575 :
名無しさん@3周年 :
04/05/15 00:58 >>573 父なる神(創造主)
↓
神として「神の子」が生まれる(創造主)
↓
天地創造(被造物)
↓
聖霊により人間マリアから
人の子[人間]として「神の子」生まれる。
↓
先駆−洗礼者ヨハネによる洗礼によって
人間の罪を償う
贖罪の子羊としての「神の子」の啓示を受ける。
↓
受難−十字架−復活−昇天により
神の子イエス・キリストが父なる神の右に座し
人間に対する天に国籍ある者の「王」となる。
↓
聖霊降臨により地上にキリスト教会が成立する。
教会(キリスト教徒の集会)の頭としての
[人の子]イエス・キリスト。
576 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 01:03
【 主は唯一・主は神、神は三位一体 】 神なる父(エル・モシェ(モーセ)が聞いた ↓ ↓ 主の名「あってある者(存在というBE動詞:ヤハウェ)」) ↓ ↓ ↓ 生まれる(父と子は同一+本質:ホモ+ウシオス[同質]、 ↓ ↓ 万物は「デーミウールゴス:創造主」によって創られた) ↓ ↓ ↓ 神の子キリスト(神の言葉:ロゴス、両性論[神であり人]、 ↓ ↓ BE動詞現在形:イエス(ヨシュア)) ↓ 出でる[発出(はっしゅつ)] ↓ 神の霊(聖霊・みたま[冒涜してはならない存在]、 癒しの奇跡を起こす、異言(グロッサ)を語らせる)
577 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 01:04
【 教会の頭(ブドウの幹)はイエス・キリスト、肢体(枝)は信徒 】 神なる父(三位一体論の神性のみ) ↓ 神の子キリスト(神性と人性(両性論・キリスト論)神と人の中保者・取り成し手、 ↓ 永遠の神が有限の人間の罪を代わって償う 『聖霊の洗礼』 [人間となったキリストの有限の命は、人間の罪の身代金]) ↓ 神の子となった信徒(洗礼を受けた人間。 ↓ 教会の一員となったからには、教会の頭キリストが主人である事を宣言し、 ↓ 血(ワイン)を飲んで罪の赦しを契約し、肉(パン[同じ釜の飯])を食べ、 ↓ 神の言葉:ロゴス・永遠の命を、信者の肉体(神の宮:神殿)の中に持ち、 ↓ キリストの一部になる) ↓ ↓ ↓ 福音(よい+知らせ:戦勝報告[戦いに勝ち生き延びられた[喜び]を人に知らせる]、 ↓ ↓ エウ+アンゲリエ[エヴァンゲリオン]・キリストの救いを布教する事) ↓ ↓ ↓ 罪を赦された余裕を持って、罪ビトにも赦し愛を与える。 ↓ [一人間の命の終わりの]死後の裁き(第一審判決)と [この世の終わりの]最後の審判(最終判決) ↓ 罪ビト(洗礼を受けてなくて、キリストの弁護も期待できないし、 有限の人間が自力で、楽園(天国)から追放された 永遠の罪を償えないので、 無限に天国に帰れない[同じ生まれ変わり死に変わり の『悪に悪を返すのを善と間違える』輪廻[を]し続ける]地獄へ行く人間)
578 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 01:06
三位一体とはこの世を創った神様の3つの側面・人格(ペルソナ・仮面)を表します。 父と子が根源が無い事に於いて存在させる力と生命のあるコノ世を創りました。 父から子が生まれ父から聖霊が出でる(いでる・発出:はっしゅつ)しました。 天に居る父なる神(天主・万軍の主人[サバオト]・デウス)と 右に座す神の子(ギリシア語でイエス・キリスト[ヘブライ語でヨシュア・メシア])は 本質において神の性質が一体(同質[同等+本質]ホモ+ウシオス)です。 人間の形として父なる神は白髪の老人として 神の子は若者で天使や預言者の形として象徴されます。 聖霊は鳩や舌の様な炎で表され 生きる為の癒しや励ましや慰めや夢や知恵を与える存在です。 この父と子と聖霊の3つの神の側面・仮面を「三位一体」とキリスト教では表現しています。 原罪とは人間の不可避な罪意識や通過儀礼的に起こる失敗です。 仏教的には宿業(しゅくごう)に相当します。 宿業・宿命・運命の内の宿業です。 良心の痛みを感じる罪意識。人生一度は失敗する誰しもが犯す罪。 どっちも御相子(おあいこ)・5分5分と言った物です。 祈りとは三位一体の神に願い求める唱え言葉です。 まず祈りの内容には自分の罪の懺悔があり、生きる事が出来た感謝があり、 これからの望みを訴え言い表す事です。 4世紀以来の古くから色々の定型的な祈りの文言(聖務日課[早課・三時課・ 六時課・九時課・晩課など])がありますが 具体的には、主の祈りとニカイア信条 あるいは使徒信条・信仰宣言・信仰告白などがあります。 信者になるには一つの教会の教会員となるべく 聖職者[神父・牧師など]によって洗礼と初聖餐などに預かる必要があります。
579 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 01:09
父なる神=創造神=エホバ 子なる神=創造神=主イエス・キリスト 父なる神=ヤハウェ(アドナイ)=モーセに言われた「存って存る者」という名の神 子なる神=キリスト(キュリオス)=イエス 聖書ヘブライ語−変化形?−ギリシア語?−現代ヘブライ語−日本読み.... 存在(BE動詞)ハーイァー・イァー・イァハウェ・イァーヴェ・エホバ 存在(BE動詞)イォシュア・イェホシュア・イェスース・イェシュ・イエス イアはヤに訛る.... アイはエに訛るが アテナイ−アテネ、アイギュプト−エジプト、 カイロネイア−ケロネイア、ニカイア−ニケア。 唯一の主なる神はヤハウェが訛ってエホバで....
