851 :
神も仏も名無しさん:2008/10/07(火) 00:41:23 ID:Y3divlYz
みんながみんな自給自足だと効率悪いから、役割分担してる。
それが仕事だと考えたらどうでしょうか?
生態系から物質とエネルギーをとりだして活用するという一連の流れを、
野生動物は、みんながみんな自分でやってる。
しかし人間は、食べ物を作る担当、食べ物を加工する担当、運ぶ担当と、
役割分担することで効率を高め、互いに楽をしている。
今の瞬間の私の仕事は、この仕事をできない誰かのために代わりにやってる。
その代わりに、私ができない仕事を誰かがやってくれてる。
ニートは全部やってもらってる
853 :
神も仏も名無しさん:2008/10/07(火) 20:11:03 ID:z+I2dDqr
>>843 > 美は調和なんだからバラバラにしたらなくなるのはあたりまえ
↑794さんの書いたことに対して、女も男の裸を想像しては欲情を燃え立たせ、バラバラのパーツを観相しては性欲を消す努力をするから、女も男もお互い様という意味で書きました
私は好みのタイプの美男を見たら、淫猥に攻めてみたくなります
でもパーツの観相で、男に対する淫心が少し収まって来ました
>>840 素晴らしい授業でしたね。
「利己的な遺伝子」にもそんな
文章あったかな。
釈尊はそこまで見抜いていたと思う。
つまり人間とはDNAの乗り物だと・・・
856 :
神も仏も名無しさん:2008/10/07(火) 23:33:49 ID:Y3divlYz
>>855 心も、人間という現象に便乗してるだけなのかも。
遺伝子も肉体も無常
>>840 虚無主義につながる
>>854 利己的な遺伝子なんてのはおかしな話だ
瞑想してるお前も遺伝子のおかげでできてるのにな
遺伝子の話と瞑想をくっつけるグルは途端にうそくさくなる
859 :
神も仏も名無しさん:2008/10/08(水) 02:22:46 ID:395Fz6DR
853が男前。
>>858 虚無主義っていうより
ただの事実だろ。
スマ長老もわれわれは
自然に子孫を作らせあとは
ゴミ箱に放り込む。
自然に騙されていると
言っている。
↑自然に繁殖させられ
ことさらに遺伝子の立場を強調するのも不自然って気がする。
しょせんそれも人間の解釈にすぎない。
遺伝子は私じゃないし、遺伝子が何を考えているかなど遺伝子にしかわからない。
あくまで俺個人の考えなんだが
生物を操るDNAをさらに操ってるのが
業だと思うんだよね。
学識ある人に聞きたいんだが
ハイゼンベルグの不確定性原理で
因果律が否定されたのなら
仏教も崩壊するの?
ノーベル賞で思い出した。
ドーパミンだの遺伝子だの、ただの部分に重きを置くのは自我がシフトをずらしただけ。
大丈夫。
不確定性定理で因果律は崩壊したことにはならない。
そもそも因果律は運命論ではないし、三法印の示すところは、絶対的なもの
恒常不偏のものなどない、あり得ない、一切はどこまでいっても不完全である
ということでもあるあら、むしろ不完全性定理は仏法の後追い証明ではないかと
さえ思ってる。
868 :
241(前スレ836):2008/10/08(水) 21:10:26 ID:sPPtD9Yh
869 :
241(前スレ836):2008/10/08(水) 21:12:27 ID:sPPtD9Yh
阿羅漢と王の対話
>>867 でもさ「神はサイコロを振らない」といった
アインシュタインと南部さんとかコペンハーゲン学派が
論争してアインシュタインはほぼ否定されているでしょ?
ということは神はサイコロを振る、つまり偶然はあり得る、
ということだよね?
とすると善をなしても悪果が帰ってくることもある
ということで、やっぱ因果律は否定されるんじゃないの?
