[イエス]一般人からのキリスト教徒への質問[ノー]
何もせずに宗教にうつつを抜かしている気違いのなみたんが風俗を差別するからだよ
940 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 01:01:36 ID:4TdQqv0M
いかなる牧師も魔法の力は持ち合わせません。水を水以外のものに変える力はありません。
赤子の額に水を二、三滴振りかけたからといって、それでその子の人生――地上だけでなく
死後も含めて――に何の変化も生じるわけではありません。振りかける前も振りかけた後も、
ただの水です。牧師にはその成分を変える力はありませんし、法則と違った結果を生み出さ
せる力もありません。
霊性というものは洗礼によって何ら影響を受けません。他人が代わって進化させることが
出来るというような性質のものではありません。各自が物質界で送る生活の「質」によって
自分で磨くものです。自分の行為が生み出す結果を他人が取り除いてあげることは出来ません。
自分で償い、自分で報いを受けることによって精算して行かねばなりません。
モテない男とも誰かが性交しなければならない。
レイプ犯罪防止のための楯にならなければならない。
その仕事は貴いのである。
>>915 910です。亀レスですみません。
どこにレスしたのか分からなくなって、探してようやく見つけました。
ご勉強を始めた方だったんですね。
それでは分からない事が多くあったと思います。ごめんなさい。
20年カトリックの事を勉強してきてますが、それでもこの宗教は調べれば調べるほど奥深く、
新たな発見の毎日です。
より良い信仰書に出会え、知識と信仰を増してゆかれるようお祈りしております。
943 :
神も仏も名無しさん:2009/06/07(日) 16:50:54 ID:4TdQqv0M
●間違った宗教の影響力の大きさ
生前、宗教によって“死”に対する間違った知識を身につけてしまうと死の自覚に決定的な
マイナスの影響を及ぼすことになります。周りの霊たちが、すでに死んでいることを教え、
地上時代の宗教の間違いを正そうとしても、一切受け入れることができません。その結果、
長い期間、地縛霊として地上近くに留まり続けるようになってしまいます。
地上時代に受けた間違った教えのために魂の進化が阻害されている霊のことが話題になりました。
『“最後の審判日”を待ちながら、死体の埋葬されている墓地で暮らしているクリスチャンの
霊がいるというのは、事実その通りです。それが私たち霊界の者にとっての厄介な問題の一つ
なのです。教会で聞かされた通りのことが本当に起きるものと信じ切っているものですから、
自分からその考えに疑問を感じるようにならないかぎり、傍(はた)からはどうしようもない
のです。“死ねばガブリエルのラッパが聞こえるまで墓地で待つもの”という信念を全生涯を
懸けてつくり上げてきているわけですから、その信念が崩れないかぎり、いつまでもその牢獄
から抜け出られないのです。そうした人間に“もう死んで霊の世界にきている”という事実を
信じさせることがどんなに難しいか皆さんには理解できないでしょう。復活の日まで待ちます
と言って、その場から離れようとしないのです。』
>>942 先程、キリスト教ショップ?でご紹介いただいた「聖ヨゼフに祈る」買ってきました。
勉強始めたどころか全く何もしてなくて、今日も朝礼拝に行ってみようと思ってたのに、
寝過ごしてしまったような程度の駄目なやつです。
幼稚園の時にクリスマスでイエス様ご誕生の劇をやったのですが、
最近急にそれを思い出して、それをきっかけに
なぜかヨセフ様のことが頭から離れなくなってしまったんです。
だから教えていただいて嬉しかったです。
ありがとうございます。
>>944 キリスト教豆知識ね
カトリック :神父 結婚不可
ミサ
御聖堂(おみどう)
プロテスタント:牧師 結婚可
礼拝
礼拝堂
>>945 ご教授ありがとうございます。
私が行こうと思っていたのは、カトリック教会でしたので、
礼拝ではなくミサですね、大変失礼いたしました、ごめんなさい。
スレ違いのような気がしてきたのですが、よろしければ教えてください。
キリスト教ショップと行っていいのかわかりませんが、
今日行ったのですが、マリア様が蛇らしきものを踏ん付けていらっしゃる置物?がたくさんあったのですが、
なぜマリア様は蛇を踏ん付けてるのですか?
アダムとイヴの神話に関係があるのでしょうか?
948 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 09:06:44 ID:3Es0CQT8
そもそも土台が間違っているのです。イエスなる人物を作り話で取り囲んでいるに過ぎません。
そうすることでイエスをゴッドと同じ位の座に祭り上げたのですが、その根拠に何の正当性も
ありませんから、その非を指摘されると、理論的にはそれを撤回せざるを得ません。しかし、
いよいよ撤回するとなると、内心、大きな恐怖心に襲われるのです。
「それを失ったら、あとに何も残らない……」彼らはそういう危惧を抱くのです。が、それは
大きな勘違いです。もしも事実という基盤、即ち大自然の摂理の上に成り立っていれば、撤回
しなければならないものは何一つないはずです。
ここにこそ私たちが地上界へ舞い戻ってきた理由があるのです。いかなる人物であろうと一個
の人間に忠誠を捧げてはいけない。いかなる書物であろうと、いかなる教会であろうと、それ
のみにこだわってはいけない。いかなるリーダーであろうと、たとえ霊界の存在であっても、
絶対的に服従してはいけない。絶対的忠誠を捧げるべきは宇宙の摂理である。なぜなら、
これだけは謬(あやま)ることもなければ裏切ることもないから、ということを教える必要が
あるからです。
949 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 10:21:48 ID:3Es0CQT8
われわれはイエスについてどのように考えるべきであろうか。イエスの生前の生きざまは、
われわれ地上の人間にとっての偉大な模範であり手本である。その気高く美しい、真理を
貫き通した生涯は、すべての人間にとっての見本である。まさに神の子と呼ぶにふさわしい
ものである。が、われわれもまた同じ神の子でありイエスの方がより“霊格”の抜きんでた
神に近い存在であったということなのである。
それゆえ、一人の人間であるイエスを崇拝の対象としたり、神に祭り上げるのは間違いである。
イエスを崇拝したところでイエス自身は決して喜ばない。それはイエスの使命そのものを否定
することになってしまうし、イエスを愛すると言いながら、実はイエスに対して大きな悲しみを
与えることになってしまうのである。イエス自身が最も喜ぶのは、『イエスの教えを実行して
魂成長の道を歩むこと』である。
イエスは一人の人間として生まれ育ち、死んでいった。
特別な神の一人子――神イコールイエス、ということではない。
(キリスト教の三位一体説は間違いである)
950 :
神も仏も名無しさん:2009/06/08(月) 10:38:40 ID:3Es0CQT8
なぜかクリスチャンは、宇宙の創造主たる大霊、千変万化の大宇宙の営みを経綸する霊力を
小さな存在にしようとしています。その意味がお分かりですか。物質界でわずか三十三年を
生きた人物と同列に扱っていることです。しかもその無限の恩恵が一人の人物を信じた者だけ
に授けられると説いています。何たる情けない神、何とみみっちい教義でしょう!「宗教」
という用語をこれほど辱める教義もありません。イエスご本人がどれほど悲しみと嘆きの涙を
流しておられることでしょう。今もってクリスチャンはイエスを磔の刑に処し続けております。
951 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 09:53:20 ID:0tR9J+ME
人類が地球上に誕生して以来今日に至るまで、人間はまさに物欲と本能に支配されてきました。
宗教や思想は存在したものの、それらは人類を物欲から解放し、魂を救うことはできませんでした。
宗教は政治権力者の独裁のための手段として利用され、地上世界に紛争と戦争を引き起こす元凶と
なってきました。
地上を支配する二つのガンは、本来は宗教によって克服されるべきものです。しかし現在の宗教に、
それらの問題を解決する力はありません。宗教自らが霊的摂理から外れてしまっているからです。
さらに宗教が霊的真理に対して、あまりにも無知であるからです。人々に正しい道を示す立場にある
