念仏とか題目とか、識字率の上がった現代に

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1名無しさん@3周年
何度も唱えるヒマあったら経文読むべきじゃね?
2南無大師遍照金剛:2007/01/03(水) 16:03:20 ID:rJyC1fRK
念仏と経文読む違いくわしくヽ(´∇`)ノ
3名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 23:58:00 ID:uiat5YnV
念仏と経文は明らかに違うだろ。
4新渡顕鉄:2007/01/16(火) 09:50:00 ID:yGjcTUFm
はいはいカッカッカッカッ
5名無しさん@3周年:2007/01/17(水) 04:58:57 ID:sUnzNgS3
題目ばっかの集まりなんだろうな、このスレ。ていうか創価だな。
6名無しさん@3周年:2007/01/17(水) 05:14:55 ID:okonFDy7
題目ってか、このスレってか、ここはラベリング好きなネラーの溜り場でしょ

例えばネットウヨ。自分と知人、同調者以外は全部“在日”だと思い込み、
ラベリングするのが特徴ですね。
また、少しでも反論されたら条件反射で「お前、在日(チョン)だろ」。
根拠は全くなし。“オレがそう思ってるから”。(苦笑)
7名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 04:53:52 ID:/ZjyvY5P
このスレに真実があった
8金有財:2007/01/27(土) 07:09:20 ID:NaQfLzxd
経文は読むに耐えない駄文。
特に無量寿経と法華経。
経文を読んでいるとバカらしくなってくる。
したがって、経文は読ませないようにしている。以上。
9名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 07:27:16 ID:zgAHQiit
キリスト教もう時代遅れ。
10名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 07:37:42 ID:4zLg5sKF
>>9
 時代に遇った宗教って何だ? そう騙る手合いは
健在だが、充分怪しい。
11名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 07:41:25 ID:4zLg5sKF
後、聖書は元々、聖職者が独占しており、信徒は口唱する以外に無かった。
 コーランは古代アラビア語であり、信徒はそれを読んで唱える事もしたが、
ムスリム圏の識字率の高さが背景にあった。
12名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 07:52:44 ID:zgAHQiit
>>10
>時代に遇った宗教って何だ?
無宗教又は全宗教。

宗教信仰者は他宗教を否定してはいけない。
13名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 08:13:54 ID:zgAHQiit
群盲が象を撫でて各自が思い浮かべる 「象」の概念は人其々、
だから感じたままを「象とはこういうものです」
14名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 08:30:14 ID:28Xga3N9
>>12
ってことは、全宗教もしくは無宗教は仏教もキリスト教も否定できないんだね

すべての宗教を肯定しかできないなんて、なんだか自由がない考えですね…
15名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 08:34:30 ID:4zLg5sKF
>>14
 自己以外の総ての宗教を否定し、排除する宗教も
実の所、珍しくないから、実際に積極的にその挙に出る
宗教は流石に肯定はできないでしょ
16名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 08:38:40 ID:mY1MK1mr
経文を訓練なく読んでも8番さんになるだけぢゃん。
猫に小判 豚に真珠 金有財に経典。

法華経をくだらんと言った時点で 
インテリからこいつダメだわと判定されているだけなのにね
17名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 08:40:55 ID:mY1MK1mr
9番さんは 流行り廃りでモノを考えるタイプなんだね
目まぐるしく変るよ いそがしいねー
18名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 08:43:24 ID:mY1MK1mr
>>11
信徒も直接読むべきだとプロテスタントは考えたわけだが。。。
今や発行部数は世界一でしょ
19名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 08:48:50 ID:mY1MK1mr
自分とこだけが正しい。他はすべてダメというところはカルトだね。

私にとってはこの教えが正しい 私にはこの教えしかない
この教えを生きると主体的な信仰の中で絶対化すればOK。

カルトは主体を越え、
誰にとっても この教えだけが正しいと絶対化する
アホだね でも自分からカルトと宣言してくれるのだから わかりやすい
20金有財:2007/01/27(土) 08:52:42 ID:NaQfLzxd
法華経なんて、黙示録の足元にも及ばない。
地中から塔がにょっきり出てきて、そんなかに大きな骸骨が〜。
オカルト映画そのものだな。
21金有財:2007/01/27(土) 09:00:14 ID:NaQfLzxd
インド人の想像力は支離滅裂だが、
教養のないジジババが驚いてくれる。
22名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 09:01:32 ID:zgAHQiit
>>14

私は無宗教ですが、相手に合わす心があります。
キリスト教徒が相手になると、自分もキリスト教徒らしい、
仏教徒が相手になると、自分も仏教徒らしい、
人と一緒に神社も行く。
だけど、一番相手しやすいのは無宗教者。
アーメン!
23金有財:2007/01/27(土) 09:09:48 ID:NaQfLzxd
>>22
無宗教者が何しにここに来ているかが疑問だが、
ひやかしか?
24名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 09:14:49 ID:mY1MK1mr
見宝塔品か?
地中から塔が湧出したと書かれているが
ガイコツなんて書かれとらんぞ(笑)
キミの読みはその程度だねー

ガイコツではなく「此の宝塔の中に如来の全身います」だぞ(笑)。

ちなみに見宝塔品には例えば
「時に釈迦牟尼仏、所分身の諸仏を容受せんと欲するが故に、
八方に各更に二百万億那由他の国を変じて、皆清浄ならしめたもう。
地獄・餓鬼・畜生及び阿修羅あることなし。」

二百万億那由他(無数)の国をぜんぶ清浄にするとあるが
黙示録は「黙示録 7:4 わたしは印をおされた者の数を聞いたが、
イスラエルの子らのすべての部族のうち、
印をおされた者は十四万四千人であった。」

どちらが好きかは人それぞれでしょ
25名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 09:18:15 ID:zgAHQiit
>>23

あなたは念仏とか題目とかを否定して
どうしてこのレスに来ているかが疑問だが
26名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 09:19:55 ID:mY1MK1mr
>>21

インド人の想像力は支離滅裂だが、黙示録は素晴らしいという理解は
信仰なのであろが 公平ではないし理性的ではない。

インド人の想像力が支離滅裂という判定基準で黙示録をはかると
黙示録も支離滅裂だと言わざる得ない。
んで法華や黙示録を支離滅裂と評価したら、評価した人を世間は笑う
27名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 09:20:12 ID:zgAHQiit
キリスト教はイスラム教をいじめて、
こんどは仏教に手を出すのか?
28名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 09:23:39 ID:mY1MK1mr
日本で 圧倒的少数のキリスト教が仏教を中傷しても
いじめにはならん バカにされて黙殺されるだけ

で仏教に喧嘩売るキリスト教は、キリスト教の主流派ではなく
キリスト教でもカルト度の高い人たち
29金有財:2007/01/27(土) 09:23:39 ID:NaQfLzxd
>>25
ここは、念仏や題目をひやかすスレじゃないのか?
30名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 09:26:16 ID:zgAHQiit
>>29

どうして他人の信仰をひやかすのか?
31名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 09:28:36 ID:zgAHQiit
宗教はお互いに認め合うべきだよ、
宗教と宗教は団結しなきゃ、なんのための信仰?
32金有財:2007/01/27(土) 09:32:57 ID:NaQfLzxd
>>24
「全身散ぜざること禅定に入るが如くなる・・」
宝塔の中にホトケの遺骸が入っているんだ。
体がばらばらにならず、なんとか姿を保っているということだな。
骸骨というのが悪ければ、ミイラだね。
日本にもそういえばそういうミイラがあったね。
33金有財:2007/01/27(土) 09:34:56 ID:NaQfLzxd
「念仏とか題目とか、識字率の上がった時代に・・・」
これをどうとらえるか?

2chだよ。
ひやかさないでどうする。

いつも言っているが、まじめな人はブログでどうぞ。
34金有財:2007/01/27(土) 09:36:09 ID:NaQfLzxd
>>31
31につられて、ついマジレスしてしまった。
恥ずかしい。
35名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 09:38:26 ID:mY1MK1mr
アホアホだな(笑)
ギョーカイ用語的に「散」は
心が散乱して一つのところに留まらないこと。心が乱れていること。
つまり集中力が欠けているということだよ。

全身細胞の一つに至るまで、心を乱さず集中して瞑想していると
書かれているのだよ、経文には。

キミは読めてないのに わかった気になっているだけ
36名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 09:47:14 ID:mY1MK1mr
ちなみにサンスクリット本の現代語訳の
岩波文庫「法華経 中」p187では

かの尊きプラブータ・ラトナ如来が、あたかも瞑想を終えたかのように
四肢が痩せ身体は衰えていながらも獅子座に足を組んで座っているのが
見えた。

サンスリット本もガイコツなどと書いておらん。
3731:2007/01/27(土) 09:50:33 ID:zgAHQiit
>31につられて、ついマジレスしてしまった。
金有財さんは喧嘩レスが好き?
38金有財:2007/01/27(土) 10:00:34 ID:NaQfLzxd
>>36
ごめんごめん、ミイラだったね。
宝塔といっても仏舎利塔のことだから、つい骸骨っていってしまった。
わるいわるい。

39金有財:2007/01/27(土) 10:02:42 ID:NaQfLzxd
法華経は、仏舎利塔を中心に集まっているインド人が作ったらしいね。
なんか、そういうことを読んだ気がする。
40名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 10:03:19 ID:mY1MK1mr
ミイラとも書かれておらんが。。。
まあ好きにされよ
41名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 10:11:29 ID:mY1MK1mr
大乗は仏舎利塔信仰運動が生んだという平川彰説があるのだが、
具にみると
初期大乗経典群の最初、般若経典には、仏舎利塔信仰が否定されており
経塔信仰。
大無量寿経の古い異本(大経より古い形残している)だと
仏舎利塔信仰があるが大経からは姿を消している。
法華経は中間タイプで仏舎利塔信仰と経塔信仰が法華の中で共存している
というか二つある

仏舎利信仰と大乗で言うと
近年、部派仏教側にも仏舎利信仰(広くは先輩僧・尼僧の舎利)があった
証拠が発掘より証明されている

法華制作グループは元々仏舎利信仰があったが
法華経が形成される過程で経塔信仰に転換しつつあった
という感じ
42金有財:2007/01/27(土) 10:21:19 ID:NaQfLzxd
「我が滅度の後、我が全身を供養せんと欲せん者は、一の大塔を起つべし」
ようするに、宝塔の中には、多宝如来の遺骸が入っているわけです。
如来の遺骸ですから、腐らないんでしょうか。
でもミイラ化はしているんでしょ?

釈迦も、
「方便現涅槃」ですから、インド人の想定では、多宝如来も実際は死んでいないことになっているのかも。
43金有財:2007/01/27(土) 10:23:16 ID:NaQfLzxd
>>41
勉強になります。
44名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 13:21:47 ID:ZNyL2lmb
余談だが
「滅」は、元はニローダという語で「制する 抑止する」という意味。
原始佛教の古層で「滅」といえば煩悩を制するという意味。
漢訳では「煩悩を制する」を「煩悩を滅ぼす、なくし切る」と捉えたのだね。

だから本来の「滅度」はニルヴァーナ(悟り)のこと。
しかし法華では「入滅」仏が亡くなることという意味で使われているね。

さてややこしいのはここから、法華文句は、ここを
多宝如来は、法身だと考えている。
根拠として、「かの諸仏の分身の諸仏の十方世界にありて説法したまうを…」
十方世界で法華を説法している諸仏はみんな多宝如来の分身だとある。
分身の本体の多宝如来はだから法身。

この辺は、大乗の「法身・化身・応身」などの佛身論を理解しないとね
但し、前述の岩波「法華経 中巻」のp175には、
「この尊きプラブータ・ラトナ如来の遺骨を祀る塔」とあるので
サンスクリット本には「遺骨」とあるのだろうね。
まあ妙法華の方がサンスクリット本より古い成立なので
妙法華になければ後代の加筆と切り捨てられるわけだが
45金有財:2007/01/27(土) 13:49:49 ID:NaQfLzxd
>>44
法華経そのものが加筆で膨らんできているようなものですから、
気にすることはないと思いますよ。
46名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 13:59:46 ID:ZNyL2lmb
加筆といえば聖書もそうだよ。
サマリアは五書だけだが
ユダヤは五書以外に歴史書や預言書など諸書を付け加えた
五書も詳しく見れば古い層新しい層に分かれる

新約だと例えばマルコ福音書が一番古いが
マルコに満足できない人たちがルカやマタイを作った。
ヨハネはまつたく別系統の人たちの手による福音書だね
グノーシスに大人気を得たがキリスト教は取り入れた。

法華の場合、方便品が古い。
日蓮らが重視した寿量品は新しい成立。
妙法華は提婆達多品を本来欠き、
提婆達多品のある正法華・サンスクリット本より古い成立。
漢訳されたのは正法華が古いのだが
47名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 14:01:17 ID:ZNyL2lmb
マルコ福音書が一番古いが ×

福音書の中ではマルコ福音書が一番古いが  ○

新約で古いのはパウロ真正書簡
48金有財:2007/01/27(土) 14:14:06 ID:NaQfLzxd
まあ、ようするに、地中からどど〜んと宝塔が出てきて、なかに多宝如来の遺骸が座っていたというわけだ。
インド人の空想は途方もない。
話そのものが空想の産物であるから、読むに耐えないというわけだ。
所々に見える教えは、それほど特別なものではない。

聖書はどうでもいいのだが、新約聖書についていえば、おかしげな福音書はみんな捨てられた。
最近有名になったユダの福音書のごとき。
49名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 14:19:25 ID:ZNyL2lmb
全身がと書かれているじやん(笑)
ぢゃあ分身の諸仏はみんなガイコツなんかい(笑)

ヨハネ書は 人間イエスを「人となった神(ロゴス)」とする
おかしげな福音書だよん
50名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 14:22:58 ID:ZNyL2lmb
だが法華やヨハネ書を読むに耐えないと斬り捨てるか
信仰の書として自分の人生の糧にするかはその人次第だね

「ヨハネ書はすばらしいが法華はバカ」は
自分の信仰あるいは感動を相対化できてないアホなだけ
51金有財:2007/01/27(土) 14:33:22 ID:NaQfLzxd
まあ、何でもいいという人がいるから、おかしげな宗教も生き延びているのですよ。
それはそれで、人の勝手。
「鰯の頭も信心から」といいますよね。
「さばの頭」だったっけ?
52金有財:2007/01/28(日) 00:08:07 ID:Euz6Errx
>>50
バカとかアホとか日頃の言葉が出てきましたね。
上品ぶってもだめですよ。

「識字率が上がった」って、いつの時代と比較しているの?
最近の若者は漢字読めないよ。
53名無しさん@3周年:2007/01/28(日) 00:59:03 ID:e1ivA3ej
>>1
俺もそう思っていたんだ。
541:2007/01/30(火) 01:46:10 ID:yypyveC4
久しぶりに来たらスレが伸びててうれしいけど、
もっと違う話してるんだね。それもまたよし。

>>52
もちろん鎌倉時代。

>>53
そうかそうか。
55名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 01:47:56 ID:yypyveC4
>>52
そう、52はいつの時代と比較してるの?
ちなみに何歳?
56金有財:2007/01/30(火) 16:39:47 ID:vNpzx5o8
ゆとり教育が始まる前だなあ。
いや、若者が劣化し始める前だなあ。

まあ、最近は、漫画で書いたものがあるからそれでいいか。
57金有財:2007/01/30(火) 16:43:52 ID:vNpzx5o8
しかし、仏典なぞ読む価値もないというのが私の考え。

一応、法華経、浄土三部経など、岩波で出ているものはみな読んだよ。理趣経や唯摩経も読んだなあ。
当然、般若心経は暗記している。しかし、くだらん。
5853:2007/01/30(火) 22:16:02 ID:cVcYJXdi
私も岩波の法華経、浄土三部経は読みました。
59名無しさん@3周年:2007/01/31(水) 00:20:29 ID:wgjsKQPG
53 でも 58 でもないけど、私も
岩波の浄土三部今経と法華経は読みました。

一応文字は読めるけど、お経を読むのは大変ですね。
情けないけど、私がおぼえているのは、
法華経を唱えると竜の娘にいちもつが生えるのと
観経の中で王様が奥さんの身体に蜜を塗ってなめてる光景だけ。 orz
60名無しさん@3周年:2007/02/01(木) 21:31:21 ID:7cRtN2EG
法華経はウソです。ウソも方便だなどと言ってるのだから
 
それがウソまみれであることは確実ではないでしょうか。
61名無しさん@3周年:2007/02/02(金) 00:22:07 ID:hz1rPP/D
仏教には十善戒があり、そこに不妄語<ウソをつくな>という戒がある。
 
ところが法華経はブッダ自ら、ウソを方便として認めている。
 
十善戒からみれば、法華経は戒破りであり、ブッダ自身も戒破りである。
  
戒破りのブッダも、戒破りの法華経もDQNですね。
62名無しさん@3周年:2007/02/03(土) 00:07:27 ID:U5Ubiq8E
法華経がインチキだったなんて・・・がっかりした。
 
仏教は空だから、法華経インチキ説はありえるか。
63名無しさん@3周年:2007/02/03(土) 00:34:44 ID:FAjoOFR6
何度も唱えるような奴は読んでるんじゃないの?
64名無しさん@3周年:2007/02/03(土) 11:15:13 ID:ijEv3a3E
法華経の問題を追求することは イコール
  
この経を土台にするカルト宗教の問題を追求すること じゃないかね
65名無しさん@3周年:2007/02/03(土) 11:18:34 ID:zpBQBiek
キリスト教もわけのわからん死を引用してとなえてる
変っ
66金有財:2007/02/03(土) 12:03:22 ID:fEnVLALM
>>65
話題をそらそうとしてもだめ。
法華経がいんちきなのは隠せないなあ。
67金有財:2007/02/03(土) 12:06:26 ID:fEnVLALM
インドの汚い坊主が、頭掻き掻き、考えたのが法華経。
どこの馬の骨が作者か分かりませんよ。
68名無しさん@3周年:2007/02/03(土) 12:13:30 ID:zpBQBiek
>>66 おお なんでもお見通しかー
キリスト教もいっしょに叩きたかった
69金有財:2007/02/03(土) 16:44:05 ID:fEnVLALM
>>68
キリスト教は別のところでやってる。
70名無しさん@3周年:2007/02/03(土) 19:24:44 ID:eZ/wCUY2
平田篤胤が言ってる・・・「法華経は能書き」
 
法華経を読むと、登場する人が「ブッダはすごい」と山ほど賞賛するけど、
 
どこがすごいのかまったくわからない。そのすごさは最後まで不発。
 
平田が言うように、法華経は<スカスカ経典>である。
71金有財:2007/02/03(土) 19:39:31 ID:fEnVLALM
>>70
法華経がすごいと賞賛するんだよ。
で、法華経って何?という疑問がわくんだね。
法華経の中に法華経がすごいとかいてあるんだから、
別に本当の法華経が有るような気がする。
ようするにいい加減な書き方なんだね。
72boo:2007/02/03(土) 19:40:48 ID:5JXsLbPP
仏の存在が理解できますよ。
73boo:2007/02/03(土) 19:44:05 ID:5JXsLbPP
仏の存在を理解させる為につくられた経典です。
74金有財:2007/02/03(土) 19:45:21 ID:fEnVLALM
法華経は、「『この呪文をとなえると功徳が有る』という呪文」のようなもの。
75boo:2007/02/03(土) 19:46:24 ID:5JXsLbPP
それは誤解です。
76金有財:2007/02/03(土) 19:47:22 ID:fEnVLALM
>>72
「本当は死んでないんだけど、方便で死んだことにしている」というんだろ。
なんで、そこでばらすんだよ。
単なる負け惜しみにすぎない。
77boo:2007/02/03(土) 19:50:15 ID:5JXsLbPP
それが神仏なんですよ。釈迦は神仏の姿を真似、神仏の存在を伝えようとした。
78boo:2007/02/03(土) 19:51:41 ID:5JXsLbPP
神仏になろうとした、いや、なった。
79boo:2007/02/03(土) 19:53:24 ID:5JXsLbPP
>法華経は、「『この呪文をとなえると功徳が有る』という呪文」のようなもの。
それほど法則が助けるという意味だと受け取れます。
80名無しさん@3周年:2007/02/03(土) 20:29:34 ID:upB+3qI6
では日蓮は何を教えていたのでしょうか?
81名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 00:01:11 ID:CnVTBKJU
>>79
空を説く仏教には、神仏はいないし、法則もないはずですが?
82名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 00:56:13 ID:Kf+cStS6
>>81 神仏も法則もないのか〜
頭いいな〜
さっぱり分からなかったので勉強になりました
83エルカンターレとも呼ばれた賢者:2007/02/04(日) 01:01:37 ID:gUVfsEOP

>>75
お前がな!

84エルカンターレとも呼ばれた賢者:2007/02/04(日) 01:17:34 ID:gUVfsEOP

>>81
論理必然で、そうなりますよね。
だから、末法なのだと釈尊が、予言された通りになりました。
85名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 01:40:40 ID:bRl+8sD8
なってねーよ
86エルカンターレとも呼ばれた賢者:2007/02/04(日) 01:57:00 ID:gUVfsEOP

>>85
なぜ?

馬鹿?
無知蒙昧?
オウム創価教?

87名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 11:21:14 ID:A35tNi8y
>>81
空とは神を意味します。
88名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 12:27:16 ID:aPs9k0SY
空がどうして神・・・それを説明しないとダメでしょう。
 
黒は黒、白は白で、黒は白ではないでしょう。
89名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 12:39:49 ID:A35tNi8y
>>88
空とは無一物でありながら無尽蔵であります。
無一物無尽蔵を神と表現する場合もあると云う事です。
90ラッシュコイルの可能性 ◆d2tpHw/s/. :2007/02/04(日) 12:42:05 ID:LMZsII/F
>>89
SEXと金のためにそこまでペラペラしゃべられるのは確かにすごい
91金有財:2007/02/04(日) 12:42:36 ID:ixZdesdy
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1170023381/l50
こちらにも来てくれ。

>>89
このような考えを持ち込んで、
神を貶めているのが仏教の害悪だ。
92ラッシュコイルの可能性 ◆d2tpHw/s/. :2007/02/04(日) 12:47:09 ID:LMZsII/F
無尽蔵なんて言っちゃったら、ドラゴンボールの人造人間17号のエネルギーとかみたいじゃん

93名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 13:23:43 ID:A35tNi8y
神と仏は帰一するのです。
94名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 16:14:18 ID:ffQ0xuAl
法華経は変な経典だね。法華経という経典を大切にしろと説く。
 
イスラム教もコーランを大切にする。ふたつはよく似てるのかなあ。
 
95名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 20:18:10 ID:A35tNi8y
南無阿弥陀仏
南無妙法蓮華経
を只唱えさえすれば救われる。
バカにする者もいるようですが、真理なのです。
96名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 21:14:25 ID:Yho6xlfZ
>>95
浄土信仰には魂の救済という役割があるのでしょう。
ただ法華経に関しては、カルト性が強くて社会的な弊害が目立つように
思います。如来ではなく、法華経を賞賛するところがクセモノ。
   
「ナムアミダブツ」や「ナンミョーホーレンゲッキョ」と唱えるのは、
数息観で息を数えるのと同じで、精神統一のための手段ではないですか。
97名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 21:24:57 ID:A35tNi8y
>>96
至高への信仰ですね、、
人生の意義とは神仏への信仰と云う事です。

親鸞曰く、難しいお経を唱えても何にもならない、
只、「南無阿弥陀仏と唱えるだけで救われる」と教えました。
98名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 21:31:34 ID:5h13JysT
>>71
あのね、法華経の画期的なところは、久遠仏の顕現にあるんだよ。
その一点につきる。
法華経なくしては、釈迦の教えはインドの覚者の教えとまりだったわけだ。

キリスト教ではパウロ書簡だな。内容の比較はできないが、役割としてはね。
99名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 22:03:32 ID:A35tNi8y
久遠仏とは宇宙創造神なのです。
100名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 22:37:53 ID:Oo0IItNj
>>99
キリスト教のパクリじゃない?
101名無しさん@3周年:2007/02/05(月) 01:20:46 ID:L08UbNgU
阿弥陀仏も宇宙創造神なのです。
古代インド語でア(否定)・ミータ(計測)
つまり、計測不能な無限仏で宇宙創造神でもあります。
102エルカンターレとも呼ばれた賢者:2007/02/05(月) 01:37:44 ID:ZVnwfwXx

>>98
違うよ。
法華経は、独り歩きさせられてしまったんだ、法華経カルトのキチガイ煮血煉と創価精神病院に因ってね!

こいつら破壊カルトは、法華経は、単独で完結する、などと、キチガイなことを言い出しやがった!

だが、違うんだ。

4福音書なしでは、他は成立しないのと同じことですからねw
自称仏教をカタル破壊カルトどもらの無知蒙昧には、吐気がします。

103名無しさん@3周年:2007/02/05(月) 18:41:46 ID:fiLdU0hq
「ナムアミダブツ」なら阿弥陀如来が浮かぶ。
 
「ナンミョーホーレンゲキョー」じゃ、法華経が浮かんでくるだけ。
 
久遠仏成の本仏なんか浮かばない。ここがミソ。洗脳のレベルアップ。
 
日蓮商人は、洗脳をレベルアップした、カルト教団の元祖だよ〜ん。
104名無しさん@3周年:2007/02/05(月) 19:41:08 ID:wmbQLg21
>>102
アホだなw
フィルターをはずして法華経を読んでみろ
105名無しさん@3周年:2007/02/05(月) 23:25:15 ID:YGX0iWtb
日蓮宗は、南無妙法蓮華教と言って法華経を賞賛する。
  
ここに洗脳とカルト性が仕組まれている。ここにからくりがある。
 
法華経を賞賛させ、久遠実成の本仏が空席になっている。
 
この空席に教団トップが腰を下ろす・・・すわり心地がいい。
 
日蓮宗の固さは、洗脳の強さと → 教団の強いカルト色にある。
106エルカンターレとも呼ばれた賢者:2007/02/05(月) 23:47:11 ID:ZVnwfwXx

>>104
釈迦に説法!

笑止千万(見下し笑)

107名無しさん@3周年:2007/02/06(火) 00:27:03 ID:bnIA3EIp
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
108名無しさん@3周年:2007/02/06(火) 01:18:44 ID:MUNvYlui
お経とかキリストの祈りをマントラのように唱えさせるのは古い教え。
現代人はそんな鈍行列車みたいな宗教をやってても間に合わない。
109エルカンターレとも呼ばれた賢者:2007/02/06(火) 01:24:36 ID:snLHU/aO

何に間に合わないというのかw
既に、何もかもが、手遅れとなったこの、絶望の血出死の時代に!w
110名無しさん@3周年:2007/02/06(火) 04:27:31 ID:CR43NRAt
汚染のひどい現代には現代に適した宗教が必要。
過去の宗教は回りくどいことばかりやっていて
全然本題に入れない。
111名無しさん@3周年:2007/02/06(火) 07:15:27 ID:sWMUqVXM
>>109
コピワン地獄?
112名無しさん@3周年:2007/02/06(火) 12:51:24 ID:6Nl5/lKh
釈迦の徹底した理論と実践。
大乗仏教経典は大衆向けに興味を持たせるために趣向を凝らした。
不思議な事に期待する民衆は、あたりまえの説教よりも、信仰に期待するようになってしまった。


113名無しさん@3周年:2007/02/06(火) 18:48:45 ID:6Nl5/lKh
法華経でも有り難い物語によって、死後には善い運命となると書いてある。
物語のように書いてある経典を記憶したりすることで、釈迦の基本的理念を持つ。
経典は解釈ではなく、読み学ぶことで釈迦の教えを把握するように意図されている。
114名無しさん@3周年:2007/02/06(火) 21:21:23 ID:mLuEG4nj
解釈と、読み学ぶことは意味が同じ。
釈迦の徹底した理論と実践と云ったって八正道だろ、、
八正道じゃ悟れませんよ!
115名無しさん@3周年:2007/02/07(水) 18:54:41 ID:y2dVf8zI
南妙法蓮華経にしても南無阿弥陀仏にしても呪文のようなもの
 
そして呪文とは「呪い」である。だれに対する呪いか。
 
念仏も題目も、自分への「呪い」である・・・だったんだってさー
116名無しさん@3周年:2007/02/07(水) 20:31:04 ID:nS/HU2/t
>>115
マントラって知ってるか?
117名無しさん@3周年:2007/02/07(水) 20:52:21 ID:Lz1s4MxG
呪文に効力があると思うのはまったくの勘違い。
 
マントラにしても、そんなもの唱えてると自分が呪われるだけ。
 
人を呪わば<穴ひとつ>・・・自分が催眠術にかかるのさ
 
呪いはやめよう、南妙法蓮華経はやめよう、南無阿弥陀仏はやめよう
118名無しさん@3周年:2007/02/07(水) 21:15:04 ID:raZu6vgI
117
南無阿弥陀仏は呪いだと言う人からも
南無阿弥陀仏が出る。南無阿弥陀仏は不思議だ。
119エルカンターレとも呼ばれた賢者:2007/02/07(水) 21:24:22 ID:WwNYEOLN

>>111
オウム創価馬鹿?

