スッタニパータを読む+ヴィパッサナーを実践する/2
1 :
1:
●テーマ
みんなでスッタニパータを読ませんか?
共通テキストとして中村元訳「ブッダのことば(スッタニパータ)」を推薦します。
みんなが住む街の規模に関わらず比較的購入し易いと思われるからです。
また、中村元/岩波文庫シリーズの
「真理のことば(ダンマパダ/法句経)/感興のことば(ウダーナヴァルカ)」
「神々との対話(サンユッタ・ニカーヤ/『阿含経』相応部)」
「悪魔との対話(サンユッタ・ニカーヤ/『阿含経』相応部)」
「ブッタ最後の旅(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ/大般涅槃経」
なども、テーマに付け加えて結構です。
●スッタニパータ とは?
数多い仏教書のうちで最も古い聖典で、
後世の仏典に見られる煩瑣(はんさ)な教理は少しもなく、
人間として正しく生きる道が対話の中で具体的に語られています。
●ヴィパッサナーとは?
http://www.geocities.co.jp/Beautycare/8365/vipassana.html 例えば、
一日中、頭の中で悶々と堂々巡りの思考を繰り返し、それだけで疲労困憊してしまう
人たちにはまさにうってつけで、この種のストレス打開には極めて有効と思われます。
●ルールと注意
・北方仏教、南方仏教、各宗派間での争いは厳禁です。
・どの瞑想法が一番だとかの争いは厳禁です。
・諸処の組織についてのクレームは、甚だスレ違いですので、他のスレへどうぞ。
●前スレ
スッタニパータを読む+ヴィパッサナーを実践する
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1071698342/-100
2 :
1:05/02/19 21:27:43 ID:i0QjYSyz
(・∀・)ノノノ よろしく
3 :
助け合いという名のネズミ講年金:05/02/20 00:41:22 ID:5QNX3bKY
おい誰か今日新宿の朝日カルチャーセンターに行った香具師いるか?
4 :
名無しさん@3周年:05/02/20 00:48:45 ID:x1DxyCbG
・ウィパッサナー
あらゆるものをありのままに観るという意味。
すべてにおいて無常、苦、無我という三相がはっきり分かるように観察すること。
一、敵に追われ 逃げ道があり 逃げん 道の咎めとならん
二、便に汚れ 池があり 洗わん 池の咎めとならん
三、病に患われ 師があり 治を受けん 師の咎めとならん
苦悩より解脱のため 観法があり 実行せん
観法の咎めとならん 貴の咎なり
(仏史より)
比丘たちよ、この観法(四念住)は有情(生き物の心身)を清めるため、
心配や悲泣お乗り越えるため、悲しみや憂いを滅ぼすため、
聖なる道を得るため、涅槃を実現させるためのただ唯一の道である。
(釈尊)
5 :
名無しさん@3周年:05/02/20 00:57:55 ID:x1DxyCbG
どんなときでも、知覚なしに私自身をとらえることはけっしてできず、
また、知覚以外のなにかに気づくことはけっしてあり得ない。
そこで、私は次のように確信してもよかろうと思う。
すなわち、人間とは、思いもつかぬ速さでつぎつぎと継起し、たえず変化し、
動き続けるさまざまな知覚の束あるいは集合にほかならぬ、ということである。
ロック・ヒューム
イギリスの思想家1711〜1776
6 :
名無しさん@3周年:05/02/20 01:01:05 ID:x1DxyCbG
クエスチョナー
毎週、ヴィパッサナ瞑想をやっていると、苦しみというのが減っていくんです。
でも悟るためには一切は苦しみだと知らないといけない。そこに矛盾を感じるんです。
ウ・ジャナカ・セヤドー
瞑想をやっていると13の段階の洞察を通らなければいけません。
瞑想をする者は3、4段階は苦を通っていかなければなりません。
11番目の洞察を過ぎると、苦はなくなります。
でもあるひとたちは、苦を通して悟りをひらいた方もおります。
でもその場合の苦というのもきついものではなく、
苦痛が出たり無くなったりすることに集中することによって悟るのです。
私たちの心がある状態に集中しているときだけ、洞察力が生まれて、
ものごとが絶えず変わっていくということが分かります。
それが悟りにつながるのです。
7 :
名無しさん@3周年:05/02/20 01:03:56 ID:x1DxyCbG
ご‐うん【五蘊】(旧訳くやくでは五陰ごおん)
〔仏〕(「蘊」は梵語skandha 集合体の意) 現象界の存在の五種の原理。
色しき・受・想・行ぎよう・識の総称で、物質と精神との諸要素を収める。
色は物質および肉体、受は感受作用、想は表象作用、行は意志・記憶など、識は認識作用・意識。
一切存在は五蘊から成り立っており、それ故、無常・無我であると説かれる。
ヴィパッサナーの実践を通して知る。本を読んで理解できるわけではない。
8 :
名無しさん@3周年:05/02/20 01:09:14 ID:x1DxyCbG
人間が本来努力すべきは、他人にあああって欲しい、
こうあって欲しいという願いを持たないでもいきていかれる人間になることである。
それが自律的な独立した人格であろう。未熟であれば未熟であるほど他人への願いは強い。
未熟な人間は自我境界が曖昧なのである。精神的に他人に依存しているのである。
神経症的人間は、他人に対しての要求多く、しかも自己中心的性質をおびている。
世界は自分の望むように奉仕すべきたという思いが心の根底に強くあるのであろう。
肩がしっかりと発育した蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群を離れて、
欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。
-釈尊-
9 :
名無しさん@3周年:05/02/20 01:11:09 ID:x1DxyCbG
ハードボイルドアップ 〜質疑応答編〜
。゚(゚´Д`゚)゚。 毎日毎日、淋しくて辛いでつ。苦しいでつ。
|`_´)y-~ 秒単位で、身体感覚を観察するんだ。より細かく精妙に。
忙しくて淋しい暇もないぜ。
ブッディストは、犀の角のようにただ独り歩め。
10 :
名無しさん@3周年:05/02/20 01:23:58 ID:x1DxyCbG
378 :言葉によるラベリングの是非について :04/10/28 21:49:05 ID:XhQ+6Zm9
解答へのヒントを見つけました。
http://www.counselingservice.jp/lecture/lec47.html ↑心理学講座「感情を抑圧するとどうなるんだろう? 」
一見、仏教はストイックで抑圧的だと思っていました。
人間は、抑圧された感情に人生を振り回されます。
それは、無意識が意識を裏切るからです。
しかも、抑圧された感情は他者へ投射されて、攻撃さえします。
ネット上でよく見受けられます。
自分の中の認められない面を他者に見つけ、攻撃するのです。
そうすると、自分の中のモヤモヤが解消されたような気がするのです。
しかし、基本的には解決になっていません。
やたらストイックに修行する姿勢に違和感がありました。
日本のお坊さんが、お酒を止められない理由の一つかもしれません。
(私は、禅宗以外のお坊さんが修行してる姿を見たことはないのですが...)
なんだかんだで、ヴィパッサナーはよく出来ているようです。
サマタより、ヴィパッサナーを推奨するのは頷けます。
ヴィパッサナーは、睡眠中以外、一日中実践できるのです。
11 :
名無しさん@3周年:05/02/20 01:27:09 ID:x1DxyCbG
400 :さごじょう :04/10/29 19:00:46 ID:+XugnzyK
> さごじょうさん、噛み砕いた説明プリ〜ズ♪
ぶきょうについては何を書いても、受け売りでしかないがチト書かせてもらうと
ぶきょうの言葉に止観業(行)といふのが有るでそ。こりはパーリ語の
サマタ・ビパサナ・バーワナーの漢訳にゃのでつぅ。
つまり仏教には、二種類の瞑想方法があるだよ
サマタ(一点集中型)
ビパシャナ(純粋観察型)
バーワナー(瞑想とか実践とか)
マントラ瞑想はまさにサマタだと思うべな
サマタ瞑想が40種類、ビパサナが2種類だよ(心と身体の観察)
4界とは、地・水・火・風の各要素)
12 :
名無しさん@3周年:05/02/20 01:29:24 ID:x1DxyCbG
401 :さごじょう :04/10/29 19:18:38 ID:+XugnzyK
てらわだ仏教が依拠すてるのは、南伝大蔵経とゆー仏典群の集成なのでつが
仏典はその内容によって律・経・論の三種に分類される。
律(戒律について)、経(ブッダの教え)、論(教えの注釈書)なわけ、
大念住経=サティパッターナスッタ=気づきの確立の教え、といふ経
の中にビパッサナーの目的、意義が書かれている。すかしこれを読んでも
ビパサナ瞑想の具体的なやり方は、いまいち分りまちぇん(笑)
アビダンマッタサンガハ=摂アビダルマ議論=南方仏教哲学概論 といふ論
てらわだの坊さんが一番初めにベンキョーする仏典
心の分類や瞑想法の分類等ワンサカ書いてあって、読みきれまちぇん(笑)
心とは対象を捉える認識作用うんぬんかんぬん@@/
13 :
名無しさん@3周年:05/02/20 01:41:10 ID:x1DxyCbG
526 :これもまた観法なり :04/11/08 16:42:15 ID:AVqMfZpa
寂しさや不安を感じる自分と常に向き合い続けること。
これは自分をより強くするとてもいいトレーニングになるでしょう。
我慢している自分、寂しい自分、不安な自分をどう押さえ込むか?ではなく、
また、そんな感情をどう感じないようにするか?ではなく、
ただ、その当たり前の感情に向き合い続けることが大切です。
どんな感情も感じていれば変わって行きますし、
ネガティブな感情も自分の心との繋がりを深めるにつれて、
安心感や自信を手に入れることができるようになります。
by臨床心理学者
「自分の気持ち、状態を言葉に表現しなさい」
by水泳金メダリスト北島康介選手のコーチ
14 :
名無しさん@3周年:05/02/20 01:42:37 ID:x1DxyCbG
536 :名無しさん@3周年:04/11/11 22:26:12 ID:l/AkRm84
「うわ〜、今日も気分がいいな、毎日いいことづくめだし、奥さんも僕にやさしくしてくれるし、
仕事も順調、宝くじで1億円もあったたし、もう最高だな、気分がいいから誰かに意地悪してやろう。」という人はいるでしょうか?
何もかも順調で、毎日最高な気分、こんな人は意地悪するでしょうか?たぶんしないと思います。
気分が最悪の時、ボロボロの時、いっぱい、いっぱいの時意地悪をしてしまうんではないでしょうか?
このことからみると意地悪する心理の裏には"痛み"が隠されています。
15 :
名無しさん@3周年:05/02/20 01:43:59 ID:x1DxyCbG
542 :名無しさん@3周年:04/11/12 16:12:07 ID:KLLg8lcy
他人の動きによって自分の感情のバランスを失う者は、
他者の動きに要求が多い。
他者の一挙一動が自分の感情を混乱させるのであるから、
他者への要求が多くなるのも当然であろう。
要求の多さは、人間関係を壊していく。
自灯明は、安穏な心を作る大切なポイント。
16 :
名無しさん@3周年:05/02/20 01:47:03 ID:x1DxyCbG
574 :名無しさん@3周年:04/11/26 02:58:18 ID:XcvAY/hd
智慧の現れる順番
・名色分離智慧みょうしきぶんりちえ 色(身体、身体の活動)と名(心、認識、認知、知覚)を区別する智慧。
・縁摂受智慧えんせつじゅちえ 正しい因縁を受け取り、理解すること。
・思推智しゆいち 無常、無我、苦であると思う智慧。
・生滅智しょうめつち 全ては生じては滅ぶと理解する智慧。
・壊滅智かいめつち ただ、全てが滅んでしまったと理解する智慧。
・怖畏智ふいち 全てが恐ろしいと感じる智慧。
・過患智かかんち (諸行の)欠点を見出す智慧。
・厭滅智えんりち 厭い、嫌だと思う智慧。
・脱欲智だつよくち 全てから逃れたいと感じる智慧。
・省察智しょうさつち 再び考察する智慧。
・行捨智ぎょうしゃち 激しい努力もせず、諦めもせず行を続ける智慧。
・随順智ずいじゅんち
575 :↑ :04/11/26 08:45:27 ID:QJh2fla0
・・・よく調べてるなぁ、でもうちょっと続きをば
・種姓智
・道智
・果智
・省察智
17 :
名無しさん@3周年:05/02/20 01:50:38 ID:x1DxyCbG
626 :名無しさん@3周年:04/12/07 13:06:24 ID:ZDj8f1Dv
他人の中にアラを探し出して非難するのは、抑圧による反動形成である。
自分で認める訳にはいかない嫌な面を抑圧する。
抑圧されたものは、他者へ投影される。
他人の中に自分の認める訳にはいかない嫌な面を見つけだして非難する。
そうすることによって、自分の中での葛藤が緩和されるような気がする。
しかし、現実的には、自分の成長に繋がるわけでもない。
自己評価が多分に他人からの評価にかかっている人は、傷つき易い。
傷つくから、自己評価回復の為にも、反論なり、からみ続けることになる。
自立的で、心にゆとりがある人間だったら、他人の言動をそのままに出来る。
からむに値するのは、やはり、自己評価を脅かされている証拠であろう。
傷つき易いのは、自我境界が曖昧で依存的であるからである。
18 :
名無しさん@3周年:05/02/20 01:55:14 ID:x1DxyCbG
692 :名無しさん@3周年:04/12/24 21:57:50 ID:uSYLWDQd
>>690 マントラではダメですね。
オートマチックになりますね。惰性になるんです。
惰性になると頭にゆとりが生まれて思考が始まるんです。妄想が始まるんです。
「今、ここ」を実感してそれを実況中継するのがやっぱりいいですね。
「今、ここの感覚や思考や感情」をしっかり認識していれば
感情の塵が無意識層へ抑圧されていくこともありません。
頭はクリアになります。
抑圧された感情は必ず問題として現れます。感情も塵も積もれば山となるです。
その山が日常生活で問題となって噴出します。
気づきが、明確になりスピードも上がるとラベリング(実況中継)が
追いつかなくなります。
だから、いずれは実況中継しなくなるのでしょう。
でも、それはかなり進歩した境地でしょうね。
実況中継は補助輪かもしれませんが、末永く付き合っていく補助輪ですね。
19 :
名無しさん@3周年:05/02/20 01:57:49 ID:x1DxyCbG
709 :名無しさん@3周年:05/01/01 12:20:28 ID:ouWj1LZd
>>アサザオーシオン
一般的な人々は、企業研修などにおける禅道場の警策に脅え、
足のしびれにたえ、姿勢を不動に保つのが瞑想であると思いこんでおられるようですが、
これは釈尊が説かれた「智慧、念、定、精進」の中の(定)と(精進)に着目しているだけで、
古今東西の、特に武術に用いられたものであります。
ですから「解脱」を目指す仏教の瞑想とは違います。
byウ・ウィジャナンダー大僧正
20 :
名無しさん@3周年:05/02/20 02:02:31 ID:x1DxyCbG
764 :名無しさん@3周年:05/01/24 04:51:14 ID:cai1Yiji
1
慈しみ(スッタニパータより)
究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次ぎのとおりである。
能力があり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。
足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感覚官が静まり、
聡明で、高ぶることなく、諸々の家で貪ることがない。
他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。
一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
一切の生きとし生けるものは、幸であれ。
何人も他人を欺いてはならない たといどこにあっても 他人を軽んじてはならない。
互いに苦痛を与えることを望んではならない。この慈しみの心づかいを、しっかりと保て。
立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみの心づかいをしっかりと保て。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。
21 :
名無しさん@3周年:05/02/20 02:04:42 ID:x1DxyCbG
798 :名無しさん@3周年:05/01/30 09:11:14 ID:h+QCEHcV
591ですが失言でした。すみませんでした。
799 :名無しさん@3周年:05/01/30 17:54:28 ID:Xgks0bf1
>>798 591って、、んな200も前のカキコに今さら。
どうした?君にいったいなにがあった?w
800 :名無しさん@3周年:05/01/30 18:17:41 ID:xf5zwch1
>>799 「罪悪感の心理学」を知ったのかもしれない。
罪悪感は、無意識層へ入ってしまうと、質が悪い。
無自覚のままに、不幸を選択してしまうからだ。
人間は、基本的に罪を犯すと、その償いをしようとする心の働きがある。
「罪を犯した私には罰が必要だ」
「罪を犯した私には幸せは似合わない」となってしまう。
意識上にあるなら、対処のしようがあるが、無意識での働きだから、
どうして、私は、幸せを望みながらも不幸な人生を送っているのだろう?となる。
個人の意見を言ったまでだとしても、自分のどこかに、嘲笑的物言いをしたなぁと
心に引っかかっていたら、それが罪悪感となる。
そんな小さな罪悪感でも、解消されないと塵も積もれば山となるである。
その罪悪感の山が、無自覚に不幸を選択させる。
幸せを掴む能力があるのに、「幸せを掴む」という選択を避けることになる。
ヴィパッサナーで意識の領域が広がれば、無意識層へ隠れていた罪悪感に気づく。
罪悪感を意識化することで、人生が改善していく。
22 :
名無しさん@3周年:05/02/20 02:06:08 ID:x1DxyCbG
816 :名無しさん@3周年:05/02/05 00:05:13 ID:zZFitdsr
人生を仏教の研究に費やした中村元博士の墓碑には、
般若心経からの一節ではなく、スッタニパータからの一節が
刻まれています。
中村博士のスッタニパータへの思いがくみ取れますね。
23 :
名無しさん@3周年:05/02/20 02:10:31 ID:x1DxyCbG
885 :名無しさん@3周年:05/02/10 15:12:26 ID:0YLl7WAg
悟りとは、平気で生きられること。
(by永平寺78代目住職、宮崎奕保みやざきえきほ104歳)
で、スッタニパータとヴィパッサナーの話しはどうなったの?
24 :
名無しさん@3周年:05/02/20 02:13:01 ID:x1DxyCbG
918 :改訂 みんな今どこの段階?:05/02/11 16:38:25 ID:HIDkh0sp
☆阿羅漢☆ とりあえずゴール☆ヽ( ´∀`)ノヒャッホー!☆
↑
智見清浄
・随順智
↑
行道智見清浄 正しい修行の過程を知る。
・行捨智 激しい努力もせず、諦めもせず行を続ける智慧。
・省察智 再び考察する智慧。
・脱欲智 全てから逃れたいと感じる智慧。
・厭滅智 厭い、嫌だと思う智慧。
・過患智 (諸行の)欠点を見出す智慧。
・怖畏智 全てが恐ろしいと感じる智慧。
・壊滅智 ただ、全てが滅んでしまったと理解する智慧。
・第三の智慧 第一は、脹らみを分かる智慧。 第二は、脹らんでいると念じている心を分かる智慧。
↑ 第三は、脹らみを分かる智慧と脹らんでいると念じる心を分かる智慧。
↑
道非道智見清浄 正しい修行法であるか、そいれとも誤った道であるか判断する。
・生滅智 全ては生じては滅ぶと理解する智慧。
・観捨智慧
・思推智 無常、無我、苦であると思う智慧。
・推智慧 推測的な智慧。←現見智(現在の対象を念じる智慧)から発生する智慧。
↑
渡疑清浄 過去、未来、あるいは現在において自分が存在することに関する疑いが解ける。 因果のサイクル。
・縁摂受智慧 正しい因縁を受け取り、理解すること。
↑
見清浄 「念じる対象」と「念じる心」しかないと正しく確認する。 心が先。
・名色分離智慧 色(身体、身体の活動)と名(心、認識、認知、知覚)を区別する智慧。
↑
凡夫とか田代マサシとか野村サチヨとか。 あと私だす。
25 :
名無しさん@3周年:05/02/20 02:14:17 ID:x1DxyCbG
919 :名無しさん@3周年:05/02/11 16:48:07 ID:HIDkh0sp
ヽ( ´∀`)ノなんか良いこと言ってる感じ♪
両忘(りょうぼう)
是非や善悪、愛憎や苦楽、いやもっと云えば生死でさえも、
禅では片方を選ぶのではなく両方ともに忘れようという。
大脳皮質の得意な相対的価値判断を、越えるのでえある。
by 玄侑宗久
ヽ( ´∀`)ノヴィパッサナーでもいいよね〜。どっちでもいいよね〜♪
26 :
名無しさん@3周年:05/02/20 02:15:58 ID:x1DxyCbG
27 :
名無しさん@3周年:05/02/20 02:19:43 ID:x1DxyCbG
937 :ヴィパッサナーと慈しみのある一つの関係:05/02/12 19:14:09 ID:crbKcIra
「全人類の心の共通項」=「人間としての普遍」は、「生きたいという心のベクトル」。
「生きたいという心のべクトル」と「破壊的感情」はマッチしない。
「破壊的感情」と「自殺」ならマッチする。
「生きたいという心のベクトル」と「慈しみ」はマッチする。
相手を慮って、もちつもたれつの助け合いの心は、典型的な慈しみの心の様態の一つだ。
つまり
「人間としての普遍」=「生きたいという心のベクトル」=「慈しみ」と繋がらないか?
「人間としての普遍」=「慈しみ」ともなる。
「人間としての普遍」の在り所は「共通の無意識層」であろう。
私たちは、無意識層の底にある「共通の無意識層」とどうアクセスすればよいのか。
「慈しみ」が手がかりになるのではないか?
「共通の無意識層」は、ユングのいうところの「共時性」を発生させる場所である。
「慈しみ」を通して、「共通の無意識層」へコンタクト出来た場合、
どのような「共時性」が発生するのだろうか。
それは「慈しみの共時性」であろう。
「思考や観念」を手放したヴィパッサナーの実践で、無意識層とのやり取りをよりスムーズにして
「慈しみの精神状態」で毎日を生活していけば、「慈しみの共時性」が発生する人生になるかもしれない。
例えば、小さなことにも感謝の気持ちを持って生活していくことなどであろう。
「生きたい」から「戦争で人を殺した」というケースはどう考えればいいのだろう。
これは、「生きたい」から「破壊」と繋がっている。
しかし考えてみれば「生きたい」から「破壊」の手段を選択するのは、人類共通の選択ではないことがわかる。
「逃避」や「迎合/降参」や「妥協点の模索」や「受容」なと選択肢はいろいろあるのだ。
もっと簡潔にまとめたかった・・・反省
28 :
名無しさん@3周年:05/02/20 02:23:43 ID:x1DxyCbG
974 :名無しさん@3周年:05/02/17 21:24:58 ID:16QFO8UW
記憶の話し。
「ピンボケで撮影された映像はピンボケで再生される」
記憶をこのように喩えている説明がありました。
テレビの科学番組だったと思います。
ヴィパッサナーで明確に隙間無く対象を意識していれば
記憶力の向上にも繋がるような気がしました。
ウエートトレーニングで、
負荷が掛かってる筋肉の部分を「意識してください」と
トレーナーが指導することも、興味深い感じがします。
29 :
名無しさん@3周年:05/02/20 02:25:11 ID:x1DxyCbG
993 :(・∀・)ノノノ :05/02/19 22:06:20 ID:i0QjYSyz
脱・野狐禅♪ 脱・丘サーファー♪
994 :名無しさん@3周年:05/02/20 00:27:50 ID:B0u06/ku
(・∀・)ノ2
995 :名無しさん@3周年:05/02/20 00:31:18 ID:PtzBHfCt
1000ゲットしたい
996 :名無しさん@3周年:05/02/20 00:31:38 ID:PtzBHfCt
ヽ(`Д´)ノ
997 :名無しさん@3周年:05/02/20 00:31:57 ID:PtzBHfCt
とりあえず、様子見・・・
998 :名無しさん@3周年:05/02/20 00:33:23 ID:PtzBHfCt
ササッ((((・_・)
999 :名無しさん@3周年:05/02/20 00:33:29 ID:PtzBHfCt
(´∀`|・|) ソー
1000 :名無しさん@3周年:05/02/20 00:33:33 ID:PtzBHfCt
うほ
1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
>>25 実際悟って無いのに、どうしてそれが分かるのか?
31 :
名無しさん@3周年:05/02/20 14:23:19 ID:C7mSBUNi
>>30 たまには自分の意見でも書き込めば?
今までのところ能無し野党の印象がある。
32 :
助け合いという名のネズミ講年金:05/02/20 23:50:35 ID:5QNX3bKY
おい誰か機能の新宿の朝日カルチャーセンターに行った香具師いないのか?
33 :
名無しさん@3周年:05/02/21 01:01:20 ID:fwCST5E4
>>32 どうしてレスを返してもらえないんだようね。訊き方かな。
34 :
助け合いという名のネズミ講年金:05/02/21 01:30:59 ID:f9GRBs1q
いや、たぶん誰も炒ってってないんだろう。
俺流瞑想もしくは脳内迷走者がほとんどなのか?
帰納は16人ぐらいしか予約はいってなかった。
本はあれだけ売れているのに実践者は少ないのが現実化?
35 :
名無しさん@3周年:05/02/21 03:01:45 ID:y5OPkNRx
例え悪く誰かに言われたときでも
怒りや仕返しの想いを含む
脳内迷走者能無し野党などの
類の言葉は使用してはならないと
仏陀は言っています
またそのように言われたときでも耐え忍べと言っています
またそのような人と議論してはならないと言っています
36 :
名無しさん@3周年:05/02/21 03:12:29 ID:k3P5o7xc
30は真面目に聞いてるのかもしれないよ。。。
37 :
名無しさん@3周年:05/02/21 06:07:11 ID:jfgJPLgQ
>>36 議論が水掛け論になるか、対立と見解の相違のみを果実になるか、
その人の便利や役に立つかを考え
議論すべきであり無益に思われる議論は止めよと仏陀は言っています
天上界や死後のことも考えてはならないと弟子の僧侶には言っています
スッタニパータでは
解脱者はどのような境地か彼は病気になるのかならないのか
そもそも解脱者は実在するのかしないのかという質問に対してすら
ケースの応じては「私はあなたにそれを論じる言葉がありません」
と仏陀は回答を拒否しています
38 :
名無しさん@3周年:05/02/21 06:23:34 ID:jfgJPLgQ
仏陀は
その者がこの宇宙をはかりしれないならば同様に解脱者について
はかり知ることはできないといっています
(逆に考えれば宇宙をはかり知れる境地の者ならその物差しで
知れるということにもなります)
解脱者が自分が解脱したと知ることができるという論理的には
矛盾律のような表現をしています
ヨーガでは解脱の定義を一応心の作用を止滅することとしています
(心の作用を止滅したことを知る智はここで定義する心と異なる別の
存在ということになります)
39 :
名無しさん@3周年:05/02/21 06:32:21 ID:jfgJPLgQ
ヨーガにおいては心の作用を止滅することが目的であるのかも
知れませんが(そうでないかもしれませんが)
仏陀は自分の教えの目的を苦しみを滅ぼす教えに位置づけているように
思われます
最終的に仏陀がヨーガで定義するところの解脱にいたったのか
それと少し異なる解脱にいたったかは色々な見解が分かれるところで
あると思いますが
そもそもそのような議論があるとしても仏陀はその議論を
熱心にさかんにやりなさいとは言わなかっただろうと
自分は思います
40 :
名無しさん@3周年:05/02/21 06:46:23 ID:jfgJPLgQ
解脱とは心の作用を止滅することと
定義すればそれはそういうことになるだろうし
解脱とは苦しみを滅ぼすことと
定義すればそれはそういうことになるだろうし
人によっては空中浮遊や神通力が伴わうものが解脱である
などや
死後あの世この世/輪廻から抜け出ることが解脱である、
苦しみが生じて死滅する縁起の輪廻を出ることが解脱である
など色々な見解はあり得ると思います
41 :
名無しさん@3周年:05/02/21 10:35:44 ID:JyjbB2pm
スッタニパータに拠りますと
議論や発言に際しては自分によく気をつけて
怒りや敵意や衝動/感情に基づいた言葉や
相手を侮辱したり愚弄したり苦しめたりする言葉を発することを抑止して
可能な限り相手の心を少なく害するような言葉を選んで語るべきである
と仏陀は言っています
なかなか守るのが難しい戒だと思います
42 :
名無しさん@3周年:05/02/21 12:52:43 ID:ijBNCsrD
座禅とヴィパッサナーの違いは何でしょうか?
>41 苦とは、ヴィパッサナーの相続を妨げるもの(六根からの入力などによる)の総称ともとれそうです。怒りも苦。ヴィパッサナーが途切れない間は、苦が起こらない。怒りも起こらない。
44 :
41:05/02/21 13:12:58 ID:2RZBEqaO
>>43 成る程。
確かにおっしゃる通りであると思います
となると快や愉悦もヴィパッサナーの相続を妨げるものとなりますから
快や愉悦も一切皆苦というふうにもとれますね
45 :
名無しさん@3周年:05/02/21 13:22:56 ID:2RZBEqaO
>>42 その答えは
座禅を想いが生じたらそれに気付いて止める
再び想いが生じたらそれに気付いて止める・・
というような正法眼蔵のようなものと定義するのか
座禅を想いが生じたらその想いを観つめる
というような観想のようなものと定義するのかによって
変わってくるように自分は思います
座禅を後者のようなものであるとしますと
ヴィパッサナーに近い感じもあると思います
46 :
名無しさん@3周年:05/02/21 14:14:02 ID:kkkqwcuj
47 :
名無しさん@3周年:05/02/21 15:29:39 ID:vEbKDLAt
仏陀のお姿をありありと心の中でイメージしてそれと同一化したとき解脱するんじゃないですか?
48 :
名無しさん@3周年:05/02/21 16:06:58 ID:JejYMFfR
>>47 そのような瞑想法は自分は初めて耳にしました
それはどちらかというと偶像崇拝の類に相当し
仏教ではしてはならないとされていることの方に当てはまると思います
ただそういう瞑想法、聖者を思念する瞑想法は存在するのかもしれません
49 :
名無しさん@3周年:05/02/21 16:25:37 ID:dUvA42HS
50 :
名無しさん@3周年:05/02/21 16:54:45 ID:6h08tusr
51 :
名無しさん@3周年:05/02/21 21:09:07 ID:9zgVizMm
>>50 そこの板は日本テーラワーダ仏教協会による指導内容だけの印象がありますね。
52 :
助け合いという名のネズミ講年金:05/02/21 21:54:37 ID:Uy8OWttE
>>49 チベット仏教が同じようなことをやってました。
53 :
整理してみた:05/02/21 22:05:46 ID:9zgVizMm
パーリ五部 漢訳四阿含
・長部 ディーガ・ニカーヤ 34経 →長阿含経 ディールガ・アーガマ 30経 法蔵部
・中部 マッジマ・ニカーヤ 152経 →中阿含経 マドゥヤマ・アーガマ 221経 説一切有部
・相応部 サンユッタ・ニカーヤ 2872経 →雑阿含経
・別訳雑阿含経 サンユクタ・アーガマ 1362経→説一切有部 (説一切有部派がいわゆる小乗仏教)
・増支部 アングッタラ・ニカーヤ 2198経 →増壱阿含経 エーコッタリカ・アーガマ 471経 大衆部系
●小部 クッダカ・ニカーヤ 15経 →雑蔵 (●北方経由で来日しなかった釈尊の教え)
小部(クッダカ・ニカーヤ)の経典
●「スッタニパータ」←中でも「八つの詩句の章」と「彼岸に至る道の章」が最古のものらしいです。
・「ダンマパダ」(法句経)
・「ウダーナ」(感興偈)
・「ジャータカ」(釈尊の前世物語)
・「テーラガータ」(仏弟子の告白)
・「テーリーガータ」(尼僧の告白)
など。
観法(ウィパッサナー/四念住経)については、長部に
アーナンダよ。
ここに修行僧は、身体について身体を、甘受について甘受を、
心について心を、法(諸々の事象)について法を観察し、
熱心に、よく気を付けて、念じていて、世間における貪欲と憂いとをのぞくべきである。
とあるようです。
54 :
名無しさん@3周年:05/02/22 01:20:34 ID:1yFL5c8p
それぞれ、弱すぎず、強すぎず、均衡になることが修行の促進に必要。
・信が強く智慧が弱いと、つまらないことも信じて頼りにしてしまう。
・智慧が弱くて、信が浅いと、選択が多くかなり進歩しても満足しなくなる。
・定が強すぎると、精神状態が落ち込み卑屈の原因になる。
・精進が強すぎると、安定性がなくなり把握できない。
・念については、強ければ強いほど良い。
・智に働けば角が立つ。
・情に掉させば流される。
・意地を通せば窮屈だ。
・とかくこの世は住みにくい。
天台宗の止観とヴィパッサナーには違いがあるのでしょうか?また、違うとしたら、なぜ修行の名称は伝わってるのに実践方法が伝わらなかったのでしょう。
56 :
名無しさん@3周年:05/02/22 18:24:26 ID:mcYcrbF2
天台魔可止観の止観業の意味は
止(サマタ)観(ビバサナ)業(バーバナー)とパーリ語の漢訳
座禅姿勢にこだわったり居眠り者を棒で打つのはもう武術の世界だと
スマ長老は言っていた
経行(きんひん)も歩く迷走が形だけ伝わったのだろう
数息観(すそくかん)というとどーも呼吸法とニポーンジンは勘違いすてるが
実際は呼吸を観察するだけ。ラリーローゼンバークの本のように
長く息を吸う時は、長く息を吸う。。と知る
>違うとしたら、なぜ修行の名称は伝わってるのに実践方法が伝わらなかったのでしょう。
これは知りたいな。ブッダがヴィパッサナーを誰から学んだかも謎だぁ
岩波文庫のやつ、「ブッタ最後の旅」以外は注がうざいんだよ。
58 :
名無しさん@3周年:05/02/22 21:38:50 ID:u2kLlG6w
あくまで勝手な印象なのですがスマ長老様は
解脱していないような感じを受けるのですが
どうなのでしょう?
もちろん誰が解脱しているだのしていないだの論じるのは
愚かな事だと思いますがスマ長老様自身は
自分を解脱者と称しているのでしょうか?
ついに悟りを開くという本は出されていますね。
59 :
助け合いという名のネズミ講年金:05/02/23 01:06:34 ID:9myTB+D5
イエスといえば下品になるしノーといえば戒律を破ることになる。
60 :
苦沙弥先生:05/02/23 01:33:18 ID:e22AoJ5A
>>54 夏目漱石先生もヴィパッサナーされて、もう少しストレス和らげる
ストレスとうまく付き合うすべをもっていられたら・・・
もっと作品、残してほしかったですね。スレ違い、板違いすみません。
61 :
名無しさん@3周年:05/02/23 01:52:33 ID:WypuzmpF
>座禅姿勢にこだわったり居眠り者を棒で打つのはもう武術の世界だと
>スマ長老は言っていた
スマナサーラ長老はこの他にも色々なことや道、
人に対する批判を語られており
仏教の道理からすれば
もうちょっと当事者の心や気分を
少なく損ねる表現もあるかもしれないのに
と感じたことはありました
おおげさに言えば人を侮る感じを極わずかですが感じました
もちろん自分の単なる誤解、考えすぎなのかもしれません
いや、十分侮ってるでしょ。あの人は。
63 :
名無しさん@3周年:05/02/23 21:10:07 ID:F8uz8y/h
64 :
名無しさん@3周年:05/02/24 02:27:49 ID:V3Q1Vbwj
>>62って
いつも自分の意見は書かないで、他人の意見に水をさしてばかりだけど、
日本テーラワーダの話しが出てくると
すぐに飛び付いて、スマナサーラにケチをつける人だったんだ。
同一人物だったんだ。。。
前スレからこのスレに絡んでいるようだけど、こっちへ行けばいいじゃん。
↓
http://jbbs.livedoor.jp/sports/20940/ このスレは、特定の個人や団体や機関をバッシングするスレじゃないよ!
真言宗が仏教を顕・密に分けて密を選んだり、浄土宗が仏教を聖道門・浄土門に分けて浄土門を選んだように、サマタとヴィパッサナーに分けて、日本仏教14番目の宗派ヴィパッサナー宗を開けそうですね。
66 :
名無しさん@3周年:05/02/24 18:29:56 ID:MrT5kp1V
在家と解脱は共存するのかと考えて見た場合
自分の車のローンに毎月5万円払いながら
食うにも食えない困っている人にはお金を送るわけでもない
とか自分の子供の学費には多くのお金を使用するが
スマトラにはわずかのお金を送る
ということになり自分の財産の所有、在家にはかなり限界と制限
がでてくると最近考えました
無一文の托鉢出家修行者以外に解脱があり得るのかと。
この辺りのみなさんの考えはどうでしょう?
67 :
名無しさん@3周年:05/02/24 18:38:21 ID:MrT5kp1V
仏陀の時代でいう托鉢出家者は
現在のような状況ですと
ホームレス修行僧という類の人がいれば彼が近いように思います
68 :
名無しさん@3周年:05/02/24 19:01:29 ID:MrT5kp1V
スッタニパータに拠りますと
出家修行者に対する戒ですと
なにかありがたい法話や真理を在家信者や人々に説いて
その見返りやお礼として供物、食物、集金を得るような形態であっては
ならないとかかれています
となると出版や印税収入も解釈によりますが含まれてしまいます
資本主義から富を集金しそれを貧しき人に再分配するという
それならまた少しことなるのかもしれません
69 :
名無しさん@3周年:05/02/24 19:16:20 ID:xvZ560YT
まずは疑ってかかれ。
70 :
名無しさん@3周年:05/02/24 19:56:20 ID:MrT5kp1V
いつも自分は思うのですが
>>69さんの批判の目的は
いったいなんだろう?彼の欲望は?
彼はどのような彼の苦しみから批判の愉悦を楽しみ喜ぶのか、と。
71 :
名無しさん@3周年:05/02/24 23:23:33 ID:gCxn52RB
> となると出版や印税収入も解釈によりますが含まれてしまいます
> 資本主義から富を集金しそれを貧しき人に再分配するという
> それならまた少しことなるのかもしれません
あのースマ長老の場合、本人は与えられた場でしゃべってるだけで
出版自体は周囲の人間がスマ長老の録音テープからテープお起しして本にまとめてるだけだお
72 :
名無しさん@3周年:05/02/24 23:31:34 ID:dlPB918x
>>71 スマ長老は出家修行者であり無所有であり私有財産少なく在り
集金も利益の集もまた存在しない
というのであればまことの聖者/何物も要しない者
かもしれませんね
73 :
名無しさん@3周年:05/02/25 00:06:36 ID:P6/GIB3+
仏陀は
「自分が解脱したという者が現れた場合
そのようなことを彼から聞いたならばそれは信用せざるを得ないし
それを非難すべきではないし彼の教えの内容も非難すべき
ではない」と言っています
ただその場合仏道修行者は
「彼の語る内容と彼の実際に行為しているあり方を
仏教の諸経典に説かれている内容、教え、戒律に照らし合わせて」
彼のあり方、彼の語る内容が
諸経典の教えに従っており戒律に従っていれば
彼をその語る通りの人と判断し、そうでなければ
そうでないと判断せよと言っています
74 :
名無しさん@3周年:05/02/25 00:08:25 ID:Q9XK0YYt
>>69 昔、オウムがマスコミでいよいよ問題視されはじめたとき
スマナサーラ長老は、「麻原は解脱していない、嘘だ」と言ったそうです。
ところが、周りから「あなたはいつもケチばかりつけている」と一蹴されたそうです。
オウムにとっては、長老が見触りな存在で説法会には、オウム信者が忍び込んでいたそうです。
それはちょうど邪魔な存在を何人もポアしていた時期と重なってるかもしれません。
今でもなお麻原シンパである人にとっては、スマナサーラ長老は面白くない存在なのでしょう。
75 :
名無しさん@3周年:05/02/25 00:16:27 ID:7AE6cvnk
>>74さん
自分の感じと印象と動機はそのようなとこからの感じではありません
単純に
>>61で感じたような内容です
>スマナサーラ長老は、「麻原は解脱していない、嘘だ」と言ったそうです。
そのことはかえってむしろスマナサーラ長老の洞察力、神眼を
証明する方の根拠になると自分は思います
76 :
名無しさん@3周年:05/02/25 00:21:43 ID:7AE6cvnk
>>74さん
>>69の人が
このスレ及び前スレから存在したただ人の意見を批判し煽り
侮り侮蔑することが楽しみであるかのような一連の人と
同一人物であるとするならば彼の意見は返答するには値しないもの
であると自分は思います
77 :
名無しさん@3周年:05/02/25 00:32:11 ID:7AE6cvnk
>>74さん
麻原氏は
>>73における行為と諸経典の教えの異において
解脱者ではない可能性が在り得ます
自分はオウムの教義を知らないし彼を見たこともないし
マスコミの情報をある程度信じる立場からですが
麻原氏が解脱者でないと推定します
78 :
名無しさん@3周年:05/02/25 00:36:48 ID:7AE6cvnk
経典上に見られる仏陀と同じような生活、行為、受戒
を為している人物が存在し
またはそのような仏陀の生活と大きく異ならない生活をしている人物
が存在し彼が自身を「解脱者」と称しているのならば
自分はその人をそうであると信じます
79 :
名無しさん@3周年:05/02/25 00:40:50 ID:7AE6cvnk
仏教の教えと道理からしますと
解脱者が舌に美味なる食物を好んで食べる行為は在り得ません
それだからメロンを貪り味わう行為もまた在り得ません
80 :
名無しさん@3周年:05/02/25 00:49:37 ID:7AE6cvnk
仏陀の言葉のみを真実であるとしますと
解脱者は私有財産は存在しないかごくわずか/無所有であり
教えを販売しその見返りとして集金活動を行ったりせず
そうであるとしてもごくわずかにとどめ
最低限の生活をしながら
満ち足りて生きている人ということになります
また人を苦しめたり傷つける言動も最小限にする人物
ということになります
81 :
名無しさん@3周年:05/02/25 01:15:02 ID:Kww0iuJx
>>52 いや、やってないよ。
オウムは「チベット密教がそういうことをしている」と主張しているだけで
実際はちがいます。
82 :
名無しさん@3周年:05/02/25 02:10:50 ID:U39ENOsE
ダライラマ「日々の瞑想」P234を読んでからかけ。
83 :
名無しさん@3周年:05/02/25 02:34:29 ID:Kww0iuJx
少なくともスッタニパータのスレでやる内容じゃない。
84 :
名無しさん@3周年:05/02/25 02:37:16 ID:Kww0iuJx
ダライ・ラマは昔から好きで尊敬もしてたし、チベット仏教の本も
沢山読んだけど、神秘主義やオカルティズムと勘ちがいするのは
あまり関心しない。
だからあえて否定しただけ。
ダライ・ラマのスタンスも、仏教はLearn(習得)ではなくて Study(研究)
しましょう、というスタンスでしょ。
85 :
名無しさん@3周年:05/02/25 12:59:04 ID:U39ENOsE
観想法をオカルティズムと比較するのはオマイの勝手。
チベット仏教の話がしたくて上座部をオウムと似ている
とか盛んに揶揄していたのか?
小さい奴だ。
86 :
名無しさん@3周年:05/02/25 13:22:12 ID:Kww0iuJx
>47
「仏陀のお姿をありありと心の中でイメージしてそれと同一化したとき解脱するんじゃないですか?」
↑この記述を真に受けると神秘主義に陥る危険性がある。
ここはスッタニパータのスレだから、神秘主義とは相容れないですよ。
87 :
名無しさん@3周年:05/02/25 13:29:49 ID:SAmm/8tQ
観法で頭をフォーマットして
そこに「慈悲」をインストールする。
それが仏教。
非日常性の場に押し込んで
頭を混乱させ思考能力をゼロにさせフォーマットし
そこに「教祖マンセー!」とインストールする。
これがカルト。
催眠商法にも活用される。
88 :
名無しさん@3周年:05/02/25 13:43:29 ID:SAmm/8tQ
観法で頭をフォーマットして
そこに「慈悲」をインストールする。
その具体的方法として、
「ウィパッサナー」で整えて「スッタニパータの“慈しみ”」を念じる。
人に騙されても、人を騙さない人間性になる。
「徳は孤にならず」だから、誠実な人々との人脈が生まれていく。
その場で上手く人を騙して利益を得ても、自分の中の罪悪感に嘘はつけない。
罪悪感の塵が山となり、いつしか「私に幸福は似合わない」となっていく。
幸せになれる能力がありながらも、幸せを選択しない人生となっていく。
幸せを選択しない自分は、無意識からの働きなので、
「どうして私の人生はこうも不幸なんだろう???」となる。
無意識層が「慈悲」で満たされていれば、親切行為に無理がない。
つまり、偽善意識で親切をするようなことがなくなる。
偽善が100%悪いということはないが、「人は人の無意識に反応する」ので、
どこか政治的な駆け引きの印象の親切になる。心の壁が打ち解けない。
>>88 その程度の内容ならそこらの(怪しげな?)カウンセリングでも
しっかりわかっててやってるよ
テレビでも芸能人が昨日同じこと言ってた
90 :
名無しさん@3周年:05/02/25 23:49:17 ID:chf8Hdut
ここの人たちは自分らと違った意見すべてが自分たちへの
批判、人格攻撃に見えるらしい。
なぜこんなにも哀れなのか疑問。
91 :
名無しさん@3周年:05/02/25 23:52:22 ID:chf8Hdut
スレが荒れるのは
オウム事件からのてーラワーだの在家の人たちの神経質が原因?
92 :
名無しさん@3周年:05/02/26 00:27:41 ID:keO5JQfQ
>>ID:chf8Hdut
で、スッタニパータとヴィパッサナーの話しはどこ?
93 :
名無しさん@3周年:05/02/26 00:39:02 ID:DQnzsR7o
ID:chf8Hdutの言っていることに建設的なことは何一つない。
94 :
名無しさん@3周年:05/02/26 01:01:57 ID:YyPYg0Cw
>>92 人任せにせずに
>>93 ( ´_ゝ`)フーン
>>91は
ヴィパッサナー団体構成員が内部で優位争いしている場合じゃなく、
時代も変わってる。外部に目を向ければ意外といいものがでてきてるんだよね。
で
IDドキュンになってる DQnzsR7oの建設的レスとやらはどこです?
95 :
名無しさん@3周年:05/02/26 01:06:43 ID:YyPYg0Cw
ヴィパッサナーは内部も外部もないはずだが
2chヴィパッサナー信仰者の一部は内部と外部を隔ててる
96 :
名無しさん@3周年:05/02/26 01:11:15 ID:YyPYg0Cw
97 :
名無しさん@3周年:05/02/26 01:30:41 ID:keO5JQfQ
YyPYg0Cwさんは、スッタニパータのどの言葉が好きですか?
98 :
名無しさん@3周年:05/02/26 02:10:48 ID:keO5JQfQ
スッタニパータ360
師はいわれた、瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを
完全に止め、吉凶の判断をともにすてた修行者は、正しく世の中を
遍歴するでろう。
細木数子とか、仏教の概念を使っていたような気がするけど
当然こういう言葉があることを知らないんだろうな...
99 :
名無しさん@3周年:05/02/26 18:45:08 ID:6FG3IAMK
ここで互いに相手を批判して争いごとをして
互いに相手を悪く言いあったりしている人たちが
もしヴィパッサナーの修行と実践を日々している人たちだとすると
ヴィパッサナーの修行の成果をむしろ疑問にさえ思ってしまいます。
つまりヴィパッサナーは意識の修練や悟りや平安に
そんなに効果が無いのかと。
それとも罵りあっている人たちは知識や研究を重視している人たちで
実践はそんなにしていない人なのかどうなのかと。
100 :
名無しさん@3周年:05/02/26 19:13:47 ID:E6Vx+EZt
会教 会教 長い
101 :
けちゃっぷ:05/02/26 20:32:58 ID:+PSVKU7W
102 :
名無しさん@3周年:05/02/27 00:12:35 ID:7sIP4+jG
>>99 わたしはヴィパッサナーはやってないです。
人間としての釈迦が好きな、ただの人。
で、釈迦を人間扱いしてるスレが、ここしかなかっただけ。
103 :
名無しさん@3周年:05/02/27 00:28:56 ID:f6RYv9aE
>>102 >釈迦を人間扱いしてるスレが、ここしかなかっただけ。
そうなんですか?
それは意外な感じがしました
他スレでは釈迦は神/仏/超越者という風な扱いなんでしょうか?
104 :
名無しさん@3周年:05/02/27 00:35:19 ID:f6RYv9aE
自分の個人的な考えですと
釈迦は自身を徹底的に尋ね
自分を観察しつくして自分や自分の想いや
苦しみや欲望やそれらが生じる道理などの一切を知見した人
という認識をしています
釈迦の神通力などの存在の有無に関しては
自分は推定も判断もその確信につながる根拠と信仰を所有していない
という感じです
自分は釈迦に関しては人間のイメージです
105 :
名無しさん@3周年:05/02/27 00:50:04 ID:f6RYv9aE
一連のテーラワーダ仏教協会に関するその内容/実際を
そんなに知らない印象の人によるテーラワーダ仏教協会への
批判/悪口/罵声とそれに対する怒りの想いや仕返しの想いを
含んだニュアンスのあるテーラワーダ仏教協会を擁護する人の
言動は
例えば仏教をよく知らない人が宗教は弱い人間のやることで
仏教教団などは集金システムであり信者は洗脳されている
と批判されたときに
お前らこそ資本主義に洗脳されているんだ、そういう人間は
地獄に堕ちると感情的な動機から怒って相手をなじる
感じに似たニュアンスを感じています
例えば仏教を実践し学習している人が
仏教をよく知らない人から「仏教ってなんとなくいいね」と
言われたら何の道理も理由もなくても少し嬉しい気分になる感じが
あり、逆に「仏教ってなんとなく胡散臭い」といわれたら
さみしい気分になるような
そのような階層/次元を感じています
スッタニパータには
そういうことは止めなさいとかいてあるように自分は思っています
106 :
名無しさん@3周年:05/02/27 00:58:14 ID:f6RYv9aE
報復や感情的怒りと攻撃の想いを含んだニュアンスの言動を
起しているテーラワーダ仏教協会を擁護する気持ちの人が
ヴィパッサナーの意識の修業を日々実践している人々だとするならば
ヴィパッサナーの意識の修練は感情の暴走や怒りの発動に
対してそれを抑止するような効果はそんなに期待できないのか
それとも何か別の効果が期待できるのか
などとそのような感じに自分は考えています
>>106 本当に怒りや憎しみなどの人間が本来もっている感情が調教される所に
行くのには場合によっては何年もかかるでしょう。その途中に居る人たちに
「ぜんぜん出来て無いから瞑想なんかしても無駄だ」と決め付けるのは
少し判断が短絡的だと思います。
例えば、野球を始めたばかりの人に、プロのように打てないからって全く野球なんて
やる意味無いだろとか言わないでしょう。
もう感情の暴走がないのなら、その人が今更修行する必要も無いでしょう。
108 :
名無しさん@3周年:05/02/27 01:31:24 ID:rvMskpW3
>>107 自分はそこまでのことを決め付けたニュアンスのことを
言いたいわけではなかったのですが
趣旨をわかりやすい感じにするために少し
極端かつおおげさに表現してしまったところがあったと思います
そのことで気分を害する方がいらっしゃったら
申し訳ないと思っています。
>>107さん。ごめんなさい。
実際気分を害する方の道理も理解できます。
自分が言いたいところはそうではなく
ヴィパッサナーの意識の修練は感情の暴走や怒りの発動に
対してそれを抑止するような効果は
それを実践する前と後ろで自身でどうであるか。
>>107さんの場合ではどのような感じが起こったか/効果
そのような所をヴィパッサナーの実践経験者として
体験の感じを聞かせていただきたいのです
109 :
名無しさん@3周年:05/02/27 01:38:19 ID:rvMskpW3
また実際に怒りの想いが消滅する/減退する
ということの有無ということがあり
それと同時に
怒りの想いが起こりそれに基づいて言動や行為にする
ということは少し異なると自分は考えています
怒りは生じ消滅しなくても
怒りの言動は抑止して耐え忍び苦しみ行為としての戒を守る
ことは可能なことであるとも自分は思っています
もちろん戒を守ることは困難なことには決まっているとも思っています
110 :
名無しさん@3周年:05/02/27 01:49:46 ID:rvMskpW3
このスレでもテーラワーダ仏教協会を罵倒し悪くいう人の一部の
発言には明白な悪意を感じたし、前スレでも
ただ人の意見を悪意と侮りのみをもってそれをする人の存在を
主観的にですが感じました
人情としてそのような人を汚い言葉で叩きのめすような
怒りの報復の言動を吐きたいと自分は思いました
しかしその動機を考えてみた場合
それは自分の正義感の欲望を満たし溜飲を下げる快楽行為以外の
何かが無いと思い、怒りを行為に移すことを耐えました。
それは戒ではなく抑圧にすぎないという立場からすると
そういう立場もあるのかもしれませんが
自分はそうでは無いと思いそのようにしました。
111 :
名無しさん@3周年:05/02/27 02:06:28 ID:rvMskpW3
2ちゃん自体このようなところですし
法律も定めも戒律も在りませんし
仏教徒以外の人も存在し
怒ればその感情の通りに悪意と復讐と呪いと恨みを以って
言動しても問題は無い
または悪意ある批判や言動に対しては正義で在るから
在る程度反撃は許されむしろ反撃しなければならない
という立場があれば何でもありであり個人の自由であるとも思います
しかしここがスッタニパータのスレであり
戒律を守る努力をする人が集まるスレであるとするならば
この後ここで起こり続けるであろう悪意や煽りや批判に対し
怒りでその度返答を繰り返していれば
このスレの根拠のいくらかが失われるような気もしているのです
そのような所が自分の正直な気持ちです
112 :
名無しさん@3周年:05/02/27 02:15:32 ID:76XOKEAs
>>110 > このスレでもテーラワーダ仏教協会を罵倒し悪くいう人の一部の
> 発言には明白な悪意を感じたし
飛び入りすまんが、探してもどの部分(悪くいう人の一部の発言)か見つからない。
少し大げさなんじゃないだろうか。
ヴィパッサナーを実践するなら、せめて怒りの源を知ろう。
113 :
名無しさん@3周年:05/02/27 02:31:57 ID:rvMskpW3
もし「戒律を守る」自体が目的であるなら
例えば自衛隊は憲法に違反していないと解釈できる
だから自衛隊は存在して良いなどということと同様に
仏陀は人に憎悪と恨みをもってその人を悪く言った僧侶について
彼は地獄に堕ちたと周囲に言っていた
それだから人に憎悪と恨みをもった人が現れた場合
その人に「お前は地獄に堕ちる」と言うことは破戒にならない
自分はむしろ悪人を更正し助ける発言をしたのだ
戒律は全く破られていない
となり自分に汚点/悪は存在しないと主張することが可能だと思います
自分の発言に怒りがあったか復讐の想いがあったか悪意があったか
攻撃の意図があったかなどということは
本質的には本人以外図り知ることはできないとも思います
そこの所を自分で知り自分で守ることが戒を守ることのように
自分は思います
自分の行為の汚点/悪の有無を第三者に認めてもらうための戒
であるとするならば行為の動機はどうであれ表面がキレイでなら良い
ということになると思うのです
それだから本質的には戒を破ろうがどうしようが
全くの自分の自身のみの問題だけであるように思います
その意味では破戒の人を破戒だから良くない/悪い/不正である/
仏教徒にふさわしくない/あなたは間違っている
などと糾弾する意図は自分にはありません
114 :
名無しさん@3周年:05/02/27 02:43:40 ID:rvMskpW3
>>112 すみません
前スレからの続きがあり
ただ理由もいわず人の意見を批判するだけの目的がわからない人
の存在を前提としてなおかつその印象と感じが主観的に悪意に感じた
ところからその発言をしています
自分が感じたのは
>>64さんの感じた悪意と類似した性質のものです
また少しおおげさに書いていることは認めるところです
115 :
名無しさん@3周年:05/02/27 02:55:14 ID:rvMskpW3
理由もいわず人の意見を批判するだけの目的がわからない人
に特に悪気はなくからかい半分で冗談であり暇つぶしである
とする立場からすると
悪意や嫌悪を感じるのは主観であり妄想である
ということになります
ただ怒りはそもそも主観であり思い込みであり妄想です
しかしそうは思えないから怒りであると自分は思うのです
もしそのような我想から生じる妄想は妄想であるから
そのようなものは存在しないと知見/正念正知できれば
それはそもそも意識の修行/仏教の根拠を失うと思います
116 :
名無しさん@3周年:05/02/27 03:02:32 ID:rvMskpW3
時には誰かの悪意も無い何気ない軽い一言によって
立ち直れないような苦しみを生じる人もいます
それは第三者や発言者からすれば妄想と言えます
ただ当人には疑いの無い事実です
そしてまた当人はそれを妄想と認識する術を知りえません
妄想を妄想と知見できるようなものならば怒りも苦しみも止まると思います
何回読んでも舌噛んじまうしおぼえらんねーよ
スレタイ
118 :
名無しさん@3周年:05/02/27 03:07:02 ID:rvMskpW3
ほとんどの人が多かれ少なかれ眠っていて妄想しており
それによって苦しんだり怒ったり喜んだりしているという考え/立場が
在りその眠りから目覚めるというのが
自分の仏教の教えに対する見解/解釈/方向性です
119 :
名無しさん@3周年:05/02/27 03:25:08 ID:rvMskpW3
悪意や悪といった実体/実存は存在しないと思います
ただ自分の精神的現象の中にはそれが実体/実存であるかのように
思えそう映ります
仏陀はそれはその者のそれに関する欲望の想いの所有によって
生じる存在であると言っています
それに関する欲望の想いの所有が消滅すればその悪意や悪の知覚も
起こりえないと思います
悪口を言われて罵倒されても
それに関する欲望の想いの所有が消滅した者にはそれが通用しない
悪意や悪が存在にならないと言っています
すごい教えであると思います
120 :
名無しさん@3周年:05/02/27 03:42:51 ID:KCiswXrB
日蓮は是れ法華経の行者なり。
不軽の跡を紹継するの故に。
軽毀する人は頭七分に破れ、
信ずる者は福を安明に積まん。
問て云く、
何ぞ汝を毀る人頭破七分無きや。
答て云く、
古昔の聖人は仏を除て已外之を毀る人、
頭破但一人二人なり。
今日蓮を毀呰する事の非は
一人二人に限るべからず。
日本一国一同に同じく破るなり。
所謂正嘉の大地震、文永の長星は誰か故ぞ。
日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。
上一人より下万民に至るまで、
之を軽毀して刀杖を加へ、
流罪に処するが故に、
梵と釈と日月四天と、
隣国に仰せ付けて之を逼責するなり。
大集経に云く、仁王経に云く、
涅槃経に云く、法華経に云く。
設ひ万祈を作すとも、
日蓮を用ひずんば、
必ず此の国今の壱岐・対馬の如くならん。
我が弟子仰て之を見よ。
此れ偏に日蓮が貴尊なるに非ず。
法華経の御力の殊勝なるに依るなり。
身を挙ぐれば慢ずと想い、身を下せば経を蔑る。
松高ければ藤長く、源深ければ流れ遠し。
幸なるかな、楽しいかな、
穢土に於て喜楽を受くるは
但日蓮一人なるのみ。
121 :
名無しさん@3周年:05/02/27 03:48:56 ID:eTZtm+eP
rvMskpW3さんの気持ちは分かる。
同時に、rvMskpW3さんは、一生懸命に自分に言い聞かせているようだ。
一生懸命に自分に言い聞かせる動機があるとすれば、それは、不安だと思う。
一際目を引く文字数からしても、必死に自分に言い聞かせているのが伺える。
なにかこう、ある種の弱さというか、危うさというか、不安を感じ取ってしまう。
rvMskpW3さんを責めている訳ではないが、そう感じてしまう。
感情を必死に理屈で押さえ込んでいることからくる不安のような気がする。
心の中で、相反する二つの感情がぶつかっている葛藤状態において
人は不安を感じると思う。
反対感情併存、それによる葛藤、その副作用としての不安感。
不安感を消すための、他人へのスレの形を取った自己説得のような気がする。
rvMskpW3さんの釈尊への思いはとても伝わります。
ただ、やっぱり抑圧人間タイプだと思う。
あっけらかんとした爽やかさや明るさ、すっきりした印象が感じられない。
感情をどうするかというのは、人間みんなのテーマなんですね。
そのテーマに真摯に向き合っていることはとても感じます。
122 :
名無しさん@3周年:05/02/27 03:56:58 ID:idLF4wGF
>>114>>115>>116>>118>>119 ううむ。その通り、怒りは妄想なのですが、よくご存知で。
その正確に分析する態度は、いづれ全てを明らかにするでしょう。
しかしながら、まだ実感していないようにも見受けられます。
怒りを感じたならば、なぜ感じたのか解かりにくければ、
逆にどのようであったら、嬉しいか、どのようであったら怒るのか、
どのようになることを望んでいるのか、一体何を守りたいのか
をよく確かめてみることをお勧めします。
123 :
rvMskpW3:05/02/27 03:58:00 ID:KM9zn4BR
>>121 それは全くおっしゃる通りです
それは実際に自分の苦しみと欲望の想いが在り
仏教の道理では苦しみは消滅できる/あるいは存在しない
ということがあり
自分は空を知覚したわけでも解脱したわけでもない
それ故、不安と虚ろさを全く排除したような断定的な記述はできません
>あっけらかんとした爽やかさや明るさ、すっきりした印象が感じられない。
それは私がそうような通りの人間では無いからです
苦しみと欲望の想いを所有した人間であるからです
124 :
rvMskpW3:05/02/27 04:06:35 ID:KM9zn4BR
>>122 アドバイスありがとうございます
>怒りを感じたならば、なぜ感じたのか解かりにくければ、
これは自分では
自分の正義感の欲望を満たし溜飲を下げる快楽行為
であったり
自分の見解や意見に同意されたら嬉しく想い
批判されたらさびしく想う
という欲望だと自分は想っています
125 :
rvMskpW3:05/02/27 04:09:05 ID:KM9zn4BR
>>122 >その正確に分析する態度は、いづれ全てを明らかにするでしょう。
↑このようなことを言われると根拠無く嬉しく感じるといった欲望です
この欲望の所有があるが故にその逆の苦しみが
実存/存在になっていると自分は思っています
126 :
名無しさん@3周年:05/02/27 04:09:43 ID:eTZtm+eP
釈尊は、人類史上で一番バランス良く頭と身体を使った人間かもしれない。
2500年前の人間と現代人の脳や肉体の構造が変わっているとは思えないので
現代でも釈尊の悟りへの道は、勉強になることだと思う。
釈尊は、受信器官を守って、無駄に考えるなと言っている。
そういうことで、ネガティブな感情から自分を守れと言っていると思う。
温室のような環境に住んでいれば誰でも穏やかでいられる。
問題は、現実は嫌なことが向こうから絡んでくるということだと思う。
自己選択の出来事なら人間はかなり納得できて感情に振り回されないと思うが、
嫌なことが向こうから絡んできたらどうするか?
受信器官を守って、無駄に考えないことは、妥協か?抑圧か?受け身か?
そこいら辺のことは、スッタニパータにもダンマパタにも触れられていない気がする。
キリスト教なら、神が与えた試練と解釈するかもしれない。
釈尊の教えにおいては、縁起で、納得しろというところだろうか。
縁起の教えは、感情の納め所なのかもしれない。自分から始まったのだから納得しろと。
127 :
名無しさん@3周年:05/02/27 04:30:40 ID:9xsGXwiU
>>124 > 自分の見解や意見に同意されたら嬉しく想い
> 批判されたらさびしく想う
私にはこのように感じます。
自分の見解や意見に同意されたら私が認められたと感じ
批判されたら、私が損なわれたように感じます。
私の思いが認められるということは私が認められることなのです。
私というのは常に認められようとしています。
私の存在を認めてもらおうと必死になっています。
人はいつでも一番になろうとします。
立派な人になりたい。
立派な人とはどのような人でしょう。
それは、その世界での一番の人のことです。
このように認められるということが、人の一生の目標になるわけです。
なぜ、私と言う存在は、認められようとするのでしょう。
なぜ、私と言う存在は、私のものを所有したがるのでしょう。
そこには秘密がありそうです。
実は私というのは認められたり、私のものを所有しているという感覚によって、
私自身が存在していることを証明しようと頑張っているのです。
私の物が全てなく、私が全く認められないとどうなるでしょう。
私はどこにも存在しなくなります。そう感じられます。
というのが私の見解です。
128 :
rvMskpW3:05/02/27 04:33:44 ID:KM9zn4BR
>>121 自分が能力を発揮し優越と思い込み
他人や周囲の人間を無能であると侮蔑し
優越感と傲慢を所有し欲望を制御することもなく追及し
怒りや敵意を相手に感じては
素直にそのままに相手に怒り攻撃し
そのように生きていた頃は自分を
>あっけらかんとした爽やかさや明るさ、すっきりした印象
のように周囲の人は感じていたようです
しかし自分はそのような生き方に叩きのめされ
それらを止めました
また自分に不安と苦しみと暗さがあるとするならば
そのような生活の果であると考えています
戒律を守り怒らない侮らない欲望を制限すること戒を守ることが
>>121さんのいうように抑圧でありそれらは開放したほうが良く
自然で自由であるとする立場からすれば
自分の道は抑圧の道ということになりますが
自分はその道を実践しようと考えています
129 :
rvMskpW3:05/02/27 04:36:34 ID:KM9zn4BR
>>127 その通りですね
ただそのような無我は一筋縄では得られないと思います
精進あるのみであると。
130 :
rvMskpW3:05/02/27 04:42:34 ID:KM9zn4BR
>>121 ただ怒りが自身の内に発生しているのに自分は
仏教徒であるから怒ったりそのような現象は存在しない
などとして感情を抑圧している所は全くありません
普通に怒りは生じるままにします
ただ行為として怒りの行動を抑止して戒を守るという立場
に立ちます
131 :
rvMskpW3:05/02/27 04:49:58 ID:KM9zn4BR
ただ本質的にはこのように
自分の見解を記述したり
相手へ自分の見解を述べることは
自分の知らなかった新しいことに気付く機会であると同時に
ある種の悦楽行為であり満足と欲望に耽る行為であり
破戒行為である一面を持っていると自分は思っています
132 :
名無しさん@3周年:05/02/27 05:07:16 ID:eTZtm+eP
>>127 >実は私というのは認められたり、私のものを所有しているという感覚によって、
>私自身が存在していることを証明しようと頑張っているのです。
>私の物が全てなく、私が全く認められないとどうなるでしょう。
>私はどこにも存在しなくなります。そう感じられます。
うんうん。
ある種の「保護」を求めているのかもしれません。
自分で自分が不確かな状態なのかもしれません。
自分の価値が、周りの認識の仕方に掛かっている状態かもしれません。
それが「人間の心」なのかもしれませんね。
特に、AC(アダルトチルドレン)には顕著だと思います。
親に受け入れられなかったことによる自己評価の低さがありますから、
どうしても、他者承認を過度に求めがちになります。心の安定が掛かっていからです。
「親」の部分を、「子供時代の大切な環境において」と換えてもいいと思います。
学校生活や近所や親戚関係がせいぜい子供の全世界ですから、
そこで排他的扱いを受けるとどうしても、自己評価が低くなり、自己無価値感に苦しみます。
「心の基本感情」が子供時代に作られるんですね。
その苦しみを解決しようとする手段が、他者承認を過度に求めるという方法になると思います。
「所有」も自分の価値を高める補助的手段と思います。
ここで問題があるのは、「諸行無常」ということだと思います。
恋人に他者承認を満たして貰っていても、人の心は変わるということです。恋人の心も変わります。
結局、他者承認を求める形での心の安定を維持する方法は根本治療にならないのでしょう。
釈尊の答えとしては、「自灯明、法灯明」だったのでしょうか。
133 :
rvMskpW3:05/02/27 05:07:23 ID:KM9zn4BR
>>127さんのいうとおり
自分がガンガン書き込みをするのは
>私自身が存在していることを証明しようと頑張っているのです。
の欲望を根拠としているように今ふと感じました
何故なら単なる意見の確認が目的であれば
誰の目にもとまらないであろう自分のノートにジサクジエンすれば
いいのですから。
それをしないということは
我の存在の表明としてその欲望に基づき
このような書き込みをしていると思えてきました
そしてそれは無我の不安でもあります
そしてまた
例えば仮に自分が解脱をすれば無我を得れば
むしろここに書き込む根拠は一切なくなるように思いました
表現があり公開があるとするならば
それは我/存在の欲望を根拠にしているのではないかと・・
134 :
rvMskpW3:05/02/27 05:10:56 ID:KM9zn4BR
求めているはずの無我に実は自分自身が最も恐怖している
のではないかと
135 :
名無しさん@3周年:05/02/27 05:15:18 ID:eTZtm+eP
私個人の見解としては、
「寂しさ」「不安」「性欲」が感情と欲の面での最大のネックだと思います。
「怒り」というのは、「感情の蓋」と言われていて、感情の正体ではないようです。
瞬間でも、初めに別の感情があって、次ぎに「怒り」が生まれるようです。
子供だったら怒るのではなく素直に泣くことでしょう。
「不安を動機とした問題言動」というのは、人間の生活に溢れていると思います。
「性欲の衝動」も、人間にとってかなり強烈で、
釈尊も滅するまでにかなり苦戦したと思います。
136 :
rvMskpW3:05/02/27 05:15:33 ID:KM9zn4BR
我は苦しいと同時に愉悦と安心であり
無我は苦しみも愉悦も無いけれどもそれは死のことであり
我/自我は死をもっとも畏怖している・・・のではないかと
137 :
rvMskpW3:05/02/27 05:16:24 ID:KM9zn4BR
>子供だったら怒るのではなく素直に泣くことでしょう。
成程
138 :
rvMskpW3:05/02/27 05:18:17 ID:KM9zn4BR
>>135 それでは自分の場合はそれは
恐怖/苦しみ/不安/失望→怒り
です
139 :
名無しさん@3周年:05/02/27 05:24:32 ID:eTZtm+eP
>求めているはずの無我に実は自分自身が最も恐怖している のではないかと
人間は、我が儘な生き物で、
「救われたいけど変わりたくない」と思う生き物らしいです。
心の法則として、
「不幸と不安、どっちかを選べと言われたら、人間は不幸を選びます」
不安よりは、勝手知ったる現状の不幸のほうがしのぎやすいと感じるんですね。
それ程、「不安」という感情は辛いものなのでしょう。
男は、女と金と恐怖で動くと言うらしいですが、「不安」もかなり強烈です。
「連続性は、同一性を保証しない」
これを痛感することが、現状執着を捨てる一つの助けになるかもしれません。
140 :
rvMskpW3:05/02/27 05:39:54 ID:KM9zn4BR
確かに不幸と絶望は鈍痛の重い圧迫感ですが確かに安心です
自我の消滅/我の死/精神的な我の消滅は耐え難い恐怖と不安です
この不安から怒りが生じる道理もうなずけます
141 :
rvMskpW3:05/02/27 05:43:34 ID:KM9zn4BR
部屋のゴミが現在多量に在りそれは不愉快で苦痛ですが
確かに捨てるとなると言い知れようの無い不安が生じます
142 :
名無しさん@3周年:05/02/27 05:59:43 ID:eTZtm+eP
「不安」←→「安定平衡点」
良かれ悪かれ安定を求めるんですね。
依存物の乱用は不幸ですが、そこには「安定平衡点」があるんですね。
薬物の場合は、エスカレートの恐れがありますね。
不倫は悪いことですが、とりあえず心の「安定平衡点」があるんですね。
身体的には、恒常性維持機能というのがありますね。
精神的には、自己都合の「合理化」という働きがありますね。
諸行無常、諸法無我だから、永遠の依存先は無いですね。
つまり依存では、根本治療にならないですね。
こだわって変化を受け入れられないから一切皆苦ですね。
143 :
rvMskpW3興味本位:05/02/27 06:03:32 ID:wt2q1Dku
>不倫は悪いことですが、とりあえず心の「安定平衡点」があるんですね。
>>142さんは不倫を実行なさっているんですか・・?(笑
144 :
rvMskpW3:05/02/27 06:04:15 ID:wt2q1Dku
>一切皆苦ですね
(゚ー゚)(。_。)ウンウン
145 :
rvMskpW3:05/02/27 06:05:32 ID:wt2q1Dku
しかし仏教修行者がこんな夜更かししていたらマズイ気もしますね(笑
146 :
rvMskpW3:05/02/27 06:08:09 ID:wt2q1Dku
>こだわって変化を受け入れられないから一切皆苦ですね。
ともに意識の修業/仏教を実践して
そこを出るよう頑張りましょう♪
147 :
rvMskpW3:05/02/27 06:10:42 ID:wt2q1Dku
>>142さんがどういう由来の人なのか興味はあります
心理学者なのか
医者なのか
ヤジウマなのか
宗教ジプシーなのか
仏道修行者であるのか・・
など
よろしければ教えてください
148 :
rvMskpW3:05/02/27 06:11:52 ID:wt2q1Dku
またはテーラワーダ仏教協会に由来するひとなのか
など
149 :
rvMskpW3:05/02/27 06:14:13 ID:wt2q1Dku
150 :
rvMskpW3:05/02/27 06:15:04 ID:wt2q1Dku
今日はおそくまでありがとうございました
おやすみなさい
151 :
rvMskpW3戒律の効果/意味:05/02/27 06:43:57 ID:Yizz9v8V
寝ようと思ってpc切っても
すぐ書きたいことが沸いて
欲望と我の想いが強くて困る・・・・
仏教ではしばしば戒→定→慧ということが言われます
仏教における正念/ヴィパッサナー/念処の意識の修練は
定の発現や自己観察/苦の起こる縁起の知見/
欲望の想いの所有などの気付きにとって有効であるように思いますが
では戒律を守ることによって得られる果実/効果/意味/ねらいとは
どのようなものなのでしょうか?
日々戒律を守ることによって欲望の制御や欲望の減少/止滅
の効果に役にたつのでしょうか?
その効果/道理をご存知の方がおられましたら
教えてくだされば嬉しいです
それではこんどこそ
おやすみなさい
152 :
名無しさん@3周年:05/02/27 07:05:05 ID:eTZtm+eP
>>いっぱい自分の考えを書いてる人へ。
なんか途中で読む気がしなくなった
あんまりいろいろ考えてしまう時って
自分に必死になりすぎてる時ですよね。
絶対に今答えを見つけなければイケナイというような。
それこそ自分に対する執着じゃないんですかね。
154 :
名無しさん@3周年:05/02/27 19:40:08 ID:+j1NempP
目的と動機と意図を伴った全ての発言や表現は
我と欲望の想いの存在と執着を拠り所とする
無我の発言ということは起こらない
155 :
名無しさん@3周年:05/02/27 20:06:15 ID:+j1NempP
我があり
その欲望の想いと動機から表現と発言が生じる
その発言と表現を見た者は
自分の我とその発言と表現を比較する
他者の発言と表現が自分の信念に一致すれば
我は喜ぶ
他者の発言と表現が自分の信念から外れていれば
我は自分を損なわれる不安を生じその恐怖から
他者を怒り批判し殺そうとする
我が発言し我が聞き我が怒り我が批判する
どこにも無我の存在するスペースはない
あるとするならば
そのような我を一切知り尽くしている意識でるように思う
156 :
名無しさん@3周年:05/02/27 20:07:21 ID:+j1NempP
意識でるように思う →意識であるように思う
157 :
名無しさん@3周年:05/02/27 20:27:51 ID:+j1NempP
我があるから
欲望の想いがあるから
執着があるから
それは悪であり良くないことであり糾弾対象である
という考えは自分には無い
我があり欲望の想いがあり執着がある時
それが在ると知る、以外ない
我があり欲望の想いがあり執着がある時
我は無い欲望は無い執着は無い生じることは許されない
とリキんでも虚である
158 :
名無しさん@3周年:05/02/27 20:51:28 ID:+j1NempP
聖書を一度もよんだこともなく仏典も一度もよんだことのなく
プラトンもソクラテスも全く読んだこともない
子供の頃かなにかのふしに
宗教はインチキで集金であり
哲学は机上の空論であり形而上学であり役に立たない
という定義を聞き
何故か不思議とそれは疑いなくそういうことであると思い込んでいた
また
子供の頃かなにかのふしに
我を考えるのは良くない、欲は汚く悪である
という定義を聞き
そこの先それを形成してる土台に関して考えたこともなかった
今そういう定義は捨てている善悪は捨てている
そう努めるようにしている
159 :
名無しさん@3周年:05/02/27 21:15:35 ID:MY4a93Ht
他者からの我への暴力があり我が苦しむという現象は
少なくとも精神的現象世界においては
我が我を罵り批判し糾弾しそれを我が受け苦しむ
一見の表層的な形としての
他人が自分の悪口を言うという現象が
他人の言動はきっかけにすぎずそれがきっかけで
自分自身の中にはじめからあった自分自身に対する批判と否定と悪口
に気付き
結局やっていることはなにかといえば
我が我を罵り苦しむ
ことであるように自分は思います
それに関し確かな絶対的知覚は自分に生じているわけではありません
あくまで理屈の上の道理です
160 :
名無しさん@3周年:05/02/27 21:24:52 ID:MY4a93Ht
少なくとも精神的現象世界においては
自分自身の中に悪意や悪の想いの所有が消滅すれば
他人から悪意をもって罵られ我が苦しむという現象は生じない道理に
なります
他者からの悪や悪意や敵を我が感じ
それを我が受けて苦しむ
以上それは我が我の我に対する悪意によって自身が傷き損なう
ジサクジエンの外に無いということになります
161 :
名無しさん@3周年:05/02/27 23:12:09 ID:3d3H77xB
誰か他人の指図の通りに従順に従うことは
心地よくある意味ある面ある感覚における無我の感じを自分は感じます
逆にそれに抗うとき我を感じそれ相応の心の乱れを感じます
だから智慧が大切なのか・・
163 :
名無しさん@3周年:05/02/28 01:38:12 ID:GsMqavaD
164 :
名無しさん@3周年:05/02/28 07:59:06 ID:jFMseRVR
165 :
名無しさん@3周年:05/02/28 14:00:05 ID:X9j8tNFX
162.163.164
ループの予感
輪廻に似たり
167 :
名無しさん@3周年:05/02/28 14:36:47 ID:X9j8tNFX
おぉ、バヒヤよ、
・色を見るときはいつも、見ることだけがあるようにしなさい。
・声を聞く時はいつも、聞くことだけがあるようにしなさい。
・香を嗅ぐ時は、嗅ぐことだけがあるようにしなさい。
・味を味わう時は、味わうことだけがあるようにしなさい。
・身の感覚を経験する時は、感覚であるだけにしなさい。
・思いが起こるときは、自然な現象(感覚)だけが心に起こるようにしなさい。
このようであれば、自己はなく「私」はありません。
自己がなければ、あちこちさまようことはなく、どこに留まることもないのです。
そして、それが Dukkha <苦>の滅尽です。それが涅槃なのです。
いつでもこのようであれば、涅槃です。
もしそれが続くなら、継続する涅槃です。
一時的であれば、一時的な涅槃です。
言葉を変えれば、これがたったひとつの道なのです。
これって何のお経に書いてあったのだろう。。。
168 :
名無しさん@3周年:05/02/28 14:48:27 ID:X9j8tNFX
ブッダダーサ比丘は、十二支縁起の進展を
phassa (触)か vedana (受)の段階で止め、 tanha (愛)を起こすな、と説いている。
これの具体的方法のひとつが、ヴィパッサナーの、
自分のそのつどの反応をあれこれ評価せず、言語化して確認し(ラベリング)、
そこで終わらせる、という指導ではないかと思う。
特に、締めくくりに置かれているバヒヤへの教えは、ヴィパッサナーを髣髴とさせる。
169 :
名無しさん@3周年:05/02/28 14:49:34 ID:X9j8tNFX
また、vedana (受)まで許されているのは、私にとってほっとさせてくれる点だ。
私は、空や木や鳥などを眺めることで、ネガティブな状態を克服してきた。
自然を見ることは私にとって救いの手立てだった。
ところが、初期経典には自然の描写が極めて少ない。
釈尊が弟子に自然へ目を向けよと教えられた形跡はまったくない。
ご自身が自然を楽しまれたという記述もほとんどない。
例えば、バヒヤにおっしゃったように、感覚の門を守れという教えを忠実に守れば、
流れる雲や夕焼けや木漏れ日を美しいと思うこともいけないのか?
この点が、ずっと気になっていた。
しかし、ブッダダーサは、凡夫むけの次善の方法としてであり、
けして積極的に奨励はしていないが、vedana (受)までは容認している。
自然の移ろいを美しいと思っても良いのだ。
それをあくまで移ろい去り逝くものとして眺め、
そのままに留めたい(「止まれ。お前は美しい。」?)と思わなければ、、。
少し気が楽になった。
170 :
名無しさん@3周年:05/02/28 14:51:32 ID:X9j8tNFX
171 :
名無しさん@3周年:05/02/28 14:52:06 ID:6VCslb6z
172 :
名無しさん@3周年:05/03/01 00:28:06 ID:NYqv/MSc
ナーランダにおいて
仏陀とその弟子達および修業僧達は、富商パーヴァーリカの所有するマンゴー樹林に滞在する。
そこで仏弟子の長老サーリプッタは、仏陀を讃えて次のように述べる。
過去、未来の長いときにわたって真人、正しくさとった人々がいるが、
それらすべての尊師は五つの蓋(おおい)を捨て去り、人を弱くする心の煩悩をはっきりと認識して、
四つのことを心に思う修業(四念処)を行い、七つのさとり(七覚支)を得る修業を行い、
無上の正しいさとりを得る。現在の仏陀もまたそうである。
■ 四念処とは、以下の四つを心に思う修業
□ この身は不浄である。
□ 感受するものは苦である。
□ 心は無常である。
□ すべての事物は無我である。
■ 七覚支
□ 択法(ちゃくほう)。教えの中から真実なものを選びとり、偽りのものを捨てる。
□ 精進(しょうじん)。一心に努力すること。
□ 喜。真実の教えを実行する喜びに住すること。
□ 軽安(きょうあん)。心身をかろやかに快適にすること。
□ 捨。対象へのとらわれを捨てること。
□ 定。心を集中して乱さないこと。
□ 念。おもいをを平かにすること。
173 :
名無しさん@3周年:05/03/01 11:32:42 ID:Kl74HWZR
十二支縁起の順観とは、
01 無知(無明)によって生活作用(行=潜在的形成力=生まれてこようとする潜在的な力)があり、
----------------------------------------------------------------------------------------
02 生活作用によって識別作用(識)があり、
03 識別作用によって名称と形態(名色=主観と客観/名称=名=精神/形態=色=身体、物質)があり、
04 名称と形態によって六つの感受機能(六処)(六入)があり、
05 六つの感受機能によって対象(六鏡)との接触(触)があり、
06 対象との接触によって感受作用(受)があり、
----------------------------------------------------------------------------------------
ありのままに観るだけ。考えない。(ヴィパッサナー=観法=四念住経)
苦を引き起こす連鎖をここで断ち切る。
心の平静へ。(こだわりを捨てる=風流)
----------------------------------------------------------------------------------------
07 感受作用によって妄執(愛=渇愛)があり、
08 妄執によって執着(取)があり、
09 執着によって生存(有=生存一般)があり、
10 生存によって出生(生=生まれ出ること)があり、
11 出生によって老いと死(老死)(生老病死)、
12 憂い、悲しみ、苦しみ、嘆き、悩みが生ずる。
あれ、12あったかな???
別に煽るつもりじゃないが、「十二支縁起」と、スッタニパータにでてくる「縁起」は
別ものだよね?
「十二支縁起」の方は、北伝仏教だったと思うんだけど。
176 :
名無しさん@3周年:05/03/01 16:13:43 ID:ivkG3YSD
在家者のしるしとは何でしょうか
177 :
名無しさん@3周年:05/03/01 17:39:18 ID:sx/Nf/cE
178 :
名無しさん@3周年:05/03/01 17:50:38 ID:sx/Nf/cE
>>176 何か仏教のテスト/入試問題というものがあれば
出題されるかもしれないような問いですね(笑
それは何かの仏典に書いてあったような気がします
自分はその内容は正確には忘れてしまいました
スッタニパータにでてくる意味での
「在家者のしるしを棄て去って」というのは
文の意味からしますと
在家者のしるし=私有財産や親兄弟、配偶者、地位などの所有の存在
の意味に近い意味合いになると思います
179 :
名無しさん@3周年:05/03/01 18:38:59 ID:lHQ5FRhA
>>169 >流れる雲や夕焼けや木漏れ日を美しいと思うこともいけないのか?
.>この点が、ずっと気になっていた。
自分はもし仮に仏典に
流れる雲や夕焼けや木漏れ日を美しいと思うこともいけない
という戒が存在していたとしても
それが苦しみの原因にならなければその戒を破ると思います
また仮に流れる雲や夕焼けや木漏れ日を美しいと思うことが
それ相応の苦しみの原因になるとしてもその苦しみは承知して
流れる雲や夕焼けや木漏れ日を美しいと思い楽しむ立場です
美しい自然を愛し楽しめば自然破壊が起こった時に苦しみがおこる
じゃないか、刑務所に入ったときに自然が見れなくて苦しくなる
じゃないか、と考える人もいるかもしれませんが
自然破壊がおこって苦しくなり刑務所で淋しくなるという苦しみは
自分は受け入れる立場です
180 :
名無しさん@3周年:05/03/01 20:26:57 ID:xXn6xGAr
>>174 2縁起という教えもあります
欲望/執着の発生→苦しみの発生→欲望/執着の発生→・・無限循環・・
2縁起と多縁起の例で考えてみますと自分の考えでは例えば
性欲の発生→性欲の苦しみの発生→性欲の発生・・・→・・無限循環・・
という2縁起が存在するとして
この縁起/循環を同一直線上の世界で
それをもっと詳細に観察するとします(多縁起/xx縁起)としますと
例えば
性欲の欲望の想いの所有→男女/性別/男女生殖器(男女肉体差異)
などという存在の発生→男女/性別/男女生殖器などという存在の識別→
(→男女/性別/男女生殖器の5感による感受→)
男女/性別/男女生殖器などという存在への差別/執着/渇愛の発生
→異性と交わる行為の発生→(→5感による感受→)
その愉悦の獲得→その刹那の愉悦の死滅/無常(性行為の終了)→
(→あるいは日々の性行為とその快楽の減衰/快楽の老→)
その愉悦の(5感の)記憶→苦しみの発生(失われた快楽状態)→
性欲の欲望の想いの再生→性欲の欲望の想いの所有→・・・無限循環・・
などという細かい縁起として表現することもできると思います
181 :
名無しさん@3周年:05/03/01 20:31:51 ID:xXn6xGAr
それだから2縁起があって12縁起が・・・xx縁起がという場合
基本的には同じことを表していると自分は思います
人によっては20縁起だとかそういうこともあると思います
182 :
この世は美しい:05/03/02 04:45:51 ID:V7b53NrN
183 :
名無しさん@3周年:05/03/04 01:40:54 ID:w51XKVmM
>>182 釈迦は、「この世は美しい」なんて言ってないはずだよ
大乗の作文だったと思うよ〜
184 :
名無しさん@3周年:05/03/04 01:42:19 ID:tSUUiVkE
怒りという催眠/トランス状態
性的興奮という催眠/トランス状態
知覚異常が起こる
5感が変容する
考えが異常になる
実に不思議である
185 :
名無しさん@3周年:05/03/04 01:45:16 ID:tSUUiVkE
>>183 そうでしたか
それは知りませんでした
経典を探してもなかなか該当文がみつからなかったので
本当はどうなのかしらと思っていました
186 :
名無しさん@3周年:05/03/04 01:53:05 ID:tSUUiVkE
苦しいときありもしない幻覚/何か形成体の存在を知覚する
苦しいとき例えば悪意や失意のようなものが
確かに形成されその形成体/実存を知覚する
苦しい/トランスのとき
見えない壁が普通の現実の壁のような感覚になる
苦しい/トランスのとき
本来何も無い空の在るべき場所に実体/実存/形成体を
確かに感じる
187 :
名無しさん@3周年:05/03/04 02:02:28 ID:tSUUiVkE
人間に対する執着の想い(獣と人を分ける想い)が発生しているとき
人ごみに入って愉快/不愉快を感ずる
人ごみという実存/形成体/実体を感じる
老若男女の執着の想いが生じているとき
多数の若い女の集団の前に立つとそこに実存/実体の存在を感じる
生類と非生類の執着の想いが生じているとき
殺すなどの特殊な概念/形成体を存在として確かに知覚する
188 :
名無しさん@3周年:05/03/04 02:04:59 ID:tSUUiVkE
確かにこのような心における形成作用が滅びれば
一切皆空になり苦快が消滅すると思う
189 :
名無しさん@3周年:05/03/04 02:11:54 ID:tSUUiVkE
怒りの想いの生起は
敵や他人の悪意や嫌いな人
という概念/実体/実存を心の作用に縁って形成する
実際なにもない処/空/精神的処に
敵や他人の悪意や嫌いな人の概念/実存を形成し創造する
被害妄想の疾患を所有する患者が確かに被害を実体として
知覚しているのと全く同じ現象が
怒りの想いを起こしている人に現れる
190 :
名無しさん@3周年:05/03/04 02:15:34 ID:tSUUiVkE
社会/人の集合無意識は
被害妄想の患者の妄想を空/虚/無と判断するが
怒りの想いなどに基づいた敵や他人の悪意や嫌いな人の
概念の形成/創造については
「在る/実存」とみなしている
敵や他人の悪意や嫌いな人は実体であり実存であり空ではないと。
191 :
名無しさん@3周年:05/03/04 02:34:25 ID:tSUUiVkE
多くの人が共通して知覚し知見する妄想/概念/創造/心的形成体
は「在る」と扱っている
192 :
名無しさん@3周年:05/03/04 02:47:04 ID:tSUUiVkE
りんごは人の欲望の想いの所有によって
食べ物という概念を心のなかに形成したり
玉という概念を心のなかに形成したり
赤という概念を心のなかに形成したりする
決して対象そのものを心に映し出すことはなく
欲望の想いの所有に基づいて
心の中にそれを形成し映し出す
193 :
名無しさん@3周年:05/03/04 02:57:21 ID:tSUUiVkE
ヴィパッサナー/正念/念処の意識の修練が
想いを起こすことなく在りのままを在りのままに観る実践であり
「観力/念力」を養う修練であり
いつでも想いに基づいた妄見で諸現象を見ることなく
その観力/観自在力で諸現象を観ることができれば
それは正見を生じ智慧に役立ち解脱に役立つのかもしれないと・・
思いました
194 :
名無しさん@3周年:05/03/04 03:05:54 ID:tSUUiVkE
想いに基づいた差別などを伴った偏った通常の物事の見方をすれば
dukkhaの縁起の示す通りの知覚が起こり
想いに拠らない正念正知による物事の見方/正見というものが
存在し得るとしたときそれで物事を観るとき
saccaの縁起の示す通りの知覚が起こる・・・と。
195 :
名無しさん@3周年:05/03/04 03:44:48 ID:tSUUiVkE
美しい女性/男性を見て美しいという知覚が生じ
醜い女性/男性を見て醜いという知覚が生じます
この偏見と差別の想いに基づいた知覚は高速すぎて
何が起こっているのかわかりません
ヴィパッサナーで欲望と差別の想いに基づかない知見/正見で
在りのままにそれらを見たいのですが・・
196 :
名無しさん@3周年:05/03/04 16:14:09 ID:bw3xNJ1G
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/essentia.html からの引用。
>「目覚め」と訳した「disenchantment」は、「enchantment」(魔法・魅惑)の反対語であり、
>「それまで惹かれていたものに対する幻滅」の意味である。
>すなわち「これまで執着してきた対象が執着に値しないものであったと目が覚めること」である。
>仏教の「覚」は、この意味であって、
>「現象世界を超越した輝く真理世界を知る」というような意味では、けっしてない。
>そのような解釈は、洗練された執着の一形態であり価値の捏造である。
確かにHの最中、テレビを観ながらズボズボと腰を振っていることがよくある。
相手の女性の身体に幻滅を感じているもかもしれない。
マ●コはどれもマ●コだな...みたいな。
その先には、女体に対する「目覚め=幻滅」が生まれて、ついには悟れるかも〜。
あ、心が伴ってHしてないだけかな...
197 :
名無しさん@3周年:05/03/04 16:21:09 ID:bw3xNJ1G
インサートによるペニスへの刺激にちゃんと気づいてないのかも〜
「濡れている、濡れている、濡れている」
「(喘ぎ声が)聞こえている、聞こえている、聞こえている」
「(クリトリスに)触れている、触れている、触れている」
「擦れている、擦れている、擦れている」
「入れます、抜きます、入れます、抜きます」
「感じている、感じている、感じている」
と、心の中で、ラベリングを活用してHしてみようかな...
観法でしっかりと身体感覚に気づいてズボズボしてみよ〜っと。
198 :
名無しさん@3周年:05/03/04 17:18:26 ID:JeUqCydX
>「現象世界を超越した輝く真理世界を知る」というような意味では、けっしてない。
>そのような解釈は、洗練された執着の一形態であり価値の捏造である。
スマナサーラ長老やゴエンカ氏の書籍や禅の書籍などを読みますと
どちらかというと仏教の「覚」が
「現象世界を超越した輝く真理世界を知る」にも近い感じもします
欲望の想いが生起しているときに知覚する認識と
欲望の想いが停止しているとき知覚する認識が別のものになる
という風な感じです。
ただ現象世界を「超越した」「輝く真理」世界かどうかは
よくわかりませんが
欲望の想いの生起があるときの現象の知覚を眠りの知覚/妄想
とするとき欲望の想いの生起を停止したときに
目覚めた知覚があるような風に自分は思っています
性的欲望の所有があるとき
同性の生殖器を愛撫することはできませんが
性的興奮状態において異性のそれは愛撫できたり
など欲望の想いの所有や欲望の興奮状態によって
知覚異常が起きるという風です
欲望の想いの所有と生起によって
多かれ少なかれ人が被害妄想の患者に類似した夢が見え
つまりそこに在るはずのない存在が確かに観え
そのとき仏教の「覚」というものがあるとするならば
この幻覚と妄想を一掃するもの・・と自分は考えています
199 :
名無しさん@3周年:05/03/04 17:30:46 ID:bw3xNJ1G
>>198 悪気は無いけど、もっと読みやすく書きませんか?