580 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 01:21
エフェソ3:9 また、万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を 実行に移す務めが何であるかを明らかにするためにほかなりません。 フィリピ3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる 御力によって、私たちの卑しいからだを、 ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。 コロサイ1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。 天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、 王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。 万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。 コロサイ1:17 御子は、万物よりも先に存在し、 万物は御子にあって成り立っています。 コロサイ1:20 その十字架の血によって平和をつくり、 御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。 地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。 ヘブライ1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。 神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
581 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 01:23
イエスは神の類似(御子は神でない) 「homoiousios」ホモイウシオス アリウス(アレイオス)説 イエスは神と同質(メシア観と贖罪観による結論) 「homoousios」ホモウシオス アタナシオス説 参照: キリスト教の異端 森山諭・著 ニューライフ出版社 1700円 千代田区神田駿河台2−1 OSCCビル 1976年2月28日 初版発行 1986年10月15日 第3版発行 ・・・<子>は同一本質の者(ホモウーシオス)であると言われるのは ・・・<父>の本質(ウーシア)から〔生まれた方〕 神からの神 光からの光 まことの神からのまことの神 生まれた者であり造られた者ではない方<父>と同一本質(ホモウーシオス ’ομοουσιον)の者・・・ 【註】ギリシア単語はp9から抜粋しカナ読みに付加。語尾はニューでシグマでない。 参照: ニカイア信条講解 キリスト教の精髄 関川泰寛 教文館 p62
582 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 01:25
父なる神(ヤーヴェ[ヘブライ語]父:アッバ[アラム語]神:エル[ヘブライ語])と 子なる神キリスト(イエス[希]ヨシュア[ヘブライ語])は 人格(ペルソナ[羅]・実体:ヒュポタシス[希])ではなく 本体(ウーシア[希]・本質:スタトゥス[羅])において同一(同等:ホモ[希])です。 これを神(テオ[希])の同一本質(同質:ホモ + ウシオス[希])と呼びます。 三位一体(三一さ:トリニタス[羅])の根拠です。 主イエス・キリストは神の言葉(ロゴス[希])であって、このロゴスが、 おとめマリアから人間(アントローポス[希])となって生まれた方だという考えです。 だからイエスは、全く神であり、全く人間です。神が人間にヘンゲ(変化)したのではありません。 人間(アントローポス)の霊(プニューマ)の部分が 神の霊(テオ・プニューマ)であり それが聖霊(ト・ハギオン・ト・プニューマ[希])となって マリアの肉(ソーマ)と混交(≒コイス?[希])して生まれたのではないのです。
583 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 01:25
>イエスは神と同質(メシア観と贖罪観による結論) >「homoousios」ホモウシオス アタナシオス説 キリスト教教理史入門には、 アレイオス派の「ホモ〔イ〕ウシオス」は書いてないが、アレイオス非難が書いてある。 三位一体の教理の成立の枠で、 アレクサンドリアの主教付きの執事(ディーコン)であった若年のアタナシオスは、 上司の正当性を擁護するために・・・勇敢な役割を演じ・・・ ・・・アレイオス主義に対し・・・たのである。 〔キリストが被造物なる人間である〕アレイオス派の考え方によれば、 〔キリストの〕しょく罪は成り立たない。 何となれば、神のみが人類をあがないうるからである。 ・・・・アタナシオスの・・・指摘・・・ 彼自身(イエス)と神との間に、更なる仲保者を必要とする・・・から、 人類をあがなうことは不可能である。 ・・・キリストに対する礼拝は被造物礼拝であり・・・偶像崇拝になる。 ・・・それゆえに、教会が使徒時代から続けてきたキリストへの礼拝は 第一戒への違犯となる。このようなわけで、 議論はキリストが被造物であるか否かの問題をめぐって交わされたのである。 参照: キリスト教教理史入門 アラン・リチャードソン著 日本聖公会出版部
584 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 01:26
