テーラワーダ仏教とヴィパッサナー瞑想

このエントリーをはてなブックマークに追加
701名無しさん@3周年
>>700    余計にヒドくなるんじゃ!(下半身は、松本智津夫被告並み^^

>>お布施:表向きは、功徳を積む。実際問題、必要経費で払わせていただく(これじゃ、ダメですか?
702名無しさん@3周年:03/11/03 04:59
>>691
DNAはその転写の際に情報の欠落を起こすもの
なんだよ。そしてそのような情報の写し間違い
や欠落から悪性新生物(つまり癌)が生まれる。

癌の場合は内的なシステム上の欠陥が原因だけ
れども、あらゆる生き物は放射線の被曝によって
DNAに損傷を受けることもある。生き物が耐えう
る被曝量の限界値は定まっているので、ごく微量
な自然被曝(自然界からの被曝)の積み重ねであ
ったとしても、それがDNAに損傷を与えない保証
はない。

皮膚のホクロの件だけれども、生き物の場合、ホ
クロに限らず、後天的な要因で生じた深い傷痕で
あっても、整形手術を施さない限りその傷痕は消
えることはない。

皮膚に関しては、DNAに位置情報が書き込まれてい
るのではなく、皮膚そのものが循環器系とかと同
じように独自のシステムを形成していて、傷痕で
あれホクロであれ、今皮膚上にある形成物を再生
するようになっているんではないかな。詳しいこ
とは知らんけど。
703名無しさん@3周年:03/11/03 05:04
ついでに言えば、身体の中で演じられている白血
球とウイルスや細菌との戦いの内に、すでに無常
を観ずるわけですが…
704名無しさん@3周年:03/11/03 05:28
>>700
アフォ
705名無しさん@3周年:03/11/03 07:21
>>690
> 疑問があります。1
> オウムやアレフなどは瞑想オタクの集団だと思いますが、
> そんな彼らはきっとヴィパッサナー瞑想もしていたと思うんです。

 その予想は外れています。サリン事件が起きるまでの5年間在家でしたが、
ヴィパッサナー瞑想に触れる事はありませんでした。わたしが情報収集のため
に入会し、たまーに無料の瞑想会に参加する程度だったからかもしれませんが,
彼らは教団自身を「小乗の段階」と称していた時もクンダリーニヨガ、シャクティー
パットなど身体操作をベースにしていましたし,瞑想も「我は不浄なり」など四念処
を繰り返しマントラの如く唱え、潜在意識に徹底的にすりこむことに終始してましたよ。

彼らは潜在意識のデーター入れ替えをすることが悟りへの最短コースと見なしていましたから,
ヴィパッサナー(=自己観察する)というよりは、刷り込み、そしてそれを確認するというものですよ。
706名無しさん@3周年:03/11/03 07:54
>>695
> >情報は無常か否か?というのは単なる知的議論に過ぎません。
>
> う〜ん...そうかもしれないけど、...
> DNA情報というのは、まさに生に基づいた要素でしょ。
> SFのような何でもアリのことでは無いと思いますよ。
> むしろその正反対の超リアルな生々しい要素だと思います。

一個人におけるDNAのデーターは一生変わりません。その意味では一個人に与える影響は大きい要素ですよ。
しかし、そのデーターをもとに病などどんなものが発現するかは環境(身口意や他からの影響)に左右されます。
ちなみに「無常」とは「未来永劫変わらないものはない」という意味。

むしろDNAの話題を出すなら「無我」というが、DNAは我ではないのか?と言う問いに使われる方が適切かと思います。
それへの返答はすでにこのカキコに含まれていますが。
707クローン人間:03/11/03 09:35
西方から新たなるブッダ(マイトレーヤ)が出現!!

預言通り、釈迦の死後3000年「鶏の国」(フランス)から仏陀現る
ラエル聖下こそその人、人類最後の救世主なのだ!!!!!

1973年ラエル聖下は異星人「エロヒム」と遭遇
人類の平和のための重要な「メッセージ」を受け取った!!!!!

人類の創造者、異星人「エロヒム」がラエル聖下を通じて
広めるラエリアン哲学はまさに仏教の起源でもある!!!!!

708名無しさん@3周年:03/11/03 09:49
>>690,705

オウム−アーレフは、ヴィパッサナーとか禅みたいな瞑想はほとんど
バカにしているよ。結果が出るまで時間がかかるでしょう。
麻原さんもそういうこと言っていたように思います。かと言ってオウムの
瞑想は幻想に陥りやすく、ドグマにとらわれてしまうという難点がありますね。
まあ、オウムがテーラヴァーダ系との結びつきが強いわけは、親に隠れて
こっそり入っている信者の隠れミノか、事件の影響で脱会した人の受け入れ
先として利用されているみたい。

709名無しさん@3周年:03/11/03 09:52
オウム−アーレフはマハームドラーを標榜しつつも
空の教えはほとんど説かれることは無く、教義も二元論的です。
まあ、実態が「松本智津夫帰依教」なので、仕方ないかもしれないが。
710名無しさん@3周年:03/11/03 10:00
>>707
ヴァカ
711名無しさん@3周年:03/11/03 10:07
くだらん中傷批判を書き込み続けるつまりつまらん世界に生きている君たち。

いくら世間や自分自身に不満がいっぱいあったとしても君自身のその物の取り方考え方にすべて起因してるだろうがな

我を見なさい、低レベルな書き込みの。
712名無しさん@3周年:03/11/03 10:48
>>705
>  その予想は外れています。サリン事件が起きるまでの5年間在家でしたが、
> ヴィパッサナー瞑想に触れる事はありませんでした。

5年間も在家しててなんにも知らないんだな。
ヴィパッサナーという名前を使ってないだけだよ。
ヴィパッサナー瞑想はしてる。
そのことは事件前に市販されてた本にも出てたよ。

>>708
>オウム−アーレフは、ヴィパッサナーとか禅みたいな瞑想はほとんど
>バカにしているよ。結果が出るまで時間がかかるでしょう。

残念でした。
実は、アレフは原始仏教を評価しているんだな。
日本で原始仏教を広めている団体といえばテーラワーダ協会とオウムでしょう。
それで、事件前、原始仏教をめぐって、
麻原とスマさんの対談の企画があったほどだよ。
日時と会場まで決まっていたのに、
その後、例の事件が起きてこの企画は中止になった。
スマさんも麻原も、かなりのりきだったのに。

これほんとの話だよ。
企画はアートエナジー
アートエナジーの池田さんは今でも残念がってる。
713寸志:03/11/03 11:56
>>711
まんずは、釣られないようにすんべ!    すんべ!   すんべ〜〜〜!
714名無しさん@3周年:03/11/03 13:03
>>698
効果とは、「それが実効的に役に立つか」どうかですよね。
ブッダも「役に立つものを真理とせよ」と言っている通り、仏教では
「それが実際人々の役に立つか?人々を幸福に導くかどうか?」が大切な事ですよね。
だからこそゴエンカ氏の本でもブッダが先祖供養のために池に石を沈めさせて
石が浮かぶよう呪文を唱えさせたという経典の逸話が批判的に引用されていたわけです。
効果と、単なる損得を混同しないで下さい。
それと布施うんぬんは私一人が言ってるんではなくて、協会が布施(だけ)で成り立っている
(らしい)という話です。

自分に瞑想が役に立ったかどうかも勘案せずに、協会がお布施を徴収しないことをいいことに
タダ飯が食えるからという理由で参加するのはいかがなものでしょうか?
あなたの態度は、日本人がおとなしいのをいいことに賠償と権利を主張しるどこかの民族と
ほとんど同じですよね。これでは協会に問題が発生するのは目に見えています。
誰もあなたのことは非難しないでしょうが、非難タダ飯やタダ宿につられて参加するのでは
けっきょく真面目な瞑想者の迷惑になるでしょう。
715( ´・ω・)y-~~:03/11/03 14:59
バトンタッチ出来る情報は恒常性であると言えないか?
ルパン三世の映画にもあったけどね。
でも完全なるコピーはありえないかな...。
なにより宇宙もこれから色々変化があるのだろうし。


( ´・ω・)y-~~それよりさぁ、統一理論って怪しくないかい?
頭蓋骨の中に納まっている脳味噌がどうして宇宙の統一理論を説明出来る?
五つの感覚器プラス思考だけで、なぜ宇宙の統一理論を説明出来る?
人間が統一理論なんてものを構築できるはずがないよ。
統一できる理論がないということは、「この世は、こうである」と言えないはず。
しかし仏教は、「この世は、こうである」と言っちゃってるのかな?
716仙台の講演にて:03/11/03 15:18
スマナサーラ長老が麻原と面識があったことを話していました。
渋谷時代と表現していました。
渋谷時代から悪いことをしていて、なんだこの人?と思っていたとのことです。

麻原に巻き込まれるようなことはなかったみたいですよ。
共通の知人がいたみたいですが、誰でしょうね?

717( ´・ω・)y-~~:03/11/03 15:30
>>712

712はヴィパッサナー瞑想をどう受け止めていますか?
みんなはこの瞑想を過大評価しているかなぁ?どうだろ。
オウムは、あれもこれもと色々瞑想をしていたから、ああなったのかな。
つまりヴィパッサナー瞑想に努めていればそれなりの恵があったのだろうか?
718716:03/11/03 15:57
訂正

>スマナサーラ長老が麻原と面識があったことを話していました。

面識というかその存在を見聞きしていたというほうが適切でした。
多分。きっと。あれっ?あやしい記憶です。人間の記憶ってやつは・・・


719:03/11/03 17:39
割り込み、初歩的な質問でスマン
ところで、たまに出てくる サティ ってなんですか?
720名無しさん@3周年:03/11/03 22:11
サティ=気付き、awareness
721:03/11/03 23:17
>>720 ありがとう
またまたスマン
瞑想中にサティを入れる というのは
どういうことでしょう?
722名無しさん@3周年:03/11/03 23:19
>>712
> >>705

> 5年間も在家しててなんにも知らないんだな。
> ヴィパッサナーという名前を使ってないだけだよ。
> ヴィパッサナー瞑想はしてる。
> そのことは事件前に市販されてた本にも出てたよ。

