霊性大国インドの聖者達が残した珠玉の言葉を 紹介するスレです。 シュリ・ラーマクリシュナ曰く 「各人が自らの道を進むがよい。もしその人がまじめに 真剣に神を知ろうと欲するなら、彼は必ず悟るであろう。」
2 :
名無しさん@3周年 :2006/03/18(土) 00:36:09 ID:dvian6JX
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ 「兄弟を導こうとするな。ただ彼らに奉仕せよ。けもののような 指導きちがいが、たくさんの大きな船を、人生の海にしずめた。」
3 :
名無しさん@3周年 :2006/03/18(土) 01:46:21 ID:ft/xolA0
エリザベス・キューブラー・ロス 「無条件の愛とは、べたべたした感傷的なものではなく、 “自分自身と同様に相手をも尊敬する”という愛です。 無条件の愛を実践するなら、まず相手の言うことを大切に聞くことです。」
〜マザー・テレサの言葉〜 『信仰は、神の賜物、 でも神は、ご自分を信じるように強制されたりしません。 キリスト教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒、信じる者、信じていない者、 皆、同様に、愛の奉仕をする機会を、与えられています。 誰でも、愛する喜びを分かち合い、神がおられるということに気づく機会を、同様に与えられています。 ヒンズー教徒は、よりよいヒンズー教徒に、 カトリック教徒は、よりよいカトリック教徒に、 イスラム教徒は、よりよいイスラム教徒になるでしょう。』
ラーマクリシュナの弟子、スワミ・ブラマーナンダ 『永遠の伴侶』より 「偉大な行為、名声をもたらす行為をすることはやさしい。 しかし人の性格が示されるのは、かれのささやかな日常の 行動によってである。真のカルマ・ヨギは評判を得るために 働くようなことはしない。自分の仕事がどんなに つまらないものであっても、かれは心をこめて自らを その仕事に打ち込むのだ。かれにとっては、かれの仕事は 神への礼拝となっているからである」
ティクナットハン 「イエスの本当の体とはその教えだとわかるのです。 だからイエスに触れる唯一の方法は、イエスの教えを実践することなのです。 イエスの教えがイエスの生きた体なのです。 そして、この生きているキリストという体は、その教えが実践されるときには、 いつどこにでも姿を現すのです。このイエスの教えこそが、 学び実践されなければならない真の対象です。」
7 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/03/18(土) 08:37:33 ID:jvUn8Rty
>>6 だからタイは駄目なのよ
仏教徒がイエス様を語るなといいたいね
イエス様の贖いは 教えとやらを実践できない人間のためだということを解っていないね
パラマハンサ・ヨガナンダの弟子 ダヤ・マタ If you meditate and carry over into all of your activities the peace born of your meditation, eventually you will come to the state wherein your entire day is one long stream of God-communion.
10 :
中観派 :2006/03/18(土) 12:03:10 ID:ljkDbXpq
>>7 イエスの教えは強制である。
しかし、仏典は正しい教えを導き出すものらしい。
つまり、自分自身で宇宙の正しい教えを世俗にとらわれず修得するのが仏教。
仏教はあくまでアドバイスであって、最後は自分自身で悟らねばならない。
祈れば悟れるかや救われるかは不明。
11 :
議論はこちらで :2006/03/18(土) 12:55:58 ID:mApgr0Ui
12 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/18(土) 13:44:31 ID:rXmJmTrX
>>6 ティクナットハン氏の言うことは真に正しい。
聖書にもはっきりそう書いています。
聖書を全体を通してみれば、行いの伴わない信仰は死んだも同然で、
神の御心を行う者だけが救われるとあるのは、一目瞭然です。
それを、ここの馬鹿女と、一部プロテスタント達は、聖書の一部分、主にパウロの書簡
の一部からですが、自分達の都合のいいように解釈しているだけです。
彼らは木を観て、森を観ないのです。
始まりは、ルターとか言うプロテスタントの創始者がいまして、この邪悪な彼は、
どうしてもイエスの掟を守れない。聖職者でありながら心の弱いかれは、
このままでは救われないと悲観し、何とか自分にも救いは無いものかと、聖書を読み漁り、
そこでみつけたのが、パウロの主張する、「人は行いにより救われるのではなく、
信仰により救われる」という主張です。彼はこの一部分にだけ注目し、自分の都合のいいように解釈し、
自ら立ち上げた新興宗教(プロテスタント)にて、間違った教えを説き、
後世の多くの者を惑わしているのです。彼はとてつもないアホウです。もちろんパウロの
意図することとは違います。彼は神の前に誇り、奢り高ぶることが無いように、行いが義とされるのではなく、
信仰が義とされるということが言いたかったのです。奢り高ぶる心を持つもの、それは滅びにいたる
ということを彼はよく知っていたのです。エゴを満たす心が、滅びにいたるということは、
釈迦の教えを知る人なら、うなずける教えでしょう。
そもそも信仰とは何でしょう?イエスの教えをはなから放棄し、ただ主よ主よと口先だけで言うのが信仰でしょうか?
そんなものを信仰と呼べるわけがありません。彼を信じるのなら、どんなに困難なことでも、
彼の教えを守る。それを真の信仰と言うのです。彼らのやっていることは、ただのファンクラブです。
13 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/03/18(土) 13:48:52 ID:jvUn8Rty
>>12 輪廻に逃げ込まないで 愛を受け入れたら?
