>>88 俺もうろ覚えだが...
確か、『霊界日記』に書いてあった記述で、スエーデンボルグはそれを公に
するつもりはなかったようだ。彼の神学的著作の中では、パウロ批判が一切
ないどころか、パウロ書簡を引用さえしている。
批判の内容とは、彼が一度は天界の高みへ到達するような「悟り」を得たにも
関わらず、やがて「聖者」として思い上がってしまったことと、悪魔の中でも
最大の者と「契約」して、契約と引き換えにキリスト教の教義を骨抜きにする
ことに加担したから。具体的には、「不義を退け、義を求める」という意思を
貫き、試練に際しては義を選んで行い、しかもその行いを自分の功績とは考え
ない謙虚な人だけが天国へ迎えられる、という本来のイエスの教えを、
「キリストを信じるというだけで、救われる」という「信仰義認」にすりかえて
しまい、口だけで義を唱えて実行する気がない偽善者を大量生産し、地獄へ落ちる
犠牲者を多数出したから。
90 :
89:2006/04/03(月) 08:24:06 ID:0S7jPdd/
幸いにも、メモが残っていたから、参考にどうぞ。
「聖言の文字の意義と偽善者について、パウロについて」(No.4413、静思社版)
己が業に功績をおこうとするため、聖言の内なる意義を何ら意に介しない或る
一人の者がいた(それはパウロである)。かれは長い間わたしから遠ざかっており、
また最悪の部類の霊共の間にいた。かれは今は最悪の悪魔共と交わり、今自らの
ために霊共の或る天界を形作って、これにかれ自身から楽しさを、しかし欲情と
快楽との楽しさを与えようとした、そのことをまたかれは企てもしたが、かれは
そのためさらに悪いものとなり、投げ落とされてしまった。その際私は彼に、
それは天界ではなく、地獄であると話したが、実際それは黒い地獄へに変わった
のである。とくに彼はその周りに偽善者らを得ようと願ったが、その者らについて
私は彼らと話したのであり、私のもとに数日にわたって偽善者らがいたが、
そのことを私は歯の痛みにより知ることができたのである。すなわち、彼らは声も
立てないで絶え間なく私を脅迫したが、そのことはパウロから来ていることが認め
られもしたのである、彼は聖言の内なる意義を憎んでおり、その憎しみの怒りの
結果彼の周りに偽善者共が引き寄せられているのである、事物はこのように関連
付けられているのである、なぜなら偽善者らは何一つ信じてはいないで、依然、
聖言の文字の意義を尊重するからであるが、そのことは彼らがそこから多くの事柄
を取り出し、それを用いて一般人を説得し、かくして自らが敬虔なものとして見える
ことができるためである。
91 :
89:2006/04/03(月) 08:57:52 ID:0S7jPdd/
スエーデンボルグが説くところは、人間はうわべだけの「外的な人間」と
本質である「内的な人間」に分かれ、死後も残るのは内的な人間だけである
こと。そして、内的な人間の「豊かさ」は、その人がどれだけ本心から「自分
自身に対するように神と隣人を愛するか」だけの指標で表されるということ。
悪魔は、内的な人間を貧困にすることを望んでいるので、いろいろと形を
変えてエゴイズムへと人を駆り立てる。パウロは、「キリストが犠牲になって
人類すべての罪を購ってくれたのだから、安心せよ。」と説いたため、
「罪をいくら犯しても許される、罪犯し放題」と勘違いする人間を増産する
ことで悪魔に貢献した。最近では、ニューエイジで「善悪などない」とか、
「善悪を決めるのは個人だ」という教えを流行らせて、罪の意識を放棄する
やり口を広めているのが特徴。
92 :
風の主:2006/04/03(月) 11:21:22 ID:3Nsh+mIt
ありがとうございます。
ボルグについて、パウロについて、調べてみたいと考えます。
93 :
89:2006/04/03(月) 13:09:32 ID:0S7jPdd/
おやおや、いつのまにかボルグスレになってしまっていますね。
私はちなみに、スウェーデンボルグを真の啓示とは思っていない、カトリック信徒です。
「信仰のみ」を言い出したのはパウロでなく、ルターだと思いますよ。
パウロがローマ書で言っていることと、ルターの主張とは同じではないと
思っています。でも、教義を神学的な見地から議論するより、小さな愛徳を
実行することの方がよほど価値があると思いますよ。
95 :
89:2006/04/03(月) 16:14:42 ID:0S7jPdd/
>「信仰のみ」を言い出したのはパウロでなく、ルターだと思いますよ。
