【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】7

このエントリーをはてなブックマークに追加
752神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 20:26:59 ID:8sKnfGZY
>>749
>>『大乗涅槃経』と『大般涅槃経』は別ですよ。

では、四世紀成立というのは誤認を改めてください。

『パラマールタシューニャター・スートラ』
成立年代は、知りません。

>すみません、勉強不足で。ググっもほとんど情報が得られませんでした。

なるほどあなたのソースはグークルとかウィキなんですね。

誤解が多いことや、基本的知識を欠いていることを自覚してください。

さっきは、電波さんといいましたが、違いました。
さすがに電波さんは、あなたよりは知識がある。
これは電波さんに失礼なことをしました。
753神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 20:44:17 ID:yePnjMbF
>>752
>さっきは、電波さんといいましたが、違いました。
>さすがに電波さんは、あなたよりは知識がある。
>これは電波さんに失礼なことをしました。

初代電波氏に謝る必要は無いでしょう。それほど論旨と論理展開がよく似ていたということです。
とにかく、詭弁の用い方が上手で頭の回転がいい。知識量はともかく、たいしたものです。

逆に言い換えれば、初代電波氏はあれほどの知識量を持っていても、まともな仏教理解に至らなかった、ことこそ大問題でしょう。
いくら、仏教が信解の法門だとは言え、素直さや信仰心が無ければ、入り口にも届かないと言うことでしょう。
754神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 20:45:55 ID:SSu0maMO
>>752
>四世紀成立というのは誤認を改めてください。

誤認ではありません。それは大乗涅槃経の話ですよ。
第一義空は大乗ではない方の、大般涅槃経にもあるのですか?

>なるほどあなたのソースはグークルとかウィキなんですね。

それといくつか有名なパーリ・サンスクリット経典、辞書などです。

>誤解が多いことや、基本的知識を欠いていることを自覚してください。

第一義空経は基本的知識ですか。それは失礼しました。
なお、対応するpaliはないそうです。サンスクリット文献はあるようです。

>さっきは、電波さんといいましたが、違いました。
さすがに電波さんは、あなたよりは知識がある。
これは電波さんに失礼なことをしました。

誤解が解けてよかったです。
755神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 21:05:34 ID:8sKnfGZY
>>753
>いくら、仏教が信解の法門だとは言え、素直さや信仰心が無ければ、入り口にも届かないと言うことでしょう。

仰る通りです。ある先生が、よい弟子の条件は素直さだけだと言っていたそうです。
頭がよくても、定が深くても、結局素直じゃないと正しい理解には至れない。
無明や我執がそれほど強力で悟った師の指摘がないと直せない。
指摘されても素直じゃないと改められないということだと思います。
自戒も込めて重要な部分だと思います。

>逆に言い換えれば、初代電波氏はあれほどの知識量を持っていても、まともな仏教理解に至らなかった、ことこそ大問題でしょう。

知識は、重要じゃないですから。年代論とか成立史とか、
ほとんど悟りの役には立ちませんよねw

>初代電波氏に謝る必要は無いでしょう。それほど論旨と論理展開がよく似ていたということです。
>とにかく、詭弁の用い方が上手で頭の回転がいい。知識量はともかく、たいしたものです。

そうですね。でも、間違いは謝っとかないといけなくないですか。
二人とも常識に還元したいという目的が同じで、
詭弁の使い方がよく似てますよね。
ただ知識は電波さんの方があって、正確は電波二世さんの方がよさそうです。


756神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 21:09:45 ID:8sKnfGZY
>>754
>第一義空経は基本的知識ですか。それは失礼しました。
>なお、対応するpaliはないそうです。サンスクリット文献はあるようです。

あの、さっき質問したばかりで上のような書き方は良識を疑われますよ。
正確には、サンスクリットとチベット訳の断片があり、
それから全体を復元した研究がいくつかあります。
757神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 21:15:55 ID:SSu0maMO
>>755
>無明や我執がそれほど強力で悟った師の指摘がないと直せない。
>指摘されても素直じゃないと改められないということだと思います。

>知識は、重要じゃないですから。年代論とか成立史とか、
>ほとんど悟りの役には立ちませんよねw

何を言ってるんですか。
このスレはタイトルや>1にある通り、
転生(生まれ変わり)を「(史実の)仏陀は説いたのかそれとも説かなかったのか?」
というスレでしょう。信仰告白の場ではないはずです。

「知識は、重要じゃないですから。年代論とか成立史とか、ほとんど悟りの役には立ちませんよねw」
ブッダが転生を説いたか否かはまさに「年代論とか成立史」の話であって、「知識」の問題だと思いますが、
違いますか?

