952 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 21:58:54 ID:VJtQNV5v
仏教スレを開いたはずなのに、何でこんなスレが出てくるんだ?
>>952 21も続いています。 1スレ1000行かない時もあったかもしれませんが、
単純計算で「2万1千個」のレスが付いているわけです。歴史もあります。
このようなレス、このような時期というのもあるでしょう。
でも、全体から見れば極一部です。 スローペースのまったりスレでもあります。
たまたまタイミングが悪かっただけ、と考える方が健全だと思いますよ。
夏休み終わって、ガキが減った頃に、また来るといいでしょう。
954 :
析空:2009/09/01(火) 22:11:23 ID:SXeprtb6
>>944 まあ、もういいということなので、未確認情報をひとつ。
維摩居士が【今世において】修行もせず悟りを啓いた理由として、
実は【過去世において菩薩行を行った】という経典があるのですが、
名前は覚えていません。
955 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 22:25:59 ID:VJtQNV5v
仏教の根本の教えは、生まれ変わりで、死んだ人の魂は別の世界で別の生き物に生まれ変わる。
よって死んだ体は、ただの脱け殻に過ぎず遺骨も遺骨を納めたお墓も何の意味もない
実際、仏教発祥の地であるインドでは遺骨は川に流してしまい墓も作らない
お墓、位牌、お盆などは仏教が伝わる以前からある祖先礼拝から来ている
当然、仏教の教えとは矛盾する。
956 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 22:28:17 ID:+CgBsEBN
>>952 胸に手をあてて、乳首に手をあてて、いじってごらんよ。
957 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 22:42:51 ID:RyZyICvt
>>955 仏教は転生については無記。輪廻は、ヴァラモンの教え。
仏教はそれに対するアンチテーゼとして生まれた側面がある。
そして、お墓、位牌などは、道教の魂魄思想から。
お盆は、中国の道教と、日本の風習のミックス。
結論はあってるが、途中が間違ってるぞw
958 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 23:31:23 ID:rh0b682x
>>957 日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老は、
仏教が輪廻思想を確立させたと説いている。
お釈迦様が現れるまでは、
輪廻についてはっきり説明できる宗教はなかったらしい。
959 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 23:36:31 ID:PsoA8Wy3
仏陀とは輪廻から解放された人。輪廻がなければ死人と同じ。
960 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 23:38:11 ID:rh0b682x
>>950 翻訳すると、どうしても微妙なニュアンスが変わってしまいます。
意味を理解するために日本語訳を読むのは大切ですが、
次の世代に原文のまま伝えるためには、
あえて翻訳せずにそのまま暗唱するのは有効です。
昔の中国人がアホだったために、
中国語に翻訳したら、翻訳前の原文を大切にせずに紛失しちゃったりしました。
それに比べたら、伝わってきた原文をそのまま唱えて
次の世代に口伝えで伝えてゆく日本のやり方のほうが、正しいと思います。
961 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 23:48:41 ID:RyZyICvt
>>958 確立させたのは、後世の弟子達。
釈尊自体は無記。
962 :
神も仏も名無しさん:2009/09/01(火) 23:54:54 ID:PsoA8Wy3
無記とは言うか、初期仏典信じれば、余計なこといろいろ言ってるだろ。
963 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 04:57:27 ID:cxElnme1
>>957 >仏教は転生については無記。輪廻は、ヴァラモンの教え。
和辻系の変な仏教学者の誤認というか阿諛というか韜晦というか、
とにかく誤り。
>>958 こっちが正しい。ただし彼の般若心経解釈や大乗非仏説は、
縁起を理解しないだけの話。
>>961 無理、並川など変な学者の珍説。
仏教はどこをどうようんでも輪廻がなければ教えが成立しない。
例えば、一切皆苦で輪廻しないなら自殺すれば済む話。
自殺しても輪廻するから行をして輪廻から解脱しなければならない。
964 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 09:06:37 ID:NWToqxJT
最近ティク・ナット・ハンさんの本を読みましたが結構良いです。
965 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 09:59:07 ID:0PHPiayO
>>963 よく分からんのだが、無我を主張する仏教で、何が転生するんだ?
釈迦在世当時は、輪廻が人々の関心事だったため、
無我を説いて、転生の主体であるアートマンを否定する事で、
それまで民衆に広まっていたバラモン教の輪廻の概念自体を否定したんだと、
俺は思ってたんだが。
輪廻なんて、あるかどうかも分からない事に関わってないで、
真剣に生きろと言うのが釈迦の教えじゃないのか?
