A・スマナサーラ☆ヴィパッサナー瞑想法Part.7
1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2008/05/15(木) 18:42:07 ID:cHi+eqPU
南無袈茶布無碍光如来
1さん乙
4 :
神も仏も名無しさん:2008/05/15(木) 22:54:16 ID:ac7oCJ7e
諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教
一切の悪を犯さないこと 善に至ること 心を清らかにすること これが諸仏の教えである
生きるために犯さなければならない苦ってのはどうしたらいいんでしょうね
論旨不明
生、老、病、死の生の苦の意味って、どういう解釈なのか、理解出来ないorz
>>7 信頼のおける著者・訳者のリスト
中村元
渡辺照宏
水野弘元
宮元啓一
友松圓諦
増谷文雄
片山一良
>>5 例えばどんな?
あ、レスもらってもそろそろ寝るから
レス返せないかもしれないけれど。
>>12 いや、単純に一切の悪を犯さずに善に至り心清らかに社会生活をすごすってのは不可能な事に思えて。
>>13 >一切の悪を犯さずに・・・
善悪を(自分の意識で)定義してしまうと人生は辛くなるよ。
そうですね、諸仏の教えなどをいきなり生活にはめ込むのは無理があって、
ありのままを観察して気づいていくほうが実りが多いのかもしれないですね。
>>13 不可能でしょうね。例えば不殺生戒など厳密に「命を奪うな」
という事であれば、植物でさえ命である事に変わりないですから
なにも食べられない事になりますからね。
あと「ウソをつかない」など自分個人では守れても
社会で生きている以上なんらかの集団に属しているわけで、
集団を守る為にウソをつかなければならない事もあるでしょう。
自分の出来る範囲でやっていくしかないと思います。
出来る事をやっていくなかで少しずつカルマが改善し
ウソをつかなくてもすむ環境になると信じて。
17 :
神も仏も名無しさん:2008/05/16(金) 01:05:46 ID:vtSmmmZz
お世辞も嘘の一種なんだけど。これ、やらないで他人とのまともな関係を維持するのは、
ほぼ不可能ではないか?w かなり無慈悲な人になっちゃいそうな気がするんだが。w
「あんたの家、ボロボロできったねーなー」とか、本当のことズバリ言っちゃったら普通は
衝撃を受けるだろ?w
混戦刺すナッシンw
マンションじゃなくて、一戸建てをお持ちなんですね。凄いですね。
(ずいぶん)大切に住んでいらっしゃるんですね。
・・・と言えるかどうか。
要は、相手の波長に合わせられるかどうか。
たいていの人間は、育ってきた環境、受けてきた教育に影響されて
ものを言うとは、天風会の何かで読んだが、もう一つ付け加えれば
今の立ち位置に大いに影響を受ける。
問題は、自分じゃ気がつかないことなんだよね。
何言ってるかわからん
愛語〜
22 :
神も仏も名無しさん:2008/05/16(金) 07:20:56 ID:VDtXTyrz
>>7 E 苦の真理の解説
43 修行僧たちよ、苦の聖なる真理とは何か。生も苦である。老も苦であ
る。死も苦である。心配、悲泣、苦しみ、憂い、苦悩も苦である。嫌いな
ものと結ばれるのも苦である。愛するものと結ばれないのも苦である。求
めて得られないのも苦である。要するに五つの固執される集まりは苦であ
る。
44 修行僧たちよ、生とは何か。それぞれの有情の、それぞれの有情の仲
間における生、生起、入胎、転生、(五つの)集まりの出現、(十二)処
の獲得、修行僧たちよ、これが生と言われる。
──略──
54 修行僧たちよ、求めて得られない苦とは何か。修行僧たちよ、生まれ
るものである有情にこのような欲求が生じる、「ああ、私たちは生まれる
ものでなければよいのに、私たちは生まれることがなければよいのに」
と。しかしこの欲求は達せられない。これもまた求めて得られない苦であ
る。
──略──
59 修行僧たちよ、要するに五つの固執される集まりの苦とは何か。すな
わち、色という固執される集まり、受という固執される集まり、想という
固執される集まり、行という固執される集まり、識という固執される集ま
り、修行僧たちよ、これらが要するに五つの固執される集まりの苦と言わ
れる。修行僧たちよ、これが苦の聖なる真理といわれる。〔大念住経〕
>>7 それが苦だとわからないなら、仏教やる必要ないと思う
>>23 それが苦だとわからないなら、それは幸せなことであって
仏教やる必要ないと思う。
いつかわかる時がくるだろう。
今生か来世かはわからぬが。
>>17「あんたの家、ボロボロできったねーなー」まさに主観的見かただろw
お世辞って自分の主観を押し殺して しかも相手に嫌われないようにと言う欲でしかないよね。
>お世辞って自分の主観を押し殺して しかも相手に嫌われないようにと言う欲でしかないよね。
それも妄想。
28 :
神も仏も名無しさん:2008/05/16(金) 12:44:12 ID:kMA45+jU
「邪婬という悪行の果報として、設備のととのうた家にはいる。」─とした
経典もある。──『マハー=カルマ=ヴィバンガ』
立派な家に住んでいる下半身の品行方正な在家は居るか。
ちなみに我輩の家はボロ家だなもし。
29 :
神も仏も名無しさん:2008/05/16(金) 12:45:17 ID:q7RJiW+f
>>7 生まれること自体が苦しみ。
苦しみがあるから生まれてしまう。
苦しみがないなら生まれる必要
(生命が生命として活動する必要)さえない。
あと、自分が生まれることは誰もコントロールできない。
貧乏な家に生まれたくて貧乏な家に生まれるわけでもないのに、
貧乏な家に生まれてしまう。
30 :
神も仏も名無しさん:2008/05/16(金) 12:49:44 ID:q7RJiW+f
>>17 余計なことを言わなければいいのでは?
相手のためになることだけを言う。
家が壊れかけてて危険だから直したほうがいい場合には、
そう言えばいい。
家が不潔すぎて健康のために衛生上よくないなら、
そのことを教えてあげればいい。
31 :
神も仏も名無しさん:2008/05/16(金) 12:51:17 ID:kMA45+jU
>>29 無自覚だからそうなるのであって、自覚して行為すればコントロールも可能に
なる、というのがブッダの教え。
>誰もコントロールできない
は、言い過ぎ。
>>27 なんでも妄想w ま、悟っちゃいないんだから。な
オナニーもヴィパサナからかけ離れた妄想著しい遊びだね
34 :
神も仏も名無しさん:2008/05/16(金) 20:03:23 ID:y47rB+pL
もし勃起していく過程から正確にサティをいれつづけ
射精する事が出来たなら
僕達は解脱さえ超えた新しい世界に行けると思うんだ。
35 :
神も仏も名無しさん:2008/05/16(金) 20:13:18 ID:sCuhkebn
植物って本当に生き物か?
地球という頭に生えてる髪の毛みたいなもんじゃないか?
髪の毛抜いたら殺生か?
俺は違うと思うがなぁ。
36 :
神も仏も名無しさん:2008/05/16(金) 20:19:04 ID:y47rB+pL
どう考えても生き物です
本当にありがとうございました。
そういや野菜に電極つけて音で野菜に感情があることを実験してる人いたっけ
あれ本当なんかね・・・
私も植物に関しては疑問です。
仏教は、植物は不殺生戒にならないとしているのかと思ってた。
六道に植物道ないし。
植物を刈るのは殺生と考えることもできるかもしれないけど、
動物の殺生よりマシ。と捉えればいいのかな、と思ってる。
植物の殺生は、生きるうえで仕方ないから、最小限でならやっていいという感じで。
フルータリアンが理想なのかもしれないけど。
brownさんや、修行の進んだ人の意見を聞いてみたい。
お墓まいりにいくと、墓地の雑草抜き手伝うんだけど、
雑草が可哀想という発想は正しいのか、それとも変なのでしょうか。
可哀想だけれど、俗世のやり方(雑草抜いて当たり前)
に協調することを選んで、雑草手伝うのべきである、
と考えればよいのだろうか。
×雑草手伝うのべきである、
○雑草抜きを手伝うべきである、
所謂成り物とでもいうか、果物や木の実、ナスやトマトなどは
殺生には当たらないでしょうね。
ホウレン草など植物全体を根こそぎ食べてしまうのは厳密に言えば
殺生かもしれません。
そんな下らんこと考えるのも妄想のなせる業。
一応スレタイにスマナサーラとあるので・・
スマさんの見解では出家では厳密に植物も生命と考える人もいるが
在家の立場では ほぼ生命ではないと考えていいそうです
44 :
brown:2008/05/16(金) 22:19:24 ID:c5Y1vPRw
>>38 戒律とは,「自我に責任を持って生きる」ことです。
つまり,因果律やカルマの力の理解に基づいた生き方です。
例えば,自己の行為の報いを受けることを自覚していることであり,
自己の行為の結果に注意深いことであり,
生き物を傷つけるときに,その行為にとても気をつけていることであり,
その生き物の痛みを共感することであり,
放逸でないことであり,散漫でないことであり,
慎み深いことであり,慈しみ深いことです。
それは,暖かく,清らかで,喜び深く,癒され,とても幸せなことです。
だから,植物を食べるときに,暖かい幸福の自覚があれば,
それは戒律を守っているということです。
そうではなく,散漫で,共感がなく,自分勝手で,貪欲であれば,
戒律を守っていないということです。
45 :
brown:2008/05/16(金) 22:26:35 ID:c5Y1vPRw
虫を,いらついて,殺すときに,ほぼ例外なく,
心は散漫で,共感力がなく,自分のことを考えず,罪深く,慈しみの無い,
どうしようもなく,頭の悪い心の状態に人はいます。
人の物を盗むときも同様です。
その故に,確率が高く散漫な行為の例として,一般に十の善悪基準が
示されています。
しかし,持戒の源とは,三昧の平静な対応力にあり,
散漫な心が落ち着いたところにあります。
常に,行為に気をつけていることで,悪は断滅され,カルマの蓄積は終わります。
46 :
brown:2008/05/16(金) 22:41:13 ID:c5Y1vPRw
ちなみに,
動物は生物です。植物も生物です。きのこもです。細菌も。
生命には,@細胞でできている,A遺伝によって承継される,Bエネルギーと
構成物質の代謝がある,C呼吸をするなどの共通的な特色があります。
動物細胞と植物細胞には,細胞壁の有無,葉緑体の有無などの基本的な
違いがありますが,それは,生命である,との本質に差異を生むものでは
ありません。
ただ,植物に,神経細胞はありません。つまり,痛みや心はありません。
だから,仏性もないし,苦しみもありません。
ただ,植物と言っても,呼吸もするし,動くし,子も産みます。確かに
生きています。反応もします。それに対して,人間側で,共感することは
できます。慈しむ心は生まれます。そのような共感のない心は,散漫なの
です。ただ,十戒を破るほどの散漫ではないですね。かなり,微妙な
気遣いだと思います。
47 :
brown:2008/05/16(金) 22:49:26 ID:c5Y1vPRw
仏陀の教え,つまり仏教の,最も深遠な教えとは,
>>4です。
重要な教えの全ては,
>>4に始終し,仏教理論の中で最も理解が難しく,
悟りに遠い者が最も嫌う教えです。
>>4を成就するための,最も直接的で,効果の最大のアプローチとは,
三昧です。シャマタとヴィパシュヤナーを一つにしたサマディーによって,
常に完全な自覚の中に居ることができます。
そのこと自体,及びその自由がもたらす恵沢を,善行為と言います。
君の自我しか見えない
49 :
神も仏も名無しさん:2008/05/16(金) 23:26:18 ID:UDX59cVA
他人の自我が見えたらたいしたもんだ。見えたつもりにならないように。
今するめを噛みながら2chを見ています。生き物を噛んでいます。噛んでいます。旨いです。私は罪深いです。
前スレで「女で悟った人おったら教えて欲しい」って人いたけど、
大法輪閣の「釈尊をめぐる女性たち」に31の物語が綴られてて面白いよ。
尼僧の告白にでてきた阿羅漢もいて、話を立体的に理解できる。
古本でしか手に入らないみたいだけど機会があれば読んでみるといいと思う。
52 :
38:2008/05/17(土) 00:21:45 ID:YGp6Ox/z
どうも有難うございます。
とても勉強になります。
理解が深まってきました。
ブッダって菩提樹での座禅で一夜に悟りを開いたっていったけど、
預流果すっ飛ばして一気に阿羅漢果まで到達したの?
だとしたら天才過ぎる。
>>53 難しいことわからんのだけど、修行の段階を上がっていくとして
一つ上のステージに行ったら、その癖がついて、もう下に落ちない
なんてことはないよね。
最上のステージ到達も一瞬では仕方がないし(人生は長いから、
日常の迷いがつきまとうんじゃ意味がない)、一瞬にして最下層
まで落ちるのも脆くて不安だな。
一度、上がったら(段階を進めたら)その修行癖や効果が習い性
になって、めったなことじゃ下に落ちないってのなら良いのに。
と、素人が自分に都合良く書いてみました。
最近このスレもあっちも増上慢が多すぎる
上座部こそ正当と主張する寺和田原理主義もうざい
まあ現にそうのたまってる俺も偉そうなことは言えんだろう
だが中道わきまえないあいつらよりはマシかなと思ってる
ここスマ長老のスレですよ
スマさんがやってる、ダンマキャストっていうネットラジオ(Podcast)で、
仏教の戒律では菜食は戒めていない、って言ってた。
出家者も托鉢で肉を出されたら、文句いわずに肉でも食うんだろ?
>>53 出家する前の段階で、禅定の二段階目(だっけかな?)までは
すでに修めてたとのことでふ。
あと、出家してから最上の悟りに至るまで7年だから8年かかってるよね。
中村元の入門書で読んだけど。
62 :
神も仏も名無しさん:2008/05/17(土) 01:16:18 ID:kMONG04C
預流果というのは弟子乗の悟りでお釈迦様は仏乗(=大乗)の方だから
預流果は経過しないと思ふ。
前世である程度修行してたとか
アーナンダーは30年預流果で、ある夜一晩で阿羅漢になったと読んだ事があるよ
65 :
神も仏も名無しさん:2008/05/17(土) 01:21:45 ID:kMONG04C
ちなみにアーナンダは弟子乗ね。
>>60 ども。禅定の二段階目ってのがよく分からないけど、
出家前から見性は得てたと考えていいのかな。
>>62 仏教にも宗派が分かれたのは残念ね。
直系の教えを賜りたいものだ。
とりあえず実践心理学でも読んで勉強しまつ。
67 :
神も仏も名無しさん:2008/05/17(土) 01:35:04 ID:kMONG04C
よくお分かりでないようだがテーラワーダには大乗も小乗もあります。
いわゆる日本などの大乗仏教には小乗はありません。
つまりこの場合、大は小を兼ねていないのです。
大乗も小乗もブッダの教えです。
ちなみに大乗と言うのは大乗仏教のことではありません。
ぐだぐだな悩みなんですが、相談。
自分の持ち物を少なくしたい欲求があります。
すっきりしていいだろうなあと。
身の回りのものは概ね、迷い無く、簡素に・最小限にすることができて
気持ちよいのですが、思い出系の物やデータがそうはいきません。
それでも、思い出系のモノは小さな箱ひとつになり、
PCデータも結構少なく減らせました。
でも、ここからさらに、減らしてスッキリしたいなぁと思うのです。
思うけど、いやこれ以上は、これを捨てるのは・・・迷う・・・となり、
執着をなくす行為のはずが、逆に、(しばらくの時間)、
「捨てる・捨てない」に拘ってしまい、囚われてしまいます。
たぶん年に数回位の頻度で、この問題が繰り返し浮上しています。
迷うなら置いとこう、と考えるほうが潔くてよいとは思うのですが・・・
でも、捨てられたらいいな・・・と諦めが悪いです。
このめんどくさい感情どうしたもんでしょうか。
>>67 すみません、大乗とか小乗とかイミフです。
でも悟りへ至る方針が違うのでしょうか。
眠いので寝ます。
70 :
神も仏も名無しさん:2008/05/17(土) 01:48:06 ID:kMONG04C
迷いがある時には「迷いがある」と知る。
決断力を高めるには「入出息念」
>>68 諦めて、物は自分の生活の中を流れていくままにしていくしか無いと思います。物の無い生活なんてのも妄想かもしれないです。
72 :
神も仏も名無しさん:2008/05/17(土) 08:17:25 ID:c9GyCGCk
73 :
62:2008/05/17(土) 08:52:14 ID:kMONG04C
嘘だと思うなら上座部僧に聞いてみなさい。
>>68 自分の生活に迷いがなければ、めんどうくさい感情も
消えるのでは?
TVで見たけど、定年の迎えた夫婦が庭付き一戸建てを
引き払ってマンションに移った。
旦那は銀行員だったので金の蓄えはある。
ただ、子供が育って夫婦2人になってみると、老後のことが
頭をもたげてくるようだ。
で、奥さんのほうが、「旦那に先立たれたとしたときに、
自分独りでこの家をどうすることもできない。」と凄く恐怖心
が強くなったらしい。イザとなったら溜まりに溜まった家財道具は
どうするの? 庭の手入れは私一人では手に負えない。
家の処分は、自分で売買をするの?・・・とにかく、不安妄想の
嵐が一気に襲っていたみたい。
先読みをしすぎて、将来のあれやこれやを一度に吸い込んで
しまったためにパニくったわけだけど、夫婦が元気なうちに家は
処分して問題解決することに決めたんだね。
モノを持てば、持ったことによるアレやコレやが出てくるのは
当たり前なんだけど、他人よりもっとアレが欲しい、コレがうちには
ないから買わなきゃ・・・このスタンスでいると、「持っている」恐怖が
いずれ出てくることもあるんだろうね。
75 :
68:2008/05/17(土) 10:36:32 ID:YGp6Ox/z
レス有難うございます。
思い出のモノというのは、手紙とか写真とかです(PCデータも含め)。
卒業アルバムは、小さな箱とは別にありますが、
卒アルさえ、処分したい対象になることもあります。
思い出系以外のモノは気持ちよく処分・整理できてうまくいってます。
使うから、置いておいている。
昔の出家者とかの、何にももたない事に、憧れがあります。
全く真似するのは無理だけど、必要な生活用品は置いとくとして、
あってもなくてもいいもの(思い出系モノ)をゼロにできたらいいなーと思います。
昨日は、メールを整理していて、不要なのをサクサク捨てて気持ちよかったんですが、
今は付き合いはなく、今後もないけれど、特別な(特別だった)人から
もらったメールが残してあるのを、捨てれませんでした。
それが、ヘタレだなぁと思います。
>>70 入出息念とはどういうことですか?
初心者な質問だが、サティを入れるタイミングって、
行為⇒サティなのか、サティ⇒行為なのか、どっちなのか、
いまいちよく分からんので、エロい人教えてくだしあ
77 :
神も仏も名無しさん:2008/05/17(土) 13:00:52 ID:c9GyCGCk
>>75 迷うってことは、実は自分にとってどっちでもいいことなのでは?
捨てても捨てなくても、別に困らない。
サイコロかなんかで捨てるかどうか決めてもいいくらい。
>>73 そういう、上からものを言う姿勢やめない?
79 :
ななし:2008/05/17(土) 13:18:46 ID:Ay1D82v0
射精の瞬間にサティを入れるのが大切。
ヴィパサナって禅の「只〜する」とはどう違うの?
>>76 行為⇒サティ
が正しいのではないでしょうか。
自分の認知システムを確認・監視することでしょうから。
心を見ようとすると自然と自分の内へ内へと入るようになって世界が暗くなる。
こういうのは坐禅ではダメなんだろうね。ヴィパサナでもだめか。よくわからん。
>>76 ダンマキャストで同じ質問に長老が答えていますよ。
言葉が、行為より先はいけないらしい。
そして行為の後に言葉がくるほうがまだ良いらしいです。
大変参考になるのでダンマのブログを見てみることをおすすめします。
早い歩く瞑想だと
サティが失われた時に言葉が先だと「かけ声」になるってどこかに書いていましたよ。
右、左、右、・・・って 意味なさないね。
85 :
神も仏も名無しさん:2008/05/17(土) 16:44:12 ID:gzkHTi+R
みんな一日どのくらいの時間やってる?
歩く瞑想を実践し続けていくと
初めのうちは、右左右左と言葉が先走ってしまうけど
徐々に足の裏の感覚が鋭くなり、すごく小さな小石や
わずかな段差などが観えてきて確かなラベルを貼ることが可能になって
来ると思います。
裸足で歩くと足の裏が、神経のかたまりみたいな感じがします。
執着・・・ 盲語・・・
∧_∧ ∧_∧
( ´∀`) (´∀` )
( つ つ ⊂⊂ )
「お前が好きだ!」「あなたが好き!」
そのAAインパクトありすぎ。
これほどシンプルで心からほのぼのしたのは久しぶりだ。
89 :
神も仏も名無しさん:2008/05/17(土) 21:49:13 ID:gzkHTi+R
「心理学者は患者を治したことがありません。私はずいぶん治しましたが(笑)」
ってセリフがあったと思うが、何の本だっけ。
長老は、世界中の心理学者をすべてあたって治した事例がないことを確認してから発言したのかな。
そうじゃない場合、戒を犯したことにならない?
90 :
神も仏も名無しさん:2008/05/17(土) 21:50:19 ID:gzkHTi+R
もちろん心理学者がすべて臨床にあたっているわけじゃないが、
それならそれで意味のない発言って感じだろう。
91 :
神も仏も名無しさん:2008/05/18(日) 00:49:19 ID:6sF+KzU+
ていうか、心理学者は医者ではないから医療行為である治療はしてはいけないのではないか?
医師免許も持っていて精神科の医者として勤めているというのであれば別だが。
92 :
brown:2008/05/18(日) 00:50:28 ID:jIxrLJVL
>>82 おめでとう。
心を見ることができるようになったんですね。
それを法印といい,確実に正覚に至ることが決定付けられた,
と言う意味の現れです。
客観的に観る方向で
>>91 それならそれで意味のない発言ってことだろう。
、、、、で、心理学者は患者を治したことが実例はないの?長老はそれをしらみつぶしにしらべたのかな?
人間皆病気
>>95 一種の例えとして考えたほうがいいのかも
別の長老の話だけど世の中に大変な仕事はない、すべて簡単ですって言ってたけど
そのときは悟るのは大変なんだよという話の比較として出てたので大雑把な例えかなと
冷静に考えてみて超一流になるのでなければできないことはないかもしれないけど
仕事はすべて簡単、片手間でできますとは思えないので
>>92 brownさん「心を見る」をもう少し詳しく教えてください。
いつもクレクレですみません。
99 :
brown:2008/05/19(月) 00:19:03 ID:p65dTLvD
>>98 他ならぬ自分自身の心を,恐れることなく,欺瞞なく,見尽くすことです。
正覚を成じるための唯一の鍵です。
心は,輪廻で汚れているので,正しく見ると,必ず苦しみが強まります。
つまり,苦という真実です。
輪廻には,一切希望がないので,進めば進むほど,完全な苦しみだけに
専中するようになります。
しかし,むしろそれは正しく修行が進んできたとして,喜ぶべきことで,
そのため,これを法印というのです。
それを確認すると,修行者は,大きな喜びに満たされ,ますます修行に
励みます。そのため,ますます本質的な苦しみは強まっていきます。
それは,肉体や五感,日常生活や社会から離れたものではなく,それその
もののありのままの姿,自分自身のそれへの反応のそのままの姿である
ので,幻覚ということはできません。妄想でも病気でも狂気でもないのです。
唯一の真実です。
この,肉体,五感,日常生活,社会から離れない,徹底的なありのままの
観察,これを「心を見る」というのです。
100 :
brown:2008/05/19(月) 00:27:29 ID:p65dTLvD
人は,社会的な価値観,人の批評を気にした鎧,宗教的な価値観,戒律の
執われ,小さい頃からの親や教師,友人からの教え,自分自身の成功体験
からくる短絡的な結びつけ,その他の様々なべき論によって,自分自身を
ごまかしているだけです。
それを全て拒絶し,自分自身を見るということです。
甘美な理想論を,自分自身への投影として妄想を続けることで,自分自身の
世界を続けていこうとします。しかし,本当の心はそんなところにはない
のです。心には,決定的に欠陥があり,汚く,どす黒く,不潔です。
とても見られるものではないわけです。それでも,自分自身の現実である
ので,恐れることなく見る必要があります。
101 :
brown:2008/05/19(月) 00:37:22 ID:p65dTLvD
例えば,戒律。「殺してはならない」
肉食はよいのか?野菜はよいのか?と考えている間は程遠いわけです。
それは単なる観念に過ぎません。単に概念の遊びなのです。
「心を見る」ということは,自分自身が殺してはならないということを
本当に生きられるか?ということを意味しています。
徹底的に自己を分析していくと,どこまでも「私にはできない」という
答えが返ってくるでしょう。
生命とは,他の生命を犠牲にして食することによって生きることを宿命
づけられた存在です。それなのに「殺すなかれ」とはどういうことでしょう?
それが戒律の本当の意味です。なかなか「心を見る」ことはできないので,
親切にも,真に実現できないが,真に心が求めることを例示してくれている
わけです。それをよく探求していくと,一定の方向付けができるわけです。
102 :
brown:2008/05/19(月) 00:49:36 ID:p65dTLvD
「べき論」ではなく,自分自身の心には,徹底的な現実感があります。
それは概念的,抽象的,一般的,べき論ではなく,徹底的に具体的,個別的,
不可避的,現実的,事実的です。
私の肉体に針が刺さると,痛いのは,他ならぬ私であり,他人が痛いという
ことはあり得ません。食欲も,排泄欲も,性欲も,自分自身の心に生じて
きます。誰も絶対に代われません。このように,私というものが現実にあり,
かけがえがないのです。自分自身の行為と心に責任を持つことで,本当に
心を見ることができます。
その究極的なものは,死の観察です。死を誰も代わってくれることはでき
ません。どのような黄金の山も,数万人の親友も,数千年後のものすごい
科学技術力も,何の助けにもなりません。ただ一人,孤独に死ぬために,
人は生きているわけです。それに対して,人は全く無力です。
死がどのように起こるのか,何時起こるのか,それについて全く無知です。
この苦,孤独,無力,無知なること,これをこの世の真実相というのです。
それを,三昧の鋭い洞察力で徹底的に観察し尽くすことによって,正覚が
成じられるわけです。
そんな面倒くさいことを考えていないで、
うまいもん食おうよと言うのが悟り。
104 :
brown:2008/05/19(月) 01:32:12 ID:p65dTLvD
>>103というのは,不謹慎で,怠っており,ダルマに沿わず,愚鈍で,
ふざけているように見えます。
しかし,それでよいんですね。確かに,それが悟りです。
「ただうまいもん食おうよ」と。本人がそれで満足というか,
それでよければよいわけです。何も問題ありません。悟りです。
もっと言えば,満足でなくてもよいわけです。不満だなあということで,
生きていけばよいわけです。それを問題視しなければよい。悟りを求め
なければよいわけです。それが悟りです。
もっと言えば,問題視してよいわけです。問題があるということで,生きて
いけばよいわけです。悟りを求めてもよいわけです。うまいもんを食べている
だけでは駄目で,色々と精神の道を探求してもいいわけです。それも悟り
です。
要するに,究極的にはどうでもよいということです。全て悟りなのです。
しかし,現実に,それで済まない人がいるわけです。「うまいもん食って」
れば満足というわけにはいかない人がいるわけです。その人は,自己と
この世の本質的・現実的欠陥を,意識的・無意識的に見抜いてしまうのです。
その人には,完全な満足,完全な認識を求めて止まない心が生じてしまい
ます。それは彼を常に悩まし,常に苦しめます。それを解決する方法が,
ここにあるのです。
105 :
brown:2008/05/19(月) 01:53:17 ID:p65dTLvD
その差は何処に生まれるのでしょうか?
これはここだけの話ですが,波羅密の蓄積によるのです。
仏道とは,菩提心を起こしてから三阿僧祇大劫の修行をしなければ成就
しない道であり,一阿僧祇大劫の修行を積んできた者は預流向に,
二阿僧祇大劫の波羅密の蓄積がある者は阿羅漢果に,
三阿僧祇大劫の智慧の集積がある者は法雲地にたどり着きます。
つまり,前生までの修行で,どこまでの波羅密が蓄積されているかに
よって,今生でたどり着き得るゴール,つまり,人がどのような「悟り」
を求めるかが決まってしまうわけです。
106 :
brown:2008/05/19(月) 02:13:34 ID:p65dTLvD
その波羅密を詮索することはできません。
ただ,徹底的極限まで最大に精進することによってのみ,確かめることが
でき,又さらなる波羅密の蓄積を進展させることができます。
もし,これまで積み重ねてきた蓄積のレベルまで到達しなければ,その時点に
引き戻されて,そこから次の連続体が続いていくことになってしまいます。
今生で,最大限の精進をして,少しでも先へと蓄積が進めば,その蓄積が,
やがては法雲地へと聖者を至らせます。そうでなければ,どのような蓄積も
無に帰し,結局は,三悪趣へと導かれていく存在に退転してしまいます。
それ故に,仏陀は,「怠ることなく努め励めよ」と厳しく,とても厳しく
常に説いたのです。
>>99-102 シャマタによって生じた智恵をもって自己を観察する。そんな感覚でしょうか?
自己を一つ一つ観察し、正しくありのままビパサナ出来た後は、以前より深くシャマタ出来る気がします。
108 :
brown:2008/05/19(月) 02:34:50 ID:p65dTLvD
>>107 そのとおりです。
シャマタによりヴィパシュヤナーが強まり,ヴィパシュヤナーにより
シャマタが強まります。
このように,互いに相伴って,正覚に至るので,相互依存性と呼ばれます。
>>108 前世での修行云々は私には分かりません。が、兎に角精進します。
今回もご丁寧にレスして下さってありがとうございますm(_ _)m
人間も意識も思考も自然現象。
大自然・大宇宙の営みの一つとして現れた現象。
自分というもの、それもその一つ。
神秘的なことはおいといて
生きてる間は生きるために生きればいい。
痴呆か幼児のように何も考えず、只、今この時を生きればよい。
>>110 それだと渇愛に身をゆだねるような生き方になってしまわない?
渇愛もまた大切
ただし、酒は飲んでも飲まれるなの如し。
それって何教なの?
邪教。
>>ブラウンさん。「全てが無に帰して初めからやり直し」
とはスマ長老も言ってはいませんよ。
たとえばハタヨーガを使って体を修練したなら
やり直しでしょうが、心の修行は連続するのではないでしょうか?
>>brownさん
ってすごいね、頭いいとはいわないんだろうけど。
すごい理詰めで語られてるので勉強になる。
ずいぶん修行すすんでそうですよね。
精神的な修行遍歴とか教えてください。
ヨーガとかタオとか仙道とか西洋哲学とかは経てきたのでしょうか、きになります。
何教なんだろうねw
瞑想してるうちに、なんかスッキリしたんだよ。
あるとき「ああ、そうか」って。
言葉で説明すると
>>110,112にしかならなくて、言われてみれば仏教じゃないかもなw
これが悟りかどうかなんてわからないけど、とりあえずの目的は達した感がある。
悟りを極めようと頑張るのも、なんか違う気がするしな〜
だから邪教は迷惑だから消えろ。
罪重いぞ。マジで。
>>116 瞑想ってヴィパサナ?
禅的な印象受けるけど、対象を観察する自分がいるっていう二元性で
心身一如の境地に至るのかと疑問。
心身一如ちゅうかサマディにはなるそうだぞ>呼吸による癒し
頑張ったら悟りには辿り着けないんでしょ。
新興宗教か?仏陀の教えには程遠いな。
つとめ励むのは不死の境地である byブッダ(真理のことば)
阿羅漢となった人も努力している
精進はしないといかんね
ティク・ナット・ハンのPresent Moment,Wonderful Momentを
アマゾンで買った。いい内容。瞑想にかなり使えます。
おすすめ
内容くわしくプリーズ
>>119 そか。第9の考察までは読んだ。
一過性のサマーディより絶対の真理に興味があるんだよな。
といっても呼吸と一つになるまではサマタできてないんだけどw
〜しつつ息をする、ってのが「ながら」っぽくて難しい。
>>122 英語読めねー。読むコツ教えて。
「邪教」が「勝義の教え」になったりするから言葉って軽いよね
>>123 現代の生活に合わせたガーター(偈)が53個書かれてあって、
瞑想するときにサティを与えてくれるいい本だよ。
瞑想がどんどんうまくなること間違いなしですよ。
>>124 いえいえ、日本語の本ですよ。Present Moment,Wonderful Moment
はサンガが出版していて、高いですが英語のガーターも一緒に
書かれてあって、本のパッケージもかわいらしくて高級な感じに
仕上ってます。この本を使って瞑想していくと、自分でもガーター
を作れるようになるそうです。ありがたい本ですよ。
日本の本ですので、アマゾンで検索してください。
ティク・ナット・ハンの名前で検索すると出てくる
と思います。
> この本を使って瞑想していくと、自分でもガーター
> を作れるようになるそうです。
>>126 瞑想して悟りに近づくとかじゃなくて、ガーターが創れるなんてちょっと怖い(w
それって謳い文句ですか?それとも本に書いてあった事ですか?
