1 :
キリスト教=仏教:
まず、私達日本人の大部分は、「キリスト教」に汚染されなかったことに最大の感謝を捧げます。
なぜならば、今日流布していて「キリスト教」と思われているシロモノは実を言えばキリスト教などではなく、
パウロ教だから。
ハンドルネームからムー臭が。
3 :
名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 12:28:45 ID:bx/PrQNF
キリスト教=普遍的な人類の愛の教え
パウロ教=臭い臭い選民意識に縋って執着することにしか救いを見出しえない偏屈なエゴイズム
ざっとこれ位の違いがあります
パウロの書簡を一体どういう風に読んだんだろうか。
5 :
☆林檎の目☆:2006/03/28(火) 12:56:58 ID:4WqfdydV
>パウロ教=臭い臭い選民意識に縋って執着することにしか救いを見出しえない偏屈なエゴイズム
同じくパウロ書簡をどう読めば、このように思えるのかわかりません。
6 :
名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 13:03:13 ID:7Sqf5cqI
パウロの場合、あくまで「救いの選び」。
どこまで行ってもエリート意識でしかないではないか。
隣人愛は人間の垣根を取り払って普遍的な思想に向かうことだが、
その正反対のことをやっているのがパウロだった。
パウロは隣人愛だけでなく、神の愛について特に語っていると思うけど?
パウロ書簡不要です。
パウロ書簡は、新約外典とするべきです。
イエスに反抗して、パウロを聖書に付け加えたキリスト教徒の罪は大きい。
パウロ信仰者は、口先だけイエスを信じると言っても、救いに繋がらない。
最近やっと本田神父さんの意図がわかったような気がする。
なぜ本田訳聖書は、四福音と使徒だけの五書で発行されたものがあるか。
カトリック司祭の立場上、明らかでないけど、本田訳聖書の五書こそが大切と思われたのでは。
そのために、パウロなどは分冊の形にしたのでは。
>>7 パウロ教では、神の愛は
異邦人に対しては特例として与えられるものでしかありませんよ。
異邦人って異教徒のこと?それとも文字通り外国人って意味?
14 :
名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 13:58:46 ID:rYdb3284
えっと、つまり>1はいわゆる「万民救済説」に近いものを主張しているわけですか?
「神は愛だから、どんな者をも救うべきだ」といったような。
>1は田川健三に近いことをいいたいのじゃないの?
パウロ的な愛が西洋による植民地支配の道具として利用された、
そういう歴史的経緯から、日本はキリスト教に毒されなくてよかったと。
16 :
名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 14:11:33 ID:ckWPWdrF
>>14 キリスト教の救いってどんなものだと思ってますか?
キリストは一人の完成された仏陀なんですよ。
まずそれがわからなければ、何もわからないと思います。仏教とは愛と慈悲の教えです。
それを、反キリスト勢力が、わざと真理から人々の目を遠ざけて人々を覚醒させまいとして、
キリスト教をパウロ教に変貌させてしまったということです、簡単に言うと。
17 :
名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 15:12:07 ID:rYdb3284
>16
つまりあなたの考えによれば、
イエスは人を「救済」というよりむしろ
「悟り」や「完成」といったものに導く、ということでしょうか。
18 :
名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 15:15:22 ID:rYdb3284
>1、>16
また「イエス=仏陀」「キリスト教=仏教」を例証するものはありますか?
仏典や聖書、その他歴史資料でもかまいません。
19 :
名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 15:18:21 ID:rYdb3284
>15
キリスト教的な思想が植民地支配や人種差別の思想的バックボーンとして利用されてきたことは確かにありますね。
キリスト教と仏教ってぜんぜん違うとおもうけど。
愛と慈悲を説いてりゃ同じ宗教なんかいww
聖書のいう「愛」と仏教の「愛」って違うものじゃなかった?
前者は一般にいわれる愛のことで、
(それでも多くの人は本質を見失って、セックスに置き換えたりしている)
後者は執着心のこととかを言って必ずしもいいものではなかったような気がする。
確かな話ではないけど。
愛と慈悲を説くだけなら、それが宗教である必要はないよね?
ただの道徳とか(もちろん大切)、そういったものでしかない。
24 :
名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 17:34:37 ID:wu1Ct6en
>>22 アガペーとエロース。愛にも種類がある。日本語や英語にはないけどねw。
つマーカス・ボーグ
つ八木誠一
つスウェデンボルグ
万人救済はどうか知らないけど、キリスト教はもったい付けすぎなんですよ。
キリスト教徒は何かと選ばれし者っていう感覚を持ちたがる。洗礼ぐらい気軽に与えればいいと思うんだが。
>>27 それは洗礼を受けて、それだけで救われたっていう間違いがないようにするため。
洗礼は、キリストの花嫁になるということ。
キリストの花嫁になるとはどういうことか、無知ではいけない。
>何かと選ばれし者っていう感覚を持ちたがる
どういう人があなたの周囲にいるクリスチャンかわからないけど、
とんでもない先入観だと思うんだけどね。
実際にそういうクリスチャンもいるわけだけど。
個人とキリストとの関係だから、他人がどうこうはその次の問題だと思う。
アガペ、フィリア、ストルゲー、エロスの違いでも学んで
30 :
名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 18:26:22 ID:8ZTg4Vk0
>>27 気軽に与えずハードルを高くすることで
本来無価値であるはずの「入門」そのものに価値を持たせるという心理的手法
31 :
名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 19:38:19 ID:L737UBlv
イエスは「上にある共通」を説いた。つまり永遠の命からの言葉。
それは完全な善からのものであり、信仰を増そうとする人々は言葉を行えと。
その実がある人々は、「人を罪に定めず、さばかず、ゆるしてやれ」を行う。
その実がない人々は、「人を罪に定め、罪人はさばかれる」を行う。
イエスの言うことを受け入れる人々と受け入れない人々をより分けた。
32 :
名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 19:39:38 ID:L737UBlv
神の国は、「人によくしてやる、何も当てにしないで貸してやる」などみ言
葉を行った人のただ中にあるもので、それを正しいとせずイスラエルはイエ
スを殺した。愛のかけらもあれば贖いの対象はなかった。「慈悲を身につけ、
互いにゆるしあい、親切な人々の国にしましょう」と言ったら殺されたわけ
だ。そこでイエスを贖う人々を選民とする教えとなった。言葉より、かえっ
てそのほうが教えが広まるとした。
33 :
名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 08:56:01 ID:xSm2a8aC
万人に対する変わらぬ神の愛を説き、また隣人愛を実践する。
それは決して儲かるものではない。そこで、商人パウロは「罪と許しの教理」を考えた。
これがヒットした理由だが、彼が人々の持っている「罪悪感」に付け込んで、
その負の感情を煽ることによってたくみに儲けるという、人心操縦術をよく心得ていたからだ。
34 :
名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 09:58:48 ID:nRXwa9NK
>30
「洗礼」と「救済」を混同してませんか?
「洗礼」が信仰に関わらず「救済」の条件になるのなら、
バプテストがカトリックを非難する際に侮蔑的に言う
「人を洗礼で救いに導きたいのなら、
撒水車で聖水をそこらの人に撒いて来たらいい。
みーんな救われてハッピーじゃないか」
というのが言葉通りになってしまいませんか?
