オフ会をしたらご隠居はまろやかになるだろう。
944 :
聖霊大王:2006/12/12(火) 12:46:16 ID:lhjYb9na
ご隠居おちょくり、まつりだったのね、、、この一週間、、
945 :
フーテンさんに軽く喧嘩売る大王:2006/12/12(火) 15:23:36 ID:BAmVJb4l
903 :フーテン ◆fun4F5xTy. :2006/12/11(月) 01:41:34 ID:1ufm5M+q
>>899,
敵とか、正しいとか、そもそも、教会行くこととチベット仏教を別々に、それぞれ意識して
いること自体、何かに囚われてるような気がするんだけど。修行することや儀式に参加すること
によって宗教者になるんじゃなくて、自分が生きていることの全てが宗教だから。
日常生活と宗教は絶対的に分けて考えることでもなければ、一方がもう一方に隷属するもの
でもない。一つの宗教に集中するのも、あれこれ味見するのも、どっちも一つの儀式宗教の
ような気がする。
甘いな、、フーテン殿、、
霊的存在の眼から見れば、、やはり、別々で、、
フーテン殿の思考上、そのように、あるだけだな、、、
946 :
フーテンさんに軽く喧嘩売る大王:2006/12/12(火) 15:25:46 ID:BAmVJb4l
熊野よしたかも、何故キリスト教徒なのか??
と聞かれて、、
縁があったから、、
と答えたのだ、、
縁があり、どれを選ぶかだだな、、、
霊的実在も味わってもね、、、
947 :
大王:2006/12/12(火) 15:29:18 ID:BAmVJb4l
で、フーテン殿、次スレは、立つのか???
反論は、次スレ希望だな、、
しばらく、見れない、、、火曜日までごきげんよう、、、、
948 :
大王:2006/12/12(火) 17:05:49 ID:BAmVJb4l
あげあげ、さらば、、、
>>938 日本人って特殊だと思うのは一度信仰を失ってるとこにあると思うんだ。
神を信じていたが人間宣言された。この人達、まぁ僕の爺さん婆さんくらいの世代だが、
は相当ショックだっただろうと思う。
>>938の言うとおり仏教は神が不在なので
宗教足り得ない。従って以来日本人は宗教難民となり新興宗教に走りやすくなる
環境が生まれたのかな。ってふと思った。
950 :
聖霊大王:2006/12/12(火) 17:26:55 ID:lhjYb9na
ざんねんしょう、、、
正確には、、、、明治政府の行動を調べてみよう、、、
宗教の歴史は物語る、、、、
もうチョいヒント頼む。
952 :
聖霊大王:2006/12/12(火) 17:28:51 ID:lhjYb9na
国家神道の暴挙を知るべきで、、、、
明治政府の神道自体がすでに、新興宗教、、、、、
953 :
聖霊大王:2006/12/12(火) 17:33:24 ID:lhjYb9na
明治政府の生み出した、神道、天皇を神と強く意識した、神道は江戸時代の主流でなく、
明治政府は、神道江戸時代の神道を、根こそぎ滅ぼした、、、
仏教弾圧政策もすさまじい、、、、、
954 :
聖霊大王:2006/12/12(火) 17:35:32 ID:lhjYb9na
国宝と言われる仏像も外国に、すべて、売られるくらいに、、弾圧政策はすさまじい、、、
955 :
聖霊大王:2006/12/12(火) 17:37:43 ID:lhjYb9na
タリバン並みの、明治政府の国家神道があったのさ、、
イヤハヤ国家神道とは興味深い。宗教としての神道と祭祀の場とを便宜上分離して
国家政策として神社を建設していたとは知る由も無かった。
しかしながら同時に他の宗教を禁じてたのならあながち
>>949も間違いではないのでは?
それとも日本人には元々新興宗教に走りやすい傾向があるとか?
ところで儒教思想は宗教じゃないよね?仏教も違う。神道はそうだが、継承のされ方が違う。
となると日本人古来の宗教って何?
