1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2007/06/14(木) 18:16:58 ID:qfSIfYk9
真理のための真理探究を、人生の至上目的として生きることこそ、
地上にありての最高の目標であり、いかなる地上的大望よりも尊く、
人間の為し得るいかなる仕事にもまして気高きものであるということである。
インペレーター
3 :
神も仏も名無しさん:2007/06/14(木) 18:17:56 ID:c1nQ4xb2
そだ そだ
4 :
神も仏も名無しさん:2007/06/14(木) 18:23:23 ID:qfSIfYk9
私たちのサークルは、スピリチュアリズムとシルバーバーチのPRに専念しています。
私たちがニューズレターやインターネットでお届けするものについては、
すべて皆さん方の理性の判断に任せるようにしています。
すべての評価を皆さん方の良心と理性に委ねています。
もし私たちの見解に納得がいかないというときには、どうぞ拒否してください。
シルバーバーチの霊訓の中には厳しい内容があります。
それをそのままニューズレターで伝えれば、心の道場は“サタンの手先”であるとか
“狂信主義の団体”であるとか“教条主義的グループ”であるといった非難を受けるようになることを承知しています。
しかし私たちは、どこまでも「霊界の道具」である以上、世の人々の非難や批判に対して反論するつもりはありません。
私たち自身が、自分の良心に照らして「神の前に正しく歩んでいる」「利己的な動機から一切の行為をしていない」
という確信を持てるならば、それでいいと考えています。こうした事情から、あえて掲示板は設けないようにしています。
一方通行の在り方に不満を感じていらっしゃる方も多いと思いますが、私たちはこの方法でスピリチュアリズムへの奉仕を進めていくつもりです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/about_us/index.htm
スピリチュアリズムの研究によって生み出された思想として、
以下の15項目があります。
?@心霊現象は科学的事実である。
?Aすべての異常現象は自然の法則の現れである。
?B人間一人ひとりは自我表現の機関として各種の媒体を有する。
?C各人の個性は死後も存続する。
?D各人は永遠に向上進歩の途をたどる。
?E死後の世界は内面の差別界である。
?F各人の背後には守護霊がついている。
?G守護例と本人とは不離の関係を持つ。
?H幽明の交通は念波の感応である。
?I霊魂の世界には種々雑多な居住者がいる。
?J太陽神(高級の自然霊)が人類の遠い祖先である。
?K最高級の自然霊が事実上の宇宙神である。
?L宇宙のすべての存在は因果律の支配を受ける。
?M宇宙の内部は一つの連動装置を構成している。
?N全宇宙は物心一体の大生命体である。
そして、各人が人生で実践すべきことは、主に以下の事柄です。
・霊優位のための自己コントロール(霊主肉従の努力)
・苦しみへの正しい対処
・利他愛の実践(人を正しく愛する)
・霊的世界とのストレートな交わり(瞑想・祈り)
>>5 >・心霊現象は科学的事実である。
この文章から、下の文章へ流れはどうだろう…。
例えば、
>・宇宙の内部は一つの連動装置を構成している。
>・全宇宙は物心一体の大生命体である。
これを、どうやって科学的に証明したんだ?
仮に心霊現象があったとして、霊がこれ等の事柄を語ったとしても
それは、科学的に宇宙を証明した事にならない。
それらを平気で語るスピリチュアリズムが、はたして科学的といえるか?
>>7 「?@心霊現象は科学的事実である。」
>例えば、
>>・宇宙の内部は一つの連動装置を構成している。
>>・全宇宙は物心一体の大生命体である。
>
>これを、どうやって科学的に証明したんだ?
これは、心霊現象ではありません。
「スピリチュアリズムの研究」
スピリチュアリズムの研究は、他の科学的研究と同様に、
実験室内外においてきわめて厳密な科学的実験に基づく。
研究対象としては、物理的心霊現象と精神的心霊現象の二通りある。
・物理的心霊現象
ラップ現象及び物質化現象/テーブル浮遊現象及び物品引き寄せ現象/
心霊写真現象/直接談話その他の物理的現象
・精神的心霊現象
霊視現象/霊言現象/自動書記現象
つまり、心霊現象を科学的に実証できたとしても
霊から語られた内容が、真実であるとはいえないわけだ。
仮に心霊現象の立証までは科学で証明できたとしても、それはそこまでの話。
その先の語られている内容(シルバーバーチの霊の言葉など)
が科学的に立証された事実とはいえない。
ということだね?
>>10 立場によって見解が異なります。
あなたの言う見解は、心霊研究者の見解です。
・一般常識
「皆が認めるものまでを認める」
(世間が認めた物が土台)
・自然科学
「自然科学的現象までを認める」
(学会が認めた物が土台)
・心霊研究
「心霊現象までを認める」
(自然科学的研究が土台)
・スピリチュアリズム
「死んだ人や高級霊との交信によって築かれた思想体系までを認める」
(近代心霊研究が土台)
・ニューエイジ
「チャネリングによってもたらされた思想体系ならなんでも認める」
(各人が気に入る事が土台)
504と505さん
前スレで6/10に書き込みしたID:QNIL0AWGです。
先日はコメントありがとうございました。
またこちらで質問させていただきたいと思いますので、
よろしくお願いします。
心霊現象が科学的事実である。
って言うのは、具体的にどんな内容なの?
俺が思うに、科学的に霊魂の存在を証明できるのか疑問。
人に憑依させ、霊に語らせたとしても、それが霊の言葉と証明する事は出来ない。
あくまで、一個人の超能力とまでしか言えないと思う。
空中浮遊、物質化現象、物品引き寄せ現象、心霊治療などは
霊魂の存在を証明するものではなく、超能力と定義すべき現象である。
なぜなら、心霊現象と定義するには、霊の存在を証明出来なければならないから。
これらを心霊現象だと言ってしまったら、それは科学ではなく
科学的事実とはいえないのでは?
と、疑問に思うんだが。
いいかげんに、”研究してる=科学的”、と説明するのはおやめになったらいかがですか?
>>13 >心霊現象が科学的事実である
そんなこと書いてあった?
理解できた言葉だけ頭の中でつなぎ合わせてない?
引用はきちんとしよう。でないと、誰も答えてくれないよ。
>>15 書いてありますよ。
医学博士でありながら、日本スピりチュアリスト協会会長の春川栖仙
による著書です。
「新時代におけるスピリチュアルな生き方」東明社
>>13 >>14 「科学的」ということの定義が問題です。
科学的とは、物理学で実証可能なことを言うのではありません。
もしそうであるならば、心理学、経済学、社会学、政治学などの
物理学以外の学問は科学的でないことになってしまいます。
科学的とは、
「物事を実証的・論理的・体系的に考えるさま。
また、思考が事実に基づき合理的・原理的に体系
づけられているさま。学問的」(広辞苑より)
ということです。
18 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 12:17:08 ID:SHgW87ck
>>17 広辞苑から引用するのはいいけどね、字義の解釈がいいかげんですね。
実証面で確からしさがないから反論があるのでしょう?
物理学のくだりはあなたの思い込みです。無知です。
ご大層なコテハンを付けて適当なことを書くのはよしてください。
19 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 12:21:47 ID:9IISf6UC
13> 「空中浮遊、物質化現象、物品引き寄せ現象、心霊治療などは霊魂の存在を証明するものではなく、超能力と定義すべき現象」
これを科学的に証明してください。
20 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 12:35:04 ID:9IISf6UC
13>「俺が思うに、科学的に霊魂の存在を証明できるのか疑問」
ポパー(Karl Raimund Popper,1902〜94哲学者)は、世間一般に出回っている様々な疑似科学と科学を「反証可能性」で規定し、
「科学的に正しいとされるには、反証可能性を有していながら実際に反証されていないこと」としています。
あなたは「自分が霊である」ということの反証例かも知れません。
あなた自らが、自分が霊であることを反証してみせて下さい、「自分には霊魂がない。だから、霊魂なんて存在しない」と。
(いまさら、「霊魂とは何か」なんでバカバカしいことは言わないで下さい)
あなたがもし反証出来なければ、我々は「自分は霊である」ということを「科学的に正しい」としても何ら不都合はありません。
21 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 12:53:15 ID:QoBo7bYO
まあその科学自体たいして当てにならないけどね。
科学ってのは現時点の常識に過ぎないわけで。
22 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 12:55:41 ID:uAW2BgWV
>>20 反論の相手が非科学的な断定をしているからポパー氏が言葉遊びをしているだけです。
「自分は霊である」ことの証明をしたわけではありません。
同様に、
>>19におけるあなたも言葉遊びをしているにすぎません。
23 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 13:17:47 ID:9IISf6UC
930>ニルバーナ@:「 私の場合、体外離脱や瞑想中の体験により確認済みです。」
22> 17さんが言葉の遊びであなたに対応していたとは思えませんが、18>「無知です。」
これは、頂けません、自分のことを「無知の知」というのは美徳でしょうが。
>>18 では私の単なる「思い込み」に対して
あなたは明確な回答をお持ちでしたら
教えてください。
研究については、実例を挙げたほうがわかりやすいですね。
英国心霊研究協会が、最初に着手した研究の一つに、
「幽霊および幽霊屋敷」に関する調査があります。
1882年のことです。約3万件にのぼる報告を集めて、
比較研究を行いました。そして、その報告を厳密に
検討して、統計的に研究した結果、次のような結論が
学会で認められています。
「ある人の死とその幽霊との間には何らかの関係が存在する。
これを単なる偶然の一致だけとして結論することはできない。
われわれはこれを実証された事実であると認める。」
これを始めとして、心霊現象を科学的に研究し、その結果
その上で体系的に築かれたのが、
>>6で述べた、スピリチュ
アリズムの思想だということです。
(私のコテハンを不快に思われるのですね。
ニルバーナ改め、ニルナーバに改名しましたので、
ご理解ください。)
>>24 1882年は古すぎませんか。
その時代の科学と現在の「科学」に溝があるので、信じられない、
根拠を提示して欲しいという質問が出るのだと思います。
かといって最新、2000年以降の研究結果だとしても、
信じない人は信じない。「科学的であれば信じる」のであれば、1882年の
時点で全ての人間が信じているはずです。つまり客観的事実は、
人間は自分の信じるものしか、信じない、ということ。
そのコテハンいいですネ
27 :
神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 16:05:09 ID:JQ+go4I0
>>26 科学的というのは信じるとか信じないとかという範疇で語られるものではありません。
>>27 例えば、カルシウムについて考えてください。
カルシウムは、骨を形成する成分ですから大人であれば一日600mg程度
の摂取を望まれます。これは科学的に分かっていることです。
ここに、骨強化のためにカルシウムを多量に摂取していた人がいるとします。
ところで、カルシウムは摂取しすぎると尿の排泄が間に合わず、
腎臓結石ができたり、動脈硬化や心筋梗塞の原因となることもあるそうです。
これも科学的に分かっていることです。
現在では、カルシウムの過剰摂取は体に悪影響というのが「科学的」ですが
そうと分かるまで多量に摂取していた方は、非科学的だったのでしょうか?
違いますよね。「科学的」です。
「科学的」というのは、一つの判断材料であって、本人の信仰に影響を及ぼしません。
>科学的というのは信じるとか信じないとかという範疇で語られるものではありません。
もともと、霊魂を信じるか、信じないかという流れでの話ですから
「科学的」の辞書的意味合いを論ずるのは的外れと思います。
それよりも、判断力とは何か?という議論をされたほうが建設的では?
100人いたら100通りの判断がありますよね。霊魂、ですからねえ。
いやね、このスレを覗くたびに、皆さん各自の判断力で質問されますから
回答者は大変だな〜と思っている訳です。
>>27 そういうことではなく
>>26さんが言いたいのは、
「科学的であっても人々が信じるとは限らない」
ということでは?
>>26 >1882年は古すぎませんか。
日本ではなくイギリスでの話ですから1882年でも、
近代科学の時代ですので問題ないと思いますよ。
それに、スピリチュアリズムが発足したのは1848年ですし、
思想が発展したのも1900年代前半です。
>人間は自分の信じるものしか、信じない、ということ。
そうですよね。逆に人間は、「常識」なら科学的根拠もなしに
信じる場合が多いですね。人間の思考自体、科学的ではないように思います。
話はズレますが、例えば「美味しいものを最後に食べる」行為とか。
経済学から見ると、最初に食べた方が得なんですけどね。
>そのコテハンいいですネ
ありがとうございます。
前スレはまだ残ってますから、そっちをまず消化した方がいいですね。
>>30 1900年代前半というのは、原子爆弾も発明されていないし
ステルス戦闘機もない時代です。もっと最新技術を駆使した研究が
あっても良いと思うのですが。
>>31 あちらはもう容量オーバーしました。
>>32 >もっと最新技術を駆使した研究があっても良いと思うのですが。
私の知る限りでは少しあります。今度、書き込みますね。
しかしながら、心は物のように触ることも味わうこともできません。
感覚に頼って物を研究する科学は、感覚によってはとらえられないもの、
心は対象にできません。これが、科学の限界です。
ですから、心霊研究も科学的研究手法を採用する以上、限界が出てきます。
そこでスピリチュアリズムは、ある意味形而上学的と言える思想を体系付け
たのだと思われます。
>あちらはもう容量オーバーしました。
そうでしたか。気がつきませんでした。
指摘ありがとうございました。
34 :
神も仏も名無しさん:2007/06/16(土) 01:01:19 ID:omJCI5wD
相変わらず、気取ってますね
35 :
神も仏も名無しさん:2007/06/16(土) 01:53:24 ID:vCKG0yRe
思考はそれ自身を変容できない,それ自身を秩序正しくさせることはできない.なぜなら思考は物質(matter)だから――思考は事物(thing)なのだ.
物質が物質を知ることはできない.何が物質を超越しているのだろうか?その究極の根源はおそらく,精神の究極の根源と同じ未知なるものなのだ
36 :
神も仏も名無しさん:2007/06/16(土) 03:09:06 ID:ot7vPIUZ
「では全ての根元と完全な支配法則とは??」
なんて言い出したら、神様を探す旅になって
永久的に答え(検証結果)は出ないんだよ。
37 :
神も仏も名無しさん:2007/06/16(土) 06:48:53 ID:lxnbqOuE
>>28 カルシウム摂取に関する例示はどうでもいい内容ですね。
そもそもカルシウム”大量”摂取が科学的であったことがありますか?
まず、科学的であるというときには反証に対して実証をもって再現性がなくてはいけません。
実証はあっても再現性に乏しいのが心霊研究の実情です。
この点はニルナーバ@: ◆BOZE/KYKYY さんも
>>33の記述にあるようにご理解のことと思います。
>>30の>「科学的であっても人々が信じるとは限らない」ということでは?
は的外れです。
百歩、いや万歩譲って心霊研究が科学的であったとしても、それを根拠として
>>5の2項目以降を唯一無二の真理と説明するのは無理があります。
現在では一思想に基づく信仰の域を出ないものでしょう。
とまれ、ニルナーバ@: ◆BOZE/KYKYY さんのように神秘体験を得て自身で確信を
深めることは否定しません。”科学的”とは関係のないことです。
>>37 こういうレスを読むと、がっかり、しますねえ。
>>28 >もともと、霊魂を信じるか、信じないかという流れでの話ですから
>「科学的」の辞書的意味合いを論ずるのは的外れと思います。
28は、スピリチュアリズムは信仰という前提のもとで書いています。
霊魂を信じるか、信じないかの信仰です。
>現在では一思想に基づく信仰の域を出ないものでしょう。
>>37 同じ指摘を、さも自分の発見のように言われても・・・。
>>30もニルナーバさんの解釈で合っていますが・・・?
>>26を書いた私がニルバーナさんに「的外れ」と指摘するのなら話は
分かりますが、なぜあなたが「的外れ」と言うのか分かりません。
39 :
26&28:2007/06/16(土) 19:43:20 ID:eQ3S6GFq
>>38は、
>>26&
>>28です。
さて、37さんが「実証はあっても再現性に乏しいのが心霊研究の実情」であり
そんなスピリチュアリズムは「科学的でない」と信じるのは、37さんの勝手です。
信仰、ですから、信じても、信じなくても良いのです。
>神秘体験を得て自身で確信を深めることは否定しません。
>>37 信仰、は個人の自由です。それは37さんも認めていることで
お互い立ち入らないのが、気持ちのよい付き合いですが・・・。
・・・えっと、何をテーマに話したかったんでしょう?見えないなあ・・・。
類を友を呼びます。
ここにいる人間には悪い意味での同質性があります。
他人に対しても、自分に対しても、言辞を弄することのないように。
自らが大事にしているものを自己顕示のための装飾品にしてはならない。
41 :
神も仏も名無しさん:2007/06/17(日) 00:52:55 ID:iMrvoBS2
>>40 ご意見ごもっとも。
しかし掲示板は言葉を弄することで繁盛側面も有りますので
若干の御目こぼしを願います。
(単純な霊的真理だけを説いている理由は) 難解な問題を回避したいからではありません。
私は今すぐ応用のきく実用的な情報をお届けすることに目標をしぼっているからです。
基本の基本すら知らない大勢の人々、真理の初歩すら知らない人が大勢いることを思うと、
もっと後になってからでも良さそうな難解な理屈を捏ねまわすのは賢明とは思えません。
シルバー・バーチ
>>41 >私は今すぐ応用のきく実用的な情報をお届けすることに目標をしぼっているからです
なるほど。なら私なりの実用的な情報を一つ。
先日、素晴らしい本に出会いました。[大乃国の全国スイーツ巡業]がそれです。
この本は甘いもの好きの元横綱大乃国が全国のお薦めお菓子を紹介する本なのですが、
それだけの本ではありません。もちろんスイーツの情報本としても非常に優れていますが、
私が何より感心したのは、冒頭9p〜32pの部分です。そこには、大乃国がなぜ横綱に
なれたのかを知る手がかりが隠されています。そしてそれは、霊の道にもすぐさま
応用が可能なんです。あれは、なかなかの本ですよ!
霊の教えを自分で考え、自分で探し、実践を通じて答を見つけてきた人は、
彼の考えや生き様に強い共感を覚えるでしょう。
職業に貴賤は無い。どんな仕事でも心構え次第では、神へ至る行為になる。
この本は、それを教えてくれる本でもありますね。
43 :
42:2007/06/17(日) 10:43:37 ID:UIpZclkd
霊という言葉を聞いて人は何を思い浮かべるでしょうか。
一般的には圧倒的に、[幽霊・おばけ・ご先祖様の霊]でしょう。
霊関係のTV番組も、そっち系が殆どですし。
だからそんな人達は霊の真偽を見極めるために、[幽霊の科学的調査]を思い付く。
ま、TVもそんなんばっかしやってますね。
シルバーバーチは人々へ何を伝えたかったのでしょうか。
イエスや仏陀は、何を伝えたかったのでしょうか。
それは、科学的に立証可能なモノでしょうか。
私には、とてもそうとは思えません。
落ち。
コテハンマンセースレになってるな。
シルバーバーチ関連は、どうしてもこうなってしまう。
45 :
42:2007/06/18(月) 11:07:42 ID:PBStODve
私は以前、半年かけて−30kgのダイエットをしたことがあります。そのとき思ったのは、
ダイエットに必要な要素は三つあるということです。以下がそれです。
1、正しい知識。
2、正しい知識に基づいた自分に合った計画。
3、計画の実行。
正しい知識が無いと、間違ったダイエットをしてしまいます。間違ったダイエットをして
成果があがるはずないんです。
正しい知識があっても自分に合った計画を立てなければ、それは無謀な計画に
なってしまいます。無謀な計画で、成果があがるはずないんです。
正しい知識に基づく自分に合った計画を立てても、それを実行しなければ、
減量するはずありませんね。
46 :
42:2007/06/18(月) 11:14:09 ID:PBStODve
>>45は、霊の道を歩むことにも当てはまります。
正しい知識がないと、間違った道に迷い込んでしまいます。
自分に合った計画を立てないと、無謀な試みのまま終わってしまいます。
計画を立てても、実践しなければ全く意味がありません。
シルバーバーチは人々が正しい道を歩めるように、正しい知識を紹介してくれました。
その知識の一部を応用すれば、[幽霊・おばけ・ご先祖様の霊]への説明になるでしょう。
ですがそれは、正しい道を見失わないための知識です。
霊の道を行く三ステップの最初に僅かに含まれる、ただの知識でしかないんですよ。
部分的な知識をほんの少し記憶するだけじゃ、
脂肪は減ってはくれないのです!!
落ち。
で、減量後はリバウンドなしで維持してるんだろうね?
半年で30キロ減なんて、よっぽどのデブじゃなかったら、病的な減り方だが。
ちなみの、こちらは1年半で30キロ減、2年間維持してるけどな。
48 :
神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 16:17:11 ID:AUI13izO
ピンボケかもしれませんが、こういう言い方をされると何もいいたくなくなりますね。
「宇宙論の系譜は物理学の系譜をなぞる。しかし当の物理学は未完成であり宇宙論も完成するはずもなく、全ての宇宙論は砂上の楼閣のごとく、物理的仮説の上にさらに仮説を重ねる。
例えばインフレーション理論は、大統一理論の上に成り立つ。そして、大統一理論は陽子崩壊を前提とする。しかし、疑いの余地のない確固たる陽子崩壊は未だ検出されていない。
この砂上に立つインフレーション理論を論ずる科学者は陽子崩壊になんの証明もしようともしない。
そうしたまだ証明のない物理理論を無批判に受け入れている姿勢が宇宙論にはある。研究対象外とすることが許されてしまう。そんなことが許されるのか?
いざとなれば、「間違ったのは私ではなく物理学者だ」と責任転嫁できるのだ。いいかえれば、それは「しょせん宇宙論だから」というお気楽さから来ているのだ。
宇宙論を見ると、もっともらしいことばかりが書かれているが、これを知らずに読むことは危険だ。
これは自分の分野外のことには責任をとらないでいいという科学のエゴイズム的性質による。」
http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/cosmologies.html
49 :
神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 16:18:00 ID:DBLsB/rn
うちの母親が多少霊媒体質で「迷える霊との対話」とかカルデックの「天国と地獄」
を読ませたら具合が悪くなるんですけどこれは何なんでしょうか?
霊の叫びみたいなのがダメらしく結局読めませんでした。
50 :
神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 18:25:30 ID:+kxF6glN
シルバーバーチは霊と精神と肉体の3つで説明するけど
霊と精神って何が違うんですかね。
51 :
42:2007/06/19(火) 08:51:26 ID:MIa8CRdg
>>47 いや、維持してないよ。−30kgはさすがに落としすぎだったから、
半分の15kgは戻した。
ま、筋肉も徐々につけたから、体脂肪率は11〜12%だけどね。
52 :
42:2007/06/19(火) 09:31:27 ID:MIa8CRdg
>>49 霊媒体質って言葉はかなり誤解されて広まっている。
これは本来、[風邪をひきやすい]に近い言葉なんだ。
例えば気力体力ともに充実している時と、心身共に疲れ切っている時では、
病原菌への抵抗力は全く違う。ストレスと疲労で押し潰されそうになっている時は、
流行風邪をもらいやすくなってしまう。元気な時より格段にね。
そしてこれは、霊的存在にも同様に言える。
人は病原菌への抵抗力を持つように、霊的存在への抵抗力も持っている。
なのでその機能が十分働いている時は、そんなヤツらをはね返すことができる。
しかし何らかの理由でその機能が弱まると、いろいろちょっかいだされてしまう。
ヤツらに「あ、こいつイジリがいがあるぞ」と思わせてしまうんだよ。
霊的存在への抵抗力を司る器官は胸近辺にあるから、母上へは「ほら、胸を張って」
と言ってみてください。胸を張り姿勢を正し、息を吐き、息を吸い、胸を大きく膨らませる。
応急手当になると思います。極めて鋭敏な精神を持っている人はヤツらと接触してなくても
心の中で疑似接触をしてしまうから、霊的な本を読んだだけでも似た症状になる場合が
あります。もしくは、以前の体験が蘇ってくるとか。
心に張りがなくなると何となく猫背になってしまうのも実はここに理由がある。
この器官は外部から送られてくる意識への抵抗力も司っているから、心が弱くなると
それに連動して縮んでしまう。すると、更にビクビクしてしまう。
人の体は案外単純なんだよ。
53 :
42:2007/06/19(火) 09:58:09 ID:MIa8CRdg
>>50 霊と物質は、対になるものとして表現される。
そして精神つまり意識は、霊に属している。肉体が無くなっても人は意識を持つし、
肉体を持たない霊存在はいるからね。仮に意識が物質に属するなら、肉体消滅と共に
意識も消えるはずだから。
が、全てのモノは意識を持っているため、人の心つまり精神は霊の意識と肉体の意識が
マゼコゼになってしまっている。なので人の精神の状態特性を定義するなら、
人の精神は、霊意識と物質意識の混合体である。
となる。そしてこれこそが、精神の存在理由なんだ。
人の精神は霊意識と物質意識の混合体であるからこそ、
霊の力を物質界に運ぶ媒体となりうる。
霊 → 精神 → 肉体 → 物質世界、という通路ができあがるというワケですね。
落ち
54 :
神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 14:04:17 ID:ur8uXm59
今までのを読ませてもらったけど、皆さんは、ご自分の守護例様をどのように感じ取っているの?
机上の空論ではなく、日常生活で、どのように霊的真理を生かしているの?
俺は、心理学が専門なんだけど、「妥当性」ということなら、「客観的妥当性」と「主観的妥当性」がある。
「客観的妥当性」とは、実験や調査をして、誰が見ても明らかにすること。
「主観的妥当性」とは、本人にとってだけ明らかなこと。例えば、先端恐怖症のカウンセリングで、その原因となる事実が分かったら、治ってしまったというようなもの。だから、科学的証明ができないし、実験もできない。でも、その本人にとっては、効果があるもの。
俺は、むしろスピリチュアリズムは、「主観的妥当性」でいいのだと思うよ。臨床心理学のようなものだよ。
無理して、「客観的妥当性」をあれこれ言っても、霊がテレビ出演でもして、霊界の映像でも見せて、、なんてことやれたとしても、疑う人は出てくる訳だし・・・
それよりも、スピリチュアリズムを実践して、どうなったか。どのように人のために役立っているのか、影響があるのか、、など、一人一人が実践して、その素晴らしさを証明していくことが大切だと思う。
「スピリチュアリズムへの奉仕」と主張しても、普通の人が心閉ざしてしまったら、意味ないものね。
55 :
神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 15:19:13 ID:rnxAsCeK
>>53 ありがとうございます。
霊と精神は形がないものだからどうしてもイメージがし難いですね。
霊と精神はセットになっていて別々には存在できないということでしょうか。
56 :
神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 17:15:16 ID:4TucDy2/
現在のコンピューターは論理的計算の積み重ねだけで演算を実行しています、勿論、計算可能なものばかりを選んで。しかし、計算不可能な問題がたくさんあります。
たとえば、「自分のプログラムの単なる文法的なチェックではなく、このプログラムが正しい結果を有限時間でもたらすかどうかを判定するプログラムは作れない」など、
これは計算可能性の穴をついた問題です。また、論理的計算の積み重ねだけでは人間のような知的創造活動もできません。人間の知的創造活動には非計算的な判断が入り込むからです。
この非計算的な判断は、ゲーテルの不完全性定理を想像させます。ひょっとしてこの定理は人間が普段から無意識にやっていることかも知れません。
「無矛盾な公理とその有限な論理の組み合わせだけでは証明できない命題が存在する」、まるで恋に落ちた(騙された)男女を連想させます。
人間の脳をニューロン単位で見ても量子力学的なゆらぎの効果や量子論的な不確定性原理が横たわっており、この総体(量子計算)で脳は「判断」を下しているわけです。
一つ一つのニューロンが一台のコンピュータ一であり、脳はニューロン400億台のコンピューターネットワークであると主張する人もいます。そして、これが人間の「意識」であり「心」であると。
さらに、脳細胞だけでなく凡ての細胞にマイクロチューブル(たんぱく質の微細なトンネル)があり、細胞はお互いに交信し合い、これが人間の意識の「座」かも知れないという説もあります。
人間に麻酔を掛けるとマイクロチューブルの中の電子の動きが妨げられ意識が抑えらたというのが証拠のようであり、このマイクロチューブルの量子計算(不確実性)が意識を作りだしているというものです。
以上は、ニューロンやマイクロチューブルの働きの不確実性を強調し、人間の意識や心の非計算的な側面を強調したに過ぎません。「論理的な計算の積み重ねでは不可能な演算、非計算的な判断、不確実な量子計算」など、
いくらこのような言葉で意識や心のことを形容しても、今の科学ではまだまだ意識や心を唯物的に捉えているとは言えません。
ところで、もしよろしければ心理学では意識や心、あるいは精神をどのように捉えているのかコメントをください。
そして、さらに霊的にはどうなんでしょう。霊と精神のスレにも関連して。
57 :
神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 19:06:15 ID:sRVx2FVO
>>54 専門が心理学であると言うことで自身の信仰にお墨付きを与えたいのですか?
>>56 最後の2行だけでいいのではありませんか?
58 :
神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 21:15:25 ID:7dIhD6RQ
59 :
神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 22:09:50 ID:ur8uXm59
>専門が心理学であると言うことで自身の信仰にお墨付きを与えたいのですか?
と考える思考回路に興味がわきますよ。「信仰」にお墨付き?面白い発想ですね。「信仰」と書くこと自体に書いた人の心が窺えますね。
60 :
神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 22:25:28 ID:ur8uXm59
>56さんへ
心理学での意識や心については、検索してみるといろいろと出てくるよ。
例えば、
http://www.counselingservice.jp/lecture/lec1.html 霊的なことに関しては、否定しているに近いかも・・・
よく霊的な人が言うことは、解離性人格障害に当てはまったりするし、たぶん、霊的な言動は、「障害」の部類に当てはめられてしまうと思う。
どこかの大学で、スピリチュアリズムに関する心理学の講義があったと思ったけど、、ごめん、忘れた。ただ、こういうことを大学でも講義することがあるんだ、って思ったよ。
61 :
57:2007/06/20(水) 00:33:16 ID:JVuGsg8K
>>59 >>54では、あなたが信仰者が研究者の仮面を被っていると思ってのコメントでしたが思い違いでした。
むしろ、患者をお客さんやモルモットとして扱う医師や学者に近い雰囲気を感じます。
当事者でない無責任さですね。
スピリチュアルと、心理学如きを一緒くたにされてもねえ
63 :
42:2007/06/20(水) 09:31:58 ID:7NbVnQwL
>>55 >霊と精神はセットになっていて別々には存在できないということでしょうか
はい、別々には存在できません。
ですがこれには少々予備知識が必要です。
対をなすものとして物質と霊がとりあげられた場合、霊は[完全バランス存在]としての
意味合いを帯び、物質は[不完全アンバランス存在]としての意味合いを帯びます。
そして精神には、バランス精神とアンバランス精神の両方があります。故にこうなります。
完全バランス存在はバランス霊とバランス精神によって構成されるため、
アンバランス精神を持つことはない。
シルバーバーチは「地上に一度も転生したことのない魂がいる」と話していますが、
それは上記の完全バランス存在を指します。
イエスもそうだったのですが、自分から望んで地上に降り、人間として赤子から
成長しました。そのお陰でイエスは、人のアンバランス精神を深く理解することができた。
だからこそ、それを克服する方法を具体的に教えることができたのです。
ちなみに
>>52で書いた人にちょっかい出してくる霊的存在は、アンバランス精神を持った
アンバランス霊ですね。
霊と精神はセットになってますが、条件によっては相容れないこともあるという
とこでしょうか。
64 :
神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 10:09:57 ID:NOwbuXYy
60>心理学者でも、精神病扱いされる部門があるのですね。私は素人で分かりませんが、あなたのいうように調べて見ました。少々、場所をください、宿題でしたから、
しかし、自分の意見ではないのでこれで落ちます。
「心理学には精神分析、行動主義心理学、人間学的心理学がある。
フロイトの精神分析:フロイトの心理学は人間を生物機械とみなし、心を機械的要素還元的に分析したものに過ぎない。
アルフレッド・アドラー(フロイトの弟子)は個人心理学の提唱者で、欲求は未来の目標を実現しようとするもので、それがうまく行かないと神経症になるとした。
ウィルヘルム・ライヒ(フロイトの弟子)は、精神と身体は相互に連動しているものとし、逆に身体から精神を治療するアプローチをとった。身体と心を一元的なものと捉え「生体エネルギー」の仮説を提示した。
これは中国の「気」と相似している。さらに彼 は「オルゴン・エネルギー」の仮説を提示し、19世紀のエーテルのような大気中に偏在するエネルギーからの治療を指向した。
これが学会に物議をかもし、糾 弾され、迫害され、孤独のうちに非業の最後をとげた。
カール・ユング(フロイトの弟子)、生物機械論を脱し全体としての魂や、環境の関係を理解しようとした。フロイトとの決定的違いは「無意識」の解釈にあり、
フロイトの無意識論は個人的なものであったが、ユングは無意識を、「個人的無意識」と「集団的無意識」という2つに分けた。
ワトソン、スキナーの行動主義心理学:主観的な意志というものではなく、客観的な行動に着目しないといけないとした。人間を機械論的に分析し、無意識の存在を認めない、
意識の存在すらも認めない心抜きの心理学である。
65 :
神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 10:11:46 ID:NOwbuXYy
60>続き
認知心理学:行動を機械的に捉え、心も機械であるとする。
アブラハム・マズローの人間性心理学:自己実現を対称とし、人間の健康的側面や高次の欲求に着目し、人間の潜在的可能性を探る。
当初マズローは自己実現の到達時に味わえる至高体験は自然発生であり、特定の手法で体験できないとしていた。 晩年になると、これを能動的に引き出す事ができる方法の開発に着手し、
これが「第4の心理学」になると発表した。
スタニスラフ・グロフは「トランスパーソナル心理学」を樹立した。1968年グロフ、マズロー、トニー・スティッチは「トランスパーソナル」という言葉を生み出した。
これは、宗教上の修行などをシステム的に研究したものである。至高体験時にしばしば個人の記憶を超えた意識が呼び起こされる時がある。こうした個人の意識を超えた意識の領域が存在するのではないかという仮説をたてた。
又この至高体験は、LSDなどのドラッグによる状態と、東洋的精神修行におけるヨーガや瞑想などの境地を同質の意識体験であることを確かめた。
アーノルド・ミンデルのプロセス指向心理学:ユング派のアーノルド・ミンデールによって開発された。セラピーやボディーワークなどを能動的にトランスパーソナルな状態に至る手法として活用した。
以上 抜粋 」
http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/shinrigaku.htm
66 :
42:2007/06/20(水) 10:14:20 ID:7NbVnQwL
>>54 >机上の空論ではなく、日常生活で、どのように霊的真理を生かしているの?
私にとってのスピリチュアリズムとは、心のバランス状を求め続けるものです。
心のアンバランスな状態としては、怒りや誤魔化しなどがあげられます。
たとえば、怒りの感情が発生して心を支配しようとしたとします。そんな時は
その怒りの感情を心から分離し、影響を受けなくしてから相手に対応します。
すると怒りに翻弄されないため、心をバランス状に保ったまま接することができます。
怒りの感情は後でちゃんと発散し、溜めこまないという事もしてますね。
自分を誤魔化そうとする時も同じです。自分で自分を誤魔化しているうちは、
心のバランス状など望むべくもありませんから。個人的には、これが一番克服困難な
心のアンバランスですね。
霊的真理というか霊法則は、葉と葉をつなぐ枝のようなものです。葉一枚一枚は
別々に存在してます。ですが枝をたどっていけば、別々の葉の共通の分かれ目に
たどり着くことができる。更に遡れば、幹という巨大な同一根源にたどり着く事ができる。
そしてこれは、全ての葉に当てはまります。つまり幹からすれば、全ては一つなんです。
これを法則と大霊に当てはめるなら、枝が法則、幹が大霊ということになりますね。
これは、霊的見地の説明でもあります。霊的見地とは、幹や枝から葉を見ることにより、
一見別々に存在する葉一枚一枚の共通項を見つけだすことを指します。共通項が判れば、
両者のバランスを取りやすくなる。
ばらばらなアンバランスを、バランス状にできるということですね。
落ち。
68 :
神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 13:43:42 ID:O0AEuPbJ
>>66 なるほどですね。
「全ては1つ」と言うととっても、優しいイメージがしますが、
実際は殺したり、殺されたり(言い方を変えれば、淘汰したりされたり)
欲が支配した世の中は殺伐とさえしています。
そこに優しさや愛があり、バランスを保とうとしてる気さえします。
69 :
神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 17:49:27 ID:Qrzjyk2t
バランスと言えば聞こえはいいですが、実のところは合理化です。
71 :
69:2007/06/20(水) 18:59:32 ID:kBUpcouF
不正確でした。
>>68>バランスを保とうとしてる 様が合理化です。
人間が過去から何代にも渡り、営々と世の中のバランスに努めてきていながら
当代にあってもバランスに至っていない。今日明日のことにならないことは
容易に想像がつく。 我が人生は短い。
>>70 信仰に帰依しない人にとっては我が人生を矮小化できないのですよ。
無限の時間の中でバランスしたとしても無意味。
72 :
神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 19:39:52 ID:ITyfjGKL
>>66 「スピリチュアリズムを机上の空論でなく日常生活で生かす」ことについて質問です。
それは、ただ自らの心のバランスを求め続けることが目標なのですか?
それとも、その先があるのでしょうか?あるとしたら、どのようなことをされている
のか、または理想とする状態をお聞かせください。
>>71 信仰の行き着く所は、実体験です。
矮小化ではありませんよ。
74 :
神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 22:47:04 ID:OVt1tB5z
霊魂とは何なのでしょうか。またそれは実在するのですか。
75 :
神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 23:00:06 ID:cGKIFmmM
霊魂とは実在しますが、ふわふわした鬼火みたいなものを想像してはいけません。
ちなみに僕は霊魂を想像することは出来ません。
76 :
神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 23:07:19 ID:OVt1tB5z
何故、あなたは知っているのですか。何故、霊魂の実在を認識できる人と、出来ない人がいるのですか。
77 :
69:2007/06/20(水) 23:11:48 ID:jFBP861a
>>73 >信仰の行き着く所は、実体験です。
つまり、教義に沿って行動することで脳内イメージを強くし、
そこに逃避することですね。
78 :
神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 23:20:10 ID:cGKIFmmM
>>76 今の僕の意識は知らないですが、高次の意識は知っていると信じてます。
>何故、霊魂の実在を認識できる人と、出来ない人がいるのですか。
人によって自我の発現程度が違うからじゃないでしょうか。
79 :
神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 08:29:24 ID:rmpi00ku
>>69 愛とか優しさというのは「合理化」とは最も遠いエネルギーだと思いますが。
違いますか?
「合理化」というのは方便にしか見えないという、心の傾きから見る目線ですね。
「合理化」というと、もっと冷たくて、利己的なエネルギーではないですか?
誰も好き好んで、自分を滅してまで奉仕する人はいないと思うでしょうが、
質の違いとしかいいようがありません(差別ととらえるかもしれないけれど)
ダイヤモンドとガラスは同じように透明でも硬さや輝きが違い、用途も違います。
それにはダイヤモンドであろうという意志(エネルギー)があるそうです。
80 :
42:2007/06/21(木) 09:52:58 ID:f/g0paMC
>>72 >それは、ただ自らの心のバランスを求め続けることが目標なのですか?
怒りの感情に翻弄されなくなると、人間関係がとても円滑になります。
家庭も仕事も円満になりますね。
自分を誤魔化さない自分を造る努力をすると、意志と理性と良心が強くなります。
これは、目標を成し遂げるのに役立ちます。様々な障害や妨害を打ち破る原動力は、
この三つから湧いてくることが多いですから。
円満な人間関係から生まれた愛情や友情も、もの凄い原動力になりますね。
>それとも、その先があるのでしょうか?あるとしたら、どのようなことをされているのか、
アンバランスをバランス化するという能力は、病気を治すとか老化をゆるめるとかにも
応用できます。私はもともと体が弱かったのですが、今はとても健康になれました。
若くも見られますね。実際、若いですし。
>または理想とする状態をお聞かせください。
死ぬとき心から「ああ、いい人生だった」と思えるのが理想です。
いや、ホントですよ。
いま死んでも後悔ばかりですから。
81 :
42:2007/06/21(木) 10:47:55 ID:f/g0paMC
>>74 >霊魂とは何なのでしょうか。またそれは実在するのですか。
うわっ、これはまた大変な質問ですね。
74さんがシルバーバーチの霊訓を読んでいるという前提で書いてみましょう。
私は
>>66で大霊を幹、法則を枝と喩えましたが、ここでは法則をうっちゃって、
[大霊]と[人の本体である分神]と[心と肉体]の関係を木に喩えてみましょう。
人の本体である分神は大霊と直結しています。これを木にたとえると、大霊は幹になり、
分神は枝の先端部分になります。そして肉体を葉とすると、三者には以下のような
関係が成り立ちます(わかりづらいので紙に書いてみてください)。
大霊 ==(枝で直結)== 分神 --(シルバーコードで接続)-- 心と肉体
分神は枝を通じて大霊と直結しています。これはある意味、大霊と分神は
【同じ素材で出来ている】と言えるでしょう。分神なので当然ではありますが。
しかし、葉はそうではありません。葉は、枝の先端部分から生えてくるものです。
幹や枝とは構成が若干異なるものです。また、冬になれば枯れて落ちてしまう
ものでもあります。そしてこれこそが、肉体の生と死なんです。
枝の先端から十分な養分が届かなくなると葉は枯れて落ちるように、分神から
十分なエネルギーが届かなくなると人の肉体は老化しはじめ、死にいたるんです。
これは、来世で記憶の大部分を忘れてしまう理由の一つでもありますね。
82 :
42:2007/06/21(木) 10:54:33 ID:f/g0paMC
さてでは本題に移りましょう。
今は違ってますが、魂(たましい)という字はもともと[人の本体である分神]
を指す言葉だったんです。なので霊魂という言葉を人に用いた時は、
分神と意識と霊的エネルギー体と様々な霊的エネルギーの総称
ということになりますね。
霊魂は実在するかという質問には、こう答えるしかありません。
霊魂は物質でないため、三次元物質界には存在しない。
それは、より上位の次元に存在している。
よって、三次元での存在証明は不可能。
なぜなら、三次元には無いのだから。
落ち。
83 :
神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 12:17:58 ID:qnFdoIGz
そういえば霊と魂は微妙に違うと聞いたことがある。
>>73 ニルナーバさん
>信仰の行き着く所は、実体験です。
そうそう、そうですよね。よく分かります。
もう少し言葉を足すと、実体験が先にあって信仰に行き着く所もあり
卵が先かにわとりが先か・・・のようなところがありますね。
言葉とは難しいですね。
>>42 毎回、分かりやすいお話をありがとうございます。
85 :
69:2007/06/21(木) 14:01:35 ID:9BAvT4EL
>>79 あなたが言われるような愛おしさや優しさをもって他者に接することは、
人と人との関係を穏やかにかつ円滑にするすべだと思います。
合理化という言葉は冷たい響きを感じさせますが、人が日常的に行っていることですので
もしピンと来なければ無視していただいて構いません。
例えば、チーズケーキを食べたくてケーキを買いに行ったところ売り切れだったので
代わりにアップルケーキを買いました、という状況での心境の変化というか動機の変更
がイメージに近いのではないかと思います。
>>68においては世の中の様子に言及されていました。世の中という概念は
無限の時間の中で存在しています。有限である人間の生き死にが連なるものです。
人間は、無限の時間の中で理想的なバランス状態に向かうであろう世の中の
ある一点を生きていますので、バランスしていない世の中に人間が理想的な
バランス状態を抱き存在するには一身がバランスすることのみでは事足りません。
自身は世の中の要素でもあるからです。こういった観点で世の中と自身との関係
においてはバランスではなく合理化だとコメントしました。
ところで、
>>80においてコメントされているバランスは喜怒、哀楽のように
感情を対極に配置した場合の自身の心の持ち方に限定して言及されていると
思いますのでこのケースとは異なります。
86 :
69:2007/06/21(木) 14:10:42 ID:9BAvT4EL
>>84 >信仰の行き着く所は、実体験です。
>そうそう、そうですよね。よく分かります。
よろしければ、あなたの”実体験”について教えていただけますか。
87 :
神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 14:36:38 ID:pEHytNbZ
>>80 お忙しい中、回答ありがとうございます。ご健康と若さを満喫され何よりです。
「その先」とは、自らがバランスを得たその幸福な感覚を他の人々に伝えてゆく仕事が待っているのではないかと思ったのです。
むしろそれをしたいがゆえの自らがのバランスであるなら修行もやる気が出ると言うものです。
特に使命や役割がないのであれば、多少怒ったり笑ったりやりたい放題で楽しいし十分幸福ですもの?。
私が死ぬ時は多分満足して死ぬことは100%ないでしょうね。次回につなぐしかありません。
88 :
神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 16:58:24 ID:rmpi00ku
先日、ハーブの種を蒔きました。1つめは1つづつの種を個別に蒔きました。
以前はばら撒きという手法で蒔いていたのですが、数が手元になかったのと
”間引き”をしなくて済むので無駄な種がでないという理由だったのですが、
芽が出てびっくりしました。もともとの種がそうだったのか、ひょろひょろと
勢いのない芽が出てきたのです。をれを大切に個別にポットに植え替えましたが
様子は変わらず、ひょろひょろの生命力のないもの。
ばら撒きした時は、互いに競い合うのか、張り合うのか我こそは!と元気にピンとした
芽が出てきたのに。でも、弱弱しい芽は削除しないと他の芽が育たないので、間引きしました。
をれを見ていて、なんだか生物の世界も人間の世界もこれを似てるな・・と思いました。
でも、人間は特別な存在とする考えがあるので、それは違うという意見もあると思います。
盆栽の世界でも、一級品は「そうなろう!」という意志があると、盆栽家がおっしゃってました。
上は数千万から下は1000円まで。値段で区別するなんて下品だとも思いますが、
この違いは何?と素朴に疑問を感じました。
たかが、木に・・そんな意志があるなんて、とも。
89 :
神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 17:02:00 ID:rmpi00ku
その盆栽家が「いつまでたっても、逸品とそうでないものがある」と
言ってたのが、バーチなどの高級霊が言っている、いつまでたっても聖人は聖人ですし、
邪悪な人間や凡人は凡人と言ったようなことを言っていたのを思い出しました。
その意志の部分は本人の意識で変わるものなんでしょうか?
それとも、この意志の部分さえも、”神”という意識の中で決められているエネルギーなのでしょうか?
>>88 なるほど。
「競争があるから強い者が出てくる。その結果、弱い者は消えて行く。」
こんなような人間の競争社会の原理は植物にも当てはまったんですね。
面白い気づきですね。
>その意志の部分は本人の意識で変わるものなんでしょうか?
変わります。向上するかしないかは、各人の努力次第です。
>それとも、この意志の部分さえも、”神”という意識の中で決められているエネルギーなのでしょうか?
人間は人間である以上皆、神性を内在しています。
ですから、神性を開花すべく向上するということは、
どの人間にも潜在的に備わっていることです。
その神性を開花する過程で、邪悪な人間もいずれは聖者になります。
「神性を開花させる」
これは誰もが可能です。
各人の努力次第ですから、そこに自由意志があります。
「神性を排除する」
しかし、これはできません。
人間が神性を内在することは絶対普遍の法則だからです。
私たちは、神による絶対普遍の法則の中で生きています。
絶対普遍の法則を曲げることはできません。
各人はその法則の中でしか、意思決定できないのです。
まとめると、こうなります。
「霊的世界では、1000円の盆栽も努力をすれば一級品になる」
この世界は、努力が報われる世界なのです。
91 :
84:2007/06/21(木) 20:44:05 ID:nsM0EeV0
>>86 いえいえ、お話するほどのことでもありません。
>>88-89 面白いですね。その盆栽家は観察眼のある方だと思います。
そういえば、苺の栽培をしている方が、実の出来具合の多寡で
「やる気のある苺とない苺がある」と言っていたことを思い出しました。
植物と人間との違いは、変化の大きさの違いだと思います。
昔、不良と呼ばれていた人がまっとうで凄みのある人物に変わって
いた・・・なんてこともありますね。
「類魂」で捉えると、植物は植物、動物は動物、人間は人間で別のグループ
になるそうです。動物と人間の違いは『シルバーバーチの霊訓8』に詳しく
述べてあります。
92 :
神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 22:01:41 ID:NbWAwT+7
>>90 とんだ夢想家ですね。狂信者とでも言っておきましょうか。
93 :
神も仏も名無しさん:2007/06/21(木) 23:11:44 ID:rmpi00ku
>>91 やる気のないイチゴはおもしろいです。
やる気のないの字の気もエネルギーですもんね。
ただ、どんな世界にもいろんなタイプがいて、妖精の世界にも意地悪な
妖精がいるみたいですね。
人間のミクロ版みたいな。
転生しても元のものとは全く違う形で生まれてくるのは人間だけなのでしょうか?
全てのタイプを経験するようになっているそうですね。12色全てを経験して白になるみたいな。
前世では綺麗なモデルだった人が悪いことを一杯したために来世はきったない親父に
産まれて来るなんてあるんですかね?
真理の刺繍が荒らしでウォレスやガーニーの記事まで消された。
95 :
42:2007/06/22(金) 10:41:09 ID:W2lIOwY0
>>89 >その意志の部分は本人の意識で変わるものなんでしょうか?
何かをしようとする意志は、シルバーコードを経由して流入してくるエネルギーを
大本に持つんですよ。
宇宙の創造主である大霊は、当然ですが、創造力を持っています。
なので大霊と直結した分神も、創造力を持っています。
その創造力は、シルバーコードを伝わり心にもたらされます。
そして、【心のありようをまとって意志になる】のです。
強靱な意志の持ち主は自分や周囲をドンドン造り替えていきます。
これは、意志の大本に創造エネルギーが存在するからこそなんです。
それがあるからこそ造り替えることができるというワケですね。
しかしここに大きな問題が生じます。それはこれです。
創造エネルギーは心の有り様をまとうため、
心次第で、
バランスもアンバランスも創りだすことができる。
大悪人が大悪事を成し遂げてしまう理由は、これですね。
以上から、意志は本人の意識で変化すると言えるでしょう。
96 :
42:2007/06/22(金) 10:48:15 ID:W2lIOwY0
また、意志は[量]も変化します。
ですが、量を変化させるのは意識ではありません。
意志の量を変化させるもの。
それは、【意志を使っているか否か】です。
心に流入してくる創造エネルギーの量を決める全ては、
意志を使っているか否かにかかっています。
日頃から意志を使っている人は、意志を使うのが上手ですね。
そして徐々に、もっともっと大きな意志を使いこなせるようになっていく。
とはいえ、動機の正誤にかかわらず使えてしまうという爆弾があるのですけど。
爆弾はもう一つあります。それは、意志を使うと心が疲労するということです。
体を使うと体が疲労するのと全く同じですね。
なので意志を使って心が疲労したら心を休ませ快復させねばならないのですが、
何故かこれは無視されてしまうことが多い。しかも真面目で誠実な人ほど
この傾向が高い。心労とストレスで押し潰されてしまう可能性が高いんです。
悲しくてなりません。
心を強化しようとする人は、心を休める技術も同時に磨いていってください。
97 :
42:2007/06/22(金) 10:57:12 ID:W2lIOwY0
>>92 >前世では綺麗なモデルだった人が悪いことを一杯したために
>来世はきったない親父に産まれて来るなんてあるんですかね?
うわわっ、これはどうしましょうか!!!
近ごろ私は霊関係の本を読んでいないため、霊に興味を持つ人への
霊界の最新動向を知らないんです。
これ系の質問に霊界が本を通じてどう返答しているかを知っている人がいたら、
よろしくお願いします。
ちなみに、霊に興味を持たない人へはこんな働きかけがされてますね。
容姿や学歴や社会的地位などで人を判断するのは
間違いである。
落ち。
98 :
神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 12:10:39 ID:6xwFMvF8
88,91>コンパニオンプランツ(共栄作物)というのがあります。
互いに影響を与え合う野菜やハーブを寄せ植えすると、
(1)病害虫の発生を防いで成長を促進したり、
(2)互いによい影響を与えながらより生育を促進できる
という栽培方法です。
たとえば、「キャベツとレタスの共生」では、「ヨトウムシやコナガなどの害虫を防ぎ、雑草を抑える効果がある」というものです。
勿論、共生の組み合わせが悪いと逆効果の場合もあります。
たとえば、「野菜全般とラベンダーやローズマリーを共生させると、「生育が悪くなる」ように。
また同じ栽培方法でも、人間が植物を励ますように話しかけると生育がいいとか、音楽(バッハの教会カンタータ)を聞かせると生育がいいとか、
これが植物のどういう特性でそうなるのかは?です。やる気の無いイチゴ、元気の無いハーブ、その周りの環境はどうだったのでしょうか。
99 :
神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 12:25:32 ID:6xwFMvF8
74,76>「霊とはなにか、魂とは何かについて」
シルバーバーチは「霊とは何か」について「霊とは何かを言語によって完璧に描写することは絶対に不可能です。無限だがらです。」と一端は断ってから、
「神とは法則であり、その背後に働く精神であり、森羅万象の無数の顕現を与える力です、生命そのものであり、生命を構成する根源的要素です。その中に極小と極大の区別もありません。」と述べ、
「私たちは自分の本来の姿、つまりミクロの神であり、ミニチュアの宇宙である自我について、どうにかその片鱗をつかむことができます。」(霊訓1p154)と結んでいます。
100 :
神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 12:26:35 ID:6xwFMvF8
74,76>(続き1)
次ぎに「魂とは何か」に対しては「魂とはすべての人間が身にまとっている神の衣です。魂とは神が子等に授けた光です。魂とは各自がこの宇宙における機能を果たすことを可能ならしめている神の息吹です。
魂とは生命力の火花です。存在の源泉です。それがあなたを宇宙の大霊と結びつけ、全ての生命現象を経綸する無限なる存在に一部たらしめております。魂はあなたが永遠にまとい続ける不滅の衣です。あなたがその魂であると言ってもよい。
なんとなれば魂がすなわちあなたという存在そのものであり、反省し、考え、決断し、判断し、熟考し、愛するのはその魂です。」(霊訓2p216)
別の箇所では、魂の説明に対して「あなた方がこうして地上に生を受けたのは、その内部の神性を少しでも発現させる為です。・・・神性の本性として自発的に顕現を求め、それがあらゆる種類の美徳と善行、
つまり親切、同情、寛容、慈愛、哀れみ、友情、情愛、無私の愛となって表現されます」というのもあります。
101 :
神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 12:27:23 ID:6xwFMvF8
74,76>(続き2)
一言で言えば、「霊」とは我々が「ミクロの神」であること、我々の本体のことであり、「魂」とはその本性である「ミクロの神の衣」のこと、これは「神性の発現の度合い」のことであると言ってもいいかも知れません。
これでは「シルバーバーチの霊訓」に親しい方への説明にしかなっていないなんて言わないでください、観念では捉えられる筈です。
102 :
神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 12:32:19 ID:6xwFMvF8
74,76>(続き3)
霊が肉体をまとえば魂は心となって活動を始めます、しかし受肉前の霊魂は受肉後では人間の粗末な五官によって制約を受け、人間には「肉体と心」しか認識できません。
ところで、「霊」という実在はもともとは霊界から人間にもたらされた真理です。だから誰でも初めは「霊」については観念でしか捉えようがないのです。
人間は五官で感じる自分のほんの一部しか認識できないのであり、霊と魂はそれよりももっと精巧精妙で意識では感知できません。しかし、「霊的真理」に対して「魂の琴線に触れるような体験」をすると、
心の中で本来の魂が目覚め「自分達は霊である」という実感と確証を得るに至ります、そこから先は自らが霊性進化の途を歩むようになるのでありこれには例外がありません、あなたもです。
103 :
神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 12:33:32 ID:6xwFMvF8
74,76>(続き4)
「魂の琴線に触れるような体験」では「苦しみや悲しみ」が伴うのが普通ですが、この考え方を嫌う者もいます、書籍などで霊的真理を容易に手に入れた方達かも知れません。
これについては、シルバーバーチは「苦を伴うものであり容易に手に入るものではない」ことを強調しています。
多分このスレに登場する方達は何らかの体験によって霊魂の存在を実感しているのではないかと思います。
92>さん、どうやらあなたにはその体験が無いようですね。でもきっといつか来ますよ、どうやら私はあなたのいう夢想家、狂信者かも知れません。
104 :
神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 12:51:06 ID:aBColOBN
105 :
神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 14:31:03 ID:TS1XB94O
>>98 <元気の無いハーブ、その周りの環境はどうだったのでしょうか。
周りの環境はばら撒きした時と同じです。ただ、種が手にお店で入らなかったので個人から
分けてもらいました。普通は500粒とか大量の種をばら撒きして、そこから
勢いのいい芽だけを選んで育てていくという手法なんですが、なんせ30粒しかなかったので、
ばら撒き出来ずに、しかも、ばら撒きの際、生きているのに間引きして始末しなければ
ならないことに何か非常さを感じていた為に、この時ばかりはと大事に一定のスペースを空けて他と
接することなく蒔きました。ところが、種の生命力がなかったのか、全く生命力のないひょろひょろの
芽が出てきて、唖然としたんです。
果たして、この過保護な蒔き方はハーブの苗の為になったのかな?と。
一見、非常で残酷に見えるものでも、結果を考えた場合、容認される?
ことなのかな?と。宗教でいう「神」はこのような生命の本質を捉えて、
この地上というもので修行をすることを考えたのかな?と思いました。
ゆとり教育やなど、あまりにも過保護に育もうとした結果、いい実を結ばなかった
教育方法にも通じるものを感じた次第です。
106 :
神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 14:42:51 ID:TS1XB94O
人間になる前の”精子”だって、同じじゃないでしょうか?勢いのあるものが着床し
人間と言う形をしてこの世に生まれてくる。
ただ、神は制御したりは直接しないので、産業革命以来、人間の数だけが膨大に増えてしまった。
今の地球環境だって、数の論理で、人間という生物の数が多すぎることの結果でしかないと思います。
人間だけに都合のいい社会を作ろうとした結果の報いだと、私個人は思ってます。
ただ、人間は頭で理解は出来ても、生命活動を止めるわけにはいかないので、
歴史は繰り返すんですね。何万年も前にも人間らしい生物が滅びた痕跡があるそうです。
ただ、今回の人間のテクノロジーは未だかつてないくらいレベルが高いそうです。
が、性(性質)は変わってないので、どんな方向に行くのでしょうか?
その霊的苦難ですが、魂の闇夜と言われている様な段階は、最中は他人も、本人でさえもほとんど統合失調症かと疑うような状態になるんではないでしょうか。
このような体験を実際に経た方はいるのかな?