少なくとも、初期仏典にも、今のような六道輪廻なんぞ出てこない。
出てくるのは、バラモン教の二道に毛が生えた程度の、「善趣と悪趣」程度だったはず。
部派仏教の経典類が出て、初めて今の形の輪廻になったと記憶してる。
上座部仏教のテーラワーダが、輪廻を確立させたのは(部派)仏教だというのもそのためだろ。
輪廻しないからこそ、自殺したら、そこで終り。
だからこそ、苦の無い「生き方」を模索する事が大切になる。
自殺云々は、輪廻があると前提しての話だろ?
是非、無我を主張する仏教における、輪廻の主体について解説してくれ
966 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 10:48:13 ID:cxElnme1
>>965 >釈迦在世当時は、輪廻が人々の関心事だったため、
>無我を説いて、転生の主体であるアートマンを否定する事で、
>それまで民衆に広まっていたバラモン教の輪廻の概念自体を否定したんだと、
>俺は思ってたんだが。
全く違う。そういう和辻的理解はもういいでしょう。
>輪廻なんて、あるかどうかも分からない事に関わってないで、
>真剣に生きろと言うのが釈迦の教えじゃないのか?
それは全く逆。輪廻を信じない人には先ず自分たちが輪廻にいる自覚を説くことから始まる。
>少なくとも、初期仏典にも、今のような六道輪廻なんぞ出てこない。
>出てくるのは、バラモン教の二道に毛が生えた程度の、「善趣と悪趣」程度だったはず。
>部派仏教の経典類が出て、初めて今の形の輪廻になったと記憶してる。
>上座部仏教のテーラワーダが、輪廻を確立させたのは(部派)仏教だというのもそのためだろ。
確かに六道輪廻や五道輪廻は出てこないが、輪廻という言葉、
なにより生まれ変わり死に変わる、苦の円環という意味はきっちり説かれている。
967 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 10:50:05 ID:cxElnme1
>輪廻しないからこそ、自殺したら、そこで終り。
>だからこそ、苦の無い「生き方」を模索する事が大切になる。
>自殺云々は、輪廻があると前提しての話だろ?
全く逆だ。今日、日本で自殺する人は、死ねば終わりだから、
つらい苦を終了させるために自殺する人が大半だろう。
何より、仏教では解脱したものの自殺は容認したが、
凡夫の自殺を罪とすることにはっきりと輪廻が読み取れるだろう。
>是非、無我を主張する仏教における、輪廻の主体について解説してくれ
主体はない。無我だから。現在、無我なのに縁起して連続するように、
死後も主体なく連続する。
現在の主体を「私」と仮設されるように言語習慣としては、
死後の主体を「魂」「識」「自相続」などと仮設して呼ぶことはできるが、
あくまで仮設であり、本来、無我、空である。
詳しくはアートマン・スレ13を見て
968 :
析空:2009/09/02(水) 12:18:42 ID:krdIB4+B
>>492 大乗経典が【創作】であることと、
【縁起】とは、直接関係ありません。
また、大乗経典が創作であるということと、テーラワーダとは何の関係もありません。
しかし、テーラワーダの伝承した経典のおかげでかなりのことが判明したのも
事実です。
969 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 12:24:12 ID:0PHPiayO
>>966-967 >輪廻を信じない人には先ず自分たちが輪廻にいる自覚を説くことから始まる。
初耳なんで、ソースお願い。
>仏教では解脱したものの自殺は容認
悟れば、自殺しようがしまいが、大差ないだけの話だろ?
輪廻を持ち出さんでも説明がつく。
>死後も主体なく連続する
主体無く連続するなんぞ、部派仏教時代に捻り出された屁理屈じゃないのか?
その辺の屁理屈は物凄い精緻に作られてるから、囚われてしまってもしょうがないと思うが、
仏教は本来、来世などというあやふやなものの為に修行するのではなく、
今を如何に生きるかという宗教だと、私は思う。
貴方の主張を聞いてると、仏教が、有るかどうかもよく分からない来世の為に、
苦労して来世に生まれないように頑張るという、一人相撲の宗教に聞こえてしまうんだが。
それとも貴方は、輪廻を宗教上の概念としてではなく、実際のものとして信じているので?
