1 :
名無しさん@3周年 :
2006/02/11(土) 00:28:05 ID:Nj29pB8R
■■■■■ ■■■ ■■ ■■■by Gocc ■■■ ■■■■ ■■ ■■■ ■■ ■■ ■■ ■■ ■■ ■■ ■■ ■ ∧ ∧ ■ ■■■ ■■■■ ■■■■■ ■■ (*゚ー゚) ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■ (∩∩) ■■ ■ ■■■ ■■■ ■ ■■■■■■■■■■■■ ■ ■ ■ ■ ■■■■■■■■■■■■ ■■■■ ■■■■ ■
4 :
名無しさん@3周年 :2006/02/11(土) 12:22:46 ID:y+I/OCL4
テンプレの回復訳の紹介にある 早見表、乙。
5 :
名無しさん@3周年 :2006/02/11(土) 23:19:50 ID:Nj29pB8R
まんこしたい
7 :
名無しさん@3周年 :2006/02/12(日) 01:12:10 ID:LR67HMcR
のぞみは東京なので、東京に在る教会HPをと思いましたけど、ケータイでは表示されないみたい。 松戸に在る教会HPを、見てみました。
地方教会の人たちは、あまりネットを利用しないのでしょうか?
10 :
名無しさん@3周年 :2006/02/12(日) 21:04:03 ID:LR67HMcR
11 :
名無しさん@3周年 :2006/02/12(日) 23:26:09 ID:LR67HMcR
本当に聖書読んだことあるのかな??
13 :
名無しさん@3周年 :2006/02/13(月) 11:01:26 ID:FVYwxs/m
?
14 :
名無しさん@3周年 :2006/02/13(月) 12:16:58 ID:FVYwxs/m
>>12 本当に聖書を読んでいたら回復訳を評価するはずはないということですか?
もしそうなら、回復訳のどこがどうおかしいのか、
回復訳の具体的個所を指摘してください。
「ウイットネス・リーは云々」などというレッテル貼りは見飽きました。
「地方教会は云々」も聞き飽きました。
ここは回復訳スレです。
スレ違いは困ります。
15 :
名無しさん@3周年 :2006/02/14(火) 16:25:08 ID:VoyVhgHu
ウォッチマン・ニー先生、 ウィットネス・リー先生のご著作によって、 ようやく福音のすばらしさが分かってきました。 主に愛される人すべてに、この二人の主のしもべの言葉が語られますように。
16 :
名無しさん@3周年 :2006/02/14(火) 18:20:27 ID:VoyVhgHu
>>1 アマゾンでウォッチマン・ニー全集を買って、
日本語版よりずっと安かったので喜んでいましたが、
オンラインで無料で読めるのですね。
知っててもウォッチマン・ニー全集はそろえたと思います。
でも、ちょっとヘコみました。
17 :
名無しさん@3周年 :2006/02/14(火) 18:26:32 ID:VoyVhgHu
18 :
名無しさん@3周年 :2006/02/14(火) 19:42:25 ID:LHH3fhKw
皆さんはエホ証が使ってる聖書(新世界訳)についてどう思われますか? 聖書と言える?言えない? 率直な意見をどうぞ。
19 :
名無しさん@3周年 :2006/02/14(火) 19:48:09 ID:VoyVhgHu
20 :
名無しさん@3周年 :2006/02/14(火) 20:46:23 ID:VoyVhgHu
英語と中国語は旧約の回復訳があるみたいですが、 ウィットネス・リー先生が生前に訳されたわけでなないんでしょうか? 出版年が比較的最近です。 フットノートもついているみたいですが。 一体どなたが?
プロテスタントでありながら、註解付聖書が必要だと考えた、ニー&リー師の発想 は、大いに認める。
>>21 註解付聖書の元祖はダービー。
リーは、ダービーのマネしただけ。
23 :
名無しさん@3周年 :2006/02/15(水) 13:18:49 ID:d8N9OCOs
24 :
名無しさん@3周年 :2006/02/15(水) 13:35:09 ID:d8N9OCOs
いま、二ー先生とリー先生がスコフィールドについて何て言っているか検索したら、 こんなのが見つかりました。 Question: In what teachings are yours different from those of Mr. Scofield? (Kuo) 質問:あなたがたの教えとスコフィールド氏の教えとは、どんな点で異なっていますか? Answer: Mr. Scofield's teachings are generally the same as ours. こたえ:スコフィールド氏の教えは、一般的にはわたしたちのものと同じです。 The differences we have with Mr. Scofield are merely on a few questions related to the Sermon on the Mount, the rapture, and the kingdom. 違いといえばほんの数点、山上の垂訓、携挙、御国に関してだけです。 To me, the Sermon on the Mount is what Christians ought to keep, 私の考えでは、山上の垂訓はクリスチャンが守るべきものであり、 the rapture will take place only in the case of the watchful and waiting ones, 携挙は、目を覚まし、待望する者だけに起き、 and not all those who have received eternal life will enter the kingdom to reign with the Lord. とこしえの命を受けた者すべてが主と共に統べ治めるために御国に入るわけではありません。 Mr. Scofield does not believe this way. スコフィールド氏はそのようには考えません。
25 :
名無しさん@3周年 :2006/02/15(水) 13:50:07 ID:nL4LamQo
そして、原典より註解の方が大手を振るようになるわけだな
26 :
名無しさん@3周年 :2006/02/15(水) 14:00:23 ID:d8N9OCOs
なんでニー先生とリー先生のことを話題にすると 意地悪なことを言う人が出てくんのかな? 回復訳読む香具師は本文より註解の方を大切にしてるって思ってるわけ? 人のことは知らないが俺はちがう。 オレに言ってこられてもしらねえな。 地方教会に対する批判も俺に言われてもこまる。 聖書から逸脱して問題になってるところはいっぱいあるし 2chでスレがあるんだからそっちいけよ。
27 :
名無しさん@3周年 :2006/02/15(水) 14:05:46 ID:XNnh9Stg
>>24 どうやって検索するんですか?
ソフトが必要なら、価格と購入方法を教えてください。
日本語はありますか?
28 :
名無しさん@3周年 :2006/02/15(水) 14:16:44 ID:d8N9OCOs
29 :
名無しさん@3周年 :2006/02/15(水) 19:41:56 ID:XNnh9Stg
即レスありがとうございます。 グーグルってそんな裏技があるんですね。 早速ためしてみます。
30 :
名無しさん@3周年 :2006/02/15(水) 22:27:59 ID:d8N9OCOs
どういたしまして。
>>23 ああ、スコフィールドが先だったか。嘆きの壁まで逝ってきます。
聖書協会の方針が"註解は載せない"だったから、20世紀半ばまで、プロテ
スタントは、説教を聞くか、いちいちコメンタリーを買わなくちゃいけなかった。
そういうところに つ<註解付聖書> は、偉大な業績ですよ。
32 :
名無しさん@3周年 :2006/02/16(木) 23:44:06 ID:bqFJg7rO
スコフィールドがダービーらのブレズレンの神学をまとめて キングジェームズ訳聖書の脚注として出版したのが1917年だっけ? それが現在まで売れに売れて、800万部突破とかきいてます。 ニー先生、リー先生は、若い頃にスコフィールドの聖書通信講座をやってたらしいですよ。 黒崎幸吉の註解はスコフィールドの影響があるときいてますが、 持ってないのでわかんないです。 <註解付聖書> は、偉大な業績ですよ。 本当にすごいことですよ。 いまのところ、福音主義の立場から書かれた注釈つき聖書は いのちのことば社のチェーン式と回復訳だけですが、 チェーン式は歴史的背景に関する註が多いので、 釈義が詳しく書かれてるのは回復訳だけですね。 こんなことを言うのは不遜ですが、 これがあれば自分もメッセージできるような気がしてしまいます。 はやく旧約でないかな。
33 :
名無しさん@3周年 :2006/02/16(木) 23:49:01 ID:bqFJg7rO
ほかの翻訳と比較しつつ読んでいます。 ほかの訳と違うところは、ほかの註解書などを照らしあわせます。 回復訳は大体原文に近い表現を採っていますね。 意外と、岩波の訳と近いことがあります。 福音派は学問ではリベラルに負けると思ってたのに、 回復訳を見ると励まされます。 回復訳翻訳委員の先生たちは相当に学識のある神学者の集まりみたいです。 リベラルに全然負けてません。
34 :
名無しさん@3周年 :2006/02/17(金) 15:48:57 ID:drpQkPyR
ためになるところもあるが ムズいところもある。 ヘブル書はむつかしいがだんだんわかってきた。 ライフスタディってのはわかりやすいんですか?
35 :
名無しさん@3周年 :2006/02/17(金) 16:07:09 ID:drpQkPyR
回復訳でハマったのはヨハネの書簡のフットノート。 これを越える注解はないね。
36 :
名無しさん@3周年 :2006/02/17(金) 22:20:12 ID:drpQkPyR
第三ヨハネ2節とフットノートの5読んで、 「人生の奥義」のサイト完璧わかりました。 こんな大事なことをいままで知らなかったなんて。
37 :
名無しさん@3周年 :2006/02/18(土) 00:04:16 ID:A4hFqHYR
ウィットネス・リーがねたましい。 なんであんなに深く聖書を解釈して、 誰にでもわかることばで語れるんだろう。
38 :
名無しさん@3周年 :2006/02/18(土) 00:29:05 ID:A4hFqHYR
不思議なのはウィットネス・リーの異端疑惑だ。 新世界訳やモルモン経と同じく、一応知っておかねばという義務半分、好奇心半分で読み始めたが、 予想を大きく裏切られ、異端らしき箇所はいっこうにみつからず、深遠な内容に 引きこまれて読みふけってしまった。 異端疑惑を主張する御仁も、ウィットネス・リーをねたんでいるのでは? その気持ち、いたいほどわかる。
39 :
名無しさん@3周年 :2006/02/18(土) 01:48:48 ID:A4hFqHYR
40 :
名無しさん@3周年 :2006/02/18(土) 07:57:33 ID:A4hFqHYR
http://www.affcrit.com/ の記事を書いている学者たちは
何者だろうか。
地方教会外部からの寄稿ならば、
アメリカの地方教会はまわりとうまくやっていってるということになる。
地方教会内部の神学者としたら、おどろきだ。
41 :
名無しさん@3周年 :2006/02/19(日) 08:54:49 ID:TMU35nbb
ググればわかるだろ。 内部の者だよ。
42 :
名無しさん@3周年 :2006/02/19(日) 11:01:10 ID:vNoCn1TQ
リーはウォッチマン・ニーとダービーの ブレズレンを巧妙に利用している。 そもそも聖書をよく知っていることと その人がどのような人物であるかは まったく別だという典型例がリー。 彼には隠蔽された事実がありすぎ。
>>42 ほぉ。その事情を、こっそりウプキボン
44 :
名無しさん@3周年 :2006/02/20(月) 12:28:05 ID:1cUxAKB3
>>43 違法行為になると思われ。
W・リーに対する名誉毀損の疑いがあるHPがあったが、
その作成者がなくなり、W・リーの本を出版していた出版社が
遺族からPCを、HPの著作権ごと買いとり、
HP作成者とメールでやり取りしていた人に、
今後HPから引用しないようにとメールを出したって出来事があった。
オレはそのHPの内容を知っているが、
>>42 がいうほど大したものではなかったし、大まかな内容ならば、
今でもあちこちのサイトで読める(ただし英語)。
オレはあえてその話をここでしようとは思わない。
このスレは、回復訳スレであって、W・リーの人間性を問うスレではないからだ。
>>14 のいうとおり。
しかし、あのサイトがみられなくなった結果、逆に
>>42 がやっているような
詭弁のガイドラインの
5. 資料を示さず自論が支持されていると思わせる
レスが出てきて残念に思う。
W・リーに関するあれやこれやは今、名誉毀損の事案として
アメリカの法廷で争われているのだから、深入りしても仕方がないし
しても意味がない。
普通に回復訳を読み、その内容について話し合ったらどうか。
回復訳がいいといってる人たちもそうで、
「いい」というだけでなく、どの箇所がどういいのか具体的な話をすべきだ。
45 :
名無しさん@3周年 :2006/02/20(月) 12:42:13 ID:1cUxAKB3
>>42 にマジレスすると、
聖書だけ読んで聖書の解き明かしてる人なんて滅多にいないし
いても大抵思いつきで変なことを言ってるか異端であるかで、
読むに値しないものばかりだ。
W・リーは、W・ニーをよく消化して、同じ路線でしゃべっていると思う。
オレはW・ニーをかなり読んでからW・リーを読み始めたので、
そういうところに目が行き、感心してしまっている。
W・リー独自の教えは、実はほとんどない。W・ニーのコピペである。
W・リーはダービーを読んでいたろうが、
W・ニーが評価していたところをW・ニーが評価していた形でしか評価していない。
この点でもW・ニーのコピペである。
「コピペ」と書いたが、いってみれば、W・ニーの言いたかったことを
W・リーが代弁していたようなものだ。
ニー全集のおしまいのほうに、
W・ニーとW・リーが交互にメッセージを語るという曲芸のような
ことをしている巻がある。
この二人は信じがたいほど考えが同じだったのだ。
ニー全集を読んでいると、
回復訳のフットノートと同じ教えが見つかる。
回復訳のフットノートはニー全集のダイジェスト版といっていいと思う。
46 :
名無しさん@3周年 :2006/02/20(月) 12:44:30 ID:1cUxAKB3
具体例をあげておこう。 『キリスト者の標準』のヨハネ第15章の解釈と、 回復訳のヨハネ第15章の解釈は同じである。 てもとにないので引用できないが、 持ってる人は比べてみてほしい。
47 :
名無しさん@3周年 :2006/02/20(月) 12:49:55 ID:1cUxAKB3
ちなみに、W・ニーのその箇所の解釈は、
ハドソン・テーラーのコピペ。
W・ニーが自分でそういってる。
W・ニーもW・リーも、ちゃんとネタをあかしてるので、
>>42 の批判は的外れだと思う。
48 :
名無しさん@3周年 :2006/02/20(月) 17:55:12 ID:7BnO4us7
何だかなあ、W・リーやローカルチャーチの話になると
やたら熱くなって弁護する香具師が登場するんだよな。
メンバーの工作員ってことはないと思うけどね。。。
小泉氏じゃないけど、「あのね、もっと冷静になって下さいよ」
リーがどんな人物だろうと、関係ないじゃん。
どしてそんなに擁護するわけ?
それに
>>42 は別に批判してるわけじゃないでしょ。
こんなんで違法行為になるなら、主の従スレなんかどうなるん?
変だよ、44-47.
49 :
名無しさん@3周年 :2006/02/20(月) 17:57:34 ID:7BnO4us7
あとね、やっぱりウォッチマン・ニーの影響受けている B氏の吉祥寺キリスト集会とかね。 そっちへいって弁護してやんなよ。内容かなり酷いよ。 違法行為になるだろ、君の基準だとさ(www
リー、ニーよりさぁ、回復訳聖書そのものの話、読みたいよ。
51 :
名無しさん@3周年 :2006/02/20(月) 23:41:26 ID:1cUxAKB3
>>48 >>49 もし私がいってる英語のサイトを保存している人がいてそれをうpしたら
法的問題が発生するかもしれない、といってるのです。
私が擁護したいのはW・ニーとW・リーの著作です。
>>42 のような人格批判をする人が出てくるとまともな話にならんので困るわけです。
吉祥寺の集会のことは、あまり触れたくありません。
理由は察してください。
>>50 回復訳もってますよね?
お気に入りのフットノートはどこ?
52 :
名無しさん@3周年 :2006/02/21(火) 00:28:31 ID:MUtHs4YJ
53 :
名無しさん@3周年 :2006/02/21(火) 01:36:54 ID:h2+zE0yS
吉祥寺スレでニーの本を宣伝してる人だろ。 反吉祥寺だがどっかのブレズレンとみた。 地方教会の人間は聖書とニーとリーの本以外は読まないから なぁんにも知らない。
54 :
名無しさん@3周年 :2006/02/21(火) 01:40:42 ID:h2+zE0yS
リーはよくダービーを引用してるのに 地方教会の人間はダービーの名前だけ知ってて読んだことはない。 有名な讃美歌も知らない。 いまのローマ教皇の名前すら知らないだろう。
55 :
名無しさん@3周年 :2006/02/21(火) 09:14:08 ID:Dy3oLvNQ
>>53-54 んだ、んだ。
ローカルチャーチは孤立組織だからな。
キリスト教の一般常識がまったくない。
いろんな歴史的信条などとは無縁。
俺も友達にはまってるのがいるが、
自分たちは真理の回復だと信じ込んでいるから
それでいいんだろうけど、双方向の交流ができない。
まあ、幸せといえば、幸せな人たちだが。
「おお、主〜、イエスよ〜、ハレルヤ、アーメン」
の音頭だけでいいんだから。
56 :
名無しさん@3周年 :2006/02/21(火) 09:46:57 ID:Dy3oLvNQ
それとリー・マンセー
57 :
名無しさん@3周年 :2006/02/21(火) 13:15:14 ID:GDJIKqWg
>>55 ブレズレン系の悪い面が出てるってことですね。
クリスマスもイースターも「非聖書的」といってやらないそうだから
自然とそうなるんだろうね。
オレの知ってる人は、ほかの教団のこともよく知っていたが、
そういう人が何割いるかわからんな。
ブレズレン系の牧師制度でないところは、
わけの分かってないオバチャンが主導権を握りやすいという問題もある。
>リー・マンセー
まてよ。混乱してきた。地方教会の人はニーとリーの本しか読まないんだっけね?
オレの知ってる人は、二ー、リーもいっていたが、
エド兄弟エド兄弟っともいっておった。
本当は別のブレズレンの人なのだろうか?
そういや自分の教会のことを地方教会でなく、「回復」って読んでた。
地方教会以外で回復訳を使う教会はあるんですか?
>「おお、主〜、イエスよ〜、ハレルヤ、アーメン」
>の音頭だけでいいんだから。
聖霊派みたいですね。
オレの印象では、聖書の釈義が厳密なブレズレン系の団体なので、
やっぱり違う団体なのかもしれない。
神学の内容はすごいが、だったら本だけ買ってりゃいいかと思って
TOEICの勉強もかねて英語のサイトで無料でニーとリーを読んで済ませてしまってる。
晩御飯に招待してもらって腹いっぱいご馳走になったのでなんとなく
気がとがめてる。
58 :
名無しさん@3周年 :2006/02/21(火) 13:23:05 ID:GDJIKqWg
ニーとリーの本は 地方教会以外でも参考にされているので、 このスレは地方教会関係者限定でなしに、 回復訳を読んでる人、これから読む人が出入りしやすい流れになってほすぃ。 質問があるんですが、 エコノミーってのがまだよくわからんです。 誰か説明してください。どのフットノート読んだらいい? 主の磔刑で「わが神わが神〜」っておっしゃってる箇所について フットノートに「エコノミー上は」「本質上は」とあって、 重要なことが書いてありそうなのにちっともわからん。
回復以外にも参考って聖霊がない限り命を与えることは難しい。地方召会へ行くべき!ニー、リーが生み出した召会はキリストの頭でありサタンを朽ち砕く!
60 :
名無しさん@3周年 :2006/02/21(火) 19:20:25 ID:Dy3oLvNQ
>>59 召会がキリストの頭?意味不明・・・
ローカル・チャーチ・マンセー!!!
61 :
名無しさん@3周年 :2006/02/21(火) 19:47:15 ID:kP2gb7td
ざっとスレ見てみました。 実は「回復訳」なるものをよく知りません。 で、ここを見てみたのですが、回復訳を「いい」と思う人はなぜそう思うのか、また批判的な人はなぜそうなのか、殆どスレからは分かりません。 賛同者は基本的にただ「いい」と言うだけで、 批判する人も、回復訳そのものというよりは賛同者やW.ニーやW.リーを批判するばかり。 取りようによっては回復訳とは直接関係ない事柄を巡っての単なる言い争いの様相を呈しているようにも見えます(失礼ながら)。 賛同者には「具体的に回復訳や注釈のどこが優れている、あるいは感銘を受ける」のかを示して頂きたく、 また批判する人は「回復訳のどこか良くない、不十分、解釈が違うか」(ニーやリー、地方教会への批判はスレ違いだと思います。但し「回復訳」に直接関係する事柄はこの限りではありません)を示して頂きたいです。 まあ「直接読めよ」と言われればそれまでですが、賛同するにも批判するにも、きちんと論拠を示して頂ければ説得力もありますし。 このままでは賛同者にも批判者にも「なにチンケなケンカしてんの?」という印象しか残りません。
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 サロメおたぁ #uru ◆w3dn2yLjB.
63 :
名無しさん@3周年 :2006/02/21(火) 20:32:42 ID:GDJIKqWg
>>61 そこを突かれるとイタイね。
自白するが、あまりちゃんと読んでないので、
具体的な話をするのが怖いんですよ。
去年あたり2chで回復訳擁護の論陣を張ってたあの人はどこにいったんだろう。
降臨してくんろ。
64 :
名無しさん@3周年 :2006/02/23(木) 02:25:41 ID:mtm1YgqL
わからん箇所をここに書き出せ。話がすすまん。
65 :
名無しさん@3周年 :2006/02/23(木) 02:32:56 ID:mtm1YgqL
>>55 大筋であたってはいるが、
いざ聖書の話になると、オレではあそこの大学生にすら歯がたたん。
異端的なことも言ってなかった。
変ってるが、どうもちゃんとした団体のように見える。
ファンダメンタル入ってるけどね。
66 :
名無しさん@3周年 :2006/02/23(木) 02:34:05 ID:mtm1YgqL
おれのIDおもしれー。
67 :
名無しさん@3周年 :2006/02/23(木) 15:15:13 ID:0Jt/BXEN
>>65 神と人が混ざって、人が神化すると聞いたが、、、
68 :
名無しさん@3周年 :2006/02/23(木) 16:05:28 ID:MDxORaKR
釣りですか? 「神化」ググれ。
>>63 イタイっつーか、持ってないのにコメントしてるんだから61は変な奴ってだけなんじゃね?
70 :
名無しさん@3周年 :2006/02/23(木) 16:54:07 ID:MDxORaKR
神化について書いてあるところがなかなか見つからないんだ。 それらしいのは、使徒行伝のおわりと、Tコリント第7章だが、 婉曲的にしか言ってない。 どの箇所か誰か教えてくれ。
71 :
名無しさん@3周年 :2006/02/24(金) 13:57:34 ID:w5vuhSVh
ニー兄弟もリー兄弟もはやくから「人の神化」について語ってはいました。
しかしながらリー兄弟が「人の神化」を明確に語り出したのは
1993年か1994年ごろです。
回復訳のフットノートが完成したのは1991年です。
ですから、回復訳には、直接「人が神となる」と言っている箇所は存在しません。
以下の「早見表」をお役立てください。回復訳の参照箇所の一覧表です。
ttp://www.dgw-in-japan.com/RcV_NT.doc 回復訳をお持ちでない方は、日本福音書房から直接取り寄せることができますが、
ご近所の図書館のに所蔵されているかもしれませんのでお確かめください。
なお、私は日本福音書房や主の回復(地方教会)を代表してここに書きこみしているのではなく、
一個人の判断で個人的理解を示したつもりです。
主の回復がどのような立場をとっているかは、
ホームページ、出版物、日本福音書房、JGW、各地方教会などでご確認ください。
72 :
名無しさん@3周年 :2006/02/24(金) 15:40:26 ID:Dp/dcQQX
m(_)mかたじけないm(_)m
73 :
名無しさん@3周年 :2006/02/25(土) 08:15:10 ID:74MSKgUB
そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、 あなたがたが神のようになり、 善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
74 :
名無しさん@3周年 :2006/02/25(土) 12:18:47 ID:xCcPsDKI
>>71 いいリンクですね。
はっきりしました。
回復訳は異端ではありません。
三位一体(三一)の神を信じる本物のクリスチャンの註解書です。
75 :
名無しさん@3周年 :2006/02/25(土) 12:22:26 ID:xCcPsDKI
こんなはっきりしてるのに 異端だといって批判してる人たちはおかしいです。
76 :
名無しさん@3周年 :2006/02/25(土) 14:40:05 ID:74MSKgUB
>>75 工作員ハケーン!
三一の神なんて、一般のクリは言わない(w
77 :
名無しさん@3周年 :2006/02/25(土) 15:11:44 ID:9qkOQEMo
工作員かどうかしらんが 回復訳にかいてある通り写したんじゃねえの? 回復訳そーゆーの多くねえか? 独自に言葉を作ってるからたまにわからん。
普通の人は回復訳なんて興味もクソも無いのに
根拠薄弱な回復訳支持の投稿を繰り返すところがキモい
>>71 とか
>>74 みたいな投稿を繰り返せば繰り返すほど
ますます疑わしいぞ
同じく異端の疑いがある「喜びのニュース宣教会」のHPを読むとレトリックが酷似している事がわかる
79 :
名無しさん@3周年 :2006/02/25(土) 20:15:10 ID:bgbZmClC
>>78 激しく同意
人は神になるんじゃ!!!@リー
80 :
名無しさん@3周年 :2006/02/25(土) 20:21:07 ID:9qkOQEMo
つまり、回復訳について話題にした時点で工作員認定と?
81 :
名無しさん@3周年 :2006/02/25(土) 20:55:14 ID:bgbZmClC
だってさ、
>>74 なんて、いかにもだろ。
漏れの友達もけっこうはまっているが。
リー兄弟の見た幻はすばらしいから、
一生をかけて従うと・・・・。
82 :
名無しさん@3周年 :2006/02/25(土) 21:00:16 ID:9qkOQEMo
某スレ工作員が回復訳を叩きにきたか?
>>78 回復訳ほど注釈ある聖書、他に無い。
回復訳支持が少ないのは、翻訳内容じゃなく、日本福音書房の営業力が無いから。
と言うか、書店経営まで始めたから、元々一般流通は意識してないかもしれない。
85 :
名無しさん@3周年 :2006/02/25(土) 22:14:09 ID:xCcPsDKI
うわー、工作員っすか。参ったね。
どうせならもっと詳しい工作員を派遣するっしょw
自分でフットノートつけましょうか。
>回復訳は異端ではありません(1)。
>三位一体(三一)の神(2)を信じる本物のクリスチャン(3)の註解書です。
ノート1 某スレで、話題に関係ないのに必死になって異端だとカキコする人が
いたため、真相を知りたくて読んだので、こう書きました。
ノート2 普通三位一体っていいますが、なぜか回復訳には三一となっているので
併記しました。
ノート3 ノート1と同じです。異端ではない、本物のクリスチャンという意味。
>>82 あるかもね。
>>83 >回復訳ほど注釈ある聖書、他に無い。
そうですよね。量も、質もすごい。牧師に見せたら貸してくれっていわれた。
>日本福音書房の営業力が無いから。
なんか頑固な職人みたいっすよね。
アマゾンで買えたら楽なのに。
営業努力しない教団は2chに工作員を出したりはしないかとw
>>84 書店経営? 何すかそれ。おせーて。
>>85 日本福音書房は、書店店舗も出しました。
ホムペ見ればわかるよ。
日本福音書房に限らず、殆どの出版社は、電話かければすぐに通販、本を送ってくれるよ。
郵パック、ヤマト、佐川が多いかな。
>>85
88 :
名無しさん@3周年 :2006/02/27(月) 11:19:54 ID:ty+QRbN0
89 :
名無しさん@3周年 :2006/02/27(月) 11:23:10 ID:ty+QRbN0
三一の神って、いわなくもない。 みいつの〜みかみの〜って讃美なかった? だが、何も知らない人が「みいつのかみ」と聞いたら 「ミーツ」という名前の神のことだと誤解するかもしれない。
三一書房っていう出版社があったような。
91 :
名無しさん@3周年 :2006/02/27(月) 12:35:21 ID:LOowSkpR
>89 ワロタ
92 :
名無しさん@3周年 :2006/02/27(月) 13:43:15 ID:ty+QRbN0
93 :
名無しさん@3周年 :2006/02/27(月) 13:44:11 ID:ty+QRbN0
うぎゃーおハズい。
94 :
名無しさん@3周年 :2006/03/02(木) 04:22:12 ID:1SMr/wEQ
triuneは形容詞。trinityは名詞。 日本語ではどちらも「三位一体」だが、 原義からいって、triuneは「三一」とした方が正確である。 中国語のキリスト教用語では、日本語のように「三位一体」一辺倒ではなく、 「三一」をちゃんと用いているところもある。 日本語でも、そのように訳している神学書は少なくない。読みはサンイチ。 最近、ここの関連の出版社が、 Jules Grossの The Divinization of the Christian According to the Greek Fathers を英訳して出版した。フランス語が読めないので多いに助かっている。 そういう本を出す団体が 神学的におかしいなところであるはずがない。
95 :
名無しさん@3周年 :2006/03/02(木) 12:15:50 ID:/wbh3JnL
96 :
名無しさん@3周年 :2006/03/02(木) 13:29:10 ID:1SMr/wEQ
97 :
名無しさん@3周年 :2006/03/02(木) 13:32:26 ID:1SMr/wEQ
98 :
名無しさん@3周年 :2006/03/02(木) 13:51:10 ID:/wbh3JnL
>>97 だからさあ、何を熱くなっているわけ?
リーとあなたと何の関係があるわけ?
ローカルチャーチ関係者はね、たいていこうだから。
だから危ないって思われるんでしょう。
自業自得って、気がつかないのかなあ〜
99 :
名無しさん@3周年 :2006/03/02(木) 14:13:52 ID:/wbh3JnL
>>94 の本って、題名から察するに
正教的に「人が神化する」ってことだろ。
そんなにあなたも神になりたいかね?
100 :
名無しさん@3周年 :2006/03/02(木) 14:57:54 ID:1SMr/wEQ
>>98 あなたがおかしい。
急に議論したのはあなたです。
反論したら「何を熱くなっているわけ? 」というのはなぜか?
私が狂信的あると言いたいのですか?
ほかのスレッドにいって議論をしたら同じ反応がきます。
質問したい。なぜローカルチャーチを批判するのですか?
「リーとあなたと何の関係があるわけ? 」愛読者です。
>>99 西方でも「人が神化する」と教えます。
アウグスティヌスもトマス・アクィナスも。
ウェスレーも。
プロテスタントでは一般的でないだけ。
神学の常識を知らないか?
101 :
名無しさん@3周年 :2006/03/02(木) 15:28:02 ID:/wbh3JnL
はいはい、お一人でどうぞ。 私は引っ込みますから。。。汗ダク
地方教会の他に、回復訳を公式?に使ってる教会あるの?
103 :
名無しさん@3周年 :2006/03/02(木) 15:42:52 ID:l0LaO7bH
それはないでしょうね。 まあ、1SMr/wEQさまには立派な神様になっていただきましょう(藁
104 :
名無しさん@3周年 :2006/03/02(木) 16:59:13 ID:lGLLwL2o
>>100 ほんとかね?
トマスは興味ない。
アウグスティヌスだアウグスティヌス。
アウグスティヌスがどこでそんなこと言ってんのか言えたら
地方教会は異端じゃないと認めるたるぞ。
証拠だせ。
105 :
名無しさん@3周年 :2006/03/02(木) 17:45:58 ID:l0LaO7bH
106 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 01:21:52 ID:cncj2Ldg
>>94 名詞と形容詞の違いもありますが、もとのラテン語が別々で、意味も違うのです。
詳しいことは神学の教科書にある通りですが、
Triuneは神とはどなたかという問いに対する答えであり、
Trinityは神とはどのような方であるかという問いに対するこたえです。
語源的にいって、Triuneを「三一」と訳すのは正確ですが、
かといってTrinityに三位一体という訳語をあてるべきかどうかは文脈により、
機械的に決められるものではないと思います。意識して用語を使い分けている人は、
専門の神学者だけではないでしょうか。一々訳しわけてると大変なのです。
この問題は、結構根深くて面倒なのであまり突っ込まない方がいいかな。
>>100 >>104 アウグスティヌスは、人の神化、言ってますよ。
私がいまちょっと調べて見つけたのは、詩篇第49篇の注解の後半です。
大きな図書館なら著作集がありますから、ご自分で確かめてみてください。
福音書の注解でも見た気がします。
ウェスレーの「人の神化論」は最近のウェスレー研究者がよく口にすることです。
日本にも研究しておられる先生方がおられますよ。
たとえば
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1595/1996wesley-1-2.html 野呂先生はプロテスタントの読者に気を使って「神になるのではない」「神の像を回復」
と言っていますが、これはW・リィが神化を語るとき「神格においてではなく」と
言うのと同じでしょう。
107 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 01:28:46 ID:cncj2Ldg
つまり、「神になる」というと、 三位一体(ここは、Triune)の神に対しての異端であると 誤解される可能性があるので、非常に気を使うのですね。 私は、W・リィの言うように「神格においてではなく命・性質において 神になる」というなら、東方・西方どちらにも共通する真理を言っていることになると 認識しております。
>>100 問:新生(聖化だったかも知れん)はウェスレも認めた教理では?
答:ウェスレが言おうと、間違いは間違いです。
という、カッコイイ教理問答書を持っている。
この牧師さん、暴走したらまずいよなーと思いつつ、それでもファンだったり。
109 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 08:30:17 ID:kGRQu8I3
110 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 08:42:16 ID:kGRQu8I3
>これはW・リィが神化を語るとき「神格においてではなく」と 言うのと同じでしょう。 野呂先生の主張は「イマゴ・デイ」の回復で、W・リーの主張は 「新しい創造=神と人の混ざり合い」で、まったく違うと思われ。
111 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 08:46:48 ID:kGRQu8I3
アウグスチヌスも、ウェスレーも「聖化」のことを言っているわけでしょう? 「神化」という言葉を使っているところ教えてたもれ。
門外漢ですけど... 神道系の宗教でも「人は神の子」と説いています。 「人=神」という直接的関係だと、特にキリスト教系の人はアレルギーが 起きるんだろうけど、イエスも「天の父(アッバー)」という言い方をして いるから、「人は神の子」という表現自体が異端とは思えないのですが。 あるいは、「神」の定義を拡張して議論すべきかもしれない: 「狭義の神=キリスト教の三位一体の神」 「広義の神=神道や仏教で言う、神の現れであるところの森羅万象を含む。 もちろん、その精華が人間。」 ルカ伝に、孝行息子の逸話が出てくるように、イエスはよく「神=父、人間 =息子」という譬えを書いていますよね。今の「正当な」キリスト教の指導者 よりも、イエスははるかに「リベラル」な説教者だったと思いますね。
間違った。 「孝行息子」-->「不孝息子」
114 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 10:17:27 ID:cncj2Ldg
>>110 [
イマゴ・デイ(神のかたち)=神と人との混ざり合い=新創造です。
W・リィは、「御子のかたちへと同形化される」とも言っています。
これは古代教父もそういってます。
>>111 >アウグスチヌスも、ウェスレーも「聖化」のことを言っているわけでしょう?
ウェスレーは、プロテスタントの真っ只中にいたので、反発を恐れて「聖化」と
言っていましたが、その内容は神化です(野呂先生が婉曲的な言い方に
しておられるのもおそらく同じ理由からでしょう)。
もし英語を読まれるのでしたら、theosis、deificationといった語を検索してみてください。
アウグスティヌスはもっと正面から「神々になる」とか「神化」とかいった
言葉を用いています。
読まずにおっしゃってますね。
アウグスティヌスははっきりと「神々になる」といっています。
115 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 10:37:45 ID:cncj2Ldg
聖化は神化の一部です。 聖化については、第二ペテロ1:4や第一ペテロ1:15のフットノートを 見てください。
116 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 10:58:36 ID:kGRQu8I3
>アウグスティヌスははっきりと「神々になる」といっています。 だから、何という書の、どこで言っているのか、教えてたもれ と言ってるわけでして。 >聖化は神化の一部です。 一部とは?では神化の他の内容は何のか、教えてたもれ。 この人もいきなり、フットノートが出ちゃってますが、 「回復訳先にありき」なんでつか。 ローカルチャーチ関係者の自分は正統で、聖書的だ!っていう、 このエキセントリックさがどうも違和感ね。 同じ目線で話し合いができないというか・・・・
117 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 11:21:47 ID:C8KEBnC8
だーから、cncj2Ldgさまにも神になっていただきましょう。 しかしね、神化されたウイットネス・リーについてはアメリカでも あまりいいうわさは聞かないね。やたら裁判起こしてみたり。 ローカルチャーチの皆様はさぞや高貴な人々なんでしょうね。 (私の友人の彼も神化されているわけか。。。。ふ〜ん)
118 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 11:37:48 ID:cncj2Ldg
>>116 >何という書の、どこで言っているのか
>>106 に書きました。
>神化の他の内容は何のか、教えてたもれ。
再生、牧養、聖別、更新、造り変え、建造、同形化、栄光化です。
聖書の箇所は、これの各章のはじめのアウトラインにあります。
http://www.ministrybooks.org/books.cfm?id=%22%2BI4%20%0A >この人もいきなり、フットノートが出ちゃってますが、
>「回復訳先にありき」なんでつか。
私は聖書主義者です。回復訳は優れているとは思いますが、完璧とは思いません。
改善の余地はあり、今後改善されていくでしょう。
改善すべき点があるとお思いであれば、日本福音書房に連絡されてはどうですか?
回復訳のフットノートは、聖書に取って代わるものではなく、聖書を開き、解き明かすものです。
119 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 11:47:02 ID:cncj2Ldg
「あなたがたを召してくださった聖なる方にしたがい、あなたがた自身もすべての生活様式において 聖となりなさい」(第一ペテロ1:15) 「聖なる方は、三一の神−選ぶ御父、贖う御子、聖別するその霊(1−2節)です。 御父は選びの民を再生し、彼の聖なる性質を彼らの中へ分与されます(3節)。 御子は彼らを御血をもって、むなしい生活様式から贖われました(18−19節)。 その霊は御父の聖い性質にしたがって彼らを聖別し、彼らを神以外のどんなものからも 聖別されます(2節)。それは、彼らが御父の聖なる性質によって、 神ご自身が聖であるように(15−16節)、すべての生活様式において 聖となるためです」(ノート1「聖なる方」) 「その霊の聖別を通して(2節)、わたしたちに神の聖なる性質をもたらし、 聖なる生活に至らせる再生に基づいて(3節)」(ノート2「聖」)
120 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 11:47:12 ID:C8KEBnC8
cncj2Ldgさまも立派な神化された方なのでしょう。 高いところから断定的に物をおっしゃる。 これがリーにはまった人たちの特徴的症状。 私の友達もまったく同じで、結局はリーを認めるか、 認めないか、これを迫ってくるわけ。 リーを認めないとキリスト者ではないみたいな。 ここが変だってこと、気がつかない人、重症だと思うよ。
121 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 11:54:07 ID:cncj2Ldg
122 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 12:05:57 ID:cncj2Ldg
>>120 私の書きかたにそういう威圧的なところがあったのならお詫びします。
ですが、私が断定的に言ってるのは事実関係に関してのみです。
私が判断の材料を提供し、それをみてどう判断されるかは
私が左右できることではありません。いうまでもない、当然のことです。
>私の友達もまったく同じで、結局はリーを認めるか、
>認めないか、これを迫ってくるわけ。
学生さんですか? そういう接し方はよくありませんね。
>リーを認めないとキリスト者ではないみたいな。
あなたの友人がそういったのですか? もしそうならその人が間違っています。
>ここが変だってこと、気がつかない人、重症だと思うよ。
おっしゃる通りです。
ですが、そこまで変なことをいう人がいるのかな?
たしかにそういったのですか? もしそんなおかしなことを言ってるとしたら、
救われて間もなくってよくわからずにいってるのではないかと思いますが。
その人は、救われて(クリスチャンになって)何年目と言っていますか?
>cncj2Ldgさまも立派な神化された方なのでしょう。
神化は非常に時間がかかります。私の行く先も遠く長いと思います。
123 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 12:13:45 ID:nAtftd2V
>>116 >この人もいきなり、フットノートが出ちゃってますが、
>「回復訳先にありき」なんでつか。
ここはたしか・・・新約聖書回復訳板ではなかったっけ?
回復訳からの引用はOKでしょう。
>>120 >cncj2Ldgさまも立派な神化された方なのでしょう。
>高いところから断定的に物をおっしゃる。
>これがリーにはまった人たちの特徴的症状。
>私の友達もまったく同じで、結局はリーを認めるか、
>認めないか、これを迫ってくるわけ。
>リーを認めないとキリスト者ではないみたいな。
>ここが変だってこと、気がつかない人、重症だと思うよ。
くどいようだが、ここは新約聖書回復訳板でしょ?
あなたの私怨は直接あなたの友人にぶつけてください。
我々が知りたいのは回復訳がどんな聖書かであって、
あなたの個人的諸事情ではないのですよ。
124 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 12:22:14 ID:cncj2Ldg
>>123 まあまあちょっと落ち着いて。
どのクリスチャングループにも、
自分のところでないと救われないと教え始める人があらわれがちです。
主の回復も例外ではないかもしれない。
ですが、少なくともウオッチマン・ニー兄弟とウイットネス・リー兄弟は(さっきまでリィに
なってたのは変換ミス)そのようには教えませんでした。
聖書の教えではないからです。
キリスト者であるかどうかは、
御子主イエス・キリストを救い主として信じ、受け入れたかどうかのみによって
判断されるべきです。
ウオッチマン・ニー兄弟はそのことを論証するために『神の福音』という本を出版しました。
リー兄弟はその教えに従っています。
それが聖書の啓示だからです。
125 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 12:46:05 ID:cncj2Ldg
>>120 事情も知らずに教理的な反論をして済みませんでした。
丈夫な者には医者はいらないとはまさにその通りで、
主の回復も病んでいる人の集まりです。
だからこそキリストを必要としています。
キリストが足りないこと、キリストを生きていないことを告白し、悔い改めます。
もし回復訳をお持ちなら、啓示録(黙示録)の第2章と第3章をお読みください。
これは、クリスチャンに対する強い警告と励ましの言葉です。
主の回復にいる者に対する警告の言葉も含まれています。
この御言葉に立ちかえろうと思います。
126 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 13:41:13 ID:nAtftd2V
>>123 私は123で発言した者ですが、PCを変えたので
名乗っておきます。
どうも、私も詫びておく方がクリスチャンの
態度として正しいように思えてきたので詫び
ておきます。
C8KEBnC8さん、kGRQu8I3さんあなたがたの感
情を逆なでするような発言をして申し訳なか
った。我らの愛する神の名において許しても
らいたい。
最近、回復訳聖書を入手して興味があったの
で議論を拝見していたのだが、どうも回復訳
と関係ない感情論になっていたように思えた
ので、つい強い口調で発言してしまいました。
2chには不慣れで、書き込みも初めてだったの
で隣にいた友人から「新約聖書回復訳板」じゃ
なく、「新約聖書回復訳スレッド」だと言われ
てしまいました。私はこれで失礼します。どう
ぞ、先人の方々議論をお続けください。
127 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 15:39:41 ID:7DKgDB0b
なんだ、地方教会謝るのか? どっかの自称福音主義の超教派団体と180度違うな。 アウグスティヌス、図書館で見ておく。
128 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 17:49:11 ID:C8KEBnC8
しかしね、ローカルチャーチねたでは必ず熱烈シンパと 批判する連中が対立して、話が平行線になるわな。 ウィットネス・リーはその言ってることが一見深遠 そうに見えるわりに、やってることと乖離しているわけ。 ローカルチャーチで抱えた問題を引きずっている人が多いからであろう。 ウェスレーやアウグスチヌスねたではどちらサイドも話を 冷静にもっていけて、素直に議論ができるが、 ローカルチャーチではそれができない。 これ自体がどこか本質的な問題がこの団体にはあるという証拠であろう。 活字で見えるモノと血肉そのモノはしばしば乖離しているからね。 これがウィットネス・リーでは相当に大きいと思われる。
129 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 20:06:44 ID:thsFcVd5
198 :無名草子さん :2006/03/03(金) 06:10:04 新約聖書の日本語訳で、偶然見つけた誤訳。 使徒行伝21章39節(日本聖書協会1954年改訳) 「パウロは答えた、わたしはタルソ生まれのユダヤ人で、 キリキアのれっきとした都市の市民です。…」 フランスのTraduction oecumenique では Moi? repit Paul, je suis juif, de Tarse en cilicie, citoyen d'une ville qui n'est pas sans renom. ざっと訳せば 「わたしですか? とパウロは答えた。 わたしはキリキアにあるタルソ出身のユダヤ人で 名高くないこともない都市の市民です。…」 つまり、聖パウロはローマ市民であることを暗に仄めかして、 脅しをかけてるわけだ。 キリキア(トルコ)のどっかの市民だって、何の意味もないのは明らか。 それにパウロがローマ市民であったことは周知の事実だし。 誰が訳したのか知らないが とにかく何にも知らない恐ろしい無知な奴だったことは確かだな。 だから日本語訳の聖書なんか信用しない方がいいぜ。 新しい訳ではどうなっていますか。
130 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 20:30:24 ID:nAtftd2V
英語版 But Paul said, I am a Jewish man of Tarsus in Cilicia, a citizen of no insignificant city, and I beg you, permit me to speak to the people. 日本語版 しかしパウロは言った、「わたしはキリキヤのタルソのユダヤ人で、 名のある都市の市民です.それで、あなたにお願いいたします. わたしに、民衆に対して話させてください」。 となってますね。
131 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 20:35:35 ID:nAtftd2V
>>126 126で失礼しますと言ったのですが、
どうも2chと言うのは一度書き込むと
もう一度書き込みたくなるみたいですね。
せっかくですから、まともな議論ができ
るときに時々書き込ませてもらいます。
132 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 21:22:59 ID:A8Ce5cOv
>>130 それじゃ新訳では、誤訳が直っているわけですね。
実は198の無名草子というのも僕なんです。
ずっと気になっていたので、お尋ねしたのです。
僕はフランスに住んでいるので、自分では確かめようがないので。
ほんとにどうもありがとう。
133 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 21:29:57 ID:A8Ce5cOv
>>132 のつづき
いまgooglerしてみたんだけど、
回復訳は、新改訳とは違うみたいですね。
教えてくださったのは、回復訳ですか、それとも新改訳ですか?
134 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 21:37:30 ID:A8Ce5cOv
>>133 のつづき
新共同訳というのもある。これが日本聖書協会の訳。
これをお持ちの方、教えていただけないでしょうか。
誤訳が訂正されているかどうか。
135 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 21:45:52 ID:nAtftd2V
さっき私が書き込んだのは、回復訳です。 新共同訳は パウロは言った。「わたしは確かにユダヤ人 です。キリキア州のれっきとした町、タルソ スの市民です。どうか、この人たちに話をさ せてください。」 となってます。
136 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 22:11:40 ID:nAtftd2V
ちなみに私が書き込んだのは、英語版 はオンラインの回復訳、日本語版は日 本福音書房で購入した回復訳(2000年2 月初版第二刷発行)、新共同訳は1996年 と書いてあります。回復訳の日本語の 序文の日付が1995年10月となってます から、回復訳の第一刷はそのころ発売 されたのではないでしょうか?
137 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 22:21:00 ID:7DKgDB0b
>>128 はあ?
こいつらちゃんと噛み合った議論してるし
きいたことにもこたえてるだろ。
2ちゃんでこんなちゃんと謝罪した椰子はじめてみた。
それをおまえ、何いってんだ。
やっぱり自称福音派の超教派団体か?
おまえの団体のスレあれてるぜ。
自分のスレへ帰れ。
議論のじゃまだ。
138 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 22:37:06 ID:O730CC3K
>>135 それじゃ、誤訳はそのままなわけだ。
ひでえな。
誰も文句いわないんでしょうかねえ。
いや、ほんとにどうもありがとう。
お手数をおかけしました。
139 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 22:48:23 ID:nAtftd2V
>>137 まあまあ、C8KEBnC8さんも少し複雑な状況
があったようですから。私としては回復訳
についてまともな議論ができれば満足です
から。(皆さんもそうだと思うのですが。)
C8KEBnC8さんも何か最近の日本語訳につい
て疑問があるようでしたら、また書き込ん
でください。上の書き込みを見ると図書館
にも回復訳があるそうですから、もし近く
の図書館にあるようでしたら、読んでみて
疑問点を書き込んでみてはどうでしょうか?
幸い地方教会の人も議論に加わってくれる
ようになったみたいですから、この際いろ
いろ日本語訳について議論してみてはどう
でしょうか?
>>138 いえいえ、どういたしまして。
140 :
名無しさん@3周年 :2006/03/03(金) 23:36:23 ID:cncj2Ldg
>幸い地方教会の人も議論に加わってくれる
>ようになったみたいですから
回復の兄弟じゃなかったんですか?
よくメールをやりとりする兄弟の文章と似ていたので
てっきり彼だと決めてかかってました。
>>102 日本には多分ないと思いますね。
個人的に使っておられる牧師さんは大勢おられます。
ちょっと話をしたらすぐにわかります。
中国にはあると思います。
>>135 通りすがりですが、フランシスコ会訳は
そこでパウロは、
「わたしはキリキアのタルソ出身のユダヤ人で、
よく名の通っている町の市民です。
どうぞ、この人々に話をさせてください」と言った。
となっています。
142 :
名無しさん@3周年 :2006/03/04(土) 09:39:11 ID:e1ChNXAW
>>140 何かご期待に添えなかったようで、すみません。
私は貴方や貴方と議論を交わしておられる方々
ほど聖書知識はありません。これからは、あまり
頻繁には書き込みしないと思いますが(たぶん)、
時々に回復訳を読んでいて疑問に思うことを書
き込んでみるつもりですので、よろしくお願いし
ます。
>>141 A8Ce5cOvさんの発言からすると、今のところ回復
訳とフランシスコ会訳は訳が比較的正しいみたい
ですね。
ところで、ここに回復訳を書き込んでて気づいたの
ですが、どうも回復訳は「.」と「。」を使い分け
てるようですが、これはどういった使い分けをして
るんでしょうか?
143 :
名無しさん@3周年 :2006/03/04(土) 10:41:30 ID:9K/ODCMl
原文ではセンテンスはおわっていないけれど、 日本語では一度区切ってセンテンスをおわらせた方がわかりやすいときは「.」を使い 原文でもセンテンスが終わっているときは「。」を使ってる、と はじめの方に書いてありました。 わざわざそこまでしなくてもいいんじゃないかとも思えますが、 学者さんは一般人の気がつかないところにも手を抜きませんね。
144 :
名無しさん@3周年 :2006/03/05(日) 08:03:32 ID:tH3xXBpY
>>143 >はじめの方に書いてありました。
確かにありました。目次の前のページに
「聖書本文の凡例」が書いてありますね。
他にも色々工夫があるみたいですね。
ありがとうございました。
>>85 >なんか頑固な職人みたいっすよね。
営業力が無いということでもそうですが、
色々な工夫やこだわりを持ってる所も
何か頑固な職人みたいですね。
145 :
名無しさん@3周年 :2006/03/05(日) 08:27:27 ID:tbaWTUxt
持ってる人におねがい。 ヨハネ3:16 ガラテヤ2:20 ってどうなってんの? よければうpたのんます。
146 :
名無しさん@3周年 :2006/03/05(日) 09:11:42 ID:tH3xXBpY
>>145 ヨハネ3:16
神はそのひとり子を賜わったほどに、世の人を愛された.
それは、彼の中へと信じる者が一人も滅びないで、永遠の
命を持つためである。
ガラテヤ2:20
わたしはキリストと共に十字架につけられました.生きて
いるのはもはやわたしではありません.キリストがわたし
の中に生きておられるのです.そしてわたしは今、肉体の
中で生きているその命を、わたしを愛し、わたしのために
ご自身を捨ててくださった神の御子の信仰の中で生きるの
です。
御言葉を打ち込むって、何かさわやかな気分になりますね。
礼拝がある日曜の朝ということもありますが、良い気分に
ひたれました。
147 :
名無しさん@3周年 :2006/03/05(日) 13:03:11 ID:tbaWTUxt
フットノートも頼んます。 お願いだ。
148 :
名無しさん@3周年 :2006/03/05(日) 19:56:41 ID:tH3xXBpY
ヨハネ3:16のフットノート 「世の人」のフットノート ここの世の人は、原文はこの世と同じ言葉で、罪深い、 堕落した、この世を構成する人々のことを言います。彼らには 罪があるだけでなく、年を経た蛇である悪魔の毒素もあります 。ですから、彼らは蛇となりました。彼らには、蛇の形で、彼 らのために死に、彼らの身代わりとして、神によって裁かれる キリストが必要でした(14節)。そうでないと、彼らは滅びます(16 節)。人は徹底的に堕落しましたが、神はなおも彼らを、彼ご 自身である神聖な愛をもって愛しておられます(Tヨハネ4:8、16) 。なぜなら彼らは、神によって、神ご自身のかたちにしたがっ て、神を入れる器として造られたからです(創1:26.ローマ9:21 前半、23)。さらに、神はそんなにも人を愛して、ご自身の表 現である彼のひとり子を彼らに与えられました。それは、彼ら が神の永遠の命を得て、彼の多くの子たちとなり、彼の団体の 表現となって、神の永遠の新約エコノミーを成就するためです 。ですから、神はまず彼の霊によって彼らを再生し(3−6節)、 彼らに神の永遠の命を得させられました(15−16、36節前半)。 次に神は、彼らをご自身の無限の霊で満たされます(34節)。そ れは彼らが、すべての上にあり、すべてを含むキリストの花嫁(31 −35節)、すなわち彼の増し加わりと豊満になるためです(28−30 節)。
149 :
名無しさん@3周年 :2006/03/05(日) 20:03:08 ID:tH3xXBpY
↑の「。」へんな所についてるね。 別のPCで打ったのを一度メールで送った時に変な所で 改行されてしまったみたい。 ヨハネ3:16のフットノート 「中へと信じる」のフットノート 主の中へと信じるとは、彼を信じること(6:30)とは異なりま す。彼を信じるとは、彼が真実であり、実際であると信じる ことです。しかし彼の中へと信じるとは、彼を受け入れて、 彼と一つに結び付けられることです。前者は客観的に事実を 認識することであり、後者は主観的に命を受け入れることで す。
150 :
名無しさん@3周年 :2006/03/05(日) 20:06:04 ID:tH3xXBpY
ガラテヤ2:20のフットノートはたくさんあるので、 別の人代わって欲しいな。
151 :
名無しさん@3周年 :2006/03/05(日) 22:41:23 ID:tbaWTUxt
おー、ありがと! 頭で信じるだけかもっと深く信じるかっていうちがいですか?
152 :
名無しさん@3周年 :2006/03/08(水) 16:31:34 ID:F8oGnBF/
m(_)mおねがいだ。ガラテヤもたのんますm(_)m
154 :
名無しさん@3周年 :2006/03/09(木) 14:39:05 ID:ar4yjtxS
ガラテヤ2:20のフットノート 2:20の1 [十字架につけられました] これは、どのようにしてわたしたちが、律法を通して律法に死んだかを説明 します。神のエコノミーによれば、キリストが十字架につけられた時、わた したちも彼の中に含まれていました。これは成就された事実です。 2:20の2 [もはやわたしではありません] 「もはやわたしではありません」とは、キリストが入ってきてわたしたちが 出ていくという、交換された命を示すのではありません。この節の後半でパ ウロは、「わたしは....生きている」と言いました。わたしたち再生さ れた人には、古い「わたし」と新しい「わたし」があります。古い「わたし」 は、すでに十字架につけられ(ローマ6:6)、「もはやわたしではない」とパ ウロが言うものです。新しい「わたし」は、「わたしは....生きている」 とパウロが言うものです。古い、終わらせられた「わたし」には、神性はあ りません。新しい「わたし」には、神が命として加えられています。古い 「わたし」が復活し、神がそれに加えられて、新しい「わたし」となりまし た。一方で、パウロは終わらせられました。もう一方で、復活したパウロ、 命としての神で再生されたパウロは、なおも生きていました。さらにパウロ は、「もはやわたしではありません」と言いましたが、「キリストがわたし の中に生きておられるのです」とも言いました。生きているのはキリストで したが、しかも彼は、パウロの中に生きておられました。この両者、キリス トとパウロは、一つの命、一つの生活を持っていました。
155 :
名無しさん@3周年 :2006/03/09(木) 14:48:17 ID:ar4yjtxS
2:20の3 [キリストがわたしの中に生きておられる] わたしたちはキリストの中で、彼の死を通して死にました。しかし今や、彼 は彼の復活を通して、わたしたちの中に生きておられます。彼がわたしたち の中に生きておられるのは、完全に彼が命を与える霊であることによります (Tコリント15:45後半)。この点は、続くすべての章で、十分に展開されます。 そこでは、その霊はわたしたちが命として受けた方、その中で生きるべき方 として示され、強調されています。 「わたし」という生まれながらの人は、律法を守って、完成されようとす る傾向があります(ピリピ3:6)。ところが神は、わたしたちがキリストを生き ることを願われます。それは、神がわたしたちの中で、キリストを通して表 現されるためです(ピリピ1:20-21)。ですから、神のエコノミーは、「わたし」 がキリストの死の中で十字架につけられ、そしてキリストが彼の復活の中で、 わたしたちの中に生きられることです。律法を守るとは、わたしたちの生活 の中で、律法をすべてのものを超えて高く上げることです。キリストを生き るとは、彼をわたしたちの生活の中心、あらゆるものとすることです。律法 が一定の期間、神に用いられたのは、彼の選びの民をキリストのために保護 し(3:23)、最終的に彼らをキリストに導くためでした(3:24)。それは彼らが、 彼を命として受け入れ、彼を生きて、神の表現となるためです。キリストが 来られたのですから、律法の機能は終わりました。そしてキリストが、神の 永遠の目的を成就するために、わたしたちの生活の中で、律法と置き換わら なければなりません。 2:20の4[命] これは肉体の命ではなく、魂の命でもなく、霊的で神聖な命です。
156 :
名無しさん@3周年 :2006/03/09(木) 15:08:59 ID:ar4yjtxS
2:20の5 [信仰] わたしたちが神聖な命を生きるのは、肉体の命や魂の命を生きるように、見 えるものや感覚によってではありません。神聖な命、わたしたちの霊の中の 霊的な命を生きるのは、信仰を働かせることによってです。この信仰は、命 を与える霊の臨在によって活気づけられます。 2:20の6 [御子の信仰] 16節(16節)のノート1を参照。 2:16の1 [イエス・キリストにある信仰] 文字どおりには、イエス・キリストの信仰(参照、ローマ3:22のノート1)。 「イエス・キリストにある信仰」とは、信じることを通して、彼と有機的に 結合されることを意味します。これは、信者が神の御子のパースンを、最も 尊い方と評価することと関係があります。信者は、彼らに宣べ伝えられた福 音を通して、キリストの尊さが注入されます。このキリストは彼らの中で信 じる信仰となり、キリストを評価することを通して、信じる能力となります。 この信仰は有機的結合を造り出し、その中で彼らとキリストは一です。 2:20の7 [神の御子] 「キリスト」という称号は、おもにキリストの使命を示し、それは神の計画 を遂行するためです。「神の御子」はキリストのパースンを示し、それは神 の命をわたしたちの中へと分け与えるためです。わたしたちは信仰の中で神 の命を生きていますが、その信仰は、神の御子、命を与える方の中にあります。 2:20の8 [愛し] 神の御子はわたしたちを愛して、わたしたちのためにご自身を捨ててくださ いました。それは、彼が神聖な命をわたしたちの中へと分け与えるためです。
157 :
名無しさん@3周年 :2006/03/09(木) 15:53:04 ID:nxl5rE4C
こんなに完成された釈義はみたことがない。 とりわけ「御子の信仰」の解釈は最高だ。 「人の神化」がこれを言ってを言っているとすれば、全く問題なく同意できる。
158 :
名無しさん@3周年 :2006/03/10(金) 06:47:42 ID:mQ1SKjeb
>>157 良い書、ヨイショで、
いかにもメンバーのやらせっぽい(w
159 :
名無しさん@3周年 :2006/03/13(月) 11:59:07 ID:3OVDkzVa
165 :名無しさん@3周年:2006/03/13(月) 09:35:55 ID:VX5nRK9z
善悪の木の実を食べた時、サタンがアダムの体に取り込まれました。
こうして人はサタンと混ざり合って肉になったのです。
ですから人の体にはサタンが住んでいます。これがサタンの受肉です。
しかし神ご自身も受肉され、神と人の混ざり合いであるイエスを遣わされ、
死と復活を経て、命を与える霊、つまりその霊になりました。
イエスは今御霊です。
イエスを食べ飲むするとき、私たちも神と混ざり合って、
エンジョイしつつ神・人になって行くのです。これが神化の奥義です。
こうして私たちはみなイエスと同じ神と人の混ざり合いになって
団体的なキリストになります。これが教会です。
教会とは肉において現れた神であり、キリストの奥義です。
今日神は主の回復において、教会生活を通して、団体的キリストを
建造しておられます。ハレルヤ。
りらくまさんも批判することをやめて、リー兄弟を通して与えられた
このすばらしい主の幻にとらえられることを祈っています。
@人は神になるスレ
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1141282723/
>>158 実際に回復訳を読んだ人の評判は悪くないんです。
言葉づかいがゴツゴツしてるとも言われますが、
ちゃんと読んだ人はいいって言ってくれますよ。
>>160 評価は人それぞれだよ
悪いって言ってる人も多いし
自分の周りだけで判断するのいくない
こういうこというとちゃんと読んでないっていいそうだけど
万人がいいっていうものなんてできっこないんだから
どこが駄目かとか話し合うのは無意味じゃないよ
162 :
名無しさん@3周年 :2006/03/18(土) 14:29:23 ID:ZXujnX9N
163 :
暇人 :2006/03/27(月) 07:32:29 ID:n2moyEp8
164 :
暇人 :2006/03/27(月) 07:33:34 ID:n2moyEp8
地方教会中国は、『theotes』を翻訳本文中では『神本性』と正当に訳しつつ、 解釈文中では『theotes』を『神格』『身位』と「神の肉体」と解釈してますね。 だから本文中の『神本性一切的豐盛』は解釈文中では自然と『神格一切的豐滿』と 置き換えられてますね。 安さんの翻訳ミスというより やはり地方教会の解釈に問題ありだと思います。
165 :
名無しさん@3周年 :2006/03/27(月) 08:56:29 ID:aMMyxCsn
日本語のキリスト教の言葉がわからないからどうなおすかわかりません。 身位の訳は多分間違いと思います。 置き換える前の言葉の方が親しみがあるが、 置き換えた言葉の方がギリシア語聖書に近いです。 中国語聖書には神本性と書いてあっても 注解書には神本性は神格のことと書いてあります。 中国語聖書は文学的には美しいです。でも古いから学問的にはちょっと変かもしれない。 豊盛も豊満がいいです。 日本語聖書は神性ですね。 たぶんおかしいですね。 口語訳がローマ9:5変な訳しかたしたのと同じです。 語学的にはまちがいじゃないですが意味はおかしいです。
166 :
名無しさん@3周年 :2006/03/27(月) 09:18:31 ID:aMMyxCsn
変なこと言ってるが ものみの塔ですか? キリストは神格ないといいたいのですか?
ほかの代表的翻訳が
「先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。
このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。」(新改訳ローマ9:5)
「先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。
キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。 」(新共同訳ローマ9:5)
という具合に「キリストは〜神」と言っているのに対し、
口語訳は
「また父祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。
万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。」(口語訳ローマ9:5)
と訳しているため、「キリストの神格を否定するリベラルの翻訳」と言われています。
個人的には、この箇所だけでそこまでいうのは言い過ぎではないかと思いますが、
非常に慎重に扱うべき問題であることは間違いありません。
ちなみに、ものみの塔の新世界訳はこちら
http://biblia.milkcafe.to/45-ro-09-05.html
回復訳のコロサイ2:9の訳し方を考える際も慎重になるべきです。 「キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、」(口語訳) 「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」(新改訳) 「キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており、」 となっています。 「満ちみちている」「満ち満ちた」「満ちあふれる」が修飾語、 「神の徳」「神の性質」「神性」が被修飾語となっています。 しかし 「如何にとなれば、すべて神たることの円満は、彼のうちに体として住むが故なり」(永井訳。原文は正字) 「なぜなら、キリストの中には、神たる方の全豊満が肉体のかたちをもって住んでいるからです」(回復訳) と、永井訳と回復訳では修飾語句と被修飾語句がひっくり返っており、 「神たること」「神たる方」という訳語を選択しています。 ギリシャ語は、なぜかうまく貼りつけられないのでやめておきますが、 ほとんどの英訳はギリシャ語の文法構造をそのまま写し取っており、たとえば For in him dwelleth all the fulness of the Godhead bodily(KJV) となっています。 修飾・被修飾の関係は、永井訳と回復訳が原文通りであることは、論ずるまでもありません。
問題はtheotesの訳です。 ギリシャ語の接尾語-tesは人をあらわします。 別のスレッドで「〜性」をあらわすといっていた人がいましたが、それは誤りです。 そのように訳せることもありますが、「〜性」と訳さないと間違っているというのは間違いです。 コロサイ書の文脈からいって、このtheotesは、受肉し、人の肉体をとっている神ご自身を言っており、 単に御子の神性をあらわしているのではなく、 神「全体」(奇妙な表現ですみません。うまい言いかたが思い浮かびませんでした) のことを言っています。 つまり、theotesとは、単に神のご性質をいっているだけでなく、 礼拝の対象であり、すべての豊満の源である三一の神ご自身です。 神学用語でいうなら、「神格」です。 これを、永井訳は「神たること」、回復訳は「神たる方」と表現しています。 英語版回復訳は Godhead、中国語版回復訳は「神格」としています。
私は、コロサイ2:9は永井訳と回復訳が正確であると思います。 しかし、口語訳、新改訳、新共同訳の翻訳者の信仰が間違っているとは思いません。 彼らがキリストが神格を持つことを否定するとは到底思えませんし、 永井訳や回復訳のような訳し方は、さまざまな訳し方の一つとして許容するだろうからです。 ちょうど、多くのクリスチャンが、口語訳のローマ9:5を許容したようにです。 もちろん、新世界訳のローマ9:5は許容しません。彼らは、キリストが神格を持つことを 否定する目的でそのような訳し方をしているからです。 まったく同じ理由で、以下の訳を私は異端的であると考えます。 because it is in him that all the fullness of the divine quality dwells bodily. 英語版新世界訳コロサイ2:9
そういうわけで、暇人さんのご意見にはまったく同意できません。 あなたの言ってることは異端的だと思います。
For in him dwelleth all the fulness of the Godhead bodily. Under the law, the presence of God dwelt between the cherubim, in a cloud which covered the mercy-seat; but now it dwells in the person of our Redeemer, who partakes of our nature, and is bone of our bone and flesh of our flesh, and has more clearly declared the Father to us. It dwells in him bodily; not as the body is opposed to the spirit, but as the body is opposed to the shadow. The fulness of the Godhead dwells in the Christ really, and not figuratively; for he is both God and man. (Matthew Henry"Commentary on the Whole Bible Volume VI")
when he says that the fullness of the Godhead dwells in Christ, he means simply, that God is wholly found in him, so that he who is not contented with Christ alone, desires something better and more excellent than God. The sum is this, that God has manifested himself to us fully and perfectly in Christ. Interpreters explain in different ways the adverb bodily. For my part, I have no doubt that it is employed — not in a strict sense — as meaning substantially. For he places this manifestation of God, which we have in Christ, to all others that have ever been made. For God has often manifested himself to men, but it has been only in part. In Christ, on the other hand, he communicates himself to us wholly. He has also manifested himself to us otherwise, but it is in figures, or by power and grace. In Christ, on the other hand, he has appeared to us essentially. Thus the statement of John holds good: He that hath the Son, hath the Father also. (1 John 2 23.) For those who possess Christ have God truly present, and enjoy Him wholly. (カルヴァン『新約聖書注解』)
Godhead (Gk. theotes), used in Colossians 2:9,
refers to what God is as the Deity and as an object of worship.
Divinity (Gk. theiotes), used in Romans 1:20,
refers to the divine nature of God.
We, the children of God, are born of Him
and therefore possess His divine nature (2 Pet. 1:4).
But we do not participate in His Godhead;
we do not possess His Deity.
(ウイットネス・リー『キリストのパースンについて』〔日本福音書房])
ttp://www.ministrybooks.org/books.cfm?id=%23%28NG7%0A
175 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 00:11:13 ID:L1y18M4u
>>166 >キリストは神格ないといいたいのですか?
そう考えられるのが三位一体を理解されてない証拠ですね。
『神本性一切的豐盛,都有形有體的居住在基督裏面。』の
「基督」が三位の『神格』の一です。基督は、第二の神格です。
「神本性」が三神格に一体な神の本性であり『神性』です。
三位一体の神の本性つまり『神性』のすべての充満は、
三位一体の一神格であるキリストという『神格』の内に有形有体で
居住しているのですね。つまり
「神であること(神性)の充満」がキリストの内に見える形で宿っているのです。
『theotes』を「神格」と訳したり、解釈すれば
この三位一体を破壊します。
父・子・聖霊の神格すべての充満が
基督という一神格の内に見える形で居住する となります。
「神である方(神格)の充満」がキリストの内に見える形で宿っているのです
もっと厳密に言えば、この『神格』は誰の神格だという問題さえ生じます。
父の神格の充満がキリストの神格の内に居住しているのか?
聖霊なのか? キリストなのか?
この意味からも三位一体教理からは 『theotes』を『神格』とは到底訳せないのです。
勿論三位一体を持ち出すまでもなく『神格』とは訳せません
176 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 00:14:47 ID:L1y18M4u
>>168 ギリシア語を訳す時に訳す順番はさほど影響ないと噂に聞いたことがありますが、
「神の満ち満ちたご性質」「満ちあふれる神性」と「神たることの円満」に本質的な差は
ありません。「神の徳」の「徳」という訳語は意訳に走りすぎているきらいはありますが
意味を改変しているわけではありません。
それに比べて 回復訳中国「神本性」や回復訳英語も「神性」とまともな本文訳を
しながらフットノートで『神格』を出しています。
回復訳日本語バージョンはこの解釈を織り込み「神たる方」と『神格』に改変しています。
ギリシア語原文に忠実というならば、この本文中にはキリストはありません。
彼とあるだけです。最近訳ほどキリストと言い換える傾向があります。
接続詞には「なぜなら」の意味はありません。
単に「〜だから」くらいのニュアンスの接続詞です。Young's Literal Translationが
2:9 because in him doth tabernacle all the fulness of the Godhead bodily,
とbecauseと訳していますが、回復訳日本のような「なぜなら」は皆無です。
回復訳はあなたが宣伝するほどに原文に忠実ではありません。
むしろ岩波訳が忠実です。
とはいえ「なぜなら」は意訳で補語されただけなので問題はありません。
問題なのは「神格」と訳したり「神本性」は「神格」だと注釈することです
177 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 00:20:23 ID:L1y18M4u
>>168 ギリシア語を訳す時に訳す順番はさほど影響ないと噂に聞いたことがありますが、
「神の満ち満ちたご性質」「満ちあふれる神性」と「神たることの円満」に本質的な差は
ありません。「神の徳」の「徳」という訳語は意訳に走りすぎているきらいはありますが
意味を改変しているわけではありません。
それに比べて 回復訳中国「神本性」や回復訳英語も「神性」とまともな本文訳を
しながらフットノートで『神格』を出しています。
回復訳日本語バージョンはこの解釈を織り込み「神たる方」と『神格』に改変しています。
ギリシア語原文に忠実というならば、この本文中にはキリストはありません。
antoo彼とあるだけです。最近訳ほどキリストと言い換える傾向があります。
接続詞otiには「なぜなら」の意味はありません。
単に「〜だから」くらいのニュアンスの接続詞です。Young's Literal Translationが
2:9 because in him doth tabernacle all the fulness of the Godhead bodily,
とbecauseと訳していますが、回復訳日本のような「なぜなら」は皆無です。
回復訳はあなたが宣伝するほどに原文に忠実ではありません。
むしろ岩波訳が忠実です。
とはいえ「なぜなら」は意訳で補語されただけなので問題はありません。
問題なのは「神格」と訳したり「神本性」は「神格」だと注釈することです
・・・・
投稿ミスにより 再投稿
178 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 00:21:48 ID:L1y18M4u
>>169 三一の神ご自身ならば「神性」です。 父・子・聖霊のそれぞれを個別に
指すときが「神格」です。
ローカルチャーチはここを混同し、三位一体を実質崩しているのではと思います。
エホバもコロサイ2:9を独自解釈し三位一体を否定すると聞きます。
永井訳の「神たること」は、「神であること」なので「神性」です
英語版回復訳は Godheadも「神性」です。
(-head語尾は現代英語では二つだけで、これはその一つです。12cが最初と
言われるミドル英語です。 オールド英語ではGodhoodですね。
共に状態・性質、特に本質を指します。)
回復訳中国も『神本性一切的豐盛,都有形有體的居住在基督裏面。』 と
「神本性」と「神性」に訳しています。
回復訳日本だけが『神格』を意味する「神たる方」ですね。
これは日本グループの誤訳ではなく ローカルチャーチでは
聖書本文は中国/アメリカでは「神性」と訳しつつ フットノートで『神格』と
解釈するダブルスタンダードなわけですね。
179 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 00:27:32 ID:L1y18M4u
>ギリシャ語の接尾語-tesは人をあらわします これは何を根拠にした情報ですか? ちなみにコロサイ2:9ギリシア語は ローマナイズすれば theoteetosですね
180 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 01:02:53 ID:L1y18M4u
>>173-174 (カルヴァン『新約聖書注解』) では
「キリストの内の神性の充満」が比喩でなく、リアルなのは、
he is both God and manからも明白なように
「キリストは、神性(God)と人性(man)の両者である」からですね
181 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 01:31:21 ID:L1y18M4u
ローカルチャーチの方は カルヴァンが 「キリストには『神格』と『人格』の双方がある」と言っているのだと 読まれるのだろうか。。。 二性一人格のキリストではなく、神格人格の二位格のキリストだと。。。
人のペルソナを「人格」というように神のペルソナを「神格」という人がいます。 私はそういうことば遣いは誤解を招くのでやめた方がいいと思います。 ペルソナのことを言いたければ、位格とか格位とかいった訳語のほうが混乱が生じません。 日本福音書房ではパースンという語を採用しています。「位格」の意味で「神格」を使うことはしません。 theotesは、礼拝の対象となるべき唯一無二のお方です。聖書の啓示によれば、 礼拝の対象はお一人です。聖書の中で、三位一体の「一」の面が強調されているのは、 偶像ではなく、唯一の神を礼拝しろといっている個所である場合が多く、 礼拝の対象である神はお一人です(たとえば、第一コリント8:4)。 三の面が強調されるのは、神の働きについてです。 これがtheotesです。私たちが礼拝するのは、ものを言わない偶像ではなく、生けるお方ですので、 -tesという接尾辞がついているのです。 (-tesが人をあらわすことについて「なにを根拠に」とおっしゃる意味がわかりません。 むしろ「〜性」しかあらわさないと主張しておられた根拠を提出していただきたい。) この点を否定し、三つの礼拝の対象があるというならば、三神論の異端です。 一つの神格に、三つの位格、父、子、霊があるのです。 つまり、コロサイ2:9でいう「神たる方」とは、三一の神です。 受肉したのは、神格の第二位格キリストのみであるとするのは誤解であって、 実際には、御子が受肉したとき、御父は御子の中におられました。 カルヴァンはこれを正確に理解しています。
これまで「神格」ということばを「位格」という意味で理解しておられたのなら、
今書いたとおりの定義にしたがって読みなおしてください。
>>175 「因為 神本性一切的豐盛,都有形有體的居住在基督裏面」は、回復訳ではなく、和合本です。
回復訳は「因為神格一切的豐滿,都有形有體的居住在基督裡面」です。
おっしゃるようなダブルスタンダードはありません。
和合本の訳者たちは、コロサイ2:9のtheotesとローマ1:20のtheiotesは別の事柄を
指し示しているという認識があったので、ローマ1:20では「神性」という語を用い、
コロサイ2:9では「神本性」という訳語をつくったのだと思います。
すでに述べたとおりの定義で「神格」という語を用いるのであれば、
コロサイ2:9を「神たる方」あるいは「神格」と訳すことで、
コロサイ書に啓示された三位一体がより明確に訳出できます。
>>177 >ギリシア語を訳す時に訳す順番はさほど影響ないと噂に聞いたことがありますが、
ギリシャ語は、英語が語順であらわすものを語形変化であらわすため、英語に比べて
はるかに語順が自由にかえられます。その点で日本語と似ています。
しかしそれは、訳すときに原文の修飾・被修飾の関係を自由に変えていいという意味ではありません。
>>177 >接続詞otiには「なぜなら」の意味はありません。
>単に「〜だから」くらいのニュアンスの接続詞です。Young's Literal Translationが
>2:9 because in him doth tabernacle all the fulness of the Godhead bodily,
>とbecauseと訳していますが、回復訳日本のような「なぜなら」は皆無です。
>回復訳はあなたが宣伝するほどに原文に忠実ではありません。
>むしろ岩波訳が忠実です。
>とはいえ「なぜなら」は意訳で補語されただけなので問題はありません。
そんなことはないでしょう。
For in Him dwells all the fullness of the Godhead bodily; (NKJV)
For in him the whole fullness of deity dwells bodily,(NRSV)
For in Him all the fullness of Deity dwells in bodily form,(NASB)
日本語では永井訳が「如何にとなれば」と訳しています。
どの辞書を使っておられますか?
>>178 >三一の神ご自身ならば「神性」です。 父・子・聖霊のそれぞれを個別に
>指すときが「神格」です。
そういうことば遣いは私たちはしませんし、それを理由に異端視されるのは不当です。
言ってる内容で判断してください。私たちと似た用語体系のグループも異端ですか?
>ローカルチャーチはここを混同し、三位一体を実質崩しているのではと思います。
あなたのターミノロジーにしたがっていないだけです。自分と違う定義で話す人のことばを
自分の定義で理解しようとしたら混乱が生じるのは当然です。あなたがそういう定義で使いたければ
ご自由にどうぞ。しかし、私たちのことばを勝手に定義づけ、誤解し、異端だということはやめてください。
>>181 キリストの位格はひとつです。
あなたがそうおっしゃるのは、私たちが使っている「神格」という言葉を
「神の位格」とでもいったように誤解してとるからです。
私たちは、唯一無二の神ご自身を「神格」といい、 神格には父・子・霊の「パースン」があり、 神の神聖なご性質を「神性」と呼びます。 ちょっと風変わりなのは普通「位格」「ペルソナ」というのを 「パースン」と英語風にしているところだけでしょう。 私はカトリックや正教会の友人はあまりいないので分かりませんが、 プロテスタントの友人との会話で誤解が生じることは滅多にありません。
188 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 08:30:09 ID:ve6QvUTv
コロサイ2:9文中に実際に用いられている文型はtheoteetosです。
「-tesという接尾辞」は印欧語では広く人称につきますが、
ここでは「-os」が接尾辞です。
「-os」は属格ですので「神性の」と訳されるわけです。
>> 184
For in Him dwells all the fullness of the Godhead bodily; (NKJV)
接続詞forの用法に「なぜなら」はありますが、この用法の場合、文中で使われ
文頭にこないという原則があります。「〜だから」という理由を示す用法ですね
>>183 >回復訳ではなく、和合本です。
そうですか 失礼しました。
中国のローカルチャーチには幾つかの派閥があり訳が割れているのですか?
189 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 08:31:20 ID:ve6QvUTv
1コリ8:4の「ただ一人の父なる神」と「唯一の主キリスト」との関係は、 父神から万物が出て、キリストによって万物がなります。 ローカルチャーチの方はココを無理に「神はお一人」だけをワンネス的に読み、 理解されますが、「父神」「子キリスト」の二神格がそれぞれ唯一と語られている 箇所です。 コロ2:9の「神性」は、礼拝対象ということが語られているわけではなく、 ロマ1:20の神性は人に理解されてきた神性だけども コロ2:9では、見えない神性です。その人智を超えた神性がキリストという 人性・神性を併せ持つ第二神格によって、人の目に「見える形」になったのだ と書かれているわけです。 父神からすべては出ているのだけども、人にはその充満すべては理解できません。 キリストにおいてすべてが成ったからこそ、「神性の充満」は、目に見える形で 示されたわけですね。 三つの礼拝の対象などといっているわけではありません。 三一論は三神論でもワンネスでもなく三一の神です。 カルヴァンも正しく「キリストは、神性(God)と人性(man)の両者である」です ローカルチャーチのように「父神は神性(God)と人性(man)の両者である」でないです
190 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 08:33:36 ID:ve6QvUTv
>>186 ローカルチャーチを除くキリスト教界では、三位一体教理がありますので
「第一神格」は父、「第二神格」は子キリスト、「第三神格」は聖霊です。
実質的なワンネスに立たれるローカルチャーチでは、あくまでも一体を強調し
「神格」を『唯一無二の神ご自身』とされるわけですね。
これだけだとワンネスと批判されてしまいますから、「三位一体」を
「経綸的三位一体論、機能論的三位一体論」の二つの側面があるとされる独自教理を
打ちたてられたのですね。
>>190 あなたも変です。というか釣られて知ったかぶりしてませんか。それは位格です。
そもそも神格なる語をあたかも確立した専門用語のように用いている
説明に大きな違和感を感じますが。少なくとも日本語で神学している現場で
説明なしに使える言葉ではありません。
つまり、この説明者は自身が特殊な立場にいることを自覚していないか、
浅学者の自信の無さにつけこんでを煙に巻こうとしているか、
そのどちらかです。
192 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 12:28:43 ID:pVwixpxQ
>>191 りらっくまと思われる人物のツッコミがオカシイといってるのはわかるが
安さんの説明もオカシイと思うわけ?
りらっくまの場合は「神格」を「位格」、
「神性」を「神格」に変えてるからおかしいわけだよね?
安さんの説明はどうオカシイの?
193 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 12:37:13 ID:pVwixpxQ
安さんが言った、三位一体の一体は礼拝の対象である唯一神というのは禿同。 りらっくまはそれではワンネスだといってるけれども それじゃりらっくまは三神論だろう。 変だ変だと思ってきたが やはり三位一体を否定する異端者であったか。
194 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 13:15:35 ID:pVwixpxQ
>>191 2行目以降もりらくまのことを言ってんのかな?
>>192 神性らしい内容に神格という語を用いるのは不自然でおかしい事はわかるんですね?
では、それをやってるのはりらっくま疑惑氏ではなくて安氏であると指摘すれば
十分ですね?
196 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 13:52:58 ID:pVwixpxQ
>>195 それがさ、
うちの教会と安さんと、
語の定義がそんなにかわらんのだよ。
そっちでは神性というかもしれんが、うちでは同じ概念を神格って言ってるわけだ。
ちなみに、聖霊派にも新正統主義にもくみしない福音主義だが、そっちは?
>>196 ばりばりに新正統主義直系です。私としてはそちらのルーツや牧師の本棚の中身を
伺いたい気分ですね。福音主義というより福音派であろうとお見受けしますが。
なんにせよ、明治以降日本語で神学を始めた際に出来て広まった語を用いない
理由は、好意的に考えても一度大陸か半島を通っているからだと思いますが、
穿った見方をすれば、その語を日本人相手に用いると言うことはその方の見識に
偏りがあるということを示しています。
すると「これはキリスト教に共有されている一般的な理解と一致する」という
主張を受け入れるわけには行かなくなります。なぜなら、「一般理解」など
知りもしないのに闇雲にそう言っているだけ、という事になるからです。
カトリックは神格 結構いい加減に使うぞい マリアは御子の神格の母であって神性の母ではない なんてね
199 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 14:39:31 ID:pVwixpxQ
新正統主義か。 福音主義者の集まっている派が福音派という考えだから どっちでも俺としてはいいんだけど、バプ系です。アルメニウス主義は受け入れてないです。 先生は某バプ系神学校を出てますが、本読んでるのでそこの神学校の教えのままじゃないだろう。 「キリスト教に共有されている一般的な理解と一致」とは言え 新正統主義と福音主義は違うかも知れないし 福音主義者同士でも微妙に違いはあるわけで あなたが言うほど用語が一致してるわけじゃないね。 話を戻すけど、安さんの使う用語は福音主義的で俺は違和感全然ないです。 言ってることもそうですね。 それよかりらっくまの方が変だよ。
>>199 ひたすら悪意の曲解しているりらくまらしきが変なのは論証するまでもないですよ。
ただ、安さんも位格と神格混ぜてないけど神性となら怪しいですよ?
それともあれはTypoなのかな。
それに、カトリックの用法をご紹介していただいた方がいらっしゃいましたが、
その神格が安さんと同じ意味だと聖母が御父を生んだことになっちまって、
誰が被造物なんだか完全にわかんなくなっちゃいますね。
まさかテオトコスをそのような形で理解してるわけではないでしょう。
やはり、定まった意味の確立していない言葉だという傍証になっていると思いますが。
てことで、父や聖霊が受肉の影響を受けててはやや困ったことになる
とおもうので、御子だけが受肉したと考えると間違いなどと断言されたり、
また役割において、などと言われると、やはりいささか警戒せざるを得ないですよ。
大体、三位一体なんて人類が神の第四位格以降をまだ発見してないだけの
寝言かもしれんわけで(第二位格だって受肉の出来事によってつい2千年前に
やっと見分けられるようになったのですから)あんまり深く考えても意味ない、
むしろ、あまりこだわる者には自分らが神の像を造っているかのような
不遜すら覚えます。
合理性が身上のバプテストとしては、そのへんいかが御考えになります?
201 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 15:39:42 ID:pVwixpxQ
本人にきいた方がいいと思いますね。 しかし普通に考えて安さんはテオトコスは認めないんじゃないですか? あと、第4位格には同意できない。
>>201 カルヴァンも神の母を認めず 御子の母と呼ぶよう提唱
>>200 だから秘蹟やら用語の解釈やらでカルト認定してたらバプテストはカトリックからすると完全に
異端でカルトなわけで
最近は東方非カルケドンも復権はたしつつあるし・・・・・つまり不毛な論争
>>188 -τηςは接尾辞。それが属格に変化したら-τητοςに変化しますが、
これは接尾辞が活用によって変化しているのであって、
接尾辞自体の意味が変るのではありません。
なお、活用によって形が変化した部分のみを「接尾辞」と呼ぶことはありません。
それは「活用変化語尾」です。
名詞が属格になると、日本語の「〜の」、英語の「〜's」や「of〜」と同様、
別の名詞を修飾することが出来ます。
私が指摘しているのは、口語訳、新改訳、新共同訳ではこの修飾・被修飾の関係が
どういうわけか逆転した訳し方がなされているということです。
永井訳と回復訳は原文の修飾・被修飾の関係を反映させた訳になっています。
ここにforが使われている理由は簡単です。
コロサイ2:8〜10が、原文では一つのセンテンスであるから、
英語でもそれを意識した訳にしているのです。
最近の意訳的な英語訳では、forのかわりにbecauseにしているものがあっても不思議ではありません。
日本語聖書でοτιを訳していないものがある理由はわかりません。
中国の場合、奥地には書籍類が十分に届いていない可能性があります。
その場合は回復訳以外の翻訳を用いていると思われます。
まあ、地方教会だからって回復訳を用いなければならないわけではありません。
みんな自分で判断して、回復訳がいいと思ったら回復訳を使うというだけです。
さすがに新世界訳を使っていたら周りがなにかいうとは思いますが。
205 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 20:23:09 ID:DbJX0lIY
ウイットネス・リーの言葉:『ライフスタディ創世記(6)』pp.246-247 ・・・反対者たちの口はふさがれ、彼らの書く手は切り落とされたのです。 なぜなら彼らにはイザヤ書9章6節とコリント人への第一の手紙15章45節を 処理するすべがないからです。ある者がどれほどイザヤ9章6節を捻じ曲げようと とも、ここに書いてある御父という称号を消し去ることはできません。 この節は、一人の男の子がわたしたちに与えられたこと、彼の名は永遠の父 と呼ばれることを言っています。この父は確かに神格の父です。・・・歴史について 、二ケア信条について、その他の信条について、わたしに言わないでください。 わたしは信条を顧みません。わたしは御言葉を顧みるだけです。 (要するにこの男の子(もちろん、イエス)は神格の御父であると言うわけ) コリント人への第一の手紙15章45節は「最期のアダムは命を与える霊となった」 と言います。・・・あなたは、この霊は神格の聖霊と異なると 信じているのでしょうか?もしそうであれば、あなたは二つの命を与える霊を 信じているのです。それは異端です!この戦いをしている時、わたしは敵を ずたずたにかみ裂くおおかみです。 (要するに最期のアダムキリストは神格の聖霊になった、というわけ) ・・・全キリスト教に、わたしたちに反対させましょう。最終的に わたしたちはその結果がどうであるかを見るでしょう。主の回復の中で、 わたしたちはかみ裂く力と突き放す力を持っています。遅かれ早かれ 的は打ち破られ、屈服させられるだけでなく、無条件降伏するでしょう。 神は凱旋行進の中でわたしたちを導いておられます。 (全キリスト教は敵であると・・・・!?)
>>189 >ローカルチャーチの方はココを無理に「神はお一人」だけをワンネス的に読み、
>理解されますが、
していません。ローカルチャーチのように「父神は神性(God)と人性(man)の両者である」でないです
そのあとに書いておられることは聖書の記述と矛盾します。
使徒行伝20:28に「神がご自身の血を通して」と書いてあります。
チャールズ・ウェスレーは、この節をもとに「私のために神が死なれた」と歌っています。
http://www.hymnal.net/cgi-bin/hymns/index?t=h&n=296 御子が受肉したとき、御子だけでなく神格、すなわち三一の神が人の性質を
得られたのです。
これは、ワンネスを教えているのでは全くありません。
父・子・霊の三パースンは、一つの神格を持ち、三つのパースンは相互内在するのであって、
御子の受肉は実は神格の受肉であったことを言っているのです。
>>190 まるっきりでまかせです。
それ以上のコメントは必要ありません。
207 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 20:39:53 ID:DbJX0lIY
ここは回復訳のスレですので、リー神学一般を考えるスレを立てときました。
>>205 昔出た方のライフスタディを持ってないので、訳を確かめられませんが
異端的な人たちからの批判に対抗することを言っているのではありませんか?
第一コリント15:45「命を与える霊」の「命を与える」は
zoeとpoieoの合成語です。zoeは神の命、poieoは作る、産出するですから、
命を与える霊は神格の一パースンであることは間違いありません。
神格でない存在が、神の命を産出することはありえないからです。
命を与える霊はキリストのことであり、命を与える霊となる前から神格の一パースンでした。
209 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 20:48:11 ID:DbJX0lIY
210 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 21:51:21 ID:t2erz3B/
E-mail:
内容:
>>190 >それは位格です
うん。位格(ペルソナ)ですよ。
神のペルソナですね つまり「神の位格」=「神格」です
「神格なる語」を新約に安易に持ち込まれたのはローカルチャーチですね。
三位一体の位格(ペルソナ)の訳語として使用されているのは「人格」ですね。
神の位格に「人格」の訳語はバランスが悪いのでペルソナのままも多いですね。
神格もキリスト教会、世間で広く使われていますが「位格/人格/ペルソナ」ほどではないですね
だから違和感を覚えられたのかもですが、意味内容は同じです。
211 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 21:52:31 ID:t2erz3B/
212 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 21:58:28 ID:t2erz3B/
>>204 θεοτηςを コロサイ2:9の文脈で「神格」と訳すべきだという辞書はないですね。
大学書林のギリシャ語辞典は
θεοτηςを簡単に「神性、神格」としていますが、どの文脈で神性になり
どの文章だと神格という意味で使われているという説明がなく参考にならないですね。
定番LIDDELL AND SCOTTのGREEK-ENGLISH LEXICONは、
「divinity」「divine nature」とし、(Ep Col 2,9)と特定しています。
研究社の英語語源辞典に拠れば、「divinity」は、神学、神性、神秘的な力で、
「神格」の意味はありません。
つまり「神性」「神の本質」がθεοτηςの意味ですね。
「for」は回復訳のように「なぜなら」と訳せないことは説明済みの文法規則です。
「神本性」と訳している回復訳が本来のバージョンで、
「神格」は別のバージョンの可能性もあるわけですね。
あるいは色んなバージョンがある。
それとネットから引用ですので山奥ではなくインテリさんの使用でしょう
213 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 22:23:04 ID:t2erz3B/
ローカルチャーチさんのようにコロ2:9のθεοτηςを「神格」と
ペルソナで意味で訳しながら あくまで「神格」はペルソナの意味ではないと
否定されるのは、2Cの「一位神論」の同一視されるのを回避するためでしょう。
「一位神論」は、ローカルチャーチと同じく
「イエス・キリストの中に現れたものは<唯一の神のペルソナ>と主張しました」
唯一無二の神を強調するあまり「御子」「聖霊」は唯一神の能力と理解したみたい
ですね。
>>186 >私たちは、唯一無二の神ご自身を「神格」といい、
>>182 >theotesは、礼拝の対象となるべき唯一無二のお方です
214 :
名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 22:27:35 ID:DbJX0lIY
転載しときます。
18 名前:名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 21:49:19 ID:DbJX0lIY
ひとつ安さん個人に伺いたいです。
あなたは主の回復の人にしては、バランスの取れた
聖書理解をされているようです。
また話し合いも冷静にできる方のようです。
イザヤ9・6の「みどり子(イエス)が神格の父である」と
安さんは信じているのでしょうか?
リーの見解ではなく、あなたの個人の信条を聞かせてね。
21 名前:安得烈 ◆btXULJ2X8M :2006/03/28(火) 21:58:55 ID:dtNQzTIH
イザヤ9:6の「みどりご」は御子です。
「とこしえの父」は御父です。
「呼ばれる」のは、実際にそうだからそのように呼ばれるということです。
>あなたは主の回復の人にしては、バランスの取れた
>聖書理解をされているようです。
平均的な一兄弟のつもりですが、周りはどう思ってるのかなw?
>また話し合いも冷静にできる方のようです。
家族はそうは思っていません。
22 名前:名無しさん@3周年 :2006/03/28(火) 22:01:40 ID:DbJX0lIY
>>21 そうですか。
イエスかノーでお願いします、と言ったのですが。
では、「イエスは御父である」と言うわけですね?
お疲れのところすみませんが、イエスかノーでよろしく。
23 名前:安得烈 ◆btXULJ2X8M :2006/03/28(火) 22:13:28 ID:dtNQzTIH
ああ、そうか。そうでしたね。
YESです。
しかし、説明を要します。こう答えるだけなら、必ず誤解が生じますから。
215 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 08:10:20 ID:om32dnaG
ちなみにローカルチャーチの主張のように コロ2:9の「θεοτης」の「-της」が人を意味し、「神格」と訳せるならば、 ロマ1:20の「θειοτης」も語尾が「-της」ですので「神格」になります。 しかし実際には「θεοτης」と「θειοτης」とは 共に「神格」ではなく、 あえて分けるならば(共に神性でもOK) 「θεοτης」(神の本質)と「θειοτης」(神の性質)です 蛇足でした
216 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 08:53:22 ID:1afGYA4K
回復訳って、はじめに聖書があったではなく、 李氏の神学に合わせて訳語も決めているってことかな。 神格や神性などの用い方も、回復訳独特というか、 かなり恣意的な感じがしますしね。 しかしイエスが御父であるとは。。。。
217 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 09:02:22 ID:1afGYA4K
日本福音書房にはちゃんとしたアカデミックな トレーニングを受けて、しかるべき学位を持ったギリシャ語や ヘブル語の専門家はいるわけですか?
>>217 それは言いがかりの類では。
なんでタカが本屋にそのような人材を
お求めになりますかね?
219 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 09:47:53 ID:1afGYA4K
>>218 ええ?だって聖書を訳して出版しているわけでしょう。
>>219 出版はしてるでしょうが、出版業者が訳してたり翻訳者が社員だったりする
必要があるのでしょうか?
あなた世の中の仕組みわかってます?
221 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 14:08:10 ID:nRXwa9NK
>220 私もそう思いました。
222 :
217 :2006/03/29(水) 14:24:56 ID:fFyHRHT4
じゃあ、誰が回復訳を訳しているわけ? その人たちってローカルチャーチの人たちでしょう? 書房の社員かどうかわかりません。 だったら、こう聞きましょう。 ローカルチャーチにはにはちゃんとしたアカデミックな トレーニングを受けて、しかるべき学位を持ったギリシャ語や ヘブル語の専門家はいるわけですか?
223 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 14:30:24 ID:p8dZHGhV
>りらっくま
その議論はもう終わったんだよ。
地方教会は福音派の神学用語にほぼ準拠してるからオマエとは立場が違うんだよ。
もう別の話題に移ってるのに粘着するな。
前のスレ、オマエと暇人の粘着だけでほかの話題に全然いけなかったじゃないか。
それにな、オマエ、ギリシア語出来るような口ぶりだから信用してたが
かなり基本的なミスを指摘されてるな。
ギリシア語できる人に聞いたら、接尾語と活用語尾の区別がつかないなんて
初級レベルといっていたぞ。
オマエほんとに邪魔。
もう十分荒らしたろうが。
ほかの人に発言の機会を譲れ。
>>222 それは漏れもききたい。
224 :
217 :2006/03/29(水) 14:42:51 ID:fFyHRHT4
やたらとギリシャ語の文法の細かいことを振り回して、自説の正当性を訴えるのは 何もローカルチャーチに限ったことではありません。物見の塔(エホバの証人) などはものすごくギリシャ語に詳しいですから、教会の一般信徒では とても太刀打ちできません。だから証人とは会話をするなと牧師からも 言われています。安さんを読んでいると同じ印象があります。 普通のクリスチャンは、みどり子が神格の御父であるなどは 決して言わないでしょう。
225 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 15:08:24 ID:p8dZHGhV
まあ、安さんが帰って来るまで待ちましょうや。 それにその話題はあっちのスレ向き。 向こうのカキコを一々コピペしてる人もやめほしいんだけどね。 何のために二つスレがあんのかわかってないとオモワレ これまでのところ、安さんの発言は福音派的と思われる。 しかしリー=福音派だったら独自に聖書を出したりする意味ないから、 イザヤ9:6は興味深いね。 回復訳持ってる人、フットノートとやらはなんてかいてありまつか?
>>224 ギリシャ語に関してはきちんと誤謬もしくは翻訳操作を立証できない限り、
印象にのみ基づく言いがかりじゃないですかね。それだとウチの牧師も
怪しくなってしまうしね。
ちなみに私は昨日の新正統主義の者ですが。
227 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 15:09:35 ID:p8dZHGhV
フットノート出すだけならこっちのスレでも可でいいよな?
228 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 15:12:40 ID:p8dZHGhV
あんたまたあったね。 バプです。 ギリシア語できますか? 安さんのギリシア語はどっかおかしいとこありますか?
229 :
りらっくま :2006/03/29(水) 15:19:57 ID:aBr8g31m
>りらっくまの場合は「神格」を「位格」、 >「神性」を「神格」に変えてるからおかしいわけだよね? このスレ復活してたのか。 はじめてきました。 わたしは上のようなことは言っていませんよ。 地方教会信者はとことんうそつきですね。 位格は、三つ。 本性は一つ。 三位一体の常識です。
230 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 15:25:37 ID:aBr8g31m
>>169 テースは「〜性」の意味で、人の意味はありません。
うそをつかないように。
どの英語の大辞典にもありますが、英語の-headの接尾語も
「〜の性質」の意味で「人」の意味はありません。
うそをつかないように。
232 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 15:50:42 ID:aBr8g31m
英英辞典にも、-headは、性質stateの意味だと書いてあります。 -headは、-hoodの古い形なのですが-headが「人」の意味をもつなら likelihood(可能性)は、可能な人の意味になるのでしょうか?
233 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 16:02:27 ID:p8dZHGhV
神格の否定→御子の神格の否定→信仰義認の否定 →新普遍救済主義 りらっくまはドンドン異端のドツボに深く沈んでいってる。
234 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 16:03:13 ID:aBr8g31m
>>100 神化は、聖書の思想ではなく、
新プラトン主義の思想であることが
神学の常識。
235 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 16:05:20 ID:aBr8g31m
>>233 君たちはとことんうそつきだね。
わたしは、イエス・キリストが三位一体なる神の第2位であり、
真の人となられた真の神であることを信じております。
236 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 16:11:50 ID:p8dZHGhV
いまさらりらっくまを信用するヤツは宗教板にはおらん。
237 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 16:40:33 ID:aBr8g31m
>>169 >ギリシャ語の接尾語-tesは人をあらわします。
>別のスレッドで「〜性」をあらわすといっていた人がいましたが、それは誤りです。
>そのように訳せることもありますが、「〜性」と訳さないと間違っているというのは間違いです。
またいい加減な嘘をこく。
詩人、ポイエーテースなどにみられる活用語尾のテースは、男性名詞主格の
活用語尾。
テオテースのテースは、接尾語で、女性名詞。
男性名詞の活用語尾と、接尾語を混同しないように。女性名詞で
使われる場合、テースは「〜の性質」の意味。
238 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 16:47:02 ID:aBr8g31m
239 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 16:52:52 ID:aBr8g31m
>>182 >人のペルソナを「人格」というように神のペルソナを「神格」という人がいます。
>私はそういうことば遣いは誤解を招くのでやめた方がいいと思います。
従来の教会が、使わなかった意味で「神格」などという言葉を使いだす方が
信者に誤解を与えるのでやめるべきである。
三位一体という教義の文脈の中で、「神格」も「神性」も用いるべきなのであり、
その枠からはみ出したり、無視したりするやり方で、新しい言葉を作り上げる
べきではない。
240 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 16:55:50 ID:aBr8g31m
>>186 >私たちは、唯一無二の神ご自身を「神格」といい、
>神格には父・子・霊の「パースン」があり、
>神の神聖なご性質を「神性」と呼びます。
この見解は完全な異端である。
正統的三一論の枠組から完全にはみ出している。
地方教会は三一の三を経綸的、働き的にしか捕らえない。
正統的三一論が採用する、本質的三一の立場をとっていない。
神は位格において三、本性において一とするのが正統的三一の立場である。
241 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 17:06:52 ID:aBr8g31m
>>187 >神が三一であることの目的について語りたいと思います。
神が三一であらるのに目的などはない。
神は永遠より三一なのである。
目的が在るなどということからして、三一を経綸や神の働きに限定している証拠である。
>>189 >>190 まったく正しい。
>>191 >そもそも神格なる語をあたかも確立した専門用語のように用いている
>説明に大きな違和感を感じますが。少なくとも日本語で神学している現場で
>説明なしに使える言葉ではありません。
伝統的神学用語が確立していないとは、よほど異端カルトに長く身を浸しているんだろううね。
>>241 異端とカルトを俊別出来ない方のおっしゃる事を鵜呑みにするのは大変困難ですが?
243 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 17:28:17 ID:aBr8g31m
θεοτη?は、その単数形属格の形がetosであることからもわかるように、 もともとは形容詞。形容詞に定冠詞をつけて、抽象名詞化したもの。 だから、〜性の意味になる。 θεοτη?が、「神の性質をもつ方」の意味で使われているなら 単純にテオス(神)と言えば住んだはずだし、女性の定冠詞が付けられているのも 変。男性形の定冠詞をつけるはず。
244 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 19:02:27 ID:NfFtNYjz
>>217 今日はりらっくまさんが張り切っておられますので、
まともな議論は無理ですね。
イエスかノーかで答えられる事柄にだけおこたえしておきます。
回復訳の翻訳に携わった人たちに聖書の言語についての専門的教育を受けた人が
いるかどうかですが、答えはイエスです。
ですが、だれが何年にどこの大学の何という研究室の何という先生に師事したなんてことは
正確には把握してないし、知ってても個人情報をここでさらすわけにはいかないので、
ここまででご勘弁ください。
>>225 英語と中国語はフットノートありますよ。
後日出します。
245 :
217 :2006/03/29(水) 19:08:00 ID:fFyHRHT4
>ですが、だれが何年にどこの大学の何という研究室の何という先生に師事したなんてことは >正確には把握してないし、知ってても個人情報をここでさらすわけにはいかないので、 >ここまででご勘弁ください。 まあ、こういった回答しかできないでしょうね。
名前書くの忘れてました。
ついでにちょっとだけ。
>神が三一であらるのに目的などはない。
>神は永遠より三一なのである。
その永遠の神は、永遠の計画を持っているのです(エペソ3:11)。
http://www.church-in-osaka.com/books_the_economy_of_god.htm >正統的三一論が採用する、本質的三一の立場をとっていない。
とってます。
-headや-hoodが「〜性」なら、boyhoodやchildhoodはどういう意味になるんですか?
-headや-hoodには「状態」の意味もあります。
Godheadは神である状態、神としての立場です。
私たちの定義でいう「神格」です。
辞書の引き方が間違ってますよ。
>>245 ご勘弁下さい。
今日は用事もあるし、りらっくまさんがいつ戻ってきて荒らすかわからないので、
ここまでにさせてください。
248 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 23:27:11 ID:yndrdeEK
>>246 ごまかさないように。
状態という意味には、「神格」というペルソナ的な意味は
ふくまれていません。
「神である状態」は「神性」であって「神格」ではありません。
249 :
名無しさん@3周年 :2006/03/29(水) 23:35:24 ID:8aN+POZr
boyhoodは少年らしさ。 childhoodは子供らしさの意味です。 いずれも少年や子供である「状態」「性質」の意味であり、 少年や子供の「人格」の意味ではありません。
250 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 00:25:52 ID:NTeJr6b/
このずっと粘着してるひと、IDまで変えて必死w 変すぎてツッコめない。 本人は真面目に批判してるつもりかもしれないけど なんかが根元的に間違ってて 言ってることが全部おかしい。 春だねェ。
251 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 00:30:55 ID:NTeJr6b/
安さん、メンヘルは相手にしない方がいいって やっとわかったらしいね。 この種の症例は、相手してくれる人を捜してあちこち荒らしまくるという特徴があります。 最初からスルー決めこんどくべきだったね。
252 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 00:32:13 ID:NeHnC05s
>>250 >言ってることが全部おかしい。
そう感じるのは、カルトの証拠
253 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 00:51:52 ID:NTeJr6b/
>>252 プゲラ
暇人、前のスレではりらっくまと一緒になってアホなこと書き殴ったのに気が付いて
しばらくおとなしいじゃないか。
アイツはまだ正常なんだよ。間違ってるってわかったらだまるだけの理性がある。
オマエ絶対考えかえねえし。
おんなじ事何回もカキコミするから自己暗示になってんじゃねえの?
ふと気づいた。安さんあんまりリーから引用しないな。
ふつうのプロテスタント神学語ってる。
どういうことかな?
あれは本当にリー神学なのだろうか?
254 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 00:54:50 ID:vWqzaXEa
普通のプロテスタントは三位一体否定するか?
255 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 00:56:41 ID:NTeJr6b/
せっかく「ずっと粘着してるひと」てぼやかしたのに、 オマエが出てくるからつい口がすべっちまった。 なありらくまよ。 俺、このスレとあっちのスレ興味あるんだわ。 擁護とかアンチとかでなく、議論のなりゆきをみたいわけ。 頼むから邪魔すんな。
256 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 00:57:25 ID:vWqzaXEa
三位一体と、二性一人格は、大昔に教会によって確定された教義なので 考えを変えろといわれてもね。
257 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 01:02:29 ID:NTeJr6b/
安さんはオマエじゃ相手にできん。 引っ込め。 あっちとこっちでは俺もロムに徹してるだろ。 向こうのスレに一人しっかりしたのがいるから、安さんとその人との議論邪魔すんな。 ようやく本題に入ってきたところなんだ。
258 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 01:05:20 ID:vWqzaXEa
安氏が、わたしの相手をできないのだ。 テオテースについては、結論がでたではないか。 テオテースを神格と訳すのはどの面からみても無理。 安氏は、それにたいして何も応えられずにごまかして逃げた。
259 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 01:08:16 ID:NTeJr6b/
よかったな。満足したか? 消えろ。
260 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 01:08:38 ID:vWqzaXEa
地方教会は、公同の教会を否定するおそろしい「分派」=「異端」である。
261 :
暇人 :2006/03/30(木) 02:26:46 ID:Q2P85cOt
NTeJr6b/は 横から野次飛ばすだけで 議論についてこれてないね。 野次君はろむってなさい。 ログがながれるだけだから
262 :
暇人 :2006/03/30(木) 02:43:33 ID:Q2P85cOt
>>260 分派/異端かどうかは ともかく
回復訳のスレッドですから
訳語としてどうか ここに焦点をあわせたほうがいいと思います。
議論の流れとしてはコロ2:9の「神格」に根拠はないになってますね。
ばぷてすとさんと新正統主義さんが福音派も同じ神学擁護と援護されますが
この二人も「野次」だけで 根拠なしですね。
新改訳は「神性」になっており、コロ2:9を「神性」と訳すのは
神学的に間違っており「神格」こそが正しいとする福音派はありませんし
バプテスト教会、新正統主義教会もないので、個人的な回復訳ファンか
どうかするとヤラセキャラですね。野次君も同類さんですね
いづれにせよ 議論テーマに踏み込んだ発言はなしですね
彼らの「回復訳こそ正しい訳」の根拠は訳語の中味ではなく
今のところ「訳順-「θεοτης」の充満」と訳しているから正しいだけですね
りらくまさんのご指摘どおり「θεοτης」に女性定冠詞がついてますし、
語源の名詞形「θεος」は@God the Deity in goanl sense Agoddees
とgoddees(女神)とありますね。
形容詞の抽象名詞化(-性)でなく、
人をさすならば、「女神の」になってしまいますね
>>262 資料にもとずいてくださいね
りらっくまさんは中国語の辞書はいっさい無視ですし
暇人さんは印象論だけですね
つーかこの議論意味がないですはい
>>253 実はそうなんです。あえてリー兄弟からの引用を減らしていました。
プロテスタントと同じ所はプロテスタントの文献から引用していました。
あと、『肯定と否定』を参照しています。
でも、内容はリー兄弟の語っていたのと同じです。
>>263 中国語の辞書は引かなくていいと思いますよ。
英和引いたらはっきりします。
この人たちには、いくら資料を出して見せても無駄であることがはっきりしました。
どうせ突っ込むなら、プロテスタントと違う点を突っ込めばいいのに、
一生懸命プロテスタント神学攻撃してます。
これでは、なんだか私がプロテスタントの代表として槍玉にあげられてるみたいです。
この人たちが主張しているのは、聖書を利用してはいるが、キリスト教ではない
なにか異質なものだと思います。
そういうわけで、放置します。
265 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 13:49:33 ID:vWqzaXEa
>>264 プロテスタントは、テオテースを「神格」と訳しませんし、
「位格」と違った意味で「神格」など使いません。
資料や具体的な根拠を提示しても無視しているのはあなたがたでは?
266 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 14:06:09 ID:ypdZzkfZ
りらっくまさんや暇人さんが言っていることはおかしくないよ。 彼らを批判する人たちは他のスレでの因縁を引きずっている。
267 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 14:33:25 ID:vWqzaXEa
カトリックやプロテスタント、無数の教派が乱立する現在ですが、 三位一体や二性一人格の教義は、諸教派が一致する最低ラインなんですね。 プロテスタントとカトリックでは、救済論や教会論においては理解が異りますが、 神論やキリスト論においては、同じ信仰理解を共有しているわけです。 救済論や教会論において激しく戦ったルターやカルヴァンら宗教改革者たちも、 古代信条において確立された三一の神論や二性一人格のキリスト論には 決して異論を唱えたり、変更を加えたりはしなかったんですね。 地方教会は、キリスト教信仰の根幹である三一の神論やキリスト論にまで 改訂を加え、しかもリーが神のビジョンを受けたものとしてリーの見解を絶対化して あたらしい教会を建てています。 これは、モルモンやエホバの証人、統一教会と同じ種類の「異端」「分派」とみなさざるを えません。地方教会の人たちは、自分たちをプロテスタントの一種と思わせたいようですが 完全に「キリスト教」の枠をはみ出しています。
268 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 14:47:32 ID:ypdZzkfZ
ただしね、あまりリーやローカルチャーチを感情的に叩くと かえって安さんを引き立てるし、あえてローカルチャーチを擁護する 人たちも出てきますから。 安さんはとてもこの辺をうまく利用して、読み手を誘導しています。 りらっくまさんも暇人さんも因縁的な感情的な攻撃は控えましょう。
269 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 14:49:35 ID:ypdZzkfZ
常識ある人はちゃんと判断しつつ読んでいますよ。 それよりもサタンの受肉とかもっとローカルチャーチの教義を 知りたいのです。だから安さんの主張に耳を傾けましょう。
270 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 20:24:42 ID:VRFYQ2eY
>>268 因縁はないのですが。。。
具体的な根拠を擁護派でだされているのは安さんだけですね。
その安さんの論拠に対して 具体的な反論が出され
その反論に安さんが対案を出せなくなると
擁護派が感情的な悪口というパターンですね
まあ淡々と事実を書いていけばよいでしょう。
判断は個々それぞれがされればよいのですし。
ただご指摘の点で 一理あるのは、このスレッドで
「レア情報」は安さんや地方教会側ですね。
彼らが登場して 見解を出してくれるのが
このスレッドでは一番 価値のアル情報ですね。
暇人、りらっくまさんの批判は二次的に意味しかないですね
アタリマエのことしか書いてないわけですし。
271 :
名無しさん@3周年 :2006/03/30(木) 20:59:11 ID:nYVUnQM2
>ただご指摘の点で 一理あるのは、このスレッドで >「レア情報」は安さんや地方教会側ですね。 >彼らが登場して 見解を出してくれるのが >このスレッドでは一番 価値のアル情報ですね。 ですね。だから「サタンの受肉」や「人の神化」について 地方教会の人の生の声をじっくり聞いてみたいわけ。 よろしく理解してくださいませネ、りらっくまさんと暇人さん。 判断はあなたがたが叫ばなくても、各自やっとりますので。
272 :
暇人 :2006/03/30(木) 21:26:37 ID:1KOXB1cd
>>271 「サタンの受肉」や「人の神化」は別スレッドでどぞ。
ここは回復訳のスレッドですね。
各自されているならば 私やりらくまっちが発言しても
ノープロブレムですね。
よろしく ご理解くださいませ
273 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 10:53:41 ID:kGNVeiw/
安さん、帰ってきまへんな。
274 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 12:22:40 ID:kGNVeiw/
ローカルチャーチの上の方から 気軽にしゃべるなって、 お達しでも出たんじゃないのか?
275 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 12:58:54 ID:Kv59o/2s
安さんが本当に地方教会の人間だと 誰か確認取ったのか? 言ってることは福音派そのものだ。 264の「肯定と否定」なんて本は存在しない。 俺は日本福音書房のHPでたしかめたぞ。
カルケドン信条についての資料を探してたら面白くなって読んでただけです。
あと、ちょっと用事もあったので。すみません。
このあいだほかの地方に行きましたが、
そこの責任者の兄弟は、富山時代からのメンバーなので、このスレッドのことを相談してみたら、
励ましていただきました。
『肯定と否定』、日本福音書房のカタログになぜか入ってないのです。
http://www.affcrit.com/archives.html http://www.lsmchinese.org/big5/07online_reading/a&c/main.htm 私としては、『肯定と否定』を皆さんによんでもらいたくて
ここに出てきてるようなものなので、是非HPを更新するときにいれてほしいものです。
私が回復の兄弟である証拠。う〜ん。あ、そうだ、特別集会の宣伝しておきましょう。
五月三日〜五日、東京の千代田区の九段下にある「九段会館」で、特別集会があります。
三日は午後1時半からだっけ? 四日は朝から夕方まで。五日は午前中。
どなたでも参加できますよ。なにもいわずにいきなりいって、メッセージきいてかえってくることも
できますが、出来れば事前にJGWとか日本福音書房とか、どこかの地方教会の連絡先に
連絡をいれてから参加した方が多分いいと思います。
行ってから受付で「初めてきたんですが」といってもいいと思いますが、
忙しくしてると思うので。
毎回書籍販売があり、『肯定と否定』はその会場で買えます。
今からでかけます。
277 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 17:50:18 ID:kGNVeiw/
>>275 要注意。
イザヤのみどりごが神格の御父などと福音派では言わない。
キリストが手順を経て御霊になったなどとも言わない。
東京に在る教会のサイトを見てごらん。自分たちはもっとも
福音主義の中の福音主義と自称しているから。
で、安さんって仕事何している人?昼間に2chできて、
これから出かけるって・・・
278 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 17:57:11 ID:kGNVeiw/
安さんは巧妙に主の回復が福音派であって、 皆さんと同じだよって雰囲気を醸しているね。 自分たちはプロテスタントではないとも言っているが。 福音主義が、全キリスト教を敵に回せって言うわけ?
279 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 21:13:10 ID:Kv59o/2s
>>277 わかってるってw
コロサイ2:9の話。
彼が言ってるとおり宗教改革期の古典を使って
プロテスタント風に説明してる。りらっくまや暇人とは違って、俺はそこには異論はない。
いま全然荒れてないから
イザヤ9:6とTコリント15:45について
安さんの態度をはっきりさせてもらいたいところだね。
安さんは多分地方教会のメンバーであろうが
俺はまだそのように推定している段階だと言っておこうか。
もし安さんが地方教会メンバーだったら、
なぜこれまで地方教会はワンネス疑惑にこたえてこなかったのか
なぜいまになって急に、しかも2ちゃんねるで発言しはじめたのか
こたえてくれ。
280 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 21:24:12 ID:OU+y+csC
安さんはイザヤについては、みどり子が御父だ、と答えているようだが。
18 :名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 21:49:19 ID:DbJX0lIY
ひとつ安さん個人に伺いたいです。
あなたは主の回復の人にしては、バランスの取れた
聖書理解をされているようです。
また話し合いも冷静にできる方のようです。
イザヤ9・6の「みどり子(イエス)が神格の父である」と
安さんは信じているのでしょうか?
リーの見解ではなく、あなたの個人の信条を聞かせてね。
21 :安得烈 ◆btXULJ2X8M :2006/03/28(火) 21:58:55 ID:dtNQzTIH
イザヤ9:6の「みどりご」は御子です。
「とこしえの父」は御父です。
「呼ばれる」のは、実際にそうだからそのように呼ばれるということです。
22 :名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 22:01:40 ID:DbJX0lIY
>>21 そうですか。
イエスかノーでお願いします、と言ったのですが。
では、「イエスは御父である」と言うわけですね?
お疲れのところすみませんが、イエスかノーでよろしく。
23 :安得烈 ◆btXULJ2X8M :2006/03/28(火) 22:13:28 ID:dtNQzTIH
ああ、そうか。そうでしたね。
YESです。
しかし、説明を要します。こう答えるだけなら、必ず誤解が生じますから。
>なぜこれまで地方教会はワンネス疑惑にこたえてこなかったのか
>なぜいまになって急に、しかも2ちゃんねるで発言しはじめたのか
>こたえてくれ。
これは確かに疑問だ。私も知りたいですな。
それとサタンの受肉。
281 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 21:31:47 ID:OU+y+csC
282 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 21:34:43 ID:Kv59o/2s
シンパと言われそうだが サタンの受肉について安さんがヨハネ伝第3章を読めと言っていたのをみて 私なりに納得した。 受肉という用語がふさわしいのかはしらんが 聖書では人の肉はサタンと見なされているらしい。 これはこれでいい。 そういうのはあとまわしでいいから、 さっき言った三位一体の根本にかかわる問題にこたえてほしい。
283 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 21:44:26 ID:OU+y+csC
だから、安さんは答えているって。 26 :安得烈 ◆btXULJ2X8M :2006/03/29(水) 19:25:58 ID:NfFtNYjz T.神はただお一人である(Tコリント8:4、イザヤ45:5-6、21-22、46:9、 44:6、8、詩篇86:10)。 U.神には父子霊の三つの面がある。 A.神は自らを「わたし」また「わたしたち」と呼ばれる(イザヤ6:8、創世記1:26)。 B.父子霊の問題(マタイ28:19)。 V.父子霊は永遠から永遠まで同時に共存する。 A.父子霊はみな神である 1.父は神である(Tペテロ1:2、エペソ1:17)。 2.子は神である(ヘブル1:8、ヨハネ1:1、ローマ9:5)。 3.霊は神である(使徒5:3-4)。 B.父子霊はみな永遠である 1.父は永遠である(イザヤ9:6)。 2.子は永遠である(ヘブル1:12、7:3)。 3.霊は永遠である(ヘブル9:14)。 C.父子霊は同時に共存する(ヨハネ14:16-17、エペソ3:14-17、Uコリント13:14)。 W.父子霊は相互内在し、互いに分離しない(ヨハネ6:46、5:43、14:9-10、15:26、 14:26、8:29、ルカ4:1)。 X.父子霊三者は一である。 A.子は父である(イザヤ9:6、ヨハネ14:7-11、ヨハネ10:30)。 B.子(最後のアダム)は命を与える霊となった(Tコリント15:45、ヨハネ14:16-20)。 C.主(子)は霊である(Uコリント3:17)。 Y.神が三一である理由(Uコリント13:14)。
284 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 21:45:20 ID:OU+y+csC
三つの面というのが良く分からん。面って何よ。 神の三人格は明確に三であり、父は子でも聖霊でもなく、子は父でも聖霊でもなく、 聖霊は父でも子でもない。三の面と一の面などは普通は言わない。 Xが一般の三位一体とは異なるわけ。 位格における三、本質における一がふつう。 Yもおかしい。神が三にして一であるのに理由などは要らない。 神がそうであるからそうなわけでしょう。
285 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 21:56:17 ID:OU+y+csC
リー師の三位一体だそうだ。 したがって,三位格は神のエコノミーにおける3つの一連の過程と なったのである[3]. 同様に,御父,御子,そして聖霊は三人の神々ではなく, わたしたちが所有しエンジョイするための一人の神の3段階なのである[4]. 天においては,そこは人が見ることはできないが,神は御父である; 彼が人の間において表現されたとき,彼は御子であり;彼が人の中に入り 来られたときには,彼は御霊である.御父は人の間で御子にあって表現されたのであり, 御子は人に入り来るために御霊となられたのである.御父は御子の中にられ, 御子は御霊となられ,しかもこの三者は唯一の神なのである[5]. 以前には人が御父と触れることは不可能であった.御父はまったくの 神であり,彼のご性質はまったく神聖であった.神と人の間の溝を 橋渡しするものは御父の中に何も存在しなかったのである... しかし今や彼は...人間性の内に受肉されたのである.御父はご自身 の神性と人間性が御子にあって結合されたことに満足されているのである[6]. 死と復活の後,彼(御子)は御霊となられて弟子たちの内に 息吹き込まれたのである[7]. ...御子は私たちが命の水として飲むことができるように 御霊となられたのである...[8]. 御父は,尽きることのないあらゆるものの源として, 御子の内に形取られたのである[9].
286 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 21:57:12 ID:OU+y+csC
人が近づくことのできない所において(Iテモテ6:16), 神は御父である.彼がご自身を現されるために来られたとき, 彼は御子である...わたしたちは主が御子であり, また御父と呼ばれることを知っている... 今や彼は御霊である.そこでわたしたちは主なるキリストは 御霊でもあることを明確にすべきである...源として, 神は御父であり,表現として神は御子であり,伝達として 神は御霊である.御父は源であり,御子は表現であり, 御霊は伝達,交わりである.これが三一の神である...[10]. 3. Witness Lee, The Economy of God ( Los Angeles: Stream ), 1968, p.10. 4. Witness Lee, "Concerning the Triune God" ( Los Angeles: Stream ), no date, p. 31. 5. Ibid.,pp.8-9. 6. Lee, The Economy of God, p. 11. 7. Lee, "Concerning the Triune God", p.8, ()は筆者による. 8. Ibid., p. 8. 9. Lee, The Economy of God, p. 11. 10. Lee, The All-Inclusive Spirit of Christ ( Los Angeles: Stream ), 1969, pp.4,6,8.
287 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 22:13:38 ID:Kv59o/2s
抜粋のやり方に問題がある可能性がある。 地方教会の問題点を指摘するサイトには どこかしらそういうところがあるから注意すべきだ。 俺はそういう二次的な情報はどうだっていい。 地方教会の発言をききたいんだ。 安さんの登場を静かに待つべきではないか?
288 :
名無しさん@3周年 :2006/03/31(金) 22:42:58 ID:OU+y+csC
まあ、それもそうかもね。 安さん、ぜひイザヤのみどりごが御父であることと、 キリストが聖霊になったことを説明してね。
289 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 01:01:06 ID:EYBcTSiQ
>>279 宗教改革期の古典だろうが、なんだろうが、テオテースを「神格」などと
訳す神学者はいない。なぜかわかるか?
「テオテース」が「神格」という意味なら、同じ「テオテース」という言葉が
使われているカルケドン信条の枠組ががたがたになるからだ。
キリストというひとつの位格のなかに「神格」と「人格」が共存していることになる。
君は、福音派のふりをして本当は地方教会のメンバーだろう?
嘘をつくのはいいかげんにしなさい。
290 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 01:05:07 ID:EYBcTSiQ
>>282 ID:Kv59o/2sよ。
福音派のふりをするのはやめなさい。
2chの書き込み読んだだけで、
悪魔の「受肉」に納得する「福音派」など聞いたことないぞ。
君は地方教会のメンバーだね。
カルトの常套手段。見え透いている。
291 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 01:10:22 ID:EYBcTSiQ
>>282 >聖書では人の肉はサタンと見なされているらしい。
パウロは「肉」という言葉を、罪の原理に支配された、再生していない、
人の古い(生まれながらの)本性の意味でつかっているが、
「肉」=「サタン」と言いきった個所はひとつもない。
「神化」の教理や、「神と人の混ざり合い」や「サタンの受肉」は、
かれらの改訂された「三位一体」とリンクしている。
よくよく注意されよ。
292 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 01:16:53 ID:EYBcTSiQ
だいたい、本当に聖書に、「サタンの受肉」や「神と人のまざりあい」が書いてあるなら、 2000年間、信仰深く、頭のよい無数の人達が聖書をくまなく研究してきたのに、 その教理に気付かずに、リーがはじめて発見するなどということはありえない。 聖書からは、そのきになれば、いろんな個所を引用したり、つぎはぎしたりして、 どんな教理もでっちあげることができる。 だから、大切なのは、特定個人の教説を絶対化するのではなく、公同の教会が1500年以上保持して きた「教義」を尊重すること、ここからそれないこと。もしそれているなら、教会の側を 疑うのではなく、自分の信仰のあり方を疑うことだ。
293 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 01:27:48 ID:EYBcTSiQ
だけど、地方教会の主張はある意味で正しいともいえる。 プロテスタントや福音派がいうように「聖書のみ」を本当に徹底させたら、 地方教会のように、三位一体を否定するようになるのは、当然の帰結だからだ。 聖書には、おぼろげに三位一体は見えるが、後代に確立されるように 位格が三つで本性が一つという概念までは、聖書のみからは読み取れない。 三つの位格を「面」と捕らえるのは、プロソーポンやペルソナという言葉の もともとの意味からしても正しいので、そのほうが「聖書的」なのかもしれないのだ。
294 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 01:34:38 ID:EYBcTSiQ
だから、本当は「三位一体」という教義は、教会の権威や伝統というものと セットにしないと、成立しない。 だから、「三位一体」を告白できるのは、教会の権威を信じるカトリックや正教だけで、 聖書のみを掲げるプロテスタントは「三位一体」を告白することはできない。 リーのように、経綸的三一論の方が、「聖書的」とも言えるのだ。
295 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 01:39:32 ID:EYBcTSiQ
よって、すべてのプロテスタントは、みずからの原理に忠実であろうと 思いなら、リーの教会に参加されるとよい。 だが、さらに「聖書のみ」という原理も、実は、「聖書のみ」では成立しないものなのだ。 なぜなら「聖書」を聖書として確定したのは、教会だからだ。 教会の権威をしんじ、それに服することなしに「聖書のみ」もへったくれもあったものではない。 「聖霊の内的証言が聖書を聖書と信じさせる」という考えがあるが、 つまり、信者の主観次第だという話になってしまう。 だから、キリスト教というのものは、「聖書のみ」では成立しない。 せいぜい信者ひとりひとりの主観にしか基づかない砂上の楼閣ができあがるだけだ。 聖書と、教義と、教会の三点セットが、キリスト教には欠かしえないのだ。 この三つをきちんと保持しているのは、ローマカトリック教会や正教会をおいてほかにあり得ない。
296 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 08:13:11 ID:eBrrCTyf
>>290 ありえる。確かに一般の福音派の者がヨハネ3章から
サタンの受肉について合点するはずはない。
巧妙に読者を誘導して地方教会を擁護するやりかたは
いかにも統一教会やエホバがやりそうだ。
>>285-286 だってリーの書物をリストしてあるわけだから
それを調べればいいわけで。明らかに一般の三位一体とは
違うことを語っていることは明白。
やり方がずるいというか姑息だよ。
>よって、すべてのプロテスタントは、みずからの原理に忠実であろうと
>思いなら、リーの教会に参加されるとよい。
これも逆説的だが、なるほどとも言える。もしリーが現代の預言者として
神の啓示を開いたのであれば、そういうことになる。
297 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 09:01:43 ID:eBrrCTyf
ローカルチャーチの言い分だと、主の回復ってのは ルターなどから始まっているようだ。 カトが免罪符の堕落にあったとき、ルターが信仰義認の 真理を回復した。その後いろいろな器が出ては時々に 真理を回復した。中でもニーはすごかった。それを継承して いるのがリーであると。現代は教会の回復であって、 一行政区に一教会。これが「・・・に在る教会」。 神の願われる正常な教会生活は、安さんも言っていたが、 地方教会においてのみ可能であると。 だからわれわれはルターとカトの関係におかれるわけ。 ルターが信仰義認を回復したときにカトを離れてルターに従うか、 カトに残るか。同じようにリーが教会を回復しているのであるから 堕落した一般のキリスト教を離れてリーに従うか、どうか。 彼らはプロテスタントでもないと言っているからね。 さあ、君たちどうする?
298 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 09:16:14 ID:EYBcTSiQ
>>297 地方教会のメンバーじゃないふりをするのはいい加減やめなさい。
さっきまで、ブロテスタントと同じふりしてたくせに、
釣られて本性表わし始めたね。
たしかに、そうなのだろうね。
プロテスタントの原理を徹底させたのが、福音派であり、
福音派の原理をより徹底させたのが、地方教会である。
そしてそのなれのはては、古代信条によって確立されたキリスト教の伝統教義の
書き換えである。教会が2000年間大切に守ってきた教えの否定である。
伝統や教会を軽んじるというプロテスタントや福音派のなかにもともとあった病理が、
徹底した形であらわれたのが地方教会なのだろうね。
聖書、教会、教義、この三点セットがないと、キリスト教は成り立たない。
教会や教義を否定するとき、個人の「預言」や主観に頼るようになる。
299 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 09:36:37 ID:EYBcTSiQ
プロテスタントや、福音派や、地方教会の病理は、文化命令の軽視と、宣教命令の偏重である。 「この世」と「教会」、ノンクリとクリの連続性は否定され、断絶ばかりが強調される。 地方教会がいうように、一般社会がサタンの受肉した世界であり、クリスチャンは 神と人がまざりあった存在であるとするなら、両者の間にはなんの連続性も 共通領域も存在せず、両者が共に協力して、社会形成のために努力するということは 価値がみとめられなくなる。 周りを宣教することしか関心がなくなってしまう。 しかし、実際は、文化命令なしに、宣教命令の遂行はありえないし、 文化命令の遂行のなかに具体的に結実しないような、信仰などむなしいのだ。
300 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 10:54:56 ID:Op46zfwl
>>282 は俺。
>>297 は誰か別の人だ。
俺がいた教会の牧師はニー師の愛読者であることを公言していたが
リー師のことは批判していた。
ある事情でその教会にはいられなくなってもう行ってない。
いろいろ遺恨はあるがしかし牧師のメッセージが良かった。
戻りたくはないが教えにだけはあずかりたく
ホムペや本をさがした。
牧師がニー師よりもリー師の教えをもとにしているらしいとわかった。
あの牧師が言ってたことはなんだったのかと悩んでる。
自分で本を買って確かめたら済むが
カルトと聞かされてきた団体に本を注文するのがためらわれてここにきている。
笑いたかったら笑え。
でも議論の邪魔はするな。
いまからまたロムる。
みなさん、本当に申し訳ないです。今週末はあわただしいのです。
回復訳の電子版を持っている兄弟姉妹、もしよかったら、
「回復訳聖書のための参照早見表」の「三一の神」のところの聖句とフットノートを
ここにコピーしてくださいませんか? どなたかお願いします。
サタンの受肉については、回復訳を持っている方は、ローマの5章から8章と、
ヨハネの3:14〜16あたりをご覧下さい。
>>279 >なぜこれまで地方教会はワンネス疑惑にこたえてこなかったのか
よく知りませんが、人手不足だからだと思います。昔のことはよく知らないのです。
あのー、主の回復では私はかなり若手なんですけどね^^;
>なぜいまになって急に、しかも2ちゃんねるで発言しはじめたのか
別のことを検索してて見つけたからです。
>>292 神と人の混ざり合い、教父も言ってます。
サタンの受肉という用語は別として、その思想は歴史的にあったでしょう。
詳しくは、だれかがフットノートを写してくれるのを待ってください。
私はあしたの晩あたりに帰ってきます。
302 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 12:28:35 ID:9N3H2Cxj
>>300 実際に地方教会の集会に来たら分かるでしょう。
安兄弟が特別集会の案内をしていますから。
303 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 12:32:22 ID:9N3H2Cxj
安兄弟、みごりごが御父であり、キリストがその霊になったことを きちんと説明してあげておいた方が良いと思います。
304 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 18:47:04 ID:JDNrrj8b
安氏とやら、貴君はひじょうに頭がいい。 普通の信条と異なる部分の説明はきわめてうまく逃げている。 しかし自分たちは福音派と違わない、歴代教父と同じだと。 別スレを読んでごらん。リーは歴史的信条が見落としてた真理を付け足した、 と言っている。こちらではすでに言われていたことを言っているだけだと。 よーくこのスレを読んでごらん。 みどりごが御父であるとかの、批判者が指摘している問題箇所については 巧妙にかわして答えていないから。別スレでの発言とこちらの発言は巧妙に違う。 まあ、読者諸氏はきちんと判断していると思われるが、 リーの地方教会については要注意。要注意。
305 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 19:27:10 ID:SK6Tg7BR
>神と人の混ざり合い、教父も言ってます 初期の正統派教父のなかには パウロ文章はグノーシス異端だ と論難するものもいたわけです。 教父の言のすべてをキリスト教が採用したわけではありません
306 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 19:33:38 ID:SK6Tg7BR
>>300 >牧師がニー師よりもリー師の教えをもとにしているらしいとわかった
99.7パーセントの確立で事実無根だと思われる。
客観的には事実無根。 しかしキミはそう感じたことは大いにありうるが
客観的には事実無根 回復系フォークロアかもしんないね。
よく聞く話だが いつも具体性がない
307 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 20:24:43 ID:JDNrrj8b
>神と人の混ざり合い、教父も言ってます。 >サタンの受肉という用語は別として、その思想は歴史的にあったでしょう。 どうもローカルチャーチは他の人が見てない真理を回復している と主張するわりに、問題点を指摘されると、教父だとか、誰々も言っていると 主張の根拠を他の一般に認められている者に置こうとしますね。 ルターが信仰義認を回復した際、そんなことをしましたか? 彼は一人できっぱりと立ったのです。 真に御言葉と御霊の照明があって真理を見出しているのならば、 他の者を権威付けに使う必要はなかろうて。どうも読んでいて 二枚舌というか、表の顔と裏の顔が違っているような印象がするのだが。
308 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 21:36:46 ID:o8jGq/0t
「回復訳聖書のための参照早見表」 三一の神・・・・・・・・・マタイ28:19(5のフットノート).ヨハネ14:7(1のフットノート),10.Uコリント13:14(1のフットノート) マタイ28:19 だから、行って、すべての国民を弟子とし、父と子と聖霊の名の中へと彼らをバプテスマして、 「名」のフットノート 神聖な三一に対して一つの名があります。その名は神聖な方の総合計であり、彼のパースンに等しいです。だれかを三一の名の中へとバプテスマするとは、彼を三一の神のすべての中に浸し込むことです。
309 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 21:41:07 ID:o8jGq/0t
ヨハネ14:7 あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたはずである.今からあなたがたは彼を知る.そしてすでに彼を見たのである」。 ヨハネ14章についてのフットノート この章は、神がご自身を人の中に分与される道を啓示しています。ご自身をわたしたちに分与することで、 神は三一です。神は一であり、しかも三、すなわち父、子、霊です。御子は御父の化身、表現であり (7−11節)、その霊は御子の実際、実現です(17−20節)。御父は御子の中で(御子は御父とさえ呼ばれてい ます―イザヤ9:6)表現され、見られます。御子はその霊として(Uコリント3:17)啓示され、実際化されます。 御父は御子にあって、信者たちの間で表現され、御子はその霊として、信者たちの中で実際化されます。
310 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 21:42:04 ID:o8jGq/0t
父なる神は隠されており、子なる神は人の間に現され、霊なる神は人の中に入って、人の命また命の供給、 すべてとなられます。ですから、この三一の神―御子にある御父と、その霊としての御子は、ご自身をわた したちへと分与して、わたしたちの分け前となられます。それは、わたしたちが彼の神聖な三一の中で、 彼をすべてとして享受するためです。
311 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 21:45:49 ID:o8jGq/0t
ヨハネ14:10 わたしが父の中におり、父がわたしの中におられることを、あなたは信じないのか? わたしがあなたがたに語る言葉は、わたしが自分から語るのではない.わたしの中に住んでいる父が、ご自身のわざを行なっておられるのである。 IIコリント13:14 主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にありますように。 「主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わり」のフットノート 主の恵みは、わたしたちの享受のための、わたしたちの命としての主ご自身です(ヨハネ1:17とノート1. Tコリント15:10とノート1)。神の愛は、主の恵みの源としての神ご自身です(Tヨハネ4:8,16)。聖霊の 交わりは、わたしたちがあずかるための、神の愛を伴う主の恵みの伝達としての聖霊ご自身です。これら は三つの別々のものではなく、一つのものの三つの面です。それは、主、神、聖霊が三つの別々の神で はなく、「一つの同じ、分けられてもいなければ、分けることもできない神の三つの実質(ハイポスタシーズ)」 (フィリップ・シャフ)であるのと同じです。英語の「ハイポスタシス」(hypostasis)は「ハイポスタシーズ」 (hypostases)の単数形であり、そのギリシャ語は(参照,ヘブル11:1のノート2)、下の支え、下からの支え、 すなわち下から支えるもの、支えている実質を意味します。父、子、霊は、ハイポスタシーズ、支える実質 であり、ひとりの神格を構成します。
312 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 21:47:33 ID:o8jGq/0t
神は起源であるので、神の愛は源です。主は神の表現であるので、主の恵みは神の愛の経路です。 その霊の交わりは、神の愛を伴う主の恵みの分与です。その霊は、三一の神、御父、御子、聖霊と その神聖な美徳を、わたしたちが経験し享受するための、神を伴う主の伝達であるからです。ここでは、 主の恵みが最初に述べられています。なぜなら、この手紙はキリストの恵みに関するものであるから です(1:12.4:15.6:1.8:1,9.9:8,14.12:9)。そらされ、混乱させられ、その後、励まされ、回復 されたコリントの信者たちには、このような愛、恵み、交わりの三つの美徳の神聖な特質と、このよ うな三つの神聖な実質から成る三一の神、すなわち父、子、その霊から成る三一の神が必要でした。 ですから使徒は、彼の愛のこもった親密な手紙を結ぶにあたって、一つの文の中に、これらの神聖な 尊いものをみな含めたのです。
313 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 21:48:45 ID:o8jGq/0t
この節は、神格の三一が、組織神学の教理的理解のためではなく、三一における神ご自身が、選ばれ 贖われた人々の中へと分与されるためであることを、強く証明します。聖書の中で三一は、決して単な る教理として啓示されていません。それは常に、神と彼の被造物との関係、特に神が創造された人、 とりわけ彼が選び贖われた人々との関係について啓示されているか、あるいは述べられています。創造 に関する神聖な啓示において使われた最初の神の称号、ヘブル語のエロヒムは複数形であり(創1:1)、 人のための天地の創造主としての神が、三一であることを暗示しています。人をご自身のかたちに、 ご自身の姿に創造されたことに関して、彼は「われわれに」と「われわれの」という複数の代名詞を 使われました。これは神の三一に言及しており(創1:26)、神は人と一つになり、神の三一において、 人を通してご自身を表現することを暗示しています。後に創世記第3章22節(創3:22)、第11章7節(創11:7)、 イザヤ書第6章8節(イザヤ6:8)で、神は人との関係、神と彼の選ばれた人々との関係を述べる時、繰り 返しご自身を「われわれ」と言っておられます。
314 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 21:50:14 ID:o8jGq/0t
堕落した人を贖い、人と一つになる立場を再び持つために、神は御子にあってその霊を通して(ルカ1:31−35) 受肉され(ヨハネ1:1,14)、人と成られました。そして、やはり御子にあって(ルカ2:49)、その霊によって (ルカ4:1.マタイ12:28)、地上で人の生活をされました。地上での務めの初めに、御父は人々に臨むため、 また彼らをご自分に連れ戻すために、その霊をもって御子を油塗られました(マタイ3:16−17.ルカ4:18)。 彼は肉体において十字架につけられ、復活して命を与える霊と成られる直前(Tコリント15:45)、彼の奥義的 な三一を、弟子たちに明白な言葉で啓示されました(ヨハネ第14章―第17章)。その内容は、御子は御父の中 にあり、御父は御子の中にあること(ヨハネ14:9−11)、その霊は御子の化身であること(ヨハネ14:16−20)、 同時同存し、相互内在するこの三は信者たちの享受のために、彼らと共に住まわれること(ヨハネ14:23. 17:21−23)、御父が持っておられるすべては御子のものであること、御子が所有しておられるすべては その霊によって受け取られたこと(ヨハネ16:13−15)です。そのような三一は、完全に、手順を経た神を 信者たちの中へ分与することと関係があります(ヨハネ14:17,20.15:4−5)。それは彼らが、三一の神の 中で、三一の神と一となるためです(ヨハネ17:21−23)。
315 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 21:51:06 ID:o8jGq/0t
復活の後、主は弟子たちに、すべての国民を弟子として、彼らを父、子、聖霊の名の中へとバプテスマ するように命じられました(マタイ28:19)。主は、信じる者たちを三一の神の中へと、すなわち、受肉、 人の生活、十字架を経過し、復活の中へ入り、手順を経た神との有機的結合へともたらすよう、弟子たち に命じられたのです。このような有機的結合に基づいて、使徒はコリント人への神聖な手紙の結びで、 祝福された三一をもって彼らを祝福しました。それは、その霊の交わりを通して、御父の愛を伴う御子の 恵みにあずからせることです。神聖な三一において、父なる神は、キリストのからだである召会のすべて の肢体の中で、子なる神、主の務めを通し、その霊なる神の賜物によって、すべてのことを行なわれます (Tコリント12:4−6)。
316 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 21:54:01 ID:o8jGq/0t
エペソ人への手紙は、キリストのからだとしての召会の産出、存在、成長、建造、戦いに関する書です。 その神聖な啓示全体は、この神聖なエコノミー、すなわち三一の神のキリストのからだの肢体への分与か ら成り立っています。エペソ人への手紙第1章は、父なる神が永遠の中でこれらの肢体を選び、あらかじ め定められたこと(エペソ1:4−5)、子なる神が彼らを贖われたこと(エペソ1:6−12)、その霊なる神が担 保として彼らに証印を押されたこと(エペソ1:13−14)、その結果、ご自身を召会の形成のために彼の信者 たちに分け与えておられること、この召会はキリストのからだであり、すべての中ですべてを満たしてい る方の豊満であること(エペソ1:18−23)を啓示しています。第2章は、神聖な三一において、すべての信者、 ユダヤ人も異邦人も、子なる神を通して、その霊なる神の中で、父なる神に近づくことができることを 見せています(エペソ2:18)。これは、三が、受肉、人の生活、十字架、復活の過程を経た後でさえ、同時 同存し、相互内在されることを示します。第3章で使徒は、父なる神が信者たちを、霊なる神を通して、 彼らの内なる人の中へと増強してくださるように、またキリスト(子なる神)が、彼らの心の中にホームを 造ってくださるように、すなわち、彼らの全存在を占有してくださるようにと祈りました。それは、彼ら が満たされて、神の全豊満へと至るためです(エペソ3:14−19)。
317 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 21:58:40 ID:o8jGq/0t
これは、信者たちが三一における神にあずかることでの最高の経験です。第4章は、その霊、主、父として の手順を経た神が、いかにキリストのからだ(エペソ4:4−6)と混ざり合わされているかを描写しています。 それは、からだのすべての肢体が神聖な三一を経験するためです。第5章は、主(子なる神)を、霊(霊なる 神)の歌をもって賛美すること、わたしたちの主イエス・キリスト(子なる神)の御名の中で父なる神に感謝 をささげることを、信者たちに勧めています(エペソ5:19−20)。これは、わたしたちが神聖な三一における 手順を経た神を賛美し、彼に感謝することです。わたしたちは、彼を三一の神として享受できることに、 感謝しなければなりません。第6章は、主(子なる神)の中で力づけられることによって、神(父なる神)の すべての武具を身に着け、その霊(霊なる神)の剣を振るって、霊的戦いを戦うことを教えています(エペソ 6:10,11,17)。霊的戦いにおいても、信者による三一の神の経験と享受があるのです。
318 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 22:00:17 ID:o8jGq/0t
使徒ペテロは、彼の手紙の中で、信者たちに父なる神の選び、霊なる神の聖別、イエス・キリスト(子なる神) の血による贖いに(Tペテロ1:2)言及することによって、神が三一であるのは、信者たちの享受のためである ことを確証します。使徒ヨハネも、神聖な三一は、信者が手順を経た三一の神にあずかるためであるという啓示を、 さらに強めています。啓示録でヨハネは、今おられ、昔おられ、やがて来ようとしておられる方(父なる神)から、 また彼の御座の前の七つの霊(霊なる神)から、また忠信な証人、死人の中から最初に生まれた方、地上の諸王の 支配者であるイエス・キリスト(子なる神)からの恵みと平安をもって、各地の召会を祝福します(啓1:4−5)。 ヨハネの諸召会に対するこの祝福はまた、手順を経た三一の神が、信者たちの享受のためであることを示しています。 手順を経た三一の神は、永遠の父としての彼であるものすべての中で、七倍に強化された霊としての彼がなし得る ことすべての中で、油塗られた御子としての彼が到達し獲得したものすべての中で、信者たちの享受となられます。 こうして彼らは、金の燭台として彼の団体的証しとなるのです(啓1:9,11,20)。
319 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 22:01:14 ID:o8jGq/0t
こういうわけで、創世記から啓示録で、聖なる御言にある神格の三一の神聖な啓示は、神学の研究のため ではないことが明らかにされます。この啓示は、神が奥義的な、すばらしい三一の中で、どのようにご自身 を選びの民の中へと分与されるかの認識のためにあります。三一が分与されることによって、神に選ばれ 贖われた民であるわたしたちは、コリントの信者たちに対する使徒の祝福の中で示されているように、現在 から永遠に至るまで、手順を経た神にあずかり、経験し、享受し、所有するのです。アーメン。
320 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 22:35:49 ID:JDNrrj8b
>御子は御父の化身、表現であり >(7−11節)、その霊は御子の実際、実現です(17−20節)。 >御父は御子の中で(御子は御父とさえ呼ばれてい >ます―イザヤ9:6)表現され、見られます。 >御子はその霊として(Uコリント3:17)啓示され、 >実際化されます。 ここですね。御子は御父の化身、御霊は御子であると。 御父→御子→御霊の段階を経たというわけですね。 これは人間が神を享受するためであると。 ローカルチャーチの皆様、これが一般の三位一体とは異なるのです。 いや、しかし貴重な資料をどうもです。
321 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 22:42:22 ID:EYBcTSiQ
322 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 22:44:21 ID:JDNrrj8b
リーの三位一体論は人との関係において語られるわけ。 320に指摘したように、彼の三位一体論はサベリウスのオリジナルな 様態論とは異なるが、その変形であるとは言えるだろう。 イザヤのみどりごは御父、つまり御子は御父の化身であり、 御霊(なぜか「その霊」というようだが、どう違うのかね?)は 御子の化身であると。 しかもこれは神学のためではなく、三一の神の分与のため、 神と人が混ざり合うためというわけね。 なるほど、、、、
323 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 22:46:17 ID:JDNrrj8b
このスレは流れないうちに保存しておこう。
324 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 23:02:53 ID:JDNrrj8b
結局リーは実質様態論(変形か)を唱え、表向きには批判をかわすために 通常の三位一体の表現もしているように見える。あえてフィリップ・シャフを もっともらしく引用しているが、本当に言いたいことは「手順を経た神」なわけ。 それを三の面と一の面といった曖昧な言葉で批判をかわそうとしているな。 二枚舌的。
フットノートをコピペしてくださった方、ありがとうございます!
>ID:JDNrrj8b
>御父は御子の中で(御子は御父とさえ呼ばれてい
>ます―イザヤ9:6)表現され、見られます。御子はその霊として(Uコリント3:17)啓示され、実際化されます。
この箇所についてあなたは
>一般の三位一体とは異なる
とし、
>>321 でサベリウス主義に近いと、
>>322 では
>サベリウスのオリジナルな様態論とは異なるが、その変形であるとは言えるだろう。
とおっしゃいました。
あなたのご発言には非常に疑問に感ずる点があります。
あなたがおっしゃる「一般の三位一体」とは、具体的になにをさして言っておられますか?
ここに写されたリー兄弟の三位一体論は、カルケドン信条とその権威ある注解にそったものです。
それを様態論的とおっしゃるあなたが思っておられる「一般の三位一体」が何なのかを
まず明らかにしてください。
このままでは、一般に正統的とみなされている三位一体論に対し、
根拠のない罵倒語を投げつけただけになってしまいますよ。
それはそのまま、あなたが三神論者、
あるいはそれにかたむいた立場であることをであることを意味するのです。
人を様態論的というからには、今度はあなたの立場が問われます。 あなたの三位一体論を提示してください。 カルケドン信条を写して「私はこれを信じる」などといってお茶を濁すのは無しですよ。 あしたの晩に戻ってきます。 もし返答に時間がかかるなら待ちますよ。 わたしもさんざ人を待たせましたから。
327 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 23:22:35 ID:EYBcTSiQ
>>325 カトリックやプロテスタントの「一般的な三位一体論」は、
父が御子になったとか、御子が聖霊になったとか言いません。
いい加減にしろ。
328 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 23:27:18 ID:JDNrrj8b
>>327 いや、もういいでしょう。結論は出ています。安さんもお忙しそうですから、
このスレを読まれた方々がそれぞれに判断されると思いますよ。
ただしね、安さん、あなたはまだ答えていないでしょう?
巧妙に逃げています。
329 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 23:48:31 ID:EYBcTSiQ
39 :安得烈 ◆btXULJ2X8M :2006/03/30(木) 11:23:03 ID:aWA5F3g1
>>29 >話そらしたりしてませんよぉ(笑)。
>あなたはちゃんとした方のようなので、お互い納得がいくまで話したいと思います。
>リー兄弟は、威勢のいい啖呵をきっていますが、こんなこといっといて、
>実は信条と矛盾することは言ってないのです。「神の母」を除いて。
>リー兄弟がやったのは、聖書が言っているにもかかわらず信条が言ってなかったことを
>付け足したというだけで、彼自身はなにも発明していないし、作り出してもいないのです。
>詳しくお話したいところですが、いまは荒れているのであとにさせてください。
リーは、信条に付け足したって、自分で書いているだろうが?
二枚舌野郎め。
330 :
霊体天使 :2006/03/32(土) 23:49:27 ID:mYKwcM4D
キリストは誕生してから、2010年たちますが、生存しているというバカがいます。 また、地上に再臨するとか、いっています。では、どこに生存しているのでしょうか? 1 地球外惑星 2 異次元空間 3 UFO内部 さて、何番が正解ですか? とにかく、2010歳ですから、冷凍人間ですかね。 クリスチャンは説明の義務がありますよ。
331 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 23:52:46 ID:EYBcTSiQ
>>327 「父が御子になった」とは私たちもいいません。言葉は正確に。
回復訳のフットノートに書いてある意味での三位一体が様態論だというなら、
それはあなたの三位一体の理解がおかしいのです。
リー兄弟は信条には特別には注意を払わず、参考資料の一つとしてしか見ていませんでしたが、
結果的に使徒信条ともニケア信条ともアタナシウス信条ともカルケドン信条とも調和したことを語りました。
ただし、「神の母」を除いて。それは、各信条が、聖書にそった内容だったからです。
>>328 あなたがおっしゃるのとはまったく違う意味で、私も結論はすでに出ていると思います。
イザヤ9:6についてはあしたゆっくりと論じます。
あしたは長い一日になりそうです。
333 :
霊体天使 :2006/03/32(土) 23:58:25 ID:mYKwcM4D
どこかと、場所を聞いてるのですから、具体的に場所をいってください。 父なる神は、どこにいるのですか? 1 亜空間 2 地球外惑星 3 宇宙外領域 さて、正解は何番ですか? クリスチャンは説明の義務があります。 正確に答えて下さい。
334 :
名無しさん@3周年 :2006/03/32(土) 23:59:33 ID:Hts2SEQP
>331 この人、カトスレにもおんなじ文をコピペしてましたよ。 流してやって下さい(^-^)
>>333 具体的という割りに選択肢が稚拙ですねw
主はαでありΩであるという存在なのです。
わかりますか?
ここにいないしあそこにもいないがここにもいるしあそこにもいるのですよ。
おっと、スレ汚し失礼。 私の関心はサタンの受肉だけなのですね。 ロムに戻ります。
337 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 00:07:35 ID:3gxiTRtB
>>332 うそつきカルトめ。
一般の三位一体は、神の本性ヒュポスタシスのことを「神格」などと
いわないぞ。いい加減にしろ。
338 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 00:08:52 ID:QF2rCjkj
ここにはバカの壁が高くそびえている。
339 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 00:12:53 ID:QF2rCjkj
>「父が御子になった」とは私たちもいいません。言葉は正確に。 御子は御父の化身だっていっているじゃん。 本郷隼人の化身が仮面ライダーだろ。
340 :
霊体天使 :2006/04/02(日) 00:15:55 ID:y8qpf581
論理性なしの回答ですね。 「ない」のに「ある」とか、「ある」のに「ない」とかでは、 場所が特定できません。 生命があるわけですから、特定できる場所があるわけです。 警察に説明できて、裁判所に説明できる文章で、説明してください。 この説明ですと、詐欺罪になりますよ。
341 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 00:16:49 ID:3gxiTRtB
本当に一般の教会と同じこといっているならわざわざ新しい教派を立てる必要はないはずだが。
342 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 00:17:42 ID:3gxiTRtB
>>340 だから父なる神の右に座しておられるといっているだろうが。
343 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 00:18:25 ID:3gxiTRtB
>>340 父なる神は、キリストの左に座しておられるのだよ。
344 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 00:19:04 ID:3gxiTRtB
右も左もわからん左巻きはあっちいけ。
>>340 ぜひ告訴してくださいw
詐欺罪でw
いや〜楽しみだw
346 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 01:14:20 ID:cN2fr+5d
>340 あなたは科学の偉大さと限界を正確に知らないのでは? あなたにひとつ質問します。 水が沸騰するのはどういうときですか? 沸騰とはどういうことですか? なぜ、水は沸騰するのでしょう? 論理性を大事にされるあなたの答えを是非お聞きしたい。
347 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 01:19:46 ID:cN2fr+5d
>334 まあ、いいじゃないですか。 たまには「遊ぶ」のもいいもんですよ。 安さんももうお休みでしょうし、回復訳についての重要な議論はまた明日なのかな。
348 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 01:24:08 ID:3gxiTRtB
349 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 01:25:21 ID:cN2fr+5d
…あれ? 霊体天使とかいう人、来ないなあ。 答えができず逃亡か…? つまんね。
350 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 01:36:32 ID:cN2fr+5d
>348 「カルト」とはきついですね。 私もあなたと同じ意見ですよ。 霊体天使さんはご自分が拠って立つ所をよくご存じないかもしれないので、どんなものか質問してみたのですよ。
351 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 04:45:34 ID:3gxiTRtB
失礼。
352 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 08:48:17 ID:QF2rCjkj
スレを無駄に流すなよ。 みどりごが御父であり、 御子は御父の化身、御霊は御子の化身 しかし、御父が御子になったのではない。 そのわけを安さん説明してくれるんだから。 ところで、御子は御霊になったんだろう?
The Creed of Chalcedon was adopted at the fourth and fifth sessions of the fourth œcumenical Council, held at Chalcedon, opposite Constantinople, A.D. 451 (Oct. 22d and 25th). It embraces the Nicæno-Constantinopolitan Creed, and the christological doctrine set forth in 30the classical Epistola Dogmatica of Pope Leo the Great to Flavian, the Patriarch of Constantinople and martyr of diophysitic orthodoxy at the so-called Council of Robbers (held at Ephesus in 449). While the first Council of Nicæa had established the eternal, pre-existent Godhead of Christ, the Symbol of the fourth œcumenical Council relates to the incarnate Logos, as he walked upon earth and sits on the right hand of the Father. It is directed against the errors of Nestorius and Eutyches, who agreed with the Nicene Creed as opposed to Arianism, but put the Godhead of Christ in a false relation to his humanity. It substantially completes the orthodox Christology of the ancient Church; for the definitions added during the Monophysite and Monothelite controversies are few and comparatively unessential. As the Nicene doctrine of the Trinity stands midway between Tritheism and Sabellianism, so the Chalcedonian formula strikes the true mean between Nestorianism and Eutychianism. The following are the leading ideas of the Chalcedonian Christology as embodied in this symbol:
1. A true incarnation of the Logos, or the second person in the Godhead. This incarnation is neither a conversion or transmutation of God into man, nor a conversion of man into God, and a consequent absorption of the one, or a confusion of the two; nor, on the other hand, a mere indwelling of the one in the other, nor an outward, transitory connection of the two factors, but an actual and abiding union of the two in one personal life.
