1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2008/10/16(木) 21:40:44 ID:Pn90nYiQ
^^
3 :
茶取り:2008/10/17(金) 00:20:23 ID:uTgAM9Ad
旦~~ <+))><< ┗━━━┛
スマナサーラ氏は、どうも悟っていないようだ。
俺の勘だが間違いないと思う。
5 :
brown:2008/10/17(金) 00:51:12 ID:0dSz/ut+
>我見をなくし、存在の苦から逃れ、消滅へ向かう為に、仮に立てられた
>自己は如何なる特徴、相を持つと思われますか?
「我見をなくし、存在の苦から逃れ、消滅へ向かう為に、仮に立てられた
自己」は,次のような,八の特徴,相を持ちます。
すなわち,
・自己と世界に対して常に誠実で,
・自己と人生の不完全性に対して常に悩み,
・生産的・建設的で新しい達成・解決・出口を常に探り,
・思い悩んだりするだけでなく修行などの実際の行動を継続でき,
・心と行為に対して常に注意深く,
・心を落ち着けて瞑想の平安を強く望み,
・思慮深く自己の心の動機や世間との関係について常に徹底的な考察を行い,
・隣人の役に立つべき責任感を強く持つ
という八つの相を持っています。
6 :
brown:2008/10/17(金) 01:10:31 ID:0dSz/ut+
「無常」の私が,この八つの相を「常」に持つことができると,
偉大な達成である相転移が起こります。
つまり,それが「奇蹟」です。
奇蹟に満ちたこの世界の真相は,このミクロコスモスの奇蹟を達成した後に
目覚めた人に知られるようになります。
なぜなら,マクロコスモスとは,自然な絶妙の調和関係に,瞬間ごとに,
至るところ,満ち満ちた,奇蹟の集合体・連続体に他ならないからです。
この集合・連続のことを,仏陀は縁起と言っています。
8 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 07:39:31 ID:jBlGz1Cl
brownのネタ元は何なの?独論ならどーでもいいけど
9 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 10:59:50 ID:KcMdtSF3
知識が増えることと、人心を掴むということは別なのでしょうか?
10 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 11:19:50 ID:VAthJD8O
スナインコッコスマナラコッサーラ長老=GOD
ソヒ=癒しの女神
タイで出家した藤川清弘さんの本は面白いですね。とにかく明るい!
12 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 14:50:59 ID:Trq9UtwK
宣伝うぜえ
13 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 15:18:03 ID:iP5D7PUc
>偉大な達成である相転移が起こります。
つまり,それが「奇蹟」です。
根拠は?
なんか中高生のポエムを読んでるみたいだ。
具体的なことが一つもない。完全だが閉塞的。
ありがたそうな言葉を集めて並べたのかな。
14 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 16:07:24 ID:iP5D7PUc
ありがたそうな言葉を集めて並べるのは大切なことだと思う。
みなそうやってる。
でも時には抽象度を下げないと調子が悪いだろう。
何がわからないかが、わらなくなる。
ヴィパッサナーで感覚と言葉をつなげる練習をするといい。
日本語文章能力検定を受けるのもいいよ。
2級過去問の論説文で、brownさんのような文が悪い例で載っている。
15 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 16:29:37 ID:E5nBNw9S
brownの文章は、読む気にならないな
句点の打ち方が、変なやつって、頭悪いやつ多いんだよな、経験的に
読んでて、いらいらする
だからもう、brownは、書き込まなくっていいよ
brownって、引用元を、書かないよな、
かといって、自分で経験したことを、書いているわけじゃないし
具体的なことが、何もないから、読む価値が、ないんだよ
だからもう、書き込まなくていいよ
真正面から反証できなくてどうでもいい揚げ足取りに終始してるのが悲しい。
だまってたほうがいいよ。
17 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 17:05:58 ID:iP5D7PUc
戒語
あしきもの
専門用語を比喩でつかう
用もなく漢語やカタカナ語をつかう
18 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 19:16:58 ID:BYfAnJkl
ライバルのいない世界読んだけど、薄味だねちょっとw
brownはラジニーシとかフリッチョフ・カプラとか
1980年代の臭いがするなあ。
これは酷い。具体的反論はなしに句読点や匂いといった些末な挙げ足とりに終始して。
さすが宗教信者。
21 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 19:59:52 ID:iP5D7PUc
ポエムにどうやって反論できるの?
批評ならできるけど
>>20 あんた文章の匂いって感じないの??
わざと臭いと書いたけどw
荒んでんな。かわいそうに。
24 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 20:08:25 ID:iP5D7PUc
brownポエムの価値はゼロじゃない。
私は、一年に一度くらいこういうのが読みたくなる。
ポエムだと人の書き込みを貶めるが自分はポエム以下だね。
27 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 20:39:55 ID:iP5D7PUc
>26
むむむ。
ポエムは貶めているわけでない。
反証不能でかつ引用でないばあい、
建設的な話ができないじゃないか?
好き嫌いの問題になっちゃわない?
brownは自分の経験を書いてるんだろ
ってか経験したことないこと書くなよみんな
本に書いてあることなら本見ればいいんだからさ
本を引用するだけなら、誰々が書いてるって言ってくれ、まぎらわしいから
まぁ、どっちの言い分もわかる。
個人的にbrown氏のカキコはスルーだが。
30 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 21:07:04 ID:onYCC0oc
ここでブラウン批判してる人はちょっと情けないな。
俺は話半分で聴いてるけど、批判してる奴は批判の為の批判だ。
31 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 21:09:42 ID:iP5D7PUc
きちんと学術的な経験知を踏まえないと、
ほんととグダグダになっちまわないか。
オウムとかライフスペースとかみたいに。
自分の経験、、やっぱ人と人が分かり合うのは難しいのか。
1+1=2も拒否されればおしまいだし。
いいんじゃない。
ずっとグダグダだし、ここw
33 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 21:12:16 ID:iP5D7PUc
よく言うよ。自分の心を信じるのは簡単だね。それが後付けでも。
お疲れさまです。
35 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 22:33:57 ID:rYy90Ijj
>>6 一切は縁起ゆえに空であり無常であり無我だから
一切に執着するなというのが、仏教でしょう。
36 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 22:39:19 ID:rYy90Ijj
一切を「奇跡」だと言ってしまうと、
美化して執着してしまう気がする。
一切はくだらないから一切に執着するなというのが仏教でしょう。
37 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 23:21:44 ID:onYCC0oc
一切を「くだらない」と言ってしまうと
蔑視して嫌悪してしまう気がする。
一切は無常だから一切に執着するなというのが仏教でしょう。
38 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 23:24:58 ID:iP5D7PUc
>>34 ん?
了解ってのは自分だけでなくて、互いが分かり合えたと思うことだろう。
1+1=2という数学的事実だけじゃなくて、経典解釈の通説の存在を確認したり、
それ確認できたら、通説を頼りにするかしないかを確認したり、
そういう了解の仕方を探っていた。
でもそれすらも「あなたが勝手に思ってるだけでしょう、わたしはわたし」と言われたら、
それまで。
ちょっと心が挫けるけど、やっぱそんなもんかな。シビアだ。
39 :
brown:2008/10/17(金) 23:39:31 ID:0dSz/ut+
>>36 と
>>37,どちらも,一面,正しいんですね。
しかし,合わせてみて見ると何か変でしょ?
こういう食い違いが出てしまうのは,
あなた方は,言葉でそう語っても,「無常」という意味を全く理解できて
ないんですよ。
コップに水が入っていて,ある人がそれを飲み干したとしなさいよ。
飲む前に見ると,水がいっぱい入ってるだろ?
飲んだ後に見ると,空っぽだろ?
それぞれを個別に見ると,「いっぱい」と「空っぽ」で矛盾してる。
でも,本当はそれは,全然可笑しくなくて,「見方」の方が狂ってるんだよ。
だって,異なる時刻の現象を同列に並べてるんだもん。
「いや,同じ物がそう変化したんだ」っていうかも知れないけど,
変化なんてことはあり得ない。というのは,変化するような,時間を貫いて
存続するような実体はどこにもないから。
それと同様に,物事の見方が狂ってしまうと,まっすぐな線も歪んで,
真っ白なキャンパスも茶色に見えてしまう。
現象の背後にある真実が見えると,全ての見え方のパターンは変わってしまう。
あるものがあるように,ありのままに見える。その様は,あえて言えば,
「奇蹟」といえるでしょう。
40 :
神も仏も名無しさん:2008/10/17(金) 23:39:42 ID:iP5D7PUc
でもbrownさんはbrownさんで、
誠実に、自分の思うところを表現して、
私などの表現も誠実に受け止めようとされて、
それでも互いに了解できないなら仕方ない。
それはそれでいい。
私は自身の理解能力が及ばずながら、あなたと分かり合いたいと思ったんだ。
そのことは、できればわかってほしい。
41 :
brown:2008/10/17(金) 23:53:41 ID:0dSz/ut+
つまりね,「無常」という「真理」を妄信しているかもしれない。
しかし,「無常」は真理ではないんですよ。
なぜなら,無常なんてことはあり得ない。
>>39で「変化」で言ったのと同じ論だけど。
いったい,何物が無常なのでしょう?
無常な物など何一つあり得ない。
そのような時間を貫く存在は何一つ存在し得ないから。
なぜなら,一切の(作られた物は)「無常」だから。
一切は無常なので,無常なものは何も無い。
つまり,「無常ではない」ということです。
しかし,現に,無常です。
「分かる」ということは,こういうことが「分かる」ということです。
しかし,ここで言っていることは,激しく矛盾しています。
それを「分かる」ことが果たしてできるでしょうか?
思考するということは,このように結論がでないことです。止まらないのです。
正しく思考していれば。
このようにずっと止まらないで動かし続けていくと,
通常人に可能な限りの最も正しい誠実さを身に着けることができます。
しかし,ありえないはずの,この全矛盾した全てが,「分かる」という奇蹟
がやがて訪れます。それは,通常人の精神領域から完全に別次元の領域に
存在します。その転移も一つの変化です。しかし,変化ということは
あり得ないのです。つまり,そのこと自体が矛盾に満ちています。
しかも,現実なのです。だから,奇蹟です。
42 :
神も仏も名無しさん:2008/10/18(土) 00:04:00 ID:iP5D7PUc
最も正しい誠実さで了解できるなら、
どうあれ、そんな奇蹟は素敵だ。
43 :
神も仏も名無しさん:2008/10/18(土) 00:52:45 ID:BfRKB3CF
理屈はどうでもいいです。
ヴィバサナーの実践なり
上座部の僧侶の方々のお話などを聞いて
感銘を受けた、瞑想はよかった。
人生がかわったという人はいますか
上座部仏教は良いですか?
44 :
神も仏も名無しさん:2008/10/18(土) 01:16:39 ID:lkiCpP6D
そりゃいいよ
長老の説教はためになるし
ヴィパッサナーは、気分がスッキリする
上座部メソッド上等
45 :
神も仏も名無しさん:2008/10/18(土) 01:22:28 ID:lkiCpP6D
どこの宗教でも自己啓発セミナーでも
ウチ最高って言うだろうけど。
46 :
神も仏も名無しさん:2008/10/18(土) 02:30:05 ID:If5PkXFp
日本にくるより、スリランカの内戦何とかしたほうがいいんじゃないの?
僧侶もテロしてるって、田中優がいってたけど。
幡ヶ谷の人達、スマナに注意してあげて。
クリシュナムルティは世界大戦の最中、我々は戦争に対して何をすべきかと問う聴衆に、
そんなことより自分の内面を洞察したらいかがか、と言ったけどね
48 :
茶:2008/10/18(土) 04:38:27 ID:jcoPN+TL
brownさん、八つの特徴のご説明感謝します。
brownさんはチベットの現状についてどう思いますか?
アヤワスカの小川容疑者みたいなのが協会から出たら注目あつまるかも
51 :
神も仏も名無しさん:2008/10/18(土) 21:55:16 ID:IqSfilvG
>>日本で多くの著作を出している
これは編集に携わボランティアの人が、
長老の過去の発言等を編集してるだけのこと。
brownさん、私も質問させてください。
10年以上前の記憶なのですが、こども〜高校生くらいまで、
習い事や部活で絵を書いていました。
ものすごく集中しているときは、自分が存在していませんでした。
これは、無我と関係ありますか?
53 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 00:54:14 ID:9mufg1EB
成田山新勝寺に供養するのと
ここのテラワーダ仏教会に供養するのとでは
どちらが功徳があるのでしょうか?
54 :
brown:2008/10/19(日) 01:28:08 ID:nrCEPMoI
>>49 残念ながら,チベットの現状には,知識が不足しているために,私には何と
述べるほどのことはできないんですね。
55 :
brown:2008/10/19(日) 01:40:09 ID:nrCEPMoI
>>52 集中というのは無我なんですね。
第二の意識の不在ですね。
通常の意識では,いくら集中してるときでも,「なぜこんなに集中して
るのだろう?」とか「これ以上の集中なないのだろうか」とか「あのときと
比較してどうだろう?」とか「周りのあの子も集中しているのかな?」とか
「こんな私を周りの子はどう見てるのだろう?」とか考えますね。
これが第二の意識です。
「第二」といっても二つだけでなく,集中すべき対象の他に,たくさんの意識
が生じてきます。この散乱が,集中力の欠如を認識させます。
しかし,絵を描くことに本当に集中し切っているとき,この第二の意識が
全く無く,ただ絵を描くことだけが意識に上ります。
そのときは,「絵を描くことだけに集中している」とか「他に第二の意識
がない」とか「こんなに集中したのは初めてだ」とか「絵を描いている」とか
そのような意識(いわゆるサティですね)もありません。
ただ絵を描くことだけです。単一なんです。
これが本当に集中し切った状態で,本来的には至福の境地です。
深くそこに浸れば,至福の感覚が,精神の自然な現れとして沸き起こってくる
べきものです。
56 :
brown:2008/10/19(日) 01:47:54 ID:nrCEPMoI
なぜ,普段はそうではないかというと,精神がひどく散乱しているために,
現在の経験を,反省したり,比較したり,疑ったり,もっと求めたり,
避けようとしたり,正誤・善悪・美醜の判断をしたり,と現在の経験に
「関する」,メタ意識がつきまとうからなんですね。心が統一されてないん
です。もうぐちゃぐちゃに色んな意識が粘りついて,からみついて,どろどろ
メタボリックなんです。それをもっとさらさらにしていくと,心は整理されて,
ひっかかりがなくなってきます。
しかし,もし,集中力がより一層高ければ,たとえ,一時的に第二の意識が
生じても,すぐに集中し切った状態に戻るようになります。
「絵を描くことだけに集中している」などと考えたとしても,すぐにまた
第二の意識が不在の状態に戻ります。
より一層,集中が高まると,心は,いかなる散乱にも動じなくなります。
それを深めていくと,散乱と統一とは,統一されます。
絵を描いているときの全き集中と,日常の狂ったような散漫とが,
唯一の精神領域に統合されていきます。
そのため,一度その領域に触れると,二度と心の本質を見失うことは
なくなります。
57 :
brown:2008/10/19(日) 01:50:43 ID:nrCEPMoI
たとえ散漫な意識のただなかにあっても。
>>55 レスどうも有り難うございます。
本来的には至福の境地、ということは、
それはイコール、いわゆる「悟り」ですか?
また別でしょうか。
至福を感じたという覚えはあまりないのですが、
ただ自分が存在していなくて、自分以外のモノが淡々とそこにあったような
感じだったと思います。たぶんbrownさんがおっしゃる
第二の意識だと思います。
そんな体験を少なくとも何度か、多くて何回もしたと思うのですが、
私は悩み苦しみがある凡夫です。
すみません。訂正です。
>たぶんbrownさんがおっしゃる第二の意識だと思います。
×第二の意識だと思います。
○第二の意識がない状態=本当に集中し切った状態だと思います。
「たぶん」というのは、昔の記憶を思い出してのことなので。
60 :
brown:2008/10/19(日) 02:45:40 ID:nrCEPMoI
>>58 でしょうね。
それは,「集中」という心の状態であって,「悟り」とは違うんですね。
大抵,絵を描くことなどに集中したときに,本当に集中し切ったとしても,
あまり至福は感じないんですね。でも心の状態としては同じ(類似)なんですね。
なぜかというと,「集中」と言っているのは,実は「固定」なんですね。
ある対象に意識を固定してるわけです。だから,それ以外のものが意識に
上らない。そのために心が解放される。上座部教学でいえばサマタ瞑想
ですね。
最初の「悟り」という一瞬に至るためには,固定ではなく,変化への集中
が必要ですね。つまり,一瞬一瞬の現象に対する一瞬一瞬の集中ですね。
絵を描くことだけに集中しているのではなく,何ということは無い,普通の
行為,次々に変動するその内容全部に対する,一瞬一瞬の即応が必要ですね。
なぜなら,「絵を描くこと」への集中というのは,条件付けられているから
ですね。「絵を描くことに集中しているから」第二の意識がないのではなく,
どんなことをしていても,どんな瞬間にも,無条件に,第二の意識のない集中,
つまり至福が続いていくという体験が必要ですね。
その経験が根本的に,経験の再構成をもたらし得る,最初の経験となるで
しょう。
61 :
brown:2008/10/19(日) 02:46:12 ID:nrCEPMoI
要するに,「絵を描くことに集中しているときに」といった条件付けは,
表層意識では意識していなくても,深層意識には,やはり第二の意識が生じて
るんですね。「『そのような条件下だから』集中している」といったような。
つまり,心はごまかせないわけです。どこまでも誠実に,真面目に,
自分自身の心に取り組まない限り,本当の解決はないんですね。
無努力に,偶然に,悟りが得られるということは絶対無いんですね。
仏陀に会うと,意識が上昇するなどということもあり得ないんですね。
まして,どんな宗教団体でもその高僧に会うと高いレベルに早くいけます
などというバカなことは100%ないですね。絶対に無いです。
あるいは,宇宙にいくと,本当に大事なことに気づいて悟りました,などと
いうこともありません。
経験の種類によって,心の問題が解決することは無いんです。ただ,誠実に
この自分自身の心をしっかりと見つめ,それを陶冶し,一個一個正していく
気の遠くなる作業を通してしか,悟りはあり得ません。
このことが分かると,世の中の宗教や哲学の嘘が見抜けるようになります。
そういうごまかしではなく,本当に自分自身の心に取り組まないと,
なんの解決にもならないんですね。
しかし,本当に集中し切った状態や,宗教的教義,奇蹟,瞑想体験,
宇宙に行った経験,ドラッグ,突然の意識の変容などの断片的な経験も,
実際には,その契機にはなり得るんですね。LSDで,本当に自己に取り組む
契機を得てもかまわないわけです。
62 :
brown:2008/10/19(日) 03:10:27 ID:nrCEPMoI
昔,チベットで,サムイェーの宗論といって,シャマタ・ヴィパシュヤナー
による段階的修習(漸悟)を重視・主張するインド伝来の中観派の導師と,
中国伝来の禅宗による,如何なる作為なしにも悟ることができるとする頓悟
の導師がディベートをしたことがあるんですね。
その宗論は,段階的修行によって悟りを得るインド側の漸悟が勝利した
のですが,その本質は,人間の心の連続性があるんですね。
過去から承継している心の汚濁があるんです。無常といっても,時間など
というものはないとか,実体はないとか,悟った風なことをいっても,
人間の精神(魂?)というものは厳然としてあって,過去世からずっと
引きずっている連続体があるんです。それを直さない限り,なにもならん
わけです。それには一気にとか,全体的にとか,都合のよい方法はないんです。
一個一個,直していく以外に道はありません。それは,法則だからです。
その抜け道があるとする教えは全て嘘です。なぜなら,それは法則だからです。
根本的なところで違ってるんです。
法則の存在になぜはありません。
兎に角,物体の運動には,力学法則があって,力に比例した加速度が生じて
物体が移動します。プラスとマイナスの電荷があって,その間にクーロン力
が発生,N極とS極のペアからなる磁極があって,その周りに,方位付けられた
磁場が発生して,別の磁極や電流に対して力を及ぼします。これらの理由を
問うことはできないが,その力の法則は厳然としてあり,例外はありません。
同様に,心の動き,性質にも法則(縁起)があって,その網から抜け出る
術はありません。ただ,その法則を理解し,その中にある中で,どのように
行動するかが存在し得る全てです。
それが,釈尊の悟りによるあの晩の洞察の核心でしょう。
63 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 08:37:45 ID:2nLKsYwz
スマ長老はエックハルト・トールをどう評価しているのだろうか?
64 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 10:16:51 ID:gQsAkAGv
非我と無我は違うというけど、スマ長老はどちらの立場?
>>62 brownさんはエックハルト・トールについてどのように考えていらっしゃいますか?
初めまして。
とあるカルト問題で、これから試行錯誤してみようと思った者です
私の直面している問題以外にも多くの全般的な仏教系カルトなども知りたいです
全日本仏教協会のHPも拝見しましたが直接アクセスは出来そうにありませんでした
これらに関する議論のスレがあれば誘導お願いします
67 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 11:39:30 ID:tPNOszUK
なにこの自作自演。ちょっと怖くなってきた。
カルト問題?
どんな?
>>68 念仏宗無量寿です。
その他、創価とかアーレフとか、世間一般に広く認知されている問題は
幾らでも簡単に情報は収集出来るのですが、大きく取り上げられていない為に
注目を浴びていない話題をどこかで総括していないか、と思いまして。
すんません
ここって、全日本仏教協会とは違う話題なんですか?
そーなら失礼しました。
71 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 15:58:16 ID:tPNOszUK
>全日本仏教協会とは違う話題なんですか
明らかに団体として別だろうが
72 :
華厳命:2008/10/19(日) 16:13:23 ID:zIENr7dk
いかなる宗教であれ自分の救いを求めるなら
それはニセモノに決まっている
ああ、愚か者よ
ニルバーナや解脱を求める人間のなんと卑しいこと
身の破滅を覚悟で他者救済に努め励む者、自分の救いを放棄し
必要ならば地獄へも赴く者こそ真の仏教徒だ
73 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 16:23:13 ID:tPNOszUK
よけいなお世話ってこともある。
アフガン戦争とか、
他者救済のためにポアしり、
正義の革命のために人を殺したり、
自重という徳。
74 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 16:24:40 ID:tPNOszUK
真理を教えるために 折伏したり
自分より他者を救うなんて自と他を分別してる証拠、たんなる我
他者を救うと同じように自分を救うべき
それは他者を救うと同じように尊い
76 :
華厳命:2008/10/19(日) 16:36:22 ID:zIENr7dk
くよくよ取るに足りない事で意気消沈するな
悪とはより少ない善であり、善とはより少ない悪である
あんたが堕落したろくでなしだろうと、聖者であろうと
それらは程度の差であって、種類のそれではない。
悪のパワー無くして、いかなる善行ができようか!
お前らはもう完全なんだよ
悟りだの、迷いだのそんなちっぽけなもんはうっちゃってしまえ!
阿呆臭い建前だね。そんなきれいごとならべて本当に自他分け隔てなく生きた
宗教屋が史上いんのかよ。
>>76 お前はいつからニーチェ+スターウォーズみたいな思想を説くようになったんだ?
少し前まではラーマクリシュナがどうとか力説していたじゃないか。まぁどっちも
笑えるからいいが。
まあとりあえず言葉がムラムラするのを落ち着けようぜ。
それが仏教を志す者共通の基本のはず。
80 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 18:53:29 ID:tPNOszUK
馬鹿をこじらせると後戻りできないのか、恐ろしい。
81 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 18:54:54 ID:tPNOszUK
brownとか華厳命とか
私は以前、ブラウンさんのレスを全く受け入れることができませんでした。
でも久しぶりにこちらに来て、
>>62を拝読して納得しました。
冥想を実践していくうち心に変化が起きたと思います。
83 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 19:06:06 ID:tPNOszUK
相当な慈悲心だ
84 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 19:22:48 ID:tPNOszUK
でも大体無理だろ、自分の言いたいこと、
上から目線でダラダラいうようなやつ。
子供でも嫌だな。上司なら我慢するしかないかもだけど。
ほかで嫌なことでもあったのかも知れないけど、
公衆の場でさらすなよ。
そういう風に思ってるオーラが漂ってるよ。君
86 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 19:48:30 ID:tPNOszUK
そりゃそうだよ、そう思ってんだから。
ホトケさまじゃないんだから。
87 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 19:55:48 ID:tPNOszUK
絶対ああいう、ふんぞり返って、寝呆けたオヤジにはなりなくねぇ
88 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 19:57:42 ID:tPNOszUK
なりなくねぇ→ なりたくねぇ
>>75 (゚_゚
出来る。
ある意味他者としての自己か …。自己への憐憫でなく、自身へ手を差し延べること…すばらしい。
90 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 21:05:53 ID:tPNOszUK
このボケ!アホ!すっこんでろ!
91 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 21:07:04 ID:tPNOszUK
あ、89でなくてbrownと華厳命
92 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 21:10:53 ID:tPNOszUK
てかどこがすばらしいんだよ アホか?
こんな、美辞麗句だけ並べるやつろくなやついないだろ。
ひとり芝居だったらやばすぎだぜ オッサン!
理解 忍辱 理解 忍辱
94 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 21:24:31 ID:tPNOszUK
ああいうのは ビシッとやったほうがいいって、バカなんだから。
理解、忍辱ならん、看過できん!
95 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 21:29:42 ID:tPNOszUK
ボケボケボケボケ!
アホアホアホアホ! 目を覚ましやがれ!くそったれ!
96 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 21:44:43 ID:tPNOszUK
まいっか。しょうがね。
97 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 21:45:17 ID:sRKOhb47
>でも大体無理だろ、自分の言いたいこと、
>上から目線でダラダラいうようなやつ。
>子供でも嫌だな。上司なら我慢するしかないかもだけど。
>ほかで嫌なことでもあったのかも知れないけど、
>公衆の場でさらすなよ。
そうだね。同意する。
多くの人がそういうふうに感じてしまうよね。そんな人に対しては。
ただしブラウンに対してじゃなくてね。
98 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 21:47:43 ID:tPNOszUK
ん? そう?
まあいいや、もう好きにして。
99 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 21:50:07 ID:sRKOhb47
論に異論があるなら、論で反論すればいいのに。
「ボケ」「アホ」「バカ」というのはまさに「上から目線のふんぞり返ったオヤジ」そのものじゃないかなぁ。
100 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 21:51:39 ID:tPNOszUK
だって、たたいても鳴らない鐘でしょう?
しょうがないじゃん。 もういいよ、放っとく。
101 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 21:52:32 ID:sRKOhb47
>>89 ケンウィルバーの奥さんは、ガンになってトンレンとヴィパッサナーをやってるうちに、
「他者に何かを与えることと自分に何かを与えることの区別がなくなってきた」といっていた。
持たざるものに自分のもっているものを与えることが、まったく自然なことになった、と。
自己観念の強い自分にはまだまだ真似の出来ないことだ。
他人を直そうなんて
103 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 21:54:08 ID:tPNOszUK
ふーん、だろうね。
104 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 21:55:21 ID:tPNOszUK
>102
私?
イライラしただけ。
ああいうの胸糞悪い
105 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 22:00:58 ID:tPNOszUK
せいぜいすました顔して、
きれいごと言っていればいいさ。
2ちゃんでは公衆の前でオナニーできるんだろ。
106 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 22:16:04 ID:sRKOhb47
107 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 22:23:29 ID:tPNOszUK
>106
リンク先切れてたぞ
「助ける」か・・・ まあいいや。
108 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 22:27:43 ID:tPNOszUK
俺は一生誰も助けないな。
助けたとしたら偶然だろ、多分。
大体裏目に出る。
109 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 22:36:08 ID:D+MFjCTL
別に人を助けなくてもいいから、最低限人に迷惑をかけない生き方が
できればいいのではないか?
110 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 22:37:11 ID:tPNOszUK
なんて、まあいい、まあいい。ま
生きとしいけるものの 悩み苦しみが 消えてなくなりますように
合掌
111 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 22:39:10 ID:tPNOszUK
>109
うん。そうだね。無駄なことをしないよう気をつけます^^
>>60-62 brwonさん、有難うございます。
>それには一気にとか,全体的にとか,都合のよい方法はないんです。
>一個一個,直していく以外に道はありません。
地橋秀雄さんが「反応系の心」とか、「心の反応パターン」ということをおっしゃっていて、
たぶん「何かを感受したときに自動的に自分が発してしまう心」ということだと思うのですが、
それをひとつひとつ良い反応パターンに根気よく直していかないといけない、
ということを地橋さんは確かおっしゃっていて(はっきりしない記憶でスミマセン)、
それと同じですよね。
ヴィパッサナー瞑想で心を観察することが上手くなると、
その反応パターンを見つけるのに役に立つのかなと思いますが、
ヴィパッサナー瞑想はこのために(悪い反応パターンをしらみつぶしに
根気よく直す事に役立てるために)するもの、と考えていいでしょうか?
>>109 そりゃそうだ。
境遇や障害でやろうにもやれない人も多いしね。
でも、実際多くの人に助けられて自分みたいな人間でもこうして息してられてる。
だから、どでかいことは出来なくても、職場や通勤時でも困ってる人がいたら手助けしたいし、
ささいな和顔施くらいは心掛けたい。
114 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 22:47:55 ID:tPNOszUK
>>112 ブラウン信者だけど、ここはまともなことを言っている。。
115 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 22:50:45 ID:tPNOszUK
116 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 22:52:18 ID:sRKOhb47
人間同じ人物がまともだったりおかしな意見いったり
助けたり迷惑かけたり無視したり知らないうちに助けたりするもんさ・・・。
くさらずがんばろう、おたがいに人生は長い。
117 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 22:54:55 ID:sRKOhb47
幸いヴィパッサナーしてる人には自己処罰は必要ない。
自己嫌悪したら自己嫌悪、むかついたらむかつき、無視したくなったら「この感情」と
「ラベルはるだけ」で、義務はすんでる。
自分の感情にもやさしいやり方だ。
118 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 22:55:11 ID:tPNOszUK
>>116 まじ分けわかんねっす。もー、テキトーに生きるぞー
119 :
神も仏も名無しさん:2008/10/19(日) 22:59:54 ID:tPNOszUK
>幸いヴィパッサナーしてる人には自己処罰は必要ない。
そこまでいくとちょっとあれです、私はテキトーにやります。
そうだった。ラベルだった。多謝(^^)
121 :
華厳命:2008/10/20(月) 01:21:18 ID:qbompb8+
さっきはすまなかったな
俺は大乗仏教の立場にあるヤツだから、上座部の人たちの意見が知りたかったのさ
俺の発言によってムカついたヤツがいるなら謙虚に謝罪するよ
同じ仏教徒とはいえ、人それぞれ気質が異なるし理想も違う
当たり前だろ?
でも俺は他人の痛みは自分の痛みだと痛切に感じるんだ
嘘じゃねえ、本当だ
なぜなら高い真理の立場から言えばあなたは「私」だからだ
その観点から言えば、他者を救うと言っても自分が自分を救っているにすぎない
たとえばだよ、あんたらが悟りを開いて永遠の平安を得たとしよう
ハッピーエンドだ
しかし、後に残された迷える凡夫はどうなる?
誰が彼らを救済するんだ?自分だけ救われて他の連中は苦しみの中にほったらかしにして
知らん振りか?
そりゃ、あんまりだろ
いま、日本は経済的にも精神的にも破綻しかかっている
感じませんか?貧困と無知が黒雲のようにわが国を覆いつつあることを?
聖なる思索はすでに無く、かつて世界の羨望の的だった高い精神文明や
高度な先進性は失われ、人々は暗闇のなかケダモノのように「自分は苦しいんだ
、他人のことなどかまっちゃいられない」と欝病と無気力に押しつぶされているのを
やがて暗黒の時代がやって来る不吉な予感、このやるせない閉塞感
きみたちは夜眠れなくなるかい?
俺は心のなかが焼け付くように苦しい。今からでも遅くはない、何とかせねば
手遅れになる。
122 :
華厳命:2008/10/20(月) 01:39:57 ID:qbompb8+
そこでだ、誰も彼もが今生で悟れるわけがないし
感覚器官の制御ができないなら、いくら高尚な形而上的哲学を
並べ立てたところで、あまり意味がない
だから大乗はあえて「長期戦」で何億回でも生まれ変わり死に変わり
少しずつ少しずつ霊性のエネルギーを蓄えて、究極的には仏陀の悟りを
得ようと考えているわけだ
「無恐怖」
これが修行完成のすべてのカギである
俺にもグルはいる
師匠から教わったことは、見るもの、聞くもの、さまざまな人々との出会い
を注意深く観察せよということだった。
目を閉じて静かな場所で瞑想するのも正しいが
騒音の真っ只中で報いを求めず働くのも瞑想だと知った
ヴィパッサナーによるサティは俺に言わせると、心の機能を麻痺させ
無味乾燥な知識を得るだけのたわごとだ
しかしだからと言って俺が上座部を上から目線で見下しているわけじゃない
それだけは信じて欲しい
123 :
神も仏も名無しさん:2008/10/20(月) 02:19:11 ID:hWbKJGVI
3年ぐらい前に人類の未来を考えて苦悩してたら、手相にビシバシと線ができた。
人類最期の一人はどんな思想を持つのだろう。一つの選択として仏教が残ってたらいいね。
論理的にいって最初から最後まで人間は壊れ物だから悩まないでもらいたい。
泡みたいな人類の七転八倒が最期の一人である自分に収斂されただけだと。
俺は上座部に劣らず大乗シンパのつもりだけど(というか本質的な区別はしてない)
華厳さんのいってることは大乗でもないような。
ヴィパッサナーによるサティの上に大乗も成り立ってるんだよ。
>>122 > そこでだ、誰も彼もが今生で悟れるわけがないし
> 感覚器官の制御ができないなら、いくら高尚な形而上的哲学を
> 並べ立てたところで、あまり意味がない
兄ィはサンヤマできんの?(スマナ荘諸兄ほか)
> だから大乗はあえて「長期戦」で何億回でも生まれ変わり死に変わり
> 少しずつ少しずつ霊性のエネルギーを蓄えて、究極的には仏陀の悟りを
> 得ようと考えているわけだ
> 「無恐怖」
> これが修行完成のすべてのカギである
\(^O^)/
> 俺にもグルはいる
> 師匠から教わったことは、見るもの、聞くもの、さまざまな人々との出会い
> を注意深く観察せよということだった。
> 目を閉じて静かな場所で瞑想するのも正しいが
> 騒音の真っ只中で報いを求めず働くのも瞑想だと知った
バクティ〜カルマヨーガみたいだ(^^)
> ヴィパッサナーによるサティは俺に言わせると、心の機能を麻痺させ
> 無味乾燥な知識を得るだけのたわごとだ
俺は感情の荒波から離れた僧舟こそは、溺れる衆生を能く救うと思うんだけど。;)
華厳とブラウンはスルー推奨
>>101 さすがケン・ウィルバーの奥さんだなあ。
夫婦でかたりあってたのかな
>>108 そういう考えの君こそが
実は多くの人を助けている、そんなもんだよ。
俺だって人なんかたすけたこたあねえよ。
もしあったとしたら、あんたの言う偶然ってやつだね。
誰がどこでなんの役に立ってるかってわかんないよほとんど。
でも役に立ちたいと思う気持ちって尊いとおもう。
ホントだね。
性転換って仏教的にはどうなんでしょうか?
悪業でしょうかやっぱり
好きな同性と異性としてセックスしたい、同性をひきつける異性的な魅力が欲しいから手術したいなんて邪ですよね
でもお釈迦様も異性とセックスしたんですよね、そういう意味では問題ないかなとも思うんですけど
わりとマジで性転換を考えています、でもお金ないけど
どう思います?
セックスするのとセックスしたいのでは違うと思うよ
ご飯を食べておいしいと思うのは与えられたものを受け取っているだけ
今、目の前にご飯がないのに、おいしいご飯を食べたいと思うのは想像と欲求
とりあえず異性同性に限らず、セックスしたいとか魅力が欲しいとか何故思うのか
そう思う自分の心を洞察してみたらどうかな
>>130 お釈迦様は出家前にはお妃様と子供をもうけられました。
在家信者の場合、セックスは全面禁止ではないですね。
ただ、セックスの必要がないときにセックスについて妄想するのは、
善いことではないかもしれませんね。
133 :
神も仏も名無しさん:2008/10/21(火) 12:40:43 ID:3ZsNVBv7
>>130 性転換しても、子供はつくれないですよね。
手術して恋人ができたとしても、
恋人が結婚して子供をつくりたいという人生設計のある人なら、
あなたはその恋人と別れなくてはならなくなるでしょうし、
別れた方が相手のためになるかもしれない。
あなたも子供ができないのなら、
将来老後の面倒をみてくれる人もいないかもしれないから、
お金に余裕がないのに手術するのは、必ずしもあなたのためにならないかも。
今の自分の欲のことだけ考えるのではなく、
他人への慈悲心と、冷静に因果関係を考えて計画できる知恵を、
身に付けるよう努力してみるのも良いでしょう。
134 :
神も仏も名無しさん:2008/10/21(火) 12:49:44 ID:3ZsNVBv7
>>130 結局は、仏教で心が成長して、
後悔せずに前向きに明るく冷静に生きていける性格になれたなら、
手術してもしなくても、恋人ができてもできなくても、
自分で決めた人生を後悔せずに幸せに暮らせるようになるでしょう。
手術するかしないかより、どっちを選らんでも後悔しない覚悟を決められるよう、
しっかりした人間になるために、仏教は役立つと思います。
135 :
130:2008/10/21(火) 13:28:23 ID:yeQF1JJm
>>131 文面から察するにもうセックスは”卒業”されてるんですか?
そういうセックスしたいと思わない段階にいたるにはどのくらいかかりましたか
136 :
130:2008/10/21(火) 13:38:53 ID:yeQF1JJm
>>133 >>134 まったくその通りだと思いました
慈悲の心があれば、他人と自分の幸せを心の底から願えれば
どんな形の在り方でも幸せでいられるのでしょうね
ある意味手術やなにかよりも究極の処方箋でしょうか?
長老は肉体と魂?が合わないことは
当然ある、といってるよ。
おまいらセックスに執着しすぎ
一発抜けば冷静に戻るよ
タイで性転換が盛んなのは仏教国だから
あ〜前世が女だったんでしょ、手術オッケーいいんじゃね?みたいなアバウトみたいなノリかも?先進国にはないのかも
業の価値観というか
確かパワーアップユアライフか何かに書いてあったと思うよ。
140 :
brown:2008/10/22(水) 02:29:20 ID:7lR2FJhg
>>112 >ヴィパッサナー瞑想はこのために(悪い反応パターンをしらみつぶしに
>根気よく直す事に役立てるために)するもの、と考えていいでしょうか?
一つの心の動きから,そこに紐付けられた,思考と感情の網によって編まれた,
無意識的な習慣的反応のパターンが発生してきます。
それは,心に起こる現象であって,良いも悪いもないのですが,
それが無自覚的で,制御不能に陥っていることが問題です。
制御不能なのは,心が一度煩悩に執われると,習慣付けられた反応のパターン
が動いていくに任せるままとなって,一瞬一瞬の現実の別の選択肢を採る自由
を失ってしまうからです。
なぜなら,習慣的反応のパターンを,何か動かしがたい,自分自身の
根源的なソースから発しているものと誤認してしまうからです。それに
反すると,何か重要なものが損なわれるような感じがしてしまうからです。
そういう感じがする,そういう誤認というのは,その心のプロセス,
特にそのソースに対して,私たちが無自覚でいるために生じます。
その正体が明らかにされると,そのような根拠の無い誤った認識は消えます。
習慣的反応のパターンは,自己が積み重ねてきた記憶によって精神的に
形成され,麻薬のように習慣性のある生理的な性質によって肉体的に保持
されます。これが,過去から引きずった心身の性質であり,自己固有性の
本質(自我)です。
自覚の光が存することによって,この自動的に引き起こされてきたプロセス,
つまり自我は,必然ではなくなります。
そのようにして,私たちは,反応を起こすことも止めることもできる,
自由を手に入れることができます。
brownさんはいつも夜遅いですね。委託研究って大変な仕事なんですね。
142 :
brown:2008/10/22(水) 02:53:27 ID:7lR2FJhg
>>65 >エックハルト・トールについてどのように考えていらっしゃいますか
確か,以前,エックハルト的な名前の人の本を読んだことがあるような気が
します。
それがそうだとすると,仏教徒ではなく,神学者で,エンライトメントを
説いているということでしょう。
そういうことは非常に大切だと思います。
異なる文化,文脈,方法,教義,哲学の上でも,覚醒は成り立ちます。
逆に,何かに固執することで,本当に重要な本質は失われるでしょう。
仏教の教義は必然ではないし,本来的に不要なものです。悟りとは無関係
なのです。まして,上座部だの大乗だのといった派閥のどれが正しいとか,
どれに帰依するなどということは人生に暗闇をもたらします。
しかし,人間は弱いものです。何かに依存しなければ生きていけません。
そのために宗教があります。何かを信じることで,それを頼りにし,
それを基準にし,それに則って,自分が正しいかを判断したり,安心したり
します。
宗教はためになります。全面的に正しいものはありません。しかし,道を
進むのに必要な指針や,先達の経験を学ぶことができます。仏教の教義には,
膨大な先達の努力が刻み込まれています。それを利用することができます。
しかし,それを,道を判断する最後の拠り所にしてしまうと,どこかで道を
誤ることに必ずなります。
特定の文脈や文化から宗教や道を相対化することで,そのような過ちを
避けることができます。そのため,例えばキリスト教神学者が説くことを
学んでおくことは,非常にためになります。
143 :
brown:2008/10/22(水) 03:06:26 ID:7lR2FJhg
人は何が正しいのかを決めたがっています。
「この宗教が正しい」,「この派閥が正しい」,「この人が正しい」,・・・
常に,どれが正しいかを決めたがっています。
真理を求める者,正しいことを追求する者にとって,この態度は見上げた
ものです。誠実な行いと,一応,言えるでしょう。
しかし,本当はそうではないのです。正しいことを追求し,そのどれかに
固執することで,ますます心に暗闇を抱えてしまいます。無自覚的な
心のパターンを形成してしまうのです。悪いことに,そのパターンは,
自分の経験・記憶で形成した習慣性のものと違って,「聖域」を形成
します。「動かしてはいけない」,「変えてはいけない」,「違っては
いけない」聖域を形成するので,そのパターンを自覚して,そこから自由
になることが,決してできない構造が作られてしまいます。
しかし,仏陀の教えはそうではありません。何か特定のパターンを学び,
帰依し,固執することではなく,自分自身を見つめることで,
そのパターン自体を解体し,除去することを教えます。
そのためのヴィパシュヤナーです。
つまり,考え方のパターンや正しいことの基準を教えるのではなく,
そのパターンを生み出すソースを見つめ,どのようなパターンであっても,
そのパターン自体を解体するため,そのパターンに努力をフォーカスする
ために,ヴィパシュヤナーというフォーカシングをするのです。
悪文の見本だなw
批判するなら中身を批判してみろよ。
悪文は内容を読み取れないから悪文なんだよw
じゃね
ヴィパシュヤナーに我執を感じる
148 :
神も仏も名無しさん:2008/10/22(水) 20:28:41 ID:IIHZyqWZ
>自分自身を見つめることで,
>そのパターン自体を解体し,除去することを教えます。
いったい誰が自分自身を見つめるんだい?
もしかして本当の自分?
見るのは誰でもなく目でしょ
見たくなくても意思がなくても目があれば映る
誰かが目を通して見るのではなく、目が見てるだけ
そうしていけば肉体の行為と自我が本来別物だということがわかってくる
とすれば、苦手な人間に会ったときの、嫌な感情。
この感情も、感覚器官が知覚しているだけということになるのか。
みんなはエックハルトトールってどうよ?
○○ってどうよ?って質問なんか意味あるの?
あれは詐欺だとか、あれで癌が治ったとか聞きたいわけ?
純粋に、間違ってないか、オカルトじゃないか、正しいのかどうか
知りたいんじゃないの?
アドバイスを。
>>151 悪いことは言ってないが、観照者を育てるとか禅の「主人公」とか、
要するに今の自分を観る自分を自覚するようなものの考え方は古くから一般的。
それをニューエイジのジャンルでやきなおしたものじゃないか。
別に焼き直したからといってもパクリとかいう意味じゃなく、それなりに実体験からきた意義のあることかもしれない。
だが、ペインボディとかいろいろいう必要あるのかな、と思う。
「814」 「副島隆彦という生き方」というタイトルのインタヴュー記事を、載せます。
これは、船井幸雄先生が主催する団体のひとつの「人間クラブ」の月刊誌の2006年10月号
に載ったものです。最近の私の考えが分かりやすく表明されています。
副島隆彦 2006.12.15
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#1501 スッタニパータと、法句経(ダンマパダ)という一番古いお経がある。どうやら仏陀本人の本当の
言葉はこの二つだけのようですね。その他のいろんな膨大なお経は、全部仏陀が亡くなった後に、
弟子たちが勝手に作ったものだ。
僧侶が葬式をやったり、お盆にお経をとなえたり死者を祀ったりは、仏陀は一言も言ってない。ブッダは
死に関わるな、と言っている。勝手に後の人たちが作った制度だ。
仏陀自身の言葉は、「愛欲と煩悩を捨てて、この世とあの世のすべてを捨てて、ただ一人歩め。ヘビの
皮が新しく抜け変わるように。サイの角がひとつ進むように。」と書いてあります。
奈良の興福寺、東大寺は法相宗(ほっそうしゅう)という仏教で、中国までやって来た仏教のうちでは
一番古い仏教を伝えている。それは輪廻転生(りんねてんせい)を認めないんです。
来世はない。あの世もない。「この世とあの世をともに超える」とスッタニパータ(「ブッダのことば」
岩波文庫 中村元訳、1984年初版) で仏陀は言っています。だから輪廻転生(りんねてんしょう)
もないのです。
そうそう、そこで私はブッダに従うならば、ゼロ、全くないと思います。「今」という現実は有るのだけれど、
それは仮のすがたであって、すべてなくなるんだ、と。輪廻転生は、仏陀が若い頃、厳しい修行をした
ヒンドゥ教の思想なのです。ヒンドゥ教 ( Hindu 、ヒンズー教、インド教)には輪廻転生が強烈になる。
六道輪廻ですね。生命は生まれ変わる。
ですから、不思議な話ですが、本当の仏教(ブッダの教え)は、徹底的に、無神論(むしんろん、atheism
エイシイズム)なんです。
156 :
神も仏も名無しさん:2008/10/22(水) 23:47:36 ID:IIHZyqWZ
148ですが「誰が自分自身を見つめるのか?」に
誰も論理的に説明してくれませんね。
私の知るミャンマー仏教の先生はブッタゴーサの註まで使って明快に説明して下さいました。
スリランカではそんなことも教えず瞑想させているのでしょうか?