ああ、でも違うね。
単に人間が測定できないだけであって
因果律の否定にはならないよね。
神のサイコロという因果律をもたらす(生じさせる)のが自我であり、自我を落とす、輪廻から
解脱するということが、神のサイコロを振らない(振れない)状態に戻すのが仏教だと思って
る
つまり本来因果律は無い、ただし自我がつくってしまう
因果律はブッダの見解ではなく
自然法則だと長老の本で読んだよ。
ブッダはそれに気付いただけだって。
>>872 気を悪くしないで欲しいが
因果律の否定は大きな邪見だと
かいてあったよ。
875 :
brown:2008/10/08(水) 22:29:34 ID:aqWRMBij
因果律は恒常。 解脱,輪廻の両辺に常に遍在しているが,
自我は無。 解脱,輪廻の両辺において,常に無い。
因果律がなくなるとか影響されなくなるということはないし,
自我が消滅するとか,生じるとか,影響するようになるということもない。
このことは確定していて,常です。全てが無常というわけではないわけです。
一方,作られたものは全て無常。
逆に言えば,上掲の法則は,誰も作った者などいないわけです。
それは,創作ではなく,現実だからです。
それを「知る」ことを,観察といい,その手法を,ヴィパシュヤナーと
いうのです。
876 :
brown:2008/10/08(水) 22:37:14 ID:aqWRMBij
因果律とは,物事が決定しているということではありません。
如何なる現象も,一瞬間前の全状況と,現在の全状況との相互関係なしには,
生じ得ないということです。
これは,厳密には,如何なる未来に対する推測も,過去に対する推測も
成り立たないことを意味します。
なぜなら,全状況を,同時に把握したり,コントロールしたりすることは
でき得ないからです。
だから,一切の物事は,思いどうりになることは決して無いし,
それ故に,一切は苦だと表現されているわけです。
なぜなら,この世には一瞬の完全性も,原理的にないからです。
877 :
brown:2008/10/08(水) 22:46:55 ID:aqWRMBij
ところで,不確定性原理とは,ある物理量と別の物理量の間には,
関係性があるということです。
例えば,エネルギーと時間には関係性があり,エネルギーの極小区間を
固定すると,時間は極大になる,つまり,ずっとながい時間を通じて,
エネルギーは非常に厳密に一定になる,つまり,エネルギーは保存する,
ということであり,逆に,時間の極小区間をとると,エネルギー遷移は
大きくなる,つまり,瞬間的には偶然的な大きな現象が起こりうる,
つまり,表面的に立ち現れている現象も,それが目立ったものであれば
あるほど,瞬間的なものだ,ということです。
しかし,これらは,飽くまで,物事が,全体との関係性との調整の上に
成り立っているということであり,必要な全体との関係性と切り離して,
どのような現象も起こりえないということです。
これこそ,真に,因果律の表現なのです。
878 :
brown:2008/10/08(水) 23:15:35 ID:aqWRMBij
では,あるがままを知る完全な理解力は何処から来るのでしょう?
実のところ,如何なる努力を要することもなく,既に完全な形でここに
備わっています。
しかし,それを,全瞬間ごとに,惜しみなく破壊し続けるから,
全瞬間に,完全なものなど,原理的になくなってしまっているのです。
その原理とはなんでしょう?
それは,今の限られた状況を,次の瞬間,又その次の瞬間にも,持続
させる(と信じる),固定性,あるいは前の瞬間の状況を現瞬間にも
未だ,十分に説明できると信じている,その信念によるのです。
なぜなら,もし,そのような信念がなければ,元々,完全性が備わっている
のだから,それを破壊し続けなければ,それがそのまま現れてくるはず
だからです。
とにかく,輪廻にいる者は,それを,全瞬間ごとに破壊し「続けている」
のです。
だから,続けることを止めれば,その過失は治まり,元々備わった完全性が
素直に,そこにあることに気づくことしか,起こりえないのです。
だから,「続ける」というその性質こそが,病の現況なのです。
それを,「執着」というのです。
879 :
brown:2008/10/08(水) 23:28:21 ID:aqWRMBij
これをはっきりと知るには,
他人への批判ではなく,自己批判が必要です。
自己の認識がどのように成っているかを,厳密に調べていく必要があります。
他への批判は,物事の真実を覆い隠す性質,つまり無明への執着をより
一層強めるために,何の役にも立ちません。
むしろ,自己への批判が必要です。
なぜなら,それは,物事を持続させる性質,そのものへのアプローチと
なるからです。