パウロの贖罪論から「人間がもしも罪から逃れられない存在であるならば、
厳しすぎる戒律を定めた創造主こそが悪の根源だ」という発想が出てくるの
は時間の問題です。マルキオン主義が、「贖罪のキリスト」を強調する
ルカ福音書と、パウロ書簡だけを正典としたことは、むしろ自然だったと
思われます。
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/gnousisu/marukion.htm 私は、パウロ書簡が罪を人間から「棚上げ」し、善悪の区別をあいまいにした
結果、グノーシス主義のような異端の温床を作り出したと考えています。
96 :
89:2006/04/03(月) 16:49:58 ID:0S7jPdd/
精神医学用語に「二重拘束状態」というのがあります。
一言で言えば、「解決不可能な課題を与えて、がんばれ」と煽る状態、車
のアクセルとブレーキを同時に踏み込むような状態のことです。
こういう状態に追い込まれると、人間は心身症になります。
パウロ、ないしその後継者のルターは、人間に「原罪」のレッテルを貼り、
自力では解決しようがない「解決不可能な課題」を全人類に与え、「その解決
法は、唯一キリストにすがることである」という暗示をかけた。カトリック
ならば、ラテン語で粉飾された秘蹟を万能薬であるかのようにふれ回り、
人間を教会に隷属させた。言うことを聞かない領主は破門をちらつかせ、臨終に
秘蹟をやらないぞと脅した。
ところが、福音書を読めばわかるが、イエスは「私の言葉を実践せよ」と言って
いるだけで、「秘蹟を受けよ」とも「罪の購いを受けよ」とも言っていない。
イエスの主張は、やろうと思えばどれも自分の力でできること、努力次第で
いくらでも進むことができることです。だから、「二重拘束状態」には陥ること
がない。
健全なる信仰は、「二重拘束状態」のような不健全な環境、「原罪」でもって
人間の努力を否定するような誤った環境の中で育つわけがありません。
97 :
名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 18:13:11 ID:zcg2oMYR
イエス・キリストの実際の説教がどんなものだったか、なんて
タイムマシンでも使わなければわかりっこないよ。
タイムマシンがなくても過去のことをいくらでも
実際に見聞きできる人はいる。アカシックレコードという
人間の活動の全記録にアクセスする技術があればよい。
99 :
名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 18:45:54 ID:WMCoz3BO
>実際に見聞きできる人はいる。
それが妄想でないという確証はあるのか。
それを言い出したらキリスト教は非真実だ。
101 :
名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 19:22:15 ID:ErIFFS76
信仰の確証においてキリスト教とニューエイジを分かつものは無いと言うことか。
信仰義認については、私は以下の文書に完全に従うことを表明します。
「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」でありますように。
出典:カトペディア2004
1999年10月31日、カトリック教会とルーテル教会世界連盟は、ドイツのアウク
スブルクで「義認の教理についての共同宣言」に調印した。これによって、16世
紀の宗教改革以来、論争の核心となっていた問題がようやく解決を見た。教皇ヨ
ハネ・パウロニ世は同日の「昼の祈り(アンジェラス)」で、この合意を「キリ
スト者の間に再度一致を回復する容易ならぬ道のりの画期的な通過点」と評価し
て、次のように述べている。「この文書はエキュメニカルな神学研究を継続し、
残された問題に立ち向かい、確固とした希望をもって将来これらの間題を解決す
るうえでの堅固な基盤となります」。また、「この文書は歴史上の記憶を清め、
共通のあかしを行うために貴重な働きをするものでもあります」。
103 :
名無しさん@3周年:2006/04/04(火) 00:05:09 ID:iAm8HxHk
なぜキリストはフルチンでないか?
正解:世にも粗末な粗チ…
イエスの性器について語る文書は存在しない。
不遜な妄想にふける非人間は去れ。
106 :
名無しさん@3周年:2006/04/04(火) 14:07:03 ID:bbJkf1OI
イエスは男性性の象徴か、女性性の象徴(変性女子)か?
108 :
風人:2006/04/06(木) 11:33:33 ID:0fILgvpR
その微生物が宇宙を構成してる
>>97 今の我々は聖書を読めばいい。
そもそも聖書は譬えの書であって、字義はあくまでも家の土台、
あるいは人間が着ている衣服のようなもの。よって仮にワルトルタが真実を述べていたとしても、
秘められた内意についての手がかりとなるかどうかはなはだ疑問だな。
まあ臨場感たっぷりなのは結構だが、それだけのことだ。
聖書の文字の意義に秘められたアルカナ(秘義)は
主御自身の啓示によらなくては到底分かるはずもない。
スウェーデンボルグは自らの自著を主や天使から直接そのアルカナを授かり、
それをそのまま書いたと主張している。
問題はそれが真実かどうかだが、各々読んで自ら判断するしかあるまい。
ま、俺は信じているがね。「天界の秘義」などは、ありゃ単なる妄想狂に書ける代物じゃない。
110 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/04/11(火) 14:26:05 ID:zZ6HMrKN
魂はその本性からして女である。それは子宮さえ持っている。
彼女が父の元にいたとき、彼女は処女であり、同時に男女の姿をしていた。
しかし彼女が、この身体の中に落ち込み、この命の中に来た時、彼女は盗賊の手に渡った。
無法者共は彼女をかわるがわる犯した。彼女はその身体で、この無法者共と
交わり、夫でない者を、夫として信じ、姦淫の罪を犯した。
彼女が、その身体で、無法者と交わり、生み出したものは、嫉妬であり、妬みであり、そして死である。
彼女が、この姦淫者共に顔をそむけ、、元の夫のところに帰ろうとしても、この姦淫者共は、
彼女を追いかけ、説得し、また、忠実な夫を演じ、言葉巧みに彼女を騙し続けた。
しかし天の高みにいる父が彼女を探し当てたとき、彼女は、自分の家から離れ、姦淫を重ねる自分を激しく
悔い、父に救いを求めた。彼女は全身全霊で、父に救いを求める。
「救いたまえ父よ。私は我が家を捨て、処女の部屋から逃げ去りました。もう一度私をみもとに戻してください」
父は彼女の有様を見て、自らの哀れみにふさわしい者だと判断するだろう。
彼女は自分の家を捨てたので、苦難が多いのだ。
さて、魂の淫行においては、聖霊が預言している。預言者エレミヤは語る。
もし夫がその妻を離縁し、女が去って他の男を受け入れるのなら、女はその後に彼の元に帰ることができようか。
この女は完全に汚されたでのではないか。おまえは多くの羊飼いと淫行した。しかも私に帰ってきたと。
主は言われた。お前の目を高みに上げよ。そしてお前が淫行したところをみよ。
お前は路に座し、お前の淫行と悪事によって。地を汚したではないか。そしておまえは多くの羊飼いを、お前の過ち
のために受け入れた。お前はあらゆる人と交わって、恥知らずであった。お前は私に、
身内の者として、あるいは父、あるいはおまえの処女の創始者として呼びかけなかった。
111 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/04/11(火) 14:28:45 ID:zZ6HMrKN
また預言者ホセアは語る。
来なさい、お前達の母とともに裁きを受けよ。彼女は私の妻ではなく、
私は彼女の夫ではないであろう。私は彼女の淫行を私の目から除き、彼女の姦淫をその乳房の間から除くであろう。
私は彼女を生まれ出た日のように裸にし、彼女を水の無い地のように荒野にするだろう。
そして私は彼女を乾きのうちに石女とするであろう。私は彼女の子を憐れまないであろう。彼らは淫行の子らだからである。
彼らの母が淫行をし、その子らを恥辱に追いやったのだから。彼女がこう言ったからである。
「私は私を愛する人々と淫行をしよう。彼らは私にパンと水と外衣と、衣と、葡萄酒と油と、そして、私に役立つあらゆるものとを
与えた人々である」だから見よ、私は彼女を閉じ込め、姦淫者たちの後を追いかけることができないようにするだろう。
そして彼女が彼らを探し、彼らを見いださないときに、彼女はこう言うだろう。
「私は私の先の夫の元に帰ろう。あの日々は今よりも私によかったから」
112 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/04/11(火) 14:29:19 ID:zZ6HMrKN
魂が、いたるところを走り回り、彼女が出会う者と交わりをなし、自身を汚している限り、彼女は自分が受け入れるに
ふさわしい者共の苦難のもとにある。しかし彼女が、その中にある苦難を知り、父に向かって泣き悔い改めるのなら
そのときに父は彼女を憐れみ、彼女の子宮の向きを外側から、内側にと変えるだろう。
その際、彼女は固有性を獲得する。なぜなら身体の子宮は内臓と同じく、身体の内側にあるのだが、魂の子宮は、
男性と同じく、外側を覆っているからだ。魂の子宮が、父の意思で、内側に向くと、
彼女は水に浸り、直ちに彼女を抑えていた外側の戯れから清められる。それはちょうど汚れた上衣が水に浸され、
戯れが取れるまですすがれると、それが清くなるようなものである。
魂の清めは、彼女(魂)が、先の要素を更新することである。こうして再び彼女は向きを変える。これが洗礼なのだ。
彼女は女である。一人では子を生むことは出来ない。だから天の父は、彼女の為花婿を遣わす。
彼は彼女の兄弟であり、長子であり、元の夫でもある。彼女は以前の淫行を放棄し、身を清めた。彼女は花嫁に
生まれ変わったのである。彼女は新婦の部屋で身を清めた。彼女は本当の花婿を待ち続けた。
そして花婿が来た時、彼女は花婿と結ばれる。この結婚は、肉体的な結婚のごときものではない。
文字通り、互いに合一するのだ。妻が、夫とはなれる前まで、父の元で一つであった。そして再び彼女(魂)は、
本来の夫、真に愛する主と一つとなったのである。女の主人は、その夫である。
預言者が詩篇の中で語ったものである。
わが娘よ聞け、見よ、耳を傾けよ。お前の民と、お前の父の家を忘れよ。王はお前の美しさを慕った。
彼はお前の、”主” だからである。
以上ナグハマディ文書、魂の解明より。
男と女は一つであった。男と女が別れたとき、死が入り込んだ。男は在って在る者。女は男のハートである。
113 :
響子 ◆tGGx9EmFXM :2006/04/11(火) 14:48:03 ID:XpTAWo4l
イエスは人間です。
私は識別した。一つのものを二つに別けてしまったのだ。
そして私はいる。私とは何者だ?本当の自分を覆いつくす、私というお前は、何者なのだ?
時が来れば消えてなくなる幻ではないか。
いつまで眠っているのか、目を覚ませ!本当の自分を呼び起こせ!
私の大切な思い出。楽しい思い出、悲しい思い出、恋人との大事な思い出、
これらは私の記憶の中で行き続けている幻。
そして私の時が終わる時、全ては消えてなくなる幻。この世の生は、はかない。私という意識ははかない。
全ては消えてなくなる幻。おぉ父よ!私は本来の自分に戻れないのか!
私は見捨てられる存在なのか!。私は私が好きだ。私は、私という幻を愛している。私という意識は、はかなくも悲しい。
なんとはかなく悲しいものなのか・・・
私は悪い人間だ。今日も、善悪を識別する私の意識は、私の心を汚し続ける。
●マリア・ヴァルトルタ「私に啓示された福音」第3/上巻より
170|第二の山上の説教。恩寵の賜物と真福八端。
『心貧しければわたしは幸いだ』。
おお! 富に対する悪魔的渇きよ、どれほどの妄想をお前はもたらすことか! 富者の中
に、貧者の中に。その黄金、すなわち崩壊したその霊の最悪の偶像のために生きている富
者。富者には金があるからというだけで富者を憎んで生きる貧者は、有形の殺人を実行しな
くても、あらゆる種類の災禍(さいか)を富者たちのために願望し、その頭上に呪いを叩き
つけます。悪事はそれを実行さえしなければ悪事でないのではなく、実行したいと願望しな
いことが必要なのです。ある人にその人の災難と死を願望し悪態をつく者は、実際に人を殺
す者と大差(たいさ)はない、というのも、彼のうちには憎んでいる者が死ぬのを見たいと
いう願望があるからです。まことにあなたたちに言いますが、この願望はまだ放出されては
いないけれども、すでに胎内で形成されている胎児のように、抑(おさ)えられている一行
為以外の何ものでもないのです。悪意のある願望は暴力行為より長く、行為そのものがより
深くに残るから、毒し、破壊します。
心貧しい者は、富者であっても金(かね)のために罪を犯さず、それを愛にして、彼の黄
金を彼の聖化にします。彼は救い、また絶望から立ち上がらせるために、自らを与えること
を喜びとし、けちけちせずに自分を与えるあの砂漠の中の泉に似て、愛され、祝福されま
す。もし貧しければ、その貧しさの中で喜び、黄金に対する飢渇から自由である者の快哉
(かいさい)の美味なパンを食し、また悪夢に魘(うな)されることもなく、ぐっすり眠
り、清新な気分で目覚め、貪欲(どんよく)も嫉妬心も無く、果たす仕事は常に楽(らく)
にさえ思われるのです。
人を富者にするのは、物質として黄金があり、精神的なものとして愛情があります。黄金
には金銭のみならず、家、田畑、宝石類、家具、家畜、その他生活を物質的に裕福にする一
切が含まれます。愛情においてはすなわち、血縁、婚姻の絆、友情、知的富、公的キャリア
があります。見ての通り、第一の部類に関する限り貧者は、『おお! それがわたしにとっ
て何だ! 持っている人に対してわたしが焼き餅を焼かなければいいのだし、それで問題は
落着します。好むと好まざるとにかかわらずわたしは文無しなんだから』と、言うことがで
きますが、第二の部類に関しては、人びとの中でも指折りの文無しであっても、邪(よこ
し)まに霊の富者になれるのだから自戒しなければならないのです。節度を破って或何かに
愛着すれば、罪を犯します。
あなたたちは言うでしょう、『ということは、神がわたしたちに授けてくださった良いも
のを憎まなければならないのですか? では、なぜ神は、父と母を、妻を、子らを愛せよと命
じ、〈あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ〉と、命じられるのですか?』と。
あなたたちは見分けなさい。わたしたちは父と母、妻と隣人を愛さなければならないが、
『わたしたち自身のように』、と神が言われる尺度において愛するのです。ところが一方、
神は、万事に超えて、わたしたち自身のすべてを超えて愛されるべき方なのです。この女は
その乳でわたしを養ってくれたから、またあの女はわたしたちの胸で眠り、わたしたちに子
らを産んでくれるから、という具合いに、わたしたちが隣人の中で最も愛すべき者たちを愛
