クリシュナムルティとか・・・・・・

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1ユキヒョウ
ERROR:本文がありません!
2ユキヒョウ:2007/06/02(土) 20:33:00 ID:3MQzI/mo
せっかく新スレ立てたんだから、誰か何か書いてよ。
3@:2007/06/02(土) 21:05:38 ID:r+vcujnX
最初にして最後の自由

4ユキヒョウ:2007/06/02(土) 21:09:21 ID:3MQzI/mo
ああ、よかった。あと3時間誰も発言しなかったら、
スレ削除を申請しようかと思ってました。
5神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 21:24:12 ID:GVzXZFml
最初にして最後のユキヒョウ
6神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 21:53:44 ID:Xm7V12O3
うわ、ふんじゃった。
7神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 22:01:59 ID:Xm7V12O3
とりあえず、和尚の今週の瞑想は、布団を掛けた時点で、寝てしまう俺には出来ない。
http://www.osho.com/Main.cfm?Area=Meditation&Language=Japanese
8神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 22:05:16 ID:XZO89oZA
>布団を掛けた時点で、寝てしまう・・・
素晴らしい!
9神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 22:22:43 ID:XZO89oZA
http://tozanji.cocolog-nifty.com/blog/cat8619717/index.html

道とは本来をそっちのけにする、思い描くばかりですか、ラジニーシとかクリシュナムルティというインドの聖者どもがこれです、
有心というんですか、・・・・・
10ユキヒョウ:2007/06/02(土) 22:31:18 ID:3MQzI/mo
とりあえず、「クリシュナムルティ」という語句が含まれているのは分かるんですが、
それはどういうことを言ってるのですか? 
11神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 22:34:31 ID:XZO89oZA
どの部分ですか?
12ユキヒョウ:2007/06/02(土) 22:40:01 ID:3MQzI/mo
引用部だけでは全体的に何を言ってるのかよく分かりません。
13神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 22:41:28 ID:XZO89oZA
>今の人も参禅弁道またこの類です、悟ったらどうなる、境地のよしあしなど、大切な心を物としか見ない、
だからその証をとるべし、悟ったらあともう坐禅なぞいらないという、すなわちこれ外道です。

この辺のことですか?
14神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 22:42:47 ID:XZO89oZA
リンク先が読めないのですか?
15ユキヒョウ:2007/06/02(土) 22:44:51 ID:3MQzI/mo
あなたは、そのリンク先の人のクリシュナムルティに対する批判を
このスレで紹介しようとしているのではないのですか?
もしそうなら、どういう批判なのか分かるように書いてほしいという
ことなんですが。
16神も仏も名無しさん:2007/06/02(土) 22:47:55 ID:XZO89oZA
リンク先読めば。
17ユキヒョウ:2007/06/02(土) 23:05:25 ID:3MQzI/mo
リンク先の最初のページには見当たらないようですが。
18ユキヒョウ:2007/06/03(日) 09:25:04 ID:qH/pNViv
何か雰囲気が悪くなって、誰も発言しなくなってしまった。もうだめぽか?
19@:2007/06/03(日) 11:02:22 ID:JL7bUljy
スレタイが「クリシュナムルティとか・・・・」になっているの、今初めて気付いた

K的なものならOKということか
20ユキヒョウ:2007/06/03(日) 11:29:26 ID:qH/pNViv
あっ、「か」が余計だったか。
でも、K的なものでも、K的でないものでもOKだったではないですか、
前スレから。
21@:2007/06/03(日) 11:58:38 ID:JL7bUljy
そういえばそうだった.....
ただ、瞑想を中心に生活していると、全ての事がどうでもよくなってくる
特に何も思い付かない
なんか思い付いたらカキコしよう.....
22ユキヒョウ:2007/06/03(日) 12:11:53 ID:qH/pNViv
774さんも、大王さんも、度論破さんも、みんなどこに行ったの?

23神も仏も名無しさん:2007/06/03(日) 15:57:25 ID:8RlWsfTL
デパ地下
24神も仏も名無しさん:2007/06/03(日) 19:27:37 ID:UCghL/AM
長文書く奴が悪い
25神も仏も名無しさん:2007/06/03(日) 20:45:02 ID:NosCgWW8
精神は、いまイメージを作り上げないことによってそれ自身の中のイメージを空っぽにできるのです。
もし私がイメージを持てば、私はそれを過去のイメージに関連付けてしまうのです。

そのように意識、精神は、今イメージを形成しないことによって、自身の中のイメージを空っぽにすることが出来ます。
すると、中心のまわりの空間でない、ある空間が拡がりだすのです。そしてもし人が掘り進み、奥へ奥へ入ってゆくと、
そこに聖なるもの―思考によって思いつかれたものでなく、いかなる宗教とも無関係のもの―があるのです。

私は何も信じない(クルシュナムルティ)
26774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/03(日) 22:34:08 ID:JxX1KUpK
ここが2スレ目でいいのかな。

OSHO系は別スレがいいと思うが...
彼らの弟子たちは基本的に馴れ合いで、自分に厳しくないからねぇ。

話してても緊張感が無くなっちゃうんだよね。
求道者のフリしてるだけだから。
結局彼らはKよりOSHOを言いたいだけだからね。
それなら自分たちのスレを作って、思う存分
馴れ合ってて欲しいね。くだらないから。

というわけで、ビシビシ行きますか。


27@:2007/06/03(日) 22:36:03 ID:JL7bUljy
>>25
素晴らしい文章だね
たんに真理というだけでなく、アートだなと...

この事を実践した人間は必ず辿り着けると思う
内的な科学だよこれは

でも、よく考えてみたら全然難しいことじゃないよな
28@:2007/06/03(日) 22:37:45 ID:JL7bUljy
>>26
なんだ?

てっきり死んだのかと思ったのに…
29774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/03(日) 22:38:56 ID:JxX1KUpK
>>28

死人に言われたくはないな。
30774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/03(日) 22:45:02 ID:JxX1KUpK
前スレからのやりとり見ていたが、

残念ながら話し合うことで得る事はあまり多くない。
そこには変化もなければ変容そのものもない。

まさにイメージと過去の繰り返し。
くだらないね。

期待している答えしか受け入れられないなら、話し合う意味もない。
そして聞く耳がないなら、Kなんていくら読んでも
意味がない。

重要なのは口でなく、耳だ。
31774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/03(日) 22:47:15 ID:JxX1KUpK
私たちに必要なのは

聞くことのアート、ではないのか?
考えることでも自分の何かを表明することでもない。

もしあなたが臭うなら、そのままにしておけばいい。
もちろん、隠し通せるものでは無いわけだし。
32774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/03(日) 22:50:53 ID:JxX1KUpK
イメージ、過去。

わたしたちの大部分がそれで出来ているのは明らかだが、
間違いの多くはそれに全く気がつかないことじゃないだろうか?
33@:2007/06/03(日) 22:57:59 ID:JL7bUljy
話し合うことによって得られるものなんてないだろ
Kと直接話すならともかく

自分の馬鹿さ加減が見れれば、話し合いの成果があったというものだ
34@:2007/06/03(日) 23:07:10 ID:JL7bUljy
>>32
イメージ、過去、記憶、そういったものがただの思考であり、今現在存在していない。
そう気づくたびに自由を感じる

最初にして最後の自由
35ユキヒョウ:2007/06/03(日) 23:12:28 ID:qH/pNViv
それが774さんの「求道者」としての姿勢なんだったらしょうがないんだが、
こんなところで話し合うことにまで「得ること」を求めなくともいいんじゃねとか、
しかもその得ることがないのは全部相手のせいみたいな物言いは何なのさとか、
その発言の内容もすべて前スレの記憶からあなたが作られたイメージじゃん、
とか思ったりもするのですが、ともかく前スレのメンバーの復活、大歓迎です。
36774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/03(日) 23:21:45 ID:JxX1KUpK
くだらないな。
結局馴れ合いたいだけじゃないか。
37774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/03(日) 23:24:32 ID:JxX1KUpK
>それが774さんの「求道者」としての姿勢なんだったらしょうがないんだが、

ではユキヒョウは何でKを読むんだ?
38ユキヒョウ:2007/06/03(日) 23:43:04 ID:qH/pNViv
>>37
独特の分からなさがあって、そこが何なのか知りたくなるからでしょうかねえ。
私が持っているKについてのイメージとか、私がKを読むことで期待しているものがあって、
それが理解の邪魔をしていようなので、あまり胸を張って言えないんですが。
39ユキヒョウ:2007/06/03(日) 23:44:53 ID:qH/pNViv
馴れ合い、嫌いですか?
40神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 00:11:03 ID:DkLLwGnT
馴れ合いって集団オナニーだからね。
41神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 00:21:18 ID:3JwXdMl6
2chで瞑想オタクしてる時点でな〜。
42@:2007/06/04(月) 00:52:23 ID:Es1Df9n/
2chで瞑想オタク...
アホか!
俺は実生活でも瞑想オタクだ

とにかく2chなんて、息抜きなんだから、それ以上でも以下でもない

ただ一日中2chをやっているような人間にとっては息抜きではないんだろうがな....
まぁ他人のことなど心の底からどうでもいいが
43神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 00:54:50 ID:IEICde88
俺様は瞑想オタクではない〜とエゴが言う(笑)
44@:2007/06/04(月) 01:13:07 ID:Es1Df9n/
>>43
お前の言っているエゴというのは、聖者を志す人間にとっては問題かもしれないが、自分はそんなものにはなんの興味もないので全く問題ない

実際のところ問題はそんなところにはない

アホくさ
45神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 01:26:55 ID:IEICde88
どんなところにあるのか言ってごらん??
46神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 01:31:09 ID:IEICde88
>>41
で言ってる時点でお前は聖者なんだよ。洗練された聖者な〜
47神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 01:36:47 ID:IEICde88
>>44
何が問題なのさ?聞いてやるよ!
48@:2007/06/04(月) 01:43:59 ID:Es1Df9n/
>>47
自分のエゴを洗練させることに興味はない、ということだ

寝ろ!
49神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 01:46:31 ID:IEICde88
>>48
お前はエゴ問題じゃねーんだろ??やけにエゴに反応してんじゃん?聖者みてーな奴だな!!
50神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 01:49:20 ID:IEICde88
>>48
お前は充分に洗練されたエゴだよ!!気づいてないか?(笑)
51河津:2007/06/04(月) 01:50:49 ID:bLED7xwy
かわずです。こんばんは、はじめまして。

覚醒、覚醒、、、、、、
そんなのあり??

自分を洗練させる、、そんなのあり???
ないような、どうでも良いような、、、、

とにかく、自己というワナにはまらないような、生き方が大事やね。そうしたいねー。
52神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 01:53:38 ID:IEICde88
>自己というワナにはまらないような
何それ??あーん!?
53神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 01:57:18 ID:IEICde88
誰が言い出したの?自己というワナなんてさ。初耳だな。
54河津:2007/06/04(月) 01:58:00 ID:bLED7xwy
>>自己というワナにはまらないような
>何それ??あーん!?

みんな、はまってるように見えるよーん、、、あっしには、

あっしは、河津です。蛙、、、カエルです。
カエルから進化した人間?です。

自我も自己も、、、????です。自己感覚も意識もあるようなないような、、、、
ただ、セックスの欲望と食欲が旺盛です。後は睡眠欲ね。
55神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 01:59:57 ID:IEICde88
>セックスの欲望と食欲が旺盛です。

健康な証拠ですね。イイ!!
56河津:2007/06/04(月) 02:01:00 ID:bLED7xwy
河津はフツウの性欲を持っていますが、同性愛でもあるので、
あとであなたたちのところへ 夜這いにいくかもしれません。
テクニックはあると思います。
そのときはよろしく、、、。


蛙科の河津ですた。
57神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 02:02:41 ID:3JwXdMl6
俺なんか瞑想しているせいで、モテまくり。禿げまくり、人生超ローライズ。
58河津:2007/06/04(月) 02:03:22 ID:bLED7xwy
あっしは130歳なのでKのこともよく知っています。

かなり昔、彼にショんベン引っ掛けられました、
で、あるときに木の上から彼にショんベン引っ掛けてやりましたよw
59神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 02:03:59 ID:IEICde88
キモいね、カエル君。
60河津:2007/06/04(月) 02:07:24 ID:bLED7xwy
その場所は、あの有名なカリフォルニアのオジアイ渓谷でした。

Kは、そのとき実は、瞑想なんかしてなかったんだなw
けっきょく、実は、あっしのションベン・パワーで覚醒したのですよww。
61神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 02:08:00 ID:IEICde88
みんな瞑想とかしているんだね。ふーん。
62神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 02:08:33 ID:3JwXdMl6
オマイは高い循環水飲んでんなあ
63神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 02:10:16 ID:3JwXdMl6
ジャンキーには秘密
64河津:2007/06/04(月) 02:11:44 ID:bLED7xwy
では、夜食が出来上がったので今夜は失礼します。

バイナラン!
65ユキヒョウ:2007/06/04(月) 08:58:43 ID:EVv+fwBQ
みなさんがしている瞑想ってどんなの?
66@:2007/06/04(月) 10:31:20 ID:Es1Df9n/
そんなこと言っても、どうせ本体は瞑想になんか興味はないんだろ
知的遊戯に熱中しているみたいだからなぁ

もったいないことだよ
67ユキヒョウ:2007/06/04(月) 10:42:57 ID:EVv+fwBQ
「本体」って誰のこと?
68大王:2007/06/04(月) 12:32:31 ID:7vVnXUu5
スレ立て、おめでとう、、最近、神社で神々の違いを味わい、大きな神社の霊の違いを味わい楽しんでいた所だ、、

ドロンパ君のレベルも見たいなあ、、

774は、相変わらず、程度が概念阿呆だなあ、、、

ド論破君の点数がつけるのがおもしろいかって??

100点と〜点以上、、というのは、点数が実はついていない、、

点数が明確につくのは、、概念阿呆の度合いが強い場合だ、、
●えーさんは、すなわち、採点していないことになる、、
69大王:2007/06/04(月) 12:35:03 ID:7vVnXUu5
この、スレに参加する理由かあ、、、

クリシュナムルティの写真を見て、タントラ的手法で、、
サマディーを味い、思想を味わうからだなあ、、

湯江にの概念阿呆振りが解ると言うわけだ、、、、
70大王:2007/06/04(月) 12:36:18 ID:7vVnXUu5
湯江にの概念阿呆振りが解ると言うわけだ、、、を、、

ユエに774の概念阿呆ぶりが解る訳だ、、に修正
71ユキヒョウ:2007/06/04(月) 13:30:42 ID:EVv+fwBQ
> クリシュナムルティの写真を見て、タントラ的手法で、、
> サマディーを味い、思想を味わうからだなあ、、

写真を見てサマディーを味わい、思想を味わうタントラ的手法って何?
72神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 16:00:31 ID:zDnq2e6X
>>セックスの欲望と食欲が旺盛です

異常だ。コーヒー、紅茶、コーラー、酒の飲み過ぎだ。
73774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/04(月) 16:17:15 ID:ts9Eh+XL
魑魅魍魎の宴会場だなここは。
良いテーマが出てくるまでオチます。
74神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 16:33:57 ID:3JwXdMl6
天狗は山に帰ったか。ユンピョウは瞑想するんですか。
75ユキヒョウ:2007/06/04(月) 17:00:02 ID:EVv+fwBQ
瞑想したいんですが、できないみたいです。
76神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 17:11:58 ID:EVv+fwBQ
正当化も非難もしないで受動的に観察していると、
自ずと真実が現れてくる、というようなことがKの本に
書いてあったので、やってみようとしてるんですが、
これは瞑想ではないですかね? 
77神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 17:21:06 ID:3JwXdMl6
正当化も非難もしないで受動的に観察していると
僕は深い眠りにつくのでありんす。
78神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 17:56:41 ID:EVv+fwBQ
あ、それよく分かるような気がします。
最近、Kの本を読むとすごく眠くなります。
79神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 18:29:44 ID:KdUDRSeG
>>76
うん私も瞑想だと思いますね。
80神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 18:47:23 ID:SeqaiKZW
ああだこうだ。
81神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 19:08:57 ID:3JwXdMl6
只管打坐
82神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 19:11:52 ID:SeqaiKZW
やっ!ふー!
83神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 19:47:23 ID:J5XP9CmD
はまぐり飛ばし!!
84ユキヒョウ:2007/06/04(月) 19:50:59 ID:EVv+fwBQ
やっぱりダメですね。受動的観察になりません。
したがって、真実も現れてきません。
85ユキヒョウ:2007/06/04(月) 19:55:20 ID:EVv+fwBQ
不満だけが高まり、爆発のしようがありません。
そのうち疲れてしまいます。
86神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 20:01:34 ID:3JwXdMl6
クリシュナムルティの瞑想と
道元の只管打坐が似ている気がする。
87@:2007/06/04(月) 20:14:06 ID:Es1Df9n/
他人と馴れ合えないおっさんが、自分自身と馴れ合っている
あるがままに観るとこうなるな

ただ、別に悪いことではない
88神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 20:20:54 ID:GX4/+BdR
へーあるがままってそんな風にジャッジすることなのか!? 知らんかった(笑)
89@:2007/06/04(月) 20:33:40 ID:Es1Df9n/
良い悪いの判断はしてないぞ

俺は劇団ひとりのファンだから
90神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 20:38:15 ID:GX4/+BdR
本体はどれよ?
91神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 20:39:20 ID:GX4/+BdR
ユキヒョウは違うだろ?
92ユキヒョウ:2007/06/04(月) 20:40:01 ID:EVv+fwBQ
よく話に出てくる「本体」って何なんですか?
93ユキヒョウ:2007/06/04(月) 20:41:40 ID:EVv+fwBQ
>>91
何だか分からないですが、分からないということは違うんでしょうね。
94神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 20:43:27 ID:GX4/+BdR
つとかじとか変わったのがいるのです。
95@:2007/06/04(月) 20:46:23 ID:Es1Df9n/
本体ってのは、劇団ひとりのことだよ

ユキヒョウも劇団員なんだから分かるだろ、それくらい

ただ俺は劇団ひとりのファンだから問題ない
96神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 20:48:18 ID:GX4/+BdR
なんだーユキヒョウも劇団ひとりかよー(わらお)
それでは質問です・・。
ユキヒョウは年下の若い男とセックスしたことありますか?
97ユキヒョウ:2007/06/04(月) 20:49:55 ID:EVv+fwBQ
え? 劇団員じゃないし、年下の若い男とセックスしたことはありませんよ。
98神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 20:54:47 ID:GX4/+BdR
そうですか・・受動的観察を若い男で実験してみて下さい。
99ユキヒョウ:2007/06/04(月) 20:57:46 ID:EVv+fwBQ
?????
100@:2007/06/04(月) 20:59:39 ID:Es1Df9n/
今この状態を受動的に観察したらいいんじゃないか?

真実が見えるかも?

即座の悟り
101神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:02:13 ID:GX4/+BdR
@imi///
102ユキヒョウ:2007/06/04(月) 21:02:29 ID:EVv+fwBQ
居心地の悪さしか見えませんが。
「本体」とか「劇団」とか「若い男」って何?
103@:2007/06/04(月) 21:05:22 ID:Es1Df9n/
私は何も知らない


-ソクラテス
104神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:10:25 ID:KdUDRSeG
私はこういう流れは嫌いですね

じ は慈風さんですかね?
つ はわかんないです。あんまり2ちゃんやってないので
劇団ひとりとは一人で複数の名前で書き込むことではないでしょうか
105ユキヒョウ:2007/06/04(月) 21:10:36 ID:EVv+fwBQ
訳の分からなさで、眠くなってきました。
106神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:13:05 ID:GX4/+BdR
「この世に私ほど頭の悪い人間はいないかもしれない。私以外、みんな自信たっぷりだ」


-老子
107ユキヒョウ:2007/06/04(月) 21:14:58 ID:EVv+fwBQ
>>104
なるほど。さほど面白い話でもなさそうですね。
108ユキヒョウ:2007/06/04(月) 21:18:01 ID:EVv+fwBQ
「魑魅魍魎の宴会場」というのは、こういうこと?
109神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:18:29 ID:GX4/+BdR
>>104
これも劇団。
110神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:19:30 ID:GX4/+BdR
ユキヒョウちょっと太りすぎ。
111神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:23:53 ID:KdUDRSeG
>>109
みんな劇団にしちゃうんですか?
人を見る目がないですね。

女ですしね私。
112神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:25:42 ID:GX4/+BdR
>>111

でもいい女ではないのだろ?
113神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:28:31 ID:KdUDRSeG
>>112
まぁこんなスレにいるような女ですからね
114神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:31:50 ID:GX4/+BdR
こんなスレって・・・お前とそっくりじゃん。
115ユキヒョウ:2007/06/04(月) 21:33:43 ID:EVv+fwBQ
本体とか劇団一人というのは、
一人で複数のIDを使って書いている人のことですか。
私は「名前」を入れ忘れることはありますが、
その人とは関係ありませんよ。
116神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:42:17 ID:GX4/+BdR
そうですか。ユキヒョウさんは違いますか。
117@:2007/06/04(月) 21:43:30 ID:Es1Df9n/
>>115
ああ、わかった

これからも、活躍を期待している
118神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:45:36 ID:GX4/+BdR
ユキヒョウさんは何で瞑想するのですか。
119ユキヒョウ:2007/06/04(月) 21:47:07 ID:EVv+fwBQ
だから、私は瞑想はできないって、さっきも書きましたよ。
本を読むとか散歩するとかぐらいです。
120ユキヒョウ:2007/06/04(月) 21:49:18 ID:EVv+fwBQ
「何で」というのは手段ではなく、理由を聞く疑問文でしたか?
しかし、どっちにしてもできないし、出来ない理由も分からないですね。
残念ながら。
121神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:51:35 ID:3JwXdMl6
GX4/+BdRは自分を語れ。
122神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:54:47 ID:GX4/+BdR
只管打坐!!
123神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:57:12 ID:GX4/+BdR
でも瞑想ってほんとにいいものですよね。
124神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 21:58:45 ID:GX4/+BdR
これもみんな師の御蔭です。
125ユキヒョウ:2007/06/04(月) 22:07:52 ID:EVv+fwBQ
魑魅魍魎の宴会場だなここは。
良いテーマが出てくるまでオチます。
126神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 22:09:39 ID:GX4/+BdR
>魑魅魍魎の宴会場だな

おまえとそっくりじゃん。
127河津:2007/06/04(月) 22:56:39 ID:bLED7xwy
かわずです。
ユキヒョウさーん、おちないでー、、
128ユキヒョウ:2007/06/04(月) 23:03:08 ID:EVv+fwBQ
774さんの真似をしただけですから、おちません。
でも、訳の分からない会話にはすこし呆れました。
129河津:2007/06/04(月) 23:18:53 ID:bLED7xwy
では、ユキヒョウさんはなぜ瞑想できないのですかな?

じっくりと座るとか言うのは苦手ですかな
130河津:2007/06/04(月) 23:23:09 ID:bLED7xwy
あ、上に書いてありましたね。失礼。

131GOOOOOAL!!:2007/06/04(月) 23:24:39 ID:hWWI5Qv0
あたまデッカッチには座る瞑想は無理です。
132神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 23:25:09 ID:3JwXdMl6
みんな、眠い時もやるのかなあ?
133河津:2007/06/04(月) 23:31:15 ID:bLED7xwy
蛙は宇宙カエルです。

冬眠しません。

氷の上で滑って遊びます。滑る瞑想です。

ですので、人間の世界のフィギュアスケートにも詳しい。

バンクー場五輪の隠れた優勝候補知ってますかな?
魔王ちゃんばかりじゃないのよーん。
http://www.youtube.com/watch?v=C8Xypzx88SA
134ユキヒョウ:2007/06/04(月) 23:33:36 ID:EVv+fwBQ
しかし、何でこうイカレタ人ばかりなんでしょうか?w
135@:2007/06/04(月) 23:35:06 ID:Es1Df9n/
そもそも、みんな言語を摂取し過ぎなんだよ
言語過剰摂取

言語のメタボリックシンドローム

精神体は無駄な知識という贅肉でブヨブヨ
136神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 23:42:40 ID:hWWI5Qv0
まともだと思っているのか・・・(爆
ゆきちゃん・・・。
137神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 23:56:49 ID:3JwXdMl6
あたまデカチチ
138河津:2007/06/05(火) 00:07:57 ID:DbDVfWWv
言語を摂取するのは誰か、、、他者ではないぞ。
自己でしょ、、、、けっきょく皆、自己という観念に絡めとられてる。

日本語は言霊というのがあるぞ、、、
、、、自己にとらわれすぎると、「事故」につながる。

であるからして、
自己意識、、、、最初に出てくる一人称単数形・・・・「I」を凝視せよ!
139@:2007/06/05(火) 00:13:55 ID:ZWD1ouSE
>>138
言語過剰摂取の一例だな...

内容がない
140河津:2007/06/05(火) 00:20:43 ID:DbDVfWWv
>>139

即座に批評せねば、という言語回路=自己意識しか働かない、、、

論理的批評ではなく、単なる感情的条件反射ですよ
141@:2007/06/05(火) 00:30:56 ID:ZWD1ouSE
>>140
いや、、軽い気持ちで言っただけなんだが...
何も考えてなかった

ていうか、蛙、キャラ変わってないか?
それとも幅広いキャラなのか...
142河津:2007/06/05(火) 00:41:00 ID:DbDVfWWv
あ、あっしのキャラですか。
はい、こちらは宇宙ガエルなので、幅は広いんです。

今は、ユキヒョウさんの子宮感覚に注目しています。
エッ○してみたいです。
143神も仏も名無しさん:2007/06/05(火) 00:53:33 ID:SEGmzKbx
越冬?
144河津:2007/06/05(火) 01:11:03 ID:DbDVfWWv
え、何が越冬?
145774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/05(火) 12:22:53 ID:5NQGlrI/
どうやら霊媒体質の人がいるようだが、

もしチャネリングやら何やらで交信めいたことをしているのなら、
悪いことはいわないから止めなさい。
危険だ。

警告しましたよ。
146ユキヒョウ:2007/06/05(火) 14:52:01 ID:O009mBnO
774さんが「危険だ」と言えば、その人は止めると思いますか?
そうでないなら、何で「警告」するんでしょう?
「自分は一応警告はしておいた」と言うため?
本当に止めさせたいなら、
その危険性の内容をもっと具体的に説明すべきじゃないですか?
147河津:2007/06/05(火) 19:40:12 ID:DbDVfWWv
あっしのことは心配しないでね、
だいじょうびだよーん!

それより以下を読んでね。

Kだとか瞑想だとか言ってランないかもよ。
日本の暗部を拡大させないためにも政治をまじめに考えよう!

2ch政治スレより


>>コラムニスト・勝谷誠彦氏は3日、MBSラジオ「勝谷誠彦の志ジャーナル」で週刊新潮の記事を引用し、
>>「松岡農水相は首を吊った状態でSPらに発見された」「SPらはそのままの状態で20分間放置した」
>>「確実に死ぬまで放置したのではないか」「不審な状況なのに警察に通報しなかった」などと発言した。

>>※音声:6/3放送分(9分00秒あたりから)
http://mbs.co.jp/radio_bar/asx/katu/katu.asx
http://mbs.co.jp/radio_bar/smi/katu/katu.ram

>>勝谷誠彦の志ジャーナル
http://www.mbs1179.com/katu/

148@:2007/06/05(火) 20:11:17 ID:ZWD1ouSE
>>147
またまた...
政治なんて興味ないくせに.....

Kや瞑想、と首吊り事件の重要度割合

100000000:1
149河津:2007/06/05(火) 20:17:02 ID:DbDVfWWv
>>148

hahaha,
まー日本の闇は深いですなー

さて、別の話題
@さんは、「アセンション」というのをどう思いますか?
150ユキヒョウ:2007/06/05(火) 20:33:48 ID:D5p+lKzF
アセンション?
水瓶座がどうこうとか、ノストラダムスの大予言とか、
そういう話みたいなものではないんですか?
151@:2007/06/05(火) 20:44:29 ID:ZWD1ouSE
>>149
アセンション???

初めて聞いた
全く知らない

水瓶座?....

占星術関連か?
152河津:2007/06/05(火) 21:09:09 ID:DbDVfWWv
あ、あの、近い将来、地球の次元が上昇して
新しい波動のレベルで生活するとかいう考えでしょうね。
マヤの暦などでは2012年の冬至にこの世は大変革するとなっています。

で、そのように自己変革できる人とそうでない人と色々居るということらしいです。
153@:2007/06/05(火) 21:26:54 ID:ZWD1ouSE
2012年まで待てない

それにアセンションは不確かで、自分にはどうにもできないが、瞑想は確実に人を変容に導く。しかも簡単

テイキィットゥイージィー
154河津:2007/06/05(火) 21:37:19 ID:DbDVfWWv
では@さんは、どんな瞑想してるんでしょうか?

自己凝視ですか?
155@:2007/06/05(火) 21:52:16 ID:ZWD1ouSE
eoの頭頂留意に近い
第三の目に留意する技法
これが一番自分にピッタリくる
第三の目に注意を向けると即座にエネルギーを感じることができる、思考の観照も容易になる

なるべく一日中留意をキープする
156神も仏も名無しさん:2007/06/05(火) 22:26:20 ID:SEGmzKbx
河津さん、これも瞑想でしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=lGoYOaXyWlk
157ユキヒョウ:2007/06/05(火) 22:33:55 ID:D5p+lKzF
> 第三の目に注意を向けると即座にエネルギーを感じることができる、
> 思考の観照も容易になる

面白そうですね。
第三の目というのは、眉間のあたりの人に指差されると
ムズムズするところですか?
そういうのとは全然関係なかった?
158@:2007/06/05(火) 22:43:37 ID:ZWD1ouSE
>>157
そうだよ、注意を向けただけでもムズムズする
君ならば知識としてかなり知っているんじゃないの

マインドのセンターはここにあるらしい
自己はここに眠っている

道教では「光り輝ける者」は眉間に住んでいる
159河津:2007/06/05(火) 23:08:19 ID:DbDVfWWv
>>156

それは、アニメ星人の瞑想のようですが、、、、ww
160ユキヒョウ:2007/06/05(火) 23:21:22 ID:D5p+lKzF
>>158
私は瞑想の仕方については、知識としてもほとんど知りませんよ。
ともかく、その眉間の部分にただ注意を向ければいいのですか?
161@:2007/06/05(火) 23:40:22 ID:ZWD1ouSE
>>160
そうだよ
瞑想技法なんて、どれもシンプルだし
呼吸を意識するとか....

だから前に慈風が「身体のなかに波動を感じる」と言っていたのが気になった
もし波動(エネルギー?)を感じるならば、それを意識し続けるのも瞑想になるのではないかと......
確信はないが.....
162@:2007/06/05(火) 23:42:44 ID:ZWD1ouSE
ただ....
まぁ瞑想のことなんてどうでもいいか

ここで瞑想のことを言うと774が不機嫌になるからな
控えよう
基本的に本体は反瞑想だから

しかし瞑想以外に道はあるのだろうか?
なんか、あるみたいだな.....
163河津:2007/06/06(水) 00:04:40 ID:DbDVfWWv
南米のインディオのシャーマンが使うサイケな植物は、
すごい境地に一気に連れて行ってくれるという話だが、、、
164神も仏も名無しさん:2007/06/06(水) 00:17:41 ID:MRo61PZM
アヤワスカ
日本中、どこでも、売っているぞ。
165774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/06(水) 00:32:10 ID:RPHKRbb0
瞑想には賛成だよ。
多いに語ってください。
166河津:2007/06/06(水) 01:20:20 ID:C9lAA44r
自分のオーラパワーを強めるには

五ぼう星を空中に描きます。
その色は何でも良いが、きれいなグリーン、
青、ピンク、白でも良い。
呪文はユダヤの最高の神様の名
「テトラグラマトン」と唱えます
まずは自分の内部のや部屋の邪気を星の真ん中に封じ込み
口でふーっと強く吹いて蹴散らし無くします。

次に金色または白の光がその五ぼう星の真ん中を通して
こちら側に入って来るとイメージします。
体全体を満たし包み込みます。
これで、心理的にはすっきりすると思います。

やってみて!

ではおやすみ
167神も仏も名無しさん:2007/06/06(水) 02:02:31 ID:MRo61PZM
ばかになっちゃう〜♪ ばかになっちゃう〜♪ 頭から離れん。
168ユキヒョウ:2007/06/06(水) 08:29:05 ID:sG1N/PEY
アヤワスカ???
169@:2007/06/06(水) 10:01:47 ID:hJAP1S4p
>>163
すごい境地に一気に連れてってくれるかもしれないが、一気に引き戻されるんじゃないのか、もといた所に.....
170@:2007/06/06(水) 16:13:55 ID:hJAP1S4p
やはり自力で目指すべきだな

ドラッグてブッダになった人間なんて聞いたことないからな
171ユキヒョウ:2007/06/06(水) 19:25:39 ID:sG1N/PEY
>>164
アヤワスカは、何屋さんで売られているのですか?
ドラッグってぜんぜん知らないので、合法的なドラッグを
試して見たくなってきたんですが。
172神も仏も名無しさん:2007/06/06(水) 19:35:44 ID:MRo61PZM
原料→ ヨポで検索スル ヤフーオクで検索スル
173神も仏も名無しさん:2007/06/06(水) 19:47:23 ID:x3tOBsQN
>>171
強いのを一人でやるのは危険じゃないかー
174ユキヒョウ:2007/06/06(水) 20:04:52 ID:sG1N/PEY
>>173
なるほど。たしかに危険がありそうですね。
175ユキヒョウ:2007/06/06(水) 20:07:13 ID:sG1N/PEY
>>172
オークションではなくて、店を開いている合法ドラッグ屋さんってないですか?
昔、東京のどこかでそういう店を見かけて、覗いてみたことがあったんだけど、
どこだか全然思い出せない。
176河津:2007/06/06(水) 20:11:35 ID:C9lAA44r
ユキヒョウさん、それならあっしと一緒にやりまひょ、

、、そして 夢の中へ、、with me、、、
177神も仏も名無しさん:2007/06/06(水) 20:35:25 ID:x3tOBsQN
>>175
つ西麻布交差点
 まだあるのかな
178ユキヒョウ:2007/06/06(水) 20:54:12 ID:sG1N/PEY
>>176
一人でやるよりもっと危険そうです。w

> 今は、ユキヒョウさんの子宮感覚に注目しています。
> エッ○してみたいです。

> 河津はフツウの性欲を持っていますが、同性愛でもあるので、
> あとであなたたちのところへ 夜這いにいくかもしれません。
179河津:2007/06/06(水) 21:23:24 ID:C9lAA44r
>>178

あなたのハートへ、アステカの魔法のキノコのエキスの波長を送ります。
えいー!

どうですか? 

周りがサイケデリックになってきましたか?

私と一緒に宇宙を飛び回りまひょう。ひょひょうー!
180河津:2007/06/06(水) 21:45:28 ID:C9lAA44r
  読むだけでも飛べるかも!

不思議旅行案内 第4章 魔法のキノコ

http://www.headrok.co.jp/fushigi/04.html
181神も仏も名無しさん:2007/06/06(水) 22:29:40 ID:MRo61PZM
昔はバリに、キノコ料理専門店があった。
レストランなんだけど、客を見ているのが一番笑える。
182774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/06(水) 22:35:24 ID:piaxlHgb
ドラッグは合法だろうとそうでなかろうと、
神経組織やエーテル体上のナーディに損傷をもたらす。

瞑想はドラッグをやって体験する幻覚とは何の関係もない。
幻覚は幻覚。幻覚を欲したり、ドラッグに手を出す人というのは
社会に対して自分自身が「ミスフィット」である感覚を持つか、
自分は社会のアウトサイダーを自認する人が多い。

実のところそれは逃避であり、ドラッグは慰めであり、
本人の言い訳だ。

グルのところに逃げ込むの逃避であるし、瞑想を逃避的に行う
愚かな連中もいる。また種々のチャネルされた教えに逃げ込む
ものもいる。

こんなものはKの瞑想とは一切関係ないし、私達の本性としての
霊性とも何の関係もない。夢から醒めて戻って来ることです。
183神も仏も名無しさん:2007/06/06(水) 22:52:58 ID:MRo61PZM
ジャンキーの言い訳の薬物使用は、置いといて。
ソーマ・ヨーガ(薬草瞑想)とか、アユールベーダで気を整えるとかは、
している人はいるんじゃないのかな。

呼吸法学べと言われれば、それまでだが。
184774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/06(水) 23:06:13 ID:piaxlHgb
それはあくまでも肉体レベルに働きかけるプロセスに
過ぎない。人々が思っている瞑想はハタヨガであり、
ヒプノシスであり、あらゆるレベルでの治療だったりする。
あるいは単なるリラックス法をそれだと思っているようだが。

しかし、それらは瞑想を助けるものであってそのものではない。
なぜなら瞑想は行為や作為ではないからだ。
「おもちゃ」で満足するのは子供っぽい。
185ユキヒョウ:2007/06/06(水) 23:18:23 ID:sG1N/PEY
ドラッグがKの瞑想と関係あるとか霊性と関係有るとか思っている人は、
ここにはあまりいないのではないですか。
それはそれとして、「エーテル体上のナーディ」とは何ですか?
186774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/06(水) 23:19:01 ID:piaxlHgb
Kは瞑想について美しい言葉を残してる。

瞑想とは、つまり、無選択の気づきだ。
そして、全的にいかなる内的な依存も心の中に許さないこと。

瞑想とはそれが何かを見て、そしてそれを後にすること。
187774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/06(水) 23:23:03 ID:piaxlHgb
何かに完全な注目を置くとそこには全くの沈黙がある。
その注目の中で、表面も中心もなく、気づいている「私」と
いう感覚もない。この注目、そして沈黙が瞑想の状態だ。
188河津:2007/06/06(水) 23:27:38 ID:C9lAA44r
>>185

心霊学や神智学では、
エーテル・ボディとは、肉体にダブって存在するエネルギー体で、
気のカラダとも呼ばれる。
ナーディとは、エネルギーの通路で経絡は添えに対応すると言われる。

一番重要なナーディは背骨に沿って存在する。その背骨の下の部分から
頭頂部までに7つのポイントがあり、エネルぎーの渦を作っているといわれている。
この渦は車輪のように見えるらしい。これはいわゆる「チャクラ」と呼ばれている。

これでいいですかね? 
足りない部分は774さんやってくらさい。
189河津:2007/06/06(水) 23:30:19 ID:C9lAA44r
188の書き込みの正誤訂正しまーす

ナーディとは、エネルギーの通路で経絡は添えに対応すると言われる。・・ 誤

ナーディとは、エネルギーの通路で経絡はそれに対応すると言われる。・・ 正

 以上です。

190774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/06(水) 23:34:42 ID:piaxlHgb
>>188

ここでは詳しくやらない。それは少しも重要なことではないし、
チャクラをいじくるのもまた危険なことだ。

瞑想状態は得られるものではない。
瞑想とは沈黙と静寂の裡に宿る何かだ。
瞑想のテクニックや自分の心と体の理解が瞑想ではない。
知的な理解というもは瞑想とは関係はない。
全的な理解だけが静寂と関係する。

瞑想とはあなたとは関係がなく、静寂と関係する。
それは自由と関係し、本来の私たちと関係する。
瞑想はまさに生きる術(アート)そのものだ。
191河津:2007/06/06(水) 23:39:42 ID:C9lAA44r
>>190

はい、チャクラやエーテル体のことは、これでおしまいにします。

で、話が本題に戻って行きますが、
774さんは日ごろ何か自分を見つめることはやってるんですか?

192774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/06(水) 23:40:00 ID:piaxlHgb
全的な理解は、全的に生きること、学ぶことを通して
しかやってこない。全的に生きることは、あらゆる
偏見やこの世界に生まれてきた時に社会が自分に条件
づけてきたものとの決別を必要とする。

そのためには自分自身に対する認識が必要であり、
自分というものを真摯に正直に見つめることが前提
である。

感情、思考、記憶、恐怖、欲望、自分のこころの中に
あるこれらを、逃げずに、どのような判断もなしに
向き合わねばならない。これは本当に勇気を必要とする。
みな、勇気がないのでここでドラッグに逃げるわけ。
しかしそれは前進ではなく、その場でジタンだを踏んでいる
だけだ。
193774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/06(水) 23:47:48 ID:piaxlHgb
> 774さんは日ごろ何か自分を見つめることはやってるんですか?

自分を見つめる....それ以外にどうしようもないでしょう。
誰もが24時間自分とつき合っている。好むと好まざるとに
関わらず。

自分を見つめる.....自分の欲望、恐怖、怒り、悲しみ、過去、
嫉妬、ねたみ、野望、等々

もし見つめることができるなら、これらに振り回されることは
一切ない。私はそれを知っている。だから自分を見つめることは
私にとって気が向いたらすることではなく、不断のことだ。

Kは瞑想は生きることのアートだと言った。
無選択の気づき、自分を見つめ、そして世界を見つめ
その同一性と愛に気づくことほど尊いことは無いだろう。
誰もがその切符をすでに手にしているのに、それを忘れて
ただ自分が作り出したもの翻弄されて、ただ自分から逃げている。
194774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/06(水) 23:52:16 ID:piaxlHgb
瞑想は挑戦であり、本当の革命でもある。
それは人々と人類を明るくするだろう。

愛しきアウトサイダーの方々、
あなたには世界に対する責任がある。
気づいていようとなかろうと、
私たちの手は既に握られている。
195河津:2007/06/06(水) 23:52:48 ID:C9lAA44r
>>192

時間をとって、ある種のテクニックにもと付く瞑想を
することを全て否定するのですか?
否定しないまでもそういう行為は自分は
絶対やらないということでしょうか。

しかし、いきなりそういうふうにしても、本質に至るような人は
Kのようなごく一部の天才に限られるのではと思いますが、、、
196774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/06(水) 23:54:47 ID:piaxlHgb
>時間をとって、ある種のテクニックにもと付く瞑想を
> することを全て否定するのですか?

テクニックは瞑想ではない。
庭に梅の木を植えたからといって、必ずウグイスが
やってくるわけではない。
197774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/07(木) 00:02:11 ID:M3upRiX/
>しかし、いきなりそういうふうにしても、本質に至るような人は
> Kのようなごく一部の天才に限られるのではと思いますが、、、

自分より先に進む人もいれば後に続く人もいる。
Kは明らかに先を行っている。それだけだ。
先輩を天才とは言わないだろう?

見ることはテクニックですらない。

Kの言葉は難しく聞こえるかもしれないし
取り付く島がないと思うのは当然のこと。
それはK先輩のようになって始めてわかることだ。

しかし先輩の助言は聞くに値するでしょう。
Kの言葉はもし真剣に聞くなら聞く人を高める。
わたしは高められた。たまにKを読んでやはり
高められる。まさしくKは読む瞑想だ。
198774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/07(木) 00:06:15 ID:M3upRiX/
確かに、このテクニックをやれば瞑想ができる。
というように考える人は多いでしょう。

でもそれは瞑想の初心者の考え。
どのテクニックでも自分という壁を打ち破ることは
できない。

意図的にマインドを鈍化させたり、肉体を疲れさせたり、
過呼吸させて..というものはあるが、これらはすべて
瞑想のための準備段階のこと。

瞑想そのものではない。

良く見て、良く生きること。
それが瞑想だ。
199774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/07(木) 00:07:52 ID:M3upRiX/
だから、瞑想するなら自分の人生、
いや自分を瞑想にするといい。

me など機能していればあとは
重要ではない。
200神も仏も名無しさん:2007/06/07(木) 00:08:14 ID:iiyHTOtx
あと二年は団体の中にいようかな
201河津:2007/06/07(木) 00:10:21 ID:/1yvrqln
>>196

>>庭に梅の木を植えたからといって、必ずウグイスが
>>やってくるわけではない。

はい、確かにそうです。

ただ、真の覚者になるのには、ある種のエネルギーが必要ではないですか?

