何だかんだといってる内に早25スレ目です。
ここで篩に掛け、下記の板や某SNSへの誘導ロビーにすればいいかと思います。
【前スレ】
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1175249680/ ここではアーガマ(漢訳阿含經典など)やニカーヤ(パーリ佛典)に説かれている教法や教理 を中心に、様々な議論を重ねて行けた
らと願います。佛教の原点を闡明できる良スレにな る こと期待しております。引き続きよろしくお引き立てのほどを。
自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されるようお願い申し上 げます。原始佛教関連以外の話題は当該スレ
ッドか新たなスレッドを建ててお願いいたします。 スレ違いの妄想デムパ発言には終始黙殺・完全無視が吉と思われます。かかる輩は
http://etc3.2ch.net/denpa/あたりへ誘導すれば宜しいかと存じます 。立論議 論に際しては首尾一貫・理路整然を心がけて頂きたく存じます。
※尚、当スレで得られる知見の使用等はあくまで各個人の営為に委ねられることをお含み置きを。
【前スレ】
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1171778595/ 【参照資料】
独り言 ◆ZZW30U26joさんのご厚意による過去ログ保管サイト(多謝深謝です)。
http://www.geocities.jp/jfcps873/index1.html 【注意事項】
追記:スレに粘着寄生しては無意味有害有毒な病的無知蒙昧言説を排泄し続けるサイコパス&ソシオパス外道「机龍之介」、 同じく病的粘着を続ける
「栗花 馨」ならびに「カラスの唄」なる、スレ穢し外道壁蝨は一切 出入厳禁。カキコがあっても無視・スルーでお願いいたします。尚、これらにレスを与え
る ことも荒し行為と認定いたします。
外 道 壁 蝨 ど も へ の 撒 き 餌 行 為 厳 禁 ! !
加えて、「ドグマタルチュフ・紐付き神学屋、宗義ゴロ・セクト奴婢」というべき輩(=破落戸ジョーユー)が粘着していますが、視線を合わ
さず門前払い、且つ敷居を決して跨がせないようにしながら生温かく観察しましょう。長大空疎なカキコも、その意図に全く反する廃物利用の可能性があるようですので(笑)。
5 :
神も仏も名無しさん :2007/06/22(金) 11:15:21 ID:tiLUtSxY
>>4 おいおい、こんなに無際限に建て続けていていいのDRか?
最近、アイデア=創造とは既存諸現象間の新しい縁起を発見・造ることだと得心した。
6 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/06/22(金) 11:38:09 ID:+yhdRhEI
ここは今やロビー、いや玄関先か車寄せくらいのつもり(笑)。
7 :
神も仏も名無しさん :2007/06/22(金) 16:38:01 ID:KP9fk1ec
電波先生かえってこいよ〜
8 :
神も仏も名無しさん :2007/06/22(金) 17:14:23 ID:uyz82+Ms
また病んでるスレか。
9 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/06/25(月) 12:27:51 ID:4+JoMRqi
>>5 >最近、アイデア=創造とは既存諸現象間の新しい縁起を発見・造ることだと得心した。
なかなかイイこと言いますね(*^^)v
私も最近に得心することがありました。
>既存諸現象間
そうそう、既存諸現象間になりますね。
これはそういうことかと思います。
一休と森女の関係というのは、慈悲の象徴的な表れですね。
私はこのことに気づくまでに、逝く年月かかったであろうか?
これぞ正しく本懐なりや。
10 :
神も仏も名無しさん :2007/06/25(月) 21:17:47 ID:vgoQJmXs
>前スレ959 >伝統を現代の目で読み直せってことだろう。 伝統を、じゃなくて、原形を、現代の目で、じゃなくて、当時の目で、ということでしょう。 現代の目であれ、伝統の目であれ、それらで見ようとするのは、どちらも先入主というものでしょう。 無前提の目でなければ、当時の目には迫れないのでは? 伝統の目で見る立場を認めない訳ではありませんが、原始仏教の闡明・肉薄というのであれば、 やはり無前提ということが必要かと。 >聞思修だけなら外道も基本は同じでしょう。 「聞」の内容が肝要ですよ。これがなければ「定」も原始仏教のものではなくなりますから。 こちらも勿論、分別説部・中観派・唯識派・金剛乗などの伝統的な立場の「定」を認めない訳ではありませんが。
相応部 22.85 Yamaka / 雑阿含経 巻第五(一〇四) 焔摩迦 a monk with no more (mental) effluents, on the break-up of the body, is annihilated, perishes, & does not exist after death. 「漏(ろ、煩悩)の尽きた比丘は、身壊れれば、消え、滅び、死後には存在しない」と、ヤマカ比丘が仏説を曲解して言い張っていた。 -----「漏の尽きた比丘」と如来が同義語ということのようです。如来を比丘と呼ぶ例はSN.1.1など Do you regard form as the Tathagata?" 色を如来として見るか。 色是如來耶 如來中有色耶 Do you regard the Tathagata as being in form? 如来を色の中にあると見るか。 色中有如來耶 ...Elsewhere than form? 如来を色とは別にあると見るか。 異色有如來耶 Do you regard the Tathagata as form-feeling-perception-fabrications-consciousness? 如来を色受想行識と見るか。 Do you regard the Tathagata as that which is without form, without feeling, without perception, without fabrications, without consciousness? 如来を非色受想行識と見るか。 非色受想行識有如來耶 --次のような、よく似ている表現も参考にすべきでしょう >色は我である。我は色を有す。我がうちに色がある。色の中に我がある。 相応部22.47 assumes form to be the self, or the self as possessing form, or form as in the self, or the self as in form. ----- when you can't pin down the Tathagata as a truth or reality even in the present life -- is it proper for you to declare, '...a monk with no more effluents...'? 現在世においてすら如来を実在として明確にできないのに、冒頭のように断言するのは正しいだろうか。 −−−以上は、仏説を断見と捉えた比丘の話ですが、常見と捉えた比丘もいたでしょう。 否定されたアートマンの代わりとしての「非即非離蘊のプドガラ」など諸説の成立にも繋がるものとして。
於此衆中、若有愚癡人、無智明、而作是念、 “若色無我、受想行識無我、作無我業、誰當受報”(雑阿含 巻2 58) "iti kira, bho, rUpam anattA, vedanA, saJJA, saGkhArA, viJJANam anattA, anatta-katAni kammAni katamattAnaM phusissantI" 'ti. (SN.22.82) iti kira と言うならば bho (対等または目下の相手に)君よ。単数形なので、会座の比丘たちへの呼び掛けではないから、 愚癡人の比丘の、世尊に対する内心の問い掛けの直接引用、ということか。 anatta-kata kamma 非我のなせる業 katama a. どちらの attAnaM sg. acc. アートマン/触れる対象 phusissanti A. fut. 3. pl. 触達する/業(複数)が主語 「君よ、色が非我で、受想行識が非我だと言うならば、 (その、)アートマンでないものになされた諸業は、いずれのアートマンに触達するのだろうか」と。 「アートマンが実在する。そして、なされた業はアートマンに触れ達する」という先入見から生じた疑念、ということだろう。 縁起説を、識が輪廻の主体として生死流転することを説いている、と曲解し、 それに固執したサーティ比丘の話が、水野弘元『釈尊の生涯』10.9 (縁起説の誤解)に載っている。 識もまた、枝から枝に飛び移る猿のように、接触の縁により生滅する、無常・苦なる変易法である。
13 :
神も仏も名無しさん :2007/06/27(水) 19:21:53 ID:ay9Z7vH8
164 名前: 名無しさん@3周年 投稿日: 04/06/03 15:55 ID:C68hSsfX
>>154 ふむ、電波男の仕掛けって何かのぉ。(笑)
Niftyであいつの馬鹿な発言が原因であの馬鹿、強制退会させられなかったかのぉ?
はて?その時もその仕掛けとやらを披露するべく弁明の機会が与えられたけど、
あの馬鹿からはまともな弁明は聞かれずに、慌てふためいて同じ言葉を馬鹿のように
繰り返すだけで結局強制退会させられましたなぁ。
はてはて?あの時もあの馬鹿を擁護する人はほとんどいなかったのぉ。
あの馬鹿には誰もついていかなかったっけ。
そう言えばあの馬鹿、論争相手に住所を求めたり、訴訟恫喝もやったのぉ。
リアルの世界で決着をつけると言っておったが多数の論争相手は謝罪もしとらんし、
訴訟の話も聞かんのぉ。
なぜじゃろうのぉ。単なる口先だけの脅しじゃったんかのぉ。
ワシの発言はNiftyのFSHISOってところから全部辿れるんじゃが興味のある人は見てみぃ。
誰が醜態を晒しているかよく分かるけぇのぉ。
名無しさんとやらが馬鹿に住所を求められるってところに繋がっとるのぉ。
さて、最初の話に戻るが仕掛けとやらは電波教の信者の脳内だけのものじゃありゃぁせんかのぉ。(爆笑)
14 :
神も仏も名無しさん :2007/06/27(水) 19:23:24 ID:ay9Z7vH8
193 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:04/06/03(木) 21:51 ID:nrK+QdNl 電波男は、知能はともかく、情緒的には子供なんですね。 2ちゃんで遊ぶには、もう少し大人になる必要があるかもね。 まあ、みなさん、仏教者らしくマターリいきましょ。
>>12 そう不変の主体は生前も死後にもありません。
現在、私や貴方が不変の主体ではなく、粒子や分子、新陳代謝によって常に無常、無我で空でありながら、縁起して私や貴方という形相を数十年連続してきているように、
生前も死後も無常、無我で空でありながら、縁起して連続していく、
それを心相続と呼んだり、識と呼んだり、魂と呼ぶだけ。
16 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/06/27(水) 22:56:09 ID:0f4roDPL
破落戸は 行く先々で厭われて 人寄らざるは引き潮のごと
17 :
神も仏も名無しさん :2007/06/27(水) 23:40:21 ID:OSRNg4HH
ジャイナ教やヨーガ派・ヴェーダーンタ派などの成就者たち(たとえば現代のラーマクリシュナ、 ラーマナ・マハルシ、シルディのサーイー・バーバー、など)は、 アートマン(ジャイナではジーヴァと呼ぶ)の実在性、ということを受け入れた上で 成就した、と信奉者たちからは見なされてるんだろうなあ。有我説の上で、完全に解脱した、と。 なぜ、この有我説ということを離れられないのだろう。 ヒンドゥー教体制からの(暴力支配の、各個人に内在化したものとしての)無言の圧力・縛り? サッチダーナンダ(existence and thought and joy)、、、常楽我浄と似てる。 『ニヤーヤ・バーシヤ』の解脱者の状態についての記述(というか、記述不可能性)は仏教の説き方に 似てて非常に興味深いけど、やはり無我という点で、これら非仏教とは決定的に異なる。 釈尊は、この無我という視点から、在来のあらゆる伝統説の再解釈をしてるように思える。 すべての思想要素の換骨奪胎。伝統説を解釈変えずにそのまま受け継いだものなどあるのだろうか。 縁起説から無我説に至り、逆に無我説からすべての再解釈が生れてくる、という関係。 暑さでボーっとした頭で、とりとめのない所感でした。。。
18 :
神も仏も名無しさん :2007/06/28(木) 00:49:15 ID:UkmzWALt
霊魂に依存してさまざまの集合体が存在するとするならば、 発生、崩壊、維持があるはずである。 さまざまの集合体を離れて別のものが存在するとするならば、 集合体とは関係ない特徴が存在するはずである。 さまざまのものが霊魂が現実のものでない場合、自己というものが、 将来といえども一体どこに存在することがありえよう。 自己犠牲や自己否定は心の平和を離れ、霊魂が霊魂のなかで 強さが2つに分裂している
19 :
神も仏も名無しさん :2007/06/29(金) 14:32:13 ID:0Age+01r
教えてください。 法事では七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日(四九日) と、中陰忌を計七回行うのが一般的だと思いますが、 これにはインドに伝わる輪廻転生と関りがあると聞きました。 いったいこの「七」は何の意味なんでしょうか?
20 :
神も仏も名無しさん :2007/06/29(金) 16:10:35 ID:utQWm957
21 :
神も仏も名無しさん :2007/06/29(金) 16:33:41 ID:EnGNbdub
>>19 俗物葬式(仏)教にとっての金儲けのチャンス=ラッキー7の意味です。
本スレの原始仏教(ゴータマ・ブッダの教え)とは関係がない習俗・風習の類です。
天皇陛下は桐山氏に感謝の意をおしめしされました。 天皇陛下は桐山氏に感謝の意をおしめしされました。 天皇陛下は桐山氏に感謝の意をおしめしされました。 天皇陛下は桐山氏に感謝の意をおしめしされました。 天皇陛下は桐山氏に感謝の意をおしめしされました。
相応部経典45−8にある八正道の説明のうち、正念(サンマー・サティ)の部分 【原文】 katamA ca, bhikkhave, sammAsati. idha, bhikkhave, bhikkhu kAye kAyAnupassI viharati, AtApI sampajAno satimA, vineyya loke abhijjhA-domanassaM; vedanAsu ... ; citte ... ; dhammesu ... . ayaM vuccati, bhikkhave, sammAsati. 【訳文】 また、比丘たちよ、どのようなことが、正念であろうか。 比丘たちよ、ここに比丘がいる。 身を随観する(彼)は、身に於いて住する。熱心で意識的で具念なる(彼)は、世間の貪り憂いを調伏しようとする。 受を随観…。心を…。法を…。 比丘たちよ、これが正念と言われる。 【注記】 本来は「熱心で意識的で具念なる、身を随観する比丘が、身に住して、貪憂を調伏せんと願う」と いうふうに、主語の「比丘」を形容しているのだが、ここでは三つの文に切り分けてみた。 「具念なる〜」とは「念(サティ)を具有する〜」ということ。「mindful、心をこめた」などと訳される。 「…を随観する〜」とは、「…(のありよう)に随って観察する〜」ということ。 「身に於いて住する」「受に於いて…、心…、法…」の身・受・心・法という四つは、いわゆる 【四念住】(四念処とも言う)のこと。四つの念の対象、身体・諸感覚・心・諸法。 【解説】 これらの観察によって、身体の不浄、諸感覚の苦、心の無常、諸法の無我、という智慧に至る。
典拠は『仏説薬師如来本願経』(
http://www.cbeta.org/result/normal/T14/0449_001.htm )の
T14n0449_p0403a21(01)?七日七夜受八分齋食清淨食。
T14n0449_p0403c19(10)?父母親眷朋友知識啼泣圍遶。其人屍形臥在本處。
T14n0449_p0403c27(15)?或經七日或二十一日或三十五日或四十九日。神識還已具憶所有善惡業報。
T14n0449_p0404a04(01)?當為此人七日七夜受八分齋。
などでしょうが、いずれにせよ、これは大乗経であり、原始仏教の話ではないですね。
ちなみに、そもそも南方仏教の分別説部など、中陰を認めない部派もあります。中国仏教は、
それを認める説一切有部系の論書を多く参照したので、日本仏教もその立場を継承したものでしょう。
荒らすな
26 :
神も仏も名無しさん :2007/06/30(土) 23:23:59 ID:jISmzNp9
このスレ、手段・方法としての文献学的にはともかく(経典=相対的な世俗言語)、 本質的な哲学的・思想的内容ではかなりなレベルダウンなんだけど、もう経年疲労だろう。 自分の頭で必死になって考えようとする批判精神がほとんどみられない。 最終的には、その人格的論理性が破壊されたときにはじめて、解脱が実現されるにしても。 この過程を経るかどうかでは全く意味が異なる。 「菩提心は破落戸の最後の隠れ蓑」などと嘯いているスレ主はその代表だろう。 もう存続させる意味が乏しいのではないか。
27 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/01(日) 09:36:00 ID:gnnP9vOV
>>26 汝の如き廃物の迷い出る場ではないという、唯それだけの話(冷笑)。
以上。
>>26 そう思う。スレ主が、有意味なコメントをすることをみたことがない。
>>27 のような憎まれ口叩く暇があったら、何か有意味なことを書けばいいのに。
29 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/01(日) 13:12:46 ID:gnnP9vOV
基地外・廃物どもの排除駆逐は、スレを「有意味」なものにするための必要条件。 ここは言説禁治産者が出入り出来る場ではない。唯それだけの話(笑)。
>>28 ここは、面接会場なんですよ。
ここでお眼鏡に適った者は、某所への参加を薦められる(或いは許される)のです。
ここは、その人の書き込みによって、
某所での議論に参加できるかどうか(ふさわしいかどうか)を判別する場所なのです。
>>26 経典=相対的な世俗言語、という括り方は適切でしょうか。
経典の中に、世間・出世間ふたつの教法が内包されている、と見るべきでは?
俗人への教えと比丘への教え、という意味で。
それとも、経典の文言は世間智で、禅定の境地が出世間智と言いたいのでしょうか。
32 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/01(日) 14:29:03 ID:XuDcPozx
>>26 なかなかイイこと言いますね(*^^)v
私はたまにキラリと光るレスポンを見るのが好きでスレッドをROMしておるんですが^m^
なかなかイイですよぉ〜〜〜(^_^)
>最終的には、その人格的論理性が破壊されたときにはじめて、解脱が実現されるにしても。
>この過程を経るかどうかでは全く意味が異なる。
これなんかはイイですね。
怨憎会苦というのがありまけど、会苦であるが故に得てして菩薩を見ることもあります。
この境地をどのような手法・手段において伝えるか?
ということは、そりゃ〜それ自体が困難です。
>本質的な哲学的・思想的内容ではかなりなレベルダウンなんだけど、もう経年疲労だろう。
まあそうですね。
アカデミックな哲学&思想的内容を期待したいもんです(*^_^*)
34 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/02(月) 02:07:46 ID:m4IwLjKF
>>33 にて魯鈍・能無しが蟷螂の斧の無力さを白状しています(冷笑)。
36 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/02(月) 08:51:43 ID:JyxiOFGv
>>31 >それとも、経典の文言は世間智で、禅定の境地が出世間智と言いたいのでしょうか。
私は、世間智とか仏智とかいうのは便宜上の言語かと思うのですよ。
覚者はそんな分別はしませんし(色即是空)。
ようするに仏智が彼岸であり、世間智は此岸な訳ですよね。
彼岸も此岸も実際にはない。
便宜上(論理成立)として成り立つ。
人の思考回路はマニュアル化されてます。
PCですと、このマニュアルから外れると「警告」の表示がなされますが、
仏教というのは、いわばこの「警告」の範疇にあるかと思いますね。
これがインド哲学のどんだけぇ〜〜〜凄いとこかと思いますね(^_-)-☆
>>35 うん、そう。
だから煽りでもせめて笑えるレスを書いてね。
38 :
神も仏も名無しさん :2007/07/02(月) 19:43:58 ID:y3e0N9L6
最初期のサンガは、カッサパ三兄弟の事火外道1000人と、 故サンジャヤの後を引き継いだ(異説あり)舎利弗・目連の指導する懐疑派250人、を中核とする。 この構成の与えた影響やいかに。 片や「燃火の教え」…感覚と煩悩、片や縁起法頌…煩悩の生起と滅。 事火外道たちは本当にアラカンになれたのだろうか。
既出ですが、第一義(諦)と世俗(諦)との関係についてパーリ仏典から引用。 また(比丘は)「真実を見る人が、何か生成する存在を楽あるものとして、また 物を(永遠不変の)本質をもつものとして考えるとすれば、 そのようなことは、理に合わない、ありえないことであって、それは道理ではない」と知る。 「しかし凡人ならば、それを楽あるもの、(永遠不変の)本質のあるものとして 考えることは、ありうることであり、それが道理である」と知る。 中部 115 多界経(世界の名著 1、p.491) ここでは、「真実を求める人々」には、その謬見に対して厳密な態度で望むが、 「世俗の人々」の(真実から見た場合の)謬見に対しては、これを容認する態度を示しています。 世俗の《道理》(じつは謬見であるもの)も、勿論それ自体を「真実」と見なしているわけでなく、 あくまでも、世俗の道理として容認するのだ、 ということは、〈真実を見る人〉と〈凡人〉との対比、という文脈から判断できるでしょう。 だから、容認ということも「とりあえず一旦は」ということであって、本人が真実を求めるようになれば、 当然、前者の立場になるし、また理解可能であるようならば、真実の立場に引摂しようとするでしょう。
40 :
神も仏も名無しさん :2007/07/03(火) 07:08:40 ID:F46A4xkN
>>39 このスレにはね、頭では「真実」とやらの知識だけは持っていても、
根性は、「世俗の道理」以下の三毒まみれの奴が多い。
これを頭でっかちの仏教趣味者という。
誰だ!とは言わない、愚痴ヒステリーを起こすから。
智・情・意の言語では表現しにくい情動レベルでの自得ができない人だ。
41 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/03(火) 15:18:31 ID:UAgNgQIE
(つづき)
つまり、論理性とは仮設(けせつ)において成り立つ。
(仮設でしか成り立たない)
ようするに人の思考回路とは、その前提として未達であることがインド哲学の根幹になっちょりまふね。
相待性においての仮設。といふ論法は、
いわば中論における骨格部分でありますし、この論法こそが龍樹を龍樹と成らしめる所以であります。
これが
>>26 の
>このスレ、手段・方法としての文献学的にはともかく(経典=相対的な世俗言語)、
という流れなんだろうし、
>>38 >>39 となり、
>物を(永遠不変の)本質をもつものとして考えるとすれば、
>そのようなことは、理に合わない、ありえないことであって、それは道理ではない」と知る。
そう、理に合わない。
人の思考回路の限界を諦観することこそ、その本義なり。
天文暦法を切り口にして原始仏教を考えるとよくわかるだろう、という趣旨の文を読んだことがあったので、 調べてみたのですが、あまり意味があるとも思えませんでした。 まず、パーリ文「沙門果経」に月食や日食の予想ができたかのような記述がありますが、 釈尊在世のころにそれがどの程度の精度で可能だったかは疑問です。 なぜなら、ヘロドトス『歴史』に「ミレトスのタレス(前6世紀)が日食を予言した」とありますが、 当時はサロス周期(6585日)をもとにした単純な予測法だったでしょうし、これがインドに伝わっていたかどうかも不明です。 ちなみに古代中国は天文学がかなり発達しましたが、それでも日食予報が暦に載るようになったのは3世紀以降です。 その上、月食だと観測地点による視差ということも加わって、さらに予測困難になります。 次に、地べたの上のことでは、比丘たちの集会「布薩」(1日, 15日。以下すべて旧暦)や 在家が身を慎む「斎日」(1日, 8日, 15日, 23日)は新月・上弦・満月・下弦の日に当たります。 北伝での降誕4月8日、成道12月8日、涅槃2月15日も同じです。 なお8日は、夜半ごろ上弦の月が没して、以降夜明けまで真っ暗ということになります。 また、新月から満月までを、白分(びゃくぶん)と言って良い期間とするようですが、 そのちょうど真中の日なので、最も良い日ということになって、8日に設定したのかも知れません。
43 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/03(火) 20:49:56 ID:f8TmTNyA
池沼も
>>40 程となれば、最早公然猥褻とでもいうべきか(失笑)。
44 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/03(火) 20:54:41 ID:f8TmTNyA
>>39 本体・実体論を否認破棄し去って「真実を求め」ようとしなければ、そもそも佛教にコミットする意味はないでしょうね。
電波も刑事事件になったみたいだし、終了だね。
>>42 その起源は、セナールですね。セナールは看過できないと諸学者が言ってますよ。
>>44 逆だよ。
<本体・実体論を否認破棄>せずに<「真実を求め」ようとしなければ、そもそも佛教にコミットする意味はないでしょうね>
>46 <本体・実体論を否認破棄>せずに <「真実を求め」ようと(も)しなければ、 そもそも佛教にコミットする意味はないでしょうね> 「本体・実体論を否認破棄し去って、真実を求めよう」としなければ、 そもそも佛教にコミットする意味はないでしょうね というように息継ぎ場所を変えれば、同じ内容でしょw
48 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/03(火) 21:24:16 ID:f8TmTNyA
>>46 の如き破落戸一本道を歩む基地外が絶え果てますように・・・(苦笑)。
49 :
仏道掃除人首里判読 :2007/07/03(火) 21:30:05 ID:joHVjGtl
義憤か私怨か知らんが、献花は大概にしてね 「払えたまえ〜浄めたまえ〜」
50 :
PQ講和ゴールド :2007/07/03(火) 21:36:20 ID:v5nKZJ8U
原っ子さんも仏法と支援を味噌くs(以下自粛)にしないでね。
51 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/03(火) 21:43:29 ID:f8TmTNyA
>>47 お、傑作な「ぎなた読み」テイストですな(笑)。
>>47 私にはそうは読めないな。
1. <本体・実体論を否認破棄>せずに
<「真実を求め」ようと(も)しなければ、
そもそも佛教にコミットする意味はないでしょうね>
2. 「本体・実体論を否認破棄し去って、真実を求めよう」としなければ、
そもそも佛教にコミットする意味はないでしょうね
問題は、<本体・実体論>を否定するか、どうか。
1.は<本体・実体論>を否定しなければ仏教ではない。
2.は<本体・実体論>を否定したら仏教ではない。
どうして同義に読めるの?
53 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/03(火) 22:07:49 ID:f8TmTNyA
> <本体・実体論を否認破棄>せずに<「真実を求め」ようとしなければ、 末は強請か破落戸か、それかあらぬかタルチュフか・・・(冷笑)。
>>53 言ったことが間違ってるなら、訂正しようよ。
間違いも認められないと、末は電波だよ。
>>44 と言ったのが間違いじゃないなら、
<本体・実体論を否認破棄>せずに<「真実を求め」ようとしないのは
阿呆陀羅經さんですな。
Aを破棄してBしなければ、
「Aを破棄して」「Bしなければ」、→Aを破棄しただけでBをしなければ、
「Aを破棄して」「Bしなければ」、→Aを破棄して、且つBをしなければ、
「Aを破棄してBしなければ」、→Aを破棄することによるBをしなければ、
意味の幅はこのくらいかな。
>>46 は
Aを破棄せずBしなければ、
どちらもAの破棄が重要であることには変わりないが・・・w
本体論を否認する;しない 真実を求める;しない 二つを一個ずつ否定→両方否定 本体論を否認して、真実を求めようとする;しない 二つまとめて一括否定→両方否定
57 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/03(火) 22:39:09 ID:f8TmTNyA
>>53 で、 ID:45x1n7wxの有様を指摘したに過ぎぬのだが(冷笑)。
58 :
神も仏も名無しさん :2007/07/03(火) 22:46:16 ID:hozkoTzw
元手::本体・実体論を否認破棄し去って「真実を求め」ようとし イチャモン::なければ、 意見::そもそも佛教にコミットする意味はないでしょうね。 元手::<本体・実体論を否認破棄>せ イチャモン::ずに 元手::<「真実を求め」ようとし イチャモン::なければ、 意見::そもそも佛教にコミットする意味はないでしょうね>
ニヤーヤ・スートラの「五支縁起」説 スートラ2「苦(老死に相当)・生存(有)・活動(業)・欠陥(煩悩つまり渇愛)・誤った認識(無明)が、 あとのものから順に消滅するとき、それぞれの直前のものが消滅して、(最後に)解脱がある。
>>55 つまり、「て」を逆接か並列の接続詞と取るわけね。
それは厳しいな。
普通、「去って」で連用形で「真実を求め」を限定修飾すると読むか、
「て」を順接の接続詞と取るしかないと思うけど。
貴方の第三の用例は、順接の接続詞だけど、
「Aを破棄することによるBをしなければ」は不自然でしょ。順接は、
継起:「Aを破棄してからBをしなければ」
理由:「Aを破棄したことからBをしなければ」
方法:「Aを破棄したことでBをしなければ」
ぐらいだよ。これなら自然だし、私の意味と同じですよ。
そして貴方のいう逆接の用例に当てはめた場合、
「本体・実体論を否認破棄し去っただけで真実を求めようとしなければ」
になると思いますが、この場合「真実を求めること」が何を意味するのかさっぱり分かりません。
なぜなら「本体・実体論を否認破棄し去って」無我を求めることが
「真実を求めること」に他ならないからです。
いったいその場合、彼は何が言いたかったのでしょう?
61 :
神も仏も名無しさん :2007/07/04(水) 08:51:18 ID:cbT7UyzT
阿呆らし、ほんとくだらん。
62 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/04(水) 09:20:51 ID:bNVmCKl/
本体・実体論などという不当前提は、常に否認破棄の対象。唯それだけの話。 破落戸は 波羅夷を喰らふ身をよじり 足掻けるほどに縄目喰ひ込む
63 :
神も仏も名無しさん :2007/07/04(水) 09:39:02 ID:cvGd//z3
「日本は強姦やりやすい」韓国人の男2人逮捕 資産家宅に侵入し、当時16歳の長女と11歳の次女を6時間にもわたって監禁、 強姦をしたなどとして、警視庁組織犯罪対策2課と野方署は12日までに、 強盗傷害などの疑いで、韓国籍の住所不定、無職文桓坤容疑者(46)ら 2人を再逮捕した。 文容疑者らは「韓国人4人で強姦をした」と供述。 同課は帰国した首謀格の男(41)ら2人の逮捕状を取り、引き渡しを求める。 調べによると、4人は3月11日午前8時前、東京都中野区江古田の会社経営者(45)宅の 車庫に隠れて待ち伏せし、両親が出勤した隙に家に押し入り姉妹を強姦した上、 長女の下腹部に包丁を突き刺して全治6ヶ月の重症を負わせた疑い。 次女も頭の骨を折るなど重傷。 2人は「日本は強姦がやりやすいと(首謀格の男から)聞いていた。 4人は刑務所仲間だ」と話している。
64 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/04(水) 13:38:36 ID:8e6kBr7x
>>44 >本体・実体論を否認破棄し去って「真実を求め」ようとしなければ、そもそも佛教にコミットする意味はないでしょうね。
本体・実体論というのは、そもそもその概念がないのがインド哲学ですね。
簡単に私が説明しましょう。
ニュートン力学は静止観測を前提とします。
しかしながらそもそも静止などというのは“ありえない”
というのが相対性理論の前程になっちょりまふ。→アインシュタイン
前者が本体・実体論という脈絡ならば、この前提が“ありえない”
というのがインド哲学の根幹になっちょりまふ。
(まあ、例えの話ですが・・・)
“ありえない”ことを否定破棄することはできない。
(まあ、例えの話ですが・・・)
>そのようなことは、理に合わない、ありえないことであって、それは道理ではない」と知る。
>>39 参照
65 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/04(水) 13:41:31 ID:8e6kBr7x
× 前程 ○ 前提
66 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/04(水) 17:17:48 ID:8e6kBr7x
(つづき) ありえないことでも、相対といふ仮に設定した論理ならばそれは理論体系として成り立つ。 この原型はジャイナ教にもありますね。→相対主義 この論法は、あくまでも俗諦としての論理です。 何故ならばそれは観測者という観点が前提となるからです。→ニュートンの理論 観測者において、主体とか実在とかを決定するのは、 古代ギリシャ哲学からその源流を探ることはできますが、 その脈絡からは到底インドまでは辿り着けませんですね^_^; やっぱりインドは別モンですから。 観測者Aにおいて、動体観測B・C・Dを観測した場合、その時間差数値は微妙に違う。 これは何を意味するか?というと、 そもそもがモノゴトにおいてそれは相対としてしか成り立たない。 といういことですね。 だから相対性理論という訳です。 しかしながらその原型とは、実はインドに古くからあった訳です。 古きを訪ね新しきを汁。
釈迦族がイクシュヴァーク(日種)の末裔ということから、セナールは釈尊を実在の人物でなく太陽神崇拝と見たようですが、 この太陽という点にインドでの仏教の位置が表れていると言えるかも知れません。 なぜなら、インド一般 つまりヒンドゥー教では、満月を美人のかんばせの比喩としたりして、吉の イメージがあるのに対し、太陽はどちらかというと、烈日として忌む傾向があるようです。 そういう太陽を祖先とするという伝承には、なにか、バラモン教の有我説に対して仏教が無我説を唱えたことに通じるものを感じました。 ちなみに南方仏教では、誕生・成道・般涅槃はすべてヴィサーカー月(太陽暦4, 5月ごろ)の満月の日 の出来事としていて、この日に「ヴェーサーカ」というお祭りをします。
> 生成する何らかの存在を永遠なものとして考える⇔諸行無常 > 何か生成する存在を楽あるものとして、⇔一切皆苦 > また物を(永遠不変の)本質をもつものとして考える⇔諸法無我 要するに、〈凡人の道理〉とは、『ヨーガ・スートラ』(2-5)にも記された、 「無知とは、無常において常を、不浄において浄を、苦において楽を、 我でないものにおいて我を認識することである」ということのようです。 これに対して、四念住にも出てくるように、「無常・不浄・苦・無我」とありのままに知ること、 これが〈真実を見る〉ということなのでしょう。
69 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/05(木) 07:19:08 ID:zZEGij9F
観測者とその対象を論理的構築を図るなら、それは既に法から離れる。 という論理矛盾が生じます。 スッタニパータは、これを断片的に尚且つ抽象的に記してありますが、 この解釈はスキルがありませんと非常に難解です。 龍樹は、この観測者⇔対象を“明確な境界線はない”というような表記になってますが、 またこれも非常に抽象的であります。 白隠などは、もっと具体的な譬えを引用してますが、 これはいくらかは理解しやすいよぉですねえ〜〜(*^^)v 「水に浮く氷のよおなもんだ」。 などと白隠は言うておるんです。 白隠なりの精一杯の御託なのかと思いますね。 スッタニパータも、龍樹も、白隠も、色即是空も、 ようは同義でして、 ここに深遠なるインド哲学なるものの甚深摩訶不思議たる法に 拝すことができるやに思いますね(^_^)
70 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/05(木) 13:37:33 ID:zZEGij9F
論理矛盾がある。ということは、つまりインド哲学においては「観測者⇔対象」といふ
設定がそもそもないのです。
ここで重要な示唆が見てとれるかと思うのですが、
つまり「設定」がないから、観測者が対象を決定することは“ありえない”のです。
>そのようなことは、理に合わない、ありえないことであって、それは道理ではない」と知る。
>>39 参照
先ず、これがインド哲学におけるベースになっちょりますね^m^
白隠は言う
「水に浮く氷のよおなもんだ」。
というのは、つまりギリシャ哲学とインド哲学の大きな違いを示唆しておる訳です。
これは重要なことです。
スッタニパータの第一章ー蛇の章においても、蛇の脱皮という象徴的な解説をしているのは、
こういった理由によるものかと思いますね。
龍樹が「仮設」としたところは、また重要です。
何故かといいますと、人の思考は“仮説においてしかその機能は果たせない”
佛教の根幹であります「人とは何か?」。
は、つまりは「人は何ゆえ思惟するであろうか?」。だったんですね^m^
私はかように思うておるんです。
71 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/05(木) 15:16:30 ID:xfVfmhqw
>>67 “無我”という身も蓋もない事実が烈日(=白日)の下に曝されてしまえば、旧来の我論(=本体・実体論)が忽ちに色を失い雲散霧消
してしまうという謂いなのかも知れません。
そういえばゴータマの実子にして高弟のラーフラも、月を蝕む“魔”の名を授かっています。
72 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/05(木) 17:38:04 ID:zZEGij9F
>は、つまりは「人は何ゆえ思惟するであろうか?」。だったんですね^m^
>>70 参照
これがいわゆる四諦のテーゼなんですね。
苦諦・集諦、滅諦・道諦
つまり簡単に言うたら、思惟の根本因の解明なくして滅諦には至らん訳です(*^^)v
思惟あるが故にまた煩悩が生起する訳ですから。
思惟のメカニズム解明こそが、即
>佛教の原点を闡明できる良スレにな る こと期待しております。
>>1 参照
これなんですね。
つまり、良スレに至るには「思惟のメカニズム解明」ということになりますね。
これなくば、既に観念論の域を出んのです。
73 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/05(木) 22:56:39 ID:LWZ6apQ/
>>68 あのさ、ヨーガスートラには、ヨーガの具体的な実践方法として、
自在神に対する祈念だと記述されてるの知ってるかい?
自在神とは、自立自存の神の事だ。つまりそれは自性のことだ。
釈迦の無我説とはあくまで、形あるもの。それに縁してあるものつまり、意識=自我=魂のことを
言っているのであって、釈迦の言う一切以外のことまで言っていない。
君らは無我説に執着しているあまり、釈迦の仏教を激しく誤謬している。
ちなみにヨーガスートラの成立の過程に、釈迦の直弟子である、阿羅漢達の関わりがあったと言う学説があり、
また、釈迦の実践した瞑想とは、このヨーガであったことは、釈迦の直弟子達の告白、テーラガータ
からみても、明らかだろう。ヨーガとは合一と言う意味でもある。
ところで、ウパニシャッドを読んでも、釈迦の仏教と、ヴェーダが別物だとする君らの見解は意味不明なんだが。
ちゃんと、ヴェーダを理解して言っているのかね?今の仏教徒は、馬鹿ばっか。
釈迦の無我説を激しく誤謬し、己の邪見に激しく執着し、正しい見解に決して耳を貸さず、己の邪見に執着している。
馬鹿に付ける薬は正に無しだ。そもそも、芯になるものがなければ、無我なるこの世界もありえない
という因果律の法則すら理解しない。得意げに縁起の法則を語る者達が、因果律の法則すら理解しない。
頭が悪すぎるんだよ、君らは。
ここは馬鹿がしきり、馬鹿の集まりのようなので、もう書かないと思っていたが、
ヨーガスートラの話が出たんで一言ものいわせていただいた。
74 :
神も仏も名無しさん :2007/07/05(木) 22:57:06 ID:7fUkrZan
思惟? あるわけないじゃんwww あるように妄想するだけさ。 このスレで何ちゅう自明な寝言を言ってんのさ。 >「思惟のメカニズム解明」? 太公望かwwww このスレには釣るに値する魚はおらぜよ。
75 :
神も仏も名無しさん :2007/07/05(木) 23:02:17 ID:7fUkrZan
神を唱えるところ必ず戦争があり、無駄死にがある。 ユダヤ、キリスト、イスラム、ヒンドゥー、八百万の神、その他大勢。 神は悪なり!
76 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/05(木) 23:06:23 ID:LWZ6apQ/
>>73 少し訂正
×釈迦の無我説とはあくまで、形あるもの。それに縁してあるものつまり、意識=自我=魂のことを
言っているのであって
○釈迦の無我説とはあくまで、形あるもの。それに縁してあるもの。つまりこの世の意識=自我=魂のことを
言っているのであって
ま、この○で示した表現も、完全に正しいとは言えないけどね。
>イエスは言われた。探す者は見出すまでやめてはならない。
>見出すときに、彼は困惑するであろう。困惑する時に、彼は驚くであろう。
>そして、彼は天地万物を支配するであろう。
ま、君らには、いくら言ってもわからんだろうな。
77 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/05(木) 23:09:29 ID:LWZ6apQ/
>>75 逆だ。無神論者の唯物主義のもたらす悲惨な結末を君らは目の当たりにする。
まぁみてな。
この世に宗教があろうがなかろうが、人々に争いはなくならない。
それがこの世界に生まれる我々なのだ。君らはなにもわかっちゃいないのさ。
78 :
神も仏も名無しさん :2007/07/06(金) 00:23:14 ID:T6WeKB7z
>>77 おまえはリアルな現実を見ていない。妄念で世界を解釈しているだけだから
見えないのだ。
アラーの名を唱えて、自爆テロを実行せんとする者を
「無神論者の唯物主義」と罵るのか?
アホらし、もう寝るわ。
79 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/06(金) 00:33:39 ID:qQCK4LYe
> ID:7fUkrZan
>>1 参照。
>>75 を添削。
>神を唱えるところ必ず戦争があり、無駄死にがある。
戯論(=形而上的独断を前提とした諸見解)を唱えるところ必ず戦争があり、無駄死にがある。
自爆テロをする人達が宗教者だとは思えません。 宗教の名を借りた普通の社会活動では?
81 :
神も仏も名無しさん :2007/07/06(金) 00:48:10 ID:T6WeKB7z
>>80 (限界があることを承知しつつ)論証せよ。
二重の意味で、侮辱することになるぞ。
別の意味で、狂信的な法華経信者の宮沢賢治は宗教者なのか?
やっぱり、もう寝るわ。またあした。
>>81 自分の不満を晴らすために人を殺してもよいとはされていないからです。
歯には歯をの言葉尻だけ取って自分達を正当化してるとしか思えません。
彼らは無関係のものも関係なく殺してますよね。
自分の正義とやらをアピールする道具に人の命を使うなど侮辱されて然るべき相手です。
人間社会的な活動以外の何物でもないと思いますが。
83 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/06(金) 05:23:34 ID:5vbBKEKy
>>78 だからさ、宗教が人を殺すんじゃなく、
お前たちのような、自分の価値観以外は一切認めないという人達が、人を殺すんだよ。
己の心に巣食うエゴが、人を殺す。宗教があろうとなかろうと人殺しは無くならない。
馬鹿なお前たちには、難しすぎる話かね。
中東の自爆テロリストは宗教戦争の戦死者だぜ。 戦争に善悪がある訳無ぇだろうが。 国際政治の縁起、把握しなよ? 高みに登ったお前達には、難しすぎる話か?(笑) (`ー´)yヽξ
85 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/06(金) 06:51:54 ID:ciXZBc3J
>>74 思惟において人は行動します。
目的意識があってこそそれは成し得ます。
善行とか悪行とかは、このベクトルの形成なんですね^m^
この形成の断絶こそが、瞑想とか禅定とか言うておるんです。
何ゆえひとは修行と称して瞑想あるいは禅定をするのか?
このことを先ずもって理解せにゃ〜ならんですね。
行学二道ですから。
私のレスポンは、つまり学からのアプローチです。
行は手段でありますから、本義がベースであることは
私があえて記すこともない程に当然なことです。
根本的諸問題の解決なくして、原始佛教の登竜門は開かんのです。
>>お前たちのような、自分の価値観以外は一切認めないという人達が、人を殺すんだよ。 カラスくんもね。
>>71 弥勒菩薩の原語マイトレーヤと関わりのあるミトラが、ペルシャのミスラと同じ起源であり、
こちらはローマ帝国で太陽神ミトラスとして崇拝されました。
また、大乗ですが無量寿経や法華経には「慧日」という言い方もありますね。勝論外道には慧月という人もいたようです。
無我説はかなり強力な破壊力・批判力を内包していますね。
在来の輪廻説(アージーヴィカなど)、業報説(ジャイナの三罰など)も無傷ではありえません。
これらはそもそも、固定した主体というものを押し立てた上で組み立てられたものですから、
当然、主体抜きで説明するのは非常に難しくなるでしょう。
いや、当時の沙門・婆羅門の有我論のみならず、現代の世界中の諸宗教・思想の実体論に対しても、
根底的省察を求めるものとなっていると思われます。
しかし、人間の素朴な心が、物みな霊を宿すというアニミズムにあるとするなら、
本体論から脱却するというのは、思うほど簡単なことではないのかも知れません。
>>87 無我と輪廻、業報は全く矛盾しませんよ。
無我の業報が縁起して輪廻するだけ。
89 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/06(金) 16:10:09 ID:ciXZBc3J
>>76 >○釈迦の無我説とはあくまで、形あるもの。それに縁してあるもの。つまりこの世の意識=自我=魂のことを
言っているのであって
第一義空諦からすれば、無我とか有我とかはそれ自体が二義になりますね。
「先ず無我ありき」などとは釈尊の言説にはないです。
(スッタニパータ参照)
無我というのは、有我におけるアンチの意味でしかない。
(我が、それ自体、本性としてある訳ではない)の意。
偏あれば法から離れる。
>>89 言葉遊びは楽しいですか?
言葉遊びは佛教ではありませんよ。
いいかげん、無意味な空理空論を、得意げに語るのはやめましょう。
91 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/06(金) 18:14:17 ID:ciXZBc3J
>>90 二義とは主客相対の仮設における定義です。
一義とはそれ以前の主客未分ですね。
>観測者が対象を決定することは“ありえない”のです。
>>70 参照
>このスレ、手段・方法としての文献学的にはともかく(経典=相対的な世俗言語)
>>26 参照
>>73 > 自在神に対する祈念
イーシュヴァラ神(仏教では自在天)ですね。瑜伽派では神を認め、数論派では初め認めず、
後に認めるようになった、ということのようですね。それへの祈念だけで無想三昧に達する、と。
> 自性 数論派の物質原理プラクリティのこと?
> この世の意識=自我=魂 「意識=魂」には異見あり。識は、常に変化し、睡眠で中断も
する六識に開きうるものであり、ここでの意識が六識全体を指すにせよ、その中の意識だけを指すに
せよ「一切」の内にあり、そこを外れたいわゆる「魂」と同一視できる、とは思われません。
> 釈迦の無我説とは・・・釈迦の言う一切以外のことまで言っていない。
ここは同意。したがって、正確には、「一切」は非我。無我というのは慣用にならっている。
> 無我説に執着 我にも非我にも執着しません。また、自性にも無自性にも執着しません。
> ヨーガスートラの成立・・に・・直弟子・・の関わりがあった 初耳です。
> ウパニシャッドを読んでも、釈迦の仏教と、ヴェーダが別物だとする アートマンを実在
と見るか、少なくとも「一切」の範囲内には認められないとするか、についての峻別です。まったく
の別ものとは言いません。釈尊をバラモンと呼ぶこともあります。(相応部経典1-1-1など) ヴェー
ダの達人と呼んだ例もあったと思います。(出典は現時点で忘失) ただ、同じ用語を使い、思想を受
け継いでも、意味はもとのままではありません。変えられています。
> 邪見 邪見とは、主に、因果関係は無いとする見解、いわゆる無因無果を唱えた自然外道
(じねんげどう、アージーヴァカ)の見解を指すのでは?
> 芯になるものがなければ、無我なるこの世界もありえないという因果律の法則 「芯にな
るもの」とは、上記の「自性」ということかな。「それがないならば、この世界もない。逆にいえ
ば、この世界が既にあるのだから、それがあるはずだ」となるけど、この連結「〜ならば〜だ」が
正当に繋がるものかどうかが、説明不足で確認できません。
般若波羅蜜(智慧の完成)においては、、、 舎利子よ、(生れることも)老死もない。般若心経 須菩提よ、如来によって解脱させられた衆生は誰もいない。金剛般若経25 善勇猛よ、五蘊は輪廻しない。善勇猛般若経3ー30 問い; 一切行苦である。目覚めれば後有を受けず。 なのになぜ、解脱した声聞は自らの意志で餓死することを選ばないのか。 答え; 無有愛を脱したから。
94 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/07(土) 05:54:22 ID:jAmiDHc6
な、
>>92 ←こいつは馬鹿だろう。
よく知りもしないことを、ただ自分の願望を芯に立て、
さもそれが事実のように語っていやがる。
コペルニクスの時代、どんなに合理的に地動説を語ろうと、
当時の常識に激しく執着し、決して地動説を受け入れなかった人達と同類の人達とは
まともな話なんかできっこないのは、はなから承知なんだよ。
ここはそういう人の集まり。
あのな、勘違いするなよ。俺は別に唯物論者達を否定していない。
てか、てめぇの責任は、てめぇのものであり、俺の責任ではないし、他人のことなど
知ったこっちゃいない。お前たちは勝手にお前たちの進む道を行け。俺の知ったこっちゃない。
ただ俺は、原始佛教を唄いながら、形而上のテーマは
一切認めないなどと言う変な人達が偉そうに、自分達の価値観に会わない者を一切合切排除し、
善と悪もない、そんなものにこだわるから人は苦しむ。人はなにをしても自由。
自由奔放に生きよ。それすなわち涅槃静寂。などと、まさに他人の迷惑顧みずで、
ひたすら単なる糞の役にも立たず、糞の意味もない言葉遊びを得意げに永遠と語る変な人達に
物言わせてもらっただけのこと。
ま、そうはいっても、唯物仏教論者の末法仏教の行き着く結論は、全く無意味な、これが正解なら、
どんなに小難しい御託を並べようとも、結局南極、釈迦の仏教は現代では全く必要としない、
単なる時代遅れの、心理カウンセリングレベルのものだと、少しでも利口な人なら、
一発で気付くんだけどな。ここの連中はよっぽど、おつむが弱いらしい。
しかし
>>92 ←こいつ。魂と霊の意味も理解しとらんようで(苦笑)
この程度のレベルの者が、偉そうに人にものを言う。
魂とは鬼が伝わると書いて魂と呼ぶ。魂とは肉に縁があって生じるものだ。
涅槃とは、この魂の解消の先にある。ま、君ら盲人にはなに言ってもわからんだろうがな。
ご愁傷様。
>>94 >な、
>>92 ←こいつは馬鹿だろ
同意。おっしゃる通り、普段縁起の法を得意げに語る人達が、
因果率の法則を理解しないとは笑えますね。
ここは、自分の見解に激しく執着する心が、いかに智恵を奪い、
我見、邪見を生むか、いい見本、サンプルがたくさんいますね。
96 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/07(土) 08:10:43 ID:eyJ1aPbM
>(我が、それ自体、本性としてある訳ではない)の意。
>>89 本性としてないもんが、何ゆえ認識は相続としての自覚があるのか?
が、佛教2500年歴史において、修行者達が突き当たる大テーマだった訳です。
>コペルニクスの時代、どんなに合理的に地動説を語ろうと、
修行者達がこの大問題に取り組む前程には、このコペルニクス的大転換があった訳です。
だからこそ佛教は数千年の歴史を築きあげたとも言えるわけです。
白隠の「水に浮いた氷」の譬えは、水が世界で氷が自己のことです。
この譬えは、白隠の繊細な心象を垣間見る思いです。
97 :
神も仏も名無しさん :2007/07/07(土) 11:38:26 ID:KjQC1C+B
>>94 まさに、相変わらずの『三合の戯論に、八石五斗の罵倒語』、
お元気そうで祝着至極に存じますwww
もうお歳ですからご自愛のほど、暑中お見舞い申し上げます。
相応部1‐3‐2‐2 「香り芳しい紅蓮華が、朝早く開いて、 香りの去らぬようなものである。 アンギーラサ(=ブッダ)の輝きたまうを見よ。―― 空中に太陽が輝くように。」 『ウダーナ・ヴァルガ』33バラモン 13「ヴェーダの奥義に通じ、」 31B「曇りのない月のように、・・・諸々の悪に汚れていない人、」 密教でのことになるが、菩提心を心月輪という。月は目まぐるしく姿を変える、まるで心のように。 形が欠ける、また物を見るのに明るさが充分でない、雲がかかるとすぐ薄暗くなる、これらは完全な智慧の表現にふさわしくない。 「曇りのない月」とは、裏読みすれば、心は悪により曇らされやすい、ということでもあろう。
99 :
神も仏も名無しさん :2007/07/07(土) 13:21:23 ID:p4CNGPyP
バカボン言わく、自説をほめられても喜ばず、自説をそしられても怒らず、と。 阿含読みの阿含知らずの聴衆、歓喜すれども奉行せず。 ズッコケ orz
100 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/07(土) 15:54:21 ID:eyJ1aPbM
(つづき) ところがです、「水に浮いた氷」どころか、 上野公園(東京・台東区)に逝きますと、水が空中に吹き上げているのです。 最初にこの光景を見た東京人は、おそらくはビックリしたであろう。 これは詳しく解説しますと、いわゆる西洋庭園の噴水のことですね。 西洋庭園はもちろんキリスト教文化の影響を受けていて、 これは自然と対峙する人間の偉大さを誇示しているもんです。 この脈絡は、神が人間を創造したので、人間こそ神に次ぐ偉大である。 の発想におけるもんです。 西洋庭園→水は下から上に流れる 日本庭園→そんなことはない、水は上から下に流れるもんだ。 コペルニクス的大転換とは、こういった一連の根底からの発想の違いが 大転換することですね。 道元が身心脱落したのは、簡単に言うたら、コペルニクス的対転換のことです^m^ この大転換がありませんと、スッタニパータも難解ですね。
101 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/07(土) 15:56:29 ID:eyJ1aPbM
× コペルニクス的対転換 ○ コペルニクス的大転換
十二縁起の名色の「名」の意味。 雜阿含經卷第十二(298) 云何名。謂四無色陰。受陰想陰行陰識陰。/何を「名」と呼ぶのか。すなわち、四つの、色ではない集まり、受・想・行・識である。 相応部12‐2 vedanA, saJJA, cetanA, phasso, manasikAro, idaM vuccati nAmaM./受・想・思・触・作意、これが名と言われる。 思は思業・思已業などに見られるように意志であり、行蘊の意志に対応する。 漢訳では触と作意を合わせて識と意訳したものか。それなら全体で、名は受想行識、となる。 以下は、別の解釈。 受・想・思を触・作意に言い替えている、と見る。受が触に、想と思が作意(さい)に対応する、と。 前者の対応は容易に想像つくだろうが、後者の対応は、saJJA 想, cetanA 思と manasikAra 作意を、 それぞれの語根 jJA-, cit-, man- から派生した vijJAna 識, citta 心, manas 意のように、同質のものと見ることに基づく。 こちらは全体で、名は受想行、となる。 十二支縁起には別に識支があるので、今はパーリ文の方を採りたい。 ちなみにアタルヴァ・ヴェーダ12-5-9で名色とは見・聞のことを指すそうです。 またブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド1-6では、人を名・色・業からなる、としています。
103 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/07(土) 19:50:19 ID:eyJ1aPbM
カラスどのは、善行しようと日夜禿んでおるようですが、 これが大転換すると、 実は善行に禿む己自身が、その善行とする相手に自らが救われている。 とか、 そんな具合の大転換なのです。 この時、己の慢心に恥じるわけです。 恥じて、そして眼が開くわけです。 一休においては、森女は菩薩であったわけです。 森女において救われる己を悟るとき、 同時に、大慈・大悲を悟るわけです。 そこに善悪などはなく、 ただただ仏の慈悲を感得するのです。 これなくば、慈悲の奥抵など解せるわけはないのです。
105 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/08(日) 01:28:46 ID:hUU1lEA5
破落戸は 嗤い捨てらる口惜しさに 基地外壁蝨に擦り寄れるかな
106 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/08(日) 17:31:49 ID:ZZxcjFl/
>>103 あほが、俺は善につて、利己心を捨てなさいと話しているのに、
なぜ俺の話が、自己満足レベルの善を成しなさいと言う話に摩り替わるんだよ。
言ってることが、まるで正反対なんだよ、タコ。
お前は人の言説を捻じ曲げるのが得意だな。お前は本当に性質が悪い。
俺はカトリック教徒なのに、オウムだと勝手にレッテルを貼ったり、
人の言っている言説とはまるで違うことを、俺の言説かのようにいう。
世の中には行動科学という学問がある。同じタイプの人達は、皆、行動上で、
多くの共通点が見出せると言うものだ。掲示板上での、お前のような、論敵に対する
言説の捻じ曲げ、いわれのないレッテル貼りをする人は、多く見られる。
この人達は同じ穴の狢なんだろう。ある種の人格障害者のカテゴリーに入る人達なのだろう。
おまえよ、あれだけ言ってあげても、
世俗諦における、善悪の判断しかできなく、勝義諦における
善悪の話が出来ないんだな。てか、勝義における善悪の話をすれば
おまえの能書きは、音を立てて崩れていくから、善悪を、理解したくないわけだ。
107 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/08(日) 17:35:00 ID:ZZxcjFl/
この机と言う人は、山口母子殺人事件お起こした犯人の行動は善か、悪かと尋ねたところ、 巧妙に明言をさけ、回答から逃げていた。こいつらの言説だと、こんな簡単なことすら答えられない。 こういうおかしな宗教(禅宗)をやっている人が、子供の教育に携わる職業についている。日本は終わりだよ。 俺は言っておこう。この犯人は、ただ己の利己心を満たすためだけに、他人を殺し、自分の欲望を成し遂げた。 利己心を満たす心。それにまつわる行動。これらは全て、悪である。 そして、犯人に対する激しい復讐心。これも同じく悪である。なぜなら彼も、犯人と同じく、 利己心を満たそうとするからである。犯人は肉欲に執着しあのような事件を起こした。 残された遺族はは親族に執着し、犯人に復讐を誓う。この世のもの全てに執着する心。 これらは全てエゴを生み出す。それはこの世の命に対する執着も、同じことである。 ここで、自分の命を犠牲にすると仲間が助かるが、自分の命可愛さに仲間を見捨てれば、仲間は 皆死んでしまうが、自分は助かると言うシチュエーションを想像してほしい。 仲間を助けるため、自分の命すら投げ打つ者は、命を得。我が身可愛さ、この世の命可愛さに、 仲間を見殺しにし、自分の、この世の命を大切にする者は、命を失う。 俺はそういう話をしているんだよ。 この世の命に執着する者は、そこには帰れず、この世のもの何一つ執着せず、この世の命すら執着 しない者は、元のところに帰れる。俺はそういう話をしている。 なぜ、利己心が悪で、利他心が善かは、真理を知れば、皆、理解するだろう。 だが、真理を知らない人は、皆、盲人のまま、迷いの生存を繰り返すだろう。初めがあれば、終わりあり。 そして、この宇宙が終わるとき、全てを失う。文字通り、全てを失う。
108 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/08(日) 18:22:34 ID:BaYYKIDW
>>106 >世俗諦における、善悪の判断しかできなく
判断は可能だとしても、あくまでも俗世の価値判断に委ねるものです。
委ねたものが、善であったり悪であったりする。
(これは自己判断であり、それが結果的に良果となるかは経験則に委ねる以外にない)
>勝義諦における 善悪の話が出来ないんだな。
そもそも勝義諦に善悪などない。
第一義空諦は主客未分です。
>なぜ、利己心が悪で、利他心が善かは、真理を知れば、皆、理解するだろう。
勝義諦においては、利己心とか利他心とか、かような差別的概念そのものが滅寂してしまいます。
貴殿がいう「利他心が善」の概念も、結局は自らが救われておるんです。
眼が開けば「自他」とか「利他」とかの概念が、実に恥ずべきことかと、
かように正見できてくるんです。→これが八正道
覚者は、既に自他そのもの分別もなく、→これが勝義諦
ただただ慈悲にて調おておるだけです。
ここに仏法の甚深なる法を垣間見るわけです。
これなくして、とうてい開眼したなどとは言えんのでふ。
109 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/08(日) 19:07:32 ID:ZZxcjFl/
>>108 >そもそも勝義諦に善悪などない。
だからさ、本来我々は、主客未分であるなら、利己心などというものがあること自体おかしいということだ。
ちゅうかお前らの根本的な誤謬は、いくらこの世界での意識、思考で、やれ、勝義だのどうのこうのと
能書き垂れようと、いきなり私とあなたが合体して、主客未分になるということはありえない。
おまえのはただの思考上の妄想。言葉遊びの世界で遊んでいるのは楽しいかい?
お前の話はただの思考上の言葉遊びに過ぎず、糞の役にも立たない。
自我と真我を混同している本来の自己に目覚めない、我々には、
主客未分などと言うのはありえない。だが本来の自己に目覚め、本来は主客未分であることを
悟る者は、幻に過ぎない自我に未練を残さず、この世界では、なにが善で、なにが悪かを悟り、
この世界をいかに生きるべきかを悟る。
真の正覚者は、お前たちのように、本来善悪などないのだからなにやっても自由。
そんな者に囚われるから苦になるのだ。獣を見よ。善悪に囚われない彼らは生まれながらに悟っている。
だから自由奔放に生きよ。それすなわち涅槃静寂。などという寝言は、言わないんだよ。
お前たちの末法仏教は、肝心要の一番大事なものが、すっぽり抜け落ちている。
君らは、今の仏教を捨てないと、永遠に悟ることはない。
烏天狗啄死肉之圖
111 :
神も仏も名無しさん :2007/07/09(月) 00:16:37 ID:7ZYPQOhf
>>109 こんなチンケなとこで、しんどい『三合の戯論に、八石五斗の罵倒語』なんぞやってないで、
アラブで100万人以上を殺しまくっている敬虔なカトリック=国際石油資本のブッシュと
ネオコンに対し行動を起こしてから 戯論を言えよw
歴史上、キリスト教徒ほど神の名で殺しをやってきた連中はいない。血塗られた悪の宗教=キリスト教だ。
ここまで自らの名において殺人を犯させ、「苦」の根本となってきた「神」は『悪』そのものと断罪できる。
神は『悪』である! 顔洗って出直して、恋!
年寄りの冷や水は血圧上昇で、からだの毒でござんすよ、ご自愛のほどを。
カラスは無用。なにご都合主義的我田引水やってんだ?
ブッダはヴェーダの達人であるがゆえに、古き信(=ヴェーダ)を捨て去れ!と言ったのだ。
それこそ、苦行を続けたヴェーダの達人だったブッダにとって「コペルニクス的転回」だろう。
一切外をいくら妄想しようが、根本命題⇒実存的生存苦の克服に資するものではない。
かえって、実存的生存苦を可及的に増大させるものだ。
それは、グノーシスはじめ、キリスト教その他諸雑派の歴史を鑑みれば明解この上なく証明されている。
あの馬鹿な新米ローマ法王に一発パンチを見舞って恋。話はそれからだ。
112 :
神も仏も名無しさん :2007/07/09(月) 00:25:57 ID:7ZYPQOhf
現に、一切外をいくら妄想しようが、カラスの現状は三毒まみれではないか! それが証明だ。
そのとうりです。 クローさん。 あなたは真っ直ぐだから はげます必要もない。 もっと人類がすすむと ツェンは それだけでは それだけでは 宗教などでは 全くなかったということが 明らかになるでしょう。 宗教とよばれるものは 本当は悟りをも超えて 非常に奥深いものだと 本当に求めている者には 明かされることだろうと思われます。
114 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/09(月) 05:19:17 ID:8XS5mUc6
>>111 >敬虔なカトリック=国際石油資本のブッシュと
な、
>>111 ←こいつはアホだろ。
なーんもしらん奴が、ただ感情論だけで一神教を批判していやがる。
俺に意見してるのも、なんら合理的な反論はなく、ただの感情論だし、
さすがただの凡夫だけのことはあるやね。
おまえよ、釈迦はなぜ瞑想をしていたと思う?
それを確かめられないのは、おまえが無能だからだ。
理論上ですら、それを確かめられないのは、お前の意見価値観に、
おまえ自身が激しく執着しているからだ。
それ以前にお前は頭が悪すぎるから、どうしようもないかもな。ククク。
自分が確かめられないものは、一切信じない。などというものは、
天動説を唱えるコペルニクスの説を一切認めなかった当時の人達と同じく、
「私は、智慧の欠片もない、無能です」と公言しているようなものだよ。
115 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/09(月) 05:21:40 ID:8XS5mUc6
>>111 あのな、三合の戯論とは、机を代表する、単なる思考上の遊び、言葉遊びを得意げに
語っているおまえたちのことを言うんだよ。ちょっと頭のいい人なら気付くだろう。
机や、君らの話がいくら、千のもっともらしい屁理屈をいくら述べようとも、意味がないって。
形而上の事が一切認められないのなら、君らが仏教を捨てればいいだけのこと。
唯物論がこの世の真理なら、仏教など意味ないから。そんなこともわかんねぇ?
君らの仏教に意味がないことを。こんな簡単なこともわからないようじゃ、君らの知恵遅れは、
救いようのないほど、進行しているね。気の毒に。
ま、もっとも、厳密に言うと、俺の話は形而上のことを言っているんではないんだがな。
少なくとも見方を変えればそういうことになる。
俺は外側と、内側の話しをしている。そして、我々の外側に向いた子宮を、内側にせよと、言っている。
弟子は尋ねた。「師よ、御国はいつ、どのようにやってくるのでしょうか?」
師は答えた。「それはいつ来る。どこにある。というものではない。あなたがたが待ち望んでいる
御国はもう来ているのだ。それはあなた方の内にあり、そして面前に広がっている。
だが人々は、それを認識しない。面前にあるものを認識していない。あなたがたは貧困の中にいる」
真に、子宮を内側に向けることを知らず、外側に向けたままの者が、得意げに主客未分などと
能書きを垂れるのは、笑い話にもならない。お前たちの話は、実の無い、単なる言葉遊び。
こういうのを、三合の戯論というのだよ。妄想の世界で遊ぶのはそんなに楽しいかい?
一度病院に行った方がいいんじゃねぇの(苦笑)
オマエモナー♪
117 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/09(月) 05:46:42 ID:8XS5mUc6
>>111 >それは、グノーシスはじめ、キリスト教その他諸雑派の歴史を鑑みれば明解この上なく証明されている。
グノーシス?は???
お前は本当に馬鹿だな。しかしこいつの書いた文章は、改めて読めば読むほど、馬鹿丸出しの文章だな。
知ったかこいて、無知をさらけ出し、こいつの願望で事実を勝手に捏造をしているし。
釈迦とヴェーダの関係も、思いっきりこいつの願望を元に、無理な推測をあたかも事実のように語っているし。
こいつの我見の執着はすさまじいものだ。こういう人は救いようが無い。まさに馬鹿につける薬は無しだな。
イエスも言ったんだよ。当時の古い律法主義に陥ったユダヤ教徒達に、そんな信仰は意味が無いってな。
釈迦が当時の人々に言った、信仰を捨てよ。とはそれと同じ意味合いのものであり、むしろ正しい信仰は積極的に
推奨している。おまえ、スッタニパータも読んだこと無いの?よんでるのは池田大先生の、ありがたい著作
だけじゃねぇの(爆笑)
>年寄りの冷や水は血圧上昇で、からだの毒でござんすよ、ご自愛のほどを。
それはおまえなんじゃねぇの?俺はまだ、自分の健康に気を使うほど、年も取っちゃいなければ、
見た目も老けていないぜ。残念だったね。
スッタニパータなどは、別に変な先入観もなしに、書かれていることを素直に読めば、
なにも難しいものでもなんでもない。それを君らが、君らの持っている先入観、自分の価値観に合わせ、
無理やり解釈しようとするから、難解な内容の書物になってしまうんだよ。
なに、喩えで書かれていないものまで、無理やり喩えとして解釈して、悦にはいっているんだい?
まさに、ここの連中をみていると、まことにまことに、馬鹿に付ける薬は無しだな。
118 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/09(月) 09:50:43 ID:OFjG0Jva
>>109 >だからさ、本来我々は、主客未分であるなら、利己心などというものがあること自体おかしいということだ。
なかなかイイ書き込みですね^m^
そのとおりなんです。
>利己心などというものがあること自体おかしいということだ。
根本的な誤謬とは、他に求めることなくして己自身にあった。
このことを悟ることこそ佛教の本懐であるわけです。
そもそも釈尊の出家の動機とは、四苦の解決にあったわけですから。
この命題のテーゼが四諦→苦集滅道
いわゆる形而上学的な問題ではなく、己自身の問題に集約されているわけです。
果たして己自身のどこぞに問題がありきや?
この疑を向けることこそ肝要です。
>いきなり私とあなたが合体して、主客未分になるということはありえない。
主客未分とは作為にあらずして無為のことです。
父母未生以前の本来の面目ですね。
119 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/09(月) 15:05:53 ID:OFjG0Jva
>>117 >君らの持っている先入観、自分の価値観に合わせ、
>無理やり解釈しようとするから、難解な内容の書物になってしまうんだよ。
イイ書き込みです。
そのとおりなんですよ(~o~)
先入観とか価値観とかから離れればいい。
利己心とか利他心とかは、既に覚者はないんですよ(~o~)
ないもんですから、まあ、こういった先入観そのものもないわけなんですが(~o~)
全ての先入観&価値観から離れました暗闇において
何ゆえカラスを捉えることができましょうや?
これが有名な一休の「闇夜のカラス」です。
>これなくして、とうてい開眼したなどとは言えんのでふ。
>>108 参照
120 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/09(月) 18:03:36 ID:8XS5mUc6
>>119 アホが。子宮を外側に向いている我々が、再び子宮を内側に向けるには、
利他の心を完成し、徹底的に利己心を滅ぼすしかないんだよ。
利己心とか利他心とかは、既に覚者はないんですよ。と言えるのは
外側に向いている子宮を、内側に向いたときにはじめて言うものだ。
きっちり子宮を外側に向けてこの世界で自我を持ち、生きる我々が、
『利己心とか利他心とかは、既に覚者はないんですよ』などとのたまい。
そのままにしている者は、結局、子宮は外側に向いたままだ。
釈迦も言っているだろう。正覚した者は、睡眠以外の意識が覚醒
している間は、常に気をつけ、慈しみの心を持ち続けるように勤め励みなさい。と。
お前の言うように、正覚したのなら、自動的に、
利己心とか利他心が無くなるのではないし、利他心など必要ないなどといっているのではなく。
むしろ釈迦は、正覚した者は、勤め励み、慈しみの心を持ち続けるよう努力しなさい。
と、言っているんだよ。
お前は、根本的なところで、誤謬している。
お前は法を捻じ曲げ、邪見を皆にばらまき、無智な者を、大いに迷わせている。
お前の罪は重いよ。
ところでおまえ、これだけ言ってやっても、いくらもっともらしい御託を並べようとも、
おまえの能書きは、思考上の、単なる言葉遊びしかならないってことすら悟れないのだな。
君の盲目度は相当なものだ。脳内妄想の世界で遊ぶのはそんなに楽しいかい?
121 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/09(月) 21:31:47 ID:OFjG0Jva
>>120 >利他の心を完成し、徹底的に利己心を滅ぼすしかないんだよ。
これは自虐思考というて、倒錯的な陶酔状態になりまして、
マスターベーション的にはそれなりに有効かと思います。
帰するところは自己満足です。
それが悪いという訳ではないが、
亀甲縛りで快楽を貪る、M的思考と何ら違わぬ虚しさしかない。
それなりのアブノーマルな世界では、今でもその脈絡は継承されておるようですが、
なんせ私はそのジャンルは詳しくないので
あえてノーコメントとさせて頂きまふ^_^;
>>121 >これは自虐思考というて、倒錯的な陶酔状態になりまして、
>マスターベーション的にはそれなりに有効かと思います。
>帰するところは自己満足です。
次元が違いすぎて、どうにも話にならない。
佛教を理論でしかみないものは、こういう戯論を言うようになる。
このスレのものどもは概してこういう傾倒をしてる。
>>122 せっかく机のバカをあぼ〜んしてるのに引用しないでくれ。
読んじまうだろうが!
124 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/10(火) 11:48:55 ID:lvTB9iTO
慈悲とは、慈(いつく)しむ心においての心作用のことですね。 心底、愛情をもって慈しむのであれば、それは非常に悲しい。 何ゆえ悲しいのであろうか? これを分からんと慈悲も解ってこんですね。 本当に人を慈んだことがありますか? 慈しんだことがある御仁は利他とは言わんです。 利他とは俗諦ですから、 ここは真諦にて調ひたいもんです(~o~) 大事なのは、偽善は慈しむ心から離れます。 覚者はこれを悟る。
カッサパ三兄弟の教団1000人だけが中核だったなら、 サーリプッタ(およびその教団250人)の参加がなければ、 沙門ゴータマの発見したダンマが今日にまで伝わったかどうか。
126 :
神も仏も名無しさん :2007/07/10(火) 13:24:04 ID:U81xMF1L
藤原新也の写真集に『メメント・モリ』がある。 ガンジス河の岸辺に死体がごろりと横たわり、 犬に喰われ、カラスにつつかれ、ドクロとなっている。 また、火葬されて身体は黒こげとなっても生焼けの足がみえる。 そう、ありがたいことに、人間はカラスや犬に喰われるほどに、自由なのだ。 ガンジスの辺で、ボロをまとってくたばっているおやじは、 なんてかっこよくて、ダンディーな奴なんだ。 存在 その哀しくも、美しいもの
127 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/10(火) 16:12:06 ID:6oC8G5vK
>>102 縁起を説く經にしばしば見られる識と名色との「相依」、いわゆる「葦束の譬喩」ですが、二つの葦束が支え合うものと、三つのそれが
相依って立つという二つの説かれ方がされるようです。
前者は識と、名色を一括りにしたもの、後者は識と受・想・行・識あるいは受・想・思・触・作意に分析された名と、色の三者の和合が想
定されているように思えます。
自性について、法の二義ということ。 「能持自性、軌生勝解、」(光記) 〈能く自性を持(たも)ち、軌として勝解を生ず、〉 法は、変わらない。法は、軌範として正しい理解を生む。法には、この二つの特長がある。 善悪について、法句経より。 183 すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、これが諸々の仏の教えである。 39 心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることが無い。 「善悪が無い」のではなく、その「はからいを捨てる」ということ、また、これは「目覚めた人」の境地である。
ttp://www.icabs.ac.jp/lib/2-5-2.html 国際仏教学大学院大学附属図書館:本学所蔵の大蔵経一覧
●パーリ語大蔵経
1. Pali Text Society 版
2. シンハラ文字
Buddha Jayanti Tripitaka Series 版
Simon Hewavitarne Series 版
3. ビルマ文字(第6回結集)版
4. タイ文字
タイ王室版
Bhumibalo Bhikkhu Foundation 版
Mahachula Buddhist University 版
5. クメール文字版
6. デーヴァ・ナーガリー文字 Nalanda Devanagari Pali Series 版
Dhammagiri-Pali-Granthamala 版[ビルマ文字(第6回結集)版をデーヴァ・ナーガリー文字版として刊行されたもの]
【翻訳】
1. Pali Text Society Translation Series
2. 南伝大蔵経
ちなみに、オンライン版パーリ語スッタニパータの1077後半から1078前半が欠落している。中村訳で1073から1074にかけての部分。
www.jaet.gr.jp/search/index.cgi?path=home_21info_10web 中国数字図書館で『中華大蔵経』画像を公開。 電子佛教辭典と電子漢英辭典 UTF-8とXMLとによる同辞典が公開された。
test
利他というのは他者を救済することです。 覚者であっもこういうことはできません。 できるのはただ神のみです。 できないが故の慈悲であるわけです。 素行の悪い息子(良寛の甥)のことで、母は良寛の庵に訪ねてきて息子について相談するのです。 良寛は何もしてやれない自分の不甲斐なさに悲しむのです。 そして 「すまん、何もしてやれない」。 と言うて、甥の帰り際に草履を揃えてやるんですが、 その草履の上に一滴の良寛の涙が落ちるのです。 それを見下ろしていた甥は、ついに悟るのです。 「自分が間違っていた」。と 慈悲とは実に悲しいことでありますが、 悲しきが故にまた教化があるのです。 佛教においては、これを菩薩道などと言うたりして、 覚者をその見本としております。 どうか利他などと思い上がった心から離れて、 慈悲にて調ふてください。 ___________________________________________________________ ☆アク禁中で書けませんでした(*^^)v
133 :
神も仏も名無しさん :2007/07/12(木) 19:25:26 ID:RtMOfPVa
おいらは同じ読みの“かなしい”でも、「悲しい」よりも「哀しい」のほうが ニュアンスとしても、存在の儚さに対する的確な表現に感じる。 いわば「慈哀」だ。 アンリ・ゲオンによればモーツアルトの音楽は“疾走する哀しみ”だという。 決して悲しみではない。涙は疾走する無常に追いつけないのだ。 だから、モーツアルトは長調で哀しい曲をかけた。こんな事ができたのは、天才というほかない。 だから、存在の本質を表現するニュアンス(論理ではない)は慈悲よりも慈哀だ。
「有」の原語二種類の区別について考えました。 一つは「三有」などの bhava (バヴァ)、十二支縁起の有支はこちら。 他は「有無」の有である bhAva (バーヴァ)。母音の長短に過ぎませんが、 微妙に区別しているようです。その差異を追ってみました。以下、〈〉内は漢訳語。 バヴァは、@〈有〉、A繁栄(これは、衆生の良い有り様、ということからの転義か) バーヴァは、@スヴァバーヴァ〈自性〉に含まれる〈性〉(ショウ)、Aアバーヴァ〈無〉との対語の〈有〉、そしてB状態・状況。 バヴァには、「衆生の」生存、という意味合いがあるようです。これに対してバーヴァの方は、 衆生ということを離れて、単に「存在」そのものを問う言葉、ということになるでしょう。 スヴァバーヴァのバーヴァについては、以前、語根 bhU の使役語幹 bhAvaya- 経由の解釈の説を紹介しましたが、 その際この点が疑問だったのですが、使役という概念を経ないでも語義解釈できるのではないか、と 今回、改めて思いました。「なるもの」というように動作者名詞の語尾として -a を解釈するだけで充分だ、と。 母音の長短、つまりグナとヴリッディという階次の違いで、為自言と為他言というニュアンスを付与し、 私的と公けとの使い分けをしているのかも知れませんが、この視点は未確認です。辻文法p.212, l.7-10参照
>>133 >だから、存在の本質を表現するニュアンス(論理ではない)は慈悲よりも慈哀だ。
う〜ん。イイですね(*^^)v
私も「哀しい」といふ語感は好きです^m^
「哀愁」ってのも、なかなかイイですね。
まるで私の人生そのもの。って感じでふ。
そうかなあ。 現実的に今日、薬があれば助かる子供をアフリカで助けてる人、 世界中から。 そういう人達 わたし 素直に ありがたい人とおもうけどなあ。 食料支援だってなんだって。 言葉で 理論言ってるより。 そりゃ わるいことだってあるだろうけどさ。
>>136 >現実的に今日、薬があれば助かる子供をアフリカで助けてる人、
>世界中から。 そういう人達 わたし 素直に ありがたい人とおもうけどなあ。
だから、そういう行為を慈悲というんじゃないですか?
助ける人も、助けられる人も平等。というのが慈悲です。
利他というのは、強者と弱者の関係です。
この違いは大きい。
弱くちゃ、助けなんか、したくとも、なれないよ。 仏教徒は、しりが、重くて、という感じは、する。 座ってばっかりで。 それに、仏教の初期からして、仏教はいってみれば、乞食。 自分が乞食では・・。 共に泣くことぐらい。 人をして 世界に飛び出してゆく、明るさ、強さ、行動力が 欠けてるかな? このへんが 仏教がすたれてしまう弱い所のような気がします。 まあ それぞれの特徴だから しかたないかも。
ついでに言えば、この特性から 仏教がその国でさかんになると 国家にとって 経済的に 危険 になるようなきがします。 だって 本質的に乞食なんだもの。 みんな乞食になっちゃたら誰が? 仏陀はちゃんと 考えたのか!? って これは半分はジョークだけど。
>みんな乞食になっちゃたら そういうことは金輪際、起こらないから無問題! まあ仏塔や寺院を建てまくった王朝が傾いたってのは史上に実際あったと思うけど。 でも国力が衰えるのは、仏教だからということじゃなくて、何か一つにのめり込むからじゃないの? 自由な経済活動を抑圧するくらい強く、ある理念に入れ込むと国家経済はおかしくなる。 中世カトリックの西欧、朱子学の李氏朝鮮、共産主義のソ連、etc. そういう窮屈な政治は自由な経済活動を疎外するから。だから程度問題ってこと。
>>127 名色は、自作でもなく、他作でもなく、自他の共作でもなく、原因なく生じるのでもない。
識があることによって名色がある。
識は、自作でも……でもない。
名色があることによって識がある。
相応部、12因縁相応、67葦束。雑阿含12(6)
二つの葦束が相依って立つ、というのですから、一方の識も、ただ一本の葦というイメージでなく、
六識や、次々と枝を飛び移るサルにたとえられる心、というイメージを思い浮かべます。「心王」の
ような単一のイメージでなく、次から次へと生と滅とを繰り返してゆく流動的な識、というイメージ。
>>138 >弱くちゃ、助けなんか、したくとも、なれないよ。
そうなんです(^_^)
私はそういう書き込みを待っておったのです。
弱いが故に助けられない。それが慈しみであります。
弱いが故に助けられない。その悲しみ。
そのドン底の悲しみにおいて眼が開くんです。これを一切皆苦
「悟りたい」という方向性とは全く逆説的であります。
覚者は、このことに気づく訳です。
水は上から下に流れる。その諦観において慈悲は顕現するのです。
これがインド哲学の根本義ですね(*^^)v
そうかなあ。 そういうつもりあるなら マザーテレサのように生きてみればいいとおもうが。 そんなこと言ってないで。 あなたからは ああいう人は どうみえるのですか? 仏教徒って そんなこと言ってるだけなの? いや あなたが仏教徒を代表してるわけではないだろうけど。
>あなたからは ああいう人は どうみえるのですか? 世の中にはいろんな菩薩がおりますね^m^ テラサはいわゆる物心両面のリアルな援助をした方で、 そのような逝き方は尊敬します。 一休とか良寛とかは、その逝き方自体が私には救いになってます。 どちらかというと、そういった禅者の方が私には直接的な影響がありますね。 テレサと禅者の違いは、この違いです。 ひとそれぞれに菩薩はみんな違う。 それぞれの先達に学び、自分なりの逝き方を見出すのができれば それで充分ですね。 宗教というのは、本来そういうもんですから。
145 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/13(金) 18:26:11 ID:J9L8oh/w
146 :
素人 :2007/07/13(金) 18:45:41 ID:jg18kK0Z
>>145 それを「与太話」と一蹴するような所が、
「ほんとに仏教解ってんのかな?」と思わせてしまうんだよw
「仏典が読めること」と「仏教を理解すること」は別問題だ。
ましてや、「仏教を(仏典(≒お釈迦さんの言葉)を)我が身に引き当て受け止めること」とは・・・。
読めればいいってもんじゃないw
>>146 あの〜、阿呆陀羅經さんは、滅多に経典の読みを示さないし、
示した時は、だいたい誤解してますけど。
>>143 >仏教徒って そんなこと言ってるだけなの?
「そんなこと」ってのはどんなことなんですか?
仏教徒は相手を「助ける」んじゃないですよ。
そういう思い上がった心を持つな。ってことですよ。
弱いが強いが、どんな御仁と出会ったとしても、それは自分が救われておるんです。
テレサにしても、相手を救うと同時に自らも救われておるじゃないですか。
「救うこともなく」また「救われることもなく」
これが慈悲というもんです。
自他同時に逝かされておるんです。
これが一如の法門である佛教の根本義であるわけです。
<合掌>
149 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/13(金) 19:57:53 ID:J27xjNSb
>>137 >利他というのは、強者と弱者の関係です。
は?あたまおかしいんじゃね、こいつ。
うだうだ屁理屈言ってねぇで、目の前に困った人がいれば、助けてやれって話だよ、ボケ。
なに簡単なことを、小難しくして、己の利己心を放棄する教えを、拒否ってるんだ?
おまえはどうこう屁理屈を述べてるが、単純に己の利己心を大事にしたいだけじゃねぇか。
こういう言う奴が仏教を駄目にしたんだよ。キリスト教もな。
キリスト教徒のくせに、信仰義認説をかたくなに支持し、己のエゴをそのままにしている者も、
あーだこーだ屁理屈ばかり述べて、かたくなに利他の心を拒否するこいつも、同じ穴の狢だろ。
>>148 相変わらず禅一色ですね・・・。(勿論、核(コア)の部分で共通性がないとは言いませんが・・・w)
けど、そうした「悟りの視点」「仏の視点」は普段は本棚にしまっておけばいいことなんですよ。
それが、ベースになっていればそれでいい。それを語るにふさわしい機会以外は、奥にしまっておけばいい。
で、
>>149 の >うだうだ屁理屈言ってねぇで、目の前に困った人がいれば、助けてやれって話だよ、ボケ。 に繋がる。
臨済系の僧堂では、まさに ↑ を叩き込まれる筈なんですけどね・・・w
151 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/13(金) 20:17:01 ID:J27xjNSb
禅宗だ駄目だ。 釈迦の仏教を誤謬しているのが禅宗だ。 キリスト教に信仰義認のプロテスタントあれば、 仏教には、この世には善悪など無い。そんなもにこだわるから、苦はある。 善悪の判断など無い獣は生まれながらに悟っている。 だから善悪に囚われるな。自由奔放に生きよ。それすなわち涅槃静寂。などと、 トンデモ仏教を得意げに語る禅宗ありだな。 どちらの教えも、人々を大いに迷わせ、滅びへといざなう。 しかし机は、原始佛教を唄うスレなのに、どうして毒にしかならない禅思想を、永遠に垂れ流すのかね。 これもこの人の利己心。エゴなんだよ。証拠に辞めtれくれと頼まれても、決してこの人は、書き込みをやめない。 そして毒にしかならない能書きを永遠に垂れ流し、己のエゴを満足させている。困った人だ。
152 :
神も仏も名無しさん :2007/07/13(金) 20:39:22 ID:EGbxDUCA
>>151 過去己過去 過去は己に過ぎ去る
未来尚未来 未来は尚お未だ来らず
現在復不住 現在は復た住(とど)まらず
展転無相依 展転して相依るなし
許多閑名字 許多(あまた)の閑名字もて
意日強自為 意日(ひねもす)強いて自ら為す
莫取旧時見 旧時の見を取る莫れ
莫逐新条知 新条の知を逐う莫れ
懇々遍参窮 懇々として遍(あまね)く参窮し
参之復窮之 之に参じ復た之を窮めよ
窮々至無心 窮め窮めて無心に至ら
始知従前非 始めて従前の非を知らん
<大愚良寛 花押>
153 :
素人 :2007/07/13(金) 21:07:22 ID:kxmRsjzB
>>151 ま、あなたも大概極端ですがね・・・(^^;
「煽り命」ならそれでもいいですが・・・w
>>137 >利他というのは、強者と弱者の関係です。
うん。 おかしいよね。 カラスさん
机さんは少数派らしいのであまりいうつもりないけれど、
マザーは 完全利他行の人でしょう?
で、机さんは マザーテレサは尊敬するという。 むじゅん?
10代の女性が世界に飛び込んで一生をささげて・・
はじめから自分を弱いとか強いとか決めてない・・
まあ机さんが不治の病とかであるなら
そういう考えもあるかもしれませんが。
155 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/13(金) 21:59:05 ID:J9L8oh/w
厨房、 破落戸、 外道壁蝨どもは各々相応の専用の隔離病棟へ退去のこと。 以上。
156 :
素人 :2007/07/13(金) 22:13:44 ID:kxmRsjzB
157 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/13(金) 22:18:58 ID:J9L8oh/w
性根の腐り切った廃物は、親切な指示も判らんようになるらしい(嗤笑)。
158 :
素人 :2007/07/13(金) 22:40:35 ID:kxmRsjzB
>>157 >>145 で 「与太話」 と、
侮蔑或いは低俗なものという判断を下してることに噛みついているだけさw
まさか、仏教の語り方は、論文的なものだけだとか思ってるんじゃないだろうな?w
論文形式の緻密な論証のみが仏教であり、それ以外の言説は
「駄文」「戯論」「無益」とでも言いたいのか?w
笑わせるな。 お前の仏教には温度がない。
お釈迦さんにあったであろう、そして、今でも(経典から)感じられる温かさが、お前にはない。
言っている意味が解るか?
159 :
神も仏も名無しさん :2007/07/13(金) 22:46:32 ID:nKazYIYF
マンドクセ はやく主婦の個人に辿りつくweb公開情報のヒントさらせや。
160 :
神も仏も名無しさん :2007/07/13(金) 22:55:13 ID:EGbxDUCA
やっぱり、
>>152 の良寛さんのレスが月とスッポンほどに図抜けている。
掃き溜めに鶴一匹。
本物とその他雑魚大勢とは、ここまでも違うものか。
境涯の高さだけは、本人の問題だからどうしようもないね。
二重使役の例。 marati (Aが) 死ぬ (√mR から) mAreti 上の使役形 @ (Bが) (Aをして) 死なしめる (使役の意味の ある/明瞭な もの) A (Bが) (Aを) 殺す (使役の意味の ない/薄い もの) mArepeti (CがBにAを) 殺させる 上のAの更なる使役形 世尊は答えていった。 「怒りを殺して楽しく寝ね 怒りを殺して悲しまず 婆羅門よ、そは毒の根にして最上の甘き蜜なり その怒りの殺害を聖者は讃える そを殺して悲しむことなければなり」 相応部 7.1
162 :
神も仏も名無しさん :2007/07/13(金) 23:17:26 ID:EGbxDUCA
>>154 利他とは自他分別の世界でのことだよね。わかる?
自他分別は何によって起るのかな?名称と形態は何によって起るのかな?
人倫とは自他分別の世界のことだよね。
人倫世界を一応秩序たらしめる共同幻想的規範が道徳=善悪区分だよね。
当然地域の諸縁起によってグラデーションの振幅が大きい。
そして、スッタニパータの前提となっている此岸=人倫世界と彼岸=勝義世界の
違い(本来は区別できない)は判るよね。
両者を論理(此岸=人倫世界の不完全な道具)で混同してはいけないことは判りますか?
163 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/13(金) 23:18:47 ID:J9L8oh/w
虚偽誤謬塗れの廃物厨房症状は最早不治のようだ事で(冷笑)。 お白洲の嗤い物たる落命・絶命王絡みの基地外廃物も出入り禁止(失笑)。
164 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆rMNMPSLh1Y :2007/07/13(金) 23:18:55 ID:w/gCJUeJ
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQさん、ご無沙汰です。
>>160 > 窮々至無心 窮め窮めて無心に至らば
無心に至るということが原始仏教の理想の境地だ、とは思えません。
まるで、ウッダカ・ラーマプッタの非想非非想処定のようで。
無心の境地では、一旦、出定すれば退転する可能性が大きい。
縁起により諸法の生滅のありさまを観ずる、ということを修得していないと。
166 :
素人 :2007/07/13(金) 23:40:50 ID:kxmRsjzB
>>163 ・・・・・・w
貴方は、現場(人生の現場)というものをご存じないようだw
貴方の希む言説は、現場のものじゃないんだよ。解るか?
ある意味、机の言説と同等だということだ。解るか?
対話する相手の内に届く、言葉・言い回し・脚色・略説・等々は、
決して、格式ばった・緻密に組み上げられた・理路整然とした核(コア)のみではない。
(勿論、それがダイレクトに届く場合もあることを否定はしない)
相手の境遇・心理状態・その場のTPO etc.etc.の上にそそがれるべきものだ。
それを、現場の(よりベターだと考えられる)言説を
「与太話」と切って捨てる貴方の神経が信じられないと言っているのです。
貴方が、「現場のことなど関係ない。法(≒理念)のみが大切だ」というのならば、
まあそれもいいでしょう。
しかし、現場を離れた仏教にどれほどの意味があるのか・・・。
仏教が、現場の(=個々人の「生」の)教えでなくて何なのか? と・・・。
ま、また時折噛みつかせて貰いますよw
ノシ
167 :
神も仏も名無しさん :2007/07/13(金) 23:43:44 ID:EGbxDUCA
>>163 おめでとう。
おまいのピエロぶりが、単なるピエロではなく、そのまんまの阿呆とよくわかる。
168 :
神も仏も名無しさん :2007/07/13(金) 23:56:35 ID:EGbxDUCA
我生何処来 我が生は何処(いずこ)より来り 去而何処之 去って何処にか之(ゆ)く 独座蓬窗下 独(ひとり)蓬窗(ほうそう)の下に座して 兀々静尋思 兀々(ごつごつ)として静かに尋思(じんし)す 尋思不知始 尋思するも始(はじめ)を知らず 焉能知其終 焉(いずくんぞ)能く其の終を知らん 現在亦復然 現在も亦復(また)然り 展転総是空 展転 総べて是れ空 空中且有我 空中に且(しばらく)我れ有り 況有是興非 況んや是と非と有らんや 不知容些子 如かず 些子を容れて 随縁且従容 縁に随って且く従容(しょうよう)たるに <大愚良寛>
169 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/14(土) 00:03:45 ID:J9L8oh/w
腐った歯茎で食い付いて悦に入るほど病膏肓の有様(嗤)。 お白洲ゴロはまさに「三界に家無し」(失笑)。
170 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 00:17:11 ID:4W/tNj+D
>>169 おまい、良寛の
>>168 の漢詩のすぐあとで、そういう下劣極まる書き込みを
よく書けるものだと無神経ぶりに呆れる。
同じ人として生れて
>>168 と
>>169 の境涯のあまりの違いは言語に絶する。
だれが真性ゴロツキかは明白だろう。
171 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/14(土) 00:23:16 ID:nHeQhfli
三界を 離るる心地になるとても 出でて了へば元の木阿弥
172 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/14(土) 00:38:37 ID:nHeQhfli
ID:EGbxDUCA→ID:4W/tNj+Dを嗤ひて詠めるゑびす歌 スレ違ひ 書き殴りたる落書きを 自ら褒めるわざの愚かさ
173 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 00:58:26 ID:mUanfE62
>>152 ハイ誤謬。
心が無いと、得意気に語っている人は、刹那滅を理解していません。
この世は、生じては滅する、幻のようなものですが、決して無いのではなく、
今この瞬間、瞬間にはあるのです。心とて同じ事。
だから、“今ここ“ にある心を、どうにかしなさいという話しなんです。
てかよ、煩悩にまみれ、利己心に凝り固まった心に、無心も糞もねーんだよ。
利他の心を完成させ、利己心を滅ぼすという事は、己のエゴを滅ぼす道だ。
エゴを滅ぼす。それすなわち、自我を滅ぼす道に他ならない。
どうせいうなら、無心とはそういうことだ。
しかし二元世界であるこの世であるのに、善悪は無いから好きなように生きよ。
などと寝言をほざき、刹那滅と無心を混同した誤謬を得意げに語るとこなんざ、
君らの邪見は、かえすがえすも酷いものだな。
>>162 だからよ、おまえの自我は、自他分別してねぇのかよ。
ちゅうか、我々の自我は自他分別した結果生じているものだろうがよ。
そこんとこ理解してんの、おたく。自他分別したから今の自我があるのであって、
自他分別がなくなれば、それはもうこの世の意識、つまり自我とは呼べないものである。
あのよ、おまえたちがいくら、あーでもない、こーでもないと屁理屈をこねて、
自他分別を無くしたなどとほざこうが、
自他分別して成り立っている自我は、どこまでいっても自他分別して成り立っているんだよ。
お前たちがいくら屁理屈を述べて、禅は自他分別を無くすなどと言っても、
それはあくまで自他分別して成り立っているこの世の意識、自我の思考上の産物であり、
それを思考したところで、自他分別して成り立っている、自我が、
ただちに自他不二になり、一元になるわけねーだろ、タコ。
こんなこともわかんねぇで、ただの言葉遊びにすぎない能書きを
得意げに語る君らは、まことに滑稽である。
まぁ生じてしまった自我はしかながない。俺は、もう自我を生じないようにするには、今をどう生きるか、という話をしているんだよ。
>>154 >マザーは 完全利他行の人でしょう?
いやいや、これは間違ってますね。
こういう書き込みは彼女(テレサ)を侮辱するものであり、
同時に、インドの貧困層も侮辱することになる。
テレサの語録を読むと、ほとんど佛教の慈悲に近い考えがあったかと思います。
「神の手助け」という位置づけであったし、それでも気遣いのある表現でした。
それはなにより、キリスト教においても誤解の生じやすい行為であったし、
この行為(救済)自体も、何より苦しめたのはテレサ自身ではなかったか?
この自己との葛藤は、テレサが亡くなるまであったかと思いますね。
彼女のこういった心の葛藤は理解できますか?
私はこの葛藤があった故に、それが彼女の行為の支えになっていたのかと思います。
これはあくまでも仏教的な観点ですが、
晩年、彼女は佛教に近いところまで開眼したかと思います。
もっとも、インドキリスト教会では彼女の評価はなかったし、かえって非難された。
佛教界の方が支持はありました。
>>154 >で、机さんは マザーテレサは尊敬するという。 むじゅん?
いやいや、むじゅんはしてないですね。
花に吸い寄せられる蝶に、利他も利己もありますか?
自然無為にあるだけです。
何を意味付与するんでせうか?
互いに共生するに、そこに矛盾など一切ないのです。
こういうことがだんだん解ってくるのを、
開眼する。とか言いますね(*^^)v
177 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 08:14:43 ID:DIT6Gsqa
>>171-
>>174 説得力マイナス。全然判っていないな〜。
なんでここまで曲解できるのか、神経を疑う。
『貪りと瞋りに焼かるる人々に、
この法を悟ることは容易ではあるまい
・・・・・・・・
もしわたしがこの法を説いたとしても、
人々はわたしの説くところを了解せず、
わたしはただ疲労し困憊するのみであろう』
(相応部経典 六,一、「勧請」。増一阿含経 十九、一)
ブッダの憂慮と躊躇の典型例だな。
ブッダにとってのヴェーダ・バラモン、キリストにとってのパリサイ人は、
世にはびこっているのだ。
ここでは、阿呆とかカラスとか・・・
段階があるのだと思う。 自己と他者を分別すること (多くの人はこれが出来ない) ↓ 自己と他者の大元が同じであることの気づき ↓ 慈悲 ↓ 自己と他者の無分別 でも、最後は世俗かな。いたしかたなし。
慈悲について、少しでも関心が向けば有難いので、 テレサについて、私の記憶の範疇で書かさせて頂きまふ。 テレサが道で横たわった人を見つけると、 先ず「あなたの足を私に洗わせて下さい」。と頼むらしいです。 ホームレスは「何故あなたは、こんな汚い人間の足を洗うのですか?」とか言って、 先ず拒否する人も多いらしい。 でも、テレサの誘いに乗って足を洗ってもらったホームレスもいた訳です。 そこに慈しみはあり、また貧困という悲しみを共有する訳です。 そして初めて相互が心を開いて逝く。 テレサの目線は、常にホームレス側にありましたし、 シスター達の寝具も窓から投げ捨てて、 生活環境もホームレスに近かったらしい。 ホームレスとの心情を共有する。 というのは、殆ど慈悲に近い考え方です。 自他という考え方そのものは、テレサにはないのが自明かと思う。
× 自他という考え方そのものは、 ○ 利他という考え方そのものは、
181 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/14(土) 12:22:16 ID:nHeQhfli
> スレ違い魯鈍廃物ども。
>>1 参照。与太話は厨房隔離スレか質問箱で。
以上。
>>181 貴殿は、マザー・テレサから何を学びましたか?
私は彼女から多くを学びました。
(だからこそ尊敬できるのでふ)
学んだうえで、こうして書き込みしておるのですよ。
学ぶというのはどういうことか?
それは相手を理解することです。
理解する。というのは愛なのです。
かつてマザーテレサが「愛の対義語はなんですか?」。というお題に
「無関心」と、ズバリお答えになった。
おお!!なんと素晴らしいではないか。
なかなかこういうことは凡人にはズバリ言えるもんじゃない。
大概は「憎しみ」とか言うんじゃないですか?
彼女の言葉ひとつで、眼が開いた御仁も多々あったかと思いますね。
こういった衆生を教化する、
存在それ自体が菩薩などと、佛教では逝ってますね。
183 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 13:55:41 ID:O5Hcqe/b
>>179 >自他という考え方そのものは、テレサにはないのが自明かと思う。
そうかなぁ?
たしか、マザー・テレサは、あの地へ赴いたのは「神の声が聞こえたから。」とか「神の教えを信じたから。」
とか言ってたそうな。
つまりさ、キリスト教でいう「神の命令」に従ったまでであって、仏教(真諦)でいう「自他の区別がない」ということとは
根本的には別だよ。
そこに自他の区別があったからこそ、彼女は精力的に活動できたわけでしょ。「あなた苦しむ人、私助ける人」みたいなさ。
184 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 14:51:11 ID:kKbbP/nV
>>177 >もしわたしがこの法を説いたとしても、
>人々はわたしの説くところを了解せず、
>わたしはただ疲労し困憊するのみであろう』
それはお前たちに向けて送られる言葉だろ。
>なんでここまで曲解できるのか、神経を疑う。
あほか。釈迦の仏教を曲解、邪見に満ちた解釈をしているのはお前たちだろうがよ。
何せお前らにかかれば、仏典に出てくる来世とは、今生における未来だもんな。
こういうのを、曲解というんだよ。何せお前らにかかれば、釈迦は善を成し、悪を成してはならない
と説いたのに、”この世に” 善と悪などない。になるものな。こういうのを邪見というんだよ。
釈迦は八正道を説いたのに、この世において、なにが善で、なにが悪かも理解しない、
それ以前に、この世においても善悪などないとするお前らは、八正道のなにが正しく、なにが正しくないかの
判断も、己が信奉する、教義ゆえ、必然的に判断できず、八正道すら屁理屈をこねて、方便とする。
こういうのを、曲解、邪見と言うんだよ。お前たちの能書きを聞いていると、こっちこそ、
なんでここまで曲解できるのか、神経を疑うよ。
>説得力マイナス。全然判っていないな〜。
それはお前たちのほうだろうがよ。
悔しかったら、論理的に俺を論破してみろよ。おまえらはいつも俺に論破されてるがな(苦笑)
185 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 15:31:03 ID:kKbbP/nV
末法仏教者の迷信シリーズ@ ヴェーダと、仏教は全く違う教えで、釈迦の教えは、ヴェーダを否定するものである。 これ、間違いです。ウパニシャッドを読んでも、一切無常と矛盾しないことが書かれていますし、 一切法無我に矛盾しない教えを説いています。ヴェーダもこの世にアートマンは無いと言っていますし、 釈迦が無我と説いたのは、あくまで、縁起で成り立つこの世界であり、この世の自我なのです。 真我については否定していません。彼は当時の、ヴェーダを激しく誤謬していたバラモン達の教えを 正しただけで、教えのベースは、ヴェーダなのです。なにより彼の納めていた瞑想は、ヨーガであり、 ヨーガとはそもそも合一というものです。元の教えを激しく誤謬し、全く違う教えを盲信しているのは 現代の末法仏教者にも当てはまるものです。
186 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 15:36:35 ID:kKbbP/nV
>>176 この世に自我は幻であり、本来は、「あなたは私」と言う真理をさとり。他人を自己のように思い
自己を愛するが如し、他を愛し、行動するというのは、仏道であり、イエスの教えでもある。
だがそれを、私と、あなたがいて、存在するこの世において、そのような心を持ち、行動するということは、
それはすなわち、利他の心、行動に、他ならない。なぜなら、いくらこの世の自我が思考し、自他不二などと
言っても、この世は、善と悪であり、私と、あなたであり、このように、自と、他とに分かれているからである。
なぜそれが利他となるのか、それは、自我が、他の自我に対して思い、行動するからである。
これは、自が、他に対して行うことであり、いくら屁理屈を述べようとも、
この世において私とあなたは合一するわけでもなく、
我々はこの自我を捨て去らない限り、真理を悟り、他を自己のように愛し、行動しようとも、それは利他と呼ばれる
ものだからである。このことを悟らない者は、自我とは何かを悟らない。ま、正確に言うと、前にも言ったが
それは形而上の話を言っているのではなく、我々の子宮を、外側に向けたままにするのか、それとも内側に
向けるのか、の話なんだけどな。ちなみに瞑想などで、それを知った者が、なぜ、自我を残したまま、
そのまま「一」なる存在になれないのか?それはすでに生じた自我とは、己だけの共有物ではないからである。
このしがらみがあるため、瞑想などで、それを知り、それと一体となったところで、自我はそのまま残るのである。
この自我は、この世の摂理にしたがい滅ぶのを待つのみである。肝心なのは、自然の摂理に従い滅んだ自我を、
再び生起させないことであり、その為に、今生において、我々はどういう心を形成させ、どう生きるべきかを
しり、そして、どう生きるかである。
自我は皆の共有物であるが、自我は、私の自我も、他者の自我も、”私一人” のものである。
この真理を悟る者は幸いである。
187 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 15:51:53 ID:kKbbP/nV
>>186 訂正
×瞑想などで、それを知った者が、なぜ、自我を残したまま、
そのまま「一」なる存在になれないのか?それはすでに生じた自我とは、己だけの共有物ではないからである。
○瞑想などで、それを知った者が、なぜ、自我を残したまま、
そのまま「一」なる存在になれないのか?それはすでに生じた自我とは、己だけのものではなく、
他の自我(他者)との共有物だからである。
188 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 15:57:04 ID:1wdZLf83
愛の原動力は憎しみであり、 憎しみの原動力は愛である 愛・憎の2辺を離れない限り、輪廻は続く
189 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 16:13:05 ID:kKbbP/nV
さて、ここに習慣的に売春などをして、金銭を得、生活を成り立たせていた婦人がいた。 当時避妊の技術も大してなく、彼女はいく度か、妊娠しては、中絶していた。 彼女は本能的に、自分の赤ちゃんを殺すことに対して、良心の呵責に責められ、苦しんでいた。 そこで彼女は、机の仏教、禅宗と出合った。彼らは、彼女になにを迷うておる。 この世に善悪などないのだよ。そんなものに執着するから人は苦しむのじゃ」と、詭弁屁理屈を駆使し、 もっともえらしく彼女に教え諭した。彼女は、「な〜んだ。本当は善悪などないのよ、いままで悩んでいたのが、ばっかみたい」 と、彼女は自分を責めるのをやめ、気も楽になり、そのことについての苦は無くなった。 彼女は別に売春などで生計を立てなくとも、今の生活のレベルを落とせば、十分にやっていけるのだが、 今の生活のレベルを落とすのには耐えられず、禅宗の教えを聞き、彼らの教えを悟り、これ幸いとばかり、 以前にもまして、売春に精を出し、以前のように子供が出来ても、以前のように良心の呵責に攻められることも無く 平気で中絶を繰り返した。 さて、このような教えは正しいのだろうか?否。もちろん正しくは無い。 彼女の生き様は、釈迦の教えの根幹である、八正道の、正業、正命の部分から、激しく離れたものである。 彼女は、涅槃には至らない。 禅宗の馬鹿共は、一元を悟っていない。彼らは一元を悟らないので、なにが正しく、なにが正しくないか。 なにが善で、なにが悪かも悟らない。よって、釈迦の教えである、八正道も、もろもろの悪をなすことなく、 もろもろの善をなし、 みずからの心を清澄にすること。これが諸仏の教えである。の、七仏通戒偈の教えを理解しない。 彼らの言葉遊びは、毒にしかならない。
190 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 16:16:02 ID:kKbbP/nV
>>188 おまえは自己を愛するのに、その原動力は憎しみだと言うのか?
すごいね、おまえ。根性が捻じ曲がっているよ。
馬鹿にいくらいっても馬鹿は理解できない。
191 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 16:22:32 ID:kKbbP/nV
一元というと、また、まともに会話すら成立しない、 言葉遊びにしかならない虚偽論で口答えしてくる禅宗の者がいるかもしれんので、 あらかじめ言っておく。もちろんそれは言葉では正確には言い表せないのはよく知っている。 なぜならそれは無相なる者であるからだ。言葉による知恵は、識別をもたらす。 名前は言によってなり、言によって成らない名前は一つも無い。名前は識別するもの。 それを「一」だの一元だの表現するのは、それこそ方便だ。わかったかい?言葉遊びだけの人達。
>>183 >根本的には別だよ。
いや〜、根本的には博愛(キリスト教テーゼ)と慈悲(佛教テーゼ)は
殆ど相似性がありますね。
ただアプローチが違うだけ。
>「あなた苦しむ人、私助ける人」みたいなさ。
神をさしおいて、ある特定のシスターが助け人になることは、
つまり“神の被造物破壊に抵触しちまうのですよ”
そこのところをテレサはよぉ〜く解ってましたね。
だからこそテレサ自身の行為を、テレサ自身が乗り越えならねばならんことは、
テレサがよぉ〜く解っておったからこそ、
「救済」とか「助ける」とかの誤解を導く言動は、
テレサの語録にはない。
まさに、インドキリスト教会がテレサを非難したのは“神の被造物破壊”がその理由なんですから。
利他などとは全くその欠片さもなかった訳です。
利他とは恥ずべきこと。
といううのは、テレサ自身がよぉ〜く解っておったんですから。
193 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 16:46:20 ID:kKbbP/nV
君らは自他不二などと能書きを垂れるのなら、その存在を認めなければいけない。 それは自性だ。それを認めず、縁起で成り立つこの世界だけで自他不二を語るなら、 君らの能書きは、それこそ実体の無い、実の無い、虚偽論に過ぎないものになる。 言葉遊びはそんなに楽しいかい?君らの話は単なる言葉遊びにしかならない、脳内妄想。 わかる?そんなこともわかんねぇの?頭悪いね、君ら。
194 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 16:57:45 ID:O5Hcqe/b
>>192 >神をさしおいて
机氏、「神」って何だと思ってるのかな?
確かに、既存キリスト教では「神(というもの)」は、己とは別のところ(己の外部)にあるものと教えている。
しかし、それは、間違いよ。
神=仏、神性=仏性。全ては、己の内側にあるのですよ。内側なくして外側無し。
己なくして汝なし。汝なくして己なし。
確かに、己の外部に神を設定すれば、自他の共通認識という意味では自他の統合は
一見、成されたかのようには思える。
しかし、自他が未分になる(ある)ということに外部に設定した「神もどき」は不要。
195 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 17:03:17 ID:O5Hcqe/b
>>192 神の命令、神の教え、すなわち、己の欲望(内なる声)
神を信じる、すなわち、己を信じることですよ。
>>189 貴殿の文章における根本的解決のヒントは
>今の生活のレベルを落とすのには耐えられず
この部分ですね。
何故に生活のレベルを落とすのが至難なのか?
ここが大問題でしょうし、
この根本的解決なくして、その結果論のみ抽出するところに
人間の愚があります。
佛教とは、この無明における心作用の究明にこそその根本義がありまして、
その智恵こそが肝要です。
さすれば、おのずとその答えは導きだされる。これを慧眼などともいう。
そんなことより机さん。
カラスさんの
>>189 の書き込みについてどう思います?
コメントお願いします。
198 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 17:13:18 ID:kKbbP/nV
>>196 お前たちの理論で言ったら、今の生活のレベルを落とさずにすむのなら
どんな生き方を選ぼうが、そのままでOKだろうが。かえって落とさずにすむのに、妙な倫理観
のために、今の生活レベルを落とす行為こそが、お前たちに言わせると、迷いになるではないか。
お前たちの仏教理論ではそういうことになる。
ちゅうかよ、根本的なテーマに関するところの明言は避け、小さな、自分が突っ込める部分だけを
見つけ取り出しては、肝心な論点をかわし、揚げ足取り的な反論をしてくるところは、いかにもお前ららしいな。
>>194 >机氏、「神」って何だと思ってるのかな?
一般的なキリスト教における、共通認識としての“神”ですね。
これは形而上学的存在を神と呼称しておるんじゃないでしょうか?
そのような理解で私は書き込みしておるんです。
私はキリスト教ではありませんので詳細は解らんですね^_^;
>>197 何故に売春婦は
>今の生活のレベルを落とすのには耐えられず
なのでしょうか?
私に問うこともなかろう?
すでにその答えは汝の心にありて候。
<机龍之介・花押>
201 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 17:22:04 ID:O5Hcqe/b
>>192 >神をさしおいて、ある特定のシスターが助け人になることは、
>つまり“神の被造物破壊に抵触しちまうのですよ”
あのね、机氏。「あなた苦しむ人、私助ける人」とは、自他の例えとして書いたのですよ。
なんで、文字に脊椎反応するかなぁ。
机氏、あなたの理屈でいうと、マザー・テレサの行為はどういう説明になるのかな?
だってさ、他人(死に逝く人?)に関わること=神の被造物破壊になるのなら、
そのまま自然死させてあげればいいと思うけど?
>だからこそテレサ自身の行為を、テレサ自身が乗り越えならねばならんことは、
>テレサがよぉ〜く解っておったからこそ、
何をどうわかっとったの?
そもそも、それがわかっとったら「利他とは恥ずべきこと。」なんてことも思わんよ。
机氏、己の感情移入で作り話しないでおくれ。
202 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 17:26:22 ID:1wdZLf83
母子殺害事件被害者の夫が加害者が死刑になることを望んでいる もし死刑判決がでないなら、自ら殺しに行くと発言している 「憎しみの原動力は愛である」 ここまでは理解できるのかな?
>>198 >今の生活レベルを落とす行為こそが、お前たちに言わせると、迷いになるではないか。
そうじゃないですね。
この考えは、カラス殿の世俗的価値観を図らずも露呈した書き込みです。
覚者は、さような世俗価値間から既に離れます。
なので、
生活レベルの高低は、それを理由とする行動形態は既に離れておるんです。
論理構築自体がそもそも違ってくるわけです。
さすれば、その結果論を論考しても
その論考の意さえ失せてしまうのです。
これを、明智などと言うたりしますね。
現代語の愛は、愛着・愛欲という伝統的な意味と、 慈悲・利他心といった意味を包括した広い概念を持つから。
205 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 17:36:15 ID:O5Hcqe/b
>>199 >一般的なキリスト教における、共通認識としての“神”ですね。
>これは形而上学的存在を神と呼称しておるんじゃないでしょうか?
>そのような理解で私は書き込みしておるんです。
そういう理解をしているから、空の解釈があっちこっち飛びます飛びますに
なると思われます。
>>201 神の被造物破壊というのは、私が言ってる訳でなく、
既存キリスト教会の判断です。
>そのまま自然死させてあげればいいと思うけど?
キリスト教会としては、このような自然死がイイと判断しているのかもしれません。
言っておきますが、
テレサは、伝統的なキリスト教から離れて独自に活動しておったのですよ。
ならば、
ある程度、伝統教派とは考えが違って当然なんでしょう。
そういう脈絡からの、私の書き込みであることを、
どうかご理解くらさい。
>>200 机さん。そんなこてを聞いているんじゃないんですよ。
この売春婦の生き様は、八正道からみたらどうかという話なんですよ。
卑怯な論点ずらしはやめましょうよ。
それとも、あなたはまともに会話ができない人なんですか?
208 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 17:47:05 ID:kKbbP/nV
>>202 おまえは頭が悪すぎる。
人のいうことをちっとも理解し取らん。
209 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 17:49:33 ID:O5Hcqe/b
>>206 >キリスト教会としては、このような自然死がイイと判断しているのかもしれません。
キリスト教もよくわからんのに、なんでこういうこと言うんかなぁ?
己の推測を、事実のように語るのはよくないよ。
>テレサは、伝統的なキリスト教から離れて独自に活動しておったのですよ。
だったら、マザー・テレサはキリスト教を棄教していたというわけね?
210 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 17:49:51 ID:kKbbP/nV
>>203 ハイハイ屁理屈、屁理屈。脳内妄想の世界は楽しいですか?
211 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 17:50:49 ID:kKbbP/nV
>>206 あほかおまえ。マザーの行動の原動力は、聖書だ。
彼女の語録を見てみろ。彼女の行動は、聖書を根幹にしているものだ。
キリスト教もろくに知りも知らないくせに、適当なことをしゃべってんじゃねぇよ、タコ。
212 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 17:52:16 ID:kKbbP/nV
>>207 そう、この人はまともな会話のできない人ですよ。
詭弁と、論点ずらし。あげくに根拠の無いレッテル貼りでしか反論してこないから。
>>207 では簡単に説明いたしましょう。
売春婦は無明における生活の乱れですね。
根本的には彼女の無明が全てです。
ならば、明智なる八正道からはかなり離れてますね。
八正道は、空諦における世俗分別をします。
これに至るならば、大概は清貧の生活に心の安泰を見出すことかと思います。
これを「無分別の分別」と言いまして、
智恵の完成です。
214 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 17:58:47 ID:kKbbP/nV
>>213 だからよ、お前たちの理論で言うと、そのまま売春を続けることもOKというわけだろうがよ。
むしろあれがよくない、これがよくないと思い煩い、無理してやめることこそ、迷いになるじゃんかよ。
売春婦は禅坊主の話を理解し、目が開いた後も、いや、むしろ目が開いたからこそ、
そのまま売春をつづけたことになるわけだ。お前たちの理論ではそういうことになり、それこそが
仏道となる。だかこれは、八正道の道から外れていると言ってるんだよ。
>>209 >だったら、マザー・テレサはキリスト教を棄教していたというわけね?
そういうことじゃないですね。
あくまでもテレサのバックボーンはキリスト教です。
ただ現存のキリスト教派の堕落?ぶりに嫌気がさしたのかもしれません。
俗な言い方をすれば、テレサのような考えは、急進派とか言うのか?
いずれにしても、テレサは熱心なキリスト教信者には間違いない。
216 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 18:02:08 ID:kKbbP/nV
>>213 >八正道は、空諦における世俗分別をします。
>これに至るならば、大概は清貧の生活に心の安泰を見出すことかと思います。
これはお前の日頃言っている仏教理論とは、つじつまが合わないな。
ころころ言っていることをかえるのは感心しないね、詭弁家さん。
217 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 18:07:55 ID:O5Hcqe/b
>>215 >ただ現存のキリスト教派の堕落?ぶりに嫌気がさしたのかもしれません。
だからさ、そういう推測でものいうの止めたほうがいいですよ。
彼女は、最初から最後まで伝統的キリスト教徒だったの。
ただ、唯一の勘違いは、「己の意識そのもの」を「神の声」、「神の教え」と思って
いたわけさ。
何でそういうことになったかといえば、それは、聖書や司祭の教えをわかりすぎるくらいに
自分のものに消化していたからだよ。
218 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 18:10:32 ID:kKbbP/nV
>>216 >これに至るならば、大概は清貧の生活に心の安泰を見出すことかと思います。
おかしいですね。日頃二項から外れるのが仏道などとほざいてる御仁が、
なにが、清貧ですか?二項から外れたら、清も汚いも、貧しいも、富豪も糞もないじゃないですか。
あなたの
>>213 の話は、日頃あなたが言っている話とは論理矛盾をはらみます。
論理破綻していますよ、あなた。
>>214 人は、一般的には心が満たされないから金銭欲とか性欲とかの欲望にその代償を求めるのですよ。
あくまでも一般論ですがね。
ならば、根本的な解決は「心の枯渇」の解消じゃないでしょうか?
この解消にあたるのが開眼なのです。
開眼したなら、先ずもって己の迷いそのものに気づくかと思います。
よって、
おのずと俗世の価値観もまた変化することは当然の成り行きです。
そういう行程を経ませんと、ななかな佛教の根本義には至らんのです。
>>218 >日頃あなたが言っている話とは論理矛盾をはらみます。
いやいや、だから私はあえて「無分別の分別」と言うておるんですよ。
分別しなきゃ〜人は生きていけんですがな^_^;
論理矛盾はありません。
これは空即是色のことです。
空即是色=無分別の分別
221 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 18:22:13 ID:kKbbP/nV
>>219 そういう一方おたくは、性欲にまみれ、死に際に「わしゃぁ死にたくない」ろほざいた
一休を仏道の成就者のごとく言っておりますな。あなたの反論は、真に都合がいいですね。
論理破綻していますよ、あなた。
222 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 18:23:43 ID:kKbbP/nV
な、
>>220 ←この書き込みを見ても、こいつは詭弁家で、まともな話のできる人ではないと
よくわかるだろう。
223 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 18:27:15 ID:kKbbP/nV
>>220 >分別しなきゃ〜人は生きていけんですがな^_^;
な、だからお前の能書きは結局、机上の空論。糞の役にも立たない脳内妄想にすぎないといってるんだよ。
言ってる意味わかるか?わかんなきゃ、おまえはよっぽどの、池沼だな。
224 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 18:34:47 ID:kKbbP/nV
一休なんざ、ありゃ、ただの凡夫だろ。 くだらん。
225 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/14(土) 18:36:15 ID:nHeQhfli
> ID:O5Hcqe/b
>>1 参照。底辺足切り壁蝨どもを連れて、相応の厨房隔離スレ、もしくは質問箱へ
退去せよ。
>>221 禅者にもいろいろあります、それぞれに魅力的であります。
一休というのは、マニアックな魅力がありますね。
狂気というのは、村正の妖刀を思い出しますが、
妖刀がゆえに人は惹きつけられる。
そこまで逝って段々とその魅力が解ってくる。
入れてみて初めて解る貝のよさ。
まあ、入れんことには貝の何たるか?さえ解らんじゃないですか?
>「わしゃぁ死にたくない」
ちゃんと貝の良さは解っておったからこそですね。
>>217 >ただ、唯一の勘違いは、「己の意識そのもの」を「神の声」、「神の教え」と思って
いたわけさ。
そういえば、語録にもそんなことが書かれていたかもしれません。
私は微かに記憶がありますね。
釈尊、龍樹、達磨、ガンジー、テレサ、クリシュナムルティー。
やはりインドは哲学のメッカですね。
近年はIT の分野で急進してますが。
アーリア人の血ですね。
ちなみにロシアはフン族の末裔です。
ロシア文学はイイとしても、その他はどうも冴えないですね^_^;
228 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 19:05:36 ID:DIT6Gsqa
>>223 なんだ、カラスは夜勤仕事をせっかくあがって、昼勤仕事に変われたのに
うまくいってないのか?
こんなとこで『五合の戯論に、八石五斗の罵倒語』でストレス発散しても、
空しさが残るだけだろうよ。
しかし、やっぱりカラスの『曲解者』の本質は相変わらずだな。
>>162 で「スッタニパータの前提となっている此岸=人倫世界と彼岸=勝義世界」と
明確に書いてあるではないか。素直で明敏な奴ならこれだけで判る。阿保や破れカラスには無理か。
一切外の形而上的戯論者にブッダをでっちあげ仕立てるウデなら、
法華経やヒンドゥ馬鹿にやらしとけよ。
おまいよりよっぽど、ヘタうまだぞw
もちろん、とっくの昔に破綻している。
229 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 19:25:47 ID:kKbbP/nV
>>228 なんだこいつ?
仕事の話といい、こいつの話は根拠も何も無い、ただのこいつの願望を強弁してるだけじゃねぇか。
馬鹿に付ける薬はねぇな。おまえはおまえは終わっとる。議論にもならねぇ。
230 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 19:29:22 ID:kKbbP/nV
>>226 わしゃ死にとうないと、死に際にほざいた、この世に未練たらたらの一休を、
仏道の成就者だとするお前は、釈迦の仏教を何も理解していないな。
お前の迷いは、とてつもなく深いよ。
231 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 19:31:13 ID:kKbbP/nV
>>225 おまえ、精神病んでるよ。気付いてる?
お前自分で自分はまともだと思っている?
もしそうなら、気の毒な人だ。
232 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆rMNMPSLh1Y :2007/07/14(土) 19:55:18 ID:V08QUl0g
>>225 正宗より村雨のほうが好きです。
みていてなんともうっとりしてしまう刀ですな・・・。
233 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 20:17:09 ID:DIT6Gsqa
丸当たりだったようだなw 悪かったな。
234 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 21:16:29 ID:1yPZU3jU
>>225 アフォダラ氏、”底辺足切り壁蝨どもを連れて”と言われても、自分は単独行動してるんだが。
アフォダラ氏、監視員の役目果たせとらんね。
アフォダラ氏、なんでここにおるんかいの?
アフォダラ氏、これから「マチベン」見るから、以後、ちょっかい出さんで下さい。
>>232 戦国時代の刀は、美術的評価はさておいて
刀の使い勝手を考えたらイイ刀は多いですよ。
あくまでも実戦向きですが。
刀身が長いのは、あれは騎馬戦を想定したもんでしょうか?
平家物語に登場する武将は凄いですね。
人間というのは、あれほどの死生観をもてるのか?
また死に対する恐怖心とか、その苦痛とか、
まったく現代人には想像の域を超えてます。
室町時代の一休と、江戸期の白隠。
やはり時代的背景を無視する訳にはいかんですね。
では、おやすみ。
236 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 22:09:37 ID:4z3A5cTb
雑草繁茂の時節柄、草取りご苦労様です。
>>235 >平家物語に登場する武将は凄いですね。
私は両親とも清和源氏武田流です。(笑)
実戦向きなら同狸でしょうけど、実際刀による接近戦による戦(いくさ)は
ほとんどないんです。槍とか長刀とかですね。
槍で突っ込まれるとどんなに長い刀でも届かないですから。(笑)
238 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/14(土) 22:51:04 ID:nHeQhfli
> ID:O5Hcqe→ID:1yPZU3jU
>>1 参照。ゴミに交わればゴミとなる(蔑嗤)。
以上。
239 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/14(土) 22:57:45 ID:nHeQhfli
>>237 波木井源朝臣どの
出禁外道壁蝨へお構い無きやう願ひ申し候。
土御門源左府末孫より
240 :
神も仏も名無しさん :2007/07/14(土) 23:07:16 ID:DIT6Gsqa
そーゆーのは、信長の鉄砲連続発射で完全粉砕されたの。 武田の騎馬軍団ごときは、鎧袖一触! 人倫世界においては、戦略と新技術から革命が生れる。 精神オナニズムからではない。 墓場で、平家の落ち武者ども=無常パウダーをまぶした俗物執着魍魎と恨み話を して恋よ。 人類は、生まれ、苦しみ、そして死んだ。存在はこの一行でカタが尽く。
241 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆rMNMPSLh1Y :2007/07/14(土) 23:23:01 ID:V08QUl0g
>>237 武家の出で日蓮宗とは是如何に?
白隠は法華から禅に傾倒したけど、これには訳がある。
(父親の影響が大きかったんでしょうね)
親の影響というのは万人、大きいらしいから。
かくいう私もそうかもしれません。
盛者必衰の理をあらわす。
壇ノ浦合戦の平家の最期は見事でした。
生きて陵辱の恥ずかしめを受けず。
恥ずかしめを受けてしまったのが、ベルリン崩壊後のドイツ。
これは悲惨でした。→被害は甚大で、およそ全女性の半分が該当したらしい。
(ということは・・・高齢者は除くとして若い女はホボ全員ということになる)
日本でもこういうことがあったのです。
舞鶴港近くの海軍病院(現・国立病院)では堕胎手術の列をなしていた。
国敗れて山河あり。
かくも愚かなるは人間なり。
243 :
神も仏も名無しさん :2007/07/15(日) 08:12:06 ID:p6f/gDQi
可哀想な野良猫に餌をやる これ愛かな? 彼らは元気になってせっせと子孫を作る それも困るので玉を引きちぎったり子宮をえぐり取ったりする これ愛かな? 可哀想な貧民に食糧支援する これ愛かな? 彼らは元気になってせっせと子孫を作る それも困るので公衆便所にコンドームをばらまく これ愛かな? 可哀想な野良猫に餌をやる これ慈悲かな? 彼らは元気になってせっせと子孫を作る それも困るので玉を引きちぎったり子宮をえぐり取ったりする これ慈悲かな? 可哀想な貧民に食糧支援する これ慈悲かな?
>>243 そもそも愛とか慈悲というのは、
「餌をやる」とか「食料支援する」とかの“行為”の意味ではない。
カラスどのと共通した誤謬ですね。
佛教というのは、そもそも行動哲学ではない。
(陽明学は行動哲学です)
そこのところは明確な線引きをした方がいいですね。
でないと、かなり間違った解釈になる。
245 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/15(日) 13:18:53 ID:WgOh0w+q
>>244 おまえ、いつ俺が慈悲とは行為のことだ。なんて言った?
あぁ?お前人の言説の捏造はいい加減やめとけよ。
俺は、問われているのは、我々の、”心” の問題だと言っているんだよ。
生きとし生けるものは、皆、幸せであれという、慈しみの心が形成できたのなら、
目の前に困った人がいれば、助けてやるのは、必然だろ。
なぜ最高の境地に達した者は、生きとし生けるものは、皆、幸せであれと願うのか?
それは最高の境地に達した者は皆、「一」を悟るからだ。
目の前に殺人鬼が死に掛けていたとする。今助けてやればこの殺人鬼は助かるが、
助ければ、この殺人鬼は、また多くの人を殺すのは確実だとする。
ならば、「一」を悟る者は彼をどうすべきかを知るだろう。
私は、あなたであり、あなたは、私である。そして生きとし生けるものは私であり、一切は、私なのである。
彼を愛を持って、見殺しにするのも、また慈悲の心なのである。
だが多くの者は、憎しみを持って彼を見殺しにするだろう。そこが覚者と、凡夫との大きな違いなのである。
行為だけで見れば、両者ともこの殺人鬼を見殺しにしたと、同じものだが、
心のありようは、全く違うものである。問われているのは、我々の心のありようなのだ。
しかし末法仏教者たちは
>>243 の書き込みを見てもどうしようもないよな。
なにが善い事で、なにが悪いことかも、一から教えてやらんと、自分では判断できない。まるで子供だな。
>>243 の書き込みなど、子供の屁理屈レベルだ。こいつらは終わっとる。
246 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/15(日) 13:28:26 ID:WgOh0w+q
>>239 アホウ陀羅經よ、あいも変わらず下層だの自分達は上級だの、
自分の気に入らない者は来るなだの、相手を好き嫌いで、区別、差別するのが
お好きなようで。おまえは釈迦の仏教をこれっぽっちも理解しとらん。
おまえにとって仏教は、おまえの変なインテリジェンスを満足させるためだけのものだ。
つまりおまえにとって仏教は、お前のエゴを満足させるツールにしかすぎない。
お前は釈迦の仏教を得意げに語っているつもりが、釈迦の仏教とは対極にいるものと知れ。
おまえは、お前のそのエゴをどうにかしない限り、釈迦の仏教は無理だよ。
B
239 名前:阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/14(土) 22:57:45 ID:nHeQhfli
>>237 波木井源朝臣どの
出禁外道壁蝨へお構い無きやう願ひ申し候。
土御門源左府末孫より
248 :
神も仏も名無しさん :2007/07/15(日) 13:54:51 ID:p6f/gDQi
死にかけている普通の人は助けて、 死にかけている殺人鬼は見殺しにする それ「慈悲」なの?
249 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/15(日) 14:05:58 ID:WgOh0w+q
>>248 子供の屁理屈に付き合うつもりは無いのであしからず。
俺は言った。「一」を悟る者はなにが善で、なにが悪かを知るとね。
人を殺す者は、自分自身を殺している。普通の人は、人を殺さない。
「一」を悟れば、なにが平等かを知る。
250 :
素人 :2007/07/15(日) 14:12:24 ID:TRQlGp2D
251 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/15(日) 14:23:27 ID:WgOh0w+q
>>250 彼らは根本的なところで誤謬している。
この世に善悪は無いのではなく、善悪があるからこの世なのだよ。
252 :
神も仏も名無しさん :2007/07/15(日) 14:34:04 ID:p6f/gDQi
死にかけの殺人鬼が考えています @「殺人はもうこりごりだ、もし生き残れれば真面目に生きていこう。」 A「死ぬわけにはいかぬ。もう一人殺しておかなければならない人物がいるからな。」 慈悲ある人は@を助け、Aを見殺しにするのですか? どうやって見分けるのですか? そうこう考えているうちに死んでしまったらどうするのですか?
>>245 >生きとし生けるものは、皆、幸せであれという、慈しみの心が形成できたのなら、
>目の前に困った人がいれば、助けてやるのは、必然だろ。
「助けてやるのは、必然」ならば、それに作為(利他)はいらんのです。
花に集まる蝶に作為はない。
自然無為(じねんむい)なるものです。
この自然無為を、いわゆる仏性などと言うたりしますが、
仏性それ自体に意味はない。
自他というのは共存関係(俗諦)です。
花と蝶の関係と考えたらいい。
互いに関係しあうことに「救済の差別はない」。
禅者は、かように考えております。
254 :
神も仏も名無しさん :2007/07/15(日) 15:10:36 ID:p6f/gDQi
@死にかけの殺人鬼「殺人はもうこりごりだ、もし生き残れれば真面目に生きていこう。」 A死にかけの殺人鬼「死ぬわけにはいかぬ。もう一人殺しておかなければならない人物がいるからな。」 B死にかけのマザー・テレサ 机さんは@ABのうち、どの人を助けどの人を見殺しにするのですか?
>>254 三者に差異はあらざるなり。
平等一枚にて、ただただ慈しむだけです。
どのような介助が必要か?は、
万人共通にして、その場において全力を尽くすのみです。
(即今即所とか言うんですね、こういうを)
結果的に介助も虚しく逝ってしまった御仁は、
それは別にかまわんです。
まあ、TPOにおいて最善を尽くすのであれば、
それが慈悲ですね。
(今、なにをなすべきか?が肝要です)
256 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/15(日) 15:25:03 ID:ntduoprj
>ID:p6f/gDQi
>>1 参照。足切り外道壁蝨どもを引き連れ厨房隔離スレor質問箱へ。スレ違いの汚穢撒布を禁ず。
以上。
死にかけの一休が後世に残したメッセージ(遺偈)は、→(死にとうない) 「君達は、どんなことになっても逝き抜きなさい」。 と、おっさっておるのですね。 これは、池田昌子とか正岡子規にも通じております。 これからも、一休の遺偈は後世に継承されて逝くかと思いますね。 こういった存在(一休)それ自体を菩薩などと言うのです。 (一休に作為はなくとも、菩薩は衆生を導くわけです)
258 :
神も仏も名無しさん :2007/07/15(日) 15:35:45 ID:p6f/gDQi
アホだらさん 原始仏教って、こういう素朴なこと考えたらダメなのですか? 難しい漢字を覚えるのが原始仏教なのですか?
259 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/15(日) 15:38:55 ID:ntduoprj
論点先取等のいわゆる虚偽誤謬の否定却下は、原始佛教思想の構成要件であり大前提。
260 :
神も仏も名無しさん :2007/07/15(日) 15:41:12 ID:p6f/gDQi
>>258 論理学の素養のない人間は原始仏教をやっちゃいけないんだよw
まだわからない?w
また、教義・理論以外の部分は原始仏教じゃないんだよw
実生活とは無縁な所で理論構築されるものが原始仏教なんだよw
まだわからない?w
262 :
素人 :2007/07/15(日) 15:54:56 ID:TRQlGp2D
ま↑は冗談にしても、
>>258 阿呆陀羅氏は、どんなことにも入口があるということを忘れてるんだよ。
自分にも入口(=素朴な疑問)があったであろうことを忘れているんだよ。
大目に見てやってくれw
263 :
神も仏も名無しさん :2007/07/15(日) 15:57:53 ID:p6f/gDQi
論点先取ではありませんよ 虚偽誤謬であるなら原始仏典を根拠にして下さいよ カラスさんは殺人鬼は見殺しにするべきだと 机さんは殺人鬼であっても全力を尽くして介助するべきだと あなたは見なかったことにするのですか?
264 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/15(日) 16:04:24 ID:ntduoprj
抜け落ちて 穴のみ残る歯茎にて 喰ひつく性をいかにとはせむ 初手さへも 謬りけるを差し置きて 人に絡めるわざの愚かさ
265 :
神も仏も名無しさん :2007/07/15(日) 16:14:22 ID:p6f/gDQi
>>264 その川柳は何という原始佛典にあるのですか?
266 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/15(日) 16:15:29 ID:ntduoprj
267 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/15(日) 16:17:22 ID:ntduoprj
ほう、“川柳”ねえ・・・、これはしたり(失笑)。
268 :
神も仏も名無しさん :2007/07/15(日) 16:22:53 ID:p6f/gDQi
『原始佛教 その25』は1 :阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQの自己満足のための、 1 :阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQの自己満足による、 1 :阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQの自己満足のための、スレなのですか?
269 :
素人 :2007/07/15(日) 16:34:39 ID:TRQlGp2D
>>268 30 神も仏も名無しさん sage New! 2007/07/01(日) 13:32:22 ID:l8r8Uk2L
>>28 ここは、面接会場なんですよ。
ここでお眼鏡に適った者は、某所への参加を薦められる(或いは許される)のです。
ここは、その人の書き込みによって、
某所での議論に参加できるかどうか(ふさわしいかどうか)を判別する場所なのです。
より緻密な教義理解へ向けて、スキルのある人材の選別の場所なのです。
だから私は「どこかの企業の面接会場に乱入し、冷やかしまくる迷惑なゴロツキ」なんですよw
>>260 >@AB全員助けるんですね!
花咲く季節に、また蛹(さなぎ)も成虫になるのです。
この出会いはまた別れでもあるわけです。
大事にしとう御座いまふ。一期一会
貴方と私。男と女。
殺人鬼と私。いろんな出会いがありまふ。
出会いに差異はありませぬ。
271 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/15(日) 16:38:24 ID:ntduoprj
謬りを 冷やかしと思ふ基地外は 松の沢にぞ入りにけるかな
272 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/15(日) 16:41:23 ID:WgOh0w+q
>>263 お前の言い回しは、皆に誤解を与える。
俺が見殺しにしたと言う殺人鬼は、
>助ければ、この殺人鬼は、また多くの人を殺すのは確実だとする。
というケースのことだ。なぜわざわざ、
>助ければ、この殺人鬼は、また多くの人を殺すのは確実だとする。
という注釈を入れたんだと思ってるんだ。
彼を改心させ、悔い改めさせるだけの徳のある人が接する機会があるのなら、この限りではない。
いずれにせよ、人の書いた文章の文意を汲み取らず(馬鹿だから理解できんのかも知らんが)
揚げ足取りのような、屁理屈返しは、感心しないな。文意を汲み取らず(理解せず)揚げ足しか取らないのは、
愚者のすることだ。
273 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/15(日) 16:44:14 ID:WgOh0w+q
>>271 お前に一つ聞いてやろう。釈迦はいつ、形而上のことを否定したんだい?
なぁ、断見仏教のおたく。答えてくれよ。
しかしおまえ、どんな面してんだろうな。
>より緻密な教義理解へ向けて、スキルのある人材の選別の場所なのです。 まあ、そういうことらしいですね。 だけど私が言うておきたいことは、 佛教を自己満の道具に使うところに氏の佛教理解がいまひとつの要因になってますね。 あくまでも佛教は内省(内証)が伴はねば、その奥義には至らんわけです。 これはアホ氏へのメッセージとしての私のコメントですが、 一般論としてご理解されたし。
275 :
神も仏も名無しさん :2007/07/15(日) 16:59:06 ID:p6f/gDQi
『原始佛教 その25』というスレタイがあれだな 当然のように原始佛教に魅了された人々が集まってくる ちょっと読んでみたけど、1 :阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ さんの言動は原始佛教とまったく関係ないよね? スレタイ紛らわしいんだよ できれば次スレは『阿呆陀羅經教 その26』にしてくれませんか?
>>272 >俺が見殺しにしたと言う殺人鬼は、
貴殿の書き込みは、俺(カラス自身)は善人である。
という前提条件がありますね。
善人が、相手を判断する。
そして善悪を決め。決めた判断において行動する。
カラス氏は裁定者であり、なんらその裁定は過ちはない。
とかの心象が表れております。
私は、裁定するほどの善人である。というのは自信がありません。
(むしろ悪人である可能性が高い)
まあ、そこが禅者との違いですね。
277 :
神も仏も名無しさん :2007/07/15(日) 17:23:22 ID:p6f/gDQi
私は初心者ですが、お釈迦様は殺人鬼アングリマーラを助けたんでしょ? それはアングリマーラが改心したからではなく、お釈迦様に出会えたから改心したんではないですか? 私が1 :阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ さんに生で出会ったなら、私は殺人鬼ではありませんが、殺意をもよおすかもしれません 冗談ですが…
278 :
素人 :2007/07/15(日) 17:33:25 ID:TRQlGp2D
>>270 机さん、一なる世界を、一なる世界の言葉で、一なる世界を示すために語ることも有意義ですが、
違った言説が必要な場合もあるのでは? (そこを皆さんツッコんでいるのでは?)
だから、「安悟りに腰を据えるな」とか「百尺竿頭に歩を進めよ」とか言われるし、
十牛図では「入てん垂手」が言われたりもする。
「飯が済んだら食器を洗え」とか言われたりする。
最近は一休宗純をよく引き合いに出されますが、
彼は、世俗にどっぷりつかり、世俗の言葉で世俗を描写している。
勿論、悟りという見えないウェットスーツを身に付けて・・・w
対して貴方は、(好意的に過大評価してw)ウェットスーツを身に付けていたとしても、
世俗を臨むプールサイドから、外の言葉での観察描写しかしていない、ということです。
その意味で、(まるでウェットスーツを未装備のようなw)親鸞の生き様には男気が感じられます。
体温が感じられます。貴方(の言辞)には、阿呆陀羅氏同様、それが感じられないのですよ・・。
279 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/15(日) 17:36:38 ID:WgOh0w+q
>>276 また揚げ足取りが来た。
俺が、
>>272 で、俺がと言ったのは、
>>245 の文章は、俺が書いたと言う意味での俺だ。だ。
>>245 の文意は、覚者と、凡夫の心のありようの違いを述べたんだよ。盲人のお前は文意を汲み取らず、
あいも変わらず、揚げ足取りと、屁理屈返しばかりだな。
最低も糞も、このまま生かしておいたら、”確実に” この人殺しは、また多くの人を殺すだろうという場面を
想定している話だ。
>貴殿の書き込みは、俺(カラス自身)は善人である。
>という前提条件がありますね。
この文言を見るだけでも、こいつは俺の言うことを、これっぽっちも理解していない。
この世に生まれる者は、善人など誰もいない。ただの一人もいない。
ところでおまえ、屁理屈ばかり述べて、思考上の産物でしかない、能書きをあれ彼考えるのはそんなに楽しいかい?
お前の話は、ただの詭弁、屁理屈でしかない、実の無い、虚偽論だということに、いつになったら気付くんだい?
>>278 >貴方(の言辞)には、阿呆陀羅氏同様、それが感じられないのですよ・・。
体温が感じられるか?そうじゃないか?は、
すべて己自身の心象を反映したものです。
私は、白隠にはあまり体温は感じられない。
一休に高温を感じるのです。
それはあくまでも、私自身の“生きザマ”を反映したに過ぎない。
共鳴しあうかどうか?
これは個人差があります。
フィーリングなどと言いいますね。
それに近いもんです。
一休などは個性が強いですから、評価も幅があるのは当然です。→妖刀・村正?
白隠は万人向きです。→名刀・正宗?
>>279 >最低も糞も、このまま生かしておいたら、”確実に”
>この人殺しは、また多くの人を殺すだろうという場面を
>想定している話だ。
不去不来で、禅者はあまりこういう想定はしないのですよ。
だから世間的には愚鈍という評価が一般的です。
智恵が、必ずしも世間的評価と合体する訳ではない。
世間的価値基準自体が、そもそも論理の構築にはなってないわけです。
例えば「時間経過」という語句にしても、
その語句自体には矛盾性がある。
あえて矛盾において論理の整合性を求めるのが俗諦です。
282 :
素人 :2007/07/15(日) 18:09:17 ID:TRQlGp2D
>>280 なぜ、そのようなレスを
>>260 (その他)に返さず、
>>270 のような返しをするのです?
カラスが突いているのは、まさにそこなのに・・・w
仏の視線は仏の視線でいい。 が、それがそのまま、万事に通用するわけではない。
そこには、個々別々の具体的働きがなければならない。
(勿論、今まで挙がったものは、事例としての思考実験でしかないわけで、実際の場合と同列にはならないが・・w)
たとえば、
「人類みな兄弟」なんてスローガンは、尤もだし正論だし目指されるべきことだろう。
が、それが、どう現実社会に生きてくるのか、そのスローガンを胸に抱きつつ為されるべき行為は何か?
仏教の根本義についても同じで、こうしたベクトル無しに仏教はあり得ない。
声高に理念を叫ぶことは容易い。
重要なのは、それが、世俗の具体的行為にどのように反映されたらよいのか?ということだ。
とまぁ、自戒も込めてチラ裏に一区切り・・w
>>282 >重要なのは、それが、世俗の具体的行為にどのように反映されたらよいのか?ということだ。
>>270 →これが真諦です。→無分別
>>280 →これが俗諦です。→分別
この「無分別の分別」が、貴殿が問うておる「世俗の具体的行為」に該当しますね。
般若心経の「空即是色」の部分です。
>カラスが突いているのは、まさにそこなのに・・・w
カラスは、空即是色には未達ですね。
だから突きようがないんです。
(私は一所懸命に説明しておる段階です)
284 :
素人 :2007/07/15(日) 18:32:35 ID:TRQlGp2D
>>283 だから愚かだと突っ込まれるんですよw
>>280 は
>>260 と何の関係もない。勿論
>>270 とも関係がない。
>>270 を、
>>260 の文脈で、世俗に(思考実験内に於ける具体性に)引き下ろして初めて、
(貴方の言う)俗諦・真諦、分別・無分別という対比が成立する。
貴方の謂いは、
南の地区での栽培法を問われて、東地区の雨乞い祭について述べているようなものです。
意味解りますか?
(あぁ・・、沙門果経を思い出してしまったw)
285 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/15(日) 18:34:34 ID:WgOh0w+q
>>283 >カラスは、空即是色には未達ですね。
俺はわかっているんだよ。
お前たちがわかっていないだけ。
なぜならお前の能書きは、どこまでいっても、実の無い、単なる言葉遊びだってことに気付かねぇ?
おまえ、本当に頭悪いな。
>>284 >世俗に(思考実験内に於ける具体性に)引き下ろして
具体性は
>>255 に書いてありますね。
>万人共通にして、その場において全力を尽くすのみです。
>貴方の謂いは、
>南の地区での栽培法を問われて、東地区の雨乞い祭について述べているようなものです。
>意味解りますか?
即今即所というのは、空間的および時間的関連の脈絡はない。
語義のとおりでして、
「今の状況」だけです。
>>285 >俺はわかっているんだよ。
そうでしたか、それはすまんです^_^;
288 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/15(日) 19:02:52 ID:WgOh0w+q
>>287 俺は内側と外側の話をしている。
それは見方を変えれば、形而上の話になるが、見方を変えれば、
決して形而上の話ではなく、形而下の話になる。
なぜなら、外側も、内側も切手も切れないものだからだ。
俺は、外側に向いた我々の子宮を、どうすれば内側に向け、内側に向いたらどうなるかの話をしている。
まさに、一即多であり、多即一である。外側に向いた子宮を色即是空。内側に向いた子宮を、空即是色。
内側と、外側。どちらも切っても切れない関係である。
289 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/15(日) 19:03:45 ID:WgOh0w+q
>>287 お前のは、実の無い、ただの言葉遊びだよな。
そこんとこわかってんの?
290 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/15(日) 20:14:13 ID:ntduoprj
>All
>>1 参照。
このスレは門前払い、足切り処理済みの外道・低能壁蝨どもの矯正機関に非ず。
尚、人語すらまともに操れず無知蒙昧に居直る基地外壁蝨どもの、学習能力乃至意欲の根本的欠損やその
帰趨についても当方は一切関知しない。
謬りと うそいつはりを山と積む 人の言の葉知らぬ素人
カラス先生は、 観念唯物似非インド思想仏教オタクに、言いいたいのでしょうね。 @己自身を知れ@と。 日本の仏教オタクは、 「西洋の神秘思想、秘儀、霊的思想の源流は、インド、中東、ギリシャにある。」 ということがわからないのでしょう。
292 :
神も仏も名無しさん :2007/07/15(日) 23:08:38 ID:1Li1X6tt
>西洋の神秘思想、秘儀、霊的思想の源流 =ゴミ
293 :
神も仏も名無しさん :2007/07/15(日) 23:10:06 ID:1Li1X6tt
× 西洋の神秘思想、秘儀、霊的思想の源流 〇 西洋の神秘思想、秘儀、霊的思想
294 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/15(日) 23:44:45 ID:ntduoprj
>神秘思想、秘儀、霊的思想 ( ´_ゝ`) So what?
295 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/16(月) 02:08:57 ID:BaHRYt7f
>>290 基地外はお前じゃねぇの。
お前のここ、掲示板上の行動、言動は、まともだと思ってるわけ?
外道はお前たちのほうだし。もう一度してやろうか?六師外道の話。
ま、おまえらのことだから、お得意の曲解で、自分たちは外道ではない。なんて結論を
”無理やり” 強弁するんだろうがな。なにせお前らにかかれば、
仏典に出てくる、来世とは、今生における、未来になるわけだから(失笑)
おまえらは佛教を捨てたほうがいいよ。お前らの信じる佛教は、まるで意味が無いから。
糞の役にも立たない。そんなことも気付かねぇ?おまえら、自称、頭いいんだろ(失笑)
己の邪見に恐ろしく執着しているおまえらに、付ける薬は無いな。ご愁傷様。
カラスさん。ありがとう。 deskさんがああいうことを本気で思ってるとは 私には 思えなくて。みてました。 例えば 手術で命を救われた患者がドクターと手をとりあって 涙流して感謝している、そのそばのベッドで deskさんが 「互いに関係しあうことに「救済の差別はない」。・・・ これを「無分別の分別」と言いまして、智恵の完成です。」 なんて言ってる場面思うとなんだか可笑しいでしょ。 例えば deskさんの家族が今度の台風とかで災害にあい レスキューに救助され、そのレスキュー隊員に 「「助けてやるのは、必然」ならば、それに(利他)はいらんのです。 自他というのは共存関係(俗諦)です。 」 レスキュー隊員、 ポカーン。
>>296 ドクターとかレスキュー隊員とかは、俗世間的観点ならば充分に役立っているでしょ?
行者というのは、俗世間的観点からすると役立たずなんですよ。
役立たずの人間である。
という現実を先ず直視すべきですね。
(佛教の原点は、まさにここにある)
自分は「悟り」を目指したとしても、その過程で現実に直面したとき
そこに大きな壁が塞がる。
(十牛図においても、この過程は必ずある訳です)
そういう自らへの疑を打破してこそ佛教本懐義に至るのですから。
まあ、貴殿は今大きな壁に直面している訳なんですが、
その壁は非常に大事なもんです。
百尺竿頭の先端まで到達したんですから、
ここからは貴殿の力量です。
どうかその関を越えてください。
暁はすでに眼の前に顕現してるんですから。
<desk dragon・花王>
298 :
神も仏も名無しさん :2007/07/16(月) 08:19:05 ID:IEff2tgU
>>297 俗世間的観点からは役立つ?
俗世間的ではない観点とはなんぞや?
役立たずの人間であると言う現実とはなんぞや?
初歩の初歩、基本の基本の質問で申し訳ないが、
あなたの言う仏教の原点、仏教の佛教本懐義とはなんぞや?
299 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/16(月) 09:35:00 ID:oe1w+xsg
( ´_ゝ`)壁蝨外道 愚昧妄語の止まらず 恥万劫に晒しつるかな
300 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/16(月) 09:42:49 ID:oe1w+xsg
>>141 「一本の葦」ではなく、いわば衆縁和合した「葦束」をもってくるあたり、我論我見の侵入をあらかじめ
塞ぐ意図が看取出来そうです。秀逸な譬喩と思います。
>>298 >俗世間的観点からは役立つ?
倫理的に認知される最大公約数的コンセンサス。→俗世間的価値観
>俗世間的ではない観点とはなんぞや?
>役立たずの人間であると言う現実とはなんぞや?
佛教のテーゼは「四苦→四諦」ですから、→自己問題の解決
上記、俗世間的価値観にはそぐわない。
>初歩の初歩、基本の基本の質問で申し訳ないが
いえいえ、そういう基本的なことこそ大事なんですよ。
>あなたの言う仏教の原点、仏教の佛教本懐義とはなんぞや?
初歩の初歩、基本の基本のことです。
302 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/16(月) 14:14:54 ID:BaHRYt7f
>>297 >行者というのは、俗世間的観点からすると役立たずなんですよ。
間違いです。
釈迦も功徳はいろいろあれど、法を説く。これほどの功徳はないと言っています。
私はこの意味はよくわかりますね。
逆にあなtなのように、邪見を、皆に言いふらすのはその対極にあり、もっとも罪深いものでしょう。
>>302 >釈迦も功徳はいろいろあれど、法を説く。これほどの功徳はないと言っています。
これは方便というもんですね。
>私はこの意味はよくわかりますね。
そうでしたか><
>逆にあなtなのように、邪見を、皆に言いふらすのはその対極にあり、もっとも罪深いものでしょう。
おそれ入ります。
また、時間ができましたら詳細を書かせて頂きまふ^_^;
304 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/16(月) 15:17:36 ID:BaHRYt7f
>>303 >これは方便というもんですね。
どう方便なのか、聞かせてもらおうじゃないか。
なんでも自説に合わない釈迦の言説は、すべて方便などと詭弁でごまかすなよ。
なにせお前らにかかれば、八正道すら、方便にされてしまうものな。
>>304 >どう方便なのか、聞かせてもらおうじゃないか。
そういうことは、私は既に
>>301 に書いたとおりです。
>佛教のテーゼは「四苦→四諦」ですから、
つまり、釈尊の出家の動機というのは四苦の解明に尽きるわけです。
四苦の解明と、功徳語義になんら脈絡的関係性はないのは自明です。
衆生を導く為には方便は必要です。
しかしながら、この方便も彼岸までのこと。
彼岸到達のあかつきには、もはやその手段(方便)はいらんのです。
理由は
>四苦の解明と、功徳語義になんら脈絡的関係性はない
の、とおりです。
306 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/16(月) 16:34:57 ID:BaHRYt7f
>>305 お前の理論だと、方便以前に、功徳というものすら、迷いであり、
苦の原因になる。ならば最初から語るほうがおかしい。
もろもろの悪をなすことなく。もろもろの善をなし。みずからの心を清澄にすること。
これが諸仏の教えである。と、七仏通戒偈の教えを説くこと自体間違っている。釈迦は池沼ですか?
>「四苦→四諦」ですから
ブー。間違いです。ちゅうかおまえ、四諦の意味わかって言ってんの?
禅宗のお前は、八正道も、四諦の真理も、佛教にはそういう教えがあるということを知ったのは、
比較的最近だよな。おまえの四諦の意味を言ってみろよ。
おまえ、さいきんはデーゼ、デーゼとうるさいが、やたらしょうもない横文字使いたがっているね。
必要以上にしょうもない横文字つかっていると、とても頭悪そうにみえるから、やめたほうがいいと思うよ。
意味不明な常用外の漢字を書き連ねて悦にはいっている、ここのアホウの対抗意識かも知らんけど(苦笑)
>>306 ちょいと、おまえさん。
机が禅宗だなんて言いがかりはやめておくれよ。
こやつは禅宗カブレなだけで、正当な禅宗とはまったく関係ないよ。
基地外だから相手にしないだけ。
>>306 >おまえの四諦の意味を言ってみろよ。
四苦解消のマニュアルですね。→苦集滅道
あくまでもマニュアルです。
彼岸到達のあかつきには、このマニュアルさえもいらんですね。→無苦集滅道
>必要以上にしょうもない横文字つかっていると、とても頭悪そうにみえるから、やめたほうがいいと思うよ。
頭の悪い人には横文字は便利なんですよ。
わたしは最近そいうことが分かってきたのです。
つまり横文字ひとつが広義に使える。
テーゼもそうです。
いろんな意味に使えるのです。
私みたいな漢字を不得意とする人間は、横文字は便利です。
>>307 >こやつは禅宗カブレなだけで、正当な禅宗とはまったく関係ないよ。
貴殿がいう「正当な禅宗」というのは、何処までを言うのですか?
達磨菩提が始祖として・・・
六祖までか?
六祖以降の正当を継承してるのは誰か?
310 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/16(月) 17:38:40 ID:oe1w+xsg
>>310 佛教と全く関係無い話をしているのはあなたのほうではないですか。
わざわざ難しい漢字を使うことや、パーリ語を学ぶのが、佛教ではありませんよ。
312 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/16(月) 18:22:55 ID:oe1w+xsg
>>290 も参照のこと。無知蒙昧文盲の牢獄に立て籠もる池沼もお呼びでない。
さしずめ、「三年ロムれカス」、「ググれカス」といったところ(失笑)。
313 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/16(月) 18:58:33 ID:BaHRYt7f
>>308 だから四諦の言う苦とは何のことだ?
そしてその苦を滅するには、なにを滅するということだと聞いてるんだよ。
なにが彼岸にわたれば八正道など必要ないだ。
おまえ、この世の生存がある限り、そのマニュアルは必要なんだよ。彼岸にわたった者が
初めて、マニュアルなど必要ないなどとほざくものだ。
お前のいっていることのおかしさは、この世の生存を断続中であっても、彼岸に達した者は
マニュアルなどいらないなどとほざいていることなんだよ。こんなことを言っている限り、
おまえは四諦を理解していないと言っているんだよ。
釈迦も言っているだろう。この世で最高の境地に達した者は、怠ることなく、常に四無量心の心を
持ち続けるように、勤め励みなさいとな。おまえスッタニパータも読んだことないの?
お前の経典は、釈迦の入滅後、随分後に作られた、般若心経だけか。
一休など釈迦の佛教をまるで理解していない、ただの破戒坊主だ。
その破戒坊主に過ぎない一休を、あれこれ屁理屈を捏ね回して、悟った者に仕立て上げる禅宗は、
どうしようもないな。君らの迷いは、とてつもなく深いよ。
悔しかったら、最初の問いに答えてみな。
苦とはなにか?苦を滅すると言うのは、なにを滅すると言うのか?答えてみろ。
315 :
松 :2007/07/16(月) 19:21:29 ID:qodpEovd
ひかりの輪のカラス、最近は上祐のミクシィの方はどうなったんだよ。 やっぱりむこうでも信者が来ないから、こっちに出戻りか。 どうせならこのスレの全員を招待したらどうだ。
>>313 >だから四諦の言う苦とは何のことだ?
苦というのが分からんですか?
>そしてその苦を滅するには、なにを滅するということだと聞いてるんだよ。
分からんもんを滅しようがない。
つまり、苦と認識する(苦諦)ことに全ての原点がある訳で、
認識することに原因がある(思考システムの解明→集諦)
その原因の寂滅(滅諦)。
そのトータルとしてのマニュアル(道諦)。
>なにが彼岸にわたれば八正道など必要ないだ。
彼岸において八正道は開眼する。
>苦とはなにか?苦を滅すると言うのは、なにを滅すると言うのか?答えてみろ。
苦が分からんのでしたら、それは最初から悟っている訳で佛教とは無縁になる。
まあ、たまに苦を感じない人もおるだろう?
317 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/16(月) 19:58:00 ID:BaHRYt7f
>>316 お前は佛教落第だな。
苦とは、とどのつまり、この世の生存の事を言っているんだよ。
ここまで言えば俺の言わんとすることを理解できるだろう。お前は屁理屈で脳内が凝り固まっているから
理解しないだろうがな。
般若心経ばかり読んでいないで、たまには原始経典でも読んでみれば?
本代がもったいないってか?だから自分は本はあまり買わないといっていたよな?(苦笑)
それも金銭欲に対する執着だよ、たわけ。
318 :
松 :2007/07/16(月) 20:09:24 ID:qodpEovd
カラスも大分妄想が激しくなったな。 これがもとオウム真理教、現ひかりの輪の洗脳の恐ろしさだろう。 なにせ教祖の松本が留置所で大小便垂れ流しらしいからな。 弟子のカラスは妄想垂れ流しか。
319 :
神も仏も名無しさん :2007/07/16(月) 21:07:22 ID:xrxFY/yM
カラスの今の状態を『苦』という。
320 :
神も仏も名無しさん :2007/07/16(月) 21:17:58 ID:xrxFY/yM
人は、生まれ、苦しみ、そして死んだ。 ひとは、そう想っている。 しかし、『本来』は過去も未来も、生も死もない。 時間も空間もない。 それに気ずき自得行動することが、苦しみの終わりであり、涅槃寂静である。 俗物的な生活レベルの変動ごときで当り散らさぬ方がいい。
321 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/16(月) 22:13:24 ID:oe1w+xsg
死ぬまでお白洲の嗤い物のID:L9Pf+ogiの如き、絶命・落命王類の出入りを禁ず(冷笑)。
322 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/16(月) 22:48:50 ID:oe1w+xsg
>>318 > これがもとオウム真理教、現ひかりの輪の洗脳の恐ろしさだろう。
思考様式の前提そのものを破棄消去しなければ、結局元の木阿弥となってしまう(苦笑)。
> なにせ教祖の松本が留置所で大小便垂れ流しらしいからな。
留置所ではなく拘置所。いっそ終身ネット中継見世物の刑にして、バカ信者や野次馬から高額の見物料を
取って被害者救済に回し、余りを癡頭夫の食い扶持に宛てればよい。アクセスからシンパやらを割り出せ、
思想調査ひいては治安対策にも利用できて一石二鳥。それから徐に残党狩りを始めればいいのだ(嗤)。
先頃、「釈尊の常見」解釈について述べましたが、今回、「釈尊の断見」とも取れる経文を 見つけたので、それに対する解釈を述べようと思います。 相応部の蘊相応(22. Khandha-saMyutta)にある 22-55 udAnaM〔対応漢訳は雑阿含3(6)〕と 22-81 pArileyya〔雑阿含2(25) 〕にほぼ同文があり、前者で仏説、後者で断見とされていま す。つまり、「仏説が断見」ということになります。他での記述を参照するに、勿論そうい うことはないのですが、これは検討しておくべきだと思います。 55. no cassaM no ca me siyA, na bhavissati na me bhavissatIti. 'It should not be, it should not occur to me;1 it will not be, it will not occur to me':2 ←上に引用したパーリ文はここまで a monk set on this would break the [five] lower fetters. 1. I.e., "should not be mine." 2. I.e., "will not be mine." 法無有吾我、亦復無我所 我既非當有、我所何由生 比丘解脱此、則斷下分結 81. no cassaM no ca me siyA, na bhavissAmi na me bhavissatIti. 'I would not be, neither would there be what is mine. I will not be, neither will there be what is mine.' ←同上 This annihilationist view is a fabrication. 復作斷見壞有見 時間がないので今日は資料提示に止め、2、3日後にパーリ文を丁寧に読んで、どう解釈し たものか見解を述べたいと思います。
324 :
320 :2007/07/17(火) 07:23:30 ID:KrnkyU5Q
>>320 (続き)
カラスよ、俗物的な生活レベルの変動への不安・不満ごときで当り散らさぬ方がいい。
『苦しみ』という感情も本来はないのだ。
全ての存在は「縁起」によって生じ、現象しているように想えるにすぎない。
そういった想い(サンスカーラ)は、無明煩悩を因として縁によって起っている。
ゆえに、−
莫妄想。
なんであれなにものも執着されるべきでない−'Sabbe dhamma nalam abhinivesaya.'
>>317 >苦とは、とどのつまり、この世の生存の事を言っているんだよ。
これがそもそも誤謬です。
>>苦と認識する(苦諦)ことに全ての原点がある訳で、
>>316 参照
「生存」という形態を即“苦である”という、
人の思考システムがそもそも欠陥なのです。→論理の矛盾性
>ここまで言えば俺の言わんとすることを理解できるだろう。お前は屁理屈で脳内が凝り固まっているから
理解しないだろうがな。
私は、ある程度は理解しております。
>般若心経ばかり読んでいないで、たまには原始経典でも読んでみれば?
>本代がもったいないってか?だから自分は本はあまり買わないといっていたよな?(苦笑)
本は基本的には買わない。ゴミになるだけ。
私の書斎は図書館です。
書斎にない著書は、県立図書館へリクエストできます。
県立図書館にない場合は、最終的に国立国会図書館で全ての著書は取り寄せできます。
私の経験では、大体が県立図書館に揃ってます。
国立まで逝ったことはありませんですね。
(試しにリクエストしてみてください)
>それも金銭欲に対する執着だよ、たわけ。
本に執着がないだけです。
>>324 >『苦しみ』という感情も本来はないのだ。
横からすまん。
これを正しく言うならば、ある事象(現象)自体には苦しみも喜びもない。
あるとすれば、その事象(現象)に対して各人の中に「苦しみ」の感情(反応)が起こると
いうことだ。
それは、自己保存のために起こるからである。
>>324 サンスカーラを想いという意味で使う用例なんてありましたっけ?
>>324 なにが本来苦しみの感情などないだ。
おまえ一回木刀でしばきまわしてやっから、面出せ!
文句言うんじゃねぇぞ。おまえに言わせると、本来苦るしみの感情などないんだろうからよ(苦笑)。
結局おまえらの仏教は糞の役にも立たん、たんなる精神論のレベルなんだよ。
ちょっと頭が良い人なら、こいつらがいかに馬鹿馬鹿しい言葉遊びで悦にはいっているか、
すぐに気付くってもんだ。
329 :
320 :2007/07/17(火) 13:52:27 ID:KrnkyU5Q
>>328 俺を木刀でなぐって、カラスが苦しみから脱却できるなら、殴っていいよ。
俺の左手の木刀を受け取れよ。
,. -ー冖'⌒'ー-、
,ノ \
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、
/プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く /,ミ=/
ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 /
/ _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ 〃 /
,/ └' ノ \ こ¨` ノ{ー--、〃__/
人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\
存在は現在瞬間にしかない。
>>329 サンスカーラといい刹那滅といい、半端な知識ですね。
331 :
神も仏も名無しさん :2007/07/17(火) 14:35:31 ID:06iY7KuU
>>329 >存在は現在瞬間にしかない。
ほう、随分と難しいこというじゃないか?
この言葉(文章)の意味を、もうちと詳しく説明してくれないか?
332 :
神も仏も名無しさん :2007/07/17(火) 14:46:40 ID:06iY7KuU
>>329 関係ないが、絵うまいな。
しかし、今時、左門豊作はないだろう。
竹刀ではなく、バットだったら完璧だな。
>関係ないが、絵うまいな。 オリジナルでしたか? >しかし、今時、左門豊作はないだろう。 アキバ系オタクキャラかと思ってました。 なるほど、左門でしたか? (よく似てる) >竹刀ではなく、バットだったら完璧だな。 キャラの背中にあるのは、リュックからはみ出たロリ画像(二次元)ポスター(ゲームの景品) かと思ってました。 まあ、これが先入観というもんなんでしょうね?
334 :
320 :2007/07/17(火) 18:21:32 ID:KrnkyU5Q
>>330 畏れ入ります。
>>331-
>>333 俺は、左門豊作でも電車男でもない。
俺は俺だ。左門はもっと下膨れだし、電車は俺のような味がない。
一切法無我
vayadhamma samkhara appamadena sampadetha
ものごとはうつろいゆく.怠ることなく修行を完成させなさい
⇒過去を悔いず、未来を憂いず、時間は歩み続ける現在瞬間のみ
<Mahaparinibbana-sutta>(長部経典第十六 大般涅槃経)
335 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/17(火) 18:42:46 ID:Pjf4fGTT
自然外道どもは御託並べる暇があれば、ビルの屋上からダイブするなり、特急電車へ飛び込むなり 率先して範を垂れればいい。 >『本来』は過去も未来も、生も死もない。 >時間も空間もない。 ならばいとも容易いことの筈(笑)。 「マグロ」の後始末が面倒だろうが、娑婆から基地外が一匹減るだけならみんなの喝采を浴びることだろうよ(嗤笑)。
>>334 >⇒過去を悔いず、未来を憂いず、時間は歩み続ける現在瞬間のみ
時間が歩み続けるなら、現在も歩み続けることになる。
現在が歩み続ける。ということは理論的にはありえない。
現在とは去るもの。と過程すると、
去るものが歩み続ける。ということになる。
去るものは既に去っておる訳ですから、去ることはない。
つまり現在は去ることにはならんから、
現在そのものもありえない。
という、理論的にはこういうことになろうかと思います。
ただし、
俗諦においては、現在としては意味は通じる^m^
337 :
320 :2007/07/17(火) 19:32:33 ID:KrnkyU5Q
338 :
320 :2007/07/17(火) 19:51:36 ID:KrnkyU5Q
さてと、ブライトンで尺八:三好芫山 ピアノ:藤林由利で ジャズをアレンジしてやるライブコンサートに逝って来るか。 ノベンバー・ステップスで尺八の新しい表現境地を昔かんじたが、 ジャズには興味深々。
>>337 >そーゆーのを揚げ足取りとゆーのだ。
いやいや、貴殿が
>⇒過去を悔いず、未来を憂いず、時間は歩み続ける現在瞬間のみ
これを象徴的な意味あいでカキコしたのは充分に分かっております^m^
この文章はけして間違いではありません。
こう書かざるを得ない。
他に書きようがない。
これがベストな書き方。
そういうことは充分に分かっておるんです。
貴殿が、あえて俗世間的な手法を用いたのは既に分かっております。
では、そろそろ寝ます(*^^)v
340 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/17(火) 21:02:06 ID:Pjf4fGTT
さあさ、自然外道よ、 > 『本来』は過去も未来も、生も死もない。 >時間も空間もない。 ならば飛んで逝け、飛んで失せよ(笑)。 「百尺竿頭なんちゃらかんちゃら」とか喚いて娑婆から飛んで出て逝け(嗤笑)。
341 :
320 :2007/07/17(火) 21:15:36 ID:KrnkyU5Q
>>320 だったら、ここ暫らく阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ 大先生に下記ウダーナを講義して頂こう。
生じないもの、生成しないもの、つくられないもの、形成されないものがある。
もしも生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがないならば、
生じたもの、生成したもの、つくられたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることはないであろう。
生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるのである。
『ウダーナ』8章3節<不生不滅>
<ありのままの世界=真実相を悟ること⇒涅槃>
修行僧たちよ、このような境地がある。
そこでは、地もなく、水もなく、火もなく、風もなく、
空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく、
この世もなく、あの世もなく、月も太陽もない。
修行僧たちよ、(そこに)来るとも、行くともいえず、(そこに)いるとも、
死ぬとも、(再)生するともいえない。
それは何かに依っているのでも、何かから生じたのでも、何かに支えられているのでもない。
それこそが苦しみの終わりである。
『ウダーナ』8章1節
342 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/17(火) 21:18:11 ID:Pjf4fGTT
自然外道よ、拙劣以前の反問虚偽吹いてる暇があったらさっさと率先して範を垂れて実践せよ(嗤笑)。
>>341 やっぱ、片山ゼミにしとくんだったかなぁ・・・今更だけど・・w
当時、片山ゼミではウダーナの講読やってたんだよな・・・。
卒業して、インターバル置いて仏典読み返して、
「しまったぁ!」と後悔したよ。
ま、だからと言って奈良ゼミを受けなくても良かったかというと、決してそんなことはないわけで・・・w
また、当時、そして卒業後の自分の義務のこともあったし、留年や院生という選択肢はなかったし・・・。
懐かしい思い出だ・・・w (´ー`)y━~~
>>334 > vayadhamma samkhara appamadena sampadetha
> ものごとはうつろいゆく.怠ることなく修行を完成させなさい
> ⇒過去を悔いず、未来を憂いず、時間は歩み続ける現在瞬間のみ
これは中村先生の訳ですね。問題は samkhara をどう読むかですね。
この部分は註がないんですよね。難しい。
「潰える諸法」は「生起しては消滅する諸法」という意味で、現在顕現生成している諸現象という意味でしょうね。
諸行は、法が縁起す因である潜在力ではないかと思ってます。それを「行」と訳したのは名訳ではないでしょうか。
なぜなら、行為の結果、潜在的な形にならない力が形成されるからです。
すると「生じては消えゆく諸法」は諸潜在力である。
つまり、諸現象とは諸行為の結果が縁起したものであるという意味だと考えています。
しかも、それは一時的な仮の形だから、無常である。だから本質自性がないので無我、つまり空だということですね。
しかし、この縁起の論理も、止観のシャマタ、つまり、一点集中による意識の静まりのなかで、
観じないと、つまりヴィパシャナーしないとあまり効果を発揮しないことも経典に説かれています。
釈尊が縁起を観じるのは確か、こころが静まって思考もある第四禅の状態だったと思います。
ですから、原始仏教(大品、大本経など)、部派仏教(清浄道論、クシャ論など)、大乗仏教(入中論、入菩提行論など)
シナ仏教(摩訶止観、小止観など)、日本仏教(十住心論、往生要集など)、チベット仏教(心安息論、菩提道次第など)
どれをとっても一貫して意識の静まりのなかでヴィパシャナーすることを説いています。
シャマタだけでは、カラスさんの外道説になってしまいます。
机さん、阿呆陀羅經さんは、なにも分かってないので、コメントする意味はありません。
>>344 片山訳<いかなるものも移ろい行きます。怠ることなく努めなさい> では脚注に、
3 “vayadhamma^ samkha^ra^ ”.