宗教が死後の世界を認めないようでは、とうていその責任を果たすことはできません。
☆唯物主義と利己主義☆を克服する力を持っていない宗教では、もはや人々を救うことはできません。
キリスト教に代表される伝統宗教は、時間の経過とともに当初の純粋さと輝きを失って堕落し、
組織エゴをむき出しにしてきました。そして人々を霊的救いから遠ざけ、霊的な暗黒世界を
つくり上げてきたのです。一方、霊界からのインスピレーションを受けた霊能者によって、
次々と新たな宗教が興されてきましたが、その光も長続きせず、やがて時の流れとともに
物質の荒波に飲み込まれてしまいました。
952 :
神も仏も名無しさん:2009/06/09(火) 09:55:44 ID:0tR9J+ME
人類が地球上に誕生して以来今日に至るまで、人間はまさに物欲と本能に支配されてきました。
宗教や思想は存在したものの、それらは人類を物欲から解放し、魂を救うことはできませんでした。
宗教は政治権力者の独裁のための手段として利用され、地上世界に紛争と戦争を引き起こす元凶と
なってきました。
地上を支配する二つのガンは、本来は宗教によって克服されるべきものです。しかし現在の宗教に、
それらの問題を解決する力はありません。宗教自らが霊的摂理から外れてしまっているからです。
さらに宗教が霊的真理に対して、あまりにも無知であるからです。人々に正しい道を示す立場にある
宗教が死後の世界を認めないようでは、とうていその責任を果たすことはできません。
☆唯物主義と利己主義☆を克服する力を持っていない宗教では、もはや人々を救うことはできません。
キリスト教に代表される伝統宗教は、時間の経過とともに当初の純粋さと輝きを失って堕落し、
組織エゴをむき出しにしてきました。そして人々を霊的救いから遠ざけ、霊的な暗黒世界を
つくり上げてきたのです。一方、霊界からのインスピレーションを受けた霊能者によって、
次々と新たな宗教が興されてきましたが、その光も長続きせず、やがて時の流れとともに
物質の荒波に飲み込まれてしまいました。
>>947 お答えありがとうございます。
無原罪ということば、確かによく見かけるのですが、
字から何となく意味が解るような解らないような感じ
でしたのが、教えていただいたのを拝見し、だいたい解りました!
ありがとうございした。
メダイは、ショップで見て思わ買ってしまいました。
まだクリスチャンではないのに買ってしまってはいけなかったのかもと、反省しております。
クリスチャンでなくとも
聖母を敬い←ここ重要
メダイを身に付ける人は恩寵を受けるでしょう。
買ったメダイは全てヨセフ様とみことか聖家族とかなんです。
キリスト教に興味を持つきっかけがヨゼフ様だと考えてこのまま自分なりに
聖書を読んだり、行ける時に教会にいかせていただいたりでもいいのか、
悩み中です。
やはり本末転倒な感じなのかなあとも感じています
>キリスト教に興味を持つきっかけがヨゼフ様
いいじゃないですか(^^)
957 :
神も仏も名無しさん:2009/06/20(土) 21:50:31 ID:Tekqzhgr
●聖書批評学はキリスト教会が一言一句神の言葉とした命綱を断ち切り、イエス自身の主張や行動
として書かれたと思われた福音書は、死後弟子達の考えた教義を基に書かれた事、それもグループ
ごとに異なっていた事がだんだんと分かってきましたし、古い時代の聖書学者が書いたイエスの伝記
などは、今では学問的にも通用しなくなりました。はっきりと言えることは、パレスティナに生まれ
福音書の中に一部のイエスの言葉が残されている事、十字架に架かって亡くなった事など非常に
少ない内容です。また、自然科学の進歩により聖書の記述内容の矛盾点も指摘されるようになり、
聖書の描く世界像と現代科学に裏付けられた宇宙像とは全くかけ離れたものになりました。
実際聖書の世界では、地上の上に3層構造の天が存在し天使がいて神がいる、地下には黄泉の世界
があり悪霊が住んでいる・・・パウロの書簡にも第三の天にまで引き上げられた話があります
(コリントU12−2)が、もはや現代では全く通用しない話になってしまいました。
958 :
神も仏も名無しさん:2009/06/20(土) 23:41:04 ID:Tekqzhgr
★元来、人間は色々な思想に触れ、これを読みこなし理解して進歩し続けています。
良質な考えや解釈を受け入れなければ、一般に良く言われる言葉
「キリスト教の教会はキリストの生ける体でなくなり、死体である」になってしまいそうです。
本来は、教会は生けるキリストの体と言われたものでしたが、イエスの死とその後の復活にしか
重点を置かない教会(初代教会がその典型で、パウロもイエスの死にしか意味を持たせなかった)は、
皮肉も込めて死体であると言っているように思われます。近代科学のパラダイムにさからっても、
古代の世界観や時代背景、また、古くから周辺国の宗教的影響を受けてきた聖書の古い世界観を、
2000年以上も経た現代でそのまま信じて良いのだろうかと言う疑問を抱かざるを得ないのです。
そしてそれは、今生きている現実を見据える人には到底容認出来ない話です。
日常生活から一歩教会に入った途端に、別の狭い古い世界像と日常とは全く隔絶した世界に入り込み
あまりにかけ離れたこの分裂状況下で生活を送る事は、いわば現実逃避に他ならないのではないでしょうか。
このような現実を直視しない(結局虚像を見ている)保守的キリスト教義は、日常の現実(真になるもの)を
拒否・抑圧する現代版律法主義そのものと言われても仕方ないように思えます。
959 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 02:24:37 ID:XU0MNioB
●クリスチャンの立場からすれば聖書は神の特殊な啓示として、唯一無二のものである。
何という精神の暗さでしょう! 一体どこまで迷信の暗闇に閉ざされているのでしょう!
その暗闇の何と深いことでしょう!彼らを取り囲む迷信の暫壕(ざんごう)の何と頑強なことでしょう!
物質界というものが出現して以来、多くの神の使徒が地上界へ降誕して大霊の真理を啓示してきました。
当然それはその時代の言語で告げられました。その啓示の内容は時代の必要性に応じたものであり、
その国の事情に応じたものであり、その国民の精神的・霊的発達程度に応じたものでした。
要するにその啓示の意味が理解され易い形で――程度が高すぎて手が届かないことにならないように
との配慮のもとに――届けられていました。
しかし宇宙は絶え間なく進化しております。地上人類が成長し進化すれば、その度合いに応じて新たな
指導者、新たな預言者、新たな霊覚者が派遣され、その時代の必要性に応じたビジョン、理想、予言、
メッセージ、インスピレーション、霊的真理等が授けられます。
この循環にはお終いというものがありません。なぜなら大霊は完全無欠であり、完全へ向けての進化に
終わりはないからです。
新たな啓示は古い啓示とは一貫したもので、矛盾するものではありません。今私たちが説いている真理は
ナザレのイエスが説いたものを否定するものではありません。そのイエスもモーゼの説いた真理を否定
しておりません。そして私たちの後に現れるであろう次代の指導者は、今私たちが説いている真理を
否定することはないでしょう。
しかし、明日の大霊の子等は今日の子等よりも一段と高い進化の過程にありますから、その時代に
説かれる真理は、今あなた方に明かされているものよりも一段と進歩的なものになるに相違ありません。
960 :
神も仏も名無しさん:2009/07/09(木) 03:12:20 ID:CEUjFDJS
質問します。貴方達はキリスト教が本当に世界を救うと思っているのですか?!
キリスト教が世界をぶち壊しているのが実態。
962 :
神も仏も名無しさん:2009/07/10(金) 05:05:20 ID:MM8X/Bgv
質問します。
最近知り合ったキリスト教の人(宗派はわかりません)がキリスト教では、夢精やオナニーは
重罪でセックスしてよい日も厳密に決まっていると言っていたのですが本当ですか?
964 :
バプテスト派信徒:2009/07/16(木) 19:51:04 ID:XfgKwnCG
962の方
夢精やオナニーが罪ということはありません。また、セックスして良い日なんてものも、存在しません。キリスト教は自由な宗教です!特にバプテスト派は自由です!