970 :
神も仏も名無しさん:2009/09/02(水) 12:37:26 ID:oUBb4NF4
>>965 無我だけど、昨日の私と今日の私には因果関係がある。
971 :
析空:2009/09/02(水) 12:51:42 ID:krdIB4+B
972 :
神も仏も名無しさん:2009/09/05(土) 16:22:35 ID:rc6dQEyX
どんな著作なのか源信の『往生要集』をのぞいてみたいと思います。さわりの
部分というか、特に面白そうな箇所があったら推奨して下さい。関連のホーム
ページ情報もお願いします。
973 :
析空:2009/09/06(日) 12:59:32 ID:ADW8Oa2c
仏教における、主体なき【輪廻】については、
「ミリンダ王の問い」に書かれています。
縁起によって五蘊仮和合したAさんが死後、輪廻によってaさんとして再生します。
Aさんとaさんはあくまでも別人です。
しかし、縁起として連続しています。
このように、縁起によって再生しますが、そこには(Aさんという)主体は認められません。
974 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 16:13:22 ID:9lrR25Eb
>>973 析空さん、アートマンスレでも、あなたのように、基体を設定せず
業のエネルギーによる縁起によって輪廻業報を説明する人がいました。
しかし、この説の問題点としては
1・「この説は、いわゆる『現象の連鎖』として生まれ変わりを捉えているが
この連鎖はaさんが「果」を受けるのに十分な必然性を担保しているか?
2・ この連鎖の説明をただ「縁起」によるとだけしか解説していませんが
その構造システムが全く明らかにされておらず、精密な検証はともかくとしても
モデル提示がなされていないのは問題では?
「縁起」という語に全能性を付加するのは問題ありだと思うのですが?
以上、1 2 について解説できるでしょうか?
975 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 19:23:11 ID:MLPGLsJ8
「アビダンマ講義シリーズ ブッダの実践心理学
第五巻 業(カルマ)と輪廻の分析」
著者は、日本テーラワーダ仏教協会の
アルボムッレ・スマナサーラ長老と、藤本晃氏
976 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 20:28:59 ID:9lrR25Eb
>>975 それは私の書きこみに対するレスでしょうか?
(と、考えてレスさせてもらいますが)
残念ながら、スマさんの説は受け入れられません。
スマさんは、輪廻主体として「永遠不滅の魂」は、否定しておりますが
その代わりに「こころ」というものを仮設しております。
この「こころ」の連鎖を輪廻として解説しますが、その詳細は述べておりません
また「こころ」の理解も
『すべての物質は地、水、火、風のエネルギー構成されていて、光のスピード
で変化しています。そして、「こころ」の変化の速さは、光の変化の速さの
17倍です』(無常の見方)スマナサーラ著
はっきり言って、メチャクチャすぎます。
いくら、初心者向けの入門書における「方便」にしてもひどすぎます。
977 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 22:11:25 ID:MLPGLsJ8
>>976 心の変化が光の変化の17倍の速さという意味も、
アビダンマ講義シリーズに書いてありました。
心が物質を認識するときには
17のプロセスを経るという内容だったと思います。
つまり、光のひとつの変化を認識するときに、
心は17回変化する必要がある。
光の1回の転変に対して心が17回転変して、
ひとつの認識が成立するという分析ですね。
そのあたりは、瞑想によって緻密に心を観察した僧侶達の
経験の積み重ねを体系化したものでしょうから、
瞑想の素人である私には、正しいかどうかわかるはずもありませんが。
978 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 22:30:39 ID:9lrR25Eb
>>977 そうですか。体験情報ならば、「そうですか」としか
いえませんが、「人間の物質、現象、認識時間はおよそ0.03秒、
くらい」と言われております。光の速度とは比べようもないくらい
遅遅としたものです。僧侶達が、そのように認識したと言うので
あれば、彼らにとってそれらは真実なのかもしれませんが、
「すべての物質は地、水、火、風のエネルギー構成されていて」
と言うのも含めて、現代科学の知見とはあまりにも、かけ離れすぎて
いるように感じます。
>>977 なるほど。
それで17倍か。表現としてはアリだな。
スピードメーターで確認するような、定量化した速度比較ではない、と。
>>978 水野さんの「仏教における色(物質)の概念について」 という論文が参考になるかも。
春秋社の選集2巻-仏教教理研究-に収められてる(p343〜)。
初出は「宇井博士還暦記念論文集・印度哲学と仏教の諸問題」(1951.12)。
残念ながらCiNii-PDFにはなっていないようだ。
981 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 22:43:57 ID:MLPGLsJ8
仏教では、無色界心という、
物質に束縛されないレベルの禅定の心を認めている。
つまり、物質の波の変化速度をを超える早さで心が変化するというのも、
ありえる説なのでは?