もしかして眠気対策として出家信者がしていた経行(ケイヒン)のことかな?
あれもマントラや麻原のテープを聞きながら歩く瞑想ですよ。
> >>708
> >オウム−アーレフは、ヴィパッサナーとか禅みたいな瞑想はほとんど
> >バカにしているよ。結果が出るまで時間がかかるでしょう。
>
> 残念でした。
> 実は、アレフは原始仏教を評価しているんだな。
> 日本で原始仏教を広めている団体といえばテーラワーダ協会とオウムでしょう。

確かにスリランカにオウムは多額の布施をしていましたし,仏舎利ももらったり,かの国に
先方の支援受けて伝道所を開設したりしていましたね。パーリ語翻訳もスリランカから送ら
れた経典を使ってましたね。またスリランカの高僧との対談ビデオは良く見ました。
麻原を覚者として高く評価していましたよ。その高僧も前世で仙道を修めていたとか言い出し,
麻原とノリノリで話ていました。そのビデオは面白かった。

> それで、事件前、原始仏教をめぐって、
> 麻原とスマさんの対談の企画があったほどだよ。
> 日時と会場まで決まっていたのに、
> その後、例の事件が起きてこの企画は中止になった。
驚くほどのことじゃないと思うよ,上の経緯があるわけですから。
723名無しさん@3周年:03/11/03 23:26
>>708

> まあ、オウムがテーラヴァーダ系との結びつきが強いわけは、親に隠れて
> こっそり入っている信者の隠れミノか、事件の影響で脱会した人の受け入れ
> 先として利用されているみたい。

そうなの?それは妄想では?単純にオウムが伝統ある者の権威借りたいということと、
もともと麻原が原始仏教をリスペクトしていたからで充分じゃない?
724みなさん、:03/11/04 03:00
禅病にハマってませんか?
またはハマっていたとか。
725名無しさん@3周年:03/11/04 03:18
>>714
> 誰もあなたのことは非難しないでしょうが、非難タダ飯やタダ宿につられて参加するのでは
> けっきょく真面目な瞑想者の迷惑になるでしょう。

タダ飯やタダ宿にとらわれて瞑想出来なくなるというのはいかがなものでしょうか?
協会はそんなことにとらわれていないはずですよ。

あなたは布施に執着しすぎです。
サティを入れなさい。
726名無しさん@3周年:03/11/04 03:32
>>714

> あなたの態度は、日本人がおとなしいのをいいことに賠償と権利を主張しるどこかの民族と
> ほとんど同じですよね

スレとは関係ないが、こういう歴史認識をあやまった人がヴィパッサナーを語るあたり所詮2ちゃんってことだね。
コヴァがテーラワーダやヴィパッサナースレにまで侵食しているとは瞑想以前の問題だよ。
727名無しさん@3周年:03/11/04 04:01
>>726
2ちゃんに関わること自体が「捨」から外れてないないか?
2ちゃんに関わり続けるという点ではあなたとヒッキーも漏れは同類だね。
728名無しさん@3周年:03/11/04 07:41
>>721
瞬間瞬間に生滅変化している心身に起こること(感覚や感情などさまざま)を
客観的に観察し、気付いていくことを通して、苦・無我・無常の真理を体験的
に理解して行くこと、でいいのでしょうか?
もしも補足があればどなたかフォローお願いします。
729無我ってなんでつか?(T_T):03/11/04 10:00
>>728
 
 苦=この世は一切苦。楽しみもあるって?
   快もありそうですが、基本的に快とは苦を忘れる瞬間にだけ感じるものです。
   つまり苦あってこその快です。快は苦の一部です。

無常=この世の森羅万象は全て移り変わる。
   ちょっと前まで「DNA情報は変わらない」とかやってました。
   素粒子の波形運動とかまず宇宙が流動的だとまで言えばそりゃ無常ですよね。

無我=この世の森羅万象が無常なら、その産物である一部である人間も無常なはずです。
   自分のどこに普遍の要素があるか?いくら頑張っても120年の命です。
   思考を手放した時に「我」も無くなります。
   五感は変わり放題でしょ。感情も変わり放題でしょ。
   どの感覚のときが「我」でした?流動的に変わり放題ですね。
   I thinkのIを放棄すればThinkだけがのこります。そしたらThinkって「我」ですかね?

なんか違うな...。無我ってなんでつか?(T_T)
730(T_T):03/11/04 10:14
「我考える故に我あり」と錯覚してるのだから
「我」考えない。気づきの段階で終了にすれば、
「我考えない故に我無し」と実感出来る。ということかな?

でも、これじゃ詐欺っぽくない?ホントに無我って成立してるの?
731名無しさん@3周年:03/11/04 18:00
大乗仏教哲学での無我の論証はある程度親しんでおりますが、上座仏教哲学
における無我の論証というのはあるのでしょうか?
732法の存在が自己矛盾を生んでいる。どうよ?:03/11/04 20:53
無我の論証ってあるの?素朴な疑問。無我の証明はまず無いだろうけど。
苦と無常で充分なような気もするんだけど、無我って必要かね...

こういう詭弁がある。
「仏教には法があるじゃないか!時代によって変わるものじゃいのでしょ?
 変わらないからには確固とした我があることになるじゃないか?
 法は一切苦、無常、無我と教えているが法自体が否無常だし否無我じゃないか
 これは自己矛盾の何ものでもない。」というもの。

釈迦は形而上の宗教を形而下にシフトさせた人だからとりあえず
ヴィパッサナーを誠実に実践してれば分かるようになるのかもね。
733名無しさん@3周年:03/11/04 22:16
>>731
> 大乗仏教哲学での無我の論証はある程度親しんでおりますが、上座仏教哲学
> における無我の論証というのはあるのでしょうか?

この板の原始佛教5スレッドに詳しいですよ。
結論から言えば,釈迦は「我」の有無についての議論には他の形而上学的テーマ同様、無記(沈黙)という姿勢をとったということになります。
734名無しさん@3周年:03/11/05 07:58
>>733
>結論から言えば,釈迦は「我」の有無についての議論には他の形而上学的テーマ同様、
>無記(沈黙)という姿勢をとったということになります。

(;゜Д゜)ウマー
形而上なら何でもありで付き合ってられんということでしょうか...そんな気がしまつ。
735名無しさん@3周年:03/11/05 20:15
ヴィパッサナー瞑想をするようになってからCDを殆ど聞かなくなりました。
音楽を聞きたいという思いにならないのです。
音楽での癒しの出番が無くなったということかもしれません。
736名無しさん@3周年:03/11/06 08:21
いや、それはセクースしたくなくなった、とか、場合によっては新聞を読む
気がしなくなった、とかいうのと紙一重なんじゃないですか?
もちろん、瞑想しない人でCDの趣味がもともとない人もたくさんいるから、
音楽が必要なくなったことで生活から無駄がひとつ省けたということでしょう
からそれはそれでいいんですけど、全ての人がヴィパッサナーを実践したと
して、皆セクースや芸術に関心がなくなってしまったらそれもまた問題では
ないでしょうか。仏教原理だけで人類がうまく行くとは僕は思いません。
人類の中に、いろんな原理の中のひとつとして仏教原理があることによって、
人類の進む方向はずいぶん改善されると思うのです。

また音楽といってもポピュラー音楽やヒーリング音楽とは違い、クラシック
音楽や民族音楽や前衛音楽は、いわゆる「癒し」の範疇を超えた文化遺産で
あり、人類の知の探求の分野のひとつであると思います。
芸術性や先端性、前衛性の乏しいポピュラー音楽やヒーリング音楽が飽きた
というならわかります。それらの音楽は商業主義的なものであり、虚構と装飾
によって売っているようなところがあるからです。
しかし、学問としての音楽、学問の対象となるような音楽は、滅びるべきでは
ないと思います。もともと歌舞音曲を禁じる仏教徒なら音楽を避けるように
なることはより深く実践に入っている証拠なのかもしれませんが、数学や建築
と比肩する、学問であり芸術であるような音楽の研究を職業にする者は、瞑想
することによって現世や芸術や学問に関心を失うのではなく、より深い次元から
の発想や取り組みを実現できるようになって欲しいと思います。
737名無しさん@3周年:03/11/06 09:02
人間の繁殖が減り、人口が圧力的にではなく自然に少なくなっていけば
地球環境的な規模でみても、いい兆候なのかも知れないよ。
「国家」や「文化」という単位でみると、損失だけど、失われた文化や
国家は、今までにも沢山あるんだし。それでも人間は生き長らえる。
「知」の探求というのも、聞こえはいいが、その実ドス黒い欲望で、
それは破滅に向かうものかもしれない。
738名無しさん@3周年:03/11/06 10:21
>それは破滅に向かうものかもしれない。

仏教ではこの世界(欲界)は他化自在天(第六天の魔王)によって支配されている
といいます。

私達の生きるこの世界が悪魔的存在によって支配されているとしたら
この世界は滅びても別にイイんじゃないかな。
739名無しさん@3周年:03/11/06 10:42
ヴィパッサナーの実践者にとっては
比較的単純な労働作業のほうが
一日中ヴィパッサナーを実践できるから
都合がいいような気がしませんか?
社会生活を営みながら本格的に打ち込む場合を考えたら
そんな気がします。
道場などでは一日中ひたすら実践みたいだし...
そのぐらいやらないと気分転換以上の段階に到達出来ないような...。

ヴィパッサナー瞑想実践においては清掃業がかなり向いてませんか?
740寺和田 部教:03/11/06 15:10
ちゃんとしたお師匠さんに聞いてみれば、「別に人類滅びてもいいんじゃないの?」
みたいな答えが返ってくることはほとんどないのではないかと思う。
なぜなら、末世といえども人間に生まれついたことは、仏法に触れるチャンスがある
という点では、天に生まれるよりも恵まれているからだ。
無常の真理を人類の存続問題にまで適用すれば、いつかは、滅びる、それは確かに
そうなのだろうが、しかし仏教では同時に人間に生まれることの深い稀有さを繰り返し
説いているので、結局は人間を肯定しているのではなかろうか。人生自体は、善いこと
でも悪いことでもないが、人間として与えられたチャンスをどう生かすかは、その人次第。
なればこそ、キリスト教的終末論→最終戦争論→カルト教団のテロというパターンは、
仏教本来の思想を正しく理解していれば、あり得ない話なのではあるまいか。
741名無しさん@3周年:03/11/07 21:40
テーラワーダに原理主義という表現は当てはまりますか?
742名無しさん@3周年:03/11/08 00:09
パーリ聖典原理主義というなら、当てはまるのでは。
その代わり、原典そのものが戒律厳守、不殺生を説いているので、
戦争にはつながらない原理主義と思われる。
743名無しさん@3周年:03/11/08 01:06
確かに、仏教徒に「私は強烈な原理主義者です」と言われても怖くないよね。
744名無しさん@3周年:03/11/08 03:07
>>743
仏教でも親鸞会とか、怖い原理主義はいくらでもあるぞ。
745名無しさん@3周年:03/11/08 03:26
>>744
オウムも原始仏教原理主義じゃん。。
746ちづちゃん:03/11/08 04:39
SEX 、命         SEX 、命         SEX 、命         
747名無しさん@3周年:03/11/08 05:53
パーリ聖典に基づいた仏教が、上座仏教であり、原始仏教主義です。
オウムは、チベットもヒンドゥーもキリストもまぜこぜにしていたので、
原始仏教原理主義とはいいがたい。
パーリ仏教のみに忠実に従っているなら、そこには他宗教への物理攻撃や
密教的記述はないから、テロや戦争を肯定する解釈を可能にする余地はない。
748名無しさん@3周年:03/11/08 11:09
ずいぶんレベルが下がってきたなあこのスレ
749名無しさん@3周年:03/11/08 12:20
>>748
ポッテイラ長老ですか?
750名無しさん@3周年:03/11/08 13:51
パーリ「聖典」原理主義というより、むしろパーリ「アビダルマ」原理主義ではないの。
751名無しさん@3周年:03/11/08 18:19
後世の後世、大乗仏教が成立して以降に成立したパーリのアビダルマが入った
パーリ仏教は、原始仏教でなく上座仏教でしょうね。
原理主義の問題があるとすれば、実際には原始仏教=上座仏教ではないのに、
上座仏教の指導者や信者さんは、両者をイコールの関係で結んでしまっている
ところが、歴史的事実に抵触するのではないかということです。
しかしパーリの文献からは、テロや戦争のもとになるような発想を発見するのは
困難なことでしょう。そのかわり、パーリ仏教は、現世に無関心、ノータッチ
なので、世間に関与することができないし、する気もないので、宗教家であると
同時に政治家であり、ノーベル平和賞もらって民衆のカリスマとなるような存在
(ガンジー、キング、ダライラマ)は上座部の僧侶からは出ないのではないで
しょうか(もと上座部僧というのならあり得るかもしれないが、現に上座部僧の
人は政治や民衆運動に関与しませんから…)。
アウンサン・スーチーさんはビルマ上座部の篤信者ですが、彼女は出家経験も
ないし、メディアからは彼女が仏教徒であるというイメージは全く伝わって
きませんね。
752名無しさん@3周年:03/11/08 21:56
政治運動しながら悟りを得るというのは無理過ぎる。
社会と関係性を持つということは、無ではいられないワケだから。
悟りへのプロセスから「無我」は外せないでしょうね。
だから、社会生活を一通り終えてリタイヤした人たちが出家するという
話をよく聞くんでしょうね。つまり隠居が出家というパターン。
753名無しさん@3周年:03/11/08 23:24
原理主義は「壁」なんだって。学問の敵なんだって。
突発力が無いんだって。「変化が進化」という発想と無縁なんだって。
マニュアル世代には心地よいかもしれないね、原理主義って。
思考停止は楽だからね。自分で考えて自分で行動して自分で責任と取るって
かなりの負荷が掛かる生き方だからね。

進歩主義も原理主義も極端に傾倒するのは怪しさを感じるね。
754名無しさん@3周年:03/11/09 02:59
>>752
>政治運動しながら悟りを得るというのは無理過ぎる。

それはどうかな。
ヴィパサナでも、井上ウィマラさんのようなスタイルなら社会運動とも両立すると思うよ。
ウィマラさんは、確か「9・11を考える瞑想」をしていたはず。

ベトナムの高僧のティク・ナット・ハーンは社会活動家としても有名。
彼はヴィパサナ瞑想と社会運動を両立させている。

社会をよくしていくということと、自分をよくするということは不可分に結びついている。
社会を無視して、自分だけ悟りを開くことに矛盾を感じる人は少なくない。
755名無しさん@3周年:03/11/09 03:41
> ベトナムの高僧のティク・ナット・ハーンは社会活動家としても有名。
> 彼はヴィパサナ瞑想と社会運動を両立させている。

どうだろうか?彼はもっぱら瞑想を伝道しただけで,社会運動していたというのは
世間が彼の宗教活動をそう捉えたからからじゃないですか?
じっさい彼はベトナム戦争の愚は語ってましたが,だからといって「アメリカ大統領
を変えよう」とか「ロビー活動」というような運動はしていません。
彼は戦争や怒りなどの根本原因たる怒りを静めるのには瞑想が良いですよと説いて回っただけ。

それも社会運動とカテゴライズしたければしても言いとは思いますけど、とんな益があるのかな?と思う。
彼は僧としてできることをやっただけですよ。

> 社会をよくしていくということと、自分をよくするということは不可分に結びついている。
> 社会を無視して、自分だけ悟りを開くことに矛盾を感じる人は少なくない。

自分だけ悟りを開くといっても、あなた自身が言っているように社会と自分は不可分なものですよ。
一人でも心が静まっていれば,社会にとっても財産でしょ?
それに社会に奉仕する事は出来る事はやればいいが,やれないからと自己を否定したり、他を批判する事は
ヴィパッサナー瞑想、テーラワーダ仏教では、戒めてますね。戒めていると言うよりそういう本性を観察しなさい
と言っていると言うべきか?
社会を無視しろとは誰もいってないよ。社会から受ける刺激に影響されず、まずは反応する自分を心を清めましょう
といっているだけでしょ?
756名無しさん@3周年:03/11/09 13:28
仏教の基本に「無常」があるでしょ。
そして、その無常は自分の好むようには変化しないということでしょ。
未練も執着も無くなる程の不本意な変化ばかりだと体感することが、
悟りへの大切なプロセスでしょ。
希望することが、苦の始まりだと教えているでしょ。
テーラワーダでは、
菩薩も存在しなければ、天国極楽も無いし、超能力も認めない。
まず、自分を自己責任の考えの上でなんとかしろ!と言ってるでしょ。
自分が溺れているのに天下国家を救えますかということでしょ。
754さんの理想は素敵だと思うけど、半分大乗仏教のノリですよね。

自分の存在は大海の一滴で切り離すことは出来ない。
だから生きとし生けるものとの共存共栄、持ちつ持たれつを大切に考えている。
でも、その手段が政治運動には結びつものでは無いと思いますよ。
政治というのは、単純じゃないですからね、あっちを立てればこっちが立たない。
両方に正論が存在していますからね。
仏教が政治的なもう一方の正論を潰す姿はどうでしょう?
まるで、イスラム対キリスト教の構図です。
757名無しさん@3周年:03/11/10 21:27
妄想は悪性の思考です。
758名無しさん@3周年:03/11/11 22:20
妄想はインスピレーションの働きを妨げます。
759名無しさん@3周年:03/11/12 21:55
妄想は心のエネルギーを無駄に消耗させます。
760名無しさん@3周年:03/11/13 18:52
>>735
> ヴィパッサナー瞑想をするようになってからCDを殆ど聞かなくなりました。
> 音楽を聞きたいという思いにならないのです。
> 音楽での癒しの出番が無くなったということかもしれません。

と書いた彼(彼女)。今ごろは音楽聞きたくなり始めていると思われ。

そういう達観した感じって小さなサマディ(集中)が欲望を深層に抑制しているからそうなっているだけ。
修行が進んでいる証拠だけど、たぶんそろそろ「こんな修行意味あるのか?」
と疑念抱き、やめちゃうと思うな。

みなさんはどっちに賭けますか?
761名無しさん@3周年:03/11/13 20:25
いまだに大乗だ小乗だ、と言ってる人がいるな
762名無しさん@3周年:03/11/13 23:14
>>761
何を言いたいの?
763名無しさん@3周年:03/11/14 01:35
> 何を言いたいの?

たぶん
>いまだに大乗だ小乗だ、と言ってる人がいるな

と言いたいんだと思うよ,ココ2ちゃん心と宗教板で。
764磯野 波へぇ〜:03/11/14 01:45
>>今ごろは音楽聞きたくなり始め

タイトーのカラオケで「般若心経」を歌ってる  に100パゴダ。。。
765名無しさん@3周年:03/11/14 02:46
>>760
はらたいらさんにスーパーひとしくん。ファイナルアンサーです。
766名無しさん@3周年:03/11/14 16:44
ヴィパッサナーの修行コースにおいて提供される自分の食べ物、自分の寝床、部屋、入浴、トイレ、
すべてが直接・間接的に人々の善意、かつての瞑想者の布施によって成り立ってるわけですよね。
自分が口にするもの・使うもの、すべてが他人の恩恵を受けている・・・。
そのことによって自分が思う存分修行に打ち込めるわけですよね・・・。
でもそのことにサティできない人がいるわけですよね・・・。
「たとえ布施を払わなくても咎められないんだから、オレは払わねえよ」と言うのは、
まだまだ今生この世に人間として生まれてきてダンマにめぐりあって修行させてもらえているという自覚がないからでしょうか。
そんな人でも修行を続けていれば、いつかきっと気づきが芽生えて、「今度は自分が他の人のために布施しよう、
たとえ金はなくともこの身で奉仕しよう」、という気になれるでしょう。
767名無しさん@3周年:03/11/14 19:00
仮に上座仏教が世界中で栄えても全人類がセックスしなくなるわけではないの
と同じように、音楽がなくなるわけではないと思う。
セックスや音楽をする在家者からのお布施がなければ、セックスもせず音楽も
聴かない出家者の教団も存続しないわけだから。
で、この世からセックスや音楽がなくなったら、人類最大の娯楽産業が廃れ、
経済もずいぶん悪くなって、在家・出家ともに貧困になるだろうから、上座仏
教が、戒律や覚りの境地で否定している快楽というものは、現実にはこの世
から消えることはないだろうと思うわけである。現世の快楽肯定の論理で動く
世俗在家者の存在がこの世から滅びたら、現世否定の論理で動く出家者の存在
もこの世から消えてなくなる。人類が滅びたら、それは同時に仏教を修行でき
る世界が消えることをも意味する(仏教では、人間として生まれついたことが
仏教を修行する最大のチャンスであると考える)。
768名無しさん@3周年:03/11/14 21:24
修行に専念できるということは恵まれているということだね。
769         :03/11/14 23:17
さあ、
決して再び、母胎に宿ることのないよう心して
770名無しさん@3周年:03/11/15 01:50
>>766

なんかしつこいね。言っている事は最もだけど,なんで今更繰り返しているの?
執着って奴の見本か?
771327:03/11/15 01:53
>>770
俺もしつこいと思う。
経験者として思うのは、こういう道徳論を大上段にかざさずとも、自然にそうなること、そういう人間が出てくること、そこにこそヴィパッサナーのすごさがあるのだと思う。
772名無しさん@3周年:03/11/15 04:05
暮れなずむ秋の空を見上げている女子高生グループがいました。
「グラデーションの空に金星が輝いてる...綺麗...」
グループのなかの一人が呟きました。

私にはただの夕暮れの空にしか見えませんでした。
ヴィパッサナー瞑想で心が豊かになっている証だと確信しました。
773名無しさん@3周年:03/11/15 04:27
>>772
それって、心が豊かになっている証なのかな?
「ただの夕暮れの空」という思考じゃないの?

「夕暮れの空」といっても、毎日違っているはずだよ。
そのことに気付いているのかな。




774名無しさん@3周年:03/11/15 07:12
ブッダは、最後に「世界は美しい。生命は甘美である」って言ったんじゃ
なかったか?
ミーハー的な美的感覚と、自然界への無関心、両方とも断見だと思われ。
中道があるんじゃないか?
775名無しさん@3周年:03/11/15 09:17
772は釣りと思ったんだが違うのか?

「グラデーションの空に金星が輝いてる...綺麗...」がミーハーだとも思わない。
美に心動かぬことが「心が豊か」であることなら、オレは心貧しきものでありたいと思う。
ただの夕暮れ、ただの木々、ただの朝日、ただのスターダスト等々に美の煌めきを観、
心震えることが瞑想から遠いなら、そんな瞑想になんの価値があるか。
776名無しさん@3周年:03/11/15 15:50

閑さや岩にしみ入蝉の声

音、音、音、

ヴィパッサナーを実践するからにはこのぐらいにならないとね。
777名無しさん@3周年:03/11/15 16:14
>>775
厳しいことを言うようだけど、
感動したいという思いは欲求以外の何ものでもないと思うよ。
人間は、「快感性の変化」を常に求めていると思うよ。
その「快感性の変化」を得るためには肉体を持って現世に生きている必要がある。
だから、人間は泣きながらもこの世に執着して死にたくないのだと思う。
葛藤するところですね。
必要に迫られない限り、人間はホントは悟りたくないんだよ、きっと。
778777:03/11/15 16:24
補足
快感性の変化について。
快感には耐性が発生して次第に快感ではなくなって行きます。
だから「三年目の浮気」なんですね。
次の快感へ次の快感へと求めていきます。人間の欲求には際限が無いのでしょうね。
求める気持ちが無くならないんですね。だから輪廻から解放されないのでしょうね。
ほどほどにヴィパッサナーを実践してほどほどの世界に生まれ変わるのが、
ほどほどの目標設定でしょうか...。阿羅漢の一つ前、不還者でしたっけ?
779名無しさん@3周年:03/11/16 01:23
>>777
ってか、ヴィパッサナー瞑想をやっている人の動機に悟りはないんじゃない
TM瞑想をやるヨーガをやる気孔をやるそういう類だと思うよ
780名無しさん@3周年:03/11/16 05:06
>>777
>感動したいという思いは欲求以外の何ものでもないと思うよ。
一時期見るものに美を感じていたときがあるけれど、それは望んだことじゃないよ。
美というものは人間が求めて得られるものじゃない。
美『が』訪れてくるんだ。
それを保持しようとか表現しようとすれば、そこに欲求が生まれる。
でもね、美を前にしては保持することも表現することも不可能であることは明らかなんだ。

>快感には耐性が発生して次第に快感ではなくなって行きます。
快感は美じゃないよ。
今は世界が美で溢れているようには感じないけれど、それは耐性によるものではない。
単にその時が過ぎ去っただけ。美が去っていっただけ。
そこに留まっていればたぶん死んでいたか狂っていただろう。
781名無しさん@3周年:03/11/16 05:17
>>780
とても主観論のようであり
とても説得力アリのようであり
あたしゃそれより仕事が欲しい
782名無しさん@3周年:03/11/16 07:58
>>781

↑ 身につまされたが、藁た(笑)スマソ
783327:03/11/16 12:12
これは私見なんですが、美や快感と言うものはその瞬間においてはたしかに存在してます。
ブッダも同じで、供養されたおいしい食事にまったく味を感じなかったわけではないと思うんですよ。それでは不感症ですよね。

大事なのは、それに執着しないこと。つまり、おいしかったからまた食べたいと思うこと、それが執着なんです。
まずいものを供養され「まずいなぁ。もっとおいしいものが食べたい」と思うのは、過去に食べたおいしいものへの執着です。
今この瞬間に食べてるものがこの上なくまずかろうとも、まずいままに食べる。おいしいものならおいしいままに食べる。

これが大事だと思いますよ。
784名無しさん@3周年:03/11/16 15:54
そんなことは言われなくてもわかってるんだよ。
何が「大事だと思いますよ」だ。大事でわかりゃー苦労しないっての。
「執着するのがいけない」って、それを実践できるかどうかが問題なんだろ。
785名無しさん@3周年:03/11/16 17:14
釈尊が生きた時代なら迷わず「出家しろ」と言ったろうね
何しろ裟婆に生きてたんじゃ執着だらけになるから
するまいと思っても、勝手に捨てちゃマズいものが(社会的動物として
生きるには)大量にある

今それをやりたかったらホームレスになるのが一番だろうが
多分できまい?2chにすら執着しているのが現状だろうから

ま、適当に一つずつ切り捨てていきなよ(タバコやめてみるとか)
焦った挙句に「無執着に執着」するような馬鹿な真似はしないようにね
786名無しさん@3周年:03/11/16 17:24
>>784
気づいて冷静でいることですよね。
いらだって心を汚してはいけませんよね。
因に条件を与えるようなものですよね。
787名無しさん@3周年:03/11/16 17:27
>>785
棚に上げるってどういう意味ですか?
788327:03/11/16 20:50
>>785
今だって「出家しろ」と言うことになりますね。もちろん日本の大乗で出家しても意味はありません。
東南アジアの上座部で、です。

在家者の徹底的なバックアップ(布施)なくして成り立たない、なんとも依存的な代物ゆえに非難されるわけですが、あちらはそれを受け入れる広い心を持って修行を全力で支えてくれるわけです。
ありがたく利用させていただきましょう。
789名無しさん@3周年:03/11/16 23:05
釈尊が生きた時代って、現代と同じように 結構
飽食と享楽の時代だったって話聞いたことありゅよ
790名無しさん@3周年:03/11/17 03:04
だいたい在家者が布施すべきであるのに修行者自身が布施すべしってどういうことよ?そこんところ。
とゴエンカのところで思ったので払いませんでしたわ。
791名無しさん@3周年:03/11/17 03:11
いろいろ本読んでいくと、ヴィパッサナー瞑想の行き着く先は
なんだかとても味気ない状態みたいですね・・・
日本の坊主がやりたがらないはずですね。
結婚してSEXしたいと思ってるし、なんだかんだで酒をのむし...
ビジネスで坊主やっているんであって悟りなんか考えてないか...
792名無しさん@3周年:03/11/17 04:02
>>790
にいちゃん、カラダではろてもらおかー
>>791
苦から離れていることを喜ぼうではありませんか!(一職業の坊主は、ホットケ
793327:03/11/17 08:40
>>790
それは、あくまでも「一時出家」だからです。
会話が解禁になった段階で還俗したと考え、布施される立場からする立場になるわけです。
タイなどにおいても、還俗して真っ先に行うのは先ほどまでの同輩に対する布施で、そうして自分が在家に戻ったことを確認します。
794名無しさん@3周年:03/11/17 23:35
>>793
> >>790
> それは、あくまでも「一時出家」だからです。
> 会話が解禁になった段階で還俗したと考え、布施される立場からする立場になるわけです。
> タイなどにおいても、還俗して真っ先に行うのは先ほどまでの同輩に対する布施で、そうして自分が在家に戻ったことを確認します。

色々詳しいんだね。でもね、ここは日本で,日本におけるヴィパッサナー瞑想合宿に対する理解はお寺での参禅するのと変わらないわけよ。
その場合はあらかじめ参加費は決められているケース多いね。

むしろゴエンカさんのところは自発的な布施を期待しているわけでしょ。それならそれを尊重しておけばいいと思うな。
オレは固定観念に縛られている凡夫だから、お礼しないと気持ち悪いから、言われなくともお布施なり寄付なり差し出すけどね。
795名無しさん@3周年:03/11/18 00:00
テーラワーダで瞑想合宿しても
2chに対する執着は消えない様ですね。
796名無しさん@3周年:03/11/18 00:03
ときめき状態の心ってイクナイらしいね。
ツマラン!それじゃ人生ツマラン!
せっかくの人生がもったいない!
797名無しさん@3周年:03/11/18 18:32
ときめきが消えるのは痴呆症の一つの兆候です。
死ぬ瞬間まで、ときめきの心と共に生きていきたいのもです。
798名無しさん@3周年:03/11/18 19:48
ヴィパッサナー瞑想者は痴呆老人みたいな人が多いですか?
死んだ魚のようなうつろな目をした人が多いんでしょうか。
799名無しさん@3周年:03/11/18 21:08
>>798
絶え間なく気づきに努めているのでボケる暇がありませんよ。
800名無しさん@3周年:03/11/19 00:15
あ精神医学の本に書いてあった(分析医が書いたというべきか?)が、たくさんあった仏教で悟りを開いたという人は,精神医学的には「離人症」の症状とそっくりだとか。
南伝仏教の僧にも言えると書いてあった記憶があります。