だんだん宗教の不在からそういう傾向が現れるとしか思えなくなってきた。
そう考えると全く違う話だけど、宗教には悪意のある、あるいは悪意は無くとも愚劣な為に悪影響な
思想に対する抗体としての役目がるんじゃないかな。>>てすとよ
958 :
名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 18:55:53 ID:OLGTJQ0h
>>938 >宗教だけが、その人為的な「観念過剰」故に、生存本能(生命)
>という人間の究極の本質を忘れ、または「意識的」に否定しているから、
>「生存本能(生命)」というすべての人間に共通する判りきった
>「普遍の事実」を、わざわざ指摘しているだけである。
宗教を信仰しやすい傾向の人間が 少なからずこの世に存在する。
この種の人間は 上記の説だと「生存本能」を行使できない傾向に
あるから この種の人間は淘汰され 宗教を信じにくく「生存本能」
強い人間だけが 生き残るはずである。
しかし 宗教を信仰しやすい傾向の人は 少なからずこの世に存在する。
また聖職者が「独身」で子孫を残さないと言う教義の宗教が
淘汰されずに生き残っているのは この種の教義が人間が
「生存」うえで有利に何らかに働いているからである。
つまり人間の「生存本能」という本能が淘汰されずに残ったのと同様に
一見 人間の「生存本能」にマイナスに働く宗教の教義が 淘汰されずに
残ったのは この種の宗教上の教義が 人間の「生存本能」が有利に働く
様に助ける存在だらだである。
つまり この世にある程度の歴史のある宗教は 人間の「生存本能」
を 助けることはあっても 妨げることはあり得ない。
>>930 です。
あちゃー。超極秘情報を入手したと思ってドキドキしてたのに。
かっこわるー
>>932 おっはw!さん、レスとフォローありがとうございました。
結局、信仰って、誰のためのものなんだろうね。
マジレスするとさぁ〜
無宗教の信仰も含めて、なんか、みんな矛盾してるよね。
落ち着くところは、結局、みんな自分が信じ切れないし、
信じ切れないことにも、信じ切れない。
対立関係でしか自分が存在しないならば、自分もなくなっても問題がないはず。
対話も会話も重要。
でも、また、自分を中心に語ってしまう。
結局、この連鎖でしかないんだよね・・・・・・・・・
大王ドンが思考するのがいやってのも、わかる気がするw
>>292 > 一方仏教は、やれ悟りだなんだと能力不足なのか単なる逃避なのかさっぱりわからん議論しかしない。
仏教が語られている場面のどれだけを君は知っているんだ?
そんなのは仏教ヲタクだけの話だw
・じじばばはそんな議論はしない。 ・学究の分野では各方面の研究者が居る。
・仏教好きな人達はマニアックなアプローチはしてない。素朴に、「いいね」と頷くだけ。
(ま、知的パズルとしての仏教はメチャおもしろいわけだが・・・w)
> このごろは、言語で表現できないのじゃなくて、
> 単純にわかっていないだけなのではないかと思えてきた。
自己紹介乙w
>>346 > なんだ、素人のオヤジは、甘い顔すれば、無視か
明らかな煽りレスは無視されて当然www
と言いながら無視してない俺ガイルw
> まあ、いつも、君らはそのクオリティーだな。
オマエモナー (´∀`)
>>347 > それと、素人にいっとくが、君が無視するレベルの人間に、
> お前達は、さんざん粘着して、霊障押し付けたんだぞ(笑
> しかも、押し付けた人間は、今も仏教スレで、自称仏教徒で常駐してる
2chで何言ってんだよw なんで俺が南無の行動に責任を持たないかんのだw
>>347 > どんなに、奇麗事を言おうが、その姿勢は君らの高尚な理論とやらを吹っ飛ばすだけのものがあるだろうよ。
ああ、確かにな。 ちと迷惑な時もある。
けど、それが仏教そのものに由来するかどうかは論証されていませんが?
個々人の資質じゃないんですか?
人格形成に役立ってないじゃないかって? → 薬の効果には個人差があります。 by 仏教製薬
もし論証できると言うなら是非やって頂きたい。勉強させて頂きます!師匠!m(_ _)m
> その説明が出来ない限り
説明?
個々人の資質じゃないんですか?
人格形成に役立ってないじゃないかって? → 薬の効果には個人差があります。 by 仏教製薬
>>352 > 素人は、まだ、理論に逃げてんのか( ´,_ゝ`)プツ
理屈っぽいのは生まれつきw ほっといてくれwww
> 日常から離れていくら理屈語ってもムダだってw
同時に語ることができるのは、しっかり理解し咀嚼したその後だよw
複雑な場合、理論は理論で別個に分析という手法はあって当然だと思うが?w
> まあ、そのクオリティだから、ナムみたいなのが生まれるんだろうなヽ(^。^)ノ
君のようなクオリティにならないように仏教はあるのだよw
>>356 > しかし、もう少し、素人はものがわかってると思ったがナァ〜
> まあ、相変わらず、ほとんど内容読んでないけどね
読んでない人間に、何を言う資格があるんでしょうね・・( ´,_ゝ`)プツ
>>499 > 私には、素人氏が一番よくわかってるとおもいますけど・・・・・
いや、わからんね。 222しか思い当たらんが?(↓の文からすれば222なんだろうが・・・)
> 素人氏の私に対する批判が当たっていようがいまいが、
> あるいは、私の素人氏あるいは仏教の批判が当たっていようがいまいが、
> 仏教はあるんでしょうし、私も素人氏もそれぞれ生きてるわけですよね。
ああ、そうさ。 けど、その中でコンセンサスを探っていくというのが、
社会的動物である人間の性じゃないのかい?
>>500 > 私はそれを探っているつもりでいましたけど・・・・・・・
> というか、それしか関心がありませんけど・・・・・
ほうwww とてもそういう態度には見えなかったが?w
> ただし、押し付けの定義が必要になるでしょうけどね。
こういうとこが昆布(やてすと)のイヤラシイ所なんだよw
解ってて、ポイントをずらして煽る・・w プロ2chねらーかよ・・(^^;
>>501 > 素人氏はプライド高いからナァ〜
う〜む・・・ 高いのかなぁ・・・w
> また、真面目にレスしようとしたら、君にではないと言いそう出しナァ〜(笑
> まあ、その辺は無視して、返レスするか
今回は違いますよw アンカー在ったでしょ。
こーゆーやりとりって、粘着力の戦いなんだよね^^
>>502 > 仏教が近づいてくるときは、いつも、そのごちゃ混ぜで近寄ってきますから。
あのな・・・(^^; どういう近寄り方だよw(→別レス参照)
> お前達は仏教の葬式に出るなとか反駁するわけですよね。
極論だったらいいんじゃね? 気にいらなきゃ仏教と関わらなければいい。簡単なことだw
> だから、これから議論するぞって途中で逃げてる感覚が私にはありますね。
煽りの先手を打つのはいつも君らの方だと思うが?w
> ただ、このままでは、議論できないって感覚もわからないわけではないですよ。
ほらまたwww 解ってるくせに、煽り続けるw 議論になるわけがないwww
> けれども、ここは別に会議室ではないですからね。
> いつも問題が明確にあるわけではないですよ。
ああそうだな。俺こそが、場違いスレ違いの邪魔者だったってワケだw
>>504 > ここで、強い嫌悪感と自己矛盾を抱くようになりましたよ。
> 別にそれは、南無云々ではなくて、それを因にする様々な要因です。
「ここ」ってのは2chのことか?
君らの周りには、普通にお寺の人とかいないのかい?近くのお寺さんの話とか聞いたのかい?
(2chのような言葉遣いは、まさかしないと思うが)気になることを質問してみたりしたのかい?
禅系なら、師家クラスの人の話を聞いたりした事はないのかい?
> しかし、臨済録と般若心経は面白いんだけどナァ〜
> なんで、こんなに差があるのかわからない。
むしろ、臨済と心経は個性派と言ってもいいくらいだぞw
他へ敷衍するには、ちと無理があるんじゃないか?w
そして、これまでの経過を台詞化すれば、
仏 「バッターボックスに入って、構えてから言えよw」
「ベンチで野次飛ばすなら誰でもできるw」
昆・て「どうせ、きちんとした球は投げられないくせにw」
「口ばっかりで実際には投げない人達w」
そして、(色んなピッチャーが居るので)
昆・て「そんな悪球打てるわけないでしょw」
「それはボールだよwww ストライクと言い張ってるのは君だけw」
等のやりとりになる。で、さらに、
仏 「大口叩いてるが、どんな球でも打てるのか?w
打てやしないくせにw どんな球種があるか知らないくせにw」
昆・て「たぶん打てると思うよw でも投げないでしょw」
「球種? うん、知らないよ。だから、どんな球種があるのか見せてよw
そうしたら、どれが打てそうでどれが打てないか判るからw」
「ま、どうせたいした球じゃないだろうけどねw」
「たいした球種も持ってないだろうけどw」
「それに、投げても悪球ばかりだしwww」
というのが、これまでの様相であろう。
(南無の場合、危険球だったわけだが・・・。)
> ところで素人さんがやりたいことってなんですか?
そこで私が採ろうとした方法は、
・危険球は投げない ・ストライクゾーンを外さないよう制球に神経を使う
という条件で、バッターボックスに立ってもらう。
・(自分の持つ)全ての球種を使う ・投球の組み立てを予め示す
という条件でバットを構えてもらう。
そして、
・内角外角、或いは高め低め、などの指定をして貰って、
そこから球筋を少しずつずらしながら、全ての球種が投球し終わるような流れ、
を想定した。
ところが、(危険球に近い球を投げてしまったからか)、
彼らはバットを下ろした。 或いはボックスを外し素振りを始めた。
或いは、モーションに入ったら余所見をされたような、
ボックスには立っているがバットは構えていないような、そんな感じを受けた。
けど、もともと一人相撲だったみたいだ。(→
>>502> けれども、ここは別に会議室ではないですからね。)
理屈っぽいのは子供の頃からの性分なので、
今更とやかく言われても「すいませんね・・w」と言うしかないわけで、
りょんの視線に始まり、また
>>327中程でも触れたたように面白い機会だとも感じられたので、
どのような言葉の重ね方が届くのか、どのような語りの順序がいいのか、等の実験的意味合いはあった。
ゼロどころかマイナス地点からスタートする時に、どのような手順がとりうるだろうか・・、と・・。
>>108の >間合い 発言は至言であったw
てすとの言うように、厳密にゲームを成立させるなら、
マウンドに立つのはその資格のある者、という指摘は至極ごもっともなわけで、
違う種目の者はともかく、同種目であってもスキルを問うべきだ、というのは理に適ってはいる。
ドカベンで山田太郎がマウンドに立つのは如何なものか?という所だろう。
たしかに、その通りであるが、TPOを多少なりとも考慮すれば、
学者が仏教を語っても構わない。仏教好きな三丁目の田中さんが仏教を語っても構わない。
全面禁止される謂れはない。それが、場面によって制限がかかる場合があるということではないか?
また少なくとも、ここが2chであるという、場の性格を容認するのであれば、
ここまでつつかれる筋合いはない、という想いがあったのも事実だ。
昆布やてすとの言うように、試合は既に始まっている(我々は今まさに生きている)。
ぐだぐだ言ってる暇はないわけだが、聖者・行者でない限りは、
考察する時に多少の棚上げがあってもいいではないかw
・・・しかしやはり、スレ違いは自分であったようだ。
雑談形式の中へ、理詰めの長文・段階を踏む長文を捻じ込むのは、
あまりに大人気ない自己中だったと思う。
よって、今現在提示されている幾つかの過去レスに返答して、
それが済んだら、ここを去ることにします。
結構な量溜まってるので暫く日数はかかると思いますが、
気が向いた時にでも読んで頂ければ幸いに存じます。
こう喩えると、昆布やてすとと私の対立の構図が
りょんにも少しは判るかな・・?
>>111 > みんな一人ひとり我が強すぎるんじゃないか?とw
かもなw
>>111> ところで素人さんがやりたいことってなんですか?
>>342(→もう見てないかもしれんが・・・)
私がてすとに粘着したのは、彼の指摘する部分と同じ所を問題点と思っているからだ。
ただ、その次の思考として、私は、
・2500年のどこにその発祥があるのか?
釈尊から(それ以前から)あったのか/途中生じたものなのか/
近現代の問題なのか/ずっとあり続けた問題なのか/
・それは、法(理論(経・教え))の部分にあるのか?
・戒の部分にあるのか(→≒生活信条にあるのか)?
・律の部分にあるのか(→生活スタイルにあるのか)?
・戒や律の部分にあるなら、現代社会の様相が圧力をかけているのか?
・単に時代に合わなくなってきただけなのか?
・僧(比丘)の側にある問題なのか(実践する際の問題なのか)?
資質の問題なのか/集団で(定住)生活をすることによるものなのか/
社会(世相・大衆の価値観)が古い在り様を認め難くなってきたせいなのか/
(勿論、上記それぞれは、それぞれが独立したものでなく少しずつ重なりを持っているであろうが・・。)
によって、それが、解決の可能性を持つかどうかを炙り出せるのではないかと思うし、
・問題点の解消の方法は如何なるものがありうるか、
・そうした問題点は、(トータルに見た)仏教に於いて致命的であるのかどうか、
・そうした問題点は、(各種誕生した各)仏教に於いて致命的であるのかどうか、
・少なくとも、深く或いは親しく仏教に接する者は把握しておくべき事柄であろうし、
理解し、受け止めるには、こうした細かな部分も必要であろう、
というベクトルが設けられてもいいだろうと思うのだ。
現状を嘆くことは容易い。が、たとえ変革の力を持てないとしても、
上記のような知識を持つことは無駄ではない筈だ・・。
勿論、現在自分のことは棚に上げている。
その点で、昆布の「理論だけか」という指摘は当たっているし、返す言葉はない。
>>255 > 正直なところ、その問題点を私は認識してないと思います(^_^;)
だから、私が粘着して炙り出そうとしてたんじゃないですかw
概略は
>>202-204ではあるが、取りこぼしている部分・敢えて捨象した部分なども数多い。
>>256>知識の量が違うから と言われるように、用いられる語義も措定せねばならない。
作業量は膨大だ。 が、ここに顕われているすれ違いの構造は、
今の、私とあなた方、或いは一般的に見られる仏教の内と外との対立要因であるはずだ。
またこれは、以下(2/8)の>大アリですねw以降の文と被るものでもある。
これが明確になるだけでも、(2chに於いては)えらい進展だw
けれども、
>>262にも述べましたが、応報スレ144に関しては一旦凍結しておきましょう。
もしかしたらもう解凍不要かもしれないが・・。
> この一連の質問に関しては、
>>254で解答したつもりですので、よろしいですか?
二点。
>もし仏教が宗教でしかないなら
仏教は、哲学であり・倫理道徳であり・人生観(≒世界観)であり・支えであり・(現在は)文化であり・・・etc.
そして宗教であろう。 いや寧ろ、上記のような多様な側面を持つから宗教と呼ばれうるのだろう。
(当然、学問的研究対象として扱うこともアリだ。(イスラム世界ではどうなんだろう?
あまり歓迎されないスタンスなのかな?純粋な学問的考究、特に原典批判的研究とかは・・・。))
> どのような点(何)を、どのように信じるのか?
これは、君が
>>225に於いて >あと、日常から離れて、宗教は存在してるのでしょうか?
と問いを発した立場、つまり、「宗教は我々の日常に接している」という立場からすれば、
絶対に外すことのできないものの筈だ。 具体的在り様・働き・様相のないものほど空虚なものはない。
だから、議論や語りの進行上やむを得ないとしても、棚上げに対する後ろめたさが消えることはない・・・。
>>255 > そして、現に矛盾が有るのなら、
大アリですねw
てか、「矛盾めいている」「<ある視点・立場>を取ることで解消する矛盾点」 は山ほどあります。
この<ある視点・立場>を、受け入れずとも理解できるかどうかが鍵となるでしょう。
この<ある視点・立場>というのは、「悟りの立場から見れば・・・」というものであろうし、
「勝義に於いて・・・」と言われる際のものであろう。
てか、これも、あなた方が提示を迫るもののひとつだと思われる。
(これは、いみじくも>225>227に関連する、聖と俗という二つの側面に依拠するわけだが・・・)
当然視点が異なれば矛盾に見えて当たり前でしょう。
しかし、ある基準なしに、何がしかの選択判断なぞできるものであろうか?
仏教(釈尊が示したところのもの)が根幹としたのは、
「涅槃に資するかどうか(→自身の苦悩の解消に役立つかどうか)」であった筈なのだ。
そのための理となるのが、縁起であり四諦であったのではないか。
(或いは、無常・五蘊・無我であったのではないか。)
そこに、取捨選択、正邪の別が設けられなかったとしたら、
修道論の構築が設けられなかったとしたら、
出家行者という在り様が当時のありふれた風景でなかったなら、
仏教は、拡散する前に消滅していたろう。
>>211 > その通りですが、そうすれば、知識がなければ宗教を語ることは不可能ですね。
そうでもないだろ? 学問的に語るのであればそうであろうが、
もし、自身の感慨や頷き、自分が受けとった利益(=糧)の紹介であるなら、
そこに縛られるものではなかろう。
※だから、君らがやっているのが単なる雑談(TVを見ながらツッコミを入れるようなもの)
であるなら、私が空回りしてるだけであり、お邪魔虫ということだ。
> であれば、仏教を信ずるには基本的な知識がなければ議論できないというのが、
> 素人さんの意見なのですかね。
ある意味その通りだし、ある意味そうではない。
少なくとも、その文章自体がおかしいと思う。『信じるには議論が必要』という文になっている。
或いは、『信じるということは、知識をもとにした議論の後に現れる』とでもいうか・・。
(ま、そういう場面もありうるだろうが、どこかしっくりこない文だ・・・。)
とりあえず、「信じるには知識が必要」と読み替えておいて・・・。
信と知は、強い結びつきはあろうが直結はしていない。
(信・)戒・定・慧を言い出すとややこしくなるので捨象しw、
主にりょん宛であった「帰依」や「信じるということ」に関する過去レスを、参考として示しておく。
(※「両輪」という言い方が妥当なのかもしれない・・・。)
> もちろん、私はその意見には賛成の面もありますが、ほぼ反対です。
> というのは、必要なのは、知識ではなくて、論理性だと思いますから。
> 知識の不足が障害ならば、知識を補えばいい。
本来的に必要なのは、知識であり、論理性であり、且つそれについての「頷き」
なんじゃないかと思ってはいる。
>
>>205 > いえ、そうではなく、単純に、人は自分の周りのことしか認識することは出来ないということです。
> だから、個人も世界も同じなはず。
う〜ん、もう少し言葉を増やして欲しい。 てか、言葉通りであるなら、
>>49を、なぜ尊大だと評したのかが解らなくなる・・。
> もしかすると、おなじことを言ってるのかもしれませんけどね。
うむ、同じような気がするのだ・・・。
> この世界を形作ってるのが空なら、個人と世界で二つあるなら、空も二つか?
