945 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/17(土) 08:56:26 ID:JuAqXImw
>>945 お前はそこで渡海のオナニーの相手でもやっとれ
947 :
神も仏も名無しさん:2007/11/17(土) 16:10:46 ID:TpHl4YJf
>>938 >わが日本アミニズムのほーが、日本人のDNAにはふさわしい。
>気候風土が全く異なり、外人のゴータマ・シッタールダなんかで遊ぶより、
>日本人には天照大神の霊性がお守りになっている真実を悟りなされ。
柏手を打ちながら般若心経を唱える修験道に代表されるように、日本人のDNAに
見合った感性において日本の仏教は発達してきていることを考えれば、仏教or神道
といった二者択一思考に拘らなかった御先祖様の卓見には畏れ入るばかりです。
948 :
神も仏も名無しさん:2007/11/20(火) 20:05:59 ID:9F8bH9Wk
よく駅などで修業僧らしき人がお経を唱えながらチリンチリン鳴らしていますよね
でもここ数年私の町ではあの姿を見かけなくなりました
外国人の成り済ましなどであの修業方法はやめてしまったのでしょうか?
それとあの行為って一般人はまず修業と知らないし、結構奇異な目で見られますよね…
やはりそういうのは嫌だと感じるんですか?
>>948 よく駅などで修業僧'らしき'人がお経を唱えながらチリンチリン鳴らしていますよね
でもここ数年私の町ではあの姿を見かけなくなりました
あの修業方法はやめてしまったのでしょうか?
一般人はまず修業と知らないし
つか
'あれ'は修行とは無関係だす
修行僧が生活の糧を得る手段でも
修行では有りませんよ?
そもそも'あれ'はなんの修行になるのでそ?
(°∀°)雰囲気なら充分修行ッポイけど?
950 :
神も仏も名無しさん:2007/11/25(日) 13:18:46 ID:wvPuJ8nC
輪廻転生について説明してください
951 :
神も仏も名無しさん:2007/11/25(日) 16:30:48 ID:MRAx/mDN
弥勒
(´・ω・`)知らんがな
953 :
南無大師遍照金剛:2007/11/25(日) 23:02:03 ID:W/AW1h7H
ヽ(´∇`)ノ知らんがな♪
954 :
神も仏も名無しさん:2007/11/29(木) 19:52:01 ID:+hIbanOQ
みんなお祭が好きだろう?
神輿かついでわっしょいわっしょい!
ワクワクするねえ、血が騒ぐねえw
現代日本人は宗教にルーズだといわれるが、
お祭で血が騒ぐ、苦しいときの神頼み、これが日本人のDNAなんだよ。
アニミズム日本神道 おおらかでいいねえ。好きだよ。
明治以降、薩長とくに長州ヒステリー連中が国家と神道を強引に結びつけたが、
日本の長い歴史のなかでは全く異常な体制だった。
触らぬ神に祟りなし、明治国家は触ったがゆえに祟られ滅びた。
ブッダに恋するのもいいが、本道はDNAである八百万の神だよw
955 :
神も仏も名無しさん:2007/11/29(木) 23:54:21 ID:y9jsLWtc
神様に願いごとしても、願いかなわないでしょ
956 :
神も仏も名無しさん:2007/12/03(月) 19:38:14 ID:501fEgjs
常なるものがないのだから、輪廻するのが当たり前。
輪廻とは、無常の同義語なのです。
957 :
神も仏も名無しさん:2007/12/03(月) 23:18:26 ID:YpmbZbe1
輪廻とは神の手のひらの混沌演出=迷いのことさ。
958 :
神も仏も名無しさん:2007/12/03(月) 23:56:28 ID:YpmbZbe1
ところで、良寛さん(約70歳)と貞心尼(約30歳)さんは、できていたのか?
959 :
神も仏も名無しさん:2007/12/05(水) 15:49:26 ID:qTLROegn
某スレが機能してないようなのでこちらで教えてください。
親鸞聖人が晩年、関東から教えを聞きに来た弟子たちに対して
教えることを放棄したのは何故ですか?
全て阿弥陀佛のはからいにお任せしたためですか?
よろしくお願いします。
960 :
神も仏も名無しさん:2007/12/05(水) 19:47:09 ID:URi9b3px
日蓮宗系では
「日蓮は釈迦が予言した仏」と言っていますが、
その証拠ってどこにあるんですか?