知識に関心が無く、直観的悟り(?)にのみ頼る人がなぜこのスレにいるのか理解できません。
史的ブッダが転生を説いたか否かが直観的感受なり悟りなりで分かるというのであれば、それは妄想です。
758神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 21:17:48 ID:SSu0maMO
>>756
>あの、さっき質問したばかりで上のような書き方は良識を疑われますよ。

質問した後で英文資料を見つけたのです。

>正確には、サンスクリットとチベット訳の断片があり、
>それから全体を復元した研究がいくつかあります。

なるほど、ありがとうございます。
759神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 23:04:19 ID:8sKnfGZY
>>757
>ブッダが転生を説いたか否かはまさに「年代論とか成立史」の話であって、「知識」の問題だと思いますが、
>違いますか?

「年代論とか成立史」重要ですかね? そもそも輪廻が前提となっていることは明らかなのであって、
現代日本の一部の仏教学者だけが、釈尊は輪廻を説いていないという説を立てているだけです。

仏教以前に輪廻が成立し、仏教も同時代の諸宗教も輪廻を前提とし、
いつの時代の現代日本以外のほとんどあらゆる仏教が輪廻を前提としてきたのに
なんで釈尊が輪廻を説いたかについて「年代論とか成立史」が問題となるのか
私には理解できませんね。

あなたは仏教以前に輪廻は成立しなかったといいますが、誰の説かも明示できないし、
輪廻に生まれ変わりに意味がないという説についても、誰の説か明示できない。
これでは誰も信用しない、とあなたは思わないのですか?
760初代スレ7:2009/01/30(金) 23:17:02 ID:pc3ZLsoG
>>759

参:>>508

───────────────────────────────────

我々が手にできるのは状況証拠だけ。我々にできるのは解釈(恣意的な読み方)だけ。
(現代(いま)となっては)、誰も、お釈迦さんの本心・本意・真意を知り得る者はいない・・・。
(たとえ追体験であっても・・・。)


ま、状況証拠の集積は、ID:SSu0maMOさんにとって不利なわけだが・・・。
761初代スレ7:2009/01/30(金) 23:29:10 ID:pc3ZLsoG
実は、私も知らなかったので少し検索してみたw
───────────────────────────────────
第一義空経 の検索結果 約 15,300 件中 1 - 10 件目 (0.18 秒)
paramartha sunyata sutra の検索結果 約 1,270 件中 1 - 10 件目 (0.42 秒)
───────────────────────────────────
───────────────────────────────────
検索式にマッチする 2 個の項目が見つかりました。
1. 武田 浩学「不常不断の中道が明示する無常と空との差異 竜樹が超克した<第一義空経>の無常説」 (スコア: 34)
著者: 不明
日付: Sat, 20 Dec 2003 00:00:00
N\={a}g\={a}rjuna's View on the Difference between Anityat\={a} and \'{S}\={u}nyat\={a} 『仏教学』, 45 20031220 たけだ こうがく Takeda, Kogaku ふじょうふだんのちゅうどうがめいじするむじょうとくうと
http://www.inbuds.net/search/ib.cgi?0061-105 (525 bytes)

2. 近藤 章正「<六祖壇経>の一考察」 (スコア: 2)
著者: 不明
日付: Wed, 01 Dec 1999 00:00:00
A Study of Platform S\={u}tra of the Sixth Patriarch 『印度学仏教学研究』, 95(48-1) 19991200 こんどう あきまさ Kondo, Akimasa ろくそだんきょういちこうさつ中国 唐代 中国禅宗史 慧能/神会/法達 敦煌本六
http://www.inbuds.net/search/ib.cgi?0046-168 (598 bytes)
───────────────────────────────────
検索結果:
参考ヒット数:
[ paramartha: 2 ]
[ sunyata: 4 ]
[ sutra: 242 ]
検索式にマッチする 0 個の項目が見つかりました。
───────────────────────────────────
762初代スレ7:2009/01/30(金) 23:30:13 ID:pc3ZLsoG
───────────────────────────────────
雜阿含經 (No. 0099) 0092c12 - 0092c26: 純一滿淨梵行清白所謂第一義空經諦聽善思當爲汝説云何 [show] (2 hits)
成實論 (No. 1646) 0315c24 - 0317a16: 能入空故知五陰亦無又第一義空經中説眼等以第一義諦故 [show] (1 hit)
阿毘達磨倶舍論法義 (No. 2251) 0284c24 - 0285a01: 十三二十一左曰云何爲第一義空經諸比丘眼生時無有來處 [show] (1 hit)
阿毘達磨倶舍論稽古 (No. 2252) 0448a03 - 0448a23: 有異至廣説縁起雜十三第一義空經曰諸比丘眼生時無來處 [show] (1 hit)
阿毘達磨倶舍論稽古 (No. 2252) 0457b22 - 0457c13: 還無雜含十三曰云何爲第一義空經諸比丘眼生時無有來處 [show] (1 hit)
三論玄義檢幽集 (No. 2300) 0387b02 - 0387b24: 能入空故知五陰亦空又第一義空經中説眼等以爲第一義諦 [show] (1 hit)
三論玄義誘蒙 (No. 2302) 0536c20 - 0538c07: 迷本宗成實論身見品引第一義空經・大空經・有羅陀經皆 [show] (1 hit)
───────────────────────────────────