文字のぎっしりした密度感だけで読む気も失せる人がいらっしゃると思いますよ。
自分の頭の整理目的だけなら日記に書けばいいわけですし。
他人にも読んで欲しいなら、それなりの配慮があったほうがいいと思いますよ。
200 :
名無しさん@3周年:05/03/04 17:34:06 ID:JeUqCydX
そもそも苦しみという自分にしか見えない存在を
自身はたしかに在ると知覚しています
苦しみは精神的現象の中にだけ形成される存在で
それは実体を持っていません
苦しみ粒子が集まって苦しみという物質を形成しているわけでは
ありません
精神的現象の中に苦しみという存在が形成される道理は
仏陀はdukkhaの縁起などの中で説明しています
そしてその逆のsaccaの縁起を起こせば
苦しみもまた形成される根拠を失うと言っています
202 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:17:22 ID:O+Igr2Az
例えば
>>199さんが不愉快を感じそれを表現するだけであれば
「
>>198 ウゼエ死ね」でも在り得ると思うのです
>>199さんが私の気分を少なく損ねるために表現をするとき
「
>>198 ウゼエ死ね」が少し長い文章になります
それとちょうど同じように
自分の見解があってできるだけそれが他者の見解を最小限に
損ねるように表現していきますと
どうしてもまわりくどく長い表現になってしまいます
また表現や発言は自己の実存不安や解決されていない問題の
故に生じもし一切が解決されたならば
表現も発言もその動機を失うと思うのです
203 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:27:09 ID:O+Igr2Az
またこのスレではある方に
怒りは根源的衝動ではなく
むしろその前に不安と恐怖があり
それが怒りに変化する
という指摘を頂き
それは自分にとっては大いに自己観察に役に立ちました
怒りの前の不安と恐怖など今まで気付きもしていなかったのですから
我があり我が損なわれ恐怖が生じる
恐怖は我を損なう相手を損なうことで我を守ろうとする
そのとき恐怖は怒りに変化する
等・・
204 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:33:33 ID:joaI0ZfI
>>195 人間の美醜に序列を付けるのは正常な理性の働きと思いますがね。それをしないことを「味噌も糞も一緒にする」というのです。
205 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:39:53 ID:O+Igr2Az
>>204 そのようであるとするならば
自分は異常な理性の働きを得て
「味噌も糞も一緒にする」無分別の智を得たいと思っています
206 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:44:38 ID:O+Igr2Az
恐れや怯えや失う苦痛や守るものが滅びれば
苦しみの生じる根拠もまた失われるのではないかと
思っています
207 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:45:27 ID:joaI0ZfI
インドのアーリア人が先住民より美しいのは事実。万人平等の思想は偽善だと思う。
美人を経験した事のない男に「美は無である」と言った所で誰が納得しよう。
208 :
けちゃっぷ:05/03/04 18:51:35 ID:dfp3dPOm
美人を美しいと感じるのは、子孫繁栄を求める遺伝子が肉体的欠陥の少ない結婚相手を欲するからです。肉体(遺伝子)が与えてくる思考を、我だと勘違いしないよう注意が必要ですね。
209 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:54:21 ID:O+Igr2Az
>>207 自分の見解は「美は無である」とかそのような立場とは少しだけ違います
極端な例で言いますと
例えば顔面に障害/事故/生まれ/病気をもった人が存在します
そのとき自分の感覚器官は彼を恐怖し不愉快に想い醜いと知覚します
自分は自分の欲望の想いに基づいて彼をそう知覚します
あるいは自分の死の恐怖からそう思うのかもしれません
そうであるとするならば
美醜知覚分別の存在はただ自らが苦しみの根拠を所有している
だけであるとも思うのです
210 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:57:22 ID:joaI0ZfI
>>208 それだけではありませんね。人間が先天的に持っている審美眼があります。
荘厳な宮殿や庭園を見て美しさを感じるのと同じです。より良い物を求めて何がいけないのか。
211 :
名無しさん@3周年:05/03/04 18:58:07 ID:O+Igr2Az
>>208 仏教の教えは肉や本能を制御して
それを超える教えのように自分は考えています
212 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:02:48 ID:O+Igr2Az
>>210 >より良い物を求めて何がいけないのか
それは全くいけないことや悪はそこに何一つも無いと思います
美を追求することに悪や偽はどこにも見当たらないと思います
ただ苦しみの問題のみを考えた時には
それ/美醜の想いがあれば苦しみと悦楽が生ずる
という意味で美醜を滅ぼせばその苦しみを免れるということに過ぎません
そのような意味合いです
213 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:08:33 ID:bw3xNJ1G
>仏教の教えは肉や本能を制御して
「抑制」という言葉を使うことに違和感を感じる。
214 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:10:50 ID:O+Igr2Az
より美しい美を追求しその悦楽にひたることは
極めて個人の問題でそのあり方や見解を
他の人がとやかく言う根拠は何一つ無いと自分は思っています
それだからそのような個人の問題として考えたときに
自分個人の場合にはその美醜分別によって生じる苦しみを
滅ぼしたいと考えています
そこでその道/方法があるのかと模索しています
215 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:12:55 ID:bw3xNJ1G
>より良い物を求めて何がいけないのか。
欲求のあるところに悩みも付いてくるよね。
216 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:17:10 ID:O+Igr2Az
>>213 申し訳ありません
心理学や常識の範囲内でよく使用する「抑制/抑圧/我慢」
という言葉はネガティブなイメージが勝手に憑いてしまっています
しかし本当はそうではないと自分は考えています
抑制/抑圧が悪であるとするならば
キリスト教や仏教や多くの宗教は
人の本能と自由を疎外する悪ということになります
肉欲の追求と無制限な快楽への追求、資本主義原則
こそが抑制なき自由なポジティブな自然のすばらしいあり方
ということになります
自分はそうは考えませんので
むしろ「抑制/制御」という言葉をポジティブなものと考えています
217 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:25:19 ID:O+Igr2Az
またヴェーダやヨーガの文献の中にも
欲望を制御し欲望を抑圧し
などという言葉でむしろ記述されています(翻訳にもよるでしょうが)
欲望を抑圧/制御しそれに打克つことが
苦しみや欲望から自由になる道であると説いています
資本主義/自由/快楽原則からすればむしろ悪を意味する抑圧/制御
という言葉が古典の中では最善なるものとして記述されています
218 :
カリクレス:05/03/04 19:32:14 ID:joaI0ZfI
はたして、始めから王子に生まれついているとか、あるいは自分自身が自然の上で、僭主とか権門とか、何らかの権職を手に入れるに充分な者として生まれついているような、そういう人間にとって、真実のところ、慎みや正義よりもより醜く悪しきことが何かあるであろうか。
善きことどもを享受することができ、これを邪魔だてする何ものもないのに、多衆の法習や言説や咎めだてを自分の主人として自分から迎え入れるようでは。
むしろ、正義や慎みの美によってみじめになっているということがないはずがあろうか。
敵たちによりも、自分の友たちに何もより多く分かち与えられない、それも、自国内において支配しながらそうだとしたら。
むしろ、真実には、おお、ソクラテス、これをあなたは追求していると主張しているのだが、次のとおりである。
つまり、贅沢や放縦や自由は、もしも後ろ盾を持つならば、これこそが徳であり幸福であるが、それ以外のものは綺麗事であり、自然に反する人間どもの契約であり、戯言であり、無価値なのである。
219 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:32:37 ID:O+Igr2Az
例えば憎い人を殺しまくり
好ましい女性を見ては彼と交わり
金や富があれば際限なくそれを盗み
美味しいものがあれば腹を超えるまで喰う
とするならば
それはある種の極みであり究極の自由/善の姿であると自分は思います
ただ仏陀はそれをいかに為しても苦しみや死から一歩も逃れる
ことはできないと説いています
この世のどのように自由で無制限な場所にいっても
苦しみと死を逃れる場所は決して無いと説いています
220 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:33:54 ID:O+Igr2Az
>>218 カリクレスさんは
ニーチェっぽい感じ/思想ですね
221 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:40:28 ID:O+Igr2Az
自分の考えですと
ニーチェ思想は人を絶望と苦しみに導くことはあっても
人を苦しみから助けたりする感じにはならないように思いました
ただニーチェの恨み節と社会批判は
現在この社会で不利益を受け抑圧されている人々にとっては
痛快感を覚える感覚を生じるようにも思えました
それはpunkrockの歌う爽快感に似ていると思いました
ただそれ以上のことは生じないと自分は思いました
222 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:40:39 ID:joaI0ZfI
>>219 私は王子の身分を経験したことがないから、例え釈尊がそう言ったとしても信じる道理がない。彼と経験を共有してないから。
223 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:46:33 ID:O+Igr2Az
>>222 それはその通りですね
自分もせいぜい自分の体験した範囲内の自由と王子から
釈尊の王子を類推している以上のことでは在りません
自分の体験した範囲内の自由と王子から起こる苦しみと喜び
がありそれと仏教の教えを照らし合わせているだけです
もし仏教にも「信仰」というものがあるとするならば
そこで自分は仏陀の言ったことを「信じ」ているにすぎません
224 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:51:22 ID:O+Igr2Az
それだから
欲望の無制限の追求こそが善であり最勝であり唯一の真実の道
であるという人が存在してもそれはそれで在り得ると思います
そこにおいて「信仰」の差異が生ずると思います
とくに自分には欲望の無制限の追求が最勝の道であるという見解を
否定する根拠はもっていません
それを信じないに過ぎません
225 :
名無しさん@3周年:05/03/04 19:51:44 ID:lQjYm32O
それだから
欲望の無制限の追求こそが善であり最勝であり唯一の真実の道
であるという人が存在してもそれはそれで在り得ると思います
そこにおいて「信仰」の差異が生ずると思います
とくに自分には欲望の無制限の追求が最勝の道であるという見解を
否定する根拠はもっていません
それを信じないに過ぎません
226 :
名無しさん@3周年:05/03/04 20:13:18 ID:O+Igr2Az
欲望の無制限の追求ということに関して言えば
自分を振り返ってみても既にそれを為してきました
憎い人を自由に殺害したり好ましい女性を自由に犯したり
欲しい富を自由に盗んだりすることこそしていないにせよ
普通に法律に抵触しない範囲内で欲望の無制限の追求を
実践してきました
しかしその結果苦しみは依然として存在し続けていました
それ故この先欲望の無制限の追求を最勝の道とするよりは
制御と抑制の方にむしろ可能性を見出しました
しかしそれが最勝の道であるという確かな根拠も又在りません
「信じ」ているに過ぎません
227 :
名無しさん@3周年:05/03/04 20:21:32 ID:O+Igr2Az
欲望の無制限の追求を最勝の道として信じ実践している人に
「それは悪であり誤りであり闇である」
などと彼らを糾弾/批判できるだけの根拠は自分にはありません
自分の体験の範囲内で考えるとそれは何となく最勝の道ではないように
自分は考えているが・・
程度のことしか言えません
228 :
名無しさん@3周年:05/03/04 20:31:28 ID:O+Igr2Az
欲望の無制限の追求が最勝の道であることの真偽は
実際の王か解脱者しか知り得ないと思います
それはビルゲイツや釈迦が感受できる類であると自分は思います
229 :
名無しさん@3周年:05/03/04 20:50:01 ID:O+Igr2Az
スッタニパータでは労働をして富を蓄えることは
あってはならないと説かれています
仏陀は私有財産を捨て去りホームレスでニートで乞食でありなさい
と説いています
その意味でホームを所有し私有財産を所有し職業を所有している
自分は仏陀の教えに反しています
私有財産の実在は欲望の無制限の追求行為の一部ということにもなります
つまり矛盾しています
欲望の想いが在ります
自分は本質的には在家仏教など存在しないと考えています
私有財産を捨て去りホームレスでニートで乞食であることが
仏教徒の本来の姿であるように思っています
簡単なようでなかなか実現が難しいことでもあると思っています
230 :
名無しさん@3周年:05/03/04 20:58:39 ID:joaI0ZfI
>>229 >私有財産を捨て去りホームレスでニートで乞食でありなさい
インドが亜熱帯地域であることが前提してると思いますよ。日本で1月、2月に釈尊の教えを実践して乞食になったら凍え死んでしまいます。
231 :
けちゃっぷ:05/03/04 21:00:36 ID:dfp3dPOm
>210 肉体か(遺伝子)らの要請(欲)や知識(固定観念)からの要請(欲)に、まず「気付く」べきです。気付けば、高速の「欲」に操られるままだった状態のが、「欲」より速く選択・判断できます。
232 :
けちゃっぷ:05/03/04 21:03:48 ID:dfp3dPOm
>230 たしかに。水(稲作)と海の幸に恵まれた還太平洋地域の宗教と、水さえ奪いあう砂漠地帯で生まれた一神教も、全然ちがいますからね。
233 :
名無しさん@3周年:05/03/04 21:13:19 ID:joaI0ZfI
>>231 あなたは欲望を滅することが本当にできますか?
例えば、「鯛の刺身」と「メザシ」のどちらかをただで食べられるとしたら、やはり鯛の刺身を選ぶのではないですか?
234 :
けちゃっぷ:05/03/04 21:23:25 ID:dfp3dPOm
たしかに欲望を滅するのは困難ですね。でも、欲望に気付くことはできます。欲望に気付くと、取捨選択できるのです。鯛をもらおうとしたら品切れになったとして、欲に気付いていれば怒りは起きませんよ。
235 :
けちゃっぷ:05/03/04 21:27:45 ID:dfp3dPOm
まず定点を設けます。僕の場合は念仏が定点。常に心を定点に置くようにしていると、雑念によって心が定点からズレた時すぐに気付きます。欲や雑念が起こるのは仕方ない。速く気付けば欲の暴走を弱められます。
236 :
名無しさん@3周年:05/03/04 22:00:31 ID:O+Igr2Az
237 :
名無しさん@3周年:05/03/04 22:11:15 ID:O+Igr2Az
>>235 けちゃっぷさんの念仏とはどのようなものなのでしょうか?
238 :
けちゃっぷ:05/03/04 22:34:07 ID:dfp3dPOm
>237 ただ口で「南無阿弥陀仏」と称え続けるだけです。そしてそのことに心を向け続けるだけです。雑念を交えず念仏を続けることは僕にはムリですが、雑念はよく見える気がします。
239 :
名無しさん@3周年:05/03/04 22:57:58 ID:O+Igr2Az
>>238 成程
念仏にそのような意識の定点の効果があることは
自分ははじめて知りました
240 :
けちゃっぷ:05/03/04 23:00:17 ID:dfp3dPOm
心と口で念仏を称えている間はOKです。しばらくすると六根からさまざまな情報が入力され、それによる雑念で心が念仏以外に向いてしまいます。念仏を邪魔する一切は「苦」ですね。
241 :
名無しさん@3周年:05/03/04 23:04:51 ID:O+Igr2Az
>>240 それはちょうど雑念がヴィパッサナーの意識の修練の継続を
妨げるように
ヴィパッサナーの意識の修練の継続を邪魔する一切が「苦」であるように
なにかそのような感じに似ていますね
242 :
けちゃっぷ:05/03/04 23:18:43 ID:dfp3dPOm
>241 似てると思います。一切が苦という意味が、少し深くわかった気がしてきました。
243 :
名無しさん@3周年:05/03/04 23:27:42 ID:O+Igr2Az
>>233 自分の考えですと
無制限で自由な欲望の追求という人のあり方が
それが問題あり悪であり間違っているとは思いません
それだから力への意志も権力や富の獲得努力もそういうことは
当然あると思います
欲が多く大きくあることが悪で
欲が少なく小さくあることが善であるとも考えていません
ただ無制限で自由な欲望の追求の話であれば
それは周知の事実であり誰もがそうしているのであり
それを正当であるとか不当であるとか論じてもそんなに
意味がないと思うのです
つまり無制限で自由な欲望の追求を最勝とする立場にたてば
そもそも宗教の存在理由は無いと思います
金もうけ術やウハウハ即ヤリ術の類を探していけばよいのであって
むしろ宗教の方向に向うとはならないと思うのです
>「鯛の刺身」と「メザシ」のどちらかをただで食べられる
時にメザシを選択するかあるいは両方とも食べないことを選択
する道が宗教の方向性だと思っています
244 :
名無しさん@3周年:05/03/04 23:49:46 ID:O+Igr2Az
宗教のあり方は通常の人間の行動に一部反しているのが当然で
世間や常識から考えれば異常で狂っているはずであると思います
美味しいものをたらふく喰うことを抑止したり
性的恍惚に耽ることを抑止したりします
世間や常識から考えればそれは抑圧となったり異常行動ということに
なります
しかしそれだから宗教であってそうでなければ
宗教ではなくなると思います
自分はそのように考えています
245 :
けちゃっぷ:05/03/05 00:29:18 ID:EyBeUYJp
>243 どちらでも選べるなら好みとして鯛を選ぶ。それはいいですが、鯛が売り切れてメザシしか無くなった状態で、有りもしない鯛を想って怒り駄々こねると、ストレスになります。スパッとメザシにスイッチ。
246 :
けちゃっぷ:05/03/05 00:32:26 ID:EyBeUYJp
欲に支配されると、鯛以外の答えが見えなくなります。欲という夢に気付いて夢から覚めているなら、鯛がダメならメザシでいいやとすばやくスイッチできます。答えはただ1つじゃなくていいとわかってるから。
247 :
名無しさん@3周年:05/03/05 00:36:18 ID:m4GbJJdx
248 :
名無しさん@3周年:05/03/05 03:27:22 ID:3A8y5Njm
1831 彼は事業に失敗した。
1832 州議会選挙に落選した。
1834 州議会選挙に当選した。
1835 恋人が死亡した。
1836 神経衰弱を患った。
1836 議長選挙に負ける。
1840 大統領選挙選任団に漏れた。
1843 下院議員選挙に落選した。
1846 下院議員選挙に当選。
1848 下院議員選挙に落選。
1850 上院議員選挙に落選した。
1856 副大統領選挙に落選した。
1858 再び上院議員選挙に落選した。
1860 アメリカ大統領に就任。
彼は過去に生きなかった。[今、ここ]に生きた。
その積み重ねによってついには、奴隷解放を実現した。
彼の名は、リンカーン。
249 :
名無しさん@3周年:05/03/05 14:10:39 ID:TRAucygl
・臨床心理学(心理療法=サイコセラピー)
◎来談者中心療法 →受容、親和、共感、理解。 心の整理と孤独感の解消。
◎精神分析療法 →抑圧された感情は、必ず問題となって現れる。
意識的にはOKだけど、無意識的にはNGとか。
気づきの領域を広げ、無意識を意識化させる。
◎論理療法 →「思考」が変われば、「感情」が変わり、感情が変われば「行動」が変わる。
事実をどう解釈するか。
◎認知療法 →歪んだ認知を正していく。 チェックリストで自己の認知をチェック。
◎行動療法 →間違った学習行動を直していく。 正しい行動を学習していく。
◎シェイピング法 →段階的に改善を目指す。
◎系統的脱感作法 →緊張状況で、相殺する感覚を作るり克服していく。
◎トークン・エコノミー法 →(オペレントの条件付けの応用) 目標達成に報酬を与える。
◎イメージ療法 →無意識を納得させる。 無意識に理屈は通らない。
◎自律訓練法 →筋肉がリラックスすることで、脳もつられてリラックスする。
◎芸術療法 →フラステレーションの昇華。それによるカタルシス。
◎遊戯療法
◎交流分析 →●「自分の過去」と「相手」を変えることはできない、しかし、自分を変えることは出来る。
その変わった自分の影響力で、相手が変わるかもしれない。
◎箱庭療法 →箱庭を介したセラピストとクライアントの会話。投影の応用。投影を読みとっていく。
◎森田療法 →あるがままで、やるべきことをやる。
◎内観療法 →回想による気づきと感謝。
◎家族療法 →家族はシステム。家族の誰かの不具合はシステム(家族)に問題がある。 しわ寄せはバランサーへ。
◎ゲシュタルト療法
→未完の行為など。
250 :
名無しさん@3周年:05/03/05 14:19:28 ID:TRAucygl
仏教によるセラピーは、極論過ぎます。
その前に踏まえておくべきことは、いっぱいあります。
みなさんは、実のところ、仏教の極論に戸惑っているはずです。
251 :
名無しさん@3周年:05/03/05 19:14:15 ID:M1W8q5aS
お釈迦様は、絶えず目の前で苦しんでいる人々を
助けたかったわけで、常に具体的、個別的だったよーです
> その前に踏まえておくべきことは、いっぱいあります。
いっぱいあります。を具体的に書かないと他人には
わからないかもね
> みなさんは、実のところ、仏教の極論に戸惑っているはずです。
こんな風に自分の妄想で他者を断定しないで下さると有り難いです。
252 :
名無しさん@3周年:05/03/05 19:41:15 ID:PncNp4zS
自分の個人的意見ですと
>仏教によるセラピーは、極論過ぎます。
それはその通りであると思っています
ただ自分は極論(数学的存在)で良いと思っています
もし仏教の極論的性質に問題があるとするとき
では極論ではない論、その極論に変わる論
極論によって生じる弊害を克服した論
を提示していただければより良く嬉しいと自分は思っています
>その前に踏まえておくべきことは、いっぱいあります。
>みなさんは、実のところ、仏教の極論に戸惑っているはずです。
自分の場合ですと仏教の極論/数学性にむしろ明快さと
わかりやすさを感じています
その意味では戸惑いは少ないです
仏教の極論的性質の弊害が指摘していただくのでしたら
例えば仏教のxxというところが極論となっておりそれによってxx
という問題点が生じるのでそこはxxの方が良い
という風に指摘していただけると自分にも役に立ち嬉しいです
私も欲や、不安、落ち込みなどの感情は或る程度必要なんだと思います。
だからこそ、自分の生活を見直し、成長を考え、人生の転換を図ろうとする姿勢が
生まれる訳ですから。しかしそれも極端に成らなければという話ですが。
仏教と心理療法は敵対するものではなく、共存させれば良いと思いますが
日頃の生活から来るストレスには心理療法の方が、様々な技法があり
科学的に効果が検証された確実な方法が確立され圧倒的に優れています。
またそれでは満足できず、長い人生で悟りを開きたいなら、心理療法では全く役に立たず
仏教の出番でしょう。両方自分の人生に受け入れれば良いではないですか。
254 :
名無しさん@3周年:05/03/05 19:55:51 ID:PncNp4zS
自分の知っている範囲内のことに限定しますと
仏教やヴェーダの教え以上の論/教えを
他にみいだしていません
ある人はいや心理学/行動科学が
ある人はいやキリスト教が
ある人はxx教が
と思われる方もいると思いますが
自分の場合ですとそれが仏教やヴェーダの教えになります
仏教の教えをもってしても自分のxxの苦しみには通用しないそれだから
自分は仏教を捨てxxxxを実践するという方がいても
そのことは自分のどうこういう範囲を超えます
すなわちそのこと(仏教を捨てること)に問題は無いと思います
>>254 そうですね、ひとそれぞれ柔軟に考え方を選択して良いのだと思います。
また一人の人の中でも、その年齢や時期によって、様々に変容していくのでは無いでしょうか
抱える問題も様々だし、人生に対する感じ方も多様ですから。かたくなに何かを信じて
何かを拒否する態度は、現実的に考えても損だし、本来の仏教でもそんな考え方をしているのではないでしょうか?
256 :
けちゃっぷ:05/03/05 22:09:08 ID:EyBeUYJp
うーん…仏教とセラピーを対立させる意味がわかりませんが。
たとえば自分が「うつ」かもしれないと気付いたら、迷わず病院やセラピストのところに行くことができるのが、仏教なのでは?
257 :
名無しさん@3周年:05/03/06 00:27:13 ID:ARDBzLKO
仏教は「〜してはならぬ」とあ「抑制せよ」とかばかっかり。
抑圧した感情は、どうなる?
本当は、みんな「抑圧された感情」に疑問を持っているはずだよ。
仏教が暮らしの中で生きている本場の国なら
比丘たちは、崇められてフラストレーションの解消に繋がるだろうけど、
日本じゃ無理だもんな。
日本の坊主が、飲酒や妻帯を止められないのは、やっぱり
抑圧を感じているからだよ。
本当はみんなストイックな釈迦の教えに戸惑ってるだろ?
感情が抑圧されるばかりだろ?
仏教がストイック?
259 :
名無しさん@3周年:05/03/06 00:46:07 ID:JiLEEefw
>>257 >比丘たちは、崇められてフラストレーションの解消に繋がるだろうけど
崇められてフラストレーションの解消することを目的とするような
仏教徒は存在しないと思います
また抑圧や制限を良くないと思うのでしたら
その人が何も仏教や宗教などの戒律に従うことも無いと思いますし
だれも何も強制しないと思います
それだからそのような人は抑圧や制御もやめて自由に欲望を追求
すれば問題は生じないと思います
釈迦の教えが抑圧的であり人の心に悪影響しか及ぼさない
と思えばそのような教えに従わず自由に好きなことをして
振舞えば良いと思います
仏教が世界唯一の真実の教えであり万人がそれに従わなければ
ならないなどといった強制など何一つないと思います
260 :
名無しさん@3周年:05/03/06 00:54:00 ID:JiLEEefw
ただ仏教国などに生まれを受け
社会や国から仏教的な生活をいやいや強制されている
というのであればそれを糾弾することはあると思いますが
少なくとも日本においては犯罪を犯すなどの過ぎたこと除けば
自由に欲望を追求することは誰にも咎められることはありませんし
それが何ら悪い行為ではないと思います
お金を多く稼いで美味しいものをたらふく喰い
気持ちの良いことをどんどんやって生きても何の問題も無いと思います
261 :
名無しさん@3周年:05/03/06 01:02:27 ID:JiLEEefw
走ることが好きなマラソンのランナーを見て
誰かが彼にそんな人間として苦しい抑圧的な動作はやめるべきだ
人は横になって休んでいる方が心にも体にも良い
などという必要が無いように
仏教の教えを実践する人にそれは良くないなどという必要もないと
思うのです
そのように自分は考えます
262 :
名無しさん@3周年:05/03/06 01:11:15 ID:ARDBzLKO
自分を二重構造にしてどうする?
自分のありのままの心に嘘付いていると何も解決しないぞ。
263 :
けちゃっぷ:05/03/06 01:31:57 ID:x3tXr6i+
>257 「ありがたい。幸せだなぁ」と言うと、ケチな頭はすぐに「今、不幸せ」になっている原因を運び出して、目の前に置いてくれます。(宝彩有菜)
無意識に抑圧している自分の欲に気付くのが大事。
>>262 自分のありのままの心とは何ぞや
何も解決しないという、その何とはなんぞや
265 :
けちゃっぷ:05/03/06 01:35:00 ID:x3tXr6i+
仏教は、欲がストレスの原因だ→欲をなくせばストレスも消える…という真理を説いています。それを理解した上で自分の欲に気付いてさえいれば、自分の欲をどこまで残してどこから切るか自由に選択できます。
266 :
けちゃっぷ:05/03/06 01:39:57 ID:x3tXr6i+
仏教は怒りがストレスの原因だと説きます。だから基本は「怒るな」です。それを意識していると、怒っている最中に自分が怒っていることに気付く。そして不思議なことに、怒りに気付くと怒りは弱まります。
>>265 欲に対する執着とか渇望がストレスの原因なんでしょう。
自分にはコントロールできないものを、絶対的に自分の願望に従い
コントロールしなければ成らないと思ったその瞬間に地獄が生まれるんではないですか。
「こうあったらいいなぁ・・」という願望程度の時にはむしろ希望が生まれる場合もある。
ちなみに、怒りの原因も、他人や社会を自分の願望通りにコントロールしようとするから生まれるんでしょう
でも他人や社会は自分の為に存在している訳では無い。諸行無常、我が物にあらずと受け入れたとき
怒りは、収まるのではないですか。
268 :
けちゃっぷ:05/03/06 01:57:20 ID:x3tXr6i+
>267 そうですね。欲は、コントロールできなくて当たり前のことをコントロールしようという不自然で身勝手な無理難題ですからね。不自然を押し通そうとしている自分に気付くと、謙虚になれますね。
269 :
名無しさん@3周年:05/03/06 02:04:38 ID:ARDBzLKO
スッタニパータの慈しみの経や四無量心は、どういうい働きがあると思う?
怒りをコントロールしようとしている時点で、既に怒っている訳だろ。
そんなの仏教なんですかね????
怒りを抑えるなら、サラリーマンだってやってるぞ。
仏道を行く者なら、怒りを感じた時点で、おかしいんだよ。
結局、慈悲の心がない状態なんだよ。
慈悲があれば、愛憎併存のような状態にならないはずだ。
無我だとか、理屈ばっかりいってるから、説得力がないんだよ。
おれのうつ病も仏教で直るかな?
271 :
名無しさん@3周年:05/03/06 02:13:05 ID:ARDBzLKO
うつ病なんて、怒りの感情を自分にぶつけてる状態なんだよ。
本来向けるべき対象に怒りを向けることが出来てないんだよ。
それでいて、要求がとてつもなく多い。
信じられないか? 要求がなきゃ、悩まないだろ。
272 :
名無しさん@3周年:05/03/06 02:17:30 ID:fqCN5Vna
信じられないなんて言ってないぞw
怒りを自分に向けてる状態かぁ。
自分のことになると、てんで見えなくなるなぁ。
273 :
名無しさん@3周年:05/03/06 02:21:20 ID:ARDBzLKO
m(_ _)m じゃ、寝ます。
寒い日が続きますね。みなさん風邪ひかないでね。
おやすみなさい。
274 :
けちゃっぷ:05/03/06 02:52:33 ID:x3tXr6i+
>269 最終的には怒りを感じないのが理想ですが、欲から怒りへのバトンタッチは高速なので、気を抜いてるとすぐ怒りが起こります。まずは怒りに気付くこと、欲に気付くことが大切。
275 :
けちゃっぷ:05/03/06 02:56:17 ID:x3tXr6i+
呼吸法や念仏・題目をとなえると、セロトニン神経が正常にはたらくようになり、「うつ」にも効果はあるようですね。あと、「うつ」の人は一度失敗すると「次もどうせダメだ」と決め付けちゃうらしいですね。
>>274 >「うつ」の人は一度失敗すると「次もどうせダメだ」と決め付けちゃうらしいですね。
うつの症状が再発している時は、そういう傾向が顕著に現れます。
認知行動療法で言うところの、極端思考(レッテル貼り)だそうです。
が、理屈では分かっても行動が改善されません orz
ヴィパッサナーで自分自身を観察して、感情を把握するのは、認知療法と通じる
ものがあるかもしれないと思います。
277 :
名無しさん@3周年:05/03/06 03:26:26 ID:kOvctIC7
>自分のありのままの心に嘘付いていると何も解決しないぞ。
自分の在りのままの心/怒り/欲望を知りながら
例えば怒りに基づいた行為を抑止したり
欲望の行為を制したりすることが
ありのままの心に嘘付く行為であるとは自分は考えません
それが悪いこととするならば
つまり欲望のままに正直に生きることが最も良い生き方となります
がしかしそうであるならば
今さら取り立てていわなくても誰もがやっている生き方です
宗教は不要です
怒りに基づいて怒りの行動を起し相手を罵り侮れば良いと思います
また欲望に基づいてその快楽を追求し耽れば良いと思います
そしてそれで満足であり十分であると思い
欲望のままに正直に生きることが「解決する道」
であると思い信じていれば
それで良いと思います
誰もその人の生き方をさえぎり悪であるなどという人はいません
>仏道を行く者なら、怒りを感じた時点で、おかしいんだよ。
そういうことは在りません
仏道を行く者なら、怒りも苦しみもないとなれば
仏教の意味もまた消滅します
仏教では怒りが生じたとき怒りが生じたと在りのままに知り
その後怒りに基づいた言動や行為は抑止する/戒を守る
という生き方になります
278 :
けちゃっぷ:05/03/06 03:30:59 ID:x3tXr6i+
修業(瞑想)によって欲→怒り→行為の高速バトンタッチを、コマ送りで観られるようになりますよね。そうすると、欲と怒りの間に割って入ったり、怒りと行為の間に割って入ることが、可能になりますね。
279 :
名無しさん@3周年:05/03/06 03:34:39 ID:kOvctIC7
怒りを生じては怒りのままに相手に怒り相手を損ない傷つけ
欲望が生じては欲望のままに我の利益を追求する処に
そもそも慈悲の心の存在するスペースは無いと自分は考えています
280 :
けちゃっぷ:05/03/06 03:41:39 ID:x3tXr6i+
>279 欲→怒りのバトンタッチの前に慈悲を挿入できれば、怒りが起こるのを防げます。電車で騒ぐな(欲)→うるさい子供に怒…の間に、自分も子供の頃はそうだった(慈悲)を挿む。
281 :
けちゃっぷ:05/03/06 03:47:27 ID:x3tXr6i+
まずは、「電車で騒いではいけない」という自分の中の決まりごとを、自分も守ってるんだから他人にも適用したい…という欲に、気付くことです。「電車で騒ぐな」の中に自分の我欲があることを見抜く。
282 :
名無しさん@3周年:05/03/06 05:32:13 ID:ruVPkk8d
酒が大好きな人で止められない人にとって
酒は一滴でも有害であると考え酒を飲まないと考えている人の
存在を許す訳にはいかない
彼らの考えを正すか彼らが狂って間違ったことを考えているとみなす
しかない
283 :
名無しさん@3周年:05/03/06 05:47:18 ID:U4PIFv0T
酒を10年飲んでそれが原因で肝臓を壊した人は
酒が肝臓に良い悪いの理論にそれほど関心をもたない
284 :
けちゃっぷ:05/03/06 05:56:11 ID:x3tXr6i+
最近念仏が楽しくてね。スーパーでお酒が目に入っても、「酔ったら念仏を楽しめないなぁ」と思ったら、買う気が失せたりします。
付き合い以外ではほとんど飲まないです。
285 :
名無しさん@3周年:05/03/06 06:12:44 ID:cNxDi/CQ
念仏ってどういうものですか?
お経をとなえることでいいのかな。
286 :
けちゃっぷ:05/03/06 06:53:57 ID:x3tXr6i+
僕が最近ハマッてるやり方は、口で「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)」・心で「往生(オウジョウ)するぞ」と同時に念じること。心ができるだけその作業以外に飛ばないように。まぁ10回くらいで雑念が浮かびますが、それはそれでいいのです。
287 :
けちゃっぷ:05/03/06 06:58:10 ID:x3tXr6i+
念仏中に雑念が浮かんでも、その雑念は追い掛けずにすぐに心を念仏にもどすようにします。それがけっこうゲーム感覚で楽しいのです。集中力ゲームです。トイレまで歩く間とか、わずかな時間にもできますし。
288 :
名無しさん@3周年:05/03/06 11:25:17 ID:46HWUv0D
けちゃっぷさんに一度聞いて見たいのですが
けちゃっぷさんの文章って、なんでいつも横にやたらと長いんですか?
これって意識してやってるんですか?
それともこうしか書く方法を知らないとか。。。。
なんかちょっと自意識が鼻につきます。
289 :
栗花 馨:05/03/06 11:35:58 ID:HdIeqmbB
栗花 馨の存在は宇宙の根源と合一した究極の存在です。
私は思考、感情に支配されることのないレベルに既に達しています。
290 :
けちゃっぷ:05/03/06 12:52:48 ID:x3tXr6i+
単に、ケータイから書いているから全角で12字×8行しか書けないので、改行したら文字数損な気がするからです。分のはじめはていねい語なのに終わりの方はていねい語じゃなくなったりするのも文字数合わせ。
291 :
名無しさん@3周年:05/03/06 15:27:57 ID:B/4AVmKI
>>288 自分が不愉快に感じる時
他人の自意識や作為が鼻につくとき
それは誤解であることも実際そうであることもありますが
それを感受する心だけは間違いなく自意識です
自分の心の中にある自意識が他人の自意識の存在を空想します
292 :
名無しさん@3周年:05/03/06 15:52:11 ID:OorE5Py3
スッタニパータを読む+ヴィパッサナーを実践する/2
というのは
Cool&Kindの道ですね。
293 :
栗花馨の母:05/03/06 20:19:33 ID:938FHZSQ
馨や暫らく見ないと思ったら又こんな所に、お花畑に戻って皆さんに迷惑かけないでね
死んだ父さんさえあの日お酒を飲んでかえらなかったら・・・
また愚痴になってしまた。
294 :
名無しさん@3周年:05/03/06 21:19:49 ID:f1pEJe4M
汝等
諦かに聴け、
如来の
秘密神通の
力を。
一切世間の天人、
及び
阿修羅は皆
今の釈迦牟尼仏、
釈氏の宮を出でて、
伽耶城を去ること
遠からず、
道場に坐して、
阿耨多羅三藐三菩提を
得たまえりと
謂えり。
然るに善男子、
我実に
成仏してより已来、
無量無辺
百千万億
那由佗劫なり。
295 :
名無しさん@3周年:05/03/06 21:27:16 ID:f1pEJe4M
凡夫の
顛倒するを為って
実には在れども
而も滅すと言う
常に我を見るを
以っての故に
而も驕恣の心を生じ
放逸にして
五欲に著し
悪道の中に
堕ちなん
我常に衆生の
道を行じ
道を行ぜざるを
知って
応に
度すべき所に
随って
為に
種種の法を
説く
毎に自ら
是の念を作さく
何を以ってか
衆生をして
無上道に入り
速かに仏身を
成就することを
得せしめんと
296 :
288:05/03/06 22:01:57 ID:gSnug301
そうか、文章が横に長い人はケイタイから書いてんのか。勉強になりました。
物事の事実を見ないで、早急に断定を下し、自分がこう考えるからそうだろうと言う
誤りをしたようです。このような断定を少なく出来るよう、今後ますます成長できればと
考えました。すみません。
297 :
122:05/03/08 02:33:43 ID:4noOFP0g
>>277 その観察眼はどこから来るのでしょう。
とても興味があります。
そうやって観察することがヴィパサナの方法なのですか。
そのような観察眼は通常は持ちえません。
>>198>>200なども、その通りなのですが、どうしてわかるのですか?
とても不思議です。
正確な観察こそが、この道のすべてだと私は考えています。
298 :
名無しさん@3周年:05/03/08 03:26:11 ID:1b37U1TP
>>297 私は122さん引用のレスを書き込んだ者ではないのですが、
仏教を心理学的にとらえたスレを立てたいと思っています。
ところが、私のプロバイダからはしばらくスレた立てられません。
スレタイトルは、
釈尊は心理療法家/「この辛い感情は癒せるのか?」
1には、
- たとえ享楽的一日の生活を甘受しえても、心中の不安を消すことはできず -
。゚(゚´Д`゚)゚。ワァ〜ン クールに、ナイスガイに生きたいよ〜
( ´・ω・ )ショボーン 怒り、寂しさ、不安、劣等感、嫉妬、悪感情で毎日が辛いです...
ヾ( ゚д゚ )ノ゛どうすればいいんだぁ〜!
(・∀・)! 電球♪
ヽ( ´∀`)ノ 釈尊の教えを実用的(心理学的に)に活かしてみよ〜♪
(*´∀`*)みなさん、
「釈尊は、心理療法家/セラピスト/カウンセラー」という観点で
釈尊の教えを実用的にお話しましょう。
という感じを考えています。
299 :
298:05/03/08 03:27:42 ID:1b37U1TP
悟り 平気で生きられること。 空中浮遊することじゃない。
諸行無常 変化は当たりまえ。 変化していくから、改善の余地がある。解釈は心のベクトル次第。
諸法無我 「私」といっても知覚の束。流動的パーツの集まりに過ぎない。連続性は同一性を保証しない。
涅槃寂静 自分の意志ではどうにもならないことは意志せず、自分の意志でどうにかなることは意志する。
一切皆苦 一切皆苦を基本的心構えにすれば、あとは「儲かっちゃった♪」という感謝の気持ちも湧きやすい。
300 :
298:05/03/08 03:28:16 ID:1b37U1TP
中道 弛緩も緊張も良くない。 弛緩と緊張が同居したミッドα脳波の状態がベスト。「●自律訓練法」
八正道
・正見 認知の歪みを正す。「●認知療法」
・正思惟 考え方が変われば、感情が変わる。感情が変われば、行動が変わる。「●論理療法」
・正語 「言葉は人格」
・正業 間違って学習した行動を、正しい行動の学習で変えていく。「●行動療法」
・正命 人のために働くという喜びを知った者は、どれほど大きな安息と調和を約束されたかわからない。
・正精進 ウサギにはウサギの良さがあり、カメにはカメの良さがある。資質の成就に生きる。比較しない。
・正念 心身症患者は、自分の内面的感情や身体維持機能感覚に鈍感とのこと。 人生は生滅変化の連続。
・正定 集中力というのは、その人がもってる様々な力を高める。
302 :
298:05/03/08 05:13:52 ID:1b37U1TP
303 :
名無しさん@3周年:05/03/08 10:03:06 ID:7aNS9Cte
諸の善男子、
如来
諸の衆生の、
小法を楽える
徳薄垢重の者を見ては、
是の人の為に、
我少くして出家し、
阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く。
然るに我、
実に成仏してより已来、
久遠なること斯の若し。
但方便を以って、
衆生を教化して
仏道に入らしめんとして、
是の如き説を作す。
諸の善男子、
如来の演ぶる所の経典は、
皆
衆生を度脱せんが為なり。
或は己身を説き、
或は他身を説き、
或るは己身を示し、
或るは他身を示し、
或るは己事を示し、
或るは他事を示す。
諸の言説する所は、
皆
実にして虚しからず。
304 :
名無しさん@3周年:05/03/08 10:07:47 ID:7aNS9Cte
所以は何ん。
如来は如実に、
三界の相を知見す。
生死の、
若しは退、
若しは出
有ること無く、
亦在世、
及び滅度の者無し。
実に非ず、
虚に非ず、
如に非ず、
異に非ず、
三界の
三界を見るが如くならず。
斯の如きの事、
如来明かに見て、
錯謬有ること無し。
諸の衆生、
種種の性、種種の欲、
種種の行、種種の憶想
分別有るを以っての故に、
諸の善根を生ぜしめんと欲して、
若干の因縁、譬喩、言辞を以って、
種種に法を説く。
所作の仏事
未だ曾て暫くも廃せず。
是の如く、
我成仏してより已来、
甚だ大いに久遠なり。
寿命無量阿僧祇劫なり。
常住にして滅せず。
305 :
名無しさん@3周年:05/03/08 10:12:00 ID:7aNS9Cte
諸の善男子、
我れ
本、
菩薩の道を行じて
成ぜし所の寿命、
今猶
未だ尽きず。
復
上の数に倍せり。
然るに今、
実の滅度に
非ざれども、
而も便ち、
唱えて
当に滅度を取るべしと言う。
306 :
名無しさん@3周年:05/03/08 10:15:19 ID:7aNS9Cte
如来、
是の方便を以って、
衆生を教化す。
所以は何ん。
若し仏、
久しく世に住せば、
薄徳の人は善根を種えず、
貧窮下賎にして、
五欲に貪著し、
憶想妄見の
網の中に入りなん。
若し如来、
常に在って滅せずと見ば、
便ち驕恣を起して
厭怠を懐き、
難遭の想、
恭敬の心を生ずること能わじ。
是の故に如来、
方便を以って説く。
比丘当に知るべし。
諸仏の出世には、
値遇すべきこと難し。
所以は何ん。
諸の薄徳の人は、
無量百千万億劫を過ぎて、
或は仏を見る有り、
或は見ざる者あり。
此の事を以っての故に、
我是の言を作す。
308 :
名無しさん@3周年:05/03/09 16:13:23 ID:XIbiJrut
みんな、キサーゴータミーを知っているか?
死人を出してない家から、ケシの実を貰いに行くお母さんだ。
彼女は、行動(訪問)を通して「人生のあたりまえ」を受け入れられるようになった。
理屈で「人生のあたりまえ」を受け入れられるようになったわけじゃない。
ヴィパッサナー瞑想者は、観察を通して「人生のあたりまえ」を受け入れられるようになる。
こだわりから卒業できれば、感情生活は、安穏に暮らせるね。
309 :
名無しさん@3周年:05/03/09 16:34:36 ID:C0u9ZHme
仏教の原点は二元的価値の否定のようだな。
美醜、善悪、賢愚の区別を付けない。
これを皆が実行したら文明は崩壊してしまうよ。
俺にはついて行けない。
>>309 どこの仏教が?
ここはスッタニパータ(原始仏教)のスレだよ。
311 :
名無しさん@3周年:05/03/09 16:50:59 ID:C0u9ZHme
312 :
名無しさん@3周年:05/03/09 17:11:58 ID:XIbiJrut
313 :
名無しさん@3周年:05/03/09 17:27:41 ID:C0u9ZHme
314 :
名無しさん@3周年:05/03/09 21:21:27 ID:IK9tM0g3
感情だ!感情が問題だ!
感情をどうする!
315 :
名無しさん@3周年:05/03/09 23:58:26 ID:88BpebWa
>>314 在りのままの感情を制御しようとも消滅しようとも増幅しようとも
思わない人があらわれれば
感情の問題は消滅する
316 :
名無しさん@3周年:05/03/10 00:19:24 ID:hVHOaZxc
釈迦の教えやヴェーダの道理で考えて見ますと
感情の生起は
虫や獣の所有しているのと同じ眼耳鼻舌身・・・の接触の快楽を
拠り所として起こるということになります
眼耳鼻舌身・・・の接触の快楽への欲望の想いを
拠り所として起こるということになります
としますと
感情の振動を小さくしたり苦しみを小さくするためには
眼耳鼻舌身・・・の5感の関門を気をつけてよく守り
それらの諸感覚の快楽に耽ることを少なくする/戒を守る
ことがその方法となると思います
317 :
名無しさん@3周年:05/03/10 00:25:58 ID:hVHOaZxc
釈迦の教えやヴェーダの道理で考えて見ますと
眼耳鼻舌身・・・の接触の快楽を特に制限することなく自由に追及
していきながら苦しみも小さくすることは不可能ということになります
318 :
名無しさん@3周年:05/03/10 00:30:01 ID:hVHOaZxc
釈迦の教えやヴェーダの道理の
眼耳鼻舌身・・・の接触の喜びを消滅し克服すれば
苦しみもまた生じる拠り所が消滅する
というのはそれが可能か不可能かの問題は別にしても
理にかなっていてその通りであると思います
319 :
名無しさん@3周年:05/03/10 00:48:06 ID:hVHOaZxc
人のあらゆる欲望や地位名誉・・財産・・
といった欲望も
虫や獣の所有しているのと同じ眼耳鼻舌身・・・の接触の快楽をもとに
論理や言葉や演算で導き出した欲望ということになり
いつでもあらゆる欲望の根源は
虫や獣の所有しているのと同じ眼耳鼻舌身・・・の接触の快楽と
するならば
眼耳鼻舌身・・・の接触の快楽/差別の想いを消滅すれば
あらゆる欲望やそれに伴う苦悩も消滅する
という道理になります
320 :
名無しさん@3周年:05/03/10 00:51:53 ID:hVHOaZxc
フロイトは人のあらゆる欲望の起源を性欲に求めましたが
釈迦の教えやヴェーダでは
人のあらゆる欲望の起源は
眼耳鼻舌身・・・の接触の快楽、五感欲としていることになります
321 :
名無しさん@3周年:05/03/10 00:58:34 ID:hVHOaZxc
人の苦しみの生じる起源が
眼耳鼻舌身・・・の接触の快楽であると
理屈ではなく体感するというか直観するというか
そのための方法(の一つ)が
正念/念処/ヴィパッサナー観法
だと自分は考えています
322 :
名無しさん@3周年:05/03/10 01:04:57 ID:hVHOaZxc
苦しみという精神的現象が生じているときに
「これに縁ってこれが生じているこれに縁ってこれが・・・」
とその苦しみという精神的現象の形成されている現場を
自身の目/念で如実に観ることが
正念/念処/ヴィパッサナー観法でありその目的であると考えます
それは縁起の現象の知見であったり法の知見であったり
無常の知見であったりすると思います
323 :
名無しさん@3周年:05/03/10 01:16:00 ID:hVHOaZxc
苦しみという精神的現象が生じているときに
「これに縁ってこれが生じているこれに縁ってこれが・・・」
とその苦しみという精神的現象の形成されている現場を
一切知見すればそれは解脱なのかもしれませんが
そこまでは至らなくても
正念/念処/ヴィパッサナー観法の実習によって
今までは全く観えなかったことが観えたりはすると思います
釈迦は念処経の中ではそれを極端にして
7日正念/念処/ヴィパッサナー観法すれば
誰でもその観力が得られると言っています
この場合の7日とは
7x24時間=168時間の不眠不休の連続正念/念処/ヴィパッサナー観法
のことを意味するのか
ただ7日を意味するのか
のべ168時間を意味するのかは
定かではありませんが
いづれにせよ福音だと思います
324 :
名無しさん@3周年:05/03/10 01:36:44 ID:1osBd9MP
見猿、聞か猿ってどうなのよ。
ただの現実逃避だろ。
目の前のウンチは目を閉じて鼻を塞げば無くなるというのか?
無くなるというのなら、自己中発想の極みだ。
何度も言うけど、ここはスッタニパータ(原始仏教)のスレだからね。
釈迦が存命中の、釈迦の言説(原始仏教)と、後世の人々の創作や
土着信仰と融合した後の「衆合仏教」とは区別する必要がありますよ。
326 :
名無しさん@3周年:05/03/10 01:52:10 ID:1osBd9MP
>>325 まず、ヴィパッサナーを検索してちょっと勉強しろ。
話しはそれからだ。
スレタイが読めないのか。
327 :
名無しさん@3周年:05/03/10 02:00:12 ID:hVHOaZxc
>>324 釈迦の教えやヴェーダの道理からしますと
まさにあなたのおっしゃる通りです
>目の前のウンチは目を閉じて鼻を塞げば無くなるというのか?
そういうことになります
>無くなるというのなら、自己中発想の極みだ。
無くなるという教えであり、その通りであり極みです。
328 :
名無しさん@3周年:05/03/10 02:06:52 ID:hVHOaZxc
>>324 自分が釈迦の教えやヴェーダの道理を読んだ限りによりますと
その教えは
あなたが失望されている通りの内容であり
あなたがその失望されている教えでないあなたが期待している教え
については記述されていないように自分は思いました
ただ自分が期待している内容は
あなたが失望されている内容のことであり
それだから自分は
釈迦の教えやヴェーダの道理を唯一の道と納得しています
それ以外の道は他に無いと自分は思っています
329 :
名無しさん@3周年:05/03/10 02:14:55 ID:hVHOaZxc
>>324 ヴェーダの教えでは
あなたの意識の住むあなたの「この世」は
あなたの意識が創造し形成しており
あなたを中心に創られ
その「この世」の中であなたが苦しみ、喜んでいる
という処に立ち
それではそのあなたの苦しみを消滅させるためにいかにすれば良いか
を説いています
夜更かしはあんまりよくないよ。
もう寝ましょう。
331 :
名無しさん@3周年:05/03/10 02:21:22 ID:hVHOaZxc
自分の中で自分の苦しみの生起を解決し足りれば
それは妄想に耽って世界の王にでもなって喜んでいるキチガイと
変わらないではないかと思われる人がいれば
それはそのように解釈する人がいてもその通りでもありうると思います
自分の中で自分の苦しみの生起を解決し足りた人が
他人に対し自分はスゴイ力を得たなどといういうことが何一つ無く
またそのような力が必要でないように
その人はそうであると思います
332 :
名無しさん@3周年:05/03/10 02:29:37 ID:hVHOaZxc
>>324 ヴェーダの教えでは極端なものですと
視覚的悦楽を抑止できずそれが故に苦しむことがあり
なおかつその苦しみをどうしても消滅させたいのならば
眼球を抉り出して潰せば良い
などとすら教えています
一切が我/眼耳鼻舌身と自性/色声香味触法の接触によって
生じていて他方を欠いた場合存在はおこらない
という見地で論を展開しています
333 :
名無しさん@3周年:05/03/10 02:36:54 ID:hVHOaZxc
ヴェーダの教えでは
我/眼耳鼻舌身を欠いた
客観的実在という現象は存在しない
という見地で論を展開しています
感受する器官が無くても「実在が在る」ということを認めない見地です
極端なわかりやすい例でいえば
耳が聞こえない人にとって音は存在しない
とする見地です
聞こえないけれども「鳴っているはずの音が在る」とはしない考えです
334 :
名無しさん@3周年:05/03/10 02:43:49 ID:hVHOaZxc
臭覚障害の方に臭い苦しみが存在せず
聴覚障害の方に騒音や音楽の苦しみが存在しない
のと全く同じ道理です
335 :
名無しさん@3周年:05/03/10 02:48:55 ID:hVHOaZxc
ジャイナ教などではそれをさらに受けて
解脱した後に自殺/肉体的死滅するようです
それを以って完全なるニルバーナとしています
確かに一切の苦しみを逃れた場合
生存の根拠もまた失うということは道理です
すべての苦しみの消滅とともに
生きる意味/根拠/動機もまた消滅すると思います
336 :
名無しさん@3周年:05/03/10 02:52:27 ID:1osBd9MP
「脳内天国」の教えだね。
337 :
名無しさん@3周年:05/03/10 02:53:52 ID:hVHOaZxc
その境地はしかし体験した人でしか
計り知ることはできないと思います
理屈では一切の苦しみを逃れた場合
生存の根拠も失うことになりますが
現に解脱後生きた釈迦、その他の人々の存在が
その理屈によらない何某かが在ることを意味しているのかもしれません
338 :
名無しさん@3周年:05/03/10 02:54:42 ID:hVHOaZxc
339 :
名無しさん@3周年:05/03/10 02:55:16 ID:1osBd9MP
「脳内天国」の教えでは、きっと何かを見落としているような気がする。
だから、釈尊は、「観法」だけではなく、「慈しみ」を教えたんだな。。。
心理学でも、自分を受け入れられる人間が他者をも受け入れられるというのが原則。
340 :
名無しさん@3周年:05/03/10 02:57:53 ID:1osBd9MP
「解脱」の解釈に悲壮感があり過ぎ。
仏教においての「解脱」は、
こだわりから卒業できて、平気で生きられる状態で充分だよ。
341 :
名無しさん@3周年:05/03/10 02:59:27 ID:hVHOaZxc
ただヴェーダの教えに立ちますと
脳外というものは存在しない
ということになります
一切が脳内の地獄や天国ということになります
>「脳内天国」の教えでは、きっと何かを見落としているような気がする。
>だから、釈尊は、「観法」だけではなく、「慈しみ」を教えたんだな。。。
それはそうかもしれないし自分には分からないですね
342 :
名無しさん@3周年:05/03/10 03:00:18 ID:1osBd9MP
「脳内天国」マンセー!になると、
それを邪魔する社会を許さない!ポアだ!ポアだ!となりそうだ。
排他的になりそうだ。
「慈しみ」と「ヴィパッサナー(観法)」の両方が揃ってなんぼだ。
343 :
名無しさん@3周年:05/03/10 03:05:18 ID:FNlLw2AL
>>340 解釈は自由であり
各人の想うままで良いと自分は思います
>「脳内天国」マンセー!になると、
>それを邪魔する社会を許さない!ポアだ!ポアだ!となりそうだ。
>排他的になりそうだ。
自分の考えですと社会の在りようには関係を少なくする教えのように
思っています
社会の在り様をどうのと考える教えは
むしろ反ヴェーダのように思います
344 :
名無しさん@3周年:05/03/10 03:13:06 ID:FNlLw2AL
自身の苦しみを消滅/解決するために
相手や他者や社会の在り様の方を変化させようとするのならば
それはヴェーダの教えと反対の教えということになると思います
345 :
名無しさん@3周年:05/03/10 03:54:47 ID:1osBd9MP
母親は赤ちゃんをしっかり観察する。それが愛だから。
熱はないか?お腹はすいてないか?寒くはないか?
つまり、「自分」と「外の世界」とを切ってない。
「愛」の反対は「無関心」である。
赤ちゃんの表情に無関心で放置していることは虐待である。
この「自分と外の世界を切らないけれど感情的にならない」というのが
釈尊の教えだと思う。
単に、感覚器官をシャットアウトして「脳内天国」を作っても、
そんなの現実逃避以外のなにものでもない。
人間関係に大切なことは、「受容」と「信頼」と「共感」などだが、
感覚器官をシャットアウトして「脳内天国」状態の人間に、
果たして「他者に対する共感力」はあるだろうか?
受信したものを、言葉によるラベリングでサティするとき、
感情を言葉によって表現して自覚にもたらしている。
それは抑圧とは逆のこと。
感じて(しっかり認識して)解消する。
「受信を拒んでストレッサーを発生させない」ではなく、
「受信して、ちゃんと実感して、解消する」これがヴィパッサナーのはず。
346 :
名無しさん@3周年:05/03/10 03:55:03 ID:FNlLw2AL
自分の考えですと
慈悲の意識とは
釈迦が慈しみを持てといったから
本当は嫌だけど他人に慈悲の心を持つようにしよう
といった命令/教え/種類のものではなくて
正念/念処/ヴィパッサナー観法を実習していると
他人を苦しめ損なうことがそのまま自分自身を苦しめ損なう以上の
ことを為していないことに気付いて
むしろ自然に他を少なく苦しめようとする動機が生まれる
といった風のように自分は思っています
347 :
名無しさん@3周年:05/03/10 04:00:27 ID:1osBd9MP
ヴィパッサナーをしていれば、慈しみの心が湧くと思っていたら
大間違いだと思うよ。
そんなのオカルトチックだ。新興宗教チックだ。怪しすぎる。
なにかこう、病んだスピリチャル主義人間っぽい。
348 :
名無しさん@3周年:05/03/10 04:05:15 ID:FNlLw2AL
釈迦の教えによりますと
在家の人に父母を大切にしなさいと教える一方で
出家修行者に肉親への執着の想いを捨てるようにいっています
つまり肉親への執着の想いが愛であって
その愛を大切にしなさいというのではなくて
それは欲望の想いであり愛欲であるから苦しみの原因になり
欲望の想いを捨て去りなさいと説いています
また釈迦は
仲間とコミュニケーションをとって楽しく社会生活を送りなさい
などとは言わず
むしろ独りで在りなさい独りで在ることを楽しみなさい
とスッタニパータの中で強調しています
349 :
名無しさん@3周年:05/03/10 04:09:26 ID:1osBd9MP
>むしろ独りで在りなさい独りで在ることを楽しみなさい
>とスッタニパータの中で強調しています
犀の角では、それだけじゃないでしょ。
良い人間と出会ったなら、仲間を持つことはすすめる書いてある。
350 :
名無しさん@3周年:05/03/10 04:09:57 ID:FNlLw2AL
>>347 自分は慈悲の心とは
そのように相手を
>オカルトチックだ。新興宗教チックだ。怪しすぎる。
>なにかこう、病んだスピリチャル主義人間っぽい。
などと侮り罵り損なう言葉避け
聞く相手の心を思いやり
相手を少なく損なう言葉をできるだけ選ぶようにする
ことだと思っています
351 :
名無しさん@3周年:05/03/10 04:11:07 ID:1osBd9MP
脳内天国というのは、
ある意味、シャプ中毒と構造的には同じだよ。
352 :
名無しさん@3周年:05/03/10 04:20:04 ID:FNlLw2AL
ただ慈悲の心が相手に少ないからといって
彼が悪人であったり醜い人間であり非難対象である
ということにはならず
ただ慈悲の心が少なければその人がそれだけ苦しみを受ける
以上のことにはならないと自分は考えています
人を嫌悪や怒りの想いに基づいて彼を罵れば
ただ自分自身が苦しくなるように自分は思っています
353 :
名無しさん@3周年:05/03/10 04:28:12 ID:OnZgMvLF
例えば自分と見解が異なる相手が存在し
彼を侮り侮蔑し罵り彼が苦しみ傷ついても
自分は痛くも痒くも無いし関係も無い
むしろ相手には苦しんで倒れてもらわなければ困る
というのであれば
慈悲の心はどこにも存在しないと思うのです
自分はそのように考えています
354 :
名無しさん@3周年:05/03/10 04:36:48 ID:1osBd9MP
「自分」と「外の世界」を切ってるな。。。
355 :
名無しさん@3周年:05/03/10 04:42:28 ID:OnZgMvLF
語らいがあり
そこに慈悲の心というものが存在するとするならば
語らいは
相手を如何に幸せにし相手の苦しみをどう少なくするか
ということになり
相手を倒したりすることはその目的や動機にならないと
自分は考えています
356 :
名無しさん@3周年:05/03/10 04:57:49 ID:1osBd9MP
受信器官をシャットアウトしていたら、
外の世界との共感は出来ないよ。
共感力の無い人間性ってどうだろう。。。
人間は一人では生きていけない。
他者との共感は、大切な要素だ。
357 :
名無しさん@3周年:05/03/10 05:01:27 ID:OnZgMvLF
すべて自分の認識する世界は、自分の目と脳を通って認識する以外
人間には方法が無いのだから、脳内天国以外人間は経験することが出来ない。
相手が傷付くかどうかは、具体的に殺傷しない限り、相手の認識の問題であって
私のどの言葉と態度が相手を傷つけるかは、相手の考える領域である
慈悲と言っても、相手がそれをどう認識するかも、私には予測できない。
何が本当に相手の為になるのか、分からない。相手の幸せとは何なのか
相手は何を幸せに感じるのか。私と相手の脳を交換する事が出来ないので
私には分からない。
359 :
名無しさん@3周年:05/03/10 05:06:57 ID:1osBd9MP
>>358 それを釈尊の教えとどう繋げていく?
釈尊の教える「平静や慈しみ」にどうつなげる?
360 :
名無しさん@3周年:05/03/10 05:09:53 ID:OnZgMvLF
>>358 自分の場合ですと
自分の妄想の範囲内で相手が傷付くかどうかを勝手に類推し
それに従って相手の気持ちを少なく損なう言葉を使用する
ということになります
例えば自分は「死ね!」と言われたら苦しく感じるので
相手にそれを言わないという基準にします
慈悲についても自分の妄想の範囲内で行います
それはその人の勝手である
といえばそうですが
行為や言葉を発する人は自分自身だけが
自分の行為や言葉に悪意があるか無いかは知っていると思います
361 :
名無しさん@3周年:05/03/10 05:16:33 ID:OnZgMvLF
それだから例えば自分は「死ね!」と言われたら嬉しく感じる人や
それを言われても特に何も感じない人がいれば
その人が相手に悪意が存在しない「死ね!」という言葉を発する
という可能性はあると思います
そのような立場です
また自分のでき得る妄想で最大限類推可能な相手への思いやり
を表す以外に行為の基準はみつからないと自分は考えています
362 :
名無しさん@3周年:05/03/10 05:21:23 ID:OnZgMvLF
だからたとえ自分の善意の考えに基づいて
他者にお金をあげたとしても
相手が「俺は乞食じゃない馬鹿にするなやめてくれ」
と言えば自分の見解がその人に対して誤りであったと修正します
363 :
名無しさん@3周年:05/03/10 05:28:50 ID:rX+byL08
さらにその時
相手の「俺は乞食じゃない馬鹿にするなやめてくれ」 の言動の
背景に相手は本意では金銭を必要としていることを
感じればお金を無理にでもあげる
といった風になりますが
いづれにせよ自分の妄想の範囲で類推することになります
それは
>>358さんのいうところの
相手の想いを疑いなく正確に決して知見できないからです
364 :
名無しさん@3周年:05/03/10 06:04:25 ID:rX+byL08
結局相手の心など伺い知ることは他人には決してできないのだから
例えば自分が相手を殴りたい時に殴っても
もしかしたら相手はマゾヒストで喜ぶかもしれないし
自分が怒りと悪意を以って悪口をいいたい放題言って相手を罵っても
相手は喜ぶ可能性もある
などとして
自分の都合で自由自在に振舞い
結果は他人の受け取り方次第とする道があるとするならば
自分はそうでない道を選ぶと思います
365 :
名無しさん@3周年:05/03/10 06:53:09 ID:ycTB+4na
爾の時に世尊、
重ねて此の義を宣べんと欲して、
偈を説いて言わく、
是の人は意清浄
明利にして穢濁無く
此の妙なる意根を以って
上中下の法を知り
乃至一偈を聞くに
無量の義を通達せん
次第に法の如く説くこと
月四月より歳に至らん
是の世界の内外の
一切諸の衆生
若しは天龍及び人
夜叉鬼神等
其の六趣の中に在る
所念の若干の種
法華を持つの報は
一時に皆悉く知らん
>323
>7日正念/念処/ヴイバッサナー観法すれば
>誰でもその観力が得られます。
と、念処経にはあるようですが、具体的に、なんと書かれているのでしょう?
また念処経って、なんの仏典に載っているのでしょうか?
知ってる片いましたら、教えてください。よろしくです。
367 :
名無しさん@3周年:05/03/10 15:11:19 ID:WY4mngJN
368 :
名無しさん@3周年:05/03/10 16:39:16 ID:0tdNkXS2
心理的原則として、
「怒りやすい人は、傷ついている人」
心に傷があると、人との心の触れ合いができなくなる。
自己開示しないから。
自然と、孤立していく。
同時に、人との心の触れ合いがないと、人を信じることが出来なくなっていく。
そんな自分を客観的にみれば、どうしても劣等感が生まれる。
心の傷、孤立、不信感、劣等感...
これだけ揃えば、他人の言動に傷つきやすくでも当然である。
傷ついたとき子供なら泣くが、大人は怒りだす。
怒ることで心のバランスをとる。
「感覚器官をシャットアウトすれば解決される」と考えるから、
どうしても、とっつきにくい印象に人間になる。
人間関係を良く保っていく為の要素は、
「受容」「親和」「共感」「支持」などである。
人間は一人では生きていけないのに、「和の空気」を壊している人がいる。
つまり、共感力が無いから、それに気づかないのである。
369 :
名無しさん@3周年:05/03/10 17:38:41 ID:rqYEFSga
>>368 自分と異なる見解の人を不快感から悪く言い非難して
それを止めたり許すことが出来ないほど苦しんでいる
のだとしたらその人は自分にとっては幸せの人とは思いません
その人は苦しむ人であって
その生き方が多くの人を救う生き方ではないと自分は考えます
370 :
名無しさん@3周年:05/03/10 17:50:35 ID:0tdNkXS2
>>369 368を読んで、そういうレスをされても噛み合ってません。
あなたの中では筋があるのかもしれませんが、
他者とのコミニケーションは成立してません。
そこに違和感があります。
どうしても自己中心性が感じられます。
釈尊の教えとは、自分さえOKなら、それでいいのでしょうか。違うと思います。
371 :
名無しさん@3周年:05/03/10 18:00:16 ID:rqYEFSga
>>370 釈尊の教えとは、自分さえOKなら、それでいいのでしょうか
自分の心をひいき目なく観てみてください
あなたの心に怒りや敵意や苦しみはないでしょうか?
相手を悪くいい相手が傷ついても相手が自分と異なる見解を持つ者
ならそれをしても良いと考えてないでしょうか?
あなたは相手の気持ちを考えているのでしょうか?
372 :
名無しさん@3周年:05/03/10 18:06:46 ID:0tdNkXS2
つまり
>>368については何も言ってないね。
>>368の書き込みにレスを付ける名目で、
直接関係のないことを書き続けている。
自分の思考や感情の整理の為に他人を利用しているだけか。
自己中で共感力のない人間なら、そういう行動をしても納得だけどね。
373 :
名無しさん@3周年:05/03/11 05:37:30 ID:UQ1iW3k5
>>365 十方無数の仏
百福荘厳の相あって
衆生の為に説法したもう
悉く聞いて能く受持せん
無量の義を思惟し
説法すること亦無量にして
終始忘れ錯らじ
法華を持つを以っての故に
悉く諸法の相を知り
義に随って次第を識り
名字語言を達して
知れる所の如く演説せん
此の人の所説有るは
皆是れ先仏の法ならん
此の法を演ぶるを以っての故に
衆に於て畏るる所無けん
法華経を持つ者は
意根浄きこと斯の若くならん
未だ無漏を得ずと雖も
先是の如き相有らん
是の人此の経を持ち
希有の地に安住して
一切衆生
歓喜して愛敬することを為ん
能く千万種の
善巧の語言を以って
分別して演説せん
法華経を持つが故なり
374 :
名無しさん@3周年:05/03/11 05:41:28 ID:UQ1iW3k5
仏、弥勒に告げたまわく、
我今分明に汝に語る。
是の人、一切の楽具を以って、
四百万億阿僧祇の世界の、
六趣の衆生に施し、
又、阿羅漢果を得せしめん。
所得の功徳は、
是の第五十の人の
法華経の一偈を聞いて、
随喜せん功徳には如かじ。
百分、千分、百千万億分にして、
其の一にも及ばじ。
乃至算数譬喩も知ること能わざる所なり。
阿逸多、
是の如く第五十の人の展転して、
法華経を聞いて随喜せん功徳、
尚無量無辺阿僧祇なり。
何に況や、最初会中に於いて、
聞いて随喜せん者をや。
其の福復勝れたること、
無量無辺阿僧祇にして、
比ぶること得べからず。
375 :
名無しさん@3周年:05/03/11 05:42:20 ID:UQ1iW3k5
>>374 又阿逸多、
若し人、
是の経の為の故に、
僧坊に往詣して、
若しは坐し、
若しは立ち、
須臾も聴受せん。
是の功徳に縁って、
身を転じて生れん所には、
好き上妙の象馬、
車乗、
珍宝の輦輿を得、
及び天宮に乗ぜん。
若し復人有って
講法の処に於いて坐せん。
更に人の来ること有らんに、
勧めて坐して聴かしめ、
若しは座を分って坐せしめん。
是の人の功徳は、
身を転じて帝釈の坐処、
若しは梵天王の坐処、
若しは転輪聖王の所坐の処を得ん。
376 :
名無しさん@3周年:05/03/11 07:19:02 ID:WPxlWtLP
宣伝したいならせめて口語訳で書かないと、説得力ないよ。何の感動も起きないし。
論理的に、もしくは行の体験から、書かないと。
377 :
名無しさん@3周年:05/03/11 08:25:53 ID:WPxlWtLP
単に、法華経創作者が、「このお経が最高」と自画自賛してるだけの部分で、何の内容もない。どうせなら他の部分を引用すれば?
378 :
名無しさん@3周年:05/03/11 08:38:34 ID:UQ1iW3k5
仏 薬王に告げたまわく、
又如来の滅度の後に、
若し人有って、
妙法華経の、
乃至一偈一句を聞いて、
一念も随喜せん者には、
我 亦
阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く。
若し復人有って、
妙法華経の、乃至一偈を
受持、読誦し、解説、書写し、
此の経巻に於いて、
敬い視ること仏の如くにして、
種種に華香、
瓔珞、
抹香、
塗香、
焼香、
所W、
幢旛、
衣服、
伎楽を供養し、
乃至合掌恭敬せん。
薬王当に知るべし。
是の諸人等は、
已に曾て、
十万億の仏を供養し、
諸仏の所に於いて、大願を成就して、
衆生を愍むが故に、
此の人間に生ずるなり。
凡夫には仏教がわかるわけがないので議論しても争いになる。
凡夫は仏教を自らの価値観にあてて理解する。
ここに書き込むのも凡夫たるゆえんである。
382 :
名無しさん@3周年:05/03/11 12:39:44 ID:WPxlWtLP
>378 今私が法華の一文を読んで感動したとして、あのくたらさんみゃくさんぼだいを得られるのは、いつですか?いつか必ずという授記はわかりましたが、いつですか?
383 :
名無しさん@3周年:05/03/12 00:22:42 ID:fFiTjwT0
ヴィパッサナーって心理療法のフォーカシングじゃん。
終了。
心理療法のフォーカシングが仏教なんだろ。
385 :
名無しさん@3周年:05/03/12 00:59:39 ID:fFiTjwT0
>>384 じゃ、フォーカシングを説明をしてくれよ。
386 :
名無しさん@3周年:05/03/12 01:08:11 ID:fFiTjwT0
>>384 さっさと説明しろってクソ野郎!
逃げてんじゃねーよ!クソ野郎!
387 :
名無しさん@3周年:05/03/12 01:10:52 ID:BJGH4zmx
カール・ロジャーズが提唱する、自己観察に基づく自己受容、共感、自己統一感
を得るための心理療法だろ。
さまざまなカウンセリングの成功例をモデリングした心理療法という意味では、NLP
とも共通する特徴を持っている。
原始仏教は、もとを正せば信仰や宗教というよりも、むしろ認知心理学や哲学に
近いものだし、西洋の心理学者が東洋思想を研究する過程で原始仏教のエッセ
ンスに触れる例も少なくない。
カウンセリング成功例のモデリングがフォーカシングだから、順番からいったら
ヴィパッサナーや釈迦の思想の方が参考にされる側だよ。
って、書いてるそばからソレか。
フォーカシングやった方がいいぞ。
まーがんばれ。
388 :
名無しさん@3周年:05/03/12 01:12:04 ID:BJGH4zmx
>>385 知らないと思ったんだろ?
噛み付く相手を間違えたな。
389 :
名無しさん@3周年:05/03/12 01:13:53 ID:fFiTjwT0
>>387 プッ!
なんだその理屈w
知障発見!
>カウンセリング成功例のモデリングがフォーカシングだから、順番からいったら
>ヴィパッサナーや釈迦の思想の方が参考にされる側だよ。
ソースは?
さっさとソースだせよ!出せるか?クソ野郎w
390 :
名無しさん@3周年:05/03/12 01:16:20 ID:fFiTjwT0
>>388 自己称賛してるのか?
誰からも認められない人間特有の行為だなw
いかにもクソ野郎だなwプッw
391 :
名無しさん@3周年:05/03/12 01:19:22 ID:BJGH4zmx
もうわかった。
フォーカシング、わるくないよ。
フォーカシングは、どちらかというと心理主義に分類されるから、バランスを
考えるなら、余裕がでてきたら行動主義の心理学も見てみるといいよ。
392 :
名無しさん@3周年:05/03/12 01:40:56 ID:N5WFT3F1
>389
カール・ロジャース、そしてその系譜に当たるフォーカシング開発者が活躍していた時代って、ヒッピーだのビート族の生き残り(キングスバーグだったかな?)が仏教にハマっていたし、
鈴木大拙の禅なども東洋的な心理アプローチとして注目され初めていたんだよ。
ソースなんかネット検索すれば沢山出ると思うよ。アウェアネスセンサリーとかはまるごと歩く瞑想をベースに心理療法として活用できるように再編集しているよ。
これらはニューカウンセリングといわれていたんだ。心だけではなく西洋的価値では野蛮=身体に注目したことがこの頃新しかった。
またこの時代にはベトナムの仏教僧ティックナット。ハーンが歩く瞑想(ヴィパッサナー)を世界に紹介していた。
ベトナム戦争だったから、とても注目されていたよ。
ぐっと世界が近くなった時代だったのよ。
393 :
122:05/03/12 02:09:11 ID:WBjGqBqk
>>384 > 心理療法のフォーカシングが仏教なんだろ。
ふーん。面白いね。
ヴィパサナはフォーカシングなんだろうね。
--------------------------------------------
「フォーカシング」とは?
来談者中心療法(Client-centered psychoterapy)を創始したカール・ロジャーズ(Carl Rogers)の共同研究者であったジェンドリン(Gendlin,E)が開発した、
自分の中の、言葉にならない漠然とした曖昧な感じとの関わり方を学ぶ技法のことです。
誰もが、日常生活を、自分の中の、容易に解消できない漠としたモヤモヤに振り回されながら過ごしているものだと思います。
「きのう友達と分かれてから、何かすっきりしない気分が今も後をひいている。
相手はもう謝ってくれたのだからそれで問題は片づいたはずだと頭ではわかっているんだけれども、何か腑に落ちない。すっきりしない」
そのような漠とした不全感に真の解消の糸口を与えるのがフォーカシングなのです。
--------------------------------------------
俺はフォーカシングもヴィパサナも知らないけれど、
似たようなことをしてるな。
394 :
名無しさん@3周年:05/03/12 02:25:26 ID:fFiTjwT0
釈尊の教えが心理学でメジャーにならず
「仏教カウンセリング」とかがインチキくさい響きがあるのは、
やっぱり、「自我、自己」の否定がるからだろう。
原子レベルまで突き詰めりゃ、この世は原子で作られていて
あなたも、私も一緒、一元になる。
絶え間なく動いている一元だから、無常、無我つまり「空」となる。
そうはいっても、「肉体の原子密度レベル」で生きている訳だから、
無我なんて言われても、心は癒されない。
理屈は分かっていても、身体的に実感できてない坊主はいっぱいいると思う。
だからこそ、身体を使った修行が必要なんだろうけど、
日本で悟っている坊主の名前を聞いたことがない。
やっぱり、「自己愛」を満たすことで、人間は癒されるはずだ。
誰かに罵られて怒りを覚えても、自己愛を満たされれば、怒りは消える。
悟れば、無我を理屈でも身体感覚的にも納得できるだろうが、
悟りのハードルが高い以上、「自己愛」を満たすほうがまったく効果的だ。
395 :
名無しさん@3周年:05/03/12 02:29:50 ID:fFiTjwT0
心理学の「自己愛を満たして癒す」という発想は、
仏教の「無我」と相容れない。
仏教が必要になるとしたら、やっぱり宿命を受け入れるときの合理化の為か。
396 :
名無しさん@3周年:05/03/12 02:35:42 ID:BJGH4zmx
ところが、その文脈でいう「無我」は、このスッタニパータ・スレで
言われている「無我」とは意味がまったく違うんだ。
397 :
名無しさん@3周年:05/03/12 02:36:43 ID:BJGH4zmx
でも、聞かれれば答えるけど、また逆上するなら教えない(笑)
398 :
名無しさん@3周年:05/03/12 02:38:40 ID:fFiTjwT0
>ところが、その文脈でいう「無我」は、このスッタニパータ・スレで
>言われている「無我」とは意味がまったく違うんだ。
これは意味が分からない。
無我にはいくつも意味が無かったはず。
399 :
名無しさん@3周年:05/03/12 02:46:01 ID:fFiTjwT0
仏教では悩みの元になる「自我意識」を捨てろと言っている。
それが「捨」であって「涅槃寂静」と言っている。つまり「悟り」。
心理学では、辛いのは、「自己愛が傷ついている」からとなる。
「自我意識」と「自己愛」は切ってもきれない。
ここが、釈尊の教えと臨床心理学が統一していかないポイントだ。
どちらも、人間を対象にしているのにね。へんなの。
400 :
名無しさん@3周年:05/03/12 02:48:31 ID:fFiTjwT0
ということを言ってるの。
BJGH4zmxさんに伝わったかな。
BJGH4zmxさんは、「釈尊の教え」と「臨床心理学」は統一していくと考えているの?
401 :
名無しさん@3周年:05/03/12 02:53:14 ID:BJGH4zmx
つじつまを合わせたいと思っている人も、合うに違いないと期待している人も
沢山いるよね。
自分もそのひとり。
でも、自分はただ「知りたい」と思っているだけの凡人。
402 :
名無しさん@3周年:05/03/12 03:00:01 ID:BJGH4zmx
経典などから読み取れる釈迦の言動には、とても深い愛情を感じるんだ。
その釈迦が、「自己愛が満たされていない状態」とは、どうしても考えられない。
403 :
名無しさん@3周年:05/03/12 03:07:23 ID:fFiTjwT0
「色」つまり、脳という物質がある。
その働きに、
「名」つまり、意識や知覚や感情などがある。
心/精神(主観)
・受 感受作用 (六門/眼耳鼻舌身意)(対象/色声香味触法)
・想 表象作用、イメージ
・行 意志作用、記憶、衝動的な欲求
・識 認識作用、識別
ヴィパッサナーは、「受」の所で止めろと言っている。
観念、思考が悩みを作るからという。
仏教では、この「受」から後の工程が、「我/自己意識/自我意識」と言っているのか。
認知の歪みを正して、間違った思考を正して、間違って学習した行動を正していけば済むところを
「共感力が欠落するような人間」を作るヴィパッサナーってどうなのよ。。。
人々の輪の中で一人だけ超然とした空気を出して、場の雰囲気を壊しているタイプじゃん。
みんなで海を見に行っても、一人超然としていて、周りと共感し合うことのない人間って。。。
404 :
名無しさん@3周年:05/03/12 03:15:41 ID:BJGH4zmx
なるほどね。言いたいことはわかる気がした。
でも、今日はもう寝る。
405 :
名無しさん@3周年:05/03/12 03:21:24 ID:fFiTjwT0
「自己愛への希求」はかなり強かったんだろうね。
釈尊は、煩わしさから逃れる為に子供を捨てたからね。
このことは、否定的に取れるし、一方では、心理的原則として、
「自分を受け入れられない人間は、他者を受け入れられない」というのがあるから、
複雑になる。
溺れている人間が、隣で溺れている人間を救えるはずがない。
>経典などから読み取れる釈迦の言動には、とても深い愛情を感じるんだ。
>その釈迦が、「自己愛が満たされていない状態」とは、どうしても考えられない。
心の成長には順番があって、悟った釈尊の言葉には、深い愛情があるんだね。
子供を捨てた段階では、機能不全家族を生み出す父親と変わりない。
機能不全家族からアダルトチルドレンが生まれ、それが世代間連鎖していく。
悟ったから良かったものの、もしただのホームレスで終わっていたら
単なる酷いオヤジだったね。
406 :
名無しさん@3周年:05/03/12 03:23:20 ID:fFiTjwT0
うん、寝る。
明日Hできるかな〜。
407 :
名無しさん@3周年:05/03/12 05:03:18 ID:4VamBRoy
408 :
名無しさん@3周年:05/03/12 05:08:50 ID:4VamBRoy
>>401さんは無自覚かも知れないけれども苦しみが起こる所以を
その身で知っていて自分を苦しめる想いを起こすことを回避している
善男子だと思います
409 :
名無しさん@3周年:05/03/12 12:02:53 ID:xbjWBdsI
>403 独り超然としてるキャラを嫌うような人間の仏教的には間違ってるのでは?「あいつはああいうやつだからねぇ(ニコリ)」で終わるだけのことじゃないですか。
410 :
名無しさん@3周年:05/03/12 23:56:45 ID:iYW2AD8k
>独り超然としてるキャラを嫌うような人間の仏教的には間違ってるのでは?
>「あいつはああいうやつだからねぇ(ニコリ)」で終わるだけのことじゃないですか。
視点が違うね。話しの。
視点は、独り超然として場の空気に共感しようとしない存在は
人間関係の中で推奨されることなの?という話し。
「超然として周りと共感しようとしない自分の態度」を
度外視していることに、気づかない人間って。。。
411 :
名無しさん@3周年:05/03/13 00:07:28 ID:5XzpnviC
言い換えれば、
社会生活を営む上で、感情面の協調性に欠けるのでは?という話し。
ホームレスをしてボランティアの組織に毎日ご飯を恵んで貰える立場だったら
問題無いかもしれないけどね。しかし、
自分の飯代ぐらい自分で稼げと思うし、国民の三大義務を果たせとも思う。
まずは、義務を果たせ、自由はそれからだという感じだね。
412 :
名無しさん@3周年:05/03/13 07:01:51 ID:mcwBMpbc
習い性となるってありますな
ヴィパッサナーが習い性となると楽ですよ
413 :
名無しさん@3周年:05/03/13 12:08:43 ID:3E7Do8IE
>>403 >>410 >>411 > 認知の歪みを正して、間違った思考を正して、間違って学習した行動を正していけば済むところを
> 「共感力が欠落するような人間」を作るヴィパッサナーってどうなのよ。。。
> 人々の輪の中で一人だけ超然とした空気を出して、場の雰囲気を壊しているタイプじゃん。
> みんなで海を見に行っても、一人超然としていて、周りと共感し合うことのない人間って。。。
おまえはヴィパサナーをしたおかげで、社会との協調性が全くなくなったらしいが、
こんなところに不満をぶつけてもしかたないだろう。
> ホームレスをしてボランティアの組織に毎日ご飯を恵んで貰える立場だったら
> 問題無いかもしれないけどね。しかし、
おまえの家庭事情など話す場でもないし、
> 自分の飯代ぐらい自分で稼げと思うし、国民の三大義務を果たせとも思う。
> まずは、義務を果たせ、自由はそれからだという感じだね。
完全に板違いなので、人生相談板でも行けば。
414 :
名無しさん@3周年:05/03/13 12:14:19 ID:3E7Do8IE
おまえの社会との協調性がないのは、ヴィパサナーの為ではなく、おまえの考え方によるものだろう。
416 :
名無しさん@3周年:05/03/13 20:32:57 ID:hzq2oJc7
>おまえはヴィパサナーをしたおかげで、社会との協調性が全くなくなったらしいが、
>こんなところに不満をぶつけてもしかたないだろう。
>>413>>414は、話しのポイントをズラして個人攻撃している。
「情緒の交流」が、話しのポイントでしょ。
人間関係において「情緒の交流/共感」は大切でしょ。という話し。
417 :
名無しさん@3周年:05/03/13 20:41:36 ID:4JL1XnJP
>410
>独り超然として場の空気に共感しようとしない存在
>「超然として周りと共感しようとしない自分の態度」を
>度外視していることに、気づかない人間って。。。
これってまさにちょうどお前のことだよね
418 :
名無しさん@3周年:05/03/13 21:19:12 ID:/HezZJNF
>>403 それはあまりにも短絡的なイメージだな。
実際、機会があれば、タイ辺りにでも行ってみるといいよ。
我々の想像するのとは全く違う仏教の世界が広がっているから。
共感力の欠如した超然とした人なんていないから。
だからこそ釈迦を起源として2500年も続いているんだよ。
ヴィパッサナーで得られるのは精神的安定であって、欠如ではない。
419 :
名無しさん@3周年:05/03/13 21:32:53 ID:Y0DZ3Mg4
>人々の輪の中で一人だけ超然とした空気を出して、場の雰囲気を壊しているタイプじゃん。
>みんなで海を見に行っても、一人超然としていて、周りと共感し合うことのない人間って。。。
だから>403がそういう人間にしか感じられない
ヴィパッサナースレで
「ヴィパッサナーは共感力が欠落するような人間」を作るっていう
ヴィパッサナーを否定する異常な人間が何故ここに書き込むのか
が謎。
しかもヴィパッサナーを修行したこともない奴が。
>悟ったから良かったものの、もしただのホームレスで終わっていたら
単なる酷いオヤジだったね。
何か自分は仏陀より優れているみたいな口ぶりで
ちょっとこのくらいの傲慢な人間はちょっと聞いたこと無い。
420 :
名無しさん@3周年:05/03/14 01:13:13 ID:2GrYXvbw
>>417 >>419 意見が違うのなら、自分の見解を書けばいいのに、人格攻撃をするんだな。
>>415のように、意見交換の形にもっていけないのだろうか。。。
421 :
名無しさん@3周年:05/03/14 01:15:38 ID:2GrYXvbw
ヴィパッサナーを支持している人たちは、
意見交換ではなくすぐに、人格攻撃をするんだな。
そういう性格になるんだね。ヴィパッサナーは。。。
422 :
名無しさん@3周年:05/03/14 01:32:02 ID:2GrYXvbw
人間関係において「情緒の交流/共感」は大切でしょ。という話し。
「受」の段階で止めるのだから「情緒の交流/共感」にはならないでしょ。
という話し。
まだ人格攻撃のようなレスを続けるのかな。。。
423 :
名無しさん@3周年:05/03/14 01:40:55 ID:2GrYXvbw
「受」の段階までで、その後の展開をストップする。
大念処経などで書いてある。
眠っていない限り続けろと書いてある。
では、
「受」の段階で終了する場合、どうやって他者と情緒の交流、共感をするの?
その説明を聞かせて欲しい。
私は私なりの見解を書いているのだから、反論があるのなら、
人格攻撃ではなく、ちゃんと見解を聞かせてもらいたい。
424 :
名無しさん@3周年:05/03/14 02:15:55 ID:4yND9bcB
仏教の目的は
お前の妄想の中で優先順位一位にあるような
お前の妄想上の「他者と情緒の交流、共感をすること」じゃないので
スレタイとも違うし板違いだから
425 :
名無しさん@3周年:05/03/14 02:39:01 ID:UtEee0wU
>>423 お前くらいのクズみたいな人間が描いている
お前の妄想上の「他者と情緒の交流、共感」力を持った理想的な人間に
なることが仏教の目的ではないから。
ただしお前みたいな下卑た人間に会っても
不愉快や怒りや苦痛を感じないことは
ヴィパッサナーの目的だが
まだお前ほどのクズみたいな人間には
さすがに不快感を感じてしまうあたり
精進が足りないとは思うな
反省。
426 :
名無しさん@3周年:05/03/14 03:05:02 ID:2GrYXvbw
>>424>>425 感情的な物言いだね。
「仏教」と「感情的な物言い」は対極にあると思っていたよ。
>お前の妄想の中で優先順位一位にあるような
>お前の妄想上の「他者と情緒の交流、共感をすること」じゃないので
私はどこで、優先順位をつけたかな...どこに一位と書いたかな...
「受」の段階でストップする場合、「他者と情緒の交流、共感」は出来るのかな?
繰り返し繰り返し書いていることは、これだよ。
もっと言うなら、ヴィパッサナーを実践している場合、
海を見ても、夕焼けを見ても、感動しないのかな? 感動していいのかな?
これらの疑問に対して、また論点ズラしの人格攻撃の書き込みをするのだろうか。。。
427 :
名無しさん@3周年:05/03/14 03:12:07 ID:2GrYXvbw
>スレタイとも違うし板違いだから
スレタイには、「ヴィパッサナー」と書いてあるよ。
ヴィパッサナーとは、「受」で止めることでしょ。
眼耳鼻舌身意に対象/色声香味触法が触れた段階でストップすることでしょ。
「受」でストップなら、どうやって「他者と情緒の交流、共感」は出来るのかな?
ということを繰り返し繰り返し書いている。
繰り返しになるのは、論点ズラしの人格攻撃のレスしか返ってこないからだよ。
スレ違いでも板違いでもない。
428 :
名無しさん@3周年:05/03/14 03:22:45 ID:2GrYXvbw
>お前の妄想上の「他者と情緒の交流、共感」力を持った理想的な人間に
理想的な人間は、「他者と情緒の交流、共感」力を持った人間と
私は、どこに明記したかな...
書いてないことを、書いたように言うほうが、妄想なのでは。
>不愉快や怒りや苦痛を感じないことは
>ヴィパッサナーの目的だが
>まだお前ほどのクズみたいな人間には
>さすがに不快感を感じてしまうあたり
>精進が足りないとは思うな
>反省。
反省ということは、仏道を歩んでいるんだね。
となると、
ヴィパッサナー以前に、八正道が出来てないのでは...。
書いていないことをあたかも、書いたように言うし、
言葉使いは悪いし。。。
違和感が膨れる一方だよ。
ここに居る皆さんには、大変失礼なことを伺うことになるのかもしれませんが
素人です、どうか真面目にお答えください
私は集中力を鍛えたいと思っています。そんなものに、仏教を利用するなと叱られるかも知れません。
でも瞑想はそれなりに有効だと聞きました。禅やヴィパッサナー瞑想を宗教的な押し付けの少ない
ところで実際に先生について学ぶには、どこが無難でしょうか?私は、自分の考えがあって、あまり
一定の宗教に帰依する気にはなれません。悪いといういってるわけではありませんので誤解しないでください。
どうかよろしくお願い致します。
430 :
けちゃっぷ:05/03/14 12:51:01 ID:scZARi6j
>427 その質問の裏には、「他者との交流は大事だ」という執着があるのでは?「大事じゃない」のです。
あと、感情的になりたくない場面でうまく「受で止める」ワザとして使えば?
要するに「豚に真珠」なのだろ?変なのはほっとけば?
>>429 日本テーラワーダ仏教協会でも教えてくれるよ。
伝統的な仏教の基本は「来てみなさい、見てみなさい」だから勧誘されることはないよ。
誰でも自由に出入りできて、誰でもお釈迦さまの教えを受けることができるよ。
でも、もちろんお布施で成り立っているから気持ち程度は布施するけどね。(1000円くらい)
初心者向けレクチャーの日があるし、無料配布されている小冊子もあるし、VTRもあるよ。
集中力を鍛えるには最高だとおもうよ!
>>427 それは、白か黒しかないんだ!といううつ病的発想だと想うよ。
仏教の目指すところは「中道」。
怒りも欲も嘆きも、いろいろあって当然だけど、そのバランスを欠かないことです。
その精神的バランスを欠かないためには、精神安定が必須。
これは自分で気をつけるしかない。(他人は気をつけてくれないからね)
だから「受」の段階から常に気をつけていようということです。
決して、共感意識や、感情がなくなるわけではなく、極端を避けるように気をつけるということ。
だから自己洞察の瞑想とも言われている。
気をつけることが、極端を避ける唯一の方法だから。
だから、活き活きとした心の働きがなくなるわけではなく、むしろ逆で、
ものごとをなんでもかんでも白か黒かでしか判断して、安逸に行動してしまうような
愚かな精神から成長し、適切な判断が出来るような精神に育てるということです。
だって珍走団のような短絡的な連中に共感するようでは困るでしょ?
なんでもかんでも共感して、情緒の交流があれば良いというものではないよね。
434 :
名無しさん@3周年:05/03/14 20:44:52 ID:xJIH3f5h
>>430>>431と
>>433のレスの質の大違いといったら。。。
>「他者との交流は大事だ」という執着があるのでは?
>「大事じゃない」のです。
重要性の指摘を「執着」と解釈するのか...。
ついには、「大事じゃない」と言い切っている。それはどうでしょう。
EQを構成する要素は、
・自己認知力
・自己統制力
・コミニケーション力
・共感性
・楽観性
・柔軟性
基本的に人間関係は、「受容」と「親和」と「共感」がポイントなんだよ。
慈悲喜捨には、これらの要素が含有されていると思わないのだろうか。
「捨」ばかりが目立っている印象がある。
どうしても違和感があるね。
釈尊の教えを部分選択して(ヴィパサナーを)崇めているようで。
その結果が、
>要するに「豚に真珠」なのだろ?変なのはほっとけば?
>>428の>まだお前ほどのクズみたいな人間には
という物言いだし...。
お互いの見解の交換をする議論が出来なくて
すぐに人格攻撃になるというのは、どうしても人格の未成熟さを感じてしまう...
>>434 だから、その白か黒かの発想を止めなさい。
塵一つ、汚れ一つ無いフルメタルされたものなんてこの世にはないんだから。
今の貴方の姿は、難癖つけるのを楽しんでいる厄介なクレーマーと一緒だよ。
436 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:05:47 ID:xJIH3f5h
>>433 中道はわかるけど、全体の文脈からすると、
私的価値判断の次ぎにヴィパッサナーという過程になるのでは?
ヴィパッサナーというのは、感情が湧かないようにする方法ではないのですか?
ネガティブな対象は、観察して、ポジティブな対象は、満喫するというのは、
結局、欲からの脱却にならないですね。
欲があるから、悩みも同時に付いてくる。
>>430の
>あと、感情的になりたくない場面でうまく「受で止める」ワザとして使えば?
という意味なら分かります。
しかし、厳密には、悟りへの道にはならないと思います。
437 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:09:37 ID:xJIH3f5h
>その白か黒かの発想を止めなさい。
観察する対象を「白か黒」かと判断しないで、
ひたすら観察するのが、ヴィパッサナーなんでしょ。
「観察」する前に「判断」を入れるんですか?
438 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:15:11 ID:I2tr7rkg
>>434 ヲイヲイ大丈夫か?君。
君とは議論する余地が無いんだよ。仏教なんてそもそもやる気ないんだもの。
君のレスは自分への言い訳に過ぎない。
>
>>430>>431と
>>433のレスの質の大違いといったら。。。
これも人格攻撃だな
439 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:17:39 ID:I2tr7rkg
>>437 (横からですが、)
437おかしいよ。日本語の会話になっていない。
440 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:20:35 ID:xJIH3f5h
>>438 釈尊の教えは、心の教えなんだよ。
心理学と釈尊の教えが仲違いしてどうする。
あなたは、釈尊の教えを人間の心の分析と考えないのですか。
人間の心の分析、そして、分析結果への対策。これが釈尊の教えだと思います。
441 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:23:23 ID:I2tr7rkg
>>436 >厳密には、悟りへの道にはならないと思います。
話の流れは悟りの話はしてなかったでしょう。あなたが共感がないなどと
ソースの無い偏見話を持ち出したんです。
第一「他者と情緒の交流、共感」。情緒の交流とは具体的になんだ?共感とは?
ヴィパッサナー瞑想の効能と関係あるの?
ヴィパッサナー瞑想をすると他者と情緒の交流、共感できなくなるというソースはどこ?
442 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:25:06 ID:xJIH3f5h
I2tr7rkgさんのヴィパサナー見解を聞かせて貰えますか?
443 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:25:51 ID:I2tr7rkg
444 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:29:03 ID:I2tr7rkg
445 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:34:15 ID:xJIH3f5h
>>441 >第一「他者と情緒の交流、共感」。情緒の交流とは具体的になんだ?共感とは?
辞書で調べれば分かることでしょう。
>ヴィパッサナー瞑想の効能と関係あるの?
私は、ヴィパッサナーをすると、他者との情緒の交流や共感に支障をきたすのではと言っている。
>ヴィパッサナー瞑想をすると他者と情緒の交流、共感できなくなるというソースはどこ?
私の見解です。私の見解を書いているのに、そのソースはどこと聞かれても。
この質問形式は、絡みの形式の予感がする。
自分の見解を述べないでひたすら質問をしてきて、あら探しをしているようだ。
446 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:37:18 ID:xJIH3f5h
>>444 やっぱり、自分の意見は無い。
けっして、自分の見解は発言しようとしない。
やっていることは、質問の連発とあら探し。
ヴィパッサナーについての見解の交換にならない。
447 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:46:13 ID:I2tr7rkg
>>445 >辞書で調べれば分かることでしょう。
ほら。こっちはわからないですよ。具体的にと言ってるでしょう?
辞書にはあなたの脳内の具体例は載っていませんから。
>私は、ヴィパッサナーをすると、他者との情緒の交流や共感に支障をきたすのではと言っている。
あなたのヴィパッサナーのやり方がおかしかったとは考えたこと無いんだろうね。
>私の見解です。私の見解を書いているのに、そのソースはどこと聞かれても。
訂正しときますね。
私の妄想です。私の妄想を書いているのに、そのソースはどこと聞かれても
>自分の見解を述べないでひたすら質問をしてきて、あら探しをしているようだ。
見解など無用。妄想の所産。君はもうちょっと瞑想してからのほうがいいな。
448 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:51:30 ID:I2tr7rkg
>やっていることは、質問の連発とあら探し。
>ヴィパッサナーについての見解の交換にならない。
質問に答えられてから言いましょうね。
つまりあなたの見解(妄想)から始まっているのだから答えられないでしょうね。
あなたの見解≠原始仏教ですよ。
具体的に言うと瞑想できない人がどうして
>私は、ヴィパッサナーをすると、他者との情緒の交流や共感に支障をきたすのではと言っている。
と断言できるのか。だね。
瞑想できない人の見解(被害妄想に近い)≠原始仏教の見解(覚者の実体験)
449 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:53:59 ID:I2tr7rkg
一つヒント言っとくと
>「受」でストップなら、どうやって「他者と情緒の交流、共感」は出来るのかな?
>ということを繰り返し繰り返し書いている。
これが瞑想できない人の証明書です
450 :
名無しさん@3周年:05/03/14 21:58:44 ID:I2tr7rkg
>>ヴィパッサナー瞑想をすると他者と情緒の交流、共感できなくなるというソースはどこ?