あるいは「諸行は壊れる性質ものです」。
「いかなるものも」(samkhara^)とは「諸行」すなわち「もろもろの作られたもの」(五蘊)を指すが、
本来は「作るもの」(形成力)を意味する。
とある。
巻頭の凡例には 『 「あるいは「 」」 は別本による解釈、または別の可能な解釈であることを示す。 』 とある。
御参考までに。
346 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/17(火) 23:09:54 ID:Pjf4fGTT
( ´_ゝ`) 鼻先で 戸締まり喰らふ破落戸の 取りつく島も絶え果つるなり
>>345 ありがとうございます。片山先生の仕事はいいですね。
その註は、片山先生註でしょうか、それともなんらかのパーリ註によっているのでしょうか?
私がざっとみたところアッタカターにもティーカーにもなかったと思いますが。DN, SN の両方ともです。
ここは偏差値35の仏教系大学出身者が集うスレですか?
>>348 そうですよw
>>347 厳密には、本人註と言えるかどうか・・・。
>>345 >別本による解釈、または別の可能な解釈
おそらく、別の典籍の総合(或いは有力なもの)を持ってきてると思います。
勿論そこには、氏の恣意的選別が働いてもいるでしょうが・・・。
まだ16経の所のは買っていないのですが、大蔵出版版には、かなり詳細な二次註がついていると思いますが、
そちらはどうなんでしょう?
片山さんは今のところ、ビルマ版パーリ仏教を主にしてますので何らかの根拠となる出典はあるかもしれませんが、
語が語なので(多岐にわたるので)、まとめた解釈(自分の解釈)を採用しているのかも知れません。
(或いは水野説とか・・w)
>>347 てか、あまり細かくツッコまんで下さいw
ボロが出ますんで・・・(^^;
あ、大蔵出版版の二次註ってのは、必ずしも原典の註というわけでなく、 必要な解説という意味のもの。 (勿論、殆どは註・復註の引用ですが・・・) ノシ
>>351 そんなこと言わないでください。
ボロが出てもいいじゃないですか、誤解に気づくのは良いことですから。
この句は重要なので、私も正確に把握したいと思っているのです。
ご協力よろしくお願いします。
353 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/18(水) 05:45:36 ID:V+oWEiyK
>>341 その通りだ。俺はその話をしている。
ついでに言うと、
生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、ここにありえる。
生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものが無いのならば、
生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、生起するはずもなく、ここにもない。
日頃君らは縁起の法を得意げに語るが、因果律の法則を理解しない、池沼だ。
そして釈迦は、一切は皆苦だと説いたのに、
生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものの中に、苦の滅を捜し、涅槃を求めている。
さぁ外道はどちらのほうかな。今の仏教は、釈迦の入滅後、比較的早い時期に
根本的な部分から誤謬が始まり、その根本的な誤謬がそのまま発展してきた歴史なのじゃないのかね。
>>141 に引用された釈迦の説法は、もろ、自性の話をしている。そして俺も、自性の話をしているんだよ。
354 :
320 :2007/07/18(水) 07:33:13 ID:a2jTMPba
>>340 先ほどの
>>341 とともに、下記スッタニパータと総合して阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ に
自らの境地と合わせてブッダの境地を説いていただこう。(
>>341 の
>>320 は
>>340 の間違いです)
菩提心なき単なる仏教趣味者では、とうていなしえぬことだ。
・<スッタニパータ517>
あらゆる宇宙時期と輪廻と(生あるものの)生と死とを二つながら思惟弁別して、
塵を離れ、汚れなく、清らかで、生を滅ぼしつくすにいった人、―かれを<目ざめた人>(ブッダ)という。
・<スッタニパータ1092-1094>
カッパよ。極めて恐ろしい激流が到来したときに
一面の水浸しの中にある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のための州を、わたくしはそなたに説くであろう。
いかなる所有もなく、執着してとることがないこと、これが州にほかならない。
それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。
355 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/18(水) 07:56:02 ID:z+ZhW4d6
自然外道よ、
>>342 通り、稚拙劣悪な反問虚偽紛いを吐き散らさず、さっさと率先実践してその結構きわまりない
“菩提心w”とやらを発現して貰おう(笑)。皆随喜の涙を流して有り難がるぞ(嗤笑)。
356 :
320 :2007/07/18(水) 08:18:40 ID:a2jTMPba
>>355 ニルヴァーナを説き得ぬ無能の人阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ は、
居直って『逃走』を決め込むかwwww
大昔の浅田彰ぐらい読んどけよ。
357 :
320 :2007/07/18(水) 08:26:15 ID:a2jTMPba
>>355 俺を「外道」というなら
ブッダも(七師)「外道」だ。
おまいの宗派『阿呆陀羅教』からはそーゆーことになるww
358 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/18(水) 08:28:35 ID:z+ZhW4d6
口先“菩提心w”の敗残蒙昧外道が何も為し能わず壊滅沈没なころで(冷笑)。
359 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/18(水) 12:35:56 ID:V+oWEiyK
>>353 訂正
×>141に引用された釈迦の説法は、もろ、自性の話をしている。そして俺も、自性の話をしているんだよ。
○
>>341 に引用された釈迦の説法は、もろ、自性の話をしている。そして俺も、自性の話をしているんだよ。
ところで君ら、小難しい文法、パーリ語の訳の正確さなどからの仏典の内容の検証などもいいけど、
釈迦は具体的にどんな瞑想をしていたと思う?その辺を探るほうが、釈迦の仏教を理解するにはより有意義
だと思うよ。その境地を知れば、おのずと釈迦の仏教を理解するだろうからね。
360 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/18(水) 13:02:46 ID:V+oWEiyK
釈迦がその境地に達した」瞑想。それはヴィパッサナのヴィの字も無い禅ではないのは いくらここの連中でもわかるだろう? ま、それ以前に、机を見ればよくわかるだろうけどな。 もちろん、今のヴィパッサナを教える、テーラワーダ式のものでもない。なぜなら彼らは何年自分達の ヴィパッサナをやろうとも、自性に達していない。証拠に彼らは、自性を語らず、語れない。 てか、あそこのヴィパッサナは名ばかりで、禅の数息観が、ふくらみ、ちじみに変わっただけで、途中サティも 入れるが、そのサティも、雑念を払うテクニックに過ぎないし、彼らのヴィパッサナは、ほとんど、サマタと変わらない。 ゴエンカさんのところは、その境地に達するという目的ではなく、単に清浄行のようなものだし。 ゴエンカ式で自身の清浄が完全に果たせるのなら、その後涅槃をみれると言う理論かもしれないが、 理論的にどうしても疑問を感じるし、あの手法で、涅槃の境地に達するとは思えない。てか、達せないだろう。 妄悟を永遠に垂れ流し続ける机はこの際無視するとして、ここをみて不思議に思うのは、 ここは、原始佛教を唄いながら、全くこの瞑想については触れず、文法などの、学問的な話題ばかりで、 一切、この肝心要の、釈迦の悟りに達したという、瞑想の話題には触れないと言うこと。 まぁ、スレをたてたのが、そこのアホウだし、集まりも、アホウと同じレベルの、石頭の断見末法仏教者達だから 仕方ないのかも知れないね。君らは原始佛教のスレタイはほかの人達に譲るべきだ。 君らの語る仏教は、原始佛教ではないし、いやそれ以前に、仏教ですらない。ただのできそこないの宗教学もどきだ。 禅思想を永遠に垂れ流す机など、完全に原始佛教じゃないし。禅スレにかえればいいのにこの人。 なんでここに粘着してるんだろ?原始佛教と、禅思想の違いすら理解出来んほど、ボケは進行してるんだろう。 ご愁傷様。
>>359 >釈迦は具体的にどんな瞑想をしていたと思う?
色心不二にして、菩提心はそのまま形態として表れるやに思いますね。
菩提心は、ごく自然に只管打坐のような座位になる。
(これは経験則として、誰でも納得がいくかと思う)
これが作為か無為かということで、始祖禅と南宗禅との大きな違いになる。
釈尊が行の総括において正覚を得たごとく、
この脈絡は禅の歴史と符合する。
人の一生もまた同じ。
菩提心は中道として完成する。
362 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/18(水) 13:16:38 ID:V+oWEiyK
>>361 おまえうっとおしいから、俺にレスしてくるんじゃねぇよ。しっし。
363 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/18(水) 13:20:24 ID:V+oWEiyK
禅はお呼びじゃないし。 禅では悟れんよ。机を見てもわかるだろう。 せいぜい屁理屈と詭弁が達者になるだけで、言葉遊びに過ぎない妄語を、 得意げに語るだけが、おち。
364 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/18(水) 13:31:28 ID:V+oWEiyK
原始経典を読んでも、釈迦の瞑想は、単に一点集中型のサマタではなく、 今はヴィパッサナと呼ばれる、観法式の瞑想だったと言うのはあきらかだろう。 観法による智慧の完成こそが、真のサマタを呼ぶのだ。禅などの、一点集中型の瞑想では、 智慧以前の問題で、智慧無ければ智慧の完成も成しえない。 心を止滅させるには、どうすれば心が止滅できるのかの智慧が必要で、智慧なくして、心の止滅も成し得ないだろう。 ローソクの火をただ一点集中して見つめ続けても、心の止滅は成し得ないんだよ。 禅はお呼びじゃない。
365 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/18(水) 13:37:21 ID:V+oWEiyK
テーラワーダの長老も含め、今の末法仏教の坊主達が、その境地に対して尋ねれば、決まってこういう。
「それは、言葉では言い表せない」それを聞くたびに、失笑を禁じえない。
釈迦は
>>341 の、仏典からの引用文や、スッタニパータをみても、その境地を語っているのにね。
今の末法仏教の坊主達は、その境地はとても言葉では言い表せないではなく、単純に彼らはその境地を知らないのだろう。
>>363 >禅では悟れんよ。机を見てもわかるだろう。
オウムの林郁夫が、警察の取調べ室も窓から見た光景が、
噴水の近くで遊ぶ母子の姿だったらしい。
その姿を見て郁夫は悟るわけなんですが・・・
つまり、闇が深ければ深いほどに悟りもでかい。
ということなんだよ。→煩悩即涅槃
この時悟った郁夫の心境はどんなだったと思う?
こんなに悲しいことはない。
これが慈悲というもんだよ。
>>361 屁理屈言葉遊び。
実の無い脳内妄想の世界は楽しいですか?
368 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/18(水) 13:48:36 ID:V+oWEiyK
>>366 オウムの林郁夫が悟っている?????あほか。
さすが破戒坊主に過ぎない一休を悟っていたなどと、誤謬するだけのことはあるな、盲人。
てか、おまえは俺にレスしてくるんじゃねぇ!!!!!
おまえの屁理屈を聞いてると、い〜らいらしてくるんだよね。屁理屈と詭弁しか返さないおまえとは、まともな会話は
成りたたんし。なんかイライラしてきた。おまえは俺にレスしてくるんじゃねぇ!!!!!!。うっとおしいんだよ、おまえ。
>>367 >>色心不二にして、菩提心はそのまま形態として表れるやに思いますね。
これを簡単に説明すると、
つまり、思ってることはそのまま態度に出る。
ってことだね。
思ってること。→心
態度。→色
まあ、菩提心があって座位ができるくらいは非常にイイわけです。
人は悲しくなると座位はできんですね。
「心労がたたって臥してしまった」。などというのは、
つまり、悲しいと立っていることもできないから、臥すわけなんです。
まあ、こういうのを色心不二という。
>>368 >オウムの林郁夫が悟っている?????あほか
郁夫は瞬間に悟ったわけなんですが。
つまり「飯を食い終わった」状態のことです。
ようは、食い終わったあとの茶碗を洗うか?どうか?
の問題です。
郁夫は、茶碗までは洗わんかったですね^_^;
四苦とは生老病死。
372 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/18(水) 14:18:21 ID:V+oWEiyK
>>371 それすなわち、この世の生存と知るべし。
この世の生存とて、所詮は無自性な、空である。
>>372 >それすなわち、この世の生存と知るべし。
郁夫も、もしかしたらそんなことを考えていたかもしれん。
しかし、
郁夫の眼に映ったものは、全く自分の考えている光景ではなかった?
郁夫は、母子に救われたのです。
この現実をよく熟考したらよかろう。
374 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/18(水) 14:29:53 ID:V+oWEiyK
>>373 おまえは俺にレスするんじゃねぇと言ってるんだよ!!!!!
うっとぉしい。詭弁家とは、会話が成りたたねぇんだよ!!
お前と話しても時間の無駄。
375 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/18(水) 14:32:05 ID:V+oWEiyK
凡夫の悟りと、釈迦の悟りを一色たにされてもね〜。
郁夫は、つまり利他行をやっていたわけなんだが、 やはり利他行というのは間違いであった。 と気づく。 まあ、私の言ってることとピタリと一致したわけだが、 それにしても、 ここまで透過するには、あまりにもその犠牲は甚大であった。 いまころ郁夫にネット環境があるなら、 机に「禿同」のメールを送っていたに間違いない。
377 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/18(水) 14:57:54 ID:V+oWEiyK
>>376 林たちがやったオウムのあの連中のしたことは、利他行どころか、
自分達のエゴを他人に押し付ける、利己行だよ。そんなこともわかんねぇのかおまえ。
彼らがしたことは、自分達のエゴを満足させる他ならない。盲人は屁理屈ばかり述べてないで、
黙ってろよ。
自分の崇拝している神なり仏なりが、ある日利他行を自分に命令してくることがある。 これは非常に恐ろしい。 何故なら自分に制御が出来ないから。 「神の声を聞いて刺してしまった」。 などと言うたりするのは、殺人の動機でよくあること。 まあ、そこまで逝くには本人も非常に苦しい時期があったわけで、 この妄想が如何に人格を破壊するか? というのは、実は世間ではよく知られていない。 (精神病です) 普通の人でも、自分に気がつかないうちに病気になっていた。 というのは、よくあることです。
379 :
神も仏も名無しさん :2007/07/18(水) 15:18:35 ID:ID+vRymK
>>353 >生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
>生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、ここにありえる。
>生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものが無いのならば、
>生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、生起するはずもなく、ここにもない。
カラスさん、原始佛教初心者の私には、この意味が抽象的でよくわかりません。
生じないもの生じたもの、生成しないもの生成したもの・・・・・・とは、
具体的には何を指しているんですか?
>>379 なるほど。
平易な言語ほどにその含意も深い、これは典型ですね。
カラス氏にご教示願いたいもんです^m^
381 :
341 :2007/07/18(水) 15:50:56 ID:a2jTMPba
>>379 スレ主の阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ に講義させろよ。
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ の実力を観たい。
先ず
『ウダーナ』8章3節<不生不滅>
『ウダーナ』8章1節<涅槃> だ。ヒントを付けてやったぞ。
あっ、ただいま調査中か?ww
382 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/18(水) 15:58:57 ID:V+oWEiyK
>>382 >ここは釈迦の佛教より、竜樹の中論のほうが上だとする、おかしな自称原始仏教徒達がたくさんいる。
軽量部(刹那滅論)や、説一切有部(刹那滅&恒常的実体論)のアビダルマ哲学の
アンチテーゼが中論であり、
そもそもアビダルマがなけりゃ〜中論もない。
そのような理解で、普通は中論を解釈する。
中論そのものが真理。
という脈絡にはなってない。
384 :
神も仏も名無しさん :2007/07/18(水) 17:29:14 ID:NH9uGbyH
電波先生こいつらを遣っ付けてください。
385 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆rMNMPSLh1Y :2007/07/18(水) 17:39:22 ID:vtst/Dpl
電波先生は自演のし過ぎで、みんなから馬鹿にされているので不可。
386 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/18(水) 17:47:35 ID:z+ZhW4d6
つまり件の自然外道壁蝨は所詮、
>>355 で暴露された如くの口先“菩提心w”の破落戸であることが末代まで
証明され続けるわけだ。
これ確定(嗤笑)。
387 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/18(水) 17:53:16 ID:z+ZhW4d6
>>384 電波男さんはお白洲の嗤い物破落戸玩弄中(嗤)。
現在の当スレ寄生物とは無縁の「奥座敷」で時折お見受けするくらい(笑)。
>>384 ニフティ時代から訴訟恫喝などトラブルを起こし続け強制退会させられた電波男(ヒロヘロ、バスタ)は、
2ちゃんでは宗教板で活躍して、あいかわらず訴訟恫喝などを繰り返していた。
しかし宗教板でも本来の無能・トンデモぶりが露呈し、オカ板へ来て弱い者いじめをして憂さ晴らししていた。
ところがオカ板でも馬脚を現し、逆に集中砲火をうけボロクソにやられる。
特にリベリオンに落とされた時の逆上ぶり、罵倒ストーム、法律少女自演が絶品である。
形勢不利になった電波男に、サルと裁判中の革命王が絡んだのを幸いに、
敵の敵は味方、且つ援助するという大義名分を得た電波男は、「サルさんを命がけで守る」といって
革命王を堂々と罵倒して復讐し、陰ではサルにパワハラ・セクハラを卑劣に行っていた。
間抜けな電波男は、女自演者とバスタ名の書き込みのID一致というお笑いのピークを実現。
だれもがここで恥じて引退すると思いきや、どっこい、電波男 は只者ではなかった。
無線LANただ乗りという無謀な笑える言い訳と共に復帰するも、
サルが電波男のパワハラ・セクハラといい加減さに耐えきれず決別宣言し、
裁判を応援するという陰でパワハラ・セクハラを行う電波男が卑しさが発覚する。
大義名分も失い完全な笑いものになった電波男は、無謀にもまとめサイトを作り
このスレを立て名誉回復を図るも、リベリオン自演と思い込み、IP を抜こうとして
逆にフシアナに引っ掛かかり自分のIPをさらした。それをリベリオンの仕業に偽装するも見抜かれ失笑される。
サルとは敵対関係になったものの主婦は電波男を擁護していたが、サルとのエロメッセを
自己弁護のために都合よく編集して無断で公開した電波男は、主婦とも対立してしまう。
エロメッセ全貌提出を盾に攻撃するサル・主婦連合の攻撃に加え、自慢の種だった論理への無知をさらして
取り敢えず遁走だったが、エロメッセの全貌が晒され、その醜い行為が明らかにされた。
主婦との口論の末に、主婦のケータイ番号を晒し更に探偵雇って個人情報を入手し、
それを元に自分に不都合な言論封殺するために強迫メッセージを送りつけ無謀な名誉回復を工作している。
タイムスタンプでの支持者複数証明は、笑いを超えて障害者を見るような思いがした。全く自演と支持者無しの証明以外にほかならなかったからである。
以上の証拠は、ここに集められている。
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1183804786/
390 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/18(水) 18:33:29 ID:z+ZhW4d6
穢らしいお白洲玩具は
>>321 参照の上、出入り禁止。
391 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆qz6MxwopJw :2007/07/18(水) 19:04:00 ID:wSb91otT
まぁ、阿呆陀羅經◆JQPgxhpHHQ 0さん、私も今回は庇えませんよ>電波氏 彼に不信な心を持ったのは私だけじゃないですから。この件で彼を責めようとかほじくりかえそうとか 思っていません。これはみんなも同じだと思います。 それよりも電波男氏はしばらくほとぼりを冷ましてもらって自分の事も いろいろ省みて頂くのがよろしいかと。 私は丸一年休止しました。まだ時々手が痺れますよ。 昨夜も急に血液中のある物質の濃度が下がり、あまりにも症状が急激だったので、 このまま昏睡するかと慌てました。(苦笑) ちょうど創価板に書き込んでいる最中だったので、このまま倒れたら嫌だ〜〜!(笑) 慌てましたね。
392 :
神も仏も名無しさん :2007/07/18(水) 19:21:56 ID:NH9uGbyH
私生活と学問は別なんだからかまわんのじゃないかな? 俺としては電波節聞きたいんだ。
393 :
341 :2007/07/18(水) 19:24:21 ID:a2jTMPba
もういい加減に電波雑音は出すな。場外でやれ!
こら、阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ
>>381 ウダーナやれ!
電波先生以上のカキコしてから家よ1はげ!!!!!
>>382 >自性を否定し、全て無自性なこの世で佛教を理解しようと言う彼の言説は、
自性においてアンチ、の意味であり「無自性」という語意そのものの意味ではない。
>ビックバンなどの特異点を見出す現代の物理学をみても、
理論物理学では、ビッグバンはアクシデント。
という見方が強い。
特異点でもなんでもない。
ビッグバンがない状態がノーマル状態。
>現代では通用しない時代遅れの過去の遺物だろう。
ところがどっこい、
空思想は、たとえ宇宙が消滅したとしても何ら矛盾はない理論。
現代でも通じる。
(現代理論物理学では、宇宙の消滅はあると仮定している)
396 :
神も仏も名無しさん :2007/07/18(水) 19:42:15 ID:IXyE9wBo
>>382 カラスさん、リンクありがとうございます。
内容濃さそうなので、これからじっくり読んでみます。
397 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆rMNMPSLh1Y :2007/07/18(水) 19:53:18 ID:vtst/Dpl
>>392 私もこれ以上この話題に触れたくはありません。
しかし私生活と言ってもネット上、それも実際2ちゃんねるで
起こってしまった出来事ですから・・・。
彼はどう思うか知りませんし、私がいったからとて聞くような
ことはないでしょうが、彼はしばらくほとぼりを冷ましてからの
方がよろしいでしょう。
彼がいなくてもこのスレッドはちゃんとうまくいきますよ。
398 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/18(水) 20:27:42 ID:z+ZhW4d6
>>397 事の帰趨を、意外な至近距離から生温かく見物しているところです。ちなみに当方は基本的に佛教関連の議論にしか
関心を持ち得ませんし、あちら(非公開の奥座敷です)は破落戸の自壊自滅の末路を眺望するくらいのスタンスで観察
しております。ただ、妙な言いがかりを付けてくる壁蝨どもを駆除する方法論は吸収できるかと考えています。
それくらいですね。この件について述べられることは。
399 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆rMNMPSLh1Y :2007/07/18(水) 21:07:19 ID:vtst/Dpl
400 :
392 :2007/07/18(水) 21:08:17 ID:NH9uGbyH
ご意見有り難うございます。>all
>>399 相変わらずの読解力だな禿。
あっちて名無しで煽ってるの、禿だろ?
商工ローンから逃げ切れたか?自己破産したのか?ゲラ。
おいホモ口。 こんなところに書いていても借金は減らないし男も見つからないぞ。
>>399 申し訳ないが、波木井家とは関係の無いあなたが波木井の名を騙るのは、おやめください。
それから、創価学会のくせに、日蓮宗の名を騙らないでくださいね。
今後は、ホラ吹きアナル@創価学会アナル講 というHNにでもしてくださいね、溝口さん。
ところで、葵講ってのは何ですか?
もちろん日蓮宗には、そんなものはありませんけど。
日蓮宗に対する嫌がらせは、やめてくださいね、創価の工作員朝鮮人のキム・ヒロさん。
で、お前が出演したホモビデオの「18歳諸君!除毛儀式 犯されて」ってのは、どこで売ってるんだ?溝口よ。
405 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/18(水) 22:50:43 ID:z+ZhW4d6
糟禍板のゴミどもは疾く疾く巣穴へ逝けよかし。
ID:r80Owiq7は、似非霊能者のりべちゃん。 こんなところまで出張ご苦労様。
>>383 のつづき
釈尊入滅後より100年、
つまり部派仏教成立以前の100年を、いわゆる原始仏教と仮定すると、
アビダルマのアンチテーゼはいわゆる原点回帰ということになる。
これが一応のたたき台であり、
>ここは釈迦の佛教より、竜樹の中論のほうが上だとする、おかしな自称原始仏教徒達がたくさんいる。
>>382 こういう位置づけでない。
408 :
神も仏も名無しさん :2007/07/19(木) 12:22:41 ID:akqVR095
三流大学卒がgdgdやってんな、はげだらきょう
>>403 >ところで、葵講ってのは何ですか?
>もちろん日蓮宗には、そんなものはありませんけど。
そうでしたか。私は知りませんでした。
でもハンネはなかなかイイですね。
葵だから連想するのは、葵の御紋。
>波木井坊竜尊@日蓮宗葵講
この「竜」が葵と会わない。
やはり「龍」でカーペキだったんですが^m^
というか、良すぎる。
日蓮宗が負ける。
>>409 バカにはバカなりの絡み方があるんだなw
411 :
神も仏も名無しさん :2007/07/19(木) 18:23:26 ID:MgElBiYD
>>409 溝口浩みたいな詐欺師に好意を持つな。
お寺と何の関わりもないのに講を名乗ってるんだよ。
溝口について少し調べてみるといいぞ。
412 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/19(木) 18:27:55 ID:ogpWLDYY
糟禍板ゴミは退去退去。
>>411 >お寺と何の関わりもないのに講を名乗ってるんだよ。
それには理由がある。
おそらくはバーチャルな世界に何か夢を持っていたんだろう?
多賀井ケンジ氏もそうであった。
(HENO君はその後どうしてるんだろう?)
多賀井氏もそうだが、えてしてバーチャルとリアルの接点というのは
トラブルになりやすい。
(電波先生もそうだけど)
そういうことは、私は充分に経験している。
経験しているからこそリスクも充分に承知している。
(菊鬼も、これで自滅してしまったのだが・・・)→いちおう警察沙汰
まあ、そこがネットの恐ろしさなんだろう?
ところで、
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講どのは、禅僧の歯磨きマニュアルのお題は解けましたか?
22-55. no cassaM no ca me siyA, na bhavissati na me bhavissatIti.
22-81. no cassaM no ca me siyA, na bhavissAmi na me bhavissatIti.
「[現在](我が)存在して欲しいとも願わず、[現在]我がものが存在して欲しいとも願わない。
[未来に](我が)存在するだろうと思わず、[未来に]我がものが存在するだろうと思わない。」と。
me は、英訳のように ahaM の 1.sg.dat. などからの読みも可能ですが、ここでは、同じくahaM の
1.sg. dat./gen. である mama が pron. でもあることから、me を英訳の注記のように mama と見なします。
siyA までの前半の動詞は語根が√as- で願望法、後半は√bhU-で未来時制。
この2点の対比が解釈上もっとも大事な観点です。願望法・未来時制はいろいろな意味を
表しますが、ここでは、そのまま願望(英訳は、可能)と未来と見てもよさそうです。
数は単数。人称は1、3人称が現れますが、55の cassaM (ca assaM 1.sg.) は cassa
(ca assa 2,3. sg.) という異読もあるようで、英訳の底本ではそうなっているようです。
81の bhavissAmi (1.sg. fut.) が55と81との間の唯一の相違点ですが、その点も含めて言うと、
これらは、先日論及したウパニシャッドに出てくる@ etaM mama, A eso 'ham asmi, B eso me attA.
(これは我がものである。我はこれである。これが我がアートマンである。) の否定という視点で見れば、
cassaM であれ cassa であれ、Aを述べているかBを述べているかの違いになるだけだと思われます。
そして、いわゆる「我・我所」の否定がテーマというところから、81の形が本来のものだった
のではないか、と考えます。なお、ここには直接、五蘊が出てこないので、いわゆる無我なのか
非我なのか、という話につながることでしょうが、今それは論じません。
【結論】 81は誤って付加されたものと考えます。その理由としては、第一に、内容上なんら仏説
とたがうことなく、また、未来時制というだけで、死後ということに触れていないので断見には当
たらず、さらに、対応する漢訳に該当文がないことも挙げられるでしょう。以上、
>>323 の追記です。
>>341 (1) 『本来』は過去も未来も、生も死もない。時間も空間もない。
(2) 生じないもの…があるからこそ、生じたもの…があるのである。
相依性のような表現ですね。
(2)は『ウダーナ・ヴァルガ』の第26章ニルヴァーナの20〜29と同じ内容。
両者を対照すると意味がより鮮明になるでしょう。
また中村元訳注によればウパニシャッドにも同様の文言があるようです。
「一切の相が滅びてなくな」った解脱の境地ということですが、
これは煩悩の静まった状態を表現したものであり、
時間などが「存在」しないと言っているのではないでしょう。
(1)を勝義諦・世俗諦の勝義諦ということで言って(2)の前半と同じことだ、
としているなら問題があると思います。
原始仏教の文を中観派の二諦説で理解しようとすると誤解を生じると思います。
カラスの唄さん。日付変更線待ちですか?
カラスの唄=管轄
>>334 一切法無我と、vayadhammA saGkhArA(諸行滅法、諸行は滅するものだ)つまり諸行無常ということでしょうが、
これが
>存在は現在瞬間にしかない。
に直結しますか?
「声は無常なり」たとえば雷鳴は刹那に生じ滅すると言ってもいいでしょう。
しかし色はどうかというと、生・住・滅の三相があるのではないでしょうか。
説一切有部の刹那滅についても、法体そのものの滅というより法の作用の滅だとする説もあります。
「位の不同」というのも、過去・現在・未来という三世の世路(時の流れ)に於いて法の位が移る、
ちょうど算盤の百の位の珠を弾いて十の位の珠を置くように、ということでしょう。(倶舎論5.26)
これらとは別に、刹那に生滅するということの本来の意味合いは、
六識の変転極まりない生滅のありさまに関して述べたものだと思います。
422 :
神も仏も名無しさん :2007/07/20(金) 10:37:38 ID:ikJ6M0a0
>存在は現在瞬間にしかない。 そのことを直結体験するのがヴィパッサナー瞑想のsatiだろう。 頭の思弁でこねくり回すものではない。 有無の二項対立を離れた中道で調う。
>>422 sati, smRti, 念は、伝統的にはヴィパッサナー、ヴィパシャナー、観以前の過程なんですけど。
>>422 >頭の思弁でこねくり回すものではない。
頭の思弁でこねくり回すようになったのは、悠久の人類の歴史においては、
つい最近のことですね。
(人類の歴史は500万年〜600万年)
ホモサピエンスから現在を1年とすると、言語獲得は年末の1日だけ。
文字獲得はその半日くらいです。
それ以前の人類は、レトロポゾンの塩基配列(約30億の細胞)に源体験&記憶が
インプットされていたわけで、
それで軽くコミュニケーションは取れていたわけです。
(拈華微笑は普通にあった)
現代人にもそれは、潜在的には有しているわけです。
ならば、言語獲得が生得的になったが故の
>頭の思弁でこねくり回すものではない。
これかと思いますね。
原因が明確になれば
>頭の思弁でこねくり回すものではない。
この理由も同時に明確になる。
425 :
神も仏も名無しさん :2007/07/20(金) 15:17:35 ID:if4UVyTh
>>424 しかし、ああいえばこう言う。
日がな1日、屁理屈ならべて何がおもいろいのかわからん。
寝るとき以外、ずーっとしゃべりっぱなしなのか?
少し、脳みそ休めた方が長生きできるぞ。
426 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/20(金) 16:46:09 ID:QZUnLe1U
>>425 >>1 参照。
そもそも機能していない、否装備もされていない代物は休めようがないがな(笑)。
強いて言うなら反射神経か(嗤)。
>>425 >少し、脳みそ休めた方が長生きできるぞ。
いやいや、閃いたことだけ書いておるのです。
原因究明を帰納法という脈絡に繋げ、
これを悠久の人類の歴史という話に繋げ、
釈尊・口伝に連関させつつ、
>佛教の原点を闡明できる良スレ
>>1 参照
というところまで繋げるかと思うておるんです。
ただし、レスポンがあればの話なんですが(~o~)
ただ、壁に向かって書き込むわけにはいかんのです(~o~)
428 :
神も仏も名無しさん :2007/07/20(金) 19:36:11 ID:A4eIB7Kk
病んだコテの巣窟になってるお。
カラスの唄=knktはどこへ行ってしまったのでしょうか。 んーー。あの、鉄人28号の実写版をリアルタイムに知る、オサーンの女子大生。 かつての鉄腕アトムの実写版を熱っぽく語ってくれた、永遠の女子オサーンは雨に打たれながら涙を流しているのでしょうか? つかのまの罵倒も、日付変更線を超えても出現できないほど、何かが「かのじょ」に刺さったのでしょうか? 野の果てに続く、匿名性への幻影のなかで倫理を置き去りにした。 場所と時間と心を置き去りにして。 カラスの唄は早くお家に帰りなさい。
比丘たちよ、では、いかなるを行というのであろうか。比丘たちよ、行為を*現成するがゆえに行と いうのである。では、なにを行為に現成するのであろうか。色を色として形成するために行為に実現 する。受を…。想を…。行を…。識を…。相応部22-79 *現成する(abhisaGkharoti=to prepare, to work) 為作する相は是れ行受陰なり。何の為作する所ぞ。色に於いて為作し、受想行識に於いて為作す。 是の故に、為作の相は是れ行受陰なり。雑阿含経巻2(四六) これは「五蘊」の行の説明だが、「十二縁起」の行も「諸行無常」の行も、造作(つくる)・遷流(か わっていく)という性質で共通しているだろう。それではなぜ造作だと遷流なのか。それは、造作と は言い換えれば生起であり、生起したものはいずれ滅するものであり、遷流・無常という性質を持つから。 そして、この行とは、五蘊では想・行・識という心理面のものだが、十二縁起でも無明・行・識と心 理面であり、諸行無常も本来はそうした各種心作用の変化する性質を述べたものだろうと思われる。 >彼は…色は我であると考える。だが、しかし、比丘たちよ、彼の考え方は行である。相応部22-81 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 無常←諸行 無我←諸法 諸行・諸法については『講座・仏教思想 1』pp.25-27参照。それを踏まえて、以下は自説。 行(saMskAra) sam- √kR- -a 集合して‐為作(なす)・造作(つくる)する‐こと・もの 「集めて作ること」その瞬間つまり「生」。そして「集めて作るもの」つまり「生」じたものは 必ず「滅」する”滅法”、つまり無常。だから「無常」には「諸行」を付ける。 法(dharma) √dhR- -man 持(たも)つ‐こと・もの 「たもつもの」は生・住・滅の中では「住」の状態にあるもの。その「住」の状態にあるものを 分析していっても、どこにも恒常の実体などは見当たらない、つまり無我。だから「無我」には 「諸法」を付ける。
カラスの唄さん。 ん〜〜。何が刺さったのでしょう? からかわれていると思ってらっしゃるのでしょうか? つい、一昨日まではあんなにブイブイ飛ばしてらっしゃったのに。 はやいもので、ここで発言されて2年になるのでしょうか? いまはもうお休みされたのでしょうか? ん〜〜。暫くお休みなさい。 ぽんと、悟れますよ。きっと。
>>430 > それではなぜ造作だと遷流なのか。それは、造作とは言い換えれば生起であり、
> 生起したものはいずれ滅するものであり、遷流・無常という性質を持つから。
> 「集めて作ること」その瞬間つまり「生」。そして「集めて作るもの」つまり「生」じたもの
以上の部分が飛躍していると思います。
vayadhammaa saGkhaaraa を「諸行は壊れる性質ものです」などと読んでいるから、そう解釈しているのではないでしょうか?
vayadhamma, uppaadadhamma, uppaadavayadhamma という表現は見られますが、
vayasaGkhaara, uppaadasaGkhaara, uppaadavayasaGkhaara という表現は見つけられませんがあるのでしょうか?
だとすれば「生」「 生起」と読むのは飛躍だと思います。
私は、縁起して顕現したものを dhamma 潜在的な不定形の行為・エネルギーを saGkhaara と理解しております。
だから諸法無我というのは、顕現しているものには本質がないという意味で、
諸行無常というのは、潜在的な不定形の行為・エネルギーは一定しないという意味と捉えています。
これと「造作(つくる)・遷流(かわっていく)」という意味は同じと考えます。
433 :
神も仏も名無しさん :2007/07/20(金) 23:58:00 ID:EUtfWoqb
>>432 >>430 は「vayadhammaa saGkhaaraa」とか「諸行は壊れる性質ものです」とかは言ってないのでは?
諸行と諸法のことしか。それが出てきたのは
>>345 。
>潜在的な不定形の行為・エネルギーを saGkhaara と理解
原始経典に頻繁に出てくる「色は無常、受は無常、、、」という言い方と
「諸行無常」というひっくるめた言い方はよく合うけど、
潜在的とかエネルギーと言うと、ちょっと形而上学?って感じですねえ。
vayadhamma samkhara
>>344 中村訳「ものごとはうつろいゆく」
>>345 片山訳「いかなるものも移ろい行きます」
脚注 「諸行は壊れる性質ものです」。samkhara^=「作るもの」(形成力)
>>420 vayadhammA saGkhArA(諸行滅法、諸行は滅するものだ)
諸行無常ということでしょう
「諸行は壊れる性質(の?)ものです」というのは、片山一良さんの訳のようですが、
>>430 の「行」の「造作(つくる)・遷流(かわっていく)という性質」のうち、本義は上にある
ように「作るもの」だから、「造作」に当たります。「遷流」はそれから派生した2次的な意味と
言えるでしょう。「行」はこの「遷流」という意味からの訳語ですね。
>造作とは言い換えれば生起であり、
>「集めて作ること」その瞬間つまり「生」。
車輪・車軸・車体などの各部品から車を作ると、それは「車」の生起ではないでしょうか。
「車輪」・「車軸」などとは異なる、新たな仮名「車」の誕生です。
土から作った壷の例でも、それは「土」とは異なる、新たな仮名「壷」の誕生です。
そして、いずれは「車」や「壷」とは呼べなくなる時が来る。いずれは滅するものです。
435 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/21(土) 13:50:23 ID:q3h/YmPZ
つまり「集法(=諸行)は壊法」ということか。
>>433 潜在力という意味は、村上真完先生の徹底的な言語分析とも一致します。「諸行考」I-IV『仏教研究 / 国際仏教徒協会』
ほぼ同じ立場が平川彰先生です。『インド仏教史』上、71頁あたり。
形而上学をどういう意味で使っていらっしゃるのか分かりませんが、
凡人の五官の対象という意味なら、五蘊の行、十二縁起の行は、
それぞれ現代語で何を指すのでしょうか?
>>429 >野の果てに続く、匿名性への幻影のなかで倫理を置き去りにした。
>場所と時間と心を置き去りにして。
う〜ん、
詩的で、なかなか素晴らしいですね。
林郁夫の開悟の瞬間というのは、おそらくはこんな感じだったのでしょう?
善悪の分別を離れ本来の自分に巡り合う。
同時にそれは、匿名性の幻影の自分に巡り合う。
二相あいまって眼が開いたんでしょうね。
開悟は、時と時間を選ばず。
× 時と時間を選ばず。 ○ 場所と時間を選ばず。
>>436 徹底的な言語分析と言われても、教証など要点だけでも記していただけないと、何とも検証・評価の
しようがありません。中論の gatam が主語か副詞かをめぐる諸学者の説と定方説の相違の例もありました。
そのことはさておき、発端となったのは、般涅槃の直前のことば「もろもろの事象は過ぎ去るもの
である。怠ることなく修行を完成しなさい」(宮元啓一『ブッダが考えたこと』p.174)
同書p.153で十二縁起のサンスカーラを次のように定義しています。
>記憶とか、それをもとにした意思とか意向とかのこと。根本的な生存欲があれば、生きるために認識
>とか行為とかに踏み出さなければならない。そうして踏み出す盲目的な心の作用がこの行である。
> なお、「サンスカーラ」の原義は、「刻み込まれたり蓄えられたりして潜在的にあるものが持つ、
>将来にものごとを作っていく力」ということであることを配慮して、「潜在余力」とか「(潜在的)
>形成力」という訳語を用いる学者もいるが、それでは具体的にそれが何のことかがわかりにくいのが
>そうした訳語の決定的な欠陥である。
> ちなみに、「諸行無常」の「行」も原語は同じであるが、この場合は過去受動分詞(サンカタ、
>サンスクリタ)と同じ意味となり、「作られたものごと」を意味する。
十二縁起の行が「潜勢力」であったとしても、じっさい、「諸行無常」は「潜在的形成力は無常で
ある」と言い替えてしまうと違和感がありますね。「作られたものごと」、有為法の方が合うでしょう。
有為法と無為法(涅槃)を併せて一切法・諸法という言い方もあるようです。「諸行無常、諸法無我」は、
涅槃は無常ではないが無我ではある、ということなのでしょう。
>「大徳よ、滅だ、滅だと仰せられますが、いったい、いかなるものの滅するがゆえに、
>滅と仰せられるのでありましょうか」
>「アーナンダよ、色(肉体)は無常である。因(原因)ありて生じたものであり、縁(条件)ありて生じた
>ものである。だから、それは消えうせるものであり、朽ち衰えるものであり、貪りを離るべきもの
>であり、滅するものなのである。そのように滅するものであるがゆえに、滅だと説くのである。
>アーナンダよ、受は…。…」相応部22‐21
440 :
神も仏も名無しさん :2007/07/21(土) 22:21:25 ID:tslCPdbx
>>439 おい、誰も突っ込んでやらないのか?
宮元啓一はブッダを一方で業報輪廻肯定を前提として定義・論理展開し、
他方で徹底した知性的実証的経験論者と把握している。
突っ込みどころ満載だろ?
vaya-dhammA saGkhArA. appamAdena sampAdetha. ヴァヤダハンマー・サンカハーラー、アッパマーデーナ・サンパーデータハ。 作られたものは滅するものです。不放逸によって(あなたたちは修行を)完成させなさい。 sampAdetha (あなたたちは完成させなさい) が命令法ではなく、願望法であることも 仏教の立場を象徴していますね。願望法にも命令の意味はありますが、ここでは 入滅を前にした釈尊が、解脱していない比丘たちに向かって 「あなたがたが修行を完成させるように願っていますよ」と言葉をかけたものでしょう。 修行も強制でなく本人の意志に委ねる、ということなのでしょう。
>>440 宮元さんの全てを支持するわけではないし、
> ちなみに、「諸行無常」の「行」も原語は同じであるが、この場合は過去受動分詞(サンカタ、
>サンスクリタ)と同じ意味となり、「作られたものごと」を意味する。
は、全く支持できないが、少なくとも
>>440 よりは宮元さんを支持する。
釈尊が業報輪廻肯定を前提とすることは否定できないし、
業報輪廻こそが、経験論にほかならない。
凡夫が過去世の記憶を経験できないからといって、なぜ聖者に宿命通などの過去世が知覚できないといえるのだろうか?
それはただ凡夫の意識だけが経験の全てとする誤った前提にほかならない。
443 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/22(日) 09:27:10 ID:8UI/nbkJ
相も変わらず、不当前提の標本が採集し放題なわけで(冷笑)。
444 :
神も仏も名無しさん :2007/07/22(日) 10:17:54 ID:RjaLrMwZ
本日のKBS京都「比叡の光」(AM8:45〜)という番組で 花園大学の佐々木閑教授(『犀の角たち』:大蔵出版の著者)が面白い事を言っていた。 原始仏教の特性は、超越者の存在を認めず、現象世間を法則性によって説明するところにある。 その法則性を自覚して徹底修練して解脱し、その恵みを及ぼそうとする(『犀の角たち』196頁以下の内容)。 当時のインドの食べて行くのがやっとでは、出家主義にならざるを得なかった。 そのアンチの大乗仏教は、超越的存在に対する祈りの宗教であり、 自己修練よりホトケに救ってもらう祈りと信仰重視の在家都合主義宗教だ。 ・我が子が突如、余命いくばくもないと判ったとき、その父母の嘆きを、 大乗仏教なら救える可能性はあるが、原始仏教ではその可能性は乏しい。 自己修練が必要だからだ。 ・最近アメリカ、ヨーロッパなどでは「ナイトキャンドル仏教」として 原始仏教の修業をする若い人たちが急激に増えている。 ブッダ当時のインドと異なり、昼働いて、夜自己修業することが可能だからだ。 教授の結論は、両立可能ではないか、というアタリ障りのないものでした。 もっと教授の本音の主張を聴きたかったな。
>>442 折角ですから、ここは話をサンスカーラに絞って、ある程度、これに目鼻をつけましょうよ。「共同
幻想」という説を出す人もいるようだし、混沌としたまま放棄するのもよろしくないでしょう。
> > ちなみに、「諸行無常」の「行」も原語は同じであるが、この場合は過去受動分詞(サンカタ、
> >サンスクリタ)と同じ意味となり、「作られたものごと」を意味する。
> は、全く支持できない
中村訳ダンマパダ 277 一切行無常, 278 一切行苦 ではサンカーラーを「形成されたもの」と訳して
います。255では「造り出された現象」と訳し、注では「samkhara(複数)。『有為』と呼ばれるもの
と同じである」とサンスクリタと同じとしています。
前掲の桜部論文でも諸行無常の行について、「サンスカーラもサンスクリタも等しく、止むことなき
因・果の流れの中で、縁起しているすべてを意味することになる。」としています。
どう見ても、涅槃経で死を予感する釈尊の述べる「無常偈」としては「世間皆無常」という意味で
あって、「潜在的な不定形の行為・エネルギーは一定しない(
>>432 )」とするのは困難なように思え
ますが、その説に納得できるような資料があれば、それを提示していただけませんか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
PDFで公開されている「初期仏典に説かれるサンスカーラ」をテーマにした論文があります。印佛研
52巻1号「十二支縁起説の成立に関する一考察」2003年。上に出た村上論文(1988,89)も参照されています。
五蘊説の行については、三つの記述がありました。
SN.22-56 思(意志)。
SN.22-79 有為法を(あるいは、有為法として)形成する(Because they fabricate-組成する-
fabricated things-有為法-, thus they are called 'fabrications-諸行-.')。
SN.22-81 渇愛から生じた我見(若見我者、是名為行…縁愛起彼行)。
446 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/22(日) 21:11:45 ID:tw4RKXrE
愚かな人は外に向けられた欲望を追い求め、 広げられた死神の罠にかかる。 しかし賢者たちは不死を知って、この世における不安定なものの中に 安定を求めない。 音もなく、感触もなく、形態もなく、変化もなく、同様に味もなく、永遠であり、香りもなく、 はじめなければ、終わりもなく、大いなるものの中に安定しているもの。 それを知覚してして、彼は死の口から開放される。 しかし理解力を欠き、思考を欠き、常に不浄である人。彼はあの場所に到達しない。 そして彼は輪廻に陥る。〜ウパニシャッドより。 釈迦の佛教も、ヴェーダも、一緒だよ。末法仏教を盲信する君らにはいくら言ってもわからんのだろうがな。
447 :
素人 :2007/07/22(日) 21:24:19 ID:ArUT01Tv
>>446 仮に百歩譲って、
「涅槃を説示する際の言辞」と「ウパニシャッドに於ける真理についての言辞」とが共通であったとしても、
(個人的には、その指示対象は異なっているのではないかと考えているが・・・)
それを囲む「周縁の要素」に大きな隔たりがあるので、釈尊の教説とウパニシャッドの教説は同じではない。
と、私は理解している。
仏教に於いて(≒釈尊に於いて)は、その(直近の)「周縁」こそが重要であった、と私は受けとめている。
(※ここでの「周縁」は、文化的なもの或いは付帯的だが詳細な教説などよりは中心に近いものとして。)
だから同様に、(上記の意味に於いて)、
キリスト教と仏教は同じことを言っている、とかイエスと仏陀は同じことを言っている、とか、
そうした考え方には反対する。
448 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/22(日) 21:56:37 ID:tw4RKXrE
>>447 別にあんたがそう思うんならそれでいいんじゃない。
俺は自分の考えを他人に押し付けるつもりはさらさらないし。
だが俺は、ウパニシャッドも、仏陀の教えも、行き着く先は同じであり、
イエスの言う、永遠の命も同じであると言うことだけは言っておく。それを受け入れる受け入れないは
君らの自由だ。そこに属している人は、誰彼に言われるまでもなく、命の言葉に耳を貸す。
そこに属していない人は、決して命の言葉に耳を貸そうとしない。ただそれだけの話だろう。
良い麦も、毒麦もそのままにしておけ。収穫のとき、良い麦は蔵に入れられ、毒麦は炉に投げ込まれる。
それは永遠を手に入れる人と、完全な無になる人の喩えである。
449 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/22(日) 22:01:05 ID:tw4RKXrE
輪廻するには、輪廻する場所が必要である。 無常というこの世界がね。だが悲しいかな、この宇宙は永遠ではない。 生じたものは、滅するのが定め。無常とはそういうものだ。 そのとき、本当の自分を知らず、真の自己も知らなければ帰る場所を知らない哀れな魂は、消滅するしかないのである。 それは完全な、「無」である。 無になるのが君らの望みだろう(苦笑) 心配しないでも、無知な君らは、時が終わるとき、完全な「無」になるよ。それが望みだろ?よかったな。
450 :
素人 :2007/07/22(日) 22:12:30 ID:ArUT01Tv
>>449 >>だが俺は、ウパニシャッドも、仏陀の教えも、行き着く先は同じであり、
「その行き方に特色がある」と、私は考えているからだよw
私も、貴方がどう考えようと良いと思う。
ただ、奈良さんの「釈尊との対話」を良書と位置付ける私からすれば、
時々噛みつきたくもなったりするw ま、
>>449 にレスアンカーが無いのでこれ以上は絡まんが・・・w
ところで、貴方は、奈良さんの上記著書を読んだことがありますか?
別に回答は義務じゃないので答えなくとも良いですが(w)、読んでなければ一読してほしい書ではある。
ノシ
451 :
素人 :2007/07/22(日) 22:13:26 ID:ArUT01Tv
452 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/22(日) 22:27:06 ID:tw4RKXrE
>>450 >ところで、貴方は、奈良さんの上記著書を読んだことがありますか?
他人の能書きは興味なし。
俺は聖書も、仏典も、ウパニシャッドも、所詮他人の主観でしかない、
他人の解説書など参考にせず、全て自分で考え、自分で理解する。
ちなみに「一」を悟ったのは、誰彼に言われたものでもなく、誰かの解説書を読んだのでもなく、
イエスの「互いに愛し合いなさい」の意味をどうしても理解できなく、いつもそのことについて
考えていたら、突然「一」を悟った。その瞬間、イエスの掟の意味を全て理解した。
「一」を知った後に聖書や仏典を読めば、それまで理解できなかった内容が、理解できるようになった。
答えは他人が持っているのではなく、自分自身の中に持っている。心の力を侮ってはいけない。
求める者には与えられる。なぜなら、自分の中に宿る、本来の自己が答えそのものだからだ。
しかしここは、自分では考えられずに、どっかの学者の解説書が、そのまま佛教になっている無知無能が、たくさんいるな。
453 :
素人 :2007/07/22(日) 22:34:11 ID:ArUT01Tv
解説書だと思っているならお門違い。 能書きは読んでから言えw てか、他人の能書きを批判する割に自分は能書き垂れまくりなわけか。 随分と驕ったもんだw
454 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/22(日) 22:42:56 ID:tw4RKXrE
匿名が前提の2chは、人の本音が出るようで、観察してるとまことにおもしろい。
人間の本質が「わかるというもの。どいつもこいつも己のエゴを、他人様に押し付ける人ばかりのようで。
>>453 あんたはあんたの信じる道をいけばいいだろう。誰も止めやしない。だから人の事もほうっておけ。
誰がなにを信じようが、そいつがそれを、他人様に押し付けなければ、おまえには関係のないことだ。違うかい?
455 :
神も仏も名無しさん :2007/07/22(日) 22:45:52 ID:RjaLrMwZ
で、性懲りもなく繰り返す与太話はほっといて、
>>445 のサンスカーラはどうなった?
456 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/22(日) 22:48:32 ID:tw4RKXrE
>>453 ちなみに奈良さんの「釈尊との対話」とやらが、君の仏教理解のベースになっているのならば、
私は読む価値もない、そのへんのありふれた、一学者の解説書と変わらんようなものだと判断する。
ま、本屋で見かけたら、立ち読みでもするよ。君を見てもわかるように、どうせくだらん内容だろうけど。
457 :
素人 :2007/07/22(日) 22:50:46 ID:ArUT01Tv
>>454 >違うかい?
それはその通りだが、(現に、私が貴方に3レスも返したのは初めてのことだw)
それは、そっくりそのまま自分にも返るものでは?
ま、2chでは、「イエスと仏陀は同じ」とか「キリスト教と仏教には違いはない」みたいな
短絡的な極論が横行してるので一言挟んだまで。 たまにはいいだろ?w
じゃ。 ホントに ノシ
458 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/22(日) 22:55:09 ID:tw4RKXrE
与太話とは、単なる言葉遊び、実のない話のことをいう。 サンスカーラとは、無自性なこの世のことだろう。 なに一言ですむ話題を、あーでもないこーでもないと小難しく語って悦にはいっているんだい? ここは、頭のいい、馬鹿ばっかり。
459 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/22(日) 22:58:24 ID:tw4RKXrE
>>457 >ま、2chでは、「イエスと仏陀は同じ」とか「キリスト教と仏教には違いはない」みたいな
>短絡的な極論が横行してるので一言挟んだまで。
どこが短絡的だ?
イエスの教えと、釈迦の教えはまるで違うというのが、君らの定説だったじゃないか。
イエスの教えも知らないくせに、ただ神と言う単語に反射して、釈迦の教えといえすの教えはまるで違うと言う
君らの考えこそが、短絡的というんだよ。
460 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/22(日) 23:01:03 ID:8UI/nbkJ
永劫に癲狂院の独房で悶絶呻吟すべき基地外サイコパスに撒き餌厳禁。
>>1 参照のこと。
461 :
神も仏も名無しさん :2007/07/22(日) 23:17:56 ID:RjaLrMwZ
>>458 迷い与太外道は浅薄誤答で出てくるなって。かまって欲しいのか?
小さな親切、大きなお世話。
妄想超越的存在の世界に還って、オナニーしとけよ。あばよ!
462 :
神も仏も名無しさん :2007/07/22(日) 23:20:01 ID:RjaLrMwZ
小さな親切の押し売り お断り!
463 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/22(日) 23:30:22 ID:tw4RKXrE
>>461 何度も言うが、外道は、末法唯物佛教を盲信する君らのほうなんだよ。
もう一度してやろうか、六師外道の話。ほれ。
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/99_03_14a.html ま、君らにかかれば、この話も、お得意の、曲解で、自分達は正当派にしてしまうから
恐れ入るがな。なにせ君らにかかると、仏典に出てくる来世は、
今生における、未来になってしまうんだから、恐れ入る。
外道と言うなら、君らの事を言うのに、他人様を外道呼ばわりするのはいけないな。
君らの言説に合わない仏典の内容は見事にスルーし、自説をひたすら強弁できる君らの
思考回路は、俺から見れば、理解不能なんだよ。
464 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/23(月) 00:44:19 ID:5xOmfxZO
>>460 >永劫に癲狂院の独房で悶絶呻吟すべき基地外サイコパス
それは君のことだろう。
お前村八分がよほど好きなんだな。どこの田舎者だ?
他人様と自分を区別し、何か自分達はインテリジェンスに優れた優秀な人だと勘違いして
非常に排他的な君が、得意げに原始佛教を語っている(理解者)と勘違いしている君は、非常にユニークな
存在だよ。やれ自分達の価値観と合わない者は、出入りするなだとか、皆で無視しろだとか、
非常に排他的なお前が、原始佛教を語るなんざ、お釈迦様も、草葉の陰で泣いているだろう。
差別、区別の好きなおまえには、釈迦の佛教は無理だよ。わかったかい?外道のアホウ陀羅經さん。
せめて、釈迦の言う外道とは、お前たちのような、唯物末法仏教を盲信する人達だって事くらい、理解しような。
465 :
神も仏も名無しさん :2007/07/23(月) 02:42:57 ID:5mbPEIJZ
太刀打ち出来ないので、排他的になるのですよ。
>>448 >良い麦も、毒麦もそのままにしておけ。収穫のとき、良い麦は蔵に入れられ、毒麦は炉に投げ込まれる。
>それは永遠を手に入れる人と、完全な無になる人の喩えである。
佛教の「無」の意味は、
「永遠を手に入れることもなく」また「永遠を手に入れないこともない」。
という意味の無です。
つまり、永遠そのものが意味をなさない。
ウッパニシャット哲学が正論かどうか?
それさえも意味をなさない。の無ですね。
(釈尊は中道を成道しました。中道は対立はしない)
貴殿が悟った「一」にしても、悟れば既に「一」の意味はない。
何故かと言いますと、
森羅万象が「一」ならば、既に「一」である必要性はなくなるからです。
(名称と形態の消滅)
>>466 あなたの話では釈尊の悟りも無かった事になりますね。
あなたの名称と形態の消滅の解釈は、全く実の無い言葉遊びにすぎませんね。
いいかげん実の無い空理空論に過ぎない脳内妄想を、くどくど語るのはやめてくれませんか?