───────────────────────────────────
如是我聞。一時佛住拘留搜調牛聚落。爾時世尊告諸比丘。我今當爲汝等説法。
初中後善。善義善味。純一滿淨。梵行清白。所謂第一義空經。諦聽善思。當爲汝説。
云何爲第一義空經。諸比丘。
眼生時無有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。生已盡滅。
有業報而無作者。此陰滅已。異陰相續。除俗數法。耳鼻舌身意。亦如是説。除俗數法。
俗數法者。謂此有故彼有。此起故彼起。如無明縁行。行縁識。廣説乃至純大苦聚集起。
又復此無故彼無。此滅故彼滅。無明滅故行滅。行滅故識滅。如是廣説。乃至純大苦聚滅。
比丘。是名第一義空法經。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行。
───────────────────────────────────

あまり興味が湧かない・・・。
763神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 23:35:32 ID:SSu0maMO
>>759
>「年代論とか成立史」重要ですかね? そもそも輪廻が前提となっていることは明らかなのであって、
>現代日本の一部の仏教学者だけが、釈尊は輪廻を説いていないという説を立てているだけです。

そのような説を立てている仏教学者がいるなら、それは「輪廻が前提となっていることは明らか」ではないからです。
明らかならそんな説立てるはずないでしょう。
また、日本の一部の仏教学者だけではなく、外国にもそのような学者・哲学者・比丘などがいます。
だから全然「明らか」ではありません。

>仏教以前に輪廻が成立し、仏教も同時代の諸宗教も輪廻を前提とし、
>いつの時代の現代日本以外のほとんどあらゆる仏教が輪廻を前提としてきたのに

こんなものは何の根拠にもなりません。法華経も江戸時代までず〜っと釈尊直伝と信じられていたものが
偽経と分かって「大乗非仏説」が登場したのだし、西洋では長い間人間と動物は別々に創造されたことが
前提だったのに、ダーウィンの進化論の登場で、それがただの迷信だったことが明らかになってしまいました。
迷信はどれだけ長期間信じられても、何千年、何万年それが前提であったとしても、そのことは、正しい根拠にはなりません。


764神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 23:37:09 ID:SSu0maMO
>>759
>あなたは仏教以前に輪廻は成立しなかったといいますが、誰の説かも明示できないし、
輪廻に生まれ変わりに意味がないという説についても、誰の説か明示できない。
これでは誰も信用しない、とあなたは思わないのですか?

私は正確には「仏教以前に輪廻は成立しなかった」とも「輪廻に生まれ変わりの意味がない」とも言っていません。
主張を読まずに勝手に誤解しているでしょう。 >>745>>715 などで何度も説明しているのに、勝手に人の主張を
曲解し、その曲解したものに反論されても困ります。
私は「ブッダ以前には、『仏教にあるような輪廻説』が成立していなかった(少なくとも、成立していた証拠がない)」
と言っているのですし、「輪廻の原義は『流転』であり、最古層にはそもそも輪廻という言葉はないし輪廻思想にあたるものも
ほとんど見られない。そして古層でも原義通りの読みで意味が通じる」ということを主張しているのです。
これらのことから、ブッダは輪廻思想を説いてはいないだろうということが強く推察されるのです。
私の主張はあなたが書いていることとは全く違います。また、誰の説も何も、これらのことを否定している学者を知りません。
765神も仏も名無しさん:2009/01/30(金) 23:56:38 ID:SSu0maMO
>>759
同じような説の人を明示しろとうるさいので、探してきましたよ。

http://fallibilism.web.fc2.com/z006.htmlより

「今日においても、わが国では、仏教とは来世のことを説くものであると考えている人々がすくなくないように思われる。
それには、いろいろの理由があることであるが、なかでも、仏教僧侶が死者の祭葬と供養のことをつかさどる司祭者の
役割をはたしたこと、ならびに、仏教のなかに生天もしくは往生を説く思想がとりいれられて、それが後代の仏教のなか
に大きな流れを形成したことが、その直接にして最大の理由と考えられる。それらの功罪については、いまは簡単にいう
べきではない(D、仏教の歴史、参照)が、ブッダの説いたことのなかには、そのような考えはまったくなかった。
(増谷文雄『仏教概論』(現代人の仏教12)、筑摩書房、1965年、p. 17)」