じゃあその先生に習えばいいんじゃないかい?
まあ本質的には、誰かに教えてもらうのではなく、自分で気付くのがヴィパッサナーだから、
教えてもらいたいと思ったら、教えてもらうより、そう思う自分を瞑想すべきだとは思うけど
とマジレス
158 :
神も仏も名無しさん:2008/10/23(木) 00:32:29 ID:4gEGCifO
>>147 ちょっとわかる。
「テーラヴァーダ」と書く人とかも。
仏教系大学だったんでインドに住んでたことのある先生がいたんだけど、
インドではvをワ行で発音するって言ってました。
だから「テーラワーダ」なんですね。
160 :
◇徒弟◇:2008/10/23(木) 03:36:33 ID:+25v5oHr
スマナ荘の苛立たれる諸兄へ
他人にでなく自らに注意を向けましょうよ。どんな事柄にも三つの中のどれか成長できると思う。@理解(道理や感応)A無関心(悪意や無関係な事柄に対して)B忍辱(怒り、苛立ちにサティ)
同意。自分の感情の嵐に無自覚に巻き込まれてしまうことは避けたい。
162 :
神も仏も名無しさん:2008/10/23(木) 11:02:50 ID:DJ7iQJJK
>157
当然もうすでに初歩の初歩として習っています。
私の経験ですと止観双運を行うと我執が溶解するものですが
ここでヴィパッサナー云々言っていられる方は、サティとか言っている割に
一向我執我慢が増大しているように思われます。
そこで変だと?と思った次第で質問したのですが・・・
あなたのマジレスで謎が氷解いたしました。
さらに師の正しさが分かりました。
ありがとうございました。
[488] 私は、インド、ネパールの旅から帰ってきました。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2007/03/08(Thu) 19:37:46
この世の一切を、根底から批判しつくそうという、私の気迫を、横山老師なら、分かってくださるでしょう。
私が、これまでに、冗談で、あれこれの真実暴露の、恐ろしい本 を冗談で書いてきたなどど、思っている
ような連中は、全部、激しい、やけどを負わせてやろうと思います。 私の頭脳と思想が、そこらの生来の
軽度のキチガイたち程度に、負けるわけがないのです。
僧侶の河口慧海(かわぐちえかい)が、1898年(明治30年)からインドに入って、のちに、(「西蔵旅行記」
(あるいは「チベット三年記」)を書いたその足跡も私もネパールまで、行ってみて、カトマンドゥーからポカラ
まで飛んで、「彼は、こんな道を歩いて、ヒマラヤを越えて、チベットまではいっていったのか」 と実感で
分かりました。
彼ら、明治になってからの、日本の高僧たちは、本物は、すべて日本のウソ仏教への、激しい疑念の気持ちを
持って、そして、大乗仏教(だいじょうぶっきょう、Mahayana マハヤーナ)という大嘘を、暴く
ために、それで、死ぬ気で、本場の発祥の地のインドに入っていったのだと、よく分かりました。その
「大きな真実の暴き」の気迫が、他のなにものにも代えがたく何よりも大事なのだと私にはいよいよ
分かりました。
ゴータマ・ブッダその人の思想は、日本の小思想家である、小林秀雄が言った「無私(むし)」 とか、
漱石の「則天去私(そくてんきょし)」などではなくて、 無我(むが) そのものである。 日本で
だけはやった、「道心」(、どうしんみちを究める)などではない。
諸行無常の「無常」(つねなるものはない)などではなない。 無常観など、ブッダの教えと無関係だ。
ただひたすら 無我(むが、おのれの存在の否定)そのものだ。縁起(えんぎ)などでもない。
四諦(したい)まではいいけど、八正道(はっしょうどう)も怪しい。
ナーガルジュナ(竜樹)の、唯識(唯識)や阿頼耶識(あらやしき)などの中観(ちゅうがん)
ですらない。それらも、ブッダ本人は言っていない。チベット仏教で発生した、マントラ(密教、
=真言しんごん、加持祈祷 )の類も、一切、ブッダ本人とは、関係ない。
遠藤周作(「深い河」という作品がある)や、高橋和己(たかはしかずみ、「西方浄土論」のようなもの)や、
三島由紀夫(「暁の寺」のなかの竜樹=ナーガルジュナ=論 ) の聖地ベナレス(バラナシー)への言及にも、
私は、今では、大いに異論があります。現地まで行ってみて、私に分かったことがいろいろあります。私は
それらをおいおい書きます。
仏教(ブッダのことば)は、徹底的に、無神論である。ブッダは、一切の神を信じない。 空(くう)とは、
絶対的に 無 のことである。これ以外の解釈はすべてウソだ。 死ねば一切が、消える。すべては、無だ、
という思想です。出家した者は、生きている限り修行だけせよ。
ただし、いたずらに激しい修行(苦行)などはするな、という一点で、彼は、悟った。そして、悟り(正覚)
というには、解脱(げだつ)で、ブッダが6年間厳しい修行をして、35歳で到達したのですが、この「解脱
(げだつ)」というは、ヒンドゥーの思想そのものであって、仏教に中には、それに相当する言葉がない。
ブッダの80歳での死のことを、涅槃(ねはん、ニルヴァーナ)と言って、入寂、仏滅ですが、こっちが、本当の悟り
(understanding、deliverence )というのではないですか。 仏教には、 悟り(解脱)というのは無いはずです。
仏教(釈迦の教え、ブッダの言葉)は、徹底的に、死ねばすべてがおしまい、消えてなくなるのだ、という思想です。
ブッダのあとから現れた、歴代の各国のアホたちが、のちのちの高僧どもとなって、何を言ったかは、一切、問題
ではない。ブッダがしゃべった言葉だけが、本物の仏教だ。それ以外は、ずべて、ウソだ。でっち上げです。
ですから、日本で、空海、最澄、親鸞、日蓮やら、栄西、道元やら、を崇拝するなら、どうぞ。それぞれの
教祖様として崇めればいい。それが人それぞれの宗教ですから。「しかし、お釈迦様本人は、そんなことは、
どこにも言っていないからな」「証拠を出してみろ」という、私からの、攻撃を彼らは受けることになります。
私は、ゴータマ・シッダールダ本人が、しゃべった言葉、以外は、絶対に、仏教(ブッディズム)ではない、
と原理的に決め付けます。そして、一切のウソを排除します。相手が、誰だろうと、いい加減なことを言う者を、
すべて言葉の力で、切り殺す。(このことの大前提として、その人が、その人の、自分の考えを言うのは、
その人の自由です。私は何も言いません。ご自由にどうぞ。 )
ブッダの思想は、全部、全部、すべては無に帰ってゆく、という思想です。 こういうこともよく分かってきました。
今から、私は日本のウソ仏教の、壮大な馬鹿な各仏教教団を、徹底的に、たたきます。
副島コピペは少し読んだだけで気分が悪くなる。
まあ着眼点は正しいんだろうけど、判断が早計だね。上のコピペは。
168 :
◇徒弟◇:2008/10/23(木) 18:11:40 ID:+25v5oHr
絶対無W思想WW
死んだらおしまいW×3
叩くW×4
則る為に則る
抜け殻の釈迦像に礼拝してる気がする
釈迦の教えを正しいとする理由は?答、釈迦の教え、だから?
>>155 副島はここ3年ほど読んでるが、
政治経済に関してはトップクラス(敵は多いが)
だが、宗教に関してはド素人だぞw
無常と縁起を否定している時点で外道だな。
ただ副島はやがてアメリカ発の世界恐慌がくる、だっけかな
本書いてるが、あたりつつあるよね。
ただ仏教の素養、素質はないね。
断言する。(俺の断言にも意味はないがw)
172 :
神も仏も名無しさん:2008/10/23(木) 20:54:02 ID:IPGx8vAL
>>155 >奈良の興福寺、東大寺は法相宗(ほっそうしゅう)という仏教で、中国までやって来た仏教のうちでは
>一番古い仏教を伝えている。それは輪廻転生(りんねてんせい)を認めないんです。
>そうそう、そこで私はブッダに従うならば、ゼロ、全くないと思います。「今」という現実は有るのだけれど、
>それは仮のすがたであって、すべてなくなるんだ、と。輪廻転生は、仏陀が若い頃、厳しい修行をした
>ヒンドゥ教の思想なのです。
sugoi
173 :
神も仏も名無しさん:2008/10/23(木) 20:56:48 ID:IPGx8vAL
副島 隆彦っていうと、爬虫類人類が世界を闇で牛耳ってるとかいう人か?
太田龍とか船井とかとおなじアセンション関係の人か。
太田龍とかとはちがう。
輪廻が無いのになんで修行するのか
不明w
副島ってアポロは月にいってないとかいうトンデモ本出した人でしょ?
科学的教養がなさすぎる
陰謀論好きの負け組みには人気だろうけど
177 :
112:2008/10/23(木) 22:49:20 ID:5nGF3pBB
brownさん、どうも有り難うございます。
フォーカシングは、フェルトセンスとかのフォーカシングでしょうか。
フォーカシングは本をざっと読んで大まかに理解しています。
ひとつ疑問があります。
解脱のためには、パターンを根気強く解体しなければなりませんし、
パターンを解体し尽くすしか方法はないわけですよね。
そのために、ヴィパッサナーをすると。
ところでテーラワーダ系の瞑想会では、ほとんど一日中瞑想する
スケジュールのところもあるようですし、また、テーラワーダ仏教国
の出家者も、たぶん、瞑想を沢山しますよね。一日何時間も。
そういう長時間のヴィパッサナー瞑想って意味あるのかなと思います。
心が荒立つ環境(俗世間)から離れて、瞑想の時間を取り、
長時間の瞑想をしても、心が荒立つ、つまり、
習慣的に発してしまう悪いパターンに遭遇し、それを観察するチャンスが
なくなってしまうと思います。この点は、確か地橋さんも指摘されていましたが、
だから在家はメリットがあるんだよ、という事で話が終わってたように思います。
(つづく)
178 :
112:2008/10/23(木) 22:50:44 ID:5nGF3pBB
悪いパターンに遭遇するチャンスが多いという点で、
確かに在家のほうが修行に有利なように思います。
悪いパターンを根気強く解体するしか解脱の方法はないとなると、
ますます、在家が有利です。
では、どうして、俗世間から離れて、長時間の瞑想をするという手法が
存在しているのでしょうか。
解脱を目的とする上で、出家者のような長時間の瞑想は意味があるのか、
ということを質問させていただきたいです。
貪瞋痴を引き起こす出来事が起こりがじな環境に身を置くしかない時もありますが、
出家者的ライフスタイルに近づくチャンスがあればチャンスを掴むように
するのがいいのか、それとも解脱を目的とする上では、
あえて俗世間的な方向に進むようにたほうがいいのか、分かっておきたいので。
(つづく)
179 :
112:2008/10/23(木) 22:51:39 ID:5nGF3pBB
私は、悪いパターンを観察する手法のスキルUPとして(洞察力観察力を高めるために)、
ヴィパッサナー瞑想をするのは、そんなに毎日何時間もしなくていい気がしています。
たとえば、一度に何時間も瞑想したことはないのですが、
仮に一時間くらい瞑想に没頭できたとします。心は落ち着くだろうと思います。
しかし、その間、悪いパターンの発見と解体を
することがないのならば、その時間ってあまり意味がなくないですか?
1時間の間に無かっただけならまだしも、何百時間もやってもパターンの解体が
ないままかもしれませんよね。
意味があるのか?と疑問視しつつ、
何か意味があるから、出家者が長時間瞑想をするのではないか、とも思います。
平安な環境で瞑想に長時間没頭することが意味があるのだとしたら
(解脱に役に立つのだとしたら)、その意味というか、効果は何なのでしょうか?
180 :
華厳命:2008/10/23(木) 22:56:13 ID:n45fLx04
ん?どったの先生?
仏陀が仏教の教祖だろうとなかろうとカンケーないね
ブッダ以上の悟りを開いた者がいるならそいつに従うまでのこと
大乗仏教は、特に「華厳経」は人々の役にたつものなら何でも採用する
なあ?こうは考えられないか?
クリスチャンに出会ったならば共に教会で十字架上のイエスに祈りを捧げ
ムスリムにとっ捕まった
らモスクでアッラーの御名を昼夜唱え
ヒンズー教徒にカレーを食わせてもらったら、愛の神クリシュナの賛歌を歌い踊り狂う
唯物論者にゃスマイルを、そして自分の家に帰ったら仏陀の慈悲と知恵を瞑想する。
これこそ究極のスピリチュアルユニティだ
こんな考えを世間の連中はバカ者のたわごとだと言うだろう
でも世間に一人ぐらい華厳命という馬鹿がいても差し支えなかろう
特にクリスチャンは天国を求めて信仰している者が多いが、およそ名称と形態を有するすべての事物は
すべてはいずれ壊滅するという原則からみて、たとえ天国で数百万年のあいだ至福の時を過ごしても
、それらの天国はいずれ滅び、天界の住民はまたカルマの作用で人間に戻ることを教えるべきだ
あと仏教徒に一言。世界は原因なくして成立できるか?
それはありえない
ブッダは知っていたが、説かなかっただけだ。プラクティカルな問題ではなかったからね
でも「それ」はある。無から有が生ずるというのは非論理的だ
自分の目玉は目玉を見ることはできない。これがヒント。キーワードはアドワイタ
181 :
華厳命:2008/10/23(木) 23:10:08 ID:n45fLx04
高校生の頃、俺はロールプレイングゲームが大好きだった
ウィザードリー、ウルティマ、ドラゴンクエストシリーズ・・・
特にウルティマにはハマったなあ
ウルティマ4「クエスト・オブ・ザ・アバタール」というシナリオでは
プレイヤーがモンスターを倒すのでなく、世界を放浪し、修行して聖者になるのが目的という
内容で、少しでも戒律を犯すとゲームがクリアできなくなるというシュールなものだった
ああ、俺も年をとったなあ
でも今でもおれは16歳のまま
人生はロールプレイングゲームさ
今でも俺は夢見がちなガキんちょのまま「伝説の勇者」を待ちわびる
魔法使いククリちゃんだ
>>180 なにユニティか知らんが、そんなことは誰でもやってる。
183 :
神も仏も名無しさん:2008/10/24(金) 00:01:56 ID:Kar5FZEv
>>179 修行の目的は悟ること。
悟るまでは修行が続く。
悟ってない人にとっては、やるべき修行が終わってない。
病気が治るまで治療が続くのと同じ。
治療に専念できるのは幸せ。
治療が成功するまで、忍耐強く、治療しつづける必要がある。
184 :
brown:2008/10/24(金) 00:18:54 ID:RPA4GS0T
>>178 出家,在家それぞれにメリット,役割があるのでしょう。
>悪いパターンに遭遇するチャンスが多いという点で、
>確かに在家のほうが修行に有利なように思います。
少なくとも,現代の先進国の社会に生きているbrownはそう考えています。
少なくとも,事実として言えるのは,どんな貪瞋痴を引き起こす出来事が
周りで起こっていても,更に言えば,現に貪瞋痴(と呼ばれたもの)に
自身が巻き込まれていても,同時に解脱境にいることはできます。
文献で知る限り,釈尊は出家優先主義だったでしょう。それはなぜかというと,
貪瞋痴の三毒に出会わない,たとえ空間的に近接して出会ったとしても,
そこから徹底的に眼をそらすことで,心を平穏に保つことができるからです。
その方が確実に「瞑想」は速く進歩します。空性体験そのものは,単に心に
波立たなくなることで到達・理解されるので,早く至るという意味で,余計な
波動を起こさない方が得でしょう。三毒に犯される状況を良く知り尽くし,
そのような心の動機を徹底的に排除することで目的を達成することができます。
では,なぜあえて動乱のある環境でのヴィパシュヤナーかというと,
平和な静止を達成しても,そこに「あえて」三毒を引き起こすべき出来事と
接触することを想定すると,平和な静止はその接触に耐えられない
からです。自利の面からいっても,それは実は極めて不完全なのです。
その差異は,心の動きの理解にかかっています。心の静止ではなく,動きの
理解が未だ足りていないのです。
185 :
brown:2008/10/24(金) 00:31:41 ID:RPA4GS0T
たとえで説明すれば,火事が起こったので,危ないから火を消します。
それが静止の成就ですが,その状態は,放っておくと火が原因なく点くような
ことはありません。だから一応安全です。しかし,あえて火を点ければ,
再び火事になります。そこに欠けているのは,火の点く原理や消える原理,
安全に扱う方法などの知識です。それがちゃんと分かれば,火が点いている
状態自体が問題ではなくなります。これが動的な成就です。このように違う
のです。
大乗の教えからすると,動的な達成への必要性は,衆生の救済の動機に
あると教えています。なぜなら,静止の平和では,現に貪瞋痴のただ中に
いる衆生の傍に行って生きることができないからです。
そのような理解力では,現に貪瞋痴のただ中にある方への適切なアドヴァイス
はできようがありません。解脱の理解より,貪瞋痴の理解の方が重要なのです。
修行して心の清らかさを保つより,恋愛し,不正に怒り,仕事に疲れ果て,
怠けたりする心に浸りきる方がより重要なことです。
なぜなら,他人の痛みなど,絶対に理解できないからです。
完全なサマディにいるとき,自分の感情や思考,痛み,その他諸々のもの
(と呼ばれていたもの)は,何ら影響力を持ちません。まるで他人です。
このような理解力では,他人の痛みなど理解できません。そもそも,自他の
区別すらできないようになってしまいます。社会的に無能な人間になって
しまうのです。
自分に痛みを感じることが重要です。それがあるからこそ,他者への共感
ができます。
186 :
brown:2008/10/24(金) 00:43:37 ID:RPA4GS0T
brownに言わせれば,同性愛者に対して,「それは戒律に反する」とか,
「性欲を見つめれば,あるいは超えれば,手術なんて必要ないはずだ」
などと説明しているのは,単なる無知,あるいは他者に共感できない不感症
に過ぎません。
あまりにも思いやりが欠如しているのです。
それは,でも,無理ありません。理解できないからです。他人のことだから。
自ら痛みを感じないからです。静止の平和に浸りきるのは,それとちょうど
同じというか,それを推し進めた状態になってしまうということでしょう。
しかし,彼らにも理解できることがあります。それは自分自身の痛みです。
それを忘れて,棚に上げて,他人を批判し,自分が何かを分かっている
かのように説明するのです。
しかし,実際には,重要なことは何も分かっていないのです。なぜなら,
痛みの理解がないからです。
それを如実に実感したために,釈尊は,「苦しみ」の理解こそが,全ての
真理というものに勝る聖なる真理だと,かの初転法輪でおっしゃったのです。
187 :
brown:2008/10/24(金) 01:12:00 ID:RPA4GS0T
ちょっと,言い過ぎていますね。
>>184 -
>>186は,一般社会人としての理屈ですね。
出家には出家の役割があります。
経済活動から離れて,徹底的に清浄さを追求する聖職者がいてもいいでしょう。
たとえその話が浮世離れしていても,浮世離れしているからこそ,救いになる
こともあるでしょう。日常的には役に立たないけど,非日常の世界もあり
ますね。
要するに,結局は,自分自身がどうのというより社会的な役割が全てなんですね。
釈尊の時代のインドには道の人がいっぱいいて,普通に施しがあって,
財を蓄積したりすることなく,経済活動に参与しなくて,生きていく,
社会通念上のしきたりと役割があったんでしょう。
一方,現代の日本など先進社会において,同様なことがいえるとは,
brownには思えませんが,いずれにせよ,この社会,この時代に合った,
真理探究者の生き方,形態というのは,出家優先主義の釈尊形態とは
違ったものがあると思います。戒律も然り。
要するに,
出家,在家それぞれにメリット,役割があるのでしょう。
「853」 「信仰(宗教) と 理性(=合理) は一致する(相反しない)思想を作った
世界の大宗教のシンクロナイズ現象の元凶(げんきょう)を見つけた。ついに突きとめた論」
を載せます。副島隆彦 2007.5.23
私が、小室直樹先生から教えられて、習ったことは、「ユダヤ教の神のヤハウエ(エホバ)も、
キリスト教(カトリック)の神(ゴッド、God)も、イスラム教のアラー(アッラー)も、
英語で書けば、すべて、ゴッド(God)であり、彼らは、全く同じ神を共有しているのだ」で
あった。紀元前から一千年間の当時の中東、地中海世界では、彼らは、同じ神を信仰していた。
それを、ヤハウェと呼ぶか、ゴッド(ゼウズ、デウス)と呼ぶか、アラーと呼ぶかは、
どうでもいいことであった。同じ神なのだ。
それぞれの唯一の神が神として、全く同じ神であることを彼らは、知っていた。理解していた。
民族言語での表記が違うだけだとお互いに思っている。今でもそうだ。だから、これらの三大
宗教が、それぞれ違う神を崇拝しているのではない。彼らの神は、おなじものなのだ。
この点が、日本人には、なかなか分からないことだろう。
宗教がちがえば、神さまは違う、というのは、浅薄(せんぱく)な考えであって、神学者や
知識人たちにとっては、論争するときには、どの宗教であろうとも、彼らの神はおなじ神である。
「853」 「信仰(宗教)と理性(=合理)は一致する(相反しない)思想を作った世界の大宗教の
シンクロナイズ現象の元凶(げんきょう)を見つけた。ついに突きとめた論」 を載せます。
副島隆彦 2007.5.23
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200705.html#2301 古代ギリシアの、アリストテレスの学問体系(これを、「10個のカテゴリー=範疇(はんちゅう)」という)を、
どのように取り扱うかを、今は、私は、懸命にやっている最中だ。やはり、アリストテレスの学(フィロソファ。
philosophy とは、アリストテレスの学問のことだ )に、西洋の3大宗教の思想の原型(アーキタイプ)の
共通の重要な根っこがあることが分かる。
(中略)
古代ギリシアのアリストテレスのファルサファ(これは 井筒俊彦 の本で使われているコトバ =フィロソフィー、
日本では「哲学」とかいう気持ちの悪い訳語に井上哲次郎がした)の 文献を、ギリシア語から、ヘブライ語に、
アラビア語に、ラテン語、さらに各ヨーロッパ語に、置き換えて、その注釈書(コンメンタール)までをたくさん
書いた。そしてそれらを、地中海世界全体に広めて行く、壮大な一千年間に渡る、世界規模での知識人たちの、
知識人であることの中心的な課題を、彼らは担(にな)ったのだ。
小室のデタラメさも笑うわな。宗教原論の酷さは失笑だが。
経済系の物言いもデタラメだし数学もハッタリばっかり。
「858」 冒頭加筆します。ここのうしろに「722」番の中から、「合理 (ratio ラチオ)と
「理性(reason リーズン)」について、再掲載します。お読みください。2007.6.18
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200706.html#1101 なぜ、副島隆彦が、「合理(ratio ラチオ)」と「理性(reason リーズン)」という言葉の本当の
意味の解読に、これほどにこだわり、しつこく説明しようとするのかを、分かってもらいたいから
です。合理、理性という二つの語は、日本国では、「高級で難解な哲学用語」だと長年、思われて
いるのです。ですから、このふたつの語(コトバ)の本当の意味を、大きく読み破って、解明した、
副島隆彦の業績を万人に知らしめる必要が在り、かつ、そうすることで、日本人の知能と学力が、
世界基準の知識、思想理解に向かってかなり上昇するだろうと判断しています。
「858」 冒頭加筆します。ここのうしろに「722」番の中から、「合理 (ratio ラチオ)と
「理性(reason リーズン)」について、再掲載します。お読みください。2007.6.18
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200706.html#1101 なぜ、副島隆彦が、「合理(ratio ラチオ)」と「理性(reason リーズン)」という言葉の本当の
意味の解読に、これほどにこだわり、しつこく説明しようとするのかを、分かってもらいたいから
です。合理、理性という二つの語は、日本国では、「高級で難解な哲学用語」だと長年、思われて
いるのです。ですから、このふたつの語(コトバ)の本当の意味を、大きく読み破って、解明した、
副島隆彦の業績を万人に知らしめる必要が在り、かつ、そうすることで、日本人の知能と学力が、
世界基準の知識、思想理解に向かってかなり上昇するだろうと判断しています。
私たちは、3年ぐらい前から、reason リーズン は、「理性」(あるいは、理由)などという
コトバに訳して、日本人の知識階級は、それで分かった気になって、実際は、何にも分かって
いない。 「理性」という言葉にして、アホダラ経の有り難い、お経を読むように難解な日本語
翻訳文で、何か分かった振りをして、それで、偉そうに、「自分は高学歴で、知識階級に所属
する」と、勝手にうぬぼれてきた。私、副島隆彦は、そういう人間全員を許さない。もし、
上記の私の「真実読み破り訳」にケチを付け、異議を唱える者がいたら、その者は、どうどうと
名前を名乗った上で、私に問答を提起してきなさい。私が、10時間ぐらいかけて、懇切丁寧に
説明します。
分かったふりは、一切、無しだ。どこからでも、どんなコトバを使ってでも、すべて解明され
なければならない。自分が分かったふりをして、私、副島隆彦をせせら笑うようだと、その
自分自身の、脳天が逆襲を受けて、激しくもんどり打つから、覚悟しなさい。
私には、いい加減な日本土人(どじん)の分かった振りは、一切ないのです。私は、5年ぐらい
前から、reason リーズンとは、reison レゾン(存在の根拠)と同義であり、さらには、ratio
ラチオ、レイシオ 「合理」と同義である、とずっと説明してきました。
ですから、rationalism ラシオナリズム、ラッショナリズム、「合理主義」とは、「利益の法則」
であり、「損得勘定の思想」であり、「投下した労力に対してそれに相当する利益を得ることで
ある」である、と解読してきた。
194 :
神も仏も名無しさん:2008/10/24(金) 03:49:48 ID:pcy3Kd4k
なぜここに副島コピペを投下するwまぁどうでもいいが。
195 :
神も仏も名無しさん:2008/10/24(金) 11:16:48 ID:U51QA7FD
仏教よりキリスト教学んだ方がいいんじゃない、福島って。
196 :
神も仏も名無しさん:2008/10/24(金) 11:31:14 ID:v01cK8tP
キリスト教学のほうでお断りだろ。
この人は唯物史観で宗教を語ってるだけ。
なにより歴史的位置付けだけが重要で、ダンマは全然重要視してない。
というより知識を思考で判断して仏教が体験主義だってことが判ってない
「853」 「信仰(宗教)と理性(=合理)は一致する(相反しない)思想を作った世界の大宗教の
シンクロナイズ現象の元凶(げんきょう)を見つけた。ついに突きとめた論」 を載せます。
副島隆彦 2007.5.23
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200705.html#2301 だから、私、副島隆彦は、ずっとこの問題に絞(しぼ)り込んで、この一点に集中して、すべての信仰(宗教)の
問題を、追究してきた。私のこの態度には、一切の偽善と、はぐらかし、と誤魔化(ごまか)しはない。この、
「お金儲け、営利活動を、世界の6大宗教であるそれぞれの各宗教は、それぞれの教義で、どのようにするのだ。
金儲けを認めないと実際には人間は生きて行けないではないか」 ということである。
ここで、ユダヤ教の中に、「信仰と理性の一致、融合論」を、真っ正面から、投げ入れて、そして大議論にした
神学者たちがいて、彼らの思想を、発見し、取り上げて、日本人として、日本国内で、正直に議論しなければ
ならないと、強く思う。
「信仰(啓示と言っても同じ)と、理性(=合理、ラチオ、リーズン)は、必ずしも互いに相反しない」すなわち、
「共存できる」さらに突き詰めて言えば、「一致している」 ということまで主張する。
そのように主張した者が、10世紀の、当時のバグダッドやバビロンにいたユダヤ人たちの共同体の中で、公然と、
議論し、主張し始めたらしい。この「金儲けの思想」をユダヤ教の教義(きょうぎ)そのものとしても是認される
教義(きょうぎ、キャノン、さらには戒律)にまでしまった人物(たち)がいるはずだ、とずっと探していた。
それを、ようやくのことで、私は発見した。
以下の「ユダヤ人の歴史」(鴨川ひかり が集成した論文) の中の、
「・・・サアディアの思想が、後代のモーゼス・マイモニデスに多大な影響を与えたのである。 彼と同世代の
イスラム哲学者アヴェエロス ( Averroes 1126-1198) にも影響を与え、後のマグヌス・アルベルトゥスや、
トマス・アクィナスによるキリスト教スコラ哲学の大成の、その源流でもある ということも言うまでもない。
ユダヤ教のマイモニデス、イスラム教のアヴェエロス( アラブ名は、イブン・ルシド Ibn Rushd 1126-98) 、
キリスト教のアクィナスなどはいたるところでその治世と業績を称えられているが、実はそれらの本当の
始まりはこのサアディアなのである。」
(転載貼り付け終わり)
という箇所で、私、副島隆彦は全身が震えた。遂に見つけたぞ。この偉大なるイスラム神学者マイモニデスや、
イブン・ルシド(アヴェロエス)ら、超大物のイスラム神学者たち だと、井筒俊彦の本にあって、かつ、
イスラム政治思想の専門学者であるあなたに習った、スペインのコルドバ( 後ウマイヤ朝。バビロンが
滅んで、スペインに逃げてきたイスラムの王朝の首都 )が、「イスラム・アラビア語から、ラテン語に、
旧約聖書が翻訳されたのが、ここに翻訳王国としてのコルドバがあったこと。
そして、もともとは、ギリシア語で書かれていた(アラム語説もある)新約聖書(イエス・キリスト
の物語)もここでアラビア語からラテン語に10世紀頃になってようやく、翻訳されたのだ」とか、
**さん。確か、あたなに、10年ぐらい前に習ったのだ。
以下に引用する論文の中で、はっきりした。サアディア・ベン・ヨーゼフ(Saadiah Ben Joseph 、892〜941)
というバビロン・タルムード学派の大物のラビで、”ガオン(学院長)の中のガオン”と呼ばれて、「(バグダッド
の南にあるバビロンの)スーラの学院長」だったユダ人の学者だ。
彼は、10世紀に、バグダッドに住んでいたユダヤ人たちの中の学問と信仰の中心的な人物だ。ここではユダヤ人
たちは、ファーテイマ朝や、イスラムの王(カリフ)たちに大事にされてイスラム帝国に奉仕していた。かなり繁栄
した商業活動をしていたのだろう。今のイラクのバグダッドの南に遺跡が残っている バビロンの都のガオン(学院長)
だった サアディア が、「信仰 (すなわち人間を愛する思想)と理性(リーズン、ラチオ =すなわち 強欲・
拝金の思想)の一致」を初めて明確に公然と唱えた男だったのだ。
そして、その学統を引いて、完成させたのが、以下の文から分かるとおり、その200年後の、モーゼス・マイモニデス
( Moses Maimonides 、1135〜1204) だ。
やっぱり、マイモニデスだったのだ。 「信仰 (神への愛、アガペー、カトリックで言う恩寵 )と理性、合理は
必ずしも相反しない」というユダヤの思想を、完成させたのは、マイモニデスだった!! 私は分かったぞ。鈴木さん。
ついに、私は、元凶たちを突き止めた。 マイモニデスは、ユダヤ人のくせに、イスラム神学者なのだ。あるいは、
イスラム神学者なのに、隠れユダヤ人である。あるいは、ユダや思想家であるのに、徹底的にイスラム神学者であり
続けた、熱心な「隠れイスラム教徒」なのかもしれない。 つまり、混ざっているのです。
何が、彼の本当の信仰であったかは、分からない。
さすがにもういいよ。スレ違い。
あとは副島スレでも立ててやってくれ。もう禁止。
ここで、「金儲けをやってもいいのだよ。金利を取っても良いのだよ」という思想を紛れ込ませて、そして
それで、ユダや思想(ユダヤ教)は、完成した。その際に、イスラム教とカトリック教(これがキリストの
はじめの裏切り者たち)の中にも、それからのちの、プロテスタント各派(ユダヤ教の混入したキリスト教。
金儲け=ラチオとリーズン=理性を肯定しないでは生きて行けないと思った近代西欧人たちの思想。
それでもなおごく少数の、金儲けを嫌悪し、否定する再洗礼派などの原理主義派は生き残り、キリストの
純粋の教えを守って、今に至っている)も、5世紀ごろに完成したタルムード(ユダヤ教の戒律書)の中に、
「信仰と理性(合理)の一致」の思想が、その深いところで息づいているはずなのだ。ここが調査し研究
すべき最重要のことである。
**さん。君は、もうフランスの学会から帰っているだろうから、この私の、”大きな気づき”に対して、
ご意見をください。私は、もうあとには退(ひ)かない。一切の、虚偽と、欺瞞と、偽善を、はぎとって、
「信仰と合理(理性)の融合、とそれから、性欲を禁止した思想」を、まるでキリストや仏陀(ゴータマ)
がそれを言っていて、認めているのだ、という悪質な宗教宗派になった大教団を私は、その教義の一番深い
ところから暴き立てる。大きな真実を覆い隠そうとする者たちを私は糾弾し続ける。
**さん。貴兄が研究しているイスラームの政治思想の、このユダヤ教、キリスト教、およびイスラーム教
までもの混じり合い、そして 強欲・拝金の、合理の思想と、それから、穢(けが)らわしいものとしての
性欲の否定(これがもうひとつの大きな偽善だ)のあたりのとことで、私は、すべてを、はっきりさせたい。
決着を付けてみせる。そして、日本土人たちのコトバで、満天下に 「人類の歴史の一番大きなところでの
闘い」を解明し、解説して、この土人民族に、世界規模の大きな真実を伝えようと思います。協力して下さい。
確かにもう邪魔だな。
退散します。
今日の東京夕べの集会出ようか迷ってる
合理と理性なんて田舎のおばちゃんが
何十年も前に見破ってるよw
反応系のパターンがどうのこうのは
世間との関係を良くするためのもので
解脱とは直接関係無いんじゃない?
一日中30年も座れば誰でも悟れるんじゃないの?
206 :
神も仏も名無しさん:2008/10/24(金) 20:15:57 ID:HdJ9Up96
お金ね。
もろ、欲が絡むよねー。
気になるねー。
そのときの自分の「感情」をよく観察すりゃいいんだよ。
感情=煩悩
自分がどうやって生きているんだろうね。
地水火風
煩悩でで物事は善いほうへ変えられないよ。
分かったつもりでも、気がついてない人には苦果しかないよ。
だから嘘ついても無駄だよ。
何のために生きてるの?
お金がすごく気になるって感情に正直に気がつけば、大分違ってくるよ。
エゴの代表格は、「嘘、見栄」だからね。
苦果を味わうのは自分だよ。
誰かに頼まれて苦しい思いをしていますか?
そのときしか成り立たないんだよ、無常だから。
無常だから原因があって、結果が出るんだよ。
無常でなかったら、全てそのまま。
ずっとずっと。
何も変化しない。
苦しみも起こりようもないね。
変化しないくせにどうして心がころころ変わるのさ?
そして、何かを「正しい」って認識してるのは「心」だよ。
あなたの心がなけりゃ、なんにもはじまらなかったってことさ。
>>206 誰に説教してるんだ?
このスレは聞かれてもいないのにいきなり説法はじめる奴がよく現れるなw
仏教学んでるのにエゴが大きくなってるんじゃしょうがないね
208 :
華厳命:2008/10/24(金) 23:53:56 ID:F5N0Bxjl
そうだそうだ。名と形あるものは壊滅する
悟りの目的とは何か?
生と死の循環の輪から脱出することだ
形も無く、性質も無いもの、具体的に言えば身体の無いこと、心もないこと。
これが理想だ。それは破壊しようが無いからだ。
ここでひとつ疑問が起こる。なぜ我々は慈悲深くあらねばならないか?
慈悲や哀れみは心の領域で起こる。仏陀は「慈経」で慈悲を説いた。
心を滅尽しなければ解脱は不可能だ
では他者を救うとか慈しむとか言うあの偽善的饒舌は?
なぜ俺は善良で慈愛に満ちた人でなければならないか?
仏陀がそう言ったからか?それは答えでは無い。仏陀に従う義務など俺には無い
それとも人間理性にとってそれは好ましいからか?
しかしもっとも合理主義的理性にもとずけば、俺が全人類の幸福を独占し
他の連中は不幸のままにしておけば良いのではないか?
ブッディズムは教祖が不可知論者であるため、答えを出せないだろう
俺はそれがもっとも偉大な存在、神だろうと仏だろうと自分の知性が納得しなければ
服従する気はない!
さてブラウン君、きみならもう、わかっているよね?
無我の意味が。あの「一者」から放射されたこの相対世界が実は一つだということを?
我々は甘美なワンネス。あなたはわたしであり、わたしはあなた
全宇宙はほかならぬ俺自身だったという宣言を
209 :
華厳命:2008/10/25(土) 00:18:01 ID:aXqi4VYV
俺は君たちをこの地球という牢獄から解放するためならば手段を選ばない
オウム真理教の連中が「救済のためなら手段を選ばないぞ!」とほざいて
サリンをばら撒いた。彼らは殺人という最悪の結果、犯罪者になった狂信者だった
しかし正直でやさしい人々だった。
オウムをバッシングしたマスメディアこそ醜悪だった。
善と悪はコインの裏と表だよ。まったく
マルクスは共産主義によって労働者の楽園を主張した
それは美しい理想だった(これもごく粗野な宗教である)
しかしその結果スターリンや毛沢東のような史上前例のない恐怖政治が
行われ、数千万の人々が収容所に監禁され銃殺された。
しかしもしマルクスという経済学者が存在しなければ、労働者の権利や
社会福祉という概念は無く、我々は資本家の家畜だったかも知れない
いずれにせよ、この世界は善と悪の混合だから、良くも悪くもならない
どいつもこいつもろくな救済案はないな。
華厳命の超仏教とかなんかコテ付けてヒンドゥー文献紹介して
フルボッコされてた頃の初心に戻れ。
華厳と副島ヲタは出禁ね
ブラウンは許す,ただし,句読点の,使い方を直してね,読みにくいから
つーか、スレ違いは一切禁止、スレに沿ってれば誰でも可だよ。
言葉や表現狩りは意味はない。
213 :
華厳命:2008/10/25(土) 11:21:29 ID:aXqi4VYV
あなたがたはみんな仏様です
わたしは全人類、生きとし生ける者の召使いになりたい
すべての不幸と苦しみはわたしに与えられよ
すべての幸福と速やかなる悟りの成就よ、あなたがたの上にあれ
悟りを求める人々は国の宝です。最澄はそうおっしゃりました
ここでわたしのささやかな願いを
上座部と大乗は共に手を取り合って一つにならないものか?
われわれみずからのちからで、もう一度歴史を作り直そう
語り直そう、かつて純粋無垢に生きた人々がいたことを
華厳命ここに死す
わたしの最後のアドバイス
「現代語訳・大乗起信論」を読んでみてください
たかだか60ページほどのささやかな小冊子です
なんだか眠いよ、ひどくダルイ。疲れたな・・・
マイルスデイヴィスの「カインド・オブ・ブルー」でも聴きながら
寝転んでいたい。ジャズが好きな奴に悪い奴はいないから
>>213 何がアドバイスだよw
なんで上からものを言うんだ?エゴが大きすぎるんじゃねえか?
死ぬって簡単に言うなよ、そこまでして人の気を引きたいのか?
エゴが強すぎるぜ
俺はジャズ好きだけど性格悪いぜw
そもそもマイルスが性格悪い
仏教的に聴覚を刺激して安楽を得るのはありなの?
NHKの探検ロマンでスリランカの
仏歯寺の事やってたけど、日本の真言密教
みたいだったな。
日本以上に土俗的信仰が行われているようだ。
この辺どうなのか長老にお聞きしたい。
事あるごとに日本の宗教を批判するが
自分の国はどうなのかと。
祭りだってヒンデゥーとの習合じゃないか。
219 :
112:2008/10/25(土) 21:42:58 ID:0lnZsR0O
brown さん、どうも有り難うございます。
要約すると、
出家の修行形態の存在理由は、社会的な役割にある。
ということですよね。
ここは納得しました。
では役割のことを置いといて、修行の効果については、
まとめると、下記の理解であってますでしょうか。
出家的修行方法のメリット:
貪瞋痴の三毒に出会わないことにより、瞑想が速く進む
在家的修行方法のメリット:
貪瞋痴の三毒に出会うので、悪い反応パターンを観察し解体するチャンスが多い
悟り(阿羅漢レベルの最終的悟り)には2種類ある。
○ 出家的修行方法による悟り=静止的悟り(と便宜上名付けてみます)
例:ブッダや、ブッダ生存当時の阿羅漢たち
○ 在家的修行方法による悟り=動的悟り
(つづく)
220 :
112:2008/10/25(土) 21:47:19 ID:0lnZsR0O
>平和な静止を達成しても,そこに「あえて」三毒を引き起こすべき出来事と
>接触することを想定すると,平和な静止はその接触に耐えられない
>からです。
ブッダや当時の阿羅漢たちは、三毒を引き落とすべき出来事との接触に
耐えられないということになるのでしょうか??
また、
>少なくとも,事実として言えるのは,どんな貪瞋痴を引き起こす出来事が
>周りで起こっていても,更に言えば,現に貪瞋痴(と呼ばれたもの)に
>自身が巻き込まれていても,同時に解脱境にいることはできます。
これは、在家でありつつ、阿羅漢レベルになることが可能ということを意味
するのでしょうか。
だとすれば、スマさんの仏教教会のサイトに、阿羅漢になると
「淡々とさえも、日常の家庭生活や経済活動などの関係が営めなくなります。」
(
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html このページ内の「「在家阿羅漢」は無理」というセクションです)
という記述があり、これと一致しないことになりますが……。
私は、さきほどまとめた2種類の悟りで、静的悟りによる阿羅漢が在家でいるのが無理で、
動的悟りによる阿羅漢は在家でいることが可能なのだろうかと推測しましたが、
あってますでしょうか。
今回アップされた「戦争と仏教」の記事なんだけど
スリランカの内戦はともかく、長老はチベットをどう思ってるんだろう。
スリランカが社会主義だということと長老の思想にも関係があったりしてね
忍者猫 宮城県
長老が「スリランカの人は非暴力で対抗する」とか「迷信にとらわれるな」とかいうのは
あの国が現実に過激な暴力性や迷信が横行しているからだろ。
政府vsテロの暴力の応酬や、現世利益的偶像崇拝がかなり一般的だから、
日本のそういう部分がわずかであっても過激に反応しちゃう。
長老がおなじことをスリランカで言えばまったく違和感がないことでも、日本で聞けば過激に聞こえる。
まあ非暴力や非迷信主義はいいことだけどね。
スリランカを基準に日本に投影してる節がある。
スリランカのキャンディにある仏歯寺には
釈尊の左の糸切り歯が7重の容器に納められ
それこそ宝石の山で飾られ、祭りの時は像の背
に載せられて練歩く。
人々はみんなそれを拝んでいた。
真言宗と変わらん。
大丈夫か?上座部・・
信仰と尊敬の区別ができてる人は大丈夫。
てか、仏教徒で釈尊の形見をまじかにしてフーンって感じでいられる人っているんか。
政府がタミル・イーラム解放の虎に対して「最後の一人を殺すまで」とかアナウンスしてたな。
一応仏教政府だったと思うが、、、。
長老によれば「外国から圧制を受けてもにこやかに対処して敵意を解消するのがスリランカ人のやり方」なのに。
大丈夫か?長老・・
229 :
神も仏も名無しさん:2008/10/26(日) 12:57:45 ID:2sBwg4oq
>>227 いくら仏教国でも、進んで政治家になりたがる人ってのは、
欲や怒りが強い俗物が多い傾向があると思います。
どこの国でも。
推挙(出馬要請)に応じて出た人と、自分から立候補した人って、臭いからして違う。
雰囲気からして違う。
仏教国だからってみんなが仏教的に生きてるわけじゃないしな
>>230 どっちにしろ悟ってない人間は同レベル
たいして変わらない
己の欲望の為に10万人殺したブッシュも一般人と同じ程度の人間
君や僕と変わらない
進んで宗教に入信する人ってのは、欲や怒りが強い俗物が多い傾向があると思います。
どこの国でも。
入信だってよw
層化瓦解か?
235 :
神も仏も名無しさん:2008/10/26(日) 19:21:19 ID:+UyRBH68
>>234 あなたのために書きかえてあげましたよ
進んで宗教を信仰する人ってのは、欲や怒りが強い俗物が多い傾向があると思います。
どこの国でも。
俺はそうは思わないけど。チャンチャン。。
>>229さんのナイスな書き込みをコピペ、流用させて頂きました。
私の独創的且つ独善的発想ではないことをお断わりしておきます。
色々使えそうなので色んなスレに貼らせて頂きたいと存じております。
238 :
神も仏も名無しさん:2008/10/26(日) 19:34:10 ID:Pz1LLczD
上座部仏教で衆生救済の欲もなくなってしまうのがちょっと
大乗仏教が何故生まれたか未だ不明だそうだが、上座部のさっさと涅槃に入ってしまう姿勢に対する批判が一番の理由だったのではないかと思う
あと、悟りに近くて生まれて来る必要の無い人でも、何回も人生を繰り返して長い時間をかけて生きていれば、様々な能力や長所を発達させられる
そういう点でも、早く涅槃に入るアラハトやプラティエーカブッダより、大乗の菩薩や仏陀の方が能力が高くなると思われるが、大乗仏教は間違ってるのだろうか?