> と言う意味です。
> まあ、空は空だから、一つというのはわかりますけどね。
> ということは、この世界もたぶん、一つでしょう。
> というなら、まあ、わからなくもないですけどね。
> そういう意味です。
すいません m(_ _)m チンプンカンプンです・・・orz
重要なことが述べられているのであれば、お手数ですが
「空」という語を使わずにもう一度述べて下さい。私も、自分の引き出しの「空」という語義を
一旦無きものとして読んでみますので・・・。
>>256 > 正直なところ、私が、問題と感じてるのは、潜在的に含む差別意識です。
> ただし、それがどれだけ大きいことなのかは、今の私にはよくわかりません。
差別「意識」が(仏教の中に)潜んでいるわけではないと思う。
男女の別(と(当時の)社会的状況)を考慮した上での差異と見るべきかと・・・。
勿論、歴史的に2500年を俯瞰すれば、そこかしこに、現状の影響を受け(入れ)過ぎ、
差別的語りが為されたことは認めなければならない。
その意味では、「仏教に差別はない」と断念できないことになる。
歴史的にはそういう事例はあるのだから・・・。
※これも、語ろうと思えば、雑談程度でできるものじゃない・・・(^^;
> そもそも、輪廻転生というのが、仏教的によくわかっていませんから。
仏教(学)内でも決着ついてませんよw 大雑把に言えば、
「外的な(物理的)事実と見るか」
「内的な(個人の心の在り様の変遷)様相と見るか」
「当時受け入れられていた常識を援用しただけと見るか」
という分類になるでしょうか・・・。
勿論、「輪廻」と「転生」は(無関係ではないにしろ)全く別の概念ですが・・・。
> 始まりがある以上、終わりがあるので、生がある以上、死で終わる。
> ところが、死が終わりではないとお釈迦様はなぜか、気づいてしまった。
そうは言っていない。少なくとも、初期中期の仏教では、
輪廻を脱した後は、死で完結する。
> 多分、そこから、仏教の深遠な教理が始まるのだとは思います。
どうだろう? 大乗(及びジャータカ)のデメリットも同時に含むベクトルにも思える。
> しかし、その教理からは、なんら差別意識は出てきませんし、
> 障害の因縁云々というのも別にないと思います。
仰る通り。 お釈迦さんの採用した具体的決め事は、
差別のためのものではなく、現状必要とされる配慮だったのではないか?
>>338 > これは、仏教が自己批判できない組織であることを如実に物語る事件でもあるナァ〜
確かに・・。 現代日本仏教は、自己分析が足りないという実態はあるかもしれない。
(※色々活動してる宗派やグループ・個人等あるようだが、
キリスト教の真似事の域を出ているかどうか・・・。)
> 自分の馬鹿息子を棚に上げて、どんなに立派な教育論をぶち上げても、説得力はない。
> まして、家庭の教育が大事だとか言っても、笑い話にしかならない。
これも、仰る通り。(
>>969)
> こんなことって、キリスト教ではありえないのではないだろうか?
> やっぱりあるんだろうか?
フーテンさん、どうなんですか?
>>366 > 仏教って、結局、オナニズムでしかないし、その気持ちよさに浸りすぎでキモイ。
しょうがないじゃんw
出発点が、シッダッタ自身の苦悩の解決だったのだから・・・。
> その行為がオナニーなんだから、人前に晒す必要はないと思うのみ。
「お、それいいじゃんw」って言う人が居ないとも限らんだろ?w
> この批判は、オナニーが気持ちよいうちはわからないでしょう。
外の声が聞こえない者は、外を知らずに自説が最高だと思う。
外を知るものは、だからこそ・その故に・外を知るからこそ、自説が最高だと思う。
この、表に現れない差異は重要か否か?
> 私には、議論が成立することが奇跡に近いと思える。
だからお釈迦さんは、菩提樹の下から立ち上がる時、ためらったんじゃないかな?
>>499 > 私は因果スレの144の以前に、仏教の潜在的な差別観について言及しました。
> それは、自他の関係性の問題でしょう。
これは、また機会があれば激論を致しましょうw
勿論、余計な要素はなるべく持ち込まないという互いのコンセンサスが必要ですが・・・。
とりあえず、「差別を生み出しうる要素は、仏教(の実践面)に内包されている」とだけ言っておきましょう。
> だから、自己を常に問題にするなら、差別観は問題にならないでしょう。
> でも、世界という概念を提示するときに、そこには他者が含まれます。
> そして、その世界という概念の中で、自然に他者を巻き込んでいくんです。
> 多分、ここで、食い違いが生じていると思いますよ。
これも、やはり、別個に語り直さねばならないでしょう。(↑の文も、もう少し詳述して貰わねばならないし。)
今、短文で適切なコメントをする自信はありません。
> その他者を自然に巻き込むのが宗教であり、
> 巻き込まれる他者が悪いんだといわれれば、それまでの話です。
何度も言うが、巻き込んでしまう力学的要素を宗教はその内に持ち合わせている。
(それは、人と言う種が要請するものかもしれない。(ご隠居は首肯しないだろうが・・w))
しかし、「巻き込まれる方が悪い」という態度の伝統宗教はない筈だ。
少なくとも、「巻き込まれて御覧なさい」というスタンスはありうるだろうが・・。
(ああああああ、長くなりそうだw 省略www)
また、他者を巻き込まないものは単なる個人の人生観人生哲学に過ぎない。
他者が関わって初めて宗教に昇格(w)するんじゃないか?
すぐ上の引用文は、それを意味するものではないのか?
> その宗教の暴力性に強く嫌悪感を感じるんです。
暴力性ね・・・。各宗派の暴力的な部分を具体的に指摘して欲しい。
それが、根源から発しているのか、途中発生したものか、末端にのみ見られるのか、
組織的な(システム上の)問題なのか、教理に内在するものなのか・・・。
> そして、この論の飛躍を、素人氏は批判することもわかります。
解ってて噛み付いてくる君が愛しいよ・・(爆
>>502 > 仏教が近づいてくるときは、いつも、そのごちゃ混ぜで近寄ってきますから。
それ(引用先の各項目)は、批判する時の材料だろ?
近づく時にそのような要素で近づくことなどありえんだろ?用いられるのは、もっと別の要素の筈だ。
また、ごちゃ混ぜの近寄り方というのがどういうものか、私にはピンと来ない。
これも、(豊富な)具体例が欲しいところだ。
> そして、気が付いたら、被害を被ってるわけです。
上記、<巻き込まれる>関係の文参照。
> だから、我々は、それが近づいたときに、分類してあげなくてはいけないわけです。
分類?何を? 近づいた時に用いられた手法が「どのようなものか」ということ?
「幾つの」手法が用いられているかということ?
用いられた手法が「弱みに付け入っているかどうか」ということ?
いずれにせよ、それは推奨される態度でしょう。特にこれからの時代には・・。
(そのため(批判するため)にも、害毒スレのような反応でない、冷静で、俯瞰できた視点・知識が必要でしょ?)
> だから、これから議論するぞって途中で逃げてる感覚が私にはありますね。
> ただ、このままでは、議論できないって感覚もわからないわけではないですよ。
それでも、カキコや返答の際のスタンスを変えるつもりはないんだろ?
> けれども、ここは別に会議室ではないですからね。
そうだったな・・。私が勘違いしてた。私の書き込みこそが嵐的であったのだろう。
> いつも問題が明確にあるわけではないですよ。
その通りだ。 私が過剰に反応し過ぎていただけなのだろう。
> ただ、問題はいつも繰り返されてるんですけどね。
> それは、こころない仏教徒が起してるのかしれませんが・・・・・・
2chでは、致し方のないことだと思う。 渋谷のスクランブル交差点、或いは浅草寺の雷門下で、
一度や二度の発言を、(これから)通る人全てに「把握了承しておけ」と言うようなものだ。無茶すぎるw
(いや・・・世の中全てそうなのかもしれない・・
だから、教育や、本の重版、命ある限り語り続ける必要があるのかもしれない・・・。)
>>357 > とりあえず、仏教は、ま、ええんちゃうかあ、、という思想。
> 肯定しまくれるし、否定しまくれる、思想、、
見方によってはそのように見える部分もあるだろうけど、
あるしっかりとした基準に基づいて、あるものは肯定し、あるものは否定する、
というのが仏教であろうと思うわけで・・・。 (大王は、やっぱり禅がベースのようだね。)
参:
>>973 > 正しい!!、正しい!!、、とがちゃがちゃ、言うほど、、仏教で無くなる様な、、
涅槃に資するかどうかが、仏教に於ける究極の正邪の基準では?
参:
>>973 > マ、おいらは、素人さんより、原始仏教の瞑想は上手いかもね、、
かもねw おいらは、瞑想はてんでダメさw ま、理論担当ということでw
>>369 > 原始仏教・南方仏教を日本人がやると、、
> 南方仏教そのものが出家主義であり、大乗仏教からは小乗仏教と揶揄される要素を持つので、
> 素人さんは、その傾向が出てきたんじゃないの、、
原理主義ってことか? 本スレほどじゃないと思うが・・・w ↑の文、改変してみたが意味不明だw
日本語で桶w
> 仏教の組織性、、日本人の天皇教的、組織性のような、、気がするなあ、、
私にそうした要素があると? 詳細を求むwww
> 南方仏教も、、議論なんかしないと、思うような、、、
んなことはないだろw 議論なくして、他の見解と自説の見解の差異を炙り出すことができる?