>私の見解です。私の見解を書いているのに、そのソースはどこと聞かれても。
この私の見解の由来が知りたいね。
451 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:02:26 ID:xJIH3f5h
ヴィパッサナーとは、
良いものも、悪いものも、大きいものも、小さいものも、快も不快も、
ただ、ひたすら観察するのみということでしょ。
眠らない限り観察をし続ける。
判断も分析もしない。
眼耳鼻舌身意の「受」の段階でストップすることで、
その後の妄執/渇愛を連鎖的に発生させないようにする方法なんでしょ。
渇愛が消えれば、渇愛と表裏一体である悩みも滅びる。
それが、「捨」であって、「涅槃寂静」なんでしょ。悟りなんでしょ。
ヴィパッサナーとは悟りへの道なんでしょ。
夏の黄昏時、散歩をしていたら近所の空き地で盆踊り大会が行われていたとする。
笛や太鼓の音色が聞こえる。人々の顔には、笑みが溢れている。
ご近所の親睦を深める目的もあるし、日頃のストレス解消を目指す目的もある。
美味しいものを食べて、雑談を楽しみ、みんなで一緒に盆踊りを踊る。
この場面で、
ヴィパッサナーを実践していたらどうなるか。
ただ観察するのみ、判断も分析もない。「受」でストップする。
そこには、楽しいもなにも無いはず。「受」以降のプロセスが無いから。
この世は、自分独りだったらいいもしれないけど、人間は独りでは生きていけない。
だから社会を構成している。その社会に「共感」という要素が抜けたらどういう世界になるか。
極端を避けて、中道的に実践すればいいという意見もある。
世俗的なストレス解消の方法なら問題ないが、悟りには繋がらない。
あれは、観察、これは、満喫では悟りにならないと思う。
あきらかに判断が入る。判断の次ぎに観察となる。それは悟りへのヴィパッサナーじゃないと思う。
452 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:03:12 ID:sjHHOD3g
ヴィパッサナーをすると、他者との情緒の交流や共感に支障をきたす
などと主張する人と話し合う余地は無いでしょう
仏陀は集会を楽しむような比丘はさとりの見込みは無いと
スッタニパータにも書いてあるので
ヴィパッサナーをすると、他者との情緒の交流や共感に支障をきたす
などと主張する人は集会や交流を楽しんで景色を見て感動し
それらにおおいに執着を持っていきればいいと思う
誰も文句は言わない
453 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:04:41 ID:xJIH3f5h
I2tr7rkgさんのヴィパッサナーの見解を聞かせて下さい。
454 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:10:54 ID:I2tr7rkg
>>451 だから、
>その社会に「共感」という要素が抜けたらどういう世界になるか。
ヴィパッサナーすると共感がなくなるというのはあなたの妄想です。
以上
455 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:14:17 ID:I2tr7rkg
第一、常識的に夏祭りの会場で1人歩行瞑想してるわけがない。
こういったこともわからないのかなあ。
456 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:14:27 ID:xJIH3f5h
I2tr7rkgさんのヴィパッサナーの見解を聞かせて下さい。
私の意見が、どうこうじゃなくて、
I2tr7rkgさんのヴィパッサナーの見解を聞かせて下さい。
457 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:15:41 ID:I2tr7rkg
涅槃寂静を知らずに杞憂妄想を書き立てる神経も大変だな
458 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:17:10 ID:xJIH3f5h
>>455 夏の黄昏時、散歩をしていたら近所の空き地で盆踊り大会が行われていたとする。
と書きました。
>夏祭りの会場で1人歩行瞑想してるわけがない。
「夏祭りの会場で1人歩行瞑想してるとき」なんて書いていません。
459 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:18:32 ID:xJIH3f5h
I2tr7rkgさんのヴィパッサナーの見解を聞かせて下さい。
私の意見が、どうこうじゃなくて、
I2tr7rkgさんのヴィパッサナーの見解を聞かせて下さい。
I2tr7rkgさんの涅槃寂静の見解を聞かせて下さい。
460 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:18:54 ID:sjHHOD3g
スッタニパータや原始仏典を読めば
人の集まりで話し合いや交流を楽しんだり
近所の空き地で盆踊り大会を楽しむことは
戒めの類にされていることがわかると思うので
きちんと何度も読んでみたらいいと思う
もしそれで原始仏教とはロボットのような機械的な
無機質で冷たい情緒の少ない人間をつくる悪い教えだ
と思う人がいれば
原始仏教などを信じず他のポジティブ思考とか
愛の宗教とかを実践すれば良いと思う
自分は原始仏教の仏陀の教えが良いと思う
感動する力が仮に減ることがあるのだとしても
苦しみ塞ぐ人間になるより良いと考えている
461 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:19:00 ID:I2tr7rkg
>>456 ヴィパッサナーの前にまず人や物をよく知らずにラベルを貼って決め付ける態度は
よくないよ。これが私の見解。
それから見解は
>>454で言ってますが何か?
462 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:20:54 ID:sjHHOD3g
自分なら夏祭りの会場で1人歩行瞑想する人間を良しとします
夏祭りの会場で楽しみたい人はそれでその人に文句や不満は
無いです
463 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:21:34 ID:xJIH3f5h
>>461 私がどうこうではなく、
I2tr7rkgさんのヴィパッサナーの見解をお聞かせ下さい。
・ヴィパッサナーとなどういうことですか?
・なぜヴィパッサナーがあるんですか?
464 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:24:18 ID:sjHHOD3g
自分の価値観の人間は良いが
そうでない人間は異常で空しい人間で
冷たく悪い人間とする態度は
苦しみしか生まないと思います
夏祭りを楽しむ人もいてそうでない人がいることを許せない人は
苦しむ人間でしかないと思います
465 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:24:47 ID:xJIH3f5h
>>460 これが素直な応えだと思う。
代金は払いたくないけど、商品は欲しいという発想じゃない。
商品を得るかわりにちゃんと代金を払う発想だ。
466 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:27:35 ID:sjHHOD3g
>>465 ありがとう。嬉しいです。
当然このように喜ぶことは戒めの類だとおもいますが。
467 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:30:01 ID:I2tr7rkg
>>462 なぜブッダやテーラワーダが戒的なものを伝えたか。
大切なのは修行ですよね。修行途上は砂上の城みたいなもので
壊れやすい。だから志しある人は修行を壊すようなことはしないというのが
戒の役割です。
夏祭り会場でずっと歩行瞑想。。。それならわざわざ出かけなくても。
私なら欲に巻き込まれそうになったら戻すのにするならよしとしますが。
>>463 まだわかりませんか?見ている対象が違うんです。ソモソモ
468 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:32:39 ID:sjHHOD3g
だから本当は
我が見解が一番優れていて
お前の修行や原始仏典の教えは冷酷なつまらない人間を作る
人として誤った教えだと悪く罵られても
そのような人もやむ得ぬ動機から
そうせざるを得ない心境になっているので
彼は仕方が無いのだと
許しえるところまでなれたら
素晴らしいと思います
慈悲だと思います
仏陀はそれを為した人間だと思っています
469 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:34:22 ID:xJIH3f5h
I2tr7rkgさん
I2tr7rkgさんのヴィパッサナーの見解をお聞かせ下さい。
・ヴィパッサナーとはどういうことですか?
・なぜ、ヴィパッサナーが生まれたのですか?
そして、
・I2tr7rkgさんの涅槃寂静の見解をお聞かせ下さい。
470 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:35:56 ID:I2tr7rkg
>そのような人もやむ得ぬ動機から
>そうせざるを得ない心境になっているので
そうですね。彼の来世に期待しましょう。
471 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:37:17 ID:xJIH3f5h
sjHHOD3gさん
「受」の段階でストップする場合、
「共感」や「感動」へ繋がるプロセスを教えて下さい。
472 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:38:27 ID:I2tr7rkg
>>469 きっちり瞑想しなさい。他人から教わることじゃないとずっと言ってます。
473 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:40:17 ID:xJIH3f5h
I2tr7rkgさんは、きっちりヴィパサナーを実践しれいるんですか?
474 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:40:23 ID:sjHHOD3g
>>469さんも
>>472さんも耐え忍ぶことが良いと思います
何故なら
この世で自分以外の人は
自分に喜びを与えたり苦しめたり
これからもし続けるだろうし
そのような人は存在し続けるからです
そして自分を悪く言ったり罵ったり苦しめたりする人が
存在しない世の中なら
仏教もまたその意味が無くなるからです
宗教も必要なくなるからです
自分を苦しめる人が今後存在し続けるだろうから
仏教があると思うのです
475 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:40:57 ID:I2tr7rkg
>>458 >この場面で、
>ヴィパッサナーを実践していたらどうなるか。
これ自分で書いたのでしょう。
476 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:41:38 ID:sjHHOD3g
この世が慈悲と優しさと愛にあふれた天国なら
自分は仏教などやりません
477 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:41:54 ID:xJIH3f5h
sjHHOD3gさん
「受」の段階でストップする場合、
「共感」や「感動」へ繋がるプロセスを教えて下さい。
478 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:51:23 ID:I2tr7rkg
>>468 瞑想がかなりできないと厳しいと思いますが
変な人に磨耗されないで修行がんばってください。
479 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:53:16 ID:sjHHOD3g
>>477 「共感」や「感動」へ繋がるかどうかはわかりませんね
むしろそれを止めようとする動きですから
感動する想いの動きと怒りが同じですから
480 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:53:42 ID:sjHHOD3g
481 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:55:19 ID:sjHHOD3g
美しいなあなんて夕日は美しいんだ
と想い続ける想いの展開と
許せないアイツを許すわけにはいかない
と想い続ける想いの展開が同じですから。
482 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:55:26 ID:xJIH3f5h
>>479 >感動する想いの動きと怒りが同じですから
これを他の人たちは、頑なに言わないんですよ。
認めたくないんでしょうね。
483 :
名無しさん@3周年:05/03/14 22:57:36 ID:sjHHOD3g
想いが受の信号を受けて
自動的に次々に
想念や思考となって
生起展開し続ければ
感動や嬉しさや苦しみになりますから。
484 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:01:45 ID:I2tr7rkg
485 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:01:55 ID:sjHHOD3g
>>482 快楽を得て楽しみ味わいながら
苦しみや怒りは消すことは
できないように思います
仏教で得られるのは楽に近いのかもしれません
悟りを開いたという人の伝記を読みますと
悟りの恍惚というものがある
などという人がおられますが
それに関してはそれが本当がどうかは自分はわからないですね
そうなってみないと
486 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:09:24 ID:xJIH3f5h
EQを構成する要素は、
・自己認知力
・自己統制力
・コミニケーション力
・共感性
・楽観性
・柔軟性
世の中は場に対する相対。
そして、今の日本社会では、人間は一人では生きていけない。
人間関係は、「受容」と「親和」と「共感」がポイントです。
「対象との接触段階」で連鎖をストップする場合、
「共感」や「感動」へ繋がるプロセスを教えて下さいと思ってしまう。
しかし、「心の揺れ」を無くして理性的に生きていくのが釈尊の教えなのでしょう。
ヴィパッサナーは、「心の揺れ」を無くすことは出来るけど、
慈悲喜捨の「慈悲喜」は、ヴィパッサナーでフォローできない。
だから、スッタニパータお「慈しみの経」が釈尊の教えでは特に大切になるのでしょう。
487 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:11:14 ID:sjHHOD3g
488 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:15:02 ID:xJIH3f5h
481 :名無しさん@3周年:05/03/14 22:55:19 ID:sjHHOD3g
美しいなあなんて夕日は美しいんだ
と想い続ける想いの展開と
許せないアイツを許すわけにはいかない
と想い続ける想いの展開が同じですから。
482 :名無しさん@3周年:05/03/14 22:55:26 ID:xJIH3f5h
>>479 >感動する想いの動きと怒りが同じですから
これを他の人たちは、頑なに言わないんですよ。
認めたくないんでしょうね。
484 :名無しさん@3周年:05/03/14 23:01:45 ID:I2tr7rkg
>>481-482 結論が早い=妄想しがち。
就寝します。
↑
ここが一番のポイント。
眼耳鼻舌身意の接触から、二車線に別れるというのだろうか...。
一つは、通行止め。つまりヴィパッサナー。
もう一つ何かプロセスがあるのだろうか?
そんな縁起説読んだことが無い。
489 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:16:39 ID:sjHHOD3g
490 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:18:23 ID:sjHHOD3g
想いの通行止めと
怒りの想いや自己正当化の想念の無限自由運動
のいづれかだと思います
苦の消滅の縁起と
苦の生起増幅の縁起
だと思います
491 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:18:51 ID:sjHHOD3g
眼耳鼻舌身意の接触から、二車線に別れます
492 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:21:11 ID:sjHHOD3g
悪口を言われて相手を悪く想うさまざまな想いを生じ
自己正当化の論理を次々と生起し
次にまた口を持って相手に罵り返す
ことも苦の生起増幅の縁起だとおもいます
493 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:22:39 ID:sjHHOD3g
自己正当化の論理形成中にその形成を停止することを
何度も繰り返せば
苦の消滅の縁起になります
494 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:26:33 ID:sjHHOD3g
いかに相手が間違って我が正しいかを
次々と無制限に想い続ければ
怒りと苦は消滅せず在り続けます
何故なら新規に苦の縁起を創り続けているからです
新規に苦の縁起を創り続けることを停止すれば
無常によってその苦は消滅するという理だと思います
ただ正念で自分の気付いていない巧妙な怒りの想念の展開が
あれば怒りは消滅しない
ということになります
495 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:27:30 ID:xJIH3f5h
じゃsjHHOD3gさん
>>484は、どういう意味なのかな?
>>484 :名無しさん@3周年:05/03/14 23:01:45 ID:I2tr7rkg
>>481-482 結論が早い=妄想しがち。
就寝します。
496 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:32:11 ID:sjHHOD3g
>>495 自分の信念と考えを大切にしているのだと思います
なにか失う訳にはいかない大切な信念と想いがあってのことだと思います
497 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:33:59 ID:sjHHOD3g
あるいは感動や情緒を欠いては生きる意味が無いし
面白くも無いと思っているのかもしれません
あくまで想像に過ぎませんが・・
他に理由があるのかもしれません
498 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:36:47 ID:sjHHOD3g
美の感動は醜いものへの差別の想いでしかないと
自分は思っています
屍を見て嘔吐する想いがあり
その逆の美に我を忘れて恍惚とする感動がある以上のことが
あると思えません
499 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:38:23 ID:sjHHOD3g
大勢で騒ぐ楽しみは独りでいる寂しさと無機質さの苦しみでしかないと
思います
500 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:39:45 ID:sjHHOD3g
忌み嫌い恐れ苦しいことがあり
その逆の対象に感動し恍惚し喜んでいる
以上のことはないと思います
501 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:44:32 ID:sjHHOD3g
他者との情緒の交流や共感を大切に考える人は
孤独が耐えがたく淋しく辛く面白くなく苦しい
ことによってそれを大事にするのだと思います
それは全く悪いことでもなんでもありませんが
仏陀はそれらをどちらかというと否定しています
それは原始仏典を10回くらい読めば間違いなく分かります
502 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:48:48 ID:sjHHOD3g
後期仏典を読みますと
仏陀が楽しそうに弟子と交流を楽しんでいる風にもとれる
記述があり
そのあたりはまたちがった理があるのかもしれません
孤独も大勢も超えた人はもはやこだわりを超えているのかも
しれません
503 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:50:44 ID:Y+nqmCO+
ヴィパサナーの目的は、自分が正しいと思うことを主張できず他人の意見に盲目的に従う
奴隷のような人間を作り出すことではありません。
自分が正しいと思うことを根拠をあげて、断固として主張するのです。ブッダご自身もそうしたのですから。
しかし主張をしながら心のバランスを失わない。
相手を言い負かすことには価値はありません。法が実践され役に立つことに価値があります。
相手が感情的に応対してきたときは、たとえ自分が正しくても主張を通すことは火に油をそそぐだけですから
その際は沈黙を尊びます。しかしそれは意見を妥協し、あいまいな玉虫色の決着を求めよというのでは
ありません。
504 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:51:09 ID:xJIH3f5h
結局、I2tr7rkgは自分の見解を言わないんだよ。
他人の見解に対してあれこれ指摘するけど、
じゃ、自分の見解を述べるのかも思いきや絶対に言わない。
最後には、
>>484のようなオチだし。
「対象との接触段階」で連鎖をストップする場合でも、
「共感」や「感動」へ繋がるプロセスがあると言っているようだけど、
けして説明しようとはしない。
まるで、代金は払わないけど商品は貰うという態度のようだ。
505 :
名無しさん@3周年:05/03/14 23:59:08 ID:xJIH3f5h
>>501 2500年前の出家者と現代日本国民の環境は違いすぎる。
現代の日本で、人間が一人で生きていくことは出来ない。
なにかしらのコミニティーに属しているはず。
人間関係があるのだから、そこでは他者との共感は大切な要素。
心理学的にも所属を持つことが心の安定に繋がると思う。
人々との心のふれあいが、健康を左右すると思う。
「孤独な環境」と「心のふれあいのある環境」を比べたら、
心のふれあいのある環境のほうがストレス状況に強いと思う。
506 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:07:20 ID:EotqWD4y
>>503 論理や論争はテクニックによっても
正しく見せたりどうとでもいえる部分というものがあると自分は
思っています
例えば
>>503さんの使用する
「自分が正しいと思うことを主張できず他人の意見に盲目的に従う
奴隷のような人間」という表現は
論理的には少し脚色した表現だと思うのです
盲目的、奴隷のようなという言葉を使用してしまうと
時に本意を逸脱しかねない場合もあると思うのです
またただ相手を損なう言葉になることもあると思うのです
はじめから侮蔑の意味をおびた用語をうまく使えば
論理を不正に使用することもできると思うのです
もちろん自分もよく使ってしまいますが
難しいですね
>相手を言い負かすことには価値はありません。
法が実践され役に立つことに価値があります。
それはその通りだと思います
>しかしそれは意見を妥協し、あいまいな玉虫色の決着を求めよというのでは
ありません。
それはその通りだと思います
507 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:10:14 ID:EotqWD4y
>>505 ふれあいは楽しく喜ばしく幸せを感じます
生きているのも嬉しくなります
ただそうであるからこそ
怨憎会苦の類が生じ
自分も苦しんでいます
温良な人ばかりがいたらどんなにいいだろうかと・・
誰もを愛せたらどんなに嬉しいだろうと・・
508 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:12:55 ID:EotqWD4y
ひとのふれあいの問題と苦が解決されたら
それはそれが可能ならば
自分は仏教にこだわりさえしない
とも思うくらいなのです
それほどの問題だと思っています
509 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:22:48 ID:EotqWD4y
>>505 例えば人と人のふれあいやケンカでも
無常であって
刹那の喜びと刹那の怒りのように
喜びがわいてまもなく消滅し
確執も怒りもそれが生じて水のように消滅する
ようなそのような喜びや怒りだったら
自分は良いなあと思っています
憎しみが長く続いたり呪いになったり恨みになったり
いつまでも怒っていたり
などというのなら辛いですね
510 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:24:48 ID:w9qQOTKV
>>501 フフ、その通りですね。
共感ばかり訴えるのは、自分自身が共感されず、集団から阻害されることを極端に恐れることによるものです。
もちろん、共感というのも幻想で、集団の中にいるというのも幻想にすぎない。
この恐れから、集団を我とし、共感や認められることを我とすることになる。
ヴィパサナーなどで観察するものは、孤高に一人で立たねばならない。
依存するなかれ。
さすれば、集団も共感の幻想も消え去る。
511 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:31:52 ID:EotqWD4y
>>510 >集団を我とし、共感や認められることを我とすることになる
所有の意識ですね
親、兄弟、学校、職場
我が親、我が学校、我が車
我の一部を形成している想念だと思います
すると無所有処が・・
512 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:33:03 ID:EotqWD4y
513 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:39:30 ID:w9qQOTKV
ふれあいというのは、共通したふれあいがあると、思いこんでいるかも知れませんがそれは幻想です。
2者がいたとして、こちらと、あちらは全く違う受け取り方をするものです。
なぜなら、こちらのふれあいとあちらのふれあいの2つが存在するからです。
こちらには、こちらに描き出している世界があり、あちらにはあちらの世界があります。
それは互いに不可侵です。
心の世界はイメージと記憶と経験でつくりあげられています。
人とのふれあいは、この世界の中で起こっているのです。
それゆえ、自身の価値観や考え方に支配されたふれあいとなり、自身とのふれあいとなります。
514 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:39:49 ID:EotqWD4y
ただ不思議なことが一つだけあります
ヴィパッサナーをしていて苦しみが少し以前より早く消滅するように
なったら今までただ会うのが嫌だった人も少し許せるようになり
彼の良いところを見るような感じになりました
すると彼といても楽しい時間が経過したりといった風です
しかしこれで彼と仲良く楽しめば
独り在れの教えからはまた逸脱してしまうのかもしれませんが・・
515 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:40:53 ID:k3VJtWz6
>>508>>510 自己愛が傷ついている人は、排他的になるね。
引きこもりが引きこもるのは、多分に自己愛が傷ついてるからだよ。
自己愛が傷ついて気持ちが萎縮しているから人々と交流を持ちたくなくなるんだよ。
この自分でOK!という気持ちなら、どんどん社交的になる。目標を抱く。
それが自然な人間の姿だと思う。
傷ついた人は、本当は、独りになるのではなくて
やさしい人たちとコミニケーションをとっていくことなんだよ。
やさしい人たちと心がふれあえば、傷も癒されてエネルギーも湧いてくる。
516 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:41:47 ID:k3VJtWz6
517 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:45:51 ID:w9qQOTKV
>>511 所有はわかりやすい幻想の1つですね。
所属もグループも団体も肩書きも名前も同様の性質から成り立っています。
>>512 ズバリ指摘しているので微笑ましく思ったのです。
518 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:47:10 ID:k3VJtWz6
>>513 >ふれあいというのは、共通したふれあいがあると、思いこんでいるかも知れませんがそれは幻想です。
厳密論では間違いないけど、二者間で重なり合う部分もあるはず。
重なり合う部分が多いほどに、人間は親しくなっていく。
共感には、「歩み寄り」とか、「くみ取り」なども含まれていると思う。
「慈しみ」と「共感」は、不可分だと思う。
ムディター(喜)などは、共感力無しにはありえないと思う。
519 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:47:26 ID:EotqWD4y
>やさしい人たちと心がふれあえば、傷も癒されてエネルギーも湧いてくる。
やさしい人たちのみとふれあえたら楽しい人生とだと思います
仕事もありなかなかうまくはいかないです
本当に気の合う人は自分が吾がままであるが故に
なかなかみつかりませんね
520 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:47:54 ID:EotqWD4y
521 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:51:03 ID:EotqWD4y
>>518 確かに
ものすごく気の合う友人が1人近くにいれば
また変わる可能性はありますね
在りのままの全ての双方okの友人。
それは在ると思います
522 :
名無しさん@3周年:05/03/15 00:52:46 ID:EotqWD4y
おいおいお前が死んだら俺死んじゃうぜ
みたいな親友がいたら
それが妄想であっても別の境地は在りうると思います
523 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:01:48 ID:k3VJtWz6
>>513 >2者がいたとして、こちらと、あちらは全く違う受け取り方をするものです。
同じリンゴの赤色でも、厳密には、人それぞれで赤の見え方は違います。
でも、赤系と知覚することは同じです。
一般論ではなく特殊なケースを例えにあげれば際限がなくなりますね。
心の「方向性」が同じということも、充分に共感的なことだと思います。
524 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:07:41 ID:w9qQOTKV
気の合う友人と気の合わない人との違いはなんだろうか。
気の合う友人は、自分を喜ばせてくれる。自分を認めてくれている。自分を必要としてくれている。
自分にとって役に立つ。
一方、気の合わない人というのは、自分の考え方と合わない。自分をなんでもない人のように振る舞う。
自分の存在をシカトする。自分を必要としていない。自分にとって都合が悪い。
とこのような違いがある。
要するに自分にとって都合がいいか悪いかの違いだけである。
525 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:12:21 ID:EotqWD4y
>>524 欲望と苦しみの概念を使用するとそうなりますね
自分の場合では最高の友人は
いっしょの部屋でファミコンしたり
いっしょにいるだけで嬉しい友でした
向こうはそうは思ってなかったかも知れません
片思いに近かった(w
526 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:13:40 ID:EotqWD4y
自分の場合の親友とは恋愛に似た気分ですね
527 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:15:26 ID:EotqWD4y
だとすると自分に魅力が無ければ
片思いしかないケースもあり
苦しみの原因にもなるかもしれません
528 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:17:16 ID:EotqWD4y
ではおやすみなさい
529 :
名無しさん@3周年:05/03/15 01:45:52 ID:k3VJtWz6
ヴィパッサナーの実践では、
(六門/眼耳鼻舌身意)に(対象/色声香味触法)が
触れた段階で連鎖をストップする。
松尾芭蕉なら
「静かさや岩にしみいる蝉の声」
ヴィパッサナー実践者なら
「音、音、音」
530 :
名無しさん@3周年:05/03/15 13:50:04 ID:t787k+z5
ベタナミンを服用していらっしゃるお方いますか?
531 :
名無しさん@3周年:05/03/15 19:09:48 ID:MHiAeNWW
532 :
433:05/03/15 20:23:04 ID:NpIPNZnd
>>436-437 まず「ひたすた観察する」の理解が違っていると想う。
ものごとの縁起を見るんです。
ものごとの生起する「縁起」、それが滅する「縁滅」、そうして全ては「無常」であると観るんです。
これらの視点が具わって、初めて「客観的」と言えるんです。
ただ目が醒めているから「ああ、そのことなら覚えているよ」という状態では無いんです。
あえて言えば「達観している状態」です。
例えば、子供は雷が鳴ると大騒ぎして、翌日も学校で話題に上るくらい昂奮する。
でも雷に慣れてしまっている大人は「そういえば、昨日、雷凄かったよね」で終わる。
この違いは雷に対する理解の差です。大人は雷を達観しているんです。
雷の縁起、縁滅、無常・・・を熟知、達観しているから冷静で居られるんです。
雷鳴を「受」した段階でこれらの縁起を見ているから精神的安定を得られているんです。
達観しているから、取り乱すことなく、冷静で適切な判断、行動が出来るんです。
これが共感性を欠いている情緒指数の低い人間なんでしょうか?
確かに子供から見れば、そう見えるかも知れませんが、これが成長というものですよね。
533 :
433:05/03/15 20:23:36 ID:NpIPNZnd
>>532 成長とは白か黒かと騒いで、右往左往するのではなく、上に育っていくんです。
だから仏教では、泥の中から咲いて、泥から解脱する「蓮の花」に喩えるんです。
そして仏教ではこの達観を老・病・死にまで広げていこうというんです。
雷が怖くない大人にとっては、雷は存在していないのと一緒です。
死さえ恐れなくなれば、その境地を「不死を得た」というんです(出家はここまでやるんです)
そして、こういう精神的安定を得られた状態になれば「智慧」と「慈悲」
の気持ちも芽生えてきて、子供をなだめたりすることも出来るというんです。
別に無気力、無感動、無表情な人間になるのではなく、雷を恐れない大人なりの行動が出来るというんです。
>>ネガティブな対象は、観察して、ポジティブな対象は、
満喫するというのは、 結局、欲からの脱却にならないですね。
それから、俺はこんなことはどこにも書いてないよ??
どこからもってきた?
534 :
:I2tr7rkg:05/03/15 22:35:21 ID:qNJ09rY9
>>504 真理は体験しないとわからないということなのだが
君には理解できなかったようだね。
仏教の根本部分を知識だけで連想して結論を急ぎ、理解が伴っていないようなので
まず瞑想しなさいと書いたんですよ。
535 :
:I2tr7rkg:05/03/15 22:50:30 ID:qNJ09rY9
瞑想してない人間にブッダの言葉がわかるはずもないのです。
いいですか?ブッダは悟ってから初めて教えを始めたのです。
しかし、ブッダは凡夫から修行するための教え方をなされてる。
なぜ仏陀の教えが苦の消滅なのかすら考えたこともないのでしょう。
これはブッダが悟ってるからこそです。
>>496-498 違う違う。自我の恍惚=六門から発生した煩悩、苦の始まり。
無我でいることの感動=涅槃。
こんなこともわからないのかい。煽りじゃないがもうちょっと勉強しようね。
>>502 それみてまだわからないですか?
修行者は六門からの情報を煩悩として経験してしまう。だkら
集会に行くことを楽しむなと説く。悟れば、集会に行こうが煩悩はでないのだから問題ない。
536 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:12:40 ID:9mAI2eFq
>>513 私は本場の修行僧などの足元にも及びませんが
それは感じます。
538 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:17:58 ID:9mAI2eFq
I2tr7rkgさんんは毎日ヴィパッサナーを実践しているんですか?
>>536 私に言ってますか?
>>529はできそこないの早計な結論だと思いますよ。
まさかブッダが聞く蝉の音と(ブッダはラべりングはしてないですが)
529氏の音音音は全く違いますから。
540 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:22:12 ID:9mAI2eFq
>>まさかブッダが聞く蝉の音と(ブッダはラべりングはしてないですが)
ブッダは鼻先に注意を向けていたとは読んだことがあるよ。
>>529氏の音音音は全く違いますから。
では、I2tr7rkgさんはセミの鳴き声が知覚に一番強い対象になった場合
どうのように観察するんですか?
>ブッダは鼻先に注意を向けていたとは読んだことがあるよ。
初耳です。出典はなんですか?
>どうのように観察するんですか?
ある意味愚問です。気になってるのなら気になってる。
うるさいと煩悩が思えばうるさいと思った。
いい音だと煩悩が思えばいい音だと思った。
悟ってないのだからそんなもんです。
542 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:26:42 ID:9mAI2eFq
433さんは、ヴィパッサナーを毎日実践しているんですか?
>>538
この際人の瞑想より自分の心配をしてあげたほうがいいですよ。
私にも言えますが。
544 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:29:53 ID:9mAI2eFq
>初耳です。出典はなんですか?
わすれた。
>気になってるのなら気になってる。
>うるさいと煩悩が思えばうるさいと思った。
>いい音だと煩悩が思えばいい音だと思った。
I2tr7rkgさんは、ラベリングしないんですか?
546 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:32:07 ID:9mAI2eFq
>この際人の瞑想より自分の心配をしてあげたほうがいいですよ。
I2tr7rkgさんは、毎日ヴィパッサナーを実践しているんですか?
と質問しました。
547 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:34:38 ID:9mAI2eFq
>>545 気になってる。 るさいと思った。 いい音だと思った。
とラベリングしているということですか?
>>546 そもそもなぜ人の瞑想が気になるんだ?変な気を回さずに自分の
瞑想を毎日すればいいでしょう。と意見しました。わからないかな?
549 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:36:38 ID:9mAI2eFq
I2tr7rkgさんは、毎日ヴィパッサナーを実践しているんですか?
という質問に対して
>変な気を回さずに自分の瞑想を毎日すればいいでしょう。と意見しました。
では、質問への返事になっていません。
I2tr7rkgさんは、毎日ヴィパッサナーを実践しているんですか?
>>547 見ればわかると思うが、例ですよ。大丈夫ですか?
551 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:40:41 ID:9mAI2eFq
>見ればわかると思うが、例ですよ。大丈夫ですか?
では、セミの声にラベリングするときには、例えば
気になってる。 るさいと思った。 いい音だと思った。
とするということですか?
>>549 一連のレスを読んでいて感じる
あなたの病癖が透けて見えたので、答えませんでした。
554 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:44:28 ID:9mAI2eFq
I2tr7rkgさんは、毎日ヴィパッサナーを実践しているんですか?
556 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:47:30 ID:9mAI2eFq
>>552 「るさいと思った」 「いい音だと思った」とラベリングしているんですね。
例えだとしても、こういう具合にラベリングしているんですね?
確認です。
557 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:49:54 ID:9mAI2eFq
I2tr7rkgさんは、毎日ヴィパッサナーを実践しているんですか?
という質問に対して、
>変な気を回さずに自分の瞑想を毎日すればいいでしょう。と意見しました。
>なぜ聞きますか?なぜその質問が気になったのか教えてもらえますか?
では、質問への返事になっていません。
I2tr7rkgさんは、毎日ヴィパッサナーを実践しているんですか?
>>556 556のようにはしてないですよ。
それはもはや541とかけ離れてますからね。
559 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:51:44 ID:9mAI2eFq
>>558 では、セミの鳴き声が一番強い観察対象の場合、
2tr7rkgさんは、どのようにラベリングするのですか?
>>557 イエス、ノーで答えなければならないのはなぜですか?
私には答えて意味がある質問なのか疑問ですからね。
561 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:54:11 ID:9mAI2eFq
I2tr7rkgさんは、毎日ヴィパッサナーを実践しているんですか?
という質問に対して、
>変な気を回さずに自分の瞑想を毎日すればいいでしょう。と意見しました。
>なぜ聞きますか?なぜその質問が気になったのか教えてもらえますか?
>私には答えて意味がある質問なのか疑問ですからね。
では、質問への返事になっていません。
I2tr7rkgさんは、毎日ヴィパッサナーを実践しているんですか?
>>559 失礼ですが日本語は不得意ですか?
558には541が答えだと書いてあるのですよ。
563 :
名無しさん@3周年:05/03/15 23:58:14 ID:9mAI2eFq
>>562 セミの鳴き声が一番強い観察対象の場合、
I2tr7rkgさんは、例えば、
>気になってるのなら気になってる。
>うるさいと煩悩が思えばうるさいと思った。
>いい音だと煩悩が思えばいい音だと思った。
とラベリングするんですか?
確認です。
悟ってないのだからそんなもんです。
564 :
名無しさん@3周年:05/03/16 00:00:48 ID:JzjjvDJv
>>561 そもそもイエス、ノーで答えなければならないのはなぜですか?
>変な気を回さずに自分の瞑想を毎日すればいいでしょう。と意見しました。
>なぜ聞きますか?なぜその質問が気になったのか教えてもらえますか?
これらに答えなければ永遠にやっていてください。私は答えません。
566 :
名無しさん@3周年:05/03/16 00:06:12 ID:JzjjvDJv
>>565 >そもそもイエス、ノーで答えなければならないのはなぜですか?
何か無理がありますか?
質問は、
I2tr7rkgさんは、毎日ヴィパッサナーを実践しているんですか?
です。
567 :
名無しさん@3周年:05/03/16 00:08:45 ID:JzjjvDJv
セミの鳴き声が一番強い観察対象の場合、
I2tr7rkgさんは、例えば、
>気になってるのなら気になってる。
>うるさいと煩悩が思えばうるさいと思った。
>いい音だと煩悩が思えばいい音だと思った。
とラベリングするんですか?
確認です。
もしくは、対象と触れるだけで、ラベリングはしていないのですか?
568 :
名無しさん@3周年:05/03/16 00:14:37 ID:JzjjvDJv
つまり、
I2tr7rkgさんは、
毎日ヴィパッサナーを実践していないのに
他人へレクチャーしていたのだろうか。。。
>>534のような物言いなのに。。。
569 :
名無しさん@3周年:05/03/16 00:16:44 ID:JzjjvDJv
433さんは、毎日のヴィパッサナーの実践はどうなのだろう。。。
>>566 >何か無理がありますか?
残念ですがセンスはないようです。簡単な質問に答えない私はなぜ
答えないのか。なぜ答えてほしいのだろうね。なぜ気になるのだろうね。
>>567 すでに書いてあるものなのにわざわざ新しい見解も入れずに
確認する意味がわからない。早計妄想連想でしょうか。
最後の行は新しい見解か。
ヒントはブッダがラべりングを開発したのではないのですよ。
>>568 そないな矮小な結論を連想しているのだとは思ってたよ。
571 :
名無しさん@3周年:05/03/16 00:28:34 ID:JzjjvDJv
>433
>ものごとの縁起を見るんです。
>ものごとの生起する「縁起」、それが滅する「縁滅」、そうして全ては「無常」であると観るんです。
>これらの視点が具わって、初めて「客観的」と言えるんです。
縁摂受智慧 思推智 生滅智 あたりの説明ですね。
凡夫である自分が池沼に触れると心が汚れるだけですな。
くだらない。池沼がくだらないのか、自分がくだらないのか。
仏教的には後者。難しいよヴィパッサナーは。就寝。
573 :
名無しさん@3周年:05/03/16 00:37:40 ID:JzjjvDJv
I2tr7rkgさんは、机龍之介 ◆8Z1PfzdK1みたいだなぁ
人間が陥りやすいところなのかなぁ。。。
妄想に使われる脳みそが可哀想。池沼にもさとりのひかりがあらわれますように
575 :
名無しさん@3周年:05/03/16 00:46:45 ID:JzjjvDJv
>妄想に使われる脳みそが可哀想。池沼にもさとりのひかりがあらわれますように
こういう物言いには、人格の未熟さを感じる。。。
就寝。と言っておきながら、チェックしているあたりは、
気の小ささを伺わせるし。。。
576 :
名無しさん@3周年:05/03/16 01:38:09 ID:dsBRKxCT
577 :
名無しさん@3周年:05/03/16 01:39:31 ID:dsBRKxCT
言っとくが、俺はI2tr7rkgとは違うぞ
578 :
名無しさん@3周年:05/03/16 01:45:37 ID:bIKKSgR7
>>568>>569 おまえはスレを荒らして何がしたい?
病気の相談したいなら「人生相談」か「メンタルヘルス」へ行け!
579 :
名無しさん@3周年:05/03/16 03:20:00 ID:rXwJK3KH
何となくこのスレにやってきて大笑いしています。粘着的に絡みの応酬をする、
悟りというのはそういうものなのですか?
私は凡人なので分かりませんがそれでも君らは観念の池にに落っこちているように見える。
そもそもスッタニパータの中には犀の角のようにただ一人歩めという下りがあったように覚えています。
とてもそのようには見えないですね。
でも面白かったです。
580 :
名無しさん@3周年:05/03/16 14:15:55 ID:6TaKRrb7
(・∀・)ノノノ
「あたりまえ」を知り、その「あたりまえ」を受け入れられれば、心は落ち着く。
そして、よく気をつけて八正道をいくのが、中道の具体的な実践法。
「あたりまえ」とは
四苦八苦 生老病死など。
諸行無常 あらゆるものは変化してやまないこと。
諸法無我 いかなる存在も不変の本質を有しないこと。
心が落ち着くとは
「意志してどうにもならないものは意志してもしょうがない」と受け入れること。
八正道とは
・正しい見解 ・正しい思惟 ・正しい言葉 ・正しい行い
・正しい生活 ・正しい努力 ・正しい心の落着き ・正しい精神統一
ウィパッサナー観法を実践していれば
連鎖の構造、相互関係という(因縁生起=縁起)を納得し、
同時に、絶え間ない生滅変化(無常/無我)を納得する。
これらの実感的理解が、修習所成智慧と呼ばれるもの。
だからテキストを読んでいても修習所成智慧は得られない。
縁起を納得すれば「怠け、怒り、無知」を避けたくなる。慈悲の思いが当然となる。
無常を納得すれば、こだわりも失せる。
こだわりが失せたところに安穏(涅槃寂静)がある。
これらを要約しているのが、四諦(苦集滅道)。
581 :
名無しさん@3周年:05/03/16 14:29:53 ID:6TaKRrb7
(・∀・)ノノノ
無常を納得すれば、こだわりも失せる。
心のベクトル次第ではニヒリズムになってしまうけど
釈尊の教えは、「今、ここ」をいかに最善に生きるか!なので
無常だからこそ、自分の頑張り次第で人生は好転していくんだとなる♪
582 :
名無しさん@3周年:05/03/16 15:12:09 ID:6TaKRrb7
(・∀・)ノノノ
八正道の心理学的分類
認知療法系 認知の歪みを正せば人生が改善される。
・正しい見解
論理療法系 事実をどう解釈するか。
・正しい思惟
行動療法系 間違って学習した行動を正しい行動へ変えていく。
・正しい言葉
・正しい行い
・正しい生活
ゲシュタルト療法系 自分自身を取り戻し、自分の人生を成就させる。
・正しい努力
自律訓練系 肉体のリラックスがメンタルに好影響を与える。
・正しい心の落着き
精神分析療法系 分析はマッチしないが意識の領域が広いほど
・正しい精神統一 心の健康に繋がるという面では一致。
四無量心(慈悲喜捨)の心理学的分類
・慈 交流分析系 自分もしくは相手の存在価値を認める働きかけ。
・悲 来談者中心療法系 共感的理解が苦しみを解消する。
・喜 交流分析系 自分もしくは相手の存在価値を認める働きかけ。
・捨 森田療法系 こだわりを捨てて、やるべきことをやる。
唱経 ・自己成就的予言。・ピグマリオン効果。・プラシーボ効果。
583 :
名無しさん@3周年:05/03/16 15:16:52 ID:6TaKRrb7
(・∀・)ノノノ
人生とは状態だ♪
584 :
名無しさん@3周年:05/03/16 15:19:17 ID:mjcXrdyu
(・∀・)ノノノ
人生とは情態だ♪
585 :
名無しさん@3周年:05/03/16 15:57:36 ID:6TaKRrb7
(・∀・)ノノノ
人生とは情態だ♪ あれ? 体調は?
心身だから(・∀・)ノノノ人生は状態だ♪
586 :
名無しさん@3周年:05/03/16 18:53:06 ID:mjcXrdyu
(・∀・)ノノノ
人生とは錠態ですだ。ニヘラニヘラ♪
587 :
名無しさん@3周年:05/03/16 22:42:04 ID:Rv/kW/U0
588 :
名無しさん@3周年:05/03/16 23:57:57 ID:uzhbD9Sv
無常感については納得できないね。善き物も移ろい行く。
それは事実だが、だからといって善き物に価値が無いというのは極論だ。善き物が手に入らなかった場合そこに苦やコンプレックスが生まれるが、善き物の価値自体を貶めた場合イソップの狐になる。
単なる負け惜しみ。ブスが「美人もどうせ歳をとる」と言うのと同じ。
キリスト教では「常に最良の物を選びなさい」と教えている。善き物はすべて神から出るからね。
589 :
588( `ー´):05/03/17 00:54:03 ID:j3CxjM+4
>>580 >生老病死など。
不老不死(或いは不老長寿)の道がどこかにあると考えている。ヨガの「火の体」や道教の「神仙」など。
>あらゆるものは変化してやまないこと。
腐敗や分解のスピードが物によって全然違うことを無視していないか?肉は数日で腐る。
ウランの半減期は45億年。
>・慈 自分もしくは相手の存在価値を認める働きかけ。
やだね。私は人間を容姿・学歴・育ち・教養などで差別します。
私の心に適う者は愛しますが、適わぬ者は憎みます。
>・捨 こだわりを捨てて、やるべきことをやる。
「足る事を知れ」「黙って働け」という権力者に都合のいいイデオロギーに転化する可能性が高いですね。
>>589のレスのように、自己のエゴ、とらわれを観察していくこと。つまりそういうこと。できてるじゃん。
>>589 あと、価値判断を捨てて、観察に徹すればオッケー。
592 :
588( `ー´):05/03/17 01:50:03 ID:j3CxjM+4
>>591 私はそのようにはならないでしょうね。私は永遠の命を手に入れ、五つの大陸、七つの海を征服し、魔王として君臨したい。
始皇帝の「阿房宮」よりもっと大きな宮殿を建てて、9万人の少女を妾にする。世界中の山海の珍味を食べて過ごす。
593 :
588( `ー´):05/03/17 02:23:30 ID:j3CxjM+4
一、自分が生きて楽しみたい、他の奴なんかどうだっていい!
一、一番強い者が正しい。
私のサインは前に突き出したVサイン。このサインに私の哲学は集約されている。
「この野郎、目を潰してくれるぞ!」という意志の表示。私の手は冗談でなく、真っ直ぐに敵の目を狙うのである。
私は屍の山を築きながら勝ち戦に次ぐ勝ち戦を続ける。てめえクタバレ我繁盛。
後は野となれ山となれ。二人殺せば吊るされるが百万人殺せば英雄と呼ばれる。
「私は道徳を信じない。道徳の嘘を徹底的に暴いてやる(レーニン)」。「私は諸君らを良心というキマイラから解放してやる(ヒットラー)」。
私はなぜこんなにも賢いのか。
594 :
588( `ー´):05/03/17 02:31:28 ID:j3CxjM+4
私は凡夫の王である。凡夫たちよ、私が赦してやろう。
595 :
名無しさん@3周年:05/03/17 02:59:52 ID:gUXchZJv
>>594 そうそう。まずは、それでいい。
おまえ、自分で自分の露悪的なところも認識しているはずだし。
極端な露悪趣味は、それに対する執着を認識しているということ。
まじでおまえがそれ自体になってたらわざわざここで書き込んだりしない。自らのエゴに埋没して終いじゃ。
そういうことも自分で認識しているおまえがいるのは解るだろ?
とりあえず、感情は過ぎ去る波にすぎないとわかってれば、行動を誤る可能性が減ります。
598 :
名無しさん@3周年:05/03/17 10:03:11 ID:ffNgNbrC
age
599 :
名無しさん@3周年:05/03/17 12:28:30 ID:6bXc+dSR
600 :
( `ー´):05/03/17 14:24:56 ID:j3CxjM+4
>>597 でも海の波というのは次から次へとひっきり無しに立ちますよね。
性欲に限っていえば、インポテンツになるとか、去勢しない限り無くならないと思うんですよ。頭の中で理論を組み立てただけで性欲を抑えることなんて本当に可能でしょうか。
自慰をした後は性欲が無くなりますが、半日位経つとまたムラムラして来ますね。親鸞はいくら修行しても煩悩を無くす事が出来ませんでしたが、彼は弱い人間だったのでしょうか。
601 :
名無しさん@3周年:05/03/17 15:18:04 ID:ffNgNbrC
競馬の映画
シービスケット
馬主が若い騎手にこう呟く場面があった。
騎手 「俺は邪魔されたんだぁ!!!」「クソ!」「俺は邪魔された!」
調教師「・・・」(困り果てた顔)
馬主 「・・・」「おい落ち着け」「どうしてそんなに怒るんだ?」
騎手が、レースで邪魔されて怒ることには無理がない。
でも、騎手はレースで邪魔されたことで抑圧されている傷を
刺激されていることに気が付いていない。
周りが違和感を感じる程に怒りで荒れる理由はそこにある。
調教師は思う、序盤で邪魔されたから作戦を破って負けるなんて、バカヤロー!
馬主は思う、どうしてそこまで感情が乱れるんだ...?
たとえば、
圧迫面接で、これほどまでに怒りを覚えたり、シュンとしたりするのは
圧迫面接だけの理由だろうか?
職場の仲間の態度で、これほどまでに怒りを覚えたり、シュンとしたりするのは
職場の仲間の態度だけの理由だろうか?
対人関係でいつも失敗している人には本人には気が付かない
抑圧された強烈な感情があったりする。
トラウマなら本人が知っていることだから、対処のしようがある。
しかし、抑圧された感情は、それを意識化しなければ対処のしようがない。
馬主 「・・・」「おい落ち着け」「どうしてそんなに怒るんだ?」
602 :
名無しさん@3周年:05/03/17 15:31:56 ID:ffNgNbrC
改めて見直してみた
字幕では
馬主 「・・・」「まぁ 落ち着け」「なぜ そんなに怒る」
吹き替えでは
馬主 「・・・」「おい 落ち着け」「なぜ そうムキになる」
603 :
( `ー´):05/03/17 18:59:31 ID:j3CxjM+4
性欲は、精液が溜まった時に起きる脳の化学反応であって、視覚から来る物ではないですね。視覚は副次的な役割を果たすに過ぎません。
精液を出したいという排泄欲求です。生理的な物です。
従って自由意志で制御する事は原理的に不可能と考えます。
>603 そうです。性欲は肉体からやってくる情報です。それはやはり過ぎ去る波です。ポイントは、肉体が与える性欲と「自分自身」を混同しないことでしょうね。
性欲というのを愛や恋とからめて何か特別なものと考えてしまう場合もありますが、もともとは肉体からの刺激のひとつにすぎません。性欲に使われるのではなく、使う側にまわればいいのではないかと。
606 :
名無しさん@3周年:05/03/17 23:12:20 ID:rD0UM+ey
_, ,_
〃〃(`Д´ ∩ < メタ認知ってなに? メタ認知ってなに?
⊂ (
ヽ∩ つ ジタバタ
607 :
名無しさん@3周年:05/03/18 00:28:14 ID:3bKsCV4O
_, ,_
〃〃(`Д´ ∩ < メサイヤコンプレックスってなに?
⊂ (
ヽ∩ つ ジタバタ
608 :
名無しさん@3周年:05/03/18 11:36:56 ID:rNWHN36z
---------------------------------------------------------------------
滅諦の原語は nirodha-satya です。nirodha は滅と漢訳されますが、
元の意味は「止める」「制する」の意味です。
苦しみの原因の煩悩を滅することというより、制するというニュアンスです。
---------------------------------------------------------------------
納得・・・
スマナサーラ長老がヴィパッサナー瞑想を紹介する本の中で
「結局妄想は無くならない」と書いていたのが
ちょっと気になっていたけど、漢訳によるニュアンスの誤解だったのか・・・
609 :
名無しさん@3周年:05/03/18 12:54:02 ID:rocZSsjI
悟りを開いた方にビパッサナーを教わりたいと思っているのですが、
スマナサーラ長老や地橋さんは悟っているのでしょうか?