961 :
神も仏も名無しさん:2007/12/05(水) 22:07:07 ID:zQF4JtWk
日蓮さんは 今の新興仏教のように非仏教ですよ。
だいたい 法華経が仏教だと信じていましたからね彼は。
やれやれ。
962 :
南無大師遍照金剛:2007/12/06(木) 02:51:40 ID:4be7d/wf
>>960 (°∀°)証拠はないね
言ったもん勝ち♪
>>959 そいつは、曇鸞事件の余波ではなかったかな?
関東に派遣された曇鸞が、
親鸞から往生の秘事を授けられて来たと言って多くの信者を集めた。
年来の信者たちはその真偽を問うために親鸞を訪れる。
親鸞は秘事法門を否定し、法然より伝えられた教えは全て伝えたと答える。
>教えることを放棄したのは何故ですか?
放棄したのではなく、親鸞には念仏往生以外に教えることが無かったからです。
それ以上の仏法を知りたければ南都北嶺といった聖道門に行くしかない。
だから、それをそのまま伝えたということです。
964 :
959:2007/12/06(木) 10:41:23 ID:p73i39WI
>>963 回答ありがとうございます。
ちょっと引っかかるのは、親鸞自身が絶対他力になりきれず、
努力してしまうことで悩んでいたと読んだ記憶があります。
絶対他力と菩薩行というか救済活動はどういう関係にあるのか?
そんな疑問があり、私の質問内容と関係があったのかどうか
知りたくて、お尋ねしました。
>>964 親鸞とても人の子、思考や感情に振幅があって当然だろうと思います。
また、「弥陀のはからい」などと簡単に言いますが、
凡夫に過ぎない親鸞に、その見極めが付きようはずもなく、
更には、自身の布教活動を菩薩行だといった思い込みもなかったでしょう。
ただ、法然が菩薩の化身だという信念は生涯持ち続けたようです。
信の文字は人に言葉と書きます。
人が信じるものは人の言葉だけです。
たとえ阿弥陀仏を信じられなくとも、法然の言葉だけは信じよう。
その結果、親鸞が救われている以上、法然は親鸞にとっての菩薩です。
親鸞の言葉によって弥陀との出会いがあるなら、その人にとっては親鸞が菩薩となります。
「たとえ騙されたとしても信じるよりない」
カルトと紙一重のこの諦観は、ある意味で仏教の真骨頂かもしれませんね。
他力について言えば、念仏は本来無義なので、その解釈も人さまざまであろうと思います。
多念義から一念義、無念義まで幅広く、
凡夫の布教行為が弥陀の本願にかなうのかどうか?
たとえば親鸞会の布教行為はどうなのか?
そのあたりは、弥陀でない私には正直見当もつきません。
これは、回答ではなく感想ということでご容赦願いたいと思います。
966 :
959:2007/12/06(木) 13:50:13 ID:p73i39WI
>>965 親鸞は、己の心の深海をどこまでも深く突き進んだイメージが有り、
日蓮との差異が興味深い点でした。ありがとうございました。
いきなり質問すいません。
テストで「あなたの結婚観を仏教用語を使ってかけ」という問題が出たのですが、
全く浮かばないので皆さんの意見聞かせていただけませんか?
968 :
神も仏も名無しさん:2007/12/06(木) 23:21:33 ID:/4wir8us
>>967 諸行無常。恋愛感情の盛り上がりは必ず過ぎ去る。
理性と忍耐と慈しみが大事。
参考:
816 1/2 sage 2007/02/15(木) 12:42:22 ID:AEtkzt7N
>> 768>> 771>> 774
知人の結婚式で一言頼まれた時に用意したメモから。(※出典は>> 813)
・コーサラ国 ・パセーナディ王 ・マッリカー夫人(熱心な在俗信者)
「そなたには、自分よりも愛おしい人がいるか?」
「いいえ。自分より愛おしい人などいません。王様はどうですか?」
「・・・。うむ、私も自分より愛しい人は見つけられないな・・・。」
(以前に、近い説法を聞いていたかも。 それを思い出して夫人に聞いてみたのかも。)
(夫人は熱心で聡明で、教えに通じていた。 夫人にしてみれば、何を今更w・・・という感じ?)