>>236 私も特にそう思わないし人によると思うのですが偏った見解のお手本として
>>229さんのお考えはよきサンプルとなっていると思うんです。また何ら
信仰なき人からみたら
>>235の書きかえはそれなりに共感を呼ぶでしょう。
>>229さんの書き込みは中身を少し入れかえたらあらゆる偏った方々に
使える便利ツールと化する可能性があるわけです。よって万人に利用可能な
リソースとして解放すべきだと考える次第であります。
240 :
神も仏も名無しさん:2008/10/26(日) 19:43:44 ID:ypBs1HGu
大乗は間違っていない。
でもタイの開発僧のように上座部でも大乗的な人はいる。
まあね・・めしいが飯意を導けるかどうかだよね。
>>240レス感謝
やはり大乗は間違ってないか
僕の考えに過ぎないんだけど、原始仏教でお釈迦様自身が、全体の一部しか語っていないと言ってるよね
お釈迦様以前に、地球上で六人のブッダがいた
ということは、やはり「理念」とか「真理」とかが存在していることになる
大乗はお釈迦様が説かなかった理念を、さらに発達させたもので、お釈迦様も説こうと思えば説いたのではないか、と
スマナサーラ長老は、今はどの辺の悟りに居るの?
アラカンにはなってないよね?
まあ・・いろんな奴がいるよw
大体大乗でアラカンなんて言葉
つかわないよな。。
ま、いいかww
>>243 アラカンはサンスクリット語でアラハトだろ
大乗経典にもよくアラハトという言葉が出て来るよ
釈迦の一生を仏教史になぞらえると、
悟りを開くまでの修行人生が「上座部」、成道後の説法人生が「大乗」。
よって上座部的世界観は「人生は虚しい」と説き、大乗的世界観は「すでに悟っている」と説く。
どちらも間違っていない。
246 :
神も仏も名無しさん:2008/10/26(日) 22:47:58 ID:2sBwg4oq
>>245 つまり、悟っていない人が下手に大乗的な活動をしても、
間違った救済活動になってしまう。
人助けをするためにも、
まずは自分が早く悟りましょう…ってこと?
247 :
神も仏も名無しさん:2008/10/26(日) 22:54:56 ID:2sBwg4oq
仏教を正しく理解していないカルト信者が何万人も、自分の修行をせずに人助けしてるつもりで活動するより、
ちゃんと修行した長老一人が活動するほうが、よほど世間のためになる。
凡夫が人助けしたいなら、無理せず、適切な報酬を得られるシステムで働くべきだな
249 :
神も仏も名無しさん:2008/10/26(日) 23:19:53 ID:ypBs1HGu
>242
中国では五時教という考えがあります。
釈尊は南伝であれ北伝であれ80歳まで生きられたという伝承です。
若い時から老年まで同じ事を説法されているわけがない、という考えから
釈尊の生涯を五つに分け、それぞれの時に小乗大乗の教えを説かれたという
考えです。
学問的には批判されるのですが・・
常識的に考えても老年になっても30歳のときの考えのままということはありません
歳をとるごとに思想は成熟するものだと思います。
またいかなる大乗教典も小乗教典そのものを否定したものはありません。
大乗の萌芽は小乗教典の中にあり、大乗の中に小乗も包摂されるという考えです。
玄奘の記録でも一つの寺院に大乗と小乗の徒が一緒に修行していたとあり、
けっして対立していた訳ではないようです。
大乗の理念じたいは素晴らしい。
ただ、経典の由来の事実関係さえ捏造してなければね……
釈尊の舌を伸ばしまくったり霊鷲山に入りきれないくらい聴衆を配置することで
暗に「これはたとえであって事実ではない」と主張してたのか。
中近東でも聖書の人物を騙って聖典作ることが少なくなかったし、
これはどうしようもない人間のサガかもしれない。
251 :
242:2008/10/27(月) 01:05:11 ID:DcGMykF0
五時教というのは歴史的な事実ではないでしょうね
ただ、お釈迦様が何百年も生きていたら、大乗も教えたのではないか?と思う
35歳の釈尊と80歳の釈尊の思想は違っていたのだろうか?
シャーリプトラやアニルッダ等アラハトも、もしその後何回も生まれ変わって菩薩の修行を積めばさらに違ったと思うのはおかしいだろうか?
たとえばスマナサーラ長老は、日本語の発音があまり上手くない
スマナサーラ長老がこれで最後の人生なら、長老の能力はこれで止まる
だがまた生まれて来たらもっとスキルが上がるというか…
それとも涅槃に入ればブッダもアラハトもプラティエーカブッダも何の変わりの無いのだろうか?
プラティエーカブッダは生存中も人を指導する力が無いらしいが
大乗経典を書いた人達も釈尊の説だと言わない方が信憑性が増したと思うのだが
>>247 「きつい境遇にある人を助ける」と、「悟りに導く方向へ精神的に救う」は違うと
長老も言っている。その区別をしっかりつけなきゃ。
後者は悟りにかかわることだから凡夫には出来ないが、前者は智慧と慈悲で誰にでも布施行として可能。
ときに空回りするのは智慧と相手に対する慈悲がないから。
智慧を使って「助けるべき」と。
これは俺の意見じゃなくて長老の意見だけどね。
ときどき、「助けることなんか出来ない」と高いところから冷笑する人もいるけど、
いまの自分を眺めてみて、悟りを開いていない他者から、どれだけ助けられているか考えてみればいい。
いっさいだれにも助けられずにここまできた、というなら、たんに気づきがたりないだけ。
大乗大乗ってw
疑いがあるからここにいるんでしょ
254 :
242:2008/10/27(月) 16:18:24 ID:DcGMykF0
>>253 > 大乗大乗ってw> 疑いがあるからここにいるんでしょ
↑誰に向かって言ってるか分からないけど、俺はそうだが何か?
255 :
神も仏も名無しさん:2008/10/27(月) 18:41:07 ID:5NPqpxe/
>>242 >お釈迦様以前に、地球上で六人のブッダがいた
協会発行の「日常読誦経典」に「二十八過去仏を念じる護経」があって、
書いてあげたいが俺もそれほど暇ではない。
この二十八仏の覚え方、タン、メー、サ、ディー・・・を昔、ミャンマー
僧に教えて貰った事がある。
>>251 >シャーリプトラやアニルッダ等アラハトも、もしその後何回も生まれ
>変わって菩薩の修行を積めばさらに違ったと思うのはおかしいだろうか?
おかすぃ。有り得ない。
ちなみにブッダの悟り(=ブッダ)を目指すのが大乗で、独覚や阿羅漢の
悟り(=独覚、阿羅漢)を目指すのが小乗となります。
上座部などではどちらの悟りを目指すのかは個人の選択の問題としている
ようでよって上座部の中には過去も現在未来にも大乗も小乗も並存している
と言えます。
256 :
神も仏も名無しさん:2008/10/27(月) 19:14:55 ID:DcGMykF0
>>255 >「二十八過去仏を念じる護経」
↑買ったから知ってる
過去七仏しか読んでなかったから28仏にも驚いた
>上座部の中には過去も現在未来にも大乗も小乗も並存
↑そうなの?
ひとつの世界で同時期に二人以上のブッダは存在しないという説は間違い?
では釈尊在世当時も、誰かが仏陀を目指すのは可能だったと?
257 :
神も仏も名無しさん:2008/10/27(月) 19:35:41 ID:5NPqpxe/
>ひとつの世界で同時期に二人以上のブッダは存在しないという説は
>間違い?
一人以上だろう。その通りだが、仏陀を目指して修行することは可能。
釈迦牟尼仏陀も燃灯仏のもとで仏陀になる誓願をした。
麻生総理の下でも次期総理を目指す人もいるじゃないか。
>>255 おまえブッダの悟りってわかって言ってんのかよw
メチャクチャだな。。
>>257 ありがとう
言われてみれば、その通りだ
やっと疑問が解けて来たよ
>>258 正確にはブッダ以外誰も解ってないと思うが、何でこのスレでそういう意地の悪い言い方する人達がいるんだ?
260 :
神も仏も名無しさん:2008/10/27(月) 21:33:18 ID:5NPqpxe/
気にしない。昔、日本の坊主も多数参加する仏教系の専門サイトの
原始仏教・上座部仏教のカテゴリーで「歩きながら瞑想をしています」と、
書いたら、「出来る訳ないだろう」と言う反応。俺もやってるなんてのは
一人もいなかった。俺はあきれて反論する気にもならなかった。
なぜなら、歴史的にみて、今日まで延べにして何人、歩く瞑想やってきた
だろうか、ウン百万人?ウン千万人?
「出来る訳ないだろう」と書いたのは禅系の奴らだったらしいが井の中の
蛙も甚だしい。
>>260 ありがとう
歩きの瞑想は釈尊直伝だそうだね
何で日本仏教には伝わらなかったのかね?
日本仏教には(昔はどうか知らないけど)悟ったと言う人が現れないね
262 :
神も仏も名無しさん:2008/10/27(月) 22:23:00 ID:5NPqpxe/
禅宗の経行はそれに当たる筈なんだが分かっていないんだね。
形式だけは伝わってきたが中身がない。意味が分かっていない。
その錯誤がどこで起こったのか。そもそも中国にも伝わっていなかった
のか。道元などが曲解したのか。道元は伝えたがその後、途絶えたのか。
結論付けようとなると中国仏教まで調べなくならなくなるから。
>>262 > 禅宗の経行はそれに当たる筈
↑それか
> 形式だけは伝わってきたが中身がない
↑形式だけでも日本では禅宗だけだね
天台宗や真言宗にもないとすれば、中国にもほとんど伝わってなかったのかもしれないね
釈尊在世の時に既に大乗を唱えた弟子が居たと思う?
釈尊は後世に出現した大乗をどう思っているだろう?
釈尊自身が、並列して大乗を教えてもいたのだろうか?
アラハトやプラティエーカブッダは、涅槃に入った後はブッダと変わらなくなると思う?
プラティエーカブッダは他者を指導する力は無いというところにも、小乗と呼ばれるのも無理ないと思ってしまうんだ
264 :
神も仏も名無しさん:2008/10/27(月) 22:59:27 ID:c3bASrO6
歩きながら念仏唱えたりする宗派もあるだろうけど、
ヴィパッサナーじゃなくサマタにあたるでしょうか。
まぁ、日本の仏教ではあまり「瞑想」という表現を使わなかったからね。
「歩きながら観察をしてる」という言い方なら、
「できるわけないだろ」とは言われなかったのでは。
>>264 テーラワーダでは観察、中継と言ってるみたいだね
貴方はテーラワーダの人?
テーラワーダの宝経をどう思う?
密教の呪文とは違うらしいけど、俺には違いが未だ分からない
266 :
神も仏も名無しさん:2008/10/27(月) 23:25:25 ID:c3bASrO6
>>265 私は大乗の僧侶資格をもつスマナサーラ長老ファンです。
観察という表現は、大乗でも昔からあります。
むしろ、私が「瞑想」という表現を仏教で聞いたのは、
テーラワーダが初めてかも。
267 :
brown:2008/10/28(火) 00:15:03 ID:DU3ksi6Y
>>219 なかなか微妙な問題になってきていますので,飽くまでbrownの経験と論理的
構成による私見ですが,という言い訳をまずさせてください。
ところで,
>ブッダや当時の阿羅漢たちは、三毒を引き落とすべき出来事との接触に
>耐えられないということになるのでしょうか??
などと,当時の釈尊や阿羅漢の位置づけの議論があります。
厳密に議論するならば,釈尊は実在の人物だとは言えません。
まして,その悟りやその耐性,その見解について議論することはできません。
「歴史上実在した釈尊」に帰依するということはできないのです。
それは我々の正しい拠り所ではありません。それは,夢のような偶像崇拝に
過ぎません。
このことをまず押さえてください。
厳密な探求は,このように常に,私たちの足元の「底」を容赦なく抜き去って
しまいます。
このことは非常に重要な論点ですが,
>>219 -
>>220に直接的ではないので,
とりあえず置きましょう。
そして,
>静的悟りによる阿羅漢が在家でいるのが無理で、
>動的悟りによる阿羅漢は在家でいることが可能なのだろうかと推測しましたが、
について当面検討してみましょう
268 :
brown:2008/10/28(火) 00:29:20 ID:DU3ksi6Y
結論を先に言えば,要するに,相対的なのです。価値観によって変わるという
ことです。絶対的な尺度などないからです。「悟り」というものを持ち出して
も同じです。相対的です。
>>184 -
>>185は,それはそれでもっともらしいが,大乗の立場からの
見解なのです。世間の通常的な生活での効用,耐性という価値観からすると,
>>184 -
>>185のような「レベル」が設定されます。
しかし一方,
>>184 -
>>185で最も高い「レベル」とされているように,
火の消し方を知っていても点けたままにしている「レベル」というのは,
分かっていながら消せていない「レベル」と捉えることもできます。
火を消すということを価値基準にすると,評価は逆転します。
その場合には,静的悟りの方が,動的悟りよりも進んでいるのです。
知識や能力という価値基準からすると,動的悟りの方が進んでいますが,
現に寂静を達成しているという価値基準からすると,静的悟りの方が優れて
います。これのどちらが・・というのは絶対的に決まるものではありません。
相対的なのです。
ところで,その相対的な価値を選択する基準は,結局社会的役割なんですよ。
悟りの外部にある問題です。悟りの外側との関係性から決まるんです。
悟りと現実社会の間にも縁起があるんですね。条件付けられているわけです。
269 :
brown:2008/10/28(火) 00:37:57 ID:DU3ksi6Y
例えば,「消防士」という社会的役割からすると,「火の消し方は知っています。
火の性質を熟知しています。」という能書きは無意味です。兎に角,現に火を
消すことが重要です。
しかし,普通の社会一般生活をする者にとって,兎に角,火を消すというのは
可笑しいでしょう。料理のときは火を使うのがよいし,冬の寒い日は暖房を
使います。しかも,できれば火の性質を知って,よく注意して見守り,換気
することなどが重要と言えるでしょう。
どちらにも共通しているのは,「火の性質を知っているとよい」ということ
ですが,その表面的な現れは違っています。
要するに,「レベル」は,価値観から設定されるのであって,悟り自体に存する
訳ではないんですよ。
だからといって,価値観を持つなと言うことではないんです。ただ,価値観に
多様性があって,それによって,レベル設定や,見解の対立,歴史認識の
違いが生じる,他人は価値観によって別々のことを言っているということが
分かっていればよろしい,ということです。
270 :
brown:2008/10/28(火) 01:04:01 ID:DU3ksi6Y
上記のことはよく分かった,と言う前提で,もう少し,議論を進めましょう。
そのとき,
>静的悟りによる阿羅漢が在家でいるのが無理で、
>動的悟りによる阿羅漢は在家でいることが可能なのだろうかと推測しましたが、
というレベル設定が可能かという問題です。
それは,十分にあり得るだろうと考えます。
特に,座禅など,特定の「瞑想」を発達させることを進めることで悟りを
得るというアプローチをとると,そのようなレベルの差が生じます。
三毒を引き起こす原因から離れることにより,禅定が発達し,それによって
智慧が生まれるとする体系では,禅定から立って,日常生活に戻ると
元の木阿弥になります。なぜなら,三毒を引き起こす原因と接触するから
です。なぜ接触すると元に戻るかというと,接触したときの対策がなされて
いないからです。
本来は,実は,三毒と現実に接触したときの心の動的プロセスと,それを
浄化する浄化プロセスとを観察し,そのプロセスに自身の関心をフォーカス
するアプローチこそが,ヴィパシュヤナーなんですが,その本質を忘れ,
形式的な技法に陥ってしまうと,「ヴィパシュヤナー瞑想」をしているとき
はよいが,そこから日常生活に入るとたちまち戻ってしまうなどという,
可笑しなことになります。
本来は,日常生活そのものが,ヴィパシュヤナーの対象であり,シャマタの
浄化と深い精神統一の成果を,日常生活に分かちがたく結びつける行為
そのものがヴィパシュヤナーなのです。
この勘違いの原因には,シャマタ瞑想の矮小化に,原因の一つがあると
考えます。なぜシャマタ瞑想を矮小化しているかというと,シャマタは
ヒンドゥーなど他の宗教にもあって,ヴィパシュヤナーこそが釈尊の
優位性なのだ,と宗教政治的な理由から主張するためにそうなってしまった
のです。
271 :
brown:2008/10/28(火) 01:11:42 ID:DU3ksi6Y
そして,シャマタの矮小化に引きずられて,肝心のヴィパシュヤナーも
形式化,作業化,条件付けされ,瞑想のための瞑想,「(歴史的実在の)
釈尊以来の正統な方法を引き継いだ」という自負のための行いに過ぎなく
なってしまいます。
上座部には,非常に貴重な教えが保存されています。しかし,それを絶対視
してしまうと,上記のような過ちが付随してしまいます。
これは「正しい」と判定すると全部を信じ,これは「間違っている」と判定
すると全部を否定する,というような子供じみた判断力を捨て,価値観の
相対性を悟る必要があります。
そうするとどうなるかというと,上座部も,大乗も,釈尊も,いかなるもの
も拠り所として確実視できるものは何も無いことが分かります。ただ,
「何も頼るものがない」ということだけが,確実なのです。それだけが
絶対的です。
これを完全に確信したとき,初めて,本当の探求が始まります。
272 :
brown:2008/10/28(火) 01:17:31 ID:DU3ksi6Y
なかなかそうはなれないですけどね。
そう簡単にできるならみんなどんどん悟ってるでしょう。
このように説明して分かっても,なかなかできないですね。
でも,何かの価値観にすがって逃げているつもりでも,本来的にそんなもの
はどこにもないので,すがって逃げているつもりになっているだけで,
実は逃げ切れていない訳ですから,本来的に必ず,全ての価値観への
妄信は棄却され,結局,何も拠り所のない暗闇に追い込まれるという時が
くることは,確実です。
だから,誰でも悟ることができます。それは,予定されたことです。
それは,確実だからです。初めから,絶対的な価値などどこにもないからです。
それだけが確実だからです。だから,誰も皆,そこに気づいて悟ることが
予定されています。
これが仏性です。
273 :
華厳命:2008/10/28(火) 01:41:11 ID:dq2Yn8bE
またここに来てしまったよ
話が大乗に片寄りはじめたね
大乗だの菩薩道だのいくらしゃべりたてても、苦の認識、無常のシステムを
はっきりと認識してないと単なる大言壮語に終わるだろう
ここで少し軌道修正しよう。
まあ、今回は俺個人の秘密中の秘密を書くよ
本来、こんな事は他人に語るべきではないかもしれない。少し戸惑いも感じる
俺は前世を憶えているんだ。
前世で俺は中国人、中国共産党軍の下級戦士だった
歴史にも書いてあるとおり、12500キロの長征にも参加した
当時の中国はそりゃひどいもんだった
国民党正規軍から逃げ延び生き残るために死に物狂いの逃亡をしたんだ
食料が無くてね、毒草を食ったり、人間の死体まで喰った
もちろんぼんやりとしか憶えていないけどな
まあ、これは狂人の妄想と軽く受け流してくれ
しかしここ、このポイント、つまり輪廻は確実にあるということだ
この話題はおしまい
さて、仏陀になるためにはすくなくとも、4アサーンキヤ10万カルパという
気の遠くなるような膨大な時間が必要でやっと無上正等覚を得るのだが
ニルヴァーナに入った大聖者も強靭な意志のちからでこの世界、もしくは
他の生存領域に戻ってくることがあることは憶えておいたほうがいい
つまり仏陀になっても修行は続行されることがある
なんのため?
衆生救済のためさ
だから、俺も永遠に修行したいと決意した
いわゆるサマンタバドラ・サーダナだね
もし君たち上座部の人たちが菩提心を起こしてくれたなら(菩薩になる道を選択するなら)
どんなにすばらしいだろう
というわけでおやすみなさい。寝るぜ
274 :
神も仏も名無しさん:2008/10/28(火) 05:08:00 ID:TuoGw7dL
坊さんで清らかな人は見たこと無い。大抵ヒステリックで怒りに満ちている。
心を抑圧し続けた結果なんだろな。
275 :
神も仏も名無しさん:2008/10/28(火) 05:13:07 ID:WRqsri3x
よりによって「仏性」とはバカだな
276 :
神も仏も名無しさん:2008/10/28(火) 09:56:39 ID:GnBXTJkQ
禅宗の経行には大別して二種あり更に細かく三種に分けられます。
止の経行、観の経行そして双運の経行。
知らない人は知らないが知っている人は知っています。
277 :
華厳命:2008/10/28(火) 11:05:22 ID:dq2Yn8bE
ヘイ!いくぜベイベー!ダークサイドだぜ
なにが怒り、貪り、愚かさの三毒を離れよだ、そりゃ小乗向けのお子様説法だ
聖人ぶってんじゃねえよ
おのれの敵を憎めない者、殺意すら抱けないようなヤツは
人を愛したり、やさしくすることなどできはしない
思い切って悪人になってみたらどうだ?ただしスケールの大きな悪党に
悪のパワーが強ければ強いほど、善の強さも等比級的に大きい
1、「私は大乗仏教の僧侶の資格を持つスマナサーラファンです」とか言ってるアホがいる
痴れ者め!大乗仏教徒としての信念を貫きもせずに、イカサマ坊主に食らいつく
こんなヤツは救いようのない重病だ。
2、ブラウンはすでに死んでいる。こいつの文章読んでるとあたまが痛くなってくる
「羊水が腐る」マザーファッカー!
今の日本に必要なのは「怒り」だ
もっともっと殺人が起こればいいと思う
戦争さえ起こるなら起これ!
お前らは自分の内側にマグマのような「ちから」を感じるか?
強くあれ、強くあれ!弱い人間が真理を悟ることなどできはしない
真理は強さをもたらすと俺は知っているからだ
弱さを誘発するものは、すべて毒としてはねられるべきだ
怒りの強さに応じて愛の強さも深い
278 :
華厳命:2008/10/28(火) 11:13:25 ID:dq2Yn8bE
わたしの書き込みでどうか気を悪くなさらないでください
これもわたしの慈悲なのです
菩薩はいつもやさしいとは限りません
顔が見えない君たちを僕がどんなに愛しているか
それを知らせることができたなら、どんなによかっただろうに
279 :
神も仏も名無しさん:2008/10/28(火) 12:21:29 ID:TLWKTXvq
煩悩を捨てるという仏教の基本的な方向性を否定する人は、
大乗とか上座部とか以前に、仏教徒じゃないと思いますよ。
280 :
神も仏も名無しさん:2008/10/28(火) 12:27:42 ID:TLWKTXvq
>>277 殺意を抱かない性格になりたい。
誰も愛せなくなってもいいから。
敵味方の区別なく、慈悲の心を起こせるようになりたい。
殺すよりも殺されるほうがいいと本気で思える人になりたい。
281 :
華厳命:2008/10/28(火) 14:27:41 ID:dq2Yn8bE
わたしは今まで大乗仏教やら菩薩道についてぺらぺら喋ってきた
しかしわたしは「本当の現に生きている菩薩」を知っている
君たちもおそらく知っている、いや見ている
佐々井秀嶺
インド仏教界の頂点に立つ男
インドのアウトカーストの解放のため全身全霊で戦い抜いた
ビーム・ラオ・アンベードカルの後継者
今月ついに絶版となっていた「破天」インド仏教徒の頂点に立つ日本人
光文社刊、山際素男著が復刻された
この本は菩薩道のバイブルである。ぜひ読まれたし
282 :
神も仏も名無しさん:2008/10/28(火) 19:45:00 ID:tB4a1zVr
賢しらに識者ぶることは誰にでもできる。
評論家や、大人ぶることで自尊心を保とうとする子供のように。
後付けのミネルヴァの梟は好きなことが言える、卑怯で陰気な快楽です。
学者、評論家、…。
284 :
神も仏も名無しさん:2008/10/28(火) 19:53:34 ID:tB4a1zVr
286 :
神も仏も名無しさん:2008/10/28(火) 19:56:20 ID:tB4a1zVr
瞑想してもこれじゃあなぁ・・・。
>>281 おまえラジニーシのファンなんだって?w
この人間的に偽りのなり素直なやりとり
悟っておるな!
290 :
華厳命(地獄の独白):2008/10/29(水) 12:53:56 ID:I85yZfGP
夜。静かな夜。
俺は暗闇のなか一人静かに瞑想してみる
自分のこころに問うてみる。どうすれば衆生救済の大願を成就できるのか?
するとこころの奥底から「声」が聞こえる
「思い上がるな、他者救済だと?人を哀れむだと?
取るに足りない虫けらのお前が?」
俺は静かに「声」に耳をかたむける
「お前は華厳経を学んでいるのか?菩薩行を学びたいのか?だったら豚小屋にでも
入っていくんだな。豚どもは人間によって丸々と肥らされ、切り刻まれて苦痛の悲鳴をあげながら
黙って人間に食われるじゃないか。豚こそは菩薩なのさ。利他行の実践者だ」
「お前は平和のなかで静かに瞑想し、世界平和だの他者救済だの祈ってやがる。
そんなお前なんか地獄に堕ちる価値もない。なにが菩薩だ」
俺のエゴイズムは木っ端微塵に打ち砕かれる。
「くそ、人をからかいやがって、てめえは誰だ?」
形なき闇の声が告げる「俺はお前だ」
「お前菩薩に会いたいか?だったらこの世でもっとも汚く悪辣で人でなしの奴に
会ってみろ。菩薩は苦痛なのさ。血と痛みなのさ」
「俺は死んだらどうなる?」
「声」があざ笑う「そんなこた死んだとき考えろ。お前は今までさんざん苦しみにのたうちまわりながら
泣かされてきた。これからも泣くだろう。お前は生まれた時から、赤ん坊のとき泣きながら
この世に生まれてきた。お前ひとり死んだところで誰も気にも止めないさ
だから死ぬ時はこの世をあざ笑いながら死んでゆけ。笑って死ねればいいんだ」
俺は瞑想を止め、ため息をついて横になる。眠気が忍び寄る。
静かな夜。月は冴え冴えとして美しい。
291 :
112:2008/10/29(水) 20:24:09 ID:Z83ZpVpD
brown さん、どうも有り難うございます。
>>270 > >静的悟りによる阿羅漢が在家でいるのが無理で、
> >動的悟りによる阿羅漢は在家でいることが可能なのだろうかと推測しましたが、
> というレベル設定が可能かという問題です。
>
> それは,十分にあり得るだろうと考えます。
> 特に,座禅など,特定の「瞑想」を発達させることを進めることで悟りを
> 得るというアプローチをとると,そのようなレベルの差が生じます。
> 三毒を引き起こす原因から離れることにより,禅定が発達し,それによって
> 智慧が生まれるとする体系では,禅定から立って,日常生活に戻ると
> 元の木阿弥になります。なぜなら,三毒を引き起こす原因と接触するから
> です。なぜ接触すると元に戻るかというと,接触したときの対策がなされて
> いないからです。
「悟りには何段階かあって、最終的な悟りを得た人が阿羅漢である」と、
私はおおざっぱに理解しており、その意味で阿羅漢と言っています。
ちょっと確認ですが、
静的・動的の種別はあるものの、最終レベルであるという意味においては、
brownさんも同じ意味で、阿羅漢という言葉を捉えていらっしゃいましたかね?
現代日本で静的な悟りによって阿羅漢となった人を想定することは可能でしょうか。
その人は、阿羅漢レベルであるにも関わらず、三毒を引き起こす原因と接触すると、
貪や瞋や痴の心が生じてしまうのでしょうか。
(つづく)
おまえ糖質だったのか・・じゃ、しゃあないな。
もうくるんじゃないよ。
治療に専念しなさい。
↑けごん宛て
294 :
112:2008/10/29(水) 20:34:01 ID:Z83ZpVpD
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html 先日の質問で、このページ内の「「在家阿羅漢」は無理」というセクションを
引き合いに出しましたが、質問の際は、
「在家で修行して阿羅漢となり、阿羅漢となったとたん在家ではいられなくなる」
というポイントを、忘れていました。
下記は、これはこれで brownさんにぜひお聞きしたかったことです。
「「在家阿羅漢」は無理」セクションについては、
○ 本当の事だと思われますか?
○ 現代日本においても、当てはまることでしょうか?
でも、在家で阿羅漢となった人=動的修行をしていた人とすれば、
brownさんの見解と異なることになりますね。
-----
>>271 「何も頼るものがない」と気づいた時、それに気づいただけでは、
その人はまだ凡夫ですすが、その後その人は、どのように探究していくのでしょうか。
何にも頼れないと気づきつつ、探究できるのでしょうか。
何にも頼れないという前提のもと、いろいろな宗教の教えを調べてみたり
するのでしょうかね。その人は、その後何をしたらいいか分かっている
状態なのでしょうか?
295 :
112:2008/10/29(水) 21:34:22 ID:Z83ZpVpD
「「在家阿羅漢」は無理」の記述についでですが、
在家で阿羅漢となった人=在家で静的修行をしていた人
(瞑想の時間を取り、三毒から離れての瞑想を重ねることによって悟り、
悪い心のパターンの解体をしなかった人)、
かもしれないですね、ならば、brwonさんの話ともあいますね。
下記に、私が気になる箇所を挙げます。
○ 淡々とさえも、日常の家庭生活や経済活動などの関係が営めなくなります。
○ どんなしがらみからも自由で、どんな生命にも平等な立場でないと生活できないのです。
○ 心が完全に執着から離れてしまいますので、在家生活が営めなくなる
本当ならかなり不自由な体質になってしまうと思います。
本当なのかなと思います。
>>271 そして君のように狂うんだよね。
しかし中身の無い文章をさも中身があるように
書く人だねw
A・スマナサーラ長老や日本テーラワーダ仏教協会のことについて情報くれる人いないの?
それとか、ゴーダミー精舎の中の人の事とか?
ああ、俺も持ち合わせていないんだ。ごめん。
ちなみに「ブッダの実践心理学第二巻」に出てきた「フクロウ先生(P.294〜P.296)」が書いた
「300以上あるパーリ語の偈文」っての欲しい。長老に頼んで日本語訳付けてもらってサンガで出版して。
ヒマなときに偈文読んで、パーリ語勉強した気分に浸れるし、丸暗記できて応用が利いたらめっけもんだから。
っていうか、誰かこのスレで流せ(w
せっかくのスレなんだから。
というわけで、関係者連絡ヨロ。
299 :
神も仏も名無しさん:2008/10/29(水) 22:34:01 ID:6J8LnT6Z
ま、感情が無明と渇愛から生じて、さらに無常がそれを生み出すことに興味がないような感じだね。
感情が苦しみの種であり、嫌な感覚でしかないなんて思ってないでしょ。
死にたくないし、ずっとこういう感情、感覚を味わっていたいんだ・・・。
ま、いいや。
高慢ちきの馬鹿野郎って言葉がいつでも返ってくるだけだから。
そういう感情を心の栄養にしてるんだからね。
自分がなくなっていく恐怖感。
そういう感覚こそが、自分が生きてる実感だから、なかなか難しいよね。
心配しないで、こういうこと書くぐらいだから、私もそうよ。
今日、子供に「理科」教えたの。
光の屈折、虚像、実像って奴。
網膜って、虚像を捕らえてるんだね。
光さえも、目の余計な組織通して脳で変換して感じてるに過ぎないんだね。
意が感じ取る感覚を過信しないほうがいいみたいだね。
形成の法則で成り立ってる自分の体、感覚器官のいい加減さに気付いたよ。
300 :
華厳命:2008/10/29(水) 23:02:09 ID:I85yZfGP
俺の身体の中には「武士」の血が流れている
武士と言っても時代錯誤的な武士道の事を言ってるわけじゃない
(そんなもんクソくらえだ)
普段、俺は温和でやさしく人当たりの良い人間だと周囲の人間に思われている
俺は笑顔とユーモアで道化を演じている。いわゆる処世術ってわけだ。
しかしもし俺が本気で怒ったなら・・・どんなに俺が恐ろしい人間かをヤツラは知らない
俺は自分の意思ひとつで地球のひとつやふたつ粉微塵にできるのだ
もし、イスラム教徒が「片手にコーラン、片手に剣」で「おい、仏教徒ども!
イスラムに改宗しなければ殺す」と攻撃をしかけてきた場合、きみらならどうする?
アヒンサーの精神にもとずき非暴力・非殺生主義で改宗するか、自殺でもするか?
覚悟はできているか?
無抵抗で服従するのも美しい選択のひとつではある。
しかし仏教は地球上から消滅するだろう。
俺ならば「仏法僧」の三宝を絶やさないために、ためらいなくマシンガンを手に取り
宗教戦争に突入するだろう。イスラム原理主義がテロをしかけてきたならば
俺も仏教徒としてヤツラを血祭りにあげるだろう
命乞いするムスリムの頭に銃口を突きつけ「やい!南無阿弥陀仏と言ってみろ!」
とさけび、そいつのあたまをぶち抜くだろう
女子供とて容赦してはならない。宗教も皮肉なことに「殺らねば殺られる」のだ
「人を救うはずの宗教が人を殺すなんて」そんな甘っちょろい事は現実には通用しないのだ
インドで仏教がイスラム勢力によって滅ぼされたのは仏教徒が「弱くて甘かった」からなのだ
その歴史的損害は計り知れない。日本にはかつて「僧兵」がいた。
それはそれなりに意義があったと俺はかんがえる
勝利か敗北による死か?それはきみたちの選択にかかっている
301 :
神も仏も名無しさん:2008/10/30(木) 00:05:23 ID:dz0lcgj2
>>300 無能だから、人より優れた点がないから、
人より無茶ができる(と思ってる)点だけが自慢なんですね。
キレる若者と変わらない。子供だね。
302 :
華厳命:2008/10/30(木) 00:12:12 ID:CNa0AxTc
「ポニョ、宗助大好き!」
303 :
華厳命:2008/10/30(木) 00:25:46 ID:CNa0AxTc
ひさしぶりにドストエフスキーの「罪と罰」を読んだ
貧乏学生ラスコーリ二コフが「自分ははたして平凡な愚民なのか、それとも天才的超人なのか?」
と葛藤し、金貸しババアを斧でぶち殺す。
「やった!俺は超人だ。実験は成功した!」と有頂天になる
しかしその「瞬間」から彼の没落がはじまる
よく知られたストーリーだ
売春婦のソーニャと出会い、たましいの救済を求め苦悩する
結局、自分はただの「凡人」だと思い知り、警察に自首
シベリア流刑地へと追放される
「彼」はスマナサーラ長老そっくりだ
それは煩悩、これも煩悩、サティ、サティ、サティとか言ってるわりには
「わたしは歯が痛くなったら歯医者に行きますよ」なんて言う凡夫性
微笑ましくも愚かな男よのう
304 :
brown:2008/10/30(木) 00:32:30 ID:g6NYXxlW
>>291,
>>295 仏教教学上の話ですが,最終地点は「仏陀」です。仏陀の下には,
華厳経など大乗仏教によると,菩薩が歓喜地から十地にレベル分けされます。
小乗仏教によると,四向四果の声聞ですね。
それで仏陀のすぐ下には,阿羅漢果や第八地以上の菩薩の無為の位があります。
その下に,預流果から阿羅漢未満の声聞や,歓喜地から第八地未満の菩薩の
無漏の位があって,彼等が「聖者」です。その下は有漏の凡夫です。
大乗のプロセスは動的な悟りを目指しています。小乗のプロセスは静的な
悟りを目指しています。
煩悩の有無(瞑想の上達)とそのためになすべき努力(智慧の発達)の段階を,
大乗,小乗の別を除き,並列して設定すると,上記のようになっています。
阿羅漢は,無為の位であり,なすべきことをなし終えた者です。だから,
三毒を引き起こす原因と接触すると、貪瞋痴が生じてしまうのではありません。
三毒を引き起こす原因と接触しないんですよ。原因世界から切り離される
んです。火事の元になる火を点けないんです。だからずっと火が点かない
安全なままです。そういう選択を完了してるからです。その状態が無努力に
維持されます。火が点く原因がないんですね。だから火は点かない。
だから,「淡々とさえも日常生活を営めない」んですね。計画性とか,
努力がないんですよ。終わってるんです。それ以上どこにも行かないんです。
これでは人の役に立ちませんね。仕事なんてできません。目標に対して
計画したり,努力したり,執着したりできないから。執着があるから,
人の役に立てるんですよ。もっというと,過去の経験から学習し,未来に
渡っての時間を計測して予測しつつ仕事をこなす時間間隔というか,自己
同一性の認識があるから,何かを成し遂げることができるんですよ。
305 :
神も仏も名無しさん:2008/10/30(木) 00:35:20 ID:sDu668SG
A・スマナサーラ長老・・・・商売っ気出しすぎ。
そう思いませんか?
306 :
brown:2008/10/30(木) 00:50:35 ID:g6NYXxlW
だから,「本当ならかなり不自由な体質になってしまうと思います」
というのはそのとおりで,不自由という言葉は適切でないかも知れないけど,
「無能」になっちゃうんですね。
大乗の教理はそのようにして,「釈尊の教えと生活の仕方,伝統をそのまま
伝えていると自負する「小乗」を否定した訳です。
でも,何か変だよね,これ。
釈尊は,元々,ここで言うところの大乗,つまり動的な悟りなんですよ。
どこか,教えを代々伝えるうちに変容しちゃったんでしょうね。静的に。
動的な悟りだという根拠こそが,ヴィパシュヤナーですね。観察行です。
動きを観察するんですね。これは座禅ではないんです。生活しながらするん
です。瞑想ではないんです。動きながら,心が色々な対象に執われるような
環境下で,その心そのものを観察し,統一します。
それが中道なんですよ。両極端から離れています。欲望に執われることからも,
もっぱら自己を空しくして欲望の対象から離れることからも。
307 :
brown:2008/10/30(木) 01:05:28 ID:g6NYXxlW
でもこれは突き放されたような感じで,頼りなく,やるほうからすると非常に
難しい。方法論が無い訳です。だからどうしろ,ということがないんです。
特定の方向を示してないんですよ。
>>294 >「何も頼るものがない」と気づいた時、それに気づいただけでは、
>その人はまだ凡夫ですすが、その後その人は、どのように探究していく
>のでしょうか。
ということになっていまいます。
「頼るものがない」とか言われても困るんですね。だからどうしたらいいん
でしょう?困りますね。「その答えは教えませんよ」と言ってる訳です。
だって,頼るものがないんだから。
しかし,現実にはそんなことはないんですよ。「答えはこれだ」と指し示される
ものではなくて,答えを名称によって指し示すことのできない,その現実の
ただ中に,現に体験されるんです。
つまり,「頼るものがない」ということを本当に,現に生きると,「だから
何」ではなく,その現実そのものが「それ」なんですね。
そこにはただ,直面して生きるという行為が純粋にある訳です。それは
なんでもないんですよ。だから「無」です。何かが無いわけではないけど。
ただ「無」なんです。
探求しないわけではないんですよ。すごく探求します。しかし,何かを
探求しているわけでもないんですね。
>>306 上座部のすべてが「小乗」的であったかというと、違うと思います。
そもそも、出家者が出家者らしい生活をできて今に至っていのは、
それを支える在家信者が常にいたからでしょう。
「救い」という表現は違うかもしれないが、
やはり上座部も人々の心を救ってきたから、
今も信仰を集めているのでしょう。
309 :
brown:2008/10/30(木) 01:07:19 ID:g6NYXxlW
前の行為の力の影響であるカルマの力が働いている間はこの探求は続いて
行きます。しかし,やがてそれは終わります。努力が終わるんですね。
完成するからです。それまでも,どこか,何かに向かっていたわけではない
けど,兎に角向かっていたんだけど,向かうことが終わります。
カルマの力が解けるからですね。無媒介に全ての現象がありのままに
絶妙な調和を示すようになります。というのは,それが自然だからです。
310 :
brown:2008/10/30(木) 01:12:00 ID:g6NYXxlW
>>308 そうですね。
大乗の「小乗」批判というのは,必ずしも的を射てはいないですね。
相手を曲解して,それを非難しているところが多々あります。
ま,批判とはそもそもそういうもんですけどね。
上座部の持っている極性というか,特徴を極端化,先鋭化して,それを
批判しているという感じですね。
大乗が論難したのは有部。
312 :
神も仏も名無しさん:2008/10/30(木) 04:56:57 ID:sDu668SG
悟った人が、本を無節操に出しまくったり(一通り読んでますが、かなり品質に差がある)
大乗批判したり、他宗教を批判するとは思えない。
蚊帳の外からみると、スマナサーラ長老はかなり変ですよw
そういう客観的な意見も大事なんじゃない?難しい話は別にして・・・。
313 :
神も仏も名無しさん:2008/10/30(木) 04:57:56 ID:sDu668SG
仏教と言うより、スマナサーラ教だなw
314 :
神も仏も名無しさん:2008/10/30(木) 07:42:45 ID:hcwvk0iu
べつに長老はなんと言われてもいいんじゃないのw
スマナサーラという人が自分のパーソナリティでやれることをやるだけなんだし。俺らは参考にするって立場でしょ。
長老に依存してたら駄目なわけで自分で戦わなきゃいけないしね。
315 :
神も仏も名無しさん:2008/10/30(木) 07:58:43 ID:dz0lcgj2
>>312 本を出させてるのは周囲のスタッフじゃないかな。
316 :
神も仏も名無しさん:2008/10/30(木) 10:27:21 ID:q3J3cDH3
S長老は止より観を重視してますよね。
そうするときっとsukkha vipassako派
(観を重視し観によって感情をコントロールし煩悩をなくす。神通は得られない。)ですね。
止を不当に卑しめている。
なんだかsamathayaanika派
(止つまり禅定を重視し修行の完成を得る。神通を得ることができる)
に対する憎悪すら感じる。
なんか日本でスリランカ仏教が知られていないことを良いことに
sukkha vipassako派の勢力を伸ばしておこうという意図が見えるんですが・・・
とにかく両派の確執を日本に持ち込まないでもらいたい。
>>316 神通力とか前面に出して、いまの日本社会に浸透できると思う?
江原の超能力商法と混同されるのがオチだべさ。
別に一方の肩を持つつもりもないんだが、
八正道を進んで行けば、いわゆる神通力なんて後からついてくるものであって
追いかけるものではない。
そもそも、止も観も、四諦八正道にもともと包含されてる。
なので、
○○派と××派との確執、などというのは枝葉末節ではないのか?
320 :
神も仏も名無しさん:2008/10/30(木) 11:15:44 ID:sDu668SG
>>315 某カルト的大宗教(○○学会)でも、そう言われたw
○○先生は悪くなくて、周囲の人間が悪いって・・・。
○ームの場合も尊師は弟子の責任にしようとしてたよーな。
カリスマ的な宗教家がいて、その周囲に弟子が集まって、
その弟子を導くのも、宗教家の大切な責務のように感じる。
長老が本出しすぎなのは、弟子やスタッフのコントロールがとれてないんとちゃうかな?と邪推する。
>>320 いまのところ、そういう風には見えないけど。
でも入会して、中まで入ってみたわけじゃなく、一読者としての感想。
で、言いたいのは、
「宗教」と「宗教団体」は違うということ。
仮にスマさんが狂ったり、スマさんとこの協会がカルト化したら、単に
離れればいいだけのことじゃない。
仏教徒の中には、仏教が宗教にカテゴライズされるのは誤りだという
人もいるだろうけど、まぁそれは置いといて。
>320 地方に住んでてなかなか瞑想会とか行けないから、
長老の法話を直接聞く機会もない。
仮に、本の内容が、法話の録音から起こして編集しただけの内容であったとしても、
どんどん出してくれるのは嬉しい。
もちろん、全部は買ってないけどね。
>>317 賛成。
第一神通を得るまで修行できる
時間と環境を持ってる奴がどれだけ居る?
解脱まで近道した方がいい。
究極のサマタまで行かなくたって
悟れるんだろうし。
325 :
神も仏も名無しさん:2008/10/30(木) 21:38:51 ID:X6gIyxkg
なぜここで神通力とか出てくるんだ。
むしろ長老の本読んで神通力がどうの、過去生が見えるがどうのの描写がすっげーのってるなと思ったが
で、神通力を使って世界征服でもするの?
327 :
華厳命:2008/10/30(木) 22:02:10 ID:CNa0AxTc
神通力の話題が出た
わたしはここで警告しておかねばならない
確かにブッダやその弟子たちが実践したアナパナーサーティヨガ
(プラーナーヤーマ・呼吸法)によるサイキックプラーナの制御により
その種の超自然的現象を引き起こせるのは確かだ
例えば、望みをすぐに実現したり、手のひらから飲食物を出したり
空中飛行、人を呪い殺すことなど。
しかしこれらの神通力は確実に人を邪道に引きずりこむ
修行者を間違いなくダークサイドに転落させる危険な誘惑である。
かつてそれで破滅した求道者が何人いたことか!
警戒せよ、警戒せよ
もし、輪廻を厭い、小乗的に速やかなる解脱を果たしたいならなおさらだ
それらの神通力もしょせん煩悩を増大させる罠なのだから
長老の本読むと、やたら神通力語るときうれしそうなんだよな。
そんなもん興味もないのに。
329 :
神も仏も名無しさん:2008/10/30(木) 22:20:26 ID:q3J3cDH3
>○○派と××派との確執、などというのは枝葉末節ではないのか?
外人はそう思うみたいだ。
俺の知ってるアメリカ人、日本で禅を学び台湾でタオを学び
インドでチベット仏教とハタヨーガ
パキスタンでスーフィーまで学んだって豪語してた。
「それぞれ宗教も伝統も違うじゃないか?」と質問したら
キミと同じ答えが返ってきたよ。
外人には伝統の違いは関係ない。
「自分にとってプラスになればいい」んだって。
330 :
神も仏も名無しさん:2008/10/30(木) 22:26:10 ID:q3J3cDH3
三明六通を得られないと阿羅漢ではないんだよ。
阿羅漢の解脱を得ることを目的とする上座部ではそこは外せない。
単に感情の起伏を何とかしたいだけなら、心療内科に行った方が早いw
てか心療内科でどうにもならなかったから、上座部に逃げ込んだ?
