1 :
名無しさん@3周年:
正確に言えば、浄土真宗の教祖はいません。
というより、浄土真宗という宗派はありません。
祖とされる親鸞聖人自身、ただ御仏の弟子という自覚しかなく、何か新しい悟りを開いたという事を語っているわけでもありません。
御仏の全ての衆生救済の大慈悲に気づかされた・・・ただ、それだけだと申しているだけです。
阿弥陀仏の大本願は信じるのではなく、信じさせてもらうのです。
信心の心すら、阿弥陀仏の力により発する他力なのです。
我々のような悪人が自力で念仏を唱えられるわけがないのですから。
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3 :
名無しさん@3周年:05/03/16 01:52:44 ID:zNcHIUDk
age
4 :
名無しさん@3周年:05/03/17 10:16:33 ID:YlHRsi72
>"他力"とは何か?
一言で言えば、阿弥陀仏の大本願そのもの。
全ての衆生を余すことなく救済する阿弥陀仏の力そのもの。
自力で悟りをひらけない悪人も、阿弥陀仏の力(他力)で救済される。
阿弥陀仏に救われるのも他力、その事に気づかされ、思わず念仏を唱えさせていただくのも他力。
全てが阿弥陀仏の御計らいであり、信仰心そのものが阿弥陀仏の力(他力)により芽生えるのです。
人間如きの小賢しい理屈が入り込む余地はありません。
5 :
名無しさん@3周年:05/03/17 17:00:12 ID:Mx1iwbXt
age
6 :
名無しさん@3周年:05/03/18 09:45:35 ID:TQwhAfHb
z
7 :
名無しさん@3周年:05/03/18 18:24:21 ID:7/cjcqH5
◆顕浄土真実教行証文類
【 序 】
ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。
しかればすなはち浄邦縁熟して、調達(提婆達多)、闍世(阿闍世)をして逆害を興ぜしむ。
浄業機彰れて、釈迦韋提をして安養を選ばしめたまへり。
これすなはち権化の仁、斉しく苦悩の群萠を救済し、世雄の悲、まさしく逆謗闡提を恵まんと欲す。
ゆえに知んぬ、円融至徳の果号は悪を転じて徳をなす正智、難信金剛の信楽は疑を除き証を得しむる真理なりと。
しかれば凡小修し易き真教、愚鈍往き易き捷径なり。
大聖一代の教、この徳海にしくなし。
穢を捨て浄を忻ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡く、悪重く障多きもの、ことに如来(釈尊)の発遣を仰ぎ、かならず最勝の直道に帰して、もっぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ。
ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。
たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。
もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへってまた曠劫を逕歴せん。
誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。
ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。
真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。
ここをもって聞くところを慶び、得るところを嘆ずるなりと。
8 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 18:08:22 ID:zYMGKaR7
今は亡き親鸞聖人からこのようなお話をうかがったことがあります。
法然上人がおいでになったころ、そのお弟子は大勢おいでいになりましたが、法然上人と同じく真実の信心をいただかれている方は少ししかおられなかったのでしょう。
あるとき、親鸞聖人と同門のお弟子方との間で、信心をめぐって論じあわれたことがありました。
といいますのは、親鸞聖人が、 「この善信の信心も、法然上人のご信心も同じである」と仰せになりましたところ、勢観房、念仏房などの同門の方々が、
意外なほどに反対なさって、「どうして法然上人のご信心と善信房の信心とが同じであるはずがあろうか」といわれたのです。
そこで、 「法然上人は智慧も学識も広くすぐれておられるから、それについてわたしが同じであると申すのなら、たしかに間違いであろう。
しかし、浄土に往生させていただく信心については、少しも異なることはない。まったく同じである」とお答えになったのですが、
それでもやはり、 「どうしてそのようなわけがあろうか」と納得せずに非難されますので、結局、法然上人に直接お聞きして、
どちらの主張が正しいかを決めようということになりました。
そこで法然上人に、詳しい事情をお話ししたところ、「この源空の信心も如来からいただいた信心です。善信房の信心も如来よりいただかれた信心です。
