952 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 19:50:22 ID:O9h+RH6U
ちなみに菊谷さんはダミサを奨励してたと思います
953 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 20:49:36 ID:Y4GiPFTz
954 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 20:56:27 ID:T1gnR5PW
>>948 >会員でもこうしたダミサ勧誘を恥ずかしいと思っている人はいますよ。
そうであることを願う。
もしかしたら、講師連中の中にもそう思っているのがいるんでないの?
いたら、内部から改革してほしいものだ!
「こんな勧誘続けていたらダメだっ!!」とか。
やっぱ、いないか・・・。
あと、学生が親や友達に、堂々と自分のやっていることを言えないのも、
どうかと思う。自分から積極的に言っているのもいるが、昔に比べたら、
その割合は格段に落ちている。明らかに会内の育成力は落ちているな。
2年も3年も聞いているのに、身内や友人に言えないものなら、
やめちまえ!根性なしが!!
それとも、堂々とチラシに「親鸞聖人」とか、
「親鸞会」って書いて、新入生を勧誘できるか?
955 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 20:58:54 ID:O9h+RH6U
>>954 なんたって上から
「親には言うな」
って言われてるからね。
震撼でもさんざん言われたよ。
『大無量寿経』には、阿弥陀仏の本願が説かれていますが、
親鸞聖人は、
「横超とは即ち、願成就一実円満之真教真宗是れなり」(教行信証)
と仰言って、願成就文の教え以外に、浄土真宗の教義も安心もないことを明示なされています。
浄土真宗の根本聖典は『教行信証』六巻でありますが、その眼目は『信巻』上下二巻にあります。
その『信巻』上下二巻は、願成就文を詳細に解説せられたものです。
されば願成就文の教え以外に、浄土真宗の教義も安心もありませんから、覚如上人は、
「それについて三経の安心あり。その中に大経をもって真実とせらる。
大経の中には第十八の願をもって本とす。
十八の願にとりてはまた願成就をもって至極とす」(改邪鈔)
と教えられ、本願は本ではあるがいまだ至極ではない。
浄土真宗の至極は願成就の教えにあることを、明白になされています。
よって『改邪鈔』には、次のように断言なされています。
「かの心行を獲得せんこと念仏往生の願成就の『信心歓喜乃至一念』等の文をもって依憑とす、この外未だ聞かず」
願成就文の教え以外に、覚如は真宗の教えを聞いたことがないとまで仰言っています。
信心獲得とは、どういうことでしょうか。やはり、『御文章』にお尋ねしてみます。
「信心獲得すというは、第十八の願を心得るなり」(五帖目五通)
お釈迦さまは仰有いました。大宇宙には地球のようなものが数え切れないほどあり、そこにガンジス川の砂の数ほどの仏方が現れて、仏教を説いておられるのだ、と。
それらすべての仏の本師本仏(師の仏)が、阿弥陀如来です。「最尊第一」とか、「諸仏の中の王なり」と経典に説かれていることからも明らかです。
阿弥陀如来は、四十八の本願を建てられました。本願とは、誓願ともいい、約束のお言葉です。
中でも弥陀が、本心を誓われたのが、十八番目の願です。「十八願」といいます。
漢字ばかり三十六字で『大無量寿経』に説かれていますが、簡潔にいいますと、
「十方衆生(すべての人)を、信楽の身にしてみせる」
というお約束です。
『御文章』の、
「第十八の願を心得る」
とは、十八願の通りに、「信楽」になったことをいいます。
「信楽」の「信」は、「破闇」の心。また「楽」は、「満願」の心ですから、「信楽」の二字で、「破闇満願」の身にしてみせるというお約束です。
他力の信心を獲ると、火にさわったようにハッキリする。
法然上人は承安五年、黒谷の報恩蔵の中で、善導大師の書かれた『観無量寿経疏』の、「一心専念弥陀名号」
という一文を読まれた一念に、一切の苦悩の疑雲が晴れ渡って、他力信心を獲得したと告白なされている。
そしてこのような十悪の法然、愚痴の法然でも、阿弥陀仏は救ってくだされたと、涙ながらに叫んでおられる。
そしてこの年が浄土宗開創の年とされている。
親鸞聖人は、建仁元年、二十九歳の御時に、他力の信心を獲得したと仰有っている。このことは『教行信証』にも、『御伝鈔』にも明記されている。
『御伝鈔』には、
「建仁第一の暦春の頃、隠遁のこころざしにひかれて源空聖人(法然上人)の吉水の禅坊に尋ね参りたまいき。
真宗紹隆の大祖聖人ことに宗の淵源をつくし教の理致をきわめてこれを述べたまうに、たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、飽くまで凡夫直入の真心を決定しましましけり」
と記されている。
法然上人の法話を聞いておられた時、たちどころに(一念)、他力の信心を獲得なされたのだ。
958 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 21:05:32 ID:O9h+RH6U
都合が悪くなるとコピペ
あきれてものも言えない
そして聖人は、
「噫……、このような絶対の幸福を、この世で体験させていただけたとは、ひとえに阿弥陀仏のおかげであった。
多生にもあわれぬ幸福であり、億劫にも恵まれぬ楽しみである。何の間違いで親鸞は救われたのであろうか。
この上は阿弥陀仏のご恩に対して身を粉にしても、骨を砕いても報いずにはおれないぞ」
と決意を述べておられる。
覚如上人も『執持鈔』に、
「われ已に本願の名号を持念す、往生の業すでに成弁することをよろこぶ」
と仰有り、蓮如上人も『御文章』に、
「他力の信心ということをば今既に獲たり、乃至今こそ明かに知られたり」
と仰有っている。
また、『真宗宗歌』の中でも、
「ふかきみ法にあいまつる
身の幸何にたとうべき」
「永久のやみよりすくわれし
身の幸何にくらぶべき」
と声高々と歌っている。
他力信心を獲たということをいわれています。
十一月二十八日は、わが親鸞聖人のご命日です。
西暦二千年の今年から、正確に数えますと、八百二十七年前に聖人はお生まれになり、七百三十八年前にお亡くなりになっています。
今日でも長生きといえる、九十年のご生涯でした。
十一月二十八日の前後に行われるのが、報恩講です。浄土真宗最大の法筵で、親しみを込め、「ほんこさん」とも呼ぶようです。
地方によっては、「おとりこし」などともいいます。
日頃は、お寺へ行く機会がなくても、
「年に一度の報恩講にだけは、お手伝いに行きます」
と言われる人も結構あります。皆でおとき(仏事の時の食事)を頂く行事だと思っている人もいるようです。
親鸞聖人のご威徳により、仏法に触れられれば喜ばしいことですが、「報恩講」の名の通り、
「親鸞聖人のご恩に報いる集まり」
とさせていただきましょう。
960 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 21:15:34 ID:AE2+LQJa
よくこんな宗教団体が真宗を改革するとか言ってられるな。
うざい
961 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 21:37:22 ID:YxPhdavh
>>960 ははは、よくこんなカルト集団が偉そうに人を批判できるものだ。
仏教の根本を否定する輩が何を言っているのやら。
?
963 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 21:57:36 ID:1N9lJTgn
これだけ親鸞会にこだわる人は、やはり縁のある人?
クサレ縁かな?
965 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 22:21:09 ID:1N9lJTgn
そのうち同窓会スレができる?
s会がまともになったらの話
967 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 22:33:28 ID:jK/Ggrid
そういや今くらいの季節だと
報恩講に向けての勧誘が激しさを増してる頃ジャマイカ?
目標人数は確保できるかな?>会員さん方
968 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 22:37:34 ID:jK/Ggrid
過去スレ見てたら、今年度から「本部参詣者は原則会員」ってなったらしいけど、
やっぱり報恩講参詣前までに入会までさせちゃうの?
969 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 22:52:57 ID:jK/Ggrid
>>961 なんかその「ははは」って表記見たら
>>343の先輩思い出してきた。
彼の笑い声って、妙に作ったような歯切れよさがあって
なんというか不自然だった。
すっごい特徴的な人だったから、関東の人なら分かるかなーと思ったんだけど…
皆さん、他人の「後生の一大事」ではないのですよ。
どうして、解決のつくまで、求め切らないのですか。
全人類は、みんな大馬鹿者なのです。
なぜ、無限の生命と、無辺の空間に、雄飛する魂を、求めようとしないのでしょうか。
かげろうは明日を知りませんし、またセミは春秋を知りません。
過去世も未来も知らず、生々世々、六道を水車のように流転しながら、それすら知りえない人間は、大馬鹿者なのです。
一日さえ楽しめれば、あとの何百日、どんなに叩かれても殴られても、苦にならないという人はいないでしょう。
後生を知らないというのは、それよりも愚かなことなのです。
無常と聞いても、上の空。
地獄と聞いても、驚かず、今日も忙しい、明日も忙しい。
あわれというも愚かな心に、親鸞聖人は、「とても地獄は一定すみかぞかし」と悲泣なされたのです。
地獄ゆきを地獄ゆきと、知り切らない奴こそ、地獄ゆきなのです。
他人の告げ口は、金剛のように信じても、弥陀の誓願は信じられぬから、必堕無間といわれるのです。
たった一人の保証人で、金銭の貸借はすれど、十方諸仏の保証でも、疑っている奴だから、出離の縁あることなし、と言われるのです。
971 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 22:59:24 ID:jK/Ggrid
>>970 s会のダミサ勧誘や財施のさせ方に疑問を抱くのは
「弥陀の誓願」を疑うことと同義ですか?
なぜ、みんな驚かないのですか。
後生の一大事と、無常迅速なることに。
死に対しては、毀誉褒貶もなければ、敵も見方もないのです。
真に、人生を真面目にするものは、実にこの後生の一大事なのです。
阿弥陀さまも善知識も世間も、あなた一人を助けるのに総がかりなのに、ノンキな聞法の罪だけでも、堕ちるに十分なのです。
身を切られる、相済まぬの思いがなければ進まないのですよ。
病気になったら聞くと言う人がいますが、平生でさえ聞かないのだから、臨終に聞く筈がないのです。
無常の風に、頭叩かれて驚いては、手おくれなのです。
叩かれた時、次の世界で泣く泣く業を果たさねばならないのです。
日々の流転の上に、昿劫流転の自己を徹見し、底知れぬ悪性を通して、必堕無間の一大事を知らなければならないのです。
私たちのみる人生というのは、欲によって逆立ちいたします。
無常や罪悪を凝視すればするほど、欲の火に油を注ぐごとく、燃え上がるのです。
親鸞聖人は、親鸞聖人一人のための五劫の思惟の、法蔵菩薩を憶念せられたのです。
あなたは、悪を悪とも思わず、罪を罪とも感ぜず、地獄覚悟で突っ走っています。
こんな危ないことがあるでしょうか。
まぁ、とにかく、いつ時までも、生きているつもりの人ばかりです。
つもりはあてになりませんよ。
真実を凝視いたしましょう。
家が焼けたよりも、主人を亡くしたよりも、破産よりも、息子を失ったよりも、一層の大事を、箸が倒れた程にも思っていない心こそが、一大事なのです。
なるほど、スレを埋めにきたか
と言ったら埋めない天邪鬼
975 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 23:22:49 ID:jK/Ggrid
>>972 真実を凝視しようよ。
親鸞聖人は、「自分に財施することが功徳になる」なんて言ってない。
976 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 23:25:58 ID:jK/Ggrid
「財施の多寡で信仰・救いの度合いを云々するのは、
そのように説く人が、欲に駆られて信者を脅して言っているのでしょう。」
とは言ってるけど。
死ぬまで、死ぬまい、と思っている。
臨終まで、なんとかなれる、と思っている。
もうだめだ、と知ったとき、始めてうろたえる。
それでは手遅れなのです。
人の心なら、見ずにもおれよう。
人の心配なら、忘れてもいられよう。
だが一息一息が、火の車に乗せられている自分を見せつけられては、じっとしてはおられないはずです。
人の力をたのむ者は、その人の倒れる時倒れ、金の力をたのむ者は、金がなくなると共に倒れるのです。
名誉をたのむ者は、名誉を失った時倒れ、我をたのむ者は、その心、倒る時倒れるのです。
皆さん、
「心を弘誓の仏地に樹ててください」
と叫ばずにおれません。
寒風に花は散り、葉は落ち、枝が折れる冬が来るだろうが、弘誓の仏地に樹てた信念だけは、待つ春の慈光に、末代を照らし続けるのです。
昿劫より、自力かなわで流転してきた奴は、簡単に聞くものではありません。
寄せかけ、寄せかけのご苦労で、ようやく聞かせていただけるのです。
お聖教に溢れている、弥陀仏の真実一杯と、心の奥底にうろたえている、不実一杯の自己とが、触れた時でなければ、仏凡一体と燃えあがらないのです。
体当たり聞法こそ肝要なのです。
と言ったら埋める糞シンパ
人々は、胸底に寂寥感を抱いているんですよ。
幼い頃、誰でも公園や空き地の砂場で遊んだ経験があるでしょ?
砂遊びに熱中し、ふと気がつくと、周りには誰もいない。
日は沈みかけている。夕焼け雲に追われながら、急いで帰宅しようとするけど、
家路が遠くて、心細く思ったことはありませんでしたか?
一人暮らしの学生が、先ほどまでわいわい騒いでいた友人と別れ、孤影悄然として下宿に帰ってきます。
歓楽尽きて哀情多し。当然ながら、部屋の明かりはついていません。
人は、そんな時、深刻な寂しさや空しさを感じることでしょう。
981 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 23:30:16 ID:jK/Ggrid
>>977 >体当たり聞法こそ肝要なのです。
全財産をs会に投げ打って聞くことが大事、という意?
東京のある大学で、新入生歓迎会がありました。
そこで、女子大生たちがまず行ったことは、携帯電話の番号交換でしたよ。
相手の名前と番号を携帯電話に登録し、一度、電話を掛けて番号に間違いないか、確認し合います。
まるで友になるための儀式のようでした。
相手の番号を登録していると、その人の情報を、携帯しているようで、初対面でも、妙な親近感がわくといいますよ。
でも、それってわびしくないですか?
[獅子は伴侶を求めず]
真実開顕と人類の救済は、獅子の仕事です。
どんな非難の嵐にも、いまだ親鸞会は伴侶を求めません。
非難を怖れて伴侶を求めるとき、百獣の王、獅子は失格します。
獅子に孤独感がないように、親鸞会の孤独はあり得ないのです。
「一人いて喜ばは二人と思うべし、二人いて喜ばは三人と思うべし。その一人は親鸞なり」
つねに如来聖人と、ともにあるからです。
ならばこそ親鸞会は、なにものにも怖れず、真実開顕できるのです。
千里の道を独りゆく、獅子のように、親鸞会は、親鸞聖人のみ教え徹底めざして独りゆく。
親鸞聖人が、血の涙を流していられるのが、信眼に見えます。
真宗を破滅させるものは、外ならぬ、真実の信心を弁えない、真宗の道俗なのです。
真実、救われる道は、この道一本キリですよ。
これを障げる者は、何者と雖も、斬り捨て、踏み越えて、聖人の真意を開顕してゆくことを聖使命としています。
真実の仏法者にとって、正しい念仏者にとって、命かけて護らねばならぬものは、国宝でもなければ、世間体でもない。
無論、名誉でもなければ財産でもないのです。
それはただ、釈尊出世の本懐である、一向専念無量寿仏と、その布教だけなのです。
984 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 23:34:14 ID:jK/Ggrid
>>982 学生が
ご飯を抜き、教科書代だからと親に嘘をつき、深夜バイトまでして作ったお金を集めてて
わびしくないですか?
釈尊の洪恩に報いる道は、唯一つ、阿弥陀仏の本願を聞信し、一日も早く、絶対の幸福になることに極まるのです。
我々の昿劫流転の魂が解決できなければ、釈尊の御苦労は水泡に帰し、一切経はホゴになるのです。
釈尊を、生かすも殺すも、我らが、真実信心を獲るか、否かにかかっていることを忘れてはなりません。
他力真実の信心には、微塵の妥協も、ごまかしも許されないのです。
この信獲得すれば弥陀同体が約束されるが、獲得せずば、無間地獄に転落するのです。
中途半端の信心は真宗にはないから、浄土でなければ無間のドン底を覚悟しなければならないのです。
人倫の哢言に泣く者は多いが、仏恩の深重に泣く人がなかなかいません。
身を粉に精進せずして、如来大悲の恩徳に感泣する時はないのです。
常に後生の一大事を忘れず、人生の本懐を全ういたしましょう。
986 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 23:39:34 ID:jK/Ggrid
>>983 >ならばこそ親鸞会は、なにものにも怖れず、真実開顕できるのです。
だったらダミサ止めろよと小一時間ry
>真実の仏法者にとって、正しい念仏者にとって、命かけて護らねばならぬものは、国宝でもなければ、世間体でもない。
>無論、名誉でもなければ財産でもないのです。
>それはただ、釈尊出世の本懐である、一向専念無量寿仏と、その布教だけなのです。
じゃあs会は「真実の仏法者」とかいうのとは別物だな。
親鸞聖人二十年間の、比叡山での修行の目的は、名誉でもなければ地位でもなかったのです。
ましてや、金や財や権力など論外です。
ただ、後生の一大事の解決一つであったのです。
「親鸞会は堕つる地獄の恐怖を教え込む」
と言う非難が、公然となざれています。
実際の親鸞学徒は、どれだけ「必堕無間」の佛説を教えられても
一匹の蚊に襲撃されたほどの恐怖心も起きない自己に、
驚き呆れている者ばかりなのことを知りません。
実態に反する非難は、天に向かって吐くツバである、と同時に自損損他の大罪と知るべきでしょう。
>>984 一日2食にした方が体調が良いと先輩に言われたので実践していますが、
わびしいどころか快調ですよ。貴方も如何ですか?
989 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 23:46:48 ID:jK/Ggrid
>実態に反する非難は、天に向かって吐くツバである、と同時に自損損他の大罪と知るべきでしょう。
・団体外からの批判は、単なる誹謗中傷と考えるようにさせる
・団体に批判的な考えを持ち、意見を述べることに罪悪感を抱かせる
破壊的カルトの特徴だそうです。
990 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 23:50:13 ID:jK/Ggrid
>>988 で、抜いた飯代は財施?
>>984では
学生から金なんかせしめててわびしくないかって聞いてるの。
俺だったらそんなのわびしくて恥ずかしくてやってられんけど。
「真実」は、人間の考えや都合と関係がないのです。
思えるとか思えないとか、驚くとか驚かんとか、感ずるとか感じられないとか、こちらの都合でどうにかなるものではないのです。
ここに真実の厳粛さがあるのです。
「死にたくない一杯の我々が必ず死なねばならぬ」
これが最大の矛盾。
世間に矛盾は色々あるが、これに比べたら問題になりません。
この根源的矛盾に人類は、全く気がつかないのです。
皆さん、仏縁をこの世だけのことと思ってはいませんか。
過去何億年も前からの仏縁なのですよ。
我々の戦いは最後は自己との戦いです。
それを続けてゆくのです。
肉体の鍛錬と同じように魂の鍛錬は最も苦しいものです。
それに耐えて進むのです。
形あるものは盗まれます。崩れますし、壊れます。
しかし、目に見えない魂の宝は不滅なのです。
どれだけ苦しくても、それだけの甲斐があるのです。
すばらしい実を結ぶのです。
過去にも、今にも、未来にも
皆にて謗る人もなく
皆にて褒むる人もなし
(法句経)
992 :
名無しさん@3周年:2005/10/07(金) 23:53:11 ID:jK/Ggrid
>>991 s会の考えや都合にだけ関係があるんだっけ?
>学生から金なんかせしめててわびしくないかって聞いてるの。
>俺だったらそんなのわびしくて恥ずかしくてやってられんけど。
仏法に活かしているのですから、
恥ずかしいとか、侘しいとかではなく、
誇りを持って良いと思いますよ。
994 :
名無しさん@3周年:2005/10/08(土) 00:03:17 ID:U/4inLr2
>>993 ああ、会長の専用エレベータとか専用通路とか豪華厨房車とかに活かしてるのか。
あとはハコモノ維持費とダミサ勧誘拠点の家賃とかかな?
それで誰か信心決定しました?
してなくても「活かしてる」ことになるの?
ところでヲイ、そこのお前。とりあえずROMだけしてるお前(^-^)m9
1000狙ってんだろw
あげるYO
995 :
名無しさん@3周年:2005/10/08(土) 00:03:48 ID:1rGnRKFv
996 :
名無しさん@3周年:2005/10/08(土) 00:04:55 ID:U/4inLr2
イケネ、顔文字の手の向き逆じゃんw
(^-^)9mだw
>>993 仏法というより、s会の活動に活かしてるだけでしょ。
s会≠仏法です。
s会=仏法なら大変なことになります。
嘘勧誘も仏法になりますから。
こんな自虐宗教観に陥ると、もはや救いはない、って感じです。
あら尊 地獄の底が 極楽の 門であったか 涙こぼるる
凡夫には 助かる縁は 無き故に 六字の親は 命がけ
>>997 もはや問答無用で否定するだけか。
アンチのできることといったら、それくらいだろうな。
ご苦労さん。
1000 :
名無しさん@3周年:2005/10/08(土) 00:11:15 ID:U/4inLr2
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。