>>373 > 昆布殿が、、素人さんの天皇教オナニズムのDNAを刺激して、開花させようとしているような、、
日本語で桶w
>>377 > 案外、素人さんのオナニズムと、細木和子のオナニズムは、お同じかもね、、
ほうw 詳細を述べて貰おうか・・・w
>>516 > マ、素人さんは、原始仏教のいう、議論しない、無我であるが、ないなあ、、
それは言える。その通りだ。(原始仏教が議論をしないというのは大間違いだと感じるが・・w)
仮初に顕現している「私」が、過敏に反応しているようだwww
> 無我なら、どうでもいいような、、
風かよw
私がなぜ、風を「静観する」とだけ言ったか。
彼のベクトル・スタンスは、(一般的に)「悟り」と言われる視点に限りなく近い。
が、同じではない。外界との関係を遮断するからだ。
仏教に於いて、外界の入力を断ずるとか、感官を制御する、というのは、
外界との間に壁を作ることではない。
2ch的に言えば、それらをスルーするということだ。
(勿論、物理的・現実的に遮断できるものは遮断する方がベストであろうが・・。)
自らの内に仏の視点を設け、さて、そのあとどうするか・・・。
そうした視点を拠り所にしながら、どうやって自と他の関係性を築いてゆくか、どのような関係がありうるのか、
そうしたベクトルなしに「生」はない。 上記は、かなり荒っぽい言い方だが、
人は核シェルターの中で一人生きるのではない、ということだ。
「自他の区別が虚妄だ」などの禅的言辞は、日常への働きとしては無意味だ。
体・相・用の三者は、三つの側面を表しているに過ぎない。
どれか一つに固執するなら、それは顛倒夢想と言うべきであろう。
無我だからどうでもいい、なんて無責任な発言は、
飲みながらの冗談でしか通用しないw
スレが埋まる前でないとアンカーの意味がないので
少し焦って乱文になっていることを、まずお詫びする。
また、これが完全な回答というわけでもない。ツッコミ易い文も多々あることだろう。
復習せずに思いつくままの文を書き殴った感もあるので、その辺を割り引いてもらえれば幸いである。
また、てすと(+α)へのレスは、またの機会にしよう。
再びテンションが上がったら記すこともあるだろうが、
とりあえずは、これで中締めとしておく。
お騒がせしました。 m(_ _)m
>>982 質問。初期仏教で転生を否定してる派閥、学派ってなんていうんでしたっけ?
無常や非執着を説きながら、転生ってなんやねんと思う。矛盾しまくりです。
インド哲学から改宗した人のための対機説法であり、方便だったんじゃないの?
985 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 03:29:46 ID:WRLTD4SP
>>984 同意。「自分の解脱」「自分の満足」のために修行するのも、執着の塊。
見ていて浅ましい限り。他者のことは、一体どこへ行ったと言いたい。
しかし、すべての宗教は「矛盾しまくり」。矛盾の点では、キリスト教には
叶わんw。
ほんと矛盾しまくりですよね
見えるようにしたら論理から逃げたくなるほどに
987 :
名無しさん@3周年:2006/12/13(水) 09:52:34 ID:V1fUfzqx
あれ。なんか俺の名が出てるw
新スレ立てますよ。
>素人さん
こっち、ぜんぜん見てませんでした。
今レス読んだんで、言いたいことはたぶん理解しました。
>>982 結構、行ったり来りのレスになってるので、私の煽りレスがかなり薄まって、いい感じです(*^。^*)
とりあえず、ひとつひとつレスしていきたいのですけど、
素人氏もそれほど急いでいるとは思えませんので、まあ、私も、気長に行きます。
ということで、とりあえず次ぎスレで・・・・・
ノシ
なんかみなさん、映画の批評家みたいですね
他人の作品の悪いところを見つけようとすれば、いくらでも見つかる
でも、意図的にいいところを見つけようとしても、いくらでも見つかるはずなのにそれは、決してしない。
小さな真理などは、一冊の本の中にいくらでもありそうなのに、全体としていくつかの欠陥があると
全体が真理で無いというのも不自然な感じがします
欠陥は無視して、いいところだけ吸収するというわけにはいかないのでしょうか?
世の中何でも、そんなもんじゃないですか。むしろ、完璧な人間や完璧な思想を見つけることの方が不自然です。
そもそも、それさえ守れば全てOKなんてものあるわけないじゃないですか?
それを、あると信じているところに問題があるように思います。
ある意味「完璧な真理が存在するはずだ」教みたいですよね。
そんなものあるんでしょうか?あるいは、真理の定義ってなんなんでしょうね
さらっと流してください。たまにしか見ないので。