所受禁戒亦不具足。
何因縁故名不具足。
因不具故所得禁戒亦不具足。復何因縁名不具足。
戒有二種。一威儀戒。二從戒戒。
是人唯具威儀等戒不具從戒戒。是故名爲戒不具足。
復有二種。一者作戒。二者無作戒。
是人唯具作戒不具無作戒。是故名爲戒不具足。
復有二種。一從身口得於正命。二從身口不得正命。
是人雖從身口不得正命。是故名爲戒不具足。
復有二種。一者求戒。二者捨戒。
是人唯具求有之戒不得捨戒。是故名爲戒不具足。
復有二種。一者隨有。二者隨道。
是人唯具有之戒不具隨道。是故名爲戒不具足。
復有二種。一者善戒。二者惡戒。
身口意善是名善戒。牛戒狗戒是名惡戒。是人深信是二種戒倶有善果。是故名爲戒不具足
是人不具信戒二事。
所修多聞亦不具足。
云何名爲聞不具足。
如來所説十二部經。唯信六部不信六部。
是故名爲聞不具足。
雖復受持是六部經不能讀誦爲他解説無所利益。
是故名爲聞不具足。
又復受是六部經已。爲論議故。爲勝他故。爲利養故。爲諸有故。持讀誦説。
是故名爲聞不具足。
善男子。
我於經中説聞具足。
如来にすなはち二種の涅槃あり。
一つには有為、二つには無為なり。
有為涅槃は常楽我浄なし、無為涅槃は常楽我浄あり。
〔乃至〕
この人深くこの二種の戒ともに善果ありと信ず。
このゆゑに名づけて戒不具足となす。
この人は信・戒の二事を具せず。
所修の多聞もまた不具足なり。
いかなるをか名づけて聞不具足とする。
如来の所説は十二部経なり、ただ六部を信じていまだ六部を信ぜず、
このゆゑに名づけて聞不具足とす。
またこの六部の経を受持すといへども、読誦にあたはずして他のために解説するは、利益するところなけん。
このゆゑに名づけて聞不具足とす。
またこの六部の経を受けをはりて、論議のためのゆゑに、勝他のためのゆゑに、利養のためのゆゑに、諸有のためのゆゑに、持読誦説せん。
このゆゑに名づけて聞不具足とす」と。
886 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 01:57:35 ID:W2b4ynUU
>>869 新歓の時期に弁護士や医師を引っ張り出してきて、こんなに立派な方たちがと宣伝するのはいいのです。
が縁を結び就職する段になると、医師や弁護士、はては世間の仕事につこうとする者は真の親鸞学徒とはいえん!
親鸞学徒なら講師部員、無理なら職員となり布教活動を一生の仕事としなければ裏切りものみたいな指導がされていました。
利用するときは利用しておいてそれは矛盾じゃないかと思ったものです。初めに宣伝に使うなら最後まで敬意を払って欲しいものです。
またアンチの自演か
いや、またアンチの妄想か
いやいや、またアンチのスレ潰しか
893 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 03:26:40 ID:DpNFHUea
シンパのアホどもは内容の意味が全然違う、字面で都合のいい言葉をもってきて
我田引水解釈してそれを根拠にするから
894 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 05:47:45 ID:TxNnJA+H
質問です。
(1) 親鸞会の会員が自分たちに都合の悪い質問に対して誠実に答えようと
しないのはどうしてですか。
(2) 親鸞会の会員が自分たちに都合の悪い事実の存在を認めようとしない
のはどうしてですか。
3日以内に誠意ある回答を頂けない場合は、親鸞会の講師部は誠意がまったく
ない、非常識で無責任な嘘つき集団であることを自ら認めたものと断定します。
895 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 07:42:09 ID:QtYk/N6e
>>875 もちろん、疑情は一念で晴れますよ。
しかし、救われたら何でもかんでも分かるというわけではありませんし、
疑煩悩は変わりませんから、いろいろな疑問が起きるわけです。
(だからこそ信後も教学が大切なのです。)
そのような「疑問」が解決したのを「次第にその迷雲も晴れ」と表現されただけでしょう。
他力信心は一念で獲得するものですが、信心の「味わい」は教学を学ぶにしたがって、
徐々に深まり、磨きがかかってゆくものです。
(だからこそ、他力信心は一味平等ですが、救われた人の「信味」は人それぞれです。)
以上は、高森先生の体験談に関する話題ですが、これがU田氏の説法とどう関係があるのですか?
