日本教職員組合にアウフヘーベンを

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440名無しさん@3周年
Husserl
>>392


Encounter


國分康孝も

「実存主義の流れをくむエンカウンターには,
「永遠不滅の絶対的存在」
「人間が身をまかせうる(帰依できる)不変の存在」
がない」(24)

とはっきり述べている。

カトリック学校におけるエンカウンター

エンカウンターの中に祈りの集いや司祭の講話を入れることに関しては,重要な問題が含まれているので,最後に触れなければなるまい。

エンカウンターの人間観は実存主義である。
実存主義にはキルケゴールを出発点とする有神論の実存主義と,ニーチェに代表される無神論の実存主義がある。
前者は実存の獲得を,単独者として神の前に立つ宗教的実存におき,単独者として超えねばならぬ集団として教会社会を見た。
後者は神の死を宣言し,自己の運命を逞しく生きる超人こそ人間の真実の生き方であるとした。
いずれにしても,自らが自らの主人公となるために,「ひとつは集団に対し,他は神に対し,それぞれ独立宣言をたたきつけている」(23)。
このように見ると,実存的存在になることを阻む壁は教会か神のどちらかということになるが,エンカウンターでは,とにもかくにも,自分が自分の主人公になることを促す。
これが現在のエンカウンターの人間観を支える実存主義である。
國分康孝も「実存主義の流れをくむエンカウンターには,「永遠不滅の絶対的存在」「人間が身をまかせうる(帰依できる)不変の存在」がない」(24)とはっきり述べている。
これを見る限り,エンカウンターでいわれる実存主義は,(少なくとも主流は)無神論かそれに近い。
しかし,カトリック学校では,そうした人間観だけで教育することは,設立の原理からできない。
そこで,カトリック学校においてエンカウンターを実践する際は,いま一度実存主義の源流を確認し,宗教的実存に実存の獲得を求めた有神論の実存思想をその人間観にすえればよい。
http://64.233.179.104/search?q=cache:D1IZ4M8TsY0J:www.catholic-teachers.com/sge2.htm+%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%80%80%E7%84%A1%E7%A5%9E%E8%AB%96&hl=ja&ct=clnk&cd=1
441名無しさん@3周年:2006/02/06(月) 16:15:30 ID:ZNAQeIxp
(3) 『エンカウンターで学級が変わる 高等学校編』より抜粋した。

(4) 國分康孝監修『エンカウンターCD-ROM』(図書文化)

(5) 1998年以降出版された教員向けの進路指導関係の書籍としては,本文にあげた2冊以外では,中学生向きのものも含め,
日本進路指導協会監修『最新進路学習を核とした学級活動の展開』(2000 実業之日本社),鹿嶋研之助『進路指導を生かす総合的な学習』(2000 実業之日本社),仙崎武『担任のための生き方教育としての進路指導』(1999 学事出版)くらいしか出ていない。

(6) 國分康孝編集代表『進路指導と育てるカウンセリング−−あり方生き方を育むために』(1998 図書文化)

(7) Albert Ellis『どんなことがあっても自分をみじめにしないためには―論理療法のすすめ』國分康孝・石隈利記・國分康子訳(1996 川島書店)





実存主義 ―エンカウンターを支える哲学―
http://64.233.179.104/search?q=cache:f3UlQYGFaBAJ:www5b.biglobe.ne.jp/~spring01/Step%2520up/existentialism.htm+%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%80%80%E5%AE%9F%E5%AD%98&hl=ja&ct=clnk&cd=1



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