(王は、「あなたです」という答えを期待していたのかもw)
釈然としない王は、釈尊のもとへ行き、顛末を話す。
釈:「心の中のどこを探してみても、自分よりも愛しいものは見つからない。
そのように、【他の人にとっても自分が愛しく大切なのです。
それ故に自身を愛する人は、他人を害してはならない】のです。」
一見自己中心的な、我儘な姿勢。が、ここで言われているのはもっと深い部分のこと。
・子供が喧嘩、諭す時「そんなことされたら○○ちゃんも 痛いでしょ? 悲しいでしょ?」・・・相手の痛み
・同情=同じ情(気持ち)=相手の思いを自分のものとする。・・・上から見下ろすようなものじゃない
・他人の痛みを自分の痛みとする、他人の喜びを自分の喜びとする。
【他の人にとっても自分が愛しく大切。それ故に自身を愛する人は、他人を害してはならない】
817 2/2 sage 2007/02/15(木) 12:43:05 ID:AEtkzt7N
どういうことか→自分は、今こうして生きているかけがえのない生命、 他人もまた同じ命。
あの人もこの人もその人も、同じように生きている同じ生命
実際日常生活でこういう「自分が一番愛しい」と極端な言い方をしていたらあまり宜しくないが、
お釈迦さんは、どこまでも自分自身を掘り下げていって、根っこの部分について考えた人。
他人に優しくする、思いやる、嫌がることをしないとか、或いはなぜ人を殺してはいけないのか、
とか、そうしたことの理由付けとしてはもっとも確実。
けど、自暴自棄・斜に構え「俺は別に自分がどうなったっていいや」という人にとっては、その理由付けは無力。
しかし、だからこそ →「自分を大切にすること」「自分を可愛いと思うこと」「自分はここにいてもいいんだ」
と、小さい頃から子供達には感じさせてあげなきゃならない。
堅い話になったが、仏教では、根っこの部分ではこうした視点に立つけれども、
それが、日常生活へと働き出るときには、「同情・思い遣り・人の痛みがわかる」(=慈悲の悲)、
地球の裏側の人も、今目の前にいる人も、「同じ人間である同じ生命である」、
ここまで深く掘り下げずとも、「同情」というのは、「寄り添う」ことである、とも言える。
このように受け止めて、実践していけるようになりたい。
今の話で、夫人は賢くて、夫をぐいぐい引っ張っていくタイプだったのかもしれません。
○○先生達御夫婦がどういう夫婦になっていくかわかりませんがw、もっとも大切なこととして
相手の痛みを自分の痛みとし相手の喜びを自分の喜びとしながら、歩いて行って頂けるよう願います。
971 :
神も仏も名無しさん:2007/12/07(金) 16:06:12 ID:E99ot16h
美好耽恋に溺れるなかれ。
相手の若さや容貌は、九想詩絵に示すが如し。
――奥さんが浮気や駆け落ちなどして貴方を裏切ったときには、くれぐれも
逆上しないで、この九想詩絵の戒めを思い出しませう。
972 :
神も仏も名無しさん:2007/12/08(土) 11:37:25 ID:1yNNW0Lj
本で仏教を勉強しようと思ったらまず何を読めばいいですか?
973 :
南無大師遍照金剛:2007/12/08(土) 13:25:22 ID:AJpT4n55
974 :
神も仏も名無しさん:2007/12/08(土) 14:11:23 ID:Bd/sWBPY
水野さんの、『仏教用語の基礎知識』。
975 :
神も仏も名無しさん:2007/12/08(土) 16:42:20 ID:IJkInafp
>>963 曇鸞(七高僧の一人)ではなく
善鸞(親鸞の息子)ですよ。
976 :
神も仏も名無しさん:2007/12/08(土) 17:16:57 ID:noUmsr4b
歎異抄読んでレポート書けと言われた学生ですが、わけわかめです。助けてください。
977 :
神も仏も名無しさん:2007/12/08(土) 17:26:26 ID:IJkInafp
978 :
神も仏も名無しさん:2007/12/08(土) 17:37:54 ID:IJkInafp
979 :
976:2007/12/08(土) 18:09:59 ID:noUmsr4b
どれか一つ章を選んで、感じタコとを述べよ…らしいのですが
ザッと目を通したものの、思想というか、捉え方というか感覚が理解できないんですorzでもとりあえず書いて出さなきゃだから、どのあたりが書きやすいんだろう、どういう観点から切って行けばいいんだろう…と思って
980 :
南無大師遍照金剛:2007/12/08(土) 18:28:29 ID:AJpT4n55
思想というか、捉え方というか感覚が理解できないんですorz
(゚.゚)思想だと思うなら思想として是非かけば?