知った風なことをw
897 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 07:59:58 ID:QtYk/N6e
>>876 > 高森会長は、何を具体的に誤ったのですか?
私も知りません。そんなこと恐れ多くて質問することもできませんし…。
ただ、ある元講師部員によると、あまり昔の説法の内容を引っ張り出すなと
言われたことがあるそうですよ。昔の御説法で仰ったのに最近話されない内容には、
単に時間が足りないという理由で話されないものと、
今思えば不適切だったという理由で話されないものとがあるそうです。
その区別は私達にはできませんから、とにかく昔の御説法の内容を話さないのが
無難だそうです。(ただ、「昔」というのが何年ぐらい前までを指すのか不明瞭
であるため、現講師部員は大変困っているそうです。)
昔はシュンランカイの主張するおかしなことや醜聞も今のようにネットなどない時代だったので欺いたりはぐらかすことができたが
今はネットがあり2chがある。
それで誤魔化しきれなくなったというだけだろが
ぬるぽ
最近は知らない、とか分からないとかで言い訳をするようになったなw
901 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2007/07/07(土) 09:05:53 ID:yhAA5Slq
>>871 >私なんて誤りだらけです。」と高森先生は仰ったことがあります。
「称名念仏励 めよなんどの教えは間違っている」「真宗の正義であるから、念仏は総て信後、
報謝の念仏に限るのである」(白道燃ゆ)
白道燃ゆの考えは、間違えだったと認めるのか、否か。
親鸞会では、未信の者に念仏を勧めるのか勧めないのか。念仏は信後に限るのか、限らないの
か。
親鸞聖人の教えに照らせば「念仏称えよ、そうしたら助かる」「称名念仏はげめ」。このよう
に親鸞会は説くのか、否か。
「疑心自力の行者も 如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし」と説くのか。
親鸞の教えは、今でも転覆教義だと言うのか、それとも自分の考えは口から出任せの転覆教義
だったと懺悔するのか。しないのか。
白道燃ゆの第65版は平成9年9月1日に発行しています。僕に言わせれば、平成9年9月1
日、親鸞会は教義転覆のまっただ中にあったのだが、今は転覆してないとどうして言えるのか。
私なんて誤りだらけですと言えば、過去の言動は全てうやむやで免罪符が与えられるとでも思
ってるんだろう。所詮は、宗教音痴、拝み屋宗教詐欺師、拝金主義弁当屋の口車の輪を、器用に
一つ増やしただけでしょう。
902 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2007/07/07(土) 09:08:32 ID:yhAA5Slq
>>897 >そんなこと恐れ多くて質問することもできませんし…。
完全なカルトのカモになっている(w)。
おぬしのことは、さぞかし親が泣いているだろう。
「物をいえいえ」と、仰せられ候う。「物をいわぬ者は、おそろしき」と、仰せられ候う。「信
不信、ともに、ただ、物をいえ」と、仰せられ候う。「物を申せば、心底もきこえ、また、人に
もなおさるるなり。ただ、物を申せ」と、仰せられ候う由候う。
>とにかく昔の御説法の内容を話さないのが無難だそうです。
私の今の言葉は、3日経ったら忘れろということだ。所詮は宗教詐欺師弁当屋の口車。
897よ。早くカルトの夢から目をさませ。
>>900 >最近は知らない、とか分からないとかで言い訳をするようになったなw
所詮は宗教詐欺師弁当屋の譫言。言い訳すれば、口から出任せもうやむやになり、ワン
サカと金が集まってくる。皮算用の中身はみえみえだ。
903 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 09:28:22 ID:f9y2wJuN
またシンパのネット監正部員のsage連投荒らし&渡海難か。
950になったら新スレの準備に入るだろうけど、こいつら出入り禁止にしたほうがいい。
高森先生のこれまでのご著作やご説法の内容に関しては
「我あやまてり」とか「不適切」とかはなかったのは確かです。
そういうことがあったならば「死んでお詫びする」と常々断言されて
