†【初心者】キリスト教@談話室55【歓迎】†

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969名無しさん@3周年
>>319 >>322 カトリック教会も戦時中に犯した..偶像崇拝の罪を認めてまつよ†

    ***∞***∞***  靖国神社は平和を語れるのか  ***∞***∞***

       日本カトリック正義と平和協議会事務局長 木邨健三

 『 剣をさやに納めなさい。剣をとるものは皆、剣で滅びる 』(マタイ26:52)

靖国神社は欧米のメディアによれば、 WarShrineといわれている。それは戦争神社
ということだろう。靖国神社は1869年東京招魂社として建立され、1879年に改称、
戦前は陸・海軍省の管轄下に置かれ、明治維新から アジア太平洋戦争までの戦没
者240万人余を祀っている。その条件は天皇のために命を捧げたこと。西南戦争の
西郷隆盛や空襲で亡くなった民間人は含まれていない。 逆に戦後はA級戦犯として
処刑された東条英機元首相らは『 殉教者 』として祀られている。 戦前は天皇のた
めに戦死して靖国の『 英霊 』になることが、 最大の美徳とされ、 侵略戦争推進の
精神的な柱となっていた。その精神は戦後も変わることなく受け継がれている。

ここには、平和への思いは微塵もない。戦争神社といわれる所以はこのへんにある
のではないか。境内には『 平和の象徴 』とされる純白の鳩が放たれている。しかし、
まわりには、戦争賛美の遺物である砲弾や 大砲が誇らしげに多数展示されている。
靖国神社は、 この『 平和 』と『 戦争 』の両立をどのように説明するのだろうか。
970名無しさん@3周年:04/12/25 16:09:59 ID:g5XiIW/H
8月15日の敗戦記念日にいつもいわれる言葉がある。『 戦没者の尊い犠牲の上に
今日の平和がある。平和の礎となった』と。広い意味ではその通りだが、これは『 大東
亜戦争聖戦 』に通じる思想である。日本がまっとうな道を歩いていたなら15年戦争
はなかった。死者たちは加害の戦争のためにふたつとない命を奪われた。腹立たしい
ことだ。遺族は、平和の礎という美辞麗句に惑わされず『死者を返せ!』と国家に対し
て何故怒らないのか。遺族にとって加害者といわれるのは不本意で悲しいことだろう。

しかし、このことをあいまいにしての美化が、今日のナショナリズムの復活や『戦争の
できる国』にあと一歩という状況を生みだしているのだ。戦前の軍国思想を支えた3本
柱のうち、教育勅語と軍人勅諭はいちおう消えているが、靖国神社が生き続けている
ことに戦慄を覚える。

戦争中、日本のカトリック教会は『 剣を取るもの 』に組みし、神社参拝と必勝祈願祭
を行った。痛恨の思いと共に、以下に記したい。『 本教団は国民総決起運動の一助と
して7月8日(1944年)大詔奉戴日を卜し教団代表者をして伊勢神宮、明治神宮、靖国
神社にそれぞれ参拝せしめて 尽忠報国の誓ひを新ならしめると共に、7月16日を期
し全国の教会修道院その他の教会施設に於て、一斉に必勝祈願祭を挙行し、信徒をし
て左記要領に基き各々国民総決起具体的運動に参加せしめて以て 戦時生活の浸透
を期せんとす。』
   ( カトリック中央協議会福音宣教研究室編『 歴史から何を学ぶか 』1999年 )