965 :
バプテスト派信徒:2009/07/16(木) 19:56:54 ID:XfgKwnCG
950 〜952の説は、あまりに荒唐無形なので論評に値しません。
難解な用語を並べただけで、何が言いたいのかさっぱりです!
もっと具体的に書いたらどうかな。
966 :
神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 20:05:57 ID:eDO6suy6
>>963 文頭から分かるように、彼はイエスについて
物質界を33年生きただけの者としています。
イエスとイエスのみわざについて悟っていませんからです。
大霊云々という考え方は、全く違う思想からのパクリでしょう。
967 :
バプテスト派信徒:2009/07/16(木) 22:41:46 ID:XfgKwnCG
聖書には、「キリスト教が世界を救う」なんて記述はありません。キリスト教の救いは個人的な体験であり。
救いを体験してはじめてわかることです!
968 :
神も仏も名無しさん:2009/07/16(木) 23:12:46 ID:4gBY61Yc
イエスのお誕生日は12月25日ですか?
969 :
バプテスト派信徒:2009/07/21(火) 17:13:14 ID:IN+uDFht
イエス様の誕生日がいつなのかは、よくわからないというのが、解答です!
まあ、12月25日でないのは確かです。
誕生日なんていつでもいいと思う。
救いとは関係ないです。
(・ω・)<「
なぜ豚は真珠を投げつけられますか?
何か悪いことをしたのでしょうか?
なぜ人間用悪霊の餌食に?
972 :
神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 12:41:37 ID:UExJ6jyg
もうすぐ世界の終わりが来る、なんていつの世でも連呼しているのに未だかって
来る兆しがないのに、信じているのでしょうか?
信じるなんて当人の気持ち次第だと思うのですが、確証はどこから得られているのでしょうか?
神、エホバって怖い存在ですか?
祈りや崇拝、信仰はやりすぎているように思うのは怖いからですか?
それというのは自由なんかではなく束縛していませんか?
974 :
バプテスト派信徒:2009/07/28(火) 19:22:50 ID:qB0tLzlI
終末について考え過ぎることは、あまり意味のないことです。
自分自身の死のほうが早いのでは?
神様は恐ろしい存在ではありません。
ルカによる福音書に「放蕩息子」の話がありますが、神様は放蕩息子の父親のような、優しい方です。
キリストを信じれば、今よりもっと自由になります。
975 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/28(火) 19:57:57 ID:u0tnPZ0i
>974
私は妬み、怒る神である。とか言って信者に異教徒を殺せ♪とか命ずる神が、優しいと思えるほど、荒んだ環境なのですね?(笑)
(^。^)そりゃぁ大変だなぁ♪同情するわ♪(笑)
976 :
972:2009/07/28(火) 20:49:08 ID:UExJ6jyg
>>974 終末を考えているのは、むしろキリスト教関係者ですよ。
私は一般人ですので考えていません。
一般人は神をもほとんど考えません。
ですから、自由なのです。
その一般人より、キリスト教が自由というのはよくわかりません。
祈り、崇拝、信仰がある分、不自由に思われます。
そんなことをしなくても、神は私たちを創った意味から自由にしていて、さらには
面倒を見ていてくれているのです。
977 :
神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 22:29:18 ID:dOcMmta8
>974
キリスト教の神様ほど怖いものはないと思ってる。どう?