35 :
名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 10:00:44 ID:lENGvoIS
36 :
名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 10:26:18 ID:lCjb1yKD
イエス=麻原
パウロ=上裕
37 :
名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 10:46:08 ID:wQuRmQFV
×→クリ
○→パウラー
○→パウリスト乃至はパウリスチャン
×→クリスチャン
39 :
名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 13:51:22 ID:3PmR5xPV
だいたいパウロって筋金入りの弾圧者だったくせに、
たった1回キリストの霊に会ったくらいで、なんであんなに教義を確立して、
みんなに伝道できるわけ?
本物のイエスには会ったことがないくせに。
もしかして実は、毎回イエスの説法を聞いていたとか、
あるいは弾圧者だった頃からペテロあたりにひそかに公教要理を習っていたとか、
日曜学校に通っていたとか……
それとも、ネットでくぐって勉強していたのかな?
40 :
名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 14:54:36 ID:hr0qifqv
パウリアン…キリスト教徒の仮面を被ったパウロ教徒(2ちゃんに多数存在)
ナザレのイエスという処刑されたユダヤ教の改革運動家がいました。
そのイエスをユダヤ教で予言された救世主(キリスト)であるとし、イエスが人間の罪を背負って
十字架で犠牲となり、復活したと信じさえすれば原罪から解放されて救済され、永遠の生命を
約束されると主張したのはイエスの教団の連中であり、その中でも異教徒向けにその信仰を広
めていったのはパウロの流派でしょう。
つまるところ「キリスト教の創始者はイエスでは無い」というのは明白な事実だし、異教徒相手に
布教しなければそれは何処まで行ってもユダヤ教の一派に過ぎないわけだから、今言う「キリス
ト教」なるものは実質「パウロ教」だという主張は別段間違ってはいないと思う
42 :
名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 01:15:32 ID:GnVsa2Z0
仏教徒であるということが、キリスト教徒であるということであり、
キリスト教徒であるということは、仏教徒であるわけです。
キリスト教は聖書に無駄なものを加えた。
パウロ書簡はあくまで外典。
44 :
名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 04:53:05 ID:e/2zr/eV
キリスト教などは、人間の精神の牢屋であると誰かが言った。確かにその通りである。わざと
仕向けられていることでもある。
45 :
名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 13:27:35 ID:ULgCr7YF
オレ、思うんだけど。
この世でこんな程度じゃん。
あの世で生き返ってもたかが知れてる気がする。
パウロのどこがいけないんだ?
誰か書簡の記述に基づいて具体的に説明してくれないか?
47 :
☆林檎の目☆:2006/03/31(金) 14:21:34 ID:VjNB0jRr
パウロがいなかったら、単に人類は兄弟だから互いに愛し合いましょうなんてだけに
なっちゃって、話が単純すぎてかえって困るんじゃね?
牧師も説教で話すことがなくなっちゃうよー
イスカリオテのユダじゃなくてパウロが十三人目の使徒だったら
今の世の中どうなってたんだろうね。
53 :
名無しさん@3周年:2006/03/32(土) 09:51:21 ID:oywCoA3E
地球の隅々までパウロを神と祭る教会が立てられていることでしょう。
イエス・キリストを差し置いてか?
55 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/03/32(土) 15:26:23 ID:qc+wEWtp
【神は在る】不死の世界
―たとい神々といわれるものが、あるいは天に、あるいは地にあるとしても、〜
わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わ
たしたちもこの神に帰する―(コリント人への手紙)
―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ多くの人々を神のわざでい
やされたイエス・キリスト。また、多くの財産のある人に、貧しい人々に分けてあげな
さいと言われたイエス・キリスト―
―ブッダに帰依した人々は、すべて、悪しき境地におもむくことはないであろう。かれ
らは、人間の身体を捨てたあとでは、神の身体を満たすであろう―(ブッダ)
神は慈悲に満ち溢れ、人間の肉欲を失った世界は、困る人も、苦しむ人も、病む人も、
富む貧しい人々の別なく、全てを幸せに満ち溢れさせる人知ではとうてい測り知るこ
とのできない神の平安を、何よりも喜んでいる。
56 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/03/32(土) 15:27:43 ID:qc+wEWtp
【善悪を超越した慈悲に満ちる神、その世界からの教え】
―敵を愛し、憎む者に親切にせよ〜自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほど
の手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している〜しかし、あなた
がたは敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ〜いと高き者
は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲
深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ―(イエス)
―平安の境地に達して〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽
であれ〜母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生ける
ものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし〜上に、下に、また横に、障
害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし〜この慈しみの心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ―(ブッダ)
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない―
善い世界では、自分の思い煩い、悩みは一切無い。自分のことよりも、困る人、苦し
む人、病む人もなく、全ての人々が幸せになりますように、みこころが天に行われる
とおり地にも行われますように祈る人は、何でもできる神とともに在る。
57 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/03/32(土) 15:28:36 ID:qc+wEWtp
【善悪】
―へびは女に言った、「〜神のように善悪を知る者となることを〜」〜賢くなるには好
ましいと思われたから―(創世記)
―あなたは悪魔の征服者です〜みずから彼岸に渡り終わり〜あなたは善悪の両者に汚さ
れません―(ブッダ)
自分の思いわずらいを持たず、賢くなった人に盲従せず、善い世界で神とともに困
る人、苦しむ人も無く、全てが幸せになったことを喜ぶように、この世で困る人無
く、苦しむ人も無く、全ての人々が幸福で、安穏で、安楽になるよう思い生きる。
【賢くなった人々が人々を釣る】
人は賢くなり自分たちが考えたことは正しいとして、宗教を考案する。自分たちが考え
出したことに同意させることが善いこととさせる。神と永遠の命の言葉より、欲の深い
人々を惹きつける。人は知らずに「それよりも」と教え正そうとするが、最低である、
偶像礼拝者には気をつけるべきである。永遠の命の国での慈悲深い神のみ信じるべきで
あり、人は何かを考え出しても、出さなくても、ただただ低いのである。
誰だったか、こんなこと書いていて、納得したことがあるよ。
「イエス(福音書)は、人間の心を束縛から解放する。
パウロ(パウロ書簡)は、人間の心を新たな束縛に再びつなぎとめる。」
ソクラテスの哲学も、イエスの教えも、あるいは釈迦の教えも、人間の心を
偏見や依存から解放して、真実へ導こうとする。
しかし、パウロは、キリストへの依存を強要するだけで自律的な学びがない。
ソクラテスもイエスも釈迦も、その語り口は物静かで、自分の心の奥底から
響いてくるようだ。
パウロの言葉は、まるで右翼の街宣車のようにヒステリックで、独裁者の
ような狂気さえ帯びている。
61 :
名無しさん@3周年:2006/03/32(土) 21:43:19 ID:4hWMGXsa
神や神々を拝みながら人殺しをする時代だったからね。
62 :
名無しさん@3周年:2006/03/32(土) 23:40:53 ID:bl6kBTPl
世の中、社会問題に対していろいろ議論しているけど、
自分を犠牲にして人々に尽くす人と、自分を愚か者と
認めて、口に出さず大人しくしている人の二つになれ
ば、自分のことから社会を乱そうとする人がいなくな
るかもね♪
63 :
名無しさん@3周年:2006/03/32(土) 23:42:36 ID:n2t36dtQ
>>62 まず、人を騙す人、人を騙そうとする人の存在を知ることです。
騙されて罪を犯したくなかったら。
64 :
あずみ ◆eeV.9uSetc :2006/04/02(日) 01:22:02 ID:f2GSlawx
「人を騙す人、人を騙そうとする人」って、牧師のことですか?
65 :
名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 01:46:31 ID:v/Imuhpx
まあまあ、おちついて。
嘘も方便ですよ。
66 :
風の主:2006/04/02(日) 03:09:37 ID:FPaxsgHk
意図したかどうかはともかく、うそが多い気がします。
67 :
名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 17:01:21 ID:+xDj4i8l
先に書簡が出回ってて、後から福音書が書かれたんだよね。
パウロは福音書を読んだの?
68 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/02(日) 17:02:08 ID:/YxPDHFq
【死後は無いではなく、神は在る】
※しかし、特定の人間の考えに左右されない存在である。それは多くの人々の考えと一
致するものだろう。
―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ多くの人々を神のわざでいや
されたイエス・キリスト。また、多くの財産のある人に貧しい人々に分けてあげなさいと
言われたイエス・キリスト―
なぜ宗教があるのか、それは不死の世界があり、その世界からの言葉を善と認めるた
めに宗教がある。人間の今現在のこのような思いは存在せず、誰かの考えにも左右さ
れず、全てが幸せで喜びに満ちる神の国が本当に在った。
69 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/02(日) 17:03:05 ID:/YxPDHFq
【全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている】
―妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(ブッダ)
人間の今現在のこのような思いは、ほとんど悪しき者に従って生まれたものである。だか
ら宗教がある。善かったら、イエス・キリストが示されたように、困る人も無く、苦しむ
人も無く、富む者貧しい者別無く、全てを幸せにされる慈悲深い神のみまこととしている。
ほとんど人間にとって【無が善】で【全ての幸せを愛する】慈悲が善である。
敵意無く、憎しみ無く、怒り無く、自分の損得を考えること無く、自分の持ち物とい
う愛着も無く、自分の考えが正しいと言い張ることも無い・・・・・・・・・・・・
全てが無かったら善であり神とともに在り、全ての幸せを喜べば神とともに在る。平安
を願い、平安を喜べば神とともに在り、安穏、安楽、安らぎを喜べは神とともに在る。
70 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/02(日) 17:03:57 ID:/YxPDHFq
【人が考え出したことを神とすることはなかった】
人が考え出したことを善とし、善を見失う。偶像なるものは不死の世界に無く、この世に
は存在しないはず。人は様々な教義を作り出し、そして多くの先生を生み出すが、神は人
の特別な考えではない。むしろ、自分たちの考えを捨て素直になるなら、善に近づく。
―あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ―
―あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたを
ゆるして下さるであろう―(イエス)
不死の世界を知ったら、人を悪に定めず、人の意向や考えを尊重してあげたり、助け
てあげたり、自分の益になることばかり考えず人によくしてあげたり、敵対し争わな
いことなど、誰でも認めそうな善こそが永遠の命に向かうことだと確信する。
【へびは人を釣る】
神は愛で、この世では人によくしてあげたり、人のあやまちをゆるしてあげたり・・・・・
となるが、それより自分たちが考え出したことのほうが善いとする人は最低である。
偶像礼拝者は、その実の無い人々を釣る。騙しごとの教えで、いずれは全てを幸せにされ
る神に付け加え、人によくしてあげたりする愛の行いよりも、人間が考え出したことを永
遠とさせるのである。人が持っているものを、別のものにすりかえて、永遠を受け入れさせ
ないようにする。つまり滅びを学ばせ滅びに至らせるのである。
71 :
風の主:2006/04/02(日) 18:25:21 ID:FPaxsgHk
素朴な言葉さん、ご無沙汰しています。
自スレ「自分探し」ではお世話になりました。
あなたの言われていること、先人達の言葉が、よくわかります。
私は、イエスを知りたい。あなたはどうやって学んでいるのですか?教えていただきたいのです。
何かを私は思い出そうとしている。それが何かはわかりません。それを知ることが私にとって、重要であることしかわかりません。
そのキーがイエスなのです。よろしくお願いします。
>>67 読んでいなかったんじゃない?
確か、原始キリスト教会には口頭による伝承だけがあって、それを書いたもの
にまとめたのがマルコ。彼が書いた福音書は、第16巻8章で終わっていて、
キリスト復活の場面はない。彼は、パウロが「復活のキリスト」だけを取り上げて
「生けるイエス」を全く無視していたことに反感を感じたのだろう。
今あるマルコ伝の「結び」が登場するのは、比較的に新しい写本だけなので、
後世に護教目的のためにつけ加えられたのだろうと考えられている。
72をちょっと訂正。
キリスト復活の場面はない×
復活後のキリストを弟子たちが目撃した場面はない○
75 :
風の主:2006/04/02(日) 21:28:06 ID:FPaxsgHk
イエスは布教しようとしたのですか?
宗教を作りたかったのではないですか?
77 :
風:2006/04/02(日) 22:11:03 ID:FPaxsgHk
私が歩んでいる道が、イエスの道と変わらないと思えるのです。
イエスは教えを説きはした。しかし、広めようとしたのかは疑問なのです。
なぜなら、広めようとすれば、広まらないことを知らないわけがないと思うからです。
78 :
風の主:2006/04/02(日) 22:15:52 ID:FPaxsgHk
イエスは宗教を作りたかったわけではない。
私はそう思うのです。
神は形をもちません。ゆえにどんな形にもなれる。
宗教という形をとれば、人はそれ以外を否定する。違うと判断してしまう。私が信じる神こそが、唯一の神であると考える。それをイエスがしらなかったわけがないと思うのです。
福音書によると、イエスは弟子たちに布教を命じました。以下、マルコ伝からの引用です。
06:07> また十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつつかわすことにして、彼らにけがれた霊を制する権威を与え、
06:08> また旅のために、つえ一本のほかには何も持たないように、パンも、袋も、帯の中に銭も持たず、
06:09> ただわらじをはくだけで、下着も二枚は着ないように命じられた。
06:10> そして彼らに言われた、「どこへ行っても、家にはいったなら、その土地を去るまでは、そこにとどまっていなさい。
06:11> また、あなたがたを迎えず、あなたがたの話を聞きもしない所があったなら、そこから出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足の裏のちりを払い落しなさい」。
06:12> そこで、彼らは出て行って、悔改めを宣べ伝え、
06:13> 多くの悪霊を追い出し、大ぜいの病人に油をぬっていやした。
80 :
風の主:2006/04/02(日) 22:22:14 ID:FPaxsgHk
福音書はいつかかれたものですか?
私はその内容が私の知っている事実と違うことに驚いています。
神に束縛はない。強制もない。こうせよ、と神が言えば、人はそれに縛られる。自由でなくなる。
それがイエスの意志ではないと考えます。
神は無形だとしても、神が定めた法則があるとするならば(もちろん、ないと
解釈する自由は残されています)、それに従う義務が生じるでしょう。
イエスが説いた教えを一言で言えば、人間は隣人同士をいたわりあって生きる
ことが唯一の宝で、物質的な宝(富、名声)は死ねば朽ちてしまうということ
です。イエスが宣教を命じたのは、それが完全に広まるからではなくて、人々に
「選択肢」を与えるためでしょう。イエス自身が言うように「主よ、主よ」と
すがる者ではなく、イエスの言葉を実践する者だけが天国に迎えられる。
(もちろん、この天国をどう解釈するかも自由が与えられていますが)
神が人間の自由を束縛しないのは、試練のためでしょう。
金が本物であるかどうかは、「試金石」を使って重さを調べればよい。
池に物を投げ込めば、重いものは沈み、軽いものは浮く。
人間の自由に束縛はなくとも、自然法則という束縛は厳然として存在し、
揺るぎがありません。
もし、神が定めた律法があるとすれば、それは一字一画揺らぐことはない
でしょう。
83 :
風の主:2006/04/02(日) 22:28:01 ID:FPaxsgHk
それは強制です。自由な選択ではない。
実践しなければ天国にいけないというのは、恐怖を与えるだけです。
選択肢を与えるならば、何も与えなければいい。
イエス以外の意図を感じます。
もし、ある人間が「自由」に行動したとして、その結果は本人が責任を負わねば
なりません。「自由」というのは、「やることが可能だ」というだけのことで、
「やってもよい」ということとは別です。
85 :
風の主:2006/04/02(日) 22:34:25 ID:FPaxsgHk
人が神だからこそ、自由な選択ができると考えます。
確かに現世利益に意味などないと考えます。しかし、それすら人の選択であるはずではないですか?