大変失礼な言い方ですが、
あなたはただ、知的なレベルのエネルギーにとどまっているような感じがしますが、、、

きつい言い方をすると、Kの言っていることをただ、同義反復しているような感じですが。

あなたが知性的で頭のよい人だということは分かりました。

ただ、頭脳のエネルギーを高めるだけでなく、何か別なものをを解放したらどうでしょう。

何かをしっかり見るのには、なにかすごいエネルギーが要るのではないでしょうか?
そういう意味では、毎朝散歩とかジョギングするとか言うのでも良いのかも知れない。

テクニックは確かにないのだが、でも絶対これだけは言える。
エネルギーが高まらないと「それはやってこない!」

202774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/07(木) 00:13:26 ID:M3upRiX/
> ただ、真の覚者になるのには、ある種のエネルギーが必要ではないですか?

覚者になりたいのでしょうか? その野望を「見て」いますか。
ここにあなた自身が顕われてます。

いい機会です。どうしますか?
そこをつつきましょうか?
203774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/07(木) 00:15:16 ID:M3upRiX/
>何かをしっかり見るのには、なにかすごいエネルギーが要るのではないでしょうか?

これはそのとおり。エネルギーは器を必要とする。

電線でも細いものは少しの電流しか通せない。
太ければもっと電圧を上げられる。

そういうことです。
204774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/07(木) 00:18:59 ID:M3upRiX/
そろそろ眠る時間です。

河津さん。
あなたの野望について人前で表現することはできますか?
そこにあなたのヒントがあると思います。

では良い夜を。
おやすみなさい。
205神も仏も名無しさん:2007/06/07(木) 00:20:25 ID:iiyHTOtx
てか瞑想なんてまともな人はやらせないよ
なぜか知らんけど今の仏閣にはべることを勧めてくる
僕は嫌すぎるんだけど、なんかの勉強になってるんかなぁ


ケーブルは太ければいいというわけではないよ
ほどよい太さが大切
ということはオーディオとかやってればわかってくるよ
206ユキヒョウ:2007/06/07(木) 00:22:25 ID:Ba1fEADZ
774さんの言うことはなかなか立派に聞こえます。
ただ私に不思議なのは、Kではないはずの774さんの言うことのほぼすべてが
Kが語ったことの繰り返し、または言い換えになっているように見えることです。
私には774さんは、Kの真似をしているようにしか見えません。
207河津:2007/06/07(木) 00:29:00 ID:/1yvrqln
>>202

>>いい機会です。どうしますか?
>>そこをつつきましょうか?

はー? つつく、、
キツツキは要りません、
いや冗談、、、、

あっしにとっては覚者も仏陀も聖者も
特にどうということもないです。

ただ、言葉の流れとして、、、「覚者になるにはなんとか〜〜」となっただけです。

全て、自分の想念から発します。概念に付着するイメージはそれぞれでしょう。
当然、このKのスレですから、割合「覚者」というイメージとか言葉の定義に関する
ことでは、ある種の「同意」がなされてるわけです。
ただ、それでもソコに付着するイメージや感情には違いがある。レベルの差という以前に個性が
あります。さまざまですよね

良いではないですか、何か大きな誤解とか、誤謬とか偏見がなければ、
語り合えますよ。
存在はそれぞれ、大いに個性的でありたいものです。

しっかり何かを見るには、まず個性的であり独自のスタンスがなければならないと
思いますよ。ソコから出発していく、、、




208河津:2007/06/07(木) 00:32:27 ID:/1yvrqln
774さんは寝ましたね。

では、この次は明日とか、または次の機会に、、、、

おやすみ、、、

ゲロゲロー!カワズーだよ (^s^)!
209神も仏も名無しさん:2007/06/07(木) 00:34:56 ID:iiyHTOtx
ついでだからいうと
8疂間には2wayがやっぱりふさわしく
2wayにはカナレでいうと4S6ぐらいがちょうどいい
高域方面の伸びがいい
下手に4S11とか繋ぐとどわんどわんになる
フロア向けらしい
210@:2007/06/07(木) 01:48:54 ID:SuYNk/x8
なんか774が神々しく見えるな
Kが乗り移ったか?
それともただの目の錯覚か....

しかし、さんざんドラッグネタをふっといて、後からそれを全否定するとは....

いったいどっちが本心なんだか......
211神も仏も名無しさん:2007/06/07(木) 02:07:55 ID:eL9yC2YK
ばかになっちゃう〜♪ ばかになっちゃう〜よ♪ 頭ぐたぐたになったう〜♪
何か憑依したらしい。 
212@:2007/06/07(木) 02:19:32 ID:SuYNk/x8
>>206
確かにそうだな
Kの完全コピーといえる

言ってることがKと同じなので反論のしようがない
Kは「信奉者になるな」と言っていたけど、まさかKになりきった奴がでてくるとは想像していなかったか....
213@:2007/06/07(木) 02:26:01 ID:SuYNk/x8
しかし、現実的には「見る」ことや「注意すること」にはエネルギーが必要だ
ましてや、一日を通して見続けるとなると....

「注意力は注意することによって養われる」

瞑想とは何かとか概念的なものはめんどくさいのでどうでもいいか
実生活で実践するのみだな
214@:2007/06/07(木) 04:06:28 ID:SuYNk/x8
昼寝し過ぎて、全然寝れん!

>>204
自分の野望は「注意力を高めたい」これに尽きるな
あとは何もいらない

覚者や悟りというのはイメージしようがないので、願望することができない

やはり現実的に一歩一歩進むに限る
215ユキヒョウ:2007/06/07(木) 10:30:35 ID:Ba1fEADZ
> Kは「信奉者になるな」と言っていたけど、
> まさかKになりきった奴がでてくるとは想像していなかったか....

私にはそう見えるというだけで、
774さんや他の特定の誰かが「Kになりきった奴」だと
断定する気はありませんが、
仮にそういう人がいたとしたとき、その人の勘違いは、
「Kは真理を語っている。故にそれを真似すれば私も真理を語ることになる」
と考えているところにあると思います。
実際には、月を指差す人のポーズを別の日に真似しても、
指差す先に月はない、みたいな感じだと思うんですが。
216大王:2007/06/07(木) 12:18:22 ID:anzsnKsA
ユキヒョウドンも微妙な人だなあ、、、
微妙だなあ、、

k以外は関心がないのか、瞑想に関心が無いのか、、宗教に関心が無いのか、判断がつきかかねるねえ、、
217@:2007/06/07(木) 12:28:36 ID:SuYNk/x8
Kをあれだけ知的にでも理解しているのは素晴らしい、俺なんて全然だから....

ただ宗教っていうのはhowの世界だと思うんだよなぁ

howの欠落している774は理解だけで、こと足りると言うが実際には行き詰まっているように見える

理解できない部分をどうすれば理解に変容できるのか
無理矢理知的に理解したふりをするのか....
218774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/07(木) 12:30:46 ID:/0hvQGty
>川津さん
>ただ、言葉の流れとして、、、「覚者になるにはなんとか〜〜」となっただけです。
>全て、自分の想念から発します。概念に付着するイメージはそれぞれでしょう。

Kは「覚者になる」方法など言ってません。そういうことを言う人には
気をつけなさいとは言ってますが。

言葉の流れ....想念、概念、イメージ、そしてその付着。
これは何を意味しているのでしょうか?

言葉というのは自分の分身です。言葉の後ろにある動機が重要なのです。
私は瞑想は「何々のため」という目的が付くものは一切、瞑想ではないと
思います。結局のところそれは瞑想によって得らっれる何かを希求する、
欲望の活動です。だからKはそんなことは言ってないにもかかわらず、
「覚者になるためには〜」という言葉をあなたは書いたのではないでしょうか?

動機が欲望や野望から始まるものに価値はあるのでしょうか?
それがお金であっても、覚者であっても、本質的に違いはありません。
あるいは「心の静寂」であっても、同じです。

あなたの場合、希求というものに気づきをもたらさない限り、
想念、概念、イメージとその付着物の中でまみれるだけです。
それは機械的な心の動きであり、真の意味での個性はまだ出現して
いないのです。

>ユキヒョウさん
私がKをまねているかどうかは、皆さんの判断にまかせます。
しかしその判断はその人のものであって私とは何の関係もない
ことをご了承ください。
219ユキヒョウ:2007/06/07(木) 12:31:21 ID:Ba1fEADZ
私はKの本のいい加減な読書と、これまたいい加減な個人的体験から
瞑想というのは心が静まったときに起こるものであり、
瞑想についていくら知ったところで、そこから瞑想が生じるわけではない・・・・・・
らしいと信じているところがあるようなので、そう見えるのかもしれません。
宗教に関しては、真贋の区別が私にはつかないので、
この状態で宗教に近づくのは危険かもしれないという思いがあるようです。






220774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/07(木) 12:38:05 ID:/0hvQGty
@さん
>「注意力は注意することによって養われる」

そうです。そのとおりですね。
アウェアネスはアウェアネスによって鍛えられる。
そして細い電線は大きく太くなっていくんです。
あなたは正直で着実な方であると思います。

>ただ宗教っていうのはhowの世界だと思うんだよなぁ

それは成長の場であると私は思います。
スピリチュアルグロースが主要なことであり、
瞑想はその栄養です。瞑想はテクニックではなく
霊的に進歩しようとする方達のための栄養です。
瞑想は個人の内的な衝動からスタートします。
それは先の欲望云々の話とは全く別のことがらです。
それをどう表現するかは自由がありますが、
衝動があり、渇いているなら、必ず満たされるでしょう。
221774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/07(木) 12:40:18 ID:/0hvQGty
>私はKの本のいい加減な読書と、これまたいい加減な個人的体験から
>瞑想というのは心が静まったときに起こるものであり、

Kの本については、そういう人は結構多いようですが、
あきらめないで繰り返し読んでください。
必ずいいことがあると思います。
222774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/07(木) 12:49:15 ID:/0hvQGty
それからhow to に関して、これはK自身もそう言ってるのですが、
瞑想において「いかにして」が重要ではないと言っているだけなので、

テクニックや色々な瞑想の実践を否定しているわけではありません。
好きなものをやれば良いと思います。
223ユキヒョウ:2007/06/07(木) 13:02:25 ID:Ba1fEADZ
>>222
そうですか? 一定の方法に基づく瞑想は、
ある種の経験を引き起こすだけであって無意味であり、
それを繰り返すことは習慣の獲得による心の鈍化をもたらし、
真の瞑想が生じる妨げになる、というようなことをKは言っていませんか?
224??、、大王:2007/06/07(木) 13:06:39 ID:anzsnKsA
774は頭脳と理的だと、思うね、、、瞑想の欠落だな、、
225??、、大王:2007/06/07(木) 13:08:40 ID:anzsnKsA
 成長も、理的だと、頭脳的だと、混沌となり、ズレル、、

サマディーの延長での教義であるのに、、

頭脳が先にあって、おまけに、心を落ちつける、おまけ瞑想ではね、、
226??、、大王:2007/06/07(木) 13:28:52 ID:anzsnKsA
774は結局、強引に頭脳で突っ走る要素が、あるんだよね、、

頭脳が働きすぎている、、、
227??、、大王:2007/06/07(木) 13:30:27 ID:anzsnKsA
774は、観察に徹すれば、、いいのに、突然、頭脳で突っ走りだす、、

その自覚が無いんだよね、、

もっと、観察への集中がいるのにねえ、、、
228ユキヒョウ:2007/06/07(木) 13:35:57 ID:Ba1fEADZ
ネット上で発言を読んでいるだけで、
その人に起こっていること、その人に必要なものが、
本当に分かるんですか? 何か眉唾だなあ。(笑)
229ユキヒョウ:2007/06/07(木) 13:43:11 ID:Ba1fEADZ
774さんて、何かムカツクんですよね。
ここにいる人は皆、Kや他の人の本を読んで、
それぞれの仕方で自分の体験と引き比べて解釈したり、
理解したりしてるだけでしょ?
何で774さんが「Kは・・・・・・と言っています。/言ってません」
とか断言するんでしょう?
何か、「我こそはKの思想を正しく理解してる有資格解説者」みたい。
230@:2007/06/07(木) 16:18:41 ID:SuYNk/x8
>>180
この著者は幻覚の精霊体験に随分影響されてるよなぁ
この場合はポジティブに影響されてるけど、もし悪霊体験等をした場合同じくらいネガティブに影響されるのは確実だな

結局のところ、影響されることと眠りは同義なんじゃないか

もし精霊が出て来た時、シカトしたらどうなんのかな?
231河津:2007/06/07(木) 21:31:21 ID:/1yvrqln
みんな、メし食ったかー?
風呂入ったかー?

じゃんじゃじゃじゃん〜〜♪
232河津:2007/06/07(木) 21:42:48 ID:/1yvrqln
意識が深くなり日常生活で精霊を感じる、、、
、、いいですなー、、。

そういえば、10年位前だが、オレは、精霊か天使みたいなのと
セクースしそうになったんやけどどな、、w

寝てたら上に何か感じて眼が醒めたんだな。光の点線で周囲が出来てる何かが居た。
で、光の霊はオレの上にまたがってきて、下半身を接触しようとしたんだ
、、、おれはチンコに一瞬ピリッと感じたが、「天使」はそこでストップ、
そのまま上昇して消えていった。
アレはなんやったんやろな、、?

いや、酒もドラッグもぜんぜんやってない状態だけどね、、、
まさか、女子の生き霊さんが幽体離脱して男アサリしてたんじゃあるまいねww
233河津:2007/06/07(木) 21:47:00 ID:/1yvrqln
>>229

確かに774さんのお言葉は立派で知性的だが、
なんていうかなー、そのー、慈悲みたいな感じが無いんだよねー、、、。
けっきょく、論理の世界でとどまってるのが見え見え、三重県ですワ。
234河津:2007/06/07(木) 22:00:03 ID:/1yvrqln
>>218

>>>ただ、言葉の流れとして、、、「覚者になるにはなんとか〜〜」となっただけです。
>>>全て、自分の想念から発します。概念に付着するイメージはそれぞれでしょう。

>Kは「覚者になる」方法など言ってません。そういうことを言う人には
>気をつけなさいとは言ってますが。

はい、気をつけていますよ、ヒジョーに。

>>言葉の流れ....想念、概念、イメージ、そしてその付着。
>>これは何を意味しているのでしょうか?

だから、我々は肉体感覚によって周囲と区別して、まず自己というイメージが脳内に沸き起こりますよね。
その自己が家庭のことや仕事のことや悟りや瞑想のことを考えます。

で、そこにですね、つまり最初の想念からどんどんなにかが産み出されてるのだが、
周囲の状況や過去の記憶により、つまり内面に付着しているものが出てきて、
思考を限定するのではないかということですけどね。

ですから、完全なコミュニケーションなどほとんど不可能ともいえるが、それでは
あんまりなので、思考や感覚が被っているところだけで交流してるんじゃないですかね、我々は?
235ユキヒョウ:2007/06/07(木) 22:04:38 ID:Ba1fEADZ
批判も正当化もなく自分自身をただ受動的に見ていると、
無意識のものも含めて自分の心のすべてが顕わになって行くというのは、
本当なんですか? Kの場合そうだったかもしれないけれど、
誰でもそうなるものなんですか? 皆さんの場合はどう?
236河津:2007/06/07(木) 22:57:54 ID:/1yvrqln
>>235

顕わになる、というのはよく分からんですな。
ただ、そういうレベルに達した人が以前居たが、その人と一緒に居ると
心がクリアーで静かになって行ったね。
237ユキヒョウ:2007/06/07(木) 23:02:55 ID:Ba1fEADZ
そういう人はやはり独特の雰囲気があったりするものですか?

238河津:2007/06/07(木) 23:15:35 ID:/1yvrqln
>>237

あっしがお会いしたその人は、確かに本質に行っていると感じました。
ただ、最初にお会いしたときはまったくフツーのおじさんに見えましたよ。
(当時その人は56歳でした。)
お話しているうちに、瞑想しているのでもないのに
こっちの意識が、何か変容していきましたよ。

そういう人で各地から聞きつけていろいろな人がやって来るんですが、
近所の人も、奥さんも彼が賢者であるとは露知らずで、「お父さん、宇宙ボケ
でもしてるんじゃないのー?」なんて言われちゃってて、その辺が微笑ましかったですね。
239神も仏も名無しさん:2007/06/07(木) 23:23:05 ID:sVM/t14i
河津さん、それは、恋ですよ、恋。
240河津:2007/06/07(木) 23:25:23 ID:/1yvrqln
その人も、ある時期はKの本を読んでいたといっていましたね。
彼の名ははNとします。

Nが言うには、「Kは時々 ”どこにも居ない存在になってしまう”
そういう悟りもあるが、それでは駄目だ」と言っていました。

その意味はいまだにこっちはよく分からないのですが。

弘法大師みたいに悟った後にこの煩悩の世界と関わって、
世界を創るべきだと言うことなのかな?
などと考えたこともあったですね。

その点を、どういう意味なのか詳しく聞きたかったのだが、残念ながら
彼はもうこの世には居ないのです。
241神も仏も名無しさん:2007/06/07(木) 23:43:51 ID:iiyHTOtx
我がなく透明なのは無の透明感
音楽があり透明なのは空の透明感
ということかなぁ
242774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/08(金) 01:54:03 ID:iZLIvGzR
>そうですか? 一定の方法に基づく瞑想は、
> ある種の経験を引き起こすだけであって無意味であり、
> それを繰り返すことは習慣の獲得による心の鈍化をもたらし、
> 真の瞑想が生じる妨げになる、というようなことをKは言っていませんか?

それはありうる。私たちは何でも習慣にしてしまうから。
そうなったらただの義務的な何かだね。

> 何か、「我こそはKの思想を正しく理解してる有資格解説者」みたい。
はは。そんなものもちろんない。Kを読んでるから引用しているし、
ユキヒョウさんだって、Kはこう言ってたということを述べているわけだから
皆立場は同じです。このスレはクリシュナムルティのスレですから、彼の思想に
言及するのは当然です。上も下もない。そう感じるとしたらそれはあなたの問題です。
そこにもまた「機会」はあると思います。ムカツクならチャンスですね。

私はKの真似ではなく、Kの言葉が正しいかどうか探求して自分の血肉にした部分が
あるわけです。もちろんまだまだ不十分ではありますが。
他にもたくさんの本を読み、たくさんの瞑想もしてきました。
その中で掴み取ってきたものがあるわけで、Kを読んでインスタントに感化されて
いるわけではありません。

私の言葉は私のものです。Kの言葉ではありません。

しかしこれらの私の言葉をどのように受け取るかは皆さんにおまかせしたいと
思います。私から言えることは以上です。
243774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/08(金) 02:00:35 ID:iZLIvGzR
河津さん。

>ですから、完全なコミュニケーションなどほとんど不可能ともいえるが、それでは
> あんまりなので、思考や感覚が被っているところだけで交流してるんじゃないですかね、我々は?

それは我々のフツーのコミュニケーションであると思います。
しかしこのスレはKの読者やあなたや私や、他の人のように瞑想を実践している人も
いるのですから、ある意味もっと親密なコミュニケートができると思うのです。
それは「機会」であり、自分自身の中で何かを見いだすことのきっかけになります。

それは私も同じ立場であり、皆さんのレスから私自身が見いだすべきことが見えてきます。
「エラソーに見える」というのは良く分かりました。w
しかしこれは昔ながらの私の欠点のひとつです。ウチの家系は皆教師が多いので
知らずと「先生」になってしまうようです。これはわたしの条件付けのひとつですね。
このように、みなさんの私に対する反応から自分が見えてきます。感謝です。
244774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/08(金) 02:07:14 ID:iZLIvGzR
>無意識のものも含めて自分の心のすべてが顕わになって行くというのは、
> 本当なんですか? Kの場合そうだったかもしれないけれど、
> 誰でもそうなるものなんですか? 皆さんの場合はどう?

本当です。受動的に心を見つめると、
自分の思い、言葉、行動に違いがあるのが認識できます。
思ったことを言わず、正しく考えず、謝った行動をするということに
気づき始めます。

そうすると、「しまった」と思って思い、言葉、行動を一致させる
べく注意深くなります。何を思うか、何を語るか、どう行動するか
において、注意深く思慮深くなります。

人がこんなにも無意識に思い、語り、行動するものかということに
愕然とするはずです。そうやってあらゆる騒々しさの原因が露にされて
いきます。

それからこの騒々しさの原因を理解すると、静寂と沈黙と思いと言葉と
行動の美しさをどう実現するかは自動的に認識できるのです。
つまりこれはもう瞑想です。
245kl:2007/06/08(金) 04:10:32 ID:7u6jBDsr
kの発言の中で「どうやって」思考者と思考が分裂しないようになりますか?
といった質問に対し「どうやって」は機械的な方法・システムを求めているならば
それは誤りである。といった趣旨の発言の部分がある。
これは力ずくで変えようとしてもダメで、観察による理解しかないと言っている。
人は過去の記憶・経験などで条件付けられており、この条件付けを消すには
関係の中で起こる自分の反応をそのままに知覚し(感じ取り)受け止めるしかないと
言っています。
例えば人から非難を受けた時に自分の中で起こる事(体内の感覚・感情・思考)
を見る・感じます。
自分は悪くないという思考が起こったり、相手を攻撃しようとしたり、逃避・恐怖が起こります。
その時起こるものを全て感受します。
思考の観察はその習熟度によって人様々です。誰でも直ぐにあるいは簡単に出来るものではありません。
でこれらの反応は自分を守ろうとする動きではないでしょうか。
結局、自分とは記憶・思考の集積物です。
自分・他人といった考え方の中で自分という観念があり、思考・観念が自分であり
それを守ろうと四苦八苦します。
この自分という考え方が自分と他人の争いを生み、意図に反し自分を不自由にします。
自分にからむ思考こそが元凶です。
これを理解し乗り越えるには人との関係の中であらわになる自分を観察し
起こる反応を直視するよりないと思います。
自分が人を攻撃したり苛めたり、優越感を持ったり、逃げたりしたら、それをまず自分は確かにそのように行動したことを認める必要があります。
一旦認めると気が楽になり、以降はより自然に抵抗なく見つめられると思います。
自分にうそをつかない事は大事だと思います。
246神も仏も名無しさん:2007/06/08(金) 09:20:36 ID:38MGiPAT
精神的なロジカルシンキングか
247@:2007/06/08(金) 09:33:14 ID:wjZjAujV
>>244
前なら少し思っていたことだが、774が他者との関係や他者と関係した時の反応、というものを過剰なまでに重要視していることに驚いている

自分にとっては他者との関係はそれ程重要ではなく、
基本的に他者との関係というのは妥協であり、演技であるというのが自分の考え方だったのでなおさら驚いた
248ユキヒョウ:2007/06/08(金) 10:03:04 ID:HC74CwIo
その方が不思議ですよ。ふつうの人(私とかw)は
自分は主として他の人との関係においてのみ自分である、
とか思ってますよ。
249ユキヒョウ:2007/06/08(金) 11:01:31 ID:HC74CwIo
> 本当です。受動的に心を見つめると、
> 自分の思い、言葉、行動に違いがあるのが認識できます。
> 思ったことを言わず、正しく考えず、謝った行動をするということに
> 気づき始めます。

Kは「良し悪しを判断することなく」ただ観察することを薦めているように、私には見えます。
「正しく考えず、誤った行動をする」というのは、現に自分がしていることを、
そうすべきであったことと比べて為される判断ではないのでしょうか?
250ユキヒョウ:2007/06/08(金) 11:28:00 ID:HC74CwIo
私はKが何を言っているのかよく分かっていないところがあるのでそう思うのかもしれませんが、
774さんのお書きになったことだと、「自分の言動をよく観察してみれば、自分が間違ったことを
言ったりしたりしたりしていることに気がつき、そこからそうならないようにしようという思いが生じ、
注意深く行動することにつながっていく」というになってしまいそうに感じるのですが、
これは真面目な態度ではあるにしても、Kが言っていることと違うんじゃないか、ということなのですが。
251@:2007/06/08(金) 11:29:39 ID:wjZjAujV
>>248
他者との関係によって自分自身を知ろうとするのはキリスト教系の人達だけだろ
ナンセンスだよ

ようやく本体の思考原理の基盤がわかった
252774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/08(金) 11:52:09 ID:nBCOPAA6
ユキヒョウさん。

それはKの言葉の教科書的な解釈でしかありません。
あなたの質問から、あなたがKをバイブルのように捉えているということが良くわかります。
そうではありません。

あなたが見いだすものが唯一重要なことです。Kは口を酸っぱくして言ってますよね?
その中で誤りかどうかは自明なのです。

たとえば、Kの熱心な読者が殺人を犯したとします。
そのとき取調室で、「私はKのあるがままの気づきを実践していただけだ」
と言ったとします。「良し悪しを判断することなく、ただ自分自身を観察していたら、
怒りにまかせて殺してしまった」と。

それでその人は「悪いのクリシュナムルティで、私は彼の教えに従っただけだ」
と主張しました。

あなたの主張から考えると彼は正しいことになりますね。どう思いますか?
253@:2007/06/08(金) 12:47:28 ID:wjZjAujV
>>252
観察の状態があれば、怒りに同化することがないので殺人を犯しようがない

254@:2007/06/08(金) 13:20:55 ID:wjZjAujV
>>249>>250
正しい
255774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/08(金) 13:58:10 ID:nBCOPAA6
@さん

あなたの悪いところが出てますね。独りよがりの結論からは気づきもありません。
気づきはリレーションシップの中にしか機会はないんです。

自分の行為をずっと気づいていることも可能ですが、限界はあります。

@さんもユキヒョウさんもレベルとしては同態度だということは良くわかりました。
256@:2007/06/08(金) 14:24:08 ID:wjZjAujV
他者との関係は自分の人格と他者の人格を通して行われる

自分の人格の反応に気付くのもいいが、人格は自分ではない

他者との関係や自分の人格の反応に巻き込まれる必要性はない

ただ、観察して終わり
人格を修正する必要もないし、反省する必要もない

自分のアイデンティティーを人格に求めることは非瞑想的なことだ
257774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/08(金) 14:59:27 ID:nBCOPAA6
>自分の人格の反応に気付くのもいいが、人格は自分ではない

いいえ、人格はその人です。あまりに「存在」に強調を置いて
しまって、性格を軽視するのもまた間違いでしょう。

>他者との関係や自分の人格の反応に巻き込まれる必要性はない

必要はなくても巻き込まれるのが関係性ではないですか?
親子とか夫婦とか、逃れられますか?

>ただ、観察して終わり
>人格を修正する必要もないし、反省する必要もない

だからあなたは独りよがりだと指摘しているんですけどね。

>自分のアイデンティティーを人格に求めることは非瞑想的なことだ

アイデンティティー?
なるほど、あなたはアイデンティティーを人格以外に求めているのですね。
しかしそれは何なのでしょうか。瞑想ですか?悟りですか?
それが得られれば、あなたのアイデンティティーは確立すると、
あなたは考える。それは@さんの野望であり、目的である、
こういうことですか?
258@:2007/06/08(金) 15:16:02 ID:wjZjAujV
>>257

>いいえ、人格はその人です

774の根本的な勘違い見っけ

人格がその人ならば観照はあり得ないことになる

人格は対象として観ることができる
観ているものこそ「あなた」だ

「わたし」は決して対象にはならない
259@:2007/06/08(金) 15:26:14 ID:wjZjAujV
>なるほど、あなたはアイデンティティーを人格以外に求めているのですね。
しかしそれは何なのでしょうか。瞑想ですか?悟りですか?


ただ、沈黙の内に見守っているのが「わたし」です

人格はただの人工的なな作り物です
260ユキヒョウ:2007/06/08(金) 17:02:02 ID:B4ZLVLe3
>>252
> あなたの主張から考えると彼は正しいことになりますね。どう思いますか?

全然ならないと思いますが。私の主張からどうしてそうなると考えられるのか、
私にはまったく分かりません。この点に関して私が思うことは、>>253の@さん
と同じのようです。

何かうまく通じていないところがあるようなので、繰り返しになってしまうかも
しれませんが、私の感じているところを説明して見ます。私の理解では、
Kの言っていることは、「恐怖であれ、悪意であれ、そうしたものを自分から
なくそうとして努力しても無駄だ。そうではなく、そこから逃れようとしたり、
それを変えようとしたりせず、逆にそれと同化しようとしたりもせず、ただ受動的
にそれに気づいていなさい。そうすると、その気づきから、そのものの全体が
顕わになって行き、それらは自然に完全に消滅する」ということだと思うんですが。
実際Kは、自分の心に生じるものを「怒り」、「恐怖」などと言語化することでさえ、
すでにそれに対する善悪の判断、それを変えようとかそこから逃れようとすることが
含まれてしまうから、言語化もしないほうがいいということさえ言ってるでしょ?
261河津:2007/06/08(金) 19:29:12 ID:TE7gd13B
ありゃまー、、、
774の理解って(自己観察って)その程度なのーww
あいやまー、ビブン積分、ダイサンゲン!

足早に
    かえりて見れば、
            ここはチショウの巣となりにけり、、

アイーン、アイーン、アイーン、

がっかりだわな、。、、、

もうやめようかな、ここに来るの、、、、はははー
262河津:2007/06/08(金) 19:37:00 ID:TE7gd13B
今後の最善策を提示します


 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|           (    つ          ヘ理屈マン無視        .│
_| 774はスルー     │     | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|     |_______|
  |_______|     |      相手にしない           ∧_∧ ||
  ∧_∧..||             |_______|     ( ´∀`)||
 ( ´∀`)||             ∧_∧ ||         (    つ
 (    つ             ( ´∀`)||         | | |
 | | |       ・・・・ (    つ         (__)_)
                              
263ユキヒョウ:2007/06/08(金) 19:46:41 ID:HC74CwIo
>>251
だから、私はその「本体」とは関係ないと何回も言っているのに・・・。
264ユキヒョウ:2007/06/08(金) 19:55:03 ID:HC74CwIo
>>258
私はその理解にもすごく違和感があります。
それは、観察の対象である心とは完全に切り離された
超越的な観察者を作り出し、
そのの立場から心に起こることを眺めることではないですか?
それはKの言っている「観察者のいない観察」
とは違うんじゃないかと思うんですが。
Kのいう観察というのが分からなくて、
暗闇の中の手探りをしているだけの
私が言うのも変ですけど。
265河津:2007/06/08(金) 20:06:16 ID:TE7gd13B
>>264

だからね、ユキヒョウさん。
Kなどさらっと読んで、卒業していけばよい。
あまりこだわらないこと。

Kだって瞑想しないでああなったわけじゃない。
彼自身が何年も相当な瞑想しているよ。

本を読んだだけの、いい加減な自己観照人間が、偉そうになんか言ってるのは、
Kの信奉者の集まりではよくあることらしい。

その意味で、馬鹿を多く作り出してしまったKもまたカバであると言っておこう。

もう、やってらんないから、おしまいね、おれは。

では、皆さん、バイナラー!
266@:2007/06/08(金) 20:35:57 ID:wjZjAujV
>>264
人の心の中には、どうやっても客体や対象にすることができない、純粋な主体、主観、ただ見守る意識というものが存在する
それは作り出すものではなく、全ての人に最初から備わっているので、ただ発見されるだけだ
この純粋意識こそ自己だ

それとエゴという観察者が観察を行うのではなく、ただ見守っている観察者は最初から存在している。
エゴが邪魔をしない時、ただ観察という状態がある
267ユキヒョウ:2007/06/08(金) 20:57:31 ID:HC74CwIo
>>266
まあ、そう言われると、
言葉で表現するときの仕方が違うだけのような気もしてくるんですが、
そう言っているあなたはその観察者ではなく「エゴ」ではないんですか?
268ユキヒョウ:2007/06/08(金) 21:03:02 ID:HC74CwIo
>>265
Kの言う自己観照が起こっているなら、
それによって葛藤も恐怖もなくなってるはずで、
そうでないなら、その人の「自己観照」は
Kの言ってるそれではないはずで、
つまりその人たちはKを理解してないだけでしょ。
いなくなってしまった人にレスしてもしょうがないけど。
269ユキヒョウ:2007/06/08(金) 21:10:27 ID:HC74CwIo
>>266
言い換えると、Kが言っているのは、
その純粋意識がエゴを観察することによってではなく、
エゴがエゴを観察することによって、エゴが消滅する
ということのような気がするんですが、
言っている私も何だか分からなくなってきました。
河津さんの言う通りなのかも。w
270@:2007/06/08(金) 21:18:23 ID:wjZjAujV
>>267
もちろん他者とコミュニケーションする以上エゴを経由しなければならないし、その時に自己を想起している時もあれば、すっかり忘れている時もある
これが現状
271河津:2007/06/08(金) 21:32:47 ID:TE7gd13B

便秘が治ったら、、、、
出戻りで、またちょっとだけ来ましたよw。

ユキヒョウ様

>>265  その通りでス。

>>269
エゴ同士の観察、そのようなタイプの自己観察には重大な錯覚があるんだな。
例えば774さんの場合は、ざっと読むと、自己を観察すれば
けっきょく最後は「改善が起こる」ということを言っているようだが。
それは観察している何かが本当に静かになりきっていない。
本当は改善とか、改良など知ったことではないんですよ。

そのタイプの人たちは、心が微妙に分裂していて静かになっていない訳ね。
エゴがエゴを観察してもだめですよ。
ごちゃごちゃした心のエゴA君をすっきりしたエゴB様が観察する
ような事になってしまう。それは、一種の反省ですよ。

結局そのような状態の、二つの心など必要ないのです。二つの心のシーソーゲームになってしまう。
それは、Kとか真の覚者の言う自己観察(自己凝視)とは根本的に異なる、ということなんだな。


PS.  ただ、ある種の反省に関して言えば、慈悲深いグルの下においての
反省では、いくらかのパワーが与えられるように思えますね。
その時に獲得したエネルギーが、覚醒に向かわせることがあります。
ただ、これは極めてまれです。

では、さようなら。
272ユキヒョウ:2007/06/08(金) 21:34:23 ID:HC74CwIo
@さんの瞑想に関する考え方とか、
他者との関係についての無関心とか聞いていると、
ラジニーシーの人たちを思い出すなあ。
あの人たちはいまはどうなってるんだろう?
273@:2007/06/08(金) 21:39:40 ID:wjZjAujV
>>269
蛙の言ってることが的を得ているよな
エゴがエゴを観察することは赤いペンキの上に緑のペンキを塗るようなものだよね…

受動的観察っていうのは、言ってみれば何もしないってことでしょ
判断しない、識別しない、期待しない、完全なる明け渡しの中で、ただ覚めている
明け渡しこそKの技法のような.....
274ユキヒョウ:2007/06/08(金) 21:41:06 ID:HC74CwIo
> エゴがエゴを観察してもだめですよ。
> ごちゃごちゃした心のエゴA君をすっきりしたエゴB様が観察する

私が言いたかったのは、
エゴA君が自分自身を観察するってことなんですけど、
そういうのはありえない? 「エゴ」って言葉の使い方が分かってないのかな?

それはそれとして、私はKは集会で話すとき
同時に言語とは違う手段で集まった人たちに働きかけていて、
それなしにKの本を読んでいても理解のしようがないのかもしれないとか、
最近ちょっと思ったりもするんですが、河津さんの意見はどう?
275ユキヒョウ:2007/06/08(金) 21:44:28 ID:HC74CwIo
>>273
やっぱり私はその「エゴ」という言葉の使い方が分かっていないのかも。
それは心が統合されていない状態で生じるいわば幻のようなもので、
存在しないものだから、それが観照するということはありえないものですか?
276@:2007/06/08(金) 21:48:04 ID:wjZjAujV
>>272
和尚の人達はおおいに他者と関係していたじゃない、積極的に生を楽しんでたんじゃないの

人格と自分を同一視していない人だけが他者との関係を気楽に楽しめる
なぜならば関係のなかに自分のエゴを持ち出すことがないからね

決して他者との関係を否定しているわけではないよ
277ユキヒョウ:2007/06/08(金) 21:54:47 ID:HC74CwIo
>>276
そうなんですか。
私は、あの人たちは本当はOSHOとの関係だけが重要で、
それ以外の人間関係には本当は無関心なんだろうと思ってたんですが。

278河津:2007/06/08(金) 21:56:38 ID:TE7gd13B
>>274

あららr、また、質問されたので逃げるわけにも行かずww、レスすると、、、

>私が言いたかったのは、
>エゴA君が自分自身を観察するってことなんですけど、
>そういうのはありえない? 「エゴ」って言葉の使い方が分かってないのかな?


あっしが言っている意味が分かりませんか?
本質的にはエゴAとエゴBは実は同一のエネルギーなんですよ。
そのエネルギーがあなたの言うエゴA君ですね。
それであるから、その状況をトータルにびしっと見て、「実はひとつの存在である」と
確信した時に何か変容が起きるということを言ってるんじゃないですか、
Kあたりは。

>それはそれとして、私はKは集会で話すとき
同時に言語とは違う手段で集まった人たちに働きかけていて、
>それなしにKの本を読んでいても理解のしようがないのかもしれないとか、
>最近ちょっと思ったりもするんですが、河津さんの意見はどう?

そういうことはあるんじゃないですか。意図的にやってるのかどうかはし知らないけど、
悟った人が生きてしゃべってるんだから、パワーは伝わるでしょ。でも真に自己のエナジーが
高まっている人には、どんな本からでも何かは得られるでしょう。

279@:2007/06/08(金) 22:04:46 ID:wjZjAujV
やるなぁ...宇宙ガエル....

自分の中の不毛な分裂がきえて、ひとつになった時、何かが.....起こるのか.....!
280ユキヒョウ:2007/06/08(金) 22:17:41 ID:HC74CwIo
>>278
分かってないかもしれません。
「実はひとつの存在である」と確信するのは誰?

> 真に自己のエナジーが
> 高まっている人には、どんな本からでも何かは得られるでしょう。

う〜ん、私の場合真にエナジーが高まっているとはどう見ても思えない。
むしろその逆。orz
281河津:2007/06/08(金) 22:28:20 ID:TE7gd13B
>>280

>分かってないかもしれません。
>「実はひとつの存在である」と確信するのは誰?

そうですね、言いにくいですね、そこのところは。
強いて言えば、そこには、「確信」のみがあります。
確信している私はいません。

確信と同時に空がやって来ます。

だから、空が先か確信が先か微妙なのです。

まあ、そんなところですね。





282ユキヒョウ:2007/06/08(金) 22:41:56 ID:HC74CwIo
このスレ、もう煮詰まってしまいましたか?
私が個人的に煮詰まってしまっただけですか?
283河津:2007/06/08(金) 22:44:31 ID:TE7gd13B
で、ついでに言うと、

何か「空の境地」を体験して偉そうに言っているように思えるが、
そうではない。

空にもレベルとか色々あるようだ。

それは、野球のバッティングに例えるとよく分かるだろう。

その「確信の状態」によって、空がやって来て、打者に例えると
バットに真芯に当たって150Mのホームランになるようなのが釈迦みたいな人。
彼は自在に日常的にその境地に居るようだ。

おいらのは、まずまずの当たりかもしれないが、ちょっとつまってる状態。
それでようやく外野の前に落ちたヒットみたいなものかな。
それも、たまーにしかそういう状態にならない。

もっとひどいのは、チップとかファウルになってバットも折れてしまう人がいる。
こういうのは、たぶん変な教祖になるらしいww

まーそんなところですな。

おやすみー!
284神も仏も名無しさん:2007/06/09(土) 01:21:20 ID:vk/lU9cJ
>>277
ほとんどが追随者だったからね。
285神も仏も名無しさん:2007/06/09(土) 06:41:36 ID:286cIhUl
おはよう〜♪
ばかになっちゃう〜♪ ばかになっちゃう〜よ♪ 頭ぐたぐたになったう〜♪
286k(本物):2007/06/09(土) 09:54:06 ID:7p5sDCnr
おまいらやべぇー。天才ー。悟ってるー。負けそーWWWWWWW
287@:2007/06/09(土) 11:07:57 ID:/y5sRpqn
人格っていうのは関係する他者、あるいは関わる状況と同じ数だけ存在するよな

父と関係する時の人格、母用、息子用、恋人用、友人用、嫌いな奴用、趣味用、仕事用等.....

しかもこの人格というのは関係する相手にものすごく影響を受ける。例えば自分が使用人で相手が主人だった場合、自分の人格のほとんどが主人とその状況によって規定される

たとえ対等な相手であっても、自分の人格の50%は相手によって構成されている
よって、他者から独立した人格というものは存在しない
288@:2007/06/09(土) 11:18:58 ID:/y5sRpqn
結局、人格っていうのは他者と自分との中和点なんだよなぁ

自分と関係する他者との共同製作物ともいえる

他者なくして人格は存在できない
289@:2007/06/09(土) 11:25:20 ID:/y5sRpqn
ユキヒョウ曰く

「ふつうの人(私とかw)は
自分は主として他の人との関係においてのみ自分である、
とか思ってますよ。」

人格と自分を同一視する傾向が強いとこうなる
確かに普通といえば普通なのだが......
290ユキヒョウ:2007/06/09(土) 11:37:40 ID:yrs2sqsA
人格とは異なる自分が存在するんですか?
そういうことを考えているあなたは、
「人格」ではなく、その「自分」だと言うの?
291ユキヒョウ:2007/06/09(土) 11:44:50 ID:yrs2sqsA
言い換えれば、
人格と自分を同一視しているのは誰?
ってこと。
292ユキヒョウ:2007/06/09(土) 12:00:14 ID:yrs2sqsA
この種のことを考えていると観念論の哲学の迷路に
入り込んでしまいそうなのですが、
@さんのように考えると、
観察というのは、「自分」が「自分ではないもの」である「人格」を観察すること、
ということになって、はKの言う観察とは違うことになるのでは、と思うのです。
293@:2007/06/09(土) 12:28:39 ID:/y5sRpqn
「私」が何かを「観察」するわけではないよ

なぜならば「私」が「観察」だから

ただ「見守るもの」それが私

それ故
「空は何色にも染まらず....」
294ユキヒョウ:2007/06/09(土) 12:56:05 ID:yrs2sqsA
観察により心が静まり瞑想が起こるときには、
(私は知らないけれど)そうなのかもしれないとは思います。

でも、そこに至る前の段階では、
@さんの言っていることは、たとえば「怒り」であれば、
「私が怒っている」というように自分を怒りを同一化するのを止め、
「自分はその怒りでなない」と見て、
怒りに対して働きかけることも一切やめることで、
怒りから遠ざかっていこうとする、
というような感じの自己観察法なんじゃないでしょうか?
295ユキヒョウ:2007/06/09(土) 12:58:13 ID:yrs2sqsA
遠ざかるというのは、
「怒りがそこにあるけれども、私はそれに何の関係もない」
みたいな見方のことです。
296ユキヒョウ:2007/06/09(土) 13:06:35 ID:yrs2sqsA
見ることによって、見られている対象と自分との間に距離を作り出し、
その対象から自分を開放していく、みたいに。
297@:2007/06/09(土) 13:28:26 ID:/y5sRpqn
だろうね

「自分はその怒りではない」
怒りには関与しない...
これが非同化のプロセスなんだけど、しかし、それと同時にそれじゃ自分とは何なんだ、と

自分とは「見る者」であると、「観察そのもの」であり「自己」である、と....

怒りから解放されると同時に自分とは自己であると感じるのが自己想起....
298BABACEE:2007/06/09(土) 14:00:07 ID:BIFI8fxk
自己を見つめる方法=非同化のプロセス

下手にやると
同一ループ上の一点の意識を他の一点の意識が見つめて批評する。
怒りはそれでも収まるが、マタすぐ再発するだろう。

ループではなく、螺旋状の意識階梯を昇って行くような感じで意識を成長させ、
自己を見つめていると下の粗い意識を上の洗練された意識が見つめているので
怒りは収まり、冷静な意識も長続きするだろう。
これで、意識は少しは洗練されて「成長する」だろう。
しかし、この状態は意識は降下する危険性を常に孕むのだ。

で、究極のところは、その螺旋を捨て去ることだろう。
そのとき、観照だけがあり、観照する自分は消えるのだろう。
螺旋を創るエネルギーは必要、これは胎内に居るときの
臍のうに相当する。
でも生まれた後はもういらない。
299ユキヒョウ:2007/06/09(土) 14:47:25 ID:yrs2sqsA
>>297
そういう瞑想というのもあるのだとは思うのですが、
Kの言っている受動的な自己観察というのは、それと違うのかもしれないと
私は感じていて、つまりそういう方法では恐怖が膨らんで行ったり、
持続したりすることは防げても、そこから恐怖の全体が明らかになり、
恐怖が消え去るということはないんじゃないか、ということです。
むしろ逆に、その恐怖とは別のものである観察している「自分」など
存在しないということに気づくことが、Kの言っている自己観察
なんじゃなかろうか、などと想像しているわけなんですが。
300ユキヒョウ:2007/06/09(土) 14:52:44 ID:yrs2sqsA
私のイメージでは、その非同化のプロセスと言うのは、
いわば電車の最後尾に立って、遠ざかっていく光景を眺めている感じで、
つまり遠ざかり、消え去っていく過去を眺めている感じで、
Kの言っている自己観察というのは、
そのように過去を見ることではなく現在を見ることなんではないか、とか。
でもまあそう考えたところで、その瞑想が生じるわけでもないし、
どうでもいいことかもしれませんね。
301@:2007/06/09(土) 15:59:10 ID:/y5sRpqn
確かに観察している自分なんていない観察だけがある

それと否定的感情を受動的に観察しているならば、否定的感情との非同化は自動的に起こるはず、観察による非同化を通して否定的感情は変容され再び自分自身と一つになる

もし否定的感情と同化すればそのエネルギーは怒りや恐怖として使用され、人は消耗してしまう
エネルギーが変容されれば逆に満たされる
302ユキヒョウ:2007/06/09(土) 16:27:16 ID:yrs2sqsA
私は@さんの瞑想法を否定しているわけではなく、
ただKの言う自己観察とは違うんじゃないかと感じているだけです。
たとえばKは次のように言います。
「この”秩序”は、たとえばあなたが怒っている自分を静めようとしている場合に、
あなた自身がその”怒り”そのものであることを悟ったときにもたらされるのです」
Kの自己観察を非同化のプロセスと解釈して、この文を理解でますか?
303ユキヒョウ:2007/06/09(土) 16:49:02 ID:yrs2sqsA
あるいは下のKの文章。
「実際にあるがままの自分をあばくとき、人はこう問う。観察者、自分自身は、
自分が観察する対象と違うものだろうか? ただし、真理的にである。私は
怒っている、私は貪欲だ、私は暴力的だ・・・・・・その<私>は観察されるもの
−−怒り、貪欲、暴力−−とは別個のものだろうか、別の存在だろうか?
あきらかに否である。怒っているときには、怒っている<私>は存在しない。
存在するのは、ただ怒りだけである。だから怒りは<私>であり、観察する者は
観察されるものである。両者の区別はまったく消し去られる。観察者とは観察
されるものであることがわかり、それゆえ葛藤はおのずとやむ。」
304ユキヒョウ:2007/06/09(土) 16:57:44 ID:yrs2sqsA
「ただし真理的にである」は「ただし心理的にである」の間違い。
誤字は他にもたくさんあるか・・・・・・。
305神も仏も名無しさん:2007/06/09(土) 16:58:11 ID:0NeGFQQe
いろいろに工夫とて、むつかしきことを好むぞや。
平常はみな仏、直に見、直に聞く。

至道無難禅師
306@:2007/06/09(土) 18:22:04 ID:/y5sRpqn
「この”秩序”は、たとえばあなたが怒っている自分を静めようとしている場合に、
あなた自身がその”怒り”そのものであることを悟ったときにもたらされるのです」

この文章はたんに怒っている状態ではなく、怒りと怒りを静めようとしている私との葛藤について言及してるんだよね
そこがややこしい、、この文章は怒りではなく怒りをきっかけにもたらされる葛藤に焦点があたっている
だから、怒ったら即座にそれを発散するような人には関係ないし、怒りには何もできないと洞察した人にも関係がない
ある特殊な状況について語っている
307@:2007/06/09(土) 18:27:11 ID:/y5sRpqn
それ故に
「観察する者は
観察されるものである。両者の区別はまったく消し去られる。観察者とは観察
されるものであることがわかり、それゆえ葛藤はおのずとやむ。」となる
この文章は瞑想というより、一つの洞察なのかな?
この文章を本当に理解したらその人には二度と葛藤が起こらないことになる
しかし怒りは起きるだろう、でもそこから不毛な葛藤には発展しない
それ故に怒りはすぐに過ぎ去っていく
そういうことなのか?
頭痛くなってきた....
308BABACEE:2007/06/09(土) 19:00:10 ID:BIFI8fxk
上の文章は、チョー分かりにくいねーww
309ユキヒョウ:2007/06/09(土) 19:06:36 ID:yrs2sqsA
そのようです。葛藤がなくなれば、注意力が高まるので、
怒りが起こったとしても、それは自然に花開き、萎んで行き、
有害な記憶を残さない。だから、何の問題もない、
ということらしいです。
Kがそう言っているのを小耳に挟んだだけで、
私はいまだに葛藤の塊ですけど。orz
310ユキヒョウ:2007/06/09(土) 19:08:59 ID:yrs2sqsA
>>308
「明らかに否である」ってとこ、むかつきますよね。
そりゃ、あんたには明らかなのかもしれないが、
俺にはちっとも明らかじゃねえよって、
言いたくなりますよね。
311BABACEE:2007/06/09(土) 19:12:54 ID:BIFI8fxk
>>310

なに、怒ってるの、、、、

こっちにも難しいなー、これって、、、、
と言っただけだよ
312BABACEE:2007/06/09(土) 19:15:08 ID:BIFI8fxk
でも、自己観察も良いが、
最初は時間をとって瞑想したほうが進歩ははやいような感じはあるね。
313ユキヒョウ:2007/06/09(土) 19:25:51 ID:yrs2sqsA
>>311
いや、あなたに怒ってるんじゃなくて、Kに怒ってるんですよ、当然。
314@:2007/06/09(土) 19:40:42 ID:/y5sRpqn
>>309
それは美しい、ファンタスティックKって感じだ

しかし葛藤の部分に焦点をあてたマスターってあんまりいないような
それ故に貴重だ
315kl:2007/06/09(土) 21:51:23 ID:prZQH0PV
>>303
私にはちょっとだけ分かる気がするので説明してみます。
例えば怒っている時、実際に観察されるものは「怒り」の現象だけです。
「私」なるものがどこかに見えるでしょうか。見えません。
我々は「私」がどこかにいてそれが色々なものをみていると信じています。
物理的には確かに名前Aの人物の体が現象を検知しています。
しかし心理的な「私」は実際にはどこにも見当たりません。
つまり、そこにある(見える)のは「怒り」だけです。
「怒り」しかないのに物理的な現象からの連想で怒りとは別に
「私」の存在を仮定しているだけで
実際には「怒り」しかないものを「怒り」以外に「私」を作り出している。
本当のところは「怒り」があるだけのものを「怒り」と「私」に分けている。
「私」が別にあると思っていたが本当は「怒り」しかなく、
「怒り」が「私」を作り出している正体だった。
ということではないでしょうか。
316ユキヒョウ:2007/06/09(土) 22:09:51 ID:yrs2sqsA
あと一つ参考になりそうなKの言葉があります。ちょっと長いですが、引用してみます。

「たとえば、私があなたに何かイライラさせるようなことを言って、あなたが怒ったとします。
そして、あなたは一瞬後に「私は怒っていた」と思うのです。怒っている瞬間あなたはそことを
認識せずに、その一瞬後に認識するのです。・・・・・・
・・・・・・つまり私は現実を”過去”の見地で書き直していたのです。
・・・・・・新しいもの(現在)と直接接触するために、自分の中の”過去”を引っ込める
ことはできないでしょうか? 私はここにすべての問題があると思います。」

これを読むと、通常の自己認識においては、「認識」と「認識される対象」の間に時間のズレが
あり、これが観察者と観察対象の分離なのかもしれないと思えてきます。
317ユキヒョウ:2007/06/09(土) 22:13:23 ID:yrs2sqsA
言い換えれば、怒りの同時的・直接的な観察においては観察者と観察対象の分離はなく、
怒った一瞬後に為される普通の意味での認識(再認識)において観察者と観察対象の分離が生じる、
ということなのではないかと。
318ユキヒョウ:2007/06/09(土) 22:18:54 ID:yrs2sqsA
>>315
それはつまり、「純粋経験」には観察者/観察対象の分離はなく、
その一瞬後に「考え」によって作り出される経験の「解釈」のなかで
観察者/観察対象の分離が作り出される、みたいな感じですか?
ちょっと禅ぽいですね。
319ユキヒョウ:2007/06/09(土) 22:20:57 ID:yrs2sqsA
>>314
私には、美しい、しかし常人には近づきがたい、
向こう側の人という感じがしてしまいます。
320kl:2007/06/09(土) 22:27:43 ID:prZQH0PV
>>316
どの本の何ページか教えてくれませんか。じっくり読んでみたいので。
321ユキヒョウ:2007/06/09(土) 22:48:22 ID:yrs2sqsA
>>320
ジッドウ・クリシュナムーティー『暴力からの解放』 
勝又敏明訳 昭和57年 たま出版の110ページ付近です。
しかし、この出版社はまだありますか?
原著は、J.Krishnamurti, Beyond Violence, 1973だそうで、
こちらのほうはアマゾンなどで簡単に買えるようです。
322kl:2007/06/09(土) 23:08:03 ID:prZQH0PV
>>318
普通我々はいつも心理的な「私」を行為の主体者として想定してます。
だからいつも想定している。
しかしその想定は空虚な観念で実際は現象しかなく、
現象を思考が現象と主体者に分けている。
ということですが。

kの本はほとんど持っているのでその部分読んでみます。
実は過去に何回も読んではいます。
323BABACEE:2007/06/09(土) 23:12:19 ID:BIFI8fxk
脳波と時間ということを考えちゃうな、オレの場合はね、
結局、問題は肉体感覚なんじゃないかね。

つまり、怒りの場合、徹底的にこの世界、つまり見える世界
客観的な世界に取り込まれてるという感じだな。
脳波が一秒間にものすごく多く振動する。
いわゆるベータ波の次のガンマ波のレベルですね。
肉体感覚が強くなっているから、結局他者との境界を強く意識する。

日常の仕事などをしているのがベータ波で、
それより振動が少なくゆっくりしてくるアルファー波の
レベルになると、意識はやや主観的になっている。肉体感覚の
外との境界も薄くなり始める。
そして、空間感覚のみならず、当然だがやや時間感覚も曖昧になる。
たとえば、いい音楽をうっとりしながら聴いている状態ですね。

で、すばらしい景色を見たときになど、
我々は「まー、なんと素敵でしょう!」となって
「自分は素敵な気持ちで居る」とはあまり思っていないようですよね。
「きゃーステキー!」のみがあるという感覚。

なんだろうな、怒りがあるときには緊張がある。
肉体感覚によって、境界にこだわってる。
怒りの直後に時差がありそこから生じる
「私は怒っている」という意識への移行が分からない。

324BABACEE:2007/06/09(土) 23:15:30 ID:BIFI8fxk
323の続き

で、喜びがあるときにはリラックスがある。

セックスのピークでは「あああ、いくう!」のみがある。
「わたしがいくー」のではない、いくーのみ。
これはアルファー波の下のシータ波の状態かな。
肉体感覚は少なくなりある種の感覚が増大する。
客観的には物理的に二人の肉体が交わっているのに、
ある意味では主観的な意識レベルで快感を感じている状態。

そして究極の、本質的な目覚めあるときには、
ただ、ありのままの何かがそこにある。
それだけ、私は居ない、、、。

何しろリラクスしてハッピーな状態にあるときには
人は「私は〜〜」にこだわっていないようだな、、、
そういう意味では、自己観察に関しては国会議員という人種は
最低かもしれないな hahahaha、、www
325ユキヒョウ:2007/06/09(土) 23:17:01 ID:yrs2sqsA
>>322
Kはそういうことを言ってるんだと思うんですが、
私はそういうことが明らかに分かるほどほど意識がはっきりしないんですね。
で、自分でそれを見ることができないから、
葛藤もなくならない、恐怖もなくならない。
klさんはどうですか?
326ユキヒョウ:2007/06/09(土) 23:19:42 ID:yrs2sqsA
> そして究極の、本質的な目覚めあるときには、
> ただ、ありのままの何かがそこにある。
> それだけ、私は居ない、、、。

これ、あなたに起こったこと? それとも想像?
327kl:2007/06/09(土) 23:35:22 ID:prZQH0PV
>>316
ここでは過去の見地から現在をみるのでは
現在をみていないという事を説明していると思います。
私についての説明ではないでしょう。
過去を参考にしないで現在をみないと現在のものを理解できないと言っている。
過去の視点から見ている状態(名前は何だったか考えている)を認識と表現している。
名前なんかどうでもいい過去に経験したか考えないで今の現象を見よと言っている。
と思います。
328BABACEE:2007/06/09(土) 23:35:56 ID:BIFI8fxk
>>326

瞬間的にそんな感じに近い状態になったことは数回あるよ。

ただ、それがホンモノだという自信もないけどね。
329BABACEE:2007/06/09(土) 23:41:00 ID:BIFI8fxk
>>326

327のklさんが言っているように、「自分の体験」みたいなものを言うのは
変なのです。過去のことです。

過去に起こった〜〜の意識が~~云々という形になる。

問題は今です。

で、オレは今覚醒してるのかなー、、、と考えると、、、
あんまり覚醒してないな、、、という感じかな、、、、分からんなーwww
330kl:2007/06/09(土) 23:47:02 ID:prZQH0PV
>>325
私もつい最近そうではないかと思えてきた程度です。
303の書き込みを読んで特にそう思えてきたのです。
数時間内に理解が進んだと感じるのでまだ何とも言えません。
以前は恐怖がとても強くありましたが、逃げないで向かって感じるようにしたところ
十分対応できるほどになりましたが消えてはいませんでした。
これで消えるかも知れないという気がします。
331ユキヒョウ:2007/06/09(土) 23:51:27 ID:yrs2sqsA
>>327
ふつうの人間の「認識」は、記憶の影響で歪められているということも
もちろん言っているでしょうが、それだけでなく、
そうしたやりかたで認識されるのは、実は現在起こっていることではなく、
(直前の)過去に起こったことだけだ、とも言っているのではないですか?
332kl:2007/06/10(日) 00:12:15 ID:XaDaX2AD
>>331
「怒り」と名づけるときは過去と照し合せて考えている。
実際は怒りの原因になった相手の行動を非難するのがほとんどで
自分の側の把握は怒りが起こったと認識して終わり。
怒りそのものに注意を向け十分に感じる事はしないでしょう。
怒りという現象は過去に経験しているのでもう知っている。
それをじっくり見る必要はない。感じても意味ないと判断して
チラ見で終えます。
しかし知らないものならじっくり見るでしょう。
質問の方の答は分かりません。
333ユキヒョウ:2007/06/10(日) 00:25:18 ID:IiMdQhD1
どうも、そこで分からなくなるんですね。
記憶や認識を完全に排除してしまったら、
目の前にあるものを見てもそれが何なのかもわからず、
人の言葉を聞いてもまったく理解できず、
ただ色や音といった現在の瞬間の感覚の刺激があるだけになってしまう。
Kが言っているのは、そんな何も認識できず、
ただ混乱した感覚の海に漂っているような状態のはずはないですよね。


334774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 00:26:40 ID:fz/761uI
どうやらKスレらしくなっているようですが。

しかし、ユキヒョウさんやklさんの書き込みを見る限り、
Kの文章の推測がまだ多いという印象を持ちます。

理解しようとするのはいいんですが、
たとえば、水泳の本を泳がないで理解しようとしているようで
滑稽にも見えますね。

Kが何を言っているかの理解にもまた限界はあります。
人は認識の外のことは認知できません。でも可能性はあるわけで、
その意味で、Kは訓練でもあります。

では続けてください。
335ユキヒョウ:2007/06/10(日) 00:34:15 ID:IiMdQhD1
だから、言語化せずにただそこにある怒りを見るといっても、
自分の心に起こっている感情を認識せず、
ただその感情を感じているというような、
そんな状態のことではないはずだと思うんですが・・・。

336774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 00:36:56 ID:fz/761uI
>そんな状態のことではないはずだと思うんですが・・・。

ほら、あなたは想像でものを言ってるんですよ。
337774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 00:38:59 ID:fz/761uI
Kを読む人が起こす勘違いで最もなものは、
Kの理解が重要だと思うところです。

そうじゃない。
自分の理解です。たとえば怒りなら観念化された怒りではなく、
自分が持っている怒りです。
338kl:2007/06/10(日) 00:40:00 ID:XaDaX2AD
>>333
記憶や認識を排除するのではなく
理解しようとする対象を見る・感じるときに考えていては
注意がそがれて十分にみていない状態になる為理解がおぼつかなくなるという事です。
現在の現象を知覚し体内に取り込むのが先決で、その後は自動的に必要な思考も生まれる様に感じます。
339774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 00:46:26 ID:fz/761uI
水泳の本を読むよりは、水に入った方が良いとおもいますが、

全的な理解は思考からくるのではありませんよ。
お二人さん。
340774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 00:47:44 ID:fz/761uI
また、理解があってもそれを言葉で伝えるのはかなり難しいでしょう。
哲学用語でもやはり駄目でしょうね。
341774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 00:57:49 ID:fz/761uI
怒りは機械的です。もし怒りがあるとき、「私は怒っている」と認識しません。
そのあとで「怒っていた」と思うだけです。
何故か。そこには思考の素早い修正作業が働いているからです。
ここに現実を歪めて認識するという思考の働きがあります。

思考というのは歪んでいるんですよ。
342774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 01:00:28 ID:fz/761uI
そしてそれが私たちの諸悪の根源です。
これが私が自分をあるがままに見て得た結果です。

レス全部見てませんが、確かKはそんなことを言っていたと思います。

そしてここから基本的に歪んでいる思考では何も測ることはできない。
ということことが理解できます。
343神も仏も名無しさん:2007/06/10(日) 01:01:58 ID:g1tH5DPw
なんか必死だね。
344774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 01:04:14 ID:fz/761uI
いえ、暇なんですよ。
345774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 01:05:39 ID:fz/761uI
ひょっとしてもあなたも必死でしょうか?
346774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 01:06:45 ID:fz/761uI
ほら、このように思考は修正するわけです。
347BABACEE:2007/06/10(日) 01:08:21 ID:GNSt6yMz
ありゃ、774さん、唐突に登場!
どんどん書いてけれー!!
348BABACEE:2007/06/10(日) 01:10:52 ID:GNSt6yMz
しかし、それで、774さんは、その「気付き」のあと
どうかなったんですか?

明晰な意識があるので、仕事が成功し金儲けが上手くなったとかw
349774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 01:17:17 ID:fz/761uI
自分が理解したことを書くのは難しいでしょう。

まず伝わらないし、言葉は不自由です。
良くて誤解、悪くて曲解です。
書く方も思考を使い、聞く方も思考を使います。
そのような状態では真のコミュニケーションは起りません。

Kのような対話のシュチュエーションはとても大事なことだと
近年思うようになりました。

本当は軽々しく真理について、気づきについて討論してはいけないのです。
それは哲学的に扱われるのではなく、全的に扱われるものだと思います。

Kの理解はその人がKのようにならない限り本質的に無理です。
だからKについては哲学的なアプローチではなく、よりプラクティカルな
アプローチの方がいいと個人的には考えています。
Kスレについは何度か哲学板にも立っていますが、心と宗教板の方がふさわしい
だろうと思います。

Kの言葉は見いだすための珠玉のテキストです。
しかし自分の人生において全的に取り組まねばその片鱗を掴みとることはできません。
思考や観念では無理です。できたとしても誰も使うことができないマニアのものに
しかならないでしょう。
350774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 01:20:57 ID:fz/761uI
それから水泳の本を読めば泳ぐことができると思わないことですね。
ユキヒョウさんはその点をよく理解していらっしゃるとは思えません。

答えは「あるがままの気づき」の実践であり、瞑想です。
それから何かおっしゃってください。そうでなければKの言葉を想像で
語ることができるだけです。

それは哲学マニアのすることだと思いますよ。
351774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 01:22:29 ID:fz/761uI
哲学的にKを論じたいのであれば、哲学板でやれば良いと思います。

もちろん私にとって、Kのことばはそれ以上のものです。
352774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 01:23:58 ID:fz/761uI
もう練るので最後に。

理解は思考からではなく、ハートから来ます。
353BABACEE:2007/06/10(日) 01:25:29 ID:GNSt6yMz
サンキューでした。

こっちも寝ます。
354774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 01:26:03 ID:fz/761uI
思考は煮詰まり、ハートはストンと落ちます。
355774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/10(日) 01:26:57 ID:fz/761uI
ではお休みなさい。
より夜を。
356ユキヒョウ:2007/06/10(日) 03:01:12 ID:IiMdQhD1
>>338
たとえば、剣道の試合の最中に考え始めたら注意が殺がれて負けてしまうとか、
音楽を聴いているときに考え始めたら聴けなくなってしまうとか、
人の話を聴いているときに自分が考え始めたら、
その人の話から注意が逸れて理解できなくなってしまうとか、そういうこと?

たしかに、何かにすごく興味があることに熱中しているときには、
考えないかもしれませんね。しかも、そういう自然に何かに熱中しているときには、
他のことがまったく耳に入らなくなるということはなく、逆に周囲に起こることに
すごく敏感になっていたりもしますね。たとえば、面白い本を夢中で読んでいるとき、
窓の外の風の音とか結構よく聞こえていて、ただそれが注意の拡散を引き起こしは
しないというときがありますね。

Kの言う観察というのは、そういう状態のことなんでしょうかね?
357神も仏も名無しさん:2007/06/10(日) 03:20:25 ID:tMG/oTfF
それについて考えるとき、決して見ることはできません。
考えることが見ることを妨げるからです。

「自己の変容」p219 クリシュナムルティ
358kl:2007/06/10(日) 03:30:44 ID:XaDaX2AD
>>356
そのとうりだと思います。
人の話を聞く場合でも次に自分が何を話そうかなどと考えていたら聞けません。
何に対してでもそれを見るとき自分の中に考えがあったら十分に聞けません。
恐怖があってもダメです。それは思考の一種です。
それがあると聞くことを邪魔しているのが分かります。
それが分かると思考が静まります。
何かに対応するとき自分の中に反応して起こるものがあります。
恐怖など。これに気づき、更にその恐怖に対して起こる反応に気づきます。
反応を観察する時、自分に関係がなければ冷静に観察できます。
自分に関係があると反応が起こります。
何も反応がなければ冷静に観察できるものが反応があるとそれが観察の障害になります。
そのことが理解される(気づく)と思考が静まります。
私の経験では気づいたその場は静まるが長く続かないので、
先に述べたように怒りなどの反応が私そのものである事を十分理解しないと
思考者と思考の分裂があり、思考が完全に静まることはないように思われます。
359ユキヒョウ:2007/06/10(日) 08:38:23 ID:IiMdQhD1
うーん、私の場合、>>356の後半で書いたような、若干心が静まり、
注意力が高まった状態は、思考が妨げであることが分かって生じたものでは
ないですね。ただ、本当に興味があることをしているときとか、非常に危険
を感じたときなどに、ごくまれに意図せずに生じただけでしょう。それに、
そういうとき思考が止まっているかと言うと、そうとも言い切れないような
気がします。逆に自然に集中して、何かを考えているときなどにも起こったような
気もします。思考が止まっているわけではなく、表面の言語的思考と、
その下にある「思い」みたいなものが協調して、スムーズに働いていたような感じです。
しかし、仮にそれがKの言っている状態に幾分か近いものだったとしても、今となっ
てはそれは記憶に過ぎず、その記憶を思い出してもその状態が再現されるわけでも
ないので、如何ともしがたいですね。


360ユキヒョウ:2007/06/10(日) 09:21:35 ID:IiMdQhD1
>>317の続き
現在の瞬間起こっていることを「知る」ことは出来ない、
知ったときには、知られたものはすでに過去になっている、
だから我々に知ることが出来るのは、「現在生じている怒り」ではなく、
「私は一瞬前に怒っていた」ことだけである、
このように必然的にその対象と分離したものであらざるを得ない知識に、
対象を変える力はない、
それに対し、あるがままを見ることはそれを変容させる
・・・・・・ってこと? で、その「あるがままを見る」ってのは何だ?

361ユキヒョウ:2007/06/10(日) 10:23:02 ID:IiMdQhD1
>>350
私は、それはあなたの誤解だと思いますね。
私もまた、Kを読んで何か感じるところがあり、
それを見つけようとしていろいろ試して来たんですよ。
ただ、ますます混乱が深まり、不満が高まるばかりなので、
私が Kの言葉を誤解しているところがあるかもしれないと思い、
もう一度徹底的にKの言っていることを考えてみようとしているだけです。
だから、それを言うのがKだろうがあなただろうが、
「考えるな」なんていう言葉に従う気は、私には毛頭ありません。
ただ、「ここはチラシの裏じゃねえ」ということであれば、
それにはそうかもしれないと思うので、
ここに書くのは少し控えることにしますけど。

362BABACEE:2007/06/10(日) 12:02:28 ID:GNSt6yMz
ユキヒョウさんは、あまり寝ない人なのかな?

オレなんか9時間半も寝てたけどなww
363ユキヒョウ:2007/06/10(日) 12:04:03 ID:IiMdQhD1
頭に血が上って眠れません。でも、起きているときが半睡状態だったりします。w
364@:2007/06/10(日) 12:18:17 ID:jByh0TQx
ユキヒョウが「私はまだ葛藤の塊だ」と言っていたが、嘘をついているとしか思えない。

Kを読むと葛藤することがアホくさく感じる
バカバカしいので自然に葛藤が止まる、そして消える

K信者ではない自分ですらそう感じるのに、何故にユキヒョウは葛藤から解放されないのか?
絶対におかしい、、謎だ
365BABACEE:2007/06/10(日) 13:14:44 ID:GNSt6yMz
すごい、雨とカミナリ、、、
怖いよー、、、
皆さんのところはどうかな?
366@:2007/06/10(日) 23:17:45 ID:jByh0TQx
レスを読んでいて気付いたんだが、観察についてなんだが...

例えば剣道の試合とか、音楽を聞いている時とか、人の話を聞く時とか、何かに熱中している時とか....
観察が外側からくる刺激に対する知覚に限定されているのが面白い
「外側からくるものをマインドの反応なしにあるがままに知覚すること」
これが観察の定義でいいのかな?
367@:2007/06/10(日) 23:18:47 ID:jByh0TQx
しかし、外側からの刺激がほとんどないような状態、例えばありふれた日常や「怒りや恐怖」など強い情動が無い時の内面に対する観察がほとんど触れられていない

また、外側の刺激とは関係なく、一日中頭の中を這いずり回っている思考に対する直接的観察(禅の瞑想など)もスルーされている

観察をある特殊な刺激と常にセットにして考えているのが不思議だ
368ユキヒョウ:2007/06/10(日) 23:48:58 ID:IiMdQhD1
私に葛藤があるのが不思議だとか、ちょっと変だと思ったら、
@さんはやっぱり何か虚像を見てたんですね。
>>356は、Kの言う受動的観察は残念ながら私には生じないので、
私に生じたことがあるものでいくぶんかそれに近いものを探すとすれば、
こんなところか、という話ですよ。実際、私はもうあらゆる葛藤のかたまりで、
エイズとかの末期になると免疫が低下して、普通では増殖しない菌や
カビにまで増殖されて大変ことになるそうですが、私はいわば心のエイズですね。
Kの受動的観察なんてもう夢のまた夢。w
369神も仏も名無しさん:2007/06/11(月) 00:56:27 ID:BOrl07QC
クリシュナムルティ信者の中には彼の論法を使って他宗派を攻撃してストレス発散する人がいたり
するので好きではなかったのだが、このスレは落ち着いたいいスレだな。

私も完全にできるわけではないが、思考とはこの文章のように画面の中にあって、現れては消
えるもの、このディスプレイには何の影響も与えられない、と知ることが必要ではないか?
頭の中のスクリーンに現れるただの言葉、幻だ。
もちろん、これはラマナマハリシの受け売りであって、完全に実現するのは難しいが、そこまです
る必要もないだろう。たまに思考したり、葛藤するのは楽しいし、時たま役に立つ。
言葉をいくら捏ね繰りまわそうと、頭の中からは出られない。思考は孫悟空のようなものってのは分かるか?
自分ではすごいと思ってんだ。自分の力でなんでも解決できるとうぬぼれてんだ。うぬぼれると、頭の
輪っかを締められて苦しむんだよ。
370kl:2007/06/11(月) 02:41:53 ID:Tq6qnAYI
>>360
現在起きている事を理解することで事態を根本的に変える可能性がでてくる。
それは過去に経験したから知っている。
とする場合は過去の目で見ているのであって現状をつぶさに見ていない。
過去(思考・知識)を頼りにせずに現象を知覚すればより明確に見れる。
この明確さが理解を生む可能性を高める。
予見があればその予見が観察をゆがめる。
他に気を取られている状態の観察では見落とす可能性が高まる。
観察の特殊なケースでの説明は分かり易い例を示しただけで
以上の説明は観察一般に通じると思う。
あるがままの観察とは観察したものをゆがめない事を言っている。
過去の条件付けから我々は色々な反応を起こす。
この反応が自分であり、本人の志向を表している。
快いものは受け入れ、あるいは欲望として未来にも経験することを願う。
不快なものは避けよう・逃げようとする。
これに伴い暴力・争いが自分の中に起こる。
この志向は関心とも言える。本人の中心的な関心は本人自身ではないだろうか。
少なくとも現段階では。
現在持っている自我がなくなれば状況は別のものになるかもしれないが。
だからあるがままの観察とは観察されたものに手を加えない事を言っているだけ。
その方が明晰に見れる。
その結果、変化の可能性が高くなる。
371@:2007/06/11(月) 04:59:41 ID:uLgV3Isy
>>369
同意

「真の私」がディスプレイであり、思考がディスプレイ上の言葉だと本当に理解しているのならば、思考も怒りも苦しみも悲しみもあっても何の問題もない。
それらは真の私に何の影響も及ぼさないだろう

自分をマインドと同一視しているのが「苦」
>>370
なるほど

F1見てたら寝れなくなった....
372ユキヒョウ:2007/06/11(月) 11:15:48 ID:B1z8Twt4
>自分をマインドと同一視しているのが「苦」

「真の私はは思考とは別のものだ」と考えるのも思考でしょ?
それもまた分裂したマインドの一つなんじゃないですか?
一部の精神科医の意見によると、幼児期に耐え難い経験をすると、
苦しんでいる人格と別の人格を心の中に作り苦痛を遮断する習慣が生じ、
それが多重人格の原因になるそうです。>>369>>371の意見は、
このプロセスを意識的に引き起こそうすることのように見えます。

373@:2007/06/11(月) 11:57:34 ID:uLgV3Isy
>>372
>「真の私は思考とは別のものだ」と考えるのも思考でしょ?

「真の私は思考とは別のものだ」と本当に感じているかどうかだと思うのだが...
「真の私はは思考とは別のものだ」と考えているだけなら、確かにそれはトリックだと思う

識別や判断作用すら自分ではないと「感じる」ならばそれは本物なのではないかと....

多重人格のメカニズムは知ってるよ
ただ決定的な違いは「真の私」には人格が無い、ということか
374ユキヒョウ:2007/06/11(月) 12:34:09 ID:B1z8Twt4
知的な理解にとどまっているとしばしば批評された774さんにさえ
「水泳の本を読めば泳ぐことができると思っている哲学マニア」と
批判された私ですが、私がほとんどつねに考え続けているのは事実なので、
当たってますね。それは「知りたい」から? 「私は知っていると考え満足したい」から?
あるいは、感づいてはいるが見たくないと思い、恐れている現実を隠蔽するため?
答えは「考えるな、見よ」ですか?w

375ユキヒョウ:2007/06/11(月) 12:43:00 ID:B1z8Twt4
>>373
たしかに、そういう瞑想で多重人格になる人はいそうにないですね。
ただ、そういう瞑想は、自己を分離し、隔離しようとする自我の活動の、
洗練されたかたちになってしまう場合があるのではないか、
いや、より正確には、私がそういう瞑想をしようとしたなら、
確実にそうなってしまうのではないか、と思うのです。
もちろん、私はその瞑想をしているわけではなく、
その瞑想について想像して、考えているだけなのですけど。
376、大王:2007/06/11(月) 12:55:12 ID:V/mQbD6O
ユキヒョウは頭脳的すぎるんだな、、

瞑想の世界を覗きこんでいないようだし、、

センスが良かったのは、〇エーさんと河津さんぐらいか、、
377BABACEE:2007/06/11(月) 12:55:22 ID:rZ9p9trF
自己を観察していると、何も無い静かな世界になることもあるよ。

でも、それはニセモノ。それも一種の思考。無思考的な思考状態。

本質的な目覚めのレベルと似ているが異なる。
ここがビミョーなんだよなw
本当の覚醒とは質(次元?)が違います。それは説明しにくい。
378、大王:2007/06/11(月) 13:01:47 ID:V/mQbD6O
結局、瞑想の世界は、求めるものに知られるモノで、、

求めない者には知られる事が無い、、

信仰する系の宗教でも、キリスト教で、真面目にやると、、神学とか、頭脳でやっているキリスト教と同じでなくなるわけで、、

774が、宗教とは、ダメなモノで、、なんて、いっているが、、
774の概念的クリシュナムルティ、宗教となった、クリシュナムルティだからな、
774にとって、クリシュナムルティが既に、概念で、宗教(774自身気づいていないのだが)であるが故に、、
他宗教も、すべて、概念として存在する、、、

ユキヒョウも概念過ぎるから、、
ま、ソシュールの記号理論でも読んでから、瞑想に関わったら??
インテリジェンスが無いなら、まあ、ヴぉイドみたいになるなあ、、
379、大王:2007/06/11(月) 13:10:00 ID:V/mQbD6O
クリシュナムルティの感覚て、、
やはり、日本で身近なのは、、唯識法相宗興福寺、聖徳宗法隆寺、かな、、

法隆寺の仏教は、、いがいにクリシュナムルティに近いかも、、
でも仏教だから、、存在論的イメージが入るかあ、、

禅は相当特殊な構造で、自然で難解だなあ、、武術論の世界に入るからな、、
380、大王:2007/06/11(月) 13:15:35 ID:V/mQbD6O
クリシュナムルティも結局、一番難解な方向よりだから、、脱宗教なんていう方向性があるから、余計に、難解、、
禅よりは簡単だろうけど、、

774の意見も概念的には間違ってもいないが、、本人が不必要に概念に入り込んでいる時を自覚していないんだな、、
381結局、大王:2007/06/11(月) 13:21:49 ID:V/mQbD6O
結局、人間思考癖を知るのは、極めて難しい、、高度な知性と、、

今、すぐに感じられる力、、瞑想による、、訓練と、、
概念でああだ、こうだと、いえる物じゃないということだな、、、
382結局、大王:2007/06/11(月) 13:34:10 ID:V/mQbD6O
クリシュナムルティが脱宗教といえるほど、多くの人間は聡明ではない、、
多くの人間は瞑想の能力に富んでいる訳でない、、

禅仏教が排除的、安請け合いしないのは、、そう言う側面だろう、、

信仰系宗教は安請け合いできるのは、、人間の思考癖を分析できない人の為にある、、
霊的聖化による柔和な人間的感覚の獲得→キリスト教聖霊聖化の体験、カトリックイエズス会、メソジスト、聖霊派が特に、、
念仏、題目による思考放棄の安心感、、浄土宗、真宗、日蓮宗、、、
神秘的力による思考放棄安心感、、ヒンズー、イスラム神秘主義、、
383ユキヒョウ:2007/06/11(月) 15:27:26 ID:B1z8Twt4
↑このよろず宗教カタログみたいな人、何?w
384@:2007/06/11(月) 15:30:04 ID:uLgV3Isy
映画のスクリーンの上の登場人物達を自分と感じるか...

スクリーンを自分と感じるか...

思考を自分と感じるか、空を自分と感じるか....

完全に実感の問題だなこりゃ
どう考えるかではなく....
最近自分は空こそ自分自身だと感じる

思考は来ては去るもの、客のように感じる
385774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/11(月) 16:35:02 ID:yL0JvjKN
ユキヒョウさん。

>知的な理解にとどまっているとしばしば批評された774さんにさえ
>「水泳の本を読めば泳ぐことができると思っている哲学マニア」と

それは失礼した。面と向かって会ってないものだから書かれた言葉で
相手を判断するしかないのでね。
私の判断はあなたとは何の関係もないし、押しつけるつもりもない。
私も書かれたもので判断されるので五分五分だ。
私は実践的な人間です。

>↑このよろず宗教カタログみたいな人、何?w
触らない方が良いかも。

@さんは相変わらずですね。
機会の可能性で言うならユキヒョウさんの方が@さんよりもあるな。
そこに懐疑があるからね。

自分は真理を知っていると思いこむ人は機会を失い続けるね。
欺瞞の中にいて完結しているから変化の余地が無いんですね。

386774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/11(月) 17:01:11 ID:yL0JvjKN
>それは「知りたい」から? 「私は知っていると考え満足したい」から?
>あるいは、感づいてはいるが見たくないと思い、恐れている現実を隠蔽するため?
>答えは「考えるな、見よ」ですか?w

単純に見よ、です。
思考はやまねばなりません。そのために思考を続けてそれがいかに役に立たないかを
知ることもまた大事なこともあるでしょう。
で、単純に見ることの極意なんですが、放っておくことです。
思考が動いたら放っておき、行為が起こったら放っておき、
怒りが湧いたら放っておくことだと思います。

なぜなら、それらはあなた自身では無いから。
しかしそれらがあなた自身で無いことを全的に理解するためには、それらを
通り抜けねばなりません。人が己を見ないのは、己であることを種々のものごとで
抑えているからです。

ですから気づきの最初のステップは己であること。怒るなら怒り、考えるなら
考える。そして放っておくことです。

しかし思考はかならず介入してきます。「 そ れ に 気 づ く 」
あとは追わずに放っておいてください。
387774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/11(月) 17:11:45 ID:yL0JvjKN
klさん。

>この志向は関心とも言える。本人の中心的な関心は本人自身ではないだろうか。
>少なくとも現段階では。

すばらしい。それはまさに核心です。

本人の関心が本人にあることに目覚めることは自己からの脱却と
真の自己の始まりです。
388ユキヒョウ:2007/06/11(月) 17:23:21 ID:B1z8Twt4
いやいや、私はここでKについて考え、議論したいと思っているので、
「哲学マニア」というのは当たってますよ。ただ、私は「泳ぐため」に役立つ
かどうかとは関係なく、ただ考えたいだけかもしれないので。

ともあれ、714さんの瞑想も怒りなどを「自分ではないもの」と見て、
思考を「放っておく」ようなものなのですか?
それは@さんの言っている「思考は来て去るもの」というのと同じでは?

>>302>>303で引用したKの言葉から、私はKの言う「観察」というのは、
それとは違うものではないかと思っているんですが。
389774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/11(月) 17:25:07 ID:yL0JvjKN
気づきを続けると自分の関心、そのものが落ちます。
あるいは自己が落ちるというか...
.
気づきは落とす作業です。
何かを得る作業では決してない。

そこからが真の瞑想の始まりで、自己の終焉と真の自己のはじまりです。
もしできうるなら、よく味わってください。
390774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/11(月) 17:26:36 ID:yL0JvjKN
>ともあれ、714さんの瞑想も怒りなどを「自分ではないもの」と見て、
>思考を「放っておく」ようなものなのですか?

そうです。手綱を付けない犬のようにしてますよ。
そうするとですね。彼らは自由を得て却って言うことを聞くんです。

これがコツです。
391774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/11(月) 17:28:55 ID:yL0JvjKN
>>>302>>303で引用したKの言葉から、私はKの言う「観察」というのは、
>それとは違うものではないかと思っているんですが。

そこであなたは止まってはいけないのです。
ジャンプは必要です。

とにかく、自分なりやってみるしかありません。
泳ぐのと同じです。手足をとにかく動かしてみるしかないのです。

最初はこころもとないでしょうが、徐々にうまくなりますよ。
とにかくやってみてください。
教科書はあとでいくらでも読めるのです。
392ユキヒョウ:2007/06/11(月) 17:52:18 ID:B1z8Twt4
たとえば、Kは凝視(awereness)について次のように言います。

「これは別に難しいことではありません。あなたが何かに関心を持っていたり、
あなたの子供や妻や、あなたが世話をしている植物や木や鳥などを見守ることに
興味があるとき、あなたはそれを実際にやっているのです。あなたは非難も同一化
もせずに観察しています。それゆえその観察の中には完全な共感が存在するのです。
観察している人と観察されているものとの間に完璧な親交が生まれているのです。
こういうことは、あなたが対象に対し心から深い関心を抱いているときに、
実際に起きているのです」

私にはKの瞑想が、対象を「自分でないものと見て放っておく」というものであるとは
到底思えません。それで、怒りとか恐怖とかの理解が生じますか?

393ユキヒョウ:2007/06/11(月) 17:58:25 ID:B1z8Twt4
774さんは、私にどうしたらいいかを教えるという立場でしか、
会話ができないようですね。私はそれに従おうと思うほど、
あなたを信用していないので、
そういう立場から言われても返答に窮してしまいます。
394神も仏も名無しさん:2007/06/11(月) 20:37:43 ID:hIDqoVd/
こういう板だと、みんな教祖や教師になりたがるからね
395神も仏も名無しさん:2007/06/11(月) 21:14:45 ID:cK60Kqns
見ることは行為である。その行為は無の安定性、無の明晰さからやってくる

Kがやたらと見ることにこだわっている理由↓

見つめることは脳に動きの無い状態を意味する(「恐怖なしに生きる」より)

精神は今イメージ作りを止めることによって、それ自身の中身を空にすることができる(「私は何も信じない」より)


もし心の起こりが見えれば、理法によってその起こりを観察するのだ。
もしものを分別することがあれば、理法によってその分別を観察するのだ。
理法それ自体が涅槃である・・・ダルマ




396@:2007/06/11(月) 21:27:34 ID:uLgV3Isy
>>392
ちょっとKを信仰し過ぎではないかい?

瞑想に関する洞察や表現の仕方はKとそっくり同じでなくてもいいと思う

Kが語る事の多くは、Kが悟る前に引っ掛かいた問題に対する答えのような気がするんだよなぁ

例えば「怒りと怒りを静めようとする私」の葛藤の問題についてだけど、自分はそういった葛藤を経験した事がほとんど無いと思う。
それ故にKの言っている事がピンとこなかった
自分は怒ると怒りに即座に同化するタイプだったので、葛藤ではなく同化こそが問題だった
怒りは悪いものと、教育されてきた人間だけが怒りとそれを静めようとする私との葛藤を経験するんだと思う
自分はそうではなかった
397BABACEE:2007/06/11(月) 21:55:16 ID:rZ9p9trF
自分はセックスの欲望にすぐ同化する、、、
どうかなんないかーなー、とも思う、、ww
398kl:2007/06/11(月) 22:43:47 ID:Tq6qnAYI
>>396
conflict (闘争、争い)を葛藤と翻訳されているが、
葛藤という言葉だと大分限定された意味になり、
それはあまり経験しない人もいることになる。
争いと訳したほうがいいと思います。
欲望・恐怖は自分が良かれと思って養成した感情(好ましいものを大事にし、
嫌なものは避けたい)ですが、現実にはそれによって苦しむことになる。
これらは自我の一部ですが、精神的な思考・記憶により構成されている。
これらは自分という精神的な中心(想像的な中心)が
いつも存在しそれが
観察されるものを知覚しているという考え方からきている。
しかし自分という観念は必要ないものに私には思える。
ただし物理的な特定の人間個体は勿論存在する。
自分という観念が内面でも争いの原因であり他者と争いの原因でもある。

399395:2007/06/11(月) 23:02:34 ID:cK60Kqns
あなた自身がその感覚、苦痛、苦悩そのものなのです。
あなたの中心がその苦悩、etcなのです
あなたの中心がその苦悩、etcなのであれば、もはや「私が、苦しい」ということはいえなくなるのです
なぜなら、その苦しむ中心が無くなってしまったからです
私が対象にたいして外部のものとして関係しないでそれを見つめることができれば
何の問題も存在しないのです・・・自我の終焉(苦悩についての項)
400神も仏も名無しさん:2007/06/11(月) 23:07:27 ID:B1z8Twt4
心の中に起こるすべての感情、欲求を自分でないもの、
やって来ては去っていくものと見るという非同化の瞑想でも、
葛藤はなくなるんじゃないでしょうか?
仮に恐怖と恐怖から逃れたい欲求が同時にあるとしても、
そのどちらも私とは関係ないものなら、
それは眼の前で二匹のネコが喧嘩しているようなもので、
私の問題ではなくなるので。
401@:2007/06/11(月) 23:14:05 ID:uLgV3Isy
>>398
>自分という精神的な中心(想像的な中心)が いつも存在しそれが 観察されるものを知覚しているという考え方からきている。
↑↑↑
これこれKを理解すのが難解な部分

なんか、誰もがこういった考え方をしているかのようにKはサラッと、こういう事言うけど、こんなこと普通考えるか?
哲学ノイローゼの人間ぐらいだろこんな風に考えるのは
Kが指摘している実際の事柄より、Kがいったい何の事を言っているのかを理解する方が難しいということがざらにある
402774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/11(月) 23:22:52 ID:CSEVo1oJ
>>392,>>393

ユキヒョウさん。

Kがどう凝視しているかについてはどうでも良いのです。
Kは説明していますが、それは一つのパターンであります。
凝視について、彼はまた違う説明もしていたと思います。

いいですか。Kの説明をバイブルのように受け止めるべきではありません。
Kの言葉は対話の中で生まれているので、相手によって表現が違う
かもしれません。

Kの言葉しかあなたが信じないというのであれば、あなたはKと対話する
他ありません。しかしそれは不可能です。だから自分でなんとかやらなく
てはいけません。

K以外信じられないのであれば、あなたの気づきを信頼する他ありません。
しかしそれができるのなら、それで十分です。誰の助言も(もちろん私も)
信じる必要などありません。

403@:2007/06/11(月) 23:23:35 ID:uLgV3Isy
>>399>>400
違うように見えて、本質的な事は同じか

どちらにも共通しているのが、問題を解決しようとする私というものが存在していない
404ユキヒョウ:2007/06/11(月) 23:25:05 ID:B1z8Twt4
「対象とは別の『対象を見ている私』など存在しない」
「対象はやって来て去っていくもの。それを見ている私はその対象ではない」
・・・・・・あっ、>>400で名前入れるの忘れてる。

405ユキヒョウ:2007/06/11(月) 23:30:31 ID:B1z8Twt4
>>402
だから、あなたにはどうでも良いでしょうが、
私にはどうでも良くはないんですよ。

Kの言葉しか信じないというのも違います。
まず何を言っているのか分からなければ、
信じるも信じないもないでしょ?

406395:2007/06/11(月) 23:30:37 ID:cK60Kqns
人間はこの木を見ようとしない、だから自分の苦しみ、産みの苦しみがよく見えない
強いて見せようとすれば、それを分析と称して細かくちぎってしまう
避けて逃げるか見まいとする

見るという技の中に奇跡の変革、つまり存在の変革がある
見るという行為の中に大いなる神秘がある・・・Kの日記
407774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/11(月) 23:31:25 ID:CSEVo1oJ
> 心の中に起こるすべての感情、欲求を自分でないもの、
> やって来ては去っていくものと見るという非同化の瞑想でも、
> 葛藤はなくなるんじゃないでしょうか?

あたかもそれが無いかのように見るというのは、成功しないでしょう。
それは無いというイメージを心の中に作り上げることになるので、
精神を落ち着かせることはできても認識はもたらしません。
瞑想がもたらすものは認識です。それが無いのは片手落ちだと思います。

>仮に恐怖と恐怖から逃れたい欲求が同時にあるとしても、
> そのどちらも私とは関係ないものなら、
> それは眼の前で二匹のネコが喧嘩しているようなもので、
> 私の問題ではなくなるので。

問題としないだけで、恐怖と欲求がそのままであるなら、
臭いものにフタをしただけだと思います。
それらと対峙することを延期しているだけですね。
おそかれ早かれ、対峙することになります。
自分からは逃げられません。
408774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/11(月) 23:35:29 ID:CSEVo1oJ
> Kの言葉しか信じないというのも違います。
> まず何を言っているのか分からなければ、
> 信じるも信じないもないでしょ?

Kが本当に何を言ってるかは、誰もわからないと思います。
私たちはKの言葉から読み取り、そしてやってみることでしか
彼の言葉を生かすことはできないと私は思います。

あなたがおっしゃっているのは、
マニュアルをすべて理解してないとパソコンを触りたくないと
言ってるようにも思えるのです。

しかし私たちの生には何のマニュアルもないし、
そもそもKの言葉をマニュアルのようには扱えません。
どうでしょうか?
409774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/11(月) 23:41:49 ID:CSEVo1oJ
見ることがそんなに難しいですかね?

眼を空けて、注目を対象にそそぐだけじゃないですか。
鳥や雲を見るように、
思考、感情、記憶などを見てればいいんですよ。

巻き込まれたって別にかまわないでしょう。
もう一度見始めれば済むことですし。

何がそんなに難しいんでしょうか。
410@:2007/06/11(月) 23:43:35 ID:uLgV3Isy
>>407
非同化というとなんか拒絶のイメージがあるからいけないのか

例えば怒りがやって来たとしても、怒りは悪いものでもなんでもないので、怒りを消し去ろうとも排除しようとも思わない
逆に怒りに参加することによってそれを煽ろうとも思わない

ただ見つめ、それが来ては去って行くのを楽しむ
411774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/11(月) 23:45:35 ID:CSEVo1oJ
それとも「見たくない」のかですね。
見る事に恐怖がある場合、人は見ようとしません。

自分の過去や記憶と結びついた感情は特にそうです。

しかし、それも大切な私たちの生の一部なんですね。
だから大事にしないといけませんです。

自分自身に寛容であってください。
見る前に、自分の生に対するある種の自己尊重の念があると
より正直に自分自身を見る事ができるのでは無いでしょうか。
412774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/11(月) 23:52:14 ID:CSEVo1oJ
大抵の人は感情と記憶がからみついて自己をそれと同一視しています。

瞑想それ自体が非同化のプロセスです。
瞑想、そしてKのいう気づきは、絡み付いた関係をほぐし、
感情と思考、そして記憶の反応をそうあるべきものにします。

それはこんがらがった糸を注意深くほぐすようなものです。
それがこんがらがるのは、私たちの不注意のせいですね。
413774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/11(月) 23:53:13 ID:CSEVo1oJ
ですから見ることです。

そして自分自身に対峙する勇気を持ってください。



おやすみなさい。
よい夜を。
414ユキヒョウ:2007/06/11(月) 23:53:20 ID:B1z8Twt4
>>402
「Kがどう見ているか考えるより、自分で見てみりゃいいだろ」
って言ってるんですね。・・・・・・そりゃそうだ。
415395:2007/06/12(火) 00:00:44 ID:gSTZcixC
瞑想は意識の限界を打ち破る、
それは思考とそれが喚起する感情のメカニズムを粉々する・・・恐怖なしに生きる

416@:2007/06/12(火) 03:05:48 ID:jHacf2qX
>>407
>瞑想がもたらすものは認識です。それが無いのは片手落ちだと思います。

そうなのか?認識って何?瞑想によって怒りや恐怖とは何かという知的な理解を得ようとしているのか?

>問題としないだけで、恐怖と欲求がそのままであるなら、
臭いものにフタをしただけだと思います。
それらと対峙することを延期しているだけですね。


恐怖や欲求は臭いものなのか?
それらは来て、自分を主張するだろう
それをただ見守る、するとそれらは自分が来た場所に帰って行く、それを見守る.....
恐怖や欲求は自分達の役割を果たしているだけ
無問題
417神も仏も名無しさん:2007/06/12(火) 04:12:45 ID:1DQnMQzN
2chで長い文章は読むのが面倒。
418ユキヒョウ:2007/06/12(火) 09:36:21 ID:c1PFEtio
> 瞑想によって怒りや恐怖とは何かという知的な理解を得ようとしているのか?

怒りや恐怖の全体を見ることがそれを終わらせる、とKは言いますよね。
見られた内容を知識として蓄積するなら、それは新たな観察の妨げになるとも。
しかし、一度完全にそれを理解した人にはもはや恐怖も葛藤も生じないということなら、
観察や理解の効果はその場限りのものではなく、持続するものなのか、
Kの言う「理解」が持続し、蓄積されていくものなら、
それは一種の知識になってしまうのではないか、
という疑問が生じます。

419774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/12(火) 12:08:53 ID:7LcUBu31
>そうなのか?認識って何?瞑想によって怒りや恐怖とは何かという知的な理解を得ようとしているのか?

いいえ。それをありのままに受け入れ見ることです。
お化けは見ないから怖いのと一緒です。見ればどうってことはない。

>恐怖や欲求は自分達の役割を果たしているだけ
>無問題

それが問題にならないなら、瞑想しても意味がないと思いますが。
@さんの中には恐怖も欲望もあるわけですよね。それはあなたにとっての
問題にはならないのでしょうか?
420774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/12(火) 12:13:27 ID:7LcUBu31
>しかし、一度完全にそれを理解した人にはもはや恐怖も葛藤も生じないということなら、
>観察や理解の効果はその場限りのものではなく、持続するものなのか、

その答えは変容です。
葛藤、恐怖、欲望は理解があれば変容します。
それは調和、安寧、志向(奉仕)に変容するのです。

私たちは釜の中の泥です。瞑想という火に焼かれて美しい焼き物ができるのです。
それが瞑想の素晴らしさです。

もちろんインスタントにはそこまで行きません。
見ることは訓練と鍛錬です。
421@:2007/06/12(火) 13:00:16 ID:jHacf2qX
>>419
瞑想のインストラクター774へ

恐怖はそこから逃げようとしたり、克服しようとした時に問題になる
それをただ見れれば、問題にはならないという意味で言った
422ユキヒョウへ、大王:2007/06/12(火) 13:03:57 ID:cr2Tz4c6
71 :ユキヒョウ:2007/06/04(月) 13:30:42 ID:EVv+fwBQ
> クリシュナムルティの写真を見て、タントラ的手法で、、
> サマディーを味い、思想を味わうからだなあ、、

写真を見てサマディーを味わい、思想を味わうタントラ的手法って何?



ま、瞑想を求めない奴には縁が無いものだよ、、
求める気が無い奴に丁寧に答えるとか、主張するほど馬鹿らしいからなあ、、


423ユキヒョウ:2007/06/12(火) 13:10:58 ID:c1PFEtio
なぜ一週間前の質問の答が突然に・・・・・・。
しかし、内容はおっしゃるとおりですね。
丁寧に答えてもらう必要はありません。
424大王:2007/06/12(火) 13:11:55 ID:cr2Tz4c6
774は、774のクリシュナムルティの概念と同化しているなあ、、と、、

774が反論が無いのが、おもしろい、、
425大王:2007/06/12(火) 13:15:15 ID:cr2Tz4c6
ゆきひょうさん、、読み間違い、ごめりんこ、、
426大王:2007/06/12(火) 13:19:30 ID:cr2Tz4c6
ま、○エーさんが言うとおり、、クリシュナムルティは不親切な奴だろうね、、

それを774は陶酔して、誰でも可能というが如きの妄念である場合があるな、、

結局、瞑想は求める者にしか、知られる事が無い、、
774はクリシュナムルティの概念と少しの瞑想で完結しておられるようだから、、
普遍的絶対法則的に陶酔できるのだろう、、
427ユキヒョウ:2007/06/12(火) 13:20:07 ID:c1PFEtio
Kはこんなことも言ってるんですね。

「・・・あなたは絶えず自分を注意深く見つめていなければならないのです。
その過程で興味深いことは、あなたが終始見張っているわけではなくても、
見張っていようという意欲があるかぎり、あなたの心の中では記録の操作が
働き続けていることなのです。感度、すまり心の感度が間断なく写真を撮り続け、
あなたが静かになった瞬間に、その写真をあなたの心に投影するのです。」

人と話しているときも常に自分を観察しているのかという問いに対して、
Kが「話しているときは自己観察をしていない。相手のことを見ている。
終わったあと一人になったとき完全な自己観察の状態に戻り、そのとき
間違ったことを言ったのに気づく」みたいに答えるのがどこかにあったし、
「夜寝る前に一日に起こったことを思い出し整理するといい」みたいな
ことを言っていたところもあった。
428大王:2007/06/12(火) 13:26:09 ID:cr2Tz4c6
kは原始仏教の真面目さの影響を感じるなあ、、
原始仏教は戒律バカだから、、まあ、kは脱宗教となったんだろうなあ、、
429ユキヒョウ:2007/06/12(火) 13:30:14 ID:c1PFEtio
ときどきいすに座って背筋を伸ばし、目をつぶってじっとしているといい、
みたいなことさえ、どこかで言ってましたね。
430、、大王:2007/06/12(火) 13:52:45 ID:cr2Tz4c6
まあ、サービスだ、、

瞑想の一つの呼吸法のヒントにしてくれ、、、

鼻で呼吸し、細く長く吸い、細く長く吐く、、、
431774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/12(火) 15:08:33 ID:7LcUBu31
>恐怖はそこから逃げようとしたり、克服しようとした時に問題になる
>それをただ見れれば、問題にはならないという意味で言った

なるほど。
しかし@さんにおいては、恐怖は恐怖のままなのですね?
432@:2007/06/12(火) 15:26:34 ID:jHacf2qX
>>431
見ることを通して恐怖はその力を失っている
それ故に、それは何かに変容されているかもしれない

それが何かは知らん
433神も仏も名無しさん:2007/06/12(火) 16:08:10 ID:QZWSDYLQ
賢者にとっては恐怖や不安は無いだろうが、「痛み」はあるでしょう。

自分の妻や子供が交通事故にあったという情報が入れば、
苦痛は感じてるはず。
434@:2007/06/12(火) 16:30:56 ID:jHacf2qX
和尚は言ってたぞ

ブッダは感受性が研ぎ澄まされているので、あなた方よりはるかに苦しむと
435774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/12(火) 19:33:29 ID:JsDZrn3M
> 自分の妻や子供が交通事故にあったという情報が入れば、
> 苦痛は感じてるはず。

苦痛は避けられません。それも生の一部。
その人が本当に賢いならば、苦痛であれ、喜びであれ
受け取るのではないでしょうか。

そしてそれらに無執着でいて、そこから反応することは無いでしょう。
彼は泣き、顔を俯いたままにするかもしれません。
そうする以外にどうしようも無いはずです。

そういう状態のとき、思考は介入しませんね。
悲しみや苦しみが圧倒するからでしょうか。
そこには奇妙な静けさがあります。

> ブッダは感受性が研ぎ澄まされているので、あなた方よりはるかに苦しむと
それがどうかしましたか?
436ユキヒョウ:2007/06/12(火) 22:02:54 ID:c1PFEtio
恐怖って、すべて思考によって引き起こされるものじゃないですよね。
動物にも恐怖心はあるし。
437774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/12(火) 22:38:42 ID:JsDZrn3M
>恐怖って、すべて思考によって引き起こされるものじゃないですよね。
> 動物にも恐怖心はあるし。

どの本か忘れましたが、Kは動物には恐怖ではなくて本能で反応しており、
それは動物の賢さであるということを言っていたと思います。

一方、恐怖は思考の産物ということを語っていたと思います。
不確かですいませんが。
438774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/12(火) 23:11:38 ID:JsDZrn3M
恐怖というのは、つまり私たちの心理的な恐怖のことですが、

それはイメージではないでしょうか。私たちは私たちの思考が
作り上げたイメージを怖がっているのではないでしょうか?

もし、恐怖が思考から作られているなら、思考が止めば恐怖も
消え去ることになり、そこに安寧があるのではないでしょうか。
439@:2007/06/12(火) 23:11:43 ID:jHacf2qX
>>427
Kの瞑想指導か....
初めて聞いた

ただK自身も自己観察をやっていたのか?
そんなはずはないか....
440ユキヒョウ:2007/06/12(火) 23:27:00 ID:c1PFEtio
Kのような人の場合自己観察を「やる」というのではないでしょうけれど、
一人になると自己観察が「生じる」ということはあったと思うんですが。
むしろ私が驚くのは、その自己観察が常に続いている訳ではないこととか、
「記録」という作用がここでは肯定的に取り扱われているところです。


441@:2007/06/12(火) 23:43:18 ID:jHacf2qX
>>440
「記録」についてはアジズも似たようなことを言っている
「脳のなかで自己想起が自動的に振動して覚えている」

あるいは自己想起はあるレベルに達するとなんの努力もいらなくなる、など
442@:2007/06/13(水) 00:01:13 ID:A+X1pHsZ
>>438
恐怖っていうのはその最初の段階では、たんに自我に危険を知らせる信号、インパルスみたいなものなんじゃないの
故にそれは悪いものではなく、本能的な知性の働きの一種なんじゃないかと....

問題はその信号が非常に強い情動をともなうので思考やイメージがそれを不必要に拡大、持続させる傾向があるということか

最初の信号の部分はリアルなものだと思う
しかし思考やイメージによってもたらされる恐怖はリアルではないと
443774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/13(水) 00:26:52 ID:kwU3k4IU
>最初の信号の部分はリアルなものだと思う
> しかし思考やイメージによってもたらされる恐怖はリアルではないと

思考とイメージが結びついてるんでしょうね。
最初の信号が来た時に、凝視すれば良かったのに、
最初を謝ったばかりに、それについて思考とイメージが互いを補完し合い、
恐怖という得体の知れないものを自己の裡に作ってしまうということでは
ないでしょうか。

そこから脱却するのは、やはり見ることですよね。
444395:2007/06/13(水) 00:45:39 ID:ETXQwBIC
見つめることは脳に動きの無い状態を意味する・・・恐怖なしに生きる

脳の動きが停止すれば思考活動(恐怖、快楽、etc)も停止する
445神も仏も名無しさん:2007/06/13(水) 00:59:13 ID:6PcY7q4R
Kは夢中で喋ってる時は自己観察は働いてないと言ってたな で事後にその時の自分の反応、思考をありありと観察できる、と。
動物的な恐怖心については「火が熱いと言う事を記憶学習していなければ私は火傷だらけになる」と。
446河津:2007/06/13(水) 01:22:53 ID:HcHNgWO4
Kawazu リバーシング! 
じゃ無かった再登場!!

フムフム、みなさん、ご熱心なことですなー、、、
447河津:2007/06/13(水) 01:43:00 ID:HcHNgWO4
反省は無用、
反省はもっとも存在を傷つける、、、、

なぜ反省などということを人はするのだろう、、、、
何かの発達過程で人類は通らなければならない道なのか、、、

このスレにおいても、自己観察を奨励してるのではなく、
微妙な形で自己反省を奨めている人が居るようだ、、、無自覚に、、
でも、それはお門違いなのだが、、、
448774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/13(水) 02:11:18 ID:kwU3k4IU
> 反省は無用、
> 反省はもっとも存在を傷つける、、、、

言ってることが良くわかりませんね。
反省すると傷つくんですか?
何がでしょう。
449神も仏も名無しさん:2007/06/13(水) 12:50:09 ID:feFYdFxJ
反省はもっとも存在を傷つけるんだ。
自己反省を奨めていた奴は、反省しろ!w
450ゆきひょう:2007/06/13(水) 16:41:52 ID:feFYdFxJ
反省するというのは、自分の過去の行為などを思い出し、
一定の基準に基づいて(多くの場合否定的に)評価することですよね。
存在を傷つけるかどうかは別にして、Kの言う自己観察とは別のものであり、
自己観察を妨げるものであることは明白だと思うのですが。
451@:2007/06/13(水) 18:49:01 ID:A+X1pHsZ
確かに理性による反省は自分自身に対して有害だ
自分にとって何が正しく何が間違いかは自分の魂だけが知っている
自分が何か間違ったことをしたり、間違った方向に行こうとした場合、必ずハートが痛むものだ

それ故に、ハートに従う人は自分自身から逸脱することはないと思う
自分のハートよりも他者(宗教、社会、親など)の言うことや理性に従う者は自分自身から離れていく

自分のハートに背く人は鬱病になりやすい
452河津:2007/06/13(水) 20:50:21 ID:HcHNgWO4
その2

自己という思考

そして、我々は自己と言う恒常的な何かから様々な思考が
生まれてくると錯覚するのだ。
PCに例えれば、自己はOSみたいなものだと思い込むのだ。

しかし、違う。
自己というのもひとつの観念であり、他の様々な思考と
同じものである。しかし何時も働いている思考であるがために、
様々な思考のいわば土台であるかのように錯覚するのだ。
それは、土台的存在ではなく、様々な感覚&思考と「対になって」顕れるものなのだ。

453@:2007/06/13(水) 21:09:32 ID:A+X1pHsZ
>>452
OSってなんだ?

それより全体的に
わざわざ難しく語りすぎ
Kがよく使う手法だな
Kトリック
単純なことをわざと難しく語る

「空をさまよう雲には根もなくまた家もなし」
思考には根もなくまた家もない
454カワズ:2007/06/13(水) 21:19:25 ID:HcHNgWO4
>>453

この場合のOSは

一種のOS=オペレーティングシステム(Windowsみたいに)常在
する存在と思い込むこと

>>「空をさまよう雲には根もなくまた家もなし」
>>思考には根もなくまた家もない

ウン? それってティロパの言葉かな?
懐かしいなー、ミラレパとか、、、、オヨヨ、アレと誤解しないでねww
455カワズ:2007/06/13(水) 21:35:45 ID:HcHNgWO4
思考には実は形態もない、ただエネルギーの塊のようなものがあるだけか、、
それも留まることすらない、、

生というのはそれを一瞬、一瞬を味わえばいいのか、、、、

味わい、味わい、、、味わい尽くしの人生か、、、、? 

スルメみたいな、、、ウンニャ?
456@:2007/06/13(水) 22:12:20 ID:A+X1pHsZ
>>454
よくぞ見破った!
マハムドラーは.....

>>455
誰が思考を味わうんだい?

自己なんていないんじゃなかったの
457カワズ:2007/06/13(水) 22:30:01 ID:HcHNgWO4
>>456

覚者になろうが、なんだろうが、、、人間だからなにかを味わっているんじゃないの?

ふむ、誰が味わうって??
さー誰でしょね、教えないよーWW

ウン? @さんは何も味わっていないのかな?  かわいそうな人WW
458774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/13(水) 22:38:33 ID:9qQYleYd
くだらないな。

傷つくものは捨ててしまうのが正解です。
魂やら存在やらの言葉を使って、そうでないものを守ることを
自己欺瞞といいます。

ちょっと考えれば分かることでしょうに。
真理が傷つくと思いますか?

あなた方は生温いですよ。話になりませんね。
459カワズ:2007/06/13(水) 22:47:09 ID:HcHNgWO4
>>458

>>ちょっと考えれば分かることでしょうに。
>>真理が傷つくと思いますか?

ありゃらら、どこの誰が真理が傷つくって言ったのよ?
言ってないのよーん!

>>あなた方は生温いですよ。話になりませんね。

はあ? おれ以外は皆人間だから生温かいですよ。特に股ぐらとおっぱいはww

774さんは生暖かくないの? あ、分かった、あなたは冷血動物なんだーww

460774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/13(水) 22:49:47 ID:9qQYleYd
>ありゃらら、どこの誰が真理が傷つくって言ったのよ?

真理とあなたは別なものですか?
あるいはそれをハートと言ってもいい。

どうでしょうか。
461774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/13(水) 22:56:58 ID:9qQYleYd
傷つくのは何ですか?

というかそう感じる主体は何でしょうか?
@さんはハートと言いましたが、彼の説明は用法を間違えています。
間違いに気づいた人はいますか?

感じられる主体が存在するから傷ついたと感じるのです。
それは思考であり、感情の反応です。
明瞭に見ることが必要です。

ハートはそれとは一切関係ありません。
@さんの説明は言葉は正しいですが、傷つくという文脈で
それを使うのは明らかにおかしいのです。
そのことから@さんがそれを本当には理解していないということが
分かります。@さんは誰か聖なる人の言葉を頭に入れているだけです。
462774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/13(水) 23:00:33 ID:9qQYleYd
感情と感覚には実体はありません。
私たちの感覚は基本的に幻影です。

そこまで明瞭に見ないといつまでも傷ついたままです。

そこは土台としてふさわしくないのです。
463カワズ:2007/06/13(水) 23:01:40 ID:HcHNgWO4
うん、ハートが傷つくという言葉ね、、、

この場合、ハートは真理とイコールと捉えるのはどうかな?

この段階は非ジョーにビミョーだと思いますね。
マインドではない、自我でもない、、、、ハート、、、

誰だっけ、これは書いた人に聞いてみないとね。
@さんかな?

>>真理とあなたは別なものですか?
>>あるいはそれをハートと言ってもいい。

そう、その言葉を774さんがお使いになるのであれば、それでいいいんじゃないですか?
ただ、他の人は上に書いたように微妙にニュアンスが違うかもしれないから
注意して使わないと誤解の元になるかも、、、



464774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/13(水) 23:09:23 ID:9qQYleYd
> ただ、他の人は上に書いたように微妙にニュアンスが違うかもしれないから

言葉を使っている以上、それは仕方が無い。
お互いさまでしょう。誤解していればあとで訂正、または指摘すればいいだけのこと。

どう書いても説明しても誤解しかしない人もいる。
認識の違いというものは決定的で、その溝はたとえ面と向かっていても
埋まるものではありません。

Kの本の中でも、Kと対峙している人にかならず理解が生まれる
わけでもなかった。

しかしそれでも語る意味はあるわけです。
私は、火を放ち、誰かの毛布をはぎ取るような言葉をここで発したいと
思っています。誤解や曲解があったとしても気にしません。
それはその人の認識ですから。
465カワズ:2007/06/13(水) 23:12:32 ID:HcHNgWO4
>>私は、火を放ち、誰かの毛布をはぎ取るような言葉をここで発したいと
思っています。


ありゃー、774さんは、意識の放火魔宣言したどー、、、!

皆、やられないように気をつけまひょーww
466@:2007/06/13(水) 23:31:37 ID:A+X1pHsZ
自分が言っているのは別に真理とかではなく、例えば....

自我が自分自身にとって有害な事をしたり、しようとした時、その人の魂はハートの痛みを通してそのことを自我に訴えかける、
ということを言っただけ

全然別の事柄みたいだな...
467カワズ:2007/06/13(水) 23:47:26 ID:HcHNgWO4
774氏は、いちいち、言葉を難しくとらえ、議論を吹っかけてくるような、、、

おれは、そういうのは苦手なので、タッチしないこととしまーす。

ではおやーすみ!
468カワズ:2007/06/14(木) 07:34:00 ID:ZWN7QZp3
おっはー、

エブリデイ、エブリモーニング、あっしは覚醒しますじゃ、、、、
それだけでじゅうぶんですじゃ、
がはははー

浮世のばかは議論してけろ。

では、出かけてきますー、、、ふわふわふわーん
469神も仏も名無しさん:2007/06/14(木) 08:16:15 ID:BAMvoMq7
いちいち宣言しなくてもいいと思う。

行ってらっしゃ〜い。
470774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/14(木) 11:02:34 ID:vxpc06o6
>自我が自分自身にとって有害な事をしたり、しようとした時、その人の魂はハートの痛みを通して
>そのことを自我に訴えかける、 ということを言っただけ

言ってる意味はわかります。@さんにとってそれは痛みであり傷つく感覚がるということでしょうか?
私にはそれは無いですね。

その痛みは必ず後から来るんですよね?
その瞬間に痛みが来るのであれば、自我が有害なことをする前にやらないからです。

やっぱりね、後で気づくのは遅いんです。
思考が首を持ち上げた時に見抜くことが大事だと思います。
471774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/14(木) 11:04:14 ID:vxpc06o6
瞬間、瞬間

一瞬、一瞬 です。
472@:2007/06/14(木) 11:41:53 ID:YPmkUQ7l
>>470
その手の事柄を言ってるんじゃないんだよなぁ

例えば、親の言いなりの人生を歩んでいる人間がいるとする
そのような人の人生は本来の自分自身の道とかけ離れていることがしばしばある
そのような時その人の魂は自分自身の道ではない生き方に激しく抵抗しハートを通して訴えかけるのだが、ほとんどの場合聞き入れられない
そしてノイローゼになる
ノイローゼとは自分自身に背いた結果である
というような、人の導き手としての魂について語ってただけ
473ユキヒョウ:2007/06/14(木) 11:50:43 ID:uIYiwkil
> 脳の動きが停止すれば思考活動(恐怖、快楽、etc)も停止する

こういう文脈ででてくる「脳の動きが停止する」って、何なのでしょうね?
脳死状態のように脳波などもすべて止まっているわけじゃないでしょ?
474ユキヒョウ:2007/06/14(木) 13:36:22 ID:uIYiwkil
身体の一部としての脳とは別に魂が存在しているが、
その活動は通常は脳の活動によって覆い隠されている。
脳の動きが停止すると、その魂の動きが顕現する、
みたいな解釈もあるのかな?
475ユキヒョウ:2007/06/14(木) 13:58:44 ID:uIYiwkil
Kを真剣に受け取る人は大部分、Kが「悟りを開いた人」であるという先入観の下で、
彼の言葉を読んでいると思う。もともと「悟り」という概念を持っていない人は、
ふつうKの本を読んでも、「この『真理は考えたり、知ったりすることが出来ないものだ』
ということだって、結局このKという人が考えたか、知ったかして、そう書いてるんだろ?
矛盾してるじゃん」とか言って、Kの本を投げ捨てるだろう。

他方、Kが「悟りを開いた人」であるという先入観でKの本を読む人は、
多くの場合、自分も悟りを開きたいと密かに思っている人であり、
Kを読むことが何らかの意味でそれに役立つと考えKを読んでいるのではないか?
476774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/14(木) 13:58:55 ID:vxpc06o6
>>472は@さん自身の体験のように見えますね。
一般論のように@さんは語っていますが,
477774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/14(木) 14:01:02 ID:vxpc06o6
>他方、Kが「悟りを開いた人」であるという先入観でKの本を読む人は、
>多くの場合、自分も悟りを開きたいと密かに思っている人であり、
>Kを読むことが何らかの意味でそれに役立つと考えKを読んでいるのではないか?

その通りですね。そしてそれが欺瞞であることに全然気づかない。
精神世界等の知識が邪魔をして自分自身を見ることが困難な人は確かにいますよ。
478774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/14(木) 14:13:37 ID:vxpc06o6
たとえ悟りを求めていなくても、Kの本を読むことは
多くのものを与えてくれると思います。

シンプルに読むだけで充分ではないでしょうか。

しかし、精神世界等の知識がある人はKの意味することは
あの人の●●だなどと勝手に解釈します。
それは結局ひとりよがりな考え方であり、在る意味自分を
盲目にしているだけです。

Kを読む前に、あらゆるプレ知識を脇において新たな眼で
読むことが大事だと思います。
479@:2007/06/14(木) 15:47:09 ID:YPmkUQ7l
そもそもKが悟っているのかどうかは疑問だと思うけどね

Kが悟っていなかったとしても別に驚かない
十分あり得る

Kの本が悟りに役立つはずがない、K自身悟っていない可能性が高んだから
480ユキヒョウ:2007/06/14(木) 19:25:59 ID:uIYiwkil
「悟り」っていうものがあることには疑問はないの?
481カワズ:2007/06/14(木) 19:49:07 ID:ZWN7QZp3
ただいま、帰りまぴた、、、、

チカレタびー

やっぱ、ここは特殊だねww
世間では悟りとか覚醒なんてことは関係ない、、、、

ただ、非たすらビジネスに血眼をあげております。


エーとそれで、悟りということだが、、、、

そういうのはあるけど、完全な平安かどうかは疑わしいね。
自由自在に超意識に入ることが出来る行者でも、周囲で不幸な
ことがあれば 痛みは感じるだろうし、、、病人を治したり生きかえせるわけでもないし。
飯は食わねばならないし、雨露は凌がなくてはならない、毎月の請求書は払わねばなるまい。

そういう悟りの境地に達しても、他人の意識もすぐに同調させることも出来ないしね。
他者の意識を同調させるということは、Kにもわずかしか出来なかった。だから、我々凡人はなお難しい。

ただ、悟ると、それらについての上に書いたような痛みはあるのだが、取り込まれたり、
巻き込まれたりしないということだけかな、、、
それがフツーの人が悟った場合だろ。

聖書とかヨガナンダの本に書いてある聖者たちは、あんなのはほぼフィクショ
ンまたは超特別な存在だろ。
ほとんどユメモノガタリ、、、
482@:2007/06/14(木) 20:45:03 ID:YPmkUQ7l
>>480
悟りの世界も奥が深いらしいが、その最初の入口が「気付きの安定、自己想起の安定」であることを自分の実践を通して確信している

もし自己想起が安定したら意識の在り方が劇的に変容することは間違いない
とは思うが.....

だからといって、自分は別に悟りに対して、なにか特別なことは期待はしていない
悟りに対して特定のイメージを持つこともあまり良くないような気もする
483ユキヒョウ:2007/06/14(木) 23:40:44 ID:uIYiwkil
仏教哲学に詳しい人なんかは、Kのことをどう見るんでしょうね?
484774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/14(木) 23:46:44 ID:WPcO03S6
>「悟り」っていうものがあることには疑問はないの?

私にとって悟りとは認識です。
「私はバカだった」と気づくことです。

気づきは、小さな悟りかもしれません。

しかしながら、ブッダの悟りやら、誰かのグルの悟りを聞いて
ロマンチックな空想に耽ることを非難するつもりもありません。

認識は光です。だからエンライトメントというわけですが、
それは小さな悟りの繰り返しの後で起る、安定化のための
大きな悟りです。

しかし悟りはそれで終わりということはありません。
ひとつの階梯であり、それも段階に過ぎません。
ですから、まだ見ていない山の頂上をあれこれ空想するより、
目の前の自分が気づくべきことを凝視する方が近道なのです。
これをやっていると、時間はあるようで全然たりません。

悟りのことを考えるヒマなど本当はないんです。
しかしそれもご本人次第でしょう。

つまり、悟りというものはあります。
485神も仏も名無しさん:2007/06/14(木) 23:59:23 ID:nwsKLzzC
仏陀は人に応じ二つのレベル−相対的レベル・絶対的レベル−で語ったが、
クリシュナムルティは常に絶対的レベルで語った

S・リンポチェ
486カワズ:2007/06/15(金) 00:14:59 ID:Vypvl7vF
悟りに付いての話を聞いて居る時、人は少し不幸である。
悟りを考えているとき、人は不幸が増大する。
悟りを追求し始めると、更にきびしい不幸に見舞われる。

そして、悟りに至ったときには、!!!??? であって
つまり、瞬間瞬間、見るということの連続であり、それは「妙」の連続である。
487カワズ:2007/06/15(金) 00:21:14 ID:Vypvl7vF
賢い求道者は中道を歩む 
           しかし、覚者はその中道にも留まることはない

                    By ナーガルジュナ (龍樹)
488774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/15(金) 00:27:44 ID:ZDmi39bk
広がる 世界は

不思議な 輝きを

放ちながら 

心へと 忍び込む

by 山下達郎
489774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/15(金) 00:29:25 ID:ZDmi39bk
今、聞いている曲です。
490@:2007/06/15(金) 09:21:37 ID:DUI9E1ro
>>485
リンポチェいいこと言うなぁ

そのことは前から思っていた

>>487
中道っていうのは真ん中を歩き続けることではなく、右に傾いたら左、左に傾いたら右みたいにバランスが重要ってことか
誰かが綱渡りでそれを喩えていたような
491やはり、774は概念ボケだな、、、、大王:2007/06/15(金) 12:30:39 ID:iHSgP7wW
484 :774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/14(木) 23:46:44 ID:WPcO03S6
>「悟り」っていうものがあることには疑問はないの?

私にとって悟りとは認識です。
「私はバカだった」と気づくことです。

気づきは、小さな悟りかもしれません。

しかしながら、ブッダの悟りやら、誰かのグルの悟りを聞いて
ロマンチックな空想に耽ることを非難するつもりもありません



やれやれ、、すべてを概念化するらしいねえ、、774は、、
492大王:2007/06/15(金) 12:58:57 ID:iHSgP7wW
概念化の病の774の自覚の無さだな、、
ほんとに、自己探求できているか疑問だ、、
瞑想よりも、概念で括る事が重要らしい、、
493ユキヒョウ:2007/06/15(金) 16:37:52 ID:uTvWjMpe
>>484
どういうところから、Kは悟っていない可能性が高いと思うの?
494ユキヒョウ:2007/06/15(金) 16:52:27 ID:uTvWjMpe
上の発言は>>484ではなく>>479へのコメントでした。

>>484
認識というのは、「知らない」という状態から「知っている」という状態への変化?
そうでないとしたら、認識とは何?
495774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/15(金) 17:07:52 ID:LTfy++aA
>認識というのは、「知らない」という状態から「知っている」という状態への変化?

それも含まれます。
しかし大半は「知っていると思いこんでいたもの」が明らかになることです。
部分的な知覚から、全体としての包括的な気づきです。

気づきは包括的です。そうでしょ?

怒りを理解するときには、怒りだけの理解では気づきではないんです。
それは自分の心の理解です。

ですので、認識は断片の知覚から全体性の気づきへの変化と言えます。
496河津:2007/06/15(金) 19:33:34 ID:Vypvl7vF
宇宙は広い
Kみたいなのはいっぱいいる

Aliens on Parade

http://www.youtube.com/watch?v=k14HX0C5mzE&mode=related&search=

497@:2007/06/15(金) 19:43:47 ID:DUI9E1ro
>>493
自分ごときがKの境地を推し量ることはできない

ただ、なんとなく.....としか、言えない

Kからは人の条件付けや恐怖、怒り、葛藤とは何かを学べるが、だからといってそれを超えることイコール悟りではないと思う

>>496
前から思ってたんだがyoutubeってPCがないと見れないのかなぁ?
携帯からじゃ無理なのか?
498神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 19:48:46 ID:Vypvl7vF
このサイトは見れる?

ジャーン、日本仏教界のスーパースター、空海さんのお写真だよ!

http://mandalaya.com/nensha.html
499@:2007/06/15(金) 20:15:32 ID:DUI9E1ro
>>498
写真はみれないが、文章は読める

これが携帯の限界か.....
500ユキヒョウ:2007/06/15(金) 20:59:10 ID:ry/7Wlpn
>>497
なるほど。そうだとすると、私の感じていることとは大分違います。
Kは、恐怖、怒り、葛藤などが消えて心が静まることと、
そのとき訪れてくるもの(真理or神)をはっきりと区別して考えていて、
ただ、前者についてだけ語ることにしていたのだろう、と私は考えます。
そういう理解なので、S・リンポチェという人の意見は、
私には間違っているように見えます。

501神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 21:58:11 ID:iOGXXCQZ
なんにしても
それするには人生は短すぎる故

だからといって枝葉で結実
は、御免だー
各論詳細はおもしろいのだろうが、各論はあくまで各論。
人間各論に逃げるか、全的・・・・逃避かどっちだなー
狂信を避けて優柔不断、憧憬のそれ
502774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/15(金) 23:21:58 ID:waec26z7
着実に歩を進めるしかありません。
それでも見る目さえあれば、学ぶことはたくさんあります。

Kの言ってる事は退屈に聞こえるのかもしれません。
なんだそんなことと思うかもしれませんね。

シンプルですが、そういうものが一番役に立ちます。
私にとってKの言葉は実践的です。対談の相手に対する
彼の言葉は常に実践的で生きたものであり、決して理知的、
概念的なものではない、と思います。

悟りにこだわる必要は全然ありません。
いわゆる霊的な人々が愚かしいのは、今生でブッダのような悟りを
得られると想像していることです。

自分にその器があるかどうかすら考えない。
これは霊的な意味での野心そのものです。
彼らの関心は悟りであり、到達です。
しかし、その野心が自分を愚かなままにしている原因である
ことを見ません、というか微妙な方法で悟りを自分自身の
「何か」、または「アイデンティティー」の言い訳にしているだけです。

その毛布を自ら取る勇気を持たなければなりません。
だから私は生温いと言っているのです。
503774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/15(金) 23:24:29 ID:waec26z7
なぜ悟りに関心があるのか、
胸に手をあてて聞いて見るといい。
504@:2007/06/15(金) 23:39:14 ID:DUI9E1ro
いや
悟りというのはイメージだから
聞いたり読んだりしたものの集積、ただの好奇心
そもそもそんなものを求めるのは野心でしかないよ
悟りを求めたら100%取り逃すだろうね
完全に人生を棒に振るよ

ただ自己を求めた場合は、なにがしかの成果はあるだろう
自己はイメージではなくはっきりと「ある」ものだからね
505神も仏も名無しさん:2007/06/15(金) 23:40:07 ID:Vypvl7vF
真の賢者は、悟りを悟りと感じていないかも。

悟りは、悟りだとか、真理だとか決して言えないもの。。。。

その辺歩いてるバーちゃんが、あっはははと笑う、

じーちゃんがあくびする、赤ちゃんがウンチする、、。

オレは人生を見飽きて、風呂上りに空を見る、、、、うん?

真理と思ってもいいし、思わなくてもいいようである。
506ユキヒョウ:2007/06/15(金) 23:43:36 ID:ry/7Wlpn
私の考えでは、人間はブッダのような悟りなんて望んでません。
自分が知らないものを強く望むなどということは有り得ないから。
人間が望んでいるのは、地獄のような自分の人生から逃げ出すこと。
それを「悟り」と名づけているだけ。
507@:2007/06/15(金) 23:47:01 ID:DUI9E1ro
>>505
それはあまりにもウブな観点だな

ただ覚者のなかには自分の状態を客観的に把握できていない人もいるらしい
508kawazu:2007/06/15(金) 23:56:56 ID:Vypvl7vF
>>506

え、いまの人生が地獄なんですか?

>>507

いや、あっしの言いたいのはね、真の賢者というものは、
悟りをどう見つめるか、評価するかとか、この迷妄のマーヤの世界とどう違うか、
他者の意識がどうだとか、カルマはないとかあるとか、自分は違うとか
あーだこうだということを超越してるでしょうということですよ。

あるがままで、笑いたいときに笑う、泣きたい時に泣く、
ただただフツーになっちゃうンじゃないかなー、と思ったんよ。
それだけ。
509@:2007/06/15(金) 23:58:43 ID:DUI9E1ro
>>506
地獄のような人生を作り上げているのは思考なんじゃないか?

それならば、思考から抜け出すのが悟り
510神も仏も名無しさん:2007/06/16(土) 00:01:34 ID:xNomZfem
ああ、春が終わっちゃった。
511@:2007/06/16(土) 00:10:03 ID:NMnNEzCD
>>508
それって、覚者に対する勝手なイメージなんじゃ.....

外側から見える個性は人それぞれで、結構バリエーションがあると思うな
512774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/16(土) 00:11:26 ID:rM8bUs6O
@さんは本当に悟りを求めてないの?

>ただ自己を求めた場合は、なにがしかの成果はあるだろう
>自己はイメージではなくはっきりと「ある」ものだからね

自己を求める...既に「ある」ものを求めてどうするんでしょうか。
成果とは何ですか?

そもそも、自己とは何ですか?
思考が作り出したイメージかもしれません。Kはそんなことを言ってましたね。

あるいはあなたが「魂」と呼んだように、
本来の自己、大いなる自己のことでしょうか。

でもですね、悟りや自己に対する知識があっても
なぜそれを求めているのかの答えにはならないんです。
513ユキヒョウ:2007/06/16(土) 00:12:35 ID:F19cEXD2
>>506は筆が滑った。撤回。
私が望んでいるのは思考から抜け出すことかもしれないけれど、
それは多分「悟り」ではないと思う。
そんな大変なことでないと思う。というより希望する。
514774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/16(土) 00:15:26 ID:rM8bUs6O
>私の考えでは、人間はブッダのような悟りなんて望んでません。
> 自分が知らないものを強く望むなどということは有り得ないから。

実際にそういう人は居ますよ。
Kと対談した相手にも求道者はいました。

人間は知らないことを知ろうとする生き物だと思います。
だからエベレストに登ったり、深海まで潜ったり、
宇宙に行ったりするのでしょう。

知ろうとする衝動は人間の中に深くあるんですよね。
515神も仏も名無しさん:2007/06/16(土) 00:16:00 ID:F19cEXD2
> え、いまの人生が地獄なんですか?

ちょっと大げさでした。「悪夢」ぐらいにしときます。w
516774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/16(土) 00:17:14 ID:rM8bUs6O
>そんな大変なことでないと思う。というより希望する。

他力本願ではムリではないでしょうか?
517774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/16(土) 00:21:36 ID:rM8bUs6O
自己を知ることは最高の冒険ではないでしょうか。

自分はおもしろいですよ。
それは恐怖映画のようかもしれないし、恋愛映画かもしれない。

私はまだそこまで至ってませんが、気づきが深まると、
自分の人生が映画のスクリーンのように感じられるそうです。

そうなると、映画の内容がどのようでも一切影響はないわけですね。
518@:2007/06/16(土) 00:31:47 ID:NMnNEzCD
スクリーンの上にウンコの画像が映ってもスクリーンがウンコ臭くなることはない

「空は何色にも染まらず」
519KAWAZU:2007/06/16(土) 00:33:02 ID:JBgsqrPg
>>511

いや、あっしは意識の本質をいってるの。
もちろん個性はあるし、きびしい人はきびしいし、他者に甘い人は甘い。
すぐ笑う人も居るだろうし、怒る人も居るだろうし、、、いろいろあるような、、

だから、この世に生きていれば、完全に無為自然なんて有り得ないから、
聖者も結構お金や人間関係で苦労してたりしてw、、、まーそういうものかな、、、

トイウコトで、今後774さんが仏陀になっても、ユキヒョウさんが悟っても、
会ってみると、またはこのBBSに来ても個性は今とあまり変わらないかもねww

個性やクセは残ると思うよ
520@:2007/06/16(土) 09:50:31 ID:NMnNEzCD
>>512
すでに「ある」自己を求めるのは、思考に同化している限り「ない」も同然だから

成果は、今まで思考を現実と見なしていたがそうではなくなる

自己は空であり無であるのでイメージしようがない

なぜ求める(それを想起しようと努力する)のかは、それが最も重要なことだと知性が看破したから
521ユキヒョウ:2007/06/16(土) 11:13:45 ID:F19cEXD2
K的には、現在の状態とは別の状態に「なる」ことを求めるのは、葛藤の原因なんでしょ?
求めているものが「今よりも一歩前進した状態」なのか「究極の状態」なのか、
「悟り」なのか「自己想起」なのかは、大差ないのでは?
「おまい○○なんか求めてんのかよ。無駄無駄。俺みたいに××を求めなきゃダメ」
みたいな会話になってるみたいな気がするんですが。
522@:2007/06/16(土) 11:39:26 ID:NMnNEzCD
>>521
自分自身になることは他のなることとは全く異なる
まず、時間がかからない、それに何も変わらない、努力もいらない、故に葛藤もない

ただ、想い起こすことによって、意識の重心が思考からそれを見るものへ移動する
523ユキヒョウ:2007/06/16(土) 11:55:56 ID:F19cEXD2
@さんは、自己想起の瞑想を続けることによって、
「自己想起が安定した状態」になることを期待し、
それを求めているというところはないですか?
524ユキヒョウ:2007/06/16(土) 12:29:03 ID:F19cEXD2
しかし、今現にある状態よりもより良い状態を思いついて、
そのより良い状態にするために何かをするというのは、
外的なことに関しては全然問題ないですよね。
部屋が暑いことに気づき、より快適な状態にするために窓を開けるとか。
そこに葛藤なんてないですよね。
心のことに関しては、その「より良い状態にする」という考え方が
ダメだってKは言ってるのか???
525@:2007/06/16(土) 12:55:59 ID:NMnNEzCD
>>523
自己想起の重要性が理解できれば安定化はやがて訪れるだろう

自己想起は思考や葛藤に無駄に消費されているエネルギーを節約するだけではなく、それ自身エネルギーを生み出す錬金術だ

自己想起の安定はたんに気づきが安定するという話ではない
自分自身の在り方を変容させるための莫大なエネルギーを生み出していくプロセス....

だと思う
>>524
そのことは自己想起や受動的観察には当てはまらない
例えば、怒りを無くそうとか愛情深い人になろうとすることをKは問題視してるんじゃないの?
526774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/16(土) 17:00:04 ID:4NQqrtUE
私はユキヒョウさんと同じ意見です。
自己想起を重要視することも悟りを求めるのも一緒です。

あるべきものの追求、ということですね。
Kが指摘するのは常にそこです。

その動機に光を当てない限りドラスティックなことは何も
起らないのではないでしょうか?

@さんの言葉は、「だろう」、「だと思う」で
終わっています。ということは自己想起についてさえ、
誰かの言葉を反復しているだけのように思えます。

527395:2007/06/16(土) 19:33:40 ID:R+I6nTVi
見つめることは、脳に動きの無い状態を意味する
精神は今イメージ作りを止めることによってそれ自身の中身を空にすることができる

Kは意識をエネルギーとして捉えている

そのエネルギーは普段は思考活動に浪費されていると

見つめ続けることによって、精神がイメージ作りを止め続けると

思考活動に浪費されていたエネルギーが蓄積され始める

そのエネルギーがある空間の正体


そのように意識、精神は、今イメージを形成しないことによって、自身の中のイメージを空っぽにすることが出来ます。
すると、中心のまわりの空間でない、ある空間が拡がりだすのです。そしてもし人が掘り進み、奥へ奥へ入ってゆくと、
そこに聖なるもの―思考によって思いつかれたものでなく、いかなる宗教とも無関係のもの―があるのです。

私は何も信じない(クルシュナムルティ)



だと思う
528395:2007/06/16(土) 19:43:16 ID:R+I6nTVi
自己観察の過程そのものが暗闇の中で進行する心理的プロセスに光をなげかける
そして意識のわずかな光でさえそのプロセスを完全に駄目にしてしまうことができる

                         グルジェフ

瞑想は意識の限界を打ち破る、それは思考とそれが喚起する感情のメカニズムを粉々にする

                         K
529@:2007/06/16(土) 21:01:08 ID:NMnNEzCD
まぁ、思考や葛藤がエネルギーの浪費であり、エネルギーの漏れであることは間違いない

和尚によるとこの絶え間ないエネルギーの漏れにより、人は肉体が死ぬはるか前に内側で死んでしまうらしい

瞑想はこの外側に絶え間なく漏れ続けるエネルギーを内側に逆流するものだと.....
530KAWAZU:2007/06/16(土) 21:24:31 ID:JBgsqrPg
見つめること、瞑想すること、聖者のそばに居ること、、、、

何でもいい、無言のなかに存する活き活きとしたエナジーを溜めて行け、
増幅することだよ、それが一番の近道、、、、エナジー無きき者がエナジーを超えることはあたわず。
531ユキヒョウ:2007/06/16(土) 22:29:16 ID:F19cEXD2
思考や葛藤がエネルギーの漏れであり、
エネルギーの漏れにより人が肉体が死ぬはるか前に内側で死ぬものなら、
多分私は内側ですでに死んでいますね。
私は何も信じない。特に和尚の言うことは信じない。w
532KAWAZU:2007/06/16(土) 22:43:41 ID:JBgsqrPg
>>531

では、あっしカワズを信じてください。
そして、愛し合いましょう。

そうすれば、あなたは死から復活する、、、
533774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/17(日) 00:34:38 ID:pyU7lPMP
信じることは、自分の経験でなく
他人の言葉や経験をそのまま受け入れることですよね。

信じることについて、Kはかなり厳しく指摘しています。
そして私の経験からもそれは正しいと言えます。

誰かの言葉、特に和尚のようなグル、それからグルジェフ等
の言葉をただ信じるのは、見ることを延期させるだけです。
本人は分かっている「つもり」になるので、そこから
出て来るのがより困難になります。

和尚は、Kのやり方では誰もついてこないとして、
あえてグルという選択をしたという経緯を私は知っています。
Kに対する対抗意識もあったんだと思います。
しかしその結果は、彼の追従者を見れば明かです。

アジズでしたっけ?次のグルを見つけてまた同じ事を
繰り返すんですよね。和尚の追従者は。
グル依存症の人々と、悟りに逃避する人々を作り出したということで、
和尚の試みは失敗だと思います。

Kは「誰かが誰かを導くことはできない」と言っています。
それは正しいのです。目の前に導いてもらえる人がいると、
その人が主要になってしまい、自分を見ることがおろそかになります。

たとえその人が自分を見ろと言っても、深いところでは依存は
続いているのです。依存は自己欺瞞の正体です。
和尚の追従者は宗教の信者と何ら変わりはありません。
だから彼らは生温いのです。
534395:2007/06/17(日) 00:54:25 ID:Tk+fSb8o
K流イニシエーション

まず危険に、然る後、真理に

       私は何も信じない(ジョン・ホワイトとの対話より)
535@:2007/06/17(日) 02:50:57 ID:7lbmjZ1V
「私は何も信じない」はずのユキヒョウと774が激しくKを信仰している件について

774の言葉がKのコピーである件について

グルへの依存を否定している774にがKの哲学に依存している件について

和尚の追随者のことなんてどうでもいい件について

それと知識というのはそれが自分の理解ではなく、ただの借り物だと自覚していれば何の問題もない
むしろ自分の存在レベルに合った適切な知識というのは必要でそれがないと、遅かれ早かれ行き詰まる
536ユキヒョウ:2007/06/17(日) 09:22:09 ID:xCKBRReo
>>535
私はずっとKが何を言っているのか理解しようと努力しているけど、
Kを信仰してはいないよ。Kが言っていることが正しいかどうか疑い続けてる。
どうして私がKを信仰しているなんて思うの?
ただ、あの「私は何も信じない」は冗談。
「私は和尚の言うことは信じない」の方はホントだけど。
537774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/17(日) 09:33:11 ID:N5wgxDoJ
必死ですね、@さん。
私もKを信仰していません。

グルへの依存とその構造全体の理解は、私の経験から来ています。
だからここまで言えるわけです。
決してKの言葉のコピーではない。
538@:2007/06/17(日) 10:51:28 ID:7lbmjZ1V
>>536
>「Kを信仰してはいないよ。Kが言っていることが正しいかどうか疑い続けてる。」

この考え方がそもそもKから由来している
Kの言いつけをしっかり守っているユキヒョウはKの模範生ということになる
ユキヒョウにとってKは無視することができない権威であることは間違いない

そもそもKの言っていることを考えることによって検証しようとするのは時間の無駄だ

それにKの言うことはもう十分に検証された
539@:2007/06/17(日) 10:52:47 ID:7lbmjZ1V
自分が直感レベルで正しいと感じた知識を自分のワークに役立てることは必要だ
それを実践し自分に合わなかったり、役立たなかったら捨てる
この繰り越しによって自分自身のもとに残ったものは決してたんなる借り物ではない
540回答できない774を打ちのめす、大王:2007/06/17(日) 10:56:52 ID:AeKt0zwC
537 :774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/17(日) 09:33:11 ID:N5wgxDoJ
必死ですね、@さん。
私もKを信仰していません。

グルへの依存とその構造全体の理解は、私の経験から来ています。
だからここまで言えるわけです。
決してKの言葉のコピーではない。

484 :774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/14(木) 23:46:44 ID:WPcO03S6
>「悟り」っていうものがあることには疑問はないの?

私にとって悟りとは認識です。
「私はバカだった」と気づくことです。

気づきは、小さな悟りかもしれません。

しかしながら、ブッダの悟りやら、誰かのグルの悟りを聞いて
ロマンチックな空想に耽ることを非難するつもりもありません


774は、すなわち、グルへの依存の一つの体験で、すべての宗教を空想と断定している訳だ、、
541回答できない774を打ちのめす、大王:2007/06/17(日) 10:58:43 ID:AeKt0zwC
まあ、774の思考、概念が先行し、774の持つ体験以外を、すべて、空想という、概念のカテゴリーに入れて、
情報処理をしている訳で、、、
542回答できない774を打ちのめす、大王:2007/06/17(日) 11:01:38 ID:AeKt0zwC
774は、774の体験した閉じられた情報処理の構築した概念のカテゴリー入れて、判定する、、

新しい体験を、吟味を拒否する訳だ、、


そして、774は、774の体験した閉じられた情報処理の構築した概念のカテゴリーに依存している。
543ユキヒョウ:2007/06/17(日) 11:01:53 ID:r8Yg+WUI
>>538
> この考え方がそもそもKから由来している

これは事実として違うんじゃない?
Kは、「正しいか正しくないか考えるのではなく、ただ聞いてくれ。
分からなかったら、後からそれについて考えたりせず、忘れてくれ」
って言ってようですよ。
544ユキヒョウ:2007/06/17(日) 11:23:06 ID:r8Yg+WUI
ブラヴァツキー夫人って、写真で見る限り細木和子に顔が似てますよね?
545ユキヒョウ:2007/06/17(日) 11:43:58 ID:r8Yg+WUI
私の知り合いで「Kの言っていることは真実だ」としきりに繰り返していた奴がいて、
久しぶりに会っったら、悟りに至るテクニックを軸とする新興宗教の信者になっていたので、
びっくりしたことがあります。彼が言うには、「Kはこの宗教のテクニックは知らなかった。
だから、Kがテクニックを否定するとき他の宗教のテクニックを否定しているのであり、
それは正しい。Kがもしこの宗教のテクニックを知っていたなら、Kが言うことも違っていたはずだ」。
こうなってくると、もう「何でもあり」です。w
546KAWAZU:2007/06/17(日) 12:24:42 ID:uo09Og4/
ブラバッキー婦人は、フィギュアスケートの恩田よしえちゃんに似ています。
細鬼加図子見たいな低レベルとは違います
547ユキヒョウ:2007/06/17(日) 12:56:37 ID:WT1AqcK4
そうっすか? だったらいいんだけど、
細木和子みたいなオバハンが作った胡散臭い団体のメンバーの
江原某みたいなオッサンがインドに行って
「オーラ」を持った子供を見つけて来て、
「世界教師」に養成しようとして・・・・・・とか考えると、
炸裂する胡散臭さで目が眩みそう。
548KAWAZU:2007/06/17(日) 13:17:21 ID:uo09Og4/
>>547

確かに、胡散臭いのですが、今の細木や江原と課とは違いますね。
当時のヨーロッパではインドのヨガや宗教に関心持ってるのは、
ごく一部の学者かインテリか変人ですw

特に今のウーマンリブみたいな感覚の持ち主で行動派のべザントと、
ちょっと神がかってて、純粋だけどなんでも信じちゃうリードピーターが
タッグを組んでしまったので、クリシュナムルティーをイギリスに「拉致した」ことも、
神智学運動を広めて理想世界が出来るとは早合点してというか、いわゆるひとつの
「若気のいたりww」的な生き方という感じで突っ走ってしまったんのでしょうね。

マダム・ブラバッキー
http://www7.ocn.ne.jp/~elfindog/HPB.htm

アニー・べザント
http://www7.ocn.ne.jp/~elfindog/BESANT.htm

リードビーター
http://www7.ocn.ne.jp/~elfindog/LEADBEAT.htm


549KAWAZU:2007/06/17(日) 13:24:40 ID:uo09Og4/
べザントのインド独立運動にをサポートしたこととかは、
ある程度評価できると思います。
ただ、彼女の霊的なことへの理解度は、かなり??ですねww

リードビーターはヨーガの修行である程度の霊能力があったようですが、
彼のチャクラやクンダリニーに関する解説はやや稚拙です。
本場のヨーギの著作のほうがずっと良いです。
当時の西洋に東洋神秘主義を紹介したと言う「功績」はちょっとあるかも、という程度ですね、、。
550ユキヒョウ:2007/06/17(日) 15:11:37 ID:WT1AqcK4
彼らはまあ、その当時のヨーロッパの教養ある階級の中での異端者だったのだろうから、
大衆をターゲットにした現代の霊能者タレントよりはずっと洗練されてはいたんでしょうが・・・。
とくにリードビーターという人は、ネコが好きなどの良い点はあるとしても、
ちょっと何かイヤな感じがしますね。


551KAWAZU:2007/06/17(日) 17:14:26 ID:uo09Og4/
>>550

情報量は格段に少ないでしょうし、インドにまで行くのは当時はかなり
大変だったと思います。
しかし、人間のやることだから、本質は変わらないのではないかと思います。

今の精神世界の探求者の軽いのりと同じ感覚でやっていたのかもしれませんね。
当然、お金のトラブル、派閥争いや男女関係、ホモ、トリック、、、etc....なんでもありだった
のかもしれないですねww。

慰安のようなオープンでないから余計隠微な世界、、ちょっと怖いですねww
552ユキヒョウ:2007/06/17(日) 18:58:50 ID:WT1AqcK4
インターネット上に「魔術人名録目次」なんてものを作っている人が
日本にもいるんですね。すごいなあ。
553ユキヒョウ:2007/06/17(日) 23:46:02 ID:XJfZqWTV
クリシュナムルティの言葉をどう受け取ったらいいのかというのは、
なかなか難しいですね。
何らかの哲学の体系を提示している訳ではないし、
何らかの命令を発しているのでもないし、
実行できるような何らかの方法を示している訳でもない。
ある人は、彼の言葉は音楽を聴くように受け取るしかないと言う。
何も期待せずに聞けばそれが何らかの効果をもたらすこともあるが、
そこに何かを探すことには意味がない、と。
554神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 01:53:47 ID:enPVT3sC
クリシュナムルティの言葉は、方法 − 禅やヨーガからの自立を促します。
その方法の背景にある観念 − インド系の宗教、他からの自由ももたらします。

 そのように意識、精神は、今イメージを形成しないことによって、自身の中のイメージを空っぽにすることが出来ます。
 すると、中心のまわりの空間でない、ある空間が拡がりだすのです。そしてもし人が掘り進み、奥へ奥へ入ってゆくと、
 そこに聖なるもの―思考によって思いつかれたものでなく、いかなる宗教とも無関係のもの―があるのです。

 私は何も信じない(クリシュナムルティ)

思考を超えたものへの、真実在を暗示してます。

555kl:2007/06/18(月) 01:59:25 ID:Kfj7M+iQ
>>553
Kは私(という観念)と私が見たものの分裂が精神的な二重性を生み
争いを生む。これが内部・外部(社会など)の争いの原因と言っている。
この分裂を解消する為に力づくでやろうとしても失敗する。
方式を機械的に繰り返すやり方もダメで、
唯一の答えは現象を観察することによりその構造を理解することで
問題がなくなると言っている。
恐怖・欲望の実体を観察し思考がそれを生み出すことを
恐怖・欲望のそれぞれについて理解すべきと言っている。
機械的な方式は否定しているが、思考・感情・関心の時々刻々の動きを
あるがままに(否定したり逃避したり改変せずに)観察すべきと言っている。
内面の観察は人それぞれ出来る出来ないの差が大きい。
ほとんどの人にとっては簡単には出来ないと思う。
私も十数年取り組んでいるが容易くはいかない。
しかし情熱があれば少しづつでも進んでいくように思われる。
よく努力はいけないとか悟りを求めてはいけないとか
動機があってはいけないと思っている方を見かけるが、
kがそう言っていると考えられているならそれは誤読ではないかと思う。
逆に動機・努力がなければ簡単な事以外は成し遂げるのは難しいだろう。
大事なのは自分が瞬間瞬間に何に関心があるか、何を感じ何を思っているか
的確に把握することだと思う。
そうすれば本質的な理解が訪れる可能性が高まる。
自分の現状の理解が進む。
精神的な記憶はすべて私自身であり、自我である。
関係のなかで反応としてその自我が現れ、それに気づき、それから逃げないなら
その反応が確かに起こったことを認めることが出来る。
多くの人は自分を守ろうとして認めることが出来ない。
例えばゲームに負けたりして悔しい気持ちが起こる。
このような自我の反応を観察すれば微妙な思考がその感情の発生に関与しているのが分かる。
556@:2007/06/18(月) 03:57:32 ID:4XML58rr
>>555
>唯一の答えは現象を観察することによりその構造を理解することで、問題がなくなると言っている。

「構造を理解する」とはどういうことなのか?
それを概念的に知的に把握するということなのか?そのように聞こえるのだが
そもそも観察と理解は別のものなのか?
観察は即時に理解をもたらす
観察した後にあれだこれだ考えて、理解が訪れるというわけではない
そんなものは、ただの知的分析に過ぎない
観察そのものが問題を超越している
それ故「唯一の答えは現象を観察することにより問題がなくなる」で十分だ
557@:2007/06/18(月) 04:01:00 ID:4XML58rr
>>555
後半部分では関係のなかでの自我の反応について語っているようだけど、Kがそういったものに特別に注目しろと言っているの?
よく知らないけど
どっちにしろ全体的にナンセンス
精神分析じゃあるまいし

君の考え方によると、他者と関係を持たずに洞窟の中で瞑想していたミラレパや壁に向かって坐禅を組んでいた禅師などは全く意味のないことをやっていたことになるな
558ユキヒョウ:2007/06/18(月) 09:12:56 ID:iW7ZZxPg
関係の中で自我の反応を観察しろというのは、Kはよく言ってるでしょ。
必ずしも他の人との関係である必要はないだろうけれど。
ミラレパがやっていたことが無意味かどうかは知らないけど、
それを真似して「瞑想するために他者との関係を絶って洞窟に行こうと思う」と
言う人がいたら、Kはそんなことは無意味だから止めておけって言いそうですよ。

@さんの瞑想は、「考え」から自分を切り離すことのようだから、
Kの言っているものとは全然違うのは明らかだと思うんですが、
どうも@さんはそれを認めたくなさそうなのが不思議。
自分がやっている瞑想とKが言っていたことは本質的に同じと言いたいみたい。
559ユキヒョウ:2007/06/18(月) 09:20:08 ID:iW7ZZxPg
> よく努力はいけないとか悟りを求めてはいけないとか
> 動機があってはいけないと思っている方を見かけるが、
> kがそう言っていると考えられているならそれは誤読ではないかと思う。

いや、それはKが何度も繰り返して、はっきりと言っているでしょ。
そこから「そうか。努力はしてはいけないんだ。悟りは求めてはいけないんだ」
と考えるのは、受け取り方に問題があるとは思うけど。
それじゃ、Kの言葉を「・・・してはならない」という禁止として受け取り、
その禁止に従うことですから。
560ユキヒョウ:2007/06/18(月) 09:30:30 ID:iW7ZZxPg
概念的な把握を求める分析は無意味だと@さんは言うけれど、
@さんの「観察」っていうのは、観察対象に何ら関心を持たず、
理解しようという意欲もなく、ただ無関心に眺めながら
それらが去っていくのを待つだけのような気がする。
それ、Kの言う観察とは違うと思うよ。
Kの観察は、好きな音楽を聴くとか、自分の子供を愛情を持って見守る感じ、
@さんのはテレビを付けっぱなしにして「つまんね」と思いながら眺める感じ。
561@:2007/06/18(月) 09:51:17 ID:4XML58rr
>>558
Kの本を読んだのはかなり昔だし、最近はほとんど読んでないのでKが何を言ってるかはあまり知らない

自分が言ってる事がKと違っているならば、それで全然かまわない
自分の理解する瞑想はたんに「自己を想い起こす」こと、ただそれだけ
自分と考えを切り離す?(思考を観照することか?)は自動的に起こる事であり、それを一生懸命やろうとしているわけではない

自我の反応を観察することやその動機を探るなどは普通の自己観察あるいは自己分析で普通の人もやっている
562ユキヒョウ:2007/06/18(月) 09:55:43 ID:iW7ZZxPg
注意深く事実を観察すれば、
思考・努力が葛藤であり、エネルギーの浪費であることが分かり、
自然に思考・努力が停止し心が静まる、とKは言う。
しかし、葛藤の塊である私にはエネルギーがないから、
そこまで注意深く観察することが出来ず、
それ故、思考・努力がエネルギーの浪費であることが分からず、
それ故、心が静まることがない。
とりあえずKの本を開いてみて、振り出しに戻る。w
563ユキヒョウ:2007/06/18(月) 10:04:10 ID:iW7ZZxPg
>>561
その方が@さんらしいと思う。

564ユキヒョウ:2007/06/18(月) 10:26:52 ID:iW7ZZxPg
どっちみち、自分に見えているものをよく見るしかないですよね。
自分に見えていないものを見ようとしても、無駄でしょうから。
565774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/18(月) 12:49:48 ID:etWOXr/j
地道にコツコツやるしかないでしょうね。
私も瞑想を始めて20年、Kを読み始めて18年が経ちました。

最初にKの本を読んだ時は「これは今の自分の役に立たない」
と思ったことを覚えています。
その時はテクニックや、「知っている誰か」を求めていたからです。

今はKの言葉より、役に立つものを見つけることができません。

Kの言葉が親切でなく、その人の事実をその人に顕わにさせるのは、
最大の慈悲であると思います。彼の言葉は答えではなく、あくまでも
援助でしかありません。

答えを自分自身で見いだすという権利を、その人から奪っていないのです。

それから探求は、ここを見ている人すべてにとっての基本であると思います。
その裏にある動機が何であれ、あらゆるものは白日の元にさらされるでしょう。

気づきというものは簡単ではありません。それは基本的に難しいものです。

しかし、それは自分の内奥で成長する木のようなものではないかと最近
気づき始めています。それが正しいかどうかは知りません。
木はすぐに大きくなりません。ですので、私たちができうる努力は、芽生えて
成長しつつあるこの木をどういたわり、成長させていくかということです。
障害があれば取り除き、栄養を与える。

そういうことが大事ではないかと思います。
566ユキヒョウ:2007/06/18(月) 13:12:05 ID:iW7ZZxPg
パソコン歴○○年とか、デジカメ歴○○年とか言う人がいるんで、
何でもかんでもお稽古事みたいに考える人がいるもんだと驚いてたら、
今度は瞑想歴○○年、クリシュナムルティ歴○○年ですか?
もう勘弁してくださいよ。w
567ユキヒョウ:2007/06/18(月) 13:18:03 ID:iW7ZZxPg
インターネットでグルジェフについてのページを読んでいたら、
「自己想起の状態に近いものが、意図していないときに偶然生じる」と
言う弟子に対して、「自分の意志で引き起こすのでなければ
そこには何の意味もない」とグルジェフが答える話があった。
何かKとは言うことがかなり違いそう。
568ユキヒョウ:2007/06/18(月) 13:40:06 ID:iW7ZZxPg
Kの話を聞いていた人で、
Kの言う「精神の革命」が生じた人っていないんですかねえ?
50年ぐらいああいう講演の集会を続けてたんでしょ?
それにしても・・・・・・ひょっとしてKって、彼の言葉どおり、
経験的に知識を蓄積することは一切しない人だったのかな?
569@:2007/06/18(月) 15:07:07 ID:4XML58rr
>>560
>「Kの観察は、好きな音楽を聴くとか、自分の子供を愛情を持って見守る感じ」

自分の場合、というか自己想起では、そのような愛情、強い関心はマインドあるいは外側の対象ではなく、内側の自己に向けられている
自己想起は自己に対する恋愛にならないと成功しない

外側の対象(マインドも含めて)に対しては、確かにただ受動的に観察されているだけだ
怒りは怒りだし、恐怖は恐怖だ、それは見ればわかる、別に知的にそれを分析する必要はない
そしてただ見ることにより、それらは何の問題もなくただ去って行く
570ユキヒョウ:2007/06/18(月) 17:08:50 ID:iW7ZZxPg
「自己認識と間断ない観察を通して、何かになるための闘いや競争は、結局
苦しみと悲しみと無知に終わるのだということが分かるのです。」
Kはよく、さらっとこういうことを言いますが、この「分かる」っていうのは
どういうことなんでしょうね。何かになるための闘いや競争を何年間か続けて、
どうもそれでは上手くいかないらしいと経験的に知ること、ではなさそうですよね。
そういう知り方では、闘いや競争が自然に静まったりしないでしょうから。
そういうのとは違う、一瞬にして本質を見抜くような即座の理解なんでしょうね。
そんなの普通ではありえないようなエネルギーがなければ起こりませんよね?
571ユキヒョウ:2007/06/18(月) 17:33:27 ID:iW7ZZxPg
「この受動性は決意や訓練の問題ではありません。まず私たちが受動的では
ないことを自覚することが出発点なのです。私たちが特定の問題に対して、
特定の解等を期待していることを知ることがその第一歩なのです。」
・・・・・・また、不可能な「第一歩」を・・・・・・。w
「受動的でないはことを自覚」しようとすれば、
見出されるべきものとして「受動的でない」という状態を
設定して観察することになるから、
たしかに「受動的でない」ことにはなるでしょうけど・・・・・・。
もう無茶苦茶ですよ。
572ユキヒョウ:2007/06/18(月) 17:43:48 ID:iW7ZZxPg
Kが「・・・・・・が分かるのです」と言っているのを読んで、
「ああそうなのか」と観察するのでは、そこで観察されるものを
あらかじめ予期して観察することになってしまうから、
受動的観察にはならない、ってこと?
逆に「本当かよ?」って疑いながら観察するとしても、
「Kの言う通りなのか、それともそうでないのか?」
という問いへの答を求めながら観察することになるから、
やはり受動的観察にならない?
じゃ、どうすんのさ?w
573ユキヒョウ:2007/06/18(月) 18:15:50 ID:iW7ZZxPg
結局、「受動的観察」が生じるためには、
Kの本で読んだことをすべて忘れなければならない、
ってことになりませんか?
574@:2007/06/18(月) 18:35:39 ID:4XML58rr
なんでそんな難しく考えるの?

たんに観察されるものに対して、それを判断せず、名付けず、そして知的な分析をしないでただ眺めていれば、それが受動的観察になるんじゃないの

知的なアプローチを放棄すればいいだけの話だと思うが
575KAWAZU:2007/06/18(月) 19:33:37 ID:/DNqgXJY
ウギャぎゃ、また難解な論理の無間地獄かいなー、、、

同じループの繰り替えしにしか見えんよ
576ユキヒョウ:2007/06/18(月) 19:46:18 ID:iW7ZZxPg
> たんに観察されるものに対して、それを判断せず、名付けず、
> そして知的な分析をしないでただ眺めていれば、
> それが受動的観察になるんじゃないの

そ、そんな・・・。

> 知的なアプローチを放棄すればいいだけの話だと思うが

そんなのはイヤだ。w
577KAWAZU:2007/06/18(月) 20:26:00 ID:/DNqgXJY
ではゆきひょうさん、
知性をとことん追求し話し合いましょう。ベッドに上でね(^^)
578ユキヒョウ:2007/06/18(月) 21:16:38 ID:iW7ZZxPg
この人はもう、何言ってんだか・・・。w
579ユキヒョウ:2007/06/18(月) 21:35:14 ID:iW7ZZxPg
今日はちょっと書きすぎたな。しばらくおとなしくしてよ。
580395:2007/06/19(火) 00:01:56 ID:dwEsj0oC
心は非常に長い間、外部に向かうことに慣れてきましたので、
内部に向き直らせることは容易ではありません
広い場所で放牧されてきた牛を狭い牛舎に閉じ込めておくことは
容易ではありません
しかしその保有者はよい味と香りをもった草とよい飼料を与えてそれを試みます
牛は最初は拒否しますが、そのうち少量を食べます
しかし、そのさまよい歩くという本来の傾向が自己の力を現し、
するりと逃げ出してしまいます
所有者によって繰り返し試みられると、牛は牛舎の一区切りの中にいるよう習慣づけられます。最後には、たとえ自由にさせておいても、牛はさまよい歩くことはなくなります。

心についても同様です。ひとたび心が内部に幸福を見いだすと、
それは外部にさまよい出ることはないでしょう

                       ラマナ・マハリシ

糸は張りすぎず、緩みすぎないときにいい音がでる
                       ゴータマ・ブッダ

狭き門より入りなさい、滅びへの道は広い    キリスト

学びつつ歩む、歩むほど機敏になる       K


581395:2007/06/19(火) 01:03:45 ID:dwEsj0oC
自己は想いと想いの合間に既にある

事実、仏陀は神その他についての学問的論議よりも、
今、現在ここに在る至福を指し示すことの方に関わってきた
 
                ラマナ・マハリシ

登りなど無いのです。今は「これ」であるが、じきに「それ」になるなどないのです。
あるのは、今の「これ」を変えなさい、それがすべてです。

                K
582774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/19(火) 01:52:17 ID:XsfBf4Rg
>「この受動性は決意や訓練の問題ではありません。まず私たちが受動的では
> ないことを自覚することが出発点なのです。私たちが特定の問題に対して、
> 特定の解等を期待していることを知ることがその第一歩なのです。」
> ・・・・・・また、不可能な「第一歩」を・・・・・・。w

思考は特定の解を探すというのは始終起っていることでしょう。
朝起きてから、駅に行き、電車に乗るまで思考はせわしなく計算している
はずです。考えることが思考の仕事であり、目の前に問題があれば、
思考はすぐ計算を始めるでしょう。そしてこうすれば良いという予測の
もとで、行動したり話をします。

ユキヒョウさんがここに書き込むようにです。
ユキヒョウさんの書き込みは思考の能動性そのものが表現されてますね。
気づいてますか?

たぶん。そこが取っ掛かりになるんではないでしょうか。
583774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/19(火) 02:00:22 ID:XsfBf4Rg
>事実、仏陀は神その他についての学問的論議よりも、
> 今、現在ここに在る至福を指し示すことの方に関わってきた

今、このことばを聞いて仏像の優美さを思い描いた。
至福と静寂と美。この世で最も尊いものですね。

>登りなど無いのです。今は「これ」であるが、じきに「それ」になるなどないのです。
> あるのは、今の「これ」を変えなさい、それがすべてです。

Now or Never. 機会を逃さないこと。
「これ」を変えるには、集中された洞察力とその結果である無臭着が必要です。
皆、「これ」を掴んで離さない。
変容の鍵はいかに手放すかにあります。そのとき握られていたエネルギーの解放があり、
瞑想がある。
584774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/19(火) 02:02:03 ID:XsfBf4Rg
× 無臭着

○ 無執着
585ユキヒョウ:2007/06/19(火) 09:49:32 ID:0gotdaQn
難しく考えすぎているという指摘を受けましたが、そうかなあ?

Kを読むと、そこにはKに見えた真実が書かれているらしいけれど、
それを読むことだけでは「このKという人にそう見えたのか」と知るだけで、
自分にその真実が見えるわけではないから、その真実を自分で見たいという
気持ちが当然起こって来る。しかし、それでは発見される真実を先に設定した
探求になってしまう。それで、Kが言っているものにたどりついたとしても、
それは真実ではなく、Kの本の内容が投影された想像に過ぎないだろう。

・・・・・・これって、私だけでなくKを読む人の多くが感じることでは?
586ユキヒョウ:2007/06/19(火) 09:54:39 ID:0gotdaQn
>>582
774さんが言っているのは、自分の過去の書き込みをよく見て、
それらの発言の背後にある意図や欲求に気づけということ?

587神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 09:56:09 ID:hwZ1Y+Kh
性犯罪歴ある7人逮捕
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070616-OHT1T00181.htm


米テキサス州司法当局は15日までに、米会員制サイトであるソーシャル・ネットワーキング・サービス大手
マイスペースを違法利用したとして、性犯罪歴のある7人の男を逮捕した。

米主要メディアによると、7人は23―49歳で、女性に性的暴行を働いたとして過去に有罪判決を受けた。
被害者には未成年者が多く、4歳の女の子もいたという。7人は仮釈放の条件だったインターネットの
利用禁止を守らなかったなどとして逮捕された。

マイスペースは「性犯罪の温床」になっているとの批判を踏まえ、5月から性犯罪歴のある利用者の
個人情報を司法当局に提供していた。(共同)

(2007年6月16日18時21分 スポーツ報知)

自演統失が性的な倫理を失い犯罪傾向がある事への警鐘。

身近で危険な統失社会w

やっと、気が付きましたね。
【罪業】統合失調症の自演スレを晒せ!【穢れ】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1172949630/81-104

588774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/19(火) 10:24:07 ID:0F4Ji+nj
>それで、Kが言っているものにたどりついたとしても、
>それは真実ではなく、Kの本の内容が投影された想像に過ぎないだろう。

言葉で表現することの限界をKは良く言っていますね。
そして重要なのは言葉ではない、とも。
文字を読むとそこから1000と一つの思考が湧いてきます。
それは自然なことです。

Kを読むのではんく、聞いてみたらどうですか?
589kl:2007/06/19(火) 12:27:00 ID:2hFRi6ey
>>570
「何かになる為の闘いや競争は、結局
苦しみと悲しみと無知に終わる」
このなるという言葉で説明しているのは
なる為の努力が観察でない他のやり方の為力ずくで変える事だという事です。
それに対して観察の方はその状態(思考・感情・感覚)をすべて大事にして
宝物を扱う如く親密に受け止め、そこに留まることです。
例えば怒りが起こった場合、嫌な感覚・気分が生じそれを嫌う為、
それが起こった原因を探しその相手を攻撃したりするが、
そうしないで、自分自身の中の状態を受け止め、味わい尽くせば
その嫌な感覚も全て消えまた平静に戻り新たな対応が出来るようになります。
理解は必ずすぐにやってくるというものではありません。
理解が生じる可能性が増すだけです。
例えば自分は苦労しているのに相手は楽をしていると思って責めていたが、
後に相手も自分と同じように苦労していたことが分かった時
責めなったとします。
これは理解が生じた為に行動が変わった。
つまり理解は行動に直接つながっています。
kが努力はいけないと言っているように見える部分は観察しないで
無理やり変えようと行動する事が間違ったやり方と言っています。
観察(知覚してそこに留まることを含む)して理解する事が
本来の解決だと言っています。
理解は知的なものも含みますが、
そのものを全身で受け止める(吸収する)ことが中心です。
そうすれば知らない間に内部で何かが進行しているような気がします。
考える事と観察は相反します。
試しに何かを見て下さい。
その時、思考が動いているか観察しているかのどちらかです。
思考中は観察はありません。上の空になります。
思考が邪魔している事に気づくと自然に集中状態になります。
その時思考は停止しています。
590@:2007/06/19(火) 16:07:24 ID:OZC3a38p
思考に対する気付きの話は十分聞いたんで、
「自己は想いと想いの合間に既にある」
という
思考と思考の隙間に対する気付きについてどう思っているのか聞きたいよ
591kl:2007/06/19(火) 19:53:55 ID:2hFRi6ey
>590
思考と思考の隙間
の意味するところが分かりません。
自己もどういう意味でいっているのか分かりません。
kの話では精神的な記憶・思考・観念の集合体をそのように
呼んでいると思います。
出典の本の題名とページが分かれば教えて下さい。
592395:2007/06/19(火) 19:58:38 ID:dwEsj0oC
志が再び聞く
「もしも相(ものの特徴)がると考えるなら、凡夫の見方である。
ものの性は空だと考えるなら、二乗の見方である。有でもない、無でもないと考えるなら
緑覚である。あわれみの心で人を見るなら、愛見の悲である。感性でものを見るなら
外道の見方である。そうかといって、色と色ならぬものを認めるならもはや見方というものは存在しなくなる。どう考えたら以上のような過失ヲまぬがれる事ができよう」

縁師が答えた
「俺はいっさいそんな見方はしない。それが正しく俺の見方である。君はごたごたそんな妄想を起こすから、自ら惑乱している」

                             ダルマ

593395:2007/06/19(火) 20:20:32 ID:dwEsj0oC
意識は努力なしに自身を空っぽにしなければならないからです。努力がなされるや否や、中身を変えるべく努力している観察者が現れます。が、観察者は意識の一部なのです。

                             K

もし心をやわらげるなら、心は清浄となるけれども、
一念でも、分別を起こすと、心はもう生滅の中にある
そんな心の中であれこれ妄想しても邪な生をでっちあげるだけ、
方法を探してあれこれやってみても業の支配は免れない
             
                            ダルマ

灼熱の太陽の下を歩いてきた人が木陰に宿れば涼しいと感じる
賢い人はずっと木陰に宿り続けるだろう、。
わざわざ太陽の下に出て行き、また戻ってくるのは愚かなことである
喜びもなければ、悲しみもない単純で普遍な状態が人の本来の在り方である

                            ラマナ・マハリシ



糸は張りすぎず、緩めすぎないときにいい音が出る

精神がイメージ作りをあまり行わず、イメージがおこっても軽く受け流せるような「適度にリラックスした状態」で、目を離さず、起こるがまま淡々と見つめ続けていることが、
Kの言う「受動的凝視」 
ダルマの言う「理法」
ゴータマ・ブッタのいう「いい音」が出ている状態


だと思う
594@:2007/06/19(火) 21:02:26 ID:OZC3a38p
>>591
>「自己もどういう意味でいっているのか分かりません。
kの話では精神的な記憶・思考・観念の集合体をそのように呼んでいると思います。」

Kが何を言ってるか知らんが普通↑↑↑は自我のことを指す

思考と思考の隙間とは無思考のこと
ひとつの思考とひとつの思考の間には思考のない隙間が存在している
この隙間に気付けば気付くほど、この隙間は大きくなっていく
故に
「自己は想いと想いの合間に既にある」
595@:2007/06/19(火) 21:10:06 ID:OZC3a38p
「自己は想いと想いの合間に既にある」

思考が雲だとすれば自己とは空(そら)

思考が黒板に書いた文字だとすれば、自己は黒板

雲や黒板を見るのは凡人

空や黒板を見るのが瞑想者

想いと想いの合間に既にある自己を想い起こすのが自己想起
596ユキヒョウ:2007/06/19(火) 21:15:14 ID:0gotdaQn
しかし、思考と思考の間の思考のない隙間が、何でまた「自己」なんだ?
それと、その自己を「思い起こす」とはどういうことなんだ?
597KAWAZU:2007/06/19(火) 21:22:15 ID:rFUgiWB+
名月や 札所に眠る 仏かな 
                 名無し


生まれ 生まれ 生まれ 生の初めに暗く
    死に 死に 死んで 生の終わりに冥らし。
                            空海

真夜中に 鳴かぬ 烏の 声聞かば
       生まれぬ前(さき)の 父母ぞ 恋しき
                              一休

真夜中に あらん限りの 声出して
      性欲 発散 これぞ  我が道    
                          河津


598@:2007/06/19(火) 21:28:51 ID:OZC3a38p
>>596
正確に言うと、思考と思考の隙間から自己が垣間見える

雲と雲の間から空が垣間見えるように

自己とは空そのもの

自己想起とはそのことを全身で感じること
599@:2007/06/19(火) 21:40:07 ID:OZC3a38p
>>595
訂正

雲や黒板を見るのは凡人 ×

雲や黒板に書かれた文字を見るのは凡人 〇
600774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/19(火) 21:41:51 ID:QYWo66Zf
>>598

感じる?誰が?
601ユキヒョウ:2007/06/19(火) 21:56:47 ID:0gotdaQn
@さんは「凡人」でない者になりたいという欲求が強すぎると思う。w
602KAWAZU:2007/06/19(火) 21:57:53 ID:rFUgiWB+
政治に関心持ちましょう。

カルト&腐敗した時民&交明に入れてはなりません。

独裁的なアベ新ぞーを許してはなりません。

本気でファシズムに移行しようとしているよやつらは。

とりあえず、カルト自みん&層化以外に入れておくこと。
603ユキヒョウ:2007/06/19(火) 22:02:05 ID:0gotdaQn
自みん&層化以外っていうと、協賛とか?
604@:2007/06/19(火) 22:16:39 ID:OZC3a38p
>>600
「私」が「私自身」を感じている

自己が自己を感じている

その時、通常の私である自我はいない

思考を見ていたら自我以外何も見つからない
605774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/19(火) 22:32:41 ID:QYWo66Zf
>「私」が「私自身」を感じている
その私とは何ですか?

> 政治に関心持ちましょう。
投票には毎回言っています。私は政策で選んでいます。
耳障りの良いことを言う人や、感情を煽るような政治家には入れません。
しかし当選するのはそういう人ばかりのようですね。
残念です。
606@:2007/06/19(火) 23:09:36 ID:OZC3a38p
>>605
私というとやはり語弊があるな

空が空を感じている

しかし感じているものはいない
607神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 23:49:56 ID:hZ0lwjRm
Kが言う一つの思考を追跡し終えて次の思考が出てくるまでの間に出現する「空白」は
俗世間で言うSEXでの忘我と同じような質のものだろうか。
608774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/20(水) 00:09:17 ID:nSfb9uMS
>しかし感じているものはいない

感じているものがいないなら、感じることもできないと思いますが。
何が感じているんでしょうか?



609774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/20(水) 00:11:37 ID:nSfb9uMS
Kの講話、youtubeに結構あるんですね。

http://www.youtube.com/watch?v=JKvz3BdB2EE
610395:2007/06/20(水) 00:21:46 ID:6o5kzFK0
もしあなたが注意深く観察するなら、思考の反応や動きは非常にすばやいように思えるかも知れませんが、思考と思考との間には切れ目や感覚があることに気づくでしょう
二つの思考の間には思考の過程とは関係のない沈黙の瞬間があるのです
もしあなたがじっと見つめてみるなら、その感覚である沈黙の瞬間は時間に属するものではないことが分かるのです。
 そしてこの感覚の発見と、その感覚を十分に経験することが、あなたを条件づけから解放してくれるのです
あるいは、「あなた」を解放するのではなく条件付けからの開放があるのです
   
                      K(自我の終焉、意識と無意識について)
611395:2007/06/20(水) 00:23:46 ID:6o5kzFK0
あなた自身を注意深く見つめてごらんなさい。じっと見つめるだけでよいのです。そのときあなたは驚くべきことが起こっていることに気づくでしょう

驚くべきこと・・・何の努力もなく無意識的な行為を終息させていること

                      K(自我の終焉、受動的な凝視)
これがKの言う時間を介在させない即座の変換、今起こすことのできる革命 
                     
                      K(自我の終焉、はじめに 参照)


だと思う
612@:2007/06/20(水) 07:48:59 ID:CEhaa1Cl
>>608
そのことはこのスレでさんざん語られたんじゃなかったか?

思考や感情とは別に思考したり感じたりしている恒久的な私などはたして存在しているのか?と

そんなものは存在していない、と確か自分で言ってたんじゃ…

>>610

エクセレント!!!!!
613ユキヒョウ:2007/06/20(水) 08:48:22 ID:VK4rD7Fx
思考と思考の間の空の状態のとき、
その状態に関する認識の作用は存在してるの?
あとからそれを思い出せるというらしいから、
何らかの記録の機能は作動してるようだが。
614@:2007/06/20(水) 09:31:15 ID:CEhaa1Cl
>>613
後から思い出すのではなく、その時に「在る」という感覚あるいは「目覚めている」という感覚がある
その感覚は外側の対象(マインドを含む)を観照している限りは損なわれない
615774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/20(水) 10:26:42 ID:r6KqYzBg
>そのことはこのスレでさんざん語られたんじゃなかったか?
語り尽くせばそれで終わり..ですか?

>空が空を感じている
空とはなんですか?

>思考や感情とは別に思考したり感じたりしている恒久的な私などはたして存在しているのか?と
>そんなものは存在していない、と確か自分で言ってたんじゃ…
言ってませんが。

>後から思い出すのではなく、その時に「在る」という感覚あるいは「目覚めている」という感覚がある
もし空であり、感じる主体が存在しないのなら、いかなる感覚もあり得ないですね。
ではその感覚は何でしょうか。

思考と思考の間のギャップは決して「からっぽ」ではない、ということでしょうか?

616774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/20(水) 10:35:39 ID:r6KqYzBg
感覚はそう感じる主体があって存在する。そうですよね。

熟睡して起きたあとで、「よく寝た」と感じることがあります。
寝ていたのは自分ですから、自分は寝ているという感覚を
何かがが保っていたということですね。

これと同じことがギャップの間に顕わになり、思考の代わりに
感じるということでしょうか。それは何ですか?
617774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/20(水) 10:47:38 ID:r6KqYzBg
というのも、空の感覚については私は@さんと同じ意見です。
そこには静寂が在るからです。

しかしそれが何か私は知りません。瞑想中の静寂、または沈黙については
確かに味わってはいますが、それが何であるかは未知のままです。
618@:2007/06/20(水) 11:53:19 ID:CEhaa1Cl
>空とはなんですか?
俺も知らん

そこらへんのことは今の自分には説明不可能
そもそも、そんなこと知ろうと思ったことがない

619@:2007/06/20(水) 14:11:47 ID:CEhaa1Cl
空あるいは自己は全ての人の内側にあるのだが、それは意識を経由することによって、自分自身を感じることができる


ような気がする
620ユキヒョウ:2007/06/20(水) 16:41:14 ID:C6ZIaiKl
>>614
@さんは、その状態から抜け出した後で、
その時に「在る」という感覚あるいは「目覚めている」という感覚があった
と思い出せるわけですよね?
621ユキヒョウ:2007/06/20(水) 16:59:14 ID:C6ZIaiKl
それともう一つ、思考と思考の隙間というとき、
断絶しているのはいわゆる「考え」だけで、
外的な知覚とかは連続しているの?
それとも、感覚なんかも含めての心の活動全般がない状態?
622@:2007/06/20(水) 17:35:31 ID:CEhaa1Cl
>>620
なにゆえに、覚醒している時に自分の状態がわからないのか?
むしろ逆で、自己を想い起こした時に自分が今まで眠りの状態にいたことに気付く
623@:2007/06/20(水) 17:38:56 ID:CEhaa1Cl
>>621
外的な知覚は連続している
その状態で歩くこともできるし、テレビを見ることもできる、話すこともできる
しかし、刺激が複雑になると自己を見失う可能性が高まる

ブッダなら問題ないんだろうが…

重要なのは外的な刺激や思考があっても自己を感じていれば覚醒をキープできる

思考が目の前を通り過ぎて行く

思考と思考の隙間こそが自分自身であり、思考は対象にすぎない
通常の意識ではこの感覚は理解できない
だからややこしくなる
624ユキヒョウ:2007/06/20(水) 19:28:19 ID:VK4rD7Fx
一つは、そういう覚醒状態で心に起こることが記録され、
あとから思い出せるものなのかどうか知りたかったというのがあります。
もう一つ、「『目覚めている』という感覚がある」というような
内容を持った認識が、思考なしに生じるというのがどういうことなのか、
知りたいということもあります。
625ユキヒョウ:2007/06/20(水) 19:30:48 ID:VK4rD7Fx
「・・・・・・であることに気づく」というような、
文で表現できるような内容を持つ認識と、
同じ内容の「思考」とがどういう関係にあるのか、
というのと同じ疑問だと思うので。
626KAWAZU:2007/06/20(水) 19:47:54 ID:0EaPocua
最近のみんなの書き子には着いて池へんなー

ビールでも飲むかな、、、
627ユキヒョウ:2007/06/20(水) 20:05:01 ID:VK4rD7Fx
>>626
まあ、そう言わないで、違う話題をふってくださいな。
628@:2007/06/20(水) 21:17:10 ID:CEhaa1Cl
>>624
>「『目覚めている』という感覚がある」というような内容を持った認識が、思考なしに生じるというのがどういうことなのか、知りたいということもあります。」


あえて言葉で表現すると、目覚めているとか、私は在る、というよう感覚だとただ喩えただけ

実際には感覚しかない
「私は在るという認識」は全く重要ではない、重要なのはその感覚だ
629KAWAZU:2007/06/20(水) 23:32:31 ID:0EaPocua
ビール飲みすぎた、、、あはははh

酒とフィギュアスケート  アハハハハ

http://www.youtube.com/watch?v=AgxfsvUU9Ks&NR=1


あははははは、あはははははは

栗種ナムルrひー、 3回転ジャンプ、 
ははあは、だみ陀ーこりゃー、寝ます!
630kl:2007/06/21(木) 00:54:04 ID:M1yUWnVQ
>610
395さん 思考の切れ目についての出典を教えて頂いて有難う御座います。
感謝してます。
言っている内容を正しく理解するにはその部分だけでは言葉がどのような
意味で使われているか分からないから。
本を読んで見、また観察してみました。
思考・感覚など自分の内面を観察した時、思考が止まっていることがある事を
言っていると思います。
時間に属するものではないというのは記憶・思考が精神的な時間を前提としている
ものであり、要するに思考がない知覚・観察の状態を言っていると思います。
いずれにせよkが言った内容がどのようなものかを理解するには実際に観察しなければ
理解できないでしょう。
わたしが努力が必要と言うのは、kの言う努力とは違う使い方としてます。
本を読み、kの言った事を実践して検証する努力の事を言ってます。
つまり受動的な凝視(そのままに受け止め、そこに留まり知覚する事)を実践する事です。
それに対しkの努力というのは観察されたものを力で変えようとする事です。
kの時間というのは精神的な時間をいってます。
つまり記憶・思考を精神的な方面で使用することです。
欲望・恐怖を記憶して未来に引き伸ばす行為です。
それに対し物理的な時間があります。
実際、人はそれぞれ成長・理解の程度がさまざまです。
本を読んだり、観察して理解する場合に物理的に時間が掛かるのは致し方ないことです。
ただし精神的に先延ばしにする事は逃げ直面しないことであり
精神的に時間を使っています。
631774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/21(木) 10:23:45 ID:evADBBMt
受動的な観察、のコツといえばKの自然描写にもヒントがあると私は思っています。
Kが自然や街や人々をどのように見ているか、K自身の描写がありますが、
これは観察そのままです。

実際に「観察」というものに対して、心の観察であろうが、
電線に留まっているハトを観察するのであろうが、
私にとって違いはありません。

観察、そして凝視は、自己の内面にも外にも同じように実践できるものです。
自己の観察や凝視は何か特別なもののように考える人がたまにいますが、
そうではないと思います。

そして観察の実践は、私にとって、つらい努力ではありません。
それはJOYを伴うものでもあります。そして内面の観察は時としてどんな
映画よりもおもしろいものです。

632ユキヒョウ:2007/06/21(木) 10:23:59 ID:vuUQ6Kkt
> 本を読み、kの言った事を実践して検証する努力の事を言ってます。
> つまり受動的な凝視(そのままに受け止め、そこに留まり知覚する事)を実践する事です。

「Kの言ったことを検証する」という目的で、Kの言った事を実践するというのでは、
Kが否定する「訓練」になってしまいませんか?

「練習や習慣や一定の教化によって、精神はあらかじめ目論んでいたものに
到達するに過ぎないのです、それゆえその精神は自由ではありませんし、
計ることができないものを知ることができません。」
とKが批判していたものになってしまっているような気がします。
633774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/21(木) 10:27:24 ID:evADBBMt
ここでいう努力とは、effort よりも practice という意味合いが強いです。
しかし、観察それ自体は努力とは何の関係もない。

山に入って野鳥を観察するのは努力とは言いませんね。
それはある種のリクリエーションです。
634774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/21(木) 10:29:05 ID:evADBBMt
もうひとつ。

楽しくないと続きません。
635kl:2007/06/21(木) 10:55:11 ID:M1yUWnVQ
>632
自ら行動する人にとっては探求であり
人に従う人では訓練になるのでは。
636ユキヒョウ:2007/06/21(木) 11:06:40 ID:vuUQ6Kkt
「自己観察を実践している」という人に私が感じる疑問というのは、
「自己観察」っていうのはそもそも「する」ものなの? ってことです。
「自己観察をする」と聞くと「よし、これから自己観察するぞ」と考えて始めて、
「じゃ、これで今回の自己観察は終わりにしよう」と終えるものみたいな感じだけど、
そういうものじゃなくて、気が付いたときには生じているものじゃないですか?
もし自己観察が「する」ものだとすれば、「いまは自己観察をしないことにしよう」
と決めて自己観察を停止するとかもできることになってしまうけれど、そういうもの? 
637ユキヒョウ:2007/06/21(木) 11:24:09 ID:vuUQ6Kkt
これは私の場合だけど、自分で観察してKの言葉を検証するのはなく、
逆に、Kの言葉によって自分のやっていることを検証する、の方になりがちだった。
Kの言っている通りのことが起こらないから、
「私のやり方に何か間違いがあるようだ」と考える、みたいに。
638@:2007/06/21(木) 13:36:49 ID:JBf2bsAv
ユキヒョウの論理はもう聞き飽きた

結局、マインドを自分だと思ってるからそういった問題が出てくる
思考とそれを観察しようとする思考という自己分裂、そしてそれについてまた思考するという無限ループ

観察というのは人間の本性であって、自我が何もしないことによって、受動的観察が現われる
639@:2007/06/21(木) 16:45:08 ID:JBf2bsAv
観察は怒りや恐怖を対象とする以上に、自分自身の判断や分別を観察の対象にしなければならない

なぜならば、判断や分別にほとんどの人間は同化してしまっているからだ

例 ユキヒョウ
640ユキヒョウ:2007/06/21(木) 20:50:46 ID:vuUQ6Kkt
何か気に障ったみたいだけど、私には理由がよく分からない。
ともかく、私は考えたことを書きたいと思えば、
これからもいろいろ書くかもしれないから、
@さんの方で読まないとか何とかで対応して下さいな。
641@:2007/06/21(木) 23:17:37 ID:JBf2bsAv
なんか新しくなったような…

>>640
気に障ることなんて何もないが、ただ、ちょっと気になったことがある

それは、判断や推論、疑い、等のマインドの知性的活動(非常にたくさんの時間とエネルギーを浪費する)に対してはたして観察は行われているのか?
という疑問を持った

何かその部分は聖域として観察の対象から外れているような気がしてならない
642774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/21(木) 23:42:34 ID:spj+czl+
確かに@さんの指摘は正しいのですが、人はそれぞれです。

ユキヒョウさん、あなたなりに地道にやればいいだけの話だと思います。
その中でユキヒョウさんなりに何かを掴むかもしれません。
あなたは匙を投げてはいないわけですからね。

>逆に、Kの言葉によって自分のやっていることを検証する、の方になりがちだった。
これはユキヒョウさんだけでなく、Kの言葉に接するすべての人に
あてはまると思います。Kが言葉で意味しているものを、読む人は引き出そうと
することができるのみで、Kの言葉の完全な理解はできません。
Kの言葉の意味を完全に理解するにはKと同じところに立たなければ無理です。
それは、私が以前 understand で意味したことです。

ですから、Kの理解を主にするのではなく、自分の理解を主にすることが
Kの言葉に接する上での基本であると思います。そうでなければ、
かつてのKスレのように、Kの言葉を巡って、論争になってしまうでしょう。
それはある意味Kの信奉者、ある種の教条主義という皮肉な結果を生み出します。

ここを訪れている方々は、ご自身なりに見いだそうとしている
素晴らしい方々だと私は思います。
その姿勢に対して、お互いと自分自身に最大の敬意を払っていれば良いのでは
ないでしょうか。klさんが言うように皆、違うのです。
643774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/21(木) 23:50:50 ID:spj+czl+
Kの言葉によって自分自身の理解を深める、これに尽きると思います。
そして私の経験から言わせていただければ、それは可能です。

しかし、根気よく、辛抱強く、時には勇気も必要で、時にはリラックスも、
時には完全な集中を、必要とします。ですから、自分自身をそのために
投げ出すくらいの情熱は要求されるでしょう。

匙を投げるのは簡単です。けれども投げたらそこで終わってしまいます。

意志(自我のでない)が必要であり、またその意志が探求の衝動と
なるわけです。真の情熱はそこからやってきます。そしてそれさえ
あれば、川の水が自らの進路を決めるがごとく自己認識に向かって
突き進むでしょう。

644774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/22(金) 00:17:28 ID:hUGoxDk1
グルジェフが使った、そして@さんが好きな「自己想起」という言葉、
ですが、私はこの言葉を聞いた時にラマナ・マハリシを思い出します。

「自分は誰か?」という内面への問いかけは究極の自己想起です。
自己想起は内面への「問い」です。
観察した上で、また観察の前に「それは何か?」と問うことです。

観察と自己想起、言葉は違いますが、両方とも意識的でなければできません。

<観察の場合>
怒りがあるとします。
わたしの怒りの観察をします。まず、私が怒っていることを素直に自認します。
反応があるところに「認識」はありません。「反応」しかありません。
自分の怒りを自認すると観察の80%は終わりです。

私が自分の怒りを自認すると、怒りに繋がっている様々な記憶、思考パターン
等々の連鎖に気づきます。そうすると私の怒りのルーツについての理解が
あります。それは怒りの問題ではなく、私の誤解とか事実に対する錯覚である
ことが明らかになります。

<自己想起の場合>
怒りがあるとします。
「それは何か?」と自分に問います。その時、内面に注目が行きます。
怒りを怒りとして自認します。以下、観察の場合と同じです。



645774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/22(金) 00:32:48 ID:hUGoxDk1
観察にしろ、自己想起にしろ、
自己の内面の理解、及びその扱いに関するアートであると思います。
それによって私たちは、グルジェフが言うところの、反応する機械から
意志を持つ存在へと変わっていくのでしょう。

意識的に生きる事は、人生を自在にします。
思考や感情はわたしの僕です。
そのとき、「私は誰か」を知ることになり、
それは内面のセンターとして徐々に自己の内面の中で
存在感を増していくことになります。

瞑想はこのプロセスを助けるものでもあり、
またこのプロセスの中で自然と起るものでもあります。
観察、自己想起、そして瞑想は、手段でもあり結果でもあります。

どこから入っても同じことです。
646774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/22(金) 00:36:07 ID:hUGoxDk1
ですので、手段も結果も重要ではありません。

観ること、問うこと、在ることが重要です。
647神も仏も名無しさん:2007/06/22(金) 01:28:19 ID:SN8PsTYB
私は怒りではないんだよっ、と。
648@:2007/06/22(金) 09:05:02 ID:pJitDpte
>>644
揚げ足を取るつもりはないが、自己想起と自己観察は同じものではない

自己観察は自己想起の一面ではあるのだが、自己想起にはもっと深い意味がある
観察はそれほど難しいものではないし、熱心にやれば誰でもできる
しかし自己想起はほとんどの人間には不可能だ
なぜならば、その準備が出来ていないからやりようがない

自己想起とは文字通り、眠っている自己を想い起こすことだが、ほとんど人間には自己がなんであるのかさっぱり見当が付かない
故に何を想い起こしていいのかわからない

自己想起をするためには「私は誰か」という問い掛けから答えなき答えである「真の自己の感覚」を得ていなければならない
そうでないと不可能だ
649ユキヒョウ:2007/06/23(土) 13:46:43 ID:UdlXMaLa
「あなたは素晴らしい夕焼けや、野原の中の美しい木を眺めているとしましょう。
初めてそれを見たとき、あなたはそれを完全に、十分に楽しみます。
しかしあなたはもう一度それを味わいたいという欲望から、その場所に戻ってゆきます。
そういう欲望を持って戻ったとき、どういうことが起こるでしょうか。
そこには喜びがありません」(『自我の終焉』 P.309)

ここで書かれていることは、ふつうの日常生活でもよくあることだし、
瞑想をしようとする試みにおいても起こることのように私は思うのですが、
みなさんの場合、そういうことはありませんか?
650kl:2007/06/23(土) 17:00:18 ID:EQZ4iTbJ
>649
そこで書かれていることは心理的記憶・思考が有害であり
実際の体験を邪魔するものであり、その真理を理解すればそれが消えると言っています。
心理的記憶・思考は自我そのものです。それがあなたという観念の全体です。
それがあなたとそれ以外の分離を生み、様々な衝突・争いを生んでいます。
どのような欲望その他の問題であれそれを乗り越えるには
それを見つめて問題そのものの本質や誤りを理解するしかなく
それ以外のやり方では結局更なる問題を生むだけではないか。
だから問題を生み出し続ける心理的思考を観察しそのまま受け止めるしかない。
そうすればそのうち自然な解決が生まれるかもしれない。
それ以外のやり方は全て心理的記憶・思考に頼るやり方。
今は容認しがたい状態にあるのでその今の状態は見たくないので見ないで
そうじゃない状態を考え、その状態になりたい。
そしてその状態になろうとする。
このような考え方・その行為をkは努力と表現している。
そうじゃなくて容認しがたいと思える現在の状態にこそ
それを乗り越えるカギが隠されている。
欲望・恐怖などが起こるのは逆に有難い事です。
その時の思考・感覚・感情を宝物のように大切に全て逃さず感じ・味わい尽くすのです。
そうすればいつのまにか嫌な感覚は全て消え精神的に全くの平静になります。
そこから新たな行動を起こすことが出来る。
運が良ければ何かの理解も生まれる。
欲望・恐怖から逃げていては先へ進むことはないように思える。
651kl:2007/06/23(土) 20:27:03 ID:EQZ4iTbJ
>649
瞑想をするのが欲望であっても問題ないと思います。
その欲望の感覚・思考・感情をそのまま受け止め感じれれば
それは自己を学ぶ事でありkの言う真の瞑想だと思います。
欲望があってはいけないのではなく、
実際にあるもの(欲望・恐怖など)から学ぶ必要があると思います。
652@:2007/06/23(土) 22:20:18 ID:Z1P4H6QZ
全ての探求が止まった時に瞑想がある
そりゃそうだ

今日、久しぶりにKを読んでみたのだが、(恐怖なしに生きる)
そのなかで、Kが頻繁に「空」について言及しているのが興味深かった

「注意深い心とは、何もない空の心のことである」

「この、空の炎の中で、心は若々しく新鮮で無垢なものに生まれ変わる。」
653@:2007/06/24(日) 04:54:19 ID:GJHWns48
Kを読んでいて気付いたのだが、Kの言う瞑想とは観察とは違うようだ

それは自己想起と自己観察が違うのと同じように違う

Kの語る瞑想は空のイメージと密接に関連している
「それはイメージも象徴も言葉も、押し寄せる記憶もない世界である」

しかもそれは空であると同時に何か感覚的なエネルギー現象のようでもある
「あらゆる思考は鎮まり、瞑想はなんら目標もない偶発的な運動であるかのようだった。」

「それは一日中静かに持続していた。ときにぱっと燃え上がり非常に強くなったかと思うと、次にはまた鎮まり、静かにつづいていった。」
654kl:2007/06/24(日) 18:11:06 ID:jdrCbVEE
観察されたもの(感じられたもの)に何の働きかけもせずにただ見ている(感じている)
これがkのいう自己認識・瞑想と思える。
我々は普通 観察されたものに何もしないでいるのは居心地が悪い。
しかし自分自身の内に観察されたもの対して何もしないでいる事に安住するのが
望ましいあり方なのだ。
その状態に留まりさえすれば後は自然に体が反応しいい方向へ進む。
後はただ任せていれば良い。
655四零九:2007/06/24(日) 20:35:57 ID:4RdyfTWy
君たちのコメントは不自然だ
656KAWAZU:2007/06/24(日) 23:57:45 ID:aPyHsIVl
ここの雰囲気、
今は空理空論という感じになってきてるんだよな、、、、

ただ理屈こねくり回してるだけのような、、、、
なんかつまらんね。
657@:2007/06/25(月) 00:36:07 ID:fbG/geTH
>>656
それは本体が全く瞑想を理解していないからだ

観察を瞑想だと思っている

泳ぐ前のストレッチ運動を瞑想だと思っている

しかも観察も中途半端で怒りや恐怖を観察しても、自分の思考活動は観察する必要がないと思っている
それこそが自我であるというのに…

瞑想を空理空論のように感じるのは本体に瞑想の持続的な体験がないからだ
658神も仏も名無しさん:2007/06/25(月) 01:26:42 ID:m1CW2eI/
読み辛くって仕方ない・・・
659ユキヒョウ:2007/06/25(月) 11:53:46 ID:Q0s1RYYZ
>>657
まずその「本体」に関する妄想を観察して、同化するのをやめた方がいいと思う。w
660774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/06/25(月) 12:09:20 ID:Y4FV4wwa
>>657
まさに観察のない言葉、そのものですね。

もう話し合いはそろそろ止める時期だと私は感じますので、
ここいらでオチます。話したい方はどうぞ続けてください。
661@:2007/06/25(月) 16:15:32 ID:fbG/geTH
どうやら本体の理解は観察のとこらへんで頭打ちらしい

それ以上になるとよくわからないようだ

しかし何度も言うが、観察によって思考や感情を整え、葛藤や恐怖から解放されるのは瞑想に入って行くための準備運動に過ぎない

まだ道に入ってすらいない

Kはあくまでも大衆に語りかけている
Kの言っていることは全然難しいことではない
Kが悟りのことを語らないのは、Kの語ることがほとんど悟り以前の問題だからだ

ちょっとKのことを誤解してたな
662@:2007/06/25(月) 17:40:38 ID:fbG/geTH
「Kが大衆には難しくて理解できないことを語っている」というのが、自分の勘違いだったことに気付いた

確かに表現の仕方が独特なために理解しづらい部分はあるが、内容としてはまさに大衆のための教えであり、難しいことなど、ほとんど語られていない

そういう意味では、和尚やグルジェフとは次元が違う
扱っている内容が違うし、対象としている人々が違う
663神も仏も名無しさん:2007/06/25(月) 18:49:55 ID:9juQLlj4
1993年6月、インド南部の修道施設でサイババのインチキを批判し抗議しに行った4人の信者を、サイババとグルになっている
地元の警察官が無残にも射殺してしまった。
警察の行為を調べたい犯人の遺族の気持ちは無視され、ただ「凶悪犯でサイババ暗殺を企んだので
正当防衛で殺した」ということであった。
神の化身と自称する人の寝室で行われた犯罪であったのだ。
犯罪者はどっちであろう? 
むろん、サイババ側であろう!

ニポンもオウム化、サイババ化するであろう。
逆らうやつは歩あされるだろう。
サイババはホモで自分の創った学校の男子生徒を強姦するらしい。
今まで何万人もの生徒がやられたらしい、それも可愛い少年ばかり
664大王:2007/06/25(月) 23:08:09 ID:6hsf9gPu
656 :KAWAZU:2007/06/24(日) 23:57:45 ID:aPyHsIVl
ここの雰囲気、
今は空理空論という感じになってきてるんだよな、、、、

ただ理屈こねくり回してるだけのような、、、、
なんかつまらんね。


657 :@:2007/06/25(月) 00:36:07 ID:fbG/geTH
>>656
それは本体が全く瞑想を理解していないからだ

観察を瞑想だと思っている



両者に同意!!!
665KAWAZU:2007/06/26(火) 00:40:05 ID:gYSNUWdb
瞑想は、ゆるぎない決意を持って見る事だ。ただそれだけ。そこに何の保証も無い、なんの見返りも無い、
瞑想に対して何かそこからもらえるような気になって、おねだりしてるような自己観察やっててもしょうがないよ。

みんな親が死んだことは無いのかな? 爺さん婆さんでも友人の死でもいいのだが。

火葬場でいよいよ死体を焼く、燃える中に入れる
はっきり別れがある。

あれと同じ、瞑想することは新しい自分に生まれ変わる決意がいる。
今までの自分に留まり、甘えの中で自己観察だか
自己想起だか、、、、言葉の遊びはいい加減にしてくれ。
自分勝手な心地よい場所、自我の安全圏にいて本質を語らないでほしいね。

まあー、ここが真の意味で瞑想できなくて、そういう人たちの落ちこぼれの溜り場なら
それもしょうがないだろう。
甘えの場でいいのだろう。

大いに甘えあって時間の無駄をすればいいだろう。
666@:2007/06/26(火) 01:10:05 ID:c/IcfFLK
>>665
お前(本体)のように、一日中キャラを変えて言葉遊びに熱中している人間に瞑想を語る資格はない

それとも自分自身に対して言っているのか?

というよりも、自分の言ってる事を自分自身に対して言い聞かせるべきだ

これほど不誠実な人間は滅多にいないからな

真理に対して不誠実に振る舞える人間がいるとは驚きだが…

まぁいいか
667KAWAZU:2007/06/26(火) 01:24:39 ID:gYSNUWdb
>>666

オレはいい加減だが不誠実ではないよ。
ただ、それだけ。

それに最初から思ってたことだが、ネットでの話し合いなどというのは限界があるんだな。
特にKなんかは、ただの論理のやり取りに陥りやすい。
フツウのセラピーなどに関することならいいのだろうが、瞑想の本質となるとまずいね。

まじめに話し合うというのなら、オフ会やってもいいぞ。
場所は東京近辺になるだろうが、そのときは誠実にw対応しますよ。
668KAWAZU:2007/06/26(火) 01:33:26 ID:gYSNUWdb
言っておくがどのような人間にも瞑想を語る資格はある。

オレはトリックスターだ。
いろいろな人間がいることを認めろ

オレ程度の者もとりこめないようでは、みんなケツノ穴が狭いのじゃな。

669@:2007/06/26(火) 02:18:36 ID:c/IcfFLK
まぁトリックスターはありだな、
というよりも必要不可欠みたいだな
実際、大勢に役立っているみたいだな
トリックスターが消えたらみんな寂しく思うだろう

ただ、自分は瞑想については語れないな
そんなだいそれたことは今の段階では不可能だ

それともしかしたら、本体はユダの生まれ変わりなんじゃないのか?
おっと!これは冗談
670神も仏も名無しさん:2007/06/26(火) 10:07:17 ID:ecYntOsI
ますますつまらないスレになったな。
671神も仏も名無しさん:2007/06/26(火) 20:36:26 ID:pXeV14UW
いい加減煽り合いやめてくれよ。
コテハン名乗る自体がおかしいって。
672KAWAZU:2007/06/26(火) 20:37:57 ID:gYSNUWdb
オレは必ず真理の探究者には、まず最初は座って行う瞑想を薦める。
意識を一旦遮断して内面を凝視したほうが進歩は早いんだよ。

大体、Kだって最初は若いうちに15年以上も瞑想してるじゃないか?

だから、誤解した連中が、テクニックはすべて無意味だとかいって、
それなのに、へたくそな自己観察だか想起だか、けっきょくテクニックみたいな
世界から出られなくなって、ヘ理屈を延々とこね回す。

ガタガタ言っとらんで、まずは、黙って座ってみんしゃい!

これがオレの最後のメッセージ。
673神も仏も名無しさん:2007/06/26(火) 20:40:06 ID:dwrJU0ur
前スレの半ばから、本当に読んでいない人間のスレだから。
674神も仏も名無しさん:2007/06/26(火) 20:50:30 ID:pXeV14UW
>>672
全部自分のことかw
675KAWAZU:2007/06/26(火) 20:50:48 ID:gYSNUWdb
ひとつだけ最後に言っておく。

テクニックを使った瞑想が駄目なのではない。
そのようなあるレベルにまず達して、それを乗り越えて行けるように指導できる
教師(導師)であれば、なにも問題は無い。

そういうこと。

で、そういう先輩に巡り会えるかどうかは、まさにその人の内面にかかっている訳。
けっきょく、求道者次第なんですよ。

その人が本質を選ぶならば、本質もその人を選ぶ。
676神も仏も名無しさん:2007/06/26(火) 22:00:29 ID:pXeV14UW
グルは要りません
677kl:2007/06/27(水) 02:29:59 ID:eTEJ/ogr
我々は常に闘争の中で生きている。世界でも職場・家庭、多くの場面に闘争がある。
その闘争が問題を解決し難くしているのが見えないだろうか。
闘争は真の協力関係を生まない。
自分の出世が大事な人に他の人と本心から協力できるだろうか。
外的世界のそうした闘争を作り出しているのは我々の内面の闘争である。
私とそれ以外の分裂が闘争を生む。
過去の記憶・思考・経験の集合が心を形成し、行動に反映する。
思考は経験に執着し欲望・恐怖を作り出す。
思考は過去を捨てずに持ち越し利用しょうとする。
この執着が精神的時間である。
そしてその執着が記憶を生み、思考が感情を育てる。
思考が私を作る。精神的な私とは記憶・思考であり過去なのだ。
思考が私とそれ以外を作っている。
その私・それ以外(観る者・観られるもの)の二重性が闘争を生む。
怒り・暴力性・嫉妬・出世欲・権力欲など。
私という観念は常に生活の中で思考として動いている。
この思考が観察をゆがめ、理解の障害となる。
ちょうど私の利益を考えていて上の空で相手の話を聞いている状態と同じである。
678神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 05:39:09 ID:V11Qs4ot
瞑想経験はある。だがKのは全然違う。
それはテクニックではない。テクニックの積み重ねの上にあるものでもない。
679大王:2007/06/27(水) 09:38:12 ID:L1BMhoZH
かわずさんや、○エーさんが言いたいのは、774は、、

仏教で言えば、、思考の分析論が欠落して、瞑想、自己観察をしていると、、

774も概念で、頭から既存宗教というカテゴリーに入れて、
思考の分析論とか、有効な面を見ずして、「くだらない」と判断するからね、、
680神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 10:17:04 ID:4vG+T9qw
>>678

Kはどうでもいい。あなたがそれを実践できるかどうかですね。

次に、
また、ラージャヨーガなどの高等テクニックは、ある意味ではテクニックを超えている。
これは、やってみなければわからないよ。オレは10年やったけど、、、。
チャクラやクンダリニーなんて、肉体と(気のレベル)の話。
あれを瞑想ヨーガと思ってしまったらおお間違いだよ。

ただ、瞑想にはある程度我慢が必要なんだよ。
「石の上にも3年」というのは実にいい格言だと思うよ。
681神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 11:32:21 ID:ROn/o0g2
知 っ た か ぶ り 
臭さが漂ってきたw

瞑想自慢って....もうねアフォかとw
682神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 11:48:38 ID:4vG+T9qw
>>681

だから、それなら人のこと批判してないでww

実践したらどうだい、自己観察でも何でもww

批判好みちゃん。
683神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 12:07:29 ID:ROn/o0g2
うわ、反応してきた。

>実践したらどうだい、自己観察でも何でもww
いやー、自分の反応も観察できない人にそんなこと
言われてもねぇー。

ラージャヨガとか以前の問題じゃないかと小一時間 ry)
684神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 12:23:55 ID:4vG+T9qw
>>683

ははははは、、、、ははははははh
無無無無無無

禅でもやったら、こんなところにいないでw

では、GOODBYE
685神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 14:50:03 ID:ROn/o0g2
瞑想の体験があるから、何だっての?

バカのままならどうしようもないじゃん。w
686kl:2007/06/27(水) 15:09:55 ID:eTEJ/ogr
kの自己観察に対して低い評価を下している人がいますが、
仏陀やラマナ・マハリシも私には本質的には同じことを言っていると思える。
(ただし仏陀についてはスッタニパータ、ダンマパダしか私は読んでない)
ただしkの場合は具体的に詳しく説明している為実践しやすいところが違う。
自我が問題をこじらすのに気づきませんか。
その場合、人がそうなっているのには気づきやすい。
自分に対しては気づきにくい。
それを気づくのが自己観察。
他との関係の中で自我が明確になる。
人の問題には平静に気づけても自分には防衛反応が起こり
観るのを拒む。
自分の価値を下げかねないものには守りにはいる。
こうした思考の動き、
自我を守ることに関心の目を向けて入ることや
そういう内面での行動を取っている事に注目すれば
実際に自分の現状を曇りなく見れるようになる。
関係を鏡にして自分を見つめるのである。
自己観察は表面的事実の観察から始まるがそれだけではない。
精神的思考が精神的時間を頼みに経験を継続させようともくろみ、
結果としてそのことがそのまま恐怖・欲望を育てている事
などの洞察を必要とする真理を観ることも含まれる。
687神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 15:24:46 ID:ROn/o0g2
せっかく他人がいるのに、

自分を見てウットリしないと気が済まないバクァが
いるみたいですね!

688人種差別主義者:2007/06/27(水) 15:35:15 ID:0WbxiMQO
お前に瞑想の何が分かるんだ!

瞑想こそ世界の真理
麻原尊師も瞑想なさっておられた
689ユキヒョウ:2007/06/27(水) 19:53:53 ID:CDNLRlvC
Kは、受動的観察においては、人は過去の影響による歪曲などなしに、
「ありのまま」を見ることができ、こうして見ることを通じて、
すべての問題が解決すると言っているようです。
これを実際に体験した人はいませんか?
690ユキヒョウ:2007/06/27(水) 20:56:06 ID:CDNLRlvC
現にあるものとは別のものになろうとする努力によって真の変革は生じない。
この努力が止んだときにのみ、現にあるものが完全に理解され、
それによって真の変革が起こる・・・・・・だとすると、努力はすべて無意味だと
Kは言っているわけですね。なるほど。
691神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 22:29:26 ID:VYGM796g
瞑想を
   10年やっても
          バカはバカ
692神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 00:32:59 ID:/sl1+YEu
プギャ━━━━━━m9(^Д^)━━━━━━ッ !!!!!

K教祖は他の教祖よりベターです。


      (⌒⌒)
 ∧_,∧ ( ブッ )
( ・ω・` ) ノノ〜′
 (⊃⌒*⌒⊂)
  /__ノωヽ_)
693kl:2007/06/28(木) 03:31:25 ID:5sKTTo2Z
>>689
全ての問題が解決すると言ってましたか。
そのように言っているとしたら
問題ではなくなる(問題と感じない)といった意味なのではと思いますが。
>>690
現にあるものから逃げたり嫌がったりして
現状を見ないで他のものに成ろうとするのは失敗するという意味では?
現状の理解のみが現状を変化させる可能性を持つと思います。
上記のような努力は無意味という事です。
思考の時々刻々の動きを捉え自分が何を望み何をしているかを
把握するには情熱とエネルギーが必要とkは言っています。
これを努力と言うこともできます。
言葉はその使い方で色々変わる。
694神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 04:24:57 ID:d4b0t14A
瞑想が良いのか悪いのか、必要なのか必要じゃないのか?
答えは無いでしょ。
人それぞれ必要な物は違うわけで、まず今の自分が何を必要としているのか見出すことから始めたらどうでしょうか。
695神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 05:36:02 ID:CY6bEz9S
こいつらは頭が良すぎるんだな。
696神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 08:24:31 ID:S5Uag4N5
>瞑想が良いのか悪いのか、必要なのか必要じゃないのか?
>答えは無いでしょ。

そういう視点ではないと思うよ。
697ユキヒョウ:2007/06/28(木) 08:26:56 ID:zMDrh1Ww
> 現状を見ないで他のものに成ろうとするのは失敗するという意味では?

他のものになろうとしているなら現にあるものを見ることはできない、
とKははっきりと言ってますよ。
Klさんは、ご自分の実践していることにあうように
Kの教えを歪曲して解釈しているように見えます。l
698神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 11:12:56 ID:S9GkizhI
愚民には
    理解できまい
          この自己想起
699ユキヒョウ:2007/06/28(木) 11:20:26 ID:zMDrh1Ww
>>697は論点が明確でなかったですね。現状を修正、改良していこういう意志は
すべて現にあるものからの逃避であり、現にあるものを見ることを妨げる、と
Kは言っていると私は理解しています。だから、「自己観察によって現状を修正、
改良していこう」というような教義の「クリシュナムルティ教」は、すべて
歪曲・捏造であると私は思うのです。
700kl:2007/06/28(木) 11:47:58 ID:5sKTTo2Z
>>699
自己観察によって修正しようと言っていません。
世の中や自分の中の問題を見るとその原因は自分の中にあると思います。
個人の内面の問題が社会の問題も引き起こしている。
自分に問題があるなら、先に自分の問題を解決した方がいいでしょう。
まずは自分を知る事が大事と思います。
ゆがんだ眼鏡をかけたままではいけないでしょう。
まずは観ることが出発点だと思うのです。
思考・感情・関心・感覚の動きを観てみると
我々は多くのことを瞬間瞬間やっていることが判ります。
しかしその多くは本当に必要なものでしょうか。
過去からのいきさつがありやっているが、
不要な行動かもしれない。
色々な希望・思い・感覚があるのを捉えますが、
それについて考えようというのではありません。
考えてもいいが別に何もしなくても
捉えたものは自分の中でそれなりに消化されるようです。(これは私の実感です)
効果を期待するのではなく事実を見つめ真実を理解するのです。
その結果として運がよければ問題が解決されるかも知れない。
701屁692:2007/06/28(木) 12:09:05 ID:/sl1+YEu
自分の問題を見ているのはいいんだが、あまりにも社会性のないバカなのが
精神世界には多いね。

政治がゆがんで社会が乱れてるのにそれに気が付かない。
センキョも行かない。「誰がやっても同じだよ」という。
上のような台詞が吐けるやつは、当然自己を見つめていない。
自己から出発しても、関係性の世界が存在することに眼をつぶるわけだから。
自己欺瞞の自己観察者は、果ては、とんでもないカルトにはまったりする。
Kだって、ラマナマハリシだって仏陀だって、ただのめりこんでいるだけではカルト的生き方と相違ない。

ただ、Kはカルトになりにくいタイプだが、似非インテリの暇つぶしになってしまう嫌いもアル。

この世にいる間は、たとえ覚醒しても、その「空から来る直感?」か何かで
冷静に問題に対処する必要はあるだろう。
苦の娑婆にいてあまり安定を求めてもしょうがない。
覚醒しても自己の肉体には老いが迫り周囲の世界に苦がなくなるわけじゃないから。
ただ、シャープな活き活きとした感性は死まで続くだろう。
702ユキヒョウ:2007/06/28(木) 12:17:41 ID:zMDrh1Ww
何となく前スレの様子をみて私も名前をつけてしまったんですけど、
下手に「名前」なんかついていると面倒だから、
全員匿名の方がよくありませんか?
703神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 14:19:49 ID:S9GkizhI
社会から
    抜け出たはずの
           精神世界

そんな世界は
      あるはずもなし
704神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 19:54:09 ID:zMDrh1Ww
キリギリスに
   なろうとしても
       アリのまま
705神も仏も名無しさん:2007/06/28(木) 23:24:27 ID:zMDrh1Ww
しかし、私は本格的に人生に行き詰ってきた。(このスレのことではない。w)
706神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 00:03:10 ID:/4xq9UwC
いや、楽にはなれるよ
707神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 00:56:45 ID:Lqeo1WLR
>>706

集団自殺勧誘ですかなww
708神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 07:16:46 ID:d554Wtil
頭で行き詰ったと思っても、この世は勝手に動いていくしあなたも一瞬たりとも
静止することはないから大丈夫。すべてのものが運動し続けるのがこの世。空気
は勝手に吸うし、細胞の新陳代謝、不足部署への物資の運搬、連絡など自我
の知らない膨大な作業をこの体は生まれてから今まで休むことなくやっている。
行き詰ったと思うのは考えだけ。腹減れば自然に食べ物を求めてさまよう。それ
が生命。朝からずいぶん香ばしくてすまん。
709神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 10:22:23 ID:VPeHKu2b
全然大丈夫じゃねえだろ。w
710神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 15:26:24 ID:rFRcy/kp
三性のなかで、第一の遍計所執性はその性格からみて、すでに無存在である。
つぎに依他起性は、自立的存在性を欠くから、やはり空である。また、同じ
依他起性は存在要素の絶対性としては、第三の円成実性である。そして、
どういう境地においても、真実そのままの姿であるから真如と呼ばれる。
その真如は、とりもなおさず「ただ識別のみ」という真理である。これを
自覚することが、迷いの世界からさとりの世界への転換にほかならない。

しかし、実践の段階において、「ただ識別のみ」ということにこだわって
はならない。認識活動が現象をまったく感知しないようになれば、「ただ
識別のみ」という真理のなかに安定する。なぜなら、もし認識対象が存在
しなければ、それを認識することも、またないからである。それは心が無
となり、感知が無となったのである。それは、世間を超越した認識であり、
煩悩障(自己に対する執着)・所知障(外界のものに対する執着)の二種
の障害を根絶することによって、阿頼耶識が変化を起こす(転識得智)。
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し、善であり、
永続的であり、歓喜に満ちている。それを得たものは解脱身であり、
仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智)。
711神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 16:28:30 ID:U/ZkxkXh
どなたか、現代日本語に翻訳してくれませんか。
712神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 16:41:45 ID:U/ZkxkXh
どんな人でも深く眠っているときには、
「認識活動が現象をまったく感知しない」状態になっているのに、
それによって「阿頼耶識が変化を起こ」さないのはなぜ?
713kl:2007/06/29(金) 18:19:44 ID:T+cHQRj5
>>712
眠りの状態は休憩している状態ではないでしょうか。
完全に休憩の状態では肉体は修復作業状態ですが、
内面は何もしていない状態だと思います。
ただし心配事を抱えている場合は眠りが浅い場合には
その問題を解決しようとして内面で活動を始めると思います。
眠りの中での活動でも内面の活動の仕方は目覚めている時と同様と思います。
だから日中の活動が思考だらけの場合は寝てても思考が多く
日中に観察が多い人は寝てても観察の活動が多くなると思います。
要するに活動がなければ変化も起こさないし、
(精神的な)思考がない活動(つまり観察)でないと変化が起きないのではないかと思います。
714神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 21:16:45 ID:q/FQbOYh
>>712
それは仏教ではマナ識と呼ばれるものです。
それが自分が自分である意識を保つ種子、だそうです。

>>710 は仏教の唯識論、です。
すべては心の為せる業。ということです。
そして具舎論という苦しみの原因と、心のはたらきを事細かに
分析する論がありますが、これらを勉強してKを読むと、
かなりイイようなことに気がつきました。

Kの言葉や対話はナーガルジュナに似ているみたいです。
同じ南インド出身で、独特の否定の仕方、など。
715神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 21:59:57 ID:VPeHKu2b
クリシュナムルティは「ブッダを本当に理解した弟子は二人だけだった」と
言っていますが、これは仏教に詳しい人にはよく知られたことなのですか?
716神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 23:05:21 ID:Lqeo1WLR
>>715

仏陀には十大弟子といわれるとおり、10人の高弟がいたらしい。

Kの言ってる二人とは、たぶんこの人たちと違いますか?

1、智慧ナンバー1と言われた、シャーリプトラ=舎利仏 般若心経に出てくる
2、「拈華微笑」=ネンゲミショウと言う話があるが、それは釈迦の無言の説法に微笑みながら華を差し出したという
マハーカーシャパ=摩訶迦葉 の御話し。
717神も仏も名無しさん:2007/06/29(金) 23:55:06 ID:VPeHKu2b
そのシャーリプトラとモッガラーナという人だそうです。
718神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 00:00:22 ID:Lqeo1WLR
>>717

サンキューでした。

その、モッガラーナは漢訳された名前ではなんでしょうかね?
シャーリプトラと同じ町の出身とされる、神通力ナンバー1の
マハーマーウドガルヤーヤナは大目連という名だし、、、
719神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 00:08:56 ID:cMNNyIcC
翻訳には(目連)とありました。「大」はついていなかったようですが、
同一人ですか?
720神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 00:15:26 ID:cMNNyIcC
> だから日中の活動が思考だらけの場合は寝てても思考が多く
> 日中に観察が多い人は寝てても観察の活動が多くなると思います。

「思考」と「観察」が排他的な関係にあると理解していいですか?
しかし、そうだとすると「思考を観察する」ということが
不可能になってしまいませんか?
721神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 00:22:34 ID:YZLXA+2o
ここにある。
マハーマーウドガルヤーヤナさんとモッガラーナさんは同一人物のようです。

以下ウィキ参照

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%A4%A7%E5%BC%9F%E5%AD%90
722kl:2007/06/30(土) 01:07:20 ID:as4pxGHY
>>720
人の話を聞く時に次に自分は何を話そうかなどと考えているときがあります。
この場合、身を入れて聞いていない。
100%の力の内5%で聞いて残りの95%は考えています。
同時にできない事はないが、力はそがれる。
白(観察)か黒(思考)だけど混ざった灰色もある。
実際に自分で観察すると分かります。思考があると観察は上の空(おろそか)
になります。
人間のやる事は出来る・出来ないで1か0とはならない。
泳げるといっても何メートル泳げる人を泳げるというでしょう。
数学のようにはならない。
思考を観察することは出来ます。
そのときその思考を評価したり、逃げたりして観察するのでは100%観察してない。
723神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 03:30:31 ID:ePfUoKgR
つーか心配事や睡眠が浅いときって言ってる時点で
深く眠ってるときではないじゃないか。
724神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 05:26:02 ID:cMNNyIcC
>>722
> そのときその思考を評価したり、逃げたりして観察するのでは100%観察してない。

思考があれば100%観察していないのであれば、
思考を100%観察するということはあり得ないことになるのでは、
と聞いているのですが。
725神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 07:50:56 ID:cMNNyIcC
「と聞いているのですが」は変ですね。
726神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 08:41:23 ID:cMNNyIcC
「想念観察」を自己変革の主要な方法として提案する宗教団体みたいなものまであるんですね。
いやはや・・・・・・。
727kl:2007/06/30(土) 09:15:49 ID:as4pxGHY
>724
私には思考がある時観察はない、観察がある時思考はないように感じられる。
これは
実際に観察しての感想です。理論では有りません。
正確な構造(両者の関係)が分かっている訳ではありません。
ただこの部分はkの主張の根幹に関係しているように感じます。
いずれにせよ自分の中でどのようになっているか確かめなければ
意味は少ないと思います。
728kl:2007/06/30(土) 09:55:44 ID:as4pxGHY
kの言っている事が正しいかどうかを判断するにはまず
kが何を主張しているか正確に掴む必要があると思います。
そしてその後、それを実践してみて正しいか判断する必要があると思います。
kの主張は
事実をゆがめず(あるがままに)観察して
その構造・真理を理解することによって真の問題解決ができる。
力で変えようとしてもうまくいかない。
問題の原因は(精神的な)思考にある。
思考は過去(記憶)を使い、経験を未来に持ち越そうとする動きである。
(思考は時間である)
恐怖・欲望は(精神的)思考によって生まれる。
(精神的)思考がなければ恐怖・欲望もない。
この瞬間に生が終わるなら(精神的)思考も必要に感じないないだろう。
私という考え方、私と他人、私が対象を見る。
この私という観念が私とそれ以外(観る者と観られるもの)の分裂を生む。
この二重性が両者の闘争を生む。
世界・社会の中で職場・家庭で闘争がある。
この原因は内面の闘争に原因が求められる。
怒り・暴力性・逃避・抑圧など。
個人の内面の闘争が外面(社会)に表われている。
こういったkの主張が正しいか私は自分の中で実際に観ています。
今のところ全く正しいと感じます。

729神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 23:39:13 ID:cMNNyIcC
> かつてのKスレのように、Kの言葉を巡って、論争になってしまうでしょう。

論争になっていいんじゃない? 
つうか、論証以外にこういうスレでできることがあるのか?
730神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 23:59:24 ID:QWqwhFwz
ですな
自ずからのアフォ吐いて晒して
気づくこともあってROMって静観
又晒す。コテおk名なしおk−
おーKurisyunamurutey
731神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 00:11:39 ID:FCZT1AKS
ハレークリシュナー、ハレクsリシュナ〜、♪〜
ハレランマ〜 ハレ〜ハーレー♪〜
732神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 00:42:51 ID:1uxPkgkg
クリシュナムルティのお師匠さんは
かつてのキリスト十二使徒のヨハネだぜ〜♪
733神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 01:23:45 ID:FCZT1AKS
>>732

ほんまですか?信じられないねーw


ところで、ニポンの防衛大臣がバカなこと言ったけど、これが原爆戦争の実態です。
よーく見ましょう。

http://www.youtube.com/watch?v=AL7-Mnojf00
734神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 11:10:58 ID:F5NvfTSd
>728
思考と観察の違いがなんとなく分った。
思考は無理やりでもできるが、観察はどうやればできるのだろう。
どうすれば「情熱とエネルギーをもって」観察できるのか? 多分断片的観察というのは
断片的思考(妄想)とそう変わりない様な気がする。
断片的思考を目的をもって統合すると思想になる。思考は訓練によって鍛えることができる。
具体的には「思考を書く」ことを継続的に行えば飛躍的に上達する。
 断片的観察も情熱とエネルギーをもって(ここでは目的を持ってはいけないのだ)
統合すると大観察になる。大観察に至るまでの過程をもう少し具体的に分析できないのか?
735神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 11:11:43 ID:cu0AgjOF
阿部首相の従軍慰安婦問題かんする醜態といい、
今回の防衛大臣の発言といい、
現在の日本の政治家は馬鹿なのではないかという疑惑が生じますね。
自分の発言がどういう効果を持つか予測する能力がないみたい。
736神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 13:23:33 ID:cu0AgjOF
>>734
断片的思考を統合して思想を作る場合、
異なるときに「考えられたもの」を集めて統合するんしょ?
観察は、そういうやり方では統合できないよ。
「観察されたもの」を蓄積し統合したりすれば、
それは観察ではなく思考になっちゃうんじゃね?
737神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 17:00:40 ID:53NG84Ku
情熱とエネルギーを持った観察って思考がはたらいてるんじゃないか?
結局、情熱もエネも欲の類をつかってんだし。
738神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 18:29:16 ID:cu0AgjOF
逆だろ。欲が情熱やエネルギーを使ってんじゃね?
739神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 18:30:00 ID:a5vH+CXR
>>737
同意。
観察は、乾いた醒めたものではないかと思う。
740神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 19:15:23 ID:F5NvfTSd
>断片的思考を統合して思想を作る場合、
>異なるときに「考えられたもの」を集めて統合するんしょ?

 たとえば処女論文なり処女作品なりを一つ書くとする。それ自体は創造的な
仕事だとはいえなくても、むしろ大失敗だとしても、そこで得た経験が切っ掛け
になって次には大きくステップアップする場合がある。これは作品を構成する要素
(思考の断片)が集まった以上の結果が出るということを意味する。
つまり思考の断片の集合以上「何か」が生まれる。その何かもまた思考かというと
そうではないように思う。

>観察は、そういうやり方では統合できないよ。
>「観察されたもの」を蓄積し統合したりすれば、
>それは観察ではなく思考になっちゃうんじゃね?

 観察は記憶としては蓄積されない。そういうものらしい。蓄積されるものなら積み重ねて
いけば、ある水準に必ず到達できる。それは知識の集積のようなものになるだろう。
しかし蓄積されないとはいえ観察力もまた観察を繰り返せば必ず上達するものだと思う。
人は毎日歩いたり走ったりする。だからといって、マラソンを走れるようにはならない。
マラソンを走れるようになるにはそれなりの鍛え方が必要だ。
 大観察はマラソンのようなもので、毎日観察したからといってそこに到達できるわけ
ではない。それなりの鍛え方があるように思う。
741神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 19:21:53 ID:cu0AgjOF
「上達」だの「鍛える」だの、
そういうのが好きな奴とKは相性が悪いんじゃね?
742神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 19:47:53 ID:F5NvfTSd
>741
それは誤解だろう。
743神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 20:28:22 ID:53NG84Ku
>>738
欲がエネや情熱を作ることもあるし
逆というより相対利用みたいな感じだろ。
744神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 21:00:21 ID:cu0AgjOF
>>743
欲がエネルギーや情熱を作るなんてことがあるかなあ?
俺の感覚では、欲望だの恐怖だのはエネルギーが取る形態であって、
それによってエネルギーが作り出されることはないような気がするが。
745神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 21:23:10 ID:53NG84Ku
>>744
君にとっての欲望や恐怖ってのがどういうものなのかは解らんが、
一概に全ての人にとって、欲や恐怖がマイナスになるとは限らんさ。
実際、俺自身が条件付きで恐怖がエネルギーになるし。
746神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 21:40:20 ID:cu0AgjOF
>>745
マイナスとかプラスとか言う話じゃないだろ。
747神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 21:43:37 ID:53NG84Ku
>>746
そうか?
エネルギー使う時点でプラスか、マイナスだと思ってたんだが。
748神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 21:52:34 ID:cu0AgjOF
>>747
エネルギーを使うことで、エネルギーが増えるなんてことがあるのか?
749神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 21:58:31 ID:53NG84Ku
>>748
あぁ、そっちね。
確かに、作られるって事はないかもしれないかもね。それだと。
750神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 22:04:16 ID:cu0AgjOF
君も訳の分からない人だね。
「欲がエネや情熱を作ることもあるし」って言うから、
そんなことあるのかって俺はさっきから言ってるんだが。
751神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 22:08:18 ID:53NG84Ku
悪かった。言葉のチョイスを間違ったよ。
作る というより 換える みたいな感じ。
752神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 22:19:29 ID:cu0AgjOF
ところで、「断片的思考を統合して思想を作る」というような「思考の訓練」に
関して、クリシュナムルティは明確に否定的だと思うが、それについては
君はどう思う?
753神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 22:29:59 ID:F5NvfTSd
それは読み間違いだな。「子供たちとの対話」をよむとよくわかる。教育を
否定しているわけではない。
754神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 22:41:40 ID:cu0AgjOF
いや、違っていないと思うよ。クリシュナムルティは教育を否定してはいないが、
彼にとっての教育は思考の訓練ではまったくない。思考によって人生の問題が解決
されることはない、と彼は断定している。
755神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 23:06:01 ID:53NG84Ku
今さっきググってみたが、よくわからないな。
だが、思考によって人生の問題が(略)ってのは同意しそうだ。
756神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 23:13:29 ID:F5NvfTSd
 人生問題ならそうかもしれんな。しかしそれは思考の狭い用法だ。
彼の否定は、説明せんがための何かを際立たせるための否定であって、
思考そのもの否定ではない。そこを読み違えるととんでもないことになる。
757神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 23:16:41 ID:cu0AgjOF
クリシュナムルティは、自然科学や技術の価値は認めているが、
人文系の学問についてはガラクタだと考えていたようだ。
私の個人的な経験でも、思考によって何かのための手段が見つかることは
あっても、問題が解決したということ多分一度もないが、
これは私の思考の仕方が悪いせいかもしれないから、断定はできない。
758神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 23:21:24 ID:cu0AgjOF
>>756
君は自分の解釈に絶対的自信をもっているようだが、
その君の読み方によると、Kは思考についてどう言っているんだ?
759神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 23:31:04 ID:F5NvfTSd
>758
Kの言う(限定された意味での)思考についてこだわる必要はないと思うよ。
寧ろ観察について考えたほうがいい。
 観察が何かを説明する上で必要だっただけだから。
760神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 23:41:49 ID:cu0AgjOF
>>759
観察について考えるなどというのも、
クリシュナムルティが無意味だとみなしている思考の典型だと思うが。
君が書いた「思考そのものは否定していない」というのはどういうことだ?

761神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 05:00:29 ID:GseSjj6P
>760
「考える」ことが無意味だとすると、君とはテレパシーで話す以外にないと思う。
それは無茶苦茶なことだとは思わないのか?
 観察と観察を考えることはまったく違う行為だ。観察は観察する時にしか起こらない。
これは別に観察に限ったことではない。観察をどう考察するのかというと言語を使って
考える以外にない。考えることによって観察に至ることはできないが、観察の準備を
することはできる。kなら「観察において準備してはならない」と謂うだろう。
しかしそれもまた準備なのだ。
762神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 08:59:24 ID:BcLrzQXs
>「考える」ことが無意味だとすると、君とはテレパシーで話す以外にないと思う。

君は、言葉を使う=考える、だと思っているのか?
763神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 09:46:29 ID:BcLrzQXs
>>761
一般的には、問題を解こうとしたり、何かを理解しようとするとき、
それについて考えることが必要だと思われているが、
クリシュナムルティはそれを否定し、精神的な問題に関しては
考えることは無意味だと言っているようだ。
君はそうは解釈しないのかい?
764神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 12:31:52 ID:I/wE7hFh
人間の言語機能というものは、便利だがある意味では我々の意識を規定し
固定化してしまうようだな。

喋ることがイコール考えることと言うのはどうでしょうね、微妙ですねそこは、、、。
765神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 21:05:02 ID:BcLrzQXs
哲学は、考えること(一人で考えることだけでなく、議論などによって共同して
考えることも含めて)によって真理を知ることを目指すものだろうから、
クリシュナムルティが否定するものの典型だろう。真理は知ることができず、
考えることは理解も人を導くものでもない、と彼は言うのだから。
766神も仏も名無しさん:2007/07/02(月) 21:06:03 ID:BcLrzQXs
理解も→理解に
767神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 07:56:34 ID:8j71M0yp
やっぱ話し合っても無駄なんだろうか?
768神も仏も名無しさん:2007/07/04(水) 11:54:47 ID:yop6YcjW
そういう意味ではKの本を読むこともまた無駄だとも言えそうだ。
769神も仏も名無しさん:2007/07/06(金) 10:07:32 ID:wCzLokqp
>>765
それが、Kの言葉をそのまま鵜呑みにすること、そのものじゃないだろうか。

Kにとってはそうかもしれないが、我々にとってはどうなのか?
Kを読むことが無駄かもどうかも、我々にとってどうなんだろうか?
そういうところから出発しないと、Kの言葉はただの屁理屈になる。

Kの言葉ですら懐疑を持って聞けと、K本人が言っていたでしょうよ。



770神も仏も名無しさん:2007/07/06(金) 16:22:05 ID:3AhdCB2n
>>769
「哲学は、クリシュナムルティが否定するものの典型だろう」と言うことが
なぜクリシュナムルティを鵜呑みにすることになるんだ?
懐疑を持って聞くのも結構だが、その前に、人が何を言っていて何を言っていないか、
もう少し正確に読んで欲しい。
771かわず:2007/07/06(金) 21:11:18 ID:Gimx7Tfp
ま、なんでもいい。

おれは、瞑想する。

瞑想しないで自己凝視だけやってる人は、やっぱ進歩がのろいな、、、、
ま、人それぞれだが、、、、
最終的には時間は幻想か、、、、うん、そうなんだな、それでいいんだ、、、
あ、、、、

存在は矛盾そのものだからな、、


、、、、うん?

ぼぎゃー、、、、いーぐる、だぶるぼぎー、ばーでぃー、、、
それいけはにかみー!!!!!!!
772神も仏も名無しさん:2007/07/06(金) 22:17:11 ID:rgqta01P
>>765
>真理は知ることができず、
> 考えることは理解も人を導くものでもない、と彼は言うのだから。

>>770
鵜呑みじゃん。認めるよね?

773神も仏も名無しさん:2007/07/06(金) 22:58:25 ID:6+2LCxMH
>>772
>>765の「彼は言うのだから」の「彼」が誰だか分からないのかな?
どうして「鵜呑みじゃん」などという奇妙な解釈がでてくるんだ?
774神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 10:23:41 ID:0Ugbrgc9
ははは。これこそ へ理屈だな。
775神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 12:29:32 ID:SIOLTg5U
「クリシュナムルティは、真理は知ることができないものだと言っているから、
考えたり、議論したりすることを通じて真理を知ろうとするものである哲学を
認めないだろう」という主張の中には、私がクリシュナムルティに同意するのか
しないのかは含まれていないだろ?

このことが本当に分からないとのだとすると、言語解釈か思考の能力に問題が
生じているような気がするが。
776神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 12:58:20 ID:0Ugbrgc9
自分が書いたものを良く読んでみることだな。

>「クリシュナムルティは、真理は知ることができないものだと言っているから、

暗に同意しているだろ。同意しないのならそれを最初に持って来るはずない。
777神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 13:09:45 ID:0Ugbrgc9
議論が必要か否かの前に、真理は知り得るかどうかを話あうのもいいかもね。

同じ言葉を使うのであっても、Kの認識と私たちのそれとでは違いがあるんだよ。
だからKの言葉は、そのままの言葉の解釈で済ませることはできない。

これはKに同意するか否か、とは別問題である。
議論で明確になるのは、言葉と言語の限界である。これはちょっと前のやりとりを
見て明白。各々の認識が違いは決して埋まることがない。

あるいは、せいぜい近づく努力ができるだけだ。
だから議論よりも聞く姿勢と、考え、懐疑する姿勢の方がより重要である。

Kの言葉だけでなく、誰に対してであっても、そのように接することは、
私たちの認識を深める。しかしそれは理解を得ようとしたり、理解してもらうという
作為の中では決して顕われない。
778神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 13:57:49 ID:SIOLTg5U
>>776
文章を読んでみれば分かることだが、まったく同意などしていないよ。
あなたには、実際に書かれている内容と、
それを読んだ自分の勝手な憶測の区別がつかないのかな?
779神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 14:11:54 ID:SIOLTg5U
> だから議論よりも聞く姿勢と、考え、懐疑する姿勢の方がより重要である。

だったら、まず人の発言に対する自分の解釈について懐疑して見ろよ。
妙な勘違いに固執して、いつまでも自分の間違いを認めないあなたが、
偉そうなことを書いても滑稽なだけだよ。
780KAWAZU:2007/07/09(月) 00:08:45 ID:QYy/RzQ6
おら、馬鹿だから、難しくてあかんねー、

うたでもどうぞー

ハレークリシュナー、ハレクリシュナ〜、♪〜
ハレランマ〜 ハレ〜ハーレー♪〜

Oh My Sweet Lord!  ジョーギハリソンは偉かった!
781神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 00:25:57 ID:/rlqMfI7

∧_∧
.(´・ω・)♪
⊂   つ
@(つ ノ  ♪
. (ノ
782神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 00:29:44 ID:/rlqMfI7
ズレたかもw
783かわず:2007/07/09(月) 19:02:27 ID:QYy/RzQ6
>>782


意識もずれてるのかも
784782:2007/07/09(月) 19:27:37 ID:OqB3/nLv
そうなのかも☆
785神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 14:50:17 ID:4YCr1exi
Kは哲学を「知を愛すること」と古代ギリシャ的な定義にして自己認識の営みとしている。
哲学といっても例えばニーチェと分析哲学では違う。今や哲学は個々バラバラのものだ。
だから問題意識の類似で分類、相対化し整理することに意味があると思う。
だが知の考古学とかヴェーダンタとかの思弁的妄想で時間を浪費するのは勿体ない。自分の問題意識によって対象を選択しないとね。
釈尊やKは途方も無く深遠なことを知っていたように思えるが人間を苦から解放することにしか興味はなかったみたいね。
786神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 21:19:54 ID:LJeLZNWR
個々ばらばらとは言っても、哲学である以上、
考えることで真理とか、理解とかに近づこうとする営みであることは、
変わらないんじゃね?
787神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 22:32:47 ID:8BjDKnJA
哲学とは考える事なのか?

>http://ja.wikipedia.org/wiki/哲学
788神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 23:17:13 ID:LJeLZNWR
哲学の方法って、人の考えを聞くことと、自分で考えてそれを言葉で表現すること
以外に何かあるんですか?
789kl:2007/07/14(土) 14:04:34 ID:9IjcGEZw
我々は人の事に口出ししたくなるが自分を見る人は少ない。
しかし世界・社会・家庭・自分自身の不幸な問題の数々は
自分自身の中にその原因が求められる。
自分自身の問題を解決する事が社会の問題解決にも繋がっている。
自分の中の恐怖・欲望・怒り・暴力性が問題を引き起こしている。
これらの問題の解決には自分すなわち恐怖・欲望などの観察を通して得られる理解によるほかないように思われる。
自分自身を知る事、自分の全心理的過程をつぶさに見、感じ取る事が根本的解決をもたらすと思われるが、
多くの人は自分自身を見つめる労を取るより
安易な道、自分が安心していられることを繰り返す。
結局自分を守ろうとしている様に思われる。
我々は自分のしている事でも自分の都合の悪い事には目をつぶったりします。
良いとか悪いとかでなく、自分は何をしているのか瞬時瞬時に
見逃さず捻じ曲げず、見る事が全ての問題解決への第一歩であると思います。
我々は色々違うように見えても内面の構造は基本的に同じで
同じような問題に悩み、苦しんでいる。
自分だけでなく、他の人も同じように苦労しているのだ。
そして人との関係で言うと我々は知らず知らずのうちに関係の中で
助け合っていると思います。
これに気づけば少しは非難・争いなく協力できるのではないでしょうか。
790kl:2007/07/14(土) 14:05:31 ID:9IjcGEZw
クリシュナムルティの教育原論(心の砂漠化を防ぐために)p.50 より
「関係は、その中で自己とそのすべての活動を見ることができる鏡である。
そして関係の様々な反応の中で自己の働きが理解される時に初めて、
自己からの創造的解放がある。・・・
自己知とそれに固有の愛なしには、われわれの問題は絶えず拡大し、
増え続けていくことだろう。
これに反して、
もしもわれわれの精神と心をわれわれ自身を知るという仕事に傾注させれば、
われわれは疑いなくわれわれの多くの闘争や悲しみを解消することだろう。」
791神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 23:19:44 ID:kB6swukZ
「見ている自分は、見られているものとは別のものだ」という考えが幻想である
ということが分かるのが大事らしんだが、俺にはよく分からん。分かる?
792神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 23:31:21 ID:KBkzjYaj
>>791
言葉の上ではわかるが自我を意図的に観察していると必ず歪曲が起こる。
だから意志を伴わずに観察する必要があるがそこまでいくのに結構な否定作業が必要だと思う。
観察する過程で何が間違っているかを洞察して少しずつ補正する。
そうやっているうちに意外なときに沈黙が訪れる。だがその状態を自発的に招き入れようとしたら失敗する。
793神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 03:28:31 ID:w2Z9dOKF
思考を一切挟まずに見ているときは、
観ているものと観られているものとの隔離はない。

思考を挟むと、観られているものは、観ている者の観念に因る。

思考は、観られている物が他者だと妄想する。
794kl:2007/07/15(日) 03:58:38 ID:PFwQ58Xh
>>791
ここでいう自分とは物理的な肉体の事をいっているのではありません。
精神的な記憶・経験の記憶・欲望・恐怖・好き嫌いなどの記憶が
精神的な自分を形成しており、この記憶の集合体が関係を介して行動する時に現れる。
嫌いな人に会う時、「嫌い」というイメージが出てきます。
こういった反応が起こる事からその原因として自分という観念が出来上がっています。
何の反応もないなら自分(精神的な)はありません。
自分と他人の分離の感覚もなく、自分と他人の争いもありません。
反応が起こる元は精神的な記憶でありこれが精神的な自分を感じさせるものです。
795kl:2007/07/15(日) 04:12:22 ID:PFwQ58Xh
>>792
自分のあらゆる内面的現象・行動を観察するわけですから、
何かの意図で何かをやるならその意図も観察します。
観察されたものをそのままに受け止め感じ、見守るのです。
良い悪いの判断、考察、逃避、歪曲する必要はない。
もしそれをしたら、それをまた観察するのです。
内面は時々刻々変化しますが、それを追いかけず捉われず見逃さず受け止め見守る。
だから前もって意図してはよくないとか構えてはいけないと思う必要はなく
それをやれば返って意図・思考が増えるだけです。
796神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 06:10:16 ID:TwwWQg1G
>>795
あなたが解釈したような『構える』とか別にそんなことは全く書いてないがそれはいいとして‥
聞きたいんだけどどの程度あなたの中にその状態が起こってるの?
本当にKが説いたような状態が如実に現れた?
私はどの程度それが出来ているか自信がない。意識が静止している間隙はあるが本当に悲しい孤独の感情となるとひたすらな観察で一層連鎖していく。この感情は言語レベルの話ではない。

ヴィパッサナーをやる場合は感覚に意識が向き余分な思考は切り捨てられていくし、心随観の場合は言語で自分を洞察する。
ここで観察による言語的ラベリングにより、自意識の累積が起こると思う?そうはならない。
むしろこういった過程を経た後にKの方法に取り組んだほうが私には有効だと最近、思っている。

あなたは知慧と洞察に溢れた空っぽの観察を体現しているのかもしれない。それはすごいことだ。だけど私の場合は極めて部分的にしか起こらない。
それも無為のひたすらな観察の後、偶さかに訪れるのであってその時だけはどこかに行ってしまう。端で見てたら気配は消え空間的に遠退いてるらしい。
だけど本当に悪い意味で心に穴が開いた状態の今はただひたすら観察し留意してると死へ駆られる。感覚に意識を集中している方が静かになれる。
妄想の塊にならず。
797神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 08:24:13 ID:nbFzJbVD
権力ジャンキー。乙
798神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 10:48:07 ID:h2icmsFV
>>792
言葉の上でわかるってどういうこと?
「考えている」とか「信じている」ってこと?
799神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 11:31:52 ID:MKAsjZcC
>>941
「分かる?」への答がこれだってことは、「俺は分かる。だから教えてやる」
って言ってるのかな?
800神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 11:50:03 ID:MKAsjZcC
>>941でなく>>794だね。
801799:2007/07/15(日) 12:43:51 ID:MKAsjZcC
詰問しているような発言だった。撤回する。
802kl:2007/07/15(日) 14:38:20 ID:PFwQ58Xh
例えば何か失敗したりしてネガティブな思考が発生したとします。
そうするとその思考・感情をずっと感じ取る事を続けます。
そうするとそのネガティブな思考から来る体内の調子の悪い感覚が消え
普通の状態になります。
怒った時、同じようにやれば同様に消え、
全く平静に戻り冷静に相手に対応できる様になります。
感情には色々な種類があり、自分の中で簡単に把握できるものと
難しいものがあります。
例えば悲しみは直ぐに把握できました。
次に怒り。
私の言っていることはあくまで自分が体験した事ですから
人も同じとまでは言えません。
中々把握できない気持ちの場合は徹底的に時間をかけます。
それでも未だに確信を持てる段階にまで把握できない気持ちもあります。
いずれにしろ私はまだ途上にありますが、
私はkの言ったことを正しく実行しているに違いないと思っています。
人と話たい気持ち、甘いものを飲みたいとか、恐怖とか
自分が抵抗を感じるものを発見したら、その感覚をなんとか把握するべく
その感覚を探求します。
803774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/07/16(月) 00:34:48 ID:11JzxwB7
誰もが途上ではないでしょうか。
そして誰もKの言っていることを本当に理解してはいないのだと思いますよ。

自分で自分を観るつもりでも、もしKと一緒にそれをすればおそらく
穴だらけで、Kは横から厳しくそれを指摘するんじゃないでしょうか。

でもね、だからと言って自分を観ることは無駄ではないでしょう。
私たちの理解できることは、自分を観る努力が無駄ではないということくらい
でしょう。

それで十分じゃないですか?
ネガティブ、ポジティブ、恐怖、期待、何かの把握、すべて一緒ですよ。
良く味わうしかありませんね。

804神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 12:49:18 ID:P9sAxSpK
どういうところで、自分を観る努力が無駄でないことが分かるんですか?
805神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 21:44:32 ID:o7ykfNGo
内面を見る観ることは有意義には違いないが
現実の目標見てますか?
具体的現実のそれぞれの今の行動目的明確ですか?
内面が見たい観たいとか言って、現実逃避してませんか?
ACの人にありがちな逃避
806神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 22:09:01 ID:P9sAxSpK
K的には、その「現実の目標」というのが逃避であり、
内面を見ることによってその馬鹿馬鹿しさに気づくことが大事だ
ってことになると思うけどねえ。
807神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 22:36:29 ID:o7ykfNGo
現実の合理性も否定なの?
Kとか言う人?
目的もなく生きられるなんて
素晴らしい処世の人だったんだね、Kさん。
808774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/07/16(月) 23:27:55 ID:Qwy4wRpc
>どういうところで、自分を観る努力が無駄でないことが分かるんですか?

自分で観ることの限界がわかる。自分自身を観ても、盲点は常にあるから。
関係性の中で見えてくるものはとても重要だ。
それに基づいて根気よく自分に正直に観ていくことは、ありのままに
生きる術を得ることである。それは智慧だ。
809774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/07/16(月) 23:30:35 ID:Qwy4wRpc
智慧は達成ではないし、自分を観ることは段階を経てステップ
アップすることでもない。今観るか、観ずに思考に流されるか
のいずれかだ。だから「これ」について目標を設定することは
ナンセンスであるし、そのようにアプローチできると考えること
自体、思考の働きでしかない。
810神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 23:35:03 ID:P9sAxSpK
>>807
Kが否定するのは、現実の不合理性の方でしょうね。
現実の目標って具体的にはどんなことなの?
811神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 23:37:17 ID:P9sAxSpK
Kの言う「自分を観る」というのは、
しばらくやってみて「意義がある」とか「無駄だ」とか判断して、
それによって続けるかどうかを決めるようなものじゃないんじゃね?
よく知らないけど。
812神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 12:58:04 ID:AiKhxalp
    ∧∧
    /⌒ヽ)  食品に気をつけろ
   i三 ∪   表面的なことに取り繕う食品会社
  〜三 |      腐らない食品
   (/~∪        それはおかしいだろ
   三三    君の精神は食べ物に左右されている。
  三三      
 三三
813神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 14:31:46 ID:aVsiM+8C
それに基づいて根気よく自分に正直に観ていくことは、ありのままに
生きる術を得ることである。>>808

だから「これ」について目標を設定することは
ナンセンスであるし、そのようにアプローチできると考えること
自体、思考の働きでしかない。>>809


すげえ矛盾した奴だな774
814神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 20:47:04 ID:phRfUjh2
>>812
で、何を食えばいいのさ?
815神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 09:22:08 ID:vGGDRdET
呪術師との訣別
816774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/07/20(金) 10:03:33 ID:KwoFdF9P
>>813
評価はご自由にどうぞ。
私にとってそれらは矛盾ではない。
しかしそれを誰かが矛盾と捉えることは一向に差し支えはない。

人の認識の土台は、それ自体がとても疑わしいものだが、
本人はそれが客観的であり、論理的であると考えることがほとんどだ。
認識は、足下の固い土台が崩れ去ることでもある。それはある意味、
ひとつの死だ。幻影の死、自我の死、自分というものの中にある意識の
メカニズムの変革は、それまで存在しているという間違った幻想の終わりだ。


817774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/07/20(金) 10:13:21 ID:KwoFdF9P
結局のところ、あらゆるものを手放す勇気が必要だ。
そして意志も必要。苦や死に対して、思考が無力で
あることは良いことだ。
818神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 11:13:36 ID:+rxg1qkr
>結局のところ、あらゆるものを手放す勇気が必要だ。

では勇気も。必要とやらも。

>そして意志も必要。苦や死に対して、思考が無力で
>あることは良いことだ。

>結局のところ、あらゆるものを手放す勇気が必要だ。

では意志も。思考が無力であると論じることも。
良いことだ、ってのも。


819神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 12:15:57 ID:5Kdfe6pv
まず、ハンドルネームを手放す勇気をw
820神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 14:31:46 ID:zUQy7BJt
このスレも終わったな。
821神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 14:52:34 ID:lORBJ9nS
権力や、お金を握りしめながら、壁に向かって悟りたいと言う。
無理、無駄、ホモなんだね
アホが、自分を観ると、いくらほざいた所で、延々同じ事を繰り返すだけ。
長文でごまかすくらいしかできないんだよ
822神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 18:27:26 ID:zUQy7BJt
権力は知らんが、ある程度のお金は邪魔にならないと思うよ。
むかしから「貧乏暇なし」と言って、金がなければ暇もないんだよ。

823神も仏も名無しさん:2007/07/25(水) 19:38:10 ID:W5Pg5R3t
「自分を観る」って、どうすることなの?
824神も仏も名無しさん:2007/07/25(水) 22:32:57 ID:DPPfBujz
どうもしない。

ただ自分がやること、考えること、話す事、他人や家庭や社会と
どういう風に関わるかということ、
自分の過去の記憶とどう関わって、どう反応しているかということ、
あるいは、自分の将来、こうありたい、こう成りたいという思いや
願望に対して、自分がどうかかわっているかということ、または
どう反応しているかということ。

だからどうもしない。
825神も仏も名無しさん:2007/07/26(木) 09:55:26 ID:uwT6WsJw
だれでもつねに「自分を観て」はいるってことかな?
826神も仏も名無しさん:2007/07/26(木) 10:55:34 ID:RZ9y3+G3
もし観ていたら、より意識的に行動し、考え、関わるようになる。
だが実際は、自分自身に翻弄されている。
だから自分を観る機会は常に開いていて、同時にその機会は閉じてもいる。
827神も仏も名無しさん:2007/07/26(木) 10:57:02 ID:RZ9y3+G3
小さな違いのようで大きな違い。
たいしたこと無いようで、人生を決定ずけるほど重要なこと。
それが「自分を観る」ということ。
828神も仏も名無しさん:2007/07/26(木) 13:39:05 ID:uwT6WsJw
じゃ、自分を観ている人と、観ていない人がいるんだね?
前者がしていて、後者がしていないことって、何?
829神も仏も名無しさん:2007/07/28(土) 00:52:43 ID:CGd3nwRs
それはすることではなく、
どれだけその人が自分自身を知っているか、
その瞬間に、どれだけの深みを持って自身と対象物、
そしてその関係について思考を伴わないある種の直感が
働いているか、だと思う。

観ない人は、真実の代用物、思考とその思考が作り上げる
様々な働きの中で知覚する。

観る人は、ただ観て即座に知る。

この二つは個人の中でり交じっている。
前者はどこまで行ってもクローズドな関係。
後者は結ばれる関係で、統一、あるいは合一だ。

オープンとクローズは1日の中でも交互に起る。
認識はクローズからオープンへの動き。
執着や拘りはその原因となる思考(感情)を直視できない
こと(逃避)による働き。


830神も仏も名無しさん:2007/07/28(土) 01:01:06 ID:CGd3nwRs
これらが私たちの人生を決定づける。

Kを読んでいる人の多くは、
クローズからオープンの動きに関心があることと思う。
しかしそれは簡単ではない。クローズなものを、
いかにオープンにさせるかというのはテクニックや
コツでもなく、自分自身への注意深さに依るより仕方が
ないと思われる。

シンプルさと静寂が助けになる。静寂は認識のための
必須栄養素だ。社会は混乱し、個々人の頭の中も混乱
とは無縁ではない現在、静寂は大きな意味を持っている。
できうれば、Kのようにいつも静寂を纏っていたいものだ。
831神も仏も名無しさん:2007/07/28(土) 20:16:12 ID:Ay1jkIlM
ベッケンバウア〜ベッケンバウア〜
832神も仏も名無しさん:2007/07/28(土) 20:25:05 ID:a+kxUk9x
選挙、棄権はきけんじゃぞよー〜〜
833神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 02:04:15 ID:pCu1wDXj

test
834神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 21:40:07 ID:O/WzEJAz
(・_・)???
835神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 16:45:31 ID:PAE4vQH/
kを言葉で説明しようとしても、矛盾がどうしても出るよね。
水をさわった感覚を言葉で説明しろったって限界があるよ。
1から通して、読んだけど774さんの意見が一番kの言ってる事
に近い気がする。
836神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 11:59:31 ID:atdYXjMp
その比喩は、Kの言葉の難しさの表現としては、不十分だと思う。
たしかに水をさわったことがない人に、言葉で水をさわった感覚を説明しても、
その感覚を伝えることはできないが、しかし、それは感覚であり、
かつてそれを経験したことがある人なら思い出せるもの。
それに対し、Kが示そうとしているものは、経験し、記憶し、
後から思い出すことができるような「感覚」なんかじゃないんだろ?
ここを誤解すると、自分がかつて瞑想ごっこで経験した「感覚」と、
Kの言っている「真実」を混同してしまうんだろうなあ。
837神も仏も名無しさん:2007/08/23(木) 03:43:48 ID:0KLNCR2E
838神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 23:17:10 ID:/iaIfMqq
839神も仏も名無しさん:2007/09/12(水) 23:25:32 ID:/iaIfMqq
最近発売されたクリシュナムルティの本です。

いかにして神と出会うか
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31913718

既知からの自由
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31917599
840神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 00:22:33 ID:vSCwAJWO
J・クリシュナムーティ「自我の終焉」

絶対自由への道

篠崎書林

この本はクリシュナムーティがこれまでに書いたものと、彼の講演の中から選んで編集されたものですが、読者はこの本の中に、人間の根元的な問題についての明快で現代的な声明を発見することでしょう。
それと同時に、その問題を解決することができる唯一の方法によって−−すなわち独力で、そして一人で−−それを解決したい、という誘惑を感じることでしょう・・・・・
既成の宗教や、それに属している宗教家や、その聖典、教義、制度、儀式というものは、人間の根元的な問題に対して、誤った回答を与えているにすぎません・・・・・
人間の実在の根拠とすべきこの永遠の「真実在」に到達するのは、自己認識を通してであって、誰か他の人間のシンボルを信仰することによってではないのです。

オルダス・ハックスレイ−−−本書の「序文」より

クリシュナムルティは、生存中から伝説的な人物になった数少ない人間の一人である。
というのは、クリシュナムルティが、心理の領域で成し遂げたことは、物理学においてアインシュタインが行った革命に匹敵すると言って良いからである。
アインシュタインの相対性理論は、光の速度は光源からの運動や光源へ向かう運動とは関係なく、全ての状況において不変である、という単純な事実を出発点にしている。
一方クリシュナムルティの出発点もそれと同じ様な単純な観察に基づいている。
それは、全ての心理的苦悩は精神の中で始まり、またその中で終わると言うことである。
つまり「精神は自ら作り出した出した牢獄である」。
したがって、変革と苦悩からの解放は、絶え間ない精神の活動が終焉する事によってのみ、達成することができる。

ロバート・パウエル−−−『禅と真実在』より
841神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 00:50:01 ID:vSCwAJWO
クリシュナムルティの動画がありました。

http://jp.youtube.com/results?search_query=Jiddu+Krishnamurti&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
842Kデビュー!:2007/09/15(土) 20:48:28 ID:8Oc1pTJl
今日、kの「英知の探求」読み始めました。中々
理解するのが難解、そこでこのスレ見るさらに混乱。
皆さんの理解力の高さに感服チュー!
K思想ってデヴィット・ボームの考え方に類似点があるような気がする
妄想かな・・
843神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 21:35:46 ID:cUXiUMcO
>>842
ボームとクリシュナムルティの対談が「生の全体性」という本に収められています。
844神も仏も名無しさん:2007/09/16(日) 01:34:47 ID:RaTJOeJX
クリシュナムルティとダライ・ラマの会話の内容を知りたいです。
845神も仏も名無しさん:2007/09/16(日) 01:48:25 ID:RaTJOeJX
すみません、会話ではなくてコメントでした。

クリシュナムルティ・水晶の革命家
http://homepage1.nifty.com/comz/Crystal%20revolution%20by%20H.%20Takaoka2.htm
846神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 22:18:47 ID:ll3mNgcZ
ねばならぬ ねばならぬ
仕事せねばならぬ
解脱せねばならぬ
議論に勝たなければならぬ
嘘をついてはならぬ
平穏でいなければならぬ
優位をみせつけなければならぬ
これが私のねばならぬ
847神も仏も名無しさん:2007/09/21(金) 21:14:08 ID:UFGshFyE
kはシュタイナーのことどう思ってたの?
848神も仏も名無しさん:2007/09/22(土) 12:18:17 ID:rM8MQMOx
kは霊的な事には触れなかったけど、シュタイナーは霊的な事を話すのが多かったからどうなんだろう。私が読んだkの本の中には、kがシュタイナーについて語った部分は無かったです。
849神も仏も名無しさん:2007/09/22(土) 14:56:24 ID:AHQ2Mwts
kとシュタイナーって対極にいるよね。
850神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 16:25:26 ID:OViH+Aha
シュタイナーは、神智学協会がKを[世界教師」にしようとしたあたりで
方針に違和感を感じて神智学協会を離脱したみたいな話を小耳に挟んだが
本当かどうかは知らない。
851神も仏も名無しさん:2007/09/26(水) 16:27:45 ID:Tr9FnOxW
シュタイナーは単なる霊能者じゃね?
852神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 10:21:20 ID:U/D8wJ5v
シュタイナーは詳らかな表現者
クリさんは表現者であることを断った人
853神も仏も名無しさん:2007/09/29(土) 18:07:18 ID:u5nBfjfl
納得
854神も仏も名無しさん:2007/10/05(金) 00:28:06 ID:ydOZy+/G
「先生はクリシュナムルティーのことを『現代の最高最大の救世主』と、
書いていますが、そんなにすごい人なんですか?」
「そう。あの人の文章は、『空』を知った人が書いたらこういう文章しか、
なりえないだろう、という文章だ。だから、読むだけでも瞑想になる。」

http://homepage3.nifty.com/egghouse/nukegara.htm
855神も仏も名無しさん:2007/10/07(日) 23:37:50 ID:W8elB1Jb
誰が誰についてどう批評してるかに過度に興味を持つってのは、
なんとなく自分の目で見ることを避けている感じがあるな。
856神も仏も名無しさん:2007/10/11(木) 23:15:29 ID:1IKb3opU
同意。
857神も仏も名無しさん:2007/10/17(水) 00:05:38 ID:/opLvN3j
>>850
そそ
858神も仏も名無しさん:2007/10/19(金) 23:03:47 ID:8lhU/Ex6
もぬけの殻あたまと
クリシュナムルティは違うの?
859神も仏も名無しさん:2007/10/22(月) 12:47:49 ID:pLMuEV6z
とりあえず、このスレはもぬけの殻だわな。
860神も仏も名無しさん:2007/10/23(火) 01:23:22 ID:IQZzvqDq
虚無にとどまる
861神も仏も名無しさん:2007/10/24(水) 17:44:05 ID:v1X0twjW
クリシュナの神像
862神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 13:14:54 ID:RNWQOOhM
俺が思うに、このスレで発言していた(全員ではないが)かなり多くの人は、
何か精神の発展段階説のようなものを信じ、その枠組みの中でより高いところに
到達したいという欲求や、自分がかなり高いところに到達していると思いたいという欲求、
さらには、そう人に見られたいという欲求から解放されていないようだ。
863神も仏も名無しさん:2007/10/25(木) 21:26:30 ID:RNWQOOhM
そして、ついには自分が「思考」の段階を卒業していると
自分・周りに思い込ませるために、発言をやめるに至るw
864subkey-man白川:2007/10/26(金) 14:05:46 ID:rwIODbTY
862、3は言い方に、遠慮が過ぎていて、わかりにくい。
そこで、私が説明するとこうなる。

俺が思うには、このスレで発言していた、おおよその人は
何か、たらこをフランスパンに載せてもいいものかどうか、
判断がつきかねるということに、終始している。
たらこパンは既にある商品なのに、自分の発明だとか、
発案が類似していることへの、妙にこだわり、たらこぱんを
食べようとさえしなくなる。そうたらこパンはもう食べた
という安心感から、へしこパンを発案するものの、なかなか
商品化されないことへの怒りから、たらこパンは特許申請が
きっちりなされているのか、調べだすのだ。こうした一連の
思考形態は、もちがのどに詰まることへの恐れよりも、うっすら
としているものの、強大となっていることに気づきにくい。
たらこパンは、チェーン展開しているものの、その権利については
曖昧であるがゆえ、自らフランスパンにバターとたらこを載せる
ことに関しては、思い至らないようだ。
865subkey-man白川:2007/10/26(金) 14:07:44 ID:rwIODbTY
妙にこだわり→妙なこだわりから
866subkey-man白川:2007/10/26(金) 14:19:54 ID:rwIODbTY
859、60、61のスレがもぬけの殻、虚無にとどまる、クリシュナの
神像に関してだが、まず、もぬけの殻であるとはだれもわからない。
いかなる立場の人、想像もつかないような人が目にしているやもしれん。
もぬけの殻というよりも、くもの巣のほうがあたっているだろう。
虚無にとどまるとは、どういうことだろうお。虚無と言うのは哲学的にも
科学的にも証明されていない概念だが、みなよく使う。むしろ、考えたり
行動したりしたあげくの、一連の感想に過ぎないだろう。考えを進める上で
とらわれる言葉ではないのだ。そしてクリシュナの神像であるが、そういった
類のものをみてどうだろうか?有る一定の印象sがうまれるのではないだろうか?
あなたは仏でも仏像でも、俗に言う人間でもなくなる。人は人型というものに
せっし、、人に対しての新たな在り方を学ぶのだ。
毎日パンツを履き替えたり、身を整えることと、大差はない。
むしろあなた方のほうがパラノイアなのだ。
867subkey-man白川:2007/10/26(金) 14:27:58 ID:rwIODbTY
わっはっはっはっは
シュタイナーは、こういった。「空の雲が白いのは、あなたの心が白いのだ」
「空の雲がグレーなのは、あなたの心がグレーなのだ」
いいえて妙である。色は絶対的なものではない。概念でもない。
では、なんだ?視点なのだ。視点を移動さすのは、容易なことだ。
色は常識では捉えられない、つねに移動し、映り、移る。

たとえば、こうだ。白パンツは、好き、嫌いにはっきりと分かれるだろう。
白パンツには本来なんのつみも無いのである。
868神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 14:32:57 ID:qhBlt9fs
「つみ」が「しみ」に見えてしまった。
869subkey-man白川:2007/10/26(金) 14:35:56 ID:rwIODbTY
クリシュナムルティは、色にかんして、こういった。
蝶は蝶の色が蝶である。すなわちこういうことだ。
形とは、色のことであり、色がはっきりしたものなのか、
はっきりしていないものなのか、とらえどころがない。
それを差して、無ととらえるのか、有ととらえるのか
そんなことはどうでもよく、世間で分類された蝶という
昆虫の概念をもちいるにすぎないのだ。
 また話はもどるが、白パンツについたイエローは、すなわち
尿であるということであり、イエローであるということだ。
不快を恐れることは不快から遠ざかることではないのだ。
870subkey-man白川:2007/10/26(金) 15:05:44 ID:rwIODbTY
怖がることは、無い。一度、864〜みたいな文をかいてごらんw。
冗談につきあうってのはこういうものかもしれないよ。

871神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 15:07:04 ID:qhBlt9fs
何か妙なものを呼び込んでしまったようだ。w
872subkey-man白川:2007/10/26(金) 15:27:33 ID:rwIODbTY
私も著名な文筆家として、亀田問題に関して言及せざる終えない。
あれは、結局こういうことではないだろうか?
「亀田問題にかんしてどう思いますか?」聞かれれば答えざる終えない。
自ら進んで、言う事がなくともだ。

あなたはクリシュナムルティ問題に関してどう思いますか?
プロデューサーが悪いのでしょうか?本人が悪いのでしょうか?
彼は真剣だったのでしょうか?冗談だったのでしょうか?
まっとうだったのでしょうか?無理をしていたのでしょうか?
商売だったのでしょうか?純粋に個人的な事柄だったのでしょうか?
むしろ彼はプロデューサーだったのでしょうか?自らの神秘性については
彼はいつまでも保留したのでしょうか?そうしなかったから神秘なのでしょうか?
彼はハウトゥー本を書いたのでしょうか?でなかったらサブキーマン白川は
なぜにここで亀田問題からクリ氏ムルティ問題について言及しているのでしょうか?
彼ならこう、このスレに記入するでしょう。あい・あむ・サファー・フロム
クリシュナムルティ
873subkey-man白川:2007/10/26(金) 15:35:35 ID:rwIODbTY
古本屋から、精神世界本を買い占めているのは誰なのでしょう。
自然な流通を阻害している要因はなんなのでしょう?
くりむるの行ったことは常にあたらしいのでしょうか?
古本屋はあおりをかけるのでしょうか?
それについてはこうです。本は2000円です。さつましらなみ1300円
です。豪華キャストで送る男のこそだてなのです。
874subkey-man白川:2007/10/26(金) 15:39:03 ID:rwIODbTY
革命家は自ら革命家とよばれるのをよしとしません。
一緒にがんばれる。いつもわらいあっていられる。
つらいときでも、そういう内面みたいなのか解らないですけれども
。cmノあとは男の子育て。丸山先生。大変ゆゆしきもんだいじゃないかと。
875zztop:2007/10/26(金) 15:52:31 ID:rwIODbTY
文化人のブルース、文化人のブルース聞いてくれぇ・・・・
文化人は宗教に入れない、入ったところで世間に問われる、
でも自分の言ったことは責任が問われるぅ
でもニューエイジではかっこわるいぃ。
そんなときクリシュナムルティいうんやけどぉ。「あーおれほんまわかったぁ」って
自分がクリシュナムルティやって気づいてからでは
人生終わってるでぇ

センキュゥ
876871:2007/10/26(金) 15:54:28 ID:rwIODbTY
クリシュナムティ一家の長男としてお詫びしたいです。

ぞぉっ
877871:2007/10/26(金) 15:57:38 ID:rwIODbTY
親父(くりむる)は、みんなもわかってるとうり、
ああいうせいかくで、不器用な面もあるし、、、
それやったら俺が、出て行って・・・・

878871:2007/10/26(金) 15:58:42 ID:rwIODbTY
おれらなりに、がんばってきたつもりです。
ちゃんときもちいれかえて、また世界はあなたです
にむけて、またあらたな亀田スタイルにむけて、
がんばっていきます。
879N:2007/10/26(金) 19:00:44 ID:rwIODbTY
哲学版だとすぐつぶされるクリシュナムルティ。
宗教版だと商業ベースにのって、、、、、、、、、
880神も仏も名無しさん:2007/10/27(土) 03:24:58 ID:1qEEs15C
>>871
'`,、'`,、('∀`)
881クリュシュナムルテイの瞑想力:2007/10/28(日) 11:59:35 ID:xjadG3Ix
882N:2007/10/28(日) 15:01:45 ID:5fdGmm1t
わははっは。瞑想力かい?ウルトラマンセット買ったほうがいいんじゃないかい?
権力志向は3回転んでも冗談にならない。↑の文章読んで冗談とは何か考え
他方が良いのじゃないですか?結局ーーーーーーーーーーーにならないようにね。
883N:2007/10/28(日) 15:23:49 ID:5fdGmm1t
884N:2007/10/28(日) 15:26:04 ID:5fdGmm1t
885N:2007/10/28(日) 18:41:36 ID:5fdGmm1t
886N:2007/10/28(日) 18:42:51 ID:5fdGmm1t
本性の時代です。あなたがたもお控えになったほうが・・・
887神も仏も名無しさん:2007/10/28(日) 21:23:46 ID:/47QYnai
クリシュナムルティの本って、あれだけ出版されているところを見ると
出版社にはちゃんと利益をもたらしてるんだろうな。不思議と言えば不思議だ。
888N:2007/10/28(日) 21:52:49 ID:5fdGmm1t
精神世界、ひいては、哲学本の入り口としての//////etc

それらの、エースストッパー(マリナーズの佐々木みたいな)だから、

恣意的なことは、かなり、なされているとみていいとおもうよ。(ムルT)

例えば大学なんかでも、理系の研究は大学から金が出る、

でも文系なんかはどうだよ。考えたことないだろうけど。みなさん。


国立なんかでも

独立行政法人化してるだろ。大学の先生も大変なんだよ。特に文系。

商業ベースに乗っていれば、悪い分けないけど、ほっとけば売れないものを

検索でもしてみな。クリシュナ、、とかで、いっぱいでるでしょ。

ちゃんと組織的にというか、意図的にすすめられているわけよ。

商売って言うのは。こんなんでましたけど、どうかな?

個人的には読み応えあったけれども、それだけ、引っ張る人が

いて、引っ張られてたから、読み応えあったのかもしれない。

それだけかもしれないじゃないか?
889N:2007/10/28(日) 21:53:38 ID:5fdGmm1t
大学→企業
890N:2007/10/28(日) 21:54:58 ID:5fdGmm1t
酔っぱ書きだから、わかりにくかったらスマンね。
ムルTよりわかりやすいかもよw
891N:2007/10/28(日) 22:03:13 ID:5fdGmm1t
ルクス  ではマルクスはでません

が、しかし

ムルティ ではクリシュナムルティ

でます。あの内容で、これだけ、人気でますか?

普通に考えて、金、も含めての人気でしょ。
892N:2007/10/28(日) 22:05:31 ID:5fdGmm1t
口裏あわせみたいなぁ

サルトルにでもしときゃぁいいのに・・・・・

サルトルではあかんわけや。

カルト出身で、きわめてまともwやないと
893N:2007/10/28(日) 22:16:00 ID:5fdGmm1t
図書館が一定数、買ってくれるかもね
894N:2007/10/28(日) 22:17:20 ID:5fdGmm1t
↓そろそろ、コテハンみたいなのが
もどってきます。
895神も仏も名無しさん:2007/10/29(月) 13:22:29 ID:76jqN3ZD
>カルト出身で、きわめてまともwやないと

そうなってくると、デ・カルトしかありませんな。
896神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 20:33:00 ID:CuVIoHl+
クリシュナムルティの言う、受動的観察ってどういうことなの?
897kl:2007/11/03(土) 14:15:21 ID:nzvIovLT
>>896
受動的観察とは観察する際に批評したり、捻じ曲げたり、逃げたりしないで、
ただ観察するという事です。
あなた(私)が自分の色眼鏡を通して見ればゆがめて見ることになります。
実際の姿をありのままに見ようとするなら自分の見解を通したりしてはいけない。
898神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 20:57:41 ID:GxvgmXYn
>>897
しかし、状況を認識するためには、解釈というものは必要でしょう。
それはつまり、自分の見解を通して出なければ認識は不可能ってことでは?
たとえば、言葉で意志を疎通するためには、相手の言葉の意味を解釈、理解
しなければならないし、そのためには言葉の意味に関する自分の知識に
頼らざるを得ないのでは? 
899kl:2007/11/03(土) 22:50:04 ID:nzvIovLT
>>898
心理的な記憶・思考の塊が自我です。
言葉などの技術的な記憶・思考は必要であり何も問題はない。
問題となるのは心理的な記憶・思考です。
嫌だったとか良かったとかの記憶・思考が恐怖・欲望に繋がります。
だから意味を理解するのに必要な知識は問題なしです。
過去の心理的知識からくる評価・見解を出す前に事実をそのまま受け止め、
向き合う事が真の理解をもたらすと思われます。
900神も仏も名無しさん:2007/11/03(土) 23:16:12 ID:GxvgmXYn
>>898
なるほど、それなら分かります。
しかし、クリシュナムルティはそうした心理的な記憶や思考だけでなく、
哲学などの学問的な思考もまた、知覚を歪めるものとして
否定していませんか?
知覚された真理を思考という形で固定してしまえば、
それはもはや真理ではなく、
真理の知覚を妨げる障害になってしまうといったことも、
言っていたように記憶しているんですが。
901kl:2007/11/04(日) 00:21:47 ID:HiXB/7Bj
>>900
伝統・権威とかは否定してます。
哲学を否定した箇所はないように思います。
学問的思考に思えて実は自我の思考が隠されている場合があります。
自分は凄いぞと自慢したい訳です。
技術的思考も含め思考は論理のみであり部分的・限定的です。
現実を論理のみで置き換えることは出来ません。
思考は1側面を表現するのみです。
kは色々言っているなかで、彼が言っているのは
全て心理的な事だと言っています。
902神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 12:53:10 ID:yqxqZFlr
>>901
「真理を追究する」という意味での哲学は否定していないかもしれませんが、
普通に「哲学」と呼ばれている活動に関しては、クリシュナムルティは否定的
だと思います。そこでは、過去の哲学者の認識を、その人が残した言葉を読み
理解することによって受け継ぐことが重視されますが、クリシュナムルティに
よれば、そうしたやり方で「過去の人が考えたこと」の中に、あるいはその延長
上に真理を探そうとするのは無駄なことなのではないでしょうか。


903kl:2007/11/04(日) 14:12:18 ID:HiXB/7Bj
>>902
あなたは何に関心があるでしょうか。
kはkの話を聴く時にただ聴くだけでなく
自分の反応にも耳を澄ませる必要があると言ってました。
つまり自分を知る事が必須な訳です。
関係の中で自分の反応に気づく。
kが何かの真理を語るとした場合、
真理を言葉で説明しています。
言葉はその説明されたものの影のようなものです。
kの言いたい事を理解する必要があります。
説明された当のものを理解しなければなりません。
世界中で国家・民族・宗教・家庭・個人間で争いがあり暴力がある。
これらの根源には個人の内面のなかの争いがある。
自分自身の問題が世界の問題の原因という訳です。
人と話していて意見が合わない事があります。
その時自分の意見を主張するのには熱心でも
相手の意見を理解するのには同じように熱心でしょうか。
つまり自分という考え方が常にあり
自分を主張しています。
この自分・それ以外という観念が分離を生み、争いが生まれます。
(ただし物理的区別はあり必要です)
自己中心性がないなら公平に考えるだろうし争いがないでしょう。
kの中心的主張を理解し
自分の中でそれがどの様に真実か理解する事が必要と思います。
自分が人がどのように生きているか理解する事を主張していると思います。
過去の哲学者が見つけた真理を理解するならそれでいいと思います。
過去に捉われて目が曇るのは心理的過去・自我が反応を起こす為と思います。
904N:2007/11/04(日) 17:17:39 ID:qfLt9HI6
わかったような、わからんような押し付けを言っていては
いけまへん。
905kl:2007/11/04(日) 19:39:12 ID:HiXB/7Bj
>>902
我々は過去に捉われた生き方をしているし
それが問題の根源であるということをkは言っているが、
その過去は心理的・精神的過去である。
経験を良し悪し・好悪で記憶し未来に持ち越し
引きずる。これが精神的思考である。
例えばあの人は嫌な(好ましい)やつだ。などの思考。
これが執着を生み、恐怖・欲望となる。
これらは精神的時間の構造である。
906神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 21:06:52 ID:yqxqZFlr
>>905
だからこそ、集団的な精神的思考である哲学を
クリシュナムルティは否定しているのではないですか?

907神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 21:07:47 ID:yqxqZFlr
>>903
私もクリシュナムルティを読んでいるわけですから、
あなたに要約していただく必要はないと思いますが。
908N:2007/11/04(日) 21:28:08 ID:qfLt9HI6
結局905みたいなのが、次にいいたいのは、
クリシュナムルティの言葉は赤裸々で辛辣であるがゆえに、
そのような真実を求めない人、認めない人はいずれ、読まなくなる
し関わらなくなるということでしょ。
そういう風にもっていくわけね。使い古されたやり方だよ。

クリシュナムルティの語りはだよ。前段階からの流れが大事みたいよ
909N:2007/11/04(日) 21:48:52 ID:qfLt9HI6
精神的時間の構造だったよw
910やっぱりな:2007/11/05(月) 01:03:04 ID:hloMDnsD
皆さん、はじめまして

Kを論じるのって、やはり難しいですね
彼の言葉の引用でしか、結局話が繋がらない
でも、>>908

クリシュナムルティの言葉は赤裸々で辛辣であるがゆえに、
そのような真実を求めない人、認めない人はいずれ、読まなくなる
し関わらなくなるということでしょ。

ってどうかな?私もKを最初に読んでから20年以上経ちますが、最初の頃は
Kの論調を使って、自分でも世界の全てをわかったような気になっていましたね。
そして、離れては戻り、離れては戻り、を繰り返してきました
無駄な時間を過ごしましたね
911神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 01:43:29 ID:yAt2s4WE
Kはどのような哲学宗教書物も読んだことが無いって言ってたけど
幼少時から集中教育受けた(?人がありえないと思う
そのような本の内容は過去の事として忘れ去ったという意味だろうか
912やっぱりな:2007/11/05(月) 03:16:38 ID:hloMDnsD
>>911

はっきり言って、彼相当バカだよ
勉強できないし、嫌い。
ビデオ見たことある? 英語本当に下手だね。
講演中とそれ以外は別人。
本人も言ってる通り、あれ、しゃべってるのKじゃないみたいね
913神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 19:56:57 ID:aevIs4Mn
>>912
公演中以外のクリシュナムルティに会って話をしたことがあるのかよ?
ねえだろが。それで「講演中とそれ以外は別人」とかよく言うわ。
相当バカなのは、おまいの方じゃね?(笑)
914774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/06(火) 02:25:26 ID:BonX9uVU
自分を観るというのも願望と欲求からの行為になるんだよね。
そうなるともう同じ言葉を使っても違うものになる。
簡単ではありまへん。
915神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 19:56:31 ID:SsGogiHB
>>913

M.ルティエンスの伝記も読んでいないようだし
不勉強も甚だしいしな。
公開されてる映像も見たことがないんだろうな。
もう少し、書き手の言わんとすることをきちっと捉える
訓練してからでないと、Kの本読んで孫引きして
何か解った様な気になって、人に説教するような人間になってしまうぞ
916神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 20:15:57 ID:SsGogiHB
>>911
Kはどのような哲学宗教書物も読んだことが無いって言ってたけど
幼少時から集中教育受けた(?人がありえないと思う
そのような本の内容は過去の事として忘れ去ったという意味だろうか

Kは本当に馬鹿で、記憶力がゼロなんだって。
D.ボームの難しい量子力学の話し聞いても、
確かに理解力は凄いというか、聞いた直後は他人に解説まで出来た。
ただ、「覚えておく」ということをまずしない人。
勿論、Kにとって、「英知」は「即時に観る」ことの中にあって、「溜め込んで後で吟味したり、
人に披露するもん」じゃないから。

でも、英語は下手。
917神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 20:23:45 ID:SsGogiHB
>>916

英語が下手な中にも、光るものがあるから読み継がれてたわけだけどね。
918UNKO:2007/11/06(火) 20:33:48 ID:PjIpcjWb
結局アレだよ、色々議論してもだよ、勉強してもだよ、
修行wしてもだよ、人間の脳は、そうかわら
ないよ。歴史の所産としてできあがった、たった一つの脳が、人間として
あらゆる場面で提示されている、と見たほうがいい。

それを否定しようっていうんだから、話はややこしいか、
四六時中否定してるかどっちかだね。
919UNKO:2007/11/06(火) 20:39:01 ID:PjIpcjWb
46臆かなんだかしらないけど、同じ脳みそしてんだよ。不思議なこった。
天才だろうが、賢いだろうがよ、後の世のひとが、構造や形態しらべたら、
同じとまとめるだろうよ。
920UNKO:2007/11/06(火) 20:48:30 ID:PjIpcjWb
一般的に頭がええというのは
汎用性という意味でか、分析といういみでだろ。
宗教のやつやら、哲学のやつが秀でてるのは前者の方だろ。

分析は努力でついて活けなくもない。しかし、汎用性という意味で
は、努力はあまり通じない。AとBはYであるから、同質である、
なんていわれたら、まあわかるかもしれないけど、
Yであるから、AとBは同質であるなんて云うことは、逆にいえば、
わかる人は極少数になる。おぱっぴぃ
921UNKO:2007/11/06(火) 20:51:32 ID:PjIpcjWb
そのY自体は、有る意味「断定」だから、だれでもYだと
云い始めることは出来るのだが、相撲で言うところの
しょっきり、(だめだしみたいなの)がだされるのであるからして
単なる、断定、あほ、馬鹿ということにはできていないことになる。

922UNKO:2007/11/06(火) 21:00:58 ID:PjIpcjWb
そういう意味でクリシュナムルティとはどう論ずるのですか?
ということでやす。
923UNKO:2007/11/06(火) 21:04:12 ID:PjIpcjWb
まあこうしてまたまた900もきとるわけです。
924神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 21:39:53 ID:SsGogiHB
>>918-923

失礼だが、哲学的な議論ぶってらっしゃるようにお見受けするが、
全く支離滅裂の文章。他人が読んで理解することへの配慮が全くない。
京都の木屋町の飲み屋で、関西弁で管巻いている酔っ払いのような議論は
Kには相応しくないね。
925神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 21:45:48 ID:q8Z+gQC4
>>915
M.ルティエンスの伝記は(『開いた扉』だけはw)読んでいるし、
公開された映像も講演のは見たことがあるが、そんなの関係ないな。
日常生活を写した映像があるとしても、それって90年の一生うちの何時間分ぐらいなのさ?
「何か解った様な気になって、人に説教するような人間」って
そのまんまおまいのことじゃね。
おまいの結婚式やヌコと遊んでる間抜けな姿のヴィデオとか
おまいの嫁さんが書いた伝記を読んでおまいのこと分かってるつもりになってる
阿呆とか想像してみろよ。その阿呆が鏡に映ったおまい自身さ。w
926UNKO:2007/11/06(火) 22:04:17 ID:PjIpcjWb
言葉の影響力について、話せるくらいでないと、
どうやってクリなんてよめるのか?
そんなの関係ねぇ、かも知れないけど。

雰囲気を語るのが好きになるひとおおいね。結局
927UNKO:2007/11/06(火) 22:09:16 ID:PjIpcjWb
人間の性質語れる気になってたら、やっぱだめさ。
 
管をまくって云うのは、避けたい何らかの意図があってやることさ。
928神も仏も名無しさん:2007/11/06(火) 22:16:44 ID:q8Z+gQC4
どうでもいいけど、そのUNKOってハンドルネーム、何とかならんのか?w
929N:2007/11/06(火) 22:23:09 ID:PjIpcjWb
だってそれくらいおかしい、ことだからさ。
930神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 00:22:53 ID:Ou6lgnbW
>>925

自分の腹心のR.ゴパルの奥さんを何度も中絶させたりするなんて、
危険日も解らなければ、母体に負担をかけることの危険性も
理解できない男のすることだろ?それも1度だけじゃないぞ!
若い生徒たちには、財団や学校に変な風評が立つから「性については、英知をもって慎重に」
なんて説教してた男だぞ!そんな人間を「馬鹿」呼ばわりして何が悪い?!
K本人と「講話していた時にKの身体を使っていた存在」は別物であることは、K本人も認めてるし、
その両者のあまりのギャップは、ルティエンス女史も結構辛辣に、
時には意地悪く書いてるだろ?あの通りなんだよ!

K読む人間と議論するのって本当に難しいね。
結局、Kの言説って、一度そのメタファーや語り口・切り口
に「惚れた」人間を天狗にしてしまって、真摯な議論が出来なくなる。
議論に参加してない第3者の評価はともかく、相手に「阿呆」などというのは論外。
欧米の財団の中でも、言葉1つの言い回しや重箱の隅をつつくようなことで、
延々議論してたな、行動するのが嫌な人間が暇つぶしで
高邁な議論してるつもりになっちゃう。「精神的袋小路」。

K本人の意図に反して、こういう人間を各財団や学校で再生産してるんだから、
財政的に破綻寸前なのは当然だな。この先どうなることやら...
931774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/07(水) 01:04:20 ID:QhFRGj+L
ルティエンスの伝記3巻とも持って読んだけど、どこをどう読めば>>930
ような解釈が出てくるかわからん。どの巻のどのページの記述か教えれ。
Kのロマンスの相手はフランス人女性だったはず。
932神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 02:11:27 ID:Ou6lgnbW
>>931

その3部作の伝記以降の話だよ。
90年代の半ばぐらいに、ゴパルの娘が暴露本を出したのさ。
ルティエンス女史もそれに対抗する本を出版したけど、
「中絶」の事実は認めている。

Kのロマンスの相手?腐るほどいるよ。
「ル」女史も、「Kは何故SEXが人々にとって問題になるのか理解できないらしかった」
「彼が、肉体的に極めて正常な男性であったことは周知」などと書いて、
相当なハッテンカだったことを書いてるでしょ
晩年に世話係だった、M.ジンバリストも肉体関係はどうだったかは
知らないが、極めて親密な関係で、長年スイス・ザーネンでの講話の世話をしていた
イタリア人の金持ちとの微妙な3角関係も、「ル」女史は書いているでしょ。
「女たらし」っていうより、一般人の感性でいう「節操」がないんだね。
野生動物と一緒なんだよ、いい意味でね。


933神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 02:18:03 ID:Ou6lgnbW
>>932

こんなこと書いたからといって、Kの言説・講話の内容の価値を貶めるつもりは毛頭ないよ。
>>917で、言ったでしょ。でも、こうしてある程度証明もされた、多方面の情報もあるんだから、
それらもちゃんと吟味しようよ。変に神格化・絶対視したり、
また「乱れた私生活」を理由に言説まで毛嫌いして、離れていくのもナンセンス
(暴露本出版直後は、脱退者がかなりいたらしいけど)。
934神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 02:21:36 ID:G6J6dsXI
スレ全然読んでないけど小谷野敦がニーチェを読んだら人はルサンチマンを
克服したと錯覚すると書いてあったがKさんかぶれだったオレは昔、人生の
諸問題を解決したと勘違いしてたなぁw所でウンコって人は、ばんこですか?
935神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 02:26:33 ID:Ou6lgnbW
>>931

ナール。アンタ、「ラジニーシ」なんだ。
失礼だけど、彼の本『マイトレーヤ』はお笑いだね。
「私は、私よりも(経歴上の)毛並みが良区、人気もあるKが憎い、
恨めしいです」と、はっきり書けばいいものを。私の記憶間違いでなければ、
ラジの言う、「KがR.ゴパルと離反して金銭的に困るようなった」なんて嘘だし、
だいたい精神世界の人間が、相手が金銭に困ってるから笑ったり非難したりするなんて
わけワカンネー。

936神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 02:28:15 ID:Ou6lgnbW
>>934

アンタに激しく同意、というか同情。
私も若いときそうでした、10年ぐらい。
ようやく今は、また違った読み方するようになったかな
937神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 03:03:51 ID:G6J6dsXI
ばんこの書くことはなんかウィリアム・バロウズの小説みたくカオティックな中に時折みら
れる明晰さみたいな感じがいいんだよ。言ってるこ
とはあんまわかんないんだが。関係ないがピエールとか懐かしいな。
938神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 08:49:40 ID:mf7xvJoo
>>930
> K読む人間と議論するのって本当に難しいね。
> 結局、Kの言説って、一度そのメタファーや語り口・切り口
> に「惚れた」人間を天狗にしてしまって、真摯な議論が出来なくなる。

同じ本を読む人間はみな同じタイプかい? あほくさ。

> 議論に参加してない第3者の評価はともかく、相手に「阿呆」などというのは論外。

阿呆には阿呆と言う。阿呆じゃなくても阿呆と言う。
これが2ちゃんねるのしきたりだ。w

> 高邁な議論してるつもりになっちゃう。「精神的袋小路」。

高邁な議論はそれはそれで問題だろうけれど、
俺とあんたの会話はどこからどみても高邁な議論じゃなかろうが。
やっぱり、あんた阿呆だな。w
939神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 08:54:31 ID:mf7xvJoo
おまいひょうっとして、東スポの一面とかユダヤ人陰謀説とか
アウシュビッツはなかった説とか、全部信じるタイプじゃね?
しかし、こういうゴシップ収集家っつうのも話の賑わいにはなるか。
940神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 13:11:54 ID:kQxs0v6V
Kの論理として物事を考えるから分裂すんじゃねーの?
941神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 15:26:48 ID:nsh33Xge
関係ないけど、どうせ負けるんだったら、
売れてないパチンコ屋にいきますが、
私は貧乏神ではありません。

陰謀論の怖いところは、陰謀論が繁栄論でロンするところです。
942神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 16:48:21 ID:BzAyF2e6
自然科学や数学、論理学などでは、理論と理論の提唱者は別々に考えることが
できる。哲学でもテーマによってはそうだろう。その理論を提示した哲学者が
大学院生の女を寝取って恨まれ殺されたとか、男色家で夜な夜な男漁りを繰り
返していたとか、そんなことと理論の評価は関係ないとされる。

哲学でも規範的倫理学や幸福論になってくると、そう簡単でなくなる。生涯不幸
だったように見える人の幸福論や、実生活では弁護のしようがない悪党だった人の
倫理学というのは、いまひとつ信用できないところがある。

クリシュナムルティのような思想家?になると、この人と理論の分離はますます
難しくなるように思われる。そもそも彼は、普通の哲学で言うところの理論や
「思想」を提示していない。彼の「教え」と彼自身を分離して考え、なおかつその
「教え」を真に受けることができるのだろうか? 
943神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 18:08:38 ID:G6J6dsXI
倫理学って学問として完全に破綻してるんだよ。底が抜けていると言った方が
正確。倫理が成立する根拠を問おうとしたら無限遡行に陥ってしまうから。
倫理学者自体が底無し沼の住人だから、どんなことやっていても構わない。
だって詰まる所、単なる文学者だもの。その作品が面白ければそれでよい。
それと釈迦にしろイエスにしろあの時代の規範から考えたらとんでもない人物
非道徳的極まりない。だから叩かれたんじゃないの。子を捨て、家を捨て社会
的責任を全く放棄しバラモンの言説を疑った釈迦はそれ故に社会道徳を超越し
たある種の真理を発見できた。イエスもまた然り。クリシュナムルティの思想
も危険で、アナーッキック極まりない。道徳を否定し世界の宗教者に喧嘩を売り
幾度となく殺されかけ懲りない。宗教者としての資質は文句なし。社会人とし
ては0点。そういったある種の狂人の思想以外、後世に残らないし人を動機付
けられない。生半可なマーケティングをした秀才の思想は半世紀もすれば消える。
倫理にはそもそも根拠がない。クリシュナムルティはあらゆる倫理や道徳、思
想の根拠を疑った。倫理を疑う人間に倫理を求めても仕方ない。倫理は道徳を
越えるがそれを更に越えた人物は中々、扱いづらいんだよ。だから至る所で黙
殺される。彼について語れば語るほど彼の術中に入るようで下手に逆らえない。
944神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 18:47:13 ID:kQxs0v6V
彼の言う事については語りたいけど、彼自身について語る意味ってあるん?
記憶はその人じゃないじゃん
945神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 19:35:43 ID:mf7xvJoo
>>943
生半可な知識で法螺ふいてんじゃねえよ。
「成立する根拠を問おうとしたら無限遡行に陥る」っていうのは、
倫理学に限らず、どの学問でも同じこと。
「倫理にはそもそも根拠がない」とか、「あらゆる倫理や道徳、
思想の根拠を疑う」なんてのは、20世紀の哲学者・倫理学者が
クリシュナムルティなんかよりずっと緻密かつシステマティックに
やってることなの。そんなことも知らねえの?
946神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 19:38:40 ID:mf7xvJoo
>倫理は道徳を越えるがそれを更に越えた人物は中々、扱いづらいんだよ。

そんなんでいいんなら、宅間とかでいいじゃん。w
947神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 20:12:13 ID:mf7xvJoo
>>933
で、あなたは何が言いたいわけ?
学問的に理論についてなされるように、提唱者と理論の別々に考えろってこと?
それともクリシュナムルティは、欧米人の東洋趣味でも何でも利用して、
何とか正体を暴かれずに逃げおおせた精神世界の詐欺師とか?
あるいは、クリシュナムルティはいまはやりの「チャネラー」とやらで、
講演のときにロード・マイトレーやーだかなんだが憑いてたとか?
948神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 20:13:36 ID:Ou6lgnbW
ID:mf7xvJooって人は、全く支離滅裂で、無礼な人ですね。

>>939は、何を言いたいのか、よくわからないな。
あまりにも人を侮辱しているし、Kに限らず、
哲学者や思想家といわれる人の言説の真実をどこに求めたら
良いのか、という課題に真摯に答えようとしない。

90年代以降、>>930で書いた事実が、どれだけの人を巻き込んで
大騒ぎだったか、認識しようともしない。
東スポのゴシップとはわけが違うと思うが。

> 議論に参加してない第3者の評価はともかく、相手に「阿呆」などというのは論外。
阿呆には阿呆と言う。阿呆じゃなくても阿呆と言う。
これが2ちゃんねるのしきたりだ。w

> 高邁な議論してるつもりになっちゃう。「精神的袋小路」。
高邁な議論はそれはそれで問題だろうけれど、
俺とあんたの会話はどこからどみても高邁な議論じゃなかろうが。
やっぱり、あんた阿呆だな。w

こういうこと平気で書く奴が、暗殺したり毒盛ったりするのだろうな。
Kの話を読むと、それまでの自分の生まれ育った国の慣習とか倫理道徳、
「目に見えないもの」への恐れとかが吹っ飛ぶ気がするから、2chみたいに
匿名性の影に隠れられるところで、平気で悪態を付く。
そんな人間になることが、「最初で最後の自由」と思っているなら、
何かが欠落してるな。
949神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 20:18:16 ID:Ou6lgnbW
>>947

もう、どうでもいいな。
やはり、来るべきじゃなかったな。
Kのフレーズ引用して解った気になってるか、
自らの不勉強さを汚い言葉で茶化して終わりの人間
生前の高橋重敏さんが、憂慮してた通りになるかもな。

さようなら
950神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 20:25:46 ID:mf7xvJoo
>>948
2ちゃんねるで相手に「阿呆」と言われて、
相手が「『最初で最後の自由』と思っている」って解釈?
これまたビックリ。
ともかくあなたは来るべきじゃなかったな。
俺もそう思う。w
951神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 20:36:12 ID:mf7xvJoo
いろんなキチガイが来るが、
何かというと「あなたは不勉強だ」と言ったり、
暴露本を読んで巻き込まれて大騒ぎする奴らを慮ったりする
いわば「日本クリシュナムルティ学会設立委員会」的なキチガイってのは、
いままでになく珍しかったんだから、
呆れ帰らせて追っ払っちゃったのは失敗だったか?
952神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 20:47:10 ID:nsh33Xge
いいえ。そんな暇ないんです。
953神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 21:47:37 ID:oQyNvoYD
憑き物の発言
憑かれることにあこがれる人々。
人間は憑き物の器、道具かいw
954神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 09:48:02 ID:vOdM6yyM
クリシュナムルティについてのこういうスレには、
良い面と悪い面がありますね。
良い面は、一人だけで彼の本を読んでいると、
特に若い人の場合、自分が賢いとか「霊的レベルが高い」とか、
その種の妄想に陥りがちですが、こういうところを見れば、それが妄想だということがよく分かる。
悪い面は、凡人が彼の言葉を切り取って引用したり、要約したりするので、
いわば彼の言葉が汚され、真理に気付かせる力が弱まること。
955神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 13:43:24 ID:vOdM6yyM
便所の落書きを見て憤慨し、「落書きすんじゃね、迷惑だろ」と落書きする阿呆。w
956神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 18:40:05 ID:/YkZg205
やっぱ、2ch、ネットからも自由であるべきなのかも知れんな、我々は
957神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 20:40:36 ID:efNZceqi
われわれたぁ だれのことかと 2ちゃんねらー
958神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 20:42:52 ID:9qjqgQGk
グルは要りません
金八先生は要りません
959神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 20:56:15 ID:RWyS2CAp

     ここは、偉そうにしてる奴ばかりだね、!! ばっかじゃないの!   



960神も仏も名無しさん:2007/11/08(木) 23:27:37 ID:dMkyr5rR
ええと・・・・・・誰も偉そうにしてるようには見えないんですが。
961神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 00:03:57 ID:LJC+66nM
これ、べつにクリシュナムルティがどう言ってるからってことじゃないんだが、
表面的な礼儀正しさとか、謙虚さとか、本質的意味はないんじゃね?
バカのくせに賢そうに振舞うより、バカ丸出しの方が正直でしょ。
962774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/09(金) 18:45:36 ID:/p9+9QqV
>>961
ある意味正しいが、だからといって自分の馬鹿さを
わざわざアピールする必要もない。

自分の馬鹿さを自分でわかってればその部分は誰も
晒そうと思わない。わからないから晒すのだよ。
だけどそれでいいのだ。

2ch だろうとどこだろうと、自分の馬鹿を見る勉強さ。

>>935 違うけど何か?

>>932 男は夜には野生動物になるんじゃないか?オレはなるけど。
   礼儀正しくね。君はセックスを嫌悪してるのか?
963神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 22:41:15 ID:NVGpiKwr
>>961
バカ丸出しを意識してバカ丸出しするのか?

バカ丸出しの人は、そんなことおもはないでしょ
他人の目、自分の目
そんなものすらもちあわせていないでしょ
ほんとにバカ丸出しの人は
964ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/09(金) 23:16:47 ID:jRYZYam3
>>962
774 ◆1KWe/Jkuxs〜。
遊びに来たよ〜。やはり、ここにいたね。
965774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/10(土) 00:22:16 ID:OspykioQ
>>963

自分がバカだと思わない。だから丸出しのままなんだよ。
あなたは自分はバカ丸出しだと思ってなくても、他から見れば
丸出しだったりするわけだ。

しかし問題はここかか。誰かに自分のバカで丸出しで赤面なことを
指摘されたとしても、自分でそれを認識できるのかどうか。
難しいのはここだよ。

肝は関係性。Kも多くを語っていたでしょ。
2chでも同じ。こういうやりとりでも関係性はできる。
だから俺はみんなに感謝してる。みんなのおかげで俺は
思う存分バカを丸出しできるわけだ。
966774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/10(土) 00:25:36 ID:OspykioQ
バカを丸出しでお互い指摘し認識しあえる関係。
それが信頼があるってこと。小さいことは気にするな。
バカは皆同じ。そうだろ?

>>964
おぉ。あっちのスレはもう見てないけど。遊んでけよ。
967961:2007/11/10(土) 00:48:34 ID:Qp/lZM1l
いや、そうでもない。
俺もネット外の世界ではあんまり失礼にならないように、
バカ丸出しにならないように気をつけているよ。
俺の場合、それをしたら多分失業するしね。
つまりここで俺が発言するとき、自分が失礼でバカ丸出しだと分かって、
それでもそういう発言をしている。
社会で生活するためには自分の醜さや愚かさを隠す隠す必要があるけれど、
それだけしていると、俺の場合自分が本当に善良で賢いような錯覚に陥る。
だから、平気で失礼なことも言い、バカも晒せるこういう匿名空間が、
俺にはぜひとも必要なわけ。


968ゼロ ◆ZwzTRF3Nd2 :2007/11/10(土) 00:58:41 ID:Zm/m6KOr
>>966
ありがとう。そうさせてもらうよ。
あっちは落ちて今2が立ってるよ(というか俺が立てた)。

クリシュナムルティさんに興味がわいたもんでね。
何でも宗教家だったのに宗教批判家になったとか。
そして、仏陀を尊敬していたっつうことで。親近感的なものを感じた(恐れ多いか)。

本買ってみることにしたよ。
969774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/10(土) 00:59:26 ID:OspykioQ
>>961

そうだよ。それでいいじゃないか。賢ぶることなんか何もないし。
まずはそうである自分を認めることから始めればいいんじゃないの。
ありのままってそういうことっしょ。そこからじゃないと無選択の
気づきとかは生まれないと思われ。
970神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 01:13:32 ID:RgUowMNO
無選択のきづき、など日々起こっているとおもわれ・・・・
971961:2007/11/10(土) 01:53:06 ID:Qp/lZM1l
ただ>>948を書いた奴を呆れさせて、
ここに来なくさせちゃったのは、
ちょっと失敗だったかな?
いろんな奴がいた方が楽しいし。
972961:2007/11/10(土) 01:55:39 ID:Qp/lZM1l
それと、河津とか@とかも、まだ読んでいるなら、
戻ってきて何か書き込んで欲しいものだ。
973774 ◆1KWe/Jkuxs :2007/11/10(土) 14:27:02 ID:vijqItKn
>>971

ほうっておけばいいでしょ。
書きたい動機があればまた書くだろうし。
ゴシップというのは毒が好きなんでしょ。
想像力をネガティブに使って、それらに巻き込まれてバカな思いをするのも自由だよ。
974神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 15:17:25 ID:wxgq5aYQ
>>973
でも、俺は『堕ちたグル』とかいう本で、
ラジニーシ崇拝から解放された気がする。
ゴシップを知ることで俺のクリシュナムルティへの
尊敬や理解(のつもりのもの)が消えてしまうのかどうか、
知りたいな。
975神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 15:20:52 ID:wxgq5aYQ
@はもう読んでないの?
@の瞑想がどう進んでいるか聞きたいのに。
まあ、俺の勝手な希望だけどね。
でも俺たちってみんな手探りで道を探してるんじゃないか?
そりゃ、人の言葉を聞いたって分からないってのも本当だろうけど、
でも俺は「こういう風に試してみて、結果こうなった」とか
そういうことをシェアーし合うのは、
それでもやはりいいことのような気がするんだが。
976神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 16:37:15 ID:oH5I6E7o
お互い経験を提供しあってもしょうがないと思うよ
そこに新しいものは無いね
977神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 19:10:03 ID:wxgq5aYQ
しょうがないと思う奴がいるということは俺にも理解できる。
でも、そう思わない奴もいるってことだね。
ところで、>>976は@さんなのか?
978神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 19:13:37 ID:wxgq5aYQ
しょうがないっていうのは、何かの目的の為に役に立たないってこと?
この場合の目的って何?
979神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 19:39:00 ID:oH5I6E7o
>>977
誰?そんな人知らない
人に何か答えを求めてもしょうがないじゃん、葛藤しか生まないだろ?
技術的分野では必要でも、物事の捉え方に模倣は毒だよ
980神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 19:42:23 ID:RgUowMNO
きし麺をいれるか讃岐をいれるか、なべの終わりのハーモニー
981神も仏も名無しさん
なべといえば、お肉、野菜、コンニャク、お魚、
なんでもありだ。しかし、全ての具が抜けた後の、
おじや、麺こそ、食の王道だ。
多くで食す、おじやこそ愛のスープなのだ。