果たして三位一体は正しいのか!? 第二位格

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571名無しさん@3周年:2005/08/21(日) 00:09:17 ID:yVuRAiJ+
イエス(父なる神)は実の母に自分自身を妊娠させた。

アブノーマル・・・・・・・
572名無しさん@3周年:2005/08/21(日) 01:44:47 ID:ik+DVpFZ
玄義(Mistery)ですね。面白い詩を見つけた。

Her Father's mother, daughter of her Son,
She blends all paradoxes…

Return of the Virgin to an Episcopal Church in Iowa Once Called St. Mary's
ttp://theologytoday.ptsem.edu/jul1994/v51-2-poetry3.htm
573名無しさん@3周年:2005/08/21(日) 16:46:10 ID:qCGTdeJ3
>>571
世に自らを表そうとしたのでしょう。
聖霊の力によりマリアが身ごもり、御子が生まれたのです。
574名無しさん@3周年:2005/09/15(木) 20:33:41 ID:m2KFPrcm
-アリウス派はユダヤ教的な一神教に重きを置いていたし、エッセネ派ユダヤ教徒であった
人間イエスの救世的活動の近くに身を置いた者の考えであったようだ。-

-何らかの影響を中部北部ヨーロッパに残したであろう。16世紀にはプロテスタンティズムや
ユニテリアンが起こる。これらの動きと全く無関係とは言えない。-

「異端」アリウス派
ttp://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/bun041.htm
575220:2005/09/16(金) 04:46:00 ID:7pBBx2fY
>>570
旧約と新約では教えの内容がまるで違います。
ユダヤ教徒とキリスト教徒の違いと同じです。
三位一体を人で表せば多重人格者です。
そのような人物は信頼できません。
576名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 05:26:00 ID:MM+KZLud
父である神は唯一(エフェソ4:6)
言は神。御子は見えない神。イエスキリストは主(ヨハネ福1:1、コロサイ1:15、フィリピ2:11)
神の御霊(Tコリント12:3)

同じ神・神は唯一・主は同じ主、主は一人
(Tコリント12:6、エフェソ4:6、Tコリント12:5、エフェソ4:5)

−−−−−−−−−??? 三位一体で無いの ???−−−−−−−−−−−−−−−−

唯一の神の父から神の子(言)が生まれる
 ↑
イエス・キリストである主(神の子(言))が世界を作る(キリストの名を通して父なる神を賛美)
 ↑
神の霊(聖霊)によるので無いと神の子が同じ一人の主と言えない(信仰を告白)
 ↑
神の子は、天では王で、地上の教会では頭(礼拝で賛美し感謝する)
 ↑
キリストの弟子や使徒の集会が祈っていると、聖霊が降臨してキリスト「教会」が生まれた

−−−−−−−−−??? 三位一体で無いの ???−−−−−−−−−−−−−−−−
577名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 05:26:36 ID:MM+KZLud
@神・創造主 
 アダム(A人間の原罪)
 アブラハム(F神の約束による神の恵み・G信仰の父)
 モーセ(E十戒)→サムエル→エリヤ(D預言者)
Bヨシュア____ダビデ(Cメシア)
 ↓________↓
 イエス・キリスト[ギリシア語]→ヨシュア・メシア[ヘブライ語]  
(@神の子・D預言者・F神の約束による神の恵み・A人間の贖罪・E愛の戒・G信仰の父)

----------------------------------------------------
お釈迦の
弟子が死後に言い伝え(口伝[くでん])を「結集」し 後世に「お経」を書き残した。

天台チギ大師の
弟子が、「摩訶止観(まかしかん・大きな瞑想)」を書き残した。

ソクラテスの言葉を
弟子のプラトンが「ソークラテースの弁明」「クリトーン」のように書き残した。

キリストの言葉を
弟子のペテロの書記マルコがペテロの死後に「マルコ福音書」に書き残し
弟子のペテロに会った使徒パウロが生前に「パウロ書簡」に書き残し
使徒パウロの書記ルカが生前に「ルカ福音書」「使徒言行録」に書き残し
書記ルカと面識のあった長老ヨハネがルカの死後に「ヨハネ文書」に書き残した。

教祖自身とか、神自身が書くとか、あまり過去事例に聞かないが・・・
--------------------------------------------------------------
>バガヴァンBhagavan(世尊) 同p40
バガヴァッド(神の)・ギータ(歌)
バカボン・バカボンド(日本訛りの真言宗でいう仏・釈迦(世尊・世に尊い人)・インドの神)
マハー_ラジャ(大きい_王様)マハー_シャマタ_ビバシャナ(まかしかん・摩訶止観)
578名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 05:29:21 ID:MM+KZLud
霊・精神(風・霊感・良心の痛み・理性)魂・心(呼吸・魂魄・心・感情)肉体・身体(血流れる肉体・骨肉)

【 異端説1 アポリナリオス異端 】
神の子キリストは霊(神性・神の霊)・魂(人性・動物)・肉体(人性・動物)

【 異端説2 サベリウス異端 】
神の子キリストは「神」である霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)から
「人間」として霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性)とヘンゲして十字架で死に昇天後に
「聖霊」として霊(神性)となって地上に君臨した。