331 :
華厳命:2008/10/30(木) 22:29:42 ID:CNa0AxTc
今日は北鎌倉にある建長寺に行ってまいりました
あそこには今、パキスタンから貸し出された釈迦苦行像が展示されておりました
なんという生なましい、すさまじいお姿でしょう
わたしは合掌し、しばらくその場に立ち尽くしておりました
背後には観音菩薩像が安置されており、とても奇異な印象を受けました
寺院の霊気、美しい森林、庭園、小鳥のさえずり、青い空、風のざわめき。
僕は思わず「万物一体、自他一如」と心のなかでつぶやきました
ぜひ都会の喧騒を離れてひまな時に行かれるといいですよ
332 :
神も仏も名無しさん:2008/10/30(木) 23:09:43 ID:1TMhGjUn
排他的であるのは仏教ではない
333 :
神も仏も名無しさん:2008/10/31(金) 03:49:45 ID:1R5mYzob
私が幸せでありますように
これを見ている人が幸せでありますように
これを見ている人の悩み苦しみがなくなりますように
これを見ている人が元気でありますように
これを見ている人の願いが叶えれるように
これを見ていない人が幸せでありますように
一切生命が幸せでありますように
私が幸せでありますように
>>329 面白い逸話をありがとう。
ただ、わたしが>319で言いたかったことは、こと仏教に関していうなら
止と観は、もともと釈尊が示した四諦八正道の中に包含されています
ので、止を重視する宗派と、観を重視する宗派を比較しても、どっちも
どっちでしかないのではありませんか?
ということだったのですが、いかがでしょう。
繰り返しになりますが、
もともと八正道には正見(観)もあれば、正定(止)もありますよね、ということです。
336 :
愛羅武勇伝 マラKENGIκちぇき:2008/10/31(金) 08:45:44 ID:1R5mYzob
>>335 八正道の正見はヴィパッサナのことだったのでしょうか?
337 :
華厳命(悟り):2008/10/31(金) 09:44:47 ID:IoBysM1u
オーム。
三世十方の佛菩薩に礼したてまつる
「いまだかつて悟った者はいない」
「いまだかつて解脱を遂げた者もいない」
「いまだかつて悟りに赴いた者はいない」
「いまだかつて解脱に赴いた者もいない」
これが絶対の真理である!
平安あれ!
338 :
華厳命(未来社会への提案):2008/10/31(金) 11:48:38 ID:IoBysM1u
現行の資本主義体制はいずれ破綻する
されど社会主義の失敗は周知のとうり
ベーシックインカムの提案がもっとも好ましく
仏教+BIが21世紀の主流になる日が必ずやって来ると俺は思う
339 :
神も仏も名無しさん:2008/10/31(金) 16:14:20 ID:iid3bki3
>止を重視する宗派と、観を重視する宗派を比較しても、どっちも
>どっちでしかないのではありませんか?
外から見ればそうでしょうが、見解が違うから宗派が生じるわけで
その辺の事情はあなたの先生に聞いてみて下さい。
私が作った訳ではありませんから。
どうでも良くないから宗派があるんじゃないんですか?
外国人が浄土宗とか真宗とか天台とか真言とかどうでもいいといっても
詮無いことでしょう。
なお原始仏教における止観は戒定慧の三学に対応していると思います。
ですからいずれも大事です。
どちらを先に修行するかはその人次第です。
ちなみに観を修行するためにはまずマビダンマを学ばなければならないと
ブッダゴーサはおっしゃています。
>あなたの先生
どこにも所属していません。
342 :
神も仏も名無しさん:2008/10/31(金) 20:59:27 ID:Xbgudq28
>>339 ア長老に自分の店でついてるモチ以外のことを語らせると
大変なことになるという見本みたいな本だよ、それ。
お笑い芸人が世界経済を語るみたいなもんでさ、そりゃ語れる人もいるだろうけど、
スマさんは基本的に一芸に秀でた芸人に過ぎない。まわりが語らせるから悪いんだろうね。
社会評論とか噴飯ものだもん。
ごめん誤爆
へえー。たいしたもんだな。
>>342 それでも「自分(相談者)の心配」は単純なものではないし、
その時の状況(例えば
>>342氏の言葉を借りると「お笑い芸人が世界経済を語る」の世界経済)
や世界観をハッキリ見ていないと相談に答えられないと思うが…
もちろん、ベストは「仏教の範囲」だけで現在の世界状況から個人の悩み事まできれいさっぱり答えられればいいのだが。
長老は仏教。地橋さんは瞑想法。そんな感じで棲み分けていけばいいんじゃないの。
だから誤爆だっつーのチのつくスレの。
まあついでだから言えば個々人の複雑な事情や背景を
あまりにも一般化してさらに主観バリバリで答えるのが長老さんだとは思うよ。
モチ屋はモチのことだけ語れば間違いないのに。人間は誰だって間違うんだから。それが当然なんだからさ。
とにかく誤爆だから
『神はいずこに―キリスト教における悟りとその超越』
バーナデット・ロバーツ (著), 大野 龍一 (翻訳)
単行本: 285ページ
出版社: 日本教文社 (2008/10)
ISBN-10: 4531081668
ISBN-13: 978-4531081660
発売日: 2008/10 /25
商品の寸法: 19 x 13.4 x 2 cm
価格: ¥ 2,400 (税込)
http://www.amazon.co.jp/dp/4531081668
348 :
112:2008/11/01(土) 00:18:46 ID:/7ie6GtC
brownさん、どうも有り難うございます。
>>304 たとえば、スーパーのレジ打ちのアルバイトは、
決められた時間その場所にいて、決められた事をすればよいだけですが、
他には、工場での検品なども、決められた時間に出社する事ができて、
作業内容を覚えることができたら、就業可能と思いますが、
そういうのもダメなのですか?
計画性がなくてもできる事ですが。
努力ができないということですが、
その人に無年金の老親がいて、老親の頼れる人が自分だけだったりしたら、
収入を得る必要がでてきてしまいますが、
そういう必要性に応えて働く、ということもできないのでしょうか。
他にも質問させていただきたい事があるのですが、また明日くらいに書きます。
349 :
華厳命(21世紀の精神異常者・仏教最終宣言):2008/11/01(土) 01:19:00 ID:IQnBWLTr
今の若者には覇気が不足している。身体は若くとも精神は70代の老人だ
麻痺的な観念によって身体もあたまも病的である(軽佻浮薄な若者バッシングをひけらかすつもりは無いけど)
俺はこれまで様々な宗教やら、坊さんのくだらぬお説教だの、聖者などに出会ってきた
スマナサーラだのダライラマ、ラーマクリシュナ、スワミヴィヴェカーナンダだの
これら赤ん坊のたわごとには飽き足らなくなってきた。
俺にはいわゆる世間の「宗教」だの「仏教」だの宣伝している連中がいまだに理解できない
もうこれらの宗教思想は俺を満足させることができない
俺の理想はあまりにも大きく過剰になってしまった
俺はすべてを完成した
俺はこれらすべての宗教をそれらを求める連中にまかせて捨ててしまおう
「死者をして、死者を葬らせよ」だ。そして前人未到の領域へとサディスティックに突き進もう
そしていつの日か世界を震撼させひっくり返してみよう
今必要なのは新しい宗教の創造であり、宗教は各個人が一人一人作ってゆくこと
「自分は全宇宙のすべてを知っているぞ!」と大胆に宣言させるようにみんなが
各自の奮闘努力によって立ち上がることだ
きみたちはブッダを超えなければならないし、また超えることができる
人間の意志は全能である。カビ臭い古い宗教(仏教)の枠を超え立ち上がれ!
もし、それができるなら俺はそいつに無限の生命を与えよう
ほかならぬきみたちこそ「救世主」の伝説を作るのだ
俺のこの文章を読んでひとり、たったひとりでもよいから共感する者がいるならば
そいつは俺のたましいを飲むのだ。諸君!健闘を祈る
350 :
華厳命(付記):2008/11/01(土) 01:36:02 ID:IQnBWLTr
俺はこれからインドへと旅にでるつもりだ
あの国は悪党の巣窟である
俺が堕落しきった悪魔の国で「活」を入れに行くつもりだ
またどこかで会おう。いざさらば!
>>350 お前が堕落しきった悪魔だろう。
もう会いたくない。
さようなら。
インド人なら騙せるとでも思ってるのかしらん
>>347 バーナデッド・ロバーツの体験は上座部を遥かに超えているね。
354 :
神も仏も名無しさん:2008/11/01(土) 15:31:24 ID:hRUWF2Re
>>347 「自己喪失の体験」は、とてもいい本だった。
しかしいま絶版かなあ。ざんねん。
355 :
brown:2008/11/01(土) 17:40:56 ID:TAw+2jEu
>>348 正確には,僕は出家(家なき子で,自ら,雇われ人を含めた経済活動を
行わず,施しを受けることで生活し,施しを得られなければ得られないと
了解し,得られれば得られたと了解し,蓄積をせず,その日ぐらしで,
修行に専念し,生死をなりゆきに任せきった生活)をしたことはないので,
経験上は分かりません。
でも,本来の出家生活は,社会的に甘えたというか,「この人たちは偉い人で,
尊敬に値し,供養に値し,施しに値し,施し命を支えていくに値し,
それが自分たちの当然の責務だと感じ,慣習化し,祈りを捧げる在家者の
経済活動と社会慣習に支えられた「めぐり合わせ」だということは分かるでしょう。
その環境下で可能なことです。
それに似た時間は僕にもありました。死を覚悟することですね。生きていても
意味ないから。べつになにがどうなってもいい。
>たとえば、スーパーのレジ打ちのアルバイト・・・
>他には、工場での検品なども、決められた時間に出社する事ができて、
>作業内容を覚えることができたら、就業可能・・・
というのもその例だと一応了解できます。
引き籠もりというか,社会的な価値に組み込まれない生き方なら,できるでしょう。
そう思うなら,それでやってみたらいいじゃないですか。
それで生活していけたら,それでいいんですよ。それで,自ら明らかに
したい,「真理」を探求することに打ち込めばいい。自ら明らかにしない
限り,それは常にずっと先にあって,物語に終わって,想像と批判の
対象でしかない。
しかし,どんな生活であっても,それが啓けたら,その現実生活そのものが
驚くべき貴重な美しさであることが了解されるでしょう。
356 :
brown:2008/11/01(土) 17:51:40 ID:TAw+2jEu
でも,本当はそうではないんですよ。
単純労働者,例えばスーパーのレジ打ちだって,それを雇う人がいる。
雇う人は何を考えてるかというと,コストですね。安く済むならそれでいい。
それで,正確に,金勘定ができていて,お客様に不満を与えていなければよい。
コストとパフォーマンスですね。その二つが満たされていればいい。
その意味で,できるだけ安い方がいいんですよ。つまり,時給は安い方が
いい。パフォーマンスは高い方がいい。だから,本当は,レジ打ちを通して
も,あなたは顧客満足を実現しないといけないんですよ。コストは安くないと,
つまり,あなたが受け取る給与は安くすべきなんですよ。10万円あげると
いわれたら,「いや5万円でいいです」というべきです。それだけの働きしか
してないんだから。そうでないというなら,もっとパフォーマンスを上げる
べきです。
ちょっとした歯車的なバイトでも,本質的に,そんな経済的な連関の中に
位置づけられてるんですよ。雇う側の思惑,お客の勝手気まま,流通業者の
都合,いろんなことの助けと障害の中に入り込んで,やっと存立しています。
それらの事情をすべて忘却して,自分は自分の決められたことだけやって,
決められた給与をもらって,その中で自分のしたい修行をする,阿羅漢の
余生を送ると考えれば,それはそれで成立するんだろうと思います。
つまり,計画性や世界連関を除いた生活観念というのは,欺瞞なんですよ。
まあ,それでいいんだけど。欺瞞にすぎないってことはよく知っておくべき
でしょうね。
357 :
brown:2008/11/01(土) 18:03:15 ID:TAw+2jEu
もし,そんなことを,自分に突き詰めていくと,そうしはいられなくなります。
社会の中で,三毒にまみれた中で,なすべきことをなすという生活のなかで,
他者から要求されることを,十分にはできない無能な自分にできる限りの
範囲で,なしていく生活に投じざるを得なくなります。
私は,無能なんです。不完全です。でも為すべき事があります。
つまり,阿羅漢(為すべき事が無い)ではないということです。
つまり,阿羅漢は阿羅漢ではいられないということです。
そして,結局自らの不完全性を思い知ることになります。
自分が万能で,与えられるのが当然だと思うのは,子供です。
赤子が,仏陀の悟りに似ていると主張する人がありますが,何も知らない,
何も考えないからそんなことをいいます。見当違いです。
菩薩のもっとも重要な特徴である誠実さとは,子供のことではありません。
大人になることです。それは静止な悟りである山篭りでは決して到達でき
ません。それで到達できるのは,「完全な悟りに到達したが,自分の悟り
は何の意味もなかった」と知ることだけでしょう。
社会生活の中で働きうる悟りでなければ,誠実な人々には受け入れることが
できないからです。
この著者の提案してる、刹那的な生き方は苦を軽減することは
確かにあると実感したけど、個人的には虚無感も同時に連れてきた。
また、以前に比べて死の恐怖も増した気がする。
359 :
華厳命:2008/11/01(土) 20:48:24 ID:IQnBWLTr
うーむ。
やはり上座部のレベルはこの程度だったか
利己的な人間は見るに耐えない
小乗は人間の遺伝子に組み込まれた自己保存本能が本質でいつもビクビク苦しみ
、死の恐怖におびえている人間のメンタリティが良く表現されている
大乗仏教、そして俺が提唱する超大乗に批判的なものはしょせんニーチェ的に言えば
「向上へのリスペクトが欠如した、無価値な存在」である。
心の内には無数のルサンチマンが渦巻いているにちがいない
彼らは孤独な探求者を好んで十字架にはりつけにする
新しい時代や新機軸の誕生を基本的には好まない傾向があるらしい
心理学的にも興味深い。
ブッダという人は覚醒した人ではあったが、とても弱いひとだったと思う
なぜなら輪廻を恐れるほどに彼の神経は繊細でデリケートなへちま野郎だったからである
彼もまた時代の人だった。古代人であった
人間が神から創造されたと錯覚していた人々のカテゴリーに属していた
しかし本当は神が人間に進化したのだという逆転の発想ができるほどには知的ではなかった。
まあ上座部の人々は静寂の境地に落ち着いてそこでいい気になって満足していたまえ
もし彼の教説が小乗だとするなら、そんな教えには耳を貸さない
でもやはりブッダの教えは大乗だったのだとも考えられるから速断は避けたい。
ブラウンは俗物だとばかり思っていたがなかなかやるね
動的悟りへの探求か。勉強になったよサンクス
ごめん。
読んでないんだ。
ごめんね。
>356.357
永遠に近い時間の間、
発狂もせず修行する覚悟ができたの?
修行という名の逃避
>362
大乗的には逃避かもしれない。真摯に生きるる。修行してれば終わりがくる。はず。
364 :
華厳命:2008/11/02(日) 07:53:33 ID:srcbTTAP
取るに足らない、はした金を無くして慌てふためくヤツもいれば
百億円失くしてもまばたき一つしない人だっているだろう
幸せになりたいヤツがいるのは結構
しかし不幸になりたい人だっているわけで、彼らに「否」という権利は何者ももたない
小乗の徒よ安逸を貪るがよい
しかし大乗教徒が突如として与える浄化と警告の「必殺の一撃」に注意したまえ
預流果になれば7回生まれ変わる頃には悟れる
とあるけど、生まれ変わったらまた煩悩具足に
戻るんじゃないですかね、赤ちゃん生まれたら
オギャーと泣いて、おっぱい吸ってぐっすり眠る
のが基本でしょう。いきなり生まれてすぐの赤ん坊
が七歩歩いて「天上天下唯我独尊」とか言い出したら
怖いでしょ。成長とともに預流果以上になるんですかね。
そこら辺どう説明してるのかと。
366 :
神も仏も名無しさん:2008/11/02(日) 08:53:18 ID:cKE3vBaH
般若心経が間違いだとしたら、スマナサーラは気違いです。
>>365 知能ではなく、心とカルマの問題。
心を通してカルマが生まれを設定するため、
悟りを得るための条件が整った場所に生まれ変わる可能性が極めて高いだろう。ということ。
いくら預流果でも赤ん坊のころからいきなり立ち上がって喋る事はありえないだろう。
ちなみに預流果になったら天上界へ行って悟りを得てしまう可能性もあり?生前の行いにもよるが…
ここまで書いて、「でも7回生まれ変わりも死後の不安を払拭するための気休めに過ぎないのかな」と思う。
そういう私はただの凡夫
368 :
神も仏も名無しさん:2008/11/02(日) 11:43:08 ID:Pw+IjII+
370 :
華厳命:2008/11/02(日) 19:06:23 ID:XbevcbMs
そうねー
河口慧海はチベット旅行記かな。この人が大量のチベット仏典を持ち帰り研究
発表し、世の学者どもは大いに嫉妬
鈴木大拙は英文だと読みやすいけど、彼の日本語は硬い。「日本的霊性」ぐらいかな
禅仏教の大家だけど内容が浄土系に偏りすぎ。ただし「華厳経」を大乗の最高経典とべた褒め
田中智学の国柱会は宮沢賢治の師匠。
岡倉天真は「東洋の理想」この人やや耽美派な傾向がある
インドでスワミヴィヴェカーナンダと会見している
義兄弟の契りを結ぶ。
タゴールはなんといっても「ギタンジャリ」
どれほど俺のこころを慰めたか。インドでは長距離列車にギタンジャリエキスプレスという
のがある。
371 :
華厳命(ジャズを聴く馬鹿聴かぬ馬鹿):2008/11/02(日) 19:55:52 ID:XbevcbMs
マイルスは俺の心の友
マイルス以外、基本的にはジャズは存在しない
それでいてジャズを超越している
従来の複雑なコードチェンジを切り捨て、モード奏法に切り換える
「マイルストーンズ」はめちゃくちゃ熱い。しかしレッドガーランドと意見の対立を起こす
しかしそれはモダンジャズの最高峰「カインド・オブ・ブルー」を誕生させる
クールで哀愁にみちたこのアルバムはまさに耽美の極みである
ジョン・コルトレーンはジャズプレーヤーというよりもむしろ宗教家であった
「至上の愛」で有名だが聴いててつまらない
むしろ「アセンション」こそ彼の最高傑作だったように思う
彼の音楽は音楽を通じて、神や真理、大宇宙の摂理をリスナーと一緒に考えようというもの
しかし早死にした
彼はそれでもナイトクラブやジャズバーにも宗教は発生しうるということを実証してくれた
オーネットコールマン。フリージャズの元締め
その革新的演奏は世間から理解されず、白人からリンチをうける
「サイエンス・フィクション」が秀逸
ここから俺が学び取ったものは大きい
宗教は芸術なのだ
華厳命さんはこのスレではみんなから叩かれてますが、私は応援していますよ。
これからもマニアックな書き込みに期待しています。
もっと心が洗われる面白い話ない?
最近の説法とか。
と、思ってゴーダミー精舎見てきた。
すんません。「一分単位の『損得勘定』」ってなんですか?
っていうか、上座仏教がこの世の真理なら、日本に蔓延してもいいのに、
どうして広まっている実感が持てないのか分からない。
宣伝とかしないのかなぁ?>日本テーラワーダ仏教協会
真理が蔓延
真理が蔓延する世界に、人間は生きられないかもしれないな。
>>371 君の事はあまりすきじゃないが
カインド・オブ・ザ・ブルーは好きだぜ。
↑カインド・オブ・ブルー
>>371 今聴いてるが最高峰は
やっぱ、ラウンド・アバウト・ミッドナイト・・
じゃないの?
なぜ苦しみを増幅させるようなまねするんだろう
381 :
211:2008/11/02(日) 23:52:30 ID:d32+AyRP
brownさん、どうも有り難うございます。
>>355 >そう思うなら,それでやってみたらいいじゃないですか。
ちょっと誤解があったように思います。
今の時点で、静的阿羅漢がレジ係や工場作業員の仕事をすることが可能かを、
知りたいのであり、静的阿羅漢の修行が可能かを知りたいのではないのです。
○ 静的修行を望むか、動的修行を望むか自分のスタンスをはっきりさせておきたい。
そのために、静的阿羅漢、動的阿羅漢がどのようなものかを、
修行が進んでいらっしゃる様子のbrownさんにお聞きして、参考にさせていただきたい。
○ 信が定まらない状態を打破したい。
法話を読み、理論的な本も読み、瞑想もそこそこしましたが、
信が定まらりません。疑問がたくさんあります。
brownさんに教えて頂くことで、疑問が少しづつ解けるかも知れないと思っています。
↑ 211 でなく 112でした
383 :
112:2008/11/03(月) 00:00:58 ID:d32+AyRP
>>304 >三毒を引き起こす原因と接触すると、貪瞋痴が生じてしまうのではありません。
>三毒を引き起こす原因と接触しないんですよ。
----
静的阿羅漢
○ 三毒と接触しない。三毒と接触できない。
動的阿羅漢
(1) 三毒と接触する。接触する事もできるし、しない事もできる。
(2) 三毒と接触する。毎回三毒とは接触するが、そのうえで、
貪瞋痴が生じるようにもできるし、生じないようにもできる。
(1)と(2)があると思いましたが、どちらでもよいところでしょうか。
区別したほうがよいなら、どちらが合ってますか?
----
静的阿羅漢が三毒を引き起こす原因と接触しないという現象を理解したいのですが、
接触しないというのは、凡夫であれば三毒を引き起こす出来事自体
に遭遇しないということではないですよね。
もし、具体的な例を出して説明可能であれば、説明していただければ嬉しいのですが、
静的阿羅漢が、三毒を引き起こす出来事にあう場面がなかなかなさそうですね。
仕事に就いていると想定できないし、家庭にもいないとなると。
(つづく)
384 :
112:2008/11/03(月) 00:04:17 ID:5ThLCFM+
良い例が思いつきませんが、ホームレスになって公園に住んでいてたとして、
不良少年に空き缶投げつけられたりして嫌がらせされたり、悪口言われたりしたら、
凡夫のホームレスだったら、心に波が立つけれど、阿羅漢のホームレスだったら、
不良少年たちの悪口や、彼らが放つ放つ嫌な感じの波動と、同じ次元には、
阿羅漢ホームレスは存在していないので、「接触しない」、という感じでしょうか。
-------
動的阿羅漢は、三毒を引き起こす原因との遭遇に際して、毎回、
貪瞋痴が生じないようにする能力がありながら、
貪瞋痴が生じるままにさせたりするのですよね。
このとき生じた貪瞋痴は、実際に生じたわけですが、
その動的阿羅漢は、その貪瞋痴を種として、悪いカルマを作ったことになってしまうのですか?
そして、将来、そのカルマの結果を摘み取ることになるのですか?
385 :
brown:2008/11/03(月) 00:33:54 ID:RYEM5t6G
>>383 >(1) 三毒と接触する。接触する事もできるし、しない事もできる。
>(2) 三毒と接触する。毎回三毒とは接触するが、そのうえで、
>貪瞋痴が生じるようにもできるし、生じないようにもできる。
「動的」な悟りというのは,どういうことかというと,貪瞋痴の心(輪廻)
から,一瞬間で空性(解脱)の心に移れるということです。その逆もしかり
で,解脱から輪廻へと次の刹那には移れるんですよ。だから,輪廻と涅槃に
同時にいられるわけです。瞬間ごとに切り替えられるから。
ヴィパシュヤナーをしていくと,世界認識がコマ写しになって,時間の粒が
分かるようになるけれど,それは非常に速い。それが一刹那なんだけど,
その瞬間に輪廻と涅槃を往復する。
なぜそれが可能かというと,そういう心の能力があるから。なぜそんな能力
があるかというと,輪廻と涅槃の双方に対して執着が全くないから。超流動の
状態ですね。どちらかにひっかかりがあると,といっても普通は断然,輪廻に
ものすごいひっかかりがあるんだけど,どちらかにひっかかりがあると,
他方には移れない訳。
実際には,輪廻の中でも,あちこちに別個,別個のひっかかりがあって,
一方のものから他方には移れないように,がんじがらめになっているのが,
私たちの心の状態。
仕事のことに悩んでると,家庭のことがおろそかになる。自分のことで
悩んでると,他人のことにかまってられない。逆に他のことに心が散漫に
なると,自分のことがおろそかになってしまう。こういう風に,何か特定
のことにひっかかる(これを「執着」という)ことで,明晰な智慧が阻害
され,リアリティは覆われてしまう。
386 :
brown:2008/11/03(月) 00:43:19 ID:RYEM5t6G
リアリティというのは,多層的で,涅槃が真実だとか,輪廻が真実だとか
いうことはできない。輪廻と涅槃との相対こそがリアリティであり,どちらか
を選択することで,他方が覆われてしまう。
何かに執着することで,その他の可能性を覆ってしまうことは,そもそも
輪廻の特徴だが,そのような覆いからの完全な解脱である涅槃と,輪廻の
間にもそのような関係はある。
>>384 静的悟りの中には,悪口を言われたホームレスは存在しないんですよ。
そもそも「悪口」というものは存在しないし,無いものに「嫌」ということも
「怒り」という感情も成立しない。何事も,何事でもないので,どのような
判断も,思考も,感情もありません。完全な静止です。無です。そういう風に
表現しているのも,可笑しくて,無などという特徴もありません。それくらい
「無」です。輪廻の中にいる私たちに特徴付けられるいかなる事象からも
超絶しているので,その次元では何も起こらないし,何も見えません。
釈尊がいうように,阿羅漢には影がないんですよ。足跡が無い。痕跡という
痕跡が何もない。
387 :
brown:2008/11/03(月) 00:54:49 ID:RYEM5t6G
「動的」な悟りの中にいる者にとって,カルマの力は潜在的には及んで
いるけれど,及ばないようにし続けることができるんですね。
地球上の物に重力が働くように,カルマの力というのは,輪廻世界の法則
であって,潜在的にその法則が及びます。
しかし,行為の影響が後に続く傾向であるカルマの力は,「執着」によって
後に尾を引き,今の我から,後の我に相続されていくんですよ。だから,
執着というか計らいがなければ,カルマの力が引き続くことは全くないし,
たとえ執着をしたとしても,ある程度であればほとんど問題にならない。
ひとりでに解消していきます。心にはそういう性質があるんですね。
自然状態では心は光に満ちてるんですよ。もとより悟っているわけです。
涅槃に対する慣性力がある。とてもこたえられない至福に満ちています。
しかし,強く強く特定の計らいを持続していくと,心にカルマの力が影響
し始めます。そして,徐々に心は自由と本来の特性である至福の光を遮り,
涅槃と輪廻との往復を失い,徐々に輪廻のみに向かうようになります。
自己解放した涅槃への道が断たれてしまうんですね。そうすると,再び
カルマの力を取り除かない限り,涅槃へ現に戻ることはできなくなります。
388 :
華厳命:2008/11/03(月) 20:41:24 ID:eiCTUgb2
「自然状態では心は光に満ちてるんですよ。もとより悟っているわけです」
ねえブラウン君、君はうかつにも「心」と言ったね?
でも論拠はやや弱いぞ
まあ、アドワイティックな宗教(不二一元論)たとえば仏教やヴェーダーンタを
学習する者が誤りを犯しやすい点はそこなんですよ
これら二つの考え方としてサマーディに没入してそこで悟ったというのは・・・
いくら心が純粋知性の光で輝いていても、我々は心を超えなければならないわけだから
たとえばニルヴィカルパ・サマーディーの境地に到達してもそれは必ずしも純粋知識には
直結してはいないんだよ。それは有でもなければ無でもない
ねえ、ここんとこは重要だよ。
この錯覚というか、かすかな誤謬を正すためには「悟り」という単なる記号は捨てたほうがいい
混乱がおこるからだよ
だからジュ二ヤーナヨーギーも最終的には何も決定的な答えは出しようがないのさ
無限なる存在を知覚できる心なんてあるわけがない
こころは常に限定を受けている、たとえそれが天文学的範囲であろうとこころには
限界がある
あとね、カルマの作用について言えば、これも不確定なんだ
これは誤解されやすいが「鉄則」ではない。この現象世界の領域には我々には
うかがい知る事のできないなにかがあるのさ
ひとつには外部と内部の助けがある。自己努力でカルマを薄めることは確かに可能だが
外部からのエネルギーの介入によって確定性カルマが不確定性を帯びることは
多いにありうる
たとえば聖者との出会いによって、もしくは神々の援助によってね
でなかったらどうしてアングリマーラのような殺人鬼が仏陀によって聖者になれたんだい?
ねえ、哲学の限界はここにあるよ。どんな超人的哲学者でも最後には外部からの助けを求めることになるだろう
「信仰」だよ。最後にはそこに帰結する
389 :
華厳命:2008/11/03(月) 20:54:56 ID:eiCTUgb2
俺にもやはり誤謬があるかも知れない
そこんとこは大目にみてね
390 :
神も仏も名無しさん:2008/11/03(月) 21:43:24 ID:sMFrxolF
>>389 安心しろ
おまえの文章なんて読んでる奴いないよw
391 :
華厳命:2008/11/04(火) 00:38:36 ID:ZmYsXmLw
いやあー、そうは思わないぞ
実力不足だよお前は。
392 :
華厳命:2008/11/04(火) 01:09:17 ID:ZmYsXmLw
それにしてもやっぱりニーチェを読んでおいてよかった
人類の99パーセントはたいてい同様な思考パターンをたどる
「毒ぐも」「不平豚」「畜群」
ニーチェが嫌悪したのはこのような小市民的復讐感情である
いかに俺が巨大な超人であるか
俺がいったい何者なのか
それは俺だけが知っている
それを知ってもらう必要はないし、知られる必要もない
虫けらは黙って人間に踏み潰されるがいい
上座部ってほんとクソだな、教祖があれだから、信者のレベルは言わずもがなである
たいしたヤツラじゃねえ
俺って天才なんだろうな
なにを見ても、なにを聞いても「だから何?」ってかんじ?
どいつもこいつも取るに足らんよ
393 :
華厳命:2008/11/04(火) 01:28:35 ID:ZmYsXmLw
正直な話、上座部の連中はサリンで皆殺しにしてしまえばいいと思う
社会的害虫だからね
ついでにスリランカに核ミサイルを50発ほど投下して上座部すべてを抹殺する
大乗を誹謗中傷する輩は殺しても罪にはならない
394 :
華厳命:2008/11/04(火) 01:47:41 ID:ZmYsXmLw
ほら、サティの機会を与えてやったよ
仏陀なんざクソヤローだ
はい、またサティ
もう一度、ほらもう一度
だれか相手してあげてください
396 :
神も仏も名無しさん:2008/11/04(火) 13:12:41 ID:ydwUI07F
>>390 俺はちゃんと読んでるよ。
まともに反論もできないただのテーラワーダ狂信者は黙っとれ。
俺はざっとしか読んでないし、内容も違和感だらけだけど、排斥しようとは思わないな。
誰だって完璧じゃない。
下品な人だな
399 :
112:2008/11/04(火) 21:52:27 ID:6K0i1wJr
400 :
華厳命:2008/11/05(水) 00:30:58 ID:wnLHvpcL
最近、俺は面白くない。
俺は仏教の本もそれなりに結構読んできた。思想も哲学も解説本なんかを読んで
広く浅くだが勉強してきたもりだ。
もちろん本格的に研究したわけではないから深く理解してはいない。
まあ話のネタだな。素人相手に偉そうにウンチクを垂れると気分がいいんだな。
インテリぽく見られるしね。純文学なんかは今どき流行らないし、ダサいから興味はないな。
なかでも華厳経は俺のお気に入りだ。ヒンズー教に似た壮大なイメージがSF小説ぽくって
カッコイイ。名前の響きもなかなかオシャレだし。
そうそうマイナーなところもインディーズぽくっていいな。
それに比べると法華経はすべてにおいてダサすぎ。
動機がそんなもんだから別に仏陀を尊敬してるわけでもない。
それどころか何不自由のない贅沢三昧の楽しい生活を捨てまでして、悟りを求めようとする
釈迦の気が知れない。
そんなわけで修行なんぞこれっぽちもやりたいとは思わないし、そもそも関心すらない。
それでも修行の禅問答なんかは一見、高尚で知的な遊びぽいところが好きだな。
ところがだ!!!!俺の楽しく平穏な仏教ライフは長くは続かなかった。
スリランカから、一人のクソ坊主がこの日本にのこのことやって来たのだ。テーラワーダ
とかいう古臭い仏教を携えて。
このクソ坊主、頭は切れるわ、日本語は達者だわ、説法は明快だわ、おまけになかなか
ユーモアもあるときた。ファンは増えるわ、本はどんどん出すわで一躍仏教界の人気者に
なっちまった。
俺も最初の頃は無視していたが、最近は気になってしょうがない。そこでこっそり本を買っ
てきて読んでみた。人気の秘密を探るために。
401 :
華厳命:2008/11/05(水) 00:31:31 ID:wnLHvpcL
俺は驚いた!!難解で素人に理解は無理と思われていた仏陀の教えが、この坊主の本を
読むと極めてシンプルで、理論的で、科学的で、理路整然として、およそ迷信とはかけ離れ
たものであることが一目瞭然にわかるのだ。
「仏陀の教えとは真理を学び、そして実践することでその真理を直に体験することだ」という
ことが、この坊主の本を読めば大人も、子供も、老人も、インテリも理解できるのだ。
もう知ったかぶりの修行もやったことのない仏教オタクのウンチクなどに耳を傾ける必要など
ないのだ。
俺は愕然とした。全身の力が抜けてその場に崩れ落ちた。
俺の学んできた知識(大乗仏教の)は今や完全に無用の長物と化してしまったのだ!
大乗仏教が仏陀の教えでないことが一般人に知れ渡ってしまったのだ!
もう誰も俺のウンチクに耳を傾けてくれる人はいない。「まだそんなものに執着しているの?
いい加減に目を覚ませよ!」と逆に説教される始末だ。情けないこと甚だしい。
今では2ちゃんねるで華厳経のネタを振っても誰も見向きもしてくれない。たまに食いついて
くる奴はとんでもないバカかガキしかいない。相手にするのもアホらしくなる。
俺の青春を返せ!神よ、俺の時間と労力を返してくれ!!と叫びたい気持ちだ。
そんなわけで、俺は最近面白くないのだ。ムシャクシャしてるのだ。
だから俺はヤケ酒飲みながら2ちゃんねるのテーラワーダレスに絡んでやるんだ。
一晩中粘着してやるんだ。
憎たらしいテーラワーダよ、俺の目の前から消え去れ!クソ坊主よ、とっととスリランカに
帰りやがれ!!目障りなんだよ!!
お前らに今の俺のこんな気持ちが分かるとでも思うのか? 分かるわけない!!!!
わかってたまるか!!!!!!
求道は正にそこからだ。
泣き言ぬかしなさんな。
荷物まとめて出てけよ
404 :
神も仏も名無しさん:2008/11/05(水) 08:00:12 ID:RowKgYaG
>>400 前にもそんなこと書いてたね。
コピペでしょうか?
一即一切・一切即一とか大乗で言うけど、
お釈迦様は一切が苦・不満だと説かれたわけですね。
405 :
神も仏も名無しさん:2008/11/05(水) 09:54:00 ID:LK19ZfFQ
>>404 横レスだけどぜんぜん矛盾はないと思う。字面だけ解釈すれば矛盾だけど。
>>400-401 華厳命のハンネを騙っての書き込み御苦労様。
テーラワーダ狂信者のそういう姑息なやり方こそ、
私がテーラワーダに見切りをつけたきっかけです。
このスレでのテーラワーダ狂信者の醜態こそがテーラワーダの実態を如実に物語っているのです。
410 :
神も仏も名無しさん:2008/11/05(水) 12:59:51 ID:RowKgYaG
>>408 一即一切だけど、結局は一も一切も苦しみであり、
一や一切からの解脱をめざすのが仏教でしょうね。
しかし、大乗の中には、一即一切で、
みんなつながったひとつのいのちだから、
「すばらしい!」と勘違いしてる人がいる。
「つながったひとつのいのち」はみんな苦しみだから、
仏教は、そのような「つながったひとつのいのち」の世間からの解脱をめざす。
>>410 勘違いってw
あなた自身は一体何をわかってるというんですか?
受け売りをしているだけでしょうがw
>>410 一即一切が端的に真如で、世間的な意味での苦や素晴らしいなどといったものから
すでに脱却した世界を表現していることにいずれあなたも気づくでしょう。
>>409-410 この駄文、前も見たがカルト脳の狂信者が考えそうなゴミみたいな文だな。
華厳がウザイからって騙るなよ。カス。
415 :
続〜きたのくから マイケル釈尊Θ :2008/11/05(水) 15:21:05 ID:50ZZIMN0
>>413 騙りでない。まだ華厳ちゃんといわれていたころのレス。
A・スマナサーラ☆日本テーラワーダ仏教協会3
363 :華厳命 :2008/06/27(金) 16:50:13 ID:3BppODXK
無意味に政治的なことを言うことが流行した
『政治の季節』の残滓が、ネット右翼 となったように
無意味に抽象的なことを言うことが流行した
『ポストモダン』の残滓はこうなるのか。
テーラワーダと関係なく、
いまどき無意味に抽象的なことを言うKYは、無視される。
>>400 >素人相手に偉そうにウンチクを垂れると気分がいいんだな。
・・・まったく信じられんな
418 :
めくるめく快楽υ 極上ラーメン西海岸:2008/11/05(水) 19:55:09 ID:50ZZIMN0
363 :華厳命 :2008/06/27(金) 16:50:13 ID:3BppODXK
でgoogle検索してみ。
仏法かじると他人に説法したくなるよね
421 :
ライヴ:2008/11/05(水) 20:18:22 ID:50ZZIMN0
>>419 "かじる"とね。
一知半解講釈を好む。
どの分野でもまともに学べ学ぶほど逆に無知がわかり、謙虚になる。
422 :
ナイーヴ:2008/11/05(水) 20:22:52 ID:50ZZIMN0
423 :
神も仏も名無しさん:2008/11/06(木) 00:19:39 ID:f1OJCUxB
>>400-401 華厳命の書き込みであろうがなかろうが、華厳命の情けない
心情をピッタリ言い当てているわな。
424 :
お助け:2008/11/06(木) 00:26:09 ID:+V9dr8u8
華厳命君は華厳三昧が無いね、妄念が尽きるらしいが、
妄念爆発感があるね。
425 :
ナイーヴ2:2008/11/06(木) 10:11:32 ID:JsPOTt/b
海印三昧のことじゃね?
確かに華厳ちゃんにはないわなw
華厳命とbrownの書き込みは読む気になれん。
>>423 いや、そうじゃないな。
テーラワーダ狂信者の姑息で卑しい実態をものの見事に表現している。
よく信者という呼称にこだわる人がいるけど、自分が何かの信者なんじゃないの?
信者、信者といわれてる方は、自分のことじゃないのでポカンとするしかない。
自分に当てはまらないことを延々と繰り返し言われても、何独り言いってんのかな
と思ってしまう。
長老は精神的に依存しようとする人は突っぱねるような気がする
>>429 信者と言われてそうやって反応する奴は間違いなく信者なんだろうw
431君、客観的って言葉知ってるかい?
432君、客観的って言葉知ってるかい?
434 :
神も仏も名無しさん:2008/11/06(木) 21:39:49 ID:U4hwEVAf
テーラワーダに信者が成り立つかよ。
完全に長老に依存してないかと言われると自信はないけど、自分の足で立つことを目指してるんだから。
435 :
華厳命(まあ、おちつけよ):2008/11/06(木) 22:44:40 ID:QPtptfXe
華厳命だ。「本物」のな
この書き込みが俺本人のものかはきみらで判断してくれ
俺はあるいは焦りすぎたのかもしれん
上座部の人々、その中間でうろちょろしている者、判断にまよい懐疑的になっている
人々にもっと高い崇高な理想があることを知ってもらいたかったんだ
俺のお師匠さまは「沈黙の聖者」だった
普段そばにいてもなにも教えてくれない。そんなある日かれは一言だけ
「雑草よりも謙虚でありなさい。太い大樹のように忍耐強くありなさい」
と教わった。
俺は大乗仏教のはてしない理想を上座部に知ってもらいたかったから
時には激しい言葉を使ってしまった。その結果がこれだ。
もうきみらには「華厳」や「法華」を学べとは言わんよ
「華厳経」はあまりに難解だし、「法華経」は簡単そうだが実は難しく奥が深い
じゃあ、どうすればいいか俺は思案に暮れた
模範的な大乗菩薩を体現している具体例を提供すれば良いのではないか?
ここである人物を紹介したい。
その人は19世紀のベンガルに実在した聖者で、ドルガーチャランナーグ
通称、ナーグ・マハーシャという人で、正統ヒンズー教徒で仏教徒ではない
しかし、この人物の苛烈で献身的な人生は理想的「大乗教徒」である
文字通り、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を実行した人だった
この聖者の伝記はシャラト・チャンドラ・チャクラヴァルティという人物によって
正確に記録されている。日本ではほとんど知っている者はいないだろう
認知度がまだ低い。しかしここからすばらしい霊性のインスピレーションを得ることができるだろう
日本ヴェーダーンタ協会から「謙虚な心」というタイトルで(ややダサいタイトルだが)日本語訳が
出版されている。定価1100円。一冊の本が人生を変える、そんな本がこの世には稀にある
協会に所属する必要はない。この一冊を買って読めばよいのだ
大乗菩薩の何たるかが分かるだろう
これ以上何も言う必要はない。君たち自身の直感を信じて進めばいい
「時の人」「カリスマ」こんなものを信じてはいけないよ
上座部仏教の教えと、修行の仕方が正しいと思っていたら信者と言われるでしょうね。
上座部 v.s. 大乗とか
そういう風に、仏教徒同士に分裂と対立を引き起こすような観点、言動って
どうなの。
乗らないよ。
みんなも乗らないように。(って偉そうな言い回しでスマンが)
438 :
神も仏も名無しさん:2008/11/06(木) 23:11:41 ID:/IMdb6NA
ああああDVD買っちゃったよ。。
華厳ちゃんが「謙虚で忍耐強くなる」なら嬉しい。
>>438 どうすか?
>>437 このスレの過去ログを紐解いてみればいい。
ひたすら大乗その他を敵視し貶めてきたのは、
テーラワーダ狂信者に他ならないことは一目瞭然。
華厳ちゃんは三ミャク三菩提のスレッドに行ったらどうよ?
真面目で面倒見良さげなスレ主だし。
大乗同士みたいだし。
441
過去スレをひもとくと「原始仏教」スレからの
自称大乗学者の爆撃が目立つわけだが。
大乗の誰かが何かを書きこむと、蜂の巣を突いたような大騒ぎになり、
口汚い言葉で貶し始める。
そもそもその人は大乗の人なのかどうかもわからない。
ほんの少しでも異論を挟もうものなら、半狂乱になって騒ぎ出し、
こいつは大乗だ、創価だ、何だとレッテル貼りして排除すると。
爆撃しているのは彼らではなく、彼らに神経質に反応し続けるお前さんを始めとするアホどもだよ。
444 :
大乗の坊主だけど:2008/11/07(金) 08:27:27 ID:4PbQBFkD
大乗も上座部も仏教徒のはず。
で、現代わかっている情報の中で仏の教えを求めるのと、
何百年も前に日本でわかっていた情報の中で仏の教えを求めるのとは、
答えが違っていた。
情報の少ない時代が日本の宗派を生んだだけ。
現在、宗派を忘れて、もう一度、仏の教えとは何かを求めなおしてみると、
上座部の教えのほうがオリジナルに少しは近いと思う。
445 :
神も仏も名無しさん:2008/11/07(金) 08:37:44 ID:g+qg0EyJ
人はどこまでもアホ(無明)だから、
どうせアホなら気さくなアホがいいよ
>>444 日本仏教よりはテーラワーダの方がオリジナルに近いでしょうが
もし釈尊が何百年か生き続けていたとしたら、大乗を説いたのではないかと思う
釈尊は大乗を肯定すると思う
447 :
神も仏も名無しさん:2008/11/07(金) 12:23:36 ID:WmbxDEdr
何百年も時間があったらあちこち周って同じことを教えただろ
預流果の悟りに至れば、どの教えが正しいだろうか、どちらを選ぶべき
だろうか、といった悩みはなくなるんだったよね。
どの宗派でもいい。
とりあえず預流果の悟りに至れば、自ずと正解がわかるようになってる。
449 :
神も仏も名無しさん:2008/11/07(金) 12:31:26 ID:4PbQBFkD
>>446 そもそも、大乗が批判した「小乗」(説一切有部など)と、
上座部とは違う流れでしょう。
大乗も上座部も慈悲を説く。
小乗の僧侶は、自分の修行ばかりして民衆を導かないと批判されたが、
現在の上座部は、民衆に教えを説いている。
大乗経典がなくても、慈悲や利他は実践可能。
450 :
神も仏も名無しさん:2008/11/07(金) 14:21:21 ID:vFdsBJzI
>>435 読んで、感動して、言葉に酔って、それで愚かな自分に智慧が生まれるほど
甘くはないわい。
そのちっぽけな、哀れなほどちっぽけな自我から自由になれるはずもないんじゃ。
相変わらず概念に捉われたままじゃろうが。
日々の自分のザマを振り返ってみるがよい。一目瞭然じゃろ?