♂
611 :
名無しさん@3周年:05/03/18 13:27:45 ID:rNWHN36z
612 :
( `ー´):05/03/18 17:29:58 ID:f0Qnk0TJ
私は制するのも結局無理と思うなあ。老子は淫・飲二欲を無為自然の道として肯定しました。
>609 僧帰依は仏教の基本的な信仰ですから、お坊さんは悟っているのだと「信じる」べきだと思います。宗教なんだから結局信じるしかないんですよね。
614 :
名無しさん@3周年:05/03/18 19:42:09 ID:rocZSsjI
>>613 その理屈だと、出家=悟り もしくは 全ての教祖=覚者
と言うことになってしまうよ。
615 :
名無しさん@3周年:05/03/18 22:49:04 ID:Cen7s6tg
現在の臨床の場では、トラウマをいじるようなことはススメられてないんだって。
トラウマをいじっても、かえって悪化することが多々あるらしい。
それに改善するまでにとても時間が掛かるとのこと。
癒しにおいて
・「抑圧された感情」は意識化して解消すべき。
・「トラウマ」は下手にいじらないで、意識を別の方へ向けるべき。
らしい。
ヴィパッサナーの実践で思考を止めることによって
空いたスーペースに無意識に沈澱していた感情が浮き上がってくるから
ついには「抑圧された感情」が浮き上がってきて意識化出来ることになる。
今ここの一瞬によく気づいた観察をする訳だから、トラウマの再体験を
頭の中でグルグル経験することもない。
616 :
615:05/03/19 00:56:47 ID:PdwhRMfQ
http://www.j-theravada.net/qa/gimon37.html#02 ここでのスマナサーラ長老の解答にはちょっと違和感があった。
あまりにも仏教的な解答だなと。
やっぱりトラウマにはちゃんと向き合って解決する必要があるだうと。
とこが最近知った。そういうアプローチは臨床心理学の場では時代遅れだと。
自分の意志ではどうにもならない感情や症状はあるがままにして、
行動のほうは、やらなければならないことをきちんとやっていこうという
森田療法の発想や、過去のことを恨むより、むしろ感謝できる点を見つめ直して
いこうという内観療法などが最近欧米で高い評価を得てきているとのこと。
こだわりを捨てる。感謝の気持ちで生活する。
あまりにもベタだけど、大切なんだね。
617 :
名無しさん@3周年:05/03/19 04:24:09 ID:qu5bxHtc
>609
スマサナーラ長老は悟っています。
地橋さんは、まだ悟っていません。
でも、瞑想指導は地橋さんのほうがうまいです。
618 :
( `ー´):05/03/19 05:13:57 ID:9UTMk0oO
>>616 >過去のことを恨むより、むしろ感謝できる点を見つめ直して
>いこうという内観療法などが最近欧米で高い評価を得てきて
>いるとのこと。
>こだわりを捨てる。感謝の気持ちで生活する。
賛同出来ないね。前にも書いたように、それでは今の世で既得権を握ってる奴、甘い汁を吸ってる奴の思う壷ではないか。
不満は持ったままでいいんだよ。
619 :
( `ー´):05/03/19 05:32:23 ID:9UTMk0oO
「客観的に観て自分より恵まれた環境に居た人」を妬むのは当然の心理。別に卑怯なこととは思わない。
森田療法は「現実への逃避」。内観療法は「合理化」。
どっちも単なる防衛機制の一つ。目新しい考えでも何でもないよ。
>>618 視点がずれていることには気づいてるか?
「自分」がこだわりをすてるか、感謝の気持ちを持てるか、が大事。
ぶっちゃけ、それが既得権を握ってる奴の思うつぼだろうがどうだろうが関係ない。
社会構造闘争した議論したいなら、どっか違う板でやっとれ。
>>619 ねたみが当然の心理で卑怯なことではない、というレスがおまえのこだわり、視点のずれを自ら示している。
ねたみが当然で卑怯なことでない、そこまではオッケー
で、人が自らの妬みに気づきそれを放棄することとは別のことだよ。
なぜ、その当然なことが生じるのか。なぜその当然のことに人は苦しむのか。それ、を見つめるだけ。
あと、おまえがやってるのは自己の価値観によるレッテル貼り。
ちっぽけな知識と、ちっぽけな価値観で体験したこともなく、良く知らないことにレッテル貼りをしていく。
自分の脳内のイメージの方が、リアルよりリアルになっちゃってるんだ。
このことは「バカの壁」と言う本に詳しい。
>618 甘い汁を吸ってる人がいることと、自分の幸福とは、実はまったく関係のないことなのです。あなたは、気にしなくてもいい他人のことを気にして自分自身にストレスを与えているのです。
甘い汁を吸っている奴らの不正を正すなら、そのときは断固としてそれをやればよろしい。
「甘い汁を吸っているあいつらが妬ましい、許せない。あいつらのせいで俺は不幸だ」
このように自分の感情を他人のせいにする、あるいは自分の幸福の基準を他人の行動に依拠させることこそ、
自分で自分を不幸にしているのです。
624 :
名無しさん@3周年:05/03/19 22:31:22 ID:vDcU2xBA
( `ー´)は、わざと書いているな。
叩かれ役のキャラを作ってる。
議論の空気になるように
番組の冒頭で、田原総一郎が悪役を買って出ているのと同じだ。
メタ認知的には、( `ー´)のほうが優れている。
( `ー´)には演出家の素地があるので、もっと頑張って欲しい。
625 :
名無しさん@3周年:05/03/19 22:37:25 ID:vDcU2xBA
論理には、必ず反対論が生まれるはずだ。
一人の人間にも、この両方の視点があったほうがいいと思う。
両方の視点があるからこそ、盲目的にならずに済むのだと思う。
頭の運動にもなる。
演出家の視点というのは、つまり客観的視点を持つことでもある。
ついには、中道にも沿うものになる。
626 :
名無しさん@3周年:05/03/19 22:51:26 ID:vDcU2xBA
( `ー´)の意見が、トンチンカンなのは指摘するまでもない。
一方、正論や真理を大上段から振り回されても、それで終わってしまう。
なぜ、それが正論となるのか? なぜそれが真理となるのか?
例えば、四無量心はなぜ大切なのか?その根拠を証明する展開キボンヌ!
釈尊のことばには、それが欠けていたように感じる。
待機説法で解答はするが、では、なぜか?の説明はない。
それが各宗派の開祖たちがしゃしゃり出てくる余地を作ってしまったと思う。
なぜ慈が大切なのか?
なぜ悲が大切なのか?
なぜ喜が大切なのか?
なぜ捨が大切なのか?
「そう教えられたから、そう信じてます」では、
一神教徒の単細胞レベルと同じになってしまう。原理主義になってしまう。
オレの考察は、tsutayaへDVDを返してきてからね。(ハート♪)
627 :
名無しさん@3周年:05/03/19 23:01:19 ID:vDcU2xBA
>>619 >森田療法は「現実への逃避」。内観療法は「合理化」。
>どっちも単なる防衛機制の一つ。目新しい考えでも何でもないよ。
防衛機制は別名、適応機制といって、心のバランスを取ることだ。
なにか悪いだけの解釈を持っていたのか?
「現実への逃避」ってどういうことだ?
ネガティブな感情に陥って引きこもっているより、社会へ出て
働いたほうが現実への適応と思うけど。
628 :
名無しさん@3周年:05/03/20 06:58:16 ID:36aJzWQc
野球をやったことも見たこともない香具師が、
野球のルールブックを見ただけで
野球を解ったような気になって、
野球場に来て、クレームをつけている。
そんな愚か者が独り混じっているような。
629 :
名無しさん@3周年:05/03/20 09:21:25 ID:sPcCyVA6
>>628 そんな愚か者に反応するおまいの器のが笑えるw
630 :
春夏:05/03/20 09:22:39 ID:z+qZaBfw
お墓参りいきなさい、
631 :
( `ー´):05/03/20 17:30:48 ID:gq+1jlTq
>>627 現実への逃避(escape into reality)はちゃんとした精神分析用語ですが。忙しさに埋没して物を考えない事は不満からの逃避だそうです。
私は「釈尊の教えが基本的に全て正しい、科学的だ」という前提で臨んでないのでね。他の哲学者や賢者の言葉の方が正しく思える場合があるのですよ。
632 :
( `ー´):05/03/20 20:02:17 ID:gq+1jlTq
私には、仏教における理想状態(涅槃寂静)というのは理性的判断を停止した上に成り立つ、偽りの安寧としか思えないんですね。私にとっては、ドロドロした求不得苦・五蘊盛苦などを抱えたまま生き続けるのが真理の道なのです。
動物番組でビーバーの生態やってました。
枝を運んで積み上げ川をダムでせき止めて巣を作るんですってね。
洪水によって巣もダムも流されてしまうこともあるそうです。
おそらく人間がそんな目に遭えば、悲しみに暮れ絶望に沈むんではないですか?
「莫大な労力と時間を費やして、自分と妻と子のためにせっせと作った私の住処が壊れてしまった!」
呆然とし、怒り狂い、あるいは転げ回って嘆き悲しむはずです。
そのためにやせ衰え、伏せ、あるいは自ら命を絶つことがあるかもしれません。
しかしビーバーならそうしないはずです。
ビーバーは怒り嘆き悲しむ代わりに、また一から作り始めるでしょう。
これが動物の強さであり、人間と動物の違いです。
まことに怒り悲しみは動物と人間を隔て、人を人たらしめるものですが、時にそれは人を押しつぶし、殺します。
「これは我がもの、壊れない、死なない、永遠に続くもの」と思いこむことによって苦しみが起こるのです。
634 :
( `ー´):05/03/20 23:10:45 ID:gq+1jlTq
>>633 >「これは我がもの、壊れない、死なない、永遠に続くもの」
>と思いこむことによって苦しみが起こるのです。
人間の時間感覚にすれば相当長い間価値を持つ物も多々ありますね。また食べ物は新鮮な内に食べればいいわけですから、別に長期に渡って形を留める必要などないわけです。
従って「美しい物もおいしい物も何の価値も無い」というのはナンセンスです。
635 :
名無しさん@3周年:05/03/20 23:21:02 ID:eKHduTLs
確かに。
人間にビーバーになれなんて言われても到底無理な話。
ビーバーにも生きたい、家に住みたいと願うから不幸が起こるのです。
岩のように無心になりなさい。って説教してくればw
>>632 だったらこなければいい。なぜこのスレにこだわるのだろう。
よくわからないのも本人の責任。
>>634 それは凡人の理屈だよ。ヴィパッサナーは前にも書いたの読めばいいが
悟った人の理屈。凡人に理解できるはずもなく。この議論にそもそも価値がない。
お帰り願います。
>>628 そうそう。ヴィパッサナーと本来関係ない話が延々と語られてるよね。
仏教が生まれ2500年経つのにそれほど世間一般に浸透しなかったね。
理解が無理な人間には無理なんだ。
640 :
( `ー´):05/03/21 00:10:16 ID:fd94aUTD
>I2tr7rkg
あー、アンチお断りですか。もう来ませんが貴方は自分の言葉で何も説明出来ないし、私より真理に近いとは思えません。
私は多宗教横断的に学んでますからね・・。
>>631 そうそう。猜疑は大事。
いずれにしろ自分の器に合った考え方を自分の価値観で受け入れたり切り捨てたりするんだから。
今、受け入れられるものを受け入れていればそれはそれでかまわんと思うよ。
>>632 あんたの脳内の「真理の道」がおっきくなりすぎると、本当の真理が目の前にぶら下がっていてもたぶん気づかんだろうね。
それもまた良い。
>>640 アンチお断り、というのもあんたの思いこみ。
人格攻撃がウザイ、というのとアンチ(ヴィパッサナーに猜疑ってこと?)ってのは全然違う。
>I2tr7rkgが言ってるのは前者だろ。
相手の意見を自分の都合のいいように脳内変換して、脳内勝利宣言(自分のが真理に近いとか)みたいな
そういう自分のイタサに気づく。そういうの、わかるか?
>>640 君はアンチじゃない。わかってないだけ。
>貴方は自分の言葉で何も説明出来ないし
そもそも説明の問題ではない。
それに他の人が一生懸命説明しててもあなた読まないじゃない。
こういう人に多いんだがお前はどうなんだと噛み付く人がいる。
私は悟ってないし、悟ったなど一言も言っていない。
悟らなくても悟った人の言葉と凡人の言葉の区別くらい多少でも瞑想すればつく。
>>640 そこまで自我に拘ってると
>多宗教横断的に学んで
いたとしても、何も学べないと思うがね。
『自分が大事』
『金が大事』
『地位が大事』
ってやってたらね。
>私は「釈尊の教えが基本的に全て正しい、科学的だ」という前提で臨んでないのでね。
「釈尊の教えはおかしい。私の考えと違うから。」という前提で臨んでも意味がない。
「釈尊の教えは基本的に目覚めた人の教えだから、私にはまだわからない」という前提で臨むべき。
>>646 ん?あんたにもちょっと問題在りそうだな。
私は「釈尊の教えが基本的に全て正しい、科学的だ」という前提で臨んでないのでね。
を勝手に
「釈尊の教えはおかしい。私の考えと違うから。」
に脳内で変換してるな。( `ー´)は釈尊の教えに対する猜疑を言っているのに、
あんたはそれを釈尊の教えの否定に変換解釈してるよ。
自分の意見の正当性に執着するからそうなるんだ。
>「釈尊の教えは基本的に目覚めた人の教えだから、私にはまだわからない」という前提で臨むべき。
別にあんたがそれでもかまわんとは思うけど私は「べき」ってーのは違うと思うよ。
「まだわからない」というのも事前の価値判断を噛ませてるんだよ。
わかるかわからないかもわからんよ。
>脳内で変換してるな
釈尊の教えはおかしい。私の考えと違うから。=2つの文で1つの意です。
つまり猜疑の意です。
>>648 補足すると
「私にはまだわからない」の私は凡人の私のことです。
当たり前ですがすでにわかる人ならそのひとがただの凡人ではないだけのことです。
>釈尊の教えはおかしい。私の考えと違うから。
なるほど。俺は「自分の考えと違うからおかしい」つまり否定と読んだが
あんたは猜疑の意と主張するのだな。それならそれでかまわんよ。言葉ってそんなもんだし。
凡人に釈迦の教えはわからん、というのは問題があると思うが。
あんたがそう思いたがるのにも何か訳があるんだろう。でも
あんたに理解できないのはあんたが凡人だ、と言う理由じゃないかもしれないよ。
釈迦の教えはおかしいは否定でおかしいのでは?は猜疑紙一重。
>>651 良く意味がわからんが・・・
俺がどう思うかはどうでもいいんだよ。
俺に否定にしか見えなくても発言した本人の意図は本人にしかわからんのだし。
あとはあんたの心の中のことだ。
653 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 07:09:36 ID:hx+YRxjE
>( `ー´)
また来てくれよ。
意見の多様性を排除したくない。
654 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 07:16:05 ID:hx+YRxjE
>I2tr7rkg
おい、何人追い出せば気が済むんだ〜
655 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 09:43:38 ID:YPQ0k9Rq
野球を知らない奴の野球論も意見も多様性のうちなのか・・・さて、いかに?
野球をしらんやつの野球論おもしろいじゃん。
ただ、野球をしらんやつが、野球をしってるやつにその野球は間違ってるとかいうのは変だけど。
でも、本当に野球を知ってるんなら、野球知らない奴が間違ったこと言ってても、実はあんまり気にする必要ないんだけどね。
ちょっと野球かじっただけの奴の方が「野球とは」みたいな野球論にこだわったりするんだよな。
657 :
名無しさん@3周年:2005/03/21(月) 10:34:51 ID:Bj0OSq/1
>野球を知らない奴の野球論も意見も多様性のうちなのか・・・さて、いかに?
排他的で硬直さを感じる。
斬新な切り口とか出そうにないな。
自分から何か意見を提示するわけでもなし。
とリビアの泉で野球知らない外国の部族にボールとバット持たせたらどんな競技を思いつくかやらせてたけど・・・
なんやらわけわからんもんになってた。それはそれで面白かったけど、余興にすぎない。
野球あんま知らない奴100人、1000人の意見より本当に詳しく知っている1人の意見を聞いた方が全然まし。
多様性に価値をおきすぎるのは、戦後民主主義教育の弊害だろうな。
無知からくるの意見も賢者の意見も掲示板だからあってもいいけど、それを多様性として尊ぶほどのものではない。
ただのジャンクだ。
ファールボールをホームランと言い張る野球をあんまり知らない奴。
ゲームにすらならない。
意見の多様性とも筋が違う話。ファールボールをホームランと言い張る
人が「野球は人間をダメにする。」などと言ってる状況。
「最低限ルール知ってプレーしてからでないと野球はわからない」と私がいえば
「お前はプロ野球選手か?私より野球がうまいとは思えない。私は野球だけじゃなく
サッカーやテニスバスケットボールなど様々な種目を横断的にやっているんだよ。」
・・・話が違う。関係ない。
もしファールがホームランになるのなら一試合に数十点の得点が入り、
野球の醍醐味自体がなくなる。
661 :
ワハハ町:2005/03/22(火) 03:35:24 ID:vvAeYJwW
ゆっくり始めから読んで勉強しよ。このスレ好きや。ありがとう。
662 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 10:36:02 ID:5GX8+A7o
663 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 10:43:47 ID:5GX8+A7o
>>660 >「お前はプロ野球選手か?私より野球がうまいとは思えない。
こういうレスが返ってくるのは説得力の問題があったのでは?
と我が身を振り返ってみるのも悪くないと思うよ。
原因を外にばかり探していては解決しないこともあるだろうし。
説得がとても難しいのは心理的リアクタンスという働きがあるからで
説得は説得者自身へ一番の効力を発揮するらしいです。
私も難しさを痛感しているいち凡夫です。
日々精進していこうと思っています。
664 :
( `ー´):2005/03/22(火) 15:44:04 ID:MpnV9T1Q
>>644 >他の人が一生懸命説明しててもあなた読まないじゃない。
自分に向けられたレスはちゃんと読んで検討している。
>>660 「最低限ルール知ってプレーしたけど原始仏教がわからない」のが私。苦諦・集諦までは行っても滅諦で躓く。
三法印に詭弁的・極論的要素があると思うから。故に有常・有我・有願のヒンズー教や密教の方が真理に近いのでは、と思っている。
665 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 17:47:11 ID:hjbLqulP
>664 行を通して心ができあがっていくものだから、思想のみでは実感が湧かないのでは?練習すれば打てなかった球も自然に打てるようになる。練習する前から「あんな球人間技では無理!」っていうのと同じ。
666 :
名無しさん@3周年:2005/03/22(火) 20:33:45 ID:K2OGrTSW
だんだん、街は春の装いになってきて
女の子たちも、春らしい軽やかなファッションになってきました。
ミニスカートで生足!
胸元がおおきく開いたデザイン!
よく気をつけて観察していても勃起してしまいます。
カウパー液でパンツが濡れます。
性欲を抑圧していると爆発しそうになります。
最近あった国会議員の乳揉み事件の二の舞になりそうです。
本当にヴィナッサナーで克服できるのでしょうか?
>>663 わが身を振り返ってみても最初から説得、議論する気もないのでね。
( `ー´)氏にもアドバイスできることもあるが、
自分の修行を先決させたいのと豚に真珠なので悪いとは思いつつ全部消しているのですよ。
668 :
名無しさん@3周年:2005/03/23(水) 00:26:52 ID:jPr/2bT9
>>I2tr7rkg
>わが身を振り返ってみても最初から説得、議論する気もないのでね。
>( `ー´)氏にもアドバイスできることもあるが、
>自分の修行を先決させたいのと豚に真珠なので悪いとは思いつつ全部消しているのですよ。
ゴエンカ式で行き詰まりを感じている人たちって
本人には気づかない苛立ちの雰囲気があるね
>>668 なぜゴエンカ式に断定されるのかわかりませんな
670 :
名無しさん@3周年:2005/03/23(水) 12:13:13 ID:vbd2Lm1q
宗派の争いなどつまらん
671 :
名無しさん@3周年:2005/03/23(水) 13:39:58 ID:Hm14bcdw
不安な人間の3つの行動パターン。
・不安な人は、迎合的になるか、攻撃的になるか、交流を避けるとのことです。
・いちいち突っかかるようなレスを書き込む人は、不安なのだと思います。
・なぜ不安なのかは、確信や手応えを得られていないからだと思います。
・その不安感から、イライラ感が生まれ、そのイライラ感から逃れたい為に
他人の書き込みにいちいち突っかかるようなレスをするのだと思います。
・「では、あなたの意見はどういうものですか?」となると
けっして自分の意見は書こうとしない。正面から応えようとしない。
質問には質問で返すような返答しかしない。
やっぱり不確かで不安だからです。
だから、突っかかるようなかき込みしか出来ないのでしょう。
・いちいち突っかかるようなレスで絡んでくる人は、不安な人なのでしょう。
672 :
名無しさん@3周年:2005/03/23(水) 18:37:35 ID:FHfgC4nj
三界無安
>>671 批判応酬になりますが
人物を特定しているにもかかわらずなぜ陰湿に○○な人は△△です。
と批判するのでしょうか?
あなたが仮にヴィパッサナー瞑想と原始仏教をよくわかっている人物なら、なぜ( `ー´)氏に答えてあげなかったのはなぜですか?
>「では、あなたの意見はどういうものですか?」となると
残念ながら違います。
たしかに私は「特定」の主張、特定の「見解」は言っていません。
しかしそれによって意見を言わないで交流を避けるだの、正面から答えないなど
との浅墓な結論には至りません。
彼らの特定の主張、見解=妄想としか言っていません。
ここで私が新たな見解を言っても彼らの脳内に触れた瞬間に
誤解が生まれ無駄な議論になるだけだと言ったのです。
見解はもう仏教の2500年の歴史の中で議論され終了しています。
そしてその智慧の結晶(瞑想方法、六門、八正道、四諦)を読んであれこれ勝手な見解が生まれたわけです。
(ヴィパッサナーには共感力情緒の交流がないなどと。)
>質問には質問で返すような返答しかしない。
あなたにはそのように映ったのですね。
質問者の下劣な意図(病癖)が見えたからと言いました。
案の定、彼の非難していた人格否定発言を本人がするという結論に至ったわけです。
それともいい人ぶって演技したほうがよかったですか?
自分がわからないのを仏教のせいにする人と議論するつもりはない。
677 :
名無しさん@3周年:2005/03/24(木) 14:14:35 ID:9Z/5zNAJ
>>I2tr7rkg
>彼らの特定の主張、見解=妄想としか言っていません。
>ここで私が新たな見解を言っても彼らの脳内に触れた瞬間に
>誤解が生まれ無駄な議論になるだけだと言ったのです。
>見解はもう仏教の2500年の歴史の中で議論され終了しています。
このようにスタンスを明示してもらえらば、対応のしようがある。
「へぇ〜」という印象しか持てないが・・・。
閑散となる予感。
678 :
( `ー´):2005/03/24(木) 22:48:28 ID:sROiItRo
信仰者が必ずしも人格者ってわけじゃない、それは異教でも一緒なのだが、ここまで傲慢な奴に遭遇したのは久しぶりだ。なるべく攻撃性を抑えて言葉を選んで書き込んで来たのに何の意味もなかった。
俺も狂信者は相手にしないよ。
679 :
( `ー´):2005/03/24(木) 23:26:02 ID:sROiItRo
I2tr7rkg
こいつの論法を「不当前提」といいます。
>>678 ふむ。おまえも自分の価値観の狂信者なんだよ。
攻撃性や、言葉の激しさは根本的問題ではない。
自己の価値観を絶対視するもの同士のやりとりだから、最終的には
お互いを狂信者呼ばわりして終了になるんだ。
681 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 10:21:29 ID:zqlIwesR
自己の棚上げから始まるオマエモナー物語り。
→ オマエモナー →
↑ ↓
← オマエモナー ←
高見に立った態度プンプン。680オマエモナー
682 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 12:14:36 ID:rWpDzOUH
I2tr7rkgは、まず自分の意見を言ったらどうです?
自分の意見を言わずに他人の意見のケチばかりつけるから
掲示板という場において、I2tr7rkgに矛盾(違和感)が出てくる。
掲示板という意見交換の場にアクセスしておきながら、
>見解はもう仏教の2500年の歴史の中で議論され終了しています。
などと言う。
じゃ、一人で黙々と修行してればいいだろうに。
でも、そうしようとはしない。こまごまと掲示板をチェックしている。
やはり不安なのでしょう。
今の自分の修行法に手応えを感じることができないのでしょう。
・不安だから、こまごまと掲示板をチェックする。
・不安だから、突っかかるようなレスしかしない。
・不安だから、自分の意見の主張が出来ない。
・不安だから、俺様とおまえらは違うという物腰しを誇示する。
仏道において、4タイプあるとのこと。
その中で、もっとも酷いのが、修行は苦しいし成果もなかなか現れないタイプ。
きっと、不確かで不安で苛立つことでしょう。
修行は苦しいし成果もなかなか現れないタイプは、生まれ持った素養なので、
その素養と付き合っていくしかないとのことです。
>高見に立った態度プンプン。680オマエモナー
これが現実。そもそもの問題は言葉の丁寧さだったっけ?
>>682 君の論法の主核が掲示板のチェックとはあまりにお粗末すぎるよ。
私が不安かどうかがなぜ問題になるのか理解しかねる。
私の言ったことが理解できていない証拠ですね。
感情的にならずに意味内容だけ読んでもらえばいいのにね。
>>682 質問も何も
質問はたしか「あなたはヴィパッサナーを毎日やっているか」でしたよね。
答える必要はないと言ったしその理由も明確にしてあるので蒸し返す必要がどこにあるのか
まず答えてもらいましょう。
>じゃ、一人で黙々と修行してればいいだろうに。
前にそういったじゃないですか?どうして読まないの?
>・不安だから、俺様とおまえらは違うという物腰しを誇示する。
いつのまに「私」が「俺様」に、「おまえではなく」「おまえら」になってるんだろう?
個人にしか言ってないにもかかわらず。言われた本人かな?
>>679 感情的になるなよ。その場合今まで君が主張してきたことも不当な前提に入る。
>>680はするどい。前提が異なるから議論する必要もないんだな。
ヴィパッサナーは自分に都合のいい物の見方をすることじゃない。
688 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 15:45:56 ID:8gCbJlAB
I2tr7rkgは、議論は2500年の歴史の中で尽くされているという。
そうであるならば、
掲示板なんかにこないで、一人黙々と修行していればいいはず。
議論は尽くされているから意見の交換はしない、
しかし、掲示場にやってくる。
つまり、絡むことが目的なのだろう。
絡む動機は、不安だからだろう。
自分の不安の問題は、自分で解決して欲しいものだ。
絡んで解決しようとするのは、極めてはた迷惑なことだ。
>>688 私が絡んできた?逆でしょう。
>意見の交換はしない
今まで述べたことがわからないなら相手にならないだろう。そもそも。
>I2tr7rkgは、議論は2500年の歴史の中で尽くされているという。
>そうであるならば、
>掲示板なんかにこないで、一人黙々と修行していればいいはず。
いい加減にしてください。スレの流れ読んでないならこの件で出てこないでもらいたい。
君のはまず「私が気に食わない。」それだけの理由でスレの流れを読まずだよ。
誤った解釈をしている。最初から感情的にならずに読み直してください。
690 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 16:14:13 ID:8gCbJlAB
I2tr7rkgさんは、
スッタニパータとヴィパッサナーの話しは出来ないのですか?
他人の意見は貶すけど、自分の意見は書かないからこうなるんです。
縁起でしょ。自分に原因はないんですか?
自分の心の不安を絡むことで解消するのは止めて下さい。迷惑です。
このスレッドは、
スッタニパータとヴィパッサナーのスレッドです。
691 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 16:25:08 ID:8gCbJlAB
I2tr7rkgさんは、
スッタニパータとヴィパッサナーの話しは出来ないのですか?
スレタイのテーマで意見の衝突はあります。
その際、貶す言葉一言で終わるから、荒れてくるんです。
意見の相違があるのなら、
「私はこう思います」と自分の意見を書いて下さい。
スレを読んで一つ解ることがある。
ヴィパッサナーに関わると性格異常を起こしかねない、ということだ。
極めて危険な方法であり、もともと個人が持つ神経症的傾向やコンプレックスを増幅させて発現させる恐れがある。
修行として行われてはいるが、精神医学の実際の治療で使われない理由はあるのだ。
くれぐれも注意すべきである。
ブッダの弟子で、性欲をなくすために自分の男根を切除してブッダにしかられた人がいたかと思いますが、どのお経に出てるかご存じの方いらっしゃいますか?
694 :
さごじょう:2005/03/25(金) 19:15:25 ID:gBIfveLm
久しぶりにROMしたけんど、なんだか
こねくり回したスレになっとるねぃ・・・
> ブッダの弟子で、性欲をなくすために自分の男根を切除してブッダにしかられた人がいたかと思いますが、
> どのお経に出てるかご存じの方いらっしゃいますか?
アンタそんなこと知って、その仏典読んで自分で自分のチンチン斬るつもりかよ
695 :
さごじょう:2005/03/25(金) 19:18:41 ID:gBIfveLm
性欲をうまく昇華する方法があるだよ
意生身とかガンダルバーを研究してみそ
696 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 21:39:17 ID:TwlQU53C
>性欲をうまく昇華する方法があるだよ
>意生身とかガンダルバーを研究してみそ
おぉー マジ!
697 :
名無しさん@3周年:2005/03/25(金) 21:49:49 ID:TwlQU53C
さごじょうさん
ガンダルバーに関しては検索してもヒット無しです。゚(゚´Д`゚)゚。
>>690-
>>691 どうやら「I2tr7rkgさんは毎日ヴィパッサナーを実践しているのですか?」
と同一人物のようだ。
「絡むので解消」は君の妄想だと思うよ。スレの流れ読んでって読まないし。
君の頭の中で私の印象がごちゃごちゃに混ぜられて、感情反応を引き起こしているようだ。
深呼吸してレスをもう一回読んでごらん。
>I2tr7rkgさんは、
>スッタニパータとヴィパッサナーの話しは出来ないのですか?
君などが絡んでくるから余計な出演が増えてるのだが、わからないかね。
>スレタイのテーマで意見の衝突はあります。
>その際、貶す言葉一言で終わるから、荒れてくるんです。
君もやってきたわけだが。それは置いといて
>意見の相違があるのなら、
>「私はこう思います」と自分の意見を書いて下さい。
>他人の意見は貶すけど、自分の意見は書かないからこうなるんです。
>縁起でしょ。自分に原因はないんですか?
人の話を全く読まない人だね。文末に「思います」を入れないと意見にならんのか?
>スッタニパータとヴィパッサナーの話しは出来ないのですか?
私が言ったことをまとめると
「仏陀が伝えて2500年、その中で優秀なる仏僧達に議論されてきて結論は出ている。
だから素人(凡夫)が瞑想もしない内に勝手な仏教議論してもわかるわけがない。」
真面目に瞑想しながらこのスレタイトルどうり、スッタニパータ
を語ればいい。
瞑想しないでヴィパッサナーを貶めていた君は何なの?
>>692 あんたまさかヴィパッサナー状態でここに私が書いているとでも思ってんの?
言っておくが、私は修行途中。はっきり言って心は汚れたままだ。
人間、意見を否定されると自我を防衛するため感情的になり個人攻撃に走りがちです。
そのときは感情的に見ずレスの情報だけを読めばいい。
347 :名無しさん@3周年:05/03/10 04:00:27 ID:1osBd9MP
ヴィパッサナーをしていれば、慈しみの心が湧くと思っていたら
大間違いだと思うよ。
そんなのオカルトチックだ。新興宗教チックだ。怪しすぎる。
なにかこう、病んだスピリチャル主義人間っぽい。
257 :名無しさん@3周年:05/03/06 00:27:13 ID:ARDBzLKO
仏教は「〜してはならぬ」とあ「抑制せよ」とかばかっかり。
抑圧した感情は、どうなる?
本当は、みんな「抑圧された感情」に疑問を持っているはずだよ。
仏教が暮らしの中で生きている本場の国なら
比丘たちは、崇められてフラストレーションの解消に繋がるだろうけど、
日本じゃ無理だもんな。
日本の坊主が、飲酒や妻帯を止められないのは、やっぱり
抑圧を感じているからだよ。
本当はみんなストイックな釈迦の教えに戸惑ってるだろ?
感情が抑圧されるばかりだろ?
451 :名無しさん@3周年:05/03/14 22:02:26 ID:xJIH3f5h
ヴィパッサナーとは、
良いものも、悪いものも、大きいものも、小さいものも、快も不快も、
ただ、ひたすら観察するのみということでしょ。
眠らない限り観察をし続ける。
判断も分析もしない。
眼耳鼻舌身意の「受」の段階でストップすることで、
その後の妄執/渇愛を連鎖的に発生させないようにする方法なんでしょ。
渇愛が消えれば、渇愛と表裏一体である悩みも滅びる。
それが、「捨」であって、「涅槃寂静」なんでしょ。悟りなんでしょ。
ヴィパッサナーとは悟りへの道なんでしょ。
夏の黄昏時、散歩をしていたら近所の空き地で盆踊り大会が行われていたとする。
笛や太鼓の音色が聞こえる。人々の顔には、笑みが溢れている。
ご近所の親睦を深める目的もあるし、日頃のストレス解消を目指す目的もある。
美味しいものを食べて、雑談を楽しみ、みんなで一緒に盆踊りを踊る。
この場面で、
ヴィパッサナーを実践していたらどうなるか。
ただ観察するのみ、判断も分析もない。「受」でストップする。
そこには、楽しいもなにも無いはず。「受」以降のプロセスが無いから。
この世は、自分独りだったらいいもしれないけど、人間は独りでは生きていけない。
だから社会を構成している。その社会に「共感」という要素が抜けたらどういう世界になるか。
極端を避けて、中道的に実践すればいいという意見もある。
世俗的なストレス解消の方法なら問題ないが、悟りには繋がらない。
あれは、観察、これは、満喫では悟りにならないと思う。
あきらかに判断が入る。判断の次ぎに観察となる。それは悟りへのヴィパッサナーじゃないと思う。
445 :名無しさん@3周年:05/03/14 21:34:15 ID:xJIH3f5h
>>441 >第一「他者と情緒の交流、共感」。情緒の交流とは具体的になんだ?共感とは?
辞書で調べれば分かることでしょう。
>ヴィパッサナー瞑想の効能と関係あるの?
私は、ヴィパッサナーをすると、他者との情緒の交流や共感に支障をきたすのではと言っている。
>ヴィパッサナー瞑想をすると他者と情緒の交流、共感できなくなるというソースはどこ?
私の見解です。私の見解を書いているのに、そのソースはどこと聞かれても。
この質問形式は、絡みの形式の予感がする。
自分の見解を述べないでひたすら質問をしてきて、あら探しをしているようだ。
434 :名無しさん@3周年:05/03/14 20:44:52 ID:xJIH3f5h
>>430>>431と
>>433のレスの質の大違いといったら。。。
>「他者との交流は大事だ」という執着があるのでは?
>「大事じゃない」のです。
重要性の指摘を「執着」と解釈するのか...。
ついには、「大事じゃない」と言い切っている。それはどうでしょう。
EQを構成する要素は、
・自己認知力
・自己統制力
・コミニケーション力
・共感性
・楽観性
・柔軟性
基本的に人間関係は、「受容」と「親和」と「共感」がポイントなんだよ。
慈悲喜捨には、これらの要素が含有されていると思わないのだろうか。
「捨」ばかりが目立っている印象がある。
どうしても違和感があるね。
釈尊の教えを部分選択して(ヴィパサナーを)崇めているようで。
その結果が、
>要するに「豚に真珠」なのだろ?変なのはほっとけば?
>>428の>まだお前ほどのクズみたいな人間には
という物言いだし...。
お互いの見解の交換をする議論が出来なくて
すぐに人格攻撃になるというのは、どうしても人格の未成熟さを感じてしまう...
575 :名無しさん@3周年:05/03/16 00:46:45 ID:JzjjvDJv
>妄想に使われる脳みそが可哀想。池沼にもさとりのひかりがあらわれますように
こういう物言いには、人格の未熟さを感じる。。。
就寝。と言っておきながら、チェックしているあたりは、
気の小ささを伺わせるし。。。
504 :名無しさん@3周年:05/03/14 23:51:09 ID:xJIH3f5h
結局、I2tr7rkgは自分の見解を言わないんだよ。
他人の見解に対してあれこれ指摘するけど、
じゃ、自分の見解を述べるのかも思いきや絶対に言わない。
最後には、
>>484のようなオチだし。
「対象との接触段階」で連鎖をストップする場合でも、
「共感」や「感動」へ繋がるプロセスがあると言っているようだけど、
けして説明しようとはしない。
まるで、代金は払わないけど商品は貰うという態度のようだ。
534 ::I2tr7rkg:05/03/15 22:35:21 ID:qNJ09rY9
>>504 真理は体験しないとわからないということなのだが
君には理解できなかったようだね。
仏教の根本部分を知識だけで連想して結論を急ぎ、理解が伴っていないようなので
まず瞑想しなさいと書いたんですよ。
383 :名無しさん@3周年:05/03/12 00:22:42 ID:fFiTjwT0
ヴィパッサナーって心理療法のフォーカシングじゃん。
終了。
384 :名無しさん@3周年:05/03/12 00:42:27 ID:BJGH4zmx
心理療法のフォーカシングが仏教なんだろ。
385 :名無しさん@3周年:05/03/12 00:59:39 ID:fFiTjwT0
>>384 じゃ、フォーカシングを説明をしてくれよ。
386 :名無しさん@3周年:05/03/12 01:08:11 ID:fFiTjwT0
>>384 さっさと説明しろってクソ野郎!
逃げてんじゃねーよ!クソ野郎!
388 :名無しさん@3周年:05/03/12 01:12:04 ID:BJGH4zmx
>>385 知らないと思ったんだろ?
噛み付く相手を間違えたな。
389 :名無しさん@3周年:05/03/12 01:13:53 ID:fFiTjwT0
>>387 プッ!
なんだその理屈w
知障発見!
>カウンセリング成功例のモデリングがフォーカシングだから、順番からいったら
>ヴィパッサナーや釈迦の思想の方が参考にされる側だよ。
ソースは?
さっさとソースだせよ!出せるか?クソ野郎w
390 :名無しさん@3周年:05/03/12 01:16:20 ID:fFiTjwT0
>>388 自己称賛してるのか?
誰からも認められない人間特有の行為だなw
いかにもクソ野郎だなwプッw
391 :名無しさん@3周年:05/03/12 01:19:22 ID:BJGH4zmx
もうわかった。
フォーカシング、わるくないよ。
フォーカシングは、どちらかというと心理主義に分類されるから、バランスを
考えるなら、余裕がでてきたら行動主義の心理学も見てみるといいよ。
403 :名無しさん@3周年:05/03/12 03:07:23 ID:fFiTjwT0
「色」つまり、脳という物質がある。
その働きに、
「名」つまり、意識や知覚や感情などがある。
心/精神(主観)
・受 感受作用 (六門/眼耳鼻舌身意)(対象/色声香味触法)
・想 表象作用、イメージ
・行 意志作用、記憶、衝動的な欲求
・識 認識作用、識別
ヴィパッサナーは、「受」の所で止めろと言っている。
観念、思考が悩みを作るからという。
仏教では、この「受」から後の工程が、「我/自己意識/自我意識」と言っているのか。
認知の歪みを正して、間違った思考を正して、間違って学習した行動を正していけば済むところを
「共感力が欠落するような人間」を作るヴィパッサナーってどうなのよ。。。
人々の輪の中で一人だけ超然とした空気を出して、場の雰囲気を壊しているタイプじゃん。
みんなで海を見に行っても、一人超然としていて、周りと共感し合うことのない人間って。。。
405 :名無しさん@3周年:05/03/12 03:21:24 ID:fFiTjwT0
「自己愛への希求」はかなり強かったんだろうね。
釈尊は、煩わしさから逃れる為に子供を捨てたからね。
このことは、否定的に取れるし、一方では、心理的原則として、
「自分を受け入れられない人間は、他者を受け入れられない」というのがあるから、
複雑になる。
溺れている人間が、隣で溺れている人間を救えるはずがない。
>経典などから読み取れる釈迦の言動には、とても深い愛情を感じるんだ。
>その釈迦が、「自己愛が満たされていない状態」とは、どうしても考えられない。
心の成長には順番があって、悟った釈尊の言葉には、深い愛情があるんだね。
子供を捨てた段階では、機能不全家族を生み出す父親と変わりない。
機能不全家族からアダルトチルドレンが生まれ、それが世代間連鎖していく。
悟ったから良かったものの、もしただのホームレスで終わっていたら
単なる酷いオヤジだったね。
406 :名無しさん@3周年:05/03/12 03:23:20 ID:fFiTjwT0
うん、寝る。
明日Hできるかな〜。
416 :名無しさん@3周年:05/03/13 20:32:57 ID:hzq2oJc7
>おまえはヴィパサナーをしたおかげで、社会との協調性が全くなくなったらしいが、
>こんなところに不満をぶつけてもしかたないだろう。
>>413>>414は、話しのポイントをズラして個人攻撃している。
「情緒の交流」が、話しのポイントでしょ。
人間関係において「情緒の交流/共感」は大切でしょ。という話し。
417 :名無しさん@3周年:05/03/13 20:41:36 ID:4JL1XnJP
>410
>独り超然として場の空気に共感しようとしない存在
>「超然として周りと共感しようとしない自分の態度」を
>度外視していることに、気づかない人間って。。。
これってまさにちょうどお前のことだよね
418 :名無しさん@3周年:05/03/13 21:19:12 ID:/HezZJNF
>>403 それはあまりにも短絡的なイメージだな。
実際、機会があれば、タイ辺りにでも行ってみるといいよ。
我々の想像するのとは全く違う仏教の世界が広がっているから。
共感力の欠如した超然とした人なんていないから。
だからこそ釈迦を起源として2500年も続いているんだよ。
ヴィパッサナーで得られるのは精神的安定であって、欠如ではない。
419 :名無しさん@3周年:05/03/13 21:32:53 ID:Y0DZ3Mg4
>人々の輪の中で一人だけ超然とした空気を出して、場の雰囲気を壊しているタイプじゃん。
>みんなで海を見に行っても、一人超然としていて、周りと共感し合うことのない人間って。。。
だから>403がそういう人間にしか感じられない
ヴィパッサナースレで
「ヴィパッサナーは共感力が欠落するような人間」を作るっていう
ヴィパッサナーを否定する異常な人間が何故ここに書き込むのか
が謎。
しかもヴィパッサナーを修行したこともない奴が。
>悟ったから良かったものの、もしただのホームレスで終わっていたら
単なる酷いオヤジだったね。
何か自分は仏陀より優れているみたいな口ぶりで
ちょっとこのくらいの傲慢な人間はちょっと聞いたこと無い。
420 :名無しさん@3周年:05/03/14 01:13:13 ID:2GrYXvbw
>>417 >>419 意見が違うのなら、自分の見解を書けばいいのに、人格攻撃をするんだな。
>>415のように、意見交換の形にもっていけないのだろうか。。。
421 :名無しさん@3周年:05/03/14 01:15:38 ID:2GrYXvbw
ヴィパッサナーを支持している人たちは、
意見交換ではなくすぐに、人格攻撃をするんだな。
そういう性格になるんだね。ヴィパッサナーは。。。
422 :名無しさん@3周年:05/03/14 01:32:02 ID:2GrYXvbw
人間関係において「情緒の交流/共感」は大切でしょ。という話し。
「受」の段階で止めるのだから「情緒の交流/共感」にはならないでしょ。
という話し。
423 :名無しさん@3周年:05/03/14 01:40:55 ID:2GrYXvbw
「受」の段階までで、その後の展開をストップする。
大念処経などで書いてある。
眠っていない限り続けろと書いてある。
では、
「受」の段階で終了する場合、どうやって他者と情緒の交流、共感をするの?
その説明を聞かせて欲しい。
私は私なりの見解を書いているのだから、反論があるのなら、
人格攻撃ではなく、ちゃんと見解を聞かせてもらいたい。
424 :名無しさん@3周年:05/03/14 02:15:55 ID:4yND9bcB
仏教の目的は
お前の妄想の中で優先順位一位にあるような
お前の妄想上の「他者と情緒の交流、共感をすること」じゃないので
スレタイとも違うし板違いだから
425 :名無しさん@3周年:05/03/14 02:39:01 ID:UtEee0wU
>>423 お前くらいのクズみたいな人間が描いている
お前の妄想上の「他者と情緒の交流、共感」力を持った理想的な人間に
なることが仏教の目的ではないから。
ただしお前みたいな下卑た人間に会っても
不愉快や怒りや苦痛を感じないことは
ヴィパッサナーの目的だが
まだお前ほどのクズみたいな人間には
さすがに不快感を感じてしまうあたり
精進が足りないとは思うな
反省。
426 :名無しさん@3周年:05/03/14 03:05:02 ID:2GrYXvbw
>>424>>425 感情的な物言いだね。
「仏教」と「感情的な物言い」は対極にあると思っていたよ。
>お前の妄想の中で優先順位一位にあるような
>お前の妄想上の「他者と情緒の交流、共感をすること」じゃないので
私はどこで、優先順位をつけたかな...どこに一位と書いたかな...
「受」の段階でストップする場合、「他者と情緒の交流、共感」は出来るのかな?
繰り返し繰り返し書いていることは、これだよ。
もっと言うなら、ヴィパッサナーを実践している場合、
海を見ても、夕焼けを見ても、感動しないのかな? 感動していいのかな?
これらの疑問に対して、また論点ズラしの人格攻撃の書き込みをするのだろうか。。。
427 :名無しさん@3周年:05/03/14 03:12:07 ID:2GrYXvbw
>スレタイとも違うし板違いだから
スレタイには、「ヴィパッサナー」と書いてあるよ。
ヴィパッサナーとは、「受」で止めることでしょ。
眼耳鼻舌身意に対象/色声香味触法が触れた段階でストップすることでしょ。
「受」でストップなら、どうやって「他者と情緒の交流、共感」は出来るのかな?
ということを繰り返し繰り返し書いている。
繰り返しになるのは、論点ズラしの人格攻撃のレスしか返ってこないからだよ。
スレ違いでも板違いでもない。
427 :名無しさん@3周年:05/03/14 03:12:07 ID:2GrYXvbw
>スレタイとも違うし板違いだから
スレタイには、「ヴィパッサナー」と書いてあるよ。
ヴィパッサナーとは、「受」で止めることでしょ。
眼耳鼻舌身意に対象/色声香味触法が触れた段階でストップすることでしょ。
「受」でストップなら、どうやって「他者と情緒の交流、共感」は出来るのかな?
ということを繰り返し繰り返し書いている。
繰り返しになるのは、論点ズラしの人格攻撃のレスしか返ってこないからだよ。
スレ違いでも板違いでもない。
428 :名無しさん@3周年:05/03/14 03:22:45 ID:2GrYXvbw
>お前の妄想上の「他者と情緒の交流、共感」力を持った理想的な人間に
理想的な人間は、「他者と情緒の交流、共感」力を持った人間と
私は、どこに明記したかな...
書いてないことを、書いたように言うほうが、妄想なのでは。
>不愉快や怒りや苦痛を感じないことは
>ヴィパッサナーの目的だが
>まだお前ほどのクズみたいな人間には
>さすがに不快感を感じてしまうあたり
>精進が足りないとは思うな
>反省。
反省ということは、仏道を歩んでいるんだね。
となると、
ヴィパッサナー以前に、八正道が出来てないのでは...。
書いていないことをあたかも、書いたように言うし、
言葉使いは悪いし。。。
違和感が膨れる一方だよ。
ク○野郎といっていた人物が他人の言葉遣いを気にする。
ク○野郎といっていた人物が自分への人格攻撃(人格が問われて当たり前)だけは
問題にする。
こんな人相手に私も必死だな。
721 :
( `ー´):2005/03/26(土) 00:38:00 ID:HDjduHMR
スレ主さんは我流の解釈を施して、原始仏教を実践しながら人生を楽しめると言っているが、それは違う。原始仏教はあくまで極端な禁欲主義。
人間には不可能なこと。仏教(大乗だが)は加持祈祷による現世御利益を通じて東方へと広まった。
原始仏教を受け入れられない大衆は愚かか?そんな事は無い。
実現不可能な倫理学を掲げる不毛な教説にこそ問題がある。
722 :
( `ー´):2005/03/26(土) 00:42:18 ID:HDjduHMR
全てへの執着を捨てよ
↓
「執着すまい」という思いへの執着を捨てよ
↓
悟りへの執着を捨てよ
何もするな。
724 :
名無しさん@3周年:2005/03/26(土) 13:19:06 ID:tDjRxMvx
>>695 >性欲をうまく昇華する方法があるだよ
>意生身とかガンダルバーを研究してみそ
もうちょっと詳しく情報を教えてもらえますか
スレを読んで一つ解ることがある。
ヴィパッサナーに関わると性格異常を起こしかねない、ということだ。
極めて危険な方法であり、もともと個人が持つ神経症的傾向やコンプレックスを増幅させて発現させる恐れがある。
修行として行われてはいるが、精神医学の実際の治療で使われない理由はあるのだ。
くれぐれも注意すべきである。
>725 世間から見たら異常でも、仏教(出世間)から見て正しい場合には、仏教側の見解を採用すべきです。世間のほうがまちがっているのですから。
727 :
さごじょう:2005/03/26(土) 20:22:55 ID:5xDYdl47
>>性欲をうまく昇華する方法があるだよ
>>意生身とかガンダルバーを研究してみそ
>もうちょっと詳しく情報を教えてもらえますか
意生身とか意所生とか
ガンダルバーは乾達婆とも表記するらしいが
普通にロムしても実体はわかんねーぞ
728 :
けちゃっぷ:2005/03/26(土) 21:17:24 ID:bJ93ufsd
阿羅漢・縁覚・菩薩が衆生済度のために、精子卵子を必要とせず心のままに生をうけることを、意生身と呼ぶことがあるそうです。
729 :
名無しさん@3周年:2005/03/26(土) 22:27:43 ID:A5CGWHm+
>>726 「世間的に言えばこれは殺人であると。しかしヴァジラヤーナの立場に立てばこれは立派な救済行為になります。」
言い換えればこんな風にも言えますよね。
やっぱりヴィパッサナーは恐ろしいですね。
そのうち事件とか起こらなければいいですけど。
>729 仏教だから殺人を推奨するわけないでしょう。
731 :
名無しさん@3周年:2005/03/26(土) 23:07:53 ID:HeODff/L
>>727 大乗仏教の話し?
方便とか伝説の部分の話しかな?
>>730 「世間では人の命を奪うことは、殺人という悪業と見なされる。
しかしもしその人を殺すことによって、より多くの人を救済できるなら、
それは悪業といえるだろうか?仏教的に言えば、完全に善業だよね。」
こういう理屈も通りますよね。ヴィパッサナー的に言えば。
ヴィパッサナーは、世間では異常とされる価値観や行為を平気で
「そんなもんは仏教から見れば間違っているんだから、世間の方を
無視して仏教を採用せよ」、と教えるんですね。
こういうのを見てもわかるとおり、ヴィパッサナーは仏教の原理主義であって、
カルトを生み出す土壌があると思いますね。
>732 この場合「ヴィパッサナーは」という主語はおかしい。「上座部仏教は」とか「仏教は」では?で、仏教が何を「正常」と考えてるかが重要でしょ。殺人しろなんて説いてない。
ここ見るとヴィパッサナー瞑想にこんなに執着すれば、諸行無常の仏教の教えに反しませんか?
という疑問が沸いてしまう。
「世間から見たら異常でも、仏教(出世間)から見て正しい場合には、仏教側の見解を採用すべきです。
世間のほうがまちがっているのですから」
これは一般の仏教とは異なる、ヴィパッサナーによる見解でしょう?
お寺や坊主の話でこんな話聞いたことないですからね。
>>734 「ヴィパッサナー瞑想だけが釈尊が実際に教えられたことである」とか、
「私はヴィパッサナーをやってるから自分の心の状態や他人の心の状態がわかる」と思いこんでしまう
恐れがあるみたいですね。
>735 別に特別な発言じゃないでしょう。たとえば、世間が無常に気付いてないけど仏教は無常に気付いているから、世間に向かって無常を説く。あたりまえのことです。
>>736 オウムの上祐がカメラの前で「すべては無常ですからっ!」と言っていたのを思い出しますね。
すべては無常だから世間の価値観を無視してもいい、世間からは異常と思われることでも
やってよい、と考えるのはカルト思考ですね。
>737 「無常」を出したのはひとつの例です。あなたの考え方は、自分がいくら正しいと思っていてもも世間が間違ってると言ったら、世間に合わせるということですか?
739 :
( `ー´):2005/03/27(日) 17:38:22 ID:8V+WPQ7X
世間も無常に気付いてますよ。物理学によって、どんな物質も数十億年で半減期が来て、やがては消滅することが分かっていますから。
俗説に媚びる必要はありませんが、仏説だけでなく西洋哲学などの他の価値体系にも目を向けないと、バランスの取れた考えが出来ないと思いますよ。
誤解はとけたようですね^^
>739 無常を持ち出したのはひとつの例です。純粋な信仰は原理主義になるのが当然ではないですか?世間が戦争にむかっても、仏教徒は殺人を犯してはいけない。たとえ徴兵されても、おとなしく敵に殺される。
国が敵を殺せと命令して、仏教が殺人を拒否したら、国は仏教をカルト扱いするでしょう。その時、カルト扱いされたくないからしぶしぶ人殺しをするとしたら、法律では認められても仏教的には罪になります。
>>739 おまえにとっては、他の価値判断に目を向けることがバランスをとることかもしれないが、
価値判断そのものを捨てるのがヴィッサーナ。
まず、おまえのちっぽけな価値観から出ろ。
>>741 >>742 原理主義者を自認するならそもそも議論なんぞするな。
自分の信仰の中に閉じこもっていればいいじゃねーか。
745 :
( `ー´):2005/03/27(日) 19:59:05 ID:8V+WPQ7X
>>743 それを徹底して実践するなら、私の価値観がちっぽけだという判断も止めるべきでは?
>>745 言葉尻にこだわるな。
じゃあ、訂正。
おまえのすばらしい価値観から出ろ。
または、ちっぽけですばらしい価値観から出ろ。
または、価値観から出ろ。
ちゅうか、それを徹底したら何も語ることはなくなる。即ち俺を含めてここでそれを語ると言うことは全然実践が追いついてないと言うことだ。
価値判断を手放す過程を観察することだけだ。
747 :
( `ー´):2005/03/27(日) 20:31:30 ID:8V+WPQ7X
最近流行のこのコピペ、結構真に迫ったことを言ってると思うよ。
一粒の芥子、よく須弥山(しゅみせん)を隠す。一掬(きく)の水の中に人魚たちが心ゆくまで踊る。
私は終日汝に相対していて、劫初以来会った事がない。看よ、東山全嶺が水上を歩いている。
エックハルトの乞食の挨拶「[朝な朝な好(よ)き朝です」。雲門「日々是好日」。
扇を扇と呼ぶな、鋤(すき)を鋤と呼ぶな。昨日は痛かったが、今日は痛くない。
さっきは泣きわめいたが、今は笑っている。腹が減れば食い、疲れれば眠る。
雪がすべての山を白く覆うている時、なにゆえにあるひとつの山は覆われずにあるのか。清浄の行者涅槃に入らず、破戒の比丘地獄に堕ちず。
我の知っている事を汝は知らず、汝の知っている事を我はことごとく知る。大力の人がどうして彼の両脚を上げることができないのか。
柱が毎日動き回っているのに、どうして私は動かないのか。わたしは釈迦の出現以前からさとりの状態にある。
「光あれ」と命ずる以前の神と共にあれ。
梵我一如。無為自然。
748 :
円戒( `ー´):2005/03/28(月) 00:17:17 ID:ge2PAoXu
私は太陽の熱であり雨を降らし雨を止める
私は不滅の生命であり死である
アルジュナよ 顕現した私は宇宙であり非顕現の私は無である
三ヴェーダに精通し聖餐のソーマ酒を飲み
罪を認めて祭祀を行い 私を礼拝する者は天への道を求めて祈る
彼らはインドラの王国に至り天上の歓喜に浸る
彼らは天上の歓喜を味わい その功績が尽きると共に地上へと帰される
三ヴェーダの道を取り 欲望を求むる人々は無限の流転を繰り返す
ひたすら私のことを思い他を思わず敬虔であれば
私は必要な一切を彼に与え彼の持つ物を保護する
神々を祀る者はその神々の元へ行く
先祖を祀る者は先祖の元へ行く
精霊を祀る者は精霊へ行く
そのように 私を求める者は私の元へ来る
749 :
円戒( `ー´):2005/03/28(月) 00:42:48 ID:ge2PAoXu
これらは生ける方であるイエスが語り、デドモ・ユダ・トマスが書き記した秘密の言葉である。
イエスは乳を飲んでいる幾人かの幼な子を御覧になった。そして彼は弟子たちに言われた。
「乳を飲んでいるこの幼な子たちは御国に入る者たちに似ている」。彼らは彼に言った。
「それでは私たちは幼な子として御国に入るのでしょうか」。イエスは彼らに言われた。
「あなた方が二つの物を一つにする時、そして内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、そして男性と女性とを一つにし、男性が最早男性ではなく、女性が女性ではないようにする時。
そして一つの目の代わりに目を、一つの手の代わり一つの手を、一つの足の代わりに一つの足を、一つの像の代わりに一つの像を造る時、あなた方は御国に入るであろう」。
750 :
ワハハ町:2005/03/28(月) 10:03:10 ID:Ny1iJFM0
うぅ〜ん、文章難し…。
751 :
名無しさん@3周年:2005/03/28(月) 12:36:48 ID:THWkX0KE
円戒さんに、生命学者の柳澤桂子の本をおすすめ♪
「生きて死ぬ智慧」とかまずおすすめ♪
752 :
名無しさん@3周年:2005/03/28(月) 12:45:37 ID:THWkX0KE
無常か...しょぼーん
縁起説か...しみじみ
753 :
名無しさん@3周年:2005/03/28(月) 18:46:43 ID:3f9rTbaV
なんか随分難しい話になってますね…
私は仏教や瞑想などの予備知識のあまりないままダンマバーヌの10日間コースに参加しました。
コース前とコース後で具体的に変わったと思えるのは、
続きが気になる
755 :
名無しさん@3周年:2005/03/29(火) 23:41:37 ID:gweQzNI9
なんでsageなの?
756 :
名無しさん@3周年:2005/03/30(水) 00:42:00 ID:X0xtbZwj
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/
757 :
753:2005/03/30(水) 12:24:41 ID:5F1F20fd
すみません、操作を誤ってメモ帳に書いてあったものを何処かに無くしてしまいました。
改めて…
今まで気になっていたことが気にならなくなった。
たとえば
758 :
名無しさん@3周年:2005/03/30(水) 22:06:21 ID:0e+bCRJ/
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/ ぼくもねるぽ
759 :
名無しさん@3周年:皇紀2665/04/01(金) 00:47:53 ID:8n9TTdar
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/ 今日も平和な一日だった。感謝の気持ちで睡眠。
760 :
名無しさん@3周年:皇紀2665/04/01(金) 02:05:51 ID:kg6fP/yJ
さてぃ
年月日が、西暦から皇紀になっている。皇紀になっている。皇紀になっている・・・
ブッディストとしては、佛暦にしてほすぃかった。(笑
761 :
名無しさん@3周年:皇紀2665/04/01(金) 23:59:15 ID:ngQE+aVT
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/ 今日も平和な一日だった。感謝の気持ちで睡眠。
762 :
名無しさん@3周年:皇紀2665/04/02(土) 01:14:57 ID:sh4idLFY
ヘビースモーカーの俺が10日間も禁煙しつつ瞑想など出来るだろうか・・・?
753さんがうらやましい。行ってみたいもんです、瞑想合宿。内観法の1週間や4泊5日でもいいんですけどね。心の大掃除したいもの。
でも、心の掃除って本当は人の指導でするもんじゃないんだろうけどね。きっかけとしてまとまった時間を先生ナビゲ−ションに沿って掃除の仕方を実践体験したい。
色々実践したんだけどね。。。心がクリアーな感じってまだよくわからない。音が澄んで聞こえたりってことはあるんですけどね。最近自己嫌悪や被害妄想っぽい感じで一杯。
理屈では「あ、思い込みだな」とわかっていても自己正当化としてその考えが手放せない。ある意味思い込み中毒。味わいきるようにはしてるんだけど・・・
ああ、ここは相談室じゃなかったね。失礼しましたm(__)m
763 :
753:皇紀2665/04/02(土) 01:27:51 ID:zy+MBG9z
>>762さん&皆さま
すみません、二度も同じことをしてしまいました。決して釣りではありません。
私が10日コースに参加したときも何人か喫煙者の方がいましたが、コース中は大丈夫だったようです。
それより元の生活に戻ったときに、喫煙の習慣も戻ってしまうようです。
>心の掃除
仰るとおり、掃除をするのは自分です。ただ、正しい(語弊があるかな?)掃除の仕方を学ぶのは
悪いことではないと思います。中にはこのやり方が唯一絶対の方法で後は邪道だ、みたいなことを
リピーターの方が仰っていたのを拝見するとなんだかなぁ…という気持ちになりました。
>心がクリアーな感じ
瞑想を体験する前は気がつきませんでしたが、音楽を聴いているときにそうなっていたことがありました。
なんというか音と自分との距離がなくなり、音の粒が感覚を直接刺激しているような…うまく表せません。
相談でもよいと思いますよ。皆で経験をシェアするのはなんら悪いこととは思いませんし。
764 :
名無しさん@3周年:2005/04/03(日) 00:13:03 ID:TDM7rPdZ
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/ 今日も平和な一日だった。感謝の気持ちで睡眠。
765 :
名無しさん@3周年:2005/04/03(日) 03:10:17 ID:Xtnts+hz
あーあ。いいスレだったのに。
どういうわけか粘着質のスレ壊しがやってきて、
スレを続かせないようにするんだよな。
>>729 > 「世間的に言えばこれは殺人であると。しかしヴァジラヤーナの立場に立てばこれは立派な救済行為になります。」
オウムの発言を書き込んで、
> やっぱりヴィパッサナーは恐ろしいですね。
ヴィパサナと関係があるように決め付ける。
>>692>>725 > ヴィパッサナーに関わると性格異常を起こしかねない、ということだ。
この根拠の無い決め付け。
かわりにこう言ってやろう
おまえ(
>>692>>725)がヴィパッサナーに関わると性格異常を起こしかねない
いやもう起こしている。時既に遅し。
>>668 > ゴエンカ式で行き詰まりを感じている人たちって
> 本人には気づかない苛立ちの雰囲気があるね
おまえが行き詰まってんじゃねーのか
>> 747 名前:( `ー´)
> 最近流行のこのコピペ、結構真に迫ったことを言ってると思うよ。
この一連のスレ壊しは・・・おまえまさか机か。
>I2tr7rkg
おーい、俺はおまえさんに一票。一人まともだ。
変な子供(か老人か?)のク○野郎は放っといて、帰っておいで〜。
I2tr7rkg 自演乙
767 :
I2tr7rkg:2005/04/03(日) 23:43:34 ID:weQaYGuE
明らかに別人なのだが、それを自演扱いしてしまうほど
>>766心が荒んでいます。
人生の無常そのものだ。
768 :
I2tr7rkg:2005/04/03(日) 23:44:53 ID:weQaYGuE
カルマ乙と言いたい。
769 :
765:2005/04/03(日) 23:58:07 ID:OX0jv6Ui
770 :
名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 00:41:30 ID:qA3EDfyx
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/ 今日も平和な一日だった。感謝の気持ちで睡眠。
771 :
名無しさん@3周年:2005/04/04(月) 13:07:00 ID:4C8EmmO4
702 名前:I2tr7rkg 投稿日:2005/03/25(金) 22:48:02 ID:w/vtuH/u
言っておくが、私は修行途中。はっきり言って心は汚れたままだ。
人間、意見を否定されると自我を防衛するため感情的になり個人攻撃に走りがちです。
そのときは感情的に見ずレスの情報だけを読めばいい。
772 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 01:23:40 ID:ilizBY1y
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/ 今日も平和な一日だった。感謝の気持ちで睡眠。
773 :
I2tr7rkg:2005/04/05(火) 19:15:16 ID:K12lZ8wY
>>771 単なる攻撃ではなく、別人なのを訂正しただけでしょ。意見の否定ではなく。
感情的に高ぶったのではなく 他山の石 的な感情はありましたけどね。
774 :
I2tr7rkg:2005/04/05(火) 19:21:05 ID:K12lZ8wY
>>767 自己精進のため必要時以外はROMすることにします。
また全世界に対して無量の慈しみのこころを起こすべし。
上に下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし
常に戒を身にたもち、智慧あり、よく心を統一し、内省し、よく気をつけている人こそが渡りがたい激流を渡り得る。
愛欲の想いを離れ、一切の束縛を超え、歓楽による生存を滅しつくした人、かれは深海のうちに沈むことがない。
この世では真理の実践が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。実に真実が味の中での美味である。智慧によって生きるのが最高の生活であるという。
775 :
I2tr7rkg:2005/04/05(火) 19:22:41 ID:K12lZ8wY
・口・意において、たとい僅かなりとも悪い行為をなすならば、彼はそれを隠すことができない。隠すことができないということを究極の境地を見た人は説きたもうた。このすぐれた宝はつどいのうちにある。この真理によって幸せであれ。
古いカルマはすでに尽き、新しい業はもはや生じない。その心は未来の生存に執着することなく、種子を滅ぼし、それを成長することを欲しないそれらの賢者は、灯火のように生が滅びる。このすぐれた宝はつどいのうちにある。この真理によって幸せであれ。
776 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 19:44:55 ID:0OHG441g
I2tr7rkgはナルシスト。
683 :I2tr7rkg:2005/03/25(金) 13:24:12 ID:w/vtuH/u
720 :I2tr7rkg:2005/03/25(金) 23:57:42 ID:w/vtuH/u
金曜日の13:24〜23:57まで気が触れたように書き込んでいる。
精神的未成熟者が自己愛を傷つけられたと感じるとこうなるのだろう。
修行するとしても、ナルシストとしての修行なのは見え見え。
777 :
名無しさん@3周年:2005/04/05(火) 23:35:57 ID:7naQ3c+y
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/ 今日も平和な一日だった。感謝の気持ちで睡眠。
かわいいですね。
779 :
I2tr7rkg:2005/04/06(水) 20:11:10 ID:mCEqAIfz
もう醜すぎて何もいえない
ワット・パクナムのダーマカーヤ瞑想の経験がある方いらっしゃいませんか?
南伝上座部といわれながら、かなり異質に感じたのですが、とても興味があります。
スレ違いでしたらゴメンです。
タンマガーイスレで聞いてくれ。
782 :
名無しさん@3周年:2005/04/06(水) 22:16:42 ID:84GUXL2N
783 :
765:2005/04/06(水) 22:27:41 ID:S/CTzUch
784 :
名無しさん@3周年:2005/04/06(水) 22:31:59 ID:S/CTzUch
785 :
765:2005/04/06(水) 22:32:56 ID:S/CTzUch
二度と来んなバカラス!
786 :
名無しさん@3周年:2005/04/06(水) 22:45:46 ID:84GUXL2N
>ID:S/CTzUch
自分のことじゃないのに、3連続の書き込みですか。
一人二役ご苦労様、I2tr7rkg プッ!w 二役じゃ足りないかwプッ!
ヴィパッサナーどうこうの前に、そのクソガキ程度の器量をなんとかしろ!
787 :
765:2005/04/06(水) 23:07:22 ID:S/CTzUch
汚ねえカラスだ
プープー屁ばかりこきやがって
穴のアナ締めとけ
ケタケタ
あんまり妙なことにエネルギー使うな、おまえら。
罵ることそれ自体が目的になっちゃうと、そっから抜け出せなくなるぞ。
789 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 00:19:50 ID:kAFkwfVv
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/ 今日も平和な一日だった。感謝の気持ちで睡眠。
790 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 03:14:40 ID:O7hXVXJg
I2tr7rkgの言動に相手を苦しめようという悪意が含まれているならば
その悪意はそのままI2tr7rkg自身を切り苦しめる刃物、根拠になる
I2tr7rkgの言動に相手を苦しめようという悪意が含まれていないならば
その言動はI2tr7rkg自身を切り苦しめる刃物にならない
そして悪意の想いの有無はI2tr7rkg自身だけが知っている
791 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 03:26:27 ID:O7hXVXJg
自分の印象だとI2tr7rkg恐れと不安からくる攻撃性を感じるが
ただI2tr7rkgを菩薩の生まれ変わり、神の化身として考えると
彼から感じる不快感や嫌悪感はそのまま自分の
所有している欲望の想いを鏡のように映し出しており
彼の攻撃性や悪意の実際の有無の真偽にかかわらず
自分の心を知ることにとって彼の存在は有用であるともいえる
792 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 03:28:21 ID:O7hXVXJg
I2tr7rkg恐れと不安→I2tr7rkgに彼自身の恐れと不安
793 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 04:01:00 ID:O7hXVXJg
>>774のようにI2tr7rkgが本当に
上に下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うことを
それを決意しそれを行うならば
例え第三者がそれをなじってもI2tr7rkgはそれに関わり無く
平安を得ると思う
>>776が彼をなじるナルシストという言葉のあり方は
I2tr7rkgが今まで使用してきた他者をなじる方法と同じやり方だが
個人的にはそのようななじり方は適切では無いと思う
何故ならば個人の所有するナルシスト性は誰しも完全に
否定しきれないものだからである
>>782のなじり方も
10時間以上も怒りに囚われていたというのは
修行が足りないといえば足りないともいえるが
I2tr7rkgの集中力の大きさの賛辞にも取ることができる
クソガキ程度の器量の狭さというのもそれは同時に
適当に妥協してわかったふりをしない正直性の所有とも取れる
憎悪と自己正当化の想いからくる意見交換は
自分を欺き相手を欺くことになり
その利が少ないように自分は考える
794 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 04:07:20 ID:O7hXVXJg
I2tr7rkgの10時間以上も怒りの想いを抱き続ける集中力は
それを逆に怒りの想いを捨て去る集中力に使用したり
慈しみのこころを起こしつづけることに使用したり
ヴィパッサナーを継続し続けることにそれを使用すれば
その効果は計り知れないようにも思える
795 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 04:19:55 ID:O7hXVXJg
他者の意見を怒りや憎悪や悪意を以って否定し許さないことは
自分の所有しているある欲望の想いを絶対とし
決してその欲望の想いを手放さないということになってしまう
するとそれは苦しみの原因と自身の弱さになってしまう
他者に共感され同意されると嬉しく思うがその場合
その反対に苦しみの根拠を残してしまう
好ましく愛する人の存在とその差別の想いは
その逆の存在を得ることと同じになってしまう
796 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 04:25:35 ID:ssjloJwm
>>794 残念ながらI2tr7rkgの修行法は間違っている
間違っているから10時間以上も怒りの想いを抱き続ける心を持っている
間違っている修行法を続けている限りI2tr7rkgに成長はない
おそらく修行法がただの抑圧のようなものだから爆発するのだと思う
797 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 04:36:14 ID:3xCZINPl
相手への嫌悪や憎悪や怒りがあるとき
実際にはそこに相手の悪など存在せず
自分の欲望の想いを阻害する相手が存在している以上のことが無い
もし自分にその阻害される対象のその欲望の想いが存在しなければ
相手への嫌悪や憎悪や怒りは生じず
相手の悪というものも消滅する
ただ実現が非常に難しいことでもあると思うけれども・・
>>796 心情的にI2tr7rkgを助ける想いにあなたがなることは困難なのかも
しれないけれども
それならばあなたが彼の間違いを彼への罵声の想いからではなく
慈悲の心からくる気持ちで彼に忠告することができれば
おそらくあなたにとってもI2tr7rkgにとっても利益になると自分は思う
「I2tr7rkgは間違っている救われない」と言う事はI2tr7rkgに対する悪口以上
のことにはならないと思う
「I2tr7rkgはココが間違っているのでこうすればより良い」
と言えばそれは悪口ではなくなる
と思う
798 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 04:43:28 ID:3xCZINPl
慈悲の心というものが存在し
それは相手の状態に、相手の心情に、相手に、自分自身がなる
ことであるとするならば
自分で自分を罵声したり侮蔑したり苦しめたりすることが無いように
相手を敵を許し助けるはずだと思う
相手を敵を自分のことのように許し助けるはずだと思う
それは言うほどなかなか簡単なことではないと思うけれども・・
799 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 04:47:51 ID:ssjloJwm
3xCZINPlさん
反動形成は“過ぎる”に現れるらしいですよ
800 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 04:49:25 ID:3xCZINPl
恐らく相手を敵を憎悪し彼に怒りを抱き
そこから彼を倒し苦しめる目的の言動を吐くことは
この世の常で当たり前のことなのかもしれないけれども
それはこの先自分を苦しめる根拠になっても
自分にとって何かの利益にならないと思う
その真逆の慈悲の想いは
それはこの先自分の苦しみを減少させる根拠になるように思う
801 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 04:52:16 ID:w1U3EBMS
>>799 ではI2tr7rkgはどのようにすればより良く彼の苦しみが
減少するのでしょうか?
あなたのお考えを聞かせてください
802 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 04:53:29 ID:ssjloJwm
803 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 04:55:22 ID:ssjloJwm
>>801 というか、どうでもいいです
自己責任でどうぞという感じです
804 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 04:55:46 ID:w1U3EBMS
>>796 >残念ながらI2tr7rkgの修行法は間違っている
のだとするとまさに彼が正しく修行すれば
そのまま彼の集中力が活かされ
その成果はすさまじいものになる
という道理も在る得ると自分は思う
805 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 04:57:26 ID:w1U3EBMS
806 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 05:04:54 ID:1DK+UjPL
自分を以前苦しめ損ない傷つけた好きでない敵や相手を許すということは
自分の譲れない欲望の想いを手放すことであるので
全く容易なことでは無いと思うけれども
それを為しえたらその人にとってその利は計り知れないと思う
807 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 05:24:08 ID:1DK+UjPL
自分の欲望の想いを阻害する敵や相手を悪く言い
なじり彼を悪と証明したり論証したりすることは
うまく論理をスリカエたり
はじめから差別のある言葉を巧みに使用したり
制限も定義をしない一般的な言葉をうまく並べれば
どんな相手に対してもいくらでも可能なことであると思う
少なくとも周囲のいくらかの人を納得させるには十分な論理が
形成できると思う
それはイエスキリストの処刑を決定し誰もそれを阻止できなかったり
幾多の罪の少ない人をこの世が葬った歴史を考えてもわかる
それだから相手や人を悪とする言葉や論理は
相手を苦しめ倒すこと以上のことが無いように思う
808 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 05:40:53 ID:ffOmIDuD
人は自分を苦しめる他人の言動から非常に大事なことを学んでいる。
ただそのときはそのことには気づかないだけだと思う。
また同様に、自分が他人を傷つけるような言動をとった場合も、
お互いにそのことから大事なことを学んでいる。
全ては後になってわかることではないかな。
809 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 05:53:42 ID:1DK+UjPL
>>808 痛みも苦しみもまたそれは互いにとって
最終的により深遠な理解の用具になる
という立場からするとそれはそうかも知れないと思う
ただその場合の問題点は
もしそのようだとすればその考えを広げすぎれば
欲望の想いも煩悩も悪も憎悪も必要悪となり
それでは戒律や行為が自由になり
何が何であるかわからなくなるということもまた生じると思う
この必要悪の許容程度は難しいと自分は思う
810 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 05:59:23 ID:1DK+UjPL
自愛と善意のみで支えられた例えば何某かの宗教の集いに居れば
そこには暴力や悪意や攻撃が存在しないから
当然普通の社会生活上で生ずる暴力や苦しみや悪意に対する
不動なものを得る機会を失うといえば失う
その意味で確かに悪や暴力や攻撃は必要ということになる
811 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 06:16:34 ID:1DK+UjPL
では必要悪としてより深遠な理解を得るための自身の行為のあり方に
於ける悪行為や欲望に耽る行為はどうなのか・・?
それは必要か?と問うた時、
答えをあくまで原始仏典に求めればそれは禁止されているようである
即ち自身で暴力行為、他への攻撃といった必要悪をとくに行使しなくても
仏陀の説く平安は得られる・・
と解釈することもあるいはできるのかもしれない
812 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 06:19:06 ID:1DK+UjPL
ただ自分の考えとしては
>>808の意見は道理が通っていると思う
813 :
808:2005/04/07(木) 06:45:28 ID:ffOmIDuD
>>809 そうですね、とても難しいと私も思います。
取り返しのつかないことというのも存在しますからね。
ただ、悪を必要かどうかというよりも、人が生きていくうえで
悪(と人がとらえるもの)は自分の中にも、他人の中にも必ず存在している
ので、その悪とどう向き合うのかという問題ではないかと思います。
私個人の考えとしましては、まず自分の生命をまっとうすることを
大前提としまして、そのうえで今までの少ない経験と知識から自分の中に
ある悪を許容し、また他人の悪を恨み憎しむことは確かに自分の生命に
とってマイナスであると考え、また実感するわけです。
レス大変ありがとうございました。
814 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 07:00:29 ID:1DK+UjPL
>>813 >人が生きていくうえで
>悪(と人がとらえるもの)は自分の中にも、他人の中にも必ず存在している
>ので、その悪とどう向き合うのかという問題ではないかと思います。
他を損なったり他の生類の命を奪ったりすることを悪と呼ぶならば
全くその通りと思う
生きることが殺すこととなり生きることが暴力となる
生きとし生きる全ての生類が暴力と悪を負うている
>自分の中に
>ある悪を許容し、また他人の悪を恨み憎しむことは確かに自分の生命に
>とってマイナスであると考え、また実感するわけです。
自分も全くそのように思う
815 :
I2tr7rkg:2005/04/07(木) 19:25:31 ID:KjoFSAJW
新たな人がスレを盛り立ててくれていい流れかな
私に関することですが常識的に考えて10時間ネットに貼りつくほど暇人ではないのと
流れを見ればわかることですが、10時間経ってに用事でネットに接続し、ここをみたら
彼がまっとうではない形で反論してたのでこちらも応酬したまでのことです。
彼のレスをまとめると
ヴィパッサナーへの誤解から来る根拠のない中傷。
個人の人格攻撃をしてはならないと言いながら、ク〇野郎と罵っていたのが判明。
絡むのは不安だから精神未熟者だと罵りながら私に未だに絡んでくること。
(もっとも私は精神未熟者ですが)
>自己精進のため必要時以外はROMすることにします。
絡んできたからでてきたまでのことです。
816 :
I2tr7rkg:2005/04/07(木) 19:31:48 ID:KjoFSAJW
>>788 その通りだと思います。私がこの流れに関与しているので反省しなければなりません。
ただ一連の見当違いなヴィパッサナーに対する誹謗中傷を繰り返す人物に誰かが釘を刺す必要はあるのではないかと
思います。
>>790 まとめてくれてありがとう。本当は下らない議論などしたくはない。
ですが今のところ私には彼の無知からくるヴィパッサナーや修行者への誹謗中傷には
「瞑想しなさい」としか言えない。
817 :
I2tr7rkg:2005/04/07(木) 19:38:29 ID:KjoFSAJW
>>786 前にも言いましたが自作自演はしていませんよ
818 :
I2tr7rkg:2005/04/07(木) 19:53:14 ID:KjoFSAJW
勘違いしていないとは思いますが
>>703から
>>718はすべてこのスレの
コピーであって私の発言とは違いますよ。
819 :
I2tr7rkg:2005/04/07(木) 20:03:41 ID:KjoFSAJW
1DK+UjPLさん ffOmIDuDさん
このスレにある悪意のレスは私への試練とみていいのだろうか?
820 :
I2tr7rkg:2005/04/07(木) 20:07:47 ID:KjoFSAJW
キリストは悪意を被って殺された。
仏教ではこれは本人のカルマであるという。とにかく忍ぶことか。
821 :
I2tr7rkg:2005/04/07(木) 20:28:22 ID:KjoFSAJW
>>801を読んで腹が立つ。こいつが元凶であり、見れば怒りが湧き起こる。
しかし、ここが「私にとって」肝心なところなのだろうか。
これくらいのことであれば私の怒りを収めるだけで終えることが出来る。
ここで世の中には家族を無残にも変質者に殺される者たちがいることを考える。
私の怒りなど取るに足らない。
822 :
I2tr7rkg:2005/04/07(木) 20:33:17 ID:KjoFSAJW
当事者であるときが一番試されるとき。
823 :
1DK+UjPL:2005/04/07(木) 20:35:23 ID:+2gLFzEN
>>820 >このスレにある悪意のレスは私への試練とみていいのだろうか?
>仏教ではこれは本人のカルマであるという。とにかく忍ぶことか。
自身を苦しめる相手であっても彼を菩薩の生まれ変わり
神の化身として認識し
相手に誹謗中傷や悪や悪意があるから自分が苦しめられるのではなく
ただ自身の欲望や期待の想いがあるからそれを根拠として
自身の所有する欲望の想いを阻害する存在として彼を悪に
たてまつる自分があって
苦しみや相手への憎悪や嫌悪や怒りの想いが生ずる
即ち相手の悪が自分を損ない苦しめているのではなく
自分の欲望と期待の想いが自分を苦しめているものの根拠である
と認識すればあるいは敵や相手を許すことができる余地があると思う
そして敵や相手を許せることは自分の欲望の想いを捨て去ることが
できた証にもなると思う
しかしながら容易なことでもまたないと思う
>>821 >>801は自分が書いたのだけれどもあなたに対する悪意は無いし
元凶となる書き込みをしたことも無い
それは誤解であると思う
>>801は相手の悪口を言うことに意味はないけれども
では相手はどのようにすることが良いかを述べなければ
悪口以上の意味にはならないという旨で述べている
824 :
1DK+UjPL:2005/04/07(木) 20:39:52 ID:+2gLFzEN
>>801は
では
>>799はI2tr7rkgがどのようにすればより良く彼の苦しみが
減少するというのでしょうか?
あなたのお考えを聞かせてください
と
>>799に対して質問を投げかけている文である
それは
>>799が嫌悪の想いからの悪口の放言以上のことを述べていなかったから
825 :
1DK+UjPL:2005/04/07(木) 20:46:23 ID:+2gLFzEN
>>821 >これくらいのことであれば私の怒りを収めるだけで終えることが出来る。
>ここで世の中には家族を無残にも変質者に殺される者たちがいることを考える。
>私の怒りなど取るに足らない。
ただ自分の考えとしてはこのような自分より下が存在するという想いを
起こし相対比較によって自分を納得させ
怒りの想いを収めるやり方は好きでは無い(笑)
826 :
I2tr7rkg:2005/04/07(木) 20:54:55 ID:KjoFSAJW
>>823 自己の瞑想を深めることしかないですね。
>>824 私の勘違いでした。一連のヴィパッサナー非難をしていた人物かと。
>>825 怒りに身を任せないための一種の啓示が出たのかと。
827 :
1DK+UjPL:2005/04/07(木) 21:09:46 ID:+2gLFzEN
>>826 >>824の認識事故の例に見られるように
即ち相手に悪意が実際に在るか否かに関係が無くても
即ち相手にはむしろ好意の方がある場合にでも
認識する側が自分の方で他人の悪、悪意を創造して形成し
その自分で創造した他者の悪や悪意を使用して
自分を苦しめるということがあり
それを考えて見ると自分を苦しめているのは他者の悪意の実際
といったものというよりはかなりな程度で自分が創った「他者の悪」
というところが大きいのではないかと
自分は思う
その極端な例が被害妄想などの精神疾患であるけれども
多かれ少なかれ妄想としての他者の悪意の想いは誰もが
創造し形成する傾向を持っていると思う
即ち自分で自分を苦しめる存在を想念上に作成し
その想いを使用してジサクジエンで苦しむといった
現象である
828 :
I2tr7rkg:2005/04/07(木) 21:22:47 ID:KjoFSAJW
それでいくと
>>389と
>>782は同じ人だと思うが、これも認識事故で別人で悪意もないレス
になるわけだ。
829 :
I2tr7rkg:2005/04/07(木) 21:25:38 ID:KjoFSAJW
他者に悪意があろうがなかろうが関係なくなるのが仏教なんだよ
830 :
1DK+UjPL:2005/04/07(木) 21:30:40 ID:+2gLFzEN
即ち相手に対する憎悪や嫌悪や怒りや苦しみが自分にあるとき
その根拠となっているのは
相手の自分に対する悪意の所有の実際の有無に必ずしも関わらず
ただ自分が心の内に空想した「相手の悪、悪意がある」
という想いであると・・
また
>>821のような誤解と空想による自分を苦しめる現象も
もし仮に元凶の人への憎悪と嫌悪の想いを
>>821が既に捨てていれば
その根拠を失うことになる
過去の事件がありそれが通り過ぎた時に
彼に対する憎悪と嫌悪の想いを捨て去り彼を許していれば
事故などによってそれらを手がかりとして起動する想いも
苦しみの生じる根拠と機会も失う
憎悪と嫌悪の想いの所有はそれが在る以上爆弾を抱えた状態
とも言えると思う
831 :
I2tr7rkg:2005/04/07(木) 21:38:44 ID:KjoFSAJW
>>830 俗世に既にいない人のようだ。確かに仏教的にそれが正しい姿です。
832 :
1DK+UjPL:2005/04/07(木) 21:40:56 ID:+2gLFzEN
>>828 >>389と
>>782が同一人物か否かは自分には断定できないけれども
それは最も悪い方に空想して自分を苦しめるのも自分になるし
その逆に受け取って苦しみを少なくするのも自分になると思う
嫌悪と憎悪を捨て去れればそれが最勝の道であると思う
833 :
1DK+UjPL:2005/04/07(木) 21:42:00 ID:+2gLFzEN
>>831 俗世に今ココにしっかりいます
仏道修行者です
834 :
I2tr7rkg:2005/04/07(木) 21:47:37 ID:KjoFSAJW
>>832 仏教の最勝を見た気がします。私は修行が足らないことを再認識。
835 :
1DK+UjPL:2005/04/07(木) 21:51:59 ID:+2gLFzEN
>>831 ただこの世は何ら善意と奉仕と愛だけに満ち溢れていることが無く
暴力や理不尽なことや人を苦しめる現象はいくらでもあると思う
この世は何ら善意と奉仕と愛だけに満ち溢れているならば
そもそも宗教も仏教もそんなには切実な問題にならない
そのことを考えたとき他者や相手にbestと愛を期待することが意味が
無くなる
他者や相手がbestでないからこそ
宗教や仏教があると自分は考える
むしろ他者や相手がbestでないことの方がより当たり前の状況
のように思う
そうであるときいかに自身が在るかというところに仏教はあると思う
>>834 なかなか理想のようにそう簡単に全くいかないけれども
目指す処は最勝の処であると思う
836 :
I2tr7rkg:2005/04/07(木) 21:58:19 ID:KjoFSAJW
云うは易し、行いは難しです。
知ってる智慧だけではいつの間にかミイラ取りがミイラになってしまうことがわかりました。
これで消えます。1DK+UjPLさんありがとうございました。
837 :
1DK+UjPL:2005/04/07(木) 22:02:17 ID:+2gLFzEN
838 :
765:2005/04/07(木) 23:17:32 ID:fPS9S2mt
>I2tr7rkg
>知ってる智慧だけではいつの間にかミイラ取りがミイラになってしまうことがわかりました。
そうじゃの。しかし知識は役には立たん。
>1DK+UjPL
背伸びしすぎて無理してるな
知ってる智慧だけではいつの間にかミイラ取りがミイラになるぞ
自分のあり方ではではないんよ
最勝の道ではないんよ
こうでなければならない
と言うものでもなく
こうしなければならない
と言うものでもなく
勝たねばならない
と言うものでもない
これらが道を踏み外す元凶だ
839 :
名無しさん@3周年:2005/04/07(木) 23:23:04 ID:bSRKapNh
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/ 今日も平和な一日だった。感謝の気持ちで睡眠。
840 :
765:2005/04/07(木) 23:28:23 ID:/7KxmDTy
起こっている出来事。
思いを巡らしていることに気づいているだけで充分だ。
これこれしかじかのように、在ることが大事だ ということや
これこれしかじかのように、在らねばならない ということや
これこれしかじかのように、在りたい
なんぞと考え出したら踏み外す
それが証拠にヴィパッサナーは見るだけであろう。
思いを巡らしていることに気づいているだけでは充分でないと思うなら
まだ、思いに振り回されているのだ。
841 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 00:18:07 ID:dtXKxAI7
>私に関することですが常識的に考えて10時間ネットに貼りつくほど暇人ではないのと
>流れを見ればわかることですが、10時間経ってに用事でネットに接続し、ここをみたら
>彼がまっとうではない形で反論してたのでこちらも応酬したまでのことです。
I2tr7rkgは嘘をついた。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1108816014/683-720 ↑10時間まんべんなくネットに張り付いている。
その間、怒りに囚われまくりである。
I2tr7rkgが、口先だけで器量が伴ってないことを自ら証明している。
>自己精進のため必要時以外はROMすることにします。
不安から、すぐ他者承認を求める幼稚性、そして二枚舌。
釈尊の教えのスタンスは、自灯明法灯明なのにすぐ他者承認を求める。
I'm ok? I'm ok? I'm ok?という叫びに満ちている。
>
>>801を読んで腹が立つ。こいつが元凶であり、見れば怒りが湧き起こる。
過去の怒りを何度も再体験し続ける精神状態などは、
“今、ここ”にしっかり気づくという釈尊の教えとは、まったく反対の愚行である。
そして、“世の中よ自分の都合の良いように変われ!”という幼児的欲求がくみ取れる。
I2tr7rkgにとっては、自分に落ち度はなく、周りが悪いのである。
不安なのは、I2tr7rkgの修行法が間違っているからだろう。
そもそも仏道修行を始める以前の問題のような気がする。
今のI2tr7rkgは、逃避としての仏道に思える。
842 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 00:27:21 ID:dtXKxAI7
ちなみに
1DK+UjPLには反動形成を感じる。つまり抑圧人間だと思われる。
765にはメサイヤコンプレックスを感じる。
843 :
765:2005/04/08(金) 00:48:32 ID:VLCiamWm
>>841>>842 おまえにはわからないだろうが、
I2tr7rkgさんは非常に実直で自分に正直だと伝わってくる。
このように自分に正直であることが、ヴィパッサナーの賜物なんだよ。
1DK+UjPLさんも、しっかり物事をと見ておるよ。
どちらもヴィパッサナーの賜物なんじゃないかな。
>>841 おまえ、ちょっとやばいぞ。
I2tr7rkgにむかついてるんなら、きちんとムカツけ。
おまえの毒素を擬似的な心理分析に投影させているけど、そう言う手法をとり続けると「当たり前のこと」ができなくなるぞ。
ていうか、精神病むぞ、ちゅうか、リアルでちょっと病みかけてねーか?
おまえがI2tr7rkgにむかついているのは、I2tr7rkgの修行法が間違っているからではない。
I2tr7rkgが今ここにしっかり気づいていないからでも、逃避としての仏道を歩んでいるからでもねー
I2tr7rkgにおまえの肥大したエゴが傷つけられたからだ。怒るならそのことにただ怒れ。
845 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 01:06:49 ID:dtXKxAI7
846 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 01:12:02 ID:dtXKxAI7
847 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 01:14:21 ID:ubZniELV
>>841は本当に自分で言っている通りに
「そして、“世の中よ自分の都合の良いように変われ!”という幼児的欲求がくみ取れる。
I2tr7rkgにとっては、自分に落ち度はなく、周りが悪いのである。」
ということが全く自分のことを表現する結果になってしまっている
848 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 01:16:33 ID:qQphueUJ
849 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 01:16:52 ID:dtXKxAI7
850 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 01:18:20 ID:dtXKxAI7
851 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 01:26:15 ID:t22GktSf
>>842は
I2tr7rkgは、逃避としての仏道
1DK+UjPLには反動形成を感じる。つまり抑圧人間だと思われる。
765にはメサイヤコンプレックスを感じる。
>>844は不自然にムキになっている人と感じる
>>842は周囲を間違った人に感じる
自分に異を唱える人をおかしい人と把握する
少しその傾向が強すぎる気がする
852 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 01:29:04 ID:dCDk3KcO
>>844は悪意からではなくてdtXKxAI7のことを心配している感じに思う
853 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 01:32:18 ID:dtXKxAI7
854 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 02:00:03 ID:dCDk3KcO
例えば
>>853が仏道修行をしていているとして
ただ誰かに
>>853の修行法は間違っている。
そもそも仏道修行を始める以前の問題のような気がする。
今の
>>853は、逃避としての仏道に思える。
などと言われたら恐らくただの悪口と悪意にしか聞こえず
辛い気持ちや怒りの気持ちが沸くはずだと思う。
そうであるとする時そのような言動を自分は他人には言ってよい
などということにならないと思う
相手が辛い気持ちになるだろうと思えば他の良いアドバイスの形や
様々の悪意を抜いた表現もいくらでも可能と思う
そして多分
>>853が嫌悪や怒りの想いからI2tr7rkgを誹謗しても
>>853に何か良いことは無いと思う
罵り合って両者が苦しい辛い思いをして終わるだけだと思う
855 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 02:07:36 ID:dCDk3KcO
たとえいくらかはコノヤローと相手に思うことはあっても
よほどの理不尽なことでなければ
自分が少し譲歩して相手を許し可能ならば理解し合おう
という気持ちを起こすことはできることだと思う
そして自分は完全でも万能でも無いのだから
自分の欠いた処や視点を相手がより持っていたりすることもあるし
>>853にとって新しい発見も生まれ得ると思う
憎悪と罵りあいに利は少ないと思う
856 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 02:11:07 ID:dCDk3KcO
自分にどうしても譲れない信念があってそれを捨ててまで
相手に媚を売ったりへつらったりする必要は全然無いと思うけれども
相手のために捨てることが可能な想いというのもあると思う
857 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 02:21:12 ID:dCDk3KcO
>>853 恐らく
>>853にレスするみんなも
>>853を糾弾して
叩きのめして苦しめることを最も良しとするなどと思っている人は
いないと思う
罵りあったりすることは誰にとっても愉快なことでは無いし
>>853が優れた智慧やみんなの知らない知識や経験を持っているなら
是非聞いて自分の仏道修行により 役立てたいと思っているだろうし
そう自分は思う
858 :
844:2005/04/08(金) 03:13:41 ID:erorpRNW
>>845 むかついたり、怒ったりする感情そのものは別に悪くねー
エゴが肥大してると相手から下に見られた、と思っただけで反応してしまうこともあるだろ。
悪意がなくても、無意識に上からの視点で話す奴も多いだろ。いずれにしろ、ここ宗教板だ。
自分が何にむかついているのかと言うことに正直ならないと、そのむかつきや怒りは腐って自分を損なうぞ。
ついでに言えば、なんでおれがムキになっているように見えるのか良くわからんが、まあ、たぶん、こういうことだろう。
つまり、「自分は冷静なのにおまえはムキになっている」ということで立場の優位性を脳内で設定しちゃっている。
「俺がムキになっている」というおまえの脳内設定を問いの形で既成事実のように語りたがる。
おまえのそう言う自己欺瞞は精神を損なうよ、と言いたいんだけど、わからんならかまわんよ。
859 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 21:45:14 ID:EgCj9/f4
>>858 そもそも論として、
“違和感”と“ムカツキ”を混同していませんか? 私が感じているのは“違和感”です。
↓I2tr7rkgの10時間には違和感を感じます。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1108816014/683-720 ヴィパッサナー修行の反映を受けた人格だったら↑こんな書き込みをするでしょうか・・・。
一方でI2tr7rkgは、こういう書き込みをします。
>831 :I2tr7rkg:2005/04/07(木) 21:38:44 ID:KjoFSAJW
>
>>830 >俗世に既にいない人のようだ。確かに仏教的にそれが正しい姿です。
I2tr7rkgは、意見されるとリンク先のようになり、受容されるような発言をされると、
>俗世に既にいない人のようだ。
などと大絶賛します。
つまり、自己不在なのだと思います。
他人の言葉次第でグラグラと心の根本から揺れる動く人格なのだと思います。
意見されれば、荒らしのようなコピペの連続投稿をするし、受容されれば、大絶賛する。
とても自己確立している人格には思えません。 自灯明とはかけ離れていると思います。
ヴィパッサナー修行の反映を受けた人格とは思えません。
I2tr7rkgが、毎日ヴィパッサナーの実践を積んでのリンク先のような調子なら、
それは、I2tr7rkgが間違った修行をしているからだろうと私は思います。
そして、dCDk3KcOさん
故障して路肩に止まっている車を見ても、故障しているのは分かるが、どこが故障かは分からない。
どこが悪いのか分からないのに、手術をしたり投薬をしたりすることは出来ない。ということです。
釈尊の教えのスタンスは自己責任でもありますし。
860 :
844:2005/04/08(金) 22:36:27 ID:8N0Q6NFz
>>859 I2tr7rkgがグラグラと「心の根本から」揺れ動く人格のようにおまえからみえる、
I2tr7rkgが自己確立した人格におまえから見えない、
I2tr7rkgがまちがった修行をしているようにおまえから見える、
それで?
おまえが正しくてI2tr7rkgが間違っている。そのことをI2tr7rkgに認めて欲しいのか?
このスレの住人に認めて欲しいのか?
861 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 22:53:19 ID:EgCj9/f4
今年は杉花粉が多い。それで?
今日はジャイアンツが勝った。それで?
ローマ法王が死去した。それで?
それで?か・・・
863 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:04:24 ID:7zpDytfs
>>861 おまえが正しくてI2tr7rkgが間違っている。そのことをI2tr7rkgに認めて欲しいのか?
このスレの住人に認めて欲しいのか?
864 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:10:54 ID:EgCj9/f4
>おまえが正しくてI2tr7rkgが間違っている。
私はどこで「私は正しい」と明記しましたか?