増谷さんは「ブッダの説いたことのなかには、そのような考えはまったくなかった。」とはっきり述べておられます。
766神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 00:18:13 ID:eKpdMUZU
どうやら、「ブッダは生まれ変わりを説いた」派の人は、
「明らか」「直観的感受によって分かる」「素直に無心に悟るのだ」というようなことしか言えないようなので、
そろそろ私も終了することにしましょうかね。
767神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 00:27:45 ID:M/xXTiau
>>765
あのですね。増谷さんは和辻哲郎を劣化させたような人なのでほとんど支持する人はいませんよ。

それに酷くないですか? なぜなら、

>>698
>読んだ上ですよ。
>
>> シュトラウス、オルデンベルグ、木村泰賢、宇井伯寿、辻直四郎、ゴンダ、中村元、佐保田鶴治、フラウヴァルネル、ダスグプタ、前田専学

こういった書物を読んだ上でなんで増谷さんなのか大いに疑問ですね。
上の学者で増谷さんの説を扱っている人は一人もいないでしょう。
単純に言えば、あなたは上の文献を読んでないし、
研究書や論文もほとんど知らないのでしょう。

だから、根拠を問われてネットで検索して増谷さんを持ってきた。
増谷さんなんか学者で引用したり考察対象とする人はいないのにです。

自分を棚にあげてお願いですが、コテハンつけて貰えませんか、
スル〜できるので、
768神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 00:38:03 ID:M/xXTiau
>>766
輪廻に関しては、恣意的な解釈の余地がないでしょう。
全ての資料が、仏教は輪廻を前提としていることを示しています。
現代人として輪廻が受け入れらない和辻のようなスタンスの学者がいくらかいるだけで、
彼らの読みは、無理が多すぎます。
769神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 00:43:58 ID:eKpdMUZU
>>767
あなたが挙げている中村元氏も、

「仏教では、この世界に対してどこかに空間的に存在する天を考えたのではなく、あくまで、絶対の境地を天ということばを借りて表したのであるが、
一般民衆は俗信のとおり、死後の理想郷に行かれると信じていたのであろう。」

と、「空間的に存在する天を考えたのではなく、あくまで、絶対の境地を天ということばを借りて表した」と生天を事実ではなく、
修辞的表現であると認めています。


>増谷さんは和辻哲郎を劣化させたような人なのでほとんど支持する人はいませんよ
それにしてもあなたは権威主義的な人ですね。
770初代スレ7:2009/01/31(土) 01:04:27 ID:i+JYo/zI
>>768のように、
「 >恣意的な解釈の余地がないでしょう。 」と言い切ってしまえる感性が信じられないですねw


しかも、「 >輪廻に関しては 」と限定付と来たもんだw
よほど、自分の五感と思考に自信があるんでしょうね・・・w

舎利弗の言う「法の推知」の方が、よっぽど誠実に見えるw
771神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:06:20 ID:M/xXTiau
>>766
あなたのサムサーラが生まれ変わりを意味しない説にも
二人がきっちり証拠を出して反証しました。

スッタニパータ4、5章では生まれ変わりを説かない説にも
反証を挙げました。あなたの反論に対して、ニッデーサを挙げて反証しました。

>どうやら、「ブッダは生まれ変わりを説いた」派の人は、
>「明らか」「直観的感受によって分かる」「素直に無心に悟るのだ」というようなことしか言えないようなので、
>そろそろ私も終了することにしましょうかね。

なんで上のようなことが言えるのでしょうか? 
しかも、机さんは輪廻否定派ですよ。
あなたは、自覚がないかもしれませんが、都合のいいすり替えが多いですね。
輪廻解釈も全てそう。あなたの都合のいい解釈だけを適当に取っているだけです。

「ブッダ以前には、『仏教にあるような輪廻説』が成立していなかった(少なくとも、成立していた証拠がない)」
これじゃ反証のしようがないでしょう。仏教の輪廻説と他宗教の輪廻説は、
ほとんど同じですが、もちろん違いもある。それじゃ否定のしようがない。
これは詭弁です。

もう、おわりにしてくださいよ〜



772神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:10:51 ID:SEW9wAdk
>全ての資料が、仏教は輪廻を前提としていることを示しています。

あんたが勝手に無批判な「概念仏教」的姿勢でそう読んでいるだけ。
俺にとっては、そんなアーリア=ヒンドゥ汚染のエセ「仏教」には用はないだけだよw
そもそも古代インドにおけるアーリア支配合理化のための政治的デマゴギー・イデオロギーを
現代日本人の人生の精神的骨格として受け入れる理由はない。

現代におけるブッダの教えは四諦八正道、三法印→無常=無我=縁起=空=中道で精髄を月指し得るし、
現代的意義を成立させうる。

現代において輪廻転生妄想を必要とするにはカルト「仏教」だけだ。
まあ、あんたは勝手に好きなだけ輪廻しててくらはいw

773神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:20:51 ID:SEW9wAdk
>>767
>増谷さんなんか学者で引用したり考察対象とする人はいないのにです。