するように神を愛さないことです。そうではなく、わたしたち自身全体で、すなわち人間の
中にある愛する能力のすべてをもって、すなわち子としての愛、夫としての愛、友としての
愛、そして、おお! 良識を欠く、と言って憤慨しないでほしい! 父としての愛を傾けて
神を愛するのです。そうです、わたしたちは、子のために栄養に富む食物を手に入れ、愛を
込めて育て、その身体的、知的成長のために心を配り、その出世を願う一人の父親がその子
にすると同じ世話と心遣いを、神の利益のためになすべきです。
愛は悪ではなく、またそうなってはなりません。神がわたしたちに授けてくださる数々の
恵みは悪ではなく、そうなってはなりません。それは愛です。それは愛のために与えられて
います。愛情と幸せにおいて神がわたしたちに授けてくださるこの富を、愛を込めて用いる
ことが必要です。またこれらを偶像にせず、聖徳のうちに神に仕える手段とする者のみが、
それらに罪深い愛着がないことを示しています。その時、聖なる神、至高の富を獲得するた
めにより自由になろうとしてすべてをかなぐり捨てる心の聖なる貧しさを実践します。神を
獲得することは、すなわち天の王国を所有することです。
愛さなければならないが、それにはバランスがある、順序があるということを
イエス様は言われているんですね。それにしても、公的キャリアや家族までもが
霊を豊かにしてしまう(=満足させてしまう)ということは驚きです。
気をつけなくてはいけません。大きな恵みをいただいたからといって、調子に
乗らず、常に控えめであることを求められるのですね。時々、考えます。
こうして日本に生まれてきたというだけで、大きな恵みであることを...
聖週間に入りました。主のご受難を黙想し、ともに苦しみ、
喜びを持ってご復活を祝いましょう。たとえ世が復活の神秘を覆い隠し、
嘘で塗り固められたあらゆる偽りを提示しようとしても、私たちはキリスト
の復活にのみ希望を託し、キリストととも自己に死に、新しい人として復活し、
この世においても天で生きるように、ひたすら愛することができますように。
キリストの言葉は、本当にすばらしいですね...何度読み返してもため息がでてしまいます。
しかし実際に実行に移すには、なんと多くの障害が自分の心の中にあるのでしょう!
洗礼を受けて霊を洗われたにしても、これらの障害、すなわち神でないものを
優先する自分と戦いつづけなくてはなりません。この霊的戦い続ける数少ない人々を
励まし、萎えてしまいそうになる信仰を支えるために、こういったヴァルトルタのような
お恵みは与えられているのです...
124 :
ペガサス:2006/04/12(水) 14:12:00 ID:XhTWXE93
>115〜117
心の貧しい者、天国は彼らのものである。 (マタ5:3)
貧しい者、神の国は彼らのものである。(ルカ6:20)
イエスは何を語ったか?
(心の)富んでいる者が神の国に入るより、ラクダが針の穴を通る方がやさしい(マタ19:24)
富んでいる者が神の国に入るより、ラクダが針の穴を通る方がやさしい(ルカ18:25)
そして、イエスは幼子を呼び寄せ言われた。神の国はこのような者の国である(ルカ18:16)
イエスは、富んだ者とは、心の富んだもの、つまり(聖書)知識の富んだ者(譬えば、律法学者)
を意味し、心の貧しいとは、知識に乏しい者(譬えば幼子)を意味されたのである。
イエスは、人殺しのバラバ、売春婦のマグダラのマリアをも赦されたが、律法学者たちを
白く塗られた墓よ! として憎まれたことからも、心の富むというイエスの言葉の意味を
理解できるであろう。
イエスの言われる通り、神以外のものに罪深い愛着を持たないように注意したいと思います。
物質的富、精神的富のいずれも、神に仕え善をなすための賜であり、神のみ心を超えてそれらに
執着することはすなわち偶像化することである、との教え、真摯にうけとめ研鑽につとめましょう。
そういえば、ヴァルトルタ3巻上の中には、「祈りという偶像礼拝に陥ってはならない」という衝撃
的な言い回しもありました。どうぞ皆さん、神に届かない口先だけの祈りになっていないか、祈りの
時の自分の状態を確かめてください。完徳への道は、まだまだ続くのです....
今日は聖土曜日、聖堂にご聖体の無い日です...
昨日、受難の黙想のためにバルバロ訳の方の「受難」を涙でドロドロになりながら
深夜に読みふけりました。今マリア様はひたすら復活を待ち望み祈っておられるの
ですね。
まもなく、復活前夜祭が始まります。私も小さな奉仕の役目をいただいていますので
がんばります。
127 :
名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 18:59:27 ID:fBqVHGGK
宗教は絶対ではなかった。
基督が来なかったら、基督教もなかった。
宗教は時々に応じて、宗教がもたらされる。
>>「神への恨み言を吐かないイエス・キリスト」
・・が追加されたのは十字軍の前後、と書きましたが理由を省いてしまったので
追加します。
1.第一回十字軍でエルサレムを占領した十字軍は、略奪の限りを尽くした。
2.その汚い金をローマ・カトリックは受け取った。
3.そのため、異教徒の神殿を荒したせいで磔にされたイエス・キリストを、否定し
なければならなくなった。
4.間違い無い悪行をした十字軍を継続すると、神に対する侮辱とされる。
5.「聖書」に追加を加え、ついでに十字軍の継続に問題になる所も変更した。
こんな所でしょうか。3.がちょっと足りない気もしますが・・指摘があれば追加
します。言葉は心になり、心は行動になり、行動は歴史になって行く様です。更に
・・、
6.反対者は「魔女」として、どんな高位の人でも処刑した。
・・でしょうね。「魔女狩り」が極めて盛んになるのは十字軍より後だと記憶し
ています。十字軍以前とは歴史の流れ方が全く違っています。彼らが重んじてきた
「宗教」が極端に変容した結果と考えるのが自然です。
Time : 2001/ 2/ 7(水) 20:04:15
129 :
小さなヨハネ ◆vdW7DUuck6 :2006/04/16(日) 08:10:43 ID:YXv5TGkO
昨日はすばらしい徹夜祭でした。夜の11時ちかくまでお祝いをしていました。
今日はこれから年に一度の復活のミサです。今日もいつもより荘厳なミサ、
とても楽しみです。今まで四旬節でずっとつらい気持ちで過ごしてきました
ので、やっとご復活を迎えることができて喜びもひとしおです。
130 :
?小さなヨハネ ◆vdW7DUuck6 :2006/04/16(日) 08:20:37 ID:YXv5TGkO
170・8『反乱を起こさず泣くことが出来るわたしは幸いだ』。
地球上には悲しみがあります。また悲しみは人に涙を流させます。悲しみはあり
ませんでした。しかし人間はそれを地球に持ち込み、その知性の堕落は、それを増
大するためにあらゆる方法を用いてますます研究を重ねたのです。病気に加えて落
雷、嵐、雪崩、地震に由来する災害、これに人間は苦しみ、また何よりも苦しませ
るために──なぜならわたしたちは自分たちではなく、他人のみが苦しむのを願
い、苦しみを与えるためにその方法を考えようとするから──ますます巧妙な精神
的冷酷さでますます恐るべき殺人兵器を考え出します。サタンというその王の密
(ひそ)かな扇動によって、人間が、どれほどの涙を人間に流させていることか!
にもかかわらず、まことにわたしはあなたたちに言います、これらの涙は障害とは
ならず、それどころが人間を完成します、と。
131 :
小さなヨハネ ◆vdW7DUuck6 :2006/04/16(日) 08:21:08 ID:YXv5TGkO
人間は不注意な子供であり、軽率でぼんやりしていて、落涙が彼を大人にし、内
省的にし、聡明にしない限り、生まれつきの知恵遅れです。泣く者だけが、また泣
いたことのある者だけが、愛することを知り、理解することが出来ます。泣く兄弟
たちを一様に愛し、彼らの悲しみを理解し、悲嘆に暮れて一人でいることが、どん
なによくないことかに精通したその善良さで、彼らを助けるのです。彼らは神を愛
することを知っています、というのも、神以外の一切が悲しみであると理解し、神
の胸に顔を埋(う)めて泣けば、悲しみは晴れることを理解し、信仰を粉々にせ
ず、祈りを枯渇させず、反乱には一指も触れさせず、本性を変え、悲しみから慰め
となる甘受(かんじゅ)された涙を理解したからです。
そうです。主を愛しつつ泣く者たちは慰められるでしょう。
132 :
名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 08:39:18 ID:yA4Q750i
イエスはガリラヤ地方の訛りで説教していたのだろうか。
地域によって訛りがそれぞれあったと想うがどんな言葉で
話していたのだろうか。
心貧しきもんは幸せやで、天国はあんさんたちのもんや
とか聴こえたのかな。
>132
きっとそうでしょうね。
そう言えば、福音書を方言に訳していた人が居たのを思い出した。
なかなか味わいがあったな。
135 :
ペガサス:2006/04/16(日) 13:36:01 ID:j21gMcie
>>132 イエスはアラム語で語ったと言われているが。
だが、カペナウムで発掘された、イエス在世当時の石柱の頭部に
アーカンサスの彫刻を見たのだが、これは当時のガリラヤ地方が、
かなりヘレニズム化していたと思われる。つまりイエスは当時の
コイネーをよく知っていたであろうと考えられるだろう。
なお、イエスの言葉として旧約聖書の引用が多いことは、イエス
がヘブライ語にも通暁していたと考えられる。
余談だが、イエスは単なる大工ではなく、在エジプトの子供時代
から、宗教的にかなり高度の教育を受けたのではないかと、私は
考えている。
136 :
?小さなヨハネ ◆vdW7DUuck6 :2006/04/16(日) 13:57:42 ID:YXv5TGkO
アラマイ語による「主の祈り」
Abbun dbashmayo, netquadash shmokh, titeh malkutock;
nehweh sebyonokh, aykano dbasmayo of baro
hab lan lahmc dsunquonan yawmono
washbuq lan hawbayn wahtohayn
aykano dofhan shbaqn lhayobayn.
wlo telan lnesyuno, elo fason men bisho;
metul dilokhi malkuto
whaylo wteshbuhto lolan olmin.
Amen.
137 :
小さなヨハネ ◆vdW7DUuck6 :2006/04/16(日) 14:06:13 ID:YXv5TGkO
無理矢理にカタカタ表記するとどうなるでしょう。こんな感じでしょうか。
アブン バシュマヨ、ネッカダッシュモフ、ティテェ マルクトック、
ネウェ セビョノフ、アイカノ バシュマヨ オフバロ
ハブラン ラムク サンクォナン ヤウモノ
ウォシュバクラン ハウバイン ウォトハイン
アイカノ ドファン シュバクン ルハヨバイン。
ウロテラン ディロクヒ マルクト
ウァイロ テシュブト ロラン オルミン。
アーメン。
138 :
名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 16:51:30 ID:ElIi+9Fi
>>136-137 日本語にするとどうなるのですか。
共同訳等の聖書のように翻訳するのが順当ですか?
139 :
小さなヨハネ ◆vdW7DUuck6 :2006/04/16(日) 19:43:58 ID:YXv5TGkO
>138
私にはさっぱりわかりません。また和訳にもいろいろあるので、どれが
一番適当なのかも私にはわかりません。ただ、字の並び方からおおよそ
推測することはできるとおもいます。Abbaが父というのは知っているので
Abbunがその変化であることは想像がつきません。
♥
141 :
age:2006/05/04(木) 20:44:43 ID:4RbM9ppl
age
142 :
名無しさん@3周年:2006/05/10(水) 22:32:31 ID:F0ZhN6yN
クリスチャンもノンクリスチャンもムスリムも仏教徒もない。同じ人間。
143 :
名無しさん@3周年:2006/05/10(水) 23:27:55 ID:dT++zBTJ
>>142 もちろんその通り。
誰かそれを否定しましたか?
144 :
名無しさん@3周年:2006/05/11(木) 00:06:14 ID:7AZvLNjB
毎日殺し合っている。「キリスト」の名において。
145 :
名無しさん@救急車:2006/05/11(木) 01:25:48 ID:FNiuxrPG
実際に、キリストの何倍ものなまなましい血が、流されているのを
見てみぬふり。
146 :
名無しさん@3周年:2006/05/11(木) 02:13:46 ID:vEKoOcgf
昔から多くの血が流されてきました。
「キリスト」のゆえに、
「アラー」のゆえに、
「民衆」のゆえに、
「ポアの真義」のゆえに、etc。
嘆かわしいことですね。
147 :
名無しさん@救急車:2006/05/11(木) 08:20:47 ID:FNiuxrPG
「殺人」のことをキリスティズムと呼んでみる。
刑罰としての死刑や、戦争で敵を殺す事は、殺人ではないんだけどね
あったまわりぃな、おまえは
149 :
名無しさん@救急車:2006/05/11(木) 16:09:30 ID:FNiuxrPG
ポアですか?
150 :
Mb:2006/05/27(土) 00:12:34 ID:VC7oO3iX
イエス先生は、人々の聞く力に応じて、色々な例を挙げて
説明した。「漏れは昔っから分かってたことを、
分かるように言ってるだけだ。」
弟子どもは、「私たちには、なんでああいう風に分かりやすく
説明してくれないんですか」と先生に文句を言った。
すると先生は、弟子を蹴り倒して言った。
「学のない人間には、それなりの説明の仕方をしなけりゃ
分からんのだ。できる奴は自分で勉強できるけど、できない人間って
いうのは、丁寧に教えてもらわなかったら分かるはずのものも
分からんのだ。お前らは一応は教養があるんだから、少しは自分の
頭を使って考えることを覚えろ。」
151 :
Mb:2006/05/27(土) 00:16:24 ID:VC7oO3iX
「分かったつもりになってるような輩が天国の門を通るのは、
針穴にロープを通すよりずっと難しいんだよ。」
152 :
Mb:2006/05/27(土) 00:32:11 ID:VC7oO3iX
「天から授かった命というのは、増えるものなんだ。
芥子粒みたいな小さな種が、鳥が巣をかけるような大木になる。
普段食ってるパンだってそうだろ? だから、女が……普通は
だいたい四十キロくらいのもんだろう。その……生地が。
で、それにちょびっとその……『種』を加えると、こう……
あっちゃこっちゃ……パンに胸とか腰とか尻とかあるかどうか
分からんけど、つーか無いんだけどさ、全体にこう……特に
腹とかってじゃなくて……膨らんでくるわけだよ。分かるだろ?」
イエスの言葉の片言隻句をダシにして、世の中を余計に惑わせてしまっているのが今日のキリスト教の実態ではないのか?
こうなると、ダシに使うわけだから、岡田茂吉の言葉を借りると「鰹節信心」となってしまう。
しかも現実に強烈な阿片性を醸し出してしまっているわけだから、共産党やマルクス主義者にそう指摘されても文句は言えない。
154 :
Mb:2006/06/01(木) 23:39:09 ID:MxySvACU
>>153 同意。
「一粒の麦もし死なずば……」って、死んじゃったら芽ぇ出さねぇじゃん。
あれって(教会に対しての)自己犠牲を説く言葉じゃなくて、「リスクを
恐れるな、失敗は無駄ではない!」という(信念を持つ人間に対する)
励ましの言葉のはずだよな。
キリスト教っつーのは本来自由化のムーブメントのはずで、だからこそ
『ジーザス・クライスト・スーパースター』なんていう作品ができた訳で、
逆行してる感じは確かにあるよな。
イエスの言葉はイエスによって書かれたのではなくて、その使徒たちによって記録された。
だから、その使徒たちによって建てられた初代教会の信仰が真に聖書的な信仰。
157 :
155:2006/06/04(日) 13:02:56 ID:+Y/CbXDA
スマソ。155はリンク失敗。
そこのHPの左側メニューの中の「Q文書とは」というのを見てちょうだいね!
158 :
名無しさん@3周年:2006/06/08(木) 22:31:03 ID:RgmJOw/J
神の子も受肉した以上、小便もするしクソもする。ま。ナニーもするわな。
159 :
名無しさん@3周年:2006/06/08(木) 22:32:45 ID:RgmJOw/J
受肉した以上、十字架で果てた時、小便糞に鼻水垂らした神の子イエス。
受難劇だけリアル化するのは卑劣w
160 :
名無しさん@3周年:2006/06/08(木) 22:35:59 ID:hCdoHVu1
>イエスの言葉はイエスによって書かれたのではなくて、
>その使徒たちによって記録された。
そうだね、ゴーストライターの草分け的な奴らだね。
マタイならマタイが弟子になる以前の記録も
マタイの福音書に書かれている。これをおかしいと思わない人はいないだろう。
聖書は、何者かによって捏造された話である。
162 :
シッタカブッダ:2006/06/15(木) 16:42:37 ID:zDeNvlEZ
福音書は、今は四つだけだけど、初期原始キリスト教の頃は三十以上あったんだって・・・!
163 :
Mb:
>>157 バーネット・ストリーターの「Q文書仮説」自体信じてないし。
1)公式版としての『マタイ』が成立。
2)民衆版としての『マタイ』のダイジェスト版&訂正版として
『マルコ』が成立。
3)『マタイ』『マルコ』を統合した形で『ルカ』が成立。
4)『マタイ』『マルコ』『ルカ』を俯瞰した形で
解説本・注釈本として『ヨハネ』が成立したが、これが
正典として認められたのは何かの間違いとも謂える暴挙。
著者のヨハネは成立当時の原始キリスト教の中枢にいた
人間、あるいはその弟子と思われ。『ヨハネ』の捏造
疑惑はあってしかるべきだが、一世紀末には成立してた
のが確認されているので、『ヨハネ』のアバンギャルドな
性質が、キリスト教を現在まで生き延びさせてきた
エネルギーの源泉という稀ガス。