本当に真理を求める者は禅でもヨーガでもタオでも真剣に瞑想しているわい。
お前は何もやっておらんじゃろうが?口ばかりが達者じゃのう。
究極の自由の境地に到達したブッダはあらゆる瞑想を試み、その瞑想が目指す
最高のレベルの境地(禅定)を体験し、吟味し、その禅定の優れたところは
ちゃんと評価しているんじゃ。
しかしじゃ、それでもなお、足りない点、不完全な点(悟り、解脱への)を認め、
そして克服すべき方法論を模索、探求し、ついに発見したのじゃ。
そしてその方法論を求める人に教えたことが、そもそも仏教の始まりじゃろうが。
ややこしいことも複雑なことも何もない、極めてシンプル。そのシンプルな教えに
従って結果を求め実践(瞑想)するのが上座仏教じゃ。
だから別に自由、真理、悟りに関心がなく、また求めたいとも思わず、感情でがん
じがらめの奴隷になっていることにも気がつかず、また不自由も感じない、そんな
子供にはピンと来ないし、面白くないんじゃろうな。(まあ来世でがんばれば良いわ)
上座仏教はブッダ以外の仏教家の解釈や意見、思想に満足できなくなった人が最後に
たどり着く仏教なのじゃよ。本気で求める人には必ず答えを出す大人の仏教じゃ。
451 :
神も仏も名無しさん:2008/11/07(金) 14:32:53 ID:3sBZa/ya
>>448 正解でなくても、どの教えが正しいだろうか、どちらを選ぶべきだろうか、
といった悩みはなくなる。
正解だと思ったら十中八九か、十中十・十一勘違い。
452 :
神も仏も名無しさん:2008/11/07(金) 14:44:05 ID:3sBZa/ya
自分の尊敬する対象は自分を越えるものだから、
うまく代弁することも出来ない。
なるほど。
454 :
神も仏も名無しさん:2008/11/07(金) 20:48:18 ID:HSvAgUV5
>そもそも、大乗が批判した「小乗」(説一切有部など)と、
>上座部とは違う流れでしょう。
違います。
辞書くらい引きましょう。
誰が言ったかわかんない言葉を集めた仏典にはわけのわかんないことも
たくさん書いてあんじゃん。おかげであっち立てればこっち立たずみたいな
ことになってんじゃん。その妄想の部分を取り出して培養し発酵させたのが
法華経とかだから大乗に感じる嫌悪は近親憎悪に近いものがあるよね。
カルマとか輪廻とかわけのわかんない妄想信じてるならまさしく似たり
寄ったり。
独り言だけど、俺は何かを批判するなら、それに精通してからとまでは言わないが、
少なくともかなりそれを理解し本質を捉えた上ですべきだと思う。
実際にそれがどんなものか知らないでイメージで批判するというのは妄想も妄想、大妄想だ。
たとえばの話、法華経について何かを言うなら一度は通読して注釈書も読み込んでからじゃなきゃ
それについて語ることも出来ない。一度も読んだこともないのに批判的なことをいう人も多い。
ヴィパッサナーもそれと同じ。
実行し、ある程度の年月を経て、自分で何かをつかんだ、あるいはヴィパッサナーがどんなものかを
体で知るまでは、これこれこういうものだと言うのはバカバカしい。
ましてや、よく体得もしてないヴィパッサナーを、よく知りもしない別の宗派と比べて、その宗派を否定するなんて、
修行の足りない半可通の凡夫がやっていいことじゃないと思ってる。
独り言だけど。
独り言を公衆の面前に書くな、バカ
独り言を公衆の面前に書くな、バカって書くな馬鹿
独り言って最後に付け加えたくなった心をサティですよ
サティは一冊の百貨店
461 :
brown:2008/11/08(土) 03:10:04 ID:AL78C538
「大乗」と呼ばれるものをどう捉えるかにもよるけれど,
実際には,釈尊自身,本質的には「大乗」の教えを説いてるんですよ。
そこから教えというより伝統というか生活様式,より具体的には戒律生活様式
を形式的に受け継ぎ,形式に偏ってしまった有部(上座部の一派)の部派仏教
が生まれて,一部,本来の精神と外れた部分が生じてしまったので,
「大乗運動」という一連の運動が生じ,「釈尊に帰れ」ということで,
釈尊の言葉そのもの(アーガマ)や戒律生活のそのままの遵守よりも,
教えの本質を継承しようという別の伝統が始まったんですね。それが大乗。
その大乗も今度は部派仏教とは別の方向に行き過ぎて,現在に至るわけです。
その行き過ぎの度合いは,形式の承継というタガがない分,大乗の方が
大きく踏み外しているのは確かで,法華経などはその逸脱の象徴ですね。
いずれにせよ,「何が忠実か」,「何が正しい教えか」などという観点で
いうのなら,どこにも正しい教えなどはなく,像法,末法の時代,象徴的に
知られるか,暗闇にさまようかしかないでしょう。
実際には,「何が正しいか」という探求自体無意味だよ,ということ自体も
釈尊の教えにそもそも含まれている訳です。
462 :
brown:2008/11/08(土) 03:24:48 ID:AL78C538
釈尊ご自身が本質的には「大乗」の教えを説いていらっしゃることの
最大の根拠は,苦行を捨て,四諦八正道に依るということにあるんですよ。
苦行や独坐静観を去って,率直に自己を見つめることで悟りを見出した
お姿は,実に大乗の理念そのものなんですよ。
それは中道ということなんだけど,本質は何かというと,苦行とは,
自ら作為的に作り出した仮設の苦しみを耐えるということに過ぎなくて,
本当の問題はそんなことではない。生きるということは,そこに本質的に
内在する苦しみを抱えた中で,歩んでいくことであり,それを真摯に見つめる
ことを通してしか,真実はありえないという洞察なんですね。
その姿勢と,苦行とはあまりにも違うので,そのことを象徴的に捉えて,
初転法輪で苦楽中道をお唱えになったのは,そのところを明確にするためですね。
つまり,とても常人に耐えられないような苦行に耐えるさなか,釈尊は
きっと,街中で,現実の苦に耐える人々,例えば,病苦や身分の苦,
戦争の苦,理不尽な政治の悪徳の苦,貧苦に苦しむ人々の姿をご観察に
なって,ご自分を恥じたんですね。自分のやっていることは,とても
あほらしいことだと。こんなことが苦行なのかと。その何十倍も苦しんで
いる人がそこにいると。そういう恥じらいから苦行を捨てたんですよ。
仮に最大の苦行に耐え切ったとしても,それら現実の苦に対して,何の
解決にも救済にもならないんですよ。それら現実の苦を生み出す普遍的な
原因次元に,解決を求めなければ,なにもならないんですよ。その時点で
自己だけの解脱という問題はそもそもありえないんですよ。
それが慈悲心であり,恥じらいであり,自己観察ですね。そこから
ヴィパシュヤナーによる悟りの道が開かれてるんですよ。
ヴィパシュヤナーってサンスクリット語やめろよ。
>>462 一見むずかしそうで
全く中身のない文章を書き込むのはもう
やめたら?
466 :
中核派が集う選挙板を生暖かく見守る人:2008/11/08(土) 09:24:27 ID:W6b1zbJ8
【公明党】(創価党)【民主党】(旧社会党多数)【社民党】(中核派テロ組織)
中国共産党 韓国民団(詐欺師) 朝鮮総連(拉致機関)
朝日新聞(捏造) 毎日新聞(変態) 労働新聞
テレビ朝日(偏向)TBS+KBS(捏造) 朝鮮中央放送(KCBS)
週刊朝日(小説) 週刊現代(反日) ニューヨークタイムズ(オオニシ)
中華思想(中国) 小中華思想(韓国) チュチェ思想(北朝鮮)
創価警察 在日朝鮮ヤクザ(右翼団体)朝鮮工作員(シンガンス)
創価市長 部落ヤクザ(部落開放同盟)シーシェパード(エコテロリスト)
総体革命※ 国連中心(パラダイス鎖国)北朝鮮経済制裁反対
外国人参政権 沖縄1国2制度移民3000万人 自衛隊廃止(完全無防備)
集団ストーカー マルチ推進議連 人権擁護悪法
【自由民主党】 【日本共産党】 【国民新党】 【新党日本】 【改革クラブ】 【新党大地】 【維新政党・新風】
白い保守派 赤い保守派 郵政族のおやじ ヤッシー 愛国右翼 ムネオ派 極右・攘夷派
日の丸保守 国民主権保守 郵便局保守 脱ダム宣言 竹島奪還 領土保守 天皇陛下保守
中福祉中負担 軍縮して福祉へ 旧態依然 行政改革 パチンコ違法化
売国町村派 労働党
サヨク:なんでもいいから減税
ネオリベ:経団連と小泉、竹中、秀直 社会保証費削減して法人減税 国防は米国依存
右の無政府主義=ネオリベ 左の無政府主義=アナーキー
右の民主主義=右派リベ 左の民主主義=社民主義・左派リベ
右の全体主義=ナショナリスト 左の全体主義=共産主義
極左(利権革命家)←左翼(付和雷同)←保守(中道) ←右翼(愛国者) ←極右(独裁者)
個人第一・侮日・反日 国=自分 国=国民 国=国家 元首第一・攘夷
福島みずほ 福田康夫 C委員長、河野太郎 麻生太郎 田母神幕僚長
例:竹島批判 他人事 労働者保護法、行革 日本の底力 戦争責任否定
逆差別レイシスト 事勿れ主義 現実主義 国粋主義 超国家主義
自治労(労働貴族) 愚民(情報弱者) 中産階級(リーマン)2チャンネラー 官僚(既得権益)
467 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 09:40:35 ID:wfRHQbPY
brown(華厳命)は本当にアホじゃのう。
ブッダは心の平安に至る道を説いただけじゃ。
ブッダは自分の教えが大乗だとか小乗だとか意識したこともないわい。
そのような解釈はブッダの死後、勝手になされたものじゃ。
そもそも、ブッダは解釈、思考、意見は妄想以外の何ものでもない、
と言い切っとるんじゃよ。
おのれの主観、心情、他人の意見に流されないで、自分の眼で物事の真実を
見抜く力を養うためにもヴィパッサナー瞑想、ぜひやるべきじゃな。
468 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 09:50:05 ID:jeyyRVOw
469 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 09:57:15 ID:jeyyRVOw
>>467 そうですね。
ただし、釈尊は大乗経典を説いていないでしょう。
久遠の釈迦如来も阿弥陀仏や大日如来も、釈尊は説いていない。
仏性や如来蔵や本覚思想や諸法実相も説いていない。
口唱念仏や観想念仏で極楽浄土に往生できるとも説いていない。
仏教の知識がなくてもお題目を唱えれば成仏できるとかも説いていない。
大体お釈迦サン自体、経典書いてないから。全部、後継者のうる覚え。
人が何かに夢中になった時の暗記力のスゴさを知らないのか?
ホントのことは分からないよ。
空想上の話だし。そうかも知れないし、そうでないかも知れない。
473 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 11:59:19 ID:jeyyRVOw
>>470 僧侶が声をそろえて読経するのは、
お経を次の世代に伝えるため。
上座部で言われてていることも、実際はブッダは説いていないよ。
まさに、目くそ鼻くそを嗤う、だな。
原始仏典なんてどう見たって坊主や組織に都合のいいように書かれてる。
人が権益固守に夢中になった時のエゴを感じる。
何しろ、大乗が仏教でないというこいつらの主張の根拠は、
上座部で教えられていることと違うから、だもんなw
じゃ上座部が本当にブッダの教えだったことの根拠は?
と問うとダンマリを決め込んでしまう。
霊性に考えてみろよ、今から二千五百年も前の人物が教えていたことが、
そっくりそのまま残ってるなんてことはあり得んだろうがwww
お前らも大乗その他と同じ穴の狢なんだよ。
477 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 13:41:51 ID:jeyyRVOw
>>476 上座部で教えられている四諦や八正道などの仏教の基本は、
大乗でも教えられている。
しかし、法華や阿弥陀は大乗にしかない。
全宗派の最大公約数の教えを採用した場合、上座部に近くなるのでは。
だからその四諦や八正道が仏教の基本ってのは本当なのかよ?
それすらブッダ没後何百年も経って形成されていったと考えるのが自然だろ?
普通の伝言ゲームですら、ほんの十数人ですぐに単語やフレーズが変化してくる。
まして二千数百年前に生きていた人間が語った言葉はどう変化していくと思う?
テーラワーダを信じてヴィパッサナーほやるのは別に構わんよ。
信じてやり続ければいい。
しかし、我々こそは純粋かつ正統なブッダの教えを継承しているのだ、
という戯言を繰り返すから突っ込みを入れられるんだよ。
お前たちも大乗その他の流派も同じ穴の狢。も少し謙虚になれよ。
>>478 同じ穴の狢でもなんでもいいっての
少なくとも俺は永遠不滅の神様仏様を信じようとしても痛みが伴うってことよ。神社の神様は信じているけどw
俺は苦しみの塊だ。それだけだ。
上座部でどれくらい覚者がうまれてるんだろう?
臨在禅はかなり生み出してるよね。
禅の方が多いなら大乗であろうと禅を評価せねば。
大乗と上座と言う視点より、どちらが解脱者を多く
生み出してるか、と言う視点が重要ちゃうのん?
>>479 >俺は苦しみの塊だ。
というより苦しみの塊に「俺」と
名付けただけだよ。
まあそうだけど。
覚者云々は別として、ヴィパッサナーが有効な手法であるのは事実だろう。
スマナサーラ師の一連の著作も洞察に満ちた素晴らしいものだと思う。
問題は、仏教とはそもそも宗教ではなく哲学であり手法なのに、
それを勝手に宗教にしてしまって、我こそは正統なり、我こそは真の後継者なり、
と勘違いしてしまっている連中がいることだな。
輪廻、業、悟り、一切智者、解脱、ダルマなんてものを「信仰」してる時点で宗教でしょ。
信じてはおらずそれを実感しているというならそれは部外者から見た場合、妄想と言う。
悟りと呼ばれる脳内現象があるのは事実としてそれに付与された説明体系は洗脳でしょ。
輪廻からの解脱とか苦からの永遠の解放を信じるなんて撒き餌に釣られてるだけでしょ。
485 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 17:55:34 ID:9ieiY0GU
仏教は宗教です。
宗教でなかったら宗教法人を解散させないとなw
>>476 文献学で大乗経典はその一つたりとも、仏陀死後数百年よりあとに出来た事が明らかになってる。
それより前に大乗経典でいうようなことは何一つ説かれてないことも。
上座部の原始経典は、それよりはるかに古く仏陀死後の直後にまでさかのぼれることも明らかになってる。
文献学が全て正しいとは言わないが、人類の歴史で培ってきた分析力を少しは信用したほうがいいんじゃないか?
>>480 臨在禅の覚者がなんぼのもんだ。
その人たちは原始仏典に出てくる阿羅漢たちのように、なすべきことは全て成し遂げた、もう生まれ変わることはないという確証を得るところまで悟ったのかい?
それがなければ、阿羅漢すらなってない、その手前レベルの悟りでしかないよ。
>>483 哲学は論理でありブッダは論理を否定しているが?
>>484 で・・君はなんでここに居るの?
>>487 あのう・・覚者とはアラカンであり解脱者であり
悟った者という意味なんだけど。
小学校からやり直しだねw
>>487 そうか。言葉自体を理解していないのか・・・!?
もう来ない方がいいよ。それかロムってな。
>>489 は?
日本の仏教の伝統で、それどころか中国台湾含め大乗仏教の伝統の中で、解脱した人がいるなんて話は聞いた事が無いぞ。
誰も彼も菩薩道とか自未得度先渡他とか言ってる人ばかりじゃないか。
>>490 そもそも自分ひとりの正覚などを否定し小乗とけなし、衆生を救う事を第一義とすることにこそ大乗の意味があるんじゃないか。
それをせず覚者になってしまったなら、その人は大乗の徒とはとてもじゃないが言えない存在だろう。
そういう矛盾を認めてしまうつもりか?
大乗の伝統でも衆生を置き去りにし、解脱してしまったものが多数いたと?
それならもう大乗を名乗るべきじゃないな。
とりあえずみんな悟ってから優劣の口論しようぜ。
それまでは修行あるのみ。
>>491 じゃ逆に訊くが上座部で解脱した人がいるのか?
どうして上座部には傑出した中興の祖が出てこない?
上座部も大乗と同様、ほとんど解脱とは関係ないからだろう。
いいか、坊や、よく聞いておけ。
仏教で悟るんじゃないんだ。
解脱に近付いている人が、たまたま仏教をきっかけとして解脱しただけなんだよ。
別に仏教でなくても何でもいいんだ。それがわかるまではお前は単に宗教にいれあげているだけの馬鹿な狂信者に過ぎん。
495 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 22:16:06 ID:kgCamKXJ
仏陀になることを目指すのが大乗(=仏乗)
辟支仏・阿羅漢を目指すのが小乗(=縁覚乗、声聞乗)
>>492 いいぞ。
>>494 いくらでもいるじゃないか。このスレにいるくせに原始仏典読んだことないのか?
阿羅漢がごろごろ出てくるぞ。
今はどうかと問われるかもしれないが、実際にタイとかミャンマーに行ってみな。
この現代でも、地元の人々に阿羅漢として尊敬され慕われている人が何人もいる。
中興の祖?それはいったい西暦何年ごろのことを言えばいいんだ?
5世紀に清浄道論を書き上げたブッダゴーサ長老では時代が古すぎるか?だけど彼だって仏陀が亡くなってから1000年ほどたった時代の人だから、十分に中興の祖と言える存在だよな。
読んだことなければ現代語で全訳が出てるから読んでみて。
http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/ 解脱に近づいてる人がたまたま?
それをたまたまと思ってるようじゃ、お前こそ坊やだな。
過去の波羅蜜その他の集積の結果、必然的に仏教に出会うんだよ。
どの生で解脱に至るかはそれぞれの人の努力によるわけで、それが今生かいくつも先の来世かはその人次第だけど。
「臨在禅の覚者たち」と「上座部中興の祖」の代理戦争がはじまったよ。
>>495 その分類で正しいけど、釈尊自身、80歳で入滅したらそれっきりなんだよ。
それ以降残ったのは、釈尊が残した教え、真理、法(ダルマ)のみであって、応身とか法身とか、そういう妄想じみたものじゃない。
ダルマっては、スマさんが好きなたとえで言えば地球が丸いってのと同じ話だ。
それは、誰が証明しようがしなかろうが関係ない真理だからな。
釈尊はその真理を言葉にして分かりやすくしてくれたわけだが、真理自体は釈尊が悟ってようがなかろうが関係なく存在してた。
それは今も変わらない。
釈尊という存在はこの世から完全に消えた。解脱した存在だから、それが正しい。
その釈尊こそ仏陀と言われる存在である事を考えれば、大乗が目指す仏陀という存在も、解脱して消え去る事を目標にしてないとおかしいんだけどな。
仏陀になるとそれっきりだから菩薩のままでいることにこだわり続けるのだから。
したがって、大乗においては仏陀になることより菩薩のままでいること、悟って解脱するよりしないほうが立派な生き方だと言われるわけで、これのどこが釈尊の教えた仏教なのか意味が分からなくなってくるよな。
499 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 22:35:00 ID:9ieiY0GU
まあ、ある意味上座部なんてのはブッダゴーサ宗だな。
ブッダゴーサの註、複註がすべてだしな。
誰も異を唱えない。
>>496 何もわかってないな。
方法論によって悟れると思い込んでいるうちはダメだよ、坊や。
まあやってごらん。何も達成できやしないから。
経験によってしか学べないこともある。
>>499 キリスト教がキリスト教ではなくパウロ教であるようにね。
どちらにしても、何かのシステムによって覚醒するなんてことは絶対にない。
システムを破壊し尽くした後に残るなにものか、なのであってね。
上座部にとっては上座部が、他の宗派にとってはその宗派が、解脱を阻む最大の障壁として立ちはだかることになる。
卵の殻が卵料理をつくろうとしているわけだよ。
喜び勇んで卵料理をつくろうとしている哀れな卵の殻クン。
君自身が粉々に砕け散らなければ卵料理はつくれないんだぜ?
最後の最後になって抵抗するのは、卵の殻それ自身なんだよ。
>>500 何も分かってないな。
上座部のなにが優れてるかと言えば、それがちゃんとシステム化され、やることやればいつかは悟れるからだよ。
スマさんも言ってるだろ。仏教は宗教ではなく科学ですって。
やれば誰でも必ず出来ると口がすっぱくなるほど本に書いてる。
そしてそれは真実なんだよ。
それを否定したいなら言われたことやって、それでもダメなら否定しな。
そうは言ってもダメだったらそこまで費やした時間が無駄になる。それはたしかに恐怖だよな。
だから最初は、言われた事をやってれば出来るということ自体を信じる必要はある。
そういう点は宗教だと言えるのは事実だけど、それはどんなことでも同じだからな。
○○予備校で学べば大学に入れる!実際今までこれだけ入れた!
上座部も同じ。これだけ阿羅漢が生まれたという宣伝文句を信じてやる気になるかどうか。ここが勝負だ。
>坊やの人
自己紹介乙
華厳ちゃんですか?
>>501 それは言われたことをやってやってやりこんで、最終的に乗り越える壁の話だろ。
それはどんなものでもあるよ。
で、どうなんだ?大乗の中興の祖ってのは、解脱したのか?
方法論がどうこうなんて話じゃなかったんだから、不利になったからと言って話をそらすんじゃないよ、坊や。
505 :
神も仏も名無しさん:2008/11/08(土) 23:04:53 ID:kgCamKXJ
>>498 君、大乗も仏陀の教えのうちだから、大乗と大乗仏教を区別して使えよ。
大乗仏教というのは小乗を否定した大乗至上主義である所がそもそも問題
なのだ。
小乗を否定すれば三帰依を否定する事になることが分かっていないんだか
ら。
>>505 ああ、それはそのとおりですね。
俺が否定してるのは大乗仏教であって、釈尊の教えに含まれる大乗ではないので。
すまん。
ID:GWq/lQbD
はいはい、わかったわかったw
じゃ、まず君が上座部で速やかに解脱してここで報告してくれ。
やれるもんならやってみなw
これだから「宗教」の「信者」じゃダメなんだよな。
>>504 俺は大乗の中興の祖が悟ったなんて一言も言ってはおらんぞw
お前が信奉してやまない上座部と大乗は同じ穴の狢だと言っている。
何度も言うが「システム」によっては悟れんのだよ。
まずはそのことを悟れ。
今のお前のように本や他人の受け売りを繰り返すのではなく、
自らの体験を通して「宗教」の限界を理解しろ。
以上。
>>507 悟っていない人間でもいくらでも悟った先達を紹介できる→上座部仏教
紹介できないどころか都合が悪くなったらwwwとか言って逃げ出す→大乗仏教
これでなにが本当に役に立つ、意味のある仏教なのかがはっきりしたわけだ。
そうは言っても在家じゃ難しいのが、上座部の辛いところだけど。普通の人だと出家しないとまず無理だからなぁ。
過去の波羅蜜が相当あれば在家でも預流果になれるけど、俺はそういう実感ないし。
>>509 そういう坊やは自らの体験を通して宗教の限界を理解したのか?
>>509 何度も言うが「システム」によっては悟れんのだよ。
まずはそのことを悟れ。
偉そうに分かりきったことのような事を言ってるが、ある程度システム化され誰でも試す事が出来、結果として確実に役に立たせる事が出来ないものに意味なんか無いだろ。
システムじゃなかったらなんだ、運か?偶然か?
そんなあいまいなものは何の役にも立たん。勝手に坊や一人だけで悟って、それを誰にも説明することも他者の役に立たせることも出来ず、自己満足のうちに死んでくれ。
上座部へのそういうこだわりがお前の足を引っ張ることになるだろうよ。
それだけだよ。もちろん経験に基づいている。
お前のようにただの受け売りクンのくせに悦に入っている恥ずかしい頃もあったがね。
まあ、やってみなよw 上座部で悟れるならやってみな。その上座部が必ずお前の前に立ちはだかることになるから。
なんか「クリシュナムルティ“メソッド”」にドグマチックに傾倒している人がいたりしてな・・・。
「アンチシステム」というシステムに逆にこだわりすぎだ。
上座部も大乗もないんですよと長老さんも言ってたけど、
もっと柔軟に考えればいいんじゃないか。
人間が作った表現方法で、言語的に反発しあってる気がすんだよな・・・
卵の殻は自らをかち割って、卵料理をつくるんだと勢い込んで料理を始める。
今のお前のように。
しかし本当に卵の殻が割られる段階になると、これ以上ないというくらいの抵抗を始めるんだよ。
お前は仏教(上座部)によって解脱しようとしている。
しかしその仏教(上座部)そのものからも解脱しなくてはいかん。
卵の殻とはお前にとっての仏教(上座部)のことなんだよ。
それを捨て去ることができなければすべては無駄に終わるな。
517 :
brown:2008/11/08(土) 23:27:08 ID:AL78C538
システムによって悟れないって本当だよ。
「あれをやれば」,「これを信じれば」という拠り所はなにもない。
何か助けてくれるものが唯一あるとしたら,「何も助けてくれるものはない」
ということを信じることだけだ。
異性でも,おいしいものでも,何かの成功や地位でも,たとえそれを,
仏陀の教えや「伝統的に守られ実証されてきた教え」に挿げ替えても,
何物か頼る物があると,心の解脱を阻害する。
逆に,何物をも欲することがなければ,それだけで,心の解脱は,その
現実の歩みの,そこにある。
達成するのは至難の業だが,仕組みは簡単。
その仕組みはあっても,仕組みによってそれに達することはできない。
なぜなら,そこに達する以前に,その仕組みはないから。
あたかも,地球上には無重力はないがごとく。
この人はそれだけ言うからにはすでに悟ったんだな。すごい。
>>513 上座部だって出家した人が全員今生で悟ってるわけじゃない。
上座部の時間軸ってのは何生も何生も、それこそ無限に近い時間軸を相手にするからな。
俺の過去の波羅蜜が足りなければ、今生で悟ることは無理かもしれない。
だが何生も先で悟れると、俺は信じているよ。
>>514 クリシュナムルティの信奉者さんなのかな、ID:PIfU7VeMは。
それなら分かるけど、言ってる事が正しいのと、その言ってる事が聞いてる人の役に立つかは全く別なんだよな。
クリシュナムルティはその点で困ったチャンだと俺は思ってる。
世の中には彼や、バーナデット・ロバーツみたいに、参考になりはしない真理を語る人ってのはいて、それはそれで意味があることは認めるけど。
>>517 だからそれは、究極の究極の究極、最終段階の話でしょ。
そこまで到達するために使えるものはなんでも使えばいい。
仏陀がその方法論を残していってくれたのに、なぜそれを使おうとしない人がこんなに多いんだ?
それが不思議でならない。
>>518 そうなんでしょうね。すごいよなぁw
俺も預流果とは言わないが、ある程度は悟ってる自信があるんだけどな。
一度あれを見ちゃうと、諸行無常ってのは絶対真理であって、ブラフマンとか絶対神とかってのがありえないってのが確信になった。
そのあれを言葉で説明できないのが情けないところなんだが。
心の底からバカばっかりだ
アホ裸子。
二度とくるのやめよ。
じぶんが稼いだと思われる「ハラミツ」の投げ合いしてるみたいだ。
524 :
brown:2008/11/08(土) 23:40:15 ID:AL78C538
釈尊の教え(と信じられていること)だって,上座部の教学だって,
大乗の教学だって,ジーザスの教え(と信じられていること)だって,
パウロのまとめた教学だって,一般の無学の人々だって,たとえ,悪人でも,
とんでもない犯罪者でも,それから学ぶことができる。その教えに従う
ことができる。それから悟りを得ることができる。
たとえ,何かを欲したとしても,執着を抱いても,いらだっても,怒りを
抱いても,そこに悟りはある。
なぜなら,何事にも固執しないからだ。
何事にも固執しないこの心はとてもすばらしい。心の本質的な姿はとても
美しい。すがすがしく,新鮮で,何の問題もないし,なかったし,これからも
生じることはない。全ては整えられている。自動的に。何の不安も無い。
この心はすばらしい。争う必要がない。否定する必要もなく,肯定する必要
もない。比較の必要はなく,疑う必要もない。ただ,現瞬間のありのままの
ある姿だけで,それがそれだ。
なぜなら,何もなすべきことも,なさざるべきことも,ないからだ。
>>523 はて?
そう言って去っていく人は多いけど、2ちゃんだし匿名だから戻ってきてもバカにされないので、暇になったら戻ってきてください。
俺もここに書き込んだの数ヶ月ぶりだし。
そろそろIDも変わって継続性がなくなってしまうから、その前に。
興味がある人はこれでも読んでみて。
自己喪失の体験 (単行本)
バーナデット ロバーツ
よくぞキリスト教文化に育ってこの境地に達したものだと驚愕することうけあい。
この人の本を読んでも実践の役にはまったくたたない。クリシュナムルティ同様、システムや実践論がすっぽり抜けてるからね。
だが、悟ったらこうなるのかということと、下手に俗世間にいて悟るといろいろ大変だったり不便だったりする事がよく分かる。
なぜサンガとか僧院とかってものが必要なのかってこと。
彼女も、サンガにいればここまで戸惑う必要もなかったろうにと思わされた。
527 :
brown:2008/11/08(土) 23:56:57 ID:AL78C538
仏陀が残してくださった方法論とはこれです。
すなわち,「自分自身を頼りなさい。法に頼りなさい。」
これは,別の言い方をすると,何も頼るものがないということだ。
自分自身を頼りなさいとは,釈尊やその他の仏陀に頼るなということだ。
その他のどんな偶像もあてにならないということだ。何かの望みを抱く
ことはとてもできないということだ。自分自身を頼りなさい。自分など
どこにもないのに,何に頼れというのですか?つまり,何も頼るものなど
ないんですよ。
法に頼りなさいとは,無だ。法とは,あらゆる現象を引き起こす原因のこと
だ。例えば,重力。電磁力。百幾つある原子。その素粒子。統計熱力学。
これらが法だ。これに依るといっても,依ろうが,依るまいが,それは
24時間,365日,仏陀が現れようが,現れまいが,ただそこに必ずある。
新たに信じたり,帰依したり,それに従って修行したりするものではない。
それはただ有るだけだ。つまり,無だ。拠り所はどこにもない。
なぜなら,全ての現象は,無常だからだ。仏陀は滅びた。今はその教えは
ない。頼りになりはしないのだ。暗闇だ。支えは無い。つまり,無重力だ。
そう,ここ,地球こそ無重力なのだ。このようにして,ここに,無重力は
ある。ないけど。
>>527 すなわち,「自分自身を頼りなさい。法に頼りなさい。」
これは,別の言い方をすると,何も頼るものがないということだ。
それはそのとおりです。ですが、頼るものがないと言い切ってなにもやらないより、空だろうが無常だろうが、頼れるものは頼ったほうがいいです。
仏教の目標は涅槃寂静ですよ。その目標に達するためには筏でもなんでも使えばいいんです。
なぜそれをことさらに否定しようとするのか。筏は、川を渡りきったものにとってはどうでもよくても、渡る前のものには必要不可欠なものです。
一切皆空だ、だからその痛みも空腹感も空だ。その真理に目覚めろといわれても、実際に痛さ辛さを感じてる事実はどうしようもない。
そこで大事なのは、ではどうすれば空だという真理に目覚める事が出来るかという方法論。
だからこそ、上座部では何人も阿羅漢が誕生してるのに大乗ではどうなのかということが大事になってくる。
実績というのはやはり意味がある。それが役立つものか、そうでないものか。
究極の真理に到達する際に捨てなければならないものであっても、そこに至るために必要な手段だってあるってことですよ。
ただの文字です。
言葉尻、捉えないでね。
噛み合わない話は意味が無いのよ。あるかも?
誰に言ってるのかって、不特定多数だよ。
>>526 そんな誰でも知ってる本を紹介されてもね(失笑)
それにバーナデット・ロバーツの体験は上座部をはるかにはるかに超えてるし、
彼女がサンガにいたら、きっとそういう体験はしなかっただろう。
どちらにしても、お前のようなガチガチの教条主義者はどんな宗教集団に身を置こうと、
悟りからはますます遠のいていくだけだろうよ。
お前さんは大乗を目の敵にして独り相撲を取っているのがお似合いさ(笑)
>>521 “ある程度悟っている自信がある”(大爆笑) 筋金入りのアホだwww
確かに
>>526からはきもい狂信サイコパスの香りが漂うな
ID:GWq/lQbD
↑こういう勘違い野郎のせいでテーラワーダはずいぶんと損してるよねぇ。
こういうアホが得意になって自分語りさえしなければいいスレなんだけど。
大体の人は冷静に見えるけど一部、ajita風の人がいるみたいね
なにをごちゃごちゃ叩き合ってるのさ。
長老の言う通り君ら最後は南無阿弥陀仏と言い始めるんじゃないだろうな。
別にナムアミダブツと言おうがナンミョーホーレンゲーキョーと唱えようが
捨てたもんじゃない。
537 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 01:46:08 ID:H+qLIizD
瞑想が実践できないないbrownは哀れじゃのう。
瞑想によって得られる成果を味わうことも、経典に出てくる言葉の本当の意味
も実感できず、いたずらにおのれの頭で想像して屁理屈を捏ね回すしかないの
じゃからのう。
まさに、ただの文字遊び、言葉遊びじゃな。
あれこれ集めたくだらない概念でいっぱいな自我を手放そうとしない限り、瞑想
は決して進まないんじゃからな。可哀想よのう。
>>537 それはID:GWq/lQbD のことだな。ふむふむ。
539 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 06:01:29 ID:TeCbjkQ3
GWq/lQbDhはセンスが無い
君ら慈悲は大切じゃないのか
争わなくてもすむようなことを争ってないか
541 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 07:50:29 ID:raOvsQt2
なんなんだよ、けっきょく荒れ放題
これだから2chは
みなさん慈悲の瞑想やったほうがいいよ。
542 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 08:03:08 ID:a1ufVTfP
今北産業
自灯明法灯明の自灯明って「自分にたよりなさい」って
意味じゃなく「観察する対象はちゃんと存在するでしょ?自分が」
と言う意味らしい。長老が書いてた。
四諦やヴィパサナとか釈尊が説いた法に従って
自己を観察して解脱しなさい、ということだろう。
あと方法論では悟れない、とか「じゃ、何すればいいの?」
ってなるに決まってるだろ。
クリシュナムルティ自身「私は規則正しく瞑想しなければなりません。」って
方法論をかたってるのに凡夫が方法論なんかいらない、って基地外沙汰だよ。
>>528さんがなんかマトモなこと言ってるなと思う。
大乗の間違いの一つは「一切皆空」とやっちゃたことで
やはり「一切行苦」でなければ「この苦界から脱出せねば」
と言う切迫感が失われる。
あと真言宗の一派の「生かせ!いのち」のスローガンのように
生命に価値を置きすぎるよ、大乗は。
クリシュナムルティも「実はこの肉体が存在するかどうかなど
どうでもいいことなのです」と言ってる。
解脱。これだけが仏教徒の目的だ。
>>544 ちゃんと分かってくれる人もいて、うれしく思います。
上座部でも大乗でも金剛乗でも、悟れて解脱できて涅槃寂静に達せるならば、方法論は何でもいいのよ。
だからこそ、俺は実績にこだわりたい。
解脱できたという自覚を持てた人間がどれぐらいいるのか?
その人と接し、この人は確かに解脱してると感じさせられるだけの人がどれだけいたのか。
釈尊は悟って後、初転法輪の地サールナートで初めての弟子を取るわけだが、説法自体はそこに行く途中、アージヴィカ教徒のウパカへのものが最初になる。
ところがこのウパカには話が通じなかったんだよね。
つまり釈尊は、ウパカには自分が確かに解脱した者であるということを感じさせられなかった。
これ以降も話が通じなかった、理解してもらえなかった事例は多々ある。
だが結果として、2500年も教えを残せるぐらいは後進の指導に成功したって事でもある。
そして今でも、東南アジアでは阿羅漢の境地に達したといわれる人が何人もいる。
これこそが実績だし、教えが役に立ってるという証だよ。
546 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 10:26:20 ID:ke+83+HX
>>543 妄想や感情の激流に流されたら、観察対象にもどる。
自分や法の観察の洲(島)につかまれば、
感情の激流に流されずにすむ。
自灯明法灯明は日本では誤解されてるんだね。
548 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 11:17:50 ID:ke+83+HX
灯明という訳もあれば、洲(島)という訳もありますね。
激流に流されないようにつかまる対象という意味では、
洲と言ったほうがわかりやすい気がする。
549 :
華厳命:2008/11/09(日) 11:32:33 ID:qC6oUuAB
よお、ブラウンちゃんよ
あんた大乗仏教に縁があるらしいけれど、時々アホなこと言うね
なにが「重力の法則」だよ
そんなもん大気圏を突破して宇宙空間に言ってしまえば無重力だろうが
そんなんじゃ上座部のぼんくらに馬鹿にされても同情できないぜ
あとよ、そこのハゲ、お前だよ、お前
「華厳」における「菩薩十地の修行階梯」の「歓喜地」に到達した者は
上座部のアルハットやプラティエーカなんざとっくに超越してるのさ
いままで到達したのは弥勒と竜樹だけだ
まあ、道は遠く険しいってことよ
せいぜい頑張るんだな、坊や
約1名、完全に逝っちゃってますなあ。
あ、俺は髪ふさふさだよ。
俺も髪ふさふさだよ。
>だからこそ、上座部では何人も阿羅漢が誕生してるのに
もっと具体的に。どういう人が上座部でどういう修行をして阿羅漢になったのか。
どうしてその人が阿羅漢になったと断定できるのか。
>大乗ではどうなのかということが大事になってくる。
大乗ではどうなの? 君たちが大乗のレツテルを貼ってる人たちの中から、
覚醒者は一人も出ていないのかな?
>>545 >そして今でも、東南アジアでは阿羅漢の境地に達したといわれる人が何人もいる。
これこれ。これ、本当にそうなのか? 阿羅漢の境地に達した人間が、俺は阿羅漢に達したぞ、
なんて喧伝するのかね? 周囲の人間がそう言ってるだけ? だったら尚更あやしい。
本人が言ってもだめ、周囲が言ってもだめ、だったらどうすればいいよw
>>553 上座が上陸して10数年で現地に行ったこともないから
わかんない。アラカン認定は大乗認定と同じく不可能。
自分が悟らないと無理。
臨在禅からは多数輩出されてると思う。
しかし禅は余程上根のものしか悟れないとも思う。
大師家のもとで本当に大勢の修行者が志半ば
で死んで行ったことを思うと涙がでる。
はたして彼らがヴィパサナをやってたらどうだったろう、
と想像したくなる。
横スレ失礼。
自らの宗派で勝手に最高段階を定めてその基準を満たしていないとか
ほざいて優越心に浸ってるのは笑うよ。
上座部でも禅の高僧でもカトリックの聖者の基準、満たしてないぜw
そういや古神道の曽我だかなんだかいう人の「釈迦はまだ最高の神界には
達していない。あの人は気が弱い云々」とかいう発言を見た時も笑ったな。
ベンジャミン・クレームってオッサンが書いた聖者の格付けも大爆笑。
お前ら宗教屋は格付けマニアかってw
大体の宗教屋さんは商売の都合上、そういう格付け用意してやがんの。
一応、客観性をうたってるみたいだが差別が好きなんだな。やっぱ。
>>554 >>555が言うとおりなんだよ。悟りというのは厳密に言えば、本人ただ一人のものであって他人が証明したり、見て確認できたり出来るものではない。
少なくとも凡夫から見て、目の前の人物が本当に阿羅漢かどうかは分かるわけがない。
だが、そうは言っても多くの人に阿羅漢といわれ、慕われている人にはなにかあるはずだ。
言われた本人は否定も肯定もしないがな。
阿羅漢同士なら分かる。でもそれは自分が阿羅漢にならないと分からない。
だが、今生では悟れないから極楽浄土に行けるよう他力にすがりましょうとか言って今生で悟れる可能性を否定したり、この身このままで仏であることに気づけばいいとか言って方法論を投げ捨てる教えより、
ともかくやって確かめる事が出来る教えが目の前に存在してる。
本当に阿羅漢が今も居るのかどうか疑わしいなら、自分で確かめてみればいいじゃないか。
大乗はそのプロセスすら示す事が出来てない。
そのため自覚する人がいるかどうかを示すことも出来なければ、そうやって慕われる存在すら生み出す事が出来ていない。
回峰行の行者さんとか、ダライラマとかいることはいるけど、ではその悟りはどの程度のもので、誰もがそれが本当かどうか試す方法論が用意され、効果を実感できるものなのか?
無理。俺は絶対にダライラマには取って代われない。たとえ彼が本当に観音菩薩の生まれ変わりで亜タットしても、それと俺自身が悟ることには何の関係性もない。
559 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 13:07:39 ID:ke+83+HX
>>554 阿羅漢の人同士は相手が阿羅漢だとわかるのでは?
あと、どの煩悩までが消えたらどの悟りの段階かは、リストがある。
瞑想に熟達すれば、自分でどの煩悩が残ってるかわかってくるはず。
カトリックの聖者の基準をみたした
カトリック教徒はいるんですか?
クレームなんて16程前にキャンペーンやってて
今頃読んで偉そうに大爆笑なんてヒンシュクものですな。
差別と区別の違いを覚えましょう。
要するにわからんということだろ?
だったら、上座部からはたくさん覚者が出ているが大乗からは出ていない、
みたいな決め付けはいかんよ。
自分は今上座部で修行をしている。それだけでOK。
↑16年
>>561 禅と念仏の妙好人以外は居ないと
言っていいんじゃない?
真言宗で悟ったなんて聞いたこともないもんな。
悟る修行自体やってないんだから。
>>561 だから、原始仏典じゃいくらでも阿羅漢に達した尊者のお名前が載ってるし、今も阿羅漢として尊敬されてる方は多々おられる。
大乗仏教にはそういう例はあるの?
悟りは究極的には自分自身にしか分からない個的な問題だ。
それと矛盾するようにも思われるかもしれないけど、凡夫に修行をやる気を起こさせるためにも、そういう客観的資料や評価というのは大事なんだけどなぁ。
仏陀の「自分の悟った内容は誰にも理解されないのではないだろうか?」という心配はラッキーなことに事実に反してたわけだけど、悟った人でもそういう心配を抱くぐらいなんだから。
教えが教えとして有効かどうかを確かめるには、ある程度はそういうのって必要だよ。
>>563 空海ですら解脱できず兜率天に転生したというのが真言宗の公式見解。
開祖ですら解脱できてないことを公式に認めてしまってる。
この時点で、解脱したい人間にとって真言宗は無用になる。
預流果や一来果である可能性はあるが、少なくとも阿羅漢ではない。
ニヒリズムから脱却できてないじゃん
公式見解ですか。。
ま、あっちこっち歩き回って痛い思いを
した人じゃないと、上座部の凄味はわからないでしょうね。
>>560 >カトリックの聖者の基準をみたした
>カトリック教徒はいるんですか?
ああ、いるみたいね。
>クレームなんて16程前にキャンペーンやってて
>今頃読んで偉そうに大爆笑なんてヒンシュクものですな。
クレーム読んだのは十年以上前ね
>差別と区別の違いを覚えましょう。
人に教え込まれた悟りの段階なんて話を受け入れるのはやめといた方がいいよ。
子供じゃないんだから。
自分で言っちゃいますが、預流果者です。
12歳から仏道に関わり始めて、預流果まで17年くらいかかりました。
経典を読んでいる時、大きなパラダイム転換が起きて、思考パターンが
変わってしまいました。
それ以来、経典に示された預流果の特質が備わりました。
認知構造、思考パターンが根本から変わるので、その根本に関しては
後退することはありません。
で、今のわたしには、誰かが阿羅漢かどうか判定することはできませんが、
その人の言動が解脱や悟りにの方向に向かうものかどうかは判ります。
従って、自分より先を進んでいる人がいれば、少なくとも一来向以上だなと
いうことだけは判ります。
このスレには、少なくともひとり、一来向以上の人がいます。
わたしの未熟な部分を的確に指摘できる人がいますので、あぁ先達いるわ
と思いました。
>>568 そうですか。私のカン違いもあったようですね。
しかし最後は頂けませんな。
あなたの意思表示として使われている言語さへ
世間に仕込まれた訳ですから。
大げさな例えですが人間なんてそんなものですよ。
深く言えば全くのオリジナルの思考など存在しないの
ですよ。その中でより良い思想、考え方を学んでいくしか
方法はないんです。
人は子供から始めるしかないんですよ。
>>596 すばらしい!おめでとうございますといわせていただきます。
私も、あなたに続けるよう、がんばりたいと思います。
質問ですが、預流果までは在家でも誰でも、修行がなくてもきっかけしだいでなれることはあるが、それ以降は修行が必要だと聞いてます。
どういうことを普段なさっておいでですか?
ヨルカ2ちゃんねるに現る!!
なんとヨルカが2ちゃんねらー!!!
東スポかい!
余計な遠回りをしなければ、預流果までなら本当に短期間でいけるんじゃないかと。
何故かというと、今はわたしの時代(90年代)と違って、良質な邦訳経典も、解説書も
揃っていますから。
それに、みなさん真面目だし、理性的であろうとしてるし、悟りや解脱への意欲もある。
だから、まともな経典から学び、並行してちゃんと瞑想もすれば、最低でも預流果は
確実にいけるはず。
本気でやれば数週間とか、数ヶ月とかで可能なんじゃないかと。
そうすれば、いま進行中の大乗対上座部の議論は、取るに足りない枝葉末節になって
しまっているはずです。
>>573 2ちゃんねるって、一番情報交換しやすいと思ってます。
2ちゃんねらーというと、あらかじめその単語でラベリングされたイメージが
先行してしまうでしょうけど、2ちゃんねるというより、万人参加型のコミュニティ
ですよね。
特にこのスレとか。
>>572 >修行がなくてもきっかけしだいでなれることはあるが
マハーシ大長老は明確に否定してるんですよね。
スマ長老は実践の2巻で肯定らしき言動をしてますが。
>>564 原始仏典に書かれていることが正しいという根拠は?
原始仏典に書かれていることは正しい、とお前が信じている、というだけだろうがw
>>571 オリジナルの思考などないという詭弁によって、お前の受け売りを正当化することはできんよ。
>>569 よろしければ具体的にご説明いただけますか?
>>567 あっちこっち行って痛い思いをしてきたにも関わらず、
また上座部に期待をかけて裏切られるというパターンになるだろうな、お前の場合。
>>576 修行を今生での修行に限定せず、前世で無限に積んできた波羅蜜を土台にすれば、今生において表面的に修行して無くても悟れる可能性はあると思うんだよね。
>>577 だから、上座部ではそれを確かめる方法論が明確になってるだろ。
仏陀が解脱したという根拠は?なんて質問をしたって、意味が無いのと同じだよ。
信じる気の無い人は、仏陀がなにを言おうが、方法論を示そうが信じないだろ。
残念ながら、そういう人はそれで終わりだよ。
>原始仏典に書かれていることは正しい、とお前が信じている、というだけだろうがw
そのとおりだよ。
大事なのはそうやって信じた後に、その信心を確認する手段が整えられていること。
大乗仏教にはそれはあるのか?
>>571 人は等しく無力で等価だとネタではなく存じております。
人間の等級なんていかなる形でも受け入れる気はありません。
当然、私自身の中に差別心はあるでしょう。
しかしどこまでが検証されたものであり根拠のあるものかを問えば
極めて疑わしく他人からの刷り込みや個人的妄想ばかりであると
存じます。
ですからいかなる宗教であれ社会的価値観であれ格付けは爆笑もので
あります。子供じゃないんだからと言ったのは不適切でした。
乳幼児や自我意識が薄い幼年期は差別や区別という概念がないからです。
>>574 その枝葉末節にたいそう拘り続けているのが、ここのテーラワーダ原理主義者たちでしてね。
彼らがそういう拘りを捨てない限り、どうにもならんでしょうな。
>>572 やっぱり瞑想は毎日やらないと、先には進めないなーと思いました。
あとは、ちゃんと経典を読んでおかないと危ないなと。
パユットー師の「仏法」のような、体系的に論理麺と実践面を学べる
解説書も役立ちました。
>>582 大乗の人間ではない俺に訊ねられてもなw
>その信心を確認する手段が整えられていること。
お前は自分自身で確かめたのか? 受け売りを繰り返しているだけだろうがw
>>584 上座部の特徴は理論ですから、仕方ないと思います。
大乗の特徴は、信でしょうか。
でも、もともと初期経典に、理性で悟りに至るタイプと、信で悟りに至るタイプ
両方が示されており、お釈迦さまは両方ともウェルカムとおっしゃってます
>>579 君はウザイよ。
仏教に来る前にヴィトゲンシュタインを読んでおけ。
君は考える時言語を使うだろう?思考は言語なんだよ。
それで君が「私は」と考えた瞬間そこには「あなた」「あなた達」
「彼」「彼達」という概念が自動的に、潜在的に附随してるんだよ。
その時点で既に思考は言語によって条件付けられてるんだよ。
全ての言語は条件付けられている、思考は言語である、よって
オリジナルな思考など存在しない。
>>582 そんな具合に、少しでも批判的な書き込みをすると、すぐに大乗の人間だと決めてかかる、
そういう単細胞な二項背反思考から脱出することが先決だよ、お前の場合は。
>>588 ウザイのはお前だよ、大バカ野郎w
受け売りなら受け売りで、ちゃんと出典を明記せよ。
お前の体験に基づく知識であるかのように装おうとするな。
591 :
華厳命:2008/11/09(日) 14:22:02 ID:qC6oUuAB
いや違うな。全然ちがう
上座部はどうも悟りにこだわりすぎる
てめえ一人が涅槃に入り安楽境にはいればいいと考えてるフシがある
悟ったから偉い?
偉くねえよ、そんなもん。
大乗は自分の救済など眼中におかない
他者を物質的、精神的、および霊的悟りを得られるようサルベージする
それが大乗の基本概念だ
どうして大乗からあまり有名人が輩出されないか?
知られたくないからさ。自己顕示欲を捨ててるのさ
あとブラウンには釘を刺しておくが「偶像崇拝」は絶対必要だ
それを否定するのは瞑想が出来てない証拠だ
自転車を乗りこなすにも最初は補助輪が必要だからな
>>585 やはり瞑想ですね。ありがとうございます、がんばります!
>>586 たとえ話をしよう。
上座部予備校と大乗予備校という2つの予備校がある。
上座部では入学後、どういうカリキュラムで合格を目指すかが事細かに発表されており、そのカリキュラムをこなせば合格できるだろう・近づけるだろうという信を持つ事が出来る。
ところが大乗のほうは、そこがすっかり抜け落ちてる。無い。
それどころかいくら勉強しても合格は出来ませんから次に期待しましょうとか、自分が合格するより前に他の人の勉強を手伝ってあげましょうとかそんなことばかり言ってる。
どちらの予備校のほうが目的を達せられると思う?
受け売りかどうかって問題じゃない。
当然だが、俺は上座部予備校に入学してカリキュラムをこなすべく日々がんばってる。
>>578 それ、預流果の一歩手前ってことだと思います。
1と2がクリアできていれば、3は時間の問題です。
いかがでしょう?>先達みてるかな
>>591 偉くなりたいから悟りを目指すわけじゃないからな。
釈尊も、悟って教えを残したはいいが、80歳で死んでとっとと涅槃寂静の世界に行ってしまった。
その後がどうなろうが知ったこっちゃ無い・・・という言い方をするとひどい人間のようだが、涅槃に入ったらその後にどうこうできるわけが無いんだから、これで正しいんだよ。
だが釈尊は、生きてるうちは全力でがんばった。とっとと涅槃に入ってもよかったのに。梵天勧請があったからというのもあるけどな。
そのことに後世の仏教とは深い感謝の念を抱き、帰依するんだよ。
華厳経だか法華経だか浄土経だか知らないが、志は本当に立派だと思う。
だけど、その志に見合うだけの成果は出てるのか?
>>592 そのカリキュラム通りに勉強を進めていってもはたして合格できるかどうかだがな。
要するに、
その信心を確認する手段が整えられている、のではなく、
確認する手段が整えられているものだと信じている、
ということに過ぎんのだよ。
そういう意味では大乗となんら変わらんのだ。同じ穴の狢。
そして何をもって解脱とするかの問題だろうが、これこれこういうカリキュラムに従って精進した結果、解脱しました♪
なんてものが本当の解脱なのかな?
それでは相変わらず、原因→結果 の世界にいるわけだよ。
>>585 あなたの言う瞑想とはヴィパッサナーですか?
一日何時間くらいやっているのですか?
よろしければ。
>>596 方法論が悟らせてくれるんじゃないんだよ、坊や。
>>595 それでは相変わらず、原因→結果 の世界にいるわけだよ。
それは、勝義諦と世俗諦をごちゃ混ぜにして勘違いしてるだけだ。
真理というのは、結局は方法論を飛び越えたものだ。
ミリンダ経にも出てくるが、車というものは無く車軸やエンジンやそれらを構成するねじや鉄や・・・そういうものを集めたものを便宜的に車という。
それすら否定したら、生活できなくなるからな。
悟りを得るための方法論も、それが方法論という形を取る以上、世俗諦なんだよ。
因果法則から抜け出せてない。その世俗諦を有効活用することで勝義諦に目覚める瞬間がある。
なんでもかんでも空だから、無常だからと言って、方法論まで空だから意味がないなどと割り切ると、何も出来なくなる。
原因→結果の因果律をたくみに活用して、それを乗り越えるんだって。
599 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 14:33:59 ID:ke+83+HX
>>597 なぜそう言える?
ブッダの弟子は何百人も悟ってた。
ブッダが示した方法論に出会わなければ、そんなに悟れなかったのでは?
600 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 14:36:35 ID:TeCbjkQ3
>>543 > クリシュナムルティ自身「私は規則正しく瞑想しなければなりません。」って
> 方法論をかたってるのに凡夫が方法論なんかいらない、って基地外沙汰だよ。
解かってない。
>>598 何をもって解脱とするかによるが、と但し書きをしているはずだ。
>>599 同じ予備校に通っていて、同じくらい熱心に勉強しても合格する人間とそうではない人間がいる。
カリキュラムがお前を合格させてくれるわけではない。
まして解脱というのは、解脱しようとしてできるものではない。
そして、解脱したい、というその欲望が最後の最後にお前の足を引っ張ることになる。
>>599 そのとおり。
それどころか、一人も悟れなかった可能性もある。
非想非非想処定だとか梵我一如こそが解脱だという勘違いがずーっと続いてた可能性もあるよな。
いまでもヒンドゥー教はじめ、多くの宗教宗派がその勘違いにはまってしまってるわけだけど。
ケゴンってのはどうしようもないね。
何で自分が行ったことも見たこともない
オアシスに人を導けるのよ。
それこそ幼稚園児だって「おじちゃんが正しいよ」って
言ってくれるよ。
>>602 いや違うな。
お前たちのようなカリキュラム依存者はまず悟ることはできんだろうな。
606 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 14:43:09 ID:rXW9fpgq
>そのとおりだよ。
>大事なのはそうやって信じた後に、その信心を確認する手段が整えられていること。
>大乗仏教にはそれはあるのか?
そいう喧嘩腰では見えるものも見えませんよw
そのような質問をするところを見ると大乗仏教に関する知識はないご様子ですね。
何でもいいから学んでみて、それから比較したらどうでしょう?
比較することに意味がないのなら、やめたら済む話です。
>上座部の特徴は理論ですから、仕方ないと思います。
>大乗の特徴は、信でしょうか。
それも違うと思います、私は。
大乗の特色は悟りと慈悲が直結していることでしょうね。
上座部は智慧はすばらしいが方便では劣る、それだけです。
信とか理論とか関係ありません。
理屈が知りたければチャンドラキールティの著作を読まれたらいいでしょう。
大乗の特色が知りたければ入菩提行論が良いでしょう。
なお、大乗でも阿羅漢は崇拝の対象です。
18羅漢や五百羅漢など。。。各地で祀られています。
なお、大乗では一人でも阿羅漢のいらっしゃる国土は
戦争や災害から免れ安泰であると言われておりますが
上座部の国々ではどうでしょうか?
梯子というものは低いところから高いところに登るためにある。
そして登り終わったらもうその梯子に用はない。
ところが、勘違いしている一部の馬鹿は、
梯子を綺麗に飾り立てて、その梯子を一生懸命に拝んでいる。
この梯子こそ最高だ、この梯子に勝るものはない、
おい、あそこにある大乗という名前のおんぼろの梯子を見てみろよ、
あんな梯子であの高みに登れるわけがないじゃないか、あははは、
あいつら馬鹿に奴らだ、あはははは
ってな具合にね。
そして彼らは相変わらず梯子を拝み続けているだけで決して登れない。
綺麗に飾り立てているものだから畏れ多くて足で踏みつけることなんかできないわけだよw
>>606 大乗と言っても日本ではいろんな宗派がありますが
どちらでしょうか?
609 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 14:49:35 ID:ke+83+HX
>>601 たしかに、カリキュラムを受けたら誰でも悟れるとは思いません。
しかし、予備校に出会わなければ勉強のやり方さえもわからない人もいる。
あまり良いたとえじゃないけど。
仏教のカリキュラムを実践したって悟れない人はいる。
しかしそもそも、仏教に出会わなかったら、涅槃寂静ということさえ知らない。
仏教に出会わななかったら、悟りが平安であること、
煩悩が悩み苦しみの原因であることさえ発想できない。
仏教があったから、カリキュラムに挑戦する機会に出会えた。
>>601 そして、解脱したい、というその欲望が最後の最後にお前の足を引っ張ることになる。
だからさ、最終段階の真理とその手前のことをごっちゃにするなよ。
お前はもう最終段階に達して、川を渡るための筏を捨ててもOKな状態なのか?
予備校でどんなに勉強して模擬試験で優秀でも、大学に入れない奴ってのはいる。
そういうのは何かが足りないんだけど、それを教師や親が何とかしてやることは出来ない。
その究極の瞬間に何をどうすればいいのかは、本人がどうにかするしかない。
合格したいという緊張が強すぎると実力を出せないなんてのはよくある話だ。
そんなことはみんな分かってるだろ。
上座部予備校では必ず、やることやれば偏差値70まで引き上げます。
それは保障します。
だけど合格できるかどうかはまた別の問題です。
大乗予備校では偏差値がどこまで上がるかもよく分かりません。
それどころか、偏差値にこだわるなとか言います。
これじゃどうしようもないだろ。
>>609 別に予備校(上座部)に入ることが悪いことだなんて言ってないよ。
そこで勉強して入試に備えたい人は大いにやればいい。
しかし、一部の勘違い野郎が、予備校に入りさえすれば合格する、
なんて戯言を抜かしているからね。
>>606 入菩提行論も読んでますし、大乗や金剛乗でいろんな階梯を説明してることも知ってます。
ですがその結果は?誰か解脱しましたか?
ナロパやティロパ、空海や最澄、法然、親鸞・・・誰か涅槃寂静に至りましたか?
至ってませんよね?
>なお、大乗では一人でも阿羅漢のいらっしゃる国土は
戦争や災害から免れ安泰であると言われておりますが
上座部の国々ではどうでしょうか?
それは大乗側の勝手な妄想でしょう。
仏陀がおられた当時だって、戦争はいくらでもあった。
釈迦国だって滅ぼされたんですから、阿羅漢がいたところでそういう意味不明な奇蹟など起こるはずがないんです。
>>607 登ってる、少なくとも足はかけてるけど?
おんぼろの梯子じゃ怖くて足もかけられないけどな。
>>609 そのとおり。
どんな梯子を使ったとしても、目指す高みに到達すればそれでOK
あんな梯子を使ってあの高みに到達できるはずがない、と主張する連中は、
高みに到達することではなく、自分の所有している(と信じている)梯子の自慢をしたいだけなんだ。
俺は○○予備校に通ってる、どうだ、すごいだろう、これで来年の□□大合格は保証されたようなものだ、
え? お前は△△予備校なのか? ははは、馬鹿な奴、お前どこの大学にも受からないよwww
↑そもそもこんな戯言を言ってる奴に大学に行く資格があるのかね?w
>>611 合格できる可能性が極めて高い、が正しいな。
必ず合格できると俺が書いてたら、それは筆が滑ってる。あやまる。ごめん。
だけど、悟りってのはどちらかというと、大学のように定員が決まってるわけではなくて、どちらかというと基準をクリアすれば誰でも合格できるという自動車免許のようなものだからな。
どれだけかかるかわからないけど、ちゃんと公認の学校に行けばいつかは合格できるよ。
だが、他の予備校に行ったら、合格できるものも合格できなくなる。
100%出来ないとはこれまた言えないけど、何年も(何生も)通った挙句、転校するのがオチだと思うよ。
>>613 どんな梯子を使ったとしても、目指す高みに到達すればそれでOK
だーかーらーさー、それをいつ否定したよ?
どんな梯子でも登りきれるならOKだけど、まずはその梯子で登りきれるって可能性をちゃんと示してくれよ。信じるに足ることを示してくれ。
前例でも何でもいいからさ。
俺はこの梯子で登りきりましたという自覚を持つ先例、その発言をそのとおりと周りの人も認めた先例、なんでもいい。
それを示せないのに、いくらでも示してるこっちの梯子にこだわる人間を非難してどうするの?
こっちにこだわるのは当たり前じゃないか。ちゃんと先例を示してるし、登り方まで教えてくれるんだから。
それをまずしてもらわないと意味が無いのに、やろうとしないんだもん君らは。
>>616 わかっていないな、お前はw
>ちゃんと先例を示してるし、登り方まで教えてくれるんだから。
その先例、登り方が、本当に正しい情報なのか、どうしてお前にわかるんだ?
その登り方が正しいに違いない、とお前が信じている、というだけだろうがw
ということは、お前が貶し続けている他の道と変わらんということだ。
お前はただ信じている。信じている道を進むのはお前の自由だよ、その道を行けばいい。
しかし、他の道を貶したり否定する権利はお前にはないと言ってるんだ。
>>617 話は飛ぶけど、ラーマクリシュナの言ってる全ての真理は一つ、どの宗教も目指すものは同じというのはそのとおり。
梯子は同じ方向目指してたてかけられてる。
だが、その梯子を使ってちゃんと登りきれるかどうかはまた別の問題なんだよ。
ある梯子は段と段の間が空きすぎてて、背の低い俺には登れないかもしれない。
また別の梯子は段が狭すぎて、足を踏み外すかもしれない。
さらに別の梯子は、そもそも長さが足りないかもしれない。
梯子を示す側が、その梯子でちゃんと登りきれる証明をする義務がある。
仏陀は、少なくとも上座部で言われるところの仏陀は、その証明をきっちりこなしてる。
後世の弟子たち、長老たちもその梯子の性能に自信を持ってる。
だから俺らもその発言を信じるに値すると考える事が出来る。
本当かどうかは登ってみないとわからん。それはどうしようもない。
だが上座部は、少なくともその梯子が登るものに足る事を一生懸命説明し納得させようとする努力はしてる。
大乗はどうだ?
>その先例、登り方が、本当に正しい情報なのか、どうしてお前にわかるんだ?
そんなの分かるわけないだろ。登ってみるしかない。
上座部の人に聞くと「大丈夫、ちゃんと上まで登れますよ」と言ってくれる。
ところが大乗の人間は「さぁ・・・そんなことより私と一緒に梯子を支えませんか?そっちのほうが勝ちある行為ですよ?」と言いだす。
それどころか、上座部の梯子を登ろうとしてる人間を指差して「あいつは自分だけが登る事を考える心の狭い人間です!」とかまで言い出す。
他の道をけなしてるのはどっちだ?
>>569 この流れ、569が始まりか。素敵だな。
まあまあおまえら。悟りを開くことが自我の解体だってことを考えれば自ずから答えはでるだろ。
観察によって解体するもよし、行、愛、信によって自我の消滅を体験するもよし。
>>618 何度も言っているが、俺は大乗の人間じゃないんでそんなことを訊かれても答えられんな。
そんなに大乗が気になって気になって仕方がないのか? つまりお前の上座部への信とはその程度ということなんだろうな。
ふけちまったけどなw
お陰で
>>618さんの情熱溢れる勉強になる話しが聴けた。
>618さんはすごいな。
ただティロパからミラレパ、親鸞上人も解脱してないのかい?
スマ長老は?
>>620 まだまとめるなよ。
正解だけどな。
今日のスレは楽しいよ。
一見素晴らしそうに見える上座部という梯子だが、
お前の短い足では登って行けないかもしれない。
お前のそのメタボな身体では梯子が壊れてしまうすもしれん。
お前にもっとも適切な梯子は別にあるのかもしれない。
そういう可能性があるということだけは頭の片隅に置いておけ。
↑おまえさんには歯が立たない論客だよ。
627 :
↑:2008/11/09(日) 15:43:39 ID:EKBGE6gE
ことごとく俺に論破されているがなw
予備校のマスプロ式の授業を受けているだけで本当に大丈夫かな?
本当はじっくりと個人指導を受けていくスタイルのほうがお前には合っているかもしれんよ。
629 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 15:48:52 ID:ke+83+HX
>>622 上座部でいう悟りでは、
有身見・疑・戒禁取見の三つの煩悩がなくなれば、
悟りの第一段階である預流果ですよね。
親鸞の時代には、大乗経典も仏説だと教わってたんだから、
阿弥陀仏を信仰していた。
阿弥陀仏信仰を除けば、他の迷信とかへの執着はなかったように見えるから、
阿弥陀仏信仰以外では、戒禁取見の煩悩もなさそうに見える。
疑問なんですが、
大乗経典もブッダの教えだと教育されてた日本の仏教徒でも、
預流果に達する可能性はあるのか?
仮に、大乗の人が預流果に達した場合、
偽経は偽経である(捏造された迷信である)と見抜いたり、
何か変だぞと気付くのだろうか?
もしくは、仏説であるという師匠の教えを信じているから、
阿弥陀仏などのお経の教えは疑わないのだろうか?
どっちなんだろうか?
>>620 そうそう、まだまとめるなw
>>621 そりゃ、俺が
>>578に書いたように、まだ戒禁取が破れてないからだよ。
他の宗教宗派の教え、それらがやっていることにも何か意味があるんじゃないか、上座部よりもっと優れた何かがあるのではないかという思いを拭い去る事が出来ない。
>>622 親鸞上人は解脱して無いでしょ。極楽浄土に行きたかったわけだから。
ティロパとかミラレパはどうなんだろうねぇ。
たとえば、菩薩として自分より先に他者を救いたい。それも欲なんだよ。
解脱とかそれに繋がる悟りってのは、自分がどう思うかも一切関係なく、それが真理であるという冷徹な目覚めだと思う。
それに気づいちゃったら、衆生を救わねばとか考える余裕も無く、ただ真理になりきってしまう。
死んだら涅槃寂静に入ってしまう。もう一度転生して衆生を救済したくても出来ないだろうし、そもそもそういうことも思わないだろ。
その境地に彼らが達したかどうかは疑問なんだよな。
スマさんはどうかねぇ・・・自分の悟りの段階をこれこれこうだと言うのは行儀が良くないことだそうだから。
預流果にはなってるんじゃないかな?
>>628 上座部の僧院に行くと分かるけど、実際の指導は個人指導だよ。少なくとも実践については。
その実践の説明法や教授法、教学についてはマスプロ的な講義もあるけど。
上座部だろうと大乗だろうと、カトリツクだろうとプロテスタントだろうと、
特定の組織に所属するという集団欲を満たしているだでしかないのに、
自分は悟りへの道を歩いている、神への道を進んでいる、と勘違いしている馬鹿がいる。
彼らにとって大切なことは、どこかの組織や集団、システムに帰属することであるから、
必然、セクト主義に陥り、見えない敵に対する狂信的な醜態を世間に晒すこととなる。
>>630 そのまま師との一対一の関係を基本に据えていくといいだろうね。
組織とかセクトに拘りだすと変な方向に行ってしまうから。
>>629 >620さんが言ってるように、自我が落ちれば悟りですよね。
だから私自身は日本仏教でもヨルカどころかアラカンが存在してると思ってます。
道元禅師なんて筆頭ではないでしょうか?
階段を一歩一歩のぼって解脱まで持っていってくれるのが
上座部だとおもいます。
禅とかチベットでも行けるんだろうけど、脱落者が多いのでは
ないでしょうか。
>>630 親鸞上人は法然の教えで地獄にいくならそれも良し、といっています。
最晩年、自我を放棄して解脱した、と私は思ってるんですけどね。
前から思ってたけど道元ってきまりごと好きだよね。細かすぎるくらい。
戒禁取が落ちてないってこと?
>>629 630で書いたけど、阿弥陀如来の極楽浄土に行きたい、その「行きたい」という気持ち自体が、そもそもの仏教が目指す境地とは違ってるわけです。
有身見と疑を無くせていたとしても、この身このままでは悟りは絶対に開けないという間違った思い込みに捕らわれていた。
だからこそ極楽往生を願ったわけで、その点において預流果になれていたかは難しいところがあると思います。
>大乗経典もブッダの教えだと教育されてた日本の仏教徒でも、
預流果に達する可能性はあるのか?
可能性はあると思うけど、難しいとも思いますね。
あまりに偶然性が高すぎる。
たとえば原始仏教のチューラパンタカ尊者はずばり言うと頭が悪かった。
だけど釈尊の教えどおり拭き掃除を続けることで悟ったわけです。
ところが禅宗などでは、その悟ったということを言おうものなら莫妄想とかで一蹴されてしまいます。
せっかく掴みかけた悟りも「妄想かぁ」と終わってしまう。
それでも諦めずこだわり続け、ついに師匠がなんと言おうが悟りは悟りだというところまで突き詰める事が出来るほど気合の入った人はそう多くないでしょうし。
チュータパンタカ尊者が悟ったのは釈尊の対機説法のおかげです。
そういう柔軟性が日本の大乗の伝統にもあればいいとは思うけど、今生の悟りを諦めたり、即身成仏とか言い出しちゃうからなぁ。
おそらく日本仏教史上最高の境地に達したと思われる道元も、晩年は南無阿弥陀仏と唱えていたという話をどこかで見かけました。
もしこれが本当なら、道元自身、涅槃に至った自覚を持てていなかったことになるわけです。もちろんそれは、極楽往生を願ってのものではなく、純粋に仏たる存在への帰依なのかもしれませんけど。
636 :
華厳命:2008/11/09(日) 16:28:48 ID:qC6oUuAB
ふーむ。
入菩提行論ねえ
ありゃ「華厳経」の注釈書だ
シャーンティデーヴァは確かに霊格の高い聖者だったし、その内容もすばらしい
しかし、彼の著作にはやはり無知の影がつきまとっているね
「わたしの罪」だの「三悪趣への転落」だの、読むものに「脅し」をかける
それが愚かな一般民衆への「方便」なら話しはわからんでもないが・・・
インドの大乗仏教はある意味とても単純で理解しやすかったのに、チベット人の手によって
異様な修行や土着の悪霊まで持ち出して大乗の素朴な理想を歪曲してしまったと思う
本来、比丘サンガは平等主義であるはずなのに、法王制度を導入、階級制をしいてしまった
しかも彼らはチベットの農奴制にも反対していなかったのではないか
ラーマクリシュナについて言えば、彼は文字通り仏陀を越えた聖者だと思う
ブッダの智恵、シャンカラの鋭い合理的理性をはるかに超越している
それはともかく、おなじ大乗でも中観帰謬論証派はあまり信用がおけない
>>636 ラーマクリシュナについて言えば、彼は文字通り仏陀を越えた聖者だと思う
そりゃ違うんじゃないか?梵我一如なんていうのは、仏教で言うところの一境性が極まったものでしかない。
神との一体感に歓喜してるようじゃ、まだまだでしょ。
638 :
華厳命:2008/11/09(日) 16:34:58 ID:qC6oUuAB
いや、最後にはこの世界全体が神自身で構成されていると悟ったのだよ
ブッダが知りたきゃ、ラーマクリシュナは勉強して損はないとおもうぜ
>>638 いちおう、あの分厚い「ラーマクリシュナの福音」も目を通してますので。
言葉の問題だとは思うけど、神って言葉を使うことにこだわると、なにもかも陳腐になるんだよなー。
そこはヒンドゥー文化に生まれ育ったラーマクリシュナ、キリスト文化に育ったバーナデット・ロバーツの限界でもある。
ロバーツの場合、神との合一をも乗り越えてるのがすごいんだけどな。
仏教的に言えば、この世がなにかで構成されているということ自体を疑わないと。
五蘊で成り立ってるだけで、確固としたものなんか無い。
ダルマを「それ」というか「神」というかの違いなのかもしれないが、法則とか真理とかってのはなにかを構成しうる実在ではないからさ。
>>639 一日どれくらい瞑想してるの?
もう一人のヨルカがふけちゃったからさw
それとこれだけははずせない、という本を
教えて。
641 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 18:14:53 ID:rxeCKkPP
>>636 君さ、いろいろ本読んでさ、勉強してさ、それでどうにかなったの?
何か変った?少しは成長した?自分のことは自分が一番わかってるよね。
ただ頭でっかちになって、ここで知識をひけらかしてるだけなんだよね。
「こんな本があるんだ、こんな言葉があるんだ、こんな事を誰かさんが
言ってるんだけど知ってるかい?」て、ぐあいにね。虚しくない?
君ってピエロだね。
>>640 「神の使者」を読んでみるといいよ。
君にはピッタリかもw
>>641 今日のレスでケゴンとやらが
ホントのバカボンだと確定できて
よかったよ。
>>640 俺は先に書いたとおり預流果にもなってない。
それに、実は瞑想が苦手で苦手で、頭によって預流果になる事が出来たとしても、そこから先の瞑想が必須となる一来道以降の修行には困難が予想される。
こんな俺はやはり、出家するのが一番なんだろうな。早いとこ出家したいよ。
瞑想は、1日30分〜1時間ぐらいがんばってる。
あの、預流道み踏み出すことを決意したとんでもない境地に達した偶然を再現することは出来ないし、また、それは望むものではないとは思うけど、そういう奇蹟的なことは俺にもあった。その確信が無ければ、苦手なりにでも瞑想を続ける気にはならなかっただろう。
本は・・・難しいな。スマさんのは読んでる?
>>644 もっと具体的に説明してくれないか?
どこのどんな部分がバカボンだと感じたのかを。
>>641 その言葉がそっくりそのままID:JcnIpivGに当て嵌っているというところがねw
648 :
華厳命:2008/11/09(日) 19:28:52 ID:qC6oUuAB
やれやれ
弱い犬ほどよく吠えやがる
しかし、実を言うと俺のねらいはそこにあったのさ
前にも言ったよな?
自分の直感を信じろと
「華厳経」とラーマクリシュナのヴィジョンはぴったり一致する
不思議だねえ
「超大乗」だ
まことによくよくお前らに言っておく
ラーマクリシュナに関心を持つものは幸いである
偽善の上座部はわざわいである
気をつけたまえ
瞑想、孤独を好むこと、他者への愛
649 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 19:28:54 ID:HUbytlpa
>>646 >もっと具体的に説明してくれないか?
どこのどんな部分がバカボンだと感じたのかを。
自分の書き込みよーく読んでみな。バカモノ!!
いちいち説明してもらわなきゃわからないほど、お前はバカボンなのだ!
お前のことをピエロとは的を得てる表現だな
だから今日からお前の名前は”華厳ピエロ”だ!!
これから華厳ピエロと名乗りなさい。
>>648 ラーマクリシュナは関心を持つに値する、稀有な才能だとは思うよ。
だけど彼のようなアドヴァイタ・ヴェーダーンタの教えの系列が最終目標とする梵我一如、神との一体感は、
バーデット・ロバーツが第一段階と言うものに過ぎないし、もちろん、上座部においても瞑想によって到達しうる一つの段階に過ぎない。
世界と、神と一体になった。それがどうしたって言うんだ?
そのことに気づくことは稀有なことで確かにすばらしいことだが、それで終わっては何にもならんのよ。
651 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 19:41:04 ID:gDwgQFhv
>>570 >このスレには、少なくともひとり、一来向以上の人がいます。
>わたしの未熟な部分を的確に指摘できる人がいますので、あぁ先達いるわ
>と思いました。
どの人ですか?このスレにその人のレスはありますか?
652 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 20:18:42 ID:iAP3wAFB
預流向に至れば、阿羅漢になることが決定するんですよね?
阿羅漢になれば、自分の死後に他人を救う欲もなくなるんですよね?
そういう点が怖くて上座部の修行ができないです
大乗にはきちんとした修行法が無いとは言い切れない
たとえば宝積経には37菩提分法が詳しく書かれていますよ
なんかなぁ・・・
ジャンクフードしか食ったことのない連中(おれ含め)同志で最高級ホテルのミシュランごっこしてないか?
観たことも食ったこともない高級料理の優劣を競いあってる感じだ。
格付けするにも、それなりの要件ってもんがあるだろ。
おれ含めだれ一人悟りの境地の格付けできるほど悟りの深い奴はこのスレにいないだろ。
せいぜい「読んだ本の知識の範囲だけで語れる」って程度の境地で、お互い争うなんてことはナンセンスだと思うがなぁ。
そんなたいしたことじゃない。手持ちの知識と論理でどっちが正しいかと
いってるだけで本当に正しいかどうかなんてたいして興味ないんだよ。
どうせわかんないんだし。
こういうのは「この文章で作者がいいたかったことをつぎの選択肢から
選びなさい」と同じで、じつは世間によくある状況。
655 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 20:52:40 ID:ke+83+HX
>>652 ブッダも阿羅漢だけど、たくさんの人々に教えを説いて、
教わった人々は、その教えで幸せになったと思います。
仏教の教えを説いたり、弟子を指導することは、
最高の人助けだと思います。
>>652 なにが怖いんでしょうか?
自分のことだけ考え、他者を省みなくなるのではないか。
そういう恐れですか?
657 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 21:01:28 ID:rXW9fpgq
そうさな、確かに「悟りごっこ」だよな。
「大乗を蔑視すること」や「上座部を蔑視すること」が解脱や涅槃に役立つなら
仏陀はとっくの昔にそれを修行者に勧めているいるだろうw
本を読んで悟れればそれで世話はない。
その本すら正確に読めているのかどうだか・・・誰が証明するのか?
教典の作者から太鼓判もらえるか?
「どこかで見たことある」とか「読んだことある」なんちゅうレベルで
「あいつは悟っている」「悟っていない」などと論じる・・・・
そんな暇があったらアビダンマでも学んだ方がよっぽど瞑想の役に立つw
アラカン目指すやつよりマザーテレサのほうがよっぽど人格者だ。
>>649 そんな具合に逃げることしかできないわけだよ、受け売り君だからなw
659 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 21:21:33 ID:rXW9fpgq
個人的ことだがスリランカやミャンマーのすばらしい比丘とも
チベット仏教の優れたラマも知っている。
この「すばらしい」とか「優れた」とはあくまで俺の個人的感覚だが。
彼らがアラカンであるかどうかだとか、悟っているかどうかなんてのも興味がない。
どっちが上でどっちが下だなどと比較したこともないし、しようとも思わない。
どちらともそれぞれの道を歩む尊敬できる人物だ。
大乗だの上座部だの仮想の敵をこしらえて瞋恚を増長させることに
なんの興味もない。
大乗も上座部も縁にしかすぎない。
まあ、無理をしないことだな。
今の自分の背丈以上のことをやろうとしても何も身に付かないまま人生を終えてしまう。
ここにもそういう奴が何人もいるようだ。
まだ上座部なんぞに手を染めるのが早すぎる輩が。
小学生が中学や高校を飛び越していきなり大学に入学しようとしているようなもんだ。
>>659 そのとおりだよ。
マザーテレサとか書くと「あれは宗教的に間違ってる」とか「腹黒い」とか
いう人がいるが、人間として俺は尊敬できるな。
少なくとも俺のはるか見上げるような人格だ。宗教的とやらの基準でどうかはどうでもいい。
662 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 21:37:10 ID:iAP3wAFB
>>655-656 > 自分のことだけ考え、他者を省みなくなるのではないか。> そういう恐れですか?
そうです
もちろん生きている間は他者を導いていますが、問題は阿羅漢の死後です
テーラワーダの修行法で預流向に至ってから、大乗の境地に変更することが可能なら、したいと思いますが
それを説いているのが法華経というなら、その通りでしょうが
今日は仕事だったけど、明日は休みだからPCの電源切って一日瞑想しよう。
いまここの自分に気づかずに2ちゃんに振り回されて一日を終えるのはもったいないし。
おれは二人のすばらしいアル中をしっているが
かれらがアラカンであるかどうかなど興味がない。
なぜならお「おれ」が素晴らしいと思っているからだ。
正常人と比較しようなどと思ったことはない。
大乗擁護者よ、俺に大乗の解脱への方法論を
教示してくれ。納得したらマジで大乗に行くよ。
方法論などない、という詭弁はなしだよ。
>>657 テレサは「私は貧困の原因には興味はない」
と言い放った人間だぞ。
人格者だ?片腹痛いわ。
長老のアビダンマの入門の入門の入門を読んでるよ。
テレサは自我に酔いつぶれた「聖女」だよ。
この世の中に、比類なき最高の教え、空前絶後の方法論が存在していたとして、
お前はその最高の教え、空前絶後の方法論を受けるに値する人間なのかね?
貧困の原因を解消するのは政治家の仕事だろ
いま目の前で貧困にあえいでいる人間を救う人間が必要なんだよ
大衆部は上座部に嫉妬をおぼえた。
そして派を立てた。所依の経典を捏造した。
しかし解脱の方法論は上座部にある。
だから利他をスローガンにするしかなかったんだよ。
>>669 俺がいってるのは「貧困の原因には興味がない」と
はっきりと言い放ったということだ。
看護師が「この人の病気の原因には興味はありませんが
私は看護します。」そんな奴いるか?
よおく考えてみろ。例え政治家の仕事であろうが
「興味がない」どういう神経だよ。
自我の陶酔の為にやったんだよ。
多くの大乗教徒のように。
>>671 病気の原因がアスベストだったとして世間のアスベスト対策を看護師が
しないといけないのかな。原因の違いによって患者の対応に差をつける
というのもおかしな話。まあきみがどう思おうと彼女はなんとも思わない
と思うけど。
>看護師が「この人の病気の原因には興味はありませんが
>私は看護します。」そんな奴いるか?
普通にいるでしょ。
ケアに既往症への配慮が必要というのとはまったく別問題で。
彼女にとって重要なのは今苦しんでいる人に与楽抜苦の布施をすること、
という強烈なカルナーがあったってことですね。
他人が自分の価値観で「偽善だ、けしからん!」と否定する種類のものじゃない。
それはその人がその人の固定観念の基準で偽善だと否定し決め付けてるだけで、まあ言ってみれば妄想でしょ。
675 :
神も仏も名無しさん:2008/11/09(日) 23:09:05 ID:HUbytlpa
ID変えながら一人で書き込んでる華厳ピエロ君へ
>>636 君さ、いろいろ本読んでさ、勉強してさ、それでどうにかなったの?
何か変った?少しは成長した?自分のことは自分が一番わかってるよね。
ただ頭でっかちになって、ここで知識をひけらかしてるだけなんだよね。
「こんな本があるんだ、こんな言葉があるんだ、こんな事を誰かさんが
言ってるんだけど知ってるかい?」て、ぐあいにね。虚しくない?
君ってピエロだね。
同じように顔をはらしている人がいたとして、ひとりはケンカで、ひとりは
階段から落ちてケガしてたとする。いちいちケガの理由を聞いてケンカだから
手当てしませんよ、なんておかしいよね。同じケガなら同じ手当てをするべきだろう。
大乗が気になって気になって仕方がない、ということはだな、つまり、
お前にはまだ大乗レベルでやらなければならんことが残されている、ということだよ。
自分を過大評価するなよ。身の丈に合ったレベルのことを地道にやりなさい。
ばっくよらく(変換できん)が彼女の
マスターベーションだったということさ。大乗のようにね。
おやすみ。
>>673 君達は貧困の原因には興味はなさそうだね。
俺とは話は合わないよ。縁起の法にも興味はないか。
ふたたびおやすみ。
ヨルカと言うのは平たく言えば大乗の見道(位)。
2〜3年の修行は最低でも必要。
人によっては10年程もかかる。
もちろん一生得られない人もいる。
自分が初学者の立場に立てば無責任な発言の
罪深さが判る。遅すぎる理解はない。
682 :
華厳命:2008/11/10(月) 01:10:35 ID:HBCvACdh
俺は確かに大乗に偏りすぎている
だからアンフェアなので小乗と大乗を冷静に比較検討してみよう
どちらにも悟りの目的は「苦」の解除にある
この点では共通している
声聞は集中分析力が強く慈悲に欠けるし、菩薩は慈悲が強烈すぎて集中に欠ける
どちらも偏りがある
俺だって昔は原始仏教寄りの人間で毎日最低10時間は瞑想した
しかしある日間違いにきずいたんだ
己ひとり救われても世界苦を解消しない限り自分の救いも無いとね。
一からすべてやり直しだった
大乗の唯心(ここで言う心とは無常なるものではない心相続のこと)
では心という精妙な「物質」が粗大な物質に影響を及ぼすとわかり、
一人一人がこころを清らかにすれば「相対的」には世界をとりまく環境を好転化させる
ことができると確信し大乗に転向した
まあ、こんな過去の話をしてもしゃあないけど、ネットカフェ難民やホームレスに
せめて温かい牛丼の一杯もおごってやれないなら、俺には仏教徒を語る資格はないよ
大乗志願者のきみへ
「非利己的」奉仕は必ず速やかにあなたを無我の境地へ導くだろう
迷わず思い切って大乗に進みなよ
あの世で仏陀が笑っているぞ、瞑想は手段であって目的ではないってね
一輪の可憐な花を見て悟る人だっているんだ
仏陀のために人生のひとつやふたつ棒にふったっていいじゃないか?
大乗はある人が言うように「麻薬漬の脳みそに500万ボルトの電流を流したまま
銀河系を一万周するような」途方もない理想である。
思い切って飛び込みな
683 :
華厳命(本音):2008/11/10(月) 01:15:44 ID:HBCvACdh
ラーマクリシュナ万歳!
世界はあなたのおかげで救われました
ブッダが成し遂げる事ができなかった理想を実現しました
あなたに感謝します
華厳ちゃんは悟りより、「嘘をやめる」 から入れ〜。
自分を大きく見せようとして偽ると自己嫌悪の傷は深くなるよ〜。
長く座れないのは傷が浮上してくるから〜。
習慣的に嘘が口から出るならビパサナと沈黙で対処して〜。
685 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 02:48:54 ID:IWNW2aGt
伊勢白山道って知ってるか?
ぐぐってみw笑えるから
伊勢白山道氏によると、目を瞑った瞑想すると地獄の存在が寄るんだとw
華厳命ってのはその伊勢白山道、通称リーマンそっくりだな
理屈より体験
一瞬だが、完全な平和と幸福を体験した
人間の意識は多分多層に存在する、地獄のような意識もまさに至福としか
言いようがない完全無欠の永遠の自己、言葉にすると陳腐になるが
同時に存在する、今の自分がどこに焦点を合わせているかの問題で
恍惚となるってのはアホになるこっちゃない、涎を垂らしながら
ヤクでもやったみたいに?(薬物を使ったことがないからわからないが)
わけわからん状態にはならんのだよ
それこそ千里先も見通せるような、鮮明な意識、智恵の感覚
やっぱ言葉にすると陳腐になるな
しかし永遠の一瞬を追いかけると、その経験はやってこない
何も執着しない、何も求めない、それが難しいちゃ難しいが
とにかくやってみることだ、幾万の知識、何万冊本を読んでも絶対越えられない壁がある
686 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 02:54:36 ID:IWNW2aGt
意識の深いところで人間は繋がっている
生きとし生けるもの全てが水脈のように繋がっている
そういう感覚だ
今の自分がいかに惨めで、情けなく思えても
その次元では何の動揺もない、平和そのもの、万事OKwなんだ
不安も恐れも切迫感もない、全肯定、
神に見放されたかと感じても、心配ない、神と直接つながっている自分がいる
そして神というか愛はただじっと待っている、そんな感じだった
数日ハイになって困ったが、エブリシングオッケーってな感じだった
しかしその経験すら執着せず、ただあるがまま受け入れなければならない
それがなかなかできない
現実で惨めな情けない思いをしたら、現実的
な対策をとるのが普通。夢想でごまかすのは
苦しいでしょう。
688 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 08:24:41 ID:YAtORnIp
>>682 上座部が「小乗的」であるという決めつけが間違い。
仏教であるかぎり、慈悲を重視することに変わりはない。
牛丼は食べたらなくなるが、仏の教えは一生役立つ。
私は、仏教に牛丼は求めていない。
689 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 09:36:16 ID:x5asy4LG
686は夢想の話ならいいよね。
本人は自覚してないみたいだけど
”供託金に手をつけた”
話でしょ、コレ。
本来なら大きく育てて皆に返すはずの力を
あぶく銭感覚で自分の借金の穴埋めに使った話。
預けられた愛を喰べちゃうのも痴ゆえ、
また誰かが恵んでくれるのを待つのも痴ゆえか。
くわばら、くわばら。
万一、次に誰かが恵んでくれたときの為に
修練に励まないとエライことになるわね。
っ横レスすまん。
長老の他宗教批判や大乗批判がなければ、もうすこし受け入れられるのだが・・・。
ID:IWNW2aGtはそんな自分語りをする前に、
昼夜逆転生活をなんとかするほうが先決だなw
>>690 大乗シンパじゃない俺ですらそう感じる。
批判が始まると、こりゃ深入りするとダメだな、と適当に本を閉じることもしばしば
693 :
大乗坊主だけど:2008/11/10(月) 12:30:53 ID:YAtORnIp
>>692 スマナサーラ長老の大乗批判は間違ってないと思います。
大乗によって間違った知識に執着している人々に、
まず頭の中をリセットしてもらわないといけないから。
今まであなた達が大乗の坊主から教わってきたことはすべて間違いですよと、
はっきり言っておかないと。
「おなじ仏教」という前提で受けとめられたら、
目茶苦茶な理解をされてしまう。
ところどころ、実践者としてではなく、
仏典の解説者としての記述なんだよな。
695 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 12:36:51 ID:jQUYoOTl
父よ。お聞き下さい。人類は沈黙を破りたい気分で悶々としている。しなければならないことは何もしたくない、充分に満たされたい気持ちが臨界量まで膨れ上がっている。主の御加護も加味されなければ進展しない。主よ。よろしく御願いします。アーメン
696 :
692:2008/11/10(月) 12:38:26 ID:NZOc+mdd
これだもんな・・・。ハァ。
697 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 12:41:43 ID:YAtORnIp
>>694 スマナサーラ長老は、お釈迦様の教えはこうであるという
「原則」を説いているのでしょう。
実際には、上座部の国の僧侶であっても、
「原則」に反している部分があるかもしれませんけどね。
日本の宗派でも、実際の現在の寺は、教義と反対のことをやってたりします。
宗派で尊敬している昔の僧侶は呪術的なお祈りを批判してるのに、
実際の寺ではお守りを販売したりしてるとこもある。
しかし、通常、僧侶の説教では、「原則」の話を説きますからね。
698 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 12:43:33 ID:KonCB761
瞑想は夢想じゃない、目が覚めるってこと
エゴの嘘に騙されない
刹那の思考や感情は嘘をつく、
何があっても落ち込まず、たゆまず淡々と日常を送れる
何か唱えれば救われるなんてのは真っ赤なウソだ
大乗坊主だけど・・・
通りすがりの者ですが・・・
わざわざこういう断りを入れる人間に、
本当の大乗坊主や通りすがりがいたためしはない。
>>693 大乗は間違っていて、上座部は正しい、というその根拠は?
念仏は禅の見地から言えばパラダイムシフトのことであり、
普段の自分の思考が煩悩だらけ嘘だらけという認識にシフトして、煩悩具足の凡夫だという
深い実感を獲得することだと玄有宗久だかの本で読んだな。鈴木大拙の解釈もそんな感じだったと思う。
一休は親鸞の法を天下一品といっていた。深い知識はないが、馬鹿にしたもんでもないんじゃないか。
まあどうでもいいけどね。知らないことは批判も評価も出来ない。
そうじゃなかろうか、と推測するだけ。断定はすでに妄想境。
703 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 12:57:54 ID:YAtORnIp
衆生を救済しようという大乗教徒が小乗を攻撃するのがわからない
衆生も小乗も大乗教徒も皆、悟りに向かっている同じものであって、そこに分別はないという
ことが体得できてないのか
批判は結構だが攻撃(感情、我を伴う批判)になってる時点でそれは仏教徒として自らを振り
返るべき状態だと思うよ
小乗の場合、そういう自分を洞察する
>>704 ひたすら攻撃しているのは上座部のほうだと思うが?