>>127 本の最初のところに書いてあります。瞑想してガーターを読んで
気づいていくうちにできるのだろうと思います。
129 :
brown:2008/05/20(火) 00:18:25 ID:/utmoznn
>>115 大乗の教えをまとめた詩頌の吟唱,
坐を組むことなく,日常生活のまま自己の心を考察する。
これだけですね。
教えは,ゾクチェンの修習次第に従っているわけです。
凡夫の頃,哲学ではなくて,修行法が欲しくてそれを買ってきて,
読むけど,すごく常識的なんですね。なんかすごい「秘訣!」みたいな,
神秘的な瞑想体験みたいなことは何もないわけです。
だから反ってあまりぴんとこなかった。すごく現実的なんですよ。
現実的に起きてくるべき段階が,順を追って書かれてる。
もう十年も前になりますね。
完全な決意の下,観察行に取り組んで,何もかも分かってしまったんですよ。
リクパの境地と呼ばれる,止滅の平和と輪廻の動きへの双入。自然解脱ですね。
その頃はよく読んでなかったけど,教義では,そこに留まり続けるように
修行していくべきものなんですね。
でも,私はそのままにしておいた。放っておいたんで,2ヶ月くらいですね。
完全な形は。それでも三昧は途切れたり,続いたりしながら,今までずっと
勝手に生じていますね。だから,形のある修行は何もしていないわけです。
ただ,大乗も上座部も,それからはかなり勉強しましたね。教義というのは,
非常に形式化されていて,現実的な意味が死んでるんですね。そこを一つ
一つ,現実の体験と対比しながら,読み解いているので,理詰めで説明できる
んですよ。
>>126 ども。タイトル的に洋書かと思ったwよさ気ですね。
>>122 アマゾンでチラ見してきた。
一日の中でたいていの人間が行っている行為をインデックスに
しているから、その一つ一つにサティを入れるというか、丁寧に
一つ一つの行為を扱うことで、その日一日に徹するようし向けた
本なのかな。・・・と、買わずに心で通読w
>>124 英語は高校1年レベルだから斜め読みできると思うよ。
けど、斜体で書かれたりする瞑想用語・仏教用語は、日本語の
瞑想本・仏教本を読んでないとわからないね。
ダーマカヤなんて書いてあっても、そもそもそれらしい本を一切
読んでいないから、辞書引いたって分からないしw
まずは日本語の瞑想本とか読んで、avalokiteshが何なのか
メモ帳に用語を書き留めねば・・・
>>131 俺高校時代はセンターで190点くらい取れるくらいだったけど、
入試落ちて引きこもってからは本当に構文とかきれいさっぱり忘れたw
長老も日本語流暢に話してるし、さすが仕事は簡単言うだけの事はある。
133 :
神も仏も名無しさん:2008/05/20(火) 01:06:57 ID:x85odLMD
>>129 ゾクチェンですか。高度な事やってますな。
ところで上座でよいテキストありますか?
今日は休日で4時に起きてしまい
1時間瞑想しました。
これからまた1時間やります。
全部で5時間くらいやろうかな。
今生ではさとれないけど、精一杯今
修行しようと思っています。
それが人に物を聞く態度かい?
瞑想を何時間やるとか以前の問題ですな。
どこが悪いんだ?とか聞かれたてもめんどくさいので問題点だけ
>高度な事やってますな。
>ところで
あとは自分で考えてね。
めんどくさいならでてくるなw
>>135 ついでにいっておくと君はかなり神経過敏だね。
もう絡まないで欲しいな。頼むよ。
なんだか、理屈に溺れて瞑想が進んでいない人が多そうだね。
知識は往々にして人を増上慢にするけれど、幸せにはしない
ものだからね。自分も気をつけねば・・・。
>>129 >大乗の教えをまとめた詩頌
詩頌の読み方は「しじゅ」ですかね?
偈のことですか?
私も、「大乗の教えをまとめた詩頌」を、読んでみたいのですが、
何を見ればいいでしょうか。書店で大乗仏教の棚においてある、
大乗の仏典でいいですか(仏典はよく知らないのですが)?
そうではなくて、ゾクチェンというものの
本をあたればよいのでしょうか。
>>122 紹介有難う。ぜひチェックしてみます。
ここでたまにでてくる参考図書はありがたい。
スマさん以外も、読んでみたいから。
ガーター(偈)って何?
ガーターをwikiで調べたら超煩悩でびっくりした
ラマナ・マハリシの「私はだれか?」と言う自問で
真我を見たという人は解脱したってことなの?
まあ自分の正体を見た、と言う意味だろう。
20世紀の覚者に数えられる人だろう?
>>148 本の一冊でも読んでから語ろうぜ。
そもそもスレ違いだし。
『寂静と明晰』(ダルマワークス)
ブラウンのネタ本っぽい
ゾクチェンの代表的な本は中沢新一センセの「虹の階梯」なんだが
一言で言えば中国の「本覚思想」のこと
ニンマ派は偽書 偽マントラ満載のチベット仏教では一番胡散臭い派閥
左道密教の本なんか読むならこれを読めって
「一休和尚大全 上下」河出書房新社
このスレ覗くべからず
こないだティク・ナット・ハン氏の微笑みを生きるを読んだよ。
食事の前にお米を作った人々、食卓に並ぶまでに手をわずらわした人々の苦労を考察する
とか、辛いときには自分の手のひらをじっと見てみなさい そこに母(受け継いだ性質や姿のことね)がいるから。
なんて瞑想が紹介されてますた。
これは瞑想と呼ぶのかな?とはてなマーク乱舞のまま読んだけども、無数の生き物の関係性の中で自分が生きているって考えは
カットしたらあかんのだな・・・。妄想はカットしても。
156 :
150:2008/05/20(火) 21:08:31 ID:D0srfsQL
訂正、『静寂と明晰』でした
仏教学者にでもなりたいのだろう
あー、外部からの入力にいちいち快不快の判断してるわ・・・
疲れる・・・
159 :
brown:2008/05/20(火) 23:57:04 ID:/utmoznn
>>134 ここで教えていただいたものですが,「
アルボムッレ・スマナサーラ,藤本晃. (2006). ブッダの実践心理学,
(アビダンマ講義シリーズ 第二巻 心の分析). サンガ.
」と第三巻 心所の分析
ですね。
アビダルマがとても分かりやすく解説されています。
あと,「
マハーシ長老 (ウ・ウィジャナンダー大僧正訳). (1995). ミャンマーの瞑想
ウィパッサナー観法. 国際語学社.
」
阿羅漢果までの道が具体的に書かれています。
>>155 事象をただ機械的に事象とだけ捉えるとドライに
なりがちですからね、そういう気持ち大事だと思います。
161 :
brown:2008/05/21(水) 00:28:12 ID:CsxppR9k
>>139「
仏陀曰く,大乗の教えをまとめた詩頌の吟唱は,
八万四千の法門を悟ることに等しい。
この教えの意味をよく反復していくと,
百千万の経典も要訣は皆同じであることに気づく。
それゆえ行者は,修行に専念することにより,
奥深く広大な智慧の蔵を,労することなく手に入れ,
速やかに解脱へと導かれていく」
ラマ・ミパム (タルタン・トゥルク解説, 林久義訳). (1992).
静寂と明晰―チベット仏教ゾクチェン修習次第―. ダルマ ワークス.
暗唱なので正確かどうか分からないけど,まずは幾千万回もこれらのしじゅを
吟唱してください。死ぬまでにまず最初に必ずやっておくべきことと言えよう。
>>150 熟読した?
162 :
brown:2008/05/21(水) 00:28:43 ID:CsxppR9k
たぶんこの本(詩)を読んでも,それだけではたいして洞察は得られない。
しかし,禅定体験が深まってくると,この簡潔な表現の中に,道に沿っての,
重要なエッセンスが詰め込まれていることが分かってくる。
あと,大乗の仏典であれば,華厳経を熟読すべきです。
あと,大乗の教えの体系的な理解は,「
ゲシェー・ソナム・ギャルチェン・ゴンタ, クンチョック・シタル,
齋藤保高. (2002). チベットの般若心経. 春秋社.」
中々読み解くのは難しいと思うけど,教理と修道論が一通り,体系的に
書かれているので,熟知しておくべきだ。
上掲のいずれも,文字通り理解すべきとは言い切れない部分も皆無ではないが,
それは自分で判断して,まずは熟読してみるべきと言えよう。
スレ違い
brownさんってヨルカには達してそうだけど、その後も修行の方法を本に頼ってるの?
見性後も日々瞑想って言うけど、見性後も瞑想の方法探す迷いが続くの?
悟りたい、悟った者になりたい。
ヨルカになりたい、アラカンになりたい。
苦から逃れたい、楽になりたい。
これって渇愛ですよね。
それで悟れるのですかね。
お釈迦さんだってそうだったんじゃないの
167 :
brown:2008/05/21(水) 01:19:36 ID:CsxppR9k
>>165 そのような渇愛がなければ悟ることはできません。
渇愛によって悟るのではないのです。
悟りへの渇愛による行為(戒)によって悟るのです。
やばいよ それは 生まれ変わってしまう。
タンハー(渇愛)×タンハー(渇愛)
ごめん言いたかっただけ
>>167 まずはスレタイを幾千万回吟唱して下さい
171 :
神も仏も名無しさん:2008/05/21(水) 01:58:03 ID:gFue7J5C
>>165 〜したい=渇愛
ではないよ。
渇愛とはどのような心の有り様か、観察したらわかるよ。
>>149 おまえラマナしらないのか?
逝ってよし。
173 :
139:2008/05/21(水) 10:07:34 ID:1NMggTuj
ラマナは高度の三昧状態になったんじゃないかなあ
ここはあべこべ思考だらけ
>>139 死ぬまで幾千万回も読めって言ってるんだよ
普通じゃないだろ
「私は本書の和訳によって、チベット仏教の全てをニンマ派と同様の
ものと誤解されないことを切に期待する 否むしろそれ以上に本書
によってニンマ派の非仏教性を理解し 本来の仏教の在り方を考えて
頂くための一助にして下さることを念願する」
「チベット死者の書」和訳の書評 ゲルク派僧侶ツルティム・ケサン
前記の中沢氏の講義の中でも真宗との共通点が指摘されていましたが
真宗系のカルト団体の人間がチベット仏教に言及するとき
よくこの「ゾクチェン」が出てきます
まあ・・中沢氏の講義を読んでもわかりますが経典を火で炙って字を浮かび上がらせたり
地中から掘り起こしたり忙しいです
↓
「中沢新一氏とNHKが持ち上げるチベット死者の書はエセ仏典」
「この書は学会では紛れもない偽書として知られる 剽窃 偽作したものを
あらかじめ地中に埋め、古代に秘匿された宝物であると称して人前で
取り出してみせる「埋蔵書」の一つであり、チベット人自身が仏典と
考えていない」 山口瑞鳳博士
つか、本を読んで結局、何をしたいわけ?
・・・と自分で疑問を抱いてしまう。
悩み苦しみが減るってわかっているなら
幾千万回でも読むが、そうではないからね。
慈経の方がいいや
>>182 >つか、本を読んで結局、何をしたいわけ?
本とはゾクチェンも含めて、いろいろな人の
修行系 瞑想系 仏教理論系本ということなら、
悩み苦しみが減るものかどうかを(実践して)調べるために、
いろいろな本をあたってみる。
もちろん、こういうこと(探し回ること)に偏らないようには気をつける。
185 :
神も仏も名無しさん:2008/05/22(木) 10:28:18 ID:XGxRmlYO
俺にとっては慈経よりも「やさしいってどういうこと?」の方が重要な本だ。
慈経にはなぜ慈悲を持つべきかという道理が抜けている。
とにかく無量の慈悲を全生命に持てとしか書いてない。
186 :
神も仏も名無しさん:2008/05/22(木) 11:48:00 ID:PXjRlh7d
brown氏に捧ぐ
すでに解脱した者として、おまえはすぐ今日にも超感覚的世界の人に
なりたいであろう。しかしそうしたらおまえはまだ救われざる地上の存在たち
のためには、ただ高いところから見下ろすことしか為しえない。
(ルドルフ・シュタイナー)
シュタイナーはそのような態度を、黒い道として批判している。
チベットの生と死の書ってどうですか?
結局本ばっかり読んでも、修行が進まないと意味ないのはわかってるんだけど、
効率のいい方法論をある程度段取りつけながらやっていきたいんですけど。。。
少し頭でっかち気味です。
修行オタクになるなよ
189 :
神も仏も名無しさん:2008/05/22(木) 13:50:31 ID:PXjRlh7d
極真空手ってどうですか?大道塾は投げ技もあるけど、どうでしょう?それともやっぱりムエタイが立ち技最強なのでしょうか?
結局本ばっかり読んでも、稽古をしないと意味ないのはわかっているんだけど、
効率よく強くなる方法論をある程度段取り付けながらやっていきたいんですけど。。。
かなり頭でっかち気味です。
>>187 こんなこと言っている格闘技経験のない格闘技オタクってどう思いますか?
あなたの言っていることはこれと一緒です。実践しなくては何もなりませんよ。
このまえ久しぶりに3時間くらい瞑想時間を取ることができた。
ちゃんと時間とってやる瞑想はイイ!と思った。
でも、瞑想時間をもっととりたいのに取れない悩みがつきまとう。
スマさんのいう普段の雑事にサティ入れるやつがあるけど、
大雑把なサティになって、やっぱりちゃんと時間取る瞑想とは効果が違う。
そこで、
1 普段の雑事へのサティをどこまでレベルアップできるか
より細かくサティできるか
2 体を早く動かしているとき(急いで徒歩で移動するとき等)に、
どこまで、より細かく、より効果的な修行実践ができるか
ということが最近の研究課題です。
ゆっくりとしたサティを正確に入れる事から徐々にレベルアップ
していくしかないでしょうね。
キーボードの練習と同じように。
瞑想っていうか観察だよな。
俺にとって瞑想って「対象を強く思い続けること」ってイメージなんだな。
神様思い浮かべたり、光の玉思い浮かべたりね。
対象を必要とせず、只〜って境地がワカンネ。
ボーっと気持ちよく座ってるのじゃあかんのかな。
193 :
190:2008/05/22(木) 14:22:18 ID:F7aFgS5G
研究は・・・あまりうまくいきません。
あまり進んでいないです。もうちょっとやってみますが・・・
日常生活でのサティについては、
スマさんは「無駄な思考を除去する事。
たとえば、いくらの予算で夕飯の買い物をするかなどの
必要な思考はべつにいい。」
みたいな事を書いていたけど、
そういう必要な思考が結構多くて、あまりサティに専念できないよ、と思う。
私の場合の必要な思考というのは、
次にどの雑事をするか、段取りや、計画など。
TODOを書い出すなどの工夫はしてみているけど・・・
次にどれをするか、などは、その前の雑事をやりながら考えるし。
194 :
神も仏も名無しさん:2008/05/22(木) 14:24:56 ID:PXjRlh7d
>>191 同意
漏れは大人になってからピアノ始めたレイトスターターだから、その喩えはすごくしっくり来る
初心者が基礎も出来ていないのに早く弾こうとしたところで、変なクセを固めてしまい、挙げ句には腱鞘炎になるだけ
最初のうちは単調でつまらないと感じる練習曲から着実に練習していくしかない
一見つまらないけど、そうやって積み重ねていく方が実は上達への近道
195 :
神も仏も名無しさん:2008/05/22(木) 14:29:22 ID:YqdWaEJS
>>192 >「対象を強く思い続けること」
これはサマタだね。
>神様思い浮かべたり、
これは「天随念(Devatanussati)」かね。
>光の玉思い浮かべたりね。
これはカシナ瞑想のアレかね。
>>194 だからサマタからだな。
初心者で、座る瞑想についての質問なんですが、
姿勢を正して直立にすると、呼吸の時お腹が引っ込んだ感じ
になってしまい、膨らみ縮みをうまく観察できません。
これはどうしたもんでしょうか?
>>196 肺呼吸になってませんか?腹式呼吸は出来てる?
腹式呼吸が上手く出来ていないならそれを練習することですね。
息を吸った時に意識してお腹を膨らませて、吐くときに意識して
お腹をへこます、すぐ出来ると思いますよ。
智慧もないのに仏教のこと友達3人に話して そしてその友達みんな離れて行きました。
みんな今が充実して楽しいらしい。話したほうがアホでした。空気読めてないなまじで。
修行にはげもう。
199 :
神も仏も名無しさん:2008/05/22(木) 15:31:09 ID:PXjRlh7d
>>198 友達からみたら、あんたは怪しげな宗教にかぶれている人
創価学会とかオウムとか統一協会の信者と同じように思われただろう
そうやって友達を失ってしまったら、今後友達に法を伝える機会すら失ったって事
こrを教訓に、今の自分の立ち位置を見据えて、身の程をわきまえて、背伸びしない方がよいと思うよ
>>199 そんなに後ろ向きには考えてないんだ。
身の程をわきまえなくてはとは思うけど。
楽しいと言っている友達が本当に楽しいのかどうかは不明だしね。
離れて行っても種を蒔いたことには変わりはないし。
離れて行くほど否定するその心はいかにって感じです。
みんな自分を観たくないんだよね結局。
でも身の程は、わきまえなくちゃね。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
>>196 呼吸のとき最も動きを感じ取りやすいところに焦点を当てる。
ちなみにゴエンカ氏の本では鼻腔と上唇の間の三角形に意識をおいておくように薦めている。
>>197 ありがとう、腹式呼吸を意識することですね。やってみます。
>>202 指導する人によって、意識を集中するポイントが違いますよね。
私はまずはお腹の膨らみ縮みを、マスターしようと思います。
204 :
神も仏も名無しさん:2008/05/22(木) 18:37:59 ID:YqdWaEJS
>>198 >友達
というのはおそらく、同級生とか知人程度の事だと思いますが
お釈迦様が資産家の息子シンガーラカに説いたお経で『六方礼経』という
ものがあります。
ここに、悪友、見せかけの友、心からの友等についての
教えがありますのでご一読をお勧めいたします。
あなたの場合に当てはまるかは分かりませんがこの様な考え方も
「ダンマパダ」にはあります。
『77 (他人を)訓戒せよ、教えさとせ。宣しくないことから(他人を)
遠ざけよ。そうすれば、その人は善人に愛せられ、悪人からは疎まれる。』
種を撒くのは大事だね。
>>204 ご助言ありがとうございます。
『六方礼経』は、書籍になっているのですか?
教えて頂けるとありがたいです。
>>205 はい、そう思います。
207 :
神も仏も名無しさん:2008/05/22(木) 21:57:50 ID:YqdWaEJS
>>206 長部経典に属していて『原始仏典』等と言う書籍には所収されていることが
多いお経です。また、多数の書籍で引用されてもいます。
私は昔、著者・出版社の許可を得て、小冊子にして配布したことも
あります。有名なお経なのでいずれ目にすることと思います。
>>207 度々ありがとうございます。
参考にさせてもらいますね。
210 :
brown:2008/05/23(金) 02:00:22 ID:OU9aOLqS
>>200 >楽しいと言っている友達が本当に楽しいのかどうかは不明だしね。
本質的に,全ての人々は常に最上の幸福の中にいます。
自分が最もよいと信じた道を常に選択しているわけです。
これはナチス支配下のドイツでも同じです。
何か不幸を演じていますが,それは嘘です。本当は幸福なんです。
常に最も最上の選択をしています。
確かに,採り得る選択肢が限られていて,最上の選択だけど,余りよくない
かもしれません。大抵そんなものですね。
しかし,有り得ない選択肢を考えても単なる妄想です。
有り得る中から最高を選んでいるわけです。
そんなところに,ある人がきて,「こっちの道はよりよいぞ」と言って,
仏教だの,上座部だのを指差したとしましょう。これは紛れもなく,
不幸に誘っているということでしか有りません。というのは,選択は最高
の幸福としてあるのに,それ以外の選択をさせるからです。
このようにして,人を支配しようとする全ての企みは失敗に終わってしまう
のです。
以上、反省の弁でした
212 :
神も仏も名無しさん:2008/05/23(金) 05:59:37 ID:iV3oS9Nu
>>200 宗教関係に全く興味のない人にいきなり宗教関係の話をしてはいけない。
特に現在の日本はスピリチュアルブームではあるけれど宗教アレルギーもある。
だからだいたいの場合、本当に何かを教えたいなら宗教的な用語を使ったりして
ストレートに言ってはいけない。方便や喩え話を最大限に活用して宗教色を
消さないと受け入れられないと思った方が良い。それと、分かっているとは
思うが、批判をしてはいけない。必ず反発されて何も受け入れてくれなくなる
からだ。(もし批判しても受け入れてくれるような人ならば、その人には多分
何も教える必要はないだろう。むしろ自分がその人から教えて貰った方が
良いかも知れない)。
213 :
神も仏も名無しさん:2008/05/23(金) 18:23:39 ID:ymbTG4ph
>>212同意
あなたは種をまいたと思っているようだが、まいた種はあなたへの嫌悪と同等の仏教に対する嫌悪だろう
仏教を説くあなたに嫌悪を示したのなら、あなたが説いた仏教にも嫌悪を示したと考えるのが普通
あなたは友人たちを却って仏法から遠ざけてしまったのではなかろうか
そして、それを考慮することなく、種をまいたと満足するような心こそ自己中心的な不善心ではなかろうか
そのような態度は、強引な勧誘を行って人を不快にさせてもそれを正当化する創価学会や顕正会と同質であろう
あなたが仏教のことをことさら友人に話さなくても、あなた自身が仏教によって素晴らしい人格者となれば、その人格そのものが友人に多大なる影響を与えるはず
そして、法施とは、その人格そのものから発する物がなければ説得力もないし、人にも伝わらない
厳しい物言いだが、漏れはあなたを反面教師にして漏れ自身を戒めたい。その意味においてはあなたは役に立った。あなたは悪いカルマを負ったのかも知れないが。
なんか、このスレ見てほっとした
興味があったら自分から仏教に飛び込むと思うよ。
協会の1日瞑想会は毎回初心者がたくさん訪れるし。出離の心っていうんでしょうかね?よくはわかりませんが、自主性が大事なのだと思います。
長々と失礼いたしました。
216 :
神も仏も名無しさん:2008/05/23(金) 20:30:15 ID:evpmHyjb
時々思うね。
止まりたい。立ち止まりたい、というより、停止したい。何もかも。
生きてりゃ色々あるよ。でももう、これ以上、勘弁してほしい。
停止。心臓も、脳も、サティも。
じゃあ死ねば?
>>215 1日瞑想会に出席する人は行動力や好奇心があっていいねぇ。
…こういうのって公民館活動か何かで補えないのかなぁ?
都心にでるのつらくて。うちの近所で自転車で行けるところで瞑想の指導をしてくれる人がいたらいいと思いませんか?
もちろん協会の1日瞑想会みたいな感じで。
219 :
神も仏も名無しさん:2008/05/23(金) 21:13:31 ID:Hp27jwyq
>>212-213 大げさだよ。たんに空気読めない人だったってだけの話。
人生にはトライ&エラーはつきもの。
あったこともない他人のことを、悟り開いたわけでもない人が、自己中心的、お前は悪いカルマを負った、
というのも、かなり際どいことじゃないかね。
元気だせや。
たしかに今の世の中苦しめば仏教でもなんでも
出逢える。
そっとしとくのが良いと俺は思う。
特に仏教は縁だから。
>>213 その見方も主観。自己満。
長老ならばどのように答えてくれるのかな。
222 :
神も仏も名無しさん:2008/05/23(金) 21:37:37 ID:qlTI4EiM
嫌悪を抱いた人が10年後おもいだして
仏教やるかもしれんもんね。
カルマはかたらず今最善をつくすしかないんじゃない?
224 :
神も仏も名無しさん:2008/05/23(金) 21:52:41 ID:qlTI4EiM
この人石塚と胃腸薬のCM出ててバロスwって思った。
久しぶりに宗教スレに来た。こういう心境になるのも、実は辛い現実に
ぶち当たっているからだと思う。今まで順風満帆だったのが急に風向きが変わった。
なぜか、やることなすこと非難が自分に集中する。落ち込むことや不安になること
が多くなる。しかし、こういう心理状態のときにしか、考えられないことが
あって、いままで目もくれなかった本を手にして、著者の言わんとすることが
実感できる。 落ち込むことにより、内省的になれる。望んだわけではないが
いいことかも知れない。
まあ、宮崎さんもいいこと言っているかもしれないけど、宮崎さんの言葉だけを”信じずに信じる”こんなところでしょうかねぇ。
真宗大谷派(浄土真宗のお東さん)は「仏を念じれば来世は極楽浄土で悟りを開いた状態で生まれ変わる」と言っていますから。
(正信偈参照)
あと、このスレの主旨と違うところは「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽(信じるということは荒行より易しい事である)」
と、「信じる」ことをピックアップしているところでしょうか。
…最後に、宮崎さんの言葉の中で「本当は迷信とかを本当のように放送するのは放送法で禁止されているんですよ」
とTBSに向かって言ったところ。ウケタぜ。
228 :
神も仏も名無しさん:2008/05/23(金) 22:24:56 ID:qlTI4EiM
宮崎さんは中観派を重く見ていますけど、
特定の宗派じゃないですよ。
>>226 本当は落ち込んでる時の方が深くはいれるんだよね。
230 :
神も仏も名無しさん:2008/05/23(金) 22:38:20 ID:qlTI4EiM
>>229 本当ですか?
私は瞑想歴短いけど何か違うような・・・
すみません。
スマサナーラ長老のスレなので、
公式HPから引用していただけると、
皆さんの便宜になりそう。かも
上座部的には盲信は仏法に対して最も似つかわしくない行為だという感覚があると思うけど
真宗のそういう思想見てるともっと融通無碍なスタンスでいいのかもなあとも思ってしまう
まあつまり「人生って最高!何落ち込んでるの?!
人生ってこんなに素晴らしいのに!」
と言うひとには仏教はあんまり向かないということです。
>>230 いろんな本のところどころで長老は仰ってますよ。
「ブッダの実践心理学第2巻」でも悟る直前は酷く落ち込んでいるので
守ってあげないといけないとか、書いてます。
自我が壊れていく(幻想だと見抜く)プロセスは
落ち込みなくして乗り越えられないでしょう。
>>232 あれだけの逆境があって人生は苦でいっぱいで醜い奴だらけだと知り尽くしているはずで
それでも「素晴らしきかな、美しきかな人生」と言い切っていた革命家トロツキーさんなんか最も仏教から遠い人なんでしょうね
まあ苦悩を通して歓喜へ到ったひとはわかりませんが、
革命家というだけで仏法とは縁がないかと。。
236 :
神も仏も名無しさん:2008/05/23(金) 23:01:04 ID:qlTI4EiM
>>231だから宮崎は真宗じゃないし。
中間派のナーガルジュナは、
輪廻と七十三ダルマの実在も論理で批判してるよ。
上座部は、輪廻とダルマの実在は盲信といわないの?
確かにそれがなくなると、融通無碍になりやすくなる。
だから、自らの光で照らすのはたやすいことではない。
でも、スマサナーラ長老は自らしっかり照らしている気がする、
バランス感覚がすごい。
>>235 まあ天然の死随念というか、メメントモリというか、そういうのは体験したんでしょうね、だからやたら前向きなのかもね。
>>236 だれも宮崎氏を真宗と言ってないんだけど。
俺自身輪廻はあるかどうか分からないし、はっきり無いとも言えない。
だからいわゆる信には至ってないっすよ。
質問なんだが釈尊の解脱って輪廻からの解脱をも
意味してるんじゃないの?
釈尊って輪廻を否定してたの?
239 :
神も仏も名無しさん:2008/05/23(金) 23:23:22 ID:qlTI4EiM
>>237 227からの文脈だと そう読めちゃう。
ちがうならOK。
あなたでなくて、下座部の話。スマナサーラ板なんだから
何もいわないで批判したときの立ち位置は下座部と推定されるでしょう。
(下座部のところ間違えて上座部としてしまった。)
下座部?なんだそりゃ?
241 :
神も仏も名無しさん:2008/05/23(金) 23:36:48 ID:qlTI4EiM
なんでもないです 汗
すみません 気にしないでください
242 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 00:05:25 ID:M+a3XUIj
>>244 あ、あと参照部分を示していただき ありがとうございます。
大乗小乗と上座部(下座部・・・ナイ)を混同?していました。
239の下は見なかったことに。。
カルマという言葉が使われる場合、往々に使用者によって恣意的な解釈がなされ断定的に使用される
顕正会かぁ
そういえば、ほんは Rこうせいからでてるなぁ。
だがやは YGだし。
245 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 00:49:47 ID:EOSTOKJL
植物は不殺生戒の対象にはならないですよね。
では、動物の細胞一個一個はどうなのでしょうか?
細胞一個一個を一匹の生命だと考えることも可能でしょう。
たとえば、自分の体をむやみに痛めつけたりしたら、
体の細胞が傷つくわけです。
自分の手を乱暴に扱ったら、まだ死ななくていい手の細胞が死ぬことになる。
これは、殺生にならないのだろうか?
なる、と言ったらどうすんの。
247 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 00:57:11 ID:EOSTOKJL
>>246 「生きとし生けるものが幸せでありますようにように」
のときに細胞にも慈悲をむけてみる。
でも細胞ってのは生命を構成する要素でしょ。
細胞も生命だったらものすごい数の生命から自分も成り立ってることになるよね。
249 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 01:03:21 ID:EOSTOKJL
長老は、生命が生きて動くのは苦しいからだと説明されていた。
細胞一個一個も、苦しいから酸素や栄養を求めて活動してるのだろう。
で、より効率よく栄養を得るために、
組織をつくり、ある細胞は血管に、ある細胞は内蔵に、ある細胞は脳にと、
会社の中の仕事の分担のように役割に応じた活動をし、
細胞同士が助けあって、一人の人間という会社を
形づくってるのではないだろうか。
たしかに個のひとつひとつが世界全体を構成する細胞のようなものではなかろうか、というような
ことは感じはする。
251 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 01:12:46 ID:EOSTOKJL
細胞一匹一匹は、彼らが形づくっている人間という組織に、
自我がめばえてるとわかっているのだろうか。
人間を細胞一匹一匹におきかえて考えた場合、
実は、例えば会社とか国とか、
人間が形づくっている組織のネットワークそのものに、
自我・精神が宿っているのかもしれない。
あらゆる形の、ネットワークがあるところには、
心が宿っているのではないか。
宿ってるだろうね。
エゴに支配されてるネットワークも多いけど、またそれが合わさって大きなネットワーク
が出来てるんだろうね。
253 :
brown:2008/05/24(土) 01:18:31 ID:jZ5sXN+Z
>>245 >植物は不殺生戒の対象にはならないですよね。
もちろんなります。不殺生戒は地獄へのカルマをつくるので,絶対に
避けるべきです。
そもそも植物は,人間に食べられるために生まれてきたのではありません。
そうではなく,成長し,咲き誇り,実を結び,次の世代を生み出すという
営みのために生まれてきたのです。植物側の事情があるのです。
それを,その未来を完全に拒絶して,あなたは食べたのです。
もし,自分が,他人のために自己を滅して,ただ他人の目的のためだけに
自分がこれまで蓄積してきたものを全て打ち壊して,それに尽くして良い,
というのなら,植物を食しても罪になりません。
それまでは,三悪趣へと導くカルマを形成しているに違いありません。
それはとても罪深いことなのです。さらに,それを自覚しないのはもっと
罪深いことです。
>>253 悟りを得ないと生きること自体が罪になるんですか。
とても息苦しいし、生き苦しくなりますね。
255 :
brown:2008/05/24(土) 01:28:20 ID:jZ5sXN+Z
>>251 自我というのは,ここにこうしてあります。
それは,しかし,構成要素の集合に仮説して呼ばれたものなのです。
それは意識という構成要素の働きによります。
意識が,その肉体を知覚し,好悪の判断をし,思考を知覚し,感情を知覚
したときに,それぞれの機能をまとめて,自我という総称をします。
自我という何者かがあって,それを意識が意識するわけではありません。
渦は確かにあります。しかし,それは水分子という構成要素によって
成り立った現象に名づけられたものです。渦という構成要素(ダルマ)が
あるわけではないのです。ただ水分子があるだけ。しかし,渦がないわけ
ではありません。渦は,ほら,そこにあるでしょう?
同様に,社会に,社会意識という実体があるわけではありません。
しかし,社会意識はあるわけです。それは社会の構成要素,つまり人に
あります。人が社会意識を意識するために,その総称を社会といっています。
「わが社は」,「わが国は」,「わが地球は」,・・・みな何かを代弁して
います。しかし,代弁されるモノは,どこにもいません。
256 :
brown:2008/05/24(土) 01:31:45 ID:jZ5sXN+Z
>>254 とてもよいことに気づかれましたね。
それが悟りに至るキーです。
息苦しさというキーは渡りました。別の名を,苦諦といいます。
速やかに解脱へと導かれるでしょう。
>>256 苦情を言ったつもりなのにほめられたので恐縮します。
>他人のために自己を滅して,ただ他人の目的のためだけに
>自分がこれまで蓄積してきたものを全て打ち壊して,それに尽くして良い,
そういう地点はまだ想像するくらいしか出来ません。
自分のことばかり考えて生きてきたからだと思います。
こいつ植物の実が動物に食べられることによって遠くに種が運ばれないと
どうなるかしらんようだな プ
ガイア理論とも言えるし、一切皆空ってことだろうな
ちなみにダライさんによる空の定義は無ではなく相互依存性のことだそうだ、つまりは諸方無我とはニュアンスの違いくらいしかないようだ
誤解が多いので一応ね。
戒律にとらわれるな
戒律の趣意を汲み取れ
ということだと思いますけど、いかがでしょう。
brownさん。
解脱したらいったいどんな変化が起きるんですか?
最も特徴的な変化は何だろうな〜
>>259 諸法は無我だからこそ相互依存なんだろうよ。
263 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 08:45:32 ID:Tce0YIH6
>>261 自作自演の可能性もあるが外道に餌をやらないように
外道とその信奉者は専用スレを作られるがよろしい。
>>256 苦諦ということが少しわかった気がします。ありがとうございました。
266 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 09:44:44 ID:6DGn+9rm
スマさんっていつも仏教を妄信するな、自ら試せと繰り返してるけど、そう言うスマさん自身が妄信してるんじゃんと思う事が多々ある。
それは、仏典のオカルト的な話をするとき。
協会の機関紙パティパダーでずっと長部経典の沙門果経の解説をやってるんだが、最近は神通力の話が続いてる。
今号ではブッダが太陽に手を触れたという箇所を取り上げてるのだが、経典が嘘を書くわけが無いという驚きの解釈を持ち出し、実際に手をそこまで伸ばすとか触れるとかするのはおかしいから、分身を作り出し手を触れたのだと思うとかいって、確認もしてない事を肯定してる。
ダメじゃん。妄信してるじゃん。そもそも太陽に触れることのできる前提である分身すら、スマさんは身を持って体験したの?確認したの?