おられたことは皆さんご存知でしょう。
先生のご著作やご説法、もっと言えば先生の御一生のすべては
親鸞聖人のみ教えを明らかにされるためのものですから、
すべて正しいですし適切にお説きになられたものです。
親鸞学徒の皆さんなら明白なことでしょう。
>903
新スレを建てても多くが、渡海かsage荒らしだから、
もう新スレを建てることをやめてしまった方がいいだろう。
法論がしたいなら、本願寺系のスレでやっていればいいんだ。
>>904 >高森先生のこれまでのご著作やご説法の内容に関しては
>「我あやまてり」とか「不適切」とかはなかったのは確かです。
>そういうことがあったならば「死んでお詫びする」と常々断言されて
>おられたことは皆さんご存知でしょう。
先生は説法に誤りがあれば大変なことであるから、そのようなところが
あれば法話の最中であっても言って欲しいと仰る方です。
”あやまりは犯さない、間違ったら自殺する”などと言ってはいません。
あなたのような人が高森先生の像を作り上げ、親鸞会を都合よく
つくり変えたのです。
907 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 12:05:06 ID:g4Vcu6Xz
>904
講師部のものです。はじめて書き込ませていただきます。
会長は昔から説法や教学講義でしばば間違えておられました。
重大ないい間違いなんかも何度も何度もあった。が、講師部の間でも
「先生ああおっしゃったけど、まずいな。間違っておわれる」
というような会話はよくなされたりしました。
人間は誰でも勘違いはある。書き間違いもある。
私は、上田氏の信心の是非はわからないという立場です。
子供のころのことなどの発言をもって、その人の信心を
全否定するいまのやりかたは間違っているとおもいます。
908 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 12:13:32 ID:QtYk/N6e
>>904>>906 まあ、いずれにしても、聴かせて頂く立場としては
あまり詮索すべきことではないでしょうね。
(私はただ、質問があったから知っている範囲のことを答えただけです。)
私の言葉尻からどんどんいろんな方向へ話が発散してしまうのは困ったものです。
とにかく私は今、U田氏の過去から現在までの「説法」の中に、
親鸞聖人の「教え」を曲げている箇所が有るのか無いのかを問題にしているのです。
きちんと答えられる人は誰もいないのですか?
909 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 12:23:24 ID:yhAA5Slq
>>906 「死んでお詫びする」と断言したこともある。「法話の最中であっても
言って欲しい」と言ったこともある。多分、そういうことでしょう。
その場その場で言うことがくるくる変わる。舌先三寸、嘘八百。昔の
説法の内容を引っ張り出すなと は、そういうことだ。
弁当屋のオヤジによれば、未信の者に念仏を勧める親鸞の教えは、
真宗の信心正因の教義が根本から転覆してしまう教えだそうだ。宗教
音痴の詐欺師にかかれば、地獄の沙汰も舌先三寸。
>>908 >親鸞聖人の「教え」を曲げている箇所が有るのか無いのかを問題に
しているのです。
あなたはどっちの親鸞聖人の教えを問題にしているんですか。親鸞
聖人は二人いるんですよ。
「念仏称えよ、そうしたら未信の者も助かる。称名念仏はげめ。こういう
教えは転覆教義である。念仏は総て信後、 報謝の念仏に限るのである」。
このように教える親鸞聖人でしょうか?。
「疑心自力の行者も 如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし」と説く
親鸞聖人でしょうか?。
910 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 12:29:32 ID:QtYk/N6e
>>909 渡海氏、乙。
あなたの発言は単なる荒らしですから今後一切無視します。
911 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 12:34:31 ID:AbrnVZNh
>>909 わざわざ名無しでカキコするなよおっさん。
どこかのスレで自作自演でもやってるのか?