少なくともこのスレではそうだよねぇw
どうしてそんなに大乗のことが気になって仕方がないのか、
不思議だねぇww
批判は結構だが攻撃(感情、我を伴う批判)になってる時点でそれは仏教徒として自らを振り
返るべき状態だと思うよw
>小乗の場合、そういう自分を洞察する
???www
このスレに関する限りそれはないなwww
>>703 偽というのはどういう意味で? もっと具体的に。
俺は原始仏典とかマトモに読んだことはないけど・・・
長老は、確かに禁欲的(たぶん)だし仏教に対して真摯だし、現代の日本の堕落した坊さんたちと思うと偉い人だ。
しかし 小乗>大乗 の思想に凝り固まりすぎのよーに素人目には感じる。
俺は親鸞さんの考えに近いから、余計にそう感じてしまうのかも知れない。
>>705 うん、まあそうだね
小乗にしろ大乗にしろいろんな人がいる
いろんな人がいる時点でどうかと思うけど、まあ、本来の仏教の教えが何を意味していたかを
自らを振り返ることで再度問いていきたいね
709 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 15:02:13 ID:j6kd4Y07
仏教の教えが何を意味していたかを問うよりも、
目の前の苦しみをどうするかを問うほうが、仏教的。
710 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 15:15:57 ID:j6kd4Y07
苦(問題)←集(原因)←滅(目標)←諦(方法)
目の前の具体的問題から離れたとたん空理空論に。
また、目標があっても、具体方法がなければ意味がない、
浮世離れの理想は時に有害。
苦しみとは何か、観察するのが瞑想
苦しみの原因をただ眺める
過去の傷(ペインボディ)からくる苦しみであったり、あのときああすれば的な後悔であったり
将来への不安や恐れだったり、被害妄想であったり
苦しみの大半は心が“今”にいない状態から生じる
と同時に、苦しみの原因をつくるのは、欲であることが多い
刹那の欲に振り回され、飲酒、ギャンブル、過食、浮気などに走る
欲望から出た行動が、病気や借金や家庭崩壊に繋がる
瞑想は過去や未来に振り回されず、刹那の欲望や感情に囚われない心を構築するのに役立つ
怒りが生まれても、怒りに駆られて暴力に走らず
欲望が湧いても、欲に駆られて反社会的行動や、あとで自分を苦しめるような行動には出ない
瞑想を続けると、思考の罠や感情の罠に陥ることが少なくなる
結果的に徐々に苦しみが減っていく、人から何を言われても、自分は自分だと思えるようになる
そういう知恵を経典にしたのが大乗の教えだろうが、
千の知恵より、ひとつの体験
生命が繋がっているというリアリティを、実感として一度体現したら
他の人を害する気持ちが消える
人を害することは、自分を害するのと同じだとわかるからだ
712 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 15:26:30 ID:j6kd4Y07
だめだ 揚げ足取りみたい、撤回。
>>685 私もそのような経験したことがありますけど、同じく一瞬
長くても何分かくらいで、ラーマクリシュナとか何日も意識が無いとかありえないですよね
他にも覚者は、その状態で日常生活を送りながら真理を説くとか信じられないです。
まあ、私の場合は凄く好きな人がいて、死んでもいいくらい愛したらそうなったから
ラーマクリシュナの瞑想とかとも違うのかも知れないですけど。
714 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 17:53:52 ID:YAtORnIp
>>706 たとえば阿弥陀仏信仰が説かれているお経は、
ブッダの死後何百年後に、ゾロアスター教の神様を
取り入れて創作されたという説が有力。
にもかかわらず、そのお経には、お釈迦様が説いた教えだと平気で書かれている。
お釈迦様が説いていない内容を、
お釈迦様が説いたという形で書いているから、「偽」でしょう。
>>714 そのとおり。
原始仏典には釈尊亡き後の話を収録してるものもあるんだけど、
そこには釈尊は出てこないし、如是我聞なんてことも一切無い。
それなのに大乗経典は、釈尊が説いてもいない事をりょうじゅ山で説いたことになってたりする。
内容に自信があるなら、仏教を俺はこう解釈したという論で発表すればいいだけなのにな。
自信が無いから、釈尊の名を借りないといけなかった。
もちろん大乗にも論として説いた立派な人も多々いるけど。竜樹とか。
>>706 観音様だってもともとはヒンデゥーの神だからね。
ACIM(A Course In Miracles)に関する解説書として最近話題になっている、
ゲイリー・レナードの『神の使者』『不死というあなたの現実』という本ですが、
そのどちらだったかに仏陀は遣り残したことがあったので仏陀としての生涯を終えた後、
もう一度だけ転生してきた、と書かれています。
それらの本に登場するアーテンとパーサは、仏教における「観る、洞察する」だけでは
進展は遅遅として進まない、と言っているようですね。「観る」ことから踏み込んで、
ACIMで言うところの積極的な「赦し」を実践することにより、解脱に向けて大きく加速する、
とのことです。ACIMのワークによって、輪廻のプロセスを数千年の単位で縮小できると。
シュタイナーの説だったか、忘れましたが、
仏陀はその後キリストとして転生している、ということを言っている人もいます。
もしかしたら、この「赦し」を付け加えるために仏陀はキリストとして再誕してきたのかもしれません。
ひょっとすると仏教(智慧の道=自力)とキリスト教(愛の道=他力)は、
相互に補完し合う両輪として機能するものなのかもしれません。
『神の使者』と『不死というあなたの現実』という本は邦訳タイトルはちょっとあれですが、
前者の原題は『宇宙の消滅』であり、内容はほとんど仏教そのものです。
こちらのスレの皆さんにはタイトルだけで判断されずに是非一度手に取ってみられることを強くお勧めする次第です。
>>716 それ言っちゃったら、梵天勧請の梵天=ブラフマーだってヒンドゥーの神だからな。
この場合正しくはバラモン教の神、だけど。
>>714-715 でもそれだけでは上座部の経典こそは仏陀直々のものであることを証明することにはなりませんね。
上座部の経典すらも、実は後世のなってつくられたものかもしれない。
だから、それが正統なものかどうかではなく、
その教えが本当に役立つものなのかどうか、だけで判断すればいいことではないですか?
自信がないから仏陀の名前を使った、というのは単なる偏見、価値判断以外のなにものでもないでしょうし。
>>717 ACIMとかエックハルト・トールとか、仏教関係者もころっとはまってしまううさんくさい輩が最近多すぎる。
スマさんにはもっとがんばって、こういう輩をこてんぱんに打ちのめしていただきたい。
遣り残した事があったから転生したってことは、解脱したという2500年前当時の発言を仏陀自身が否定することになるんだよ。
遣り残した事があろうが無かろうが、転生に繋がる業を作らないと転生できないんだから。
もしそんな事があるなら、生きている間に「まだすべき事があるので、私はあえて転生しうる業を作る」と宣言してるはずだろ。
そんなことはしてないんだから。
>>720 どうしてあなたにそんなことがわかるんですか?
それに胡散臭いというのはあなたの価値判断ですね?
私はあなたのように断定的なものの言い方はできませんが、
もしアーテンとパーサの言うことが正しければ、仏陀は2500年前に自身が説いた教えは
完全ではなかった、と考えたのでしょう。
722 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 20:10:17 ID:hOWevnuA
>>720ではないが
釈尊最初の教説である『転法輪経』には、
「私の(阿羅漢果の)解脱は壊れることはない、これが最後の生であり、
今や再び生を享けることはないとの智見が私に生じた。」とある。
これが間違いだと。あの方がそんな間抜けかよ。自分と一緒にしては
いけない。
瞑想もせずにくちゃべって悟りとな
>>721 ではその転生した仏陀とやらは、いつ、どこに、どういう名前で転生し、どういう活躍をして何歳で亡くなったんですか?
2500年前の事を考えれば、自分から積極的に目立とうとしなくても、歴史に名前を残すぐらいの活躍をなされていてはずです。
>>ACIMのワークによって、輪廻のプロセスを数千年の単位で縮小できると。
縮小するってなによw
仮に縮小とやらが出来たとして、その結果はどうなるの?
究極の解脱、涅槃に入れるのかな?
もし神と一体になるとかそういうこと言うなら、ヒンドゥー教やキリスト教となんも変わらんよ。
私の投稿がスレ違いだったことはお詫びします。申し訳ありませんでした。
ただ、私はこう考えます。
要するに、解脱しさえすればそれでいい、ということです。
原始仏教によって解脱しなければ本物ではないとか、
カトリックでなければ、とか、そんなことは全くのナンセンスですね?
目が覚めさえすれば、どんな目覚まし時計でもいいのではありませんか?
複数の目覚まし時計をセットしておいたほうがより確実に目覚めることが出来るとも言えます。
相互に相殺しあうものでなければ、互いに手を取って解脱への道を歩んでいけばいいと思います。
福井の永平寺とバチカンでは短期間ですが、毎年交換留学をしているそうです。
仏教の禅寺とキリスト教のカトリックの間で、です。
こういうあり方は本当に素晴らしいものだと私は思います。
排他的で攻撃的な原理主義は、一部のテロリストたちだけのものにしておきたいものです。
>>720 禿げ同だが、イエスはどうも仏教を学んでいた節がある。
エッセネ派で。
>>724 717にすでに書いてあります。
あくまで私の推測にすぎませんが、レナードの本を読むと、
それらしきことを匂わせている行もあったように記憶しています。
まあ、そんなにカッカしないで下さい。
あくまで私の推測やら思いを綴っているだけですから。
そういう排他性では、どこかの宗教のテロリストたちと同レベルだと
上座部そのものに泥を塗ることになるのではありませんか?
私は上座部を否定しているわけでも大乗を擁護しているわけでもキリスト教を薦めているわけでもありません。
冷静になってください。
>>725 >>要するに、解脱しさえすればそれでいい、ということです。
そのとおりだよ。
だがあなたの、仏陀が遣り残した事があるから転生したという話は、
その解脱すること自体を否定する内容なんだよ。
わかるかな?
仏陀は
>>722も書いてるが、その教えを他人に伝える最初の時点からすでに
もう二度と生まれ変わらない、この世ですべきことは完全にやり終えた
ということを高らかに宣言なされている。
遣り残した事があるって事は、その宣言が間違ってたということになるんだよ。
当時、仏陀の指導の下に悟りを開いた何千何万もの阿羅漢がたも、解脱してないということになりかねない。
どんな方法だろうが解脱すれば良い。それはそのとおりだ。
だがあなたは、そのあなたの主張をあなたの紹介したい本自体が否定していることに矛盾を感じないのだろうか?
>>728 では、こう言えばよろしいでしょうか。
仏陀の仕事はそれだけで完璧であり、仏陀の教えだけでも十分だったが、
さらにそれにオプションとして付け加えるためにキリストとして生まれてきた。
私の表現が誤解を招いたのなら心より謝罪します。
皆さんに不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。
マジメに付き合う相手か?みんな。
>>727 キリストとして転生してるって話?
それを言うなら、大川隆法仏陀の生まれ変わり・エルカンターレだということも本当かもしれないじゃないか。
>>729 いや、不快にさせたとかどうとかじゃなくて、おかしな話はおかしいと指摘してるだけなんだけどな。
十分という言葉の意味も分かってないようだし。
十分なものにオプションをつける、それは蛇足というのだよ。
そんな無駄な事を仏陀がやると言うこと自体、おかしなことだと思わないのかな?
皆さんの言われていることががすべて正しいです。
仏陀は仏陀としての人生で完璧だった、ということですね。
皆さんの仏陀に関する知識はきっと本や伝聞によるものではなく、
別の確実な情報源があるとうことですね。
皆さんの硝子細工のような自尊心を傷つけてしまい本当に申し訳ありませんでした。
心からお詫び申し上げます。
どうぞどうぞおゆるしください。
それでは。
>>732 そうやって勝手に自己満足しないで、自分の考えをよく考えてみたほうがいいと思うよ。
どんな方法だろうが解脱できればよい。そのとおりだよ。
だがあなたは、解脱しこれ以上一切何もする必要が無いと言った仏陀に遣り残した事があると言う。
仏陀ですら遣り残すことが発生したのだとしたら、はるかに劣る俺らが解脱するなど、夢のまた夢だよ。
ま、仮に仏陀に遣り残した事があったとして、それが本当ならば、上座部仏教は完全に崩壊するな。
それは間違いない。
だが、その生まれ変わりがキリストならば、キリストの教えはスマさんにすら木っ端微塵に叩かれてるぐらいだから、矛盾もいいところだし。
遣り残した事を完成させたなら、その教えは比類なくすばらしいもので、古臭い上座部を消滅させることができるぐらい尊い教えじゃなきゃダメだろう。
仮にキリストの弟子が捏造しまくって正しい教えが無くなってしまったのなら、それは所詮その程度の教えだってことだよ。
上座部がなぜここまで、昔ながらの教えを保持するのに必死になったかと言えば、その教えが十分で付け加える必要が無いぐらいすばらしいから。
それに引き換え、キリスト教の伝統は捏造に継ぐ捏造の歴史だからなぁ。
だから相手にすんなって言ったのに。
735 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 20:35:06 ID:hOWevnuA
ブッダの教えのサービスパック2がキリストだと思っているんじゃないの
かな。
ふざけたやつだな
遣り残したことがあるという理由で転生するんならなんで1回でやめるんだ
ずーっと転生して衆生を救い続ければいい
>>733 では最後にちょっと。
スマさんやあなたが木っ端微塵に否定しているのは既存のキリスト教ですよね。
私が言うキリストの教えとはACIMです。
そしてキリストが2000年前に教えを説いてそれが現在のようなかたちで歪曲に継ぐ歪曲を重ね、
形骸化してしまったのは仕方がなかった、それも折込済みである、とのことです(ACIM)。
それ故にACIMというかたちで新に梃入れをしたと。
そしてあくまで私の意見ですが、どれだけ伝統を頑なに守り通してきたとしても、
上座部だけが例外的にまったくぶれることなく仏陀の教えを伝承してきた、
という主張に関しては、いかにも無理があると思います。
信奉者の人たちはそう信じたい、そうであって欲しい、と念願されているのでしょうけど。
そもそも、純粋に誰それの教えを継承しているのは我々だ、いや違うそれは我々だ、
という排他性が宗教戦争に結びつくわけですが、ここもさながらそんな状況になっていますね。
でも大切なことは解脱することであって、その教えなりメソッドが真に役立つかどうかだと思います。
それが何を教えているのかねそのやり方が本当に機能しているのか、が大切なことであって、
仏陀の教えは完璧だったかどうか、そんなことに拘る意味が私には正直理解できませんね。
ACIMは来年か再来年、邦訳が出るそうですから一度読んで判断されてはいかがでしょうか。
私も上座部には関心があり、是非一度足を運んでみたいと考えていましたが、
こういう難しい人たちばかりに取り囲まれるとなると、ちょっと躊躇してしまいますね(笑)。
どうなんでしょう、私のような人間でもテーラワーダにお邪魔してもいいものでしょうか?
それでは今度こそさようなら。もしご縁があればまたどこかで。
739 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 20:54:04 ID:vpPEKdWH
また華厳ピエロだよ。
懲りないねえ。
おんなじことの堂々巡り。
輪廻
>>738 これはどんなところに顔を出す場合でもそうだけど、どんな考えを持っているとしてもいきなりその団体を団体たらしめてる根本思想を否定しないほうがいいよ。
上座部の集会に来ていきなり「仏陀はもう一度転生してるんですよ」とか言い出したら、バカにされて終わり。
もしそういう考えがあるとしても、じっくりじっくりいかないと。
まずは「○○についてはどうでしょう?遣り残しがあるようにも思うのですが」というところからはじめるとか。
その時点で長老の顔色変わるだろうなw
743 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 21:55:11 ID:hOWevnuA
尊者よ、同じように、愚かなジャイナ教徒たちのことばは、愚かな人々を
染めることはできますが、賢人たちを染めることはできません。また鍛練す
ることもみがき上げることもできません。
尊者よ、ちょうど同じように、完全な悟りに到達した尊いお方であるあの
世尊のことばは、賢人を染めることができます。また鍛練することもみがき
上げることもできます。しかし、愚かな人々を染めることはできません」
中部「ウパーリ経」
まあね、この一連のやりとりをROMってる人たちはじっくりと冷静に観察し洞察してみることだなw
これでテーラワーダが紛れもないカルトであることがハッキリしただろうと思う。
ごらんなさい、スマナサーラという落伍者が毒舌家であることが“免罪符”となって、この跳ねっ返りの狂信者どもが一体何をしているのかを。
上座部に縁あるかもしれない人をこんな具合によってたかって攻撃し、上座部から遠ざけるという大罪を犯しているということを。
>>738 いやいや、あなたのような方こそ、上座部仏教を学ぶ資格のある人です。
ID:UgKzQoQTのようなゴミは、勝手に仏教徒だと自称しているだけの縁なき衆生ですから
こういうゴミ屑野郎の戯言には決して惑わされないように。
そして、決してテーラワーダ=上座部仏教だとは考えないでいただきたい。
ヴイパッサナーは別にテーラワーダなんぞに行かなくとも習えます。
私はそのACIMについてはあまりよくは知らないが、ヴィパッサナーはきっとあなたの役に立つでしょう。
ここにいるゴミどもの暴言については彼らに代わって私からあなたに謝罪します。
745 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 22:33:57 ID:b8tvKKsV
>大乗は間違っていて、上座部は正しい
自分とこだけが正しい。。。と言う点が日蓮宗そっくりだね。
そのうちビパッサナーとかサティとかぶつぶつ唱えれば解脱できる。。と言い出しかねないな。
もう言ってたりして・・・
サティサティサティ・・・・・
746 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 22:34:26 ID:hOWevnuA
もしもゴミがみずからゴミであると考えれば、すなわち宝である。
ゴミでありながら、しかもみずから宝だと思う者こそ、「ゴミ屑野郎」だと
言われる。
747 :
brown:2008/11/10(月) 22:37:53 ID:IUblzrup
>>685-686 良い経験をされましたね。
一瞬とのことですが,それでも「絶対越えられない壁」を越えることが
できたんですね。
で,「しかしその経験すら執着せず、ただあるがまま受け入れなければ
ならない それがなかできない」とのことですが,
そういう必要はないんですね。
本質的にその経験には執着性はないんですよ。他の経験と違って。
それで全て終わるんです。はい経験。はい終わりと。それ以上求めることは
ない。完成するからです。もう二度と何も求めることは本質的になくなる。
欲求というのは限りがない。何かを求めることがその解決にならない証拠は,
得られたら,より大きく,より長く,それを欲するようになる事実にある。
しかし,その経験にはそのような過失はない。
これが,その経験の意味です。
だけど,残念なことに,「その一瞬」にこのことが分からなかった以上,
この理解を,「その一瞬」に得るために,またその経験をしなくてはならない。
でなければ,その理解は,薄っぺらな表面的なものに終わってしまう。
「その一瞬」に何を持ち込めるか?これによって,その経験から得られる
智慧が違ってきます。そして,「正覚」を成じるためには,
「これは苦である」,「これは苦の因である」,「これは苦の滅である」,
「これは苦の滅に至る道である」という4つの洞察を持ち込む必要があります。
だから,悟りに一応4ステップがあるといわれてるんですね。
748 :
華厳命:2008/11/10(月) 22:38:16 ID:HBCvACdh
あいかわらずくだらねえ議論してんな
原始経典には疑問だねえ
「私にはこれが最後の生であり、今や再び二度と生を享けることは無いという知見が生じた」
これね、大いに疑問だよ
ブッダさまともあろうお方がよりによって「知見が生じた」なんてミステイクトークをするわけがない
「知見」ならまだ思考の領域範囲内にあることになる
だったブッダなんてただの凡夫じゃないか?
これはブッダの言葉じゃないな。たぶんどこぞの馬の骨が勝手に書き残したものだ
あとな、大乗経典であたかもブッダから直接聞いたかのように「如是我聞」と
書き写したなんて言ってるけど、あれは高度な修行者が深い瞑想状態において
ブッダから啓示を受けました、という意味なんだよ。
大乗はそれが人々の役に立つものならなんでもOKで吸収するからね
たとえば華厳のヴィルシャナ仏だって、あきらかにゾロアスターのアフラマズダの影響を受けている
このどんぶり性が大乗の優れたところだな
ガラスのように繊細な原理主義の腐った野菜には耐えられんだろうがな
だいたい「律」についても視野が狭い
一日一食で衣は糞雑衣だなんてインドだから言えたことで
シベリヤの仏教徒はさぞひもじく寒い思いをして苦しんでるんだろうな
お笑いだよ、まったく
749 :
お助け:2008/11/10(月) 22:40:59 ID:Eh4ehWat
華厳命君、相変わらず場所をわきまえず、
恨みが深いのか、
事々無碍といかず、批判を繰り広げる。
華厳はスマさんと同じで自分は信仰を持ったままよそを批判するのがいかん。
お前が言うなよ。と言われるのがオチだ。
751 :
brown:2008/11/10(月) 22:52:16 ID:IUblzrup
>>578 理解には,「確度」があるんですね。
「分かった」といっても,それには度合いがあるんですよ。
例えば,「食べ過ぎてはいけない,と分かっているけど止められない」,
「すぐに腹を立ててはいけない,と分かっているけど止められない」。
これは頭で分かっているけど,本当には分かっていないなどといわれますね。
伝統的には,第一段階は「聞いて分かる」,「教えられて分かる」,「言われ
て分かる」という段階があります。
第二段階に「自分で考えて分かる」,「よく考えると分かる」,「頭で
理解している」という段階があります。
第三段階に「無意識的に分かる」,「習慣的に分かっている」,「周りとの
関係性の中で分かる」という段階があります。これは一般的に本当に分かって
いるということですね。考えずに,自分の肉となり,血となっている訳です。
しかし,本当はそれは未だ分かってないんですね。そういうと言い過ぎかも
知れないけど,確度が低いんです。目覚めた人は,それは未だ居眠りしてる
ようなものだ,といいます。
直接知るという確度の知があるんですね。それは解脱境で知る,その知識
です。
>>578の「1」「2」「3」を,直接知ることによって,預流果に
なります。それは,頭で分かるということとは違うんですよ。とはいっても
結局,頭で分かるんだけど,そこに「超えられない壁」があるんですね。
それは断然違うんです。
752 :
華厳命:2008/11/10(月) 22:53:07 ID:HBCvACdh
俺は仏教界の「ドーベルマン」だからな
俺には嘘とホンとがわかるのさ
だいたい上座部的意味でのブッダなんざ二流の聖者だよ
もっともっと高い悟りを開いた奴なんざインドにゃゴロゴロいるぜ
随分偉そうだなw、仏典にも謙虚さを失えば道に迷うとあるだろう?
華厳、それは憶測ってやつだぞ。仏陀が高い悟りとやらを開いたかどうか
知りえないのと同じでもっと高い境地の悟りを得た人がいるかも知りえない。
各々の宗教が最高段階の悟りを得たと主張しているんだから。
755 :
華厳ピエロ:2008/11/10(月) 23:01:42 ID:UXqMBIww
最近、俺は面白くない。
俺は仏教の本もそれなりに結構読んできた。思想も哲学も解説本なんかを読んで
広く浅くだが勉強してきたもりだ。
もちろん本格的に研究したわけではないから深く理解してはいない。
まあ話のネタだな。素人相手に偉そうにウンチクを垂れると気分がいいんだな。
インテリぽく見られるしね。純文学なんかは今どき流行らないし、ダサいから興味はないな。
なかでも華厳経は俺のお気に入りだ。ヒンズー教に似た壮大なイメージがSF小説ぽくって
カッコイイ。名前の響きもなかなかオシャレだし。
そうそうマイナーなところもインディーズぽくっていいな。
それに比べると法華経はすべてにおいてダサすぎ。
動機がそんなもんだから別に仏陀を尊敬してるわけでもない。
それどころか何不自由のない贅沢三昧の楽しい生活を捨てまでして、悟りを求めようとする
釈迦の気が知れない。
そんなわけで修行なんぞこれっぽちもやりたいとは思わないし、そもそも関心すらない。
それでも修行の禅問答なんかは一見、高尚で知的な遊びぽいところが好きだな。
ところがだ!!!!俺の楽しく平穏な仏教ライフは長くは続かなかった。
スリランカから、一人のクソ坊主がこの日本にのこのことやって来たのだ。テーラワーダ
とかいう古臭い仏教を携えて。
このクソ坊主、頭は切れるわ、日本語は達者だわ、説法は明快だわ、おまけになかなか
ユーモアもあるときた。ファンは増えるわ、本はどんどん出すわで一躍仏教界の人気者に
なっちまった。
俺も最初の頃は無視していたが、最近は気になってしょうがない。そこでこっそり本を買っ
てきて読んでみた。人気の秘密を探るために。
756 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 23:02:42 ID:hOWevnuA
>知見が生じた
のパーリは
ñāņañca pana me dassanam udapādi,
だが、何か。
757 :
華厳ピエロ:2008/11/10(月) 23:03:08 ID:UXqMBIww
つづき
俺は驚いた!!難解で素人に理解は無理と思われていた仏陀の教えが、この坊主の本を
読むと極めてシンプルで、理論的で、科学的で、理路整然として、およそ迷信とはかけ離れ
たものであることが一目瞭然にわかるのだ。
「仏陀の教えとは真理を学び、そして実践することでその真理を直に体験することだ」という
ことが、この坊主の本を読めば大人も、子供も、老人も、インテリも理解できるのだ。
もう知ったかぶりの修行もやったことのない仏教オタクのウンチクなどに耳を傾ける必要など
ないのだ。
俺は愕然とした。全身の力が抜けてその場に崩れ落ちた。
俺の学んできた知識(大乗仏教の)は今や完全に無用の長物と化してしまったのだ!
大乗仏教が仏陀の教えでないことが一般人に知れ渡ってしまったのだ!
もう誰も俺のウンチクに耳を傾けてくれる人はいない。「まだそんなものに執着しているの?
いい加減に目を覚ませよ!」と逆に説教される始末だ。情けないこと甚だしい。
今では2ちゃんねるで華厳経のネタを振っても誰も見向きもしてくれない。たまに食いついて
くる奴はとんでもないバカかガキしかいない。相手にするのもアホらしくなる。
俺の青春を返せ!神よ、俺の時間と労力を返してくれ!!と叫びたい気持ちだ。
そんなわけで、俺は最近面白くないのだ。ムシャクシャしてるのだ。
だから俺はヤケ酒飲みながら2ちゃんねるのテーラワーダレスに絡んでやるんだ。
一晩中粘着してやるんだ。
憎たらしいテーラワーダよ、俺の目の前から消え去れ!クソ坊主よ、とっととスリランカに
帰りやがれ!!目障りなんだよ!!
お前らに今の俺のこんな気持ちが分かるとでも思うのか? 分かるわけない!!!!
わかってたまるか!!!!!!
758 :
華厳命:2008/11/10(月) 23:03:44 ID:HBCvACdh
オッケー
俺、スマナサーラ大嫌いだもんね
上座部の迷える子羊にゃ別に敵意なんて持ってないよ
「千と千尋の神隠し」の千尋のほうが悟っているように思うぜ?
謙虚さを失い、傲慢になるなら
それは悟りではないよな
悪悟りしてインチキ宗教やカルト教の教祖になり下がった人間は大勢いる
謙虚さを無くし、傲慢の罠にハマったことすら自覚できず
俺は高い次元の悟りを啓いたと言いふらして
神仏にでもなったつもりの愚かものが、人を誑かし、惑わせる
760 :
brown:2008/11/10(月) 23:04:50 ID:IUblzrup
悟りに高い,低いはない。段階もない。
なぜなら,比較がないからだ。
悟りが一時の経験だとか,幻,幻覚ということはできない。
なぜなら,疑いがないからだ。
悟後の修行などというものはない。
なぜなら,完全であり,完成するからだ。
要訣を得たこの3つの意味が分かれば,
速やかに完成に導かれるだろう。
伊勢白山道という、ネット・カルトの教祖がそうだ
悪悟り、グル(教祖)病って奴
いくら知識を増やしても、何百年勉強しても悟ることなどできない
井の中の蛙、大海を知らず
>>760 でもね、ほとんどの宗教が自らこそが真理だと主張し争いが絶えないわけです。
763 :
華厳命:2008/11/10(月) 23:14:12 ID:HBCvACdh
その宗教紛争に終止符を打ったのがラーマクリシュナなのさ
この人の場合、俺は語るのも恐ろしいね
レベルが高すぎる。ついていけない
まぁ、ある意味で宗教紛争に終止符を打ってるね。あの人は。
765 :
brown:2008/11/10(月) 23:23:13 ID:IUblzrup
>>762 主張し,比較して優位に立ち,説明・説得して認めさせ,尊敬させ,
そうでなければ争う必要があるからでしょうね。
比較と疑いを超えた完成者には,「あなたの主張は間違っている」,「あなたの
境地は未だ低い」,「あなたの理解は自己満足だ」,「何を言っているか
理解できない」,「あなたは人格的に成長していない」と言われても,
「そうでしたか」というくらいでしょう。
なぜなら,その必要がないからです。つまり,比較と検証と認証の必要が
ないからです。というのは,自ずから明らかだから。
766 :
神も仏も名無しさん:2008/11/10(月) 23:34:19 ID:YAtORnIp
>>719 消去法で考えてはどうでしょうか。
お経のどの部分が本当にブッダが説いたかわからないとあなたはおっしゃる。
しかし、少なくとも、明らかにこれは違うというものはわかってきている。
とりあえず、明らかに違うというものを除いていくと、
仏教の基礎的な部分が残りますよね。
たとえば、苦や無常や無我などは、日本の宗派でも必ず学びます。
アビダルマなんかも、昔の日本の僧侶は学んでいた。
そういう仏教の基礎を見直してみてはどうでしょうか。
知識は経験とセットにならないと知恵にならない
知識だけじゃあ薄っぺらい、立体的じゃないんだよな
頭の中でいくら考えたって絶対にわからないことがある
悟りもしかり
片鱗を垣間見ただけだったが、ほんの一瞬が「永遠」だった
自分は永遠の時を生き、今誰も経験することがない唯一無二の人生を生きている
大いなる自己の圧倒的な「尊厳」を感じる
誰も犯し得ない尊厳が厳然とそこにある、と同時に他者にも同じような尊厳があることを知る
そして万物は全て繋がっている
他にも様々なことが迷うことなき事実として体感する、あの感覚は一瞬で脳のどこかが焼き切れそうで
恐ろしく逃げ出したい反面
清明で広大で至福に満ちた、その場に永久に留まりたくもあり
矛盾した感情を抱いたのを覚えている、時間にするとほんの数秒だったのに
実感したのは命の尊厳、尊厳とは何か本当にわかったのはその瞬間だった
他者を殺せば、自分を殺したことになり
他者を騙せば、自分を騙したことになる
その次元では瞬間に跳ね返る、事実そうなんだろうな
この次元では時差がある、戻ってくるのに時間がかかる
だから悪事が働けるw
宗教も宗派も意味がない
神は厳然とそこに存在し、不変であって常に変化している
永遠でありながら、一瞬である
優しくもあり厳しくもある
そして言葉にしてしまうと全部ウソになってしまうw
国境、人種、ジェンダー、宗教宗派などが人を分断し
その溝に葛藤が生まれる
その葛藤が争いや苦しみを生む、とクリシュナムルティも言っている
宗教は本当は必要のないものだと思う
方便としての宗教には何らかの意味があるかもしれない
769 :
華厳ピエロ:2008/11/10(月) 23:56:17 ID:UXqMBIww
自分に酔ってるんだな。仏教に自己表現の場所を求めてどうするのよ。
自己変革を望まないなら、今の自我に執着するんだったら、何のために
仏教やるのよ。
そうですね。
言葉にすると嘘になるのかもしれない
音楽、作曲の才能があったりするのは
天性で、結構そういった何かが、理屈じゃなくて解ってるのかもしれないなあ。
言いたいのは、経験が大事だってことだよ
尊厳が何か経験すれば、人を害する行いは出来なくなるんだ
自分に返ってくるとわかるからね
勉強することが悪いとは言わないが、経験を伴わない知識は空しいってことだ
今、今、今が大事だ
頭の中で過ごす時間より、今この瞬間に生きることの大事さを伝えたいだけだ
今の積み重ねが未来をつくる
今に生きることが難しい、未来の心配をしてみたり、後悔してみたり
頭の中で考えを巡らせる、それが悪いとは言わないが
今をおろそかにするなってことだ、
頭の中で仏教とはと考え続けても
井の中の蛙のままだ
頭でっかちな蛙
ヴィパッサナーは今、この瞬間を生き抜く知恵だ
そして刹那の感情や思考の嘘を暴く、衝動的な欲望や感情に動かされることが少なくなる
衝動と行動の(間)を意識するようになる、その(間)が制御=コントロールの余地
衝動的な行動が少なくなると、他者と争いが減る
欲望に振り回されないから心に平安が戻ってくる、苦しみは徐々に少なくなっていく
まぁやってみれ
A氏、B氏の二人が眠って夢を見ている。
二人ともまったく同じ型の目覚まし時計をセットしていた。
そして時間が来て目覚まし時計のアラームが鳴り始めた。
A氏は目覚まし時計のアラーム音を、パトカーのサイレンの音と認識し、なぜか夢の中で逃げ始めた。
B氏は全く同じそのアラーム音を、携帯電話が鳴っている音だと思い、夢の中で懸命に携帯電話を探した。
さて、パトカーのサイレンの音と携帯電話が鳴っている音、どちらが正しいでしょう?
大乗が正しいか、小乗が正しいか、という論争はこれと同じ。
やってみないと意味はない
知識は知識だけじゃ無意味とは言わないが、役に立たない
経験の裏打ちがなければ本物じゃない
知識で悟りのレベルが高いだの低いだの
それこそ無意味もいいところ、そいう知識溺れると
傲慢の罠に陥る、傲慢の罠が一番怖い、ハマった本人は自覚することすらできなくなる
そしておかしなカルト教祖になったりする
普通の生活の尊さを忘れる、傲慢と自己尊重を全く違う
それがわからないのは「経験」がないからだ、要するに頭でっかちになるなってこと
775 :
774:2008/11/11(火) 00:15:08 ID:2y7xLzik
最後から2行目訂正
傲慢と自己尊重をごっちゃにしてしまう、全く違うのに
当り前のことだが
自分が自分であって、今ここにあることが素晴らしいと思えるようになる
自己卑下もなければ、尊大さの欠片もない
ただ自分、等身大のごくごく普通の日常の中の自分が素晴らしいwと思える
傲慢と自己卑下ってのは同じコインの裏と表
(英語のコンプレックスは劣等感、優越感、両方の意味がある)
自分を尊重できる人間てのは、謙虚なんだよ
おまえら今日も瞑想せず2ちゃんねるかよ
実況してました
傲慢な人間は内心、奥深いところに自己否定や自己卑下を抱えている
その自己卑下を他者に投影して、他人を見下す態度に出る
傲慢な人間が最も見下しているのは、自分自身の影(ジャドウ)なんだ
瞑想して心を観察し続けると、見えてくるよ
自分肯定している人は、決して尊大にはならない
ありのままの自分を、欠点も含めて認め尊重する、そうすると謙虚になるし
他人を尊重するようになる、他人を尊重すると
人からも尊重される、
このように心を観察すると、苦しみが一つづつ減っていく
>>777瞑想なんて日がな一日やるもんでもない
たまにはいいかもしれないが、坊さんでもない限り難しい
朝15分とか、30分で十分
段々自分の心の癖(思考のパターンやそれに伴う感情)が見えてくる
観察者を育てると、衝動にも負けなくなる、
衝動→行動の間を捕えて、衝動をコントロールできるようになる
ムカついて喧嘩売ったりしなくなる
喧嘩吹っ掛けて後悔したこと、誰にでもあると思う
心のパターンを見つければ、変えることができる
てか、実際やってみればいい、たった10分でも全然違うよ
苦しみが減り、幸せだと感じる時間が長くなる
>>780 朝15分とか、30分で十分、という心をサティしたらもっと長くなってくよ
座らなくても行動しながらサティとか
でも朝はムリか、夜とか
はじめは座った方がわかりやすいってだけだよ
経験から動きながらの瞑想と
座ってする瞑想では、気づきのレベルがちょっと違う
初心者は動きながら完全にリラックスするのは難しい
武道の達人の体は余計な力が入っていないとき一番強いと言うが
常人には難しい、初心者は無理だろうな
座って眠らずに完全にリラックスできたとき、天啓のような閃きを経験するかもしれない
新しいアイディアが生まれたり、迷いが吹っ切れたり
至福の経験があるかもしれない、
体を弛緩させると、意識レベルが下がる、つまりは眠くなる
余計な力を抜いて、覚醒したまま、猫がネズミを待ち構える心境でただ座る
フォーカス&リラックス、バランスが難しい
集中すると体が緊張する、体を緩めると意識レベルが下がる
はじめは座って体や心を観察するやり方の方がわかりやすい
それに思わず深い瞑想に入ることがある
運転をしながら、深い境地に入れば、事故ってそのまま天国行きになりかねないw
自分だけ死ぬならいいが、人を巻き添えにしてしまったら大変だ
何かしながらフォーカスするのと
座ってフォーカスするのでは、入る境地が違ってくる場合がある
テーラワーダで拝まれてる仏像も、実際はあんな顔立ちじゃなかったはずだし、
パンチパーマでもなかっただろ。
捏造仏を拝んでるテーラワーダは偽経作ってる大乗と五十歩百歩だな。
パンチパーマって
何故、仏像ってみんなパンチなんだろう?
ガンダーラのギリシャ彫刻の髪があんな感じだったからかな?
というより、石を削っての表現そのものに限界があるし
788 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 12:22:39 ID:/fG8RRIP
悩めるものに
悟りの様子を言い、そうなれば自ずと悟りであると言う。
それは、病人に向かい、
自然治癒を言い、そうなれば自ずと病気が治ると言うのと同じ。
「方法に頼らない」という方法は、
成長を助けることもあるが、妨げることもある。
子曰く
学びて思わざれば則ち罔(くら)し。
思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。
789 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 12:24:34 ID:/fG8RRIP
訂正
4行目
×治る→○治っている
確かに仏像を拝んでいる時点でヒンドゥー教やジャイナ教を見下す資格はないな。
>>786 古来よりインドには「優れた人物は普通の人と違って32相の特徴がある」という。
それがパンチだったり眉間の引っ張ると伸びるアホ毛だったりする。
わきの下のくぼみがなかったり、足の裏が扁平で模様が入っているとかだ。
ようするに、そういう「ありえない空想のシャカ像」を拝んでる上座部のメンタリティーは
実物のシャカを無視してる。久遠のシャカを拝む大乗と変わらん。
悪いとは言わないよ。ただそこはやっぱり長老の言う「嘘っぱち」だね。
792 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 12:33:18 ID:pvVUZDZ3
>>786 バンチパーマではなく、
長髪で、細かい三つ編みをたくさんつくって、
それを頭の上で束ねてある髪型だと聞いたことある。
中国・日本でできた仏像がパンチパーマなのは、
お釈迦様が長髪だったとは思わなかったからでは。
だから、頭の上に束ねた髪も、髪だと考えず、
「肉けい」という頭の突起だと考えられるようになった。
悟ったら頭に突起物ができるんだって考えられた。
ただ、どのお経か忘れたけど、岩波文庫のお経で、
ブッダが剃髪していたと思われる記述もあるので、
ブッダは、長髪だった時期もあれば、剃髪していた時期もあるのかも。
クンダリニーが上がると頭頂部に穴が開いたり盛り上がったりするんじゃなかったっけ
中沢新一の本で読んだような気がする
794 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 12:36:48 ID:pvVUZDZ3
あ、つまり、頭のブツブツは、パンチパーマのブツブツではなく、
たくさんの細かい三つ編みの編み目。
795 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 12:36:55 ID:PNq+jJpQ
>>650 >世界と、神と一体になった。それがどうしたって言うんだ?
神と一体となるということは、創造と一体になるということだ。
キリスト教にはね、その後に安息日とあるんだよ。
仏教的に言うとそれが涅槃だ。安息日とは、一つの完成だ。
今の仏教徒はその涅槃の状態にばかり注目して、肝心な、
今のこの世界がある意味を見出さない。
797 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 12:50:59 ID:pvVUZDZ3
>>796 世界は、眼耳鼻舌身意・色声香味触法を通して認識される。
仏教では、眼耳鼻舌身意・色声香味触法は
すべて苦(スマナサーラ長老の表現では「不満」)だと考えられますからね。
798 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 12:53:00 ID:PNq+jJpQ
>中国・日本でできた仏像がパンチパーマなのは、
嘘をつくのはやめましょう。
>>650 >世界と、神と一体になった。それがどうしたって言うんだ?
>そのことに気づくことは稀有なことで確かにすばらしいことだが、それで終わっては何にもならんのよ。
それがどうしたんだ、という段階には程遠い人間がいくら吠えても滑稽なだけだな。
君の人生はそれすら達成できずに終わるだろう。
800 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 13:42:06 ID:/fG8RRIP
ようするに現代のようにサンダーとか尖ったハンマーとかのない時代の
石削る技法が始まりなんじゃないの?
パンチパーマに意味があるとか後付けの説明っぽいけどなー
>わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天の御国にはいるのではなく、
>ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。 〜マタイ
>>800 あいつらはアホだろ。
互いに愛し合わない、またその心を改めようとしない彼らは、キリストの兄弟ではないよ。
ただの礼拝宗教に過ぎない今のキリスト教は、バッタもんだ。イエスは今のキリスト教信者を
みたなら、きっとこういういうだろう。「信仰を捨てよ」ってね。ゴータマが、当時のバラモンと呼ばれる
人達が執り行う、ヴェーダを単なる礼拝宗教に成り下げたものを信仰している人達に
「信仰は捨てよ」と言ったようにね。
>>800 まるでこのスレに常駐している勘違いテーラワーダ信者を見ているようだなw
>汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け」と。そこでアーラヴァカ神霊は、師に次の詩をもって呼びかけた。──
>「この世で人間の最高の富は何であるか? いかなる善行が安楽をもたらすのか? 実に味の中での美味は何であるか?
>どのように生きるのが最上の生活であるというのか?」」
>「この世では信仰が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。
>実に真実が味の中で美味である。知慧によって生きるのが最高の生活であるという」
>「ひとはいかにして激流を渡るのであるか? いかにして海を渡るのであるか?
>いかにして苦しみを越えるのであろうか? いかにして全く清らかとなるのであるか?」
>「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみをを超え、
>知慧によって全く清らかとなる。」〜スッタニパータ
しかし今の仏教徒は、闇雲に信仰は捨てよというが、
釈迦はあくまで、当時の間違った信仰を捨てよといっただけで、
正しい信仰はむしろ、持ちなさいと説いていることを知らないのだろうか?
この人達は、原始仏典を読んだことが無いのだろうか?いやスッタニパータくらいは読んでいるだろう。
なのに、一方的に信仰は捨てよと、知った風な口を聞くのは、この人達は文盲なのだろうか?
答えは、どいつもこいつも、自分のエゴというフィルターを通してしか物事を判断しないから、
せっかく仏典を読んでも、邪見しか出来ないのだろう。
>自分のエゴというフィルターを通してしか物事を判断しないから、
>せっかく仏典を読んでも、邪見しか出来ないのだろう。
まさにこのスレのテーラワーダ信者そのものだな。
806 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 14:11:34 ID:/fG8RRIP
807 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 14:16:35 ID:/fG8RRIP
批判するってことは、本当は好きなんだろ
なるほど、特徴をつけるためにパンチパーマw
になったのか
809 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 14:56:36 ID:/fG8RRIP
『聖☆おにいさん』に、
日本教の最大勢力テレビ派代表として、
ビートたけしが登場するといい。
日本教は共通前提として、
背景になっているが、
お兄さんたちを背景にして照射する。
810 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 15:02:29 ID:/fG8RRIP
訂正
×最大勢力テレビ派→○最大宗派テレビ宗
811 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 15:04:21 ID:/fG8RRIP
訂正
×テレビ派→○テレビ宗
812 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 16:39:32 ID:5BIJS0FF
>>804 信仰が妻である、とも言っているね。
Samatha 四十業処の中の「天随念」でも神々の(三宝への)信仰、
また自己の信仰を念じ続けることになっている。
813 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 17:09:41 ID:QYubQunV
スマナサーラ長老は、釈尊ほど優れた人は居ないと言う
確かに、どの阿羅漢も釈尊より劣っているようだ
しかし、現代人のスマナサーラ長老は、自分や弟子達、信者達に、釈尊と同等のブッダを目指せと言わないのは、どういう理由からでしょうか?
もうブッダはこの世に存在しない
上座部でも、誰かが新たなブッダを目指しても良いのではないか?
814 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 17:25:45 ID:5BIJS0FF
釈尊はブッダになるまでに四阿僧祗(=4×l0の140乗)と十万劫の時間が
かかっている。その間、苦しみの輪廻を繰り返してきた訳だ。
阿羅漢などの場合にはそうではない。修行次第で一生涯、二生涯などで
悟りに到達した例もある。
ブッダと小乗の阿羅漢とでは差があるがその後の涅槃は同じだから
目指す所をどのコースをたどって到達するかについて
私もそうだがより実現可能な道を選んでいるのだろう。
ブッダを目指すのは自由だし、目指している人はいると思うよ。
ヒンドゥー教のほうが有名な聖者は多いよね
インドで本場だし
こいつらがクソなのは、そういうヒンドゥー等の聖者を貶し、
仏教の目指すところはそれらの聖者の境地をはるかに超えている、
と、本で読んだことの受け売りを繰り返すばかりで、
自分たち自身は、それらの聖者の足元にも及ばないということだな。
だいたいスマナサーラ自身が、ただの落伍者なんだしなwww
スマナサーラが死んで世代交代しないことにはもうどうにもならんだろう。
817 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 17:48:40 ID:5BIJS0FF
スマナサーラ長老だけが上座部僧ではあるまいに。
必要以上にスマナサーラ長老を崇めている人と
>>816は同じだな。
>>814 釈尊は大昔からブッダを目指してたということ?
やはり釈尊と阿羅漢、独覚との違いは、前世の経験の差か…
涅槃後にはブッダとの差は無いというのは、何となく理解できた
しかし、この前も書いたんだけど(あの時はレスを貰えなかった)、目の前で苦しんでいる人を見ても、阿羅漢は心を動かさないの?
スマナサーラ長老の言うことには、在家で阿羅漢になれば、生きる欲が無いから一週間くらいで死んでしまうだろうと
そこが衆生のために法を説き続けたブッダとの物凄い差だ
それが前世の経験の差か…
やはり阿羅漢や独覚に納得できないのは、そこなんだ
テーラワーダでブッダを目指す人がいるなら、その人の話を聞かせてもらいたいと思う
答えて下さった貴方はどうなのでしょう?
悟った時のシャカ
「悟ったからもういいや。人にいってもしょうがない」←上座部
初転法輪時のシャカ
「一人でとっておく姿勢はよくない。一生わかちあおう」←大乗
820 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 18:08:25 ID:5BIJS0FF
比丘ではないのでおこがましいけど勿論、ブッダを目指していません。
一人のミャンマー僧に聞いたことがあるが彼もブッダを目指してはいない。
スナマサーラ長老もそうだと思うよ。
「ミリンダ王の問い」では竹に雪が積もっても折れないが
笹に雪が積もると折れる。つまり在家は阿羅漢の悟りの重みに耐えられない
とか書いてあったと思ふ。(つまり出家しなければ死ぬとね)
>>819 後から部派に分かれて諸宗派に分裂したものの、釈尊が説法した時点では、
○○部も、○○派もなかったわけだが、どうして、そういう風に分類したいのかな?