108 :
神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 21:42:08 ID:aBColOBN
>>107 まるでひとりエクソシスト状態
善と悪との戦い
自分の奥底の本性丸見え状態
いっぺん体験してみる?
はい、しました。自分の体験もあまりにも凄まじく長かったですが他人にはうまく説明する能力もないし分かってくれる相手もいないので、語りあった事がなく、誰かいたら体験談を聞いてみたいなぁと思っていました。
お仲間?がいて嬉しいです。大変でしたね。お疲れ様でした。
身も心もボロボロになっているのにネットゲームの魅力に翻弄されるのは
何か悪霊に取りつかれてるのでしょうか?
それともそういう欲に打ち勝ち自己コントロールをする事を覚える為に
こういう状況に陥っているのでしょうか?
もう苦しくてたまりません、他に楽しい事なんてないし・・・
何かが爆発しそうで怖いんです
>>104 感動しました。知人や家族にも紹介しようと思います。
教えてくれてありがとうございました。
>>109 自分の場合、あまりにも絶望(脳が口から出そうな勢い)でパニックになりました。
これは「霊的苦難」という類いなんでしょうかね。
私も分かってくれる相手がいなくて、語り合うと言っても
自分が体験を相手にただ言うだけで終わってしまいます。
是非この機会にあなたの体験や、他の人の体験も詳しく聞いてみたいです。
>>111 自分もすぐには言葉にまとめられませんが、同じような経験をした方の話をずっと求めていたので、是非聞いてみたいです。
でも、簡単に説明出来る様な事ではないんですよね…言葉も説明能力も足りないし…。
機会があればよろしくお願いします。おやすみなさい。
>>110 止めないといけないと分かってるのに、ついやってしまうなんて
辛いですよね。私も別の事柄ですが、そんなことがありました。
「欲に打ち勝ち自己コントロールをする事」
ご自分でもそう察しておられるように、正にこれだと思います。
ですが依存症っぽいので、精神科で診てもらうのも良いかもしれません。
(もしかしたら、他の精神病との併発かもしれませんので)
あと、シルバーバーチとは関係ない話になってしまいますが、
最後の手段としては、ヴィパッサナー瞑想をおすすめします。
これは自分をひたすら観察する瞑想法です。この瞑想で、何人も救われた人を見てきました。
10日間のコースですが無料なので、もし時間があったら行ってみて下さい。
10日間はネットゲーはもちろん、携帯、本、喋ることまで禁止です。
正直、キツいです。でも、やる価値はあります。
http://www.jp.dhamma.org/ (インド最大のティハール刑務所でも採用されていますよ)
>何か悪霊に取りつかれてるのでしょうか?
悪霊にとり憑かれているかは分かりません。お役に立てなくてすみません。
でも、他の霊による憑依は日常的に行われています。
ですので、特別に問題視する必要は無いと思いますよ。
>>112 ではよろしくお願いしますね。
おやすみなさい。
>>113 丁寧なレスありがとうございます。
とりあえずヴィパサナー瞑想というのをやってみます。
状況が変わり次第またカキコします。
116 :
瞑想やお祈りばかりしてないで現実を生きろよ:2007/06/23(土) 02:41:14 ID:2xqWJ5AU
>>104 1
こんにちは、セヴァン・スズキです。
エコを代表してお話します。エコというのは、
子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルド
レンズ・オーガニゼェーション)の略です。
2
カナダの12歳から13歳の子供たちの集まりで、
今の世界を変えるためにがんばっています。
あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえて
いただくようお願いするために、
3
自分たちで費用をためて、カナダから
ブラジルまで1万キロの旅をして来ました。
4
今日の私の話には、ウラもオモテもありません。
なぜって、私が環境運動をしているのは、
私自身の未来のため。
5
自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、
株で損したりするのとはわけがちがうんですから。
117 :
瞑想やお祈りばかりしてないで現実を生きろよ:2007/06/23(土) 02:42:04 ID:2xqWJ5AU
>>104 6
私がここに立って話をしているのは、
未来に生きる子どもたちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
7
そして、もう行くところもなく、死に絶えようと
している無数の動物たちのためです。
8
太陽のもとにでるのが、私はこわい。
オゾン層に穴があいたから。
呼吸をすることさえこわい。
9
空気にどんな毒が入っているかもしれないから。
父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。
数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。
10
そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅して
いくのを、私たちは耳にします。それらは、もう永
遠にもどってはこないんです。
118 :
瞑想やお祈りばかりしてないで現実を生きろよ:2007/06/23(土) 02:42:57 ID:2xqWJ5AU
>>104 11
私の時代には、夢があります。
いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や
蝶が舞うジャングルを見ることです。
12
でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢を
もつこともできなくなるのではないか?
あなたがたは、私ぐらいのとしの時に、そんな
ことを心配したことがありますか。
13
こんな大変なことが、ものすごいいきおいで
起こっているのに、私たち人間ときたら、まるで
まだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。
14
まだ子どもの私には、この危機を救うのに何を
したらいいのかはっきりとわかりません。
でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。
15
あなたがたもよい解決法なんてもっていないって
いうことを。オゾン層にあいた穴をどうやって
ふさぐのか、あなたは知らないでしょう。
119 :
瞑想やお祈りばかりしてないで現実を生きろよ:2007/06/23(土) 02:45:42 ID:xaF7Sue0
>>104 16
死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、
あなたは知らないでしょう。絶滅した動物を
どうやって生きかえらせるのか、あばたは知
らないでしょう。
17
そして、今や砂漠となってしまった場所に
どうやって森をよみがえらせるのかあなた
は知らないでしょう。
18
どうやって直すのかわからないものを、
こわしつづけるのはもうやめてください。
19
ここでは、あなたがたは政府とか企業とか
団体とかの代表でしょう。あるいは、報道
関係者か政治家かもしれない。
20
でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親で
あり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、
おばであり、おじなんです。
120 :
瞑想やお祈りばかりしてないで現実を生きろよ:2007/06/23(土) 02:46:22 ID:xaF7Sue0
>>104 21
そしてあなたがたのだれもが、
だれかの子どもなんです。
22
私はまだ子どもですが、ここにいる私たち
みんなが同じ大きな家族の一員であることを
知っています。
23
そうです50億以上の人間からなる大家族。
いいえ、実は3千万種類の生物からなる大家族です。
24
国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだて
ようとしても、このことは変えようがありません。
25
私は子どもですが、みんながこの大家族の一員で
あり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして
行動しなければならないことを知っています。
121 :
瞑想やお祈りばかりしてないで現実を生きろよ:2007/06/23(土) 02:48:13 ID:xaF7Sue0
>>104 26
私は怒っています。
でも、自分を見失ってはいけません。
27
私は怖い。でも、自分の気持ちを世界中に
伝えることを、私は恐れません。
28
私の国でのむだ使いはたいへんなものです。
買っては捨て、また買っては捨てています。
29
それでも物を消費しつづける北の国々は、
南の国々と富を分かちあおうとはしません。
30
物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、
そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。
122 :
瞑想やお祈りばかりしてないで現実を生きろよ:2007/06/23(土) 02:49:39 ID:WPBukDUm
>>104 31
カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを
持つめぐまれた生活をしています。
32
時計、自転車、コンピューター、テレビ、
私たちの持っているものを数えあげたら何日も
かかることでしょう。
33
2日前ここブラジルで、家のないストリート
チルドレンと出会い、私たちはショックを
受けました。
34
ひとりの子どもが私たちにこう言いました。
35
「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、
家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、
住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」
123 :
瞑想やお祈りばかりしてないで現実を生きろよ:2007/06/23(土) 02:50:58 ID:WPBukDUm
>>104 36
家もなにもないひとりの子どもが、分かちあう
ことを考えているというのに、すべてを持っている
私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうして
なんでしょう。
37
これらのめぐまれない子どもたちが、
私と同じぐらいの年だということが、
私の頭をはなれません。
38
どこに生れついたかによって、こんなにも人生が
ちがってしまう。私がリオの貧民窟に住む子ども
のひとりだったかもしれないんです。
39
ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の
戦争で犠牲になるか、インドでこじきをして
たかもしれないんです。
40
私はまだ子どもだけどこのことを知っています。
124 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 04:34:14 ID:QG+bUBtX
子供の時のほうが、明らかに”わかっていた”。大人になるとどうしてこんなに
欲にまみれて、他者を征服してでも自分の願望を叶えようと躍起になるんだろう?
まるで、大人になると生物が変態するみたいに、蝶から蛹になるというよりかは
蝶が蛾になるみたいに。
125 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 09:42:24 ID:r/5q351M
>>124 そうなんですか?いとこの子どもを見てると、「自分の物は自分の物、人の物も
当然自分の物」、砂場で相手を殴ってでも欲しいおもちゃはぶんどる、デパートでは、
床に寝転がって泣き喚いておねだり、物欲と征服欲、独占欲むき出しですよ。
親はそうでもないです。蛾というより、だんご虫みたいですよ。
この事態をどう考えたらいいですか?
>>124 アランカルデックによると、
子供の頃は、将来発現される自我が抑えられているとのこと。
教育的な面など、色々考慮されているとのこと。
逆に幼少時から大人と同じように振舞う子供がいたら社会は混乱するでしょう。
地球人よりも霊性の優れた星では自我の芽生えは早いとのこと。
自我が早くに芽生えても霊性に優れ無害だからでしょう。
つまり、地球人の霊性が高まれば高まるほど、地球人の子供の自我が芽生えるのも早くなると言えます。
127 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 10:05:52 ID:r/5q351M
>>126 回答ありがとうございます。
では、子どもの頃は純粋無垢であるという世間の通念には誤りがあるのですね?
子どもは動物に近く、教育を施された大人のほうがむしろ霊性が高いということでよろしいですか?
これを知っているのと知らないのとでは、将来の子育て&教育にちがいがでますよね?
128 :
42:2007/06/23(土) 10:06:47 ID:G2xNeJCc
>>99-103 シルバーバーチ読者が持つ霊と魂への概念を形成したのは、この文なのでしょう。
99〜103の補足を書きます。
神とは法則であり、その背後に働く精神であり、森羅万象の無数の顕現を与える力です、
生命そのものであり、生命を構成する根源的要素です。
その中に極小と極大の区別もありません。
一行目と二行目は、木の幹を大霊とする喩えに沿います。
誤解を招きやすいのは三行目の、“極大と極小”という言葉でしょう。
これは、大きさの違いによってそれへの価値感を変化させてしまう人類の心のクセを
回避しようとしたと考えれば納得がいくのではないでしょうか。
大きい車の方が偉い、大きい家の方が偉い、大きいダイヤの方が尊い
などという考えは、大霊には沿いません。
砂粒一つも銀河も、全ては大霊の顕現なのです。
故に、【ゴミも大霊の顕現の一つ】に他なりません。
皆さんはそれを日常生活に活かしてますか?
私たちは自分の本来の姿、つまりミクロの神であり、ミニチュアの宇宙である
自我について、どうにかその片鱗をつかむことができます。
これは勿体ないですね。大霊にとっての物質宇宙が人の肉体に相当するのだと
書いていればもっと多くの事柄を伝えられたのに。
肉体をまとわない霊による見落としと言えるかもしれません。
129 :
42:2007/06/23(土) 10:14:03 ID:G2xNeJCc
>>100で一番誤解を招きやすいのは、“衣”という言葉です。
「シルバーバーチが衣といったのだから衣なんだ、僭越だ」という考えを持たない人は、
“衣”という言葉を外して100を読んでみてください。
魂とは神が子等に授けた光です。魂とは各自がこの宇宙における機能を果たすことを
可能ならしめている神の息吹です。魂とは生命力の火花です。存在の源泉です。
それがあなたを宇宙の大霊と結びつけ、全ての生命現象を経綸する無限なる存在に
一部たらしめております。あなたがその魂であると言ってもよい。
なんとなれば魂がすなわちあなたという存在そのものであり、反省し、考え、決断し、
判断し、熟考し、愛するのはその魂です。
あなた方がこうして地上に生を受けたのは、その内部の神性を少しでも発現させる為です。
・・・神性の本性として自発的に顕現を求め、それがあらゆる種類の美徳と善行、
つまり親切、同情、寛容、慈愛、哀れみ、友情、情愛、無私の愛となって表現されます。
どうでしょう。衣という言葉を用いずとも、シルバーバーチのいわんとする事が
伝わってこないでしょうか。イメージが湧いてこないでしょうか。
湧いてきたら今度は、それに“神の衣”を当てはめてみてください。すると、とたんに
訳がわからなくなりませんか? その原因は、シルバーバーチにあるのではありません。
原因は、【人は衣という言葉に、無意識に人間社会の衣服を当てはめてしまうから】です。
魂を衣とする教えは数千年前からあります。古代人の社会では、衣という喩えしか
できなかったのかもしれません。
ですが現代人には“直結した分神”の方が衣服よりもイメージとして近いと私は考えています。
130 :
42:2007/06/23(土) 10:22:07 ID:G2xNeJCc
>>101 >神性の発現の度合い
イメージしてください。
麗しさや豊かさや賢さを持つ人を尊び、醜さや貧しさや愚かさを持つ人を蔑む社会が
あるとします。
その社会へ「輪廻転生」の考えがもたらされたら、果たしてどうなるでしょうか。
【この人は前世の善行によって美しく、あの人は前世の悪行によって醜い】という解釈が
なされるとは思いませんか?
正直にいいましょう。
現代社会はまだ、そういう社会です。なので、美醜や貧富や賢愚という物質社会的価値観へ
霊法則を当てはめてしまいます。富は善行で貧困は悪行と、考えてしまうのです。
しかしシルバーバーチはいいました。人は現世での環境を自分で選んで産まれてくると。
これは“富は善行で貧困は悪行”という考えに、反する言葉だとは思いませんか?
物質社会的価値観をそのまま霊法則に当てはめることへの牽制になるとは思いませんか?
霊的価値観と物質社会的価値観は、必ずしも一致しません。
「神性の発現の度合い」という言葉を、皆さんはどのような価値観に基づいて
使っているのでしょうか。
131 :
42:2007/06/23(土) 10:30:15 ID:G2xNeJCc
>>102-103 >霊が肉体をまとえば魂は心となって活動を始めます
その通りです。心は、魂そのものではないのです。
これはシルバーバーチの以下の言葉によって証明できるでしょう。
>心の中で本来の魂が目覚め
ある出来事を経験しないと、【心の中に本来の魂は目覚めない】のです。
しかしここに、巨大な落とし穴があります。それが以下です。
>苦を伴うものであり容易に手に入るものではない
大きな苦しみを経験した人は大勢いるでしょう。
大変な苦労のすえに素晴らしい霊真理に気づけた人も大勢いるでしょう。
それを否定しようなどと私は思っていません。ただ、一つ質問があります。
その苦しみが私と似たものであるなら、私の経験が役立つかもしれないからです。
その苦しみは、自発的な行いに伴うものですか?
もしそうなら、朝日が救ってくれるかもしれません。
132 :
42:2007/06/23(土) 10:39:25 ID:G2xNeJCc
人間社会の価値観は、霊真理に根ざした価値観と必ずしも一致しません。
故に、霊真理の道を自発的に歩む者は、時に大変な苦労をします。
十字架を背負い坂道を登り磔刑にされたイエスのように。
人は物質社会に生きるため、物質社会の考え方に染まりきっています。
故に、物質に染まった心を霊真理に沿わせる努力を自発的にする者は、
時に大変な苦労をします。己の心を正すことは、己にしかできないからです。
私はまだ、その苦しみの途上にいます。
なので時として、死んでしまいたくなります。
一晩中その思いに苦しみもがいたある明け方、私は呼ばれました。
朝日に呼ばれました。
私は朝日を見にいきました。
暫く朝日を見ていると、それが丸い窓に見えてきました。
その窓の向こう側は見えませんでしたが、窓を縁取る光が見えました。
それは、初めて見る光でした。
ふと気づくと、心の苦しみは消えていました。
まるでその光に洗い流されたようでした。
苦しくて苦しくて仕方ない時は、朝日を眺めてみてください。
もしかしたら、何かが起こるかもしれません。
落ち。
>>127 地球人全体の霊性進化が地球人の身体的進化に繋がるのだと思います。
地球人の霊性に相応しい身体的進化(自我の発現の早さ)が地球人に与えられるのでしょう。
だから地球人の成熟度合いと、他の星の方々の成熟度合いは比較できますが、
地球人同士の成熟度合いは比較するに及ばないほど僅少な差と言えると思います。
したがって、現時点の地球人の身体的制約(自我の抑制)は、どんなに霊性が高い地球人でもそれ相当の制約を受けざるをえない。
幼少時は自分を表現することを抑えられており、その代わり純粋さが与えられている。
そう私は解しています。
134 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 10:53:51 ID:QG+bUBtX
「衣」っていうと、肉体=外皮=外見って理解してました。
例えば、見目麗しい美女がいたとして、泉のように美しい外見は魂の顕在というように。
画家や詩人は美女の中に女神を見出そうとしたし、美しい青年に神を見出そうとした。
でも、長い歴史の中で内面と外見の矛盾に気付き、人は外見ではないという結論もある。
だから、外見で神を顕在しようとする種と内面で神を顕在しようとする種と担当があるのか?と
思うようになりました。全てで1つのように。
だから個人個人では小さい片鱗だけれど、全てで1つみたいな感じでしょうか。
でも、植物と一緒で本来の姿ではなく、この自由意志の反映であるこの世では
歪んでしまい、追いやられている人間も多いのではないでしょうか?
それを本来の姿に戻すのが、政治家や賢人や聖人(この中には普通に見える人もたくさん
いる)の仕事ではないかと思います。
昨日、園芸のテレビを見ていて、庭師は調和のとれた庭を造る際、勢力争いと
調和するよう手がけるんです。
強い植物が弱い植物を虐げないように、見張って手を加える。(工夫する)
イエスはこういう能力に優れてたように思います。一瞬でその人間の本質を捉え、
知恵を働かせ、調和させる。過去の優れた聖人はこの手の仕事の達人だったように
思います。
>>133 人間の本能と同じように、自我の抑制は物質社会で生きるために必要な仕組みの一つと言えるのではないでしょうか。
136 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 11:01:41 ID:QG+bUBtX
「自我」というと、「我が強い」というように、調和するにはあまりいい印象は
ないです。子供の頃は自我が強くとも、をれを体現できる体もツールもないため、
抑えられているから、可愛らしい。でも、一旦、大人になり可能になると、悪知恵を働かせたり、法
の網を掻い潜ってでも、実現させようとする。このとき、他者の被害や迷惑なんてことは
一切考えずに、自分の野望を実現させることで一杯。これも魂ゆえでしょうか?
だとしたら、やはり、今の時代はとんでもないことになりますね。
全ての人間が実現させようと主張していれば、地球はパンクしてしまうでしょう。
今の時代はまさにその時代だと思います。
>>132 >故に、霊真理の道を自発的に歩む者は、時に大変な苦労をします。
>十字架を背負い坂道を登り磔刑にされたイエスのように。
イエスが死んだ時に持っていたのは苦しみではなく、愛です。
ですから、この喩えはちょっと適切ではないと思いますよ。
イエスは、すでに神性を開花させた、いわば悟りの状態ですから、
苦しみはなく、愛のみを抱いていたと思います。
>私はまだ、その苦しみの途上にいます。
>なので時として、死んでしまいたくなります。
気持ち分かります。私は、自分自身に対してよくこう考えてしまいます。
「霊的真理を心得たのに死にたくなるなんて...自分は全く矛盾してるなぁ。」
朝日、私も好きです。
138 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 11:12:55 ID:r/5q351M
>>132 132を読ませていただきましたが、未熟なせいで、そこまでの苦しみがどういう
種類のものか想像がつきません。この世に適応している心を霊的精神世界に軌道修正
する苦しみ、と理解すればよろしいですか?次元の高い苦しみですね。
シルバーバーチに関係ない話題なので恐縮ですが、たとえば仏教では、人の苦しみは大筋、四苦八苦に大別される
と読んだことがあります。生・老・病・死と、嫌いな人に会う苦しみ、愛するものと
別れる苦しみ、求めても得られない苦しみ、煩悩の苦しみの8つだそうですね。
あなたの苦しみもきっとこのなかのどれかなのでしょうか?これも仏教の教えですが、
八正道という8つの正しい道を自分に照らして静かに瞑想していくと、苦しみの
原因が見えてきて、苦しみの世界から出ることができるようですよ。
とにかく苦しみの原因を見つけていち早く解決することらしいですね。
すみません、なにもわからないものが、わかったようなことを申し上げましたね。
あなたの今の苦しみが一日も早く解決されることを心よりお祈りしています。
139 :
42:2007/06/23(土) 11:21:51 ID:G2xNeJCc
>>137 落ちと言ったけど。
>イエスが死んだ時に持っていたのは苦しみではなく、愛です。
ニルナーバさん、イエスは全てを身をもって教えてくれました。
イエスが一人で十字架を背負い、その十字架で磔刑にあったのも、
身をもってなされた教えなんです。
ですからそれは、愛ということができます。
というか、まさに愛ですから。
私が言っているのは、イエスは後に続く者に勇気を与えるために
自らも苦しんだということです。
イエスにとって肉体の苦痛を遮断することなど至極簡単なことだったのですが、
イエスはそれをしませんでした。
だからこそ、私はイエスから勇気を貰えるんです。
140 :
42:2007/06/23(土) 11:26:17 ID:G2xNeJCc
>>138 >この世に適応している心を霊的精神世界に軌道修正
>する苦しみ、と理解すればよろしいですか?
はい、そうです。
肉体的苦痛も伴いますけどね。
>あなたの今の苦しみが一日も早く解決されることを
>心よりお祈りしています。
暖かい心を受け取らせていただきました。
ありがとうございます。
>>139 >132の文章の時点では、それが読み取れませんでした。
分かりやすい補足説明ありがとうございます。
142 :
42:2007/06/23(土) 11:40:53 ID:G2xNeJCc
ニルナーバさんへ
己のプライドと闘う決意をしたとき初めてあなたは、
本当の苦しみの入り口に立つでしょう。
もう少しここにいれるので何かありましたらどうぞ。
>>142 そうですか、ありがたいです。
ではちょっと回答お願いします。
己のプライドと闘うとは具体的にはどういうことですか?
144 :
42:2007/06/23(土) 11:46:34 ID:G2xNeJCc
>>143 たとえば
>>141に、「132の文章の時点では」と書かれています。
ですがそれは、あなたの力が及ばなかっただけ。
それを穏やかに見つめたうえで141を書きましたか?
>>144 >あなたの力が及ばなかっただけ。
面白いこと言いますね。
説明します。まず、あなたはこう書きました。
>人間社会の価値観は、霊真理に根ざした価値観と必ずしも一致しません。
>故に、霊真理の道を自発的に歩む者は、時に大変な苦労をします。
>十字架を背負い坂道を登り磔刑にされたイエスのように。
そして、あなたは続けてこう書きました。
>人は物質社会に生きるため、物質社会の考え方に染まりきっています。
>故に、物質に染まった心を霊真理に沿わせる努力を自発的にする者は、
>時に大変な苦労をします。己の心を正すことは、己にしかできないからです。
これでは、イエスが
「物質に染まった心を霊真理に沿わせる努力を自発的にする者」
のように聞こえてしまいます。
「イエスは後に続く者に勇気を与えるために自らも苦しんだ」
と、どうやったら読み取ることができるんでしょうか?
別に、あなたをせめているわけではありません。
私は、>141で、分かりやすい補足説明ありがとうと
言ってるだけです。
146 :
42:2007/06/23(土) 12:04:31 ID:G2xNeJCc
>>145 あなたはイエスが肉体的苦痛を遮断しなかったことを
知らなかったのではありませんか?
そして、その意味するところも。
しかしそれを取り上げず、145の説明をする。
それが、あなたの闘うべきプライドです。
>>146 私は、知らなかったので補足説明ありがとうと言ってるだけですよ。
あなたは自分の知っていることは、相手も知っていて当然とお考えでしょうか?
148 :
42:2007/06/23(土) 12:12:58 ID:G2xNeJCc
>>147 >あなたは自分の知っていることは、相手も知っていて当然とお考えでしょうか?
そんなこと考えるはずないでしょう。
本気でそう思っているのですか?
ですよね。では、
>あなたの力が及ばなかっただけ。
というのは、何なんでしょう?
では一連の書き込みで、自分のプライドを
私に投影している可能性はありませんか?
150 :
42:2007/06/23(土) 12:20:50 ID:G2xNeJCc
私と会話するとあなたはどんどんマイナスが強くなりますね。
なので、あなたと関わるのを暫く止めます。
再落ち。
>>150 そうですか。
もし、あなたを不快にさせてしまったのなら、すみません。
マイナスが強くなったと言うことは、
私の深い所にあるものが、表面に浮き出てきた
ということです。
逆に言えば、あなたのお陰で、私は磨かれると
言っても良いんじゃないでしょうか?
今回は、私のマイナス面を浮き彫りにしていただき
ありがとうございました。
(骨が折れる作業ですよね。お疲れさまです)
152 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 14:30:52 ID:r9L+SNpj
>>104書き込んだんだのは
難しい論議しているより
この女の子の言葉の方が意味があるかと思って
>>116-123の
瞑想やお祈りばかりしてないで現実を生きろよ
ってのも同じ気持ちって解釈していいのかな?
153 :
連投規制を受けたので続きは議論スレ:2007/06/23(土) 16:39:33 ID:xaF7Sue0
>>152 >瞑想やお祈りばかりしてないで現実を生きろよ
まあ、そんなところかな。
スレの傾向がなんとなく保阪尚希から感じる雰囲気に近い感じで
不快に感じだしたからね。 おっと、筆が滑った・・・
154 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 16:50:12 ID:BYaYoizm
でも、この女の子も大人になったら、「そんなこと言ったっけ???」なんて
言って、なんかの新聞記者でもやってたりして。
子供の頃に抱いていた、世の中のためっていうのも、飲み込まれちゃうのが
この世の恐ろしいところだと思いませんか?
神は本当にいるのか?って思いますもの。
直接手を下さないから、自然派生的に正義を目覚めさせるのを手伝っているようには
思えるけれど。
随分と手は下してるんじゃないの?ただそれが、一生物、一個体の生命短し人間にとって、生きている間、都合がいいものと
あまり思えないだけで。
>>155,154
神(=愛)は、唯物主義的価値観を超えています。
神はいるものではなく、あるものです。常にあります。
あなたの中にも。この世界のすべてに。
ですが、いきなりそう言われても、
なんのこっちゃ分かりません。
ですので、神は「神様」のように、様をつけて擬人化したり、
神話などの言い伝え、宗教の中の物語として、初心者でも分かりやすい
ように人間の形をとってたとえられているんです。
世の中には色んな神様がいます。破壊の神様、想像の神様、
友愛の神様、お酒の神様、ニキビの神様。
その多種多様な神様に、共通するのは「愛」です。
愛をわかりやすいように、色んな形で表しているのです。
人々に愛をもって生きてもらうためです。
それは、愛=神だからです。(愛といっても、無償の愛のことですよ)
だから、あなた方が、「神は本当にいるのか?」「神は何をしているのか?」
と考えるのは、神(=愛)を知るためには必須の、大切なことだと、私は思います。
だから、どんどん神を追求していって下さいね。
(大きなお世話ですよね。恐縮です。)
157 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 20:13:49 ID:BYaYoizm
>>155 そうですかぁ???
1番根深いのが、ガン細胞みたいに巨大な勢力を持っている。
摘出しても摘出しても、みるみるうちに転移して拡大してる。
158 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 20:20:45 ID:BYaYoizm
その証拠に福祉や本来は尊ばれなければいけない職種が軽んじられてる。
この現実を神はどう感じてるんでしょう?
歴史を見ても、その繰り返しです。人間の本性としてほっとけば、誰かを
犠牲にしてでも、自分が楽をしたいというのがあるようですが、このような本性を
持っているのは人間共通のものですか?制御している人もいるようですが、しないのは
霊的に未熟な人なんでしょうか?
>>156 アンカー間違えてない?
でも、思うんだけど
実際そういうのって、あなたとか誰かがいっても、人様には説得力ないですよね。正直。
証明できるわけでもないし。愛は○○、神は○○・・・って、全て本からとか自分のいくつかの経験とか
全て主観であったりして、本来は、人様にこうだって、いえるほどじゃないでしょ。
全て自分が感じてることが正しいって思ってるから、人様が首をかしげる。
だからいつになっても、霊的なものが広まらない。むしろ逆効果。
要は口だけ頭だけの人が多いってことよ。
>>157 手を下してるっていっても、そこにエネルギーとか法則が在って
それがそうなるだけで、私たちのような人間みたいに、その都度その都度、手を加えてるわけでは
ないんじゃないかなぁと。
そういったたとえでいうなら、ガン細胞も、自分の細胞であるわけで、いつになってもなくならないのは
摘出の仕方が間違ってるのかも?。それかやはりそれがないといけないものだったりで。
今はガン細胞でも、温存とか共存とかっていうほうが適切だったりする場合もあるでしょ。
正義っていっても所詮、人間は自分の人間の尺度で
人間至上主義でしか考えられないから、人間がうーん・・って思うことでも
他の多種多様な生物からみれば、いいことだったりすることも多いわけで。
>>158 自分は医療界にいて福祉にもかかわって毎日コキつかわれてるけど
特別これが、尊ばなければいけない職種ってほどでもないかもしれないって思う。
そのような本性は、本能でもある場合あるし、制御しないから霊的に未熟ってのも自分はおかしいかな、と思ったりしますが。
だって生きるためには、それが必要なこともある。
自分の種をつないでいくためには。大自然は厳しいんだもの。たくさんの人間以外の必死で生きてる存在をみてると
人間っていうのは、なんて甘っちょろいんだろうとよく感じる。
神は自分の形を次次と変えてそれを観てまた次々と創造してみて、好奇心いっぱいに楽しんでるだけかもね。
162 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 21:43:12 ID:r9L+SNpj
163 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 21:58:37 ID:BYaYoizm
>>161 <神は自分の形を次次と変えてそれを観てまた次々と創造してみて、好奇心いっぱいに楽しんでるだけかもね。
これは、よく映画なんかで神を擬人化したり、または表現する際に、多くのクリエーターが
そのように表現してますよね?神は何にも考えてない・・ただ、人の求めるもの(求めに応じ)を放出して
ほげーと見ているだけって。何の映画だったけ、キアヌ・リーブスが出ていた・・・。
悪魔と戦う映画ですけど。あれを見て、自分もそう感じました。
そういえば、「神」は昔は血なまぐさいことを要求する神の時代もありましたよね?
いろんな神がいるんですね。バーチの言う「神」とは違うものを指してるんでしょうか?
<そのような本性は、本能でもある場合あるし、制御しないから霊的に未熟ってのも自分はおかしいかな、と思ったりしますが。
<だって生きるためには、それが必要なこともある。
最も、原始的な生存本能はそれを基盤に出来ていると思います。
ただ、進化しているというならば、制御すべきものかもしれないですよね?
出来なければ、犯罪者として吊るし上げられる。昔のままの価値観の本能丸出しの人種は
お縄になってる人が多いです。それが、過去とは違い良くなってるとは思います。
164 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 22:14:04 ID:O7FbsCJ3
瞑想が中々旨くいかないです。
全く集中出来ないし悩み事ばかり頭を駆け巡る・・・
一度だけ旨くいった感じはあるけど、
それ以外は電車で寝てる人みたいにコックリッコックリなる感じで中途半端・・・
難しいもんですね。
165 :
神も仏も名無しさん:2007/06/23(土) 22:17:54 ID:r9L+SNpj
>>109 そうだったんですね
失礼しました
また興味本位的なあるいは熱心的な人かと思って
なんかウザウザ書いてしまいました
相手が物質至上主義な親で
親を敬えってことを守れば、魂が傷つき
魂を守れば、心が傷つくって感じで
今もその葛藤は続いています
でも、魂と心と肉体を上手に使い分けるよう心掛ければ
何とか切り抜けられます
苦しいときもあったけど、魂の地獄に落ちなくて良かったって
今は今に至った恵まれた自分の境遇にとても感謝しています
でも、今でも迷います
何がほんとに正しいのかって
良い日もあれば、迷う日もあっても
元気にやってこうって思ってます
>>159 スピリチュアリズムのスレですので、
スピリチュアリズム的な解釈を言いました。
>実際そういうのって、あなたとか誰かがいっても、人様には説得力ないですよね。正直。
説得力なくてすみませんでした。痛切に感じてます。
「より多くの人に霊的真理を広げられるよう
説得力のある人間になるにはどうしたらいいか?」
以前これを自問して、答えが出ました。
それは悟りをひらくことです。
ですので、私の第一の目標は、悟りをひらくことです。
(もう、アホかと。笑われてしまいますね。しかし本気ですよ。)
>>163 >バーチの言う「神」とは違うものを指してるんでしょうか?
そうです。バーチの言う「神」とは違いますよ。
バーチの「神」は42さんの書いた>128が参考になるかと思います。
「神とは法則であり、その背後に働く精神であり、森羅万象の無数の顕現を与える力です、
生命そのものであり、生命を構成する根源的要素です。
その中に極小と極大の区別もありません。」
>>164 誤爆でしょうか?
どんな瞑想法でしょうか?
168 :
神も仏も名無しさん:2007/06/24(日) 08:32:09 ID:zC+oq/iI
>>167 誤爆じゃないです。
最近スピリチュアリズムに出会って瞑想を始めたばかりの者ですが、
瞑想法と言えるか解りませんが正座を10分位するだけです。
あとは仰向けで瞑目してるだけとか・・・
凝ったものをやるのは何か怖くて・・・
皆さんは上手くいってますか?
169 :
神も仏も名無しさん:2007/06/24(日) 09:03:49 ID:icL5Jgm2
>>168 瞑想に関して、お役に立てるかわかりませんが・・
一日のできごとを、冷静に、理性的に、客観的に、高い視点から反省していくという瞑想は
人格の向上に非常に役立っています。忙しい時は、一番印象的であったり、心が揺れた
できごとをピックアップして、そのとき自分が発信した言葉や思い、行いが適切であったか
沈思して、さらにその時の相手の気持ちにまで思いを巡らせていきます。相手を傷つけなかったか、とか
さらには、相手の向上に役立ったか、など。
本来は、その日が人生全体から見て
有意義であったか、とか、この世を越えて神の視点から見ても正しいものであったか
など上を求めればきりがないと思います。でも、自分の身近なところから始めて、徐々に
グレードを上げてゆけばいいかな、と思います。
続けると、知らず知らず、以前の自分とは比べられないくらい良い考え方がスピーディにできていたり
します。
みなさんも試してみてはいかが?怖さや危険が少ないものですよ。
170 :
42:2007/06/24(日) 09:05:12 ID:vzhObzu6
>>168 私は“瞑想”と集中”を別のものとして使い分けてるよ。
もの凄く簡単に言うと、こんな感じかな。
[瞑想]
何も考えない状態になり、その状態で全てのモノを客観的に眺めること。
[集中]
集中するモノ以外を心から全て排除し、集中するモノの本質に近づくこと。
理想としては、そのモノと一体化すること。
私はどちらかと言うと、集中の方が得意。
瞑想については、上手くいってるなんてとても言えないな。
171 :
神も仏も名無しさん:2007/06/24(日) 09:36:47 ID:icL5Jgm2
>>170 「何も考えない状態」とか、「集中するモノ以外を心から全て排除」、「理想のモノと一体化」とかは
難しすぎて、ふつうに暮らしていながら、瞑想を体験したがっている人には距離があるなと思います。
瞑想にも段階があって、初歩から順々に体験できたら、と思います。
172 :
42:2007/06/24(日) 09:40:57 ID:vzhObzu6
173 :
42:2007/06/24(日) 09:44:26 ID:vzhObzu6
まあでもこのスレには様々な人がいるから、
>>170を補足して今日は落ちよう。
瞑想は、自分本位の主観から抜け出すこと。
これは、内なる神に近づく行為でもある。
主観に囚われている限り、客観の源泉である内なる神には近づけないから。
また瞑想は、この世を動かす本質を感じ取ること。
これは、外なる神に近づく行為でもある。
神は本質を通じて見いだすものだから。
集中も自分本位の主観から抜け出すことに変わりはないが、
集中する事柄の存在理由に近づくという違いがある。
これは、神の意図に近づく行為に通じる。
その事柄の存在理由に、神の意図は込められているから。
また集中は、己の能力を高める最高の友でもある。
これは、己の存在理由に近づく行為でもある。
同時にそれは、己の内なる神に近づく行為でもある。
なんだか補足になってないような・・・・
落ち。
>>168 正座ですか。正座したら足しびれて大変じゃないですか?
私も正座で瞑想したことありますが、30分後には
しばらく歩けないほど、足が痛くなってました(汗
正座でやってるなんて凄いですね。
>凝ったものをやるのは何か怖くて・・・
本格的な瞑想には危険が伴います。
それを察せられてるようで、良かったです。
例えば、初めは純粋な動機でも、凄いビジョンや超能力を得る段階になると、
「俺は一般人とは違う。俺こそ超人だ。」
なんて思って、虚栄心を膨らます危険が高くなります。
そして最悪の場合、オウムの麻原のような人物になってしまいます。
最初は純粋な気持ちであっても、知らぬうちに、そうなってしまう危険が高いんです。
しかも、低級霊のイタズラもあります。そして、発狂する方もおられます。
(前スレと同じ方ですか?内容が前スレとかぶってすみません)
ですので、あなたは今の段階では、正座を10分程度とのことなので大丈夫だと思います。
でも、もしこれから’’本格的な’’瞑想をなさる場合には、指導者が必要ですので、注意して下さいね。
(指導者は的確な指導をするだけでなく、低級霊からも守ります)
簡単な瞑想なら、この限りではないです。
簡単な瞑想で、表面意識を浄化するのは、生活に役立つ技ですから、
是非この調子で続けて下さいね。
175 :
神も仏も名無しさん:2007/06/24(日) 11:06:32 ID:icL5Jgm2
>>174 169です。
まったくの素人なのですが、「簡単な瞑想で、表面意識を浄化し、生活に役立つ技」
の中に、先ほど申しました、身近な反省は入れてよろしいのですか?
というか、何も不思議な体験がないのでそのくらいしかできませんし、正座は足に
気を取られて集中できないので就寝前にいすに腰掛けてまねごとをするくらいです。
その際に、注意することや、手順などがありましたら、お教えください。
瞑想というより、小さい子の『反省』に近いですね。
176 :
神も仏も名無しさん:2007/06/24(日) 11:35:51 ID:eH9cXOFV
瞑想したいのですが霊感が開花されそうな気がして出来ません。
177 :
神も仏も名無しさん:2007/06/24(日) 11:46:09 ID:2XJF/luZ
>>166 <神とは法則であり、その背後に働く精神であり、森羅万象の無数の顕現を与える力です、
<生命そのものであり、生命を構成する根源的要素です。
<その中に極小と極大の区別もありません。
神の手のひらで踊らされているという表現がありますけど、そんな風にイメージされます。
どんな非道なことでさえ、神の1部なのですか?
非道なもの、未熟なものは神の属性ではなくて、あくまでも人間側のものだなんて
責任回避というか、責任のなすりつけのよう気がしてなりません。(非難されるのは承知だけれど)
法則というなら、「逆もまた真なり」という言葉がありますが、最後は白が勝っても
中間では黒が勝利を占めることは歴史でも明らかです。
それを黒側から見れば、我らが勝ちという解釈になると思うのですが。
>>175 はい。身近な反省も入れても大丈夫です。
注意するとしては、明確な目的を持つことです。
なんのための瞑想なのかということを、念頭に置いて下さい。
そして、効果がなくても焦らないことです。
>忙しい時は、一番印象的であったり、心が揺れたできごとをピックアップして、
>そのとき自分が発信した言葉や思い、行いが適切であったか沈思して、
>さらにその時の相手の気持ちにまで思いを巡らせていきます。相手を傷つけなかったか、とか
>さらには、相手の向上に役立ったか、など。
これは素晴らしいことです。しかも、ご自分で編み出され(?)実践しておられるのには感服です。
あなたの瞑想は、慈悲の瞑想法にちょっと似ています。
>>175 そこでおすすめがあります。慈悲の瞑想法です。
5〜15分で大丈夫です。もし、気に入ったらやってみて下さいね。
1.「許しを請います」
まず、今日、自分が傷つけてしまった相手に許しを請います。
2.「許します」
そして、今日、自分が傷つけられた相手を許します。
(ここまで、ご自身ですでに実践しておられるようですね。次がフィナーレです)
3.「生きとし生けるものが幸せでありますように」
まず、知人や家族、身近な人の幸せを祈ります。そして、その祈りをさらに大きく
広げて行きます。近所の動物や虫。最後には、宇宙全体が幸せであるように。
あなたの全身、または頭頂部から、目にみえるもの、見えないものもすべてに、
慈悲の心を放ちます。あなたは愛そのものになります。そんなイメージです。
*注意*
自分の心に、邪心があるときは、邪心を周囲に広げないよう、3はしないで下さい。
以上です。
こうすることで、あなた周りの環境が良くなって行きます。
少しずつ平和になっていくのが、実感できるかもしれません。
あなた自信も、愛を育むことが出来ます。
もし、3が上手くいったら、その心を忘れずに日常生活で
慈悲の心を思い出してみるのもいいかもしれません。
是非、寝る前にでもやってみて下さいね。
>>176 怖いですよね。実際、霊感が開花するのは自然にあり得ることです。
あなたが、そう感じているならなおさらです。
でも、恐怖にとり憑かれる危険が大きく、日常生活に支障をきたし、
さらには魑魅魍魎の餌食になる危険さえあります。
↑(何この漢字)
実際、霊能者の多くは、低級霊にとり憑かれ
インチキ冷媒と化してることが多いそうです。
ですので、良い瞑想の指導者を探すのが最適な方法です。
(あなたが望んで、時期がくれば良い出会いがあります)
時期が来るまでは、簡単な瞑想で済ますことをおすすめ致します。
話題が瞑想になったので、これを紹介させて下さい。
世界中の人々が、地球のため、同じ時間に瞑想や祈りをする時間です。
2007年7月17日(火) 日本時間 20時11分
(グリニッジ標準時間:2007/07/17 11:11)
に、世界中の地球と人類の平和を願う人たちが
お互いの宗教の垣根を越え、国を越え、人種を越え、
そして、あらゆる価値観を越えて、
ただ、一人の平和を願う人間として、
同じ時刻に一斉に、約一時間、
お互いの時間を共有し、
母なる地球への癒しの祈りと、
そこに住む人類への平和への祈りが、各人の
瞑想や祈りのエネルギーによって捧げられます。
http://www.firethegrid.com/ (私はまだ内容を読んでないので、恐縮ですが)
182 :
神も仏も名無しさん:2007/06/24(日) 15:25:34 ID:icL5Jgm2
>>179 自分自身が瞑想によって「愛そのもの」になれる、しかも、そのことが環境すら平和なものに
変えられると伺って、気力のようなものが湧いてきました。これが真実なら
いかなる立場でも、自分の心次第で周りの世界に貢献できるということですね。
また、そういう思いで動けば、人の幸福にも貢献できることでしょうね。
実は、慈悲の瞑想の3まで読み進んだときに、胸の奥がぽかぽかして熱い感じがして、
とても不思議でした。
今晩からさっそくやってみますね。ありがとうございました。
できましたら、「瞑想の目的」とは何か、と「邪心」があるとはどんな状態?などについて、
機会がありましたら、もう少し詳しくお教えくだされば嬉しいです。
>>182 瞑想の目的は、瞑想法によって違います。
目的が曖昧だと、あらぬ方向へ進んでしまい危険になってしまいます。
あなたは、反省の瞑想をしてますね。
その場合の目的は、「反省すること」ですね。
その結果、「良い考え方をスピーディにできる」ようになりました。
そこで、注意することは、結果を目的にしないことです。
つまり「良い考え方をスピーディにできる」ために瞑想をするのではなく
「反省する」ために、瞑想をすることです。
目的が変わると、あらぬ方向へ進んでしまいます。
慈悲の瞑想法なら、「愛そのものになること」です。
自分は他人の幸せを祈っている、つまり善行をしたから
善果が帰ってくる、などと考えてはいけません。
「愛そのものになること」で謙虚にならなければならないのです。
虚栄心を増幅させる結果になってはいけません。
その点に注意して下さいね。
184 :
神も仏も名無しさん:2007/06/24(日) 16:17:36 ID:icL5Jgm2
ハイ、わかりました。
>>182 そして、邪心についてです。
「平静、純粋な心の状態」以外が、邪心のある状態です。
ですので、色んな状態があります。
誰かを許せない場合。イライラが収まらない場合。
嫉妬心をつのらせている場合。心配事が頭にある場合。
そして、なんとなく心の奥につっかえることがある場合や、原因不明の場合など。
自分の心が、平静さを保っているか、純粋であるかで、邪心の有無を判断して下さい。
(純粋であるか、というのは、純粋に幸せのみを祈れるか、ということです)
それにしても、今晩から実践なされるとは、凄く柔軟な方ですね。
実践して行くと、瞑想を行う部屋の雰囲気が良くなって行きますよ。
もっと瞑想すれば、地域の雰囲気を良く感じて行くかもしれません。
瞑想の効果か分かりませんが、私の場合、マンション住まいなので、近所の住民と
普段は挨拶もしないのですが、向こうから、挨拶をかけてもらうことが増えました。
ありがたいことです。そして、可愛いハトが家のベランダから離れません。
(でも、フンはどうにかしないと...)
長々とすいません。もう一つ大事な点がありました。
「背筋を伸ばすこと」
です。背筋を伸ばした場合と、伸ばさない場合とで
比べると、効果が違うと実感できると思います。
心がスッキリ統一されやすくなりますよ。
呼吸は、鼻で呼吸していれば問題ありません。
無意識な、自然な呼吸です。
では、生きとし生けるものが幸せでありますように。
(確実に平和が広がります)
187 :
神も仏も名無しさん:2007/06/24(日) 17:19:07 ID:icL5Jgm2
ご指導ありがとうございました。
他の方の幸福や、平和を願うこと、そのこと自体が嬉しく幸福である、
という心境を持てる事がまた感謝ですね。長続きしますように・・・。
それでは。
188 :
神も仏も名無しさん:2007/06/24(日) 22:06:25 ID:zC+oq/iI
>>169 丁寧に教えていただき嬉しいです、ありがとうございます。
反省する事は山ほどあるので今の自分に合うと思いますので試してみます。
189 :
神も仏も名無しさん:2007/06/24(日) 22:10:29 ID:zC+oq/iI
>>173 レスありがとうございます。
42さんが言っているように、自分本位の主観から抜け出さなければと思うのですが、
苦しみの渦中で中々難しい・・・でも何とか頑張ってみます。
190 :
神も仏も名無しさん:2007/06/24(日) 22:30:07 ID:zC+oq/iI
>>174 >是非この調子で続けて下さいね
この言葉を聞いて何だかとてもほっとしました、ありがとうございます。
正座での瞑想はやっぱり足がしびれて泣きたくなりますが(笑)
でも慣れるとしびれなくなるそうなのでこのまま正座で行こうと思います。
確かに日に日にしびれている時間が短縮されてるような気が。
>(前スレと同じ方ですか?内容が前スレとかぶってすみません)
いいえ、初めての書き込みなので大切に読ませて貰ってます。
>>177 こういう風に考えると、わかりやすいかもしれませんよ。
「神性=秩序」
「物質=無秩序」
霊は、神性に属するので、永遠で秩序を伴ったものです。
しかし物質は、世の中を見てもわかるように、必ず崩壊します。
人間は、物質を伴った霊的存在です。
物質性に翻弄されれば、世の中は無秩序になります。(体主霊従の状態)
逆に、神性を見出せば、世の中には愛があふれます。(霊主体従の状態)
霊主体従にするには、努力がいります。
逆に言えば、各人が努力することにより、霊主体従になるのです。
つまり、この世界は進化向上できるようになっているのです。
それが、神の法則です。
192 :
神も仏も名無しさん:2007/06/24(日) 23:11:17 ID:eH9cXOFV
>>180 邪霊の霊団が跋扈しているみたいですからやっぱり怖いですよ。
近年の残虐な犯罪は明らかに関係していると思います。
佐藤愛子さんの本に書いてありましたが、江原さんも分かってても
言えないそうです。
それがためにどうしても心にブレーキがかかってしまいます。
>>192 簡単な瞑想でも怖くなってしまいますか?
瞑想しない夜は怖くないですか?
もし、簡単な瞑想でも恐怖を感じるなら、瞑想はしない方が良いかもしれません。
瞑想をしたいのなら、ご自身が納得できるような
指導者が見つかるまで、瞑想を禁止して下さい。
瞑想に、恐怖は禁物です。
あなたの背後には、強力な守護霊さんがついています。
あなたの類魂(魂の先祖)であるスピリットや、先祖のスピリットたちです。
愛に満ちています。いつも、あなたを見守っています。
どんなに邪霊の霊団も、愛の力には及びません。
愛は神の力そのものだからです。
瞑想をしない時でも、恐怖を感じる場合や、どうしても瞑想したい場合は、
あなたの強力な守護霊さんたちに、心から祈って下さい。
「どうか、私を守って下さい」というように。
そして、守護霊さんの愛を感じ取り、安心感に身をゆだねて下さい。
絶対、守ってくれます。
>>192 あと、ごく稀ですが、前世や今世で誰かを殺めてしまった
場合、その無念を持った霊が、あなたに恐怖をいだかせる
ケースもあります。
何か、心当たりはありませんか?
もし、何か心当たりがあるのなら、相手の無念の気持ちを汲み取り、
「ごめんなさい」と、心から謝るのが良いかもしれません。
その祈りが相手に通じると、肩の荷がおりたような気分に
なれるはずです。
心当たりがないのに、どうしても心配な場合は、
信頼の置ける霊能者に相談するか、神社でおはらいして
もらうのが、良いかもしれません。
(あくまでも、ごく稀の話ですよ)
195 :
42:2007/06/25(月) 11:48:34 ID:0FJ20jkN
あのう、瞑想の基本は思いこみや先入観を取り外すことですよ。
思いこみや先入観があると、人は自分本位の考えに凝り固まります。
自分本位の自己中な意識に凝り固まります。
けど自己中に凝り固まって、ろくなことなどあるはずない。
だから、反省すべき行いをしてしまう。
なのでそれを反省するためには、自分本位の考えを取り外さねばならない。
勝手な思いこみや勝手な先入観を取り外さねばならない。
その取り外すという行為が瞑想の基本に通じるため、
反省は瞑想の題材として用いられているんです。
では考えてください。
そのような瞑想をする人に、邪霊につけ込まれる隙があるでしょうか?
厳密には、ある条件下では隙が生じる場合があります。
その条件とはこれです。
全ての原因は自分にあるのだから
全て自分が悪いんだと考えてしまうとき
邪霊につけ込まれる隙が生じる。
196 :
42:2007/06/25(月) 12:25:49 ID:0FJ20jkN
人は、相手の木屑は見えても自分の梁を見れない生き物です。
なので「全て自分が悪いんだ」という考えはある意味、それへの治療策になってくれます。
危険を伴うかなりの荒療法なので、お薦めはできませんけどね。
全部自分が悪いと思っていると、そのうち自分の悪い箇所にとても詳しくなれます。
自分の細かい間違いにも敏感に反応できるようになります。
つまり、自分の木屑が見れるようになってくるのです。
すると、相手と自分の悪い部分を公平に眺められるようになる。
相手の非の割合と自分の非の割合を客観的に判断できるようになる。
こうなればしめたものです。どちらか一方が悪いのではなく相手にも自分にも非がある
のだと分かれば、仲直りもしやすいですからね。
ケンカが恐くてビクビクすることもなくなりますし。
ですが大抵の場合、その状態に至るまでには大変な苦労をせねばなりません。
人によっては、生きることが心底嫌になってしまうでしょう。
そして、そんな不安定な状態につけ込もうとする邪霊は確かにいます。
ですがそれは、そこまで自分を追い込める人にのみ当てはまることなのです。
[瞑想]によって開花する霊能力の筆頭は、自己客観視能力です。
自己客観視能力に、つけ込まれる隙などありません。
ただ、霊能力を高めるための[集中]には、いま議論されているような隙が生じてきます。
なので、瞑想と集中をはっきり区別することが重要ですね。
落ち。
197 :
神も仏も名無しさん:2007/06/25(月) 12:45:48 ID:mRsXuRn5
シルバーバーチは霊的能力の開発を2段階で行うように薦めています。
初めは心霊能力(サイキック)の開発です、これはこのスレで話題になっていう瞑想です、静寂の中で自分を見つめることであり、自分にあった方法でよいということです。
次に、霊的能力の開発ですが、心霊能力の開発を飛び越して一気に霊的能力の開発も出来るらしいのですが、それは「本人の負担が大きすぎて薦められない」と言って退けています。
さて、心霊能力ですが、次の会話が参考になるかも知れません。
質問「心霊能力は進化のある一定の段階まで到達すると自然に発揮されるものなのでしょうか、言い換えれば、人間はみな進化のある段階までくると超能力者になっていくのでしょうか」
「答えは”イエス”です。なぜならば人類の進化は潜在している資質を高めることに他ならないからです。人は身体的進化はすでに頂点にまで達しております、次は精神的進化と霊的進化です。
長い年月を掛けて徐々に全人類が自己の心霊能力にますます目覚めていくことでしょう。しかし、ここで”但し書き”が必要です。
心霊能力を発揮するようになることが必ずしも霊的進化の程度の指標とはならないということです。霊的身体のもつ能力を全部発揮しても魂そのものは少しも進化していないということも有り得ます。
本当の意味での霊的に進化し始めるのは、人のために役立つ仕事を目的として、霊界のスピリットの協力を得ながら心霊能力を開発したときです。」〔シルバーバーチの霊訓)
もし、心霊能力が獲得形質でり、人間の超能力に位置付けられれば、「超心理学者」はきっと涙を流して喜ぶことでしょう(このスレに時々登場している方のことです)。
198 :
神も仏も名無しさん:2007/06/25(月) 12:56:11 ID:oTchW8T2
199 :
神も仏も名無しさん:2007/06/25(月) 13:05:14 ID:mRsXuRn5
198>分かりました
私は、瞑想については「霊性を開く」ルース・ウェルチ著 近藤千雄訳の第2講〜第5講P21〜61までを私は参考にしています。
レベルからすると初歩・入門的な内容ですが。
200 :
神も仏も名無しさん:2007/06/25(月) 15:44:45 ID:mRsXuRn5
昼食をしながらスレ(197,199)したものですから、脱字や間違いがたくさん出てしまいました。
私には「霊的な能力」(霊界での能力)がどういうものなのかは書けませんでした。
この言葉の私のイメージは次で言う意味のこととして下さい。
「霊的真理に目覚めた者が”他人の為に自分を役立てる”行いをするとき、
必ず背後で霊界のスピリット達が協力してくれており、
それを通して我々は霊界に行ったときに必要な”霊的な能力”を開発してるのだと思います。
これにより自分の魂を進化させると同時に、心霊能力の開発
(その日の喧騒から離れて自分を見つめ直す静寂のひと時:瞑想)を行うことが必要のようです。」
>>196 自分の知っている瞑想法こそが、
「真の瞑想と言うに相応しい瞑想法である」
と思っているのでしょうか?
(すみません。そんなことは思ってませんよね。)
この世界には、数多くの瞑想法があります。
その瞑想には、それぞれに目的があり、それぞれに恩恵を得る人がいます。
特にインドでは、瞑想法が発達し、様々な優れた瞑想法と、
様々な優れた瞑想指導者が生まれました。
時に瞑想は、ヨガの究極の形としても指導されます。
(それが、インドの瞑想の原点です)
あなたはある瞑想法の基本を語りました。素晴らしいことです。
それによって読者は一層、その瞑想法に対する理解が深まることでしょう。
でもそこで、注意することがあります。
瞑想法の種類によって、基本は異なるからです。
あなたの瞑想法は、どういった由来の瞑想法でしょうか?
そして、その瞑想法の目的はなんでしょう?
この点をはっきりしてください。
このままでは、「私の主張は、すべての瞑想法の基本である」
と言ってるように見えてしまいますよ。
そして、「この基本を守らない瞑想法は、瞑想と言うに値しない」
とも聞こえてしう危険すらあります。
読んでる人の誤解を招かないよう、できるだけして下さいね。
(分かってますよね。でしゃばってすみませんでした。)
>>192 瞑想に対する誤解があったので、指摘させてもらいます。
(決して、プライドで反応しないでくださいね、笑)
>[瞑想]によって開花する霊能力の筆頭は、自己客観視能力です。
>自己客観視能力に、つけ込まれる隙などありません。
これは、違います。
仏陀は瞑想によって、悟りをひらきました。
その仏陀は、こう伝えています。
「瞑想中には、あらゆる低級霊、邪霊
といった者があらわれ、誘惑や妨害をした」
インドの多くの瞑想に長けたグルも、同じ証言をしています。
あなたが、
「瞑想には、邪霊が入る隙はない。」
「邪霊が入るのは、瞑想ではなく、ただの集中だ」
と解釈するのは、大きな間違えです。
本格的な瞑想には、危険が伴うのです。
だから、的確な指導者が必要なのです。
でも、簡単な瞑想なら大丈夫ですので、安心してくださいね。
(簡単と言っても、蔑ましているわけではありませんよ。
簡単な瞑想でも、生きる技になる、大変有用なことです。)
>>191 瞑想に対する誤解があったので、指摘させてもらいます。
(決して、プライドで反応しないでくださいね、笑)
>[瞑想]によって開花する霊能力の筆頭は、自己客観視能力です。
>自己客観視能力に、つけ込まれる隙などありません。
これは、違います。
仏陀は瞑想によって、悟りをひらきました。
その仏陀は、こう伝えています。
「瞑想中には、あらゆる低級霊、邪霊
といった者があらわれ、誘惑や妨害をした」
インドの多くの瞑想に長けたグルも、同じ証言をしています。
あなたが、
「瞑想には、邪霊が入る隙はない。」
「邪霊が入るのは、瞑想ではなく、ただの集中だ」
と解釈するのは、大きな間違えです。
本格的な瞑想には、危険が伴うのです。
だから、的確な指導者が必要なのです。
でも、簡単な瞑想なら大丈夫ですので、安心してくださいね。
(簡単と言っても、蔑ましているわけではありませんよ。
簡単な瞑想でも、生きる技になる、大変有用なことです。)
ミスって連続投稿になっちゃいました。
私の見苦しい文章を何回もすみませんでした。
瞑想して獲得した自己客観視能力に隙は無い、と言ってるのではないの?瞑想そのものじゃなくて
>>196へのレスだったのですね。よく読まないで書いてごめんなさい。
208 :
神も仏も名無しさん:2007/06/25(月) 17:44:08 ID:iWJgJx0+
瞑想と座禅って何が違うのですか?
