654 :
前スレ7:2008/12/20(土) 13:26:53 ID:8i/irQ3z
.┃ (仏典の記述の性格)
〔実際にはどうか〕┃〔どう見做したのか〕┃〔どちらで語ったか〕┃〔どのような語り方だったか〕┃〔どのように伝承されたか〕
A1:ある ┃B1:あると考えた .┃C1:あるとして語った ┃D1:素朴にそのまま語った .┃E1:語られた通り
A2:ない ┃B2:ないと考えた .┃C2:ないとして語った ┃D2:誇張して(譬喩表現として)┃E2:誇張して(譬喩表現として)
A3:不可知.┃B3:不可知と考えた┃C3:どちらとも言わなかった┃D3:詩的・文学的表現として ┃E3:詩的・文学的表現として
┃D4:方便として「ない」と ┃E4:語られた通りを更に粉飾して
┃D5:方便として「ある」と ┃E5:粉飾して
┃D6:方便として「無記」とした .┃E6:拡大解釈・異な
655 :
前スレ7:2008/12/20(土) 13:27:47 ID:8i/irQ3z
さて、皆さんは『仏教における「輪廻」』を考察するに際し、
どれくらいのコースがあるか考えたことがありますか?
私の愚かな思い付きだけでも、
>>654の項目の組み合わせにより「105通り」はあるんですが・・・w
(所詮素人の戯言ですから、コース分類の仕方に不備がある点は御寛恕下さいw)
勿論、大きく括り直して数を減らすことは可能ですが、
細部に目をやろうとすると(各論に入ろうとすると)、どれも皆重要な要素です。
「何通りあるんだろう?」という素朴な興味から作成したExcelでのファイルを挙げておきました。
tp://xtp0001.s3.x-beat.com/cgi-bin/up/source/Sonata_26509zip.html
気になる方はどうぞw
重要なことは、(逆ツリーを考えて辿ってみるとよく判りますが)、
【Eのどこからスタートしても】【A1・A2・A3全てに辿りつける】ということです。
それが何を意味するかと言うと、【AとEを繋ぐ“途中経過の部分”をどう見るか】に懸っているということです。
仏典にどう書かれているかは勿論重要ですが、それだけでは(このスレ的)答えは出ない、ということです
656 :
前スレ7:2008/12/20(土) 13:33:23 ID:8i/irQ3z
あ、コピペミスで一部抜けました。貼り直します。
.┃ (仏典の記述の性格)
〔実際にはどうか〕┃〔どう見做したのか〕┃〔どちらで語ったか〕┃〔どのような語り方だったか〕┃〔どのように伝承されたか〕
A1:ある ┃B1:あると考えた .┃C1:あるとして語った ┃D1:素朴にそのまま語った .┃E1:語られた通り
A2:ない ┃B2:ないと考えた .┃C2:ないとして語った ┃D2:誇張して(譬喩表現として)┃E2:誇張して(譬喩表現として)
A3:不可知.┃B3:不可知と考えた┃C3:どちらとも言わなかった┃D3:詩的・文学的表現として ┃E3:詩的・文学的表現として
┃D4:方便として「ない」と ┃E4:語られた通りを更に粉飾して
┃D5:方便として「ある」と ┃E5:粉飾して
┃D6:方便として「無記」とした .┃E6:拡大解釈・異なる解釈として
┃E7:釈尊を超え、事実に回帰して
そもそも肉体に依存しない生命存在を釈迦はみとめているよ。
生命の種類は四種で四生というが、胎生・卵生・湿生・化生である。
木村泰賢博士によると、
「第一の胎生というのは、普通の人畜のことくに母胎より生ずるのをいい、
第二の卵生とは鳥のごとく卵より生ずるをいい、
第三の湿生とは蚊・蚋のごとくに湿地より生ずるのをいい、
第四の化生とは天上界または地獄のごとく、上の三生活以外に自然に化生するのをいうのである。」
658 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 13:36:42 ID:RHiQGTDM
>>655 スバラシイ!!