してもないのに書いてることは嘘じゃないとか言ってしまうのは、妄信じゃないか。
この手のものは他の著書にも散見される。そこまで論理的に話が進んでたのに、突然おかしくなる。
全てを論理的に説明できたら仏教は不要でしょうに
スマさんが自分で分身作って太陽に触れた経験があるなら、身をもって確かめたのだから問題ないでしょ。
それをせずに仏典に書いてあるんだから嘘のわけがないという姿勢で考える事が妄信だってこと。
仏典に100の出来事が書いてあり、その一つずつを身をもって確かめ、過半数について自分で体験し本当だと確認したとする。
だからって残りも全て本当だということになるか?本当だという可能性が高くなっただけだろ。
長老は話を紹介しているのであって
経典に書いてあることだから否定はしませんよこういう話がありましたよ、ってことでしょ。
270 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 10:55:12 ID:ow6BnwyH
上座部の最大の弱点がカルマ論
ヴィパッサナー瞑想の手法そのものは理屈でも納得が行くが、カルマ論は「検証不可能」
そのカルマ論を教えの主軸としているため、いかにヴィパッサナー瞑想の方法論が素晴らしくても、上座部の教え自体が胡散臭くなる
しかも上座部は、カルマ論を抜きにしてヴィパッサナー瞑想だけやっても効果が薄いと主張しており、事実上、カルマ論とヴィパッサナー瞑想はセットになっている
これでは教えを広めようとしても無理
カルマ論を盲信できる者だけが上座部についていけるってことになってしまう
271 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 11:06:27 ID:wDC1Ohdb
カルマが主軸? そんなことどこでいってるの?
まじでみんなもっと勉強しようよ。
修行しようよ。
お釈迦様が神通力を使うことより
人を真理に導くほうがはるかに難しいとおっしゃっていると
長老が説法して下さったが、本当にその通りなんだろうなと実感する。
273 :
brown:2008/05/24(土) 12:31:06 ID:jZ5sXN+Z
>>261 一言で言えば,完成し,自由になるということです。疑いや比較,固執等から。
そして,心の本性を知り,カルマの力を知り,存在の本性を知ります。
あらゆる状況を通じて,そのような全的な自覚(三昧)の中に留まり続けます。
ヴィパッシュヤナーの完全性ですね。
完成し,もはや求めなくてよくなる。でも求めてもよい。どちらにも固執
しない。固執すべき心など存在しないことを知っているから。
疑問や比較,たとえそれらが起こったとしても,心がそれらを自動的に,
「私」の介在なく,悟って,溶解してしまう。実際には,そのような矛盾した
伺う心が,心全体の調和の中に何食わぬ顔で溶けいっていくことを観察する
ことしか起こりはしない。これが心の本性であり,それを知る者となります。
それは,心の本性であり,単に自然な状況です。なのに,とんでもない輪廻の
経験を今しています。どうしてでしょう?この苦しみがいったいどこから
くるのでしょう?そのとき,心の本性は,本性なのにどこにいったのでしょう?
このような質問に対する理解が,カルマの力を知るということです。
別名を宿命通,天眼通と言います。どのように輪廻が生じたのか,どのように
それが滅するのか。縁起の理解ですね。
これは,煩悩が起こらないようにしたとしても,未だ,根源的な潜勢力が
残っていることに対する理解,それを完全に取り除いた経験,それを再び生じ
させ,また取り除いた理解などにより,心の生成のもう一つの本性として
理解されます。
クリシュナムルティは確か、
「人間は自分の心を直視するのが嫌だから?
カルマや輪廻を発明した」みたいに言ってなかったかな。
こういう言い回しにもの凄く惹かれます。
確かめようのないものを色々言われても・・・
275 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 12:59:57 ID:WeQH8KQw
>>268 身をもって確かめたんじゃないの?w
かといって他人がそれを確かめることは出来ないなあ。w
横から、すみません。
クリシュナムルティは身をもって様々なことを確かめた結果、
一般市民が確かめようのないことについては一切肯定はしなかったんよね。
ただ、見なさい!・気づきを保ちなさい。としか言わなかった。
目の前にニンジンをぶら下げずに、走り続けなさい。
Kも修行中は「わたしは規則正しく瞑想せねばなりません」
と書いてるよな。
Kは亡くなるとき、誰一人真の理解に達した者はいなかった、とか言ってるようですね。
厳しい道ですね。
上座仏教で本当に達するんだろうか?
達した気分になれるであろうことは想像がつくんですが・・・
(マニュアル通りの現象が自分に顕れるから・・・)
求めて達することができない、
求めていることを潜在意識に押し込めて修行して、大丈夫なんだろうか?
Kの指し示した道は、メソッドがないので歩きにくいんですよね。
でも、王道のような気もする。
皆さんどうですか?
Kのやり方で逝ける人はKを必要としない人。(天才)
寺和田の方が可能性高いとオモ。
>メソッドがないので歩きにくいんですよね。
歩けない。
私もそう思うんですが。
“思う”だけなんですよ。
恐らく、あまりに困難で逝ける確率がとても低いので色んな宗派ができたんでしょうね。
この道に触れた者の多くが逝けたら、色々な宗教は発生しなかったでしょう。
また、どっちみち厳しい道です。
求めず、期待せず、淡々とですね。
いいじゃん。仏陀がメソッド作ってくれたんだから、
ひたすらやるだけ。
283 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 15:11:27 ID:EOSTOKJL
スマナサーラ長老は、サーリプッタ尊者をかなり尊敬してますよね。
サーリプッタ尊者は、テーラワーダにとって、
特別な存在(宗祖みたいな)なのでしょうか?
>>274 そうなの?
凄いなクリシュナントカティー。
人間はろくでもないことばかり考えて勝手に苦しむように「作られて」いる。
神は人間をロクでもない存在として創造したもうたのか?
神は不完全な存在なのか?
それとも邪悪な存在なのか?
悟りといっても、All or Nothing 的なものじゃないでしょう。
道を歩けば、前に進む。
少しでも清らかになれる。少しでも真理に気付くことができる。
それで十分価値があると思っていますよ。
食物連鎖を作る神が存在したとしたら
精神異常だろうな。
>>279 寺和田のやり方でも、ほとんどは無理だろ。
Kのレベルまでいってる人、日本にいるの?
「みんなでヨルカになろう会」
を作ろう。
>>288 スマ長老でさえあの境地には達していないと「おもう」よ。
なんせ20世紀最大の救世主といわれた人だからな。
前も書いたけど俺の妄想ではK阿羅漢、長老ヨルカなんだ。
修行の目的は過去に置くってのはどう?
未来に置くと解脱とか阿羅漢とかヨルカとか考えて概念の餌食になるけど、
過去の自分と比べて妄想・渇愛に振り回される事なく、生きるのが楽になってればそれでよしとするとか。
まあみんなそう考えて修行してるんじゃないの?
ヨルカとか一種のファンクラブ心理みたいなもんでさ。
俺だってKどころか今日あった嫌なこと処理するのに精一杯だもん。
でもこのスレでJ・クリシュナムルティが語られることは
素晴らしいことだと思う。
検索して本を読む人も出てくるだろうし、求道心に火が着く
人もいると思う。
あとラマナ・マハリシとかラーマクリシュナとかも話題にのぼればいいと
思う。
>>274 思い出した。
「唯見る、唯聞く、これはカルマを作らない行為です」
とKが書いてたからKはカルマをみとめていたんだね。
ましてブッダが輪廻もカルマも否定してないだから。
いくらKでもブッダより優れているとはおれには思えないし。
294 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 18:42:13 ID:UXz9z+Kf
神々を含むあらゆる生きとし生けるもののうちの最上者をブッダと言う。
ブッダよりも優れた存在はない。盲信ではなく、このような確信に
まだ至らないのか。
>>291 いいことだと思います。
悟りを求めて、幸せの青い鳥を探すが如くなってしまっては本末転倒でしょう。
一つ一つ気づくこと、毎日心の汚れを掃除すること。
そういった今の積み重ねが大切と思います。
ここでぶちこわし。(前スレ959より)
今日頼んでおいた仏教要語の基礎知識が届いたんだけど、
なんだか難しすぎて全然読めません。
皆さんよく読めますね。羨ましいです。
っていうか、意味が分かっても悟りを開いたり本当の幸せにたどり着くのか疑問なのですが…
もっと分かりやすいのがいいのですが、
そうなるとA・スマナサーラ長老の書籍で解説しているのがいいのでしょうね。
今、初期仏教を分かりやすく説いているのが長老一人なのが残念です。
日本人でもありがたい仏教の話を聞かせて欲しかったです。
ブッダは仏陀ともかくよな。覚者ともいうよな。
>>296 だから「ヨウゴ」はつまんないって言ったじゃん。
パユットー師の「仏法」のほうがずうっといいよ。
>>298 いや、「仏法」も買ったんだけど、読んでみて偉く難しそうだから「仏法」の解説書代わりに
「要語」を購入したのだが…
面白い方が「仏法」ってそりゃ何かの間違いかい?
「仏法」以上に分かりやすいのは存在しないのか…ダミダコリャ
>>300 どうもありがとうございます。
お邪魔して済みませんでした。
もう読書感想文はいいよ
じゃ瞑想しよ。。
サードゥ サードゥ サードゥ
305 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 22:15:38 ID:WeQH8KQw
>>285 神が居ると想定して考えたとして、神は完全ということになっているから
その神が作ったこの世界は完全ということになる。そうなると現状を完全
だと感じられない者は感じ取る部分が病気になっているということになるな。w
真実を真っ直ぐに受け取れなくなっていて、歪んだフィルターを通して
見ているからおかしく見えるという感じ。
>>287 なぜ? そう感じるから? でも、それは自分の持つ神の概念がおかしいとか、
あるいは自分の精神が病んでいるからそう感じるだけかも知れないよね。
>>305 俺の文章から俺が神を想定していないって気付かないの?
神様は高度だから。
不完全なものを造ってそれが苦しみを乗り越えて完全になってゆくプロセスを
お楽しみになられるんだろ。
さすがだw
ブッダの実践心理学面白いし役に立つけど、なんかタイトルに厨くささを感じるなあ
310 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 23:50:09 ID:lYc3MyQw
まあ20世紀になると近代合理主義も極まって、「人格を持った神」の信奉は
知的じゃないという風潮が思想、哲学、宗教界で当たり前のようになって行くけど、
その中でまったく思いがけず悟り体験を人格的存在との接触という形で認識した人の話もあるよ。
本当に神の概念なんて単なる方便だと知的に解釈して、
真理とか悟り体験というと、あくまで修養の結果の内的な認識革命というイメージをもっていたにも
関わらず、いざそういう体験をしてみると明確に個性をもった人格的なものに包まれていると感じた、というケース。
まあ当然俺はそんな経験ないけど、真理が受け手を含むすべてを内包するなら人格的な要素があっても
全然不思議じゃないって気がする。
311 :
神も仏も名無しさん:2008/05/24(土) 23:56:38 ID:lYc3MyQw
ようするに神がいるかいないか二律背反の相対的な話ではないと思うな。
312 :
神も仏も名無しさん:2008/05/25(日) 00:01:33 ID:NrMzTl47
明確に「在る」ともいえないけども。在る無しで「語られる」ものじゃないとかんじる。
老荘でも「これが名だと言って名づけられるようなものは、不変の名ではない」
ユダヤ教の神も「名を呼ぶことはできない」
禅でも「不立文字」
某宗教家「神はいない」
313 :
神も仏も名無しさん:2008/05/25(日) 00:37:51 ID:z4D6krr4
>>296 そもそも仏教ってどんな教えなのかっていう、
体系的な説明が、スマナサーラ長老の本では不充分なんですよね。
上座部文化圏の人々にとっては常識なんだろうけど、
日本の一般人は知らないことが多い。
「要語」は、いっきに読破しなくてもいいと思う。
簡易な仏教辞典として、わからないときに索引で調べるのに便利。
314 :
神も仏も名無しさん:2008/05/25(日) 00:46:32 ID:z4D6krr4
仏教とはどんな教えか、一言で言えば、
「苦しみの原因を消して苦しみを消す方法論」
ではないでしょうか。
そういう基本的理解もなくて、
いきなり瞑想の情報とかに触れてしまうと、
武道の達人とかをめざす感覚で瞑想をやるだけの人が増えちゃう気がする。
仏教は一切は苦だから生きてても仕方ないよっていう、死の説教なのです。
316 :
神も仏も名無しさん:2008/05/25(日) 01:22:54 ID:z4D6krr4
>>315 それはそうでしょう。
生きてれば楽しいはずだ、人生は楽しくなくてはならない
…と思うから、余計悩みが増える。
仏教は一切は楽だから死んでて仕方ないよっていう、不死の説教なのです。
>>310 正確にいえば人格神との接触を経てそれを乗り越えて
悟った、ということでしょうね。
ラーマクリシュナやパパジがそうですね。
バーナデット・ロバーツなんかもそうかもしれません。
今朝慈悲の瞑想をしたんですが
毎日「自分は無常の存在であり、いつ死ぬかわからない」
と観念することは役に立つようです。
319 :
神も仏も名無しさん:2008/05/25(日) 07:21:57 ID:IjuieFrA
>「自分は無常の存在であり、いつ死ぬかわからない」
これは死随念(marananussati)に当る。
人は言葉の奴隷のようだ
悟らないうちは奴隷だよ。
323 :
261:2008/05/25(日) 21:45:34 ID:aVU/T+AM
>>273 解脱について説明してくれてありがとう御座います。
だとしたら、解脱というのは一応人間の言葉で表現できる程度のもの、ということですか?
324 :
brown:2008/05/25(日) 23:02:57 ID:NTlsiXts
いつもの調子で誰かに話してみな
坐る冥想してるとどして顔があんなに痒くなるのだろう。
顔ダニが多いのでしょうか。
ダニのせいなら瞑想以外の時も痒いはず。
科学的に考えられる可能性としては、坐ることによって
血流が変わりそれがなんらかの影響をあたえているのかと。
仏教的には瞑想の邪魔になる痒みはカルマが悪いと言う事かな。
カルマは人によって因と果の現象化の時差が違うと思うけど
ヴィパッサナーと慈悲の瞑想やっている人なら
痒み程度の因果はごく短時間に修正出来ると思います。
坐る瞑想の前に慈悲の瞑想をすれば大分違うと
思いますよ。
329 :
神も仏も名無しさん:2008/05/26(月) 07:12:51 ID:jMc+swAy
言葉は「王」ではないし、「神」でもない。
男子部
女子部
青年部
クリシュナムルティは瞑想を完全に否定していると思うのですが、
ヴィパッサナーをも否定しているんでしょうか?
ご存知の方おられませんか?
クリシュナムルティは必ず「・・こういうのは瞑想ではありません」
というような言い方をしてますね
人から習うものではないと言うのでメソッド否定です
でもヴィパッサナーとは符合する部分が多いです
>>331 全てのメソッド=瞑想を否定しています。
でも若い頃(悟る前?)自身瞑想しています。
故に凡夫は瞑想なしではさとれません、と
断言して良いと思います。
>>332 >クリシュナムルティは必ず「・・こういうのは瞑想ではありません」
腹部に注目して、「膨らみ、縮み・・・・」というやり方も間違いなく否定されるでしょうね。
クリシュナムルティは瞑想を否定してはいないよ。
メソッドを否定しているだけ。
サティは奨励しています。
「サティだけでいい」という考えかな。
ラベリングとか、そういうテクニックを否定する。
クリシュナムルティの言うことは間違ってはいないと思う。
理想的にはそうしたほうが良いとも言える。
でも、それが難しいから、われわれはテクニックを使うわけで・・・
>>333 >故に凡夫は瞑想なしではさとれません、と
>断言して良いと思います。
ヴィパッサナを指されているのだと思いますが、
私もそう感じるところはあります。
ただ、キリスト教徒やイスラム教徒でも悟る方はいると思います。
メソッドというのは、ある目的を達成するための方法なわけで、
こういう目的達成型というのはヴィパッサナと矛盾する面がある。
クリシュナムルティはそういう矛盾を徹底的に拒否するわけです。
338 :
神も仏も名無しさん:2008/05/26(月) 23:55:32 ID:7vN/FdSJ
>>336 でも、本当に悟ったら、
キリスト教やイスラム教への信仰がなくなるでしょうね。
「瞑想とは完全な注意を払って あらゆるものを見ている
心の状態です 部分に注意をむけるのではなく
全体に注意をむけるのです」クリシュナムルティ
こういうことを凡夫がいきなりできるわけがないので
最初はお腹の膨らみ縮みから・・こう考える自体よくないんですね(笑)
>>336 スマさんと鈴木秀子さんの対談読むと実際に修道院でヴィパッサナ
やってるらしいです
宗教は一つ、宗派は多数、って誰の言葉だっけ
キリスト教では近いところではバーナデット・ロバーツがいるね。
破門されたんだっけな・・わすれた。いずれにしろ超レアだよね。
イスラムは密教のスーフィーでずいぶん悟った人が出たみないね。
342 :
261:2008/05/27(火) 00:48:30 ID:J9Ge8spP
>>324 解脱の状態は人間の言葉(=概念)で表現できる。
ということは、解脱には超越した体験は不要で、
概念を取得(本を読んだり、説明を受けたり)すれば、解脱は可能ということですよね?
>>338 人格神はロゴス、自然法則、仏教で言うところのダルマのデフォルメと思えばいいやね
修道院だと、結構長い黙想期間の間はくちきいちゃダメ、いっこいっこの行動を自覚する、
みたいなのがあるってよ。かなり禅宗の瞑想とも近いことやってるらしい。
異端認定されたけど、エックハルトなんかもやっぱ凄いわ
>>338 ゴエンカ氏の本では、ヴィパッサナーをやることによって今までの信仰を否定することは無い、
キリスト教徒ならよりよいキリスト教徒、イスラム教徒ならよりよいイスラム教徒になるだけ、
と書いてなかったっけ?
ティク・ナット・ハン『生けるブッダ、生けるキリスト』
http://www1.kcn.ne.jp/~inter-be/teaching.html キリスト教の黙想は、神にとどまる練習のひとつです。
それは涅槃に触れる練習と同じものだ、と私は確信しています。
神は観念や概念を用いて表わすことができるものではありませんが、だからといって、父なる神を体験できないということではないのです。
私は、仏教とキリスト教のあいだに、それほど大きな隔たりはないと確信しているのです。
このふたつの伝統を分断してきた境界線のほとんどは、本来的なものではありません。
真理に境界はありません。仏教とキリスト教のあいだに何らかの相違があるとすれば、それは、おそらく強調の仕方が違っていたということではないでしょうか。
人は生まれた伝統によつて、仏教徒になったり、キリスト教徒になったりするのです。
仏教やキリスト教はそれぞれの文化や文明の一部なのです。
人は自分の文化にはよく慣れ親しんで、当然、よいものとして受け入れます。
そのとき、他の文化や文明のなかにも人々が信奉する美徳があることを、忘れてしまうことがあるのです。
心を開いて見つめれば、自分の宗教的伝統だけがすべての真実と美徳を専有しているのではない、と気づくはずです。
しかし、救済は自分の宗教以外では有り得ないという考えにとりつかれるのも、想像にかたくないのです。
自らの伝統を正しく、深く実践してゆけば、このような危険な考えに陥らないですむのではないでしょうか。
346 :
神も仏も名無しさん:2008/05/27(火) 03:52:04 ID:gwCm0wG0
味噌と糞を区別出来ないようなお話はこのスレに相応しくない。
キリスト教で悟るというのは非常に難しい。
現実的には不可能と言っていい。
だからこそバーナデット・ロバーツは稀有な存在だ。
キリスト教は大乗仏教には似たところがあるけど、
原始仏教とは違いすぎるだろ。
>>342 >解脱の状態は人間の言葉(=概念)で表現できる。
ちなみにクリシュナムルティは、言葉では表現できないと断言しています。
言葉で説明できるのは、既知のもの だそうです。
解脱じゃなくてヨルカまでなら勉強でいけるってこのスレで見たような。
解脱=阿羅漢だよね?輪廻から外れるんだから。
>>349 君は言葉で説明できるものがこの世にあるとでも云うのかい
>>351 既知のものは、”一応”言葉で説明できますよね。
私が言いたいのは、
解脱の状態を言葉で説明したものがあるとすれば、
それは解脱とはほど遠いものなのじゃないかということです。
想像上のものだということです。
>>350 ちょっと話が違うかもしれないけど
お釈迦様の話を聞いてその場で悟った人いたよね?名前わすれたけど
基礎ができてる人だったのかな
ゴエンカは仏教としてではなく、瞑想だけでやってるから、
他宗教でもOKだね。
10日コースにはシスターとか神父の参加もあるよ。
キリスト教は瞑想技術として禅やヴィパを取り入れてい
ます。
ヨーロッパの教会ではヴィパが人気あるみたい。
教義はキリスト教で、修行体系として仏教を取り入れる
というやり方ですね。
だから結局、キリスト教でも悟りはヴィパでないと無理だ
と考えてるんだよ。
>>300 「人物と思想」を読みました。
スマ長老の本を読んでいましたので
わかりやすくて頭を整理できました。
良書の紹介ありがとうございました。
次は「原始仏教」を読もうと思っています。
瞑想と読書で時間がいくらあってもたりません。。
↑「ブッダの人と思想」です。
357 :
神も仏も名無しさん:2008/05/27(火) 17:34:18 ID:euVPCXNp
見識ある方に質問です。
わたしの少ない読書の中で、
『思想としての仏教入門』末木文美士
という本は、
実際の仏教と社会とのかかわりを、
新興宗教、カルト、神秘主義、仏教学会、現代思想など、
様々な位相(古今東西)に気を配りながら論じている点で、
バランスがいいと思いました。
私は去年秋ごろから、
この本を地図として、
中村元訳の初期経典を読んだり、
龍樹の「中論」を言語哲学から理解しようとして挫折したり、
論理学(野矢や戸田山の啓蒙書)の入り口でうろちょろしたり、
スマナサーラのお話を聴いて心の糧としたり、
瞑想をしたりしています。
見識ある方はこの本をどう思われますか?
>見識ある方はこの本をどう思われますか?
文法は正しいだろうけど、ちょっとおかしいね。
誰も答えられない。
359 :
神も仏も名無しさん:2008/05/27(火) 17:46:06 ID:gwCm0wG0
スマナサーラって、きみぃ、ざっくばらんな。
皮肉るつもりは無かったんだけど、見識ある方って言われたら誰も手を挙げられないよ。
また、長老の呼び捨てもどうかと思うよ。
361 :
神も仏も名無しさん:2008/05/27(火) 18:27:34 ID:Rd538TEI
63 もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。
愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと
言われる。(Dhammapada)──みんな知ってるものね。
>>355 役立つ情報が得られてよかったですね。
書物は言葉です。言葉は本体を指し示す記号でしかありません。
指し示されている”そのもの”を体得することが大事です。
「なるほど、本や経典に書いてあるのは、こういうことだったのか」とすっきりと腑に落ちることです。
それには瞑想が大切です。
>>357 その本を読んだことはありませんので、ご質問にはお答えできませんが、
上記のような事情ですので、あまりこだわる必要は無いように思います。
あまり手を広げず、定評のあるしっかりしたものを読んで、あとは修行すればよいのではないでしょうか。
363 :
brown:2008/05/27(火) 19:48:03 ID:BM67tKtK
>>342 そうではありません。
ところで,みかんを食べたことはありますか?
その味を言ってみてください。
364 :
261:2008/05/27(火) 20:13:08 ID:J9Ge8spP
365 :
brown:2008/05/27(火) 20:16:59 ID:BM67tKtK
>>364 んー,ちょっと表現力が・・
ま,いいか。
しかし,その言葉「甘酸っぱいです」は,みかんの味そのものとは
程遠いです。その味そのものに,言葉は絶対に到達しません。
どれほどの言葉を尽くしたとしても。絶対に。
それと同じです。悟りを表現することは「できます」。ちゃんと。
それにはパラドキシカルな言語を要するけど,それは単に努力の問題なのです。
しかし,その言葉自体が,悟りそのものに到達することは絶対にありません。
366 :
brown:2008/05/27(火) 20:23:04 ID:BM67tKtK
>>364 それからもう一つ。
「解脱」でも,「悟り」でも何でもいいんですが,そういったことは,
一体なんだとお考えですか?何から逃れることなのでしょう?
何を滅することなのでしょう?
率直な思うところを言ってみてください。
367 :
broken:2008/05/27(火) 21:06:46 ID:4i2kHUcT
風呂に入って冥想しようぜー
人生迷走中っす
369 :
神も仏も名無しさん:2008/05/27(火) 22:22:03 ID:euVPCXNp
>>358 >>359 言われて気づきました。
敬称の省略はなるべくならしないほうがいいことを。
ちょっと本を読んで頭でっかちになっていました。
「見識ある」というのも・・ちょっと・・。
以後、気をつけます。
370 :
261:2008/05/27(火) 23:08:23 ID:J9Ge8spP
>>366 >「解脱」でも,「悟り」でも何でもいいんですが,そういったことは,
>一体なんだとお考えですか?
自我意識が無くなることだと思います。
>何から逃れることなのでしょう?
心の葛藤、緊張、渇望といった苦しみだと思います。
>何を滅することなのでしょう?
自我意識だと思います。
まあ、キリスト教で悟れるか、って話だけど、キリスト教の場合
悟りっていうより回心=自己放棄への過程なんだろうかな、、、。自己を「くだかれる」って言葉もあるし。
とりあえず、キリスト教だと無理、とか凡夫の俺にはわからないが、
そこに深い境地の先達がいるということは興味深いし、すくなくともそういう人だって俺など足元にもおよばないから、
俺ごときの立場からは境地の品評はできない。敬意を持っておこうと思う。
372 :
brown:2008/05/27(火) 23:32:55 ID:BM67tKtK
>>370 なるほど。そうなのでしょう。
でも,なぜそうなのでしょう?
それは,あなた自身が,「自我意識」や「心の葛藤、緊張、渇望といった
苦しみ」を恐れているからです。
あなた自身が,その経験で,それが問題の根源なのだとちゃんと知っている
からです。(それに対する手立てはどうやらどこにもないような感じも一方
でするのですが。)
だから,それを解決するものを,解脱とみなすのです。
たとえ,その問題意識が少し違ったとしても同じことです。
要するに,この世の問題がここにあります。それを「X」とします。
「X」に何を代入してもいいのですが,その「X」を解決します。
だから,価値があるのです。だから,生きているこの私にとって意味がある。
実は,それは誰にとっても意味がある。普遍的な問題であれば。
普遍的な問題の普遍的な問題解決。それが解脱です。その問題とは,苦諦です。
もし,この世に元々ない,何か想像すらできない,言葉にもならない何かを,
どうかした,何かが,解脱であるというのなら,それは全く無意味でしょう。
それは,もしかしたら前人未到の偉大な事業かもしれません。しかし,全く
無意味でしょう。
373 :
brown:2008/05/27(火) 23:35:37 ID:BM67tKtK
>>372 だから,輪廻と解脱は,相互依存だ,と言うのです。
374 :
broken:2008/05/27(火) 23:56:35 ID:4i2kHUcT
>>普遍的な問題の普遍的な問題解決
中学生でも言えるだろ
375 :
神も仏も名無しさん:2008/05/27(火) 23:56:59 ID:EOIbSL2Q
>>354 キリスト教って、そもそも悟りをめざす教えなのだろうか?
方向性が違う気がするんですよね。
キリストの救いを信じるだけでいい教えだと思っていました。
そんなに悟りたいなら、仏教に回心すればいいのに、
なぜキリスト教を続けるのかがわからない。
仏教の瞑想をとりいれてるキリスト教徒にとって、
ブッダとはどういう存在なんだろうか。
376 :
神も仏も名無しさん:2008/05/28(水) 00:05:20 ID:/8tuE4Ai
>>372 一切(眼耳鼻舌身意・色声香味触法)は苦痛ですからね。
一切(眼耳鼻舌身意・色声香味触法)から
おさらばすることが解脱でしょう。
平安なる滅び。
>>375 結構、救いと悟りは字義の違いだけで、内実はおなじ、という話を聴きますよ。
>>345あたりの解説に端的にあらわされていると思います。
逆に禅宗の立場からキリスト教や浄土思想に範囲を広げた人もいます。
一休や鈴木大拙、特に後者は禅の印可を受けたあと、キリスト教や浄土宗、華厳思想
などと禅との共通点を論じています。たしか境地はおなじで、「大きなものに包摂されている事実」
それを禅で「大安心」というそうです。
社会状況が悪化すると宗教の「救い」「慈悲」の側面、そうでなければ「悟り」「智慧」の
側面が強調されますが、「これは言葉の遊戯で、境涯的に違いは無い」とのこと。
凡夫の私には知るよしもないですが、、、。
悟りとは、最高の到達点なのかも知れないが、
それは「仏教という極めて限定的な意識世界での」
という重苦しい形容詞がつく。
ならば悟りを捨てろ
>>378 ではその上とは、、、、?
仏陀が説いた時は「仏教」ではなかったと思いますよ。
イエスが説いた時も「キリスト教」ではなかった。それぞれの置かれた時代状況で「真理」を説いていたのでは。
私は仏教のほうがより普遍性があり教義もまさった部分が多いと思いますが、
ある状況下では、キリスト教のほうが効力を発揮する場面というのもあると思います。
>>379 カッケー!
イエスはブッダと同じ境地に到ったんだよ。
>>362 紹介くださったのはあなたですか?
ちがっていても貴方のレスは素敵です
ありがとう。
>>380 どちらの教義が上かという問題ではないよ。
哲学的にはキリスト教で、修行体系では仏教というところかな。
だからキリスト教が修行体系の欠陥を補うために仏教瞑想を取り
入れるのは自然なことです。
>>375 >キリストの救いを信じるだけでいい教えだと思っていました。
それは安っぽいプロテスタントの教えだよ。
キリスト教は神にまで至る修行なんです。
神が人になったのは、人が神になるためだったのです。
384 :
神も仏も名無しさん:2008/05/28(水) 09:05:59 ID:n85V5T1F
>逆に禅宗の立場からキリスト教や浄土思想に範囲を広げた人もいます。
>一休や鈴木大拙、特に後者は禅の印可を受けたあと、キリスト教や浄土宗、
>華厳思想などと禅との共通点を論じています。たしか境地はおなじで、
>「大きなものに包摂されている事実」
外道同士似た所があるのは当然だが、外道のお話は他スレでお願いします。
>「大きなものに包摂されている事実」
典型的なサマタのサマディーですね。
心をこれだけ分析している宗教は、他にあるのか?
49心所に厳密に分けてそれを組み合わせ説明しているのは
仏陀だけでしょ。
人間は、とにかく心と言葉にコントロールされ貪瞋痴まみれ。
脳科学とかもてはやされているけれど結局は、心。
自分の心を客観的に観ることが、仏陀の教え。
キリストは何を教えてくれたのですか?
>>386 そういうことではキリスト教は何も教えていない。
だから、それを補うために、キリスト教に仏教の瞑想を取り入れている
ということでしょう。
キリスト教が仏教を取り入れることに、みんな否定的だね。
どうして?
ヴィパサナが広がることはいいことじゃないか。
388 :
神も仏も名無しさん:2008/05/28(水) 12:30:12 ID:CEuzfWA3
>キリスト教徒やイスラム教徒でも悟る方はいる
こういう発言が問題なのだ。
キリスト教徒が預流果になることはない。
預流果の条件とキリスト教の教えからみて自明だと思ふが、
キリスト教自体が教義破綻しているからねえ。
キリスト教国家のアメリカではダーウィンの進化論が
学校教育で大揉めになってるのはキリスト教の教義が
宇宙の真理から完全に間違ってるという証拠。
世界の迷惑宗教だよね。
この中で、預流果に達した上で、上記の確信をもったセリフを言っている人が何人いるんだろう。
まあ、当然達して実感の上での発言なんだろうが、、、、。
>>388 >預流果の条件
って、仏教の条件だからね。
例えばですよ、例えばだからね、
あの世に逝って、一番高位の世界は仏教者だけ?
そりゃ、おかしい。
創化と同じ発想にならないかなと心配です。
>>390 それを言うなら日本の葬式仏教における坊主丸儲けの構造は
何なんだよ。
それは寺和田ではありません、ってか?
進化論否定も原理主義の一派だけだよ。
394 :
神も仏も名無しさん:2008/05/28(水) 13:30:35 ID:CEuzfWA3
>>392 >>預流果の条件
>って、仏教の条件だからね。
厳密には違う。かなり近いから、君は私の言っていることを
判っている可能性はある。
層化の発想というのが判らないが層化が言うような
女人成仏はブッダの教えではない。(多界経)
もっと仏教を実践したほうがいいと思う
女性が悟りづらいのは脳の構造によるものなんじゃないかと思う。
どこかで聞いたが女性の脳は右脳と左脳をつなぐパイプが男性より
太いらしい。
男は1つの事しか出来ないが、女は複数の事を同時にこなす。
女性は料理を作りながら友達と電話で話しつつ、子供に指図をしたりしながら
はなくそほったりする。
これは日常生活では強力な能力だけど
瞑想にはマイナスになるんじゃないだろうか。
>>394 私は創化に詳しいわけではありません。
他宗の排斥、その辺りが気にかかる点だったんです。
最近このスレを読ませて頂いてて、ティック・ナット・ハンさんの到達された理解力・境地
に、最も惹かれる様になりました。
他宗の論評は、不必要なんじゃないでしょうか。(一部新興ものは除く)
連綿と受け継がれたものを高々数十年の人生経験で評価できるほどの経験と叡智を獲得してきたのか
自問したいと思いました。
398 :
神も仏も名無しさん:2008/05/28(水) 13:44:48 ID:CEuzfWA3
>>390,
>>393 長部第二十七経「起源経」(Agganna-suttanta)には人間はサルから進化した
とは書いていない。
低いレベルでは進化論は間違いないようだが果たしてサルから人間へは??