視点が外側に向かうとき,認識のプロセスへの眼差しは放置され,その
根本的な問題でない領域に,盛んに問題意識を発達させる原因を生み出し
ます。
それは問題を大きくしているので,何時までも,うろうろと間違った領域を
迷い続けます。
しかし,自己への内省,本当に何が起こっているのかの真摯な観察は,
その根源的な基盤を問い直すため,物事の本質を見つめさせます。
880 :
神も仏も名無しさん:2008/10/08(水) 23:34:19 ID:i6dNS3Ik
こうして、また、カルマを積みました。
882 :
神も仏も名無しさん:2008/10/09(木) 00:35:41 ID:QSRGLQWJ
>>870 不確定性理論は、確率論だから、確率の縛りはある。
サイコロでたとえるなら、サイコロをふってみないと
1から6のどの目がでるかはわからないけど、
6分の1の確率でどれかが出るということは確定してると思います。
サイコロをふったら(因)六つの目のうちのどれかが出る(果)、
という原因と結果の関係は崩れていない。
>>880 いつも思うんだが、覚者でもないお前が、自分の妄想から軽々しく他者のカルマを語るな。
単なるいやらしいいやがらせでしかない。
わかりもしないカルマという言葉を自分の都合のよい武器にするな。
地球上に住むほとんど全ての人が一生のうちに良いことしたり悪いことしたりしている
明日の出来事を予測せよ
>明日の出来事を予測せよ
無意味。今この瞬間しか人は存在出来ない。
過去にも未来にも人は生きられない。
>>560 長老は、確かに言葉はきついです。態度もきついです。
実際に熱海へ合宿行ってきて、「わがまま 話聞いてない 知らない!!」と個人インタビューで言われました。
正直、色々な意味で、大変ショックを受けて帰ってきました。
合宿へ行ったかた、どのような感想を持たれましたでしょうか・・・?
>>886 自分で気付いていない欠点を教えてくれただけで、
「言葉がきつい」というのも変な気が…。
商売だったら、お客様にきつい言葉づかいはしないでしょうけど、
僧侶は商売じゃないし、私達仏教徒は僧侶のお客様ではない。
教えていただく立場であり、サービスを利用している客ではない。
罵倒されて悔しかったんですね。法治国家の規範を守っている以上宗教法人は
治外法権。信者がどんな師を選ぼうが自由です。師の人格なんて信仰心の
持ちようでどうとでも解釈できます。だからこそ宗教なんです。心の進歩は
測定や証明が不可能ですから。どんな単純な怒りでも深い意味があると素朴に
解釈出来ない方以外は信仰に向きません。信じる者はなんとやら。
>>886 もうちょっと具体的に状況を教えてください、
ショックを受けたのだけは伝わるけど
>>886 阿羅漢ではないので、ある程度仕方がないのでは?
891 :
794:2008/10/09(木) 13:49:33 ID:H3IiaDoA
相手の話の途中で言葉をかぶせたりしませんでしたか?
892 :
神も仏も名無しさん:2008/10/09(木) 15:34:09 ID:lKsL9Npc
スッタニパータより
究極の理想に通じた人が、
この平安の境地に達してなすべきことは、
次の通りである。
能力があり、直く、ことばやさしく、柔和で、
思い上がることのない者であらねばならぬ。
以下省略
慈悲の瞑想をしていて、慈悲の瞑想の元となった
慈経を忘れるのは、倒錯かと思います。
肉でも食ってるんだろ
895 :
神も仏も名無しさん:2008/10/09(木) 21:13:20 ID:CrBxB6Nv
教えるときに、相手が傷つくような言い方をするのは、教えるほうが悪いのです。
はっきり言えば、智慧がないのです。
相手が感情を害さないように、丁寧に言うべきなのです。
896 :
神も仏も名無しさん:2008/10/09(木) 21:20:49 ID:CrBxB6Nv
人は人を叱るときにすごく偉そうな顔をします。
自分だって大して頭が良いわけでもないのに、相手の欠点ばかり見て得意そうにします。
自分のことをわかっていないのです。
お釈迦さまは、お経でも命令形ではなく「〜してはいかがですか」という言い方をしているのです。
もし相手が間違ったことをしても、やさしく相手が傷つかないように教えてあげるのがいいのです。
と、長老の本に書いてあった。
俺は賛成だな。この長老の言い分。
俺も合宿に行って早々、やる気が無いって注意されたよ。
やる気満々の積もりだったから出鼻を挫かれた気分。
道路でいじけてたら、長老が歩く瞑想を教えてくれた。
合宿中ずっとそればかりやってたよ。
T橋の所は一日8時間
人生相談インタビューして疲れてトゲのある
言葉で八つ当たり
人生相談を合宿でやるなよ 迷惑だ
日本のスマナサーラさん なら安心だぞ、なにせ同じ日本人やからな。