145 :
481:
「ふたりはプリキュア」というアニメを子供たちと一緒に見ている。
ここでふと気になったのがタイトルの「ふたりは」というところである。
うちには子供が3人いて、「プリキュアごっこ」をするときに2人の役柄を
取り合っていつも喧嘩しているようだ。 なぜ、「ふたり」でなくてはならないのか?。
学校で仲の良い3人組や4人組等、やはりプリキュアになれずに仲間外れにされる可能性が
高いと複数の根拠から容易に推察できる。
なぜ、昨今話題になってる学校でのイジメ問題を更に助長させるような番組内容を放送するのか。
せめて、「みんなはプリキュア」という題名にすればよかったのではないか?
「みんなはプリキュア」。お父さんも「プリキュア」。
更に言えば「プリキュア」というタイトルは赤ん坊や幼児の人肉を意味する「隠語」である可能性も否定できない。
残念であるがこれが現実の日本社会の実態の一部であるのは間違いない。
当該学術議論の信頼性をますます高める事になるだろう。
【プリキュア・パラドックス】
146 :
名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 06:48:43 ID:lrRtZE21
147 :
名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 06:49:46 ID:lrRtZE21
こういった本末転倒の驚愕の事態が「実は事実である」事を論理学の手法を用いて示す事は
世界史で有名な「ガリレオ・ガリレイの天動説の否定事例」に(既存の権威を根底から否定した点で)似ている。
ガリレオ・ガリレイは天動説を否定し地動説を提唱したためもあり、当時の最高権威であるカトリック教会から破門され
政治的・組織的な激しい弾圧を受けた上で、宗教警察に逮捕され刑務所に入れられた。それでもなお自説を曲げなかったため、
「見せしめ目的の宗教裁判」に引きずりだされ「火あぶり処刑」かけられる直前に、やむをえず宗教裁判を受け入れ、
その上で判決の際に「それでも地球は回る」と語ったとされているのは有名である。わが国においても同じような事が
http://www.tm-a.co.jp/cityInfo/Italy/pisa/galileo_New.html 日蓮で起こっており、日蓮は当時の政治権力に睨まれたためやはり激しい政治弾圧を受け何度も処刑直前、暗殺直前の事態に
陥っても、それでも自説を曲げず辻説法を続けたといわれている。そしてその結果、日蓮のミームは
現在の日蓮宗として脈々と受け継がれているのである。
「歴史は繰り返す」と言われるが、仮説演繹法を用いた、ここでの「辻説法」も内容が内容なだけにまたやはり
常軌を逸した政治弾圧・組織弾圧の対象となりうるだろう。その結果、暗殺の対象とされたり、
中世の宗教裁判・異端裁判に似た(権力誇示のための)カルト審判の対象にされたりする事もあるかもしれない。
しかしながら、それでもあえて言おう。「それでも地球は回る」。
148 :
名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 06:54:16 ID:lrRtZE21
「それでも論じた一連の内容は事実と主張できる根拠があります」
↓↑
「それでも地球は回る」
149 :
名無しさん@3周年:2006/12/14(木) 06:55:49 ID:euI66u2w
150 :
481:2006/12/14(木) 07:44:06 ID:15ifkf7p
>>146,147
論理的な反論に全くなっていない。
プリキュアの意図するところは赤ん坊殺し以外では説明がつかない。
また各種心因反応もそれを支持する。事実上の間引き殺人が赤ん坊や子供に対して
行われている滅茶苦茶な状況になっている。目的は食べるため。
いずれにせよ「誤解」が非常に起こりやすい状況にあるのは事実。論理的な説明を待ちたい。