「起源経」の記述も有り得るではないが有り得ない事でもないかも知れない
位に思っている。ご一読をお勧めする。
399 :
神も仏も名無しさん:2008/05/28(水) 14:03:34 ID:CEuzfWA3
>女性の脳は右脳と左脳をつなぐパイプが男性より太いらしい。
右の手と左の手を合わせる=「合掌」には色々効能があると言う話もある。
(cf:西式健康法)
両脳をつなぐパイプの件も「合掌」がこれに寄与するのではないかと根拠も
なく考え、日本の脳生理学者の第一人者と言われる方にお聞きした事があり
ますが仰るとおりです、とのお返事を頂いた。医学的なご説明は
お聞き出来なかったが...「合掌」して30分、1時間というのもよくやり
ました。微弱電流が流れているし、何かはあるだろうと私でさえ思うし、
ブッダだって知っていたかも知れないなんて思ったりもする。
寺和田は女性差別的ですね。
一部の学者が言ってるというだけで定説にもなってない話を、いかに
も科学的であるかのように話すところも・・・・
解脱でなくてもいいから、その一つ手前に至る方法は無いか?
俺の上司がギャンぎゃンいうので、ついカッとなって言い返してしまう。
なんとか冷静になりたい。
トラブルを避ける方法
精神的に弱いのが問題だ。この場合に売り言葉に買い言葉となる。聞くことと
切り返すことが重要なのだが、感情が高ぶった状態では下手に切り返すよりも、冷静に
対処する。でも冷静になる方法があるのか?
>>387 全然否定してませんよ。
女性は子供を産む体質だから男性よりも執着心が強いと思う。
執着を取り払うのに相当苦労しそう。
それから悟りには、4段階あるでしょ。
あれも人に寄って色々だから面白いなと思う。
悟りが一つではないところが魅力的。
仏教に出会えて良かった。たまに苦しいけどw
>>401 Q&Aでそれにピッタリ当てはまるのありましたよ。
確か、動物が吠えていると思いなさい。感情を受けとずに音と認識しなさいとかね。
でも、普段から常にサティを入れる癖をつけておかないと難しいですよね。
>>402 > 女性は子供を産む体質だから男性よりも執着心が強いと思う。
> 執着を取り払うのに相当苦労しそう。
だから、それが差別なんだってば。
男でも執着を取り払うのに相当苦労するよ。
男にしろ女にしろ簡単ではない。
仏教は心の分析では科学的なのに、人権感覚は弱いね。
非常に保守的です。
心がコントロール出来るのなら、その差別意識を何とか出
来ないの?
>>401 誰かにギャンギャン言われてカッとなるのはあなたの中に
「ギャンギャンいわないで欲しい」とか「冷静に話すべきだ」という
他人に対する期待の気持ちがあるから。
外部に対する期待を持つと、期待通りにならなかった場合に
怒りが生じます。
だから相手に何も期待せず、ただあるがままに「この人はギャンギャンと話しているなぁ」
といった感じで見ればよいと思います。
人にこうして欲しいなどと思う心を捨てること。
>>401 あとは人は人と話しをする時に無意識に相手の言葉の裏などを
読み取ろうとする事があります。
言葉で話しているにも関わらず、まるでテレパシーでも読み取ろうとするかの
ように相手の言葉以外の感情や人格、言葉の裏などを見ようとするのです。
これをせずにただ相手の言葉だけに集中するとよいです。
>確か、動物が吠えていると思いなさい。感情を受けとずに音と認識しなさいとかね。
>でも、普段から常にサティを入れる癖をつけておかないと難しいですよね。
今日は頭にきたので、もう仕事をやめて、帰ってきた。まだ今でも、頭にきて
思い出すだけでドキドキする。向っ気は強くてよく喧嘩はよくするんだが、ヤッパリ
気が小さいのだなとつくづく思う。
サティってどうなんだろうな。気が強くなるんだろうか?
俺は思うのだが男としてヤッパリ舐められているんだと思う。なぜかというと、動揺
が表情にでてしまうのだろうと思う。(仕事で舐められているんじゃないよ。
仕事は普通の奴の2倍はできる。とはいえ彼もかなり仕事はできる。)
吼えられるってのは、動物的にみて、男として強そうで実は弱いと思われて
いるのだろう。つまり自己顕示するには、格好のカモってこと。
>「ギャンギャンいわないで欲しい」とか「冷静に話すべきだ」という
>他人に対する期待の気持ちがあるから。
>外部に対する期待を持つと、期待通りにならなかった場合に怒りが生じます。
そうなんだよ。仕事のできない奴ではないので、他人が陰で悪口を言っているときでも
俺は「そんなことはない」といってフォローしてやっている。そんな有り難い俺に
向ってギャンギャンいって、陰で悪口を言うような下衆にはいい顔をする。
それがまた許せんのだ。
>>408 失礼な言い方だけど、ひょっとして似たもの同士じゃね?
>これをせずにただ相手の言葉だけに集中するとよいです。
昔クラブ(キャバレー)でバイトをしていたとき、離れたボックス同士の客がビール瓶
を割って喧嘩を始めたことがある。こっちはバイトなんで、警察が来るまで見守るだけだが
見ているとやはり血が騒ぐ。こころの中では「俺に指一本んでも触れてみろ、ただじゃ
済まんぞ、このやろうども」と。それを見透かされたのか、後でマネージャに笑いながら
注意された。 そういうことってないですか? ヤッパリ条件反射的に、反応して
カーッと真っ赤になる。 サティなんて効きますか?
>失礼な言い方だけど、ひょっとして似たもの同士じゃね?
全然ちがう。私の方が冷静。
>>410 >こころの中では「俺に指一本んでも触れてみろ、ただじゃ
済まんぞ、このやろうども」と。それを見透かされたのか、後でマネージャに笑いながら
注意された。 そういうことってないですか?
それはありますよ、マネージャーはあなたの性格も知ってるでしょうし
顔つきとかでわかるでしょう。
私が言っているのは会話をしている時には言葉にだけ集中したほうが
冷静さを保ちやすいということです。
>ヤッパリ条件反射的に、反応して
カーッと真っ赤になる。 サティなんて効きますか?
瞬時に激高した後ではサティは効きません。
だから激高しないように考え方を変えてみたらどうですかと
いうことです。
412 :
261:2008/05/28(水) 18:32:42 ID:+ToOPoY3
>>372 >普遍的な問題の普遍的な問題解決。それが解脱です。その問題とは,苦諦です。
>もし,この世に元々ない,何か想像すらできない,言葉にもならない何かを,
>どうかした,何かが,解脱であるというのなら,それは全く無意味でしょう。
>それは,もしかしたら前人未到の偉大な事業かもしれません。しかし,全く
>無意味でしょう。
解脱をそのように理解すると、ますます超越的な体験・瞑想が不要になると思うのですが。
>輪廻と解脱は,相互依存だ
すみません、意味がよくわかりませんでした。
>>410 人の感情というのは基本的に2種類です、それは安心と不安心で
他の様々な感情はこの二つの感情の亜流と考えていいです。
何故怒るのか、それは不安があるから怒るのです、
>>410の例で言えば「俺に指一本んでも触れてみろ、ただじゃ
済まんぞ、このやろうども」と思ったようですが
何故このような感情が出るかというとそれは不安があるからです
やる気満々のようでいて実は心の奥で恐怖を感じているのです。
恐怖を感じなければそんな気持ちは起こるものではありません。
例えばあなたに向かって子犬がキャンキャン吼えても
ヤッテヤルゾ!なんて気持ちは起きないでしょう、それは恐怖を感じていないからです。
やる気満々の気持ちの裏には恐怖とそれを認めたくない
自分の心の葛藤があるはずです。
自分を弱いと認めてしまえば楽になるでしょう。
>だから激高しないように考え方を変えてみたらどうですかということです。
そんなに簡単に激昂したりはしません。今よく考えてみると、相手は
雰囲気をつくるのが美味くて、よく冗談をいい。こちらともいいやり取りをする
のです。ところが何かの拍子に急に激昂し始めるのです。全く不意をつかれると
為すすべもなく反応してしまう。
>>414 「何かの拍子に急に激昂し始めるのをやめて欲しい」
と相手に期待をするのをやめればいいです(笑)
「アッ!まーた急に激高した」とだけ見ればいいのです(笑)
>>413で言いたかったのはつまり怒りとは不安の表れだということです。
>「アッ!まーた急に激高した」とだけ見ればいいのです(笑)
見るだけなら問題なくできます。仕事の上ですから、あることないことを
数え上げて難癖をつけてくるのです。大声で喚き散らして、こちらの仕事を
避難してくるのです。だから見過ごすわけには行かない。
「それは間違っている」と答えなければならないのです。
答えるときにこちらも声が段々大きくなって上擦ってくるのです。
後は売り言葉に買い言葉。
418 :
神も仏も名無しさん:2008/05/28(水) 19:23:24 ID:CEuzfWA3
売り言葉(ID:yh5+7sye)に買い言葉(ID:2kuB1rH1)ね。
ここでもやってる。
まあ、言っちゃ悪いがID:yh5+7syeの言っている事が不適切だね。
>自分を弱いと認めてしまえば楽になるでしょう。
それは認められない。楽にならなくていいから精神的に強くなりたい。
ある非常に温和な空手の先生を知っています。誰ともわけ隔てなく気さくに
声をかけてくれます。おまけに非常に貧乏な先生です。しかし最初に出会った
ときなんて迫力があるんだろうと思いました。温和でありながらずっしりした
迫力があるのです。もちろんこちらが吼えても、子犬が吼えているぐらいに
しか思われないでしょう。
そういう精神力というか迫力のようなものは、瞑想とかサティーでつくの
でしょうか?
>>419 貴方の求めているものは仏教では
手に入りません。
空手でも習って世俗にドップリ浸かってたほうがいいです。
>>417 言葉だけに集中して聞くのです。
「大声で話しやがって!なめてんのか!」などと妄想せずにただ
言葉だけを聴いて反論があるなら反論すればいいです。
ケンカ越しの相手にケンカ越しで対応するのは相手の土俵に
合わせるということで、その土俵があなたの得意とするところなら別ですが
そうでないならあなたの不利にしかなりません。
なので”冷静”に考えて(願望ではなく)ケンカの土俵で相手に分がある
ならば冷静を保つことです、ケンカ越しで話しをするとあなたはどんどん不利になり
どんどん不安が大きくなり、不安によって怒りが生じ、怒りによってなおさら
ケンカ越しになる無限ループです。
先にも書きましたが怒るという事は恐怖を感じているのです。
でも自分で何に恐怖を感じているのかよくわかっていないかもしれません。
「会社をクビになるかもしれない」とか
「自分を低く評価されたくない」とか
いろいろあるでしょう、一度自分の心を落ち着いているときに良く見てみることです。
それで自分が何に恐怖しているのか、確かめてみるのです。
確かめた結果が例えば「自分を低く評価されたくない」「なめられたくない」
というものだったら、次に上司に怒鳴られた時に自分の心を観てください。
瞬時に「なめられた!」という思いが見えると思います、この時に
「あ、また舐められたくないと思っている」とサティを入れれば
これは怒りが起った瞬間のサティですから効果があります。
自分の恐怖の正体を見極めて、それによって自分に怒りが出るのだということが
解れば段々と怒ることは無くなっていきます。
>>419 完璧に強いこころを持っている人などいないでしょう?
誰でもどこかに弱さがある。
その自分の持っている弱さを認めることも精神力じゃないですか?
隠すのではなくいったん認めてそこから鍛えていくのが
本当の強さだと思います。
>貴方の求めているものは仏教では 手に入りません。
仏陀って迫力なかったでしょうか?
ソクラテスは知者としても、戦闘員としても、かなり迫力があったと思います。
お釈迦さんに迫力があったとしてそういうところを学んで欲しかったと思いますか
>確かめた結果が例えば「自分を低く評価されたくない」「なめられたくない」
>というものだったら、次に上司に怒鳴られた時に自分の心を観てください。
>瞬時に「なめられた!」という思いが見えると思います、この時に
それもあるのですが、すこし違います。舐められたのなら、自分の力不足なので
なんとか我慢して諦めます。
しかし極端な言い方をすると、放置して応戦しなければ、自分の名誉が傷つくのです。
たとえばあなたのことを盗人だと、言いふらされたら、黙って置かないでしょう。
盗人とは言われないにしろ、基本的にはそういうことなのです。
仕事をせずにサボっていれば、給料泥棒ですが、そんなことをいわれる筋合いは
ないのです。
会社の人間関係ってどこでも良く似たもんなんだね(笑)
>お釈迦さんに迫力があったとしてそういうところを学んで欲しかったと思いますか
重みのない言葉ってのは、感化し得ないでしょう。
仏陀の慈悲も上辺だけの軽薄な慈悲ではなかったはずです。
慈悲という言葉に囚われすぎかもしれません。
慈悲よりその背後にあるもの、仏陀の言う慈悲を仏陀の慈悲たらしたところのもの
それが知りたいのです。
葬式で忙しい糞坊主みたくに、しけたお釈迦さんじゃ誰も尊敬しないでしょう。
彼等も慈悲慈悲と言います。
このスレの人でアヤワスカやったことある人いる?
429 :
神も仏も名無しさん:2008/05/28(水) 20:36:18 ID:yh5+7sye
>>425 これはあくまで私の想像ですが
先にも誰かが書いていましたがおそらくあなたと上司はどこか似ているのしょうね。
お互い自分のほうが上だと思っているんじゃないですか?
上司は上司ですから自分が上と思うのも当然ですが
もしあなたが上司よりも自分のほうが・・と思っていたらそれは少し
問題ありかもしれませんね。その気持ちがどこかあなたの態度に出てしまう、
それを上司は察知する、あなたも実際仕事が出来るものだから上司は恐怖を
感じる、そして上司は早い内にあなたの頭を押さえつけてしまおうと思う。
思い当たるところはありませんか?
もしそうだとすれば、上司の立場というものも理解する努力が必要だと思います。
あなたは人より能力が高いのでしょうが、いくら能力が高くても
あなた一人で会社を運営する事は出来ないでしょう。
一人一人が自分の役割を担って成り立つのが組織というものなのですから
一歩引いて上司の仕事や役割も認めてあげる事でそれが上司にも伝わると
思いますよ。
自分は冥想を始めてから、一番嫌いで自分とは正反対なヤツと思ってた人が
実は、鏡に映したように似ていたことに気がついて愕然とした。
迫力をつけて相手を威嚇し満足するだけじゃ、心の広い清らかな人間にはなれないでしょ。
>その自分の持っている弱さを認めることも精神力じゃないですか?
>隠すのではなくいったん認めてそこから鍛えていくのが
>本当の強さだと思います。
確かに精神的に弱い。それは認めています。怒り出して声が震えてくるなんて
小物です。
しかし普段は正しいと思ったら、かなり際どいことでも、恐れを知らずにいいたい
放題をいうので、弱弱しくデリケートな部類の人間ではないのです。向っ気が強く
戦闘本能旺盛にも関わらず、その実、簡単に動揺して声が震える。
そこがやりきれない。
>思い当たるところはありませんか?
おおありです。
究極のところ、
「お前なんか、私の足元にも及ばない。」という根拠なき自信を持っています。
もちろん態度には出しません。
>一歩引いて上司の仕事や役割も認めてあげる事でそれが上司にも伝わると
>思いますよ。
リラックスすると言葉は乱暴ですが、TPOをわきまえ礼儀については繊細な
つもりです。
しかし試合中のことですが、「人を小ばかにして見下す態度がでる」
というようなことを婉曲にですが、武術の先生に指摘されました。
だからあなたの言うことは多分中っています。
>>427 迫力には肉体的迫力と精神的迫力があるのではないでしょうか。
お釈迦様には肉体的迫力は無かったと思います。
あなたが先にあげた空手の先生は肉体的精神的両面の迫力をバランスよく
持っていたのでしょうね。
ただ肉体的迫力は格闘技のヘビー級世界チャンピオンには及ばないのではないでしょうか。
またマザーテレサは病気で苦しむ子供たちを一刻も早く救うために
医薬品を積んだ国内線の飛行機のパイロットを説得しルールを侵してまで
国内線の飛行機を管制塔の警告を無視させて国際線の滑走路に移動させたと
いいます。
この精神的迫力は相当なものであったと思います。
空手の先生に果たして同じ事が出来たでしょうか。
このように迫力とは肉体的なものにとどまらないのだと思います。
433 :
broken:2008/05/28(水) 21:05:47 ID:exY000kz
俺様が凡夫だった頃、弟は神父だった
父さん人夫、母さん妊婦
わっかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ
イェーイ
慈悲を慈悲たらしめるもの。むつかしいですよね。
でもそれはたぶん自分も他人も同じ、平等って事だと思いますよ。
「人を小ばかにして見下す態度がでる」のとは反対のものでしょう。
435 :
brown:2008/05/28(水) 21:24:28 ID:iYVF/hAz
>>412 超越的な体験とは何ですか?
なぜ超越的な瞑想を求めるのですか?
その瞑想は何処に行くのですか?
無ですか?何が無いのですか?
>この精神的迫力は相当なものであったと思います。
>空手の先生に果たして同じ事が出来たでしょうか。
>このように迫力とは肉体的なものにとどまらないのだと思います。
マザーを尊敬します。冷蔵庫の扉にマザーの言葉を張っています。
「大切なのは、いかに多くのことをなしたかではなく、どれだけ心をこめたかです」
しかしマザーの行動は矛盾だらけです。何故そんなに確信を
もてるのでしょう。自分なら確信をもてません。マザー以上に行動の可否を
を正確に判断できるからでしょうか? 少なくとも彼女の行動の矛盾を指摘できる
だけの知識と知恵があります。だから確信がもてず不安になるのでしょうか?
マザーの迫力はどこから来るのでしょう。宗教的信念(固執)や無知(無邪気)から
くるのでしょうか?
437 :
brown:2008/05/28(水) 21:33:01 ID:iYVF/hAz
>>401 無理にでもにっこり笑うことですね。
心に何を思おうが,間逆でも,にっこり笑ってから,その「怒り」の
対応を始める。
そうすると万事うまくいきます。
>>431 あなたは
腕には結構自身があるのでしょう、でもね腕力がいくら強くとも
覚悟がなければ使いこなせないんですよ。
どうもあなたは肉体的強さが精神的強さに通ずると思っているふしがあるようですが
いくらケンカが強くとも街でケンカしたときには刑務所に行く覚悟がなければ
全力で相手をぶちのめすことは出来ません。
こういうところにあなたはジレンマを感じていませんか?
自分は強いがその強さを解放できない、刑務所に行くのは怖いから。
そのくせ肉体的強さが精神的強さにつながると思っている。
自己矛盾しているのではないですか?
リングの上でなら別ですが、通常社会での肉体的迫力なんて
覚悟が無ければ究極まで持って行けないのですから、ゴミも同然なのです。
究極までもっていけない肉体的迫力なら捨ててしまって
精神的なものを目指したらどうでしょうか。
439 :
神も仏も名無しさん:2008/05/28(水) 21:47:55 ID:CEuzfWA3
>>433 いいとこ突いてますね。
こういうのはどう?
「オレ、オレ、オレ聖者」詐欺
>>436 マザーの迫力は宗教的なものであることは間違いないでしょう、
熱心なクリスチャンであったようですから。
マザーの行動の矛盾というのは私は勉強不足でよくわかりませんが
おそらくマザーは目の前の貧しい人を救うという一点に集中していたために
全体的な可否に関しては疑問点も多々あるのかもしれません。
ただここでは迫力というものが必ずしも肉体的裏付けがなければ
ならないものでは無い事を言いたかったのです。
> ID:2kuB1rH1さん
>放置して応戦しなければ、自分の名誉が傷つくのです。
そんなことはありません。
言葉は音です。音で怪我をする人はいません。
上司に悪く言われただけで、あなたの何が変わるのでしょう?
上司の中のあなたのイメージを音波に変換しているに過ぎません。
あなた自身がそれを受け入れない限り無力です。
>たとえばあなたのことを盗人だと、言いふらされたら、黙って置かないでしょう。
逆に言えば、このような他者があなたに対して持っているイメージを、
あなたが力づくで変えることもできません。
周囲の人があなたに対して、そんな人間じゃない、というイメージを持っていれば
上司が何を言おうと、周囲の人はそれほど影響を受けないでしょう。
管理職というのは、なだめたりすかしたりして、部下に仕事をさせ、成果を上げさせるのが仕事なんですから
「はいはい」と聞き流すのが上策だと思いますよ。
>>372brownさん
鋭いですね、目から鱗の感でした。
443 :
参考までに:2008/05/28(水) 22:26:13 ID:8qEkeatQ
(33)
それゆえに,的や親しいものが
理に合わないことを行っているのをめにしても、
こうしたことは煩悩などの縁(=条件)から生じるものと思い
穏やかに受け入れよ
(38)
煩悩をおこし、そのように
自らをも殺めるような行為をなす衆生に
たとえ,憐れみの心を起こせなくとも
怒りの心を起こすなど
あってはならない
(62)
もし衆生に私への信頼を失わせるという理由で、
わたしの悪口をいった相手にはらをたてるなら
相手が私以外の他人をそしった時どうして同じように腹を立てないのか
(63)
私以外の他人に関わる悪意なら寛恕するのに
怒りといった自分の煩悩を引き起こす不愉快な言葉にはどうして耐えられないのか
444 :
参考までに:2008/05/28(水) 22:27:56 ID:8qEkeatQ
(67)
あるものは愚かさゆえに過失を犯し
あるものは愚かさゆえに憤る
いずれの行為に咎なく
いずれの行為に咎があるのか
(68)
他人に危害を加えられるようなカルマを
どうして私はその昔つんでしまったのか
すべてが自分の行為に依存しているなら
どうして加害者に対して憤ることができよう
(91)
なにが自分の利益になるかを知れば
そんなもの(賞賛や名誉)が何の利益ももたらさないとわかるはず
心の快楽だけを求めるならば
博打や飲酒に溺れるがいい
(92)
名誉の為に財を投げ出し
命さえ捨てる
ほめ言葉ごときになにができようか
死んでそれから誰が喜びを得られよう
(100)
解脱を追い求める私が利得や賞賛に縛られる必要はなく
私を束縛から開放してくれるものに
どうして腹を立てることがあろう
>迫力には肉体的迫力と精神的迫力があるのではないでしょうか。
お釈迦様には肉体的迫力は無かったと思います。
あったと思うよ 沙門になってから知らないけど
なんせクシャトリア(武家)だからね 若い頃武術大会で大男を負かした
エピソードがある
会社は日本中隅から隅までそんなもんだよ
違う会社は左前だろうね
>>445 なるほど武家だったんですね、初めて知りました。
それならば肉体的迫力もあったかもしれませんね。
>会社は日本中隅から隅までそんなもんだよ
違う会社は左前だろうね
なるほど、そんなもんなんでしょうかねえ。
>>421 >言葉だけに集中して聞くのです。
>「大声で話しやがって!なめてんのか!」などと妄想せず
頂きました。
私も、苦手な方と会話をしているとき、たいてい「舐めやがって」とか
「オレを馬鹿ににしているのか」「オレのことを嫌っているのだろう」という種の
不安が自然に湧き上がってくることに、今、気付きました。
おかしなもので、自分と仲の良い人間と会話をしているときは、その種の妄想が
全く上がってこないのに。
その仲の良い仲間が、私のことを馬鹿にしていない保証などないのに。
明日から、早速、気をつけます。
あと、相手の言葉から、オカシナ妄想を膨らませないように注意しなければ。
>>431 >確かに精神的に弱い。それは認めています。怒り出して声が震えてくるなんて
>小物です。
>しかし普段は正しいと思ったら、かなり際どいことでも、恐れを知らずにいいたい
>放題をいうので、弱弱しくデリケートな部類の人間ではないのです。向っ気が強く
>戦闘本能旺盛にも関わらず、その実、簡単に動揺して声が震える。
>そこがやりきれない。
動揺も声の震えも、体と心に起こった「事実」ですから、それはサティの対象ではあっても、
嫌悪の対象にすることはないのでは?
また、迫力も、向っ気も、悪いとはいいきれないですが、よいものとも言えないでしょう。
それを美徳と思っていませんか?
普段は恐れを知らずに言いたい放題とのことですが、人はみんな自分が正しいと思っているのだから、
いいたい放題言われたら、傷つく人も多いと思いますよ。
声の震えも、動揺も、迫力も、向っ気も、美徳でも、欠点でもない。ただの現象だと思います。
大事なのは、正当性を主張することであって、自己イメージではないはず。
ちょっと失礼ですが、、、。
449 :
261:2008/05/28(水) 22:47:04 ID:+ToOPoY3
>>425 >超越的な体験とは何ですか?
人間の認識レベル(身体・六処に依存した心の認識レベル)を超えて、
心のエネルギーのみで認識した体験と思います。
>なぜ超越的な瞑想を求めるのですか?
求めてはいないです。
最初の私の質問(
>>342)に対して、brownさんが否定されたので(
>>363)、
何か特別な体験が必要であることを前提にしました。
それでは結局、特別な体験(人間の認識レベルを超えた体験)は不要で、
概念習得(本を読んだり・説明を受けたり)で解脱は可能という理解で正しいのではないでしょうか?
「怒り」がなぜまずいのかというと、平等心をそこない、妄想の世界に入るからです。
慈悲心から離れ、執着を深めるからだと思います。(長老の本より)
ID:2kuB1rH1さんが怒りを減らしたい理由は、そうではなく、
「動揺せず静かな迫力を出したい」「空手家の先生のようにどっしりとしたい」
という理想のためではないですか?だとしたら、それは事実から離れたことなので
執着を深めるばかりだと思いますよ。
まず、「他者も自分と同じように、不安から攻撃的になるのだ」、という事実を踏まえて慈悲の瞑想をしてみるとか、、。
451 :
brown:2008/05/28(水) 22:59:02 ID:iYVF/hAz
>>449 みかんの味を,概念習得(本を読んだり・説明を受けたり)で味わうことが
できるでしょうか?
ところで,みかんの味は,特別な体験(人間の認識レベルを超えた体験)
でしょうか?
概念習得は道しるべにはなる
453 :
神も仏も名無しさん:2008/05/28(水) 23:05:46 ID:yh5+7sye
>>447 そうですね、私もなるべく注意しています。
454 :
brown:2008/05/28(水) 23:07:26 ID:iYVF/hAz
解脱,涅槃,浄土とは,
凡夫が偶然や誤った方法によって到達する可能性は全くない経験である,
と言う意味で,特別な体験です。
しかし,それは凡夫が知りうるこの世の一切と同じ構成要素からできている
と言う意味で,超越したものではありません。
全く同じ構成要素でできてるんですよ。
だから,あるがままで完璧なんです。
何一つ変更する必要はない。
しかし,全く違う。
そもそも,言ってること,ダイレクトに矛盾してます。でも,それで正しい
んです。言語で表現できる。しかしできない。
悟りの味はみかんの味。みかんの味が分かれば,悟りの味が分かります。
>>449 横レス失礼します。
>人間の認識レベル(身体・六処に依存した心の認識レベル)を超えて、
心のエネルギーのみで認識した体験と思います。
あなたはおそらくこれを体験したのでしょう?
それでどうでしたか?悟れましたか?
456 :
broken:2008/05/28(水) 23:12:50 ID:exY000kz
今日は華厳命の復活祭?
457 :
brown:2008/05/28(水) 23:12:51 ID:iYVF/hAz
>>452 そのとおりです。
よく,概念や思考を否定する人がいます。
ヴィパッサナーの説明でもそうです。ありのままと思考を分けて,
思考をサティで止めて,・・・
本来,何一つ止める必要も,否定する必要もありません。
思考は,現実の構成要素です。この世で生きている条件の一部です。
それを否定して,悟りはないわけです。
この世の構成要素(ダルマ)のうち,何か一つでも損なうものがあれば,
それは悟りではありません。
全てです。全てを含みます。何一つ拒絶すべきものはありません。
だから,全てに超越しているのです。
458 :
brown:2008/05/28(水) 23:18:48 ID:iYVF/hAz
だから,煩悩そのものが悟りなのです。思考が悟りです。悪行が悟りです。
怒りが悟りです。解脱が悟りです。輪廻が悟りです。三昧が悟りです。
いらつきが悟りです。寂静が悟りです。仏陀が悟りです。動物が悟りです。
呼吸が悟りです。感情が悟りです。セックスが悟りです。一切が悟りです。
そこから出るものは何一つありません。「そこから出るもの」という妄想
すら,悟りです。「それは単なる怠惰な睡眠だ,痴という煩悩だ」という
断定も悟りです。
しかも,それら全てを超えているのです。
459 :
神も仏も名無しさん:2008/05/28(水) 23:22:28 ID:yh5+7sye
>>458 うーむ、思考が悟りであり悪行がさとりあると・・・
それは私には理解できないです。
460 :
broken:2008/05/28(水) 23:22:52 ID:exY000kz
とりあえず全部悟りだってw
鋭いですね、鼻からから牛乳の感でした。
461 :
brown:2008/05/28(水) 23:24:23 ID:iYVF/hAz
だから,一切の判断を停止して,全ての思考を捨て去り,どんな欲望からも
自由に,ただ,ありのままを認識する,行の中に留まり続ける必要があります。
見たら見た,それを判断したら判断した,思考したら思考した,欲望を抱いたら
欲望,何事も計らわず,計らわないことも計らわず,ただ,一切の判断を停止して,
全ての思考を捨て去り,どんな欲望からも自由に,ただ,ありのままを認識する,
行の中に留まり続ける必要があります。
このようにして,正サマディーが成就します。
462 :
brown:2008/05/28(水) 23:28:41 ID:iYVF/hAz
>>459 思考を超越した「悟り」は,思考によって滅ぶ。
悪行を否定した「悟り」は,悪行によって滅ぶ。
なぜなら,その「悟り」は,思考や悪行を悟っていないから。
単に遠くに押しやったに過ぎないから。
463 :
broken:2008/05/28(水) 23:30:15 ID:exY000kz
ブラウン、僕もう疲れたよ
お休み〜
464 :
brown:2008/05/28(水) 23:33:40 ID:iYVF/hAz
どのような見苦しい心も,見たくない事象も,それに対して,真剣に取り組む
必要があります。それを怠れば怠るだけ,あなたの認識はそれ,あるいは
その不在によって条件付けられてしまいます。
何をためらっているのですか?何をふざけているのですか?何を否定している
のですか?
そのような余裕は一日もないはずです。
先延ばしにしたり,本来あるものを否定したり,そのような傲慢な思考と
感情が輪廻を織り成していることに気づきなさい。
自分自身をごまかすのをやめて,茶化すのをやめて,しっかりしなさい。
>>462 うわ、説得力ありますね。
勉強になります。私もまだまだですね。
ブラウンさんは瞑想なしに思考のみでそこまでいったのですか?
ろくでもないことをする時間がちゃんと確保されているほど人生って長くないですね。
まじめにやらないと何もできなさそうです。
467 :
神も仏も名無しさん:2008/05/29(木) 00:12:12 ID:24he3GzV
すいません質問させてください。
数年前、ニュースレターで読んだ詩なのですが
パーリ語でかかれたものでゴエンカ氏が誰かの追悼のために
紹介したものだったのですが
生じて滅し。滅して生ずというような詩でした。
数行の詩だったのですがまた読みたいので誰かご存知の方が
いましたら教えてもらえないでしょうか。
>ブラウンさんは瞑想なしに思考のみでそこまでいったのですか?
brownさんはね ゾクチェン本丸写しの「なんちゃってゾクチェンパ」です
アマゾンでチベット密教 ゾクチェン関係の本における
寺和田シンパのvivekatrekさんの書評をお読み下さい
いいかげんにしろ。みっともないぞ。ブラウンが読んでた本は上に書いてあった。
瞑想もしてるといってた。ブラウンが本物かどうかは、自分が本物じゃないからわからん。
だが、おまえはミミッチクグチグチいってないで、どこがニセモノなのか、指摘してみろ
>>468 できなきゃいうな。
悟ってもいない凡夫が、いいのわるいの、大口を叩くんじゃない。生意気をいうな、ということだ。
471 :
神も仏も名無しさん:2008/05/29(木) 00:32:45 ID:AC6TLAzf
>>431 仏教がめざすのは、欲や怒りの煩悩をなくしていくことです。
怒りの感情はストレスになりますよ。
怒りがなければ楽ちんです。
親戚かなんかの幼稚園児から悪口言われても、腹たたないでしょう?
世の中の人間全員が幼稚園児だとしたら、
大人のあなたは彼等からどう言われても、
まったく動揺しないでしょう。
周りの人から仕事できない奴だと思われてもいいじゃないですか。
どうせ人間は死ぬんですよ。
会社の中で出世したり、金持ちになったって、あまり意味ないです。
>>468 ゾクチェンというのは知らなかったのですが、チベット密教ですか。
本をいくら熟読していてもそれだけでは人の様々な質問に
的確に答えを出すことはなかなか難しいでしょう。
私は自分が悟っていないのでブラウンさんが悟りを得ているかどうかは
解りませんが、悟りに近いところにいることだけは確かではないかと思うのです。
なにも絶対にヴィパッサナーだけでしか悟りを得る事は出来ないとも限らないのですから。
私は自分なりのサマディーは経験しているのですが
その視点から見てもブラウン氏の言うことに矛盾は感じません。
>>472 訂正
私は
>>465です。
>ブラウンさんが悟りを得ているかどうかは
解りませんが、悟りに近いところにいることだけは確かではないかと思うのです
訂正
ブラウンさんが悟りを得ているかどうかは
解りませんが、少なくとも悟りに近いところにいることだけは確かではないかと思うのです
474 :
神も仏も名無しさん:2008/05/29(木) 00:46:13 ID:AC6TLAzf
>>431 テロリストが人々を脅して「俺達をなめると痛いめにあうぞ」と言うのと、
変わらないのでは?
迫力って、結局他人に恐怖を与えたいわけでしょう?
いったいそれで、誰が幸せになるのですか?