だからまったく同じ信心なのです。別の信心をいただいておられる人は、この源空が 往生する浄土には、まさか往生なさることは ありますまい」と
法然上人が仰せになったということでありました。
ですから今でも、同じ念仏の道を歩む人々の間で、親鸞聖人のご信心と異なっておられることもあるのだろうと思われます。
9 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 16:16:56 ID:rMb/+zUd
v
10 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 23:15:13 ID:AFZKn9AQ
善導大師の説法を聞いた者が、感極まって光明寺の木に登り、浄土往生を願って自殺したとある。
これは先述の「善導十徳」第七の項目に善導本人が自殺したとあるが、法然上人の誤認である。
ある時、善導大師が西の空を見つめ、様々な苦しみが切迫しているのみて、「私は仏様の威神力を信じて、観音菩薩・勢至菩薩に助けられて、畏れることなく、浄土に生まれんことを願う」。
そういって自分の住する寺の柳の木に登り、そこから飛び降りて死んでしまった。(『新修往生伝』)というものである。
これは法然上人の十徳の中で記述されていることは触れたが、元々の『続高僧伝』の記述を、後の者が記載誤認したのであり、史実によると善導大師は安らかに入滅された。
では何故、このような奇説が流布したのかというと、善導本人の教化活動と、またその実践は、民衆を魅了するものであったことが、今日では資料として残されている(『新修往生伝』)。
本人の修行態度も さることながら、熱列は教化は、以後、法然上人がその徳を讃えているように、中国本土でも魅力を備えたものであった。
それ故、伝承に崇拝的憧憬的善導像が流布し、誤った記述がされてしまった。
ここって法論スレ???
12 :
名無しさん@3周年:2005/03/31(木) 20:48:29 ID:RCzA6fAH
ところで細木数子ってどうよ
ただの人情おばちゃんじゃない?
14 :
名無しさん@3周年:皇紀2665/04/01(金) 02:01:34 ID:Ps6B9Npc
人情おばちゃんか
呪術の使い手だね
だって、みんなその言葉で動揺しているもの
江原啓之はどうよ?
17 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 02:13:58 ID:o4f+vl5W
誰?
18 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 14:43:49 ID:fGv51JrS
浄土真宗は、理想を想定してそこを目指して自己実現していく、というタイプの宗教で
はありません。いや、むしろそういう傾向に対して、それは傲慢ではないのか、と内
省するスタンスにあると思います。今、ここに存在する私の「ありのままの姿」に眼
を向けず、あるべき自分を想定するなんて「自己欺瞞」だ、と言うのです。
そもそも「自己実現」などという概念自体、かなり怪しい、と私は思っています。
自分なんて矛盾だらけの存在です。確たる自己、統一している自己、首尾一貫してい
る自己がどこかにあるというストーリーに振り回されて、現状の不完全性を非難して
いるような気がするんですよね。それに、なんか独善的な匂いがするし…。
「自己実現」というストーリーにすがりつきたくなる心理はよくわかります。どこか
に「あるべき自分」があるはずだ、それに向かって努力せよ、というエートスは近代
の特徴ですから。そして、独立した「自己」があると思っている限り、私たちはその
「自己」のポジションをどこかに着地させたいと考えます。どこに所属しているの
か、保守かリベラルか、共同体か個人か、敵か味方か、ポジションが明確じゃなけれ
ば不安に陥ります。
それに対し「確固たる自己」なんて幻想だよ、と仏教はいいます。そんなものを頼り
にしているから根本的な苦は解決しないんだ、といいます。仏教は「自己を疑うとい
う姿勢」、「こうであるべきを解体する姿勢」を持つ宗教です。ここに仏教の大きな
存在意味があると思います。
19 :
誘導:2005/04/07(木) 21:03:42 ID:c/OoO1w1
>>1 イエス・キリストも自分はユダヤ教徒だと認識してたんだから
親鸞が教祖でいいと思うけど。
覚如がパウロね。
22 :
名無しさん@3周年:2005/06/05(日) 23:13:07 ID:mdeMhpVT
一言で言えば、阿弥陀仏の大本願そのもの。
全ての衆生を余すことなく救済する阿弥陀仏の力そのもの。
自力で悟りをひらけない悪人も、阿弥陀仏の力(他力)で救済される。
阿弥陀仏に救われるのも他力、その事に気づかされ、思わず念仏を唱えさせていただくのも他力。
全てが阿弥陀仏の御計らいであり、信仰心そのものが阿弥陀仏の力(他力)により芽生えるのです。
人間如きの小賢しい理屈が入り込む余地はありません。
23 :
再誘導: