>>319 >>322 カトリック教会も戦時中に犯した..偶像崇拝の罪を認めてまつよ†
***∞***∞*** 靖国神社は平和を語れるのか ***∞***∞***
日本カトリック正義と平和協議会事務局長 木邨健三
『 剣をさやに納めなさい。剣をとるものは皆、剣で滅びる 』(マタイ26:52)
靖国神社は欧米のメディアによれば、 WarShrineといわれている。それは戦争神社
ということだろう。靖国神社は1869年東京招魂社として建立され、1879年に改称、
戦前は陸・海軍省の管轄下に置かれ、明治維新から アジア太平洋戦争までの戦没
者240万人余を祀っている。その条件は天皇のために命を捧げたこと。西南戦争の
西郷隆盛や空襲で亡くなった民間人は含まれていない。 逆に戦後はA級戦犯として
処刑された東条英機元首相らは『 殉教者 』として祀られている。 戦前は天皇のた
めに戦死して靖国の『 英霊 』になることが、 最大の美徳とされ、 侵略戦争推進の
精神的な柱となっていた。その精神は戦後も変わることなく受け継がれている。
ここには、平和への思いは微塵もない。戦争神社といわれる所以はこのへんにある
のではないか。境内には『 平和の象徴 』とされる純白の鳩が放たれている。しかし、
まわりには、戦争賛美の遺物である砲弾や 大砲が誇らしげに多数展示されている。
靖国神社は、 この『 平和 』と『 戦争 』の両立をどのように説明するのだろうか。