952 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 12:10:30 ID:baYFB1B5
スレの流れが分からなくなってない?
今は新入生に警鐘乱打するときですぞ〜
>>949 >s会では、この遺訓はいつも途中までしか引用されません。
>「いそぐべからず」、が不都合なのでしょうか。全部引用してみましょう。
不都合など全く100%ありません。
>人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず、
>不自由を常とおもへば不足なし、こゝろに望おこらば、困窮したる
>時を思ひ出すべし、堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ、
>勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる、
>おのれを責て、人をせむるな、及ざるは過たるよりまされり。
言われるとおり、さすが苦労人の家康ですよ。
世渡り、ならこれで申し分ないでしょう。
問題は、それで、あなた重荷を背負ってどこに向かって歩いているのですか?
ということですよ。いずれ一歩も歩けなくなる時がきますが・・・
人生の成功者のように言われる家康ですが、本当にそうなのかなーと私は思います。
>>943 >家康は単に「人生はつらいものだが努力すべし」って言いたいだけだろ。
>なんで悲劇以外の何者でもないんだよ。家康の人生はハッピーエンドじゃん。
>強引に都合よく解釈してるとしか思えない。
なんで、それがハッピーエンドなの????????
すごい強引、というか都合のいい解釈だよね。
でも仕方ないか・・・・家康の一生は
ハッピーエンドにしておかないと、みんな生きていけないからね。
では、万人共通の人生の目的は、あるのか。それを、私たちは知ることができるのか。
ある。そして、知ることができる。
親鸞聖人が、鮮明にご教示なされているからである。
親鸞聖人は全人類にとっての難問題、人生の目的を二十年の探求の末についに知られ、達成された。その喜びを主著『教行信証』に直截に述べられている。
「慶ばしきかなや、西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり」(教行信証総序)
「慶しきかな。心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。(中略)慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し」(教行信証後序)
慶ばしきかな、遇い難くして、いま遇うことを得たぞ。聞き難くしてすでに聞くことを得たぞ。
>>943 >家康は単に「人生はつらいものだが努力すべし」って言いたいだけだろ。
そうです。
努力が必要なんです。
どこに向かって努力するのか、その方向が分からなければ、
努力が報われなくなってしまいます。
『光陰矢の如し』
月日が過ぎるのは、飛ぶ矢のように非常に早い。
だから無為に送るな、という戒めの意味を含む。
時間は、無限にあるわけではありません。
大切な時間をどのように使うか、ここが人生の分かれ道です。
親鸞聖人は、人生の目的の現存をはっきりと教えられた方です。
他にそのように教えている人はありますか?
958 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 17:25:38 ID:dhMQaMwE
>>941 はあ。重荷ね…あなたの重荷と感じてるものってなんですか?
>どう思いますか?
後世の者に生きる態度を戒めた、厳しさと思いやりを含んでいて
天下統一を果たした人の苦労が偲ばれる遺言だと思いました。
他の会員のレスとかに見てて思うんだけど、
家康だの藤村だの引き合いに出すのは結構だけど、要するに
人生の意味も、人生の意味を問い掛ける言葉も全部
他人の借り物が元ってことですか…。
勧誘マニュアルに沿った思考法に慣らされてるからなんだろうけど、
他人から与えられたマニュアル通りの思考法をなぞるだけなのって
まず「考えてる」態度とは言えないと思うんだけど。
「人生に目的はあるのか、ないのか」
「生きる意味は何なのか」
人類は今も、この深い闇の中にある。
どこにも明答を聞けぬ中、親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、
その達成を勧められた方はない。
960 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 17:47:22 ID:dhMQaMwE
人生に目的を設定して生きるのもいいとは思うけど、
それを果たさなかった人って
「結局無意味な人生だった」ってことになるんじゃないの?
s会的には、そういう人は無駄に生きて空気を浪費して死んでいくだけってこと?
ところで、T森会長っていつ頃から「人生の目的」とか「なぜ生きるか」とかを
スローガンに掲げ始めたんだろう。
活動当初はたしか「死線を超えて」とかだっけ?
961 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 17:51:05 ID:FSB49ijT
>>953 >問題は、それで、あなた重荷を背負ってどこに向かって歩いているのですか?
人生を重荷を背負って遠き道をいくっつったのは、
重荷を背負うとは、苦しいことでも負けずにやるということ。
遠き道とは、一体これからどうなるのか予想がつかない将来のこと。
つまり、今日という一歩は人生からするととてつもなく小さく思え、
一体これがどうこれからに影響するのかその価値さえ分からないが、
それでも、投げやりになって一日の仕事を放り投げるのではなく、
着実にじっくり我慢づよく、嫌なことがあっても負けずしなさい、
と、こういうこった。
重荷をわざわざ背負ってどこに行ったのかを問う内容というより、
なんで勉強しなきゃいけないの、なんでえらくならなきゃいけないの
と、どちてどちてと、理由ばかりを求めているものぐさ坊やを
「人生とはそういうもんなんだから」と諭すような、むしろ反s会的な内容なんですよ。
962 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 18:23:05 ID:qrUsSddb
>>953 >人生の成功者のように言われる家康ですが、本当にそうなのかなーと私は思います。
なんでよ?
家康は天下を獲るために我慢して、我慢して、我慢して、
結果本当に天下を取って15代にも及ぶ徳川幕府を築き上げたんだろ?
家康にとって天下こそ人生の目的。俗的だろうがなんだろうが人生すべてを賭けた一大事業が達成された。
それを成功者って言わなかったら、あるのかないのかわからない絶対の幸福に人生賭けてるお前らはなんなの?
963 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 19:55:00 ID:OSjPDRm8
花見にいったらもう桜が散ってました
_| ̄|○
無常をかんじますた
964 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 19:59:22 ID:OSjPDRm8
桜ってホント儚いっすね
咲き誇る花は
散るからこそに美しい
散った花びらは
あとは土へとかえるだけ
中略
ソイヤソイヤ
ソーレソーレ
ソイヤソイヤ
ソーレソーレ
ソイヤソイヤ
ソーレソーレ
965 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 20:12:04 ID:KOkF7hes
もう書き込みできませんか。
966 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 20:12:37 ID:KOkF7hes
まだできました。
仏教説話や伝承にも桜はよく出てきます。
親鸞聖人が九才で出家されるとき詠まれた歌も桜でした。
酒盛りをしているところで、桜の花びらが杯に舞い落ちて時の帝よろこんだと日本書紀だか古事記にありましたが
同じ桜の花びらを見ても
喜ぶ人もあれば無常を観ずる人もあります。
何が縁になるかわかりませんね。
このスレも何かのよい縁となればと念じています(-o-)
968 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 20:14:33 ID:KOkF7hes
むなしい人生、生きる価値があるか?
これは問題だ。
969 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 20:22:57 ID:KOkF7hes
桜にちなんで歌はいろいろありますね。
深草の
野辺の桜し心あらば
今年ばかりは 墨染に咲け
たしか源氏物語の主人公、光源氏が最愛の人を失って詠んだ歌と
記憶しています。
970 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 20:53:40 ID:OSjPDRm8
スレの流れが早いから
明日はこのスレも散ってしまう鴨
『教行信証』はじめ聖人のご著書には、人生の目的を体験された生命の歓喜があふれている。魂の躍動がある。
うつひとも
うたれるひとも
もろともに
ただひとときの
夢の戯れ
これが一度でも聖人の言葉に触れた人を魅了せずにはおかないのだ。そこに「とてつもない何かがある」と感じ、近年、多くの文学者や哲学者などが親鸞聖人に注目している。
三木清は、昭和を代表する哲学者のひとり。
常々、「ぼくは親鸞の信仰によって死ぬだろう」と言っていた。
マニュアルトークばっか。
977 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 21:54:10 ID:KOkF7hes
田辺元(哲学者)はこう述べている。
「私は教行信証の宗教哲学をもって、
西洋に匹儔を見出すこと困難なる如き深さをもつものと
思惟せざるを得ないのである」
親鸞聖人の教えについて、彼の中では哲学も宗教も一体化しているようです。
978 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 21:58:32 ID:9yJIhThF
>976
ある意味ネタなんだろ?
他力の信をえん人は
仏恩報ぜんためにとて
如来二種の廻向を
十方に等しくひろむべし
如来二種の廻向とは
往相廻向と還相廻向
往相とは、往生浄土の相状
還相とは、還来穢国の相状
本師弥陀の本願に救いとられた人は
一息一息、極楽へ、極楽へ、と近づきますから
これが、
往生浄土の相
極楽へいって、八功徳水の温泉につかって
百味の飲食 たらふく食べて
応報の妙服を着て
のんびりなどしておれない
すぐに、娑婆世界へ還来せずに
おれない姿
一人でも苦しみ悩む人がある限り
苦悩の十方衆生に
伝えぬくぞ、知らせるぞ、利他の大活躍を
せずにおれない姿が
還相
>>975 敗戦直後、獄死を遂げたが、遺稿は監獄で書いた『親鸞』であった。
『教行信証』が深い体験の世界を述べられたものであることをひしひしと感じている。
「『教行信証』は思索と体験とが渾然として一体をなした稀有の書である。それはその根抵に深く抒情を湛えた芸術作品でさえある。
実に親鸞のどの著述に接しても我々を先ず打つものはその抒情の不思議な魅力であり、そしてこれは彼の豊かな体験の深みから溢れ出たものにほかならない」(親鸞)
「そこには人格的な体験が満ち溢れている。経典や論釈からの引用の一々に至るまで、悉く自己の体験によって裏打ちされているのである。
親鸞はつねに生の現実の上に立ち、体験を重んじた」(同)
廻向とは、他力廻向
阿弥陀仏からの賜りもの
ということ
自力は一切間に合わず
すべては、本願力の不思議
名号功徳の威神力
と知らされる
作家・井上靖は、平成三年一月、「あと十年生きて、親鸞を書きたい」と言いつつ八十三歳でこの世を去ったノーベル賞候補作家。
「宗教家としては烈しく純粋。
思想家としては純粋で烈しい。
七百年後の今日、その教えは日本人の心の中に生きている。
いや、親鸞は今や世界の親鸞として、その姿を大きくしている。人類が今日ほど親鸞を必要としている秋はない」(讃歌「親鸞」)
桜の花びらって、どうせ散っちゃうんだから
咲いてるうちから価値のないものなんかなあ。
散って土に還る花びらは、もう何の意味もないものなんかなあ。
>>944 そういや、心と宗教板みてると
日蓮宗系の教義を貼っつけっぱなしにしてるの
よく見かけるんだけど、あれもなんか似てるね。
>>978 なるほど。
自分の言葉で喋れなくなるって怖いね。
ま、このスレもあとは
プロパガンダコピペ会員の1000取り合戦で終了かな。
うちの周りも、今朝は桜吹雪でした。
そこら中の車の屋根にも桜の花がちっていますただ。
この間咲いたかと思ったのに、早いね……
そうやって、桜を話題に、仏法を聞かせて頂く御縁になれば、
これ幸いです。
深く無常を念じて徒に後悔を残す事なかれ。ですた。
>>958 そうではないんですよ。
自分の言葉で語られてるものもたくさんあるのに、
結局、識者の言葉を引用した方がインパクトがあって、
目立ってるから、あなたのような言葉にも表れるわけです。
993 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 22:53:48 ID:1S3qhSGn
>>992 過去の偉人の言葉など権威を持ち出して
価値を高めているつもりが痛々しい。
桜は本当にきれいですね
日本人としての幸せを感じます
でも、
散る桜 残る桜も 散る桜
そろそろここともお別れですね
会者定離 ありとはかねて 聞きしかど
昨日今日とは 思わざりけり
マターリ1000取りにお付き合いさせてもらいますか。
>>992 宣伝効果を狙うというワケですね。
でも、どっちかというと逆効果だと思いますよ。
識者の引用なんか見てると、場合によっちゃ
「s会会員って、『なんか偉い人がこう言ってるから』っていう
権威主義っぽい発想で物事判断するの?」
みたいに思われたりもしちゃうんじゃないですか?
わ、増えてた。
>>996 ていうか権威主義だろ
仏教と言う権威、釈迦という権威、そして親鸞と言う権威を
うまくかすめとって、自分が善知識と言う権威をまとったのが高森会
なんだから、その信者がそうなるのも無理はない。
>>998 まあね。
完全トップダウン制・ピラミッド型組織から見ても
確かにそう言えるかな。
なんか今夜は疲れちゃっててね。マターリ発言してみた。
↓誰か1000あげるYO
1000?
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。