1 :
名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 10:42:20 ID:4UElNd+3
このスレは、だいたい親鸞会の反社会的行為・内部問題について語りあうスレです。
会員の人もそうじゃない人も、 良識あるレスを心がけましょう!
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/| ̄ ̄ ̄ ̄|\/ けんかしないでね、厨房のみなさま。
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■ルール
・荒らしは原則「禁止」&「放置」です。
・一般会員の個人名を出さないようにね。伏せ字でも。
・人を罵ったりする人は来ないで下さい。
・2ch議論はスレ違いなのでよそでしてください。
・AAはひかえめに。
最近とても思考停止としか思えない荒らし行為をする人がいます。
一般常識を守って、みんなが見て気持ちの良いレスを心がけましょう(^^)/
■親鸞会スレッド暫定まとめページ
http://light.kakiko.com/skaimatome/
5 :
名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 11:42:03 ID:pmAOkcZe
>397 :名無しさん@3周年:2005/07/08(金) 21:34:31 ID:A4JkR8az
>大体、覚・不覚を論ぜずという親鸞聖人のお言葉になにがしかの反論がなされているでしょうか。
>恐らく会長は自分の味わった神秘体験を誠の信心と思いこんでいるようで、
>その揺るぎない思いこみが会員をその気にさせているのでしょうが。
ほほう、「覚・不覚を論ぜず」は、親鸞聖人のお言葉、だとおっしゃる。
この発言に同調したアンチが、
>417 :名無しさん@3周年:2005/07/08(金) 23:42:34 ID:V82rZloa
>>大体、覚・不覚を論ぜずという親鸞聖人のお言葉になにがしかの反論が
>なされているでしょうか。
>まったく同感。
>会員は後者の質問に答えてみ。 どうせ誰も答えられんだろ。
と、けしかける。
まあ待て、「覚・不覚を論ぜず」は、本当に親鸞聖人のお言葉なのか?
そう問えば、
>446 :名無しさん@3周年:2005/07/09(土) 11:32:35 ID:ee9z0oM1
>御裁断御書です。
>親鸞会の教学は高森会長の信仰にとって、都合の良いところしか教えませんから、
>ご存じないのも仕方がないかとは思いますが。
おいおい、
「御裁断御書」って、江戸時代の三業惑乱騒動の時に、本願寺法主の本如が書いたものだよ。
「親鸞会の教学は都合の良いところしか教えません」と言いいながら、自分の都合の良い言葉を、勝手に「親鸞聖人の言葉」にしているのは、誰だろうね。
釣られた人も、醜態を晒した訳です。
こうした一連の発言にも「名無しさん」である彼らには責任感のかけらもありません。
そして普通の人が仕事や勉強をしているはずの時間に、彼ら「アンチ」は今日もひ
どく偏った中傷文のコピペを繰り返しているのでしょう。
私は親鸞学徒としてより、同じ人間として、彼らに深い哀れみの情を感じます。
誰しも人間として過去の自分を後悔したり、やるせない感情やえもいわれぬ苦悩に
沈むことはあるでしょう。普通の人間はそれを自分自身の心の葛藤によって乗り越
えようとします。しかしそれができず匿名掲示板に悪口を書き込むことによってし
か、解決の方法を持たない人もいるのです。
もう一度、仏法を聞いて、かけがえのない人間性を取り戻してもらいたいと切に念
じています。
情報操作にはまらないため、あるいははまりかけたときに
脱け出すためのアドヴァイスを記します。
1. 匿名の掲示板で、四六時中ある特定の宗教団体への非難を、ねちっこく
そこら中に貼り付ける人がいたら要注意です。正常な人間でかつ非難する
根拠があれば、名前を隠して非難はしません。
2. おかしいと思ったらはっきり無視すること。避難者者は、人間的にも社会的にも
どうしょうもない人物である場合がほとんどです。 しかし捏造情報に流されて事柄
の本質を見ないでいると、本当にすばらしいものを見失ってしまいます。
3. 「自分たちの言うことだけ心理である。親鸞会の人たちはみんなマインドコントロ
ールされており、彼らの話はみんな嘘である。」 などと言われたら、 それが悪意
のある情報操作の始まりです。情報操作を拒絶する一番よい手段が、2ちゃんねる
などの匿名掲示板での発言がいかに、無責任なものかを知ることです。
匿名の掲示板において大事なのは、情報の取捨選択です。
たとえば2ちゃんねるのスレッドにおいても、ある特定の宗教団体をことさらに「カルト」と言う一握りの人たちがいます。
しかしその内実をみると、
立証不可能な自分の体験談や、単なる印象を根拠として、カルトと断じている事が分かります。
なおかつ、自分は客観的な立場に立っているようなふりをして、内容をみると明らかにある特定団体に悪い印象を与えようと言う、
明確な意志を感じるものもあります。
しかしその団体について詳細に調べてみると、創立以来半世紀近い歴史の中で、
犯罪や訴訟とも縁がなく、他の「カルト」と言われる団体にみられるような被害者団体の存在や、
それによる集団訴訟なども皆無であり、
本部のある所に行くと、意外と地域住民からも信頼を得ている事実をみて、驚くことがあります。
また、「敗残者と罵られた」「脅迫に近い嫌がらせを受けた」などという「被害者の体験談」なるものも、
「そんな事実はなかった」といった証言も併せてなされている事が分かりますし、
そうした発言が「ネット工作員」の手によって組織的に行われているかのような印象を持たせようと、
情報操作していることにも気づくでしょう。
自分の証言に自信があるのならば、匿名の掲示板など使わないでしょう。
犯罪という確かな事実があるのなら、訴訟をするでしょう。
事実従来の「カルト」と呼ばれる団体の殆どが受けている、そうした訴訟も、この団体は受けていません。
親鸞会の発足である1950年代は、いわゆる“神々のラッシュアワー”、第二次宗
教ブームの時期にあたります。
しかし注意しておきたいことは、親鸞会では宗祖はあくまでも親鸞聖人だとし
ていることです。
会員さんから「現代の善知識」と尊敬されている会長も「親鸞学徒」を自称し、
「珍しき法」(自分で考えた新しい教え)は何一つ説かないとしています。
このことから親鸞会は新宗教・新新宗教と呼ばれることを好みません。
親鸞上人の教えの原点に立脚し、親鸞上人の教えを正確に、迅速に、一人でも
多くの人に伝えるための団体、と自己を位置づけています。あくまでも伝統仏教
の中の革新運動とする立場のわけです。
また、親鸞会の特徴として注目されるのは若者が多いことです。本願寺をはじ
めとする既成の仏教が若者にそっぽを向かれているのとは対照的です。
しかし若者たちが集まるのは、オウム真理教のような超能力やオカルトを求め
てのことではありません。
親鸞会自身が行った参詣した若者が「どんな教えに心ひかれたのか」というア
ンケート結果を見ても、「諸行無常」「因果の道理」などがトップに挙げられて
います(『顕正新聞』第533号 平成8年4月15日)。