>>207 紛らわしいことをしてしまい、すみませんでした。
>>208 主に、大乗仏教の禅宗で行う瞑想を、座禅と言います。
瞑想の中の一つの種類として、座禅があると
理解していただいて良いと思いますよ。
210 :
神も仏も名無しさん:2007/06/25(月) 18:45:46 ID:TtQ5gG2h
言い訳交えながら自己主張するのなら黙っていたらどうですか?
まったく、小賢しい。
>>191 物質も秩序に基づいてると思うんだけど・・・
物質が崩壊したとしてもそれは形をかえただけで、それを構成していたものは、永遠になくならない。
神だから。そして物質が成り立ったり、崩壊したりするのも神の法則・法則によって。
物質と霊をわけて話さないと霊的真理をうまく伝えられないことが多いのかも知れないが、
実際はそうじゃない。物質も神。
訂正:崩壊したりするのも神の秩序・法則によって。
物質に秩序が無かったら、物体は存在できないし
こうして神について考える事も出来ない。
PCも作れないし、2ちゃんも出来ない
逆に秩序が無いのが神
形而上学的な位置にあり、いかようにも想像できる。
216 :
213:2007/06/25(月) 19:34:43 ID:6afoipw+
>>215 >逆に秩序が無いのが神。いかようにも想像できる。
おもしろいね。確かに、神は無秩序ともいえるかも。
「永遠」という指標を用いたら、物質は無秩序
ということになるんじゃないでしょうか。
永遠という視点で見たら、形ある物質は、いずれは壊れます。
でも、霊は壊れません。
そこに、霊がより神に近いものという
意味があるんだと思います。
だから、進化する上では、体主霊従から霊主体従と
いう形をとるんじゃないでしょうか?
>>213 物質も神であるというのには、私もそう思います。
物質は壊れても、原子と言う形で、循環しますから。
秩序があるから、物質は永遠ではないんだよ
秩序がなかったら永遠かもしれない
>>218 あなたは、哲学者ですね!
哲学なら、形而上学上に色んな捉えかたができますよね。
でも、スピリチュアリズムでは、近代心霊研究を
土台にしているので、こう言う考え方をとります。
永遠=秩序がある
永遠ではない=秩序が無い
失礼
ただの屁理屈みたいになってしまったw
でも、無神論者ってわけではないんだ。
色々な意見を交し合うのは楽しいからさ
>>220 もし良ければ、無神論者ではない理由について、教えてくれませんか?
無心論者ではない理由か。
良い質問だね^^
まず俺の思う神とは、この世の法則。
この世の法則から生まれた人間は、神の一面であり
「心」は神の法則を凝縮した、神の意識。
破壊もするし、作りもする人間は、この世の法則そのもの。
神が存在しなければ、人は存在しない。
神が存在するから、人は存在する。
形而上学的な「神」と、この世の法則(神)が同義であるかは人間には測れない。
ただ、この世の法則を凝縮した「心」が神を信じるなら、神はいるのかもしれない。
>>222 回答ありがとうございます。
深い洞察ですね。さすが哲学者です!
どんなきっかけで、そういう思いを巡らせる
ようになったのか興味があります。
私は、「自分って一体何ものなの?」「この世界とは何?」と思ったのを皮切りに、
次第に「人間が一番上の知的存在っていうのはおかしいんじゃ無いか」と思うようになり、
未知への探求が始まりました。(その結果、スピリチュアリズムと出会いました)
あなたの場合は、どんな感じで未知への探求が始まったのですか?
論証をもってしても、あるいは実証をもってしても得心しない人間は、まだ当分の間、不信という名の牢の中で暮らすしかないのであろう。
いつの日か事情の変化で目覚めるよう神が計らってくださるのを祈るしかない。
真理の光に目覚める準備の整った人間が大勢いるというのに、ただ心の扉を閉じることしか知らない人間に構っている暇はないのである。
ただ心の扉を閉じることしか知らない人間に構っている暇はないのである。
>>223 興味をもったのは、ニルバーナさんと同じような感じだと思う。
宇宙はありとあらゆる物を創造し、
人間の心までつくり、宇宙の子である人もまた様々なものをつくる。
だが、宇宙の創造力は人とは比べ物にならない。
人は宇宙の智慧の一部を借りているにすぎないし、
見方を変えれば、それらも宇宙が創っているのかもしれない。
人(意識や心)を作った宇宙は、そこから新たな「何か」
例えば、物質では無い「究極的な精神」のようなものを創ろうとしているのか?
とも考えられるし、或いは無限大の可能性の中から生まれた偶然とも考えられる。
不思議な世界だと思う。
理由があると信じられなければ気が狂ってしまうだろう。
何の由も無く在り続けられるほど心は強くない。
それが魂に科せられた限界なんだろうな。
228 :
213:2007/06/26(火) 05:34:59 ID:ZrdeO7Jt
>>225 >人間に構っている暇はないのである。
でもそれが、構う人いるよね。不思議なことに。構うというか自然とね。
しかも神だとかいちいち出さない。たぶん自然と相手も自分も尊い大事なもの(神)だって、
既成の宗教、信仰からでなく、身についてるからだろうと思う。そういう人が人の心の扉をあけるんだろう。
いくらいろんな知識をもった人があれやこれややっても、人はうごかないけど
何も知らない(実はしっている)子どもの笑顔に心のわだかまりが解けて笑顔になるように。
229 :
42:2007/06/26(火) 10:47:36 ID:uw1qFD9t
>>201 >自分の知っている瞑想法こそが、「真の瞑想と言うに相応しい瞑想法である」
>と思っているのでしょうか? (すみません。そんなことは思ってませんよね。)
思ってるはずないでしょう。
私が投稿した
>>195と
>>196は、
>>197に合致します。
つまり、シルバーバーチの推奨している霊的能力開発の2段階に沿うんです。
沿うから書いているのであり、自分の方法こそが正しいと思っているから書いているのでは
ありませんよ。
思いこみと先入観を取り払って次の文を読んでみてください。
230 :
42:2007/06/26(火) 11:01:15 ID:uw1qFD9t
大霊と直結した分神は、当然ですが、様々な霊的能力を持っています。
ですから霊的能力の通路になる器官が、人の霊的身体には備えつけられています。
なのでその器官を活性化させれば、人はある程度霊的能力が使えるようになるのです。
そしてこの世には、その器官を活性化させるための方法がかなり出回っている。
これさえすれば霊的能力が使えるようになるという方法がかなり出回っている。
シルバーバーチはこれを危惧しました。だからこそ以下を話したのです。
>心霊能力を発揮するようになることが必ずしも霊的進化の程度の指標とはならない
>ということです。霊的身体のもつ能力を全部発揮しても魂そのものは少しも進化していない
>ということも有り得ます。
つまり、霊的能力を何のために発揮するかという【動機】が大切であると言っているのです。
シルバーバーチは動機について以下のように話しています。
>本当の意味で霊的に進化し始めるのは、人のために役立つ仕事を目的として、
>霊界のスピリットの協力を得ながら心霊能力を開発したときです。
人のために役立つ仕事を目的として霊界のスピリットの協力を得ながら心霊能力を開発した結果
心霊能力を使えるようになったなら、それはその人の霊的進化を促進する要素になります。
ということは、裏を返せばこうなるでしょう。
利己的な動機で心霊能力を使えるようになっても
霊的進化を促進する要素にはならない。
だからこそシルバーバーチは霊的能力の開発を2段階で行うよう薦めているのです。
231 :
神も仏も名無しさん:2007/06/26(火) 11:01:18 ID:gn2YkIM9
人間がただのバクテリアじゃない、理由が欲しいな。
こんな苦も何かの役にたっていると思いたい。その目的が進化(いいもの)
であれば、納得できるだろう。
失礼します。改名しました。
233 :
42:2007/06/26(火) 11:18:28 ID:uw1qFD9t
私は
>>173の一行目にこう書きました。
>瞑想は、自分本位の主観から抜け出すこと。
利己的な心は、自分本位の主観です。自分本位の主観の権化とも言えるでしょう。
霊的能力を使えるようになりたい。使えるようになり、霊成長を遂げた者として認知されたい。
これは利己的な動機です。自分本位の主観まさにそのものでしょう。
故に、【これがある限り霊的能力が使えるようになってもその人のためにならない】のです。
シルバーバーチもそれを知っていたから、霊的能力の開発を一段目にせず
二段目にしたというわけですね。
>>173の二行目と三行目にはこう書きました。
>これは、内なる神に近づく行為でもある。
>主観に囚われている限り、客観の源泉である内なる神には近づけないから。
自分本位の主観から離れ客観の源泉である内なる神、つまり分神に近づこうとする人は、
霊界から様々なサポートを得られます。
そのサポートに、人は必ずしも気づきません。ある程度霊的成長をしないとサポート自体を
感知することができないという面があるからです。
しかしそれでも、そのような人へは霊界からのサポートがちゃんと入ります。
なので自然に、人のために役立つことを目的とするようになる。
これ、本当ですよ。今は特にこれが強力に推進されてますね。
234 :
42:2007/06/26(火) 11:27:32 ID:uw1qFD9t
霊的身体に備わった霊能力を開花させるには、意志の[集中]が必要です。
そして意志には本人は知らずとも、必ず【動機】が含まれています。
ゆえに動機が不純である場合、【類は友を呼ぶ】の法則が働き、邪霊を引き寄せてしまう。
利己的で不純な動機に邪霊がつけこむ隙が生じるというわけですね。
だからこそ先ず始めに、利己的な動機を取り除く訓練をする。
その最初が、思いこみと先入観の除去による反省ということですね。
ニルナーバさん、改名してボーズマンさん。
あなたは、まだ知らないことが多い。
ですがそれを認めるのを、プライドが必死になって妨害しています。
>>142はそういう意味なんですよ。
235 :
42:2007/06/26(火) 11:38:43 ID:uw1qFD9t
ボーズマンさんへ
私への反論として取り上げた数々の事柄には誤解が多すぎるので
一つ一つ取り上げることはしません。
ですがそれ、そろそろ止めた方がいいですよ。
いやマジで。
落ち。
236 :
42:2007/06/26(火) 12:02:53 ID:uw1qFD9t
落ちと言ったけど読み進めたら調度いい例があったので載せときます。
あなたは
>>203でこう書いています。
>「瞑想には、邪霊が入る隙はない。」
ですがそれに対して、
>>206さんがこう言ってます。
>瞑想して獲得した自己客観視能力に隙は無い、と言ってるのではないの?
さあどちらが正しいのでしょうか。
それは、
>>196を読めば一目瞭然です。
>自己客観視能力に、つけ込まれる隙などありません。
私は206さんのいう通りのことを言っているのですよ。
しかしあなたは206さんの指摘にも関わらず、自分の理論展開の不備を
正そうとはしませんでした。
なぜなのでしょうね?
>>235で書いた「そろそろ止めた方がいい」は、それを指すんです。
己の間違いを正そうとしないあなたの行為を。
再落ち。
>>236 >206さんは>207で、
「
>>196へのレスだったのですね。よく読まないで書いてごめんなさい。」
と言ってますよ。
>>236 あなたは、私の意見(>201>202)に対して、具体的な間違いを指摘していません。
私の意見が正しいと言うことですか?
ここは、意見交換の場ですよ。自己弁護で逃げないで下さい。
具体的に、どこが間違ってるのか指摘して下さい。
そうすることにより、お互い向上しあえると思います。
>>234 もう一度、分かりやすいように書いときますね。
>あのう、瞑想の基本は思いこみや先入観を取り外すことですよ。(>195)
瞑想の基本は、瞑想法によって異なります。
だから、どの瞑想法の基本なのか、その瞑想法の目的は何なのか明記して下さい。
>ただ、霊能力を高めるための[集中]には、いま議論されているような隙が生じてきます。
>なので、瞑想と集中をはっきり区別することが重要ですね。(>196)
ブッダやその他グルは、瞑想の途中で邪霊が妨害しにきた、と言ってます。
ということは、ブッダは瞑想ではなく集中をしていたのでしょうか?
私が言いたかったのは、この2点だけです。
>>236 >
>>235で書いた「そろそろ止めた方がいい」は、それを指すんです。
>己の間違いを正そうとしないあなたの行為を。
そうですね。そろそろ止めます。
プライドと闘う旅に出ようと思います。
今まで、ありがとうございました。
最後に、42さんに謝罪します。
(
>>237-239は無視して下さい。自分のアホさに気付く前です。)
私は、自分の傲慢さに気付かず、数々の失礼きわまりないことをしてしまいました。
「自己弁護」これは正に、私がしていることです。
そして、私は、自分の考えを棚に上げ、自分を改めようとしませんでした。
これは、傲慢そのものです。さらに私は、あなたに問題が有るように
振る舞い、責任転嫁までしていました。本当に、すみませんでした。
「闘うべきプライド」これに気付かせてくれた42さんには
本当に心から感謝しています。ありがとうございました。
242 :
神も仏も名無しさん:2007/06/26(火) 14:44:55 ID:SfyjzUTH
>>240 すみません。先日「慈悲の瞑想」をご指導いただいた者です。
良くわからない者が僭越なのですが、
仮に「闘うべきプライド」というものが存在して、それに気付かれたのなら、
場を変えずにやっていくことはできないのでしょうか?
穏やかな語り口で、初心の方々に優しくご指導くださる役割は大きいと思います。
実はわたしも、「慈悲の瞑想」をていねいに教えていただいて実践しましたら、早くも
身の回りに本当に幸福な環境が展開してまいりました。ほんとうです。
どうかまたここでほかのこともお教えいただけたら嬉しいです。
243 :
42:2007/06/26(火) 16:42:24 ID:uw1qFD9t
ちょいと時間ができたので覗いてみました。
ボーズマンさんへ
>>242さんのいう通りですよ。
場は変えない方がいい。
その方が、あなたの成長に断然有利ですね。
244 :
神も仏も名無しさん:2007/06/26(火) 16:50:57 ID:gn2YkIM9
相手にプライドが高いと言って、譲歩を望むのなら、
まず、自らもプライドの高さがないかを確認したほうがいいかもですね。
そもそもこういう世界は何が正しいか?は明らかではないので、いろんな
目線があるものだとも思います。
ただ、優れているものは大切にしたいとは思いますね。
245 :
42:2007/06/26(火) 17:11:15 ID:uw1qFD9t
もう一つ。
>瞑想中には、あらゆる低級霊、邪霊といった者があらわれ、誘惑や妨害をした(
>>203)。
これについては詳しく知ってます。
私がこれについて知らないはずないでしょう、というのが正直な感想ですね。
>[瞑想]によって開花する霊能力の筆頭は、自己客観視能力です(
>>196)。
瞑想によって開花する霊能力は複数ありますが、自己客観視能力はその筆頭と言えます。
そしてその能力が一番効力を発揮してくれるのは、実は瞑想中なんです。
考えてみてください。
「瞑想中にはあらゆる低級霊、邪霊といった者があらわれ、誘惑や妨害をした」
ということを仏陀が認識できたのは何故でしょうか?
自分の心に浮かんだ様々な思いについて、「これは自分の欲望、これは低級霊や邪霊
による妨害」と仏陀が区別できたのは何故でしょうか?
そして、それらが悟りへの妨げなのだと判断できたのは何故でしょうか?
答はこれです。
仏陀は、己の自己客観視能力によってそれらに気づけた。
いかなる邪悪な存在といえども、確固たる自己客観視能力の前では真実の姿を
さらけださずにはいられません。だからこそ私はこう書いたのです。
>自己客観視能力に、つけ込まれる隙などありません。
246 :
42:2007/06/26(火) 17:16:40 ID:uw1qFD9t
>>244 ん?
あなたは、私のプライドが高いと感じているのですか?
誤解をときたいのでそう感じた箇所を教えてください。
247 :
神も仏も名無しさん:2007/06/26(火) 17:20:49 ID:gn2YkIM9
「心霊」って言葉がありますけど、心が霊を作り出す?と思うことがあります。
自分の心がその映像を創りだすというんですか?
やましいことをしてると、自分でそういう映像を創りだして
それを見て「幽霊」が出たと。なんで、「心霊」っていう言葉が出来たのか?
が知りたいです。誰かご存知ないですか?
248 :
42:2007/06/26(火) 17:26:43 ID:uw1qFD9t
>>247 >やましいことをしてると、自分でそういう映像を創りだして
>それを見て「幽霊」が出たと。
その通りです。これについては過去に何度か書いた事があります。
人の潜在意識は、自分の思いこみを視覚化して見せてしまいますから。
心霊という言葉が生まれた経緯については知りませんが、
「心は霊に属する」ことを考慮すると、心霊という言葉に不自然は無いと
私は考えます。
249 :
42:2007/06/26(火) 17:55:15 ID:uw1qFD9t
244さんは別スレに投稿してたから待ってたのですが、
時間が来てしまいました。
明日までマジ落ち。
250 :
神も仏も名無しさん:2007/06/26(火) 18:22:46 ID:SfyjzUTH
プライドそのものは悪いものとは思いません。
良い意味でのプライドはむしろ努力してでももち続けるべきではないでしょうか?
ただ、それは、高い理想のもと秘して持つものであって、
他者を攻める道具や自己保存の言い訳と化す場合は、
取り扱い厳重注意ですね。
わけのわからない者が言ってるのでどなたも傷つかないで下さい。
私個人はプライドは高い方が好きですけど。
251 :
神も仏も名無しさん:2007/06/26(火) 18:26:45 ID:SEMfI9GD
>>209 ありがとうございました。
>>247 それは私も良く思います。
たとえば霊能者があなたの後ろに不動明王が守ってるって言う場合
その人が不動明王を崇拝していていつも想像しているからそれが霊の形
になって現れているんではないかと・・・
それを霊能者は見抜いているかは大いに疑問ですね。
だからクリスチャンを霊視した時は不動明王は見えなくてマリア様が見えるとか言うんですよ。
252 :
神も仏も名無しさん:2007/06/26(火) 18:44:27 ID:gn2YkIM9
でも、不思議なのは、自分が知りもしないものを幽霊として見てしまった場合
やっぱり、自分以外の中から出た「幽霊」っていうものがいること。
出来れば、妖精を見たいのですけど、どなたか見た方います?
>>245 釈迦の逸話をそのまま受け入れるのは、ちょっと違うんじゃないか?
生まれたとたん天を指し「天上天下唯我独尊」といった話もあるしさ。
釈迦の人生は後から文書に残してる物だから脚色満載は当たり前で
それこそ、客観視すべき部分だよ。
仏教はいわゆる霊魂など、
そのような未知のものに対する基本的な立場は「無記、捨置記」としてる。
また「空」の思想などもある。
そのような思想から考えると、釈迦を誘惑する悪魔(マーラ)は、欲望などの喩えだろう。
254 :
神も仏も名無しさん:2007/06/26(火) 20:59:21 ID:gn2YkIM9
イエスは仏教を学びにインドに行ってたと、ある経典に書いてあるそうですが、
イーサーという外国から来た若者がいたと、ありました。
そこで、イエスすなわちイーサーは当時の階級社会の腐敗をなんとかしようと
奮闘し、殺されそうになっていたそう。
なるほど、イエスらしいな・・・と私は思ったのですが。
答え
「宇宙の大霊はいかなることにも特別の干渉はいたしません。
法則、大自然の摂理として働き、これからも永遠に存在し続けます。」
256 :
神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 07:49:54 ID:9PUU/gXd
>>255 スピリチュアル関連質問
「すごく干渉している大霊もいるようですよ。それとこれ(255)との関連がまったく
わからないです。というか、故意にわからなくされているような・・。特に過去の記事を
読むと混乱します。もうわからないことだらけです。でも、本当に聞きたい事には答えてもらえ
ないですし・・・。
であれば、もう、わからないとして(無記?)潔く現実をしっかり生きることに集中する
ほうが正解なのでしょうか?休暇が終わるのでしょうか?いよいよpcの蓋を閉じる時が来たのでしょうか。」
257 :
42:2007/06/27(水) 08:57:33 ID:XIwCiCTk
>>252 いわゆる妖精を見たことあるけど昨日のような対応をされると
書く気が失せる。
258 :
42:2007/06/27(水) 09:06:12 ID:XIwCiCTk
>>253 私には「天上天下唯我独尊」の方が喩え話しに思えるぞ。
瞑想中、自分の欲望の他にも様々な妨害が入ることを体験してるから、
仏陀の体験に全く疑問を感じないなあ。
ニルバーナには程遠いけどね。
259 :
42:2007/06/27(水) 09:14:21 ID:XIwCiCTk
>>254 >そこで、イエスすなわちイーサーは当時の階級社会の腐敗をなんとかしようと
>奮闘し、殺されそうになっていたそう。
そう、イエスはエジプトで勉強したのちインドへ行っている。
バラモンと衝突して追い出されたけどね。
霊能力を活性化させる修行や瞑想法をインドの行者から学ぶ人は多いけど、
シルバーバーチが推奨している方法でそれを行おうとする人へは
あまり薦められない場合がある。
イエスと衝突した人達が行っていた、危険度の高いものが
多々含まれているから。
260 :
42:2007/06/27(水) 09:21:24 ID:XIwCiCTk
>>256 >でも、本当に聞きたい事には答えてもらえないですし・・・。
@ すでに答えてるのに、理解できてないだけ。
A 答えたら、かえってその人の成長を妨害してしまう。
霊界からの働きかけを私はこれまで無数に見てきましたが、
上記の二つ以外を見たことは一度もないですね。
「答えてもらってない」という思いこみや先入観や決めつけを取り去ることが
一番の近道ですよ。
夕方まで落ち。
261 :
誰でもいいでしょ!:2007/06/27(水) 10:42:13 ID:VN+a8+OB
>>256 答えを求めるのは何者かにすがろうとする気持ちの現れですよね。
今あなたは寄る辺のない不安感を抱いておられるのだと思いますが、
宗教の教義に添い遂げることで救われる人ばかりではないのです。
ここでよく出てくる霊的真理とか霊的成長、霊性の高低という言葉に
引きずられて迷いを深めることのないようしてください。
あなたが目を開けて見ている現実の景色にかすみがかかることのないように
今あなたは肉体を持って息をして人との関わりの中で生きているのだ
ということをよく認識してください。
そしてあなたはあなた自身で道筋をつけることができる人だと思います。
262 :
神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 12:06:31 ID:1ux0vEpz
>>257 是非、聞かせてください!
どうせ、2ちゃんですし・・・信じるも八卦というところですから。
日本テーラワーダ仏教協会から引用
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi1.html ☆宗教には、現実とは違う不可思議な世界のことを扱うという、ある固定観念があります。
しかしそれで納得がいきますか。どこか怪しいと思いませんか。
もし、不可思議な世界がほんとにあるなら、堂々とそれを著書などに顕せばいい。
書物にしたところで、大体は教祖の特異な体験としての説明だけで終わりにしてしまっている。
科学的な根拠らしいものは何ひとつ示されないのです。
そのような教祖だけの体験と言ったって、
妄想概念だけのことを大仰に言っているにすぎないことかもしれません。
よく観音さまをイメージして瞑想していると、やがて観音さまが出てくるという話を聞きます。
しかし、どうしてある人には出て、全員に出ないのでしょう。
観音さまがイメージのなかに出てくるというのは、実は危険なことなのです。
わかりやすく言えば、狂おしいほどに愛している男女がいたとしましょう。
女は寝ても醒めても愛する男のことを考えつづけている、そうするとやがて夢のなかや、
現(うつつ)のなかに愛する男が出てきます。
女はますます夢中になって男にのめり込んでいきます。
実は、これは妄想現象なのです。
自分の激しい思いが執着となって夢や心のなかにイメージとして出てきているに過ぎないのです。
男女関係であればまだしも、これが観音さまとなると、妄想のなかに現れたにすぎない観音さまとは露知らず、
あたかも自分が超能力者になったかのように錯覚し、願望成就というもっとも危険な道に踏み込んでいくようなケースが結構多いのです。
新興宗教の教祖などにこういう人物が数多く見られます。
これは冥想法を誤った典型的な例証ということが言えます。
======================================
スピリチュアリズムと仏教を混同される方が多いので、参考までに。
264 :
神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 12:16:58 ID:1ux0vEpz
この間、テレビで浄土真宗の「蓮如」っていうお坊さんの生涯が放送されてましたけど、
凄い人ですね。やはり、宗派問わず、本物は力がありますね。
私はお坊さんにはなれないけど、本質を見抜く力を身につけたいとは思います。
これは、結構簡単なようで難しいです。人生経験が必要とも思えますが、
主観や個人的トラウマなどで、対象の本質を歪んで見てしまうので。
265 :
神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 12:55:36 ID:1ux0vEpz
>>263 それは、それで納得できるけど、自分の中にある固定観念とは全く別の
姿形で出てくるのは?どう説明されるんでしょう。
私は夢でそれを見て、初めて知って、調べてあとで本当のことを知って
はじめて説明がつくような夢を見たことがあるので、全てが思い込みで見せてるとは
いいがたいとも思いますよ。
>>265 >>265 これはスピリチュアリズムと仏教の違いを確認してもらうための物で
アナタの体験を否定する物ではないですよ
これは私の意見ですが
仏教側からスピリチュアルリズムの内容を引用し、説法することは無いと思います。
なぜなら、その必要が無いからです。
逆にスピリチュアリズム側から仏教やその他の宗教を引用する事が多々見受けられます。
引用するならば、その宗教が持つ思想を理解する必要があると思うのです。
断片だけ抜き取り、スピリチュアリズム的な解釈をするならば、
それは、既にスピリチュアリズムであり、仏教でも他の宗教でもないと言う事を言いたいのです。
267 :
神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 13:41:43 ID:1ux0vEpz
>>266 それなら、分かります。
既に出来当たったもの(パッケージになって完成している)をいじくりますわす
必要もないということですか?
スピリチュアリズムといっても、いろいろあるみたいですけど、正しいスピリチュアリズムと
されているものは断片だけ抜き取り、ではなく、人の信じているものの中のいいものを
認めるという感覚だと思うのですけど。
それは過去のものであっても、それが価値を見出しているものである限りは
尊重されるべきものだとは思います。ただ、時代の流れで価値を見出すどころか
足かせになっているものならば、徐々にでも改めていく柔軟さは必要だとは思います。
聖書が改ざんされていたこと、教義が歪められていたことを認めるように。
268 :
神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 23:39:47 ID:1ux0vEpz
猫を観察してると、突然、人格が変わったみたいに悪魔っぽい顔になったりします。
悪戯をすれば、イライラして怒って暴れます。
その場合、猫も憑依されてるんでしょうか?
霊的な視点で見ると、感情の変化、特に怒りは悪霊による憑依が原因っていいますけど。
そんなこと言ったら、怒り狂ったりするのは、みんな憑依ってことになってしまいます。
何か変じゃないですか?
269 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 01:19:00 ID:oK2ckWf5
>>268 怒りは、常々、最も制御したい感情のひとつです。
尊敬される人格を築くには、怒りを統御するしかないな、と思います。
怒りの感情は自分も他人も傷つけずに置きませんし、良い事はひとつもないです。
ですが、怒りにも方向性があって、他人の誤りを気付かせるためや、より多くの人々の利益を
損なわないための怒りはむしろ勇気を持って表現してゆくべきかと思います。自分を守るため、また前出
のプライドを守るための怒りは、感情が果てしなく増幅していかにも怖いものがやって来そうですね。ひょっとhしたら
動物的な怒りなのかもしれませんね。
これと反対の利己的でない怒りは激しさを装っていても内面は冷静で落ち着いたものだと思います。
わたしは感情的な怒りを克服したいので、怒りが出そうになる時は、他のことに気分をそらしたり
言葉を出さないようにして凌いでいます。また、どうしてあんなに腹が立ったのか原因を探るのも有効です。
「怒り狂う」のは、はじめは本人の制御能力の未熟さからですが
そこに憑依してくることはありそうですよね。憑依に関しては実体験がないので
他の方にお願いしたいと思います。
怒りのほかにも、あまりにも悲しんだり、喜んだりしすぎるのも、心の平静には
良くないのでは、と最近思っています。課題が多いことも楽しいですね。
270 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 02:19:40 ID:JTOi2QZJ
>>269 私はそうは思わないんです。
<怒りのほかにも、あまりにも悲しんだり、喜んだりしすぎるのも、心の平静には
<良くないのでは、と最近思っています。課題が多いことも楽しいですね。
悲しいときは、思いっきりなく。嬉しいときはおもいっきり喜ぶ。
これは、人間ならではのものだし、多くの芸術として昇華される感情です。
”悪魔は芸術を理解出来ない”という言葉がありますが、そう思います。
それがスパイスになって人生という歯車を回しているものとも思うからです。
ただ、あまりにも過剰な悲しみや喜びの感情をこびり付かせてしまうのは問題だとは思います。
ただ、大人の魂?の人にはそれを通過した上で、客観視できる余裕が出来れば
なお更、素晴らしいですよね?
極端に行けば、ポルポトみたいに、喜びなどと排除しようという偏った思想になり、
無味乾燥な生物になってしまいそうで。
死や悲しみが忌むべきものでないならば、素直に喜怒哀楽などの感情を受け入れ表現するのも
人間ならではのものだとは思います。
271 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 07:17:08 ID:oK2ckWf5
>>270 確かに芸術に昇華させることによって、過剰な喜怒哀楽も存在意味を成して来ますね。
ですが、偉大な宗教化、高僧や指導者などが、あまりにも感情的に喜ぶ姿、悲しむ姿を見た事がありませんし、
もし見たら尊敬できなくなると思います。子どものように庇護される存在、可愛がられるだけ
存在でい続けることができるのなら、素直に喜怒哀楽を自分に許したままでいれるでしょうが
いつかは、人に対し責任ある立場にならざるを得ないのであれば、十分に責任や仕事を果たせるように
喜怒哀楽の振幅を最小限にコントロールできるようになりたいと思います。そのことは、
少なくとも他人の時間や想いを奪わなくですむでしょうし、平静な心境から、他人や環境のための
建設的なアイデアや愛の想いが生まれるような気がします。
今書いたことは、現在の自分自身のあり方への反省から来ています。
272 :
42:2007/06/28(木) 08:32:07 ID:uZ4Z8x57
昨夕は都合がつきませんでした。
>>262 お?
あなたは一昨日のID:gn2YkIM9さんですか?
273 :
42:2007/06/28(木) 08:42:37 ID:uZ4Z8x57
>>263 >実は、これは妄想現象なのです。
263の状況設定では同意。
ものすご〜く前の、人類がほんの子供だった頃は霊界からの使者が
御大層な格好で出てくることはあったけど、今はまず無い。
これは裏を返せば、超有名所の複数の神さまに会いまくってると語る
霊能力者の殆どはただの妄想だということ。
少なくとも、私が関わった件ではみんなそうでした。
274 :
42:2007/06/28(木) 08:45:29 ID:uZ4Z8x57
>>267 >それは過去のものであっても、それが価値を見出しているものである限りは
>尊重されるべきものだとは思います。ただ、時代の流れで価値を見出すどころか
>足かせになっているものならば、徐々にでも改めていく柔軟さは必要だとは思います。
>聖書が改ざんされていたこと、教義が歪められていたことを認めるように。
おお、同意です!
275 :
42:2007/06/28(木) 08:59:50 ID:uZ4Z8x57
>>268 それは、心は霊の顕現の一つであるということです。
[悪い心]を[悪い霊]として説明した宗教家が多くいたということですね。
昔の人類は、自分の心という概念を今ほど持っていませんでした。
なので自分や周囲に悪影響を与えてしまう心を、宗教指導者達は
上手く表現することができませんでした。
その対応策として、[悪い心]を[悪霊]と説明したんです。
これは、宗教説話に登場する悪霊という言葉を悪心に置き換えてみると判ります。
殆どの悪霊は、自分の心に芽生えた悪心に置き換えられますから。
それと、犬や猫などの方がマイナスの霊存在に敏感ですね。
276 :
42:2007/06/28(木) 09:26:29 ID:uZ4Z8x57
>>269-271 二人の意見を統合するキーワードは、【翻弄】です。
喜怒哀楽の感情に【翻弄されているか否か】ということですね。
例えば、イエスも怒りをあらわにしたことがあります。
宗教施設のなかで貧しい人達に両替詐欺をしていた者どもへ、イエスは鞭をふるいました。
全身に怒りを燃えたぎらせ、鞭でビシビシ叩きながらその人達を追い出しました。
イエスは、さぞかし恐ろしい存在に見えたことでしょう。
しかしイエスは、怒りに翻弄されてはいませんでした。
その人達にはそのような対応が必要だったからこそそれをしたのであり、
決して怒りに我を忘れたわけではないし、怒りによる制裁を加えたわけでもない。
イエスは、心のバランスを取ったまま怒りをあらわにしたんです。
もう少し詳しく言うと、怒りの感情を心から分離させたというわけですね。
といっても、なんの手も加えてない気持ちをストレートに表現した方がいい場合も
もちろんあります。話題になってた芸術などがそうですね。
ケンカだってたまにはいいものです。四六時中だとへこみますが。
すぎたるは尚、及ばざるがごとし。
喜びなどの感情もあまりいきすぎると、やはり様々な不都合が生じてきます。
例えば、恋は盲目とか。
落ち。
277 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 11:40:18 ID:nHaGZpN+
瞑想と睡眠って効果的に何が違うのですか?
瞑想してると寝てしまう時があるのですがこれはダメですか?
278 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 12:07:38 ID:R6tJ65lU
256さん 私もこのスレでこんなに火花が飛んでいようとは・・びっくりしました。
しかし、これは霊的進化のレベルの違いかもしれません。霊に目覚めるときの入り方がそれぞれで異なるからです。
次を参考にしてみて下さい。
「神は人間各自に決して誤ることのない判断の指標、すなわち道義心というのを与えています。
・・・各人のとるべき手段を判断する力、それが自分にとって正しいことも、他人にとっては間違いであることがあります。
なぜなら、あなたとその人の霊的進化のレベルが違うからです。個々の人間が自分の動機に従って判断すればよいのです。
・・・自分ひとりになりきり、それまでの自分の霊的進化によって培われた良心の声に耳を傾ければいいのです。
・・・良心はいつも(あなたにとって)正しい判断を下しています。それは魂に宿る神の声であり、
あなたの絶対に誤ることのない判断基準です。」(シルバーバーチの霊訓)
279 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 12:09:06 ID:R6tJ65lU
256さん(続き)
また、瞑想の話しが話題になったのは、自慢話をするためではなく、
がむしゃらに「他人のために役立つように」といいましても、それで無理をしては何にもならないからです。
好意が逆に仇と成ったり、余計なおせっかいになっては意味がありませんから。
それを見極めるためにも、どうしても心の平静を取り戻すことが必要なのです。
そこから背後霊などの協力を得ながら行動に移していく、
これが神の計画に最も適った行為であると信じるからです。
それにしましても、すごいですね。
280 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 13:03:10 ID:PNspMcRS
>>279 現実の行動をするのにいちいち背後霊や神にお伺いをたてるのですか?
神に伺いをたてるって
そんなことえをする人がいるんだろうか…
まあ、いいからシルバーバーチを読みなさい
282 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 16:31:10 ID:oK2ckWf5
スピリチュアリズム関連の質問です。(大切)
ここ関係の過去ログを読んでいると、まさに「神」とみまごう方が延々と
持論を展開しておられます。読んでいて非常に心を動かされます。登場のスタイルが
42さんとそっくりですが、同一人物と考えてよろしいでしょうか。
受ける印象は少しちがっているというのが正直な感想です・・。
ほかにも紹介されている良スレの中で(2002年ごろでしょうか)
「リアル・ゴッド」なる人物も42さんと考えてよろしいのでしょうか?
「ラッパ」さんとの関係もお教えください。
わたしなりに、「神」が人々に啓示を与えてゆくシステムについて推測してみると
ひょっとして永遠の存在である「神」というが時代や人々の傾向に合わせて
次々と「ラッパ」という預言者を乗り換えて啓示を与えてておられるのかな、
そのサイクルが短いのかな、思いました。
いかがでしょうか?
今後の学びにとって大きなポイントですので是非お教えください。
283 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 16:39:20 ID:R6tJ65lU
280さん シルバーバーチの霊訓に、霊界側の事情として「私たち霊は信念と平穏の雰囲気の中において初めて人間と接触出来るのです。
恐れ、疑惑、心配、不安、こうした邪念は私ども霊界の者が人間に近づく唯一の道を閉ざしてしまいます。」
があります。我々は霊界側に合わせようと努力しているのであって、霊界側が我々に合わせるのではないという事情で、あのようなコメントをしました。
「神との対話」ではないですが、神と直接お話が出来て、「神にお伺い」が立てられたらどんなにか簡単なことだろうかと思います。
また、実感としては共時性(シンクロニシティ:ユングの言葉で「意味のある偶然の一致」のこと)が自分の行動を判断する上での手がかりとなります、
これは”則天去私”のタイトルで本を書いておられる三沢直子さんと似た体験です。今思っていたことが手にした本に書いてあったり、
今やっていたことがすぐに別の仕事に生かされたり、と妙に一致することが多くなると何かを感じるものです。
284 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 17:51:19 ID:oK2ckWf5
282です。
続けて質問です。
上での推論が正解という前提で伺います。
たとえば、「神」なる存在が、ある時代を象徴するような一定の人々を救おうとしたとします。
そして、そう言う人々が集まりやすい環境めざして「ラッパ」を立て、そこに降臨
されたとして、そこに、その一定の条件にまったくそぐわない人(仮にAさん)が紛れ込んでいたら
神の仕事の邪魔をすることにならないでしょうか?あるいは、Aさんがそこで果たす
何らかの役割があるのでしょうか?それとも、一見条件が一致していなくとも、Aさんもまた
そこで救われるべき何かを持ち合わせているのでしょうか?自分は救う側である
という大きな誤解が本当の進歩を妨げている可能性もありますか。そこでのAさんのあり方を教えて
ください。Aさんは「神」や、まわりの人の役に立ちたいと思っていると思います。
285 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 18:11:02 ID:bcYLEFVm
<シンクロニシティ:ユングの言葉で「意味のある偶然の一致」
これって、神秘的ではあるけど、全てが1つという概念でいうと、
特に、不思議なことでもないと思います。
なぜなら、みんな微妙に結びついて生きているから。
自分という固体と社会や外界とは影響しあって、存在してるから、
シンクロがあっても、全然不思議なことではないし、むしろ自然現象。
なのに、「偶然はない」と言って、相手に不必要なことでも、取り込もうとしたやり方は
霊感商法や不思議関連グッズの販売手法にも用いられているので、注意だと思います。
本当に自分はそれを必要としているのか?をきちんと考えてから自分に取り込んでいく
作業が必要だと思います。
286 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 19:16:35 ID:ohqogQkH
スピリチュアリズムでは、善悪の基準について、「その時点での善悪」
であって、普遍的な善悪ではないといったような表現をしますが。
子供である時点では、ご法度な行為も大人になれば、自らの責任において
それをすることを許されている、今の社会(成人)とも似通っていると思ったのですが。
例えば、天才音楽家などが、性に奔放なのはよく言われていることです。
一般人(才能のない、そこまでの域達していない人)は許されなくとも、
それに翻弄されず、むしろ利用できる種類の人種にとっては、それは”悪”ではなく
”善”になるんですよね?
普遍的な善悪の正確な行為の定義がない以上、互いに主張しあうのは、まさに戦いの構図しか浮かびません。
良く言えば、切磋琢磨。
子供には分からない味も大人になれば分かる味もあるように、「神」にしか分からない味もあるのか?
とも思います。それが「愛」かなとも。
人間が成長していくにしたがって、「神」の愛が分かるようになるのには、その辺の
成長段階での理解の感受性に関わっているように思えます。
287 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 19:21:51 ID:ohqogQkH
>>284 Aさんが言おうとしてるのは、一定の人を救おうとしている不公平な神がいることではなく、
みんな(人類全体)を救おうとしていると言いたいのでは?
288 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 19:55:11 ID:oK2ckWf5
>>287 284です。
もちろん、「神」は、大きな愛で人類全体を救おうとしておられると思います。
ただ、ホースで木々に水を撒くように、人間は一律ではないので、いろいろな方便を
使って、様々なレベルの方が神の意図を咀嚼できるようにしてくださっていると考えられます。
本から学ぶ方、人の話から学ぶ方、そう言う事が苦手な方、に合わせてくださいます。
それは不公平とか差別ではなく、相手に合わせた深い愛と思います。(感謝)
だからこそ、そういう神の智慧を理解し、神をお手伝いをし人を救うに当たっては十分に対象のニーズを汲める
ようになりたい、ということです。
「一定の人」という表現は下手でしたね。
人類全体の中である時代のある傾向を持った人々を一番有効な方法で上手に導くということです。
それ以外の人々には、また別のふさわしい機会があるということです。
説明が下手ですみません。
289 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 19:58:32 ID:ohqogQkH
よく宗教にありがちな「救われる」とか「救済」とかって言葉。
キリスト教でも免罪符などがあったように、イエスの十字架で人類の罪が
贖おうとした。でも、それは間違いでしょう?
救われるのも、救うのも「自分自身」だけ。
イエスだって、後にそのよう改めているし。他は救われるように手助けはしてくれても
それを受け入れて、納得して自分を救うのは自分だけ。と思います。
290 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 20:10:16 ID:ohqogQkH
「納得」するまでは、神といわれる力はいろんなもので、試練を与えたりは
するんでしょうね。
でも、それを試練と思わず我を貫く人っているんですよね?
反省なんかしない!っていう人。その人はもちろん、自分自身が神の如く振る舞い
迷いがないんですけど、そういう人に限って、回りに迷惑をかけていることが多くないですか?
これは、自分もそういう傾向があるのですが。謙虚さがないというんでしょうか?
291 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 20:14:39 ID:oK2ckWf5
究極はそうですね。
ただ、自分にも他人に何かしら貢献させてもらえるのでは、という希望は
持っていたいですね。最終的に救うのは、自分自身だとしてもね。
救えるから救うのではなく、その意志や努力や行為自体が神からのプレゼント
のような気がします。
失礼します。
292 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 21:18:58 ID:oK2ckWf5
>>290 謙虚さは、最強の防具ですよね。
自我が拡張しすぎないように、他人に迷惑をかけないように、悪く思われないように。
とても大切で欠くべからざるものですが、数々の美徳のなかで第1位の位置づけかというと
どうなのでしょう?やはり、神という最高の価値に向かう推進力が道を踏み外さないように
するガードレールの役割のような気もしますね。最初から前面に押し出すものとはちがいませんか?
また、真の謙虚さとは、神のような高い理想に比べてまだまだ!というかなり謙虚じゃないものかもしれませんよ。
推進力8割、謙虚さ2割がかっこいい!ですよ♪
293 :
神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 21:46:01 ID:ohqogQkH
多くの場合、私たちは満たされた欲求に目を向けず、与えられている幸福を大切にすることが
ありません。
親密さとは、善悪の判断をすることなく現実を分かち合い、受け入れることです。共有出来る
現実は、肉体、意見、感情の3つがあります。
私は私でいられる。あなたはあなたでいられる。私たちは私たちでいられる。
私は成長できる。あなたは成長できる。私たちは一緒に成長できる。
愛することを選ぶということは、自己を自己として、他者を他者として受け入れることを学
ぶことです。
自己や他者を尊重することを学ぶことです。
慈しみ、気づかい、あたたかさや理解を持って行動することです。
人は他者に与えている時、自らに与えているのである。
〜セオドア・ライヒ〜
294 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 09:31:20 ID:gLYlaDON
289→290と来て293だと、人格が突然変異されたとしか思えないのですが。
1時間足らずの間に気が変わった理由を教えてください。
293の内容は本当に素晴らしいですね。
295 :
42:2007/06/29(金) 10:06:49 ID:ZtuzM7yJ
>>282 ええっと、私は神として働きかけてるのではないことを最初に書いときます。
あと、私は「リアル・ゴッド」さんでも「ラッパ」さんでもありませんよ。
一番頻繁に投稿したのはここのスレですが、最初の頃は数字によるコテハンも使って
ませんでした。まさしく、ただの名無しですね。数字コテハンデビューはシルバーバーチ別スレ
の方が先だったと記憶してます。にしても、初期のここは超攻撃的だったなあ(笑)。
それと、私はしばしば他の人と間違われます。複数のスレで活動してるから当然ですね。
ここの過去スレでも他の人が私と勘違いされたことがありました。なので、私と特定するのは
難しいと思います。前スレでも数字コテハンを使わなかった時期がありましたから。
>永遠の存在である「神」という存在が時代や人々の傾向に合わせて
まさにその通りです。時代や人々の傾向に合わせた働きかけがその都度採用されます。
基本は全く変わりませんが。
>次々と「ラッパ」という預言者を乗り換えて啓示を与えてておられるのかな、
神は自身の通路になる人を絶えず探しています。なので、条件さえ揃えば
誰もが予言者のように話します。自分ではそれを自覚してないだけで。
>そのサイクルが短いのかな、思いました。
現在は、地球誕生以来最短サイクルの時代ですね。
296 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 10:28:11 ID:l471HSJE
神秘系に親和性があれば霊能力者から、病気の人には看護婦から、
権威主義者には学者からなどなど。 手を変え品を変えですね。
297 :
42:2007/06/29(金) 10:29:00 ID:ZtuzM7yJ
>>284 >Aさんは「神」や、まわりの人の役に立ちたいと思っていると思います。
う〜ん、これなんですよね・・・。
心底そう思ってるなら、その時は判らずともいつか必ず判る瞬間が来ます。
そしてそれ以降、自分の間違いを他の人のために役立てたら、過去の事などどうでもいい。
例えば、「私も前にあなたと同じ感想を持ってたけど、今は間違ってたと思ってるんだ」
なんて言われたら、相手の反応も場の雰囲気も随分変わってくるでしょう。
ですが、現実は厳しい。
言い過ぎてしまったため引っ込みがつかないだけの人。
自分のプライドを守ることを最優先にする人。
だまりこみ、何の働きかけもしない人。
そういう人達は多い。そういう人達は、実は大変なことをしてるんです。
けど心の中ではそれをちゃんと自覚しているので、実践は案外簡単ですね。
それが判らないひとより格段に。
298 :
42:2007/06/29(金) 10:32:16 ID:ZtuzM7yJ
>>288 >人類全体の中である時代のある傾向を持った人々を一番有効な方法で上手に導くということです。
>それ以外の人々には、また別のふさわしい機会があるということです。
おお、同意ですっっ!!
ただ、二行目を自分への言い訳にすると目もあてられないのですが。
299 :
42:2007/06/29(金) 10:44:45 ID:ZtuzM7yJ
>>290 大雑把に分けると三種類しかありません。
その人が間違っている場合と、
周囲が間違っている場合と、
どちらも間違ってる場合。
の三種類ですね。どちらも正しいという事もあることはありますが、
確率は圧倒的に少ないでしょう。
なので、周囲に迷惑をかけているということだけでは判断できませんね。
仏陀もイエスもある種の人達にとっては、迷惑千万極まりなかったですから。
が、謙虚はそれより遙かに難しい。
謙虚とは、己の分神に謙虚であること。
内なる声、内なる促しを謙虚に受け止め、それを行う。
これが、今も変わらない私の目標です。
300 :
42:2007/06/29(金) 10:52:43 ID:ZtuzM7yJ
>>296 その通りです。
神の通路に、職種や肩書きなんて一切関係ない。
これは裏を返せばこうなります。
職業に貴賤を見る人。
人に上下を見る人。
その人達が神の声を聴くのは
とても難しい。
これは
>>259さんの、イエスの話からも伺えますね。
落ち。
301 :
42:2007/06/29(金) 11:03:42 ID:ZtuzM7yJ
302 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 11:16:28 ID:gLYlaDON
42さんへ。
いつもながら素晴らしいご回答をありがとうございます。
でも人物が特定できないのは、大海で地図もなく放り出されたような、頼りない気持ちがしますね。
こうした場所の限界なのでしょうね。
それは297に関しても言えることで
「そういうことを聞きたかったんじゃないんだけど・・・。」というところです。
全てをディスクローズするわけにいかない環境で常に不安と欲求不満をがまんする、
というのもいづれ何かの役に立つ修行になるのでしょうか?
303 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 11:58:46 ID:4036lK1c
284さん、私は次のように思います。
「他人のために自分を役立てる」、これは「汝のごとく人を愛せよ」「汝がして欲しいことを人にも施せ」
という黄金律からきていますが、これに同調される方はみんな、目覚めた者、「神の僕」であると思います。
問題はどういう教義にめぐり合えるか、どういう教義を選択するのかです。
「実によりて木を知るべし」(マタイ7・20)とあるように。
これによって、遠回りをする方もたくさん出るようですが、地球とはそういう者たちのトレーニングセンターのようです、
邪魔者は誰一人いません、みんなが同じレッスン者です。
それから、「神の計画」といいましても我々(人類)にもたらされているのは霊界の高級神霊たちによってもたらされた計画
「霊界からの計画」のようです。我々は、その霊界の協力者であるべきだろうと思います。
また、どうやら高級神霊団にもたらされている本当の「神の計画」とはレベルが異なるようです。
直接、神から啓示を受けるためには相当な霊格が必要だろうと思われますが、
「霊界からの計画」を受けるのに果たして現代人の中にこのような霊格の高い方がおられるのかどうか、
これにはあなたの言うように私も大変に興味を持っています。
304 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 12:55:16 ID:gLYlaDON
>>303 ご指導ありがとうございます。
個人的には「神」から啓示を受ける方がたくさんいてほしいし、実際に
いらっしゃると思います。ただ、期間限定というか、人間の哀しさというか
すぐに受け取れなくなってしまうのでは?と思い、寂しいことだなと思います。
もともとの霊格もあるかも知れませんが、高さと幅と純粋さ、無我さを維持するのには
至難の業なのでしょうね。一旦「神」を味わってしまった者にとって、その喪失感はいかばかりかと
他のなによりも恐ろしく感じます。
305 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 13:43:48 ID:MHmCJbw3
>>294 293は何か答えがないかな・・と思って、ネットをしてたら、
答えみたいなピーンと来るような、偉い人の言葉があったもので・・。
そのまま、コピーしました。こういう境地になって人を見る目線の人もいるんだなと、
関心しました。みんながこういう目線だと以外と平和でいれるの?と。
でも、こういう目線でいれるときは理想状態ですよね?
多分、現実世界はもっと横暴な人がいたり、平和を乱す状況が沢山あるはず。
だから、悩んだり、いらついたり、戦ったりしてるはず。
306 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 13:57:44 ID:MHmCJbw3
293は、そういう境地に立ってる人なんでしょうね。
自分もこういう境地の時もあれば、無理!っていう時もあります。
それは理不尽に嫌がらせをされたり、意地悪をされたりすると
”あなたはあなたのままで”なんて思えなくなるからです。
私の場合は仕返しはしないけれど、どうにかして、その根性を叩き直してやる!と
つい思ってしまうので。でも、自分も根性が曲がっている時が状況によっては
あります。
たぶん293の偉人も常にそういう想いでいた・・とは言えないと思いますよ。(個人的には)
ちょっと、尊敬されたかった・・という理由で思いついたかもしれないし。
(よく、身近でも言葉と行動が違う人、沢山見てきましたから)
だから、”理想状態”はこういう目線を目指すべきかな?と思ったまでです。
307 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 14:18:42 ID:MHmCJbw3
293の目線は理想ではありますけど・・
なんていうのか、最近流行りの”君は君のままでいい”とか”自然体”みたいな
相手の状況をそのまま受け入れる姿勢は一見すばらしいようで、締りがないという
感想も持ちます。ある一定の試練と経験を積んで培った個性と何も悟らないで、
ただ思うがまま欲望のままである他人を”君は君のままでいい”などと受け入れたら
社会は混乱するし、相手の思うツボみたいな。
分を知るって言葉がありますけど、王様は王であるかわりに民衆を束ねる魅力と智慧とを兼ね備えなければならないという
負担も背負っているから、王でありえた。
民衆は庇護してくれるかわりに忠実であったり、勤勉であったりという美徳が求められた。
それは、そのまま分に当たると思うので、過去の社会は秩序を保っていた。
一旦、これが崩れると戦争になったり、混乱をした。
よく”愚民”という言葉がありますけど、芸術もそれが理解出来る民のレベル合わせて創られているというか、
過去の遺作はすばらしいものが多いです。
今のは・・言葉が悪いですけど、欲望剥き出し、まさに自然体のものが
多いような。
308 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 14:28:30 ID:MHmCJbw3
過去にネットで芸能人の”自然体”という姿勢の気持ち悪さ
というテーマというが姿勢について批判しているヶ所があって、
「なんでも、自然体というと”天下の宝刀”みたいな」という発言をされている方が
いたんです。人様の前に出るときは、最善を尽くすのが昔の芸能で
金払って見てるんだから、それなりのものを求めているのに、最近の宗教家(仙人化)
していく芸能人はこういう変な自然体が多いって意見が多かったのを覚えてます。
309 :
42:2007/06/29(金) 22:35:17 ID:ZtuzM7yJ
たまたまPCを開けたので。
>>302 >全てをディスクローズするわけにいかない環境で常に不安と欲求不満をがまんする、
>というのもいづれ何かの役に立つ修行になるのでしょうか?
大いに修行に役立ちます。
己の不安と欲求不満に負ける人へ、真実は明かされません。
たとえばそんな人は、
>>260のAに反することをしてしまいますからね。
それと、私は
>>297を「自分はAさんと同じ事をしてしまった」と
悩んでいる人のために書きました。
私も以前、似たようなことで悩んでましたから。
310 :
42:2007/06/29(金) 22:41:21 ID:ZtuzM7yJ
>>303 >「霊界からの計画」を受けるのに果たして現代人の中に
>このような霊格の高い方がおられるのかどうか
大勢いますよ。
>>300を読んでください。
人に霊格の上下を見る人も、300が当てはまります。
イエスは階級制度と戦いました。
にもかかわらず、シルバーバーチ読者には霊格によるヒエラルキーを
当然の如く受け入れている人が多い。
悲しくてなりません。
落ち。
311 :
神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 23:09:02 ID:gLYlaDON
>>310 霊格に関しては、わたしは少しちがう考えを持っています。
というのは、すべてが「原因・結果の法則」に則って運営されているなら、遠い過去から、
より多く努力した者が、より高い霊格になっているのはむしろ「公平」であると思えるからです。
神の世界は、機会は「平等」に与えられますが、各人の努力精進に応じて結果は「平等」ではなく「公平」になるしくみと
信じています。イエスの霊格が高く、あれほどの影響力を持てたのも果てしない過去からの努力の結果であり、
イエスの隣で処刑された方とは、霊格がまったく異なっていても然るべきであるわけです。
また、膨大な時間の一点を切り取ったら、現時点での上下があり、差別が存在するかのように見えますが、
永遠の視点にたてば、逆転、復活のチャンスが十分与えられているとしたら、真に平等な世界なのではないでしょうか?
こうした考え方は、人の努力を肯定するものであり、社会の発展にもつながるものと信じています。
このようなしくみを感じるにつけ、全知全能の神に感謝の心が湧いて参ります。
是非この考え方に心を開いて、ご一考いただけたら嬉しいです。
自分の経験から、身近な人(悩んでいる人)に真理を伝えると、多少なり誤解や偏見に会います。
自分が未熟なのですが、皆さんは、誤解や偏見から身を守ろうとする気持ちはもう無いのでしょうか?
血のにじむような努力はしちゃいけません
長続きしないから
長続きするような努力はしなきゃいけません
314 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 07:33:06 ID:htTQt3DX
>>312 身近の人、悩んでいる人に真理を伝えるという尊い行為をされておられるのですね。
さらに、そのことで、誤解や偏見に会っておられるとのこと、大変ですね。
身近な人、悩んでいる人、ご本人が本当に真理を必要としている時であり、
その真理が本物であり、伝えるあなたの動機、心、伝え方が正しいものであれば
必ず相手のためになると思います。そこに、みじんでも、他の動機が混じっているとしたら
すべてが台無しになってしまいますね。そこを確認して大丈夫なら、勇気を持って
悩んでいる方の一助となるべきです。
その時にあなたを守るものが、謙虚さ、常識、培ってきた信用ということでしょうか。
315 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 07:50:05 ID:wbKombSH
>>314 >真理を伝える
内容は”布教”となんら変わりはないからこれを”布教”と言ってしまうと
戸別訪問してくるエホバや手かざしと同様に捉えられてしまう。
エホバらも彼らの”真理”が本物であり、正しい動機、心、伝え方だと思っていますね。
自分たちは違うという選民意識が見え隠れしていますね。
316 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 08:04:18 ID:htTQt3DX
>>315 いいえ。
人の心はこれほどわからないものなのですね。残念です。
314では、そういった「布教」を動機にした「真理を伝える」を
否定したかったのです。悩んでいる相手のために何かしたい、というだけの
ほんものの人生を生きたいというシンプルなことです。どこかの団体のためではなく
自分の内から出る真実の想いで何か伝えたいという人も存在するとお思いに
なりませんか?