迫力を使って、脅して他人を思いどおりにしたいだけなら、
テロリストとかわらないんじゃないでしょうか。
475 :
神も仏も名無しさん:2008/05/29(木) 00:52:54 ID:AC6TLAzf
まぁ、私ももともとイライラしやすい性格で、
普段は温和な性格になろうと心がけてるつもりですが、
体調が悪いと何かの拍子にカッとなってしまい、
あとで「しまった」って思います。
カッとなって怒ってる瞬間は、なんとなくスカっとするというか、
怒りを態度に出すことに快感を覚えてるのでしょう。
でも、結局、それで周りの人が幸せになるわけじゃなく、
むしろ恐怖や嫌悪を感じさせるだけ。
自分が一瞬気持ちよくなりたいがために、他人を不幸にする。
最悪ですね。
476 :
459:2008/05/29(木) 01:08:55 ID:QAXC4WoI
>>464 なるほど、これは私に対する答えですね。
正にその通りでした。
腹を据えなきゃなりませんね。
ありがとうございます。
>周りの人から仕事できない奴だと思われてもいいじゃないですか。
>どうせ人間は死ぬんですよ。
>会社の中で出世したり、金持ちになったって、あまり意味ないです。
意味はあるとおもうのですよ。
>いったいそれで、誰が幸せになるのですか?
>迫力を使って、脅して他人を思いどおりにしたいだけなら、
>テロリストとかわらないんじゃないでしょうか。
意味があるというのは、「誰が幸せになるのですか? 」ということです。
達観した人から見れば、短い一生かもしれませんが、やはり誰もが幸福を
求めている。簡単にテロリストと言うけどもテロリストは本当にテロリストな
のか? テロリストにもそれなりの言い分があるのです。彼等なりの方法で
幸福を求めている。彼等に比べれば、我々は概して平和で幸福です。しかし
幸福の追求をしていくと、会社でも家でもトラブルが起こります。一切を
諦めてしまえばトラブルは起こりません。精神的にも肉体的にも自殺という
手段は安易すぎます。「どうせ死ぬんだ」だから諦めろというのは精神的
自殺の勧めです。
朝起きて、喉が渇いたので麦茶を飲もうとマグカップを探したがない。
仕方がないので、小さなコップをとりだした。マグカップになみなみと麦茶を
注いでグイグイ飲もうと思ったのに、小さなコップで一杯、二杯と飲んで
いく。ふと「あっそうか」と気がついた。マグカップにこだわって気分が
悪くなっていたけど、小さなコップで飲むのも悪くない。一瞬のこととは
いえ、なんて小さなことにこだわっていたのだろう。
こだわりってのはこんなもんなんだろうな。こだわりの強い人なら、もっと
一生懸命マグカップを探す。そして見つけられなければ、麦茶を飲まずに
冷蔵庫に戻したかもしれない。
こういう拘りは悪いことなのか? 自分の範囲ないなら寧ろいいことの
方が多いかもしれない。しかしこれが宗教的信念や政治的信念になると
対立の原因になる。
筋力は何ぜ保たれているかというと毎日の歩行や作業によってです。
拘り力というのがあるとすると、それはどこで養われているのか?
それは日常の些細な習慣に根があるわけです。マグカップへの拘りのような
ものです。それが鍛えられ強められて、宗教的信念や国家テロになる。
でもその過程は複雑で何重にも重ねあっている。普通ならそう考える。
しかし仏陀の洞察ではこの階層構造が思ったほど深くない。日常の些細
なことにサティーを入れることで、こだわりの本質を見抜けば、強固に
見えた階層構造も意外とシンプルで簡単に崩壊する。
信念が崩壊すると、人間本来の豊かな生命力と創造力が立ち上がる。
多分そういうことなのかもしれない。
>私は自分なりのサマディーは経験しているのですが
>その視点から見てもブラウン氏の言うことに矛盾は感じません
矛盾がないというのは偽者の証拠です。本物は矛盾だらけですから。
仏陀の教えが矛盾がないなんてまさかいわないでしょうな。
ゾクチェンは偽物でしょう。あんなのはおかしい。といっても
何が書いてあったか忘れました。
480 :
神も仏も名無しさん:2008/05/29(木) 07:54:12 ID:AC6TLAzf
>>477 でも、仏教がめざすのは、
そういう達観した「大人の心」になることだと思います。
481 :
261:2008/05/29(木) 08:05:16 ID:V/IOPor7
>>451 それでは、ある現象を理解するには、結局体験が絶対条件となります。
概念習得では、その現象の理解は不可能だと。
それは、私も賛成しますので、それを前提に質問します。
>>454 >解脱,涅槃,浄土とは,
>凡夫が偶然や誤った方法によって到達する可能性は全くない経験である,
>と言う意味で,特別な体験です。
しっかりしたプロセスを意識的に経なければ、解脱は不可能ということですね。
>しかし,それは凡夫が知りうるこの世の一切と同じ構成要素からできている
>と言う意味で,超越したものではありません。
解脱には凡夫が持ってる通常の認識能力で足りるわけですね。
そうであれば、「凡夫が偶然や誤った方法によって到達する可能性は全くない」訳ではなく、
偶然によって解脱する可能性は十分あることになります。
矛盾しています。
それについて、以下のように仰るのでしょう。
482 :
261:2008/05/29(木) 08:05:39 ID:V/IOPor7
>そもそも,言ってること,ダイレクトに矛盾してます。でも,それで正しい
>んです。
それは可笑しいです。正しくないです。
我々一般凡夫は、一般的な認識能力で、いろいろな偶然(意図していないという意味で)を体験しています。
そして、解脱も一般的な認識能力で可能です。
とすれば、解脱は偶然によっても十分可能であることになります。
それにもかかわらず、一般的な認識能力で足りるが偶然では不可能な現象領域を認めることは、
勝手に頭の中で作った妄想概念を認めたことになります。
解脱云々以前に、自分は無智だと宣言していることになります。
>悟りの味はみかんの味。みかんの味が分かれば,悟りの味が分かります。
みかんを食べるつもりが無くても、ポテトサラダに混じっていたみかんを口に入れて、
みかんの味を偶然体験することが可能です。
>>477 >精神的な意味での自殺
って、それほどいけないものなのだろうかなと思います。
この苦しみを止めるためには、まさにそれをやり遂げるしか無いのではないか、と思えるときもありますし。
生まれ変わるために死ぬんです
>幸福の追求をしていくと、会社でも家でもトラブルが起こります。
>一切を諦めてしまえばトラブルは起こりません。
幸福ってなんでしょう。
肉体的快楽、優越感、欲望が満たされること、なんでも思い通りになること、、、
そうじゃないんですよね。
というか、この種類のものはどこまで満たしても満たされません。
ゾクチェンって、ヴィパサナに近いの?
>幸福ってなんでしょう。
拉致されていて、開放された時の幸福感って説明のしようがないほどの
ものです。自由になれた喜びで何でもできそうな気がします。しかし
1週間もするとその幸福感にも慣れてきます。
これって考えるヒントになりませんか?
>って、それほどいけないものなのだろうかなと思います。
>この苦しみを止めるためには、まさにそれをやり遂げるしか
>無いのではないか、と思えるときもありますし。
修行をする人が犯す最大の誤りです。 一切苦というような世界はありませんし、
一切楽の世界もありません。苦楽はあるのではなく。苦楽を共にするものです。
そこに物語が生まれ、それが人生なのです。苦のない人生なんて、何の面白味も
ありません。
>というか、この種類のものはどこまで満たしても満たされません。
どんな種類の幸福も満たされることはありません。
解脱も悟りも何もかもです。
「解脱する凡夫」
言葉あそびか?
490 :
神も仏も名無しさん:2008/05/29(木) 12:35:28 ID:/z2vr5Hu
テーラワーダやってると、インドの著名な聖者のレベルはブッダに及ばないと思えてくる。
ラマナ=マハリシ、マハラジなどは「私はある」というところのこだわりがどうしても捨て切れてないから、涅槃には入れてなさそう。
クリシュナムルティは禅定の力を極め梵天界で遊ぶことが容易に出来たようだけど、その梵天すら輪廻に苦しむ存在だとは気づかなかったのではないか?
やはり、ブッダにかなうものは無い。この世のあらゆることを受ける機能ですら、諸行無常のはかないものに過ぎない。
そこには私とか、我なんてものすらない。私はあると考えてしまう私ですら、瞬間瞬間に生滅するものでしかないんだからな。
このあたり、今も生きて説いてる聖者、たとえばアジズとかはどう考えるのだろうか?
それでもまだ、ステートオブプレゼンスとか言うのだろうか?
491 :
神も仏も名無しさん:2008/05/29(木) 12:36:22 ID:/z2vr5Hu
↑
クリシュナムルティ→ラーマクリシュナ の間違い。すまそ。
492 :
神も仏も名無しさん:2008/05/29(木) 13:33:24 ID:AC6TLAzf
>>488 一切皆苦は仏教の法印のひとつですけどね。
一切皆苦も諸行無常も諸法無我も、
すべて同じことがらを表していると聞いたことがあります。
苦がわかれば無常・無我がわかるし、
無常がわかれば苦・無我がわかるし、
無我がわかれば苦・無我がわかる。
一切皆苦をわかっていない人は、無常・無我もわかっていない。
>一切皆苦をわかっていない人は、無常・無我もわかっていない。
誰もわかっていないし、わからないのだから当たり前でしょう。
仏陀はそんなことが「解った」といってるのですか?
>苦がわかれば無常・無我がわかるし、
>無常がわかれば苦・無我がわかるし、
仏教を経典で勉強していませんので、大きなことは言えませんが、仏陀は
そんなに難しいことをいっているのではないとおもいます。
形而上の問題に関しては
「全て断定できない。」
というようなことをいっているだけです。
仏陀が重視したのは実践というか、体験として悟りを得ることです。
ただ聖者はある種の理想ですが、現実的には聖者になるのは不可能でしょう。
私自身、聖者になってもかまいませんが、聖者をまっとうすることをイメージ
するだけでもかなりの超能力を過程しないとすぐにボロが出ます。
サンガらしき集団にはいった人も知っています。財産を全て寄付して
一大決心をして参加するのですから、一瞬はたしかに聖人なのですが、続ける
のは難しい。
ただ、身近に見ていて、その人間性の輝く瞬間というのは非常に美しい。
496 :
神も仏も名無しさん:2008/05/29(木) 18:02:57 ID:nZIkr7td
現象面では一切は充たされない不満だけど、苦しみではないよ
苦しみは人の心から生み出されるんだよ
よってドゥッカを苦と訳した中国人が悪い
パーリ語のドゥッカは苦しみと言う意味も
含んでいるよ。
歩く瞑想していい感じになると、姿勢が良くなって歩いてることに
気づく。いつも猫背だけど。以前は姿勢が良かったが、猫背になる
とともに悩み事が増えてきた経験がある。
お釈迦様もヴィパッサナー瞑想をするときに姿勢良く座ってやると
いい瞑想ができますよと言われていたのは分かってきた気がする。
歩く瞑想のほうが姿勢保ちやすいよね
足が短くて太いから座る瞑想は苦手だよ
500 :
261:2008/05/29(木) 22:22:14 ID:V/IOPor7
私の見解は、解脱については解からない、です。
ただ、以下のような推測はしています。
解脱が一般凡夫の一般的認識能力でも可能であれば、
偶然に解脱することもできる。
瞑想も不要である。
悪行為を重ねていても、人を殺している最中でも解脱できる。
しかし、そういったものが解脱であるとは思わない。
むしろ、「神になった」などと勝手に騒いでいる障害者と同じではないのか。
したがって、そもそも解脱には一般的認識能力を超えなければ不可能だろう。
そう解すれば、釈尊が過酷な修行をして解脱したこと、解脱へ導く瞑想・過去世・神々についての経典が多数存在していること、一心不乱になって修行をしているサンガが存在していること等と辻褄が合う。
一般凡夫の一般的認識能力で解脱可能である、と主張する者は、
実は勘違いして「私は解脱した」と騒いでいるだけではないのか。
以上が、私の推測です。
クンダリニー覚醒はしたうえでヴィパサナーやるのが本筋なのでしょうか
びたいち関係ないのでしょうか?
クンダリニーなんて妄想だよwww
というのが、テーラワーダの立場ではないのかな?
>>500 ごちゃごちゃ考えすぎて冥想どころじゃなさそ。
絵に描いた餅の味を聞いて確かめてるみたいですね。
>>500 君すごく正見ですね 頼もしいです
ところで次のスマ長老の対談本の相手はこの人しかいないと思う
意気投合しそう
インド1臆人の仏教徒を率いる佐々井秀嶺師 以下語録
↓
タイではヴィパッサナー瞑想法を勉強しました
平和でない時に瞑想だけしてたら、闘いに負けてしまいます
今の大乗仏教はヒンズー教との折衷のような宗教だからです
日本にはもう仏教はない。もし、あると思いたいならば、現在の僧は皆家を捨てて、もしくは寺を出て、
もう一度出家すればいい。そこにおいて、初めて出家らしい姿ができるんじゃないか
>>500 理性的で、意見の表明に関して怒りや批判などの感情のぶれが感じられませんね。
速やかに悟りの階梯を進められますよう祈念申し上げます。
>一般的認識能力を超え
「超え」というより、「捨て」というほうが近いような
>日本にはもう仏教はない。もし、あると思いたいならば、現在の僧は皆家を捨てて、もしくは寺を出て、
>もう一度出家すればいい。そこにおいて、初めて出家らしい姿ができるんじゃないか
まあ、禅寺の接心とか、天台の廻峰行とか、めちゃくちゃきついのをめちゃくちゃきついの
承知でやってるところもあるから、一概にそうとばかりはいえないけど、
たしかに社会制度に組み込まれすぎて、俗に染まらなければやっていけない面がつよいな。
逆に、仏教的な本などをいっさい読まないで、ヴィパッサナーだけやっていたらどうなるんだろう。
>>500 解脱というのは輪廻からの解脱であって幽体離脱ではない
無明を破るのは知慧
知慧を生む修行を一生懸命するべきではないでしょうか
一般的認識能力に対するのがいわゆる超能力を意味し
解脱には超能力が必要であると考えているのであればそれは違います
あ、私はただの横レスで、brownさんではないですが
512 :
神も仏も名無しさん:2008/05/30(金) 08:22:25 ID:udE7kXMo
>>508 悟る可能性もあるのでは。
仏教の教えは、修行がうまくいってないときのヒントだから。
野球の解説書ばかり読んで野球をやらないよりは、
実際に野球をやるほうが上達するのでは。
聖者は理想です。
ですから本質的に聖者は存在しません。聖者は聖者ではなく聖者の役を演じる者です。
順番で聖者になる村もありますし、くじ引きで決めるところもあります。
そして周囲の盛り立て役が盛り立てる。厳密にはそういういわば芝居のなかでしか存在
できません。
もちろん現実的にも虚構(理想)は必要なのです。これは宗教だけでなく政治も同様です。
仏教において聖者は悟りを開いたものですが、これは同様に理想です。
ですから本質的意味で修行は成就しません。悟りはありません。
にも係わらず悟りは必要です。これは理念として存在し続けます。
仏教というのは一人で悟るものではないということです。
つまりサンガ(システム)があり、その長(聖者)がいて取り巻きがいる。
そういうシステムの形態であって、同じ修行を積んで同じ能力を得たからと
いって、聖者になれるわけではない。
聖者は言ってみればくじ引きで決まるのです。
ローマ法王がくじ引きできまるように、仏教の聖者も究極的にはくじ引きで決まるのです。
515 :
神も仏も名無しさん:2008/05/30(金) 09:33:51 ID:dV+4EW/A
>>513 バカも休み休み、ウンコをしたり、小便をしたり、食事をしたり、
温泉に入ったりしながら言いなさい。
確かにここにも聖者を演じている者はいるし、
>129 :brown:2008/05/20(火) 00:18:25 ID:/utmoznn
>教えは,ゾクチェンの修習次第に従っているわけです。
>凡夫の頃,哲学ではなくて,修行法が欲しくてそれを買ってきて,
>読むけど,すごく常識的なんですね。なんかすごい「秘訣!」みたいな,
>神秘的な瞑想体験みたいなことは何もないわけです。
自作自演かも知れんが数名の観客もいるが、偽者と見抜いている者もいる
のだ。
516 :
神も仏も名無しさん:2008/05/30(金) 12:48:04 ID:q8RUIf0B
何をもって聖者とするかも人によってちがう。自分に「聖者」というレッテルを張るのも妄想。
そして、聖者を自称してないただの凡夫であるブラウンをかってに偽聖者扱いしている
>>515の妄想は、「自分は聖者だ」、というのとおなじ程度の酷さである。
凡夫が、大口を叩くな、ということだ。
(最近ロムってませんでしたが)
brownさんが聖者かどうか興味ない。
悟りの境地に関するレスは読み飛ばしている。
そんな私は、brownさんに何回かレスもらいましたが、
とても為になるものでした。
>>516 >そして、聖者を自称してないただの凡夫であるブラウンをかってに偽聖者扱いしている
君文章読解力ないな
>凡夫の頃,哲学ではなくて,修行法が欲しくてそれを買ってきて
とういうことは今は凡夫ではなく悟っていることを広言してるわけだ
519 :
broken:2008/05/30(金) 18:44:36 ID:Ufj82G90
>>516 2chの主役は凡夫じゃ
>>517 おっぱい観想や読書の強制をどう思うのじゃ?
>>518 ブラウンは寂しがりやじゃ
温かい心で観てあげるのじゃ
>バカも休み休み、ウンコをしたり、小便をしたり、食事をしたり、
>温泉に入ったりしながら言いなさい。
君はまだ気がついていないのか? 聖者はすべて死んでから祭り上げるのだ。
生きているうちに聖者にするとヘマをしたとき、取り繕うのが大変なのだ。
だからよく知られている有名な宗教では、生きている聖者なんていないだろ。
ゾクチェンっていうのは 師からの三種の伝授を一番重要視している
なので独覚はありえない
ただ修行はテーラワーダの心随観とよく似てるので 本など読んで
それらしく書き込むことはできる
ゾクチェンで最終解脱すると虹の身体(透明人間)wになれるらしい
>>519 おっぱい観想の話は目に入ってきていたけど、
ちゃんと読んでなくて、感想を持つほど気に留めてないから分からない。
読書の強制は、ゾクチェンのしじゅのこと?
素直に聞いたけど?
しじゅのことを聞いたのは私だし。
「静寂と明晰」と、「チベットの般若」、注文して届いたけど、
まだほとんど読めてない状態。
修正
素直に聞いたけど?
↓
素直に(brownさんのレスを)読んだけど?
524 :
521:2008/05/30(金) 22:57:14 ID:SsH+nK4l
別にブラウンに反発感じてるわけじゃないからね
誰でも好きなこと書いていいし
座る瞑想の時は椅子に座ってやってる。坐禅はできないので。
最近体調不良で座らなかったんですが、何かこう自我が「濃く」なったような感覚が有ります。
良く座れている時は、薄いんですね。
ヴィの場合は、坐禅のようにぶ厚い座布団使わないんでしたっけ?
ゾクチェンは聞いた限りだとヴィパッサナーよりプロセスワークに近い印象
529 :
1A(文題「影の政府の日本人関係者についての記述」):2008/05/31(土) 07:03:41 ID:MjKaG/Or
以前予告しておりました「影の政府(シークレット・ガバメント)の日本人関係者・エー
ジェント」についての、独自情報HPは、7月8月頃になりそうですので、もうしばらくお
待ちください。先に、内容の一部が、飛鳥昭雄氏情報(NSA・NASA・JPL情報)への「非科
学的中傷本」に対してのスレッドに載っています。なお批判意見・批判サイトにより混乱
したり惑わされてしまっている方は、絶版ですが、「ロマン・サイエンスの世界」
(雷韻出版)が真相を知ることが出来必読です。5月現在、ログ倉庫内でなく普通にすぐ
読める飛鳥昭雄氏2chスレッドはいくつか存在しますが(NSA・NASA・JPL情報の信用を
落とす情報操作を目的としたスレッド・記述もありますので十分ご注意ください)、
当方が掲示しましたタイトル「日本人の影の政府関係者(警察・自衛隊)」
「影の政府日本人関係者の人相」「影の政府の日本での今後の陰謀」
「「影の政府」による 長期の陰謀実例」「影の政府の日本人へのシナリオ」の
全てが載っているのは、その内の一つだけです。一部のタイトルしか載っていない
スレッドもありますのでご留意ください。
後悔の念にはどう対処すればいいでしょうか?
欲しかったものを買い逃していたことに気づいて
朝からブルーな気持ちです^^;
きっとあのぶどうは酸っぱいにちがいないと思いましょう
うーん、欲しい気持ちは今も持続してるんですよね。
オークションで終了間際に入札しようと思ってたら終わっていたという。
なんで気づかなかったんだろう><
533 :
神も仏も名無しさん:2008/05/31(土) 12:37:21 ID:Q45hSavg
>>532 そのことを思い出した時だけ悔しくなるわけで、
思いださなければいい。
考えても仕方ないことを考えるのは、妄想でしょう。
妄想をストップするテクニックが瞑想なんじゃないでしょうか。
雨が降ったら傘をさせばいい。
妄想が出たら瞑想すればいい。
534 :
神も仏も名無しさん:2008/05/31(土) 12:44:23 ID:TUxRZNSp
>>532 何が欲しかったのか言ってもらえれば答えを出してあげれるよ
>>532 後悔から逃げずに受け入れ
後悔の味を味わう
客観的に
>>532 スレタイど真ん中って感じでしょうかw
スマナサーラ☆ヴィパッサナー瞑想法よろしく正しく観察できれば、後悔の念から離れることが出来ます。
>>533 そうですね。
瞑想とか意識しなくても大抵のことは時間経てば忘れちゃいますけど。
>>534 本です。
>>535-536 そうですね。朝ブルーな気持ちは味わったので、今は落ち着いています。
欲しいものが楽に手に入ればいいんですけどね。
「私の願いがかなえられます様に」がそんな卑しい気持ちになってしまう。
何で随喜の瞑想なのに
『私の願い事が叶えられますように』なんだろう
自分に随喜の念を込める場合なら
『私が皆と共に笑顔でありますように』の方がストレートでいい気がする
539 :
神も仏も名無しさん:2008/05/31(土) 15:12:47 ID:y4nzZFhk
『26 あるいは内に落ち着きのなさ、後悔があれば「私の内に落ち着きの
なさ、後悔がある」と知り、あるいは内に落ち着きのなさ、後悔がなければ
「私の内に落ち着きのなさ、後悔がない」と知る。』──大念住経
後悔と言ったって悪い事をして悔やんでいるのではないから。
540 :
神も仏も名無しさん:2008/05/31(土) 15:33:09 ID:y4nzZFhk
慈(の修習)──生きとし生けるものを対象にその幸福を祈る
悲(の修習)──生きものの中でも特に精神的・身体的理由で苦しんでいる
生きものを対象にその苦からの解放を祈る。
喜(の修習)──生きものの中でも特に幸福な生きものを対象にその幸福が
長く続くように祈る。
スマさんの慈悲の瞑想をダウンロードして聴いたけど
ハッキリ言って暗い。
暗い調子で引き寄せるものに良いものは一つだにない。
もっとテンポよく、明るい調子でならないものか?
俺自分で明るく作曲してやってるお。
543 :
神も仏も名無しさん:2008/05/31(土) 21:23:38 ID:Q45hSavg
>>541 メロディーつきの部分は導入部分でしょ。
ひととおり唱え終わったあとに、
声をださずに
「生きとし生けるものが幸せでありますように」
をくりかえし念じる。
その無言で念じる部分が瞑想のメインじゃないかなぁ。
>>538-540 詳しい説明ありがとうございます。
慈、悲、喜にそれぞれ祈る対象があるのですね。
慈と喜の違いが微妙ですね。
>530
欲しかった物が、手に入っても、幸福とは限りませんよね
>>545 >>530にまともに答えていないのだけど、
幸福と結びつけるのはなぜ?
欲しかったものを買い逃したことを後悔しているから
その気持ちをなんとかしたいと言っているのに
幸福かどうかなんて誰も聞いてやしないと思うぞ。
うーん
要はどうやって執着を離れるかということだから
答えは、仏教体系全体ということになってしまうのでは。
小手先のテクニックでどうにかなるのかな〜
548 :
神も仏も名無しさん:2008/06/01(日) 06:47:50 ID:aUfOun66
なぜ後悔しているのかを観察し尽す。
本という事だからなにかの知識を得たかったであろうはずで、
なぜその知識を得たかったのか、その知識を得られなかった事で
何に不安を感じているのか、知識が得られない不安がなぜ起こるのか。
底の底まで観察する、自分が本当に欲していたものが実は本そのものでは
無かった事が腑に落ちるまで。
>欲しかったものを買い逃したことを後悔しているから
>その気持ちをなんとかしたいと言っているのに
その気持ちを忘れないようにすることだろうね。
2度と絶対に後悔しないと誓う。すると後悔しなくなる。要するに記憶力の
問題で、何回も後悔するのは、後悔したこと、後悔した状況などを忘れてしまうからだ。
忘れたり、徹底的に考えることをしないと後悔に対する理解が生まれない。だから
また後悔する。
逆に全く忘れてしまうという方法もあるとおもうが、ボケ老人でなければ無理だな。
後悔も執着も同じようなもので、離れようとすると離れられない。寧ろ、強く執着する
こと、強く後悔することによって避けることができる。
後悔しないということは、強く強く後悔し続けるということだ。 そうすれば超える
ことができる。
お金の執着を離れようと、お金を全部寄付すると、貧乏になり、かえってお金に
執着するようになる。
逆にお金に執着して、働いて大金持ちになれば、お金は無造作にあるのでお金には
執着しなくなる。
有名な数学者で家も財産も持たずに、友人宅などに居候したり、放浪しながら
世界的業績を出している人がいる。全くお金に執着はないのだろう。数学への
執着が異常に強くて、他のことに関しては微々たることにしか思えないのだろう。
宗教的修行、瞑想によって執着を離れるというのは、本質的には修行への強い
強い執着(信念)なのだ。若い修行者は修行への執着が足りない。中途半端だ。
一流の人間は修行の仕方が全然違う。
「完全に力を出し切った。もうこれ以上はできない」という感覚で毎日修行を
する。「悩んで、悩んで悩みつくす」と新たな理解が生まれる。
中途半端に瞑想したくらいで、同じ成果が得られると思うのは間違いだ。
「悩んで、悩んで悩みつくす」ことをしないと悩みを超えることはできない。
悩みを解決できても悩みそのもを無くすと廃人だな。
550 :
けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2008/06/01(日) 09:32:52 ID:/nhUe6JN
>>546 いや、手に入れられないものがあっても、
今この瞬間に幸福を感じていれば後悔の気持ちも起きないのでは?
逆に、後悔の気持ちを感じている瞬間には、幸福感が消えている。
>>549 お金についての執着はそういう場合も多いだろうね。
でも、金持ちが金から執着を離しているかといえば
そうではないと思うよ。
もっと欲しい。まだまだ足りない。・・・って思う
人は多いから。
最後の悩みも、悩み尽くして良いブレークスルーを
見る場合もあるだろうけど、悩み抜いて自分を消耗
させてしまう場合がほとんどだと思う。
悩むのは良いことではないな。
後悔というのは、過去や、タラレバの状況を妄想することが要素の一つ。
すでに変えられなくなっている過去を手放せない状況なんですね。
サティを入れ続けていれば、とりあえず今ココに居られますが
根本的に執着から離れていないと、一時しのぎの抑圧状態になるかもしれません。
根本的に執着から離れるなんて阿羅漢になるまで無理だろw
よーく自分の心を観察するしか方法はない。
相対的な話だけど、今日眠る場所も無い人や、家族が自殺したりした人や
発展途上国で強制労働させられてる子供のこと考えると、一瞬で多少の手に入らなかったもののことなんか忘れられますよ。
俺の場合だけど。
555 :
神も仏も名無しさん:2008/06/01(日) 12:43:35 ID:8555qqQ1
>相対的な話だけど、今日眠る場所も無い人や、家族が自殺したりした人や
>発展途上国で強制労働させられてる子供のこと考えると、一瞬で
>多少の手に入らなかったもののことなんか忘れられますよ。
「 それはなぜなのか?」ということをもう少し深く考えるべきなのか?
それともそうすべきではないのか? つまりあんまり深くは考えまいと。
>見る場合もあるだろうけど、悩み抜いて自分を消耗
>させてしまう場合がほとんどだと思う。
>悩むのは良いことではないな。
悩み抜いても消耗させないように悩むことが大事で、悩むのはとても自然で
いいことだと思う。
その技法のひとつがサティーではないだろうか? つまり悩みつつ、悩みを
観察することで、悩みがもたらす現実的痛みや消耗から離れているようにする。
つまり安全な悩み方だ。アウシュビッツを生き延びたある研究者は、その状況
そのものを研究対象とすることで非常に力が沸いてきたといっている。
557 :
神も仏も名無しさん:2008/06/01(日) 13:08:52 ID:dAB/Jw8m
レベルが低くなったねこのスレも
レベルの高い話をおながいします。
ただなんだから贅沢いうなよ。
560 :
神も仏も名無しさん:2008/06/01(日) 20:15:21 ID:aL4i0Hug
314 悪いことをするよりは、何もしないほうがよい。(Dhammapada)
「おれおれ聖者」詐欺コメントでレスが無用に伸びるよりはいい。
>>526 キッズさんこんばんわ。テラワダスレ見てるんですね。
冥想中につき、お静かに!
>>561 テラワダの竹内結子ことぽらりすさん御無沙汰してます。
今さっき仕事終わったトコです。今日も疲れましたね(∋_∈)
帰って食パン一枚食べてシャマタです。シャマタ。
>>562 失礼しました。
564 :
神も仏も名無しさん:2008/06/02(月) 08:30:43 ID:RGz8NSEO
江戸時代の思想家、富永仲基という人は
「およそ言に類あり、世あり、人あり。これを言に三物ありと謂う。」
という。
このうち「言に人あり」とは、ある語を、ある特定の派の人(あるいは
経綸)が好んで用いることをいう。
オウムの残党が擦り寄って来ている模様だね。
おのおの方、(なりすましに)ご注意下さい。
それにしてもコテハンにしろ、語の用法にしろ、我執の強い連中だな。
>>563 キッズさん遅くまで大変ですね。今日も残業でしょうかね。
なんとまあ、テラワダの竹内結子には吹きましたよ!
そう言えばこのスレだったかテラワダスレだったかで自称竹内結子似のおねーさんがいらっしゃったな。
キッズさんの言うところのシャマタってどの瞑想のことですか?
食パンの他に即席でもワカメスープとかつけるとミネラルがとれていいんじゃないかと・・。
わかめスープ良いですね。いつも牛乳なんですけど、栄養が偏りそうですもんね。
私の場合シャマタは何も考えずに座るだけです。何かを念じたりはしません。
食パンとわかめスープは合わない。
16時にねて今頃おきてしまった。
長老の本よんでからヴィパするか。
ティク・ナット・ハンという禅僧の方の本、
「あなたに平和が訪れる禅的生活のすすめ」
はいいよ。ヴィパッサナーと一緒にやると
効果あるよ。
571 :
神も仏も名無しさん:2008/06/04(水) 00:07:04 ID:ab8wxc0N
>>571 > 本来、欲や怒りが生まれない環境で人間が生まれると、万年単位で寿命が延びると仏典でも言われています。
これに対応して「500年」って書いたんじゃないか?
しかし、誰が実証するのかねぇ…
「真顔で方便」とは言うが、仏教者、しかも長老が仏典を真顔で信じないでどうするっての。
…それとも「カルトの芽」って言いたいの?
573 :
神も仏も名無しさん:2008/06/04(水) 00:37:01 ID:ab8wxc0N
>>572 いや、カルトにはならないだろう。誰にでも方便と分かるし。
とりあえず俺は信じるよ
575 :
神も仏も名無しさん:2008/06/04(水) 03:02:26 ID:iqRjiZgZ
500年生きた人間ってどっかにいるのかな。
午前12時くらいに起きて、今くらいまで瞑想するのが
気持ちいいなあ。
昨日、今日と休みでね、昨日16時頃ねちゃって
23時頃起きたので瞑想してたんだ。
歩く瞑想。禅で云う経行って云うやつ。
バカにしてたけどスゴイね。
すぐに意識が変容した。
10年前やった時はバカらしくてやめたのに・・
進歩ないな、オレ。。
長老に質問
なぜ長老が書いた書籍は私の近くの書店で入手できないのでしょうか。
なぜAmazonじゃないと手に入らないのでしょうか。
>>580 長老の本を置いてない書店って、よほど小さい書店だろ。
普通の生活してない人のたまり場か
>>581 小さな書店でも置いていて欲しいのですが…
それとも原始仏教の影響力ってそのくらいのものなのですか…
もっとニーズがあると思った。
けど、私は今、お釈迦様のような言葉を読みたいと思っている。
取り置きだと1〜2週間かかるのはざらなので時間だけを消費してもったいない。
立ち読みでもっと吟味してから落ち着いて購入したいと思っているのにkonozamaか。
近くにそんな書店しかないところって、よほどの田舎だろ。
はい、妄想妄想、
その書店って、週刊誌とエロ本しか置いてないとこだろ。
588 :
神も仏も名無しさん:2008/06/04(水) 23:16:17 ID:lh03yTd2
>>583 書店の経営戦略上の判断なんだから仕方ない。
小さな書店で売れにくい本置いてたら、潰れちゃうでしょう。
本屋さんも幸せでありますように。
よほどの田舎だと思うよ。
私の近所にそんな書店は存在しない。
こんな小さな書店にあるわけないだろ、と思うようなところでも置いてある。
590 :
神も仏も名無しさん:2008/06/04(水) 23:35:06 ID:lh03yTd2
長老に文句言うのも筋ちがいだよね。
田舎の本屋に置いてないて言う前に、
日本上陸までに2400年以上もかかった上座部仏教教団に、
「もっと早く来て欲しかった」と言いたい。
>>589 うらやましいですね。
私が住んでいるところはこれでも東京都なんです。
しかし、23区の外です。
衛星都市で有名な立川市でも八王子市でもありません。
自転車で15分かけて隣町の本屋さんを探しても全然無いのです。
ちなみに立ち読みしたい本は
自立への道―ブッダはひとりだちを応援します (お釈迦さまが教えたこと 6) (単行本)
です。今年の5月に発売されたとAmazonでは書いてあります。
>>567 おはようございます。あったかい牛乳も落ち着きそうですね。(眠くなる?)
ただすわるのをシャマタと呼んでるんですね。
妄想スルー力がないと頭わやくちゃになりそうですがw さすがキッズさん。
>>568 おはようございます。みそ汁はどーですか?
