_坐禅して見性した人に質問_part2_

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306名無しさん@3周年:2005/05/18(水) 18:01:15 ID:m2u1KLdR
つか、ただの嵐w
307ノーマインド ◆XRhOafI0.w :2005/05/20(金) 18:32:24 ID:mwTN5cEx
悟りとは段階的ですか、即時ですか、
308名無しさん@3周年:2005/05/22(日) 22:08:12 ID:gdprdJPD
あなたが悟りだ!!
309ノーマインド ◆XRhOafI0.w :2005/05/23(月) 04:38:49 ID:H6iLNZJU
あなたの内のブッダフットにご挨拶します
310名無しさん@3周年:2005/05/23(月) 11:58:13 ID:xcG7PATt
こりゃ、どうもm(__)m。
311名無しさん@3周年:2005/05/25(水) 16:04:12 ID:Y7uGgn9O
座禅が出来たら立禅、立禅できたら歩禅。
312名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 15:10:23 ID:DUrlk25u
>悟りとは段階的ですか、即時ですか、

悟りに到る道程はどんなに長くても、悟りは瞬間・刹那に訪れる(刹那開悟)
だということです。昔の雲水が、長〜〜〜い紆余曲折を経て、ある日ふと、 小
石が竹に当たった一瞬に開悟したような按配です。啄頓同時の機が熟していた訳
です。頓悟とて、無因よりは生ぜずです。頓悟で一瞬の悟りだからこそ、その後
の漸悟が大切なのです。頓悟を挟んでの漸悟こそ大切です。漸悟なければ頓悟は
なく、両者は相違相待の縁起関係にあります。

313名無しさん@3周年:2005/05/27(金) 15:12:31 ID:DUrlk25u
相違相待→相依相待 ^_^;
314ノーマインド ◆XRhOafI0.w :2005/05/27(金) 18:01:18 ID:rrNUudgn
頓悟はいわば一瞥の様な体験でしょうか、体験はしたが
まだその境地をキープするに至らない、そのようなことでしょうか、
たしかに一瞥のような体験はその後、徐々に忘れ去られていきます。
その後の漸悟により、その境地を安定化していくのですかね、
315ノーマインド ◆XRhOafI0.w :2005/05/27(金) 19:57:06 ID:rrNUudgn
それはいわゆる、二ルヴィカルパ・サマーディからトゥリヤ(第四の状態)への
転換のようなものですか? 
316名無しさん@3周年:2005/06/14(火) 16:20:21 ID:IsOHWRv9
我執と無分別の分別がポイントだ。ココを通らずに悟は無い。
317名無しさん@3周年:2005/06/15(水) 18:11:48 ID:CoN9rsxj

禅は何も教えない。神・仏は出てこない。

何かを悟ったというのなら、それは無理やり自分がとっ捕まえてきただけ。
318名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 02:02:53 ID:aSPowmWD
一方は単発打撃の要領で複数箇所を同時に狙っている自覚がなく
もう一方は単発打撃を当てた所から変化させて次に移るようであり
一方はもっともらしいが不自由な所へ何かとたちかえり
もう一方はずーっと相手を見ている

観戦記でした。
319名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 10:54:57 ID:SgEz9/rA
>>317
>禅は何も教えない。