【 神は3つの[位格]を持つ 】
父なる神は霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)
↓  ↓
↓ 生まれる(父と子は、神として、ホモウシオス[同質])
↓  ↓
↓ 神の子キリストは霊(神性と人性)・魂(神性と人性)・肉体(神性と人性)
↓ (神のロゴス、神であり人)

出でる[発出(はっしゅつ)]

神の霊(聖神・聖霊・みたま[冒涜してはならない存在])は霊(神性)

【 この世の流れ 】
父なる神(創造主・アルケー[根源])
 ↓
神として「神の子」が生まれる(創造主・子に関してはアルケーを議題にしてはいけない)
 ↓
天地創造(被造物)
 ↓
聖霊により人間マリアから人の子[人間]として「神の子」生まれる

http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1088829700&st=1&to=100
579名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 05:46:06 ID:zWQ8+hbG
【 主は唯一・主は神、神は三位一体 】
神なる父(エル・モシェ(モーセ)が聞いた
↓  ↓ 主の名「あってある者(存在というBE動詞:ヤーベ・ヤハウェ)」)
↓  ↓
↓ 生まれる(父と子は同一+本質:ホモ+ウシオス[同質]、
↓  ↓   万物は「デーミウールゴス:創造主」によって創られた)
↓  ↓
↓ 神の子キリスト(神の言葉:ロゴス、両性論[神であり人]、
↓  ↓      BE動詞現在形:ヤーソ・イエス(ヨシュア))

出でる[発出(はっしゅつ)]

神の霊(聖霊・みたま[冒涜してはならない存在]、
    癒しの奇跡を起こす、異言(グロッサ)を語らせる)

--------------------------------------------------------------------------
父なる神(創造主)
 ↓
神として「神の子」が生まれる(創造主)
 ↓
天地創造(被造物)
 ↓
聖霊により人間マリアから人の子[人間]として「神の子」生まれる。
 ↓
先駆−洗礼者ヨハネによる洗礼によって人間の罪を償う贖罪の子羊としての「神の子」の啓示を受ける。
 ↓
受難−十字架−復活−昇天により神の子イエス・キリストが父なる神の右に座し人間に対する天に国籍ある者の「王」となる。
 ↓
聖霊降臨により地上にキリスト教会が成立する。教会(キリスト教徒の集会)の頭としての[人の子]イエス・キリスト。
580名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 05:46:55 ID:zWQ8+hbG
【 教会の頭(ブドウの幹)はイエス・キリスト、肢体(枝)は信徒 】

神なる父(三位一体論の神性のみ)

神の子キリスト(神性と人性(両性論・キリスト論)神と人の中保者・取り成し手、
↓       永遠の神が有限の人間の罪を代わって償う
『聖霊の洗礼』 [人間となったキリストの有限の命は、人間の罪の身代金])

神の子となった信徒(洗礼を受けた人間。
↓  教会の一員となったからには、教会の頭キリストが主人である事を宣言し、
↓  血(ワイン)を飲んで罪の赦しを契約し、肉(パン[同じ釜の飯])を食べ、
↓  神の言葉:ロゴス・永遠の命を、信者の肉体(神の宮:神殿)の中に持ち、
↓  キリストの一部になる)
↓   ↓
↓  福音(よい+知らせ:戦勝報告[戦いに勝ち生き延びられた[喜び]を人に知らせる]、
↓   ↓ エウ+アンゲリエ[エヴァンゲリオン]・キリストの救いを布教する事)
↓   ↓
↓  罪を赦された余裕を持って、罪ビトにも赦し愛を与える。

[一人間の命の終わりの]死後の裁き(第一審判決)と
[この世の終わりの]最後の審判(最終判決)

罪ビト(洗礼を受けてなくて、キリストの弁護も期待できないし、
    有限の人間が自力で、楽園(天国)から追放された
    永遠の罪を償えないので、
    無限に天国に帰れない[同じ生まれ変わり死に変わり
    の『悪に悪を返すのを善と間違える』輪廻[を]し続ける]地獄へ行く人間)
581名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 05:48:06 ID:zWQ8+hbG
このように 神と人間・万物の間を取り持つ「役割の人」や関係を 教学や神学的に
キリストの「中保者(ちゅうほしゃ)」としての役割と呼ぶ。

神であり且つ人
人であり且つ神でなくてはならないのが 中保者であるキリストの存在。

霊(プネウマ)魂(プシュケ)肉体(ソーマ)[ギリシア語]
霊(スピリッツ)魂(ソウル)肉体(ボディ)[英語]
神(精神・理性・良心の痛み)魂(魂魄・感情)身体(血肉・骨肉)[日本語]
 
霊(神性)が神の霊の聖霊
霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)が父なる神
霊(ロゴスが人に)・魂(ロゴスが人に)・肉体(ロゴスが人に)が神の子キリスト(受肉の神)
霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性)が人間
(なし)_・魂(人性)・肉体(人性)が動物(および狂人や植物人間など)

--------------------------------------
【 異端説1(アポリナリオス説) 】
霊(神性な神の霊)・魂(人性の動物)・肉体(人性の動物)が神の子キリスト

【 異端説2(サベリオス説) 】
霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)であるは「神」、神の子キリストから
霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性)の「人間」としてヘンゲして十字架で死に昇天後に
霊(神性)の「聖霊」となって地上に君臨した。
582名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 06:00:58 ID:yrA179gI
父は 唯一の神
子は 唯一の主(キリストの神ではなく、「父なる神」の子)
神の子・イエスはキリストで主、と告白させる「神の霊」
これを
三位一体(の、神のあり方「神の位格」)といった。
(「いろいろな顔」とか「側面」と説明で言葉を使えず、「位・くらい」という???)