こんなめんどくさい事よくやりましたね!!!
あんたすご過ぎるよ!
で。
仏典の中の何処に輪廻が無いって書いてあるんだい?
アホ?
659 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 13:37:38 ID:OHXDgNWY
>>655 経典的には、我々自身が言語習慣上あると言われるように輪廻もあると言われる。
しかし、本来は我々自身も輪廻もないと言われる。
それだけだと思います。
660 :
前スレ7:2008/12/20(土) 13:38:07 ID:8i/irQ3z
ちなみに補足しておくと、
>>656の構造は、何も「輪廻」に限ったことでなく、他の様々な記述にも応用できます。
たとえば
>>657のような記述に関しても・・・w
(´ー`)y━~~
661 :
前スレ7:2008/12/20(土) 13:40:31 ID:8i/irQ3z
>>658 アホですか?w
誰が【仏典の中に記述が無い】と言いましたか?
どこにもそんなことは書いてないと思いますが?
唯物論者は結局のところ、脳細胞の死滅後の自己意識(霊的実在)を認めたくないから、仏教(宗教)を曲解するしかないのだろう。
663 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 13:44:10 ID:/ifBtfA7
>>657 >そもそも肉体に依存しない生命存在を釈迦はみとめているよ。
それも、釈迦は、己の肉体に依存する生命で考えたのだがw。
人間が、そして釈迦がいくら足掻いてみても、「肉体に依存する生命」
からは逃れることはできないのです。
664 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 13:44:56 ID:RHiQGTDM
>>661 ウソツキ!
> .┃ (仏典の記述の性格)
↑って自分で書いてるじゃん
665 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 13:55:25 ID:/ifBtfA7
>>662 脳細胞の死滅後の自己意識(霊的実在)など認めるほうが、よほど唯物論
だなw。
666 :
前スレ7:2008/12/20(土) 13:59:10 ID:8i/irQ3z
>>664 アホですか?w
どこに「仏典に“輪廻”の記述はない」と書かれているんですか?
あの部分に於いて、〔C2-D1-E1〕というコースのみが、《仏典の記述に「輪廻は無い」》ということを指すのです。
そして、私はそのコースを採用していない(図表の中に組み込んでいない)。
組み合わせパターンとして生じてしまう1コースだが、それは真っ先に却下される組み合わせだよw
私は、「仏典の記述は輪廻を前提としている」と見てますよw
『天眼通』
心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、けがれなく、やわらかで、たくみで、確立し不動になったときに、多くの人々の死と生を知ることに心を向けた。
すなわち、わたしは清浄で超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。
すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行為に従っているのを見た。
『じつにこれらの人々は身体で悪い行為をし、ことばで悪い行為をし、心で悪い行為をし、多くの聖者を非難し、
よこしまな見解をもち、よこしまな見解にもとづいて行為をする。
かれらは身体が壊れ死んだ後、悪い所、苦しい所、地獄に生まれる。
また、他のこれらの人々は身体で善い行為をし、ことばで善い行為をし、心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、
正しい見解をもち、正しい見解にもとづいて行為をする。
かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に生まれる』と。
わたしは、このように清浄で超自然的な天眼によって、多くの人々が死にまた生まれるのを見た。
すなわち、卑しい人と高貴な人、美しい人と醜い人、幸福な人と不幸な人という多くの人々がそれぞれの行為に従っているのを見た。
バーラドゥヴァージャよ、これが夜の中間の部分において得られた第二の明知である。
ここに無明が滅び明知が生じたのである。暗闇は消滅して光明が生じたのである。
それはつとめ励み、努力している人に現れるのである。
パーリ仏典中部より
668 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 14:55:47 ID:RHiQGTDM
>>666 アホ?w
キリスト教の神学者が使うその手の解釈法なら最早なんでもあり。
前すれ5氏が経典の記述によ文献の素直な解釈と文献を信じること「しか」根拠が無いことをバカにしたのより、まだ性質が悪い。
先ず己の信じるところがあって文献を恣意的な解釈によってそれに近づけることは学術的なことなのか?
669 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 14:59:31 ID:co5ueu8u
>>562 >しかし,未だ丙さんへの伝言をしていないならば,その仕事が残っている
ように,輪廻を否定(苦観)し,解脱を肯定(修行)しなければならない。
あなたは、解脱されているのですか?
それは、何をもって証明できますか?
>>563 >ただ,そうとばかりとは限らないんですよ。 私も多くの輪廻を見てきましたが,
中にはどんどん下降していく者もあるし, 中にはどんどん成長していく者もある。
どうやってそれを見られたのですか?
現天皇・美智子皇后・雅子さま・沖正弘氏個人の輪廻とキリスト教の宗教団体として
の輪廻転生が分かるならば教えて下さい。
670 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/20(土) 15:05:44 ID:LFGSAloL
>>652 >「生物学的死」について簡単に説明しておこう。
生物学的生死の境界を、重要と思う人もいれば
さして問題にしない人もいる。
その差というのは、各人の死生観に行きつくんだろうね。
ただ仏教といふのは一如の法門ですから、
一般的には「生物学的死」はあまり問題にしない。
(原則的には、こういうことで宜しいのではないか?)
しかしながら輪廻転生肯定派は、この生死境界線が非常に重要になってくる。
このスレッドにおいて、
一部の皆さんはこの境界線にだけ注目している訳なんですね。
まあ、人はいつかは死ぬんですけど、
このことに囚われるよりも、
そういった自分に疑を向けることこそが、
この命題に回答が出るやに思ひますね。
(これが釈尊本懐であります、既成概念の破壊なのでふ)
671 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 15:28:06 ID:co5ueu8u
前レス5 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/11/08(土) 11:03:12 ID:HD5yxLNL
まずはスレ主にすばらしいスレを立てていただいたことに感謝。
私も他スレにおいてこの、輪廻問題は繰り返し討論してきました。
そこで、提案なのですが、よくみられるものとして(排除すべきもの)
1. 自説を説明するとき、自己の宗派の尊奉する経中の用語をその意味の
解説もなしに使用する。
2. 過度に形而上化、観念化する。 ☆★
3. そして、これは1. と同意ですが、西洋哲学などの他分野の専門用語
の解説なしの多用。
これらに留意して、できるだけ基礎知識のない方にも理解できるような
実りある議論の場になることを希望します。
また、これもよくみられますが、質問者の回答に窮して、非常に観念的な
単文のレスを返し、「これでわからなければ、お前はダメだ」
「わからないのは、お前がバカだから」 と自分の理解力のなさ、説明
能力の貧困さを隠そうとする者がいますが、これらは無視していきましょう。★☆
この問題は釈迦以前のバラモン教に端を発し、いまだその解決がなされて
いないという仏教上の一大問題ですが、議論の過程において何ごとか
建設的なものが気付かれることを期待します。★☆
672 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 16:00:44 ID:jimQI67u
>>671 >この問題は釈迦以前のバラモン教に端を発し、いまだその解決がなされて
>いないという仏教上の一大問題ですが、議論の過程において何ごとか
>建設的なものが気付かれることを期待します。★☆
何がそんなに大問題なのですか。「輪廻転生」も、人間の生命の機能としての
概念作用。生命がなくなれば、その概念も当然消滅する、でよいのでは。
死ねば、知覚器官も、思考器官も灰になり、転生の知覚・認識は不可能だから、
あってもなくても、人間には無意味。
クローン人間が出来ても、母体の記憶や経験や知識などの「獲得形質」は失われ
ており、外見だけが同一の「お人形」。従って、クローン人間と母体との間には、
外見以外の同一性はない。
673 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 16:04:59 ID:ZEBrqPCq
>「何が?」という問いには自分の目玉を自分の目玉で
>直接見ることが出来ない理屈で答えようが無かったってこと。
良いこと言うねぇ
眼横鼻直だね。
直接知覚できなきゃ信じれないなら、人はみなのっぺらぼうさw
鏡が嘘ついてるかもしれないのにねw
674 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 16:12:25 ID:ZEBrqPCq
私には良くわからんのだが
形而上と形而下の概念の違いは何でしょう?
哲学、文学、美学や音楽芸術など心情に関するものはどちらの範疇?
そもそも、インド哲学や仏教にそのような概念があるのか?
あるとしたらSktでは何?
詳しい方教えて下さい。
675 :
前スレ5:2008/12/20(土) 16:13:28 ID:dSH53MSE
>>671 それは確かに初期の私の書き込みですが、再掲の意図がよくわかりません。
私への批判であるならば、具体的に仰っていただければ、ありがたいのですが。
また、
>>668 >前すれ5氏が経典の記述によ文献の素直な解釈と文献を信じること「しか」根拠が無いことをバカにしたのより、まだ性質が悪い。
との記述がありましたが、私は「批判」はしても「バカ」にしたことはない
つもりですが。 もし、そのようにとられる表現がありましたら、ここで
お詫びもうしあげます。
676 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 16:16:36 ID:OHXDgNWY
>>671 >この問題は釈迦以前のバラモン教に端を発し、いまだその解決がなされて
>いないという仏教上の一大問題ですが、
誤解ですね。仏教は一貫して輪廻を前提としてきました。
外国に伝搬する時、輪廻は抵抗を持って論じられました。
『ミリンダパンハー』が代表的です。シナでも、輪廻に関して反論がありました。
それでも輪廻は、苦としての現状把握の大前提だから、必ず説かれています。
仏教が西洋で研究されるようになって西洋の学者の一部が輪廻を批判的に扱う人もいました。
それを受けて日本の仏教研究でも輪廻を否定的に扱う人が出ました。
その代表が和辻哲郎で、その説に従う学者がいくらかいるだけのことです。
つまり、日本仏教学での百年ぐらいの問題で、学問的にも唯の誤解であって、
大した問題ではありません。
677 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 16:23:10 ID:jimQI67u
>>676 >それでも輪廻は、苦としての現状把握の大前提だから、必ず説かれて
>います。
苦とは、「輪廻が怖い」ということですか。ならば、輪廻の観念をなく
せばよいだけ。
678 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 16:26:56 ID:ZEBrqPCq
677さんあんたはたいした解脱者だ
679 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 16:31:25 ID:OHXDgNWY
>>674 知覚可能か不可能かの違いでしょうか?
梵語だと bhaava/abhaava; vastu/ avastu が近い概念じゃないですか?
蔵語だと dngos yod / dngos med; rdzas yod / rdzas med
存在/非存在;物質/非物質といったところです。
といって私はヒンドゥーはほとんど知りませんから、仏教内の概念です。
ちなみに仏教では、聖者と凡夫では知覚領域が違いますから、
凡夫の常識で知覚不可能だからといって形而上というのは暴論と思われます。
680 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 16:35:54 ID:RHiQGTDM
>>672 何がそんなに大問題なのですか。「輪廻転生」も、人間の生命の機能としての
概念作用。生命がなくなれば、その概念も当然消滅する、でよいのでは。
>>677 苦とは、「輪廻が怖い」ということですか。ならば、輪廻の観念をなく
せばよいだけ。
個人的には、そのように理解してもなにも悪くないよ。
ただ、それを「仏説」とするのは間違い。
681 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 16:35:56 ID:OHXDgNWY
>>677 輪廻は概念ではないのです。
生き物は輪廻しているという苦の前提という意味です。
682 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 16:39:43 ID:OHXDgNWY
>>680 >ただ、それを「仏説」とするのは間違い。
私もこの立場です。
私はもちろん輪廻を信じていますが、人に強制しようとは思いません。
信じない人は信じなくてもいいのです。
でも、仏教を誤った形で喧伝するのは、止めてほしいですね。
683 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/20(土) 16:54:14 ID:5AkBqMA/
>>676 >誤解ですね。仏教は一貫して輪廻を前提としてきました。
縁起の理法から言いますと、
先ず輪廻とするその本体(心)というふのは、そもそも無くて、
(諸法無我)
縁において生起する。
応無所住而生其心(まさに住する所無くしてその心を生ずべし)。
(諸行無常)
ですから、
これを実体有でもなく、実体無でもない、中道を悟ったわけです。
この中道を核としまして四諦が成り立つわけで、
これは初転法輪で重要なとこです。
輪廻転生概念といふのは、四諦(苦集滅道)に挿入されまして、
これが大悟して無苦集滅道となり、いわゆる
(涅槃寂静)です。
684 :
前スレ7:2008/12/20(土) 17:05:20 ID:8i/irQ3z
>>668 はあ?
私の(発言の)何について批判されているのかよく解りませんが・・・?w
よく解りませんが、一応レスを返すなら、
>その手の解釈法なら最早なんでもあり
でしょうねw
だから、
>>343なんじゃないですか?
>先ず己の信じるところがあって文献を恣意的な解釈によってそれに近づけることは学術的なことなのか?
学術的ではないでしょうねw
しかし、「恣意性」を100%取り除くことは可能なんでしょうかね・・?w
というよりも、
「恣意性の無い」、或いは「恣意的な目標設定(仮説)無し」に学問研究を薦めることは可能なんでしょうかね?
「一旦仮説を立て、そこへ向けて情報整理してゆく」姿勢は学問的ではないんでしょうかね?
(´ー`)y━~~
685 :
前スレ7:2008/12/20(土) 17:13:13 ID:8i/irQ3z
>>509 > 現在のあなたは実在でしょうか? それとも無我・空でしょうか?
> これにお答えいただけないようでしたら、無駄なのでお話は終了いたします。
「実在」するものが「無我・空」であってはならない理由とは何でしょうか?
「縁起するもの」が「実在」であってはならない理由とは何でしょうか?
そもそも「実在」という語の意味として
「我のあるもの」「空ならざるもの」「縁起しないもの」が含まれているんでしょうか?
686 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2008/12/20(土) 17:28:02 ID:5AkBqMA/
>>655 >さて、皆さんは『仏教における「輪廻」』を考察するに際し、
>どれくらいのコースがあるか考えたことがありますか?
おそれいります。
では、お題を頂戴いたしまふ。
>私の愚かな思い付きだけでも、
>>654の項目の組み合わせにより「105通り」はあるんですが・・・w
そうですね。
たしかに「105通り」確認しました。
凄いですね。
で、お題の件ですが、
「105通り」の他にはないんですか?
(´ー`)y━~~
687 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 17:39:28 ID:OHXDgNWY
>>685 『中論』によっています。実在は、自立して存在し不変のものという意味です。
自立したものでも、不変のものでも縁起しませんから。
そもそも無我・空説と輪廻説は相容れないといった論調なので、
輪廻するものと、現在の我々は同じであることを気づいてもらおうと思ってのことです。
688 :
ゴリアテ:2008/12/20(土) 17:40:12 ID:vG4OcpKH
どちらにしても、前世の記憶がないということは、仮に魂が輪廻したとしても、生まれ変わりは無いのと同じなんだよ。
今の人格は今の命しかないんだからさ。
魂が一緒だろうが、なかろうが、今の太郎君の人格は今の太郎の時しかないんだから。
前世に花子さんだったとしても、後世にポチになったとしても、太郎君としての命は 今の太郎君としての生きている今しかないってこと。当たり前だが太郎君として考えるならたった一度の人生なんだ。
次の生まれ変わったポチにとっては太郎なんて無意味なんだから
689 :
前スレ7:2008/12/20(土) 17:55:20 ID:8i/irQ3z
>>687 ということは、「実在」という言葉(或いは概念)は、中論が初出でしたか。
勉強になりました。ありがとうございます。
690 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 18:02:13 ID:RHiQGTDM
>>684 >「一旦仮説を立て、そこへ向けて情報整理してゆく」姿勢は学問的ではないんでしょうかね?
仏教において輪廻は外道説である〜とか、解脱はない〜とか、縁起説以外は全て増広である〜とか、極端な学説にウンザリしているのですよ。
貴方の高邁な学術的姿勢に期待します。
>>688 輪廻説は、自分の行為にたいして何処まで責任感を自覚出来るか?という姿勢でもあると思うのです。
自分の
691 :
前スレ7:2008/12/20(土) 18:02:19 ID:8i/irQ3z
>>687 そうだ。重ねて問うておきましょう。
「実在する」ということと「ある(存在する」ということとの違いはどこにあるのでしょう?
692 :
前スレ7:2008/12/20(土) 18:14:04 ID:8i/irQ3z
>>690 >期待します。
私は学者じゃありませんので、新説発表とかはありませんよw
ただ、自身の納得(と第ニ者への語りの際の足場確認)へ向けて仏典の読み方を模索しているだけですw
受け売りでない、「私はこう読んでいます」という、
自分の言葉で語る為の裏付け(軸をぶらさず語る為の基本姿勢)を模索しているだけです。
2chのカオスぶりは勉強になりますw
693 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 18:28:39 ID:DTh6CNcT
>>667 >また、他のこれらの人々は身体で善い行為をし、ことばで善い行為をし、心で善い行為をし、多くの聖者を非難せず、
正しい見解をもち、正しい見解にもとづいて行為をする。
かれらは身体が壊れ死んだ後、善い所、天界に生まれる』と。・・・・・・・『天眼通』
↑ ような宗教団体の美辞麗句の教義を信じた真面目で純粋で品行正しい人達がオウムの信徒になり聖者の
名前をつけた大師を尊敬しお布施した結果、悲惨な事件が起こり社会に大きな災害・ショックを与え、死亡された
方・被害者も沢山出て、今もその傷は癒されてはいない「大不幸を」起こしたのです。
宗教者は、事実をつかれ返答に窮すると「信仰だから事実とは区別するもの」と言いながら、又、すぐ自分達の都合
の良い経典のコピペを貼りつけ、まるで事実のように錯覚させマイコン・洗脳に巧みに引き込んでいくのです。
<言葉の魔力>を駆使し、質が悪いので、真面目で純粋で知的好奇心が高い人がコントロールされやすいのです。
くれぐれも美しすぎる言葉を多用してくるのは、詐欺も使いますから気をつけましょう!!
《 宗教マニュアル 》 (*^。^*)
<脅しと甘言><脅しと甘言><脅しと甘言><脅しと甘言>
【飴とムチ】【飴とムチ】【飴とムチ】【飴とムチ】【飴とムチ】
≪偽善≫≪偽善≫≪偽善≫≪偽善≫≪偽善≫≪偽善≫≪偽善≫
694 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 18:28:44 ID:RHiQGTDM
>受け売りでない、「私はこう読んでいます」という、
>自分の言葉で語る為の裏付け(軸をぶらさず語る為の基本姿勢)を模索しているだけです。
悔しいけど惚れたよ。
今夜抱かれてもいいぜ。
695 :
神も仏も名無しさん:2008/12/20(土) 18:48:46 ID:wWGG4dtQ
何だか「輪廻転生」が仏教の中心問題のようなスレだね。
釈迦が言ったから、仏典に書いてあるからということだけで、無批判
に信じることを、単なる「盲信」「狂信」と呼び、無意味な営み。あく
まで、現代人の立場からの、意義を考えるべき。
釈迦が輪廻転生など言ったとしても、現代人の立場からは、そんなもの
は何ら証明できないのだから、単に「釈迦の誤り」として訂正するだけ
でよい。
仏教者が、「輪廻転生に対する恐怖」から、一生懸命修行しているとした
ら、これほど浅ましく、滑稽な姿はない。
大多数の生活者たちは、もっと悟っている。悟れないのは、仏教者だけ
と言うことになるではないか。
697 :
前スレ7:2008/12/20(土) 18:57:10 ID:8i/irQ3z
>>694 心に残っている言葉は幾つもあるが、そのうちの一つとして、
学生時代、教授が(おそらく自身の“語り”についての自省も込めてだろうが)次のような意味のことを言った。
「仏典(経典)にはこれこれこのように書かれています、
(通仏教的或いはオーソドックスな)仏教では、これこれこのように言われます、
と言うのは容易い。 が、(現代に於いては)その上で、
『このように書かれていて、私はこのように受け止め、このように考えています』と語ることが大切ではないか。
そのようであるべきではないか」 と・・・。
忘れられない台詞の一つだ・・。
698 :
宝珠愚者:2008/12/20(土) 19:19:35 ID:5LoFzwjn
「断滅論は外道ですよ。あなたまさか六師外道の話はご存知ないので?」
>>602 「誤解ですね。仏教は一貫して輪廻を前提としてきました。」
>>676 「無我にして断滅なら、どんな阿呆にでもわかる話。
なんせ、お前らみたいなのでも理解できるのだから、誰にでも躊躇うことなく話せるだろ。
あの賢いお釈迦さんが「誰もわかんねぇだろ」なんて自問自答しないだろうが。」
>>619 はい、全くその通りだと思います。
簡潔にして名文-これは格言の域だと思います。
>>653 確かにお気持ちは察します。ゴータマはバラモン伝統の部分における間違いを正し、尚且つ、誤解を
されるべき輪廻の主体については無記の姿勢を通したのだと思います。ただ詳細については解説を辞
めたのです。何故なら「道」に従う者には歩みに応じた結果が必然的に伴うので、誤解と余計な関心を呼
ぶことになりやすい、これらについては敢えて説かなかったのだろうと察します。
699 :
宝珠愚者:2008/12/20(土) 19:22:42 ID:5LoFzwjn
>>613 >6500万年まえのティラノサウルスも輪廻しますか?
輪廻転生は自然法則です(如来の出現には関係なく)。動物界と人間とは異なると以前に説明しました。
私の理解では、動物には個としての情報がそのまま伝達されるのではなく、動物界全体の情報として集
積されます。これを強いていうならば動物界の輪廻に該当します。人間の場合には個としての情報がその
まま再び再生誕において伝達されます。尚、ゴータマは詳細の解説をしませんでした。
>>616 >「最高我」だの「永遠の存在」だのシャンカラの諸説が無明そのものだ。アホらし。
>で、原始仏典に依拠するナーガールジュナは大乗ですか、小乗ですか?w
ナーガールジュナは大乗の祖とみなされる方であり、ゴータマ仏陀が説いた「縁起」を「空」として解説し
ました。現象世界の一切は「非実在」であると説いているわけですが、つまりこれは、何に対しての非実在
といっているのでしょうか?それは当然、アートマンなどの絶対性に対する否定意なのであり、この点では
仏陀の説いた「非我」を「無我」として誤解したからではないかと私は思います。ナーガールジュナはゴータ
マ思想についての解釈家でした。もちろん小乗ではありませんが、しかし原始仏教の徒でもない。
>>622 >そうしないために、大乗の膨大な努力があったのではないか。教祖や原始経典
>の盲信・狂信をカルトという。それは「他灯明」であり、「自灯明」ではない。
「要するに、アーガマもなし出家修行もなしでは到底、仏陀の説く境地の達成は諦めざる得ない状況と
判断したのです。」
>>610 だからこそ、結果的に仏陀の教えから遠く離れてしまったのです。ここでもう1度、ゴータマの教えの基本
に立ち戻ろうとすることは妄信・狂信ではありません。「自灯明」はそんな好き勝手にしていい、ということ
ではない。「私の残した教え(法)を拠り所として、自分自身で修行に励みなさい。」という言葉です。
700 :
宝珠愚者:2008/12/20(土) 19:24:08 ID:5LoFzwjn
もちろん、大乗思想の全てが仏陀の教えと完全に異なるわけではないし、仏陀が説かなかった事柄にお
いても価値の在る部分なども確かにあります。全てが間違っているわけではありません。しかし、やはりゴ
ータマの教えを歪曲している部分というのはあり、教えからは遠く離れてしまった・・。
末法という話も仏教世界にはあるわけですが、ゴータマはそんな未来世の弟子たちの姿なんぞはとっく
に見通されていたようです。
「比丘らよ。未来世に比丘どもは次のようになるであろう。
如来の説かれたこれらの諸経典は深遠であって意義が深く、出世間のものであり、空と相応しているも
のであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとしないし、耳を傾けようとしないし、了解しようと
いう心を起こさないであろう。それらの教えを受持すべくよく熟達すべきものであるとは考えないであろう。
これに反して文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい諸経典は、外道に由来するものであり、
弟子たちの説いたものであるが、それらが説かれる時には、彼らはよく聞こうとし、耳を傾けようとし、了解
しようとする心を起こすであろう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えるであろう。
かくの如くにして、如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世間のものであり、空と相応している諸
経典は消滅してしまうであろう。
比丘らよ、それ故にここでこのように学ぶべきである。―[如来の説かれた、深遠にして意義が深く、出世
間のものであり、空と相応している諸経典が説かれる時に、我らはよく聞くことにしよう。耳を傾け、了解し
ようという心を起こそう。それらの教えを、受持すべくよく熟達すべきものであると考えることにしよう]と。」
(中村 元著『原始仏教の思想・下)
701 :
宝珠愚者:2008/12/20(土) 19:24:36 ID:5LoFzwjn
「死んだら全ては消滅する」といった断滅論については外道(六師外道)としてゴータマは明確に戒めたの
です。ただの唯物論者たちは好き勝手にするのでしょうが、しかし、自称仏教徒たる者がこれを語るという
有様については、これだけはどうにも頂けないのです。他の人までが仏教を完全に誤解してしまいます。
残念ながら、輪廻転生の法則からみれば、「興味、関心が全くない」という人も、「そんなものは最初から無
い」と考えている人も等しく輪廻して、再び後の世において再生します。
「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれ
らのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、
巧みに語っている。」(スッタニパータ876)
702 :
ゴリアテ:2008/12/20(土) 19:29:24 ID:vG4OcpKH
馬鹿野郎 イエスキリストが再臨したら、生まれ変わりは妄想だって証明されちまうんだよ。死んで復活した身体で再び地上降誕するんだからな。赤児としてではなく栄光の出現でな
お前らの輪廻肯定論は屁みたいにふっ飛ぶんだとさww
703 :
神も仏も名無しさん:
>>675 >それは確かに初期の私の書き込みですが、再掲の意図がよくわかりません。
私への批判であるならば、具体的に仰っていただければ、ありがたいのですが。
いいえ、あなたは、常に冷静で謙虚な探究心で勿論、批判などはありません。
>>648の鋭いあなたの質問に
>>650氏の↓
>あ〜、無意味だった。 あなたは、理解したい人かと思ったのが間違ってました。
↑ の言い回しが宗教者特有の傲慢さがあり、不快に感じられたので↓
>また、これもよくみられますが、質問者の回答に窮して、非常に観念的な単文のレスを
返し、「これでわからなければ、お前はダメだ」 「わからないのは、お前がバカだから」
と自分の理解力のなさ、説明能力の貧困さを隠そうとする者がいますが、これらは無視して
いきましょう。★☆
↑ を再掲させて頂きました。負けないで突っ込んで欲しいとも思いますが、
個人的には、既に机氏とご隠居氏が修行によって仏陀のステージを理解し既に超えて
おられると思ってます。(
>>680>>695・・・等多数)
他の方は、経典に頼ってるだけで体験してないのと、宗教エゴで執着してるのでしょうw