>>108に答えさせろよ、無知蒙昧

120名無しさん@3周年:2007/02/07(水) 21:43:01 ID:zHeXrza3
唱え方によるよ
121名無しさん@3周年:2007/02/07(水) 22:37:12 ID:PjYuX8CF
お母さんと口にしてみてください、お母さんの愛情が
心に浮かぶでしょう。
それは、貴方のお母さんが貴方を愛情一杯に育てたからです。
阿弥陀様の御心を聞き、其の心が至り届いた方は、
南無阿弥陀仏と称えると、阿弥陀様の慈悲が心に満ち溢れます。
南無阿弥陀仏は決して呪文では有りません。
122エルカンターレとも呼ばれた賢者:2007/02/07(水) 22:42:14 ID:WwNYEOLN

>>120
>>108を受けての、>>109についてはどうよ?w

123名無しさん@3周年:2007/02/08(木) 00:13:00 ID:5yyJhQvI
仏教は無神論だから、阿弥陀仏は方便であり存在しない。
 
仏教にうとい在家向けのウソらしい。僧侶は<空>を信じる。
 
だから「ナムアミダブツ」には何の意味もない。  
124名無しさん@3周年:2007/02/08(木) 00:28:44 ID:akiJBI5I
釈迦は無神論ですが、親鸞は有神論です。
故に阿弥陀仏=神なのです。
125名無しさん@3周年:2007/02/08(木) 01:29:21 ID:2QAO1mGh
釈迦は無神論?
幼稚きわまりない人格神はもちろん否定されなければならないが
法という形の宇宙に遍満する神の働きを発見しただろ。
法という真の神を理解できない幼稚な人には、仏教はまだ早い。
126名無しさん@3周年:2007/02/08(木) 13:14:24 ID:akiJBI5I
真の神は法ではありません。
真の神は生命です。
127名無しさん@3周年:2007/02/08(木) 14:20:42 ID:1l3zfVpz
>>56
意味不明。識字率ってわかってないだろ。

>>95
それで救われるなら経文は何のためにあるの?
せっかくだから読んどいたほうがよくね?
128名無しさん@3周年:2007/02/08(木) 14:35:07 ID:a6Ez/Smy
阿弥陀仏は永遠の光=知恵(法)アミダターバと
永遠の命アミダユースの両方を兼ね備えた方です。
129名無しさん@3周年:2007/02/08(木) 15:45:54 ID:akiJBI5I
>>127
経文は念仏の後戯です。
>>128
阿弥陀仏=神
130金有財:2007/02/08(木) 19:00:35 ID:fh6e/loM
>>127
バカだから分からんのだ。
最近はこういう奴が多いなあ。
131名無しさん@3周年:2007/02/08(木) 20:35:11 ID:2W8LKLRO
本人が何を信じてもかまわないが、人に勧めるのはやめてほしい。
人のこのような生存状態は永続せず「空」であり「虚妄」。「安らぎは虚妄ならざる真理」として、悩みも迷いも身体から生じるもので、
五感と思考の六つを抑制して、自然の中での瞑想で自分の粗雑な思考を修めとる。
平安の境地を真理として、精神を安定統一させ、
この世で平安を乱さない者となるために邪な見解を捨て、
「一切の生きとし生けるものは幸福であれ安穏であれ安楽であれ、
敵意なき怨みなく慈しみのこころづかいをこの世で崇高なものとしてたもて」と。
「ひとはどれだけの日時にわたって修行者の行いを行うべきであろうか?もしも自分の心を制することができないならば。
愚鈍なる者の気落ちするような危難は多いのである。
一歩一歩ごとに心が沈んでしまって」
釈尊「修行僧は自分の粗雑な思考をおさめとり、
何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、
束縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな」
世とこの身を泡沫のごとくとみよ。一切の事物は我ならざるものとして、
世も自己も永続する自分ではない、
自然の中での瞑想により心を静め、悩みを断つ。安らぎに満足する。
正しい修養方法によって気落ちしない自分となる。
他人を悩まそうとしない、怒って他人を謗らないまで。
慈しみのこころづかいを崇高なものとし、安穏でない人を安穏に、人に分け与えることを善とする。原始仏典では、悟りを目指すという名目で、良識ある人となる。
不自然なことはあまり教えてないようだが。
132名無しさん@3周年:2007/02/08(木) 23:44:18 ID:GA0lbIBy
仏陀が説いた教えは無神論であり、宗教ではない。
 
浄土真宗が仏教なら無神論のはずだけど、有神論なら仏教ではない。
 
「南無阿弥陀仏」なら仏教ではないけど、たしかに宗教である、なんてね。
133名無しさん@3周年:2007/02/09(金) 00:52:37 ID:7qTejBeL
そうは言っても浄土真宗は<正信念仏偈>で<竜樹>にも帰依する。
 
それなら般若経の<空>の思想にも依拠することになり、
 
<空>の思想は神を否定するから、やっぱり無神論であり仏教になる。
 
南無阿弥陀仏は方便であって実はウソだったか。両舌あるいは二枚舌。
134名無しさん@3周年:2007/02/09(金) 03:08:52 ID:ThPe7d+W
空=神であるから有神論。

南無阿弥陀仏=神への信仰
135名無しさん@3周年:2007/02/09(金) 23:08:01 ID:SerRtR/d
空=神・・・これが二枚舌であり両舌、詭弁である。
 
空は空であり、カラッポという意味である。空は神ではない。
 
ムリに空=神にすれば、カラッポ神になる。
 
いい加減に悪あがきはよし、仏教徒なら八正道の正語を実践しなされ。
136名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 00:24:05 ID:/OilX7fT
浄土宗・浄土真宗のほうが日蓮宗よりすぐれていると思う。
 
しかし空=神などという二枚舌を使ってはいけない。
 
あなただけの問題ではなく、他人を誤らせるという罪作りであり、
 
何も知らない他人を誤った道へと導く。
137名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 01:29:39 ID:/OilX7fT
竜樹を切ればすむ。竜樹を切れ。竜樹を切れ。般若経を捨てよ。
 
そうすれば二枚舌から縁が切れる。これが縁起である。
138名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 01:31:11 ID:/QjyDCZB
>>136
原則 空=神 なのです。
場合によっては 空は空 無いと云う意味もあるだけです。
照見五蘊皆空 この場合等は無いと云う意味です。

仏教徒ではありません。
わたしは ある 者です。


139名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 14:18:36 ID:VQg2oGqN
僧侶たちは二枚舌を使う。
 
<空>と言って、神仏などいないと言ってみたり、
 
<ナムアミダブツ>と言って、神仏がいるようなふりもする。
 
僧侶たちはこんな簡単なウソがわからない。
 
二枚舌が便利だから、二枚舌であることを理解したくないのだろう。
140名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 21:55:57 ID:/QjyDCZB
現代は僧侶とは葬儀屋を意味する。
141名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 22:01:10 ID:tEtCYO3M
>140
ほんとだね。でも転業とか再就職とかで使えるね。よかった・・!
142名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 23:20:54 ID:aHxlQTHz
葬儀のしきたりもっと簡単にならないかなあ。
法要などなしにするべきだ。
お釈迦様の弟子たちは葬儀などやるなとして現世のしきたりを捨てたし、
死者は人間の行為により変わらぬものとして明らかな知恵に目覚めることを教えるし、
人に雑務を与えないのが本来の仏教。
瞑想により心を静める修行僧、
庶民はそれから学び、日頃のあくせくした生活から雑務少なく、心を休ませることも苦悩を取り除くことだと学ぶ。
仏教が少しでも人に法要など雑務を与えるなら害悪だ。
その後の宴会もまた問題で、食べたり飲酒を控えよというお釈迦様の教えなのに、
偽りの仏教行為の後、お釈迦様が離れるべき行為とした行為をする。

143名無しさん@3周年:2007/02/11(日) 09:58:04 ID:/ldffaSK
識字率が上がったぐらいで漢文で書かれた経文を理解するのはむずかしいと思うけどな。
字を読めるのと経文を理解するのは次元の異なる話。
144名無しさん@3周年:2007/02/11(日) 11:45:34 ID:p5opdJMT
>>143
日本語に訳された経文を理解すれば良いのです。
145名無しさん@3周年:2007/02/11(日) 15:39:41 ID:AV4R6cb3
>>138
あなたたちが 空=神 にこだわっている理由がわかりました。
 
空を神だと言って宗教にしておかないと、信者がいなくなるし、
 
宗教法人法が利用できませんものね。そのための二枚舌でしたか。
146名無しさん@3周年:2007/02/11(日) 19:20:56 ID:p5opdJMT
>>145
いいえっ、正しい法を伝える目的です。

      空=神
147名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 10:49:43 ID:uJqMRISG
浄土真宗に正信念仏偈がある。
 
そこに竜樹の名前が出てくる。<空>を説いた竜樹に帰依するのは、
 
阿弥陀如来が実際には<空>であることを意味する。
 
最近まで、浄土信仰と<空>の思想には整合性がない、という疑問をもって
 
いた。しかし、浄土信仰が在家を導く方便であれば、仏教は<空>の思想で
 
一貫することになる。僧侶たちは<空>で一貫している。
 
阿弥陀如来は人によって作られた如来である。単なる作り話だ。
 
仏教は<空>の教えで貫かれた無神論。宗教ではない。
148名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 13:01:15 ID:XLUt0r3C
>>147
>>阿弥陀如来が実際には<空>であることを意味する。 宗教ではない。

阿弥陀如来=空=神です。
阿弥陀とは古代インド語でア・ミータの当て字です。
意味はアが否定、ミータが計測で計測不能の意味です。
ですから作られた如来、単なる作り話では無く意味があるのです。
計測不能仏(阿弥陀)とは無一物中無尽蔵であり=空=神です。
149名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 13:03:56 ID:XLUt0r3C
>>147
   >>宗教ではない。

宗教とは「宇宙の仕組みを示す教え」を意味します。
故に仏教は宗教です。
150名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 19:04:26 ID:uJqMRISG
↑ 国語辞書で「宗教」を調べてください
151名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 20:19:36 ID:XLUt0r3C
>>150
キミは既成概念だけに囚われちゃいかんよ・・・
世界を創造するのです!
152名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 21:46:29 ID:Kmb/SSyf
>意味はアが否定、ミータが計測で計測不能の意味です。
ア・ミータ は アン・メーター の語源だとすると 

■unmeter {他動} : 計量しない、(利用料金の)従量制をやめる、定額(制)[定率(制)]にする、使い放題[繋ぎっ放し]を認める
■unmeter {名} : (利用料金の)定額(制)、定率(制)、使い放題、繋ぎっ放し
153名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 22:13:22 ID:XLUt0r3C
使い放題とは無限と云う意味です。
神仏は無限エネルギーの存在なのです。
154名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 22:39:03 ID:XLUt0r3C
  浄土宗では「南無阿弥陀仏」ともうしますが、多くの人は「南無阿弥陀仏」という言葉の意味を知りません。
佛となったものは永遠の存在です。永遠と言うことは測ることが出来ないと言うことです。

測ることが出来ないと言うことを古代インド語で「アミータ」と言います。
「ミータ」はメーターと言うことばと同じ語源で「測る」と言うことを意味します。
「ア」は否定を意味する前置詞であり、「アミータ」とは測ることが出来ないという意味になります。
「ブッダ」は覚者(覚った者)の意味であり、「佛」と同義語です。

「永遠の佛」これが「アミータ・ブッダ」です。
155名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 22:50:55 ID:uJqMRISG
阿弥陀如来は作り話でしょう。会った人がいないじゃないですか。
 
お寺の本尊が阿弥陀如来? 線香の煙で汚れきってますが。
156名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 22:54:52 ID:XLUt0r3C
>>155
阿弥陀如来=神ですが、科学に於いては証明されております。
157名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 22:58:55 ID:9JOdShBI
オコメコンセクス
158名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 23:09:24 ID:uJqMRISG
156さんの主張は、阿弥陀如来=神=空 ですよね。
 
この関係式を眺めると 阿弥陀如来=空 になってます。
 
つまり阿弥陀如来は<カラッポ>ということになりますね。
 
それから科学で証明できたとたんに神ではないことになります。
 
なぜなら科学の分野は観測できる物質が対象だからです。
 
神は物質ではありません。
159名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 23:20:55 ID:uJqMRISG
156さんの主張では、神という言葉が効果的でないというか、
 
無意味なのではないですか。なくても用が足りますよね。
160名無しさん@3周年:2007/02/13(火) 00:03:57 ID:XLUt0r3C
>>158
神は空っぽでありながら無限なのです。
絶対矛盾の自己同一が神の正体です。

>>神は物質ではありません。
量子学においては 物質は波動と捉えました。
つまり物質は物質では無かったと・・・

>>神という言葉が効果的でない
そうでしょうか、世界の半数は神への信仰がありますので。
161名無しさん@3周年:2007/02/13(火) 19:54:51 ID:5mDBSgEj
160さんが使っている
 
阿弥陀如来、空、神、仏、宗教の意味を簡単に教えてくれませんか。
 
言葉の意味内容が異なれば話がかみ合わないでしょう?
162名無しさん@3周年:2007/02/13(火) 20:08:03 ID:QudAV55y
>>161
阿弥陀如来=空=神=仏、

皆さんは神の正体をご存知無い様ですので、一度正しく解説したいと思います。

ドップラー効果によって宇宙は膨張しているという膨張宇宙論が確認されました。
宇宙は時間と共に膨張しておりますが、逆から言えば時間を遡(さかのぼ)っていきますと宇宙は収縮していきます。

時間をどんどん遡(さかのぼ)っていきますと宇宙は収縮していき、
最後には手の平に乗るほどに宇宙は小さくなっていきます。

更に時間を遡り、宇宙誕生時刻ゼロの地点では不思議な世界になっていることが科学で証明されています。
宇宙誕生時刻ゼロの地点では時間も空間もなく、質量も体積も存在していないにも関わらず、
エネルギーだけが「∞(無限大)」を示しているのです。

何もない世界に一切があり、エネルギーは無限大を示している。
禅の「無一物中無尽蔵」が先端のアインシュタイン方程式から出てきたため、これが科学者の世界で問題となりました。

科学は無限を嫌うにも関わらず、最先端のアインシュタイン方程式から、この無限大が出てきたため様々な
探求と仮説が出てきました。

この大宇宙誕生時刻ゼロの地点を「特異点」と言います。
実はこの「無の無限エネルギー」こそ神の正体なのです。

163名無しさん@3周年:2007/02/13(火) 22:23:43 ID:5VEnxR+o
空の教えの実践というところが念仏にはある、実際に空を実生活で生かすのは
意外に難しいけど(おれはばかだからね)なんやかやととらわれの心が起きたときに
念仏をつぶやく(W)ととりあえず心は念仏のほうに向くしそのときに念仏だけが
真実だったなと思い出し(ここは信仰なので文句を言わないように)ちょっとだけ
落ち着く。空の振りをした信仰、信仰のえさを使った空の実践二枚舌
164名無しさん@3周年:2007/02/13(火) 23:47:32 ID:5mDBSgEj
>163
科学の話としてはおもしろいですが、
その特異点が神であるかどうかは不明ですね。
 
それ以前に、神が意味を持つのは、神が人間に応答する存在だからです。
応答しない神はいてもいなくてもどうでもいい存在です。
おたがいに関係なく、無関心です。
 
やはり言葉(空・神など)の意味を簡単に決めませんか。
165名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 00:32:27 ID:qskR4CQu
164のうち  163 → 162 に訂正
 
>163
数息観は1から10までを繰り返し数えて心を静める。
南無阿弥陀仏も南無妙法蓮華経も、息を数えるような役割があると思う。
そういう意味ならいいでしょう。
それに南無阿弥陀仏は洗脳の度合いが低いように感じます。
166名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 00:32:46 ID:w2rRhd7p
>>164
特異点が神ではなく、導きだされた「無の無限エネルギー」を仮に神と呼んでいるのです。
つまり、大生命と云う事です。

神が人間に応答するすると云うよりも、神の子である人格神が仲立ちするのです。

167名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 00:37:28 ID:w2rRhd7p
>>165
その話は信仰とは無関係でしょう。
仏法と精神科とは違うのです。
168名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 00:44:47 ID:BhhBjmTu
>165
むしろ積極的な自己洗脳というべきかもしれません
その他の危険な洗脳に耐性もできますし
169名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 00:51:05 ID:qskR4CQu
神の子である人格神? 話を広げないでください。
 
神は「無の無限エネルギー」という定義ですか。
  
でもすぐに「大生命」に言い換えてますよね。
  
「大生命」はなしにしませんか。どっちかにしません。
170名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 01:09:56 ID:w2rRhd7p
「無の無限エネルギー」は生きているのです。
171けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/02/14(水) 01:14:37 ID:AMPp7+Gq
>>165 念仏も題目も、サマタ瞑想の要素がありますね。
仏教は、戒・定・慧の三学です。
定とは、禅定、止、三昧などとも呼ばれる、サマタ瞑想のことです。
定は、仏教以前からあった、何かに集中して色界心・無色界心に入る修行で、
釈尊も出家したときに二人の仙人から定を習いました。
慧とは、智慧、観察、ヴィパッサナー瞑想のことで、
これこそがお釈迦様が発見された仏教独自の、悟りに導く修行方法です。
サマタ瞑想で集中力を養った上で、ヴィパッサナー瞑想で悟りをめざすのです。
172名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 01:14:45 ID:qskR4CQu
>170
阿弥陀如来が作り話だったように、
「無の無限エネルギー」が生きているということを確かめてないでしょう?
173名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 01:20:42 ID:w2rRhd7p
>>171
超能力信仰ですね!
悟りとはそのようなものではありません。
174名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 01:22:42 ID:w2rRhd7p
>>172
「無の無限エネルギー」から一切が産まれました。
あなたは生きているでしょう?
175けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/02/14(水) 01:23:02 ID:AMPp7+Gq
ヴィパッサナー瞑想のやり方が以下にのってます。
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html
このサイトでは、サマタ瞑想として慈悲の瞑想も紹介してます。
慈悲の言葉をくりかえし念じるという瞑想で、
念仏や題目に通じるところがあります。
176けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/02/14(水) 01:24:49 ID:AMPp7+Gq
>>173 超能力とか一言も言ってないけど…
177名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 01:34:55 ID:w2rRhd7p
>>176
仙人は超能力の行者です。
178名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 01:35:08 ID:qskR4CQu
>174
「無の無限エネルギー」は光と物質ですよね、byアインシュタイン。
 
等式の右側を見て。大生命はどこにありますか。
179名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 01:38:11 ID:qskR4CQu
あっ、ごめん。 E=M×Cの2乗 でした。
180名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 01:41:31 ID:w2rRhd7p
>>178
アインシュタインの相対性理論では光速以上では飛べないですから、
しかし、光速以上で飛べる事は可能ですよね・・なんとなく。

ですからアインシュタインは間違いです。
181けちゃっふ゜ ◆/i4oRua1QU :2007/02/14(水) 01:44:07 ID:AMPp7+Gq
>>177 仙人の教えた禅定だけでは仏教にならないのです。
無常に気付くための智慧の修行である観察をやらないと。
釈尊が亡くなるときも、いったん八段階の禅定の心になってから、
涅槃(滅尽定)に入られたのです。
禅定は、心が何かの対象に集中している状態。
観察の結果得られる滅尽定(さとりの心、出世間心)は、
心が何の対象ももたなくなる状態です。
182名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 01:49:28 ID:w2rRhd7p
>>181
釈迦が偉大であるとの先入観があるようです?
無意味な馬鹿みたいな話ですよね、まともに考えたら・・
183名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 02:37:17 ID:xaUKgDQZ
>>180
量子暗号でしたっけね
184名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 12:25:58 ID:AMPp7+Gq
>>182 仏教の修行は、誰でも実践できます。
遠い昔のおとぎ話じゃなくて。
自分で実験して確かめた人々がたくさんいるし、
今も瞑想にとりくんでいる人々がいるのです。
185名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 12:33:12 ID:AMPp7+Gq
>>182 頭から信じて肯定するのも、逆に頭から否定するのも、
どちらも仏教では「疑」という煩悩に分類するそうです。
確かめもせずに、はじめから結論を決めてかかる保守的な考え方が「疑」でしょう。
実験してみて確かめてから判断しても遅くないのです。
実験したことがない人ならば、
「私はまだ試したことないからどちらかわからない」
という答えが適切なはずです。
186名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 17:55:04 ID:w2rRhd7p
>>185
ではオームを批判する前にオームに入信せよと云う意味ですか?
試さなくても分かるのが真理と云うものです。

禅定が人生の意義なんて最初から馬鹿げてますよ、
人生の意義は人生修行です。
つまり与えられた人生試練を歩む事です。
禅定等で逃避するのは邪道なのです。
187名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 19:23:05 ID:qskR4CQu
>>183
僧侶が利用する量子力学はたいしたものじゃない。
 
原始が粒子であったり波動であったりということに啓発され、
 
ものごとに絶対はない、という短絡的な結論に導くというお粗末さま。
 
絶対はない、ということで絶対の神を否定したいようだけど、
 
原始の状態は神がいる・いないとは関係ないから。OK?
188名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 19:31:12 ID:qskR4CQu
187の訂正  原始 → 原子
189名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 19:39:04 ID:AMPp7+Gq
>>186 日常生活に活かせない真理は意味がないですからね。
たとえば、すべては無常であるという真理を痛感していれば、
一時的な怒りのために殺人を犯したりする人はなくなるはず。
怒りも必ず過ぎ去るのだから、
殺人犯したあとに怒りが過ぎ去れば、
罪とその報い(警察に捕まるなど)だけが残る。
無常なども、仏教が文化に浸透してる日本人は昔から知ってますが、
もともとはお釈迦さんが瞑想で気付いた真理です。
190名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 20:51:02 ID:w2rRhd7p
>>189
「すべては無常」とは過去の教えです。
最先端の法とは「色心不二」でありのままが実在です。

一時的な怒りのために殺人を犯したりするのは、その人の個性性格の問題であり、
「無常であるという真理」を理解していたとしましても防げないと思います。
191名無しさん@3周年:2007/02/15(木) 00:50:06 ID:7j1NDFW9
原子が粒子と波動の性質をもっているという話ですが、
 
たとえば暗がりで懐中電灯を回せば残像で光の輪ができますよね。
これと同じようなことが原子のレベルで起こってる可能性は?
 
あるいは原子がヒモ状になっていて、ヒモの切り口を見れば粒子で、
横から見れば波打つヒモという可能性は?
192名無しさん@3周年:2007/02/15(木) 00:57:38 ID:dZc8fFat
8 :金有財 :2007/01/27(土) 07:09:20 ID:NaQfLzxd
経文は読むに耐えない駄文。
特に無量寿経と法華経。
経文を読んでいるとバカらしくなってくる。
したがって、経文は読ませないようにしている。以上。
193名無しさん@3周年:2007/02/15(木) 04:51:13 ID:v7GXGgih
>>192
大無量寿経に関して言えば これは当時インドのヒンズー教徒一般民衆
向けの「仏教への誘い」風のパンフレットだったんでしょう
だから阿弥陀仏の師匠をシヴァ神(ローケーシヴァラ)にしているわけで
経の中にナーラヤーナ身(ヴィシュヌ神)になれるとかいう願があるわけです


194名無しさん@3周年:2007/02/15(木) 05:02:35 ID:v7GXGgih
>>186
ヴィパッサナーに関しては実践すればほんの1週間ぐらいで効果あります
神話的な物 現実感覚が狂う物ではありません
まあ浄土経典にも「七菩提分」として出てきますが
195名無しさん@3周年:2007/02/15(木) 11:50:38 ID:g2Fa36gd
>>194
効果とは何の事で何が起きるのですか?
196194じゃないが:2007/02/15(木) 19:20:37 ID:OlOXWlBX
>>195
やる前から瞑想に関して固定観念をもちすぎるとよくないらしい。
私も初心者ですが、
やってみると色々な疑問(こういう場合どうすればいいの?とか)がでたり、
やれることとやれないこと、自分なりに試してみることなど、
色々課題がみえてくる。
197名無しさん@3周年:2007/02/15(木) 21:10:51 ID:g2Fa36gd
>>196
瞑想の意義はなんでしょう?
198名無しさん@3周年:2007/02/15(木) 21:45:30 ID:g2Fa36gd
>>197
釈迦は瞑想を否定したではないか・・
199名無しさん@3周年:2007/02/15(木) 22:30:17 ID:G9z5mKL5
>>192
>>193
大無量寿経は、全く修行も出来ない、真実の善も出来なく、罪しか作る
ことの出来ない、全ての仏や神に見捨てられた人間が、本当の幸福を
頂ける事が出来る様に説かれた教典である。
200名無しさん@3周年:2007/02/15(木) 22:38:28 ID:40XzeuTS
199さんは、阿弥陀さんが与えるものを
「受けとる能力」
はあるようだな。

受けとる事の出来ない私は三悪道だね
201名無しさん@3周年:2007/02/16(金) 00:16:14 ID:4wPplr/a
>>199
ヴィパッサナーは字が読めない人 耳が聞こえない人 目が見えない人
その他身体障害者の方 仏教が嫌いな人 キリスト教イスラム教徒の方
瞑想が嫌いな人 全ての仏や神に見捨てられたと思っている人(笑)
どのような人にも実践可能であり確かな実感に導くものです
また身体を痛めず苦行ではありません
現実的な感覚は失いません
お釈迦様が残したものの中では経よりも貴重なものだと思います
是非試してみてください
202名無しさん@3周年:2007/02/16(金) 01:17:00 ID:hD7rNlY9
白隠も大悟する前はそういってました。
203名無しさん@3周年:2007/02/16(金) 07:47:03 ID:qjEapSno
大悟する前の白隠は法華経を読んで、このように言ってました。

之を熟閲するに、ただ唯有一乗諸法寂滅などの文を除けば、余はみな因縁比喩の説なりと。遂に巻を掩うて嘆じて曰く、もしこの経に功徳あらば、諸史、百科、
謡書、妓典の類もまた当に功徳あるべしと。大いに懐素を失して憤々として楽しまず。

↓現代語訳

法華経を熟読したのだが、唯有一乗諸法寂滅などの文を除けば残りはたとえ話ばかり・・・
この経を投げ出し嘆いて言った、もしこの経に功徳があるって言うなら、
歴史や哲学書、一般書、謡の書物、女子の読み物なんかでも功徳があるだろう。
かねてから読みたいな〜と思っていた経がこれかYO!
と大いに怒り失望した。
204名無しさん@3周年:2007/02/16(金) 13:05:21 ID:Sp8ICVor
法華経は釈迦の教えでは無いでしょう。
205名無しさん@3周年:2007/02/16(金) 19:48:08 ID:E7TMZKEw
E=M×Cの2乗・・・この式はアインシュタインのひらめき?
 
そんなものかとは思うけど、Cの2乗を不思議に思う。2乗は面積である。
 
しかしエネルギーは四方八方に伝わるから【Cの3乗】ではないか。

 
この式は、物質と光の実体が、エネルギーであることを示している。
 
空思想は、物に実体はないというが、このエネルギーが実体では?
206名無しさん@3周年:2007/02/16(金) 19:54:30 ID:Ac2wsJtM
>>205 車の速度が2倍になれば、事故時の衝撃のエネルギーは2×2の4倍になる。
207名無しさん@3周年:2007/02/16(金) 20:37:31 ID:E7TMZKEw
車の速度が2倍になれば、激突するコンクリートからの反作用も、
作用側に応じて2倍になるから2×2=4ですか。
しかしこの場合、2+2=4という計算式ではだめですか。
208名無しさん@3周年:2007/02/16(金) 20:41:33 ID:Sp8ICVor
>>206
違います、車の速度が2倍になれば、事故時の衝撃のエネルギーは2倍になる。
209名無しさん@3周年:2007/02/16(金) 20:52:50 ID:Sp8ICVor
>>206
済みません、4倍でした。
210名無しさん@3周年:2007/02/16(金) 21:03:06 ID:E7TMZKEw
衝撃の計算式は、2×2=4であるか2+2=4であるか。
速度が3倍になると差が出てくる。3×3=9 > 3+3=6
211名無しさん@3周年:2007/02/16(金) 21:33:01 ID:Sp8ICVor
 運動エネルギーの大きさEは、物体の質量をm、速度をvとすると、

 E=1/2mvv

故に2+2=4  3+3=6 は間違いです。
212名無しさん@3周年:2007/02/16(金) 22:44:04 ID:E7TMZKEw
運動エネルギーについては211さんの言うとおりなのでしょう。
1/2についても実験結果から確認されているようですね。
 
しかしアインシュタインのE=M×C×Cには1/2がありませんね。
それは別にしても、原爆の場合、Mが消滅してEに変換されるのですが、
この場合のエネルギー量はC×Cより、C×C×Cのほうが理解できる
ように思うのです。バカな話なので暇なときにでも調べてみます。
213名無しさん@3周年:2007/02/16(金) 22:46:25 ID:R4ZcB2u5
>>201
ヴィパッサナーによって阿弥陀様のお慈悲が、実体験出来ますか?
214名無しさん@3周年:2007/02/16(金) 22:52:49 ID:gp7YlJXL
無碍光如来の御名を称すべし
215名無しさん@3周年:2007/02/17(土) 05:16:51 ID:n3GPp1X5
>>213 阿弥陀様もヴィパッサナーによって智慧を完成し、成仏されたはず。
ヴィパッサナーで体験できるとすれば、仏の智慧ではないだろうか。
216名無しさん@3周年:2007/02/18(日) 01:01:41 ID:mmlezw+6
E=MC~2の、C~2は球形の表面積を考えているようである。
 
Mから四方八方へ広がるのだからその最先端は球の表面になる。
  
表面積を算出する式は4πR、ここでRはC(光速)だから
 
E=M×4πC~2ができあがる。さらに4πは小さいことなので省略する。
 
こうしてE=MC~2という簡潔な方程式ができあがる。
217名無しさん@3周年:2007/02/18(日) 02:41:20 ID:XByWmoQ9
>>212
運動エネルギーについては211さんの言うとおりなのでしょう。
1/2についても実験結果から確認されているようですね。
 
しかしアインシュタインのE=M×C×Cには1/2がありませんね。

E=M×C×Cは静止している物質のもつエネルギーでしょう。
質量Mの物体だ光速で運動しているときの運動エネルギーは
E=M×C×C÷2ですね。
これを静止させるためには、同じ力で反対方向のブレーキをかけないといけないので、
E=M×C×C÷2×2
E=M×C×C
となるのでは?
218名無しさん@3周年:2007/02/18(日) 14:02:16 ID:mmlezw+6
>217
また少し、考える時間をください。
本屋をのぞいたら「E=MC~2」という、そのものズバリの本がありました。
ただ小説風だったので読む気はないのですが、パラパラみた感じでは、
MV~2の発展した形がMC~2のようでした。
219名無しさん@3周年:2007/02/18(日) 19:59:49 ID:718bazuH
原始仏典には神が存在し、神の前でお釈迦様は法を説かれた。
220名無しさん@3周年:2007/02/18(日) 22:45:29 ID:RPyE14gY
>>219
デタラメもたいがいにせいや・・・
221名無しさん@3周年:2007/02/19(月) 01:30:38 ID:kA/Ci2Iy
ブッダが梵天や悪魔からの質問に答える形式のお経はありますけどね。
岩波文庫で『神々との対話』『悪魔との対話』と題されているサンユッタニカーヤとか。
222名無しさん@3周年:2007/02/19(月) 01:34:24 ID:kA/Ci2Iy
梵天とは、禅定(三昧)の境地のこともさします。
ですから、禅定をマスターした仙人やバラモンから質問されたという意味かも。
223名無しさん@3周年:2007/02/22(木) 23:47:58 ID:3JyFwNfZ
念仏とか題目とかは音楽とか体育とかと一緒じゃなかろうか?

別に本を読んでも歌の練習をしなければ、歌は上手にならないし、
一生懸命練習しなければ柔道や剣道やバレーは強くならない。

理論と実践が必要なんだよ。きっと。実践だけのも多いけど。
224名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 00:10:15 ID:6FqnI5u/
あっ、だから識字率が上がってお経を読んでも幸せになれない。
成るためには念仏とか題目とかで幸せになる練習をしなければ
ならないということです。スキーとかスケートとかクロス
カントリーとかジャンプとか空手も理論だけでは上達しないでしょ。
練習しなければ。 ↑に補足でした。
225名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 00:18:23 ID:RkK/Lbl2
まず、題目と念仏って、全然違いますよ。ここんとこ大事ですからね。
題目は、自身の仏界を開く積極的宗教に対して、
念仏は、西方浄土っていう理想世界に思いをはせる逃避的宗教です。

あと、現代の識字率は逆に著しく下がっているのではないでしょうか?
横文字がすき放題に横行して、原始仏教を紐解けるほどの学者はほんとに数えるほどしかいないと思います。

こういうカオスに満ちた世の中だからこそ、日蓮大聖人が説かれたように、南無妙法蓮華経を一心に唱えることが大切なのかと思います。
226名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 00:24:20 ID:6FqnI5u/
まぁ? こりゃまた典型的な。

そうすると、原始仏教を紐解けるほどの学者が沢山いる世界では
南無妙法蓮華経は唱える必要が無いわけですね。
227名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 00:36:20 ID:6FqnI5u/
ちょっとの間だけでも目を瞑ってみて、小さいころ、お盆に、
大人の人たちにまじって、畳の上で慣れない正座をして、
足がしびれるのを我慢しながら、お線香の匂いや畳の匂いを
かぎながら、とってもゆっくりしたリズムで念仏が聞こえて
いるのを想像してみましょう。

ああ、少し癒されたので私はもう寝ます。
228名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 00:52:08 ID:RkK/Lbl2
>>226
そうですね。それが昔の正像時代、ということになります。
でもあなたは念仏を信仰しているようですから、正しく一大仏教を紐解いて解釈しているとはいえません。
なぜかといえば、念仏のよりどころである浄土の三部経は、釈尊の方便の経で、
最高真実の法華経に比べれば、捨てるべきものだからです。これは釈尊自身が言っていますから、とても重要ですよ。
このように、仏教の教えの序列が乱れて崩壊してしまってるのも、現代人の識字率が低いからでしょうね。


229名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 12:50:46 ID:nvh6uK8c
法華経も、釈尊の死後何百年もたってから創作されたフィクションですが
230南無大師遍照金剛:2007/02/23(金) 12:56:30 ID:XSHFB+V/
識字率あがっても
空をカラとか無とかって思い込むくらいなら

題目唱えたほうが(≧ω≦)b
231名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 13:57:19 ID:5TLNKrSH
「釈尊自身が言っています」と言った人が作った法華経……
信じる信じないは、個人の自由。
個人的思考の一般化は、慎むべき。

古文漢文が読めないから識字率が低い……
何時の時代の話やら。
文字によって意思疎通が出来る人の割合なのだから、ボキャブラリーの多少は関係無し。
特殊な仏教用語なぞ知らなくても、識字率は下がらない。

識字 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%98%E5%AD%97%E7%8E%87
232名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 22:29:40 ID:pEuwJZHh
>>225
>念仏は、西方浄土っていう理想世界に思いをはせる逃避的宗教です。
全く仏教に対して無知、これで法華経がどうのこうのと言えるの?
ましてや、仏界など開けるはずが無い。

233名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 22:52:23 ID:DQAu3aga
234南無妙法蓮華経:2007/02/23(金) 23:06:07 ID:RkK/Lbl2
>>231
個人的思考の一般化を計っているのではなくて、一般化すべき真理を個人個人に勧めているんです。
はやとちりなさらないように。

>>232
では、あなたの持っている仏教の知識で話してください。
自分は簡単に要約して言ったんですが、誤解を招くようなら詳しく説明したいと思います。
235名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 23:11:20 ID:6FqnI5u/
>>232
>>念仏は、西方浄土っていう理想世界に思いをはせる逃避的宗教です。
> 全く仏教に対して無知、これで法華経がどうのこうのと言えるの?

「法華経がどうのこうの」と言う大抵の人はそう言ってるような気がしますが。
236名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 23:20:22 ID:DQAu3aga
「南無妙法蓮華経と唱えれば救われる」なんてのは野蛮人の主張です。
237名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 23:22:47 ID:6FqnI5u/
>>228
ところで個人的な感想ではお盆などに念仏を唱えた後は厳かな気持ちになったり、
穏やかな気持ちになるものですが、積極的宗教と言うと、お題目を唱えた後は
やたらとやる気がでるものなのですか? お盆なんかで親族一同集まって
お題目を唱えた後は、みんな、「さあ、ファイト、一発、やるぞ」と言いながら
玄関を出てくるとか。
238名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 23:35:00 ID:DQAu3aga
「南無妙法蓮華経と唱えれば救われる」なんてのは野良犬の主張です。
239南無妙法蓮華経:2007/02/24(土) 01:12:17 ID:bxI12V1r
>>237
そうですね。
自身の最高の命である仏界を開くことができるので、生命力は円満で強靭になります。
なにも選ばれた人しか仏界は存在しない、なんて馬鹿なことはないので、誰でも幸せになれます。
240名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 03:58:48 ID:tBZcmfUr
>>234
>個人的思考の一般化を計っているのではなくて、一般化すべき真理を個人個人に勧めているんです。

「一般化すべき」と仰られるが、それは貴殿のみの思考。
法華経が最高と仰られるが、その理由が示されていない。
釈迦が言ったとか言われているが、日蓮の頃ならいざ知らず、文献学的に釈迦との直接的な関係を否定されている現在、
何を以って最高の真理と認定されるのか。
根拠を示さねば、個人的思想の押し付けに他ならない。
納得のいく説明を為されれば、受け入れる人も有ろう。
241名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 14:38:29 ID:a9Zvxc4v
法華経が最高と言うは愚か者である。
242名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 18:38:45 ID:ECtzNXqG
ここまでの議論を公平な立場からまとめると
 ・念仏は、西方浄土っていう理想世界に思いをはせる逃避的宗教
 ・題目は、現世ご利益執着的宗教
ということですね。確かに、そういう傾向があるかもしれませんね。
243名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 20:08:17 ID:UH/CH+sz
>>242
勝手に真言・浄土と日蓮宗の話にするなよw

OSXで要約すると

受けとる事の出来ない私は三悪道だね a >>199 ヴィパッサナーは字が読めない人 耳が聞こえな
い人 目が見えない人 その他身体障害者の方 仏教が嫌いな人 キリスト教イスラム教徒の方 瞑
想が嫌いな人 全ての仏や神に見捨てられたと思っている人(笑) どのような人にも実践可能で
あり確かな実感に導くものです また身体を痛めず苦行ではありません 現実的な感覚は失いません
お釈迦様が残したものの中では経よりも貴重なものだと思います 是非試してみてください
白隠も大悟する前はそういってました。
244名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 22:38:50 ID:Bvhml5aN
大乗非仏教説は別として、第一釈尊が説かれた一切経の殆どに
阿弥陀仏が説かれている。
其の阿弥陀仏を誹謗する事自体、仏教徒とは言えない。
まあ、オームの浅原が殺人を指示したのと同じく、念仏者や禅宗の信者
を殺してしまえと指示した日蓮を信望する様な、否、本佛とあがめる
ような人に言ってみた所で、しかたがないかも。
245南無妙法蓮華経:2007/02/25(日) 00:23:45 ID:h8VYu+Iu
>>240
>何を以って最高の真理と認定されるのか。
端的に言えば、竜の口の刑場で日蓮大聖人の首が飛ぶはずだったのが、
南無妙法蓮華経を守護する諸天善神の力で切られなかった
という歴史的な事実に極まります。

そして、今の自分が幸せであることが、この確信を深めさせてくれます。
246名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 01:00:39 ID:JERsaxjf
>>245 最高の真理は四諦説です。
247南無大師遍照金剛:2007/02/25(日) 01:07:55 ID:ebdHlsZg
日本の神様の元締めはは
天照様でしヽ(´∇`)ノ
248名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 01:15:57 ID:1RvmUfyD
>>245
歴史的事実は真理に非ず。
その手の事実など、宗教宗派を問わず、世間では山のように喧伝されておる。
それこそ、念仏を唱えたおかげで九死に一生を得た、という話もある。
貴殿の論法で行けば、真理はいくらでもあり、法華経のみに非ず。

貴殿にとっての真理であっても、他人からすれば妄想となることを理解されたし。
249南無妙法蓮華経:2007/02/25(日) 01:16:01 ID:h8VYu+Iu
>>246では、そのレスの根拠とする経典をしめしてください。
250南無妙法蓮華経:2007/02/25(日) 01:21:18 ID:h8VYu+Iu
>>248
しかし、念仏の祖である中国の善導は、一刻もはやく往生しようとして首をつって自殺した、と伝わります。
日本の法然においても、死後にその墓を暴かれ、骨を鴨川(かもがわ)に投げ捨てられています。
その他、念仏の高僧等も、ただごとでは臨終を迎えています。
このことから、はやり日蓮大聖人が仰せられた「念仏は無間地獄」という言葉に確信がもてるのですが、いかがでしょう。
あなたはただ知らないだけなんです。
251南無大師遍照金剛:2007/02/25(日) 01:43:09 ID:ebdHlsZg
ヽ(´∇`)ノ
般若心経に

苦集滅道とあるよね

苦の集まりを滅する為の道
252南無妙法蓮華経:2007/02/25(日) 02:01:47 ID:h8VYu+Iu
>>251
般若心経も、法華経に導くために釈尊が一時的に用いた方便です。
阿含・方等・般若・華厳・法華の順に、教えが高く深くなっていきます。
ですから、最高真実の法華経が表された時点で、ほかの経典は意味がないんです。
それは釈尊が
「四十余年には未だ真実を表さず」と無量義経でいい
「正直に方便を捨ててただ無上道を説く」と法華経方便品で宣言されたことを持っても明らかです。
もし釈尊のこの言葉に背いて、法華経以外の経典に執着するのであれば、それは仏教を信じてるとはいえなくなります。
253名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 02:16:10 ID:2yblsUJD
創作しすぎて大量になった偽典を序列するのも大変だったろうなあw
254名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 02:20:11 ID:2yblsUJD
無量義経なんて中国で作られたものだしね。
255名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 02:24:58 ID:sEWL5/27
蓮華往生はサイコー!!!
256名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 02:28:31 ID:JERsaxjf
>>148 ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経―より
『尊師はこのこと【四諦の説明】を説いた。
幸いな人【ブッダ】はこのことを説いたあとで、師(=ブッダ)はこのことを説いた。
「四つの尊い真理【四諦】を如実に見ないが故に
長いあいだ幾多の生涯にわたって、とらわれこだわっていたのである。
それらの(尊い真理)はすでに見られた。
生存にみちびく(妄執)はすでに根絶された。
苦しみの根は断たれた。
もはや再び迷いの生存を受けるということはない」と。』

大パリニッバーナ経は、涅槃経のことです。
五時説では法華経よりあとに説かれたことになってるんだから、
法華に導く方便だなんていう言いがかりも通じません。
仏教の目的は迷いの生存からの解脱であり、
四諦によってそれが可能になるのです。
257名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 02:30:30 ID:JERsaxjf
>256は >249へのレスでした
258名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 02:34:00 ID:JERsaxjf
仏教はすべて四諦説であると言ってもよいでしょう。
苦しみの原因を消すことて苦しみを消すのが仏教の目的なのですから。
259231:2007/02/25(日) 02:38:36 ID:1RvmUfyD
>>250
過去の文献にある出来事を全て肯定するなら、法華経見宝塔品のエピソードや聖書の天地創造なども事実となる。

然らば、日蓮が最後は如何?
現在の評価とは裏腹に、大往生には程遠い病で亡くなられたのはどう解釈すべきか。


「念仏無間 禅天魔 真言亡国 律国賊」という文言は、他宗を信ずれば災難に遭うと言うだけの、
法華経自慢の宣伝でしかない。
真言亡国と謗られた真言宗高野山が世界遺産となっている現状を、貴殿はどうお考えか。

また、真言密教の要素を日蓮が取り入れているのも事実。
貴殿が毎日眺めているご本尊を、何故「曼荼羅」と申すか。
形態からしても種字曼荼羅の変形であり、密教との関係は明らかである。

他者を軽んじ、そこから学ぶ姿勢を見せず、批難ばかり繰り返すようでは、
何を申されても信心など起こらぬが道理。


>あなたはただ知らないだけなんです。
貴殿も同じ、と申しておこう。
260名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 02:39:46 ID:JERsaxjf
>>252 あなたの所属する教団では、経典成立の歴史は教わらないのですか?
…というか、隠蔽されてるんでしょうか?
法華経は、釈尊入滅後何百年も経ってから創作された経典ですけど、
そのことをご存じじゃなのですか?
261名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 02:42:16 ID:JERsaxjf
>>250 日蓮さんはお酒飲みすぎて体壊して亡くなったんでしょ
262名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 02:50:04 ID:JERsaxjf
釈尊滅後に創作された大乗経典も、教えとしてはすばらしいものもあるでしょう。
しかし、釈尊ご本人が説かれたものだというのは困難だと思われます。
そのことを知らなかった昔の中国人は、
内容に矛盾がある(別々の人が書いたんだから)沢山のお経を
ぜんぶ釈尊の直説だという前提で理解するために頭を捻り、
五時説などを編み出したわけです。
つまり、釈尊の教えは年齢とともに変化していったからお経の内容にバラつきがあるんだ、と。
263名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 10:28:34 ID:o47Detyd
> 念仏は、西方浄土っていう理想世界に思いをはせる逃避的宗教です。

日蓮信者には物事を相対的に見ることが出来ない人が多いので、こういうことを
言う人が多いのですが、これはやはりものごとを中途半端にしか見れない人に特有の
レッテル貼りですね。

個人的な感じ方ですが、念仏には、阿弥陀仏の慈悲にあふれた世界という高次の世界を
導入することにより、心を穏やかにして、無用な欲望の火を消してくれる働きが
あるように思います。これは厭世としてではなく現世を穏やかに冷静に生きることに
寄与します。ただし、中には厭世に行ってしまう人もいるでしょう。

「念仏は厭世」というような浅い見方は題目に対してもできます。日蓮信者はなにやら集まって、
「題目を唱えたから病気が治った」だの、「良い学校に入れた」だの、「就職できた」だの、
「金が儲かった」だの、「文句ばかり言ってた他宗の姑が死んだ」だの、「近所の他宗の
坊さんが非業の死を迎えた」だのと欲の皮のつっ張ったことばかりを言っている。おまけに
欲があまりに強いのか、拍子木を打ち鳴らしたり、太鼓をたたりして己の願望をかなえるために
一心不乱に「なんみょうほうれんげっきょ」とうるさいことありゃしない。という見方です。

きっと本当は、題目は心の乱れを直し、しかも現世の生きる力を生み出す方向へ統制する働きが
あるんだと思いますが、でも、中には欲にまみれて題目を唱える人もいるでしょう。

日蓮信者への要望は少し物事を相対化してみて欲しいということです。
264名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 11:21:23 ID:EyULK0rA
>>250
>しかし、念仏の祖である中国の善導は、一刻もはやく往生しようとして首を
つって自殺した、と伝わります。
名無しさん@3周年:2005/08/08(月) 21:24:44 ID:+Sb8hd2y
「善導十徳」第七の項目に善導本人が自殺したとあるが、法然上人の誤認である。
ある時、善導大師が西の空を見つめ、様々な苦しみが切迫しているのみて、
「私は仏様の威神力を信じて、観音菩薩・勢至菩薩に助けられて、畏れることなく、浄土に生まれんことを願う」。
そういって自分の住する寺の柳の木に登り、そこから飛び降りて死んでしまった。(『新修往生伝』)というものである。
これは法然上人の十徳の中で記述されていることは触れたが、元々の『続高僧伝』の記述を、後の者が記載誤認したのであり、
史実によると善導大師は安らかに入滅された。では何故、このような奇説が流布したのかというと、善導本人の教化活動と、 またその実践は、民衆を魅了するものであったことが、今日では資料として残されている(『新修往生伝』)。
本人の修行態度も さることながら、熱列は教化は、以後、法然上人がその徳を讃えているように、中国本土でも魅力を備えたものであった。
それ故、伝承に崇拝的憧憬的善導像が流布し、誤った記述がされてしまった。



265名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 11:56:35 ID:Uml3cSio
>>263
南無阿弥陀仏は心を落ち着け涅槃寂静へ導くから心が穏やかになる。
日蓮宗徒は昔から我が強いと言われる様に、釈尊が最も嫌われた
我欲を助長し、我利我利亡者化している。
又南無妙法蓮華経を唱えると、自己催眠により益々自己洗脳されてゆく。
266名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 18:28:38 ID:epwUqIkR
>>246  >>最高の真理は四諦説です。

釈迦の四諦八正道は物質ありの唯物論ですから、誤りです。
267名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 22:34:41 ID:JERsaxjf
>>266 なんで四諦説が唯物論になるの?

まぁ、唯物だろうと唯識だろうと、
智慧を完成して煩悩を滅すれば苦悩の世間から解脱できます。
268名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 23:01:11 ID:epwUqIkR
>>267  >>智慧を完成して煩悩を滅すれば

智慧を完成
269名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 23:03:34 ID:epwUqIkR
>>267  >>智慧を完成して煩悩を滅すれば

智慧を完成 と煩悩を滅するは矛盾しています。
智慧即煩悩で一つです。

人生とは修行です、苦悩の世間から解脱はできません。
270名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 00:55:14 ID:SdpseWvR
>>269 智慧と煩悩が一つだなんてデタラメです。
271南無妙法蓮華経:2007/02/26(月) 01:06:30 ID:ML/rl+7y
>>259
日蓮大聖人は、多くの弟子に見守られて、弘安五年十月十三日、辰の刻(午前八時)
池上宗仲の邸で、安穏に臨終を迎えました。そのとき、大地が震動し、
庭の桜が時節でもないのに花開いたと伝えられています。
272名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 01:09:55 ID:SdpseWvR
>>271 そういう話は、人々から信仰さるている高僧にはよくある話です。
信者達の信仰心がつくりだした物語ですよ。
273南無妙法蓮華経:2007/02/26(月) 01:12:43 ID:ML/rl+7y
>>272物語ととるか、事実ととるかは、
実際にそれを自分が信仰してみて得た体験によると思います。
日蓮正宗で信仰して、自分は幸せになっているので、未来の成仏も確信できます。
274231:2007/02/26(月) 05:33:41 ID:jfJfFWOP
>>271 >>273
前にも申したが、個人的体験を一般化するのは、厳に慎まれよ。
貴殿にとって真実であっても、他人からすれば妄想に過ぎない。
オカルト話を繰り返すほど、信用度は下がるものである。

日蓮が亡くなられた事以外の私の意見に対し、何ら言及されておらぬが、如何為された。
時間が足りないのであれば、お待ち致す。
275名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 12:02:31 ID:x5O6R6tx
>>273 >>自分は幸せになっているので
それは無いでしょう・・
人生は修行です、幸せになる為ではありません。


>>270  >>智慧と煩悩が一つだなんて

煩悩とは神仏が人間に与えしもので、切って捨てて良しとしてはならぬのです。
276名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 12:21:23 ID:SdpseWvR
>>275 仏教の三法印をご存じですか?
諸行無常・諸法無我・涅槃寂静という、仏教の教えの三つの特徴です。
これらを否定したら仏教にはならないと言ってよいでしょう。
涅槃寂静とは、涅槃、つまり煩悩が消えた境地こそが究極の平安だという意味です。
煩悩を消すのが仏教の目的だということです。

また、神仏が煩悩を人間に与えたなんてことも誤りです。
少なくとも、仏が人に煩悩を与えたりしません。
仏とは真理に目覚めた者のことであり、
創造主や神様ではありません。
277名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 12:46:53 ID:x5O6R6tx
>>276 >>煩悩を消すのが仏教の目的
そうであれば仏教は誤りです。
心は神仏の心、色は煩悩、で 色心不二 が最先端の真理です。

>>仏が人に煩悩を与えたりしません。
神仏は人に肉体を与えましたので、 煩悩を与えたと同義です。

神様も真理に目覚めています。
278名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 12:58:03 ID:SdpseWvR
>>277
貪り・怒り・愚痴などの煩悩があるから、人々は悩み苦しむのです。
仮に色心不二だとしても、
その色心の状態が煩悩に汚れた状態ならば、
苦悩の原因になります。
ちなみに、仏や阿羅漢は肉体があっても煩悩がありません。

仏は肉体を与えたりしません。
神様とは、どの宗教の神様のことですか?
仏教で認める神様は、
欲界(眼耳鼻舌身意の欲にとらわれた世界)の
六道輪廻のひとつである天の生物か、
色界(欲はないが物質に依存している禅定の世界)の
梵天かのどちらかです。
279名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 13:17:12 ID:x5O6R6tx
>>278
色心不二で云う煩悩とは神仏の心を基とした煩悩です。
物への執着でも大切にする心、異性への関心も子孫を残す本性であれば色心不二です。

貪り・怒り・愚痴は煩悩と云うよりも、魂の未熟と表現します。

肉体を与えた神とは宇宙表現神ですね。

   宇宙は神の表現体---西田幾多郎
280名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 16:59:30 ID:fDL4d4aS
まあ、あれですね、日蓮とか法華経とかこの板では人気者ですね。
それ関係のスレがあちこちに乱立して、議論が白熱していますから。

それだけ危ない宗教ということかもしれないけど、すごいなという気もする。
281名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 18:04:05 ID:SdpseWvR
>>279 んー、聖凡不二、煩悩即菩提みたいな意味なんでしょうか?
それを色心不二と言うのは、日蓮系では一般的な表現なんですか?
あまり聞き慣れない思想です。
282名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 20:20:08 ID:SdpseWvR
>>279 三蔵(経・律・論)の論にあたるアビダンマでは、
人間の心に89種類あると分析しています。
それらの心を大きく分けると、
欲界心・色界心・無色界心・出世間心の四種類です。
欲界心は、眼耳鼻舌身の刺激にとらわれた欲の心で、普通の人の心です。
貪りや怒りを伴う心は、欲界心に分類されます。
色界心と無色界心は禅定(三昧)に入っているときの心です。
そして、出世間心は智慧による悟りの心です。
出世間心を一回体験すると、有身見・疑・戒禁取という三つの煩悩が消えるそうです。
次に出世間心を体験すると、怒りと欲が減りだすそうです。
仏教は、瞑想による智慧で煩悩を消していく教えです。
283名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 20:26:53 ID:UWK3ruqn
大体、中国語で書いた経を読むのがおかしいだろ。原文を読むならインド語
サンスクリットだ。訳したものを読むなら日本語であるべきだ
284名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 20:34:22 ID:SdpseWvR
色界心にでは観察対象との一体感があり、
ものすごい楽しみと喜びを味わうそうです。
そこから禅定が深まっていくと、
物質がなくなり無色界心に入り、いわば色心不二や自他不二のような境地になるそうです。
色界心や無色界心の禅定に入る修行は、仏教以外にもあります。
しかし、多くの宗教で間違っているのは、色界心の一体感や喜びを神様だと勘違いしてしまったり、
無色界心の不二の境地のすばらしさに執着してしまうことです。
残念ながら、日本仏教でもそういう傾向がある人もいそうです。
仏教のめざす出世間心は、
欲界・色界・無色界という三界、つまり世間から解脱する心です。
それを一回でも体験すると、
無常・無我を理解して、最上の悟りに向かって前進しだすそうです。
285名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 20:38:49 ID:x5O6R6tx
>>282  >>仏教は、瞑想による智慧で煩悩を消していく教えです。

瞑想から脱却する事を目覚めた者と云うんだよ・・
釈迦は瞑想を否定しました。
286名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 21:46:11 ID:x5O6R6tx
古代インド人の特徴は、夢の中の体験を、目覚めているときにも体験しようと執拗に試みたところにあります。
それが、ヨーガ(瞑想)だと思われます。ヨーガ(瞑想)に関する教典から、古代インドのバラモン教の実践者たちが、
現実の世界よりも夢(空想)の世界の内容を「より真実の世界」であると思い込んでいたことがうかがえます。

夢のなかで「自己」が身体を離れてゆく現象を、目覚めているときに意図的につくりだす心理的テクニックが
本来のヨーガ(瞑想=夢想)の目的だったろうと思われますが、後には、身体を持ったまま空中を飛ぶ、
いわゆる「空中浮遊」などが信じられるようになります。
いずれにしても、夢や空想を現実から区別をしようとしない独特の宗教的習慣が古代インド人の間にあったことは否定できません。

ブッダの思想家としてのデビューと考えられる、いわゆる「第一説法」において、瞑想・苦行にいそしむ旧友に対して彼は

なんじらは、わたしを名をもって呼んではいけない。また「友」と呼んでもならない。
わたしはもはや如来である、最高の「目覚めたもの」である。
(『マジマ・ニカーヤ』26)

と宣言します。すなわち、「buddh =眠りから醒める」という言葉を用いることによって、
彼の真理の特徴が夢想的(瞑想)なバラモンの思想の否定にあることを主張したのだ、と考えられます。
287名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 21:57:38 ID:SdpseWvR
>>285 仏教の瞑想とは、止(禅定)と観(智慧)のことです。
288名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 22:07:00 ID:x5O6R6tx
>>287
それは大乗仏教でしょう、、
つまりバラモン教・・・
289名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 23:05:26 ID:SdpseWvR
>>288
上座部仏教ではサマタとヴィパッサナーと言われています。
悟りを体験して出世間心になるには、
サマタ瞑想の禅定で色界心に入れるくらいの集中力を養い、
ヴィパッサナー瞑想で心身の変化を観察して無常・無我を悟ると、
煩悩が減っていくのです。
290名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 23:14:12 ID:SdpseWvR
>>286 サマタ(止)・ヴィパッサナー(観)も、現代の日本語で表現するときには瞑想と呼ばれています。
瞑想と苦行はちがいます。
瞑想と夢想もちがいます。
瞑想をやってみると、集中して覚醒しつづけなければなりません。
眠ったりボーっとしたり、気のむくままに妄想するのではありません。
291名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 23:35:37 ID:x5O6R6tx
瞑想を否定する事を、「buddh =眠りから醒める」と云うのです。

インドの伝統的な信仰であったバラモン教(後のヒンズー教)を
否定したのが釈迦なのです。
292名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 23:36:59 ID:x5O6R6tx
>>289 >>290
はバラモン教(後のヒンズー教)の信仰者と云う事ですね・・
293名無しさん@3周年:2007/02/27(火) 08:28:19 ID:guxyuTA+
このサイトをみれば仏教でも瞑想しなきゃならないのがわかると思います。
http://www.j-theravada.net/
294名無しさん@3周年:2007/02/27(火) 08:29:21 ID:guxyuTA+
ブッダが否定したのは苦行です。
瞑想は苦行じゃありません。
295名無しさん@3周年:2007/02/27(火) 12:42:25 ID:guxyuTA+
お題目をひたすら唱えつづけるのは、サマタ瞑想の要素があります。
ですから、集中力が高まり、心が禅定(三昧)の状態になる可能性もあります。
三昧に入っているときは怒りや欲などの煩悩は休止します。
しかし、三昧から普通の意識にもどったら、また煩悩が動きだすのです。
悟りを得るためには、禅定の集中力だけ養ってもダメです。
観察によって、無常・無我を心の底から納得する智慧を開くしかありません。
ブッダが出家当初に師事した二人の仙人は、
いずれも禅定の先生でした。
ブッダはそこで禅定の集中力をマスターしましたが、まだ悟りではありませんでした。
ブッダは、その集中力を下地に心身をよく気をつけて観察し、
無常・無我に気付いたのです。
それで欲の世界にも禅定の世界にも執着がなくなり、
煩悩を消し去り涅槃の境地を得たのです。
296名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 00:14:55 ID:enseoYK6
南無阿弥陀仏

無間の慈悲を持つ阿弥陀仏に感謝いたします
いえいえ、ただただ、阿弥陀仏の心のままに

おやすみなさい
297名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 00:39:53 ID:1bzE1DUd
>>295  >>それで欲の世界にも禅定の世界にも執着がなくなり、
       >>煩悩を消し去り涅槃の境地を得たのです。

仏陀再誕の大川隆法をみればとても涅槃の境地を得たとは思えない。
298名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 00:57:39 ID:v3CJ8ady
>>297 ブッダは輪廻の世界から解脱しましたので、
二度と生まれかわることはありません。
ですから、ブッダに「再誕」があると説く時点で仏教に反しています。
299名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 01:07:21 ID:1bzE1DUd
>>298
輪廻の世界から解脱したとしましても、人類を導く使命があろう。
ですから9、10次元霊と云えども再誕するのです。

次元階層性
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1154118371/134-139
300名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 02:00:00 ID:1bzE1DUd
>>298
ブッダはバラモンの輪廻説を否定していましたので、
輪廻の世界から解脱と云う法そのものがありません。
301名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 08:30:04 ID:v3CJ8ady
>>300 お経を読めば、
悟っている人は輪廻しないこと、
悟ってなくても善行を積んだ信者は天に生まれることが、
説かれています。
悟りの程度(どの煩悩まで消せたか)によって、
生まれかわるかどうかに差があります。
302名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 18:57:34 ID:1bzE1DUd
>>301
それってどう云う経ですか?
その経が真に正しいと云う訳でもありませんよね・・・
303名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 19:46:13 ID:v3CJ8ady
たとえば、岩波文庫『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経―』を読むと、
輪廻を前提に教えが説かれてるとわかります。

逆に聞きたいのですが、なぜあなたは輪廻を否定したいの?
たしかに、輪廻が有るか無いかは死んでみなきゃわかりませんよね。
でも、輪廻を前提にしたほうが修行の励みにはなると思います。
輪廻がないなら、この世で修行したって最後まで悟れず
修行が無駄骨に終わるかもしれない。
だったら修行なんかせず快楽を追求したほうがいいし、
貧乏人より金持ちのほうが幸せかもしれない。
しかし、輪廻があるなら、
例えこの世で悟れなくても修行の成果を来世に持ち越せるので、
迷わず修行できます。
その結果、怠けずに精進できるから悟れる可能性が高くなるでしょう。
304名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 20:25:10 ID:1bzE1DUd
>>303
わたくしは輪廻を肯定しています。
永遠の命肯定派です。
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1154118371/117-118

釈迦の教えは輪廻否定に間違いありません。

われ(アートマン)というものはない。
また、わがものというものもない。
すでにわれなしと知らば、
何によってか、わがものがあろうか。
(相応部経典22.55 増谷文雄訳)

これが、ブッダの思想のもっとも基本的な教えの一つである「無我」の思想です。
「無我」の思想は、単に、自己中心主義を否定しているのではありません。
ブッダはバラモン教の教えである魂の輪廻説を否定したのです。
後代の仏教はやがてバラモン教(ヒンズー教)の教えを再び導入してしまいますが、
魂の輪廻説を否定したブッダの「無我」の思想は、いくつかの禅の伝統にはまだ生き残っているように思えます。
305名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 21:57:47 ID:1bzE1DUd
 釈迦はマントラや祈りの儀式を邪で卑しいものとして禁止しました。
本当に良い効果があるのなら、釈迦が禁止する筈はないでしょう。有益ではないから禁止したのです。

 当然ながら釈迦は祈りや供養の儀式を行いませんでした。
イエスの伝承にあるようなラザロ(死者)の復活とか、盲人や病人を超能力で癒すということもしていません。
(アングリマーラが難産の女を助けたという教典の記録から)釈迦は「真実の言葉」がもつ神秘的な力は
信じていたようですが、これは祈りや呪文とは意味が違います。

 釈迦は(死者への)供養の効果も明確に否定しています。
死者の死後の境遇は本人のカルマのみで定まるのであって、供養などの方法で他人がそれに手助けすることなどできないのだと。
この意味で葬式や読経は無益です。だからこそインドの僧は釈迦の遺言に従って葬式などという俗事には関わらなかったのです
(釈迦本人が亡くなった時の葬式ですら葬儀はバラモンによってバラモン流に執り行われました)。

 現代の僧はみな釈迦を裏切ったアーナンダ(―釈迦に延命を請わなかった事を指す―)の末裔だから開き直って葬式に励め…
こう若い僧侶に向けて著書で述べた有名な仏教学者もいます。これは初期教典で釈迦によって明確に禁止されていても、
土着化(=大乗化、密教化)の圧力には逆らえないという諦めの発言のようにも聞こえます。

 祈りや供養、呪いの効果に期待するというのは土着化指向であり、釈迦の思想とは相容れません。

306名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 23:12:10 ID:v3CJ8ady
>>304 輪廻の原因は業です。
無我に気付けば新たな業を造らなくなるので、
やがて輪廻しなくなるのです。
輪廻するといっても、永遠不変の魂を認めるわけではありません。
昨日の私に連続して今日の私がいるのと同じです。
昨日の私と今日の私を同一人物だと思いこむから、
昨日の私と今日の私が連続してしまうのです。
307名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 23:23:34 ID:1bzE1DUd
>>306
無我とは輪廻しない自己ですから、業があっても輪廻しません。
この程度の理屈も理解できませんか?

昨日の私と今日の私理論はキチガイの話ですね・・・
308名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 00:14:00 ID:A5j1FX/E
昨日の私と今日の私理論は理系の話で聞いた事があるねえ……。
哲学っぽい話だったか。違う時間、空間に存在する以上、同じではないんだ。実際に分子が「全く同じ」な訳ではないし。
同じだと思うのは人間の認識あってこそという話だったかな。
309名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 00:21:01 ID:rQY75dXk
>>308
それは肉体を捉えた場合の話でしょう。
輪廻とは不滅の霊魂の存在を意味します。
時間、空間が変化しましても霊魂は変化しません。
310308:2007/03/01(木) 00:56:55 ID:3l2MMxTC
>>309
そうすると、輪廻から外れる、とか解脱、へ至る原因は霊魂の状態の変化じゃないということですね?
311名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 01:25:13 ID:rQY75dXk
>>310
そうです、霊魂の状態の変化ではありません。
312名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 01:42:48 ID:fowRqUth
>>309 仏教でいう輪廻は、不滅の魂を認めません。
たてえば、「不連続の連続」なんていう言い方もあります。
まず、心は一瞬一瞬生滅しています。一瞬一瞬が別の心なのです。
また、同時に二つの心はありません。
で、今の心は過去の心の影響を受けて生じ滅し、次の心にまた影響を残すのです。
見るのも聞くのも感じるのも、心が生まれているからです。
何を見るかも過去の業の影響なのです。
実体的な肉体があると考えず、肉体だと思える現象の認識を心が造りだしてると考えては?
その心が肉体をつくりだしている状態が連続しているのが、輪廻でしょう。
心が何もつくりださなくなったら、輪廻が終わるのです。
心が何もつくりださないと、心は何の対象ももたないので、心もなくなるのです。
313名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 02:14:56 ID:rQY75dXk
>>312
そんな訳ワカラン理屈よりも、
永遠の生命を説いた方がすべてツジツマが合います。
314名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 08:15:45 ID:fowRqUth
>>313 仏教は瞑想による心の観察で発見されたことの説明です。
まず体験ありきなのでしょう。
315名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 13:17:31 ID:rQY75dXk
>>314
それは釈迦を騙った大乗仏教ですよ、バラモンとか。
あなたは釈迦とバラモンとどちらを信じているのですか?

瞑想とは・・
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1154118371/150-151
316名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 01:16:46 ID:lLxg1SbI
>>313
いやとっても良く、訳分かるけどな。。。永遠の生命を説いたら、無我と矛盾するのに、なんで辻褄合うのか
そっちの方が訳ワカランです。
317名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 11:49:49 ID:Nhtzw3Kn
>>316
無我とは釈迦の唯物論でした。
現代ではバラモンの唯心論に修正されております。
つまり釈迦の法は誤りでした。
318名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 12:41:41 ID:tSVp8xmT
唯物論なのかなぁ?
名称と形態(心と物質)への執着を離れれば名称と形態が消滅すると説かれます。
唯○論と呼ぶと、何かゆるぎない存在に固執してるかんじがする。
物質世界からも精神世界からも消え去るのが仏教徒の目標
319名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 12:48:50 ID:Nhtzw3Kn
>>318
消え去るのが私たちなら、なんの為に生きているのでしょう?
仏教は絶対矛盾である事に早く気づいたほうが良いですよ。

最先端の法を学びましょう!
☆人間は何故、この苦しいこの世に、生まれてくるのか? ☆
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1154118371/142-146
320名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 17:40:45 ID:tSVp8xmT
>>319 何のせいで生きてるかといえば、業と煩悩のせいで生きているのです。
消え去りたくても、煩悩があるかぎり消え去れずに
苦しみの世界に生まれかわってしまうのです。
誰もが消え去ることができるのではないのです。
321名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 22:52:17 ID:Nhtzw3Kn
消え去るのが人生の目的とは情けない教えですね。
さすが釈迦(大川君)だけの事はあります。
自分の写真を100万で売りつけて拝ませる等、法の次元も幼稚です。
322名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 23:26:27 ID:tSVp8xmT
>>321 大川君と一緒にされても…
ブッダの生まれかわりと名乗ってる時点でおかしい。
消え去ってないやん!転生してるし!
323名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 00:17:11 ID:aXekd5Sc
>>322
大川君は腐っても仏陀なのです。
生まれかわらないと言いながら再誕ですから・・
324名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 09:06:55 ID:ppo0aUBS
煩悩や欲望や自己中心的想念が存続した妄念が
本来空なのであり、全く自己中心的想念が無くなると、
無我であり大我であり清浄なる真我と呼ばれるのでは?
325名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 09:09:45 ID:hZ/R6bDb
えっと、、、ここは幸福の科学スレ?
326名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 11:39:52 ID:7X9F4aOw
>>324 禅定の世界においてはそのような表現もまちがいじゃないのかも。
禅定の八段階のうち禅定の第4段階までは色界心であり、
物質と一体となっているような三昧、まだ物質がある。
さらに禅定が深まる第5禅からは物質が消える無色界心に入っていく。
5禅は空無遍処(空間が無限に広がっているという三昧)
→6禅は識無遍処(空間が消え識だけが無限に広がっている)
→7禅は無所有処(自分のものという感覚がなくなる
→第8禅は非想非非想処(想いがあるのでもなくないのでもない状態)。
そのような無色界心の禅定・三昧においては、
「真我」「大我」にたどりついたと錯覚するのでしょう。
でも、「真我」「大我」があるうちは、まだ無色界の心が存在している。
仏教の説く涅槃は、禅定の世界からもおさらばするのです。
真我・大我があるうちは、まだ無色界心の中にいる、つまり世間の中にいるのですが、
涅槃は、世間(欲界・色界・無色界の三界)から離れる滅尽なのです。
327名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 16:09:19 ID:7X9F4aOw
大パリニッバーナ経より

ついで尊師はコーティ村にとどまって、
多くの修行僧たちにこのように数多くの〈法に関する講話〉をなされた。――
「戒律とはこのようなものである。
精神統一とはこのようなものである。
智慧とはこのようなものである。
戒律とともに修養された精神統一は、
偉大な果報をもたらし、大いなる功徳がある。
精神統一とともに修養された智慧は、
偉大な果報をもたらし、大いなる功徳がある。
智慧とともに修養された心は、
諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、生存の汚れ、見解の汚れ、無明の汚れから
完全に解脱する。」
328無意識は一切の幸福 ◆Xt0NAispag :2007/03/11(日) 17:46:34 ID:ook1ymi1
>>305
平安の境地を体験した人もいるだろうが、言語表現できるものではない。しかし、言語表現するならば、
「何ものかを信じることなく、作られざるものを知り」平安の境地は作られたものが存在しない世界である。
「世の中を泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ」「この身を泡沫のごとしと見よ。この
身はかげろうのごとしと見よ」「過ぎ去るものは虚妄、安らぎは虚妄ならざる真理であると知る」
 遠ざかり離れた止滅の境地は、一切を虚妄と知る世界で、安らぎと平安のこの上なき最上の喜びの境地
 (ニルヴァーナ)を知る。また、完全解脱者(仏陀)には神通力ありと知る。

この世で、
 「林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、大いに自ら満足すべきである」
 「人のいない林は楽しい」
   森の中や林の中は、この世の場所で平安の境地に近く、そこで瞑想修行することは、釈尊は当然で
   あると言うだろう。そこで五感も第六の思考(意向)を抑制して、精神の安定統一を目指しながら
   平安の境地を目指す。

 仏典どおり、ニルヴァーナに近い自然の中での瞑想で、精神の安定統一と満足しながら、究極の平安の境
 地を目指すことが、真理に近づくことであり、仏教の修行方法。
329無意識は一切の幸福 ◆Xt0NAispag :2007/03/11(日) 17:47:20 ID:ook1ymi1
「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜一切の生きとし生けるものは、幸
せであれ。何ぴとをも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそ
うとして怒りの想いをいだいて他人に苦痛を与えることを望んではならない〜母が己が独り子を命を賭けて
も護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対して無量の慈しみの意を起こすべし。
〜上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし〜この世では、この状態を崇高な境
地と呼ぶ」

教えとして平安の境地を言語表現すると、憎しみや敵意や怨みなど一切ない。我がものという愛着もない。
〔一切が安穏で安楽で平安と安らぎに満ち、そのことに幸せを感じるような境地〕で、この世で慈しみのこ
ころづかいがその境地に近い。
自然の中での瞑想により、世と自己との迷いや悩みを取り除き、不死の境地に近づいた人は、他人に苦痛を
与えることを望まない。
330無意識は一切の幸福 ◆Xt0NAispag :2007/03/11(日) 17:47:54 ID:ook1ymi1
日本の仏教も釈尊の修養方法を学んで、自然の中での瞑想修行を教えるべきだ。作られたものではない作ら
れざる境地。

無いものから有るとして作り出すのは偽りを教えることになる。このような生存状態の自己に作り出したも
のを宗教として学んでも、それは虚妄なるものを学ぶこととなる。
しかし、作られざる真実は、現在でもその現象が少しは現れている。働いて得たもので、飲み食い欲楽を楽
しむ。しかし、自然の中で安らぎを楽しむ人々もいる。それは、人の心にニルヴァーナを求めるものが少し
はあるからで、それを究極まで追い求めるのが真実に至る教え。

〔おれがおれがと言い、自分の思考は絶対で間違っておらず人にも押し付ける。敵意や怨みを抱き、また怒
り狂っている人〕安らぎから遠ざかり離れ、人に嫌われる場合だってある。

科学が人々を幸福にすると言っても、その心の中には「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」という
ものが働いている。

 世の中と自己とを離れ、安らぎを追い求めている人々は、この世の悪を静めることもできる。貪欲を捨
 てた人は、対立を好まず、相手に不愉快なことも行おうとしない。
331名無しさん@3周年:2007/03/15(木) 07:52:54 ID:Ppa2Oh+H
仏界は本当にある?
332名無しさん@3周年:2007/03/15(木) 12:47:36 ID:Mpl6kzXZ
「仏界」という言葉自体よくわからない。
一部の宗派でしか言わない概念でしょうね。
創価学会の人は仏界とが十界互具とか好きなイメージがあります。
仏(悟った人)の心の境地を仏界と呼ぶならば、
悟って仏となった人の心には仏界があるのかも。

333名無しさん@3周年:2007/03/15(木) 21:57:10 ID:T8HphIbh
瞑想といっても集中するものと拡散するものがあるそうだね
で集中は得意だけど拡散が苦手な人と、その反対に拡散しっぱなし
(ADDの俺とか・・・)の人とかに大まかに分かれるらしい
農耕民族の末裔は集中型で狩猟系は拡散だそうだ
でそれぞれ苦手なものに惹かれるらしい、だからおれは集中型の念仏や
一点を見つめる瞑想がすきなのかもしれない
334名無しさん@3周年:2007/03/17(土) 23:33:10 ID:0NxBb9DM
釈迦が念仏を唱えていたデータは?
335神も仏も名無しさん:2007/03/18(日) 19:16:08 ID:TXcEoOcv
優等生の釈迦の弟子たちの修行と、神々を念じる庶民のための信仰が仏教。
釈迦の教えは学んだ後に捨て去らねばならぬから、離欲と瞑想により悟りの究極まで達しない庶民は信じることで煩悩を少なくする。
336神も仏も名無しさん:2007/03/18(日) 19:51:21 ID:OiMJb/t9
釈尊の教えといっても、修行僧への修行の指導と、
多くの人々に通じる教えもあり、無慈悲・冷酷・残忍を戒め、
貪欲から離れ、神々の世界を思わせることにより、この世を
耐え、老いと死の苦悩の解決をさせる意図がある。

多くの人々には、修行より信仰により、それらを達成させる
意図がある。
337A:2007/03/22(木) 15:39:05 ID:TasHVW6H
南無妙法蓮華経のお題目を唱えることは仏のお心に近づくということでよい事である。
338金有財:2007/03/22(木) 22:05:42 ID:WFkzfja5
南無阿弥陀仏のお念仏を唱えることも仏のお心に近づくということでよい事である。
339神も仏も名無しさん:2007/03/22(木) 22:11:00 ID:Uz0vFHDU
>>337
その根拠は?仏の心とはどういう心?なぜ唱えたら近づく??

検証もせずに、いい加減なこと言うな!
340神も仏も名無しさん:2007/03/23(金) 12:34:41 ID:z1mdh0v2
身体のない彼岸は、様々な欲求を抑制しないとちかづくことができず、
大衆は信じる利益を願い、宗教活動を方便的な行いとした。
341神も仏も名無しさん:2007/03/24(土) 08:05:58 ID:GGU7uryj
彼岸とか永遠の命はあるのか?
342無意識は一切の幸福 ◆Xt0NAispag :2007/03/24(土) 12:57:08 ID:BDPkk1r0
五感も思考も及ばぬ永遠の世界はあるのか。自己(身体)に囚われない無意識になる世界はあるのかという
証明として。

「人のいない林は楽しい〜かれらは快楽を求めないからである」
  生産と消費を当然として生きる。しかし、自然を楽しむ行動も人にはある。人は無意識に安らぎを求め
  ている。
「軽安=身心をかろやかに快適にすること」「長寿」
  病気は気からとも言われ、病気をしたら安静にすること。人は無意識に永遠を益としている。
「慈しみの心づかいをしっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ」
「一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない」
  病気をした人も、慈しみのこころづかいのある人々に助けられ、〔安穏でない人を安穏に、安楽でない
  人を安楽に〕を無意識に行う医者などに助けられる。

「一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」
  人は無意識に安穏と安楽、平安な世を、争いや暴力のある世より喜んでいる。
「苛酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩まされることなく、万物に対して平等である」
「貧しきを憂わず、平等ならざることを憂う」
  人は自分の欲得のことのみにあくせくせず、無意識に平等を思い、格差是正のことも考える。
343無意識は一切の幸福 ◆Xt0NAispag :2007/03/24(土) 12:57:55 ID:BDPkk1r0
「欲情は邪道である」「わが心は従順であり、解脱している」
  牛飼いダニヤのように、「わが妻は従順であり、貪ることがない〜わが意に適っている」という人より
  も、人を欲情の対象としない。他人を自分の意向に適しているものだという人よりも、相手の意向や考
  えを聞いてあげられる人のほうが、その人に受け入れられる。
「他人の過失を探し求め、つねに他人を見下して思う人は、卑しい性質が増大する」
  他人の過失を探し、他人を見下している人を、無意識にある永遠が快く思わない。その人の過失を責め
  立てることなく、「上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行う」人、失敗などを
  現実の行為でカバーしてやれる人は好まれる。

「過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のこ
とだけで暮らしている」「過ぎ去るものは虚妄」
  過ぎ去ったことを虚妄として忘れ去ってしまう。


 「思考の及ばない静かな境地は、苦しみのことがらの止滅であり、つくるはたらきの静まった安楽である」
妄執という一つのものに従属した世の人々が妄執によって悩まされ、五感も第六の思考も及ばない境地から、
人にある煩悩を戒める釈尊の教え。つくられざる世界は人の内に宿り、無意識に現れる場合がある。
欲望を喜び、妄執に従っていることのほうが多い人々もいる。
344無意識は一切の幸福 ◆Xt0NAispag :2007/03/24(土) 12:58:44 ID:BDPkk1r0
「世間は妄執によって導かれる。世間は妄執によって悩まされる。妄執という一つのものに、一切のものが
従属した」「妄執が人を生まれさせる〜生存するものが輪廻に堕している」
 五感も思考も抑制して、瞑想修行により、静けさと安らぎを楽しみ、生まれないことを目指す仏教。
 「安らぎは虚妄ならざる真理」安らぎの世界より、欲望とか煩悩の汚れが妄執となって生まれさせる。

「かれらが老齢となり、眉に皺がより、頭が白くなったのを見て〜『すべての存在は水の泡か陽炎のごとし、
速やかに一切の存在に対し嫌悪を抱け』」
「死ぬよりも前に、妄執を離れ、過去にこだわることなく、現在においてもくよくよと思いめぐらさないな
らば」「かれには、生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない」
 無明が原因で生活活動をしないと生きて行けない人々は、老齢となり「さとり」の境地に目覚めさせる教
 えもある。この世を厭い離れた境地、〔世の中は泡沫のごとく、この身は泡沫のごとく、一切は虚妄〕と
 常に観じて生活活動ができるわけではない。

「人がこの世でなす善と悪との両者は、その人の所有するものであり、人はそれを身につけておもむく」
「業のいかんにしたがっておもむき、それぞれ善と悪との報いを受けるであろう」
「信仰心あり、学び修めた賢明な人は〜心に喜んで、撒き散らし、「与えよ」「与えよ」と語る〜その豊か
な功徳の流れは、施しを与える人に、降り注ぐ」

 修行僧のように、瞑想修行により妄執を乗り越えることができない人々は、善業を身につける。
 人々が「一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」に反し、自分の欲望のため
 に他人の不幸を厭わず、人々の安穏や安楽を奪う人々が増えると、世間は悩みが多くなる。
345神も仏も名無しさん:2007/03/24(土) 14:17:11 ID:GGU7uryj
永遠の命が無意識にある?
346神も仏も名無しさん:2007/03/25(日) 10:42:37 ID:uL31JCkA
>>345
煩悩が存在せず永遠の安らぎだから、人の煩悩を戒めて安穏にする教えだろう。
人間にも動物のように得ようという行為があるから、人間が互いに与えるという
行為をすれば幸福になるとか。
世間から貪ろうとする人間より、何か提供する人間が多いほうが人が幸福になる
確立は高い。
347神も仏も名無しさん:2007/03/25(日) 22:26:53 ID:Mn/lPzy0
お釈迦様の教えは、離欲を目指す弟子たちは別格として、世の中の現象を
説いているわけだから、本来の仏教(真理に基づく教え)は誰でも正しい
としないといけない教え。

たとえば地震が起きて動揺しうろたえる、或いは財産を失ったことへの失望
ではなくて、正しい思慮ある行為、人間が互いに助けるということにより、
他人の不幸を取り除こうとする教え。

348神も仏も名無しさん:2007/03/26(月) 01:50:09 ID:oMCC/jOg
今の先進国は、途上国の
犠牲の上に成り立っているから、
みんな狂うし、死ぬ人も増える。
それが嫌なら、先進国は真剣協議して
今までのあり方を変えないといけない。
349神も仏も名無しさん:2007/03/27(火) 20:21:23 ID:EDONSnd4
普通凡人が協議したって、物・豊かさを追い求めることから離れようとしないから、根本的な解決にならないと思う。

 (1)貪欲の慎み
 (2)勤勉に働き飢えの解決
 (3)分かち与える
 
 飢えなどを解決するために勤勉に働くことをその時代の人々に教えた釈迦。
 飢えることを知らない人々は、貪欲を慎む。職を失う人がでてくるかもしれないから、仕事を分かち与える。
 経済は低下してもよい。先進国は金儲けと豊かさを追い求めるから、誰かを犠牲にすると思う。
 
350A:2007/04/01(日) 00:32:42 ID:7C4SOWMV
念仏は方便である
351神も仏も名無しさん:2007/04/03(火) 21:16:20 ID:EuMJ9/ax
≪或る人々が「最高の教えだ」と称するものを、他の人々は「下劣なものである」
と称する。これらのうちで、どれが真実の説であるのか?・・・・・
賢者は一切の事物に対して敵対することがない・・・・・・
修行者は心の内が平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内的に平安となっ
た人には取り上げられるものは存在しない・・・・・≫
352神も仏も名無しさん:2007/04/05(木) 12:28:43 ID:2Qpn9F/1
最高の教えと称しないと方便にならない事情もあり、最高の教えと称しないと、衆生は煩悩に押し流される。
どんなに正しい理法でも、ただ聞いただけで終わる。
353神も仏も名無しさん:2007/04/05(木) 18:46:10 ID:kgFrj5+0
お釈迦様の教えは地味だから、信じて益を思わせる信仰は継続しやすい。
354神も仏も名無しさん:2007/04/06(金) 19:44:09 ID:/f6/20Sf
>>348
離欲を善とする仏教は、地球環境にも先見性があった教えだ。
もちろん、飢えた人々へのわかち与えも大切な教えだと説かれている。
355神も仏も名無しさん:2007/04/14(土) 10:04:07 ID:G/05Pcak
「これぞ清らかになる道である」として信仰を確実にするために最高を言う。
「ブッダの教えが最も勝れている」と。>>351
356神も仏も名無しさん:2007/04/14(土) 10:33:44 ID:i1f2lGFg
[梵天]
 ゴータマよ。われら七十二人は、功徳の業によって、生と老いとを超えて、世の統治者となった。
[ゴータマ・ブッダいわく]
 多くの人々が渇に苦しめられ、暑熱に悩まされれいたときに、そなたはかれらに水を飲ませた。
 眠りから目ざめたばかり者のように、わたしは想い起こす。エーニー河の岸辺で人々が捕らえられ
 ていたのを解放し、捕虜を逃がしてやった。
 わたしはむかしそなたの弟子でカッパという名の者であった。
[梵天]
 あなたはわたしのこの寿命の長さを明らかに知っておられるのです。
 そうだからこそ、あなたのこの輝く威力は、梵天の世界を照らしておられるのです。

   禁誓と戒めより、慈しみのこころづかい(仏ごころ)は全てを照らす。仏の寿命の長さは
   梵天よりも長い。
357神も仏も名無しさん :2007/04/14(土) 10:35:16 ID:OWDbTc85
壇家が馬鹿にされつくされてるスレ
http://ex22.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1176217503/l50#tag302
358神も仏も名無しさん:2007/04/14(土) 14:37:13 ID:lDU3hJbH
色かたちと、音声と、味と、香りと、触れられるものと、ひとえに思考の対象たる
ものと、――― これは世人をおびきよせる恐ろしい罠である。

 仏の教えが滅んだ世は悪魔の領域しか存在しなくなる。

色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと、―――
わたしはこれではない。またこれは、わたしに属するものではない。

 人々が自己と感じているものは滅び去り、本当の自身ではない。

快く感ぜられる色かたち、音声、味、香り、触れられるもの、――― 破滅をもた
らすものよ。

 かけ廻るこころは、破滅をもたらす者(悪魔)の罠によって縛られている。

わたしは、一切の生きとし生けるものを憐れんで、人里はなれた休憩所に、ひとり
臥すのである。

 人々は自己が自分自身だと思っているから、世の人々は破滅する人々であると
 正しく見ることが肝心。世と自己とは我ならざるものである。

修行者は心の内が平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内的に平安となった
人々には取り上げられるものは存在しない。
359神も仏も名無しさん:2007/04/14(土) 20:33:00 ID:t9t8sbLT
「南無 阿弥陀仏は、公案の一種である」

鈴木大拙
360神も仏も名無しさん:2007/04/14(土) 23:06:29 ID:IJh+TRXY
お釈迦様の教えは大衆にとって方便。
お釈迦様も梵天に加護を懇願した。
しかし、梵天はお釈迦様に梵天をも超える人間の知者としての立場を示すよう
仏の道を説けと。
智慧ある人とは過去世も天上も知る人であり、正しい勝れた人とは自己に克ち、
無所有で歩む人。清浄な人とは五欲に打ち克った人。
大衆は、貪欲・愚痴・瞋恚を廃し、現世安穏の加護を諸天に常々懇願するため
に信仰を保つ。
自分を愚かと認めない人こそ実に愚人であるとお釈迦様は説いている。

361神も仏も名無しさん:2007/04/21(土) 23:05:14 ID:YxoiiZDH
保守
362神も仏も名無しさん:2007/05/04(金) 18:01:04 ID:rl9GYuaT
読んでもできない経典。
363金有財:2007/05/12(土) 17:36:35 ID:vNfxub3O
むずかしいことは言わずに、
なむあみだぶつ
南無妙法蓮華経。
364神も仏も名無しさん
むずかしくしているのは、南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経。
違うものを唱えたら仏教じゃないのか。
釈迦はそんなことを教えていたのか。