14 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/03/18(土) 13:50:56 ID:jvUn8Rty
>>12 主の御名を叫ぶのは己の無力と罪深さを自覚するからです
アナタは生の最後の瞬間まで望んでも善を行えなかったものを見捨てますが
神の恵みはそのようなもの達をも 恵みによって招き救うのです
15 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/18(土) 13:56:46 ID:rXmJmTrX
このルターとかいうあほのおっさんの教えは、 人一倍強いエゴを抱え持つ、邪悪な彼らにはとても心地よく響くようです。 イエスの教えを守らなくとも、ただ主よ、主よと口先だけいってれば、救われ、 ひいては、自分達と、他の人達を区別し、自分達だけが救われるという、特権階級的な思い違いに酔いしれ、 自分の人一倍強いエゴ心を満たして満足しているのです。 このように、他人と自分を区別し、優越感に浸る彼らは、非常に邪悪です。 彼は、サタンの正体は、この自分と他人を区別する心。つまりエゴだということを知らないのです。 エゴとは利己心とも言います。もちろんイエスの教えは、このエゴを滅しなさいと、説いているのです。 邪悪なる彼らは、自分は救われると思いながら、滅びるでしょう。カワイソウニ。。 彼らが、いくらどうこう言おうと、真理は一つです。
16 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/03/18(土) 14:03:43 ID:jvUn8Rty
>>15 仏教とキリスト教を 都合よくつなぎ合わせるのは感心しませんね
一体いつになったら輪廻の輪が停止するのですか?
停止してから再臨ですか?
お塩大先生 「オマエらが今付き合ってる女はオレと付き合えないから 仕方なくオマエらと付き合ってるんだ。」
18 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/18(土) 14:15:24 ID:rXmJmTrX
>イエスは言われた。”あなたがたはこの世に対して断食をしないならば、
>御国を見出さないであろう。真の安息日を守らないならば、父を見ないであろう”
〜トマス:27
>>16 別に、都合よくつなぎ合わせてはいない。
おまえが仏教を知らなければ、キリスト教も知らないだけだ。
おまえは無智の中にいる。
安息日。それは全てが停止した、静寂である。神はその日を ”聖別” された。
ルターは、聖職者でありながら、肉の欲に負けたんだよ。
それを自覚して悔い改めようとしていたのならまだしも、よくもまぁ、聖書を都合よく解釈して、
開き直りともとれる教義を残したものだ。ルターはアホウだよ。もちろん彼は救われていないだろう。
19 :
中観派 :2006/03/18(土) 14:16:46 ID:ljkDbXpq
>>16 輪廻が停止するというのは仏教では苦がなくなるということじゃないですかね。
たとえば、死の恐れが真我=宇宙を悟ることでなくなるということじゃないですかね。
20 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/03/18(土) 14:18:44 ID:jvUn8Rty
21 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/18(土) 14:20:15 ID:rXmJmTrX
>イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。
>弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。
>イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、
>その業を成し遂げることである。〜ヨハネ4.32〜4.34
>イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
>わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
>わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。
>わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。
>生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。
>これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。
>このパンを食べる者は永遠に生きる。」 〜ヨハネ6.53〜6.58
>>6 の、ティクナットハンとかいう人の言うことは、まったくもって正しい。
サロメあほうよ、どこの宗教の人か知らんが、おまえはキリスト教を語るな。聖霊を汚し続ける、汚らしい女よ。
正しいことを語る者の、邪魔をするな。
22 :
名無しさん@3周年 :2006/03/18(土) 14:20:45 ID:TRFcw7i1
>>20 体感して、自分の内面からの言葉で語れもせず、
本だけ読んで、わかった気になってるおつむのおめでたい奴なんて、
バカにもなれない、バカ以下の糞以下の存在だよ。
この3日間は、思いっきり発散できて、とても楽しかった。
どうもありがとう。
ご縁があれば、また会いましょう。
24 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/03/18(土) 14:26:46 ID:jvUn8Rty
>>21 カラスはいつも 行いの本質は語らない
神の願い 御子が来てくださった意味も語らない
愛を語りなさい
25 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/18(土) 14:32:00 ID:rXmJmTrX
>>24 >カラスはいつも 行いの本質は語らない
>神の願い 御子が来てくださった意味も語らない
何度も何度も何度も何度も語っているんだけどな。無智なお前が気づかないだけ。
聞いても、お前のエゴが受け入れないだけ。
>>23 自分のエゴを大事にし続けるものは、いくら修行をしようと、徒労に終わるだろう。
26 :
中観派 :2006/03/18(土) 14:33:09 ID:ljkDbXpq
>>23 仏教では人を蔑んだり、人の方が優れているとか考えない方
がいいって、言ってますよ。キリスト教もそうじゃないですか。
27 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/03/18(土) 14:38:12 ID:jvUn8Rty
28 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/18(土) 14:46:41 ID:rXmJmTrX
>>20 >再臨はいつの時点で来るのですか?
