【KGK】キリスト者学生会 part7【KGK】

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446名無しさん@3周年

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ガラテア3章(ユダヤ人でなくとも、ユダヤの唯一神を信じてよい)
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1119050981&st=6&to=18

>古代ギリシアの世界観・宇宙観によると、天界は7階層からなる
・・・愛は[神へと人へと]2つあるが神様が先。
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=religion&key=1090013589&st=155&to=156

聖書要略−4レスまとめ−(キリスト教の信仰生活の基本姿勢)ほか・・・
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1119050981&st=109&to=112

http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=religion&key=1090013589&st=155&to=156

http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1119050981&st=137&to=141

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447名無しさん@3周年:2006/02/08(水) 14:53:11 ID:KaLKwjnk
【 ニケヤ・コンスタンチノポリス信経 】
われ信ず 一つの神 父 全能者 天と地 見ゆると見えざる万物を造りしシュを
また信ず 一つのシュ イイスス・ハリストスかみのドクセイの子
よろずヨのサキに父より生まれ 光よりの光 まことの神よりのまことの神
生まれし者にて造られしに非ず 父と一体にして ばんぶつ彼に造られ
我ら人々のため また我らの救いのために天よりくだり
せいしん及び童貞じょマリヤより 身を取りヒトとなり
我らのためにポンティイ・ピラトのとき十字架にクギうたれ 苦しみを受け葬られ
ダイサンジツに聖書にカナいて復活し 天に昇り 父の右に坐し
光栄をあらわして 生ける者と死せし者とを審判する為に
またきたり そのクニ終わりなからんを
また信ず せいしん シュ いのちを施す者 父よりいで
父および子と共に拝まれ ほめられ 預言者をもって かつて言いしを
また信ず「一つ」の「聖」なる「おおやけ」なる「使徒」の教会を
われ認む 一つの洗礼 もってツミの赦しをウるを
われ望む 死者の復活 ならびにライセのイノチを アミン

http://www.yukinoshita.or.jp/tsuushin/nicene1.htm
448名無しさん@3周年:2006/02/08(水) 14:59:56 ID:YtNDiZw/
主の祈り【パーテル・ノステル】
天にましますわれらの父よ、
願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、
御旨の天に行なわるる如く地にも行われんことを。
われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。
われらが人を赦す如く、 われらの罪を赦し給え。
われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。

「御名が崇められますように。御国の来たらんことを」(『エゼキエル書』に由来する祈祷文)
「天になされるごとく、地にも行われんことを」(『トセフタ・ベラコース』3章7節)
「なくてはならぬ食物でわれらを養いたまえ」(『箴言』30章8節)
「われらが債務を許すごとく、われらの罪を許したまえ」(『メギラ』)
「われらを試みにひきあわせんことを、われらを悪から遠ざけたまえ」(朝の祈祷文)
国と力と栄えとは 限りなく汝(聖三者・三位一体の神)の物なればなり『歴代志上』29章10、11節
449名無しさん@3周年:2006/02/08(水) 15:00:30 ID:YtNDiZw/
>>446-448

★古代ギリシアの思想 山川偉也 講談社学術文庫 1200円 p402

ローマ帝国の国教となって以降に起こったキリスト教徒内部での異端審問騒動と、
それに決着をつけるために開かれた全地公会議のようなものを思い浮かべてみよう。
周知のとおり、「ニケア・コンスタンティノープル信経」
(第二回「コンスタンティノープル公会議」、三八一年)が定められるまで、
キリスト教徒か否かを明確に判別する基準は存在しなかったのである。



‡ 正教要理 p77−78 一、洗礼機密 1.啓蒙礼儀

洗礼機密のはじめに行われる啓蒙礼儀は、
人が物質や社会的地位・身分に捕らわれる僕となっている日常生活をすて、
神を知り神の僕となる生活に入る決心を表すものです。
これはハリストスの福音を中心とする生活をはじめる意志の宣言です。
宣言は教会の入口で西に向かって行われます。
・・・・・・西は・・・・・・暗闇の始まり、人生の終り、死を待つ生活を意味します。
このことから東に向き直ることは、自己中心、物質中心の生活を
主の福音に従う生活へきりかえる意志の表明となります。
次いで「主に配合する」との決心の言葉によって
主を中心とする生活の始まりを宣言し、終りに主に向かう生活の信条として
受洗者の信仰告白(ニケヤ信経)が読まれます。
450名無しさん@3周年:2006/02/08(水) 15:23:38 ID:qpWqC2I0
ウエストミンスター信仰告白 第一章 聖書について

1.自然の光および創造と摂理の見技は、人間を弁解出来ないものとするほどに
神の善と智恵と力を表す(−略−)

2.聖書すなわち記された神の御言葉という名の下に、今では
旧新約のすべての書が含まれている。それらは次ぎのものである
旧約聖書では(書名が列記されている−略−)新約聖書では(書名が列記されている−略−)
これらはみな、神の霊感によって与えられており、信仰と生活の規準である

3.普通に経外典と呼ばれる書は(−略−)使用されたりしてはならない

4.聖書がそのために信じられ服従されねばならないところの聖書の権威は(−略−)

従って聖書は、神のみ言葉であのという理由から、受け入れられなければならない
(−略−)
8.(昔の神の民の国語であった)ヘブル語の旧約聖書と、(しるされた当時
最も一般的に諸国民に知られていた)ギリシャ語の新約聖書とは、神によって直接霊感され
(−略−)それですべての宗教論争において、教会は最終的にはこれらに訴えるべきである
(−略−)聖書は、神のみ御葉がすべての者に豊かに内住して
彼らがみ心にかなう方法で神を礼拝し、聖書の忍耐と慰めによって希望を持つために
聖書が接するあらゆる国民の原語に翻訳されなければならない

9.聖書解釈の無謬の規準は、聖書自身である。(−略−)
もっと明らかに語る他の箇所によって探究し、知らなければならない

10.それによって全ての宗教的論争が決裁され、すべての会議・古代の著者たちの意見
人々の教義・個人の精神が検討され(−略−)聖霊以外の何者でもありえない

●バプテスト教会の特徴 http://www.nishimaiko.org/ho/bp2.htm
451名無しさん@3周年:2006/02/08(水) 15:24:18 ID:qpWqC2I0
【 キリスト教信仰のABC−フリーメソジスト教会の信仰問答 】
8 教会
問51 目に見える教会とは何か。
答 礼拝と交わりのために結びあわされたキリスト者のグループである。
「そして、毎日、宮や家で、イエスがキリストであることを、
引きつづき教えたり宣べ伝えたりした。」(使徒行伝5:42)

問52 目に見えない教会とは何か。
答 時代と場所を越えて主にあって一つに結ばれた神の民すべてを指すのである。
「そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、
聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。
またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、
キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。」(エペソ人への手紙2:19-20)

問53 教会の使命は何であるか。
答 人々をキリストに導き、神の目的を続けていくことである。
「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、
エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、
わたしの証人となるであろう。」(使徒行伝1:8)

問54 代々の教会はこのようなキリストの教会をどのような言葉で現したか。
答 「一」「聖」「公同(普遍的)」「使徒的」という言葉で現した。
教会が主にあって時とところを越えて一つであり、使徒の信仰を伝える神の民だからである。


「日基」と書く場合、普通は「旧日本基督教会」のことを指すからでしょ。
日本基督教団は、「旧日本基督教会」、「旧日本組合基督教会」、「旧日本メソジスト教会」
およびその他の諸教会が合同してできたものだからね。
452名無しさん@3周年:2006/02/08(水) 15:24:58 ID:qpWqC2I0
【 バプテスト教会の見解 】
1.聖書の権威
最初に、聖書の権威を取り上げましょう。
この意味は『聖書のみが信仰と行動とのための唯一の権威である』ということです。
この点において他の教会と異なる特徴があります。例えば
『ルーテル(ルターが始めた教派)の牧師』は 按手礼のために
『アウグスバーグ告白』にサインしなければなりません。
ウエスレーによって始められて『メソジスト教派』は『メソジスト規律』を重んじています。また
『長老教派はカルビン』からの歴史で『ウエストミンスター信仰告白』を標準として重んじています。
英国の国教会である『聖公会』は『39ヶ条の信仰条件』を権威として重んじています。これらに対して
『バプテスト』は『聖書のみに信仰と行動とのための権威』を認めています。
権威の置き方については主に三つの立場が挙げられます。その一つは伝統です
『ローマ・カトリック教会』では
『選択された伝統』が聖書と等しい権威として認められています。また もう一つの立場は
『一般的に自由主義』の立場です。聖書は不充分だと言っています。聖書に
『理性と経験』を加えなければなりません。第三の立場は
『聖書が唯一の信仰と行動とのための権威』であるというものです。
この立場は聖書自体の主張に近いと思います。
聖書は権威ある神のことばです。聖書は人々を救いに導くものです。
地方教会の信仰と行動のための基準でもあります。
バプテスト教会はすべての教えと生活の行動のために聖書に権威を置き土台にしています。
453名無しさん@3周年:2006/02/08(水) 15:39:23 ID:BYKYNla5
【 バプテスト教会の見解 】
5.個人的精神の自由
もう一つのバプテストの特徴は、個人精神の自由です。
これは人が不法を行うとか、わがままに歩むこととかを認める自由ではありません。
「人に従うより、神に従うべきです」使徒5:29という、ペテロの言葉のように、
個人的に神に従うことを認めるのです。聖書を読むこと、神を礼拝すること、神に従うことは、
決して人に強制されてするものではありません。
人は個人的に恵みを受け、霊的な賜物を受け、神に仕えるのです。
人は個人の意志によって選択します。人は個人的に報いを受けます。
この原則をバプテスト教会は認めています。

8.国家(政治)と教会の分離
この原則はマタイ22:17〜22に教えられています。
国家は教会を保護して、キリスト者は政治に従います。
しかし、結合しているのではありません。
聖書によると神は三つの組織を創立されました。家庭、教会、国家です。
この一つ一つはそれぞれの範囲に中にあって使命を持っています。
キリスト者は政治に対して責任を果たします。税金を納め、従い、敬い、そして祈ります。
これに対して政治は、教会の信仰、良心的自由を保護する責任を持っています。
政治はどんな宗教に対しても特別扱い、または制限を加えてはなりません。
ただ、道徳、あるいは私財が脅かされている場合にのみ、これは許されるのです。
454名無しさん@3周年:2006/02/08(水) 15:39:59 ID:BYKYNla5
権威の変遷と聖書の普及

権威は「ペテロから継承した儀式」カトリック教会
 ↓
権威は「公会議決定」東方正教会(教区による東西の分離)
聖職者任命で
ローマ教会と第2ローマのビザンツ教会(第3ローマのロシア正教会)に分離
 ↓
権威は「新旧66巻聖書」プロテスタント教会(教区による教会の分離)
ローマ教会の教区内の聖職者任命で
イギリス国教会(アングリカン派)・ドイツ諸邦教会(ルーテル派とカトリック派)・
スウェーデン国教会(ルーテル派)・プロイセン内の教会(ルーテル派と改革派)・
スイスの各州教会(改革派とカトリック派)・チェコの教会(改革派)・
スコットランドの長老教会(改革派)・オランダ国教会(改革派)などに分離
 ↓
市民革命と国民教育により国割り・州割り・教区割りに関係なく
自由に個人で教派や教会を選んで信仰できる時代になる。
民族主義教育で教会を選ばせない逆行する信仰も反動で現れる。

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聖書は羊皮紙やパピルスの写本に手間が掛かり多くは作れず
限られた聖職者しか読めず表向きラテン語だけ・カトリック教会の時代
 ↓
聖書は印刷技術とヘブライ・ギリシア語から母国語に翻訳する事により
多くの聖職者や金持ち王侯が読めるようになる・プロテスタント教会の時代
 ↓
聖書は更なる製本の大量生産技術の発展や
学校教育人口の増大で解説書の普及と外国語翻訳の多様化で
一般の庶民にまで読めるようになる・大戦後の福音派教会の時代
 ↓
異端審問などなく
聖職者任命も問題にならず無教会派まで生まれる。