あなたがいつも意味の無い空理空論で邪魔をするので、佛教の話ができません。
>>439 では、村上論文によって簡単に指摘しておきます。
> さらにまた、ビクたちよ。信、戒、聞、捨、般若を具足しているビク、彼がこのように思う。
> 「ああ、私の身体が壊れた死後、バラモンや大家の一員として生まれますように」。彼はその心を定め、
> その心を保ち、その心に慣れ親しむ。彼がそれらの行と心持ちにそのように慣れ親しみ、
> そのような多くのことが行われると、そこに生まれることが生成する。MN. III. PTS99
この「それらの行」は<「ああ、私の身体が壊れた死後、バラモンや大家の一員として生まれますように」。
彼はその心を定め、その心を保ち、その心に慣れ親しむ。>を指します。それが実際に行われると、
業とも言い換え可能な、潜在的な力、エネルギー が形成され結果として、そのような生が縁起、
生起するということだ。つまり、行は、業とも言い換え可能な、潜在的な力、エネルギーなのである。
これは、jiivita-sagkhaara(生命力)aayu-(寿命力)bhava-(存在力)などと使われることからも裏付けられる。
これを考慮して、当該の以下を読んでみよう、
> 「諸行は滅するものである。不放逸に努めよ」と。DN. II. PTS156 中村岩波訳158
これは釈尊が入滅する時に仰ったことを考えると、生存を形成する 生命力、寿命力、存在力などは、
なるくなるものだということで、私もお前らもいつか死ななければならないのだから、修行に励めという意味だろう。
そのことを裏付けるのが、離欲の修行者の次の言葉である。
> 「諸行は無常である。ここにどうしてそんなことがありえようか?」と。DN. II. PTS158 中村岩波訳161
「そんなこと」とは釈尊が死なないということ、つまり、生存を形成する生命力、寿命力、存在力などの潜在力・
エネルギー が、なくならないことである。ということで「諸行は滅するものである」の諸行を「作られたものごと」
とするより生存を形成する生命力、寿命力、存在力などの潜在力・エネルギーとした方整合性が高いと思われます。
>>445 「潜在的な不定形の行為・エネルギーは一定しない(
>>432 )」は、諸行無常を言ったのであって
「諸行は滅するものである」を言ったのではありません。まず、そこを確認ください。
三つの定義も村上論文によって簡単に指摘しておきます。
SN.22-56 思(意志)。
> ビクたちよ。また諸行とは何か? ビクたちよ。これら六思身である。色思、声思、香思、味思、触思、法思である。
> ビクたちよ。これらが諸行といわれる。触が起こるから行が起こる。触が滅するから行が滅する。
これは六つの対象への思い、意志によって、潜在力が形成されるという意味でしょう。
つまり、意志をもった身口意の行為によって諸行は形成され、諸行は後の縁起の因となるわけです。
SN.22-79 有為法を(あるいは、有為法として)形成する
> ビクたちよ。また何を諸行というか? ビクたちよ「有為を形成する」という。それゆえ諸行といわれる 。
> またいかなる有為を形成するのか。色を色であるものとして有為を形成する。受を受であるものとして
> 有為を形成する。想を想であるものとして有為を形成する。行を行であるものとして有為を形成する。識
> を識であるものとして有為を形成する。ビクたちよ実に「有為を形成する」という。これらが諸行
> といわれる。触が起こるから行が起こる。触が滅するから行が滅する。それゆえ諸行といわれる。
有為というのが縁起し結果として顕現した法を指し、まさに「作られたものごと」現象を意味します。
ただし、「行を行であるものとして有為を形成する」という一文から、現象としての行もあることがわかり、
諸行を「作られたものごと」とすることも文脈によっては可能と考えます。
村上先生も特に後代の解釈は、「作られたものごと」とするとしています。
SN.22-81 渇愛から生じた我見(若見我者、是名為行…縁愛起彼行)。 > 色は我であると見る、その見方は行である。 これが、受、想、行、識に適応される。ようするに我見、なにかを本質とする見方が行だと言う意味でしょう。 それが、常見、断見、正法への猶予も行だというように敷衍されます。そして各箇所で次のように締めくくられます。 > 無明の触より生じた感受に触れると無聞の凡夫に渇愛が生じ、それより行は生じる。 > その行も無常であり、有為であり、縁起したものであり、渇愛も受も触も無明も同様である。 > そしてこのように知り観るなら、直ちに諸漏の滅がある。 つまり、無常、無我、縁起、空などと正しく観ない、邪見は、行を形成する。 つまり、業を作るという意味でしょう。 尚、訳は、村上先生の訳にほとんどよっていますが、多少、私の読みで変えました。
SN.22-81 渇愛から生じた我見の『雑阿含』相当箇所。ご参考までに。 T02n0099_p0014a14(03) 若見我者。是名爲行。彼行何因。何集。何生。何轉。 T02n0099_p0014a15(01) 無明觸生愛。縁愛起彼行。彼愛何因。何集。 T02n0099_p0014a16(01) 何生。何轉。彼愛受因.受集.受生.受轉。彼受何因。 T02n0099_p0014a17(00) 何集。何生。何轉。彼受觸因.觸集.觸生.觸轉。 T02n0099_p0014a18(01) 彼觸何因。何集。何生。何轉。謂彼觸六入處因. T02n0099_p0014a19(01) 六入處集.六入處生.六入處轉。 T02n0099_p0014a20(04) 彼六入處無常有爲。心縁起法。彼觸受.行受。 T02n0099_p0014a21(03) 亦無常有爲。心縁起法。如是觀者。而見色是我。 T02n0099_p0014a22(00) 不見色是我。而見色是我所。 T02n0099_p0014a23(05) 不見色是我所。而見色在我。不見色在我。 T02n0099_p0014a24(04) 而見我在色。不見我在色。而見受是我。 T02n0099_p0014a25(04) 不見受是我。而見受是我所。不見受是我所。 T02n0099_p0014a26(02) 而見受在我。不見受在我。而見我在受。 T02n0099_p0014a27(01) 不見我在受。而見想是我。不見想是我。 T02n0099_p0014a28(01) 而見想是我所。不見想是我所。而見想在我。 T02n0099_p0014a29(00) 不見想在我。而見我在想。不見我在想。 T02n0099_p0014b01(00) 而見行是我。不見行是我。而見行是我所。 T02n0099_p0014b02(00) 不見行是我所。而見行在我。 T02n0099_p0014b03(04) 不見行在我。而見我在行。不見我在行。 T02n0099_p0014b04(03) 而見識是我。不見識是我。而見識是我所。 T02n0099_p0014b05(02) 不見識是我所。而見識在我。不見識在我。 T02n0099_p0014b06(01) 而見我在識。不見我在識。復作斷見. T02n0099_p0014b07(02) 壊有見。不作斷見.壊有見。而不離我慢。 T02n0099_p0014b08(02) 不離我慢者。而復見我。見我者即是行。 T02n0099_p0014b09(03) 彼行何因。何集。何生。何轉。如前所説。乃至我慢。 T02n0099_p0014b10(01) 作如是知.如是見者。疾得漏盡。佛説經已。
>>467 >あなたがいつも意味の無い空理空論で邪魔をするので、佛教の話ができません。
可笑しなこと言いますね(~o~)
私は佛教の話しをしているんですよ。
>>466 の書き込みは「無」についての説明です。
論理的矛盾があるから、私はそれを指摘したまでのこと。
「永遠を手に入れる」。というのは
論理矛盾です。
逝くことは既に逝くことはない。
未だ逝かざるものは逝くことはない。
現に逝きつつあるものは逝くことはない。
何故なら、逝くことが二重否定になる。
といふ論理矛盾でつ。
俗諦で言うならば、永遠は現在においてしかない。
それは生起してそのまま生滅するが故に、
永遠そのもの自体は既に意味はなさない。
(これを“無の哲学”などと言うたりもする)
473 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/23(月) 16:06:17 ID:1zAGtbyI
474 :
神も仏も名無しさん :2007/07/23(月) 17:54:37 ID:MZpRmqnA
永遠の命=「今、この瞬間の絶対安心」が連続すること、 ってことじゃないですか? 永遠は結果論。あるのは、この瞬間だけ。
475 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/23(月) 18:20:29 ID:5xOmfxZO
>>472 おまえよ、その昔釈迦のサンガに入りたい者は、
徹底的に、その人の善悪感、つまり道徳観を調べて、
おまえのような、善悪など無いなどとほざいて、道徳を否定する者は決して
釈迦のサンガには入れなかったんだよ。おまえそこんとこ知ってて物言ってんの?
お前の仏教はただの邪見だろう。しかもお前の善悪感は、オウムと全く同じもので、
もっとも性質の悪い邪見だ。お前の思想はオウムのようなカルトを生むんだよ。
だから俺はお前を批判する。全く、てめぇがカルト思想を語りながら、
他人をカルト呼ばわりし、自分の心の闇を他人に見事に転嫁するところなんざ、人格障害者
そのものじゃないか。おまえの善悪の解釈は、全くオウムと同じだ。
俺の話からは、決してオウムは生まれない。
ちゅうかお前の話は、どこまでいっても言葉遊びのレベルじゃねぇか。お前そんなことも気付かねぇ?
まったくあー言えばこう言う。どんなに論破されても、都合の悪い話は見事にスルー。
おまえの、お前の邪見に対する執着は、すさまじいものだな。
( ´,_ゝ`) プッ IDミテルー?
478 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/23(月) 18:38:07 ID:5xOmfxZO
>>472 〜スッタニパータ
>真実は実に不滅のことばである。これは永遠の理法である。立派な人々は、
>真実の上えに、ためになることの上に、また理法の上に安立しているといわれる
ここに釈迦は永遠を語っていますね。机の仏教もどきでは説明できません。
>安らぎに達するために、苦しみを終減させるために、仏の説きたもうおだやかなことばは、
>実に諸々のことばのうちで最上のものである。
ここに言葉の重要性を釈迦は説いています。机の仏教では論理矛盾です。
また苦しみの終焉についても語っています。おかしいですね、机の能書きでは、終焉などないはずですが、
釈迦は苦しみの終焉を語っています。机の仏教理論とは矛盾していますね。
>この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。
ここで釈迦は、不死、不滅の境地を語っています。これは言葉を変えると、永遠です。
おかしいですね、机の能書きだと、不死、不滅など、”無い” はずなのですが、釈迦は語っています。
>心を統一したサキヤムニは、(煩悩の)消滅・離欲・不死・勝れたものに到達された、──
>その理法と等しいものは何も存在しない。このすぐれた宝は理法のうちに存在する。この真理によって幸せであれ。
ここで釈迦は「その理法と等しいものは何も存在しない」と言っています。これは逆に言うと、他の理法など
無いようなものだが、その理法だけは存在しているということになります。おかしいですね。机氏の能書きでは、
理法すら、無い。ということになるのですが、釈迦は唯一の理法は存在していると言っています。
479 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/23(月) 18:51:28 ID:5xOmfxZO
>>472 スッタニパータ
>こだわりあることなく、さとりおわって、疑惑なく、不死の底に達した人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ
ここでも釈迦は不死について語っています。机の理論では、不死など ”無い” のですから、この表現はおかしいですね。
次はダンマパタシリーズでやってやろうか?
おまえよ、お前の能書きが正しければ、釈迦ほどの男が、その境地を不死だの、永遠の理法だのというはずねぇだろ。
おまえがいくら屁理屈述べようとも、邪見は、どこまでいっても、邪見。
今度はこの基地外は言い出すぜ。それは、方便だとな。なにせこいつらにかかると、八正道すら方便となる。
こいつらの、邪見にすぎない、自説への執着はすさまじい。自説に合わないものは、釈迦の言葉さえもなんでも
方便にしてしまう。我の強い人の能書きを、ここでとくとごらんあれ。
480 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/23(月) 19:03:58 ID:5xOmfxZO
>>473 だから外道はお前たちのほうなんだって。
まるでこいつは、馬の耳に念仏だな。
おまえも机も同じ穴の狢だ。どちらも我執の鬼。
釈迦の仏教とは対極に位置する者だ。
おまえのような者が、原始佛教を唄うスレを仕切るとは、片腹痛いわ。
ブラックユーモアにもなりゃしない。
>>478 スッタニパータを解釈するには、その時代的背景も考えねばならんですね。
(ある程度のスキルは必要)
釈尊の説法というのは、民衆に分かり易いようにパーリ語を使った。
だから、パーリ語である。
ということを先ず念頭において、解釈せにゃ〜ならんですね。
(サンスクリットは、その後ですから)
パーリ語というのは民衆に通用する言語。
口語(俗語)ですから、そのまんまで解釈しても本義には至らんですね。
>ここに釈迦は永遠を語っていますね。机の仏教もどきでは説明できません。
俗語だから、「永遠」という言語しかないなら「永遠」と使う以外にない。
つまり語彙の問題になってくる。
そこをある程度は理解せんと、俗語のまんまに解釈しちまうんですよ。
もっと、高レベルなスキルを私は期待するところです。
>>479 >>こだわりあることなく、さとりおわって、疑惑なく、不死の底に達した人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ
>ここでも釈迦は不死について語っています。机の理論では、不死など ”無い” のですから、この表現はおかしいですね
別におかしくはないですね。
「不死の底に達した人」なら、同時に「不生の底に達した人」という訳ですから、
これは生死を解脱した。
という意味になるんでつよ(~o~)
よくよく吟味なされば、スッタニパータも良き経典であることは間違いないです。
ただ、
その解釈は至難ですけどね(~o~)
資料等の入力、どうもありがとうございました。 のちほど詳しく検討してみたいと思いますが(特に MN.III.PTS99 と SN.22-79)、 とりあえずまとめてみると、 @諸行無常、五蘊、十二縁起の行…(潜在的な)形成力 A〔後代には、文脈により「有為法」としての行もある。〕 B「諸行は滅する法だ」の諸行…命行・寿行・有行(特に【命に関する】形成力) こういった感じの見解ということでしょうか。 Aの後代からの解釈ということを示す教証(論書での実例など)は挙げられていましたか。 もし立証されれば、ダンマパダ 277 一切行無常 の中村訳なども修正を要するということになりますよね。
484 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/23(月) 20:11:34 ID:5xOmfxZO
>>481 でたよ、俗諦と、真諦をつかった詭弁が。
だからよ、おまえのいうように永遠も何も無いというなら、釈迦ほどの男が
いくら世俗に向けた説教であれ、永遠の理法やら、不死の境地を語るのはおかしいと言ってるんだよ。
いくら世俗相手でも、おまえの言うように何も無いと言うのが真理ならば、わざわざ正反対の
不死だの永遠だのと語らず、
『そんなものは無いと知るところに、苦しみの消滅はある』と言う表現にすれば、しまいの話だろ。
それにおまえの言説が正しければ、釈迦の僧団、サンガに入るのに、厳しい道徳観求めらることもないし、
八正道の、正語、正業、生命、正精進(ちなみに正精進とは、四正勤と同義。すでに生じた悪を除こうと勉めること。
悪を生じないように勉めること。善を生じるように勉めること。すでに生じた善を増すように勉めること。)
など必要ないはずなのだが、テーラガータ、テーリガータなどを読んでもわかるように、
当時悟りを開いたとされる、釈迦の直弟子である阿羅漢達も、八正道を真理に至る聖なる道と称し、この八正道の
正語、正業、生命、正精進を、正見、正思惟、正念、正定と共に、死ぬまで、勤め励んでいたんだよ。
お前の仏教理論だと、彼らは迷っていることになるよな。
どうころんだって、てめぇの能書きは、苦し紛れの詭弁、屁理屈しかねぇんだよ。
485 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/23(月) 20:20:50 ID:5xOmfxZO
>>482 >その解釈は至難ですけどね(~o~)
てめぇがへ理屈捏ね回して、単純な話を、至難なものにしてるんじゃねぇか、タコ。
不死とは、不生不滅の事だ。それは自性のことを言う。自性とは、ものの見方によれば永遠だ。
貴様。それは言葉でどうたらこうたらと、詭弁で屁理屈返すんじゃねぇぞコラ。
俺は何度も何度も、それは言葉では正確には言い表せない。なぜなら言葉は識別するものだからだ。
だがあえて言葉で表現すると、それは自性であると、言ってんだからよ。
どうせいうなら、こういうのを、世俗に向け俗諦というんだよ。だが、真諦も、俺の表現した俗諦も、内容は同じだ。
お前の詭弁のように、真諦と俗諦じゃ、まるで意味が違う詭弁とは違う。それは俗諦、そして真諦というなら、
語る真意は同じ内容でなくてはならない。真諦と、俗諦とでは、まるで違う意味になるのなら、それは詭弁にしかならない。
わかったかい、邪見の王様さん。
486 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/23(月) 20:29:42 ID:5xOmfxZO
机よ、おまえは自称仏教者のくせに、自性と無自性=空すら理解しとらんようだ。
お前の空の理解は、自性と、無自性がごっちゃになっている無茶苦茶なものだ。
自性と無自性がごっちゃになっているお前の空は、お前の詭弁には真に都合のいい単語のようだ。
ほれ、おまえ全然、空=無自性を理解していないようなので、また空について解説してあるサイトを貼ってやろう。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku00.html おまえよ、せめて空の理解くらい正しく持ってから能書き垂れようや。な、邪見の王様さん。
ま、お前にいくら言っても、ここのアホウと一緒で、馬の耳に念仏なんだろうがな。
>>485 >真諦と、俗諦とでは、まるで違う意味になるのなら、それは詭弁にしかならない。
わかったかい、邪見の王様さん。
真諦と俗諦のことが、そもそも貴殿には分かってないので、
私へのレスポンがチンプン&カンプンになってしまうのです。
これは大事ことなので、私が簡単に説明します。
真・俗の違いは、理解し易いよぉに言うたら視座が違う。
視座が違えば、おのずと言語それ自体の意味合いも違くなってくる。
では例えば「永遠」という概念は何によってもたらされるのか?
という考えねばならんでしょう。
それは人の経験則において「永遠」という概念が形成され、
永遠という形態が思考における論理基準となる。
思考システムは、この構築において成される。
あくまでも思考システムにおけるツールでしかない。→これが大事
逆に言うと、このツールがないと思考そのものが成り立たない。
ここにおいて形成された世界観なりが俗諦という。
釈尊の成道とは、この世界観からの解脱です。
まあ、真諦については非常に機微なる書き込みをせにゃ〜ならんので、
また暇な時に肝心な真諦について書き込みします。
つうか、
先ずは俗諦が分からんと真諦も分からんですね(~o~)
488 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/24(火) 08:23:01 ID:+nNOeFm1
>>487 釈迦も永遠を語れば、俺も永遠を語っているんだよ。
四の五の屁理屈ばかりで、口答えするな。
おまえさ、自説に合わないものは、スルーして、ひたすら、自説を強弁するんじゃなくってさ、
八正道すら方便とするなら、なぜ釈迦の直弟子である阿羅漢達も八正道を修めていたのか
説明してみろよ。なぜ道徳感に欠けた者は、釈迦の僧団、サンガに入れなかったのか、説明してみろよ。
489 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/24(火) 08:33:12 ID:+nNOeFm1
それは別に言葉で不死と表現しても、永遠と表現しても、差し支えのないものだ。
事実釈迦も、そう言葉で表現している。だが机の能書きでは、真諦、俗諦以前に、それを
不死だの、永遠だのと表現するのは正しくないどころか、おかしい。
なぜなら、俗諦も糞も、机の能書きが正しいのなら、俺が
>>484 出示したように、
不死だの永遠だのと語らず、
『そんなものは無いと知るところに、苦しみの消滅はある』と言う表現にすれば、しまいの話だろ。
ということだ。それをなぜわざわざ、不死だの、永遠だのと言う言葉で表現する必要がある?
釈迦は、池沼か?ま、池沼なのは、屁理屈ばかりで口答えを繰り返す、机のほうだがな。
>なぜ道徳感に欠けた者は、釈迦の僧団、サンガに入れなかったのか、説明してみろよ。 ホームレスの集団においても、それなりのルールはあるもんだし、 ましてや僧団となれば、それなりの規律・道徳観は必須の条件でしょうね。 獅子身中の虫は教団の破壊にもなる。 というのは経験則において人類は学習してきた。 >八正道すら方便とするなら、なぜ釈迦の直弟子である阿羅漢達も八正道を修めていたのか 八正道とは、成道すれば正覚を得るわけですから、 無為において八正道になりますね。 無明には足し難し。
>>489 >『そんなものは無いと知るところに、苦しみの消滅はある』と言う表現にすれば、しまいの話だろ。
人間というものは、非常に簡単なことこそが足し難し。
なんですよ。
何ゆえ足し難し。なんでしょ?
それは我執です。
頼まれもせんのに「利他」とか言う輩もいるわけですから。
「利他」において自らが救われている。
何らかのアイデンティティーがないと生きられんのが人間なんでしょうね?
釈尊の成道とは、この迷いからの解脱です。
492 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/24(火) 09:00:15 ID:+nNOeFm1
>>490 答えになっとらん。
単なるルールだけなら、僧団の決まりごとをも盛りますと言う誓いを立てさせればいいだけで、
入ってルールを守れければ追い出せば済むだけの話。いいか、釈迦のサンガには、道徳観のない者は、
入れなかったんだよ。つまりお前のような、この世に善悪などはないという輩は、入れなかったんだよ。
>八正道とは、成道すれば正覚を得るわけですから、
それは違う。釈迦我正道を得たのは、八正道を勤めたからではない。
むしろ逆だ。釈迦は正道を得た後に、最終的に涅槃にわたるには、八正道に沿った生き方が必要だと悟り、
そう教えたんだよ。てめぇの能書きは、前後が逆になってるんだよ。
493 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/24(火) 09:15:11 ID:+nNOeFm1
>>491 >何らかのアイデンティティーがないと生きられんのが人間なんでしょうね?
>釈尊の成道とは、この迷いからの解脱です。
だから、八正道を説いた釈迦も迷っているわけだな。
なにせ、自ら悟りを開いた釈迦も、釈迦の下で悟りを開き阿羅漢となった直弟子たちも、
八正道というアイデンティティーのもとに、余生を生きていたわけだからな。
勘違いするなよ、釈迦は八正道を勤めた結果、正覚を得たんではなく、正覚を得た後に、八正道を説いたんだよ。
また、釈迦の弟子達である阿羅漢達も、釈迦の指導の下、ヨーガ(瞑想)により正確を得た後に、
八正道を勤め励んだんだよ。なにが、『八正道とは、成道すれば正覚を得るわけですから、』だ。
彼らが正覚を得て悟りを開いたのは、あくまで智慧のあふれるヨーガ(瞑想)からであり、八正道を修めたからではない。
八正道とは、迷いの生存である輪廻から脱し、涅槃に至るための生き方であり、八正道を修めたから
正覚を得るわけではない。試しに八正道に沿った生き方をしてみろよ。それで、釈迦の悟りを知る事はないから。
正覚はあくまで、瞑想から得たのであり、正覚を得たからこそ、人は迷いの生存を脱し、涅槃に至るには、
八正道に即した生き方が必要なんだと悟ったんだよ。
それをなに、『八正道とは、成道すれば正覚を得るわけですから、』などとちんぷんかんぷんな事言ってんだか、
この邪見の王様さんはよ。
>>492 >釈迦は正道を得た後に、最終的に涅槃にわたるには、八正道に沿った生き方が必要だと悟り
正道を得た人間というのは、
「八正道に沿った生き方が必要だ」。とか、
「八正道に沿った生き方が必要じゃ〜ない」。とか、
そもそもこの思念から解脱しておまんがな(~o~)
八正道における「正念」です。
よくよく学習されたし。
カラスどのも正道を得て、 利他とか自他の分別から解脱し、 八正道に、いっそうの磨きがかかることを祈念いたします。 <花押>
>>493 八正道とは、空諦における世俗価値観への環滅の相です。→空即是色
慈悲も同じく、
空諦における世俗価値観への環滅の相です。
バックボーンは、あくまでも空諦。
497 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/24(火) 12:04:43 ID:+nNOeFm1
>>494 だーかーら、釈迦やその弟子達は、八正道により正覚を得たんじゃなく、
正覚を得た後、八正道を説き、余生を八正道に即した生き方を勤め励んだんだよと、
何度言えばわかるんだ???おまえ、仏典もろくに読んだことも無いくせに、
自説をただ垂れ流すだけか?正確を得た仏陀も阿羅漢達もおまえのいうように、
>「八正道に沿った生き方が必要じゃ〜ない」。とか、
>そもそもこの思念から解脱しておまんがな(~o~)
などと寝言を言わず、むしろ逆に、正覚を得た者は、八正道に沿った生き方をし、
常に気をつけ、を勤め励みなさい。と説いたんだよ。
お前がいくら屁理屈こねようが、それが仏典に書いてある事実だ。
それを否定するおまえは、もはや、釈迦の仏教とは違うものになっている。それくらいの道理は
理解できるだろう?おまえの能書きは、もはや、釈迦の仏教とは違うものになっているんだよ。
498 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/24(火) 12:34:57 ID:+nNOeFm1
>>495 アホが、「一」を悟るからこそ、利己的な己の心を、利他の心に形成し、完成させなきゃいけない
と言っているんだよ。悟り、正覚を得たら、自動的に、わたしとあなたが一つになり、
自我が消え、分別がなくなるというというのかよ。そういうのを脳内妄想というんだよ。
真理は分別などない、一如だと知るから、利他の心を完成させ、再び私とあなたを分別する
自我が生じない心を、今生において、完成させなきゃいけないと言っているんだよ。
それは善の修行を完成させる道でもある。勘違いするなよ、釈迦は悪を成さず、善を成しなさいと説いたのであって、
決しておまえのように、善悪などないから、好き勝手に生きなさい。そんなものに囚われるから苦はある。
なんて道徳の欠片も無い能書きなど言わない。
この世界に善悪は無いのではなく、善悪があるから、無自性なこの世があるんだよ。
勝義からみて、この世において、なにが善で、なにが悪かも理解できない者に、釈迦の仏教は無理だって話だよ。
勝義から見たら善悪などないのだから、この識別により成り立ち、善悪があるから成り立つこの世界では、
なにが善であり、なにが悪かの話をしている。この世の生存。つまり分別により生じた、自我を滅ぼし、
自我による生存を再び生じさせない為には、どのような心を完成させなきゃいけないかと言う話をしている。
善悪(識別)で成り立つこの世界において、一如である勝義に至る道を善の道であり、再び、私とあなたを
分別することにより生じる、自我による生存を、苦でしかない世俗による生存を再び生み出す心を悪だといっている。
その心とは、利己主義、我々の心に必ず巣食うエゴだ。エゴは私とあなたを分かつもの。
我々の心を決して一つにしないもの。俺はこの利己主義を悪だといい。この利己主義を滅ぼし、利他の心を完成
させる事を、善だと言っている。何度も言うが釈迦は、善を成し、悪を成してはならないと説いたのであって、
決して机のように、善悪などないから、好き勝手に生きなさい。そんなものに囚われるから苦はある。などとは言っていない。
499 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/24(火) 12:41:35 ID:+nNOeFm1
500get記念
>>499 >だからお前のようにな、利他の心を否定し、この世に善悪などないなどという外道は、
>釈迦の僧団、サンガには入れなかったと言っているんだよ。おまえ、文盲か?
「利他」を否定する。ということは、同時に「利己」も否定することになる。
利他・利己は相互依存関係において成り立つものであり。
あえて「利他」に偏するが故に正道から離れる。
これを禅では「平常心是道」とか言うたりする。
この意とするところは、作為あらざれば法から離れる。
ということに帰結する。
(正念のことです)
この正念において、同時に慈悲があるわけで、
慈悲と空性は、空諦における車の両輪のようなものです。
(これが八正道)
まあ、貴殿はアホ氏よりは邪念がない。
それだけ正覚を得るチャンスは大いにある。
ただし閃きを待つしかない。
(これを「平常心是道」という)
バスタのURLを示すのではなく、住所・実名・電話番号を晒して、誤字脱字の中傷、盗用まで言うんだから、仕方ないか。 おまけにメッセログまで晒してるんだしね。
誤爆スマソ
>>499 >まぁよく読んで、目が開きたければ、せめて自分達は、外道だということくらいは、早く悟ったほうがいいよ。
よく読みました。
外道というのは、佛教以外の6師のことで、
六師からすると佛教は外道になる。
まあ、ようするに、
簡単に言うたら・・・
視座において正道になったり外道になったりする。
この外道の意味です。
>>474 >永遠の命=「今、この瞬間の絶対安心」が連続すること、
>ってことじゃないですか?
「連続する」。という捉え方をしたのがアビダルマ哲学ですね。
何故そういうふうな捉え方をしたんでしょうか?
それは、論理的矛盾を「連続」という方向性を設定することにおいて
その整合性をすり合せた訳です。
(それが刹那滅論ですね)
でも、理論闘争として軟弱だった故に付帯したのが説一切有部の恒常実体論です。
これなら少々の論にも対処できるわけです。
(論理というのは、こういうふうにして発展して逝く)
505 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/24(火) 19:27:20 ID:+nNOeFm1
>>500 だーかーら、おまえのように善悪を否定し、道徳否定論者は決して釈迦の僧団には入れなかったと
言ってるんだよ。釈迦はお前の言うように善悪など無いなどとはいっておらず、むしろ
善を成して、悪を成してはならない。と教え諭したんだよ。
>「利他」を否定する。ということは、同時に「利己」も否定することになる。
いつまでも言葉遊びの屁理屈で、口答えの絶えない人だ。
これは典型的な邪見だ。この言葉を返せば、利他を否定するということは、利己主義になるという事だ。
これが正しい見方、正見というものである。
逆に言うと、利他の心を完成するという事が、利己心を滅ぼすという事であり、
机の能書きは、非常に性質の悪い、屁理屈、詭弁である。この思想こそが、オウムのような仏教系カルトを生む。
何度も何度も言うが、釈迦は七仏通戒偈を説き、四正勤を説いたのであって、机のように、
この世に善悪などは無い。などとはいっていない。この世において、善を成し、悪を成してはならない。と、
説いたんだよ。
この世界で自我の生存を修めている我々がいくら勝義を知ろうと、この世界では自我を持つ限り、あなたと私であり、
自我は利己心により生じたものであり、自我を滅ぼすという事は、利己心を滅ぼすという事だ。
あれありてこれあり。これなくしてあれもなし。机は縁起の理法すら理解しておらん。
506 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/24(火) 19:35:08 ID:+nNOeFm1
机を含め、ここの末法仏教者達は、一切皆苦であると説いた釈迦の仏教なのに、 なにを血迷って、この一切の中に、苦の滅を一生懸命見出そうとしているんだ? それもこれも、己の我執の強さ上。釈迦も邪見とは己の見解に恐ろしく執着する心が生み出すものだと 言っている。いくら仏典を読んでも書かれている一切皆苦の単純な道理も理解せず、屁理屈捏ね回しては 邪見に精を出すのは、全て、己の見解への恐ろしいまでの、執着によるものである。 一切皆苦を説く仏教なのに、この一切の中で、苦の滅を一生懸命捜している、机を代表する、 ここの末法仏教者達の盲目度は、非常に高いものである。
507 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/24(火) 19:40:11 ID:+nNOeFm1
しかし、机のような詭弁家にとっては、 空、真諦、俗諦、勝義、方便、待機説法などの仏教用語は、まことに都合のいい 道具になるようだな。
508 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/24(火) 19:49:40 ID:+nNOeFm1
>>503 そんな事は言っていないだろ。
おまえのような道徳否定論者は、釈迦に言わせると、外道だと言っているんだよ。
つまりお前の能書きは、釈迦の仏教とは違うというわけだよ。
どこまでいっても邪見ばかりして、正見のもてない人だ。そもそもおたくの八正道は、
正念だけで、自説では説明できない、正語、正業、正命、正精進などはまるっきり無視なわけだ。
>>508 >おまえのような道徳否定論者は、釈迦に言わせると、外道だと言っているんだよ。
四苦(自己問題)に倫理がどういうふうに結びつくのか?
問題の本質から離れれば、到底その本義には至らぬ。
510 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/24(火) 20:12:19 ID:+nNOeFm1
>>509 うだうだ屁理屈いってねぇで、お前のような言説を言う道徳否定論者を、釈迦は外道だと言ったんだよ。
で、自説に都合の悪い釈迦の説法の文言はまるっきり無視し、いつまでも自説を垂れ流し続けるおつもりで?
>>510 ほらほら、本音がチラホラ。
まあ、つまりは貴殿は、利他をやって、その交換条件として自らが救われたい訳ですね。
そんなことは全くやる必要もないし、
かえって我執に囚われる。
512 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/24(火) 20:36:30 ID:ff9sDs9t
な、
>>509 ←こんなことを言っている時点で
こいつは四諦の真理を全く理解していないということが、
よくわかるだろう。
513 :
カラスの唄 :2007/07/24(火) 21:14:06 ID:ff9sDs9t
>>511 誰もそんなことは言っていない。
俺は利己心を滅ぼしなさいと言っているんだよ。
それをおまえのような悪意のある解釈で返すのは、
おまえの根性がねじ曲がっているからだ。
なにもしなくていいのなら、釈迦は
善をなし、悪をなしてはならないと、説くこともなければ、
八正道を説くこともない。また自分達の僧団で厳しい戒律をかすこともねぇんだよ。
わかったかい?邪見の王様さん。
てか、わからんだろうな、この屁理屈大魔王は。
514 :
カラスの唄 :2007/07/24(火) 21:22:36 ID:ff9sDs9t
机よ、おまえがいくら屁理屈こねまわして四の五の言おうと、 釈迦はお前のような道徳否定論者のことを、外道だと言ったんだよ。
515 :
草レーサー :2007/07/24(火) 21:32:08 ID:aShpaOL8
仏教は、一般社会からは道徳否定の傾向を指摘されうる。 何しろ、家族を捨てて社会的働きも捨てて出家してしまうのだ。 祖師ゴータマも、妻子を捨てた蒸発男でもある。 修行者ゴータマが来て、方々の家庭を崩壊させるという詰りも 受けていたようである。 そして釈迦国は滅ぼされるも、彼は生き残る。
516 :
神も仏も名無しさん :2007/07/24(火) 22:08:18 ID:94uczaq4
人の子の無常・・・ 否、人の世の常成らざる所なり・・・と言った所か 真理(正法)は人の間にいては見失いがちだが 群れから離れて初めて見えてくる物も有る 人の間にいても、それら存在の共通点を見出す者は 人間離れした、一般的には引きこもりと言われる 天才達や道を究めた職人達だったりするから不思議
517 :
s :2007/07/24(火) 22:22:24 ID:4tayPZhy
いったいこれは? 道徳否定。 道徳は、人を悲しませない思いやりでしょうか。 人を悲しませて良しとの考えがある人には、悟りなど必要なさそうです。 誰一人悲しませない状態になったら、困りそうです。 一切誰も悲しませない方法が分かっているのなら、悪と善の区別がつきそうですが この掲示板で不注意な一言によって、どのような影響力があるのかを把握できなければ またその発言に対することの大きさを認識しないのなら、善悪の区別がなさそうです。 しかし僕はうなります。 外道が何すら分かりません。 末法なんだろうと思います。 これが明らかに仏教だとは思うことはありません。 僕には、対話をしている方々がお互いが自分の世界を強固にするために 努めているようにしか見えませんが、 (これは自分の世界観でもあります) 釈尊は、自分の悟りし世界を壊されないように努めたのでしょうか。
518 :
s :2007/07/24(火) 22:23:03 ID:4tayPZhy
釈尊は、人が妄執する 神 と言われる存在に帰依しているように見えません。 人々が想起していた(幻覚をみていた) 神々 に対しては 逆に自分がお願いされる様子があります(梵天勧請) その釈尊が帰依していたとするのは、悟りし 法 と聞きました。 当時、インド中で、神よ〜 はは〜 と誰もが自分より上の存在に目を向けている最中、 それらの人と同じように はは〜 とはしていませんでした。 ただ、帰依するものが存在しないとするほど尊大では無いのもポイント なのかと思います。 もしかしたら、道徳と神の意識は何らかのつながりがありませんでしょうか。 大抵の神は、罰を与える存在でもあると思います。 罰は、なんかしらの善悪の行動と密接な繋がりを感じます。 道徳に沿った行動と反した行動をした時に 自分の心持ちにそれ相応の影響力があるのは確かです。 また、世間の道徳に反した行動の中で、それをして良かったというものが あったりします。 いったいどうすれば、そのような悪を為さない事ができるのでしょうか。 諸悪莫作の言葉が出るとは、仏教の奥深さに興味津々。
おすすめ2ちゃんねる機能で迷い込んできました。 「妄執」 人間が指、足、心臓、俺と認識する。部分化する。 さらに見れば、鉄分、ビタミン、たんぱく質、骨、骨のカルシウムと部分化できる。 しかし、それは一つのワタシという有機体です。 部分として孤立し実態していると固執するとき妄執というのではありませんか? 実は相互に依存しながら、つまり縁起しながら動いているというのです。 人間がアンタ、俺と認識するとき、それが同じような妄執なのだ、と釈尊はおっしゃった。 さらに、なにかを見るとき、過去の記憶を被せて鬱積のある感情を抱く。 そうでなく無常である世を、あるがままに見よと、釈尊はおっしゃった。 わたしはうまく行えませんが、こういうことではないでしょうか?
当時、インド中で、神よ〜 はは〜 と誰もが自分より上の存在に目を向けていたのは、 「仏像〜〜はは〜〜」とやっているのと同じなのです。 仏教やバラモン教の、像や絵は象徴なのですから、 悪を為さないために、ええ妄執を克服するために仏道があり、仏教だけでなく各種の信仰の道あります。 その疑問は学ぶほどに解けるのではないでしょうか。
>>520 そういう
普通の、まともな思考の方はこのスレには来ない方がいいです。
ここは、精神病棟ですからw
物は実在している。 しかし、実体が、つまり自性が無い。相互に依存し、縁起しているに過ぎない。 わたしが一つの有機体であるように、わたしとあなたも一つの有機体である。 実体があるが、なにか我執を存続させているような自性は突き詰めるとない。 それは妄執である。 しかし、物は実在している。
× 実体があるが、 ○ 実体はなく、
死こそは、本当の生であり、そこには再び期待するという我執が滅されている。 それは死のように滅されたのだ。輪廻が起こるのは死してなお、再び期待するからだという。 ゆえに本当の死こそが、本当の生である。そこには再び期待するという我執が滅されているのである。 再び期待することがないということ、つまり我執がない。本当の死であり、滅されたのだ。 あるがままを見ているのだ。生きているのだ。過去の記憶を見ているのではないのだ。生きているのだ。
ただ、どのようにしてそこに達するのかといわれれば、 まだ学び足りず分からない。
ただどのような方法だとか、どのような道であるか、どのような宗教ではないのだ。 ただ早急に、執拗に、徹して再び起こし続けないことである。
それこそが瞑想である。
怒りを抱いた相手に対して許す思い 好きだけど、どうにも手に入らず その思いを離す思い 主観により相手を傷つけた行為を 素直に認めて相手を受け入れる思い こういった思いは行為の瞑想(ヨーガ) と言われるらしいですね 在家による究極の修練法なんだそうですよ
「妄執」 VEGAN ◆PsPHI2rklQ 著 人間が指、足、心臓、俺と認識する。部分化する。 さらに見れば、鉄分、ビタミン、たんぱく質、骨、骨のカルシウムと部分化できる。 しかし、それは一つのワタシという有機体です。 部分として孤立し実態していると固執するとき妄執というのではありませんか? 実は相互に依存しながら、つまり縁起しながら動いているというのです。 人間がアンタ、俺と認識するとき、それが同じような妄執なのだ、と釈尊はおっしゃった。 さらに、なにかを見るとき、過去の記憶を被せて鬱積のある感情を抱く。 そうでなく無常である世を、あるがままに見よと、釈尊はおっしゃった。 物は実在している。 しかし、実体が、つまり自性が無い。相互に依存し、縁起しているに過ぎない。 わたしが一つの有機体であるように、わたしとあなたも一つの有機体である。 実体はなく、なにか我執を存続させているような自性は突き詰めるとない。 それは妄執である。 しかし、物は実在している。 死こそは、本当の生であり、そこには再び期待するという我執が滅されている。 それは死のように滅されたのだ。輪廻が起こるのは死してなお、再び期待するからだという。 ゆえに本当の死こそが、本当の生である。そこには再び期待するという我執が滅されているのである。 再び期待することがないということ、つまり我執がない。本当の死であり、滅されたのだ。 あるがままを見ているのだ。生きているのだ。過去の記憶を見ているのではないのだ。生きているのだ。 ただ、どのようにしてそこに達するのかといわれれば、 まだ学び足りず分からない。 ただどのような方法だとか、どのような道であるか、どのような宗教ではないのだ。 ただ早急に、執拗に、徹して再び起こし続けないことである。 それこそが瞑想である。
ワタシは五蘊ではない。見つからない。実体性が空である。 ワタシは五蘊に依存して存在しているから、五蘊の所有者がワタシではないか。 しかし、五蘊以外にない。実体性が空である。 ワタシは五蘊ではない。見つからない。実体性が空である。 ワタシは五蘊に依存して存在しているから、五蘊の所有者がワタシではないか。 しかし、五蘊以外にない。実体性が空である。 ワタシは五蘊ではない。見つからない。実体性が空である。 ワタシは五蘊に依存して存在しているから、五蘊の所有者がワタシではないか。 しかし、五蘊以外にない。実体性が空である。 ワタシは五蘊ではない。見つからない。実体性が空である。 ワタシは五蘊に依存して存在しているから、五蘊の所有者がワタシではないか。 しかし、五蘊以外にない。実体性が空である。
音が移り変わっていく。無常であり、実体性が空である。 味が移り変わっていく。無常であり、実体性が空である。 色が移り変わっていく。無常であり、実体性が空である。 音が移り変わっていく。無常であり、実体性が空である。 味が移り変わっていく。無常であり、実体性が空である。 色が移り変わっていく。無常であり、実体性が空である。 音が移り変わっていく。無常であり、実体性が空である。 味が移り変わっていく。無常であり、実体性が空である。 色が移り変わっていく。無常であり、実体性が空である。 音が移り変わっていく。無常であり、実体性が空である。 味が移り変わっていく。無常であり、実体性が空である。 色が移り変わっていく。無常であり、実体性が空である。
虚無論でもない、実在論でもない。真ん中を、犀の角のようにただ独り歩め。 禅でもない、アートマンでもない。真ん中を、犀の角のようにただ独り歩め。 マーヤでもない、阿頼耶識でもない。真ん中を、犀の角のようにただ独り歩め。
虚無論でもない、実在論でもない。真ん中を、サイの角のようにただ独り歩め。 マーヤでもない、アートマンでもない。真ん中を、サイの角のようにただ独り歩め。 禅でもない、阿頼耶識でもない。真ん中を、サイの角のようにただ独り歩め。 真ん中の道を、サイの角のように、ただ独り歩め。 真ん中の道を、サイの角のように、ただ独り歩め。 ただ独り歩めって言ったろ? ただ独り歩めって言っただろ? ブッダの姿も空である。 ブッダの心も空である。 ブッダは空である。 ブッダの言葉は空である。 サイの角のように、 ただ独り歩めって言っただろ?
VEGAN さんは、どんな行をしたのですか?
>>513 >俺は利己心を滅ぼしなさいと言っているんだよ。
メクラというのは、どう隠そうとしても書き込みに表れてしまいますね(~o~)
覚者は、こういう書込みはしないもんです。
それは何故か?
私が簡単に、メクラでも解せるように説明いたします。
幼児のころに、お菓子を道端に落としてしまって、
それを拾おうとすると、母は
「そんな汚いものを拾うんじゃありません」という場合が多い。
この時、幼児は混乱するのです。
何故、道端に落ちたお菓子が不浄なのか?
(この不浄を理解するには数年の歳月を要する)
やがて幼児は子供に成長しまして、浄・不浄の分別ができるようになる。
問題は、果たして浄・不浄は生得的にあるものなのか?
いんや、それ以前に、
浄・不浄を決定つける人の思考とは果たして何だろう?
と、
かように究極なまでに人間洞察をしましたのが釈尊です。
釈尊は成道しまして、
浄も不浄も、利他も利己も、ようは迷いであった。と、
かように悟るわけです。
なお、この悟りの詳細につきましては、後ほど暇な時に書込みします。
(つづき)
>浄も不浄も、利他も利己も、ようは迷いであった。と、
>かように悟るわけです。
>>537 浄も不浄も、利他も利己も、
本来はないもんなんです。→正覚
ないもんを、
>俺は利己心を滅ぼしなさいと言っているんだよ。
>>513 というふうに滅ぼしようがないのです。
滅ぼすどころか、
既に覚者は利他とか利己とかの概念そのものもありませんし、
また、
それどころか、
生死とかの分別さえ離れておる訳です。
(参考文献は般若心経をご覧あれ)
539 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/25(水) 08:05:28 ID:44JFbtj6
540 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/25(水) 08:13:39 ID:44JFbtj6
>>538 ところが、この世では、お前と、私はあるんだよ。
相対するものがあるから、無常である、この世なんだよ。
この世は相対して成り立っているから、空でしかない、無自性なこの世なんだよ。
この世で、あなたと、私など無い。などといくらほざこうと、そんなのはただの言葉遊び。
脳内妄想の世界でしかない。何度も何度も言うがこの世に善悪など無いのではなく、
善悪があるから、相対世界であるこの世なのだ。相対で成り立つ世界であるから、この世は、
無自性な、空なのだよ。
おまえは仏教を根本的なところで、致命的な誤謬をしている。
541 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/25(水) 08:27:47 ID:44JFbtj6
ほれ、この詭弁家は、自分は外道ではないと、いかに 詭弁屁理屈、曲解で説明しようと、今、必死で考えてるぜ。 もうすぐ、お得意の、勝義、それは俗諦、これは真諦。いやいやそれは空諦。 いやそれより、それは方便だのと、詭弁家の道具である仏教用語を駆使した、詭弁屁理屈曲解で、 自説を正当化してくるから、みててごらん。こういう輩は、決して自分の過ちを認めないものだ。 賢者、自分の間違いは素直に認め、すぐに正しい見解を取るものだが、 愚者は、どんなに間違いを論理的に指摘されても、己の見解に恐ろしく執着し、決して自分の 間違いを認めないものだ。こういう人を、メクラと言うんだよ。
うーん、、、思考の出発点の違いと言え無くないです? 善悪は作られると言う側面は確かに有るし 存在論的肯定者ならば、否定をしないと言う意味での善悪は存在するだろうね しかし、此の世界の善悪は超えて行くものだろう 何故なら、人はその無常に気付くから・・・・・ ま、、、互いに譲る所が有って然るべきなのではないでしょうか? 以上、外野ですが失礼しましたm(_ _)m
>>540 >おまえは仏教を根本的なところで、致命的な誤謬をしている。
いや、そうではなくて、ここは非常に大事なとこです。
ここを透過せねばならないのは、スッタニパータの冒頭においても記してあります。
第一章(蛇の章)です。
「蛇が脱皮するが如くに」眼が開く。と、書いてある。
で、貴殿は脱皮をしたんですか?
しとらんでしょ?
「脱皮する」する。というのはどういうことか?
簡単に説明いたします。
よぉするに、脱皮というのは「既成概念からの脱却」のことです。
これを「蛇の脱皮」というふうに象徴的な表記にしとるわけです。
(注意:スッタニパータの解釈は、ある程度のスキルが要求される)
この「既成概念からの脱却」については、いろんな言い方がある。
「百尺竿頭進一歩」とかも、
ようは同義なんです。
やはり、どうしても越さねば成らない“関”というものがあるんです。
この越した瞬間を“見性”などという。
まあ、これが佛教の「ダイナミズム」というもんですね。
これなくして佛教を語ちたことにはならんのです。
これあっての佛教(原始仏教)なんですから。
すまんですね。
>>543 バカな野郎だ。尻尾がでてるぞ。
こいつは見性のなんたるかも体験しとらん。
>既成概念からの脱却
>やはり、どうしても越さねば成らない“関”というものがあるんです。
>この越した瞬間を“見性”などという。
これが理屈屋の見性”論”。何も中身がない。
>>544 >これが理屈屋の見性”論”。何も中身がない。
中身があろうはずはない。
(無の哲学などと言うたりする)
机さん、お元気そうでなにより 暑中お見舞い申し上げます
>>545 そんなことより、机よ。
質問箱の質問に答えてやれよ。
おまいさんの縄張りだろ。
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート18
70 名前: 神も仏も名無しさん 投稿日: 2007/07/23(月) 21:36:30 ID:G2BANJrz
(裏千家先代家元の書にあった)禅語の「満天瑞星」とはどういう意味ですか?
出典などもわかればお願いします。
「真ん中の道を、サイの角のように、ただ独り歩め。 」 VEGAN ◆PsPHI2rklQ 著 人間が指、足、心臓、俺と認識する。部分化する。 さらに見れば、鉄分、ビタミン、たんぱく質、骨、骨のカルシウムと部分化できる。 しかし、それは一つのワタシという有機体です。 部分として孤立し実体していると固執するとき妄執というのではありませんか? 実は相互に依存しながら、つまり縁起しながら動いているというのです。 人間がアンタ、俺と認識するとき、それが同じような妄執なのだ、と釈尊はおっしゃった。 ワタシは五蘊ではない。見つからない。実体性が空である。 ワタシは五蘊に依存して存在しているから、五蘊の所有者がワタシではないか。 さらに、なにかを見るとき、過去の記憶を被せて鬱積のある感情を抱く。 そうでなく無常である世を、あるがままに見よと、釈尊はおっしゃった。 無常であり、実体性が空である。 物は実在している。 しかし、実体が、つまり自性が無い。相互に依存し、縁起しているに過ぎない。 わたしが一つの有機体であるように、わたしとあなたも一つの有機体である。 実体はなく、なにか我執を存続させているような自性は突き詰めるとない。 それは妄執である。 しかし、物は実在している。 虚無論でもない、実在論でもない。マーヤでもない、アートマンでもない。禅でもない、阿頼耶識でもない。 真ん中の道を、サイの角のように、ただ独り歩め。 死こそは、本当の生であり、そこには再び期待するという我執が滅されている。 それは死のように滅されたのだ。輪廻が起こるのは死してなお、再び期待するからだという。 ゆえに本当の死こそが、本当の生である。そこには再び期待するという我執が滅されているのである。 再び期待することがないということ、つまり我執がない。本当の死であり、滅されたのだ。 あるがままを見ているのだ。生きているのだ。過去の記憶を見ているのではないのだ。生きているのだ。 ただ、どのようにしてそこに達するのかといわれれば、 まだ学び足りず分からない。 ただどのような方法だとか、どのような道であるか、どのような宗教ではないのだ。 ただ早急に、執拗に、徹して再び起こし続けないことである。 それこそが瞑想である。
人間が指、足、心臓、俺と認識する。部分化する。 さらに見れば、鉄分、ビタミン、たんぱく質、骨、骨のカルシウムと部分化できる。 しかし、それは一つのワタシという有機体です。 部分として孤立し実体していると固執するとき妄執というのではありませんか? 実は相互に依存しながら、つまり縁起しながら動いているというのです。 人間がアンタ、俺と認識するとき、それが同じような妄執なのだ、と釈尊はおっしゃった。 ワタシは五蘊ではない。ワタシは見つからない。実体性が空である。 ワタシは五蘊に依存して存在しているから、五蘊の所有者がワタシではないか。 しかし、五蘊以外にない。実体性が空である。 さらに、なにかを見るとき、過去の記憶を被せて鬱積のある感情あるいは再び期待を抱く。 そうでなく無常である世を、あるがままに見よと、釈尊はおっしゃった。 無常であり、実体性が空である。 物は実在している。 しかし、実体が、つまり自性が無い。相互に依存し、縁起しているに過ぎない。 わたしが一つの有機体であるように、わたしとあなたも一つの有機体である。 実体はなく、なにか我執を存続させているような自性は突き詰めるとない。 それは妄執である。 しかし、物は実在している。 虚無論でもない、実在論でもない。マーヤでもない、アートマンでもない。禅でもない、阿頼耶識でもない。 真ん中の道を、サイの角のように、ただ独り歩め。 死こそは、本当の生であり、そこには再び期待するという我執が滅されている。 それは死のように滅されたのだ。輪廻が起こるのは死してなお、再び期待するからだという。 ゆえに本当の死こそが、本当の生である。 そこには再び期待するという我執が滅されているのである。本当の死であり、滅されたのだ。 あるがままを見、過去の記憶を見ているのではない。つまり、生きているのだ。 ただ、どのようにしてそこに達するのかといわれれば、 まだ学び足りず分からない。 ただ、どのような方法だとか、どのような道であるか、どのような宗教ではないのだ。 ただ、早急に、執拗に、徹して再び起こし続けないことである。 それが瞑想である。
>>547 裏千家のことは、よく分からんですね。
「満天瑞星」
まあ、これは、満天に広がる星においての瑞星という意味なんでしょうけど。
ひときわ際立つ瑞星(吉兆)という意味なんでしょう。
「瑞気」というのは、たまに書では書きますね。
「瑞気満屋」とか。
これは開店の祝い事に「ひと「ひとつ先生の書を」とか頼まれるときに、
じゃぁ〜〜〜、ってんで書いてあげるんです。
(注意:検索してもヒットしません)
まあ、この意味は(瑞気満屋)、「店や事務所に広がる目出度い空気」。
とか、そんな意味ですね。
あくまでも縁起もんです。
この書をあげた御仁には、ちゃんと説明してあげます。
まあ、そうしますと大体が書を大事に扱ってくれますね。
「大変いい書を頂きました」。と、
感謝されます(^_^)
<瑞気満屋・花押>
>>535 聞思修の聞思しかほとんどありませんから、あまり多くは期待しないでください。
>>548 >ただ、どのようにしてそこに達するのかといわれれば、 まだ学び足りず分からない。
「そこに達するか」。とか言うよりも、逆に
むしろ私は「原点回帰」が佛教かと思いますね。
ホモサピエンスが知恵を有するようになってから、また人類は負の遺産を受け継いできた訳だし、
その負の総括こそが釈尊の成道だった訳です。
釈尊の悟りとは、限りなく人類愛に満ちています。
(慈悲がそうです)
慈悲にもはや付帯するものはなく、
もしもこれに付帯・属性あらずんば、それは慈悲にあらず。
究極なまでの人類謳歌であることを、先ずは学ぶべきかと思いますね。
つまり、人類というものを対象としていない無我の慈悲であることをそれより先に学ぶ必要がありますね。
554 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/25(水) 16:41:16 ID:44JFbtj6
555 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/25(水) 17:09:04 ID:44JFbtj6
相対、識別により成り立つ、この世界には、もちろん私とあなたは存在する。 私とあなたが存在するから、縁起で成り立つこの世なのだ。 それをこの世において、私とあなたは無い。善と悪も無いなどと得意げに語る御仁は、全て トンデモさんである。善と悪との間をいく、中道とは、この世には無い。 だがそこにわたるには、この世で善の修行を完成させなければいけない。 それは、私とあなたを区別、差別すること無い、全て平等の愛を完成させる事である。 自分を愛するがごとし、他者を愛する心である。自分を捨ててまでも、他者を愛する心である。 それは、己のエゴを滅ぼす道でもある。苦でしかないこの世の生存とは、今あなたが認識している、 自我による生存である。利己心を滅ぼし、己の心に巣食う、エゴを滅ぼすと言うことは、この自我を滅ぼす 道であり、善の修業を完成させ、その心を完成させた者は、今の自我が滅んでも、 再び自我を生起させることは無いだろう。ここに苦の終焉がある。私は、自分を愛するが如し、他を愛しなさい といった。私は自我による生存は否定するが、真の自己は否定しない。 それは、私とあなたという、自我による生存ではなく、一は多であり、多は一である。 心の働きを死滅させたとき、見る者は、本来の姿に安住するだろう。そこに、苦の終焉がある。 その時、見る者は独尊となり、単独者となるだろう。 親子愛というのは、とどのつまり、親族に対する執着でしかない。これはエゴを生む。 そうではなく、釈迦は、親子、恋人、仲間、などという己のエゴが愛する者を愛しなさいと説いたのではなく、 親子、恋人、仲間などと他人を分け隔てなく、親子であろうが、他人であろうが、 悪人であろうが、善人であろうが、獣であろうが、人間であろうが、敵であろうが、味方であろうが、 自分と他人を分け隔てなく、全て平等に愛しなさいという、慈悲の心を説いたのだ。 親が子に、子が親に、あなたが恋人に。なんであれこの世のものに執着する心。それはエゴを生む。 エゴを満足させる心の働き、それにまつわる行動。それらは全て、悪である。 自分の好き嫌いの愛。それは、単にあなたのエゴである。
556 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/25(水) 17:12:50 ID:44JFbtj6
私は幸せであれ。 私の大事な人も、皆、幸せであれ。 私を嫌う人も、皆、幸せであれ。 私が嫌いな人も、皆、幸せであれ。 生きとし生けるものは皆、幸せであれ。 これが、仏陀の教えである。
557 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/25(水) 17:30:35 ID:44JFbtj6
全く子供じゃねぇんだからよ、 末法仏教思想、特に机をみるまでもなく、禅思想に毒された者は、 この世界でなにが善で、なにが悪かも自分では判断できないのだから情けない。 仏教者を自認する者が、釈迦が修めなさいといった善とはあにかも 理解できないのだから、恐れ入る。 何度も言うが釈迦は、この世に善悪は無いなどと屁理屈は言わず、この世において、 善を成し、悪は成してはならないと、説いたんだよ。 原始佛教を唄う御仁達が、釈迦の教えである、七仏通戒偈の教えも、 四正勤の教えも知らないなど、洒落にもならない。
558 :
神も仏も名無しさん :2007/07/25(水) 17:34:35 ID:iyYiEoGW
┌─┐ ┌─┐ │●│ │●│ └─┤ └─┤ _ ∩ _ ∩ 新風! ( ゚∀゚)彡 ( ゚∀゚)彡 新風! ┌─┬⊂彡┌─┬⊂彡 |●| |●| └─┘ └─┘
>>551 謙虚ですね。では聞は、どなたから? よろしければお聞かせください。
>>556 >生きとし生けるものは皆、幸せであれ。
>これが、仏陀の教えである。
「幸せであれ」。と、願うのが佛教ではないですよ。
それ以前に、生きて逝くのがやっとの御仁もいる訳ですから、
幸せどころか、生きるのでさえ辛い訳です。→四苦
(現実とはそういうもんです)
先ず、現実を直視すべきですね。
理想論などでは到底、佛教の甚深なる法には巡り合えんのです。
生きるのがやっとで、
さあ、これから富士の樹海でも逝くかぁ〜
とか、そんな時に眼が覚める場合もある。
(覚めないで、そのまま逝く者もあるにはあるが・・・)
>>557 >何度も言うが釈迦は、この世に善悪は無いなどと屁理屈は言わず、この世において、
>善を成し、悪は成してはならないと、説いたんだよ。
別に釈尊が説かずとも、これは人類共通の倫理・道徳の問題であるし、
この概念に囚われておったら、
それは「人類共通の概念」だけに終わる。
それならなにも佛教でなくてもいい。
だれでも、そんなことくらいの認識はある。
掲示板に書くほどのこともない。
常識的なもの。
562 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/25(水) 19:08:39 ID:44JFbtj6
>>560 おやおや、この人は、原始佛教を自認しているくせに、
慈悲の瞑想も知らないらしい。
どこまで法を、曲解し、邪見し、違うものに捻じ曲げ、汚し続けるのだろう。
おまえが慈悲の瞑想すらそのような屁理屈で口答えするのは、おまえの根性が捻じ曲がっているからだよ。
563 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/25(水) 19:12:59 ID:44JFbtj6
>>561 佛教などの教えがなければ、人は平等の愛などに目覚めず、
好き嫌いの愛、つまり己のエゴに従った生き方しか出来ないだろうがよ!!
いいかげん屁理屈ばかりで口答えするのはやめたらどうだい。外道の机さんよ。
おまえは、外道なんだからさ、自説を垂れるときは、これは佛教ではないと最初に断りを入れて
語れよ、屁理屈大魔王の机さんよ。
しかしこの人は、どんなに論理的に間違いを指摘してあげても、絶対に自分の間違いを認めない人だね、
我執の鬼だよ。
564 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/25(水) 19:17:24 ID:44JFbtj6
>>545 ←な、こいつとはまともに会話が成り立たないというのは、このレスを見るだけでも
よくわかるだろう。屁理屈と詭弁で口答えするこいつとは、まともな会話は成り立たない。
565 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/25(水) 19:27:30 ID:44JFbtj6
>>561 俺の言っている善悪は、社会科の先生が言うような、
時代よって世俗の価値観によりころころかわる、あなたの立場でみれば、それは善であるが
私の立場から見れば悪である。などというような相対的で、その人その人の主観に過ぎないものではないんだよ。
なんぼ言うてもお前は、理解せず、あいも変わらず俺が世俗の善悪判断のことを言っているかのように語り
世俗の善悪判断を引き合いに、反論してくる。人の言説を捻じ曲げてまで、反論してくるお前の心は、お前のエゴの
なせる業だ。おまえの心は、邪悪だよ。
566 :
松 :2007/07/25(水) 19:27:38 ID:6Pdae553
オウムのカラス、泳がしてやると絶好調だな。 シャブでもやってるのか。 おまえが前にリークした麻原のエロガキに金が渡ってるネタは、ちゃんと公安にも伝わったぜ。 次のネタは佐倉哲か。 こいつをオウムがパクろうとしているのか、あるいは既にオウムなのか、直ぐに判る。 おまえも身辺に気を付けろ。 ひかりの輪の若い者に消されないようにな。
>>562 >慈悲の瞑想も知らないらしい。
そもそも、慈悲の瞑想などというのはないし、
慈悲にしても、慈悲喜捨で、
慈悲というのも仮の名称でしかない。
全てを捨てきった後に、慈悲の何たるか?が正覚できる訳で、
慈悲は既に人倫を離れておりますね。
これを仏性などという訳ですが、
なかなかこの仏性なるも俗人には解し難い訳です。
568 :
松 :2007/07/25(水) 19:39:57 ID:6Pdae553
まあ、佐倉の小ネタはともかく、今回の書きこみで上祐の作った新しい悪の組織、ひかりの輪が、やっぱりカモフラージュだったと判った。 これからもリークを頼むぜ。 公安の友。
569 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/25(水) 19:49:06 ID:44JFbtj6
>>567 おやおや、八正道の否定の次は、慈悲の瞑想の否定ときたもんだ。
とんだ原始佛教だことで。
お前はどう考えようと勝手だが、おまえの見解は外道だと言っているんだよ。
仏陀の法を、屁理屈で捻じ曲げるなよ、外道。
お前がいくらうじゃうじゃ言おうと、釈迦はこの世において、善を成し、悪を成してはならないと説いたんだよ。
あいも変わらず、慈悲喜捨の意味も誤謬しとるし。どうしようもないなこの邪見の王様さんは。
慈悲喜捨とはこういう意味なんだよ。ほれ。
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi5.html おまえのような見解を持つ者は、決っして釈迦の僧団、サンガには入れなかった。
それくらいは認め、知ろうな。邪見の王様、外道の机さんよ。
>>569 そこのサイトはdでもですね。
>仏教の冥想の実践はこれら四つの感情をべつべつに育てることが目的です。
これを読んだだけで支離滅裂です。
ネットには、いろんなリスクがありますが、
これを分別するのを世俗諦とか言います。
この智恵が大事なんです。
571 :
松 :2007/07/25(水) 20:06:24 ID:6Pdae553
今更、スマナかよ。こいつはもうどこのスレでも笑い者じゃないか。 もっと新ネタを出せよ。 公安の犬。
572 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/25(水) 20:06:30 ID:44JFbtj6
>>570 そのサイトでなくとも、まともな仏教を教えるところなら
慈悲喜捨については同じ事を言ってるよ、ボケ。
論点ずらしの揚げ足取りの反論してんじゃねぇよ、低脳。
ちなみにそこのHPは上座部仏教と呼ばれる、原始佛教に近い、小乗仏教と呼ばれるところのとこのだ。
そこの見解より、お前の見解のほうが上だとお前は思っているということだな(苦笑)
この上座部佛教は、大乗佛教を代表する、今の禅宗などよりはるかにまともな佛教を教えていると思うがね〜。
しかし、この上座部佛教をトンデモ呼ばわりするお前のほうこそ、トンデモさんじゃないの?
実際お前の言説は、ただの脳内妄想レベルの、トンデモだしな。
いーかげん屁理屈ばかりで口答えするんじゃねぇよ、タコ。
573 :
松 :2007/07/25(水) 20:08:53 ID:6Pdae553
最近、おまえらオウムの分派で死人が出たそうじゃないか。 おまえがやったのか? オウムのカラス。 いや、今はひかりの輪のカラスだったな。
574 :
松 :2007/07/25(水) 20:11:59 ID:6Pdae553
>>572 しょぼいサイトを紹介して負けたカラスの負け惜しみか。
つまらんな、もっとはじけろよ。
上祐派はアーチャリー暗殺計画を練っているそうじゃないか。
575 :
松 :2007/07/25(水) 20:21:20 ID:6Pdae553
ほう、返事が無い所をみると、大当たりだったか。 こいつは大ネタだな。 又、おまえらオウムが新聞のトップを飾れるぜ。
「真ん中の道を、サイの角のように、ただ独り歩め。 」 VEGAN ◆PsPHI2rklQ 著 人間が指、足、心臓、俺と認識する。部分化する。 さらに見れば、鉄分、ビタミン、たんぱく質、骨、骨のカルシウムと部分化できる。 しかし、それは一つのワタシという有機体です。 部分として孤立し実体していると固執するとき妄執というのではありませんか? 実は相互に依存しながら、つまり縁起しながら動いているというのです。 人間がアンタ、俺と認識するとき、それが同じような妄執なのだ、と釈尊はおっしゃった。 ワタシは五蘊ではない。ワタシは見つからない。実体性が空である。 ワタシは五蘊に依存して存在しているから、五蘊の所有者がワタシではないか。 しかし、五蘊以外にない。実体性が空である。 さらに、なにかを見るとき、過去の記憶を被せて鬱積のある感情あるいは再び期待を抱く。 そうでなく無常である世を、あるがままに見よと、釈尊はおっしゃった。 無常であり、実体性が空である。 物は実在している。 しかし、実体が、つまり自性が無い。相互に依存し、縁起しているに過ぎない。 わたしが一つの有機体であるように、わたしとあなたも一つの有機体である。 実体はなく、なにか我執を存続させているような自性は突き詰めるとない。 それは妄執である。 しかし、物は実在している。 虚無論でもない、実在論でもない。マーヤでもない、アートマンでもない。禅でもない、阿頼耶識でもない。 真ん中の道を、サイの角のように、ただ独り歩め。 死こそは、本当の生であり、そこには再び期待するという我執が滅されている。 それは死のように滅されたのだ。輪廻が起こるのは死してなお、再び期待するからだという。 ゆえに本当の死こそが、本当の生である。 そこには再び期待するという我執が滅されているのである。本当の死であり、滅されたのだ。 あるがままを見、過去の記憶を見ているのではない。つまり、生きているのだ。 ただ、どのようにしてそこに達するのかといわれれば、 まだ学び足りず分からない。 ただ、どのような方法だとか、どのような道であるか、どのような宗教ではないのだ。 ただ、早急に、執拗に、徹して再び起こし続けないことである。 それが瞑想である。 そこに真理がある。
>>468-471 >>483 でアンカーが抜けていました。失礼しました。
記すべき過程がいろいろ錯綜していて、詳しく記述するのが難しいので、とりあえず結論をふくめ
簡単な中間報告です。数日内にはまとめたいと思っていますが。
上掲仲曽根論文は、縁起説の行でも、業=思ということから「行≒思」という結論になりますが、
私もほぼ同じ見解です。私の場合、SN.22-79での諸行の定義を根本に据え、sam-√kR- -a という
原義を残します。というのは、下記のABの意味も原義からの派生と考えるからです。
@「造り為す行為」(Nom. act.)ということから、具体的には思(意志)として現れる、と考えます。
これでさまざまな文例が説明できると考えています。
そして派生義として、A「造り為す対象」(cf. kSiti 但、この解釈が可能かはまだ検討中)から
「有為」という意味が生じ、諸行無常などはこれで説明する必要がある、と。
また、B「造り為す行為者」(Nom. ag.)という語釈と無我説(パッグナ経)の兼ね合いから、異熟業・
業力・無表業・心不相応行などの流れの中に、「潜在的形成力」という解釈は位置づけ得るし、
そこから更に涅槃経の「如来の一劫の寿命」と命根・有愛などとの類比から、「寿行・有行」の
説明が可能だ、と考えます。
>>572 善悪概念が、程ほどならそんなに害毒はない。
ただしこの概念が強烈に脳にインプットしますと、これはあまりにもリスクが高くなる。
この概念によりて自爆する恐れがあります。
脳障害とか、そのように顕現するやもしれません。
(現在がその途上か?)
いずれにしても、何らかの影響がある。
白隠が幼少の頃に地獄観念を植え付けられて、
この観念は白隠の大悟の後も消えることはなかった。
白隠の晩年に、幼少の頃に学んだ法華経を再び紐解くのであるが、
この時、白隠の心境はいかばかりか?
まさにそれは白隠の壮絶な人生の総括でもあったのです。
人生とは、こういうものです。
花よ蝶よとおだてられた、クラブのナンバーワンが、
やがて年おいて、公園のモク拾いをやる描写の小説がありますが、
華麗なる人生と、その対極にある人生の違いとは何なのか?
こういうことが分からんと、
善悪概念も分からんのです。
579 :
神も仏も名無しさん :2007/07/26(木) 12:01:54 ID:hbMeX1GV
梵檀罰
580 :
神も仏も名無しさん :2007/07/26(木) 14:20:33 ID:PCnZNV9X
544 名前:チゥ(* ^)(◎o◎)オヨヨ・・・(*ё_ё*)ポッたん ◆UshiDBCNrw [] 投稿日:2006/12/09(土) 16:59:30 ID:sKqnhgCC 「サイの角のように、ひとり歩め」 2006/01/11 17:31 (Wed) イエスは、弟子達に、わたしの教えを述べる時、必ず二人で行きなさい。絶えられない迫害を受けるから。(一人では耐えられなくとも、二人であれば、どんな迫害でも耐えられる) と、愛情をかけました。 おしゃかさまは、修行者にこう言いました。 わたしの教えは、優しい教えである。だから、何処へ言っても必ず大歓迎を受ける。だから、一人で行きなさい。二人で行くなどと言う、無駄をしてはいけませんと言う。 それで、 「サイの角のように、ひとり歩め」 と、修行者のあゆみを、あたたかく見つめている、と、思います。 わたしは、この言葉を、思うと、おしゃかさまを身近に感じるのですよ。 あぁ、わたしといっしょに歩いてくださっている、と・・・ 「成人式に思う。」 2006/01/09 19:57 (Mon) 1月9日、今日は、成人式で、休日なんだとか。 でも、この日に成人式を行う自治体は、かなり少ないんだとか聞きます。 みんなが集まる正月の3日に行ったり、7日の土曜日、8日の日曜日に行ったりする自治体が、圧倒的に多いとか。 そうすると、9日の成人式の日は、有名無実。 成人式の日、そのものが問われているように思う。 では、成人とは、なんだろうか? ひとは、ひとりでは、存在していない。 ひとに限らず、地球も地球一個では、そもそも、成り立ってはいない。 太陽系も、銀河系も、相互に存在している事を前提として成り立っている。 成人とは、関係性を理解したひと、と言えるのでないだろうか。 それは、仏教、禅、と言って良いと思う。
善悪が、ひとつ間違うと犯罪になる。 そのいい例が、今回の「タリバン、韓国人23人拉致事件」。 善行実践派の韓国人に非はある。 かつて大東亜戦争は、日本国家の一大プロジェクト善行の実践だったのである。 極東アジアの開放。大東亜共栄圏の建設。 この理想に向けてガムバッタ訳ですが、 やはり善行が万人に通じるものではないと、 歴史が語ちているではないか? 戦争こそが善の実践なのである。
机さんは・・・わざと誤解を招くような書き込みをしていませんか? 確かに歴史にはその様な大義を含む事実もあるが、、、
583 :
神も仏も名無しさん :2007/07/26(木) 16:47:26 ID:ZHjJ01ed
100の悪あるところには必ず、100の善がある 10の悪あるところには必ず、10の善がある 100の悪がなくなれば、その100の善はなくなる 10の悪がなくなれば、その10の善はなくなる でも心配する必要はない 人はすぐに新たなる悪を見つけだすから というのは、人は善行が大好きだからである
善悪を弁えた人は、悪いことを考えもしないし行いもしません。 だから自宅前のどぶに小便を垂れ流したりはしないし、 ましてや女弟子に一服もって手篭めにしたりもしないのです。 そうですよね、机さん。
>>582 >机さんは・・・わざと誤解を招くような書き込みをしていませんか?
私は、ありのままを書いたまでのことです。
(注意:ありのまま・AAは略させて頂きます)
ものごとの本質というのは、そういうもんです。
ただしそこに、社会通念とか社会規範とかを挿入して
どうにか、ものごとの本質を誤魔化しているに過ぎません。
(誤魔化さなければ生きていけないのは事実です)
自分に誤魔化さない。
花は紅 柳は緑 (by沢庵)
実によく沢庵の境涯が表れてるやに思いますね。
(沢庵・AA 略)
586 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/26(木) 22:26:17 ID:q+BO/MFw
>>578 まだこの馬鹿は世俗の善悪判断を引き合いに、論破された話題を
いつまでも垂れ流し続けている。俺の話からは、決してオウムは生まれない。
いくら言っても理解できず、いるまでもいつもでもいつまでも世俗の善悪判断を引き合いに
反論してくるこの人は、きっと知恵遅れならず、智慧遅れなのだろう。
いやいつまでも論破された話題を引き合いに反論してくるところなど、すでに脳障害をわずらっているのだろう。
脳障害を起こしているのは、言葉遊びにしかならない屁理屈ばかり考えるあまり、
思考回路までが捻じ曲がっているお前のほうだろう。
587 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 00:06:30 ID:b3gA/Z+4
>>585 >自分に誤魔化さない。
>花は紅 柳は緑 (by沢庵)
というならば、
自分を知らない。
机は外道 バカは妄想垂れ流し (by 福神漬け)
が妥当だな。
机氏よ、あなたはありのままなんて書いてないよ。
最初に己の閃き?(ボケ)を書いて、それに突っ込まれると更に閃き?(言い訳)を
書いているに過ぎない。
588 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 00:18:21 ID:xOR4AIpj
原始地球に原初生命として誕生した高濃度硫化水素に生きるシアノ・バクテリアにも 善悪という文化(人間が社会生活を営むうえで形成する生活や行動の様式)共同幻想規範があったのだろうか? ティラノサウルスはどうなのか? 善悪なんて所詮人倫共同幻想世界におけるご都合主義的規範にしか過ぎない。 だから、たとえば嫁を多数持つ奴もいれば、ひとりもいない奴もいる。 あるがまま・・ 何を迷う事があろうか。あるがまま・・ 何回判りきった与太話をしとるんかいね?
>>588 シアノ・バクテリアやティラノサウルス並の知能しかないことを
そんなに自慢しなくてもいいですよ。
「本質は無常である。実体は空である。」VEGAN ◆PsPHI2rklQ著 それはブッダの信仰でしょうか、法衣を着ることでしょうか? それは四聖諦の実践でした。 変化のある無常の世界において、再び期待する。 しかし、再び期待したものを得たとしてもそのまま再び移ろっていく。 そこで苦を味わう。 苦と切り離すことができない。 このように苦しみの本質は無常であると知った。 そして、栄華を願う心は、離れるとした。 そして、権力を願う心は、離れるとした。 そして、快楽を願う心は、離れるとした。 生老病死、その移り変わりを、ああしようこうしようと願う心は離れるとしよう。 このようにしてから、再び期待したことに気づくのである。 今度は期待の裏にある苦を照らし、この無明を暴いていく。 そして、根本原因であるワタシを仮設するという妄執を暴くのである。 物は存在している。それらが無常に変わり行く相互関係でしかない。 そこにワタシというものは見つからない。空だ。 ワタシを仮設するとき、再び期待するのである。これが苦の原因だと気づく。 さらに、何かが存在すると仮設する、この妄執を暴くのである。 仮設して得たい、害したいとするとき、 それが苦の原因となる。 しかし、本質は無常である。実体は仮設である、空である。 虚無論も仮設せず、実在論も仮設せず、マーヤも、アートマンも、禅も、阿頼耶識も仮設せず。 このようにして知識として知るだけでなく、瞑想するとき、つまり体得するとき、 再び期待することなく、あるがままを見るとき、真理を悟っているのである。
>>586 いやいや、私は「ものごとの本質」について書いたのですよ。
その答えを暗に例示したまでのこと。
なんらそこに作為などあろうか。
つまり、
>戦争こそが善の実践なのである。
>>581 であろうと
>戦争こそが悪の実践なのである。
であろうと、
それは善悪、即時脳変換できるということです。
法とは、普遍であることにおいて法とならしめる。
(これは非常に大事なことです)
どうにでも脳で変換できるものは、法に成りえんのです。
(貴殿のために簡単に説明いたしました)
実は「ものごとの本質」など、ありゃ〜せんのです。
ありゃ〜せんものでも、仮設として説示せねば俗人の頭はパンクしちまうのです。
パリー語とは、そういうバックボーンにおいての記述であることを、
先ずは前程とせにゃ〜ならんでしょうね。
592 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 07:02:29 ID:ugZNePwz
>>591 まったく、あー言えばこう言う。
決して自分の間違いを認めなければ、間違った考えを改めることもしない。
机さんを観察していると、いかに禅思想は有害で、
オウムなどの仏教系カルトを生むか、
よくわかるスレですね。
つまり、無明に起因した世俗の善悪を即自変換できようとも、ワタシを仮設したことによる悪事であるという認識に欠けていますね。
善悪に関して思考停止した人は少なくない。 そのほうが生きるのに楽だからである。 光市の母子殺人の犯人の供述と、机の作り話と。
595 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 07:34:40 ID:gULuxzkb
>>592 >机さんを観察していると、いかに禅思想は有害で、
>オウムなどの仏教系カルトを生むか、
貴殿は、オウムの教義を知っていて書込みしておるのですか?
オウムは「民衆救済」が教義の核ですよ。
救済によって自身のカルマ落としをやるんです。
わたしは「民衆救済はやらんでいい」。と主張してます。
また「カルマ」などはない。と、
このように逝っておるんです(~o~)
私の書込みのバックボーンは「アンチ・オウム」なんですよ。
まあ、そこのとこを間違いないように、
どうかご理解の程を願います。
オウムがいう「利他」というのは、つまり「カルマ落とし」のことです。
<敵を知り 己を知らざれば 百戦危うからず>
ー孫子の兵法ー
机さんは何も分かってないから、 この方は人がいいだけで、自分の人生哲学に仏教をからめて話してるだけ。 敵を知り 己を知らざれば 百戦危うからず ○○○ という引用と<「カルマ」などはない>などに無知が示されてるでしょう。 敵も知らず 己も知らない 机さんは負けっ放し
598 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 08:02:38 ID:xOR4AIpj
本日は、株式相場に注目。 2月の世界同時株安以来の買い方虐殺相場がみられるだろう。 俺は、下げきったところを見計らって、買い出動する。 暴落したところで買い出動した9501東京電力は継続。円高戻しでリバウンドするだろう。 現在ノーポジの5401新日鐵の買いを入れるタイミングを探る。 このスレはかまっていられん。 諸君の奮闘を祈る。
机さんと、机さんを理解しない他の人は立ち位置が違ったり、向いてる方向が違ったりするだけなんだろうな。 机さんはそのことを分かっているんだろうけど。
>>597 >という引用と<「カルマ」などはない>などに無知が示されてるでしょう
あのですね、
カルマとか、利他とか、利己というのは、非常にレベルの低い話しです。
まあ、別にレベルが低くても・・・
それはそれでイイですけどね^_^;
ただ、レベルが低いまんまじゃ〜
到底、釈尊の本義にまでは辿りつけんのですよ。
原因をゲーマーのレベルの低さに転化した。 これは、己の欲望の充足を他者に求め、 それが得られなかったときのイソップの狐。 机さん いつも同じパターン。
>>600 机さんが言いたいようなことは分かってるつもり。
世俗ではなく、無戯論空の勝義だと言いたいと。
勝義なんて言葉でごちゃごちゃ言っても始まらない。
それ以前に机さんは、四聖諦みたいな基本をきっちり押さえた方がいいよ。
勝義分かってる人が、いきなりエゴで相手の分からないネットで戯論垂れ流しますか?
ちなみに戯論ってのは、無駄な議論って意味じゃないからね。
603 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 10:05:21 ID:bOm9Gu87
>>591 >つまり、
>>戦争こそが善の実践なのである。
>>581 >であろうと
>>戦争こそが悪の実践なのである。
>であろうと、
>それは善悪、即時脳変換できるということです。
何、自己陶酔してるんだよ?
大東亜戦争が善行の実践?戦争こそが善の実践?
まあ、あんたに掛かれば、さしずめ「禅の実践」ってことか?(失笑
大東亜戦争の根本は「領土拡大、市場拡大」なんだよ。それは、当時の大日本帝国のエゴなの。
そのエゴを誤魔化すために「極東アジアの開放、大東亜共栄圏」という名目で
カムフラージュしただけじゃないか。
なにが「ありのまま」だよ。どっかの歪曲された資料を鵜呑みにして、更に困ったことには、
それをあたかも自説のごとく垂れ流ししているだけだろうが。
それと同じことが、あんたの断見まみれの仏教解説にもいえる。
どっかの禅思想解説本を読んで、それが真理、法だと早合点。
もう少し思考能力、文章咀嚼力を鍛えてからモノを言ってくれよ。
脳内変換というのは、書かれた文献の文章を単に別の言葉(やたら難しい言葉)に
置き換えることじゃないんだよ。
その言葉が、自分の感覚に変換(一致)できないと意味ないの。
それは、アホダラ氏にも言える!
あぁぁぁぁぁ、オイラの口調もだんだんカラス氏に似てきたぁ。
しかし、ほんと、そういいたくなるんだよ、あんたの書き込み読んでるとな。
604 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 10:06:02 ID:bOm9Gu87
>>591 >実は「ものごとの本質」など、ありゃ〜せんのです。
だからさぁ、それが間違いだっつうの。
あんた、物事の本質はないということを無理矢理「空」と結びつけたいんだろうが、
物事の本質はあるんだよ。「空」というのが物事の本質だ。
この意味の違いわかる?
>>603 「領土拡大、市場拡大」および「極東アジアの開放、大東亜共栄圏」においての、
共通項は何か?
それは、対立項への意味付与なんです。
この“意味付与”レベルが次元性が低い。と言うておるんです。
このレベルでどんだけぇ〜〜論考したとしても、低次元の話しでしかない。
と、かような主旨で私は書込みしております。
慈悲というのは、このレベルを既に超えています。
つまり、対立項そのものの寂滅です。
ここまで至らんと釈尊の法には届かんのですよ。
まあ、私は届いた段階で書込みしておるんですけどね(~o~)
606 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 11:13:04 ID:bOm9Gu87
>>605 >それは、対立項への意味付与なんです。
>この“意味付与”レベルが次元性が低い。と言うておるんです。
意味付与のレベルの次元性が低い?
ほらほら、一方で善悪はないといっておきながら、一方では次元が低い高いと
区別しているじゃないか?
ましてや、言葉を駆使して「意味付け」までしている。物事に先立って意味付けしよう
とすること自体があなたのエゴだよ。
607 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 11:24:58 ID:ugZNePwz
>>596 だからあなたの善悪の理解は
オウムの麻原シンパの連中とまるっきり同じなんですよ。
彼らも言っています。勝議からみれば善悪などない。
勝議に至った覚者は、善悪から離れるってね。
だから彼らは、自分達の起こした事件に対して、これっぽっちも反省していない。
机さんの誤謬は、彼らのしたことは利他業だといいますが、
彼らのしたことは、単に自分達のエゴを世間に押し付けただけの、
立派な利己心を満足させる利己行です。
あいも変わらず勝議からはものをみれず、世俗の知恵でしかものをみれないお人だ。
カラスさんはこの利己心を満足させる心の働き、
それに付随する行動ははっきりと悪だといい、
利他行にかこつけ、単に自分達のエゴを世間に押し付けただけの、
あの事件を起こしたオウムは、はっきりと悪だと断罪していました。
そこで机さんにお聞きします。
あのオウムの事件は悪ではないのですね?答えてください。
605の人は 本当に論点をずらしますね。 滑稽でいいけど。 だけど 実生活でこんなことやってたら 奥さんにも ホーキで あたまブッタたかれてるのでは? 彼は なにか真実なことを知ったと 自身、仮説して 書き垂れ流す。 でないと 彼の頭はパンクしてしまう。 そういうこと なのかな。(これは冗談)
609 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 11:58:45 ID:bOm9Gu87
>>605 >慈悲というのは、このレベルを既に超えています。
>つまり、対立項そのものの寂滅です。
>ここまで至らんと釈尊の法には届かんのですよ。
>まあ、私は届いた段階で書込みしておるんですけどね(~o~)
机氏の居住地は梅雨が明けたんだろ?じゃあ、クソ暑いよな。
持病の妄想癖と熱中症のダブルパンチってわけだ。
NY市場の急落で日経も下落続きだしな。おっと、トリプルパンチか?
しっかし、カルト批判がカルトにどっぷり嵌ってる。
自覚症状がないのは、哀れよのぅ。
>>607 >彼らも言っています。勝議からみれば善悪などない。
>勝議に至った覚者は、善悪から離れるってね。
>だから彼らは、自分達の起こした事件に対して、これっぽっちも反省していない。
覚者は、善悪から離れたとしても、離れっぱなしじゃないですよ。
ちゃんと世俗諦というもんがあるんですから。
この世俗諦というのは、世間で生きる智恵のことです。
これがありませんと覚者という具合に逝かんですね。
これあっての覚者ですから。
まあ、オウムは、貴殿の書込みを拝見したところに依りますと、
生半可の佛教しか理解しとらん。ということです。
というか、佛教といういもんを、そもそも解っておらんですね。
色即是空から空即是色に環滅しな〜あかんですよ。
これがモットも重要なんですから。
>>606 >ほらほら、一方で善悪はないといっておきながら、一方では次元が低い高いと
>区別しているじゃないか?
そりゃ〜区別はします。
区別することを世俗諦といいます。
(善悪一如は勝義諦です)
この区別する智恵のバックボーンになるのが空諦なんですよ。
これあって八正道の正覚を得るんですから。
この正覚こそが仏智ともいい、
この区別こそ慧眼とか仏眼とかいうて、
なかなかこの区別は俗人には成し難い訳です。
まあこの有り様を、メクラとも言いますね。
>>604 >物事の本質はあるんだよ。「空」というのが物事の本質だ。
空とは意味付与は不可であります。
思議を超えております。
つうか、
そもそも思議するもんでもない。
「相」を表した表記です。
613 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 12:57:00 ID:bOm9Gu87
>>611 >>612 机氏の解釈では、俗諦は区別ありで、真諦は区別不可なんだな?
だったら、オウム事件を俗諦的解釈と真諦的解釈の2パターンで説明してみろよ。
ってか、俗諦からみると悪で、真諦からみると善なのか?
それは、おかしいだろ?
>>607 >あのオウムの事件は悪ではないのですね?答えてください。
「民衆救済」は悪です。
その思想が悪ですね。
>>613 >オウム事件を俗諦的解釈と真諦的解釈の2パターンで説明してみろよ。
いい質問ですね。
真諦は区別がなくて一枚平等です。
ならば、
その真諦から導き出された俗諦においては、
「救済する」とか「救済される」とかの分別はない。
この分別のない相互依存関係を、佛教においては慈悲と言います。
ですから、慈悲においては「利他」とか「利己」そのものが寂滅します。
自他に分別がない心の有り様こそが慈悲であるわけです。
ですから、
慈悲においては、民衆救済もないのです。
世界は既に調うておりまして、救済する必要もない。
世界は既に悟っておるのです。
あまり余計なことはせんでもイイんです。
616 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 13:23:59 ID:ugZNePwz
>>610 あなたの世俗諦、勝議諦を使った詭弁は聞き飽きました。
そもそも生死をも越えた覚者が、世間の目、体裁を気にして生きるのですか?
あなたの理屈では覚者になれば、そうこの世を渡るようになるということになる。
で、自称覚者のあなたに言わせると、あの事件を起こしたオウムは、
勝議では善悪など無いのだから、別に悪いことをしたわけではない。
よって、本来反省などする必要もない。
ただ無知な世間に向けて反省した振りだけしておこう。
それが勝議を理解しない世俗の人達とうまくやっていける、世俗の知恵というものだ。
と、なるわけですね。
勝議を理解している覚者である自分は、何をやっても悪いことはやっていない。
立派なカルトです。
617 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 13:36:36 ID:bOm9Gu87
>>614 思想が悪?じゃあ、彼らの行為はなんなんだよ?善なのか?
思想と行為は一体だろうが?
>>615 そのお前の言葉全部、小菅の麻原に直に言ってやれよ。
あんた、目覚者なんだろ?釈迦の本義に届いた物だって
>>605 で言ってたよな。
ついでに、その言葉、そっくり被害者や被害者遺族の前でも胸張って言えるんだろうな?
「オウムの思想は悪で、サリン撒きは空なのでわかりません。」、ってあんたの屁理屈を
堂々と自身をもって並べられるんだな?
大したもんだよ。(失笑
机氏よ、ひとつだけ言っとく。
あんた裁判員制度で陪審員に選任されても、病気(妄想癖)を理由に欠席したほうがいいぞ。
なにが教育委員だ。聞いて呆れる。
618 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 13:39:11 ID:bOm9Gu87
>>617 ×あんた、目覚者なんだろ?釈迦の本義に届いた物だって
>>605 で言ってたよな。
○ あんた、覚者なんだろ?釈迦の本義に届いた者だって
>>605 で言ってたよな。
>>595 女を手篭めにして、しかもそれを2chで吹聴する。
光市の犯人と同じ精神構造だよ。
>>614 おやおや。いよいよ言っていることが支離滅裂になってきましたね。
『その思想は悪』。なんて、
それはあなたのいう勝議からみてもそうなのですね?
答えてください。
机の言う世俗と勝議なんて、世間で言う本音と建前ていどの意味しかない。 光市の犯人がドストエフスキーを持ち出して自己正当化していたように、 机も、自己の倫理観の欠如を仏教で正当化しているだけのこと。
622 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/27(金) 14:48:24 ID:0fDyuBh2
>>1 参照。
「不可触壁蝨外道」への言及は汚穢撒布幇助行為。
NGあぼ〜ん処理の上、視界から抹殺消去すること。
>>620 >それはあなたのいう勝議からみてもそうなのですね?
そのとおりなんですよ。
そもそも民衆を救済しよう。などと想起する時点でメクラな証拠ですね。
覚者はそういう想起すらしないですよ。
(ちなみに拙者もせんですがね)
まあ、メクラに先導されてdでもな行動すること程愚かなことはない。
<机龍之介・花押>
>>621 >机も、自己の倫理観の欠如を仏教で正当化しているだけのこと。
いやぁ〜、
佛教はそんなに軽いもんじゃないですよ。
人類における最高哲学と逝ってもいいですね。
ただし、それは、難解であるのは、この掲示板を拝すれば納得は逝く。
ずいぶん書込みが増えてきたようだが・・・オウムか? つまり君たちは、民衆を救済したくてウズウズしてるんじゃないですか? そこへもってきて、 わたしが民衆救済にアンチを表明したもんだから、 ようは、 焦っているんじゃないですか?(笑
626 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 15:21:12 ID:bOm9Gu87
>>625 >つまり君たちは、民衆を救済したくてウズウズしてるんじゃないですか?
あほか?
他人を救済するためにここ読んでるんじゃないんだよ。
ついでに、あんたがどうなろうが知ったことか。
>>617 >ついでに、その言葉、そっくり被害者や被害者遺族の前でも胸張って言えるんだろうな?
私がどんだけぇ〜〜言葉を尽くしたとしても、
被害者&その遺族は救うことはできない。
このできないことの悲しさ。
これを慈悲という。
これを否定的全肯定という。
非常に高度な仏法哲理です。
> 私がどんだけぇ〜〜言葉を尽くしたとしても、 > 被害者&その遺族は救うことはできない。 > このできないことの悲しさ。 > これを慈悲という。 > > これを否定的全肯定という。 > 非常に高度な仏法哲理です。 また、適当なことを、誰も信じてないからいいけど。
>>627 >このできないことの悲しさ。
>これを慈悲という。
いわねえよw
おのれの無能を慈悲と呼ぶのはこの世で机だけw
>これを否定的全肯定という。
>非常に高度な仏法哲理です。
ただの自己正当化だろw
自分で自分で持ち上げることを虚飾と呼ぶ。
自画自讃は色紙だけにしておけよw
>>628 >また、適当なことを、誰も信じてないからいいけど。
なにも私は適当なことを逝っている訳ではないよ。
この哲理を体系的にしたのが京都学派だろうし、
ただ京都学派はポイントを抽出しただけ。
核の部分では、
これがインド哲学の特徴とも言える。
まあ、でも、これは非常に高度なレベルにはなるが・・・
これは彼岸まで逝かんと、なかなか俗人には解し難し。
631 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 16:26:31 ID:ugZNePwz
>>623 おや、勝議からみても悪だと言い切りましたね。
つまり俗諦であろうが、勝議諦であろうが、善悪はあるということです。
ところが一方であなたは、勝議においては善悪などはないと、
のたまっていますね。論理破綻しています。
そのときそのときの都合でコロコロ言説が変わる。なんと安っぽい話しでしょう。
あなたの仏教論など、単にあなたのエゴを満足させるものでしかない、つまらないものです。
>>631 >論理破綻しています。
そもそも勝義には論理などないですね。
で、貴殿は論理の意味をご存知でしょうか?
論理というのは、世俗でしか通用せんのですよ。
何故かといいますと、
論理を成り立たせる為には、最大公約数的なコンセンサスを必要とするのです。
その共通認識において論理が成り立つのです。
そもそも勝義がどういうもんか分からん御仁が、勝義の共通認識ができるはずがない。
(公案などは、その限りではない)
>>630 インド哲学というなら、どこに書かれてるか原典を示してみてよ。
634 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 16:47:06 ID:g0Olrvnv
>>627 >私がどんだけぇ〜〜言葉を尽くしたとしても、
>被害者&その遺族は救うことはできない。
>このできないことの悲しさ。
>これを慈悲という。
ほんと、あんたは、無限大のアホだな。
「救うことが出来ない、出来ないことの悲しさ」っつーことは、
その対極に「救うことが出来る、出来ることの喜び」っていう、あんたのエゴが見え見えなんだよ。
真諦では自他の区別がないのだから、悲しみ苦しんでいる被害者や被害者遺族と
「共に悲しみ苦しむしかない。」んだよ。それが、慈悲ってもんだ!
偽善者、エゴイスト、わかったか?
>>633 インド哲学というのは、依典から抽出するもんでもないですね。
ただ「無」だけで終わってしまうのがインド哲学ですから。
(注意:般若心経には「無」だけしか書かれてませんね)
これをどう理解したらいいか?
これは哲学的に逝ったら「直覚」とか言うんです。
この直覚こそが四聖諦に繋がる重要なことです。
>>634 >その対極に「救うことが出来る、出来ることの喜び」っていう、あんたのエゴが見え見えなんだよ。
慈悲というのは、「円相の位相」といいまして、
そもそも対極のない中道のことです。
>>635 哲学というのは、言葉によって示される体系を有するだろう最低。
>ただ「無」だけで終わってしまうのがインド哲学ですから。
また、インドの思想も文献も知らずに机人生哲学をインド哲学って呼んでるだけだろ。
>(注意:般若心経には「無」だけしか書かれてませんね)
そんなことないぞ。少なくとも般若心経は、般若の心呪が説かれ、
その功徳が説かれている。その前は、その前書きみたいなものだ。
「直覚」とか言うのは西田幾多郎だろ。だったらインド哲学は関係ないぞ。
その「直覚」がどう四聖諦に繋がるんだい。まったく口から出任せを。
西田幾多郎周辺の禅文献適当に読んで妄想した人生哲学なのに、なんでそんなに偉そうなのか?
638 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 17:35:08 ID:g0Olrvnv
>>636 >慈悲というのは、「円相の位相」といいまして、
円相ってさぁ、禅宗用語じゃないの?
>>637 >哲学というのは、言葉によって示される体系を有するだろう最低。
どうやらインドでは、佛教と哲学を同義的に扱ってるようです。
これはどうしてか?
っていうのは、佛教を学んで逝くうちに段々わかってくるようになる。
>そんなことないぞ。少なくとも般若心経は、般若の心呪が説かれ、
>その功徳が説かれている。その前は、その前書きみたいなものだ。
密教でも心経は依典にしてますから、密教的な解釈は確かにある。
>「直覚」とか言うのは西田幾多郎だろ。
直覚というのは広義において哲学用語になっている。
>西田幾多郎周辺の禅文献適当に読んで妄想した人生哲学なのに、なんでそんなに偉そうなのか?
西田のメーンというのは、絶対矛盾的自己同一性のことじゃないのか?
その脈絡の話しではない。
やっぱ机さんがあまりにホラ吹きまくるから、ついついコメントしたオイラが馬鹿だった。
>>640 心経には真言が書かれているが、功徳など書かれておらんよ。
で、その功徳とやらは何処ぞに書かれておるんですか?
642 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 18:09:14 ID:ugZNePwz
>>632 論破されると、今度は勝義では論理などないですか。
やれやれ、この詭弁家はどうしようもないですね。
そう思うのならあなたはなぜ、他人に持論を永遠に垂れ流し、
論破されると今のように必死で反論してくるのですか?
その反論も今回の反論をみるまでもなく、屁理屈ばかりだし。
あなたは自分の勝義すら理解していないんじゃないですか?
聞き方を変えてみましょう。
あなたは勝義では善悪などは無いといいました。だがオウムの思想は
勝義でも悪だと言い切りました。おかしいですね。論理破綻しています。
これは論理のある、世俗からみても、論理破綻しています。そうでしょう?
答えてください。
>>642 >勝義でも悪だと言い切りました。おかしいですね。論理破綻しています。
勝義とか世俗というのは、
勝義において分別すれば→悪
(これを世俗諦という)
だから、世俗諦というのは、もともとが勝義諦において導き出されるもの。
世俗諦において分別すれば→悪
(という意味も同義)
空即是色
644 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 18:29:57 ID:KQpGkULa
>>643 >勝義において分別すれば→悪
分別すればって、分別のしようがないのが勝義ってことだろ?
分別しようとしているのは、おまえの脳みそだけだぞ。
空即是色の意味わかってる?矛盾してないか?
>>642 >論破されると、今度は勝義では論理などないですか。
勝義に論理はないでしょう。
ってか、
そもそも論理の意味が解ってますか?
>>644 >分別すればって、分別のしようがないのが勝義ってことだろ?
これは思議を超えねばならんでしょ?
そんなもの説明しようがないし、
だいたい、人の脳は言語概念でしか思考はできない。
その言語自体が相対概念による。
相対概念で、無相を説明するは不可です。
あえて言うなら、言語を超える。
>>643 結局勝議においても善悪はあるってことじゃん。
あなたはカラスさんの善悪論についてはなにもいえませんね。
勝議には論理などないといっているお人がなにうだうだ能書きたれてるんです?
あなたが論で反論してくるかぎり、あなたはご自分が論破されれば、
勝議では論理などないなどという屁理屈は通用しませんよ。
それともご自分は論で反論するのは勝議であるけれど、
他の人が論で反論するのは勝議的に無効だというおつもりですか?
だからあなたは自己中の人格障害者だといわれるのですよ。
648 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/27(金) 18:40:33 ID:8sqDMqIf
な、この机と言う詭弁家とはまともな会話はなりたたんだろう(苦笑)
>>647 >結局勝議においても善悪はあるってことじゃん。
そもそも「勝義」という意味が解っておらんようですね。
善悪がある、とか、
善悪がない、とかは
既に勝義とは言わんですね。
まあ、ここが佛教の難しいとこなんですが。
(AA略)
650 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/27(金) 18:57:01 ID:8sqDMqIf
>>643 つまり、この世において善悪はあるということだな。
だがおまえはアホだ。
今度は勝義においても善悪はあるといいだした。もう滅茶苦茶だな。
勝義においては善悪はないんだよ。だからこの識別された世界で、
私とあなたを分け善と悪とにわける我々の心の働きをこの識別された世界では悪とみえ。
元々は我々は一つなのだから、自分と他を分けることなく、
全て平等に思い、自分を愛するが如し、多を平等に愛する心。それにまつわる行動を
この識別された世界では善とみえる。またこの勝義にいたる道は、無論、この識別された世界では、
右の者(善)である事には変わりない。だから釈迦は、善を成し、悪を成してはならないと説いたんだよ。
このような行いを説く教えを、識別されたこの世界では、道徳というんだよ。
651 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/27(金) 18:58:12 ID:8sqDMqIf
>>649 うだうだ屁理屈ばかり述べてんじゃねぇぞ、タコ。
おまえは、オウムの心は、勝義から見ても悪だと言い切ったじゃねぇかよ。
652 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 19:02:14 ID:dwUUPYHA
>>646 >これは思議を超えねばならんでしょ?
ふーん、あんたにかかると勝義=不思議、で済むわけだ。
「言語を越える」といってる割には、勝義の意味に拘ってるのはなんでだよ?
>>651 >おまえは、オウムの心は、勝義から見ても悪だと言い切ったじゃねぇかよ。
勝義とか世俗というのは便宜上の言葉だよ。
そのように分別しないと人の脳は思考できない。
彼岸・此岸も、これも人の思考に合わせた設定になっている。
実際にこのような場所とかがある訳ではない。
勝義は、そのままで世俗でもある。→空即是色
覚者は既に、こういう分別さえも離れる。
(これを解脱という)
654 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/27(金) 19:08:39 ID:8sqDMqIf
禅宗をみるまでもなく、机を代表する末法唯物佛教論者の能書きは、 この世界は、すでに識別された世界だって事がまるっきり理解しておらん。 だから連中の能書きは、いくら一如を語ろうと、この識別された世界で その一如を見出そうとしているものだから、常に脳内妄想の言葉遊びだけに終わっている。 ま、厳密に言うと、それも一如は、一切の内にあり、また面前に広がっているのだがな。 外側と内側は表裏一体だ。勝義に至り、一如を知り生きると言うことは、我々の外側に向いた子宮を、 再び内側に向けると言うことだ。それすなわち、一即多。多即一。まさに、生めよ増やせよ、地に満ちよ。だな。 その境地を知るものは、いっている意味がよくわかるだろう。
655 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/27(金) 19:11:47 ID:8sqDMqIf
>>653 あいも変わらず論点ずらしの詭弁ばかりだな。
脳内妄想の世界は楽しいかい?
>>655 >脳内妄想の世界は楽しいかい?
・・・というか、
君達の書込みを読んでいると、いかに彼岸に達するのが至難か。
というのがよくわかる。
やはりね、彼岸へ逝くと全く書込みが違ってくるよ。
まあ、それはアタリマエなんだけど。
では、おやすみ。
657 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/27(金) 19:29:08 ID:8sqDMqIf
その境地を知れば、机を代表するここの唯物末法仏教者の能書きのように、 この識別された世界で、道徳否定論者には決してならない。 たとえばその境地を知ると、あの母子殺人の犯人は、いつまでも憎まれ口を叩かず、 心から、あの被害者遺族に詫びるだろう。心の底から詫び、自分のした過ちに、激しく後悔の念を抱くだろう。 なぜなら彼が殺し、彼がいまだに傷つけているのは、なにを隠そう自分自身だと知るからだ。 あの犯人の死刑を激しく求め、犯人に復讐の念を激しく抱いている本村産に対しても、とてもいとおしく思い、 彼をここまで傷つけた自分を激しく悔い、彼に心から詫びるだろう。なぜなら、本村さんは、自分自身だと知るからだ。 また、激しく犯人に憎悪の念を抱く本村さんも、その境地を知れば、今まであれだけ憎んでいた犯人を許し、 激しく犯人に対し憎悪の念を抱いていた自分は間違いだったと知るだろう。なぜなら彼は、彼が憎んでいたのは、 実は彼自身であり、あの憎い犯人を許すと言うことは、自分自身を許すという事を知るからだ。 そして、彼は、今まであれだけ憎んでいた犯人を愛するように勤めるだろう。なぜなら、犯人は自分自身だと知るからだ。 お前たちは、釈迦の教えを何一つ理解していない。涅槃に渡る道も何も理解していない。 我々は一つのものを二つに分けた。本来我々は一つなのに、自分と他人とを分け、自己の利益を最優先して生きている。 これは本来おかしいことだ。なぜなら、我々は本来一つであるのなら、お互い愛し合うのが当たり前ではないか。 なのに我々は、利己心を優先して生きている。それは何もかも、本当の自分自身を知らない無明なるがゆえのもの。 一つのもを二つに分けた我々は、悪い存在なのだよ。 善を成せ。悪を成してはならない。それは識別されたこの世界から解脱し、涅槃に至る道である。
658 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/27(金) 19:30:28 ID:8sqDMqIf
>>656 涅槃に至ると、おまえのように詭弁と屁理屈だけが達者になるとでも言うのか?
自分の見解に恐ろしく執着しているおまえは、決して悟らないよ。
659 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/27(金) 19:33:05 ID:8sqDMqIf
一つのものを二つに分け、お互い利己的に生きる我々は、悪い存在なのだよ。
660 :
松 :2007/07/27(金) 20:58:31 ID:u9+JiOKf
アーレフ得意の複数攻撃が出たか。 見飽きたぜ。 そろそろ上祐の話でもかましてみろよ。 何かありがたいお説教を垂れてくれるんだろう。 ひふみは。
仏教語を,意味をデタラメに変えて使う. 禅モドキ. しかもしかも持ち出す禅者がのきなみ2流どこ.一箇じゃなくて,半箇ばっかりw ウソをついて化かす.あとで暇なとき書きます、と逝ったトタンに次のレスポン書く. 禅モドキで化かす,二つ合わせて野狐禅w スレ違いの話で邪魔する.みんなの中止勧告を無視. まあ,これ以上言うと気の毒なのでこれくらいで. だけど,最初の2つは,こりゃイカンだろ.
>>641 いったい、何を読んでいるのか、先ず一番有名な玄奘三蔵訳を挙げ、次にこの箇所の私訳を挙げましょう。
T08n0251_p0848c17(01) 三世諸佛。依般若波羅蜜多故。
T08n0251_p0848c18(02) 得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜多。
T08n0251_p0848c19(01) 是大神呪。是大明呪是無上呪。是無等等呪。
T08n0251_p0848c20(01) 能除一切苦。眞實不虚故。
T08n0251_p0848c21(08) 説般若波羅蜜多呪即説呪曰
T08n0251_p0848c22(00) 掲帝掲帝 般羅掲帝
T08n0251_p0848c23(06) 般羅僧掲帝菩提僧莎訶
訳は、主に原田和宗、梵文『小本・般若心経』和訳、密教文化209、2002 と、
シルク復元のチベット訳によっていますが、漢訳と変わりないと思います。
a 三時にいます一切諸仏も般若ハラミツに依拠して、
無上等正覚をありありと完全に覚ったのである。
b それゆえ、般若ハラミツの真言、偉大なる明智の真言、無上な真言、
不等と等の真言、苦一切をよく鎮める真言は、偽りではないから真実だと知るべし。
c そして、般若ハラミツの真言を述べたものが:
タドャター オン ガテー ガテー パーラガテー パーラーサムガテー ボーディ スヴァーハ
aは般若ハラミツ効能を解説する部分の最後であり、bは 般若ハラミツの真言の功徳を説いている。 cが 般若ハラミツの真言そのものを説く部分であり、『般若心』フリダヤ、心呪とはこれに他ならない。 そして前件a と後件b を「それゆえ」という理由・原因を示す接続詞で繋いでいる。 つまり『心経』は、般若ハラミツ効能、般若ハラミツの真言の功徳、般若ハラミツの真言の三つの部分からなっているのである。 その三つの関係を論理的にまとめると、aゆえb それは c。文章化すると、 般若ハラミツは、以上のような効能があり、あらゆるブッダもこれによって悟ったのである。 だから、般若ハラミツの真言は、無上で 苦一切をよく鎮めるので真実なのである。 それが、タドャター オン ガテー ガテー 〜 以上『般若心経』は、般若ハラミツの心呪を説いたものに他ならず、「苦一切をよく鎮める真言」 「一切諸仏も般若ハラミツに依拠して無上等正覚をありありと完全に覚ったのである」など 功徳以外の何なのだろう。 「不等と等の真言」の解釈が難しいが、諸註によると世間や独覚の行と異なり一切諸仏の智と同じにさせる「真言」といった意味のようである。 「タドャター オン」は、漢訳では真言にしないが、梵蔵ともに真言としているし、一般的に真言として扱われているので、そちらに従った。
664 :
神も仏も名無しさん :2007/07/27(金) 22:46:44 ID:xOR4AIpj
>>663 あほらし! 寝言は寝て言え。
「効能」?おまえ、何考えてんの?
馬鹿ヒンドゥ=ご都合主義バラ(カ)モンは消えろ。
苦を除く=勝義に至る以外になにもない。
665 :
VEGAN :2007/07/27(金) 23:00:06 ID:zYPRStQ6
「ギャーテー、ギャーテー、空を観じ、彼岸に行け」 VEGAN ◆PsPHI2rklQ著 ギャーテー、苦の本質を知り、資糧道へ至れ、 ギャーテー、加行道へ至り空を観じ、 パーラギャーテー、見道に至れ、 パーラーサムギャーテー、修道にて無我へ至り、 ボディソワカ、そして無学道に彼岸に行け。
>>665 それは解釈の一つですね。Vegan さん。
どなたから聞したのでしょう?
667 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 00:00:17 ID:xOR4AIpj
無常=無我=縁起の理と矛盾する般若心経はブッダの教えに反する。 最後にバカモン教=ヒンドゥ教の呪い言葉を出すに及んで、 タヌキの尻尾が出てるでよwwww ここはブッダの本義を考究(⇒最終的には絶離する)ところだ。 その他大勢の邪心は去れ。*もっとも、去るものは去らずかwww
668 :
草レーサー :2007/07/28(土) 06:23:46 ID:eVy9Lt8E
ブッダの場合は、対立する二つの事柄については、その一方を 説くのではなく、中を説くといわれている。 スッタニパータでも、一般の諸々の異説の徒は、真理と虚偽と いう二つのことを説く。と、書かれてある。 また、そこででブッダは、これを説くというものが私にはない。 ということも語っている。 中道は、弦の張り具合はほどほどで丁度良いとなどという。 善行、悪行についてもそれは言える。
>>657 >そして、彼は、今まであれだけ憎んでいた犯人を愛するように勤めるだろう。なぜなら、犯人は自分自身だと知るからだ。
貴殿は、こんなこと何処から教えられましたか?
この論理こそ微妙に仕組まれたマインドコントロールなんですよ。
私は一読しただけで、この文言の意味は解りました。
まあ、俗人は何の躊躇いもなく、こういう論理を受け入れちゃうんでしょうけど、
これが如何にリスクがあるのか。
ということさえ無明なのです。
無明というのは実に恐ろしいことなんですよ。
何故か?
己自身の心を蝕むのです。
それどころか、
他人様まで「利他」の美名のもとに犠牲にすることがあるのです。
心の病みは、やがて国家さえも滅亡に導くのです。
そして、
そこに必ず笑う者がいる。
無明は、この闇の世界を知らない。
670 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 08:18:09 ID:FxqqaWmK
>>669 机氏よ、カラスさんのその言葉の意味がわからないとすれば、あなたは、やはり「空」を
理解していないし、禅どころか仏教そのものをわかっていないよ。
あなたがここでしているのは、知識のお披露目をしているに過ぎない。
その知識さえも、的外れ。
「自分はこれだけ仏教に詳しいですよ、だから覚者なのですよ、だから私を信じなさい。」
って、カルト教祖そのものだな。
671 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 08:27:22 ID:FxqqaWmK
中途半端な仏教用語は使っているが、考え方そのものは「既存キリスト教」そのものだよ、 あなたが説いていることは。
>>670 >>そして、彼は、今まであれだけ憎んでいた犯人を愛するように勤めるだろう。
>>なぜなら、犯人は自分自身だと知るからだ。
この理論の前程になるのは「カルマ論」です。
>机氏よ、カラスさんのその言葉の意味がわからないとすれば
いやいや、私は充分に言葉の意味は解っておりますよぉ。
だからこそ私は忠告したのです。
>やはり「空」を
>理解していないし、禅どころか仏教そのものをわかっていないよ。
空は、カルマ論とは一切関係ないですね。
673 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 08:42:39 ID:FxqqaWmK
>>672 カルマ論?