593 :
神も仏も名無しさん:2008/06/05(木) 12:59:35 ID:svh7p3Q+
山口で3日間の集中瞑想会があるんですが、どんなことやるんでしょう?
ずっと瞑想だと絶対にできない。1時間でもきついのに。
1日10時間くらいは瞑想だろうな。
それ以外の時間もきつい条件がつく。
>>591 単行本か?
そりゃ、ないかもしれないね。
新書ならあるんだけど・・・
身体を汚いものだと見よ、ていうのあるじゃないですか。
身体の中は、内臓とかがあって汚いから、身体は美しいものではないのだ、という。
でも、「汚い」とは思えない。
汚くはないと思う。グロテスクだとは言えると思うけど。
汚いか汚くないかより執着しないためにそう見たほうがいいですよ、ってことでそ
これはね、女への執着をなくす瞑想なんです。
美人に見えても、それは妄想で、ほんとは身体は汚い。
それを認識していくための瞑想です。
こうして恋愛なんて、ただの妄想だったと気付く。
身体に満ちる汗・血・体液・分泌物・老廃物・垢・毛・その他…
まあ、汚くないと思う感性が間違いだとはいえないけど。。。
汚いって言うと、不衛生というイメージがあって、
不衛生とは違うと思うから、かも。
身体のなかの血も臓器も、別に汚くはないよね??と思う。
長いこと風呂に入らなかったりして、不衛生にしているならば、
身体の表面や髪は汚いと思うけど。
外へ出る前のう○こも、汚いというと、なんか違う。
異性への執着がないなら、この瞑想不要ってこと?
便というのは、外部から取り入れたはいいが
吸収されて身体になることができなかったカスだからねえ。
身体の一部ではない。
まあ、自己=肉体 というのが最も素朴な自我認識だろうから
自己への執着を諌めるための教えだろうと思う。
んじゃ大切に大事にすればいいんじゃないの。w
これは本来、出家修行者用の瞑想なんじゃないかな。
性器は汚いということを瞑想する。
そうすると、気持ち悪くて、セックスなんて出来なくなる。
こうして、いらぬ妄想をおこさずに、修行がはかどるようになると・・・
大切と執着は同じ?
大切と執着は違うと言えば違うし、同じようなところを探せば同じだね。
でもなにか大切にすれば執着がわくよ
腸内の細菌が全部死滅すると
人も死ぬから細菌も肉体の一部だということになる。
他の命が自分の肉体なのだ。
大切にはするが執着はしない、というのが善いのでは?
身体、人、モノ、金、万事において。
仏陀の実践心理学2&3
ゴエンカ氏のヴィパサナー瞑想入門
3冊まとめて大人買いしてしまったw
勉強しよっと。
>>607 大切にするっていう気持ちが他と区別しない平等なものなら慈悲心と言えるかもね。
他に比して何かを大切にするというなら執着にならざるを得ないんじゃないかな。
掃除というのも、きれいにしよう、きれいな状態にしておこう、
ピカピカに・・・チリ一つないくらいに・・・
そういう思いがあるから、必然的に執着となる。
整理整頓がなってないと許せない自分はどうすれば良いのか。
若干強迫神経症気味。
612 :
神も仏も名無しさん:2008/06/05(木) 23:09:19 ID:J3QZDgMJ
>>600 肉体への執着は生きることへの執着になるからでしょう。
肉体は苦痛発生装置です。
613 :
神も仏も名無しさん:2008/06/05(木) 23:14:44 ID:J3QZDgMJ
身は不浄、受は苦、心は無常、法は無我。
何事も中道で。
>身は不浄、受は苦、心は無常、法は無我。
適切な食事と運動で体をつくること。
適切な勉強で頭を鍛えること。
人生は生まれた時から祝福されて始まること。身は聖。
常に正見を持つこと。
616 :
神も仏も名無しさん:2008/06/06(金) 07:39:36 ID:vkW+qTbb
だが肉体が無ければ意識もない、何も思うことができない。
精進することも涅槃に導かれることもない。
617 :
神も仏も名無しさん:2008/06/06(金) 07:45:22 ID:ZAQ6MEJ6
>>616 そう。
肉体はただの道具。肉体は宝物ではない。
ゴミを掃除するために、
落ちてたゴミを使ってホウキとチリトリを作ったとする。
掃除道具ももともとゴミ。掃除が済んだら、
ゴミでできた掃除道具も捨てる。
なんか論争してからbrownさんは静かですね〜
このスレで興味を持ちゾクチェンに関する本(ナムカイノルブ師)5冊読破
残念だが非常に面白い マハシやゴエンカが上座部の簡易型ヴィパッサナとすれば
こちらは在家向け簡易型密教という感じ
特に「チベット密教の瞑想法」ナムカイノルブ 法蔵館 はテーラワーダの
瞑想本とくらべても遜色ない出来(オカルトもかなりはいってるけどねw)
でもやっぱりテラワーダの教義とは衝突すると思うので
brown氏には別スレ立てて解説お願いする次第
じゃ、オカルト板にスレ立てる方向ですよね。
>>620 本人もかなりオカルトなんですよね
大乗のしじゅ何万回も読めって「静寂と明晰」あげてたけど
前記のナムカイ師の本読むとゾクチェンと大乗 顕教との違いが執拗に書いてある
スレたてても仕切っていけるかどうかw
マハーシ式と、ゴエンカ式の違いって何でつか?
執着するべきものじゃないが、ゴミでもないよ。
体は自分じゃなくて、自分に近い細胞群であって、その細胞群にこの自分の命を支えてもらってるんだよ。
不浄と切り捨てるのはやっぱり中道的じゃない気がする。
まあ、上座部では女性を敢えて不浄なものとして見るのと同じで、
そう思わなきゃ修行に差し障るってのもわからんでもないけど。
>>619 チベットスレがあるからそこでやれば?
俺も非常に興味ある。
ユングの書いた仏教についての研究の本も、ちゃんと上座部の瞑想と
密教の瞑想を分けてたな。
「チベット死者の書」を絶賛してた。人間の深層心理の真実に迫ると。
といっても、チベット密教のほうでも、ちゃんとイメージに頼らないサティをしっかり入れる瞑想やるんだけどね・・・
「お釈迦さまの時代から悟りを開いた人は
どちらかといえば座る瞑想よりも
歩く瞑想で成長してきました」
ー心は病気P211−
もっと歩かねばな。
>>625 真言宗ではサティは使わないよね。
阿字観などの観想のみ。
天台では止観があるのか。
いづれにしろ日本仏教には
サティはないのか。
628 :
神も仏も名無しさん:2008/06/07(土) 09:44:43 ID:zbb7ruFS
>>625 チベット死者の書は偽書というのが定説な訳で、ユングは偽書を絶賛しているんだよ
まあ、ユングは統合失調症患者と紙一重なヤバイ精神状態にあった人だから、あまり真に受けるのは危険だよ
ユングは統合失調症を克服していく過程で鋭い考察を残したが、結局は最後まで治ることはなかった人だ、と評する人もいるしね
ダンマキャストで長老がユングのこと少し語っているけど
バッサリって感じだったな。
サティって日本語に訳すとなんですか?
気付き、みたいな感じじゃないの?
休みの日一日やろうと思っても4時間が瞑想の限度だな。
それだけやると次は30分刻みじゃないともたない。
あー苦しいなー。サティ入れても慈悲冥想やっても苦しいなー。
でも無常だからこの苦しみもまた消え去るんだよなー。
みんなの瞑想時間って長いんだね。
私の場合、仕事を終えて帰宅した時点で、結構、疲れているので、
毎日、コンスタントに続けるには、一日30分が限度。
このペースで約7ヶ月ほど続いています。
あと、苦手な方や嫌い方にたいしては、否定的な感情を抱かずに、
慈悲の瞑想をすると、本当に効果がありますね。
イライラしていていたり、漠然と気持ちが悪い時は、人または人の集団に、
否定的な感情を抱いていることが多いです。
そのことに気付くと、スッと肩の荷が下りることが多いです。
>>634 毎日やれて休日に長時間やれると進むかもね。
お互いがんばろうな。
637 :
神も仏も名無しさん:2008/06/07(土) 22:47:11 ID:5gajSF+V
>>630 正念じゃないの?
大乗仏教にも、大乗仏教なりのサマタ(止)・ヴィパッサナー(観)はあるでしょう。
ただ、仏性だとかアーラヤ識だとか久遠の釈迦だとか、
余計な概念・間違った信仰をもとに止観実践してるから、
おかしな方向にいっちゃうのでしょう。
仏性という概念はあながち間違いとも言いにくい。
ティクナットハン氏の言う仏性/獣性の種っていうのは、地橋氏がよく言うミラーニューロンと対応するとおも。
まあ、勝手な推測に過ぎないけどさ。
仏説でないからと言ってなんでも間違いとか無いとか頭ごなしに決めつけるのはちょっと論理的でないよ。
639 :
神も仏も名無しさん:2008/06/08(日) 00:24:12 ID:mLqDaz3O
身体の痛み苦しみを客観的に観れません。
ラベリングしても痛みが消えて欲しいという希望がどうしても入ってしまいます。
「身体に執着しない事で心の苦しみは消える」という理屈は理解できるのですが
中々難しいです。何かコツは無いでしょうか?
>>639 個人的には、からだの痛みが弱いときは消えてくれますが、
強度の身体の苦痛時は、消えてくれませんでした。
集中の度合いが落ちることも1つの理由なのかも知れませんが、ほかにも理由がありそうな気がします。
>>639 >ラベリングしても痛みが消えて欲しいという希望がどうしても入ってしまいます
客観的に見れてるじゃない
痛みってヴィパッサナーで消えちゃうもんなんですか?
からだは痛んでも心が痛いわけではないのはわかりますが。
痛みが消えることはないが、痛いまま放っておくことはできる、自分の場合。
>>640 やはり強い苦痛は無理ですかね。頭が割れそうになる程の偏頭痛とか
喘息とか窒息しそうな息苦しさとか。
普通の痛みじゃないから無理に決まってると言い訳をしてしまうんですが
「それじゃしょうがないですね」とは長老は言わないだろうと。
>>641 否定的に観てると思います。
>>642 身体に痛みがある時に、考え事や楽しい妄想に耽っていた事があって
その時、痛みを忘れていました。痛みが消えるとはこういう事なのかな、と。
645 :
639:2008/06/08(日) 01:24:43 ID:mLqDaz3O
>>643 それでも羨ましいですね。忍耐力が足りないのか・・・。
痛みを観ていても治まってくれると期待希望があるから
しだいにイライラしたり落ち込んだりしてしまいます。
期待、希望ってサティ入れてたら?
何が来たって見てればいいんだから。
その痛みに気づいたら顕微鏡で見るように
その痛みが、薄いガラスにのっていてそれを研究者が観察している。
そのように自我を無くして痛みを観る事が出来ると
スッと無くなる確立が高いと思います。
できるだけ言葉にするのを待つ、ってスマさんの本にあったけど、
それってラベリングすることと矛盾してない?
まあラベリング自体余分なことだとは思うけど。
>>631>>637 「気付き」は一瞬一瞬のイメージで、「正念」は長い期間、ってイメージですね。
ありがとうございました。
650 :
639:2008/06/08(日) 13:44:56 ID:mLqDaz3O
651 :
神も仏も名無しさん:2008/06/08(日) 13:55:25 ID:srdu8MPi
>>644 マラソン選手や格闘技選手なんか、
苦痛を承知で試合に出るわけだしね。
苦痛イコール不幸ではないんでしょう。
自分で納得している苦痛なら受け入れられる。
また、試合に集中してる間は苦痛にも耐えられる。
サマタで集中すれば、苦痛から意識を離せるのかな。
>>648 もう少しその言葉の意味を調べてみると良いと思います。
>>650 精進していきましょう。
653 :
神も仏も名無しさん:2008/06/08(日) 20:48:03 ID:XNzV7T+y
アキハバラで通り魔事件が起きた。
事件の報を聞き、落ち着かぬ気分になっている。
今ひとたびお釈迦様のお知恵に近い長老のお知恵をお借りして、
アキハバラを鎮めたく思います。
あそこは人が多すぎる。このままでは「アキハバラにしかないもの」を購入しようと来ていた被害者が不憫過ぎる。
平和な世の中は一人ひとりの心の安寧から。
人に施すことよりまず己から清めようということもブッダは説かれたはず。
一個人が大勢の心を安らげようなど、おこがましいとは思わんかね?(本間丈一郎風)
>>654 えーっと、経典のどの辺に書かれていたっけ?
長老の書籍ならどの辺にあるっけ?
…思い煩いすぎて忘れた。
>>626 雑念・妄想を祓うには、座禅より外を歩くほうが効果が大きいと思う。
歩いているときも雑念が出るが、無心になっている時間が多いし、
長いという実体験に基づく感覚がある。
思うに、外を歩くという行為は相対的に知覚する情報量が多いのだが、
なぜかかえって雑念や妄想が浮かびにくいし、それらの知覚情報も
入ってはいても受け取っていない場合が多い。
逆に、室内で座禅瞑想をしていると、情報量は少ないはずなのに、
心の中から雑念・妄想が出るわ出るわ・・・
これって、なんなんだろうね。
坐るほうが集中力を必要とするね。
歩くのは行為として集中しやすいのではないかと。
>>655 先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。
そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。
断魔熊猫158
>>659 さっそく長老の書籍に無いかどうか確かめてみました。ありました。
「法句経一日一話」のP.85「20。まず、自分をととのえてから」です。
生きとし生けるものに幸せがありますように
長老は、できないこととして「救うこと」をあげ、
できることとして「助けること」をあげている。
自分を整えないとできないのは前者で、後者は布施行としてできる。
物惜しみする人々は、天の神々の世界に赴かない。
その愚かな人々は、分かち合うことをたたえない。
しかしこの信ある人は、分かち合うことを喜んでいるので、このようにして来世には幸せとなる。
長老の本で一番処世的な本て何かな?
スマさんの「仏陀の実践心理学2」読み出したんだけど、ヒンディーのことかなりばっさり切ってるねー
おれ、ヨガもずっとやってるからちょっと気まずいw
>>657 超スローで外は歩けないから
室内を行ったりきたりしてるよ。
>>665 そうなんですか。
長老ってそんなに凄い方なんでしょうか?
クリシュナムルティは、すべてをばっさり切ってるけどね。
私の感覚では、長老はクリシュナムルティの足下にも及ばないように思うのですが・・・
そのあなたの感覚とは一体どのようなものなのですか?
長老はKどころか道元にもはるか及んでないだろ〜。
ヴィパッサナーのことだけ言ってればいいと思うんだけどね。
>>666 ここなんだけど、
実は外を普通に歩いているときには自分の観察を
忘れているのだとは思う。忘れているというより、
そもそも考えていたりはしない。
でね、ゆっくり歩行瞑想するのも良いと思う。
修行が進むと、サティが秒速何駒で入るらしいことを
考えると、一般人が無意識に外を歩いているときに
感じる無感覚、無意識、無雑念・・・これらは
瞑想修行の進んだ究極的な到達点により近いのでは
と思うことがある。
あれこれと理屈と技術的なことをいじくって室内を
歩行瞑想しても、ゆっくりである限り実用のレベル
には達していない。ならば、最初から実用という
ことを前提にした外歩行で雑念を排除する訓練を
し続けた方が良いのではないかと思ってしまうんだ。
イチローだって、子供の時からバッティングセンターで
140キロの球を打っていたんだし・・・
だったらより難しい座る瞑想だけしてればいいのでは?
皮肉じゃないよ。
歩行瞑想では雑念を排除するのだろうか?
だとしたらサマタでヴィパサナではなくなるな。
>>668 youtube等で動画を見て受ける印象に雲泥の差があります。
まあ、私の受けた印象に過ぎませんけどね。
674 :
673:2008/06/09(月) 16:31:46 ID:rKAu5nRO
補足。
一番感じる違いは、
目の動きや雰囲気から醸し出されるエネルギーの高さ?かな
なるほどいろんな妄想をもつものです。
676 :
神も仏も名無しさん:2008/06/09(月) 17:46:22 ID:W3Efu6l/
俺は3年くらい長老の話を聞いてきたが
全部同意、という事にはならない。
このカオスな世の中を生き抜いていくには別の知恵が必要なんだ。
当然のことです。
>>673 俺も賛成。
Kの「自我の終焉」はスゴイよ。
今、そう思っているんだね。主観でね。
この目の前の橋を渡れば、そこに行けるよって単純に教えてくれているのに
その橋を良く調べようとせずそして信じられず、もっと他に近道があるはずと自分を信じて行くのも悪くはないか。
そして長い輪廻の中で遠回りでもまたこの橋に出会える確立ってどれくらいなんだろな。
Kがスゴイということと
Kの道を行く、という事は違うよ。
じゃ長老と比べる必要、意味はあるのか?
それは屁理屈と違うの?
ココで閑話休題。
今年の6月22日に行われる「法話と瞑想の会」に参加する人いらっしゃいますか?
それともこのスレの人達は瞑想指導を済ませて自分たちで自由にやっているのかな?
どのみち指導者が必要だと「ミャンマーの瞑想」にも書かれているので私は是非行ってみたいと思っています。
いかがでしょうか?
684 :
神も仏も名無しさん:2008/06/09(月) 23:58:31 ID:UpUpaakJ
>>670 瞑想の目的は、一切(眼耳鼻舌身意・色声香味触法)が苦・無常・無我だと気付いて、
執着に値しないと納得することでしょう?
で、歩く瞑想の特徴は、
座る瞑想に比べて眠くなりにくいから
長時間集中できることでしょう?
ゆっくりでも速くでも、
苦・無常・無我に納得できれば価値観が崩壊するわけで、
無理に速く歩いて瞑想にならないより、
ゆっくり歩いてしっかり瞑想するほうが、結果が出やすいのでは?
ウォーリーをさがせで、要はウォーリーをみつければいいのであり、
ページをめくるスピードが遅くても速くても、
ウォーリーをみつけられればオッケー、みつけられなけれだダメ。
歩く瞑想は外でそこそこのスピードで歩くのでも
かなり考え方が変わる。たまに入る雑念がなぜか
簡単な気づきを得て、それが何回か起こる。
歩く瞑想でリラックスしながらの雑念なのと、左
右の足に意識を向けて歩くので脳全体が活性化さ
れるのが原因での変容がわかる。実践あるのみ。
室内で動作を追認しながらゆっくり行う歩行瞑想を続けた場合、
現実の日常生活でその歩行瞑想の効果を確認したり活かせるには、
つまり、実際の歩行や日常の様々な場面での動作でこれが無意識
に行えるには、なにがしか相当のジャンプが必要な気がする。
その壁と橋渡し方法が瞑想本にはなかなか書いてない。
ぶっちゃけ、室内でのゆっくり歩行瞑想はいいとしても、現実生活
では「普通に」歩くんだよね。あの時にはできたけど、実際には
ダメでは仕方がない。
そういう感じで普段も瞑想状態じゃなくちゃいけないものなの。
688 :
神も仏も名無しさん:2008/06/10(火) 00:47:18 ID:iYN3OgeL
人は死ぬ
必ず死ぬ
絶対死ぬ
死は避けられない
私は死ぬ
必ず死ぬ
絶対死ぬ
死は避けられない
あなたは死ぬ
必ず死ぬ
絶対死ぬ
死は避けられない
死を忘れていても
死をごまかしていても
今日はまだ死なないだろうと思っていても
死から逃れることは誰もできない
全ては無常
過ぎた時間は終わってしまえば瞬間だった
まだ遠い先の未来のことだと思っている死も確実にやって来る
memento mori - 汝の死の瞬間を迎えるときを想え
>>688 たまに書いてくれると死を想起できるので
助かるよ。マジで・・
>>682 すみません。
比べるつもりなかったのですが、
「長老がヒンディーを一刀両断」
みたいな記載があったので、とても残念で。
そして、テーラワーダからは少し距離を置きたいような気持ちになりました。
Kはすべてを否定していますが、決して嫌みな印象を与えない。
>>688 そんなこと想いながら生活してらんないよ。
いつ、どうやって死ぬかも分からないのに、そんな妄想しててどうすんの。
今は、今やるべきことに意識を集中する。
死ぬべきときが来たら、死に向かい合えばいい。
確かにスマ長老からは選民思想にも似た排他的な感じを受ける。
スマ長老がエリートだからなのか、戒律主義の弊害なのか。
でも、人に完璧を求めるものじゃないよ。
お互いみんな人間なんだ。
>>692 完璧とは言わないけど、
指導者には全人格的な尊敬のできる方であって欲しいです。
(長老がそうなのか否か私は分かりませんが、ヒンディーを一刀両断される講話などを直に聴いたら、
なんだぁこの人 と思ってしまいそうです。)
多分悟ってはいないんだから
仕方ない。
でもスゴイ人だよ。
>>694 そうですね。
いい意味で、もの凄く頭の良い方だと感じています。
それなりの尊敬はあります。m(_ _)m
すごい物言いだね。
「物言い」
かなりお気に召さなかったご様子。
ごめんなさい。
ヒンディーってなに?
ヒンズー教じゃないの?
700 :
神も仏も名無しさん:2008/06/10(火) 20:57:12 ID:8LUH1u7Q
スマナサーラさんのモノの言いかたがきついのは狙いがあってやってる
ことだと思う。なぜなら、そういう言いかたをすると、日本人のもとも
と潜在的に持ってる良心に訴えかけることができるからだ。
例えば、新興宗教やキリスト教、ヒンドゥー教の批判を本を通して行う
ことによって読者が「そんな言いかたはないだろう!仏教以外の宗教だ
って人を幸せにしている部分もあるんだから!」と慈悲の気持ちを読者
に起こさせることができる。それによって他の民族への差別や偏見を
なくして真の目をもって人を観る力を育てることができるのだ。
だから、スマナサーラさんはあえて自分が憎まれ役になって、読者の仏性
を育てて悟りへの道へ近付けるように説法されるのだと思う。
悪気は無いと思う。今日の夕方にそのことに気づくことができたよ。
スマナサーラさんは悟りを開いているかはわからないけど、かなりの人間
レベルの人だと思うよ。
思い切りストレートに賛同する人も多いのは・・・。
やはり、ティク・ナット・ハンの方が性にあうな。
長老だって、「言葉」では「慈悲を大事に」「言葉には気をつけて」
「争いはいけない」「人に親切に」とは言うんだよ。
でもテラワダ信者があれだけ攻撃的なのは、長老に薫陶力がない証拠だわ。
テラワダスレ見ればわかる。なにあの馬鹿みたいなケンカ。
ヴィパッサナー自体はいいと思うんで、スマナサーラ以外の本を読んでる。
ときどき、スマナサーラじゃない別の長老が来てくれてたらよかったのにと思う。
自演はほどほどにね
日付変わってひょっこり書き込み
>>700 その部分、反面教師にする人もいるけど、
真に受ける人もいるのはどう説明する?
あのー…悩みがあるのですが、
うちにゴキブリが大量発生して困っているんです。
私だけならいいのですが、あいにく父母が同居していて…
その父母がやたらと攻撃的で、ごきぶりホイホイをしかけるならまだ可愛いのですが、
私に殺させようとしているんです。
というか父母が安心するから仕方なしに私が殺さざるを得ないかなっていう状況なんです。
できることならゴキブリに私が殺さなくてもいいように家から立ち退いて欲しいのですが、
何の業(カルマ)があって、ゴキブリが大量発生してしまったのでしょうか?
スマ長老なら何て答えるかシミュレートして答えてください。お願いします。
>>706 ゴキブリが喜ぶような、不潔な環境を改善すること。
例えば、生ごみなどを放置しない。
清掃を怠らない。
家の修繕を怠らず、ゴキブリの進入経路を封じる、など。
怠慢が不潔を招き、不潔がゴキブリを招くのではないかと。
ゴキブリならなんとかして共生できないこともないが
シロアリ、スズメバチも殺すなってのはちょっと自信ないな。
歩いたらアリも知らず知らずに踏み潰し、自分の免疫機能や体内のシステムはウイルスも悪玉菌も殺してる。
生きることは罪。だったら一人一人が跡形もなく消え去ればいんじゃね?
っていうことで解脱思想が生まれたわけね。
709 :
神も仏も名無しさん:2008/06/11(水) 02:29:16 ID:F6FnBRQA
>>706 カルマは知らないけど、猫を飼うといいと思うよ。
但し、猫が見ていない所で何をしているのかは追求しない方がいい。w
710 :
神も仏も名無しさん:2008/06/11(水) 07:59:08 ID:gDuCnruC
>>706 私達は、怒りの煩悩をなくす方向で修行してるんですよね。
ゴキブリに対して「嫌だ」と思うのも怒りの煩悩です。
煩悩がなければ、ゴキブリがいてもへっちゃら、
親が何て言おうとへっちゃら。
ってことで、自分が仏教徒であることを親に告白して、
親にもゴキブリへの慈悲をもってもらうようお願いし、
また、殺したいなら自分で殺してください、
私はゴキブリがかわいそうだから殺したくないと、言うしかない。
ちなみに、オウム真理教の出家生活の
ドキュメンタリービデオ「A」を何年か前に見たら、
ゴキブリをいけどりして外に逃がしてたと思う。
瞑想に効果があるのはわかるけど、輪廻があるとは思えない。
過去世なんてインドの迷信だよね。
そう思いたいよね。
(不滅の魂ではなく)論理的に考えれば過去世や来世は自然に導かれる結論なんじゃないの。
今生だけがポンとあるとは考えにくいと。ホームページにもそう書いてあったような。
714 :
神も仏も名無しさん:2008/06/11(水) 10:23:30 ID:MxSBgwWt
科学理論的に考えると生まれ変わりは有り得ない
哲学論理的に考えると生まれ変わりは必然的
実践心理学、もしくはボッドキャスト説法で勉強しましょう。↑
716 :
神も仏も名無しさん:2008/06/11(水) 10:25:55 ID:U7HgnXwi
矢印でレスする人は信用できない
信用するもしないもあなたの心次第。
ボッドではなくポッドでした。失礼しました。
>>706 地橋さんの日記に似たような事象について記載があったように記憶しています。
以下のような内容だったと思います。
「自分の心に貪るような心持ちが強く出ていなかったか?など検証されてはいかがでしょうか?」
ゴキブリ=貪る心の象徴 みたいに言っておられたです。
>>706 こんな話はいかがでしょうか。
(その1)
商店街の1,2本裏通りに飲み屋が並んだ通りがあった。
バブル崩壊後、企業や役所の経費削減もあって、飲みに来る人が
めっきり減った。
飲み屋の女将やあんちゃんたちは商売にならんと言って機嫌が悪い。
加えて、店先に出した生ゴミの青いポリバケツをカラスが何羽も
やってきては食い散らかしてゴミを道路に散乱させていく。
店の周りはそこらじゅうがカラスの落とした糞だらけだった。
「景気が悪りいや、ちきしょう」
「政治家や役人はロクでもないやつらばかりだ」
・・・
>>706 (その2)
店の女将やあんちゃんたちは毎日イライラしていた。
ある日、夕暮れ時に店を開けようとしているところへ近所の人が通りかかった。
通行人「カラスの糞だらけだね」
女将「(ムッとして無言)」
通行人「きれいに掃除すると良いですよ。」
女将「なによ、いきなり。あんた誰?」
通行人「いえね、カラスの糞だらけだから掃除したほうが良いと思って」
女将「わかってるわよ、人に言われなくったって。景気悪いし仕方ないでしょ」
通行人「そうだね。お客が来ないでカラスが来て、お客が金落とさないで
カラスが糞を落としていく・・・無銭飲食だよな、こりゃ。
んまあいいからさ、掃除してみなよ。カラスの糞はきれいにとって水で洗い
流してさ、生ゴミもできるだけ出ないようにして、フタもキチンと締めて・・・
そうすりゃ、カラスは来ないだろ。汚れないよね。ゴミも少なきゃロスも減る。
臭いもなくなって小綺麗になったら、客がお金を落としに来てくれるよ。」
女将「ああ、そんなもんですかね。いや、そうですよね。やってみますわ。」
ブッダの青年への教えは良かった。若い人はみんな読んでほしいね。
これは人間関係やお金の使いかたやいろいろな処世術が書かれてある。
これ読んで実践すれば仕事でも成功すると思うよ。よかった。
スマ氏はパンチ和尚
もち知的な意味で
ダンマカーイが サバイサバイのメイソウ合宿やりだしたな。
あぐらって腰に悪いですかね?
私は腰痛分離症ものを持っていて、腰痛に悩まされています。
そんな人間は、やはり、あぐらはしないほうがよいのでしょうか?
スマさんの法話はもう読むのやめようかなぁ・・・
と思ってる。
いろいろ、しんどいところがある。
たとえば、老後の悩み関係の話では、
(読者が)子供がいる人前提になってる。
子供もいなくて、お金もあまりない老後になる可能性のある人がよむと、
かなりキツイ。
そういうひとは、生きるために、老いても健康であろうとかなり努力するしかないのに。
なのに、そういう努力を、無知な人のやることみたいに書いてあったり。
でも、アビダンマなんかは役に立つし、本をだしてくれて、
ありがたいと思っている。
スマナサーラさん以外の優れたヴィパッサナ指導者を体験してみませんか?
ミャンマーのパオ瞑想センターからクムダセヤドーが7月に来日し一ヶ月間、日本全国で瞑想会が行われます。
セヤドーがどういう方か知らなくても、どんな修行をされてきたのか知らなくても、師がそこにいらっしゃるだけで、その空間が静かで、穏やかで、優しいものに感じられます。
すでに決まっている関西の瞑想会をお知らせします。
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7月12日(土)13:00〜18:00 京都・慶證寺(京都市下京区西中筋町六条下ル住吉町37)
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場 所:大阪府河内長野市 延命寺
定 員:20名
費 用:7日間4万円
宣伝は客観的に!
敬称を忘れずに!
730 :
神も仏も名無しさん:2008/06/12(木) 13:55:03 ID:cp8uWYI6
>>726 自分は、上のパオ・セヤドーさんの系統や、ゴエンカさんの本参考にしてます。
あと、他スレでみた『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』 カンポン・トーンブンヌム著
という本は、タイの身体障害者のヴィパッサナー修行者が書いた本だけど、
障害がある人なので形式的じゃないし、おもしろかったよ。
長老の見解は、上座部伝統的主流というより、「上座部仏教の個性的な一派」で、上座部の独特な一支流だね。
あんがい日本仏教でいう日蓮みたいなアジテイターの才能がよりまさってる人だと思う。
>>728 瞑想会のスケジュールや申し込み先などが
載っているHPはないのでしょうか。
ググってみたけど分かりませんでした。
732 :
神も仏も名無しさん:2008/06/12(木) 16:30:19 ID:+n2sn5ut
俺の住んでるとこ、一法庵が一番近いんだけど確かあそこもパオなんだよな
一回行ってみたいけどマハシ式に慣れたらやりにくいかもなあ
734 :
南無大師遍照金剛:2008/06/12(木) 19:14:35 ID:oEmt6kQn
>>725 足を組むのを毎回交互に変えないと骨が片寄る
735 :
南無大師遍照金剛:2008/06/12(木) 19:17:03 ID:oEmt6kQn
>>725 ようは骨盤から背骨首筋頭が真っ直ぐになれば良いから椅子に座っても桶( ̄▽ ̄)
なんせパオの方がよりブッダの瞑想に近い
という噂だからな。
印象操作乙。
客観的なデータをくれ。
マハシ式はブッダ直伝ではないよね。
とするとアナパーナだからパオが近いというか
そのものかな。
パオの瞑想法は書籍に載っていますか?
方法が分かれば実践する人の抵抗感も低くなるでしょう。
ダンマチャクラとか言う人のブログがあるらしいよ。
ヤッパ名前ちがう。
パオ式 マハシ式でググったら?
>>740 本は出てないけど、やり方なら山下さんや鈴木さんのHPにも出
ているよ。
アナパナだけなら、それを見て独習することも、出来なくはない。
アナパーナでググるとアナパーナ・サチという言葉が出てくるのだが、
ひょっとして、「アーナーパーナサティ・スートラ」と何か関係がありますか?
もし「アーナーパーナサティ・スートラ」だと井上ウィマラさんの書籍に書いてあります。
マハシも仏陀の瞑想法の一部だよ
パオのアナパナも同じ一部。
慈悲の瞑想を声をだしながらやるというか、お祈り風にやるのはどうなんでしょうか?
効果がおちるとか、あがるとかあるもんなんでしょうか?
>>747 自己催眠みたいなものだから、リラックスして集中してやるのが
いいと思う。やるまえに深呼吸を何回かしてからやってる。
空腹時にするようにしている。自己催眠だとそれが効果あるから。
慈悲の瞑想の原典は、なにかあるのかな?
長老の推奨してる奴はオリジナル?
どの本にも、自分→身近な人→中立な人→嫌いな人みたいな
順番でやるって事は書いてあるね。
チベット仏教の本にも書いてあった。
いよいよ今月発売だね。
ブッダの実践心理学 第四巻 アビダンマ講義シリーズ 心のはたらきと流れ方の分析
わーい
って、まとめ買いした積ん読、まだ消化しおわってないや
でも嬉しい
それから 引きこもりニート諸君向けのスマ長老の本出ました
自立への道―ブッダはひとりだちを応援します (お釈迦さまが教えたこと 6)
◆真の独立を実現する、幸福への処方箋◆
◆みじめな「パラサイト人生」からの脱出◆
「パラサイト」「ニート」「フリーター」「ひきこもり」──
表紙が唐辛子っていうのが・・w
いきなり独立できる金儲けの話が書いてあるのかな。ニートとかに精神論は無意味だぞ。
>>750 >すべての生き物が危難から逃れられますよう、精神的苦しみから解放されますよう、
>肉体的苦痛から解放されますよう、幸せで健康でありますよう」と念ずるのです。
スマさんとこと違うんだね。
てっきりどこでもスマさんとこの唱え文句と同じだと思ってた。
以前、ジョセフマーフィーの潜在意識の本読んで、実践したり
してたことがあるんですが、潜在意識活用におけるルールのなかに、
潜在意識は否定形を無視する、というのがありました。
私は健康である○ 健康になりつつある○
私は病気でない× 病気がなおりつつある×
「病気」のイメージだけ採用されて、「ない」は無視されるという。
それを踏まえると、「悩み苦しみがなくなりますように」はどうなのかな、と気になってます。
マーフィー式に考えたら、
「悩み苦しみ」のイメージが潜在意識にインプットされて、悩み苦しみが実現されてしまう
ことになりますよね。
>>757 慈悲喜捨の心を育てるためだけの瞑想だからじゃないでしょうか?
目的がちがうのでは?
あと
釈迦とマーフィー、どちらが自分にとってずっしりと来るかだと思います。
理詰めならマーフィーの論が優勢かも知れませんが、理屈言うのは思考の世界だからと思います。
760 :
神も仏も名無しさん:2008/06/13(金) 11:05:36 ID:4kKVDXrf
ちょっとスレチだけど、瞑想指導家、山田孝男さんのメソッドは知ってる方いますか?
長老は慈悲の瞑想とヴィパッサナーは輪になっていてどこかで必ずつながる、といってたけど、
確かに慈悲の瞑想の前後にヴィパッサナーやるととてもうまくいく。
逆にいうと、慈悲ぬきでヴィパッサナーやっても、どっか壁というか、限界感じる。
>>759,
>>761 ホントわかりやすいですねえ。とてもやさしくかみ砕いた文章です。
ご本人も、風貌も声も落語家みたいでやさしさがあふれています。
でも誓教寺(浄土真宗)住職でよくこれほどの活動ができるなあ。
766 :
神も仏も名無しさん:2008/06/13(金) 16:12:54 ID:yy45hvfY
>>763 真宗の住職はもともと非僧非俗であり、
僧侶というより在家信者に近い。
だから、本物の比丘である上座部の長老達の教えに
従うのは当然なのかもしれない。
>>766 真宗では上座部を本物の比丘とは認めていないだろ。
自分たちの方が上だと思ってるはず。
大乗が小乗と侮蔑する上座仏教の僧に従うのはかなり・・。
歩く瞑想で壁に到達して方向転換するときどうすればいいの?
ただ歩いてるときは足の裏の間隔だけに目をむけてればいいけど、
回るときはどの感覚に留意していればいいのか分からない。
それで混乱していらいらする。どなたかご教授ください。
「周ります。周ります。」と指導受けました。
回ります、回りますだと一歩一歩感じてたのが大雑把な感覚に途切れる感じなんだよなあ。
何を以って回るのかと。
>>752 Amazon見たけど見つからない。>第四巻
飛びます。飛びます。
>>767-768 そういう固定観念をお互いに外して歩み寄る時代になったんだろう。
少なくとも藤本氏に関してはどっちが上とか考えていないだろう。
時には融通無碍にありたい。
776 :
神も仏も名無しさん:2008/06/14(土) 01:41:27 ID:6mzhJhTF
つーかイマドキ大乗だの小乗だのを対立的に語ってるのは長老ぐらいのもんだと思うが・・・。
777 :
神も仏も名無しさん:2008/06/14(土) 01:44:47 ID:VX7qxOkr
天
778 :
神も仏も名無しさん:2008/06/14(土) 01:51:19 ID:6mzhJhTF
時代は変わったんだからそれぞれ美味しいところかいつまんで語っていくでしょ。
道元より長老が上だとも思わんし。
>>759 ということは、すでに預流果に達した者も、けっこういるのだな。
喜ばしい。心が喜んでいるのを感じる。
数年前のことだけど、経典や、その解説書を読んでいる時に、突然、
大きな認識転換が起きた。
それ以来、預流果に示された特質が備わった。
というか、必然的にそうなった。
預流果の説明を読んでいて、いちいちうなずける。
そして、これをカキコしたい欲にかられている。
んで書いた。
しかし、ありもしない「我」が、死んだ後にどうやって悟るんだろう?
その辺がまだよくわからない;
781 :
八戒:2008/06/14(土) 05:15:22 ID:Zc6bcrpo
782 :
神も仏も名無しさん:2008/06/14(土) 07:43:22 ID:V7AQHnKz
>>780 何の話?
あなたの「我」はないけど、
あなたという一連の現象は、こうして書き込みできる。
>>780死んだあとに悟るって、そんなことあるの?
冥想実践し始めて数年の方にお尋ねします。
どうしても冥想したくない時、また自己嫌悪にかられて
落ち込む事はなくなりますか。
個人差ももちろんあると思いますが、自分は落ち込みが激しく嫌になります。
かと言ってやはり生きていくためには、必要なことと理解しているので
ほんと苦しいです。気づきとか言ってる場合じゃなくなります。
この超わがままにうんざりです。
経験談を聞かせて下さい。お願いします。
>>759 それネットで読んだ。
阿羅漢になると、出家するしかなくなる。
一切の経済活動ができなくなる。という部分がすごく気になってしまう。
妻子を養っている人、
独身でも(男女問わず)、経済的に自立できない親がいる人が、
ものすごく懸命に修行して阿羅漢になっていまったら、かなり困った事態になるぞと。
以前、他スレでこれについて質問したときには、
阿羅漢になるような人は、必要なお金を簡単に集める能力があるから、
お金の問題を解決してから出家する、という回答があって、
この回答が一番なるほどと思えた。
阿羅漢になると出家しかない件、皆は気にならないの?
私だけなのだろうか。
悟ってから心配すれば
>>782 そうなんだけど、預流果は最長でも7回生まれ変わるまでに
阿羅漢になれるっていうやつ。
死んだら、わたしという個我は消滅してしまうけど、わたしの
足跡や、わたしについての記憶は社会の人々の中に、かたちを
かえて残りつづける。
それが来世だと思ってるから、輪廻の先にどうやって悟るだ?
と疑問に思ってしまうわけ。
有身見が消えたけど、生まれ変わりなんかねーよ、って思ってしまったもので。
我があるから輪廻する
有身見が消えただけじゃまだ迷妄は続くんだな。
こんな日記書くような人を見るとそう感じる。
のだと思う
ゴメw途中で送信しちゃった
鏡見て髪型直すのはまだ我がある証拠だよな
在家のうちは身だしなみとして必要ならすればいいんじゃないかな
周囲から反感や悪意をわざわざ受ける必要はないんだし
髪型が決まらないから学校・会社休むとか思うようなのはイクナイと思うけどw
794 :
神も仏も名無しさん:2008/06/14(土) 11:22:47 ID:ndpXDQZE
>783
瞑想を初めて数年経過します。始めた頃は洒落にならないくらい眠かったし、
その後も様々な障害が現れてきます。でもとにかく忍耐と努力です。瞑想を
ちょこっとしたくらいで劇的変化の生じる方は過去世や普段の行いが清らか
な方かもと思います。私は酒も飲んでたし、不倫もしたし、幼少時から殺生
もしたしで、五蓋も激しいのでしょう。今でも自己嫌悪、落ち込み、後悔な
ど数しれず。でも、明らかに瞑想に出会う前より、これらのマイナー感情は
軽減していますし、客観視できるようになりました。瞑想はたとえ怠けつつ
でも継続は力なりと実感してます。無理せずにでもあきらめず瞑想をお続け
ください。
Patience lead to Nibbhana.
八正道に精進が入っていることをお忘れ無く。
>>790 まだまだ迷妄だらけですね。
余計な欲は大幅に弱まったけど、まだ食欲、性欲、睡眠欲もある。
傲慢もある。
でも、
毒矢が飛び交うところから、また毒矢が飛び交うところへと
右往左往していた状態から、とりあえずは、治療をしつつ
毒矢が飛んでないところへの移動は始まってる。
そんな感じ。
ブッダとそのダンマへの確信は揺るぎない。
これは断言できる。
信仰ではなく、理解に基づく確信なので、揺るぐことがない。
鬱で死にたい人間には瞑想効きますか?
自分が情けない
でも薬も効かないだろうし
>>797 効果あるんじゃないでしょうか。
うろ覚えで恐縮ですが、地橋さんの本にあった様な気がします。
ただ、正式に習われた方が良いと思います。
>>797 欝という実体があるわけではなく、欝とはただの負の思考の連鎖の状態と言えると思います。
私は医者ではないので瞑想が欝に効くと断言する事は出来ませんが、
ヴィパッサナー瞑想は思考の連鎖を止める瞑想です、たとえば誰かに何かを言われた時、
『@〜に〜と言われた→A侮辱された→B自分はダメな人間だ→C死にたい』
という感じで人は通常思考の連想を行っています。
上の@〜Cの中で事実は@のみで、あとのABCは心が作り出した妄想で
事実ではありません、ただの妄想の連想です。
この妄想の連想を行わないようにヴィパッサナーでは@の時点で
「〜と言われた」と心の中でサティを入れて後の連想を断ち切ります
事実だけを見るのです。
人の心には善心所と不善心所があります、プラスが善心、マイナスが不善心。
ポジティブが善心、ネガティブが不善心。
安心が善心、不安が不善心。
そして心とはこの善心と不善心を同じ瞬間に同時に持つ事は出来ません、
不安に思いながら安心することは出来ないのです。
つまり心のベクトルが不安に傾いている時に妄想の連想をしてしまうと
ただ不安が大きくなるだけです、それをサティで断ち切るのがヴィパッサナーです。
>>797 将来に対する不安なども妄想です。
いくら将来起こる確率が高いことに対してでも、今の瞬間に実際に起こっていない事に
不安を持つのは妄想であり意味の無い事です、そんな妄想で自分を傷つけない事です。
ヴィパッサナーは役に立つと思いますが、少々時間がかかってしまうので
即効性のあるものを紹介します。
「ありがとうございます」という言葉を心の中で何度も何度もくり返します。
ありがとうと思う心は善心なので、
>>799で善心と不善心は同居できないと
いったように「ありがとう」という善心で心を満たせば
不の妄想スパイラルは収まります。
別になにかありがたい事を思い浮かべて「ありがとうございます」と言わなくても
良いです。最初はただ言葉だけを無理やりでもくり返します。
ただくり返すだけで心のベクトルが善心にかたむきはじめますから、
何十回、何百回とくり返すうちにやがて過去や現在のほんの小さなありがたい事が
心に浮かんでくるでしょう、それを毎日くり返します。
これはヴィパッサナーではありませんが効果あります、やってみてください。
鬱と鬱病は違うから、一概に仏教的メソッドだけで対応するより、
適切な治療を受ける、
骨折をしたら整形外科に行く、盲腸になったら外科に行く、これも十分仏教的だと思いますよ。
個人的には認知行動療法がいいと感じています。
>>799の書かれているサティと
全く同じで、「自動思考」を認知し、客観化するというやり方です。
違うのは紙に書くだけ。
かなり注目を集めているし、創始者も仏教思想をかなり学ばれている人だそう。
ちょっとやったが非常に理にかなっている。
そうですね、まずは病院で適切な治療を受けるのがいいですね。
それで安定してきたら元に戻らないように瞑想するのがいいでしょう。
皆さんレスありがとうございます。
医師も仏教を評価する人は多いと思います。
認知行動療法に似てるとか。
私は、多分育った環境での忘れられない苦しみとか、性格的な歪みもあるので、薬は決定的には効かないと思うんです
考え方が変われば良いと思います。
視野が狭く、囚われてると思います。
瞑想指導は受けてます。
なので実は初心者ではないです。
ただ怠け癖があって続かなくて…でもできるだけサティはやってます。
やると落ち着いた気持ちになったことはあって、多分効果はあると思うけど怠けてしまったり…続かないと効果は消えてくるっていうか
鬱に入って死にたくなるループしてます
頭もぼんやりしたり
すみませんこんなで。
善心所になれば不善は消えるんですね
仏教かじってるのに思い切り不善まみれから抜けれず
どうしたら皆さんみたいに怠らずに続けられるんでしょうね。
怠けなのはわかってるんですけど
>>803 貴方に似てる俺も頑張ってるよ。
お互い良い方向に行けたらいいね。
>>794 レスをありがとうございます。
とてもありがたく読ませて頂きました。
思わず弱音を吐き、苦しさから逃れることばかり考えていましたが、
「精進」あるのみですね。
心を清らかにすることとは、腐った水を浄化するように
気が遠くなるほど時間が掛かるとわかっていても
てっとり早い浄水器を探したくなります。
でも自分の心次第。
レスして下さったおかげで、気づけました。
感謝致します。
>>803 つらい事があったんでしょうね、お気の毒です。
でも望む望まないにかかわらず人は必ず死ぬし
自殺も選択肢の一つかもしれませんがそれは今でなくともいつでも出来ます。
ただ今生で解決できないカルマはまたくり返すことになるでしょう。
例えば、人のせいにする心や、人をうらやむ心といった不善心を
持ち続ければ、心がそのように思ってしまいがちな環境を回りに
何度でも引き寄せてしまうでしょう。
本質的には同じ問題の周りをグルグル回ってしまうのです。
人になにかをされたとして、10人が10人とも相手が悪いと言うような
仕打ちをされたとしても、それを自分のカルマと受け取り
妄想の連想で新たなカルマを作らず、消化して見送ることが出来れば良いのですが。
かつて共にテーラワーダ協会で修行仲間だったはずの
スマナサーラ長老
地橋秀雄氏
鈴木一生氏
山下良道氏
は何故バラバラになってしまったのでしょうか
>806
瞑想よりも、走ったり山に上ったりして体力をつける方が効果がある場合も
あると思います。よく分かりませんが、瞑想をする上で、前提としてある程度の
体力や気力のようなものが必要なのではないでしょうか?
>>809 走ったり、山に登ったりすることの出来ない身体
または、そのような環境にいない者はどうすれば良いのでしょう。
瞑想は、今に気づくことで歩く瞑想(や慈悲の瞑想)でもコツコツ実践していれば
少しづつでも進歩すると理解していたのですが。
俺も慈悲の瞑想止まりだが、他人に対する受け止め方がガラリと変わるから。
相手を慈しむ事で。
っていうか、日本語でオリジナルの慈悲の瞑想を作った長老は偉いと思う。
慈悲の瞑想で他人の反応も変わるから面白いですね。
笑ってしまいます。
>>797 「瞑想クイック・マニュアル」のまえがきの3,4Pに
うつ病が治った人の例を紹介していました。
ここだけ読むだけなら立ち読みでもしてみては?
>>810 >>730にある、『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』という本は
全身不随の障害者の人がヴィパッサナーをやるという本で、いろいろ参考になってます。
その人は、顔の表情を動かしたり、わずかに動く腕を動かしたりして、ヴィパッサナーをやったとか。
といっても、
>>809の人のいうのも理解できる。人間はすべてが平等に大事。バランスですね。
自己嫌悪や、落ち込みについてですが、人間だから、自然に出てくる。
それもサティの対象ですね。
それは、敵として打ち消すのではなく、好悪の感情抜きでやさしく受け入れるべき感情ではないでしょうか。
快も不快も、平等に。
「あ、自己嫌悪だ、あ、落ち込みだ、気づいてあげよう」、と。
ただ気づいてあげるだけで、そういう感情も納得して、消えてくれるんじゃないでしょうか。
話は変わりますが、あくまで自分はですが、2ちゃんをしていて不善心が出やすい。
ヴィパッサナーや慈悲の瞑想の効力は素晴らしいと思うが、
このスレで時おり他宗非難をしているのを見ると、非常に嫌悪の感情が出やすい。
誰かが誰かをけなす、という構図を見ると、どうしてもけなされたほうをかばいたくなる。
自分がよく知りもしない他宗批判にどんな意味があるのか?エゴが満足感に酔えるということ以外の意味があるのか?
そう思ってしまう。
しかし、それはそれで好悪の感情が動くということ。
きっと、そういうことをしている人も現実では好人物なのかもしれない。
だが、ネットではそれが決定的にわかりづらい。
ネットでは、いろんな言外の情報がカットされているので、文章からだけで
判断すると、自分の妄想が動きやすい。
きれい事抜きで言えば、自分の意見に対する反論についても、公平な態度をとるまえに、
チクリと痛みが走る。
これが現実だったら、言外の情報により、そういうことはすくない。
いうまでもなく、これは、ネットの特質の所為ばかりではなく、自分の妄想力の強さ、
サティの弱さによるものでしょう。
ということで、私にとって不善心の出やすい2ちゃんはやめ、慈悲の瞑想とヴィパッサナーに傾注することにしました。
皆さんは多分、わたしのように不善心が動くことはないと思うので、大丈夫でしょう。
修行がうまくいくことを願っています。
人間できてるなあ。朝から清々しい気分になった。
それに対して自分の器の小ささときたら・・・。
安易な批判あれば、それに対する批評もまた安易。
内省させられます。
瞑想中映像が突然現れたり消えたりするが
自分を含めた現象、存在自体このように
生滅していると考えて良いのでしょうか?
>>815 このスレがサンガになればいいのですが・・
>>815 >> 皆さんは多分、わたしのように不善心が動くことはないと思うので、大丈夫でしょう。
これこそ妄想。 この2ちゃんにきて不善心にならないなんてありえますか。
まあ来なきゃ来ないでいいと思いますが、参考になることもありますしね。
不善心を無くすなんて悟って智慧が現れない限り、無理だと思います。
先日あった長老の講義で異論をまず聞く、そして客観的に洞察することが大事とありました。
この客観的が曲者ですよね。主観のほうがどうしても勝ってしまう。
>>819 確かにそうなんだけど、それを言うのは無粋ってもんです
多分815の社交辞令のようなもんでしょう。これも妄想かもだけど
賢人は朱に交わらず、更なる賢人は朱に交われど染まらず
と言いますが
後者のような人はもはや超人だと思いますね
瞑想中の映像って連続してると思っていたが
良く観察すると1秒の何分の1かで現れたり
消えたりしていた。
そういえばある大乗の僧侶がまばたきするその1瞬、
意識をなくしてるんだ、と言っていた。
永久に意識を失くすのが死だとw
822 :
神も仏も名無しさん:2008/06/15(日) 18:30:17 ID:kWD4urno
有身見が消えるってどういうことなんだろう?
自分の場合、絶対的な救い、存在する意味を妄想した挙句、窓の外を見ても
「明日にでも世界が滅びるんじゃないか」って本気で思う状態になって(我)の限界を思い知らされたけど
無常無我縁起を考察するうちに(最初は怖かった)
「ああこれは本当に楽だ」と思って窓の景色もまるで透明な鈴が共鳴しているように見えた。
これは果たして有見身が消えたのか、
それとも単に知識・感情レベルで(我)より(無我)の方が「都合が良い」と理解したことで高揚感を感じただけなのか…
823 :
brown:2008/06/15(日) 19:11:20 ID:hxiIgbdK
>>818 瞑想中の映像やイメージというのは,100%,妄想という成分でできています。
完全に妄想ですね。経験を遮断している間に起こることですから。
現実の成分は全く含んでいない。
次に,日々,日常体験で経験する映像やイメージというのは,半分が妄想
という成分でできています。もう半分は,現実という要素でできている。
しかし,ここで問題。その妄想成分は,実のところ,眼,耳,鼻,舌,身体,
心を覆うフィルターのようになっていて,全ての経験はそこを通してしか
経験されないようになっておる。そういう意味では,日常経験も全部妄想
といえます。
日常体験における,この前の半分である妄想成分であるフィルターが完全
に取り払われたとき,優秀な修行者が待ち望む,ダルマが露になります。
では,妄想100%であるのに,瞑想をなぜするのですか?
それは,それが妄想100%と気づくため。純度の高い妄想によって,それが
なんなのかをはっきりと知るため。現実に接触しない安全な避難地で,
訓練するためですね。
つまり,瞑想のありありとしたリアリティーが実は妄想に過ぎないと知る
とき,現実の白昼夢は,悉く滅し,誤解のベールが,トランプの家のように
崩れ去る。するとそこには,強烈な現実の直接体験が露になります。
これが,悟りの瞬間です。
825 :
brown:2008/06/15(日) 19:30:24 ID:hxiIgbdK
>>822 有心見とは,輪廻に何らかの価値があるという見解のことです。
つまり,輪廻に何か経験すべきことがある,欲しがるべき何かがある,
解脱以外に何かの望むものがある,達成すべき願いがある,
この心の疼きを解決する有効な手立てがあるという見解のことです。
これが完全に断たれると,もはや有情は,解脱するしかなくなるので,
預流果(拠り所への流れが確定した)と呼ばれます。
そのための道は,苦諦を勝義に悟ることです。
つまり,直接体験によって,苦諦を,全的に,ありありと知ることです。
ブッダダーサ長老の言うように輪廻は妄想だと思います。
827 :
神も仏も名無しさん:2008/06/15(日) 20:15:57 ID:kWD4urno
>>825 ありがとうございます。精進してまいります。
輪廻の有無も解脱したら分かること
精進精進
>輪廻の有無も解脱したら分かること
分かるのだろうか?
すべてが分かるということがありえるのだろうか?
むしろ分からないことだらけで、分からないままでいいだろう。
いくら精進してもやはり分からないことは分からない。
解脱というのはすべてが分かることだろうか? もしそうだとすると、解脱なんて
無いと思う。
830 :
broken:2008/06/15(日) 22:21:48 ID:8x+gV/gL
>>808 バラバラになったとはいわないが、
はたからタイムリーにみてたかたちで事情を知ってても
こんなとこで書けるわけなかろうもな。
830中のbrownさんのカキコを全部読んだ。
涙が出た。
輪廻が有るか無いか分かるかもしれないし分からないかも知れない
未来に分かるっているか分からないかと今知りえないことをグダグダ考えるのは人生の無駄
ただ解脱によって三種の明知が生ずるといわれる
即ち宿命通、天眼通、漏尽通の三種
835 :
神も仏も名無しさん:2008/06/16(月) 07:59:06 ID:7XOYPaGI
>>826 ただ、この世しかないなら、
修行なんかせずに快楽を求めてやりたい放題やって、
行き詰まったら自殺すればいいや…ってならないのだろうか。
業報輪廻思想って、そういう無茶な生き方を
抑制する効果はあると思います。
唯物論者は死んだら全て終わりで生まれ変わりも死語の裁きもないと断言することが多いけれど、解せない
宗教的観念での輪廻ではなく、純粋に万物流転の観点からみると転生があると考えた方が自然なような(これも断言はできないが)
哲学と科学の間の齟齬なのかもしれんけどどうも『死んだら全て終わり』の方が非論理的に感じられてならない
>哲学と科学の間の齟齬なのかもしれんけどどうも『死んだら全て終わり』の方が
>非論理的に感じられてならない
人類としてはずっと生きつづけているし、個人としては常に死んでは生まれるを
くりかえしている。人体を構成するものは、脳細胞も含めて常に入れ替わってる。
『死んだら全て終わり』と考えるような人は宗教者じゃなくても寧ろ少数だと思う。
こういったスレでコテをつけるって言うのはどうなんだろうな
ブッダが書き込むとき「ブッダ」って名前付けるのかな
自我の主張じゃないのかな
まあbrownさんは求められてつけてる節があるからいいけども
>修行なんかせずに快楽を求めてやりたい放題やって、
>行き詰まったら自殺すればいいや…ってならないのだろうか。
仏教をしらない原始的で素朴な民族を見たら解るが、決してそうなならない。
>ただ解脱によって三種の明知が生ずるといわれる
>即ち宿命通、天眼通、漏尽通の三種
多分誰一人としてそんな力を持った人はいないと思う。
仏陀もDNAや光の諸性質や核融合や核分裂については知らなかったでしょう。
解脱というのはそういうものではないと思う。
>>839 >多分誰一人としてそんな力を持った人はいないと思う。
貴方が既に大悟してそう書いているとしたら失礼になりますが、
恐らくそう思うのは、貴方にそうした能力が無いからというのが大きな根拠なのでは?
三明の記述はテーリーガーターやテーラガーターに見られ、
宿命通は前世を知る能力らしいので、輪廻との関わりで書きました。
阿羅漢は嘘をつけないらしいですが、三明が嘘であるならその阿羅漢が嘘をついたか、
仏典記述者ないし複製者が嘘を書いたかのどちらかになりますね。
三明の要件は解脱であり完全な悟りなわけですから
その有る無しについても凡夫の内は想像でしか語れません。
どちらにしろ目的とすべきは超越体験ではなく、悟りです。
>仏陀もDNAや光の諸性質や核融合や核分裂については知らなかったでしょう
それを知りうることがいわゆる神通力の能力かどうか分かりませんが、
そうした現代科学の術後を駆使した知識は知らなかったかも知れないですね。
ブッダにしか分かりませんが。
物質について見れば、その理解に現代科学は有用だとしても、
紀元前インドの説明でも悟りには充分だったのだから、
全員が複雑な現代科学を理解し説明しうる偉大な科学者である必要はないのでしょう。
結局は現象をどういう言葉で説明するかの違いでしょうから。
>解脱というのはそういうものではないと思う。
貴方が解脱をどのように考えているか分かりませんが、
解脱とはどのようなものかを知りたければ、
貴方が解脱をするか、
解脱しない内であるなら解脱した阿羅漢に会って話を聞くか、
ブッダや阿羅漢について記した経典や教えを正しく伝える僧侶に接するしかないのではないでしょうか。
841 :
神も仏も名無しさん:2008/06/16(月) 13:44:49 ID:WpG3TGx4
>>835 特殊な例ながら、逆に輪廻を盲信して自殺した人もいたけれどね。
『僕の地球を守って 自殺』でググるとその辺載ってる。
まあ、個人的には生まれ変わりを信じてるけれど、いずれにしろ実際にその時になってみないと何もわからないので
輪廻しようがしまいが徒に死ぬのは良くないと。
>>831 協会のベテラン会員の方でしょうか。正直、私自身どの先生について行ったら良いのか大変迷っております・・・。
843 :
神も仏も名無しさん:2008/06/16(月) 21:17:19 ID:040i1gjw
地橋氏とスマ氏は今でも協調関係にあるんジャマイカ
844 :
神も仏も名無しさん:2008/06/16(月) 21:30:26 ID:K08qiIsB
瞑想業界も人間関係でギクシャクしてんの?
瞑想でどうにもなんないの?
周囲が妄想してぎくしゃくして見えるんだよ
当人が知らないとこでw
輪廻があったら修行は役に立つし
無かったら無事に一生を終えて
多少悪い事してもチャラで楽勝。
いずれにしろ輪廻を前提にしておいたほうが
得だ。
俺が昔教わった人は(外道だったが)俺が
意識でバリア張ったの一瞬で見抜いたよ。
簡単にコーヒーを水に変えてしまうし
超能力は目の前で見てるから信じざるを得ない。
否定派は実際に見たことがないんだろう。
848 :
神も仏も名無しさん:2008/06/16(月) 22:25:00 ID:Ora158nA
雲が消せると信じれば雲が本当に消えると言うけど。
そのようなことを面白半分にやっていると反動が来る、という話を聞いたことがある。
自然法則を弄ってるわけだからね。
それに超能力なんて・・・恐ろしいから信じたくない。
神通力は有得るということだよ。
神通力ってタネがフクザツな手品みたいなもんだろ
きょうみねーよ
>>842 基本的には844さんのいうとりだろうけどね。好みでどうぞ。
目的というと語弊があるけど、目的の違いでかわるだろうし。
ブッダ、キリスト、ムハンマド(?)、クリシュナムルティなどの
覚者でもそれぞれ違う価値観を持ってるみたいだね。だいたい
一致することが多いみたいだけど。生きてきた環境や遺伝的な
特徴や性格が関係してるのかな。
>ブッダ、キリスト、ムハンマド(?)、クリシュナムルティ
このうちキリスト、ムハンマド(?)は覚者じゃないのでは?
預言者でしょう?
朕もキリストとモハメットが覚者かどうかは、わからない。
特にイスラム教は知らないので、判断がつかない。
しかし、キリストがユダヤ教徒の律法主義のおかしな点を指摘できた
ことひとつをとっても、彼が戒禁取に囚われていないことがわかる。
その足跡と言動から、かなり高い段階の悟りを経ていることだけは確か。
>>854 キリストはシナイ山でなにやら瞑想みたいなこともやってたと
噂で聞いたけど、覚者じゃないのか。でもそこそこのレベル
だったと思う。あれだけの使徒が命懸けで教えを広めたとい
うことは、キリストになにかしらのパワーがあったと思う。
マリアさまが処女で子供を生んだので、宇宙人かもしれないが。
あらためて基本的なことを自己確認。チラ裏容赦。
●超能力・神通力のたぐいは瞑想目的に無し。
●教義や先哲の生い立ち及び歴史他に興味なし。
●日常生活での悩み・苦しみ・不安・怒り・妬み・恨み・心配・焦り・・・
などの心身に悪影響のある反応系の制御方法を身につけられること。
●同時に人生を生きて行くなかで、すべてを良き方向で見直し、聞き直し、
言い直せる、いわゆる"serendipity(serendipitous)"が自然に表現できること。
●関連して、良いことにも悪いことにも反応系を緩やかに穏やかに保って
心が関与する度合いを低く&瞬間(短時間)に抑えること。
>>856 やる気は伝わるけれど、計画立てすぎだと思うな。
失敗したくない。悟りたい気持ちは良くわかります。
ダンマキャスト 2006 0608 02の説法聞いたことありますか。
とにかく今の感情や感覚に気づくこと。これのみで良いんじゃないか。
誤爆
>>784 そんなことは無い。
高校を中退し、清貧の中で修行し、阿羅漢となった後に大検を経て大学に進み、
宗教とは無縁のところでしっかりと地位を確保し、安定した収入を得ている人
を知っている。
さて話は変わりますが、「ブッダの実践心理学」を読み始めて一週間、2巻の
途中までとても楽しく読み進めてきたのだが、ちょっと気をつけて読まなけれ
ばいけないかなと、思い始めたところ。
分かり易いのはいいのだが、時として安易に流れる感は否めず。
また、スマナサーラ長老は、長老であっても阿羅漢ではないようなのですが
(「ブッダの実践心理学」2巻140頁の表現から妄想。誤解があれば多謝)、
皆さんの見解はいかがなものでしょう。
862 :
神も仏も名無しさん:2008/06/17(火) 15:08:20 ID:TUZ7/KDk
>高校を中退し、清貧の中で修行し、阿羅漢となった後に大検を経て大学に
>進み、
有り得ません。
阿羅漢になると出家しないと死にます。
在家で生きているなら阿羅漢ではないということです。
皿洗いて考え事しながら皿洗う・・・
何が悪いの?
865 :
842:2008/06/17(火) 18:09:52 ID:Tc7A9DZB
>>844 私が間違っておりました。おかげさまで目が覚めました。そうやって何も決められずにすぐ人に頼ってしまう私自身の心の弱さに気づくことが出来ました。
ありがとうございます。精進したいと思っております。
生きとし生けるものが幸せでありますように
クリシュナムルティってイエスに会いにいったとかいってなかった?
あと鈴木大拙とは何回か面会したらしいね。
>>864 ということは、スマナサーラ長老が悟っているかどうかも誰にも分からない、
という理解でよろしいのでしょうか?
>>867 なんで他人の悟りが気になるのかねえ。
なんで悟りに引っかかるかねえ。
どうでもいいじゃん、悟りなんて。
まず自分。
そうそう。何でそんなに気になるのか、よく観察するのじゃ
っていうか、長老自身「悟りを得ることを目標にして瞑想すると一生の修行になる。
目標を作らずゲーム感覚で楽しんでください。」って言っているのだが。
in 「自分を変える気づきの瞑想法」P.163
毎日瞑想することが習慣になったら、そんなに修行してる感じでも
ないけど、俺は。
一時期、苦しくて瞑想でもだめかなと思ったけど、それから劇的に
よくなって今は落ち着いていて、それからいつもどおりという感じ
でやってる。
>>870 ということは、長老は「悟りを得るための一生の修行」は勧めていないということなんですね。
それが本当だとすると、不思議な長老ですね。
なんであんなに「悟り」、「解脱」という言葉を御著書の中で口にするのでしょう。
謎は残りますが、ま、長老も「ゲーム感覚で楽しんだ」ということですね。
それはそれで非常に含蓄のある教えです。
ヘミシンクで起きた驚愕の「前世体験」を読むと、人になにを言われようと
反応しなくなったことが書かれている。
悪口を言われても凹まないし、褒められたからといって喜ばない。
外部刺激に対する反応系のあり方としては瞑想効果はいいみたいだね。
874 :
神も仏も名無しさん:2008/06/18(水) 07:53:27 ID:fYPSfgbQ
>>872 瞑想してる瞬間自体が幸せ。
怒りも欲も、月を覆う雲のように、すぐに過ぎ去る。
いいね。瞑想の為の瞑想。
そういう瞑想がしたい。
ヘミシンクでおこる体験は寺和田的には妄想?
877 :
神も仏も名無しさん:2008/06/18(水) 08:25:05 ID:fYPSfgbQ
瞑想してる瞬間は、
悩み苦しみも消え、願いごとのことも忘れ、
智慧のかけらくらいはかいまみることができる。
生きとし生けるものにとっとのしあわせとは、
悩み苦しみが消え、願いごとも消え、智慧があらわれることでしょう。
瞑想こそが、幸せになる手段でたり、幸せである。
特に瞑想の効果というわけでもなく、
自分の気分をシフトして、何言われても怒らないようにすることは、
やろうと思えばできることがある。
でも、そのとき、そんな何も反応しない気質のような心(←表現下手でスマソ)
でもって相手に応対するということは、
相手に対して失礼ではないのか?という疑問が生じる。
>>872 在家相手の話だからではないかな?
まぁ悟りという概念を手に入れようとしても徒労だろうが
880 :
878:2008/06/18(水) 10:06:34 ID:Gb9Gmh39
それは別にこちらが無礼な感じを出すわけではなくて、
なんていうか、冷静でいると「ノリが悪い」みたいで、
相手に対する愛がないみたいな・・・
どうもうまくいえなくてすみません。
881 :
861:2008/06/18(水) 11:53:54 ID:EnwCAyOB
昨日は私の質問にレスを頂きありがとうございました。
結局は、スマナサーラ長老が阿羅漢かどうか、皆さんもご存じない、
あるいは気にしない、ということがわかりました。
長老ご自身、何も仰っていないからなのでしょう。
「大妄語」になるのを避けていらっしゃるのかもしれませんね。
昨日はレスをいただきながらも、論点がぶれるのを恐れたため、
スルーさせていただいたレスがありました。
この場を借りて、頂いたレスに感謝しつつ簡単に返答させていただきます。
>>862 阿羅漢となり「主体」が無くなった者にとって、在家と出家
の生活にいかなる違いがあるのでしょう。
また、阿羅漢にとって「死」とはいかなるものなのでしょう。
882 :
861:2008/06/18(水) 11:55:53 ID:EnwCAyOB
>>868 >なんで他人の悟りが気になるのかねえ。
長老ご自身「私を疑ってください」と仰っていたようですが?