神の教えに強制はないと考えます。
ならばなぜ、自由を認めたのか。人を作るときに、制限すればいいことではないですか?
教えに矛盾などないはず。しかし、お話を聞いていると、私が体験した神と違いすぎる。
私が宗教から中立をはかるのはそのためです。
>>83 いや、「死後の世界などない」と否定する自由があるのだから、強制ではない。
実際に、そのように考えてエゴイズムに身を任せて生きる人は多い。
イエスが何を言ったかについては、福音書を読むしか手立てがありません。
福音書を読めば、イエスがある「理想の生き方」を推奨していることが判明
するでしょう。マルコ伝にはこうあります。
09:43> もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、片手になって命に入る方がよい。
09:44> 〔地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。〕
09:45> もし、あなたの片足が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両足がそろったままで地獄に投げ入れられるよりは、片足で命に入る方がよい。
09:46> 〔地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。〕
09:47> もし、あなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出しなさい。両眼がそろったままで地獄に投げ入れられるよりは、片目になって神の国に入る方がよい。
09:48> 地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。
87 :
風の主:2006/04/02(日) 22:39:33 ID:FPaxsgHk
それはそうです。しかし、やれないことなどない。それが事実であるはずです。
それすら当人の選択。だから犯罪があり、戦争があるのだと考えます。
全てが自己責任。当たり前のことです。
唯一の神と考えるのは、他を否定し、争いの元凶であって、平和とは程遠いと考えますがどうでしょうか。
>人が神だからこそ、自由な選択ができると考えます。
もし、それが本当ならば、石をパンに変えてごらんなさい。
人間というのは、実際には「自由」でも何でもなく、束縛だらけの世界に
生きています。世界でなぜ飢餓がなくならないか。なぜ病気で死ぬ人がいる
のか。それは、世界が人間の自由にならないからです。
自由でなく、束縛だらけの世界だからこそ、隣人同士かばいあって生きないと
いけないのです。人間に与えられた「自由」とは、(語弊がありますが敢えて
言えば)「天使」になる自由と、「悪魔」になる自由の2つだけです。
90 :
風の主:2006/04/02(日) 22:46:33 ID:FPaxsgHk
福音書は事実ではない。
確信しました。
私がいう強制とは「イエスの教えを実践するから天国にいける」といい続けることであり、それ自体が人を制限する行為であると考えます。
神は在るという存在であり、内なる力であり、生命だと考えます。
私の知る神は、「罪や裁きや地獄などない。ただし、あると信じるならばある」と言われます。
大変よい勉強をさせていただきました。お付き合いいただきありがとうございました。
>唯一の神と考えるのは、他を否定し、争いの元凶であって、平和とは程遠いと考えますがどうでしょうか。
人間が「神」だというのが、いわゆる「神性」だとするならば、それは「同質」でなければ
矛盾します。物理法則は宇宙のどこでも通用します。唯一の神であれば、それは
宇宙に偏在する普遍的存在なのだから、固有名詞を付ける意味がなくなります。
それをエホバと呼ぼうが、アラーと呼ぼうが、大日如来と呼ぼうが、「同義語」
にすぎません。だから、争いの元凶になるはずがない。
>私の知る神は、「罪や裁きや地獄などない。ただし、あると信じるならばある」と言われます。
恐らく、「神との対話」とか「日月神示」などのニューエイジに触発されている
のでしょうけど、その道は誤っていますよ。
93 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/02(日) 23:11:03 ID:/rcgvHKd
>>71 ―神の国を見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる―
(ルカによる福音書)
死を味わわない素晴らしい世界があることを私は体験しました。
―この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このよ
うに、あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイによる福音書)
その世界は、その言葉が真実であると確信する世界です。
―何事も思い煩ってはならない〜人知ではとうてい測り知ることのできない神の
平安が、あなたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう―
(ピリピ人への手紙)
その世界は、一切の思い煩いが消える世界です。
つまり、このような人間の思いが存在しない世界が「在る」ということを知
ったのです。全てが幸福に満ちる神の平安の世界を。
94 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/02(日) 23:11:49 ID:/rcgvHKd
―悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せ
て言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう〜」
〜イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神のみに仕えよ』
と書いてある」―(ルカによる福音書)
―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―(ヨハネの第一の手紙)
その神の世界より、自分の野望というか欲望というものに従って、このような人
間の思いが生じたのです。
イエス・キリストは神とひとつになり多くの人々を導こうとした。ブッダは妄執に
従属したのだから、その妄執を取り除こうとして、妄執に影響を受けない自然の中
で瞑想修行をし、静けさと安らぎを楽しむ行いをして、平安の境地に達してから、
一切の生きとし生ける者の幸福と安穏と安楽を願う慈悲を完全とする。
95 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/02(日) 23:12:57 ID:/rcgvHKd
しかし、神々は徳行を求めている。自然の中で瞑想修行をし、妄執を取り除いて生
きながら彼岸に達することはしなくてよいと。となれば、この世を創造した存在は、
御言を受け入れるために人を造ったという結論です。
人々が在るか無いかわからない人間が存在しない世界が在る。一切が平安で安穏で
安楽で安らぎに満ち、一切が幸せな世界が在る。「天国、極楽、永遠の命の世界は
善い世界であると、それはそうだが自分はこの世で欲望のまま、或いは違った宗教
をしよう。」
人々が他人を気遣うことなく、自分たちの野望や欲求の拡大を満たそうとして生き
るだけでは全体として好ましい結果は得られない。「与えよ、与えよ」と何かを人
に与えることが大切で、一切の人々が幸福で安穏で安楽で平安になる教えは何か、
この世を天国にするような言葉は何か、人の思案からでなく永遠の命からきた言葉
は何かと追求すれば御言は正しい言葉となる。
96 :
風の主:2006/04/02(日) 23:15:13 ID:FPaxsgHk
私は私の体験から学んだこと以外、話してはいません。
神は全てです。確かに宗教の中にも真実はあることは認めます。しかし、うそもある。
私は矛盾を感じたり、違うと判断することを「私の真理」として、受けとめることはできません。
ただ、決して宗教を否定することはできない。
なぜなら、在るからです。
誤りとは、あなたにとってそうだと決める行為です。しかし、私の事実ではありません。
97 :
風の主:2006/04/02(日) 23:21:12 ID:FPaxsgHk
素朴な言葉さんの言葉は理解できます。
わかる。私が体験してきたことと多くが一致するのです。
98 :
風:2006/04/02(日) 23:31:04 ID:FPaxsgHk
89さん、それは解釈の違いでしょう。
確かに、人には束縛がある。肉体がそうであり、社会がそうであり、世界がそうです。
しかし、人の正体は肉体ではない。
一切の束縛の無い世界が、在るのです。私はそれを知っています。それを体験しているのです。
私は自分が誰かを知っています。
99 :
名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 00:39:26 ID:h3kbhILD
>>91 その唯一神が物言わぬ偶像ならね。
人間がどんな名をつけようと、されるがままだ。
101 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/03(月) 20:57:20 ID:VBdgNn0F
【この世ではなやみがある】
―これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなた
がたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝って
いる―(イエス)
―何事も思い煩ってはならない―(ピリピ人への手紙)
―世間は妄執によって導かれる。世間は妄執によって悩まされる。妄執という一つのものに、
一切のものが従属した―(ブッダ)
―アジタよ。世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。欲心
が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である―(ブッダ)
102 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/03(月) 20:58:18 ID:VBdgNn0F
【永遠の命は思い煩いが無い】
―天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年の
ためになり、天のおおぞらにあって地を照らす光となれ―(創世記)
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった―
(ブッダ)
この世でも、神が創造された自然の中で楽しみ、いつも清々しい心でいる人は永遠に近い。
太陽に照らし出される自然と静けさは、この世で永遠に近いものとして神が人に与えたも
ので、人の手で作られたものを貪り求めることは、安らぎからは遠ざかる。
【悪しきものが人を悩ます】
全てが幸せな世界には悩みも無い。自分のことを愛する人よりも、人々の幸せを思っている
人のほうが、自分の悩みは少ないだろう。
自分が食べる、自分が飲むなど自分が生きること、自分の権威や栄華を求める心、自分の考
えどおりにしようとする意向などは悪しき者から得たものである。
103 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/03(月) 20:59:19 ID:VBdgNn0F
【悪しきものを滅ぼす】
―人によくしてやり―(イエス)
仕事でも、人から頼まれたことでも、人々になんらかの益を与えること、その人によくして
あげること。貪り求めようとするよりも、与える心のほうが安楽なのである。
―もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル
行きなさい―
―天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者
にも、雨を降らして下さるからである―(イエス)
―六つのものがあるときに世界が生起し、六つのものに対して親しみ愛し〜世界は六つのも
のに悩まされている〜世間には五種の欲望の対象があり、意の対象が第六であると説き示さ
れている―(ブッダ)
人はそれぞれ自分の考え、意向があり、人の考えや意向を否定し、自分の考えに従えさせ
ようとすることは、悪しきものから来ているのである。自分の考えや意向に適ってない人
を助けてあげようとすることは、永遠からきている。つまり善である。
104 :
風の主:2006/04/04(火) 10:51:02 ID:9GX/jIik
素朴なことばさん、なぜ人は非難したがるのでしょうか?
それぞれがつかんだ真理を尊重できないのでしょうか?
私は疲れてしまいました。
105 :
風の主:2006/04/04(火) 16:51:12 ID:9GX/jIik
気付きました。
106 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/04(火) 21:21:49 ID:gCap9cWn
>>104 ―他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこ
ととしなかったこととだけを見よ―
―他人の過失を探し求め、つねに他人を見下して思う人は、卑しい性質が増大する。かれは
実に真理を見ることから遠く隔たっている―(ブッダ)
―敵を愛し〜人を罪に定めるな〜ゆるしてやれ〜なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自
分の目にある梁を認めないのか。自分の目にある梁は見ないでいて〜偽善者よ、まず自分の
目から梁を取り除けるがよい〜わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うこと
を行わないのか―
―自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスは―(イエス)
人はへびに毒され根強く人の中に残り、人を良い者、悪いもの、正しい者、正しくない
者とさせる。そして、自分の考えが相手にも正しいと認めさせようとする。イエスが言
っていること、ブッダが言っていることを聞かないなら、誰かわからない人の言うこと
を、自分と考えが違うということで反論するだろう。
107 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/04(火) 21:23:01 ID:gCap9cWn
―あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがた
の心をご存じである―(イエス)
―へびは女に言った〜神のように善悪を知る者となることを〜(女は)賢くなるには好ま
しいと思われたから―(創世記)
善い国では、自分が正しいとも、自分の考えが正しいとも言わない。悪しき者に従っ
て自分の考えの正当性を訴える。
―見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、
命の木からも取って食べ、永遠に生きるかもしれない―(創世記)
賢くなって人によくしてあげることもできる。他人の意向や考えを尊重し助けてあげ
ることもできる。自分の考えで生きることを覚えた人にとって、他人の言うことを聞
くことは、何らかの見返り(益)を期待して聞くことが多いと思われる。
108 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/04(火) 21:24:15 ID:gCap9cWn
>>98 一切の束縛から解き放たれた永遠の命の世界がある。全ての人の重荷は下ろされ一切の
苦しみから解き放たれる。神は一切の束縛から解き放つ。
真理は人を自由にする。善い国では束縛しないのだから、人も人を束縛してはいけない。
人はそれぞれの考えで生きる存在となった。その人の考えを尊重してあげることは、神
と永遠の命からきているのである。神を愛する人は、考え方の違いで対立しないのであ
る。
神が永遠の命の世界で人を束縛しないように、全ての人の重荷を下ろされるように、人
が自分の貪欲で人に重荷を負わせることは悪であり、人の重荷を軽減してあげることは
善である。人は自分の考えや好みによって人を束縛してはいけないし、困って助けて欲
しい人、他人の意向に仕えてあげようとすることは、それによってその人が困難から解
き放たれ幸せになるのだから、そのことを行う人はこの世で神とともにいることになる。
―肉による主人に従いなさい〜人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい―
(エペソ人への手紙)
109 :
風の主:2006/04/04(火) 21:53:45 ID:9GX/jIik
ありがとうございます。
実行するだけで、体験ができるというのに、その入り口に立ちながら躊躇している人達をどうしてあげることができるのか。
自分に問い掛けています。
110 :
風の主:2006/04/05(水) 14:12:52 ID:NfCiWCvM
やめました。馬鹿馬鹿しくなった。語らぬことにしました。
111 :
名無しさん@3周年:2006/04/05(水) 22:37:00 ID:MZwuZa7T
112 :
煌めきさん@2006周年:2006/04/06(木) 08:01:01 ID:MQLHPvyI
110 風の主さんは何をやめるんですか?なぜ馬鹿馬鹿しくなったんですか?
113 :
煌めきさん@2006周年:2006/04/06(木) 08:38:22 ID:MQLHPvyI
そんなに弱くはなかろう?!
114 :
風の主:2006/04/06(木) 09:42:45 ID:0fILgvpR
ご心配いただき、ありがとうございます。
大丈夫です。復活しました。私の言動により、おおくの友を失いましたが、それにより、自らの過ちに気付きました。
また、神への道を歩みます。
115 :
煌めきさん@2006周年:2006/04/07(金) 00:11:21 ID:mn6OrGn5
風の主さんは聖霊を感じた事ありますか?
116 :
風の主:2006/04/07(金) 06:41:42 ID:xDdlgPl6
私が感じるのは、神と、もうひとり。ハイヤーセルフかな?
私が直接話ができるのは、ハイヤーセルフの方です。ただ、どちらも神ですから、メッセージが違うことはないと思います。
117 :
煌めきさん@2006周年:2006/04/07(金) 18:27:45 ID:mn6OrGn5
風主さんはすごいですね、ハイヤーセルフさん? どんな話しとかされるんですか?
118 :
煌めきさん@2006周年:2006/04/07(金) 18:51:18 ID:mn6OrGn5
俺は話しはできません感じたことも二回しかありません。聞きたいけど聞きたくないですなぜなら行ないに自信がないから畏れます。それでも人に信じてもらえない様な事が度々あります。それゆえ天国も地獄も在ると思ってます。
119 :
風の主:2006/04/08(土) 09:02:23 ID:XowklCXo
話はいつでもできます。
ブログに書いてあります。
地獄も、悪魔も、在ると思う人には有り、ないと思う人にはない。
私は自ら作り出す幻想だと思っています。
120 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/08(土) 11:29:12 ID:f5pB3Ahu
神を知った人は、その幸せを伝えるため言葉にする。言葉を行えば、その神を知れるよ
うになる。完全ではないが、近づくことができるのだ。私はその体験を伝えたいとして、
聖書に書いてないか調べた。私の体験した神はこんな感じの神だった。
【自分と同じような神を人は抱いて、人は神を悪しき者にしている】
天には私と同じような人間の思いを抱いた神が存在し、へつらおうとして偶像に供え物
をするが、その心は神から離れていると私は体験したことから言う。
「偶像なるものは実際は世に存在しないこと」偶像を抱かないことから私の体験した神
を伝えることができる。「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安」は、偶
像礼拝によって近づくことはできないということを知る。
121 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/08(土) 11:30:01 ID:f5pB3Ahu
しかし、自分と同じような神を人が抱くことは、神を悪しき者としてしまう。如何なる
人間では無く、人間の考えから生み出される存在ではない。天には私と同じような神が
いて、良い者には神がこの世で人間が思うような良い報いを与えて下さる、悪い者には
神がこの世で人間が思うような悪い報いを与えて下さる、という神を抱いたら、神を悪
しき者とするのである。むしろ私たち全ては悪しき者の配下にあるということを知り、
自分の悪と戦うだけの存在と定められており、他人を罪に定めてしまえば、それだけ神
を知れぬ者となることをよく知ったのである。
―天の父は、悪い者の上にも・・・・・・・人を自分の善悪で批評したりせず、他人を
自分の考えどおりのものとせず、むしろ他人の考えをその人のものと認めてあげたり、
他人が幸せだと考えていることを助けてあげたりする心の中で神を知っている。私の体
験した神は、そのような感じの神であり、完全な国ではそれがもっと膨らみ神とともに
喜べるようになる。悪しき者も膨らむと想定している。その逆を正しいとして行ってい
る人は、安らぎの神が取られるがために、苦しみの世界に生まれるかもしれない。
122 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/08(土) 11:30:52 ID:f5pB3Ahu
人は肉欲から、神は何ものなのか、神はどこにいるのか、などと考え出そうとするが、
―たとい神々といわれるものが、あるいは天に、あるいは地にあるとしても〜わたした
ちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちも
この神に帰する―
そして、私たちは悪しき者に従ってこのような思いが生まれ、神を捨てたと知れば、神
は何であるのかがわかる。神は人の考えに頼らせず、自分で知れる者として、人より勝
る知恵でこの世を創造されたのである。世で先生と言われ、神を知るために私たちの考
えから学びなさいという人は、神を全く知らせようとしない無知な人であると知ったの
である。
―聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」と書
いてある。知者はどこにいるのか。学者はどこにいるのか。この世の論者はどこにいる
のか― 私は「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安」を知って、そのこ
とは正しいと知ったのである。神は知者はどこにいるのか、学者はどこにいるのか、こ
の世の論者はどこにいるのか、それらを当てにしなければ知れる存在としたのである。
つまり、それらから離れて、素直な心になれば神は知れるのである。
123 :
煌めきさん@2006周年:2006/04/08(土) 17:31:06 ID:jpD2BlIt
素朴な言葉さんは悟られる事を認められた人?
124 :
名無しさん@3周年:2006/04/08(土) 17:47:57 ID:qTW2F2C3
125 :
煌めきさん@2006周年:2006/04/08(土) 17:55:26 ID:jpD2BlIt
風の主さんは悪の姿と天の姿が人から見ると違う姿に見えると思っていませんか?地獄がない思考は光を闇にかえてます。光と闇の区別がわかっていないと思います。危険です。
126 :
煌めきさん@2006周年:2006/04/08(土) 18:08:36 ID:jpD2BlIt
地から天を見る姿は。いの蛙、ただ自分の見てる知ってるは誰よりも賢者だと思ってる、目を覚ましていなさい。人の子は思いがけない時に来るからある。
127 :
風の主:2006/04/08(土) 18:56:57 ID:XowklCXo
それはあなたがそうおもっているだけです。
128 :
煌めきさん@2006年:2006/04/08(土) 19:12:34 ID:jpD2BlIt
それさえもあなたがそう思ってるだけです。 また思わされているだけです。繰り返す言欺く。
129 :
風の主:2006/04/08(土) 19:25:55 ID:XowklCXo
余計なお世話ですね。
130 :
煌めきさん@2006周年:2006/04/08(土) 19:38:32 ID:jpD2BlIt
言葉て面白いですね。
131 :
風の主:2006/04/09(日) 17:20:45 ID:lrOfFa2c
もう語ることはやめました。
二度とありません。
132 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/09(日) 18:49:45 ID:x+yChqE/
>>123 不死の世界を知った時は、仏教のように私は世の人々とは別で、休日には自然を楽しん
でいた。―かれは思慮深く、瞑想に専念し、林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、
大いにみずから満足すべきである―(ブッダ)
―天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため―(創世記)
自然の中での清々しい思いは、不死の世界に近いと知っている。神は黙ってそのこ
とを世の創めに地に現した。仏典などを読んで考えていたが、心に語りかけるよう
に神の声を聞いた、「真剣になるべきではない」。「これだ」という世界を知った
者は、神の声さえも不自然だと思わなくなっていた。
神は「独りでない」などと語り、それはどういうことか私は考えた。不死の世界を知っ
たならば、自分で考えよということだ。しかし、それはわからなかったので「愛」とい
う言葉を感じたのである。
そのようにある言葉を聞いて、自分で考え、「そうだ」と語ってもらえたならそれは自
分にとって正しいものとして受け入れている。
133 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/09(日) 18:50:38 ID:x+yChqE/
◆神の形(イエス)
―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ、病に苦しむ多くの人々を神のわざでい
やされた、多くの財産のある人に貧しい人々に分けてあげなさいと言われたイエス―
◆不死の世界の表現(ブッダ)
― 一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ ―
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない―
□神は語られた
自分のことに対してでなく、困る人も苦しむ人も全ての人々が幸せになりますように、
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように・・・・と熱心に心の中で
祈っていたら、ある日神は語られた。
■心も無常であるような不死の世界は、神は望まれていない
―人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安― ―この上なき最上の喜びの境
地―があることを喜んでいたが、神は望まれておらず、「思うべき限度を越えて思いあ
がることなく」と書いてあるように、今人間である自分の限度を越えて、悪しき者を超
越した世界を思うべきではないということ。いくら完全な世界を知っても、「真剣にな
るべきではない」。
134 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/09(日) 18:51:57 ID:x+yChqE/
■御言でよい、心ある人
神が語る「心」「愛」「色」色界=人間界で大切なこと
敵意や憎しみを持たない、人によくしてやることなど、御言を大切にしなさい。私は
御言から自分の心を安楽にすることを心得て、見出して「そうだ」と言われる。
■神を意識し懸念される
自分の思いわずらい、悩みがなければ悪しき者から離脱して神の領域に達している。神
を呼び求めたりすると、神自身が私に懸念を抱くという。それは御言まで誘導されたの
にまだわからないのかということだろう。神が創造した自然や太陽を感じて、心を休め
る時も、時としては必要である。
■人には「目標」があると言われ、それは「できる」と
イエス・キリストはこの世の有様を現され、困る人・苦しむ人・貧しい人などを思わな
い人は今度のあなただ。自然でもまだ人に「心」のあるうちは地は滅びない。人のうち
にそのような「心」が失われた時、人は肉だけとなり滅びると。最後の時になって、困
る人も苦しむ人も富む貧しい別の無い神の世界が現れ、いつも目標にしている人は、来
世でも持続し、最後は霊体となる。それは私には「できる」と言われた。
135 :
名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 18:56:58 ID:/h81avN8
つか、
ライト強いとハイコントラストで、必然的にシャドウも濃くなる。
あまり眩しい光見続けると、目が弱るヨ
136 :
名無しさん@3周年:2006/04/09(日) 19:52:37 ID:6qVLLj8P
ある時、イエスが弟子たちを連れて街中を闊歩していると一人の
女性が民衆から石を投げつけられていた。
なぜこんなことをしているのかと、弟子が民衆の一人に問うと、
「この女は罪人だからだ」
と答えた。
それを聞いたイエスは民衆にこう言った。
「ならばしかたがない。続けなさい」
そしてこう続けた。
「ただし、一度も罪を犯したことのない正しき者だけこの女性に石を
ぶつけなさい」
民衆は、とまどい、やがて一人また一人とその場を離れていった。
石をぶつけているのはイエスただ一人だけとなった。
>>132 言っていることは面白そうなのに、日本語が文章になってないですね。
>「これだ」という世界を知った者は、神の声さえも不自然だと
>思わなくなっていた。
この「知った者」というのは、あなた自身のこと?
なんで、そんなにあいまいで、分かりにくい文章にしてしまうの?
139 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/10(月) 00:05:13 ID:Wa3J6PUx
>>137 ―人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安―の世界を私が知った。
そうでなかったら、聖書を読まないし、イエスに興味を持たなかっただろう。
それは、―あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深いようになれ―
―この山にむかって「ここからあそこに移れ」と言えば、移るであろう。このように、あ
なたがたにできない事は、何もないであろう―(イエス)
このような人間の思いは存在せず、慈悲に満ち溢れた世界があり、―あなたがたにでき
ない事は、何もないであろう―という世界が真実としてある、そして絶対的な世界を知
り、その真実の世界を知ったら「これだ」と思うしかなくなる。
〔平安あれ、安かれ〕イエス 〔平安の境地、安らぎは虚妄ならざる真理である〕ブッダ
140 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/10(月) 00:06:00 ID:Wa3J6PUx
― 平安の境地に達して〜一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽で
あれ〜上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし〜この慈しみ
の心づかいをしっかりとたもて。この世ではこの状態を崇高な境地と呼ぶ―(ブッダ)
この世で人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安を喜ぶこと、この上なき
最上の喜びの境地に至ることは不要である、その世界に「真剣になるべきではない」
と神は語るのです。
イエスが―盲人は見え、足なえは歩き・・・・・・というように、永遠の命の世界は困る者、
苦しむ者も無く善いという誰でもわかりそうな世界、そして人間が思わねばならないことは、
この世も困る人がいないように、苦しんだりする人がいないように思うあわれみの心が必要
で、「私は何ものかのためにやってあげたんだ」という誇り高ぶることが無い程度の、人に
よくしてあげたり・・・・・という御言を行うことでよい。
私に対して、神はそのように導かれた。
141 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/10(月) 00:07:05 ID:Wa3J6PUx
そして、人間が考え出して生み出したもので何かを得ることばかり考えることは、善いもの
が失われやすいのです。
神が創造された自然の中で楽しんだり、太陽が照らし出した世界に美しさを覚えたりするこ
とも、多忙で思いわずらいの多い生活活動の中でも余暇を見つけて、人間が行ったほうが良
いことだということです。
【神は心と言われた】
〔自分が生きる〕〔自分が考え出したこと〕〔他人が考え出したこと〕というものではなく、
自然の中で清々しい心でいるように、他人に親切にして善いことをやってさわやかになるよ
うな心、仕事でも給与を得るために働くのではなく、相手によいようにしてあげようとして
働く心、困った人がいたなら、その人を助けてあげようとする心・・・・・そういった自分
が生きる、自分が考え出したこと以外のもので永遠に近いものがある。他人が考えたことで、
自分と意向などが違っても、その人のことだとして尊重してあげたりする心も永遠に近いも
のがある。要するに、自分が全てと思って生きる人は永遠ではないのです。
142 :
名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 00:09:58 ID:ugB8gu4d
素朴な言葉 さんは精神分裂病の様ですね。
143 :
名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 00:28:09 ID:ugB8gu4d
イラクで今も多くの一般人が殺されているのに、こんなところで偉そうに道徳講話をしているバカがいて
同じ日本人として恥ずかしいです。
144 :
名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 00:29:50 ID:ugB8gu4d
ソーダ水を売らなかった商店主を米兵が射殺
イスラム・メモ(4月7日)からの紹介。
「これは人間用の飲み物で、お前には売れない」
ソーダ水を売らなかった商店主を米兵が射殺
US troops kill Iraqi shopkeeper who refused to sell them soda
バグダッドの北30キロに位置するタリミヤの賑わうマーケットで、商店主が
米兵に飲み物を売るのを拒んだところ、占領軍兵士がイラク人商店主を射殺した。
地元の目撃者は、米兵は多くの商店と屋台で賑わうマーケット近くで、道路に
障害物を設置していた。数人の米兵が屋台の店主に金をやって冷たい飲み物を買おうとしたが、
店主ディヤアッディン・アル・マシュハダニは、それは人間用のもので米兵には
売らないと言って、米兵に売るのを拒否した。
米兵たちが店主を殴りはじめ、彼が1人の米兵に殴り返すと、彼らは店主を射殺した。
通信員はその店主の兄弟であるアル・ハジ・ファディル・アル・マシュハダニに
会い、アル・ハジは兄弟が冷たい飲み物を売るのを拒否したので米兵に殺されたと
認めた。彼はさらに、米兵たちは兄弟を殺したあと、ソーダ水の入った缶を幾つか
盗んで立ち去ったと話した。
殉教した店主の遺体は7日午後に祈りの言葉を捧げられたあと、市の殉教墓地に
埋葬された。
145 :
名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 00:32:50 ID:ugB8gu4d
アメリカ人は毎週教会に行って有りがたいお話を聞いているんではないですか?
そういう話を聞くとかえって極悪人になる様ですね。 キリスト教というのはそういうものです。
146 :
煌めきさん@2006周年:2006/04/10(月) 07:47:35 ID:cnwfueoG
ある町で犯罪がありました、その町の人はみんな犯罪者みたいなものです。???
147 :
名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 08:39:29 ID:lmVlTPZp
>>145 いくら教会で良い話しを聞いたって戦場では精神がおかしくなっても不思議じゃないよ
148 :
煌めきさん@2006周年:2006/04/10(月) 08:57:56 ID:cnwfueoG
素朴な言葉さんは心が病んでますか?