馬鹿になれとか、
黙って坐れとか、
禅定の体系としても内容に欠けるところをカバーするための方便として使われて
いるのでしょうか。
かといって、単直的に受け入れるのは通俗すぎますね。
智恵遅れが悟っているかというと、そうでもないし、
両足の不自由な車椅子の人が、仏陀の悟りに近い状態かというと、
そうでもないし。
無分別智は当然のこととしてちゃんと踏まえられているのであれば、
もっと工夫がなされてしかるべきでしょう。
320名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 12:38:23 ID:0P4xLKHt
禅は体系ではありません、[在る]ことを学ぶことです。そのために言葉、技法を利用します。しかし、言葉に迷ってしまった人に座りなさい、基本に立ち返りなさいと教えます。
321立て看板:2005/06/16(木) 13:51:55 ID:vqMoaQiN
322名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 15:44:31 ID:6yz3tqNB
>>320体系ではありません、と仰るが…言葉、技法を利用する際に
手順 順序 配置 の類が有ったらそれは「体系」では。優れた禅師は手順等を
その場で相手に合わせてナンとでも作れる…最早[在る]とは呼べないのでは。
そういうレベルの人が、あえて体系を作ったのでは。体系なり形式なり…が無ければ
基本に立ち返りなさいという言い方すら成り立たない。禅は体系ではありませんと
言ってみた理由は?…あ、返答しなくてもいいです。
323名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 18:48:09 ID:dIarjG3b
簡単なことですよ、手順、順序、配置が無いのです、そしてあなたみたいにそれが必要だという人に座れというのです。
体系を使うのであってそれ自身ではないのです。
324名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 19:30:17 ID:6/x8JtaE
理想の調伏空間があるらしい。聖域化、格別な何処かの話。
325名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 21:40:37 ID:xknwCohm
仏祖不伝、教外別伝の由来は、
禅宗の坐禅義が天台の小止観に拠るところからです。
326名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 21:45:44 ID:xknwCohm
つまり、自宗の技法と呼べるようなものがない。
327名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 21:49:37 ID:xknwCohm
公案に取り組んでる姿は、言葉との格闘そのものですね。
328名無しさん@3周年:2005/06/16(木) 22:09:08 ID:6/x8JtaE
只管打坐についてコメントを是非
329名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 11:52:04 ID:rpIOxnOz
止観打坐って公案なんですか
330名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 12:30:07 ID:rpIOxnOz
確か、菩提達磨は己を評するに際して、己の業によってこのような坐る姿に
なったとコメントしていたような。
何事も因縁に由ってのことなれば、六師の苦行も只管打坐も因縁故の「在る」
の結晶化を求める在り方なのだろう。

>>329
×止観打坐
○只管打坐
331名無しさん@3周年:2005/06/17(金) 12:39:37 ID:gCNpO47R
なるほど 業か
332立て看板:2005/06/23(木) 04:54:03 ID:wBlGyRsx
スレを支える参加者、発言者、の参加を募ります。
坐禅と見性 第20章◎飯袋子の集い◎驢年横行◎
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1119079479/
333名無しさん@3周年:2005/07/18(月) 22:29:39 ID:RtkB9J+4
たまに通勤途中の景色が綺麗に見える時があるんですが
これはいい傾向なんでしょうか
334名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 02:46:22 ID:nlIXTisc
眼って、見えるものが違うようだよ
子どもの眼って、事故で死んだ、人が見えるって
言って、ママにしかられてるし
「バカなこと言うんじゃありません、変な子だね」なんて
幼稚園の子なんか、多いみたいだよ
良いか悪いか、わからない、ごめん
335名無しさん@3周年:2005/08/01(月) 22:55:38 ID:DewUhb/S
只管打坐など、何かを欲するから意味あることのように勘違いするのだ。
求めることがなければ、坐る必要など何ももない。
道元など蹴飛ばせ。道元の饒舌は罪作りそのものだ。
336名無しさん@3周年:2005/08/27(土) 16:04:36 ID:G8YEUB4a
隣の女が気になって悶々として、そのうち疲れて頭がぼーっとして眠くなったら、君が一番よくできた。見込みあるといわれた・・・。
337名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 09:47:45 ID:I9wzphrD
すいません、ここでいいのか不明ですが、質問させてください。
当方、24歳♂ 一応カトリック、禅関係の知識ほとんどなし、生活板住人。

3、4年前の初秋、京都を旅行しまして、南禅寺に行きました。
久しぶりに山門に上り、写真でも撮ろうと一眼レフ持って周り始めました。
人ごみを避けるように裏側への角を曲がると、3、4メートル先に
壁を背に、目を閉じて座禅(ぽいこと?)をしている、全身黒っぽい服装の40代くらいの男性がいました。
お坊さんではないです。

この人が目に入ったとき、
"まったく無理をしていない、でも完璧な姿勢、呼吸も寝ているような落ち着き具合"
っていうのが瞬間的に理解できたというか、実感できて、
「あー、この人、本っ当にすごい人か、完全に狂って(悟っていると思い込んで)いる人かどっちかだなぁ。。」
と、なんとなく思ったんです。
心の中で言い終わるや、間髪入れずその人が目を開けると同時に俺のほうをダイレクトで見ました。
彼の目は、心持ち驚いていた感じがします。でもすげー眼力。(&目ぇ細ーい)
338337:2005/09/25(日) 09:48:30 ID:I9wzphrD
周囲には、観光の外国人やカップルなど人がワンサカ居ました。
なのに、まるで見ていたかのように、ドンピシャで斜め方向にいる自分の目を射抜かれてびびりました。
その目が合った瞬間に、「(心を)読まれた!!」と思いました。
急激に恐怖を感じて鳥肌が立ち、外側を向いて写真を撮る振りをし、
「見ないで見ないで!!!」って思いながらビビッていました。
その間にもその人の気配が感じられて、「・・・・・。」という間のあと、
無言でゆっくり立ち上がり、去っていくのが分かりました。
完全に見えないところまで去ったと確信できたところで、ようやく緊張をときました。
すげー怖かった。
その人が怖いというよりは、心の中の何もかもが読まれることへの恐れって感じ。

ここで問題になるのは、俺が「読まれた」と考えた根拠ですが、
これが自分でも不思議でしょうがないんですが、理屈でなく「事実」なんです。
あの瞬間、「何か心を見られた」ということが、絶対的な事実として感じられたんです。
あんな感覚は初めてです。強制的に認識させられた、ともまたちょっと違う。
いきなりそんな事実をつきつけられたのもあって、すごい恐怖を感じたんです。
変な話ですが、「彼が自分の心を読んだ」という事のほうが、
「自分が今確かにその場に存在している(か否か)」という事よりも確実な感じがしました。

論理的に、常識的におかしいのはわかっているのに、そのように強烈に感じたことが、
今もって不思議であり、衝撃です。

悟りを開くと、人の心が見えたりするものなんですか?
それと、俺が上記のように感じたことについて、
幻覚だ! 統合失調症。 彼=おばけ とかつっこみでも罵倒でも何でもいいんです、
何か関連ありそうなリンクなりコメントなりをお願いします。
339名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 10:47:02 ID:b2KxvuXY
337さんは自分の本心に直面するのが怖かったんですね。
それわかります。
340名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 11:01:48 ID:b2KxvuXY
自分にもそのような人がいます。
自分の場合は、その人の身元がわかる状態で出会えたので弟子の立場として、
彼此20年ほどその人を観察してみました。今、現在でもその方にお会いする時は、
とても緊張します。
341名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 11:21:06 ID:b2KxvuXY
また、これは知人の話なのですけれども、その人がインドにいってある行者に
あったとき。その行者が異様に違和感なく感じられたそうです。普通に親しみ
を憶えるとか、親近感を感じるとかでなく「自分の腕をふとマジマジと見るような」
とても近い、自分自身をそこに見るようだ、と言っていました。
342名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 12:04:40 ID:3e9EAX4R
ちなみに知人はクリスチャンです。
ここで二つほど337さんにお伝えしたいことがあります。

1、仮におさとりをひらき、ひとの心を読めるような人が道徳的に完全かといえば、
  必ずしもそうとは断言できない。
2、337文中にもみられますが、深い関係は善くも悪くも大きな影響を、双方に
  あたえます。337さんも驚かれたでしょうが、お相手の方もまな板の上の
  鯉状態だったのだと思われます。
343名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 12:28:51 ID:3e9EAX4R
自分はキリスト教についてよく知りません。
が、禅とも関係の深い古流剣術の一刀流の御宗家がキリスト教徒であり、
御著書も何冊かお出しになられていたと思います。

この板をざっと御覧になればおわかりいただけるかと思いますが、
詐欺師と商売人で9割9部、残りの1部も因習に囚われた業界です。
くれぐれも注意してください。

では。
344名無しさん@3周年:2005/10/01(土) 02:31:05 ID:Bof5L6te
>>343
> この板をざっと御覧になればおわかりいただけるかと思いますが、
> 詐欺師と商売人で9割9部、残りの1部も因習に囚われた業界です。

あのー、字が違ってますよ。九割九分ですね。
それにさ、一般的には九分九厘(くぶくりん)を使います。

あなたは、一分(一厘)ですかそれとも九割九分(九分九厘)ですか
どちらでしょう

この板を見て業界(宗教?)を判断しちゃ、宗教関係者がかわいそうです。
それに、業界(ぎょーかい)は一般的ではありませんね。
宗教界などのほうが解かり易いですね。
345名無しさん@3周年:2005/10/01(土) 02:39:58 ID:Bof5L6te
>詐欺師と商売人で9割9部、残りの1部も因習に囚われた業界です。
あのー、詐欺師と商売人が人を指しているのだから、因習に囚われた業界ではなく、因習に囚われた(人が集まる)業界ですね。
とすると意味が通じます。

てことは、詐欺師と商売人と因習に囚われた人が全てですか?
いやはや何とも。。
とても、悲観的で、世界は悪に満ちていて、そして表現力に誤りが多いという特徴がありますね。
346337:2005/10/03(月) 19:33:55 ID:Rb/y8wGX
>>339-343
亀レスすいません!ありがとうございます!

>337さんは自分の本心に直面するのが怖かったんですね。
まさにその通りでした。
実家のある事件をきっかけに、自分の方向性の問題や歪ませた本心が露呈し始め、
落ち着いてはいましたが、内心は非常に動揺していた時期でした。

>1、仮におさとりをひらき、ひとの心を読めるような人が道徳的に完全かといえば、
>  必ずしもそうとは断言できない。
>2、337文中にもみられますが、深い関係は善くも悪くも大きな影響を、双方に
>  あたえます。337さんも驚かれたでしょうが、お相手の方もまな板の上の
>  鯉状態だったのだと思われます。
1については、経験上おおよその理解ができているつもりです。
2も、おっしゃりたい事はわかります。しかしその論理では、
俺自身も、彼に対して(若しくは普遍的)の特別な(力のある?)人間であるという風に
とれてしまいませんか。
以前、信頼できる人に相談した時も似たような意見に収束して、大概は納得できた気がしますが
「じゃー、俺は何なんだ」という点で疑問が残りました。
俺と彼の相性みたいのがよかったという事ですかね。わけわかりません。
彼は、すごい人だと感じました。
1.俺が彼をその瞬間に評価したことに対して反応したのか
2.彼が注目するに足る何かが俺にあったのか
このどっちでしょう、俺のほうは?
347337:2005/10/03(月) 19:39:52 ID:Rb/y8wGX
それから、宗教の世界に限らないことですが、
本気で求道的な人生を歩んでいる人同士では、属するカテゴリーに関係なく
通じ合う、理解できる部分があると感じていますので、禅・カトリックの別は
あまり問題にしていません。あくまで部分ですけどね。
改めてコメントありがとうございますっ
348 ◆DISCO//6MY :2005/10/23(日) 22:53:23 ID:JCMtwJUm
てST
349名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 03:23:22 ID:SOvkMfa+
通りすがりでスマンがきかせてくれ。
見性=人間としての完全なる死と思ってる、極、極ありきたりな入門者なんすが
なぜ、なぜに消滅を願っている人々がこうも論争をする必要、いや理由が存在するのですか?
350349:2005/11/11(金) 20:25:19 ID:SOvkMfa+
>>349
自己解決
351名無しさん@3周年:2005/11/20(日) 20:54:11 ID:EBJtLJNh
そえはよろしゅうございました
352名無しさん@3周年:2005/11/21(月) 18:51:01 ID:5jPzjWoc
りんご
353のんです:2005/11/26(土) 19:19:59 ID:btwTcM3m
大悟と見性の区別がいまいちわからんとです・・
(広辞苑で調べた程度です)

ここでいうような体験は座禅などを日常的に行っていない人達(私も含めて)でも体験してると
思うのですが・・

例えば、景色がスローモーションでみえる等々〜
仕事が終わった後にタバコ吸って、たそがれながら一息いれてる時には
対象に対して身体的に感覚が変わったことによる、肉体の現象だと考えます。
これって仕事してる時に比較して時間の感覚がまったく違ったものになりますよね?
例え2
日常の景色が輝いてみえる〜云々
インフルエンザなどで高熱を出して、肉体的に、身体的に、死に抵触したために
身体が錯覚を起こしたことによる現象なのではと・・推測、うーんなんだろ

なにが云いたかったのだろう。。

青りんご好きです。皮ごとがぶりつくとウマーとです
354のんです:2005/11/26(土) 19:31:38 ID:btwTcM3m
あっと、っここにあるような見性?体験ではありませんが
過去に神秘体験(的)な体験を経験したことがあります。

言葉にするのが難しいのですが、自分が、自分自身が空にある雲に、雲そのものに
なってしまいました。(の様ような・・)
これは見性体験のカテゴリーには属さないのですか?

飲んでるときにレスするもんやないね。
なにいいたかったのかわすれてもったw

青りんご好きです。
ほおばってる瞬間は好きです。
種だけになったら死にたくなるとです
でも、青リンごは好きです。
青りんごを消したい。でも、青りんごはすき
その瞬間だけは好き

のんどると
355名無しさん@3周年
青りんごage