でもとりあえず書いて出さなきゃだから、どのあたりが書きやすいんだろう、どういう観点から切って行けばいいんだろう…と思って
とりあえず書くなら非難でも良いんぢゃね?
思想とはほにゃらにゃである
このお経はなんちゃらである
よって思想として理解できかねませんと
で桶
>>979 三章の悪人正機あたりが分かりやすいかな。
歎異抄は、前半が親鸞の言葉、後半が唯円の解釈という説もあり、
十三章あたりを参考に適当に書けばいいと思うよ。
ネットでも検索しやすいから、書くことには困らないでしょ。
>>975 そのとおりです。<(_ _)>
982 :
神も仏も名無しさん:2007/12/08(土) 18:50:26 ID:B2u4zmFv
仏教はイデオロギーというよりは、むしろコスモロジー
的な傾向が強いと思います。
捉え方とか感覚というのは、人間の都合でしかないでしょうし。
イデオロギーとして捉えれば、善悪・正邪の観点から、対立する
ものを排除しないとなりません。
コスモロジーは、それらを踏まえた全体的視点に立って、あるがまま
を統合する立場でしょう。
983 :
神も仏も名無しさん:2007/12/08(土) 18:58:45 ID:IJkInafp
私も質問させてください。
学校の先生から聞いた話です。
宗派を説明する場において、禅を学んだ人が
「禅とはこれだぁぁぁぁ」
と言い、机をがたがた揺らしたそうです。
以上で禅の説明は終わり。
私の先生は「???」という感じだったのですが、
禅を学んだ人は「なるほどぉ」と言われたそうです。
どういうことか解釈して頂ければ幸いです。
>>983で最初の「禅を学んだ人」と
後の「禅を学んだ人」は別の人(複数だったみたい)です。
分かりづらい文を書いてしまい申し訳すみません<(_ _)>
985 :
南無大師遍照金剛:2007/12/08(土) 19:51:12 ID:AJpT4n55
>>983 有るもの全てが禅(°∀°)
痛いのも禅
気持ち良いのも禅
おねーちゃんに惚れるのも禅
ふられるのも禅
男泣きするのも禅
禅が仏教なのではなく
仏教の宗派の1つに禅が有ります
986 :
983:2007/12/08(土) 20:12:57 ID:IJkInafp
>>985 つまり、
「どういうことだ?」
と考えることが、禅につながるということでしょうか?
987 :
南無大師遍照金剛:2007/12/08(土) 20:21:28 ID:AJpT4n55
机をがたかた揺らせばガタカダなる
当たり前が当たり前なことが禅
ボールを屋上から落とせば下に落ちるのが禅
当たり前を当たり前として受けいれるのが禅みたい
突っ込まれると分かりません(ノ_<。)
知ったかゴミン
つか
禅って黙って座ることなんだよね
ただ座る
お経とかも重んじる他の宗派から区別するから禅宗っていうんだよね
989 :
神も仏も名無しさん:2007/12/09(日) 14:19:16 ID:sP0R6Hpm
質問です
帝釈天を中心とする三十三天は有名ですが
その三十三天は不思議と
それぞれの天の名前が書かれたものが少ないし
書かれてても、名前が本やサイトで違います
何故でしょうか?
990 :
(^ω^):2007/12/09(日) 18:16:36 ID:DpaiTaZJ
(^ω^)990だを〜ん♪
991 :
南無大師遍照金剛:2007/12/09(日) 18:59:28 ID:/hJQHw/S
ヽ(´∇`)ノ嵐に北ぢょ♪♪
992 :
南無大師遍照金剛:2007/12/09(日) 19:02:06 ID:/hJQHw/S
>>989 ヒンズーの神として捉えるか
ヒンズーの神から仏教に改宗した神と捉えるか
ヒンズーの神として見た立場と
仏教に改宗した神として見たバヤイ違うんぢゃね?
993 :
神も仏も名無しさん:2007/12/09(日) 19:20:09 ID:cp5p/rrS
ようするにどっちのおとぎ話を採用するか
994 :
南無大師遍照金剛: