2☆
3 :
名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 22:17:44 ID:VdMGgaJ2
2
無はそんなに難しい概念かナァ〜
てすと氏どう?
私の解釈は間違ってないですよね。
6 :
慈風:2006/12/24(日) 22:23:19 ID:zdcdacGF
乙です。
>>5 「無」というと誤解されません?有でないのでは?
赤ワインは神の雫〜♪煩悩万歳!!
>>1 乙
>ただし聖人ぶるのと悟りを開くのはほどほどにしましょう。
ワロスw
肝に銘じます(笑
>>7 確かに、そっちのほうですね。
でも、ムータン氏は無=神としたいのかなぁ〜
10 :
慈風:2006/12/24(日) 22:30:48 ID:zdcdacGF
解釈ですね。
無はない。
なぜなら、無は認識できるものではない。
それがわかるとすれば、「認識している存在」がいる。
それが「在る」です。
>>9 神を求めるから、神や無を経験できないんですよ。彼は。
確かに、この方向はドツボにハマってるナァ〜
無が在るというのは、言葉遊びにしか過ぎませんからね。
どんなにワインでも酔えるというほうが真実です。
しかも、その安さは翌日に実感する。
どっかのモスクは数学的に作れられているそうです。
数学こそが神の言語だと思われていたみたいですよ。
>>4 クリスマスはもうqあwせdrftgyふじこlp
>>12 遊びの中に真実はあるのです。ホモ・ルーデンス〜。
>>13 イスラムはかなり数学を尊重するでしょう。
その理由はイマイチよくわかってませんが。
曼荼羅も数学的らしいですしね。
>>16 物理や数学をやると、この世には本当に神がいるのでは、と思うときがあります。
教会へ行くより効果的です。
もう、そんな感覚は遠ざかってますネェ〜
私は、自然観察で感じますね。
まあ、その経験も少なくなってますが。
それは、自然を観察しなくなったと言うことだけなんですけどね。
自然において、無はあり得ないナァ〜
空は実感できますけど。
>>19 ダーク・マターが残っていますし、無が重要な位置をしめるかもしれませんよ。
>>20 さっきから、カタカナ頻発しますけど、それどういう意味?
といっても、答える義務はありませんけど。
私は、個人的に常に新しい発見があればいいんですよ。
といっても、結構、新しい発見はありますけど。
>>21 観察した宇宙の質量と、計算した質量が合わないんですよ。
だから無の空間の質量の事をダークマターと呼んでいます。
>>22 人生80年で全ての発見はできないでしょうから、問題なさそうですね。
>>23 あっ、それ聞いたことありますね。
エネルギーがこの空間から漏れているとか。
だから、この空間は多次元空間なんですよね。
それは、経験的になんとなく感じることが多いんですよ。
多分、時間軸がネックになるんだと勝手に夢想してますけど、まあ、科学的には全く無理ですね。
>>24 まあ、1万年でも無理でしょうね。
でも、結構な境地には至るでしょうね。
>>26 私は大王ドンには一生追いつけない・・。才能が違いすぎる。
>>911 >サロメについていえば、私の信仰はなんでもありではなく、元には明確な理が
>ありその理に向かうことが信仰ですから、宗教家が静かに自己と神との関係性を
>追求するべきなのです。それに対してエゴを押し付け、私の質問には逃げるに
>関わらず後からこっそりとレッテルだけ貼って中傷する卑怯な人間ですよ。
>フーテン氏の言うように混濁したなんでもありの露天商の信仰でよければそれで
>いいのではないでしょうか?私のはあくまで名称には拘らず一は一であるという
>むしろ他の信仰を排斥するようなキリスト教よりもストイックな一神教ですよ。
>私は宗教、宗派にこだわらず、真理を求め、善に生きようとする人は皆
>尊重し、尊敬します。罵倒、中傷、レッテル貼りに終始するサロメは信仰者
> としても歯牙にもかからない存在ですね。彼女に善も愛も見られません。
>単に個人的嗜好だけですよ。カトリックというブランドを身にまとっていれば
>なんで赦されると思ってるんですかね。
俺は何でもあり派ではないし、サロメと意見が共通している訳でもない。
昔散々異端呼ばわりされたし。ですが、腹を立てるようなことでしょうか?
あなたがサロメにレッテルを貼り返しているだけだと思うのですが。
>宗教家が静かに自己と神との関係性を追求するべきなのです
それは、サロメに茶々を入れられたぐらいで出来なくなるような事ですか?
また、サロメを受け入れたら崩れ去るようなものが信仰なんですか?
>私は宗教、宗派にこだわらず、真理を求め、善に生きようとする人は皆
>尊重し、尊敬します。
その、あなたの基準に当て嵌まらない人間は排斥するんですか?
フーテン氏の言うことは正しいんですよね。
ただし、まあ、そのやり取りはどっちもどっちにしかならないんですけどね。
うーん、なんか腑に落ちないことばかりだなぁ〜
ムータン氏の一ってなんだろう・・・・・・・
>>30 まぁまぁ、彼は宗教家じゃありませんから。
それより、今日も一日無事に過ごせたので、神によろしく言っておいてください。サンクス。
33 :
慈風:2006/12/24(日) 23:34:16 ID:zdcdacGF
フーテンさん、やめませんか?
同じことをしていますよ。
>>32 感謝ぐらい、自分の口で言えば?
悪口は、フーテン氏から言ってもらってさァ〜
>>31 人間は部分しか認知できないのに一を語るから、それはエセなんですよ。有るも無いも部分なんです。
>>33 わかっててやってんですよ。
ここの人たちはみんなバリバリですから(笑
個人的には、フーテン氏の喧嘩も見て見たいですけどねヽ(^。^)ノ
>>35 ありゃw
いつのまにそんな達観を\(^o^)/
その通り過ぎて、何もいえません(^^♪
>>33 あなたが言うと説得力がありすぎるwww
だってのらりくらりやってたらmutant氏が切れるんだもの。。。
39 :
慈風:2006/12/24(日) 23:42:21 ID:zdcdacGF
ついさっき、不思議な感覚がありました。
「私は愛を知っている。誰に教えられたものでもない。
遠い過去に於いて、学び、気付いた姿が、今ここにある」と。
「我々は善を知っている。
親から子へ伝えられたものも確かにある。
しかし、それだけではない。本能とも言うべき愛の姿を知っている」
だからこそ、愛でないものがわかるのだ。と。
40 :
大王:2006/12/24(日) 23:43:39 ID:nZSfC6BH
:慈風 殿の知性開発と仏教解説は昆布殿に、まかせた、、
昆布殿がおいらの分身に最近思えてきた、、、
出力不足のおいらを超えて、、素敵な出力昆布殿、、おまかせした、、、
>>40 私の師匠が大王ドンですよ。
勝手に、去られても困りますです(-_-;)・・・・・・・・・・
それに、慈風殿は私を必要としてないでしょう(^_^;)
まあ、早く、身体を治してくださいませ(^^♪
43 :
大王:2006/12/24(日) 23:51:00 ID:nZSfC6BH
昆布殿のmutant氏評は、見事だ、、
最近、神秘主義、ただし仏教瞑想型を除く、、がどうやら、脳内ホルモン、脳内麻薬ベータエンドルフィン増加的な物かもな、、
悪く言えば、シャブを打って、最初のうちだけ、怖いものが無くらるらしいが、、
洞察、分析を前提としない、神秘主義、、、慈風 殿とmutant氏の宗教観かもね、、
仏教でも浄土宗は、自己分析は無く、外部的な救いを前提とし、人格的で、霊魂を想定する部分がある、
浄土宗の反動の日蓮宗も、同じ傾向だな、、
日蓮宗は、さろめさんぐらいの激しさがある、御書を読んで、、よくやりまくるなあ、、、と思う、、、
44 :
慈風:2006/12/24(日) 23:55:21 ID:zdcdacGF
そういえば、以前に自分の過去生に興味をもったことがあります。
事実を知りたくて、毎日願いました。
そしたらある日、こんなことを言われたのです。
「過去生は確かにある。しかし、それを知ってどうする?
私はおまえをずっと観てきた。遠い昔、おまえ自身が行なってきた行為を私は知っている。
望むなら、体験させてあげよう。
しかし、それを体験すれば、おまえは生きてはいけなくなる。それだけの行為をしてきたのだ」
>>43 そんな批評なんてものではなくて、疑問点があるだけなんですよ。
ムータン氏は理系ですし、私が考えてることのヒントも教えてくれると思ってるんですよね。
てすと氏も結構、教えてくれるんですけど、なんせ、暴れん坊ですからヽ(^。^)ノ
大王ドンはいつも、知りたいことのポイントを示してくれてるので助かります。
46 :
慈風:2006/12/25(月) 00:00:48 ID:zdcdacGF
「ある時は自らの欲のために人を殺し、ほしいと思うままに奪い、時に女を犯し、自ら争いの因となって、多くの人を傷つけてきたのだ。
それを知ってどうする?
なぜ知らせないか。おまえを守るためだ」
こんなことを言われました。
血なまぐさい感覚と、吐き気。一部の映像もみせられました。
それ以上は知りたいという気持ちすらなくなってしまいましたが。
48 :
慈風:2006/12/25(月) 00:04:34 ID:MjRmpQJ4
こんぶさん、あなたも同じ。
私は、ご隠居の指摘どおり、かなりいかれてますよ(^^♪
過去生だか未来生だか知りませんけど、私も結構、感じますから\(^o^)/
でも、幻覚です。
それで、現在が変わるわけでもありません。
まあ、自分は変わりますけどね。
うふふふっ(^^♪
>>45 私は宗教板ではかなりおとなしい部類だと思っているんですが・・・
51 :
慈風:2006/12/25(月) 00:09:13 ID:MjRmpQJ4
判断とは、自分の主観でしかない。
それがすべてでないと知りながらなお、幻覚といいますか?
52 :
大王:2006/12/25(月) 00:10:41 ID:McURsrGy
過去生ね、、ヒンズー的だなあ、、やはり、アートマン、、
:慈風さんが、仏教批判をする時、、ヒンズーの仏教批判という、かんじがするし、思想は、やはり、ヒンズー、、、
ヒンズー的立場だと、、キリスト教批判となり、さろめさんとの論争になるわな、、
53 :
名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 00:11:56 ID:vrl3OvOy
54 :
慈風:2006/12/25(月) 00:11:59 ID:MjRmpQJ4
ま、いいか。人それぞれですからね。
評価や判断など興味ないですし。
サロメ氏って有名人だったんだね。初めて知った。会話したことないからなぁ〜。
>>50 暴れる方向がねヽ(^。^)ノ
って、おとなしいの?ほんと?(^^♪
>>56 粘着がつかないことがおとなしい証拠。私も修行が足りないなぁ・。
つきたん来ないかなぁ・・。
>>55 一度、絡んでみたら?
タイプ的には一緒ですよ。
ただし、彼女はオールマイティーに何でも知ってますよ。
だからこそ、レッテル貼りを楽しんでる。
でも、問題は、知ってるってことではないんですよね。
その辺が、彼女の賢明なところでもあると私思ってるんですけどね。
59 :
大王:2006/12/25(月) 00:19:45 ID:McURsrGy
ムータン氏の一は、たぶん、神人合一だろうね、、
神秘的状態、脳内ホルモン、脳内麻薬ベータエンドルフィン増加的状態にて、、
神秘的融合の至福にて、物事に苦痛を感じるのが低減される方向性だろうね、、
イスラム神秘主義のスーフィズム、ヒンズー、神道の神秘派、ギリシャ正教の一部の流れにあるらしい、、
たぶん、それをいいたいし、諸宗教を統一したい願望があるのか、、どうだかわからないが、、
>>57 結構、来てるよ(^O^)/
たぶん、
>>53がつきたん。
でも、粘着に変化するのは近頃飽きたみたいですけどね。
61 :
名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 00:21:32 ID:vrl3OvOy
なんでやねん
>>59 でも、瞑想して、そんな境地になるもんですか?
仮になったとしても、それでは、浅いでしょw
瞑想が目的になっては、ミイラ取りがミイラみたいなものですし。
断食が目的になっては、意味がないのと同じですよね。
それなら、ダイエットしたほうがいいし、いっそ、飽食にしたほうが早い。
>>59 とりあえず、瞑想はゲルグ派からはじめようと思っています。
65 :
大王:2006/12/25(月) 00:35:30 ID:McURsrGy
たぶん、仏教を除く神秘主義者の方向性は、今、感じている苦痛からの離脱なのでしょう。
仏教を除く神秘主義は、ある意味、現実逃避的要素があり、現実の苦痛から自由になれるわけで、
苦痛が大きければ大きいほど、やはり、はまるものでしょう。
瞑想が目的になっては、ミイラ取りがミイラになることで、現実の苦痛から、逃避できる要素があるわけで、、
陶酔、至福にによって、浄土宗では極楽浄土を見、キリスト教では、天国を感じるのでしょうね、、、
京都本願寺へ、行くと、南無阿弥陀仏以外何もいらない、、陶酔にはまりましたから、、
当然、現実と日常生活と直接関係が無い、、精神安定で、他人との軋轢が減る可能性はあるかもね、、
でも、、慈風対サロメの戦いが、起きると、あやしいと、おもえるかもね、、
66 :
大王:2006/12/25(月) 00:43:16 ID:McURsrGy
現実逃避の方法では、ギャンブル、酒、麻薬と、あるわけで、、、、
これに病的に、はまると依存症という、、
ある意味、仏教を除く神秘主義は大なり小なり、依存症的要素があるかもな、、
>>66 これは、結構、深いのかも。
まあ、瞑想はしてないのでわかりませんけどね。
うーん、眠くなってきた・・・・・・・・・
オチノシ
68 :
大王:2006/12/25(月) 00:46:03 ID:McURsrGy
宗教に嵌まって、ヤバイ時は、やはり、現在の時点で教祖が概念的強制力を持ったときでしょうな、、
69 :
大王:2006/12/25(月) 00:47:21 ID:McURsrGy
わいも、ねるか、、、みなさん、おやすみ、、、、、、
>>66 あ、すみません。2ch宗教板依存症です。もうすぐ抜けそうですがw
私も寝ます。ノシ
大ちゃんが繰り返す「仏教を除く」も、結構そこに嵌りこんでるように見えるぞ。。。
それと、キリスト教についても、とんでもない教会にも勇ましく乗り込む割りには、
へっぴり腰だから、それじゃ、上っ面しか分らないだろうと思うんだけど。
>>57 てすとさんは、おとなしいというか、本当に粘着しようがないw
フーテン氏には、
しっかりとした覚悟と諦観が垣間見えるんだよなぁ・・・。
ご隠居にもあちこちに乗り込んで欲しいな。
>>59 いまいちよくわかっていません。
現世でそれが可能なのかもわかりませんが、私が拘っているのはあくまで創造論
であり、創造の方向性です。
キリスト教的神が目的を持って創造したならば、それは神人合一に必然に向かう
と思っています。しかし、これは信仰あっての理であって、神は無しとした瞬間に
崩れ去るものです。
ただ、創造が意思された人格神をベースにしてますから、神人合一に向かっただけなんですね。
まだ、体験云々まではいってませんよ。
>>30 サロメを受け入れるとはどういうことでしょう?
あなたはどう受け入れてるんですか?
私にはせいぜい「ふーん」と受け流すことくらいですが。
>>その、あなたの基準に当て嵌まらない人間は排斥するんですか?
なぜですか?
まぁ、問題はサロメが勝手に噛み付いてくることですよ。
私は狂犬には近寄りたくもない。
フーテン氏はどう受け入れてるのかな〜?
>>43 >>洞察、分析を前提としない、神秘主義、、、慈風 殿とmutant氏の宗教観かもね
例の自己と他者との関係性でしょうか?
全く分析をしないまで飛躍してないと思ってるんですけどね。。。
あと、諸宗教を統一したい願望なんかありませんよ。
なんかここは勝手な批評家が多くて辟易してしまうのですが、私はあくまで
創造主と被造物である我との関係性のみを考えてるんです。あとは枝葉の問題ですから。
って、自薦批評家達相手になにやってんだろ・・・
あほらしくなってきた・・・
>>77 じゃぁ創造の話いい?
墜落は創造以前にわかっていたのに、なおなぜそれでも創造したの?>創造の目的
なぜ神は解りきったことに対して後悔という言葉がでてくるの?
噛み付いてるんじゃなくて素朴な疑問。w
>>76 聖書と第二バチカン公会議文書以外は
きっちりしたものに触れていない外野が横槍入れるのは申し訳ないが、
(深い)対話・会話はともかく、
そのような人もこの世に居てもいい、(彼女(第三者でも同)もまた神の被造物である)
と見ることじゃないかな?
おそらく貴方は、そのように対していると言うかもしれないが、
噛み付き返す姿勢が余分だということじゃないのかな・・・。
勿論、一人一人、個々人が教会であり、布教の責務を負っているならば、
神の御心からズレている(と、むーたんが見做す)彼女(第三者でも同)の軌道修正も、
彼女(第三者でも同)と関係を持った者の義務かもしれない。
けれども、神(或いは精霊)との関係が究極に於いて一対一であるなら、
審判の日のことは、それこそ神のみぞ知ることであり、
できることは、少しでも彼女(第三者でも同)の心が神に近付くよう
祈りを捧げることなんじゃないのかな?
フーテンさんがそういう他者のためにも祈ってるかどうかは知らないが・・・(爆
>>78 ようやく普通の対話ができそうな人がw
でも、ここでの討論って結局観察されてるだけなんですよ。
性格悪いの多すぎ。自分では参加せずに観察批評だけの人間って嫌いなんですよね。
別に批評なんか必要ないですし、私は弁証的に論を積み上げたいだけなので。
別でやりませんか?
>>79 噛み付き返す姿勢が余分だということじゃないのかな・・・。
ここですね。
私も自己批判的に「私自身が彼女を相手しなければよいのですが・・・」
っと入れた文章はフーテン氏によって省かれています。
それほど振り子は振り切ってはいないですよ。単に、そのように
像を作り上げたいのでしょう。批評家達は。
>>80 おkです。
別スレ空いてるとこ見つかったらそっちで?
信仰へのレッテルは結構きついものあるとおも、生き方そのものであったりするから。
まぁとりあえず今日はおやすみです ノ
>>81 そうですか。
詳細を知らないのでこれ以上は踏み込みませんが、
敢えて一言添えるならば、
貴方と初期の風はどこか似ている。
辿り着きたいスタンスを目指しているのだが、聞こえてくる音を振り払えない・・・。
初期の風は、耳を塞ぐことでそれを回避しようとするが、
耳をふさぐという行為(≒「とらわれません」「気にしません」というレス)を繰り返すことで、
聞こえてくる音に縛られていた・・・。(今はどうか知らない・・。)
勿論、彼女(第三者でも同)の言動が、本質を(自分の拠って立つ根幹を)
揺るがす、或いは誤解を流布するようなものであるなら、
逆に、徹底抗戦すべきなのかもしれない・・。
(今私は、とりあえず自分のことを棚上げしている。
が、戦うべき時は戦わねばならないと思っている。)
もし貴方が、譲れない部分を侵されたと感じるならば、
外野からどんな批判を受けようとも、戦わねばならないのでは?
もしかすると、戦って護るべき何かが御自身で見えていない、
或いはぼやけている、そんな状況なのかもしれませんが・・・。
それでも、僅かでも、自身の中に譲れない部分が見えていて、
それを護らねばならないなら、外野がどうこうじゃない。
>自己批判的に「私自身が彼女を相手しなければよいのですが・・・」
などと一歩下がることはない。 知識を剣にし、信仰を盾にし、断固戦うべきであろう。
貴方が、貴方の神(信仰)を護らずに誰が護るというのか?
と、酔っ払いが書き込んでみるテスツ
う〜む・・・ 批評家の台詞だなwww すまん ノシ
84 :
慈風:2006/12/25(月) 05:58:36 ID:MjRmpQJ4
初期の私??
それより、おとなしくありませんか?
私はガキでしたよ。
批評など大嫌いでしたから。そのくせ、自分が批評していることになかなか気付きもしなかった。
今はちょっと(ほんのちょっと??)だけマシになったのかな??
結局、人は同じに見える。宗教は関係ないし、価値観なんてだれもがもっています。
要は「乱れないこと」だと思います。
85 :
慈風:2006/12/25(月) 06:15:03 ID:MjRmpQJ4
過去生は、我々に過去があるように、あります。
さくらが毎年花を咲かせるように、何度も転生しています。その点は、自然の一部であることに変わりはないと思うのです。
ただ、過ぎ去ったものにしがみついてしまうと、そこから先、つまり「精神的な成長」はゆっくりとなる気がします。いい悪いではありませんが。
こんぶさんに言わせれば、それすら幻覚ということになるのでしょうが、「人生は一度きり」という見方をすれば、そう見えるのでしょうね。
私にはこの物質世界も、神の王国に見えます。
>>83 観察だけなら良いのです。それを反駁し自己処理するならば。
私はここで批評されるほどに私を出し切っていませんし、出すつもりもありません。
ここ数日間、たった数レスで一体私の何がわかるのでしょう?
全く見当違いも含め、批評家達のレスはゴシップ紙のそれとほぼ同じでしたね。
要は、相手が何を考え、どのような歴史を持ち、歩んできたか。
対人格とどれだけ向き合えるのかが問われるのであり、相手の歴史を知ろうとする
謙遜と観察眼はエネルギーを要するものです。大壇上から観察される
悪趣味に辟易し、私とは異であると思っているだけです。もちろんコンブ氏は
細心注意を払っていましたけどね。
的確な批評ならばまだ良いでしょうが、誰も好き好んでゴシップネタにはなりたくないですよね?
>>82 後ほどレスします。とりあえず仕事落ち
2ちゃん向きじゃないだけでは?w
>>86 相手にこうして欲しいとかいうのが甘えなんですよ。
世の中というのは自分の思い通りにはならないのです。環境がないからできないのだと言う人は結構多いんですよね。
多くの宗教家はいままでゴシップどころが、暴力に対しても耐えてきました。そして相手の考えすら変えてしまいました。
宗教学者をやりたいなら、宗教者を名乗るべきじゃないと思いますよ。
最初から宗教学者だと言ってくれればこちらもそのように対応するのに。
宗教家だと思って相手して損した。
89 :
名無しさん@3周年 :2006/12/25(月) 12:49:09 ID:W3jrM60p
,へ
。 \/ ヽ ( ) . 。 . .゚o 。 *. 。 .. ☆ . +. . .
。 . . . _/*+*`、 ( ) . . 。 ゚。, ☆ ゚. + 。 ゚ ,。 . 。 , .。
゚ 。 <_______フ ) ゚ . 愛のミーム増殖中 (厳しさあり) 。 ゚. . .
. 。 ゚ 从*・ 。.・) 〜 。, .。o ☆ + 。 。 . 。 *
゚ .゚ ゚ 。゚ / ゙゙゙lll`y─┛+ 。. +。 * 。゚。゚., ,+ 。゚. . ,
゚。゚+゚`, ノ. ノノ |゚* 。゚ 。 ☆+。。 ♪ 世 界 と 繋 が っ て 行 こ う ♪ 。 . ,
゚. o * `〜rrrrー′゚。 ゚。+ ゚ 。 ゚。 ゚ 。 ゚
゚ ._i|_(_ . ゚ , 。* .
_,,..-―'"⌒"~ ̄"~⌒゙゙"'''ョ
゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ
T | l,_,,/\ ,,/l |
,.-r '"l\,,j / |/ L,,,/
,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ /
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1164579319/150 _V\ ,,/\,| ,,∧,,|_/
90 :
大王:2006/12/25(月) 15:56:09 ID:McURsrGy
ムータンは観察されていたと、思っているらしい、、、
おいらの霊的感覚で、ムータン氏を想像したのだが、、、
ムータン氏はただの論理的宗教者だったのね、、つまんない、、、、
91 :
まい:2006/12/25(月) 16:02:59 ID:B9w5kb7t
ムータンさんも来られるようになったんですねぇ。期待ス!
92 :
フーテン氏へ大王:2006/12/25(月) 16:07:24 ID:McURsrGy
仏教を除く、、と言ったのは、、
相当、仏教の発想が特異性がある、、、
特に、中央アジアの如来蔵の仏教思想が流入した仏教にはね、、
大乗仏教、竜樹において、既に難解になっているのに、、
中央アジアの如来蔵の仏教思想が流入した、禅、チベット密教、真言宗、天台宗、華厳宗に至っては、、、
普通の人が寄せ付けない、理論と瞑想体系が出来上がっている、、、
中国の瞑想仏教は、もはや、ただの神秘主義ではすまない、、現実世界の存在の最解釈まで、含んでいるし、理論認識で完成されない厄介さを持っている。
瞑想の実践と体験に寄らなければ何も理解できない、、、
原始仏教、南方仏教だと、批評もしやすいが、、
慈風氏、ムータン氏が、仏教を批評しても、、、結局、的外れな批評になってしまう、、
仏教自体が、瞑想を求める者だけが知りうる構造になっているから、、、、
キリスト教の神秘体験の方向性は単純で、親切な構造である、、、
93 :
フーテン氏へ大王:2006/12/25(月) 16:15:54 ID:McURsrGy
日本仏教において、平安時代から加速した神仏習合した仏教は、中国で生まれた瞑想系仏教と異なり、、
やや、ヒンズー的になっている、、
日本に来て、解りやすい仏教になった、、
神仏習合密教の熊野信仰から、、浄土宗、日蓮宗、
そして、観音信仰、高野聖からの弘法大師信仰(空海が考えた真言密教と異なり日本化した浄土信仰がある、お遍路さんが代表)
ま、真言宗において、すで、チベット密教に比べて、ヒンズーに近いから、、
真言密教以前にすでに山岳信仰、雑密があり、修験道的神仏習合密教があるわけで、、、
94 :
フーテン氏へ大王:2006/12/25(月) 16:21:22 ID:McURsrGy
中央アジアの如来蔵の仏教思想が流入した仏教とは、一切のものに仏の性質があるという思想。
草木、石、人間、動物にある、、
当然、「一」になる思想もあるわけだが、、
そこで終わらない、、外部の対象っと、自己の存在の並在があり、
外部の存在のみの時があり、
自己だけの時があり、
自己も外部も存在しない、無である時がある、、
この時点で、、、
慈風氏、ムータン氏の仏教批評が的外れとなり、、
すでに、この時点で意味不明なわけで、、、
95 :
フーテン氏へ、大王:2006/12/25(月) 16:24:09 ID:McURsrGy
フーテン殿、この時点で、意味不明でしょ、、
これを書いても読んでくれないし、読んでも意味不明だから、、関心もわかないでしょ、、、
96 :
大王:2006/12/25(月) 16:28:44 ID:McURsrGy
慈風さんの過去生は、肯定も否定もしない、、
あるかもしれないし、ないかもしれない、、、
仮にあったとしても、自分にとって、今の人生に重要な問題とは思わないし、
自分の取り巻く現実の有効な回答になりえない、、
ゆえに、関心が無い、、、、、
97 :
大王:2006/12/25(月) 16:35:41 ID:McURsrGy
まいちゃん、おひさ、、、
ついつい、、フーテン殿が、、ややこしい、話を知りたそうだから、、、
98 :
まい:2006/12/25(月) 16:44:34 ID:B9w5kb7t
>>92 >慈風氏、ムータン氏が、仏教を批評しても、、、結局、的外れな批評になってしまう、、
>仏教自体が、瞑想を求める者だけが知りうる構造になっているから、、、、
なるほど・・w
99 :
大王:2006/12/25(月) 16:50:01 ID:McURsrGy
ちくま書房の空海コレクションの空海の書物を現代語訳しているのが、あるけど、、
それ時点で、すでに、、厄介な理論で、、瞑想で体験しないと理解できない構造になっているからな、、、
100 :
慈風:2006/12/25(月) 16:50:26 ID:MjRmpQJ4
大王さん、過去生が大切なわけじゃないんです。
過去なんぞ、どうでもいい。
今回、その先の気付きがえられたので、そっちの方が重要です。
101 :
まい:2006/12/25(月) 16:51:01 ID:B9w5kb7t
>ま、真言宗において、すで、チベット密教に比べて、ヒンズーに近いから、、
>真言密教以前にすでに山岳信仰、雑密があり、修験道的神仏習合密教があるわけで、、、
>中央アジアの如来蔵の仏教思想が流入した仏教とは、一切のものに仏の性質があるという思想。
>草木、石、人間、動物にある、、
>当然、「一」になる思想もあるわけだが、、
仏教批判といっても、どこの部分を批判するのか、人によっても違うわけですね。
葬式仏教を安定剤として認める人も居るし、葬式仏教を軽蔑する人も居る。
ワタシとしては、日本において、柔軟に変化してきた事実こそが面白いと思うのですが。
102 :
大王:2006/12/25(月) 16:57:33 ID:McURsrGy
たぶん、仏教批判で有効なのは、、宗教団体を指定したほうが有効打になるんだよね、、
ま、キリスト教では、アメリカ系新興系がろくなものじゃないだろうね、、
アメリカではクリスマスに、スーパで、
メリークリスマスと言うべきか、ハッピィーホリデーと言うべきか、論争になっている、、
それは、たぶん、キリスト教を否定したくなるほど、キリスト教の精神の抑圧要素が、アメリカであるからだろうね、、、
ご隠居さんも激しいのは、きっと、、、
103 :
大王:2006/12/25(月) 16:59:59 ID:McURsrGy
ムータン氏よりも、慈風さんの方が、、宗教的神秘体験と精神安定の至福を持っていそうだな、、
104 :
慈風:2006/12/25(月) 17:03:59 ID:MjRmpQJ4
そうですか?
私にはわかりません。
>>101 ↓ポタラカレッジHPより
日本の仏教の歴史を顧みれば、そもそも仏教自体が外国−中国大陸や朝鮮半島−から入って来たものです。
それも一度だけではなく、いろいろな時代に様々な教えを外国から取り入れています。
その結果、今では「伝統仏教」として知られるような各宗派が成立したわけです。
つまり、いろいろな時代に外国から教えを導入したことによって、日本の仏教の全体がだんだん充実し、日本人に適した教えの体系が出来あがったといえるでしょう。
このように、中国などから教えを導入することは、主に飛鳥時代から鎌倉時代にかけて盛んに行なわれましたが、もっと後の江戸時代にも少しはありました。
ですから、今度は平成の時代にチベットから仏教を取り入れても、ちっともおかしいことではありません。
江戸時代までは、外国といっても中国や朝鮮しか念頭になかったわけですが、今はもちろんそんな時代ではありません。
それだからこそ、もっと視野を広げて、今まで取り入れることのできなかったチベットの仏教を導入するチャンスなのです。
それによって、日本の仏教の全体が一層充実し、日本の人々のためになることは間違いないと思います。
いま私たちが、チベット仏教を紹介する活動を行なっているのも、こうした枠組みを念頭に置いてのことです。
106 :
まい:2006/12/25(月) 17:06:16 ID:B9w5kb7t
49 : ◆konbu//XQ6 :2006/12/25(月) 00:07:51 ID:uWfE786Q
私は、ご隠居の指摘どおり、かなりいかれてますよ(^^♪
過去生だか未来生だか知りませんけど、私も結構、感じますから\(^o^)/
でも、幻覚です。
それで、現在が変わるわけでもありません。
まあ、自分は変わりますけどね。
うふふふっ(^^♪
>>39 同意。
昆布さんの言葉も意味深ですねw
107 :
大王:2006/12/25(月) 17:06:58 ID:McURsrGy
あと、日本の陽明学、儒教を読んでいると、、
やはり、日本の陽明学、儒教は、、中国にある、「天」という霊的存在を取り入れずに、
日本の神道と融合してしまうようだ、、江戸時代、、、
神道と儒教の相互融合が、江戸時代に始まり、明治政府の国家神道へ、向かっていったんだなあ、やはり、、
仏教の葬式仏教の感覚も、、儒教、神道の融合だし、、、
108 :
大王:2006/12/25(月) 17:10:53 ID:McURsrGy
:慈風 さんに、最初、儒教なの??と聞いたのは、、心の本質、実体的に想定しているだな、朱子学と陽明学は、
そういう要素を見て取れば、、ムータン氏の構想もありえないわけでもない、、
109 :
大王:2006/12/25(月) 17:11:46 ID:McURsrGy
朱子学と陽明学の仏教批判も慈風 さんに近い感覚があるんだな、、
2chらしいと言えば2chらしいわけだが、
どうしてこう両極端なのかな・・・。
理に偏り、理のみをその核とする
感応(≒頷き)に偏り、感応(≒頷き)のみをその核とする。
むーたんは、それを両輪として持とうとしているのではないか?
(
>>87は鋭いかもしれないが・・・w)
>>88 >宗教学者をやりたいなら、宗教者を名乗るべきじゃないと思いますよ。
またそれか・・・。
学者と宗教者を(研究と護持とを)きっちりと分けるなら、
研究結果が教理(信仰)に沿っているか、教理(信仰)が研究結果を受け入れうるか、
誰が判断できるんだ?
「理」と「信」とは、その宗教者としての聖性の度合いを問わず、
誠実に教えに触れる者は併せ持つべき要素じゃないかい?
君に言わせれば、どの割合が宗教者でどの割合が学者なんだ?
3:7か?7:3か?1:9か?9:1か?5:5はありえないのか?
○○教徒と言われる時、そこには、学者か宗教者かの二者しかないのか?
聖書理解に通じた隣町のおじさんは、学者か?宗教者か?
フーテン氏にも訊きたい。 貴方は学者か?宗教者か?
(ちなみに、今の私はどっちつかずの宙ぶらりんだ。
この点を批判されれば、甘んじて受け入れるほかはない。)
112 :
大王:2006/12/25(月) 17:17:23 ID:McURsrGy
110 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 17:12:41 ID:31VcyO3Qさん、おもしろーーい、、
その前に、神秘の世界を語って欲しいなあ、、、
観察されてるなんていわないでえ、、、
わしはイッパイ、語っているじゃないか、、、
せいしろうwww
>>110 ゴシップや意味のない批判を恐れて避けるものは宗教者ですか?宗教者ではありませんか?
宗教者であるなら、何対何の宗教者ですか?
115 :
まい:2006/12/25(月) 17:25:45 ID:B9w5kb7t
大王さん、ひとつ質問です。
神道から、○○の影響・・と言うものを取り除いていくと、神道の根本的な考え語って、
何が残るのでしょうか?
すまん 誤爆した m(_ _)m
>>111 捨て台詞じゃなく、マジで知らない。
推測として、
共同体維持のツール/現状を受け入れる為の理由付け/
死・死後への畏怖の緩和剤/溺れそうな時の藁/
等々言えると思われるが、
(りょん的謂いになるがw)宗教の目的も、
個々人に於いて後付けされた方がいいものかもしれない・・・。
>>114 わかりません。 が、mutant 氏は、戦うべきなのかもしれません・・・。
117 :
大王:2006/12/25(月) 17:30:03 ID:McURsrGy
115のまいちゃんへの回答、
その神道には、宮崎アニメの、となりのトトロ、もののけ姫、千と千尋の神隠し、の世界観かもね、、
118 :
大王:2006/12/25(月) 17:32:37 ID:McURsrGy
ま、ふーてんさんは最大地味なキリスト教だろうね、、
アガペーまみれのフーテンさんを見てみたいのだが、、
119 :
まい:2006/12/25(月) 17:36:13 ID:B9w5kb7t
なるほど・・言葉では言い表せませんが、自分も自然と感じてきたことかもしれませんね。
温かさや、畏れなど・・体系的なことはわかりませんが、そんなものかもしれませんね。
>>114 恐れではないんですよ。
一についても説明済みです。足りないのかもしれませんが。
ただ、言葉をいくら積み上げたところで誰に何のために語るのでしょうか?
私は布教の目的も、相手を説伏しようという意志もまるでありません。
私は宗教家でも学者でもありません。
ただの信仰者であり求道者です。むしろ隠遁型の求道者タイプかもしれません。
これは常々主張してきたと思いますが。あなたは何か特定宗教・教派の宗教家を
想定しているようですが。
私は創造されたことを信じる。創造の意志を信じる。
これだけで充分信仰者ですよ。その過程で理と業を併せ持ち思念してるだけです。
ここで、強弁に自己主張することに何の意味があるのでしょう?
ただ、恣意的に私のレス内容が曲げられるならば対話にすら意味もなさず
私がここに来る理由もないのです。
まぁ、あまり真面目にやるものではないのだなとは思いました。
その意味で
>>87は言い得てるでしょう。
逃げと無駄を省くという取捨選択とは違いますよ。
相手は自分の鏡です。
大王さんには失礼しました。この場でお詫びします。
>>コンブさん
無と一は同義にしてませんよ。
だって、無のことわかってないですもんw
私の中では無はあくまで有に包含された世界なんです。
やっぱり全ての根元、元・幻・言ですね。
122 :
慈風:2006/12/25(月) 19:00:42 ID:MjRmpQJ4
ほんと、よく似てる。
いっていることは間違いはないのですよ、ミュータンさん。
ただね、反論しているときの心理を観てみたほうがいいかもしれませんよ。
>>120 すみません、そんなに悪気もないんですけどね^^;
コテハンでレスするだけでも好き勝手言われかねないのも2ちゃんだし。
大ちゃんなんかは評価好きで言い当ててたり、的外れに見えたりってしょっちゅうだしw
>>120 >私は布教の目的も、相手を説伏しようという意志もまるでありません。
>ただの信仰者であり求道者です。むしろ隠遁型の求道者タイプかもしれません。
ん?別にいいと思いますよ。隠遁は否定していませんよ。危険な路上に出て来いと言っている訳じゃありません。
マナーのあるドライバーだけが走っている道を行けば、近道かもしれませんね。頑張ってください。
創造というのは人間の分類に過ぎませんけどね。
所詮、何を採用するかにに過ぎません。
言葉を闘わせたところで何の意味もありません。
ただ、どう生きるか、何に向かって生きるのか。
信仰は生活の方向性に相関させなければただの空念、言葉遊びになってしまいます。
その意味で、言葉とは概して人を殺すものです。
>>122 言葉に自由でありたいですね。
>>123 大王さんには失礼しました。
概して年寄りは批評好きなのだと思い出しました。
>>125 価値相対に拘泥していても何も生まれません。
私は前スレから、このスレに来たときより言ってますが、創造の理を知りたい。
生命のベクトルを知りたいのです。
禅者に言わせればそれも空なのでしょうが。
そこは理論出自の前提条件が異なるので分岐するのは当然です。
私は創造の意志を定義してるのですから。
ですから理論を闘わせても何を選択するか、選択自由がある限り
ほとんど議論に意味を見いだせませんね。
ただし、定義が一致している場合は意味がありますが。
>>125 人間が採用したのでもなく意図せずともあるのが生命、創造じゃないですか?
そこに神秘を感じるか、偶然と捉えるか
どれが正解かは死なないとわからないですから賭けなわけですけどね
花は咲き、意味など問わずただ在って、美しく、人の目を楽しませて、ただ散る。。
人間は生まれ、意味を問う思考が備わっている
そこに何らかの意図を感じてもまた不思議ではないと思いますけどね…
128 :
慈風:2006/12/25(月) 20:38:05 ID:MjRmpQJ4
ミュータンさん、知りたいならば、持論を言わないほうがいいかもしれません。
>>114 単に宗教真理を追究する際いちいちチャチャ入れられてたんじゃ
話が進まないってことでしょう 恐れとは違う
批判がその内容にある場合なら同じ土俵としての討論として成り立つけど
スタンス批判されてもしょうがないって話でしょ
スタンスはそれぞれ許容した上でなお一つの命題に向かうのが討論では と思う
もちろんここは何でもありスレらしいからそうでなくても文句は言えないのもまた然りだけど
なんか、年末なのに急にスケジュールが混んで来た(^_^;)
せっかく、ゆっくり年末年始を遊んでやろうと思ってたのに・・・・・・・
しかし、みんなこんなに釣りズキだったとはシラナンダ(笑
しかも、餌もつけずに一本釣りヽ(^。^)ノつよきぃ〜
まあ、mutantさんお気を悪くしないでくださいませw
お陰で、少しつかめてきました。
>私の中では無はあくまで有に包含された世界なんです。
>やっぱり全ての根元、元・幻・言ですね。
これは、仏教というよりも老子の道教のような考え方に近いかもしれませんね。
私は、どちらかというと、なぜそのような考えなのかというよりも、
なぜそのような考えに至ったのかの方に興味があります。
多分、ムータン氏は経験からそう考えてると思いますし。
まあ、ここが釣り針がありすぎて、自由に議論できないのなら他に移してもいいですし、
私も、ちょっと、忙しくなってきたので、そんなに長くレスできそうもないですし、ボチボチいきたいです。
まあ、私は、ここでも別に構わないと思いますけどね。
結構、面白いですよ、ホント。
>>129 ほんとその通りなんですけど、まあ、それぞれの個性というのもありますからね。
そのノイズが2ちゃんのいいところでもありますしね。
宗教もそうだからこそ、宗教とも言えるわけですし。
そうでなかったら、逆に、宗教の面白さもないでしょう。
ああ、私もすっかり2ちゃん教の狂信者だ・・・・・・・・・・
132 :
慈風:2006/12/25(月) 21:02:13 ID:MjRmpQJ4
>>129 それ、ありましたねぇ。。
でも、今はなくなりましたけど。
>>81 意図的に省いたわけではないし、相手をしなければいいと
言うのもちょっと違いますね。サロメは神経が細すぎるけれど、
頭が良いし、何より勘が良い。無視出来る人ではないですよ。
>>128 あなたもそうでしょう。
言えない部分があるはずです。
私も結構言葉を選んでるんですよ。
>>133 私にとっては劇薬すぎます。
遠目に見てる分には構いませんが。
確かに私はオーソドクスなキリスト教信仰とは離れていますが、だからといって
それを口劇されるいわれはありませんし、キリスト教神学上で意見を対立させようにも
理論立てると彼女は逃げます。
そして、後ろから石を投げつけるのです。
知識はあるが知恵はありませんね。
>>129 こんばんわ
コンブ氏の提案もありますが、キリスト教ベースの創造論って結構ここでは
ローカルそうだから、私はやはり別スレが良いのですがどうでしょう?
まだ職場ですので後でレスしますね。
>>130 私がここに辿り着いたのは聖書をずっと探っていった結果です。
話せば長いですよ。
まぁ、別の機会か言葉の端端より読み取ってくださいw
136 :
慈風:2006/12/25(月) 21:26:15 ID:MjRmpQJ4
だからね、ミュータンさん、そこから何を学ぶかってことではないですか?
あなたは、ご自分が「正しい」という論理をどういう形であれ「攻撃」されたことに対して、「反撃」していませんか?
それは愛ですか?
反撃は愛でしょうか?
持論を押しつけあっているだけではないですか?
137 :
名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 21:28:01 ID:VeKDHJ2P
慈風て風邪の友達だろ厨房
>>95 あのね、気になったのは、仏教じゃなくて、「仏教を除く」の回数だからw
それと、神秘主義だけじゃ、現世にこだわるキリスト教は掴めないぞw
>>136 ごもっともです。
相手を裁くことで自分の心が貧しくなりますね。
フリーハンドでいられるように祈りますね。
では落ちます。
>>135 オーケーです。
でも、私も議論できるほどの知識があるわけではありませんからね。
その点では、ここでいろいろな角度で展開されるのは、個人的にはわかりやすいことでもあります。
まあ、でも、前に進まないほうが問題ですからね。
>>137 また、えさナシで・・・・・・・ヽ(^。^)ノ
141 :
慈風:2006/12/25(月) 21:33:49 ID:MjRmpQJ4
ミュータンさん、スレをみていれば、根拠のない叩きや批判などは山ほどあります。
それにいちいち反論しますか?
特定の意見に対して、心が止まるのはなぜか、見てみるとおもしろいですよ。
>>134 サロメだって全然オーソドクスじゃないですよ。
ともかく、あなたがサロメに攻撃されるいわれがないように、
サロメには攻撃するいわれがあるってことです。。。
>>138 それって、政治的ってこと?
私は三位一体の話が展開されたときに、いろいろキリスト教史調べたら、
結局、キリスト教の成立って、政治的な結論だったような気がしました。
だからこそ、三位一体が生まれたんじゃないかって。
ただ、宗教って、政治的じゃない要素を排除をするほうが難しい。
その点で大王ドンの認識って、バージンのようで、私にはとてもわかりやすい。
大王ドンサイコw
>>143 全体としては、キリスト教は、瞑想してる暇があったら
他人にちょっかい出せ、ですよw
>>144 それって、左の頬を打たれに行けってこと?
>>127 生命は生命や創造をどう認識しますか?
>花は咲き、意味など問わずただ在って、美しく、人の目を楽しませて、ただ散る。。
生命や創造を語らずに散っていきますね。
>そこに何らかの意図を感じてもまた不思議ではないと思いますけどね…
だれも否定していませんよ。神も創造も生命も人間の意図だと言っているんです。
意図そのものが意図です。違いますか?早く宇宙人やってこないかな・・・
>>129 意味がないならスルーすればいいじゃないですか。反論してるのは自己責任なのに話が進まないってアホかと。
ご隠居〜〜。クリスマス楽しんでないで、出ておいで〜。
宇宙は神が創った。これは自明であって否定しようがない。
>>150 んで、かわいい娘さんは誰がつくったの?
>>110 一体何をもって宗教学者と宗教者を分けるのかも引っかかるんですけれど。
俺は学者になる気は毛頭ない、という意味では、宗教者と言うことになるわけですが。
信仰のない宗教知識には結局は命がないと思いますし。ただし、必要性と好奇心から、
重箱の隅は突き回す。だから、5:5?
>>151 父なる神と、私のむすこ。
あ、父とむすこが生命をつくるのか。なるほど。
>>147 スルーの件に関しては同意ですよ、私はスルーしちゃうのが早いと思うし
ただ恐れとは違うと思ったので横槍でした
>生命は生命や創造をどう認識しますか?
生命の認識能力は種により異なると思うので一括りには言えないです
>だれも否定していませんよ。神も創造も生命も人間の意図だと言っているんです。
意図そのものが意図です。違いますか?早く宇宙人やってこないかな・・・
人間側、主観の域を脱しないのはわかってるんです
神の意図を人間が語った時点で神の意図そのものとは言えないかもだけど
(カントの言葉拝借して物自体は知り得なくても物を知るっていう感じです)
聖書の啓示とかを通して神の意図だと信じるって話です 信じることしかできないから
なんか支離滅裂になった
>>154 信じるって言ったって、少しぐらい影を見をみないと信じようがないでしょう。
言い聞かせることと信じることは違うでしょ。
まぁ、私は信じてますけどねw
>>78 罪を犯すのは人の能力。
反逆してタブーを破ってみることが、人間の成長の第一歩であり、
それは自らの自由な意思によるものであるべきでしょう。
やー仕事終わり。
帰宅前に質問です。
>>156 罪を犯すことによって人は成長するとお考えですか?
宇宙は神が創造した。
>>153 母なる大地はどこにいったの?
とりあえず、むすこは生命だとおも。
父なる神はなんだろう?
しかし、なんか荒れてるナァ〜
なんで?
>>130 遅レスですが道に近いです。
ただ、無為とはちと違いますね。
意志を知りたがってる時点でw
狂信タオイストに言わせると老子がインドにいって仏教徒に教えたとか
老子は釈尊の生まれ変わりだとかなんとか・・・
漢字は韓国で生まれたらしいし、あっちの人はよくわかりません。
「あなたがたは心のなかでなにを論じているのか」 (ルカ5−22)
>>157 人が罪を犯すことが出来るのは、自分のしていることが
悪いと自覚している時だけだから、それは成長する機会です。
>>152 返答謝謝。
ちなみに私は、きっちりした線引きはできないと考えていますし
(→1:9の学者も居れば1:9の宗教者もありうるでしょう)、
また、学者と宗教者以外にも名札の貼りようがあるのでは・・と思っています。
(その名札を、誰が貼るか?(→自分で貼るか他人が貼るか)は別にして・・・)
>>162 自覚無しに罪はありえない?
無自覚な殺人は罪ではないのでしょうか?
つまり罪は人間の観念が産み出すもの?
>>160 老荘の思想は夢物語ですからね。
ただ、その志向する過程は面白いと思ってます。
また、道って、かなり難しい概念ですからね。
でも、ムータン氏の一って、それに近い気がしています。
といっても、それでわかったとは思いませんけどね。
「おとなですから、あれに聞いてください」(ヨハネ9−23)
>>165 道って非常に抽象的だし、抽象だからこそ道なんですよね。
でも、私は時間に、あらゆるエネルギーに方向性があるように
創造にも方向性があると考えてるんです。
その方向性が創造の意志。
いろいろ調べると世の中ワンダーランド
おもろいもんです。ってコンブ氏だってまだまだ引き出しあるくせに
出し惜しみするんだよな〜w
帰宅落ち
169 :
名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 23:32:42 ID:FaI6Tmyr
>>126 >ただ、どう生きるか、何に向かって生きるのか。
>信仰は生活の方向性に相関させなければただの空念、言葉遊びになってし
>まいます。
生存(生命)そのものが自己目的だよ。何かに向かって生きているのではない。
信仰に生存を従属させるなど、本末転倒も甚だしい。それこそ言葉遊び。
> 創造の理を知りたい。
創造の理は創造主しかわからない。君は人間なのにまだ神になりたいの。
それほどの思い上がりと傲慢不遜はないよ。
宗教者は、神を信じているというよりも、自分が神に成り変りたいだけ。
その意味で、無神論者が最も敬虔な宗教者である。
なぜ、今の時代はしるしを求めるのだろう。よく言い聞かせておくが、しるしは今の時代には決して与えられない。
(マルコ8−12)
>>164 罪の自覚がなければ、悔い改めることも出来ない、と言う意味であって、
無自覚だったら罪にならないという意味じゃないですよ。
>>163 俺も、自分自身の中では線引きはないです。知識も含めて信仰。
まあ、別の名札を貼るのは、またひとつ面倒が増えるだけだと思いますがw
あなたがたは、惑わされないように気をつけなさい。多くのものがわたしの名を名のって現れ、自分がそれだとか、時がちかづいたとか、言うであろう。
(ルカ21−8)
174 :
名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 23:49:10 ID:FaI6Tmyr
>>171 「罪」とは何?誰に対して「悔い改める」?
それが「神」に対してなら、神は空想上の存在だから、罪も悔い改めも空想上
の行為。
人間界において「罪」や「悔い改め」が成立するのは、あくまで人間である
他者に対してだけ。
いい年して妄想するのは、いい加減で止めてください。
罪悪感を抱き、悔い改めるのは、あなた自身だけの問題(それはまた、精神医学
の問題でもある)。
あなたが勝手に他者を罪人視することほどの大きな「罪」はないことを、自覚
されたし。
>>172 >面倒が増えるだけ
www
けど、名札を見て(確認して)から話しかけるというのもまた
人の世の習いでもあるわけで・・・(^^;
もう少しバリエーションがあってもいいんじゃないかな・・と・・・w
医者よ、自分自身を癒せ。
(ルカ4−23)
>>155 影とは?あなたは何を信じてると?
まぁ確かに信じるというより
言い聞かせてきた感じなのは否めないかも
てか以前も貴方に言われたような… 全然信じてないねって。w
>>156 反逆するのわかっていながら後悔という言葉はしらじらしいと思いませんか??
>>171 罪の自覚のできない悔い改めの出来ない胎児や亡くなった赤ちゃんは救われませんか?
>>177 影とは神のしるし。私が信じているのは創造主たる神です、
179 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 00:00:07 ID:FaI6Tmyr
>>178 また、神になりたがる人間が一人いるな。
まだ、自分だけはまともだと思ってる奴がいるナァ〜
>>177 胎児やあかちゃんとあなたは関係あるのですか?
ただ、ニセ牧師がまた増えたのには、賛成ヽ(^。^)ノ
現在なんにいるのかは不明w
>>182 いや〜今、聖書読んでますけど、合わないですね〜。文化が全く違います。
大人になってからじゃ、無理っぽい。
184 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 00:11:52 ID:Tk192FUj
>>177 >罪の自覚のできない悔い改めの出来ない胎児や亡くなった赤ちゃんは
>救われませんか?
キリスト教のいう「罪」とは、「人間」である聖書の著者が勝手に
でっち上げただけ。従って、人間が聖書を信じれば自動的に「罪人」
となるが、信じない者には、罪など初めからありません。
胎児は赤ちゃんは、まだ聖書を読んで信じていないから、罪などなく、
従って悔い改めも救いも必要ありません。聖書を信じない者は、「罪人」
などにはなりえないのです。
>>177 >反逆するのわかっていながら後悔という言葉はしらじらしいと思いませんか??
後悔するのも、白々しいと思うのも、勝手でしょ?俺はどうでもいいけど。
>罪の自覚のできない悔い改めの出来ない胎児や亡くなった赤ちゃんは救われませんか?
>>171は
>>164の
>無自覚な殺人は罪ではないのでしょうか?
に対するレス。
あなたが原罪で何でもかんでも処理するつもりなら救われないだろうし、
そうじゃないと思うならそんなことはどうでもいいでしょう。
>>183 いえいえ、なかなかサマになってます。
なかなか、いい感じでしたので、是非、続けてほしい(^O^)/
そのうちきっと、自然に出てきますよ。
>>187 名前がたくさん出てきたので挫折w
そういえば、なんとかネームをもらうときって自分で選べるんですか?
さぁ〜て、今日も、オチノシ
明日も忙しいw
なんで、年末に集中するんだろう・・・・・・・・
これも人の心理だナァ〜
190 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 00:23:54 ID:Tk192FUj
12月10日に発行されたばかりの「乗っ取られた聖書」(秦剛平著、
京都大学学術出版会発行、定価¥1800))を読んでいるが、聖書ほ
ど「信用できない」書物は珍しいようだね。著者は、聖書は、「誤りに
よる誤りの拡大再生産の書」と言っている。まあ、聖書が「全能の神の
言葉」などではないことは、間違いない。
>>188 旧約読まずに新約読んでも何の役にも立たないよw
クリスチャンネームだったら、自分で選べる。プロテスタントだと付けないことが多いけど。
>>192 そうみたいですね。面倒だけど旧約読むかぁ〜。少しずつ。
洗礼名は今調べてますけど、聖人からとるのが多いそうですね。カインとかノアとかにしようと思ったのに。
さすがにイエスとはつけられないか。ミカエルとかにするとホストクラブみたいだなぁ。
う〜む。
194 :
慈風:2006/12/26(火) 00:52:16 ID:OPE7X081
やってますね
>>193 教会へ行く前から洗礼名ってw
ナンニチツヅクノカナ…ミッカモツカナ…
196 :
儿:2006/12/26(火) 01:10:20 ID:SXag2ZrM BE:568800184-2BP(333)
グロリア!
ちょっとしばらくコテでうざいことになるかも
P2のポップアップスペースの宣伝効果の調査も兼ねてコテでいきます
まちがいなくうざいことになるので、あらかじめ板の住人全員に謝っておきます
スマソ
>>185 どうでもいいっていう感受性は思いつかなかった そんな気もしてきた…
なんか反論する気一気に冷めた。。
お前はまた私にケチつけやがってとか神様も怒ってそうだし
ただ原罪にしろ何にしろ私が決めることじゃなくて神様だし
私がどうでもいいいとしたってしなくたって真実はあると思うから
それに合わせたかっただけ
神がいるから罪ができる。
神がいなければ罪も救いもないという意味で、無神論も強力な信仰なのだよな〜
でもなんでニーチェは発狂しちゃったんだろうね。
古来より生命への畏怖が信仰へ体現していったわけだし、この不自由さからの
解放への憧れも手伝ったんだよね。
まぁ、いずれにしても賭けなわけだが。
私は神様と一緒の方が楽しいので信仰採用w
>>78 創造はね〜
なんで神様人間を創ったんだろうね〜
なんでこんな不出来なもん創って生かしてるんだろうね〜
神様は人間が堕罪することは知ってたよ。知ってて善悪の知識の樹を植樹したんだもの。
神が堕罪させたの。
じゃ、罪ってなに?
何が罪を罪たらしめるの?
って考えていくとすこーしづつ見えてくる。。。。
そこに意思がなければイエスの十字架はマッチポンプ。
慈風さん指摘どおり全部は語れんので、こんくらいで。
自由意志の鍛錬の場としか思えない
>>171 そこらへんのイディオムがさすがオーソドクス
>>184 なんか私のレスってそんなに影薄いのかな・・・
前スレで
961 :mutant ◆ALzPjyFKI2 :2006/12/24(日) 21:48:18 ID:N1WXznOE
>>957 その通りですね。
私のちっぽけな脳みそで古来より先達達が追い求めてきたものを知ることが
できるなど到底思ってもいません。
ただ、創られた理を知りたいだけなんです。
「理も糞もあるか。ただ在るだけだ。日常をしっかり生きなさい。」
に落ち着くには人生暇すぎるw
着地点は知っていて敢えて川の流域に足を踏み入れてるんですよ。
もしかしたら何か見つかるかもって。もちろん徒労かもしれませんがね。
結構世の中おもしろいもんです。
って隠居にレスしてるんですよ。
個人的におもろいからやってるんですよ。理なんてもんがどれだけ価値があるのかも
わからないけど、ただ、リビドーに身を委ねてるだけです。
無機質な日常を死ぬまで続けるのは性にあわない。
明日死んでもいいように今日を満足して生きるですね。
創世記と黙示録の対応で
地と闇の区別⇔闇がない
地と海の区別⇔もはや海はない
太陽と月との支配⇔太陽も月もいらない
設けられた園にいる人⇔設けられた都にいる人
エデンから出ている川⇔神の御座から出ている川
地にある金⇔都にある金
園の中央にある命の木⇔都にある命の木
園を歩き回られる神⇔彼らとともに住まわれる神
エデンの園からの追放⇔都に自由に入る
約束された贖い主⇔完成された贖い
ないんだよね 黙示録には試験の実 善悪の実
それと誘惑するサタンも硫黄に投げ込まれたとなってるから
自由意志を行使する離反する機会がない
最初から黙示録の園でもよかったけど敢えて離反して自由意志の鍛錬は必要だったのね
とか思って終わってみる どうでもいいからそれで納得しちゃおう
>>201 そう。そしてその説だとキリスト教ではペラギウス異端になっちゃうパラドクスw
多数決でごり押しした神学
数は力なりw
神は人間の自由意志を尊重するが故に、救いも滅びも選択権を委ねた。
それほどに尊重される自由意志も天国ではどうなるんだろ?
自由意志がある限り、堕罪の機会は永久に付きまとうよ。
自由意志の鍛錬を深く追求すると・・・・
205 :
慈風:2006/12/26(火) 07:50:39 ID:OPE7X081
>>200 そうですか?
私はそうは思いませんが。
206 :
名無しさん@3周年 :2006/12/26(火) 07:55:10 ID:8odDCkw1
>>聖書ほ ど「信用できない」書物は珍しいようだね。著者は、聖書は、
>>「誤りによる誤りの拡大再生産の書」と言っている。
>>まあ、聖書が「全能の神の言葉」などではないことは、間違いない。(
>>190)
【聖書における神の殺人命令 】
http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/yomikata.html ↑ も、恐ろしくて読むのが困難な程・・・・・宗教は恐ろしい!神とは何?サタン?
キリスト教の聖書を、最初から全て読んで信徒になる人は少ないのでは?・・・牧師の
説教や、心に響いた箇所だけ頭に焼き付けて【聖絶】等、知らない信徒が殆どでしょう。
いつからか(キリスト教は安心で信頼が於ける宗教)というのが脳内にインプットされていた。
この【無知】を減らし、上のHP・著書等で隠れた教義・誤りを広く流布しなければいけないと思う。
キリスト教は、このように宣伝、策略、洗脳、カムフラージュに長けていて人の心理操作が非常に
上手い。超一級カルト宗教の大ボスと言ったら過言だろうか・・・・・w。危険!!( ̄□ ̄;)!!
207 :
慈風:2006/12/26(火) 07:58:35 ID:OPE7X081
>>199 根本を探求しながら、根本を否定すれば、発狂しますよ。
真面目だったのでしょう。
>>205 定義の違いでしょう。
神があらゆる支配を受けない自由な存在であるならば神は時間からも自由ですから。
209 :
慈風:2006/12/26(火) 09:16:59 ID:OPE7X081
神が制約を受けるのですか?
「もともと、制約を受けてはいないが、そう見える」のではないでしょうか。
制約は人の行為であって、それを受けるのは人ではないでしょうか。
210 :
慈風:2006/12/26(火) 09:41:26 ID:OPE7X081
「体が私である」という視点に立つと、さまざまな制約を受けるし、人は自由ではなくなります。
しかし、人の本質である、「神=思考の総体、思考する者」は、制約などありません。自由そのものであり、平和であり、愛です。
それは目に見えない存在で、姿形こそわかりませんが、確かに存在します。
さまざまな場面で、神や宗教、思想や人生観を語るとき、気を付けなければならないのは
「視覚に捉えられるものと、そうでないものは『同じステージでは論ずることは難しい』という事実」
があるのではないでしょうか。
211 :
慈風:2006/12/26(火) 09:47:41 ID:OPE7X081
同じ立ち位置で論ずるならば、共通も見いだせるかもしれません。
しかし、互いに違う立場で論ずることに意味はないでしょう。
主張は交差もしないし、平行線のまま。いつしか、「自分は正しい」と思うあまり、押しつけ合戦をやってしまう。
それは、「相手が間違っている」のではなく、「立ち位置が見えていないだけ」であって、それぞれが正しいのだと思います。
212 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 10:12:02 ID:W+gQoswO
>>202 >無機質な日常を死ぬまで続けるのは性にあわない。
>明日死んでもいいように今日を満足して生きるですね。
若し神が人間を造ったとしたら、その日常(生存)こそ、神が人間に与えた
唯一のもの。人間の究極は「生物学的生命」です。それ以外に何がありますか。
神概念も、人間の生命活動として、人間が作り上げたもの。聖書も、聖書書記
の生命があったからこそ、存在しているのです。その意味で、神とは、人間の
生命以外の何物でもありえません。
創造の理などを見出せるとしたら、それは現実の人間の中にしかありえません。
あなたが、「人間を離れた」架空の神など考えれば考えるほど、あなたは創造
の理から遠ざかっていることを自覚して欲しい。そのような人生は、根本を錯
誤した「酔生夢死」の人生であることを忘れてはなりません。若し神が人間の
生命を造ったのだとしたら、それはまさに創造主の意図とは逆行することであ
るとは思いませんか。
なお、当時の医師の診断では、ニーチェの発狂の原因は、売春婦から移された
梅毒という誠に人間的なものです。根本の追求などとは関係ない。発病前の
ニーチェの精神は、当時の誰よりも健康です。
213 :
慈風:2006/12/26(火) 10:28:43 ID:OPE7X081
そうですか。
梅毒に感染したというのも、現象の分析ですね。
神との分離などありえない。分離しているように見えるだけだと思います。
それをどう論じようが、それすら自由ではないですか?
214 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 10:28:59 ID:W+gQoswO
>>210 >「体が私である」という視点に立つと、さまざまな制約を受けるし、
>人は自由ではなくなります。
人間の思考も、他ならぬその身体から生じるものであることを忘れては
なりません。人間は、身体として共生しなければ生存できないのですから、
思考も当然制約を受けます。制約を受けない思考を、空想、妄想と言い
ます。空想や妄想は、生存共同体では意味を持ちません。
思考の正しさとは、それが身体の生存の方向に向かっているか否かに
よって判断します。それ以外には、判断の基準は皆無なのですから。
>>209 神は神によってのみ制約を受けます。
人間の存在がそれを証明します。
>>212 ニーチェ梅毒説は後年否定されています。
脳腫瘍説が有力ですよ。
まぁ、それはいいとしてご隠居ってこのスレで一番無神教の布教に熱心だよねw
ところでご隠居って将来の目標とかってあるの?
人間の苦悩を全て無神のうちに享受する覚悟もあるの?
>>198 無自覚の「原罪」について考えることは意味がないでしょう。
人間性の一部としての罪を自覚するのでなければ、原罪は効力を発揮しない。
>>201 鍛錬の結果がどう出ようとも、それも自らの意思でしょう。
私は命と死および祝福と呪いをあなたの前に置いた。
あなたは命を選ばなければならない(申命記30:19)
何を選ぶかは、人間の自由意思に任されている。
217 :
慈風:2006/12/26(火) 11:05:50 ID:OPE7X081
ミュータンさん、あなたな信頼する神は、複数いるのですか?
219 :
慈風:2006/12/26(火) 11:17:53 ID:OPE7X081
ああ、神自身ってことですね。わかりました。
しかし、それは疑問です。
>>199 結局、いままで散々皆で分析してみましたけど、
無神論も無宗教もアンチとしての立場の宗教しか形成しないんですよね。
神がいないと言うよりも、神を排斥する立場にあるのが、無神論。
現存の宗教をすべて否定して、あたらしい宗教はないと否定するのが無宗教。
まあ、それがあたらしい宗教なんですけどね・・・・・・・・
だから、ほんとうの無神論というのは、神はいるとかいないとかいう立場にない。
でも、これって、信仰持つ人ならば、常に心に抱いている意識でないでしょうか?
フーテン氏とレスを交わしていると、いつもその押し付けまいとする、中庸が伝わってきます。
ただ、それを人とのかかわりの中で、そのニュートラルの立場を保つのが難しい。
私には、ムータン氏の試みも似たものだと思ってるんですよね。
それをどちらかというと、定点観測の定点にしたいと言うところなのではないかと。
けれども、ニュートラルという定点ですので、絶対に、定点にならない。
この表現のニュアンスがとても難しい。。。。。
たとえば、ご隠居がキリスト教を否定して本能教を擁護する根本は、
今まで見てればわかりますが、現実肯定としての資本主義のビルトインスタビライザーにあります。
もちろん、資本主義に神の見えざる手があるのは、アダムスミスが分析した市場経済の方なので、
ご隠居がもっと、勉強すれば、キリスト教の産物である資本主義よりも、
市場経済を選択してもう少し、受入れられるという思いがするだけですけどね。
私も、この意見そのものには、なんの疑問もないのです。
ただ、私は、経済もその同じ論で、宗教であると思っていますので、ご隠居とは対立しますけどw
私は、ずっと主張してますけど、今は拝金主義の経済教で、
その意味では、ずっと中世は続いていると思ってます。
その経済を支えているのも、科学と言う教義であり、
その根本は古代のギリシア哲学からキリスト教へと変遷してずっと語り継がれている、
ロゴス中心主義なのだろうと。
結局、そのニュートラルの定点って、このロゴス中心主義の呪縛から逃れることだと思ってます。
その基本は、今なんとなく見えてるのが、瞑想にあるのかもしれないと。
結局、我々は自分に帰るしかないんじゃないかって気がするんですよね。
それは、ムータン氏の言う一につながる我で、
決して、単独の我ではない、いわば全宇宙と繋がってるような我。
だから、ムータン氏の言うことをもう少し、議論してみたいナァ〜と思うのですよ。
そして、それって、敬虔な信仰を持つ人ならば、決して、外れないことでもあると思うのです。
まあ、荒く書くとこんな感じなのです。。。。。
>>220 そうですね。
結局個人の信仰に帰結していくんですよね。
そして、それだからこそより一への求心が強力になるんです。
組織としての体系だった信仰というものはどうしても客観性が失われ
世俗化・マニュアル化と同時に本質とも言える神秘性が失われていくんですよね。
逆説的なんですけど。
定点の説明はさすがですw
ですから私は生涯求道者なんです。都合のいい言葉ですよねw
>>220 人が人であること、これは全ての人と共有することが出来る。
自己が自己であることは、誰とも分かち合うことは出来ない。
自己は自己にしか属さない。ただし、自己が他者の中に、相互に歩み入るときは別です。
>>222 でも、常にどことも関係しない我は意味がないのですよ。
そのネットワークを維持し続けての我が非常に難しい。
ムータン氏の言わんとするところもそこのところだろうと思ってます。
>>223 我と汝ですよね。
平易で、深いと思います。。。。。
>>221 おもしろそう。
でも、昼飯落ちっす。
後でレスします。
>>220 >>221 どちらにしても、真理の探究と、生死と人生の問題と、経済活動を混ぜるべきだとは思いませんけどね。
私は拝金主義ですが、だれもが経済を捨てる時代は今後こないと思っています。
贅沢はいけないといいますが、贅沢の基準を教えて欲しいですよ。
宗教って言うのは死後経済学が根幹で、人生哲学じゃないと思いますよ。
真理の探究だって知的興奮というサービスを受けるためでしかない。そのために対価として時間財と交換してるわけです。
人間は経済する生き物であり、根幹であるのだから、拝金(財)主義は永遠であると思います。
財の平等な分配や、自給自足や、物々交換も結局拝金主義から逃げられないんですよ。
227 :
慈風:2006/12/26(火) 12:07:41 ID:OPE7X081
思考は体なくしても、存在できます。
なぜなら、思考そのものは、「思考する者=神」が存在すれば、それでいいからです。
思考が脳に依存するという考え方は、視覚に囚われ、その先にあるものを認めていないからではないでしょうか。
では、心臓がなぜうこくかを考えたときに、「動かすという意志をもった存在」なくしては、動きません。
しかし、それを考えずに、「筋肉の収縮運動」と捉えてしまうのは、いかがかと思うのです。
>>221 結局、人間は必ず死ぬから、限られた人生を充実したいものにしたいと思って、
真理の探究やら、心の修行やら、正義感からのアンチ宗教をするわけです。
結局充実というのは限りある時間を効率よく使いたいという事にすぎません。
人生を無駄にしたくないだけなんですよ。人生がもったいないという心理は経済なんですよ。
>>226 >どちらにしても、真理の探究と、生死と人生の問題と、経済活動を混ぜるべきだとは思いませんけどね。
そうですか?
では、なぜ私達は、こんなに金に執着するのでしょう?
別に、それに意味なんかないでしょう。
それがまさしく、洗脳なんじゃないでしょうか?
今の私達の人生観では、金があるかないかは、人生を決める重要なポイントですよ。
成功哲学の根本は、拝金主義の思想があるから、説得力があるし、売れるのです。
彼らがどれだけの環境を汚染をし、生態系を破壊したのかって、論調の本はないですよね。
それは、まさに、中世そのものです。
でも、事実です。
経済そのものを否定する必要はありません。
それから、ほんの少し離れればいいだけなのです。
別に、難しいことではないと思ってます。
>>230 金も真理の探求も価値という意味では一緒なんです。
価値を追い求めるものは経済教の信者なんですよ。
押し付けはイクナイ!と言い張ることには、何の意味もないんですよ。
教育は全て押しつけだから、なんなら全部拒否したって良いんですが、
何も受け入れずに自己を形成してる人間はいない。介入されることが嫌なら、
自分の全てを否定しなくちゃ理屈に合いませんからね。
>>230 あ、経済というのは「貨幣」のことじゃなく「交換」の意味で使っています。
環境問題は貨幣を優先する勢力と、自然財の効率利用をとなえる勢力の均衡でしかありません。
234 :
慈風:2006/12/26(火) 12:28:04 ID:OPE7X081
意識して心臓を止められるか?