>>313 そうですね。長続きさせる事は、自分にはまだまだです。ありがとうございます。
>>314 大変、心に力を貰いました。ありがとうございます。
相手が必要としているか…という見極めが良く分からない時、まだ十分苦しむ事を必要としているのに、理解して貰える段階ではなくても、自分がその苦しみを知っていて、助かって欲しい余り(これでは相手本位になれていないですね…)押しつけていたのか?と反省します。
そして、思うのですが、自分が真理を理解するのに、どれ程深く長く苦しみ、人の言葉等あてに出来なかったか、自分で知るしかなかったかを思うと、苦しんでいる人の本当の助けになる、とは相手への相当の愛と忍耐がなければ、自分等には難しすぎる、と実感したりします。
ましてや真理を分かって貰って苦しみから救われて欲しいなんて、傲慢すぎるのでしょうか、そんな風には考えない方がいいのかなぁ…。
うさん臭く思われてしまうのは、仕方ないですよね。
自分なりに真心を込めて後悔のないよう、人と接していけたらいいと思います。
318 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 08:31:29 ID:htTQt3DX
>>317 あなたの真摯な相手を想う気持ちに頭が下がります。
その気持ちは、いわば一方通行で良しとしていれば、何も焦りや怖れはありませんね。
何かを刈り取ろうとすれば、そこから間違いが(ごめんんなさい)始まるような気がします。
「分かってもらって、救われて欲しい」・・・「もらう」、とか「欲しい」とかを捨てて
しまえば、善き事をするのも随分楽になりそうですよね。相手の幸福を願って何か
させてもらうけれど、あとは「神様の御心次第」だから、ある意味気が楽ということでしょうか。
>>318 本当にそうですね。気付かせて下さってありがとうございます。
そういえば、無意識のうちに結果を求めていました。相手が少しでも変わってくれたり、理解してくれたり、、を自分が求める気持ちがあるから、いけませんでした。
本当に気が楽になりました。よく読み返して理解したいと思います。自分にとって、とても大きな発見でした。ありがとうございました。
320 :
42:2007/06/30(土) 10:21:56 ID:19ZqDViV
>>311 >是非この考え方に心を開いて、ご一考いただけたら嬉しいです。
心も開いてますし、一考どころか何度も考えてますよ。
第一、私は努力が大好きなんです。社会の発展に繋がるという所も大賛成ですね。
なのに何故、あなたと私は意見が食い違うのでしょうか? 理由はこれです。
あなたは心の霊的成長度合いを基準にし、
私は分神の霊的対等さを基準にしている。
あなたの主張通り、人の霊的成長度合いは同一ではありません。
やはり、上下が生じています。それは私も同意見です。
己の霊成長を長年努力しつづけてきた人と全くしてこなかった人とでは、
成長度合いに天と地ほどの差が出ることに私は何の疑問も持ちません。
胸を張ってそう主張できますね。
が、それでもやはり私は確信します。
霊成長に差がでる心は、人の本質ではないのだと。
321 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 10:38:08 ID:htTQt3DX
>>320 次の2点がわかりにくいので、できましたら、解説をお願いいたします。
「私は分神の霊的対等さを基準にしている。」
「霊成長に差が出る心は、人の本質ではない。」
人間は、神によって創造されたときにその荷姿とされた、と言います。
人間の心をつくっているものは、まさに神の心と同質であり、莫大な時を経て
神に近づいていける可能性を全ての人が持っている、と信じています。
その成長度合いが、現時点で、その人の自己責任において様々なレベルを顕現していたとしても
なんの不都合も不公平感もないと思えるのですが?
322 :
42:2007/06/30(土) 10:51:47 ID:19ZqDViV
人の分神は、みな対等です。イエスの分神もあなたの分神も私の分神もみな対等です。
しかし、霊的成長度合いが隔絶しているモノがあります。それは、心です。
なのでこうなります。
霊成長の度合いに上下が生じる心に基準を設けていると、
いつしか人は、心こそが己の主になっていく。
すると、本来主であるはずの分神が、従の位置に追いやられてしまう。
主従が、入れ替わってしまうのだ。
主従が入れ替わると、分神の意志やエネルギーは心に流入しにくくなる。
すると、分神は徐々に縁遠い存在になっていく。
その縁遠さが、分神と心の意志疎通を邪魔する。
故にその人は、神の声を聴きづらくなってしまう。
分神に近づく一番の方法は、分神と似た心根で生きること。
その方が両者のギャップは少なくなる。
少なくなれば、分神と心の意志疎通は容易になる。
容易になれば、分神から様々な真理を教えてもらえるようになる。
同時に、人類を導く霊存在との意志疎通も容易になる。
故にその人は、神の声を聴きやすくなっていく。
323 :
42:2007/06/30(土) 11:02:26 ID:19ZqDViV
人の霊成長を妨害しようとする存在の常套手段に、【人の優越心を煽る】
というのがあります。
ヒトラーがその典型ですね。優秀なアーリア人は劣悪なユダヤ人を大量虐殺しても
かまわないという領域まで、人は退行させられてしまうのです。
私は半年だけですが、イギリスに住んでいたことがあります。
そこでつくづく感じたのは、イギリスは階級社会の国だということです。
今でもそうなのですから、シルバーバーチが活動していたころは
もっと強力だったのでしょう。
なのでシルバーバーチは、その人達に合わせて話しました。
階級制度が心の深くまで染み込んだ人達に合わせて話しました。
拒絶反応が出て台無しにならないよう、順を追って段階的に話しました。
故にかの本には、階級制度への厳しい見解があまり書かれていません。
権威主義の弊害が説かれた程度でしかないんです。
イギリスには、階級意識が根強く残っている。
このことが見過ごされている気がしてなりません。
>>321さんへ。
三つの投稿を読んで疑問を感じたことがあったら言ってください。
324 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 11:10:27 ID:MXORhDGX
無限の時間の中で自らの霊的成長を目指すのは大いに結構。
しかしながら、自らの成長のため、子供は親を選んで生まれてくるという方便に従い
生殖行為を行ってわざわざ苦しみの種を作り出すことは止めて欲しい。
生まれてくる子供すべてがあなた方の宗教観に染まるとは限らないのです。
325 :
42:2007/06/30(土) 11:15:50 ID:19ZqDViV
>>324 >生まれてくる子供すべてがあなた方の宗教観に染まるとは限らないのです。
同意です。
私は、子供の分神と自分の分神は対等だという考えのもと行動してます。
ま、人生経験は隔絶してるので言うべきことはきちんと言いますけどね。
ですがだからといって、子供に自分の考えを押しつけることはしません。
そのさじ加減が難しくて難しくてしょうがないのですが。
326 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 11:49:35 ID:htTQt3DX
>>323 現時点でわたしなりに納得していることを以下申し上げます
「心を主とするか、分神(?)を主とするか」についてですが、
この数十年の人生航路を渡っていくのは各人の「主体性」に任されていると思います。
「分神」というのは始めて聞いた言葉ですが、いわゆる、本人を見守り導く「守護霊」
という存在とみなして良いならば、人生の主体はあくまで自分自身にあるべきで
守護霊は必要なときに必要なアドバイスを下さる存在と位置づけています。
もちろん、心をよく統御して、霊的精神世界のインスピレーションを受けやすく
しておくことは、その方の霊的成長や幸福につながる事は言うまでもありません。
「階級制度」について、ですが、
人間は、自分の努力では変えられない「階級」「人種」「外見」「男女」その他の要因によって
その本質の上下が問われることはないと信じています。この世界では、様々な異なる役割を
与えられ、その中で成長すべくがんばっていますが、それは、死後まで持って行かれるものではなく
いかなる心で生きたかだけが死後の評価になると信じています。となると
この世での、階級、人種、外見、学歴などにとらわれない真実自由な生き方が
できますよね。自分の今ある環境に感謝し、そこにおいての向上の意欲が湧く考え方で、うれしくなります。
今何かこうした要因にとらわれている事で不幸感のある方に知っていただけたら、力強い人生を歩み
出していただけたらな、心からと思います。
自分自身がまだ学びの途上であり、真実を捜し求めている最中なのにもかかわらず、生意気な事を申しました。
327 :
42:2007/06/30(土) 12:08:31 ID:19ZqDViV
>>326 >「分神」というのは始めて聞いた言葉ですが、
そうでしょう、分神という言葉は私の造語ですからね。
ですが「聞いたことない」は、もっと奥が深いんです。
傲慢だと思われることを恐れず率直に言います。
大霊と直結した人の正真正銘の本体について説かれた本は、
殆ど存在しない。
分神については
>>66や
>>81を読んでください。守護霊とは全く違う存在なんです。
>「階級」「人種」「外見」「男女」その他の要因によって
>その本質の上下が問われることはないと信じています。
完全に同意です。地上にまだまだ残る差別要因の全ては、
【そんなモノは全然関係無いんだ】ということを人が気づくために
存在しているのだと私は考えています。
>自分自身がまだ学びの途上であり、真実を捜し求めている最中なのにもかかわらず、
>生意気な事を申しました。
うわわ、ちょっと待って待って、そんなこと考えなくていいよ!
私もまだまだひよっこだからさ。
用事があるので落ち。
一通りスレを読んだけれど、上から目線のレスばかりですね。
人の意見に、純粋さを装ったような綺麗事を被せ合っていて、見ていて気味が悪いです。
なんか不自然ですよ。
こう感じるのは、私の魂のレベルが低いからでしょうが…
329 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 14:57:31 ID:MQWwcpOC
>>328 同じく感じてます
人の振り見て我が振り直せ
どんな事にも長所がある
このスレも解釈しだいで十分価値はあります
先進国の飽食ブランドまみれで
1年間に3万人もの人が自殺してしまう悲しい国日本で
夢のようなバーチスレ
330 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 17:28:53 ID:WSEfH4tU
−罪悪感とは何ですか。
罪悪感は後から下す価値観です。
それは自分を振り返って言います。
「私はこんなことすべきではなかった。」
でも愛しい人たちよ、もしあなた方が本当に「すべきでなかった」のなら
そうはしなかったでしょう。
起きた時は、それが正しかったことに気づいて下さい。
その後であなたが今の自分だったら、
前の行為とは違ったものを選択すると思ったとき罪悪感を感じます。
でも前の行為そのものが、その理解を齎らした事に気づいてください。
すべてはそうあるべきであったのです。
331 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 17:30:19 ID:WSEfH4tU
−なぜボケというものがあるのか分かりません。
老化とは魂の祈りに対する答えです。
それはむしろ心を自由にするものです。
頭脳が頑なで支配的であればある魂はこんな風に選択します。
「私はこの肉体の生の残りを使って知性の介入しない完全性を感じてみたい」
そうして頭脳は沈黙していきます。
人によっては速やかに、人によっては緩やかに。
体は鈍くなり、口が緩んで開き、目は定まらず思考は意識の制御を超えて訪れ
また去ってゆきます。
厳重な支配を敷く知性からようやく自由になれたとき魂は天空に舞い上がることが出来ます。
332 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 17:31:09 ID:WSEfH4tU
−ニワトリとタマゴ、どっちが先ですか?
どっちでもありません。
両者は同時に創造されました。
創造の瞬間には、先とか後とかの直線的な観念はありません。
<永遠のいま>においては、創造の瞬間があるばかりです。
333 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 17:38:44 ID:WSEfH4tU
−知人が殺されました。頭ではすべては自分の選択だ、自分たちは永遠の存在だ
と分かっているのですが心には恐怖しかないような感じです。
この世のみが現実だと信じている人が体験する最も恐ろしいものの一つがカオス(偶然性)です。
カオスに基づくように見える暴力行為はあなた方が信頼を試される最大の機会です。
あなた方はだれしも、さまざまな方法で世を去ってゆく運命にあります。
あなた方の魂の選択は、それぞれ異なっています。
なぜある魂がそのようなことを引き起こすかは、あなたには分かりません。
分かるのは、それが自分にとって何を意味するかです。
殺人という行為は契約に基づいています。
それは被害者にも加害者にも、その行為に影響を受ける人達にも役立つように設計されています。
恐怖の中に入っていって、その本質を悟ってください、
顔を背けなければ、その辛さは薄れてゆくでしょう。
その感じとともに留まります。
それを何かの構造にまとめ上げようとせずに。
体験そのものでなく、あなたがまとめ上げた構造が恐怖を引き起こすのです。
そのことが必ず分かります。
334 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 17:39:46 ID:WSEfH4tU
−恐ろしい事件が降りかかったとき、どう対処したらよいですか。
そうした物事を自らに招いた人という自己規定の外に出てください。
置かれた境遇と自分を同一化したいという誘惑はあるでしょう。
その誘惑はすでに経験済みだとは思いますが境遇がその人なのではありません。
あなたの頭脳は、なぜ自分がそのような出来事を選択したのか理解できないかもしれませんが
あなたは頭脳ではないのです。魂は自らに対する約束を守ります。
帰還という約束です。
魂が知っているそのペースを信頼してください。
335 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 17:41:01 ID:WSEfH4tU
−人に年齢を訊かれたらどうすればいいでしょうか。
「わたしは生まれた事がありません」と言ってください。
あなた方はみんな、意識が生じ始めたのは子宮の中だと信じてますが誕生は単なる扉に過ぎません。
あなたという肝心な存在にはいかなる影響も及ぼしていません。
336 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 19:33:48 ID:Rk3qbDr/
よく、人格が変わると言いますが、同じ人でも境遇が変わると、ガラっと人柄が
変わってしまう人っていますよね?大抵の人間がそうだと思います。
貧乏に産まれたから、性格が貧しいのか、霊格が貧しいから、貧乏に産まれたのか?
素朴な疑問です。
337 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 20:07:34 ID:9C7sq1i0
339 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 22:26:01 ID:htTQt3DX
>>327 では、「分神」と「守護霊」は、別のものでよろしいですか?
両方とも、別の役割で存在しているのですか?そうなら、その働きと
枝から養分をより多く取り入れる方法があれば教えてください。
また、それは、心身ともにとりいれることができるのでしょうか?
さて、42君には
>>328の問いかけに答えてもらいたいところだね。
341 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 23:25:40 ID:Rk3qbDr/
霊格が高いとか低いとかは、位置の問題であって、何か特典がつくとか
待遇がいいとか、人間社会のそれではないのよね?
だから、霊格が高いと、負担も多いわけで、いいことばかりではないと思うのですが・・・
要は、力があればそれに見合った仕事が割り当てられるようで、期待するような
おいしいところはないだろうから、霊格が低いからって嘆くことではないかもしれない。
霊格が低いと言われて、ムカつくのは向上心の現れかもしれない。
342 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 23:31:49 ID:49nJ8sPU
343 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 23:33:37 ID:htTQt3DX
>>341 いいことおっしゃいますね!!(また褒めるとキモがられるかな?)
ノーブレス・オブリージュ!どこも構造はピラミッドだから、上ほど人口は少なく仕事
は大変、責任も重い。孤独。ほんと楽じゃないんですよね。わたしは上になったこと
ないんでわからないんですケド。
344 :
神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 23:51:04 ID:Rk3qbDr/
>>343 ほんとにね。上には憧れるけど、大変!だろうなとは予測がつく。
迫害されたり、磔になったり。それには強くないと・・・
イエス様なんて、光臨してくるとかいいながら、しないのは大変だから?
なんて、不信なことを思ったりしてしまうほどです。
ガクガクブルブルですよ。
排他的ですよね。
大変だからこそ価値があるんですよ
347 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 09:30:22 ID:5vjmSOJR
>>346 そんな発想だから信奉者に対して気色悪さを感じるのだろうな。
苦労そのものに価値を見出すのことは自身のためにですよね。
実践だ奉仕だと人のためを装いながら、心根は自身がより神に近いところへ
行くための手段としているのです。
348 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 10:14:19 ID:5DHUntKq
>>347 みんなで一緒に行こうとしてると思うよ。
でなきゃ、黙って一人でいくでしょ。
あなたも一緒に行きましょう。
勝手に一緒にしないでくれるか?
こういう発想が気色悪いんだよ。
350 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 10:37:00 ID:5DHUntKq
>>349 いいほうがいいからいいんじゃん?
気色は、すぐ治せないからがまんして。
あなただったら気色悪くなくできるかもね?
困難そのものというより、それを乗り越えようとする過程において魂が成長することに価値があると思います
そして、その過程を普遍化して人に伝えられたら最高です。
>>350.
君にだけは言われたくない台詞ですねw
354 :
42:2007/07/01(日) 12:00:33 ID:9MXHfvVa
>>339 >では、「分神」と「守護霊」は、別のものでよろしいですか?
これには説明が必要です。
「私は守護霊を感じることができる」と話す人に私はこれまで何人も出会ってきましたが、
真実その通り守護霊を感じていた人はかえって少なかったですね。
自分の分神を守護霊として感じている人もいれば、法則を守護霊と感じている人もいれば、
潜在意識や妄想やマイナス霊存在を守護霊と感じている人もいました。
多くの人にとって、分神は縁遠い存在です。かつ、力が隔絶している存在です。
なので己の分神と接触しても「守護霊様と接触した」と潜在意識で勝手に解釈してしまう
人は大勢います。
ただ、分神は自分の隅々まで知っており、三次元時間を超越した存在なので、
自分を一番理解して一番守ってくれる存在でもあります。故に、こうなるでしょう。
分神と守護霊は基本的に異なるが、
分神は最大最高の守護霊でもある。
355 :
42:2007/07/01(日) 12:04:41 ID:9MXHfvVa
>その働きと枝から養分をより多く取り入れる方法があれば教えてください。
これには先ず、シルバーバーチの説く魂について話さねばなりません。
このスレの
>>100に掲載されている文から単語を抽出すると、こうなるでしょう。
「魂とは神の衣」「魂とは光」「魂とは息吹」「魂とは火花」「魂とは源泉」
私もこれらに同意です。魂の有り様を的確に表現していると考えています。
さてでは
>>102に移りましょう。
@ 霊が肉体をまとえば魂は心となって活動を始めます
A 受肉後では人間の粗末な五官によって制約を受け、人間には肉体と心しか認識できません。
B 「霊的真理」に対して「魂の琴線に触れるような体験」をすると、心の中で本来の魂が目覚め
「自分達は霊である」という実感と確証を得る
この三つは非常に重要です。これから、次の三つのことが導き出されます。
@’ 心は、魂そのものではない。
A’ 受肉後、人は魂を認識できない。
B’ ある体験をしすると、魂は目覚める。
356 :
42:2007/07/01(日) 12:12:26 ID:9MXHfvVa
さあこれからです。@AB及び@’A’B’をよく読んでください。
そして、書かれている内容をイメージしてください。
すると、このようなイメージになりませんか?
心の領域のなかに魂の領域が芽生え、
徐々に広がっていく様子。
さて皆さん考えてください。心に芽生えた魂を心の中いっぱいに広げるには
どうすればよいでしょうか? 答はここにあると感じませんか?
魂による動機をもとに実践を積み重ねていけば、
魂の領域は広がり、強化されていく。
人は心の中に、幾つもの自分をもっています。
心の中には魂の自分もいれば、正反対の自分もいるでしょう。
みんなそうです。私だってそうですからね。
しかしある出来事に遭遇した時、【どの自分でもってそれに対応するか】は
人によって全く異なります。そしてそれこそが、人の霊成長を決定づけるのです。
魂の領域の自分で対応すれば霊成長を得られるが、
正反対の領域の自分で対応すれば霊成長は得られない。
実践とは、まさにこれだったんですよ。
357 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 12:18:44 ID:BXQmogOb
結局のところ、守護霊も本人を守るために、いろんな手をつくしていれば
自ずと互いが争う構図になる。でも、それは何の為の争いか?と根本的なことを
問えば、義=法則の為?となるのでしょう?
そうなると、誰かが特別に優遇され幸せになるべく創られた人間ではなくて、
平等に光が当たるように配置されてるんだと思います。
それは、歴史を見ても明らかなように、ある時代は高価な物として崇められ珍重されてきた
物が価値を無くす現象が見てとれます。
私個人は今の株式制度や通貨制度の存在や価値に疑問を感じているので、時代と共に
変化していく予感がします。
今は自分の番じゃなくても、精進し、努力し、前向きに生きていれば、
”その時”が来れば、自分が憧れている存在のようになれる。
だから、今、自分が不幸な境遇で嘆いている人がいるとしたら、今は苦渋を味わう経験が
必要な時期だからと捉えて、自分の時期を待てばいいんだと思います。
失恋の悲しさ、苦しさを知らない俳優は人の心を動かす事が出来ません。
モノのない貧しさを知らない人はモノのありがたさ、役割を感じ取ることが出来ません。
自分の周りでもエリートと呼ばれる人の貧しさを目のあたりにすると、人間はやはり
平等に創られているというような気がします。
358 :
42:2007/07/01(日) 12:21:42 ID:9MXHfvVa
では今まで書いてきたことを
>>81の図に当てはめてみましょう。
“魂の成長”や“魂を磨く”といった表現で用いられる魂という言葉は、
【心の中に芽生えた魂の領域】を指します。その領域を実践によって育てていく
ということが、“魂の成長”や“魂を磨く”ということですね。
ということはそれは、シルバーコードのこちら側で起こっている現象ということになります。
[ 分神---(シルバーコードにより接続)---心と肉体 ]の、心と肉体側の現象なんです。
さあこれで、やっとこさ質問に応えられます。
「その働きと枝から養分をより多く取り入れる方法は?」への返信はこれです。
心の中の魂の領域を育てていくことは、
シルバーコードによる繋がりを強化することに役立つ。
強化すれば、伝送できる意識とエネルギーの量を
増やすことができる。
それにより、心身共に霊成長の恩恵を得ることができる。
平たくいえば、霊的動機による実践あるのみ、ということでしょうか。
359 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 12:37:19 ID:mkbYDCnv
360 :
42:2007/07/01(日) 12:38:35 ID:9MXHfvVa
>>328 >>340 う〜ん、申し訳ないことを書かねばなりません。
私のNet活動は、かれこれ三年以上になります。
その日々の中で、私は何度も非難を受けました。
その非難への対応こそ霊的実践を文字によって表現することだと
私は考えてたので、私なりにいろいろ工夫して対応してきました。
ですが、今はもうそれをしてないんです。
文字だけでは、どうしても限界が生じてしまうからです。
ある種の人達は、Netで働きかければ働きかけるほど
マイナス因果を造ってしまいます。
だからもう、そういう人達へは何もしないことにしたんですよ。
今年の4月後半が、その最後でした。
なので、328さんと340さんへの返信はしません。
申しわけございません。
361 :
42:2007/07/01(日) 12:40:37 ID:9MXHfvVa
>>357 >人間はやはり平等に創られているというような気がします。
同意です。
ホント、人は平等に創られてますよね。
落ち。
>>42 少し前からの疑問ですが、「分神」を「類魂」とすると何か不都合が生じる
のですか?スピリチュアリズムでは、個々人の魂の上位レベルに位置する
「類魂」という概念がありますが。なぜ、造語が必要なのか首をひねります。
363 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 14:25:46 ID:BXQmogOb
音楽家でフジコ・ヘミングさんが大好きなんですが、
ベートーベンの生まれ変わりなどと言われてますが、技術のある音楽家から
言わせると、技術はそんなに凄いってわけではないようです。
まさに、技術を超えた、”何か”があれだけの音色を出しているそうです。
彼女は、波乱に富んだ人生を送っていて、音楽業界ならではの性的な誘惑も
あったそうですが、退け、自分の道を歩んでこられました。
聞く人はそういうオーラのような音色をちゃんと、聞き分けているんですね。
だから、あれだけの観客が詰め寄る。言葉では説明出来ないけど、感じる。
やっぱり、説明出来ないものは存在するなと感じます。
364 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 15:17:32 ID:sRYNV+HR
>>363 >技術を超えた、”何か”があれだけの音色を出しているそうです
技術というものを敢えて狭く解釈して摩訶不思議なものを強調しているように思います。
霊的な働きで音色の違いを出しているとでも言いたいのですか。
あまりに安易な結びつけだと思います。
365 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 15:27:37 ID:BXQmogOb
>>364 霊的なものの技術のうちっていうのが、正解かも。
今、本人も三輪さんとの対談で同じこと言ってた。
機会のような正確さではなく、指先から放出する波みたいなものと。
それは364の技術ということばの理解の定義の範囲です。人それぞれ、言葉は
同じでも若干範囲が違うからね。
自分の理解の狭さを理解しないで、突っ込むのは無知。
366 :
364:2007/07/01(日) 16:59:14 ID:sRYNV+HR
>指先から放出する波みたいなもの を霊的なものと認識しているんですね。
三輪氏との対談だからそのように思ったのではありませんか?
367 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 17:20:58 ID:BXQmogOb
>>366 そのように、思うとかの問題じゃないのよ、感じるもの。
自分は芸術を仕事にしてるけど、心のもち方で全然、作品の出来が違う。
それを技術で片付けるのは次元が違うって言うか無理。
だから、分からない人には分からないものって説明するしかない。
あえて言えば、共通の感受性がない人にはそれを感じることが出来ない。
よくスピリチュアルでいう波動の違いみたいな。
368 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 17:22:50 ID:BXQmogOb
なんでも、その理解が得たければ、その次元に自分を持っていく方法しかない。
これは自らが努力するっていう力の法則かも。
369 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 17:26:23 ID:BXQmogOb
よく俳優さんが、その役になりきるために、その人物の育った環境や嗜好を真似るという方法があるけれど、
それも一種のその次元をその人に合わせるチューニングの方法だと思う。
だから、傷つくっていう経験をしたことがない人はその人の気持ちにはなれないのと
一緒で、それを理解したければ、その人の次元に自分を持っていくしかない。
>>360を読んで思いました。
物凄く正しくて、知識として勉強になり、深い理解を得られる事に、自分は感謝しているのだけれど、何となく感じていた違和感。
人間味というか、暖かみが感じられないんですよね…。ニルナーバさんとのやりとりもしかり。
正しい事は分かるのですが…。冷たい気がしました。
それにも何らかの正しい理由がある事と思いますが。
ごめんなさい、思い出してみると、人間味や暖かみを感じた場面もありました。
ここは人と人との心の交流の場というより、高度な知識の伝達場所なんですよね。きっと。
372 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 18:43:58 ID:5DHUntKq
>>371 今のあなたの素直な心境で聞きたいことを質問してみてはいかがでしょう?
必ず誠実な暖かい回答が返ってくると思いますよ。
私達は常に選択を迫られています。
「愛」を自分の方向に使うのか、相手の方向に使うのか、思い一つですね。
「言葉」をどう使うかも難しい問題ですね。
相手を傷つけるのか幸福にするのか。選択です。
自分より強く認識の高いと思われる方にも然りですね。
なかなか十分にはできないことですが、ともにがんばってみましょう。
>>372 はい、ありがとうございます。
何度かありますが、全体的な印象として、このスレの一定レベルに達しないような、琴線に触れないような質問は、スルーされて入り込めない感じがしましたので。暖かい誠実な言葉のやりとり、忘れていただけかもしれません。
ただ、読んでいるだけでも本当に勉強になります。
仰られる通り、自分が言いたい事より、相手がどう受け取るかを優先する、想像することが、自分にはまだ出来ないようです。努力したいと思います。
374 :
364:2007/07/01(日) 20:47:58 ID:Tt0y0SD0
>>367-369 おっしゃるように、芸術的なものを鑑賞するには共感することが
要求されますね。演者の琴線に触れるにはなおさらです。
演者を形容するときに”何者かが乗り移ったかのよう”と
言うことがありますがそれまでの経験が複雑に影響しあった結果
一言では説明できない形態として表現されるのでしょう。
現実の働きとて複雑に作用しあうと一見不可思議に変容するものだと
思います。
あなたが”霊的な”と言われた点についてこのように私は考えます。
375 :
神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 21:02:40 ID:1jXi+YuK
>>374
霊的なって言葉は難しいです。微細な何かのエネルギーのような動き?
現に俳優さんは霊媒体質じゃないと才能は花開かないと、江原さんが言ってました。
多くの天才と言われてる方たちはインスピレーションを得た、なんても言ってますし、
霊道が開いてるとは、よく言われてますけど、見えないので何ともいえません。
亀レス失礼します。
>>242 温かいお気遣いありがとうございます。
お役に立てたようで、嬉しいです。
おっしゃる通り、私は「闘うべきプライド」ということに気付いたからこそ
これからもやって行くことが出来ますね。
と言うことで、これからも時々書き込ませてもらいます!
(心機一転と言うことで、名前をひらがなにしました、笑)
>>243 そうですか。
私の成長のことまで考えていただきありがとうございます。
では、これからも、迷惑をかけるかと思いますが
よろしくお願いしますね。
いろいろな事を知りすぎると、孤独になります。
378 :
神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 07:23:24 ID:AB7nHamN
>>377 「神」と言う存在は一千億年の孤独に耐えておられるのではありませんか?
「知る」ということ、つまり「認識が上がる」=「神近き存在になる」ことは、
そのまま神の「孤独」にも近づくことにほかなりません。「孤独」をかかえながら
まだ知る事の少ない「他者への愛」に徹する中に孤独を和らげる道もあるような気がします。
また、必ずやあなたの孤独と痛みを想像し、支えたいと思う人々も存在すると思います。
379 :
神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 09:22:09 ID:9KBbBYJh
そうね、サガンとかニーチェとか、他にもいろんな奇人や天才が孤独だって
言ってるね。数は少ないけど、心から信頼できる人が必ず支えてくれてるよね。
大勢の友に囲まれながら、実は憎まれてるより、1人でもいいから愛がある同士の方が
自分はいい。イエスも天才だけど、多くの人の想いに支えられているのは、
彼がたくさんの愛を持っていたからかもね。
他の天才の目とイエスの慈愛に満ちた目は全く、違うのよね。
380 :
神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 09:23:52 ID:9KBbBYJh
肖像画の目だけど。
>>378>>379 ありがとうございます。
画面メモに保存して、心の支えにしたいと思います。
嬉しいです。
382 :
神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 10:55:17 ID:ChYcK8ft
310さん”「霊界からの計画」を受けるのに果たして現代人の中にこのような霊格の高い方がおられるのかどうか”、
私は「シルバーバーチのような方」をイメージして書きました(言葉足らずでした)。
364さん「霊的な能力」については私も興味があります。
まず、人間の潜在的な能力を私なりに次のように分けて見ます。
「人間の無意識層にある過去の経験によるもの(ユング流)」
「心霊的なもの(五感の延長で透視、テレパシー、念力など)」
「霊的なのもの・・”神の愛、神の真理、神の英知、神の智慧”は霊界、物質界全てを貫く神の御心である”ことからすれば、
我々は人間のままで神の御心を悟ることが出来ると考えられ、これは”霊的真理を悟る能力”のこととします。
また、この他にも予知夢、サバイバル(死後体験)なども霊的な能力に入れます」
さて、364さん、芸術的な能力についてですが、多分、芸術家達は無意識層からの”過去に蓄積した才能”を引き出して
それを開花させているように思います、うらやましいのですが、これには天才が生じます。
心霊的な能力の獲得は、誰かがその能力を引き出せば、その人数が増えれば増えるほど共時性(集団意識)により、
全ての人間がいつの間にか獲得できるものと思われます(霊訓によれば)
霊的な能力はどうでしょうか。霊訓によれば、好ましいのは”自分ひとりだけの努力だけではなかなか向上するものではなく、
人類の連帯的な努力で向上するもの”らしのです。
さて、霊的な能力を才能ということには感心しないのですが、これには天才があるのでしょうか?
383 :
42:2007/07/02(月) 10:59:25 ID:/tdzpgLa
>>362 >少し前からの疑問ですが、「分神」を「類魂」とすると何か不都合が生じるのですか?
はい、様々な不都合が生じます。その筆頭は、【分神も差別の要素になる】
ということです。
物質社会には様々な差別があります。この世は、差別概念で溢れかえっています。
それが人の心にあまりに深く染み込んでいるため、霊について勉強しても、
人は霊的成長段階を差別の要素にしてしまいます。それについては前スレの
504と505に投稿してるので、よろしかったら読んでみてください。
心に芽生えた魂には、たしかに成長差があります。
天と地ほど隔絶した成長差があります。
なので、こう思ってしまう人は多いでしょう。
人それぞれ霊格に差があるのだから、
その上位に位置する類魂にも、
やはり霊格の差があるのだろう。
霊格によるヒエラルキーを捨て去ることに成功した人がもっともっと増えたら、
シルバーコードの向こう側について詳しく話せる人が現れるでしょう。
パプテスマのヨハネの後に、イエスが現れたように。
私には、パプテスマのヨハネの前の前くらいの話しかできませんからね。
384 :
42:2007/07/02(月) 11:05:59 ID:/tdzpgLa
>>370 >冷たい気がしました。
正直言うと、私にとってNet活動は嬉しさより滅入ることの方が多いんです。
あなたの指摘通り、冷たい対応が多いですからね。
私はもともと体育会系の熱血バカなので、本当は無礼講級に
ぶっ飛んでる方が好きなんですよ、いやホント。
だから、滅入りますね。
385 :
42:2007/07/02(月) 11:16:53 ID:/tdzpgLa
そうそう、私は伝説のバイトバーチさんとか大天国とかが
結構気に入ってたんです。
失敗を恐れてウジウジしてる人より、よっぽど性に合いますから。
Fさんとだって普通に話してたし。
なので、ぼーずまんさんもガンガン書いてください。
ま、当分
>>360の姿勢は崩れないと思いますが。
落ち。
386 :
364:2007/07/02(月) 12:28:33 ID:GICj9BJk
私は、天才や心霊的な能力や霊的な能力の区別を認識できませんので、
不可思議な力を不可知なものに軸足をおいた発想で評価する思想に
違和感を感じる次第です。
387 :
神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 12:48:35 ID:9KBbBYJh
>>386 それじゃあ、経験を積んで感受性を高めるしかないと思う。
ロボットは計算能力や情報処理の能力は人間より優れていても、感受性は
ないから。
388 :
神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 13:00:19 ID:9KBbBYJh
あ、自分もまだまだ経験が必要なので、人間やってます。
でも、嫌な人間と接すると心が荒んでくる。人に気持ちが分からないっていうのは
一種の欠陥かも。
389 :
362:2007/07/02(月) 14:29:49 ID:6jHYRcE/
>>383 42さん
回答ありがとうございます。つまり、「類魂」には差別を冗長するイメージが
あるため使いたくない、また、差別心こそ霊的成長を阻害すると考えている
ので使わない、ということですね?
でも、あちらの世界では同質の魂が引き合う法則(波長の法則)がこちらの世界
よりも強く働くらしいではないですか。そうだとすれば、法則を作られた「神」が、
その差別を容認しているとは取れませんか。もし、その差別が「神は、単なる識別を
しているだけで、貶め軽蔑している訳ではない」のであれば、それは「差別」
ではなく「区別」と言えます。
無かったことにしよう、としていませんか。人の魂の上位レベルには「分神」では
なく「類魂」があり、そのもっとずっと測り知れないレベルに「神」がいる、
ではいけませんか。わたしは「分神」という造語で、「神」を人に近い存在と位置づけ
てしまうほうが、誤解を生むように思います。
「神」についての解釈は、
>>311さんが正しいのではないかと思います。311を読んで
とてもしっくりときたのですよね・・・。神は、公平だと思いました。
390 :
神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 16:01:11 ID:ChYcK8ft
386さん、随分と厳格な方なんですね、厳格な科学者にこんな人がいました。
意識工学の猪股修二さんは「スプーン曲げ」に違和感を持ち、初めは全く信じていませんでした。
ところが、友達が目の前でそれを行い、今度は自分でもそれができるようになると、とたんに考え方を変えてしまいました。
これを説明するためにはこの世の現象は「物質とエネルギーと意識の三位一体」でなくては出来ないと。
それまでは現代物理学を研究されており、この世の現象を「物質とエネルギー」で説明しようとされたいた訳です。
しかし、「スプーン曲げ」では「意識」をそのまま物理学に取り込まないと説明が付かなくなったわけです。
彼は「意識の素粒子」を「虚数」で表せないかという発想から、電磁場理論を複素化したり、
熱力学法則の熱量の複素化などを行ったりして「意識による影のエネルギー」の概念を引き出し、
これで何とか「スプーン曲げ」を説明しようとした訳です。「スプーン曲げ」ごときにこの熱心さです。
この軸足の変化は、既存の理論を「スプーン曲げ」に合わせただけのこじ付けに過ぎませんが、
やはり違和感がおありでしょうか、この科学者の取り組みに。
391 :
神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 16:55:20 ID:AB7nHamN
>>384 ネットは匿名なだけに、より各人の「心」と「言葉」の「自己責任」、「自己管理」が求められる場ですね。
個人名が晒されている日常生活より、より成熟したマインドが必要な場であると思います。
ネットでは、因果の応報がすぐに目に見える形で出ないだけに知らず知らず罪を
深く犯しやすいとも言えましょう。
匿名の向こうに、傷つけられれば心から血を流しもする、
血の通った人間がいることをくれぐれも忘れないようにして、
その上で、自由闊達な意見交換でお互いを切磋琢磨できたら、
それこそ、神の意志に適った未来型コミュニケーションの1つの形態となるでしょうね。
それが成るか成らないか、神から現代の人間が試されている気すらいたします。
かといって堅苦しく考えず、ほんの少しの気遣いで、あとは大胆に発言してよろしいと思います。
みなさまともに、理想の場を創造していけたら嬉しいです。どんどん質問しあいましょうね!
392 :
386:2007/07/02(月) 18:10:04 ID:ZuRia3xi
>>390 ご説明にある科学者さんの軸足はぶれていないと思いますので、
全然違和感ありません。 科学者が科学的アプローチをしていますからね。
これが、”神の手による技である”などと言うようになれば異なります。
393 :
神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 22:58:53 ID:qvNlG1y8
オーラが見えるようになりたいのですがどうすればいいですか
霊は見えなくてもいいのですが・・・
>>384 長年の苦労や心中も察せず、無責任な事を言ってすみませんでした。
これからも読んで、勉強していきます。
395 :
42:2007/07/03(火) 10:20:13 ID:eNu85rb2
>>389 >「類魂」には差別を冗長するイメージがあるため使いたくない
類魂という言葉自体にそのイメージがあるのではありません。そうではなく、
霊格という概念を当然のこととして受け入れていた人は、類魂という言葉にも無意識に
格の高低を当てはめていたきらいがあるということです。私はそれを危惧しているんです。
「あの人の類魂よりこの人の類魂の方が霊格が高い」となることを。
>差別心こそ霊的成長を阻害すると考えているので使わない
はい、そうです。というか、霊界が現在最も力を入れているのが、差別心の除去です。
日本には特にそれが強くなされてますね。社会運動に留まらず、映画やドラマや歌など
にもそれは現れています。周囲を穏やかに見渡せば納得がいくでしょう。
厳しいことを書きます。前スレの504に登場したAさんの方が、505のBさんより
霊界の働きかけを察知できています。霊格という概念を持っていたが故に、
Bさんは働きかけに気づくことができなかったのです。
396 :
42:2007/07/03(火) 10:30:17 ID:eNu85rb2
>でも、あちらの世界では同質の魂が引き合う法則(波長の法則)がこちらの世界
よりも強く働くらしいではないですか
ここで言及された「あちらの世界」は、死後の世界のことですね。
シルバーコードの向こう側にいる分神は、死後の世界にはいないんですよ。
死後の世界は、前スレで書いたアンバランス霊界に相当します。
一方、分神がいるのはバランス霊界ですね。
死後の世界では、死後の世界でしか行えない修行をします。
物質世界では、物質世界でしか行えない修行をします。
つまり人の心は、二つの世界を行き来しながら修行をしているのです。
ということは、こうなりませんか?
物質世界での成長度合いは、死後の世界に持ち越される。
死後の世界での成長度合いは、物質世界に持ち越される。
死後の世界は物質世界より制約が少ないため、波長の法則はより強く働きます。
「類は友を呼ぶ」は肉体を離れた方が強力になりますね。
397 :
42:2007/07/03(火) 10:37:38 ID:eNu85rb2
>そうだとすれば、法則を作られた「神」が、その差別を容認しているとは取れませんか
差別というアンバランスが存在を許されているのは、アンバランス界だけです。
そして人の存在理由は、アンバランスをバランスに変換することです。
だからこそ人類は長い長い年月をかけ、差別を少しずつ減らしてきました。
あなたはそれを、日常で感じませんか?
差別を減らそう無くそうとする試みがどれほど多くなされているかを。
差別を煽ろう強化しようとする企みがどれほど多くなされているかを。
>もし、その差別が「神は、単なる識別をしているだけで、貶め軽蔑している訳ではない」
>のであれば、それは「差別」ではなく「区別」と言えます。
これは鋭いですね。差別は人の心次第で、区別になります。
人はみな違って当然なので、そこにはおのずと区別が生じます。
差別と区別を
>>356を用いて書くと、こうなるでしょうか。
魂の領域で人の違いに対応すれば区別になるが、
正反対の領域で人の違いに対応すれば差別になる。
398 :
42:2007/07/03(火) 10:42:48 ID:eNu85rb2
>無かったことにしよう、としていませんか。
これは意味がわかりません。どういうことでしょうか?
>人の魂の上位レベルには「分神」ではなく「類魂」があり、そのもっとずっと
>測り知れないレベルに「神」がいる、ではいけませんか。
>>100にこう書いてます。【魂とはすべての人間が身にまとっている神の衣です】
つまり魂とは神の衣であり、【神そのものではない】のですよ。
シルバーバーチが話している魂は、心の領域に芽生えたものです。
だからこそそれは、神そのものではない。
まさに神の衣、なんです。
「内なる神」「神の分身」「分神」「真我」「神我」と呼び方は様々ですが、
それらは
>>81で書いたように、神と同じ素材でできています。
まさに、神の分身なんです。
>「神」についての解釈は、
>>311さんが正しいのではないかと思います。311を読んで
>とてもしっくりときたのですよね・・・。神は、公平だと思いました。
どれを受け入れるかは、100%当人の自由です。
なのであなたは、あなたの信じることを信じてください。
399 :
42:2007/07/03(火) 10:49:01 ID:eNu85rb2
>>391 >それこそ、神の意志に適った未来型コミュニケーションの1つの形態となるでしょうね。
>それが成るか成らないか、神から現代の人間が試されている気すらいたします。
おお、同意ですーーー!!!
>>393 機会が来たら書きますね。
>>394 いいっていいって、すんだことさ。
それと、自分の素の意見をどんどん書いた方が神は喜ぶよ。
落ち。
400 :
神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 12:49:14 ID:T5rPDxMT
最近Fタソはどうしたのかな?
違うところで暴れてんのかな
401 :
神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 16:53:50 ID:LKn/wVkO
「霊格」と「差別」について質問です。
「格の高低」はあきらめてというか喜んで受け入れるのはまちがいですか?
「物質界の成長度合いは、死後の世界に持ち越される。
死後の世界での成長度合いは、物質界に持ち越される。」でしたね?
わたしが知りたかったのはまさにこのことでした。
生きている間も、死んでからも、すべての努力は無駄にならないということでよろしいですね?
では、それが、結果、グレードとなってどうしても現れてしまうのは致し方ない事ではないでしょうか?
そうでないと、結果平等(=悪平等)にならないでしょうか?
この世での「人格」として、当てはめてみると、人格の高い人もいれば、まだそうでない人もいて、本人の様々な精進
の結果なので、まわりもその差は受け入れていると思います。
そこまで到達していない人々にとっては指導を受けることができるというメリットになっていると思います。
これが、あの世で、霊になった時だけ格付けを嫌う理由が今一つ飲み込めないのですが。
霊格が高いことそのことが大切で偉い、というより、そのことで、途上の魂たちの役に立てるという視点が
重要なのではないでしょうか?それであれば、「差」というものも、すごく「善いもの」の気がします。
イエスや釈迦が否定したのも、生まれながらの動かしがたい差別的階級であって、
個人の努力で結果に差が出ることを否定したのではないように思いますが?
しかし、この考えも人間知の限界があって、
もっと神の本質を知れば、どちらでも良くなるのかもしれませんね?
402 :
神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 18:39:32 ID:4MoH5t1d
392さん 分かりました。「ニューサイエンスのパラダイム(21世紀のためのプリンキピア)」猪股修二著(技術出版)の中にこんな記述がります。
猪股氏以外の科学者はここでつまずいています。科学的な根拠がないばかりか、「単なる数式の遊び」としか思えないという非難があります。
これは「科学万能主義」への警告かも知れません。
・「電子工学にはインピーダンスという概念があって、複素数が自由に使えるんです。私は物理量をこの複素数で表わしたらどうなるかと考えた訳です。
(中略)意識というのは、複素化された物理量の虚数部分だと理解していただければ何も奇異な事はない」
・「かつて超能力論争の折、超能力の少年が折ったスプーンの質量が 3mg 欠損したという報告があり、そういうことがありうるかどうかの論争が起こったが、
この変換公式の立場からはそういうことはありえるということであり、問題の質量は“意識”に変換されたということである。(中略)読者はこの図を少し検討していただければ、
核エネルギーの根元は物質にはなく、汎心論的意識 “影の電荷”にあることがすぐわかるはずである」
・「現代物理学では、物質とエネルギーは等価だから、このことは同時に、エネルギーが“空”としての真空から創造され、
“空”として真空へ消滅しうる事を意味する。19世紀的なエネルギー保存則はかくして打破された」
私は猪俣氏の意識に対する研究には敬意を表しています。しかし、数式を「スプーン曲げ」を説明するためのこじ付けの道具にした点で、
私は軸足を変えているように思えます(実証主義に反している)。しかし、あなたは科学的アプローチとして捉えています。
403 :
392:2007/07/03(火) 21:55:20 ID:2zsB9HZz
>>402 私は軸足を変えたというより広げたように感じましたが、
猪股修二氏は論を飛ばしすぎだったのでしょうか。
関英男と袂を分かつことにもなったようですね。
仮説は仮説として自論展開する必要はあります。
数式によるアプローチがこじつけだとしても
猪股修二氏自身が「スプーン曲げ」を体験されていることが
重要だと思います。
404 :
神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 23:04:15 ID:kUmbY6Vn
いろんな科学者がいるけれど、自分の見解を変えないのは
変えたら自分の存在意義がなくなるからではないでしょうか?
本当は心の中で不思議な存在は信じていても、それをしたら、食べて行けなくなってしまう。
一般の私たちはそういう意味では自由で、今日信じてたことも明日変えられる
柔軟さが持て、いい身分だなと思いました。
405 :
42:2007/07/04(水) 09:59:35 ID:NO7nmfr/
>>401 >生きている間も、死んでからも、すべての努力は無駄にならないということでよろしいですね?
その通りです。無駄になりません。
>では、それが、結果、グレードとなってどうしても現れてしまうのは致し方ない事ではないでしょうか?
>そうでないと、結果平等(=悪平等)にならないでしょうか?
その通りです。天と地ほどの差が出ると私は何度も書いてますよ。
>この世での「人格」として、当てはめてみると、人格の高い人もいれば、まだそうでない人もいて、
>本人の様々な精進の結果なので、まわりもその差は受け入れていると思います。
>そこまで到達していない人々にとっては指導を受けることができるというメリットになっていると
>思います。
人格もあてになりませんが、霊格はもっとあてになりません。
誰かの霊格を判断することは、もの凄く難解なことだからです。
例えばイエスは霊格が高いと言われてますが、磔刑で殺されちゃいましたよ?
イエスの死を望んでいた群衆に、イエスの霊格の高さは判りませんでした。
むしろ群衆はイエスを、神を騙る大悪人として考えていたのではありませんか?
406 :
42:2007/07/04(水) 10:11:38 ID:NO7nmfr/
以前私は寝泊まり用のリアカーを引きながら全国を徒歩で伝道しているクリスチャン
について書いたことがあります。その人はとても強力な霊力と、楽しい愛すべき人柄の
持ち主でした。しかし普通に見れば、その人はホームレスにしか見えません。
さあ、皆さんに自信はありますか?
見ただけで、その人の霊的成長度合いを判断する自信が。
その人と話せば判ると思う人はいるでしょう。接すれば感じられると考える人はいるでしょう。
が、その人が所属している教会の人達の殆ど全員は、全くその人を理解できてませんでした。
ただの変人として顔をしかめる人さえいました。
それでも自信はありますか?
誰かの霊格を的確に判断する自信が。
その気持ちのまま、自分に問いかけてください。
自分は本当に相手の霊格を見抜いていたのだろうか、と。
人に優しく己に厳しく。
人の霊格なんてそうそう判断できるものではない。
なので人には、公平に愛をもって接していこう。
が、己の至らなさは十分承知している。
なので己の至らなさには、厳しく接していこう。
このような人が、果たしてどれだけいるでしょうか?
407 :
42:2007/07/04(水) 10:16:37 ID:NO7nmfr/
>これが、あの世で、霊になった時だけ格付けを嫌う理由が今一つ飲み込めないのですが。
そうではありません。むしろ、この世の話を私はしています。
>霊格が高いことそのことが大切で偉い、というより、そのことで、途上の魂たちの役に立てるという視点が
>重要なのではないでしょうか?それであれば、「差」というものも、すごく「善いもの」の気がします。
>イエスや釈迦が否定したのも、生まれながらの動かしがたい差別的階級であって、
>個人の努力で結果に差が出ることを否定したのではないように思いますが?
その通りです。
だからこそ霊界は、差別ではなく区別へと人類を導こうとしている。
そして多くの人が、その働きかけを無意識に感じ取っている。同調し、実践している。
周囲を見渡せば、それは幾らでも見つけられます。
ただ当人達がそれに気づいていないだけで。
>しかし、この考えも人間知の限界があって、もっと神の本質を知れば、
>どちらでも良くなるのかもしれませんね?
霊格なんて意識しないのが当然になれば、霊格なんてどうでもよくなります。
どうでもよくない人が猛烈に反発しているだけですね。
落ち。
408 :
神も仏も名無しさん:2007/07/04(水) 11:30:35 ID:MAEhnJXD
42さんが、いわゆる、負け犬的結果悪平等主義者だったらどうしよう・・・と
心配しましたが、真意がわかって安心しました。
まあ神の世界は、実は結果保障の世界らしいですが、わたしのような未熟な魂には
方便として秘密にしておいてもらうのがほんとうは教育的と思いますね。にこにこ
Q 邪魔をしている低級霊を向上の道へ導くという方法もあるのではないでしょうか?
A おっしゃる通りです。そこまで考える霊能者は滅多にいないのですが、実はそれこそが大切な責務でもあるのです。
410 :
神も仏も名無しさん:2007/07/04(水) 12:33:48 ID:ok4rS+f4
403さん
>不可思議な力を不可知なものに軸足をおいた発想で評価する思想に違和感を感じる次第です。
>猪股修二氏自身が「スプーン曲げ」を体験されていることが重要だと思います。
やっと分かりました。経験を重んじる方であることが。霊的な現象を体験されると我々のことが理解できる訳ですね。
ところで参考までに、ここで複素数の計算をして見ましょう。(思う浮かべた数)=(数)+(意識)i で表すことにします。
iは虚数単位です。
たとえば、1*1=1 という計算を次のようにしてみます。
1を思い浮かべてください、それを本人は複素数で(数)+(意識)i を使って1+0.5i のように思い浮かべたとします、
次にもう一つ1を思い浮かべてください、それを今度は 1―0.4i のように思い浮かべたとします。
その2つの複素数を掛けてください。すると答えは、1.2+0.1i となりこれが本人の心の中の1*1の答えとなります。
意識が入ると気ままなことが起こりますが、この点が科学として承知できるかどうかです。
411 :
神も仏も名無しさん:2007/07/04(水) 12:41:25 ID:ok4rS+f4
シルバーバーチの霊訓にこんなのがあります。
質問「唯物主義者や無神論者は死後の世界でどんな目に遭うのでしょうか」
答え「宗教家とか信心深い人は霊的に程度が高いという考え方が、人間を永いあいだ迷わせて来たようです。
実際には必ずしもそうとは言えないのです。ある宗教の熱烈な信者になったからといって、それだけで霊的に向上する訳ではありません。
”大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それがすべてのカギです”。
祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い“選ばれし者”の一人になったと信じている人よりも、唯物論者や無神論者、合理主義者、不可知論者といった、
宗教とは無縁の人の方が遙かに霊格が高いというケースがいくらでもあるのです。
“問題は何を信じるかではなく、これまで何を為してきたかです”。そうでないと神の公正が根本から崩れます。」(霊訓1,P171)
神は”決して選ばれし者”のみをエコヒイキしませんし、たとえ霊訓を知っていてもそれだけでその人を優遇するようなこともしません、
すべては日常の実践で決まるようです。
412 :
392:2007/07/04(水) 15:04:49 ID:CbVdawUK
>>410 科学は可能性を排除するものではないと思います。
>霊的な現象を体験されると我々のことが理解できる訳ですね。
また、心霊?現象や霊?現象を体験したとしても、
不可思議という言葉の上での接点しかなく、
どう理解したらいいのか分かりません。
413 :
神も仏も名無しさん:2007/07/05(木) 01:00:47 ID:SU4cpSpm
<“問題は何を信じるかではなく、これまで何を為してきたかです”。
真理を探してきた・・と思うのですが、いつも他人に裏切られます。
そのたびに真理ってなんぞや?と思うことしばし。
”情けは人の為ならず”っていう言葉が”情けは人の為にならない”とまで
誤った解釈になってしまっているのは、人間がそれだけ堕落してるって証拠ですよね?
自分はそういう裏切りを他人には味合わせたくないので、なるべく期待には答えようと
心がけてます。何かしてもらったら、”ありがとう”とか、あいさつはなるべくするとか、
でも、社会が荒んでいるのか、ありがとうって言っても、凄い顔で無視されたり、
あいさつしてもしかとをする人が多く、原因は何だろう?と思います。
でも、神は信じているので、もう少し長い時間が必要なんだなとは思ってます。
もしかして、死後の世界で明らかにされるのかとも期待してますが、こればっかりは
死んでみないと分からないので、怖いです。
414 :
神も仏も名無しさん:2007/07/05(木) 08:30:28 ID:cyPDrNME
「何を信じるかではなく、これまでに何を成してきたかです。」
自分の中になにか価値基準を欲しがるのが人間の常です。正しくは生きたいんだけど
何を持って正しいとするか、がわからないと、思考、言葉、行為を決定して
行けません。何かを信じたうえで、何を成すか、が決まる、その順序のような
気がします。いかがでしょうか?
また、信じるものを決める作業は困難を極めますね。確証はどこにもないのですから。
415 :
42:2007/07/05(木) 10:05:41 ID:0VCPd0IE
>>408 >方便として秘密にしておいてもらうのがほんとうは教育的と思いますね
う〜ん、そうもいかないんですよ。聖書にあるでしょ、「古い天と地が過ぎ去る」って。
今地上にいる人類には、もうあまり時間が残されてないんです。
あっでも、2012年のアセション系のことをいっているのではありません。
個人的には、あの人達の主張通りのことが起こるとは考えてませんから。
理由はもう一つあります。
それは、霊格に固執するあまり霊界からの働きかけに気づけない人が多すぎることです。
去年の11月に上映された「手紙」という映画を見た人はいるでしょうか?
あの映画に出会った多くの人が思ったでしょう、犯罪者の家族を差別するのは止めようと。
けれども、前スレの505に登場したBさんを地で行く人の心には、素直に届かなかったと
思うんです。因果応報などの知識があれば、尚更ですね。
容姿や肩書きなどを最重視していると、人の本質を見誤ります。
全く同様に、あやふやな根拠で勝手に判断した霊格を最重視していると、
霊の本質を見誤ってしまうのです。
416 :
42:2007/07/05(木) 10:19:01 ID:0VCPd0IE
調度良い機会なので、神と直結した分神について書きます。
イメージしてください。
自我を持った超が100個ほどつくスーパーコンピューターが自然豊かな無人の惑星に
降り立ったとします。名前を、超百スパコンとしましょう(センスなさすぎ)。
超百スパコンはこう考えました。自分のいるこの世界をもっと知りたい、と。
なので超百は、自分に似せた小型コンピューターを無数に造り、常時直結状態にして
世界に放ちました。その子達の名前はコン子としましょう(・・・もう謝るしかないですね)。
コン子はスペックこそ比較になりませんが、超百と同じ設計理論と材料によって造られた、
自我を持つスパコンです。またコン子達は、自由意志と個性を持つ存在でもあります。
なのでコン子達は、自分達の興味が湧く地域を思い思いに探検していきました。
自己修復機能付きの小型ボディーを活かし、未知の領域にどんどん分け入っていきました。
そのお陰で超百は、世界を隅々まで知ることができました。
私が分神の説明に「直結」という単語を使えるのは、コンピューターのお陰です。
現代人にはイメージしやすいでしょう。大昔の人にはチト難しいでしょうが。
イメージしてください。
巨大な光が空間に浮かんでいます。
その周囲を、光の線によって直結された小さな小さな光の分身が取り囲んでいます。
その光景は遠くから見ると、タンポポの綿毛のように見えるかもしれません。
それは、こうも見えないでしょうか?
光が光の衣をまとっている、と。
神と直結した同一素材を持つ分神も、「神の衣」として表現されることがあります。
それは、こういう意味だったのです。
417 :
42:2007/07/05(木) 10:26:41 ID:0VCPd0IE
>>413 >こればっかりは死んでみないと分からないので、怖いです。
恐がる必要はないですよ。人にはちゃんとサポートが入りますから。
それにノンレム睡眠中はしっかり理解しているので、
無意識であっても人は正しい道を歩くことができます。
なので、恐れず自分の信じる道を歩いてください。
落ち。
418 :
神も仏も名無しさん:2007/07/05(木) 11:56:49 ID:FPzZkDIs
412>さん「不可思議という言葉の上での接点しかなく、どう理解したらいいのか分かりません。」
肩の力を抜いて、リラックスしましょう。時には伊勢神宮などを参拝するのもいいらいいのです。(私は伊勢神宮を参拝したことはないので他人の経験を載せるしかないのですが申し訳ありません。)
「則天去私という生き方」の著者である三沢直子さんは伊勢神宮(天照大御神を祭る)の参拝経験を綴っておられますが、参拝中は何故か「涙が出てとまらなかった」そうです。
参拝は、まず外宮をお参りし、そこから5キロ離れた内宮をお参りするのが正式のようです。初めに鳥居をくぐって外宮に入り豊受大神宮(正殿)を参るらしいのですが、
正宮の門を通って正殿に来ると次の門には御帳が掛かっていてその中を覗くことはできないようです、ところが運が良ければ御帳が風で揺れて中が伺えることもあるらしいのです。
次ぎに内宮に向かい、内宮に入って皇大神宮(正殿)を参るようです。
さて、「運が良ければ御帳が風で揺れて中が伺えることもある」、このことに関して神職である宮司さんに伺うと
「だってそうでなければおかしいでしょ。やっぱり、神様も相手によっては対応を変えなければ、かえって不公平に成るんじゃないですか。
だから相手によっては御帳を開けることくらいはなさるんですよ」という回答を頂いたとか。
神様が対応を変える部分はいただけませんが、このくらいのんびりとやりませんか。
419 :
神も仏も名無しさん:2007/07/05(木) 12:15:28 ID:FPzZkDIs
413さん 何かの参考にしてください。私も目指していることなのですが・・
霊訓に次のようなものがあります。
「我々は信条にはさしてこだわりません。・・・行為を重視します。・・・何を為してきたかを問います。
なぜなら、人間の性格は行為と習性と気質によって形成され、それが霊性を決定づけていくものと理解しています。
・・・それ故に我々は言葉よりも行いに、口先の告白よりも普段の業績に目を向けるのです。」
「好感を覚える人を愛するのは易しいことです。そこには徳性も神聖さもありません。
好感を持てない人を愛すること・・・これが魂の霊格の高さを示します。あなたに憎しみを抱いている人のもとに赴くこと、
あなたの気に喰わぬ人のために手を差し伸べること、・・・敵を愛すること、これは実に難しいことです。最高の徳は愛他的です。
愛すべきだから愛する、愛こそ神の摂理を成就することであることを知るが故に愛する、これです。」
「愛の最高の表現は己を思わず、報酬を求めず、温かさすら伴わずに、全ての者を愛することができることです、
その段階に至った時は神の働きと同じです、なぜなら自我を完全に滅却しているからです」
420 :
392:2007/07/05(木) 15:36:41 ID:JcwVNfqS
>>418-419 分からないことを分からないと言っていることが理解できないようですね。
心霊現象や霊現象のお話をしているのかと思えば、いつのまにか
信仰のお話にすりかわっていますね。 巷のカルトと呼ばれる宗教は
このような勧誘方法をとります。愛などという、どうとでも解釈できるものを
しきりに唱える様も同様です。 私はあなたに気色悪さを感じます。
421 :
神も仏も名無しさん:2007/07/05(木) 16:48:56 ID:FPzZkDIs
420さん 「則天去私という生き方」の著者である三沢直子さんは宗教の本ではないのでが、まあ、お暇なときに読んでみてください。
私はどう思われてもいいのですが、あなたを宗教に勧誘する気持ちはありません、私は宗教には関係していないと思います。(冠婚葬祭以外は)
420>「巷のカルトと呼ばれる宗教はこのような勧誘方法をとります。愛などという、どうとでも解釈できるものを
しきりに唱える様も同様です。」
どこかの宗教団体に勧誘されたようですね、私にもその経験はあります、幹部と称する方にひどく罵倒されたこともあります。
どうやら迷惑のようですね、落ちます。
>>420 >私はあなたに気色悪さを感じます。
酷いこと言いますね((((;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
いくら、自分がそう感じようとも、他に言い方があるのではないのでしょうか。
相手の方がどう感じるのか、もう少し想像力を働かせて書き込む必要があると思いますよ。
423 :
神も仏も名無しさん:2007/07/05(木) 23:23:55 ID:/hGE68FP
>>422 精神的中立を侵すものへの嫌悪感からなのですが、
善意に解釈すれば相手の好意を踏みにじる酷い言い方でした。
反省いたします。
>>420 >不可思議な力を不可知なものに軸足をおいた発想で評価する思想>386
あなたが察しているように、これには、本当に気をつけなければならないですね。
不可思議な現象を、安易に「霊的」だとか判断するのは危険です。
悪意のある自称霊能者に、つけ込まれるスキが生じます。
しかし、スピリチュアリズムはそんなスキのある思想ではありません。
スピリチュアリズムの土台は、熱心な探求者や科学者たちに
よって築かれた、確固たるものです。この点を誤解しないで下さい。
スピリチュアリズムの発展は正に、不可思議な現象との戦いでした。
いかにして、心霊現象と呼ばれる不可思議な現象をとらえるか、
このことに、多くの天才的な科学者が取り組みました。
(例えば、ノーベル賞受賞者のフランスのリシェ博士など)
そして、科学的、懐疑的なアプローチにより、多くのエセ霊能者による、
エセ心霊現象の真相を明らかにしました。心霊現象は実際にありましたが、
エセ心霊現象も数多くあったのです。エセ心霊現象を排除してこそ、
スピリチュアリズムの思想が成り立つことができるのです。
ですから、スピリチュアリズムを知るには、多少は勉強が必要になってきます。
正しい心霊知識の上に、スピリチュアリズムを置かなければならないからです。
>>423 分かっていただいて、良かったです。
それにしても、凄い自己分析能力ですね!