どうして分類したくてしたくて仕方ないのかな?
どうして分けて考えたくて、分けて考えないと気がすまないのかな?
なぜだろうか?
なぜですか?
>>819 初転法輪の時の釈尊は、大日如来を拝めとはいわなかった。
四諦こそ真理であり、この道(道諦)を進みなさい、それが悟りと
解脱への道である、これ以外に道はない、と説いた。
(要望があれば、阿含経典から当該部分を引用します)
なにを根拠として、「初転法輪の説法は大乗部の教えである」と
主張するのでしょうか?
衆生済度の精神があるか、ないかですか?
あなたが信じている、上座部には衆生済度の精神がないという暗黙の
前提は、なにを根拠としているのでしょうか?
むしろ分類に意味はないって意味で書いた。わかんないだろうなぁ。
はい。
分類には意味ありませんね。
釈尊が、大日如来を拝めなんてことを言った痕跡はありません。
大乗仏教は、御伽噺であって、仏教ではありません。
仏教は、迷信からの脱却を説きます。
大乗信者と同列に比較されても困ります。
比較しないでください。
「大乗部」の話なんか一言もしてないし。
歴史的パラダイムでの「大乗仏教」にもなんにも言及してない。
単に「釈尊の中にすでに大乗の精神(後世の「大乗仏教」ではなく)がある」、と書いただけなのにな。
勝手に批判された気になってそれを質問されてもこまるw
自分自身あまりにも多くの問題を抱えていて、他者のレスにそれを投影する癖があるのかな?
何を先走ってるのか。落ち着きなさい。
偉そうだなー。
不特定多数が読む掲示板上の対話なんだから、読む人が双方の
対話を読み取って、自分なりに考えられる機会になればいいんだよ。
別にあなたが気に入るレスを返す義務があるわけじゃない。
しかし、こっちが書いてないことを妄想でレスされても、対応に困るw
それに、君はこっちのレスがそうとう気にいらなかったみたいだぜ。なにが気に触ったかわからんが。
偉そうでもあったんじゃないかw
君が痛みを感じたのはなぜかな?
感情がそんなに動いたのはなぜかな?
なにに依存して、なにと同一化して投影してるのかな?
それをさぐってみるのもいいかもね。
828 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 18:50:18 ID:P+c1K/6O
>>814 ある目標があって、その目標に到達するためにどれくらいの努力が必要か、ということなんだよね。
流れの急な川で自分ひとりがなんとか向こう岸に渡りきれる脚力があればそれで十分。
無ければ鍛える。
だが、さらに自分の肩に二人も三人も百人も背負って歩くほどの脚力を鍛える必要があるか?
そんな超人的なことを皆がやるべきだ、目指すべきだというのがそもそも間違い。
ブッダは、他人におんぶに抱っこするなと説いたかもしれないけど、自分のような超ハイレベルまで脚力を鍛えろとは言ってないんだよね。
>>827 じゃあ言うけおど、あなたが書いた
>>819の
>悟った時のシャカ
>「悟ったからもういいや。人にいってもしょうがない」←上座部
>
>初転法輪時のシャカ
>「一人でとっておく姿勢はよくない。一生わかちあおう」←大乗
これね。
これ間違いでしょ。
初転法輪=大乗、ではない。そんなことにはならない。
言葉の定義の問題だけど、間違いは間違い。
あなたもわたしも、同様に分類に意味はないといいたいらしいけど。
なんで自分は正しくて、間違ってないと思いたいの?
830 :
まよえる子ネズミ:2008/11/11(火) 18:57:10 ID:/fG8RRIP
問い
ヴィパッサナーを即自的だけでなく、対自的に理解するため、
あるいは、今の自分に適した瞑想をさぐるため、
各種の瞑想を統一的に俯瞰・説明する、ベターなフレームを探しています。
『仏教とヨーガ』という本では、
ヒンドゥー教系の正統ヨガのカテゴリー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%AC で、仏教諸派の実践を説明していました。
まだ内容が消化できていないのですが、興味深く感じました。
このような研究は他にあるでしょうか?
わかったわかった。
大事なもの傷つけて俺が悪かった。
>>831 だからね。
貴方の言ってることはこうなんだよ。
貴方は言葉を間違えて使っているのに、
「私の言いたいことはわかるだろ?だから汲み取りなさい。わかる?わからないだろうけどね(苦笑)」
という態度なわけ。
どこまで傲慢なんだ。
ランボーのことを、ダンボと言ったおばちゃんがいた。
ランボーのことを言いたいのは分かるよ。汲み取れる。
笑い話だ。
だからといって、わかるだろ、汲み取れよという態度で言われると
笑えない話になる。
わかる?
>>831
はいはい。そんなにカッカすんなや。
大日如来とか無い引出し開けられてどうしようかと思ったw
内面にいろんなもの抱えておられる人がいるから、言葉は大事と思ったよ。ほんと。反省。
そのままだと伸びないぞ。
まあ、汲み取れともいってないのに勝手にお好きな汲み取られかたして仮想敵になったって気もするんだがなw
>>837 この発言のことね→
>>823 まず間違え、次に「わかんないだろうなぁ」と無自覚のまま開き直り、
最後は必ず皮肉を言って終わろうとする。
仏教かぶれがよく陥るみたいだが。
誰も「大乗部」のことなんかいっていないのに大日如来がどうのこうの。
初転法輪にすでに釈迦に「大乗」の精神の萌芽が見られるって意見だよ。それに対する異論は認めるにしても、
勝手に後世の「大乗部」とかこっちのいってないこと持ち出したのは明らかにそっちの解釈だろ。
「大乗部」宗派がよほどお嫌いなんだろうが、それはそちらの内面的な問題で、こっちは関心も興味もない罠。
「明らかに間違い」とか、なんで自分は正しくて、間違ってないと思いたいの?
おまけにしつけー。
といっても、まあ謝るよ。はい、終了。
>そのままだと伸びないぞ。
君もかぶれてるみたいだからアロエでも塗っとけw
>>840 同じ土俵に立ったことを認めたようだから、この辺で許してやる。
他の人は、そろそろウザいだろうし。
土俵もクソもこっちとしては普通に道歩いてたら猪木に「上がってこいや」言われたようなモンだよ。
「許して」もらえてほんとによかったw
ID:JadnReqEは昨日のID:UgKzQoQTだろ?
困った奴だね、こいつは。
何をそんなに躍起になってるんだろうね。
反応する前に一呼吸置けよ。サティはどうした?
まるで上座部について何もかもわかっているような口調で書き込む姿は見ていてこっちが恥ずかしくなってくる。
お前に上座部の代表選手のような態度で間違ったメッセージを送られると我々が迷惑なんだ。
とにかくお前は少し自粛しろ。
上座部の面汚しになっているという自覚はないのか、お前には。
>>843 >ID:JadnReqEは昨日のID:UgKzQoQTだろ?
いま検索してみたけど、それ私のカキコじゃないよ。
>>843 上座部の面汚し?
上座部とか、そういう風にどこかの部派に所属してるつもりはないよ。
単なる一仏教かぶれでしかない。
お釈迦さまが好きだが、自分は怒るし、迷うし、怠けるし、自分が人格者など
とも思ってない。
間違ってるから間違ってると言っただけ。
言いたかったから言ってしまった。
瞑想はここ3ヶ月ほどさぼってる。
心が荒んでる。
瞑想やってた頃と比べると、反動のせいか荒み方が激しい。
悟った人が健康保険証持っていたら、
裏面の臓器提供の欄、
ぜんぶの臓器にマルついてるのかな?
>>844 そうかな? そつくりだけどな。
>>845 だからね、間違っているとか正しいとか、なんでお前にわかるのよ?
正しいか間違っているかは、我々がそれ相応のレベルに達しなければ
何とも言えんのよ。我々は何も知らない。知らないから学んでいる。
学んでいるレベルの人間に説教する資格はなし。
こういう不毛の神学論争ではなくテクニカルな面について話し合いたいもんだ。
>>844 おいおいちょっと待て。
昨日のID:UgKzQoQT、そしておとといのID:FXeREdJaは俺だ。
自己顕示欲に捕らわれたくないから付けてなかったが、
コテハンつけたほうがいいか?
>>847 一切は常往(永遠不滅)ですと言われたら、論理的に間違ってるとわかるでしょ?
初転法輪=大乗ではない。
大乗という単語で、衆生済度と言いたかったんだろうけど、知らない人が勘違い
されるといかんし、好きなだけに許せない。
すまんが許せない。
いま機嫌が悪いのは認める。
ID:UgKzQoQTのレス読んだ。
これ正論だよ。
自作自演とか言われるかな。
実はスレに関連するんだが、
今日 心理系の関係者が言ってたんだが、
「オウムやヤマギシの脱会カウンセリング 逆洗脳もあつかってます」って。
ヤマギシねぇ。。。カルトかぁ。。。
>>796 >>神と一体となるということは、創造と一体になるということだ。
キリスト教にはね、その後に安息日とあるんだよ。
仏教的に言うとそれが涅槃だ。安息日とは、一つの完成だ。
今の仏教徒はその涅槃の状態にばかり注目して、肝心な、
今のこの世界がある意味を見出さない。
そんな意味なんか皆無なんだよ。意味なんてものは一切無い。あると思うのは妄想だ。
この世はただ、縁起の法則で、因果律で成り立っているだけに過ぎない。
そんな無意味な世界で輪廻転生を繰り返すバカらしさに目覚め、厭離の気持ちを起こし、
早く解脱することを目指す。それが仏教だよ。
>>799 >>それがどうしたんだ、という段階には程遠い人間がいくら吠えても滑稽なだけだな。
君の人生はそれすら達成できずに終わるだろう。
残念だったな。俺は神との一体はすでに体験した。
二度だけだが、たしかにありゃ究極の至福だ。
だが、バーナデット・ロバーツが言う、第一段階にすぎない。
その奥には神なんてどうでもいいような、究極的な「それ」としか言えないものがある。
無でもいいし、ダルマでも言い。呼び方なんざどうでもいい。
俺はあれを体験してから、神にこだわるあらゆる宗教がどうでもよくなった。
この世の創造主はいるかもしれないが、そいつは絶対神でもなんでもない。
神ですら輪廻の網に捕らわれた存在なんだよ。
そんな体験は嘘だって?
おれ自身の体験を客観的に説明するなんて無理だ。
それは仏陀が本当に悟ったかどうかを客観的に説明できないことと同じだ。
その境地に達すれば分かる。
854 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 20:53:52 ID:/fG8RRIP
ヤマギシ会といえば、島田裕巳氏。
『新宗教ビジネス』で、
宗教団体の経営で重要なのは金を余らせないことだと言っていた。
大金持ちが入信すると一気に大金が入る。
私の親が入信している、某新宗教の書籍はめちゃめちゃ安くて関心したが、
テーラワーダはやけに高い。中身もあるがそれ以上に、特に『アビダンマ』が。
DVDも地橋氏の方が安いし、
お金持ちの方ぜひお布施ください、その金で書籍代が下がるといいな。
そういう仕組みでもないか。協会の人見てるかな。
>>854 それ言ったら春秋社の原始仏典とか、中村元先生の選集とかは1冊6000円から9000円もするぞ。
856 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 21:00:22 ID:/fG8RRIP
>>855 なるほど、そんなにするのか。
そうでないと採算があわないのか。専門書としたら安いか。
大日如来は法身の擬人化
>>856 おそらくこの分野はいまだにマニアック度が高くて、発行部数が少ないんだよ。
たとえばパユットー師の「仏法」は昨年出たばかりなのに、もうアマゾンでは買えなくなってる。
増刷するだけの販売部数が見込めないんだろう。いい本なんだけどな。
>>852 苫米地? ではないです。
ことオウムに関しては、たとえいたとしても
情報では「元」だからあまり問題ないと思うのだが、
ことヤマ**に関しては。。。
やはりカルトとして認識されてるとすると、
某方々が元として一切足を洗うつもりならともかく、
そうでないなら双方、どこか一線をはっきりとしてひいておかないと
ややこしい場面も出てきますよ。
以上
それがタブーになるのはよくないとおもいつつ、かつ
この団体をあいするがゆえのプチ情報公開でした。
愛、執着かもね。
860 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 22:06:24 ID:jHvvXpt+
元カルト信者がテーラワーダに流れているのはなぜなんでしょうねw
>>853 お前の行くべきところは精神病院だよ、統合失調症くんよwww
既成仏教にも流れてるんだからいいじゃない
永遠不滅のものはない。
しかし例外がある、テーラワーダの教えは永遠不滅というわけだwwwwwww
>>860 オウムの残党がことのほか多いそうだぞwww
犯罪カルト教団・テーラワーダ
主犯:スマナサーラ
なんつーか、三ヶ月も瞑想サボってた人が、上座部の教義を掲げて
「間違いは許せない」とかいって怒ってたのか・・・本末転倒じゃないか?
朝晩45分ずつヴィパッサナー瞑想してる俺のほうがよほど上座部に忠実じゃん。
まだまだ半端とはいえ。
まあ口論したのは悪かったがw
携帯とパソコンを使い分けwww
>>860 看板が同じだからね>原始仏教
中身はまるで違うが。
この板にも原始佛教スレあるけど、そこも同じ看板だけど
中身はまるで違う。
>>863 それは極めて典型的なツッコミだよな。
諸行無常というけど、諸行無常ということさえも無常なんじゃないかとか。
そんなのよく考えればおかしな堂々巡りをしてることぐらい、すぐに気がつくと思うが?
>>861 仏陀でさえも、当時、理解しない人はたくさんいた。
それは仕方の無いことなんだよ。
悟りの世界や体験ってのは突き詰めれば、本人だけの問題だからな。
スピリチュアルな奴の言う、アセンションとかそういう他力的な救いなんてのはありえない。
目覚めたければ自分でやるしかない。
>>871 はっはっはっ、わかったわかったwww
じゃお前を今日からテーラワーダナンダ・スワミと命名してやるよw
すごいなぁ、俺、ラーマクリシュナ級の聖者と2chで対話してるわけかwww
873 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 22:58:42 ID:pvVUZDZ3
>>839 「大乗」って言葉を使ったら、大乗仏教のことを差す。
「大乗が重視する慈悲や利他の心」というような言い方ならばわかる。
お釈迦様の教えには、すでにそのような慈悲や利他の心があっただろうし、
上座部仏教にもそれはある。
>>872 俺がラーマクリシュナ級の聖者なわけないだろw
預流果にもなってないんだから。
ま、瞑想体験、神秘体験と悟りのレベルはリンクしてないから、関係ないし。
さらに俺の場合、ありゃ完全に偶然で、再現しようと思っても出来ない。
その点、ラーマクリシュナは望むまでも無くしょっちゅう梵我一如に突入してたわけだから、
瞑想ヨーギとしてははるかに上だよ。
もう少し余裕を持て。
そんなに必死にならんでいいぞ、テーラワーダナンダ・スワミくんw
>>873 お前たちが「大乗」を意識しすぎなんだよw
オウムに入信していた頃に痛い目に遭ったのか何か知らんがw
877 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 23:10:18 ID:pvVUZDZ3
>>876 「大乗」って言葉は大乗仏教が言い出した言葉ではないでしょうか?
>>875 余裕も何も、俺はラーマクリシュナを評価してるんだが?
瞑想ヨーギとして到達しうる究極のレベルだよ。
仏陀が瞑想法を習ったアーラーラ・カーラマ仙人とか
ウッダカ・ラーマプッタ仙人に肩を並べる存在であるのは
間違いない。
また、ラーマクリシュナの言う全ての教え・真理はひとつで、見方が違うだけというのも正しい。
深さが違うだけだ。
879 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 23:27:18 ID:/fG8RRIP
子供の頃、ふとした出来事ですぐ、
鳥肌が経つ恍惚感にブンブンしびれたがあれは梵我一如か?
なるべく感応性を隠していたら、埋もれてしまった気がするが。
神々しさを持つ子供はけっこういる。
>>879 恍惚感があるだけでは違うだろうな。
尋・伺・喜・楽・一境性という瞑想の要素のうち、
恍惚感をつかさどるのは喜と楽の要素だと考えられる。
そうだね。
子供のほうが心が純粋だから、梵我一如のそれかどうかは
よくわからないけど、そういったことに敏感だろうね。
882 :
神も仏も名無しさん:2008/11/11(火) 23:52:10 ID:qq+rXz8I
それにしても瞑想もしないで、体験も実感もなく、一人前に瞑想
について語るとはね。相変わらず口だけは達者だな。ピエロ君。
883 :
神も仏も名無しさん:2008/11/12(水) 00:07:23 ID:/+pzq7Y0
地橋氏が、人によっては、サマディということを知らなくとも、
花と見ていたらそれと一体化してしまったというような人もいる
といっていたから、そういうこともあるかなと思って。
それは一応サマディらしいです。
サマディにも段階があるからなー。
みんな言ってることは本から仕入れた知識の受け売りだけだな。
そうじゃなかったら開祖になっちゃうだろ。
数学の公理とかと一緒で、自分で発見しちゃうような人もいれば
学んでいる最中の人もいるし、ある程度理解してるから説明くらいは
できる人だっている。
888 :
華厳命:2008/11/12(水) 00:54:23 ID:k9baMg/u
俺は今まで、大乗仏教の理想を執拗なまでに説いてきた
上座部の慈悲なんて生ぬるく甘っちょろいし、仏陀を目指すという根性のある奴もいなかった
すべては徒労だった
だから俺はこれから決定的なことを話そう
といってもそんなにおおげさなもんじゃない
瞑想なんて不要なんだ。このカーリ・ユガにおいて人間は自分は肉体である
という感覚を払拭できないし、思考や諸概念を完全停止状態にすることは不可能だ
いいか、よく憶えておけ
ラーマクリシュナの写真を入手しろ。できればカラーが良い
写真を見つめながら「彼」の名前を心の中でくりかえせ
それで万事オッケーだ。それで十分なんだ
確実に「彼」は助けてくれる。疑うでないぞ
それで確実に解脱できる。俺にはわかっているんだ彼が「神」だということを
そしてできれば「華厳経」とスワミ・トリヤーナンダの伝記を読め
NGワード機能を使うことを決心した。
>>888 これからも臆することなく持論を展開してくれ。
偏狭な教条主義者より君のほうがずっと可能性を秘めている。
がんばれ。
ある日彼(スワミ・トゥリヤーナンダ)は尋ねた。
「師よ、どうすれば我々は完全に欲情を捨てることが出来るのでしょうか」と。
スワミ・ラーマクリシュナの答えは、「私の息子よ、それを捨てる必要などあるものか。他の方向に向けかえるのだよ。」
これはハリ(スワミ・トゥリヤーナンダ)にとって新しいことであった。かれは、ブラマチャーリすなわち独身者は完全に欲情を滅ぼすべきだ、と思っていたのである。
しかしここでかれは、自分では思いつくこともできなかった新しい形の助言を見出した。
人間に一番強力な衝動が違った方向に通路が与えられ、霊的生活の障害となる代わりに助けになりうるのである。
人は欲情を克服しようと空しく努力をする代わりに、その感情の強さを神に向けるべきなのである。
またある時、少年(スワミ・トゥリヤーナンダ)はシュリ・ラーマクリシュナに、自分は女に興味が無い、と言い、また、彼らには我慢ができない、と言った。
これに対して師は答えた。
「お前は阿呆者の言うようなことを言うねえ!女を見下している!なぜだ?彼らは母なる神の表れなのだよ。敬意を持って彼らに頭をさげなさい。それが彼らの誘惑から逃れるたった一つの道なのである」と。
神を求めて スワミ・トゥリヤーナンダの生涯 スワミ・リタジャーナンダ (著)
伝記ってのはこれ↑のことだな。
892 :
神も仏も名無しさん:2008/11/12(水) 13:51:21 ID:sGliFLmO
「一切皆苦」の「苦」は主観的認識じゃないの?
ヴィパッサナーでは観察の対象を主観的に判断しないと教えているが。
正しくは「一切行苦」皆だと涅槃も含まれるから。
それにしても何を戯言を言っているのか?
ヒント・ドゥッカ
日本の神道では、性欲やら権力欲など世俗の欲を否定しないんだよね
まぁ、日本にも禅宗があるけど
国民性もあるよな、日本では小乗仏教は普及しなかっただろう
神道は禊祓いの宗教、常に心身を清浄にすることを志す
仏教的な禁欲による浄化とは違っている
執着するものがあれば、それが肉欲でも、金銭欲でも、
徹底的に追求してみるという方向性、追及しつくした先は、悟りの境地になるのかも
ヘッセの「シッタールダ」でもそういう考え方だ
大乗も小乗でも、どっちでもいい
自分の心に嘘をつかず、観察し続ける、瞑想は役に立つけど、必ずしも必要ではない
お前言ってる事メチャクチャ。。
春日大社の宮司の本でも読め。
いや悪い
胆石ができて、うんこ真っ白
胆のう癌かもしれない・・・いやまいった
うんこが茶色なのは胆のうから胆汁が出るからなんだ
体調悪化で脳までやられたかもしれん
黒い渦渦が腹全体に入り込んだ
あまり長くはないらしい
ID:ftTzfGEL
そう怒るなよ。イライラは自分のためにもまわりの為にもよくないよ。
899 :
神も仏も名無しさん:2008/11/12(水) 20:58:22 ID:Dh6z7QkD
なんか、大前提が抜けてるな。
苦しくないの?
幸せなの?
感覚が悟る鍵だよ。
自分の心が感じる感覚。
解脱がそんなに甘くないって、本当は知ってるはずだよ。
自分の欲に負けて、刺激で苦を紛らわす毎日だろう。
で、そんなことやった翌日必ず自己嫌悪に陥る。
偽善とエゴの罠から抜けるのは、そんなに甘いもんじゃないよ。
自分が受ける苦果が全てを教えてくれるからね。
苦しいし、欲も気晴らし以上に頼りにならないと思ってる。
妻子を事故で亡くして精神的にも苦しい。
仕事も遊びも拠りどころにはならないから虚しい。
やっと時間ができたからいろいろ学ぼうと思ってここで質問をすれば、
>>893のように知識のある人から「戯言いっている」といわれる始末。
しかし頭ごなしに背景を知らない他人を否定するのは、仏教的なことなのか。
知識があるからか、悟っているからそうするのか。
まさか悟っていない俺と同じ凡夫が凡夫に対してそうするわけは無いだろうし。
それは疑問だ。
まあ知識の無い俺が悪いんだろうけどな。
せいぜい本でも読みます。
>>900 ここに常駐している頭でっかちなだけで中身の伴わない勘違い野郎から何を言われても気にすることはありません。
もうひとつのスレに行ってみるといいでしょう。
結構からだ調子が良くない人とか、身の回りでの不幸が重なっている人も多いんだね。
私もそうですが、、精神的に良くなったり悪くなったりするから辛い。
自分、自分を捨てろと言うけど、なかなか難しいですよね。
ラーマクリシュナは神に対する信愛を説いてますけど、それが一番なのかも。
905 :
神も仏も名無しさん:2008/11/12(水) 23:16:42 ID:BFm4/qbn
悟っても癌は治らないんだな・・・
胆癌だったらと思うと気が重い
>>902 ありがとうございます。そうしてみます。
>>903 おたがいに、苦しみの中からなんとか人間性を磨いていけたらいいですね。
なかなかその最中においてはむずかしいですがご多幸を祈ります。
>>905 あなたもご多幸でありますように、、、。
仏教的にはもっと気の利いたことがいえるのかもしれないですが、私も同じ苦しんでいる人間として
いえるのはこのくらいだ、、。
レスよく読まずリロードもしなかったので連投スマン>ALL
癌になった坊さんがいて、よし、それならとことん座りぬいて死のうと決心して、とことん座ってたら治ったとか?
もちろん、お勧めはしません。私は神様ではないので、普通に通院をお勧めします。
>>907 ありがとうございます。
今は辛いところですが、何とかお互い様で頑張っていきたいものです。
910 :
華厳命:2008/11/13(木) 00:20:36 ID:INZW9Fka
俺はいまこのスレを読んでとても悲しくなってしまった
心が空虚になってしまった
事故で妻子を亡くした人
癌かもしれないとおびえている人
この世の幸せなんて儚いものだよ、三日ばかりのものだ
でも、お釈迦様だってクシナガラの沙羅双樹で入滅する前どんなに苦しんで
死んでいったかみんなも知ってるだろ?
俺は内心みなさんに申し訳ないことをしてしまったと思っている
相手の立場も知らないくせに「大いなる理想」を押し付けた
でも、純粋な根本仏教はテーラワーダには無いよ
日本の大乗だって形骸化してるし・・・
もし君たちが原始仏教にこだわりたいなら、それでもいい
むりに大乗を押し付けたりはしないよ
「阿含経入門」友松円諦著、講談社学術文庫を読んでみるといいよ
俺がむかし何度も繰り返し読んだ本でね
これこそほんとの原始仏教だと思うんだ
今は絶版だけど、図書館で借りて読むことは容易だと思う
阿含経にはかけがえのない真実の仏陀のドキュメントが描かれている
911 :
華厳命:2008/11/13(木) 00:26:02 ID:INZW9Fka
俺もいま十二指腸潰瘍で苦しんでいる
知ってのとおり潰瘍ってやつは、みぞおちと背中が焼けるように鈍痛がするんだ
俺はむかし、ほとけさまに「どんな苦しみも災難の来ませんように」て
祈ってた
でも今は「どんな苦しみにも打ち勝つ力を与えてください」と祈ってるよ
912 :
神も仏も名無しさん:2008/11/13(木) 00:42:52 ID:Ly9iE6FA
あんたの潰瘍も良くなるといいな!
で、潰瘍があっても乗り越えられる力があればいいな。
友松円諦の本はいいよね。法句経しか読んだこと無いが、それも読んでみるか。
ずっと見ていて思ったんだけど、
せっかく長老のスレ立っているんだから、長老の書籍について話しようよ。
先月発売された「ブッダの集中力」はどんな感じだった?
俺は「慈悲の瞑想」がどうしてないんだろう?と思った。
あれもサマタ瞑想(サマーディ瞑想)のはずなんだけれど…
DVDブックは…なんか完成された感じがするね。
914 :
神も仏も名無しさん:2008/11/13(木) 15:40:22 ID:8BsrPeoC
素朴な疑問ですが、ヴィパッサナーなど瞑想を行っているここの人たちは
当然、しかるべき比丘から五戒を受けているんですよね?
少なくとウパーサカ、ウパーシカーですよね?
915 :
神も仏も名無しさん:2008/11/13(木) 16:20:20 ID:Rcwi2o25
>>888 >瞑想なんて不要なんだ。
>ラーマクリシュナの写真を入手しろ。できればカラーが良い
写真を見つめながら「彼」の名前を心の中でくりかえせ
それも瞑想。唱題、観想などのバクティ(信仰)瞑想。確かに有効だ
>>914 俺は受けてるけど、他の人はどうなんだろうな。
ゴータミー精舎で行われるイベントの際、五戒を授けるってのをやってたかどうかは記憶に無いが。
>>909 闘病中でも、床に伏せっていても瞑想はできるのでしょうか?
というか、やれるんじゃないか?
きちんとした姿勢だったら「慈悲の瞑想」24時間やりつづけるとか…
けど、病気で体力が弱っているとダメか?長続きしないか…
ところで、釈尊が自分の教えに従えば魔法が使えるなんて言ったの?
どうなんでしょうね?
NHKで日曜の早朝に放送してた道元の特集で、司会者さんが少し喋ってただけでしたから
道元さんも、どれだけ寒くても熱くても、おかまいなしに座ってたら病気知らずだったとか
もちろん、病気治しが目的ではないのですけど
まさに闘病中のヴィパッサナー体験の本がありました。
「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方 カンポン・トーンブンヌム (著)
脊髄損傷で全身麻痺になったタイの人が、ヴィパッサナーを習得していくという内容。
スティーヴン・レヴァインの本もヴィパッサナーと闘病に関する本だったかと。
また、地橋さんの瞑想クイックマニュアルにも
「病気になっても瞑想できるの?」という一節があり、「そんなときこそサティの瞑想は威力があり、
あんがいいい瞑想ができる」「中心対象をさだめずに、きた感覚にサティを入れる」などと書いてありましたよ。
病気はつらく、切ないものではありますね。
自分にも覚えがあります。
どうかよい方向に向かいますように。
でも俺のように精神安定剤と抗鬱剤を飲んでたら
瞑想の効果ないよね?
ヴィパッサナーはありのままの状態をただ観察するだけだから大丈夫じゃないかな。
錯乱状態や酩酊状態ならサティが入れづらいとかになるだろうけど、
安定剤が支障になるとは考えづらい。
最近心配事があるんだが、
細木数子と江原啓之がテレビで幅を利かせているのだが、
その手の占い師だの、霊能者だのの暗示(?)を無効にする方法はありませんか?
細木数子はこれからテレビで復帰するから余計に心配なんだよね。
…芸能人で細木の毒牙にかかった人は数知れず…
占い師とお釈迦様が対峙したという話は経典にありませんでしょうか?
正直心配で本当に怖い。長老!守って!
925 :
神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 21:18:23 ID:uvTrmxvC
観なきゃいい
>>922 全然大丈夫。
ばっちり効果でるのでご心配なく。
>>924 縁起と四諦を、頭で理解するだけでも、そういった迷信からくる不安は
一気になくなりますよ。
単に理解するだけでいいんです。
ありえないものは、あり得ないと自分で判るようになるので。
経典と解説を読むだけでおkです。
腑に落ちるような理解があれば、消えているはずです。
>>924 あんたが幾ら長老を素晴らしいと思っても俺みたいな部外者には
キレやすい外人にしか見えないんだよ。江原や細木への人気へ
違和感を感じるのかもしれんが俺から見れば細木、江原信者と
あんたらは似たり寄ったりなんだよ。
具体的に、例えばどの部分が似ていると見えますか?
930 :
神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 21:38:55 ID:NG5C2r9E
俺は霊感がないから江原は分かんないけど、細木さんの占いは当たるといえば当たるよ。
まあ運気の流れはあるってことかな。姓名判断も当たるね。
でも例えば、みのもんたの朝ズバには占いコーナーがないじゃない。ああいう姿勢は立派だよね。
仏教で言うと占いに左右される心理状態自体が今を生きてない証拠ってことだよね。
>>929 単純なレベルでは証明も追認も不可能な輪廻やカルマや霊的存在を
説く人の話を信用してしまうのが似てるよね。またたまに長老は
境地が高いみたいな話を聞くが江原さんは霊的レベルが高いなんて
話を江原信者の皆さんもしてるんで部外者からすれば窺い知れない
他人の内面の話を何でこの人達は前提と出来るのかと思うよ。
どっちも単なるオッサンにしか見えないし話の内容も深いとも思わない。
んー。
理性から入る人と、感情から入る人と両方いるからねぇ。
縁起思想って、簡単なロジカルシンキングから入るから
たいていの迷信は、さっぱり消えてなくなるはずなんだが
輪廻とか霊とか言われると、わからん。
一人でやってた時は、そんなもんねーわ、無かったわと
思ったけど、スマさんが本気であるみたいに話してて、
あれ?とは思った。
無いといっちゃうと断見といって、それも間違いらしいけど、在ると言っちゃうのも
常見といって極端な見方で、間違い。
経典には中道を行けとある。
一時期はわかったつもりになってたけど、いまは逆にわからなくなってしまった。
934 :
神も仏も名無しさん:2008/11/14(金) 22:24:14 ID:XWUU4DGu
>中心対象をさだめずに、きた感覚にサティを入れる
この「サティを入れる」という表現がなんか・・・・
「念を入れる」からの発想でしょうか?
sm.rtiって「気をつける」くらいの意味なんだが・・・
霊が見えるってのはその人自身がレベルが低く、霊界に捕らわれてる証拠だから、気にしないでいいって話もあるよね。
そこよりレベルが上にいるからこそ見えず、影響も受けない。
それなのに下手にレベルが下だからこそ見える人間の影響を受け自分も引き摺り下ろされたら、本当に影響を受けるようになるんだと。
仏教でも霊は否定してないはず。影響を受けないように自分を向上させればそれで勝てるよ。
キリスト教でいう神はたぶん仏教でいう真理の擬人化なんだろうけど、
スマさんが仏教でいう神は、「高次元の霊的生物」みたいなんだよね。
江原さんがいうのも同じだね。
「霊が見える」というのは、別にレベルが低いわけじゃなくて体質みたいなもんでしょ。
沖縄のノロやユタ、シャーマニズム体質の人っているよ。
俺はまったく見たことないけど。
>>936 そう単なる言葉の定義の問題なんだよな。
定義を統一せずに議論したって無意味なんだ。
俺は霊も視るし死者の声を聴くけど全く霊の実在も死後の何らかの
形での存続も信じてないよ。精々信じてみようかなと思うのが
残留思考が少しの間、残るかもしれないって妄想。オタクの
長老サンの周りに餓鬼が三匹ばかりいるとかいう話は嘘だとは
思わないが念が強すぎて幻影を見てるとは思う。バモイドオキと
同じ意味で彼の中ではいるんだろうなと思う。
霊も死後の存在と、気というか思念が形成したものと、二種類あると聞きましたがどうなんで
しょうね
霊に興味ある人は、その興味心から霊のようなものを自分で形成して見てるとか聞きました
けど
941 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 11:10:29 ID:WxfOmj/B
そういえば、テーラワーダ仏教の国では
日本のような幽霊の話はないと長老が言ってましたね。
また、日本では西洋みたいなポルターガイストの話は少ない気がします。
普通の人には見えない霊か何かは存在するかもしれませんが、
見えない人があれこれ妄想するのは仏教的じゃないんですね。
942 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 11:23:39 ID:WxfOmj/B
昔見たギャグ漫画の話を思いだした。
UFOを見た人物1が、
「馬鹿な!UFOなんてこの世に存在するはずがない!
あれは幻だ。そうだ、俺は幻を見たんだ。」
人物2
「幻が見えたほうがよっぽどヤバイだろ…」
釈迦のように悟ったからと言って、ただちに苦はなくなると思うかい?
釈迦は食あたりで死んだ。その前に、激しい嘔吐と腹痛に苦しんだというのは
容易に想像できる。事実、経典には痛みに耐えていたとあるしね。
つまり、肉体的な苦しみは消えて無くなっていたのではなく、忍耐強い普通の人と同じく
痛みに耐えていたに過ぎないということだよね。一切は無常である。この無常の中に涅槃を
求める今の仏教徒は、涅槃とはなにか?説明できる人はいるかい?
俺はキリスト教徒だが、一般のキリスト教徒のようにあの世なんて
あるなんて思っていないし、聖書にもそんなことは書いていない。あるのは
この世と、静寂。父の徴は、運動と停止である。
テーラーワーダさんとこには何度か顔を出したけど、スマさんは、悟っていないよ。
>>943 昔の曹洞宗の坊さんで赤痢かなんかで寝たきりになってたひとが
治ったらする予定の講義の資料をつくってたそうだ。
看病する人が「病気なんですからそんなことせずとも」といさめたが
「尻のことは尻の方で勝手にやらせるわい」と意に介さなかったとか。
たぶん涅槃とは自分を含め一切が無常であることを体得することだろう。
スマさんが悟ってなくても何の問題もない。
誰かも言ってたが、お勉強はできる学僧なんだから、お勉強について教わればいい。
スマさん自身が、そのお勉強したことを実行にうつせていなくても、教わった我々が実行すればいい。
スマさんは「シンハラ人として」「スリランカ国民として」「“初期”仏教徒として」
「他の宗教に対する仏教徒として」という“として”意識が強すぎる。
ひろさちやや山折哲雄のような、学者タイプで、言うことや理念は立派なものがあるが、それが身についていないとしても、
それは責められるものじゃない。
947 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 13:59:09 ID:WxfOmj/B
>>934 一切(十八界)のあらゆる現象は苦ですから、
心と体が存在するかぎり苦しみはなくなりません。
涅槃は十八界の範囲外ですから、
心で考えたり体で感じることはできませんね。
心で考えられないことを、説明できない。
948 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 14:05:05 ID:WxfOmj/B
もしもこの世がすべて透明になって、
白も黒も明るいも暗いもなく、あらゆる色彩がなくなったら何が見えるか?
地球も透明、太陽系も透明、星々も透明、宇宙の闇も透明、その先も透明なら?
それを絵の具を使って絵にしろと言われても無理。
見えないものを見える絵の具で描いたら嘘になる。
涅槃も、心で考えられないものを心で表現できない。
949 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 14:09:40 ID:WxfOmj/B
宇宙の闇まで透明になった時点で、
でっかい神様の眼球がこっち見てたら恐いな。と妄想。
950 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 14:17:36 ID:LTb++4se
テーラワーダ教の皆さん、スマナサーラ氏、感謝しています。
私も「心とは。」と教えて下さった長老に深く感謝しています。
自分を客観的に観ることが少しづつできるようになり
深い苦しみに陥ることが少なくなりました。
長い輪廻の中で、自分の心を観察をする方法に出会ったからには
決して逃げ出さず、坦々とその道を歩んでいこうと思います。
真理を知ること、慈悲の冥想、ヴィパッサナー冥想を実践すること。
952 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 14:40:29 ID:TSBBkjuJ
>941
>テーラワーダ仏教の国では
>日本のような幽霊の話はない
これは全くの誤りです。
ミャンマーでもタイでもスリランカでも、土着の信仰として
死霊にたいする恐れはありますし、霊媒師もいます。
ただ、ブッダや三宝にはそうした死霊を鎮める力があると信仰されています。
もちろん、仏教寺院はそうした信仰を低級なものと見なし否定しますが
民間信仰のレベルでは大変盛んです。
>>911 私もそうでしたが、エック・ハルト・トーレの本読んで治りました。
もちろん、目覚めた状態を意識し続けています。(悟りではないでしょうが・・・)
954 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 15:59:22 ID:3cw27CTu
スマナサーラ長老は、
お釈迦様には間違いはないけど、
自分の言うことには間違いがあるとキッパリ言っている。
あまり鵜呑みにするなと。
実生活では完璧でないのは当たり前で、
テレビ通販でCDセットを買ったけど、
実際聴いてみたらつまらなくて結局あまり使わなかった話もあった。
いい話。
955 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 16:02:53 ID:3cw27CTu
細木のTV出演は、功罪で言えば功の方が多いと思う。
956 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 16:21:38 ID:3cw27CTu
「細木ファン」も「アンチ細木(ファン)」も
「長老ファン」も「アンチ長老(ファン)」も
「『アンチ』ファン」も「アンチ『アンチ』」も
「『ファン』ファン」も「アンチ『ファン』」も
それ自体では表面的なレッテル張りで、
そのレッテルを貼ることにどういう効果があるかが重要では。
「アンチ『ファン』」が有効とは限らない。
長老さんももう少し断定口調と言行不一致を減らせばいいのに。
間違いがあるのが当たり前、なら般若心経みたいな批判本を出すのもつつしむとか。
心は光の17倍とか、驚いちゃうよ。
958 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 16:34:51 ID:3cw27CTu
速いな
経典にそう書いてあるんだから仕方ないよ
光じゃなくて物質じゃないのか。
>スマナサーラ長老は、
>お釈迦様には間違いはないけど、
>自分の言うことには間違いがあるとキッパリ言っている。
これが一番の妄想だよね。間違いがある人間がなぜお釈迦さんには
間違いがないと断定できるのか。そこに間違いの可能性はないのか。
この手の釈迦マニアの人は日本で余り見ないので一人ぐらいいても
いいけど真に受けてはいけないよね。
神は全知全能とかいう話の仏教版みたいな主張だね。
経典読んでいくと、完成度の高さにびびるのは事実だがな。
経典読んで悦に入ってもただそれだけ。
経典読んだだけで自己満足する人がいることと、経典の価値そのものは別問題だろ。
>>964 ここに屯しているのは経典の受け売りを繰り返して悦に入っているだけの負け組。
968 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 18:02:21 ID:3cw27CTu
>>961 >神は全知全能とかいう話の仏教版
教相判釈の余地のない、啓典宗教、
その中でもバイブルに忠実なプロテスタントと重なる部分がある。
長老ご自身も仏教は原理主義でなきゃだめだと言っているし。
最終的には強力な信仰だろう。
キリスト教の信仰と、仏教(大乗除く)の信仰との一番の違いは
論理的根拠の有無だね。
キリスト教の神や信仰には、なんら根拠はないが、仏教の主張には
論理的根拠がきちんとある。
仏教を信仰という人も、これは信仰ではないという人もいるが
いずれにせよ、論理的根拠にもとづく理解が、確信の基盤を
なしている。
この点で、仏教は他の宗教と一線画す。
西洋の学者は、仏教は宗教ではなく哲学だとさえ言う者もいる。
それもまた的外れではあるんだけど、それ程に違う。
972 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 18:24:12 ID:3cw27CTu
>>970 論理的というのは重要な部分。
キリスト教なみに、一貫した筋を通そうとしている。
というのが正確では。
>仏教の主張には 論理的根拠がきちんとある。
その系が提示する理論的枠組み内で論理的に根拠があるだけで
それが事実かどうかは全く別問題だと思うんですが。
整合性っていう意味ではキリスト教神学も何千年も論理を彫琢してきた
わけでそういう意味で
>キリスト教の神や信仰には、なんら根拠はない
なんて仏教側が言えたことではないと思いますよ。
輪廻や業や聖者の階梯なんて結局、信仰以外の何物でもないと思うんですが。
ニルヴァーナだって結局、信仰じゃないですか。
974 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 19:04:34 ID:3cw27CTu
仏教が論理的というときの論理的というのは、
系うんぬんじゃなくて
論理を既存の数学や論理学に限定せず、
筋を通す感覚に忠実ということでしょう。
既存の論理学の導入も、感覚を頼りにしたほうが自然だし(例『論理学をつくる』戸田山)。
長老もその辺をきちんと分別されているみたい。
975 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 19:11:57 ID:3cw27CTu
ん、ゆるめの系という意味か。
仏教が別に筋を通す感覚に忠実とは思いませんけどね。
戸田山の「絶対無なんて概念は発明」という言葉に習って
「仏教徒は筋を通す感覚に忠実という便利な概念を発明した」とでも
言っておきましょう。
977 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 19:24:52 ID:3cw27CTu
>仏教が別に筋を通す感覚に忠実とは思いませんけどね
仏教がじゃなくて長老が。
「仏教徒は筋を通す感覚に忠実という便利な概念を発明した」?
ん意味がよく分からん。
戸田山さんは「絶対無なんて概念は発明」とおっしゃったのか。
んーまあ新しい概念はみな発明だろう。
ニュートンは万有引力を発明したのか。
そうとも言えるかもしれんな。
普通は発見というだろうけど。
979 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 19:33:06 ID:3cw27CTu
万有引力は発見の方がいいでしょう。
そこらへんは最後は永遠の線引き問題になるので、あまり深入りしたくないけど。
980 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 19:37:22 ID:3cw27CTu
謙虚にモデルの発明でもいいんじゃない。
>>970 キリスト教について、多少なりとも勉強してから書き込もうね、何も知らない坊や。
そういう無知を晒すから突っ込まれるんだよ、テーラワーダ狂信者はwww
ID:xRDTpaea
↑こいつはいつも道化を演じて失笑を買っているが、
上座部仏教を貶めるためにワザとやっているのだろうか?
キリスト教の根拠ってなんだろ まさか聖書とか
>>968 そもそも仏教は原理主義からの脱却を果たしたものじゃないか?
ときおり禅の自由さは仏教の本質を捉えているゆえの自由さという気がする。
「仏を殺せ」とはなかなかテーラワーダじゃいえないだろ。
>>983 イエスの言動をみると、ダンマに沿ってるなぁと感じる。
あの人は学のない民衆を相手に説法(というより全存在で相手)をしたから論理体系は伝えてないが。
何も知らない初心者はイグナチオ・デ・ロヨラでも読んでみるんだね。
キリスト教に対するステレオタイプで稚拙な思い込みは覆されるだろう。
イエスの言動にしても、徹頭徹尾「原理主義からの脱却」を語っているのに、
後世の信奉者が「原理主義」に凝り固まっているのが問題だと思う。
「自明灯」「法明灯」、これはダンマにそうべきということであって、原理主義とは相反する対極の
思想だと思う。
釈迦が亡くなる時も、弟子たちの原理主義への危惧からそう発言したのではないか。
原理主義こそ排他性とカルトへの温床となるわけだし。
福井の永平寺とバチカンの間では毎年交換留学が行なわれている。
テーラワーダと大乗との間で何らかの交流を始めるだけの柔軟さを身につけなければ、
この宗教もスマナサーラ氏の死去とともに衰退していくことは間違いない。
霊操なら読んだけど、よくわからなかった。
見たい幻を見る訓練だったんだろうか。
>>991 「宗教」の「信者」になってしまうと大変だな。
その宗教を守るための活動がメインになってしまうからな、お前のようにw
どうした? イグナチオ・デ・ロヨラで検索したらイエズス会が出てきて、
イエズス会と言えば、ザビエルとか、そのくらいしか思い浮かばんのか、お前のようなスイーツ脳にはw
993 :
神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 21:50:24 ID:1btS6fj8
長老はキリスト教の生活レベルの教えと一般人信者の関係は肯定してるみたいだけど。
でかい問題を起こしてきた愚者は斬り捨ててるけど。
ホームページの根本仏教教義とかよく読んでみな。
「宗教を守る活動」ではなく「ダンマに従う」「瞑想する」が仏陀の教えだと思う。
後者をやらないなら、むしろ前者は有害だと思う。
どうもロヨラを読むと性格が下品になるみたいだな。真剣に読まないでよかった。
まあ「長老が、長老が」と言ってる時点で、その辺の陳腐なキリスト教会の宣教師と信者程度のレベルでしかないけどな。
本を読むだけで感化されてしまう、そして受け売りを始めてしまう、
そのセンスが問題なんだな、こいつらは。
結論
テーラワーダはただの新興宗教。
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。