149 :
名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 09:00:20 ID:ugB8gu4d
アングロサクソンは戦場でなくても極悪非道なんだ:
第一次湾岸戦争時の「ナイラ証言」
アメリカ政府もメディアも、イラク攻撃の世論作りのために露骨な捏造と情報操作
をおこなった。世界が、みごとに嵌められてしまった。
「ナイラ証言」というのは、完璧な捏造であることがはっきりしている。
ナイラというクウェートの少女が、米公聴会で「イラクの兵士がクウェートの産院
の乳飲み子を保育器からだし、次々と床に叩きつけて殺したのを見た」と涙ながらに証言した。
しかし、後にこの少女は、駐米クウェート大使の娘で、ずっとアメリカにいたことが分かった。
つまり、証言は真っ赤なウソだった。この証言は、アメリカの広告代理店がシナリオを作り演出したものだった。リハーサルもきちんとしていた。もちろん、スポンサーはアメリカ政府以外にない。ただし、捏造がニューヨークタイムズで暴かれたのは、1年3ヶ月後のことだ。
この「ナイラ証言」が出るまでは、アメリカの世論は反戦が多数を占めていた。しかし、この証言で世論は
一気に会戦へと転じた。周到に準備された、たったひとつの捏造が、世論を完璧に
逆転させてしまった。しかも、素人の少女のウソ泣きによって。
クウェートから逃げてきたとされる少女の証言だ。そのクウェート人少女は、
アメリカ議会の公聴会でこう証言した。
「サダム・フセインの軍隊が病院に乱入して、保育器から赤ん坊を取り出し、
床に叩きつけて殺した。私はこの目で目撃した」
と、少女は涙を流しながら証言した。
ところが、この公聴会での少女の証言は、真っ赤なウソだった。
事前にアメリカの広告代理店が綿密なシナリオをつくり、何度もリハーサル
をした上での証言だった。当の少女が後に暴露した。
150 :
名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 09:05:36 ID:ugB8gu4d
「9・11」などの著作で知られ、米政府を鋭く批判してきたマサチューセッツ工科大の
ノーム・チョムスキー教授が5日までに、毎日新聞のインタビューに応じた。
教授は原爆が「おぞましい犯罪」であるにもかかわらず、その歴史を直視しないまま
核と決別できない世界は危機的状況だと語った。【ケンブリッジで國枝すみれ】
◆ショックだった米国民の原爆観
フィラデルフィアで林間学校に参加していた16歳の時だった。ラジオで原爆投下を知った。
周囲の子どもたちは歓声を上げた。私は我慢できず、一人で森の中に入り数時間
戻らなかった。
もっと衝撃を受けたのは、ポルノ映画との触れ込みで50年代にボストンで上映
された「ヒロシマ」という題の映画で、
被爆者が沸騰した川に飛び込む映像を見ながら、観客が大笑いしていた光景だ。
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/428.html
151 :
イラク戦争は悪魔との戦い:2006/04/10(月) 09:22:05 ID:ugB8gu4d
現在の狂ったアメリカ人の精神構造を探るには、アメリカを覆っているキリスト教原理主義的教義
が分からないと理解できない。回心再生と言ったって何のことか分からない。
回心再生して神に仕え、そうでない福音に耳を塞ぐ者たちを、悪魔の子として永遠の地獄に
突き落とすことが、彼らの使命なのだ。
このようなキリスト教原理主義の教義が分かっていれば、ラムズフェルドの冷酷さも
理解できる。彼はアフガニスタンの戦場における、タリバン兵の捕虜達をクンドゥスに集め、
爆撃して皆殺しにした。悪魔の子として地獄に突き落としたわけだ。
彼らにとっては異教徒は人間とはみなさないのだ。
アメリカには「ポーン・アゲン」を なのり、そう呼ばれる人びとがいる。
人生の道半ばで、神に、キリスト に、聖書に出会い、キリスト教徒とし て新しく
生まれ変わった人びとであ る。改宗ではなくて、回心と再生を誓 う、プロテスタント教会
のなかの行動 的な一派である。
◆40歳にして「回心再生」
ブッシュニ世はボーン・アゲンのひ とりになった。飲酒にふけって、安易 な生活
を送っていたのが、名高い伝道師の説教を聞いてからは、四十歳にし て酒を断ち、
回心再生の人となった。 朝は祈りと聖書の読誦にはじまり、閣議も祈りではじまる。
演説には聖書 のことばがちりばめられている。「ア メリカに昧方しないやつは
敵だ」というブッシュニ世の人物を特色づける発 言も聖書からでている。
「わたしの側 に立たない者はわたしに逆らう者、わたしと共に集めない者は散らす者である」
http://www.asyura2.com/0304/bd25/msg/114.html
152 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/10(月) 21:05:18 ID:XZVb47ej
―敵を愛し、迫害する者のために祈れ― ―敵を愛し、憎む者に親切にせよ―(イエス)
その言葉は、敵意も無く、憎しみも無い永遠の命の世界からの言葉である。
戦争をするというのは人の考えであって、神の考えではない。争い事も無く、平安な永
遠の国を善と受け入れ、戦争を回避する方法を考え出すのが、上に立つ人の務めになる
のではないか。話し合いで解決しようとするのが信仰からくるものではないか。
人は〔他人が考え出したこと〕にむやみに賛同することなく、敵意も無く、憎しみも無
い善い国からきた言葉 ―敵を愛し、憎む者に親切にせよ―という言葉を受け入れ、自
分で、その時どうしたらよいか考えるべきだ。
「するべきではない」と語った人に反し行った人を見て、「するべきではない」と語っ
た人を非難する、自分を普通とするならそのようなことをしないだろう。
153 :
素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/04/10(月) 21:06:17 ID:XZVb47ej
本当に「神は在る」。しかし、永遠の命の世界を知っても救われることはなかった。
御言によって、やっと私は救われた。この言葉が道徳的なものに通じることでも、むし
ろそれが大切なことであると知っている。
現代の仏教のようにお経を唱えたりして妙なことをするよりも、真実からでた言葉は、
その人を善い道へと導く。あとは素直になるだけだ。
たとえ「人によくしてやれ」と言われたとしても、他の宗教教義を熱心に学ぶよりも、そ
の言葉を大切にするほうが、やがて真実として実るのだ。人によくしてやるような心は、
永遠の世界に結びつく。
私は自らを救うために神により「御言」を受け入れるように誘導された。それは自分に対
してであり、他人がどう思おうと関係ない。違うという人に語っても仕方が無いことなの
だ。
154 :
懲りないね:2006/04/10(月) 22:12:12 ID:ugB8gu4d
<戦争をするというのは人の考えであって、神の考えではない。>
戦争は心の中の神からの命令でやるものだ。
責任はすべて神にある。
155 :
名無しさん@3周年:2006/04/22(土) 23:23:11 ID:FG1GnpKR
良スレage
156 :
名無しさん@3周年:2006/04/23(日) 00:22:05 ID:IxkveaHE
素朴な言葉氏の投稿は違和感なく受け入れられます。
カトリックですか?
157 :
名無しさん@3周年:2006/04/23(日) 00:22:32 ID:P3nM9f1r
ドイツのゲッベルス宣伝相の、ドイツ国民に与える警告
非常に強大な超国家的勢力が、文明の破壊にもつながる心理戦、神経戦を挑んできている。
これに対してドイツ国民は十分警戒せねばならない。
この心理戦、神経戦の目的とするところは、人間の純度を落とすことにより現存する国家を内部からむしばんでいこうとするものである。
ゲッベルス宣伝相が挙げたこの超国家的勢力の狙いとする心理戦、神経戦とは次の如き大要である。
「人間獣化計画」
愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視
3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)、無気力・無信念、義理人情抹殺
俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義
国粋否定、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe803.html
159 :
名無しさん@3周年:2006/04/28(金) 07:35:55 ID:Bx0p/D/b
160 :
名無しさん@3周年:
>>158 その手の本を読んだり勉強したりする奴は、
こんな陳腐な話でわざわざスレ立てたりしませんよ。