悟りの旗印を掲げながら説法なさっているのですから、長老を
導き手として考えた場合、「長老は阿羅漢か?」と思うのは
自然な疑問だと思うのですが。
仏伝を読むと、ブッダ御自身は明確に宣言なさっているようですし。
>>869 分かっているので書き込みさせていただきました。
>>870 昨日は引用文に対して突っ込ませていただきましたが、870さんの
レスには、優しさを感じました。
ありがとうございました。
>>879 >「悟りという概念」
こんなものがあるとは知りませんでした。
>「在家相手の話だからではないかな?」
そこが落としどころなのでしょうね。
皆さん、お付き合いいただきありがとうございました。
スマ長老は携帯契約するとき、使わないのわかってるけどやっぱりできるだけ多機能のものがほしくて契約しちゃった。でもやっぱり使わないや。てへ ってポドキャストいってた気がする。
884 :
861:2008/06/18(水) 14:39:07 ID:EnwCAyOB
先ほど読み直して
>>874さんへのレスを忘れているのに気が付きました。
>瞑想してる瞬間自体が幸せ。
ということは、瞑想してるとき以外は幸せではない、ということなのでしょうか?
というのも、ヴィパッーサナー関係の本で、「ヨーガにおける瞑想は、サマーディ
に入っている時だけが幸せで、定から出てしまえば元の木阿弥である」という論旨
での批判を読んだ気がします。(大雑把で申し訳ありませんが、たぶん地橋氏の本)
ということは、「ヨーガによるサマーディ」も「ヴィパッサナー」も、瞑想中だけが
幸せという点では変わりが無いのですね。
不思議ですね、地橋氏だけの説なのかもしれませんね。
>>883 もっとお金大事につかってほしーなぁ。
普通の俗世の経営者なら好きにすればいいとこだけど・・・
886 :
885:2008/06/18(水) 15:27:09 ID:Gb9Gmh39
いや、経営者でも会社の経費で買うなら社員の不満をかうか。
俗世の人が自分の稼ぎで買うなら、に訂正。
>>885 そう思いますね。
多機能を欲したって、ワンセグとか。。。
本当に欲したのか否かは別としても、発言自体をなんだかなぁ〜って感じます。
自己啓発系の主宰者ならまだしもね。
ワンセグほしがる阿羅漢w
ま、クリシュナムルティも悟ったあと失恋してるし推理小説好き。
お二方は預流果じゃないかなあ。
うんうん、不要なものにお金を使ったこと自体だけでなく、
そういうこと発言しちゃうなんて・・・?と思う。
黙ってればいいのに。
聞いた人が疑問に思うかもしれないこと、分からないのかな。
(
>>883と同じ発言かわかりませんが、
私も携帯の買い物のついての発言で以前疑問に思ったことがあります)
お金に緩くても許してくれるような雰囲気が、法話を聞きにきている
在家信者にあるのだろうか。。
でも、アビダルマ4巻はものすごく楽しみに待っているし、
スマさんが活動続けてくれてる事は有り難いです。
890 :
神も仏も名無しさん:2008/06/18(水) 17:36:50 ID:fYPSfgbQ
>>884 ヴィパッサナーにより煩悩が消えていけば、
日常の状態でも悩み苦しみは減るでしょう。
しかし、煩悩が消えてない凡夫でも、瞑想により心が静かになります。
仏教の瞑想はサマタとヴィパッサナーの両方をやりますから、
他の宗教等がやってるサマタの瞑想の効果も、
やはり体験するでしょうね。
いずれにせよ、私の私見を書いたものです。
混乱させてしまってすみません。
多分携帯買った金は自分の印税とかじゃないかな
892 :
874:2008/06/18(水) 17:56:03 ID:fYPSfgbQ
>>884 まぁ、なんというか、
すべての悩み苦しみは心がつくりだしてる幻であり、
瞑想によって心のチャンネルを変えるワザがあれば、
日常の悩みなんて平気へっちゃら、
みたいな頼もしい気持ちが私にはあります。
「気付き」を忘れて眼耳鼻舌身意の暴れるままになってるときには、
悩み苦しみの激流にのまれまくりなんですが、
一瞬でも瞑想で「気付き」が入ると、
サッと激流から出ることができる。
「ブッころすぞ!」と怒りに流されてるときに、
一瞬でも「気付き」が入れば、す〜っと感情が過ぎ去ってしまう。
>>888 何!?Kは推理小説なんか読んでたの?
興覚めした。
結論には禿げ同。
あの長老がただブツヨクだけでそういうの欲しがると思うか?w
とにかく俺は独断でスマ長老はヨルカ認定。
896 :
神も仏も名無しさん:2008/06/18(水) 20:17:08 ID:fYPSfgbQ
>>894 「俗世間の人々が夢中になってる最新のケータイを買ったけど、
まぁ所詮電話は電話、なんということもありません。」
って、ツッコミ入れるためのリサーチでしょうね。
最新のケータイに夢中になってる凡夫がいかに頭悪いかを確認するため。
スマさんはパソコンのカタログとか見るのが好きだっていってなかったっけ
韓国の素根慈は家電ヲタ
オショーはロールスロイス50台だし
インドのなんとかってひとは食欲
悟っちゃうとなにか欲望をひとつだけ残しておかないとすぐ死んでしまうらしい
みんなかわいいとこあるじゃん
>>882 >長老ご自身「私を疑ってください」と仰っていたようですが?
だから、そういうつまらないことは、あなたの瞑想修行に
なんの関係もないわけで、自分自身の瞑想独歩行にスマスマ妄想・
雑念を入れなさんなと。
スマ長老は阿羅漢。反論は認めない。
900 :
神も仏も名無しさん:2008/06/18(水) 20:51:51 ID:+RQCom5p
人は死ぬ
必ず死ぬ
絶対死ぬ
死は避けられない
私は死ぬ
必ず死ぬ
絶対死ぬ
死は避けられない
あなたは死ぬ
必ず死ぬ
絶対死ぬ
死は避けられない
死を忘れていても
死をごまかしていても
今日はまだ死なないだろうと思っていても
死から逃れることは誰もできない
全ては無常
過ぎた時間は終わってしまえば瞬間だった
まだ遠い先の未来のことだと思っている死も確実にやって来る
memento mori - 汝の死の瞬間を迎えるときを想え
中島みゆきに曲つけてもらえ
>>902 なんだ、瞑想しても結局、現実世界じゃ
どっちも全然やりくりできてないんじゃん。
他人を指導している場合か?
>>893 推理小説どころかマカロニ・ウェスタンの大ファンだぞKはw
『コマンドー』見たら気に入ったんじゃねえか?w
面白いやつだな気に入った。殺すのは最後にしてやる。
906 :
861:2008/06/19(木) 00:21:14 ID:U+Ey/Kfo
おお、いろいろな意見が出始めましたね。
>>890さん
>>892=874さん
丁寧な解説をどうもありがとうございました。
私もなぜか、ふと「サティ」が入るときがあります。
静かに澄んだ明晰な世界ですね。
仏教瞑想の基本は「止観にあり」は、納得です。
>>898 貴重なアドバイスをありがとうございます。
さて、日をまたいでしまったので、もう昨日のことになりますね。
思いがけずも長老ご自身から回答を頂くことができました。
おかげで、私のような門外漢でも、「三宝とはいかなるものであるか」を
理解することができました。
私がこのスレに来てから一日ちょっとの短い間ではありましたが、そのよう
な者に貴重な時間をお割きいただきありがとうございました。
皆様の健やかで幸せな精進をお祈りしております。
では、これにて失礼いたします。皆様、お元気で。
かの先生が とりあえずどの段階まで達していて、
どの段階はまだなのかは、話の内容を数こなし、使ってる単語を
よく聞いていれば、「おおよそ察しがつく」ように話しておられる。
聞いている側に依存体質のけがあれば、過大評価し
好みでなく 気が合わなければ過小評価してしまうようだが。
多少の欲があって、俗っぽくて何が悪いの?
最初から朱に交わらず閉じこもっているのではそれこそサティを入れてもサティの紛い物にしかならない。
世俗の中で気付いていかないと意味がない。
問題は悟り道果如何よりも、より良い生き方をいかに送るかではないかねえ。
と思う俺ガイル
正直、悟りなんかどうでもいいだろ。
ストレス社会で生き残れてストレスを減らせれば御の字。
常識的に考えて専修大学学生がハーバート大学院学位習得目指すよりも
遙かに難関の「悟り」なんかを目指す奴は頭がおかしい。
小学生が超能力とかありえない能力を信じて目指すようなもの。
県大会5位で終わった野球部の二軍の子がメジャーリーグで
ホームラン王になろうとするようなもんで、
悟ろうなんて無理な事を目標にするのはキチガイ。
>>多分誰一人としてそんな力を持った人はいないと思う。
>貴方が既に大悟してそう書いているとしたら失礼になりますが、
仏陀を真に尊敬するのであれば、偽りを伝えてはいけません。
>三明の要件は解脱であり完全な悟りなわけですから
>その有る無しについても凡夫の内は想像でしか語れません。
完全な悟りというものはないだろうと言えるのです。
なぜなら、完全な悟りも矛盾だらけなのです。
仏教でいう神通力などの悟りの真実を今日に伝える気が本当にあるのなら、預言書
を書いてその中に、日本語で相対性理論の真髄や癌の原因と完全な治療法でも説明
しておけば良いのです。神通力があれば造作も無いことだからです。
>解脱とはどのようなものかを知りたければ、
>貴方が解脱をするか、
>解脱しない内であるなら解脱した阿羅漢に会って話を聞くか、
>ブッダや阿羅漢について記した経典や教えを正しく伝える僧侶に接するしかないのではないでしょうか。
仏典や聖書は貴重な文献だとはおもいますが、その中には科学的にも宗教的にも
多数の誤りがあります。ですから批判的に読む必要があります。
また、わたしは「完全に解脱した阿羅漢」は存在しないと思うのです。
立派な方がおられるのは想像できますし、「解脱していない」と貶めるつもり
はありません。
>>解脱というのはそういうものではないと思う。
>貴方が解脱をどのように考えているか分かりませんが、
解脱とは超越体験を含むものだと思います。奇跡を抜きに宗教を語ることは出来ません。
宗教的体験とは奇跡です。
しかし奇跡だからといって何でもあり。何でもできる神通力などありえないのです。
そんなことは容易に洞察できるのです。
8時に寝たら2時頃目が覚めてしまった。
ベッドの中で慈悲の瞑想シテ4時半から
1時間ヴィパした。
>>910 釈尊も完全に解脱していないと?
本気でそう思っているなら
このスレに来ないほうがいいんじゃないの?
912 :
神も仏も名無しさん:2008/06/19(木) 07:34:59 ID:uDUxM9W/
おいら、覚者になることは実はそんなに難しいことではないとおもっとるのです。
人は誰でも覚者になることが出来ると。
というか、修行方法はいろいろなんで、なにやっても覚者になれる人はなれる。
それこそ朝目が覚めて起きたら覚者になったとか、
仕事中に、車の運転中に、などなど。
(大乗的もの言いだが、悟性があるということと実際に悟ってるということは違う)
しかし、本人にはその自覚がない。その状態を保ち続けることが出来ない。
そのことで、苦の多い凡人に戻ってしまう。
だからある程度、修行してそれを保つようになれることが大切になるんじゃないかと。
(題目でもなんでも構わないが、禅や瞑想法の方が歴史的に見て覚者になった実例が
多いことから、より効率的な修行体系ではと思われる。)
仏陀も悟りを得てから後も、悟りを得続けるため、修行を続けた。
仏教における悟りってのは、他の宗教における神秘体験、奇跡などとは違って、
なにかこう特殊なことや特別な人格になれるということではなく、
もっと日常的で普通のことだと思いますがね。
914 :
神も仏も名無しさん:2008/06/19(木) 07:58:06 ID:JBPBdcEA
>>910 少なくともブッダは実在の人物であり、
私達の理想は、ブッダと同じ境地であり、
それを阿羅漢果と呼ぶわけです。
阿羅漢と聞いて、あなたがどんな超上的なものを
想像しているのかはわかりませんが、
実在した人物と同じレベルに達することは、
絶対に不可能とはいえないでしょう。
>>912 もう少し真理を追求してみるべきだと思う。
ただの絵空事、妄想に気がつけます。
>実在した人物と同じレベルに達することは、
>絶対に不可能とはいえないでしょう。
可能です。むしろ、超える気持ちが必要です。その気持ちがないと聖書や仏典を
字句どおりに解釈しようとするなどの誤りが生ずるのです。
>釈尊も完全に解脱していないと?
>本気でそう思っているなら
>このスレに来ないほうがいいんじゃないの?
完全な解脱はありません。釈尊を利用するのは、ヒットラーの賞賛と同じです。
無自覚な信仰は宗教ではなく、悪です。クリシュナムルティーがそのことを
うまく説明しています。一度読んでみてはどうでしょうか?
>完全な解脱はありません。
ちょっとよくわからないのでもう少し説明してもらえませんか?
不完全な解脱というものを想像できないのですが。
「完全な悟りではありません」というのであればまだ理解できる気がするのですが。
919 :
神も仏も名無しさん:2008/06/19(木) 11:18:06 ID:uDUxM9W/
>>910 なんで、神通力が悟りなんだよ!
そこが、根本から違っている。
> 解脱とは超越体験を含むものだと思います。奇跡を抜きに宗教を語ることは出来ません。
宗教的体験とは奇跡です。
超越体験も奇跡も関係ない。とらわれるな。と仏陀もおっしゃっておられる。
あんたオウムかなにかか?
921 :
神も仏も名無しさん:2008/06/19(木) 11:49:03 ID:uDUxM9W/
>>920 すげえ、わかりにくかったけど、引用元は
>>840だな。
論旨はわかったけど、
最後の解脱の定義で、なぜ超越体験だのが出てくるのか
理解に苦しむ。
なんにしても、
>>910の理解については了解した。
オウム云々については、撤回して謝ります。
922 :
神も仏も名無しさん:2008/06/19(木) 12:21:39 ID:CHb2AGxJ
2008年7月5日(土)デモ行進への参加ご案内
国民の怒りの声を聞け!〜ACT FOR OUR FUTURE〜
【趣旨】対中外交および言論弾圧に対する抗議
【主催】2chとmixiの有志による「7.5実行委員会」
【日時】2008年7月5日(土)12:00集合13:00スタート予定
【ルート】 芝公園23号地→愛宕通り北上→西新橋一丁目右折→
新橋駅左折→ 銀座日航ホテル前左折→日比谷公園前通過→
霞ヶ関二丁目右折→霞ヶ関一丁目右折→日比谷公園で流れ解散
非暴力を徹底したデモです。
日本政府に対する抗議デモです。
イデオロギーも宗教も左翼も右翼も関係ない、あくまで怒れる個人の集合体デモです。 ←ここがポイント
・個人、友人、家族などの形で自由に参加できます。
・初めての方など旗振りや一緒に歩くだけでもぜひ!
詳しい日程、参加要綱、禁止事項などは以下をご覧ください。
◆2008/7/5 国民の怒りの声を聞け!【対中外交・言論弾圧】
まとめサイト
http://q-web.net/ 掲示板
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1213689686/
テーラワーダスレが1000達成した。
果たして新スレ立てるべきなのか?
日本テーラワーダ協会に否定的な意見が多かったから立てない方がいいのか?
2ちゃんねるでスレ立てる事自体テーラワーダの評判を下げるだけのような気がする。
何かを真剣に話し合うわけでもないから。
神通力のたぐいは悟らなくても出る。
悟ってないのにちょっとした能力が使えるようになってしまうと
自分が偉くなったように錯覚してしまう、これが問題。
>>923 むしろ、テーラワーダのスレは、長老の個人的人気や普及の功績考えたら、
あっても自然って気がする。「A・スマナサーラ☆日本テーラワーダ協会」
で立てればいいと思う。
廃れるなら廃れるだろうし、、、。
で、このスレの場合、次スレは「A・スマナサーラ☆」の字は抜こう。
ヴィパッサナー自体は、長老個人の専売特許じゃなく、長老と直接関係のない
指導者がミャンマーやタイ、あと欧米のセンターなどで指導をしている、
普遍的なメソッド。
特定個人の名前を冠するのは不自然だよ。
スマ長老のヴィパが好きなの!
嫌なら前のヴィパスレを復活して下さい。
ヴィパッサナー瞑想の実践スレは前あったらしいけど、廃れたのかな。
このスレとかぶってたのとちがうの?
まあ長老スレでもいいけど、なんか書きづらいんだよな、、、。
指導者の見えないヴィパなんて野狐禅だと思う
840ですが長文すみません。。。
>>910 ブッダもブッダを疑えと云っていたようですので
予断さえ持たなければ貴方の姿勢は間違っていないと思います。
ただ神通力について言えば、
私は仏典より三明を挙げ、他の方も神通力を何でもできる力などと書いていないと思うのですが、
貴方は神通力を何でもできる能力だと飛躍して考えているようです。
付言しておけば仏教では輪廻を想定していると推察しうる根拠として仏典に依拠して
>>834を書いたのであり、
私は神通力や輪廻等形而上学的事項を証明しようとしているわけではありません。
「毒矢の譬え」もありますしね。
また貴方の文章より疑問に感じた事がありました。
貴方の言う解脱とは、超越体験を含む奇跡であるようなのですが、
それは仏教的な見地なのでしょうか?それとも貴方独自の考えでしょうか?
超越体験をもたらす三昧はサマタ状態で専ら起るようですが、
釈尊は出家直後仙人の下で禅定を極め、
それを求めているものとは違うと考え、苦行へと進み、
そして身を徒に苦しめるような極端な苦行を止めて悟りを得たと伝えられているようです。
ここから思うに仏教では超越体験や奇跡は解脱でも悟りでもないようですが。
解脱の意味が貴方独自の意味なのでしたら、見解の食い違いは仕方ないところです。
また、完全な悟りという表現が嫌なのでしたら、知慧の完成、無明を破壊した、
煩悩の火を消した、無上の境地、涅槃、迷いの生存を繰り返さない等々どのような表現でも良いです。
ただそれらの状態を何をもってどの辺りを矛盾と考えているのでしょう?
十二縁起を否定しているのでしょうか?
ものごとの評価は相対的であって絶対はないという程度の意味でしょうか?
スマナサーラ長老も仏教を伝えるのは一苦労だな。
余分な知識があり過ぎか、限りない無知の俗世間の人々を
真理に導くのは並大抵な話じゃないな。
お釈迦様自身も神通力を使うことよりも
人々を真理に導くほうが遥かに難しいと。
精進しよう!
932 :
神も仏も名無しさん:2008/06/19(木) 14:48:23 ID:ztgconSF
上座部仏教を日本に伝えるということは有り難いんだが
般若心経の誤謬を指摘したり菩薩を否定するのは蛇足
内宗干渉、とでも言いましょうか。
般若心経は文化の一部。宗教と文化は不可分だ。
933 :
神も仏も名無しさん:2008/06/19(木) 15:36:22 ID:s6WTiHHP
般若心経はサマタサマディーの可能性がある。
長老は主観ではなく論理的に語っているんだろ。
>>932 般若心経は文化の一部。と言っても仏陀の教えにはないんだから
仕方ない。
936 :
神も仏も名無しさん:2008/06/19(木) 19:42:47 ID:Cn4FOQZ2
アセンブラを使いこなせる頭のいい人がBASICやスクリプト言語を馬鹿にしてるみたいでどうも・・・
ヴィパッサナー瞑想には何種類の形があるのだろう。
マハーシ系(主にA・スマナサーラ、日本テーラワーダ協会)
ゴエンカ系(主に日本ヴィパッサナー協会)
パオ系(主にパオ・セヤドー)
簡単にまとめるとこんなところかな?
まあ、1000行く前に次スレは日本に伝わったヴィパッサナー瞑想を箇条書きにして
テンプレにしておくくらいのことはお願いします。もっと詳しい人達の手で。
また、A・スマナサーラスレはヘンな生きものがスレを荒らしていて、
とてもまともな会話ができるとは思いませんが、その辺のところはどうしたらよいでしょうか。
頭の痛い問題です。
>>917 俺がkを何冊読んだと思ってるんだ?w
Kを正しく理解した人間は「俺には無理だ」
と悟るだろう。
クリシュナムルティは理想ではあるが
彼にはメソッドがない。
よって我々には役に立たないということだ。
Kで悟る人は最初からKは必要ないんだよ。
その辺りを読み取れるようにもっとKを読んで
ください。
そうすればメソッドの有り難味に気付くでしょう。
もう一言。
Kは素晴らしいが引っかかったらアウトだよ。
意味わかるかなあ。
読書が趣味なんでしょうな。
話は変わりますが、何でみんな神通力で引っかかるんだろう。
否定的に見る必要はない。
肯定的に見る必要も無い。
ただの奇跡、ただの神通力、とりわけ執着の対象にする必要ないのにね。
>>937 パオ系っていうのはどんなスタイルなんですか?
けっこうちがうのかな
>>941 ところが私も分からない。>パオ系
ウィキペディアからかいつまんで要点だけ抜き出しただけだから。
そもそも書籍がなくて、ネットで見ればわかるって感じだから、
脚光をあびるのはこれからなのでは…
質問お願いします
皆様技術論を語っていらっしゃると思いますが
それは
長い時間瞑想するための方法論でしょうか?
それとも短時間でデルタ波深い瞑想に達するための方法論でしょうか?
または他に何を目的に技術論を語っていらっしゃるのでしょうか?
勉強不足でごめんなさい
うん。勉強不足過ぎだね。
自分である程度調べたほうが意味があるよ。
ミャンマーには あと二つほど メジャーメソッドがあるんだけどねぇ。
946 :
神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 00:44:32 ID:y+k9TsrR
>>943 早く悟り(まずは預流果)に至るための技術論でしょう。
まぁでも、悟りと言っても、何か劇的な体験があるものなのか、
瞑想生活で小さな発見を積み重ねるうちに、
そういえばいつの間にか執着がなくなってたなぁ…っていう感じなのか、
その変はわかりませんけどね。
皆さん、わりと劇的な変化を待ち望んでるのでは。
>>943 みんな知識自慢か、知識に溺れて肝心の瞑想はといえば
からきし進んじゃいないヤツばっかだから。
そのことに自分じゃ気がついていないってのがオチなんだけど。
本を読んだとか、理論がどうだとか、協会がどうのこうのとか、
誰と誰がうまくいっているのいないのとか・・・
全然、瞑想生活的じゃないよね。ずっぽり煩悩に浸かってるし。
948 :
神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 01:04:21 ID:YoFGxBEG
そうそう。
ヴィパッサナー、慈悲の瞑想。それだけでいいのに、
うちの宗教がどうの、あの宗教はどうのだの。
そんなもん死後にもっていけないのにな。
勝ちたい、だから腹を立てるんでしょう。
ティク・ナット・ハンの書籍を見ると、ヴィパッサナーという言葉は使っていないが、
厳密な方法論としてではなく、生活の場面場面でサティを続けるということを推奨している。
ウ・バキンの孫弟子に当たるアリンナ ワイスマンの「やさしいヴィパッサナー瞑想入門」でも
たびたびティク・ナット・ハンの名前が出てくる。
また、ティク・ナット・ハンが序文を書いている「マインドフルネスストレス低減法」の
マインドフルとはサティの英訳語であり、アメリカの上座部仏教のセンターで学んだ
著者が精神療法として提案し、現在注目を集めている。
また、ダライ・ラマの本にも、瞑想法としてヴィパッサナー、サマタの2種類が
あると解説されている。チベット仏教ではテーラワーダはマハーヤーナ、ヴァジュラヤーナとともに
学習の義務がある。
ぶっちゃけけっこう適当に並べたのでまちがってるかも
>>949 マインドフルネス系はいろんな本が出てますね。
ジェフリー・ブラントリー『10分間瞑想健康法』
医療に取り入れたものとしては
カバットジン『生命力がよみがえる瞑想健康法』
Z.V.シーガル他『マインドフルネス認知療法』
医療系は宗教色を脱して、健康法としてのヴィパッサナを取り入れます。
解脱や悟りと言うことはあまり言いませんが、実際に健康面に効果が出ているということが特色です。
われわれは解脱を語りますが、解脱どころか、実際の生活になんの変化もないのは反省せねばなりません。
また、これはマインドフルネス系とは別で、さらにマハシでもなくパオでもない、どの流派なのかわからないのですが、末期の癌治療に取り入れているヴィパサナを紹介したものに下記書があります。
スティヴン・レヴァイン『めざめて生き、めざめて死ぬ』
題名にあるごとく、死ぬ瞬間まで目ざめ、気づきつつ死んでいくあり方を目指すというもので、もうこうなると健康法を超えて、解脱の世界です。感動しました。
気づきと気づいてない違いがいまいち分からない。
気づいてるときは歩行の瞑想してるように対象を意識的に見てるときで、
気づいていないときはただ漠然とボーっとしている状態?
気づくときって無意識の中から意識のなかに浮上したときに指すものであって、
意識的に気づいていましょう、っていうのは作為的な気がするんだよな。
>>953 仰る通りだと思います。
その辺は、クリシュナムルティの本に詳しく書いてます。
というか、それしか書いていないです。
955 :
神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 12:23:03 ID:db7ukMDv
ヴィパッサナーの英訳はマインドフルネスじゃなくてインサイトなのね
無意識はありえない。
何かを意識的にやらずにぼんやりしてる時くらいの意味だろ
958 :
神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 17:45:00 ID:y+k9TsrR
引っ越してトイレの伝統のスイッチが変わってるのに、
暗いトイレに入ったときに、癖で、ついついとっさに手がのびて
引っ越し前のスイッチの方向を手探りしてしまい、
スイッチの手触りがないとわかって、
やっと「あっそうだった」と気付きます。
こういうのは、無意識とは言わないのかな。
960 :
神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 19:11:10 ID:4aLbEDa8
マインドフルネスは satipatthana の英訳ですたい。
961 :
神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 19:14:41 ID:1aU5Za0F
w
962 :
神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 19:20:34 ID:1aU5Za0F
w
963 :
神も仏も名無しさん:2008/06/20(金) 19:29:39 ID:1aU5Za0F
w
自分の一つ一つの行動にラベリングとかいうのを毎日少しの時間
してる。車の運転中の行動をやって、食べてる時や掃除の時もし
てる。そうしてると、ネットや人に煽られた時にすぐ自分の気持
ちが反応したことに気づき、もう相手に自分の感情を支配される
のはやめようとセルフコントロールができるようになった。
無意識、というと深層意識とかと混同するから、
言葉としては無自覚と言ったほうがしっくりくると思う。
人間は、考え事しながらでもいろいろ出来ちゃう。
自覚していなくても、小脳の働きで、酒に酔ってても道に迷わず家に帰ったり出来る。
怒ってることや考えていることさえ自覚してないことも多いしね。
>>964 おれ車運転中にらべりんぐしてたら、赤信号無視しちゃったよw
>>968 怖いな、運転の時はやはり運転に集中したほうがいいんだな
完璧にサティが入ってればそういうこともないんだろうけど
そこまで上達するのはそうとう敷居が高いんだろうね
私も料理中にサティいれ続けてみて、サティ入れないほうがよかった、
ってことあったよ。
なんだったか忘れたけど、調味料の分量だったかな。
971 :
ななし:2008/06/21(土) 10:34:39 ID:9SL35edL
「サティ」を入れるのと
「根性」を入れるのと、どこがどうちがうんだろうか。
972 :
神も仏も名無しさん:2008/06/21(土) 12:10:16 ID:gghCiWYd
>>970 的確にサティが入ってないからミスするんだよね。
長老がNHKの番組に出たときの話では、
交通事故や、自販機とかレジ前で小銭を手からこぼしちゃうのとかも、
意識が今やってることから離れてるから起きるらしい。
運転で、交差点に来たら信号を見るとか、
教習所のときには意識的にやってたことが、
慣れてきたら気にせず普通にやれるようになってて、
かえって注意がおろそかになってしまう。
料理でも、調味料を手にしたら分量の計算をするというあたりまえの手順に、
きっちりと注意が入っていれば、間違えないのに、
調味料を計量するときに、別のことに注意が移っていたら、間違える。
次から次へと刺激に反応して走り回りたがる心を
制御して操縦すべきなのに、
サティがおろそかになると、
逆に心に引っ張りまわされてしまう。
973 :
神も仏も名無しさん:2008/06/21(土) 12:32:15 ID:gghCiWYd
>>970 ミスしちゃうのは、
ラベリングに気をとられてるだけで、
実際の行動にサティが追い付いてないのでしょうね。
だから、ヴィパッサナー三原則にはスローモーションが入ってる。
サティが追い付かないくらい速く動くのは、ミスの確率が高くなります。
周りの景色や車や人が見えないくらいのスピードで車を運転したら、
危険なのと似ています。
サティのスピードが遅い初心者なら、
サティのスピードに合わせて動くのがいいのでしょう。
「悟りの階梯」って良い本だね。
パオの言ってることは、おかしいね。
ヴィパッサナから始めるのは教典に反することではない。
アナパナも実はヴィパッサナだった。
ウィマラさんによると、仏陀は初めからヴィパッサナを指導したらしい。
だから、アナパナもヴィパッサナだという理解だよ。
当時はサマタをしていた修行者に瞑想を伝えたので、あえてサマタを
伝える必要はなかったという。
鼻の感覚だけがアナパナではないよ。
お腹の感覚を見るというやり方もある。
マハシのお腹の膨らみ縮みを見る瞑想もアナパナなんじゃないかな。
マハシは観と止を同時進行でやっていくんだろうな。
>>976 いや、お腹の膨らみ縮みを見る瞑想は、初めからヴィパサナだろう。
ただ、ラベリングという技法がサマタ的要素を含んでるということ。
ふう。マシントレーニングしてきた。
もともと腰痛があって座禅が長時間できないことからはじめたんだけど、
筋トレもストレッチも筋肉や骨、呼吸に絶えず意識しながら行うので瞑想の訓練にもなるね。らべりんぐはしないけど。
>>978 でもさ「ふくらみ ちじみ」に「集中」するわけでしょ。
サマタ的要素も含んでんじゃないかな?
どこかのスレで読んだんだよな。
マハシはヴィパしながらサマタの訓練もしてるって。
>>937 次のテンプレに入れといて下さい
話の通じないへんないきものにはブラフマダンダ(聖なる罰)推奨って
>>954 すみません、クリシュナムルティの本っていっぱい出てますが、
これだけは読んどけというものがありましたら教えてください。
>>982 「生と出会う」Meeting Life
『自己の変容』アラン・ノーデの真剣な問いに対する応答。非常に読み易い。
『真理の種子』物理学者ボームとの対話。講演と対話、質疑応答。
『生の全体性 』D・ボーム、精神分析医シャインバークとの鼎談。
『自我の終焉―絶対自由への道 』代表作。 第二部は読み易く必読。
『クリシュナムルティの瞑想録』 代表作。自然描写と対話と瞑想について。
以上は入手しやすい物からお読みになれば。
---以下は余裕があれば------------
『瞑想』薄くて楽に読める。
『私は何も信じない』対談集 一般人から、ネルー、ヴェンカテサーナンダなどとグル、求道、ヨーガ、等について。
『生の全変容』アンダーソン教授との対話。
『生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より1〜4』
『変化への挑戦―英和対訳 クリシュナムルティの生涯と教え DVDブック 』DVD付
他
・評伝
『クリシュナムルティの世界』大野純一
『クリシュナムルティ・水晶の革命家』 高岡光(著者は個人面談が数回有り)
『クリシュナムルティとは誰だったのか―その内面のミステリー 』 アリエル サナト
『キッチン日記―J.クリシュナムルティとの1001回のランチ』 マイケル クローネン
---余裕があれば------------
メアリー・ルティエンスの三部作と最近のもの。
クリシュナムルティのモノマネにはなるなよ
クリシュナムルティの本
★読みやすいもの
「子供たちとの対話」平河出版社
「しなやかに生きるために」コスモスライブラリー
「瞑想」星雲社
★宗教を考える
「私は何も信じない」コスモスライブラリー
「いかにして神と出会うか」めるくまーる社
次スレ、やっぱ長老の名前いれるの?もう何でもありじゃん。
>>975 >>鼻の感覚だけがアナパナではないよ。
お腹の感覚を見るというやり方もある。
マハシのお腹の膨らみ縮みを見る瞑想もアナパナなんじゃないかな。
それは違う。膨らみ縮みを見るのは、地水火風の四元素瞑想のうち、風の要素を観察するものだ。
アナパナではないよ。
アナパナも呼吸を観察すると一言で言うが、呼吸の空気移動=風の流れが鼻腔を通り過ぎる感触にとらわれると、やはりそれは風の観察になってしまい、アナパナではなくなってしまう。
>>991 大安般守意経をもとにした瞑想は、いろんな団体がやっていて、
やり方も団体によって鼻と腹の両方があるよ。
ダンマ・ラッキータさんの瞑想会で、ラッキータさんは最初「鼻の
ほうがやりやすい人はいますか」と尋ねて、誰もいなかったのを
確認してから「それではお腹の感覚を見ることにしましょう」と言っ
て指導を始めました。
これは風の観察で、鼻か腹かという意味なのでしょうか?
それから、マハシの瞑想が「地水火風の四元素瞑想」であるとい
うのは、マハシが公式に認めていることなのでしょうか?
スマさんがそう指摘している本とかありますか?
993 :
神も仏も名無しさん:2008/06/24(火) 15:06:12 ID:xzAaDFq0
いや、スマさんの名前の入った新スレはもうすでに立ててあるよ
悟りを開くためのこの次スレがほしい。
悟りを開くため2chを捨てよう。(うそ)
埋め
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運命
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。