2. The precise distinction between nature and person. Nature or substance denotes the totality of powers and qualities which constitute a being; while person is the Ego, the self-conscious, self-asserting and acting subject. The Logos assumed, not a human person (else we would have two persons, a divine and a human), but human nature which is common to us all; and hence he redeemed, not a particular man, but all men as partakers of the same nature.
3. The God-Man as the result of the incarnation. Christ is not a (Nestorian) double being, with two persons, nor a compound (Apollinarian or Monophysite) middle being, a tertium quid, neither divine nor human; but he is one person both divine and human.
4. The duality of the natures. The orthodox doctrine maintains, against Eutychianism, the distinction of nature even after the act of incarnation, without confusion or conversion, yet, on the other hand, without division or separation , so that the divine will ever remain divine, and the human ever human, and yet the two have continually one common life, and interpenetrate each other, like the persons of the Trinity.
5. The unity of the person. The union of the divine and human nature in Christ is a permanent state resulting from the incarnation, and is a real, supernatural, personal, and inseparable union—in distinction from an essential absorption or confusion, or from a mere moral union; or from a mystical union such as holds between the believer and Christ. The two natures constitute but one personal life, and yet remain distinct. 'The same who is true God,' says Leo, 'is also true man, and in this unity there is no deceit; for in it the lowliness of man and the majesty of God perfectly pervade one another . . . . Because the two natures make only one person, we read on the one hand: "The Son of Man came down from heaven" (John 3:13), while yet the Son of God took flesh from the Virgin; and on the other hand: "The Son of God was crucified and buried," while yet he suffered, not in his Godhead as coeternal and consubstantial with the Father, but in the weakness of human nature.' The self-consciousness of Christ is never divided; his person consists in such a union of the human and the divine natures, that the divine nature is the seat of self-consciousness, and pervades and animates the human.
6. The whole work of Christ is to be attributed to his person, and not to the one or the other nature exclusively. The person is the acting subject, the nature the organ or medium. It is the one divine-human person of Christ that wrought miracles by virtue of his divine nature, and that suffered through the sensorium of his human nature. The superhuman effect and infinite merit of the Redeemer's work must be ascribed to his person because of his divinity; while it is his humanity alone that made him capable of, and liable to, toil, temptation, suffering, and death, and renders him an example for our imitation.
7. The anhypostasia, impersonality, or, to speak more accurately, the enhypostasia, of the human nature of Christ; for anhypostasia is a purely negative term, and presupposes a fictitious abstraction, since the human nature of Christ did not exist at all before the act of the incarnation, and could therefore be neither personal nor impersonal. The meaning of this doctrine is that Christ's human nature had no independent personality of its own, besides the divine, and that the divine nature is the root and basis of his personality. There is, no doubt, a serious difficulty in the old orthodox Christology, if we view it in the light of our modern psychology. We can conceive of a human nature without sin (for sin is a corruption, not an essential quality, of man), but we can not conceive of a human nature without personality, or a self-conscious and free Ego; for this distinguishes it from the mere animal nature, and is man's crowning excellency and glory. To an unbiased reader of the Gospel history, moreover, Christ appears as a full human personality, thinking, speaking, acting, suffering like a man (only without sin), distinguishing himself from other men and from his heavenly Father, addressing him in prayer, submitting to him his own will, and commending to him his spirit in the hour of death.
Yet, on the other hand, be appears just as clearly in the Gospels as a personality in the most intimate, unbroken, mysterious life-union with his heavenly Father, in the full consciousness of a personal pre-existence before the creation, of having been sent by the Father from heaven into this world, of living in heaven even during this earthly abode, and of being ever one with him in will and in essence. In one word, he makes the impression of a theanthropic, divine-human person. His human personality was completed and perfected by being so incorporated with the pre-existent Logos-personality as to find in it alone its full self-consciousness, and to be permeated and controlled by it in every stage of its development.
The Chalcedonian Christology has latterly been subjected to a rigorous criticism (by Schleiermacher, Baur, Dorner, Rothe, and others), and has been charged with a defective psychology, and now with dualism, now with docetism, according as its distinction of two natures or of the personal unity has most struck the eye. But these imputations neutralize each other, like the imputations of tritheism and modalism, which may be made against the orthodox doctrine of the Trinity when either the tri-personality or the consubstantiality is taken alone. This, indeed, is the peculiar excellence of the Creed of Chalcedon, that it exhibits so sure a tact and so wise a circumspection in uniting the colossal antithesis in Christ, and seeks to do justice alike to the distinction of the natures and to the unity of the person. In Christ all contradictions are reconciled.
The Chalcedonian Creed is far from exhausting the great mystery of godliness, 'God manifest in flesh.' It leaves much room for a fuller appreciation of the genuine, perfect, and sinless humanity of Christ, of the Pauline doctrine of the Kenosis, or self-renunciation and self-limitation of the Divine Logos in the incarnation and during the human life of our Lord, and for the discussion of other questions connected with his relation to the Father and to the world, his person and his work. But it indicates the essential elements of Christological truth, and the boundary-lines of Christological error.
364 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 20:59:52 ID:3gxiTRtB
日本語で、自分の言葉で説明できないのかな。
It defines the course for the sound development of this central article of the Christian faith so as to avoid both the Scylla of Nestorian dualism and the Charybdis of Eutychian monophysitism, and to save the full idea of the one divine-human personality of our Lord and Saviour. Within these limits theological speculation may safely and freely move, and bring us to clearer conceptions; but in this world, where we 'know only in part,' and 'see through a mirror obscurely ' it will never fully comprehend the great central mystery of the theanthropic life of our Lord.
Philip SchaffのCreeds of Christendom Volume I 第9章The Creed of Chalcedonです。 ラテン語とギリシャ語の注は割愛してあります。 くたびれた。ちょっと休憩。
367 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 21:09:02 ID:NHgu1bQ8
>>364 に激しく同意。やめなよ、無意味だよ、こんなの。
あなたが自分で説明すべきでしょう。それに
英語ができない人のことも配慮してほしいな。
368 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 21:11:52 ID:NHgu1bQ8
安さん、荒らしと思われるよ。
369 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 21:34:55 ID:1PmEKtAm
そのとうり・・ただのいやがらせじゃないですか!日本の掲示板で 外国語で書き込んでただのいやがらせでしょう!! 失礼ですよ
長文を引用したのは、
恣意的引用の仕方で文章の意味を歪曲したととられないためです。
英語のまま引用したのは、残念ながら日本語版がないからです。
私が試訳したら、またあげあしとりでしょ。
リー兄弟以外は使わない異端的いいまわしであるなどとデマを流す人がいましたが、
God-manという語が登場したりなど、非常に興味深い文章で、英語が読める方は
是非はじめからおしまいまで目を通していただきたいところですが、
注目していただきたいのは
>>357 です。
カルケドン信条の日本語版に「同一なるキリスト、御子、主、独り子は二つの性より成り、
そは混淆せられず、変更せられず、分割せられず、分離せられずして」とあります。
「混淆せられず、変更されず」を過度に強調して、
リー兄弟がいっていた「神の性質と人の性質との混ざり合い(mingling)」まで
否定している人は、ここをどう読むのでしょうか?
「分割せられず、分離せられずして」という箇所を否定することになるのではありませんか?
フィリップ・シャフはinterpenetrateという語を使っています。
つまり、神の性質と人の性質とが相互に浸透し合うのです。
神の性質は人の性質に、人の性質は神の性質に相互に浸透し合いますが、
それぞれは、変化せず、消滅することもありませんし、何か別の性質を産み出すわけでもありません。
これは、リー兄弟が使ったmingleという動詞の意味そのものです。
371 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 21:48:40 ID:1PmEKtAm
大変興味深いのがその次の句です。 like the persons of the Trinity 神の性質と人の性質がキリストの位格において相互に浸透し、混ざり合い、 一つとなりつつも区別される状態であったのは、 三位一体の各位格がそうであったのと同様にである、といっています。 ここで、私が、すでに落ちてしまったスレッドで混乱した書きこみをしてしまったことを 告白し、訂正しなくてはなりません。 三位一体の各位格は、区別されますが、 以上に述べたように、不可分です。 これが、キリスト教の伝統的教理の根幹です。 三位一体の各位格が不可分であることをいわない、 あるいは認めない人は、大勢いるかもしれません。 2ちゃんねるの宗教板にもいます。 私は、そういう人たちがいることは知っていますし、そういう人たちの著作を読んで、 少々影響されました。2ちゃんねるでそういう立場の人と議論をして、 相手の言葉に引っ張られて混乱したりもしました。 しかし、丁寧に聖書を読み、キリスト教の古典を読む限り、 この点を否定することに平安を感じられなくなりました。 イザヤ書9:6をどう読むかを論じるにあたって、 これは重要な前提となると思います。
373 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 21:54:30 ID:3gxiTRtB
>>370 カルケドンの標準的な解釈が記されているだけ。
>>356 では
nor a compound (Apollinarian or Monophysite) middle being,
神と人の混合的、中間的な存在ではないと書いてある。
いずれにしても、二性一人格というのは、キリストに関しての話であって、
人間一般に安易に当てはめてよい話ではない。
374 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 21:59:03 ID:3gxiTRtB
それにそもそもここでいうdevine natureという言葉の原典での用語は、例の 「テオテース」なのだが、「テオテース」=神性という理解でいいのかい? 納得したんだね?
375 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:01:39 ID:3gxiTRtB
シャッフは、テオテース=神性と理解しているのに 自分に都合の悪い部分は無視して、 自分の都合のよい部分だけピックアップするのは やめましょう。
376 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:06:37 ID:NHgu1bQ8
しかしね、何でここまでminglingにこだわるわけ? 普通にしておいて何か不都合があるわけ? このような偏執的なこだわりがそもそも変だよ。 一般のクリスチャンはminglingなど言わずとも、 ましてみどりごが御父だなんていわずとも、さらに 御子が御霊になったなどと言わずとも、神様との 慕わしい関係を味わうことはできるのですが?
377 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:07:23 ID:3gxiTRtB
それに、神性と人性が「ひとつになる」とはいっていない。 あくまでも「混合、変化、分離、分割せず」 「分離せず、分割せず」だから、「混ざり合う」というのは、短絡すぎる。 「混ざり合わない」とはっきり言っている。 「混ざり合わず、分離せず」 三位一体の位格も同じ、一つに混ざり合うわけではないが、ばらばらに切り離されて 存在するのでもない。ひとつの本性の調和の中に親しい関係性と交わりのなかにおられる という意味であり、一人の神の「三つ面」とは書いていない。
378 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:08:19 ID:3gxiTRtB
>>376 普通と違うこと言わないと、リーが特別な人にならないからさ。
379 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:10:17 ID:3gxiTRtB
安氏は、はじめから地方教会で信仰をもった人なの? それとも他の教派から移った人なの?
380 :
暇人 :2006/04/02(日) 22:10:26 ID:/rvD2ubz
中学英語も満足も出来ない私からだからか、回復日本版の訳は なにか変ですね。 これは日本人の訳ではなく日本語センスのない中国/台湾の方の 手によるものではないだろうか。 英語版「embodiment」を日本語版は「化身」なのだが。。。 これは「Godhead」を「神格」と訳すの同じぐらい違和感がある。 そこで不満足ながら私訳してみた
381 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:12:02 ID:NHgu1bQ8
リー様ってそもそも何者? 安さんはリー様がなしでは信仰が保てないの? 聖霊派あたりではベニー・ヒンのオッカケとかいるけどね。 俺はリー様が異端であろうとなかろうと、俺の信仰は ゆるがないが・・・。
382 :
暇人 :2006/04/02(日) 22:12:38 ID:/rvD2ubz
This chapter unveils the way God dispenses Himself into man. In the dispensing of Himself into us, God is triune. He is one, yet He is three — the Father, the Son, and the Spirit. The Son is the embodiment and expression of the Father (vv. 7-11), and the Spirit is the reality and realization of the Son (vv. 17-20). In the Son (the Son is even called the Father — Isa. 9:6) the Father is expressed and seen, and as the Spirit (2 Cor. 3:17) the Son is revealed and realized. The Father in the Son is expressed among the believers, and the Son as the Spirit is realized in the believers. God the Father is hidden, God the Son is manifested among men, and God the Spirit enters into man to be his life, his life supply, and his everything. Hence, this Triune God — the Father in the Son and the Son as the Spirit — dispenses Himself into us to be our portion that we may enjoy Him as our everything in His divine trinity. この章は、ご自身を人に分配する神の流儀を明かします。 我々にご自身を分配することにおいて、神は三位一体です。 彼は一であり、その上、三です。-父・子・聖霊です。 「子」は、「父」の具体化であり現れであり、「霊」は「子」の現実性、現実化です。 「子」において「父」(「子」は既に父と呼ばれています)は、表現され、会えますし、 「聖霊」として「子」は、明らかにされ、実感されたのです。 「父」は「子」において信者たちの間で表現され、 「子」は、「聖霊」として、信者たちの中で実感的に理解される。 「父なる神」は秘密であり、「子なる神」は人の間に明らかにされ、 「聖霊なる神」は人の中に入り、彼の人生となり、彼の人生を満たし、 彼の最も大切なことになる。 これゆえにこの三位一体の神-「子」における「父」、「聖霊」としての「子」−は、 我々の分け前になるように神自身を我々に分配されます。 神の三位一体の中で、我々が我々の最も大切なこととして、神を喜べるように。
383 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:17:41 ID:3gxiTRtB
おつかれです。 一個所訂正。 「子」は既に父と呼ばれています。 →「子」は父とさえ呼ばれています。
384 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:21:28 ID:3gxiTRtB
>>382 この三一論の問題点は、父なる神を「隠された神」としていることです。
ローマ書1章には、被造物を通して創造者なる神はご自身を啓示されると、
自然啓示や一般的な啓示についてのべています。
これを否定したり軽視したりするのが、福音派や地方教会の特徴なのですが、
自然啓示や一般の啓示、恩恵を否定するとき、一般社会の否定や拒絶というカルト的
特徴を教会が帯びるようになります。
385 :
暇人 :2006/04/02(日) 22:23:50 ID:/rvD2ubz
The Son is the embodiment and expression of the Father 日本語版「御子は御父の化身、表現であり」 私訳「「子」は、「父」の具体化であり現れであり」 embodimentの項を辞書を引くと確かに「化身」の語はあるのだが、 「化身」の日本語として意味の広がりからすると、 直ちに「仮現論」の疑いをもたれてしまうと思うのだが、 なぜローカルチャーチ日本はそういう稚拙な訳をするのか不明。。 ヨハネ14:7-11では、イエスが父の「化身」と語っているのではなく、 イエスの意志と父の意志の「一体」を語っているのだと私は思うが。。。
386 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:26:08 ID:NHgu1bQ8
それに誰も揚げ足取りなんかしていないよ。 書いてあることをそのまま質問しているだけ。 御子は御父の化身で、御霊は御子の化身って書いてある。 みどりごは神格の御父だって言っているのに、 父が子になったわけではないと言っている。 でも御子は御霊になったと言っている。 それはどういうことなのかって聞いているだけ。 揚げ足取りとか、それこそ因縁つけるだけだよ。 ちょっと被害妄想があるような・・・・・。
387 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:26:20 ID:3gxiTRtB
キリスト教には、創造論と救済論というおおまかに二つの大きなテーマがある。 「救済」は「創造」という一般的ステージの中で、まさに、embodyされ、 realizeされなければならない。 キリスト教の伝統的三一論は、この「創造」と「救済」の大きなつながりに、理論的根拠を 与えるものなのですが、地方教会の三一論は、三一を、「救済」の執行(エコノミー)に おける諸段階のなかに閉込めてしまうことによって、「創造」という視点をそぎ落として しまっている点です。
388 :
暇人 :2006/04/02(日) 22:34:46 ID:/rvD2ubz
>>383 訂正サンクス
>>384 父なる神が隠されていて、イエスによって明示にされたということは
ロマ1:20の神性が「被造物に理解される神性」
コロ2:9の神性が「キリストによってはじめて目に見えるようになった」と
する回復訳英語版フットノートの説明にさして 私は違和感ないですね。
1コリ2:7「奥義」「隠されてきた神の知恵」とか。。。
聖書には、パウロにさえ
ロマ1;20の「啓示された神」と
1コリの「奥義」「隠されてきた」の2パターンありませんでしょうか
よくわかりませんが。。。
embodimentはさすがに「化身」ではおかしいので、 現在は「具体化」と訳されています。 改訂されたらなおるはずです。 暇人訳は、個々の用語の定義や、用語体系を踏まえていないのでちょっと・・・・・ 今日はクタクタなので、続きは後日。 よく考えたら、これは回復訳スレなのですね。 向こうでやるべきだったな。
390 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:36:38 ID:NHgu1bQ8
>ヨハネ14:7-11では、イエスが父の「化身」と語っているのではなく、 >イエスの意志と父の意志の「一体」を語っているのだと私は思うが。。。 同意ですね。
391 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:38:40 ID:3gxiTRtB
>>389 回復訳のとんちんかんな訳より、はるかに秀逸です。
392 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:41:05 ID:NHgu1bQ8
>今日はクタクタなので、続きは後日。 いつもこうやって逃げているような・・・
393 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:43:35 ID:NHgu1bQ8
>>389 この程度の英語のセンスがないのに聖書を出版する?
ギリシャ語とヘブル語の専門家はいるのでしょうか?
>>391 意味がちゃんと訳せてないですよ。
回復訳のフットノートはたしかに訳の不適切なところがあります。
現在改訂作業中だそうです。
>>388 訳文を見ると、
さっきも書いたように自分流に理解してるので違和感を感じてないのでは?と思います。
「新約の結論」というシリーズに、用語の定義が詳細に載ってます。
そっちをごらんになられてみてはいかがでしょうか?
>>390 ヨハネ1:1。
今日はこれで寝ます。
395 :
暇人 :2006/04/02(日) 22:45:48 ID:/rvD2ubz
>>389 確かに私のものなど 訳とも言えぬ代物ですね。
訳などと言えば本当は噴飯モノですね。
悲しいかな基本的な英語力ない上に 神学も知らなければ
ギリシア語聖書もしりませんし。。。
リフレッシュされ 気がお向きなれば 安さんによる訳出見本なり
回復訳新日本版の訳をアップしてくださいな。
396 :
暇人 :2006/04/02(日) 22:52:10 ID:/rvD2ubz
>>394 実を言いますと 回復訳日本に疑問を感じています。
回復訳英語版と日本版を並べて読まないと
怖くて 日本版を鵜呑みにしたら 誤解するのではとすら危惧しています。
1)回復訳自体の問題
2)中国/台湾の影響下の日本語化の問題or日本語版の日本語センスの問題
二パターンを分けるべきかもです
397 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 22:52:56 ID:vOZwsAzh
>>357 まあどうせ叩かれるだろうがいわせてもらう。
リー師の文章かと思った。
著者名をきいて思いきり驚いた。
俺の中では、リー師の異端疑惑の一端が晴れたと報告しておく。
だがこれはまだ議論の前提に過ぎない。
後日でいいからイザヤ9:6と第一コリント15:45の解説を頼む。
398 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 23:02:29 ID:h+p0pkgG
>372 過去レス読まずな書き込みで失礼します。 私の理解では、不可分なのは神の「本質」で、 3つの「位格」はそれぞれ独立であるように思います。 これは私の見方なのですが、今の「回復の神学」の人たちは、 教理的に正統的な考えからそんなに遠くに行ってしまうことはないと思います。 でも、どんな神学もムーブメントとしての側面を持っています。 進んでいく方向があるものです。 位格の区別があいまいになる素地が少しでもあれば、次の世代の人たちがサベリウス的な方向に逸れる危険が出てきます。 「回復の神学」に疑問を持つ人の一部は、この点を危惧していると思います。 (まあ一部で「単純に気に入らない」という人もいるかもしれませんが) 意見がましく言う失礼をお許しください。 私自身は、地方教会のみことばや信仰生活に対する熱心さを尊敬しております。
399 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 23:03:24 ID:NHgu1bQ8
>>397 これは俺も早く聞きたくて何度もリクエストしているが、
すかされているのだ。
400 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 23:06:08 ID:NHgu1bQ8
>>398 そうだな。リー神学では用語も一般とずれているようだし、
そもそも本質とか位格などの意識もそもそも薄いようだし。
401 :
名無しさん@3周年 :2006/04/02(日) 23:31:33 ID:vOZwsAzh
>>398 俺もそう思ってたが、フィリップ・スカッフ(シャッフが正しいのか?)の文章を
無視するわけにはいかないから
今は結論はだせんな。
>>399 半分以上答えたようなものだと思うがね。
402 :
霊体天使 :2006/04/03(月) 00:27:45 ID:RGGsuPLs
失われた堕天使「ルシファー」の謎 学習研究社 を読めば、三位一体説が間違いであることが判明する。 ヨハネ福音書8章58節 イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から 「わたしはある。」」 つまり、イエス・キリストはヤハウェであったのだ。 出エジプト3章14節 「わたしはある。わたしはあるという者だ。」 つまり、「わたしはある。」とは、神の名前である以上、キリストは 自分が「神」であると宣言している。 関係ないが、 仏教の究極は「無」である。そこに神々の存在はない。 霊魂も、輪廻もない。 ただただ宇宙と人間が一体となり、すべてが消え去る境地を追い求める。
403 :
名無しさん@3周年 :2006/04/03(月) 00:51:08 ID:lL5Z9Ssz
あ、きのうの人だ。 >346です。 問いには答えて頂けますか? あ、それと仏教の究極(と書いてるのでそのまま書きます)は「無」ではなく「無我」では? 「諸行は無常」であり「諸法は無我」ではあるが、 「すべては無」とは言ってましたっけ。
404 :
暇人 :2006/04/03(月) 01:25:27 ID:2Le3UgTk
>>357 正統派教義はエウティケス派に対して、
(エウティケスは、「主の受肉後、二つの本性から成っているか」の質問に
「神性と人間性の合一前は二本性だが、合一後は、唯一本性である」と
答え異端宣告された※括弧内 暇人)
「受肉」後、本性の区別は、混合あるいは転換なしで、
更に他方、分割あるいは分離なしで
神はいつまでも神のままであるし、人は人であるままであるため、
この二つは、いつも一つの共通の生活を持ち、
三位一体のパーソンのように互いに浸透する。
405 :
暇人 :2006/04/03(月) 01:26:42 ID:2Le3UgTk
ここの注63 Here belongs, in further explanation, the scholastic doctrine of the περιχώρησις, permeatio, circummeatio, circulatio, circumincessio, intercommunio, or reciprocal indwelling and pervasion, which has relation, not merely to the Trinity, but also to Christology. The verb περιχωρεῖν is first applied by Gregory of Nyssa (Contra Apollinarium) to the interpenetration and reciprocal pervasion of the two natures in Christ. On this rested also the doctrine of the exchange or communication of attributes, ἀντίδοσις, ἀντιμετάστασις, κοινωνία ἰδιωμάτων, communicatio idiomatum. The ἀντιμετάστασις τῶν ὀνομάτων, also ἀντιμεδίστασις, transmutatio proprietatum, transmutation of attributes, is, strictly speaking, not identical with ἀντίδοσις, but a deduction from it, and the rhetorical expression for it. <περιχωρεῖνという動詞はニッサのグレゴリーによって、 キリストの二性の「相互浸透」と「互いの充満」に最初に適用された> とありますね。 ニッサのグレちゃんって「神化」派の教父だから、ありうる話だね。 とりあえず「相互浸透」の根拠<περιχωρεῖν>の語は聖書にはなく、 グレちゃんの言葉。
406 :
暇人 :2006/04/03(月) 01:43:37 ID:2Le3UgTk
confusion or conversion (ἀσυγχύτως, inconfuse, and ἀτρέπτως, immutabiliter),
yet, on the other hand, without division or separation
(ἀδιαιρέτως, indivise, and ἀχωρίστως, inseparabiliter),
安さんが省いた部分である
「混合あるいは転換なしで、更に他方、分割あるいは分離なしで 」は
カルケドンに根拠があることがわかり
注62で
「神はいつまでも神のままであるし、人は人であるままであるため」は、
カルケドン時の教皇レオの言葉とわかり、
注63で
安さん大喜びの「相互浸透」はニッサのグレゴリー説とわかる。
http://www.ccel.org/ccel/schaff/creeds1.iv.iv.html?bcb=0 どこからパチッてきたかぐらい アドレスを出したら
そんなに長々貼らずとも 関心のある人はみれるし 検証できますね。
それとなんて読んでいるのか 和訳を添えないとダメね
スレの流れがおかしいです。
>>373 「カルケドンの標準的な解釈が記されているだけ」のあと
>>377 ではシャフとは異なる説です。
安さんはシャフのラインにいます。
>>398 さん同様背景を知りませんが、シャフは叩かれず、
安さんとリーさんという人が異様に叩かれてるスレというイメージですね。
>>374-375 全然違います。Godheadと対応しています。
叩いている側ははじめからこの調子です。
よくこんな大胆にウソがかけるひとがいるものですね。
よくわけのわからないバッシングに安さんが独り気丈に誠実に対応しておられるので
同情しております。
>>174 の定義はカルケドン信条にもコロサイ2:9にもあてはまりますね。
私は安さんの「神格」「神性」「位格」の使い方でいいと思います。
408 :
暇人 :2006/04/03(月) 01:54:21 ID:2Le3UgTk
409 :
名無しさん@3周年 :2006/04/03(月) 01:58:33 ID:OcWIY1ak
わたしはあえて神化を教えたりはしませんが 「神化派の教父」といったらニュッサのグレゴリウスどころか ギリシア教父ラテン教父ほとんど全員ですよね。 それに、安さんはその句をはぶいたりしてませんね。 やっぱりおかしい。 なんでそこまでバッシングしてるんですか? どうみてもあなたおかしいですよ。 その団体にいた人なんですか? なにがあったか知らないけど もう少し態度をわきまえなさい。 目にあまります。
410 :
暇人 :2006/04/03(月) 02:00:18 ID:2Le3UgTk
>>407 Philip Schaff は、
カルケドンは
「混合あるいは転換なしで、更に他方、分割あるいは分離なしで 」と
明記した上で
教皇レオの
「神はいつまでも神のままであるし、人は人であるままであるため」し、
ニッサのグレちゃんが最初に言った
「相互浸透」と百科全書的に展開しているから叩かれないのだよ
ローカルチャーチは、聖書=「相互浸透」と言っているから
おかしい(Schaffは、ぐれゴリー=「相互浸透」)
411 :
暇人 :2006/04/03(月) 02:01:57 ID:2Le3UgTk
>>409 >ギリシア教父ラテン教父ほとんど全員
東方の一部でしょ カトリックでは「神化」は発展しなかったじゃん
412 :
名無しさん@3周年 :2006/04/03(月) 02:05:14 ID:OcWIY1ak
>>408 シャフが誰かわかってないのはあなたです。
ミーニュのテキストが簡単に入手できないから
教父文書はシャフの英訳で読まれています。
異端疑惑ならアウグスティヌスもテルトゥリアヌスも経験しています。
そんなのなにも言ったことになりません。
あなたからは悪意しかかんじとれません。
キリストの証になってません。
413 :
名無しさん@3周年 :2006/04/03(月) 02:08:00 ID:4CDQjbso
>>374-375 >全然違います。Godheadと対応しています。
>叩いている側ははじめからこの調子です。
>よくこんな大胆にウソがかけるひとがいるものですね。
安氏の引用したシャッフの本文には、テオテースをdevine natureって書いているじゃん。
嘘つくな。
414 :
暇人 :2006/04/03(月) 02:09:57 ID:2Le3UgTk
>>412 パウロもね。
だから異端かどうかなんてくだらないのだが、
ローカルチャーチさんたちが 少なくともこのスレッドしている擁護が
おかしいので一々 あなたたちはAという資料をBと紹介するが
Aは、BではなくAと書いてあるのだよと こちらが展開し
ローカルチャーチが 窮すると
あなたのような 感情的悪罵がはじまるという「カルト」によくみられる
パターンが繰り返されてますね。
冷静な中味のあるレスをオネガイします
415 :
名無しさん@3周年 :2006/04/03(月) 02:11:09 ID:OcWIY1ak
416 :
名無しさん@3周年 :2006/04/03(月) 02:18:08 ID:OcWIY1ak
ギリシア語も神学も独学のようですね。 むやみに人を批判しないで 牧師さんか神父さんの指導のもと真理を学んでください。 人を傷つけるとあなたも傷つくのですよ。それに気がついてください。主が悲しまれます。 もう夜中だからおいとまします。
417 :
暇人 :2006/04/03(月) 02:18:50 ID:2Le3UgTk
>>415 >311で 何が充分なのですか? 一人合点せずわかるように
語ってください。
>全く間違いです
どこがどう間違っているのですか?
教父は全員 「神化」について語ったのですか?
カルケドンが「神化」について語っていますか?
教皇レオが「神化」について語ってますか?
418 :
暇人 :2006/04/03(月) 02:20:38 ID:2Le3UgTk
>>416 むやみに人を批判されているのはあなたです。
自分を見つめなおされて下さい。
中味のある情報を オネガイします
419 :
名無し :2006/04/03(月) 02:22:38 ID:qhEsyoBc
広島県安芸郡熊野町出木庭には山中三郎と 言う爺が’神’を名乗り信者グループを 率い騙しを続けています。 許せん。
420 :
霊体天使 :2006/04/03(月) 02:42:03 ID:RGGsuPLs
2010歳ですか。かなりご高齢ですね。ところで、食事はどうされているのですか? キリスト生誕後、2010年たちますが、音信不通ですよね。 だれか、しゃべった人いますか?いたら、教えて下さい。 日本語、しゃべれるんですかね?もし、日本語でしゃべったら、ニセモノですよ。 しょせん、会話は通じるわけありません。 肉体があるということは、どこに生存してるのですか? 1 月 2 火星 3 地球外惑星 4 UFO内部 さて、どこにいるんですかね? 警察に聞いてみますか?
421 :
名無しさん@3周年 :2006/04/03(月) 02:43:05 ID:4CDQjbso
422 :
暇人 :2006/04/03(月) 08:10:19 ID:kzgHbJd1
>>372 >大変興味深いのがその次の句です。
>like the persons of the Trinity
>神の性質と人の性質がキリストの位格において相互に浸透し、混ざり合い、
>一つとなりつつも区別される状態であったのは、
>三位一体の各位格がそうであったのと同様にである、といっています。
安さんは英語をもしかすると 読めないのでしょうか。
三位一体のパーソンと同様なのは、
「相互浸透」だけですね。
「混ざり合い」「一つとなりつつ」もはなく
四つのウイズアウトがあるのです
『混合なし』『転換なし』と『分割なし』『分離なし』
つまりキリストにおける神性と人性は、
「混ざり合っているわけでもなく
「一つになりつつ」でもなく
キリストにあって共存しているわけですね。
423 :
暇人 :2006/04/03(月) 08:27:31 ID:kzgHbJd1
424 :
名無しさん@3周年 :2006/04/03(月) 21:17:33 ID:zgppXHEg
暇人さんの言ってること、別におかしくないと思われ。
425 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 19:44:21 ID:J7N7FpkU
「地方教会」最高責任者による内部教材“聖書真理”の抜粋だそうだ。 三人格はそれぞれの役割の違いであって,絶対に三神論者が主張しているような 別々の三人格ではないのである...神の三一性はイエスの神人二性をお持ちの ことからも分かるように唯一である...彼らのようにあまりにも神の三格位を 文字通りに強調する者は皆アリウス異端説のような三神論に落ち込んでしまう. 彼らも一体という言葉を使うが,結局は父というお方がおられ,そのそばに御子 というお方がおられ,そしてまたそのそばに神の霊というお方がおられ,三人が 一つにまとまっているという考え方である.あるいは本質が同じであるから通じ 会っておられ,三人が一つにまとまっているという考え方である.‘聖霊が私た ちとキリストとを神秘的に結合してくださる’という彼らの言葉はなるほど神秘 的で理解に苦しむ.別々に独立している三人格であれば,他人格を私たちを結合 することは不可能なことである...見えない根源なる神をさす時に御父と呼び, 現れなすった神をさす時,御子イエスと呼び,私たちのうちに入られたのを聖霊 なる神と呼ぶ...三人格は機能的分担の時に啓示されたに過ぎない.人格とい う言葉自体が不正確である.
426 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 19:52:34 ID:J7N7FpkU
これもおもしろい。。。 リー氏の“神の永遠のご計画”からの抜粋[同書pp.64-78]: わたしたちの内容としてご自身をわたしたちのうちに入れるために, 神は三つの格位として存在しなければなりません... [イザヤ9:6を引用して]聖書の権威を信じているなら, そのみどりごが大能の神と呼ばれている以上,そのみどりごは 大能の神であるという意味であり,男の子が父と呼ばれている以上, 御子が御父であるという事実を受け入れなければならないのです... みどりごイエスは大能の神であり,御子はとこしえの父だからです. さらにUコリント3:17は“主はその霊である”と言っています. わたしたちの理解によれば主とはだれのことでしょうか. わたしたちはみな,主とはイエス・キリストであるということに同意 しています.しかしながら,主はその霊であると言われています. その霊とはだれのことでしょうか.その霊は聖霊に違いないと認めな ければなりません...御父と御子と聖霊が一つであるという意味です. この事を強調するのは,神がご自身の異なる格位によってご自身のエコ ノミーを達成されるからです.[この後で丸ごとのスイカを御父, 切り分けられたスイカを御子,かまれた後ジュースになったスイカを 聖霊として,スイカを食べる過程をもって神のエコノミーの例証としている]
>>395 >安さんによる訳出見本なり回復訳新日本版の訳をアップしてくださいな。
暇人さんが試訳した箇所は、「化身」を「具体化」にしたらそれでいいと思います。
日本語版の回復訳の改訂作業はもうしばらくかかるときいています。
出版前の訳は、私はその作業にかかわってるわけでないので見ることはできないし、
見たとしても勝手にアップしたりするのはどうかと思います。
あのー、誤解しておられる方がおられるかもしれませんが、
私は普通に教会生活をしている一兄弟で、回復訳の翻訳にかかわったりしてるわけじゃないんですよ。
>>394 私たちがつかうターミノロジーを調べてみてほしいですね。
これによくまとまっています。
http://www.ministrybooks.org/conclusion.cfm これの語句検索機能も便利です。
日本福音書房が昔だした本の訳語は中国語的でしたが、
今は日本語的で分かりやすいものに変ってきています。
現行回復訳の訳語は、過渡期にあったものです。
>>397 ありがとうございます。
カルケドン信条のことをもう少し書いてからイザヤ9:6について書こうと思いますが、
今ここでごく簡単にまとめますと、伝統的神学の言う、「本質上の三位一体論」と
「経綸(<エコノミー>あるいは<オイコノミア>)上の三位一体論」の両方の視点が必要であると思います。
つまり、三位一体には少なくともふたつの側面があり、本質上の面は、三位一体の静的理解、
三位一体そのものについての理解であり、経綸上の面は、三位一体の神の動き・働きに関する理解です。
どちらも真理であり、どちらも兼ね備えた見方をしないと、見落としが出てきます。
神の働きの目的は、神ご自身を人の中に分与することです。
この面を記述するとき、聖書は三一の神の、「三」を強調しますが、これは「一」を破壊するものではありません。
428 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 21:09:58 ID:pdh02yrf
■ローカルチャーチ「混ざり合い」教義の問題点■ この教義が彼らの「神化」や「サタンの受肉」教義のバックボーンになってます。 前スレッド12 :名無しさん@3周年:2006/03/09(木) 13:56:46 ID:4A8ER36/ ・・・・・ 人が主を受け入れてクリスチャンになると、人の霊の中に三一の神が入ります。 ここでリーは「混ざり合い」という用語を使います。お湯の中にお茶の葉っぱが 入ると、お茶の要素が溶け出し、お湯と混ざり合って分離できなくなります。 同じように、人の霊の中に三一の神が御霊(回復訳だと「その霊」)として 入って混ざり合わされ、一つになります(第一コリント6:17)。 ・・・・・(前後省略) ローカルチャーチ派によると、リーが1コリ6:17を根拠に 「人の霊と神の霊が混じり合わされ、一つになる」と語ると紹介されています。 しかし6:17 ο δε κολλωμενοs τω κυριω εν πνευμα εστινの 「κολλωμενοs」は、「κολλα」(膠)という名詞が動詞化し、 「くっつく、ひっつく、接着する、接合する、結合する」などいう意味です。 「混じり合わされる」という意味は皆無です。
429 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 21:10:40 ID:pdh02yrf
英訳を見ても RSV: But he who is united to the Lord becomes one spirit with him. NIV: But he who unites himself with the Lord is one with him in spirit. NASB: But the one who joins himself to the Lord is one spirit with Him. KJV : But he that is joined unto the Lord is one spirit. Darby : But he that [is] joined to the Lord is one Spirit. 「unite」(結合する)か「jion」(結合する、結ぶ、参加する)で、 「混じり合う」という意味はありません。回復訳英語版も 回復英訳: But he who is joined to the Lord is one spirit.と 「joined」と「結合」に訳していて「混じり合う」ではありません。
430 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 21:14:15 ID:HBmUwNVg
「joined」に付された注も 171 This refers to the believers' organic union with the Lord through believing into Him (John 3:15-16). This union is illustrated by that of the branches with the vine (John 15:4-5). It is a matter not only of life but in life (the divine life). Such a union with the resurrected Lord can only be in our spirit. ここでは、神を信じることを通して、神と信者たちの有機結合が述べられています。 この結合は、葡萄の木と枝との結合で例示されています(ヨハネ15:4,5) それは単に命についての問題ではなく、 いのちを生きる(神から授かったいのち=永遠のいのち)という事柄です。 そのような復活された主との結合だけが、我々の霊たりえるのです。 ・・・ 「union(結合)」と説明し、ローカルチャーチさんの「茶葉とお湯の混じり合い」ではなく、 「ぶどうの木と枝との結合」がヨハネから例示されています。 ローカルチャーチと違い、リーは、「κολλωμενοs」を「混ざり合い」ではなく 「結合」と正しく理解しています。
431 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 21:15:49 ID:HBmUwNVg
ではローカルチャーチがリーと無関係に「混ざり合い」教義を編み出したのかというと そうではなく「one spirit」のリーの注を見ますと 172 This indicates the mingling of the Lord as the Spirit with our spirit. Our spirit has been regenerated by the Spirit of God (John 3:6), who is now in us (v. 19) and is one with our spirit (Rom. 8:16). This is the realization of the Lord, who became the life-giving Spirit through resurrection (15:45; 2 Cor. 3:17) and who is now with our spirit (2 Tim. 4:22). This mingled spirit is often referred to in Paul's Epistles, e.g., in Rom. 8:4-6. これは、霊としての主と我々の霊を混ぜることを示します。 我々の霊は現に今我々の中にいて、我々の霊と一つである神の霊によって再生しました。 これが復活を通して(永遠)の命を(我々に)与えるようになり、 我々の霊と共にいてくださる主の実現です。 この混合した霊は、パウロの手紙でしばしば言及されています。(例えばロマ8:4-6で) ・・・・・ リーは「one spirit」にmingling(混ぜること)を見出します。 ローカルチャーチは「混ざり合わされ、一つになります」だが リーに拠れば、「結合され、混ざり合う」わけです。
432 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 21:19:08 ID:HBmUwNVg
結論。 1)リーの訳本文は独自訳というより古い訳のKJVやDarbyの訳を踏襲した訳です。 2)英訳本文では古いが普通の訳をし、フットノートで独自こじつけ解釈をする。 3)ローカルチャーチ日本や中国は、フットノートの解釈を訳文にまで反映した訳をする。 リーの解釈が先にあり、訳文がリー解釈に従属するという転倒があるようです。 その転倒が今回「神格」「化身」「混ざり合い」というローカルチャーチの奇妙な 特殊用語を産んだのではないかと予想されます。 リー自体の問題。リー崇拝者たちの問題。二つと分けるべきかもしれません。
433 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 21:20:43 ID:J7N7FpkU
安さんさあ、あなたも
>>425-426 などはおかしいって分かってるんでしょう?
だからやっきになって正当化しようとしている。もし真に自分たちがまっとう
だと信じていたら、そんなに躍起になる必要もないでしょう?
あなたはすでにおかしいところ分かっているんですよ。
だから黙って見過ごしていられないわけでしょう。泥棒の心理と同じ。
>>427 に貼り損ねたリンク。語句検索すると定義がみつかります。
http://online.recoveryversion.org/ つづき。
神はご自身を人の中に分与するとき、相互に交わります。
それぞれの位格は区別されますが、相互に内在しています。
イザヤ9:6の表現は、御父と御子の位格のどちらかがもう一方を吸収することを言っているのでもなければ
どちらかが消えてしまうことを言っているのでもありません。
ふたつの位格があわさって別の位格となり、御父と御子の位格が消滅するといっているのでもありません。
御父の位格はそのまま、御子の位格もそのままですが、それが相互に交わるのです。
ヨハネ14〜17章の相互内在です。
フィリップ・シャフのいうinterpenetrate、私たちのいう混ざり合いを先に
論じようとしているのはそのためです。
あまり理屈っぽい議論になっても仕方がないので、
これでもきいてみてください。なお、左上の顔写真は私とは無関係です。
私はもっとずっと若いので(^^)
http://robertlo.com/in_in_in.htm
435 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 21:26:31 ID:J7N7FpkU
>>432 そうねえ、リー自体の問題と、リー崇拝者の問題、確かに分けるべきだ。
436 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 21:29:45 ID:J7N7FpkU
自分に不利なところは無視することも上手。 あなたの解釈を聞いているんではないのだが。 まあ、読めば明らかだからね。。。
>>398 ご意見ありがとうございます。
私たちの神学には、位格の区別を曖昧にさせるようなものはなにもありません。
ですが、まあ、正直言って、難解で面倒臭い分野なので、私はあまり丁寧に学んできませんでした。
悔い改めて勉強中です。真理には問題はありませんが、問題を持つのは、人だと思います。
聖書の言葉は永遠ですが、人は完璧ではないので。
もっと祈る必要を覚えます。
>>400 それは事実ではありませんね。
>>404 「神性」「人性」はそれぞれ「神であること」「人であること」と訳すのはどうでしょうか?
>>406 私はそこ飛ばしたりしてませんよ。
>>407 助太刀してくださったありがとうございます。プロテスタントの方ですか?
>>410 聖書に書いてあるでしょう。ニュッサのグレゴリウスは、その用語をつかった最初の人というだけで、
混ざり合いに関する記述は旧約聖書からあるのです。教父も、ニュッサのグレゴリウス以前から
混ざり合いについて語っています。詳しくはあとで書きます。
>>409 〜
全員が神化を語ったとはいえないと思うけど、東方の一部ってのは間違いです。ラテン教父も神化を語ってますから。
>>422 『混合なし』『転換なし』と『分割なし』『分離なし』と、シャフはinterpenetrateと
ひとことでまとめているのではありませんか? そしてそれが三位一体の各位格の間でも起きているといっているのです。
>>413 それはウーシア。テオテースではありません。
>>425 地方教会の最高責任者?????
内部教材なんてのもよくわかりません。
全時間訓練用のアウトラインや教材はあるかもしれないけれど、
たいがい公開されているし「聖書真理」なんてあったかな?
とぼけてると思われるかもしれませんが、ほんとにわかんないですね。
そのコピーも、前後を読んでないのでコメントできません。
>>426 簡単に説明しましたが、後日ゆっくり。カギは、相互内在にあります。
>>428-431 第一コリント6:17は、神の霊と人の霊との結合を言っています。
別の言いかたをすると、再生です。
この、再生された霊を「活用」するのがミングルという単語で表現された状態で、
これによって、霊の中の神の神聖な成分・性質が、魂へと浸透していくのです。
>>432 1はほぼその通りです。
2は「独自こじつけ」というところが違います。
3はフットノートも参照しつつ訳していると思いますが、
訳文がおかしいということはできないはずです。
>>433 正しいとわかってるから、誤解や偏見を解いているのです。
>>435 リー兄弟の崇拝者なんてのがいたら問題です。いたら注意しますけどね。
>>436 誤解と偏見。
混ざりあいについてまとめます。 聖書でこのことが述べられているのは、レビ記2:4です。 「あなたがかまどで焼いた穀物のささげ物をささげるときは、 それは油を混ぜた小麦粉の、種を入れない輪型のパン、 あるいは油を塗った、種を入れないせんべいでなければならない。」(新改訳第2版) 油はキリストの神性、小麦粉はキリストの人性をいっています。 ふたつの性質は、カルケドン信条にある通り、分離されることなく、しかし識別される状態で 互いの性質を保ったままです。 エウテュケスの言うように、神性と人性でもない別の性質を産み出すのではありません。 ネストリウスのいうように、分離された状態であるというのでもありません。 小麦粉を油を混ぜたものを実際に作ってみれば、それがどのようなものか一目瞭然です。 小麦粉は小麦粉のまま、油は油のままです。しかし、混ざり合わされ、分離できません。 酸とアルカリを混ぜたりした場合とは根本的に違うわけです。 旧約では、これは神にささげられ、残りは祭司たちがたべました。これは、神の性質と人の性質を持つ キリストが、私たちの中に入ること(分与)ができる状態になったことを意味します。 主の御名を呼んだり、御言葉を食べたりしたときに、主を内側にとり入れ、 分与にあずかることができるのです。このとき、神格にはあずかりませんが、 キリストの神性な性質と、人の性質にあずかります。これが、人のなかで起きる 混ざり合いです(ローマ5:10、8:6、8:16、12:2など)。
私たちがいう「神化」とはまさにこのことです。神格においてではなく、 命と性質において、神の性質、成分によって浸透され、神化されます。 混ざり合いに関する教えは、教父たちの間では普通に語られていたことのようです。 アレイナイオスのAgainst Heresiesでは「完全な人は、魂が御父の霊を受け入れて 結合し混ざり合い、また神のかたちに形づくられたもの、肉の性質のとの混ざり合いの中で 成り立っているのである」 「これらすべての混ざり合いと結合とが完全な人を構成する」 といっています。 テルトゥリアヌスはApologyで 「ある処女に臨み、彼女の胎内に肉体として宿った神の御子は、彼の誕生の中で、 結合された神と人である」 Against Marcionで 「御父の証し人であり、奴隷である神の御子は、ご自身の中で人と神との結合であり、 力強い偉業にある神でもあり、弱さの中にある人でもある。 それは、彼が神から受けるすべてを人に与えるためである」といっています。 ヒッポタリスはTreatise on Christ and Antichristで 「神の言は肉を持たなかったのに、彼は聖なる処女によって、ご自身に聖なる肉を着ました・・・・・ それは、ご自身の力とわたしたちの死ぬべき体を結合させることによって、 また朽ちないものを朽ちるものと、強いものと弱いものと混合することによって、 滅びつつある人を救うためです」といっています。
442 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 23:10:35 ID:ThHBsNEN
ローカルチャーチの本質は見えた感じがします。 一生懸命に教父やシャフを引用しつつ、正当性を主張していますが、 実は様態論的な説明をしてしまったのを、後付で懸命に理由付けを している感じですね。 安さん、もう十分ですよ。あなたを見ているとイタクて、、、
キプリアンは第六の論文で 「言と神の御子は・・・・・処女の中に入り、聖霊でありながら、肉が与えられました。 神が人と混ざり合わされたのです。これが私たちの神であり、これがキリストです。 この方は、両者の仲保者として、人々を御父へと導き入れるために人を着られました。 人としての存在にキリストはすすんで成られました。それは人もキリストと同じ存在になるためです」 といっています。 ラクタンティウスはDivine Institutes第四巻で、 「キリストは、その霊(the Spirit)を通して、神の御子となり、また肉を通して人の子と なられました。すなわち、神と人の両方です・・・・・・その間に、わたしたちは 預言者たちの預言から、彼が神と人の両方であり、両方の性質から混ざり合わされた方です」 といっています。 ナジアンゾスのグレゴリウスは、On the Theophany, or the Birthday of Christで 「神ご自身の言は、・・・・・彼ご自身のかたちに成って、わたしたちの肉のために ご自身に肉を着せ、わたしの魂のために知性のある魂とご自身を混ざり合わせ、 同じ性質のものを同じ性質によって清め、罪以外あらゆる点で人とされました・・・・・ それゆえ彼はご自身が意図された性質を持つ神として来られ、肉と霊、 後者が前者を神化したふたつの性質を持つ一人のパースンです。ああ、新しい混ざり合い、 驚くべき結合」といっています。 The Fourth Theological Orationでは 「人が神と混ざり合わされ、この混ざり合いによって神化され、高いところからの日の光としての 訪れにあずかるとは、卑しい者にこれ以上偉大な運命が起こり得るでしょうか?」 といっています。
444 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 23:20:57 ID:ThHBsNEN
安さん、もうやめときなよ。そんな引用をいくらしてもしょうがいないです。 それに日本語訳も誰が訳したのか。原語の意味を調べてみないとね。 みんながリーはすばらしい、リーは正統だ、リーは三位一体論者だ、 リーは真理の回復者だ、リーのビジョンは神のものだ、リーの実行も聖書的だ。 ローカルチャーチはすばらしい。主の回復はすばらしい・・・って 言えばあなたも納得するのかな?
445 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 23:23:34 ID:2F8dT9+o
>>438 >それはウーシア。テオテースではありません。
カルケドン信条にウーシアという言葉は出てきません。
カルト信者は、事実をねじ曲げないでください。
シャッフは、divine natureと、human natureを対比させています。
divine natureがウーシアなら、human natureのギリシア語はなんですか?
(答、アンスローポテース)
カルケドン信条は、テオテースと、アンスローボテースの二つを指して、
「この二つのピュシス(nature)において」と書いています。
テオテースがdivine nature=「神性」なのは明々白々たる事実です。
ニュッサのグレゴリウス(ナジアンゾスのグレゴリウスとは別人)は Against Eunimiusで 「彼が感情をも経験した体でさえ、神聖な性質と混ざり合わされる(mingled)ことによる 混ざり合い(commingling)の結果、神聖な性質になったのです」 「神の独り子としての神・・・・・彼の命を与える力と、私たちの死ぬべき、 滅びるべき肉とを混ざり合わせ、彼ご自身との結合によって私たちの死を、 生ける恵みと力とに変えられたのです」 「ふたつの性質の混ざり合い」 「神聖な性質と混ざり合うこと通して、神聖になることによって、人の性質が 新しくされました」 「滅び行く性質ではありますが、神聖な性質との混ざり合いによって、 それを制圧する性質との同形化の中で新しくされ、神たる方の力にあずかるのです」 といっています。
447 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 23:29:20 ID:ThHBsNEN
安さんの引用のネタは多分 The Testimony of Church History Regarding the Mystery of the Mingling of God and Man じゃあないのかな? これを編集した人はリー氏との関係どうなっているのかな? 知っているよね?
>>445 シャフが、自分が使った用語に対して注をつけて、
これはギリシャ語で言うと「ウーシア」です、といっているのです。
カルケドンの原文の話ではありません。
カルケドンのテオテースは、シャフが引用した英語版ではGodheadです。
りらっくまさんがあまりに一生懸命いうので、
-headや-hoodを英語の語源辞典で引きましたよ。
「状態」という意味はあるんですが、それは「〜であること」といういみであって、
必ずしも「〜性」と訳すべきものではないのです。
その辞典は手元にないので引用しませんが、
ROMってる人で、どっちが正しいのか気になる方は、図書館で実際に辞書を引くことをおすすめします。
449 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 23:32:37 ID:ThHBsNEN
このネタ本の中の引用はね、りー氏に都合の良い部分を 切り取っているわけです。 どうして自分が語っていることが真理ならば そうやって他の人の言質を取りつつ権威付けする必要があるのでしょう?
450 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 23:32:56 ID:2F8dT9+o
>>448 「〜であること」という意味をどういじくっても、
「〜である方」という意味にはならないよね。
451 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 23:38:01 ID:2F8dT9+o
452 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 23:40:20 ID:2F8dT9+o
>>448 「〜であること」というのは、ペルソナ概念ではないが、
「〜である方」は、ベルソナ概念である。君はさんざん
テオテースは、「神格」とペルソナとして訳すべきだと主張していたが、
「〜であること」という訳をみとめるということは、テオテース=ペルソナ概念
という立場を、訂正したということでいいのだね?
453 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 23:41:53 ID:ThHBsNEN
>>451 もうやめといた方がいいような。安さんのボロも読んでいる人は分かります。
偽りと歪曲はカルトの特徴ですから。
つづき アウグスティヌスです。ヴォルシアヌスへの手紙では 「それは、処女の胎内で子が受胎するのと同じで、外側からではなく内側から 生まれた力でした。この同じ力が、彼ご自身を人の魂と結びつけ、それを通して 人の体もまた、簡潔に言えば、それによって彼の存在は少しも低くされることなく、 人の性質全体た彼との混ざり合いによって高められ、人性の名を帯び、神たる方の名も 十分に証明されるものです」といっています。 アウグスティヌスはキリストを「神と人との仲保者」と呼び、「ひとりのパースンに ふたつの性質の混ざり合い」があり、ご自身の中で一般的な人を高め、並外れたものとし、 「人の性質が神聖な性質との結合の中にもたらされました」 「神たる方がそのように、人の魂と体と混ざり合わされ、キリストというひとりのパースンを 構成する方法に関する説明」として「それゆえに、人のパースンには魂と体との結合があります。 キリストのパースンには、神と人の結合があります。なぜなら、神の言が体を持った魂と 混ざり合わされたとき、彼は魂と体の両方をご自身との結合にもたらされたからです」 といっています。
455 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 23:44:27 ID:2F8dT9+o
カルケドン本文が、標準的な英訳でGodheadと訳していることは、 とっくの昔に指摘している。わたしがいっているのは、シャッフの 引用本文中で、divine natureとシャッフが書いている概念が 「テオテース」のことをいっていることは明白だということだ。 なぜ明白か?divine natureと、human natureのように、対になっている 概念は、カルケドンの原典にテオテースと、アンスローポテース以外にない。 さらに、カルケドン本文が、この二つをさして、ふたつの「ピュシス=性質」だと 書いているからだ。ピュシスとは、ニケア的文脈では、ウーシアのことである。 カルト信者は、事実をこれいじょう、ねじまげないでくれ。
>>447 ハズレ。
>>449 誤解と偏見を取り除き、真理を追い求める人に広く宣べ伝えるため。
>>450 だから辞書を引いてみてくださいよ。「人」という意味もあるそうですよ。
>>451 >テオテース=divne natureは、ウーシアと同義的概念である。
近い意味とはいえますし、ほとんど同じ意味で使われることもあるようですが、
全くイコールではありません。
英語でnatureといった場合、ウーシアかもしれないし、ピュシスかもしれません。
そこを混同すると話がムチャクチャになります。
>>452 訂正してませんよ。
>>453 だれが歪曲してるのか、だれがボロを出しているのか、だれがウソをついているのか、
読んでいる人が判断してくれると思います。
457 :
名無しさん@3周年 :2006/04/04(火) 23:59:21 ID:2F8dT9+o
>>456 >訂正してませんよ。
じゃあ、「〜であること」が、どうひっくりかえったら
「〜である人」の意味になるのか説明してくれ。
458 :
名無しさん@3周年 :2006/04/05(水) 00:02:06 ID:2F8dT9+o
>>456 >だから辞書を引いてみてくださいよ。「人」という意味もあるそうですよ。
ランダムハウス大辞典と、研究社の大英和辞典には、そのような説明はないのだが、
どの辞典に載っているのですか。回復訳捏造聖書のごとき、回復訳英和辞典ですか?
459 :
名無しさん@3周年 :2006/04/05(水) 00:04:27 ID:2F8dT9+o
>近い意味とはいえますし、ほとんど同じ意味で使われることもあるようですが、 >全くイコールではありません。 >英語でnatureといった場合、ウーシアかもしれないし、ピュシスかもしれません。 >そこを混同すると話がムチャクチャになります。 とにかく、カルケドン本文は、テオテースを指して「ビュシス(性質)」だといっているのです。 テオテース=divine natureだとみとめたんだね?
ネストリウス派とエウテュケス派の論争がある状態で、 ローマ帝国の迫害に対抗するのは難しいと考えて、論争の種になる 「混ざり合い」という概念について論じないようにする流れができ、 それが現在まで続いてしまっているそうですが、 当時のことを書いた歴史書をもうちょっと読まないといけなさそうです。 私が参照した論文には、「混ざり合い」という用語をもっと使うべきであり、 用語だけでなく、それを経験すべきであると締めくくられています。 第一テモテ3:16、エペソ3:17前半、3:19後半、3:21が引用されています。 「神に、召会の中で、またキリスト・イエスの中で、栄光がすべての世代に至るまで、 永遠にわたってありますように。アーメン」(エペソ3:21回復訳)
461 :
名無しさん@3周年 :2006/04/05(水) 00:09:14 ID:b40f0rsO
安氏よ、きみはこないだ、ぽろりと口にしたね。 神を三位だと考えると、平安じゃない。って。 だから伝統的な三位一体は信じられないんだって。 自分が平安になるために、教義をゆがめてよいものだろうか。
>>457 説明してもウソだっていうでしょう。
自分で図書館でも本屋でもいって調べたらどうですか。
>>458 ふたつしか引いてませんね。
語源辞典を引いて見てください。
>>459 神聖なピュシスはテオテースから。
しかし、テオテースとピュシスは同じではありません。
もしテオテースとピュシスが同じだったら、ペテロは異端になりますよ(第二ペテロ1:4)。
寝ます。
>>461 >神を三位だと考えると、平安じゃない。って。
言ってません。三つの位格が不可分であることを否定することに平安がないといいました。
>だから伝統的な三位一体は信じられないんだって。
言ってません。
本質上の三位一体も経綸上の三位一体も真理ですが、
各教派によって強調点にバラつきがあります。
どの点にもかけることにない認識を持ちたいと思っています。
大事なことを書くのを忘れてました。
「三一の三つの面」ってヤツですが、
英語を確かめたら、the aspect of threeでした。訳が不適切でしたね。
よく考えると、2ちゃんねるの書きこみから拾ってきたので、
日本福音書房の訳かどうかわかりません。
『真理課程』という本からの引用なんですが、日本語は持ってないので
ちょっと確かめようがありません。
とりあえず訂正訳をしめしておきます。
「三一の<三>の面」でどうでしょうか?
464 :
名無しさん@3周年 :2006/04/05(水) 06:29:02 ID:WBmvmoBM
465 :
名無しさん@3周年 :2006/04/05(水) 06:45:07 ID:b40f0rsO
>>464 その掲示板、怖いよ。
再建主義ですか?
いくつか大事なことを書くのを忘れてましたので戻ってきました。 T.神はただお一人である(Tコリント8:4、イザヤ45:5-6、21-22、46:9、 44:6、8、詩篇86:10)。 U.神には父子霊の三つの面がある。 A.神は自らを「わたし」また「わたしたち」と呼ばれる(イザヤ6:8、創世記1:26)。 B.父子霊の問題(マタイ28:19)。 V.父子霊は永遠から永遠まで同時に共存する。 A.父子霊はみな神である 1.父は神である(Tペテロ1:2、エペソ1:17)。 2.子は神である(ヘブル1:8、ヨハネ1:1、ローマ9:5)。 3.霊は神である(使徒5:3-4)。 B.父子霊はみな永遠である 1.父は永遠である(イザヤ9:6)。 2.子は永遠である(ヘブル1:12、7:3)。 3.霊は永遠である(ヘブル9:14)。 C.父子霊は同時に共存する(ヨハネ14:16-17、エペソ3:14-17、Uコリント13:14)。 W.父子霊は相互内在し、互いに分離しない(ヨハネ6:46、5:43、14:9-10、15:26、 14:26、8:29、ルカ4:1)。 X.父子霊三者は一である。 A.子は父である(イザヤ9:6、ヨハネ14:7-11、ヨハネ10:30)。 B.子(最後のアダム)は命を与える霊となった(Tコリント15:45、ヨハネ14:16-20)。 C.主(子)は霊である(Uコリント3:17)。 Y.神が三一である理由(Uコリント13:14)。 これは訳が悪いだけ。 Tで三位一体の「一体」、Uで「三位」をいってるわけですが、 Tで「お一人である」と言って、Uで「三つの面」なんていうから誤解を招くのです。 「面」という言葉を「位格」のような意味で使っているわけではありません。 英語原文はthe aspect of threeだからです。
>>458 英和の逆引き辞典が結構便利ですよ。
-headや-hoodで終わる単語がずらっと並んでいて。
ニー兄弟は認めるがリー兄弟は異端だと思っている人には重要な話ですが、
イザヤ9:6のリー兄弟の解釈は、ニー兄弟のものと同じです。
ニー兄弟は務めの最初期からイザヤ9:6をそのように解釈していました。
最初に出てきたのは、
ニー全集第五巻の「啓示録を黙想する」の「テアテラに在る教会」の章です。
これは、ニー兄弟が自分でペンをとって書いて、自分で出版したものであり、
当時のものが今も残っているので、「改竄だ」とは絶対に言えません。
469 :
名無しさん@3周年 :2006/04/05(水) 23:31:13 ID:b40f0rsO
>>468 さっそく図書館で他の辞典を調べましたが
-hoodが、「〜な人」という説明はありませんでしたね。
neighborは、「近所の人」。neighborhoodは、「近所」というように、
-hoodは、「〜であること」という抽象名詞を作りますが「〜である人」
という意味ではないそうです。
470 :
名無しさん@3周年 :2006/04/05(水) 23:34:47 ID:b40f0rsO
>>466 >X.父子霊三者は一である。
> A.子は父である(イザヤ9:6、ヨハネ14:7-11、ヨハネ10:30)。
> B.子(最後のアダム)は命を与える霊となった(Tコリント15:45、ヨハネ14:16-20)。
> C.主(子)は霊である(Uコリント3:17)。
異端ですね。
471 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 00:20:05 ID:zCofgrsD
りらくまはとうとう 聖書が異端だといいはじめた。 コテ通り、りらっくま教徒。
472 :
霊体天使 :2006/04/06(木) 00:51:41 ID:EHl2eXeW
三位一体論争は、おもしろいですね。 ところで、聖書に三位一体という言葉は、どこに書いてあるのですか? 聖書に書いてない理論ですよ。 「玉座に座っておられる方」と「子羊」とは、同一ではありえません。 「子羊の名」と「子羊の父の名」は、同一ではない。 とにかく、聖書のどこにも、三位一体という文字は、ありませんよ。 古代エジプト神学の、太陽三神思想のパクリでしょ。 アタナシウスのウソに、ダマサレてますよ。 そもそも、原始キリスト教には、三位一体という思想はない。
473 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 01:24:26 ID:/IwKhaJx
>>438 >この、再生された霊を「活用」するのがミングルという単語で表現された状態で、
>これによって、霊の中の神の神聖な成分・性質が、魂へと浸透していくのです
1)単純かつ素朴な疑問なのですがヨハネ6:17本文に「ミングル」はありません。
本文の「εν πνευμα」(一つの霊・いのち)をフットノート6:17の2で、
ミングルと独自解釈しているだけです。
聖書本文中にないミングルを聖書本文の「κολλωμενοs」(結合)に読み込み、
「人の霊の中に三一の神が御霊(回復訳だと「その霊」)として
入って混ざり合わされ、一つになります(第一コリント6:17)。 」と
ローカルチャーチの一人は、聖書本文を改変して理解されているわけです。
これは回復訳日本版のヨハネ6:17が既に
回復英訳: But he who is joined to the Lord is one spirit.の
is joinedを「結合」ではなく「混ざり合い」と回復会独自用語に改変されている
からですか? 単に一信者さんの誤解ですか?
2)「再生された霊を「活用」するのがミングルという単語で表現された状態」との
ことですが、聖書的根拠はなく、リーの解釈を更にあなたが展開されたものですね。
474 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 01:25:37 ID:/IwKhaJx
>>440 混ざり合いの聖書的根拠としてレビ記2:4を挙げられていますが、
RVS :unleavened cakes of fine flour mixed with oil
NIV: cakes made without yeast and mixed with oil
KJV: unleavened cakes of fine flour mingled with oil
Darby: unleavened cakes of fine flour mingled with oil
古いKJVやダビーはminglを、比較的新しいRSVとNIVはmixを
使っています。辞書的には通常、
mixは、混ぜ合わされた結果、均一になる場合に使われ、
minglは、混ぜ合わされた後も元の各成分が識別できる場合に用いられるそうです。
箱の中にみかんとりんごが混ざっているとか、雪混じりの雨とか。。。
「小麦粉に油を混ぜて」捏ねれば、まして焼けば、
均質に混ざり成分が判別できないのでmixですね。
古い訳のKJVやダビーから、リーはminglの語を知ったのでしょうか。
「識別される状態で 互いの性質を保ったままで一つである」ことをminglと
捉えたとするならば、それはそれで一理ありますが、
レビ2:4の小麦とオイルは、mixだと思われます。
ここをもって人性と神性の比喩を読み込むのは聖書的ではありません。
475 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 01:27:11 ID:/IwKhaJx
>>441 アレイナイオスのAgainst Heresiesで
「完全な人は、魂が御父の霊を受け入れて 結合し混ざり合い、
また神のかたちに形づくら
れたもの、肉の性質のとの混ざり合いの中で 成り立っているのである」
とのことですが どこのことでしょうか?
Now man is a mixed organization of soul and flesh,
who was formed after the likeness of God,
「さて人は、神の似姿として形作られた魂と肉との混成の組織です。」
ざっと英訳でチェックしても程度しか見当たりません。
>テルトゥリアヌスはApology
「結合された」と「混ざった」は別概念です。
聖句に「結合」はあり、「混ざった」はないのです。
476 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 01:28:48 ID:/IwKhaJx
>>443 >ラクタンティウスはDivine Institutes第四巻で、
>「キリストは、その霊(the Spirit)を通して、神の御子となり、
>また肉を通して人の子と なられました。すなわち、神と人の両方です」
He became both the Son of God through the Spirit,
and the Son of man through the flesh -- that is, both God and man.
これは問題ありません。以下の訳は「誤訳」というより「改竄」です。
「・・その間に、わたしたちは預言者たちの預言から、彼が神と人の両方であり、
両方の性質から混ざり合わされた方です」(安さん)
In the meantime, we learn from the predictions of the prophets
that He was both God and man -- composed of both natures.
「さて話が変わって、預言者の預言から彼が神と人の両者であったことを我々はしります。
--(神と人の)両方の性質からなります」(名無し訳)
composeに「混ざり合う」という意味はありません。
訳文を示していただくのは 大変ありがたいことです。
でも誤訳などは誰でも犯しますので原文やリンク先を同時にお示し頂き
検証とやすくされてください。
http://www.newadvent.org/fathers/07014.htm
477 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 02:26:07 ID:/IwKhaJx
>>467 そのカトのページには「聖化と神化」とタイトルにあるだけで
語られているのは聖化でしょうし、
カルヴァンのページにはdeification(神化)の語はありませんですね。
ご紹介のウェスレーのページでやっとdeification(神化)はありますが、
「developed by Patristic Christian theologians
of the first five centuries after Christ. 」
(紀元後5Cの教父のキリスト教神学者によって発達した」とありますね。
それとウェスレーといっても、
IV. Conclusion: Back To Charles and Beyond John
創始者のジョンを越えて、東方教義に親和的な弟チャールズに戻ろうと
あるので。。。
概略的には、メソの聖化と東方の神化は似ているという話みたいだが。。
478 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 02:42:17 ID:xpenkGbj
>472 アリウス派異端って知ってる?
479 :
霊体天使 :2006/04/06(木) 04:15:03 ID:EHl2eXeW
480 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 05:41:13 ID:+pyjJDkl
>>477 >そのカトのページには「聖化と神化」とタイトルにあるだけで語られているのは聖化
それはわたしに言われても・・・・・神化に関する発言の頻度は東方よりもはるかに少ないのは
たしかです。しかし、カトリックが人の神化を教えているのはいまさら証拠をあげる必要をあんまり感じないんですが。
あとのリンクはここからみつけてきました。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Theosis 「神化」という言葉を使っていなくても、カルヴァンは神化を語っていたと思いますが?
ジョン・ウェスレーについては、晩年のメッセージの速記が最近解読されはじめて、
一般に思われていたよりも東方よりの考えかたをしていたときいています。
>>475-476 ttp://www.affcrit.com/pdfs/1996/03/96_03_ml.pdf 直接参照したのは、日本福音書房の日本語版です。私は原文は参照していません。
手打ちだったから書き間違えもあるかもしれません。
ポール・オニカは古典語が分かりますから、原文も参照した上で書いたんじゃないかと思いますよ。
>>474 リー兄弟は、mingleを、to combine or join (one thing with another, or two or more things together),
especially so that the original elements are distinguishable in the combination.
というWebsterの辞典の定義にしたがって使っているといっています。
小麦粉を油の例でthe original elements are distinguishableでないとおっしゃる意味がわかりません。
小麦粉は小麦粉、油は油で、それぞれの性質はそのままです。
混ざり合って一つになっているから、小麦粉の塊を触ると指には油がつくでしょう。
しかし、油と小麦粉はそれぞれその性質を失っていませんし、性質は変ってもいません。
Websterのmingleの定義そのままです。
>ここをもって人性と神性の比喩を読み込むのは聖書的ではありません。
油が神の霊であることは明らかです。
小麦粉は、ヨハネ12章で言われている麦つぶと関係があり、人の性質です。
>>473 「結合」は神の命と人の命について用いられ、
「混ざり合い」は神の神聖な性質と人の性質に用いられます。
神の霊が人の霊に入ってきて結合したとき、そこで起きていることは
まさにいま説明したmingleです。
命には必ず性質がありますから、
命の結合には性質の混ざり合いが伴うのです。
なお、日本語版回復訳は「結合」と言っています。
483 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 08:30:34 ID:c7E8RRQo
>>480 新しいリンク先は冒頭に
In Eastern Orthodox and Eastern Catholic theologyとあります。
カトリックというより、「東方の正教と東方カトリックとの神学」と
ありますので 本流の西方カトリックのこどはないみたいですね
>直接参照したのは、日本福音書房の日本語版です。
私は英文しか参照してませんが、たぶん英訳の日本訳ぽいですよ
日本福音書房の引用または訳文を信用できないと思います。
composeに「混ざり合う」と自教義に都合よく訳を改変している可能性が
あるわけですから。
>>481 箱の中にみかんとりんごを混ぜ合わせて一つにしても
みかんとりんごを幼稚園児でも区別して取り出せます。
混ざった後もそれぞれ「みかんであること」「りんごであること」を
やめてないからです。
小麦とオイルを混ぜて練ってパンを作った後で誰が
小麦とオイルを分けられますか?
小麦の中に油が染み込んでもはや分けられません。
これはパンと小麦が均質に混ざりあったのですね。mixですね。
484 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 08:31:03 ID:c7E8RRQo
>Websterの辞典の定義にしたがって使っているといっています
なるほど。
ヨハネ6:17の「εν πνευμα」(一つの霊・いのち)を
「to combine or join (one thing with another, or two or more things
together), especially so that the original elements are
distinguishable in the combination.」という意味で
「mingle」とされるならば わたしとしては違和感はありません。
但しこれを日本語版のように「混ざり合い」と訳すのは疑問です。
「混ざり合い」の語感からはmixを想起します。
聖句に戻し「mingle」は「一つになること」ぐらいの訳が穏当ではないかと
思います。
>>482 ヨハネ6:17本文は、「結合」して「一つの霊」ですので
あなたのように「結合」と「一つの霊」を分けていません。
>日本語版回復訳は「結合」と言っています
一信者さんの誤読でしたか、なるほど。
「混ざり合い」はローカルチャーチ日本で 一人歩きしている可能性が
あるのかもと危惧いたします。
485 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 08:42:46 ID:QI3UJnGh
ローカルチャーチはカルト的傾向と、異端的傾向があることはよくわかった。 ウイットネス・リーについて正当化しようとすればするほど、ボロが出る。 ローカルチャーチにはいろいろ過去の隠蔽された事実があるらしいし、 だから懸命に正統化したがるのだろう。ご苦労さん安さん。 あなたの恋愛状態が覚めないことを願っている。
486 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 08:45:30 ID:c7E8RRQo
ヨハネ6:17 × 1コリ6:17○ 失礼しました。 ついでに 1コリ6:17の「εν πνευμα」(一つの霊・いのち)について プネウマには 風→息吹→息→いのち 霊魂→霊 と意味を発展させた語ですが、 主と接合された者が、主の霊と一つになるというのは、 イコール永遠のいのちということであるのに、 「接合/結合」を「いのち」とし、 「一つになること/mingle」を「霊」と分けられる理解は どうかと思います。
487 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 09:57:43 ID:NDaYAry8
>命の結合には性質の混ざり合いが伴うのです。 「性質の混ざり合い」って何でしょう?小麦粉と油の混ざり合いは分かるが、 性質って混ざり合うのだろうか?りー師は「mingling」を「性質を変えずに 二つの要素を一緒にすること」と言っているわけですね。「混ざり合い」 の定義を性質不変性を用いて定義している。ところが彼が混ざり合わせよう としているのは神性と人性という命の性質です。定義の根拠が性質なのに、 その性質を混ぜ合わせようとしている。言語の階層が分かっていない。 辞書で「A」と言う単語を引いたら「Bを見よ」とあり、「B」を引いたら 「Aを見よ」とあるのと同じ。分かりますか?安さん(笑) りー師は父なる神は丸ごとのスイカ、切られたスイカが御子、 ジュースにされたのが御霊というわけだが(まさに様態論)、 物質の世界と霊の世界をそれこそ「混ぜ合わせ」てしまっているような(笑)
488 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 10:29:42 ID:NDaYAry8
どうも安さんを見ていると、すでに閉じた世界に入ってしまっている人の 特徴が強く感じられます。その世界の中での用語や定義や価値観や、さらに 聖書感がすべてとなり、自分の世界の外の人と同じ言語を用いていても、 その内容がまったく異なる、つまり内包を共有できないのですね。 これ自体がカルト的世界の大きな特徴です。安さんはあくまでもリー師を 正しく、リー師の神学を正確に私たちに理解して欲しいようですが、 すでに安さん自身がその閉じた世界に入り込んでしまっていることに気がつく 必要があるでしょう。言語によるコミュニケーションの基本に立ち帰らないと あながたが努力すればするほど、あなたの世界が閉じたウイットネス・リー的世界 であり、その世界観に基づく言語を用いれば用いるほど、外の世界の人と齟齬を 生じるだけでしょう。このあたりを分かっていないことが、エホバの人も 統一教会の人も同じなのです。まあ、りー師が文氏と同じとは言いませんが、 少なからず同じ症状を呈していますよ。安さん。自らを省みることが できないこと自体が病職の欠如、かなり重症であることの証左です。
489 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 12:10:37 ID:vwSzbRBg
だな。。。。
490 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 14:31:40 ID:zCofgrsD
安さんの言ってることはそれなりに根拠があるらしい。 異端疑惑ならもう晴れてるよ。 アンチ君は重箱のスミつついてるが 安さんの言ってることはそんなに間違ってはないだろう。 安さんさえ知らない内部文書を持ってるのだから元地方教会メンバーだよな。 あんた頭はいいらしいが冷静さを失ってるよ。 あんたが本当にいいたいのは、地方教会の教理の誤りか? それよか人間関係や組織じゃないのか? いったん議論をやめて落ち着け。
>>490 議論の矮小化を図るのはアンフェアで感心しません。
492 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 15:51:08 ID:zCofgrsD
議論が細かすぎ。 もう異端かどうかの議論でなくなってて 好き嫌いの領域に入ってる。 ここまで結論が出てるのにまだ刀を鞘におさめないから 妙な裏があるニオイがするのさ。
494 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 15:55:09 ID:vwSzbRBg
>>490 ぷっ。おじさん、オツム冷してぇな。
内部文書は俺でも知ってるの。
前スレで紹介されていたろ?
おじさんこそ、懸命に安さんを擁護して、
ローカルチャーチの回し者なん?(w
>>491 に賛意
495 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 15:58:25 ID:vwSzbRBg
おじさん出てくると、スレが流れてもったいないYO
496 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 16:10:20 ID:zCofgrsD
おれは単なるニー師のファンさ。 リー師が本当に異端だったのかどうか確かめたかったからここにきてるだけで。 しかしだ。 安さんが言ってることが本当にリー師の教えと同じなら、 異端とは言えないだろ。 シャフの著作のコピペと教父からの引用でもう十分納得できた。 感謝している。 それよか、安さんひとりを複数で叩くって、おまえらなんでそんなに必死になってるわけ? あと、オッサンとよぶな。
497 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 16:14:46 ID:vwSzbRBg
おじさんは納得したら、さっさとどっか逝ったら? 俺たちは(いや少なくも俺は)まだだからな。 今さあ、一番大事なところだから、スレを流すなよって。 「おまえら」って、俺は俺、他はだーれも知らない。
498 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 16:25:51 ID:zCofgrsD
自分が納得するのと 好き嫌い相手に押し付けるのと別だぞ。 勘違いしてないか。
499 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 18:24:34 ID:C/c0CaPc
ニーとリーがホントに一緒なこと言てるならニーも捨てなきゃ ことば社に進言シル
500 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 18:26:08 ID:C/c0CaPc
ニーはリーと同じ異端だたて
501 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 18:27:11 ID:C/c0CaPc
異端がイターンだ
502 :
名無しさん@3周年 :2006/04/06(木) 23:38:55 ID:XggRiz2a
>>487 なるほど。こんなトリックがあったわけか。
しかし頭いいね。2chにもこうゆう人もいたのか。
503 :
暇人 :2006/04/06(木) 23:46:31 ID:peuG0Vsd
>>502 解説してくれ 頭が悪いから論旨がさっぱりわからん。
「言語の階層」ってなんだ?(笑)
私にはわからん
504 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 00:03:44 ID:XggRiz2a
だから騙される人が多いのよ(笑)
505 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 00:52:00 ID:EPRif1xq
「『性質』が不変のまま、ふたつの要素が混ざる」ことを「混ざり合い」の定義である、 としている一方で、神性や人性という<性質そのものの>混ざり合い」という概念は おかしい、ということでは?
506 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 01:01:40 ID:EPRif1xq
小麦と油の混ざり合いのときは、混ざり合うのは、小麦性、油性という二つの要素、 二つの「性質」は不変のまま、ふたつの「要素」が混ざり合う。 神性と人性の混ざり合いのときは、混ざり合うのは、性質そのもの。 小麦と油と、神性と人性は、完全なアナロジー関係にないといいたいのだと思う。
507 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 01:05:56 ID:qEnwKIRM
ちょっと理屈こねすぎ。 何がいいたいかわからんよ。 油と小麦粉の混ざりあいのたとえは わかりやすいとおもう。
508 :
暇人 :2006/04/07(金) 01:09:49 ID:Spdqu/Or
509 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 01:50:09 ID:EPRif1xq
>>507 だから、小麦と油が混ざり合うときは、小麦と油それぞれの性質は混ざり合って
いないわけ。それなのに、神性と人性が混ざり合うように言うのはおかしいということ。
510 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 01:52:36 ID:EPRif1xq
つまり、神性と人性の混ざり合いを説明するのに、 小麦と油は例えとして使えないということです。
511 :
霊体天使 :2006/04/07(金) 02:18:38 ID:/vPeE/N2
512 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 02:25:51 ID:K6HyM/sX
リーが異端的なのホントでもリラクマも異端だし暇人はノンクリだから説得力ナイヨ
513 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 02:36:55 ID:EPRif1xq
>>512 異端でない人間などいますか?
しっかりしてください。
514 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 02:38:18 ID:EPRif1xq
リー教徒の異端性、カルト性は、リーの教説には間違いがないと言い張るところなのですよ。
515 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 06:55:10 ID:5Dlq/F4l
>>514 安さんが典型的なサンプルとなってくれた
516 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 07:14:30 ID:5Dlq/F4l
>>506 リーが変なのは「喩え」を「真理」と混同するところじゃないの?
>>487 さんも言っているけれど、物質界と霊界をゴッチャにする。
だから混ざり合いのように自分が矛盾していることに気がつかない。
スイカの例もそうだけど、それで様態論と言われると、今度は
教父だの、シャフだのをもってきて権威付けして、自分を正当化
しようとするから無理があるし、言えば言うほどボロが出る。
でもね、逆にちょっと聞くと、
>>507 のようにヒジョーに分かり易い。
リーの聖書の解き明かしはきわめて断定的で、疑問を生じさせない。
これで聖書が分かった気になって、舞い上がる。自分たちこそ
真理を知っていると!自分たちこそ真理の回復だって!
だからある種独特の臭いがあるでしょう、リー教徒って。
こうやって煽ってはめていくのはリーの得意技。巧妙にエリート意識を
植え付け、自分は神のための回復をしていると思い込まされる。
これで安さんのようにリーに忠実な戦士が出来上がりってわけ。
自分たちが変なことを言ったりやったりして、自分で壁作っているのに
気がつかないで、周りが誤解して迫害するのだと感じる感じ方もカルト的。
自分が病気であることに気がつかなくさせるのがマインドコントロール。
自分は絶対にMCなどされていなってね。
だからローカルチャーチの結束力はすごいね。
<リーは神の代弁者(真理の回復者)>→<リーに逆らうこと=神への反逆>
と言う受罰の思考パタンと、
<リーは神の代弁者(真理の回復者)>→<リーに従うこと=神への従順>
と言う受報酬の思考パタンが無意識のうちに刷り込まれているからね。
これをね、オペラント条件付けと言うのだが、リーは実に巧みだね。
でもね、騙されている彼らのためにとりなしの祈りも必要だと思うよ。
517 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 07:22:58 ID:5Dlq/F4l
>>510 つーか、性質を混ざり合わせることがナンセンスってことでないかえ?
性質は「二つの性質を持つ」と言うのがまっとうな言い方。
これがカルケドン信条でしょう?
「混ざり合い」なんてことをあえて突っ張って言い張るところが変なわけ。
物質界と霊界を混同しているからだけど、リー神学はコレを言わないと
全部崩れちゃう。だから安さんのように目が血走っても言い張るわけ。
偽りってなものは、上塗りをしなくちゃならず、みんなこんな調子じゃないの?
518 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 10:37:09 ID:/mJ7F6S7
なーるほど。
神性と人性の混ざり合いなんて論じることそのものが
すでにリーワールドに誘導されてると言うか、
リーの土俵に乗せられてるわけね。うまいトリック。
カルヴァン原理主義の富井先生も言ってるわ。
>>ついにカルバンまでも人の神化を主張していると
>>言い出しています。彼らの引用はこちらです。
>>カルバンは本当に神と人が混ざり合って人が神化
>>するなどと言ったのでありましょうか。
>カルヴァンは純粋に正統派神学を奉じておりましたから、
>そのようなことを言うはずがありません。
>神と人が混ざり合うことはありません。
>もし人が神になるのであれば、それは汎神論です。
http://www.path.ne.jp/~robcorp/bbs/wwwboard.cgi
519 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 13:04:19 ID:qEnwKIRM
アンチが必死になる理由って何? あと、イザヤ9:6君らはどう読むわけ?
520 :
名無しさん@3周年 :2006/04/07(金) 16:58:56 ID:/mJ7F6S7
必死なのはオッサンと、安さんと思われwww
521 :
ウイズダム :2006/04/07(金) 21:22:35 ID:vr134Ua4
【ウイットネス・リー教徒の皆さんへの提言】
あなたがたがどんなにがんばっても、あなたがたが様態論者(あるいはその変形)
にして、カルケドン信条に従っていないことは明らかになりました。
ですから、もう一般のキリスト教界の正統な一員として自分たちを認めてもらう
努力は放棄して、独自の道を歩まれたらいかがでしょうか?
例えば、カルケドン信条を受け入れずに歴史的に異端とされた教会はあります。
シリア正教がその代表でしょう。彼らは自分たちこそもっともオリジナルな教会
であると宣言しています。アンテオケ教会の直系であると主張しています。
(→
http://www.sojp.net/ )どんなに異端だ、カルトだと言われようとも、リー師自らが主張するとおり、
「歴史信条などは顧みない!」のスタンスを貫かれたらいかがでしょうか?
他の人が見ていない真理・ビジョンを見た選ばれし者、「主の回復」として、もっとも正統な
教会の在り方を実行する教会として、独自の道を行かれて下さい。
そのうちに、中には現状の教界の有様に失望して、あなたがたに従う人も出ることでしょう。
それが互いの平和を保つ秘訣と愚考する次第であります。
主の平和がありますように、アーメン。
リーはカルケドン信条に反対なの?
>>469 「身分」の意味があるでしょう。文脈によっては「〜の人」となります。
Godheadはもともとギリシャ語のtheotesの訳語としてあてられたという経緯があるから、
「〜の人」でいいのです。むしろ、theotesやGodheadが「神格」とは訳せないとか
「神たる方」と訳せないとか言ってる時点で、あなたのターミノロジーがずれていると
断定すべきでした。あなたのようにコロサイ2:9ので「神性」といい、ローマ1:20で「神性」といい、
第二ペテロ1:4で神性と言ってしまうとしたら、汎神論以外の結論はでません。
レビ記2:4については、アンチさんたちは話のすり替え以外にやることがなくなったようです。
キリストの神聖な要素=油、人としての要素=小麦粉です。
両者を混ぜ合わせても、酸とアルカリを混ぜたときのように化学反応を起こして別のものになったりはせず、
小麦粉は小麦粉、油は油のままです。さわると指先が粘つくのは油の性質。
焼いたらパリパリになるのは小麦粉の性質。mingleの定義そのままです。
わたしはちゃんと説明したのに、あなたがたは無視して勝手に違う定義を書きなぐり、
自分ででっち上げた定義を批判しています。
>>480 自己レスですが、あなたがたの主張を認めたように読める箇所があるので、訂正します。
カルヴァンの神化論についてのサイトにはdeificationという単語はでてこなくても、
theosisという単語が使われています。意味は同じで、「神化」です。
>>490 ありがとう。
>>519 それは私もききたい。
イザヤ9:6、ヨハネ10:30はどう読むのでしょうか?
第一コリント15:45、第二コリント3:17はどう読むのでしょうか?
ヨハネ4:24はどう読むのでしょうか?
よく、「はじめにリーありき」といって批判するひとがいますが、
私にとっては、まず聖書があって、それをどう読むか、そこにどんな啓示がこめられているのか
という順番です。だから、こういう節に出会うと困惑するのです。
しかし、父・子・霊の位格は相互に交わり、相互に内在し、相互に浸透し合い、
不可分の状態でありながら、位格はそれぞれ区別される状態であると説明されたら、
非常に納得がいきませんか?そしてこの説明は、聖書的に根拠のあるものであり、
キリスト教の教理史においても、教父たちに唱えられていた正統的なものです。
現在それを認めない人がなぜいるのかは知りません。
だから私は逆に問いたいのです。いまわたしがあげた節を、あなたがたはどう読むのですか?
>>516 あなたは旧約の予表を認めないのですか?
創世記2章のアダムとエバは、キリストと教会だと、エペソが言っています。
旧約の人物や物や出来事を、聖書の別の箇所に基づいてその意義を説き明かすのが
予表を読み解くということです。なんだかいろんなことをおっしゃってますが、
あなたは旧約をどうやって読んでおられるのですか?
>>521-522 カルケドン信条の「神の母」という語句に反対しています。
しかし、それ以外の点には同意しています。
むしろ、ここで「混ざり合い(mingle)」に反対している人たちは
カルケドンの「分離せず」という箇所に反対しているのです。
526 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 15:21:43 ID:ha1VpEaf
>>523 発言が、ますますカルト化していますね。
・ギリシア語の接尾語テースは、??性を表わすものであって、??な人という意味ではありません。
・テオテースを「神格」と訳すなら、カルケドン信条が、テオテースと、アンスロポーテースをさして
「ふたつのピュシス(本性)だといっていることはどうなりますか?
テオテースが「神格」という意味なら、「人性」と訳されているアンスロポーテースは、
「人格」という意味であることになり、
キリストは、一つの「位格」のなかに「神格」と「人格」をもっているというおかしな
定式になってしまいます。カルケドン信条の定式をがたがたに打ち崩してしまうことになります。
・日本の伝統的教会、及び聖書は、テオテースをことごとく「神性」と訳しています。どうして
伝統的教会と反対のことをあえて主張するのでしょうか?
・コロサイ2:9のテオテースが「神たる方の充満」という意味なら、なんで「神の充満」と
いわないのでしょうか。また女性の冠詞が付けられているのはなぜでしょうか。
テオテースは、もともとは形容詞であり、男性・女性と活用が同形ですから、
男性形の冠詞をあてることも可能なはずです。
・-headという接尾語は、どの英語の辞書にも「性質」という意味だと書かれています。
「身分」と捕らえることが可能であるとしても、「〜であること=身分」と「〜である人」の
間には雲泥の差があります。身分と、その身分にあるその人とは、別だからです。
話を巧妙にすり替えようとするのは、カルトの人の常套手段ですね。
527 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 15:26:47 ID:ha1VpEaf
>>525 >カルケドン信条の「神の母」という語句に反対しています。
>しかし、それ以外の点には同意しています。
カルケドン信条の「テオテース」を「神格」と訳すべきだなどと主張している点で、
カルケドン信条の本質や定式に、逆らっていることを意味します。
ひとつの「位格」のなかに、ふたつの「性質」が存在するというのが、カルケドン信条の
定式であり、伝統的教会の定式です。
ひとつの「位格」のなかに「神格」や「人格」が存在するなどと伝統的教会は
教えていません。なんでもかんでも、ごちゃごちゃに「mingle」しようとするのは
やめませんか?
528 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 15:31:50 ID:ha1VpEaf
ギリシア教父に、神秘的な人が多いのは、その言語的環境から、 「新プラトン主義」の影響をもろに受けているからです。 リーが、三位の位格の区別を取り払い、神と人の区別も取り払い、 なんでもかんでも「mingle」させたがるのは、彼が中国人、東洋人だからです。 信教の自由があるので、どんな信仰内容をもつことも自由なのですが、伝統的教会 と違うことを教えながら、「伝統的信条にさからっていない」と見せかけるのは やめてほしいです。
529 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 15:35:37 ID:ha1VpEaf
>>523 >theotesやGodheadが「神格」とは訳せないとか
>「神たる方」と訳せないとか言ってる時点で、
なんで、「テオテース」を「神格」と訳せないと主張するのか。
カルケドン信条自身が、「テオテース」を「ピュシス=性質」だと、明確に定義しているからです。
カルケドン信条に従う以上、テオテースを「神格」などと訳してはいけないのです。
テオテースを「神格」と訳せば、カルケドンに逆らうことになり、「異端」であることを意味します。
530 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 15:41:38 ID:ha1VpEaf
>>525 >むしろ、ここで「混ざり合い(mingle)」に反対している人たちは
>カルケドンの「分離せず」という箇所に反対しているのです。
なぜ、伝統的教会の教えのとおり、「聖霊の内住」とか、「聖化」という概念に
留まろうとしないのでしょうか。
なぜ、「神と人の混ざり合い」とか「神になる」とまでいう必要があるのでしょうか?
「聖霊の内住」や「新生」「再生」「聖化」という伝統的概念では、不都合な点があるのですか?
531 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 15:55:48 ID:ha1VpEaf
>しかし、父・子・霊の位格は相互に交わり、相互に内在し、相互に浸透し合い、 >不可分の状態でありながら、位格はそれぞれ区別される状態であると説明されたら、 >非常に納得がいきませんか?そしてこの説明は、聖書的に根拠のあるものであり、 >キリスト教の教理史においても、教父たちに唱えられていた正統的なものです。 基本的なところで誤解をされているようですが、過去にある教説を唱えた教父や神学者が いたからといって、その教説が「正統的」であることを意味しません。 公同の教会が「教義」として公的に確定した説が、「正統的」と認められるのです。 三位一体の「教義」は、全教会が一致して確定した、「教義」であり、 キリスト教の根幹をなすものです。あなたがたが、どんなに屁理屈をこねたり、特定の 教父たちを引用しようとも、あなたがたの「三位一体」は、伝統的教会の定式から外れて いることの言い訳にはなりません。
532 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 16:50:26 ID:NCU+nZnK
安さんはご自分が何を語り、何を表現しているか、
お分かりになっていないのです。論理もすっ飛ばし、
一方的に自分の主張をされるのみ。
ほとんど結論は出ていますから、ha1VpEafさんも
もういいのでは?偏執質者に巻き込まれると疲れるのみです。
>>521 に賛同。
533 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 17:24:04 ID:fJimT8t/
ええと、すんません、大体終わっているようですが、 あたしもちょっと感想を。 まあ、噂には聞いておりましたよ、 ローカルチャーチとリーさんのこと はい、とてもよく分からせてもらいました、ここで。 まあ、やっぱ中国人なんでしょうね、 黒をシロ、シロを黒と言いくるめるあたり。 対中国では日本政府も苦労していますし。。。 リーは正しい、ローカルチャーチは正統だって どうしても人に言わせたい。 はい、とてもよく分かりました、謝謝。
534 :
487ですが・・・ :2006/04/08(土) 18:13:00 ID:SWVfPMkI
安様曰く− >両者を混ぜ合わせても、酸とアルカリを混ぜたときのように化学反応を起こして別のものになったりはせず、 >小麦粉は小麦粉、油は油のままです。さわると指先が粘つくのは油の性質。 >焼いたらパリパリになるのは小麦粉の性質。mingleの定義そのままです。 >わたしはちゃんと説明したのに、あなたがたは無視して勝手に違う定義を書きなぐり、 >自分ででっち上げた定義を批判しています。 よほどこの方は言語と言うものがお分かりになっていないようです(笑) それとも日本語が分からないのでしょうか? もう少し言語学や一般哲学・論理学、さらに修辞学などを学ばれた方がいいと。 どうも対話になりませんね。オツムが閉鎖空間で勝手に空回りしているようです。 ここを読まれている一般の方にはお分かりのようですが・・・。 これ以上は残念ながらご無理のようです。この辺がやはりカルトと言われてもね・・・。 私はこれにて失敬を・・・。
535 :
487ですが・・・ :2006/04/08(土) 18:22:47 ID:SWVfPMkI
それとね、真理を弁証することと、自分を正当化することの違いを学ばれた方が・・・。 ウイットネス・リーは頻繁に訴訟で主にある兄弟の口を塞いでいたそうですが。 老婆心にて・・・。
536 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 20:50:18 ID:/ulNAoGK
アンチやぶれかぶれ。 ギリシア哲学だ中国人だとレッテル貼るのみ。 安さんはカルケドン信条とシャフの解説を示した。 それがギリシア的というなら、その根拠をだすべきだな。 それによ、教父が唱えてた説を唱えてたんなら 異端とはいえないな。 ギリシア的といって逃げるのは、三位一体を否定するカルトの常套の手口。 繰り返す。 好き嫌いと、異端かどうかは別問題。 ただ、スイカのたとえはちょっと気になるね。 これは説明しないといかんぞ。
537 :
うるわしの白百合 シャロンの薔薇 ◆elGZqjq/0Q :2006/04/08(土) 21:03:36 ID:0ztfphX0
神に、 「み心を聞いてみよう」という姿勢の人は一人もいませんか? 神の意志をそっちのけにして、人間の考えに過ぎない事、いくら論じ合っても 命の糧を頂くにはいたらないでしょうに。 神は、もっと素晴らしいものですよ。 少しの疑問も抱く事はないのですか? 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」 マタイ5:3
538 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 21:41:04 ID:6U4+Ldos
>>536 おじさん、乙(^^)
>>537 だからね、神の意志は今やウイットネス・リーに啓示されててね、
彼の見たビジョンに従うことなの。つまり神と人が混ざって
人が神になること。そのためにね、クリスチャンはみなローカルチャーチに
帰正して(正教用語か?)、正常な教会生活を送るべしと。
神の素晴らしさはリーと共にあり。
以上、ローカルチャーチは疑問も抱かないようだね。
539 :
うるわしの白百合 シャロンの薔薇 ◆elGZqjq/0Q :2006/04/08(土) 22:19:23 ID:0ztfphX0
540 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 23:23:18 ID:6U4+Ldos
そうなんです。
ウイットネス・リーの見た啓示は他の誰も見ていないもの。
だから真理を回復する教会、「主の回復」と自称するのね。
カトリックはバビロンで、プロテスタントは命のないキリスト教宗教。
>>205 を読んでごらん。
真の正統な神の御旨に沿った教会はローカルチャーチのみと言うのね。
今聖書の啓示はウイットネス・リーによって回復されていると言うわけ。
それで、人が神と混ざり合って人が神になるのかどうか、話し合って
たんだけど、あちらは自分たちは絶対正しいと、一切耳を貸さないわけ。
それで永遠の平行線・・・ごめんなさいね。
541 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 23:25:43 ID:VlBDS64u
人が神になるんだ?モルモン教?
542 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 23:34:30 ID:6U4+Ldos
<<ウイットネス・リー語録>> 新約聖書においては神は命としてのご自分によって人を再生するために 来られました。ヨハネ1:12は「しかし、この方を受け入れた人々、 すなわち、その名を信じた人々には神の子となる特権をお与えになった」 と言います。私達が神の子供たちとなったとき、私達は神の命と性質を 持ちました。山羊は山羊を産みますし、牛は牛を産みますから、確かに 神(God)は神々(gods)を産むのです。もし牛が牛を産み、山羊が山羊 を産むのに、神が人を産むのであれば、これは明らかに何かおかしなこと です。産み出されたものは産み出したものと同一でなくてはなりません。 牛がロバを産むとか、山羊が犬を産むとか言うようなことはあり得ません。 神の心の願いは私達を神ご自身と同じ存在とすること、それは私達が内側 の形や外側の姿ばかりでなく、神の命と性質において神と等しくされること なのです。私達再生された神の民は神の命を持っており、また神の性質も 持っています。これはきわめて尊いことです。 (Witness Lee, "The Stream", Volume 16, Number 1, June, p.4, LSM, 1996)
543 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 23:36:58 ID:6U4+Ldos
人の創造における神の目的は、単に善良な人を得ることではなく、 それをはるかに越えて、神-人(God-man)、すなわち神の命と性質とを持ち、 まさに神のような存在を得ることです。・・・しかし神の願いは 人が単に善良になることではなく、さらにまさって神-人、すなわち神 とまったく同じ存在になることです。・・・おお、再創造の目的は私たちが 神の命を持ち、神と同じ存在となることなのです。 (Witness Lee, The Knowledge of Life, 2nd ed. p.25, LSM, 1988)
544 :
名無しさん@3周年 :2006/04/08(土) 23:42:18 ID:6U4+Ldos
したがって神から生まれた者として、私たちはみな神-人たち(複数形)なのです。 私の負担(重荷)は、あなたがたに神のエコノミーと御計画は、ご自身を人とされ、 私たち神の被造物を"神"とすること、それは神が"人化された (man-ized)"ように、 私たちが"神化 (God-ized)"されることであることを明確に示すことにあります。 究極的には、神と私たち、私たちと神は、すべて神−人になります。 ・・・神が私たちを創造された時には、ご自身の形と姿に従って創造されました。 私たちはちょうど神の姿をもった写真のような存在であったのですが、 命は持たなかったのです。私たちが再生された後、この写真は"現実の"パースンとされ、 神の命と性質を持ち、神と同じ存在となったのです。 彼(イエス)は神が"人化"された存在であり、私たちは人が"神化"された存在です。 究極的に、二つの存在は一つとなり,共に神-人たち(複数形)となるのです。 これが聖書の神聖な啓示です。 (Witness Lee, A Deeper Study of the Divine Dispensing, p.75, LSM, 1990) まだあるようだけど、今晩はここまで。
545 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 00:28:27 ID:/ttWtXsl
リーは、伝統的教会を否定したり、三位一体やカルケドンの定式を無視するような ことを言わなければ、あながちまちがったことをいっているわけではない。
>>523 >カルヴァンの神化論についてのサイトにはdeificationという単語はでてこなくても、
>theosisという単語が使われています。意味は同じで、「神化」です。
そのサイトにtheosisという語はあるが
そのサイトではカルヴァンがtheosisを主張したとは書かれてないし、
あるいはカルバァンの著作から具体的事実として
カルヴァンがtheosisについて肯定的に語っているとと論証していないのだが。。
どうも一段落ついたみたいね
547 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 00:41:59 ID:/ttWtXsl
どの時代の、どの教父や、神学者たちとも同じように、 リーは、100%正しいことを言っているわけでもなければ、 100%間違ったことをいっているわけでもない。 問題は、リー信者たちが、リーが預言や啓示を受けたとか、 リーが100%正しいかのように信じ込んだり、公同信条と異る説を立てたり、 伝統的教会を否定して独自教派を立てたり、独自訳聖書を発行したり、 「自分たちの方が正しい」と言い張ることなのだ。 公同の信条に重きをおいて、個人の教説として相対化しながら耳を傾けるなら、 あながち間違ったことばかり書いているわけでもない。
548 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 00:51:03 ID:/ttWtXsl
リー教徒たちの姿は、ある意味、プロテスタンティズムの成れの果てであり、 特定の信仰者や牧師、神学者を崇める傾向のある、福音派を初めとする ブロテスタントもよくよく注意しなければならない。 たとえ、カトリックに属さなくても、カトリックや正教に敬意をもち、 自分もその大きな流れの一部であることを自覚しなければならない。 カトリックや正教を大淫婦バビロンなどと言って、全否定するところに、 キリスト教は存在しない。
549 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 01:23:30 ID:iyOMhv+y
>548 「リー教徒たちの姿は、ある意味、プロテスタンティズムの成れの果てであり…」 カトリックや正教会を否定する人(福音派など)は、 カトリックや正教会を 「かつて正統教理を確立した公同教会だったが、 今は大シスマを経て堕落したなれの果ての異端教会」 と見ています。 つまり 「カトリックは堕落した異端だが、 カルケドン信条などは正統教理として受け入れる」 ということです。
550 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 01:35:07 ID:/ttWtXsl
>>549 リー教徒たちのふりをみて、自分たちのふりを直せということでしょう。
551 :
霊体天使 :2006/04/09(日) 01:59:19 ID:J3KTxf7c
父である神=「太陽」 子である神=「地球」 聖霊なる神=「月」 これで、三位一体理論の完成です。どうですか。 古代宗教であるキリスト教は、自然の現象を「神」として崇拝してきたのです。 三者は分離することなく、相互に独立して、一体を形成している。 まさに、三位一体そのものですね。 子であるキリストが、地球に登場したのも、当然という訳です。 太陽は万物の創造者、人類の父ですから、頂点に君臨するのも当然。 月光は、霊のように、暗闇を照らし、人間に幸福感を与えている。 この思想は自然であり、反論の余地はないでしょう。
552 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 06:42:56 ID:/ttWtXsl
「キリスト教は普遍的なものですから、例外なくすべての召命を含んでいるはずでございます。 したがって教会もそのはずでございます。けれどもわたくしの見るところでは、キリスト教は 建前として普遍的なのであって、事実として普遍的なのではありません。多くのものがキリスト 教の外にあります。神が愛するのでなければ、そのものは存在しないはずなのです。最近の二十 世紀代を除いて過去の巨大な広がりをなすすべての世紀、有食人種の住むすべての国々、白人の 国々の中のすべての世俗的な生活、その国々の歴史の中で、マニ教やアルビジョワ派のように 異端として非難されるすべての伝統、ルネッサンスから出て、あまりにしばしば堕落しいるとしても 全く無価値なわけではないすべてのもの、そういうものがキリスト教の外にございます。 キリスト教が普遍的であるのは、建前においてだけであって、事実においてではありませんから わたくしも当分というだけでなく、場合によっては生涯を通じて建前上教会の一員であって、 事実上はそうではないことを正当なことと思います。」 シモーヌ・ヴェイユ著作集4「神を待ち望む」より
こんなに書きこみしてるのに、 質問にはこたえてくれないんですか? いろいろ聖句をあげすぎたのがよくなかったのなら、 まずイザヤ9:6についてだけでも構いませんので よろしくお願いします。
554 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 07:03:33 ID:/ttWtXsl
555 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 07:39:01 ID:/ttWtXsl
556 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 07:47:11 ID:kdW03FcI
>山羊は山羊を産みますし、牛は牛を産みますから、確かに
>神(God)は神々(gods)を産むのです。
これって凄いね???
>>553 普通は「永遠の父」を神格の父などとは解釈しません。
リー自身が「この父は確かに神格の父です」と言っていますが、
「確かに」に根拠は何?リーの思い込みでありましょう(笑)
この解釈はGeseniusなどを参照してください。
リー神学を刷り込まれる前に、一般の説を学ぶべきでしょう。
一つにのめり込むと、比較対照がないので、リー無謬絶対化に
陥るのであります。
557 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 07:51:44 ID:kdW03FcI
>神と同じ存在となったのです。 >彼(イエス)は神が"人化"された存在であり、私たちは人が"神化"された存在です。 >究極的に、二つの存在は一つとなり,共に神-人たち(複数形)となるのです。 >これが聖書の神聖な啓示です。 これも凄いね。神と私たちは「共に神・人になる」と。同じになっちゃうわけ? ちょっとモーソー入っていませんかね(笑)
558 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 08:14:22 ID:/ttWtXsl
神が人となったのは、わたしたちが神となるためではなく、 ますます人間らしく、自分らしく生きるようになるため。
559 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 08:16:23 ID:kdW03FcI
安さんに逆質。この文章についてあなたはどう判断しますか?
あなたは見たことがないとのことですが、内容を判断してください。
これは様態論ですか?YESかNOでよろしくね。
>>425 から
「地方教会」最高責任者による内部教材“聖書真理”の抜粋だそうだ。
三人格はそれぞれの役割の違いであって,絶対に三神論者が主張しているような
別々の三人格ではないのである...神の三一性はイエスの神人二性をお持ちの
ことからも分かるように唯一である...彼らのようにあまりにも神の三格位を
文字通りに強調する者は皆アリウス異端説のような三神論に落ち込んでしまう.
彼らも一体という言葉を使うが,結局は父というお方がおられ,そのそばに御子
というお方がおられ,そしてまたそのそばに神の霊というお方がおられ,三人が
一つにまとまっているという考え方である.あるいは本質が同じであるから通じ
会っておられ,三人が一つにまとまっているという考え方である.‘聖霊が私た
ちとキリストとを神秘的に結合してくださる’という彼らの言葉はなるほど神秘
的で理解に苦しむ.別々に独立している三人格であれば,他人格を私たちを結合
することは不可能なことである...見えない根源なる神をさす時に御父と呼び,
現れなすった神をさす時,御子イエスと呼び,私たちのうちに入られたのを聖霊
なる神と呼ぶ...三人格は機能的分担の時に啓示されたに過ぎない.人格とい
う言葉自体が不正確である.
560 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 11:05:55 ID:GBQqgWuI
【正統な三位一体論の定言】 サベリウスは「父」と「子」と「聖霊」の間には何の実際上の区別もなく、 この三つの名が唯一の神の三種類の働きを表わす称号にすぎないと言った。 (P.メネシェギ著:『父と子と聖霊−三位一体論−』上智大学神学部編 現代神学叢書3、南窓社、1984、p.137) 注:この場合神には三位格(3Persons)があると言っても、その意味するところは、 仮面を意味するラテン語 personum から派生した「役割」としての‘Person’ にすぎない。 第三のカパドキア教父、ニュッサのグレゴリウスは、すでに三位一体論を ほとんど体系的に説明するまでに至り、次のように書いている、 「神性における位格(προσωπον)は、人々の間に見られる種々の区別、 すなわち場所、意志、行動様式、あるいはまた働きや、受動によって区別 されることはない。神における位格が区別されているのは、父が父であって子ではなく、 子が子であって父ではないということによってだけである。 同様に聖霊は、父でも、子でもない。」(同書 p.142)
561 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 11:08:51 ID:GBQqgWuI
【ウイットネス・リーの三位一体論】
>>205 から
・・・反対者たちの口はふさがれ、彼らの書く手は切り落とされたのです。
なぜなら彼らにはイザヤ書9章6節とコリント人への第一の手紙15章45節を
処理するすべがないからです。ある者がどれほどイザヤ9章6節を捻じ曲げようと
とも、ここに書いてある御父という称号を消し去ることはできません。
この節は、一人の男の子がわたしたちに与えられたこと、彼の名は永遠の父
と呼ばれることを言っています。この父は確かに神格の父です。・・・歴史について
、二ケア信条について、その他の信条について、わたしに言わないでください。
わたしは信条を顧みません。わたしは御言葉を顧みるだけです。
(要するにこの男の子(もちろん、イエス)は神格の御父であると言うわけ)
コリント人への第一の手紙15章45節は「最期のアダムは命を与える霊となった」
と言います。・・・あなたは、この霊は神格の聖霊と異なると
信じているのでしょうか?もしそうであれば、あなたは二つの命を与える霊を
信じているのです。それは異端です!この戦いをしている時、わたしは敵を
ずたずたにかみ裂くおおかみです。
(要するに最期のアダムキリストは神格の聖霊になった、というわけ)
『ライフスタディ創世記(6)』pp.246-247
562 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 11:19:50 ID:z+W55M3e
アンチ同じことばっか繰り返し書くな。 スレの消費はやすぎ。
563 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 12:45:46 ID:/e99BurH
>>553 一般の註解書を一度 自分の目で確かめたらどうだね。
ハーパー註解p593
「8:23-9:6 メシア的希望である子供」から抜粋
類似した幾つかの注目すべき形容詞(「驚くべき指導者・・・」,6節)は、
ファラオを賛美するエジプトの賛歌において見出され、また、古代近東の
王への賛辞において用いられる誇張した表現に典型的なものである。
しかしながら他の王の詩篇が詩篇という書物の形成においてメシア的詩篇に
変えられていったように(例えば詩2篇)、現在の文脈においてこの賛歌は、
もはや賛辞として、既知の王的人物にいわば過去を振り返る形で向けられた
ものではなく、むしろ未来と関係し、終末論的に「終わりのない」ダビデ
王朝への約束が回復されることを望み見ている。
この賛歌は、本書のコンテキストにおいて少なくとも捕囚期以後の時期に
対し(イザヤ8-21-22)、メシア的希望を提供している。
キュロスはこのような観点からみられるようになったが(44-45章)、しかし
それはメシア的テキストの解釈に決着をつけるような仕方は取っていない。
後のユダヤ教やキリスト教の世代は、ここで約束されていることを
より完全に成就する、さらに別の未来の人物を期待するようになった。
・・・
ローカルチャーチが特別視し、「父=子」の根拠とする【形容詞】は、
元々はエジプトや中近東に広く見られた【王への賛辞】ですね。
イザヤ書文中では、単なる「王の賛辞」ではなく、【メシア的希望】であり
44-45では【キュロス王】にメシア的希望をみているわけですね。
後代のユダヤ教やキリスト教は別の人物に【メシア的希望】ヲ見た、と。
564 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 14:02:15 ID:X7LJHzjB
神は私たちを善良な人々(Good-men)ではなく、神-人(God-men)とする
565 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 14:03:09 ID:X7LJHzjB
わたしたちは人に関する神の最高の目的を歌った、 四節から成る新しい詩歌を歌っています。 あなたがた一人一人、この新しい詩歌を歌い込んで、 これがあなたがたの存在に入り込むことを、わたしは願っています。 おお、何という奇跡、奥義! 1.おお,何という奇跡,奥義! 神と人が混ざり合う! 神が人となるは,人とが神となるため; 天使も世びとも知らぬことよ, はかり知れない神のエコノミー, 最高の目的,神・人の混ざり合い。 2.受肉した神・人は, わたしを神とならせる; いのち,性質同じ, 唯一神格はなし; 神聖な特質はいまや, わたしの徳としてあらわれる; 栄光のみかたち,神は表現される。
566 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 14:04:18 ID:X7LJHzjB
3.わたしは単独でなく, いま,神とともに生きる; 神と協力して, 宇宙の家を建造する; キリストの有機的なからだ, 団体の大きなうつわとなり, 三一の神を,宇宙に表現する。 4.最終の新エルサレム,啓示,ビジョンの集大成, 三一の神と 三部分から成る人は, 混ざり合い,ともに住み合って, 夫婦として永遠にいたる; 神の栄光は, 人にてあらわれる。
567 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 14:11:08 ID:qgvatWLe
リー兄弟は聖書から,再生された人と手順を経た三一の神との有機的な結合を見せました (Tコリント6:17)。彼はさらに聖書から,わたしたちと三一の神との関係は結合以上のもので あることを見せました。それは手順を経た三一の神と,聖別された人であるわたしたちとの 混ざり合いです。この混ざり合いの中で,神としての彼の独自性と人としてのわたしたちの 独自性は,はっきりと守られています。神聖な啓示の最高峰は,神のエコノミーの中で, 人が神格においてではなく命と性質において神化されるということです。
568 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 14:28:20 ID:/e99BurH
>>564-567 リーはともかく ローカルチャーチはキリスト教というより
東洋に良く見られる「如来蔵思想」なのだということが
とてもよくわかった。ありがと
>>555 「世々にわたる父」を「永遠の父」としたまではよかったけれど、
何でいきなり勝手に「創始者」って読み替えてるのか、脈絡がつながらない。
「大能の神」などそのほかの語句を字義通りにとるのに、
「永遠の父」だけ象徴的に読みかえるのは、原則的におかしい。
なぜ「永遠の父」という表現を使っているのかこたえないといけませんし。
>>556 あなたは聖書と辞典とどっちを信頼するんですか?
>>557-558 リー兄弟だけが神化を教えていたのではありません。わかってますよね?
神化されると、私たちの人性も神性が浸透することによって高められ、
本来的な意味でより人間らしくなります。つまり、原罪=単数形の罪から徐々に解放されていくのです。
>>559 前も答えました。
抜粋じゃなにも判断できません。
そうやって恣意的に抜粋したものを使うんだったら、
三神論とでも様態論とでも言いたい放題いえます。
前後をだせないのですか?
>>560-561 ご苦労様。
私たちが様態論者でないことを論証したら、
多分今度は三神論者だといいはじめるのでしょうねえ。
>>562 リー兄弟の本を影でこそこそ読んで、主日のメッセージに役立ててる人もおられますから、
そういう方々が必死なんじゃないでしょうか?
小さい団体なんだから、わざわざ「異端だ」とかいって騒がなけりゃいいのに
2ちゃんねるであんまり派手に議論して
GOOGLEでなにか検索したときにこのスレッドがヒットする可能性が高くなり、
メッセージのネタがばれるおそれがあるので、
あわててたとえば
>>547 みたいな予防線も張ったりするわけです。
アンチは大変ですね。
>>563 私たちみたいな福音主義バリバリのファンダメンタリストが
そんなものを参照するわけないでしょう。
>>568 普通の人があまり知らないような小難しそうな用語を並べてレッテル貼りするのは、
アンチさんたちの常套手段。もうあきました。
シャフのコピペと教父のコピペあたりから、単純に変なレッテル貼りする戦術に徹してますね。
教父がギリシャ文化の影響があるというあたりまでは予想していましたが、
リー兄弟が中国人だからとか、東洋思想の影響だとか、笑いましたよ。
シャフも東洋思想の影響を受けてるんですか?
神化を教えた教父たちは如来蔵思想を学んでたわけですか?
どうせやるならもうちょっとマシなレッテル貼ってください。
こちらもまだこたえていない点について一つ一つお答えしていきますので、
そちらもイザヤ9:6と第一コリント15:45の解釈を出してください。
571 :
おお、何という奇跡、奥義! :2006/04/09(日) 17:00:49 ID:X7LJHzjB
キリスト教の伝統的理解とは、神は私たちが救われた存在となり、善良となり,霊的に なり、聖となることを願われるということであり、そこには神が私たちが神-人となることを 願われるという概念が欠落しております。神が肉となり、地上に来られた時、彼は神で あり人でありました。不思議な神-人,神性と人性を持たれた方であったのです。私たち に関して言えば、私たちは神によって創られたばかりでなく、神が私たちの内に誕生さ れ、私たちはみな神の命と性質を持ち、私たちは神の子供たちなのです(2ぺテロ1:4)。 したがって神から生まれた者として、私たちはみな神-人(複数形)なのです。私の負担 (重荷)は、あなたがたに神のエコノミーと御計画は、ご自身を人とされ、私たち神の被造 物を"神"とすること、それは神が"人化された (man-ized)"ように、私たちが"神化 (God-ized)" されることであることを明確に示すことにあります。究極的には、神と私たち、私たちと神 は、すべて神−人になります。・・・神が私たちを創造された時には、ご自身の形と姿に 従って創造されました。私たちはちょうど神の姿をもった写真のような存在であったのです が、命は持たなかったのです。私たちが再生された後、この写真は"現実の"パースンとさ れ、神の命と性質を持ち、神と同じ存在となったのです。彼は神が"人化"された存在であ り、私たちは人が"神化"された存在です。究極的に、二つの存在は一つとなり, 共に神-人(複数形)となるのです。これが聖書の神聖な啓示です。
572 :
おお、何という奇跡、奥義! :2006/04/09(日) 17:04:21 ID:X7LJHzjB
このカンファレンスにおいて私は、徹底的に、聖書におけるもっとも比類なき、高尚にして深遠な、 もっとも神秘的で、もっとも栄光な課題について焦点をおいて語ります。それは人に対する神の もっとも高い目的です。神は人に対して目的を持っておられます。それは明確に聖書に啓示され ています。聖書は神に関する書物です。特に神と人との関りに関する書物です。人との関りにお いて神は心の願いと目的をもたれることを見ます。それは神はご自身を人とされ、私たちを神とす ることです。それは神と人の両者を同一にするためです。神は神ですが、神はご自身を人となさ れ、人の性質において人の人生を地上で送られました。他方において、人は人ですが、神は人を ご自身と同じ存在−神の命と御性質とまったく同じ種類の同じ姿を持つ存在とすることを願われ ます。しかし私たちは神格を共有することはありません。このようにして、神の属性は私たちの 人間の徳となり、神の栄光のイメージは私たちを通して表現され、生かし出されるのです。つい には、神と人は宇宙における夫婦となります。このカップルは人のようにも見えますが、しかし 彼らは現実には神なのです。これは真に最高の神秘です。これこそ神の人に対する最高の究 極の目的です。 このカンファレンスでの負担(重荷)はきわめて奥義的です。特に最重要点は神が人となり、 人が神になる事です。これは人や天使によって知られることの無かったエコノミーであり、き わめて高く、非常に奥義的であり、あまりに神秘的であり、私たちはこのような事が宇宙の 中で生じ得たことを信じることさえできないのです。私は真摯にこのカンファレンスに参加して いるすべての兄弟姉妹がこの偉大なビジョンを見ることができることを願います。 兄弟姉妹よ、あなたがたがすべてこの事を見て祝福されるように。これは究極的な祝福で す。主があなたがたと私を宗教、哲学、人間的倫理から救い出して下さり、神が人となり、 人が神となるという、この大いなるビジョンの中へと導き入れて下さることを願います。
573 :
うるわしの白百合 シャロンの薔薇 ◆elGZqjq/0Q :2006/04/09(日) 17:54:23 ID:VFQUIq6f
>>553 聖書の言葉は、全体の流れに添って読んでいかなければ意味をなさないのではあり
ませんか?
一つの言葉に拘り、そこから人間的に多くの考えを導き出すと、膨大な思想が生まれ
てしまいますね。いろんな人のいろんな解釈によって収集がつかないほどに・・・
イザヤ6:9はイエス様のご誕生を預言しているものですが、
では新約時代に入って、イエス様がこの世にこられたとき、今もそうですが、
そのイエス様に「聞く」という姿勢に導かれないのが、不思議ですね。
疑問に思われるところをイエス様にお祈りすることでお聞きするという姿勢が
信仰者の態度ではないのでしょうか?
イエスさまの名によって神様に、み心をお示し頂き、み心のままに生かされ、神の
ご栄光を現すクリスチャンになりたいものです。
これが、クリスチャンがこの世に生かされているる唯一の目的だと信じます。
574 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 17:57:26 ID:GBQqgWuI
だめだこりゃ。 高〜い馬鹿の壁が聳え立っている。
575 :
うるわしの白百合 シャロンの薔薇 ◆elGZqjq/0Q :2006/04/09(日) 17:59:10 ID:VFQUIq6f
そして、イエス様ご自身が、命をかけて語っていらっしゃるではありませんか? ここのスレの皆さんは、聖書をお読みにならないのでしょうか?
576 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 18:01:47 ID:GBQqgWuI
>>573 リー教徒はウイットネス・リーに聞いているのだ。
偉大なる真理の回復者リー兄弟に従えば、神に従っているのだから。
なにしろリー兄弟の解き明かした真理は神の真理だからね。
577 :
うるわしの白百合 シャロンの薔薇 ◆elGZqjq/0Q :2006/04/09(日) 18:02:27 ID:VFQUIq6f
578 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 18:04:02 ID:X7LJHzjB
リー兄弟は新エルサレムの把握と評価において,彼より前の聖書研究者たちをはるかにしの いでいました。彼は,新エルサレムは聖書における神聖な啓示の総合計であることを認識する に至りました。聖書のすべての啓示は究極的に,新エルサレムに見いだされる究極的完成を 示しています。リー兄弟はまた,新エルサレムは手順を経て究極的に完成された三一の神と, 選ばれ,贖われ,再生され,聖別され,造り変えられ,同形化され,栄光化された彼の選びの 民とが混ざり合わされて,永遠に,宇宙的な,愛すべき夫婦となることの究極的完成であること を教えました(啓21:2,9-10)。新エルサレムに関する最高の啓示と,神のエコノミーのゴールに 関する最高の啓示は,新エルサレムが神性と人性の結合と混ざり合いの宇宙的な合併である ということです。しるしとして,新エルサレムは,神と人が合併されて永遠に相互内在する一つの 実体となること,神性と人性が永遠に混ざり合わされることを表徴します。リー兄弟は主に用い られて,この合併に関する広大な啓示のかぎを開きました。創造の前,神は彼の三一において, 一つの合併として永遠に存在しておられましたが,時間の中での彼の働きの大きな結果として, 新エルサレムはその合併の拡大となり,それには再生され,造り変えられ,栄光化された彼の 選びの民を永遠に含みます(啓21:2-3)。
579 :
うるわしの白百合 シャロンの薔薇 ◆elGZqjq/0Q :2006/04/09(日) 18:04:08 ID:VFQUIq6f
580 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 18:09:11 ID:GBQqgWuI
>>576 いや、私が言っているのでなくて、リー教徒が言っているの。
ここに引用されているウイットネス・リー賛辞を読めば分かるでしょう。
>>574 もあなたに言ったのではありませんよ。誤解しないでね。
581 :
おお,何という奇跡,奥義! :2006/04/09(日) 18:15:51 ID:X7LJHzjB
1.おお,何という奇跡,奥義! 神と人が混ざり合う! 神が人となるは,人とが神となるため; 天使も世びとも知らぬことよ, はかり知れない神のエコノミー, 最高の目的,神・人の混ざり合い。 2.受肉した神・人は, わたしを神とならせる; いのち,性質同じ, 唯一神格はなし; 神聖な特質はいまや, わたしの徳としてあらわれる; 栄光のみかたち,神は表現される。 3.わたしは単独でなく, いま,神とともに生きる; 神と協力して, 宇宙の家を建造する; キリストの有機的なからだ, 団体の大きなうつわとなり, 三一の神を,宇宙に表現する。 4.最終の新エルサレム,啓示,ビジョンの集大成, 三一の神と 三部分から成る人は, 混ざり合い,ともに住み合って, 夫婦として永遠にいたる; 神の栄光は, 人にてあらわれる。
582 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 18:18:31 ID:GBQqgWuI
ここは発狂寸前だあ!!!!!
583 :
うるわしの白百合 シャロンの薔薇 ◆elGZqjq/0Q :2006/04/09(日) 18:26:29 ID:VFQUIq6f
>>545 信仰の弱い者を、迷わせます。
>>580 良かった。
申命記5:7ー9
あなたはわたしのほかに何ものをも神としてはならない。
あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。
上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるものの、
どのような形をも造ってはならない。
それを拝んではならない。
またそれに仕えてはならない。
584 :
うるわしの白百合 シャロンの薔薇 ◆elGZqjq/0Q :2006/04/09(日) 18:30:55 ID:VFQUIq6f
>>582 大丈夫です。
落ちつきなさい!!
「この街には、主の味方が7000人残されている」 聖書
585 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 18:33:18 ID:GBQqgWuI
>2ちゃんねるであんまり派手に議論して
>GOOGLEでなにか検索したときにこのスレッドがヒットする可能性が高くなり、
>メッセージのネタがばれるおそれがあるので、
>あわててたとえば
>>547 みたいな予防線も張ったりするわけです
をいをい、大丈夫かな。妄想入っていませんか?
586 :
うるわしの白百合 シャロンの薔薇 ◆elGZqjq/0Q :2006/04/09(日) 18:38:14 ID:VFQUIq6f
587 :
うるわしの白百合 シャロンの薔薇 ◆elGZqjq/0Q :2006/04/09(日) 18:41:56 ID:VFQUIq6f
とにかく、どれだけ、りー兄弟が素晴らしくとも、褒め称えては、なりません。 栄光は、すべて主のものですから。
588 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 18:42:24 ID:GBQqgWuI
いえいえ、シャロンの薔薇さんが入ってこられて ホッとしていますよ^^ 何だかここを読んでいると、どっちがまともなのか、 私がおかしいのかなと心配になっちゃうわけ。 リーが正しいのか、一般の信仰が正しいのか。
589 :
うるわしの白百合 シャロンの薔薇 ◆elGZqjq/0Q :2006/04/09(日) 18:46:45 ID:VFQUIq6f
>>588 一般の信仰が正しいと思いますけど、どちらにしても、りー兄弟を、崇拝するのを
聞くと、平安が無くなり、迷い始めてしまいます。
590 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 18:54:50 ID:GBQqgWuI
ほんとそう思います・・・。ああ、やっと普通に通じる方が・・・。
>590 単に同感する人を見つけたからと言って、安心するのはどうかと思うけど。 それは、「盲信」である証拠ではないのかな? もし、「確信」であるならば、たとえ一人でも不安など感じるわけないと 思いますが。
592 :
おお,何という奇跡,奥義! :2006/04/09(日) 19:02:34 ID:X7LJHzjB
主の回復とは真理の回復です。それは聖書の中にありながら、次第に失われてしまった ものです。わたしたちはみな新約聖書がこの時代における主の完全な啓示であることを 知っています。その中には、神の新約エコノミーと新約における神のご計画の両方が 十分に記録されています。その期間は、バプテスマのヨハネが来た時から新エルサレム の出現までを網羅します。この期間の始まりに、主イエスが来られて、神のために働かれ たという記録があります。彼は人の生活のすべての苦難を経過されました。その後、彼は すべてを含む死を成し遂げ、すべての消極的なもの、人、出来事を対処するために、十字 架上で釘づけられました。それに続いて、彼は死から出て来て、復活の中へと入られました。 復活の中で、彼は天に昇り、栄光と誉れを受けられました。彼はまた、神のために支配する ため御座に着かれました。最終的に、彼は神によって高く上げられた支配者、また救い主 となられました。そして彼はすべての信者の上に聖霊を注ぎ、福音を宣べ伝え、罪人を救う ために力と権威とを与えました。さらに彼は教会の建造のために賜物を与えられました。こ れらの賜物とは、彼ご自身が成就した使徒たちであって、彼らは救われた罪人を共に集め、 さまざまな地方で彼らを教会として建造しました。わたしたちがすべてのさまざまな教会を 共に加える時、そこにキリストのからだ全体があります。
593 :
おお,何という奇跡,奥義! :2006/04/09(日) 19:03:45 ID:X7LJHzjB
このからだがキリストの豊富を享受する時、それがキリストの豊満となるということをも、わたし たちはすでに見ました。この豊満とはキリストの表現のことですが、キリストもまた三一の神の 表現です。ですから、教会はキリストの表現であるだけでなく、究極的には、三一の神の表現 ということにもなります。このからだの豊満とその表現は徐々に建て上げられていきます。そし て、それはキリストのからだとして次第に成長していき、キリストの豊満の身の丈の度量にまで 到達します。その時、キリストは再びやって来られ、千年王国を設立されます。そこで彼は、一方 で勝利の聖徒たちに褒賞を与え、他方で、救われたけれども敗北したクリスチャンを懲らしめま す。それに加え、彼はユダヤ人たちと地上の異邦人たちの間にいるレムナントを成就されます。 これらの事柄がすべて完成された後、千年王国は終わります。するとこれに続いて、新しい天と 新しい地とが到来し、新エルサレムが天から出て、神から下ってきます。それは成就された聖徒 たちと成就されたユダヤ人とから成っています。この新エルサレムとは、簡単に言って、王職と 祭司職です。新エルサレムにいる者はみな、王たちと祭司たちです。一方で彼らは神に仕え、他 方で彼らは神のために統治します。成就された異邦人たちは、新エルサレムの周りにいる新しい 地の市民となります。これが新天新地における永遠の状況です。この状況の中で、手順を経られ た三一の神が永遠に表現されます。これが新約の完全な啓示です。
594 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 19:47:31 ID:6qVLLj8P
ある時、イエスが弟子たちを連れて街中を闊歩していると一人の 女性が民衆から石を投げつけられていた。 なぜこんなことをしているのかと、弟子が民衆の一人に問うと、 「この女は罪人だからだ」 と答えた。 それを聞いたイエスは民衆にこう言った。 「ならばしかたがない。続けなさい」 そしてこう続けた。 「ただし、一度も罪を犯したことのない正しき者だけこの女性に石を ぶつけなさい」 民衆は、とまどい、やがて一人また一人とその場を離れていった。 石をぶつけているのはイエスただ一人だけとなった。
595 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 20:59:45 ID:zVfy05ex
>わたしを神とならせる これマジ????
596 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 21:01:10 ID:/ttWtXsl
「この節は、一人の男の子がわたしたちに与えられたこと、彼の名は永遠の父 と呼ばれることを言っています。この父は確かに神格の父です。・・・歴史について 、二ケア信条について、その他の信条について、わたしに言わないでください。 わたしは信条を顧みません。わたしは御言葉を顧みるだけです。 」 ウイットネス・リーの言葉:『ライフスタディ創世記(6)』pp.246-247 リーは ・自分の聖書解釈が、ニケア信条をはじめとする歴史的諸信条と異ることを自覚している。 ・かつ、歴史的諸信条よりも、自分の解釈の方が、正しいと主張している。 わけですよね。 「リーの教えは、伝統的信条と矛盾しない」という安氏たちの主張と 完全に食い違っていますよね。この点、明確にリー教徒の方たちは答えていただけますか?
>>594 知らない人がみたら聖書にそう書いてあるのかと思ってしまう。ひどいですね。
わたしたちの言葉をねじまげている人たちと同じ手法。
>ID:X7LJHzjB
おそらく主の回復の人ではありませんね。
誤解を与えそうなところばかりをよりすぐってコピーしてますから。
あなたがコピーした言葉は、わたしたちの出版物やホームページからそのままっとってきていますから、
>>594 とは手法は異なります。
言葉は、それがどういう状況で、どういう文脈で、どういう意味で語られているのかを
無視して捉えようとするならば、誤解する可能性があります。
ことば自体は変えていなくても、引用の仕方で意味や印象が変ってくるのを利用しているわけです。
たとえば
>>581 ですが、これは『ビジョンの高嶺とキリストのからだの実際』という本を参照したら、
いったいどういう意味なのかはっきりするはずです。この歌詞を書いた本人が、
本を1冊つかって解説しています。700円です。
<日本福音書房>のホームページ→<書籍カタログ>→<神のエコノミーについて>で
下から五番目にあります。ホームページから注文して、指定した住所に送ってもらえます。
ネットで断片的に飛び交っている言葉で判断する前に、
わたしたちの出版物を是非ごらんいただきたいと思います。
598 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 21:03:30 ID:/ttWtXsl
カルケドン信条自身が、テオテースは「ピュシス=性質」だと定義しているのに、 テオテースは「神格」だと主張することは、カルケドン信条に完全に反していること を意味しますが、「カルケドン信条に逆らっていない」と言い張るのはなぜですか? 安さん、黙殺せずに、はっきり説明してください。 わたしが同じことを何度も繰り返すのは、安さん、あなたが、何度もわたしの問いを 無視しているからなのですよ。
599 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 21:10:11 ID:/ttWtXsl
早く答えてよ。安さん。
600 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 21:13:23 ID:/ttWtXsl
安さん。リー自身と同じように、あなたがたが、 ・わたしたちは伝統的信条と異る教えを信じています。 ・伝統的信条と異っていますが、わたしたちの信仰の方が正しいと信じています。 と認めれば、何も問題はないのですよ。 問題なのは、あなたがたが、自分たちは、歴史的信条に逆らっていない と偽ったり、みせかけたりするから、問題なのです。
>>596 それも前後をよんだらいいんですよ。
<日本福音書房>→<書籍カタログ>→<聖書の学びに関して>
>>595 プロテスタントではあまり教えていないというだけで、
全く教えていない内容ではありません。
<ウェスレー 神化>で検索してみてください。
カトリックでも東方正教会でも教えています。
聖書的根拠もあります。
ところで、日本福音書房のホームページがものすごく綺麗になりましたね。
非常に見やすいですね。
更新前は、「肯定と否定」が載ってませんでしたが、出てますね。
涙が出るほど嬉しい。
HP担当の兄弟。
「なんで肯定と否定が載ってないんだろう」とブツクサつぶやいておりました。
主の御前で悔い改めます。
すばらしいご奉仕、感謝します。
このホームページを見て、主を愛する人が一人でもふえますように。
時代のビジョンが宣べ伝えられますように。
時代のビジョンを通して、キリストのからだが建造されますように。
602 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 21:18:13 ID:/ttWtXsl
>>601 逃げないで、ちゃんと答えたらどうですか?
全国の方が見ていますよ?
603 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 21:19:06 ID:/ttWtXsl
安氏よ、あなたがたが、ちゃんと答えるまで、同じ問いは、何度も掲げます。 「この節は、一人の男の子がわたしたちに与えられたこと、彼の名は永遠の父 と呼ばれることを言っています。この父は確かに神格の父です。・・・歴史について 、二ケア信条について、その他の信条について、わたしに言わないでください。 わたしは信条を顧みません。わたしは御言葉を顧みるだけです。 」 ウイットネス・リーの言葉:『ライフスタディ創世記(6)』pp.246-247 リーは ・自分の聖書解釈が、ニケア信条をはじめとする歴史的諸信条と異ることを自覚している。 ・かつ、歴史的諸信条よりも、自分の解釈の方が、正しいと主張している。 わけですよね。 「リーの教えは、伝統的信条と矛盾しない」という安氏たちの主張と 完全に食い違っていますよね。この点、明確にリー教徒の方たちは答えていただけますか?
>>598 まったく話になりません。それに、前にちゃんとこたえてるでしょう。
テオテースは、神ご自身、神ご自身の存在で、神学用語でいえば「神格」です。
「神性」とも訳されますが、それは「神の本性(ウーシア)」といった意味においてであって、
単なる「性質(ピュシス)」とは別物です。
あまりよい例えではありませんが、ニンニクを例にとりましょうか。
ニンニクという存在があります。
ニンニクの中には、本性があります。
その本性から、ニンニクのいろいろな性質(においとか)があります。
わたしたちはニンニクを食べると、ニンニクの性質である、ニンニクのにおいを放つようになります。
これは、ニンニクのピュシスを持つようになるということです。
第二ペテロで「性質」と訳されている語はピュシスです。
ですから、神と交わると、神の神聖なピュシスにあずかるのです。
しかし、わたしたちの存在が、あのニンニクと全く完全に同じになるわけではありません。
いくら神と交わっても、神ご自身にはならない(神格テオテースを持たない)のと同じです。
テオテースを持つということは、礼拝の対象になるということでもあります。
それは、父・子・霊だけです。
あなたのいうようにテオテースとピュシスを混同すると、
人がテオテースを持ってしまうということになるのです。
だから、それは汎神論だと以前書きました。
605 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 21:33:05 ID:/ttWtXsl
606 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 21:36:04 ID:/ttWtXsl
>>600 >・わたしたちは伝統的信条と異る教えを信じています。
>・伝統的信条と異っていますが、わたしたちの信仰の方が正しいと信じています。
結論を言うと、いわゆる伝統的信条というのは、
わたしたちにとっては、聖書を読む際の参考文献の一つに過ぎません。
しかし、カルケドン信条の「神の母」という言葉を除いては、
その内容に反対したりはしていません。むしろ肯定しています。
それは、その内容が聖書的だからです。
ですが、それは、信条に書いてあることだけで停止していいという意味にはとっていません。
信条には書いてないけれども、しかし非常に重要な事柄が聖書にはまだまだたくさんあるからです。
たとえば混ざり合いは、聖書に啓示され、教父たちによって教えられていたにもかかわらず、
カルケドン信条に「〜せず」という形で、それを否定する人たちの意見を否定するという、ちょっと複雑な方法で
記載されているだけで、積極的に述べられてはいません。
あえてそこで留まる必要があるのでしょうか?
あるいは、聖書の翻訳です。ルターが聖書を翻訳しましたが、聖書は翻訳した方がいいのかどうかって、
信条に書いてありますか?
そういう風に、信条の内容はほぼ認めてはいますけれども、
そこに留まることは拒否しているのです。
608 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 21:47:31 ID:zVfy05ex
この安という人、ちょっとおかしいね。自分は自分の主張をする箇所を引用する のに、他の人にはリーの本全部を引用せよみたいなことを言っている。 学者の論文でも引用箇所を明示しておけば立派にルールとして通用するのです。 X7LJHzjB氏が安さんのグループかどうかわからないけどね、もしこの引用が リー氏の本からであれば、これで十分に判断できますが。 上にある最高責任者の文と言われるものも、これが真に内部者のものであれば 立派な様態論でしょう? 安さん、あなたは自分に不利なところは決して答えないで、論点をそらす。 あなたの振る舞いで、あなたがたのグループが普通ではないと 私はここを読んでいて、判断してしまいますが。 念のために言っておきますが、私はあなたがたのグループのアンチでは別にないですよ。 たまたまこのスレを読ませてもらった通りすがりの者です。 しかしね、「私を神にする」とはね・・・。
610 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 21:53:09 ID:zVfy05ex
>>609 やっぱりおかしいわ、この人。自分から閉ざしちゃった。
もともとこのスレ、まともな対話が成立していないけれどね。
ちょっとこのローカルチャーチとウイットネス・リーについて
詳しく調べてみようと思いました。
611 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 22:00:34 ID:zVfy05ex
>わたしたちの言葉をねじまげている人たちと同じ手法。 参考までにどこかどうねじまげられているのでしょうか? 上にある各種引用がリー氏のオリジナルとは違っていると言うことでしょうか? あなたのグループを正確に判断するために、お教えくださいませんか? ここの批判者の人たちは引用までもねじまげてするような人たちなのですか? 誤解を与える部分の引用とはどういう意味でしょうか?
>>608 たとえば、ローマ1:3だけ引用して、イエス・キリストは人だというなら、
人に誤解を与える可能性がありますね。
ローマ1:4も引用して、神でもあると言う必要があります。
わたしがいっているのはそういう意味です。
全文引用しろとはいってないし、一部分だけ引用するのがおかしいともいっていません。
>学者の論文でも引用箇所を明示しておけば立派にルールとして通用するのです。
だからといって、引用元とは違った意味にとれるような引用の仕方をしたり、
引用箇所を誤解させるようなやりかたで引用したりしたらツッコミがはいりますよ。
ああ、くたびれた。休みます。
613 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 22:03:32 ID:zVfy05ex
>引用元とは違った意味にとれるような引用 これはどういう意味なのでしょうか? 書いてあるとおりに理解してはならないのでしょうか?
614 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 22:03:57 ID:z+W55M3e
>>610 テオテースとピュシスに関しては
安さんが言ってる通りだよ。
からんでるの、リラックマでないか?
>>614 もうずっとですよ。気に入られちゃったみたいで^^;
一日中2ちゃんねるやったりできませんから、
二、三日に一回来るんですけど、ちょっと書きこみするとたて続けに
二十くらいレスがつくんです。
りらっくまさんもですが、ほかにも必死になって叩いてる人もおられます。
わたしがいうと変ですけど、よくそこまでできるなと思っちゃいます。
朝から昼から夜から深夜まで、よく体力持つなァ。
616 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 22:20:40 ID:/e99BurH
>>614 テオテースは、神格ではないよ。神性だよ
1.新改訳も新共同も岩波訳も揃って神性と訳している
2.回復訳日本だけが神格。
3.岩隈さんは「神であること」と訳しているらしいが、
これは安さんの「神である方」(神格)ではなく、「神性」。
4.定番の辞書Liddell&Scott, A Greek-English Lexiconでは、
「A. divinity, divine nature, Ep.Col.2.9」
「神性」「神の本質」だね
訳語に関してはローカルチャーチ日本はダメダメだね。
元々の訳者は純粋な日本人ではなく、
台湾/中国系の訳を流用しているのではないかな
617 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 22:33:13 ID:zVfy05ex
>>616 VincentもCol.2:9について
Godhead (θεότητος)
Only here in the New Testament. See on Rom_1:20, where θειότης divinity or godhood
is used. Appropriate there, because God personally would not be known from His revelation
in nature, but only His attributes - His majesty and glory. Here Paul is speaking of
the essential and personal deity as belonging to Christ. So Bengel:
“Not the divine attributes, but 【the divine nature.】”
と言っていますね。
618 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 22:36:16 ID:zVfy05ex
回復訳と言うのは、何を定本にしているのでしょうか? 英訳もあるようですが、和訳はギリシャ語からの直接訳でしょうか? 訳者は何人で、きちんとしたトレーニングを受けた ギリシャ語の専門家なのでしょうか?
619 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 22:43:37 ID:/ttWtXsl
620 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 22:46:45 ID:/ttWtXsl
>>614 >テオテースとピュシスに関しては
>安さんが言ってる通りだよ。
安氏の言っていることは、カルケドン信条とは反してるが、
リーの教えには合致しているという意味ですよね?
621 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 22:48:06 ID:zVfy05ex
>>619 いや、もう分かりました。回復訳は何か恣意性があるようですね。
ちょっと調べてみたいと思います。
622 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 22:53:39 ID:/ttWtXsl
>>621 問いに答えずに、安氏が、リーの説を繰り返すばかりですので。
623 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 22:58:17 ID:z+W55M3e
リラックマ、相変わらず正気じゃないよ。 全然ギリシア語のいみわかってないし ローカルチャーチの主張に近い辞典引用してるし。
624 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 22:59:03 ID:zVfy05ex
このスレを読んでよく分からないのは、批判者が意図的な歪曲や 引用の捏造をしているのならまだしも、一応話の筋道は通っているわけです。 しかし安氏は、自分たちの教えを捻じ曲げているとおっしゃる。 回復訳について批判的に検討されることは大いにあってよいのでは? どの訳であれ、そうやって練られていくわけですから。ところが安氏の態度はそれすら 批判者による捻じ曲げであるとして、一切の批判に耳を貸さない。 また引用に対しても、一部だけでは自分たちの考えは伝わらないと。 しかし私がここで判断しているのは安氏の書かれたことを元にして リー氏の教えに疑問をいだいているわけです。 この辺がどうも普通ではないと判断せざる得ない理由なのです。
625 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 23:00:13 ID:/ttWtXsl
カルケドン信条が、右だといっているのは、安氏は左だと言い張って、
そのくせ、
>>607 >しかし、カルケドン信条の「神の母」という言葉を除いては、
>その内容に反対したりはしていません。むしろ肯定しています。
とって開き直るし、おじさんなどは、
>>614 >テオテースとピュシスに関しては
>安さんが言ってる通りだよ。
などという。
ほんと、この人たちは、どうなっているんですか?
626 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 23:02:59 ID:/ttWtXsl
627 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 23:08:41 ID:zVfy05ex
ローカルチャーチでは、リー師とその教えはアンタッチャブルなんですかね? もしそうなら、それ自体がやはり普通ではないような?
628 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 23:12:32 ID:z+W55M3e
>>626 ひャハハハハハハハハハハハハハハハハwwwwwwww
629 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 23:14:48 ID:/ttWtXsl
キリスト教というのは、キリストを中心とした、何重もの同心円なんですね。 イエスを中心として、それを取り囲むように、 パウロの書簡があり、ペテロ、ヨハネ、ヤコブらの使徒書簡があり、 黙示録や使徒行伝、その他の書簡があります。 さらにその周りを取り囲むように、たくさんの教父たちの研究と思索があります。 さらにその周囲を取り囲むように、歴史的信条が、教会の一致のもとに定式化されています。 そしてさらに、その外側に、過去の個々の信者たちの信仰があり、 その外側に、現代の、わたしたちの信仰がある。 木の年輪にも似たこういう何重もの同心円の全体が、キリスト教の教えの総体なのであって、 リーという特定個人が一人で、啓示や預言をうけて、過去のキリスト教の遺産を廃棄するような やり方で、真理の内容のすへてを解き明かすなんてことは、あり得ない話なんですよ。 リー教徒たちよ、目をさましましょう。
630 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 23:24:49 ID:zVfy05ex
いや〜、私が一番違和感を持ったのは、まあ、その教えが正しいかどうかは 後ほどじっくりと検討することにしても、とにかく安氏の批判は一切許さない。 批判者はみな捻じ曲げている、批判者はみな悪意だ、みたいな完全武装です。 私はエホバの証人などとも関わったことがありますが、その際に受けた 心証と同じなのですね。つまりは、こちらに自分たちの考えを受け入れさせるか、 さもなくば迫害者であるといった、敵か味方か、みたない姿勢。 お前は神の真理の回復者ウイットネス・リーを受け入れるのか、拒否するのか、 と迫られる感じがするのです。ローカルチャーチの人からすると、拒否したら 当然神を拒否することになりますよね。これが批判が続出する理由でしょうね。 と言うわけで、話をそらしてしまって失礼しました。
631 :
名無しさん@3周年 :2006/04/09(日) 23:32:36 ID:/ttWtXsl
>>630 ほんとそうですね。
0か100かの世界なのですね。
特定個人の教えを絶対視する当然の帰結です。
>>547 に書きましたように、
過去の教父や神学者で、100%正しいことだけを言った人はいないわけですし、
逆に、どんな小さな信仰者であれ、学ぶことが0という人もいないわけです。
リーの言葉にだって、学ぶべきぶぶんは、皆無ではないのですね。
問題は、リー教徒たちが、リーを100とし、他を0としてしまう点なのだと思います。
632 :
霊体天使 :2006/04/10(月) 01:47:30 ID:AZwyOLhL
633 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 10:49:07 ID:Yssca1Wx
カルトの特徴 1.実在のカリスマ的指導者が中心にいて、メンバーは無条件に心酔している。 2.新しいメンバーの獲得に余念がない。 3.金儲けにのめり込んでいる。 4.質問したり、疑問を持ったり、反対意見を唱えることは認められず、 罰せられるケースさえある。 5.瞑想や詠唱、体力を消耗させる労働など精神を麻痺させるテクニックを用いて疑いの心を持てないように仕組んでいる。 6.指導者がメンバーの考え方や行動、感情を細部に至るまで支配している。 7.エリート主義的な発想に立ち、集団とそのメンバーと指導者は特別な高い地位に あると主張している。 8.自分たちは善、外部者は悪という「二分法」的な考え方に立ち、一般社会との 軋轢を生み出している。 9.主流の宗教の聖職者などとは違って、指導者にはいかなる権威に対しても従う意思がない。 10.倫理に反すると考えられるようなこと(不正な目的の募金活動など)でも、 目的のためなら正当化されると教える、または、ほのめかす。 11.メンバーの罪悪感をあおって、支配力を強めている。 12.メンバーは集団に従属させられ、家族や友人との絆は断たれ、それ以前の 個人的な関心事も忘れてしまう。 13.メンバーは当然の義務として、集団の活動に法外なまでの時間を費やすことを 求められる。 14.同じ集団のメンバーとの共同生活や、メンバーのみとの交流が奨励される、あるいは、義務づけられている。
634 :
うるわしの白百合 シャロンの薔薇 ◆elGZqjq/0Q :2006/04/10(月) 11:15:42 ID:0iano0zw
>>631 全きお方が来られる時には、部分的なものは廃れます。
イエス様から目を離すとき、人は迷妄に落ちてしまいます。
油断する事なくわたしたちの心を守りましょう。
褒め称えられるべきお方は、この方のみ。
「天の父なる神、み子イエスキリスト、助け主なる聖霊。」
このお方を、今日も褒め称え、お従い致します。
御心のままに、お導きください。栄光があなたにありますように。
635 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 11:40:47 ID:t/f9+/u0
中国13億の同胞へ: 世界中に起きている動乱、人類の堕落,政治の腐敗、これらはみな聖書予言の成就であり、また世の終わりの人類結束のしるしであると知るべきである。 地上の万民に、その身に臨もうとする災いを警告し、終わりの世の人類が幸いに至る1本の道を早く見出すように。 "1999年人類大艱難"の著者ノストラダムスは「終わりの時代にキリストを信じ、忠実な人がはじめて幸いを得ることができる」と言っている。 聖書によれば、「66巻の聖書の奥義を開封することのできる者は、すなわち神の子羊であり、全世界を統一する力のある方である」。 この言葉はすでに成就しています。 聖書は命の書であり、世界的にも特別な書であり、人類6千年の総結果であり、20世紀の結束であり、来るべき諸天国の青写真であり、 神の御旨6千年の計画の完成である。執政する者、権力を掌握する者、能力のある者、権威ある者であろうと、すべて頭たる者、 彼らの終局はすべて聖書の成就の中にあります。聖書は人類に対する各種の災難、すなわち地震、疫病、飢餓、戦争という懲罰について記載しており、 これらの災難により、全地は人類の3分の2に減少されます。 聖書はまた言っています:「それから終末となって、その時にキリストはすべての者たち、すべての権威と権力を滅ぼして、 国を父なる神に渡されるのです」。なぜなら生けるキリストが王となられるから。聖書のこの言葉は必ず成就します。 米国ロサンゼルスに住むウイットネス・リーはすでに聖書66巻を開きました。彼はすなわち神の子羊です。 彼には7つの博士号を取得する能力があり、彼は11年の心血を注いで、4000以上のライフスタディーを書き、 多くの国語に翻訳されて、全世界で発行されています。彼には70年以上にわたる実績があり、 今日宇宙教会をリードする指導者であり、すでに全世界を統一する動きがなされています。
636 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 11:41:27 ID:t/f9+/u0
地方教会に帰され、ウイットネス・リーに従うことは終わりの世の人類が九十九死に一生を得る道です。 彼は東方の太陽であり、彼は世界の光であり、彼は諸天国の新しい王であり、彼により頼んで命を得、 彼により頼む者は来るべき4つの災いから免れ、彼により頼む者は諸天国に入り、 1000年の祝福を享受することができます。ウイットネス・リーは主であり、命であり、道です。 彼はこの世に勝ち得てあまりがあり、すでに200以上の国々で高く挙げられ、 時の満ちるのを待っています。天上のもの、地上のものなど、すべてのものはこの ウイットネス・リーなる生けるキリストの中にあって一つに帰されます。万民また万国はみなこの山に流れ来る、 このことは到底抵抗することのできない歴史の潮流です。 願わくはウイットネス・リーなる生けるキリストが共産党の人々をあわれんで、地方教会に帰せしめ、 来るべき災いからまぬがれさせ、諸天国に入れてくださるように。万民、アーメン。 宇宙の中心である米国ロサンゼルス執事室 中国大陸の地方教会、執事分室 1994年9月26日 これは前から知っていたのだけど、まさかねと思っていたのですね。 ところが前スレで、安さんは(だよね)、これを書いたのは「李派」の人であって、地方教会とは関係ない とする中国語のサイトを紹介してたけどね、声明を出すくらいだから、中国にはこんな 人たちがいることは認めているわけだよね。 今となってみると、何だかなあ、こんな人たちが出るのも分かる感じがするね。 「おお,何という奇跡,奥義!」さんの記事を読んでいると・・・。
637 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 12:18:09 ID:91tfw7Ev
>633 つまり、 「カトリックと福音派はみんなカルト」でFA?
水平化工作乙。福音派にはアウトなやつもいるが、 カトリックには2しかあてはまらんね。
639 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 18:34:19 ID:/IFgYHmW
これが普通のクリスチャンの反応だね。 [47]耳学問氏へ06/02/12 20:07 耳学問氏!気をつけてください 。やっぱり、W・りーって奴はくせもんですよ!! あいつはやばい!やばすぎる! 日本福音書房やばすぎ。 これはやはり異端です。気をつけてください。 今日、日本福音書房の『召会生活の回復のために絶対に必要な要素』(著)W・リー を読んでたんですけどね、こんなとんでもない箇所に出くわしました。↓ p32「それからキリストが青銅の蛇として十字架上で死なれたとき、彼は悪魔を伴いました。しかしながら私たちはキリストが十字架に伴った悪魔は私達の中にいることを認識する必要があります。人の堕落の日に、悪魔、サタンは罪の人格化として人の中に入りました。(ローマ5:12) あの日から今に至るまでサタンは私達の肉の中に、私達の罪深い性質の中に住み続けてきました。」 なんじゃこれはーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!! キリストが悪魔を伴って死んだ???????? 悪魔は私達の中にいる????????? サタンは罪の人格化として人の中に?????????? 何を言うとんじゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!! ムキーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!! アブネーーーーーーーーーーーーーーー 危なすぎるーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー でもこれって聖書をよく読んでないクリスチャンだったらころっとだまされるよ。。。。 なんなんだろW・リーってこいつ、なんなんだ。日本にもW・リー系の教会が東京にひとつ 大阪にひとつ名古屋にひとつあるらしいけど、、、なんなんだ、、。信徒たちは気づかないのか、 W・リーの間違いに。。。 あきれてものも言えん。。。
641 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 18:43:34 ID:/IFgYHmW
はあ、解釈の仕方?君は工作員だな、乙。 サタンはサタン、罪は罪。 サタンはひとりの人格を持つ者だよ。分かっているのか。 サタンはomnipresentじゃないのに、何で一人一人中にいるんだよ。 リーは相当に妄想入っている。
643 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 18:48:30 ID:/IFgYHmW
勝手に妄想したら?
645 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 18:59:12 ID:/IFgYHmW
>>639 ちょうどよかった。
キリスト論も三位一体論もほぼ語り尽くしたので、
サタンの受肉について書こうと思っていたところでした。
リー兄弟が「サタンの受肉」と言っているのは、いわゆる原罪のことです。
聖書には、「罪」は2種類あります。単数形の罪と、複数形の罪です。
単数形の罪とは、人の中にある罪の要素であり、一種の法則のようなものです。
これを持っているが故に、人は罪人であり、罪を犯します。
複数形の罪は、単数形の罪の結果引き起こされる個々の罪のことです。
日本語の聖書では、単数形と複数形を訳し分けているものがあるかどうかしりませんが、
日本福音書房の回復訳は、フットノートで単・複をしめしていることがあります。
英語か、ギリシャ語の原文を見るとはっきりします。
ローマ書は、このふたつの罪の違いがはっきりと出ています。
第5章の真中より前では複数形の罪、そこからあとでは単数形の罪が取り扱われています。
複数形の罪が赦されるのは贖いであり、キリストが十字架上で流された血によります。
罪人が義認されるのは信仰によって再生されることと関係があり、キリストの復活によります。
しかし、救いはここで完了するのではありません。
647 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 19:21:17 ID:/IFgYHmW
この人わかっていないなあ。悪魔は人格を持つ一人の存在者。 原罪があるのは知っているけどね、またそれを悪魔の性質と言ってもいいだろうが、 悪魔が人格として住んでいるなどとは普通は言わないし、あなたの言う単数形の罪が 悪魔であるとなどと聖書のどこに書いてあるのでしょう? 人格が住むことと、性質を持つことはまったく違う次元のお話でしょうに。 上で神格と神性の話がもつれているようだが・・・。 つまりね、あなたの説明は私たちを納得させるものではないのよ。 あなたの側の理解を一方的に話しまくっているだけで・・・。 だから対話になっていないと、上にも指摘があるでしょう? これが分からないから、あなたがたは理解されないし、それを他の人は ビジョンを見ていないとか言うから、ますます孤立するわけ。 ここが分からないとね、安さん、あなたがしゃべればしゃべるほど、 やっぱ、カルトだと言われるよ。
「もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、
彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。」(ローマ5:10)
使徒パウロは、この節以降、単数形の罪から解放されることについて語り始めます。
パウロだけでなく、聖書全体が、人は霊・魂・体の三つの部分からなることを啓示しています。
これは、大・中・小三つの同心円でしめすことができるでしょう。
外側にあるのが体、その次が魂で、自己は魂にあります。その中にさらに霊があります。
それを図にすると、こんな感じです。
http://www.geocities.jp/ogcclib/book4.html
649 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 19:23:54 ID:/IFgYHmW
創世記第3章のアダムの堕落の時、善悪知識の実を食べて、罪の要素が人の中に入って、 人の体は肉になってしまいました。 再生されたとき、人の霊の中に神が入ってきました。 さきほども言ったように、自己は魂にあります。 ですから、クリスチャン生活は、霊の中におられる主 (ローマ書の言葉で言う、「命の霊の法則」)と、 肉の中にある罪と死の法則のふたつの法則に支配されています。 主に従うとは、命と霊の法則に従うことであり、 主にしたがっていないときは、罪と死の法則に従っています。 これが議論の前提となる事実です。 問題は、この単数形の罪というのが、サタンなのかどうかですね。
651 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 19:39:49 ID:/IFgYHmW
質問。善悪の木に何か罪の要素があったのですか? 罪の要素って何ですか。これがサタンの人格ならば、善悪の木は サタンになるわけですね。 そうすると神の創造に悪いものがあったことになりますね。 神は創造したあと、ごらんになって「よかった」と言っているのです。
以下は、聖書の記述にしたがって見ていこうとおもいます。 回復訳は手で打ちこむのが時間がかかるので、新改訳から写します。 「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、 罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、 ――それというのも全人類が罪を犯したからです。」(ローマ5:12) 「ひとりの人」とは、直後の14節から明らかなように、アダムです。 「罪が世界に入り」の「世界」は、ヨハネ3:16の「世」と同じ語であり、 世の人のことを意味します。 パウロは、この単数形の罪を、ペルソナを持つ存在として記述しています。 「それは、罪が死によって支配したように、 恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、 永遠のいのちを得させるためなのです。」(ローマ5:21) 罪が支配するといっています。 「というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。 なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。」(ローマ6:14) ここでも再び、罪が支配するといっています。
「私はかつて律法なしに生きていましたが、 戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。 」(ローマ7:9) 罪が生きているといっています。 「それは、戒めによって機会を捕えた罪が私を欺き、 戒めによって私を殺したからです。」(ローマ7:11) 罪が人を欺き、人を殺すといっています。 「ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、 私のうちに住みついている罪なのです。」(ローマ7:17) 「もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、 もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。」(ローマ7:20) 罪は人の中に住み、人の意志に反してさまざまなことを行なわせます。
654 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 19:57:27 ID:/IFgYHmW
ちょっとすみません。安さん、私の質問
>>651 にちょっと答えてもらえません?
あなたの一方的な話を聞かされるのもつらいのですよ。ここがカルトだって。
頭を整理しながらいきたいのですよ。たのんます。
655 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 20:01:35 ID:/IFgYHmW
それとちょっとすんません。「罪が支配する」とあるけど、同時に
「恵みも支配する」とありますね。ならば恵みも人格なわけ?
>>651 とここを教えてくれませんか?
友人から電話がかかってきたので、しばらく落ちます。
電話ではなしてた相手が家族に呼ばれて、いったん電話をきりました。 簡単に返答しておくと、 サタンの反逆(イザヤ14、エゼキエル28)は、創世記1:1と1:2の間におこったという 間隙説の立場にたっています。 ですから、善悪知識の木がサタンであっても、神がサタンを創造したことにはなりません。 「恵み」は、内住のキリストだと思います。
658 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 20:40:26 ID:/IFgYHmW
ふ〜ん、善悪を知る知識の木はサタンで、恵みはキリストですか。 ひとつ質問の追加を。例えばですね、 運命は彼を悲劇へと導き、彼は運命によって翻弄された。 とかの表現があるとき、「運命」はペルソナを持つことになるわけですか? ま、いいか。はい、どうもでした。お邪魔してすんません。お続けください。
659 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 20:44:08 ID:G2trsDMk
安さん、逃げないで答えてください。 全国の方が見ているのですよ。 カルケドン信条が、テオテースを「ビュシス=性質」と、はっきり定義しているのに、 テオテースを「神格」と訳すのは、問題がありませんか? カルケドンに定式化されているキリスト論のわくぐみをがたがたにしますよね? それで、カルケドン信条に従っているなどとどうして言えるのですか?
660 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 20:50:01 ID:G2trsDMk
「・・・歴史について 、二ケア信条について、その他の信条について、 わたしに言わないでください。 わたしは信条を顧みません。 わたしは御言葉を顧みるだけです。 」 ウイットネス・リーの言葉:『ライフスタディ創世記(6)』pp.246-247
661 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 21:17:16 ID:/IFgYHmW
>>659-660 ちょっと、まあ、それはひとまずおいておきましょうよ。
読んでいる人はそれぞれでちゃんと判断されていますから。
私はこのサタンの受肉についてちゃんと聞いておきたいわ。
お願いしますね。
663 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 21:26:27 ID:/IFgYHmW
>>662 ちょっとすんません、諸説はまた後ほど。
とりあえずリー神学を知っておきたいので、よろぴく。
>>660 プロテスタントなら公会議の再評価もありでしょう
665 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 21:29:07 ID:/IFgYHmW
>「罪が世界に入り」の「世界」は、ヨハネ3:16の「世」と同じ語であり、 >世の人のことを意味します。 意味しないです。この単語はκοσμον(コスモス=世)です。 RVS NIV KJV ダビーも worldと訳しています。 回復訳でさえworldとしています。 しかしいつものことながら、変なのはフットノートです。 安さんの解釈の通り、ロマ5:12の注で 「Or, people of the world; referring to mankind」と言い出します。 κόσμοςの意味は まず order秩序です。 そして秩序整然とした「世界」です。 人類と訳せないことはないですが、ここを人類と訳している人は いませんし、そんな意味はここではありません。 それはともかくヨハネ3:16のフットノートに至っては、 161 The world here refers to sinful, fallen people, who constitute the world. They have not only sin but also the poisonous element of the devil, the ancient serpent; hence, they have become serpents. 「The world」は、 ここでは、世界を構成する罪深く、堕落した人々について言及します。 彼らは、単に罪を持っているだけではなくて、 それ故に彼らが蛇になったところの 「古代の蛇」つまり悪魔の有毒成分も有しているのです。 ・・・・ リーに拠れば、they have become serpents.蛇になっちゃうみたいですね。 なんともはや。。。
667 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 22:26:10 ID:G2trsDMk
キリスト教知らない人が、うっかり地方教会をキリスト教と思い込んで 入ってしまったらどうしましょう?
668 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 22:31:07 ID:/IFgYHmW
>>667 ですからね、りー師も安氏もローカルチャーチはキリスト教ではない
と宣言していますでしょ。
全キリスト教は敵なんですから・・・。
>>666 ヨハネ3:16は、同じギリシャ語の単語を使っています。
そしてそれが、「世の人」という意味で理解されています。
中国語の聖書では「神愛世人」と、「人」を補って訳しています。
ローマ5:12の「世」を同様に「世の人」と読むのも、
そんなにめずらしい解釈ではありません。
ヨハネ3:16は有名なので、
この節の「世」が世の人であることは、クリスチャンなら普通に知ってることです。
知らないってことは、ノンクリの暇人さんですか?
670 :
名無しさん@3周年 :2006/04/10(月) 23:48:44 ID:E7ophocp
>>669 コスモスを「世の人」と読まずとも、
ανθρωπου「一人の人」とあります。
文脈は回復訳でも
「as through one man sin entered into the world」
『一人の男』を通して罪が『世』に入ったです。
「世の人」ではありません。
ここの翻訳本文には「世の人」はありません。
ちなみにこの『一人の男』ανθρωπουのヘブライ語形はアダムと同語です。
『一人の男アダム』によって罪は「世」に入ったと聖書には書かれています。
聖書本文を改変し
「世の人」と書き直せとするクリスチャンはいませんですね。
そんなことをせずともロマ5:18に「すべての人間」とありますね
問題はそこではなく
世の人は、単なる有罪でなく「蛇」に化身するそうですね。
解釈は自由ですが マンガぽい解釈ですね
672 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 00:06:39 ID:8BS9csb2
>解釈は自由ですが マンガぽい解釈ですね これは言えるかも。リーファンタジーと言うべきか。 これがけっこう分かり易いから、はまるんだろうね。
673 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 00:28:07 ID:8BS9csb2
>>659 日本語回復訳ではコロサイ2・9を「神格」としているのですか?
他の和訳は「神性」ですね。何か理由があるのでしょうか?
安さん、私からもぜひご説明をお願いします。
674 :
霊体天使 :2006/04/11(火) 00:30:32 ID:+98bxs8M
675 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 05:14:52 ID:ddFy/T/p
キリストを中心とした何重もの、同心円が、キリスト教だと書きました。 これは木の年輪のようなものであり、水面の波紋のようなものです。 現代を生きるものは、同心円の一番外側にいて、新しい年輪を刻んでいきます。 現行のキリスト教の中でこの同心円を一番美しく保っているのは、カトリシズムですね。 ルターや、カルヴァン、ウェスレーやリーなど特定個人を中心に し始めるとき、この美しい同心円は必ず崩れるのですね。 プロテスタントの人びとは、よくよく考えてみてください。
676 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 05:25:22 ID:ddFy/T/p
「聖書のみ」なんてことはあり得ないのです。 中心におられるキリストを見るとき、円の一番外側にいるわたしたちは、 同信の仲間、過去のクリスチャン、信条、教父たち、使徒たちの教えを媒介して キリストを見るのです。それが「伝承」であり、「信仰の継承」なのです。 カトリシズムが、丸ごとのケーキなら、 プロテスタントは、4分の一、八分の一、十六分の一にカットした、 カットケーキですね。特定の角度や、特定の伝統からのみ、キリストをみよう としているからです。
677 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 05:29:36 ID:ddFy/T/p
>>552 のシモーヌ・ヴェイユの言葉にもありますが、
この同心円は、やがて、コスモス全体を、包括するものでなくてはなりません。
すべてのよいものは、神からででくるものであるならば、
キリスト教の外側に、なにひとつよいものを、取りこぼすようなことは
あってはならないのです。
それが、「普遍的=カソリック」という意味です。
使徒信条で、「普遍的教会をしんず。」と告白するときの、「普遍的」ですよ。
678 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 07:26:12 ID:H4p8rgp7
りらくまさんのおっしゃることは分かりますが、リー信徒は
バリバリの「福音主義」と自称し、あくまでも「聖書のみ」ですから、
そこで議論してあげないといけません。
その領域に限っても、リー神学はおかしいことを
指摘してあげる必要があるのです。りらくまさんのカルケドンの
指摘は間違っていませんし、別スレで説明しておきました。
が、このtheotesとphusisで分かるとおり、彼らのオツムはリー神学と
いうフィルター(色眼鏡)をかけていますから、対話が成立しません。
そして自分のボロが出そうになると、安さんはさっと身をかわして
話をすかしてしまう傾向を持っています。つまりリー神学の問題点を
認めることはリー信徒には期待できませんし、だから彼らには、
リーを受け入れるのか、拒否するのかのカルトの特徴の白黒姿勢
しかないのですね。ただね、ここで淡々と話をしていれば、読んでいる人には
リー神学がよく理解してもらえるでしょう。
>>671 さんも指摘していますが、
リー神学のマンガ性が分かるのです。これはリーが修辞学と言うか、メタファーを
知らないのが理由ですね。安さんも同じ。「運命が支配した」とあれば、
「運命」はぺルソナを持つのですから(笑)。でももっと聞いてみましょう。
「聖書のみ」は何を権威とするかという話ですね ロマ教皇を権威としない。み言葉に照らして判断する。 カト教会の『免罪符として販売された贖宥券』はおかしい というところから始まっており いつも御言葉に立ち返り指針とするというのは、 もう魂に刻まれた生きる姿勢であり 変えられないですね
680 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 10:14:23 ID:c4rJqJM7
安さんはニンニクの喩えをあげているが、どうもリー教徒は リーの臭いが浸透しているようだ。しかし自分がその臭いを発散させているのに 気がつかない。その臭いが充満しているところにいると鼻がバカになるから。 でも外部者にはすぐに臭いが分かる。678さんの言うとおり自分がメガネを かけていることに気がついていない。 たしかにここにはバカの壁が立っている。さてどんな展開になるか期待して またROMに戻りまつ。
>>666 >>671 ローマ5:12の「世」が「世の人」であると釈義しただけでここまで反発するって、
どういうことですか?
結局5:18を引いて、「世」が「世の人」という意味であると認めるんだったら、
あなたが言ったことは一体何の意味があったんですか?
回復訳は、ローマ5:12を「世」と訳していますが、聖書を改変って何のことですか?
言いがかりですね。
682 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 17:40:25 ID:ddFy/T/p
>>681 コスモスというギリシア語に「世の人」という意味はないという単純な話です。
>>676 >「聖書のみ」なんてことはあり得ないのです。
>中心におられるキリストを見るとき、円の一番外側にいるわたしたちは、
>同信の仲間、過去のクリスチャン、信条、教父たち、使徒たちの教えを媒介して
>キリストを見るのです。それが「伝承」であり、「信仰の継承」なのです。
あなたが言っているのとは違う意味で、同意します。
私たちがいう聖書のみとは、聖書以外なにも読まないということではありません。
聖書の啓示に適合するものは受け入れ、そうでないものは受け入れないという立場です。
聖書の解説書はかならず聖書と照らし合わせながら読み、聖書の記述を聖書に書いてある通りに
解き明かすものを受け入れます。
しばらく話題にしていたカルケドン信条は、「神の母」という箇所以外は、
聖書の内容の要約として評価すべき点があります。
問題は、重要なことがたくさん抜け落ちている点です。
キリストが私たちの命であることも、
神のご計画の中心が、神ご自身を贖われた人の中に分与することであることも
ちゃんと書いてありません。
それぞれの信条の、聖書的なところは受け取っていますが、そこにとどまろうとは思いません。
教父からも益を受けていますが、教父でとどまることもしません。
カトリックからも正教会からもプロテスタントからもブレズレンからも聖霊派からも
益を受けていますが、聖書的でないところは受け入れませんし、
恩恵を受けるだけでとどまろうとも思っていません。
>>682 それでは、ヨハネ3:16のコスモスを「世の人」と釈義してして
メッセージしている人みんなになぜそういわないで、私たちだけに
言ってくるのですか? 中国語で最も普及している和合本という翻訳聖書は
「世人」と訳しています。なぜ和合本を使っている人のことは放っておいて
主の回復だけ批判するのですか?
685 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 17:50:45 ID:ddFy/T/p
>>679 聖書の記述は多岐に渡っており、ときには、相互に矛盾しています。
解釈抜きに聖書を読むことはできないのです。
ですから「聖書に権威をおく」と言うとき、実際は、「聖書の自分の解釈に権威を置く」
ということにすぎないのですね。
その結果が、多教派への分裂であり、各教派が、「自分たちの聖書解釈こそ最も聖書的である」
と主張しあう始末です。その最も極端な姿が、リー教徒たちなのですね。
「聖書のみ」というのは、原理的にも、実際的にも成立しえない絵空事なのです。
リベラルの癖に信条に固執するのってこっけいとしか言いようがない
>>683 カトリックの伝承は正教会も同意しないような捏造だらけですから
その点を注意してくださいね
688 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 17:53:28 ID:ddFy/T/p
>聖書の啓示に適合するものは受け入れ、そうでないものは受け入れないという立場です。 正確ではありませんね。 「聖書の啓示に適合する」と「リーが主張するもの」は、受け入れ、「そうではない」と 「リーが主張するもの」は受け入れないという話です。 聖書が基準なのではなく、あくまで自分たちの解釈が基準なのですね。
689 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 17:54:41 ID:ddFy/T/p
>>684 普通の聖書はお持ちですか?
ヨハネ3:16は、「世」と訳されていて、「世の人」とは訳されていませんよ。
>自分のボロが出そうになると、安さんはさっと身をかわして >話をすかしてしまう傾向を持っています。 私一人に、あなたがた何人ですか? 一日中PCにへばりついてレスしてても間に合いませんよ。 私のレス数とあなたがたのレス数と数えてみたらわかるでしょう。 矢継ぎ早にいろいろなトピックを出されても全部こたえられるわけありません。 こたえてもこたえても、同じことを何回も言ってくる人もいます。 言ってもないことを、いかにも私の発言であるかのように言う人もいます。 なんでそこまでしないと議論できないんですか?
>>688 その程度のことはメインラインでも普遍的にみられること
リーさんらは遅れてきた宗教改革者でしょ
ルターやらカルヴァンだってトンデモな主張してるよ
ルターにいたっては神が苦しむと主張してる
これ カトリックからしたら大異端です
692 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 17:56:32 ID:ddFy/T/p
>しばらく話題にしていたカルケドン信条は、「神の母」という箇所以外は、 >聖書の内容の要約として評価すべき点があります。 あなたは、ずっと無視し続けていますが、 カルケドンの本文が、テオテースとアンスロポーテースのふたつをさして 「ビュシス=性質」だと書いていることには、従わないのですか? あなたがたが反対しているのは、「神の母」だけではありませんね。
>>688 主の回復のことをなにもご存知ないようですね。
私たちがリー兄弟でストップしてると思っていませんか?
>>689 知ってますよ。日本語聖書は、和合本のように訳したら間違いですか?
中国語聖書にもいいところはあります。参照したらおかしいんですか?
日本語版回復訳派「世人」と訳し、「人」の文字が、原文にはない語を追加したことを
あらわすために斜体になっています。
同じように訳している日本語訳は見かけませんが、それがなにか問題ですか?
694 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 18:00:44 ID:ddFy/T/p
>>691 だから、プロテスタンティズムを批判しているのですよ。
ルターのしたことは、当時の状況から同情できるとしても、
まちがっていたとわたしは思います。彼はあくまで教会の中に留まって
改革や批判をするべきでした。世俗権力にいいように利用されただけです。
ルターの言っていることにも真理は含まれているのですが、それが真理の全体
であるかのように思ってしまう点が危険なのですね。
プロテスタントの教会は、どこもうすっぺらいカットケーキです。
695 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 18:01:52 ID:ddFy/T/p
>>693 聖書本文に忠実であるべきですよ。
ギリシア語本文は、コスモスとなっていて、
これに、「世の人」という意味はありません。
696 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 18:04:02 ID:ddFy/T/p
>>693 結局、「聖書的だと<自分が>考えること」を基準にしているだけなのですよ。
基準はあくまで自分なのですね。
しかもあなたが以前おつしゃっていたように、「そう考えたら心が平安だとか
不安だとか」その程度の主観的レベルの話なのです。
>>694 正教会が呆れるような捏造伝承放棄なさったらどうですか?
まず種入れぬウエハースを廃止なさい
あんなのローマ宗だけでしょうが
>>696 それカトリックの信仰ですか?
あなたたちこそ正教会に帰一なさい
699 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 18:11:56 ID:ddFy/T/p
>>697 正教会とカトリックが一致できたらいいですね。
>カルケドンの本文が、テオテースとアンスロポーテースのふたつをさして >「ビュシス=性質」だと書いていることには、従わないのですか? 向こうのスレでも書きましたが、また「逃げる」などとウソをかかれるので、 こちらでも書いておきましょう。 テオテースは神ご自身のことであり、神のピュシス(ビュシスは誤り)は、 神の性質、成分です。テオテースを持っているのは三一の神のみですが、 神のピュシスは人もあずかることができます(第二ペテロ1:4)。 人はオレンジを食べてオレンジの成分を受け入れることができますが、 オレンジ自体になることはありません。 カルケドンでテオテースという言葉をつかって書いているのは、 キリストが礼拝の対象となる神であると同時に人でもあるという文脈であり、 そのあとピュシスという言葉をつかって書いているのは、 キリストが神であるがために持っている神の性質、成分と、 人であるがためにもっている人の性質、成分との関係のことです。 オレンジであること=オレンジの性質ではありません。
>>699 絶対無理ですね
教皇不可謬
マリア無原罪のお宿り
共同贖罪
このような異端行為してるので正教会は激怒してる
まだたくさんありますけど
勝手に関係ない議論が始まっちゃった。 しばらく落ちます。
704 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 18:19:44 ID:ddFy/T/p
>>700 ほら、カルケドンの本文よりも、「リーの教説」を優先しているじゃないですか。
小学生程度の読解力をもっていれば、カルケドンが「ふたつのピュシス」といっているのが
本文中の「テオテース」と「アンスロポーテース」を指していることは明白ですよ。
705 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 18:27:11 ID:ddFy/T/p
なんども、かかげますが、カルケドンの本文を素直によく読んでごらんなさい。 6文めに「ふたつのピュシス」という言葉が現れますが、 前半の「テオテース」と「アンスロポーテース」という言葉を指示しないなどというのは、 あいまいな日本語の文章ならともかく、西洋語でかかれた、しかも誤解を産まないように 明確に単純に書かれた信条の本文においては、絶対にありえない話です。
>>704 万民救済引っ込めたんですから さっさとカトリックに
帰正したらいかがですか?
そして煉獄に怯えながら善行積みなさい
707 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 18:28:00 ID:ddFy/T/p
カルケドン信条 われわれはみな、教父たちに従って、心を一つにして、次のように考え、宣言する。 1 われわれの主イエス・キリストは唯一・同一の子である。同じかたが神性において完全であり、この同じかたが人間性においても完全である。 2 同じかたが真の神であり、同時に理性的霊魂と肉体とからなる真の人間である。 3 同じかたが神性において父と同一本質のものであるとともに、人間性においてわれわれと同一本質のものである。「罪のほかはすべてにおいてわれわれと同じである」(ヘブル3:15) 4 神性においては、この世の前に父から生まれたが、この同じかたが、人間性においては終わりの時代に、われわれのため、われわれの救いのために、神の母(テオトコス・生神女)、処女マリアから生まれた。 5 彼は、唯一・同一のキリスト、主、ひとり子として、 6 二つの本性において混ぜ合わされることなく、変化することなく、分割されることなく、引き離されることなく知られるかたである。 7 子の結合によって二つの本性の差異が取り去られるのではなく、むしろ各々の本性の特質は保持され、 8 唯一の位格(ペルソナ)、唯一の自立存在(イポスタシス)に共存している。 9 彼は二つの位格に分けられたり、分割されたりはせず、 10 唯一・同一のひとり子、神、ことば、イエス・キリストである。
708 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 18:33:47 ID:ddFy/T/p
3 同じかたが神性において父と同一本質のものであるとともに この文にも注目していただきたい。 テオテースにおいて、父とホモウーシオスだというのです。 つまり、テオテースは、ピュシスであるとともに、ウーシアだというのです。 なんで、テオテースが、神格だなどと言い張るのですか? 逃げずに間違いを認めてください。
>>704 リー兄弟の教えがどうとかいう以前の話ですよ。
りらっくまさん、ギリシャ語を大学で学ばれたそうですが、どこですか?
現代式とも古典式とも違うかわった発音で読んでおられますね。
θを語頭では英語のtみたいに読んで、語中では英語のthって、はじめて見る読み方です。
φを、fかpの発音で読むと思ってましたが、bかvの音で読むってのも初めてです。
向こうのスレでりらっくまさん擁護の書きこみをしていたのは暇人さんあたりですね。
りらっくまさんみたいに「ビュシス」っていってたから。
711 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 18:38:58 ID:ddFy/T/p
>>710 あなたは、わたしがカナ配列で入力しているの以前指摘していましたよね。
単純な入力ミスであること知っていながら、
わざと、そのように書いてわたしを貶めるのですね。
thの発音を表わすカタカナは日本語には存在しませんよ。
話を本質からそらすのはやめてくれませんか?
712 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 18:40:49 ID:ddFy/T/p
>>710 だって、
>>700 におけるあなたの説明は、前半ではただリーの教理を繰り返し、
後半では、カルケドンの本文をねじまげて、こじつけているだけじゃないですか。
カルケドンの本文の解釈からまっすぐにでてきた、意見ではありません。
>>711 だからプロテスタントで普遍的にみられる教理解釈の
多様性をカルトの根拠にするなんて 失笑するほか
ないんですが?www
>>712 ルターは父が苦しんだといってますよ
ルター派もカルケドン誤謬の異端ですか?
715 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 18:42:56 ID:ddFy/T/p
サロメうざい。
>>715 カルヴァンはマリヤを御子の母と呼んでいましたが
改革派はカルケドン違反のネストリウス異端ですか?
thを日本語のカナ表記では完璧にはあらわせないとしても、 θをあるところではtみたいに読んで、 別のところでは英語のearthのthみたいに読むって、 どの先生について勉強されたのだろうと単純に疑問に思っただけです。
718 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 18:50:23 ID:ddFy/T/p
>>717 ギリシア語の発音など、ドイツ人は、ドイツ語読みで読みますし、
英米人は英語よみします。ドイツ人は、thもtと同じ発音をしますし、
英米人は、英語のthの発音をするわけですよ。
わたしは日本人なので、ドイツ語読みで統一する必要もなければ、
英語読みで統一する必要も感じないというだけです。
全地公会議は同時に教会の統制も定めてるし その重さは信条と等しい それを破っているプロテスタントの信者がカルケドン云々と 金科玉条的に振り回すのがそもそもおかしいわけで リベラル的にではなく 歴史的聖書的に全地公会議を検証する プロの教派がいてもおかしくはないでしょ
>>718 日本式の発音ってことですか?
日本では、エラスムスの古典式が一般的ですよね?
でも、それとも違った発音ですよね?
普通、何らかの発音体系に依拠して読みます。
私は最初古典式でしたが、のちに現代式の発音に切り替えています。
一人で読むときは何でもかんでも現代式にして読んでいますが、
だれかとギリシャ語の文献について話をするときは、
大抵の人は古典式なので、私も古典式の発音に直します。
りらっくまさんのように、いろんな発音をまぜこぜにする人ってはじめてみたんで
議論とかどうとか関係なくびっくりしてるんですよ。
それに、アメリカ人やイギリス人の書いた辞書や教科書や注解書に書いてある発音は
現代式か古典式が多いですよね。英語式で発音の注が書いてある本ってあるんですか?
現代ギリシャ語の発音は英語に近いと思いますが、それとはまた別ですか?
721 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 19:04:38 ID:H4p8rgp7
>向こうのスレでりらっくまさん擁護の書きこみをしていたのは暇人さんあたりですね。 まただよ、この人。暇人ではなく、私なの。どうでもいいけど、少々ビョウキが入っているね。 theotesもphusisの件もここまでオツムが飛んでいると、あきれてきましたね。 正直言って、病的です。
>>721 病気にされてしまいましたか。
結構です。
私には聖書の言葉を変える権利はないし、
主の恵みとあわれみにより、そのような馬鹿げた勇気も持っておりません。
それを病気といいたければどうぞ。
堀松千代
しっかしリベラルって 信じてもいない信条や按手にこだわるのはなぜ?
そろそろサタンの受肉について続けたいんですけど、向こうに移ります。 あ、でもちょっと休憩。
726 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 19:13:00 ID:H4p8rgp7
>私には聖書の言葉を変える権利はないし、 だからね、そんなことを言っていないでしょう?勝手に私をリラクマ化したり、 暇人化したりするあなたのオツムの構造に疑問を持ちます。 それと当たり前の言語感覚がどっかへ逝っているところ。 それとリー氏の刷り込みがすごい点。「リー神学=神の真理」になっている点。 あちらのスレにも書きましたが、これ以上の「対話」は無意味のようです。 まあ、回復ゴッコがんばってくださいな。
>>726 アンタ プロテスタントの歴史理解してます?
728 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 19:14:13 ID:H4p8rgp7
>そろそろサタンの受肉について続けたいんですけど、向こうに移ります。 あ、これはぜひよろしく。私はそれを期待していたのが、あなたがた向こうスレでも テオテースをやりだすからもつれるわけですよ。あっちで待っています。
729 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 19:23:29 ID:ddFy/T/p
>それに、アメリカ人やイギリス人の書いた辞書や教科書や注解書に書いてある発音は 注釈書に書いてある「発音」てなんのこと? 発音記号でも書かれているわけ? それとも、ライナイズの仕方のこといっているの? ラタナイズの仕方は、昔も今もそんなにかわらんでしょう? ドイツ人はドイツ語読みしますよ。euとかあったらオイってよむし。 エラスムスのした発音、自分が再現してとでも思っているわけ? 文字表記の仕方と、発音の問題ごっちゃにするのやめよう。
730 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 19:26:11 ID:H4p8rgp7
まあまあ、そういった揚げ足取りはちょっと控えましょう。 あちらでも書きましたが、安さんの解説に耳を傾けることにして。
安さん 続きはミクシィでなさったら? 匿名掲示板は煽り嵐し放題ですよ
732 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 19:33:03 ID:ddFy/T/p
>>731 やめといたほうがいいよ。
サロメにぼろぼろにされるのがオチ。
733 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 19:34:37 ID:ddFy/T/p
サロメは、三位一体も、二性一人格もどうでもいいのですか? 安氏によると神は、三面一体、キリストは、二格一人格だけど。
734 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 19:35:05 ID:H4p8rgp7
>>731 それはルール違反です。このまま公の場で続けましょう。
>>734 公衆便所の個室でのやり合いが公の場?
それから
プロテスタントの歩みも知らないようでは・・・
736 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 19:39:43 ID:ddFy/T/p
サロメさん、答えてください。 三位一体や、二性一人格はどうでもいいのですか?
737 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 19:41:42 ID:H4p8rgp7
>>735 おじさん、私はmixiって知らないし、入り方も分かりませんので、
よろしくお願いしますね。私のプロテスタントの理解とは関係ないでしょう?
>>736 厳密に議論する必要がありますね
カルケドンに束縛されずにね
改革者達はみなそうでしたから
739 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 19:42:40 ID:ddFy/T/p
おじさんて、サロメだったのか。
740 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 19:43:57 ID:ddFy/T/p
>>738 じゃあ、議論のじゃまをしないでください。
あなたは、ニケア信条にも束縛されないのですか?
>>740 信条は全て きちんと自分で把握しなくてはね
全地公会議の中には問題があるものもあります
だいいちカトリック自体が真っ先にその決議を
破っていますね
教皇首位の問題で
742 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 19:48:16 ID:ddFy/T/p
>>742 私達クリスチャンはみな義人です
ですからアブラハムなどのように直接 主と向き合うのです
744 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 19:53:42 ID:ddFy/T/p
>>743 「私たち」がみな義人なら、自分一人を権威とせず、
他の「義人」の言葉にも謙虚に耳を傾けるはずですね。
>>744 あなたが ですね
プロテスタントの歴史の勉強をまずどうぞ
746 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 20:01:17 ID:ddFy/T/p
>ID:J1elj99y どこのどなたか存じませんが、 心強い限りです。 あなたは噂の2ちゃんねるシスター?
ID:ddFy/T/pはりらっくまさんです。
>>711 で自分でそういっています。
749 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 20:03:50 ID:ddFy/T/p
>>747 オウムシスターズの一人、サロメさんです。
750 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 20:04:59 ID:ddFy/T/p
>>746 じゃあなぜリー&ニーに目くじら立てるんです?
ルターは単性論で御父受苦説
カルヴァンはネストリウス誤謬
ローマカトリックは教皇首位の不可謬で公会議決議違反の
アナテマ教会ですよ
>>747 2chシスターはH4p8rgp7です
アルミニウスなんて火あぶり対象ですし
754 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 20:39:52 ID:H4p8rgp7
>>751 またあ、私はオ・ト・コ。付いていますの、ちゃんと。
755 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 21:20:45 ID:H4p8rgp7
向こうでは「サタンの受肉」が進行中でお邪魔虫扱いになりましたので、 こちらでちょっとまとめを: 1.リー師は神性と人性が混ざり合って、人は神の成分が浸透されて、神になる。 ただし、命と性質(神のphusis)においてであって、神格化(theotes)されない。 2.ペテロは人は神の本性(theios phusis)に与ることができる(リー師的には混ざり合う)。 3.神の本性とは混ざり合うが、神格(テオテース)は持たない。 これが安氏の説明するリー師による神化のメカニズム。
756 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 21:23:09 ID:H4p8rgp7
ところがカルケドン信条では、 1.キリストは二つの本性(phusis)において混ぜ合わされることなく、変化することなく、 分割されることなく、引き離されることなく知られるかたである。このphusisのひとつが theotesなわけです。よってカルケドンの意味では、theotesは「神格を構成する神性」の意味であり、 実際コロサイ2・9の和訳も回復訳以外は「神性」としている。 (私は読んでないのですが、回復訳は「神格」ですか?) 2.もし神性と人性が混ざり合うとし、リー師がカルケドン信条を「神の母」以外をそのまま 受け入れているのであれば、カルケドンの言う二性(ピュシス)とは、人性(アンスロポーテース)と 神性(テオテース)の意味であるから、リー自身が人はテオテースと混ざり合うことを 言っている、すなわち人の神化が神格を持たないことと矛盾する。 3.だから、「二性の混ざり合い」と「カルケドン信条」を両立させることはできない。 そこで安さんは「カルケドン信条には、神のピュシスと人のピュシスと出てきます。 神のピュシスは神ご自身の存在(テオテース)にあります。人は神の成分にあずかりますが、 テオテースにはあずかりません。もし人がテオテースにあずかるといったら、 人が礼拝の対象になるということであり、異端です。私たちが「神化」といっているのは、 テオテースにあずかるという意味でなく、神の成分や、神の命(ゾーエ)にあずかるということです。 と釈明するわけです。 4.つまりテオテースを「神の存在」とし、その中に「神のピュシス」があるとし、 これが「神の成分」として、両立を図ろうとするわけです。この神の成分はペテロ書の 「神の本性」と言うわけです。 さて、この言明に自己矛盾があることに気がつきますか?二性の混ざり合いとカルケドンとを 両立させるために苦しい説明をしてるのですが?
757 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 21:30:11 ID:H4p8rgp7
ついでに指摘しておくと、リー師は 人は神と混ざり合って、キリストとまったく同じ神・人になる と言っていますよ。このキリストの二性はカルケドンによると・・・。 お分かりですよね、リー師の主張に自己撞着があること。
758 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 21:41:26 ID:H4p8rgp7
根拠:彼(イエス)は神が"人化"された存在であり、私たちは人が"神化"された存在です。 究極的に、二つの存在は一つとなり,共に神-人たち(複数形)となるのです。 これが聖書の神聖な啓示です。 (Witness Lee, A Deeper Study of the Divine Dispensing, p.75, LSM, 1990)
759 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 21:48:06 ID:H4p8rgp7
>>487 の指摘が分かる人には分かると思いますが(笑)。
760 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 22:10:22 ID:eXrcNyqp
>>487 混ざりあいの定義が理解できてないだけだろうが。
リー師の本読んだことないのによくそこまで断定口調で言えるな。
まあ、オレもあんまよんだことないが
安さんの言ってることには納得いく点が多い。
ピュシス 第二ペテロ1:4
>神のピュシス(ビュシスは誤り)は、
>神の性質、成分です。テオテースを持っているのは三一の神のみですが、
>神のピュシスは人もあずかることができます
2ペテロ1:4の「κοινωνεω」は、「共有する、分け前に預かる」という意味ですが
同時に「関与する」という意味もあります。
新共同・新改訳は「預かる」と訳し、岩波は「参与する」と訳しています。
回復訳英語や英訳は「partakers」(参加者)と訳しています。
ネットバイブルの注には、
http://www.bible.org/netbible/index.htm Although the author has borrowed the expression partakers of the divine nature from paganism, his meaning is clearly Christian.
He does not mean apotheosis (man becoming a god) in the pagan sense, but rather that believers have an organic connection with God.
「神の性質への参加者」という表現は著者が異教から借りたものであるが、
著者の意味するところは、明確にキリスト教である。
異教徒の感覚である「人が神になる」という神格化を意味しない。
むしろ信者達は「神との有機的な関係」を持ちます。
・・・・
「organic connection with God」は、「葡萄の木に接合される枝」という
比喩で言い表される関係のことですので、ここのピュシスと、
テオテ−スは同じ事を意味していますね、普通の解釈ではですが。
>普通の解釈ではですが。 普通って、どこでの話ですか?
>>762 目を逸らさずきちんと 読まれてくださいな。
ネットバイプルの注と書き アドレスも明示しています。
>>755 勝手に人の名前使わないで下さい。かなりズレたまとめかたです。
>>756 >phusisのひとつがtheotes
違うと思います。
>回復訳は「神格」ですか?
「神たる方」です。
>2
支離滅裂。当然結論も間違ってます。おちついてください。
>3
「だから」と「釈明」が余分。
>「二性の混ざり合い」と「カルケドン信条」を両立させることはできない。
逆。私がこのスレで引用したフィリップ・シャフの文章にあったでしょう。
無視しないで下さい。
もうデタラメいうほかないってわけですね。
2ちゃんねるは言った者勝ちって面がありますからね。
>>733 三面一体って言ってません。捏造してばっかり。
765 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 22:30:22 ID:H4p8rgp7
(
>>760 さんは雑音としておいて)
>ここのピュシスと、
>テオテ−スは同じ事を意味していますね、普通の解釈ではですが。
というか、普通はテオテースはピュシスの一種なのです。安さんはテオテースの中に
神のピュシスがあると。一方、リー師は人性と神性が混ざり合って、
キリストとまったく同じGod-menとなるわけですね。カルケドンを認めてたら
この「神性」はテオテースのことになるのですが、彼らはこれを神格としていますから、
彼らの理解するカルケドンの意味でのテオテースとは混ざり合えない。でもテオテースの
中にある神のピュシスとは混ざり合うと。ここで「神の成分」とかいう意味不明なものを
持ち出すわけです。私は好意でペテロの言う神の本性と解釈しておきましたが。
つまりテオテースの中の神のピュシスに与って、テオテースには与らず、
しかもキリスト同じGod-menになるわけです。すごくアクロバティックでしょ(笑)?
これは性質を何か物のように理解して、混ぜ合わせることがおかしわけ。
簡単にキリストは神性(テオテース)と人性(アンスロポーテース)を持つ、
として混ざり合いなどと言わなければ、カルケドンとも矛盾せずに行けるのですよ。
まあ、頑固と言うか、何と言うか・・・(笑)。
「混ざり合い」など言わずともクリスチャン信仰を十分に弁証し得るのですがね。
766 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 22:34:34 ID:H4p8rgp7
安さんね、自分の言葉には責任を持ちましょうね。 73 :安得烈 ◆btXULJ2X8M :2006/04/10(月) 22:44:34 ID:kIKECk/K 新約聖書で、テオテースが使われているのは、コロサイの2:9です。 神が神であるまさにそのことをあらわす語です。 テオテースを持っているのは、三位一体の神だけです。 テオテースがあるが故に、三位一体は礼拝の対象です。 ギリシャ語-英語辞典を引くと、GodheadとかDeityといった訳語が使われています。 いま見てみたら、このカルケドン信条の翻訳者は、新共同訳の訳語にしたがっておられるようです。 気になるのは,ピュシスです。第二ペテロ1:4で「本性」と訳されているのがピュシスですが、 人があずかることが出来るものであるといわれています。 あずかるとは、分け前として持つことです。 ですから、もし神の本性(ピュシス)が、テオテースと同じものであるとしたら、 人が礼拝の対象となるということを意味します。 まさかカルケドン信条がそんな意味であると思う人はいないでしょう。 りらっくまさんのカルケドン信条の読み方はおかしいと思います。 繰り返しますが、テオテースは神ご自身です。 ピュシスは、単に性質といういみだと思ったほうがいいですね。
767 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 22:38:10 ID:H4p8rgp7
>>phusisのひとつがtheotes >違うと思います。 ほらほら、ここですよ。あなたはこう言っている: 4 神性においては、この世の前に父から生まれたが、この同じかたが、 人間性においては終わりの時代に、われわれのため、われわれの救いのために、 神の母(テオトコス・生神女)、処女マリアから生まれた。 5 彼は、唯一・同一のキリスト、主、ひとり子として、 6 二つの本性において混ぜ合わされることなく、変化することなく、 分割されることなく、引き離されることなく知られるかたである。 7 子の結合によって二つの本性の差異が取り去られるのではなく、 むしろ各々の本性の特質は保持され、 (百瀬訳) 72 :安得烈 ◆btXULJ2X8M :2006/04/10(月) 22:22:50 ID:kIKECk/K りらっくまさんがいっている「テオテース」は、1、3、4で「神性」と訳されている語です。 りらっくまさんがいっている「ビュシス」(正しくはピュシス)は、6と7で「本性」と訳されている語です。 あなたが言っているとおり、二つのピュシスの一つがテオテースでしょう? ちょっと大丈夫でしょうか。オツム?
768 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 22:40:42 ID:H4p8rgp7
自己矛盾しているでしょ?
769 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 22:42:50 ID:H4p8rgp7
こういう具合に話がすれ違うことを私はよくエホバの証人と話して経験したものです。 こちらが彼らの文書を引用すると、文脈をはずした引用だと言い、 彼らに語らせてその言葉を引用すると、自分で言った言葉すら否定する。 こうして虚しい空理空論が続くのです。
770 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 22:52:22 ID:H4p8rgp7
>私がこのスレで引用したフィリップ・シャフの文章にあったでしょう。
>無視しないで下さい。
シャフの主張はOKですよ。ここで指摘しているのはリー師の神学とカルケドンを
両立できないと。あなたの主張に従うとね。
あなたは私の引用をことごとく無視しているでしょう?別スレでも。英語が読めるはずですよね。
>>763 さんのお気持ち察します。
安さんは自分に不都合なものは見えないと言う都合の良い目をお持ちなのです。
771 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 22:56:39 ID:H4p8rgp7
ただし、このくらいでもう十分でしょう。
これだけ証拠を残しておけば、後は普通のセンスをお持ちの方ならば
判断ができるはずです。私はそろそろお暇の時が来たような。
123 :安得烈 ◆btXULJ2X8M :2006/04/11(火) 22:04:18 ID:QGB48dgS
>>122 ややこしい人を追い払ってくれてどうもありがとうございました。
ゆっくり書けました。
ID:J1elj99yさんもありがとうございました。
とまで言われてしまいましたからね(汗
772 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 23:02:03 ID:H4p8rgp7
蛇足ですが、もひとつ気になってしまった。 >>回復訳は「神格」ですか? >「神たる方」です。 「神たる方」って「神格」とは違うのかな。「神性」とも違うようだが。 すると、カルケドンの二つのピュシスの一つテオテースは「神たる方」になるよ。 するとキリストは「神たる方」と「人性」を持っていた???? 「神の成分」とか「神たる方」などの新造語を定義してもらわないとね。
773 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 23:17:09 ID:TvPxjKPm
ぼろぼろ、、、、
774 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 23:33:00 ID:TvPxjKPm
10 :安得烈 ◆btXULJ2X8M :2006/03/28(火) 20:57:30 ID:dtNQzTIH
人のペルソナを「人格」というように神のペルソナを「神格」という人がいます。
私はそういうことば遣いは誤解を招くのでやめた方がいいと思います。
ペルソナのことを言いたければ、位格とか格位とかいった訳語のほうが混乱が生じません。
日本福音書房ではパースンという語を採用しています。「位格」の意味で「神格」を使うことはしません。
theotesは、礼拝の対象となるべき唯一無二のお方です。聖書の啓示によれば、
礼拝の対象はお一人です。聖書の中で、三位一体の「一」の面が強調されているのは、
偶像ではなく、唯一の神を礼拝しろといっている個所である場合が多く、
礼拝の対象である神はお一人です(たとえば、第一コリント8:4)。
神の神聖な性質のことは「神性」(theiotesローマ1:20)といいます。
まとめると、
私たちは、唯一無二の神ご自身を「神格」といい、
神格には父・子・霊の三つの「パースン」があり、
神の神聖なご性質は「神性」です。
>>733 三面一体って言ってません。捏造してばっかり。
27 :安得烈 ◆btXULJ2X8M :2006/03/29(水) 19:41:15 ID:NfFtNYjz
>>16 自己レスですが、
「面」は文字通りペルソナのつもりで使ってるかもしれませんね。
う〜ん、なるほど・・・。
775 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 23:34:02 ID:TvPxjKPm
ぼろぼろ、、、
776 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 23:43:46 ID:eXrcNyqp
777 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 23:47:02 ID:TvPxjKPm
16 :安得烈 ◆btXULJ2X8M :2006/03/28(火) 21:44:50 ID:dtNQzTIH
>>11 それは多分、あのアウトラインのことを言っておられるんではないでしょうか?
あの「面」という言い方は誤解を招く表現かもしれませんね。
三一を「三」と「一」に分けて別々に説明するときに、
「この『三』の方ですが、これは〜」と言ったりします。
そういう意味で「面」といっているのですね。
Thayerですか。まだみたことないですね。
済みませんが、また後日拝見します。すぐにはちょっとむずかしいです。
27 :安得烈 ◆btXULJ2X8M :2006/03/29(水) 19:41:15 ID:NfFtNYjz
>>16 自己レスですが、
「面」は文字通りペルソナのつもりで使ってるかもしれませんね。
778 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 23:48:17 ID:TvPxjKPm
ぼろぼろ、、、
779 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 23:53:39 ID:TvPxjKPm
61 :ウイズダム:2006/04/07(金) 22:18:12 ID:vr134Ua4
【ウイットネス・リー教徒の皆さんへの提言】
あなたがたがどんなにがんばっても、あなたがたが様態論者(あるいはその変形)
にして、カルケドン信条に従っていないことは明らかになりました。
ですから、もう一般のキリスト教界の正統な一員として自分たちを認めてもらう
努力は放棄して、独自の道を歩まれたらいかがでしょうか?
例えば、カルケドン信条を受け入れずに歴史的に異端とされた教会はあります。
シリア正教がその代表でしょう。彼らは自分たちこそもっともオリジナルな教会
であると宣言しています。アンテオケ教会の直系であると主張しています。
(→
http://www.sojp.net/ )どんなに異端だ、カルトだと言われようとも、リー師自らが主張するとおり、
「歴史信条などは顧みない!」のスタンスを貫かれたらいかがでしょうか?
他の人が見ていない真理・ビジョンを見た選ばれし者、「主の回復」として、もっとも正統な
教会の在り方を実行する教会として、独自の道を行かれて下さい。
そのうちに、中には現状の教界の有様に失望して、あなたがたに従う人も出ることでしょう。
それが互いの平和を保つ秘訣と愚考する次第であります。
主の平和がありますように、アーメン。
780 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 23:54:20 ID:ddFy/T/p
信条の文章というのは、誤解を産まないように、極力シンプルな表現で明快に書かれているものなのですね。 しかも西洋語は、日本語と違い、指示代名詞は、かならず、文中で先行する特定の言葉を 指示するのであって、文章中に書かれていない概念を指示したりは絶対にしないのです。 安氏の解釈では、「ふたつの性質」の「ふたつの」は先行する文中に具体的な指示内容 を持たないことになってしまいます。信条のような文章の中で、具体的な指示内容も提示せずに 唐突に「二つの性質」などと書くことは、多様な解釈の余地を残すことになりますから 絶対にあり得ないことなのです。 「ふたつの性質」が「テオテース」と「アンスロポーテース」を指していることは、 子どもでもわかる道理なのですね。
781 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 23:56:50 ID:ddFy/T/p
カルケドン信条が、あそこまで誤解をうまないように、単純明快に書いているのを こねくりまわし、ねじまげるとは、糞アンデレめ。
782 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 23:58:12 ID:TvPxjKPm
>>772 キリストは<神たる方>と<人なる方>をお持ちの、、、ないよな。
ぼろぼろ、、、
783 :
名無しさん@3周年 :2006/04/11(火) 23:59:11 ID:TvPxjKPm
>糞アンデレめ Who?
784 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 00:00:01 ID:w5a1VVNT
安氏の名前は「あんでれ」と読むのですよ。
785 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 00:03:39 ID:w5a1VVNT
アンデレ氏は、「ふたつの性質」が、テオテースとアンスロポーテースの二つを 指示していることを、断固否定するのですが、 西洋語の修辞法からいって、糞アンデレのような解釈は絶対成立不可なのです。 「ふたつの性質」が、テオテースと、アンスロポーテースを指していないなら、 「ふたつの性質」って何を指しているのですか?
もういいから 寝てください。。。 同じ話を何度も・・・ 冷静にオネガイします
787 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 00:06:14 ID:w5a1VVNT
わたしが黙れば岩が叫ぶだろう。
788 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 00:09:12 ID:UzDK+8o3
そおか。録音してアップしろ。 アンデレは気づいてたがな俺は。 漱石のこころに書いてあった。
789 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 00:09:56 ID:TbR/ZJhB
>>771 頭がいい。リー神学は後付だから、いくらでもボロが出る。
安氏の「安得烈たる方」の「安得烈性」が善良ってことは分かりますが。
でもヘビなんですよね。リー的には。
でもね、「糞」などと言うべきではありません、りらっくまさん。
自分を貶めることになるだけですから。
790 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 00:12:14 ID:w5a1VVNT
信条の文章というのは、誤解を産まないように、極力シンプルな表現で明快に書かれているものなのですね。 しかも西洋語は、日本語と違い、指示代名詞は、かならず、文中で先行する特定の言葉を 指示するのであって、文章中に書かれていない概念を指示したりは絶対にしないのです。 安氏の解釈では、「ふたつの性質」の「ふたつの」は先行する文中に具体的な指示内容 を持たないことになってしまいます。信条のような文章の中で、具体的な指示内容も提示せずに 唐突に「二つの性質」などと書くことは、多様な解釈の余地を残すことになりますから 絶対にあり得ないことなのです。 「ふたつの性質」が「テオテース」と「アンスロポーテース」を指していることは、 子どもでもわかる道理なのですね。
791 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 00:12:50 ID:w5a1VVNT
糞あんでれ。 カルケドン信条をゆがめるのはやめろ。 悔い改めて、三位一体と、キリストの二性一人格を受け入れろ。
792 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 00:15:00 ID:UzDK+8o3
りらっくま落ち着け。 おまえ興奮しすぎ。
793 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 00:16:15 ID:w5a1VVNT
「糞たる方(糞テース)」の「糞性(ピュシス)」が、安氏の「安得烈性」と 混ざり合って、糞アンデレができるのであって、安得烈=「糞たる方」 と言っているわけではないから、問題はないのです。
794 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 00:17:06 ID:w5a1VVNT
糞と人の混ざりいなら、わたしはアーメンといいたいですね。 アンデレを見ていればわかります。
795 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 00:20:04 ID:UzDK+8o3
りらっくまは何でローカルチャーチに粘着してんの? ほかの人も、なんで? アンデレさんは牧師か? ローカルチャーチの擁護してんのはなんで?
796 :
霊体天使 :2006/04/12(水) 01:32:40 ID:k/ax8WIp
797 :
霊体天使 :2006/04/12(水) 02:00:30 ID:k/ax8WIp
798 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 08:47:18 ID:vZqJ9SBq
799 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 11:14:14 ID:qUzbyNNF
安得烈氏とやらは「ああ言えば上祐」状態と思われ
800 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 11:18:27 ID:qUzbyNNF
このアナウンスっておもろいなあ。疑われてるわけ???? 下妻に在る教会 わたしたちはエホバの証人、モルモン教、統一教会、<<オウム真理教>>とは一切関係ありません。お困りの方はご相談ください。 大阪に在る教会ホームページへようこそ。私たちはイエス・キリストを愛し、全ての聖徒を愛する教会です。 ものみの塔、統一原理、<<幸福の科学>>等とは一切関係ありません。 ごゆっくりコンテンツをお楽しみください。
>>777 都合の悪いレスは無視してますね。
466 :安得烈 ◆btXULJ2X8M :2006/04/05(水) 12:26:58 ID:gUBwLx9F
T.神はただお一人である(Tコリント8:4、イザヤ45:5-6、21-22、46:9、
44:6、8、詩篇86:10)。
U.神には父子霊の三つの面がある。
A.神は自らを「わたし」また「わたしたち」と呼ばれる(イザヤ6:8、創世記1:26)。
B.父子霊の問題(マタイ28:19)。
V.父子霊は永遠から永遠まで同時に共存する。
A.父子霊はみな神である
1.父は神である(Tペテロ1:2、エペソ1:17)。
2.子は神である(ヘブル1:8、ヨハネ1:1、ローマ9:5)。
3.霊は神である(使徒5:3-4)。
B.父子霊はみな永遠である
1.父は永遠である(イザヤ9:6)。
2.子は永遠である(ヘブル1:12、7:3)。
3.霊は永遠である(ヘブル9:14)。
C.父子霊は同時に共存する(ヨハネ14:16-17、エペソ3:14-17、Uコリント13:14)。
W.父子霊は相互内在し、互いに分離しない(ヨハネ6:46、5:43、14:9-10、15:26、
14:26、8:29、ルカ4:1)。
X.父子霊三者は一である。
A.子は父である(イザヤ9:6、ヨハネ14:7-11、ヨハネ10:30)。
B.子(最後のアダム)は命を与える霊となった(Tコリント15:45、ヨハネ14:16-20)。
C.主(子)は霊である(Uコリント3:17)。
Y.神が三一である理由(Uコリント13:14)。
これは訳が悪いだけ。
Tで三位一体の「一体」、Uで「三位」をいってるわけですが、
Tで「お一人である」と言って、Uで「三つの面」なんていうから誤解を招くのです。
「面」という言葉を「位格」のような意味で使っているわけではありません。
英語原文はthe aspect of threeだからです。
どうしても私のことを様態論者に仕立て上げたいようですが、 あなたがたのやっていることはこういった類の捏造と揚げ足とりばかりです。 ピュシス(第二ペテロ1:4)とテオテース(コロサイ2:9)が同じだとか、 テオテースがピュシスに含まれるだとか、 そんな変なことを言われても、一々反論する意味があるのかどうか。 いくら詭弁を弄してもひっくり返らないものはひっくりかえりません。 このスレを読んでどちらが正しいのか迷っている人は、 コロサイ2:9と第二ペテロ1:4を、注解書で調べればいいとおもいます。 もし自信がなかったら、教会で牧師さんなり神父さんなりにきいてください。
>>802 ニー&リーさんの主張なんて 改革者特有の個性だと
思いますけどね
批判者はそのあたりスルーですね
>>795 私は主の回復(地方教会)の一信徒です。
私たちは牧師制度をとっておらず、
聖書に啓示されている万人祭司の真理を実行に移しています。
わたしたちのとっている立場を異端である、カルトであると批判する人がいるので、
それは事実でないこと、私たちが一体何を信じ、何を実行しているのかを
証しようと思ってここに出てきました。
>>800 クリスチャンならだれでも知っていることですが、
大抵のキリスト教系ホームページに
そういうことわり書きがついています。
>>804 あなたのおかげで ローカルチャーチが問題のある団体と
明瞭になりました。
ありがとうございました。
>>803 回復訳を使っている まともな改革派・長老派の教会は皆無ですよ。
リーに関してはJEAが機関紙で過去に問題視したこともありますね。
>>806 ルーテルも単性論異端
改革派はネストリウス異端
カトリックは公会議違反のアナテマ教会ですね
貴方のおかげで明確になりました
ありがとうございました
ルター派、改革派、カトリックの悪口言っても 言った人の見識が問われるだけですよ。 逆にローカルチャーチを褒めると見識を疑われますね。
ずっとPCにへばりついてるわけですか? なんでそこまでして主の回復のことを気にしてるわけですか? おかしいなぁ。一体どういう立場の人なんだろう。 私たちは日本では2000人ほどしかいません。比較的小さな団体です。 なぞそこまで必死になって叩く必要があるんですか? それも、異端でもカルトでもないのに、ありとあらゆる詭弁やウソを使ってまでして。
>>809 アナタの論点からすれば ですよ
キリストの母と御子の母 どう違うの?
御子の受難に父がともに苦しむは 単性論でしょ?
ニー&リー以上の誤謬でしょうが
>>810 被害妄想状態ですね お気の毒に。
>>811 いえサロメさんの見方が変なだけです
糞味噌一緒にされているセンスのない方ですからね
814 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 20:24:22 ID:RCGDmV8E
いやあ、これはかなり重症ですね、安さん。
あなたは
「面」は文字通りペルソナのつもりで使ってるかもしれませんね。
と言っている。「ペルソナ」とは「位格」です。つまり「三面一体」。一方
「面」という言葉を「位格」のような意味で使っているわけではありません。
英語原文はthe aspect of threeだからです。
と言っている。わかります。自己分裂。これがね、カルトの兆候なわけ。
普通のクリスチャンと話したらこんなことをあえて論じません。
そもそも、
X.父子霊三者は一である。
A.子は父である(イザヤ9:6、ヨハネ14:7-11、ヨハネ10:30)。
B.子(最後のアダム)は命を与える霊となった(Tコリント15:45、ヨハネ14:16-20)。
C.主(子)は霊である(Uコリント3:17)。
が変なの。こちらを見て御覧なさい。受肉した方が三一の神などと言いません。
http://www.path.ne.jp/~robcorp/bbs/wwwboard.cgi とにかくあなたはリーが通常の信条からはずれていることを認めているでしょう。
詭弁やウソを言っているのは、あ・な・た。安さん。ああ言えば上祐さん。
>>814 なんでもかんでんもカルトカルト
天に唾してますね
816 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 20:32:54 ID:RCGDmV8E
それからあなたの発言はローカルチャーチではオーソライズされていますか? つまりあなたの主張がそのまま、リーの主張であって、ローカルチャーチの信条 と判断してよろしいですか?それともローカルチャーチは関係なく、安さん自身の のリー神学についての個人的理解なのでしょうか? かつてJEAでも異端宣告がなされているようですが、今回私の所属する牧師会でも ここが話題となり、ローカルチャーチの評価が問題提起されていますから。
817 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 20:34:30 ID:RCGDmV8E
失礼。「私の牧師の所属する牧師会」です。
>>816 2chが議題ってwwww
おばかさんの集まりですね
819 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 20:35:05 ID:qkPmhwdV
>808 その考え方も偏りがあるのでは? 予備知識のない人があなたのレスを見ると 「既存の教会はなんて独善的なんだ」 となると思います。 ローカルチャーチを支持する人は、神学思想というより、反対派のそうした態度に嫌気がさした反動かと。 安さんはそのあたり悪く言えば「ウマく使って」ますね。
>>814 論理もなにもありませんね。
もし「三面」なら、英語版のaspectは複数形になっているはずです。
しかし実際は単数形です。
だから、三位一体を「三位」と「一体」でそれぞれ説明するときに、
それぞれを指してthe aspect of three、the aspect of oneといっているのです。
>「面」は文字通りペルソナのつもりで使ってるかもしれませんね。
といったのは、英語版をチェックする前のことです。
極力神学用語を排した説明をするために、
あえてそういう言いかたをしたのかもしれないと思ったためです。
ですが、実はそれは私の考えすぎだったので、あとで訂正したのです。
>受肉した方が三一の神などと言いません。
そう信じたくなければそうすればいいでしょう。
そういうことを言う人は結構いますが、
聖書が啓示する三位一体論では、父・子・霊の三位格は相互に内住しているので、
たとえば御父は、御子の受肉のときも、御父は御子の中に、御子は御父の中にいたのです。
ヨハネ10:30にも書いてあります。
おかしいというなら、あなたが引用したアウトラインの
参照聖句をどう読むのか、ちゃんと言うべきです。
このスレをずっと読み返せば分かりますが、アンチは私の問いにちっとも答えてません。
あなたの神学を人に押し付けるのはやめてください。
>>819 カルケドン 絶対視する反対派がなぜ改革者やカトリック自身が
公会議決議無視してるのを見過ごすのか疑問なんですよ
>>816 私個人の責任で、私の確信していることを書いています。
ですから、日本福音書房の本を買って読んでいただければと思います。
一部分ではなく、ちゃんとはじめからおわりまで、
せめて一冊でいいから読んでもらいたいですね。
>>821 そうなんですよ。
神化についても、カルケドンの「神の母」否定についても、
マタイ16のペテロが石か岩かという点についても、
父・子・霊の位格がそれぞれ相互に内在して、
区別はされるが分割もされないという状態にあったことも、
私たちに言ってこられてもこまるのです。
キリスト教の中には先行する聖書研究があって、
そういった研究者たちの書いたものや発言を踏まえてものをいっているのですから。
824 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 20:50:38 ID:RCGDmV8E
はい、「永遠のご計画」はもっており、かつ通して読んでおりますが。
その上で、かなり問題点を覚えておりますが、それが何か?
それともすべての本を通読すると疑問が消えるのでしょうか?
>>818 あの〜ですね、「ローカルチャーチの評価が問題になっている」と言っているでしょう。
ここは切っ掛けに過ぎません。私が牧師にローカルチャーチについて問うたからです。
>私個人の責任で、私の確信していることを書いています。
そうですか。するとここであなたの言っていることは、あなたの個人的確信であって、
リー師自身のオリジナルの教義とは異なることもあり得ると理解していいわけですね?
825 :
おお,何という奇跡,奥義! :2006/04/12(水) 20:53:46 ID:SbB1aT/v
1.おお,何という奇跡,奥義! 神と人が混ざり合う! 神が人となるは,人とが神となるため; 天使も世びとも知らぬことよ, はかり知れない神のエコノミー, 最高の目的,神・人の混ざり合い。 2.受肉した神・人は, わたしを神とならせる; いのち,性質同じ, 唯一神格はなし; 神聖な特質はいまや, わたしの徳としてあらわれる; 栄光のみかたち,神は表現される。 3.わたしは単独でなく, いま,神とともに生きる; 神と協力して, 宇宙の家を建造する; キリストの有機的なからだ, 団体の大きなうつわとなり, 三一の神を,宇宙に表現する。 4.最終の新エルサレム,啓示,ビジョンの集大成, 三一の神と 三部分から成る人は, 混ざり合い,ともに住み合って, 夫婦として永遠にいたる; 神の栄光は, 人にてあらわれる。
>>823 カルヴァンの御子の母とネストリウスのキリストの母と
どう違うのか教えていただきたいですよね
828 :
おお,何という奇跡,奥義! :2006/04/12(水) 20:55:19 ID:SbB1aT/v
神となるため; わたしを神とならせる; 神となるため; わたしを神とならせる; 神となるため; わたしを神とならせる; 神となるため; わたしを神とならせる;
牧師さんはいそがしいでしょうから、 一々本を読むひまがないかもしれません。 ですが、ある団体が異端かどうかを判断するのは、決して小さいことではありません。 だからそういっているのです。 >するとここであなたの言っていることは、あなたの個人的確信であって、 >リー師自身のオリジナルの教義とは異なることもあり得ると理解していいわけですね? 理解が足りなくて間違ったことをいっているかもしれないし、 一面的な見方でものをいっている可能性もあります。 さっきの「面」がそうだったでしょう。あれはあとで気がついて訂正しましたが。
830 :
おお,何という奇跡,奥義! :2006/04/12(水) 20:57:10 ID:SbB1aT/v
おお,何という奇跡,奥義! 神と人が混ざり合う! おお,何という奇跡,奥義! 神と人が混ざり合う! おお,何という奇跡,奥義! 神と人が混ざり合う! おお,何という奇跡,奥義! 神と人が混ざり合う!
831 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 21:01:35 ID:RCGDmV8E
>>831 福音派なら、フィリップ・シャフ読みますね?
>>831 福音派にも色々います
同性愛者が精一杯がんばって信仰して献金しても
お釜の金を教会に入れるなと言い放つ福音派の有名な牧師もいます
836 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 21:16:45 ID:W/0jK9YS
結論;ウィットネス・リーは晩年被害妄想にかられて裁判を連発し敵を破滅に追い込むまでになった。 リー信奉者はローカル・チャーチ、主の回復と言う異端化したカルト団体を形成している。
>>835 いやぁ
同性愛は罪だけど あの言い方はないとおもってw
838 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 21:18:46 ID:W/0jK9YS
本田先生を否定しても福音派のクリスチャンであることはできよう。しかし、リー兄弟を否定したら地方教会のメンバーではいられないのである。
839 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 21:19:13 ID:RCGDmV8E
>>832 リーの神化とは違うでしょう。「神化」とカッコつき。
ちなみに救世軍でも問題にされているようですね。
その神学校教官の声明です:
教会と神学と弁証学(最後)
山谷 - 2005/12/19 19:58 -
「使信」の解釈と適用は、「地方教会」を構成する人々の信仰と生活と宣教に、
多大な影響を及ぼすわけですが、その具体例として、「単一の行為・二つの意志」
という定式を挙げてみましょう。
わたしたちの主イエス・キリストは、その御生涯を通して「単一の行為としての愛」を生きられたわけですが、
その単一の行為の背後には、「二つの意志の協働」が存在していました。
これが「キリスト両意論」が言わんとするところです。
一見すると、上記の「単一の行為・二つの意志」のような定式は、キリスト者の日常生活と何の関係もない、無意味なもののように思われます。
しかし、両意論が論じられた東方教会では、キリスト者の聖化を、「神が人となられたのは、人が神となるため」という「神化」(テオーシス)という概念で、
大雑把に捉えていました。
この「神化」を、そのまま受け取ってしまいますと、キリストの受肉によって、わたしたちキリスト者は聖化されて、文字とおり人間が神になる、
というような「誤った信仰」になってしまいます。
しかし、「神化」の信仰は、本来そのようなことを意味しているわけではないのです。ここで重要になって来るのが、「単一の行為・二つの意志」という両意論の定式です。
840 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 21:19:47 ID:RCGDmV8E
どういうことかと言いますと、「人が神となる」というのは、「キリスト者が、そのなす単一の行為としての愛において、 『受肉者キリスト』と同じようになること」だ、というわけです。つまり、「神が人となられた」イエス・キリストの御人格においては、 人としての意志が、神としての意志に、服していた。このまったき協働の結果として、キリストの御生涯において、 「単一の行為としての愛」が表現されていた。それと同じように、いまや、キリスト者の人格において、キリスト者の意志が、 聖霊によって啓示された神の意志に、服するようになる。それは、まったく、救いと聖潔の恵みゆえに、そうなるわけですが、 この協働の結果として、キリスト者が「単一の行為としての愛」を生きるようになる。つまり、律法の二枚の板が要求する、 神への愛と隣人への愛に、生きることが可能とされるわけです。 もし、両意論の「単一の行為・二つの意志」という定式を欠いたまま、 「神が人となられたのは、人が神となるため」という「神化」を受け取ってしまいますと、 何か、本当に人間が神になってしまうような「信仰」になってしまいますし、 そのような「信仰」を持つ共同体の指導者(監督)は、往々にして神格化され、 それこそ、神のように崇められ、場合によっては、三位一体の第四位格であるかのようにさえ言われることも、 あり得るのです。現代で、そのような傾向性を帯びて問題とされた共同体として、 ウォッチマン・ニーの後継者であるウィットネス・リーが米国に移住して設立したグループが挙げられるでしょう。 このように、「神学」と「弁証学」は、必要とされないのであれば、されないで、それにこしたことはないわけですが、 残念ながら、「地方教会」の中には、「使信」の誤った解釈や適用を行う人々が、その時代時代に必ず出て来てしまうわけですから、 そのような時には、やはり、「使信」の正しい解釈と適用を弁明し立証する働きが、必要とされるのでありましょう。 そのときには、キリスト者の日常生活と一見何の関係もないように見える「神学上の概念」が、 実は、キリスト者の生き方に密接な影響を持っているのだということが、明らかになる場合もあります。
>>836 大間違い。
異端だ、カルトだという噂をまきちらす人たちがいて、
全くなにも出来ないところまで追い込まれて、やむにやまれずそうしたのです。
あなたには事実が見えないようですね。
かたよったソースのみをもとに判断するから。
私はどっちも見た上でものをいってます。
今日はこれで。
843 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 21:32:09 ID:RCGDmV8E
とにかく分かることは、リー神学について、JEAをはじめとしてかなり広い範囲で問題視されていること。 そもそもリー自身が「歴史信条などは顧みない」と宣言し、「全キリスト教を敵にまわせ」みたいな 扇動をリー信徒に与えていること。主の十字架の香りがないのです。 ここで結論を焦る必要はないでしょうが、いずれ合同の教会にとって明確な判断をすべき 時が来るものと考えます。 りらっくまさんも、因縁があったとしても、ちょっと態度を改めてね。 安さんを有利にするだけですから。
ああ、サロメさんか。びっくりした。
同性愛は罪ですが、単に裁いて斬り捨てるのではなく、
その人のために祈る姿勢が必要と思います。
>>838 リー兄弟を否定したら地方教会のメンバーでいられない?
そんなことありませんよ(笑)。
現にそういう人が結構大勢いますから。
ウソだと思ったら見に行ったらいいんです。
>>839-840 単に私たちの神学を誤解しておられるだけだと思いますよ。
批判している人たちのフィルターを通した資料でなく、
私たちの出版物を直接確認していただけたら、
肯定的な意見であれ批判であれ、おそらくかなり違ったことをいわれるでしょう。
845 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 21:40:05 ID:RCGDmV8E
>>844 その方はちゃんと読んでおられますが、それが何か?
サイトをごらんなさい。
ちなみに救世軍はアルミニウス、再建主義はカルヴァン、JEAは福音派。
とにかくリーは問題視されていることはマチガイナイ!
これがこれらの人々の誤解によるものか、そもそもリーがおかしいのか。
それは時間が判断するでしょうと言っているのですが。
>>843 そんなの改革者や各教派の創始者のデフォでしょうがw
福音派の中の石頭さんは歴史も知らないんですか?www
>リー神学について、JEAをはじめとしてかなり広い範囲で問題視されている 噂ばかりで、実際に私たちの発言がちゃんとチェックされてませんからね。 そこに問題があるとおもいます。 日本福音書房の本を読まれたらいかがかと思うんですが。
848 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 21:44:38 ID:RCGDmV8E
あなたはどうも不思議な方ですね。JEAの安黒師も読んでいるとサイトで言われていますでしょう? その上で判断されている。読めば分かるじゃなくて、読んで分かって、言っているのです。 あなたはすでにリーに浸透されているから、そう思うわけ。それが閉鎖空間にいる証拠。 臭いが分からなくなっているのですよ。外部者は分かる。
まぁ平行線だわな 福音派の石頭さんは歴史もしらんようですし
850 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 21:50:21 ID:RCGDmV8E
ここにあげた方々は各教派の教職にある立派な方々です。 その先生方が単なる噂で公のサイトに書いたりしますか? そのあたりがあなたには分からなくなっている。 これがすでに外部とずれている。これがすでに病気の兆候。 あなたの態度を見ていると、ますます問題意識を深めますね。 あなたの発言や提示された資料はぜひ用いさせてもらいます。 おたあさん、福音派への怨念は主の十字架に持っていきましょう。
とにかく回復さんたちは少々異色だけどカルトじゃないでしょ カルト呼ばわりするほうがカルトw だいたいJEA 靖国に対する声明修正しろよ あれ ニッキの社会派の声明と同じじゃん ナニが福音派だよw聖書的に靖国批判できないのか?www
>>850 つまりレッテルで判断するわけですかw
たいした福音派ですねw
ニッキ社会派との野合やめるほうが先では?w
853 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 21:55:06 ID:RCGDmV8E
嗚呼、おたあさん、本音が出ちゃった・・・。 とにかく、広い範囲で問題視されていることは認めるでしょう? 私も疲れた・・・落ちます。
>>853 アナタはJEAの奴隷ですか・・・呆れた
誤謬の追求とカルト呼ばわりは違いますよ 誤謬を犯してるからその集団がカルトだなんて 自称福音派RCGDmV8Eは正気か?マジデ 福音派はこんな奴がデフォ?www カトリックに転んだろかしらwww あと安さんたちが誤謬だというわけではないですよ 自称福音派があまり醜態なのでねw
856 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 22:00:34 ID:RCGDmV8E
おたあさんも相当に入ってますね・・・ JEAに何か恨みでも???
>>845 >>850 そのサイト行って見てきました。
どの本を読んだとか、一切書いてありませんでした。
本人の知らないところで批判したり反論したりするのは嫌なんですが、
多分、批判サイトだけみて書いた内容と思いますよ。
私はそれを責めようとは思いません。
異端とかカルトとか呼ばれている団体は無数にあり、
一々その教義を調べたりしている時間はありません。
それに、そのサイトは再建主義との論争サイトなので、主の回復のことは、
いわば余談というか、例として上げられた程度です。
ちゃんと調べて書かなかったのも仕方ないといえば仕方ないですね。
しかし、ここにこうやってコピーして見せられてどうだっていわれたら、
その批判は私たちの教会には全くあてはまらないとこたえるほかありません。
山谷兄は学者的な方なので、キチンと私たちの出版物をチェックされたら
肯定的意見であれ、批判であれ、もっと違ったことをおっしゃると思います。
安黒兄の場合、日本福音書房刊のウオッチマン・ニー全集は改竄されていると
おっしゃってます。どっかの批判サイトやなんかを参考にされたんじゃないでしょうか。
ちゃんと調査したらはっきりするはずです。
>>832 えーとね。同じ「神化」でも中味がまったく別なの。
非キリスト教のローカルチャーチ派の末端信者さんの「神化」は、
「茶葉とお湯の混じり合い」なのね
キリスト教の「神化」は、
「ぶどうの木と枝との結合」という一致なのね。
ちなみにそのカトページでは、「神化」という語が使われているが
正教の再評価に伴い「神化」が見直されているから借用しただけで
「神になる」という意味での「神化」は一切語られてないよ。
「人類がキリストと交わること、キリストのうちに御父と聖霊と交わること」
という聖書的な「キリストとの一致」「交わり」が語られているよ。
「交わり」と「茶葉とお湯の混ざり合い」は別ものだね
>>856 ちょっとは一般教養身につけて セクト主義を脱しって
判断なさったら?JEAの歴史認識 ニッキ社会派レベルですよ
確かに私たちは異色でしょう。 プロテスタントの福音派のようで、そうではないし、 カトリックや正教会のようなことも言うことがあるけど、どっちとも違います。 ブレズレンのようだけど、厳密には違います。 聖霊派と間違われることもあるけど、聖霊派でもありません。 しかし、基本的信仰については異色でもなんでもありません。 本当でオチ。
862 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 22:09:09 ID:W/0jK9YS
>>855 冷静になれ。リーがカルト的なのは晩年の態度にあらわされている。JEAの声明が
政治的過ぎるとの批判はあるがカルトとは関係が無くメインではない。しかしながら
リー教徒にとって神化とサタンの受肉は重要なものだ。
>>861 気に障ったらごめん
しっかし 自分達だってリベラルからカルト扱いされてるのに
他所をカルトだなんて・・・
あぁこの自称福音派 リベラルと馴れ合って根本主義叩く
福音リベラルかwwwオアシスに巣食ってる連中ねwww
>>862 政治的なだけでなく 自国の歴史を踏みにじるニッキ社会派と
同レベルの糞よあの声明は
聖書的に靖国批判したくだりなんてまったくない
あんな声明に賛同した連中 なに考えてるんだろう
>>857 そういうことは 具体的な事実を挙げて 淡々と指摘されたほうがよい
ですね。
何を根拠に言われているのか
つまり彼らの「事実誤認」を具体的に指摘して
(リーの著作はこう書かれているのに リーをこう誤解しているとか)
きちんと読んだ意見ではないと主張されないと
サロメさんと同じ無意味な罵倒ですね
安さんの反論には一切答えないでリピード もしくは外部の引用 まぁ根本主義叩きと同じですね 福音派にも色々いるんです
867 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 22:19:35 ID:9TTQVOm2
ここはおたあの怨念晴らしの場ではない!
>>857 へえ、早いんですねぇ。驚いた。それと推測での断定的物言い。
思い込みの強さというか、、、驚いた。
>>867 怨念などありませんがw
福音リベラルの特定教派叩きが見苦しいだけです
不思議なことにカトリックやらメインラインはスルーなんですよね
この福音リベラルさんはw
869 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 22:23:30 ID:9TTQVOm2
>>858 と思いますね。どこにリーと同じことを語っているでょうか?
この「安たる方」の「安性」は思い込みの強さと、独断にあるようです。
いやあ、とにかくスゴイ人ではあります。リーのSS的存在というべきか。
暇人とりらっくまが名無し漫才かw
871 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 22:26:31 ID:9TTQVOm2
はあ?いきなり何で俺が福音リベラル??? それにここはカトやメインラインを論じる場ではないかと。
やっぱ聖霊派最高だわw 福音派にはリベラルが紛れ込んでるし
873 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 22:27:54 ID:9TTQVOm2
だめだ、こりゃ。 このスレ、終わってる。。。
福音リベラルは無視して本来の流れに戻り 回復さんの紹介たのんます 福音リベラルにとっては根本主義もカルトだからwww
876 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 23:17:19 ID:w5a1VVNT
糞のピュシスと、アンデレのピュシスが混ざり合うと、 糞アンデレができあがります。 これこそ、リー兄弟が解き明かした隠された奥義です。
877 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 23:19:25 ID:w5a1VVNT
糞アンデレは、ごまかさずに答えなさい。 なんで、カルケドンの本文が、テオテースと、アンスロポーテースのふたつをさして 「ふたつのピュシス(本性、性質)」と明確にのべているのをねじ曲げるのだ? もし「ふたつのピュシス」が、テオテースとアンスロポーテースのふたつを 指さないなら、本文中のどの言葉を指して「ふたつのピュシス」とカルケドンは いっているのだ?逃げずに答えなさい。
878 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 23:22:26 ID:w5a1VVNT
カトリックも、カルヴァンも、ウェスレーも「神化」をのべている。 自分たちは、伝統的信条と何も矛盾していないと言い張るなら、 なんでわざわざ、新しい教派をでっちあげる必要があるのだ? 伝統的教会に留まれよ。 自分が言っていること矛盾していることに気付かないのか。糞アンデレめ。
879 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 23:34:49 ID:UzDK+8o3
ルターって神化信じてたんだね。 面白いな。 リラックマはやればやるほど 安さんをひきたててるよ。 どうみたって狂人のたわごとじゃん。
880 :
名無しさん@3周年 :2006/04/12(水) 23:38:21 ID:qkPmhwdV
…もはやりらっくまさんは廃人同然か!? ただのアラシマンに変わり果ててしまってる… 目をさませ!まだすべて終わったわけではないぞ!! …なーんてね。
881 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 00:23:07 ID:PH2v1/7M
りらっくまさんとやら、やめましょうね。あなたが損します。 私はこのスレとおして読ませてもらっていますが、 あなたの言っていることはカルケドンの普通の読み方ですね。 安氏がそれを認められないのは、テオテースとピュシスを分けておかないと リー師の解く神化が崩れるからなんです。ですから彼は決して認めないでしょう。 安氏は相当にmindがリー神学で構成されていますから、無理でしょう。 別スレでもちょっと書いておきましたが。かなり深い刷り込みがあるのです。 もう心を落ち着けて、ちょっとこのスレから離れた方がよいかと。
882 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 00:42:20 ID:8FHfQVss
マジ!? カルケドン信条の読み方がおかしいのは りらくまだからだと思ってたのに ほかのアンチまでそんなアホなこと言い出すとは。 リーのこと言うまえにまともな教理を学べよ。
883 :
霊体天使 :2006/04/13(木) 03:52:22 ID:AeZZw0rz
884 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 06:16:01 ID:gvldqprA
>>882 >カルケドン信条の読み方がおかしいのは
>りらくまだからだと思ってたのに
>ほかのアンチまでそんなアホなこと言い出すとは。
脳みそウンコでできてるのか?
虚心坦懐に、素直に、信条の文を読めよ。
小学生が読んでも、テオテース&アンスロポーテース=ふたつのピュシス。
わたしの読みがおかしいっていうが、普通の教会いって、読み方聞いてこい。
どこにいっても、わたしが読むように読む。
信仰の問題ではない。まともな読解力の問題だ。
絶対化されたリーの教説というファルターを通して、不自然な読み方するのは
やめてくれ。
885 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 06:23:14 ID:gvldqprA
アルフクにすら異端認定されたんだぞ。 反省しろ。
>>885 ある福さんによるとウェスレーだって危ないんだぞ
りらっくまw
887 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 06:31:18 ID:RNm7K27m
どーせリベラルのエセ福音派は名無しの暇人でしょw 怨念とか使う単語で丸わかりよw ニー&リーは悪くて誤謬程度でしょ カルトとか 仏教徒がなに言ってるんだかw それともお釜蔑視牧師と同類の石頭のリベラル福音か?w
888 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 06:36:21 ID:gvldqprA
>>887 カルトを甘くみるな。
まともな言語能力すら失っているんだぞ。
889 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 06:47:51 ID:RNm7K27m
>>888 骨の髄から石頭のエセ福音だなりらっくまはw
三つ子の魂って奴かいなw
890 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 06:56:36 ID:RNm7K27m
聖書に堅く立つと言う保守的な福音派 根本主義からすれば ニー&リーは異端かもね だからある福さんらの主張も理解できる けど プロの歴史を考えればその定義で言ったらほとんどの改革者や 教派の創始者は引っかかるでしょ つまりここで粘着してるリベラルやりらっくまのような福音崩れ リベラルに馴れ合うエセ福音派は カ ル ト って強調 したいだけなのよ 独自色を強調する新しく出たグループをね ばかばかしいw 聖霊派を異端呼ばわりする連中とかわらんよw
891 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 07:21:04 ID:gvldqprA
一個人の教えを絶対化して、他の考えに耳を貸せなくなって いる点がカルトなんですよ。
892 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 07:27:01 ID:r/fAQoCf
りらっくま君 サロメを相手にするなら 談話室でどぞ 下らんレスの応酬で スレッドが流れるだけですから。 サロメは phusis theotes などの話を理解できないし する気もなくアホバカミサイルで糞ツボに あなたを 引きずり落したいだけなのですが それでも よければどうぞ ご自由に
893 :
暇人 :2006/04/13(木) 07:49:40 ID:r/fAQoCf
-τηςの新約での使用例をマタイで調べたところ βαπτιστης 三回 洗礼者 εργατης 一回 働くもの ζηλωτην 二回 イスカリオテ(ユダ) 不変という意味もある語 καθηγητης 一回 教師 κλεπτης 一回 泥棒 κοδραντην 一回 ラテン語コドラントからの転用 1/4という意味 κριτης 二回 裁判官 (審判という意味もある語 本文では裁判官) ληστην 一回 強盗 μαθητης 二回 弟子 μαργαριτην 一回 真珠 οικοδεσποτη 五回 家長 οινοποτης 一回 大酒飲みと訳されるが直訳するとワイン+飲酒家 οφειλετης 一回 負債者 προφητης 七回 預言者 υπηρετη 一回 下役 手下 使用人 ほとんどが「〜する人」と訳されている語ですね これは動詞+-τηςは どうも「人」になるぽいね だが りらくまっちに言われたとおり たとえばUコリ8:13の 「ισοτης」均等・平等は、形容詞「ισος 等しい 同じの」が 名詞化したものだが 「等しい人」とかにはならんですね。 θεοτηςといっしょですね
894 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 08:11:41 ID:gvldqprA
〜な人となるテースは、みな男性名詞で、属格はou。 テオテースは女性名詞で、属格はetos。 別系統なんですね。
896 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 08:20:01 ID:PH2v1/7M
だからね、ウイットネス・リーは何でも人格化してしまう傾向があるのです。
「罪が支配した」→罪はペルソナ(人格)を持つ→罪はサタンに違いない
「罪が肢体にある」→サタンがペルソナとして体の中に住む
「キリストは罪とされた」→キリストは青銅のヘビとして、ご自分は罪を持っていないが、
罪であるサタンをご自分の体の中に罠にかけて、十字架についた。
サタンの住む肉は十字架につけたまま(墓に残したままだったか?)ご自分は復活された。
つまり十字架はサタンを罠にかけて磔刑するためだったわけです。
いあや〜、すごいと思いません?
あ、それとリー師に異議を唱えて追い出された人のサイトがあるから紹介しとくね。
「聖書真理ノート」(
http://www.d3.dion.ne.jp/~higa_nob/j/indexj.html )
ウイットネス・リーの教えに問題があると言っているが、どこが違うかはよくわからん。
ほとんど同じことを言っているようだが。ちゃんとした神学校も出て、
ギリシャ語もできるようだ。
897 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 11:39:44 ID:8FHfQVss
まだ言ってるよ馬鹿だな。
ウーシアとピュシスが同じってなら理解できなくもないのに
テオテースとピュシスが同じだって、そりゃおまえ異端だろ。
そんな基本的なこともしらないのに威張るなよ。
>>887 そおか暇人かい。
なるほどね。
あいつはならりらっくま教のゲッペルスになれるぞ。
>>890 ちがうよ。ニー&リーはアルよりずっとファンダなんだよ。
大学で最近みかけるが、服装が地味で化粧もしてない。
ジーパンすらはいてない。
>>893 それはね、神の身分と神の人となりをあらわす単語ですわ。神ご自身というのも正解。
神性と訳すのは、神の性質ではなくって、中心性の性と同じ意味の性な。わかるかな?
安さんの説明は間違いとはいえない。
tesはやはり人をあらわす。
人名の語尾によくついてるだろ。
あれだ。
898 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 11:46:52 ID:8FHfQVss
>>884 あのう、大学でギリシャ語ずっとやってきた者なんですが。
899 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 11:58:21 ID:PH2v1/7M
↑単位落としていると思われwww
900 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 12:11:30 ID:/vXCm9iQ
自分も大学で専門でもないのにドイツ語を五年も勉強した。他のみんなは二年で終わってるのに。
901 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 12:12:53 ID:PH2v1/7M
↑わろたwwwww
902 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 13:07:12 ID:8FHfQVss
ばかめ。 学部で3年間、そのあと別の大学でさらにやって、卒業証書2枚あるよ。 母校で教えたこともあるが。 りらっくまは独学にありがちなトンデモ、 暇人はギリシャ語学習歴ゼロで辞書の引き方さえ危なっかしい。 おまえらその前に、クリスチャンと言えるかどうかあやしいよな。 試してやるよ。 1コリ15:45説明してみい。
903 :
ソープラテース :2006/04/13(木) 13:25:57 ID:/vXCm9iQ
すると本職は古代ギリシャ哲学とか勉強してんのかや?
904 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 14:26:59 ID:8FHfQVss
学部おえてからいったのは神学大学。
906 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 15:09:16 ID:PH2v1/7M
>>902 >1コリ15:45説明してみい
やっぱりあなたも最後のアダムのキリストが御霊になったと言うわけですか?
ところローカルチャーチの「その霊」と「御霊」ってどう違うのだ?
神学大学卒の頭で教えてください。
907 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 15:16:09 ID:PH2v1/7M
創世記2:8 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、 その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる魂(原語)となった。 これと対応するのが、1コリント15:45。 最初のアダム=生きる魂 ⇔ 最後のアダム=命を与える霊 パウロはこの対比による修辞学的な意味を与えようとしている。 神が手順を経て、父→子→御霊などとどうやったら導けれるわけ? 聖句をコンテクストからはずして、自分勝手な解釈をするのは偽教師のよくやる手。 それが変に分かり易いからね、困るんだけど・・・。
908 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 15:30:01 ID:8FHfQVss
三位一体論で間違ってんだよ。 それを聖書にあてはめようとするからいかんのだ。 安さんの説明が正答。 地方教会意外に真面目に神学やってて感心してる。 あとな、りらくまのコロサイ2:9の説明はエホ証のパクりだな。 アリウス主義の導入で信仰義認を否定してネオユニバーサリズムだろ。 そうはいくか。
909 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 15:49:08 ID:SXJHQrIg
910 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 16:21:38 ID:lMq/QOa5
>>908 もう一度聞くぞ、どうして42節から読まない?
この個所は徹頭徹尾復活論であり栄光体論であって、ここからキリスト論を
引き出そうとすると、カルケドンどころか二ケア信条に呪われるぞ。
911 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 16:30:23 ID:8FHfQVss
15章の文脈読めよ。 キリストのことを言ってるに決まってるだろう。 アリウス派に都合悪いからって誤魔化すな。 コロサイ2:9の読み方も訳もエホ証と同一なのはなんでか説明しろよ。
912 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 17:39:58 ID:RNm7K27m
>>892 うん まったくないぞw
つーかやたらリベラルと馴れ合うおまいのような
エセ福音派とっつかまえて大喜びしてるのさw
913 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 17:41:48 ID:gvldqprA
>>902 アンテパス、乙。
君の大学、どこのうんこ大学だっけ?通信制だっけ?
テオテースのテースは、接尾語。
〜な人、のテースは、男性名詞の活用語尾。
接尾語と、活用語尾を一緒にするとはな。
もしテオテースが、「神的な方」の意味なら、どうして女性名詞なんだ?
しかも、なぜ「神的な方の充満」などと回りくどい言い方をして、
素直に「神の充満」と言わないのだ?
914 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 17:42:02 ID:RNm7K27m
>>910 カトリックはとっくに呪われてるだろうがw
リベラル ファンダとわずにプロテスタントもね
笑わせるなよんwww
915 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 17:51:09 ID:RNm7K27m
エセ福音の特徴は カトリックやニッキのリベラルとは馴れ合うくせに 新興教派にはエラく厳しい まったくJEAも堕ちたもんだわ
916 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 17:57:46 ID:PmpFmc0a
おたぁのJEA恨み節〜www
1.おお,何という奇跡,奥義! 神と人が混ざり合う! 神が人となるは,人とが神となるため; 天使も世びとも知らぬことよ, はかり知れない神のエコノミー, 最高の目的,神・人の混ざり合い。 2.受肉した神・人は, わたしを神とならせる; いのち,性質同じ, 唯一神格はなし; 神聖な特質はいまや, わたしの徳としてあらわれる; 栄光のみかたち,神は表現される。 3.わたしは単独でなく, いま,神とともに生きる; 神と協力して, 宇宙の家を建造する; キリストの有機的なからだ, 団体の大きなうつわとなり, 三一の神を,宇宙に表現する。 4.最終の新エルサレム,啓示,ビジョンの集大成, 三一の神と 三部分から成る人は, 混ざり合い,ともに住み合って, 夫婦として永遠にいたる; 神の栄光は, 人にてあらわれる。 Witness Lee Local Church ウイットネス・リー 地方教会 主の回復 ローカル・チャーチ
918 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 18:00:43 ID:gvldqprA
ウンコブリブ・リー教徒め。
919 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 18:06:41 ID:RNm7K27m
>>916 いや あそこのまともな歴史感覚のなさとかあきれ返ってるだけでw
920 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 18:11:07 ID:gvldqprA
ウンコブリブリ・リーによる、うんこ的教説に脳みそ犯されて、 脳みそがうんこと混ざり合い、うんこ化したやつばっかだな。
921 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 18:14:26 ID:RNm7K27m
靖国反対するなら 聖書に基づいて神道は異教で 誤りだと告白すりゃいいのにさぁ 戦争責任やら何やら腰引けやがってまるでニッキの 罪責告白とおんなじw ナニよアレはw 日本のためのとりなしとか まだ聖霊派の先生達のほうが まともよ 糞聖書リベラルがw
922 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 18:16:12 ID:PmpFmc0a
JEAスレ自分で立てたら>おたぁさま
923 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 18:20:03 ID:gvldqprA
リーの教えを信じることにより、人は「うんこと化す」のです。 「うんこテース」は、「うんこな方」の意味であり、 「うんこのピュシス」は、その性質を意味します。 リーの教えを信じることにより、「うんこテース」=「うんこな方」がわたしたちの なかに、住みつきます。そして、「うんこテース」のもつ「うんこのピュシス」が、 わたしたちのピュシスとまざりあって、わたしたちは うんこ人になるのです。リーは、すべての人をうんこと化すために、ご自身が 率先してうんことなられたのですね。
924 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 18:21:07 ID:gvldqprA
>>921 異端カルトを放置して、たくさんの無知な人がうんこカルトの中で苦しんでもいいいのか。
925 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 18:23:27 ID:PmpFmc0a
ああ、りらっくまとやら、ついに逝っちゃったか。 確かにモラル的にはリー教徒の方が上。 まあ、エホバの証人もgoodな人が多いが・・・。 安さんを引き立てて乙>りらっくま
926 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 18:24:58 ID:gvldqprA
うんこと化した人間は、彼らの教祖ウンコブリブリ・リーの教えに反する 事実や考えには、耳を閉ざし、目を閉ざし、心を閉ざし、 事実をあるがままに認知することすらできなくなるのですね。 そして自分たちに都合のよい理屈や情報ばかり掻き集めることに汲々とするように なるのです。
927 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 18:25:18 ID:RNm7K27m
928 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 18:26:56 ID:RNm7K27m
>>922 うるさいわいw
散々人の足引っ張ってきやがったエセ福音派=聖書リベラル
逃がすもんかいw
929 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 18:28:42 ID:gvldqprA
サロメにも見捨てられたアンドレ。 654 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 17:56:23 ID:RNm7K27m 安さんには悪いけどさ 異端認定ならしゃあないでしょ
930 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 18:31:57 ID:gvldqprA
カルトの苦しみを知らないのか。
リー教徒たちを、リーのマインドコントロールから解いてあげないといかん。
>>897 >ちがうよ。ニー&リーはアルよりずっとファンダなんだよ。
>大学で最近みかけるが、服装が地味で化粧もしてない。
>ジーパンすらはいてない。
931 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 18:33:12 ID:RNm7K27m
>>929 だから 聖書リベラルの主張からすりゃ カトリック
正教会 聖公会 リベラルはもちろんほとんど異端だろうがw
ダブスタ大好き聖書リベラルw
932 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 18:33:44 ID:RNm7K27m
933 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 18:33:48 ID:gvldqprA
カトリック以外はすべて異端ですが。
934 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 18:35:11 ID:gvldqprA
リーの本ばっか読んで、ジーパンもはかず、化粧もせず、友達も恋人もつくらず、 周りから怪しまれて、自分たちを理解しない周りを 「サタンが住み着いている」と決めつけて、 自分たちだけで固まって・・・。 そんなのかわいそうすぎる。
935 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 18:39:13 ID:RNm7K27m
>>933 教皇首位の主張自体が全地公会議違反でアナテマですが?
936 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 18:39:46 ID:RILJwWSR
あっ、>933でりらくまさんの超本音がポロリンチョ。
937 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 18:40:09 ID:RNm7K27m
カルト呼ばわりの背後には 明確に聖書リベラルの悪意があるね
938 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 18:46:31 ID:gvldqprA
異端というのは、分派のことです。 教会の一致を壊す教派や運動は全部異端ですね。 教えの内容の正しさが問題なのではありません。 教えの正しさという点では全教派、クリスチャン全員が、異端ですね。 地上において、完全な真理に到達できる人はいないのですから。
939 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 18:51:04 ID:RNm7K27m
>>938 で
君はさらにカルト呼ばわりして新興教派叩くわけだ
この偽善者がw
940 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 18:52:53 ID:RNm7K27m
つまりりらっくまは新興教派を異端認定して教会から追放 カルト認定して世俗の弾圧にゆだねる つまり蘇った異端審問官なわけ で福音派と名乗る聖書リベラルがそれに加担しているのです
941 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 18:55:11 ID:RILJwWSR
うわっ、りらくまさん… あーあ、言っちゃった… 2ちゃんの基本はヒット・アンド・アウェイですよ。 熱くなりすぎる時はしばらく離れなきゃ… もう遅いけど…
942 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 18:56:21 ID:RNm7K27m
>>941 りらっくまは小物だw
アクの元凶は自称福音派だよんw
943 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 19:09:05 ID:gvldqprA
カトリックは、ホールケーキです。 プロテスタントは、カットケーキです。 リーの教会はさらにうすっぺらいカットケーキですね。 みんな、一致して、一つのホールケーキとなりましょう。
944 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 19:16:58 ID:RILJwWSR
へぇ、「リーの教会」もケーキではある訳だ。 「リーの教会はケーキですらない。ケーキにとりつくゴキブリだ」くらいは言うと思ってた。意外。
945 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 19:18:02 ID:gvldqprA
ケーキですよ。 中央にのっかっているイチゴがキリストです。 リーの教会もカットケーキですから、何十分の一ぐらいにうすっぺらく 切り取られたキリストがさきっぽにくっついてまます。
>943 そのケーキに砒素が入っているわけだから、みんなイチコロだ。
947 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 19:19:27 ID:RNm7K27m
948 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 19:23:21 ID:PmpFmc0a
>>934 そんなのリー教徒の勝手ジャン。
なにしろ神様になるためなんだから・・・。
それよか喪舞、自滅してるど>りらっくま
949 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 19:24:33 ID:gvldqprA
イエスが現代にいたら、ジーパンぐらいはいて、 びしっときめてたと思うぞ。
>>949 禿同。イエスは、当時としては「新しすぎた」んだろう。
951 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 19:26:44 ID:RNm7K27m
>>949 中絶についてどう思うの?
安さんチャンと答えてくれたよ
952 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 19:27:31 ID:PmpFmc0a
どこで?
>>951 だいたい、藻舞らは何もわかっとらん。
イエスが言うているだろ。
「他人を裁くな。裁いたら、それと同じ物差しで自分が裁かれるぞ」と。
中絶しなければ生き残れない場合だってあるだろ?
江戸時代の東北の寒村では、生まれた子供を間引くのが当たり前だった。
中絶だってケースバイケースで、それをひとくくりにして「罪だ」とか
「罪でない」とか決め付けることが「他人を裁くこと」になっているのが
どうしたわからないんだろうか。
954 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 19:32:37 ID:PmpFmc0a
なんか、おたぁさまとりらっくまさまって同類と思われ。 だから激しく反応しあうの。
955 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 19:34:14 ID:RNm7K27m
>>953 その認識甘すぎ
決して生活苦が間引きの原因ではないことは当時の
文献にも多数出ています
で何より重大なのは胎児の運命です
>>955 後世のアホ学者の推定など何の根拠にもならないよ。
どうして、人間が当事者の身になって考えられる?
頭を冷やして、出直してこいや。
957 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 19:41:03 ID:RNm7K27m
>>957 だから...そういう資料なんて、学者の論文ネタとしての価値しかなくて、
全く糞の山だって言っているんだよ。
自分でもそういう経験はないが、たとえば「レ・ミゼラブル」のファンチーヌ
の場合はどうよ。彼女は、生活費のために歯を全部抜くんだぜ。彼女にとって、
それが義務だ、と言明する神など、悪魔にすぎないと私は宣言するけどね。
959 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 19:49:15 ID:RNm7K27m
>>958 なんとも言いようがないけどね
間引きについて 当時の実態を明らかにする
草の根の資料幾らでもあるのよ
少しは勉強しろ
ほとんど現代と変わらんぞ
ある地方にいたっては 労働力足りなくなって
藩が減税してもやまず 外から奉公人 輸入してるんだよ
960 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 19:49:26 ID:gvldqprA
中絶は罪です。 どんな理由があれ、人を殺していいはずがありません。
961 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 19:50:08 ID:RNm7K27m
962 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 19:53:29 ID:gvldqprA
>>961 福音派の刷り込みを早く消し去りなさい。
963 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 20:02:28 ID:RNm7K27m
964 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 20:05:48 ID:gvldqprA
人間は中間的存在です。 リー教徒がいうように、クリは白、ノンクリは黒ではないのです。 光と闇の中間を漂っているにすぎないという点で同じなのです。 クリスチャンであっても、地上にあって、完全な光にたどり着く人は、いませんし、 ノンクリであっても、完全な悪に陥る人はいないのです。
965 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 20:09:06 ID:RNm7K27m
966 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 20:12:34 ID:gvldqprA
あるふくにでも聞けばいい。 地獄に落ちたと教えてくれるだろう。
967 :
暇人 :2006/04/13(木) 20:27:41 ID:J1xUcTGW
>>894 >〜な人となるテースは、みな男性名詞で、属格はou。
だね。
>>893 で出したマタイの例では「〜人」はみんな男性名詞ですね
逆に「〜人」にならない
2コリのισοτηςや当該のθεοτηςや類似のθειοτηςは、女性名詞ですね。
大体「-της」が「〜人」になるならば、ローカルチャーチ派の持論
「θεοτης」は、「神である方」(神)で「θειοτης」は「神性」であると
いう訳し分けが成立しないのだが(笑)
968 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 20:29:27 ID:RNm7K27m
969 :
958 :2006/04/13(木) 20:38:12 ID:S2IwlCUv
つうか、経済統計が完備している現代だって、「GDPが○%アップ」という 数字が、どれだけ庶民の生活を浮き彫りにしてるって言うんだよ。 数字ですべてがわかった気にになっているアンタが御目出度く見えて しょうがないのだが。 好景気の最中だって、食っていけずに首釣る奴はいるんだぜ。
970 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 20:40:05 ID:RNm7K27m
>>969 だからだね
間引きは単なる貧困の悲劇じゃなくてもっと深い闇の
表れなのよ
971 :
958 :2006/04/13(木) 20:42:53 ID:S2IwlCUv
>>970 私は不勉強で、その辺の事情はわからないが...
しかし、もっと深い闇の事情があるのなら、ますます中絶だって認めざる
得ないということじゃないのか?
972 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 20:47:24 ID:RNm7K27m
>>971 だからさ 育てるより奉公人という奴隷買ったほうが安いという発想
それが闇の一部だったりするのよ
そういった間引きの伝統が日本の安易な中絶容認文化につながっているの
マザーテレサとか無意識にその辺 見抜いていたけどね
973 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 21:04:39 ID:gvldqprA
分かりやすい例があります。 idios=private personalという意味の形容詞ですが、 テースがついて、女性名詞になると、peculiar natureの意味。 男性名詞になると、pvivate personの意味と、Liddel & Scottの辞書にあります。
974 :
958 :2006/04/13(木) 21:17:16 ID:S2IwlCUv
どうなんだろう。 もし、間引きが社会的に容認されていて、それに安易に従っただけだとしたら、 罪は軽いんじゃないだろうか。
975 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 21:19:31 ID:RNm7K27m
>>974 だからね
中絶という罪は罪として批判されるべき
ただ 今から犯そうとしている人
犯してしまった人
後悔している人
後悔しすぎている人
自覚が全然ない人
中絶に追い込んだ男
全部対応が違うのよ
そして何より 命を軽んじる文化そのものも変えなきゃ
976 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 21:19:55 ID:gvldqprA
977 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 21:21:22 ID:gvldqprA
978 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 21:21:55 ID:RNm7K27m
>>974 あと参考までに
江戸時代以降 安易な間引きを諌め 子供達を救った
坊さんやらの記録たくさんあるよ 東北にもね
それと間引き天国の日向国の伊東藩 労働力が減って
外部から人間移入した記録 ちゃんと残ってる
979 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 21:23:52 ID:gvldqprA
輪廻思想が、間引きの風習を可能にした。
980 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 21:24:23 ID:RNm7K27m
なんかりっらくま やっつけるつもりが脱線しちまったw 福音派はプロライフ言う癖に アカンボの救いについて 沈黙するんだよね
981 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 21:25:57 ID:gvldqprA
カトリックには煉獄というグレーゾーンがあります。 カトリックの大いなる知恵です。
982 :
958 :2006/04/13(木) 21:26:09 ID:S2IwlCUv
>>978 もちろん、現代人には「間引き」の残酷さはわかるさ。
しかし、その時代の「常識」に埋もれた残酷さに対する個人の責任は免除
すべきじゃないのか。
中国では、つい最近まで堕胎した胎児を漢方薬として食う習慣が残っていた。
もし、生まれた時から「これは常識だから」と教え込まれたとしたら、抵抗
しようがないと思うが。
983 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 21:27:04 ID:PmpFmc0a
完全におたぁペース。りらっくま、ご愁傷様。
984 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 21:27:24 ID:gvldqprA
世の中は、キリスト教が昔から教えていた倫理を当たり前とする世界に ちかづきつつあるんだね。
985 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 21:28:38 ID:gvldqprA
別に。 リー教徒が沈黙して、リーの邪説が書込まれなきゃいいのさ。
986 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 21:28:52 ID:RNm7K27m
>>982 いや当時だって残酷で良くないとみんな分かっていたけど
欲望って奴がね
そう 人間に生まれながらに備わってる良心によって
識別されるべきなのよ
そして犯した後の態度よね
987 :
958 :2006/04/13(木) 21:29:14 ID:S2IwlCUv
>>984 それはそうだが、それが当たり前でない時代の人間を断罪しても意味がない。
それに...現代であっても、その倫理が当たり前でないところが残っていると
思う。自分がその立場に置かれないかぎり、その人を断罪する権利などないよ。
988 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 21:31:14 ID:RNm7K27m
>>987 だいたい 江戸時代なんて幼児死亡率異常に高い
産褥で女がどんどん死ぬ 本当なら口減らしどころではないのよ
989 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 21:33:01 ID:F8/jD14E
聖書の冒頭の方にある、 「光あれ」って英語でなんていうの?
990 :
958 :2006/04/13(木) 21:36:40 ID:S2IwlCUv
それで、「社会常識」でもって中絶した人を地獄を落として、何の益になる のか教えてくれ。 刑罰というのは、その人への戒めと、周りに対する見せしめという効果を 期待するものだろう? 「社会的常識」に従った人を罰することで得られる益とは何か?
991 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 21:37:00 ID:gvldqprA
Let there be light
992 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 21:37:54 ID:RNm7K27m
>>990 悔い改めりゃ地獄なんていきません
神様と子供に詫びて 二度と同じことしなけりゃいい話
993 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 21:39:27 ID:RNm7K27m
>>990 子供はすでに 臨終の間際にでもイエス様が招きに来てるから
救われてるし
人殺しのサウロでさえ招かれ使徒にされた神様です
中絶された子供を哀れまれるに決まっております
994 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 21:39:29 ID:F8/jD14E
>>991 ありがとうございます。
ちなみに聖書での原文もそうなっていますか?
995 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 21:39:31 ID:gvldqprA
だいたい中絶して、平然と生きていられる神経がおかしい。
996 :
958 :2006/04/13(木) 21:40:17 ID:S2IwlCUv
それならば話は早い。それは中絶に限らないでしょう。 何も中絶にこだわって「地獄行き」云々を議論しても無意味だ。
997 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 21:40:29 ID:gvldqprA
ヘブライ語はよくわからん。
998 :
いとぴょん ◆R7jw2dOLJw :2006/04/13(木) 21:41:16 ID:trvwzMpS
1000
999 :
サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/04/13(木) 21:41:29 ID:RNm7K27m
>>996 中絶駄目と繰り返さんと マザーが言うように日本の風土は
変わらんでしょうが
1000 :
名無しさん@3周年 :2006/04/13(木) 21:41:52 ID:F8/jD14E
あ、そっか。原文はヘブライ語か! 失礼しました。
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。