神の本質としては、同等・同一の本質(ホモ[同等・同一]+ウシオス[本質])。

神が三人ではなく
アリウス???異端説: 一神(父)と一人(子)と一霊(聖霊)でもない。
サベリオス異端説__: 一人が三変化(父から子に、子から聖霊に)したのでもない。
アポリナリオス異端説: 霊が聖霊(父なる神)で魂と体が動物である人間がキリスト−イエス。

父なる神___: 霊も魂も体もある神
神の子____: 神の言葉(ロゴス)が人間の肉の形を取った(受肉:人間となって生まれた。の意味)
神の霊(聖霊): 霊だけで体や魂が無いが、複数の人間に神の権能を働きかける。
583名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 06:02:21 ID:yrA179gI
ラビ(ユダヤの教師)は祈って、神に呼ばまわった(シェムエル)。
神は生きておられる(エリヤー)。彼らを救って下さい(エル・イェシュアテーヌ)。
すると 聖書のある箇所に目が止まり 神は一つの聖句を示された。(神の啓示)
聖句から前後してヒントが与えられ アイディアを生かして努力し 彼らは救われた。(神の救済)

始めにコトバ(ロゴス)があった。神はコトバと共にあった。コトバは神であった。
コトバの内に愛があった。コトバ(ロゴス)に愛があって、神は愛であった。聖霊は神の霊である。

聖霊の内(なか)で生きるように
愛の内で生きるようになった。平和の内(うち)に過ごせる様になった。

聖霊に”よって”という外から他人に聞かされて
            (魔が差すように)他人が身体に入ってくるのではなく
聖霊の”なかで”という愛・コトバ(アガペー・ロゴス)に包まれて
                      身体の内側から呼ばれるのである。

人間には聖霊があるし聖霊を持っているし聖霊のうちにいる。
人間には愛があるし愛を持っているし愛のうちにいる。
しかし人間は不完全で愛が働かず良心の痛みや理性を失い
その時その時に必要な物が判らないし知る事が出来ない。

トルストイの民話(モルモンのHP)・ヨハネ福音書・聖ワシリー(聖バシレウス)の説教などから。

神は一つで3つの位格を持つ(3つで1つ、1つで3つ)父なる神、神の子キリスト、聖なる神の霊
愛・神の言葉・永遠の命・希望の光などにおいてホモ+ウシオス(同等+本質・同一+本質・同質・等質)
584名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 06:05:04 ID:yrA179gI
ほかのスレからのコピペ。

T.神はただお一人である(Tコリント8:4、イザヤ45:5-6、21-22、46:9、
  44:6、8、詩篇86:10)。
U.神には父子霊の三つの面がある。
 A.神は自らを「わたし」また「わたしたち」と呼ばれる(イザヤ6:8、創世記1:26)。
 B.父子霊の問題(マタイ28:19)。
V.父子霊は永遠から永遠まで同時に共存する。
 A.父子霊はみな神である
  1.父は神である(Tペテロ1:2、エペソ1:17)。
  2.子は神である(ヘブル1:8、ヨハネ1:1、ローマ9:5)。
  3.霊は神である(使徒5:3-4)。
 B.父子霊はみな永遠である
  1.父は永遠である(イザヤ9:6)。
  2.子は永遠である(ヘブル1:12、7:3)。
  3.霊は永遠である(ヘブル9:14)。
 C.父子霊は同時に共存する(ヨハネ14:16-17、エペソ3:14-17、Uコリント13:14)。
W.父子霊は相互内在し、互いに分離しない(ヨハネ6:46、5:43、14:9-10、15:26、
  14:26、8:29、ルカ4:1)。
X.父子霊三者は一である。
 A.子は父である(イザヤ9:6、ヨハネ14:7-11、ヨハネ10:30)。
 B.子(最後のアダム)は命を与える霊となった(Tコリント15:45、ヨハネ14:16-20)。
 C.主(子)は霊である(Uコリント3:17)。
Y.神が三一である理由(Uコリント13:14)。
585名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 06:27:40 ID:FbXFmn+d
586名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 09:56:21 ID:mIm7013/
またかコピペの垂れ流しか。結局575の望む解答には全然なってないんだよ。
俺は575じゃないけど。

だから『父なる神(創造主)』と共に『神としての「神の子」(創造主)』が存在するのならば、
しかもどちらにも独立したそれぞれの人格を認めれば、当然創造主が二人併存してしまうことになる。
これで神の唯一性は破壊され、キリスト教は一神教でなくなる。

父なる神に一つの人格、子なる神にまた別の一つの人格、聖霊に(ry
ん? キリスト教の神は三人格の神だから、父も子もそれ自体は神ではないの?
それとも父なる神に三つの人格があり、子なる神も三人格? なんじゃそりゃ?

神というからには、無限、永遠、遍在、全知、全能、唯一、自存、などでなければいけないが
その神がもう一人の、無限、永遠、遍在等々の別の神を生むということ自体背理。
587名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 09:58:50 ID:mIm7013/

主は言われる、人は密かな所に身を隠して、私に見られないようにすることができようか。
主は言われる、私は天と地に満ちているではないか。(エレミヤ23:24)


天と地にあまねく遍在している神(創造主)とは別の神(創造主)がもし存在するのならば、
その神も当然遍在でなければならないが、一方の神が全てを占めているのに、
いったいもう一方の神がどこを占めることができるというのか?
無限で永遠で全知全能だけど遍在ではない神? そんなものは神でもなければ創造者でもない。

そもそも神と人間の間を取り持つ中保者という概念自体が、正統説ではこれが精一杯なんだろうが、
イエスを神より下位の存在に貶め、イエスの上位に父なる?神がいるかの如きニュアンスを帯びる危険性を秘めている。

まあ聖書は「譬えの書」だから、主御自身が約束されているように、
「もはや譬えではなく、父についてはっきりと告げる…」(ヨハネ16:25より)
その日がくるのを待つしかないでしょうな。

いや、ひょっとしたらもうその日は来ているのかもしれない。
だとしても正統説は保身のため猛烈に抵抗するだろう。
太陽を纏った女を大水で押し流そうとする竜(黙12章より)のように・・・

正統説に恨みがあるわけでもないし正統説で困らないというならそれでもよいが、
矛盾点はどうしても指摘せざるを得んなあ。
588名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 10:02:52 ID:mIm7013/
ありゃ、初歩的なミスをw

586の訂正

誤 またかコピペの垂れ流し
正 またコピペの垂れ流し
589名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 11:20:43 ID:wLkSOPet
人間(動物の個体・肉体のような存在の仕方)としてみれば
3人居る説明しか受け入れられないだろう。

たとえば光は単数とか複数で表せないし、発する言葉も単数とか複数といえない。
命は分割できない。クローンとも違う。

人間でなければ、別に説明のつけようもある。

矛盾した文脈だらけの整合性とりなのも自分では判っている。
神は単数なのに複数だったり、ドコにでも居るという。

「唯一の神」だから
バアルとかイシュタルとか、別名の2人以上の神はあってはいけないのか?確かにそうで
バアルの子とバアルの聖霊で複数の神がいるという解釈はドコの宗教でもしていない。
「複数の神」といった時
インドラ・盤古・イシュタル・ラー・ミトラ・アフラマズダ・シバ・不動明王など
別名で別実態の神が沢山いる。という意味に解釈している。

神が唯一なのは「本質(ウシア)」において、と断っている。
2人とか3人だという個数や数詞の問題ではない。
実態として、神は複数おらず
皇帝や王などの人間や想像上の生き物を神にする事は偶像として否定している。

たとえば神の化身という。神の化身は神ではない。神の使いという神ではない。
唯一の化身とか唯一の神の使いというのも問題になっている。
天使(ミカエル)と預言者(エリヤ)についてである。
590名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 11:24:10 ID:wLkSOPet
父と子で神は2人だ。聖霊で3人だ。じゃあ実態は。[といえば]無い。
父は光の中にあって人間に見えない。
子はコトバ(ロゴス)であって昇天後は見えず、神の言葉が存在する。
聖霊の体が「どういう形」か判らない。
鳩の様に下ってくる。だの、舌のような炎が現れて頭上にとどまった。としか書かれていない。
光を1人と数えるのだろうか。
コトバ(ロゴス)を1人と数えるのだろうか。
鳩のように下る[舌]のような炎が数え切れないのだが、何人と数えるのだろうか。

どだい人間として神を見ていると、神を人間として解釈しようとすれば
そのような判らずやで、おわるのだし、オカーチャンか金持ちにスガル様な宗教でしか
物を見ていないと、わかろうものではないか。
お不動さん、弁天さん、大黒さん、金毘羅さん、などご利益信心だと
そこに下界の人間に命じて
お金を届けさせるような召使(人間のようなもの)を神と崇めているのではないか。

神は目に見えない召使(人間のような生き物)の事だ、というのだろうか。
価値観や宗教観が違う所から説明を始めないといけない。
591名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 11:25:01 ID:wLkSOPet
矛盾した文脈だらけの「整合性とり」なのも自分では判っている。
神は単数なのに複数だったり、ドコにでも居るという。
592名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 11:46:13 ID:N3wvBjIa
三位一体の神はとにかく全能なのでなんでもありなのです。
593名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 18:03:38 ID:mIm7013/
>人間(動物の個体・肉体のような存在の仕方)としてみれば
>3人居る説明しか受け入れられないだろう。

いやいや、例えば人間には心臓と肺がある。どちらか一方を欠いても
一人の、一つの命を持つ人間として成立しないわけです。

何かをしようとするとき、まずその意志がないと何も始まらないが、
意志だけではなく、具体的な手段としての知恵もないとやはり何も起こらないのです。
つまり、一人の神には(我々人間もそうだが)、意志と知恵が存在する。
意志の神様と知恵の神様の二人の神様がいるわけでないのです。本当は。

まことの命と、まことの光を持つ方は別々だろうか? いやそうではない。
一人の方が二つとも持ち合わせているのです。一人の人間が心臓と肺を共に持っているように。

旧約には神は実に様々な名前で登場する。しかしながら当然名前の数だけ神が沢山いるわけではない。
再三神は自分は一人だと主張している。実際その通りなのです。
様々な名前は、唯一の神の無限かつそれが多様に現れる神性における何かをあらわしているのです。
それを相応の知識といいます。要するに、失われたその知識が再び啓示されるであろうということです。
例えば心臓は意志に、肺は理解(知恵)に相応するというのは今まで知られてなかった。
594名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 18:06:18 ID:cWWEG7Ux
神に関する物理学的考察

1.神はただひとつの存在であり、全宇宙に満ちている。
このことは、神が量子力学的存在(点ではなく波動関数
であると仮定すると説明できる。
波動関数「神」は全宇宙にわたって広がっており、
波動関数「神」とその共役複素関数「神」* の積は、
宇宙空間上の任意の点および時刻での神の存在確率を示す.
全宇宙空間にわたって神の存在確率を積分したものは、1となっている。
すなわち、神は唯一神である。

2.三位一体について
神が量子力学的存在であるとすると、
「神」には、基底状態のほかに、エネルギーの異なる種々の励起状態がある。
基底状態はヤハヴェとよばれ、励起状態においては、
エネルギーの低い順から、それぞれ、第一位格、第二位格、第三位格となる.
エネルギー状態が異なると、観測者からは全く別の位格として観測されるが、
その本質は同一である.
なお、アッラーが神の励起状態であるか否かは観測データが十分ではない.

3.天地創造に関して
神が量子力学的存在であるとすると、
天地創造すなわちビックバンも量子力学上の問題であるから、
波動関数の相互作用の結果ビックバンが生じたということを
説明できる.

4.キリスト教の本質について
以上のように、キリスト教神学上の問題のいくつかは、
聖書と矛盾することなく科学的に説明できる.
よって、キリスト教にとって本質的なのは、
キリストが十字架にかかって流された血によって、
人間の救済が行われたということになろう.
595名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 18:08:44 ID:mIm7013/
また神の意志とは神の神的愛のことでもあり、それは神の司祭性でもあり(真理は神の王者性)
ゆえに司祭メルキゼデクに譬えられている。

神はことばによって万物を造った(ヨハネ伝冒頭)とあるが、
言葉とはすなわち真理であり、また神の知恵なのです。
意志がなければ知恵も存在せず、知恵がなければ意志も無意味である。
いずれも一人の神の神性です。それは我々人間も一人の人間が意志するだけでなく、
考え、そして実行するのと同じこと。

すなわち、全知、全能は神の知恵の領域における神性であって、
またしばし「神の右手」「王」「裁き」などという言葉で表象される。
つまり無限とか全能とか、神性そのものは見ることができないのが、
それは明らかに万物の根元であり、先在的なものであり、かつ先在的なものがあって
はじめて後在的なものがあり、先在的なものは後在的なものの中に落ち込み、
結果である後在的なものしか見ることができないが、見えるものの中に見えないものが固定され、存在している。
つまり自然的な言語なり事物なりの内に、秘めた内意があるというのが主の聖言なのです。

聖言は、自然的な字義だけでも初心者や単純な理解のためにそれなりに読めるようになっていますが、
字義だけでは説明がつかない記述があるのも事実。
啓示を真に望むのならば、それが望む者に与えられますように。
596名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 18:12:35 ID:mIm7013/
一つだけ確かなのは、字義だけなら矛盾だらけに見える記述でさえ、
それは高い内意に照らせば全く間違いではないということです。
神は無謬であり、当然聖言も無謬です。

例えば「御霊が鳩のように下ってきた」と書かれてあっても
これは洗礼の持つ本来の意味(といってもなかなか説明が難しいが)の、
最終的な外観がそのように霊的な幻として見えたのであって、
鳩自体は御霊でも聖霊でもありません。また聖霊は鳩でもない。

また神は人間であり、その人間性は神的意志から発した神的真理の内自体にあります。
そのことは、ヨハネ伝冒頭、または「アブラハムがいる前から私はいる」(9:58)と書かれてあるとおり。

ただし、有限なる時間の中においては、神御自身がある時期にこの世に受肉したのです。
(もっともこのことが世の初めから定められていたのは旧約の預言書にあるとおり)
つまり主は「永遠においては創造者であり、時間においては贖罪者」であるということ。
創造者と贖罪者が別々に存在するわけではない。

よけい混乱するだけかな?
主は「痛んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない」方です。
私も個人攻撃を望んでいるわけではなく、あなたの信仰にケチをつける気はありません。
私だって分からないことはいっぱいありますからね。
これ以上のことは、機会があればまた書くかもしれません。

>>594
鋭い考察ですね
597名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 18:59:12 ID:mIm7013/
ちょっと595の最後を改訂しておきます

“初心者や単純な理解のために”

これを
“初心者や基本的な救いの教義のために”

と置き換えてください。
598名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 22:38:12 ID:2FNO5YiB
新約聖書は、神ではなく人間(聖人であったとしても)が、
人間ではそのすべてを理解することができる訳ではない、
神の行動を、記述したものであるので、
神学上完璧な整合性がとれてないのは、仕方のないことである.

これを、宗教上の決定的な欠点とみるか、それはそれとして、
その宗教の本質に目を向けるかは、各人の資質である.

個人的には、神学上の解釈の変遷は理解してみたいとは思うが.
599名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 10:26:43 ID:FanxsLG3
>私も個人攻撃を望んでいるわけではなく、あなたの信仰にケチをつける気はありません。

煩わせてしまったようです。信仰にケチをつけられたと思いません。

キリストの使徒パウロなどの説明する神が
アラジンの魔法のランプの召使や死んだ人間の亡霊ように3人いる。という
イメージで見て欲しくなかっただけです。
600名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 10:33:27 ID:FanxsLG3
夢枕に立つのは神だと思っていません。
神に使わされた
御使い(アッゲロン・天使)や聖人(天から御使いに降った信者の死者)だと
思っています。

旧約では神が現れた顔を見合わせて見た。といいますが。
主のお告げ。主が語られた。
岩石砂漠の山にある柴の木が炎に包まれているのに
焼け落ちず生きた緑の木々のままで声が聞こえる。主の声だ。語りかけている。
神の顔は見えない。
つまり、光に包まれ目がくらんで幻や夢に声は聞こえど目に見えず。語った内容はわかった。
です。
エリヤ(若者に見える預言者)のモーセ(白髪の老人に見える預言者)も
イエスやペテロには「山上の栄光」で見える現れるわけですから。
601名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 10:38:04 ID:FanxsLG3
そしてダマスコ郊外のパウロには
イエスの声は聞こえるが、姿が目に見えない。

第三天の天国を見た人の話を聞き、天を語る。

神は光の中にあって、姿が見えない。声は聞こえる。
ですね。

人の形をした神の言葉を語るものは、天使や預言者や聖人なんです。
神ではない。神を形容したものなんです。
受肉の神(人間の肉体を執った神)は、だだ唯一、神の子キリスト−イエスのみです。
602名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 10:39:46 ID:FanxsLG3
>エリヤ(若者に見える預言者)のモーセ(白髪の老人に見える預言者)も

イザヤ?・ エリヤ(若者に見える預言者)の
ダニエル?・ モーセ(白髪の老人に見える預言者)も
603名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 11:09:13 ID:mxG2gw38
>>584
>U.神には父子霊の三つの面がある。
>A.神は自らを「わたし」また「わたしたち」と呼ばれる(イザヤ6:8、創世記1:26)。

「神と天使達」これで「わたしたち」にはならないのか?
604名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 11:11:39 ID:bwc9YZau
三位一体はあとから他教の極意を取り入れて
神秘化したもの。
キリスト教の本来から外れる働き。
605名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 14:40:33 ID:uaVY1iED
>>584
VーAー3.霊は神である(使徒5:3-4)。
>そこで、ペテロが言った、「アナニアよ、どうしてあなたは、自分の心を
>サタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。
>売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、
>あなたの自由になったはずではないか。どうしてこんなことをする気になったのか。
>あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ。」

「神に属するものに背く事」は「神に背く事」にはならないのか?
律法や福音に背いた人が「私は神に背いたのではなく律法や福音に背いただけです。」
と言ったとして、これが通用するだろうか。
606名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 16:10:03 ID:ocNRUHq8
>ある家族の父親が自分と息子を「わたしたち」と言ったらその二人は一体となるのですか?
>聖書では力ある者(例えば人間ですら)神と呼ばれていることがあります。
>父子霊はみな永遠である

 ヤハウェー家・ヤハウェー氏・ヤハウェー部族があるとします。
一家であり、一氏族であるわけです。神(父・子・聖霊)は複数だし、神(家)は単数です。
 ヘブライ家は、アンモン家やエドム家とは別の家系です。藤原家は、平家や源氏ではないです。
橘系統だという鈴木・菅原なども木の一族で藤原でないです。
大和民族としての日本人であり万世一系。日本人として一つ。
秦氏・羽田氏、斉氏、叶氏も帰化したから大和民族です。朝鮮族ではありません。
 池沼の大正天皇で皇国史観が出来た後の
昭和天皇はカトリックの嫁を邪険にしましたが、教育勅語の前に幼帝で文明開化となった
明治大帝はニコライ大主教[正教]にもヘボン博士[プロテスタント]にも勲章を与えました。
 力があるから神ではありません。権能の話などもそうですが
人間が発揮する授けられる受動と、神が授ける能動では役割が違います。
父なる神が授け、子を通して、聖霊が働く。人間は神ではないわけです。
607名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 16:11:32 ID:ocNRUHq8
主なる父なる神(能動・生きている(ヤー・存在する)代々に続く命(ゾーエー・永遠の命))
_↓________↓
生む_______出でる
_↓________↓
神の子イエス(ロゴス・神の言葉・子を通して)
_↓________↓
天地創造______↓
_↓________↓
受肉(母マリア)_聖霊(神の言葉を思い起こさせる力)
_↓_______ ↓
人の子キリスト__聖霊降臨
_↓________↓
人間(受動)___聖霊が臨む信徒である人間(受動)
608名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 16:23:35 ID:uaVY1iED
神を論理で否定できないのと同様、神にまつわる教説もまた、論理では否定できない。
609名無しさん@3周年:2005/10/12(水) 22:22:18 ID:TSDgX0tT
昭和62年1/20神奈川新聞、朝日新聞に「密教食は違反食品」
無許可の漢方薬品を混合した「密教食」を600〜635円で仕入れ3000〜4500円で
信者に7億円売りさばく。光和食品社長(当時)阿含宗教祖・桐山靖雄ら7人が神奈川県警と横浜港南署に
薬事法違反で書類送検される。
610名無しさん@3周年:2005/10/14(金) 22:38:57 ID:xGX//fpF
【 高句麗好太王・倭王武・六朝宋国時代の前後の行政名 】
比列忽=江原道安辺=臨屯郡東施県
何琵羅(冥州)
悉直
[辰韓]斯盧国(新羅城)楽浪郡屯有県?
[任那]召文県(安東?)楽浪郡遂城県?
[任那]沙伐県(尚州)
[任那]卓淳県(倭館?・星州?・星湖?)楽浪郡崎離営?
[任那]南加羅県(任那日本府?・金官国・金海)[弁辰]狗邪国・楽浪郡海冥県?
[任那]安羅県(済浦?・馬山?)帯方郡新南県?
[任那]帯沙県
[任那]多利県
[任那]牟婁県・[馬韓]咨離牟廬國?
[任那]己文県(光州?)[馬韓]古蒲國?・[馬韓]楽奴国?・楽浪郡楽都県?・真番郡樂都県?
泗比(扶余)[馬韓]月支国?
熊津(公州)[馬韓]伯済国?・百済?
馬津(牙山?)
買召(済物浦・仁川)
北漢山(慰礼城・漢州・泰村王・泰封国・京城・ソウル)楽浪郡帯方県?
南漢山(漢城)
楽浪郡朝鮮県(王倹城・平壌城)
611名無しさん@3周年:2005/10/15(土) 06:42:04 ID:BM1amPvk
『漢書』卷二十八下地理志第八下(抄) 幽州屬後漢班固撰唐顔師古等註
『續漢書(後漢書)』郡國志五(幽州刺史部)晉司馬彪撰【梁 劉註】
『後漢書』東夷傳 劉宋 范曄撰【唐 章懐太子註】
『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳 晉 陳壽撰(宋 裴松之 註)
『晉書』地理志上 平州 唐 房玄齡 等 撰
『宋書』列傳 夷蠻(抜粋)宋 何承天 初撰 梁 沈約 完成

『通典』邊防 東夷上 百濟 新羅 倭國 唐 杜佑 撰
[新羅は]穢侯あるいは穢王[の]不耐という名の人の穢(wai[偏水旁歳])之地
 穢[領]は帯方郡太守弓遵を戦死させた韓族の地
前漢武帝:漢時樂浪郡之地(楽浪郡不耐県)
三国志魏:魏時新盧國(初曰新盧、辰韓斯盧國)
前秦符堅:[秦]時、王[の]樓寒[が穢王不耐の姓名を改易した旨を伝え朝貢して来た]
六朝宋国:宋時曰、新羅(或曰斯羅、[秦韓新羅城])
梁武帝_:[梁時]普通二年、王姓慕名秦、城曰「健牟羅」(慕秦[慕韓・秦韓]・けむら城[新羅城])
隋文帝_:[隋]時、王姓金名眞平(金真平と言う名の王・慶州は金城[新羅城])
____:[朝貢の際に]樂浪郡公、新羅王[と名乗る]加羅、任那諸國[を滅ぼし領土世襲した]
612名無しさん@3周年:2005/10/15(土) 07:47:37 ID:bXCzYe3L
>>584
ウィットネス・リーのスレからのコピペじゃん!
ウィットネス・リーってこんなまともなこと言ってんの? まるっきり正統神学だよこれ。
613名無しさん@3周年:2005/10/15(土) 08:55:46 ID:BJg/c0D2
健牟羅(ちんむら)
金城(ちんそん・真聖−女王:ちんそん−ぬなわん)
金真平(ちんちんぴん・ちんちんぴら・こんまぴら)
614220:2005/10/15(土) 14:41:30 ID:iAZmXiaV
>>594
> 1.神はただひとつの存在であり、全宇宙に満ちている。(ry
神は霊という存在であり、人間やその他の生物の中に神は存在していません。
(創世記6:3)主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」

> 2.三位一体について(ry
聖書に書かれているヤハウェとキリストは全くの別の人格です。
本質が同一でも状態によってコロコロと人格が変わっては意味がありません。

> 3.天地創造に関して(ry
霊と物質の関連性が全く説明出来ていませんよ。

> 4.キリスト教の本質について以上のように、キリスト教神学上の問題のいくつかは、聖書と矛盾することなく科学的に説明できる.
科学的以前の問題です。

> よって、キリスト教にとって本質的なのは、キリストが十字架にかかって流された血によって、人間の救済が行われたということになろう.
科学的に説明できたとしても救済とは一切関係ありません。
人間的な死が神にとって何の意味があるのでしょう?

>>596
矛盾だらけに見えるように書く必要などありませんけどねw
言い争いの火種になることが予測できなかったのでしょうか・・・
615名無しさん@3周年:2005/10/16(日) 11:50:18 ID:Ev7RbYnK
> 4.キリスト教の本質について以上のように、キリスト教神学上の問題のいくつかは、聖書と矛盾することなく

http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1088829700&st=31&to=42&nofirst=true

★ヤコブ書1:15
 そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
★コリントα書15:56
 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
★ローマ4:20
 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。
 律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。

★へブル書7:27 ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、
 まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。
 というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。
★ガラテヤ書3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、
 私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。
 なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。
★申命記21:22〜23 ・・・死刑・・・木につる・・された者は、神にのろわれた者だからである。
★ローマ書7:6 しかし今や私達を繋いでいたものに対して死んだのであって、
 私達は律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく新しい霊によって仕えているのである。
★コリントβ書3:6 神は私たちに力を与えて新しい契約に仕える者とされたのである。
 それは文字に仕える者ではなく霊に仕える者である。[律法の]文字は人を殺し[キリストの]霊は人を生かす。
616名無しさん@3周年:2005/10/16(日) 11:54:04 ID:Ev7RbYnK
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1088829700&st=25&to=29&nofirst=true
霊・プネウマ[ギリシア語]・スピリット(霊感・ロゴス[神のことば]・理性・
                   良心の痛み[心にある神の戒め・善悪判断]・
                   自由意志[リンゴを食べる食べないの選択力])
魂・プシュケ[ギリシア語]・ソウル(呼吸・心・感情・魂魄)
身体・ソーマ[ギリシア語]・ボディー(血の流れる肉体・骨肉[ボーン&ミート])
で出来ていると考えていたようです。動物と気の狂った人間には、魂と身体しかなく
それに加えて霊が人間にはあるのだそうです。それで霊長類の呼称なわけです。

http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1088829700&st=7&to=24&nofirst=true
【 異端説1 アポリナリオス異端 】
神の子キリストは霊(神性・神の霊)・魂(人性・動物)・肉体(人性・動物)

【 異端説2 サベリウス異端 】
神の子キリストは「神」である霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)から
「人間」として霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性)とヘンゲして十字架で死に昇天後に
「聖霊」として霊(神性)となって地上に君臨した。

【 神は3つの[位格]を持つ 】
父なる神は霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)
↓  ↓
↓ 生まれる(父と子は、神として、ホモウシオス[同質])
↓  ↓
↓ 神の子キリストは霊(神性と人性)・魂(神性と人性)・肉体(神性と人性)
↓ (神のロゴス、神であり人)

出でる[発出(はっしゅつ)]

神の霊(聖神・聖霊・みたま[冒涜してはならない存在])は霊(神性)
617名無しさん@3周年:2005/10/16(日) 15:26:19 ID:LobLMfDB
仏教は、煩悩がなくなれば悪業を積まなくて済む。
根本煩悩(三毒〜十大煩悩)に随煩悩があり、更に75識あるいは100識などがあり
それぞれの意識に、善の意識・悪の意識・無記(どっちでもない)があり
悪の意識を直す対応の善の意識の持ち方や修行方法が仏の教えに説かれています。
悪業を積まねば地獄など三悪趣に落ちなくて済むと考えています。

煩悩の根性を消すのに瞑想で「止・シャマタ」を行い
仏の慈悲の心を瞑想するのに「観・ビバシャナ」を行うといいます。

報いの業力が尽きると輪廻の種子が消え、転生の業報輪廻の世界を解脱し
仏陀として有余涅槃に入り、亡くなった後に無余涅槃に入ります。

輪廻の種子を創るのは、意識であり、種子は第八識のアラヤ識に眠り
次の転生の時に、第七識のマナ識から脳裏の第六の意識に浮かび上がり
煩悩の妄想動作が始まり、それから生じる行いによって悪業を積む事になります。

その悪業の報いが種子に眠り、次の機会や動作の時や、次の転生の時に発現します。

悟りに至る教説は仏教であり、
輪廻を断つ行動力(修行)・思念力(瞑想・座禅)・方法(作法)は仏法です。
悪業断滅に仏・菩薩・明王・天神など世尊(世に尊い者)が修行者を夢幻で支えます。
見えないものは仏(仏陀・如来)・
悪業断滅方法は法(達磨・仏法)・
仏の教説を守る出家僧侶と、その団体を支える在家集団が僧(僧伽・宗門)です。
この仏・法・僧の三宝に帰依する(三帰依する)のが、仏道の初歩だと言います。
618名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 01:42:52 ID:P8oJSY1S
619名無しさん@3周年:2005/11/18(金) 19:36:06 ID:WNCM0txp
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
620名無しさん@3周年
コピペコピペコピペ・・・・・果てしなきコピペ・・・・・