私は、私の感じた違和感を意見として書いたんです。
865 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:15:27 ID:7zpDytfs
>不安なのは、I2tr7rkgの修行法が間違っているからだろう。
>そもそも仏道修行を始める以前の問題のような気がする。
>今のI2tr7rkgは、逃避としての仏道に思える。
866 :
844:2005/04/08(金) 23:17:15 ID:8N0Q6NFz
>>864 おまえの感じた違和感を意見として書いたのはなぜか?
おまえが正しくてI2tr7rkgが間違っている。そのことをI2tr7rkgに認めて欲しいからか?
このスレの住人に認めて欲しいからか?
867 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:17:53 ID:EgCj9/f4
違和感を意見として書きましたよ。
868 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:20:25 ID:EgCj9/f4
>おまえの感じた違和感を意見として書いたのはなぜか?
掲示板だから。
>おまえが正しくてI2tr7rkgが間違っている。
私はどこで、「私は正しい」と明記しましたか?
この前提が無いのに、以下に続く質問は成り立ちません。
869 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:22:05 ID:7z+Kb19R
>不安なのは、I2tr7rkgの修行法が間違っているからだろう。
>そもそも仏道修行を始める以前の問題のような気がする。
>今のI2tr7rkgは、逃避としての仏道に思える。
870 :
844:2005/04/08(金) 23:22:35 ID:8N0Q6NFz
>>867 では、その動機をもっと掘り下げろ。
>>865がせっかく抜粋してくれている。
おまえが「違和感」と呼ぼうがなんと呼ぼうがかまわんが、
>>865の抜粋がその答えになっている。
おまえはI2tr7rkgが間違っている、ということに執着しているだけだ。
871 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:28:18 ID:EgCj9/f4
>不安なのは、I2tr7rkgの修行法が間違っているからだろう。
>そもそも仏道修行を始める以前の問題のような気がする。
>今のI2tr7rkgは、逃避としての仏道に思える。
この意見に対する反論をして下さい。
理路整然とした反論があれば、「あぁなるほど」という話しです。
872 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:30:06 ID:Ybj9CeLq
>不安なのは、
>>871の修行法が間違っているからだろう。
>そもそも仏道修行を始める以前の問題のような気がする。
>今の
>>871は、逃避としての仏道に思える。
この意見に対する反論をして下さい。
理路整然とした反論があれば、「あぁなるほど」という話しです。
873 :
844:2005/04/08(金) 23:32:48 ID:8N0Q6NFz
>>871 おまえのI2tr7rkgに対する主観、妄想に興味はない。
おまえがI2tr7rkgが間違っている、と言う自分の主観に執着している、と言うことを指摘しているのだよ。
874 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:34:02 ID:EgCj9/f4
おうむ返しか・・・
875 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:35:43 ID:EgCj9/f4
>おまえがI2tr7rkgが間違っている、と言う自分の主観に執着している、と言うことを指摘しているのだよ。
あなたは、私に執着してますね。
876 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:36:48 ID:MX6B13ZF
877 :
844:2005/04/08(金) 23:40:13 ID:8N0Q6NFz
>>875 >あなたは、私に執着してますね。
違う。おまえがI2tr7rkgが間違っている、と言う自分の主観に執着している、と言うことを指摘しているのだよ。
878 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:42:33 ID:EgCj9/f4
>違う。おまえがI2tr7rkgが間違っている、と言う自分の主観に執着している、と言うことを指摘しているのだよ。
私に対する、「執着の枠内」でしょうね。
879 :
844:2005/04/08(金) 23:51:34 ID:8N0Q6NFz
これでロムしてる連中も解ったと思うけど
自分の主観への極端な執着。例えば
>>878だと>私に対する、「執着の枠内」でしょうね。
>不安なのは、I2tr7rkgの修行法が間違っているからだろう。
>そもそも仏道修行を始める以前の問題のような気がする。
>今のI2tr7rkgは、逃避としての仏道に思える。
とかね。
で、自己の「主観」への執着が強いと、これまでのレスのようなエゴゲームに陥ってしまうんだ。
だから、その執着を落とせば良いんだよ。
ってかいても、またゲームを続けたがると思うけど。
880 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:53:51 ID:EgCj9/f4
自分の主観はOKだけど、
私の主観はNG、
自分の指摘はOKだけど、
私の指摘はNGか・・・
881 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:54:03 ID:JzTEgI0f
882 :
名無しさん@3周年:2005/04/08(金) 23:57:00 ID:JzTEgI0f
>>879の意見を助言としてではなく自分への攻撃と思っているから
883 :
844:2005/04/09(土) 00:00:39 ID:8N0Q6NFz
>>882 ふむぅ。
主観自体は良いも悪いもないのだけどねぇ。
それが絶対的なものではなく、ただの「主観」にすぎない、と言うことを認識するだけで良いんだけど、「主観」と「自分」を同じだと思いこんだらこのパターンに陥るんじゃないかと思うんだよ。
どうだろう。
884 :
名無しさん@3周年:2005/04/09(土) 00:01:36 ID:EgCj9/f4
>
>>879の意見を助言としてではなく自分への攻撃と思っているから
攻撃というか、844は、自分を度外視しているんだよ。
他人の自己度外視には厳しいけど、自分の自己度外視には気づいていない。
だから、「執着の枠内」にも気づかない。
844の主観はOKだけど、
私の主観はNG、
844の指摘はOKだけど、
私の指摘はNGか・・・
885 :
名無しさん@3周年:2005/04/09(土) 00:06:48 ID:93d7Lt/y
886 :
名無しさん@3周年:2005/04/09(土) 00:12:28 ID:eC58hch6
>>883 >>884は、自分を度外視しているんだよ。
他人の自己度外視には厳しいけど、自分の自己度外視には気づいていない。
だから、「執着の枠内」にも気づかない。
887 :
名無しさん@3周年:2005/04/09(土) 00:14:38 ID:IOo20Rh7
844はなぜ
>それが絶対的なものではなく、ただの「主観」にすぎない、と言うことを認識するだけで良いんだけど、
を自分には当てはめない?
他人には当てはめるけど、自分には当てはめない。
844は、844の主観に基づいて私に執着する。指摘といっても「執着の枠内」だ。
844はなぜこの自己矛盾に気づかない・・・
888 :
844:2005/04/09(土) 00:17:56 ID:bgp3X0pW
889 :
名無しさん@3周年:2005/04/09(土) 00:21:17 ID:IOo20Rh7
844の底が見えたよ。
890 :
名無しさん@3周年:2005/04/09(土) 00:22:36 ID:IOo20Rh7
なんか、やっぱりな...という感じだ。しらけた。
891 :
名無しさん@3周年:2005/04/09(土) 23:02:42 ID:rFR00GsP
仏陀の教訓 152pより
10.嫉妬、怒りの心からの言動や行為を起こしてはならない。
・・・
12.どのような人に対しても彼を侮ってはならない。
・・・
15.「まだ君は仏を得て居ならぬ」・・・比丘はこのようなことを
誰かに言ってはならない。そのような者は仏(の心境)から遠い。
892 :
名無しさん@3周年:2005/04/09(土) 23:11:22 ID:S59cTmPD
スッタニパータっだっけ?頭の弱い人の為に書かれた規範集でしょ?
893 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 00:07:04 ID:YnhWLyR6
頭の強い
>>892さんのような優れた智慧者には必要のない経です
894 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 00:55:57 ID:gH2Sov1L
多くの人々を苦しめ明らかに人や生き物に害悪と苦しみを与える人に
対しても社会や法律や国家は彼を糾弾し罵倒し彼に怒り彼を破壊
することはあっても比丘は彼を糾弾し罵倒し彼に怒り彼を破壊することが無い
彼に殴られ彼に損なわれ彼に殺生されても彼を恨み呪うことがない
>894
あなたの言うとおりだ。
未熟なあいだは、悪いものとは付き合うな。なぜなら己の心が汚れるからだ。
それを知りながら、実践できないでいる。
おれは、自分の心を制することができない未熟者だ。
心よ、真理の道を歩もうと求めたのはあなただ、なのになぜ、真理に反するものを欲する。
心よ、あなたの意に従い、今まで迷いの生存を繰り返してきた。
心よ、今は真理を求めている。ならば与えよ。
神よ、我の心を、この肉から解き放ち、我の心を導きたまえ。
896 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 02:05:38 ID:FKzA6s4O
>>895 あなたは自分の在りのままの心を在りのままに如実に知る人
そしてそう実践しようと志している人
あなたは疑いの無く比丘と呼ばれる
897 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 02:52:46 ID:3syMPUmT
>>800 違います、経験上、世の中そんな奇麗事じゃ済みません
敵に慈悲心を見せれば、間違いなくチャンスとばかりやられます。
898 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 02:55:57 ID:q7X6I5fv
敵・・・
899 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 02:58:36 ID:Cr5wtuDu
間違いなくチャンスとばかりやられるのが仏徒
敵は自分以外に存在しないのが仏教
900 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 03:02:54 ID:ndr+JJnW
スタニパータ
206.自分を偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、
かれは見る視力が無いという以外の何だろう。
901 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 03:10:25 ID:ndr+JJnW
世尊はこのように答えて言った。
「雑言と悪語とを語って、愚かなる者は勝てりと言う。
されどまことの勝利は、堪忍を知る人のものである。
怒るものに怒り返すは悪しきことと知るがよい。」
902 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 06:58:58 ID:q1SZchrY
>>901 世尊は自分を偉いものだと思い、雑言と悪語とを語る者を軽蔑しているが。
903 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 07:06:59 ID:ZdRKFvAr
修行者プンナとの問答では、もうお前に教えることは無い
と言っている。
つまり、殺されたとしても感謝できるとプンナが言ったか
らだろう。
こういう意味では、仏教は世俗の価値観を超えている。
904 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 07:13:10 ID:ZdRKFvAr
>>899 >敵は自分以外に存在しないのが仏教。
仏教では「自分」とか「他人」とかが「存在」する
とは教えません。故に、敵が「存在」するとも。
自分の敵が自分というのは武道の教えでしょうね。
仏道ではないと思います。
905 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 07:24:34 ID:QCw+AGY7
堅い岩が風に揺るがないように、賢い人はそしられてもほめられでも心を動かさない。
おのれに勝つのは、戦場で千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である。
正しい教えを知らないで、百年生きるよりも、正しい教えを聞いて、一日生きる方がはるかにすぐれている。
どんな人でも、もしまことに自分を愛するならば、よく自分を悪から守れ。若いとき、壮[さか]んなとき、また老いた後も一度は目覚めよ。(法句経)
906 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 07:26:54 ID:q1SZchrY
肉から来る思いを全て滅する、殺されても感謝する。
それが人間らしい生き方だろうか?
人間を植物にしてしまう教えではなかろうか。
907 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 07:42:04 ID:LvCDtiWq
>>906 真理を求めるあなたは特に仏教や仏陀の言葉の枠に
とらわれ縛られる必要は無いと思います
つまり無理に仏教徒である必要はそんなになく
本当に人間として良く好ましい生き方があると感じ思えば
それを独自に探し模索すれば良いと思います
自分が読んだ限りでは坂口安吾などはあなたと似た考えを持ち
仏教に疑問を抱いたと言われています
自分は仏陀を信じているだけのことにすぎません
908 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 08:54:17 ID:q1SZchrY
声聞は、自分が現世で物質的に豊かな暮らしをすることは不可能だ、と諦めている気がする。
だから涅槃を目指す。
外道(キリスト、イスラム、ヒンズー)の考えはそうじゃないよね。
神々を礼拝すればそこそこ豊かになれる、神は人間を見捨てない、という考え。
どちらが正しいのだろう。
909 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 09:06:48 ID:q1SZchrY
バラモン教は仏教が生まれてから発展を止めてしまった。
わけではなく、ヒンズー教と名前を変えて仏教にも負けないくらい高度な哲学体系を築いている。
910 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 10:39:32 ID:xMjbKsUm
>>909 あなたがあなたの願いに応じた世界をより実現できる教えに出会い
そしてあなたがその教えを実践してそれを得ることを祈ります
そしてもしあなたがそれを得てその時あなたの心が許すならば
思いやりと優しさの気持ちから
その教えを多くの人に説いてくだされば嬉しく思います
またあなたと同様に自分もそれを得たならば
あなたが許すならばあなたにそれを伝えると思います
911 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 11:01:21 ID:qmT94fPO
>>908 どちらが正しいのか・・・。
その種の問いの最終回答は出ないだろう。
だけど、自分はどう生きるか?という問いかけはある。
どちらが正しいのか・・・?よりも先にある。
声聞も含め仏教には、無常観があります。
無常なものを追い求めていくことに、災いを見る。
ただ、それだけのことだと思います。
912 :
910:2005/04/10(日) 11:14:17 ID:NluIzKNb
>>911 >どちらが正しいのか・・・?よりも先にある。
自分もあなたのその考えに全く同感です
自分の求める処も仏教の正しさや
仏陀の言動の正しさの証明などではなく
苦しみを弱めたり消滅することが究極的な目的なのであるから
自分にとっては宗教や教理は手段以上であることが無いから
913 :
名無しさん@3周年:2005/04/10(日) 22:05:09 ID:LidJHo7T
q1SZchrYは例の荒らし。相手にするなかれ。
914 :
名無しさん@3周年:2005/04/11(月) 00:02:49 ID:xQvtSA1y
成長しね〜な〜
915 :
名無しさん@3周年:2005/04/11(月) 17:39:07 ID:1K7hsw8Y
ここに居る人らの考えは大乗非仏説なんでしょ?
916 :
名無しさん@3周年:2005/04/11(月) 22:02:22 ID:1DUamSVD
同じ言動を続けながら
違う結果を望むって愚行
縁起観は大切
917 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 04:41:37 ID:H6fupI6U
>>895 -------------------------------------------------
233 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/04/05(火) 21:15:42 ID:A1jSTZm7
三宝印とは、
諸法無常、諸法無我、涅槃静寂。
〜中略〜
>我が身(体、自我)は泡沫のごとしと見よ。我が身はかげろうのごとしと見よ。
>我をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。
さて、涅槃とは、
五感から感ずるものはなく、思考もとまり、ただ在るという状態。
肉もなく、物質もなく、五感もなく、ただ存在するという状態。縁起するものもなく、
単独で存在している。苦しみも、恐怖もなく、ただただ、平安で、安楽な状態。
その境地を認識して、ただ在る状態。自性あり、主体性在る存在。
全ては、そこから出た。
俺は、その境地を知っている。
---------------------------------------------
願わくばあなたの獲得した境地をお聞かせ願いたい
もちろん言語では完全にいい表せないだろうし
そのような類のものではないのであろうけれども
可能な範囲でその経験と経緯を語っていただけたら嬉しく思う
何をどのように実践していた時に
その状態がどのようにあなたに生じたのか、を。
918 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 05:56:40 ID:Y2T/zrl1
>>915 >大乗非仏説
や法華経非仏説
あるいは大乗仏教は釈尊の直接の言動とは異なる
など学者の研究によって様々な説と論と定説と常識があるのだけれども
煎じ詰めればそれらの説や言葉を信仰している場合が多いと思います。
その説の根拠を実際に追い検証しているというよりは
在る程度の権威などに基づいて言葉を「信」じている方が多いと思います。
実際に完全にその説が真かもしれないし少し異なる場合も
あると思います。
>ここに居る人
の一人である自分の考えは少なくとも
原始仏典、スッタニパータ、パーリ聖典が釈尊の肉声に近い
という説を信じてそれに従って
自分で自分をできるだけ在りのままに観察していこうという者であり
本質的には>大乗非仏説に代表されるその他の説は自分にとっては
説以上のものではないと思っています。
そしてもしそれら説の是非を主観で判断するとすれば
自分の場合は原始仏典に従ってそれをするだろうし
あるいは自己観察で得られた体験をもとに判断すると思います。
また>大乗非仏説の真偽の証明が自分にとってそれほど意味が無い
ということであればそのようなことはしない
という風になると思います。
919 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 06:23:55 ID:1uAk6mrt
920 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 06:27:07 ID:1uAk6mrt
>>918 844に「それで?おまえの主観だろ。主観に執着するな!」って指摘されちゃうよ。
921 :
918:2005/04/12(火) 06:48:06 ID:N7JkZhdL
>>920 その通りですね
ただ意見を述べる時は主観のを免れた見解を自分は発言することが
できません
それだから「自分の主観ではあるけれども」と断った上で
その上で比較的独善的ではない意見を述べるように務めています
比較的独善的ではない意見と思う根拠もあくまで主観にもとづく以上の
ことはないのですが。
また
844に「それで?おまえの主観だろ。主観に執着するな!」
のいう見解があるとするならば
それも同じように主観を超えたところに在り得ません
922 :
918:2005/04/12(火) 06:52:17 ID:N7JkZhdL
何が言いたいのかと言えば
>>915さんの質問に対して
個人的な回答として
自分は必ずしも大乗非仏説というわけでは無い
ということを述べたという意味です
もちろん解釈によっては結局間接的に大乗非仏説の人じゃないか
ととらえることも可能かもしれません
923 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 06:53:36 ID:1uAk6mrt
>>921 うんうん。
>844に「それで?おまえの主観だろ。主観に執着するな!」
>のいう見解があるとするならば
>それも同じように主観を超えたところに在り得ません
ほんとそうだよね。
924 :
918:2005/04/12(火) 07:08:42 ID:2FrOkbvt
>>923 ありがとう
ただ自分の発言の動機はできるかぎり
誤解を少なくしようという試みと意図であり
xxの意見は間違っていて自分は正しい
というような動機からのものは在りません
ただ受け取り方や他の主観や解釈によってはそれはけっきょく
「xxの意見は間違っていて自分は正しい」
と間接的に言っていることになるではないか
ということにもなると思います
その究極の意味でいいますと
自身の主観から生じるあらゆる意見が
自己正当化と何某かの見解の否定ということになってしまいますが
可能な限り悪口でない形式で意見が述べれたら良いなあと
思っています
また発言があるとき何某かの動機と執着が存在することに
なりますので極限においては無発言が
それらを超えたあり方といえると主観的にそう思います
スッタニパータには現に議論するなの類の記述がみられます
即ち
自分は破戒を犯し
欲望と苦しみと執着の想いから発言を生じています
925 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 07:24:04 ID:1uAk6mrt
>>924 >自身の主観から生じるあらゆる意見が
>自己正当化と何某かの見解の否定ということになってしまいますが
>可能な限り悪口でない形式で意見が述べれたら良いなあと
>思っています
受け取り方、解釈の仕方は相手次第だから、
丁寧に書いたつもりでも相手の精神状態次第で
慇懃無礼とか皮肉に解釈したりするよ。
難しいね。
926 :
918:2005/04/12(火) 07:27:59 ID:rGnQE7V2
>>925 >受け取り方、解釈の仕方は相手次第だから、
>丁寧に書いたつもりでも相手の精神状態次第で
>慇懃無礼とか皮肉に解釈したりするよ。
>難しいね。
それはまったくおっしゃる通りだと思います
主観は悪くない。
主観に固執するあまり、主観を否定された場合それを攻撃と捉えてしまう。
そのときの攻撃への冷静を装った怒りの感情、その矛盾が心をおかしくする。
主観を否定されたら主観のままに怒れればまだいいんだけど。
おまえらは、外側だけ取り繕おうとして矛盾だらけになっておるのだよ。
928 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 07:33:30 ID:a36Ou8+1
世尊はこのように答えて言った。
「雑言と悪語とを語って、愚かなる者は勝てりと言う。
されどまことの勝利は、堪忍を知る人のものである。
怒るものに怒り返すは悪しきことと知るがよい。」
929 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 07:38:05 ID:1uAk6mrt
>>927 おまえらという言葉づかいの時点で説得力がガクンと落ちるような気がする。
言葉は人格ともいうし。八正道にも反れてるし。
第一
>主観は悪くない。
>主観に固執するあまり、主観を否定された場合それを攻撃と捉えてしまう。
>そのときの攻撃への冷静を装った怒りの感情、その矛盾が心をおかしくする。
>主観を否定されたら主観のままに怒れればまだいいんだけど。
>おまえらは、外側だけ取り繕おうとして矛盾だらけになっておるのだよ。
この考えを絶対に譲らなかったら、それは主観の固執でしょ。
矛盾を秘めているのでは。
930 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 07:45:02 ID:1uAk6mrt
>>928 >怒るものに怒り返すは悪しきことと知るがよい。
連鎖の構造を説いているね。
ネガティブな感情が次ぎに引き起こすものはネガティブな言動。
悪循環だよね。釈尊は縁起説で悪循環を断ち切れと言っているのでしょう。
あと、他山の石という発想は大切なのだろうね。
931 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 07:48:00 ID:lcuA4YU1
>>929 自分に生ずる怒りは怒りが在ると在りのままに観て
自身に生ずる怒りを無いなどと自分を偽ることなく
怒りを見つめて
その上で
「雑言と悪語とを語って、愚かなる者は勝てりと言う。
されどまことの勝利は、堪忍を知る人のものである。
怒るものに怒り返すは悪しきことと知るがよい。」
これを実践し
怒り返す行為をやめましょう。
そのように自分は思います。
怒り返すことが正当で耐えることは抑圧であって悪であるなどと
言う人がいればその人は少なくとも仏徒以外の
教えに従う人であるのだから。
932 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 07:48:20 ID:vkgb259C
933 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 07:53:41 ID:lcuA4YU1
>>930 相手が仏徒でなければ
怒るものに怒り返すかえすことはいくらでも正しいことになりうるし
堪忍は抑圧であって悪という論もありうるし
それは相手の自由と相手の信じるところに従う意見になります
あくまで仏陀の言葉を信じるのであれば
>>928 を実践しましょう。
934 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 07:57:44 ID:1uAk6mrt
>>931 悪循環を断ち切れというのは大切だね。
>怒り返すことが正当で耐えることは抑圧であって悪であるなどと
悟った人は問題ないと思うけど
まだまだ悟りまで遠い人はやっぱり怒りを覚えると思う。
怒りを返さないというのは悪循環を断ち切ることだからわかる。
ポイントは、その歳の怒りを抑圧したらどうなるのだろう。
その抑圧はどうなるのだろう。
935 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 08:02:26 ID:1uAk6mrt
>>933さんは、
>>927さんの意見をどう思いますか?
>>927の考えを絶対に譲らなかったら、それは主観の固執であって
発言に矛盾を秘めているように思うのですが...
936 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 08:04:35 ID:CVGq0c7Z
>>934 >まだまだ悟りまで遠い人はやっぱり怒りを覚えると思う。
怒りが生じているのに自分は聖者であって怒りは生じない
などと想う人がいればそれは虚でありそれこそが
本当の抑圧であると自分は思います。
>怒りを返さないというのは悪循環を断ち切ることだからわかる。
>ポイントは、その歳の怒りを抑圧したらどうなるのだろう。
>その抑圧はどうなるのだろう。
仏陀の言葉を信じる限りにおいては
それは怒りを放逸し怒りでもって行為を起こし発散させることより
あなたにより良い結果を与えることになります。
良いというのはあなたの意識の苦しみの消滅にとって利便の方
にあなたの意識が向うということだと思います。
937 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 08:11:23 ID:CVGq0c7Z
>>935 >>927の考えを絶対に譲らなかったら、それは主観の固執であって
>発言に矛盾を秘めているように思うのですが...
>>935さんが相手の意見を誤りであるということに固執すれば
>>935もまた相手と全く同じことを犯すことになると思います
>>935さんが仏徒であり仏陀の教えを信じる人であるとするならば
仏陀の言葉と教えを実践する以外に良い方法は無いと思います
仏陀の言葉と教えを実践することのみに固執すればよいと
思います。
938 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 08:15:04 ID:CVGq0c7Z
>>936 ひとまずは
「相手の見解が誤っていることに固執しない」ということに固執すれば
良いとおもいます
そして可能ならば
次にその固執をも捨て去れば良いと思います
939 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 08:17:57 ID:1uAk6mrt
>>936 >仏陀の言葉を信じる限りにおいては
>それは怒りを放逸し怒りでもって行為を起こし発散させることより
>あなたにより良い結果を与えることになります。
>良いというのはあなたの意識の苦しみの消滅にとって利便の方
>にあなたの意識が向うということだと思います。
ふむ。
抑圧された感情は消える訳ではないというのが気になります。
何かの形で解放されるのでしょうけど...。
悪循環を断ち切るには、観るだけで解釈しないというのがやはり唯一の道なのでしょうね。
観るだけで解釈しなければ悪感情も生まれませんし、それによって抑圧もありませんからね。
940 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 08:20:43 ID:CVGq0c7Z
仏陀の教えに固執しないということであれば
それは仏徒の根拠もまた失います
最終的に戒律や仏陀の教え=筏への固執を捨て去ることは
必要なことなのかも知れないけれども
最終までいきつかないのに筏を捨て去れば
仏教の意味もまた失うと思います
941 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 08:28:40 ID:CVGq0c7Z
>抑圧された感情は消える訳ではないというのが気になります。
>何かの形で解放されるのでしょうけど...。
怒りの想いと感情に気付きながら
その時その怒りを相手に返すことが抑圧であって悪しきこと
であるとするならば
それは仏教でもなんでもなく
普通の誰もが行っている、人間以外の生類すら行っている
行為ということになります
そこに宗教などの余地も無いと思います
欲しいときに求め貪り怒りたい時に怒るということであれば
それは無宗教ということになります
それだからある意味宗教自体を本能に抗う抑圧行為と定義しても
問題は無いと思います
そしてそのような抑圧と抑止においてより成果が得られる
というのが宗教であると考えても良いと思います
942 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 08:31:46 ID:1uAk6mrt
>>938 >「相手の見解が誤っていることに固執しない」ということに固執すれば
>良いとおもいます
縁無き衆生は度し難しと実際に言ったのは釈尊でしょうか。
つまり、そういうことなのかもしれせん。
943 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 08:35:18 ID:CVGq0c7Z
欲しいときにそれを抑止して貪らず
怒れるときにそれを抑止して暴力を抑止し
・・・・
このような行為が現代の常識に照らせ合わせて抑圧でない
などと言うことは必ずしも自分には決して言えません
それだから衝動に従った行為の抑圧が戒であるとも言えると思います
その時仏教ではその抑圧をせよと教えています
他の宗教や心理学や道理においてはそうではないことも
あると思います
944 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 08:38:47 ID:CVGq0c7Z
そのとき他の教えに従って
欲しいときにそれに応じて貪り
怒れるときにそれに応じて怒る
ことが自然で在りのままで最も良いということであれば
その教えに従ってそのようにすれば良いと思います
仏教の教えを信じるということであれば
仏陀の言葉に従えば良いと思います
945 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 08:41:44 ID:1uAk6mrt
>>941 >怒りの想いと感情に気付きながら
>その時その怒りを相手に返すことが抑圧であって悪しきこと
>であるとするならば
感じた怒りを相手に返したら、それは感情の抑圧にはなりませんよ。
むしろ、抑圧の解放です。
しかしそれは悪循環になるので釈尊は縁起説(連鎖の構造)で諭しているのだと思います。
悟った人には感情の波はもはや無い。悪循環から解放される。
悟るでは四念所で精進しろと。雑音の多い世俗ではかなり難しいのでしょうけど。
ではこのへんで失礼します。
946 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 08:44:15 ID:CVGq0c7Z
訂正
間違えました
>>945 >怒りの想いと感情に気付きながら
>その時その怒りを相手に返すことが抑圧であって悪しきこと
>であるとするならば
↓
>怒りの想いと感情に気付きながら
>その時その怒りを相手に返さないことが抑圧であって悪しきこと
>であるとするならば
947 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 08:58:58 ID:CVGq0c7Z
ただこのような意見は
仏陀の教えへの信を根拠としている以上ではなく
仏陀の教えを実践しその最終的な平安の獲得に至っていない自分に
例えば
怒るものに怒り返すことは正当で最善で
堪忍は抑圧であって悪という論を何ら否定する根拠を自分は
持っていません
それだから仏陀の教えが虚実であれば
怒るものに怒り返すことは正当で最善で
堪忍は抑圧であって悪であることもあり得ると思います
948 :
927:2005/04/12(火) 12:53:01 ID:wgmKa1uL
>>929 おまえらと言われておまえが説得力が落ちると感じるなら、おまえにとってはそうなんだろう。
>この考えを絶対に譲らなかったら、それは主観の固執でしょ。
>矛盾を秘めているのでは。
その通り。ただ、主観に固執するな、と言う意見に固執しない、とまでなっちゃうとこんなところで遊べないだろ。
視点を変えれば、主観に固執しつづけろ、というスタンスで遊んでも構わない。
言わずもがなだが、どのような考えも矛盾を含んでおるのだよ。
949 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 22:32:17 ID:+J+Pyo0q
仏教の継承者と展開者にも様様な人が存在し
例えば日本でそれを展開した臨済を例に取りますと
彼は
「仏教の真理というものは努めはげみようが無く
まったくあたりまえでなんということも無いのだ。
食べたい時に食べ疲れたら眠る。糞尿をする。
怒るときに怒り泣きたい時に泣いて・・」
というはからいを捨てた在りのままのあたりまえの生活が
平安や解脱に通じると説いています。
「愚かな奴はワシを笑うが偉い人はちゃんとわかっておる。
外面的な努力(戒やはからい)をするのはすべて馬鹿な人のやることで
あると。」
自分はこのような臨済の教えは一つの極みであり
このような教えが人の心を平安に至らせる可能性は在ると
思います。
ただ原始仏教の教えに照らせ合わせてみますと
臨済の教えはそれと少し異なる独自の教えのようにも思います。
そこでどの教えを信じようかとするとき
自分の場合は原始仏教の教えを信じてみようということになります。
950 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 22:41:49 ID:+J+Pyo0q
例えば心理療法の一つである森田療法の在るがままの実践
というのもどちらかと言えばこの臨済にみられるような
はからいを捨てる心のあり方に通じるものがあるように思えますし
実際に森田療法は心理療法として成果をあげています。
人の苦しみを救っています。
それだから原始仏典と異なる教えであるから
それは真理ではなく虚実であり人の心の苦しみを救う道理は無い
などと自分は思いません。
951 :
名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 23:28:16 ID:XUTdcIfW
無常のものを楽しむべきという考えも出来ますしねえ。
952 :
950:2005/04/12(火) 23:37:46 ID:+J+Pyo0q
>>951 >無常のものを楽しむべきという考えも出来ますしねえ。
そうですね
日本にはそういう風流などの精神が良い意味で継承されていると思います
953 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 00:20:17 ID:vNAQApWO
>>947 >例えば
>怒るものに怒り返すことは正当で最善で
>堪忍は抑圧であって悪という論を何ら否定する根拠を自分は
>持っていません
怒るものに怒りを返すことは正当で最善ということはないでしょうね。
ガンジーを見ればわかります。
悟ってしまえば、抑圧(我慢)もなにも無いのでしょうけど
悟るまでは、怒りなどの悪感情が発生すると思います。
釈尊の教えでは、生まれてしまった悪感情には堪えるのだと思います。
そこまでは鋸の喩えなどで強烈に教えています。
ただ残念なことに、抑圧(我慢)した感情がどうなっていくのか?が説かれていません。
(当時、ストレスという概念が無かったからかもしれませんが...)
悪感情が生まれてしまったときに、悪感情をどう処理すればいいのかが
説かれていないように思います。
釈尊は根本治療や予防治療を繰り返し繰り返し説いていますが
対症療法が見あたらないように思えます。例えば、
生まれてしまった悪感情の対症療法は、スッタニパータに記されていたでしょうか?
方便が使われたのかもしれません。
不平等な運命の受け入れ方や悪感情の静め方として方便が使われたのかもしれません。
悪感情を抱いているとこういう報いがあるぞ!と。それで静まったのかもしれません。
しかし、現代人に方便は有効かどうか疑問です。人それぞれでしょうけど。
954 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 00:37:56 ID:UOyFAfgh
>>953 >悪感情を抱いているとこういう報いがあるぞ!と。それで静まったのかもしれません。
自分の考えですと感情は意識の力で自在に止めたりできない
類のものであると考えています
悪感情が生じた時それが生じていると
在りのままに気付き観て(ヴィパッサナー)
その時行為においては悪感情にもとづいた暴力などの行為を
起こすことを耐えて戒する他には特に
それ以上のことは自分には思いつきません。
>抑圧(我慢)した感情がどうなっていくのか?
については心理学的にはそれは肥大しいづれ爆発する
という道理があるのかもしれませんが
自分には実際のところはわかりません
ただ仏陀の教えを信じる限りにおいては
悪感情にもとづいた暴力などの行為を起こすことを耐えて戒する
ことが自由に悪感情を開放し暴力を起こすことよりも
より良い果実になるのだと考えています
955 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 00:41:44 ID:UOyFAfgh
>>953 怒りの感情と感覚自体はそれをどうすることもできず
それを在りのままに観る以外できないのだけれども
怒りの感情と感覚にもとづいた怒りの想念を起し続ける(例えば
アイツが悪い・・我は悪くない・・・許さない・・など)こと
を抑止することは可能であると自分は思います。
956 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 00:52:27 ID:vNAQApWO
>>954 >悪感情にもとづいた暴力などの行為を起こすことを耐えて戒する
>ことが自由に悪感情を開放し暴力を起こすことよりも
>より良い果実になるのだと考えています
悪感情の解放の仕方にもいろいろあるのではないでしょうか?
ネガティブな手段だけとは限らないと思います。
日本での年間の自殺者数は、30.000人です。
自殺を交通事故とカウントしているケースもありますから
実際はそれ以上だろうという見解もあります。
抑えすぎると今度は、鬱症状に陥るんです。
957 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 01:04:30 ID:UOyFAfgh
>>956 >悪感情の解放の仕方にもいろいろあるのではないでしょうか?
>ネガティブな手段だけとは限らないと思います。
それはそうかもしれませんね
適当な悪感情の発散と開放手段があるとすれば
それは気分転換やストレス解消などの言葉があるように
それを実行する方法はあり得ると思います。
958 :
名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 01:08:00 ID:vNAQApWO
考え方がしっかり定まっていれば、悪感情に流されないのでしょうね。
その際、考え方への信頼とか確信とか手応えが重要になってくるのでしょう。
959 :
名無しさん@3周年:2005/04/15(金) 19:37:19 ID:WRXbv1OG
感情は、思考で制御しきれるものでしょうか?
大悟した人間は、悪い感情が湧いてこない?
誰かそんな人、実際にみたことあります?
人間の内面までは計り難いのです。
でも普通、少しでも賢い人は感情を抑圧したり
しないと思う。
忍耐は、感情の抑圧ではないと思います。
だけど、みなさんは感謝の念とかって湧いてこない
のでしょうか?
人間には、悪い感情もありますが、善い感情もある
じゃないですか。
内面で善い感情が、悪い感情を駆逐することってあり
ませんか?
善いことや、悪いことをする。というのは、何も誰か
に対する行為ばかりではないと思うんですが。
960 :
名無しさん@3周年:2005/04/15(金) 21:05:57 ID:bezuHZfm
>忍耐は、感情の抑圧ではないと思います。
(*´∀`*)そなの? べつにいいけど♪
にん‐たい【忍耐】
こらえること。たえしのぶこと。「―を要する」「―強い人」「―力」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
よく‐あつ【抑圧】
1 強いて抑え付けること。無理に抑制すること。「自由を―する」
2〔心〕(Verdr#ngungドイツ) 防衛機制の一。
言語・イメージ・感情・随意運動などによって意識に上ろうとする個体の欲動を
再び無意識の中に押し戻そうとすること。フロイトの用語。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
961 :
名無しさん@3周年:2005/04/15(金) 21:13:53 ID:vxfHIbU5
俺、神通身につけて天上界に行き、帝釈天に会うのが夢。
962 :
名無しさん@3周年:2005/04/15(金) 21:33:12 ID:n1Rw1rVQ
麻原尊師はすぐ怒りを爆発させたし
敵は暴力で殺害した
美味しいものもどしどし食べたし
大いに多くの女人と交わった
尊師は抑圧することがなかった
963 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/04/15(金) 23:12:57 ID:Qu6oNlH4
釈迦の説いた一切とは
>みなさん、わたしは「一切」について話そうと思います。よく聞いて下さい。
>「一切」とは、みなさん、いったい何でしょうか。
>それは、眼と眼に見えるもの、耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、
>舌と舌に味わわれるもの、身体と身体に接触されるもの、
>心と心の作用、のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。〜サンユッタニカーヤ
これが、釈迦の言う一切だ。つまり至極単純に言うと、この世のことを言っている。
さて、釈迦の教えの基本は、三法印。いや、四法印と言ったほうがいいだろう。
>一切皆苦(”一切”は”皆苦”である)
>諸行無常(”一切”の形成されたものは無常であり、縁起による存在としてのみある)
>諸法無我(”一切”の存在には形成されたものでないもの、アートマンのような実体はない)
そして、涅槃静寂。
>涅槃寂静(苦を生んでいた煩悩の炎が消え去り、”一切”の苦から解放された境地が目標である)
と、これだ。”一切”から”解放”されても存在するものとは、いったい、なにに縁起しているというのか。
自性とはなにか。この世は、皆さん知っての通り、無自性である。
964 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/04/15(金) 23:13:33 ID:Qu6oNlH4
さて、上の文章で、知恵あるものは、気付くだろう。
ここで釈迦の言葉。
〜スッタニパータ〜
>63 俯して視、とめどなくうつろうことなく、諸々の”感官”を防いで守り、こころを護り(慎しみ)、(煩悩の)流れ出ることなく、
>(煩悩の火に)焼かれることもなく、犀の角のようにただ独り歩め。
>340 戒律の規定を奉じて、五つの五官を制し、そなたの身体を観ぜよ(身体について心を専注せよ)。
>切に世を厭い嫌う者となれ。
煩悩とは、この五感に快楽を求める心の作用だとしる。己の心をよく観察すれば、すぐに気付く。
ビバッサナーやってる人なら、比較的容易にそのことを知るだろう。
釈迦は、涅槃に入る必要事項のひとつに、この五感から生ずる欲、感官を、よく制する事だと説く。
じゃぁ死ねばいいのか?ってことにはならない。
無論、この世の、欲を絶つのは、重要な事項である。が、もう一つ重要な事柄がある。
それは、慈悲の心、慈愛の心だ。なぜ、それが必要か?
答えは、我らは本来「一」なる存在だからだ。俺は、それを知っている。
人は、”神に似せて”創造された。神とは「一」である。「Iam That Iam」 私は ”在る”という存在だ。
それが、人は善悪を知るという大変な罪を犯してしまった。
いまや、善悪を知る事になり、心にエゴを巣食い、肉の体を持ち、分霊につぐ分霊を繰り返している。
どうして他人を許せないものが、元の「一」にもどれようか。どうして他人を憎むものが元の「一」にもどれようか。
どうして、愛し合う心が持てないものが、元の「一」にもどれようか。
どうしてエゴを持つものが、元の「一」にもどれようか。エゴは、決して、他人と自分の心を、一つにしないもの。
まぁ、俺は全部を知ったわけではないけど、今言えるのは、こんなとこかな。
965 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2005/04/15(金) 23:27:11 ID:Qu6oNlH4
「不死の門は開かれた」
これは悟りを開いた時の、釈迦の言葉だ。
>917
>願わくばあなたの獲得した境地をお聞かせ願いたい
>もちろん言語では完全にいい表せないだろうし
釈迦も言ってるではありませんか。
>誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、それは結局、
>言葉だけに終わらざるを得ないでしょう。さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、
>病に倒れてしまうかも知れません。何故でしょうか。何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。
なんてね。これは別に、この世以外の一切は、ないとは、言っていない。
それどころか、はっきり、不死の境地について語っている。不死とは、無論、諸行無常とは別のことを言っている。
966 :
名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 00:15:45 ID:6jqW4QOJ
967 :
名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 00:31:53 ID:xHEU5MzN
>>964 知ったかぶりしているが肝心要の間違えるはずのないところを間違えている
>ビバッサナー
ではなく
ヴィパッサナー
「バ(ba)」ではなく「パ(pa)」だぞ
とてもワロタ
ヴィパッサナーの言葉さえ知らず、知ったふりして、何語る
怒りというのは、物質的な実体の有る物ではなくて単なる思考から生まれた感情だから、
本来内に抑圧して溜め込むとか、外に放出して解放する何てことは有り得ません。
むしろ外に放出すれば、自分の立場を正当化し再確認する事になり、かえって怒りの感情を呼び出しやすくなると思います
同じ思考を繰り返し、更に執着し固定化させればどんどん強化されます。
例えば、他の種類の感情である、愛や慈悲なんてものを考えれば、分かり易いのではないでしょうか?
慈悲を外に放出すれば、慈悲が解放されて自分の中から慈悲が無くなったりするでしょうか?
反対に、慈悲を自分の内に抑圧して溜め込めば、自分の中で慈悲が自然に貯まって膨らんでいくのかというと・・・
そんな事は無いっすよね。
むしろ慈悲を外に表現し放出した方が、かえって慈悲は膨らんでいくんじゃないでしょうか。
慈悲なる思考を繰り返す事によって感情が呼び出しやすくなるのは怒りと同じですよね。
そんで怒りに怒り返せば云々・・・というブッダの言葉と繋がってくるような気もするんですが。。。
969 :
名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 13:57:11 ID:7Nnq6WSQ
だけどさぁ、そんなことばっかりやってて生きてるの
楽しいですか?
ただ欲求不満が堪って怒り易くなるんじゃない?
運動でもして、汗を流せば気分もスッキリするよ。
体内の老廃物が出ていってリフレーッシュ!!
理屈じゃないんだよな。何事もそうだけど。。。
そう、理屈じゃないのです。実際に修行をやっていくうちに、怒りが湧かない性格に、不満が湧かない性格に変わっていくのです。だから欲求不満になりにくい性格になっていくのです。
>>969 その感覚で間違ってないよ。
仏教の教えてることは、禁欲主義に走ることでも、快楽主義に
走ることでもないから。
現代風の言葉でわかりやすく言うなら、自覚をもってバランス
の取れた生活態度で生きること、ってところかな。
生きている以上、生理的欲求はあるし、適度に満たさなければ
かえって煩悩は増える(煩悩=悩み煩うこと)。
煩悩と生理的欲求は、イコールではない。
972 :
さごじょう:2005/04/18(月) 10:20:01 ID:s8MQJZaV
怒りと嫉妬は、同じような情動らしいぜ
973 :
名無しさん@3周年:2005/04/19(火) 19:11:03 ID:oQZezpkP
974 :
名無しさん@3周年:2005/04/19(火) 21:58:22 ID:jBiORRAR
成長しね〜な〜
975 :
名無しさん@3周年:2005/04/20(水) 19:01:54 ID:7tpUBiqM
>>967 そんなんでよく2chやってますよね。
ちなみにワロタも2ch語ですよ。
977 :
不安の原因ときちんと向き合おう:2005/04/22(金) 12:18:09 ID:VZDwS7WA
不安な人は、生きることにエネルギーが向かわない。
不安でエネルギーを消耗する。
不安な人は、なぜ不安を感じるのか?
それは、今できることをやっていないからである。
では、不安をしずめるにはどうすればいいのか。
まず、できることをやればいいのである。
不安をしずめたければ、毎日もくもくと働くことが何よりなのである。
不安の原因には二つある。
一つは、執着である。
イヤなことはイヤと言う。
自分に出来ないことは「それは出来ない」と言う。
それで切れる人間関係は切る。失う仕事は失えばいい。
形あるものはいつかは消える。
ある物はいつか「なくなる」。
消えないのは自分の生き方と志向性である。(※連続性は同一性を補償しないが、仏道は消えない)
不安をなくしたければ、地位や物に執着しないこと。前に進むことが人生なのだ。
978 :
不安の原因ときちんと向き合おう:2005/04/22(金) 12:18:56 ID:VZDwS7WA
不安の原因のもう一つに、自分に嘘をついていることがある。
人は心の葛藤から不安になる。
心の中にいろんなことを溜め込んだ人は、漠然と不安に苦しむ。
何となく漠然とした敵意を世の中や他人に対して持っている。
その敵意のような感情を抑圧している。
それなのに立派な愛の人を演じている。つまり自分に嘘をついている。
こうした抑圧からくる漠然とした不安に苦しめられている人が、
たとえ「修行」という名の下に自分を鍛えようとして座禅を組んでも、
不安が増幅されるだけである。(※行動は行動の背景の動機を強化する)
とかく生真面目な人は、自分の弱さを克服しようという発想になる。
自分を鍛えるという考え方に走る。
でも、それは自分を鍛えているのではなく、逃げていることなのである。
「なぜ自分は不安を感じているのか」という原因から逃げずに、きちんと向き合い、
見極めることが大切なのである。
979 :
不安から逃れるための心の働き。防衛機制。:2005/04/22(金) 12:21:01 ID:VZDwS7WA
私たちの心には、心身の緊張や不安・悩み、不満などをやわらげ、心の安定をたもとうとする働きがある。
これが防衛機制である。防衛機制にはいくつか種類がある。
・代償(代理、補償、昇華)
・同一視(取り入れ)
・合理化(一見もっともらしい理由をつけて、自分を正当化しようとする)
・分離(観念は意識において保持しているが感情は抑圧する)
・逃避(アディックション。アルコール、ギャンブル、セックス。共依存やメサイヤコンプレックスなど)
・抑圧(人はネガティブな感情を感じたくない、そこで無意識層へ抑圧する。消える訳ではない)
・反動形成(抑圧されたものと正反対のものを意識にもつことで不安を解消しようとすること。〜過ぎるに現れる)
・投影(自分の認める訳には行かないネガティブな要素を抑圧すると、それが相手に投影される)
・置き換え(抑圧された感情や衝動を本来の対象とは別の対象にふり向けること)
・攻撃(八つ当たり)
・退行(粗暴な振る舞い、ひねくれた考え方、嫉妬、不平不満、甘ったれ、意志が弱い)
など。
適応機制は一時的なものであり、一時的な機制を繰り返していると、
それが習慣化して問題解決のために努力することが難しくなる。
不安の原因ときちんと向き合おう。
トラウマの場合には、それに囚われないようにして、「今、ここ」を充実させて生きていく。
抑圧の場合には、抑圧された感情を意識化する。感情をしっかり感じ、消化し、ゆとりが出来たときに
当時の状況を再検討する。当時の事実を自分はどう解釈したのか。理解から解放へ。
今を変えれば、未来が変わる。
今を変えれば、過去の事実は変わらなくても、過去への思いは変わる。囚われからの卒業。
「自分の過去」と「相手」を変えることはできない、しかし、自分を変えることは出来る。
その変わった自分の影響力で、相手が変わるかもしれない。環境が変わるかもしれない。
時の流れは、過去から現在、現在から未来へと繋がっている。そして人は独りでは生きていけない。
980 :
今この瞬間を充実させて生きる。:2005/04/22(金) 12:23:04 ID:VZDwS7WA
この世は、連鎖と無常の世界なのである。その世界を不安なくどう生きていけばいいのか?
答えは釈尊の言葉にある。
981 :
名無しさん@3周年:2005/04/28(木) 23:46:08 ID:Cm7X3p4o
オイ、明日パオセヤドーの瞑想会に出席する香具師はこの中にいるか?
982 :
名無しさん@3周年:2005/04/29(金) 14:44:51 ID:bkY1OIMe
まず、ソーシャルスキルをあげましょう。
983 :
名無しさん@3周年:2005/04/29(金) 17:03:47 ID:3aw3eYN+
パオの瞑想って、やっぱり一座90分かね
984 :
名無しさん@3周年:2005/04/29(金) 21:34:25 ID:sMtsSZ5i
ハイ90分です。本日晴天で皆さん船を漕いでおりました。
換気が悪く室温も高かったのでしょうがないですが、やはり
瞑想会場の選択を誤ったと思います。
在家であってもこの辺のフィードバックは体系化していてほしいものです。
パオさん 去年、行こうと思ったんだけど、
友人からテープだけもらいました。
はなしは、去年のは、通訳のこともあり、
ちょっと堅苦しくむずかしい内容だった感じが。。。
お尋ねしたいんですが、
今年は、遠く<3時間かけて>からわざわざ行くほど内容のある
瞑想会だったでしょうか?
986 :
名無しさん@3周年:
三時間というと東北か関西あたりでしょうか?往復6時間となると
かなり疲れると思います。暑くて酸素の薄いところで90分ただ
息に集中して座禅するのはとてもつらいことになると思います。
しかし駄目なら駄目なりの収穫があるのではないかと思います。
トライアンドエラーを繰り返すことをためらってはなりません。
GWの次に瞑想会に参加できるのは何時ですか?
パオメソッドとスマナサーラ長老の指導は異なります。
自分に適したものを自分で選択する機会を逃してはならないと考えます。
希望者は休憩時間中に山下さんの通訳でパオセヤドーのインタビューを
受けることができます。
私にとって瞑想会は散々なものでしたが、僧侶の瞑想中の姿勢や
参加者が休憩中に行っている歩く瞑想を実際に目の当りにしとて
も参考になりました。(良い意味でも悪い意味でも)
暇つぶしにカルチャーセンターにいくかわりに瞑想会に参加する
のであればお勧めはいたしません。