死があるならば、それではないでしょうか。
我々の本能として、象徴主義、フェティッシュがあるんですよ。
言葉を用いるように、貨幣を使い、神を崇める。
これは、みんな一緒の信仰だと私は思います。
そして、結局、その根本は、我と汝の問題なのかもしれないのです。
確かに、
>財の平等な分配や、自給自足や、物々交換も結局拝金主義から逃げられないんですよ。
という指摘は、現実の肯定としては、正しいでしょう。
でも、これは我々が必要なものを平等に分け与えるという意識がどこかにあれば、簡単に解決することでもあります。
それが出来ないのは、金に執着し、富を所有することは正しいという意識からだと思います。
実際、人はつい最近まで、物欲は恥ずべきことだったと思います。
別に、難しいことはないと思います。
それが出来ないのは、単なる意識の問題だと思います。
まあ、今の時代で普通にそんな価値観を所有することは、間違ってますけどねw
>>226 テスト氏の宗教観はある意味ご隠居に近いような・・・
まあ、物質世界で精神を介入させない限り数値化可能でしょうからね。
ただ、それは数値を絶対化しているにすぎず、そこに不可知、不定点の存在を
認めないだけの、あるいみご隠居に近い主張に感じますね。
我々の世界はどのようにして生まれたのでしょう?
不可知を不可知として思考からオミットしてるだけの数値教ではないでしょうか?
>>235 富の所有に奔走するものも、真理の探究をするものも一緒なんですよ。
ただ真理の探究者の方が程度は低いと思いますよ。
富みあるものは探求者を馬鹿にしたりしませんが、探求者は富を卑下しますからね。
カルトの排他的行為と一緒で、伝統宗教も富を敵にすることで結束を強めているにすぎません。
>>233 >あ、経済というのは「貨幣」のことじゃなく「交換」の意味で使っています。
もちろん同じですよ。
だれも、値札以上のお金を払わないし、値札以下の価値しかないと文句いわないですから。
回転寿司で、うまいからと、1皿一万円を払う人はいないのです。
そんなことしたから、経済が破綻しますけどね(^O^)/
>環境問題は貨幣を優先する勢力と、自然財の効率利用をとなえる勢力の均衡でしかありません。
それは、現状の企業に浸透するような政治的な手練手管でしかありません。
もちろん、生態系の維持には、人類の絶滅は無きにしも非ずですが、
どちらにせよ自滅するならば、皿まで食ってやろうというのがいまの拝金主義ですからね。
それと共存しようとするなら、現状の経済学に基づいた、環境保護が必要になることは否めません。
そもそも、アメリカが京都議定書に同意しないのは、当然の話です。
自分で自分の首を絞めるようなバカな奴を相手にしないのは当然です。
でも、それが、自分で自分の首を絞めているんですけどね。
まあ、アメリカは、宇宙に新大陸を見出そうとしてるので、どうでもいいと思ってるのでしょうけど。
それか、核戦争かな・・・・・・
>>236 私はご隠居と近いですよ。ご隠居の観察が甘すぎるのでからかっているだけです。
>我々の世界はどのようにして生まれたのでしょう?
だからあなたはそれを知ること、または考える事に価値を感じて、人生の時間を費やしているんでしょ?
違いますか?
>>237 >富の所有に奔走するものも、真理の探究をするものも一緒なんですよ。
そうですよ。
そこに、神や仏が入るだけのことです。
別に、なんの違いもないのですよ。
てすと氏の価値を神に置き換えれば、経済活動を信仰や布教に置き換えれば、
なんも矛盾はないでしょう。
価値は見出されるものです。
どこに違いがありますか?
立派な人生哲学です。
>>238 完全循環型の社会が作れると思っているんですか?
まぁ挑戦しがいはありますけど。うーん。
化石燃料があるように、人間が環境破壊したらそれを利用した次の生物が生まれるだけのような気がしますが。
ストロマトライトが二酸化炭素を環境破壊して酸素を生み出したわけですし。
>>241 >完全循環型の社会が作れると思っているんですか?
>まぁ挑戦しがいはありますけど。うーん。
まず、無理でしょう。
ただ、地球は完全に閉じた系ではありませんから、
地球全体で考えれば、エントロピーの法則はあてはまりません。
時間が解決する問題は大きいと思いますけど。
でも、いまのままでは、トンデモ系の超古代文明と同じように滅亡します。
そして、生き残ったわずかな人間が、語り継ぎ、そしてその子孫が文書に遺し・・・・・・
ご隠居の子孫かも・・・・・・・
>>221 ロゴス中心といえばそうですが、人間の本能がロゴスになっているのではないでしょうか?
ですから、定点そのものが何かの絶対に向かうでなしに紆余曲折するロゴスです。
その個人的ロゴスからの脱却は東西を問わずに主張されてきた宗教観。
そして、相対のロゴスより絶対のロゴスへ向かうとしたのが西洋ロゴスですね。
対象としてのロゴスを設定したため、絶対でありながら相対化してしまったのですが。
慈風さんの一は存在そのものが一であるということでしょう。ただ、そこに
善悪二元論は存在するのか疑問ですが。
善悪を数値化しろと言われればできませんが、一に反するものが悪で一に是するものが善
です。
一の定義ができないのですけどね。。。
だから、信仰は向かう、求道するしかできないんです。
私の一観は意志を持ちながらも不定、変位するものです。
ロゴスと凡を融合させたものでしょうかw
>>富の所有に奔走するものも、真理の探究をするものも一緒なんですよ。
方向性があるというだけで、視点は全く別物ですけどね。別に富に奔走しても
馬鹿にしませんよ。個人の選択は馬鹿にしません。ただ、我と他の存在との関係性を
追求するか、現象を追求するかだけの違いではないでしょうか?
っといいつつ、私も社会の枠組みの中で富はついて回るのですけどね・・・
>>242 そういうところが、てすと氏のスマートなところって・・・・
もしかして、単にまた、ご隠居おちょくっただけ?
まあ、私も人のことは言えないんですけど、ご隠居の粘り強さは尊敬してますm(__)m
>>244 ロゴスを否定するのもロゴスですから、これは、否定しても意味はないのですよ。
でも、
>人間の本能がロゴスになっているのではないでしょうか?
とは、私は思いません。
ラカンは無意識は言語のように構造化されているといったらしいですけど、
私には、それこそ、ロゴス中心主義だと思いますし、怪しいと思います。
我々が、ロゴスを希求すること自体が、既に、ロゴス的ではないと思います。
まあ、この辺の言い回しは、難しいですけどね。
とりあえず、静かな正月を希求して、仕事オチます(^_^;)
247 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 13:12:41 ID:W+gQoswO
>>215 >人間の苦悩を全て無神のうちに享受する覚悟もあるの?
おかしなことを言われますね。
人間の「精神的な苦悩」は、詳細に観察すると、すべてあなたの自己中心主義
から生じています。あなたの自己へのあくなき執着から離れて、家族などの
身近な他者に心を移すことにより、苦悩は軽減され、消滅します。このことの
実際的効果は絶大です。人間の生存本能から生じる共同体形成維持本能の働き
です。
宗教によって苦悩を癒そうとすることは、単なる自己欺瞞のトリックであり、
やはり自己中心主義であることには変わりなく、それでは、他者の苦悩に対す
る理解は生まれません。そして、宗教による苦悩の除去は、あなたを含む共同
体全体に対しては、何の利益ももたらしません。
人間界においては、人間の苦悩は人間である他者によってのみ癒される。宗教
による自己欺瞞では、その欺瞞に気付いたとき、さらに大きな苦悩が生じる。
この最も肝心なことに、釈迦もイエスも気付いていない。宗教が「根本的に」
誤りであるのは、それが理由です。
それから、あなたは苦悩ばかりを強調するが、苦悩があるからこそ喜びも存在
し得るのです。それが人生というものです。闇があるから光が、死があるから
生が存在し得るのです。喜びだけの、光だけの、生だけの世界を地獄と呼びま
す。事実、人間を光だけの場所に長時間おけば、必ず発狂します。
あなたが求道者なら、もっとマシな考えをすべきなのではないですか。
>>246 >>その経済を支えているのも、科学と言う教義であり、
その根本は古代のギリシア哲学からキリスト教へと変遷してずっと語り継がれている、
ロゴス中心主義なのだろうと。
経済はどのようなロゴスに向かっているのですか?
経済の土台たるロゴスを相対的個人的ロゴスとしたのですが。。。
何か相対を超えた絶対的なロゴスによるのでしょうか?
私も仕事落ちます。
>人間界においては、人間の苦悩は人間である他者によってのみ癒される。宗教 による自己欺瞞では
自己欺瞞でいやされるならいいんじゃないの?正露丸で腹痛が治るなら別にいいじゃん。高いけど・・・
250 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 13:29:33 ID:W+gQoswO
>昆布氏へ
君の言ってることはすべて陳腐でピント外れ。自分の頭で考える能力がないか
ら、すべて学者の書いた、間違いだらけの本に依存しているだけ。
「拝金教」などという陳腐な言葉を恥ずかしげも無く使うが、君は霞でも
食って生きてるのか。(生存に必要な物資の獲得手段としての)金がなければ、
君は生存できないという単純なことも判らないのか。そして、金は、社会に
対する貢献の対価だよ。人間が金を求めなければ、社会自体の維持・発展は
全く不可能になる。
経済も宗教だなどと見当外れなことを言ってるが、経済は、人間の生存の
ために不可欠な物資を得るための営み。創唱宗教は、生存とは逆行する営み。
両者は、本質的に異なる。
たまには、どの本にも書いてないことを言ったらどうか。それが出来ないの
なら、2chに書き込みなどしないでくれ。貴重なスペースを無駄にするだけ。
>>250 わっ、ご隠居が久しぶりに反応してくれたので、嬉しくて、記念カキコw
でも、ほんとにお相手出来ない・・・・・・・・・ゴメン(-_-;)
ご隠居に馬鹿にされないと、自信がなくなる今日この頃w
ご隠居依存症じゃぁヽ(^。^)ノ
今日はもうレスできないかもw
252 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 13:46:00 ID:W+gQoswO
>>223 >自己が自己であることは、誰とも分かち合うことは出来ない。
>自己は自己にしか属さない。ただし、自己が他者の中に、相互に歩み入ると
>きは別です。
あなたは、まだ、人間が独りで生存できるという錯覚に陥っているようだね。
あなたの自己が存在できるのは、他者があたたの身体を認めるからだよ。
他者があなたの認めなければ、いくら自分で「我あり」と思っても、単なる
ユーレイ。「自己が他者の中に相互に歩み入る」どころか、他者があなたの
自己の「成立要件」。
毎日の自分の生活を振り返ってみれば、先人を含む無数の他者のお陰がなけれ
ば、あなたの生存は一瞬たりとも不可能であることが、容易にわかるはす。
他者に対する感謝を忘れた人間を「忘恩の徒」と呼び、もはや人間界の成員
としての資格さえない。 「最低の人間」とも呼ぶ。
あっ、これだけレスしておきます。
>>248 >経済はどのようなロゴスに向かっているのですか?
経済は、貨幣を軸とした、財・サービスの交換のネットワークですから、向かうのは価値です。
価値を追求するのが、経済のシステムですね。
ただし、このロゴス中心主義で、なかなかシステムにあてはまらないのが、芸術だとも思います。
美の追求は、なにかしら、破壊的な要素をもちながら、秩序だってます。
まあ、これは今のところ私の頭の中では余談ですけど・・・・・・・
ご隠居が、うまく説明してくれると思う。
254 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 14:06:50 ID:W+gQoswO
>>227 心臓の動きは、いくら念じても止めることは出来ません。いくら神様に祈っても
止めることが出来ません。しかし、身体をひどく傷つければ止まります。だから
心臓の動き(生命)を支えている身体が「神」なのです。それ以外には、心臓を
動かし、止めることの出来る「神」は、どこにも存在しません。
255 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 14:15:46 ID:W+gQoswO
>>253 >経済は、貨幣を軸とした、財・サービスの交換のネットワークですから、
>向かうのは価値です。
「価値」などという内容不明な抽象語よりも、「生存のために必要な物資と
サービス」という具体的な言葉を使ったほうがよい。「価値」などという言葉
を使うのが、君が宗教と経済とを混同する原因。
人間の生存本能(生命)から「芸術」がどう導きだされるのか、どこの本にも
書いてない、君の独創的意見を出してくれ。
>>255 ん?芸術はいらないの?
生存に必要ない娯楽は?
257 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 14:37:08 ID:W+gQoswO
>>249 >自己欺瞞でいやされるならいいんじゃないの?正露丸で腹痛が治るな
>ら別にいいじゃん。高いけど・・・
「精神的苦悩」のことを言ってるのだよ。病気からの苦悩は医学で治す。
金欠からの苦悩は、もっと働くか、借金で治す。しかし、借金は宗教と
同様、一時的には治るが、返済の時には苦悩がさらに大きくなる。街金
がその典型。
「精神的苦悩」でも、病気や金欠から生じる場合も多い。その場合は、
「原因」自体を治さなければ苦悩も直らない。
宗教による病気治しは最大の弊害。医学による治療を軽視・否定する
から、病気は必ず悪化し、死にいたることもある。実例は、無数にある。
宗教でよくなったと「思って」も、検査すれば少しもよくなってはいない
ばかりか、かならず悪化している。
>>247 佛教諦観のヒューマニズムへの焼き直しでしょうかw
家族すら執着しないのですよ。
現象は須く諸行無常、有処無処、想非非想処です。
一気に家族まで引き落としたところには脱帽しましたw
ご隠居がいかに家族を愛し、隣人を愛しても、家族はご隠居を足蹴にし
隣人は陰口を叩くかもしれません。
世の中というものは不条理に満ちているものです。
それは自分自身も含めてですね。
>>253 その価値そのものが変動するものですよ。
例えば価値を目指しながら好不況に向かうのは意志に関係しません。
だからこそ、ロゴスと現象とを切り離した現象論=経済学が存在するわけですが。
古典主義経済学ではロゴスの耐用もあり得るでしょうが、それではケインジアンは
納得しないでしょう。
259 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 15:12:14 ID:W+gQoswO
>>258 >一気に家族まで引き落としたところには脱帽しましたw
「引き落とした」だってw、家族が人間の発生と存在の最重要基盤だよ。
宗教やると、そんな自明なことにさえ盲目になってしまう。
>ご隠居がいかに家族を愛し、隣人を愛しても、家族はご隠居を足蹴にし
>隣人は陰口を叩くかもしれません
そんなことは一向構わん。精神的苦悩のための他者への想いとは、「見返りを
求めない」想いである。他者からの見返りを認める想いは、宗教と同様のエゴ
に過ぎず、苦悩の解消には、却って逆効果である。見返りを求めず、他者に与
えることのみに苦悩解消の効果がある。見返りを求めない他者への想いは、
必ずいつかは相手に通じるものである。
自分の苦悩の解消もエゴだが、それを他者への想いによって解消することに
より、共同体全体が維持される。自己の生存本能から共同体維持本能が派生する
というのはそのことである。
>>慈風さん
なぜ神は人間に不自由な体を与えたのでしょう。
体がなければ現象を無視して愛を感じる必要もないのです。
神が愛ならば肉体を創造したことに矛盾を感じませんか?
肉が全ての悪因ですよ。
>>259 すごいなーご隠居
見返りを求めない愛を自力で与えていくのかー
これまた愛も相対されるし
愛が自発ならご隠居自身が神になってるのだけどね。
まぁ、がんばって
261 :
名無しさん@3周年 :2006/12/26(火) 15:59:50 ID:RBoFW3d7
262 :
慈風:2006/12/26(火) 16:01:15 ID:OPE7X081
>>260 人が体という「限界」をもつのは、自らが「無限である」ことを証明するためです。知ると言うほうが適切かもしれません。
限界を知らずに、なぜ無限がわかるのでしょう?
愛を我々は知っています。複雑になっていくあらゆる現象、精神的な変化の中にありながら、なお、「本質を失わないこと」
これを追求しているのではないでしょうか。
神は、イエスの時代から、「無限に広がろうとする意志」であり「あらゆるものを創造しうる力=思考の総体」だと認識しています。
その本質は、愛であり、生命。
神は常に我々とともにあると考えます。
263 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 16:03:46 ID:W+gQoswO
>>260 あなた方の言う、「架空の神」に対する愛や「裁きを免れるため」「自分が
天国に行くため」の愛は、愛などではありませんよ。エゴの別名です。
自発的に愛の感情が生じるのは人間だけ。だからすべての人間が「神」なの
です。人間以外の神など、どこにも存在しません。徹頭徹尾、あなた方の
「妄想」です。
>>262 なるほど。
では、その試練に振り分けはある?
例えば善悪による振り分け。
>>263 ご隠居の台詞を拝借するなら
愛はどこにあるんですか?
愛は見えない。だから愛はない。
ってなりません?
265 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 16:20:06 ID:W+gQoswO
>>260 >すごいなーご隠居
>見返りを求めない愛を自力で与えていくのか
見返りを求めない愛など、すべての人間が日々の生活の中で、無意識
の中でも実行していることですよ。誰からも教えられなくても、病気で
倒れている人を見れば、可哀そうという気持ちが湧き、救急車を呼ぶ、
線路に落ちそうになっている人に気付くと、無意識に手を差し伸べて
落下を防ごうとする。このような欲動が生じるのは何故でしょうか。
自発的に生じるものですよ。だからこそ、人間社会がこれまで維持されて
いるのです。人間にあらざる架空の神には、このような感情は生じ得ま
せん。
それが出来ないのは、むしろ、宗教観念によって人間に生来ビルトイン
されているこのような本能を破壊された宗教信者だけではありませんか。
266 :
慈風:2006/12/26(火) 16:21:57 ID:OPE7X081
試練?試練を神が与えると?
なぜそんなことをする必要がありますか?
>>265 うーん・・・なんか愛に盲目的なのね。。。
手を差し出すのは一瞬だからですよ。自分が被る苦痛が一時だから。
その病人が身よりもなく住むところもなければご隠居は引き取りますか?
心神喪失により介護が必要になったら無償の愛で看病しますか?
無償の愛で第三国の難民になにかしてやってます?
結局、人間は我が身が可愛い生き物です。
無償の愛なんて仰々しい言葉使わないでも友愛、家族愛でいいじゃないですか。
落ち
268 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 16:28:08 ID:W+gQoswO
>>264 >ご隠居の台詞を拝借するなら愛はどこにあるんですか?
>愛は見えない。だから愛はない。ってなりません?
あなた方宗教に嵌った人間は、「低能者」ですね。
愛による「行動」は、はっきり見えるではありませんか。「愛」とは
「行動」のことです。イエスやあなた方が「唱える」愛は、愛ではあり
ません。単なる自己満足・エゴにしか過ぎないのですよ。
>>266 なんのために無限を知るのですか?
有限を知らねば無限を知らないといいますが、有限にならねば無限を
知ることはできないのですか?
有限は無限に包含されるものですから、無限のままで有限を知らないということは
あり得ませんよ。
>>268 あらあら・・・
その行動が愛だとどう判断するんですか?
偽善と愛はどう区別するんですか?
271 :
慈風:2006/12/26(火) 16:34:42 ID:OPE7X081
ミュータンさん、ならばそれでいいじゃないですか。
私は議論するつもりはありません。
272 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 16:46:02 ID:W+gQoswO
>>267 あなた方宗教者と話すのは馬鹿馬鹿しくなりますね。あなたは何の
ために宗教やっているの。
やりたいと思っても、自分の力には限りがあるからやれないことも
あるでしょう。それ以上のことは「愛」などという仰々しいものでは
なく、道徳の分野です。道徳も、勿論、人間の生来的な、他者への
思いやりの感情に基づくものだが、そのもの自体ではない。もっぱら
共同体維持本能に基づくものです。それは、偽善であっても構わない。
偽善だと自覚して行う行動も、立派な「愛」です。
宗教者は、偽善という自覚がないから、愛ではないのです。キリスト教
の愛(アガペー)は、愛ではありません。完全に「道徳」の分野でしょう。
しかもその基底には、道徳を成立させるための生来的な愛さえありません。
混同しないようにご注意ください。だからキリスト教徒は、愛を唱えながら、
良心の呵責なく大量殺戮が出来るのです。
273 :
慈風:2006/12/26(火) 16:49:06 ID:OPE7X081
現象の分析など誰にでもできますね。
ご隠居がすっかり混同しちゃってるよおw
275 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 16:56:52 ID:W+gQoswO
>>270 >その行動が愛だとどう判断するんですか?
>偽善と愛はどう区別するんですか?
判断の必要などない。聖書や神の命令ではなく、自然の感情から発した
行動のみが愛です。
偽善を偽善として自覚して行う行動も愛です。宗教者にはその自覚が
ないから、愛ではないのです。
愛の唯一の根源は、人間の身体から発生する他者への思いやりという
自然の感情・本能です。宗教は、人為的な観念でその本能を変容・抑制・
破壊するから、そもそも愛が存在し得ないのです。
ふーん。
やっぱりご隠居と話ししてみたいなあ。
宗教なんて関係なく、俺が本質的に話したいところで話が出来そうな希ガス。
277 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 17:02:02 ID:W+gQoswO
>>274 イエスなどを盲信してすっかり混同しているのは、あなた方クリスチャン。
行動の根源としての愛が、人間の自然の感情・本能であることには、い
ささかの混同もないし、また混同自体が不可能です。
278 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 17:13:13 ID:W+gQoswO
>>274 イエスなどを盲信してすっかり混同しているのは、あなた方クリスチャン。
行動の根源としての愛が、人間の自然の感情・本能であることには、い
ささかの混同もないし、また混同自体が不可能です。
>>275 >愛の唯一の根源は、人間の身体から発生する他者への思いやりという
> 自然の感情・本能です。宗教は、人為的な観念でその本能を変容・抑制・
>破壊するから、そもそも愛が存在し得ないのです。
それはご隠居の人為的な観念じゃないの?
あ、ご隠居は人間じゃなかったかw
ご隠居は、宗教家はその信ずる本に書いてある通りにしなくてはならぬ
という責任感、あるいは神への畏れから行動しており、故に宗教家の
慈善行為は行動原理が愛ではないと申しているのか?
>>279 ご隠居の考え方ってやつですよねw
俺は嫌いじゃないけどw
282 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 17:39:08 ID:W+gQoswO
>>279 あなたは、病気で倒れている人を見ても、「可哀そう」と思うべきかどうかを
聖書に相談するの?クリスチャン以外は、皆可哀そうだという感情が起きる
はずだが。聖書を見ないでも起きるその自然の感情こそ、神が与えた感情では
ないの?
だから、宗教者は、神から、即ち人間から最も遠い欠陥人間なのです。
>>282 ご隠居は、病気で倒れている人を見たら、自分はクリスチャンじゃないから、
可哀想と思うべきだと考えてるの?
284 :
ふーてんさんへ、大王:2006/12/26(火) 17:42:51 ID:UTeuCBLD
138 :フーテン ◆fun4F5xTy. :2006/12/25(月) 21:29:17 ID:ypYXADGg
>>95 あのね、気になったのは、仏教じゃなくて、「仏教を除く」の回数だからw
それと、神秘主義だけじゃ、現世にこだわるキリスト教は掴めないぞw
フーテンさんは、つくづく、現在日本人的なキリスト教徒だなあ、、と思うよ。
犬ちゃんが、、仏教徒的と、言ったのは、案外、そこかもな、、
犬ちゃんは、当然、禅だから、神秘主義者ではない、浄土宗、真宗、日蓮宗、国家神道、アンチ国家神道思想、、
これらは、神秘主義的要素が、少ないんだね、、、
フーテンさんを見てて、思うのだが、日本のカルバン主義の特徴で、上記の禅を除く日本仏教の特徴なんだけども、信じるで、集約するんだな、、
聖書の福音書と使徒言行録の流れで、見れば、聖霊を受け、神の道を理解するなんだけども、、十分神秘主義で、神秘主義無ければ、ありえないように感じるわけ、、
カルバン自身でも、聖書による、神の言葉の啓示があるでしょう、、、、それは、当然聖霊によるわけけで、、
ところが、日本人のカルバンの流れは、啓示なんて、関心なさそうでしょ、、、日本キリスト教会は関心あるかもしれないが、、
おはりん。。でつ
はぁ熱が冷めたけどレスには後ほどレスしつまつ では
てかフー店さんどうでもいいならなんで私の創造の話にレスしてきたの?どうでもよくないんじゃないの?とかへ理屈いてみる あー、。ちょとsまた跡で
ただふーてんさんに言われるといい意味で冷風が入ったけど 熱を帯びてp−ちくこだわってるひつようもないのかも クーラーみたい。。w
ご隠居まとめてレス、イエスは神様は十字架に架かって人を救ってもメリットなんて
ないですから ただ純粋に人間に対する無限に注がれるアガペー愛情からでしょ 仏教では慈悲の方にあたるかな
その情動、人を愛することができる本能があるのはなぜって話はいつもすっとぼかすくせに
花は他者を愛さない けれど人間にはそうできる感情情動がそなわってる
そこ。。
286 :
ふーてんさんへ、大王:2006/12/26(火) 17:53:30 ID:UTeuCBLD
中央アジアの如来蔵の仏教思想が流入した仏教とは、一切のものに仏の性質があるという思想。
草木、石、人間、動物にある、、
と以前に書いたが、、
世界と他者への解釈を変容させる面と、
この意味は、もう一つ、他人の心理操作可能性を示しているんだな、、、
大乗経典のほとんどは神秘主義的な、わけで、、そこにある意味合いは、他者の心理操作可能性がある、、当然瞑想の完成が前提で、、
信じていない奴でも、心理操作をなしうる、、、という要素があるわけ、、
これは、、社会を本当にうまく変えれる政治家にある能力でもあるわけで、、、
神秘主義的な大乗経典を否定すし、教外別伝をいう、禅を学んだ優秀な心理操作のうまい政治家たくさんあるわけで、、
ここが、仏教を除く、と言った意味かな、、
ただし、これらの仏教は職人芸なわけで、、、
当然、その信仰する宗教によって、その個人の心理的変化と生き方の変化はどの宗教でもあるわけだが、、
287 :
ふーてんさんへ、大王:2006/12/26(火) 17:55:40 ID:UTeuCBLD
ええ、タイミング、ふーてんさん、お元気、、
フーテンさんにとって、、、刺激チックナ、文章、、どうでしょう、、
288 :
大王:2006/12/26(火) 18:10:26 ID:UTeuCBLD
知識と信仰としての宗教は、、道徳と、生きる基準かもなあ、、
神秘主義的宗教は、、、心理変化かもなあ、、
289 :
大王:2006/12/26(火) 18:13:46 ID:UTeuCBLD
アガペー、、て、、聖霊を受け、神秘主義的体験が前提のような、、気がする、、
概念でいくと、、生きる基準、道徳となる、、
これは日本の陽明学でも、起きた現象、、、
心でいけば、、、自在だったが、、、
教えを守り始めると、、道徳、生きる基準になる、、、
290 :
大王:2006/12/26(火) 18:16:06 ID:UTeuCBLD
しかし、みなさん、ご隠居さんのクリスチャンへの怨念とお付き合いが、好きな人が多いね、、
これも、愛かもね、、、、
291 :
大王:2006/12/26(火) 18:19:38 ID:UTeuCBLD
案外、アンチ宗教の方は、、概念的で、異常な強制力の持った道徳宗教のせいかもね、、
アメリカのキリスト教は、、アンチキリスト教がありえるほど、、道徳的で強制力あるかもなあ、、
メリークリスマス論争が、、、
292 :
大王:2006/12/26(火) 18:24:52 ID:UTeuCBLD
日本仏教で、概念的側面が強いのは、、やはり、、
浄土宗、真宗、日蓮宗、神道だなあ、、、
あまり神秘主義を前提とせず、教えであり、知識である、、、
293 :
大王:2006/12/26(火) 18:37:59 ID:UTeuCBLD
宗教による心理変化、道徳、生きる基準で、論争してくれないかなあ、、
これって、宗教の存在意義でもあるわけで、、、
294 :
慈風:2006/12/26(火) 19:19:04 ID:OPE7X081
宗教の存在意義??
個人の価値観でしょう?
概念主義か神秘主義かはその人が基準
宗派はあまり関係ないよなぁ
同じ禅寺の中でもいろんなやつがいるよ
296 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 20:21:13 ID:W+gQoswO
>>285 >ただ純粋に人間に対する無限に注がれるアガペー愛情からでしょ
聖書を批判的に読めば、イエスに人間全体に対する愛情など一かけらも
見当たりませんよ。口先だけのきれいごとと修辞だけで、統合失調症患者特有
の冷酷さを感じるだけ。本当の愛情があれば、宮清めも、人間を罪人視するこ
とも、「私を信じなければ裁かれる」と脅迫することも、母親マリアに対する
子にあるまじき言動も、「貧しい者は幸いである」などと富者を差別すること
も、罪の女に石を投げた者たちに体を張って抵抗せず、陰湿に「罪の意識」を
植えつけることも、そもそも愛を行動によって実行しているユダヤ教に自分の
個人的・感情的反感から反抗してキリスト教を始めることも無かったでしょう。
貧しい人々に対してさえ、本当の愛情があれば、死後の天国などで誤魔化さな
いで、生きる力を与える厳しい言葉をかけたでしょう。弱者だからと言って、
猫なで声のきれいごとで自己欺瞞させれば、彼らの生命力をさらに弱める結果
になるのは当然ではありませんか。この最後の点が、ニーチェがキリスト教を
批判する最大の理由です。
何よりも、イエスを信じた者たちが、史上そして現在も、誰よりも多くの人間
を誰よりも残虐な方法で殺してきたという事実が、イエスの人間に対する本当
の愛の欠如を如実に証明しているではありませんか。原爆を発明し、製造し、
使用した者もキリスト教徒です。マルクス主義もナチスも、明らかにキリスト
教起源です。「木は実によって知られる」。まさにイエス自身が言ったとおり
ではないですか。
世の中を見ても、本当に愛のある人間は、その言葉を絶対に口にしません。
297 :
名無しさん@3周年:2006/12/26(火) 20:22:32 ID:W+gQoswO
>>296の続き
>花は他者を愛さない けれど人間にはそうできる感情情動がそなわってる
>そこ。。
花が果たして他者を愛していないかどうかは、人間が花に成り変ってみない
限り判りません。花も、その種属をちゃんと維持しています。人間のように、
宗教で争って相手を皆殺しにしたりはしません。仏教では、草木にも仏性を
認めます。
「人間にそういう感情情動が備わっている」のは、人間の生命のみが神だから
です。宗教者が信じる人間にあらざる神には、そのような感情情動が発生する
ことは不可能です。人間が自分たちになぞらえて、人間と同様な感情があると
空想しているだけです。
298 :
名無しさん@3周年 :2006/12/26(火) 20:51:13 ID:4/Eo+jqq
【生命=神=自然】・・・・誰にも普遍で争いが無い。(*・∀・)っ∠*※*
299 :
名無しさん@3周年 :2006/12/26(火) 20:53:55 ID:4/Eo+jqq
【生命=神=自然】・・・・誰にも普遍で共通し、争いが無い。(*・∀・)っ∠*※*
素晴らしい!!
明後日比叡山に行くよー大王
301 :
名無しさん@3周年 :2006/12/26(火) 20:57:36 ID:4/Eo+jqq
世界平和は【生命=神=自然】から!! 。(*・∀・)っ∠*※*
誰にも普遍で共通し、争いが無い。(*・∀・)っ∠*※*
素晴らしい!! 。(*・∀・)っ∠*※*
自然最強だな
>>282 かわいそうと思うだけで何もしない人よりも、
なんとも思ってないけど治してくれる人の方が病人にとっては有益なのさ。
行動がともなわないかわいそうは、行動する偽善に劣るんだよ。
君は病人のために何をしたんだい? 2chでかわいそうと叫ぶだけでしょ?
俺の方がかわいそうと思っているからましだなんてよく言えたもんだ。
キリスト教の偽善の奉仕の方があなたの言葉より社会の役に立っている。
同情するなら金をやれ。
宗教の存在意義って、異議を唱えるまでもなく自然と備わってるものじゃないかな。。。
アニミズムか現代の体系だったものまで含めて。
でも、結局は完全個人責任での選択になりますね。
自分がどのフィールドに身を置くか。
それが道徳であっても、神秘であっても、単に組織の構成要素だったにしても
何を選択し、何を目指すか。
答えなんてもんはこの世じゃみつからないんだろうね。
道徳は共感を産みやすく賛同者を得やすいけど、神秘は個人的体験により、また
外観からその内容を判別することが難しいから、普通の人は警戒しますよね。
でも、神秘を失った宗教は私にとって社会的な意味しか見いだせないのだなぁ・・・
私の場合はいずれにしても独立独歩になっちゃうのだけど。
その意味でも大王さんの宗教観は私も観ずるところがあるのです。
日本のキリスト教観にしてもそうですね。
ただ、キリスト教は神秘に閉じこもりすぎて暴れ過ぎちゃったから、抑制が
効いちゃってるのかもね。
地下活動的にはあるんですけどね。
宗教は個人の内実に帰結し、魂の自立の上で他者との関係性。
地に生きていること。霊を目指すこと。
それらを結合する精神をバランスさせること。
そしてこれらは一つでも欠くことのできない三位一体の宗教要素だと思うのです。
でも、思うのはなんでここまで死後世界観形成すんのにここまで複雑怪奇に
しなくちゃいけないんだってこと。
理論なんて死んでみてから馬鹿みちゃうかもね。
やっぱ、バランスだよなぁ・・・
でも、キリスト教怨恨ご隠居のバランス欠いたデフォルメも
流し読みする分にはクスっと笑えるかも。
>>284 それを言うなら、信頼こそ何よりの神秘だけどね。聖霊によらなければ人は神と関係付けられない。
俺があんまり聖霊聖霊と言わないのは、聖霊好きに限ってこれをお化けだと思ってるからだけど。
>>296 あのねえ。。。
イエスはご隠居ほどには大洞吹いてないし、愛の大安売りもしてないぞw
>>306 宗教が神秘性で自然科学に勝てるとは思えないけど。
素直に道徳性で勝負すればいいのに。
>>309 自然科学は大衆娯楽
神秘は詰め将棋
土俵が違います。
>>204 >自由意志がある限り、堕罪の機会は永久に付きまとうよ。
なら、エデンに放っておいても離反する機会が生まれるなら、
わざわざ制約を設けなければならなかったのはなぜ?
禁止事項を設けるのはなぜ?
約束なくして破るという背くという選択は存在する?
現に禁断の実食べる以外は、何してもいいよと何でも許されてた
エデン内で神が離反とみなすことが存在しないなら?
神からなんでも許されてるなら何しても離反とはみなされないじゃ?
>>297 >花が果たして他者を愛していないかどうかは、人間が花に成り変ってみない
限り判りません。
あなた観察できる電子が存在すれば存在すると言ったよ。。
あなたの言ってた観測装置で花を測れば一発で証明されることでしょ。。
>>296 には何も言う気力ないわ。。
>>310 まぁ、自然科学の詰め将棋に参加するには、たくさんルールを覚えないといけませんからね。
大衆は瞑想の神秘ぐらいで丁度よいのでしょう。手っ取り早いですからね。私も瞑想しよっと。
>>311 脳を休めないと、つらくなりますよ。考えることって思ったほどたいした事じゃない。
>>314 初めて優しい言葉かけてくれた。w でも考えるのは嫌いじゃないから
それより入信したからにはご隠居一人くらい説伏してみてくださいね。w
私にさんざんダメ営業マン言っておいて、貴方は自信満々だったから
>>311 禁忌を創るから罪が発生し、救いが発生するんです。
これは神が意図的にしたのは自明の理。なぜならば神が全知全能で時間・空間をも
創造したのならば、初めから終わりまで在るだったなら、このストーリーそのものも
偶発的に発生するのではなく、既に「在る」んです。
ただ、上記でも書きましたが神は神によってのみ制約を受ける。
神は人間に選択自由権を与えた。そこに神が無理やりに善のみを選択するような
意思を与えなかった。つまり、善として創造できたにも関わらず、「しなかった」
そこに私は、創造の目的、意思が潜むと考えてるんです。
この創造のベクトルを見出すことで、私の人生も変わってきますね。
イエスの言葉に多くの秘密が隠されてるのでしょう。
イエスは単純に愛を指令していきました。神が愛であるからあなた方も愛であるべきだ
と主張する。つまり、愛を目指すならば、そして、救いが罪の浄化であるならば
そのとき人は神と同等=神になるんです。
ここまでは自明の理なのですが、これ以上は実地に向かいます。
神は何を意図してこの不自由な肉と魂とを創造されたのか?
私がずっと主張し、求めているものはこの創造の理です。
こんなことは教会では教えてくれませんからね。どうしても独歩(実地)
するしかなくなるんです。理知より体験知に向かう分岐ですね。
>>315 ご隠居はもう入ってますよ。
入信って言っても旧約読み始めたばかりだけどね。系譜を読むのがつらい・・。
教会は友人の結婚式で行ったことがあるだけですね。また2月にハワイの教会行ってきます。
朝起きるの苦手で、夕方ミサやってるのは近所のカトリックだけなんで、たぶんカトになります。
>>316 >禁忌を創るから罪が発生し
つまり禁止事項のない第二のエデンでは墜落の心配はないんじゃない?って話
自由意志の尊厳ゆえ、自由である範囲に神の方位とは反対の選択肢も含有せざるえなかったのはわかってるよ
>>317 いいやアンチじゃなくこっち側に入信させなきゃ話が違う…
系譜は別に読まなくてもなんて言ったらあれかな。w
でも旧約の神は怖くて苦手…
とりあえずオメでつ。
キリスト教では説伏っていうんだ。仏教も折伏といいますね。
伏せさせるというのが、あんまりいい翻訳じゃないですね。
>>318 なんでエデンでは禁止事項を創ったの?
単なる余興で?
第二エデンに禁止事項がないならば第一エデンでも禁止事項を設けなければ
よかったジャン?
キリスト教は教義全くしらないんで話についていけない〜。
とんでらハウスがとんでらら〜
ご隠居はいいんだよ。
過去に教会に傷つけられたんだろ。
ここで毒はいて元気でいてくれたらいいよ。
ただ、突っ込みどころ満載だから・・・
>>322 すんませんw
ローカルルールに則りながらも現象論交えてるんでw
>>321 …だから自由意志の鍛錬が間には必要だったて結論から
離反→鍛錬→都って 成長が必要だったって話はペギラウス異端だかかもだけど
そう言ってたでしょ? もしかして違うの?
>>319 ご隠居はつんデレなんですよ。本当は神様だいすきっ子です。
>>325 何のために自由意志の鍛錬が必要なのか?ってことだよ。
第二エデンで禁止事項なくなるなら自由意志の鍛錬の必要もないでしょ。
神が人間を完全に善として創造、つまり神の分霊ならば問題も起こりようがない。
身近な人間の事もわからないんだから、神の意図なんてわからんでしょ。
信仰を極めると神の意図がわかるの?
>>323 違うの、ただ伝道ノウハウ自信満々で私にダメだししまくりだったから
なら有言実行してみせてって話で
別にご隠居に本気で入信して欲しいとか深い意味じゃないよ。w
>>327 だから鍛錬で合格したものだけが入れるわけでしょ?
>>331 。w
でも私はご隠居の人間の性善説嫌いじゃないですけどね。
>>332 大学に合格するのが目的じゃない。
その後どう生きるかが問題なのだ。
つまり点を目指すのではなく、在り方を目指す。
そこに意思が在る。天命が在る。
>>333 ねぇ一になると思うの?
神様の意思と合一したら私が私じゃなくなっちゃうのに
私が私である意志を与えておいて個性はなんだったの?
>>334 神が意思を与えた?条件を与えただけでしょ。
>>334 自由意志はあるよ。
エデン追放するまでに尊重された自由意志がなくなるはずもない。
イエスも磔刑を逃れることができた。
でも、神意により理に従った。
ただ、目に見える現象というものは霊の世界じゃ全く別概念になってるだろ
うけどね。
あくまでも推論の範疇で結論はあるんだけど、確信が得られてないから
もっと、理と行を磨かないといけないんだ。。。
おやすみさない。
今、仕事から帰ってきたんだけど、みんなスゴ(^_^;)
まさか、レス動いてるとは思わなかった・・・・・・・
体力あるぅ〜
っつうかイエスにしてみたら、十字架まで背負ってやったのにお前らまだ足りんのかって怒ると思うよ。普通。
話が、かなり飛んでいて、戻すのもなんですが、とりあえずレスしときます。
>>258 >その価値そのものが変動するものですよ。
私は、別に変動しないものとして、あるいは把握できるものとして
経済の志向の対象を価値としたわけでもありません。
価値を追い求めるのが、経済のシステムであると解釈しただけですから。
宗教が神を追い求めて循環するように、経済は価値を追い求めて循環するという意味です。
それと、ロゴスというのは、かなり広いカテゴリーで捉えていて、言葉とそのロジックという風に解釈しています。
だから、ロゴス中心主義を批判するのは、自己矛盾になります。
したがって、経済学はロゴス中心主義の典型です。
分けのワカラン神の理を背景にして、ロジックを組み立てていますから、まあ、出たとこ勝負の宗教です。
日本銀行が有能なのは、なにもしなかったからだという、笑い話まであるぐらいです。
まあ、ほとんど事実なんですけど、それぐらい、経済学はなんかわけわからんものです。
大体、いまだに政府は好景気が続いているとか喚いているんですから。
アホかって話ですけど、まあ、それでこれ以上の不況にならないのなら、いいかという感じです。
お笑いですよ。
>古典主義経済学ではロゴスの耐用もあり得るでしょうが、それではケインジアンは
>納得しないでしょう。
正直、この前後のつながりも、この文の意味もわかりませんでした。
なんとなく判断しましたので、外れていれば、教えてください。
まあ、ご隠居にはいろいろ、レス返せるけど、繰り返しになるからいいですね。
あと、芸術に関して、私が思うことは、
美は誰とも共有せずに、独占することを目的とすることが違うかナァ〜と。
通常は交換することによって価値があるんですけど、
独占することによって、価値が生まれるし、美は見ることによって共有するから特殊だろうと。
まあ、いろいろな美があるとは思いますけど、交換せずに価値が生まれるのが、結構面白いと思いますよ。
この辺が、私の脳味噌のなにかしらをくすぐるんです。
エロティシズムとかなんとか・・・・・・・・
まあ、みなさん真面目なので、あまり具体的な話はしないことにします(-_-;)・・・・・・・・
>>340 私も、自分の仕事のスケジュールだけ考えて、怠慢していたんですけどね。
まあ、神様は見ているものでしてね。
それをやっぱり、邪魔しに来ましたヽ(^。^)ノ
人生って、これがあるから、面白くて、止められないw
>>342 芸術の追求は、交換とは無縁ですね。金を取る信仰よりも純粋に神に近づける行為だと思います。
デッサンは理性を止めてあるがままに見る行為なので瞑想に近いですね。
自分や大衆のためにと思ってものつくるよりも、神への捧げものだと思って作ったものの方が出来がいいです。
もちろんエンターテイメントの分野は別ですが。
私は、ムータン氏の自由意志って、今風に言えば、感謝の心だと思うのですよ。
アガペーも同じかナァ〜
例えば、親に感謝するもしないも、その人の自由です。
でも、親にきちんと感謝をし、自分の存在をきちんと把握できてる人は、
社会的には、それなりの人と見られます。
別に、深い意味はないんだと思うのです。
そういうことだと思うのです。
説明できるものではないと思うのです。
まあ、私は仕事上、そのようなことを説明しなければならなくなったら、宗教ぬきで説明しますけど。
感謝スレとは誰も言いませんし、感謝しなければならないってわけでもないでしょう。
それは、親に限らず、まわりの人に拡大することでしょう。
そういうことだと思いますよ。
まあ、わからない人にはあまり伝わらないとは思いますけど・・・・・・
>>344 そうですよね。
私が一番芸術で感動したのは、崖ップチに書かれた古代文字を見たときですね。
それは、絵なのか文字なのかわからない、人の形をしたものだったんですけど、その文字を書いた衝動を想像したときに、全身に電気が走ったような感覚になったのを覚えています。
たぶん、壁画でもそうなのだと思うのです。
それは、まったく、個人的な抽象だったのだと思うのです。
誰にもわからないものだったのかもしれません。
でも、なにかの衝動に駆られたのだと思うのです。
あれは、なにかの根源なんだと思うのです。
これって、なんなのでしょう・・・・・・・・・・
説明したくないし、出来ないと思うんですけど、失いたくないんですよね。
>>346 石器も完全に機能のためではなく、デザインがされているものもありますからね。
自分の所有物であることを示すということではなく、なにかの衝動があったのでしょう。
絵画や音楽というのは古代から宗教儀式に使われ、呪術的な要素が強かったようですしね。
だから、神のプロダクトデザインである人間の意味を問うのは間違っていると思うんですよ。
単純に人間は美しいと感じるだけでいいんだと思います。
あと、最後に、たぶん私が一番いいたいのは、こういうこと。
宗教も、経済もあと似たようなものもすべてそうなんですけど、結局、神や価値を追い求めていながら、一番おろそかにして、排斥するのが、その神や価値だってことなんですよ。
宗教が一番おろそかにしているのは、結局、その神なんです。
経済も、一番おろそかにしているのも、その価値なんです。
それは、システムがそうしているということです。
これは、一人で信仰している部分では大した問題にはなりません。
でも、なぜか組織で共有しようとした場合に発生します。
しかも、それが排斥されればされるほどに、より組織は強固になると言うジレンマが生じます。
それが、うざいんですよね。
それなら、個でありたい。
まあ、宗教の嫌いなところは、そんなところにもあります。
いままで、あまり言ってこなかったので、かなり突飛なことを言いますけど。
経済もそうなんですけど、まあ、仕方ないですよね。
宝くじでも当たらんかナァ〜
典型的だわwおれぇナァ〜
>>347 もう、あれは、なんて言うんでしょう・・・・・・・・・・
全身に電気が走ったでいいと思うんですよ。
言葉に出来ないし、してしまうと、陳腐になっちゃう。
再度同じ体験をする時はあります。
それは、共有する必要がない。
例えば、それが異性に対してでもいいと思うんです。
興奮して、一晩中寝れない日々が続く・・・・・・・・・・・
それでいい。
ということで、寝ますw
てすと氏つきあってくれてありがとうございます(^^♪
おやすみなさい。
351 :
慈風:2006/12/27(水) 07:18:51 ID:anB6KK0B
イエスが民衆のために処刑された??
確かにそう伝わってはいます。
しかし、私は疑問です。
そう捉えたのはイエスではない。民衆の方がそう解釈したのだと思います。
イエスは完全を求めていた。その完全になるため、自己の本質を解放せんがため、自ら死を選んだのでしょう。
彼が幸運だったのは、トドメを刺されるまえに、天候が急変したこと。
死するまえに、十字架から下ろされ、仮死状態のままだったこと。
さらに当時は、埋葬でも、火葬でもなかったこと。
これが復活の事実だとみています。
352 :
慈風:2006/12/27(水) 07:26:07 ID:anB6KK0B
彼は知っていた。「力による解放など無意味」だということに。
争えば、血が流れる。それだけでなく、それをみた人のさらなる怒りを生み、再び争うことになる」と。
それは神ではないし、愛でもない。
だからこそ、自らが十字架にかかることでそれを防ぎたかったのだと思います。
民衆のためではなく、愛ゆえに十字架を選び、自己の選択として、処刑されることを選んだのだと思います。
あくまで持論ですが。
慈風さんも解釈が好きだナァ〜
私は、聖書しらないので、単純に、復活は集合無意識みたいなもんなのかナァ〜と。
復活そのものには、みんながそう思っていたと言うことと、
それを仕掛けた人間がいるってことぐらいかナァ〜
ほんとに復活したのかもしれないしw
そのものには、あまり意味はないような気がします。
3日後に弟子たちが急変して布教を始めるようになったそうです。それが復活。ほんとかよ。
でもまぁ2000年も残ったのは事実だからなぁ。それもありか。
355 :
慈風:2006/12/27(水) 10:06:34 ID:anB6KK0B
布教しろといったのですかね?
布教しろと言ったわけじゃないと思いますけど。
あの時代って、ローマ帝国の偶像崇拝とユダヤ人の確執が大きかったから、その延長線上で、メシアがハッキリしたキリスト教というのは非常に画期的な宗教だったと思うんですよね。
ウソかホントかわからないですけど、ユダヤ教よりもわかりやすくて、病気も治し、奇跡も起きるとしたら、そんなありがたい宗教はないでしょう。
今の時代の細木や江原なんじゃないんですか?
まあ、その前に創価学会があるでしょうけど・・・・・・・・・・
大した深い意味はないンと思うんですけどね。
神は愛だw!
とかいわれたら、まあ、大概の人間は勘違いすると思うんですけど・・・・・・・・
>>348 宗教は全て不信仰で、偶像崇拝ですよ。
神の名をみだりに唱えてはならない。探し求めてはならない。神を語ってはならない。
これを守るために最も必要なのは何かと言えば、偶像です。
社会は常に偶像崇拝によって保たれている。偶像を共有することによって、
維持、継承することが出来る。像を持たないものを像で覆うことによって、確認し、記憶し、
伝承し続けることが宗教の役目であって、これは馬鹿に出来ないんですよ。
俺がサロメと共有できるものが、そこに、不思議にもあるんです。
>>311 禁止事項がなければ、破る楽しみがないから、俺的にはそれじゃアウト。
エデンの園は、そこから出ていかなければならないんだよ。
親の言うことが正しくても、それに反逆してみない子は成長しない。
>>358 そう、その不信仰を敬虔な信仰者に私は感じます。
親鸞と弟子との有名な会話もそんな場面がありましたよね。
結局、組織って、個人の信仰を受入れらるシステムになってない。
これも私の結論です。
まあ、私の結論なんで、別に他人にはどうでもいいんですけど・・・・・・
私が宗教が嫌いなのも、集団組織の矛盾に目をつむることなんですけど、まあ、これは個人的なところですかね。
もちろん、会社組織も同じです。
私自身は生存そのものが自己矛盾だと思っておりますので、自己矛盾に自己同一することは非常にシンプルな人生だと思います。
そのシンプルさは嫌いではないんですが、まあ、宗教組織にその自己矛盾を委ねるほどの信頼性は、今の私にはないですね。
まあ、フーテン氏が牧師で、たまたま近所の集いかなんかで出会ったとしたら、わからないですけどね。
もしかすると、殴り合いの喧嘩してるかもしれないしヽ(^。^)ノ
>>319 >でも旧約の神は怖くて苦手…
・・・と言うキリスト教徒が多いのが、俺には不思議なんだよなあ。。。
旧約が読めないなら新約を読むのも止めた方が良いと言い切ってみる。
俺には新約を読む方が遙かに忍耐力を必要とすることなんだがなあ。。。
>>360 >結局、組織って、個人の信仰を受入れらるシステムになってない。
組織の役割は別なところにあるんですよ。
器であって、中身ではないんです。これを忘れて、器を拒否して中身だけ追い求めると、
返って自己に引きこもる不健全な信仰になりがちです。純粋性の追求はほどほどにして
おいた方が良い。これが、カトリックの懐の深さでもありますし。
>>362 あっ、信仰じゃないですね、意志です。
組織に関しては、会社組織も私にとっては同じですから。
それを知らない人間が布教活動を積極的にやると、必ずトラブルになります。
というか、その辺は実際の企業と同じですね。
自分で読んでみて、変な書き方してるナァ〜
やっぱり、経済と宗教が同じだと一般性が薄いんだナァ〜
よくわからなんし誤解されるわ。
まあ、いいけど・・・・・
しかし、今日はみんなさすがに忙しいんだな。
さて、また、やろう。
366 :
名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 18:44:40 ID:kPToNNzX
ミサ行ってきた。
うーん、まるで葬式のようだった。
まぁカルトも困るけど、元気が無いのもちょっとね・・。
>>359 >>318 俺的アウトって。。w
始めの離反は必要、私否定してないよ?
第二のエデンでの話
禁止事項がない場合で背くという行為は存在するかって話>黙示録には試験の木ない
>>361 旧約はアブラハムに息子殺せって神への愛を試したりして殺人も良しとされるし、洪水崩壊ソドムとか裁きの神が多いから神の厳しさ感じるけど。。
>俺には新約を読む方が遙かに忍耐力を必要とすることなんだがなあ。。。
どして?
遊びすぎた。
反省wwwww
371 :
慈風:2006/12/27(水) 20:24:08 ID:Ey8stGzQ
なんだか、発言する気持ちが萎えてしまいました。
どうでもいいというか。
よって、しばし落ちます。
復帰は未定です。
>>368 フーテン氏的にはともかく、俺的にはルールっていうのは破ったら意味無いと思うよ。
帰依するっていうのはルールに従うっていうことでしょ?ブタ肉たべちゃだめなら絶対食べちゃ駄目なんだよ。
豚肉食べたら腹壊すからとか理由じゃなくて、信仰に対する誓願なんだから変えちゃだめだよ。
どんなに理不尽でも黒であっても従わないとなんの意味も無い。
2世3世は一生豚肉の味しらなくていいんだよ。試すなんてもってのほか。全く必要ない。
>>369 白人のじいさんがなんかごちゃごちゃいってた。絵に描いたような片言の日本語で、たぶん言ってる事理解してない。
パンやらぶどう酒やら出てきて面白いんだけどじいさんに霊性は全くない。ただ衣服やぶどう酒を入れる容器にはなにかある。
土産で買っていこうかと思ったけど土産物屋がなかった。
厳粛さと神々しさがただの静けさに変わっていて残念だった。
>>372 私はフーテン氏と同じで、ルールと記録は破られるためにある派。
破らないと意味ないと思う。
宗教のエロティシズムはそこにある。
って、私だとどうも違う方向に行くナァ〜
教会って、普通のところなんだね。
まあ、牧師にもよるだろうけど・・・・・・・・・・
ちょっち、茶茶入れすぎたナァ〜(^_^;)
>>373 今までルール破りまくりの人生だったんで、そういうものに憧れているのかもしれませんw
ルールを守っている奴の自信ってあるじゃないですか。
一生で一つのルールを貫いた奴ってそれだけで力を持つもんだと思いますよ。
そのルールに意味は無くてもよくて、護持したという結果が脳に作用するんだと思います。
酒飲んでキャバクラ行っている僧侶に霊性は感じないでしょ?
子供のころから護持できるっていうのは、2世3世の特権なんだから捨てたらもったいない。
376 :
まい:2006/12/27(水) 23:10:49 ID:5Z4hRpQE
正月明けまで来れません。皆様良いお年をノ
>>374 >酒飲んでキャバクラ行っている僧侶に霊性は感じないでしょ?
それはそれで、なかなかw
って、坊さんとかに霊性を感じたことがないからナァ〜
言わんとすることはわかりますよ。
ただ、タブーやルールってほんとに破るためにあるんですよね。
もちろん、破り続けることには意味はないんですけどね。
まあ、その辺のバランスなんでしょうけど。。。。。
>>376 よいお年ぃ〜ヽ(^。^)ノ
>>368 黙示録はね、当時あまりにもベストセラーだったから、散々反対されたのに
結局正典に入っちゃったの。いちいち象徴的に解釈するようなものじゃない、
何でもありのSFだと思われ。
アブラハムの物語は、自分の人生を否定される試練を通して、結末から言えば、
当時のカナンにあった人身御供の祭儀習慣の否定に繋がる。
新約は、混乱した時期に慌ただしく書かれたせいで全体として文学的な価値も旧約に比べて低いし、
宣教用のお題目ばかりだからね。重要な部分は勿論あるけれど、埋もれてしまって教会で有効利用
されていない。
ところで、当たり前な話だけど、旧約も新約も同じ神ですが何か?
神に厳しさがなかったら、愛もないよ。
・・・まあ、あなたが旧約苦手なのと反対の理由と言えば分るでしょw
俺はほとんどユダヤ教だし。。。
>>377 押し付けられたルールと、自分で立てた誓願の違いですかね。
柔軟性という援助交際のような美化した言葉を語るよりも、ストイックな奴の方が高貴だと思うんですけどね。
バランスとか中庸とかってあんまり好きな言葉じゃない。
確かに、フーテン氏にはユダヤの匂いがする(^0_0^)
きっと、ナチスを追われて、日本に逃げてきた、隠れユダヤに違いない( ̄□ ̄;)!!
小泉政権をあやつり、ドル防衛のために北朝鮮の核装備を仕掛け、靖国問題を・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・2ちゃんにハマるといつまのにかこんなシナリオが自然に・・・・・(-_-;)
ホントにフーテン氏に申し訳ないんですけど、
私の感覚って、ホントに聖書=黙示録w
やっぱり、トンデモ系の洗脳をされてるに違いない。
オーメンかなぁ〜
>>379 >押し付けられたルールと、自分で立てた誓願の違いですかね。
そうそう、それがエロいんですよ。
宗教の芸術性とエロティシズム。
この板では、追求できそうないなぁ〜
>>378 …なにそれ。。w
黙示録はSF扱い、新約はお題目って。。w 新約なくして贖いないのに大事でしょ。。
旧約だって創世記1章〜11章は怪しいとされたのに
ってユダヤ教の原罪観だったのね。。やっぱり。。そんな匂いはしてた
んで黙示がSFなら また墜落の可能性ありなの?無限ループなの?
>旧約も新約も同じ神ですが何か?
もちろん神の側面を語っただけ フーテンさんだっていろんな面あるでしょ
>・・・まあ、あなたが旧約苦手なのと反対の理由と言えば分るでしょw
愛の神がむずがゆいんだ。w 男だからかな。。
男女は関係ないんじゃない?
でも、キリスト教の愛って、日本では一般的じゃないと思う。
アガペーと隣人愛って、なんか違う。
>>384 江戸時代は愛は愛着とか執着の類で使われて
キリスト教の影響で大切とか思いとか今に近い使いになったとかで
確かに馴染みはないかも
まぁアガペーは人間には無理だと思うからじゃないかな
どうしても見返り求めてるから
>>385 なんのロマン?w
マロンに見えた。。
>>379 >押し付けられたルールと、自分で立てた誓願の違いですかね。
二世三世は前者にあたるでしょ
>>386 男は永遠の少年で、夢追い人なのさ。SFは人類を変える力がある。
時代の動きは男の夢とロマンの結晶。
聖書を書いたのも男。見果てぬ未来に人類の平和を思ってね。
日本はエロス。
ギリシャ的に近いでしょ。
基本はヘテロのフリーセックスだと思いますけどね。
江戸時代は、その文化がもっとも健全に花開いたんだと思いますけどね。
逆に、日本仏教なんて倒錯そのもの。
まあ、仏教以外はまともな気がしますけどね。
>>383 同じ物語でも、黙示録はキワモノだよ。ダニエル書もそうだけど、
正典に入れられてない他の黙示文学にはあの手のものが沢山ある。
>新約なくして贖いないのに大事でしょ。。
イエスは新約なんか知らないぞ。
>また墜落の可能性ありなの?無限ループなの?
ちょっと、終末論から頭を切り換えないとw
>>387 あら、のぞみ嬢の自演スレじゃん。
彼女がこの板にいつづけるってことは、私にはキリスト教の健全さの証なんだって思う。
まあ、よくわからない意味なんですけどね。
>>390 外国なら源氏物語なんて絶対教科書に載りませんからね。
性産業の種類が圧倒的に多いのも日本。よく考えるよなぁ・・
>>384 愛は旧約から続く愛ですよ。
これもどこまでも、「関係」なんですけどね。
>>391 >イエスは新約なんか知らないぞ。
新約なくして贖いの話を継承できないでしょって話
>ちょっと、終末論から頭を切り換えないとw
いいから教えてくらはい。w
元は自由意志で天国でまた墜落する可能性があるのか否かって話に必要だもの
>>387 よく行った私が行った教会がわかりましたね〜。さすが。
>>394 アガペーは、生きとし生けるものに対する愛でしょ。
契約と関係がないんじゃない?
私には、絶対的な一方的なストーカー的な愛と思ったのですが。。。。。。
>>395 >新約なくして贖いの話を継承できないでしょって話
ユダヤ教のメシアもキリストの再臨も未来だから同じ。
>元は自由意志で天国でまた墜落する可能性があるのか否かって話に必要だもの
はいはい天国は片道w
>>397 愛は相手の人格を認めてこれと向き合い、知ろうと努める。
博愛とは違いますね。
ぴぴぴぴ・・ご隠居レーダーに反応あり!
>>399 なんだ…やっぱないよね。。始めの楽園とは別よね。。
もしまた墜落する可能性あるなら無限ループだもの>追放→鍛錬→追放→鍛錬
>>402 公務員じゃあるまいし、壁を越えたら追放されないなんて都合のよい話を採用するの?
諸行無常ですよ。
俺が天国へ行ったら、神様にお願いしてまた追放してもらうよ。
ドラクエは何度クリアしても楽しい。
しかしユダヤ教ってよく知らない あっち系の紛争地帯を連想する…
>>403 公務員一括りに馬鹿にするのやめてください
まじめに働いてる公務員をいるのです
>>405 いやです。真面目に働いてクビになる会社員もいますから。
>>405 >公務員一括りに馬鹿にするのやめてください
>まじめに働いてる公務員をいるのです
そのとおりなんですけどね。
ほんとお気の毒としか、言いようがないんですよね、こればっかりは・・・・・・・・
そう思いますよね。
まあ、これ以上は板違いになりますね。
>>404 地獄行ったら滅び ゾンビじゃあるまいし
>>406 運も実力のうち うそ
ならクビになりたくなかったら公務員になればよかったじゃない。w
>>408 >地獄行ったら滅び
私は三日後に復活しますよ。
>ならクビになりたくなかったら公務員になればよかったじゃない。w
会社員にそう言ってあげてくださいw
>>400 それって、キリスト教の愛なのですか?
でも、基本はそういうことか・・・・・・・・
博愛と違いますしね。
そうだわ、そう。
公務員の仕事に魅力感じないけど、仕事したくなくなったら、公務員になりたいと思うナァ〜
でも、実際に公務員になったら、うつ病で自殺したくなると思う。
民間から公務員って、ほんとに大変だろうナァ〜
>>403-404 初めと終りがあって、人間は中間時代を未来に向かって進むだけ。
ヘブライ語は時制の現在形がなくて、過去と未来とその継続しかない。
そして、神の名は「在る」と訳されてるけど、これは「在るであろう」が正しい。
あっ、ごめんm(__)m
また、やっちゃった・・・・・・・・・・・・・
どうも、てすと氏と波長が合うと、毒腺が止まらなくなる・・・・・・・
>>411 私は無理ですね。一日8時間も働けませんよ〜w 金使い荒いしw
>でも、実際に公務員になったら、うつ病で自殺したくなると思う。
テスト氏よりきつい偏見発見。ww職種によりますって。w
>>415 返レスされると、また・・・・・・・・・(^^♪
公務員の友人知人はいますからね。
当然、仕事の内容は深く聞かないですけどね。
仮に聞いたとしたら・・・・・・・・・・
>>416 おもしろいなぁ こういうイメージなんだ。。w
まぁ縦社会がないだの言われてるけど そうでもない
まぁ私は公務員じゃないですけど
神は記述することが出来ないから、神。
この辺はムータン氏と一致すると思うんだけど・・・・・・
>>415 偏見じゃないですよ。私は経営者で政治にも片足突っ込んでいるから、公務員の悲惨さは良くわかるんですよ。
私も公務員ならうつになりますよ。死にむかって一直線ですからね〜。
>>417 公務員って、99%は仕事しないで、1%が猛烈に働く社員で構成されている組織。
一人の一日でも、一年でも言えると思う。
って、ほんとに止まらんぞぉ〜
やめようよぉ〜(ToT)/
よく未来を売り渡せるよな〜。別の星の人みたい。
>>412 神は「在る」でも「在るであろう」でもなんでもいいですよ。たいした問題じゃない。
時制の問題もね。器を利用する理由も使用した先にも興味はない。
そもそも、キリスト教の愛は、キリスト教信者が混乱させてるんだと思う。
でも、戦争にかけては、アメリカはキリスト教の愛を実践してるか・・・・・・・
あれ?公務員いじめすぎて怒ったかな?
私の親戚も友人も公務員多いんですけどね。
平日の昼間に遊びに誘っても嫌味になるので疎遠になりますが・・。
やっぱ金と時間があるっていいなぁ。
>>423 それがどうして、昔も今も大問題なの。
それは、「存在」信者が暴れ出せばすぐに分ることだけどねw
>>426 暴れだしてから問題にすればいいだけ。今考えることじゃない。
微積ができないまま死んでも恥じゃない。恥ずべきことは算数もできないのに微積をやることです。
>>427 問題は、出来ないと知るには能力が必要だってことw
存在を理解したから愛するのではなく、人を愛することの先に存在を問題にする事ができるのです。
>>427 金儲けとは、算数できないからといって、微積をおそれないところから始まる。
>>430 或いは、算数を知らない奴が、微積を教えること。
天国へ行くのに、能力も技術も要りません。愛したことの無い人に聖書は読めません。
2世3世は愛することを知らないだけなのです。愛だけが天国への扉を開くのです。
聖書の目的は愛を伝えることなのです。
ただいま。
>>412 興味深いのだけど、それじゃこれはどう訳されるの?
出エジプト 3:6 神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。
アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、
神を見ることを恐れて顔を覆った。
ヤハウェはアブラハムの神だった?神であるだろう?
自己の性質を示すのに現在形がないなんておかしくなると思うのだけど。
>>380 フーテン氏は結構独自解釈入ってるので、ユダヤ教とは違いますよ。
正統かと思いきや結構異端っすねw
罪を肯定してるし。どこまで本気かわからないけど。
ユダヤでもキリスト教でも罪は啓蒙されるスパイスなんてポジティブ思考
しないもの。
>>435 フーテン氏はかなり演出してますからね。。。。。
サービス精神旺盛なんですよね。
といっても、私のキリスト教の師はフーテン親分ですけど(^O^)/
全然、学んでませんけどね・・・・・・・・・・
>>425 あは。。w このまま消えればテスト氏いじめっ子認定できたのね。w
公務員へのレッテル張り乙。w
>>434 また勝手な偏見乙。w じゃぁ愛って何? 具体的に言ってみて
>>430 イスラム教は商人OKなんですけどね〜。まぁ武装商人が作った宗教だからだけど。
暴力や金儲けも肯定してるし、自分に一番あうかもしれませんね。
イベリコ豚は食べるけど。
>>437 愛は、愛することでしか説明できませんよ。誰かを愛してみてください。
>>341 それと、ロゴスというのは、かなり広いカテゴリーで捉えていて、言葉とそのロジックという風に解釈しています。
だから、ロゴス中心主義を批判するのは、自己矛盾になります。
うーん・・・いまいちよくわからないけど、それならそのロゴス中心主義って
別に経済特有でもないですよね。。。
もっと、その分野特有の性格で形容していったほうがわかりやすいかも・・・
私の解釈では古典派経済学における、自由競争により市場が必然としてよい方向に
向かっていくという政策軽視の経済論は、それこそ神の手によって絶対価値に
向かうという意味でロゴスの使用も有り得ると考えました。
需給政策により市場をコントロールすることによる経済論を展開するケイジアン
は需給サイド、供給サイドの価値変動によって市場が動くので、絶対価値というものが
ない。相対により経済が動くという点でロゴスの絶対性は失われると考えたのです。
広義の価値をロゴスとするならアリでしょうね・・・
>>437 人はレッテルを貼る生き物なのです。イエスもレッテルを貼り、貼られしてました。
レッテルにたいするレッテルを貼るのはやめましょう。
>>438 イスラム教の経済システムには結構、興味ありますよ。
そう言えば、どっかに詳しく載ってたナァ〜
金融利息は取ってはいけない。
投資は経営参加ということでオーケー。
要は不労所得を禁じてる。
細かいところをみるとどうなのか知りたいことが一杯あるナァ〜
日本の商法は、と法律がそうだけど古すぎて話しにならない。
>>442 イスラムの経済は面白いですよ。
貧乏人と金持ちの間に精神的な差がないんですよ。貧乏なのに金持ちとタメ口なんですよね〜。全く卑屈にならなくていい。
不思議だぁ。
>>438 ユダヤ教最強ですよ。
キリスト教に苛め抜かれながらも編み出した錬金術がありますから。
いかに組織宗教、しかもイデア的神概念の宗教がひどいかよくわかる。
その点は東洋のほうが理論は高度ですね。ただ、東洋はひきこもり傾向強いのが
弱点か・・・
>>444 ユダヤ商法ってバブルっぽくて怖いんですよね。それに生産しませんからね。
日本人として生まれたからには生産能力を生かしたいんですよね。
そうなると神道が最強なんですけどね・・。
>>440 >うーん・・・いまいちよくわからないけど、それならそのロゴス中心主義って
>別に経済特有でもないですよね。。。
>もっと、その分野特有の性格で形容していったほうがわかりやすいかも・・・
経済が典型って言っただけですよ。
私は、ギリシア思想から始まる西欧思想がロゴス中心主義って、言っただけです。
これは、ジャックデリタの模倣ですけどね。中身は違いますがw
>私の解釈では古典派経済学における、自由競争により市場が必然としてよい方向に
>向かっていくという政策軽視の経済論は、それこそ神の手によって絶対価値に
>向かうという意味でロゴスの使用も有り得ると考えました。
私は、そんな限定的な解釈じゃなくて、不確定な価値を追い求める財と貨幣の交換がロゴス中心主義と言う解釈です。
ロゴスの形象の部分が、モノやカネ、ロジックがそのシステム。
そういう解釈です。
>需給政策により市場をコントロールすることによる経済論を展開するケイジアン
>は需給サイド、供給サイドの価値変動によって市場が動くので、絶対価値というものが
>ない。相対により経済が動くという点でロゴスの絶対性は失われると考えたのです。
>
>広義の価値をロゴスとするならアリでしょうね・・・
ケインズの偉大さは、神の見えざる手を数学に置き換えたことと、なによりも市場のコントロールが可能なことを実証したこと。
なんせいまだに日本は行政政策はケインズでやってますから。
こんなデフレなのに・・・・・・
多分、ロゴスの解釈が私とムータン氏で違うンですね。
私は、言葉やその言葉が生み出すところの論理体系やシステムと、それが表わそうとする形而上的な意味や価値や神の存在と言う風に解釈しています。
>>445 確かに、オイルダラーだわナァ〜
一夫多妻だし・・・・・・
確かにそう考えると、一気にうざくなったなぁ〜
神道ということは、匠の心ってこと?
そうなの?
>>445 ただ、ユダヤ教錬金術って逆説的にはキリスト教が生産業をほとんど独占してしまった
から、ユダヤ人はキリスト教では忌み嫌われてる税収業、貸金業、両替業をやらざるを
得なかったんですよね。キリスト教サイドも自分たちは自ら手を汚さないで
ユダヤ人に賎業を行わせることで、利用してきたってのもあるんです。
忌み嫌われた中で、ユダヤ人は徹底して搾取されたし、それでも尚、得ていく
必要があっての錬金術なんですよね。
ある意味逆境に対する反骨精神が生み出したもので、反面キリスト教によって
鍛え上げられたというパラドクスもあるんです。
>>446 ひょえ〜未だに日銀はケインズで・・・
逆に日本人らしいというか・・・
>>439 だから愛したこと無いって前提が偏見
まぁあなたのだって愛だと思っててもそれが愛だなんて確証はどこにもないですね
ご隠居のいう妄想かも
>>441 屁理屈
>>447 工場で打ち上げパーティするときに、工作ロボットに酒を注ぐのは日本だけみたいですよ。他の国ではモノはモノ。
ケンタッキーで鶏に祈りを捧げるのは日本支社だけ。自然多神教のなせるわざ。
どんなに金を稼いでも選択肢がなければ意味が無いですからね。多様性において一神教には負けないでしょう。
日本はなんでもありだから強いんですよ。
台湾人は社長を目指しますが、日本はクリエイターを目指すらしいですよ。不思議ですね。
>>448 >税収業、貸金業、両替業
うわ〜〜。最強ですね。なんで忌み嫌われるんだろうな・・。
>>450 いえ、あなたは愛したことないですよ。自分が一番良くわかっているくせに。
>屁理屈
イエスはレッテルを貼りましたか?貼りませんでしたか?
>>391 地獄って魂の消滅でなく実際物理的にあること指す?どっち?
永遠の命に授かれない魂の消滅を意味するなら
それって一般の人の無に帰するってのと一緒で安心だよね…どっち?
>>444 >東洋はひきこもり傾向強いのが
>弱点か・・・
インドのカースト制度を是認する必要があるから仕方ないのでしょうね。
あんなに熱かったら、仕事したくないでしょう。
日本は別に真似する必要ないんですけどね。
信者はいつの間にかスードラですからね。
>>449 日銀の金融政策はマネタリズムでしょうけど、利権官僚の頭ン中は、有効需要政策。
まあ、どちらもなにもしないってことですから、変わらないですけどね。
>>450 >まぁあなたのだって愛だと思っててもそれが愛だなんて確証はどこにもないですね
だからあなたの基準でいいですよ。あなたの愛の基準にしたがって、あなたはいままで愛したことありますか?ありませんか?
>>451 >>うわ〜〜。最強ですね。なんで忌み嫌われるんだろうな・・。
簡単です。
ユダヤ人がイエスを殺したからですよ。
私が、自己の内奥に向かう信仰でなしに対象としての信仰(=イデア的神概念)を
非難する理由がここにあるんです。
現象世界でのみ判断するから、現象世界には滅法強いのですが、なにぶん内省が
弱いのでジャイアンになりがちです。
東洋はむしろ対象でなく内奥に向かっていく、或いは留まる、見つけるといった
概念が強いので、引きこもりがちですが暴発は少ないですね。
これが対象概念になると日蓮系のように暴れだしますが。
私はどちらも必要だと考えてるんです。
おやすみなさい。。。
>>451 日本は、先進国のなかで、主要産業の内で製造業の占める割合がダントツに多い。
製造業は、生産効率が非常に悪いので、先進国が製造業を抱えるのは非常に好ましくない。
でも、日本の製造業は付加価値が高いし、それを継続できれば技術の流出を防ぐことが出来る。
産業の空洞化も防げる。
まあ、現実的な話に関してはこの辺は勉強してないので、よくわからないんですけどね。
北海道は、農業しかないですから・・・・・・
ああ、忌み嫌われてるって賎業のほうか・・・
聖職者が高い地位を得てますから、金を扱う仕事ってのは汚い仕事に見られたんですね。
この概念を覆したのが、17世紀カルヴァンの天職概念です。
>>454 >>信者はいつの間にかスードラですからね。
ワロタw
本気でおやすみなさい。
行動したくないものは、行動の定義についての議論を始める。 byてすと
>>457 ああ、そうか、わたしゃイエスを殺したのはローマ人とか思ってたけど、ユダヤ人なのね。
そうですよね。
なんか、ナチスみたいな話しだナァ〜
この辺は、掘り下げれば掘り下げるほど、政治の話しだナァ〜
従って、私は嫌いではないけど、関心はなくなる。
>私が、自己の内奥に向かう信仰でなしに対象としての信仰(=イデア的神概念)を
>非難する理由がここにあるんです。
???
イデア的神概念って、二元論ってこと?
ああ、神が内在するか、外在するかということなのか・・・・・・・・・・・・
三位一体では、どうでもいいことではないのかなぁ〜
三位一体は、もともと、イデアだろうし、イデアは、一に集約するというのがネオプラトニズムだ。
これは、ムータン氏とは矛盾しないと思うのだが・・・・・
>現象世界でのみ判断するから、現象世界には滅法強いのですが、なにぶん内省が
>弱いのでジャイアンになりがちです。
内省と言うか、それを表現するロジックがないんですよ。
私はなんとなく、これは仏教の怠慢なのではないかと思ってる今日この頃です。
彼らは、漢字マニアじゃないかと思います。或いは、カタカナ遊び。
期待するだけ、ムダなんですけどね。
ああ、間違った。
一には集約しない。
これは、不可逆的だった。
一から流出するが、一への回帰はエクスタシーとして想起されるだけだ。
まあ、ムータン氏の考えとは矛盾することはないと思いますけどね。
私もエクスタシーの考え方は、これに近い。
>>460 だって、行動したくないんだから、他になにをすれと?
と公務員(笑
おやすみなさいw
>>461 いくら、サロメやフーテン氏が伝統宗教を謳ったところで、私には全く響いてこない
のはここいらへんにあるんですよね。
それこそ、行き当たりばったりで作り上げた神学そのものを否定しながらも
突き進んできた。私には力業にしか見えないのです。
それを一般には”多様性”で片すのですが、組織維持のための単なる方便にしか思えない。
絶対を謳いながら相対に存在するのですから、そこには社会的な意義しか見出せないのですね。
そのエクスタシーが絶対他者であるべきはずが、結局自分が絶対になってきたんですよ。
正直、サロメにもフーテン氏にもその傾向は見られます。
彼らの神概念は客観ではなく、願望に基づくものが多いですから。
絶対他者であることで自己同一するという絶対矛盾の自己同一がないのですね。
だから、西洋が取によって余計に閉じていくときに、東洋は捨の思想によって
むしろ開いていくのだと思うのです。
>>464 宗教に力があるのは神のおかげでなく、永く続いてきたからです。
2000年前の器は現代に生きるものにとってなにか感じるものがあるのでしょう。
樹齢なん百年の樹とかはそれだけで神が宿るのです。
人生は儚いですから、残ってきたものに畏敬の念を感じるのではないでしょうか。
私たち個人の弱点は、どんなにキリスト教の弱点を突いたあたらしい概念を発見しても、
歴史のフィルターを通せないことです。
フーテン氏やサロメ氏の役割はあくまでも継承ですから、新大陸を目指すものに響かないのは当然だと思います。
単に目的が違うだけだと思いますが。
>>465 そうですね。目的が違うんですよね。
私も言い過ぎました。
>>461 不可逆なんです。
だから、個対個、集対個の対立概念で終わってしまうんですね。
同一性がない。
東洋では逆に対立しない。これはご指摘通り引きこもってしまった結果の
惰性とも取れますね。
「一を表現した瞬間にそれは一ではなくなる。」
なのでしょう。
ですから、私はどちらも必要だと思ってるのです。
対立は動的概念。対立により客観され、意志が生まれる。
同一は静的概念。同一により真我を見いだす。
>>435 >自己の性質を示すのに現在形がないなんておかしくなると思うのだけど。
そこなんですけど。
問題は、YHWHが「在る」の未完了形(在るであろう、在ろうとする、在り続ける)だということ。
そして、出エジプト3:14の問答で、活ける神はその名を、つまり性質を、完了形で表すことに
よる偶像化を避けた。平たく言えば、「名前なんか教えてやんないよバーカ」
と、答えたんじゃないかと。
イスラエルの神、救い主よ、まことに、
あなたはご自分を隠しておられる神である(イザヤ書45:15)
>>464 批評家デビュー乙w
俺とサロメを一括りにしたらサロメが怒りますよw
まあ、あなたよりサロメの方がはるかにキリスト教からは自由だと思いますけどw
ミサは日曜日が派手だったらしい。今度もう一度いってきまふ。
>>467 言語上文法上の問題にしか感じないなぁ・・・
そもそもテトラグラマトンが示された時期にヘブル語があったかどうかも疑問だし・・・
そもそもトーラーの成立年代からしてモーセの時代から随分離れてますしね。
まぁ、解釈の仕方ですね。
私は「在る」でなくとも、神は何からも自由(神意除く)に普遍である性質から
「在る」はその性質を示していると思うのですけどね。
むしろ、フーテン氏の神観って物質的に感じるんだなぁ・・・
人間社会のルールに乗っ取っているというか・・・
批評というか感想レベルでw
>>468 若干違いますね。
私は、聖書から不自由だけど、キリスト教そのものには拘りありませんよ。
サロメは聖書に自由で、キリスト教に不自由でしょw
訂正
トーラーの成立年代→トーラーの執筆年代
年末に感じない・・・
仕事が忙しすぎだ・・・
年末に感じない・・・
毎日が日曜日だったんで。
来年は働くぞ!
私もそんな時期ありましたけど、個人的には暇すぎより多忙のほうがまだいいですw
時間がありあまるというのも張り合いなくなりませんか?
脳も体も動きがスローになる・・・
完全週休二日くらいがちょうどいいんですけどね。。。
来月まで持ち越した仕事も、休み明けまで強引に伸ばして、正月は旅行に
いてきます!
>>473 おっしゃる通り張り合いはないですね〜。緊張感が有った方が絶対いいですね。
でも社会的成功を進めていくか、宗教的成功を目指すか悩むんですよね〜。
伝統宗教じゃなくて、新しく立ち上げてもいいかと思うんですけどね。
475 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 20:18:07 ID:sCmxUchZ
テスト
476 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 20:47:22 ID:sCmxUchZ
>>400 >愛は相手の人格を認めてこれと向き合い、知ろうと努める。
>博愛とは違いますね。
いかにもプロテスタントらしい「選民思想」と「思い上がり」ですね。
「相手の人格を本当に知る」ことなど出来ません。「知った」と思っても、
それはあたな自身の、しかも宗教観に基づく解釈。あなたが相手の人格を
「悪」だと解釈すれば、相手を排斥し、挙句の果ては殺すことになる。キ
リスト教がやってきたことです。
「人格」など、本人にとっても判りません。しかも時と場合によって自由
自在に変化します。
相手の人格を、あなたが勝手に「解釈」するのは、あなたのエゴに過ぎず、
愛どころか、相手にとって侮辱ではありませんか。
そもそも、キリスト教は、あるがままの生身の人間を対象としているのでは
ないから、人間に対する洞察などなく、人間を「知る」ことなどできません。
「愛」とは、「知ること」とはむしろ対極にあるもの。相手の窮状を目の当た
りにして生じる「無条件の思いやり」という自然の感情。相手の「人格」を
勝手に分析し、解釈することではありませんよ。
相手の人格の如何に拘わらず、その「生命」に共感・共振すること。それが
「愛」です。
聖書学者秦剛平は、「プロテスタントのいやらしさ」という言葉を使っています。
477 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 21:12:14 ID:sCmxUchZ
>てすと氏へ
君は、「聖書を読み、信じる」前に、まず、現代人として、聖書が「信じる
価値のある書物」であるかを検証する必要があるのではないかな。
古代人とは異なり、現代人は、基本的に「現実性・合理性・科学性・社会性」
に基づいて生存している。何でも信じることなど、もはや許されない。
現代の聖書学の成果では、聖書ほど信用できない書物はないのである。原典
など存在しないし、ヘブライ語のテクストもギリシャ語の翻訳もそれぞれ多数
存在し、それらの写本間の食い違いは殆ど無数。一体「どの」聖書を信じるつ
もりなのかねw。
mutant氏は、「一なる神」などというが、ヘブライ語テクストを徹底的に直訳した
アキュラのギリシャ語訳では、創世記の神は複数だそうだ。このことは、旧約が
多神教の世界を背景にして生まれたことからも、合理的に肯定できること。
初めから、ユダヤ・キリスト教には「一なる神」など居なかったのだよ。さて、
どうするw。
>>474 社会的成功ってのも自分はよくわからないんですね。
やっぱり富を指標にします?
私は普通に飯食って、おやつが食べれて、寝るところがあって、働けていれば
いいからなー一応目標らしきものはあるけど、まぁ、なってもならなくても
いいやくらいの感覚でそれほど重要じゃないんですね。。。
一時、金儲けも考えたんだけど、どうもつまらない。。。
だから利潤追求型じゃなく社会貢献を第一義とした事業計画
を練ってるんです。もちろんその中で利益確保も大前提ですけどね。
それでも、妙に冷めてるのですが・・・どこか一歩引いて自身を見てるものw
現象世界に飽きがきてるのかもw
>>477 ごいんきょ〜
前スレでも書いたけど、私の信仰は一元多神主義だってば〜
そのレスに対してご隠居自身がレスしてたじゃんか・・・
別に、普通の邦訳聖書でも神は複数形で記されていますよ。
何ら問題もなく整合してるの・・・
神的世界はn次元空間だし、全ては神より出で、神に回帰し、神になるのです。
その過程の意志を知りたいのだな。。。
479 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 21:40:15 ID:sCmxUchZ
>>478 >前スレでも書いたけど、私の信仰は一元多神主義だってば〜
その「一元」が存在しないのだよw。以前に書いた古代人の素朴だが合理的
な感情のとおり、神は、個物や自然現象ごとに全くばらばら。良い神もいるし、
ろくでもない神、憎むべき神もいる。まさに、本居宣長の「かみの定義」の
世界。
>別に、普通の邦訳聖書でも神は複数形で記されていますよ。
>何ら問題もなく整合してるの・・・
キリスト教は、その複数形を「威厳の複数」「熟慮の複数」などと愚にもつか
ない コジツケをして、無理やり「整合させている」だけ。原文どおり複数に
すると、キリスト教が音を立てて崩壊するからです。
>>477 信じる(わざと受け入れる)かどうかはともかく、これだけ読んでいる人口が多いのだから一般教養として目を通してもいいでしょう。
現代人として読んでないのは恥ずかしいと思いますよ。
クルアーンも読みますよ。あまり時間がかかるようなら、有名な箇所だけ読みますが。
どの言語を読むのかといわれれば、とりあえず英語でしょうね。クルアーンはともかく、聖書は原典である必要はないでしょう。
それに宗教なんだから信用とか合理性なんてどうでもいいと思いますが。
>>478 富は国家の信用の裏づけだから、指標にはならないでしょう。
社会的成功というのは、社会が自分を見たときの評価ですから、成功を目指すというのは大なり小なり歴史に名を残すという事ではないでしょうか。
個人の満足を優先するか、社会からの賞賛を優先するかですね。
482 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 22:03:46 ID:sCmxUchZ
>>480 聖書には恐ろしい洗脳力があるから、そのように初めから有難がらないで、
十分な批判力と知性を以って読むべき。聖書の要素を取り入れた他の宗教も、
特に嵌り込みが深い。一度洗脳されると、一生完全な離脱は不可能で、取り
返しのつかないことになる。
尤も、君は既に洗脳されてしまって、手遅れなようだがw。
483 :
天ノ川 創:2006/12/28(木) 22:06:23 ID:KfG665iT
アマテラス降臨!
三次元のχいっつEND
>>479 >>一元はないのだよw
ってのは相変わらずご隠居の信仰なわけだけど
後段はらしくもなく鋭いですねw
確かに、ユダヤ教、キリスト教と旧約を聖典とする一神教は、この箇所を誤記
と読みたがりますね。もしくは三位一体へのこじつけ。
ただ、三位一体も私は三を象徴数とすることで正解を映すと思ってます。
つまり神の同一性を失った対象概念のみの神観故に犯す誤りなんですね。
ご隠居指摘通り、キリスト教は大前提たるロジックの初期定義を見誤ったまま
神学を積み上げてしまってきたと思っています。。。
ただ、誤解されたくないのは、私はキリスト教そのものには芸術的価値以外はほとんど
価値を見いだしていませんが、聖書そのものには多くの智慧の実が詰まってると
思っています。
ご隠居にとっては単なる呪いの書かもしれませんが。。。
>>481 うーん。。。
隠遁型の求道者にはスケールでかすぎる話・・・
基本的にオタク気質なんだろうな〜w
485 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 22:12:13 ID:sCmxUchZ
>>480 >それに宗教なんだから信用とか合理性なんてどうでもいいと思いますが。
それは古代人の話。しかし、古代人であっても、その当時なりの、精一杯の
合理性はあったと思うよ。
君は、何時まで未開人のままでいたいのw。
ご隠居のほうがよほどカルトの素質あるよ・・・
以前、カルト系キリスト教に嵌った反動でしょ?
このルサンチマンはw
>>470 神が普遍だったらむしろ自由じゃないと思いますよ。
その為の辻褄合わせに縛られますからね。
>>482 批判?共通言語として読むのに必要ないでしょう。
なんで桃太郎の批判をしないといけないのかが理解できません。
>君は既に洗脳されてしまって
ご隠居がいなきゃ聖書読んだりミサ行ったりなんて絶対なかったよ。あなた自分で伝道してることに気づいてないの?
>>485 合理的な人間より、畏敬の念を持っている未開人の共同体の方が安全です。
>>487 だから(神意除く)と書いたのです。
神は神の計画にのみ不自由ですよ。
もしも自由が放縦ならば、それこそロゴスは失われます。
全てが相対され、善悪混合の世界、すなわち神は消滅するか神即物になるでしょう。
逆に普遍でなければ、神が存在しない次元が生まれることになる。
神意の介入しない次元は別の創造源があることになり、多元になりますよ。
創造は∞に収縮していくので結局一になるんです。
そうでなければ、多元は発散または循環論になっていきますね。
そこには創造の絶対意志、理は存在せず、相対の世界のみになります。
490 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 22:27:21 ID:sCmxUchZ
>>486 人間が人間の生命とそれを支える自然とに最大の価値を認めることは、
いかなる意味でも宗教ではない。人間として当たり前のこと。宗教者以
外の生活者は、皆それを基盤として生存している。宗教者だけが異常
なのです。
私のどこがキリスト教?クリスチャンとは、「イエスの言動を絶対に
批判できない者」のことだよ。このスレのクリコテは、教会や人間と
しての信者は批判できても、イエスは誰一人批判できないではないか。
醜態だよ。
キリスト教は、50年前の学生時代に、教会の「無料英会話教室」に
2、3度行っただけ。元総理の小渕さんも一緒だったな。生真面目な
学生で、英語はヘタだった。
>>490 げげぇー!!!(劇画調に。ex 恐怖新聞)
ご隠居って齢にして70のおじいちゃんなの???
しかも群馬県民!
大変失礼しました。。。
ってか、70にしてこのルサンチマン。
こちらのほうが驚きです。
正月は草津でしょうか?
492 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 22:38:34 ID:sCmxUchZ
>>488 >ご隠居がいなきゃ聖書読んだりミサ行ったりなんて絶対なかったよ。
>あなた自分で伝道してることに気づいてないの?
人のせいにするなよw。君は最初からクリスチャン。私がとっくに見抜いた
とおり。
>>490 だって、イエスが何言ったか知らないもん。批判しようがないじゃん。
495 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 22:53:04 ID:sCmxUchZ
>>494 昭和天皇は、キリスト教に起源する大正民主主義の影響を受けていたのが、
最大の問題。彼が民主主義者ではなく暴君だったら、戦争は止めることが
出来ただろう。
>>495 昭和天皇自身は戦争には消極的だったし、陸軍の威圧と、外威との軋轢に
中に入ることはできなかったでしょ。
天皇一人で止められるほどの戦争じゃなかったですよ。。。
やるならハルノートを全面的に受領した上で、無抵抗主義に徹するしか
なかったですよ。
ペリー来航以来、勝ち取ってきた日本の地位を捨てることは世論が許さなかったでしょう。。。
あれは如何ともしがたい戦争だったと思います。
時代の大きなうねりでしたね。
497 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 23:06:28 ID:sCmxUchZ
>>496 >あれは如何ともしがたい戦争だったと思います。
>時代の大きなうねりでしたね。
そんなことではなく、キリスト教の世界侵略の一環に過ぎない。
日本は戦争を「やらされた」のである。
日本はキリスト教国の「武力」に破れたのであり、「道徳」で破れた
のではない。それなのに「日本が悪かった」と、クリスチャンよろしく
ひたすら罪悪感、自責感にひたる日本人がいるのは驚き。彼らは武力の
賛美者なのか。
>>489 神と向かい合っていなければ、神は簡単に消滅してしまいますよ。
神の否定は、これには当りませんが。
499 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 23:11:20 ID:sCmxUchZ
>>498 神などどこにも存在しないよ。自爆テロリストたちと同じ妄想は、
いい加減で止めてね。
>>497 国防なんだから武力で守れなきゃ意味無いじゃん。
核落とされても天皇家途絶えても本土決戦でしょ。俺うまれてないと思うけど。
>>497 その戦争観には異論ありません。
罪悪感、自責観はGHQ発のWAR GUILD INFORMATION説がありますね。
もともと、礼節と恥を知る文化なので、GHQの洗脳は見事に嵌ったのでしょう。
ってか、ご隠居ってもろその年代じゃないですか!
ご隠居は戦争体験者?
>>498 それが私のいう対象概念としての神観なのです。
向かい合っていなくとも、既にこれまでも、これからも神の内にある
同一の神概念です。
本来創造された自己に回帰することにより神との合一を果たすことが、東洋的
神観ですが、創造が一ならば、全てが内包されていると言う意味でこれは真だと思います。
ただ、そこに私は創造の意志を認めています。神意ですね。
これは対象の神観です。
おおざっぱに言って内包されながらも方向性を持って神に向かって生きることが人間創造の目的
だと思うのです。
502 :
名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 23:19:09 ID:sCmxUchZ
>>500 人間なら、イエスの信じる者たちの残酷さには太刀打ちできないのが
むしろ当然。イエスのお陰で、彼らは人間ではなくなっているのだから。
>>502 だったら全滅すれまで戦えばいいのに。早期講和が無理なら仕方ないよね。
>>502 ご隠居
一つ言うと、当時よりこれまでも聖書は誤解され続けています。
東洋の宗教観、同一性を理解しなければイエスの言葉はわからないのです。
戦争好きはラテン系の性格でしょう。
イエスの言葉は全く別に意図されています。
では、落ちます。
>>501 それがね、なんだか空虚に聞こえるんですよ。
エデンの園に再び潜り込もうとしているような。。。
私達は、自分の中にないものは、知覚することすら出来ない。
従って、それを問題にすること自体がむなしい。
我々が神と認識することは、神が既に中にいるから。
ご隠居が神を否定できるのは、ご隠居に神がいるから。
ということである。
そう考えれば、神が外在するという意味がわからない。
でも、イデア論においては、一なるものはあきらかに外在している。
そして、その一なるものから流出した様々なイデアに投影されて、結局、それを認識することになる。
でも、そこから流出したイデアから一を理性で認識するには、強い信仰により、その信仰によって、一なる存在へ回帰する。
外在か内在か?
そんなに問題するに問題なの?
それはね、たとえば同じものでも真善美の3つの側面があるが如しなのですよ。
今日、だれも近づきたがらない、宗教コーナーで、人間革命とか、霊界物語とか立ち読みしてきたけど、あれの読み方がよくわからなかった・・・・・
あと、日記調なるものもあったナァ〜
そう考えると、聖書って、様々な言語から、かなりの長い時間読まれ続けてきたのだから、それはそれで、読むに耐え得る内容ということになるのだろう。
オモロw
>>507 あなたは、自分にないものを認識することは出来ませんよ。
それが、イデア論。
一なるものを
内側から内側に向かって眺めると真
外側から内側に向かって解釈すると善
>>510 一なるものは、不可逆的。
我々は、単に一なるものの影を見ているにしか過ぎない。
その影なるものから一なるものを想起する以外に見ることは出来ない。
神が内在とか外在とか、関係あるだろうか?
あると認識したら、それで終わり。
善悪などない。
ああ、ねむくなった。
オチます(^^♪
その影が真善美だね。
神の外在内在は関係ないかな。パラドックスでしか語れないのが神だけど、パラドクスで語ることに意味もなし
神は根本原因であり始まりだから、内在も外在もないのでは。神は神でしかない。
善悪も真理も美醜も当然にないのだけどね。
517 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 01:31:10 ID:aOBKEBX1
>>503 イエスの狂気によって生存本能が破壊されていない限り、人間は全滅する
まで戦うことはしないのです。
主戦論者の強い圧力にも拘わらず終戦を決定した昭和天皇の御前会議の場面
は、世界史の中でも最も感動的な場面です。
日本がキリスト教国であれば、全滅するまで戦い、我々は現在この世には生存
してはいなかったでしょう。
鎖国までしてキリスト教の侵入を防いだ先人の賢明さ、知恵、そして勇気に、
すべての日本人は感謝すべきだと思う。
>>506 例の如く、意味不明の文章。
善も美もないよ。アメーバが夕日をみて美を感じるわけもなく。
あー、トートロジーでも語れるか。でも意味もなし
>>517 国体の護持と引き換えに臣民の誇りを売り渡したのさ。
日本はキリスト教国の犬になりさがった。
夕日を見て美しいと感じる我はいるけどね
まったく、キリスト教は最高ですね。
真善美は人の影であり、神の影ではない。
神の影でもあり人の陰でもある
神も人ではなく「影」だけが少しだけリアル
526 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 01:46:07 ID:aOBKEBX1
>>520 「臣民の誇り」とは、臣民の生命のことだよ。昭和天皇には、それが
判っていた。
生命を守るためには、キリスト教国の犬になってもちっとも構わない。
生命のほうが、キリスト教の神などより段違いに神聖なものであるから
だ。
日本人は、キリスト教の殉教者のように愚かでもなく、狂ってもいな
かった。
神の性質を決めるのは人だよん
うふふふふ
キリスト教徒のように狂えるって素敵やん
>>526 >生命を守るためには、キリスト教国の犬になってもちっとも構わない。
じゃあキリスト教批判やめれば? 日本人の命が危険にさらされるよ。
生命が大事なんでしょ?
530 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 01:51:08 ID:aOBKEBX1
>>528 狂ってるのが素敵なら、さっさと精神病院に入院して、ここには出て
来るな。
>>527 初人がどのように神の性質を決めたのでしょうか?
>>463 だから公務員をダシにしないでください
あなたは昆布のダシでも取っててください。。w
>>452>>456 あなたの基準と私の基準が違うならそれは愛とはお互い認めないだろうから
言ってもしょうがないじゃない
>>479 確かにヘブル語のエローヒムのイム(im)は確かに複数を示す語尾だけど
だったらシャーマイムも複数形だし、天を天々にするの?w しないでしょ。。
創世記のは多神と解釈するのでなく神は一だけど一位格以上の存在と訳したり
詩編とかは異教の神々と訳したり文脈によりだね。。
失礼。人がどのように神の性質を決めたのでしょうか?
534 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 01:54:47 ID:aOBKEBX1
>>529 >日本人の命が危険にさらされるよ。
それが、クリスチャン特有の脅迫。日本人は、右の頬を打たれれば
左の頬を差し出すような愚かなことはしないよ。
>>532 はぁ?認めるに決まってるでしょ。
あなたの愛の基準にしたがって、あなたは人を愛したことがありますか?ありませんか?
言ってもしょうがないじゃなくて、愛したことがないから言えないのでは?
>>536 人を愛したことあるの?ないの?
教えてクリスチャン。
>>537 え?俺ですか?
愛というのではないけれど、私は抱かれてみたかった
質問が飛び火。ww やった。w
懺悔の値打ちもない
懺悔の値打ちもない
歌 北原ミレイ(S45)
あれは二月の 寒い夜
やっと十四に なった頃
窓にちらちら 雪が降り
部屋はひえびえ 暗かった
愛というのじゃ ないけれど
私は抱かれて みたかった
そんなネタわかりませんよ!w
愛というのじゃ ないけれど
人間の身体の重みというのは、寒い冬にはとても心地よい
愛といっても良いんだろうけどね。
まあ、猫でもコタツでもいいか。
ぬくもり。。
女はなぜか足が冷たいけどね。不思議だ・・。
ぬくもりだなぁ
>>506 自力では自己自身について部分的にしか知ることは出来ないから、
自己の知性に頼って神を知ろうとするのには限界がある。
過去の経験内の他者は自己の一部だから、活ける神ではない。
自分が待ち望み、思い描いていた通りの神を見ることが
出来るのは何の不思議もないことだから、これらは全て退けなければならない。
思いもかけない、選びようもない仕方で神は現れる。
経験されてしまったことはもはや神ではなく自己の一部である。
人間が神を語るときは、神の後ろ姿を追っかけてるだけなんですよ。
現在形で語ることは、意味をなさない。
布団の中で冷えた足を挟んでおくれとせがむ女のこ
なぜ冷える
語られる神はただの記憶である。
>>551 せがむだけいいですよ。いきなりだと心臓が麻痺する。
>>530 そんな言い方はないんじゃない。。?
理性の最後の一歩は、理性を超えるものが無限にあることを認めることにあるとパスカルも言うわけで 信仰が理性的でないかと言えばそうでなく物理や数学やっててもその先に神秘感じたりするし、哲学者には数学物理学者多いですし
ただ観念の世界だけで生きてるのではないのよ
ご隠居は美しい花をめぐって人が争ってるのを
花がすべて悪いって言うけど
花に罪はないのに。。
しかもご隠居にとっては幻の花なのに。。>架空の神
狂ってるのはどっちよ。。
狂ってるのはどっちよ。。
狂い方が魅力的ならそれでいいじゃん。
狂ったほうが幸せだったりして。
ご隠居の狂い方は魅力的だなぁ
まぁどうでもいいや…
>>557 な・・なんということを・・クリスチャンにあるまじき発言・・。ご隠居は真面目なだけで狂っていませんよ。
そしてこうして 暗い夜
年も忘れた 今日のこと
街にゆらゆら 灯りつき
みんな祈りを するときに
ざんげの値打ちも ないけれど
私は話して みたかった
ねよっと。ご隠居の人気に嫉妬しながら。
>>561 ノシ
ご隠居は本当に人気者だからなぁ。
てかフーテン氏が答えてくれない
地獄って魂の消滅なのか物理的に存在するのか
>>563 まともだとか、まともじゃないとかって判断するのは意味無いよ。みんな狂っているし、みんな正常。
アダムエバにも悔い改めのチャンスはあった
神は背いたことを知り尋ねた、知ってて 敢えて
それは神の与えた悔い改めのチャンスだった
もしルール破った時点で即追放なら聞く必要もないのです 神は
そこでアダムはエバを非難し、エバは蛇を非難し、悔い改めでなく、言い訳をしたんですよね
罪の意識は持ったものの真の悔い改めには至らなかったんですよね
だから義によって追放される
人間弱いから過ちの一つや二つ犯す その肉の弱さを承知だった神は
>>566 地獄の答えと愛するは関係ないでしょ。w
>>568 関係あるよ。だれも愛してないって認めちゃえば楽になれるよ。別に悪いことじゃないよ。
2世特有の逃げだと思うよ。2世は知識だけは豊富だから、組織活動しなくていい理由を探してるだけだと思うけど。
活動休んじゃえばいいのに。
地獄の答え教えてくれたら消えるんだけど…
>>569 でも人間って愛によって支え支えられて生きてるんじゃないの?
今まで私愛にノータッチな生き物なの?w
>>570 >地獄の答え教えてくれたら消えるんだけど
君にその答えを受け入れる準備はできているの? フーテン氏が答えたら素直に聞くの?
>今まで私愛にノータッチな生き物なの?w
君はどう思っているの? だれかを愛によって支えたことあるの?
支えられてばかりじゃないの?
>>571 痛いとこつくなぁ…w
支えられてばっかじゃないのってワラタ。
じゃぁあなたは愛によって支えてるの?
>>572 与えられるより与える覚悟がなきゃ宗教なんてやらないでしょ。普通。
愛によって支える?
まあ、私はロマンチストなので、別に反論しないけれども、アホかw
って、心では思いますわな、間違いなく。
私がプロテスタントに感じるのは、その現実主義的なところ。
働くことを積極的に認める職業召命観という天職の考え方は好きになれる。
現実を積極的に肯定して生きていかなければ、信仰なんてありえない。
やれ、来世がどうだとか、天国がどうしたとか、現実逃避ばっかするために信仰があるのは怠惰な言い訳。
そんな暇があったら、即刻お祈りなんかやめて、地を耕したほうが、よほどに人のためになるし、引いては神への感謝につながるだろう。
けれども、人はバカなので、現実を肯定して金儲け至上主義に浸って成功すると、今度はまた、神への感謝の心を忘れて、自分ひとりで生きてきたかのように威張り始める。
「めちゃくちゃ稼ぎましたよ。でも、それって悪いことですか?」
だから、そんなバカな奴等を戒めるためにも、天国行きは現世の行いによってではないと予定説を突きつける。
日銀のノーパンしゃぶしゃぶの変態やろうなんかに貢がないで、貧しい人のところにいって、偽善でもいいから、神への感謝の心を示しなさいと。
それもまさしく、現実主義的で、スキになれる。
しかし、教義思想ってところが、どうもねぇ〜
まあ、実際のカルバァンって人は、かなり面白い人だったろうなぁ〜とは思いますけど、その個性が逆に、継承の難しさを作り出しているんだろうナァ〜と思いますよ。
私は、フーテン氏が近所の牧師だったら、教会に行ってるかもと思いますけどね。
まあ、私のことなので、冷やかし程度ですけどね。
>>549 爆ワロスw
>>550 >人間が神を語るときは、神の後ろ姿を追っかけてるだけなんですよ。
>現在形で語ることは、意味をなさない。
それがネオプラトニズムのイデア論。
そして、多分それがロゴス中心主義の思想としては正しいと思います。
けれども、仏教における瞑想というのは、まさに、宇宙の自己相似系の経験にあるんだと思います。
その中では、部分は全体であり、私が宇宙なのではなくて、私そのものが宇宙になるんだと。
その一体感を感じることが、空であり、悟りにつながる。
ただし、その次元においては、神は内部とか外部とかいう次元ではない。
私にはそう思われます。
あと、仏教的な言説はたしかにある一面は語るんですけど、語る人間がほんとうにわかってるのかどうか疑問に思うことが多々ある今日この頃。
なに言ってんのかさっぱりわからんのは、聞き手側の責任だけじゃなくて、語り手側の責任もあるだろうと。
黒でもないが白でもない。
なら、何も言わなくていいと。
まあ、それにいらだって、喧嘩ばっかしてるのが、仏教スレなんだろうw
2ちゃんは、ロゴス中心だからナァ〜
アダムの肋骨から生まれたイブがヘビにそそのかされて、食べてはいけないものを食べて、神様に見つかって、エデンの園を追放されるってのが、原罪でしたっけ?
んで、そんな食べてはいけないものを作った神様が悪いってのが、ご隠居。
ヘビが悪いってのか、動物愛護団体w
イブが悪いってのが、アンチフェミニスト。
アダムの肋骨というのがアメリカ牛肉食肉団体。
見つかってしまったものは仕方がないというのが日本の教育委員会。
君はどれ?
ちなみに断じてアダムが悪くないと言ったのは誰でしょう?
んで、イエスはその罪を死んで償ったという解釈がパウロでしたっけ?
したがって、全人類は、犠牲になったイエスに感謝し、その償いを認めた神に感謝するというのがキリスト教なの
?
>>574 自分が思うことと、他人に思わせる内容は違っていていいんだと思いますよ。
共通の認識が持てるということの証明はたしかされてなかったような気がします。
普遍性を求める先に何があるのかはわかりませんが。
>働くことを積極的に認める職業召命観という天職の考え方は好きになれる。
そう思います。
誰も働かないのと、誰もが働く世界のどちらかがいいかと聞かれたら後者でしょう。
労働者がいなくなれば人類は全滅するわけだから、労働の奨励は普遍的な価値かもしれませんね。
経営者と投資家を労働者に含めるかの問題はありますが。
>貧しい人のところにいって、偽善でもいいから、神への感謝の心を示しなさいと。
そういう意味でイスラム教はバランスがいいなぁ。近代化の調整が遅れているけど。
当然、そんな勝手にやってオナニーしてるイエスは認めないっていうユダヤ教の気持ちはわかる。
まるで、昼メロに登場するお手伝いさんに息子を盗られた不倫旦那の意地悪嫁とその娘みたいな展開。
「この泥棒猫w!あなたみたいな薄汚い野良猫なんかに、この家の大事な跡取り息子を上げるわけには行かないわW」
と言い放つと、
「お母さん、彼女は誰よりも心が清い人なんだ。そんな言い方はやめてくれw!」
とか言って、彼女と駆け落ちする。
んで、その間に彼女は、自分の出生の秘密を知る。
「えっ、私は雅人さんのお父さんと私のお母さんの間に生まれた子供なの・・・・・・」
「そうなの・・・・・・・わたしがまだ、駆け出しのホステスだった頃、そんな初々しさがいいと私を可愛がってくれたのが、雅人君のお父さん。
そして、いつの間にか、私はそんな優しい雅人君のお父さんを愛してしまい、結婚していると知りながら、身体を許す関係になり、出来た子供があなたなの・・・・・」
「そんな・・・・・・・・私が雅人さんと結ばれてはいけない関係だったなんて・・・・・神様・・・・・・・」
というのがユダヤ教とキリスト教の関係なんだろう。
するとイスラム教というのは・・・・・・・・・
>>580 あら、私が妄想レスをしている間に、真面目なレスを入れていたなんて・・・・・・・・
>>574 与える覚悟のある宗教の人が周りにいたらすごい迷惑な気がするがなぁ。
>>570 そんな質問に答えたら俺詐欺師じゃん。。。
消えるつもりなら教えないw
お客さんは多いほどいい。
>>575 無は無視に過ぎないんじゃないかと思うんですよね。
現実には世界も人格も二重なのに。
神が他者であり、見えない、計り知れないという教えが何のためにあるかと言えば、単純に、
そんな無駄なことは考えさせないためです。正しく理解出来なくてもこのことを実行していれば、
白い髭の神様でも構わないんですよ。
>アダムの肋骨から生まれたイブがヘビにそそのかされて、食べてはいけないものを食べて、神様に見つかって、エデンの園を追放されるってのが、原罪でしたっけ?
マジですか?
そんな御伽噺で宗教の骨格になりえるんですか?
与える=押し付けってのが、性質悪い。
概して、他人の立場に立てない奴は、結局、自分勝手の他人依存型。
妄想宗教だ。
その意味で、聖書のような教義を読んで読解力を養うのは、人間関係のスキル養成としてはありだナァ〜
>>583 面倒見てもらおうって感覚が嫌い。
神に甘えてる奴はだめ。「やすませてあげよう」とかいわれたからって休みすぎだっちゅうの。
あれ?みんなリアルタイムでいたw
こんにちわーのし
>>589 おひさしぶりぶり(^O^)/
ちょっと、フーテン氏の深いレスに熟考中(-_-)zzz・・・・・・・・・寝てる
考えすぎるとおかしくなるから、最後は「神」でいいじゃん。
>>587 確かにそーですね。
与える覚悟は仕事でも社内外問わず必要です。
それが押し付けになるかどうかは内容と態度しだいですね。
これは、キリスト教と仏教の埋まらない溝なんだと思うんですけど、そこに足を突っ込んでいるムータン氏の目指すところってなんだろう・・・・・
意味ないナァ〜
>>577 原罪は、連帯責任と考えれば、一つの現実ですね。
何もしなくても規制に巻き込まれるように。
ただし、タブーを犯すことは、人間が成長するためには必要不可欠な成長の第一歩。
蛇を禁じておけば、蛇を食べてオシマイだったでしょう。
>>581 実際には、イエスの言葉の中で、ユダヤ教のラビが言わなかった言葉はほとんどない。
新約聖書は、ローマの手前、ユダヤ教との対立を誇張してますからね。
>>591 なんでもかんでも神にしちゃうと感謝のあり方が違ってくる希ガス。
「こういう選択肢もありますよ」というのは押し付けじゃない。
クリスチャンは伝統にあぐらかいて、宣伝もしないで、働かないで面倒見てもらっているだけ。
互助会っていのは相互依存だから、もらうばかりのやつはおかしくなってくる。
人間はつみなんて背負ってないと思いますよ。
そんなことをいちいち考えるのもどうかとは思うなあ。
自分がしでかした罪なら何かしらの償いやけじめも必要でしょうけど。
原罪が必要な意味合いって何?
>>597 どっちにしろ、近似値でしか解釈できないんだから。
神でいいと思うけど。
解釈の基準が「自分」だと苦しいだろ。
神でいいとおもう。
>>599 そっちのほうが好都合だからでは。
苦しみがあるのは、罪のせいだって
>>596 そういえば、どこかのスレにマッチポンプって、言葉があったナァ〜
フーテン氏の連続的なユダヤ教とキリスト教の解釈はわかりやすいんですけど、現実的な対立の説明にはならない。
それは、やっぱり、精神的に対立してると思う。
いや、でも、私はヨーロッパ人ではないしナァ〜
わからんことか・・・・・・・・・
>>601 それは、どうでもいいの言い換えでしょw
宗教はウィルスばらまいてワクチン売る商法。効くといえば確かに効く。
>>600げとおめ。
何を対象としてるのかにもよるかもしれませんけどね。
別に神でも仏でも地球様でも宇宙様でも妖精さんでもいいとも思いますけど。
感謝とかというならそれぞれの対象にきちんと感謝したいですけどね。
神のお陰なんかじゃないし。
>>602 苦しみってのは仏教でもキリスト教でも好きなんですねw
人は苦しみにまみれてるとでも思ってるのかな。
それとも昔はそうだったってことなのかな。
現代人は自分が苦しみから逃れないなんて思うならそこがすでに違う気がするなあ。
>>606 それでいいんじゃない。
神のおかげでなくても言いし、神のおかげでもいい。
「おかげ」が大切で神も仏も触媒に過ぎない。一側面
>>606 すべてのおかげの原因が神なんですよ。便利です。 いちいち解釈してたら人生がおわってる。
>>604 そんなことないですよw
>>605 同意です。
人生は苦だ苦だ、なんて言われたら、
幸せな人まで苦を感じ出したりしてw
>>609 何かのせいにして丸く収まるんなら、いるかいないかわからんもののせいにして、それでチャンチャンってことでしょW
>>609 自分自身の境遇とかツキのようなものとかに感謝する感覚はありますね。
そういうのを宗教する人は神って意識するんでしょうかね。
>>603 成立過程のユダヤ教の分派の一つがキリスト教で、対立が本格化するのはキリスト教の
成立後ですね。お互いに意識して反対のことをしようとする。それは、ただの喧嘩です。
だけど、トマス・アクィナスのキリスト教神学はマイモニデスなしには有り得ない。
実際には、使えるものはなんでも使ってますよw
>>607 好きだなぁ。大好きだな。
キリスト仏教無神論者かかわらず。幸福なんて比べ物にならないくらい不幸がすき。
>>612 そうです。すべてはプラズマのせいなんですw
私の性格が悪いのもみんなプラズマのせいです。だから私わるくないも〜んw
流れ見ずに感謝の部分で思うことを。
宗教してる人が苦しいときに周りの人間から助けられて乗り越えた。
でも、その人は自分の信仰のお陰、神や仏のお陰で乗り越えられたと、
そのことのほとぼりが冷めたときに助けてもらった人たちとの縁まで利用して布教を始めるんです。
相手は自分たちの好意がその人の信仰の賜物にされてなんとなくすっきりしない。
こんなような場面は宗教する人と接する人は少なからず持ってますね、
全ての人がそうではなくても、どっちにも色んな見方が出来るとしても、神がなかったら感謝のあり方に温度差は生じないわけで。。。
>>615 自分を不幸だと考えて幸せなんですかねw
宗教は世の中を悪視する傾向もあると思える。
>>617 それは「他人の好意を自分の信仰の賜物」に摩り替える本人のエゴの問題では。
>>618 りょんちゃんには、悪は悪いという先入観があるw
>>618 幸せな状態だと自分を意識しないで済むけど、
不幸せだと自分自分自分になるから。
>>619 そうですよ、信仰のもち方使い方だとは思います。
けど、相手が神だと信仰者は当たり前に感謝できるんだと思いますよ。
神ですから。
でも、実はその神とは自分自身に他ならないのかもしれない。
自分を信じる人は自分のエゴを意識する分、人にも感謝を忘れないようにしようと思う。
けど、それが神となるとなんか違ってくる人もいるように思える。
感覚的なものなんで説得力はないかもしれないけど。
>>614 マイモニデス?
私はモーニング娘デスw?
って、ジョークではないかと本気で考えた(^_^;)
まあ、その辺の宗教対立が、そのままあの中近東の紛争地帯にそのまま反映してんでしょうね。
インドも朝鮮半島周辺も同じだわナァ〜
やっぱり広い視野に立てってことなんだろうナァ〜
>>616 って、開き直れるほどに神のせいでもないと思ってるから問題。
感謝することと、借りを返すことがつながらない。
>>622 自分のエゴの化身である神ついては、そのとおりだろうね。
>>620 それは違いますねw
これももちろん種類もあるけど、
苦も悪も必要だと思いますよ、だからそれもひっくるめて楽しめばいいだけ。
苦を意識させて和らげよう、乗り越えよう、無くそうとすることが苦を生む場合もある。
意識してしまう苦が増えるわけですねw
>>625 それは、借りを返すからでしょ。
返さなければ、感謝できるでしょ。
>>621 それはちょっと感覚が分からないですね。。。
幸せでも。
不幸せってあんまり深く感じたことないけど、そんな感じのときでも自分は自分ですよ。
礼状を書くのも大変だなぁ・・
>>630 パソコンでぶちまければ、それでいいんじゃね?
という乱暴。
恩は遠くから返せとはよく言ったものだと思う今日この頃。
>>626 自分のエゴに基づかない神をもててる人って全体の何パーセントくらいですかね。
俺的には人は滅多なことではエゴから抜け出せない。
だから神に感謝する前に、ちゃんと人なり、その対象に感謝することを意識しなかったら
宗教者は社会的に上手く人間関係を築けなくなる可能性もある。
実際に宗教に変にはまってる人はそんなのあるし。
リスクとしてはあると思いますけど。
借りは返すのが当たり前で、返しても借りはかりなんですよね。
イスラム教徒みたいに「力あるものがないものを助けるのは当然でしょ?なんで感謝しないとあかんの?」っていう態度の方が施す側は楽なんだけどね。
見返りが欲しいわけじゃないからねぇ。
>>634 クリスチャンの隣人愛的な助け合いでもそういうのありそうですけどね。
借りは返すのが当たり前って思ってる人間に返すのは当たり前ではない。
まあ、日常生活では口に出せないけどね。
それが、たぶん、正しいと思う。
相手に気を使わせるのはいやだなぁ。席を譲るときはだまって立って他の車両にいくしね。
>>632 ていうか、その人は宗教にはまって無くても、たぶん駄目だと思う。
>>632 神の名前を変えるだけじゃ意味がないな。
人よりも神、というのと、神よりも人、というのと、主観本意なことに違いはない。
>>636 自分が思うことと人に期待することとは違いますよw
自分が借りたなら返す。
人から返してもらうことは期待しない。これなら間違い有りませんし、
嫌なら貸さなければいいんです。
働いて賃金貰うのは当然というのが、実は落とし穴。
席を譲る意志で席を立ったのなら、なんらかの意思表示はするべきなんだろうけど、現実では難しい。
重なってる?
>>637 てすとさんらしいですよ。
偽善ありといいながら偽善は嫌い。
でも、人間的な感覚には本当は満ちてる。やるなら心からやりたいほう。
けど、綺麗ごとは嫌い。皮肉屋でもある。甘ったれた感覚は嫌悪感さえある。
てすとさん観察評価w
インドではこじきは堂々としていたな。
働いてないけど、金をもらうのは当然。
>>638 俺もそう思いますよ。
結局は人ですからね。。。それを超えないって言いたいんです。
だからもっと神なんかよりも人の部分が大事というか。
>>639 言葉的にはそうとも言えますけど、運用面では神と人は違います。
人が神を使うときには神は絶対的なものとイメージしますし。
>>643 それは、こじきしてる奴をボコボコにしない回りが悪いんだな(笑
なんか貸し借りや感謝が発生すると、友人関係でなくなるよね。
人間関係って言うのはクラスメイトみたいに利害関係が無い方がいいんだけどね。まぁ無理
>>643 その方がいいですよ。貧富の差は必ずできるんだから、こじきが金持ちに卑屈になるようではおかしい。
こじきのほうが多いから無理。
生命力というかエネルギーがすごいし、戦ったら負ける。
>>643 それでいられれば嫌な犯罪も減るでしょうね、その部分においては。
乞食でも幸せを求められるとはさすがインド?w
>>644 だから、神って何?
りょんちゃんはご隠居の次ぐらいに熱烈に神を信じてるよw
>>649 神とは人だからですよ。
みんな宗教者は勘違いしてるんですw
神とは人であり自然です。
神だけを求めても何もえられない、得られるのは自然からと人からです。
私は、友人知人に金を貸したときに、絶対返すといった奴には全部、借用書を書かせた。
今はしてないけれども、必ず、どうしてそうなったかの自己分析をさせる(笑
まあ、あげると考えるのが普通でしょ(^O^)/
>>651 俺は基本的に個人的には貸しません。
仕事上での貸しなら当然に借用書も念書も書くけど。
金を稼ぐことは偉いことでも、悪でもないし、貧乏も卑屈なことでもなく、善いことでもない。
タメぐちでコミュニケーションをとればいいのかと。
>>651 私は希望金額より大分少ない金額を貸して放置ですね。あげるつもりです。
「よし!もちろん貸すよ。水臭いなぁ。いつでもいってよ。とりあえず5千円貸すよ。返すのいつでもいいから。」
>>647 こじきになんで、生命力があるんだ?
それは、金持ちが死んでるってことだな。
金持ちがこじきなんだろう。
見方が逆だ。
>>653 では、逆にしたら、回収率は上がりますよ。
5千円なら、1万円w
>>653 極端に見れば職業でも金を稼ぐことを目的とする人と、芸術かのように自分のやりたいことを目的とする人もいますしね。
自分のやりたいことを選んだ人が、金を稼ぐことを目標に選んだ人をとやかく思うのもおかしなことで。
それに金のある人間はない人間を別に卑下してみたりもしない。
一言で片付けるなら生き方と選び方が違うだけですしね。
俺もどうしてもの時には、上げられる金額だけを上げます。
だから貸すってことは基本的にはありえない。
>自分のやりたいことを選んだ人が、金を稼ぐことを目標に選んだ人をとやかく思うのもおかしなことで。
全くです。坊主は黙って出家しろと思いますよ。
宗教は奨励する行為を提示するだけでいいと思う。やっちゃいけないことまでいい始めるのは 内政干渉。
ご隠居チック過ぎました?>フーテンさんw
真面目に。宗教とは世界観なのかもしれないです。
国際社会的な意味での世界ではなくです。
俺のその世界観では世界とは自然(物も動物も含む)と人間。
圧倒的に活動しているのが人間ですから、その人間のエネルギーに満ちてます。
その人間のエネルギーと自然のエネルギーとのバランスによって生じるものが様々な神かもしれないですね。
これが俺の神概念ですかね。
当然に人間社会においての主役は人間。そうでなかったら無責任って物ですね。
こんな感じですか、この板で得た感覚は。
>>657 黙って出家したら、宗教ではないだろう(笑
そんな強い奴は、出家しないほしいwwwwww
>>657 それに、ほとんどの人が裕福さとか。。。もっと単刀直入に言えば金が欲しいんですよ。
でも、金を直接生む方向ではなく、楽さだったり、趣味だったり、一攫千金狙いだったり宝くじをあてることだったりするんですよね。
堅実とか確実に金を稼ぐ手段は面倒で選ばない人もいるんですよ。
それでも金を稼いでる人間には何かしらの嫌悪をもったりするのなら、それはエゴとかってレベルではなく僻みでしかないでしょうね。
自分が本当にやりたいことをやってる人なら金とは違う価値で満足するんじゃないですかね。
奇麗事を言い始めるとキリがない。
他人の不幸は蜜の味が2ちゃん的な立場。
>>661 綺麗ごとではなく、他人の不幸って蜜の味ですか?w
まぁ、大衆は嫉妬深いからなぁ。神の下において平等ってことにしておかないとね。やっぱイスラムか・・。
キリスト教や仏教みたいに金持ちが悪ぐらいが嫉妬を抑えるのに丁度いいのかもしれんが。
>>662 さっき、みんなの賛成を得ていたのでは?
特別深い意味はないっすよ。
>>663 自分で人生を選んで好きに生きながら他人を嫉妬するとはとんでもないことですよねw
俺は別に金持ちとかじゃないですけどね。
稼いでる人間は社会貢献度も高いわけですから、もっと尊敬されてもいいくらいです。
>>665 >稼いでる人間は社会貢献度も高いわけですから、もっと尊敬されてもいいくらいです。
謝罪するべきだな笑w
>>667 稼いでる人間を餌にする業種の人間は尊敬のふりくらいはしますけどねw
>>658 それはどこまでも神の定義と価値観の問題になっちゃうんだよ。
人間てなに?自然てなに?どっちも漠然としていることに変りがない。
ご隠居が思いきり誇張してくれてるけどね。
何が神でないかをはっきりさせることからはじめて、何ものも神ではないと
認める所まで行かないと。
>>668 ,そんなこと言ってると、本気で謝罪を要求したくなる。
稼いでいる人間を餌にする業種ってなに?
〇務員?
>>669 そうですよ。
俺にとっては神とはその人の価値観の範囲でしか存在できないと思ってるんです。
何物も神ではない、神があるとするなら自然であったり人であったり。
その人の神とはその人そのものでもある。
この部分はフーテンさんも同意してくれそうに思えてたんだけど。もちろん、大まかになら。
>670
自分で笑w
>>670 何故に伏字なんすか?w
公務員も確かにそうですね、警察の扱いなんかも多少違うこともありますし。
でも、公務員はコネのほうが強いですよね。。。なんかまた別物でもあるなあ。
あとは分かりやすいところなら、クラブのねーちゃんとかなんかは尊敬のまなざしも得意でしょうw
会員制の○○なんてところの従業員とかもですよねw
ふんふんふん。
すべてが神であると定義しても、定義した時点で
すべてではない神とはなにかという対立した価値観が虚に現れてしまうのだなぁ
>>669 神は神でしょ。それ以外にないよ。全ての過去であり現在であり未来であるもの。
そういえばペルーに旅行へ言ったときパチャカマという古代遺跡があるんだけど、時間の神を祀っているそうな。
神は存在であり、時間であり、「名」である。
>>674 神はもともと概念だから共通の神はないんじゃないですか?
宗教はその概念を同じに近づけようとする試みとも取れる。
だから俺の神の定義は
>>658だし、てすとさんのは
>>675。
それで何も問題ないと思うけど。
対立する必要性があるかないかは、宗教者側だと必要性は強くなるのかなあ。
1時過ぎてた!
急ですが落ちますノシ
だから、実はフーテン氏の立場、ムータン氏と一緒なんですよね。
議論する必要はない。
>>671 個人としては、そのあらゆる価値観を神としてしまうことによって神を所有しないこと。
それでいて、他の人の神、その人が神観念で捉えているものを涜さないこと。
偶像崇拝と涜神の禁止に要約されているが、1番目もさることながら2番目が更に難しい。
そして、自分にとっては神でない神を認められない限り、偶像崇拝からも解放されないということ。
>>677 定義するってことは、自分の枠の中におさめて殺してしまおうということだからね。
神とは何か、というのは常に問い続ける「行為」でしかないのかも。
神は奨励もしないし、罰則もあたえない。
物質であり、時であり、繋がりであるもの。
創世記において、神は天地を定義した。
定義するものの定義は果たして可能だろうか。
定義の原因、名前の原因、分類の原因はなんだろうか。
>>683 神が定義しようと定義しまいと、天地は存在している。
神がいなくなり、天地がなくなるのであれば、みんなは神の存在に気づくだろうに。
とりあえず、強迫観念でしかない神の妄想は、神の存在そのものも否定する根拠になる。
>>680 その神を所有できてしまうのも概念や観念だからですよね。
自分にとって神でない神は自分の意に反するもの。
結局は人と人の関係でしか解決できない問題です。
一番大切なものが何かも自ずと見えてくる。神が何であれ大切なのは神そのものではないってことですよね。
だから妄信はしてはいけないのです。神を思うあまり放漫になっては本末転倒。
>>681 現時点での定義とか解釈でよいでしょうね。
でも、枠に納めて生かすことは可能だと思います。
生きない信仰なら何の価値もない。
>>682 その定義は共通ですね。万物ですよね。
>>685 名前をつける前には何も存在しません。
人は名前の無い存在を示すことができません。
>>679 mutant氏が俺に伝統宗教という異端のレッテルを
貼ってくれてるから、議論にならなくて面白いんですよw
ところで、名無しさんが犬さんのような気がするのだが。。。
地獄墜ちノシ
また来ますノシ
>>687 示すことが出来ないものは存在しない。
名前をつけることもない。
>688
それは、ごまかし。
レッテルを貼ることが問題なのではないと思う。
でも、宗教的な対立は、よくわからんのがホント。
傍目からみてると、プライド?
名の名づくは、常の名にあらず。
今年は犬で来年は猪。
フーテン氏は遊びに付き合わないよなぁ。真面目というかなんというか。
>>692 神という名は存在します。
という意味でしかない。
もちろん、信ずる人間に神は現われる。
そして、なんどもなんどもなんどもなんども神と呼ばれることによって、神は消滅しますw
神の名を叫ぶとき、それは神の名という偶像を崇拝している。
あ、偶像こそ宗教か。
人の愚かな像と書いて、偶像。
あれは、愚かな自分の投影。
と考えれば、謙虚な気持ちになるのも当然かと・・・・・・・
まぁ、愚かでない人などいないので、人には宗教が必要ということでしょう。なーむー。
人には宗教は必要ではない
という宗教も必要
by ご隠居
ありゃw!
随分、冷静で客観的なご隠居になっちゃった・・・・・
結局なにかを信じたいのよね人間は。信じるものなど無いということも信じてる人いるし。
つまり、なんでもありってことかな。日本教ばんざい!!
全体主義者も、共産主義者も、原理主義者もみんな日本にやってこい。
日本は思想移民を受け入れるぞ!!
そういえば、日本教の分析スレも休止してるなあ〜
結局、昭和って、なんだったのかってことなんだろうナァ〜
>>703 今、東京はスパイ天国らしいが?
スパイが秋葉原で買い物して、おでん缶に舌鼓をしてたら、確かに平和な気がする。
平成生まれが社会人か。ふふふ・・いじめてやる〜。大人のいじめは学校より陰険だぞ〜。
>>706 そんなことしたら、ご隠居って、30年後にいじめられるぞ(笑
世界中のスパイが来たら日本も平和だよ。漁夫の利を根こそぎいただきましょう。
そんな甘いスパイは・・・・・・・・・・
とダジャレは通用しないだろうナァ〜
どちらにしても、今の日本は平和以外に売りはないだろう。
とりあえず、オチノシ
>>709 多様性最強ですね。単細胞生物vs雌雄システムの構図ですね。
712 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 15:19:25 ID:10aeT8qR
「神概念」は、人間の観念作用の産物だから、誰でも、どんな内容でも「勝手
に」盛り込める。百人百様。その正誤・正邪を検証する基準は「皆無」。だか
ら、ゴマンとある宗教ごとに、神の姿も、内容も、教えも異なり、絶え間ない
争いの原因となっている。
「一」が存在するとしたら、それは神を創造したばかりでなく、その他人間の
すべての営みの究極の淵源である、人間の生命のみである。
「神」という言葉は、古代人の空想・妄想の結果であるから、廃語として禁止
し、「人間の生命」で置き換えるべき。
「偶然」や「運」も、つぶさに分析すれば、すべて「事実的因果関係」の連続
である。自分の努力、他者の協力、自分の生活、社会の変化、自然現象等であ
る。そのような分析は面倒くさいから通常は行わず、簡単に「偶然」とか「運」
とかで略称しているだけ。少なくとも、現実にあらざる「空想上の神」は、現
実界にはいかなる物理的・化学的変化を及ぼすことが出来る訳がないのだから、
全く関係ないものである。
713 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 15:29:56 ID:10aeT8qR
>昆布氏へ
君は、神が内在か外在かは関係ない、などと言っているが、とんでもない
誤り。
神が人間に内在しているのなら、神である人間を殺すことは絶対に出来
なくなる。外在なら、人間は神ではないのだから、外在の「神の名」で、
人間同士が殺し合うことが容易に可能になる。
ところで、君の「宗教」の定義はまだか。君の頭では無理なのだろう。
ご隠居ってちゃんとログるんだな。
716 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 16:13:57 ID:MJHGsaqx
神が人間に内在しているのなら 肉体を殺す事によって
神を 自由な空間 に解き放つ事ができる。
つまり 殺人或いは自殺の進めにつがる。
神が人間を創造しかつ 人間の外に存在するのなら
神から頂いた命を含む肉体を 大切に使う事ができる。
>>712 ご隠居のいうのはもっともなんだけど、もっともすぎるかも。
人間の想像力とかがあるから現代があるともいえるわけで。
五感で認識できることしか誰もが認めないで原始から来たなら、
現代の観測装置で見ることが可能なものも発見されなかったかもしれない。
偶然や運に関しても異論はないけど、効果を高める、高まる的な意味合いでは精神性とかも俺は信じる。
人と人のエネルギーの相乗効果やイデオロギーの影響も。
スレで言えば空気や流れの影響もw
>>690 マジレスすると方向は途中まで同じ。
ただ、俺よりも過激な人を見た時には、その方向性もどうかと思うわけで。。。
ということで基本は
>>1のテンプレ。
フーテンさんにしても基準は自分だということですね?w
720 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 16:26:27 ID:MJHGsaqx
人間は神 とか 人間の命が神 とする考え方は
自己中心的な考え方につながる。
つまり 自分が生存する事だけが優先になり
じぶん自身を取り巻く環境が 自分自身を生存させる為に
存在する様に思えてくる。
自然環境を 破壊し資源を使い果たしてしまう。
それとは逆に 神は世界を創造し 世界の外に存在し
すると考えることは、神の創造の目的がこの世に存在することを意味する。
そしてそれは 人間が自然環境と共に 神の助けを借りて
神の目的達成の為の強同者となれることを意味する。
>>719 その、自分が何かと言うことが問題・・・にしなくても良いけど、してるの。
自己とは自己自身に関係するところの関係である(キルケゴール)
>>720 偏りすぎ。
人間というか人間も含めたすべてが神なら、そもそも本来は同じこと。
>>721 フーテンさんの姿勢はなんとなくくらいは分かるつもりですけどね。
フーテンさんが神を語ってても、それは俺には人間でのことの譬えや比喩で受けられますよ。
あまり深い宗教談義とかになると別ですけどね。
724 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 16:30:43 ID:MJHGsaqx
>>722 神が多数存在する と言う意味かな?
だとすれば その神同士は 共に仲良く愛し合える
と考えることは出来ない。
キリスト教の在るも仏教の空ももともとは同じところから出たのだったりしてね。
>>724 人間が神だとしたときに必ずそれが自己中心的になるのなら、
その考えを持つ人が神を信じたとしても自己中心的からは逃れないでしょうってこと。
1神教の神が「在る」で全てのことだと考えるなら、全てのものに神が宿ると考えても同じこととも言える。
そんなに短絡的には宗教者たちは考えないのだろうけどねw
727 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 16:35:13 ID:MJHGsaqx
自分が創造したもの だから愛せるのであって
他者が創造したもの が突然目の前に表れたからと言って
それを愛せるものではない。
神が神を創造できるなら別だがね。
も一個。持論から。
究極の自分を大切にするということは、環境を含めた全ての関係を大事にすること。
神を持とうがもつまいがそれは変わらない。
>>727 俺には理解できない感覚だ。
俺とは違った偏りでしかないと思うけど。
自分の生命の維持のためには他の生命に死んでもらわないといけない。それは仕方がないよ。
私は殺されてもだれにも文句言わないけどね。
随分進んでるなー
みなさんこんにちわ
社畜より愛を込めて
神概念について話てんの?
皆、意味を考えながら生きてます?
ある定義の元に生活してるはず。
信仰もそうですよ。
だから、人によっては信仰は生活だし、無意味なものにもなる。
総じて言ってしまえば全ては有意味で無意味である。
>>730 それも一面ですよね。
その仕組みもそれこそその神とやらが作ったのではないかと。
創造の神なんて概念が未だにあるなんてのは俺にはまったく理解不能ですけど。
>>585 >消えるつもりなら教えないw
消えないつもりなら教えてくれる?w
あなたを詐欺師にする時は私があえて騙されようと思った時だから平気
>>577 君って私?
私は何故アダムエバが犯した罪により以後全員罪人認定されるのが
呪いの神ぽいって感じで
>>599に頷く
罪に傾きやすい人間の性質を原罪とするならわかるけど
アダムエバの過ちを担ってるっていう原罪観は
現代人は関係ないじゃんか!と言う
それが関係ないのであえば救いも関係ない話となる
まさにウイルスとワクチンの話
誰が悪いとかじゃなくこうして人類継承される原罪の真実を知りたかっただけ
>>578 アダムを悪くないと言うのは純粋な乙女達じゃない
エバの誘惑にのって共に罪を背負ったんだものって 女との愛>神との約束
蛇が誘惑してもアダムは揺るがないのをわかってて蛇はエバから
崩しにかかったその辺も蛇の狡猾さはなかなかです
動物の誘惑と女の誘惑じゃ 女のがエロティズム。。
>社畜より愛を込めて
屠殺場にも幸せはあるよ。がんがれ・・。
735 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 16:46:38 ID:MJHGsaqx
人間の命は 人間のもの だとするのか
人間の命は 神からの贈り物 だとするのか
で違うのだね。
神からの贈り物だとすれば 神は何らかの目的があって
命を贈ったのだよ。
>>736 神道が労働者を神として祀ってくれるから。
金持ち連中同士で、労働者神社を建立してあげるからゆるしてね。
>>684 聖書が早い時期から名を発音するのを避けたのは
神の名を汚すからだけでなく名を知る必要がなかったからだとか聞くけど
今は名を知らないと触れられないというか。。伝えられないとうか。。
旧約は神と直接対話するからなぁ 主(アドナイ)よと、出来事を通して呼ぶ
伝承には名が必要になる だから多様解釈になる
モーセがなんと伝えましょう?と名を求めて「在るもの」って言ったんだけ…
目的は自由だよ。とらわれなくなるということ。
神からの自由、経済からの自由、真理からの自由。死からの自由。あらゆるものからの開放。
>>740 天国にもどこにも行きませんよ。
自分の身代わりになって働いている人が神様なんです。感謝。
生命の源の太陽。位置を知るのに必要な星々。農作物や家畜。
人間が生きるのに必要なものはみな神様なのです。
だから労働者も神様です。労働者のおかげで生存できるのです。
>>741 LOVE & PEACEみたいね・・・
自由からも自由でないとね・・・
>>742 うまいw
お客様は神様ですみたい
ああ、不労所得に背徳感がある今日このごろ・・・
社会に還元することで自浄しようと思ってるんですけどね・・・
>>745 不労所得の0.0001%を労働者神社のために使えば問題ありません。背徳感はなくなるでしょう。
あれ、てすとさんが神社も運営するらしい。
神社だからやっぱり社長なのか?
残りの不労所得は好きに使ってください。死んだ労働者神の許しが出ましたよ。
死んだ労働者神w
それではますます罪悪感が増しそうだw
で、ちょっと慌しくなってきたので落ちます。
また来ますノシ
>>735 そうそう。
そこの分岐で私は創造の意志を定義した結果、論考してるのであって、
意義を問われるのならば私が存在する意義から見つめ直さねばならなくなる
のですね。
定義に逆行することになってしまう。
>>746 全額出しますよ。
出資という名目ですが・・・
>>747 美少年だけ集めた教会を運営したら儲かると思うんだよね。ミサのとき女性が美少年神父を指名できるやつ。
ホストクラブと違って未成年でもOKだし、寄付金は税金かからないから。
ホーリーネームはルシフェルとか耽美系にして寄付金の多い人には秘匿の儀式が・・・
あとウォール街にチャート神社建立も考えてる。神道の日本色を減らして、スピノザの思想をまぜちゃおうかなと。
トレードの神でもいいし。多神教最強。
>>751 原価がかかるので、サイダーに食紅でもいれて神のピンドンとか言っておけばいいかも。聖杯は一杯10万から。
>>754 渋谷、新宿辺りならありかもw
ススキの支店はコンブ氏に任せて。
「聖杯入りました〜!!」とかいって、みんなで合唱してあげたりとか。
洗礼は全身でやるやつ(専門用語はしらん)で美少年神父を自由にしていいとか。100万円で。
コピーは「一緒にエデンに行きませんか?」とか、風俗情報誌に広告を出す。
で、売春婦ほど神の国に近いとか言っておけばいい。
あとはミサのときのパンになんか混ぜておけば、本当にエデンへいける。
俺って何て信心深いんだろう。惚れ惚れしちゃう。
飯いってきまふ。ノシ
りょんさんは随分実存的な人ですね。。。
でも、「人間の意識のうちから出ない神はいない」って主張は
単に自分の認識を不可知に広げようとしないだけにも見えるなー・・・
フーテン氏の信仰はいまいちよくわからん・・・もう少しわかれば
絡めるかも・・・
ただ、私の主張って全然過激でもなんでもないですよ。
ただ、認識の違いってだけで。
コミュニティ内でのマイノリティを過激とするならば過激なのでしょうが。
あっもう飯の時間か・・・
さて、仕事納めだ。
帰宅前に持論を一つ
>>733 創造が真であり、能動であるならば
対局が偽であり、否定である。
神が絶対善ならば、神の理に外れるものは不善=絶対悪という二元論になると
考えます。
従って、人間が神の理に外れて在る存在ならば、原罪という理に外れた状態を
示すことは理に適っています。
この広い世界を創造した神が、絶対善ならば何を意図して不善なるものを創造したのか?
私はこの理を求めています。
従って、善、能動、創造が天国とするならば、不善、否定、破壊が地獄だと
考えています。
天国も地獄も人間のうちにあります。我々は天国(善、能動、創造)に向かう
ことこそ、救いであり元の創造意志であると考えています。
物質世界から霊的世界にどう昇華していくのかはわからないのですが・・・
762 :
大王:2006/12/29(金) 19:05:54 ID:ovUgwFFk
284あたりで、キリスト教のスタンダードな、思想を提示したのだが、、、
反応は、ムータン氏だけ、、
王道のキリスト教を忠実にカキコしたのに、、これほど、反応がないんだから、、、
そういえば、ブッダの箱舟で、中沢新一が、、キリスト教は、ユダヤ教は、言葉の力である、、
精神分析につながる、、とあったが、、
中沢新一よりも、、、いい線のいってたのは、、ムータン氏ぐらいで、、
とほほ、、
と挑発してみる、、、
フーテンさんは、やはり、竹森満佐一神学の伝統芸だな、、、
>>761 仕事おつかれ〜。感謝!