978 :
神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 23:35:35 ID:EIHiGWG8
●私たちは、特定の者のみを可愛がり、憤怒に燃えて報復したり、疫病をまき散らしたりする神に代わって
慈しみと叡智の始源としての大霊の概念を説くことに努め、そしてそれはある程度まで成功しました。
またナザレのイエスを(唯一の神の子としてではなく)偉大なる人間の模範として崇めるべきであると
説いてきました。そうした私たちの教えの基本となっている根拠を理解してくださる人も多くなりました。
多くの魂を鼓舞して、日常生活で高度な自我を自覚させました。
正義と真理についての目を曇らせてきた過去の多くの誤った概念を駆逐しました。
長年にわたって地上界を毒し続け、愚行によって理性を辱(はずかし)めてきた教義と独断の牢獄から
多くの人々を解き放してあげました。
979 :
神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 23:47:30 ID:EIHiGWG8
:神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 17:28:08 ID:YsSv1CR5
●われわれはイエスについてどのように考えるべきであろうか。イエスの生前の生きざまは、
われわれ地上の人間にとっての偉大な模範であり手本である。その気高く美しい、真理を
貫き通した生涯は、すべての人間にとっての見本である。まさに神の子と呼ぶにふさわしい
ものである。が、われわれもまた同じ神の子でありイエスの方がより“霊格”の抜きんでた
神に近い存在であったということなのである。
それゆえ、一人の人間であるイエスを崇拝の対象としたり、神に祭り上げるのは間違いである。
イエスを崇拝したところでイエス自身は決して喜ばない。それはイエスの使命そのものを否定
することになってしまうし、イエスを愛すると言いながら、実はイエスに対して大きな悲しみを
与えることになってしまうのである。イエス自身が最も喜ぶのは、『イエスの教えを実行して
魂成長の道を歩むこと』である。
イエスは一人の人間として生まれ育ち、死んでいった。
特別な神の一人子――神イコールイエス、ということではない。
(キリスト教の三位一体説は間違いである)
980 :
972:2009/07/29(水) 00:21:36 ID:P+vpgXuj
981 :
神も仏も名無しさん:2009/07/29(水) 00:25:30 ID:P+vpgXuj
>>978 それは、どういう人たちのことをいっているのでしょうか?
982 :
バプテスト派信徒:2009/07/29(水) 18:26:23 ID:+UBh/73x
神様が恐ろしと考えている人は、神様を体験しないで、単に頭の中だけで考えるからそうなるのです。
キリスト教は信仰の体験しないと絶対に理解できません。
983 :
神も仏も名無しさん:2009/07/29(水) 22:19:25 ID:jhJCCfC1
クリスチャンは聖書を“神の言葉”として無条件に信じる。たとえその中に矛盾があっても、
根本的に神の言葉である以上、無条件に信じるべきものとしてきた。
理性的には矛盾だらけの教えも、神の言葉として受け入れてきたのである。自分の理性が納得
できるかどうかが問題ではなく、無条件に信じるかどうかが重要なこととして教えられてきた
からである。
984 :
神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 00:41:28 ID:NqBovPCq
>>982 信仰することが神を体験するということですが、よくわかりません。
信仰を定期的にすることで、いつでも神を思い浮かべ、それが神の傍にいるという
思い込んでいるだけではありませんか?
「神は愛」、といいますがそれは信仰とは違います。
愛が神なんですよ。愛すること、愛に生きていることが「神」と共にいることなんですよ。
そこには常に喜びがあります。
勘違いしていませんか?
985 :
神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 00:46:51 ID:NqBovPCq
>>983 人間本来の自由からはかけ離れていますね。それは束縛です。
理性を押し殺したら生きている価値がないとは思いませんか?
986 :
神も仏も名無しさん:2009/07/30(木) 12:21:45 ID:pJXXgBIn
「イエスは、『天の父なる神に至る道は、人を愛し、そして必要ならば自分を犠牲にする
ことを通して なされる』と述べました。またイエスは、『私は道であり、真理であり、
生命である』とか『私によらなければ天の父のもとへ行くことはできない』と言いました。
それが何世紀にもわたって間違って解釈され、多くの誤ったドグマをつくり上げてきました。
キリスト教の教えの間違いの大半は、この『私は道であり、真理であり、生命である』という
聖句の誤った解釈によって引き起こされてきました。
イエスは明らかに“自分の行動を手本として生きるように”と説いたのです。イエスの教えの
真の意味は、 自分にならって物質的な面を犠牲にして生き“霊的力”―それはどんな人の中
にも宿っている―を理解し、霊的なことを中心に考え、結果的に肉欲を克服する生き方をしな
さい、ということなのです。それが『真理と生命に至る道』という言葉の意味なのです。
『私によらなければ誰も父のもとへ行くことはできない』という聖句は、“私がすることを
見習って、私がするようにし、私のようになる努力をしなさい。
それが救いに至る道です”ということなのです。
987 :
神も仏も名無しさん: