928 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 00:14:24 ID:fuRuTyX2
>>902 あるの?ないの?証明できるの?できない?
そんな証明不能な形而上の世界に目的を置く
もしくはそれに一生を費やすことに
どれほどの価値があるの?
仏教にはそれについて説かれています。
一生を費やすことに価値があると思えるかは、
それが人生の目的と理解できるかでしょう。
非難される方ももう少しよく考えてみようではありませんか。
自己矛盾がないか・・・
930 :
WETTY:2005/04/05(火) 00:15:24 ID:2Yi03IKb
>>920 >死後・・・死んだらどうなるか、ハッキリしていないですよね。
>死は、すべての人間の100%の未来です。それがハッキリしないんですよ。
>不安ではありませんか
死んだ後の不安より生きていく上の不安の方が多いです。
>>924 >どんなに楽しくても面白くても、何か不幸に直面したら
>たちまち苦しみに変わります。
>楽しくて面白いのは、それを忘れているだけとは言えないでしょうか。
その通りです。だから楽しい時間を大切にしたいのです。
どんなに幸せでも大切な人が亡くなれば悲しいし。
自分がケガをすれば痛いし病気になれば苦しい。
それって後生の一大事の解決でなくなるものなの?
もしなくなるのであれば是非聞きたい。
どんなにボロボロな人生を送っていても楽しかったと思える日がある。
だから生きていけるのかも知れないな。
931 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 00:20:18 ID:fuRuTyX2
>>930 死後ばかりでなく、現在も大事ですよ。
現在の延長が死後ですから。
現在の生活はどうでもいいということではありませんよ。
932 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 00:23:05 ID:fuRuTyX2
>>930 そうです。人生とは楽しいと思ったり、苦しいと思ったりを繰り返して
生きているのです。では、そのようにして生きる目的は何なのかと
思うことはないですか?
>>931 死後ってのはあの世の話
あるかどうかもわからん 多分自分ってものはなくなるだろうけどね
あの世のことはこの世では分からない
だからあの世に行くまでこの世を精一杯生きるしかない
934 :
933:2005/04/05(火) 00:24:30 ID:wWal0geI
最後のあの世に行くまでってのはちがうな
この世が終わるまで に訂正
俺が
>>893や
>>895で言ってるのは、「お金」そのものの話じゃなくて、
s会が、どういう順序や言い方で話をして信者を引き込んでいくかの話をしてる。
お金は単に話題のネタに過ぎんよ。
>>897に注目
よい譬え話乙でした。初期のうちにこういう話をして
s会はお金への執着を絶つことを最初はやんわりと要求してきます。
(もちろん、道に落ちてるお金や他人の財布などを見て欲を起こすのは
どう考えても大変浅ましいことですが。)
また、御覧のように、ちょっとでもお金を話題にする人が出ると
その時点でこの人は人格全てが「金、金、金」でしかない人間なんだという雰囲気を作り、
会の募財の募り方に異議を挟む信者が出てこないようにし向けます。
>>910 >聞かせて頂いたお礼として
>出されたらいいので、気持ちが無ければ無理に出されなくて構いません。
このように書いて頂くだけならば、大変穏当で受け取りやすいのだが、
会とご縁が深くなると、残念ながらこの逆の発想をされる方などにも会うことがある。
つまり、「出さないのは気持ちのない証拠」という論法。
これの発展形が、「出さない者=気持ちのない者=信仰の浅い者」という図式であり、
これを援用して財施を募る人などもいる。
先輩や学生幹部などになると、
「そんな程度の信仰で後輩の見本となれるのか」と、財施の多寡でその「信仰」を問われる。
全員がそういう講師とは言わないが。
936 :
WETTY:2005/04/05(火) 00:25:35 ID:oX2TIzNg
>>928 >仏教にはそれについて説かれています。
で、あなたは死後の世界を見たの?
いろいろご指摘ありがとうございました。
正直このスレで見た人がカルトか否か?
会員が正しいか?アンチが正しいか?
と判断すればいいと思います。
私は?というととりあえず新スレをしばらく
見ていこうと思います。
建設的な意見でたまにいいな感心するものあるんで。
937 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 00:26:31 ID:fuRuTyX2
>>933 結論はわからないのですよね。
でも、不安はありませんか?
どうなってしまうのか。
それがいつ来るかもわからないのですよ。
938 :
まるゆ:2005/04/05(火) 00:28:59 ID:ReMTbYh6
939 :
933:2005/04/05(火) 00:31:11 ID:wWal0geI
>>937 そういう他人の不安を煽るような行為はどうかと思うね
男になれや
940 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 00:42:01 ID:fuRuTyX2
>>933 あなたは何のためにこのスレにいるのですか?
>>924 それって自分で言ってて人に対する呪いの言葉だと思わない?
お前は不幸になる。って言いたい気持ちはわかるけどさ。
942 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 01:53:51 ID:3UBgjuKF
>金、金、金、としか考えられない人は、本当にその毒がもう体に
>回ってしまっているんでしょうか。寂しい人生です。
S会のT森に教えてやってくれw
943
「あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり」(蓮如上人)
全人類の人生の目的は信心決定であると、蓮如上人は仰有っている。では、信心決定とはどのような体験なのか。
信心決定とは、真実の他力信心を獲得すること。阿弥陀仏の絶対の願力によって救い摂られたことをいう。阿弥陀仏はその本願(お約束)に、
「われを信ずる者は、必ず絶対の幸福に助ける」
と誓っておられる。
この救いを平生業成といい、現在ただ今、苦悩渦巻く人生を光明輝く人生に救ってやろう、とのお約束なのだ。こんな素晴らしい誓願は二つとないから、親鸞聖人は、
「無上殊勝の願を建立し、
希有の大弘誓を超発せり」
と『正信偈』に仰有っている。
そのお約束通りに、我々が絶対の幸福に助かったことを、他力信心を獲たとか、信心決定したとかいうのである。
ひとえに、阿弥陀仏のお力(他力)によって、このようにさせていただけた、とハッキリするから、他力の信心、他力の信仰というのだ。
しかも、阿弥陀仏は、一念(ひとおもい)で絶対の幸福に救うと誓っていられる。
これを聖人は、「一念往生」とか「一念の信心」とも仰有って、アッという間もない時尅の極促に、我々の苦悩を抜き取り、無上の幸福を与えてくださるから、これを抜苦与楽といわれるのだ。
阿弥陀仏の救いは、このように極めてハッキリしているから、
「これで助かったのだろうか」
「これが他力信心というのだろうか」
「これで信心獲得できたのだろうか」と、自分で思案したり、他人に尋ねたりする必要のさらさらないものなのだ。
他力の信心を獲ると、火にさわったようにハッキリする。
法然上人は承安五年、黒谷の報恩蔵の中で、善導大師の書かれた『観無量寿経疏』の、「一心専念弥陀名号」
という一文を読まれた一念に、一切の苦悩の疑雲が晴れ渡って、他力信心を獲得したと告白なされている。
そしてこのような十悪の法然、愚痴の法然でも、阿弥陀仏は救ってくだされたと、涙ながらに叫んでおられる。
そしてこの年が浄土宗開創の年とされている。
親鸞聖人は、建仁元年、二十九歳の御時に、他力の信心を獲得したと仰有っている。このことは『教行信証』にも、『御伝鈔』にも明記されている。
『御伝鈔』には、
「建仁第一の暦春の頃、隠遁のこころざしにひかれて源空聖人(法然上人)の吉水の禅坊に尋ね参りたまいき。
真宗紹隆の大祖聖人ことに宗の淵源をつくし教の理致をきわめてこれを述べたまうに、たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、飽くまで凡夫直入の真心を決定しましましけり」
と記されている。
法然上人の法話を聞いておられた時、たちどころに(一念)、他力の信心を獲得なされたのだ。
そして聖人は、
「噫……、このような絶対の幸福を、この世で体験させていただけたとは、ひとえに阿弥陀仏のおかげであった。
多生にもあわれぬ幸福であり、億劫にも恵まれぬ楽しみである。何の間違いで親鸞は救われたのであろうか。
この上は阿弥陀仏のご恩に対して身を粉にしても、骨を砕いても報いずにはおれないぞ」
と決意を述べておられる。
覚如上人も『執持鈔』に、
「われ已に本願の名号を持念す、往生の業すでに成弁することをよろこぶ」
と仰有り、蓮如上人も『御文章』に、
「他力の信心ということをば今既に獲たり、乃至今こそ明かに知られたり」
と仰有っている。
また、『真宗宗歌』の中でも、
「ふかきみ法にあいまつる
身の幸何にたとうべき」
「永久のやみよりすくわれし
身の幸何にくらぶべき」
と声高々と歌っている。
他力信心を獲たということは、極めてハッキリした体験であることを、至るところに仰有っているのである。
「如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし」
有名な、親鸞聖人の「恩徳讃」は、美辞麗句ではありません。
大生命の歓喜を得られ、文字どおり粉骨砕身、死んでもされねばならぬことが、聖人にはありました。
返し切れぬご恩徳に泣かれた波瀾万丈のご生涯に、私たちはまた、感泣するのです。
十一月二十八日は、わが親鸞聖人のご命日です。
西暦二千年の今年から、正確に数えますと、八百二十七年前に聖人はお生まれになり、七百三十八年前にお亡くなりになっています。
今日でも長生きといえる、九十年のご生涯でした。
十一月二十八日の前後に行われるのが、報恩講です。浄土真宗最大の法筵で、親しみを込め、「ほんこさん」とも呼ぶようです。
地方によっては、「おとりこし」などともいいます。
日頃は、お寺へ行く機会がなくても、
「年に一度の報恩講にだけは、お手伝いに行きます」
と言われる人も結構あります。皆でおとき(仏事の時の食事)を頂く行事だと思っている人もいるようです。
親鸞聖人のご威徳により、仏法に触れられれば喜ばしいことですが、「報恩講」の名の通り、
「親鸞聖人のご恩に報いる集まり」
とさせていただきましょう。
どのようなご恩を、聖人から私たちは受けているのか、まず知ることが大切です。でなければ、ご恩を感じ、報いることもできません。
「恩」という字は、「因を知る心」と書きます。私が今日、このように生きていられるのは一つの結果ですが、それには原因があったのです。
両親しかり、友人や学校の先生もしかり。
「おかげさま」というお互いへの感謝を失った昨今の風潮には、危惧の念を抱きます。
学校や社会を呪い、殺して復讐を果たすといった身勝手な事件からは、悲観的な未来しか思い描けません。
親や兄弟、妻子、友だちなどの有情(命あるもの)からも、太陽や水、空気といった非情(心なきもの)にもまた、多大な恩を受けて生きているのが私たちです。
一人で成長したかのように思うのは、なんと愚かでしょうか。
ことわざに、
「恩を知らぬは畜生にも劣る」
といいます。犬でも、一宿一飯の恩を忘れません。
あらゆるものの恩を知り、恩を感じ、恩に報いるよう心がけるのは立派な人です。
身近なご恩に感謝しつつ、私たち浄土真宗門徒は、もっと大きなご恩を、親鸞聖人から受けていると知らねばなりません。
「抑、この御正忌のうちに参詣をいたし、志を運び、報恩謝徳をなさんと思いて、聖人の御前に参らん人の中に於て、
信心を獲得せしめたる人もあるべし、また不信心の輩もあるべし。以ての外の大事なり」
(大意)
「親鸞聖人のご命日にあたり、志を持って報恩講に参詣し、御恩報謝をさせていただこうと、聖人の御影前にお参りしている人の中に、
信心獲得した人と、まだ信心獲得していない人がある。これ以上の大事はない」
仏法を聞いている人に二通りあると、明確に教えておられます。信心獲得した人と、そうでない人です。
信心獲得とは、どういうことでしょうか。やはり、『御文章』にお尋ねしてみます。
「信心獲得すというは、第十八の願を心得るなり」(五帖目五通)
お釈迦さまは仰有いました。大宇宙には地球のようなものが数え切れないほどあり、そこにガンジス川の砂の数ほどの仏方が現れて、仏教を説いておられるのだ、と。
それらすべての仏の本師本仏(師の仏)が、阿弥陀如来です。「最尊第一」とか、「諸仏の中の王なり」と経典に説かれていることからも明らかです。
阿弥陀如来は、四十八の本願を建てられました。本願とは、誓願ともいい、約束のお言葉です。
中でも弥陀が、本心を誓われたのが、十八番目の願です。「十八願」といいます。
漢字ばかり三十六字で『大無量寿経』に説かれていますが、簡潔にいいますと、
「十方衆生(すべての人)を、信楽の身にしてみせる」
というお約束です。
『御文章』の、
「第十八の願を心得る」
とは、十八願の通りに、「信楽」になったことをいいます。
「信楽」の「信」は、「破闇」の心。また「楽」は、「満願」の心ですから、「信楽」の二字で、「破闇満願」の身にしてみせるというお約束です。
「破闇満願」とは、
「無明の闇を破り、絶対の幸福という願いを満たす」
という意味です。これを、「信心獲得」(獲信)とか、「信心決定」といいます。
「信心獲得した人と、していない人がある」とは、阿弥陀如来に救われて、絶対の幸福にすでになった人もあれば、弥陀の本願にいまだ救われていない人もある、という仰せです。
皆さんは、どちらでしょう。すでに救われている方ですか。それとも、まだですか。これはとても大事です。
親鸞聖人や蓮如上人は、いまだ救われざる人に、一日も片時も急いで、信心獲得の身になりなさい、と教えておられます。
報恩講は、大根やにんじんを煮て食べるのではなく、一人一人が信心獲得するための勝縁なのです。
955 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 17:43:26 ID:kRYjKKgG
52 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2005/04/05(火) 16:10:42 ID:YPqBmzks ID:YPqBmzks
253:名無しさん@3周年:05/03/18 08:28:33 ID:khfpBNc1
北日本新聞-夕刊 平成11目10月12日(火)
金大生が行方不明 富山の古洞池 服を着たまま泳ぐ
十一日午後五時五十分頃、富山市池多の古洞池で、泳いでいた金沢市W町、金沢大学四年、
S.Hさん(二二)=広島県出身=が行方不明になった。小杉署と呉羽消防署などが同六時半
頃から六十人体制でボートで捜索したが見つからず、同九時半でいったん打ち切り、十二日
午前六時半からボートや県警ヘリなどで捜索を再開した。
調べによると、Hさんは十一日午前十時頃、宗教団体のサークル活動の一環で同池の
「とやま古洞の森」に仲間約六十人と訪れ、夕方から約五十人で鬼ごっこのようなゲームを
していた。Hさんは池の対岸に渡ろうと服を着たまま水に入り、姿が見えなくなった。
午後六時十分頃、古洞の森管理センター職員が学生らの連絡を受け、富山市消防本部に
「池で一人がおぼれた」と通報し、救急車やポンプ車、救助工作車が現場に向かった。
直後に現地で「自力ではいあがった」との情報が広がったものの、現場に到着した救急
隊員が学生らに確かめたところ、池で泳いでいたのは二人で、一人は岸に泳ぎ着いたが、
Hさんが行方不明のままになっていることが分かった。
十二日朝から、池を管理する呉羽射水山ろく用水土地改良区(富山市西押川)が池の水を
抜いて水位を下げ、県機動隊と小杉署、同消防本部などが県警ヘリやボート五隻を使い、
八十人体制で池や周辺を捜索している。
池は古洞ダムのダム湖。ほぼ満水状態で、最深部は約二十五メートルあった。
同改良区によると池の湖面は全面立入禁止で、釣りやボート遊びなどはできない。
956 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 17:47:11 ID:BmKuupHI
/⌒ ̄⌒ツ 私はあなたたちを助けません
| |ミ三三=) byマザーテレサ
ソ|*´∀`)
( )フつ |つ
|/)|___(
ンL__)_)
957 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 18:11:33 ID:BmKuupHI
958 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 19:43:55 ID:QfXvQmRq
もう四月なのに明日雪降るってね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
梅
960 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 20:18:57 ID:QfXvQmRq
961 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 20:23:11 ID:QfXvQmRq
>>960 こっちが(*´・д・)(・д・`*)エーだよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
εミ(っ>_<)っ
963 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 21:03:42 ID:EEAcdeP5
都合の悪いコピペが出たとたん一瞬で思考停止。
964 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 21:05:47 ID:QfXvQmRq
>>963 おまいがお池にはまって、さあ大変な状態なのは、どんぐりだからだ。
どじょうが出てきて、こんにちはって言われただけなのに、
お池にはまったのをどじょうのせいにしたんだろう
965 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 21:20:28 ID:xSsvatpO
春がきた春がきた春が来た春が来た
ここは何々?ここは何々?
題名との関係が?なんなんここ?
地震も多いし、今度は雪ですか。うちの近所は桜が咲いてますよ。
2ちゃんねるは投稿者本人が自分の発言を削除できず、削除依頼は公開掲示板でなければ受け付けてもらえない
。この削除依頼公開によって被害は拡大する。
誤って個人情報を書き込んでしまった人が削除依頼によって増幅した攻撃を受け(数千にも及ぶ書き込み)、退職に追い込まれている。
また会社、公人に関係する個人情報は原則削除しないという基準があり、事例では教師経験のある人への執拗な誹謗中傷が削除されないという被害を生んでいる。
一方、なりすましによる書き込みは真偽を確認しないまま放置されている。
削除依頼者のIPは公開されるのに削除対象投稿者のそれは公開されないなどの矛盾もある。
ネットで知り合って集団自殺する事件に関連する通報があり、発信元を調べようとした県警がプロバイダーから令状を要求され、
事件捜査ではないため令状が取れず調査できなかった。
プロバイダーの情報開示基準を検討すべきと思う。
匿名性は政府批判の自由という視点からは民主主義を守る根幹といえるが、匿名性が保安を脅かすこともあり、常に民主主義とイコールではない。
また表現の自由にも限界があり、企業秘密の秘守義務など表現行為には他の利益との調整が必要になる。
掲示板プライバシー侵害事件(神戸地裁平成11年6月23日判決)では、他者の個人情報を掲示板に書き込み、
悪戯電話などの被害を引き起こしたとして書き込んだ本人に損害賠償を命じる判決が出ている。
こうした紛争の予防には、正しいパブリックポリシーや掲示板利用規則など合意を形成したうえで、それを守る技術的・法的対応が必要である。
法的対応の枠組みは、個人的復讐など自力救済の禁止(自警団の存在は許されるが、実力行使をしてはならない)、非弁活動の禁止を前提とする。
権利の存否判定は裁判所で行い、権利行使は法の定める手段によらなければならない。
インターネット上の名誉・信用毀損事例には、匿名性や不特定多数性などネットの特徴が顕著に現れる。
ニフティや2 ちゃんねるを舞台とした近時の裁判例や、東芝ビデオデッキ事件の模倣事案、
著名掲示板のファイナンス情報欄での信用毀損事案、女性になりすまして援助交際希望などと記載した個人情報漏洩事案等々。
訴訟に際して発信者の特定ができず、ISPを被告とする例が多かった。
しかし、ISPの責任には限界があり、加害者の責任を追及する方法を探る必要がある。
発信者情報入手には弁護士照会制度(弁護士法)や文書提出命令・送付嘱託(民訴法)、発信者情報開示請求(プロバイダー法)などがあるが、どれも限界がある。
迅速かつ低コストの発信者情報保存の手続きや国際的連携による発信者情報保存手続き、また証言拒絶権の制限の余地の検討など、法的制度へ期待が寄せられるゆえんだ。
ログ保存だけでも匿名性の悪用への抑止力になりえるはず。
973 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 21:51:08 ID:ioYLpUxm
>>968 寒いのいやだね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
974 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 21:52:35 ID:ioYLpUxm
>>968 雪はヤだね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
975 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 21:53:14 ID:ioYLpUxm
雪降ってないよ(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
昔の親鸞会では、ネットのことが話題になることはありませんでした。昔はネットといっても多くは
ダイアルアップ接続で大変でしたし、公式ページもあったわけでもありませんし宣伝もありませんでした。
しかし、2000年くらいになって、ネットが学校内や家庭に広まり、さまざまなホームページができるとネットを布教伝道に使うようになりました。
そして親鸞会の公式ホームページが本格始動してからは、浄土真宗の教えはどんなものなのか、親鸞の教えはどんなものなのか、調べる人がネット上に急増しました。
それまでは本願寺関係の人がサイトを見ても、匿名ですむことが多かったのです。ウラでは見ていたでしょう。
そして2003年くらいからの興味深いサイトの急増です。ネット検索では親鸞会関係のサイトが多く現れ、多くの人にその存在をアピールできたワケです。大いなる宣伝です。
公認サイトや各地域の紹介サイトの作成は、顕正に燃える会員が中心となって作っていると思われます。にぎやかでいいことです。
もっともっと作ってほしいと切に願っております。
1.看板はその通り。
楽しそうなサークルで、「人生の目的がわかる」や「なぜ生きる」が明らかになる、素晴らしい団
体です。正しい団体ですから名前に偽りありません。相手の団体名を聞く、 その組織のトップ
は誰かと聞く、どんどん聞いて下さい。お答えします。
2.恐怖心をあおる勧誘だと言う人はおかしな人です。
「今入らなければ必ず後悔するYO!」ごく普通のサークル勧誘の言葉ですが、これで恐怖心をあお
る勧誘という人がいたら余程悪意を持った人でしょう。こんな人の言うことを聞く必要はありません
ので、安心して話を聞いて下さい。
3.おかしな人が何を言っても無駄。
勧誘する人は魅力的であり、やさしく思いやりのある人です。社会的に全く害はありませんが、断り
たかったら断って下さい。普通のサークルの勧誘ですから良くあることです。彼らは「授業のとり方
を教えてあげる」とか「親切な先輩がたくさんいるから」 などの、どこのサークルでも言われるような
言葉を言いますが、これを「あなたの警戒心をとく甘い誘惑をたくさん用意しているので注意しなけ
ればなりません。」と言う人は頭がどうかしていますね。
4.誰かに相談する
「ここでの話は深い意味がある。よく理解して、友人や家族にどんどん話をしよう」
と言われます。友人や家族などどんどん話して頂いて結構です。実際家族や友人に
話す人がほとんどです。父兄同伴のゼミも頻繁に主催しています。
http://homepage2.nifty.com/shinran/other/kizuna.htm 5.ネットで検索する
「インターネットにはヘイトサイトというのがあって、嘘ばかり書いてあるサイトがあるから気をつける
ように」などと世間では言われています。でもどんどん検索して頂いて構いません。
沢山のサイトがありますので自分で良く読んで真否を判断して下さい。親鸞会に悪意のある人が、
暇をもてあまして、どれだけ多くの掲示板を荒らして根拠無き誹謗中傷を書き込み、醜態をさらしているか、
その異常なほどの粘着ぶりを確めるのも一興です。
親鸞会総合リンク集
http://www.ii-park.net/〜neko-koneko/