どこがどうでカルマ論なのか説明してみ。
いつものパターンで、「誰々はこう言っている、どこどこにこう書かれている。」ではなくて、カラス氏の書いた文章そのものを使って矛盾を指摘してみ。
その言葉の意味がわかっていれば、忠告どころが「ハッ」と気付くはずなんだが・・・・・。
>>673 >どこがどうでカルマ論なのか説明してみ。
>>そして、彼は、今まであれだけ憎んでいた犯人を愛するように勤めるだろう。なぜなら、犯人は自分自身だと知るからだ。
この文脈というのは、つまり本村氏が犯人。ということになる。
つまり、被害者は被害者になりうる因が内在していて、それが結果噴出してしまった。
誰が悪いんでもなくて、本村が悪い。
本村こそ犯人だ。
この考えをカルマ論というんですね。
本村は、犯人は自分自身だと汁。
この考えをカルマ論と言うんですよ。
(カルマAAは略させて頂きます)
675 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 09:31:33 ID:FxqqaWmK
>>674 >この文脈というのは、つまり本村氏が犯人。ということになる。
>つまり、被害者は被害者になりうる因が内在していて、それが結果噴出してしまった。
>誰が悪いんでもなくて、本村が悪い。
>本村こそ犯人だ。
>この考えをカルマ論というんですね
本村氏が犯人だとは言ってないと思うけど。
机氏、あなたがカラス氏の文章に勝手に尾ひれ羽ひれをつけて拡大解釈しているだけだろうが。
「犯人」、「被害者」というのは識別された世界なんだよ。殺人(殺生)は悪いというのは、
誰が見ても明らか。その罪に対して断罪される(する)のは当然。
問題は、本村氏の苦しみの原因はなんなのかってことよ。それは、犯人を憎み続ける限り
本村氏の苦しみは終わらないということだ。
勿論、それに先立って、犯人が自分の犯した罪(殺生)を心から悔い改めればという前提。
犯人が心から悔い改めるということは、殺された二人の苦しみや残された本村氏の苦しみを
「自分の苦しみ」として受け止めるということ。
また、本村氏本人も、悔いてなお苦しむ犯人を「自分の苦しみ」として受け止める。
殺人は事象に過ぎない。事象は無常。無常(今となっては過去)であるにも関わらず、
「今もなお」その苦しみの中にいたらしめるのは(苦しみの中に留まっているのは)、
犯人の存在そのものではなく、本村氏本人の憎悪そのものということだ。
それは、本村氏本人への憎悪でもある。
憎悪から開放されるには、許し(許す)しかないということだよ。犯人を許したから本村氏が救われる
のではなくて、本村氏本人が「犯人を憎んだ自分を許し」てこそ救われるということ。そこに、識別の世界はない。
仏教者なら、この理屈わかるんじゃないのか?
676 :
素人 :2007/07/28(土) 09:34:36 ID:kW4TunB6
677 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 09:36:28 ID:FxqqaWmK
>>675 >勿論、それに先立って、犯人が自分の犯した罪(殺生)を心から悔い改めればという前提。
もし、犯人が悔い改めるより先に本村氏本人が「許すこと」が出来れば、それはそれでいいが、
凡夫がそこまで出来るのは難しい。
>>675 久しぶりに仏教を見ました。ありがとう。
本村さんも何時の日かわかる時が来ると思います。
>>675 >問題は、本村氏の苦しみの原因はなんなのかってことよ。それは、犯人を憎み続ける限り
>本村氏の苦しみは終わらないということだ。
憎悪のなかに涅槃がありますし、憎悪において本村自身も救われている訳です。
(苦しみが終わる、ということではない)→一切皆苦
佛教は短絡的な苦からの逃避ではなく、
苦を因とする行動規範の確立を世俗諦という。
(煩悩即涅槃)
憎悪というのは、つまり愛情の現われだろうし、
愛情あるが故に、本村氏を掻き立てるものがある。
今なさねばならないことを、真剣に行動に移しておるのが本村自身だろう。
その原動力というのが、いうまでもなく憎悪。→家族愛
本村氏自身が、苦からの解放を望んでいるわけではない。
むしろ苦をあえて受け入れている。
(煩悩即涅槃)
680 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 10:49:10 ID:FxqqaWmK
>>679 >憎悪のなかに涅槃がありますし、憎悪において本村自身も救われている訳です。
何、自己正当化してるんだよ。
それは、おまえ自身のことだろうが!!
憎悪の中に涅槃があるなんていうやつに、釈迦の教えを語る資格はないよ!!
愛情?それは、執着に過ぎないんだよ。
仏教を語るなら、仏教の「考え方」を理解してから(自分のものにしてから)反論しなよ。
>本村氏自身が、苦からの解放を望んでいるわけではない。
>むしろ苦をあえて受け入れている。
もし、そうだというならば、何故、司法にすがる?
何故、上告するんだよ?
最高裁で犯人に「死刑判決」がでて、それが執行されたとしても、本村氏が許さないかぎり、
彼の苦しみは終わらない。
また、殺された彼の家族もそれは望んでいないと思うぞ。
死んだ人の気持ちは推測でしか書けないが、この世で愛する者が苦しんでいる姿は見たくないし、
苦しんで欲しくないんじゃないのか?
まあ、あなたは「自分さえよければいい人。」なんだろね。
681 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 10:56:23 ID:FxqqaWmK
>>680 補足。
×まあ、あなたは「自分さえよければいい人。」なんだろね。
○まあ、あなたは「自分さえよければいい人。(地獄に涅槃を見出す人)」なんだろね。
机氏、あなたはあの事件を他人事としてみてる=無関心ってことだな。
無関心なら、口出しするなよ。
682 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 11:06:18 ID:FxqqaWmK
>>679 煩悩即涅槃とは、煩悩=涅槃ということをいっているのではない。
煩悩を通して涅槃がなんなのかがわかるということだ。
煩悩は、涅槃に至るきっかけ(通過点)ってことだよ。
高裁で無期懲役。そして本村氏の上告。最高裁の差し戻し。 今の段階は高裁の差し戻し審。 最高裁で「差し戻し」になったのは、これは本村氏自身の努力だろうね。 実質的には最高裁の死刑判決。 刑事事件で最高裁が判決を出すことは殆どない。 >もし、そうだというならば、何故、司法にすがる? >何故、上告するんだよ? 夫としての責任がある。 これは当然のこと。 この行動を支えたのは、やはり憎悪だろう。 それがなければ精神的に耐えられるもんじゃない。 >死んだ人の気持ちは推測でしか書けないが、この世で愛する者が苦しんでいる姿は見たくないし、 >苦しんで欲しくないんじゃないのか? 本村氏は、今は亡き妻と子供のことしか頭にないのだろう? まあ、逆に逝ったら、妻と子供を考えられるのは本村氏だけ。 本村は、今の自分の立場を充分に分かっている。 それだけに本村の行動は、本村自身を支えていることになる。 判決が出てしまえば・・・ もしや、本村氏自身が自死しても何ら不思議ではない。 そこまで追い詰められても、その精神を支えているのは何か? これだけ考えても、私の書込みは納得いくだろうよ。
684 :
1/2 :2007/07/28(土) 11:14:59 ID:kW4TunB6
>>679 まったく・・・w
卑俗な喩えになるが、解り易くはなると思う。
水も、お湯も、氷も、その組成に於いてはH2Oという点で共通だ。
このような関係として普遍や勝義があるとする。
その時、本質として同じだから(→この場合は組成が同じだから)水だろうがお湯だろうが氷だろうが一緒だ、
という言辞が全ての場面で通用すると思ったら大間違いだ。
そうした本質(→この場合は組成)が同じである・等質である・等価である、
ということは、それはそれとして受けとめておいて(実際は無視しても(知らなくても)構わないわけだがw)
引き出しの奥にしまっておけばいい。
本質として同じだからといって、赤子の産湯に水を使えるか?氷を使えるか?
風邪をひいた時、額にお湯を当てたりするのか?
貴方の言っていることはこういうことなんですよ。
禅を標榜するなら、
単布団の上で、単布団の上でのみ通用する言葉を発し、大声で遠くへ届かせるのでなく、
単布団から降りて、その場にふさわしい言葉を選び、肩に手をかけながら、声をかけるべきでしょう。
685 :
2/2 :2007/07/28(土) 11:16:24 ID:kW4TunB6
その意味で、後段の文章 >今なさねばならないことを、真剣に行動に移しておるのが本村自身だろう。 >その原動力というのが、いうまでもなく憎悪。→家族愛 >本村氏自身が、苦からの解放を望んでいるわけではない。 >むしろ苦をあえて受け入れている。 は、多少はましかもしれない。 が、 >あえて受け入れて はいないだろう。そうした視点で彼が行動しているわけでもあるまい。 切実に、身を捩りながら、 >苦からの解放を望んでいる だろう。 「あるがままの現在を受け入れ、自分にできることをやっている」とは言えるだろうが・・。 だから、言葉をかけるなら、いきなり勝義から無分別や平等を突きつけるのでなく、 「ちょっと肩の力を抜いて、視線を変えてみたらどうだい?たとえば・・云々」くらいで十分だ。 それでも彼が「納得のいく所まで駆け抜けたい」と願うなら、それはそれとして認めてあげる・・(→この辺が禅的なわけだが・・w) それが、彼を見つめる時の、仏の、悟りの視線と言えるのではなかろうか? 勝義(悟りの視点)を声高に標榜しまくり、それをそのまま使用し、悦に入るのは 安悟りに腰を据えた野狐禅であり、禅マニアの居士達と変わらない・・・。
686 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 11:18:31 ID:FxqqaWmK
>>683 >夫としての責任がある。
>これは当然のこと。
>この行動を支えたのは、やはり憎悪だろう。
>それがなければ精神的に耐えられるもんじゃない。
あなたは、情に流されやすいお人のようで。
人間の悩み、苦しみ、それ全て感情が起因。
感情論で語ってしまったら、仏教そのものを語ることは無意味だよ。
ましてや真諦の意味するところなんか永久にわからない。
それがわからないから、あなたは真諦も理解できない。
「罪を憎んで人を憎まず」とは司法界でよく言われるが、この言葉の意味わからんだろう?
これは、究極の被害者救済の言葉なんだよ。
>>682 >煩悩は、涅槃に至るきっかけ(通過点)ってことだよ。
そういうことではないですね。
煩悩あって涅槃がある。
煩悩なければ涅槃はない。
煩悩と涅槃は、相互依存において成り立つ概念。
>>685 >>686 本村氏は仏教徒じゃないし、実際のところは分からんでしょうね。
殆どの人は、被害者という立場になったことがないから。
私は本村氏を客観的な分析したまでのこと。
だれが見ても本村氏がガムバッテいるかと思うぞ。
本村氏が、どんな心象で行動を起こしてるか?
なんぞ、
それは下衆の勘繰りでしかない。
それどころではないのが本村氏自身。
689 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 11:33:59 ID:FxqqaWmK
>>687 >煩悩と涅槃は、相互依存において成り立つ概念。
これだよ。
概念、概念って、自分の頭の中で言葉遊びして満足してるだけじゃないか。
理論は現実の世界(自分のこと、生活そのもの)に生かしてこそ、その意味が生きるんだよ。
あなたは、自分が泳げないくせにプールの監視台から泳げない人に向かって、
「水を恐がるな、右手をだして次に左手、足で水を蹴れ。そうすれば、泳げる!」
って、泳ぎ方を指導?している大バカなインストラクターと同じ!!
>>689 >概念、概念って、自分の頭の中で言葉遊びして満足してるだけじゃないか。
涅槃に至れば、煩悩も涅槃もない。
691 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 11:54:51 ID:FxqqaWmK
>>690 あなたに、仏教は無理。せいぜい哲学入門書をかじって、あとはあなたの好きなように
理論を捻じ曲げて、2ちゃんねるで屁理屈こいていればよろし。
残りの人生、暇つぶしには充分だと思うぞ。ご愁傷様。
692 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 11:56:48 ID:qJSdWEkd
188 :神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 15:57:04 ID:1wdZLf83
愛の原動力は憎しみであり、
憎しみの原動力は愛である
愛・憎の2辺を離れない限り、輪廻は続く
190 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/14(土) 16:16:02 ID:kKbbP/nV
>>188 おまえは自己を愛するのに、その原動力は憎しみだと言うのか?
すごいね、おまえ。根性が捻じ曲がっているよ。
馬鹿にいくらいっても馬鹿は理解できない。
693 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 13:02:36 ID:FxqqaWmK
>>688 >私は本村氏を客観的な分析したまでのこと。
嘘こくでない。客観視など誰も出来ない。
694 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/28(土) 13:18:40 ID:+2d6LZTS
>>1 参照。
「不可触壁蝨外道」どもへの言及は汚穢撒布幇助行為。
各自NGあぼ〜ん処理の上、視界から抹殺消去すべし。
以上厳守のこと。
684 さんは とても親切なかたのようですね。 確かに 現実こそすべての基盤というのが 当然と思われます。
>>663 >「タドャター オン」は、漢訳では真言にしないが、梵蔵ともに真言としているし、一般的に真言として扱われているので、そちらに従った。
タド・ヤターは真言の一部じゃないでしょう。オーンからスヴァーハーまでだと思うけど。
また、漢訳でも大本ではオーンも真言の一部に入っています。
--Monier-- yathA
as, for instance, namely (also {tadyathA}, "as here follows")
>『般若心経』は、般若ハラミツの心呪を説いたものに他ならず
『般若心経』の「心」をはっきりと「心真言」だと受け取るのは密教の解釈であって、
般若心経の成立段階では、「核心」くらいに見ていたのじゃないかな。
真言を記しているので、密教への過渡期(いわゆる雑密)であることは確かでしょうけど。
--Monier-- hRdaya
the heart or centre or core or essence or best or dearest or most secret part of anything
>>664 >寝言は寝て言え。
シンゴン(真言)を寝ても唱えているとは、、、大したもんですなあ(笑)
スレ違いスマソでした。
原始仏典に佛教の原点を闡明できるものと思ってる阿呆陀羅經のアホがくだらぬスレを立てるから魑魅魍魎が闊歩する。 阿呆陀羅經にしろ机にしろ、おなじロクデナシの狢。 『立論議論に際しては首尾一貫・理路整然を心がけて頂きたく存じます。』なんて佛教を理論で解明しようとするとんだお笑い種。 阿呆陀羅經よ、このスレはそんな程度のものよ。なにを事大に考えてるんだい。 狐や狸が大いに出没する程度のものさ。
698 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/28(土) 14:09:28 ID:+2d6LZTS
6 名前: 阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ 投稿日: 2007/06/22(金) 11:38:09 ID:+yhdRhEI ここは今やロビー、いや玄関先か車寄せくらいのつもり(笑)。 の通り。 尤も「不可触壁蝨外道」の類は端から足切り&篩い落とし処理済み(冷笑)
699 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 14:35:57 ID:qJSdWEkd
阿呆陀羅經 とかいうのは、口だけ用心棒か? 追い出したいんなら戦って追い出せやへタレ
700 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/28(土) 14:42:52 ID:+2d6LZTS
>>1 参照。
追い出すも何も、汚穢は端から門前払い処理済み(嗤笑)。
阿呆陀羅經よ。 そう机を外道呼ばわりするな。つまらぬ理論に寄りかかる、おなじ狢仲間だろうが。 仏典読む前に、まず己を知れよ。
雜阿含經卷第十八(四九〇) エンブシャが問い、シャリホツが答える。 閻浮車問舍利弗。謂涅槃者。云何爲涅槃。 舍利弗言。涅槃者。貪欲永盡。瞋恚永盡。愚癡永盡。一切諸煩惱永盡。是名涅槃。 ネハンとは、貪欲・怒り・愚痴(無明に同じ)が永遠に尽きること。 閻浮車問舍利弗。所謂阿羅漢者。云何名阿羅漢。 舍利弗言。貪欲已斷無餘。瞋恚愚癡已斷無餘。是名阿羅漢。 アラカンとは、貪欲・怒り・愚痴を断って余りがないひと。 閻浮車問舍利弗。所謂阿羅漢者。云何名阿羅漢者。 舍利弗言。貪欲永盡無餘。瞋恚愚癡永盡無餘。是名阿羅漢者。 アラカンとは、貪欲・怒り・愚痴が永遠に尽きて余りがないひと。 閻浮車問舍利弗。所謂無明者。云何爲無明。 舍利弗言。所謂無明者。於前際無知。後際無知。前後中際無知。 佛法僧寶無知。苦集滅道無知。善不善無記無知。内無知外無知。 若於彼彼事。無知闇障。是名無明。 無明とは、過去・現在・未来を知らず、仏法僧の三宝を知らず、 四諦を知らず、善・悪・無記(善でも悪でもないこと)を知らず、 内を知らず外を知らず(内・外の六入処?)、 若しくはあれこれのことに於いて、無知で闇の障りがあること。 閻浮車問舍利弗。所謂苦者。云何爲苦。 舍利弗言。苦者謂生苦老苦病苦死苦。恩愛別離苦。怨憎會苦。所求不得苦。略説五受陰苦。是名爲苦。 苦とは四苦八苦である。
703 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 14:56:30 ID:qJSdWEkd
門前払いも何も思いっきり書き込めるんですが・・・ 阿呆陀羅經先生は、母子殺害事件の夫は今後どうしたらいいとお考えですか? 「死刑にならなければ、僕が殺しに行きます」とか発言してますよ
704 :
素人 :2007/07/28(土) 15:02:38 ID:kW4TunB6
>>700 なら、一々書き込まなくてもええやんw
それとも、
原始仏教の理論をもってして、何か本村さんにアドバイスしますか?w
机氏の発言のどこにミスがあるか詳細に指摘しますか?
その気がないなら、貴方こそ黙っていればいい。
それとも、「原始仏教は、一般の人に対して語る・伝える術を持たない」
と開き直りますか?(爆
705 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 15:04:39 ID:Gyc+t/u7
佛ヘの中道
〔左端が正統バラモン教、特にウパニシャッド哲人の見解〕
因果/業報/苦楽…カースト制度の根拠で(も)ある
自作(宿作因、ジャイナ)・他作(自在天/尊祐造)・自他共作←縁生→無因自然生(アージーヴィカ)
輪廻…業報の根拠で(も)ある
常見(ジャイナ)←縁起→断見(アジタ・ケーサカンバリン)
アートマン…輪廻の根拠で(も)ある
有我(ジャイナ)←非我/仮名→無我(佛ヘ的な意味でなく)
二辺に固執することが、ありのままに物事を知るのを妨げ、結果として苦を生じさせる、として中道を説いたのだろう。
こうして俯瞰して見ると、アージーヴィカやアジタ説が早くに、ついで佛ヘも中世に(イスラム勢力
による破壊殺戮もあいまって)、インドの地から駆逐され、ジャイナのみ残存し得た、あるいは
バラモン階級から存在を許された、その理由を説明できるかも知れない。
ttp://www.nhu.edu.tw/~kwlu/buddhist_samsara.pdf 佛教輪迴思想的論述分析 以《弊宿經》裡佛教徒與「無論者」的輪迴辯論為考察線索
おい、自信不笈の阿呆陀羅經よ。 自分だけは机とは違うなんて偉そうなこと言ってないで、一緒に迷説珍説を展開したらどうだ。 どうせ、腐ったスレなんだろう、ん?
707 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 15:09:18 ID:EUVzSU2T
>>705 仏典の授業をメモしたような書き込みするな。
そんなのクソの役にもたちゃしない。
708 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/28(土) 15:18:54 ID:+2d6LZTS
「不可触壁蝨外道」の同じ穴の狢といえば、性懲りもなく拙劣幼稚な複問虚偽&反問虚偽紛い を排出する重症患者の伝道屋気取りの間抜けのことだろうよ(冷笑)
しまった・・・。 IDあるし、名前欄要らんかったな・・・w いずれにしろ、 机氏が、勝義・真諦・仏の視線を偏重しているように、 阿呆陀羅氏は、教義・理論の緻密な解析に埋もれている・・・。 そうした姿勢自体を批判するものではないが、 それなりに面白いやりとりがなされていたら、 「あー、そこはこうだよね」とか「ここはこう考えるべきだよね」とか、 普通に参加してくればいいじゃん。 ロビーや玄関先なら、(お茶出せとは言わないがw)ちょっとは応対したって構わんだろうに・・・。 営業セールスや宗教の勧誘、不審な訪問者がいることも事実だろうが、 だからと言って、インターホン越しの会話すらせず、頑なに鍵を掛っ放しな態度はどうかと思う。 談話室の有効利用の仕方も、貴方が率先して使い分けていけば、 古参はともかく、新しめの方はそれに倣ってくれるのでは? (勿論、侮蔑の言葉を交えることなく、 「時事問題に関連した雑談はこちらで↓」 とURLを貼ればいい) 常に、見下した侮蔑の言葉でもってレスしてくるから、コチラもカチンと来てついつい応酬してしまうw う〜ん・・因果だなぁ・・・(自嘲
>>662 >>663 なるほど、参考になりました。
般若波羅蜜ですから、この段階で完成。
つまり空諦(勝義諦)より俗諦で完成。→空即是色
というのが禅宗などは考えてますね。
密教などは、この空諦が俗諦になるらしい。
そこから勝義諦。→(色→空→色ですね)。
この空諦より勝義諦に到る段階が真言にあたるようです。
やはり如来蔵思想ですね。
まったく禅とは対照的に違うところです。
ならば、やはり真言の捉え方も違って当然です。
ちなみに、
禅では始祖以来、無功徳は綿々と禅宗の骨格をなすテーゼになってますね。
711 :
あ4(ふぉー) :2007/07/28(土) 15:49:52 ID:Jpj36ZMk
道教:この道は、天と地の間の出来事。りきまず ウンコもれそう 儒教:子曰く「親に孝行、だがウンコもれそう」 仏教:それはほとけさまのウンコである。 禅:ウンコがもれちまった。ウンコという実体はない。ウンコは、空である。ウンコは、もれなかった・・・ ヒンドゥー教:この便意は、輪廻の結果と永劫の過去から、未来永劫の彼方(かなた)へと続く「ウンコ漏れそうの業(ごう)」である イスラム:ウンコがもれっちまったのは、、アラーの思し召しにほかならない・・・アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー プロテスタント:隣人のウンコは、わたしの愛である。 カトリック:ウンコが、もれちゃった罪は、イエスさんが十字架を背負ってゴルゴだの丘を登って、罪を背負ってくださったから、無罪だ。 ユダヤ教:我々ユダヤ人のウンコは、エジプト脱出の際のどさくさ以来、今に至るまで、荒野をさまよいつつ、トイレを探し回ってる便意のことだ。
712 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 15:55:15 ID:qJSdWEkd
無期懲役でも20年くらいで仮釈放される場合がある 犯人は逆恨みしている可能性が高い 死刑にこだわる要因は復讐心からだけではなく、恐怖心があるのかもしれない
713 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/28(土) 15:57:50 ID:+2d6LZTS
インターフォンカメラに不審者(含あぼ〜ん蟲喰い穴)が映れば、無視黙殺処理は当然。 応対の要は一切無し(笑)。
714 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 15:59:57 ID:qJSdWEkd
阿呆陀羅經先生、拙劣幼稚な複問だったら、さっさと答えてくだされ 本人が相談しに来たら『「不可触壁蝨外道」の類は端から足切り(冷笑)』と追っ払うのですか?
715 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/28(土) 16:04:14 ID:+2d6LZTS
己の言明の癡愚加減も理解能わぬ身の程も弁えず這い出て来ないように(冷笑)。
716 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 16:08:16 ID:EUVzSU2T
>>710 「参考になりました」って言っておきながら、そのあと禅宗の説明ばかりしてるじゃないか?
あなたの「参考になりました。」は、社交辞令なんだよ。最終的には、自論展開して自分を
押し付けているんだよ。自己顕示欲そのもの。
禅宗知識お披露目したけりゃ、新たにスレ立てればいいんじゃないか?
あなたとアホダラはワンセットだな。
ファーストフードのハンバーガーとポテトの割引セットみたいなもんだ。
>>712 >死刑にこだわる要因は復讐心からだけではなく、恐怖心があるのかもしれない
本村氏が死刑に拘るのは、死刑が刑法における極刑にあたるからだよ。
今、本村氏にできるのは裁判闘争でしかない。
家族の供養も、この闘争に全てが掛かってる。
という現状認識によるもの。
今できることは今やらねばならん。
本村氏の発言は、司法・世論をさえも動かしたではないか。
そして問題提起しているのは、本村氏自身なのである。
それにどう答えを出すのか?
これは自らに依らねばなるまい。
<即今即所とは、即ち成り切ることである>
−花押ー
718 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 16:15:27 ID:qJSdWEkd
阿呆陀羅經先生はいつからこんな引っ込み思案になってしまったのですか? オウム信者に論戦でボロ負けしたと聞いたことがあるのですが、それがトラウマになっているのですか? そんなこと気にしなくてもいいと思いますよ
>>716 >最終的には、自論展開して自分を
>押し付けているんだよ。自己顕示欲そのもの。
掲示板というのは自論を展開するところだよ。
(注意:自論は展開しないで仕切り房はいるけど)
>禅宗知識お披露目したけりゃ、新たにスレ立てればいいんじゃないか?
私がスレを立てても集まらんのだよ。
アホダラ氏は人を集めるのは上手い(人徳か?)
(注意:原始仏教スレは終了がない)
オウム信者? 詭弁モドキすら碌に操れず、ネットでもリアルでも玩弄物にすらならなかった(冷笑)。 ちなみに当方は死刑廃止論者。殺される方が億万倍マシと受刑者に思わせ、かつ犯罪被害者への補償と 治安維持にも資する刑罰を考案すべきというのが持論。 スレ違いにつきsageで。
721 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 16:38:36 ID:eM7oOiT3
机さん。釈尊の仏教は、善因善果、悪因悪果説を説いていますよ。 つまりこれは言葉を変えれば、カルマの法です。 あなたの仏教はだいぶと釈尊の仏教とは違うようですね。
722 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 16:51:17 ID:EUVzSU2T
>>719 >私がスレを立てても集まらんのだよ。
あははのは、そこだけはよくわかってるじゃないか。
まあ、理論展開もメチャクチャだし、文体そのものに面白みがないもんな。
カラス氏のように、一見、言葉汚く相手を罵倒しているように見えても論旨、
理論展開に筋が通っているから、読み手に真髄が伝わるんだよ。
アホダラは、理論的にズレていても、やたら難しい意味不明の漢字を使うことで
特徴があっておもしろい。それだけ。
>>721 >机さん。釈尊の仏教は、善因善果、悪因悪果説を説いていますよ。
この理論だと四聖諦に論理矛盾がある。
どちらが一義であるか?
弁証法も大事である。
佛教は業報思想と微妙な接点を有しておるが、ここは貴殿の智恵にて
よくよく考えなされば、既に答えは明白。
不可触汚穢壁蝨並の癡愚と無知、学習能力の欠損についても当方は一切関知しない(冷笑)。
>>719 >私がスレを立てても集まらんのだよ。
正直でよろしい。
が、どうして集まらないか?
まずはその原因を突き止めるべきだな。
>>725 >が、どうして集まらないか?
水清ければ魚棲まず。ということもある。
スレというのは、ある程度の毒気があった方が人を吸い寄せる。
アホ氏の毒気で、君達は集まっておるんじゃないんですか?
人間というのは潜在的にそういうのを持っている。
(注意:心理学による)
728 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 17:56:06 ID:ANDiIDsi
>>726 ワロタ2 ゲット!!
救いようのないアッホー。
ギャグだけなら、他に笑えるところはあるだろ。
みんな、法を掴みたくて読んでるんじゃないか!!
729 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 18:50:20 ID:eM7oOiT3
>>723 ほう。因果応報を説くとどうして四聖諦に矛盾がでるのか、
説明してもらいましょうか。一読したところあなたは四聖諦の真理を正しく理解していないようですが、
おかしないいがかりをつけてきた以上、答えてもらいましょう。
机氏は、記憶障害の様だから指摘しておこう。 「相対性理論と仏教」ってスレを参照して貰えば判るが、 中身の無い大上段だから、踏み込まれて逃げただけの話。 現実から逃げたいだけならキリスト教にでも改宗したら?
>>727 >>728 君達は、
>不可触汚穢壁蝨並の癡愚と無知、学習能力の欠損についても当方は一切関知しない(冷笑)。
このフレーズが良くて、たまらんのじゃないですか?
無機質的なフレーズというのは脳にインプットしやすい。
最初は、
「またかよぉ〜〜」とか、敬遠する。
そのうち慣れてくる。
慣れてくるうちに、人間というのは、この書込みを期待するようになる。
「お!!、書いておるw」。とか、
書かれていると安心するようになる。
そのうち、このフレーズが書かれることを確認するため、
当該スレッドを毎日ロムるようになる。
(注意:人気スレの秘密)
732 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 19:22:34 ID:ANDiIDsi
>>731 机氏よ、あなたが自論の矛盾を指摘されても詭弁や言い訳で返してくるから、
しかも、その言い訳が「水清くして、魚住まず。」なんて、あたかも水は自分だ
といわんばかりの自画自賛。
更に悪いことに、アホダラに責任転嫁してるだろ。これをアホと言わずして
何という?
いいか、それは何を意味するかといえば、アホダラをダシにして自分を正当化してるって
ことだよ。自分にスレ立てる勇気(自信)がないもんだから、アホダラ(このスレ)に
ペッタンコ貼り付いてるコバンザメっつーことだ。
あなたがまともなことを書けば、だれも突っ込まない。まともなこと書かないから
突っ込まれるんだよ。人のせいにするな!
>>729 >一読したところあなたは四聖諦の真理を正しく理解していないようですが
そうですか?
私は四聖諦については何度も書いてますね。
これは簡単に言ったら、寂滅の法です。
寂滅ならば、善因も悪因もありようがない。
かような論理矛盾です。
>>577 の追記です。一度に纏めるのは大変なので、これから少しずつ書いていきます。今回は@とAに関わることです。
まずその前に、五蘊の行が欠けている例があることに触れておきましょう。ウダーナ・ヴァルガ26章16
「身体を壊(やぶ)り、表象作用と感受作用とを静めて、識別作用を滅ぼすことができたならば、苦しみが終結すると説かれる。」
訳注には「ここでは五蘊のうちの色・受・想・識に言及しているが、行に言及していないから、
五蘊の説の確立する以前の段階の思想を示している。」と書かれています。
さて本題ですが、五蘊の行と有為(サンスクリタ)が同じことを指す例が相応部経典にありました。SN.4.16
rUpaM vedayitaM saJJaM viJJANaM yaJ ca saGkhataM,
n' eso 'ham asmi n' etaM me, evaM tattha virajjati.
色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと、――
わたしはこれではない。またこれは、わたしに属するものではない。このように観じて、
わたしはそれらについての執著を離れる。(『ブッダ 悪魔との対話』p.33)
注には、「前後の関係から見ると、これは五蘊の体系において saMkhAra と呼ばれるものと同じである。」と書かれています。
次の対応漢訳でもそうなっています。
雜阿含39(1102)「色受想行識 非我及我所」
これで、行を有為と見ることが相応部経典の例で示されたわけですが、
なお文法的には、名詞化の語尾 -a の上位概念の kRt 接尾辞の項に、具体的事物を表す、と書いて
あり、その例として -ti の項に kSiti が出てくるわけですが、このことから saMskAra を
saMskRta と解釈することも可能のようですが、この点は今後さらに調べていこうと思っています。
>>732 >あなたがまともなことを書けば、だれも突っ込まない。まともなこと書かないから
>突っ込まれるんだよ。人のせいにするな!
人間の深層心理というのは、ある意味突っ込まれることを期待するもんだよ。
まあ、馴れ合いのスレもあるが、
2ちゃんでは、馴れ合いはあまり常道というんじゃないのは、
ひろゆきのキャラでも分かるだろ?
736 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 19:42:47 ID:ANDiIDsi
>>735 >人間の深層心理というのは、ある意味突っ込まれることを期待するもんだよ。
突っ込みを期待しているのは、あなただろ?自分のこと言ってりゃ世話ないや。
要するにだ、あなたは1日中、365日、何年もへばりついて誰かにかまって欲しいわけだ。
オイラはずっとロムに徹していたが、あなたの書き込みのあまりの酷さ、滑稽さに
突っ込んだまでだ。
誰かがキリスト教に改宗したらと言ってるが、あなたにはキリスト教も無理。
断見や言葉の意味を感覚でわからない人に、聖書の言葉もまともに理解は出来ないだろう。
こっちがまともなことを言っても(間違いを指摘しても)聞く耳を持たない人に何を言っても徒労に終わるだけだ。
737 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 19:50:34 ID:MlGtg98c
寂滅とは煩悩の静まることであり、 また、善悪がない、というのは、悟りの境地では、善にも執着しないということ、 たとえば「天界の安楽な後生を願うこともない」ということであって、 もちろん「悪は行わない」ということは大前提です。 <悟りの境地では善悪がなくなる、世間的に悪事ということを行なっても、覚者にとって悪事は存在しない> とか、そういうことではありません。 仏教は、あくまでも諸悪莫作、衆善奉行です。 善悪の因果を無視する主張は、犯罪誘発の危険性、つまり<悪事を行なっても苦報はない、 だから悪事をやろう>という発想を導くので釈尊は厳禁したのです。 この主張はアージーヴィカ教に顕著であったので、次のように述べられました。 >仏陀「マッカリは多くの人を破滅させる。網ですべての魚をとらえる漁師のようだ」(新釈尊伝)
738 :
松 :2007/07/28(土) 19:50:41 ID:7RSUS1Ms
あいかわらずアーレフの糞が多いな。 何かイベントがあるのかな。 ひふみの計画とは?
>>736 >突っ込みを期待しているのは、あなただろ?自分のこと言ってりゃ世話ないや。
>要するにだ、あなたは1日中、365日、何年もへばりついて誰かにかまって欲しいわけだ。
私を本格的にかまってくれる人間が出没したのは、
私がオウムについて書込みしてからだよ(~o~)
その前は、私はマターリと自論を書込みしてただけ。
つまり、オウムの話しはタブーか?
そんなに私をかまってくれなくていいよw
実際、私はマターリと書込みするのが好きなんだから。
アホ氏みたくスルーしてもらった方が、
かえって好きなことが書けるよ(~o~)
>>733 四聖諦も因果関係になってんの知らないの?
集>苦
道>滅
二つとも因果関係なんですが、
つまり、これあるとき、これあり。これなきとき、これなし。
ほんと何も分かってないだから。
741 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 20:21:35 ID:eM7oOiT3
>>733 四聖諦のどこに善因、悪因の寂滅などと書いているのですか?
むしろ四聖諦には、苦の寂滅には八正道を治めなさいとあるのですよ。
八正道には、正語、正業、正命、正精進があるということも、
あなたは知らないのですか?特にあなたは八正道の正精進とは、
四正勤と同義だということを知らないようですね。
あなたの仏教論は誤謬だらけです。仏典に書かれている内容を、自説に合うよう、
屁理屈、詭弁を駆使して無理やり解釈するのがあなたのいうスキルアップですか?
あなたの屁理屈は白い物でも、無理やり屁理屈と詭弁を駆使して、
黒い物だと説明することがスキルアップした
レベルの高い話しだと言っているようなものです。
詭弁と屁理屈が達者になるということが、釈尊の仏教ではありませんし
スキルアップしたことにもなりません。
そんなことで得意げに語っているの者は、ただの愚か者です。
あなたは詭弁が仏教だと思っている。
あなたの迷いは、底知れぬほど深いものですね。
「本質は無常である。実体は空である。」VEGAN ◆PsPHI2rklQ著 それはブッダの信仰でしょうか、法衣を着ることでしょうか? それは四聖諦の実践でした。 変化のある無常の世界において、再び期待する。 しかし、再び期待したものを得たとしてもそのまま再び移ろっていく。 そこで苦を味わう。 苦と切り離すことができない。 このように苦しみの本質は無常であると知った。 そして、栄華を願う心は、離れるとした。 そして、権力を願う心は、離れるとした。 そして、快楽を願う心は、離れるとした。 生老病死、その移り変わりを、ああしようこうしようと願う心は離れるとしよう。 このようにしてから、再び期待したことに気づくのである。 今度は期待の裏にある苦を照らし、この無明を暴いていく。 そして、根本原因であるワタシを仮設するという妄執を暴くのである。 物は存在している。それらが無常に変わり行く相互関係でしかない。 そこにワタシというものは見つからない。空だ。 ワタシを仮設するとき、再び期待するのである。これが苦の原因だと気づく。 さらに、何かが存在すると仮設する、この妄執を暴くのである。 仮設して得たい、害したいとするとき、 それが苦の原因となる。 しかし、本質は無常である。実体は仮設である、空である。 虚無論も仮設せず、実在論も仮設せず、マーヤも、アートマンも、禅も、阿頼耶識も仮設せず。 このようにして知識として知るだけでなく、瞑想するとき、つまり体得するとき、 再び期待することなく、あるがままを見るとき、真理を悟っているのである。
>>740 四聖諦というのは、つまり思考システムを4っつにマニュアル化したもんだから、
すべてトータル的なもんだね。
つまり簡単に言えば、思考システムの問題。
システム自体が変化すれば、システム自体は問題でなくなる。
四聖諦は世俗諦であって、真諦は四聖諦そのものは全く問題にならない。
(注意:無苦集滅道→般若心経より)
>>741 >むしろ四聖諦には、苦の寂滅には八正道を治めなさいとあるのですよ
こんなこと、誰に教わったのですか?
俗人が八正道の何たるか?など分からんでしょ?
ちなみに「正念」など分かるはずがない。
分かるはずのないもんを治めようがない。
よって苦の寂滅など、ありようがない。
オウムはインチキですよw
>>739 >アホ氏みたくスルーしてもらった方が、
>かえって好きなことが書けるよ(~o~)
それが嘘だということは机自身が証明しているだろ。
自分で立てたスレを放置している以上何をほざこうが嘘は嘘。
いくらでもスルーしてやるからそっちへ行くがいい。
>>743-744 >四聖諦というのは、つまり思考システムを4っつにマニュアル化したもんだから
また、妄想して。経験する一切が苦であるというのが、苦諦。
その苦の原因は何かというのが、集諦。だから因果関係なわけ。
そして一切の苦が滅した状態が楽であるというのが、滅諦。
その滅の原因となるのが八正道などの修行法であるのが、道諦。
これまた因果関係なんですよ。
正念も分からずに般若心経なんか分かるわけがない。
机さんは、オウムより酷いよ。酷すぎて誰も信じないし、効果もないから、無害だけど。
747 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 20:41:33 ID:vHDX187z
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. で出るのはもういいだろ。 髑髏仮面の時のがよかったぞw
748 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 20:41:40 ID:eM7oOiT3
>>743 でました。世俗諦、真諦を使った詭弁が。
このような詭弁家の、かっこうの道具になる仏教用語は考えものですね。
いよいよこの人は、自説に合わない四諦の真理すら、
それは俗諦などと否定してきました。この人の迷いはどこまで深いのだろうか。
ここは原始佛教のスレです。般若心経の話しがしたければ、
禅スレにでも移動すればどうですか?
あなたはスレ違いの禅思想を永遠に垂れ流し続ける。
いい加減あなたのエゴを垂れ流し続けるのは止めにしませんか?
>>745 >いくらでもスルーしてやるからそっちへ行くがいい。
いや、名無しが仕切らんでもいいよ(爆笑
750 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/28(土) 20:55:00 ID:ZD1xHule
四諦の真理には道諦と言うものがある。 これは苦の滅ぼし、涅槃に至るには、八正道を勤め励むしかないということだ。 机よ、おまえがいくら四の五の言って、やれそれは俗諦だの、これは真諦だのと能書き垂れようと、 我々は、、この俗世間を生きているんだよ。この俗世間を生きる限り、 この俗世間を捨て、真理に至るには、八正道は必要なのだよ。ノータリンのおまえには、 いくら言っても、わからん道理のようだな。 しかし自分の都合のいい八正道の正念だけは取って、他の道は、それは俗諦などと切って捨てるのはよくないな〜。 そういうのを、詭弁だと言うんだよ。
>>749 >いや、名無しが仕切らんでもいいよ(爆笑
そんなにムキになるなよ(w
アホはアホなりに自スレを保守しているだろ。
少なくともちゃんと目を通していますよとレスを入れている。
それがスレを立てた者の責任の取り方だ。
おまえのようにスレを立て逃げしておきながら、
他所のスレに寄生して自スレのように厚顔をさらけだす無恥とは違うだろ。
アホには誠実さがあり、おまえには無い。
アホとおまえの違いはそれだけだよ。
>>746 思考システムを分析すれば、そういう説明になる。
ってことで、
逆に言ったら、そういう分析でしか思考を説明することができない。
ということだよ。
人間の脳というのは、そういうふうにできている。
(つまり順序だてないと脳が機能しない)
十二支縁起も同じこと。
瞬時に理解するには脳は無理なんだよ。→世俗諦
まあ、今日はオウムの皆さんが 私をかまってくれてありがとう。 明日はもう、かまわんでいいぞ(~o~) マイペースで書込みしたい。 おやすみ。
>>753 >明日はもう、かまわんでいいぞ(~o~)
>マイペースで書込みしたい。
泣き言を書き込みたければ自分のスレでやれよ(w
それから、どぶに小便を垂れ流すのは不衛生だからやめたほうがいいぞ(爆
755 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/28(土) 21:12:22 ID:ZD1xHule
>>753 でたよ、論破されると、論敵に対して根拠の無いレッテル貼りで論では勝てない相手を誹謗中傷する。
お前は卑怯者だよ。
ところでおまえ、類は友を呼ぶってことわざ知ってっか?
お前と同じく他人様を根拠の無いレッテル貼りして抽象している頭のおかしいのが約一名いるだろう。
お前の庇護者はその約一名だけだ(苦笑)
まさに類は友を呼ぶだな。論では勝てない相手に、いわれの無いレッテル貼りをして誹謗中傷するのは、
卑怯者のすることだよ、卑怯者。
>>752 おいおい、いいかげんにしなよ。禅師が四諦もない、三宝もないとかいうのは、こういう基本的なことが完全に分かって長年修行してきた人に
いうから、意味がある、悟りに繋がるんだけど。
机さんがなんにも分からずに、ただエゴを出したいために、騙るなら、相当大きな罪になっちゃうぞ。
>>753 言うだけ無駄だが、机さんが自分で立てた相対性理論どうのこうのスレで独り言いってればいいじゃないか。
机は知らぬ顔を通しているが、 どぶに小便を垂れ流しているのも、 女弟子を手篭めにしたのも、 日本刀を飾って悦に入っているのも、 全て机自身が得意げに書き込んだ話で、 オイラはそれをリアルタイムにROMして来た。 他にも悪行はあるようだが、直接には確認していない。 誠実さも倫理観も欠如した人間が、いい加減な仏教を語る。 恥を知らない人間とは恐ろしいものだ。
>>753 >まあ、今日はオウムの皆さんが
>私をかまってくれてありがとう。
こういう具合に、相手にレッテルを貼って初めて安心できる精神というのは、
やはりどこかが病んでいるのだろう、と想像できる。
かわいそうだとは思うけれども、付き合うべき相手ではない。
759 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 22:15:19 ID:jWvgeoV3
「恍惚の人」ということで。w
> ID:xKxnLrRS
>>1 参照。
殺・盗・淫等々の無間業の煮凝り、「不可触壁蝨外道」の類に言及不可。
761 :
松 :2007/07/28(土) 23:06:33 ID:7RSUS1Ms
現在の教団の根底にある、元代表=キリストの信仰を越える では、なぜ、仏教・密教を実践しているはずの教団が、このような状態になったのかというと、それは、旧教団において、仏教・密教ではなく、元代表をキリストとした信仰をしていたことがあるからだ、と思います。 つまり、元代表がキリストであり、社会は(一連の事件を含めて)教団を弾圧しており、それに耐えれば、キリストの世の中が来る、 という旧教団の教義を信じる人たちにとっては、社会に害や混乱を与えないようにという、通常の仏教・密教的な考え方自体が、全く意味のないこととなり、弾圧者に対する妥協となってしまいます。
762 :
松 :2007/07/28(土) 23:07:31 ID:7RSUS1Ms
しかし、それは、旧教団独特の「尊師キリスト(終末思想)教」ともいうべき信仰であって、社会に対する慈悲、思いやりを前提とする、仏教・密教の信仰とは異質のものだと思います。 そして、既にお話ししましたが、私は、このキリスト教的な信仰は、「盲信である」と考えるのが合理的だと思います。 一方で、仏教の実践は、盲信ではなく、現象をありのままに見ることを重視します。 何か特定の観念に執着するのではなく、時と場合によって、実践すべき法則を適切に選択することを重視します。このことは、釈迦が対機説法、方便に優れていた、とされることからもわかるでしょう。
763 :
松 :2007/07/28(土) 23:16:01 ID:7RSUS1Ms
カラスが何でキリストばっかり抜かしているか、上祐のブログで漸く判ったよ。 キリストとは松本だったんだな。
>>760 机はあぼ〜ん処理していたんだが、
机の引用は読まざるを得なくなったのでつい手が出た。
正直、すまんかった。
以降はまたROMに戻るよ。
二人とも罪人として処刑されますw
766 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 23:30:43 ID:L1xhID/2
オウムは、仏教というより、神智学(ブラ×先生)がネタ元ではないでしょうか?
767 :
神も仏も名無しさん :2007/07/28(土) 23:49:16 ID:5oYFDuLi
オウムはホント必死だな。哀れ。
>>766 かの外道カルトは癡頭夫死刑囚の妄想を充たすためにでっち上げたパッチワークドグ
マを延々埒もなく垂れ流し続けただけのもの。
それがいわゆる「セカイ系」厨房&愚悩死鬆バカ的メンタリティの受け皿になりやすい
ことは、「不可触壁蝨外道」の類を見れば明白だろう。
769 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 06:37:49 ID:zVO+dMAb
614 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/07/27(金) 13:02:53 ID:luybIIxh
>>607 >あのオウムの事件は悪ではないのですね?答えてください。
「民衆救済」は悪です。
その思想が悪ですね。
いいことおっしゃいますね、その通りだと思います
救済って何ですか?
人によって解釈が違うでしょ
絶対善なんてこの世には存在しません
というのは善には必ず悪が内包されているからです
悪には必ず善が内包されているからです
野良猫を救済する善人集団は、彼らの最も大切な臓器をえぐり取る悪人集団でもあるのです
770 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 06:55:44 ID:zVO+dMAb
八正道は善を行えということなのですか? 善悪に惑わされない=正しい行いをせよ ということではないのですか? 善行善果悪行悪果というのは、恨まれれば恨みが返ってき、感謝されれば感謝が返ってくる、ということじゃないのですか? 絶対善なんかないと思います
>>750 >この俗世間を捨て、真理に至るには、八正道は必要なのだよ。ノータリンのおまえには、
>いくら言っても、わからん道理のようだな。
これも大間違いだね。
「真理に到らなければ八正道は無理」。ということなんだよ。
八正道というのは、簡単に言うたら
「正しいものの見方、正しいものの考え方」。のことだよ。
俗人にはこういうのは到底無理。
だから彼岸へ逝かねばならんのです。
彼岸に逝けば、八正道すべてが開眼するんだよ。
よく考えたらいいよ。
「正しいものの見方、正しいものの考え方」。←これなんだよ。
これが出来るかい?
出来んからカルトに騙されちまうんです。
つまり簡単に説明してやるよ。
カルトは八正道について、dでも概念を貴殿にインプットする。
この概念を実行することにおいて真理に到る。
というふうにマイコンかけてくるんだよ。
まあ、このマイコンに嵌っちまったら・・・もう真理に到ることしか考えなくなるようになる。
これがカルトの恐ろしさなんだよ。
まあ、今さら私が何を言おうと手遅れなんだけどね^_^;
772 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 07:46:37 ID:b/CxsHIx
>>771 なにが、
>よく考えたらいいよ。
>「正しいものの見方、正しいものの考え方」。←これなんだよ。
だよ。邪見の王様のてめぇがこれを言ったら、ギャグにしかなんねぇんだよ。
何度も言うけどよ、八正道の正精進とは、四正勤と同義なんだよ。
そして四正勤とは、すでに生じた悪を除こうと勉めること。悪を生じないように勉めること。
善を生じるように勉めること。すでに生じた善を増すように勉めること 。
と言う意味なんだよ。お前らは、善悪と聞くと、その人その人の主観でころころ変わる、
世俗の善悪しか考えられず、この識別された世界で、なにが本当の善であり、
なにが本当の悪なのかも、”正しく” 理解できない。
何度も何度も言うが、釈迦は、善を成し、悪を成してはならないと言ったんだよ。
釈迦のいう成しなさいと言う善とはなにか、成してはならないと言う悪とはなにかを ”正しく”
理解できないてめぇには、釈迦の佛教を語ってはいけないと言ってるんだよ。
ところでてめぇ、女を手篭めにかけたってな。
女を強姦して、世の中には善悪は無いのじゃと、開き直るのが、釈迦の佛教じゃねぇんだよ、糞ボケが。
もちろん強姦などは立派な悪だ。なぜなら、相手の事を考えず、単に己のエゴを満たす行動に他ならないからだ。
佛教をやって、道徳否定論者になるくらいなら、仏教などやらないほうがましだってもんだよ。
>>752 のつづき
>人間の脳というのは、そういうふうにできている。
>(つまり順序だてないと脳が機能しない)
順序だてて考えることを「論理」という。
つまり論理とは、言語を組み合わせて話の筋道を立てることなんです。
これが世俗諦です。
勝義諦というのは、言語以前、組み合わせ以前のことです。
(簡単に言えば)
だから、論理的整合性のある四聖諦は世俗諦ということになる。
(世俗諦が間違い。という訳ではない)→これもひとつの、モノの考えかた。
世俗諦と勝義諦は、ふたつにしてふたつにあらず。また、
ひとつにしてひとつにあらず。
これを不一不二という。→色即是空 空即是色
佛教は一如の法門です。
774 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 07:53:09 ID:BoQFePd6
>>771 >よく考えたらいいよ。
>「正しいものの見方、正しいものの考え方」。←これなんだよ。
>これが出来るかい?
>出来んからカルトに騙されちまうんです。
朝もはよから、ご苦労さん。
釈迦の言葉も正しく理解も出来ず、正しいものの見方、正しいものの考え方も出来ないやつが、
講釈垂れても説得力ないねぇ。w
>彼岸に逝けば、八正道すべてが開眼するんだよ。
逆。開眼するから彼岸に到達するの。いや、彼岸は既に目の前に広がっていたと気がつくんだよ。
それが、彼岸だ!
775 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 08:01:43 ID:b/CxsHIx
あ、そうそう、ここのアホウ陀羅經は、オウムスレでコテンパンに論破されまくっていたよ。 なにをかんがえたのかこの御仁は、オウムスレにて、さっそうと現れ、 オウムの連中に説教をたれはじめたんだ。そしてら見事に返り討ちにあったやんの。 たとえば、形而上のことなど無いとこの人が言うと、釈迦は無いと言ったのか?無いと言うのならそれを証明してみろ。 と反論されると、この御仁は、そんなものは無いというのは常識だからみたいな反論しか出来ないわけ。 こんな反論だと、突っ込みまくられるのは目に見えてるだろ。事実突っ込みまくられてこの御仁はたじたじさ。 あげくにあなたの佛教に何の意味があるのかと突っ込まれて、まともな返答も出来ずに、 みっともなく退散したのさ、このアホウ陀羅經さんは。今考えてもこの御仁がなぜオウムスレにさっそうと現れ、 彼らと法論を戦わしても、全く歯が立たないのに、説教を垂れだしたのかは謎。 といより、みっともなくって見ていられなかったよ。まるであれだ。このみっともなさは、風俗で遊んでいるのに風俗嬢に 説教を垂れだしたのはいいが、見事に返り討ちにあったような感じかな。 とにかくみっともなかったよ。
>>772 そもそも俗人には、何が善で何が悪なのか?
さえ分からんのですよ。
だから無明(メクラ)というんですがね。
眼が開く(明智)になって、はじめて善悪を判断できるようになるんです。
これを「無分別の分別」という。
だいたいが、カルトに騙されている時点で善悪の判断がついておらんじゃないですか?
そこのとこを冷静に考えたら宜しかろう。
777 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 08:09:05 ID:zVO+dMAb
で、四正勤のいう悪とはどういうことで、善とはどういうことなのですか?
778 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 08:09:45 ID:BoQFePd6
779 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 08:19:08 ID:H15EN0RU
【在日北朝鮮カルト顕正会絡みの凶悪犯罪の歴史・日本編 第一部】 1992年 8月28日 顕正会への入会強要 顕正会員 2名 逮捕 送検 1993年 3月26日 拉致監禁暴行 男子高校生失明 逮捕 送検 1996年11月 2日 覚醒剤取締法違反 顕正会員 逮捕 送検 1999年 8月 入会強要で暴行 男子高校生骨折の重傷 2000年11月 入会強要 森田 議文 中原 ムネハル 小川 ジュン 北森 某 事情聴取 厳重注意 2000年 5月 2日 顕正会員が強制わいせつ・余罪多数 丸山 陽三 立件 逮捕 2000年 3月18日 顕正会員が違法射撃 秀島 裕展 逮捕 送検 2001年 7月25日 顕正会員が住居侵入・暴行 田中 えりな 逮捕 2001年 7月 2日 入会強要・暴行 桜井 祐也 太田 隆司 高橋 康晃 逮捕 2001年 3月 4日 入会強要 顕正会員 武藤 ひさ子 解雇 2002年 6月15日 殺人・覚醒剤取締法違反 顕正会員 宇高 明男 宇高 聡 起訴 2002年 6月15日 殺人 顕正会員 宇高 明男 逮捕 2002年 5月 顕正会への入会強要 小池 淳子 厳重注意 2002年 4月 顕正会への入会強要・殺人未遂・暴行 前川 某 逮捕 2003年11月11日 顕正会への入会強要 松野 登志彦 和田 茂樹 逮捕 2003年 9月19日 軽犯罪法違反(つきまとい) 顕正会員2名 逮捕 送検 2004年 6月 ジャパネットたかた契約社員(37)約51万人分の顧客情報を記録して流出させる。 2004年 9月14日 大阪教育大付属池田小学校殺人事件 宅間守死刑執行。 2005年 5月 5日 監禁 石川 秀樹 行徳 祐一 逮捕 「 起 訴 猶 予 処 分 」にて釈放。 2006年 7月 3日 傷害 群馬の中沢誠が元短大教授(71歳)を暴行、顕正会群馬県施設に一斉捜査。 2006年12月 埼玉・行田市で溝口順子容疑者(47)ら2人が器物損壊の疑いで逮捕、ほか二名別件で逮捕 2007年 1月11日 「顕正会本部」を初捜索 大学生に入会強要、「神奈川県警公安1課」が3人逮捕 2007年 2月 派遣社員の顕正会員が派遣勤務先から約900万件の個人情報を持ち出し逮捕。 2007年 4月 奈良の騒音おばさん実刑確定。刑務所送りになる。 2007年 4月19日 1999年9月池袋通り魔事件 造田博被告(31)死刑確定。 2007年 5月18日 千葉県八街市の派遣社員坂本和章容疑者(25)が飲酒運転で男子高校生(15)を轢き殺す。
780 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 08:24:08 ID:b/CxsHIx
>>776 誰がカルトに騙されたというんだい?
言っとくが、俺はオウムを批判したほうだ。
ま、俺はここのアホウみたいにコテンパンに論破されたりはしないがな。
俺は昔も今も、カトリックだ。佛教にはテーラーワーダと、ゴエンカさんのヴィパッサナーしか
関わったことは無い。いい加減嘘の風評を垂れ流し、いわれのないレッテル貼りをしてんじゃねぇぞ、
卑怯者。
781 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 08:27:58 ID:b/CxsHIx
>>777 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
説明済みだ。なのにメクラの君らは、
いつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでも
いつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでも
いつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでも
いつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでも
いつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでも
いつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでもいつまでも
社会科の先生が言うような、その人その人の主観によるものでしかない、世俗の判断に過ぎない
善悪判断を引き合いに反論してくる。
782 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 08:32:53 ID:b/CxsHIx
>>776 >そもそも俗人には、何が善で何が悪なのか?
>さえ分からんのですよ。
>だから無明(メクラ)というんですがね。
それは、まんまお前のことじゃねぇか(苦笑)
>>782 >それは、まんまお前のことじゃねぇか(苦笑)
私は分かっております。
なんだったら書いてもいいが、果たして私のレスポンが解せるかどうか?
第一義空なら善悪は当然二義になる。
つまり仮設としての善悪です。
花は紅であり、柳は緑、紅や緑が善悪になりますね。
784 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 08:55:59 ID:b/CxsHIx
>>783 てめぇの強姦を、善悪などはないなどと開きなおってるてめぇは、
何もわかっちゃいないじゃねぇかよ。おまえの思想は、まんま麻原シンパの、オウム思想そのものなんだよ。
第一義が善悪など無いのなら、仮説でしかない善悪判断は第二義である。
我々は第一義を優先すべきである。つまりこの世に善悪は無いと。←はっきり言って誤謬です。
善悪概念を脳にインプットされると、社会通念上の善悪概念が麻痺してくる。 つまり、法に則った善悪が第一義になってくる。 そうなると、 反社会的なことまで平気でやるようになる。 善悪ほど、マイコンで恐ろしいものはない。 カルトに嵌ると、先ず脱会は無理です(99%無理)。 本人は気の毒だけど、 それ以上に社会は迷惑をこうむる。
786 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 09:01:50 ID:b/CxsHIx
>>785 善悪判断が麻痺して、己の強姦を正当化して、反社会的なことまで平気でやってるのはお前のほうじゃねぇか。
何言ってんだか、この自己中の邪見の王様さんはよ。
787 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 09:02:12 ID:BoQFePd6
>>785 おいおい、強姦しておいて「そこに善悪はないのです。」なんて
開き直ったのかよ?釈明しろよ。
788 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 09:02:49 ID:b/CxsHIx
>>785 >カルトに嵌ると、先ず脱会は無理です(99%無理)。
それはお前を見てると、とてもよくわかるよ(苦笑)
789 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 09:07:55 ID:BoQFePd6
机の場合、カルト教祖に帰依したんじゃなくて、己の勝手な解釈で自己陶酔してるだけじゃんか。 さしずめ自家中毒型カルトだな。w
>>786 善悪で「利他」どころじゃないですよ。
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ。
(注意:ありのままAA略)
自分自身の心まで蝕むのです。
(つまりビョーキです)
791 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 09:11:03 ID:zVO+dMAb
で、四正勤のいう悪とはどういうことで、善とはどういうことなのですか?
792 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 09:13:44 ID:b/CxsHIx
>>790 簡単なことを、あれこれへ理屈を捏ね回して、違う意味にしてしまうのが佛教じゃねぇんだよ。
心が蝕んでいるのは、なにが善いことでなにが悪いことかも判断できず、自分の強姦を正当化している
お前のほうなんだよ。
793 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 09:14:59 ID:BoQFePd6
>>790 強姦が、
>善悪で「利他」どころじゃないですよ。
>そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ。
とは、どういうことだ?なぜ、説明できない?答えろよ。
>>791 >第一義空なら善悪は当然二義になる。
>つまり仮設としての善悪です。
> 花は紅であり、柳は緑、紅や緑が善悪になりますね。
>>783
795 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 09:22:07 ID:b/CxsHIx
>>791 勝義で言うと我々は本来一つだ。
その真理を知ると、他人を悲しませる行為、思想が善いことなのか、悪いことなのか、
わからないか?あなたと私を識別する自我を持ち生きる我々は、
残念ながら、勝義の世界に生きているのではなく、識別され、善悪の存在する、俗世間に生きているのだよ。
>>795 >残念ながら、勝義の世界に生きているのではなく、識別され、善悪の存在する、俗世間に生きているのだよ。
こういうことを何処で教わったのですか?
勝義の世界などない。
善悪は存在するもんでもない。
つまり、君達は、
「勝義の世界」で騙されているんですよ。
これはカルトが素人向けによく使うプログラムです。
つうか、
カルトは突っ込んでもキリがないんですよ。
逝っておきますが、カルトからの脱会は無理です。
797 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 09:49:41 ID:b/CxsHIx
>>796 おまえ佛教の基本中の基本である四法印では、一切は皆苦だと説いているのも知らんのか?
それをなに、苦の滅を必死でこの一切の内に探しているんだ、メクラよ。
>>341 に引用された釈迦の言葉は、はっきり言って、自性の事を語っている。
この世はいうまでもなく、無自性な空である。無自性な空でしかないこの世界に、いくら自性をさがしても
見付かるわけはない。釈迦は、自性の中に、苦しみの終焉はあると説いたんだよ。
しかし、ここの唯物末法仏教者達は、自説に合わない
>>341 に引用された、ウダーナに書かれている、
釈迦の文言は、見事にスルーしているところに、非常に笑えるものがある。
ま、もっと突っ込んで言うと、自性は、この世界にあるとも言え、無いとも言える。
なぜなら、外側と、内側は表裏一体だからだ。涅槃の境地とは、決して何も無いという意味での、無ではない。
たとえば睡眠。たとえば全身麻酔を考えてみるといい。たしかに、熟睡時や、全身麻酔をかけられているときは、
意識は無く、意識は無になったように思えるだろう。だがそれは違う。なぜなら、意識が完全に無になるなら、
彼は、決して目覚めることは無いからだ。仏教の言う無とは机の言うように完全な無と言うことではなく、
全ての基点である、ゼロの事を指す。それは、安息の日でもある。
798 :
松 :2007/07/29(日) 09:55:01 ID:nlvxC56F
それが拘置所で糞小便垂れ流しで、泣きながら死刑を待つ自称キリストの松本ちずおとどんな関係があるんだ?
799 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 10:45:14 ID:A9MW6abw
>>1 参照。
無間地獄の責め苦をどうでも露出したい「不可触壁蝨外道」は完全スルーで。
>>798 オウムについて当方的には以下の元(?)信者の言明で一応終息。
393 名前:名無しさん@3周年 :2006/12/31(日) 01:56:26 ID:0Nfcoo+i
誤爆ついでに。
昨年、あほ集団オウムスレにおいて阿呆陀羅經氏に幾多のアドバイスを
いただいたことについて、この場を借りて御礼申し上げます。
>>797 >仏教の言う無とは机の言うように完全な無と言うことではなく、
>全ての基点である、ゼロの事を指す。それは、安息の日でもある。
無とはどういうことか?というよりも、もっと大事なことがある。
つまり、
「全ての基点であるゼロ」が問題だ。
何故かというと、このフレーズが行動規範になること。
つまり行動原理になることである。
これで利他行をやられては、衆生はたまったもんじゃない。
ある日、突然に利他行が待ち構える。
それは衆生が好むと好まざるに関わらず襲ってくるのだ。
>それは、安息の日でもある。
いやいや、安息の日どころじゃ〜ないよ。
地獄としか言いようがない。
この恐怖は貴殿には分かりますか?
ウダーナ(
>>341 )やウダーナ・ヴァルガ(
>>415 )に述べられている涅槃の境地に関しては
次のようなことも同時に考慮すべきでしょう。
saMyuttanikAya, asaGkatasaMyuttaM, asaGkhatasuttaM
katamaJ ca bhikkhave asaGkhataM.
yo bhikkhave rAgakkhayo dosakkhayo mohakkhayo, idaM vuccati bhikkhave asaGkhataM.
相応部 無為相応 無為経
また比丘たちよ、無為(作られざるもの)とは何であるか。
比丘たちよ、貪りの滅であり、怒りの滅であり、愚痴の滅である所のもの、これが、比丘たちよ、無為と言われるのである。
比丘たちよ、いま、わたしは、壊れるものと壊れないものについて語ろうと思う。…
色は…。受は…。想は…。行は…。
識は壊れるものである。もし、識が去り、滅し、没すれば、すなわち、壊れないものである。
相応部 22-32
802 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 12:33:29 ID:zVO+dMAb
「麻原は東京拘置所で薬漬け。 真相暴露を恐れるオウムの黒幕が口封じ。」 とかいうことが、よくささやかれているが、実際、オウムの闇は何ら明らかになっていない オウムのバックに倒逸や草加がいたという話はどうなんだろうか? 麻原は操り人形で、組織を操っていたのは倒逸の早川という話も聞いたことがある
803 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 12:37:43 ID:A9MW6abw
>>793 >とは、どういうことだ?なぜ、説明できない?答えろよ。
>>785 に説明が書いてあります。
カルトは日本の暗部です。
一度洗脳されると、そのマイコンを解くのは不可能です。
若い時に洗脳を受け、30代とか40代くらいになって、
ある程度の分別がつくようになって、カルトから自然に離れる場合が多い。
50代くらいまで教団に所属していて幹部クラスもいるが、
こういった事例は稀です。
殆どは、50代になりますとカルトから離れます。
しかしながら、統一二世のようにカルトから離れる以前に子供を作ると、
また、悲劇は繰り返されるのです。
いやいや、わたしは君達をカルト脱会の説得をしている訳じゃ〜ないですよ。
私が説得しても、私のスキルでは到底カルトにはかなわんのです。
これは私の経験則に依るものです。
追記 50代くらいの幹部クラスというのは、勿論マイコンは解けてます。 カルトの裏も表も解っていて幹部をしてるのです。 こういった大人達に利用されるのが、若い兵隊達です。 どうか自分を大切になさって、 真面目の自分に巡り合うことを、 机は切に希望しております。
806 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 14:23:10 ID:/0BmIvgV
>>804 別に、思い出した頃に、言い訳しなくてもいいよ。もしかして、デマ?と思ったから、事実確認したかったまでよ。
要するに、「やった」ってことね。
あのさ、バツが悪くなると根も葉もない屁理屈つけて、相手をカルト呼ばわりするのやめてくれないかな。
自分のしでかしたこと誤魔化すために、カルトだなんだ話題を逸らしてるんだろう?
オイラはカルトでもなんでもないぞ。
釈迦仏教にしても、ズレたことしか書けないし。あなたから得ることは、今のところ何もない。
ここ2.3日のあんたの書き込みを読んでつくづく思った。
807 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 14:25:42 ID:A9MW6abw
>>801 つまり「涅槃の境地」は、我見・我論すなわち実体・本体論を何ら前提されず成立することが
容易に理解されるものと考えます。
「一切法無我」。
808 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 14:33:40 ID:/0BmIvgV
>>804 >私が説得しても、私のスキルでは到底カルトにはかなわんのです。
わかる、わかる。
あんたは、論理破綻してるからね。
809 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 14:44:06 ID:zVO+dMAb
青年層が多いオウム幹部の中にあって数少ない中年であり、 信者からは『オヤジ』と呼ばれていたこと、 教団の陰の実力者であり麻原を叱責した事実があることなどがワイドショーで語られた。 (Wikipedia)
810 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 14:46:32 ID:A9MW6abw
スレ違い与太話は、オウム外道スレでやるように。
811 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 14:52:11 ID:zVO+dMAb
なんで俺ばっかり速攻怒られる?(悲笑) 他の人もオウムやカルトの話、頻繁にしてるじゃん しかも認識が誤ってると思う
812 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 14:57:02 ID:A9MW6abw
>>811 >>1参照と再三に亘って言明しているはず。
このスレとは無関係につき、当該スレで幾らでもやればいいだけの話。
いずれにせよ、オウム自体このスレの趣旨からして駆除対象であることを忘れるな。
813 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 15:13:11 ID:zVO+dMAb
/ ̄ ̄ ̄\ ミ ,、 ____ / _ノ \ // _ノ ヽ_\ . | ( ●)(●) /っ( >) (<)\ | ,. ヽ (__人__)_/ /:::::⌒(__人__)⌒::::: \ . | / / ` ⌒´ノ__ノ |r┬-/ | / / } ノ ` ̄'´ ノ、 〈 < >>1 }__//| /\\__ iヽヽ.__,、 /=u' ヽ ノ `u= ヽ.ヽ < __ノ \ __ / `ヽ\_>、 // \\ ) ) )) \\ // (´  ̄`ヽ`ヽ / ̄ ) (  ̄\
>>807 >つまり「涅槃の境地」は、我見・我論すなわち実体・本体論を何ら前提されず成立することが
>容易に理解されるものと考えます。
>「一切法無我」。
理解じゃないんだよ。このアホだら。
ま、涅槃は ehi passika らしいからね
816 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 15:44:24 ID:A9MW6abw
>>814 人語を一から習得直してから出て来るように。
ここは低脳児以下の出入りするところではない(嗤笑)。
817 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 15:51:35 ID:b/CxsHIx
>>800 もう言っていることが支離滅裂。論理的にも破綻している全く意味の無い投稿だな。
おまえ病院で診てもらったほうがいいんじゃねぇのか?
屁理屈もここまでくると屁理屈以前の問題で、お前の思考回路がいかに捻じ曲がっているのかが
よく伺える書き込みの内容だ。論理的の欠片も無く、言ってることが滅茶苦茶。支離滅裂。
もっともおまえのような自己中の人格障害者は、今の病院では治せないそうだがな。
どうみたって、カルトは、自身の強姦すら佛教を盾に正当化しているおまえのほうだろう。
それを批判する他人様をカルト呼ばわりする。なんと邪悪な心。カルトはお前なのに、
自分の心の闇を、見事に他人に転嫁する。これは、ある種の人格障害者の
非常に特徴的な行動、思考パターンだそうだ。
その精神科医は、君のような人を、イビルマン。つまり、「邪悪な人々」と呼んでいたよ。
818 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 16:03:31 ID:b/CxsHIx
>>807 名は人を表す。
アホかおまえ。どうみても、
>>341 の、ウダーナの文言は、自性、つまり実体論を語っているだろうがよ。
それをお前らの我見で意味を捻じ曲げ、我見で、
>我見・我論すなわち実体・本体論を何ら前提されず成立することが
>容易に理解されるものと考えます。
と脳内変換して違う意味にしてしまう君らの思考回路には驚くよ。
ま、これも、自分達の我見(邪見)に恐ろしく執着している心の成せる業だな。
「一切法無我」
識というのも所詮はこの世のものだ。つまり、一切の内にあるものだ。
おまえ仏教の言う一切とはどこのことかも知らんのか?
少し佛教のことを語れば、この程度。なるほどこれでは、オウム相手でも、少し弁のたつオウム信者に対しては
法論を戦わしても、コテンパンにやられるわけだ。
無能者。
819 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 16:11:26 ID:b/CxsHIx
820 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 16:34:33 ID:A9MW6abw
我見・我論すなわち実体・本体論という誤謬・虚偽前提によって盲目になっているが故に、 「不可触壁蝨外道」は永劫に「不可触壁蝨外道」のまま、三界六道の最底辺で悶絶・呻吟を 続けねばならない。あぼ〜ん処理による蟲喰い番号飛びはその絶叫の痕跡(嗤笑)。
>>806 >オイラはカルトでもなんでもないぞ。
>釈迦仏教にしても、ズレたことしか書けないし。あなたから得ることは、今のところ何もない。
>ここ2.3日のあんたの書き込みを読んでつくづく思った。
ここ2・3日は、私はオウムのことしか書込みしてない。
私がオウムの書込みをするようになってから、
急に私へのレスポンが多くなったんだよ^_^;
つまり、私のオウム関連書込みに敏感に反応する輩が多い。
ってことなんだよ。
まあ、そうだろな。私は真実しか書かんから。
私の真実の書込みをみれば、
そりゃ〜〜、焦ってどうにか問題の本質を隠蔽したがる。
(いま、隠蔽の途上。注意:経過AAは略させて頂きます)
君達が隠蔽したがると、それは逆効果だよw
そのネタで私が書き込みしちゃうから。
まあ、それでも私は本気で叩いている訳じゃない。
叩いても無駄なことは充分に解っておるからだよ。
一期一会
ただただ、君達に巡り合えたこの機縁を、
この機縁を大事にしとう御座います。→和敬清寂
<机龍之介・花押>
822 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 17:01:21 ID:A9MW6abw
>>801 補遺。
>貪りの滅であり、怒りの滅であり、愚痴の滅である所のもの、これが、比丘たちよ、無為と言われるのである。
「無為→涅槃」というありよう、すなわち状態を我見・我論という戯論によって実体視し、「物象化」する虚偽誤謬
の捨離がその意味を理解する最低限の前提となるのは明らかです。
823 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 17:02:37 ID:/0BmIvgV
>>821 カラス氏に突っ込まれて論理で勝ち目がないからって、オイラに矛先向けるなよ。w
あとな、「君達、君達」って誰をさして言ってるんだ?
先にも言ったように、オイラはカルト(オウム)信者ではない。
お前に反論している人達だって、カルト(オウム)信者ではないと思うぞ。
昨日の本村氏の話じゃないが、掲示板上でどこの誰かもわからない相手を
カルトだ、オウムだと思うのは、み〜〜〜〜んな、お前の頭の中で作り上げた妄想じゃないか!!
えっ、この理屈わかるよな?禅でもこの理屈は教えているはずだぞ。
お前の自論など、な〜〜〜〜んも役に立たない。百害あって一利なしだ!!
お前の日記帳がわりに、この板使うな!!まったり書きたきゃ自分でブログでも立ち上げろ。
>>808 >わかる、わかる。
>あんたは、論理破綻してるからね。
どんだけぇ〜論理的整合性があったとしても、
そもそもマイコンを“説得”で解くのは無理です(99%無理)。
姉弟がカルトに入信して、弟は何かの拍子にマイコンが解けたそうです。
そして姉にカルト脱会を説得し続けた。
それでも姉はマイコンは解けない。
ある日、弟は悟った。
もう、これ以上は無理。
かえって姉はカルトにいた方が幸せなんじゃないか?
それ以来、弟は全く説得自体を断念したそうです。
実は、私もこの話しで眼が覚めたとこもあります。
(だから、説得を強行するつもりはない)
禅的には、これを喫茶去といふ。
>>819 すくなくともそのサイトは君のいうような意味で自性を使ってるとは思えないが。
しかも、そこで批判対象として扱われている有部は、原子論的実在論であって、その実在する原子などの諸法が縁起して一切が成り立つという世界観で、君のいうような実在とは全く違うだろう。
ついでながら、オウムの根本的欠陥は、サマヤを破ったことだと思っているが、
もう一つ、縁起等の観(ヴィパサナ)を行わなかったことにあると思う。
だから、ヨーガやシャクティパットなどを使って、サマタ(止)の境地を深めることはできたので、プラーナ、光明や寂静は体験できる。
だけど観(ヴィパサナ)を行わなかったので、無我、空を体験できなかった、そこにも問題があると思われる。
つまり、釈尊の伝記でいえば、アーラーラ・カーラーマなどに就いた時に達した境地なのである。
釈尊はそれは悟りには繋がらないとし、悟ったのは心が静まりながらも思考が働く色界定中に縁起を観じたことからである。
これがヴィパサナに他ならない。
だから、オウムは本質的に外道のレヴェルなのである。
これは原始仏教から大乗仏教まで一貫して主張するもので、重要な点である。
826 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 17:11:19 ID:A9MW6abw
>>823 「不可触壁蝨外道」は、
片やオウム崩れ
片やオウムの同類
ということで終了。
>>1 参照の上、撒 き 餌 厳 禁 。
827 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 17:24:02 ID:/0BmIvgV
己の力のなさ(論理思考力0、説得力0、妄想力100)を、他人のせいにして悦に入るウマシカ。 別の意味で、幸せな奴だ。wwwww
828 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 17:26:36 ID:A9MW6abw
ジャンキー体験を戯論の粉末の上で転がし続けて我執の油で揚げれば、オウムの如き カルトドグマ天麩羅の出来上がり(嗤)。
829 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 17:56:11 ID:b/CxsHIx
>>825 お前は文盲だな。
そのサイトには、この世、つまり一切には自性が欠如していると言っているに過ぎないんだよ。
要は自性とは、以下サイトより引用
>自性は条件や原因なし存在している、といいます。また、その理由として、
>自性はつくられたものではないからだといいます。そして、自性は他に依存しないともいっています。
>つまり、ナーガールジュナによれば、自性は自立自存をその特徴としていることがわかります。
つまり作られたものであり、原因あって存在しているこの世には、自性は無いと言っているのだ。
釈迦も縁起の法により、この世のものには自性はないと悟った(一切法無我)
だが一方で、
>>341 のウダーナの一文では釈迦はあきらかに自性を語っている。
そもそもおまえらは、縁起の法を説くくせに、因果律の法則すら理解していない。
原因があって存在しているこの無自性なこの世も、原因となるものがあってはじめて存在しているのだ。
無自性なものが存在するには、芯となる原因が元にないと、存在し得ない。
縁起も遡っていけば、実体にぶつかる。無から何も生まれないし、実体の無い幻がうまれたのには、
あの幻を因とした。こうして遡っていけば、芯に自性がないと、それこそ終わりのないものになり、
因果律の法則も崩壊する。中には末法佛教者の一つ、縁起佛教を盲信する人達は、縁起こそ自性だと
ちんぷんかんぷんなことをぬかす。そもそも縁起とは他に依存しなければ存在しえない二項により成るものであり、
これは自性とはなりえない。縁起が自性と言うのなら、この世は永遠と言うことにもなり、
一切行無常を説く仏説からは相容れないものだ。
>生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ、
>生じたもの、生成したもの、作られたもの、形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることがあるのである。
『ウダーナ』8章3節<不生不滅>
君らは縁起の法以前に、因果律の法則からやり直しだね。
830 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 18:02:24 ID:b/CxsHIx
自性が、もろもろの縁と因とによって生ずると言うことは正しくない。 自性が縁と因とによって生じたものであるとするなら、つくられたものである、ということになるであろう。(中論15:1) さらにまた、どうして、自性がつくられたもの、ということがあるであろうか。なぜならば、 自性とは、つくられたのではないものであり、また他に依存しないものなのであるから。(中論15:2) 自性があれば消滅することがない。(空七十論16) この後に続く竜樹の能書きはどうでもいいとして、釈迦は一切皆苦を説いた。 なのに君らはこの一切の内に、苦の滅を必死で探しているから、仏典の解釈も、 おかしな屁理屈だらけの難解な解釈になるんだよ。
831 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 18:05:50 ID:b/CxsHIx
>>826 へらず口は、せめてオウムの連中を論破できるようになってから言おうね。
逆に連中にコテンパンに論破される君がいくら言っても、説得力ゼロだよ。
832 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 18:11:22 ID:b/CxsHIx
>>824 >どんだけぇ〜論理的整合性があったとしても、
>そもそもマイコンを“説得”で解くのは無理です(99%無理)。
何かのギャグか?それはまんまおまえのことだろ(爆笑)
どんだけぇ〜論理的整合性のある話でお前の話は間違いですよと指摘してあげても、
おまえの自説に執着するあまり、自らかしたマインドコントロールは決して解けないのを、
このスレで自ら実証しているものな〜〜〜。
そんなことも気付かず、このものいいだ。完全に頭おかしいよ、おまえ。
サイコパスになると、自分自身のこともわからなくなるようで。
833 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 18:19:59 ID:A9MW6abw
オウム患者(敢えて信者と言わないw)の如きジャンキーバカ、(無論「不可触壁蝨外道」どもも同様だがw) は、そもそも人語空間への参入資格を持ち合わせて居らず、論駁反論は一切不可能な上紙礫状のモノを 必死に投げても届かず当たらず、過去ログに徒に生き恥を晒すのみとなってしまった(蔑嗤)。 基地外戯論病の症例標本と死亡診断書が虚しく残るだけの憐れと言うも愚かな有様(冷笑)。
834 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 18:31:21 ID:b/CxsHIx
835 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 18:43:23 ID:zTGf1PQK
旅烏<<無自性な空って、、、いつから大丈夫教・中観派に転んだんだよw
>>837 君達は、まだマイコンのルーツを知らないから、そんな流暢なことが逝ってられるんだよ。
これはもともと某国が軍事目的に国家的大プロジェクトにおいて開発された。
そのおそろしさは、
まさにマンハッタン計画さえも彷彿とさせるであろう。
詳しいこと知りたかったら書込みしてもいい。
A某教団がスパイとして教団幹部を、B某教団に送りこんだら、
なんと、
その幹部がマイコンにやられちまって、
ミイラ取りがミイラになった有名な話がある。
こういう話も聞きたいんじゃないか?
じつはこんなもんじゃない。
もっと恐ろしい片鱗を見ることになる。
(毎度、AAは略)
837 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 18:45:42 ID:A9MW6abw
上の方で狢がどうたらとか言及されたが・・・。 「同じ穴の狢」とは、実体・本体論という誤謬虚偽、不当前提に基づいて戯論(=形而上的駄弁) を排出する「不可触壁蝨外道」どもに他ならない。まあ人語空間への参入資格すら持たぬ汚穢 どもには永劫理解不能であろうが(嗤笑)。
838 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 19:14:39 ID:zVO+dMAb
>>836 はい、聞きたいです
↓(怒られる(悲))
839 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 19:27:33 ID:3wb41e8I
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 =捻じ曲げ、曲解、わざと黒く塗ってその黒さを罵倒する。 カルト ご苦労!
840 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 19:27:44 ID:A9MW6abw
>>838 いい加減、視線を合わせていいモノとそうでないモノとの区別を学習せんかい。
基地外低脳に感染したくなければだ。
841 :
松 :2007/07/29(日) 19:45:38 ID:nlvxC56F
>>829 カラスの負け。
ウダーナで語られているのはニルヴァーナのこと。
オウムは基本的にヒンドゥー教だからどうしても自性、アートマンを設定したいんだな。
そして、アートマンのためなら人を殺してもいいと。
>> 原因があって存在しているこの無自性なこの世も、原因となるものがあってはじめて存在しているのだ。
クズの詭弁はもう文法さえまともに考えられないのか。
師匠の松本が死にたくないと泣きながら、糞小便を垂れ流しているのに好い気なもんだ。
そろそろ警告を出すか。
新ネタを出せよ。
842 :
松 :2007/07/29(日) 20:03:31 ID:nlvxC56F
このスレに「カラスの唄」という名前で書きこんでる者は 殺人宗教元オウム真理教、現アーレフ、又はひかりの輪の者である可能性が非常に高いようです。 この者達は数台のパソコンを使い、複数人を装って一人を攻撃します。 この者達にオフ会、勉強会などに誘われても決して行かないように。 住所、メアドなどの個人情報を聞かれても、決して教えないように。 この者達が宣伝するアーレフに、行ったりしないように。 ひかりの輪代表の上祐史裕自身が、未だにアーレフが殺人その他の暴力行為を、完全に否定していないことを明言しています。 殺人宗教アーレフ、殺人宗教ひかりの輪を一刻も早く潰せるように、みなさんもご協力をお願いします。
843 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 20:07:58 ID:A9MW6abw
我見・我論という実体・本体論すなわち戯論という不当前提を通してでしか佛典を読めないのが、 「不可触壁蝨外道」のオウム崩れたる所以。 無漏のニルヴァーナなる無為法も無我に他ならないのは、原始佛典から導出される論理的帰結。 そこへ我見・我論が這入り込む余地は寸毫もあり得ない。
なに?この松って基地外は。 言っていることに論理的な論旨もなければ、ただカラスを批判したいだけなのがみえみえ。 カラスさんに対抗意識でも剥き出しでいるのかしら。 カラスさんも頭のおかしい変な人に粘着ストーカーされて大変ですね。 心より同情いたします。
>チャンドラキールティにとって「勝義」とは >観念・言語を超越した仏陀の認識対象である自性にほかならない。 原始仏教スレで「自性」なんてスレ違いのことを言ってるのは 帰謬論証派のチベット仏教徒。
846 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 20:19:37 ID:b/CxsHIx
>>845 そういうなら、ただ、自性などは無い。などとおまえらの
唯物末法仏教の常識をオウム返しで繰り返すだけじゃなく、
論理的に論破してみな。釈迦は、
>>341 のように自性を語っているんだよ。
白いものを屁理屈捏ね回して黒だと説明するのがスキルアップでもレベルアップでもなんでもなく、
ただの言葉遊びに悦に入っている愚か者のすることだ。釈迦bの言説を、
自分達の信じる末法佛教の常識に無理やり屁理屈を捏ね回して解釈することがスキルアップでも
レベルの高い話でもなんでもなく、ただの愚か者のすることだよ。
847 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 20:22:40 ID:b/CxsHIx
>>844 ご同情ありがとさん。
基地外は相手にしない方がいいよ。
どうせ、まともな会話は成り立たない相手だからさ(苦笑)
私のようなもののために同情してくれるのなら、この哀れな精神障害者のために
祈ってあげましょう。彼は哀れむべき対象ですから。
>>829-830 断章取義って知ってる? 君のはどうみてもそれだよ。論全体から意味を取るのでなく、
部分から自説に都合のいい部分だけ切り取って適当に読み込んじゃう。それじゃ佐倉さんも龍樹菩薩もトホホでしょ。
君が引用した箇所は、すべてあり得ないものを想定する帰謬法の前提の部分だよ。つまり、否定されるべきことね。
だから、君が引用した箇所に続いて佐倉さんはこのようにまとめてるでしょ。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku01.html > ナーガールジュナは、ヒンズー教徒たちが恒常不滅の魂に執着するのは当然だけれど、
> ブッダの教えを信じると自称する仏教徒自身が、ものには恒常不滅の自性なるものがあると
> 信じていることは実に「奇異である」といって仏教内批判をおこなっているのです。
> つまり、ナーガールジュナは、自性というものを、ブッダが否定したアートマン(個我)と
> 同類のものと見なして、それを否定していることがわかります。
つまり、自性は「ブッダが否定したアートマン」と同類のありえないものってことね。
その後で 佐倉さんは「大毘婆娑論」を引用して有部の自性はどんなものを想定していたかを説明している。
それすらも君のいうような一切を超えた実在みたいなものではなく、世俗の一切の中での実在であることが明らかでしょう。
> 一切のダルマが皆、自性を含む、ということが、「含む」という語のすぐれた解釈である。(「 大毘婆娑論」卷59)
これは多分、
T27n1545_p0306c07(15) 爲止彼意顯一切法皆攝自性是勝義攝。
この部分の訳だと思うけど、これに続く部分を読めば有部の自性はどんなものか明らか、
T27n1545_p0306c14(15) 問若一切法唯攝自性是勝義攝非他性者。 T27n1545_p0306c15(15) 分別論者所引契經世俗言論當云何通。答所引契經是不了義。 T27n1545_p0306c16(06) 依假名説有別意趣。謂契經説。 T27n1545_p0306c17(11) 諸臺帳等所有中心爲臺帳等。衆材所依能任持彼。令不散墜。 T27n1545_p0306c18(03) 故説中心能攝彼者於任持義假立攝聲。 T27n1545_p0306c19(03) 此任持彼不散墜故。假立攝名。非勝義攝。 T27n1545_p0306c20(03) 又契經説。於五根中慧根最勝。 T27n1545_p0306c21(07) 慧根能攝餘四根者。於方便義假立攝聲。 T27n1545_p0306c22(07) 慧爲方便令餘四根亦速運轉能辧大事。假立攝名。 T27n1545_p0306c23(03) 非勝義攝。又契經説。以四攝事攝徒衆者。 T27n1545_p0306c24(03) 於能引彼令不離散假立攝聲。 T27n1545_p0306c25(07) 由四攝事方便誘引假立攝名。非勝義攝。又契經説。 T27n1545_p0306c26(03) 正思惟正精進亦慧蘊攝。正念亦定蘊攝者。 T27n1545_p0306c27(03) 於隨順義假立攝聲。以正思惟正精進隨順慧蘊。 T27n1545_p0306c28(00) 正念隨順定蘊故。假立攝名。 T27n1545_p0306c29(05) 非勝義攝又彼所引世俗言論。 T27n1545_p0307a01(09) 戸樞攝扇縷攝衣服附攝薪等。依任持義假説攝名。非勝義攝。 T27n1545_p0307a02(01) 在家者説能攝田等。出家者説攝徒衆等。 T27n1545_p0307a03(01) 依饒益義假説攝名。非勝義攝。 T27n1545_p0307a04(05) 攝他性者待時待因而立攝名。非究竟攝。待時者。 T27n1545_p0307a05(02) 謂有時能攝。有時不攝。待因者。謂有因能攝。 T27n1545_p0307a06(00) 有因不攝。故非究竟。如有頌曰 T27n1545_p0307a07(00) 有因故起愛 有因故起憎 T27n1545_p0307a08(00) 世間無無因 而起愛憎者 T27n1545_p0307a09(00) 攝自性者。不待時因而有攝義。 T27n1545_p0307a10(03) 是究竟攝。不待時者。諸法無時不攝自性。 T27n1545_p0307a11(02) 以彼一切時不捨自體故。
要するに仮名、仮立の有と勝義の有に分ける有名な『倶舎論』6-4の二諦説の原型みたいなもので、
分析可能なものは仮立の有で、そうでないものは勝義の有で現在過去未来の三時に渡って実有である
という有名な説に過ぎない。だから君が
>>830 で引用した龍樹菩薩のように説かれるわけ、
上引の最後の三行が一緒でしょ。
君は、因果やカルマを認めるから、机さんやアホダラさんよりはマシだけど、
仏教の優れたとこは、無常・無我・縁起・空で、その観がないと外道になっちゃうんだよ。
ちょっと文章を正確によむ訓練をしてね。佐倉さんの文章は簡潔でしょ。内容はともかく。
それとパーリ仏典では論書・注釈書時代以前は自性という言葉は、3、4回しか登場しないよん。
851 :
松 :2007/07/29(日) 20:33:50 ID:nlvxC56F
このスレに「カラスの唄」という名前で書きこんでる者は 殺人宗教元オウム真理教、現アーレフ、又はひかりの輪の者である可能性が非常に高いようです。 この者達は数台のパソコンを使い、複数人を装って一人を攻撃します。 この者達にオフ会、勉強会などに誘われても決して行かないように。 住所、メアドなどの個人情報を聞かれても、決して教えないように。 この者達が宣伝するアーレフに、行ったりしないように。 ひかりの輪代表の上祐史裕自身が、未だにアーレフが殺人その他の暴力行為を、完全に否定していないことを明言しています。 殺人宗教アーレフ、殺人宗教ひかりの輪を一刻も早く潰せるように、みなさんもご協力をお願いします。
>>822 >実体視し、「物象化」する
これが、ともすれば人の陥りやすい傾向なのでしょうね。
しかし実相は、無常であり永遠に続くのではない。
したがって、名前も現在、因縁仮和合している姿につけた仮の名に過ぎない。
ものごとは諸縁に基づいて生じ滅する、という縁起の捉え方。
そういう、たちまち実体を思い描いてしまう傾向に反対する立場からは、
「わたしは業論者である」という言い方にも繋がっていくように思います。
853 :
松 :2007/07/29(日) 20:35:44 ID:nlvxC56F
このスレに「カラスの唄」と いう名前と ID:KembxMVY で書きこんでる者は 殺人宗教元オウム真理教、現アーレフ、又はひかりの輪の者である可能性が非常に高いようです。 この者達は数台のパソコンを使い、複数人を装って一人を攻撃します。 この者達にオフ会、勉強会などに誘われても決して行かないように。 住所、メアドなどの個人情報を聞かれても、決して教えないように。 この者達が宣伝するアーレフに、行ったりしないように。 ひかりの輪代表の上祐史裕自身が、未だにアーレフが殺人その他の暴力行為を、完全に否定していないことを明言しています。 殺人宗教アーレフ、殺人宗教ひかりの輪を一刻も早く潰せるように、みなさんもご協 ID:KembxMVY 力をお願いします。
854 :
松 :2007/07/29(日) 20:37:02 ID:nlvxC56F
このスレに「カラスの唄」と いう名前と ID:KembxMVY で書きこんでる者は 殺人宗教元オウム真理教、現アーレフ、又はひかりの輪の者である可能性が非常に高いようです。 この者達は数台のパソコンを使い、複数人を装って一人を攻撃します。 この者達にオフ会、勉強会などに誘われても決して行かないように。 住所、メアドなどの個人情報を聞かれても、決して教えないように。 この者達が宣伝するアーレフに、行ったりしないように。 ひかりの輪代表の上祐史裕自身が、未だにアーレフが殺人その他の暴力行為を、完全に否定していないことを明言しています。 殺人宗教アーレフ及び、殺人宗教ひかりの輪を一刻も早く潰せるように、みなさんもご強力をお願いします。
855 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 20:41:59 ID:b/CxsHIx
>>848 >部分から自説に都合のいい部分だけ切り取って適当に読み込んじゃう。
それは君らの方だろ。あいもかわらず机と同類項の君らは、君らの心の闇を、他人に転嫁してくるな。
釈迦は一切法無我を説き、一切行無常を説き、一切皆苦を説いた。
俺もこの一切の内にアートマンはないし、恒常普遍の自性は無いと言っている。
釈迦も同じ事を言っている。どこに矛盾がある?
釈迦は
>>341 の引用文を観てもわかるように自性を語っているんだよ。
たがそれは、この作られた縁起で成り立つこの世界には無いと言っているに過ぎない。
俺も同じ事を言っている。
ところで断見仏教者の君に聞きたいんだが、釈迦がいつ、形而上の事を完全に否定した?
一つ聞かせてもらおうじゃないか。
856 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 20:48:46 ID:b/CxsHIx
原始佛教ならず、末法唯物佛教の常識に囚われ、執着する外道の自性佛教者の人達よ。 釈迦は一切皆苦だと説いたんだよ。それをなに一生懸命屁理屈捏ね回して、 この一切の内に、涅槃を探しているんだい?こんな簡単な道理も英海で着ないとは、 君らの迷いはとても深いものだよ。
857 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 21:06:21 ID:A9MW6abw
>>854 マルチポストは無用。
>殺人宗教アーレフ及び、殺人宗教ひかりの輪を一刻も早く潰せるように、みなさんもご強力をお願いします。
このスレがその目的にいくらかでも資することが出来れば結構かと思います。
しかし、真に駆除・殲滅すべきなのは、「不可触壁蝨外道」に顕著な“オウム→愚脳死鬆的メンタリティ”であると考えます。
中論は「自性がある」なんて一言も言ってないだろ。 「こんなものは自性じゃない。そんなものも自性ではありえない」と言ってるだけ。 ウダーナのどこに「自性」という単語がある? それに空七十論なんて竜樹作かどうか分からんやつを引き合いに出すなよ。
859 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 21:10:00 ID:A9MW6abw
おっと、セクト家畜の破落戸ジョーユーも「同じ穴の狢」の類属ね(冷笑)。
860 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 21:17:27 ID:b/CxsHIx
>>858 >中論は「自性がある」なんて一言も言ってないだろ。
だから竜樹はアホだと言っているんだよ。
ま、君らのように、釈迦は一切皆苦だといったのに、この一切の内に佛教を全て理解しようとする
中論では、自性は無いと結論付けてるが、自性とは何かを比較的正確に記述されてはいる。
>ウダーナのどこに「自性」という単語がある?
おまえはアホだな。自性という単語が出てこなくとも、あの引用文は、自性について語っているんだよ。
君は自性と無自性=空の思想を全然理解していないようだから、もう一度貼ってあげるね、
自性と、無自性=空について詳しく説明しているサイト。
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku00.html 君の反論は、子供の屁理屈のレベルだよ。
>>838 >はい、聞きたいです
そうですか。では僭越ながら説明させて頂きます。
孫子の兵法は、今なお国家の国防に生かされておるのです。
つまり仮想敵国の軍事機密の情報を得ることは、限りなく国家の軍事に資するものがあります。
よって情報収集は国家にとって重要であることは、今さらながらに私が説明することもあるまい。
一番簡単なのは、スパイを拘束して情報を聞き出すことです。
しかしながらスパイも訓練されてますから、そう簡単には情報を漏洩せんですね。
そこでCIAが考えたのは、人の深層心理を上手く操作する方法です。
このプログラムを完成することです。
国家は莫大な国家予算を用意して、このプログラムを完成させました。
これば今で言う、マイコンプログラムの原型になっておるんですね。
つまり、マイコンプログラムは非常に高度で洗練されたものであることを御理解いただきたいのです。
スパイでも落ちてしまうもんですから。
素人が“説得”してもマイコンを解くのが難しいのは、実はここにあるんですね。
つまり元々が軍事戦略のもんですから、
舐めて掛かれるほど簡単なもんじゃないのです。
先ず、こういった基本的なもんからマイコンについて理解して逝ったほうが良さげですね。
862 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 21:34:14 ID:A9MW6abw
>>852 縁起説が実念論でも唯名論でもあり得ない、すなわち実体・本体論とは全く相容れないものである
ということでしょう。
原始佛教に於ける業論もこれを大前提に主張されていると考えます。
>>860 だから、君の説くような意味で自性は使われてないのが、ハッキリしたでしょ。
それじゃ机さんとかわんないよん。
中論は自性を信奉しているのではない。 逆に、自性を信奉している説一切有部なんかを論破しようとした。 また、説一切有部とは違う「ホンモノの」自性を説こうとしているのでもない。 謬見の欠陥を突いて崩壊させた。ただそれだけ。それが「帰謬」ということ。
865 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 21:42:58 ID:A9MW6abw
形而上的独断を前提とした諸見解(=戯論)に、オルタナティヴなき根底からの絶対否定を喰らわし破棄するのが 原始佛教以来の根本的方法論であろう。
866 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 21:48:18 ID:b/CxsHIx
>カオスの真ん中にあって、始めなければ終わりも無いもの。一切のものの多くの形態を >帯びている流出者(創造者)。一切のものを覆い隠す唯一のものを神だと知って、人は、全ての呪縛から >解放される。〜シェヴェーダーシェヴァタラ・ウパニシャッド。 これも自性について語っている。ここでいう神と言う”単語”に迷わされてはいけない。 当時のバラモン達、いや、今のヒンドゥー教徒達が信じる神を釈迦は否定したのであって、 根本原理である自性については否定するどころか、ウダーナの引用文でもわかるように、釈迦は語っている。 釈迦の佛教は、当時のバラモン達の誤謬を正したものであり、要はヴェーダに過ぎない。 オウムの麻原の致命的な誤謬は、真我=自我としたことだ。自我や、肉体に縁起して成る魂などは、 所詮縁起で成り立つ無自性な、空である。そんなものにいくら自性を求めても見付かるはずも無く、 ニルヴァーナを見出すことも無い。
867 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 21:50:25 ID:b/CxsHIx
>>863 だから最初から竜樹の能書きは誤謬だと言っているだろう。
おまえ、相当頭悪いな。
868 :
神も仏も名無しさん :2007/07/29(日) 22:05:14 ID:8432n0yM
> 一切のものの多くの形態を帯びている流出者(創造者)。
> 一切のものを覆い隠す唯一のものを神だと知って、
出た!ww
エンネアデスもどきの流出外道。
> 竜樹の能書きは誤謬
なら
>>830 引用するなよww
869 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 22:11:56 ID:b/CxsHIx
俺が桜さんのHPを引用するのは、
おまえらが自性と、無自性=空を全然理解していないから貼ってあげてるんだよ。
一切の内に涅槃を見出そうとしている竜樹の中論など、最初から誤謬だと言っている。
ここにもいるだろ。空とは縁起=無自性=空の事を指すのに、やれそれは中道だの、
無だの、ゼロだのと、自性と無自性がごっちゃになって空を説明する末法仏教のいちカテゴリーの
佛教ならず、空教の皆さんがさ。
君らは、自性と、無自性=空の意味もよく理解していないようだから、しつこく
さくらさんのHPのURLを貼ってあげてるのさ。それにもかかわらず、
>>863 のような、
ちんぷんかんぷんなレスをよこす(苦笑)
君らは智慧遅れか?残念ながら智慧遅れには、釈迦の佛教の理解は無理だよ。
もう、駄々っ子だね。
>>860 それをネハン、ニルバーナというんですけどね。
仏教で自性と訳される言葉は、svabhaava, svalak.sa.na, prak.rti などですね。どれも、世俗の中で仮設されると考えられます。一般に。
ネハン、ニルバーナを無為という言い方なんかは、あるけど自性はないでしょ。
あったら、教えてよ。
>>866 ウパニシャッドでも自性とは言わないね。アートマンとかブラフマンとはいうけど。
自性を説くのはサーンキャ、それでも物質的属性で、君のいう自性は説かれない。
以上は、言葉の問題だが、言葉の問題を置くとしても、仏教ではそのような実在は一切想定されない。
そこが、仏教の最も優れた点で、これが分からなければ外道と同じ。
>オウムの麻原の致命的な誤謬は、真我=自我としたことだ。
そういうなら、ヴェーターンタとも違う、どうも霊と肉の二元論を説くヘブライニズム、
ヘレニズム的思考形態に無理やり嵌めようとしているようにしか思えないね。
それこそ幼稚だよ。
871 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 22:17:08 ID:b/CxsHIx
>>868 >エンネアデスもどきの流出外道。
彼は魂の不死を説いた。俺も釈迦もそれは否定している。
何度もいうが、桜さんのHPを引用するのは、君らが自性と無自性=空を正しく
理解していないから、貼ってあげてるんだよ。
俺は最初から、一切の内にニルヴァーナを捜すしかない竜樹の能書きは、誤謬だと言っている。
わかったかい?智慧遅れさん。
872 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 22:22:23 ID:b/CxsHIx
>>870 どうやらこの馬鹿は、自性という”単語”我出てこなければ、それは自性の事を言っているのではないと、
脳内変換されるようだ。智慧遅れの思考回路は、非常に浅はかですな。
俺の言う自性とは、物質的な属性ではない。人の言説を捻じ曲げないように。
何度もいうが、仏教の言う一切法無我とは、あくまでこの一切のうちでの話だ。
なのに君らは、必死で屁理屈を捏ね回しては、この一切の内にニルヴァーナを探し見出そうとしている。
873 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 22:24:51 ID:A9MW6abw
>>868 > エンネアデスもどきの流出外道
( ´_ゝ`) そんな世迷い言を垂れ流す足切り底辺外道がいるのね(蔑笑)。
>>1 参照の上、放置のこと。
>>871 だから、佐倉さんの書いてる内容なんて分かってるし、佐倉さん自体の誤りだって指摘できるよ。
龍樹菩薩も一切の中にニルヴァーナなんて求めてないぜ。
適当に自分の妄想世界の理論を仏教に投影するのはやめようね。
>>872 だから有部の自性は、一切の中の自性だと分かるように説明してあげたんだけどね。
>>872 >俺の言う自性とは、物質的な属性ではない。人の言説を捻じ曲げないように。
分かってるだから、こう書いた。
>自性を説くのはサーンキャ、それでも物質的属性で、君のいう自性は説かれない。
つまり、インドで君の説くような自性は説かれないと言いたかったんだけど。
全ては、佐倉さんのHPの誤読で勝手に妄想しただけでしょ。
君は、文を読む訓練から始めた方がいいんじゃないか、机さんと一緒に。
876 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 22:35:13 ID:b/CxsHIx
>>874 ほう、竜樹は一切以外。つまり、形而上の事を認めていたわけか(苦笑)
おまえは頭が悪すぎる。
877 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 22:37:29 ID:b/CxsHIx
>>875 サーンキャ哲学で自性とは物質的属性だと言っているのなら、
その文献と、その文言を示してみろ。逃げるなよ。
>>877 示したら、心を入れ替えてもう自性仏教は説かないと約束するなら示すよ。
じゃなきゃ、結構、時間かかるからね。漢訳やサンスクリットそのままじゃ君は、分かんないだろうし、
しかし、こんなことインド思想の概説に必ず書いてある基本的なことなんだけどな。
879 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/29(日) 23:36:38 ID:b/CxsHIx0
>>878 あほか、わざわざ漢訳やサンスクリットそのまま載せる必要も無く
ほぼ正確に日本語で訳された文章があるんだから、それを引用すればいいだけのことだろうが、タコ。
それをいちいちなぜ、漢訳やサンスクリットそのままの文章で説明しなきゃいけないんだよ。
だからおまえらは頭が悪いと言ってるんだよ。素人相手に専門用語を駆使して煙に巻くのは、
ごまかしのテクニックの一つなんだよね。自説に自信が無いから、こういうごまかしをつかうんだよ。
なんだったら俺がインド哲学では、ウパニシャッドなどの文章をわかりやすい日本語で、翻訳された文章で、
自性は一切の内に無いといっていることを示してやってもいいんだぜ。
ちゅうかお前は頭が悪すぎるようだがな。
880 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 23:42:56 ID:A9MW6abw0
>>1 参照。
未来永劫盲目闇黒の底辺を這いずり回りたいと件の「不可触壁蝨外道」は望んでいるの
だから、シカト放置のこと。時折気紛れに足蹴を喰らわせ嗤い物にすればいいだけの話。
義務教育もまともに受けていない低脳児ぶりをログに残し、千載に嗤笑を買いたいのだろ
うから(冷笑)。
なんだかんだいって、たいへん、勉強になります。 皆様の白熱した議論の公開、どうもありがとうございます。
VEGAN さん、どういった系譜の方なのかヒントだけでも教えてくださいよ〜
884 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/29(日) 23:59:18 ID:A9MW6abw0
885 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/30(月) 00:01:08 ID:A9MW6abw0
壁蝨の勧誘と他人様の身元穿鑿に必死なセクト家畜の破落戸ジョーユー(嗤笑)。
886 :
839 :2007/07/30(月) 00:03:52 ID:WWH6f5uP
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 =捻じ曲げ、曲解、わざと黒く塗ってその黒さを罵倒する。 カルト ご苦労! 佐倉も 困惑、苦笑wwwwwww ご都合主義丸出し アホか 一切外=形而上で『神の』世界の自性をどうしても想定したいというエゴだけww ブッダの教えも、カルトの如く、歪んで解すれば(その根性が歪んでいるのだが)「信仰」になる。 なんでこんな簡単なことがわからないのかねえ? 佐倉 (苦笑。。。。
887 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/07/30(月) 06:26:24 ID:B/zjkC9T
>>882 だからそれはよ、自性はあらゆる根本原因だといっているだけで、
自性が物質だとはいっていないだろ。
後一発目の
http://www.ne.jp/asahi/hindu/vedanta/foot_note/purusa.html これは誤謬な。自性は特別なプルシャであり、個我=自我のことではない。
またプルシャ(真我)も個我=自我の事を言うのではない。
〜ヨーガスートラ
>思考,考察,歓喜,自我意識などを伴うものは,すなわち有想(三昧)である
>もうひとつ(の想念を伴わない<無想三昧>)とは,(心のはたらきの)停止の表象を修習した結果,
>潜行力だけが残っているものである。
>離身者と,根本原質(プラクリティ)に没入した者たち(の無想三昧)は,存在を機縁とする。
>5つの煩悩とは,無明,自我意識,欲望,憎悪,生命欲である
>無明とは,無常,不浄,苦,非我なるものを,常,清浄,楽,自我と判断することである。
>自我意識とは,主体としての見る能力と,はたらきとしての見る能力とを同一ととらえることである
智慧遅れがいくら読んでも理解できんのだろう。
てめぇの智慧がないものだから、この智慧遅れ達は、地人の書いた学説、解説本が、そのまま佛教に
なっていやがる。
今は時間が無い。夜開いてたら、次はお前の相手をしてやってもいいんだぜ。
888 :
神も仏も名無しさん :2007/07/30(月) 08:04:45 ID:XEhXcdP9
>>887 君の説だと、自性プラクリティが精神ならよかったんだろうが、
事実は逆、自性プラクリティは「あらゆる根本原因だといっているだけ」ではなく、物質の根本原因なんだよ。
だから、自性は物質なんだよ。
>これは誤謬な。自性は特別なプルシャであり、個我=自我のことではない。
逆だよ。プルシャが精神で、君のいう実在だろ。
君の説は、サーンキャ説によく似てるが言葉の使い方が逆なんだよ。
それもこれも佐倉さんのサイトで自性を勘違いして読み込んだせい。
それから私は、解説本や学説を盲信してるわけじゃないよ。
伝統や修行の方を重んじている。
しかし、ネットで話す時は、客観的資料である経典や論書に基づかないで体験を語ったら、キチガイ扱いされるのがオチだろ。
だから、原典に基づいて語っている。
佐倉さんのような和訳、漢訳、解説本や学説から論じている二次的、三次的なものに依存してるのが君だろ。
890 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/07/30(月) 08:26:10 ID:gHntHCBI
セクト家畜の破落戸ジョーユーがドグマを正当化せんと「客観性」を装ってやる文献操作を似非学問 (=神学w)と呼ぶ(蔑嗤)。
>>889 >自性プラクリティは「あらゆる根本原因になっているだけ」ではなく、物質の根本原因なんだよ。
>だから自性は物質なんだよ
アホでつか?
君、相当頭悪いね。
なにやら自性とか無自性について迷っておるようですね(~o~)
私が簡単に説明します。
釈尊当時は梵我一如の思想がスタンダードだったのです、
とかろが釈尊が眼が開いたもんだから、
この釈尊成道と梵我一如思想が論理矛盾を引き起こすのです、
この論理的矛盾性をどうにか穴埋めして逝ったのが、部派仏教とかの説一切有部だったのです。
ですから、元々は佛教には自性という概念さえなかったのです。
よって
>>864 が正解です。
中論が実有論のアンチを表明しているに過ぎません。
ですから、中論に隠された深い意味があるのか?
というと、そういう解釈をする必要は全くないのです。
893 :
神も仏も名無しさん :2007/07/30(月) 10:35:33 ID:tKr4//mQ
>>889 予めお断りしておきますが、以下の質問は突っ込みを入れるためのものではありません。
自性の概念がいまいち掴みにくいので質問させてください。
>事実は逆、自性プラクリティは「あらゆる根本原因だといっているだけ」ではなく、物質の根本原因なんだよ。
>だから、自性は物質なんだよ。
「自性は物質。物質の根本原因は自性。」というのは、どういうことをいうのでしょうか?
仏教用語や仏典記述ではなく、平易な言葉(具体例)で説明いただけませんか?
894 :
神も仏も名無しさん :2007/07/30(月) 15:20:55 ID:w/TCbQkU
ID:ig6poGha さんだけに質問をするのは、公平性に欠けますかね。
では、同じことをカラスさんにもお聞きしたいと思います。
>>887 カラスさん
予めお断りしておきますが、以下の質問は突っ込みを入れるためのものではありません。
自性の概念がいまいち掴みにくいので質問させてください。
>だからそれはよ、自性はあらゆる根本原因だといっているだけで、
>自性が物質だとはいっていないだろ。
ということは、「自性は物質ではない。」、若しくは、「自性は物質であり、物質ではない。」
ということかと思いますが、それはどういうことをいうのでしょうか?
仏教用語や仏典記述ではなく、平易な言葉(具体例)で説明いただけませんか?
「お前は、アホか?」と言われるのは覚悟していますが、その通りアホなので質問させて
いただきました。また、「自分で探せ!」もなしでお願いします。
>>893 >「自性は物質。物質の根本原因は自性。」というのは、どういうことをいうのでしょうか?
889でも891でもないけど、横やりからひとこと。
正確に言うと、サーンキヤ派では「自性(プラクリティ)」は
「物質を生み出す(展開する)根本原理」です。だから、正確に言うと「物質そのもの」ではない。
これが「真我(プルシャ)」という魂のようなものとは別に存在している、とします。
真我と自性が別に存在するということから「二元論」と呼ばれます。
プラクリティという女神が、ダンスしながら物質世界を創造しているのを、
魂がじっと見ている、という図を思い描くたとえもよくされますね。
世界がどのように生れたかを説明するのに、根本原理から展開した、とするから
流出説と言われます。その他には、神によって作られた、とする創造説があります。
だけど、これら2つは仏説ではありません。
896 :
神も仏も名無しさん :2007/07/30(月) 16:43:17 ID:w/TCbQkU
>>895 回答、ありがとうございます。
前半部分だけを読むと、自性≠物質ということで、
>>889 さんの解釈とは違うと思うのですが・・・・・・・。
ただ、後半部分は、
>世界がどのように生れたかを説明するのに、根本原理から展開した、とするから
>流出説と言われます。その他には、神によって作られた、とする創造説があります。
>だけど、これら2つは仏説ではありません。
ということから、釈迦のいうところの「無記」の部分に当たると思います。
仏典記述の解釈の仕方はいろいろあるでしょうが、「今、現在」、自分の感覚で確かめようのないこと、
若しくは、万人に共通の感覚として得られないこと(自己の内部から発起したものではないもの)でも
釈迦の説いた仏教といえるのでしょうか。(純粋な疑問です。)
>>896 >、「今、現在」、自分の感覚で確かめようのないこと、
>若しくは、万人に共通の感覚として得られないこと(自己の内部から発起したものではないもの)でも
>釈迦の説いた仏教といえるのでしょうか。(純粋な疑問です。)
質問が鋭い。というか、佛教の核心部分ですね。
これを「大疑のもとに大悟あり」。とか言うんですけど、
まさに真を得た疑であります。
<合掌>
898 :
神も仏も名無しさん :2007/07/30(月) 20:57:34 ID:XEhXcdP9
「釈迦の説いた仏教」が「カルト」でないことを証明できる方はおられますか?
カルトの定義をせよ。
900 :
草レーサー :2007/07/30(月) 22:22:34 ID:gAnI2wJ3
スッタニパータでは、ゴータマ・ブッダの言葉として 「わたしはいかなる疑惑者も解脱させ得ないであろう」 と語られています。 歴史的人物としてのゴータマ・ブッダの言葉は、何ひとつ 確かなものとしては、確認できていないそうです。
仏教では、肉体的な感覚だけでなく推論も、確からしさの判断基準にしています。 仏教では、六根の一つ「意根」と六境の一つ「法境」、そして六識の一つ「意識」(意根と法境との 接触により生じる認識)ということを言いますが、この「意識」に推論が含まれると言えるでしょう。 それから仏典の言葉も確からしさの基準にされますが、これを推論に含まれるとする立場と、 推論とは別の基準として立てる立場があります。二量説か三量説か、と呼ばれる問題です。 釈尊自身はもちろん仏典の言葉を基準にしていたわけではありませんので、二量説ということになりましょう。 ただ仏弟子は推論の誤りをさけるために釈尊の言葉を参照するわけです。
佛教というのは、いろんなアプローチができますね。
例えば、一切というのは認知感覚ですから観念論的でありますし、
また、一切といふ限定がある故の、これがまた唯物論的であります。
こういうのを玉虫色とか言うんですかね?
>>901 >仏教では、肉体的な感覚だけでなく推論も、確からしさの判断基準にしています。
そうなんですよ。
つまり、肉体的感覚というのは心的感覚も含まれておるんですね。
身心というのを分別して考えていた訳じゃあないんですね。
心的ってのは、つまり考える訳ですから、
これは推論なんですよ。
まあ、人は推論をするのはアタリマエなんですね。
非常に簡単なことです。
推論するのはいいんですが、この推論で迷うんです。
まあ、推論しますと馬鹿馬鹿しいことが明瞭なのですが、
有史以来、人は推論してきました。
「釈迦という いたずらものが 世に出でて 世の人々を 惑わしにけり」。by一休宗純
903 :
神も仏も名無しさん :2007/07/31(火) 08:02:29 ID:v/G67nSC
人が死んだら(人は死ぬらしいー常識的推論)どうなるか、を考えればいい。 簡単なことだ。
>>903 人が死んだ後、どうなるか(魂の有無)は判っていない。
考えるだけ無駄な事だ。
905 :
神も仏も名無しさん :
2007/07/31(火) 11:26:23 ID:v/G67nSC >>905 わからないから「推論」だ。
>人が死んだ後
なぜ死ぬと断言できる?
現在瞬間の何たるかを判っているのかな?