脳や神経の反応速度は物質の話であり、
無色界心は物質に束縛されないから脳の限界は関係ない。
科学はあくまで物質の分析だから、
物質に束縛されない心があるとしたら、科学の対象外でしょう。
また、心が17のプロセスを経なければ光を認識できないなら、
最初の光を処理している間の心が変化する17コマの間に、
新しい光が来たとしても、どのみち認識できないんだから、
その間の光は存在しないのも同じ。
地・水・火・風の四大は、字のままの意味ではない。
地は堅さ・重さ、水は収縮、風は膨張、火は熱さ・痛み。
つまり、身体が物質を認識するときの四つの刺激のことです。
物質といっても、結局私達にとっては、
結局は四種類の刺激の組み合わせが、
眼耳鼻舌身のどこかで起きているだけです。
982 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 22:44:25 ID:G/qAdmsY
>>977 >心が物質を認識するときには
>17のプロセスを経るという内容だったと思います。
>つまり、光のひとつの変化を認識するときに、
>心は17回変化する必要がある。
>光の1回の転変に対して心が17回転変して、
>ひとつの認識が成立するという分析ですね。
>そのあたりは、瞑想によって緻密に心を観察した僧侶達の
>経験の積み重ねを体系化したものでしょうから、
上のような記述は仏典で見たことがないんですが、
伝統的な仏典のどこにそのような記述があるのでしょう?
983 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 22:51:27 ID:MLPGLsJ8
たとえば光という物質現象も、仏教的な分析では、
眼根という器官で起きている火大(熱さ・痛み)の
強弱の組み合わせでしかないのです。
眼で感じる痛みは光と認識し、鼻で感じる痛みは匂いと認識する。
センサーの形によって刺激をよりわけてるだけです。
水大(収縮)と風大(膨張)を身の皮膚で感じたら感触と認識するし、
耳で感じたら音と認識するのです。
地・水・火・風とは、文字どおりの意味ではなく、
眼耳鼻舌身が感じる物質的な四種類の刺激に、
そういう名前をつけてるだけです。
984 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 22:55:29 ID:MLPGLsJ8
>>982 アビダンマ(お経を解釈した論)の話ですから、
経ではなく論でしょうか。
経蔵・律蔵・論蔵を三蔵と言うそうですね。
ちなみに「三蔵法師」とは、
経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶に与えられた称号らしいですね。
985 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 23:00:36 ID:9lrR25Eb
>>981 >物質に束縛されない心があるとしたら、科学の対象外でしょう。
このように我々の存するこの現象界との接点を断ち切り、超常的な世界を
仮設するのであれば、それこそ「何でもあり」になってしまいます。
まず、「物質に束縛されない心」の存在が真実であるか否かを検証する
必要があると思います。
後半の
>物質といっても、結局私達にとっては、
結局は四種類の刺激の組み合わせが、
眼耳鼻舌身のどこかで起きているだけです。
これは、ご隠居の誤謬と同じですが、存在(五蘊の仮和合)を
人間の認識に起因させるのは明らかに間違いです。
986 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 23:04:50 ID:MLPGLsJ8
>>985 瞑想で禅定を経験した人々の経験談としては、
無色界心があるらしいです。
私には経験がないから、嘘か本当かはわかりませんが、
私は仏教徒として僧侶達を信仰しているから、
本当だと信仰している立場です。
987 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 23:06:54 ID:G/qAdmsY
>>984 論でも知りません。もっとも私のテーラワーダの知識はテーラワーダの
シンハラ、ビルマ、タイなどの注釈伝統までは知りません。
ですが、アビダルマというか部派仏教を含めた大乗のインド、チベット、シナ、日本の一通りの知識はあるつもりです。
その中は聞いたことも見たこともありません。
そしてアーガマ、伝承も、論理も示すことができず
禅定体験から語るというのは仏教の伝統では認められないものです。
なぜなら、禅定体験が伝承と一致しなければ、唯の妄想である可能性、
いや蓋然性が高く、一般的に承認されないというのが伝統です。
これはテーラワーダでも大乗でも同じだと思います。
その理由から、典拠を示せないなら、全く信用できません。
988 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 23:08:03 ID:9lrR25Eb
>>986 わかりました。私はあなたのそのような信仰を否定する者
では、決してありません。986のスタンスはそれで十分、尊重される
べきものであると思います。
989 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 23:11:17 ID:G/qAdmsY
>>986 あなたより>985さんが縁起を理解されていますね。
無色界心があると言ってはいけないでしょう。
無色界の縁起があると言うべきでしょう。
その縁起によって無色界の対象と知覚のように縁起してるだけで、
何か実体として無色界心があるのではないでしょう。
990 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 23:24:08 ID:MLPGLsJ8
>>989 哲学者でもないので、
緻密な言葉づかいにまで気配りはできませんが、
心が無常であるというのが仏教の基礎だとするなら、
「心」と言った時点で縁起・無常・無我・空なのだと思います。
991 :
神も仏も名無しさん:2009/09/06(日) 23:55:13 ID:G/qAdmsY
>>990 それは狡いですね。
仏教用語は実体視しないように釈尊が綿密に繊細に、しかも簡明に構築された
非常に美しく最も完成度の高い道、あるいは思想体系だとするなら、
十分、尊重していただきたいものです。
私の読みでは釈尊は、そのような実体的、実在論的な説き方はなさりません。
完璧です。美しい!
992 :
神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 07:50:38 ID:+OypagR2
>>991 だから、「心」と言った時間で
実体視していないという前提が含まれています。
993 :
神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 09:49:30 ID:FSmp9rjd
なんで全日本仏教会は政治的な活動などしているんでしょうか?
全日本仏教会は政治的な発言よりも
全日本仏教会として諸行無常や諸法無我の法印に基づく因果律ならびに縁起説および唯識論を
義務教育就学前の幼児に教える幼稚園教育の普及に力を入れてください。
一寺で学校法人が作れない寺に幼稚園を経営させる助言や後援をする全日本仏教会が本部を運営する超宗派の学校法人を作ってほしい。
その学校法人には「一休会」という名称を提案します。
994 :
神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 15:16:55 ID:thFRpLnB
親鸞は信じることを説いていますが、逆に釈迦は信じることを戒めていたと
言います。淨土真宗のお寺さんに尋ねても答えは一致しません。どなたか本当の
ことを教えてください。
995 :
神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 15:47:24 ID:U/uN87uQ
>>994 釈尊が「信を捨てよ」と説かれたのは、その人の嘗ての信仰を捨てよという意味で、
仏教に対する信を捨てよ、仏教に信仰は要らないという意味ではありません。
仏教は三宝を信仰するものに教えとして道であり、
その道自体は解脱や一切智に至るために信仰する必要があると説かれます。
その道筋を盲信するのではなく自分の分析考究して納得することも勧められますが、
どちらに論理分析を経るにしろ経ないにしろ最終的に信仰、確信することに違いはありません。
といって信じない人に強制することはありません。
釈尊は自分がやってみて達成したことを説いたので、
相手に対してよかったらやってみてくださいという立場です。
信は必要です。世の中の全てが信で成り立ってますから。
分析すれば世の中のことはほとんど信のみと分かるでしょう。
996 :
析空:2009/09/07(月) 18:34:20 ID:H5egqaC3
>>974 改めて「ミリンダ王の問い」を読み直してみましたが、
ご質問の1、2に対する説明は、書かれていませんでした。
主体なき輪廻については、Aさんとaさんはあくまで別人です。
ただ前提としてAさんが因となって、aさんという果がある、という内容です。
>>942さんは、Aさんとaさんは同一人物と思っていませんか?
>>996 「同一人物だと“認識する(或いは受け止める)”から、
凡夫は来世の果を恐れ、悪を為さなくなる」 んじゃないのか?
別人なら、来世の業果を恐れる必要はない。
来世でも「“私が”苦を味わう」という理屈で輪廻を厭う必要はなくなる。
その時、輪廻を厭う意味とは何か?
998 :
神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 19:18:23 ID:Ekmxl29R
999 :
神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 19:25:41 ID:+CDanLXw
1000 :
神も仏も名無しさん:2009/09/07(月) 19:33:48 ID:Wc4blHat
諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教
一切の悪を犯さないこと 善に至ること 心を清らかにすること これが諸仏の教えである
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。