952 :
りらっくま教徒:2005/12/07(水) 01:24:43 ID:SZUGgRdi
>>949 またバカルカが無知をさらけ出してるぞ。
953 :
しっこ:2005/12/07(水) 01:25:53 ID:wgIZvX4E
おまえら聖書のお世話に散々なってるのを知らない
恩知らずめ。サイアクだなほんま。
>>946 だから、救いだの悟りだのはもう非生活の部分なんだってば。
その前に聖書の言葉に耳を傾け、成長できたらそれでいいじゃん。
キリストも遜って人に仕えることを諭したんだけどね。
そーゆー言葉の実践が等閑になるのは宜しくない。
955 :
くしこ:2005/12/07(水) 01:28:33 ID:kVcUIgmO
>>935そうね。。。しまいに何でもありになってくると
それはキリスト教的に危険だからね。
ただし、カトやオーソや非カルケドンになってくると、
全てを天主が与えられたものとして、実は善かも。。。?
とみなす場合もあるんだわ。。。
956 :
りらっくま教徒:2005/12/07(水) 01:28:35 ID:SZUGgRdi
「道を無門と説けば、尽大地の人得入せん。
道は有門と説けば、阿師の分無けん」
「仏道に入る門など無い説けば世界中の人が残らず入ってしまうだろうし、
仏道には入るべき門というものがあるのだと説けば、わざわざ出家した意味さえ
なくなってしまう・・・」
バカルカ、もう痛すぎ。
957 :
しっこ:2005/12/07(水) 01:28:53 ID:wgIZvX4E
>>954>聖書の言葉に耳を傾け、成長できたらそれでいいじゃん
そう思う。ここに書き込みしてる奴で
聖書の世話になってない奴は一人もいない。
958 :
りらっくま教徒:2005/12/07(水) 01:30:20 ID:SZUGgRdi
バカルカ、岩波文庫に「無門関」あるからちゃんと読んでから言おうね。
てか大事な話の腰おらないでね。
959 :
しっこ:2005/12/07(水) 01:32:31 ID:wgIZvX4E
俺たちは世の光、地の塩にならなければいけない。
らりっくまとムータンは
なぜ世に迎合して、地になってしまうのだ。
>>952 『法門がある筈だが、入るべき門それ自体が無い』
『出入りする門など無い。入口と出口、そんなものは無い』
という意味で、無門禅師が自分の名に引っ掛けて創った言葉だよ。
それも、自著のタイトルにつけた言葉であるってだけさ。
>>943は大間違い。
961 :
くしこ:2005/12/07(水) 01:33:45 ID:kVcUIgmO
>>944善悪ひっくるめて、全てのものを天主の御技に帰すとして
認めることは出来るかもしれないね。。。
尤も、これじゃカトやオーソや非カルケドンの世界観だけどさ。
962 :
りらっくま教徒:2005/12/07(水) 01:33:56 ID:SZUGgRdi
でさ、キリスト教も「無門関」だと思うわけ。
「狭い門」から入って出るのは、もっと広い空間のはずだよね。
壁も、はじめにはあったはずの門さえも消滅した広い世界。
「門を入ろう」としているときは、「悟る、悟らない」「救われる。救われない」
の二者択一的な区別がある。で、一端くぐってしまうと、
「悟るも悟らないもない。救われる救われないもない」という拾い世界が
待ってるというわけ。こういう宗教がいいよね。
964 :
りらっくま教徒:2005/12/07(水) 01:35:59 ID:SZUGgRdi
>>960 だから、さっきからそう言ってるだろ。
バカバカバーカ。
>>946とどう大違いなんだよ。
説明しろ。
965 :
くしこ:2005/12/07(水) 01:36:32 ID:kVcUIgmO
>>943そうだね。。。
人は産まれた土地や環境・育った土地や環境にも
左右されるって考え方だから、広いとも言えるし、
狭いともいえるかもしれないね。。。
>>962 だから。
『法門』は有っても『入るべき門』が無いんだっての。
967 :
りらっくま教徒:2005/12/07(水) 01:38:22 ID:SZUGgRdi
てかさ、生まれてこの方、ハルカみたいなバカを見たことがないよ。
まじで。お前、どっか消えろ。
どんだけ人から指摘されたら自分の無知に気づけるんだ?
恥ずかしすぎるんだよ。
人に噛みつくくせに、
非本質的なつっこみしかいれないし。
それでギロンしてるつもりになっててさ。
お前、まじで痛すぎ。
>>964 > くぐり抜けたあとに、振り返ったら
これが大間違い。
そもそも『くぐり抜ける門』なぞ無い。
969 :
くしこ:2005/12/07(水) 01:39:21 ID:kVcUIgmO
>>959塩分強すぎると、土地の作物は皆枯れる。。。
それが雨に流されて川に入っていったら、川のものが皆死に絶えるよ。
970 :
りらっくま教徒:2005/12/07(水) 01:41:00 ID:SZUGgRdi
>>966 おい。バカルカ。お前、絡んだ以上は、
この問題に決着つけるぞ。
で、バカルカ先生。
「法門」と「入るべき門」はどう違うんですか?
逃げずに答えろよ。
>>961 ん?ボクもその認識なんだけど。
だから、普通に他教のこと学ぼうとしてるし。
創造、善、悪、救い、滅びは実は全て神に還元されるところに行き着くと
独自に救済観からの縛りがなくなるんだよ。そして、これはむしろキリスト教
正当教義でもある。2元解釈こそが本来異端なんだよね。でも、多くのクリスチャン
は解釈しやすい2元に傾いている。
そして、全てが一元化されるとものすごーく器が広がるね。
これが理解できたら神道の上にってのは可能かもしれないけど伝統的にドグマティズム
に侵されやすいからね。実際は難しいだろうな。
972 :
くしこ:2005/12/07(水) 01:42:40 ID:kVcUIgmO
>>942マンコもね。。。
全てのものは、何らかの交わりによって誕生した。
という考え方を指し示すものだよ。単なる生命原理ね。
973 :
りらっくま教徒:2005/12/07(水) 01:43:02 ID:SZUGgRdi
もう今夜は、マジ切れたよ。
眠気も吹っ飛びました。
お前は始めからくぐっちゃいないから、わかってないだけ。
>これが大間違い。
>そもそも『くぐり抜ける門』なぞ無い
ほうほう。では正しい「無門関」の意味について解説してもらおうか。
>>959 光のつもりが放射能だったり・・・
客観的にキリスト教を眺めるのも大切よん。
975 :
しっこ:2005/12/07(水) 01:45:39 ID:wgIZvX4E
おまえらムータンもさ、響子に洗脳されて、何が面白いんだ?
ばかか?
976 :
しっこ:2005/12/07(水) 01:46:45 ID:wgIZvX4E
響子に質問箱壊されて降伏したのか?おい!
977 :
りらっくま教徒:2005/12/07(水) 01:46:47 ID:SZUGgRdi
わたしの解釈はいいましたよ。
無門関。門のこちら側、すなわち。悟る以前の状態では
「悟る、悟らない」という二元に執着ししばられている。=門がある。
しかし、一端門を抜けて「悟る」とそもそも始めから
「悟る、悟らない」という二元が存在していなかったことに
気づく。=門がない。
この二つの自体をさして「無門関」という。
始めから、門がないというのでもない。
ずっと門という「二元」に縛られ続けるのでもない。
このあってない門をくぐり続けるのが禅者の生き方である。
以上がりらっくま教徒の「無門関」の解釈です。
この解釈を「大間違い」と言う以上、バカルカにはこれ以上の
解釈を呈示してもらいましょう。
978 :
しっこ:2005/12/07(水) 01:48:22 ID:wgIZvX4E
真理の言葉
こんなことで攻撃し合ってたら救いも悟りも訪れない
笑う門には福来たる(・∀・)
980 :
りらっくま教徒:2005/12/07(水) 01:48:58 ID:SZUGgRdi
で、バカルカの奴、バカだから、一日がかりでしこしこ作文して、
明日の夕方ぐらいに
「やれやれ、この辺で叩いておくか」みたいなセリフくっつけて、
中学生の作文みたいなレスを返すんだろ。お前のやり口は見え透いてるぞ。
バカバカバーカ。
981 :
くしこ:2005/12/07(水) 01:49:04 ID:kVcUIgmO
>>971その点、戦前からの日本のカトはうまくやったんだけど、
戦後またひっくり返り始めたからね。。。
やっぱり難しいのかね。。。
982 :
しっこ:2005/12/07(水) 01:50:34 ID:wgIZvX4E
>>970 『法門』ってのは、仮に『門』と名が着いてはいるが、実際は『法そのもの』を指す。
対して『くぐり抜けるべき門』というのは…
『法を会得している者としていない者に有る差。その境界には何らかの区切りが−門が有るのだろう』
『法の中に入る為には、法と俗世を仕切る門をくぐらねば成らぬのではないか』
という意味から『何処かに門が有る筈だ』との思い込みで作られた門のこと。
そういう『〜〜すべき門』なぞは無いって言ってるんだ。
984 :
くしこ:2005/12/07(水) 01:50:46 ID:kVcUIgmO
>>978そんなことやったら、もう神道じゃなくなるね。。。
985 :
りらっくま教徒:2005/12/07(水) 01:51:03 ID:SZUGgRdi
ハルカは、最初はこう言ったよな。
949 :ハルカ ◆0tZOcyVq86 :2005/12/07(水) 01:22:35 ID:JJi4TnbQ
>>943 『無門関』って、単なる書物の名前だし。
『無門という人が記した書』くらいの意味なんだがね。
知ったか乙。
山山山
6(・..・)9
( ∀ )
987 :
キリストを信じる大僧正:2005/12/07(水) 01:55:45 ID:SZUGgRdi
>>983 もう、お前バカすぎ。
「法門」だの「くぐりぬける門」だの、自分で勝手たに立てた
言葉の区別に捕らわれて、なんにも本質を捉えようとしてないだろ。
「法門」は、禅者にとって「くぐりぬけるべき門」じゃないのか。
無門関のどこに「くぐりぬけるべき門」と「法門」は違います、
なんてぬるいこと書いてあるんだよ。
テキストに即して論証せよ。
>>983 解らないだろうが、更に追記。
そういう『〜〜すべき門』は無い。
では、門は無いのか?
否。
門は有るのだ。
『入るべき門』というものを棄てた時に、その者は『既に門を越えて』いる。
『門の中に入る』のではない。
『門を越える』のだよ。
その者の居た場所が、既に門の『中』なのだ。
989 :
しっこ:2005/12/07(水) 01:57:17 ID:wgIZvX4E
らりっくまはおかしい。
キリスト教徒が仏教や神道に横恋慕する必要ない。
キリスト教を極めもしないで横恋慕するのは神が嫌う。
>>981 実はね。
なんで神道侮りがたしかというと、エデンで食べた知恵の実ってのは
人間に知覚・認識・情識を与えるものだったんだ。つまり、それらの
概念がない幼子の状態こそが最も神に近い姿なんだよね。
神道は認識を与える教義がない。逆にキリスト教はこの認識の呪縛にかかっている
んだ。つまり、キリスト教は神の正当性に対して逆のベクトルに向かっている。
そゆ意味では神道は奥深くも見えるし、浅いだけなのかもしれない。
一概に判断できないものを感じたんだよね。
キリスト教が認識を捨て、イエスの言葉に聞き実践を重んじたら神道の上に
のせることは可能だし、その姿こそが本来的だと思う。
>>しっこ
>>824嫁
991 :
キリストを信じる大僧正:2005/12/07(水) 01:58:19 ID:SZUGgRdi
そもそも「くぐりぬけるべき門」なんて言葉は無門関のテキストのどこにでてくるわけ?
現代語訳で、「仏道には入るべき門というのがあるのだと説けば」という
箇所は見えるが、オリジナルのテキストだと。
「道は無門かと説けば・・・・道は有門と説けば・・・」と
ただ門があるかないかという記述だけあって、「法門」だの「入るべき門」
だのの区別を立てていないんだがね。
>>987 はいはい。
文献絶対厨乙。
こればかりは実践しないと解らないけどね…
お前も烏と同じ『本の知識だけで解った気に成っているタイプ』か。
993 :
りらっくま教徒:2005/12/07(水) 02:00:00 ID:SZUGgRdi
>>988 その説明と、俺の解釈のどこが違うんだよ。
ばーか。
お前は存在そのものが恥。
恥を知れ、恥を。
自分が無知なことも気づけんのか。
いろんな人に無知を指摘してもらっても、まだ気づけないのか。
バーカ。100回死んでこい。
994 :
蓮華:2005/12/07(水) 02:00:19 ID:guoTrqBK
1000 続きは御覧のちゃんねるで・・・w
995 :
暇人:2005/12/07(水) 02:01:42 ID:u4nlHnZI
>>993 全然違う。
お前は『くぐり抜ける』とい言った。
私は『入口を探すのを止める。門を棄てる』と言った。
大違いだ。
997 :
キリストを信じる大僧正:2005/12/07(水) 02:02:40 ID:SZUGgRdi
>はいはい。
>文献絶対厨乙。
>こればかりは実践しないと解らないけどね…
>お前も烏と同じ『本の知識だけで解った気に成っているタイプ』か。
もう癒しがたいバカだな。お前って。
お前は文献厨にも、実践厨にもなれない、ただのバカ。
998 :
暇人:2005/12/07(水) 02:02:43 ID:u4nlHnZI
りらっくまさんも 興奮しすぎ
では おやすみ
999 :
しっこ:2005/12/07(水) 02:03:36 ID:wgIZvX4E
イエスを捨ててはいけない
>>998 おやすみなさい。
ついでに1000ゲト
なにかいいことあるかな・・・
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。