912 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 12:37:49 ID:yhAA5Slq
>>910 早くカルトから目を覚ませ。
他人をカルトに引きずり込むな。
お天道様に恥じない真っ当な生き方を探せ。
913 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 12:42:31 ID:pXWvpcEL
>>798 渡海氏の引用少し考えてみましょう。
>光明寺の和尚の、信の様を教えさせ給い候には、「真の信を定められて後には、弥陀の如くの仏、
>釈迦の如くの仏、空に満ち満ちて、釈迦の教え、弥陀の本願は僻がごとなりと仰せらるとも、一念
>も疑いあるべからずとこそ受け給わりて候えば、その様をこそ、年頃申して候に、
善導大師の信心の状態とはこんなものであるとの喩え。
弥陀・釈迦二尊の化佛が空に満ちて見えて、それらが弥陀の本願はニセモノである。
そう言われたとしても疑心なし。そうならねばならんらしい。
本願に対して疑心なしであり、私が浄土に行ける行けないではない。
行けると思ったのなら勝手に行けば宜しい。
行ける行けないは私の仕事ではないからである。
親鸞会の会員もよく考えてみよう。
914 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 13:37:31 ID:yOml3ePQ
自分自身に言ってるの?
↓
912 :神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 12:37:49 ID:yhAA5Slq
>>910 早くカルトから目を覚ませ。
他人をカルトに引きずり込むな。
お天道様に恥じない真っ当な生き方を探せ。
>>908 あなたの質問はシンプルなようでいて曖昧さを多分に含んでいる、つまり、
・「上田氏の過去から現在までの・・・」とは学生部でご縁があってから
今までのことを言っているのか?だとすると、そこまで遡って批難をする
意義がわからない。
・「親鸞聖人の「教え」を曲げている・・・」とはどのようなことをしたら、
教えを曲げたと判断するのか?聞く側の取り違え、聞き違いの恐れの
大きい表現などもあろうが、ではどの程度の誤りにくさならば許されるのか。
以上の曖昧さがあるので、理論のあとづけがされ易い質問だ。
そして私は、
現在上田氏が説く説法は親鸞聖人のみ教えに基づいて説かれてします
と答えます。
(「親鸞聖人のみ教えに基づいて」とは、形式的ことを言えば、本願寺の
学者の批難に耐え得るということです)
916 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 14:20:12 ID:eRFOnJQ9
>>739 スゲー、平気で相矛盾することを・・・・・www
>”獲信したときの詳細な状況についての記載”ということですか?
>これについては先生は常々、個々人によって異なる獲信までの具体的な体験を言ったり、書いたり
>することは求道の為にならないばかりか返って害になる。
>過去親鸞会が多数取り上げた獲信の体験談を、私が執拗に追いかけないことも
>上記の先生の指導があったからです。
>
過去に「獲信の体験談」を多数取り上げていたのはどこのドイツだ?w
>>744に答えてないし・・・
まさに
>>598の
>-->善知識である会長のいうことはすべて正しい
> カラスが白いといわれたら白いのだ、と強制されています
>
(笑)
そして
>>426-427 つける薬がない・・・
917 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 14:36:40 ID:I269Mq1B
ハッ
918 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 14:37:11 ID:I269Mq1B
フッ
919 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 14:37:42 ID:I269Mq1B
ホッ
>>916 >過去に「獲信の体験談」を多数取り上げていたのはどこのドイツだ?w
>
>>744に答えてないし・・・
744 については、
かって先生が華光会において獲信のとき自身の思ったこと、
考えたことを書いてある、それと同じように初期の親鸞会で
は信心決定されたという方の、獲信のときについて書かれた
投稿を多く扱っていた、ということです。親鸞会設立四十有余年
となりますから、20年以上昔のことですが、人の主観によって
は”最近まで”と感じるのかもしれないですね。
華光会にてされた話や、その後された話、またかつての親鸞会
の運営、今の親鸞会、「もっと正しく伝えられたのに・・・」という
点は沢山あるのでしょう。
中でも高森光晴氏を会の布教局長として置いたことは、おそらく
ご存命の間には清算できない失敗であり、先生を慕う身としては
残念でなりません。
会員自己弁護しようと必死だが
大元のケンテツがイカサマ
正しい正しくないは論外
これこそ廃立の対象だな
まんこ
反
しております。
実家に帰
りません
927 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 17:29:35 ID:QtYk/N6e
>>915 私は
>>908の者です。
> ・「上田氏の過去から現在までの・・・」とは学生部でご縁があってから
>今までのことを言っているのか?だとすると、そこまで遡って批難をする
>意義がわからない。
そうですよね。だからこそ最初は「現在」の「説法」に限定したのですが、
>>856で、(過去のことであっても)「間違えたなら関係者に分かるように
「反省・謝罪・訂正」することを望んでいます。」と言われたので、
>>870で、「それなら「過去」の説法も議論の対象に加えて結構です。」
と言ったんです。
> そして私は、現在上田氏が説く説法は親鸞聖人のみ教えに基づいて
> 説かれていますと答えます。
はい、私もそう思います。
親鸞会では「彼は親鸞聖人の教えを曲げたから除名になったそうな」と流布
(大本営発表)されていますが、それなら、「どう聞いても」「どう解釈しても」、
「曲げた」としか受け取れないような「決定的な発言」(どのくらい過去のものかはともかく)
を彼がして、しかもそれを正すようにいくら忠告しても従わなかったという
プロセスがあったはずです。とにかく、私が知りたいのは、この一点です。
それで、その「決定的な発言」を証拠とともに提示するように求めているわけですが、
論点をはぐらかしてばかりで、いまだに親鸞会の責任ある立場の人からきちんとした
回答がありません。私はそのことに憤りを感じているのです!
私はU田氏・S尾氏・K森氏の除名は理不尽であり不当な解雇であったと
確信しています。そういう理由もあって、私はつい先日、親鸞会を退会しました。
と言ってました。
929 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 17:42:44 ID:NynXlW75
そんなある日、あることをキッカケにこの全身に流れる血液一滴までも、
悪に染まらないものはない。悪しかできない自己が知らされた一念に闇が破れ、
心が明るくなりました。そして、私を常に照らして下さる方がおられる。
一体どなたか分からない。私は頭がおかしくなったのだと思いました。
しかし、そのときから今も照らして下さる方がおられることははっきりしていますし、
一念から一切の過去が闇に覆われていたことがそのときはっきりしました。
だから、仏法という言葉は知りませんでしたが、三願転入の道程は進みました。
このことは教えを理解してはっきりしたことです。」
上田氏はこの発言をいまでも「おかしくない」「まちがいではない」と
現在でも公表してるわけだろ?それとも「間違いだった」と訂正でもしたの?
「誰に救われたかわからない」信後の念仏のでない、
親鸞聖人が「詮ない」と言われた信心ですよ。
一念義という法然上人が破門された邪義じゃないですか。
これ以上何が問題になるんでしょう。
言い訳してごらん。
930 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 17:49:01 ID:NynXlW75
>現在上田氏が説く説法は親鸞聖人のみ教えに基づいて説かれてします
と答えます。
そんなら「誰に救われたかわからない」というのは
親鸞聖人の御教えに照らして正しいのか、間違いなのか答えてください。
信後の念仏のでない一念義が真宗の教えとして正しいとでもいうのですか?
鎮西みたいなやつ。
931 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 17:54:39 ID:QtYk/N6e
>>929 だからそれは彼の「個人的かつ率直な体験談」であって、「説法」じゃないでしょ!
体験談は体験談、説法は説法です。ちゃんと区別して考えましょうよ。
彼が現在の説法で、彼特有のそういう具体的な体験談を話しているという事実が
あるなら、証拠を出してくださいと言っているんです。
彼はちゃんと親鸞聖人のお言葉を出して、それに沿って説法してますよ。
932 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 18:06:57 ID:QtYk/N6e
>>930 > そんなら「誰に救われたかわからない」というのは
> 親鸞聖人の御教えに照らして正しいのか、間違いなのか答えてください。
「誰に救われたかわからない」というのは当時の彼の率直な「思い」であって、
「教え」とは「無関係」です。(教えに照らして「正しい」とか「間違い」とか
問うこと自体無意味です。)これが答えです。
彼の体験がどうであろうと、教えを曲げない限り除名の理由にならないはずです。
それとも、正しい「体験」をしなければ「教え」を曲げるに決まっているとでも言いたいのですか?
それなら、現講師部員に正しい「体験」をした人がいますか?
もしいないのなら、現講師部員はみな「教え」を曲げる危険性を持っていることになり、
全員除名にしなければなりませんね。
はいはい