歌謡曲の歌詞
みたいな心境を吐露してなんとする。
お経なんて文字の最たるものだし、文字に込められた何かを皆熱い気持ちで
求めたのである。あるいは求めなくなったのである。
そういう人間の為営を噛み締めることなく簡単にこれはただの文字だからなど
と切捨てられるほどの探求をあなたはしてきたとでもいうのだろうか?
そして、その果てに大きな挫折感を味わった経験があって別の道を探る旅に
出たとでもいうのだろうか?そういうヒトはそれらしき痕跡を残すのでそれとわ
かる。
主体と客観がない状態を最上として、
日常を否定する状態が必要なときもあるのだろうが、
それが終わったら、
日常に帰ってこないと、実際に生きることと矛盾する。
固定観念なく思考すればいいし、
構造化した古いものなら一度解体して組み立て直せばいい。
色即是空 空即是色
>>815 ことばを軽視する者はわたしが相手だ。使えるものならテレパシーでも使えばよ
かろう。
人間がどうしてことばを使うようになったか、その恩恵に浴しながら子供のように
勝手なことを抜かす向きは祖先たちや哺乳類が少しずつ改良悪を加えていった
この言語というものの功罪をたっぷり聞かせてあげる。
文明批判をする者にはトイレットペパーや生理用ナプキンが明日から消えただけ
で地球が大パニックになることを教えてやらなきゃならん。自分がそこから遠ざか
ったところにいると一瞬でも仮定できるのはある意味幸福である。
思弁的なやりとりは不思議にも思考をこきおろすところから一足飛びに始まるの
が特徴だ。つまり思弁性を凌駕できていない器量で自らの思弁性と格闘してい
ると意地でも自覚したくない向きが超越的な心境に憧れを持っている姿である
ということがありありと伺えるのである。
わたしたちの肉体が哺乳類やエレクトスの流れを綿密に引いているという自覚
を抜きにして語られることを思弁的というのである。
しかし、ある意味思弁やホルモンや五感と格闘して余計な部分をそぎ落とし調
律しましょうというひとつひとつの取り組み自体はそれがすべてではないにせよ
有効だと思う。
818 :
792:2009/03/19(木) 22:50:18 ID:gRdE/83e
>>815 レスが遅いわ。
その時、自分が何を考えていたかなどもう忘れたわ。
長々と私の心を読んでくれてありがとう。で、君の考えてるその虚像が
私だと言える核心はどこからくるのかね?
ああ、わかった。君の知識だね。
だとしたら、この件に関して君の知識は何の役にも立たなかったと言っておこうか。
819 :
792:2009/03/19(木) 22:53:16 ID:gRdE/83e
>>816 心を2つにするものは、悟れない。
空即是色 即 色即是空。
820 :
792:2009/03/19(木) 23:07:18 ID:gRdE/83e
残念ながら仏教は思考をこき下ろすのではないな。
その必要が無いからだ。
何を考えようが、法というもの、1平方ミリたいとも穢れたりせぬ。
君が世界中からトイレットペーパーを「考えて」なくせるというなら
やってくれたまえ。
821 :
792:2009/03/19(木) 23:28:46 ID:gRdE/83e
維摩経 入不二法門第九より
文殊師利曰く、『我が意の如きは、一切の法に於いて、言うこと無く、
説くこと無く、示すこと無く、識ること無し。諸の問答を離るる、
これを不二法門に入ると為す。』
と。
ここに於いて文殊師利、維摩詰に問わく、
『我等、おのおの自ら説きおわりぬ。仁者、まさに説くべし。何等かこれ菩薩、不二法門に入る。』
と。
時に維摩詰黙然として言無し。
文殊師利歎じて曰く、
『善哉善哉、すなわち文字言語の有ること無きに至る。これ真の不二法門なり。』
と。
この不二法門品を説く時、この衆中に於いて五千の菩薩、皆不二法門に入りて無生法忍を得たり。
というか、自分の言いたいことを
他人に分かるように、話せないなら
お経をいくら並べても、自己満足の世界だよ。
823 :
792:2009/03/19(木) 23:42:22 ID:gRdE/83e
やる気が無い人間と話す気は無い。
やる気もこころも無いよ。
825 :
792:2009/03/19(木) 23:46:25 ID:gRdE/83e
心が無ければ悟りを得ることはできんだろうな。
そうだね「得た」ことないし、「得ない」だろうね。
827 :
792:2009/03/20(金) 00:23:26 ID:P7Z3fLIp
もしもやる気があるなら中論24章を読んできなよ。
空病患者にはつける薬が見つからないけどね。
>>818 >
>>815 > レスが遅いわ。
> その時、自分が何を考えていたかなどもう忘れたわ。
>
> 長々と私の心を読んでくれてありがとう。で、君の考えてるその虚像が
> 私だと言える核心はどこからくるのかね?
> ああ、わかった。君の知識だね。
> だとしたら、この件に関して君の知識は何の役にも立たなかったと言っておこうか。
>
仰るとおり。レスが遅いのは「状況的ではない」が故に無効だ。
いいかな。わたしが今実演したように、状況的でないことは役に立たない。
心を読むだとか、虚像だとか、あなたが何だとか全く関心ない。
オーバーレフレクションというヤツだ。
830 :
792:2009/03/20(金) 06:23:29 ID:P7Z3fLIp
そうかそうか。
私は君が関心が無いことに、
関心が無い。
>>828 与太話をひとつ。
あなたがかつて文殊と呼ばれていた頃の功績を称えたこの文字
を現代にあって見たとしよう。
よせよ。そんな昔の話。
くすぐったいじゃないか。
そこはさすが文殊だけに現代ではカルト宗教の教祖などには収
まっておらず、この溢れんばかりに増大した情報化社会の混沌
を収める集約技術の開発者として日夜活動的に働いていた。
「一なるもの」であることの感触を呼び醒ます効果を狙った現代
風にアレンジしたミュージカルのキャスティングに明け暮れる毎
日なのだ。
832 :
はっとり内臓:2009/03/20(金) 10:20:31 ID:hTQGMeja
>>813 どうもでござる。
天気にはかなり影響を受ける。
833 :
神も仏も名無しさん:2009/03/20(金) 12:18:10 ID:YeAkXTgD
何か良い物語を見たり読んだりして気になると、
そのことが何日も頭を離れないことがあるが、
それはその物語に人を引き付けるだけのエネルギーがある事はもちろんだが、
それを見ている者が物語に対して自己同一化をしているのが原因だと観察した。
(ここでの良いは万人が良いと思うことではなく、その個人が良いと思う事)
精神世界関係の本って、本の色によってレベルとかが謙虚に現れると思わないですかね?
青や黒のような暗い色の方が本質的な事を言っている本が多いと思う。
反面、明るい色は能天気で脳みそすっからかんな内容のものが多いと思う。
なに読んでも、自分であかしていくしかないことだから、
資料だけ集めて、ライターや作家が書いただけの本は却って分かりにくいし、
経験がない人が書いているのは、
資料を読んだだけだなというのが、もろに分かってしまう。
やはり源流に近い方がいいとなると、般若心経だけで充分だしね。
>>835 面白いきづきだね いわれてみればぼくもそうおもうよ
気付きは、自己であかせるものだけだよ、
他者にあるときは、もう気付きではない。
よく見たら旧110がいるでねえか
本の色で内容を決めつけるのが、観念。
まさしく
本の色で内容は決めつけられない、というのも観念。
つ あんたはエスパーか
まさに
846 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/29(日) 08:52:59 ID:J1R2fVSX
あの自我に関して質の高いスレは面白かった。ありがとさん
848 :
馬煮込み愚鈍:2009/03/29(日) 12:19:55 ID:J1R2fVSX
>>847 あっしの関連したスレでしょうか??
実は、あんまり憶えてません。ww
馬鹿を晒すだけしかしてない気がしておりますww
今日はたまたま評価に付いて考えさせられる機会が御座いましたので、
ちと、不思議な感覚に包まれておりますが、
面白かったと言われると、本望であり、最高評価で御座います。ww
面白く無いにしても、<何故面白く無いか考えてみ>となると、面白そうな話ではあります。
しかしながら、質の高いスレ・・・・あったかな??ww
きっとそのスレの色んな人の御蔭だったと思う次第です。
色んなスレに顔出しておりますので、見かけたら、またよろしくです。
甚だ、こちらの喜ばしく思える評価は、自演ぽくって嫌なんですが・・・・・。ww
849 :
はっとり内蔵:2009/03/29(日) 14:49:41 ID:rOVM1MCF
ふっと言葉が浮かぶ。
後で思考でその言葉の意味を理解しようとするが無理。
放っておくのでござる。
850 :
すもも:2009/04/02(木) 18:17:20 ID:a66kJO5Y
本日最高の気づき。
私の中には「邪推」という鬼が居た。
これが私が私の世界を率直に観ることを阻止していたやつだ、と思った。
あの人がこう思っただろうか、この人は軽蔑しただろうか、あの人はこういう人ではなかろうか・・アレコレ。。
その推測が大当たりの時もあるから、それを邪推と思わず、自分は賢いのだ、とさえ思ったから、
余計に邪推の罠にはまって苦しむ羽目になっていた。
邪推は他人の評価に完璧に依存した行為であり、不安で臆病な自我が育てることも観えた。
その邪推を捨てると決めたら、時間が消えた。
物事を普通に見る目がまっすぐに穏やかになった。
素晴らしい!
こころのカースト崩壊
不満があるのは良い事だ、何かを創造できるだろう。
もっと幸せになりたい、それも良い事だ、
それは自己を未知へと旅させる。
だが、
自己都合が付くとき
不満は破壊になり、
幸せは略奪になり、旅する場所は既知の内側だ。
でも、己れに自己都合がなくとも、
生きている世界は自己都合に生きる狂人の群れのなかだ。
どうすればいいのだろう?
観察力を養って、
無分別のなかの分別を育てる必要があるのではないだろうか?
「自己をまるまる観る静かな自分」が
それをやっている。
855 :
なにわっこ娘:2009/04/03(金) 16:38:24 ID:b7WyyplZ
我が氷で無我は水なんだよ!
856 :
なにわっこ娘:2009/04/03(金) 16:44:16 ID:b7WyyplZ
だから色即是空なんだ!
857 :
なにわっこ娘:2009/04/03(金) 17:14:50 ID:b7WyyplZ
だから般若心経って心のお経なんだ、題名にちゃんと心ってある。
気付かなかったorz
いや、あれは効率よく、悟る方法が書いてあるだけなんだけど
859 :
なにわっこ娘:2009/04/03(金) 17:31:07 ID:b7WyyplZ
そうなん?
無がんじびぜっしんいって座禅してる時みたいですね。
空観の仕方から始まって、
空観をしたときの状況が書いてあって
空観の効能で締めくくり、
本当は訳さないはずのマントラを
あえて訳したのは三蔵さんの面白いところで、
あれも空観の技法だと思う。
マントラ自体は、もしいけたなら
帰ってくるときに意味がわかるもの。
あれ、2文字でもいいお経だとおもうよ。
掲諦
862 :
なにわっこ娘:2009/04/03(金) 17:59:53 ID:b7WyyplZ
悟りHow toみたいですね。
久しぶりに般若心経を読んで見たくなりました。
ありがとうございました。
ぎゃ〜てぃぎゃ〜てぃ
863 :
すもも:2009/04/03(金) 18:49:48 ID:azOX8fP1
>>255 スキーリは観察して答えが見つかってもすごくするお。。(´・ω・`)
>>256 わかた。とにかく読んでもみしょう。
864 :
すもも:2009/04/03(金) 18:51:45 ID:azOX8fP1
ごばくしますた。。。。(>_<)
865 :
すもも:2009/04/03(金) 18:56:21 ID:azOX8fP1
何故好きな自分と嫌いな自分があるかも、他者の評価に依存した邪推によるものだと昨日わかった。
皆がみな、誉めてくれる長所を嫌いにならないのは、そのいい証拠だ。
で、邪推してるときは不安と焦りから心拍数が上がり、脳が活発に動き、胸の辺りがしめつけられてる。
邪推をやめ、ただ推測する、もしくは何も思わない時は、落ち着いた意識がお腹の下の方から上がってくる感じを観察したのですが、
丹田を鍛えると良い、というのはそういう意味?ですか?
丹田を鍛えることで落ち着いた意識が逆に作れるようになる?
心身一如だから、ということで納得はするけれど。。
866 :
すもも:2009/04/03(金) 19:25:35 ID:azOX8fP1
丹田を鍛える意味をぐぐってきました。
スレ汚しすみません。m(__)m
思考することを否定するのも、観念だよ。
「落ち着いていて、思考を自由に使える」
これが、もっと偉大なことを求めてしまうから、
変な方に迷う。
物事の右に向いていても、左も見ている。
どちらも自由に使えるように、すれば、
妄想は妄想として扱えるし、智慧もでる、それだけ。
掲して諦するまで、分析してみる。
そうすると必ず「消え去る」に当たるが、
そこで、
我こそ永遠にあると思い込んでいる思考が混乱する。
ところが空を理解できた途端に、
諸行無常に対して、一切の引っかかりがなくなる、
こころに引っかかるものがないから、
思考は右を見たり左を見たりしながらも、自由活発に使える。
迷いは迷いとして使い、
智慧は智慧として使い、
直感は直感として使い、
沈黙は沈黙として使う。
悟りや無我という体験、空の無限を直智するという体験、
真如の光りによって煩悩が焼かれる体験、
原始の無意識に落ちる体験、梵天が何者かが分かる体験、
どれも、否定することはないが、これこそと持ってしまうものでもない。
これらも空じて、
普段の自分を自由に使えばいい。
869 :
なにわっこ娘:2009/04/04(土) 02:06:48 ID:1yHcbddV
今日は少し空を垣間見たかもしれない。
意識が薄らぐから、お風呂にはいって体を温め確認して仮眠した。
おっしゃってる意味が少し解る。
観察があって、思考の限界を知り、根源を確認する。
すると、そこにすべてあることを知る、これだけのことだよ。
あとは座って深めてもいいし、
より、掲して諦してみるのもいいし、
無視してもいい。
871 :
なにわっこ娘:2009/04/04(土) 02:34:22 ID:1yHcbddV
そか〜、久しぶりに思考がフル回転したからパンクしただけなんやね。
少し坐りますね、ありがとうございました。
長者の家に生まれてなんとか〜
水の中にいて渇をさけぶ〜
ってさっきから頭の中よぎってるんだよね。
思考が根をあげると、原始からの智慧がフォローに入る、
すると、今まで思考が使っていた客観と主観の世界以前の
ものの見方になる。
873 :
なにわっこ娘:2009/04/04(土) 02:59:20 ID:1yHcbddV
私が観ている。から「私」が抜けて、
ただ観ているになるんですね。
これは理屈ではそなんだけど、実際には難しい事ですね。
これが出来たら観ているものがわたしになるのかな。
赤ちゃんを観れば赤ちゃんがわたし。
赤ちゃんや私という区別が持てない、全体としての一。
875 :
なにわっこ娘:2009/04/04(土) 03:49:27 ID:1yHcbddV
自他の区別がないんですね。
いろいろありがとうございましたω〃
監察で思考の限界で原始の智恵がフォローするとか、すももさん喜ぶだろな〜
もともと原始の智慧が流れて、思考が始まっているだけだから
悟ってない人はいないんです。
でも本音をいうと、
悟ろうが、覚醒しようが、根源と混じろうが、
個人的なイベントに過ぎないと思う。
後々、罪悪感すら覚える人もいるかもしれない。
やはり
社会での折り合いというのが、大事になってくるのだと思うな。
聖をもって何とかするというのは害悪そのものだから、
観察で、固定観念にお互いハマらないようにするとか。
初心を、要らぬ欲望で、違うものに変化させないとか。
879 :
はっとり内臓:2009/04/04(土) 08:48:52 ID:rj+Vev9O
他の人の純粋な気づきや体験を奪っている事が分かった。
体験なんてどうでもいい といえばどうでもいいんですが。
さて。街に出ます。
880 :
すもも:2009/04/04(土) 13:51:41 ID:v6eW9oiO
>>878 いつもどうもありがとうございます。
素朴な質問ですが、878さんは今でも人の好き嫌いがありますか?
好き嫌いの感情は起きるが、どちらに起きても厭わなくなった、という事ですか?
さっき、感情が揺れるのは自然な事とすると、それによって不快や恐怖が起きるのは、その感情の振れ幅の限界を知らないから、というのもあるかなと思いました。
プラスもマイナスも好きも嫌いも至福も絶望もあるもないも、この世で感じるものには限界があり、その限界を見てしまえば、何も恐れなくなる。
つまり、ジェットコースターは、一度乗ってみれば、二度目からはどのポイントが怖いかわかるから余裕、みたいなもので。。
というわけで、
全ての限界の際を知る=無限の意識が働く
という事で、
それには瞑想や観察が有効なんだよということでいいですか?
この、感情の起伏や恐怖も含めた物事には限界が必ずあるんだよ、というのが諸行無常で、その限界を知りに行くのが悟りという事なのですか?
881 :
すもも:2009/04/04(土) 13:58:26 ID:v6eW9oiO
すみません、最後の諸行無常は考え違いでした。
削除しそこなって送信してしまいました。
882 :
すもも:2009/04/04(土) 19:39:26 ID:v6eW9oiO
今またあー少し違うなと。
全ては縁によって起きているのだった。
今眺めている花も縁によって今現れているのてあって、現れては消える自分の感情もその例外じゃない。
つまり徹底的に他力と考える。
よくも悪くもその縁は、私の、あなたの、あの人のせいじゃない。
全ては自分から出て自分で受け取っているのだけれど、
自分から出る因になった縁はそもそも誰のせいじゃない。
それをまるごと受け止め観察すればいい。
そう考えたら揺れる感情が離れていった。。
さあ、ちゃんと修行しよっかと初めて思った。
883 :
Ron:2009/04/04(土) 23:53:14 ID:aknr/07u
>>880 >>882 さあ坐りましょう。
感情の限界を知るんじゃなくて、感情・思考の本質を知る。
本質は空である、実体の無いものであると。。
そう知って、感情・思考を超えた次元の意識に目覚めるのが第一段階かな。。
それは自分を超える、自由になるということでもある。
迷いがなくなるんじゃないけど、迷いを超えるんですね・・迷いがたいしたことじゃなくなるんです。
そういうことを実感するのも坐あってのものなんですが。。
884 :
Ron:2009/04/04(土) 23:55:10 ID:aknr/07u
今日は実家のパソコンから・・少しあるお酒飲んじゃいましたが。。
885 :
Ron:2009/04/04(土) 23:57:03 ID:aknr/07u
アゲアゲやっちまってたのか・・もう寝よう。。
886 :
すもも:2009/04/05(日) 10:46:55 ID:fBglSGw5
>>877 今さっき読ませていただきました。
ありがとうございました。
昨日手探りで考えて他力に行き着き、ちゃんと修行を。。という気持ちになってなければ、またいつものように読み流してたと思います。
あるがまま、がこんなに理解できたのは初めて。
嫌い、悲しい、苦しいも、縁によって出た感情だった。
それを否定的にみる分別が苦しめるだけなのだ。
だから、ただ全ての感情をそのまま受け止める、みる、感じればいい。
そしてそれを徹底すること。
これでいいのかなと。
887 :
すもも:2009/04/05(日) 10:55:02 ID:fBglSGw5
>>883 > さあ坐りましょう。
やっとここまで来た。(^O^)
わかった。
> 感情の限界を知るんじゃなくて、感情・思考の本質を知る。
> 本質は空である、実体の無いものであると。。
>
> そう知って、感情・思考を超えた次元の意識に目覚めるのが第一段階かな。。
了解。第一段階までいければ幸せ。
やってみる。
888 :
すもも:2009/04/06(月) 11:03:27 ID:AzxJ/3lk
>>883 >感情の限界を知るんじゃなくて、感情・思考の本質を知る。
>本質は空である、実体の無いものであると。。
教えてください。
色即是空 空即是色、というのは、
縁によって起きるこの世の現象は、諸行無常だから「実体」がない(=色即是空)。
けれど、現に私たちは五感でこの「色」を認識しているから「ある」(=空即是色)。
で、いいですか?
あと、諸行無常を「知る」のは、普通にしてても分かりますよね?
なので、これはもう、私も分かっている、としていいですか?
それとも坐ることによって、より明晰にその実態が分かるようになる、ということ?
それで、
「空」のとらえ方として、「空」とは、空しい何も無い状態、というのではなく、実際は、苦の発生元である縁(時間?)のない世界、「今ここ」そのものの世界ということでOK?
で、坐って分かるようになるのは、この「空」の本質、ということでいいですか?
そうなると、Ronさんの
>本質は空である、実体の無いもの。。という言葉と矛盾しますか?
まだ質問すら早いのかもしれない。。
だとしたらスルーしてくだされ。ごめんなさい。
889 :
Ron:2009/04/06(月) 18:27:28 ID:0eHVl8dz
>>888 すももさん、こんばんわ。
色即是空は、それでいいですが、それも数ある解釈、理解のうちのひとつです。
自己も宇宙もすべては虚空のごとくである、というような、存在の本性が空であるという理解もあります。
空即是空はなんか違いますね、これは文字通り、空性はすなわち現象である、ということであるとかないという話ではないと思います。
とにかく坐って自己を空じてみないと使えないので、そうしてみてください。
何か知的にわかることが重要なのではなく、自己を忘ずることが肝なのですから。。
890 :
Ron:2009/04/06(月) 18:41:33 ID:0eHVl8dz
僕は現在Dion規制のため、PC、携帯ともに書き込み不能です。
今ネットカフェで書いてますが、しばらく2チャンはお休みせざるを得ないので、何か用がったら、
ブログのほうにメールでもください。
ソネットの「閑人ブログ」というやつがあって、放置中ですが、梅の花の写真とか貼ってあるやつです。
鬼さんと違って、仏教について語ってるわけじゃあありませんので、悪しからず。。
891 :
すもも:2009/04/06(月) 19:06:42 ID:+XqvyJQp
>>890 Ronさん どうも有難う。
まだカフェにいるかな。。
うん、知的に知りたいわけじゃない。
ただあまりにも座禅という行為が茫漠としてて、
今まではただ目をつぶってるだけだったじゃないか?とか、
そもそも座禅の目的、自己を空じるの「空」ってやっぱりわかってない。。とかあれこれ。
でも、わかった。
有難う!m(__)m はい、何かあったらブログに行きま〜す!
892 :
すもも:2009/04/06(月) 19:13:50 ID:+XqvyJQp
ん?ブログはメールになってるのかあ・・。
となると、行き難いなーやぱし。w
規制が解かれるまでここでお待ちいたしやす。m(__)m
早く解除になるといいね!
893 :
Ron:2009/04/06(月) 21:05:06 ID:N3zRs4s3
テスト
894 :
Ron:2009/04/06(月) 21:11:42 ID:N3zRs4s3
もう規制解除されたらしい。。
>>891 坐禅は目を閉じたらダメっすよ。。
目は閉じずに自然に半眼になるようにするんです・・
普勧坐禅儀か雪渓師の本読んでください。。
わかんない=正解なんだよ・・無心が目指すところなんだから、何かつかんだり、持ってたりしてらダメだからね・・しかし、悟りに気付くと言うのは、第一段階として必要ではある。。
どんな状態だろうが、その時の自己がもう答えなんですよ、そこに落ち着く安住するのが禅です。
とにかく坐って明らめてください。
・・グダグダ言ってねーで坐れやぁ、コラァ・・ww
895 :
Ron:2009/04/06(月) 21:17:30 ID:N3zRs4s3
896 :
すもも:2009/04/07(火) 10:17:17 ID:D2d/hm0h
897 :
すもも:2009/04/07(火) 10:43:37 ID:D2d/hm0h
今日は煩悩を「捨てさせていただく」という言葉に出会ってするーっと落ちるものがあった。
「捨てる」という言葉が怖かった。
自分の意思でえいっと捨てるイメージ。できない。
でも、この捨てさせていただく、という言葉には、
持ってても苦痛でしかないものから、この試練でやっと解放されるという、
捨てて何もなくなるのではなく、解放という恩恵が与えられるのだ、という安心な気持ちにさせてくれる魔法の言葉だ。
898 :
すもも:2009/04/07(火) 11:06:59 ID:D2d/hm0h
野良の象さんはお元気かな。。
899 :
すもも:2009/04/07(火) 11:10:24 ID:D2d/hm0h
>>895 ブログに行こうとしたら
↓
『お客さまがお探しのページは見つかりませんでした。』
\(^o^)/
900 :
Ron:2009/04/07(火) 11:50:06 ID:295RVywl
>>899 なんでだろうね、僕は普通に行けるのに。。
クリックして行けなければ、URLが入ってるとこにアドレスをコピペすれば行けると思うけど。。
>>880 人と会ったら、興味だけだよ。
好き嫌いは、出会いの後から
自分だけが持った観念だと分かっているから、
自分が何に嫌悪を持ったのか、観察しているうちに消える。
無限とか永遠の意識とか、自分が消え去って無くなることを
拒否する思考そのもの。
人は、初めと終わりを、見ていないんだよ。
という俺は、お釈迦さんにお願いごとするヘタれです。
903 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 10:48:29 ID:JcNuXHGa
904 :
すもも:2009/04/08(水) 11:42:42 ID:KWYVLtsF
ありがとうございました。
とても励みになります。
日常に戻ると、観察する、坐ることに逃げたくなり、リアルに生きることが厭になりそうになる。
本末転倒。ばかじゃねーの?と思う。
早く、つまらない茶碗洗いや鬱陶しい仕事の中に、宇宙を感じるようになりたい。
感じて、良くも悪くも日常の全てに肯定的に生きられるようになりたい。
それだけでいい。
以前読んだ、マイケル・タルボットの「ホログラフィック・ユニバース 投影された宇宙」にも、
ホログラフィック理論でいくと、現象界のどの一片にも宇宙そのものが現れていることになる、と書いてあった。
905 :
すもも:2009/04/08(水) 11:44:17 ID:KWYVLtsF
906 :
はっとり内臓:2009/04/08(水) 19:12:00 ID:lQ8EZtKc
プロバイダ・携帯、解約。
907 :
Ron:2009/04/08(水) 19:58:15 ID:4ot1FY5y
>>904 あんまり進歩がないように見えるけど、ちゃんと坐ってるのかな?
>早く、つまらない茶碗洗いや鬱陶しい仕事の中に、宇宙を感じるようになりたい。
つまらないとか鬱陶しいとかなくなるかもだけど、宇宙は感じられないんじゃないかな、茶碗洗いは茶碗洗いだし、仕事は仕事だから。。
>感じて、良くも悪くも日常の全てに肯定的に生きられるようになりたい。
全てに肯定的になる必要はないでしょう。
今日は床屋が下手くそで、不満だったけど、それでいいんだよ。。
むしろ、こういう自分でありたいが落ちるのが楽なんだよ、自分を捉えることとがなくなってしまう、観る必要もないんですよ。。
908 :
Ron:2009/04/08(水) 20:00:24 ID:4ot1FY5y
今日で春休みも終わりじゃあ・・ゆく春や。。
>>904 人は同じことが、つまらないか、面白いかに分かれる。
それは、経験が積み重なったものは苦痛になり
経験がない新鮮なものは快になるということ。
なぜ観察するかというと、
経験という自動処理機に陥って、精神が奴隷にならないため。
それと、無常を観察するのは、「体験したことは消えた」という確認があったあと、
精神的な沈黙が垣間見れるから。(思考の沈黙とか、言葉の沈黙ではない)
この沈黙を自分のものにしてしまう、
「今(あるがまま、神、空)」を見ることは出来なくても、
終わりは観察すれば、誰でも見える。
でも、注意しないといけないのは、
こんなもの正しい方法なんてないんですよ、
自分が師匠で、自分が弟子でしかない、全員オリジナルなんです。
何か方法があるなら、それは師の妄想の刷り込みです。
日常に宇宙が現れているというより、どれもこれも
宇宙に浮かぶ塵だからね、それほど緻密でもなくてスカスカだし。
911 :
神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 21:17:15 ID:TJjh8jeE
塵で一喜一憂するのが人間のすばらしさかな
自殺を図る若い男性の大半、8歳で兆候=研究 (ロイター)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/n_research2__20090408_3/story/07reutersJAPAN373690/ [シカゴ 6日 ロイター] 自殺を図る若い男性の多くは、8歳の時点で重度の情緒的問題が現れることが、6日発表されたフィンランドの研究で明らかになった。
自殺を図る女性の多くは、問題が出てくるのは思春期以降だという。
研究を指揮したフィンランドのトゥルク大学病院のAndreSourander医師は「青年期や成人早期に真剣に自殺を図る人でも、男性と女性では異なる過程をたどることが分かった」と結論付けている。
医学誌「ArchivesofGeneralPsychiatry」に掲載された同研究は、1981年に生まれた5302人を対象に追跡調査。
男性27人と女性27人が24歳までに自殺を図り、そのうち男性13人と女性2人が実際に亡くなったいう。
研究グループは、女性は服毒による自殺を試みることが多いが、男性はより致死性の高い方法で自殺を図る傾向があるとしている。
また自殺を図る人々がたどる過程として、男性の78%は8歳の時に、破壊的な気質や、攻撃性、他者への残酷さなど、教師や親にも分かる問題を示すという。
一方で、女性にはこのような傾向が見られず、情緒的問題が出てくるのは思春期以降だった。
研究グループは、効果的な方法で兆候を示す子どもたちを見つけ出して治療し、自殺率を下げるようにすべきだとしている。
913 :
すもも:2009/04/09(木) 14:02:55 ID:Kf865OAi
>あんまり進歩がないように見えるけど、ちゃんと坐ってるのかな?
てへへ。確かに。
まーあれです。
観察にかこつけた雑念につぐ雑念。ほんとにこれでいいのか・・というくらい。
でも、ちょっと感じたのは、例えば呼吸。
肺が勝手に動いてる。そこに私の意志はないのに、と観る。
それから、その先の肉体を観る。
これも私の意志に関係なく、勝手に心臓が動き、血が全体に配給され、栄養素が取り込まれたり毒素が排出されたりしている。
誰がしているのか。まさに“自然”がしている。
私の雑念につぐ雑念など全然おかまいなく、私の肉体は“ただ”生きている。
自分の意思で生きてるなんて完全な錯覚。
これほど雑念妄想まみれの私にかまわず、私の心臓や肺はただただ「今」を生きててくれている。。
であるならば、この肉体の呼吸にひたすら意識を合わせていけば「今ここ」ポイントになるのか??
そう思ったら、なんとなく意識と体がぼやっとした感じになったのと、
「仏道をならふといふは、自己をならふ也」というのはこのことかなーと。
914 :
すもも:2009/04/09(木) 14:06:09 ID:Kf865OAi
あと、確かに面白くないというのは、今の意識でない、習慣によってつくられた無意識の奴隷になってるからだとわかりました。
それをよく観るために、とにかくゆっくり行動し、ゆっくり考えてみることにしたところ、
自分の生活の90%ほどが、習慣的な条件反射で考え、動いてただけだったことが見えたのは驚きです。
また、苦痛を取り除くことにやっきになったは間違いだった。
何故苦痛かというと喜べないからで、
何故喜ぶかというと、まさに煩悩が満たされるからに過ぎなかった。
ならば、嬉しいとか、自尊心が満足したと思ったときにそれをよく観れば、なんだ喜びのタネはこれかと思い、
次に喜びがこなくても、苦痛にならないのではないか、と思いました。。が、まだまだそれは頭の中だけの気づきに過ぎません。
長文、連投 すみません。
本当に楽になりつつあります。
915 :
すもも:2009/04/09(木) 15:58:24 ID:5xf6GQXi
自殺がなぜいいけないかは本当にはまだわからない。
“自然”の力に生かされてるものを、人間の意志で消してはいけない。。くらいか。
ただ、自分が死ねばいいと本気で思い、刃物を自分につきたてたところを徹底的にイメージしたとき、
いざ刃物が心臓を・・というところで体がビクン!と跳ね返り、
あー体は死にたくないんだ・・と実感したことがある。
916 :
Ron:2009/04/09(木) 20:00:04 ID:v7Nc5ZNO
>>913 観察もいいですが、やっぱり坐ったほうがいいと思います。
>であるならば、この肉体の呼吸にひたすら意識を合わせていけば「今ここ」ポイントになるのか??
それは坐る時は呼吸を見守っていいですが、日常で呼吸なんて観察してたら、注意力散漫になるんじゃないでしょうか?
それより、その時やってることだけになってればいいと思います。
それが自己を忘ずるということに近いですから。。
「今ここ」というのはそんなにこだわらなくてもいいと思いますよ。
過去、未来と想念が駆け巡る時は駆け巡るままにしておけばいいんです。
「こうしよう」というコントロールを手放すことにてよって、自然な楽が訪れますが、何か目標を持つと、それと今の自分をこらべていい悪い判断してしまうでしょう。
そういう目標、基準を捨てるともっとよくなるともいます。
「今ここ」だけに生きる人はいませんから、今ここにいない時があってもいいんです。
がんばってねー。。
917 :
すもも:2009/04/09(木) 20:30:14 ID:joou4hUn
>>916 どうも有難う。
心強いっす。(^・^)
ただ・・坐ってますよ。30分くらいずつかな。
坐りながらいつの間にか観察にいってしまうだけで。。
もっとちゃんと念を切る、に徹したほうがよさそうですね。
鬼教信者以外の皆も気づき始めたらしいな。
鬼の云う観察は妄念妄想の連鎖を生むだけじゃ。
妙悟は、心路を窮めて絶せんことを要す。
心路絶せずんば、尽くこれ依草附木の精霊ならん、というじゃろ。
>>913 >そう思ったら、なんとなく意識と体がぼやっとした感じになったのと、
>「仏道をならふといふは、自己をならふ也」というのはこのことかなーと。
道元さんはそういう意味でいってるのではないのじゃ。
己自究明じゃ。
本物の自己とはなにか、ということじゃよ。
>>915 >自殺がなぜいいけないかは本当にはまだわからない。
自我が自己だと思ってるからじゃ。
本物の自己に巡り合わせてないんじゃなあ。
自分というものが仏から授かった命で受けがたき人身に生まれ、勝手にどうこうするものじゃないことをなあ。
920 :
792:2009/04/09(木) 21:41:02 ID:VAPaWDDB
【ニルヴァーナとは】一切を認め知ること(有所得)が滅し、戯論が滅して、めでたい【境地】である。
いかなる教えも、どこおいてでも、誰のためにも、ブッダは説かなかったのである。
中論二五章 二四
不生なら、まだ観察できるが
不死だと観察にならないんだよ。
却って、イメージに頼ってしまうから
出来の悪い密教になってしまう。
922 :
792:2009/04/09(木) 21:48:15 ID:VAPaWDDB
達磨、天竺に帰らんと欲し、門人に命じて云く、
時 将に至る、汝等 各々所得を呈せよと。
時に道副有り、対えて云く、我が所見の如きんば、文字に 執せず、文字を離せずして道用を為すと。
磨云く、汝は吾が皮を得たり。
尼 総 持云く、我が今の所解は、慶喜の阿しく仏国を見るが如し、一見して更に再見せず。
磨云く、汝は吾が肉を得たりと。
道育云く、四大もと空、五陰 有に非ず、 而 して我が見処は、一法の得べき無しと。
磨云く、汝は吾が骨を得たりと。
最 後に慧可礼拝して位 に依って立つ。
磨云く、汝は吾が髄を得たり。
というか、その本物の自己も、空じる。
>>923 本物の自己を空じても本物の自己じゃ。
言葉遊びは暇をみつけて致すとしよう。
925 :
なにわっこ娘:2009/04/10(金) 02:28:45 ID:vabQ16zL
なんで禅は自分を見ないなのに、自己を習うなりなのかな?って思ってたよ。
本来の自己の事だったんだ!
忘れるなりは十牛図の何もない図に一致する。
一つ謎が解けました。
ありがとうございますω⌒
いや、最後は本来の自己を空じる。
そうしないと、からっと逝かない。悟り臭いだけ。
一円相が回っていないと、すべては得たという過去のもの。
>>915 どんな死に方でも罪はない。
そこに罪という意識がある限り、生や生まれ方にさえ、罪という意識がつきまとう。
終わりと始めにある罪は宗教が作った観念でしかない。
空虚や形骸化された自己に、耐えられないで死ぬのが
観念ならば、光明を見るだろう。
観念が死ないなら、思考が苦の元ごと死んでしまう。
苦の逃避先はどちらも一緒だが
死んだものが、現象世界から見ると違う。
>>925 たぶん、十牛図と道元さんの禅は矛盾するから
比較できないと思う。
道元さんのは、まったく方向が違って、
段階を踏まないで直接入り込むのではないだろうか。
928 :
なにわっこ娘:2009/04/10(金) 10:29:26 ID:vabQ16zL
自己を忘じ、他己を忘じ一切を忘じて只一円相のみで中味無し。これが人牛倶忘位でつねω#
929 :
なにわっこ娘:2009/04/10(金) 10:59:45 ID:vabQ16zL
>>927 私の中では、道元さんが言ってる
自己を習うなり、忘れるなりの自己が
本来の自己だという事を聞いて
十牛図とピタリと一致したんだけどなぁω〃
930 :
なにわっこ娘:2009/04/10(金) 11:22:11 ID:vabQ16zL
いつも行ってる公園に桜と柳が隣り合わせで植えてあるのが気付いた。
柳は緑花は紅やなぁ
>>927 >道元さんのは、まったく方向が違って、段階を踏まないで直接入り込むのではないだろうか。
それは見方が狭いな。
十牛図は悟りへの心の過程を描いたもので、修行のステップを描いたものではないだろう。
臨斉だろうと曹洞だろうと、修行僧の心の過程は同じだろう。
>>929 ご名答、正解ですよ。
よく気が付かれました。○
933 :
なにわっこ娘:2009/04/10(金) 12:11:59 ID:vabQ16zL
>>932 ありがとうございますω#
気付くまで三年かかりました。
大悟するのに過程もステップもないよ。サックと逝くはず。
>>933 凡さんに聞いたほうがいい。
ここではダメだろう、曹洞宗いないし。
曹洞宗では十牛図は出鱈目で無意味ということか。
砂絵で描いて、川に流せ。
938 :
すもも:2009/04/10(金) 13:43:39 ID:7OTWh4ii
図々しいくらい仏教のぶの字も知らず今日までここにいさせていただいてるのは、
エックハルトに感銘したことで、やっぱり仏教方面に何かあると感覚的に思ったのと、
観察することで苦が少しずつ消えていく、という明らかな体験をしたからで。。
それが「心随観」みたいなものだとさっき知った、というレベルだから、オリジナルでいいんだ、という言葉に励まされてます。
お釈迦様の教えはとても論理的なところがスゴイと思う。
でも、「戒」にはなじめない。
それって分別じゃないか?
分別をしない、分別はない、というところに惹かれたのに。
清い行い、清い心を持ったと自負した大抵の人は、その“清い”ものさしで口には出さなくても人を裁きにかかり、自分は正しいと自分に溺れている。ように見える。
。。という私の観念。。?
939 :
なにわっこ娘:2009/04/10(金) 13:50:45 ID:vabQ16zL
>>937 それが、八番目の返本還源の境地でつね(☆∀☆)
940 :
なにわっこ娘:2009/04/10(金) 13:53:45 ID:vabQ16zL
九番目か、すません。
空そのものになるのだー! と言われて、
弟子は当然「はあ? なにいってんだ、ハゲ」となるから
それはどうすればいいかと図解で説明する派
空だから図解があるのが変だろうという派
親切丁寧に身体に染み込ませてから、では、すべて忘れろという派
いろいろあるのさ。
942 :
すもも:2009/04/10(金) 14:23:14 ID:7OTWh4ii
>>919 >自我が自己だと思ってるからじゃ。
自分の意思で死ねると自我が幻想してるだけだと。
確かに、仏に与えられた命、と思うだけで救われる気がするのはありがたいです。
それにしても、本来の自己(ここがまだ全然わかりませんが)を裏切ってまで死ねるほどの強い自我が育つチャンスが何故与えられてるのでしょう。。
私も死に方自体に罪は無い、と考えたいです。
死に方も生き方も何もかも、それ自体に罪は無い。意味は無い。と。
だから、自殺も殺人もなんでもありだ、というのではなく、
真理に目覚めたら、自然に、善の方向に向かわざるを得なくなるのじゃないか?と思ってるのですが。。
>>926 >空虚や形骸化された自己に、耐えられないで死ぬのが 〜〜
↑以降が難しかったです。
いつもはよく分かった気になれるのに。。orz
943 :
すもも:2009/04/10(金) 14:27:13 ID:7OTWh4ii
お釈迦さんの戒は分かり易いよ、苦の元になることをするな。
出来事は、表面の意識が物事の消え去るを見ない場合。また沈んだり浮いたりする。
現在愚痴っていれば、それが意識の底に沈んで愚痴りたいことが浮かんでくるw
無→無意識→【現在意識】→無意識→無→・・・・・・
945 :
すもも:2009/04/10(金) 15:29:43 ID:7OTWh4ii
ふ〜ん。。それは分別を否定する仏教でなければ納得なんだけど、
・・なんて言えるほど仏教知っとんのか!ですけど。
結局、真理の世界は、正誤も清濁もない、絶対善だけれど、
この現象界では、それらが「ある」という分別をもって、
禁止という言葉で具体的に導くのが、新たなカルマを作らないためには有効なのだ。
ということなのかな。。
946 :
すもも:2009/04/10(金) 15:41:55 ID:7OTWh4ii
あ、でもそれなら自殺はいけないことになる。
仏から与えられた命を自我で殺して新しい業を作るばかりか
残された周囲にも大きな傷を与えるという別のカルマも作るから。
カルマなんて永続する主体はない。
そんなものは手もとに現れて、過ぎ去ることに名前つけただけ。
窮極に直接触れる行為も、私という過去から出来たものの自殺でしょう。
948 :
すもも:2009/04/10(金) 18:05:42 ID:7OTWh4ii
>>947 今度は理解できました!
「戒」にはきっと合理的な根拠があるのだと思います。
でも、肉食もするし、嘘も必死こいてつく私には抵抗がある。
実は私の実家の基準とは、
背筋をぐっと伸ばしてできないことはおよそ健全な常識から外れるから×
背筋を伸ばしたら人殺しもゴミのポイ捨てもできないでしょう?
というもの。w
でも大体これで事足りてきた。w
なので、とりたてて善だの徳だのカルマだの、考えはじめると今の私はちょっと混乱してしまう。。
ていうか、もしかしたら私は宗教にはむかないのかもと思ったりして。(´・ω・`)
でも、瞑想はこれからも真剣にしていくつもりです。
色んな師の本から学んでるんだね。
私はヴェーダーンタのアドヴァイタが好き
どうでしょうね、どの宗教も目的は一つきっりで、
窮極をみる、窮極とともにあることなのだけれど
宗教や哲学の範囲でもないし、求めたら見えないから
矛盾してしまう。
戒が本当にいるのは、それと一緒に生活している人でしょうね。
>>944 お釈迦さんは分かり易いけど、お前のはまったく独りよがりの論理でわからん。
脳味噌が腐っておるのか、脳細胞の配線がごちゃごちゃになっているのか、はたまた脳の部品が足りないのか?(藁
かってに基地外理論を展開して、笑わせてけろ。(藁
>>947 >窮極に直接触れる行為も、私という過去から出来たものの自殺でしょう。
なんじゃな、これは?
お前にしかわからん基地外論理かな?
糞でも垂れながら出た考えか?(藁
まあそうだな。
唯識でも使って説明しないといけないのだろうなw
唯識、やめとくか鬼も分からなくて
ぐちゃぐちゃになっていたしw
こんどは小便垂れながらのお前の論理を展開してみてけろ(藁
>大悟するのに過程もステップもないよ。サックと逝くはず。
大悟するとお釈迦様にもまったく理解できないような論理を展開するらしい。(藁
957 :
神も仏も名無しさん:2009/04/10(金) 20:49:27 ID:bd2f3VHZ
>948 素晴らしい家ですね 親が素晴らしいのでしょう 感動しました
すももは親に善を体で教えられている。素晴らしい。
すでにさとっているじゃないですか。
この上、何をことさらに求めようというのでしょう
>>954 お前のは釈迦にもキリストにも天照大神にもわからんものだ(藁
分かるのは基地外だろう(藁
>>926 >どんな死に方でも罪はない。
>そこに罪という意識がある限り、生や生まれ方にさえ、罪という意識がつきまとう。
>終わりと始めにある罪は宗教が作った観念でしかない。
自殺奨励の論理でッか?(藁
頭だけで作り上げるとこういう論理になる。
宗教を頭で作り上げるものと思っちょる。
悟りにまったく無縁なおぼっちゃまの様ですな。(藁
961 :
すもも:2009/04/10(金) 21:27:14 ID:uFETQX8T
>>958 ありがとうございます。いい親だと思います。
にも関わらず、私はその愛情と期待に応えられないヘタレ娘になった。
誰も責めはしないけど、心配してる。
それが心苦しい。
今の状況もうすうす分かっているけど、信じようとしてくれている。
それが申し訳ない。
という、親不孝娘がジタバタしながらお蔭様でやっとここまできた、
という情けない話しです。。
すでに悟りは在るらしいんだよね。真理を求めて、あーでもないこーでもないとなるのは
日陰にいた人が灼熱の中を苦労して探し歩き回って、また日陰を探し当てることに似てるらしい。
ほれ
「
」
もう一つ、ほれ
「
」
もう一個か、ほれ
「
」
>>1です
このスレは、今回で終了です。
次をたてないで下さい。
内容も悟りスレになってしまい重複するので、
向こうに合流ということで。
自分を観るのに慣れたでしょうか?
疑問に一切取り合わないのも、観察です。
疑問は自我(思考)ですので、永遠に過去を探して追い続けるという
迷いの罠がそこにあります。
どこにも焦点がなく、精神的にもっとも冷めて鋭敏な状態をキープすると、
精神的な沈黙に入ると思います。
これを掴むと
その沈黙は、日常の至るところにありますので
わびさびを探して表現するのも面白いと思います。
966 :
すもも:2009/04/11(土) 17:17:39 ID:TXpErQbE
昨日それが「さとり」と聞いて、私はまさに放蕩息子さながらだったと気づくことができました。
両親からもらっていた大切なもの。
背筋さえ伸ばせば、自然に体の中からわいてくる、当たり前の「善」、「常識」という、言葉や物差しにしてはいけない感覚。
迷いの中にいたときは、背筋を伸ばすことも忘れてました。
背筋が伸びてれば自分をここまで責めたることもなかったかもしれない。
でも、この一年悪戦苦闘しながら、多くの気づきを得てこなければ、思い出したとしてもそこに意味を見出せなかったかもしれない。
両親に心配をかけている、という申し訳なさが、逆に逆恨みのような気持ちさえ起こしてたのですから。
気づかせていただいて本当に感謝です。
このスレにはとても思い入れがあります。
感謝以外の言葉がありません。
本当に、ありがとうございました。
悟りというものを追う者は、悟りません。
修行につぐ修行のなかで、絶望し、
正面を見ざるを得ないときに、見られるかも知れません。
いまの自分という姿から、理想の者になろうとするとき
当然ながら葛藤が生まれ、苦しいのです。
そのうちに高潔な理念のみに同化して
自分をみることが出来なくなります。
ただ、ある姿を清濁含めてまるまる観ていないで
何があるでしょう。
理念の姿ではなく、
ただ、ある ことを観る人は、観ることもなくなり
曇りがない世界を観るでしょう。
観察のなかで、
恨みや怒り、雑多な感情は次々に死んでいきますが
純粋な愛や感謝は殺されるでしょうか?
両親に対して出来ることは、凄い私を認めさせることではなく
ありのままの私が感謝することぐらいしか出来ないと思います。
そんなこたぁ〜ない。
菩提心(悟りを求める心)の無いところに悟りはない。
求めて求めて求めて成就するってもんだね。
そりゃあ悟ったときは、忘れたときにふっと訪れるってなもんだな。
お主、悟ってないな。分かるよ。ウフフフフ
黒豆を食べるより精進精進。
なにこの糞スレ
970 :
すもも:2009/04/11(土) 21:53:16 ID:eq2RiQQ0
>>967 この息をしている肉体もどんどん細分化すれば素粒子。いや波動?にいたる。
そこまでいかなくても、たとえば、画像を拡大すると、ただの意味のないドットになる。
今聞こえてる音は、そのドットの振動が空気を伝わってきたもの。
そこに意味をもたせ、物語を作っているのは私の記憶。
その記憶すら分解すると何になるのだろう?
両親への愛も恨みもドット。
そのドットをつなげて物語にしようとするその瞬間が捉えられたら坐禅が進んだといえるのかなと。。
971 :
792:2009/04/11(土) 22:01:28 ID:r0qAyu6Z
本来無一物。
972 :
792:2009/04/11(土) 22:04:17 ID:r0qAyu6Z
此ならず、彼ならず。此を以ってせず、彼を以ってせず。
智を以って知るべからず。識を以って識るべからず。
単純ですよ、
外部に余計な価値を作って
そこへ逃避することをやめればいいだけです。
現状への理解がない瞑想や座禅をしても
逃避が始まって、逃避先の世界観に篭もるだけです。
悟りという理想に毒されていると
現状を観ないので、なにしても無駄です。
あなたが対象を捉えたときに出来る
これを変えなければいけない
これを止める、
こうすればもっといい
この活動に手をつけずにいれば、自己は止むはずです。
現状にいる、ただある、これが人間には出来ないのです、
常に後ろや前にばかり走りだしてばかりです。
ただ、あるようになるだけです。そこには私の置き場がありません。
>>971 そうそう本来無一物
これだけ。だが、すべて。
975 :
792:2009/04/11(土) 22:28:17 ID:r0qAyu6Z
釈迦牟尼仏。
976 :
792:2009/04/11(土) 22:28:59 ID:r0qAyu6Z
南無釈迦牟尼仏
977 :
すもも:2009/04/11(土) 22:33:07 ID:eq2RiQQ0
菩提本樹無く
明鏡も亦台に非ず
本来無一物
何れの処にか塵埃を惹かん
この「本来」が本来とみえない。どうしても現象が本来に見える。
まさに現状への理解ができていないのですね。
こうすればもっといい、こう変えようということをやめろ。
そのままをただとらえよ、ということですか?
ただ、あるとき、あなたは精神的な沈黙にいます。
結果を望まないで下さい。それをすべて放棄して下さい。
精神的な沈黙にだけ居ればいい。
あとは誰の師も要らないし、仏教も、お経も気にしないでいい。
精神的な沈黙にだけ居ればいい。これだけです。
979 :
すもも:2009/04/11(土) 23:40:28 ID:eq2RiQQ0
・・わかりました。肝に銘じます。
真剣に考えれば考えるほど言葉がみつからなくなる。
現象の中で生きながら、ただあることができるようになること。
結果も逃避先もドットのはずなのに、それと戦おうとしてしまうのは、
「今」にいない、現象に気をとられた私の単なる習慣であることに常に気づくこと。
それでも迷ったらあとは歌います。
なるようになる〜♪ もしくは、あるようにある〜♪
いえ、ふざけてません。
いつもそう明るく歌える自分でありたいです。
980 :
すもも:2009/04/12(日) 00:28:51 ID:x+KcnMFd
ただある、とは、そこに物語がないということだ。
精神的な沈黙とは、過去に生きて果てしない物語づくりに時間を費やさないということだ。
と今やっと理解できました。
そのために今はやはり、坐禅、観察を怠らないことが第一だと思いました。
981 :
凡:2009/04/12(日) 01:01:32 ID:/G9elkFQ
>>935 > 凡さんに聞いたほうがいい。
聞かないでくれよ
自己の夢は楽しい方がいいだろう?
それを壊しちゃいけない
982 :
凡:2009/04/12(日) 01:11:28 ID:/G9elkFQ
>>964 > このスレは、今回で終了です。
> 次をたてないで下さい。
どうしてスレの行方を気にするのですか?
983 :
はっとり内臓:2009/04/12(日) 08:32:58 ID:UVTzzpAX
さあ、冒険だ。
さらば。楽しかったでござる。
にんにん。
984 :
神も仏も名無しさん:2009/04/12(日) 08:55:58 ID:q1LrD+Fk
おう!たっしゃでな!
>>982 内容も悟りスレと重複になったから
2つ要らないだろうし、あまり続けてダレダレになるより
ワンテーマを見つけて短期に締めてみるのもいいかなあと、
議論続けたい人は、このあと向こうに移動でいいだろうし。
986 :
神も仏も名無しさん:2009/04/12(日) 12:37:08 ID:kX5ZQ3cw
もっと続けてもいいじやあん。
半分意地悪な感じもするじやあん。
987 :
神も仏も名無しさん:2009/04/12(日) 13:20:00 ID:OCjcIY5C
>>986 禿同
>>965 >疑問に一切取り合わないのも、観察です。
>疑問は自我(思考)ですので、永遠に過去を探して追い続けるという
>迷いの罠がそこにあります
となると、「趙州狗子」の公案のなかで「通身に箇の疑団を起こして箇の無字に参ぜよ。」というくだりは相容れないことになります。
経験上、見性に疑問は必要ですし、深ければ深いほどよく白隠さんも大疑団をもてとも言いますね。
その点どうも合点が行きません。
出来たら次スレで教えてくれませんか。
見性されているなら、話が早い。
疑団を作ること、ビッパサーナで観察するのは初禅であり、
ここでは、それの役目が終えていると思います。
次は、観察の目がない、観察にいくことはご存知でしょうが、
ここに居られた方はすでに沈黙に浸るべき段階でしょう、
だから、終了です。
無常に消え去ります。
本質的に解答がない疑団、
過去の私が過去を探し続け、過去にあることをあきらめて、
思考が根をあげる。
これは悟りのスレなら、要るでしょうね。
ここを続けないのは、
ここに居た人が、坐るだけ、沈黙にあるだけ、
消え去るを見つめるだけになっているので、
帰るところを埋めようと思います。
992 :
神も仏も名無しさん:2009/04/12(日) 18:02:42 ID:OCjcIY5C
>>991 そういうセリフは特定の人間を連想させるし、理由もとってつけたいまさら感がぬぐえない。
今までだって悟りの話しは始終出ていた。
鬼も最初からいた。
残念だな。
誰がなんて
どうでもいいです。埋めです。
頭隠して、角隠さず。埋め
はい、では埋め埋め
諸
行
無
常
いろはにほへどちりぬるを 諸行無常 aniccaa vata saGkhaara
わがよたれぞつねならむ 是生滅法 ppaadavayadhammo
うゐのおくやまけふこえて 生滅滅已 uppajjitvaa nirujjhanti
あさきゆめみじゑひもせず 寂滅為楽 tesaM ruupasamo sukho
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。