426 :
42:2007/07/06(金) 09:19:19 ID:jOUAMdAu
今日はとっかかりが無いなあ。
落ち。
428 :
神も仏も名無しさん:2007/07/06(金) 12:59:58 ID:4Wsjc0D8
>>427 ありがとうございます。
フォックス姉妹については偽者とみなしているサイトもあり
この見解は大変参考になりました。
429 :
神も仏も名無しさん:2007/07/06(金) 13:47:55 ID:0X1oNA/8
422さん もし、私のことであれば、有難うございます。
423さん いいのですよ。ただ、412さんと413さんは全く別の人かと思い、コメントをしました。
ですから、418と419のコメントは全く別の人へのつもりでした。
ただ、私がひどくショックを受けたのは、あなたが「愛などという、どうとでも解釈できるものをしきりに唱える様も同様です」これなんです。
私はこの「どうとでも取れる愛」を、レターメンの「ラブ」をヒントにして次のように思っていました。
シルバーバーチの霊訓(2)に「愛」とは、
「全生命の極致であり、全生命の基本であり、全生命の根源でありところの愛は、
より一層の表現を求めて人間の一人ひとりを通して地上に流れ込みます」とあります。
私は、この意味を、
「もし、愛が肉体に向けられればそれはエロスの愛と言われる。
もし、愛が自分の心に向けられればそれは自己愛といわれる
もし、愛が他人の心に向けられればそては隣人愛といわれる
もし、愛が全人類に向けられればそれは純愛といわれる
もし、愛が知恵に向けられればそれは知識愛といわれる、これは創造力でもある
もし、愛が悲しみに向けれられればそれは慈悲、慈愛といわれる
もし、愛が喜びに向けられればそれは幸福といわれる
もし、愛が神に向けられればそれは至福といわれる
もし、愛が苦しみに向けられればそれは試練といわれる
・・・・ 」
と解釈していたのです。しかし、これを期にもっと深く「愛」について捉えなくてはならないという衝動にかられました。
このスレに対して何も回答をなされなくてもいいのです。少しばかり、休ませてください。
430 :
神も仏も名無しさん:2007/07/06(金) 14:32:33 ID:z7zf0y2n
「愛」っていう言葉の広さは1人1人で感じ方が違うように、いろんな愛がありますよね?
愛があればこそ、エロスは感じないという人もいれば、エロスがなければ愛を感じないという人もいる。
なぜにこんなに感じ方が違うのか?といつも思います。
同じ、人間の形をしていても、動植物のそれが違う様な範囲の広さでの違いを感じるからです。
イエスの愛は美しくて崇高で高貴なものと感じます。私自身も本当に愛している人とは
SEXなくても、抱き合うだけで幸せを感じます。猫なんかも愛しいほど、抱きしめるだけで充分です。
でも、ある人は動物の、それも下等動物のように交尾ばかりに意識を向けていて、
まったく同じ生物とは思えないです。それが、進化の過程の現れと言われれば、
そうかとも取れますが、ただの個性と言ってしまえばそれまでです。
スピリチュアリズムでの愛は最も高尚な愛だと思います。
431 :
329:2007/07/06(金) 15:47:37 ID:YrL74lH4
>>429 >>413は私ではありません。しかしながら、レスの流れから心霊現象などを
霊界うんぬんの証明とお考えのように読めましたので
>>418-419として
あなた自身への反論としてしました。
愛と言う言葉は、あなたの引用にもあるように定義が煩雑です。
ですから単に愛という言葉が使われるときにはいか様にも利用されます。
432 :
神も仏も名無しさん:2007/07/06(金) 15:54:22 ID:4Wsjc0D8
愛は神なのだから無限です。
ゆえに有限なる言語で言い表すことは出来ません。
433 :
329:2007/07/06(金) 16:59:43 ID:YrL74lH4
>>432 ですから、人間が神の愛を謳うことは誤りです。まやかしです。
434 :
神も仏も名無しさん:2007/07/06(金) 17:37:23 ID:z7zf0y2n
そもそも「神」の意味の広さもいろいろですよね?
貧乏神・女神・福の神。同じ神様でも、特徴や性質が全く違う。
レオナルド・ダビンチやアインシュタインや松下幸之助はもう、人間界には転生してこなくて
もいい卒業生だと聞いたのですが、レオナルド・ダビンチは美術の神様、
アインシュタインは科学の神様、松下幸之助は経営の神様といった風にそれぞれの分野で
真理と分野を合体させ、極めた人は神様と呼ばれているような気がします。
魂が成長すると個性が際だってくるとここのスレでどなたかがおっしゃってましたが、
成長とはそういうことなんでしょうか?
でも、アインシュタインは原爆投下で多くの命を犠牲にした負も起こしたわけで、
イエスも愛ゆえの戦いも起こした。結局は神々の世界でも切磋琢磨=戦いの繰り返しなんでしょうか?
>>433 >ですから、人間が神の愛を謳うことは誤りです。まやかしです。
>432さんの短い説明を読むと、そう言えるかもしれませんね。
しかし、愛は人間が持つ一種の表現方法ですから、当然それを表現することは
誤りでも、まやかしでもないと思います。
「神=愛」なのではなく、神性の一つの表現として愛があります。
有限なる言語で、神を完全に言い表すということは出来ませんが、
愛はそうではありません。神よりはもっとマシに表現できます。
そういう点から、>432さんと私では、ちょっと違う意見なのかもしれません。
でも多分、言い回しが違うだけだと思いますけど。
(もちろんですが、スピリチュアリズムで言う愛は、利他愛のことです。
恋愛や、エロスを含む愛のことではではありません。)
ちょっと、話はかわります。>329さんは>392さんですよね?
拝見すると、あなたは、このスレでは無条件で肯定してるわけでもなく、
頭ごなしに否定しているわけでもありませんね。正直言って、尊敬です。
私など無意識に、自分個人に有利なことに偏重しがちです。
(逆に、「霊」と聞くと、とたんに耳を塞ぐ人もいますが。笑)
あなたのような、理性を働かした中立かつ公平な立場こそ、
スピリチュアリズムに(というか学問や科学にも)本当に必要な姿勢だと思いますよ!
436 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 01:25:05 ID:BjE5Om9D
でも、利他って100人いれば、その分の利他の価値っていうのがあると思う。
崇高な利他が他の人にとっては迷惑なことも多い。
結局は、厳しい愛の実践が崇高な利他=スピリチュアルの目指す利他だと理解してるので、
向上っていう意味では上へ向かう為の利他であると理解してよろしいでしょうか?
それには、人それぞれというものではなく、基準は必要だと思いますが、その動機や価値をそれぞれの
分神に求めてるんですよね?
臓器移植の需要も必要性から求められる分野であり、臓器を提供する人は
純粋な人類愛だとか利他の動機からではなく、「お金の為だけ」だと思います。
このような動機づけが価値を生み出す今の社会だからこそ、高級霊からの働きかけがあると
思いますが、この世の中の流れは早くそれを制御するのは大変なことだと思います。
厳しい愛かぁ…
そうですね
438 :
42:2007/07/07(土) 09:26:29 ID:eC1rrUzN
>>434 >魂が成長すると個性が際だってくるとここのスレでどなたかがおっしゃってましたが、
>成長とはそういうことなんでしょうか?
分神の個性と心の個性は必ずしも一致しません。
ただ、分神に近づくことを成長と定義するなら、成長すればするほど
分神の個性が際立ってくることは確かです。
また、今生での役目を個性と解釈する場合も多々ありますね。
439 :
42:2007/07/07(土) 09:32:15 ID:eC1rrUzN
>結局は神々の世界でも切磋琢磨=戦いの繰り返しなんでしょうか?(
>>434)
私は人々を戦わせるためにやってきた、とイエスは言いました。
これには二通りの意味があります。
一つは、自分自身との闘い。
もう一つは文字通り、他の人との戦いです。
二つ目には説明が必要でしょう。それは、こういう意味ですね。
物質主体を改め霊主体の人生を歩もうとする人を、
社会は引き戻そうとする。
なのでその人は、社会と霊的な戦いをせねばならない。
物質的戦いではなく、霊的戦いを。
“戦い”という言葉を目にすると私達は無意識に、物質的な戦いを想像してします。
それが、宗教戦争の原因ですね。
イエスの戦いのクライマックスは、十字架を背負って磔刑を受ける場面です。
真にイエスは、自らを手本とされた方でした。
440 :
42:2007/07/07(土) 09:47:55 ID:eC1rrUzN
>>436 >結局は、厳しい愛の実践が崇高な利他=スピリチュアルの目指す利他だと理解してるので
「子育ては、優しさ厳しさ織りまぜて」は、スピリチュアリズムに適います。
>その動機や価値をそれぞれの分神に求めてるんですよね?
分神に求めますが、それをどのように表現するかは心の成長度合いにかかっています。
成熟した心の持ち主は、やはり表現が絶妙ですね。
人生を精一杯生きたお年寄りの到達する慈愛のように。
優れた芸術家の偉大な作品のように。
>純粋な人類愛だとか利他の動機からではなく、「お金の為だけ」だと思います。
さあ、純粋な愛のための人もいると思いますよ。
落ち。
441 :
42:2007/07/07(土) 11:10:53 ID:eC1rrUzN
書き忘れたのでもう少し。
己の心にも優しさは必要です。
肉体を酷使しすぎると肉体は壊れるように、心を酷使しすぎると、
心が壊れてしまうからです。
とはいえ人はただでさえ己の心に甘すぎなので注意が必要ですね。
[己の心への優しさ = 逃げ]ではなく、[己の心への優しさ = 休息]
とすれば間違いは少ないと思います。
睡眠をとるから行動できる。
余暇を楽しむから仕事に打ち込める。
だらだらするからシャキンとなれる。
こんなとこでしょうか。
442 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 11:25:47 ID:RUD/VAhd
>>441 自然にまかせていると、つい自分に甘い選択をしています。
現状の1割り増しを目指していけば間違いが少ないような気がします。
何を持って休息とするかは、各人で異なるでしょうけれど。
ただ、エネルギーの大きさと表現の量と質の違いから他人の迷惑にならないよう
自戒したいと思います。なににつけ難しくて、またそれが楽しいですね。
443 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 13:20:35 ID:r4dh79ZT
>>424 >スピリチュアリズムの土台は、熱心な探求者や科学者たちに
よって築かれた、確固たるものです。
このスレでも何度か指摘されていますが、未だに世間では
色物扱いされるのは何故でしょうね?
>>443 心霊研究の成果は、信じようとする者にとっては、確固たる証拠となりますが、
信じようとしない人には、あいまいさが残るものです。
ですから、ある程度、霊的なことに目覚めないと、
色物のように見えてしまうのは仕方が無いと思います。
余談ですが、最近の日本におけるスピリチュアルブームなどは、霊的なことが少しずつ
世間で受け入られて来ている、と見ることもできるのではないでしょうか?
あと、アメリカでは、ニューエイジブームもありました。
これによって、今までの唯物主義よりも、霊的なものに関心が集まるようになりました。
ブラジルなどでは、スピリティズムの信仰者も数万人いるようです。
さらに、ほとんどの発展途上国では、唯物主義に陥ることなく生活が行われています。
現在の人類の歩みは、良い調子で進んでると思いますよ!
(私が言うのもなんですが)
445 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 16:04:23 ID:BjE5Om9D
>>42 <私は人々を戦わせるためにやってきた、とイエスは言いました。
そう、その言葉。確か・・・
「私は平和をもたらすらめに来たと人々は言うが、そうではなく、
剣をもたらすために、やってきた」みたいな言葉があったと記憶します。
その言葉を見たときに、ビッビッと来るものがありました。
これは、確かにイエスなる人物の言葉だな・・と、直感で。
それって、聖書のどこに書かれていましたっけ?
記憶にあっても、細かくは覚えていないので、どなたか知っていたら教えてください。
446 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 16:23:52 ID:BjE5Om9D
戦い=良くないことっていうイメージが人間にはありますけど、
実際は善と悪の戦い、肉と霊の戦いなど、切磋琢磨の良い側面もありますよね?
他人と戦うと軋轢にもなるけれど、自分の中でも戦いはしょっちゅう起きてます。
細胞同士の戦い。健康でいれるのは、善玉菌のかげ。
キーワードは善玉菌。
447 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 16:37:55 ID:BjE5Om9D
スピリチュアリズムのバランス重視の思想は人間にとって
ありがたいものみたいに思うところがあるけれど、肉体を酷使すれば
磨耗するなんていうのは、機械でも明らかな事実で、あまりそれを重視しすぎると
人間も単にロボット=機械のような存在になってしまいませんか?
私はイエスの死も無駄ではなかったし、他の人たちの目的ゆえの磨耗なども
人間の天使性みたいな情熱を感じて好きです。
細く長くより、自分の使命の為に命さえも投げ打った偉人達の人生に感動させられます。
448 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 19:06:14 ID:4moIqrWq
>>444 唯物主義ハンターーーイ、ですか? 二極化した思考しかできないのですか?
>>447 >イエスの死も無駄ではなかったし、他の人たちの目的ゆえの磨耗なども
人間の天使性みたいな情熱を感じて好きです。
バンザーイバンザーイ、と戦地へ兵士を送り出していた戦時の日本人の発想も
似たようなものだったのでしょうね。機会があればまた戦争に突入するでしょうね。
449 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 19:11:10 ID:BjE5Om9D
>>448 そうですよ。あなたのように戦いが好きな動物です。
というよりかは、戦わないと生きて行けない生物です。生物全体がそのような性質の上に成り立っている。
そして、448さんみたな人はそういう考えを過激だ極端だと言って非難し
攻撃するんです。そして、自分だけは戦わずして命を得ようとする。
もっとも狡猾で卑しいタイプですね。
450 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 19:24:14 ID:BjE5Om9D
理想主義の弱点は現実では何も出来ないというところです。
空理空論、空の上での夢想です。
<二極化した思考しかできないのですか?
現実にそれを持ってきて実現するには、エネルギーが必要です。
エネルギーは力です。力の凝縮です。力になった段階では何らかの極端の
終局があるはずです。それは中間ではなくどちらかに偏っているはず。
だから、戦争というエネルギーに変えないためには、怒りや不満といった
エネルギーを内面的な次元で消化する必要があるわけです。
<バンザーイバンザーイ、と戦地へ兵士を送り出していた戦時の日本人の発想も
<似たようなものだったのでしょうね。機会があればまた戦争に突入するでしょうね。
それはそうですか?必要があればそうなるでそうが、今の時代はそういう大げさな目に見える戦争ではなく
私の周り、あなたの周りでも起きているはずです。自殺しようがいじめがあろうが見て見ぬふりの殺戮です。
弱者は弱いゆえに因果だから、ほっておけ・・というような殺戮も戦争のうちではないですか?
この言葉から、何を連想し想像するかはあなたの責任です。誰も戦争賛成などと言ってないうちに
そのような結果を出すのでしょうから、まずはあなたの考えを変えたほうがいいでしょう。
私が言ったのは、世の中で力を得て、活動してる人は命のことをチマチマと考えている次元の人ではないと
言いたかっただけです。
451 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 20:04:59 ID:4moIqrWq
>命のことをチマチマ ですか・・・
452 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 20:48:02 ID:RUD/VAhd
「命の事をチマチマ」・・・
というと、命を惜しん出し惜しみしている感じですが、
もしその方が、社会や人々に大きな責任を持つ方であればある程、できるだけ長く
活動を続けて頂きたいものです。そうであれば、蛮勇のように、何が何でも120%の
力を常に出し切って
働き続けてパッタリ倒れた、ということになるより、70%〜
80%の力の出し方でも、長く一線で活躍していただきたいものです。
人の健康や体力は魔法とは違って、実際に限界があるものですので、
智慧ある調節が大切であると思います。
日ごろ活躍される方であればあるほど、周囲も、思いやりと応援の気持ちで、
その方の休息を見守ってあげられたらと思います。
イエス様も、あれほど一気に燃焼しつくすタイプでなかったら、もっともっと長く
当時の人々にお話を聞かせていただけたのかもしれませんね。
453 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 23:14:31 ID:BjE5Om9D
>>452 「命を得ようとするものは、失い。」
という言葉が確か聖書にはあったと思うのですが、
たぶんそれは、命やエネルギーの性質を説いたのではないかとさえ思います。
命のことを顧みないという精神が命を得るというような。
芸術でも、すばらしいものを創ろう!人を驚かせてやろう!などという魂胆では
神はその真意を読み、それをあえて与えてはくれないものです。
とフジコ・ヘミングさんも言ってました。
イエス様にしても、短いからこそ命を得たというか、人間らしく美しいまま
人の心に姿を刻んだのだと思います。私からすれば、長生きして世俗の欲望にまみれていく
イエスを見たくはないです。ただ、短命であれば美しいか?と言えばそうではないとは思いますが、
美しいものはこの世とは馴染みの薄い性質に思えてなりません。
私など、なんだかんだ言って、健康のことを考え長生きしてしまいそうで恐ろしいです。
短命に憧れます。
454 :
神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 23:32:35 ID:1JwD/lsX
「しょうがない」発言の大臣のような無神経発言が続きますねぇ。
455 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 00:41:12 ID:d7bGOIcv
>>454 久間さんの発言を「神目線」と言いたいのでしょうか?
私も市民の立場から見れば、そのように思います。
ああ、これが反感を買う「上から目線」のことか・・と。
高級霊とか神が言うことって、この目線なんですよね・・・。
だから反感を買う。
でも、どうすればいいのでしょう?事実、戦う人は目の前で身内が殺されそうになっている現実に対処する
ゆえに敵を殺すんですよ。だから、私はそういう人には敬意を払うし、
だからこそ命を大切に思うという感情が出てくるんです。
454さんのような人は目の前で大切な人が被害にあっても、理想ばっかりもしくは
お祈りばっかりで、何もしない人なんだろうな・・とは思いました。
過去を消化するにあたり、理不尽な出来事を「しょうがなかったんだ」と納得うるのは
普通の人では良くあること。それが立場がある人は言ってはいけないとは理解しますが・・。
456 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 00:44:28 ID:d7bGOIcv
事実、祈りがどれだけ効果があるかを証明するのは
目の前で殺人犯が攻撃する場面で祈って止めてみたら?どうなるか?ってことです。
祈りが通用するのは脳内か、霊のように目の見えないエネルギーに対してでしょう?
457 :
454:2007/07/08(日) 01:12:16 ID:R8FApbK4
>>455 言葉を適切に使わないと真意は伝わりませんよ。
あなたがどういう立場であってもです。
458 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 01:25:16 ID:d7bGOIcv
>>457 伝わらなくても結構です。分かる人にはわかります。
どうせ、揚げ足取りな人はどんな言葉を使っても揚げ足とりが趣味です。
私は言葉が乱暴でも、真意を汲み取る人もいると思うので、言霊だとか、
小さな言葉の違いに拘る人には興味もないです。
いるんですよ、自分の周りにもいい見本が。
言葉は優しく丁寧で柔らかくても、人に対して冷酷な人種が。
それと対に言葉は乱暴でも人に対しては愛ある対応をする人が。
459 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 01:41:17 ID:Sf3We575
>>456 あらためて「祈り」とは何かを考えてみました。
祈りこそ、神との対話ですね。それは、こちら側の意志を無理にでも遂げるための
手段ではなさそうです。神と同質に創られている真実の自己の部分を磨きだして
神と同通させる作業かもしれません。神の計り知れないワザを思うと、今ここに
存在して学ぶ事をゆるされていること、それを支えるあらゆる環境を与えられて
いることへの感謝がまずありますね。神への希望を祈るとしたら、自分の成そうとして
いることが、神の意志にかないますように、ということでしょうか?祈りは聞き届け
られなくとも、それが神の答えなのでしょう。神との関係は、非常に受身の
ような気がいたします。
461 :
42:2007/07/08(日) 09:50:57 ID:Ai7iP8C5
>>442 >なににつけ難しくて、またそれが楽しいですね。
おお、楽しいっす!
462 :
42:2007/07/08(日) 09:54:47 ID:Ai7iP8C5
>>445 >それって、聖書のどこに書かれていましたっけ?
マタイ伝第10章の最後ですね。
463 :
42:2007/07/08(日) 09:59:14 ID:Ai7iP8C5
>>452 >イエス様も、あれほど一気に燃焼しつくすタイプでなかったら、もっともっと長く
>当時の人々にお話を聞かせていただけたのかもしれませんね。
“ここ一番”という局面があります。
それに出くわしたら、120%どころか全てをかけた方が
かえってそれを乗り越えやすいですよ。
あと、イエスは復活後も様々な活動をしました。
大々的に行わなかっただけで。
464 :
42:2007/07/08(日) 10:16:30 ID:Ai7iP8C5
>>453 >私など、なんだかんだ言って、健康のことを考え長生きしてしまいそうで恐ろしいです。
>短命に憧れます。
う〜んこれは難しい。人それぞれですから。
それに
>>463で書いたように、全てをかける局面もありますし。
私事ですが書かせてください。
私はもともと、体が弱かったんです。
でもそのお陰で、心身を健康に保つ方法に興味を覚えることができました。
その甲斐あって健康になれたので、弱い体に産まれたことを今では感謝しています。
そして感謝はもう一つあるんです。それは、周囲の人々の健康に協力できることです。
やはりみんなに健康でいてもらいたいですから。
あなたが愛する人の健康を願うように、
あなたの健康を願う人は必ずいます。
健康で長生きしてください。
465 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 10:28:26 ID:Sf3We575
>>453 確かに、短命で散る中に潔い美しさが感じられることも多々ありますね。
しかし、私は、この世といえども、神の創造された世界であるという視点を常に
持って生きていたいと思います。この世の事物全てに神の臨在を感じることが
できるなら、現実に見聞きするものすべてが、実は美しさを内在していることを
感じることが出来ます。道行く老人、犬、外国人、空、雲、街路樹、雑草、鳥、果ては
車、道路・・・・。そのような心境の時、この世の世界が輝きを放っています。
幸福、というのはこのことではないか、と思うほどです。せっかくこの世にいるのですから
この世も無駄にしないで、感謝し、味わい、学びつくす姿勢でもよろしいかと思います。
いずれ全員があの世にいくのは確かなのですから。
466 :
42:2007/07/08(日) 10:30:40 ID:Ai7iP8C5
>>458 人に優しく己に厳しく、です。
言葉には様々な意味があります。更に、人によって言葉の使い方は大きく異なります。
なので言葉から相手の真意をくみ取ることは、とてもとても難しい作業なのです。
ということは、こうなりませんか?
言葉から相手の真意をくみ取ることはとても難しいから、
相手の言葉に惑わされないようにしよう。
そしてこれを、己にも当てはめるのです。
自分の真意を言葉によって伝えることはとても難しいから、
言葉の使用には十分注意しよう。
それにその方が、自分の気持ちを相手に伝える能力は
磨かれるはずだから。
467 :
42:2007/07/08(日) 10:35:30 ID:Ai7iP8C5
>>459 >神との関係は、非常に受身のような気がいたします。
おおっっ、私のNet活動で最大級の同意です!!!
>>465もまた素晴らしい。
すみません、落ちます。
>>455-458 会話がかみ合ってないですね。
別に454さんは久間さんの発言を「神目線」と言いたいわけじゃないと思いますよ。
議論をするならまず「その発言がどういう風に無神経だったと思ったのですか?」と聞かないと始まりません。
>>454の発言だけで「久間さんの発言は神目線だ」と読み取るのは不可能でしょう。
自身の勝手な思い込みで相手の人間性を推し量るのは慎むべきだと思いますよ。
>>455の9、10行目を見てそう感じました。
469 :
454:2007/07/08(日) 17:00:42 ID:zKljflrq
>>468 プラネットアースで見せてくれるような冷徹な生命の原理を
人間にも当てはめて考えると夢も希望もなくなります。
愛の結晶だとか言って子供を作る人を見るとやはり動物なんだなと
思います。
日本にあっては戦後60年、国家の名のもとで直接殺し合いを
しなくてもすみました。この時代の日本に生まれて幸運だったと
思います。国家の名の下にまた殺し合いが行われる時までには
この世にいないことを望んでいます。
470 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 17:43:56 ID:d7bGOIcv
私は愛ゆえに子供は産みません。
子育てを最大の修行みたいに言う人もいるけれど、そんなの動物だってやってます。
人間だったら、それ以外でも修行は出来るはず。
471 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 17:48:21 ID:d7bGOIcv
カリスマ獣医の名前は忘れましたが、(高級車を乗るのが趣味な)
動物を観察し勉強した結果、子供を創らないと決めたそうです。
なぜなら、人間は子供を産むと自分の子供以外目に入らなくなり、その子の為なら
どんなことをもする”動物”に成り下がってしまうそうです。
なので、SEXはするけれど、子供は創らないと言ってました。
私もそう思いました。これは、もちろん人それぞれの考えがあります。
472 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 18:27:53 ID:Pbui1ucY
>>470 単に子供を作りたくないだけでしょうか?
女性は孤独が苦手な人が多いので子供を作りだがりますね。
孤独を克服するも修行ですよ。女性にとってはこっちの方が難しいかも。
473 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 18:29:17 ID:Sf3We575
>>469-471 「子供を産む事について」考えてみました。
ある考え方が正しいかどうかは、その考え方が、国全体、さらには、全人類に
広がった時にそれでも正しいかどうかが一つの目安と聞いたことがあります。
子どもを持たない選択をしたのが、自分ひとりの場合は良くても、そういう人が増えて
いったら、どうなるのか?社会が機能しなくなるでしょうし、人類絶滅の危機ですね。
となると、子供を生み、育てるのは、権利と義務で考えたら、義務に当たるのかも
しれませんね。人生の喜びという権利は享受するけれども、義務は果たさないということが
どこまで許されるのか・・・。許されるのであれば、子育ては、本当に回避したい項目
の一つですけど・・・。
また、「その子のためならなんでもする」無償の愛は、本当にそのほかの場面でも体験できるのか
は疑問の余地ありですね。赤の他人にも、本当の無償の愛を施す練習になるのかもしれませんし。
神の創られた世界に無駄はない、ということですので、人類が営々と営んできた子育てによって
学ぶことがとても大きいのだと思います。
474 :
K:2007/07/08(日) 19:31:11 ID:6h1W5nE+
ここに書き込みをするのは滅多にしないですし、ひとさまのご意見にあれこれいうのは、
最近はしないようにしておりますので、自分なりの「子供」についての意見を、
なんかしらんが書き込みたくなったので、すこし・・・ご容赦を。
※誰かを説得するとか、諭すとか、そのようなことではありません。
○自分が子供をもつまでは、子供は嫌いだったけれども、自分が子供を持ってみて、
初めてこどもというのは、とっても可愛く、護ってあげねばならない存在と気づいた。
○自分の子供だけではなく、人様の子供も、とっても可愛く、大切な存在と思えるようになった。
○世界の悲惨な状況下に置かれた子供たちを救うために活動しているNGOに、それまでも
募金をしてはいたが、より強いモチベーションをもって、募金に協力できるようになった。
自分の子供が病気になったのに医者にかかれない、飢えて苦しんでいる、親を失って泣いている、
ストリートチルドレンとなって、悲惨な境涯におかれている、人身売買の対象となる・・
等々、世界の悲惨な子供たちの状況を、自分の子供に置き換えて想像すると、募金に対する
強い意欲がわいてくるようになった・・・
○地球の美しい自然を、子供の代、孫の代、さらに次の世代に残したいと、一層、強くおもうようになった。
募金くらいしかできない自分がもどかしい。が、身の程というものもある。
○親のありがたさを実感するようになった。「親の気持ち 子知らず」というようなことわざ
があったとおもいますが、仕方ないとおもう。
自分が受けた親の恩は、自分の子供に返すものとおもっている。そして、自分の子供は、その子供たちに返す・・・
そうして、うまく成り立っていくのかな?と・・・
とりとめありませんし、スピ的意見でもなんでもない、勝手な書き込みです。
どうもすいませんでした。
475 :
454:2007/07/08(日) 20:15:06 ID:cbgUESut
>>473 子供を作ることが義務ですか。何故人類が絶滅してはいけないのですか?
地球の環境の安定を考えたらむしろ人類はいない方がいいとさえ思いますが。
>>474 あなたが抱くような感情が社会の倫理や道徳の基本になっていると思いますし、
社会通念ともなっていると思います。
476 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 20:33:10 ID:d7bGOIcv
474さんのような、親ばかりだったら、どんなに世界はいい社会になったでしょう。
私が見る限りでは、そのような親ばかりではありません。
感情にまかせ子供を作りストレスのはけ口にする親、援助交際でお金を稼がせる親、など。
私は子供は嫌いではないし、声や姿は本当に天使みたいだな・・と思い、思わず
微笑み返したりすると向こうも可愛い顔でにっこり微笑み返してきます。
動物や子供には好かれるので、挨拶がわりにじゃれ寄ってくるのですが、その様子を見て、
子供を取られるとでも思ったのか?凄い怖い顔で子供をもぎ取って行く親がほとんどです。
子供がよそ様へ迷惑な行為をしても、しらんぷりだし。
私たちの親の代から比べると、とんでもない親ばかりですよ。
人間を産むのが義務っていうのは違うと思います。あくまでも欲しい人が産む、
そういう社会が理想です。他の産まない人はいい社会を築くべく協力する。
カルガモだって、子供を持たない♀は他のカモの手伝いをして共有してますし、
その様子は微笑ましいほどです。
みんながみんな子供を産んだら、ねずみ算式に増殖していって、少ししかない価値あるものを
奪いあうのが目に見えています。ただでさえ、人間が多すぎるというのに・・。
477 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 20:39:00 ID:d7bGOIcv
<人生の喜びという権利は享受するけれども、義務は果たさないということが
<どこまで許されるのか・・・。許されるのであれば、子育ては、本当に回避したい項目
<の一つですけど・・・。
人生の喜びなんて、ほとんど感じませんよ。だから、あえて探す努力をしてます。
子供を持って、何の疑問も持たない人がどれだけ幸せそうに見えるか?
やっぱり、人間は動物であればあるほど、楽しいんだろうな・・とは思います。
<また、「その子のためならなんでもする」無償の愛は、本当にそのほかの場面でも体験できるのか
<は疑問の余地ありですね。
どう、学ぼうがそんなのは人間の脳内の活動で自然から見たら、ただの汚染物質かもしれませんよ。
募金も人間が作った制度です。そんなもの他から見れば、ただの生物活動。
何かすればするほど、汚染しているような気さえします。
そのままじっとしてれば、いいのに・・みたいな。
479 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 20:53:18 ID:Sf3We575
>>475 「社会通念」、あるいは「社会の倫理、道徳」からすると、「人類はいない方がいいと
思う」という考えかたは出てきにくい気がします。
人間の修行の環境である、地球のために人類がいない方が良いというのは極論ではないでしょうか?
人間は科学の発達によって環境を破壊しても来ましたが、一方、豊かで便利な生活環境を創造して来ました。
今、本心から石器時代の生活に戻りたい方はおられないのではないか、と思います。
ここで忘れてはならないのは、人間にはまだ無限の可能性がある、地球環境と科学文明、
および精神生活の両立を必ず実現する時が来ると信じて、人類ひとりひとりができる努力を
して行くことではないでしょうか?要は、まだ「途上」であって、結論を出してしまうのは
まだ早いということです。公園やデパートで、むずかる子供を気長に優しく諭しているお母さんを
見かけます。人類の親である神も、人間の可能性の方に期待を込めて、慈愛の目で待っていて下さると信じます。
どうか、人類がいない方がいいなどとおっしゃらずに、
地球や環境との共存を模索する道を選んで行きましょう。
お願いします。
480 :
K:2007/07/08(日) 21:02:56 ID:6h1W5nE+
>>479 ああ・・素晴らしいご意見です〜
って、つい、横レス&書き込みしてしまつた・・・でも・・しびれた・・・
今後もみなさまのご意見、勉強させていただきます。
ありがとうございました。
481 :
454:2007/07/08(日) 21:22:13 ID:GcmGOSqk
>>479 信仰のすばらしさですね。めまいがして言葉を失いそうになりました。
あなたのいう可能性という希望を叶えるために人身御供をするのですね。
482 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 21:22:54 ID:d7bGOIcv
>>479 人類はいないほがいいなんては思ってはいませんよ。
ただ、ここでもバランスが必要だと思います。みんなが物質的に幸せになれないのは
限りあるものを奪いあうからなんです。でも、みんなが質素な穀物だけのもので
生活すれば、足りる・・という考えもありますが、豊かさという価値がある限り、
そんなことは絶対になりえない。誰かが沢山持ち、誰か飢える。そして、その飢えを見て
優越感に浸るのも人間です。
環境技術が進んで、人間の数が落ち着いて、バランス良く保たれれば、平和な世界が訪れるでしょうね。
でも、悪意や悪魔や悪霊がいるんですから、難しい。
自分の子供がいれば、いい生活をして幸せになって欲しいと思うので、
うちの親なんて、お金はそんなになくても・・なんて奇麗事言ったかと思えば、
手のひらを返したように、急にセレブなご子息と自分の子供を比べたりするし・・
人間って頭で理想を語っても、本能では皆より・・と思うみたいで・・
そんな様子を見て、いろいろ学びました。
483 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 21:30:37 ID:d7bGOIcv
>>478 わぁ〜ほんとに可愛い!!
こんなカルガモがいるんですね!カルガモの株が上がりました!!
見習います。
484 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 21:54:04 ID:Sf3We575
>>481 「人身御供」という発想はありません。
>>483 そのカルガモちゃんみたいな人が増えたらいいんですよね!
百聞は一見にしかず。
素晴らしい映像をありがとうございました。
それでは。
485 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 22:35:04 ID:d7bGOIcv
いっそのことカルガモに生まれてくればよかった・・・
可愛いし、ふわふわしてるし・・・
>>479 「途上なのだから、結論を出すのはまだ早い。
途上の人間として、一人ひとり歩んでいこう。」
と受け取りました。
勇気を得ました。ありがとうございました。
>>481 「人身御供」(ひとみごくう)という言葉を知りませんでした。
知る機会を下さって感謝してます。生け贄のことですね。
ってことは、そのレスは皮肉だったんですか...( ゚д゚)
>>485 >いっそのことカルガモに生まれてくればよかった・・・
さすがに、それは言い過ぎでは...(笑
あなたも私も、この人間という肉体をまとっていますね。
それは、自らを向上させるべく、自ら望んで、この肉体を選んだからです。
しかし、肉体をまとうには資格がいります。それに耐えられる魂であるかどうかです。
資格が無い故に、望んでも肉体をまとえない魂もいます。
ありがたいことに、あなたも私も、その資格を持っていました。
だから、こうやって、煩悩と闘いながら、喜怒哀楽しながら、心を磨くことができるんです。
自分が人間であるということは感謝すべきことなんですよ。
(と言っても、苦しみの中で感謝するのは、簡単にはできませんが)
でも、可愛くて、ふわふわしていることには憧れますよね。
私はバードウォッチングが趣味と言うこともあるので、気持ち凄く分かりますよ(笑
487 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 23:35:18 ID:Sf3We575
>>485 あの・・・、カルガモも本人は大変なのでは?
必ず、ご飯にありつけるわけでもないし、寒い冬、暑い夏、おうちもないし
学校や会社に行くわけでもなく単調なくらしで・・・。
あなたは、子供や動物から好かれるなんてすごく良い性格なんだから、ステキな人
としてステキにお過ごしください。
488 :
神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 23:55:19 ID:d7bGOIcv
カルガモ本人は大変???そう?あんな可愛い平和そうな顔してるのに
羽毛をよけたら、実は眉間に皺が寄ってたり?
そんなはずはないでしょ?なんか安心してるのかな?それこそ何を頼りにしてるのか?と
不思議に思います。実は人間よりも神を知ってたりして・・・。
<学校や会社に行くわけでもなく単調なくらしで・・・。
そうなのかな?猫の集会で何が話されているのか?知りたいです。
人間が知らないだけで、実はいろんなコミュニケーションや遊びがありそう。
489 :
42:2007/07/09(月) 11:07:44 ID:6kGcJtiJ
名指しで返信はしません。
チト厳しいですから。
人は、一番強い影響力を持っている心の領域で、世の中を認識します。
人は無意識に、心の波長と同じ波長の現象へ注意を向けてしまいます。
波長の法則は、実は認識にも当てはまるんです。
あなたの心の状態が変われば、世の中への認識も変わります。
今の心境に凝り固まらないでくださいね。
490 :
42:2007/07/09(月) 11:31:09 ID:6kGcJtiJ
地球の汚染や環境破壊について書きます。
うんと小さい子供は、掃除なんてできません。
全ては汚し放題ちらかし放題のほったらかしです。
赤ちゃんにいたっては、うんちやおしっこさえ垂れ流し状態です。
ま、子供だからしょうがないんですけどね。
しかし、いつまでもそのままではいられません。
成長するにつれ、体や身の回りを清潔に保つことが要求されてくる。
自分で掃除をせねばならなくなってくるのです。
子供をダメにする過保護な親には思いもよらないのでしょうが。
そして上記は、人類の地球への対応にも当てはまります。
つまり人類はそろそろ、自分で掃除をせねばならない年頃なんです。
いつまでも、地球を汚し放題ちらかし放題ではいられないんですよ。
環境への配慮は、大人の仲間入りをする人類がせねばならない
当然の事といえるでしょう。
落ち。
491 :
神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 16:42:35 ID:FGM3YKfd
>>489 精神世界が気持ち悪いと言われていることの1つがそれです。
<あなたの心の状態が変われば、世の中への認識も変わります。
そんなのは当たり前です。見ざる言わざる聞かざるという有名な教訓?がありますが、
目の前のことに賢く?対処するには脳内でな有効でしょう。
でも、そんなことをしていたら、目の前の正しい認識は出来ません。
汚染物質は相変わらず目の前にあっても、”見ないからない ”では
話にならないからです。
492 :
神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 16:44:30 ID:FGM3YKfd
よく言われている「見ないふり」ですね。
これは、目の前にあっても、関したくないから、脳内え「ない」って
ことにして、楽にしたいっていうことです。
目にもろもろのけがれを見て
心にもろもろのけがれを見ず
百体清浄
糾弾は楽な方向
ヤフーのトピは落ちたのですか?
496 :
神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 17:22:41 ID:/m3H7sDE
431さん「心霊現象などを霊界うんぬんの証明とお考えのように読めましたので
>>418-419としてあなた自身への反論としてしました。」
「愛」についてはまだまだ経験が足りないので私には何も言えませんが、「心霊現象と霊界・・」については次のように「電話のベル」としてお考えいただければと思います。
(少々長くなりますが、返事をしないのは失礼かと思いまして)
何故「1847年のハイズビル事件」なのか、それ以前にも心霊現象は当然あったのですが、ポイントは「フォックス家の姉妹が、その怪奇現象にただ驚いただけではなく、
得体の知れないものと交信を行った」ことであるとコナン・ドイルは言っています。
物理的心霊現象(物体浮遊や物質移動など)、精神的心霊現象(霊言現象、直接談話、自動書記など)もその原理はイエスの時代と比べてもほとんど変わりが無いらしく、
その意味ではこれだけをもって「スピリチュアリズム」とは言えません。もともとスピリットとは「自我の根源」と言う意味があり、それが「肉体から生じた」のか、
「肉体を操る元」なのかは分かりませんでした。しかし、ハイズビル事件が示したことは「肉体とは独立したスピリット」があるということであり、
これを期に心霊現象は「電話のベル」であり、スピリット達が我々に交信をするための呼びかけ(ベル)に過ぎないこと、本当に交信で伝えたかったことは、
(1)死後はあるということ (2)多様で煩雑な教義の根本となる指導原理を与えたかったこと
「霊界の存在と霊的真理」です(心霊現象で霊界の存在を証明しようと言うのではありません、心霊現象は「電話のベル」に過ぎません)。
497 :
神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 17:24:44 ID:/m3H7sDE
431さん(続き)
近藤千雄氏は文明社会が物質文明から精神文明へと進化していく流れの中で自然発生的に起こったのがスピリチュアリズムであると言っています。
しかし、多くの唯物主義者(科学者など)は未だに心霊現象やこの流れに疑問をもっていますが、いつまでもそういうことにかまってはいられません。
「どううせ死んだから好きにやればいいじゃないか、あとは子供達に任せておけばいい・・」という安易な人生の選択に対して警鐘し、
これから人類(一人ひとり)が歩むべき道を示すのが「スピリチュアリズム」です。しかも、一人ひとりの理性が決め手なのです。
一人の人間でさえ、すぐに「スピリチュアリズム」を理解することは不可能なことです。
有名な霊媒(自動書記)のモーゼスでさえ余りの頑固さ(10年間懐疑的)にスピリット達は「撤退の最後通告」を突きつけた程です、
でもそれでいいのです、自分の理性で歩めば。
私はあなたに「スピリチュアリズム」を推奨しますが、少なくとも「お互いが安易な生き方を反省して、自分の理性でまともに生きられればそれでいい」
ことには違いがないのですから、気長にやりましょう。(言葉足らずなところは、他の方にお任せいたします、落ちます)
498 :
神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 18:42:40 ID:FGM3YKfd
波長の法則なんてものもあたりまえ。人間の心っていうのは都合のいい部位を
認識してるだけにすぎない。本当は霊とか目に見えないものも周りにあっても
波長が合わないから認識出来ない。目の前の現実を認識するために、あえて
現実世界で生き、見たくないものまで見せられているのに、また、波長だのなんだのって
言って都合の悪いものは見ない、認識しないという姿勢はどうか?と思いますね。
現実に生きている目的にそれを解決するためっていうのもあると思うので。
499 :
神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 18:45:21 ID:FGM3YKfd
だから、唯物主義者(科学者など)が精神世界の言うことをまともにとりあってもらえないのは
その辺に原因ありそうです。
スピリチュアリズムの目的は悪く言えば。脳内を麻痺させて、必要のない人間
=現実世界では生きれない人間に苦しみを与えずこの世から抹消する手段なのか?とも
思うことがあります。
>>498 >波長の法則なんてものもあたりまえ。
どの辺が当たり前なのですか?
>また、波長だのなんだのって言って都合の悪いものは
>見ない、認識しないという姿勢はどうか?と思いますね。
誤解かもしれません。波長の法則とは、「類は友を呼ぶ」ということですよ。
人が心に描いた想念は、波長となります。そして、同じレベルの波長を
持つ人が集まるということです。つまり、自分の周りの環境に、明るく
前向きで、活気に満ちた人が多いのなら、自分もそういう、前向きな状態
にある確率が高いということです。
自分の周りの人や、出来事を自分の鏡と思うようにすれば、
自ずと自分を客観視しやすくなり、それが自分の成長へのプラスになります。
波長の法則とは、そういう法則です。
>>499 >だから、唯物主義者(科学者など)が精神世界の言うことをまともにとりあってもらえないのは
>その辺に原因ありそうです。
私はちょっと違う考えを持っています。
唯物主義者は、目に見えるものしか信じませんよね。
そして、自分が全てを知っているかのように振る舞います。
果たして、それは賢い選択でしょうか。
以前話題になった、養老孟子の「バカの壁」という本がありますね。
バカの壁を超えられない人間は、己の無知さを知らないという話です。
その中のキーワードはこれです。
「無知の知」
ソクラテスの言葉です。ソクラテスは「無知の知」を自覚していました。
よって、上の本に該当するバカの壁を超えた人間だったということです。
そんなソクラテスは、死刑によって死ぬ最後まで「霊魂不滅」と言う考えを貫きました。
唯物主義者ではなかったのです。
まとめると、こうです。
「バカの壁を超えないと、スピリチュアリズムは受け入れられない」
要するに、唯物主義者はバカなんです。笑
(ここ言ううバカとは、養老孟子の言うバカです。一般の馬鹿ではありません。)
以上、スピリチュアリズム的な見解ではない、私個人の考えでした。
>>490 人類は、自ら身を整えなければならない時期が来たと言うことですね。
なんか、実感的に感じられました。
分かりやすいたとえ話をありがとうございます。
503 :
神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 20:07:44 ID:PjoJ0Evn
>>501 養老孟子って唯物主義者じゃなかったか?
茂木健一郎も意識とは何かという反撥したくなる本を出してますね。
波動や霊的なものがあるのなら
他人に言いたいことは自分が言われていること
という現象の側面を知ることは無知の知かな
環境問題を懸念するのなら人に訴えるより自分がやることが大切で
実際に取り組んでればそれは行為として波及する
訴える人は訴えたいだけなので結局訴えられる
そういう連鎖に入りやすい本末転倒の人はPCの消費電力をワットチェッカーすべし
506 :
神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 23:01:11 ID:46KMY59k
<誤解かもしれません。波長の法則とは、「類は友を呼ぶ」ということですよ。
それが本当であれば、刑務所の警察官と犯罪者は同じ場所にいれないということに
なりますよ。同じような諺に「同じタイプは反発する」という現象もあります。
<人が心に描いた想念は、波長となります。そして、同じレベルの波長を
<持つ人が集まるということです。つまり、自分の周りの環境に、明るく
<前向きで、活気に満ちた人が多いのなら、自分もそういう、前向きな状態
<にある確率が高いということです。
そういうことを法則化してるから、一般の人は余計に欝になるってどっかのレスで
ありました。結果を仮説として見ないで、そういう法則があるから、周りに問題が起きるのは
あなたの姿勢のせいだ!と根拠のない断言をされ、困っているなど・・。
現実世界はポジティブな人がネガティブな人を励ますことが生きがいで
違うタイプの人同士が引き合うという現象が起きているはず。
<自分の周りの人や、出来事を自分の鏡と思うようにすれば、
<自ずと自分を客観視しやすくなり、それが自分の成長へのプラスになります。
<波長の法則とは、そういう法則です。
それが本当に法則であれば、世の中の問題は自分次第で解決するってことになります。
どうしてもだめな場合は逃げるという手段もあります。現実ではこのような場合が多いですよね?犯罪者を
刑務所という場所に入れる。精神患者を精神病院に入れる、そしてそこで適切な治療をする。
こちらの方が解決します。
507 :
神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 23:05:03 ID:4arXr6C3
508 :
神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 23:08:49 ID:46KMY59k
類は友を呼ぶっていうのは、事実よくある現象であるともいえるけど
絶対ではない、その逆もあり。
何か起こるとそうやって格言を作って安心するのは人間ならでは。
動物もよくやっているかも。怪我を負った猫が慰めるように自分を舐めて落ち着かせるとか。
不意に起きた事件に対して、何か安心させる物質を出すことで命を保存しようとするんですかね?
波長が見えれば納得するんだろうけど、普通は曖昧でなんとなくしかわからないから、
現実にいろんな問題が起きる。スピリチュアリストのこうした発言が不快で
病気になりそうっていう人も多いらしいです。そういう訴えをしてる人のほうが
一般社会では健常者扱いの方が多いみたいです。
>>505 痛切に感じてます。
私は、他人に対して悪い感情を抱いたとき、
それは、自分自身に向けるべき感情ではないか?と
はっと気付くことがあります。こんなことがありました。
「あの人、自分がさも偉い人のように気取っている。
私を見下しているようで、ちょっとやだな。」
私は、ある人に対してそう思いました。
よく考えてみて、後からはっと気付きました。
「あの人、ちょっと気取ってるように見える。
でも、それは自分が気取ってるからそう見えるんだ。」
自分の欠点に気付いたんです。このことで私は、一歩成長したように思います。
こういうことに気が付いてからは、
「他人の悪い所を感じてしまったら、それは私の悪い所だ」
「自分が誰かに抱く感情は、自分の心を反映した物だ」
と考えるようにしてます。他人は自分の鏡だと思ってます。
そんな中、スピリチュアリズムと出会い、「波長の法則」
という形で、それを証明してくれたように感じました。
今ではそのことを徹底するよう、心がけています。
(今の所、私はある方面で欠点が山積みになってるようです。笑)
510 :
神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 23:27:57 ID:46KMY59k
>>509 そんな風に考えてたら、思考の連鎖地獄にはまりません?
うちの母は友達からも感じのいい人で通っていて、「気取りがない」
「さわやか」「おもしろい」などとの印象で評価されてます。
その母が嫌いの人の条件に「気取っているから嫌」っていうのがあり、
どう見ても誰が見ても同じタイプではないですよ。
事実私から見ても、母の嫌いなタイプは気取りがあって、いやらしいく見えるタイプです。
良く言えば、インテリ、品がある、物の良さが分かる知識人。
そういう良い側面を見れば尊敬に値する価値を持っている人たちです。それを見ないで
気取っていると評価する母は明らかにインテリではなく、素朴な外見と考えの持ち主です。
<「あの人、ちょっと気取ってるように見える。
<でも、それは自分が気取ってるからそう見えるんだ。」
これは、ぼーずまんさんの脳内で起きていることで、うちの母やその他の人には
当てはまりません。当てはまるとすれば、人のいい面を見ようとしてないだけ。
511 :
神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 23:33:14 ID:46KMY59k
そして505さんと509さんは
同じ法則を共有しあっているから、お互いの言いたいことが分かり合えるんです。
日本では常識なことを中国や北朝鮮の人に分からせよとしても無理です。
それきたとばかりに利用され、袋だたきになるのが落ちです。
512 :
神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 23:37:25 ID:46KMY59k
なので、私は日本人には常識的に接するけれど、(これはたとえです)
そういう常識が通用しない人にはその常識では接しません。
でも、そうやっていると部外者スピリチュアリスト以外は不快に感じるでしょう?
だから、自らもスピリチュアリスト的な価値観を身に着けるか排除しようとするかで
迷い心を病むことも多い。
>>506 なぜ、看守と犯罪者が一緒に入れないのですか?
以下、刑務所の話です。
AさんはBさんに対して憎しみや悪意、敵意を抱きました。
そして、Bさんを殺してやりたいと思いました。
ついにAさんは、それを行動に移し、Bさんを殺しました。
Aさんは、犯罪を犯したから牢屋の中にいます。
では、看守のCさんはどうでしょう。犯罪をおかしていませんから、
牢屋の中にいません。でも、Cさんも人間ですから、イライラもします。
時々、憎しみや悪意、敵意も抱きます。たまには、相手を殺したいほど
憎しみを抱く場合があるかもしれません。
そこで、注目して下さい。AさんとCさんの心の中に。
「波長の法則」の波長は、想念から生まれるものです。
Aさんも、Cさんも、誰かを殺したいという想念を抱きました。
そこに、波長の法則が成り立つ要因があるのではないでしょうか。
実際に刑務所では、看守は感情に任せて、服役者に対して
肉体的&精神的な暴力を振るっていることが多くあります。
これは波長の法則が働いているとして、見ることも出来るんじゃないですか?
>>510 >そんな風に考えてたら、思考の連鎖地獄にはまりません?
自分の悪い所に気付いて、それを直そうとするだけですから大丈夫ですよ。
私にとっては、非常にプラスになっています。
あと>509に書いたのは、私が感じたことに過ぎないものです。
あなたもそうあるべきとは、思っていません。
一種の感想文です。(すいません。チラシの裏に書くべきですね、笑)
あなたは、あなたのお母さんのことを教えてくれました。
貴重な意見をいただきありがたいです。
でも残念ながら、ここで私が言っていたのは、自分自身のことです。
ですから、もし議論したいのなら、あなたのお母さんのことではなく、
あなたご自身の感じられることを、教えていただいたら、
議論は成立するんじゃないかと思います。
>>512 北朝鮮人とも会ったことありますが、
彼は、わけが分からない人でした。
インドのコルカタのある宿での出来事です。
北朝鮮人の彼は、ベルギー人の私の友達に対して、
「おまえ、白人か?」
と訪ねたんです。そして、ベルギー人の友達は
「白人?僕は、人種なんか関係ないと思っている。
どんな人種でも愛すべきだと思っている。だから白人ではない。」
と言いました。私は、まともな返事だと感じましたが、
北朝鮮人の彼は、なぜかそこでキレちゃったんです。
ビール瓶を壁に投げつけて、顔を真っ赤にして、怒ってました。
アジアのプライドがどうたら、とつぶやきながら・・・
私には、その北朝鮮人の彼の思考は理解できませんでした。
(英語力の不足もありますが・・・苦笑)
だから、やはり人によって価値観が全然違います。
当然ながら世界には、多種多様な考え方、思想、宗教が存在します。
そんな中、スピリチュアリズム的価値観を強要するという考えは間違っています。
スピリチュアリズムは、宗教であり、哲学であり、科学です。
宗教も帯びているということは、そこに信仰するか否かという選択肢があります。
ですから、本物のスピリチュアリストは、決して価値観を強要しないのでご安心ください。
【スピリチュアリズムついての三つの項目の総括】
(米国スピリチュアリスト連盟より)
1.スピリチュアリズムは科学である。なぜなら、霊界から演出する
心霊現象や超能力を科学的に分類し分析しているからである。
2.スピリチュアリズムは哲学である。なぜなら、顕幽両界の自然法
則を考究し、それを現在までの観察事実に照らして、そこから哲学
的理論を導き出すからである。また、過去の観察事実やそれに基ず
く理論も、理性的に納得がいき、現代の心霊科学によって裏づけら
れるものであれば、これを受け入れるに吝かではない。
3.スピリチュアリズムは宗教である。なぜなら、宇宙の物的・道徳
的・霊的法則を理解し、それに忠実たらんと努力するからである。
それは即ちか神の御心に忠実たらんとすることにほかならない。
518 :
神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 01:38:28 ID:aNo+Nwgu
ぼーずまんさんは、真面目なんですね。
こちらこそ、貴重な体験をありがとうございました。
やはり、教育や知識などが成熟してないと、なかなか共通の価値や認識を持つのは難しいでしょうね。
北朝鮮のその例の人にとっての哲学は「食うか食われるか」が現実だとすれば
それ以外を認識するには、時間がいりますね。
人を批判する場合、自分の中にも同じ要素があるという1例もありますが、
違う場合もあると思います。実は相手の気取りと思われるものに羨望もあったりして、
でも、自分にはないからねたんでいたり。私の場合はその場合もあります。
嫌いっていうのは実は羨ましく思っていても自分にはなかったり。
嫌いってことで自分を正当化してるんでしょう。
だから、ない物は褒め、取り込めるものを真似てみたりしてますが、個性の違いか
まったく似合わないことが多々あり、自分は自分らしくが1番いいのか?