★テルトゥリアヌス(155年ごろ生まれ、190〜195年に改宗し、220年以降に没している) 百卒長の息子でカルタゴ生まれ。 法律と修辞学を学び、生活語のラテン語のみならずギリシア語に精通していた。 司祭になったが、三位一体を言い出した初めの提唱者であり、 204年ごろからモンタノス派になり、213年に完全に正統教会から離れている。 彼の慣用句に、 「キリスト教徒は生まれながらにしてキリスト教徒であるのではなく、キリスト教徒になったのである。」 「アテネとエルサレムとに何の関わりがあろうか」 「哲学者はギリシアの弟子だが、キリスト教徒は天国の弟子だ」(以上 護教論) 父・子・聖霊 実体[substantia]の統一性[unitas]は三一性[trnitas]へと 秩序づけている経綸[オイコノミア]の秘義は守られている。・・・ ・・・本質[status]についてではなく、相対的な位置[gradus]についてであり、 実体についてではなく、形相[forma]についてであり、 力[potestas]ではなく、〔それをになう〕具体的存在[species]についてであって、 この三つは一つの実体、一つの本質、一つの力に属している。 なぜなら、神は一つであるが、この神から、父と子と聖霊という名で、 このような相対的な位置、あるいは形相、あるいは具体的な存在が生じると考えられるからである。 (『プラクセアス反論』ニ・4〔土岐正策 訳〕)
585 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 01:30
アポリナリオスは人間を 身体(ソーマ)、霊魂(プスケー)、霊(プネウマ)に分ける 聖パウロの周知の分割法を採用した(Tテサロニケ五・二三)。 彼の心理学〔霊魂論〕によると、 霊は(動物にない)人間の理性的、道徳的、霊的〔宗教的〕機能、 すなわち人間の持つ特に人間的な要素(人格)であり、 霊魂は肉体的生命、人間と動物とが共有している機能である。 そこからアポリナリオスは更に一歩進めて、 キリストの人格には人間の霊はない、なぜならキリストにおいて 霊の占めるべき場所にロゴスがはいっているからである。 ・・・人間の霊または精神(mind)がない。 従ってキリストには完全に罪がない。 p80・・・人間を動物から区別するはずのものが キリストの人格に全然存在しない・・・神性と人性が一つでない・・・ p84・・・キリストの人格における二つの本性(natureすなわち、 神性と人性)・・・ p89・・・四五一年のカルケドン総会議の信仰定式・・・ p89−90・・・主は神性において全く、人性においても全く、 まことの神にしてまことの人、理性的な霊魂と(アポリナリオスに反対) 身体を持ち、・・・二つの性において混じることなく、 変わることなく(エウテゥケスに反対)、分けられることもできず、 離すこともできぬおかたとして(ネストリオスに反対)・・・ 合一によって両性の区別が取り除かれるのではなく・・・ 一つの人格、一つの本質にともに入り、 二つの人格に分かたれ裂かれることなく(ネストリオスに反対) ・・・ロゴス、イエス・キリストである。 キリスト教教理史入門 諸信条の成立 アラン・リチャードソン著 シリル・H・パウルス訳 日本聖公会出版部 1968年7月5日250円 p79
586 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 01:34
【1:591】 †マリアを神の母と認めない教えは異端です†
2 名前:私 ◆iO8VJvj2 [2002/10/17(木) 17:48]
また マリアは キリストの人間の本性で
親子の関係がるというのは考えられません。もしそうなれば
御父と御子との関係は三位一体の唯一の神性で親子の関係が成立つことになります。
したがって 御父が神性の父ということは
御子の父 聖霊の父 御父の父になり矛盾します。そのため
御父と御子との関係は 本性ではなく位格同士で考えるべきであり
同様にマリアと御子の関係も 位格同士で考えなければなりません。
よって、マリアの人格はキリストの神格の母であり
マリアは神格の母ということになります。
神の母とは 神なるロゴスを身ごもった神格の母という意味です。
さらに キリストの意志は 人性と神性の2つ意志を持つという教理が
680-681年コンスタンチノープル公会議
http://www.piar.hu/councils/ecum06.htm によって正統となっています。
587 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 01:36
>>586 つづき。。。
ところが
マタイ 26:39 マルコ 14:36 ルカ 22:42 のゲツゼマネの祈りでは
「わたしの願いではなく 御心のままに」と述べながら「父よ」と呼びかけています。
つまり、神性において天の御父から生まれたにも関わらす
人性におけるキリストが天の御父を父と呼んでいることになります。
従って
人性において乙女マリアから生まれたにも関わらず
神性におけるキリストがマリアを母と呼ぶことができるのです。
さらに、二ケア(325)および
コンスタンチノープル公会議(381)においてアレイオス派に反駁し
三一論を確立した「カッパドキア三教父」の一人
ナジアンゾスのグレゴリオスの「クレドニオスへの第一の手紙@」の中で
「聖なるマリアが「神の母(テオ[神を]トコス[生みし人])」であると信じない者は
神性を度外視するものである。」と言っています。
「カッパドキア三教父」の伝承を否定することは 三位一体の教理の否定に相当します。
「脚注」
@中世思想原典集成(2)盛期ギリシャ教父 平凡社 1996
Aヘラクレイデスとの対話 / オリゲネス[著] 創文社 1986
あの・・・
結局575-587において、
どの説が正しい(と考えられている)三位一体の教義なのでしょうか?
>>578 では
「三位一体とは神の3つの人格である」と書かれ
>>582 では
「父と子は人格ではなく本体において同一」と書かれ
>>586 では
「父と子の関係は人格ではなく位格で考えるべき」と書かれています。
「人格」と「位格」はどう違うのか、「本体」とは何なのか、なんだかよく分かりません。
詳しい方がおられたらキリスト教の教義に不案内な者にも
分かるよう総括して説明していただけたらありがたいですが。
589 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 08:34
「人格」「本体」「位格」は翻訳違いによるものです。 >578 「3つの人格」は 「3つのペルソナ(顔・風貌・見え方・位相・位格)」の意味での翻訳 >582 は「位格」を 人格(ペルソナ[羅]・実体:ヒュポタシス[希]) と翻訳して解説し 本体(ウーシア[希]・本質:スタトゥス[羅]) を 神(テオ[希])の同一本質(同質:ホモ + ウシオス[希]) 三位一体(三一さ:トリニタス[羅]) で説明に使う。 >586 「本性」は文脈上から察すれば「本体(ウーシア)」「本質(スタトゥス)」 「唯一の神性」は「唯一の神の本体(ウーシア)的な性質(本性・本質)」 「位格」は「人格(人としての性格・顔・風貌・見え方・ペルソナ)」 「人格」は「人性・人間としての性格(ペルソナ)」 「神格」は「神性・神としての性格(ペルソナ)」 「人性と神性の2つ意志」は 「人間としての性質と神としての性質の2つの心を持つ」 インターネットの機械的な翻訳による語彙 「神格 divinity」は あきらかに教理本などの訳語「神性」の意味の訳語で使っている。 「人間性 humanity」は あきらかに教理本などの訳語「人性」の意味の訳語で使っている。
590 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 08:39
>589 のつづき この文は585の「引用部分」に相当すると思われま。 インターネットの機械的な翻訳による語彙 -------------------------------------------- それは公言します。 私たちのイエス・キリスト卿、私たちの真実の神 神聖な三位一体([the holy Trinity] それは1つの同じである)のうちの1つであること また神格において申し分がない および人間性において申し分がなくために生命の源である [which is of one same being and is the source of life to be perfect in divinity and perfect in humanity] 同じ 本当に神 そして本当に合理的な魂および身体の人; [the same truly God and truly man, of a rational soul and a body] 彼の神格についての父親および同じと同質 [consubstantial with the Father as regards his divinity] 私たちと同質 罪を除いてすべての点で私たち のように彼の人間性については; [and the same consubstantial with us as regards his humanity, like us in all respects except for sin] 彼の神格についての および最後の時期の父親からの時代の前に生まれた 同じ [begotten before the ages from the Father as regards his divinity and in the last days the same for us and]
591 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 08:42
592 :
名無しさん@3周年 :04/05/15 09:07
>589−591 の結語 この世を創造した「唯一の神(父と子)」は 父と子は ともに本体ウーシア[希]・本質スタトゥス[羅]が同じで これを神学の言葉で 父と子は「同質(ホモ+ウーシオス[同一+本体・同一+本質])」と呼んだ。 この世に見える 神の顔(風貌・位相・位格)[日本語]・人格ペルソナ[羅]・実体ヒュポタシス[希] は 人間の上にある天界の 父なる神としての顔・位格と 人間として現れた 神の子としてのイエス・キリストが実在し 人間の内にある霊に働きかける 神の霊としての聖霊が実感される。 お3方(おさんかた)とも 人の目には見え方・感じ方・あり方は違うけれども どなたも神で「唯一の神」として呼ぶのが良い。