終わりのとき。それはいつやってくるのかわからない。盗人のようにいつやってくるのかわからない。
それは突然やってくるかもしれない。お前も俺も、その他の人々も、いつ終わりの時がやってくるのかわからない。
それは明日やってくるかもしれないし、今日の夜にもやってくるかもしれない。だから気をつけておきなさい。
それぞれのなした業により、それぞれ報いを受ける。
29 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/03/18(土) 14:49:36 ID:jvUn8Rty
31 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/18(土) 14:58:28 ID:rXmJmTrX
>不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。
>正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。
>見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
>わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。
>命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。
〜黙示録22:11〜22:14
>>29 だからおまえは、どこの宗教の人だといってるんだよ(苦笑)
あと、愛についても何度も何度も語った。それは「一」だとな。無智なおまえが理解しないのか、
お前のエゴが受け入れないだけ。神とは愛だ。なぜなら神は「一」なる存在だからだ。そこに区別は無い。
32 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/18(土) 15:33:36 ID:rXmJmTrX
サロメあほうよ、君らは「異端」と言う言葉を好んで使う。
そして自分達以外に救いはないと、他人を区別し、優越感に浸る。
このように他人を区別し、優越感に浸るのは、実に自分達のエゴに心地いいのだろう。
エゴの強い者ほど、この教えになびき、イエスの教えに背く。
気づけよ。異端なのは、君らのほうなんだよ。
行いなくして、ただ口先だけの信仰(もどき)で救われるなんざ、ルターは最大の異端だろう。
皆さん、すれ違い失礼。
どうも、このサロメあほうとか言う女の、
>>7 のもの言いには、一言言わなきゃと思いまして。
彼女の能書きは、キリスト教の教えではないので、皆さん誤解の無いように。でわ。
33 :
中観派 :2006/03/18(土) 15:37:46 ID:ljkDbXpq
>>32 俺にはあほうと言うやつの方が人を蔑み、優越感を持っているような気がするんですけどね。
34 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/03/18(土) 15:38:53 ID:jvUn8Rty
キリストの愛に到達できるよう がんばってね
以降↓、インドの聖者の珠玉の言葉を語るスレに方向変換。
街で、薄い着物一枚で、満足に食事もできず、寒さに震えている ひとりの小さな女の子を見ました。私は怒り、〈神〉に言いました。 『あなたはなぜこんなことをお許しになるのですか?なぜ何かを してくださらないのです?』 しばらくの間、〈神〉は何も言われませんでした。 その夜、〈神〉は突然お答えになったのです。 『わたしは確かに何かをした、わたしはお前をつくった』 アントニー・デ・メロ
「人が欲望をもっているあいだは、つまり俗世間の事物にあこがれているあいだは、彼にとって救いはあり得ない。 それだから、お前たちは食物や衣服やセックスに関するすべての欲望を満たすがよい。 〜〜〜 欲望やあこがれを心に抱いているのは良くない。それだから、私は、心に起こる欲望は何であれ、 すぐに満たすようにしたものだ。あるとき、ブルラバザールで色つきのお菓子を見て食べたいと思った。 人びとがそれを持ってきてくれたので、たくさんたべた。その結果、私は病気になった。〜〜」 ラーマクリシュナ
「いっさいは、神を愛し彼の慈悲を味わうことに尽きるのだよ。「彼」は甘さであり、信者はそれを 味わい楽しむ者だ。信者は、甘い神の至福を飲むのだ。さらに、神は蓮華であって信者はハチだ。 信者は蓮華のみつを吸うのだ。 信者が神なしには生きられないのと同じように、神もまた、「彼」の信者なしに生きられないのだ。 そのときには信者が甘さとなり、神がそれを楽しむ者となる。信者が蓮華となり、神がハチとなる。 それみずからの至福を楽しむためにこれら二つのものとなられたのは、神なのである。それが、 ラーダとクリシュナのエピソードの意義である。」 ラーマクリシュナ
39 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/03/18(土) 23:47:26 ID:jvUn8Rty
>>38 コタアムリトはもっと砕けた口調ですよ
>>37 は確か逆説のジョークだったはず・・・
>>39 日本ヴェータンダ協会訳ですよ
このジョークが好きで・・・
41 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/03/18(土) 23:56:41 ID:jvUn8Rty
>>40 あぁw
私 別の人の訳の原稿読ませてもらったので
おまえさん・・・って口調が好きなんですw
自分は両方の翻訳を読んだことがあるので、サロメおたぁさんの書き込みには苦笑した。 正直、非常にみっともないと思う。 限られた知識を見せびらかしたり、不毛な論争したりしないで、 ハートに響くインドの聖者の言葉を書き込んで欲しい、 と皆さんに切に願う。
>>42 協会訳がお好きなんですか???????
あれがハートに響くんですか(失笑
印厨のオツムは理解できませんwww
えっ?
Relax, Stop trying to deal with it through the limited human resources of the rational mind, which has brought you to your present state of frustration and tension. Surrender the problem to the Divine with one hundred percent faith and trust. In other words, “Let go and let God.”
「私は何でも知っている。私は誰よりも偉いのだ。皆が私に従わなければならない」 おお、世俗の心よ!そして、女心よ! あなたがそう思うのは、自分の心の弱さのゆえだ。 利己性のかけらもない清らかな心はついには、 神の直接のヴィジョンと すべての束縛からの解放までももたらすのだ、ということを よく知っておきなさい。 S・S
兄さん、ただのパンをかせぐための学問をして何になるのでしょう 私はむしろ、自分のハートを照らす、またそれを得ることによって 人が永遠に満足する、あの知恵が欲しいのです。 ラーマクリシュナ
Mは思った、「人はほんとうに神を見ることができるものだろうか。師は、できるとおっしゃる。 彼は、もし人が少しばかりの努力をするなら、何者かがやってきて道を示してくれるとおっしゃるのだ。まあ、私は結婚している。子どもたちがいる。それでも、神を悟ることができるのだろうか」 Mはしばらく考え、独り言をつづけた、「できるに違いない。さもなければ、師があんなことをおっしゃるものか。神の恩寵があれば、それが不可能であろうはずがない。 ここ、私のまわりには世界がある。−太陽、月、星々、生きもの、および二十四の宇宙原理だ。これらはどのようにしてうまれたのか。誰が創造主なのか。「彼」に対して、私は何者にあたるのか。こういうことが分からなければ、人生はほんとうに無意味だ。」 『ラーマクリシュナの福音』の著者M(マヘンドラナート・グプタ)の独り言、同書から。
Mがはじめてシュリ・ラーマクリシュナにお目にかかったのは ある春の日曜日、師の誕生日の数日後であった。 シュリ・ラーマクリシュナはカーリバリ、つまりガンガーの河岸 ドッキネッショルにある母カーリの寺院に住んでおられた。 Mは、日曜日はひまなので、友人のシドゥとともにバラナゴルにある いくつかの庭園を訪れたのだった。プラサンナ・バネルジの庭園を 歩いているとき、シドゥが言った、「ガンガーの岸に、一人の パラマハンサの住んでいる美しいところがあるのだよ。君、行きたいか」 Mは同意し、二人はすぐにドッキネッショル寺院に向かった。 彼らは日暮れに正門に着き、まっすぐにシュリ・ラーマクリシュナの 部屋に行った。そしてそこに、彼が東に向き、木の寝椅子に すわっておられるのを見た。顔に微笑をたたえて、彼は神のことを 話しておいでになった。部屋は人でいっぱい、みなが床にすわり、 深い沈黙のうちに彼の言葉にききほれていた。 Mは言葉を忘れてそこに立ち、そして眺めた。まるですべての聖地が いっしょになったところに立ったかのよう、そしてまるでシュカデヴァ その人が神の言葉を語っているか、シュリ・チャイタニヤがプリで ラーマナンダやスワループをはじめとする信者たちとともに、 主の御名と栄光をうたっているかのようだった。
シュリ・ラーマクリシュナはおっしゃった、 「ハリかラーマの御名を一度きいたら涙が流れ、 髪が逆立つようになったら、もう自分はサンディヤーのような お勤めはしないでもよいと思ってよろしい。そうなったときにはじめて、 人は儀式をすてる権利を得た、というよりむしろ、儀式の方が おのずから去ってしまうのだ。そのときには、ラーマかハリの御名を となえさえすれば、またはただオームをとなえるだけでも、十分であろう」 つづいて、彼はおっしゃった、「サンディヤーはガーヤトリの中に、 そしてガーヤトリはオームの中に呑み込まれてしまうのだ」 Mは驚嘆してあたりを見回し、心に思った、 「なんという美しいところだろう! なんという魅力のある人だろう! なんという素晴らしいことを言われるのだろう! もうここから 動きたくない」
「ミルクを掻きまわしながらバターが現れるのを待つように、 瞑想によって、あなたの闇を掻きまわしなさい。」 パラマハンサ・ヨガナンダ
53 :
シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/03/21(火) 22:24:36 ID:Q+fvrm8y
私が師から学んだ、そして恐らく最も重要な、第二の教えは、世界の諸宗教は、たがいに矛盾したり反対しあったりするものではない、という素晴らしい真理です。 それは一つの永遠の宗教のさまざまの面に他ならないのです。 かの一つの永遠の宗教が、生存のさまざまの段階に適用され、さまざまの心やさまざまの人種に適用されているのです。 かつて私の宗教とかあなたの宗教があったことはなく、私の国の宗教やあなたの国の宗教があったこともありません。 数多の宗教などは、存在したことがありません。かの一つの宗教があるだけです。 一つの無限の宗教が永遠を通じて存在し、これからも存在するでしょう。そしてこの宗教が、さまざまの国にさまざまの形でみずからを表現しつつあるのです。 それゆえ、われわれはすべての宗教を尊敬し、できる限り、それらすべてを認めるように努めなければなりません。 諸々の宗教は、民族や地理的位置に応じてのみならず、個々人の力にも応じて現れているものです。 ある人にあっては、それは強烈な活動として、働きとして現れています。 別の人の場合には深い信仰として、更に別の人には神秘主義として、更には哲学として、また他の形で現れています。 われわれが他者に向かって、「あなたの方法は正しくない」と言ったら、それは間違っているのです。 おそらく、その天性が愛である人は、他者に善をなす人は宗教への正しい道を歩んではいない、と思うでしょう。 それは彼の道ではないので、従って正しくないのです。 もし哲学者が、「おお、哀れな無知な者たちよ、愛の神について彼らが何を知っている、と言うのだ、しかも「かれ」を愛するという、 彼らは自分がしていることの意味を知らないのだ」と思うなら、かれは間違っています、彼らは正しいのでしょうし、かれも正しいのでしょうから。
54 :
シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/03/21(火) 22:25:59 ID:Q+fvrm8y