持論に対して。
善悪は人の発明品であって神が作った絶対善などはありません。
善の反対語は悪ではなく不善です。出産しない人は殺人者ではありません。
胎児は細胞の再生と破壊の繰り返しによって人の形を形成するのであり、破壊は悪ではありません。
天国や地獄が人間のうちにあるのではなく、比較や分類が人間のうちにあるのです。
天国にむかうのは個人の自由であって、普遍的な人の生き方ではありません。
物質世界を無視することはできません。死ぬときにはじめて自由になります。
764 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 19:30:06 ID:10aeT8qR
>>716 >>720 君の言ってることは、全くのピント外れ。外在の神を認める一神教は、君の
言ってることとは正反対の方向に動いているではないか。一神教に洗脳された
君の、現実上の根拠皆無な、あくなき自己正当化に過ぎない。
そもそも、人間とは「身体」だよ。君の身体が火葬により灰になれば、君の
思考は一体どこから出てくる?灰になってからでも2chにカキコできると
でも思ってるのw?
神が人間に内在するということは、他ならぬその身体が神だということだから、
自殺や殺人によってその神を否定することは絶対にできない。クリスチャンが、
イエスだけは絶対に否定できないのと、全く同じ。
どんなに偉い宗教者でも、その脳をメスでちょっと傷つけてやれば、彼の「神」
は瞬時に消滅する。
765 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 19:32:27 ID:ovUgwFFk
iiiii
>>764 どんなに偉い無宗教者でも、その脳をメスでちょっと傷つけてやれば、彼の「神」
は瞬時に生成する。
767 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 19:43:21 ID:10aeT8qR
>>761 >この広い世界を創造した神が、絶対善ならば何を意図して不善なるものを創
>造したのか?私はこの理を求めています。
簡単なこと。不善がなければ、善が存在し得ないからだ。その逆もしかり。
善も不善も、あくまで「人間界」における共生の技術として、「人間」が考え
出した相対概念。人間にあらざる神には、人間の善も不善も関係ない。
>>713 珍しく、名指しでご隠居が絡んできたw
私はかなり以前に、ご隠居と定義論争しかけたでしょ。忘れた?
神が内在するか、外在するかは大きな問題だと思うけど、外在するものは認識できないって考え方を提示したんですよ、私は。
そして、仏教的な自己相似系の宇宙のシステムを空、あるいは神とした世界観を私は、神だって、言ったんです。
わかっていただけませんでした?
769 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 19:47:47 ID:10aeT8qR
>>766 >どんなに偉い無宗教者でも、その脳をメスでちょっと傷つけてやれば、
>彼の「神」は瞬時に生成する。
どこまで行っても、やはり「身体」が基盤ではないか。そのほかの基盤
が唯の一つでもあるか。
770 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 19:49:29 ID:FPh8ZlKK
りくつぽく見られるだろ
771 :
大王:2006/12/29(金) 19:50:08 ID:ovUgwFFk
昆布殿、てすと殿、、、おいらの284のキリスト教主流は、どう、思う???
>>733 いえ、単なる言い回しですよw
原罪に関する基本的なスタンスは同意です。
ただし、それを否定すると、キリスト教そのものが無意味です。
マッチポンプの意味はそういうことですね。
あまり深い意味はないんですけど、批判することでもないナァ〜と思ったものですから・・・・
>>771 >284
>聖書の福音書と使徒言行録の流れで、見れば、聖霊を受け、神の道を理解するなんだけども、、十分神秘主義で、神秘主義無ければ、ありえないように感じるわけ、、
私はキリスト教を神秘主義ってみてないので、よくわからないです。
そもそも、私は聖書読んでませんから・・・・・・・(;一_一)
三位一体のキリスト教はものすごく面白そうなんですけど、実際のキリスト教はものすごく教条的で政治的だろうというのが、私の印象。
まあ、今の宗教って、政治団体の集金集票マシンでしょw
私は、現実的な宗教は嫌い。
って、何言ってんのか自分でもしらん(;一_一)・・・・・・
774 :
大王:2006/12/29(金) 19:59:03 ID:ovUgwFFk
キリスト教は、、大衆向きの宗教だから、、大衆向きに考えた場合、、原罪を設定するほうが、良かったんだと思う。
775 :
大王:2006/12/29(金) 20:01:34 ID:ovUgwFFk
昆布殿、、ブッダの箱舟で、中沢新一が、、キリスト教は、ユダヤ教は、言葉の力である、、
精神分析につながる、、と、、面白い表現をしているぞ、、、
同感だけどね、、
ただし、中沢新一は、聖霊体験はなさそう、、、
>>775 中沢新一は、クリスチャンじゃないですからね。
彼のチベット仏教の話はめちゃ面白いですけどね。
デリダ−ラカンですよ。
私がいう、ロゴス中心主義と同じだと思うんですよ。
彼は、浅田と違って、それを脱構築したいんでしょう。
でも、裏の政治に飲み込まれましたからネェ〜
777 :
大王:2006/12/29(金) 20:15:27 ID:ovUgwFFk
中沢新一は、日本のクリスチャンは自然智(日本教、ありがたい教)といっていた、、
フーテンさんをみると、やはり、、
中沢新一んの家庭は、キリスト教で浄土真宗の二股だったらしい、、、
キリスト教は、ユダヤ教は、言葉の力というのは、、カルバンが近い感じがある、、、
778 :
大王:2006/12/29(金) 20:20:14 ID:ovUgwFFk
真言宗も、真言の力を想定している、、言葉の魔力、、
アベノ清明は、呪といって、言葉の力を見ているし、、
キリスト教も、実は、、言葉の力なんだけれども、、
ヨハネの福音書第一章にある、「はじめに言葉があった」
こういう面が、フーテンさんとか、関心なさそうなんだな、、、
フーテンさんは自然智(日本教、ありがたい教)かもな、、、
>>777 あっ、二股だったのか・・・・・
>日本のクリスチャンは自然智(日本教、ありがたい教)
それって、日本のすべての宗教に言えると私は思う。
日本に伝わった日本の仏教はすべて、亜流でしょう。
大乗仏教の教典すべてが、釈迦後100年たって書かれた、コピーのコピーだったわけですし。
結局、日本教だと思います。
>>771 ダイオうどん。
私が生まれて始めて教会へ行ったのは、ペルー旅行の時でした。
サン・フランシスコ大聖堂の地下のカタコンベに中世に生きた人々の無数の白骨がありました。
大王どんの勧めでカトリックのミサに行きましたが、正直いってその大聖堂程の霊的インスピレーションは受けられませんでした。
日本のキリスト教には死の臭いがしないのです。教会はきれいなだけで神が宿っているとは思えません。
土葬にしないとキリスト教勢力は厳しいでしょう。
本来なら関東大震災や東京大空襲のアンテナであるはずの教会が役目を果たしていないと感じました。
781 :
大王:2006/12/29(金) 20:25:23 ID:ovUgwFFk
例外は、極道日本臨済宗だな、、妙心寺で修行している奴は、クレイジーだな、、
曹洞宗、永平寺、黄檗宗万福寺もクレイジーだな、、
782 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 20:25:33 ID:FPh8ZlKK
理趣経を語らずして真言語るべからずなんだが
783 :
大王:2006/12/29(金) 20:28:16 ID:ovUgwFFk
アッセンブリー、ゴッド、ペンテコステ派、聖霊派で、いく??
てすとドン、、、
霊的縦ノリらしい、、、
冷やかし程度に、、、
784 :
大王:2006/12/29(金) 20:29:50 ID:ovUgwFFk
おちるべ、、明日ぐらいに、、また、、
>>778 安倍晴明は言葉の力かなぁ〜
あの頃に陰陽師って、一杯いたと思うんですけど、安倍の晴明が有名なのは、結局、言葉から離れたからじゃないかナァって、思うんですよね。
まあ、中世自体が、言葉の世界なんですけどね。
>>783 宗派ではなく、教会だと思います。
日本の教会はドキュ女の結婚式場にすぎません。
呪ってなんなんでしょうねぇ〜
確かに言葉の力なんでしょうけどね。
神秘主義って、結局、言葉の力ってことか・・・・・・・・・
意外と、これは面白いナァ〜
日本のキリスト教が力を得るためにはカタコンベが絶対に必要です。
結婚とカウンセリングとボランティアの集団に成り下がってしまってほんとにもう・・。
>>787 呪いは言葉だけじゃないですよ。絵であり、音楽であり、動きであり、記号であり・・。
言霊って日本特有だとおもっていた。
>>788 日本は、死んだら終わりですからね。
カタコンベはありえないでしょ。
都市伝説ほどの魔力もない。
やっぱり、まさかどの首塚ぐらいのパワーないと・・・・・
>>789 それです、それ。
因果応報スレのような、円環だろうナァ〜
>>790 それだ!将門塚をつぶして教会立てれば問題なし。マサカド教会。
結局、医療と呪術がイコールになってくんですけど、それがまさしく、ロゴス主義なんですよ。
いわゆる東洋の気って考え方は、その延長とは思えないんだけどナァ〜
>>792 いっそのこと、靖国を教会にすれば、かなりの怨念が集まりそうだけど・・・・・・・・
>>787 夢枕獏の「陰陽師」(或いは「闇狩り師/蒼獣記」)を読むべし。
796 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 20:56:42 ID:MJHGsaqx
>>764 >神が人間に内在するということは
これは 人間に神が内在するから 神が人間の数だけいるという事だろ。
つまり 人間の数だけ 神の意志があると言うことだから
自分に内在する神が 他者に内在する神と対立し 殺し合いが起きるだろ。
これと同じ事が ある宗教でもあるんだよ。
その宗教は 教会に神(聖霊)が内在すると主張している
そして よそ様の教会と対立したらしい
両者は その教会に内在する神(聖霊)によって 自分達の教会が
正しいく よそ様の教会はサタンの手先だ として殺しあったらしい。
人間に神が内在すと言う主張は それと同じよ。
あ、「蒼獣鬼」だた。
>>794 ははは。靖国教会いいな〜。中国もだまりそう。
>>795 夢枕獏って、ロゴス主義そのものじゃない?
荒俣もその傾向はありますけど、かれの博覧強記はそれの逸脱があると思う。
でも、エロスは獏かぁ〜
>>797 それ面白い?
近頃、その系統読んでないから、年末年始の暇つぶしに入れてもいいナァ〜
>>799 獏のエロスはスカスカで全くヌケない・・(爆
彼の(昔の)本領は、うじうじドロドロした男の情念だよw
ちなみにあらすじ↓
蒼獣鬼〈妄霊篇〉内容(「BOOK」データベースより)
鳴神真人が何かに憑かれている―悪霊封じの九十九乱蔵は
術の師・真壁雲斎から、真人の姉・小百合に会うことを依頼された。
約束の場所で、何者かに拉致されようとする小百合を見つけ、危く救出うるが、
彼女はすべての原因は自分が鳴神素十の娘だから…というのだ。
素十はいざなみ流陰陽師の家元の血筋で、“呪詛返し”の技では随一の実力者であったが、
現在は消息を絶っていた…。長篇ハイパーアクション前篇。
蒼獣鬼〈異神篇〉内容(「BOOK」データベースより)
高野山の鬼門にある戸田幽岳の魔窟・餓哭庵には、
鳴神真人・磯村小百合姉弟と真人の母・初江が拉致されていた。
鳴神素十の呪詛によって異形と化した幽岳が、再び蘇えるため、真人の肉体を使うというのだ。
一方、幽岳にかけられた呪詛を払うため雇われた苦蛇使いの道士・加座間典善は、
術の最中、首を切られて絶命する。異変に気づいた乱蔵は、餓哭庵を目ざすが…!?
長篇ハイパーアクション完結篇。
>>800 絶賛する!
何気に今、テレビのチャンネルを細木に変えたんですけど、ますます極道になってくナァ〜
日本人って、やっぱり任侠が受けるのかもしれない。
基本は儒教だからナァ〜
細木って頭いんだナァ〜
亀田って出たことないの?
>>801 ありがとう(^O^)/
でも、ピンと来ないなぁ〜
獏って感じするけど・・・・・・・・
やっぱり、相性合わないんだナァ〜
804 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 21:12:20 ID:10aeT8qR
>>796 それは君が人間の生命を神とは考えず、あくまで人間としか考えていな
いからだ。即ち、生命以外の神を既に信じているからだ。
人間の生命(神)そのものは「一」だよ。完全な一神教。人間のすべて
の思考も神概念も、その「一」から発生する。人間にとって、生命という
「一」以外の「一」は、どこにも存在しない。
一神教徒が、人間としてのその信者たちではなく、その神やイエス自体
をいささかでも批判し、殺せるのか。
805 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 21:18:38 ID:MJHGsaqx
>>804 人間の生命維持のためなら 他は人間の生命維持の為に犠牲にしても良い
と考えた末が この環境破壊ではないのかな?
何しろ人間の生命が神なのだから。
>>803 ここで獏語りしても何だがw
陰陽師に於ける獏(晴明)の咒の解説・描写は秀逸かと思われる。
807 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 21:19:55 ID:MJHGsaqx
>>804 人間の命が神 なのではなく
人間の命は 神の意志なんだよ。
808 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 21:23:26 ID:10aeT8qR
>>807 >人間の命は 神の意志なんだよ。
君が「神の意思」などと考えることも、人間の生命の機能。どこまで
行っても、究極は人間の生命だよ。順序を間違えてはならない。
>>806 うむ。
では、時間を作って、読んでみましょw
>>808 大事なのは俺の命と俺に近い奴の命。アカの他人の命に価値は無い。
同情するなら金をやれ。
ご隠居って、実際にいると、レスくれないんだよナァ〜
つれない人(-_-)・・・・・・・・・・・
それにしても、新庄は面白いなぁ〜
現代の安倍晴明だ(笑
牛や豚の方が食えるから、アカの他人よりも価値がある。
814 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 21:31:01 ID:10aeT8qR
>>810 >大事なのは俺の命と俺に近い奴の命。アカの他人の命に価値は無い。
それがまさに、キリスト教を初めとする一神教が「殺人宗教」である
理由。その正体と原理が、だんだんと明らかになってきたな。
>>814 だから何?戦争の何がわるいの?
解っていても防げないくせに。ププ
816 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 21:53:07 ID:10aeT8qR
>>768 >そして、仏教的な自己相似系の宇宙のシステムを空、あるいは神とした世界
>観を私は、神だって、言ったんです。
宗教者は、なぜいつもわざわざ「宇宙」などを持ち出す理由があるのか。最も
身近な「人間の身体」という「小宇宙」は、「大宇宙」よりもはるかに神秘に
満ちていることが判らないの。何故なら、「人間の身体」という「小宇宙」は、
「大宇宙」の認識を可能にする「生命」を内在しているからだ。大宇宙の存在
は、小宇宙の存在の「結果」に過ぎない。宗教者は、根源を求めずに、専ら、
結果だけを追い求めているのか。
>>816 とりあえず、私よりも使用してる宇宙の数は多い。
なんだよぉ、せっかく、つまらない揚げ足取りしただけなのに・・・・・・・・(-_-;)冷たいナァ〜
819 :
名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 22:28:08 ID:10aeT8qR
宗教は、人間の生命機能のとしての思考や観念作用の「結果」としての「神」
や「宇宙」ばかりを追い求め、それらの根源としての「人間の生命」について
全く思い至ってはいない。浅慮と倒錯の極みである。
>>819 ご隠居が本能を追い求めているのを見たことはないですけど。
ご隠居の宗教は、本能の置き換え。
これに対する、反駁は?
いわば、日本の大東亜戦争も本能のなせる業として、帰結するのがご隠教。
違う?
結局、ここで語られる神や宗教は中2病なんだな。
>>821 どこで、語られてるのが、厨2秒じゃないの?
是非、そのスレ教えて(^O^)/
>>733 生き地獄ってことなら物理的に存在するだろうけど、まあ、伝統的には前者でしょ、としか。
まあ、望み通りに地獄に辿り着いたときにはコメントしまふ。
原罪は、自分は悪くないと思い込む独善的な人間にも問答無用で適用する
力業としては有効だよ。ただし、その為に善悪を知る木の意味の方はぼかされてしまった。
なんだ、可愛毛のないハゲ親父のジェラシーか・・・・・・・・(-_-;)ツマンネ・・・・・・・
>>762,777,778
とりあえず、俺に関する大ちゃんの批評が完全に的はずれなのは分ったw
そして、竹森神学は聖書の誤訳と共に消えるべきものだよ、と。
それと、大王の聖霊は、外から見てる聖霊だよ。
ふう、何を間違えたんだ、それは、北森だったw
とりあえず、大王ドンの批判は間違ってないとは思うんだけど、まあ、大王ドンだからナァ〜
全然、当てにならないのが、いいところ。
俺にとって何が一番違和感があるかって言えば、自然教、有難い今日なんだぞ。。。
そして、ヨハネ福音書第一章は、そこに全てが集約されている。あれが頭に響かない日はない。
・・・というのは大袈裟だとしても、そんな勢いで言っても構わないくらい、大王は見当はずれ。
もうチョイ勘が良いと思ってたんだが。句読点の魔力か、、、
うーん。。。。。。。
大王ドンは意外とノミ心で、批判に関しては概括的か感情的のどちらかだからナァ〜
それが、私には助かってるんですけど・・・・・・・・
まあ、聖書のつまんないところは、私にとっては神はことばだナァ〜
それは、結局、神はことばではないって言ってるんですけど、それを超えてないってことでもあると。
フーテン氏、宗教やめれば?
ん? フーテン氏はただのクリスチャンでしょ。組織内ではどういう位置付けかしらないけど。
その辺はみなさんと意見が違いますね。
>>830 私にとっては、いつのまにかキリスト教の師匠(^O^)/
まあ、どうせ誤解だとは思いますけどフーテン氏には、ことばである限り、仏教もキリスト教も大差ないことを見ているのでしょう。
宗教ってあんまり面白くないよな・・
>>829 やり逃げ癖はともかく、どうも大王の聖霊は精霊のような。。。
俺にとっては、言葉じゃない神に命はないですね。
この言葉に命があった。そしてこの命は人の光であった(ヨハネ伝1:4)
ことばなら仏教の方が面白そうだけど。般若心経とか。物語を聞かされても困るよなぁ・・。
言葉のない神道や、言葉と儀式と瞑想が組み合わさった宗教もあるけど、やっぱ経典の力って大きいよね。
>>833 ただ、ギリギリのところで見てると面白いとは思うんですけどね。
かなり、いやな奴になって、政治にハマると簡単ですけどね。
そんな奴は一杯いるしナァ〜
>>835 そうそう、解釈はつまらないですね。
まあ、2ちゃんは楽しいですけどヽ(^。^)ノテキトー
>>834 フーテン氏は真面目ですよねぇ〜
宗教以外の面白い遊びないかなぁ〜。
曼荼羅でも描こうかな。
結局、自分の体使って人体実験するしか残ってないんだよね〜。他人を使ってもいみないし。
>>839 真面目はmutant氏でしょ。
スタート地点がパウロ教っていうのがなんだかなあ
>>761
いっぱいあるでしょw
お正月は凧上げに独楽・カルタ遊び。
なかなか奥が深いとおも。
とりあえず、宗教板、いろはガルタ?
>>843 私は教義をよく知らないのでわかりませんけど、それでいうなら、私にはサロメ嬢かナァ〜
まあ、まったくキリスト教知りませんので、比較するものがないですけどね。
い いつまでも神はいないと神はいう
ろ 論よりお布施
は はっはぁ〜ん・・・・・お前信者?
俺が真面目だとしたら・・・そりゃ、骨の髄まで一神教だからかな。
ただ、雑談優先で自己宣伝の方をお留守にしてると、仏教的とか、何だとか、かんだとか、
言われるんだよなあ。だから、たまには釘指しとくw
>>845 パウロはほとんどグノーシスですよ。あれだけ働いたんだから、異端宣告は出来ませんけどw
宗教板のクリスチャンでサロメの右に出る者はないでしょうねえ。。。
>>823 え…前者ってつまり普通の感覚の死だよね…それって…
なら永遠の生なんて望まないのであれば
逆に信じなければいいってことだよね… 今まで硫黄の火の中で悶え苦しむとか本気で
思ってたから… そう…信じなければ無になれるのね…
回答d。。
もう一つ、神は居るって教え込まれて素直に居るって思えた?
>望み通りに地獄に辿り着いたときにはコメントしまふ。
詐欺師が天国から? w どんな言葉か楽しみにしてまふ。
>>761 うんだから人間の上の絶対者を認めない人にとっては無理な話になるよね
だから神の存在→原罪観と まず神の存在を認めないと始まらない
>神が絶対善ならば、神の理に外れるものは不善=絶対悪という二元論になると
考えます。 従って、人間が神の理に外れて在る存在ならば、原罪という理に外れた状態を
示すことは理に適っています。
わかるんだけど皆生まれた時から罪人で、赤ちゃんは理から外れた状態と言えるの?
皆赤ちゃん状態で生まれてくる
>この広い世界を創造した神が、絶対善ならば何を意図して不善なるものを創造したのか? 私はこの理を求めています。
創造のはじめの良しとされたっていうの創造の目的こそ完全であれ
被造物の完全さではないからね…
もし一に包括されたままで愛であったのなら愛の実感ってあったのかなと
愛は結びついてこそ愛になるような…
客体を生んだ時点で二になる そこでその二からの一への統一への試み?
そこのプロセスにこそ意志の意味が生まれるというか…
>>844 宗教板かるた
い: いかれた あたまの しゅうきょう やろう
ろ: ろん より しょうこ は みせられません
は: はじまりと おわりのことは わからない
に: にんげん かくめい よみなさい
ほ: ほんとかよ それ ぜったい だまされてるよ
へ: へんじがない まるで しかばねのようだ
と: とんで ひにいる ゆいぶつろん
>>849 また理屈にはしってるねぇ〜。宗教なんだから整合性なんてなくていいって言ってるのに。教祖が空を飛ぶっていったら飛ぶんだよ。
>皆赤ちゃん状態で生まれてくる
あなたは赤ちゃんじゃないんだから全く関係ないじゃん。妊娠でもした?
>愛は結びついてこそ愛になるような…
だから、理解からくる愛なんてないんだよ。恋愛小説でも書くの?
イエスは座して喋っていただけじゃないのに。
聖書の言葉だけみて、聖書に書かれているイエスの行為はシカトなのね。
ほんとご都合主義だよな〜。
釣り針がでかすぎたか。
>>851 …なんなのこのやる気なくす突っ込みは。ww
妊娠もしてないし、恋愛小説も書かないって。w
>また理屈にはしってるねぇ〜。
神の意には整合性あるはずだから
>だから、理解からくる愛なんてないんだよ。恋愛小説でも書くの?
なら神は愛=一のままでよかったじゃない
会えない時間が愛育てるとかいう歌なかったけ
離れてみてわかることもあるでしょ?
>>848 >神は居るって教え込まれて素直に居るって思えた?
いるとか、いないとか、そういう風には教わらなかったし、別に気にならなかったなあ。。。
聖書は好きで自分から読みまくったけど。子供の頃から印象に残った聖句は、十戒の第三戒
あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに
唱える者を、罰しないではおかないであろう。
これが、やけに嬉しかったな。
>>849 ヒント
創世記で、神は人についてのみは、良しとされていない。
>>852 三日坊主が何を言うw
>>854 >神の意には整合性あるはずだから
整合性って言うのは論理値表をつかって真の値が出るって事?
神の事以外で整合性のある例を出してみてよ。
>離れてみてわかることもあるでしょ?
出会ってもいないくせによくいうよ・・
童貞の中学生男子が女は女神だといってるのとかわらんじゃん・・
キリスト教について話す時は、みんな笑顔で楽しそうだなw
仏教について話す時は目が吊り上がってるのにwww
仏教って宗教のくせに輪廻転生があると本気で思ってるからねぇ〜。クリスチャンは神を疑っているから。
>>860 所詮その程度かw
キリスト教に目が眩む筈だわwww
>>859 それって、キリスト教の方がましってこと?
>>855 へぇー。。 じゃぁ強制でなく自然に居るんだなって思ったから疑いもなにもないか…
どういう風に教わったの?
自分から聖書に惹かれたんだ。。
惹かれる前に読まされてたから義務みたいな私はイメージ
なんで?みだりに唱えるものが周りに多かったの?w >これが、やけに嬉しかったな。
でもなんか静かな内に秘めた信仰って感じがする 多くを語らないのもそのせい?
>>856 ?目的は完全であれ被造物は完全じゃないって私書いたよ?
不完全が完全へ向かう成長ストーリー
>>862 ある意味ねw
キリスト教は仏教ほど
解釈の幅・アレンジを許さないからw (たぶんw)
自灯明とかいうなら宗教を名乗るんじゃない!w
真鍋のウエディング(´д`*)ハァハァ
すまんw 誤爆だwww
仏教も結婚式に力いれろよなー。女の客とられちまうぞー。
誤爆にレスしちまったじゃねーかw
とても誤爆に思えんw
仏教は第一結集で破綻。
キリスト教やイスラム教は旧約のおかげで助かっている。
875 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 01:59:48 ID:aelOnA2R
>>865 >自灯明とかいうなら宗教を名乗るんじゃない!w
人間が、神様・イエス様などに頼らないで、自分の力と判断で生きられる
ようにするのが、本当の宗教だよ。何を勘違いしてるの。
イエスが「あなたの罪を悔い改めよ」「私を信じなければ裁かれる」と言って
脅かすキリスト教は、宗教とは言えない。単なる脅迫。
>>872 『縁起』を、釈尊以前に(或いは、この世の真の姿の在り様として)あったもの、
と捉えるなら、その通りでしょうw
その代わり、聖書のような『でまかせ』ではないということにもなるがなwww
>>876 脇の下から生まれた奴の教えなんて、しんじられるか!
処女に代理出産させればイエスの完成。
>>873 破綻と言うなら、釈尊在世当時から、
細かな律や学処の制定が必要になった時点でオワットルwww
有象無象の集まりは低きに流れるより他はないw
>>877 セックスなしで生まれるよりマシだと思われるwww
しまったw
防護壁を建てられたかwww
なぜ、わきの下から生まれたかってことに関する、ひさうちみちおのマンガには、昔感心した。
毛の下ってのが、ポイントらしい。
>>879 つうかキリスト教はともかく、イスラム教は優れているよ。まじで。
883 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 02:10:43 ID:aelOnA2R
>>877 夫あるマリアが姦通して生まれた子の教えのほうが、もっと信じられない。
現代なら、不倫して子が出来たのに、「聖霊様と不倫しました」などと言ったら、
張っ倒されるよ。
>>881 つまりアラブの男の口から生まれる可能性もあると・・。
そいつの教えは聞けないな・・。
>>883 いいじゃん、不倫の子が救世主だなんて。王族の釈迦よりも説得力あるよ。
887 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 02:19:58 ID:aelOnA2R
889 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 02:25:32 ID:aelOnA2R
>>886 イエスの教えを信じた人間は、史上、数億人、数十億人の人を殺し、
現在も絶え間なく殺し続けている。
釈迦の教えを信じた人間は、2500年間人を殺していない。
この差は、イエスと釈迦の教えのどの部分が原因だと思うか。
理論的に分析してみて欲しい。
いや〜びっくりだな。やはり固定観念のない外部者の方が素直に本質をつくもんですね。
>>788 ズバリです。
カタコンベではローマからの圧制を避けるための地下活動でしたし、現在ほど
体系だったものができていませんでした。ですから、賛美といっても、単純な音階を
唸るように歌っていたらしい。そして、交わり。
他の人とも神にあって家族であるという、素朴な交わりを重要視していたらしいですね。
今の教会は誤謬解釈による言葉に呪われていますから。
伝道も形式も捨てて、皆でお茶飲みながら聖書読んで終わりって感じの礼拝で
十分だと思うのです。
私が教会に主張するのは素朴さですね。
叙階やら献金やら伝道やら皆下らない。
第一伝道って言ったって道を知らない人間が何を伝えるんだ?って思うし。
>>849 だから、私は無神論も強力な信仰体系の一つとして価値を認めてるよ。
神がいないから罪も救いもない。
ただ、それじゃあまりに人生が無味乾燥だから私は信仰採用だけどw
創造に神秘を感じてたほうが楽しいしね。
赤ちゃんは何もない。混沌。
苦楽もないから天国、地獄もない。
問題は肉体じゃなく、その魂だと思う。魂が自由意志を行使できる状態に
光を目指すか、闇を目指すか。
>>843 パウロってほとんど意識してないんですよね。。。
確かに言われてみるとパウロってグノーシスかもね。。。
グノーシスも捨てたもんじゃない。なかなか楽しいですよw
ただ、ほとんどの人に誤解されてグノーシスってキリスト教異端みたいに
言われますが、本来グノーシスの方がキリスト教より先行してますからね。
むしろキリスト教とグノーシスが混合しあいながら、結局キリスト教が政治的に
排斥していったようなもんだし。
自由意志論にしてもそうでしょう。アウグスティヌスがペラギウスと闘って
キリスト教正統とされた予定説は、今のカトリックは実態上ペラギウスになってるし。
せいぜい、原罪を間に入れることでセミペラギウスで収めてますけどね。
ここいらへんも、私は不信に思うし、方便だなと感じるのです。
器は霊の世界で完成してるのですよ。
現世においての組織は社会的でしかありません。断言。
893 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 02:45:45 ID:aelOnA2R
>>891 >問題は肉体じゃなく、その魂だと思う
君の肉体がなくなったら、魂(精神)もなくなるよ。君は本末転倒の典型。
>>890 あとは土葬ですかねぇ・・。
信教の自由があるはずなのに、死体の処理の選択肢がないんだもんな。
疫病対策とはいえ、みんな火葬っていうのもねぇ・・。
>>893 ご隠居歳の割りに随分夜更かしですね。
私の周りの年寄り連中は皆夜も朝も早いのですが・・・
ご隠居、肉と精神と霊は相関しあってるんです。
本来反発しあうものがなぜ、同居せらるように創造されたか?
それこそ、創造の意思なのです。
ご隠居が主張する無償の愛を貫けばご隠居の魂も神に近いですよ。
創造に感謝し、委ねながら生きましょう。
896 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 02:50:14 ID:5EaDK/gD
キリスト教徒は自分らの神が絶対だと信じるから、他の信仰をもつ者を排斥し、豚とみなす。神の名のもと戦争もする・犯罪もやる。神に懺悔すれば、総て許されるから。仏教には神がいない。教義は正しく生きること・この世の真理に目を開くこと。争う道理がない
>>894 それは日本国憲法で定められてますからね・・・
でも、土葬って確かに神秘的ですよね。
土葬の精神性は復活を祈願してだろうし、そこには魂の永遠性を認めた宗教性が
あるんですけどね。
地頭と赤子には勝てません。
あ、落ちます
ノシ
まあ、カタコンベのないキリスト教がご隠居なんですよ。
ご隠居にだまされてはいけない(笑
901 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 03:01:55 ID:aelOnA2R
>>897 土葬しても、身体が腐れば魂などない。
君は、火葬で灰になるのではなく、土葬なら何とか生き返れるとマジで
期待してるのw。君の子供にそんな話はしないほうがよい。馬鹿にされる
だけ。
>>896 佛教でも神はいますよ。初期仏典にも度々登場するじゃないですか。
ただ、認識論として神なるものはいないっと空を説くわけで、
実在そのものを否定してるわけではないですよ。教義としては
正しさもない。ですよw
あと、度々私が主張するキリスト教というか向こうは対象としての神しか
認めないから、対立概念になってしまうんですよ。イエスは天国とはその人のうちに
実現するとも言っています。
逆説的には地獄もまたその人に内在するのです。
キリスト教は本来イエスが言っていた内省を怠ってきた。
ところが、グノーシスは瞑想法の確立や魂の向上を謳っているのですね。
むしろ、グノーシスの方が真理に近いとも感じます。
昨夜も言いましたが、イエスの言っていることはラテン系の人間に改竄されてきたんですよ。
903 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 03:07:47 ID:aelOnA2R
>>902 >佛教でも神はいますよ。初期仏典にも度々登場するじゃないですか。
それは、バラモン教の神が残っていただけ。
釈迦が、外在の神を「無記」として考慮しなかったことは、彼の類まれな
偉大さを示す。そのお陰で、何億人、何十億人の人間の命が助かったか。
イエスとは、レベルが大違い。
>>898 おやすみなさい
>>900 休暇に入って夜更かしですか?w
私も明日はゆっくり部屋の掃除です。
>>903 まぁ、そこが偉大さであり惰性であり・・・なのですが。。。
西洋がジャイアンなら東洋はスネオでしょうか・・・
釈迦でさえ無記としたことに、在るを真と仮定した前提で
さらにその在るもののベクトルを探る
>>891 うん だから無神論が多い国では広まらないねって話で
私はただシンプルに創造に感謝し神の方に意志を向けることだと思ってるよ
(実行してるよとは別ね…。w
>>857 屁理屈こねるほうが子供じゃん って私もか…うーん神以外では法則とか?わかんない
>>906 無神論というか価値体系が煩雑・相対化したから対象の意識がもっと物質的に
なったのでしょう。
自然に左右されてきた生活では、どうしても人為以外の力を感じたからこそ
自然発生的にアニミズムが生まれたのだし。
それが科学の発達で自然の脅威からの防護を始めたので神意への関心が薄れてしまった。
あなたがここにいるという存在そのものが神秘なのだけどねぇ。。。
では、寝ます。
おやすみなさいノシ
909 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 03:32:14 ID:5EaDK/gD
インドで生まれた仏教は古代ヒンドゥー教の影響も多々あり、仏典には多くの神が記される。これはどちらかというと、ヒンドゥーの神である。梵天など。正しく生きることは、ブッダのいう八正道の実践に他ならない。空も唯識の思想の一つで、仏教の本懐ではないので、勘違いするな。
>>909 神にヒンドゥーも佛教もキリスト教もないですよ。
それこそ「無い」です。
あなたを創造した意思があるかないか、それだけです。
釈尊の本懐が四諦八正道というのは異論ありません。
ただ、竜樹の唯識もまた初期仏典を体系だてたものでしょう。
スッタニバータに空が記載されてますよね。
いきなりアゲなので、ご隠居と思いきや・・・別人ですのね・・・
それではもう眼が重くてしょうがありません。。。
また後ほど・・・
>>906 難しく考えないで。
神についての整合性をはかる前に、整合性そのものの定義についてあなたの中で結論を出してくださいといっているだけ。
あなたの整合性の基準がふらつくと答えてる方はアホみたいじゃん。
あなたが基準をだしたら、そこではじめてまわりの人間が基準にそって答えればいい。
基準を都合よくかえて堂々巡りの議論をして遊びたいならそれはそれで構わないけど。
>>908 あっ、気がついたら私も寝てた(^_^;)おっは
ムータン氏とレス交わしたかったのに・・・・・・・
すいません(-_-;)
>>910 > 神にヒンドゥーも佛教もキリスト教もないですよ。
> それこそ「無い」です。
> あなたを創造した意思があるかないか、それだけです。
やっぱり、ムータン氏のそれは、無宗教に近いんですね。
フーテン氏もかなりの不良だと思ったけど、
ムータン氏は異端の匂い(笑
大王ドンの方が、真面目なのかも。
このごろ、サロメ氏が噛み付く気持ちがわかってきたヽ(^。^)ノ
同じキリスト教でも、これだけ違うんだナァ〜
おもしろいなぁ〜(^^♪
>>907 幸せが貨幣で計られるようになったので、社会的な価値観が統一されたんだと思いますよ。
そして、その基盤が崩れる恐れが今あるんだと思いますよ。
その理由で一番わかりやすいのは、アメリカも日本も債務超過で、先進諸国がほとんどそうなってるという事実でしょう。
それは、単純に、国の財政運用はすべて失敗しているということで、そのツケが、結局、社会福祉サービスの削減と生活保障の危機にあらわれているってことだと思います。
日本の高齢社会に至る今の現状が象徴的なのでしょう。
この解決は、行政サービスの見直しと効率化が必要であり、増税による赤字補填は、景気回復にブレーキをかけるために無能な選択となるでしょう。
民間が出来ることが、なぜ、行政側でできないのか?
