宗教の危険性について3

このエントリーをはてなブックマークに追加
870名無しさん@3周年:04/05/11 20:51
>>868
> >>867
> 一神教の発生により、戦争や紛争が飛躍的に増加したことは否定できない。

古代ローマ時代の戦争
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E

古代ギリシャ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3


> 毎日のニュースを見て下さい。一神教の排他性から当然の結果でしょう。

「一神教」の定義は?
ちなみにキリスト教を例えに出せば、カトリックは神、キリスト、聖霊の
三位一体を基本としており、その他にもマリア崇敬、無数の聖人や天使など
多神教的色彩が強いとの研究も多い。伝統仏教もしかり。

ちなみにアメリカのブッシュ政権のバックグラウンドはプロテスタントの中でも
原理主義的なグループ。
871名無しさん@3周年:04/05/11 20:59
>>870
>ちなみにキリスト教を例えに出せば、カトリックは神、キリスト、聖霊の
三位一体を基本としており、その他にもマリア崇敬、無数の聖人や天使など
多神教的色彩が強いとの研究も多い。伝統仏教もしかり。

だからプロがカトを攻撃する。世界史における旧教と新教との争い、及びその残虐性
を復習して下さい。
872名無しさん@3周年:04/05/11 21:01
>>871

> だからプロがカトを攻撃する。世界史における旧教と新教との争い、及びその残虐性
> を復習して下さい。

ええと、つまり一神教が紛争の原因ではないという事を認めたのね。
はいはいご苦労さん。
873名無しさん@3周年:04/05/11 21:03
>>871
古代の戦争はどう説明するのですか?
874名無しさん@3周年:04/05/11 21:38
>>872
カトも基本的には一神教。若干の多神教的要素が存在するというだけ。
日本でも、一神教的要素の強い日蓮宗や浄土真宗は紛争が多い。

>>873
古代の戦争は言うなれば生存のための戦争。一神教の戦争は架空の観念に
過ぎない神のための戦争。多神教では神が多すぎて、戦争中その名を唱え
きれないだろう。
875名無しさん@3周年:04/05/11 22:08
 パレスチナ紛争はイスラム教やキリスト教どころかユダヤ教以前から
続いていることくらい、知っていても損は無い。
876名無しさん@3周年:04/05/11 22:11
イスラエル建国まで一時的にせよ収まってたけどな。
それを再燃させ、しかも大規模かつ長期にわたったのはやっぱイスラエル建国じゃないかな
877名無しさん@3周年:04/05/11 22:17
 技術や資本力に勝る白人が中東の石油を狙い、アラブ人がテロで報復する、
アノ辺で騒いでいる宗教がなければこの構図がなかったと言えるかどうかは
ギモンだ。

 宗教で人が死んでいることと、その宗教がなければ死人が少なかったか否
かは別問題だと思うよ。

 イスラムにも穏健派(過激派から見れば不信仰ということになろうが)とい
うのはいるわけだが、イスラム教がなければ強硬派の割合がもっと多かった
かも知れないし、もちろん少なかったかも知れない。

 目の前の減少を見てイスラム教やキリスト教を叩くのは簡単だが、それら
の宗教がなかった場合はもっとマシであったであろうことを誰も説明してい
ないように思う。

 俺は、アノ悲惨な状態が宗教による抑制が効いている状態なのかも知れな
い、と思うことがある。まぁ世間の平均よりも人間を悪目に見積もっている
のかも知れないが。
>>848

ご意見ありがとう。
>>666

> 根元的世界モデル、価値基準ってのがどのようなものか前スレでも質問した
> ん だけど・・・ やっぱりピンとこないな。

「根元的」といういかめしい言葉を使ってしまうといけないのかも知れないけ
ど、要するに、「基本的」とか「要素的」というような意味。オレらが日常的
に行っている価値判断において、それぞれが根拠としている、より基本的な要
素があるとすれば、どんどん要素還元していくことで、ベースの部分に到達す
る、というような感じ。もちろんこれは単純化した議論で、実際には自分でも
分析できないような様々なエレメントが複雑に絡み合っているような話になる
んだと思うけど。

前にも出した例だと、「おばあさんに席を譲ることは良い」という判断があっ
たとして、そこには「おばあさんは疲れやすい」及び「疲れやすい人は席をゆ
ずってもらうとすげー嬉しい」という世界モデルと、「他者が嬉しいと自分も
嬉しい」という、より要素的な価値判断が根拠として関与しているんでわない
か、というような。

こういった、判断の根拠の根拠の…と遡った先にある世界モデルと価値基準の
ことを「根元的」と表現しているわけ。わかりにくくてごめーん。

> むしろそちらのほうが普遍的なものには思えない。

上記の議論から、これは本来的には主体一人一人が個人的に持っている主観的
なものだと思う。ところが宗教によって、主体の判断のベースとなっているこ
れらのモデルや基準が弄られてしまい、そこにはめ込まれたお仕着せのモデル
や基準が絶対性・普遍性を詐称してしまうとき、そして更にそこに人間が本来
持っている知的怠惰性(つまり、お仕着せの世界モデルと価値基準を絶対・普
遍として受け入れ、それに対する懐疑をやめてしまえば、脳味噌はずいぶんと
楽ができる)が関与したとき、本来主体が持っていた最も根元的・要素的なモ
デル・基準と主体との間の連絡路はたたれ、そのときからロボトミーが始まる、
即ち、主体的判断は囲い込まれる、という感じ。

もちろんこれは程度問題であって、「完全なる抑圧」と「完全なる自由」が存
在するということを言ってるわけでもなければ、このようなタイプの抑圧を行
う営みが独り宗教だけであると主張しているわけでもないわけだけど。一つ目
のスレッドで議論したことだけど、日本語を使って思考・会話している時点で、
オレたちの精神はある種の恣意的な拘束を受けているわけで。
>>835

> んで無記なんだけどね、実はブッダは一般、在家、出家ってな感じで
> 相手のレベルによって説く内容を変えてたってのを何かで見た記憶がある。

> 素養のない人に形而上的な世界観を話すと
> 盲信→自分に不幸→信による苦しみ という余計な苦しみまで
> 与えてしまう可能性がある(キリスト系に多いよねこれは・・・)
> ってとこまで看破してたんじゃないかな。(コレは想像)

ふむふむ、そうだとすると、むしろ「無記」こそが所謂「方便」であって、そ
の実体には、やはり形而上学的論理構造が存在する、と。

この理解が正しいとすれば、「原始仏教には無記の概念があるから>>70の射程
外であり、これが例外として存在する以上、>>70は宗教一般に対する議論とし
て無効である」という主張は通らなくなるな。一方、「無記」が原始仏教にお
いて正しく実践されていたとすれば、原始仏教は広辞苑的「宗教」定義から外
れるから、>>70とは関係しなくなる。

あれ?トートロジーには…なってないよな。多分大丈夫だと…思う。

ところで、涅槃というのはある種の心的状態を指すのみだとすれば、必ずしも
形而上学ではないということはない?
882名無しさん@3周年:04/05/11 22:39
キューピーを2chブラウザにてあぼーん設定しました。

あ、あと、SEIMEI氏へ。

返事するのがめんどくさかったらほっといてくれてもいいよ。もし興味を感じるとか、QPの
間違いを指摘してやろうという親切心がムラムラと起こったとかのときにでもレスくれたら。
884名無しさん@3周年:04/05/11 22:42
>>70

一方で、
「恣意的な基準を絶対的なモノとして教え込む」
と危険性を示しつつ、
他方、
「根元的倫理・規範の構成に対して主体的な関与」
をする事が絶対的な真理〜善〜であるという前提がある
ように読める。
その根拠は、或いは、その妥当性は「形而上学的な世界モデル」
と言うモノに対して、どこが決定的に違ってくるのか?
>>882

オレが間違った議論を展開しているというだけのことなら、何もそこまでする必要はないよなぁ。

とすると…そうやってオレを排斥したり避けたりしたがる君らの動機付けの背後には…一体
何があるのだろうか?


実は>>70によって君たちは自らのアイデンティティが揺さぶられる不安に苦しめられてる?
そういうことでもなければ、そうまでしたがる君たちの行動が説明できないもんなぁ…。
>>884
> >>70
> 一方で、
> 「恣意的な基準を絶対的なモノとして教え込む」
> と危険性を示しつつ、
> 他方、
> 「根元的倫理・規範の構成に対して主体的な関与」
> をする事が絶対的な真理〜善〜であるという前提がある
> ように読める。

善とか悪とかというようなものではなくて、内発的な感情だからそもそもにしてそれは自分の
ものだというだけの話。つまり、「主観的真理」とでもいうような。だから、そこには世界における
何らの普遍性や絶対性もない。ただただ主観の中においてのみの真実。

> その根拠は、或いは、その妥当性は「形而上学的な世界モデル」
> と言うモノに対して、どこが決定的に違ってくるのか?

形而上学的な世界モデルは、主体の外界である実世界についてのモデルを与えるもの
だよね。しかもそれは主観の体験によって検証することは永遠に不可能だという性質が
ある。

一方で、そのような欺瞞をやらかさない場合の内的世界モデルというのは常に主観の判断に
よって構成されていくダイナミックなものであって、蓋然性の上で語られるもの。つまり、いつでも
反証が可能な仮説の集合。

補足:

要するに、そこに主体の判断が関与しているかどうかという側面に着目しているわけ。
888SEIMEI ◆R97xwlPL7g :04/05/11 22:55
>>843
> よりどころになるような安楽な世界モデルや、ものを考え込まずにすむ
> ようなお仕着せの価値基準、こういったものを与えられれば与えられるほど、その精神は自ら
> の心の基盤に存在する内的世界モデルや価値判断の基準を乗っ取られ、世界とのやりとり
> において基盤とすべき、心のベースに存在する判断基準への主体的コミットメントができなくなっ
> ていく、そういう意味で、まさにそのような方法で安らぎを与えるという行為こそが、人間の主体
> 性を剥奪するという、ロボトミー的な人格抑圧に他ならないとは言えないだろか?

外界の情報遮断により判断力を鈍らせ、幽閉や苦行、果ては薬物を用いて
肉体、精神をボロボロにして思考できない状況を作り出す。
所謂カルトを対象としての主張であれば納得しますよ。
しかし実際は「いつも門戸を開いて待ってます。困った時は来なさい」というスタンス
(伝統宗教はほとんどコレだよね)の宗教のほうが多く、少々飛躍が見られるのではないかと・・・

キミが考えてるほど宗教やってる人ってのはのっぺらとしてないと思うよ。
無垢に神とかを信じる人もいれば信仰と疑念の狭間で揺れてる人や
やたらと勧誘する迷惑な奴もいる(w
人間の価値観ってそう簡単に変わるとは思えないな。


> 苦しさが消えさえすればオレたちは満足するか?そうではないはずで、本来自分自身の手に
> しっかりと握っていなければならない何かがあるはずじゃないだろか。
言葉尻をつつくようで悪いんだけど多分君の主張は「抑圧性」ではなくて
「依存性」のほうが相応しいような気がしてきました。
この2行にそれが現れていますね。

889名無しさん@3周年:04/05/11 23:03
>>855
ごめんごめん、俺理解力無いからもういいよ。
これからも、あんたの正義を貫き通してくれ。
890889:04/05/11 23:10
>>855
別に、あんたがまっとうなことを言ってないといってるわけではないから、念のため。
広辞苑もまっとうなこといってるようにね。
あんたが、自分の正しいと考える原理原則に従って発言している、ということは理解しているので念のため。
こっちが、あんたに議論力以上のものを持っているかもと勝手に期待したことによる誤謬なんだ。あんたにはまったく責任は無い。では。
891名無しさん@3周年:04/05/11 23:15
負け犬の遠吠えだな
892889:04/05/11 23:26
>>891
うざいなぁw
いいかげん、勝ち負けに対する執着からはなれろよ、おまえら。なんか、QPのが大人に見えてきたよ。
QP側にも、ハルカサイドにも両方に基地外応援団がついていて、スレがすさんできてるなぁ。
こまったものです。
893名無しさん@3周年:04/05/11 23:28
>>885
>実は>>70によって君たちは自らのアイデンティティが揺さぶられる不安に苦しめ
られてる?
そういうことでもなければ、そうまでしたがる君たちの行動が説明できないもんな
ぁ…。

同意。宗教の方々は、自分の宗教だけでなく、宗教全体の本質としては如何ですか。
QPさんもカルト教祖だそうだから、宗教者の仲間ですよ。

894SEIMEI ◆R97xwlPL7g :04/05/11 23:35
>>876-877
同意。

>>879
>こういった、判断の根拠の根拠の…と遡った先にある世界モデルと価値基準の
ことを「根元的」と表現しているわけ。
これは行き着く先は「エゴ」になるかな。

>>880
つまり盲信に到る可能性がある。性質があるということだね。
話逸れるけど「言葉」にはそうした拘束力は確かに存在するね。
これを陰陽では「呪」という(w


895名無しさん@3周年:04/05/11 23:36
>>892
だから、ガキの喧嘩なのさ。
感情的になったほうが負け、みたいな。
そのためには手段を選ばない、みたいな。
今のところ、QPじゃないほうに、感情的なガキがいるから、QPのエゴが満たされて落ち着いちゃった。

で、またハルカあたりから論破されるとこんどはQPが傷ついて暴れ始めて、あおり始めるよ。

この繰り返し。くだらん。まことに下らん。
896名無しさん@3周年:04/05/11 23:45
>>894
>これは行き着く先は「エゴ」になるかな。

人間性の根源はエゴである。そのエゴから、自分を含む共同体の維持本能が
生じる。各人はそれぞれのエゴを持つから、他者のエゴを尊重しない限り
自己のエゴも尊重されない。利己主義は究極の利他主義である。
897SEIMEI ◆R97xwlPL7g :04/05/11 23:48
>>881
微妙に違うかなぁ・・・ 概念ではなくて・・・
「無記」ってのは正しく理解できない人には語らない。語ったところで
惑うだけだから。方便ではなくて読んで字の如く。記さない。もしくは記せない。
※俺が曲解してる可能性も高いので詳しい人お願い(^^;

涅槃は「一切の苦のない世界」みたいな感じだったと記憶してます。
この世の理(真理)を悟り輪廻より解脱した先に到達するもの。みたいな。
形而上的なものといえるでしょうね。

898SEIMEI ◆R97xwlPL7g :04/05/11 23:56
>>896
うむぅ・・・
他者のエゴを尊重しない限り自己のエゴ(なんか変な言い回しだけど・・・)が
満たされない。という言い方のほうが現実に則してるかな。

私の感覚だと利他主義は利己主義に包括されるって感じかな。


「完全なる無私」という状態が存在するならばこれは簡単に覆るんだけどね(^^;
899SEIMEI ◆R97xwlPL7g :04/05/11 23:58
訂正。

他者のエゴを尊重しない限り自己のエゴ(なんか変な言い回しだけど・・・)が
満たされないことがある。

でした。

もう休みます。おやすみなさい。>>ALL
900>>896の続き:04/05/12 00:13
宗教は、「妥当な根拠のない」観念により、自然の人間性であるエゴを抑制・変容
するから、健全な利己主義、即ち利他主義も生まれない。
901名無しさん@3周年:04/05/12 00:29
宗教=北朝鮮
何からの権力を崇拝する
902>:04/05/12 01:12
>>888
>外界の情報遮断により判断力を鈍らせ、幽閉や苦行、果ては薬物を用いて
>肉体、精神をボロボロにして思考できない状況を作り出す。
>所謂カルトを対象としての主張であれば納得しますよ。
>しかし実際は「いつも門戸を開いて待ってます。困った時は来なさい」というス
>タンス(伝統宗教はほとんどコレだよね)の宗教のほうが多く、少々飛躍が見ら
>れるのではないかと・・・

それらは宗教による洗脳方法の相違であって、嵌ってしまえば、カルトも伝統宗教
も本質的には同じ。後者の方が警戒心が弱まるだけに、かえって危険かも知れない。
いずれもQP原則が適用される。

903名無しさん@3周年:04/05/12 01:24
>>898
>「完全なる無私」という状態が存在するならばこれは簡単に覆るんだけどね(^^;

それでは人間の否定ではないか。「完全な無私」は「完全な無他」に繋がる。
自爆テロリストを見よ。宗教者は、自然の人間性を無視・否定するような言辞を
弄するべきではない。



904名無しさん@3周年:04/05/12 01:42
>>877
> 俺は、アノ悲惨な状態が宗教による抑制が効いている状態なのかも知れな
い、と思うことがある。

事実に目を覆った自己正当化はやめれ。仮定でものを言うな。「神の名を唱え」
「来世を信じて」自他の命を奪うことが「宗教の抑制」か。宗教は自然の人間性を
軽視・否定することが最大の問題である。井戸に落ちかかった子供に対して無意識
に手を差し伸べ、叉、人を殺すことに恐怖感と嫌悪感を感じるのが、自然の人間性
ではないか。根拠のない架空の観念によって、宗教者は本来的に生物である現実の
人間が見えなくなっている。
905名無しさん@3周年:04/05/12 01:58
人間性 とか、
主体的な判断 とか、もっと行くと
内発・自発が可能であるような主体と言うものが存在する とか、

いうのも皆、信仰だわな。
反証可能な仮説というもんではあるまい。
906名無しさん@3周年:04/05/12 03:54
>>904
ふざけるな。生物としての自然な感情を理性によって抑制できることが人間性の根拠だろ。
食いたい時に食い、寝たい時に寝。ヤリたい時にヤルのは動物だ。
死の恐怖に打ち勝ち、究極の目的のために身を捧げる自己犠牲の精神こそが、
人間として最も尊いものだ。
907名無しさん@3周年:04/05/12 04:01
>>907
同時にそれが人間のあさましさでもある。
>>841
> 『心が「今ここ」に無いこと』、と言えばよろしいでしょうか?
> つまりあなたは「今ここ」と正反対のものを今ここと呼んでいることになります。

あぁ、馬鹿らしい(ハルカさん流)
あたしは、その馬鹿らしさを楽しんでいるけど、やはり馬鹿さにも限度ってもんがあるでしょ?
って、最近は思う。ホントちょー馬鹿らしいぞおぉぉぉ!まぁ、その自覚がないから書けるんだろけどね。。笑

> 『心が「今ここ」に無いこと』、と言えばよろしいでしょうか?
だ  か  ら、 >>809
『 過去と未来の「不在」。つまり、「無・空=(今ここ)』って、書いたでそっ!

つまり、『心が「過去」と「未来」に無いこと=「今ここ」』って、あたしは書いてるのに
どこをどう読んだら > 『心が「今ここ」に無いこと』、と言えばよろしいでしょうか?
になるの??

> 麻さん あなたはカルトです。

ならば、その根拠を述べよ。逆にあなたこそ、カンペキなまでのカルトだよ。
>>514 で、あなたに、「キミの如きカルト思考の者、己の無知の無自覚、或いは棚上げし、
説教じみた言説の多い、あつかましく恥知らずかつ軟弱武道家は存在して欲しくはない」
って言ってる人がいるけれど、もっともだと思う。
何故あなたがカルトなのか?その根拠は10以上、もしかしたら30以上もある鴨。。
その根拠を、どうしても知りたければ、今度時間のあるときにでも書いてあげるよ。。
>>906
> 食いたい時に食い、寝たい時に寝。ヤリたい時にヤルのは動物だ。

あ、↑これって、あたしそのものだ。あたしは動物か?ま、それでもいいか。。笑

> 死の恐怖に打ち勝ち、究極の目的のために身を捧げる自己犠牲の精神こそが、
> 人間として最も尊いものだ。

あたしは出家してるけれど、究極の目的もなければ、自己犠牲の精神もない。
ま、人間として最も尊くなくてもいいけどね。あたしは。。

臨済は
「私が食べるときは、ただ食べるだけだ。そして私が眠るときは、ただ眠るだけだ」
と、言ったら、ある者がこう言った。
「しかし、そんなことは、何も特別なことではありません、誰だってしてることです」
臨済は笑って言った
「もし、誰もがそうしてるなら、誰もが仏陀だ。それなら誰もが悟っている」
910ハルカ ◆0tZOcyVq86 :04/05/12 07:00
>>894
>盲信に至る可能性がある
…これってば、私が>>511で指摘した事と同じじゃないか。
これでQPさんが>>894を認めたら大笑いだね。
>>511に対しては何も言及しなかったのにね(苦笑)
911ハルカ ◆0tZOcyVq86 :04/05/12 07:27
>>909
臨済禅師の言葉に(・∀・)ニヤニヤしてしまったよ(笑)
ちょっとでも解る人なら笑ってしまうと思うけどね〜

私流に言い換えるなら…
『食事自身が喰う』
『睡眠自身が寝る』
ってとこかな(笑)
これがどんなに難しい事なのか解るかなぁ…?
912名無しさん@3周年:04/05/12 07:50





まったく「現代思想は孤独な宗教」とはよく言ったものだ。




913877:04/05/12 08:01
>>904

 そういうお前は、宗教がなかったらもっとマシであったであろうことをちゃん
と説明してみたら? 現実に宗教が煽っている(これは俺もそう思う)から、なん
て答えは即刻却下だ。
 俺はどちらか分からんなぁ、と言っているんだ。よく読め、ドアホ。
 俺の発言が宗教やっている奴からしか出ないと思っているお前こそ浅ハカだ。
身の程知らずが。
914山陰線沿線住民 ◆CrPkFwngP2 :04/05/12 08:31
次スレ立てました!

            「宗教の危険性について4」
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1084318216/l50
915名無しさん@3周年:04/05/12 09:29
>>906
>死の恐怖に打ち勝ち、究極の目的のために身を捧げる自己犠牲の精神こそが、
人間として最も尊いものだ。

それこそがまさに無数の宗教戦争や自爆テロの精神であることが判らんのか。
宗教の危険性そのものである。「究極の目的」とは一体何?何を基準として
決めるのか?


916名無しさん@3周年:04/05/12 10:50
>>913
>そういうお前は、宗教がなかったらもっとマシであったであろうことをちゃん
>と説明してみたら? 

そんな仮定の質問に答えることは全く意味がない。仮定は、証明されない限り
あくまで仮定である。

>>888

> キミが考えてるほど宗教やってる人ってのはのっぺらとしてないと思うよ。
> 無垢に神とかを信じる人もいれば信仰と疑念の狭間で揺れてる人や やたら
> と勧誘する迷惑な奴もいる(w 人間の価値観ってそう簡単に変わるとは思
> えないな。

>>880の最後に書いたとおり、ことは「完全なる抑圧」と「完全なる自由」の
デジタル的な問題ではなくて、それぞれの宗教やそれとの関係性次第で抑圧の
程度というのは様々であり得ると思う。すなわち、上で示した「根元的基準」
の全てをまるごと完全に支配されるというケースはむしろまれで、実際的には
精神が部分的に侵食を受けるとでも表現すればよいような事態として表現でき
るんじゃないかな。

では、「ちょっとなら良い」とすればよいのか、そうではないのか。オレは少
しだろうが多くだろうが、それはやはり主体性の剥奪には他ならず、厳然とし
て抑圧だと見なすべきだと思う。

むしろ、自分では気づきにくいような部分的な侵食が秘かに行われていくとい
う側面に、宗教という営みの恐ろしさの一つがあるんじゃないだろか。また、
もう一つ重要な点として、子供時代から宗教に接している場合は、そもそもそ
の抑圧を回避する手段が与えられていないという場合もあるというのがあるよ
ね。
> > 苦しさが消えさえすればオレたちは満足するか?そうではないはずで、本来
> > 自分自身の手に しっかりと握っていなければならない何かがあるはずじゃ
> > ないだろか。

> 言葉尻をつつくようで悪いんだけど多分君の主張は「抑圧性」ではなくて
> 「依存性」のほうが相応しいような気がしてきました。 この2行にそれが
> 現れていますね。

「依存」というと語弊があって、支配者に対して自分から近づいていくのが
「依存」だとすれば、それだけではなく、意識的にせよ無意識的にせよ、支配
者の側からの積極的な支配を受ける「被支配」もあり、結局言いたいことはそ
れらを含めた「被支配」の全体とそれと表裏一体であるところの「自我の抑圧」
ということなんだけど…。

もちろん支配を受けることを望む心も人間には存在するという事実はここでの
重要なファクタだとは思うわけで、そういう意味では「依存」も重要なキーワー
ドにはなるけど、それも含むものとして「抑圧」の構造がある、という。
>>894

> >こういった、判断の根拠の根拠の…と遡った先にある世界モデルと価値基準の
> >ことを「根元的」と表現しているわけ。
> これは行き着く先は「エゴ」になるかな。

オレ、「エゴ」を実はあまりよく意味が分からずに使ってたりする…。

> >>880
> つまり盲信に到る可能性がある。性質があるということだね。

「盲信」自体というよりも、その結果生ずる主体性への侵食という事態こそが
マズイんじゃないかな、という。盲信する対象はいろいろなわけで、その中で、
主体性に干渉する部分での盲信がまずいという話で、何でもかんでも盲信した
時点でダメという話ではない。

ちなみにハルカ氏(>>910, >>511)の「外部より投射された価値観の優先順位を
(己や命さえも差し置いて!)第一位に持ってきて、目的と手段を混同してし
まうのが『盲信/狂信』です。」については、「盲信」にも「狂信」にもそう
いう意味は含まれてないよ。


> 話逸れるけど「言葉」にはそうした拘束力は確かに存在するね。
> これを陰陽では「呪」という(w

「言葉」の問題は、どうにも逃げ道がないような話みたい。人間の本当の自由
は発狂と死によってしか得られない、みたいなことが言われたりするよね。