?。?。?。 宗教否定者いらっしゃーい ?。?。?。
901 :
1:2006/01/18(水) 06:19:50 ID:dw2xdMaz
残り100。
ここを立てて良かったと思う。
でも次は、哲学板でやりましょう。
ここの住人では、ついて行けませんから。
あら、1さんおはようございます(^^♪
スレ立て依頼掛けちゃいましたし、
ここの方がわかりやすいですよ。私はこちらの方が好きです。
903 :
192:2006/01/18(水) 07:58:37 ID:QiBdaxXh
>>898 >私には、美の方がより本質的な気がする。
その本質への渇望が宗教じゃないのかい。
ところが、神は言葉なんですよ。
美は言葉ではないんです。
神は言葉というのは、聖書の言葉だと反論されるかも知れないんですけど、
私は、違うと思うんですよ。
神は、仏教でも言葉だと思います。多分、あらゆる宗教で言葉だと思うんです。
わかっていただけないでしょうか?
905 :
192:2006/01/18(水) 08:08:42 ID:QiBdaxXh
>>899 うんにゃ。
>>862のあんたの発言「徹底的な相対主義な人間」というのを受けて。
そうか、「徹底的な相対主義」を「猜疑」という意味で使ってたんだな。それなら「わかる」。
「字面だけを見て」自分を無意見者だと言っているのかと思った。
906 :
192:2006/01/18(水) 08:13:43 ID:QiBdaxXh
>>904 ふむ。そうだよ。言葉は神だよ。
言葉からあれとこれが生まれ、あれとこれから善と悪がうまれ
善と悪から神が生まれた。
「はじめに言葉ありき」だ。
キリスト教的解釈はどうなのか知らんけど。俺の理解はこんなかんじ。
佛教でも言葉だうんぬんはわけわからん。
907 :
192:2006/01/18(水) 08:21:02 ID:QiBdaxXh
一応念のため言っておくと
神はアルファでありオメガなんだから、どうとでも言えるんだよ。
だから、「神」という言葉がある文脈と別の文脈では全く異なるものを指すことになる。
その文脈でそのたびに定義するか、文脈から読み取っていくかしかないんだよ。
そんな神について、概念的に議論しても無意味ではある。
908 :
192:2006/01/18(水) 08:30:30 ID:QiBdaxXh
>>904 >神は言葉なんですよ。
>美は言葉ではないんです。
よくわからんがお前の文脈の中では正しいということはわかるよ。
多分万の言葉を費やせば俺にもわかるかもしれんが、それはあまり意味が無いことかもしれん。
言葉のわくというのはそういうもんだと思うが。
「言葉」から「ロゴス」に変えると多少しっくり来るものがあるけど…些細なことか…。
αでありωでありは、因果の中で語られるものなのではと思うのです。
此れも検証中につき…。
911 :
名無しさん@3周年:2006/01/18(水) 15:58:07 ID:nT6WNQoy
宗教は幼稚な妄想です。
確かにロゴスに置き換えた方がいいのかも知れませんが、
個人的には、ロゴスに置き換える必要を今は感じませんね。
まあ、そう思われるって事は、置き換える必要もないでしょう。
充分共通認識できるわけですし。
>「徹底的な相対主義」を「猜疑」という意味で使ってたんだな。
うーん、それって、上っ面の懐疑って意味?
私は、絶対は絶対に認識できないと思っておりまして、
結局人間は、すべて相対で認識することしかできないでおわると思っております。
まあ、この世界はなんだって話になるんですけど、その辺は、楽観的に考えております。
そして、美の観念ですが、わたしは、脳味噌が単純に震えるんだと思うんですよね。
DNAのどこかに、レセプターがあって、それに刺激がハマるんだと思うんですよ。
でもって、それが生の欲求と結びついていると。
宗教もこの地平線のどっかに位置してるんですが、そう単純な仕組みにはなってないと思うんです。
まあ、その一面が、このスレの最初から、私が皆さんに叩かれながらも述べていることではあります。
それから、仏教も同じく説明できると思います。
多分、神道もできるでしょうが、ほとんど知識がないので、実はあやしいとも思っております(^_^;)
まあ、トラブルの基になる考えは、すべて説明できると思っております。
913 :
バカ梵:2006/01/18(水) 16:15:02 ID:yGoQdc5h
たま読みなバカ梵ですが。。
> ( ´,_ゝ`)さん
美は言葉ではない、神は言葉である。違いが俺には分からないなぁ。
あなたは美と思うものを体験している。神と思うものは体験していない。
ただそれだけじゃないのかなぁ。
>>913 お久しぶりです。バカ梵さん。お待ちしてました。
美というのは、説明する必要がないんです。
うまいものでもそうですが、独占できればいいのです。
自分さえ良ければ、それでいいんです。
しかも、単なる主観です。
でも、神は違います。
人間が作り出したものです。
だから、説明するんですよ。言葉なんです。
共有するために、言葉があるんです。
そういう意味です。
915 :
バカ梵:2006/01/18(水) 16:44:18 ID:yGoQdc5h
なるほどね。言わんとする所の意味が分かりました。
言葉を使って共有しなければいけないもの。そこにあなたの思う神はあるわけですね。
916 :
?バカ梵:2006/01/18(水) 16:47:47 ID:yGoQdc5h
しかしながら「美に本質を見る」と仰るあなたの発言には、
神や仏を見ずにはいられない。と付け加えておきます。。
人はポリス的動物なんです。
一人では生きていくことが出来ないんです。
というか、一人で生きていくことに意味を見出すことが出来ないんですよ。
そういう生き物なんです。
だから、幼児が自分のうんこ見せるように言葉を共有するんです。
そのなかに神の概念があるんです。
しかし、神は共有できない。言葉しか共有できない。
ここに、美と神の根本的な違いがあると思います。美は所有する必要がないですから。
918 :
バカ梵:2006/01/18(水) 17:52:37 ID:yGoQdc5h
なるほどあなたの考え、よく分かりました。
じゃあ、俺の話をします。
俺にとっては神や仏とは、あなたの言う物事の本質の事です。
本質を感じるという事は、物事に本質が存在すると信じる事と同じです。
だから俺には、美に本質を見たというあなたの発言は、仏を見た、
神を体験した、と言ってるのと同じに見えます。
俺にとって神や仏は言葉にして共有する必要はないです。それが本質だと言い切れば、
必然的にそれは皆がすでに共有しているものだからです。
俺は宗教には属さず、否定も肯定もしないと言いました。
そんな俺のことを ( ´,_ゝ`) さんは、宗教に属している人と思いますか?
肯定してると思いますか?よろしければ教えて下さい。
>>918 私が神は言葉だっていうのは、その本質論に関わるものです。
つまり、本質というのは、独りよがりであってはいけません。
誰かに、説明しなければなりません。
しかし、例えば、バカ梵さんが「神を見た」としましょう。
それは、確かに見たとしても他人が納得しなければ、どうでもいいのです。
いくら、神を見たとしても、説明できなければ意味がないのです。
しかし、美は違います。自分が所有していればいいのです。
あくまでも、自分が所有するものです。しかも、全員が感じることは喜ばしいですが、
そうでなくても構いません。また、そこに、言葉を介在する必要もありません。
共有する必要がないというところで、根本的に美と神は違うと感じています。
>俺は宗教には属さず、否定も肯定もしないと言いました。
私は私なりの宗教の定義をしました。
私の定義は、他人が信ずるものを無条件で受け入れることです。
当然、その対として、他人に強要することも入ると思います。
あなたが無条件に受け入らざるを得ないものを信じ、また、それを他人に強要するならば、
それは宗教でしょう。私はそのように考えてます。
920 :
バカ梵:2006/01/18(水) 18:38:11 ID:yGoQdc5h
> いくら、神を見たとしても、説明できなければ意味がないのです。
俺は神や仏を信じていますが、共有しなくては意味がないとはこれっぽっちも思ってません。
何故ならそれが真に本質であれば、すでに共有されてるはずだから。
あなたは「美」と「神」とに境界を引くけど、少なくとも俺にはその境界線は
存在しません。
それは俺が、音楽という美の追求から神や仏に至った実体験から、
吼えておきたい所なのです。海に向かって。
具体的な話をしましょうか?
あなたが神と思っているものは、他人が神だと思っているものでしょうか?
それとも、自分で勝手に神だと思っているものでしょうか?
どちらでしょうか?
922 :
バカ梵:2006/01/18(水) 18:51:38 ID:yGoQdc5h
俺が神だと思ってるものを、他人が神だと思ってるとは限らない。その必要もない。
自分が勝手に神だと思ってるのか?
それは他人が俺を見た時に判断する事で、俺が神だと思ってる時点でそれはない。
つまりどちらでもない。
923 :
無所属な旅人:2006/01/18(水) 18:55:09 ID:8gR9l1RA
本質はそこにあるだけだから、わざわざこだわって説明するかどうかだけでしょ…
>>922 あなたが勝手に神だと思っていて、他人もそれがないとすれば、
なんら普通の日常的な行為でしょう。
宗教という特殊な言葉に置き換える必要がないでしょう。
ピアノが好きで、バッハばかり弾いているのは、それただのバッハ好きのピアノにストです。
ところが、パッハを聞くことを強要して、そればかり弾いていて、
他の音楽は認めないとしたら、それは宗教でしょう。
そういうことじゃないですか?
まあ、ちょっと、説明不足ではありますけど。
925 :
バカ梵:2006/01/18(水) 19:08:46 ID:yGoQdc5h
それは宗教や信仰の弊害であって、宗教そのものの定義にはならない気がします。
つまり、バッハばかり弾いているピアニストは宗教なんですね?
単なるバッハ好きなんじゃないんですね。
2ちゃんが好きな人間も、宗教ですか?
電気が必要な人間も宗教。
すべてのあらゆる人間があらゆる宗教に入ってますよ。
それを認めるならば、バカ梵さんの宗教の定義も認めてもいいです。
とても一般的ではありませんが。
927 :
?バカ梵:2006/01/18(水) 19:20:40 ID:yGoQdc5h
そうです。もちろんその人がそこに本質を感じるならば、の話ですが。
928 :
無所属な旅人:2006/01/18(水) 19:20:49 ID:8gR9l1RA
宗教が目標とするものの一部(全てかもしれませんが)はその日常化にある事を感じることはありませんか?
単なる嗜好も宗教だというあなたの考えは、宗教の認識が、甘いと思いますよ。
嗜好と宗教は明らかに違います。
友達以上、恋人未満ってぐらいのもんじゃないですかね。
相変わらず、例えが酷いですけど。
>>928 それは、私に対してついてレスですよね。
私の考えている宗教は、日常的なものであるし、それもかなり全てが宗教的です。
仰るとおりですよ。
もうパート2が立ちましたね。 おめ。
そして、立ててくれた人。 お疲れ様です。
931 :
バカ梵:2006/01/18(水) 19:41:05 ID:yGoQdc5h
> 単なる嗜好も宗教だというあなたの考えは、宗教の認識が、甘いと思いますよ。
実際、何が宗教であるかという認識などどうでもいいのです。
この世界の本質を何と捉えるか?そこが重要な所でしょう。
>この世界の本質を何と捉えるか?そこが重要な所でしょう。
だから、単なる嗜好じゃないでしょう。
私が言ってるのは、まさにその点ですよ。
どう捉えるかなんですよ。
単なるバッハ好きのピアニストではないんです。
バッハで世界を語るんです。バッハ以外は音楽ではありません。
そういう世界観ですよ。
933 :
?バカ梵:2006/01/18(水) 19:59:39 ID:yGoQdc5h
927 で俺は「そこに本質を感じるならば」、と言ってます。
本質を感じるかどうかは誰が問題にしてるんですか?
当然、自分ですよね。
結局あなたの論では、他人から、宗教なのか嗜好なのかわかりませんよね。
宗教は、そういうものなんですか?
一般的には違うと思いますが?
935 :
バカ梵:2006/01/18(水) 20:18:34 ID:yGoQdc5h
まぁそう、宗教の定義は様々。。。一般的に言われる宗教にまつわって現実世界に
起こる様々な事件・矛盾。しかし俺の立場からは、それは単に宗教というくくりで
捉えられる問題ではないと思う。現れ方は宗教のフィルターを通してだが、結局それは人間自身が
抱える問題・矛盾なのだろう。宗教戦争など、単純に集団的な生存競争という本能的姿なの
かもしれない。云々
すいません、落ちます。
936 :
名無しさん@3周年:2006/01/18(水) 20:20:09 ID:dUqDKmaD
名詮自性 笑
>>935 いえ、こちらこそ、ありがとうございます。
関係性でしか結局わからないと思ったものですから。
ちょっと、書き方が強すぎましたね。
もっと、違う角度でも見ていける気もしたのですが、
ちょっと、思いつきませんでした。
なにかが、抜け落ちている気もしますので、また、来てください。
よろしくお願いします。
>>( ´,_ゝ`)さん
(教団)宗教が人間の抱える問題の現れるような性質を
論ずる場であるがために、その表面化が顕著なだけなのかも
しれないということは考えられますか?
本質の在り方を観るのに何もいらないとするのと、
その在り方そのものが宗教とするのとは、
ただの置き方だけで、些細かなと思います。
嗜好にこだわるのであれば、その前に話されていた、
美と神の関係に近いものだと思うのですがどうでしょう?
>>938 多分、単純に物事の捉え方の違いだとは思います。
ただし、その宗教にどこまで深入りするかは個人の問題だと思いますよ。
やめようと思えばいつでも止められるのは、基本的な問題ですが、
それを阻害するのは、宗教の性質から言えば当然のことでしょう。
信じ方が足りなければ、当然ついていけないと思うでしょう。
だから、ついていけないと考えるのは、信じ方が足りないのです。
信じ方が足りないのは、なにか問題があるからで、それによって、
日常生活も当然、変化しなければならないでしょう。
それを積極的に行うか、強制的に行うかの違うかはありますが、
他人が信ずるものを受け入れるのは同じことです。
結局、私が考えている宗教というのは、本質論とは全然別にあるんです。
動機は、本質的なことかもしれませんし、求めるものも、近いのかもしれません。
しかし、まったく、違うものです。
例えば、私は、このスレで最初からずっと同じ事を論じてましたが、
その間、実際の宗教を思い巡らしていたのは、キリスト教でもなんでもなく、
仏教、それも臨済録のやりとりや無門関の公案でした。
彼らは、言葉でやり取りしますが、単純な問に対する答えではありませんよね。
だから、臨済は突然大悟したわけです。
そこには、超越した何かがあり、言葉以上の何かがあります。
しかし、結局は、それ以上ではないと思います。
でなければ、臨済は大悟できなかったし、普化も存在しなかったと思います。
941 :
名無しさん@3周年:2006/01/19(木) 00:51:23 ID:t3aqtSFD
バッハはオルガンだよ。
>>941 ご指摘どおりですね。
羊たちの沈黙で、看守を襲う場面がありますよね。
あの時流れるゴールドベルグ変奏曲を連想していたんですよね。
>>930 あっ、蓮華さんいらしてたんですね。
通り過ぎてしまいました(^_^;)
お礼を言いたかったのに。
おまけに、スレ立ててくれた方にもお礼まで言ってくれて・・・(^_^;)
スレ立ててくれた方、お疲れ様です。
ありがとうございました。遅くなりましたけど・・。
944 :
192:2006/01/19(木) 08:11:47 ID:qpSDJlGD
>>912 >私は、絶対は絶対に認識できないと思っておりまして、
>結局人間は、すべて相対で認識することしかできないでおわると思っております。
わかって言っている様な気もするが・・・
そのとおり。
『「私」は絶対は絶対に認識できない。』
そこで終わるか、やっとスタート地点に立ったと思うかの違いだろう。
945 :
192:2006/01/19(木) 08:15:16 ID:qpSDJlGD
かといって俺が何か知っているわけではないよ。
しょせん屁理屈の世界だ。
>『「私」は絶対は絶対に認識できない。』
いやあ、もう、192さんもこないのかと思ってましたよ(^^♪
そうです。始まりですよ。
でも、まさか、だから神がいるってやるわけではありませんよね。
神は死んだって、言ってるひともいるわけですし(^^ゞ
947 :
192:2006/01/19(木) 08:33:09 ID:qpSDJlGD
>>946 始まるのか・・
難儀な「私」だな。まあ人のことはいえんが。
ふふっ、結構楽しいと思いますが。
192さんも充分楽しんでいるように見えますけど。
とりあえず、仕事になんないんで、しばらくここで遊んでます(^^♪
949 :
192:2006/01/19(木) 09:41:30 ID:qpSDJlGD
>>948 ふーん。
では、『「私」は絶対は絶対に認識できない。』のであれば、
次ぎはどうするの?
わっ、嬉しいですね。まだいらしたとは。
次はですね(^^♪
「絶対は絶対に認識できない」と認識している相対を考えるんです。
つまりその私です。
だって、そのように言いたいんですよね。