俺は増谷さん好きだよ。頭の柔らかい連中では隠れファンが多いんだよ。
頭の固い(つまり悪い)概念仏教学者と違ってねw
佐倉哲さんも支持者のひとりだよ。
あんたの希望に反してわるいねw
774宝珠愚者:2009/01/31(土) 01:22:13 ID:oAjYgRSF
---ウパニシャッドと輪廻思想について

 私は、基本的には>>759>>768に同意の立場です。
しかし、>>763
 「こんなものは何の根拠にもなりません。法華経も江戸時代までず〜っと釈尊直伝と信じられていたもの
が 偽経と分かって「大乗非仏説」が登場したのだし、---迷信はどれだけ長期間信じられても、何千年、何
万年それが前提であったとしても、そのことは、正しい根拠にはなりません。」
 は、立派な姿勢であるとは思いますが・・。

>>701
>ブッダ以前、BC500年よりも前に輪廻思想が成立していたなんて言っている学者が一人でもいますか?

 すでに当スレでは既出レスですが、参考資料となると思われるので再掲載します。
 「初期---散文のもの。その成立が、仏教の興起以前、紀元前六世紀ころまでであることは、諸学者の一
致した見解である。なかでも、『ブリハッド・アーラヌヤカ』『チャーンドーギア』の二大雄篇は最も古く、『カウ
シータキ』もこの時期に属する。」(「バラモン経典原始仏典」ウパニシャッドの文献-中央公論社刊)
 ということで、この『インド思想の潮流』の著者は共著となっており、長尾 雅人氏/服部 正明氏の両名です。

長尾 雅人
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B0%BE%E9%9B%85%E4%BA%BA
服部 正明
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E6%AD%A3%E6%98%8E

 ということで、「仏教の興起以前、紀元前六世紀ころまで」に成立したとされる、初期ウパニシャッドの「チ
ャーンドーギア・ウパニシャッド」の記載内容によっては、輪廻転生の概念が仏教以前からだったのかどう
かは判明すると思います。以下に掲載する「五火説」輪廻の内容はやはり、モロ仏教の輪廻転生の起源そ
のものではないでしょうかね!
775宝珠愚者:2009/01/31(土) 01:25:55 ID:oAjYgRSF
 「さて、この世のおいてその素行の好ましい人々は、好ましい母胎に、すなわち、婆羅門の母胎か、王族
の母胎か、庶民ヴイシュアの母胎にはいると期待される。しかし、この世においてその素行に汚らわしい人
々は、汚らわしい母胎に、すなわち、犬の母胎か、豚の母胎か、賎民チャーンダーラの母胎にはいると予
測されるのである。
 また、何度でも生きかえってくるこれらの下等動物たちは、二道(神の道と祖霊の道)のいずれをも通って
行かない。『生まれよ』『死ね』と(いとも簡単に)いわれる、これが第三の立場である。こういうわけで、あの
世は(死者で)一杯にはならないのである。それゆえに、人は素行を慎むようにすべきである。」
(「バラモン経典原始仏典」チャーンドーギャ・ウパニシャッド第5章-輪廻/第10節7-8)

参考:
 「『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』Chandogya Upaninsadには輪廻の世界としては植物に生まれ変わる
こともあるとされ、またこの世で善い行ないをなしたものは、次の世では、バラモン・王族・商人階級の胎内
に入り、悪い行ないをなしたものは犬・豚・賊人などの胎内に入るとされている。さらにウパニシャッドでは人
間が植物や動物やいろんな人間に再生するのは業によるものだと規定している。この考え方を受け継いだ
仏教では、衆生が煩悩と業とによって三界(欲界・色界・無色界)六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)
の迷いの世界をさまよい続けるとしている。」
 http://wiki.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%CE%D8%B2%F6%BB%D7%C1%DB
776宝珠愚者:2009/01/31(土) 01:26:41 ID:oAjYgRSF
 「元来は先住民族のものであったとされる輪廻思想がバラモン教に公認されたのは、最終期のブラーフマ
ナ文献文ないし最初期のウパニシャッド文献においてである。ここでは、「輪廻」という語は用いられず、「五
火」と「二道」の説として現れる。『チャーンドーギヤ』(5-3-10)と『ブリハッドアーラニヤカ』(6-2)の両ウパニシャ
ッドに記される、プラヴァーハナ・ジャイヴァリ王の説く「五火二道説」が著名である。
 五火説とは、5つの祭火になぞらえ、死者は月にいったんとどまり、雨となって地に戻り、植物に吸収されて
穀類となり、それを食べた男の精子となって、女との性的な交わりによって胎内に注ぎ込まれて胎児となり、
そして再び誕生するという考え方である。二道説とは、再生のある道(祖霊たちの道)と再生のない道(神々
の道)の2つを指し、再生のある道(輪廻)とはすなわち五火説の内容を示している。」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB#cite_note-1
777神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:30:20 ID:/zS5z1EU
輪廻転生は、明らかにヒンドゥー教の概念だが、釈迦の仏教は、ヒンドゥー
教の再確認に過ぎず、その他には思想も価値も無い宗教なのですか。

若しそうなら、仏教と呼ばず、単にヒンドゥー教と呼ぶべきでしょう。
778宝珠愚者:2009/01/31(土) 01:32:33 ID:oAjYgRSF
【前提となる世界観--輪廻・業
 最古層の詩句には、業・輪廻の思想は明確には現れてこない。しかし、当時一般に広まっていたこの思
想は、ごく早い時期に仏教の中にとりいれられた。『スッタニパータ』でも第 3章には濃厚に現れ、その第10
経コーカーリヤには嘘の報いとして落ちる地獄のありさまが詳しく説かれる。このような思想は大衆教化に
重要な役割を果たしたと思われる。このことは仏教説話『ジャータカ』からも推測される。『ジャータカ』は、大
衆向けの教訓的な寓話をブッダの前世物語として説くものであるが、ここには業・輪廻の思想が前面に押し
出されている。
 輪廻の観念を受けて、苦しみからの解放は、この苦しみの生存からの離脱、すなわち輪廻から脱すること
であると考えられるようになる。そして、悟りを表す表現は、次のように定型化された。

 「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。もはや再びこのよう
な生存を受けることはない」
 ところで、何に生まれ変わるかを決定する原因が何であるかについては、ブッダ時代の一般社会において、
さまざまに考えられていた。臨終に際しての意志によるとの考え、あるいは神の意志によるとの考えもあった
が、支配的な考えは、前世における業によるという考えであった。】
(インド思想史略説/第2節 原始仏教の教理)
スレ4/71-73
  http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1230/12306/1230651094.dat
779神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:33:23 ID:SEW9wAdk
だからヒンドゥ汚染のエセ「仏教」をいくら語ったって無意味且つ無効なんだってw

眠いしアフォらしいから、もう寝まっせw
まあ、せいぜいおきばりやす。
780神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:36:36 ID:eKpdMUZU
>>775
五火説が仏教の輪廻思想の「起源」である可能性は私は否定していません。
ですが仏教と同じ輪廻思想の「成立」とは言えない、と言っているのです。
それはあなたが引用している文章からも分かります。
781宝珠愚者:2009/01/31(土) 01:43:38 ID:oAjYgRSF
>>780
つまり、業と転生の思想は仏教以前からあったことを示すものであり、
仏教(ゴータマ)がより明確で正しいものを説いたのでしょう!ここに何の問題があると??
782神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:48:23 ID:/zS5z1EU
>宝珠愚者氏へ

特に良いことも悪い事もせず、普通に生きた人間や、良いことも、悪い
こともした人間は、一体どうなるのかね。殆どすべての人間が、そうだと
思うがw。
783神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:52:27 ID:eKpdMUZU
>>771
>反証を挙げました。あなたの反論に対して、ニッデーサを挙げて反証しました。

全く、反論、反証になってないのですよ。

たとえば、『更に趣・生起・結生・有・輪廻又は輪転を願求せず.欲求せず、楽はず、
冀求せず、希望せず、熱望せざるなり.これ「此世と他[世]とを願求するなし」[の義]なり.』

これは、普通の民衆が願うような、死にたくない、死後もよいところに生まれたい、あの世があって欲しい、というような
願望一切が「妄想」であるからそれを捨てよ、と説いているのです。それがこの世とあの世を捨てよ、「此世と他[世]とを願求するなし」
という表現です。

ブッダが『「あの世」に対する執着を捨てなさい』と言っているのに、ブッダが「あの世」という言葉を使ったから「あの世」は実在するんだ、
輪廻、生まれ変わりを説いているのだ、なんてのは全く逆じゃないですか。あべこべですよ。ロジックとしておかしいのです。

スッタニパータからいくつか例示しましょう

1 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
470 こころの執著をすでに断って、何らとらわれるところがなく、この世についてもかの世についてもとらわれることがない<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。
496 この世でもかの世でも、いかなる世界についても、移りかわる生存への妄執の存在しない人々がいる。──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。
516 全世界のうちで内面的にも外面的にも諸々の感官を修養し、この世とかの世とを厭(いと)い離れ、身を修めて、死ぬ時の到来を願っている人、──かれは(自己を制した人)である。
779 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜き去って、勤め励んで行い、この世もかの世も望まない。

これらを見ても、「かの世」と言っているから来世の存在を説いていると思える人は、多分数学の教科書を見ても電話帳を見ても
そこに来世や輪廻を発見するのでしょう。そういう人とは意思疎通は不可能なようです。
784神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 01:56:26 ID:eKpdMUZU
>>781
最古層にそんな思想がほとんど見られず、samsaraという言葉もない以上、
ブッダがわざわざそんあものを説いたとは考えられないのです。
また、古い経典全体を貫く客観的姿勢、誰でも直接認知できるものだけを考察対象とする姿勢とも相容れないのです。
また経典に繰り返し出てくる、「執着を完全に捨て去ることが、解脱、涅槃の境地である」という思想とも整合性がありません。
ロジックとして、ブッダが輪廻思想を説いたとすればおかしい問題がたくさん生じるのです。
785神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 02:10:13 ID:/zS5z1EU
>>782の追加

それに、「良いこと」「悪いこと」は、誰が、どのような基準で判断す
るのかね。「良い」「悪い」は、あくまで具体的な状況によって変化する。

意見が割れて一致しないときは、どうなるのかねw。
786宝珠愚者:2009/01/31(土) 02:18:18 ID:oAjYgRSF
>>784
それでは、業/輪廻思想は仏教以前からあったがゴータマはそれを説かず、
教典制作の段階で弟子が勝手に、皆んなして業/輪廻思想を説きだしたのだと??
あまりにも不自然ではありませんか?

>また経典に繰り返し出てくる、「執着を完全に捨て去ることが、解脱、涅槃の境地である」
>という思想とも整合性がありません。

輪廻からの解脱は修行目的の認識であって、輪廻に執着することとは意味合いは異なると思います。



*もう間もなく、このスレ7は投稿不能になりそうです。
787宝珠愚者:2009/01/31(土) 02:19:28 ID:oAjYgRSF
>>777
バラモン/ヒンドゥーの思想概念の全てが間違いなどということはないでしょう!

>>782
そんなに心配せずとも、
その場合には前世とほぼ近しい境涯に今生では生まれ、
来世でも近しい境涯に生まれることでしょう。
尚、人生は繰り返すことで確実に前進はします。
何かのキッカケによって大きく変貌を遂げたりもするでしょう。

普通の人々は、この凄く悪いこともしないが、特別な偉業を成すこともないです。
ま〜それは現代人においても同じです。
788宝珠愚者:2009/01/31(土) 02:20:09 ID:oAjYgRSF
>>659
>自分の力でなく、超自然的な何か、神などにすがりたい人が多い
>
>すがりつく先に---

 「宗教信仰者は弱い人間のやることだ」といった批判的な言い方がよくされるものですが、私はこれはち
ょっと違うと思うのです。信仰を貫くというのは、これは大変な精神力と意志の強さがなければ決してできな
いことです。全く逆だと思います。弱い人間にこそできない。
 私は、11.8%しか唯物主義者がいないというのは何故かというと、88.2%の大多数の人々というのは科学
の説明には実際、殆ど納得できていないことを示しているのだ見なしています。単に現状科学のレベルでは
捉えられていないだけであり、科学常識を超えた未知が存在するものと思っているのです。
789神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 02:21:41 ID:/zS5z1EU
>>786
君は、仏教徒ではなく、ヒンドゥー教徒と名乗れ。

ヒンドゥー教は、一見、多神教だが、宗教学的には、忌むべき一神教
の一種である。
790宝珠愚者:2009/01/31(土) 02:27:29 ID:oAjYgRSF
>>718
スッタニパータの話ではありませんが、
仏陀は本当はもっと永く生存していることが可能だったともいわれています。
ゴータマが倒れた際、アーナンダが最後に号泣しながら寿命の延命を懇請したときは、
もうすでに遅しということでした。

ニルヴァーナに到達した存在はその気になれば、
ほとんど不老不死で肉体を存続させることも可能なのです(私、宝珠の理解によれば)。

 「尊い方よ。尊師はどうか寿命のある限りこの世に留まってください。幸いな方は寿命のある限りこの世
に留まってください。――多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々をあわれ
むために、神々と人間との利益のために、幸福のために。
 アーナンダよ。もしもお前が修行完成者に懇請したならば、修行完成者はお前の二度にわたる(懇請の)
ことばを退けたかもしれないが、しかし三度まで言ったならばそれを承認したであろう。それだから、アーナ
ンダよ、これはお前の罪である。これはお前の過失である。」
(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
791宝珠愚者:2009/01/31(土) 02:34:35 ID:oAjYgRSF
>>789
はぃ、ご心配には及びません。
この私には、「仏教以外は全て邪教だ!」といった考え方はありません。
そういう思考が宗教戦争の原因なのであり、殺人すらも辞さない恐ろしい見解なのです。

そういう宗教(教団)が問題を犯す・・。
792神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 02:36:20 ID:/zS5z1EU
>宝珠愚者氏へ

当時の状況では、「出家修行」は、生きるための「職業」の一種。
お布施貰えるから、少なくとも食べてはゆけた。

現代では通用しない。時代錯誤もいい加減にしてくれ。
793神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 02:43:15 ID:eKpdMUZU
>>786
>それでは、業/輪廻思想は仏教以前からあったがゴータマはそれを説かず、
教典制作の段階で弟子が勝手に、皆んなして業/輪廻思想を説きだしたのだと??
あまりにも不自然ではありませんか?

全く不自然ではありません。
仏教、業/輪廻思想の起源となる種のようなものはブッダ以前からあり、もちろんそれはブッダが説いたことでもないが、
次第に弟子達や在家信者によって取り込まれ、仏教の中で発展し、六道輪廻として体系化されていくのです。
最初は中村元氏の言うように、土着信仰にあわせて方便として説法していたものが定着してしまったのかもしれません。
これは全然不自然なことではないのです。なぜなら、早い時期から教団は割れ、戒律に対する意見の違いにより根本
分裂が起き、そのうち、完全に創作であり、実在しない如来や菩薩が大量に登場するファンタジー経典、法華経なんか
まで出てくるのですから、迷信が紛れ込んで広まってしまうことくらい不思議ではありません。
いくら出家者が真面目で、できるだけブッダの教えに忠実であろうとしても、数十年、数百年のうちに教えが混乱することは根本分裂、
部派仏教時代などを見れば一目瞭然です。
794神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 02:46:14 ID:/zS5z1EU
>>791
殺人さえも辞さないのは、専ら、一神教と、一神教類似のヒンドゥー
教だけなのは、一体何故かね。その原因も見出せないのなら、宗教など
語る資格はない。
795宝珠愚者:2009/01/31(土) 02:54:56 ID:oAjYgRSF
>>793
たしかに一見、仮説としては成り立っていることは分ります。
しかし、仏教から実際、輪廻転生の思想を排除しては、仏法は成り立たないでしょう!
輪廻転生の基本原因は業報です。業報を無視するということは何でもありということです。

人命を救って身代わりに死んだ者も、
悪道の限りを尽くし数十人も殺害して平気な者も、
死んだら等しく終わりですか?
そんな論理でどうやって人々に善意識を植えるというのです?
死んで終わりなら、何のための命懸けの修行なのか?
なら、娯楽に耽って好きなことして、より楽しむことを考える人生を過ごすほうが利巧でしょう!
悲惨な境涯に生まれてしまった者は無理して生存する必要もないでしょう。大いに自殺を勧告すべきです。

私にはこんなものが到底、真理であり、
ゴータマが推奨した人間の行き方であるとは思えませんが・・。

ゴータマはこれら業の否定、及び死後で断滅は外道だと示した筈ですよ。
796宝珠愚者:2009/01/31(土) 03:00:12 ID:oAjYgRSF
>>794
ヒンドゥー教にはそんな教えはない。
一般人による暴動はどこにでも起こる・・。

「非暴力(アヒンサー)に徹していると、全ての生き物が敵意を捨てる。」(ヨーガ・スートラ2:35)
797神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 03:01:02 ID:/zS5z1EU
>>795
人を殺した者は、「この世」で裁きを受ける。あの世は不要。

法律は裁判は、何のためにあるのかね。
798神も仏も名無しさん:2009/01/31(土) 03:06:59 ID:/zS5z1EU
>>796
明示の「教え」などなくても、ヒンドゥーは、人を殺す。キリスト教徒
が、「イエスの愛」を唱えながら、最も多くの人間を、最も残虐な方法
で殺しているのと同じである。

その教えに、黙示の心理的原因があるからである。

非暴力を「唱えた」ガンジーも、結局は、宗教対立を激化させただけ
ではないか。
799宝珠愚者:2009/01/31(土) 03:10:42 ID:oAjYgRSF
>>797
論理が破錠しています!
犯罪捜査には時候があるじゃないですか?
生涯、捕まらずに済むということも大いにありですよ。
捕らえられないのに、裁判でどうやって裁くの?

そういうのは、楽しんだ者勝ちの思想ですよ。
800宝珠愚者:2009/01/31(土) 03:16:16 ID:oAjYgRSF
>>798
>非暴力を「唱えた」ガンジーも、結局は、宗教対立を激化させただけではないか。

そんなことはない。
実際、暴力に訴えることをせず身を以って「非暴力」の意義を示した。
その姿に人々は心を動かれたのです。
敵との和解を拒む人々がいるのも事実です。
だからといって、ガンジーの示した姿勢が非難されるものではない。
801神も仏も名無しさん
>>799
それは、司法制度の問題。君に「善」だの「悪」だの、人を裁く資格
があるのかね。君個人の思い上がりに過ぎない。

人間には、悪意もあれば、同時に良心もある。また、逮捕されるという
恐怖感がある。刑事時効が完成しても、民事時効が残っている。両方の
時効が完成しても、社会に批判が待っている。人を殺した者が、本当に
楽しめるなどと思っている君には、宗教など語る資格はない。

君には、オウムかヒンドゥー教か、キリスト教がぴったりのようだな。