で落ち着きます。
519 :
神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 01:58:00 ID:v8WCg3H0
霊格や、因果応報の法則の知識が
人びとに悪影響を与えるのはインドでは特に顕著ですよね。
「私はカルマの刈り取りのために低い身分に生まれた。
その必要のある私は霊格が低い。カルマの法則はなんと無慈悲に我々を裁くか。。」
信仰深く、魂の存在やカルマの法則、霊格の知識があるがゆえに
そんなあきらめと絶望に多くの人びとが苦しめられている。
迷信と切り捨てたくなります。
506さんのようなスピリチュアリズム否定派が、ここを批判するのは当然です。
が、42さんは肯定派なのに、スピリチュアリズムの知識がもたらす弊害に警鐘を鳴らしているのは、たいへん興味深いです。
520 :
神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 02:04:19 ID:v8WCg3H0
過去スレ読みましたが、
自分が霊とコンタクトを取ったわけでも覚醒したわけでもないいち読者が、
読書で得た霊的知識を振りかざして
「それはこういうことなんだよ。あなたはそこが間違っているんだよ」
と諭す様は、こっけいを通り越して
借り物の知識で人を裁く寒々しい印象を与えます。
ドグマで人を裁いた中世の「霊的知識」と何がちがうのかという
気持ちにさせられる。
「スピリチュアリズムは冷たくて息苦しいから結局やめた」
というひとが何人かいましたが、さもありなんと僕は納得してしまいました。
521 :
神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 02:14:50 ID:v8WCg3H0
とはいいつつ僕は結局、スピ肯定派なのですが、
「霊格」という言葉がもたらす弊害は、
そもそも「霊訓」というシステムから
スピリチュアリズムが始まっていることに
問題があると思うのです。
生きているふつうの人間は霊的真理を知ることが出来ない。
神ならぬわれわれは、霊格の高い霊が霊媒を通じて語りかけることでしか
霊的知識を得ることができない。
その知識を得られなかったひとは永遠に霊格が上がらない。
知った者のみが霊格向上の道へ進むことが出来る。
これでは「聖書を信じない者はことごとく地獄に堕ちる。聖書を知らない未開人は霊なき動物に等しく、殺してもよい」というのと、構造がかわらないですね。
522 :
神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 02:29:11 ID:v8WCg3H0
「シルバーバーチこそ最高の霊訓」という判断の下に
霊的知識を扱えばその悪弊はさらに強まると思います。
僕自身は、「シルバーバーチはもっとも『まとも』な霊訓
」と捉えることにしました。
そして霊訓というシステムで霊的知識を獲得する弊害は、
霊訓という方法論そのものが悪いのではなく、
人間が持っている『思考の罠』がもたらすと今は考えています。
クリシュナムルティは
「人は大脳がもたらす思考の罠にことごとく捕らえられている。
大脳の思考は、過去の感情と知識の集積に過ぎない。
あらゆる知識、あらゆる価値観、経験、判断から離れてありのままにものを見る。
それ以外に脳の軛から逃れる方法はなく、
肉体に従属しないほんとうの意識が覚醒することはない。
神、天使のイメージ、知識を捨てなければ神、天使を見ることは決して出来ない」
と言っています。
情報が伝達され、知識として脳に入り、
脳の思考の軛に知識が従属された瞬間、その知識は死ぬ。。
そんなことを言ったひとがいますが、
何も見えやしないわれわれ凡夫が書物から「霊的知識」を得ている
という胡散臭さを決して忘れてはいけない気がします。
523 :
神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 02:37:02 ID:v8WCg3H0
いずれにせよ、ぼくは42さんがたいへん興味深いです。
肯定派は、本から得た知識を並べ、
否定派は、常識でその知識の誤謬を批判する。
感情的に反発し合い、どちらも話のつじつまを合わせることにしか興味がない。
それ以外、コミュニケーションのしようがないようかに見える2chで、
なぜ、42さんはそのどちらでもないことを
毎日こつこつとやりつづけているのだろう。
ここをまじめに見だしたのはここ数日ですが、
42さんの意図が通じないのは、
なんで42さんはここでこんなことをしてるのか、
よくわからないからってのもあるかもなあ
なんて感想を持ちました(笑
524 :
神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 02:50:15 ID:v8WCg3H0
もう一つだけ書くと、
『霊訓』という仕組みは、人間の依存心を助長しますよね。
真実を人から手に入れようとする依存心。
真実を他人にゆだねようとする依存心。
検証を放棄して、知識だけを取り入れようとする依存心。
その依存心が、自分よりも高い存在をあがめようとする。
その依存心が、あがめていないひとびとを見下そうとする。
依存心の裏返しである高慢が人を裁き出す。
霊的知識のあるなしで、霊格の上下を決めだす。。
ゆえに僕は「スピリチュアリズムは最高ではない」と思うのです。
眠れぬ夜に、つい長文を並べてしまいました。
おやすみなさい。
525 :
神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 02:53:10 ID:v8WCg3H0
あ、 もうひとつだけ。
「じゃあ君にとっての最高はなに?」
と言われれば
「そんなものは知らないです」
としか。
正直、音楽や芸術が僕にはそれに当たるけど、
人に主張することではないですからね。
526 :
42:2007/07/10(火) 09:29:07 ID:s+HyKtYF
>>498 >波長だのなんだのって言って都合の悪いものは見ない、認識しないという姿勢はどうか?
いや、都合の悪いものを見ない認識しないってことじゃないんだ。
そうだなあ。たとえばあなたは、「コレについて昔と今とでは考え方が変わった」
という経験をしたことはないかな。コレは変わってないのに、自分の考え方が
変化するという経験をしたことはないかな。そしてそのお陰で、問題を解決できたことが。
けれども自分の考えに凝り固まっていると、いつまでたっても「コレはコレ」でしかない。
私はそれを言ってるんだよ。
>現実に生きている目的にそれを解決するためっていうのもあると思うので。
おお、それそれ。
目の前のアンバランスをバランスに変換するとき、私は喜びを感じる。
子供の問題や地球環境への問題もそう。
喜びを感じるからこそ、働きかけをしてるんだ。
見て見ぬフリなんてしてないよ〜。
527 :
42:2007/07/10(火) 09:34:28 ID:s+HyKtYF
>>504 唯物主義の人でも、スピリチュアリズムに通じる法則について
話していることは多々ある。
なので、あの人は唯物主義だからどうのこうのと考えない方がいいよ。
大本は、みんな同じだからさ。
528 :
42:2007/07/10(火) 09:54:19 ID:s+HyKtYF
>>508 >波長が見えれば納得するんだろうけど
訓練すれば波長は見えるようになるよ。
が、見える深度はその人の深度に比例するから注意が必要だね。
例えば、オーラと呼ばれているものは三種類ある。
一つは、その人の心の状態。大抵は感情の状態。
もう一つは、その人の生命力。
そして最後の一つが、その人の心の成長度合いだ。
一つ目と二つ目は案外簡単に見れる。
だからTVで取り上げられているのもこの二つばかり。
一方、心の成長度合いはなかなか見ることはできない。
それは、とても見るのが難しいオーラと言える。
その理由は、
>>453のフジコ・へミングさんが話してますね。
529 :
42:2007/07/10(火) 09:59:40 ID:s+HyKtYF
>>522 >そして霊訓というシステムで霊的知識を獲得する弊害は、
>霊訓という方法論そのものが悪いのではなく、
>人間が持っている『思考の罠』がもたらすと今は考えています。
その通り、同意です。
530 :
42:2007/07/10(火) 10:11:24 ID:s+HyKtYF
>>523 >42さんの意図が通じないのは、
>なんで42さんはここでこんなことをしてるのか、
>よくわからないからってのもあるかもなあ
ははは、それ当たってますね。
そうですねえ、私がここにいる理由を突き詰めれば、
やはり喜びを得られるからでしょうか。
滅入りまくることの方が多いですが、それでも長い目で見れば、
私は過渡期にいるんだなあと感じられます。
本と常識のギャップを埋める過渡期に。
落ち。
531 :
神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 11:04:11 ID:j3kXs09u
真理≠常識
世俗で生きていくためにはこの葛藤が常につきまとう。
これも修行だと思ってます。
532 :
神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 16:09:38 ID:aNo+Nwgu
手品も仕掛けが分かってしまうと、ちっとも驚きがないのに似てますね。
だから、完全には分からないような仕掛けを神様が作ってくれてるのかな?と
思うことがあります。
533 :
神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 17:22:42 ID:iPI4h17r
>>530 キリストのものはキリストに、カエサルのものはカエサルに・・・でしたか?
真理と世の常識は、そこまでかみあわず、ギャップを埋めるのに葛藤を必要と
するものなのだ、と改めて驚いています。
確かに、真理に焦点を合わせようとした時間が長いと、現実と少し乖離を起こして
しまうこともありますし、逆に、現実の処理能力を高めて行くと、その合理的すぎる
ところに、霊的なインスピレーションがとりつくしまもない雰囲気になって
しまいます。
やはり、「バランス」を努力して心がけることでしょうか?両極端に陥らないように
ブレーキとアクセルを上手に使って、自分の意志で踏みとどまったり、引き返し
たり・・・。努力せずにこうしたことが出来ている方が多いように見受けられるのに
どうしてこんなことが簡単にできないのかと、自信をなくすことが多いので・・。
534 :
神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 18:26:28 ID:aNo+Nwgu
真理というのは、人間が作っているのか?と思うほど、人種の性質で時代にも
顕著なように現れますね。
スピリチュアリストや他の宗教が言うような真理であれば、世の中はまともで
いられるから、そうしましょうっていうものかな?とも思います。
そうするには、やはりまともな人が政治家であったり、上にいるべきだとは思います。
>>520 >「スピリチュアリズムは冷たくて息苦しいから結局やめた」
摂理として自動的に働く大霊より、人間の境遇に対して涙を流せる
大霊の子であるキリストやシルバーバーチの方が上に思えるんだ。
だからやたらにシルバーバーチが大霊を持ち上げるのに反感を感じる。
536 :
神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 02:47:27 ID:N2lOVaYq
きっと上に行けば行くほど、自由なんてないのかも。
きちんとした秩序、法則の上で成り立っている宇宙の仕組みなんか見てたら、
そう思う。NHKで凄い腕の医者の生活を見てたら、産まれてからこのかた医者に
なるべく努力して、60歳過ぎても、起きている時間のほとんどを患者のために捧げてた。
その報酬がお金だけではなく、患者が生き返って生活してる様を見るのがたまんない喜びだそう。
もう、凡人とは喜びの内容がぜんぜん違う。
>「スピリチュアリズムは冷たくて息苦しいから結局やめた」
人間はまだまだだから、そう思うのかも。
でも、涙を流せる人たちが指導してくれるお陰でゆるやかな進歩もあり、
希望もある。
537 :
42:2007/07/11(水) 11:36:53 ID:5IjQUzxF
霊的な本に書かれている内容と一般常識は随分かけ離れているのが現状です。
かけ離れているため、人は霊的な本を読むとアンバランスな状態に陥りやすくなります。
どちらによりすぎてもバランスを崩してしまうからです。
本に偏ったアンバランスと、常識で本を歪めるアンバランスについて書きましょう。
[本に偏りすぎた常識無視のアンバランス]
本に書かれた内容を鵜呑みにするあまり、一般常識からかけ離れてしまう人達がいます。
なにがなんでも子供に輸血をさせない親や、恐竜の化石は初めから化石として創造された
と主張する人などがそれに該当するでしょう。
[常識に囚われるあまり本の内容を歪めてしまうアンバランス]
人間社会にはまだまだ階級意識があります。もの凄く深く根をはった階級意識があります。
なので霊格という言葉を見ると、人は無意識に霊格による階級社会をイメージしてしまいます。
容姿、収入、肩書きなどで人に上下の格付けをすることが当然の常識になっているため、
霊的成長度合いにもそれを当てはめてしまうんです。そのせいで、「霊格の低いおまえが
霊格の高い私になにをほざくか」などという言葉が飛びかうようになってしまいました。
しかもそれを周囲の人にも当てはめ、理不尽極まりない根拠で「この人は霊格が高い、
あの人は霊格が低い」と勝手に決めつけるようになってしまいました。
それが、本の内容からどれほどかけ離れた行為であったことか。
538 :
42:2007/07/11(水) 11:52:08 ID:5IjQUzxF
ではどうすればこのようなアンバランスを回避することができるでしょうか。
実はそれを、シルバーバーチはちゃんと話してくれているんです。
シルバーバーチは言いました。
>私は今すぐ応用のきく実用的な情報をお届けすることに目標をしぼっているからです(
>>41)
シルバーバーチは今すぐ応用のきく実用的な話をしてくれました。
そしてシルバーバーチは、実践の重要性を繰り返し繰り返し説いてくれました。
イメージしてください。
応用のきく実用的な情報を実践する人は、このような人といえないでしょうか。
霊訓と社会の架け橋となる人。
現代社会は、まだまだ未成熟な面を無数にもっています。だから霊訓をそっくりそのまま
実生活に当てはめようとすれと、やはり様々な不都合が生じてしまいます。
なのでそこには、工夫が必要になってくる。
どのようにしたら霊法則を生活にスムーズに表現できるかの、試行錯誤が必要になってくる。
自分で考え、自分で試し、改善案を出し、再挑戦することが必要になってくる。
その甲斐あってその人が霊法則と社会生活の両方に沿う暮らしができるようになったら、
その人はこんな人といえるのではないでしょうか。
霊と物質のバランスを取ることができた人、と。
539 :
42:2007/07/11(水) 11:59:55 ID:5IjQUzxF
人は物質肉体を持ち、物質社会に生きる存在です。
なので知らず知らずに、物質主体の考え方になりがちです。
つまり、人は物質に偏ったアンバランス状態になってしまっているのです。
それを、霊的な本を読んだからといって急に変えようとしてもそうそう上手くはいかないでしょう。
頑張りすぎの力みすぎで本に偏ったり、物質社会の常識を霊法則にあてはめ歪めてしまうのが
オチでしょう。あらたなアンバランス状態に陥るのが関の山でしょう。
だからこそシルバーバーチは応用のきく実用的な情報を話したのです。
難解な理屈を捏ねまわすことをせず、実践の重要性を説いたのです。
少しづつ少しづつ、無理なく成長していけるように。
人は、己のあるじにならねばなりません。
本があるじでもなければ、常識があるじでもない。
本と常識のバランスを取ることができる、あるじに。
落ち。
540 :
神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 12:40:32 ID:yAI7lyKX
541 :
42:2007/07/12(木) 08:21:19 ID:6HtWwenM
>>540 その人がつまずいたことに興味があるのではない。
興味があるのは、その人がいかに立ち上がったかだ。
これ、大霊に近づけば近づくほど本当です。
故にその筆頭は、大霊ですね。
というワケで、過去のことは気にしない気にしない。
落ち。
542 :
神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 11:49:47 ID:B5AkpPGM
「神、霊、愛、真理」、スピリチュアルはこの4つがキーワードのようであり、「他人の為に自分を役立てる」を日々の実践として行うことだと思われます。
ところで、「霊と真理」について辛目の議論が続いていますが、「神(への信仰)と(隣人)愛」につてはどうなのでしょう。
我々とイエスの時代とは2000年の開きがありますが、シルバーバーチによって2000年前と同じ霊的真理を手に入れています。
イエスが「父なる神」を信愛し、霊覚者として霊的真理を説き、霊能力で民衆を助けたと類似した時代にいる、イエスと同じ霊力がもたらされている時代にいる、
とシルバーバーチは霊訓で述べています。「霊的知識のいいとこ取り」だけでいいのでしょうか。
いいとこ取りの知識人より、無学でも純粋に取り組んだ者の方が霊界では活躍されていると霊訓にありますが。
これを、盲目的な信仰、思考停止、抹香くさい、といわれても仕方がないのですが、どうなのでしょう。
543 :
神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 11:52:13 ID:B5AkpPGM
(続き)
また、「霊的知識のいいとこ取り」でいえば、次のような見方を私はしています。
トランスパーソナル心理学者のケン・ウィルバーは「空像としての世界」の中で
「さまざまな存在段階には、それに相応しい研究分野がある」と指摘しています。ここでは、
存在段階では、「最も下層の物理的存在には非生物的な物質やエネルギーを対象とする物理学と化学があり、
その上の生物的存在には生物学、心的存在には心理学その上に哲学がある、これらは階層秩序を為しており、
上層段階の存在は下層段階を含んでいるが、その逆は成り立たない。たとえば、生物学の研究には物理学が用いられるが、
物理学の研究には生物学は用いられない。」と述べています。
私は心的存在のさらに上層段階に「霊的存在」を置くもので、「霊的知識、霊的真理は全ての階層を含みそれらを説明できる(階層秩序をもつ)」
と思っています。この知識のいいとこ取り、部分的真理とでも言えばいいのでしょうか、これは巷の宗教と同じであり、
逆に「霊的知識、霊的真理」の失墜に繋がりませんか。
>>542-543 「霊的知識、霊的真理は全ての階層を含みそれらを説明できる」のは私も同感です。
しかし知識において「物理学、化学<生物学<心理学<哲学」と階層を形成している考えに疑問が残ります。
すべての知識は互いに関連し、複雑に絡み合っていおり、知識に上も下もなく、
お互いがお互いの不足部分を補いながら、より崇高な知識、真理に近づいていくものと私は考えています。
それはさておき貴方の言うように
「霊的知識、霊的真理は全ての階層を含みそれらを説明できる(階層秩序をもつ)」=「霊的知識のいいとこ取り」
となるのは何故ですか?
「霊的知識のいいとこ取り」=「巷の宗教」=「霊的知識、霊的真理の失墜」につながると思われるのは何故ですか?
そもそも「霊的知識のいいとこどり」とは具体的にどういうことなのでしょうか?
545 :
神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 19:15:45 ID:wX0KRXAj
「いいとこどり」ってなるのは、有言実行ではなく、宗教やってる人が
いいとこどりしてるってだけでしょ・・
それだけ、実行するのは難しいというよりかはこの世ではほとんど不可能なのに。
事実、実行しててもそういう人は目立たない存在だろうし。
例えば、言うこととやることが違う。ホスピタル建設の為と言いながら、
飲み食い、贅沢に散財のように。
546 :
神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 22:22:34 ID:wX0KRXAj
江原さんは凄いと思うけど、途中で考えが変わった理由をきちんと説明する
義務がありますね。
誤解を生むし。それだけ責任ある立場なんですから。
547 :
42:2007/07/13(金) 07:56:42 ID:x3393+sO
>>542 >神(への信仰)と(隣人)愛につてはどうなのでしょう。
こんなのはどうでしょうか。
対等な仲間として助け合うとき、
人は神に近づいていく。
そういえばこれ、このスレで書くのは初めてですね。
前スレではよく書いたなあ。
548 :
42:2007/07/13(金) 08:00:36 ID:x3393+sO
>>546 江原さんって考え方が変わったんですか?
近ごろの彼の言動を追ってないので、
よろしかったら教えてください。
落ち。
549 :
神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 12:06:31 ID:tCRI4RsX
543です。545さん、私はまずは、あなたに謝らなくては成りません。
「”この”知識のいいとこ取り、部分的真理とでも言えばいいのでしょうか、これは巷の宗教と同じであり、逆に「霊的知識、霊的真理」の失墜に繋がりませんか。」
文中”この”はいりませんね、誰でもこれでは混乱してしまいます。私のミスです。申し訳ありません。
「議論されている内容はこれに比べたときに「知識のいいとこ取り」としか思われませんが、部分的真理を自分の都合のいいように取り入れるだけであれば、
これは巷の宗教と同じことであり、逆に「霊的知識、霊的真理」の失墜に繋がりませんか。」が真意です。
ですから、「霊的知識、霊的真理は全ての階層を含みそれらを説明できる(階層秩序をもつ)」≠「霊的知識のいいとこ取り」となります。
>「霊的知識のいいとこ取り」=「巷の宗教」=「霊的知識、霊的真理の失墜」につながると思われるのは何故ですか?
そもそも「霊的知識のいいとこどり」とは具体的にどういうことなのでしょうか?
550 :
神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 12:08:02 ID:tCRI4RsX
(続き)
「霊的知識のいいとこ取り」とはたとえば次のようなことです。自分の都合のいいように改ざんし、利用することです。例示を際立たせるために有名な史実を持ち出します。
「西暦335年第1回ニケーア公会議が1800名の司教達の参加で足掛け4ヶ月開催された。見かけ上は”新しい宗教(国教)”を立てるための教義の創作(福音書の作成)のためである。
時の皇帝コンスタンチヌスはローマ教会に絶対的権威を持たせローマ帝国の国威を増強するためにこの会議を奨励したが、会議の中で1500人の司教が”イエスの福音の改ざんである」と主張したため、
すぐに会議の中に衛兵を送り込んでこれらを追放処分し、残りの皇帝派300名の満場一致で「イエスを救世主とするキリスト教」を誕生させたのである。」があります。
これによって出来たバイブルは、イエスが見せた「しるしと不思議」の改ざんを行い「キリスト」よりも「キリスト教会に権威を与えて民意を統制したい」趣旨がはびこっており、
一体、どの部分が真実なのか、何%が真実として語られているのかが、いまだに不明、「イエスの説いた福音のいいとこ取り」なのです。
551 :
神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 12:09:30 ID:tCRI4RsX
((続き)
私は、霊界の計画に沿った「霊的啓示」は素直に厳粛に受け止めるべきだと思います。理性で反発を覚えるところは仕方が無いにしましても。
それで得られた霊的知識を自分なりにどう活用するかは各人の知恵と知識に掛かっていますが、それはそれで霊訓ちは別に述べるべきで、
ここから得られた知識を元の「霊的知識」に追加したり、自分の都合のいいように改ざんしたりするのは違うと思うのです。
「霊的啓示」に不純物が混じらないようにすることも我々の役割だと思うのですが。
552 :
神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 12:21:22 ID:tCRI4RsX
550です、タイプ・ミスに悩まされています。西暦325年第1回ニケーア公会議、でした。
その他にもありそうですが・・・慣れないことをするのは大変です。
553 :
42:2007/07/13(金) 15:32:07 ID:x3393+sO
たまたま見たので。
>>551 >ここから得られた知識を元の「霊的知識」に追加したり、
>自分の都合のいいように改ざんしたりするのは違うと思うのです。
その通りです。
が、あなたの判断基準はなんですか?
『これは追加』や『これは改ざん』と、あなたは何をもって
判断しているのでしょうか?
>>549-551 霊的啓示は厳粛に受け止めるべきというには私も同感です。
また、その霊的啓示のとらえ方が人によって違うのも事実です。
そもそも私たちが現世に生を受けている以上、その霊的啓示が本物かどうか判断する術はほとんどありません。
ですが私たちには「良心」があります。
霊的啓示を自分の都合のいいように変えていると貴方が判断したとしても、それはその人が自分の良心に照らして
誠実に考えた結果、そうなったのかもしれません。
それぞれの人が正しいと判断した上で霊的知識の捉えかたを変えることは、私は間違ってないと思います。
自分と違う、こういうとらえ方もあるんだと再発見でき、さらなる向上が図れる可能性があるからです。
もし仮に、この霊的啓示のとらえ方は絶対に間違っていると思った場合は貴方の良心が思うままに行動すればいいと思います。
天界の大霊達が私たち地球の人々を見守って下さっている以上、
霊的啓示に不純物が多少混じろうとも、人類の向上進化の流れは止まることはないと思いますよ。
555 :
神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 00:19:12 ID:R7uxPiR2
>>554 >人類の向上進化の流れは止まることはない
人類、って誰のこと言ってるのですか?
”私”は人類のためだけに生まれて死ぬのですか?
あなたは宇宙人ですか?
556 :
神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 01:01:33 ID:doJAmT9r
進化したら、やぱり宇宙人みたいになるんだろうか。
557 :
神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 01:04:05 ID:doJAmT9r
まず、オゾン層の破壊で人間の皮膚が進化し、グレーっぽくなっていく。
頭の形や骨盤などは今の昔と今と比べれば、一目瞭然だが、宇宙人ぽくなっている。
それがさらに進み、脳の進化から頭部の肥大が起きる。
差別がなくなっていく過程で容姿の差やなどがおきないように、同じような容姿になり
1部の説があるようにグレーマンは人類の進化の結果なのかも。
558 :
42:2007/07/14(土) 08:34:44 ID:MPFufPRb
>>549-551さんへ
人はみな別の心を持ち別の人生を歩むので、別の意見を持って当然です。
また、人は変化していく存在なので、時間の経過とともに自分の意見も
変化して当然です。つまり人それぞれが今の自分の意見をもつことは、
至極当たり前のことなんです。
そしてだからこそ、そこには成長が生まれます。
それについては
>>554さんが書いてくれてますね。
皆が違うからこそ、個人も全体も成長していけるんですよ。
故に、あなたの投稿も素晴らしい価値を有しています。
それはまさに、「他人の為に自分を役立てる」に適う行為だったのです。
ROMだけの人には適わずとも。
559 :
42:2007/07/14(土) 08:51:30 ID:MPFufPRb
>>557 肌の色はさほど変化しないでしょう。
骨格は全体的に細身になっていくでしょう。
推察通り脳は大きくなりますが、違和感を覚えるほどではないでしょう。
前世の因果が容姿に及ぼす影響力はどんどん小さくなりますが、
その代わり分神の個性が容姿に反映するので、
皆が瓜二つになることはないでしょう。
それどころか、肉体への支配力が増し、各自が思い思いの体を造りあげるため、
各々の個性はかえって際立つかもしれません。
落ち。
560 :
神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 12:21:42 ID:plfnpqSy
553さん、あなたは文献を引用されない方だったですね、
あなたの経験なのか、あなたの独自の解釈なのか、それとも霊訓なのか、私には難解です。
霊訓、文献からの引用と、ご自分の経験、解釈ははっきり区別して分かるようにして欲しいものです。
520番以降を見ても、私にはわかないことが多いのです。
>霊格や、因果応報の法則の知識が
>人びとに悪影響を与えるのはインドでは特に顕著ですよね。
>「私はカルマの刈り取りのために低い身分に生まれた。
>その必要のある私は霊格が低い。カルマの法則はなんと無慈悲に我々を裁くか。。」
どの霊訓からの引用ですか。
>その知識を得られなかったひとは永遠に霊格が上がらない。
>知った者のみが霊格向上の道へ進むことが出来る。
>これでは「聖書を信じない者はことごとく地獄に堕ちる。聖書を知らない未開人は霊なき動物に等しく、殺してもよい」というのと、構造がかわらないですね。
これはどこからの引用ですか。
>キリストのものはキリストに、カエサルのものはカエサルに・・・でしたか?
>真理と世の常識は、そこまでかみあわず、ギャップを埋めるのに葛藤を必要と
>するものなのだ、と改めて驚いています。
この福音はそういう意味でしたか。
>ではどうすればこのようなアンバランスを回避することができるでしょうか。
>実はそれを、シルバーバーチはちゃんと話してくれているんです。シルバーバーチは言いました。
>私は今すぐ応用のきく実用的な情報をお届けすることに目標をしぼっているからです。
この霊訓はそういう意味ですか。
などなど、このスレがまるでニケーア公会議とダブッて私には見えましたのでコメントしましたが、
追放処分となった方が結構いたかもしれません。
561 :
神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 13:23:21 ID:p4Z+LnLy
>>560 2ちゃんねるで学問をしようと考えているのなら、それは誤りだと思いますよ。
教義に添いたいのならそれこそ文献に当たればよい事です。
562 :
42:2007/07/14(土) 15:39:04 ID:MPFufPRb
18時くらいまで余裕ができたので覗いてみました。
>>160 >あなたの経験なのか、あなたの独自の解釈なのか、それとも霊訓なのか、私には難解です。
>霊訓、文献からの引用と、ご自分の経験、解釈ははっきり区別して分かるようにして欲しいものです。
なるほど、たしかに判りづらいこともあるでしょう。
これ以降の私のカキコは、区別をきちんと書くことにします。
とはいえ、基本的に私は自分の実体験から学んだことを書いています。
>>558と
>>559も、引用ではない私なりの意見ですね。
ん? それ以外って書いたことあったっけ??
563 :
神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 18:39:49 ID:doJAmT9r
<それどころか、肉体への支配力が増し、各自が思い思いの体を造りあげるため、
<各々の個性はかえって際立つかもしれません。
なーんか、矛盾してるんだよね。。。だって、エゴを捨て他人の為の利他が目的で
なるべくそういった、自分の思いを昇華させるのが目的なのに、結局は個性が際立つゆえの
戦いが起きるという結果が導き出される。ゲームでもそうだけれど、1つクリアしたら
次の段階へバージョンアップしていくだけで、内容はさほど変わらない。
(障害物を乗り越え、戦っていく内容)そうなると、地球が破滅するような気さえするのですが。
結局はバクテリアが進化し擬人化して活動してるだけで、(地球の表皮を生きる生物)
最終的には母体を食い尽くして、違う星へ移住するのが、シナリオだと予測できます。
564 :
神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 18:42:48 ID:doJAmT9r
ただ、人間の場合感情などが高度で進化してるため、いろんなプロセスがあるだけで、
物質的には結局はバーチが言うように、永遠に延びていく存在だとしたら、カビの胞子みたいな
バクテリア性が本質でしょうね。
それが、健全な進化のスピードを保ちバランスを崩さないために宗教など思想がある。
>>563-564 「個性が際立つ」ことと「他者との理解が深まる」ことは矛盾しませんよ。
自分の「個性」とは「他者との違い」によって大きくなるものではなく、自分自身が霊的にどれだけ成長するかによって大きくなるものだからです。
そうやって成長した真の個性においては、他者との争いは起きなくなると私は思いますよ。
人間の物質界における表現体が霊性の進化によってどう変わるかは全く予想がつきませんが、
どんな形態であろうと霊性が向上しているならば私はどんな姿でも良いと考えています。
566 :
神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 22:52:20 ID:HPQVSIem
>>565 霊性、って何? 地球の言葉で説明してくれませんか。
567 :
神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 22:59:15 ID:pLej6d21
凶悪カルト教団語では「ステージ」って言いますね
568 :
42:2007/07/15(日) 09:03:21 ID:0cW1ev8v
>>563-564 Aさんは『自分さえよければいい』という考えのもとに生きてきました。
しかし様々な体験をすることによって、それが誤りであることに気づきました。
それ以降Aさんは『他の人のために自分を役立てる』を信条とし、
新たな人生を歩いていきました。
Aさんは、霊性を向上させることができたといえます。
また、Aさんは本来の個性を発揮するようになったともいえるでしょう。
大まかに分けると人の心は二つの個性を持っています。
一つは、『自分さえよければいい』という個性。
もう一つが、『他の人のために自分を役立てる』という個性です。
人類を助け導こうとする存在は長い長い年月をかけ、二つ目の個性を
世に広めてきました。
その甲斐あって人類は、二つ目の個性を少しづつ獲得してきました。
そして現在は、一つ目と二つ目の個性が拮抗し、せめぎあっている状態です。
だからこそ、【各々がどちらの個性を選択するかが重要になってくる】のです。
皆さんはこのスレで、どちらを選択しているのでしょうか?
569 :
42:2007/07/15(日) 09:16:23 ID:0cW1ev8v
あ、忘れてた。
>>568は、私の考えです。
というか私はいつも私の考えを書いているので、そうじゃないときだけ
「これは引用だよ」と書こうと思います。
物質も非物質も、全ては法則のもとに存在しています。
なので大本の法則を理解すると、様々な事柄に関連性が見えてきます。
関連性が見えると、それへの理解が格段に深まりますね。
また、人類全体を長い目で見ると、人類の成長が個人の成長を
忠実に再現していることが判ります。
これも、理解を深めることに多大な貢献をしてくれますね。
570 :
神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 11:13:34 ID:xtJhTdlQ
>>568 「他人のために自分を役立てる」という発想を得て、思うだけではなく実行に
移す。さらには、その行為が現実に相手の役に立ったのか、自分の自己満足では
なかったか、または、相手を甘やかしダメにするような役立ち方ではなかったか、
さらには、相手が自分を超えて素晴らしくなった時に心から祝福できるか、
相手に役立とうとした心は100%純粋で私心のないものであったか、一旦
役に立った関係を次にどう発展させるか・・・・・。課題にきりなしで、スリル
満点。こういった人生はワクワクしますね。
例えばこのスレ等では、知識もあり、向上の努力を意識的にされている方が集まっていて、ある程度限定されているので、伝わるのも普通よりはスムーズかと思います。
が、現実生活の中で、無知の暗闇の中で苦しみ、光に達するまでに時間がかかる様な、本当に助けを必要としている方達との関わり方について等も具体的に知りたいです。
皆さんは、実際はどう関わっていかれているんでしょうか?
572 :
神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 12:10:42 ID:DMj8z8JY
他人から見て人のため、と見えることでも
ほとんどの場合は自分のためです。ほぼ100%でしょう。
心を紐解いて覗き見ればなんらかの”自己満足”が潜んでいます。
極端な話、それによる死ですら死に行く自分に酔っている場合があります。
573 :
神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 12:45:17 ID:xtJhTdlQ
>>572 人は完璧を目指すと、返って身動きがとれず、完璧に近づくのが遅くなるという
逆説があると思います。
お子さんが、電車の中で、お年寄りに席を譲る際に、
「ぼく、いい子に見られたい心が少しあるから、おじいさんに席譲るのやめたんだ。」
と、言われたらどうでしょう?心の隅々まで完璧かどうかはあとで反省するとして
とりあえず、良い事をした方が良いと思われませんか?
形から入って、重ねていくうちに、いつしか心も寄り添っていくような気が
いたします。何もしないよりは、事実、お年寄りが楽になられたわけですし、
見ていた方への善き影響というものありますし、ね。
ご自分を許しながら先に進むというもの楽しいですね。
574 :
神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 14:05:57 ID:Dx97dltN
575 :
572:2007/07/15(日) 17:48:15 ID:Hm3SUpnZ
>>573 スピリチュアリズムに捉われると、霊性の向上の為だとか死後の人生?をより良くする為に
利他愛をしきりに考えるのだと思いますがそれは自己愛の対義語でしかありません。
利他愛の実践のために善行をするということは矛盾を生じるのです。
動機を内包する善行ですから同じ行為をしても主義主張の違う人間が関わることで
衝突が生じることがあります。慈善団体が大同団結することなく諸派分立するのは
この表れです。
あなたが言われる席を譲るという行為を善行としてでなく”思いやり”であると
とらえれば、人間関係を良好に保つ行為として不可侵で普遍的な価値を持ちうると
思います。 人間は霊性の向上などという概念は持ち得ないと考えます。
576 :
神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 19:55:20 ID:GeMPw7ky
でも結局は、人の為にすることが自分の為になる。
っていうんでいいんじゃないかな?プラスマイナスゼロで。
私も人に何かしてもらったきりだと、気持ち悪くて、結局同じ位のものを
与えようと自然となるし。
<霊性の向上の為だとか死後の人生?をより良くする為に
<利他愛をしきりに考えるのだと思いますがそれは自己愛の対義語でしかありません。
自分の為 ってことは利他ではないから、利他はしない。って言う人いるけど、
はい、そうですか、しれじゃあ、他人にも何も期待するなよ。って
言いたくなりますね。これこそ、エゴの現れみたいな。
言葉っていうのは不思議で力がありますから、プロバガンダ的に利用されたりもするわけですけど、
本質が同じなら、別にいいと思うけど。
578 :
神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 21:17:12 ID:rkgejuyT
1回 偽善でも何でもいいから ボランティア活動に参加してみたら?
他人のために 汗を流してみたらいいよ。確かに自己満足の部分もあるけれどね。
でも、本当に困っている人達からの笑顔や・・
「ありがとう!」って言って抱きついてくる子供達やご老人の笑顔をみていると
異質の喜びを味わえるよ。それとかね。何か手作りの美味しいものを大量につくり
お友達に お手紙入れて送ってあげたり 最初、相手もかえって気を使わせるとかいろいろな
事を経験しても 「今年はまだぁー!」なんて催促されるくらいになると
にっこり笑えて楽しいよ。これも自己満足だろうけれど
いいじゃん 人が喜ぶことして自分も楽しむの・・
もうそうなると徳を積みたいから・・とかの考えじゃあなくなっていると思うヨ。
楽しみたいから 余力のある時にやっちゃえ・・・
相手をびっくりさせてやろう・・とか 楽しみにかえたらいいしね。
そして、こういうのって不思議よ
又、誰か別の他人さんに 困ってる時に助けてもらえたり
いきなり 「このケーキ美味しいよ、余っちゃって食べきれないから 食べてー手伝ってー。」
って言ってきたりする。笑
579 :
神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 22:48:50 ID:f6F5YNB/
人のためって言うけど自分自身が良い思念を発していれば
それがまわりに良い影響を与えるんですよ。これは立派な奉仕です。
だからなにも物質的なことにこだわる必要はありません。
580 :
572:2007/07/16(月) 09:27:47 ID:4ienx/6X
スピリチュアリズムの眼鏡を取り除いて
>>575を読み直していただければ、
これ以降の
>>575に対するレスは違ったものとなると思います。
581 :
42:2007/07/16(月) 11:20:56 ID:mmuema6m
>>570 おお、わくわくしますよね!
それに、喜びも感じられます。
人はもともと「自分を役立てるため」に創られたので、
自分が役立っていると感じたとき、大本の大本から湧き上がってくる喜びを
味わうことができます。
それは己の存在理由と合致した、真の喜びなんです。
582 :
42:2007/07/16(月) 12:19:32 ID:mmuema6m
>>571 >が、現実生活の中で、無知の暗闇の中で苦しみ、光に達するまでに時間がかかる様な、
>本当に助けを必要としている方達との関わり方について等も具体的に知りたいです。
>皆さんは、実際はどう関わっていかれているんでしょうか?
う〜〜〜む、これは私のNet活動で出会った質問のなかで、最大最強ダントツに
難しい質問です。これに応えるには、スレ容量の三倍は必要でしょうね。
なのでここでは、そのような人達へ私が個人的にしている対応の概略を
書かせていただきます。
とはいえ、 私は真にどうしようもない人に出会ったことが無いんです。
人は自分の中に無数の自分を持っています。だから相手の中に自分と相通じる部分を
見つけさえすれば、そこを通じてコミュニケーションをとることができます。
この能力を深めていけば、一対一の関わり合いで不都合を感じることは無くなると思います。
難しいのは、一人対集団の場合ですね。人の意識には同調連鎖があります。
個々の意識の間に共振と共鳴が働き、集団意識が暴走してしまうことがあるんです。
そういう場合は、もう去る他ありません。イエスもそう言ってるので去ることをお薦めします。
が、絶対に守るべき事柄が二つあります。それはこれです。
一つは、去る時に恨みの言葉や呪いの言葉を吐かない事。
もう一つは、相手と自分の心に芽生えたマイナス感情を手放す事。
583 :
42:2007/07/16(月) 12:28:16 ID:mmuema6m
[去る時に恨みの言葉や呪いの言葉を吐かない事]
これをやってしまうと、それまでどれだけ正しい働きかけをしていようとも、
全てが台無しになってしまいます。
また、次の働きかけにもマイナスとして働きますね。
前回の悪い波長が追いかけてくるんですよ。
Fさんがああも失敗続きな原因の一つは、これですね。
[相手と自分の心に芽生えたマイナス感情を手放す事]
これは、イエスによってもたらされた地上最高の祈りの実践です。
人々が私になした罪を私が許したように、
私の罪も許してください。
しかし、この祈りには超が十個つくほど重要なことがあります。
それは、【自分さえよければいいという動機でこの祈りをしないこと】です。
「自分さえよければいい」という自分が望んだから祈るのではなく、
「他の人の為に自分を役立てる」という自分が望んだから祈るのです。
アンバランスのバランス化という人の存在理由をこの祈りは成就してくれます。
まさに、地上最高の祈りですね。
584 :
42:2007/07/16(月) 12:40:58 ID:mmuema6m
正直いうと、私がここ数年で滅入ったり傷ついたりしたことの99.99%は
Netで起こりました。これ程の誤解、これほど悪意むき出しの言葉を
投げつけられたことは、日常生活ではありませんでしたから。
そんな時にやっていたことを書いておきます。
頭の中心から水色の光を脳下垂体と前頭葉に照射し、
マイナス影響を内側から打ち破る。
私はうまくいくと、「パリン」という音と感触を感じます。
またこの方法は、PCから放射された電磁波の悪影響をぬぐい去ることにも
役立ちますね。
585 :
42:2007/07/16(月) 12:50:05 ID:mmuema6m
>>575 >>580 >スピリチュアリズムに捉われると、霊性の向上の為だとか死後の人生?をより良くする為に
>利他愛をしきりに考えるのだと思いますがそれは自己愛の対義語でしかありません。
『自分さえよければいい』が主導の人へは、まさにこれが当てはまります。
しかし
>>573さんが書いているように、それでもそれをすることによって
『他の人の為に自分を役立てる』の自分と共鳴を起こすことができます。
その自分が、だんだん呼び覚まされてくるんですよ。
これについては
>>576さんや
>>578さんが書いてくれてますね。
586 :
42:2007/07/16(月) 13:00:18 ID:mmuema6m
>>579 もしその言葉に接した人が、物質的な行動をしないことへの言い訳として
それを用いたなら、その言葉はその人にとって強いマイナスを及ぼします。
その言葉を伝えた人も、自分への言い訳として用いていたなら、
倍以上の強さのマイナスを受けます。
故に、潜在意識による同調連鎖や自分の意識を外界へ刻印する仕組みや
アンバランスのバランス化への理解の無い人へそれを用いることは
非常に危険だと言えるでしょう。
587 :
神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 20:53:33 ID:7M8mX6n7
>>571 「本当に助けを必要としている人達との関わり方」を自分なりに考えて見ました。
@まず自分の心境をチェックする。(光に満ちているかどうか?)
私心、我欲、保身などがなく、無我で、与える側を選択しているかどうか。
A相手のニーズを汲み取り、的確な言葉をかける。
自分の心境が輝いていれば、言葉に力があり、相手の心の暗雲を吹き飛ばし
晴天にかえてしまう力がある。
B智慧の言葉で相手の状況を好転できれば最高。
認識の高い書籍等から得た知識を自分の生活に応用して得た智慧をお伝えして
困難な状況を好転してもらえるように一緒に考える。
C相手の良くなられた姿というか、働きかけそのものによって逆にエネルギーが湧く。
次への勇気とやる気になる。
書いて見て、こうした努力をさせてもらっている側こそ、大いなる存在から
法外の恩恵をいただいているのでは?と思いました。現実に相手が救われる
という結果も大切ですが、そのプロセスの中で働きかける側に与えられるものこそ
大きいな、と思います。感謝です。
588 :
42:2007/07/17(火) 08:24:28 ID:GCK/zldt
>>587 >書いて見て、こうした努力をさせてもらっている側こそ、大いなる存在から
>法外の恩恵をいただいているのでは?と思いました。現実に相手が救われる
>という結果も大切ですが、そのプロセスの中で働きかける側に与えられるものこそ
>大きいな、と思います。感謝です。
素晴らしいです。
しかもこの文は、Netの真髄に触れています。
冒頭の「書いて見て」という言葉。
そう、Netでは、自分の心情を書き、それを見ることが一番大切なんです。
どうか皆さんも、書いて見てください。
589 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 12:13:09 ID:1vZPerSr
>>584 >PCから放射された電磁波の悪影響
ソースは?確かな情報ですか?
590 :
神も仏も名無しさん:2007/07/17(火) 12:28:47 ID:NT2NLebW
スレ違いを重々承知の上での オカ板からの宣伝です。<(_ _)>
まずは ご一読ください。
親愛なる地球人のあなたへ☆
今年の来る7月に、世界中で、地球とそこに住む全ての命の未来を明るい方へ、光の方へ、愛の方へ方向転換をするために、世界中のあらゆる場所から、人種や地面の居場所や文化や宗教を越えて、地球人のみんなで一斉に祈ろう、というイベントがあります。
このイベントに参加するためには、何もルールはありません。
ただ1つ、あなたがよりよい地球、より愛のある人類、より光のある地球生活をおくりたいと思う、その心だけです。
祈りの参加方法は、あなたの愛する人々と一緒にでも、1人でも、どこでも、あなたにとってこの場所だと思えるところならどこでも、どのような形でも構わないと思います。
ただ1つ、心配や恐れにはフタをして、ただ、明るい光と、地球への感謝を思ってください。
あなたのハートから愛を流れさせ、地球とここに住む命に愛と光を放射してください。恐れる必要はなにもありません。
これはいっさい宗教は関係ありません。
ただ地球人として、あなたの愛の思いをあなたのそのかけがえのないハートから流れさせてください。
これからの地球と私たち、この美しく輝く星に住む全ての愛と光に満ちた未来のために゚・*:.。. .。.:*・゜
日本時間での開始時刻は【2007年7月17日20時11分】となります☆
そして貴方の中にある力を、この日に、1時間だけ、ううん、1時間がむずかしいようなら、30分でも、10分でも、5分でもいいです。
どうぞ、あなたの力を貸してください゚・*:.。. .。.:*・゜
↓詳細はこちら↓
【7月17日】 Fire The Grid 【世界規模の祈り】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1184350512/ スレ汚し失礼いたしました。
ご賛同くださる方のご参加を心よりお待ち申しあげます。
<(_ _)> よろしくお願いいたします。
結局、シルバーバーチスレの看板を掲げてもまともな人間は2chに寄りつかなくなるから
自分の欲に取り憑かれて、霊訓が心に響かないような人間ばかりが残るね
既得権力に対抗しようとする人間もいないし
592 :
42:2007/07/18(水) 08:34:23 ID:beEvjQX1
>>589 ソースはありません。
シルバーコードから流入するエネルギーを電磁波対策に使えないかと
試してみた結果、その方法を見つけました。
593 :
42:2007/07/18(水) 08:37:58 ID:beEvjQX1
>>590 スレ違いとは思いません。
正しい行いだと思いますよ。
>>591 たしかに過疎化してしまいましたね。
一週間か、もしくは数ヶ月お休みします。
益々過疎ってる・・・
595 :
ore:2007/07/20(金) 17:53:19 ID:dxjZIQ+O
最近、嫁さんがシルバーバーチの本を買って来て、私も読んでいます。
おおむね、そのとおりだと思います。
ただ、この手の本を読むときは、思考や感情といった精神で読んでも無駄だと思います。
精神も物質も現象ですから。
理論(思考の遊び)や信仰(感情の遊び:バーチのいっている信仰とは違う)
だけでは、とらえることができないです。
そこのあたりを置いておいて、そこを見ている自分で見る。そして、その自分も超えて、神と融け合っている自分として読むとふにおちます。
これは、言葉では、絶対説明できませんが・・・それでも、なんとか、伝えようと彼はしています。そこの辺りのようです。
596 :
オオルリ:2007/07/20(金) 19:21:40 ID:s6ElAsRn
>>591 霊訓は2ちゃんネラにこそ必要だと思うんですがw
それに世の中には、その時は共感出来なくても後々思い出して
納得できることもある。
派手な展開を期待するよりも、霊界の道具として地道に探求を
続けることですかね。
>>595 なんか霊訓を読んでいると、再確認している気分になるときもありますね。
霊界で誰かに聞いた話か体験したことか・・・
私の場合は、たぶん気のせい。
597 :
ore:2007/07/20(金) 21:04:47 ID:dxjZIQ+O
シルバーバーチのいっていることが特別なことではないし、彼が特別な何かでもないです。フツーの人です。
私は、さきほど「おおむね、そのとおり」書いたのですが、「おおむね」でないところは、
この、私たちが今みている世界を、あまり良い表現をしていないところです。
霊界もまた、現象です。移り変わる世界です。
神(なまえは、なんでもよいですけど)から見たら、差はありません。
変化する世界(霊界も含めて)、変化する思考や感情、あるいは、向上変化する魂や霊は、
本質(神でも仏でも、便所紙でもよびかたはなんでもよいですけど)
ではありません。
本質はまったく変化しないものです。
それは、私やあなたやバーチを落とした。それです。(言葉で、定義すると偽物になってしまいます)
598 :
神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 21:14:05 ID:MBfKOO0V
「神」っていう概念とバーチの言う、「神」との違いについて質問です。
ユダヤ教のヤハウェやギリシアの神、ゼウスなど呼び方は異なりますが、
一神教から分裂して多神教になった経緯があります。
その一神教の神は人格神とも言われていて、非常に怒りやすかったり、浮気ばかりしていたりで、
まるで英雄のように力そのものといった印象があります。
いろんな宗教の中で神がそれぞれに崇められていて、中には赤ん坊を生贄に求めたり、
残忍なイメージの神もいます。
その神とバーチの示す「神」とは同じものですか?それとも、全く別のものですか?
それとも、同じものだけれど、時代と共に変化した進化した「神」ですか?
アラン・カルデックのスレッドも過疎化してますね。
600 :
神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 23:16:32 ID:2LnxsZH/
チャネリング系の本には死後は次の転生に備えて眠りの状態に置かれる
と書いていますが、ここはスピリチュアリズムと決定的に違うところではないでしょうか。
なぜこんな違いが生じるのでしょうか?
自分としてはかなり戸惑ってます。
601 :
ore:2007/07/21(土) 08:47:34 ID:nR9tOfus
神といつた名前で、それを、呼んだ瞬間、神といった固有のものになってしまいます。
一定の姿や形ではなく、法則でもないです。
神は、時間も空間も法則も超えて含んでます。
(ことばで、書くと矛盾してしまいますね。)
ことばは、それ を、示す指でしかありません。
それ
(別に神でもばーちゃんでもじーちゃんでも、なんと呼んでもいいです)
は、
あなた自身で見るしかないし、あなた自身で知るしかないです。
思考と感情を前に置いて、もちろん、魂も霊も置いて、
それらと、離れて、
離れた、瞬間、すべてと一つとなり、とけて、超えて、含んでいます。
これは、
自分自身で見るしかないです。
602 :
ore:2007/07/21(土) 08:49:47 ID:nR9tOfus
601 は、 598について示すものです。
603 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 09:37:06 ID:KrLO+jaq
>>166 「神とは法則であり、その背後に働く精神であり、森羅万象の無数の顕現を与える力です、
生命そのものであり、生命を構成する根源的要素です。
その中に極小と極大の区別もありません。」
>>601 神といつた名前で、それを、呼んだ瞬間、神といった固有のものになってしまいます。
<一定の姿や形ではなく、法則でもないです。
これは大きな違いでしょう?
法則がなかったら、摂理もへったくれもない。ちゃんと、正しく理解してますか?
私は166の法則性に理解を得ます。
604 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 09:50:20 ID:KrLO+jaq
605 :
ore:2007/07/21(土) 10:34:19 ID:nR9tOfus
シルバー・バーちゃんの言っていることが全てではないですね〜。
言葉に捕われないことです。
バーちゃんも良い事いってますから、
そのバーちゃんの言葉の間にある真実(ま、真実ってことばにも引っかからないでね。)
を観ることです。
ことばは、神を示す指にすぎません。
バーちゃんのことばが神じゃないっすねぇ。
自分自身で、観ることです。
私があなたに示せるのは、自分自身で、観るしかないってことだけです。
たまには自分がどんな精神状態か客観的に見ることも必要だよ。
神仏強い関心があるときは、満たされない欲求とか精神疲労が強い時期。
でも悪い時期というわけでもない。
次のステップに進む準備期間で、心が成長しようと頑張ってる状態。
心の整理ができて、自分に何が必要か理解できれば神仏を肯定も否定もしなくなる。
というか、関心が薄れてる。
神仏に傾向してる時期は、自分の中にある原因を考え気付くことが大事だと思うよ。
607 :
ore:2007/07/21(土) 11:17:43 ID:nR9tOfus
神仏とか、精神状態とか、言葉は、どうでもいいんですねぇ〜
心理学も、スピリチュアルも、シルバーバーちゃんも、宗教も、
それも、関係ないなぁ〜、
バーちゃんのいっている神が絶対じゃないし、
私が、書いていることも、絶対じゃない。
ことばじゃ、ないんだよなぁ〜。
ま、観ることです。
観る事をしなければ、見えない。
それは、自分で観るしかない。あなた自身で。
実は、すでに、見てるんですけど。
見てることに気付くことかな。
608 :
ore:2007/07/21(土) 11:24:41 ID:nR9tOfus
ついでに。
606 :神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 10:55:27 ID:aEIaje3T
次のステップに進む準備期間で、心が成長しようと頑張ってる状態。
心も、関係ないんだなぁ。心は変化する。それは現れては消える。
私ではないねぇ。
と、
書くと、また、誤解をまねくかもねぇ。
まっ、やっぱし、自分自身で見ることかな。
あなた自身でね。
人に思いを伝えるには、相手に理解できる言葉で伝えるべきですよ。
自分で説明のできない考えを伝えても、相手は混乱するだけです。
まずは、自分の立っている世界を見て、自分自身を知る事大切ですよ。
アナタの立っている世界に私も存在しているのです。
私の生活する世界でアナタも生活しているのです。
仕事をし、ご飯を食べ、2ちゃんをする。
基本的な部分は同じです。同じ人間ですから。
アナタの説明できない事は、私には理解できません。
簡単な事ですよ。
610 :
ore:2007/07/21(土) 12:44:30 ID:nR9tOfus
うーん、お昼のトマトは美味しかったなぁ。
これも、自然の恵みに感謝です。
さて、
シルバーバーちゃんって面白いと思う。
彼は、彼なりになんとか、伝えようとしている。
もっとも、
彼の言葉に捕われては、彼の伝えようとしていることは、わからない。
まあねぇ。自分で見るしかないけど。
見るってのは、そうねぇ、見るっていうんじゃないけど。
(言葉尻にひっかかってると見えないす)
今、ここ に、ある から。
では、さようなら。
611 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 12:45:43 ID:KrLO+jaq
oreさんのいいたいことは、言葉は完全にそれを説明することが出来ないという、
高度なことをいいたいのだとは思うけれど、定義としてはだいたいのボーダーラインを示す
ことが出来ないと、言葉の意味は全くなくなってしまいます。
言葉を超えた感情や感性があるとしても、説明しなければ示すことすら出来ないです。
赤ちゃんだって、「ばぶ〜」しか話せなくっても、必死に身振り手振り表情で真意を伝えることを
努力します。
バーチの言うことが全てではなくとも、真理は法則だってことは、どの立場から
見た人からも普遍です。
oreさんのいいたいことは、私にも理解できませんでした。
きっと、ご自分でも何も分かっていないんだとは理解できましたけど。
612 :
ore:2007/07/21(土) 12:51:32 ID:nR9tOfus
ps:
おっ、なかなか、イイとこまで、いってんじゃん!ですねぇ。
もう、ちょっとだから、頑張ってね。はははっは!
さよならでございます。
609 :神も仏も名無しさん:2007まずは、自分の立っている世界を見て、自分自身を知る事大切ですよ。
アナタの立っている世界に私も存在しているのです。
私の生活する世界でアナタも生活しているのです。
仕事をし、ご飯を食べ、2ちゃんをする。
基本的な部分は同じです。同じ人間ですから。
613 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 12:56:58 ID:KrLO+jaq
oreさんは、完全に逝っちゃってる。
614 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 12:59:14 ID:F29mDzXe
読んでていやな感じがする
理解してあげたいけど、自己完結してて意味不明ですね。
というか、波長を合わせるのが危険な気がしてきましたw
何かを知った後に、自分が遥か高みに昇っていると思い、つい高ぶって
しまうのは、弱い人間一度は陥りやすい罠ですね。
自分もそうでした。できれば早めに、気づけると。
617 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 19:55:54 ID:KrLO+jaq
「失われた物語」を読んで、古代ギリシアからインドなどの神々を人間は長い間、
権威を保つために信仰させられてきたと理解しました。
バーチの言う、「神」とそれらの人格神はどう考えても、規模が違うと直感で感じたもので、
人格神は自分が気に入らないと滅ぼしたり、罰を与えたり、その割にはご自分は浮気はするは
気の向くまま、ワンマン社長そのもので、あまり、ついていきたくないというか・・・
そこが気になり、いろいろ調べていくうちに、人為的に「神」が創られてきたこと。
王族や豪族の権力維持の為に利用されてきたことなどが、可能性として考えられました。
そこで、疑問に思ったのが、人間の出す「念」が何かを形成する現象です。
いわゆる「念霊」といったやつです。
強い念を発する人は周囲に同じような形をした小さな自分を創作するらしいです。
それらが、動き回り周囲に影響を及ぼすと。
昨日、仏像を彫る彫刻家の話を聞いていると、やたらと「魂」や「宇宙」など
スピリチュアル用語が出てきました。やはり、その方の彫っていられる仏像はその方にそっくりで
分身のようでした。
人間は霊的な存在だ・・とバーチも言っておりますが、何か別次元のものを
こしらえる生物なんじゃないか?と思いまして。そうなると、自然と念の強いものが
幅を利かせるんじゃないかと。
618 :
神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 19:58:46 ID:KrLO+jaq
よく高次の存在の天使は人間のハイヤーセルフだっていう
噂というか、疑念も考慮されてますよね?
人間の中には低いもの(悪魔的なの)と高いもの(天使的なもの)があって、それらが
放出され、抽出され、混ざり合い違う存在を高次に存在させているとか。
他のスピリチュアル本によると天使より人間の方が存在としては偉大なんだと
620 :
神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 00:19:29 ID:ue+xJbiy
>>619 天使より偉大?
それは創造することと、自由意志があるからでしょうかね?
私は天使に憧れるな。疑うことを知らず、懸命に己の信じることのみで存在してるような。
やっぱり、ないものねだりなんですね。
621 :
神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 00:26:05 ID:ue+xJbiy
今、もう一度、シルバーバーチの本を読んでみました。
やはり、「神」というのは時代によって、歪められていたようですね。
誰かの意図によって、歪めて利用されてきた。
芸術などの手法で市民の感覚を刺激し、偉大なものとして認識させ、崇めさせた。
1度、権力にありつくと、旨い汁を自分達だけのものにどうにか、未来永劫出来ないか?ということを
知恵を働かせて(悪知恵ですね)維持しようと努めてきた。
だから、キリスト教には矛盾があるし、その他の新興宗教も矛盾があり、挙句の果てには
信者の魂をも窮屈なものにしてしまう。
まぁ、人間自体が未熟で矛盾だらけだから、仕方はないですけど。
まだ、矛盾に気がつくだけ、賢さもあるのかな。
622 :
神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 00:30:43 ID:ue+xJbiy
でも、最近思うのは、真実を見てしまうと、生きるのがつらくなってしまうから、
みんなで嘘を真実のように振舞いましょうっていう、人類の暗黙の了解なのかな?とも思いました。
嘘と分かっていて、みんなで騙されていようよ・・っていう。
それで、被害が少なければ、なまぬるくても心地いいですし。
思想も宗教も現実世界に秩序や法などとして生かされて初めて、意味を持つ。
だから、価値がないとは思わないけれど、全ての元は一緒という認識を持つことで
前とは断然に違った深みを手に入れることになるんだなとは思いました。
623 :
神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 02:09:20 ID:QxaovFMa
>613-615
確かに妙なバイブレーション出してますね。
というかここのみなさん共通してそういうのを感じられるんですねー。
そっちの方に吃驚しました。
624 :
神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 07:15:24 ID:UJjsXAJk
625 :
神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 17:23:17 ID:JRoI9p7T
霊界には地上の本の写しがあるという。
霊界通信で本の間違っているところを指摘してほしい。
個々に矛盾する部分があると混乱してしまいます。
626 :
神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 04:25:51 ID:77ESKDec
しかし聞いたことのない音の議論は不毛だな。
愛を実感しているかい?
俺。
627 :
神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 15:56:23 ID:qGAZifPt
598さん、私(追放者の気まぐれ)は神について次のように思っています。
まず、シルバーバーチは頭ごなしに「神とはこうだ、だから信じなさい」という言い方はしていないようです。
シルバーバーチ自身が確信したこと(摂理の完璧さ)の中から神を見出し、それを我々に啓蒙している立場をとっています。
たとえば次のように、
「私にとって神とは法則であり、法則がすなわち神です。」霊訓3(P191)
「私どもはあなた(神)を完璧なる摂理・・・絶対に誤らず、絶対に連続性を失うことの無い法則として啓示せんものと努めております」霊訓5(p6)
霊訓3(p185)の祈りでは冒頭から
「神よ、あなたは一体どなたに御(おわ)し、いかなるお方に御(おわ)すのでしょうか。いかなる属性をお具えなのでしょうか」で始まり、
「これまで私たちは地上とは別個の世界においても同じようにあなた(神)の摂理の働きを見出し、そしてそれがいついかなる時も寸分の狂いもないことを確認したが故にこそ、
その摂理とそれを生み出された心に満腔の敬意を捧げ、その働きのすべて・・・物的、精神的、そして霊的な働きのすべてを説き明かさんと務めております。」
「この世に奇跡はなく、神の特別の窮愛者もなく、選ばれし民もなく、唯一の神の子もいないということです。あるのはただ法則のみだということです。
宇宙がいかに巨大にして荘厳であるとは言え、すべてが絶対的法則によって支配されていることを知ったからこそ、こうしてその法則を教えようと努力しているわけです。」霊訓3(p187)
628 :
神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 16:01:32 ID:qGAZifPt
(続き)
また、「神の特別の窮愛者もなく、選ばれし民もなく、唯一の神の子もいない」の部分は審神の重要なポイントだと思います。
この立場から我々は、旧約聖書でモーセに語ったヤーヴェ神(またはエホバ神ともいう)を神とはしない。キリスト教でいう神の子イエス・キリストも神とはしない。
(因みにイエスは神のことを「アッバー(お父ちゃん)」と呼んでいた)。天使ガブリエルがマホメッドに教えたイスラム教の神(アラー)も神とはしない。
ギリシャ神話の神々も神とはしない、日本神道の八百万の神も神とはしない、ということです。
少し横暴な言い方をすれば、「あなたが神を何にしようが、それはそれで結構なこと」なのです。あなた自身がきちんと審神すれば(私にはシルバーバーチの審神に従います)。
ニール・ドナルド・ウォルシュは(自分の中の)質問の回答者を神と崇めて「神との対話」の本を出版しました。第2章で著者が「神が私なんかに話そうと望まれるとは思えません」
に対して回答者はこの話を本にするためだったとか(ウヤムヤにしていますが)、結局、ニールは質問の回答者を神と認めましたから、それはそれで仕方の無いことなのです、
ニールの神なのですから(私はニールの神は低級霊だと思っていますが)。
私自身はどうかといいますと、「神とは私という霊魂を創造してくれた私の霊魂の親(大霊)である」と思っています。ですから、イエスと同じく神(大霊)をアッパーと言ったりしています。
629 :
神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 16:34:41 ID:/dtlGvE+
何、追放者って。
酔わないでね。
630 :
神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 19:57:57 ID:EpG/4O0E
>>627-628 598です。お答えありがとうございます。
私もほぼ、同感です。
やはり、「神」って言葉は幅が広く使われてますね(笑)
それが、何を示すかはその人、個人の頭の中。
神が法則である。とか、完璧な秩序というのは納得です。
よく、人間が神を自分に都合よく変えて、法則なんてなくて、自分を寵愛して
力を与えてくれる存在だとか、思いたがる権力者などがいますが、そんなことは
絶対にないですよね。
631 :
神も仏も名無しさん:2007/07/24(火) 00:53:15 ID:8N6qw2MJ
>>630 ”神”という言葉の概念はあなたが前段で言われているように様々です。
様々な概念のひとつとして、”法則”であるとか”秩序”があるのです。
敢えて言うならば”シルバーバーチで言うところの神”です。
632 :
神も仏も名無しさん:2007/07/24(火) 01:16:37 ID:sThQW5m9
>>631 ということは、その「神は法則・秩序」っていうのも、絶対ではないということですか?!
それとも、「神は法則・秩序」っていうのも、絶対だけれども、他の人の信じる神も認めるという
譲歩の姿勢ですか?というよりかは、絶対視はしないという謙遜ですか?
633 :
神も仏も名無しさん:2007/07/24(火) 02:57:44 ID:cWSHBqIL
>>632 まず押さえていただきたいポイントは、言葉としての”神”には
それを使う人によって様々な概念が与えられているということです。
ですから、思いの異なる人どうしで”神”を語るときには
”神”に対する概念の確認をしないと話がすれ違います。
>>631は
>>630の後段で、
>よく、人間が神を自分に都合よく変えて、法則なんてなくて、自分を寵愛して
力を与えてくれる存在だとか、思いたがる権力者などがいますが、そんなことは
絶対にないですよね。
と書かれていたことを受けてのコメントです。例えに挙げられた権力者の考える神と
あなたの考える神とで概念の相違があると思われるからです。
つまり
>>631ではあなたの考える神について肯定した訳でも否定した訳でもありません。
ですから
>>632の質問にお答えするすべがありません。
個人的には、神が”法則・秩序”そのものであるならば”神”を主語にして擬人化する必要は
ないと思います。敢えてそのようにしていることで無用な誤解を生んでいるように
思いますし、旧来の宗教に似せて広めようと考えられた、前時代的な遺物であると
思います。
634 :
神も仏も名無しさん:2007/07/24(火) 10:01:41 ID:sThQW5m9
>>633 <言葉としての”神”には
<それを使う人によって様々な概念が与えられているということです。
これには、同意です。
それは、ここでもいろんなすれ違いが起きていることでも、理解できます。
<個人的には、神が”法則・秩序”そのものであるならば”神”を主語にして擬人化する必要は
<ないと思います。
”神”という言葉は短いですし、長ったらしく秩序・法則というのでは、時間もかかるので
そのような単語になったとは思います。
635 :
神も仏も名無しさん:2007/07/24(火) 10:02:26 ID:sThQW5m9
<敢えてそのようにしていることで無用な誤解を生んでいるように
<思いますし、旧来の宗教に似せて広めようと考えられた、前時代的な遺物であると
<思います。
ここが、重要なんです。イエスが何故、偶像礼拝を辞めさせ、互いに助け合うように人々に説いてまわったか?
例えばですが、はじめの考えはとても善いものでも、次元の違うものに変えていくと
いろんな雑多な要素が入り混じることがあります。たとえば、ビジネスの世界でもそうです。
ビジネスに変えたとたんに、不純な要素が入り込み、方向が違ってゆく可能性も多くなる。
偶像=視覚には凄い力があります。それが、人の心を惑わし、方向つけるということにもなるからです。
巨大な大仏やその他の像には、建てた側の思惑がありますし(もちろん、いい思惑もあります。)
利用されてるとは思います。
636 :
神も仏も名無しさん:2007/07/24(火) 10:03:18 ID:sThQW5m9
豊穣の女神イシスがエジプトでは神と讃えられていた時代がありますが、
時代が変われば、魔女として戒められていたキリスト時代もあります。エッセンスは同じでも。
このように同じ要素でも、時代や人の感情によって左右されるものです。
だから、いつの時代も本質を見失ってはならないということですね。
いろんな歴史研究や科学・医学で解き明かされるのは、それらが、あえて創られたもの(創作)であると
理解することも重要だと思います。知らないで、神と崇め何か違ったものに翻弄されるのと、
知った上で調和のために利用=活用するのとでは、全く方向が違ってくるからです。
私個人は彫刻も仏像も芸術作品としてすばらしいと思いますし、何かインスピレーションを得たものだけに
宝石を含んだ、モノであると思います。必要ないから無くしてしまおう・・っていうのも
何か違うと思うのです。イエスの言いたかったことはそういうことなんじゃないかな?と思うのですが・・・
637 :
神も仏も名無しさん:2007/07/24(火) 14:39:03 ID:oK1SEShm
ヒーリングは皆さん受けた事あるのですか?
経験ある方はどうでしたか?
638 :
633:2007/07/24(火) 15:01:13 ID:q8wf7TPE
もうひとつ押さえていただきたいポイントは、
思想、哲学上の”神”と心霊、霊能などを媒体として認識される”神”
とが同じように語られていることです。まことしやかな話のなかに
作為、錯誤が含まれている可能性は十分にあります。
心霊現象や霊能現象を目の当たりにすると驚嘆するとは思いますが、
霊界の仕組みの証とはなり得ないでしょう。
639 :
神も仏も名無しさん:2007/07/24(火) 15:15:33 ID:5nyhdNMr
640 :
42:2007/07/25(水) 10:35:03 ID:BgNrG4I9
>>600 >なぜこんな違いが生じるのでしょうか?
>自分としてはかなり戸惑ってます。
う〜む、以下の話の方が戸惑う人は多いだろうな。
死後は眠りにつくという主張とスピリチュアリズムで説明している死後の世界の様子は
矛盾しないんですよ。キーワードは【半覚醒状態でみる夢】ですね。
死後の世界、つまりアンバランス霊界に留められている心は
神我の力をフルに発揮できない半覚醒状態にある。
死後の世界での眠りとは、この状態を指す。
そしてその状態で、心は夢をみる。
物質世界の生き様が色濃く反映した夢を。
人の正真正銘の本体である神我にしてみれば、神我を発揮していない状態は
すべて夢と同じなんです。
こちらの世界だろうが向こうの世界だろうが。
641 :
42:2007/07/25(水) 10:44:41 ID:BgNrG4I9
バランス状態に近づけば近づくほどバランス霊界にいる己の神我と同調しやすくなるのは
なにも物質世界に限ったことではありません。
死後の世界でも、それはまったく同じなんです。
だから物質世界で神我を発揮できなかった人、つまり【霊的眠りについていた人】は
死後の世界でも神我を発揮することができないんですよ。
これが、向こうの世界でも眠っていると言われる所以ですね。
すると、その状態にある心は夢を見ます。
アンバランス物質界での生き様が色濃く反映した夢を見ます。
アンバランスの度合いが強ければ強いほど、アンバランスな夢を見ます。
これが、死後の世界にも犯罪があると言われる所以ですね。
もちろん、そんなアンバランスに苦しまずにすむ領域もあります。
全てはこの世界での生きかた次第というワケです。
この世界でなされている霊的目覚めの促しに積極的に参加している人は、
向こうの世界での促しにも敏感に反応できますね。
やっぱり、この世界での生きかた次第というワケです。
今の一瞬一瞬を大切に生きる。
これが基本です。
642 :
42:2007/07/25(水) 10:51:29 ID:BgNrG4I9
oreさんの話もシルバーバーチと矛盾しませんよ。
文字で理解するのではなく、それを支える法則で理解する。
これがミソですね。
それと、これからはコテハンなしの名無しとして
週に1〜2度カキコするだけにします。
ではでは
643 :
神も仏も名無しさん:2007/07/25(水) 14:04:54 ID:Mucw/ud9
あの態度では、どんなに知識があっても、頭でっかちなだけでは意味無いなぁ、と本当思いますね。
644 :
神も仏も名無しさん:2007/07/25(水) 14:20:53 ID:js5wdWeV
誰もヒーリング受けた事ないの?
スピリチュアリズムは何よりも実践重視だしょ?
645 :
神も仏も名無しさん:2007/07/25(水) 14:55:18 ID:VWZplJp5
スピリチュアリストは生命保険なんかに入らないよね。
いざとなったらヒーリングが受ければいいから。
646 :
神も仏も名無しさん:2007/07/25(水) 15:23:19 ID:A06RHJuf
644さん、ヒーリングは受けたことがあります。私の頭は小さい方です、中身が少ないので。
638さん、「神がどのような存在であるか」をフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で眺めてみますと、宗教、哲学でいう神とは
1)「造物主(ギリシア語ではデミウルゴス)、第一原因としての神」・・・全ての物事の原因を辿って行った時に、全ての原因となる最初の創造(創世)行為を行った者として、想定される神。
2)「アニミズム(汎神論)における神」・・・洞窟や岩、山、水(泉、滝)など自然界の様々な物事(あるいは全ての物事)に固有の神。それらの物事に「宿っている」とされる。
3)「現実世界そのものとしての神」・・・この世界のありようがそのまま神のありようであるとする考え方がある。例えばアインシュタインやスピノザはこのような考え方を採ったことで知られている。
(自然界を支配する法則も入る)
4)「守護神、恩恵を与える者としての神」・・・神は祈り、信仰、犠牲などに応じて現世や来世における恩恵を与えてくれる存在であるとする考え方がある。
5)「人格神」・・・神が人と同じような姿や人格を持つとする考え方がある。
6)「チャネリングのような存在としての神」・・・遥か太古に宇宙より訪れたある『高度な存在』が、自然界の一生物に過ぎなかった頃の人類に様々な知恵を授けたり一部を改造したりして、
人類の進化に寄与したのでは?とする奇説がある。(インテリジェント・デザイン)世界各地の神話に記される神とはこれらの『高度な存在』を示すものとする考え方。
のように分類されています。
また、これらの存在証明をフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で眺めると4つあり、四種類の存在証明(カントの分類)は次のようです。
a)目的論的証明・・・世界が規則的かつ精巧なのは、神が世界を作ったからだ。
b)本体論的証明・・・「存在する」という属性を最大限に持ったものが神だ。
c)宇宙論的証明・・・因果律に従って原因の原因の原因の…と遡って行くと根本原因があるはず。この根本原因こそが神だ。
d)道徳論的証明・・・道徳に従うと幸福になるのは神がいるからだ。
647 :
神も仏も名無しさん:2007/07/25(水) 15:25:00 ID:A06RHJuf
(続き)
この事典によれば、以上が「宗教や哲学で分類するところの神」のようです。
さて、独断と偏見で我々の言う神を「霊的な神」と言うことにします(いまだけ)。上の分類に照らしますと「霊的な神」とは
1.「造物主」、3.「現実世界そのものとしての神」のことであると思われます。
また、その他については「霊的な神」ではなく
2.「アニミズム」は神の霊力、4.「守護神」は未熟霊を援助する高級霊のこと、5.「人格神」は高級霊のこと、6.「チャネリング」は高級霊との霊界通信のこと
と見なしてもいいと思います。
さらに、「神の存在証明」で眺めてみますと、「霊的な神」はa〜dの4つをすべて満たしたものであると思われます。この4つの存在証明は同時に「審神」の条件であるとも考えられます。
私は「宗教、哲学」は霊的領域の中に含まれると見なしていますから、それでこんなことになったのかもしれません。「霊的な神」とは「学問的な階層領域ごとに区分される神」ではなく、
「霊界があってその影として物質界がある」立場から、物質界(影)とそれを発現している霊界(実体)の全て(大霊)をいっていると思います。
不完全なコメントになりましたが、どなたかが補足コメントをしてくれればと思います。
648 :
神も仏も名無しさん:2007/07/25(水) 19:10:10 ID:M0Mc0YCs
>>644 シルバー・バーチは一貫してヒーリングの依頼を断り続けた。
「それは自分の役割じゃないから」と。
だからこのスレで聴くのはスレ違いだと思うよ
>>645 それなんてオカルトからの引用?
650 :
神も仏も名無しさん:2007/07/26(木) 05:50:20 ID:OygN4GLC
みなさん生きてますか?
651 :
神も仏も名無しさん:2007/07/26(木) 07:33:31 ID:myv2+Bw7
>>646 636です。その辺は、大体閲覧(ウィキディア)しました。
「神」っていうものを知りたくて、バーチや神対も読みました。
だいたいは、同じようなこと言ってるなぁ、と言う感想なんですけど、
目線で微妙に違うんですね。私も”神対”は納得というか、この世での生き方に対してのアドバイス的な
目線では勢いを持って生きられる指針にはなっても、そこになんの目的や理想みたいなものを感じることが出来ず、
どちらかというと利己的なものを助長させるような思想だな・・と感じたものです。それが低級霊かはどうかは確定できないですけど、
バーチの方が高潔でその場しのぎでない、愛に満ちた指針を感じました。(やはり、本物の愛はただ、都合のいいことばかりや、優しいだけではないですから)
自分が知りたかったは、時代、時代によって、こうも違う原因と
そうなった背景などから、「神」というものの本質を探ってみたくなったのです。
イエスが言う、偶像崇拝をやめさせ・・が過激な偶像破壊カルトになっていったり、
そこに、なんらかの誤解や曲解と思い込みが人間側に起こると、違う方向に行ってる気がしたのです。
でも、イエスの性格から、そういうことを言いたかったのではないと思いまして・・・
何か間違ったものに傾倒していく過程の恐ろしさを示したかったのではないか
?と。本でも、訳者が違うと、そこにまた仲介が入ることによって、その人の思想や意向が入ってしまい、
当初の方向とは違ってしまうことって、よくあるじゃないですか?
652 :
神も仏も名無しさん:2007/07/26(木) 11:59:13 ID:GJO+crcN
651さん、とても深いところでの洞察のようであり、私には付いていけそうもありませんが、
「偶像崇拝」に関しましては、旧約聖書でのモーセの「十戒」に明示されており、
「1.私以外のどんなものをも神とするな」「2.偶像を造るな」「3.神の名をみだりに唱えるな」「4.安息日を聖とせよ」
「5.父母を敬え」「6.殺すな」「7.姦淫するな」「8.盗むな」「9.偽証するな」「10.隣人の家(財産)をむさぼるな」
イスラエルの民はそれを守ってきたのでしょう。十戒の1、2、3がそれにあたります。おそらくイエスもそれに従ったのだろうと思います。
ただ、十戒に対するイエスの解釈は、決して教条的なものではなく実質的なものだったようです。
たとえば、4の安息日については、「何もしてはならない日」であるのにイエスはその日に病人を治して、パリサイ派からひどく非難を受けています。
このときのイエスの解釈は、目の前に苦しんでいる者を見て放っておく神などいない、助けるのが当たり前だというものでした。
私にはこの程度のことしか分かりませんが、あなたの洞察が進みますように、このスレで仲間達がきっと協力してくれると思います。
653 :
神も仏も名無しさん:2007/07/26(木) 14:42:17 ID:LVMHYkHn
同じシルバーバーチを読んでも本当にさまざまな解釈があるものだなぁーと思います。
それが凄い不思議だと思いましたが、それぞれの霊性の問題だと解ったので納得しました。
自分は今まで宗教などには関心がなく哲学や心理学を自分なりに学んだ結果
スピリチュアリズムに出会いこれが一番説得力があり自分の求めていたものだと思ったんですが・・・
スピリチュアリズムと出会いユングに関する理解不能な部分もすっきり解読出来ました。
654 :
神も仏も名無しさん:2007/07/26(木) 15:23:43 ID:myv2+Bw7
>>642 <oreさんの話もシルバーバーチと矛盾しませんよ。
最初の方は、矛盾を感じなかったけど、
<一定の姿や形ではなく、法則でもないです。
と”神は法則です”というのとでは、正反対なのに、何故、矛盾しないのでしょうか?
宗教や哲学を学んでると、どっちがどっちだか説明してるうちにわかんなくなちゃいません?
一定の姿や形ではないけれど、法則です。 だったら、理解できます。
<同じシルバーバーチを読んでも本当にさまざまな解釈があるものだなぁーと思います。
それは、球体をそれぞれの位置から見ると、また違った側面が見えるということではないでしょうか?
あおの球体は多面体で見る位置によって、さまざま。でも、同じものを見てる。
と思います。
655 :
神も仏も名無しさん:2007/07/26(木) 15:33:56 ID:LVMHYkHn
>>654 なるへそ。
<あおの球体は多面体で見る位置によって、さまざま。でも、同じものを見てる。
自分は常に普遍的なものや真実を求めて生きて来ました。
この部分は皆同じだという事で良いのでしょうか?
656 :
神も仏も名無しさん:2007/07/26(木) 16:01:35 ID:myv2+Bw7
<あおの
これ、何でしょ?自分で打ってて分けわかんなくなりました。
「その球体」ですね。
景色だって同じものを見てても、角度や位置によって若干違いますし、
でも、近いほど同じものを見てる。
結局は同じものを見ても違うものが見える。でも、見てる対象は同じ。
真実も同じ。
魂や神の愛は、外側に知識を付け加えていくことではなく、自分
の意識の内側を掘り下げて、極限まで克己修練していくことでしか
本当には分からないと思います。
こういう場所や本などは、あくまでも答え合わせに。
知識の披露以上に、時には魂の声を聞きたいです。
658 :
神も仏も名無しさん:2007/07/28(土) 11:48:21 ID:gTroxDmU
輸血といい、腎臓移植といい、高級霊の言うことと反する方向に行ってる
人間社会って、一体どっちの方向へむかっているんでしょう?
いけないものはいけないのに、なんだかんだ理由をつけて、導入していった結果は
高級霊の思惑とは逆ってことですよね?
簡単に言うと。
659 :
神も仏も名無しさん:2007/07/28(土) 11:51:28 ID:gTroxDmU
それを進化だといい、進行していってる。
だけど、いけないのが真実だとしたら、行くだけいって、やっぱり悪影響があるってことが分かり、
ご法度になる過程が待っているのでしょうか?
いけないというのだから、(高級霊が言うことが本当に正しければ)やっぱりそれ相応の結果は起こりうるわけで。
.
662 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:06:12 ID:a+MP++wA
>>659 <いけないのが真実だとしたら、行くだけいって、やっぱり悪影響があるってことが分かり、
ご法度になる過程が待っているのでしょうか?
そうだと思います。でもそれはまだまだ長い時間が掛かるのだと思います。
狂牛病、鳥インフルエンザ、豚コレラ、薬害エイズなども一つの警鐘だと思うんですけど
それでも血液製剤や肉食は相変わらずだし・・・・バーチが言うように進歩はゆっくりって事か・・
663 :
神も仏も名無しさん:2007/07/29(日) 22:02:27 ID:V3xNJ89Z
>>661 良く分からんけどサイド・ヌルシーではないのかな?
664 :
神も仏も名無しさん:2007/07/30(月) 18:15:35 ID:1JOXsI36
657さん、私にはあなたの言う「魂の声」を聞かせてあげるほどのものがありません。
>自分の意識の内側を掘り下げて、極限まで克己修練していくこと
素晴らしい生き方ですが、しかし、こんな生き方もあります。(知識偏重の披露宴と思わないでください)
「スピリチュアルの冒険」富岡幸一郎著の第4章「万人の霊的覚醒へ」(p219〜223)の中で、ユダヤ教の「ハシディズム」についての解説があります。
「ハシド」とは「敬虔な者」と言う意味で、「日常生活を聖化する運動」がこの言葉の意味ですが、これを「日常性の中にこそ、神の愛がたぎっている」のように説いて、
日常生活のありきたりの中に、「神の愛」、「神の知恵」があることを民衆に謳っています。
近代哲学者でハシディズムのA・J・ヘッシェルは、「現代人の惨劇は、人が神によって与えられた生命を刻々と”生きている”、この一瞬ごとの出来事に対して”驚異の感覚”を失ってしまったことにある」
と説き、自分と言うものは自然と共に生きている、この当たり前の中に「自己」がある、日常の平凡の生活の中に実は「神の愛」、「神に知恵」の恩恵を受けている、現代人はこのことに対する「畏敬の念」が不足している、
これが悲劇だと言っています。
これには、私も反省しているところです。
そもそも、この本が訴えていることは、現代の日本はスピリチュアリティが流行しているが、しかし日本には肝心な「霊的な食べ物」が不足しており「神が消えている」として、
それが日本の生命力の減退に繋がっているのだと言っている節があり、少し怖い感じがしますが、
著者はスピリチュアリティを単にフィーリングで捉えるのではなく、本格的に捉えるためにも”宗教”にまで踏み込んで捉える必要があるとしてこの本を書いたようです。
657さん、できればこの著者の魂の声を聞いてあげてみてください(この本は体験談ではありませんが)。コメントがパッとしないので・・落ちます。
シルバーバーチって?
666 :
神も仏も名無しさん:2007/07/30(月) 23:32:41 ID:WXVT1zS/
>>664 日本人が疲れやすくなってるのは米に多くのカドミウムが含まれてるから
って意見を読んだことがある
668 :
神も仏も名無しさん:2007/07/31(火) 05:28:49 ID:OVyzGA37
>>667 それをいうなら携帯やパソコン・ネットのやりすぎが一番
の原因でしょ
今の人は携帯やりすぎ
携帯電磁波は非常に危険らしいよ 性能上がった分、強い電磁波でてるだろうし
目にも神経シナプスにも脳にも悪影響あるとか
少し控えたほうが良い
669 :
神も仏も名無しさん:2007/07/31(火) 05:43:54 ID:izPMN7C1
>>668 電磁波の影響についてですが、私も近代の電磁波製品が出回ってから
体調が悪いのですが、敏感な体質の場合そういうことってあるんですか?
ちなみに、憑依体質だと霊能者からは言われたことがあります。
パソコンルームなどに居ると、気分が落ち込みやすくなり、イライラしてくるなど。
670 :
神も仏も名無しさん:2007/07/31(火) 06:16:29 ID:ayG8n1hb
>>669 俺も憑依体質と言われたことがある。
対処法としてはヘソの下にある丹田に力を入れとけば入ってこれないらしいよ。
それでも、丹田に意識を集中するのは疲れるから、背筋を伸ばして姿勢良くしてれば
自然と丹田に力が入るんだって。
でも、一番は気の持ちようだけどね。
信じやすい人は、自己暗示で気分悪くなるから、憑依体質とか言われればそんな気がしちゃうでっしょ。
姿勢を正して、自分は大丈夫と信じることも必要だよ。
>>657 魂の声は、あちこちにあるよ。気付かないだけだよ。世界は魂の声に満ちてるよ。
>>664 神が消えている、なんてことは本当はないよね。みんなほんのちょっぴり感性が鈍くなってしまっているだけだ。
花にも虫にも風にも光にも。
>>654 シルバーバーチが使った‘法則’という言葉と、oreさんが使った“法則”という言葉が
違うものを指しているとしたらどうでしょうか。
同じものを指しているなら矛盾しますが、違うものを指しているなら矛盾にはなりません。
oreさんはこんなふうに書いてます。
>本質はまったく変化しないものです(
>>597)
oreさんが説いた‘本質’を、シルバーバーチは“法則”と表現したとは考えられませんか。
この宇宙の本質をシルバーバーチは重々理解している。
それは人間社会の言葉ではとても言い表せるものではない。
しかし、それでもなんとかそれを表現しようとした。
その結果、“法則”という言葉が採用された。
私達が思い描く‘法則’という言葉と、
シルバーバーチが神の説明の折りに用いた“法則”という言葉は、
完全に一致しているわけではないんですよ。
>>657 >魂や神の愛は、外側に知識を付け加えていくことではなく、自分
>の意識の内側を掘り下げて、極限まで克己修練していくことでしか
>本当には分からないと思います。
同意です。
>こういう場所や本などは、あくまでも答え合わせに。
>知識の披露以上に、時には魂の声を聞きたいです。
こういう場所や本にも、魂の声や神の愛は溢れています。
人はそれらを無意識に話すことがあります。
また、それらを頭から否定し、読み飛ばしてしまうこともあります。
要は、読み手次第なんですよ。
内は、外につながる門である。
内を掘り下げていけば、外につながります。
己の内に神を見いだす者は、己の外にも神を見いだすのです。
>>664 >日本には肝心な「霊的な食べ物」が不足しており
霊的な食べ物を認知できるか否かは、その人次第。
少なさを嘆く者は、鈍感なだけなのかもしれない。
676 :
神も仏も名無しさん:2007/08/01(水) 11:01:48 ID:jPCMEbu0
672さん>神が消えている、なんてことは本当はないよね
674さん>魂の声や神の愛は溢れています。人はそれらを無意識に話すことがあります。
675さん>霊的な食べ物を認知できるか否かは、その人次第。
私は「スピリチュアルの冒険」富岡幸一郎著に書いてあることを、あえてそのままスレしました。著者が言いたいことを私なりに代弁すれば、
”スピリチュアルをやってる割には神への畏敬の念が足りないのでは”ということだと思います。だからとうってこれを国家体制でやればいいのかというと、
それはかつての「ファシズム(一党独裁、国家神道体制)」に戻り兼ねません。
シルバーバーチの霊訓3に、
「霊的真理は一人ひとりの人間を拘束から解放する意図が託されているのです。私どもの仕事はかならず一個の人間から始めます。人類全体も個が集まって構成されているからです。
一人また一人と非常にゆっくりとした根気のいる仕事ではありますが、それ以外に方法がないのです。大勢の人を一度に変えようとしても失敗します。暗示が解け、普通の状態になったとき、
すべてが忘れ去られます。」(p48)
また、第5章「もしもシルバーバーチがテレビに出たら」では
「私はその霊的真理を平易な言葉で概説し、視聴者に対して私の述べたことが理性を反発させ、あるいは知性を侮辱するもであるか否かを聞いて見ます。
私には何一つ既得の権利を持ち合わせていないことを表明します」(p76)
とあります。
677 :
神も仏も名無しさん:2007/08/01(水) 11:03:56 ID:jPCMEbu0
(続き)
私の解釈では、”霊的真理は一人ひとりが獲得していくものであり、国家体制で啓蒙してくものでは無い”と言っているように思えます。
私にとって「霊的な食べ物」は、霊的真理を得るための活動(他人の為に自分を役立てること)であると思っていますし、
また、「神が消えてる」どころか、こうして我々が日常生活を送れるのは、神が常に我々に等しく霊力を注いでくださっているからであると思っています。
では、著者の言う[霊的な食べ物」とは何かというと、それは「先人のスピリチュアリストたちの豊饒な霊的メッセージである」とあります。
著者は、第2章の「日本のスピリチュアリスト」で「北村透谷の”恋愛”のスピリット」「内村鑑三の霊的預言」「鈴木大拙の日本的霊性」「折口信夫と”神道”のスピリット」、
を挙げて「霊的な食べ物」を紹介しています。また、第3章では「文学の中の霊性」で同様な紹介を行っています。
さて、「魂の声と神の愛」ですが、これについては私の持論があります。ユングのシャドー(影)の心理的機能がそれで、日常生活のなかで「苦しみ」に対面しますと、それは意識層に刻まれますが、
同時に無意識層にそのシャドーが生じる筈です。このときに出来るシャドーは意識層とは反対のものであり、私はこれが「魂の声」であると思っています。
苦しみが深ければ深いほど「魂の声」は段々と大きくなり、意識層にまで昇ってくる。「苦しみ」の内容が利他的であれば、それは「神の愛」と同等なものであると思っています。
674さん「人はそれらを無意識に話すことがあります」このコメントには驚きました。
678 :
神も仏も名無しさん:2007/08/01(水) 11:29:15 ID:MxMffmia
たんとごはん食べて運動して体力をつければ疲れん
679 :
神も仏も名無しさん:2007/08/01(水) 12:52:15 ID:tNGMmuC1
私は何か失敗した時の反動が非常に大きい
恐ろしいぐらいに・・・何故?
立ち直るのに6年余り
まだ全快してない
そう言えばこんな事もあった
餓鬼の頃学校の壁にいたずら書きをした犯人としてPTAで発表された
もちろん冤罪である。(後にちゃんと真犯人は見つかったが・・・)
そして地域中にも広まった
こんな事が自分にはよく降りかかる。
酷すぎる
680 :
神も仏も名無しさん:2007/08/01(水) 14:04:29 ID:QyaOmn1G
>>673 矛盾してるように思えたのは、一方で
>本質はまったく変化しないものです(
>>597)
といいながらも、
神は法則ではないと表現してるところに、実と虚を織り交ぜたような胡散臭さと危険を
感じたのです。それは、ここでほとんどの人が感じた「何か、おかしなもの」の本質だと思いますよ。
681 :
神も仏も名無しさん:2007/08/01(水) 14:43:58 ID:jPCMEbu0
679さん、自分では気が付かなかった意外なところに「コンプレックス(複合体)」(ユング)が有るのかも知れません。
心のどこにトラウマ(外傷)があるのかを知る方法に「言語連想検査」があります。百固の刺激語に対する連想反応の応答時間を測って、
患者の心の中の「無意識層にある、感情によって着色された表象群」を捉え、何がこの人の心(無意識層)のトラウマに成っていたのかを突き止めるのです。
それでコンプレックスを明らかにするのですが、この治療は資格のあるカウンセラーに診てもらうのがいいと思います。
また、このスレには詳しい方がいると思いますが・・・(私は素人です)
682 :
神も仏も名無しさん:2007/08/01(水) 14:58:30 ID:tNGMmuC1
>>681 ありがとうございます
丁度今カウンセリング受け始めたばかりなので聞いて見ます
>>680 「神は法則である」というシルバーバーチの言葉を信じるあまり
「神は法則ではない」と主張する人との間に不調和が生じたなら、
それはシルバーバーチの意に反する行為であると私は断言できます。
684 :
神も仏も名無しさん:2007/08/01(水) 21:02:29 ID:YFNWrdQq
まあ「断言」している時点で不調和上等なわけですがw
「理性に反するものは拒絶しなさい」
不調和を恐れるあまり議論を尽くさずに付和雷同へ流れるとしたら
相手を小馬鹿にしているのと同じでしょう。
それこそ霊訓の趣旨に反すると感じますね。
685 :
ore:2007/08/01(水) 23:50:53 ID:tHdt8gaB
それを、言葉にすれば嘘になる。矛盾する。
神、理性、本質、法則、仏、サムシンググレート・・・
それを、言葉にしてしまつた瞬間、
それは、虚となり、矛盾し、胡散臭くなります。
言葉にとらわれ、言葉で議論しはじめると、それから、それてしまう。
もっとも、それは全てであるから、今、書いたことも、そうなのですが。
(この文自体、矛盾してるでしょ。
言葉で、表そうとすると、嘘になり、その嘘もまた、それです。)
で、まぁ、私は、自分自身で見てね。としか、いえないのです。
/////////////////
さーて、明日も、畑を作るかな!
確かに神を知るのに議論は必要ないですよね。
自分を犠牲にしていく闘いを通して、人と神を隔てている壁を
超えられる。
進化する事は、他人より特別な存在になるためでも、自分だけが
その恩恵に浴するためでもなく、無私無欲、謙遜になり、どんな
利己心も混ざらない、愛、思いやり、平和を他の人と分かち合う
事、調和していく事、奉仕できる事ができる人間になるためだと
思います。
頭で理解する知識ではなく、魂の叡智に辿り着いた人は、大いなる
愛をしっているはずですから、それをまだ知らない人を些細な点でも決め付け
たり無意識にでも裁いたりする事なく、愛で繋がっていく事が大切
と思います。
人を本当に導けるのは愛だけです。
687 :
ore:2007/08/02(木) 09:51:22 ID:5HDSai0E
神(とりあえず、それを、そういった名で呼んでみます。)
と
人を、
隔てる壁はありません。
壁があると思っていれば、壁があるかのように見えています。
目の前に見える、小さな身体や心だけが、自分(あなたも私も)では、ありません。
小さな身体や心も含んだ、すべてが自分自身です。
それを、神とよんでも愛とよんでも、いいですねぇ。なんとよぼうが。
それを、愛というとき、すべては、すでに、繋がって融けてひとつになっています。
繋がっていく必要はありません。
いまここ、お互いが相手のためにゼロになって受け入れあっていますから。
つまり、すでに、あなたも、私も、それです。
お互いに壁がある、お互いに分かれていると、
そういった分離からみれば、
努力や、行為が必要なように、思えてきますが。。。。
言葉は、それを指し示すだけです。
いかがですか?自分自身で、
いまここを、自分自身を、見ると面白いですよ。
688 :
神も仏も名無しさん:2007/08/02(木) 13:56:44 ID:t6uJuoOV
689 :
M:2007/08/02(木) 14:03:22 ID:cZhrmbGF
690 :
688:2007/08/02(木) 14:44:44 ID:t6uJuoOV
あ、違いました。538、608でべえさんとたいわされてますもんね。
でも「人の本体は神」という考えなど、べえさんとスピリチュアスリートさんは似た部分がありますね。
シルバーバーチに代表されるスピリチュアリズムにコミットされた方々が、ニューエイジに対してどう感想をもってるのか、知りたくなりました。
みなさんはニューエイジに関してどういう感想を持ってらっしゃいますか?
691 :
神も仏も名無しさん:2007/08/02(木) 17:43:05 ID:FMNhNpRd
690さん、教えて下さい。「ニューエイジ」が分かりません。
・『ザ・アクエリアン・コンスピラシー(水瓶座の謀賂)』(マリリンCファーガスン著)の中でファーガスンは、西洋占星学では、
現代は魚座(イエスの時代)から水がめ座(アクェリアン)に移行する「新しい時代」を迎えているとし、それを「水瓶座の謀略」といっています。
しかし、「水瓶座の謀賂(または革命)」よりも「新しい時代への動き(ニューエイジムーブメント)」の言葉の方が一般的によく使われるようになって、
これを「ニューエイジ運動」と言うように成りました。
・ここでファーガスンの言う「新しい時代」への謀略とは、現代(水瓶座の時代)においてキリスト教の最終的絶滅ないし変質を行うことであり、
これはルシファー(悪魔の総大将)を崇拝することによって成されるとしています。(反キリスト運動)
・また、イエスに代わる「新しい時代」とは、マイトレーヤなる人物がキリストとして再臨し、この世を統治して人類の平和と幸福をもたらせるとも言っています。
ところで、690さん、あなたは上記についてどういう見解をお持ちですか。「反キリスト運動」であるとか、「キリストの再臨」を現代は必要としているのでしょうか。
また、百歩譲って、「新しい時代」にもしイエスが再誕されるとしたら(イエスも相当に霊性進化され、現代文明を熟知して再誕されるとは思いますが)、
どういう目的で再誕されるのか、またどうしてイエスではないのか、分かる範囲でいいですから教えてください。
>>690 >みなさんはニューエイジに関してどういう感想を持ってらっしゃいますか?
そういう見解、思想もあるんだな、といった程度です。
みずがめ座、新しい時代、救世主再臨、とかいうのも、なんだかもう散在使い古されて、過去になってしまったような気がするのは、自分だけでしょうか。
というか、今までも、どの時代も散々そのようなものがあった。
・・・そのようなものと実は全く関係のないところで、実は物事は着々と進んでるといった手ごたえを感じている日々。
だから、それはそれでいいのかな、といった感じもする。あえて、霊的知識を広めよう!シルバーバーチの普及をしよう!なんてしなくてもいい様に。
>>663 ラマダンの叡智を検索するとイスラム関連のサイトだったので違うと思ったのですが。
695 :
690:2007/08/03(金) 02:19:43 ID:eCIC1Lw+
>691
>690さん、あなたは上記についてどういう見解をお持ちですか。
>「反キリスト運動」であるとか、「キリストの再臨」を現代は必要としているのでしょうか。
うーん。正直よくわからないからみなさんの感想を聴いてみようかと。
まともなものもあるけど、デンパなものが多すぎて手を出しにくいですね。
アクエリアスやキリスト再臨ってのが主流なら僕も興味ありません。
アセンションってありがちな終末思想だと思いますし。
ただ前世療法や瞑想などもニューエイジに入るみたいなんで
そういう大きな意味でのニューエイジなら共鳴できる者もありました。
696 :
688:2007/08/03(金) 02:35:47 ID:eCIC1Lw+
前世療法だとブライアン・ワイスの本には感銘を受けました。
本職の心理カウンセラー的アプローチがしっかりしてましたし。
瞑想係だとクリシュナムルティ。
人間の脳特有の思考パターンが、宗教や固定観念を生み出し
覚醒から遠ざけるという姿勢に謙虚さを感じました。
ここにちょっと出てきたダスカロスも
ニューエイジに入ってしまうんでしょうけど僕はまともだと思いました。
ネイティブ・アメリカンもニューエイジのキーワードなので
シルバーバーチもアメリカでよく出てくるのかなと思ったら
ぜんぜん人気ないみたいですね。
禅もキーワードになってるみたいですがここらへんは
アメリカ人には変なの学んでもらいたくないな
鈴木大拙や西田幾多郎を読んでもらいたいかな
エコロジー、アロマ、ロハス、ホリスティックあたりは
現代と調和しててなかなかいい線行ってるなぁ
って感想を僕は持ってます。まぁこのスレでここまで
話題に入れない方がいいかもしれないですが。
697 :
688:2007/08/03(金) 02:43:36 ID:eCIC1Lw+
ニューエイジの中でもチャネリング系がいちばんデンパが多い。
国内でも大川隆法とかめちゃめちゃなカルトですし。
シルバー・バーチ スレでニューエイジについて聞いてみたくなったのは
チャネリングでは最もシルバー・バーチがまともだと思っているからです。
シルバー・バーチ流に言うならもっとも謙虚で理性的ということですかね。
シルバー・バーチを愛読するみなさんは
他にどんな本を読んでるのかなと思って。
話広がりすぎるとあれなんですがニューエイジ系の音楽は
僕はふつうに好きです。
アディエマス、エンヤ、エニグマ、ディープフォレストなどなど
そういえば
スピリチュアリズムでは音楽や小説ってあまり話題に出ないですね。
アランカルデックやモーゼスは19世紀だからクラシックしか
話題に出てこないのはわかりますが。
モーゼスにはむしろ「この坊様(霊)に芸術ってわかるんだろうか」と
失礼な感想を持ちました(笑)
699 :
688:2007/08/03(金) 02:55:29 ID:eCIC1Lw+
ということで眠れぬ夜にまた長々と書きました。
では
700 :
690:2007/08/03(金) 03:12:53 ID:eCIC1Lw+
>>692 ・・・そのようなものと実は全く関係のないところで、
実は物事は着々と進んでるといった手ごたえを感じている日々。
興味あります。よかったら聴かせてください。
日常のことでもそれはそれでうれしいです。
進化なのか?退化なのか?
702 :
神も仏も名無しさん:2007/08/03(金) 12:22:50 ID:FU30lSeK
695,696,697,698のそれぞれの方々のコメント、有難うございます。
皆さんも結構「ニューエイジ」にはまっていたのですね。
ニューエイジ・サイエンスであれば、私も少しは「かすった」ことがあります。
たとえば、D・ボーム(アインシュタインの弟子)の「明在系と暗在系」、F・カプラの「タオ自然学」、R・シェルドレイクの「形態形成場理論」、I・ブリゴジンの「時間の矢(散逸構造理論)」、
この他にも「ホログラフィ理論」「ミーム(文化の自動複製子)説」など、今では懐かしい感じがします。これらの「科学に精神世界と取り込む」という試みが、
当時の「ニューエイジ」あるいは「アクエリアン・エイジ」とも言われたいましたが、そのブームにあやかって「ニューエイジ・サイエンス」としてデビューしたのはいいのですが、
どの理論も仮説レベルで反発をくらい、今では活力を失っています。
心理学の世界でも、A・マズローの「超個心理学」、J・B・ラインの「超心理学」も1960年代後半から立ち上がって、1970年代の「ニューエイジ・ムーブメント」に重なったのではないでしょうか。
私の興味は、これらではなく「反キリスト教運動」「キリストの再臨」についてであり、「どうして現代にこれ等が生じなくてはならないのか」が分からないのです。
霊的な啓示はイエスの復活以後、今日まですっと行われてきていますし、その延長線上で18世紀ごろからは、「霊界通信」というはっきりとした形でスエーデンボルグ、
アラン・カーディック、G・V・オーエン、W・S・モーゼス、シルバーバーチ等が「霊的啓示(霊訓)」を世に問っています。
これ等を「神の計画」「イエスの地球浄化大事業の一環」であるという言い方もあります。我々は、その道具であり、「シルバーバーチの霊訓」はその拠り所です。
「神の計画」は、現代において我々のような「草の根の啓蒙活動」を支持しているのか、それとも現代に対して「キリストの再臨」でまたもや審判を問うのか、いったいどちらなのか、
「ニューエイジ」という言葉で興味が沸いてきたのですが・・・私は真面目腐って聞いている訳でもありません、気軽に聞いてみたかったのですが・・・
今は何か「きな臭い」感じがして・・・・落ちます。
703 :
神も仏も名無しさん:2007/08/03(金) 14:48:12 ID:9NdgOJGx
日常の生活の中で、人との関わり、仕事や遊びを通して体験することから
真理を発見したいよね
704 :
神も仏も名無しさん:2007/08/03(金) 22:45:08 ID:OYMGlXER
シルバーバーチに現代日本の劣悪な労働環境について聞きたい
706 :
神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 08:55:36 ID:gt66LPzE
最近前世が見えるという人が増えてますね。
知り合いでもいるのですが、なぜそれが前世と断言できるのか不思議です。
前世じゃないとしたら何を見てるんでしょうか?
>>706 低級霊の仕業
詳しくは「迷える霊との対話」をどうぞ
708 :
神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 09:47:02 ID:Tc7ZwtJV
バーチの嫌なところは、なんでも「低級」という言い方で切り捨てるところ。
低級だって必要だから存在するのだし、それを上に上げる努力をするのが高級霊たる所以だと思うのですが、
そうじゃない言葉などを見ると、首をかしげてしまいますね。
もしかして、悪魔?みたいな。
墓は必要ないだとか、人間からしたら例えおもちゃでも、必要なおもちゃなのに
どうだから必要なく、どうすれば解決するのか?の提示はなく、切り捨てる。
709 :
神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 09:51:44 ID:Tc7ZwtJV
そして、前向きであることを推奨し、本当は真に向き合わなければいけない問題を
見ずに進める。
技術はいづれ人間を滅ぼす宿命にあるともいう霊もいるかと思えば、
進化を推奨し、認められるものだから存在すると言う。
でも、結局このままいけば、人間文明は過去も何度かあったように滅びるのでしょう?
710 :
神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 12:24:13 ID:Pw8lt/rv
>>708 低級を上に上げる努力はしてるのです
でも、聞く側にその気が無いか、その力が無いかで
今これ以上努力しても無駄になるから諦めて時期を待ってるんです
何もせずに切り捨てるわけではないです
低級と書き表してるだけで
低級を○○さんとすれば
霊の世界と言われる世界のことだけでなく
日常普通にある悩みではありませんか
墓を頼りにしても無意味だとは言っているだけで
墓が必要ないとは言ってないと思えるのですが
墓だけでなく何事も使い様、受け止め様で
意味・無意味が出てくると思うのです
墓も先祖への感謝や現在の感謝や
家族のまとまりや救いや向上の墓(もとい)
となれば価値はあるはずです
でも墓に頼り、その墓の宗教にしがみ付けば、罪悪となることもある
そういう様なことを言ってると思うのですが
711 :
神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 12:35:22 ID:Pw8lt/rv
>>709 技術もすべてが悪いわけとは言ってないはずです
動機と言うか
その技術が何を犠牲にして生み出され
何を目的としているのか
そこにその技術の価値をはかる尺度があるはずです
進化もそう
前向きもそう
動機が大切
尺度が大切
正しい尺度を持つには経験が必要です
その為に実践しなさいと言ってるのです
悲しみや苦しみに出会いなさい
そして真の優しさを身に着けなさいと
バーチは言ってると思うのです
これは、バーチだけが言ってる特別な事ではなく
人として普通にあるべきことなはずです
712 :
神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 19:23:30 ID:EM4sQGaT
悲しみや苦しみが大きすぎるのですが・・・・
これをどう乗り越えて良いのか解らない
最終的には必ず道は開けると信じているが何時になるやら・・・
へこたれそう
本当にこの世に信じるものは無くなってしまった感じがするよ
導きを乞う祈りは毎日してるが、難しいな
713 :
神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 13:50:00 ID:9vihck1S
>>712 何が悲しみや苦しみをもたらしているのか判らないけど
いつか必ず道は開けるとは思うのですが
今は誰かを何かを頼った方がいいのでは
頼ることも知恵の一つだと思うのです
頼ることで気持ちに休みが取れたりしませんか
それでまた新たにがんばる気持ちが起きたりしませんか
暑い時だし、体壊さないように自分を大切に
714 :
712:2007/08/06(月) 12:52:40 ID:OFgVMUrt
>>713 うん、あんまり一人で思いつめないようにしてみる
確かに誰かに頼る感覚が無かったな・・・
716 :
712:2007/08/07(火) 22:01:55 ID:4E3fjhEg
>>715 何があったかはここではちょっと言えないけど
大まかに言うと誰からも信じてもらえないって事かな
人間って本当に怖いよね・・・
でも霊力は何よりも勝るって事で、祈ってる
もう自分にはスピリチュアリズムしか道が無いのです。
大霊は真実を知ってるから。
今は第一段階の実践としてベジタリアンになった
そして瞑想と祈りを毎日
少しづつだけど精神的に強くなっていく自分を実感
でも物質世界で生きてる以上は、
誰かに頼る事も必要だと
>>713さんに気付かせてもらったんで
あまり気張り過ぎずに頼る気持ちを持とうと思ってるだす
本当に毎日戦闘態勢で疲れてたから713さんの言葉が染みました
何かスレの流れ変えちゃったかも・・・ごめんなさい
>そして瞑想と祈りを毎日
>少しづつだけど精神的に強くなっていく自分を実感
瞑想ってそんなに効くのか・・・本を買うだけ買って積読なのよね
挑戦して見よう。誰からも見放されたときこそ自分が独りでないことを
思い出しなさい。貴方を思ってる高級霊が必ずいるってバーチは何回か言ってたね
718 :
神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 23:21:25 ID:AlDo5anH
>>716 少しは元気が出たみたいですね
良かった…
生きていると悲しいこと辛いこといっぱいありますね
でも悪いことばかりじゃないですから
人を信じることは自分を信じること
人を大事にする事は自分を大事にすること
人を愛することは自分を愛すること
いつかこんな地球になればいいですね
712さんが元気で幸せでいててくれますように
713より
誰にも信じてもらえない、認めてもらえない時期は
その人の成長に、最も重要が場合もある。
他人の承認を得たい、という執着を捨て、自分を信じる
力を養うために。
それが後になって、大きな財産になったりもすると思う。
720 :
神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 04:03:03 ID:HQQvpMfp
世の中の誰にも頼るものがないという時にこそ、霊的真理が単なる知識からいかなる事態にも揺るがない強固な信仰になる礎となる好機なのである。
そうだね。
苦難の時に、忍耐し、独りきりで鍛練してこそ、真理を発見出来る。
本当に身に付ける、自分のものにするとはそういう事。
本を読んで手に入れたつもりの真理とは、比べ物にならない。
oreさんへ
真実は言葉では伝わらないというあなたの意見に私も同意します。
ただ、それが巡り巡って、だからこそ私は言葉を大切さを知ることができました。
それを書かせてください。
何を言ったかではなく、何をしたかでその人を見よ。
私がNet掲示板を活動の場に選んだ理由の一つはこれです。
掲示板にはコミュニケーションがあります。言葉によるやりとりがあります。
なのでやりとりに参加してもらうことによって、またはそれを読んでもらうことによって、
掲示板では言葉以上のものを皆に伝えることができるんです。
これはブログや本では不可能なことですね。
また、ブログや本は言葉の一方通行でしかないため、自分を装うことがとても容易です。
しかし掲示板ではそうはいかない。たとえばどんなに素晴らしいことを書いていても、
非難されたとたん豹変し罵詈雑言を吐きまくったなら、
その人の言葉は信用されないものですから。
言葉のやりとりには、人となりが思いのほか出てしまうんです。
だからこそやりとりに慎重になる。虚栄心や怒りに翻弄されることなく、
心の一番深い場所から湧き上がってくる想いで相手に対応するようになる。
しかも湧き上がってくるその想いに、言葉はありません。
それは言葉でない、純粋な意識のエッセンスでしかありません。
だからこそ尚更やりとりに慎重になる、言葉に注意するようになる。
言葉の重要性を実感するようになる。
なぜならそのエッセンスをどう表現するかは、全て私にかかっているからです。
私の力量が足らなければ、それを上手に伝えることができなんいですよ。
深遠な真理を言葉によって語り尽くすことなど到底不可能です。
ですがそれでも心がけ次第で、それを皆に伝わりやすくしていくことは十分可能だと
私は考えています。
用事があるので他の人へのレスはのちほど。
>>690 はい、私はべえさんではありません。あの時は物別れに終わってしまいましたが、
実際につきあえば私達は案外似たもの同士なのかもしれません。
それと、私はいまだに瞬間移動ができません。あの時はそれができるようになるまで二度と
現れないと書きましたが、未だできていないのが現状です。
言動不一致にて、たいへん申し訳ございません。
再び現れた理由は、「アレが出来るようになってからコレをやろう」は誤りであると
気づいたからです。ですがそれでも、もう嫌で嫌でたまらなかったため、数ヶ月間
Net活動を中止しました。
今はもう、書けば更に悪くなる場合は書かないようにしています。
“いける”と思った時は書いてますけどね。
>>691 >「新しい時代」にもしイエスが再誕されるとしたら(イエスも相当に霊性進化され、
>現代文明を熟知して再誕されるとは思いますが)、どういう目的で再誕されるのか、
>またどうしてイエスではないのか、分かる範囲でいいです
私は690さんではありませんが、話せる範囲でお話しします。
ここに、表面上は綺麗に見えますが、汚れと洗剤の染み込んだスポンジがあるとします。
ではその汚れと洗剤を取り除くためには一体どうすれば良いでしょうか。一般的には、
スポンジを水にさらし、水を含ませたうえでギュウギュウ絞るという方法がとられるでしょう。
ギュウっと絞ると、スポンジは泡を出します。一見綺麗に見えても汚れた泡を出します。
その泡を水で洗い落とし、新たに水を含ませ、絞る。すると再度泡が出る。その泡を洗い流し
再び水を染み込ませ・・・・・を繰り返すと、徐々に泡の量は減っていきます。そしてついには、
泡は出なくなります。その頃にはスポンジはもう、汚れも洗剤も含んではいないでしょう。
内部まで綺麗なスポンジになっていることでしょう。
ま、こんなことは常識なんですけどね。
さてでは話をもとに戻します。
実は現代は、これと同じことが人と社会に起こっている時代なんです。
シルバーバーチはこう言ってます。
>苦を伴うものであり容易に手に入るものではない(
>>103)
この場合の“苦”とは、スポンジを水にさらしギュウギュウ絞ることに通じます。
汚れを取り去らないならば、表面上は綺麗に見えるのですから放っておいても
差し支えないかもしれません。しかし取り去ろうとするなら、何かをしなければならない。
放っておいても綺麗にならないから何かをしなければならない。たとえば、水にさらして
絞らねばならないのです。
それはある意味、平和を乱す出来事でしょう。平穏を破る不快な出来事と感じる人も
大勢いることでしょう。ですがそれをしなければ、綺麗にはなれない。
苦とは、これを指すのです。
人類は今、子供から大人へと移行しつつあります。すると子供なら大目に見られていた事が
大目に見てもらえなくなります。その最たるものが、自律です。
大人は自分を律さなければならない。つまり、自分で泡を出さねばならないのです。
すると泡があふれ出る。個人からだけでなく、社会からも泡があふれ出る。
なのでこの世は一時的に泡だらけになる。
その泡を洗い落とすために、イエスの次の人がやってくるというワケですね。
その人がイエスでない理由は、人類は一度イエスを拒絶しているため、
イエスでないほうが受け入れやすいからだと思います。
>>716 幾通りもの適切な提案がされていますね。
私流のものも幾つか書いておきます。
心の耐久力が5の人にとって、10の耐久力を要する出来事は
苦しみ以外の何物でもないでしょう。
しかし心の耐久力が20の人にとっては、10の耐久力を要する出来事なんて
どこ吹く風でしかありません。
強靱な雑草には屁の河童なことも、温室育ちの観葉植物には
致命的になってしまうことがあります。
正しいフォームを身に付ける一番の好機は、へろへろになった時です。
そんなとき人の心と体は、無駄のない動きを一生懸命探します。
必死になって探します。
なぜってその方が疲れませんからね。
正しいフォームとは、無駄をそぎ落としたフォーム。
へろへろの時こそ、格段に伸びる好機なんですよ。
728 :
712:2007/08/08(水) 22:09:16 ID:e4cymonP
ちょっと・・・皆優しい
胸がいっぱいなのと、しばらく涙と鼻水が止まりそうもないので出直してきます。
スピリチュアリズムに出会えて本当に良かったです。
アドバイスは全部プリントアウトして毎日持ち歩きます。
いつか何処かで皆さんに会えると良いなぁと夢見てます。
729 :
神も仏も名無しさん:2007/08/09(木) 14:38:18 ID:7WUV9gq/
725,726さん、コメント有難うございます。
私も自分の問いに対して、不完全ですが回答を試みました。
>「反キリスト教運動」「キリストの再臨」についてであり、「どうしてこれ等が現代に起こらなくてはならないのか」が分からない
シルバーバーチの霊訓3に、
「もう、イエスのような人物が出現する必要はありません。たとえあのナザレのイエスがこの地上に戻って来たとしても、たぶん地上で最も評判の悪い人間と成るでしょう。
特にイエスを信奉し師と崇めるキリスト教徒から一番嫌われる事でしょう。」(P108)
その理由は、「現今のキリスト教徒は、実はイエスを十字架に掛けた当時の迫害者達の直系ともいうべき人種」(88)だからであり、
「その彼等が、今イエスと同じ真理を説いているスピリチュアリスト達を迫害(1937年英国国教会事件)しようとしています」(P108)、とあります。
「反キリスト教運動」どころか、我々に反対知る者がいる以上、心して掛からなければならないようです。
「イエスの再臨」は無いかもしれませんが、仮にもし現代社会にイエスが現れるとすれば、その目的は「十字架に掛けた者達を許すこと」ではないかと私は思っています。
だからといって免罪符はありません、因果律という摂理はごまかせませんから。
さて、私は「霊的真理」が地上に説かれた以上は「反キリスト運動」などしなくても、教義やドグマを振りかざす宗教自体が(キリスト教も含めて)自然淘汰されると思っています。
また、イエスに代わる「キリストの再臨」、私はこれは「審判」とセットで考えるべきだではないかと思っています。
「救えるのか救えないのか」、「救われる者がいて、そうでないものがいる」というように。「キリスト」がすべてのものを救うとは思えませんから。
現代の世相からその必要はあるかもしれません、725,726さんのおっしゃるように。
730 :
神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 03:22:51 ID:3phm6YiG
>>729 なんとなく、反キリストとか、救われるものとそうでないものがいる
っていうのは危険な臭いがします。
そういう敵対意識、選民意識はイエスが嫌うことの要素なんじゃないでしょうか?
もしも、そういう意味での敵意・選択だとしたら、やはり「義」のためとか
何かの目的のためという1つのポリシーが残るとは思いますが、結局何を
しても、戦う人間という生物の中で「正義」などを抽出する目的なのですよね?
それにしても、この世という磁場では、ほとんどの人間には罪があり、誰1人として
罪を犯した人がいないような中で、ともすると人の揚げ足取りのようであり、
やはり裁く側にはそれなりの人格がないと伴わない行為だとは思います。
なので、裁判などはこの世の人間ではなく「天」とかそういう場ですか?
>>687 全てのものは神の様々な顕れであり、ひとつである、という真実と、ある人間
が神の愛に到達し、認識する事とは別の話です。
自我意識を持って生まれてきた人間が、神の愛に戻るには、絶対に自我と闘い
無くしてしまわなくてはなくてはならない。これは凄まじい闘いです。人間的
なものを全て捨てて、個人的にいったん死ぬくらいの事です。
自我意識に支配されたまま、何の闘いもせず神に到達できる人がいるんでしょうか。
日常に感じる様々な神の愛や摂理とは別に、神と人との間には壁があります。
だからこそまた元に戻るために生まれてきたのですよね?
oreさんは生まれながらにその努力の必要がない、特別な人なんでしょうか。
全てのものが繋がっていて、私とあなたが同じ、大きく頷けます。本当にそれを知っ
ているなら、独善的な在り方は間違いではないでしょうか。
733 :
神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 18:51:07 ID:Qe6Mr/1c
37Z2000が下がり始めてるな
Z3000が近いかも
734 :
神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 20:50:48 ID:/CW5RNaB
730さん、厳しい指摘をされますね。キーワードを見ても怪しそうです。
}>反キリスト、救われる 敵対意識、選民意識 裁判 人間ではなく「天」
私は次のような気持ちで回答しました。
「人の子は、彼のために定められた日に、丁度稲妻が閃いて天の下を一方の端から他の端まで照らすように、現れるだろう」(ルカ、17.14)
「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ、2・17)
イエスは救済者・審判者のことを「人の子」と言っています。スエーデンボルグは「主イエス・キリスト」の中で、
イエスは「神の子」と「人の子」を使い分けており、「主は神的な人間的なもの“神的人間性”の方面では神の子と呼ばれ、聖言の方面では人の子と呼ばれたもう」(19)とあります。
神学者によれば“人の子”は、パリサイ派、サドカイ派、律法学者達に対して使った自分の表現であるとも言われています。我々スピリチュアルはみんなが「人の子」であり「神の子」であるとします。
私の言いたいことは、「キリスト」イコール「神」ではなく、「人の子」としての救済者・審判者のことであり、地域、都市、州、国家、全世界と規模の違いはありますが、
「キリスト」とはそういう「地域の人々を救う役目を担った人達」(目立たない民衆)のことだと思っているのです。「キリスト」は時代を救う民衆(無冠のリーダー達)であり、
「世直し」という霊界から託された使命を携えて生まれて来た者達のことではないだろうか、と私は思っています。
735 :
神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 20:56:21 ID:/CW5RNaB
(続き)
また、私の言う「救われる」とは「この世で霊的真理に目覚める(霊的啓示を受け取る)」ことです。
そのきっかけ(始まり、苦しみ)がなければ、その後の「神性による霊性の進化」は始まりませんから。本人の霊魂からこれ(苦しみ)が火花のように飛び散り、
霊的真理に目覚め、日常生活の中で霊性進化を目指した行いが出来るようになるとき、その人は「救われた」のだと私は思っています。
この世で「霊的真理」に目覚めることが出来るのか否か、これが「審判」だと思います。イエスの在世当時に初めに救われたのは社会的弱者です。
律法により貧しい者、病人などはそれだけで犯罪人扱いされていた時代(これらを救うことも悪と見なされていた時代)ですが、しかし、イエスは言いました。
すでに聖職者となっていた者達、モーセの戒律を守る律法学者達よりも、後から「イエス(謙遜してヨハネ)の教えで目覚めた貧民・病人」の方が先に「神(または天)の国に入る」と。
「私は真実を告げるが、徴税人や娼婦たちの方があなた達より先に神の国に入るだろう、何故ならヨハネが来て義の道を示したのに、あなた達は彼を信ぜず、
徴税人や娼婦たちは信じたからだ。」(マタイ、21・28)
「あなた達によく言っておく。あなた達は心を入れ替えて幼子のように成らなければ、天の国には入れない。だから、自分を低くしてこの幼子の様になる者が、
天の国では一番偉いのである」(マタイ、18・1)
この「神の国に入る」ことが当時では「救われる」ということであり、現代では「霊的真理に目覚める(一旦、目覚めればあとは神を目指して霊性進化を続けていきますから)」
ことである(これは先程述べたことの繰り返しです)と思います。
「ここに立っている人達のうち何人かは、死ぬ前に、神の国の力強い到来をみるだろう。」(マルコ、9・1)
結局、「救われる」かどうかは、その人次第ということです。
そういえば、スエーデンボルグは1758年でしたか、「最後の審判」は霊界で行われたとありましたね。
私は、裁判が「天」で行われることについては想定外でした。
「ニューエイジ」で「キリスト」について考えてしまいましたが、これで落ちます。(盆休みです)
アドバイスは、お願いいたします。(実践が大切であることは踏まえているつもりですが)
736 :
神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 21:01:14 ID:/CW5RNaB
730さん、734のはじめの表現は、私のことです。
>厳しい指摘をされますね。キーワードを見ても怪しそうです。
>反キリスト、救われる
これは、私自身のことです。あなたのアドバイスの言葉を引用させてもらいました。
737 :
未熟な存在:2007/08/10(金) 22:06:11 ID:ar864zbS
738 :
神も仏も名無しさん:2007/08/11(土) 02:58:23 ID:uxcqcvBV
皆さん
江原も愛用「潜在能力開発装置アルファシーター」を使ってますか?
739 :
690:2007/08/12(日) 13:20:15 ID:bFFn1ZOM
>>724 レスありがとうございます。
>はい、私はべえさんではありません。あの時は物別れに終わってしまいましたが、
>実際につきあえば私達は案外似たもの同士なのかもしれません。
あの対話で
べえさんの「準備の出来た人間にはニューエイジの教えがある」という意見に対して
スピリチュアスリートさんは「ニューエイジはもう古いのでは?」とおっしゃっていました。
しかし今回、
>>726 >その泡を洗い落とすために、イエスの次の人がやってくるというワケですね。
とスピリチュアスリートさんはおっしゃってて
「やはりどこか似てるのでは??」と思ってしまいました(笑
いろいろ対論してもらえればうれしかたったですねー。
>再び現れた理由は、「アレが出来るようになってからコレをやろう」は誤りであると
>気づいたからです。
瞬間移動ができなくて落ち込むというのは
僕のような凡人にはちょっと想像できませんが、この部分は自分にもピンとくるものがあります。
もう少しわかりやすく教えていただけないでしょうか。
740 :
690:2007/08/12(日) 13:21:17 ID:bFFn1ZOM
>>724 レスありがとうございます。
>はい、私はべえさんではありません。あの時は物別れに終わってしまいましたが、
>実際につきあえば私達は案外似たもの同士なのかもしれません。
あの対話で
べえさんの「準備の出来た人間にはニューエイジの教えがある」という意見に対して
スピリチュアスリートさんは「ニューエイジはもう古いのでは?」とおっしゃっていました。
しかし今回、
>>726 >その泡を洗い落とすために、イエスの次の人がやってくるというワケですね。
とスピリチュアスリートさんはおっしゃってて
「やはりどこか似てるのでは??」と思ってしまいました(笑
いろいろ対論してもらえればうれしかたったですねー。
>再び現れた理由は、「アレが出来るようになってからコレをやろう」は誤りであると
>気づいたからです。
瞬間移動ができなくて落ち込むというのは
僕のような凡人にはちょっと想像できませんが、この部分は自分にもピンとくるものがあります。
もう少しわかりやすく教えていただけないでしょうか。
741 :
690:2007/08/12(日) 13:28:33 ID:bFFn1ZOM
(二重投稿しつれいしました)
>>730 なんとなく、反キリストとか、救われるものとそうでないものがいる
っていうのは危険な臭いがします。
そういう敵対意識、選民意識はイエスが嫌うことの要素なんじゃないでしょうか?
ぼくもそう思います。
僕はアクエリアスやアセンション等を信じられませんが、イエス的な存在が来ると仮定したら、そういった敵対、差別の壁を取り払うためにいらっしゃるんじゃないでしょうか。
742 :
神も仏も名無しさん:2007/08/12(日) 23:59:35 ID:4glINNNs
両親の喧嘩があまりにも醜いので、
両親を見捨てて1人暮らしをしようかと思っているのですが、
どうも罪の意識を感じます。
でも、このままだと、自分の人生を壊されるのは目に見えています。
こういう、どっちも正しいような間違っているような決断って、
どういう考え方で判断すればいいのでしょうか?
743 :
神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 05:57:03 ID:lylY6nnQ
ある男が八百屋で「最高級の松茸」を注文しました。
しかし、彼はその「最高級の松茸」の臭いを嗅ぎ、店主を呼びました。
「すみません。これは本当に最高級の松茸ですか?」
「はい・・・ 最高級の松茸に間違いございません。」
男は勘定を済ませ、帰宅した後、自殺をしました。
何故でしょう?
744 :
神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 06:04:30 ID:2pGBrO/h
分かりません
745 :
神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 08:42:21 ID:IcnlR8EG
>>743 真贋を見抜けなかったという体験に呪縛され
そこから生ずるのは現実の事象を無理によい方へ解釈しようとする
脅迫観念と、絶える事の無い潜在的疑心暗鬼に苛まれ、
そしてそれらを感じなくさせるため、心の弱い彼は思考停止した。
はは
>>742 定期的に電話・帰省してれば見捨てたことにはならないと思います。
自分の人生もたいせつに
>>742 その想いを両親に打ち明ける。
二人を見捨てて1人暮らしをしようかと思っているが罪の意識を感じると
正直に打ち明ける。
そのとき一番大切なのは、あなたの心を穏やかに保つこと。
あなたの心が波立てば両親の心も波立ち、
思いやりによる話し合いなんて望めなくなってしまうから。
その上で決めたことなら、一人暮らしをするも正解しないも正解だと
私は思います。
749 :
神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 14:59:01 ID:gk0fTfo0
>>742 今のままご両親と一緒に暮らしても
家を出て一人暮らしをしても
どちらもOKです
どちらを選んでも
喧嘩をする両親を見ても
揺らがず受け止めらる自分に成長できたなら
正解となるはずです
今は苦しく辛いかもしれないけど
両親が吐き散らす憎しみの気持ちに巻き込まれずに
冷静に自分を維持することも大切なはずです
お気の毒だと思いますが
マイナスの状況をプラスに転換することこそ
自分の内なる力の見せ所です
余程のことがない限り、きっとご両親は喧嘩を続けるでしょう
めげずにどうか気長にがんばってください
めげずに進めば必ず道は開けます
750 :
神も仏も名無しさん:2007/08/13(月) 17:09:10 ID:FU5AYrPX
いろいろありますよね。
>>747 それはします。1人暮らしと言っても、実家の近くに住む予定です。
>>748 1人暮らしの前に、きちんと言おうと思っています。さすがに罪の意識とまでは言えませんが。
>>749 子供の頃は、喧嘩する両親に恐れを抱き、それが徐々に諦めに変わってきて、
いまは子供(親という特別な存在ではなく、ヒト対ヒト)の喧嘩とまるで同じだと思えるようになりました。(だからこそ、醜いと思います)
両親とも、子供に依存している(特に自分は長男なので)節が少々あるので、
自分が出て行くほうがいくらか自律するのではと思います。
特に母は、自分を愚痴相手としていますし。
数年前に、とある本がきっかけでシルバーバーチなどの書籍に触れる機会がありまして、
そのころから、もうダメだとか、お先真っ暗という気持ちは薄れてきました。
とりあえず、めげることはありませんが、両親を仲裁するにはまだ知恵が足りないので、
この問題は長く続きそうです。
みなさんのレスで元気がでました。どうもありがとうございました。
話は変わりますが、心を穏やかに保って話し合うということは、
話し合いの際に第三者をたてるのは理にかなった手段なんですね。
第三者は基本的に冷静だから、双方ともに冷静に話し合える、と。
>>750 そりゃまあ20年以上生きていれば、玉袋がかゆくなったり、尿結石っぽい症状が出たりもします。
752 :
神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 08:24:37 ID:8hXEybaF
スピリチュアリズムは宇宙人が地球に来ているという説は認めないと
ニューズレターに書いてありましたが納得できません。
ここにいる人も信じていないのでしょうか。
んなこたあない
754 :
神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 10:53:07 ID:0MdXcsXN
756 :
神も仏も名無しさん:2007/08/14(火) 21:28:19 ID:WhUtxobV
フォックス姉妹は懺悔のその1年後に前言を撤回したそうな。
なんでだろね。
757 :
F:2007/08/15(水) 00:35:56 ID:fJQQoEru
Fだおー
Fにみろって みゅー天使からのお知らせがあったぞ世
何々 そうか上記はみ〜〜〜〜〜〜〜んなFの成りすましだと
ばれたか??????あれ!!!!!!!!!!!!!!!!
758 :
ケンジ:2007/08/15(水) 00:56:11 ID:fJQQoEru
アホなFめ! でもお前が好きだー
ウンチ食べたい
ぼぼぼーくとセックスしようおー
お盆には、先祖だか家族だかわかりませんが、
霊が帰ってくるらしいですが、みなさんは特別なことをしていますか?
>>739 >この部分は自分にもピンとくるものがあります。
>もう少しわかりやすく教えていただけないでしょうか。
いや、これは特別なことではなく、極々普通の解釈でOKです。
いわゆる“今を生きる”ですね。
>>752 ニューズレターはねぇ、かなりハチャメチャなんですよ。
私が何したのFtan被害者よ
お巡りさんに言いつけたるわー
みゅーなんて私がいないと又泣きついてくるくせにー
ネクトンも場かばかばかばか Fが、ざびびの管理人に
好かれ取るのがすかんとー
764 :
なかえん:2007/08/15(水) 22:53:57 ID:fJQQoEru
2チャンネルは、なりすましばかりでしょう?
私信用出来ません
私が何をしたのでしょうか?募金はありませんでした。
数千円しか(失笑)だってグレコが、又孕むシーお金かかるのです
>>762 自分もなにもしてないんですよね。
お菓子でも供えようと思ってはいますが。
766 :
神も仏も名無しさん:2007/08/16(木) 17:48:40 ID:j9zbkpKg
中絶って罪になるんですか?
どんな償いが必要でしょうか?
>>766 ベールの彼方の生活に、地上に出生する事ができずに、胎内で死んでしまった
子供たちの様子が記載されていたな。
当時は中絶という恐ろしいことは、殆ど一般化していなかったから、可哀想な小さき霊たちの絶対数も
少なかったろうが、
いまじゃ、日本だけで、年間100万人ちかくいるそうだから・・・一説には。
レイプなど、本当にどうしようもない理由による中絶はほんとうに、ごく一部で、
ほとんどは母親の自己都合。
絶対にしないほうが良いよ。
中絶に関して一番はっきりとした定義を定めているのはカソリックだから、
そこで聞いてみたら?
罵詈雑言を浴びせられるかもしれないけれど。
768 :
神も仏も名無しさん:2007/08/16(木) 23:55:04 ID:Idj+ssbH
>>751 先ほど父とちょっと喧嘩しまして、
黙ってりゃいい気になりやがって、やるかこの子供?
と父親に言われましたが、どうしましょうか?
770 :
神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 10:20:18 ID:HgtrInpX
>>768 お父様がケンカを仕掛けるのですか?
それともお母様が?
771 :
神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 15:11:44 ID:XmWdWzl8
>>768 なんと子供っぽくかわいいと思ってあげましょう
喧嘩をして幸せな人はいないはずです
気の毒だと悲しんであげましょう
あなたの溢れる愛でご両親が何か気づいてくれるように
祈ってあげてください
ご両親はお互いへの怒りで本当の自分を捨ててしまい
真っ暗闇の中で暮らされているのです
心静かに救われるよう願ってあげてください
>>752 亀レスごめん。『ホワイト・イーグルの霊示 天使と妖精』の中に次のような文があるよ。
これが本当なら遥か昔から地球人と宇宙人との間に交流があったことになるねw
この地球の初期の時代に、金星から天使たちがやって来ました。そうして、地球の
生命形式の創造に助力しました。時を経て、人類たちも地球へやって来ました。ただ
し、これは他の天体で進化を遂げてある段階にまで達しており、その当時地球に生ま
れつつある魂よりずっと進歩した人間たちでした。これら進歩した魂が、地球の若い
魂たちの手助けをしたわけです。(P.40-41)
他にも『霊界の妻は語る』の中で、霊界の科学者が“空飛ぶ円盤”について語っている。
それは火星から来ていて、人が乗っている物も乗っていない物もあると述べてる。
まぁ、それが本当かどうかは確かめようがないけど、ニラサワさんが知れば喜ぶかもw
>>766 『シルバー・バーチの霊訓 第八巻』の130ページを読んでみてね。
もちろん罪で、親は地上に生まれるはずだったその霊といつの日か対面させられると言っている。
ただ、シルバーバーチは動機を考慮しなければなりませんが……とも述べてるけど。
ということは、いろんな星を経由してるんですねぇ。
774 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 12:18:24 ID:NZRym+el
>>772 サンクス
>時を経て、人類たちも地球へやって来ました。
これはプレアデス星人かもしれないですね
地球人の祖先はプレアデス星人だというのを思い出しました。
775 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 12:22:05 ID:FJtlMzRt
何それ?
他でやってよ・・・
776 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 12:54:25 ID:mds3wrjo
752,772さん、回答にはなりませんが、宇宙人への期待はあります。
スピリチュアリズムが宇宙人を否定しているかどうか、宇宙人を物質的な肉体を纏った知的生命体に限定するのでしたら否定的かも知れません。
しかし、非物質的身体を纏った自然霊レベルの知的意識体であれば肯定的です。これをシルバーバーチの霊訓に根拠を求めたいところですが、
ここはマイヤースの「個人的存在の彼方」同録の「恒星上の生活」に頼るのが面白いと思います。
「銀河の世界には幾百万とも知れぬ多くの星辰があり、更に眼を天の一方に転ずれば、そこにも亦、赤、白、青等様々の光を放つ天体の海がある。
そしてそれ等が悉く何等かの意識的存在の棲家なのである。」(p26)
この意識的存在(意識体)については
「われ等の属する太陽系の遊星上に於いてさえ、人類の数は比較的に少数で、そこに見出される生命の大部分は、所謂自然霊なのである。」
さらに彼はどこかの恒星上の狼星人(意識体)を観察しており
「狼星人の身体は我々の眼には殆んど身体とは称し難きにまで希薄であり、亦非物質的なのである。」
彼はこれ等を総じて、天体には3種類の原子が存在するように思うとして、「物質原子、光状原子、液状原子」を上げています。
777 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 12:57:07 ID:mds3wrjo
(続き)
物質原子で造られた意識体(宇宙人)と宇宙船だけを想定するのであれば、太陽系外の生物と地球人とのコンタクトは物理的法則が示すように困難
(超光速やワープが現実可能かどうか)だろうと思われます。
また、太陽系内では物質を纏った生命が存在できるのは(地球以外)に金星、火星、木星の衛星エウロパが期待されていましたが、
このうち金星は旧ソ連の金星探査機ベネラ7号の観察で否定的、NASA火星探査機バイキング(小型探査車ソジャーナ)による観測では
火星表面に海や川の痕跡があり地下に微生物が存在するかもしれないこと、
NASA木星探査機ガリレオによる観測では、木星の衛星エウロパの表面は氷塊であり、氷塊が動いていることからその下には水があり生物の存在が期待できる、
といった程度です。
太陽系内で物質レベルの生命のうち人類以上の知的生命がいるのかどうかについては否定的です。
しかし、自然霊レベル(光状原子、液状原子などの超物質を纏う日界人)ではマイヤースの言うように沢山の意識体がそれぞれの恒星や惑星に生息しているらしく、
太陽系内でも、太陽をはじめとしてそれぞれの惑星に知的レベルが高い星人がいる、
ところで、金星人(天使)は物質的身体を纏った宇宙人なのでしょうか、期待しているのですが・・・
778 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 14:32:48 ID:mds3wrjo
755さん、申し訳ありませんが私の力では期待に応えられそうもありません。
(イギリスのモーリスバーバネルやトニーオーツセンなどはフォックス事件にどのように言及しているか、どなたかご存じですか?)
ただし、憶測はできるのです。
「ハイズビル事件」と同時代の「コナン・ドイルの心霊学」コナン・ドイル著、「心霊現象の研究」ウィリアム・クルックス著、
また近刊では「霊的人類史は夜明けを迎える」近藤千雄著が参考になるように思います。
これ等によれば、1848年の「ハイズビル事件」には3つの側面があるように思います。
(1)フォックス姉妹と霊との交信の真偽
(2)霊(行商人)は5年前に殺されており、自分の死体は地下室に埋められていると交信してること
(3)この交信が実は「霊界と人類との霊界通信の幕開け」となっていたこと
です。
(1)については当時、米国のR・ヘヤ教授(ペンシルベニア大学)が詐欺目的で調査をしたにも係らず、その真実性を認めざる得なかったこと、
また当時の物理学者W・クルックス博士も自らフォックス婦人を自宅に招いて心霊実験をし確証を得ていること、
(2)については、ハイズビル事件から50年後の1904年に「人物の骸骨が同家の地下室の壁と壁の間から発見された」ことで交信内容の疑惑が晴れたこと
(3)の「霊界通信の幕開け」とはコナン・ドイルが言ったことで、心霊現象は単なる「電話のベル」に過ぎず、
その後の高級霊から人類にもたらされる「霊的啓示」の幕開けの発端がハイズビル事件であるとのこと。
これは丁度、大西洋に敷設された海底ケーブルにより始めてテストケースとして交信が成功した霊的交信の幕開けであり、
以後、このケーブルで霊界と人類とが交信することになったとしている。
779 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 14:34:28 ID:mds3wrjo
(続き)
「ベールの彼方の生活(3)」G・V・オーエン著によれば、霊界通信の方法には3つあり、
(a)地上の人間の思念が上層界に向けてフィルターに掛かりながら高級霊に届けられる方法、
(b)直接法(喩えれば地上と霊界の間を電信ケーブルのような通信網で交信する方法)
(c)普遍的方法(地上の人間のあらゆる思念は天界に向けて放送され、記録されており、この霊界記録を霊達が読んだり聞いたいりする方法)
とあります。
シルバーバーチの霊訓は(b)直接法(霊的通信網による交信)です。これは、シルバーバーチの霊訓1(p93)に
「通信網が敷かれ、霊媒と言うチャンネルが開かれ、そこへ私たちが通信を送り届ける」とあることから分かります。
(第2次世界大戦中は何度も通信線が切れて通信困難または不能状態になったともあります)
私は、ハイズビル事件の信憑性はこの3つの信憑性であり、もし、「詐欺」と疑うのならば「シルバーバーチの霊訓」も?ということになるのです。
大袈裟ですが、コナン・ドイルによればこれと同じ通信網をシルバーバーチは使っていたと推測できるのですから。
イギリスのモーリスバーバネルやトニーオーツセンなどはフォックス事件にどのように言及しているか、私は暗黙に肯定していたと思っています。
780 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 15:03:26 ID:mds3wrjo
766さん、中絶って罪になるんですか? どんな償いが必要でしょうか?
772さんは、「シルバーバーチは動機を考慮しなければなりませんが……とも述べてるけど」ととてもいいコメントをしてくださっています。
私は「中絶は罪かどうか」、「どんな償いが必要でしょうか?」にあえてコメントをさせていただきます。
まず、772さんのいうようにシルバーバーチの霊訓8を読まれましたでしょうか、
それにしましてもこの問いには何か深い事情があってのことなのでしょうね。
厳しいですが霊訓を見ましても
「中絶は殺人と同じです。」
「中絶されればその霊は、たとえ未熟でも霊的身体に宿って生き、生長しなければなりません。」
「いつの日かその人たちは(医師も含まれる)その中絶行為のために地上に誕生できなかった霊と対面させられることになるという事実」
とあります。
あなたの動機が正しいとお思いでしたら、親として勇気を持ってその子に詫び、その子の成長を祈りつつ生きていってください。
生きている子と同じように愛情を掛けてあげて下さい、いつもあなたの家族の中にいますから。
781 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 16:11:26 ID:mds3wrjo
776のコメントでは、ややピンボケなので、補足します、
私は、霊は時空に左右されない、意念により場所に瞬間的に行くことができる、を前提にしています。
物質的宇宙人が地球に来ているかどうかについては否定的ですが、自然霊が地球に来ていることについては肯定的です。
金星からの天使と地球人との交信も目的によってはあっていいと思っています。 宇宙人との交信についてはこれで、落ちます。
>>769 >>770 >>771 父が喧嘩をしかけてきました。
自分も少々語気を強めてしまって、それが怒りを招いたのだと思います。
さすがに相手をするのも疲れましたので、無関心で通しています。
家の中はガタガタですが、崩れればまた新たな構築がなされるでしょうから、
それもまた良しという気分でいます。
783 :
神も仏も名無しさん:2007/08/22(水) 01:07:31 ID:6ph4WTOq
>>782 そうですか。元々ケンカっ早いのか、それとも真剣に向き合おうとしたのかは解りませんが。
きっと道は開かれるので、というよりもう開き始めてるんじゃないですか?
冷静になったり、ついイラ付いたりを繰り返しながらも進歩している実感があるんじゃないですか?
私の家の中もガタガタなんですけど、進歩していってます。
時には小さな衝突をちょこちょことするなら良いと思いますけどね。
>>768 >>782 私は父とどうしても折り合いがつかず、縁が切れてしまいました。
母も亡くなっているので、生まれ育った家族はもうバラバラ状態です。
父親と息子の絆は、強くもあり弱くもあると思います。
男同士なので、かえって難しいですね。
人類には強烈な依存心があります。
なので超人的な宇宙人が現れたら、完全に頼りきってしまうでしょう。
実際、“宇宙人が現れて人類の問題のことごとくを解決してくれる”
なんて本だらけですね、このごろ。
宇宙人がいないからシルバーバーチは宇宙人について語らなかったのでは
ないんですよ。
786 :
神も仏も名無しさん:2007/08/23(木) 11:57:39 ID:5QDEFTPP
>>784 人類皆兄弟と思えるようになるまで霊訓を読み込むしかないね
もしくは親といえども人間であり不完全であり、
親であって親でないと思えるまで。
霊主肉従で考えられるまで。
>>785 バーチは宇宙人については語ってるけど、
地球人の肉眼では、見えたとしても靄が掛かったようにしか見えないと言ってたような・・・
>>786 >もしくは親といえども人間であり不完全であり、
>親であって親でないと思えるまで。
>霊主肉従で考えられるまで。
自分にはそうですが、相手にはどうでしょうか?
例えば、自分本位の思いこみがとても強い人は、こちらがいくら変わっても
「どうせお前はこういうヤツだ」と事実無根の決めつけをしてしまいます。
イエスといえど、故郷では力を発揮できませんでした。
「どうせこいつは大工のヨセフの息子だろ」と皆が心底思っていたからです。
>地球人の肉眼では、見えたとしても靄が掛かったようにしか見えないと言ってたような・・・
そういう宇宙人もいますが、それだけではありません。
私達がそうでないように。
788 :
神も仏も名無しさん:2007/08/23(木) 18:02:53 ID:NFa5iecH
ちなみに近藤千雄はUFOを何度も目撃しているのに宇宙人いる派です。
789 :
神も仏も名無しさん:2007/08/24(金) 01:08:18 ID:1zrHLHSt
>>788 意味不明
>>787 こちらの考えを変えれば済む話だと思いますけど・・
人の気持ちを変えたくても霊性の発達段階の問題もあるので変えられる筈ないじゃないですか。
言いたい事は
>そういう宇宙人もいますが、それだけではありません。
何故それだけではないと解るのですか?
>>789 >こちらの考えを変えれば済む話だと思いますけど・・
はい、普通の人間関係ならこちらが変われば両者の間柄も大いに変化することは
多々あります。というか、これって関係改善の極意ですよね。
ただねえ、家族だとなかなか難しい。親子は更に難しい。
親はこちらが赤ちゃんの頃を知ってるんですよ。
親のいうことを全部素直に聞いていた頃のことを覚えているんですよ。
なので【自分はこの子の全てを理解している】と親は思いこんでしまう。
別の人生を歩み別の価値観を身に付けた別の人格だということを
忘れてしまうんです。だから、“言うことをきけ!!”になる。
こういう場合は、向こうも変わってくれないことには難しいですね。
>何故それだけではないと解るのですか?
私達がそうでないからです。
仮に宇宙人は全て霞のような存在だとするなら、この広大な宇宙に人類タイプの宇宙人は
“私達だけ”になります。
それってなんだか不自然だと感じませんか?
791 :
神も仏も名無しさん:2007/08/24(金) 10:48:39 ID:m/+ytghG
シルバーバーチの霊訓3に
「地球上の全生命が他の天体の生命と同じように霊の世界を通過して絶え間なく進化し、意識が完全を目指してゆっくりと上昇していきつつある」(p112)とあるように、
他の天体にも地球の生命と似た生命がいるのでしょう。ところで、宇宙人の話となるとこれが人間の作り話なのか本当のことなのか迷ってしまうものが結構あります。
邪魔かもしれませんが寄り道をしてみます。下らなければ無視して下さい。
「ラエリアン・ムーブメント」と言うのがあります。フリー百科事典の「ウィペディア」によれば
1973年12月13日、フランス人モータースポーツジャーナリスト「クロード・ボリロン」(ラエル)は、フランス中部のクレルモンフェラン近くの火山のクレーターで空飛ぶ円盤(UFO)に遭遇し
「エロヒム」と名乗る異星人とコンタクトした。「クロード・ボリロン」はその異星人からメッセージを伝えられ「ラエル」という名を授けらた。
また、彼は「ラエリアン・ムーブメント」を設立した。2003年11月の時点で世界90カ国に活動拠点があり、6万人以上のメンバーが在籍しているといわれる。(日本人の会員数が最も多い)
「現在の地球上の全ての生命」が、2万5千年進んだ優れた科学技術力をもつ「エロヒム」によって科学的に創造されたとしている(旧約聖書、創世記に記されているとか)。
また、生命創造の前に地球を調査し、生物に適した惑星にするために大陸を形成したらしい。
792 :
神も仏も名無しさん:2007/08/24(金) 10:52:04 ID:m/+ytghG
(続き)
神を、「科学を理解できない時代の古い概念」と位置づけ「無神論」を掲げており、「霊魂も現実には存在しない」という。また、偶然・自然選択・突然変異の蓄積による生物の進化は、
現実には起こらないとする。進化論ではなく、原初的生命の科学的創造からエロヒムの生命創造技術の進歩により、より高度で複雑な生物(例えば人間)が誕生したとされる。
聖書は過去の生命創造の証となるという。有神説的創造説とは違い、外宇宙の知的生命による創造科学論(インテリジェント・デザインのひとつ)の一つである。
エロヒムのメッセージでは、アダムとイブは「試験管ベビー」であり、実験場のひとつエデンの園はイスラエルにあったと記されている。
また歴史の折に触れエロヒムは人類と接触してきた。そのためエロヒムは、「原始的人類が理解できる神」として振舞ってきたという。モーゼ、ブッダ、イエス、マホメットなどの預言者は、
「エロヒムの使者」であると記されている。
以上
6万人の会員がいるのには驚きましたが、下記の3点が気になります、どう思われますか。
○「現在の地球上の全ての生命」が、2万5千年進んだ優れた科学技術力をもつ「エロヒム」によって科学的に創造された。
・・・地球上の生命(人間も)は「科学的に創造」物なのでしょうか。
○神を「科学を理解できない時代の古い概念」と位置づけ「無神論」を掲げており、「霊魂も現実には存在しない」
・・・神は科学(経験・実証主義)的に捉えらる概念でしょうか。霊魂が現実に存在しないのであれば「エロヒム」は霊魂ではない、するとこれも「科学的な創造物」?何者でしょうか。
○エロヒムは、「原始的人類が理解できる神」として振舞ってきたという。
・・・「無神論」であるエロヒムがどうして「神」を掲げるのでしょう。
「宇宙人」を語るとこんな「ラエリアン・ムーブメント」のような面白い概念も出来てしまうようですが、さてこの話の真偽はどうなのでしょうか。。
793 :
神も仏も名無しさん:2007/08/24(金) 11:42:37 ID:m/+ytghG
784さん、できるだけ親との縁は切らないで下さい。他人であればこういうことも仕方がない場合もありますが。
シルバーバーチの霊訓3に
質問者から「葛藤や苦悩が霊性進化にとって不可欠である」ことに対して
回答は「葛藤や苦悩はいつになっても絶える事はありません。もっともその意味が問題ですが
・・・地上では人間を支配しようとする2つの力の間で絶え間ない葛藤があります。
1つは動物的先祖とでも言うべきもの、つまり身体的進化に属する獣的性質と、
(2つは)神性を帯びた霊、つまり無限の創造の可能性を付与してくれた神の息吹です。
その両者のどちらかが優位を占め維持するかは、地上生活での絶え間ない葛藤の中で自由意志によって選択することです。
私たちの世界へ来てからも葛藤はあります。それは低い霊性の欠点を克服し、高い霊性を発揮しようとする絶え間ない努力という意味です。
完全へ向けての努力、光明へ向けての努力というわけです。その奮闘の中で不純なものが捨て去られ
、強化と精錬と試練をへてようやく霊の純金が姿を現します」(p182)
憶測ですが、きっとこれは「自分の中で霊性進化を訴えての葛藤」ではないだろうかと推察いたします。
時には親を持ち上げ、時には親に反発し、しかし霊的な事に関して親に「伝えたいこと」がある。みんな同じ思いで親孝行をしていると思います。
霊的には「縁をきるとか切らない」とかは人間側の勝手な都合であり、因・縁・果の法則からは勝手に決められないことなのかも知れません。
しかしできるだけ縁は切らないで下さい、傍にいて最後まで援助の手を差し伸べてあげてください、親を霊的に救えるのはあなただけかも知れませんので。
勝手な憶測ですが・・・善処して下さい。
>>793 ありがとうございます。
父は再婚し、新たな家族とともに新たな人生を歩んでいるのですが、
何かあった時は意固地にならないよう肝に命じることにします。
私はまだ時間と空間を超えられないため、ラエルさんがどのような体験をしたか
正確には判りません。なので以下はただの個人的推測ということでよろしくお願いします。
無神論や霊魂の否定は、肯定的にみようと思えば見えなくもありません。
キリスト教圏の人々が“神”や“霊魂”についてどれほど強力な洗脳を受けているか
を知れば、その洗脳を解除するための手段に思えなくもないからです。
凝り固まった古い概念は、真実をはね返してしまうものですから。
しかし、人類を創造したという箇所は個人的にどうも納得できません。
その一番の理由はこれです。
魂の乗り物としての生物を必要としていたのは、大霊だから。
大霊は物質宇宙を創造し、地球を生命で満たし、魂の乗り物としての生命である
人類を造りあげた。私にはこの方がしっくりくるんですよ。
また、大霊の意志を実行する実働部隊としての宇宙人はいると思います。
そのような存在はシルバーバーチの言うとおり“霞がかったように見える”のでしょう。
あまりに波長が高いため、通常は物質肉体をまとってはいない。
が、目的に応じて任意の肉体を創造し、地上に降り、種としての人類の進化や
魂の乗り物としての人類の成長を手助けする。そんな存在はいると考えています。
いや、いるでしょう。確実にね。
な^んか、なんでもありですね。
言われてみると、どれも真実のような。
そうそう、思いこみは恋愛の最大の敵でもあります。思いこみの激しい人は
“この人はこういう人に違いない”と勝手に思いこんでしまうからです。
また、そんな人は相手の深い人間性もそうそう見ることができません。
なので相手は、自分をより深く理解してくれる人のところへ行ってしまいます。
それどころか思いこみの激しい人は、自分への思いこみも持っています。
相手も見ず自分も見えていない。これでは上手くいくはずありません。
が、思いこみは偽りの恋愛には必須アイテムとなります。
いかに相手に幻想をいだかせるか。
いかに自分を幻想で酔わせるか。
まあここら辺は止めときましょう。
799 :
神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 11:35:23 ID:k6n7broK
思い込み癖の強い気質ってのは実際あるね
特に真理追求派はその傾向が強く被暗示性が強いから
このタイプは実行力がイマイチだからスピの実践主義がより厳しく感じるかもな
800 :
神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 12:41:45 ID:0/8GZS8Z
思い込みの激しい人ってそうそういないよね
801 :
神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 13:59:41 ID:y9IhTXhO
まあ思いのツボによるかと・・・
人それぞれに重きを置く対象は異なるから
興味のない事は他人には分かりにくいんじゃないかな。
掲示板みたいに同じような指向性をもった人たちが集えば
思いこみの程度も計りやすいと思う。
ところで無神論者は宇宙の成り立ちについてはどう理解して居るんでしょう?
何故、宇宙は今の形(原子核の構造や宇宙の運動、膨張などの法則について)
になったのか、明確な定義が出来なければ無神論も仮定の域を
出ないと思うんですが。
スピリチュアルにはまる人って、思い込み激しい傾向が強いませんか?
803 :
神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 15:02:31 ID:SVfnLLYu
794さん お父さんの人生を横目で睨みながら、自分の人生を歩んでおられたのですね
その気持ち 私にもよく分かります。私にもつらい傷がありますから、
泣き崩れそうなときは、こうして他人の意見を聞くこともいいかも知れませんね
仲間たちが慰めてくれるだけでも「心強い」ですから 頑張りましょう
いいはまり方なら、ともかく
誰々が言ったから〜って片方が全く違うことを言ってるのにもかかわらず
矛盾を疑問に思わないで、自分の信じたいほうを信じる。
だから、対立が起こる。特にスピリチュアルは定義が曖昧で通信の内容も
矛盾したものがある。
1部の精神科医なんかは、危険視する傾向があるようだけど
特にシルバーバーチとニューエイジ系など。現役のキリスト教とスピリチュアルの対立も
目立つ。
洞察力で全てをありのままに見抜けるようになったとき、本物の恋愛が出来るといいな
806 :
神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 19:43:54 ID:0/8GZS8Z
死の直後ではどんな服を着ているのですか?
裸の可能性もあるのですか?
807 :
神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 19:51:57 ID:bv/piUOW
小説ならばひと時の夢心地を味わい我に帰るところが、
霊訓だと言われるとそうはいかないのはどうしてでしょね。
808 :
神も仏も名無しさん:2007/08/25(土) 23:29:19 ID:k6n7broK
精神科医は相当変わり者が多く自分自身が薬漬けみたいなのも多いよ
精神科医は薬の専門家であって心の専門家ではありません
しかし精神科医でも小指の先にも満たないけれど頑張ってる人もいるようですけど
バーチを危険視してる精神科医とは誰?バーチは普通に倫理観としても間違ってはないと思うけど
>>808 バー地とか特定の通信名を挙げてはいない。
ただ、ネットで調べてみても分かると思う「スピリチュアリズムの危険」
っていう単語で調べてみたら、ずらっとあがってきた。
書籍でも そういう本を見たことがある。結構、好評でスピリチュアリズムから
解けたっていうコメントがついてた。
苫米地英人氏の新刊 「スピリチュアリズム」
例えば、これ。
スピリチュアリズムから解ける
って表現がすごいな。
カルトみたいに、信じ続けることを強制もされていないのに。
現実逃避しつづける思考から解けるってことだろ。
自分も以前は信者といえるほどこの世界に興味あったけれど、今は完全に抜けたと思う。
たしかにスピリチュアリズムの良い面もあったと思う。
しかし、それは一時的な休憩みたいなもので、成長するには永遠にそこに留まるわけにはいかない。
自転車だって補助輪をいつか外すように、子供が親離れするように
主体性をもって生きていくには邪魔になるし、成長できない。
たぶん信者だった頃の自分には、こんな事を言われても分からなかったと思うけどね。
813 :
神も仏も名無しさん:2007/08/26(日) 08:42:30 ID:2JfxA5Qs
>>810 生まれ変わりを信じて自殺した少年を引き合いにして批判している本だろ。
スピリチュアリズムは自殺なんて肯定してないし
そんなことも調べないで安易に自殺するようなやつは何やったって間違った道に行くだろ。
>>803 ありがとうございます。
頑張りましょう!
>>806 死の直後は誰もが一瞬ニルバーナの状態になります。
そしてその後、自分の波長に応じた場所へ引き寄せられていきます。
これを覚えている臨死体験者は多いですね。
言葉ではとても表現できない至福に包まれ、その後、ふと気づくとある場所にいる。
こんな体験談は数多く目にしますから。
死の直後は如何なる形もまとってません。
なので服も裸もありませんね。
スピリチュアリズムが現実逃避になってしまっている人がいるのは事実です。
そういう人達は、霊知識が日常生活で大いに役立つことを知らないのではないでしょうか。
たとえば思いこみ・先入観・決めつけ・偏見などは内なる神の囁きを消してしまうため、
これらの放棄を勧めている教えは多々あります。そのための瞑想法などを一生懸命
励んでいる人も大勢いるでしょう。
しかし、思いこみの放棄が恋に役立つことを理解している人がどれだけいるでしょうか?
素晴らしい恋愛を通してそれを実感した人はどれだけいるでしょうか?
正直、かなり寂しいパーセンテージになると私は思います。
また、霊的な訓練をせずとも霊の道を歩めることもあまり知られていません。たとえば
つきあっていた大好きな女性から「あなたは私を見ていない。私の幻想に恋をしているだけ」
と別れ話をされ、恋に破れた人がいるとします。そしてその人はそののち、人や自分の
表面だけを追い求めない人生を歩んだとします。
その人は特別な訓練をしたわけではありません。霊的な本を読んだわけでもありません。
しかしそれでもその人は、非常に価値ある霊的人生を生きたといえるのです。
それどころか、瞑想中だけ、本を読んでいる時だけ霊の道にいてそれ以外は全く別の
人生を歩んでいる人より、その人の方がよほど真摯な霊的実践をしたと言えます。
なぜならその人にとってそれはもう、日常だったからです。
霊の道は、現実逃避とは真逆の道なんですよ。
バーチもいってますね。
聖書(霊訓等々)より優れた物があると。それが森羅万象。そして自分にオコル、あらゆることが一切の一番の教訓なのでしょう。やはり。できたらそれを意識的にいつも感じられたらいいのですが。なかなか。
>>817 >その人は特別な訓練をしたわけではありません。霊的な本を読んだわけでもありません。
>しかしそれでもその人は、非常に価値ある霊的人生を生きたといえるのです。
スピリチュアリズムを信じない知らない他人の人生まで、霊的人生と言っているのは異常ですよ。
アナタの人生と、他人の人生は別です。
アナタの土俵で他人は生きていませんし、そこに結論付けるのはとても失礼な事ですよ。
思い込みで恋をし新しい命がやどって現実を知って絶望をしてもそこにすばらしい愛があるから、思い込みもたまにはいいかな、思うのもあるね。(笑)
自分的には、霊的人生のない人生なんて本当はないって思ってます。だって人間が霊なら、どうやったって霊的な道からは離れられないよ。神とはなれられないのと同じ。
現代の日本人は、多様な文化やライフスタイルを尊重し合っています。
もちろん宗教の選択も自由です。
しかし、熱心に宗教に傾倒すれば、多くの場合『真理』に没入することになり
他者や世界を、真理として統一された観点からでしか見れなくなります。
ここで自由であるはずの世界は反転してしまいます。
スピリチュアリズムのように多文化主義と共存しているかのような思想ですら
>>819で述べたように、悪気もなく他者をも信じる『真理』に当てはめてしまうのです。
ここで書き込みをしている私も、霊的人生を歩んでいると結論付けられてしまうでしょう。
信仰が悪いことだとは思いません。
信仰で心や人生が豊かになるならば素晴しい事だと思います。
しかし、先に述べましたように、豊かさの中にも注意すべき心理的傾向が含まれていることに気付き
冷静に判断する必要があると思うのです。
そして、相手を尊重し、相手の世界は別であると理解する必要があります。
信仰する『真理』に、相手は含まれない事を理解すべきではないでしょうか。
823 :
神も仏も名無しさん:2007/08/26(日) 15:18:29 ID:mPh0/WBP
>>809 おそらくスピリチュアリズムを履き違えてるのでは?
江原氏はスピリチュアリズムじゃないよ
どんな事にも本物と偽者があるって事
そこを同じ枠に入れて考えてるんでしょうね
おそらくその精神科医はカルトもスピリチュアリズムだと思ってるのでは?
824 :
神も仏も名無しさん:2007/08/26(日) 15:30:19 ID:mPh0/WBP
>>809>>810 追加
その方のHP見ましたがスピリチュアリズムイコール江原氏の事を言ってるようですね
前世の話とか輪廻の話とか
バーチは前世が誰だったとかに興味を持つのは危険と言ってるんだよ・・・
まあ誤解されても仕方ないけど霊訓全部読んでから言ってほしいね
>>824 だけど、江原さんはバーチを挙げてた。
だから、普通の人が見たら同じに見える。つまり、同類。
しかも、彼らは自分こそが本物と言う。
そして、バーチ信者も自分達のは本物と言う。でも、言ってる内容が微妙に違うy
シルバーバーチがこの世の人間に貢献したことは、人間は、肉体が死んでも霊として
行き続けるということを教えてくれたことだと思う。
それ以外は、大きなお世話と言わざるを得ないものが多い。人生は、苦しんで
こそ意味があるというようなことは言ってもらいたくない。誰も、苦しむため
に努力しているのではないのだ。
>>826 「苦しみ」=「魂の成長のチャンス」です
そう理解している人にとっては人生における「苦しみ」で苦しむことはないです
828 :
神も仏も名無しさん:2007/08/26(日) 21:22:42 ID:mPh0/WBP
>>825 >バーチ信者も自分達のは本物と言う
バーチ信者て・・・
バーチの霊訓を読んでも自分に都合よく解釈する人も多くいるし、10年以上も費やし正しく理解し、
忠実に実践する人も居る。
ただ、殆どが霊訓を読んでも自分に都合の悪い部分はスルーして解釈してしまう人が多数らしいよ。
だから自分は何年も費やし勉強するつもりだよ。
>>826 >人生は、苦しんでこそ意味があるというようなことは言ってもらいたくない
そうではなくて、苦しみは生まれてきた以上は誰にでも訪れるもので、それを逃げるのではなく乗り越える事で成長出来ると言っているだけだよ。
苦しみを超えれば超える程に喜びも増すってことでしょ。
苦しくても逃げないで人間として最善を尽くしてみなさいって事でしょ
829 :
神も仏も名無しさん:2007/08/27(月) 02:24:42 ID:RjHMn2rb
―善性の高い霊として創造される者と邪悪性の強い霊として創造される者とがいるのでしょうか。
「神は全ての霊を無垢と無知の状態で創造されています。
言い変えれば、何も知らないということです。
その一人一人に神は使命を持たせてあります。
その達成のための努力の中で啓発され、真理を知ることによって徐々に完全に
近づき、つまりは神ご自身に近づくように配剤されています。
霊にとって完全とは永遠不変の無垢の喜悦の状態です。
神によって課せられた試練をくぐり抜けることによって叡知を身につけていく
のですが、問題はその試練への対処の仕方です。
素直に受け入れ、そこに目論まれたものを速やかに理解していく者がいる一方、
不平だらだらで対処し、その意義を悟らず、いつまでも完全と至福の境涯から
遠く離れたままの者もいます。自業自得です」
sa
>素直に受け入れ、そこに目論まれたものを速やかに理解していく者がいる一方、
>不平だらだらで対処し、その意義を悟らず、いつまでも完全と至福の境涯から
>遠く離れたままの者もいます。自業自得です」
人の人生の善し悪しを勝手に定義する傲慢な考え方だな。
これを書いた人の視野の狭さが窺えるよ。
832 :
神も仏も名無しさん:2007/08/27(月) 08:52:52 ID:3s9NiFy6
シルバーバーチは職業の選択方法についてなにか言っていますか?
介護など、人のためになるけど、自分の能力を生かせない(得意分野ではない)仕事か、
プログラマなど、人のためにはなりにくい(直結しない)けれど、
自分の能力を生かせる仕事(自分がやりたい仕事)かで悩んでいます。
どっちもやればいいのでしょうけど、転職前提で仕事をするのもどうかと思いまして。
833 :
神も仏も名無しさん:2007/08/27(月) 09:46:21 ID:W1cirkVv
>>815 じゃあ死後の世界で自分を自覚した直後はどんな格好をしていますか?
服を着ているとすればそれは誰かが着せたんでしょうか?
>>819 >霊的人生と言っているのは異常ですよ
あなたの考えている霊的人生と私の考えている霊的人生が
異なっているとしたらどうでしょうか?
>>822 >しかし、熱心に宗教に傾倒すれば、多くの場合『真理』に没入することになり
>他者や世界を、真理として統一された観点からでしか見れなくなります。
あなたの考えている『真理』と私が考えている真理が
異なっているとしたらどうでしょうか?
私自身、熱心に宗教に傾倒し『真理』に没入した人との会話中に、
もの凄い違和感を覚えることがあります。この人はどうして私の考えを無理矢理
ねじ曲げるのだろうと思うことがあります。なのであなたが書いた
“他者や世界を、真理として統一された観点からでしか見れなくなります”
に私は同意します。そんなことはしょっちゅうですからね。
そして私はそれを、思いこみ・先入観・決めつけ・偏見と呼んでいるのです。
>>819や
>>822に、思いこみ・先入観・決めつけ・偏見はありませんか?
私は思いこみ・先入観・決めつけ・偏見のある人生を
霊的人生と考えてません。
なので以下はあなたの杞憂ですね。
>ここで書き込みをしている私も、霊的人生を歩んでいると
>結論付けられてしまうでしょう(
>>822)
>>829 >―善性の高い霊として創造される者と邪悪性の強い霊として創造される者
>とがいるのでしょうか
“大霊によってそのように創造されたのではなく、自分で自分を創造している”
という観点から
>>829の文を読んでみてください。
>>832 プログラマーは人類の成長に大いに貢献してますよ!!
今は過渡期なためコンピューターの進化が人の勤務時間をかえって
増加させてますが、もう暫くすると、人はコンピューターのお陰で
仕事に携わる時間を大いに減らせるようになるでしょう。
プログラマーはその一翼を担う大切な仕事だと私は思います。
>>833 死後の世界では想像イコール創造です。
“私はこんな体でこんな服を着ているだろう”と考えた瞬間、
もうそうなってるんですよ。
839 :
神も仏も名無しさん:2007/08/27(月) 12:21:13 ID:W1cirkVv
>>838 自分がどんな服着てるか想像していない場合はどうなりますか?
>>834 >>817で、私はアナタが宗教的観点から他者の人生までも量っていると感じましたが如何でしょうか?
>あなたの考えている『真理』と私が考えている真理が
>異なっているとしたらどうでしょうか?
もちろん異なっているでしょう。
といいますか、私はアナタの『真理』をは問題視していません。
『真理』に没入し他者や世界までも『真理』の観点から判断する姿勢を問題視しているのですよ。
この部分で私の考えに同意していただけましたが、
先に述べましたように、アナタも御自分の宗教観で他者の人生を量っている部分を見受けられました。
しかし、こうした傾向は宗教に関わる以上致し方ない部分もあると思います。
分けて考えるのはとても難しいと思います。
だからこそ、注意深く考える必要があるのではないでしょうか。
>>840 いいですよ、では注意深く考えてみましょう。
>先に述べましたように、アナタも御自分の宗教観で他者の人生を
>量っている部分を見受けられました(
>>840)。
上記の結果、あなたは
>>819や
>>822を書いたんですよね。
そしてこうも書いてます。
>ここで書き込みをしている私も、霊的人生を歩んでいると
>結論付けられてしまうでしょう(
>>822)
けれどもそれ、全然違うんですよ。
私はあなたが霊的人生を歩んでいるなんて思ってません。
ということは、あなたが考えている私は、
私にどれだけ似ているのでしょうか?
ちなみに私はいまだかつて宗教なんてやったことないのですが??
あれ、840さんはここを見てないのかな?
用事があるので次は18時ごろまで落ちます。
PCを開けた直後に840さんが投稿したから
ラッキーと思ったのですが。
843 :
神も仏も名無しさん:2007/08/27(月) 16:41:16 ID:F5WusDB4
834さん、「宗教はアヘンである」「ドグマの範囲内だけで物事をジャッジしている」「理性があるのにもかかわらずドグマで判断しようとする」
「ドグマ自らが作った問題点であるにもかかわらず信者はその解決に躍起になり、しまいにはそれを解決することが”悟り”であると錯覚していることもある」、
これ等はよく言われることです。
シルバーバーチは、「私の宗教は他人のために自分を役立てること」だけですと言っています。日本神道に教義がないように、シルバーバーチ教にも教義はありません。
「霊的真理」は教義ではありません、真理です。誰にもあてはまるから真理なのです。
さて、スピリチュアリズムが「危険視」されるのは次の様なことがあるからです。
危険視の一つ目は「スピリチュアル・アディクション(霊的中毒)」です。具体的には、
1. 自分たちの行い(信念、信条)こそが唯一正しいと自画自賛し、他を見下す。
2. 自分を特別な人間だと思い込む。
3. スピリチュアルな実践(浄化)こそが罪の意識の滅却であり、恐怖からの開放であると思い込む。また、浄化を儀式のように形式的に行う。
などです。
844 :
神も仏も名無しさん:2007/08/27(月) 16:42:45 ID:F5WusDB4
(続き)
危険視の2つ目は、瞑想による「スピチュアル・エマージェンシー(霊的危険状態)」です。具体的には、(左側はよい点)、「右側は悪い点」
1. シャーマン的危機(日常の意識とは異なる変成意識状態)、「幻覚との戦い」
2. クンダリーニの覚醒(体内に潜む宇宙の創造的エネルギーの覚醒、霊的体験)、「日常生活に支障を来す不安と恐怖」
3. 合一意識のエピソード(宇宙全体との一体感、霊的発現、至高体験)、「精神障害」
4. 刷新プロセス(破壊や死のイメージから復活や再生のイメージへの変容)、「精神病」
5. 憑依状態(外部から人格がコントロールされた状態、霊媒としてのヒーリングセラピー)、「悪魔憑き、狐憑き、統合失調症、解離性精神障害」
6. サイキック・オープニング(心霊能力の開眼、体外離脱、臨死体験、チャネリング、テレパシー、予知能力)、
「日常生活が送れないほど心霊能力に圧倒される、シュード・ニルバーナ(偽涅槃による有頂天)、禅病など」
です。
以上、「瞑想の精神医学(トランスパーソナル精神医学序説)」安藤治著、(p117〜121、p145〜155)から抜粋。
845 :
神も仏も名無しさん:2007/08/27(月) 16:44:13 ID:F5WusDB4
(続き)
あなたが指摘しているのは、我々の「霊的中毒」に関してのようです。もしそうであれば反省しなくてはなりません。
また、「瞑想」となると神秘的であるだけにそれが良い症状なのか悪い症状なのかが判断できない場合が多々あります、それで「霊的危険状態」に陥った方も結構います。
悪い面で出てきているのであればすぐに反省するか、もしくはストップすべきだと私も思います。
我々のスピリチュアルな活動は「霊性進化」です。どの霊にも「霊性を進化させる」魂のDNA(神性)があります、これは霊的真理です、あなたにも当てはまります。
霊的真理は全ての霊に当てはまり、これは「洗脳」とは違います。
私はあなたに「霊的真理」についてだけ伺います。
これを受け入れることは、あなたから見て「洗脳」であるとおっしゃるのであれば、どうかここにいる可哀想な者たちの為にそれを分かりやすく説明して下さい。
全ては「霊」である、これも真理です。これが洗脳であるのならなおさらです。
>>841 >ここで書き込みをしている私も、霊的人生を歩んでいると
>結論付けられてしまうでしょう
ここを問題視されているようなのでお答えしますね。
アタナは私も決め付けをしてるのでは?と仰りたいのでしょう。
前後の文脈をご覧ください。
>>817でアナタは、特別な訓練や霊的な本を読んでいなくても、価値のある霊的人生を生きたと言えると仰いましたね。
つまり、スピリチュアリズムと無関係な他者に対しても、アナタの宗教観で価値の有無を決めていると言えるでしょう。
私はその部分から、アナタ若しくは真理に没入する人達が
他者の人生も霊的人生と解釈していると判断し、先の文章表現をしたのですよ。
>>846 それを言うなら
>>817をよく読んでください。
私は一行目にこう書いてます。
>霊的な訓練をせずとも霊の道を歩めることもあまり知られていません
シルバーバーチ読者には、本を読むだけで成長できると考える人がいます。
これは逆にいえば、本を読まず訓練をしなければ霊成長はできないと考えている人が
多いということです。
私はここにもう三年以上いるので、そういう人達を沢山知ってます。
>>817は、そんな人達を対象に書いたものなんですよ。
あなたはそこら辺の事情を重々承知したうえでそう判断したのですか?
>>843-845 >>843-845を読ませていただきました。非常に分かりやすかったです。
ただ、
>>845の“ここにいる可哀想な者たち”は勘弁してください。
そういうの苦手でして。
霊的真理は私の話せる範囲なら喜んでお応えします。
もちろんそれを真理とするか否かは100%各自の自由ですが。
洗脳について書きます。
洗脳とは、【自分で考え判断することの強制禁止】だと私は考えています。
なので“何も考えるな判断するな”的なことを言う人や団体は、私には要注意ですね。
逆にシルバーバーチは自分の理性で判断しなさいと説くから、好きなんだなあ。
そして悲しいことに、洗脳を画策している人達はしばしば
“思いこみ・先入観・決めつけ・偏見の放棄”を悪用します。
何をいっても“それはお前の思いこみだ、決めつけだ”と大勢で長時間糾弾し、
その人から思考力や判断力を奪い取ってしまうのです。
思いこみ・先入観・決めつけ・偏見の放棄は本来、
内なる神との会話をスムーズにするためのものです。
思いこみや決めつけを放棄し、心を穏やかに澄みわたらせる。
すると、心の最深部から湧き上がってくる神の囁きを聴き取りやすくなります。
それを聴き取り、実践し、己の血肉としていく。
>>245に載せた自己客観視能力は、そうやって身に付けていくものなのです。
“全ては霊である”は洗脳ではありません。
が、これを理解するにはそれ相応の努力が必要ですね。
>シルバーバーチ読者には、本を読むだけで成長できると考える人がいます。
>これは逆にいえば、本を読まず訓練をしなければ霊成長はできないと考えている人が
>多いということです。
>私はここにもう三年以上いるので、そういう人達を沢山知ってます。
>
>>817は、そんな人達を対象に書いたものなんですよ。
>あなたはそこら辺の事情を重々承知したうえでそう判断したのですか?
もちろん分かるわけがありません。
なぜならアナタの文面からはその内容は読み取れませんでしたから。
御自分の文章をもう一度読み返してみては如何でしょうか?
アナタの喩え話で登場する人物は、霊的な本も特別な訓練もしていないと
御自分で仰っていますよ。
つまり、シルバーバーチ読者とは言えませんよね?