それは、結局、政官財の効率を無視した利権構造が税金の効果的な使われ方に歯止めをかけているから。
これは、どこが悪いと言うのではなくて、システムそのものが、限界ってこと。
そして、経済も生態系全体を考えた経済成長を考えていかなければ、人類の種の危機が迫っているという事実。
まあ、無視しようとすればできるんだから、無視してるんでしょうけどね。
自然災害による財政破綻。
まさに身近な危機なのかもしれないのに。
結局は、貨幣で計られる幸せって価値観が、ウソってことなんですけどね。
ただ、ムータン氏もフーテン氏もサロメ氏も共通してるのは、他人の宗教は尊重しようという態度では一致してるとこ。
同じ宗教内では、教義や信仰については、まあ、批判しあってますけどね。
でも、信仰という点では、尊重してる。
この辺は、ご隠教とは違うのかな・・・・・・・・・
まあ、ご隠居も信者を批判してるわけではないって、いつもいってますね。
まあ、脳味噌どビューんって、内容はかなりカゲキですけどね。
>>891-892 >創造に神秘を感じてたほうが楽しいしね。
ほんとにそうでしょうか?
私には、仏教的な苦の方を強く感じるのですが。
神秘主義が今の私には難しい話しになってるなぁ〜
> 器は霊の世界で完成してるのですよ。
> 現世においての組織は社会的でしかありません。断言。
これの意味がよくわかりません。
説明求む(^^♪
>>892 俺としては、キリスト教がグノーシスの影響を受けすぎる時には異端だと言ってもいいw
真理が何かなんていう決着の付かない問題ではなくて、
実生活に役に立たないものは異端、と言う基準からです。
>>902 俺は、イエスがグノーシス的でないから好きなんですけどね。
そして、ムータンさんの意見とは違う意味で、キリスト教的でもないこと。
イエスはパウロと違って、どこまでも現世的で明るい。
現世に縛られることなく、目を瞑るわけでもなく、現世に生きてるんです。
>>917 そのグノーシスって、現世否定って意味ですかね。
私もそれには、同意ですね。
名前がイエスなのに、ノーでは、語彙矛盾ですヽ(^。^)ノってかぁ〜
確かに、イエスには宗教に囚われない自由度がありますね。
ユダヤ教の批判というよりも、それを超えているところの自由度ですかね。
でも、人間を好きになることと、宗教に所属することは別です。
いや、同じかな・・・・・・・
まあ、いいけど(笑
919 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 11:37:47 ID:v7RnLUlg
キリスト教禅グノーシス派
あ、途中だった。
> 器は霊の世界で完成してるのですよ。
> 現世においての組織は社会的でしかありません。断言。
霊は、そんなヤワなものじゃありません。教会なんか一発で吹き倒せる突風です。断言。
>>913 キリスト教の神学書なら、大ちゃんの方が博学みたいですねw
教会のソムリエの方も(w
俺は、旧約の方を重点的に見るから、キリスト教神学の方は、
基礎以外は、そんなに重要視しない。ご隠居が嫌いなバルトは好きですけどね。
日本人の神学者と言えば、一番重要な人は完全に埋もれてしまってるなあ。
しかし、大王教は、神学書ばかりで聖書が見えてこないような。。。
>>759 そもそも神がいるとは思わないんです。
神とは人の概念から生まれたものなら、人の意識から離れて存在することはない。
たとえ離れたものを描いたとしても、それは意識的に離したのであって同じ。
人間はまったく理解できないものを認識しない。
それに目に見えないものを必要以上に考えるのは好ましくないって考えるから、
必然的にそうなるんだと思うし、実存的だといわれることは俺にとっては喜ばしいことかも。
>>913 三者三様の神観があるんですw
私は、むしろリアリスティックに宗教を概観した後に、本質を探ろうとするものだから
その前段階で信仰しているサロメにとっては心中穏やかならぬわけですよw
私は当たり前のことを話してるつもりでも彼女にとっては信仰基盤への挑戦に
映るわけですね。
もちろん、オーソドクスを正統とするなら、私は異端です。異端からも異端視されるでしょうw
だから隠遁するんですよ。別に組織に迎合して、構成員の振りをするのも
アホくさいですしね。あくまで一求道者でいると思いますよ。
ある一面でりょんさんの主張も部分的に頷けるんです。
っというのは神は人間が意思した範囲内で語られる、神は人間が生み出したもの。
これも限定存在の範囲では真だと思います。
そして、この限定存在は語る側だけの話ではなく、語られる側、聞き手においても
同様ですね。
語り手と聞き手の神が果たして同じ神であるのか?というとそれは違う。
輪郭や共通のコンセンサスを得ながらも厳密にはやはり同じではないんです。
神も人間意識のうちには相対した存在なのですね。
しかし、私とりょんさんの違いは、それら人間の意識を超えた不可知の領域に
神は存在する。つまり、神秘を信じてる点です。
ですから、私は神は人間が生み出したということにはなり得ないんです。
現象が全て唯識で片付けられるのならば、自然科学はここまで発達しなかったでしょう。
科学も、未知への挑戦によって進んできたのですから。
>>918 俺にとっては、宗教は、まずは教会学校から始まる、地味な地味な教育ですよ。
宗教教育と伝道は、自分が天に昇ることは断念して、神を地上に引きずり下ろすことです。
>>828 絡みますねw
自然も何も別に何も感じないならありがたがる必要もない。
ただ、宗教者たちが言う、神が作った偉大なものとか
神の奇跡とかは全て自然や人間の偉大さの現われで。
感謝するとすれば、その矛先は自然や人間であるのが本来。
神をありがたがるのは感謝の矛先を間違えてると思う。
>>922 >私は、むしろリアリスティックに宗教を概観した後に、本質を探ろうとするものだから
>その前段階で信仰しているサロメにとっては心中穏やかならぬわけですよw
私は信仰ないですけど、そんな単純でもないと無宗教ながらに思います(^^♪
やっぱり、mutant氏がキリスト教を名乗る以上は、内部の教義批判とガップリヨツに組む必要はあると思います。
まあ、うざいでしょうけど、仕方がないと思いますよ。
しかし、ムータン氏は面白いなぁ〜
話は結構前後してるので、矛盾点が曖昧になってますけど、全然、理詰めではないんですよね。
神へ集約することを重視していると言う点で、理詰めなんですよね。
概括的には、ほとんど、どうでもいいと思ってる。
ほんとのところ、ムータン氏もキリスト教はどうでもいいんじゃないの?
それでは、サロメ氏に噛み付かれますよ(笑
まあ、おとなしいフーテン氏にも(爆
まあ、違うっていうのはわかりますけどヽ(^。^)ノ
>>916 結局、答えは不可知であるという答えが待っているんですw
ただ、不可知だからこそ、永久に探り続けられるわけで、価値が一元化されていく
という意味では苦しみも増すでしょうね。
ただ、私はこの相対した世界に飽きがきてるのでしょう。
社会的に財と地位を得て、家庭を築き、自分の余暇を楽しむといった一般的な
幸福像が私には、飽きでしかないのです。
もちろん、生活保護上装ってはいますけどね。
むしろ、創造は刺激的です。何気ない草木を見ても刺激されるものがあります。
創造に意思があるならば私は人生を賭けて追求してもいいと思っているのです。
結局、人は何を選択しどう生きるかではないでしょうか?
そこには個人の選択という意味でしか価値はないでしょう。
他者があれこれ言うものではないのです。
器に関してはつまり霊的な共同体という意味ですね。
教会では現世での共同体を主張するのですが、上記のように限定思考の集合体に
完全な器はありえない。あるのは、組織という名目を維持するだけの牙城だけです。
絶対的な、価値による器は一によって実現され、また、実現しているという意味です。
ですから、
>>920の主張がいまいちわかりません。
器は完全を示唆しています。つまり一なる神の総体ですから、ヤワどころか
完全ですよ。
927 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 11:54:57 ID:md+aXCdb
>>895 >ご隠居、肉と精神と霊は相関しあってるんです。
>本来反発しあうものがなぜ、同居せらるように創造されたか?
>それこそ、創造の意思なのです。
精神は、専ら身体(生命)の維持のためにあるもの。身体が消滅すれば、精神も
消滅する。しかし、精神が消滅しても身体は消滅しない。「植物人間」を見よ。
「創造の神秘」を言うなら、それは知覚可能な「被造物」の中においてしか
求めることが出来ない。「創造されたちっぽけな脳」で創造の神秘や創造した
者を思考することほどの論理矛盾、傲慢不遜、冒涜の行為はない。君が本末転
倒の典型である所以である。
>ご隠居が主張する無償の愛を貫けばご隠居の魂も神に近いですよ。
>創造に感謝し、委ねながら生きましょう。
「神に近い」どころか、すべての人間は、その「生命」の故に、既に神である。
それ以外の神などいくら思考してみても、その思考自体が生命から発している
という事実から免れることは出来ない。生命のみが、まさに「一」である。
善も悪も、思いやりも憎悪も、喜びも悲しみも、すべてその「一」から発し、
「一」即ち身体の生存に奉仕するものである。それら「すべて」を含むもの
が、神即ち生命である。いずれか一方だけでは、他方の存在も有り得ない。
君は、大いなる勘違いをしている。それが、すべての宗教者に共通する、浅慮、
倒錯である。
>>891 罪も救いも人間社会にあるんですよ。
人間と人間の間、自然と人間の関係に救いはありますよ。
それは無味乾燥ではなく、相互効果もあります。
人がそれぞれに神を持ってそれをひたむきに信仰することは社会のもつ力が損なわれる可能性さえあると思う。
創造に神秘をというのは、個人的な趣味ではないかと思う。
趣味を否定するつもりはもちろんありませんけど。
>>925 正面からよつに組み合おうとすると彼女は逃げるんですよw
だって、今のキリスト教は三位一体を謳いながらも旧約神と新約神の神格が
分離してますからね。
旧約の神っておっかないでしょ?預言者達なんて「自分の人生」なんて
ヒューマニスティックな考えは許されなかった。神の言を取り次ぐために
強制収用ですwそれでいて、民衆に喜ばれることを告げるならまだいいものを
「あなた方はこのままじゃ滅びますよ」なんて挑発しなきゃいけないんですからw
新約の神はなんでも赦してくれる。同性愛でもなんでもありの神。
結局、今のキリスト教は自分がロゴスになってるんです。
初期定義からして狂ってるんですよね。よつになっても逃げるわけですよ。
ただ、サロメはヒステリーに論でなく石を投げつけてくるからもう絡みたくないだけですw
>>924 何が人間で、何が自然で、何が本来なの?
人が認識している自然はそのままの自然じゃなくて自分のフィルターを通した「自然」
人間もまた然り。だから、人間、自然と言っても、
客観的に見れば、その不自然さでは神と変りがなく、感謝の矛先はこうであるべきという
理由にはならない。
そして、俺の主観を言えば、創造信仰の方が遙かに「自然」に信じられる。
@一神教代表
>>926 >創造に意思があるならば私は人生を賭けて追求してもいいと思っているのです。
創造に意志があるとしたら、それは無情です。
自分の人生以上に賭けるものなんて存在しないでしょう。
だから、神も宗教も存在しないって、考え方があり得るんだと思いますし。
>結局、人は何を選択しどう生きるかではないでしょうか?
>そこには個人の選択という意味でしか価値はないでしょう。
>他者があれこれ言うものではないのです。
その通りなのですが、そこで、個に埋没する方向は間違いだと思います。
都会の宇宙人的な雑踏の中で、楽しく放浪して社会に関わるのならわかりますけど。
もちろん、他人がとやかくいう問題ではないと思いますけど・・・・・・
> 器に関してはつまり霊的な共同体という意味ですね。
> 教会では現世での共同体を主張するのですが、上記のように限定思考の集合体に
> 完全な器はありえない。あるのは、組織という名目を維持するだけの牙城だけです。
> 絶対的な、価値による器は一によって実現され、また、実現しているという意味です。
器って、全体的な存在ってことなんですかね。
器という表現からは、肉体というような物質的な存在かと思いました。
でも、サロメが噛み付くのは、まったく、見当違いってわけでもないからなんだよなぁ〜
まあ、こういうと怒るかもしれないですけど、ムータン氏が気づいていないことを、サロメが気づいているって事はありえるんですよね。
彼女も伊達に、放浪しているわけでもないと思いますし。
面白いと思います。
>>930 俺が思う自然とは世の中の全てですよ。
俗に言う自然といわれる野山も石ころも空気も、人間が作った建造物さえも人間自身さえも自然ともいえると思ってる。
それらを作ったり破壊したのは神ではなく、自然そのもの。
本来というのは概念の神ではなく、その自然の産物に対するって意味。
>>925 確かに思想的にキリスト教はどうでもいいw
ただ、私はクリスチャンなんです。
クリスチャンの語意は「キリストを信じる者」です。前にも書きましたが
聖書には拘っていますし、時間をとって研究したいとも考えていますよ。
ただ、私は神意は全ての被造物に顕現すると考えてますから、その点で
宗教といった枠組みに対する拘りはないのでしょう。
概ね、宗教家を騙った詐欺師みたいなものもいるし、組織は信用できないですね。
個人の在り方を重要視します。
>>929 ムータン氏のアプローチが、宗教的な方向と、科学的な方向と両立しているところが間違いなんじゃないんですか?
しかも、ムータン氏はロジックを選択していないんですよ。
これは、面白いことなんだと思いますけど。
>>926 >社会的に財と地位を得て、家庭を築き、自分の余暇を楽しむといった一般的な
>幸福像が私には、飽きでしかないのです。
>もちろん、生活保護上装ってはいますけどね。
財と地位を得なくてはいけないということはありませんし、家庭も持ちたくなく持つのは無責任です。
生活保護上装うなんて感覚では苦しみも増えるのかもしれません。
その逃避として宗教があるなら理解します。
なんとなく、自分の現実に言い訳しながらつばを吐いてるイメージあるなあ。
936 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 12:19:17 ID:md+aXCdb
サロメも、イエスによって精神を狂わされた多くの犠牲者のうちの一人に
過ぎない。
イエスの血をすすり、肉を喰らいたいと言っていた。精神病以外の何物
でもない。
彼女の女としての性欲の倒錯という、精神障害の症状ではないか。むしろ
生理的な異常性を感じるね。
>>933 教義論争する気はないし、俺は組織擁護に回ってるのとは違うんですけどね。
むしろ俺自身一匹狼だから、そんな立場になるのが我ながら不本意なんです。
組織は個性を認めないに決まってるし、組織批判は構わないけど、まず基本的なこととして、
組織を作ってるのが人間だということを忘れて、組織を批判しても意味がないんですよ。
そして、サロメがいれば心理学的なアプローチが出来ますが、ムータン氏は人と人の
関係を切って、自分と神だけの関係にしようとしてるから、自分以外の個人の在り方を
認めることがそっちのけになってるんです。
>>938 それでかあ。
なんか違和感を感じてたんだけど、よく分かってなかったw
あ、ムータンさんにね。
>ムータンさん
ムータンさんの神はムータンさんの今の在り方を歓迎するんですか?
>>931 >>創造に意志があるとしたら、それは無情です。
自分の人生以上に賭けるものなんて存在しないでしょう。
だから、神も宗教も存在しないって、考え方があり得るんだと思いますし。
その通りです。無情なんですよ。
しかし、自分の人生とやらに固執する理由も見当たらない。
相対主義、ヒューマニズムの世界は私にとってはあまりにつまらなすぎる。
だからこそ、神秘に憧れるのでしょうねw
>>931 個に埋没するのではなく、選択意思の尊重ですよ。
イエスも言っています。
マタイ 10:14 あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を
傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を
払い落としなさい。
神は人間に選択意思を与えたんですよ。これがとても重要なことなんです。
だから、共に求道する人とはもちろん啓蒙しあうでしょう。
特に既成組織には拘らないという意味だけです。
もちろん、サロメが気づくところもあるでしょう。私は組織を外れるということは
ある面、組織からの保護を外れ、外道にも陥る可能性が十分考えられますからね。
まぁ、これは組織にいても同じですが。
サロメが私を説伏したいのであれば、論で向かえばいいだけです。
サロメが是ならばどうどうと立ち向かえばいいじゃないですか。
942 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 12:29:00 ID:md+aXCdb
>>937 >では、正常な性欲とは?
不特定多数人が持って、実行しているものだよ。
人間界は原初から共同体。異常とは、不特定多数人の標準からの偏移をいう。
性欲異常は、精神医学による治療の対象である。
サロメに意味を認めるフーテン氏も君も、イエスのの狂気の犠牲者という点では
全く同じ。
>>942 >異常とは、不特定多数人の標準からの偏移をいう。
まあまあだな。
でも、ご隠居はいつも権力に対しては、概ねいつも奴隷的なんだよな。
正常なんてものは、なんの意味もないよ。
>性欲異常は、精神医学による治療の対象である。
オイオイ、勝手に他人を性欲異常にするなよ(笑
>イエスのの狂気の犠牲者という点では全く同じ。
ノー\(◎o◎)/w!
笑
>>935 りょんさんのいう幸福とはなんですか?
>>940 歓迎しないでしょう。
それはほとんどの人間に言いえることでしょうが。
>>938 うーん・・・選択意思は尊重してますよ?
人と人との関係も社会上は作ってますし、公益を意識して動いているつもりですけどね・・・
だって、私がいくら自己主張したところで聞き手によってほとんど伝わるものでは
ないし、拾うも捨てるも選択意思でしょ?
先にも書いてますが、私は共に啓蒙できる人とは啓蒙しあうと思いますよ。
別に閉じるのではなく、選択意思の尊重です。
>>932 だから、りょんちゃんにとっての自然は、既に自然ではなくてりょんちゃんの概念なんだよ。
単に論理的に。だから、俺が見る自然とりょんちゃんが見る自然では違う。
認識論を振り回しても仕方がないけど、論理的に考えれば、自然な自然はない。
だから、創造神は概念だからと言うのは、理由にならない。どっちが本来と言うこともない。
俺の神と、りょんちゃんの神の違いだと思えないかな?
>>941 > サロメが私を説伏したいのであれば、論で向かえばいいだけです。
> サロメが是ならばどうどうと立ち向かえばいいじゃないですか。
問題は、ムータン氏が理にないってことなんだと思いますよ。
そして、サロメ氏もそうなんですよ。
だからこそ、私が最初に感じた違和感が生じたんだって、今では納得してますから。
つまり、ムータン氏が感じるほどに、違ってはいないんです。
ただ、分かり合えるかどうかはわかりませんけど(^^♪
まあ、ムータン氏がどこまで、語ってるのかってことは不明ですけどね。
>>935 俺の場合の幸福とは俺自身が自分に自信を持てることが一番ですかね。
納得行くいき方とか、ですか。心のあり方でしょうし。
言葉では難しいけど、俺はかなり幸せは多いと思ってますよ。
「ほとんどの人間にいえる」というのは、ほとんどの人と自分で比べれて問題ないって考えですか?
それとも人と比べたらましだと?
>>941のレスも自分の人生をどこによらせるか、社会か概念か。
現実的か、非現実的か、自分の人生に固執はしてないとは思えないけど。
むしろムータンさんは強いんじゃないだろうか。
非労働収入とか言うけど、もしも、それが飽きの姿勢そのものであるなら、
社会を都合よく用いて自分の趣味を大事にしてるのに他ならなく思えるけど。
ははははは。 都心の使われなくなったチャペルをゲットできそうだぜ〜!!
神様感謝!!
>>945 正直、フーテンさんの信仰や考え方は俺の考え方に置き換えが可能な気がしてます。
俺の言う自然もフーテンさんの言う神でも創造でもおそらく同じことなのかもしれないし。
人は概念を超えないと俺が思う時点で、誰もそれを超えない。
むしろ、そこから離れたと考えてる概念に違和感を感じるんですよね。
俄然やる気が出てきた。キリスト教の勉強するぞ〜。神学講習にも通うぞ〜。
>>944 >人と人との関係も社会上は作ってますし、公益を意識して動いているつもりですけどね・・・
組織か、個人しかないんですか?
人と人の健全な関係は、社会にも公益にも関係ないし、そんな必要もないですよ。
>私は共に啓蒙できる人とは啓蒙しあうと思いますよ。
「共に啓蒙できる人」の基準は何なんですか?
>>938 キリスト教系(或いはイスラムも含め、一神教系列)の
核(コア)・出発点は、神と私との対面(→契約?)から始まるものではないのですか?
神と自分との関係が確立された(或いは未だ確固たるものにならずとも、見出された)その後に、
その関係が軸となり、外へ開いてゆく(→他者への働きかけとして顕われてくる)、
そのようなものではないのですか?
まったく、なにを悪巧み考えてんだが・・・・・・・・
無宗教者は、結局、神様に照れてんのか?
恥ずかしがり屋さんの人見知りって見抜かれたら、かっこ悪いゾォ〜
954 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 12:45:44 ID:md+aXCdb
>>930 >何が人間で、何が自然で、何が本来なの?
>人が認識している自然はそのままの自然じゃなくて自分のフィルターを通し
>た「自然」人間もまた然り。だから、人間、自然と言っても、
>客観的に見れば、その不自然さでは神と変りがなく、感謝の矛先はこうであ
>るべきという
宗教者お決まりの、観念の遊戯による現実遊離。人間界は徹頭徹尾「共同体」
だから、自然(現実界)とは、生存共同体の不特定多数の成員によりほぼ同一に
知覚される物をいう。それ以外では、人間の生物的生命が維持できないから
である。
君は毎日どうやって生存しているのかを振り返ってみて欲しい。君の生命が
なければ、君の宗教も、神も、「神に成り変って神を自分勝手に解釈すること」
も、すべて不可能になるということさえ自覚できないのか。
>>952 仏教の悟りはそれに近いでしょうねぇ〜
まあ、神は仏あるいは自己なのでしょうけど。
キリスト教はどうなのでしょうね。
対話をしいてはいない気がしますね。
>>949 だからさ、違和感あったって構わないジャン。
現にキリスト教徒同士でもこれだけ仲良く?喧嘩できるんだからw
>>1のテンプレは俺の真面目な信条なんだよw
>>950 何度目の不正直?
ノシ
>>ロジックでは限界があるというだけです。
ロジックを無視してるように思ってます?
それでしたら誤解ですよ。どこを読み取ってそう感じたのかわかりませんけど。
>>946 >>問題は、ムータン氏が理にないってことなんだと思いますよ。
わからないですね・・・説明頂けますか?
>>947 幸せは量的に測られるものですか?幸せが少なくなると不幸せになるのですか?
自信がなくなったら不幸せになるのでしょうか?
ちなみに誤解されてるようですけど、私は不労所得と言ってももちろん因が
あるわけで、過去生産の果実が続いてるだけです。現段階の生産所得も得てますよ。
生活の安定、社会における自分居場所というものももちろん大切です。
これも私はありますし、感謝しています。
ただ、これは揺れ動くものであり、相対される幸せです。
相対的に人生とは無常なものです。幸せがあるから不幸があるのです。
そんな一時の幻に安住できるほど、私の心は豊かではないのでしょう。
>>954 ご隠居、ご隠居、私にレスだよ、私にレス(笑
浮気もんは嫌われるゾォ〜
ちなみに
>>953はてすとたん
>>953 もしかして。。。俺にだったりします?w
そんなんじゃないですけどね、新しい刺激ではありますけど。
ムータンさんは風氏に似てるって意見あったけど、確かに似てるかも@批評?
>>956 違和感と違和感で意見交換できるのはよいことじゃないですか?w
>>951 人と人との健全な関係ってなんですか?
啓蒙し合える基準は、創造の意思を信じてるか否か。不可知を信じるか。
それだけです。
神の名を持つ人とは恐らく難しいでしょう。
フセインの死刑が執行されたようですね。殉教者誕生。
>>952 上を向いて座り込んで、神と対話してますなんて、誰でも言えるでしょう?
本当に落ちなきゃ。
ノシ
>>957 ああ、不労所得って真面目な不労所得だったんすかw
それは誤解しました、まず謝りますね。@サボってるって意味かと思った。
幸せは量的に測られるものではなく、心の状態でしかないと思ってる。
自分が価値を置く部分で自信喪失で立ち直る勇気も覚悟もつもりもなくなれば、不幸せといえるでしょうね。
で、また違う面で価値を認められて求めるなら幸せといえる状態になるでしょうし。
957のレスに書かれた相対云々についてはまさしくその通りだと思います。
ただ、社会抜きでほとんどの人は生きられない、社会に価値を置くものがあるから、
または、その社会の恩恵で今の自分がある。そう考えたら社会そのものにつばを吐くべきではないと俺は思うんですよね。
俺も落ちます、また来ますノシ
>>964 社会そのものを否定してませんよ。
否定するならどこサティアンにでも潜りこんでいるでしょうw
むしろ、社会的にも能動的に動いてる方だと思いますよ。
ただ、社会的な自己の在り方は、その精神と相関さえ、存在の本質は魂(=霊)
との相関があり、これら三者は互いに相互因果関係にあると考えています。
りょんさんは単にこの霊の部分をオミットしてるだけでしょ?
>>967 オミットしてないですよ。
むしろ俺はその部分を大事に思うほうかも。
大事なのは神ではない、魂だと言い換えてもいいくらい。
神秘的を求めることも否定しないし、俺自身興味を持つ可能性を0とはしない。
けど、それを求めるために排他的になるなら選ばない。
ムータンさんには一種の強さがある、まだよく分からないですけどね。
そこに違和感を感じて興味を持っただけです、
結構失礼なこといってるかもしれないけどすみませんでしたね。
またですノシ
>>コンブ氏
ああ、わかった。。
理にないってのは既成の理にないってことですね。そして、不可知に向かうことへの
サロメの警笛を意図したのでしょうか?
それなら通じますね。
先にも書きましたが、理ではどうしても限界が来るんですね。。。
ただ、私は理を捨てませんよ。
理を精神と置き換えるなら、不可知を霊と置き換えられます。
先ほども書きましたが、物も理も、不可知も三者は三様にして一つの人格です。
ですから、コンブ氏の言うように分離させてるわけではありませんよ。
理は物と霊との統合に当たって重要な役割であると考えていますから。
概ね、これら三者のバランスが悪いため、種種の悪因を生んでいるのだと思います。
>>968 私はその魂の言、元を探ってるんです。
もちろん不毛かもしれません。空を掴む話かもしれません。
それでも尚私をそこに向かわせるものが内にあるんです。
リビドーですよw
私も年末掃除に入りますノシ
970 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 13:15:18 ID:md+aXCdb
フセインも「神」を唱えている。そして彼を処刑した側も「神」のため。
君たち宗教者が「ある」と妄想している「空想上の神」のために、一体どれほど
多数の人命が失われているのか。宗教の害悪は計り知れない。
神などどこにも存在しない。「人間の観念」が神を創造したに過ぎない。
「創造者」とは、神などではなく、すべて「人間」である。
「ない」ものを「ある」と信じ込み、目の前に証拠を突きつけられても絶対
に認めることができないことを「妄想」といい、精神病の典型的な症状である。
なる。
その意味では、ありもしない神など信じる宗教者は、すべて精神病者。抗精神病
薬を継続して服用すれば、フーテン氏の神もmutant氏の神も「間違いなく」
すっかり消滅する。手遅れにならないうちに、是非早急に治療すべき。
>>957 理にないって点は、明確なんですよ。
それは、証明することができない神を信じているって点になるんです。
ただし、そんなことは自明なことなんですけど、ムータン氏の体系では、それは致命傷にならざるを得ない。
なぜなら、疑うことのない公理としているわけではないからです。
だからこそ、ムータン氏はそれに集約するんだと思うんです。
つまり、行ったり来たりがムータン氏の神への志向になってる。
そして、そのぐらつきが、そのまま、ムータン氏の信仰とイコールになってると思うのです。
そのゆれやゆらぎが、ムータン氏の自由度になってる。
面白いと思いますよ。
>>962 げぇっw!
ホントに殺したのか・・・・・・・・・・・
その裏事情、だれか詳しい人います?
どっかのネットにないかなぁ〜
>>963 それは、
形を装う(神との対峙を見せかける)ことへの批判ですか?
或いは、
見上げるという形で手打とする(→少を得て足れりとする)姿勢への批判ですか?
それとも、
神を手の届かない高みへ祭り上げる姿勢を批判したものですか?
それとも、
神の方を向いてもいないのに(→見間違えているのに)神を語る人への批判ですか?
それとも、
神と自分とで世界を閉じてしまう(→外へ開かれることのない)態度を批判したものですか?
974 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 13:39:16 ID:md+aXCdb
信じられるものは神ではなく力だけってことか。
2chで神の議論ができるのも米軍と自衛隊のおかげ。
975
977 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 13:42:23 ID:78NioBlc
キリスト教なんて2000年もぐだぐだやってんだから
大抵の思想は包括してんだよ。
でもって、てめーらの器量に応じてあーだこーだいってるだけ。
日本人だと日本教よりのキリスト教を引っ張り出してキリスト教キリスト教いってるだけなの。
978 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 13:44:23 ID:md+aXCdb
>>975 >2chで神の議論ができるのも米軍と自衛隊のおかげ
同意。君が信じて止まない「架空の神」のお陰などではないことは確
か。
>>978 米軍と自衛隊があるのも「神」のおかげ(^O^)/
981 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 13:50:16 ID:md+aXCdb
>>979 >米軍と自衛隊があるのも「神」のおかげ(^O^)/
それが君の精神病の症状としての「妄想」。早く薬飲めw。3が月程度
で、神は消滅する。
>>981 薬に頼ってるようじゃ、神は消えない。
問題は、神が消えることなのではなくて、他人を傷つける武力がなくなる事だろう?
違うのかな?ご隠居?
983 :
名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 14:00:02 ID:md+aXCdb
>>982 消えるか消えないか、君が3ヶ月間抗精神病薬を飲んで、その経過を
ここで報告してくれ。フーテン氏とmutant氏も同様。
人間にあらざる空想上の神に「最大の価値」を認めれば、人間の軽視
と否定が生じ、人を殺すようになることは「必然的」であるという理
屈も判らなくなってしまったのか。歴史上の事実を突きつけられても
認められないのか。やっぱり精神病だな。
>>983 だから、神が消えることが問題なのではなくて、クスリに頼ることが問題。
ご隠居も飲んでみれば?
本能が消えるぞ(笑
それと、ご隠居って、私の文章理解してないだろう。
私は、ご隠居の文章、最後まで読んでないけど(笑
>>969 やっぱり風氏と姿勢は似てますね。
といっても他のみんなも何かしら探ってるでしょうし同じかもしれませんけど。
でも、やっぱりそれがムータンさんにとっての自己の探求でもあるわけですね。
個人的にはたどり着くかどうかよりも探る姿勢が意味を持てると思います。
より本質に近いと思える物を見る目を持つことや、少しでも客観視しようという姿勢とか。
その見ようとする部分がどこなのか、またはどこまで広くなのか、そういうことなのかもしれないと思いました。
俺は社会の中にあってのものを見たい。人と人を中心とした世界観が見たい。
世界がどんなに広くても共通する事項(思想とか難しいものではなく)は確実にあるから、身近な現実を大事にしたい。
>>986 私はみんな風氏と一緒なんだと思ってますよ。
だって、結論がつくことがおかしいと思いますから。
理解できないことは、確かに排除したがりますけど、よくよく考えれば、それもおかしいことなのです。
でも、沈黙することもおかしいのです。
だれもが、同じように流暢に議論できるわけでもないですし。
説明できなくても語る必要あるんだと思います。
近頃、感じることのひとつです。
>>987 そうですね、今自スレにそれっぽいことレスしたところです。
言葉や文章の得意不得意、表現の仕方もありますしね。
先入観もやっぱりどうしてもあります。
俺自身文章は苦手ですし、もともと偏りも強いほうだと思うんで、
その面が出ることもあります、気は付けてるんですけどねw
>>988 私以外はみんな文章下手です((((((;゚Д゚))))))
って書くと、突っ込んでくれる人が近頃いないからなぁ〜
つきたん冷たいしなぁ〜
問題は、自分の中で無意識に分類していることなんですよね。
私がご隠居にしているように。
ご隠居もそれを楽しんでるしなぁ〜
近頃、笑ってる顔が見えるんですよねぇ〜
>>989 ご隠居がきっと突っ込んでくれますよ、
ご隠居はこんぶ殿に優しいからw
分類はしてますよね、分類もある程度は有効だと思いますけど、その自覚を時にはする必要がある。
先入観やその分類から相手を否定してはいけないってことですね。
自分が本当に客観視なんて出来ない、本当に正しく物を見るなんてことも出来ない。
ということだけはきちんと知っておくほうがいいんでしょうね。
次スレ立ててきます。
>>990 うーん、ご隠居は優しいのかなぁ〜
いつもわざと違うところを掻いてる感覚なんだけどなぁ〜
まあ、笑ってるところが可愛いんですけどね。
994 :
慈風:2006/12/30(土) 15:58:11 ID:5UBbwSV8
みんな同じ。
>>971 ところがそこまで自由でもないんですよw
フーテン氏にも以前レスしたのですが、私は聖書からは不自由なのです。
仏陀の言葉は人間側からのアプローチとして、意義のある書だと思います。
聖書は神の側からの啓示書として有効であると思っています。
両方、必要ですね。
ただ、聖書はバビロニア捕囚時代に加筆、編纂されたと考古学的にもなっており
字義通りに解釈することもなかなか難しい書物です。
聖書のそれぞれの書物の執筆年代と、聖書ストーリーのタイムラグから見ても
その点は明らかですね。
逆に言えば、この学問上のアプローチと信仰上のアプローチを整合させようと
しているため、なかなか定まらないのでしょう。
しかし、安物買いは痛い目に合いますからねw
私は既成宗教概念から自由なだけであって、創造意思は信仰しているので目指すべき
ところは定まっているんですよ。
既成宗教概念に囚われない自由度が、傍目からはふらつきに見えるのでしょうねw
目指しているところが目指しているところだけに、これは止むを得ないこと
なんです。
>>986 風さんは知らないですね・・・
自己の探求ってのは当たってると思います。
自分の存在が、何によってて意義付けられているか?ってことですね。
「神はいない」とするのは簡単なんですけど、その中で何を求めて生きますか?
情ですか?人間関係?生活?富?名誉?
これって、求めるものなのだろうか・・・っと考えるとそれほど重要なもの
じゃないんです。
諸行無常だからこそ、人間は悲しくもあり、楽しくもあるのですね。
ただ、世界は美しい。
そこに、私が目指す理由があるのかもしれません。
>>993 ご隠居と又吉イエスがダブって見える今日この頃・・・
齢70にして2ch辻説法にかけるエネルギーは賞賛されるかもw
ふふふ
もうすぐご隠居の物語もおわろうとしている
そういえば
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。