真理は一つであろうがしかし同時に多数である、われわれはさまざまの立場から、同一の真理をさまざまの姿に見るのである、という、 この重要な秘密を学ぶことは、絶対になされなければならないことです。 そうすれば、誰にも反対することなく、われわれはすべての人に無限の同情を持つでしょう。 この世界に生まれたさまざまの性質がある限り、同一の宗教真理はさまざまの適応を必要とするのである、 ということを知って、われわれは互いに忍び合わなくてはならないのだ、ということを理解するでありましょう。 自然が多様の中の単一であるのとまさに同様に−−現象界の無限の変化、現象界のこれらすべての多様性を貫いて、 「無限なるもの」が、「不変なるもの」が、「絶対なる単一」が存在する−−あらゆる人の場合もそうなのです。 小宇宙は大宇宙の縮小された反復にすぎません。これらすべての変化にもかかわらず、その中を貫いて、この永遠の調和が流れているのです。 われわれはこれを認めなければなりません。この考えは、他のすべての思想にも増して、今日緊急に必要なものだと私は思います。 スワミ・ヴィヴェーカーナンダ
「全ての人に対して愛と同情の念を抱くことを学びたまえ。 他者の落ち度は見逃すようにせよ。悪い人が善くなるように 助けることができないのなら、君の霊的生活が何の役に 立つと言うのだ。」 ラーマクリシュナの弟子、スワミ・ブラマーナンダ著『永遠の伴侶』 「もし宗教的な人々が、いつも彼らの宗教の論理よりも むしろ彼らの心の本能に従ったとしたら、わたしたちは、 別の信仰を持つ人々が火あぶりになったり、未亡人が炎の中を 歩かせられたり、沢山の無実の人々が宗教と神の名で行われる 戦争で虐殺されたりする光景を見なくてすむでしょうに。 もしあなたが、同情心の命令とイデオロギーの要求のうち どちらかを選ばねばならぬとしたら、ちゅうちょせずに イデオロギーを捨てなさい。同情する心にはイデオロギーは ありません。」 アントニー・デ・メロ著『小鳥の歌』
56 :
シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/03/25(土) 22:41:50 ID:Xx6JyMou
これが現代世界へのシュリ・ラーマクリシュナのメッセージです−− 「教理を気にするな。教義、宗派、教会または寺院のことを気にかけるな。 それらは、各人の内なる存在の本質、すなわち霊性、に比べたら取るに足らぬものである。 内にこの霊性が開発されればされるほど、かれは永久に力強くなる。 まず、それを得よ、それをわがものとせよ。そして何びとをも批判してはならぬ。 すべての教理、教条が、何かは良いものを内に蔵しているのだから。 自らの生き方によって、宗教は言葉でも名前でも宗派でもない、それは霊性の自覚である、ということを示せ。 感じた者たちだけが理解することができるのだ。 霊性に達し得た者だけが、それを他者に伝えることができるのだ。 人類の偉大な師となることができるのだ。彼らのみが、光明の天使なのである。」 スワミ・ヴィヴェーカーナンダ「わが師」
「感じた者たちだけが理解することができるのだ」 って、いい表現ですね。 言葉だけでは伝わってこないのに、 その人に会うだけで、言葉にし難い繊細でとらえがたい何かが ダイレクトに伝わってくることがあります。
ヤマトタケシの歌
〔やまとたけしのうた/曲名:愛の戦士レインボーマン〕
特撮ヒーロー番組「愛の戦士・レインボーマン」のエンディングテーマ。
どうせこの世に生まれたからにゃ
お金も欲しいさ 名も欲しい
自分の幸せ 守りたい
ぼくだって人間だ ぼくだって若いんだ
けれども その夢捨てさせる
この世の悪が 捨てさせる
(中略)
ぼくだって人間だ ぼくだって若いんだ
恋もしたいさ 遊びたい
わかってほしい この気持ち
http://www.eonet.ne.jp/~yuta/zatsugaku/ya.htm
59 :
シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/12(水) 22:54:59 ID:lF1p/U/G
60 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 23:08:19 ID:rkqfs2tI
思考と抵抗は同義語です。---エックハルト・トール
61 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 23:09:31 ID:rkqfs2tI
生は本当に素晴らしい、もしそれに巻き込まれずにいれば。---ラメッシュ・バルセカー
62 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 23:12:17 ID:rkqfs2tI
何であれアナタが知らない事は完璧だ。 何であれアナタが知っている事はいかがわしい。 --ニッサルガダッタ・マハラジ
63 :
シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/04/12(水) 23:21:47 ID:lF1p/U/G
64 :
名無しさん@3周年 :2006/04/16(日) 00:48:28 ID:iNtNwxBy
貴方の「自性に成る」努力はできない。なぜなら、「貴方は自性」だからだ。 -----ニサルガダッタ・マハラジ
愛は自我の活動が終焉したときに訪れてくる、ある状態なのです。 クリシュナムルティ
あれ? 何考えてたんだっけ? ねこぢる
このスレからたくさんの掛け替えのない事を心で感じ学べました。 この事はすばらしいと思う。どうもありがとう。 しかし私には未だ到達できぬ深い言葉もありました。 その言葉の真意を心で理解すべく、こ
69 :
名無しさん@3周年 :2006/05/01(月) 02:53:05 ID:BLYMTOxp
age
70 :
名無しさん@3周年 :2006/05/01(月) 03:00:00 ID:wdsGcwA6
>>67 多分、、ウマク無いですよ。絶対。。
ニク硬いですよ。。絶対。
ネズミとかコウモリとかムシとかバリバリムシャムシャ食べてるから、寄生虫イパーイですよ。
つか、呪われますよ。。。。
もし世界がわれわれのためにつくられているのなら、われわれもまた、世界のためにつくられたのです。 この世界はわれわれのためにあるのではありません。毎年、幾百万がそこから去って行きます。 世界はそれを感じません。他の幾百万が彼らのあとに供給されます。 世界がわれわれのためにあるのとちょうど同じように、われわれも世界のためにあるのです。 それゆえ、正しく働くためには、第一に執着の観念を捨てなければなりません。 第二に、さわぎには巻き込まれないようになさい。 自分を傍観者の立場に置いて、働きつづけなさい。 私の師はよく、「自分の子どもたちを、雇われた乳母が見るような目で見なさい」と言われました。 乳母は主家の赤ん坊をとりあげて愛撫したり一緒に遊んだり、まるで自分の子供ででもあるかのように優しく振る舞うでしょう。 けれども解雇の通知を受けるや否や、彼女は荷物をまとめてさっさとそこを去るのです。 執着というべき形のものは一切、忘れられています。 普通の乳母には、あなたの子供を離れて他の子供たちを見ることは少しも苦痛ではないでしょう。 皆さんは、わがものと思うすべてのものに対してちょうどそのようでなければならないのです。 皆さんは乳母です。 そしてもし皆さんが神を信じるなら、皆さんがわがものと思っているこれらすべてのものは実は「彼」のものなのである、とお信じなさい。 最大の弱さはしばしば、最大の善であり強さであるようなふりをするものです 。誰かが自分に頼っている、自分はひとのために善をなすことができる、と思うのは一つの弱さです。 この信念はわれわれすべての執着の母であり、この執着から、われわれすべての苦しみが来るのです。
続き われわれは自分の心に、この宇宙間に誰ひとり、自分に頼っている者はいない、 一人の乞食も自分の施しをあてにしてはいない、一個の魂も自分の親切に頼ってはいない、 一個の生物も自分の助けをあてにしてはいない、ということを言って聞かせなくてはなりません。 すべてのものは、自然に助けられているのです。 われわれの幾百万人がいなくなっても、同じことでしょう。 自然の運行は、皆さんや私のような者たちのおかげで止まる、などということはないのです。 すでに申し上げたように、他者を助けるという形で自分みずからを教育することを許されるのは、 皆さんおよび私が受けている恵まれた特権以外の何ものでもありません。 ヴィヴェーカーナンダ
75 :
名無しさん@3周年 :2006/05/03(水) 00:10:55 ID:vLVQunym
アジズとコンビを組んでたフーマンって亡くなったんだってね。
76 :
名無しさん@3周年 :2006/05/04(木) 21:06:43 ID:oDxQWdwP
案外ビベーカナンダって、凡人だったのかもしれないって思ったわw
>>72 ぐっじょぶ!!
>>71 誤爆の誤を悟にしているのもまた(・∀・)イイ!!
悟りを爆発させるか…
あぼーん
晩年のガーンディーは裸体の若い女性たちとベッドを共にして 「自分がほんのわずかでも性欲を感じないか」を確かめようとしたという。 ・・・とWikiにあったのですが、結局性欲は微塵も感じなかったのかな? 知ってる人いましたらお願いします。 あと何故禁欲を? エゴ(悪魔)を極限まで抑え自己をブラフマンに近づけるためかな? そして最後に創造の神=梵天(ブラフマン)、維持の神=ヴィシュヌ、破壊の神=シヴァで、 創造、維持、破壊の繰り返しとされているけど、絶対的なブラフマンが完璧なものを創造できないということは、 ブラフマンも我々と同じで成長段階なの? スレ違いですができれば回答お願いします。
age
81 :
名無しさん@3周年 :2006/05/12(金) 05:09:01 ID:Rn56il8p
ほす
82 :
名無しさん@3周年 :2006/05/17(水) 22:44:40 ID:uKavCRDA
やっとラーマクリシュナ、ヴィヴェーカナンダ出てきましたね。 「私は誰か?」ラマナ・マハリシ
(38)純血の確立によって、エネルギーが得られる。 純潔な頭脳は、すさまじいエネルギーと、巨人的な意志の力を持つ。 純潔を欠いたら、そこには霊性の力はない。 禁欲は、人類への驚くべき支配力を与える。 人びとの霊的指導者たちは、非常に純潔であった。 そしてこれが彼らに力を与えたのである。 それゆえ、ヨーギーは純潔でなければならない。 パタンジャリのヨーガ格言集 第2章 心に集中、それの実践 『ラージャ・ヨーガ』スワミ・ヴィヴェーカーナンダ
84 :
名無しさん@3周年 :2006/05/26(金) 01:30:18 ID:FuTqzNw/
あげ
85 :
名無しさん@3周年 :2006/05/31(水) 00:23:49 ID:7RP71zdG
86 :
名無しさん@3周年 :2006/05/31(水) 00:27:54 ID:7RP71zdG
87 :
名無しさん@3周年 :2006/05/31(水) 02:10:35 ID:Yb4hYt2+
神秘体験は脳内現象に過ぎず内在を超越と、とらえる迷妄の始まりである。
88 :
名無しさん@3周年 :2006/05/31(水) 02:47:10 ID:Yb4hYt2+
ラーマクリシュナは妄想に生きた凡人である。
ラーマクリシュナの一触れによって人は神を感じることが出来たそうです。 神を感じた人は霊的白熱状態になってしまったといいます。 一触れという肉体の接触によって「妄想」の伝播が可能であったことの、 現代脳科学に基づく科学的説明を希望します。
93 :
名無しさん@3周年 :2006/06/07(水) 23:22:47 ID:6gggq88f
(35) 不殺生が定着すれば、その人の前では、 (他者の内にある)すべての敵意は消滅するだろう。 もし人が、他者をきずつけない、という理想に到達するなら、 彼の前では猛獣さえも、おだやかになるだろう。 そのヨーギの前では、トラと子羊が仲良く遊ぶだろう。 あなたが その状態になったとき、そのときはじめて、あなたは自分が 他者をきずつけない境地に定住したことを、さとるだろう。 パタンジャリのヨーガ格言集 『ラージャ・ヨーガ』スワミ・ヴィヴェーカーナンダ
何だか分かんないが2ちゃんねるで話し合うには凄いこと話てんな、 日本でパソコンの前で修行するより、インド行ったらいいんじゃあ?? 、、、、、、、、まあ国は関係ないか!
スワミ・ブラマーナンダ 「心を神に固定し続けよ。働きながらも神をはっきりと思い続ける、 というのは必ずしも容易いことではない。エゴが這い込むのだ。 しかし、失敗したからとて決して落胆してはならない。最初は 繰り返し失敗することは避けられないのだ。ひたすら信仰を持ち続け、 努力を倍加せよ。理想に応じた生活をするよう、懸命の努力をしたまえ。 君たちの座右の銘は、『私は必ず今生で神をさとらなければならない!』 というものであれ。結局、この肉体やこの心がもし神をさとることを 助けないのであれば、一体何の役に立つというのだ。為せ、然らずんば死ね! たとえその企ての途中で死んだとて何のことがあろう!」 『永遠の伴侶』より
ありがたいお言葉をありがとうございます。
97 :
名無しさん@3周年 :2006/07/02(日) 13:54:49 ID:acZED+nF
インドの話についてももっと知りたいね
98 :
名無しさん@3周年 :2006/07/02(日) 14:47:51 ID:BQy/k26l
軍事大国アメリカ 経済大国ニッポン 宗教大国インド サッカー大国ブラジル
スワミ・ヴィラジャーナンダ スワミジー(ヴィヴェーカーナンダ)は、相手が誰であれ、哀れな、 卑しい態度には我まんができなかった。かれはそれを嫌悪した。 かれは常にこう言った、 「それは無神論だ。それは一種の病気、痴呆症だ。 もし人が『私はつまらない人間だ、私は役に立たない人間だ』と思って 自分をけなしつづけるなら、かれは取るにたらない人間になる。 そう言うのは謙そんなのか、それとも隠されたエゴイズムか。 『私は罪びとである。私は全く値打ちがない。私は弱い』--こう思い つづけていると人は一層そのようになる。 『弱い人は、自己(Self)を悟ることはできない!』 身体と心の弱い人々は、宗教を実践することはできない。 それは彼らのためのものではない。およそ価値のある仕事は一切、 彼らからは期待することはできない。そのような呪われた考えは 風に吹きとばしてしまえ。反対に、積極的になって、こう言え、 『実は、私は自分の内部に無限の力を持っているのだ。 その力をめざめさせなければならない』と。自分をライオンと見なす者は、 『檻を破って出るライオンのように、世間という網の目を破って外に出る』 あなたは英雄でなければならない。勇敢であれ!勇敢であれ! 恐怖は自分の足の下に踏みつけなければいけない--宗教を実践する場合にも、 世間の生活を送る場合にも--。 そうでないとあなたは、『いますでにその中に入っているところの闇の中に』 いつまでも沈んだままでいなければならないだろう」
100 :
名無しさん@3周年 :2006/07/21(金) 16:10:57 ID:V0rtDCfG
あれ?もっとレスが伸びていたような気がするんだが・・・
そなたの関心を、もはら行為のみに(注ぎ)、ゆめ(行為の)功果にあらしむ勿れ。 行為の功果を、動機たらしむる勿れ。(また)そなた、無為に執する勿れ。 ヨーガに立ち、執着を抛ち、強運の士(アルジェナ)よ、成不成に等しく、行為をなせ。 平常心が「ヨーガ」といわる。 苦難にありて心わななかず、偸安の念うせ、貪欲、恐怖、忿怒なきひとは、思念定ま れる聖者といわる。 万事に愛着なく、浄不浄いずれを得ても、喜悦せず、憎悪せざるひとの真智は確立す。 心を最高の自己におき、すべての行為をわれにむけ捨離し、期待なく、我欲なく、患悩の 心を去り、戦え。 『バガヴァッド・ギーター』
102 :
名無しさん@3周年 :2006/08/23(水) 23:28:16 ID:2orLYQEY
あれ?もっとレスが伸びていたような気がするんだが・・・
103 :
名無しさん@3周年 :2006/08/24(木) 00:56:23 ID:td+/AsT9
女性の豊かな乳房〜
104 :
聖霊大王 :2006/08/24(木) 18:01:50 ID:IGnxVZCi
楽しそうなスレだな、、 変な神がかり的能力があるから、、 カキコしても、よさそうだな、、 能力絶頂だが、、 ヒンズーは、知らない方だ、、 勉強させてもらいます、、
105 :
聖霊大王 :2006/08/24(木) 18:08:26 ID:IGnxVZCi
スワミジー(ヴィヴェーカーナンダ)写真を見たとき、おいらと顔が似てるなーと思う。 変な神がかり能力があるのは、顔が似ているからか?? おいらのほうが男前だな、、
106 :
名無しさん@3周年 :2006/08/24(木) 21:15:13 ID:XgqvAT5+
おまえ、バカでしょう?
阿含宗桐山教祖の逮捕歴 昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕 警視庁西新井署 十二月手形詐欺容疑で逮捕 千葉県松戸署 二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕 警視庁防犯課 二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決 五月入所 十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
108 :
聖霊大王 :2006/08/26(土) 12:09:43 ID:DiyFDNmy
雑魚しか来てねーー つまらん、、
あぼーん
43 苦行によって、身体と感覚の不浄が消え、超自然力が得られる。 ”タパス”の直接的な意味は”焼くこと”である。我々は断食という肉体のタパスによって、 余分な脂肪とともに、身体に蓄積された毒を焼く。心のタパスによって、すべての古い印象を焼く。ことばのタパスすなわち沈黙を守ることによって、話すことを抑制する。 ”焼く”ときには何らかの熱と痛みがある。つまり我々は苦しみを味わう。 したがってタパスは、苦痛を受け入れることでもある。ある人が苦しんでいるならば彼は幸いである、なぜなら彼はその苦痛によって不純を浄化しているのだから。
つづき 心を清浄で堅固にするためには、我々は苦しみを、貧困を受け入れねばならない。 そして苦しみを受け入れると同時に他者に幸いをもたらすならば、その利はいっそう 大である。だから他者の苦痛を受け入れよ。我々は苦痛を受け入れても何も失わな い。苦痛が大きければ大きいほど、我々の得るものは大きい。そして何の苦痛もなか ったら、得るものは何もない。我々はそこから逃げるべきではない。 『パタンジャリのヨーガ・スートラ』 スワミ・サッチダーナンダ
112 :
名無しさん@3周年 :2006/09/21(木) 00:59:06 ID:ZfEqiGYo
縊死堕氏ね。
113 :
名無しさん@3周年 :2006/09/23(土) 10:36:41 ID:ZRmw0Kdf
縊死堕氏ね。
114 :
名無しさん@3周年 :2006/09/25(月) 16:19:55 ID:SYIePEQf
縊死堕氏ね。
115 :
名無しさん@3周年 :2006/09/26(火) 22:44:33 ID:DykyD5VB
縊死堕氏ね。
クリシュナのことをいつも恨み続けていた人が、死ぬときにクリシュナと一体になった。 という話があったな〜 常に主を忘れなかったからだそうです。
117 :
名無しさん@3周年 :2006/09/28(木) 22:20:30 ID:4jCYOnNN
縊死堕氏ね。
縊死堕って誰ですか?
119 :
名無しさん@3周年 :2006/09/30(土) 00:17:44 ID:GNjgAKgx
縊死堕は包茎。
120 :
名無しさん@3周年 :2006/10/03(火) 22:43:58 ID:YQUmkJzt
>> 118 おまいも氏ね。 縊死堕も氏ね。
121 :
名無しさん@3周年 :2006/10/03(火) 22:48:22 ID:3Pflh5pw
今日、阿部知ニ訳のラーマーヤナをゲットしますた。 それでも、原典からの全訳が待ち遠しいですが。 あとマハーバーラタの原典訳も誰か完結させてほしい。
122 :
名無しさん@3周年 :2006/10/08(日) 10:06:21 ID:VVpKr5gT
>> 121 おまいも氏ね。 縊死堕氏ね。
氏ね氏ねという人間はかわいいよ。 しかし、世間を見ると高校生くらいになると言わなくなるが。
あげ
>各人が自らの道を進むがよい。もしその人がまじめに >真剣に神を知ろうと欲するなら、彼は必ず悟るであろう これは精神世界では基本で結論ですね。
127 :
名無しさん@3周年 :2006/11/17(金) 01:29:52 ID:/sr9KQHY
性者の基本は加藤鷹
インド行きたいとか思ってる人は 藤原新也「黄泉の犬」のヒマラヤのハリウッド読むといいお( ^ω^)
129 :
華厳命 :2006/11/29(水) 12:45:33 ID:M7Jqhbaw
明恵上人が現代に生きていたら きっとラーマクリシュナの信者になっていたでしょう インドは行ったけどカルカッタは疲れる街でした ハウラーのスラムはヤバイよ
130 :
オオタク ◆NAeHiciHdE :2006/11/29(水) 20:49:50 ID:mqPzjSVg
サンダーシング
131 :
風 :
2006/11/29(水) 20:57:38 ID:79KbfZHx お!シコオさん発見!