‡ネストリオス異端に救いなし‡

このエントリーをはてなブックマークに追加
187名無しさん@3周年
>>132
ソースの追加保存です。

非カルケドン派のオターとルターは悔い改めるように。
混同をイディオマ交流(ιδιωματων κοινωνια)と称しても無駄です。

カルケドン公会議 451年10月22日第五総会において採択されたカルケドン信条の序文抜粋。
・・・処女が神の母であることを否定している。他の者は一つの本性の混合を導入し、愚かにも人性と神性は一つであると主張し、
この混同によってひとり子の神性が苦しんだと言っている。
・・・また、古いローマの司教レオがエウティケスの誤謬を滅ぼすためにフラビアヌス大司教にあてた書簡を、
ペトロの信仰宣言に合ったもの、邪悪な教説に正しい教義を教えるものとして受け入れる。
「H. デンツィンガー編集, A. シェーンメッツァー増補改訂, 浜寛五郎訳, “カトリック教会文書資料集 改訂版 : 信経および信仰と道徳に関する定義集,” エンデルレ書店, 1996.」

カルケドン信条を起草し採択した23人の教父らが、「愚かにも」と形容したのは、明らかにオターやルターたちのことです(笑)
更に、彼らは公会議の中でレオ一世教皇のフラヴィアヌス書簡の正統性を認めていますが、
例の書簡では救主の十字架の苦しみが神性とは別の人性によるものとはっきり断言しています。

だから他にも多くの例がありますが、死んでしまった友のことを憐れんで泣き悲しむことと、埋葬後四日目も経った墓の石を取り除けさせ彼に命令を与え、生き返らせること、
十字架にかかったことと、昼を夜に変えて全地を震わせたこと、
また釘にはりつけになったことと、信仰を示した盗人に楽園を開けたこととが、異なる本性に属するように、
「レオ一世教皇 フラヴィアヌスへの書簡、中世思想原典集成〈4〉初期ラテン教父、上智大学中世思想研究所 (翻訳)、平凡社、1999年」

カルヴァンはカルケドン公会議の正統性を著書の中で認めています。

そういうわけで、ネストリウスは当然エペソ会議で断罪された。そして、それと同様、後年、コンスタンティノポリスとカルケドンの会議でエウティケスは断罪された。
すなわち、キリストにおける両性を混同することは、これを分離することにおとらず許されないからである。
「カルヴァン キリスト教網要U、渡辺信夫訳、新教出版社、昭和37年」