道を学ぶスレ

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文字通りです。宗教で納得逝かなかった人はどうぞ
2:04/05/29 08:29 ID:AINtbcN0
もちろん、宗教をやっていない人でも歓迎致します。

3名無しさん@3周年:04/05/30 09:29 ID:uC1D9JAS
age
4:04/06/03 08:52 ID:z/BKZBOh
節に中る
51:04/06/03 09:07 ID:z/BKZBOh
学ぶには四書五経からはじめるといいそうです。四書五経の中でも『論語』から
始めるといいそうです。和訳でもいい。
6名無しさん@3周年:04/06/03 11:03 ID:iDwsytf+
せつ(ふし?)にあたるって何だっけ?
71:04/06/04 17:41 ID:t4OZ9jXm
「せつにあたる」とよみます。
『中庸』にある言葉です。教えは如何なる状況でもピタッと当たる。
そのことをいいます。
8名無しさん@3周年:04/06/04 20:12 ID:lQMB+gMX
中哲の教えってのは、気の感覚というか気の体感が無いとわからない。
中哲の学者はそれを取り除いて紹介しているため、非常にわかりにくくなっている。
というようなことを聞きましたが、どうですか?
9いといと小さき者の僕 ◆pRPne708QI :04/06/04 20:52 ID:isSnqgkJ
道の道とすべきは、常の道にあらず。
10名無しさん@3周年:04/06/04 20:54 ID:c5ZcWs32
11:04/06/04 21:00 ID:UPfgGJRm
>>8
ごめんなさい。それは知りません。
>>9
老荘思想ですね
12名無しさん@3周年:04/06/04 22:17 ID:lQMB+gMX
>9
いつも同じ道を歩いてはいけない。常識とは違う道を歩きなさい。
ということです。
13:04/06/04 22:22 ID:AUcEwGEG
>>8
ちょっと調べてみたら、中国哲学とありましたが、これですか?
14名無しさん@3周年:04/06/04 22:53 ID:lQMB+gMX
西哲にたいする、ちゅうてつです。印哲は仏教ですね。

15:04/06/05 10:36 ID:G0s4D2HN
>>14
いまのところ思ったことを言うと、気を意識していますね。
ある本で見つけた孔子の言葉を借りると

「尋常の機微を察する、全ては変化すると承知している、目に見えない事も察知する、
気の本質をつかんでいる。これなら成人だ。成人がさらに仁義を行い、礼楽を知れば、
成人の先進といっていい」
16:04/06/05 10:51 ID:G0s4D2HN
訂正。

尋常ではなく人情でした。
17:04/06/05 20:15 ID:puC7FhEy
実践タオイズム研究
老荘思想<入門篇>

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/8318/
18:04/06/05 20:41 ID:puC7FhEy
>>1-2のつづき
初心者も歓迎します。
19 :04/06/08 11:37 ID:/K9B9F84
age
201:04/06/08 23:32 ID:iDQa1VhX
次は論語について語ってみましょう。
21名無しさん@3周年:04/06/09 12:31 ID:U+F0Oc4N
師曰く....
22名無しさん@3周年:04/06/09 12:53 ID:IJchvEOk
真っ直ぐは曲がっている。右がなければ左はない。
両極を廃する事が実は両極を手に入れる事になる。
「止揚」と「道」の本質は同じだと思うのですが…どうよ?
23名無しさん@3周年:04/06/10 12:59 ID:OJVOcRd6
>22
同じなら違う。違うから同じ。

今も昔も中国人はええ加減。
24:04/06/29 12:12 ID:PtEfaLRu
過ぎたるは猶及ばざるがごとし
25:04/06/30 23:55 ID:44FVkmID
つよい者がいない。つよい者がいない。
26:04/07/02 13:18 ID:O5dIq45s
>>22
私の考えでは「道」とは違うと思います。
「道」とは一種の平常心で、あなたが何もしていない、リラックスしている。
試み出されるものが何もなく、ただそこにいる。誤解のないように言うと、
特別気持ちいいわけでもありません。何もない状態。何も考えずにじっとしている。
それが道です。

「止揚」は進歩向上のことでしょう。我々はよりよく発展しようとしています。
悪いものがなくなって、使えるものが残って、次に活用されるのは当然です。
そうしないと良くなりません。いまやっていることがどれほど良いことなのか、
あとでわかるのです。その時に解るほどオールマイティーな人はまずいないので、
解らないことをあまり疎ましく思わないことです。
271:04/07/04 11:58 ID:6o04AVM+
古典は教訓に満ちている。
28:04/07/04 12:16 ID:6o04AVM+
送らず迎えず
29:04/07/04 12:17 ID:6o04AVM+
終日乾乾、夕べにてき若

「てき」はりっしんべんに易です。
30名無しさん@3周年:04/07/13 00:30 ID:F07DSQXA
一体なんのスレなんでつか
31名無しさん@3周年:04/07/13 00:32 ID:F07DSQXA
道ってなんでつか
32名無しさん@3周年:04/07/21 14:24 ID:Eiyi2f8G
>>26
「何も考えずただじっとしている」のは「道」ではないと私は思います。
なぜならばその対として「何かを考え動き回る」があるからです。
その両極からも離れたところに「道」はある、と私は思います。
「無為」とは「ない」、ということも「ない」のですから。
また「止揚」が能動的な意志を伴うとは限りません。
その証拠に、「自然」は常に「止揚」しています。
また、逆説的に、心が自然と能動的に動こうとするならば、それも
「道」である、と私は思います。
33名無しさん@3周年
道の駅って、心が休まりますね

わたしは旅人なんです